新元号「令和」決定について

新元号「令和」決定について  4月1日、つまり昨日の11時30分を予定といいながらも10分遅れて40分に、安倍内閣は、5月1日からの元号「令和」を発表した。 新元号の出典は、日本最古の歌集「万葉集」の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」。日本の古典に由来する元号は初めてである。 「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」  基本的には和歌ではなく「序文」である。これは大伴旅人が、私邸で開いた宴席においてその席で梅の歌を詠んだものである。この「梅花の歌」三十二首は三十二人が八人ずつ四群に別れて詠んだもの。 「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」  これが、その梅の宴の時に主人である大友旅人が詠んだ歌である。その中の序文であるので上記令和の含まれる文章の中に和歌の雰囲気はない。  当時、「梅の宴」というのは、現在の花見のようなものであるといえる。奈良の当時はさくらではなく梅がはあの代表であったといえ、その内容をいかに見てゆくかということが最も重要なのである。そのような文化の違いから考えてみなければ、そのもとの文章の内容を見ることはできないであろう。その辺の細やかな内容が伝わらないのではないか。そのようなことが最も重要なはずなのである。 さて、公式には今回の内容は有識者会議というものが発足しその人々が推薦し、その後三権の長が推薦をしたうえで内閣総理大臣が決めたという。最終的には天皇が決めるのが元号である。しかし、実質的には内閣が決めて、天皇が認証するという感じで、大臣などを決めるときと同じ手続きになっているという。まあ、公式でそうなっているのであるから、それ以上のことを言う必要はないのかもしれない。 「令和」発表で『万葉集』書籍が売り切れ&緊急重版 出版業界に早くも“特需”  4月1日、平成に代わる新たな元号として「令和(れいわ)」が発表された。これにより、出典となった日本最古の歌集『万葉集』に急きょ注目が集まっている。ネット通販では『万葉集』の関連書籍が相次いで在庫切れ、緊急重版を決定した出版社もあり、早くも出版業界が“特需”に沸いているようだ。  「令和」の出典について菅義偉官房長官は、『万葉集』より梅の花の歌、三十二首の序文「初春の令月にして気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」によるものであると解説。元号の典拠はこれまでほとんどが中国の古典によるものだったが、今回初めて日本の古典から引用されたとも説明した。  ネット通販のamazonでは午後5時半現在、角川書店編『万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(角川ソフィア文庫)、『万葉集 全訳注原文付(一) 』(中西進/講談社)、『万葉の秀歌』(中西進/ちくま学芸文庫)など、関連の書籍が軒並み在庫切れの状態となっている。  KADOKAWAは同日、上記の『万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』および、新元号の典拠となる巻五梅花の歌32首「序」が掲載されている伊藤博 訳注『万葉集 一 現代語訳付』第一巻の2作、計1万6000部を緊急重版すると発表。「新元号の発表直後から両書籍ともに書店注文が相次ぎ、 ネット書店でも売り切れが続出。これに対応するため、各8000部の重版を決定し、追加の重版も検討中です」とコメントしている。 2019年4月1日 17時47分 オリコン http://news.livedoor.com/article/detail/16250882/ 新元号、各国メディア一斉に速報 中国やロシアなど高い関心  日本政府が1日、「平成」に代わる新元号「令和」を公表したことを受け、中国やロシアなどのメディアは一斉に速報した。韓国や台湾では発表に先立ち、元号の歴史や選定方法も詳しく報じられ、関心の高さをうかがわせた。  中国共産党機関紙、人民日報は、菅義偉官房長官が発表したと紹介すると同時に「5月1日から『令和』を新しい元号として使い始める」と伝えた。  韓国の聯合ニュースも即座に報じ、日本では「日常生活での年の数え方を表すときに西暦と共に広範囲で使われる」と紹介。主要紙、朝鮮日報は発表に先立ち、元号がどのように選定されるのかを詳細に報道した。(共同) 2019年4月1日 12時51分 共同通信 http://news.livedoor.com/article/detail/16249422/  さて、日本の天皇というのは、神話の世界では暦を決める神とされている。ご存知のように日本は「八百万の神」を信奉する「多神教」によるもので、その中で天皇自身が神の中の一人であるというような感じになっているのだ。神々には、すべての神々にその役割が決まっており、その神々の役割の中に様々な話が存在するのである。アマテラスオオミカミは太陽の神であり、ニニギノミコトは稲の神であった。そして神武天皇以来天皇は暦の神であるとされており、その暦を自由に変えることができるので、「新しい時代」として元号を作るのである。 さて本日元号が発表された時にたまたま永田町にいた。多くの警察官があり、その警察官の中に元号に反対するという不思議な人間が数名いたのが印象的である。天皇や皇室に反対するという日本人はほとんどいない。その天皇を象徴する新たな元号が存在し、その元号が新たな時代を表すとされている。 さて、今回「令」の字が評判が悪いようだ。 しかし、そもそも「律令」というものが大宝年間に、藤原不比等によって作られた。それから約1300年今もその基本法ということは憲法に引き継がれているのである。では、その「律令」とはどのような意味なのであろうか。 律令という言葉をひけば「律」つまり「法律」というような規則を「令」つまり「詔」もっと言えば天皇による命令を守るというような意味になる。しかし、実際の忌は「令」とは、「良いこと」ということであり「令月」とは「何をするにもよい月」「ないかを始める月」という意味になる。これは上記に書いたように「天皇は神であり、神に従い紙の言う通りに動くことは最も良いこと」というような意味であると考えられている。基本的に神の考え方があり、その神の支持、神の示唆する方向に関して、どのように考えるかということになる。 このへんの価値観が全く見えてこない。これは現在の教育が全くできていないことを意味する。その教育や教養に関しても新しい字ぢ兄は変わってほしいものである。

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マスコミ批判に関する一考(438) 「ネタ切れ」という単語が出てくるマスコミの責任

マスコミ批判に関する一考(438) 「ネタ切れ」という単語が出てくるマスコミの責任


 先週の土曜日に発表したように、このブログを「ココログ」からアメーバブログ」に引っ越すことにしたのであるが、残念ながら、その内容があまりよくわかっていない。つまり、ブログの引っ越しの方法が見えないので、こちらのココログは残しながら、新しいブログにしようと思う。
ブログは「宇田川源流」として今までのような政治や経済や国際情勢の解説だけではなく、歴史や文化、場合によってはグルメレポートなども書いてみようと思っている。まあ、最近ではそのような難しい文章だけではなく、もう少しライトな文章も書いてゆきたいと思っている。同時に、やはり文化とかそういうことも書いていった方がよいのではないかという気がするのである。
そのようなこともあって、突然ではあるが、このマスコミ批判は、今回が最後というか、不定期連載にしようと考えている。もちろん連載番号はそのままここに書こうと思っているが、しかし、実際に毎週マスコミに関することを書くのはこの辺で終わりにしようかと思っている。
まあ、正直なところ毎週書いていて、毎週同じようなことしか書いていない。実際に「中立」「公平」「公正」ができていないマスコミでなおかつ取材技術も文章校正も、現実も何もできていない。はっきり言って「マスコミの劣化」というような感じになってしまうのではないかというような気がするのである。劣化したマスコミは、二つの現象をつくりだす。一つは、マスコミ全体の劣化からくる「読者・視聴者の劣化」である。まさに今の社会現象がその劣化社会全体が蔓延した中にある。マスコミが言論の自由を盾に責任を全くとらないが、現在のマスコミのダメな報道によって、有権者もすべて劣化している。よく陰謀論で言っているような「GHQ日本劣化陰謀説」のような話ではなく、現在の日本の劣化は主にマスコミによるものではないか。
そして、もう一つは新メディアつまり「ネットメディア」の劣化であるといえる。
そしてそのようなところにはない「本物」はネタが来てて来てしまうのである。


鈴木敏夫プロデューサー「ジブリもそろそろネタ切れ」 宮崎駿監督とのやりとりも明かす

 スタジオジブリ代表取締役でプロデューサーの鈴木敏夫氏と、女優・夏木マリが19日、東京・神田明神ホールで行われた『鈴木敏夫とジブリ展』プレス内覧会に出席。鈴木氏は「ジブリもそろそろネタ切れでして」と明かしつつ、宮崎駿監督とのやりとりで、笑いもとりながらトークを繰り広げた。
 鈴木氏は「ジブリもこの40年、いろんな展示をやってきたんですけど、そろそろネタ切れでして、鈴木敏夫の個展という名前にして新たなジブリ展にしたのがテーマなんです」と話すと「もう少し前向きなことを言わなきゃいけないのに、つい本当のことしゃべっちゃいました」と苦笑い。
 さらに「宮崎駿という人は、思い切りのいい人で、自分の持っていたものを捨てちゃう。それで、彼が捨てたものをとっておいたのがジブリ美術館の役に立ちました」と裏話を披露。「『そんなもの持っててもしょうがないだろ』と言っていた宮崎がね、美術館を作るときに古いものが必要になって『持ってるよね?』と聞いてきたんですよ」と、笑顔も交えながら宮崎監督とのやりとりを明かした。
 映画『千と千尋の神隠し』で湯婆婆の声優を務めた夏木は、宮崎監督から「ジブリはね、一番上に鈴木敏夫というのが金勘定してるんだよ。悪役だと思って張り切ってやらないで湯屋を立て直すひとりの働く女性としてやってください」とアドバイスをもらったことを話し「目の前がパアッと明るくなって、楽しくなった思い出があります」と振り返っていた。
 同展覧会は鈴木氏の“言葉”に注目したもの。ジブリはどこから始まりどこへ向かうのか。鈴木氏の「原点」から「今」を、書画やジブリ作品の資料を用いて紹介することで、スタジオジブリの秘密に迫る。期間はあす20日から5月12日まで、同会場で開催される。

2019年4月19日 12時37分 オリコン
> http://news.livedoor.com/article/detail/16340485/


 渋りがそうなのかという話は、少し後に話すとして、まずは上記の内容の続きを書いてみよう。しっかりと根拠のある、あるいはネタのある話や教訓となるような話ということに関しては、基本的に「原典」「加工」「現代風刺」「オリジナル性」「メッセージ性」というような感じが出てくることになる。つまり社会風刺をしてその社会風刺に対して何rかあのメッセージを入れ、そこに、話を面白くするために、原典を参考にするというような話になるのである。
当然に「原典」があればよいが、ない場合は、そのほかのオリジナルの話などを参考にする。もちろん様々な話をミックスしたり、自分の経験をそこに入れることによって「オリジナル性」が生まれてくる。ある程度の模倣があり、同時にある程度のオリジナル性があり、そして社会に対するメッセージ性が異なるから話として成立するのである。
辞ぶりがしっかりしているかどうかは別にして、マスコミなどよりもはるかに素晴らしい状態になっているはずだ。ジブリの作品に関してはそれがフィクションであことはあるとしても一方で、しっかりとした内容になっている。原典などを含めて考えれば、かなりしっかりとした構成になっているので、そのために、世界でいけ入れられる。残念ながら日本のマスコミ報道は、ジブリのように世界に通用するものは少ない。つまり、世界レベルではないということである。
そのジブリが「ネタ切れ」といっている。
鈴木氏は「ジブリもこの40年、いろんな展示をやってきたんですけど、そろそろネタ切れでして、鈴木敏夫の個展という名前にして新たなジブリ展にしたのがテーマなんです」と話すと「もう少し前向きなことを言わなきゃいけないのに、つい本当のことしゃべっちゃいました」と苦笑い。<上記より抜粋>
ネタ切れというのは社会がそれについてこれないのか、それは社会が劣化しているからに他ならない。つまり、その劣化を作り出したマスコミが、ジブリのネタ切れの遠因ということになるのではないか。
まさにマスコミそのものの内容が、世界的に通用するアニメスタジオのネタをきれさせてしまっているということになる。マスコミが鹿kりと「事実は小説よりも奇なり」というような話をうまく報道できるかどうかということになるのである。
マスコミ批判、つまり、彼らマスコミが社会を劣化させたために、日本の世界進出が阻まれているということになるのである。

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【土曜日のエロ】 「TikTokはポルノを助長する」というインドと中国のポルノの定義

【土曜日のエロ】 「TikTokはポルノを助長する」というインドと中国のポルノの定義  今週も土曜日がくる。この土曜日のエロの日はやはり文章を書くのが面白い。 さて、まずは「重大発表」である。 「ブログを引っ越します」 まあ、日本の文化紹介や、日本のことをもって書きたいと思っていますし、また、せっかく歴小説作家や本を書いているので、その内容をもう少しニュース解説から、日本文化に移したいと思っているのです。しかし、さすがにこのままここで継続していて、突然テイストを変えるのは、良くないので、ブログのプラットフォームを変えてしまおうと思っているのです。まあ、今まで通りフェイスブックには掲載しますし、ポイントポイントではココログもそのまま残しておこうと思っているのですが、まあ、とにかく引っ越そうと。 たぶんココログでは2005年11月からであるから、14年くらいやっていると思うが、まあ、そろそろ変えてもよいかな。 なお、新しいプラットフォームになっても「土曜日のエロ」は毎週土曜日のお楽しみである。もっと、「エロも多角的に」(これ以上多角的にどのようにするのか)というような感じでやってみようと思っているのである。 さて、そういうことでこのココログのブログは、来週の土曜日のエロで最終回 5月の連休明けから新しい内容に変えようと思いますのでよろしくお願いいたします。 しかし、このブログも14年もやっているのですね。いや長いなあ。 ということで、今週もしっかりとエロをやってゆこうと思う。(急に文体がですます調から変わるのです) 今回は「TikTokはポルノを助長する」という記事。 「TikTokはポルノを助長する」インド裁判所、ダウンロード禁止を政府に暫定命令  インド南部のタミル・ナードゥ州都チェンナイにある高等裁判所は6日、インド中央政府に対し、中国企業が開発した動画作成アプリTiKTok(ティックトック)のダウンロードを禁止するよう命じた。裁判所は、このアプリが「ポルノを助長」し、 青少年の精神の健全性を損なうとした。  また、裁判所の暫定命令では、TikTok経由で共有されたビデオを放送しないよう現地メディアに要請している。  TikTokは、ユーザが撮影した数秒の短い動画を、音楽や映像加工を付けて公開・共有するサービス。ユーザは10代~20代が特に多い。TikTokは、中国の新興企業ByteDance(バイトダンス)が提供する。インドでは1億人以上がTikTokをダウンロードし、アクティブユーザーは3000~4000万人に上る。ICT総研によると、日本のTikTokユーザ数は、2018年末で532万人。  裁判所の暫定命令は、同州マドラス拠点の弁護士Muthu Kumar氏の申し立てによるもの。命令では、TikTokや同類のアプリ、ゲームは「将来のある若者と子供たちの考え方を台無しにしている」と裁定した。  同裁判所の命令では、米国の児童ネットプライバシー保護法(COPPA)のように、サイバー犯罪から子どもを保護するための法律を導入するつもりがあるかどうかについて、政府に回答を求めている。  報道を受けて、TikTokはコメントを発表。裁判所からの正式な命令を待っており、内部調査の後に対応するとした。同社は「現地の法的規則を遵守する」という。  2月、インド南部タミル・ナードゥ州政府の情報技術代表は、中央政府宛ての書簡で、TikTokが「文化的な劣化」を促し、ネットのいじめ、児童ポルノの温床となっているとして、アプリの禁止を求めた。 (編集・佐渡道世) 2019年04月06日 16時23分 大紀元時報 https://news.nifty.com/article/world/china/12241-240483/  まず、先に言っておくが、私はテレビの紹介などを除き、自分でスマホなどで「TikTok」を見たことがない。 日本ではTikTokは「サーバーが中国で、情報を取られている」「第二のファーウェイ」などといわれているために、あまり協力にその内容を押している人も多くはない。日本のマスコミも、どうもアメリカの圧力は怖いらしいので、マスコミにもTikTokはあまり出なくなったような気がする。 TikTokは、私の感想では音楽に合わせて何らかの動きをするというようなものなのである。まあ、Instagramの動画版というような感じがあるのだが、その動きを面白くするために、多くの人が「過激」な方向に行ってしまう。その中には、強く腰を振ったり、性的な状況を強調するというような内容も少なくないのである。 このように考えた場合「TikTokはポルノを助長する」という首長ではなく、本来は「TikTokに動画をアップする人がポルノ的な表現もいとわずにアップする場合が少なくない」ということになる。TikTokつまりTikTokがそのような過激なものを削除するような機能を取り付けていればそれでよいのであるが、残念ながら、もともとが情報をとるためのツールであるということからそのようなものはない。逆に多くの人の注目を集めることが重要なのであって、中国のサーバーであるにもかかわらず、過激な表現をそのまま出しているということになるのである。 ある意味で「承認欲求」が「過激化する」ということになるのであり、どうでもよい人にとってはどうでもよいことなのであるが、そのようなことを見ること自体がおかしいというような感じになるのである。 さて、その中でインドが反応したということになる。そもそもインドはカーストがあり、なおかつ、女性の過激な表現を行うことに関しては、<TikTokや同類のアプリ、ゲームは「将来のある若者と子供たちの考え方を台無しにしている」と裁定した。><上記より抜粋>というよう感じになるのである。まあ、要するに「承認欲求」がそのまま「将来なる子供たちの考え方をおかしくする」ということを考えているということであり、その内容は完全におかしな内容になっているのではないかという気がしている。ある意味で政治的である意味で、カースト制度の状況にありながら、承認欲求ということで青少年の精神を破壊するものとしてTikTokが挙げられている。それも女性の動きに関してまさにそのように考えているということになるのではないか。 さて、総合的に「女性が承認欲求を無制限で行うこと」が一つのポルノにつながるということになる。ここでいう「無制限で」というのは、まさに「不特定多数の男性に」ということと「露出の度合い」ということと二つの意味がそのまま存在するということになるのであるが、まさに、その「制限できない」ということが非常に大きな問題になるのではないかという気がしてくるのである。インドの説明はそこまで来ていないが、このようになっている。 インド南部タミル・ナードゥ州政府の情報技術代表は、中央政府宛ての書簡で、TikTokが「文化的な劣化」を促し、ネットのいじめ、児童ポルノの温床となっているとして、アプリの禁止を求めた。<上記より抜粋> まあ、その辺の構造をしっかりと考えるべきではないのか。

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<現代陰謀説> 陰謀の代償として差し出されたウィキリークス・アサンジ容疑者の末路

<現代陰謀説> 陰謀の代償として差し出されたウィキリークス・アサンジ容疑者の末路  近年の秘密暴露事件で最も話題になったんのが「ウィキリークス事件」であろう。そのウィキリークスの代表であるジュリアン・アサンジ容疑者が逮捕された。イギリス国内のエクアドルの施設を提供し、そのまま中で守られていたのであるが、そのエクアドルが、アサンジ容疑者の保護をやめ、イギリスの警察に実質的に引き渡したということになっている。 さて、そもそもウィキリークス事件とはどういう事件であったのか。 そもそもこの事件は、2010年11月28日よりウィキリークスでアメリカ合衆国の機密文書が公開された事件のことを言う。文書の内訳は、機密扱いされていない (Unclassified) 文書が130,000件以上、秘 (Confidential) 文書が約100,000件、高レベルの機密 (Secret) 文書が約15,000件、極秘 (Top secret) 文書はなし、とされている。その舞台となったネット上のウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジは、自称オーストラリアのジャーナリストである。ウィキリークス事件の後、2010年11月下旬、エクアドルの外務副長は「無条件だ。ならば彼はインターネットに留まらず、さまざまな形のパブリックフォーラムで自由に情報を提供し、あらゆる資料を保有できる」と語り、アサンジに居住を提供する構えを見せた。副長官は、アサンジと対話を始めることがエクアドルの利益に繋がると考えたようだ。2012年6月、性的暴行容疑(上記)にて、スウェーデン移送が決定されると、アサンジは移送を回避するために反米左派政権のエクアドルへの亡命を目指し、ロンドンの駐英エクアドル大使館に政治亡命を申請した。申請は同年8月に認められた。エクアドルはアサンジの自国への入国を要請しているが、イギリス政府はアサンジがエクアドル大使館の外に出た場合、保釈違反で身柄拘束する方針としている。 しかし、2019年4月11日、イギリス警察によって逮捕された。同日、エクアドルのレニン・モレノ大統領は、アサンジが行った大使館内での奇行を取り上げ、「エクアドルは寛大な国だが、限度がある」と言及。逮捕の契機にはエクアドル側からの追放処分があったことを明らかにしている。 アサンジ容疑者は「大使館をスパイ活動の拠点に」 エクアドル大統領が非難  ロンドンのエクアドル大使館で逮捕された内部告発サイト「ウィキリークス」の共同創設者ジュリアン・アサンジ容疑者(47)について、同国のレニン・モレノ大統領は14日、アサンジ容疑者が大使館を「スパイ活動の拠点」として使っていたと批判した。この日に公開されたイギリス紙ガーディアンのインタビューに答えた。  モレノ大統領はインタビューで、エクアドルの前政権がアサンジ容疑者に対し、他国の内政に「干渉するため」の設備を提供していたと述べた。  2017年に大統領に就任したモレノ氏は、エクアドルが7年間にわたってアサンジ容疑者を保護していたのを中止したことについて、「エクアドルは政情不安を引き起こすいかなる行為も非難する。なぜなら我々は主権国家であり、どの国の内政も尊重するからだ」と主張した。  モレノ氏はさらに、「我々の大使館は扉が開かれているが、スパイ活動の拠点となることは許されない」と話した。 「まず言いたいのは、イギリスの警察を大使館の中に立ち入らせるという違法で前代未聞の行為を正当化するために、エクアドル政府がここ数日間、とんでもない主張をしているということだ」と話した。  その上でロビンソン氏は、アサンジ容疑者に関して、アメリカ国防総省のコンピューターへの侵入を共謀したとする嫌疑が出ていることに言及。アサンジ容疑者はアメリカへ身柄が引き渡されるのを懸念していたが、その懸念が正しかったことが証明されたと述べた。  アサンジ容疑者は2010年、スウェーデンでの性的暴行の容疑で、イギリス警察に逮捕された。保釈中の2012年、ロンドンのエクアドル大使館に亡命を申請。保釈の際には裁判所への出頭などの条件が付けられていたが、アサンジ容疑者はそれに違反したとして、今回の逮捕につながった。  アサンジ容疑者は今回の逮捕容疑で有罪判決を受けており、最長1年間の拘禁刑が言い渡される。  また、今後は自身の身柄のアメリカへの引き渡しについて争うとみられる。 (英語記事 Assange used embassy for 'spying' - Ecuador) BBC 2019年04月15日 https://www.bbc.com/japanese/47931380  リークス事件が起きた当時、よく言われていたのがオバマ大統領によるCIAの縮小である。もともとハッカーとしても活動していたアサンジ容疑者は、CIAのエージェントでハッカーをやっていたといわれている。それがオバマ大統領による「平和主義外交」は、そのまま情報に関する部門の縮小を意味し、軍事やCIAの予算は3分の1に縮小されたのである。その縮小の影響から、アサンジ容疑者は、国籍も違うことからカットされてしまい、 けられたうえで、アサンジ容疑者の方が大きくなければ保護はできない。つまり、保護してもらえるだけの価値を自分で創造しなければならない。その創造するないようができなくなった状態で、アサンジ容疑者の運命は決まったといえる。  同時に、そのことができないということは、つまり、アサンジ容疑者がウィキリークスを作った作るにあたって、上記の内容でCIAの関係で秘密をリークしたのではないかということになる。まさに、アサンジ容疑者単独であったのか、あるいは、CIAの権限を使ったのかということが明らかになる。まさに、権限を不正利用したのかどうかということが非常に大きな問題になるのである。  つまり、自分で自分の価値を作ることができるかできないかが大きな問題になるのである。これが「裏切者」の末路なのである。

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ヒンシュクを買い続ける菅直人という人物とその人を首相に選んだ野党という団体の「同一性」と「責任転嫁」

ヒンシュクを買い続ける菅直人という人物とその人を首相に選んだ野党という団体の「同一性」と「責任転嫁」  今の奴というのは本当に何もできない人々ばかりだ。統一地方選挙の後半戦で、私の住んでいる豊島区も釘がい議員選挙があるようで、なかなかうるさい。それにしても「区議会議員選挙」のレベルであるのに、なぜか「安倍政治を許せない」とか「消費税増税反対」とか言っているのであろうか。なんだかわからないが、論点が全く異なる。そもそも豊島区議クラスで消費税増税に関して語ったところでそれが公約になると思っているのであろうか。国政レベルと区議会議員レベル、全く異なるレベルということが全くわからない。 まあ、このように日本国内においては「政治」ということに関して、「単純に反対数rだけで生死をするような気分になっている」というような状況が生まれてきている。これがすべて民主党政治の負の遺産であるということになる。 では、その民主党政治において、何がもっともおかしな問題なのであろうか。それは「自分の言葉や行ったことに責任を持てないこと」である。日本人の多くが韓国に対して不快感を持っているように、基本的に自分の言った言葉に責任を持てない人がいると、日本人はかなり強く拒否反応を示す。日本人は古来村社会を中心にした地縁的農耕民族性を持っている。そのために、共同しなければならないことに関して裏切りや嘘があると、全体がおかしくなるということが出てくることになるのである。しかし、これが高度経済成長期以来の「核家族化」そして日教組教育が行っていることから考えられる「核個人化」というような状況において、地縁的なつながりがなくなってしまった。そのことによって、裏切りや嘘が多くなってきてしまっているのである。 そのうえSNSの発展によって、そのような核個人化における無責任発言がより拡散している状態なのである。ネットの中における無責任発言は多く、舌の根も乾かないうちに言っていることが変わったり、記事がそのまま残っているのにそれとは全く異なる行動をとって平気な人もいるのである。 民主党政権というのはまさにそのような状況を作り出し、日本社会の病巣を表に出した歴史的な政権であるといってよい。 「国民民主解散論」岡田克也氏も眉ひそめる ヒンシュク買う菅直人氏の独走  立憲民主党会派の岡田克也衆院議員が2019年4月11日、菅直人元首相(立憲民主党最高顧問)が国民民主党に解散を求めていることについて「慎むべき話」だと苦言を呈した。国会内で記者団に語った。  岡田氏は、19年7月に迫った参院選の1人区では立憲や国民が候補者を公認するのではなく、無所属で出馬させた上で相互推薦すべきだとの立場。菅氏の発言は野党間の足並みをさらに乱すとみているようだ。  「僕は決していい発言だとは思わないですね」  菅氏は4月3日付けのブログで、国民は小池百合子氏が立ち上げた「希望の党」を引き継いでいるものの、小池氏の理念を引き継いでいるかまでははっきりしないことが「国民民主党の混迷の原因」だと主張。その上で、  「私が繰り返し『国民民主党』は一度解散して、個々の議員の判断で一番政治理念の近い政党に参加するほうがいいと言っているのは、このような『国民民主党』の自己矛盾を解消するためです」 などと解散を主張。統一地方選前半戦を受けた4月9日は、ツイッターに  「小池都知事が結成した希望の党と民進党が合併した国民民主党は、政治理念が不明確なので解散し、参院選までに個々の議員の判断で立憲との再結集に参加するのが望ましい」 と書き込み、露骨に立憲への合流を呼びかけた。  こういった発言に岡田氏は否定的だ。  「政治家がどういう発言をするかというのは、ある程度自由だとは思うが、僕は決していい発言だとは思わないですね。むしろ、かなり言い過ぎている。慎むべき話だと思いますよ」  「やっぱりみんな仲間だからねー。政治家として」  「すでに公認がだいぶ出てるし...」  岡田氏は参院1人区について  「一方(の党)で公認となると、他方の支持者はなかなか力が入らない。そういう意味では、なるべく双方推薦のような形でやっていかないと、難しいのではないかと思うが、まだそういう状況には至っていない」 などと持論を展開したが、  「すでに公認がだいぶ出てるし...。あんまり公認にこだわらないほうがいいと思いますけどね」 とも話し、実現にはハードルがあるとの見方も示した。  一方で国民をめぐっては、自由党との合流に向けた協議の期限が4月末に迫っている。岡田氏は、 「合流することが大きなかたまりにつながると玉木さん(玉木雄一郎代表)は説明しているが、そう思っている人は少ないのではないか、現実には。おそらく本人も分かってて言っていると思うけど」 として、合流が与党に対抗する「大きなかたまり」になる可能性は低いとの見方だ。 (J-CASTニュース編集部 工藤博司) 2019年04月11日 13時37分 J-CASTニュース https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-244792/  民主党政権というのは、まさに「他者に対する批判」で成立した政権であるということが言える。自分の根本の主張やしっかりとした内容、政策などがあって、そのうえで、批判をするというのは良いが、単純に「批判のための批判」をしてしまうとこれは完全におかしな話になってしまうということにある。これは、流行の作家が裏張りというように、わざと流行とは反対方向ばかりをやっていたところ、それが流行してしまうというようになった時に、次にどのような作品を書いていいかわからなくなってしまうというような状況になる。別な例を挙げれば、ある意味で「アレルギー」とか「アトピー」と同じで、本来は外部からの害に対して攻撃をするものである免疫が、体の中に害毒がなく、除菌された者ばかりになってしまうと、そのまま自分の体の中を攻撃し始めるということと同じになるのである。 批判のために批判、反対のために反対を繰り返していた場合、その政権が政策もなくトップに建ってしまうと、政策の実行ということに力を使うのではなく、政策以外の内容に力を尽くすことになってしまう。つまりどこかを批判しなければならなくなってしまうのである。 それでも政権をとっている間は良いが、残念ながら政権から陥落してしまった場合、内部で批判と責任転嫁の応酬が行われる。この結果、民主党政権が野党になって以来、「離合集散」を繰り返し、立憲民主党、国民民主党、希望の党などにいるほか、自民党に入るものも出てくる状態になるのである。 この無責任で発言に責任を持たない、責任転嫁の最たるものが「菅直人元首相・現立憲民主党最高顧問」である。まあ、そもそもこのような人物を最高顧問に迎えていること自体どうかしている。まあ、いまだに小沢一郎を崇拝しているような人々に比べればはるかにましかもしれないが、そもそも、菅直人の場合は首相としてダメであったということが明らかである。そのうえで、自分がダメであったから民主党政権が終わったということ、そしてその内容に関して批判が集中していることなどの反省もなく、国民民主党に対して解散すべきなどといっているのである。 その菅直人もひどいが、その菅直人に対して批判している岡田克也も同じ。まあ、誰かを批判することしかできない人々である。そのひどさは上記を見ればわかるし、またその内容に関して言えば、そのような人々を大臣や代表、首相に着けていて、何の問題もないかのように民主党に所属し続けていた当時の民主党議員、または現在そのような人々と席を同じくして立候補している議員などにも同じである。単純に、この人々に疑問を持てばその団体にはいられないはずなのであるが、残念ながら、そのような感覚はない。「所属」ということに関して「潔さがない」人が少なくないのである。 しかし、国民はそのような状況に対して不快感を持つ。単純に言えば上記の農耕民族における裏切りや嘘と同じような状況になるのであり、SNSのかなにおける国民固有の連帯感に対して非常に不快感を感じるということになる。 単純に「批判だけをしていればよい」という人々と、「今何をしなければならないか、実行すべきことは何か」という観点の人でその内容は完全に分かれる。そして批判だけをしていればよいという人々は「矛盾した行動」「発表した内容と全く違う行動」という自己矛盾に平気な顔をしていて、何とも思わないのである。このような「厚顔無恥」な人々が少なくないのが、現代の日本人になってしまったのかということが、とても残念である。そしてそのような風潮を作ったのは、まさに民主党政権であったというように言えるのではないか。それは民主党議員が悪いというのではなく、そのようなところに投票をした国民の問題であるということが言えるのである。

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非常に残念な世界遺産ノートルダム大聖堂の焼失

20190415022019041502  西暦1345年といえば、日本では南北朝時代である。ノートルダム大聖堂ができたのは、ちょうど後醍醐天皇の死後、後村上天皇が南朝を継いで、政務をとっていたころのことである。 そのノートルダム寺院が火事で焼失した。 かなり衝撃的な内容である。4月15日午後6時50分(日本時間16日午前1時50分)ごろであったという、補修工事をしている足場のあたりから「ありえない出火」といっているが、その出荷が広まり、そのまま燃えてしまったのである。 ヨーロッパの建築物は、基本的に石でできている。しかし、石材で屋根を作ると重たいので、城など以外は、石材ではなく屋根の部分はすべて木造になっているのである。その木造部分が完全に燃えてしまい、そして上からがれきが落ちてしまう。また、その熱でステンドグラスなどが解けてしまい、名物のバラ窓などは完全に破壊されてしまったのである。 日本で言えば、年代的には天竜寺や金閣寺(鹿苑寺金閣)が焼けたような感じである。しかし、多分心情的には彼らはパリの根源がノートルダム寺院であると考えていることから、ある意味で、東大寺とか姫路城とかが焼けてしまったかのような感覚になってしまうのではないか。ちなみに天竜寺は中世には延文3年(1358年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)と、6回も火災に遭っている。応仁の乱による焼失・再建後、文禄5年(1596年)慶長伏見地震にて倒壊。その後しばらくは安泰であったが、江戸時代の文化12年(1815年)にも焼失、さらに幕末の元治元年(1864年)、禁門の変(蛤御門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。 ある意味で、ノートルダム寺院はパリっ子がみんなで守りなおかつ、シテ島の真ん中にあることからちょうどお堀に囲まれたような形であったことから、第二次世界大戦のナチス後いつにも負けなかったにもかかわらず、今回燃えてしまったのである。 屋根3分の2、尖塔崩落=世界遺産のノートルダム大聖堂-鎮火に半日以上  【パリ時事】フランスのパリ中心部にある観光名所のノートルダム大聖堂で15日午後6時50分(日本時間16日午前1時50分)ごろ、大規模な火災が発生し、屋根の3分の2と尖塔(せんとう)が焼け落ちた。消防当局は16日午前(同夕)、「完全な鎮火」を宣言した。当局は出火原因の特定と修復に向けた被害状況の確認を急ぐ。  大聖堂は老朽化が進み、尖塔を中心に大規模な改修工事が行われていた。火元は屋根に組まれていた作業の足場付近とみられている。火災は瞬く間に広がり、木材が多く使われた高さ約90メートルの尖塔は約1時間で崩落した。  消防当局は約400人の隊員を動員し、大聖堂の外側と内側から消火活動に当たったが、完全に消し止めるまでに半日以上を要した。  一方、正面の2基の塔は焼失を免れたほか、大聖堂の柱やアーチなどの内部構造は無事だった。大聖堂の司祭は仏BFMテレビに対し、イエス・キリストが十字架に処される際にかぶっていたとされる「いばらの冠」などの重要な文化財は「消防隊員により無事に運び出された」と語った。  マクロン大統領は15日夜、「最悪の事態は免れた。われわれは大聖堂を再建する」と明言。世界中から寄付金を募ると訴えた。仏当局は聖堂内のステンドグラスや絵画などの被害状況を確認し、一刻も早い修復に着手する方針だ。  出火原因は「失火」の可能性が高いが、仏メディアによると、司法当局が既に現場作業員から聞き取りを行った。  大聖堂は1345年の完成以来、大きな火災に見舞われることなく、フランス革命や二つの大戦も生き延びた。1991年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録され、毎年約1300万人の観光客が訪れる。 【時事通信社】 2019年04月16日 17時55分 時事通信 https://news.nifty.com/article/world/worldall/12145-249396/  さて、実際に画像を見てしまうと残念というような言葉しか出ない。言葉を失うとはこのことであろう。 さて、ある意味で補修作業中の火事というのはまさによくある話だ。日本でも工事中などの火災は少なくない。特に「補修」というのは寺院などを閉鎖せず、そのまま一般の人々が使用できる状態に石ながら、横で工事を行うので、当然に工事そのものに無理がかかる。そもそも工事用の電動工具などはすべて電圧なども高く、一般で使用するには危険なものばかりであるだけではなく、そのような電圧に耐えられる配電盤を持っているかどうかの問題などがあるのだ。片方で一般客に対して気を使わなければならないのに対して、一方で工事をしなければならない。そのうえで、終わってからの電圧の検査などをしなければならないのである。もちろん、火災の原因が度が決まったわけではないが、作業が終わっていたといえば、火の不始末かあるいは漏電しかない。 このように考えると、そもそも閉鎖しないで改修工事をするということ自体に非常に大きな問題があったのかもしれない。 さて、このような言い方をすれば冷たい言い方になるかもしれないが、原因を追究しても燃えてしまったものは元に戻るはずはない。そのために、ここで言えるのは、なんといっても燃えてしまったことに対するフランス国民の心のケアということであろう。これは、地震というように原因は違うものの、熊本城の再建と同じではないか。象徴的な建物というのは、まさに心のよりどころとなる。その心のよりどころとなった場所がなくなった時のショックはかなり大きなものになったということになるのである。 正面の2基の塔は焼失を免れたほか、大聖堂の柱やアーチなどの内部構造は無事だった。大聖堂の司祭は仏BFMテレビに対し、イエス・キリストが十字架に処される際にかぶっていたとされる「いばらの冠」などの重要な文化財は「消防隊員により無事に運び出された」と語った。<上記より抜粋> まさに、せめてもの慰めではないか。まさにそのものがあるのが、せめてもの慰めではないか。 私が生きているうちに、もう一度、見ることができるのであろうか。支援は惜しまないが、ここから別に教訓を得るべきことがあるのではないか。

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政治や経済とは関係がありませんが大河ドラマ韋駄天についてのクドカンの「恨み節」について一言

政治や経済とは関係がありませんが大河ドラマ韋駄天についてのクドカンの「恨み節」について一言  NHK大河ドラマ「いだてん」が絶不調である。まあ、番組内から逮捕者が出てくるし、また、ストーリーの面白みがない、ドタバタ喜劇の連続で、朝ドラのようだなどの様々な声が聞こえるところ、まあ、史上最速で視聴率が一けたになるという、大河ドラマ始まって以来の危機的状態である。 実際に「いだてん」は、2020の東京オリンピックが行われることから、国内にオリンピック機運を高めるということから、ある意味で政策的な配慮も、また政治的な目的もあって作られた大河ドラマである。そのために、大河ドラマにおいて初といっていいほど、戦はないし、人の生死もあまり関係がない状態になっている。そのうえで、オリンピックの日本でのことを出して、その歴史やオリンピックに国運をかけて参加した人々を描くはずであったと聞いているのである。 しかし、やはり大河ドラマといえば、そのようなものではないという概念が強い。これは、一つには大河ドラマに関しては放送時間が日曜日の夜、再放送が土曜日の昼ということで、実際に男性の歴史ファンが多く見ることが少なくないのである。男性の歴史ファンが多いということは、かなり調べたり、あるいは、男性的な目線での歴史解釈というのが必要であり、テレビ画面の中だけのドラマ性を求めるばかりでは人気になれないのである。なんというか、ストーリーの奥の深さや歴史の奥の深さを優先し、ドラマとしてのテンポや、切り回しを優先するのではないというところではなかろうか。その部分が大河ドラマ「いだてん」では足りないのではないか。 一方で宮藤官九郎氏に対する問題が集中している。クドカンに関して言えば、朝の連続テレビドラマ小説「あまちゃん」によって非常に好評を得た。これをもとに、大河ドラマの新たな試み、つまり「戦のない大河ドラマ」を託した形になったのではなかろうか。 ラジオで激白 NHK大河「いだてん」に5年を捧げたクドカンの恨み節  視聴率の低迷が続くNHK大河ドラマ「いだてん?東京オリムピック噺?」は、3月31日放送分で“ストックホルム編”が終了し一区切りついた。  そんな中、8日オンエアのTBSラジオ「ACTION」に「いだてん」の脚本家・クドカンこと宮藤官九郎がパーソナリティーとして出演。ドラマの舞台裏について初めて口を開いた。リスナーによってはNHKに対する“恨み節”にも聞こえたのではないか。  16時に始まったコーナーでクドカンは〈愚痴のコーナーです!〉と前置きすると、〈このドラマは2014年の暮れにNHKから三島弥彦と天狗倶楽部の資料が大量に送られてきたことが始まりでした〉と告白。その後、「シナリオハンティング」と称してストックホルム、ベルリン、さらには開催中のリオ五輪にも連れて行かれたそうだ。そのために長女の学芸会や運動会に行けず、家族旅行も潰れたという。ちなみに、クドカンはスポーツに興味がないという。それなのに、このドラマの構想に5年の歳月を費やし、そのためにさまざまなことが犠牲になったことをほのめかした。  脚本を書き始めてからはさらに過酷な日々だったようだ。クドカンはこう証言した。 〈脚本ができるまでには5段階のプロセスがあるんです。白本→青本→準備稿→内容決定稿→決定稿。こうして脚本は完成するわけです。その間、何度となく時代考証などが行われるのです。“あの時代にこういう言葉はありませんでした”とか、“こういう文化はありませんでした”とか。明治時代の時代考証、スポーツ考証、熊本弁、浜松弁の考証とか、さまざまな考証が入ってくるのです〉  芸能ジャーナリストの芋澤貞雄氏が言う。 「もちろんドラマ制作において時代考証などは大切ですが、クドカンのような一流脚本家にとって、自分の作品に次々と手を入れられることは面白くなかったと思います。彼はラジオの中でドラマ1話当たり4日から1週間を要したと証言していました。それが白本が決定稿になり、脚本が表紙付きの台本となった時にはほぼ原形をとどめない“別の作品”になってしまったと彼は言いたかったのかもしれません。必然的に“クドカンテイスト”も薄まってしまったはずです」  クドカンは〈(NHKには)優秀なスタッフが何人もいて、収拾のつかなくなった私の脚本の情報整理を見事なくらい手際良くやってくれるのです〉と語っていたが、これを文言通りに受け取るのは難しい。自分の作品を“殺した”NHKに対する皮肉ではないか。  クドカンは言わずと知れた一流脚本家である。この5年の間に自分がやりたい舞台や作りたい音楽があっただろう。リスナーには、“失われた5年間を返して欲しい”とNHKに訴えかけるようなクドカンの悲痛な叫びに聞こえたのではないか。 日刊ゲンダイDIGITAL2019年04月13日09時26分 http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-535410?utm_source=dmg&utm_medium=1  さて、脚本家にはかなりの苦労がある。物語を書くのも同じで、小説を書くときも、時には半分以上書きあがっている内容をすべて消してしまう場合も少なくない。私もそのような経験は少なくなく、何回も書き直しをして本が一冊出来上がる。それだけに「白本→青本→準備稿→内容決定稿→決定稿。こうして脚本は完成するわけです。その間、何度となく時代考証などが行われるのです。」<上記より抜粋>という内容はよくわかるのである。まあ、その間に本当に多くの人の手が入り、そして、その多くの人の手によって、自分の文章が形がなくなってしまう場合が少なくない。あとの似合って読者に「なぜあのような表現にしたのですか」などと聞かれた時に、編集の方で直してしまった内容などでは非常に悲しい気分になる。やはり私の表現の方が正しかったという気分になるのだ。 まあ、ある意味で「自分の傑作を汚された気分」という感じであろうか。クドカンもそのようなところを味わっていると思う。 一方で、「そのために長女の学芸会や運動会に行けず、家族旅行も潰れたという。ちなみに、クドカンはスポーツに興味がないという。それなのに、このドラマの構想に5年の歳月を費やし、そのためにさまざまなことが犠牲になったことをほのめかした。」<上記より抜粋>などというのは、甘え以外の何物でもない。はっきり言ってしまえば、このようん仕事をしている人にとっては当然のことで、いやならばやめればよい。 私などは「いやになったら」「自信のある仕事ができなくなったら」、その仕事から手を引くというのは当然のことであり、いやいや仕事をやれば当然いそのような仕事は、多くの人に受け入れられるはずがないのである。つまり「このようなことが犠牲になった」などという恨み節が出るのは、当然に「驕り」以外の何物でもなく、あまり良いものではないという感じがするのである。 まあ、今回の内容はクドカンという「自分の個性に合わせた内容を各脚本家」と「既成の大河ドラマの観点でしか物事を言えないNHKスタッフ」の二つの内容があり、うまくゆかないような状況になっており、その内容で面白くないといったところで、逮捕者が出るなど、マイナスのイメージになった。心血を注いだクドカンにとってはかわいそうではあるが、しかし、そのようなことは当然にあることであり、またその中で、自分の個性を押し出すことがd系なかったことが大きな問題ではないのだろうか。 来年の「麒麟がくる」では、そのようなことの無いように期待したい。

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マスコミ批判に関する一考(437) コミュニケーションが取れないマスコミ

マスコミ批判に関する一考(437) コミュニケーションが取れないマスコミ  マスコミの語源について考えてみる。諸説あるのだが、その中の一つに「マス=コミュニケーションズ」という語源がある。単純に、集団のコミュニケーションズを行うための中心にあるということである。もっと言えば、「政府と個人」「社会と個人」あるいは「社会と社会」など、様々な場面の「マス=mass」の間のコミュニケーションをつかさどるという意味であるとする。 私はこのマスコミの定義語源の中で、この説が最も素晴らしいと思う。本来マスコミは、マスのためのコミュニケーションツールであって、マスコミそのものが意思を持つものではないし、事実そのものを伝えるものであるというような感覚なのであろう。もちろん、マスコミ従事者もコミュニケーションの主体である人間であることは間違いがない。海外の人もその中に入ると思うが、その中において、社説など、自分の意見を言える場所を必ず作り、そのうえで、コミュニケーションの「道具」として機能を果たすということになる。 もちろん人間であるから、その中に中立のつもりであってもうまくゆかない場合があるが、その辺が行きすぎれば批判の対象となるのである。 しかし、逆に「コミュニケーション」の部分がうまくゆかない問うことはあまりにもお粗末に過ぎるのではないか。 当然に、人々にはプライバシーがあり、報道されない自由も存在する。単純に、その中における、その報道される、報道されない自由は、当然に個人の選択にゆだねられ、同時に、そのことの許可はしっかりとマスコミ側がとらなければならないのではないか。しかし、最近のマスコミの記者はそのような許可をしっかりととれない人も少なくない。マスコミとして、公平などの使命感という問題ではなく、取材の基本として完全に失格なのである。 ドナー男児の移植「無断で放送」両親がTBSと病院提訴  脳死した男児(当時1)の肺が移植される様子を無断でテレビ番組で放送されたとして、男児の両親が4月中旬にも、番組を放送したTBSと移植手術をした岡山大学病院、日本臓器移植ネットワークなどを相手取った損害賠償訴訟を広島地裁に起こす。  両親が5日、東京都内で記者会見を開いた。  両親と代理人弁護士によると、番組は2017年7月に全国放送された。移植医に密着取材する内容で、両親には放送前に連絡はなかったという。肺が画像処理されずにそのまま映っており、番組を見た男児の母親は髪の毛が大量に抜けるなど精神的苦痛を受けたという。母親は「夢で息子に会うことだけが慰めだったのに、夢の中の姿さえ肺になってしまい唯一の安らぎを奪われた」と話した。  また、男児の名前などドナーだと直接わかる情報は含まれていなかったが手術した日などから知人に知られたとし、プライバシーの侵害に当たるとした。  国が定めた臓器移植法の運用指針で、移植医療の関係者は臓器提供者と移植手術を受けた側の個人情報が互いに伝わらないように注意を払うよう求めている。  TBSは「臓器移植法の指針に従って細心の注意を払って制作した。訴状を受け取り次第、内容を精査して対応を検討する」、岡山大学病院は「訴状が届いていないので現時点ではコメントできない」、移植ネットは「具体的な内容が分からないためコメントは差し控える」としている。(姫野直行) 2019年4月5日 17時27分 朝日新聞デジタル http://news.livedoor.com/article/detail/16272248/  さて、今回の事件は、医者に密着する番組で病院に対して配慮をしたものの、患者個人に対しては全く無許可で放送してしまったということになる。 最近のマスコミは、安易な内容で安易なことをしてしまう存在になっている。私は個人的に、マスコミの人員のコミュニケーション不足そしてマス気味の第四権力者としてのおごり、その上にネット社会の「一方的な意思表示と、一方的な正義感で何でもできると思い込んでいる状況」が根底にあるものと思い、そのうえで、その個人の資質がそこに加わって、大きな問題になるというような感じになっているのではないか。 移植医に密着取材する内容で、両親には放送前に連絡はなかったという。肺が画像処理されずにそのまま映っており、番組を見た男児の母親は髪の毛が大量に抜けるなど精神的苦痛を受けたという。<上記より抜粋> まさにこのような状況が生まれてしまう。これは放送側の問題でありもっぱら放送局による確認不足以外の何物でもない。最近、何かを移す時に、他に映っている人全体に大尉してモザイクやぼかしを使っているのはまさにそのようなことに配慮するためであり、その配慮も町の中の風景などで言えば行き過ぎではないかというような感覚を持つことも少なくないが、しかし、ことが移植など人間の生死に関する問題ん場合は、もっと配慮しなければならない状態ではないのか。 政治家の失言や暴言などを必死に放送しているが、そもそも、そのマスコミ自体が個人のプライバシーに配慮していない状況であり、その状況を自ら全く反省しない体質は全くおかしな話になっているのである。 さて、ここに挙げたように、コミュニケーション不足、そして権力者としてのおごりは、まさに、「何をやってもかまわない」などの感覚を生んでおり、その感覚こそ、全く受け入れられない内容であるはずだ。国民の感情から完全に乖離してしまっている現在のマスコミがこのまま存続させるはずがない。単純に、権力意識とおごりは、そのままマスコミそのものの存亡にかかわる問題であろう。なぜほかのマスコミは同じマスコミのこのようなおごりをしっかりと報道してマスコミの反省につなげないのであろうか。マスコミ業界は、このようにみられるように、マスコミ業界全体の自浄作用が完全んかけてしまっており、そのことが若者のマスコミ離れにつながっているのである。 まあ、自業自得ということになるのかもしれない。

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【有料メルマガのご案内】 「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」 第28話 昨日の敵は今日の友といわれる中東の民族と宗教のモザイク模様 7 サウジアラビアとトルコとの確執

「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」
第28話 昨日の敵は今日の友といわれる中東の民族と宗教のモザイク模様
7 サウジアラビアとトルコとの確執


前回はサウジアラビアという国の特殊性を考えてみました。
さて、そのサウジアラビアとスンニ派のトップというかイスラム教のトップを争っているのがトルコ共和国です。
あえてトルコ共和国と書いたのは、その前の「帝国」の時代があったからですね。
そのトルコ帝国がイスラムの中心であったということは、そこに「カリフ」がいたことが理由です。
カリフとは、元の意味は「後継者」という意味です。
これがイスラム教のカリフということになると、預言者ムハンマドの後継者ということになり、イスラーム共同体の行政を統括し、信徒にイスラームの義務を遵守させる役割を持つ人物ということになります。
カリフの条件は下記のようになります。
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【土曜日のエロ】 中華人民共和国のトイレ事情から見る「恥の概念」

【土曜日のエロ】 中華人民共和国のトイレ事情から見る「恥の概念」  土曜日のエロの日になった。本当にこのエロのブログは書いていて楽しい。まずは何よりもネタを探すところから非常に面白い。普段のブログと異なり、ニュースや政治や国際情勢とは全く関係のない話をすることができるのが最も良い。そのうえエロである。 先日の飲み会で「新技術・エロ・犯罪・法律の循環で世の中が回っている」という話をした。例えば今多くの人が使っているデジタルカメラ。これも当初は全く流行っていなかった。このデジタルカメラの普及は、実は、性行為の最中に男性が女性を撮影するというエロ目的であった。いや、実際に「現像」とうカメラ店を経由しないで画像を見ることができるという行為は、当時性器などを撮影した写真が省かれてしまい、現像されないということが多くあったのであるが、デジタルカメラではそのようなものはない。そこで、エロ目的の男性がこぞってたった30万画素のデジタルカメラを買ったのである。 しかし、そのカメラが携帯電話などで普及するにあたり、片方でフイルムの、現像というところで歯止めがかかる写真機を駆逐し、そして、その「エロ目的のカメラ」が徐々に広まることになる。その内容が最近の子供によるエロ写真やリベンジポルノといわれるものであろう。そしてそのような内容がSNSなどで掲載されたりネットで出ることによって、SNSやネットでのわいせつ図画の掲載ということが問題となる、もちろんデジタルカメラを規制することは全くできないということになる。そこで、潜在的にエロ目的カメラが普及するということになるのである。 このように「エロを中心に時代が回っている」ということは間違いがない。当然に「エロ」が人々の欲求のトップにあり、その欲求の中において社会が動くのである。このように「タブー視」されているものというのはなかなか面白く社会の故jん程なり、語られないうちに重要な役割をになっているものである。 では中国ではどうであろうか。 女子トイレの個室内が丸見え!?学校が「安全のため」とドア切り落とし物議―中国  看看新聞網など複数の中国メディアによると、広東省仏山市の中学校が個室トイレのドアの一部を切り落としたことが物議を醸している。  問題となっているのは同市の超盈実験中学校のトイレ。学校側がこのほど「改装」を行った結果、個室トイレのドアの上3分の1ほどが切り落とされ、背伸びをすれば中の状況が見えるようになった。さらに、1階部分の女子トイレは窓を開けていた場合、2階の廊下から個室内の様子が丸見えになるといい、休み時間に一部の男子生徒らが「のぞき」に集まるという。  生徒からは、「中で悪さをしないようにというのは分かるけど、それにしても低過ぎて恥ずかしい」「好奇心で中をのぞこうとする人や、いたずらをしてくる人がいるのでトイレに行きたくても行けない」との声が上がった。  学校側は個室トイレのドアを低くした理由について、「以前トイレ内で倒れた生徒がおり、安全面への配慮から」と「生徒がトイレに隠れてスマホをいじるのを防止するため」の2点を挙げており、2階の廊下から丸見えになるという問題については「生徒からの連絡を受け、窓を開けられないようにした」と説明した。  保護者からは、「ドアの高さが低過ぎる。今の子どもはますます早熟になっていて、羞恥心も強い。プライバシーは確保されるべき」との声も上がっているという。  ネットユーザーからは「学校は何を考えてるのか」「スマホをいじるのを防止?つまり、ちょくちょくのぞくってことだな」「ドアを切った後の校長の挙動を調査せよ。頻繁にトイレに行ってないか」「誰かさんの特殊な需要を満たすため、ではないよね?」「生徒のプライバシーを侵害するあらゆる行為が、『スマホいじり防止』で説明されないか」といった声が多数寄せられた。  また、「生徒を便秘にさせたいらしい」「傘差して用を足すしかないな」「教師用のトイレも同じように切り落とせ」といった声も見られた。  一方で、「自分たちが中学生のころはトイレにドアなんてなかった」という声も多く、「友達に入り口に立って視線を遮ってもらってた。ドアあるだけマシ」「トイレに行く時はいつも校長室がある棟まで行ってた。そこにはドアがあるから」「私の中学はドアどころか壁もなかった」といった声も寄せられている。(翻訳・編集/北田) 2019年04月04日 22時40分 Record China https://news.nifty.com/article/world/china/12181-700317/  中国というのは、昔は、といっても私が中国に初めて行ったころであるから1996年の話であるが、その時代にはトイレの個室の扉はないに等しい状態であった。和式便器で、膝から上鹿扉がないというのは、しゃがんで入ればすべて見えてしまうという状態である。もちろん外資系ホテルや中国でも五つ星ホテルなどはしっかりと洋風の個室になっているのであるが、残念ながら、それも完全なものではなかった。まあ、洋式便器で途中から下が見えているという。 そもそもプライバシーの概念のない中華人民共和国共産主義の中では、そもそもトイレにおいて排せつ姿を見せるということに関してあまり恥ずかしいという概念がない。そもそも96年の当時は、公衆便所などの中には男女の境がないものも少なくなかった。合わせてみればわかるように、男女の区別のないトイレに、仕切りのない個室である。外で催すことがあって中に入ると、女性がまさにその姿でしゃがんでいるという感じ。私はそのマニアではないのであまり見たいとは思わないが、まさにそのような状況になる。これが田舎の「野雪隠」などならばまだわかるが、北京市内の大きな公園の公衆トイレであると思うとなかなかすごいのである。まあ、はっきり言って見せることにあまりはずの概念がないということになるのではないか。 これが20年近くたって、恥の概念が構成され、子供たちの間でも見られることに抵抗が出てきた。その中で、習近平的な「恥の概念のない共産主義者が上層部に君臨することになった」ということは、まさにトイレにおいてもプライバシーがなくなるということが出てくるのではないか。 学校側は個室トイレのドアを低くした理由について、「以前トイレ内で倒れた生徒がおり、安全面への配慮から」と「生徒がトイレに隠れてスマホをいじるのを防止するため」の2点を挙げており、2階の廊下から丸見えになるという問題については「生徒からの連絡を受け、窓を開けられないようにした」と説明した。<上記より抜粋> まあ、そのうち各トイレの個室に監視カメラが付くようになるということになるのであろう。逆にそのような監視社会にしなければ秩序が維持できないほどのマナーも秩序もない国であるということである。まあ、中国の内情の話は通常のブログに譲るとして、エロ目線であれば、女子高生のその姿を見ることができるということになるので、マニアにはたまらないことになるであろう。逆に、その姿を盗撮して興奮し、別な犯罪につながる可能性があるのではないかという気がしないでもないのである。 ある意味で、日本を基準に「エロ」を考えているが、エロというのは、「究極のプライバシーを覗く(または共有する)」ということであり、それが共産主義などプライバシーの概念が少ないところではその概念がなくなるので、恥の概念がなくなる。恥の概念がないということが、まさに、他の国から見ればエロと思われることを平気で行うことになってしまうのである。教育が大事というだけではなく環境というのは非常に大事であるということになるのであるが、一方で、プライバシーのない国に行けば「ラッキーなエロ」を目撃することもまた、貞操観念の少ない美女と遭遇することも少なくないということになるのである。まあ、あまりうれしくはないのであるが。

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<現代陰謀説> 超能力を使う軍隊を持つロシア

<現代陰謀説> 超能力を使う軍隊を持つロシア  陰謀の中で最も興味深いのが「オカルト」である。科学的な内容で陰謀を仕掛けてくることは良いのであるが「魔術」「呪い」による暗殺などは、科学的証明ができないばかりか、それが事実であるとして、それを排除する手段がない。同時に「魔術」「呪い」というように言ったベールで隠して、何か他の方法を誰かが実行するのではないかというような話もあるので、その因果関係などをしっかりと考えなければならない。もっとも混乱するのが、そのようなことを公表された後に偶然、事故や事件が起きた場合。災害であれば、架空の話になるが、交通事故などは、かなり深刻に問題になることが多い。 要するに偶然なのか、そうではないのか、簡単に口を割る話ではないので、かなり様々なことや背景を調べなければならない。そのうえで、そのような情報自体が陽動作戦であって本命の工作相手は別にあるというようなこともあるのではないか。一つ、それも科学的に因果関係を証明できない内容を発表することによって、相手はかなり様々な混乱を招くことになるのである。 ただし、今の軍隊はそのような「非科学的な方法」をとることを公言している軍はいない。もしもいるとして、「参考的に」といって超能力や呪いをかける「外部の人」を呼び、そのうえで、なんとなくその人が予言したかのような感じで、話を進めるのである。もちろん、ヤラセも少なくない。もともと調べておいて、そのうえで超能力者に話をさせるというようなことも少なくないのである。 では、その超能力を「本当の能力として使えないのか」、このように書くと「超能力が本当ではないように見える」などということを言う人がいるが、そうではなく、科学的に再現性のある能力として、軍隊の信頼に耐えるレベルで使えるかという意味で、本当の能力として使えるかということになる。 日本やアメリカなどはその研究も一部の民間機関や私立大学が行っているが、国の機関で公式に研究を行っているようなところはない。それどころか、正式に採用するなどは夢のまた夢である。 ロシア軍は超能力を使っている?  ロシア国防省の公式機関誌に掲載されたある記事が話題になっている。ロシア軍が超能力者と手を組み、超常現象を利用した戦術で兵士を支援したり、イルカを使ってテレパシー実験を行っている、という内容だ。  この記事は陸軍ダイジェスト誌に掲載されたもので、「未来の戦争に対応するスーパー兵士」というタイトルがつけられている。記事では、鍵のかかった金庫に保管している書類の内容を、鍵を開けずに超能力者に読み取らせることに成功したといった、ロシア軍が行った奇妙な実験の数々が紹介されている。  この記事が最初に公開されたのは2月だったが、4月に入り、ロシアのRBC誌や、政府に批判的なノーヴァヤ・ガゼータ紙、ニュース系ウェブメディアのメデューサなどが相次いで取り上げたことで、にわかに注目を集めている。超能力を肯定する内容の記事が、政府公認の出版物に掲載されたことに、識者からは驚きの声があがっている。  この記事を書いたニコライ・ポロスコフは、チェチェンやシエラレオネでの軍事作戦に参加した経験を持つ人物だ。そのポロスコフによると、1980年当時のソ連軍で、科学者たちが超常的な能力を使う方法を開発したという。「いわゆる変性意識状態にある人間から情報を引き出す」ことが目的だった。  ポロスコフはさらに、この手法がチェチェンでの軍事作戦で実際に用いられたと記している。その目的は、「敵対勢力の計画や、部隊の編成、武器を暴く」ことだったという。    遠隔地からの尋問も  さらにポロスコフは、ロシアには、テレパシーを使って囚人を尋問する専門家が存在すると述べている。この能力は、イルカを使った実験で磨かれたものだという。  「彼らはイルカに芸をするようテレパシーを送った。それが、人間にも使えることが判明した」とポロスコフは書いている。  2月の記事では、超常的な能力を活用した戦術が、外国語の習得や負傷した兵士の治療、待ち伏せの察知といった任務で、兵士の支援に用いられていると主張している。超能力でコンピューターをクラッシュさせることも可能だという。  記事によると、テレパシーを使った「言葉を使わない尋問」は、敵軍の兵士が寝返りの誘いを受け入れる余地があるかどうかを判断するのに役立つという。また「超能力的な対抗手段」は、特殊部隊の兵士が敵の尋問に耐え、秘密を守るのにも役立っている。  雑誌「ロシアの兵士」の分析部門でトップを務めるアナトリー・マトビチュクは、RBC誌の取材に対し、旧ソ連の科学者が超能力に関わる分野の研究を行っていたことは事実だと述べた。こうした研究は、特に1960年代から1980年代にかけて盛んに行われたという。 ブレンダン・コール 2019年4月5日 16時0分 ニューズウィーク日本版 http://news.livedoor.com/article/detail/16271698/  ロシアの陸軍が話題だ。超能力者を正式に採用して、軍隊の支援をするという。まあ、超能力ということおwどのように使うのかなどはかなり大きな問題になる。しかし、上記のように「超能力が使える」と見せておいて、何かを計画しているのかもしれないし、また超能力で支援するからということで軍隊を鼓舞するということなのかもしれない。 超常的な能力を活用した戦術が、外国語の習得や負傷した兵士の治療、待ち伏せの察知といった任務で、兵士の支援に用いられていると主張している。超能力でコンピューターをクラッシュさせることも可能だという。記事によると、テレパシーを使った「言葉を使わない尋問」は、敵軍の兵士が寝返りの誘いを受け入れる余地があるかどうかを判断するのに役立つという。また「超能力的な対抗手段」は、特殊部隊の兵士が敵の尋問に耐え、秘密を守るのにも役立っている。<上記より抜粋> これはすごいことである。 単純に言い換えれば、「軍医の業務」「スパイ・偵察任務」「尋問」「調略」これらの業務が軍隊からスーパー兵士に映るということになるのである。 このようなことを書くのは、どのようなことなのか。ひとつは、「士気向上」であろう。兵士において安心感を与えるというのは非常に大きな内容ではないか。もう一つは「他の機会を隠す」といことであろう。日本などは干k子委がないかもしれないが、アメリカなどが「なぜ知られたのか」ということに関して「超能力」と答えるということになる。 私は常々「陰謀論は説明できない人の思考停止の論理」ということを言っている。つまり、社会現象などを説明できない人が、さながら、自然現象を説明できない昔の人が神の怒りや妖怪の仕業にしたのと同じように、解明しないで自分たちの範囲外の話とすることの中に陰謀論が使われているのであるが、まさにロシア政府はそれを反作用的に使っているということになるのである。わかられたと思った他国が「超能力かもしれない」というような感覚になるのであろう。 政そのような状況を作り出す「陰謀」がこの中に隠れているということが最も重要なのかもしれない。

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