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2005年12月

昨今の幼女殺害について

 昨今の幼女殺害については、非常に痛ましいものがありますね。
 まず何より、被害者の子供たちのご冥福をお祈りします。

 さて、昨今の幼女殺害と、昔の幼女殺害については、かなり違うものがあると思うのです。昔は、「身代金目的の誘拐」から「殺人」に変わるものがあったが、昨今のものは、そのほとんどが「わいせつ目的」から発展した「殺人」であります。いずれにしても「殺人を目的とした殺人」ではなく、「別な目的から証拠隠滅のための殺人」または「発作的な殺人」となっているのですが、その前の行為が「わいせつ」という故意が増えているのに非常に大きな問題があるのではないでしょうか。

 幼女趣味というのが増えてきたのにはいくつかの社会的な病巣があると考えるのです。幼女趣味の人の多くは「自分の思い通りになる」「何も(性に関する知識や男女関係を)知らない」という内容をそのまま性的な欲求になって現れているのです。
 要するに、逆な捕らえ方をすれば、実生活において「人付き合いが苦手」「女性と付き合う(中には話をする)のができない」というような状況にあるのではないでしょうか。

 昔は、このような人は少なかった。もちろんいなかったとはいませんが、そもそも、そのような「人付き合いが苦手」な人であっても、生活をする上で最低限の人との付き合い(会話)が無ければ生活ができなかった。しかし、現在はそのようなことはしなくても、生活ができるのです。

 このことは核家族化や隣近所との近所づきあいの欠如に端を発する地域コミュニティの崩壊が原因となり、その崩壊が社会的な犯罪抑止力を失ったことがひとつの原因となり、それが、インターネットの普及(といいつつこれもその一部ですが)によって、ヴァーチャル世界において自由に意思疎通ができるようになるというのが最大の問題になるのです。

 その上で、昭和60年の男女雇用機会均等法と女性の社会進出により、「家庭環境の崩壊」が一層進んだことは間違いが無いでしょう。

 そのころの子供は、会社員の父親・社会進出している母親と接することなく、当時「コンピューター通信」といわれていたインターネット(厳密には違いますが)による「電脳」の世界に生きて人との交流を学校という世界最小限、その中でも最低限の付き合いだけで済ませてくることができるのです。

 至極単純に、そのような人を「ステレオタイプ」してしまうつもりも無いのです。そのような人でもがんばっている人はいるのですが、そのような人の中で特異な人が犯罪に走る傾向が少なくないのは間違いが無いでしょう。

 逆に犯罪に走らない人でも「うつ病」が非常に多くなっているのも社会現象化していると考えられます。うつ病も幼女趣味も犯罪も、家庭環境と地域コミュニティの崩壊が原因となっているのでしょう。

 さて、対策提案ですが、

 簡単に言えば、社会コミュニティの復興と家庭環境の確立が必要でしょう。

 そのためには、時代に逆行するようですが、大家族制の復活なども言われるでしょうし、そのようなことをしなくても、地域コミュニティ、要するに近所づきあいが綿密に復活されれば問題はもう少し少なくなるのでしょう。

 しかし、それを言うことは、家庭に人がいるということ、であり、それが「ジェンダーフリー」の考え方と合致しない、平たく言えば「男女差別につながる」ということになるのではないでしょうか。

 そうすると、そもそも、「安全」を期待すること自体が不可能ということになるのではないでしょうか。

 日本人は「水と安全はタダと思っている」と言っている人がいますが、実際にそのことがタダでなくなる日が来るのはそお遠くないということになってしまうのではないでしょうか。いずれにせよ、女性(ここで女性と限るところに問題があるのでしょうか?)の社会進出と地域コミュニティの崩壊の代償の一つが、このようになってしまったのではないでしょうか。

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