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2006年8月

ヒルズ族盛衰記06  風説の流布の真犯人

 堀江も村上も逮捕された「風説の流布」、これは根拠のない事件の提示や風説を流すことによって、株価を操作することを禁止した、有価証券法上の罪である。
 根拠のある事実を示すことによるものは、当然に除かれる。この法律は、詐害行為により株価を操作することを禁止するものであり、通常考えられているものと異なり、詐欺罪の一種類となる。よって、罪も重い。
 さて、堀江の場合は、自分がマスコミに露出することで、「堀江貴文」という人物のブランドを挙げた。マスコミも、この時代の象徴とばかりに堀江を取り上げた。そして、その堀江の発言そのものを流した。これも一種の風説の流布ではないのか。
 村上にしても同様に。阪神電鉄株の買収などに関して、興味本位で取り上げている。電鉄株の買収で野球チームのファンのインタビューをとるという不思議な話をしたのである。
 今回の事件は、その延長戦上にあるといえる。私もマスコミに席をおくものとして、考えなければならないのは、これらの行為による影響が国民全体に対して、かなり影響力があるということだ。マスコミは第4の権力という。以前テレビ朝日の椿報道局長が、自民党の梶原幹事長と佐藤政調会長を並べて自民党を意識的に卑下した報道をして問題になった。最近でもTBSが関係ない旧日本軍の放送に安倍幹事長の写真を流したことで問題になっている。そのようなことを行えるのは、自分たちの影響力を知り尽くして故意に行い、イメージで政治を左右しようという意とであろう。
 堀江の事件も村上の事件も同じで、結局マスコミで取り上げられることによる影響力下において、根拠のない見込みを話した。そこには過失ではなく、明らかに故意が介在していると考えざるを得ないし、当然に警察も検察もそのように感じたために逮捕に踏み切ったと考えるのが自然である。
 逆に我々は、マスコミに報道されていることを盲信するのではなく、必ず確認し、自分自身で検討する必要があるということである。
 ライブドアなどは、有価証券資産は高くても株主に配当をしていないのだから、そのようなことをみていれば、そして、法律上の株式についてしっかり勉強しておけば、簡単に判断できたと思う。

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ヒルズ族盛衰記05 うまい話にはとげがあi

 うまい話にはとげがある

 日本人に情報がないことは非常によくわかった。しかし、情報がないだけではだまされることはない。一般に詐欺事件の場合は、殺人や窃盗とことなり、被害者が何らかの行為をしなければ成立しない。この場合の行為は「出資」である。
 出資は、なんらかの事業がある場合に、その事業に対して行為「役務の提供」ではなく、「資金の提供」という手段で事業に参加するものである。資金提供者(出資者)は、事業による利益に対して配当を受ける権利を有する。
 ライブドア事件にしても、村上ファンド事件にしても、出資者からの出資金を運用するという方法で利益を生み出した。
 ライブドアも村上ファンドも、いずれも出資を受けた金を株式市場で運用し、その利潤を配当してきた。今回事件となったのはこの、株式市場での運用方法である。証券取引法上の風説の流布が、逮捕案件に当たる。ライブドアにはこれ以外にも粉飾決算がある。
 さて、儲け話はいたるところにある。
 特に、政策によるゼロ金利政策が進行している間、銀行に金を預けておいても全く増えないという状況で、出資や株の配当ということをみれば、もっと有利に運用できるのである。
 株式の投資が悪いのではなく、ここで儲ける話において、ライブドアや村上ファンドが、どのような仕組みで「自分の」出資金を運用しているのか、または、その示している資料が正確なものであるのか、そのような内容を精査する情報を持たずに、安易に出資をする日本人の気質が被害を拡大させたといえる。
 「綺麗なバラには刺がある」
 他人がだまされた場合には、必ずそういう。しかし、自分がだまされるときには、「私に限ってだまされるはずがない」という根拠のない自信がそこに存在する。
 今回の場合は
「マスコミで有名だから」
「IT産業で利益が確実だから」
「有名人(特に政治家や芸能人)と近いから」
「海外で運用しているから」
 など、自分を納得させる材料には事欠かない。しかし、そのどれもがライブドアや村上ファンドの経営の実態や今回の事件となる風説の流布の裏打ち(もちろん、そのような犯罪行為をしていないという根拠)に該当する事実の列挙ではないのである。
 もちろん、今回の案件は非常にわかりにくい。素人が調べてなんとかなり範囲ではないかもしれない。しかし、株価の動向ばかりをみて、会社の決算諸表やそのほかの内容をまったくみていないのは不思議である。
 たとえば、ライブドア。昨年2005年の夏、要するに衆議院選挙に立候補した時点で、「堀江は国会議員の不逮捕特権を得ようとしている」という噂が流れた。また、容疑は風説の流布と粉飾決算の二種類といわれていた。粉飾決算についてはそれで脅されているなど、かなり黒い噂も出ている。
 しかし、一般の投資家はそのようなことはまったく意に介していなかった。株価のグラフだけだ。それは、情報を信じていたからであろう。しかし信じるものに対する裏付けはまったくなかった。そして「投資すればもうかる」などの雑誌などの内容や、インターネットなどの体験談に自分を置き換えて、自分も楽して稼げると思っていただけである。
 そのように、楽して稼げるような話はどこにもない、のにである。

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ヒルズ族盛衰記4 外国かぶれの育成

 中曽根内閣時代、要するに今から20年前。中期教育問題検討審議会俗にいう中教審が発足し、日本の教育問題が検討されるに至った。最近になって、教育基本法の見直しが国会で検討されるようになったが、それまでの間も様々なことをしている。
 その中の一つが、「ゆとり教育」そしてもう一つが「国際化教育」である。
 「ゆとり教育」に関しては、かなり批判が相次いだ。個人的には、ゆとり教育以前にゆとりを教える教員教育ができていないと思うが、その件についてはこの文で触れないことにする。
 国際化教育で改革されたのは「世界史の重視」ようするに、大学受験で日本史選択に比べて世界史選択を簡単な問題にするといったものである。第二が「英語教育」文法だけでなく、ヒアリングや会話を重視した教育となる。いずれも、大学受験の場で導入することにより、その実現を図るが、それ以外にも小学校の90%が外国人を招いて英会話の時間を設けるということになっている。そしてそれが、ゆとり教育の時間に行われているのである。
 私が思うところ、これらの方策は間違えてはいない。しかし、片手落ちであるという批判も免れない。
 世界史教育でいえば、そもそも、外国文化を形成する根底には宗教があるのが普通である。以前はアメリカなどに入国する際に記載する入国カードに、宗教を記載する欄があった(最近アメリカに行かないので最近どうなっているか走らない)。日本は、俗に「軍事(戦争)」「政治(イデオロギー)」「宗教」は親しい人の間での会話ではタブーとされてきた。しかし、この三種類は外国では最も重要な話題である。
 世界史においても宗教史の一部は教える。しかし、あくまでも歴史、それも、記憶になじむところばかりである。たとえばムハンマド(マホメッド)がいつ生まれたとか、十字軍の戦争が何年に発生したか、などのものである。逆にイスラム教の教義がどのようなものか、宗教戦争はなぜ起きるのか、といった内容を教えることは少ない。少なくとも、大学の入試でそのような小論文を試験に出す大学もなければ、よほどの専門でないと、正確に(偏見なく公平に)採点できる人も少ないであろう。
 このことは、昨今世界的に話題になっているアルカイダのテロやイスラム原理主義という単語の意味さえわからないで情報をたれ流し、また聞きかじっている人が少なくないことを意味する。
 何が根底に流れているか、基本はどのようになっているのかわからずに、小手先の器用さだけで全体がわかったような気になり、また本人もそのように信じてしまっている。基本ができていないから、突っ込んだ質問などが出てきたときに対処できずに終わってしまう。
 この最たる例が、「マニュアル本」である。就職活動のときに「面接の達人」という本があり、大ヒット商品となった。マニュアル本とは、難しいきほんはとばして、コツやテクニックだけをマスターし、その本を読めば、一応外見上一流(または一人前)に見えるようになる本のことである。
 当然意私もマニュアル本の世話になることはある。しかし、すべての分野でマニュアル本を使うものではない、自分の苦手分野はそれでよく、そして苦手分野の人とあうときに、ある程度話を合わせるために使うだけであり、自分の専門という分野は、一応基礎から行っている。
 話を戻そう。国際化という話をするときに、このマニュアル本的な国際化をする人が少なくない。外国の穴場のようなマイナーな場所を知っていることを自慢したり、過去に行った国の数や渡航回数を自慢する人は、その傾向がある。または、会話の中にやたらと横文字を入れる人も、その傾向が強い。
 私は、このような人を「外国かぶれ」と呼んでいる。国際人の皮をかぶった完全な日本人である。ただ、外国に「かぶれ」ているだけでしかない。
 このような人々は、たいてい外国のすばらしさを強調する。「アメリカではーーーするのが普通」とか「フランスではーーーするのがおしゃれ」という会話を耳にする。そして、発言する人もいるが、大概は、言下に「日本はダサイ」「日本のやり方はおかしい」というような、日本の否定を主張する。これはとりもなおさず自分自身を否定しているに等しい。
 本当は、このようなことをすると外国では信用がなくなる。そもそもその人「外国かぶれ」を育成した土壌が日本と日本の風土慣習でありながら、その日本を否定するということは、とりもなおさず自分自身を否定することにほかならない。自分自身や自分自身の育った環境、風土、歴史を否定する人物を信用してくれる人はいない。
 しかし、日本ではそのような人物こそ「外国通」で通っている。逆な見方をすれば、外国で情報のない人物ばかりが外国の情報を持っているということになってしまうのである。また、そのような情報しか入ってこない。また、その情報が正しいかどうかの精査もできないのである。そもそも、情報のとり方を知らないのが、日本である。
 外国にいる日本人は、結局日本人ばかりであつまってしまい、外国の情報を入れようとしない。外国の情報をとるために、外国人と付き合うことをしないのである。そのような、日本人としか付き合わない外国の日本人が、日本に帰国すると外国通となってしまうのが現実である。
 日本に海外の情報が少ないのは、このようなことからもいえることである。

4 外国かぶれの育成

 中曽根内閣時代、要するに今から20年前。中期教育問題検討審議会俗にいう中教審が発足し、日本の教育問題が検討されるに至った。最近になって、教育基本法の見直しが国会で検討されるようになったが、それまでの間も様々なことをしている。
 その中の一つが、「ゆとり教育」そしてもう一つが「国際化教育」である。
 「ゆとり教育」に関しては、かなり批判が相次いだ。個人的には、ゆとり教育以前にゆとりを教える教員教育ができていないと思うが、その件についてはこの文で触れないことにする。
 国際化教育で改革されたのは「世界史の重視」ようするに、大学受験で日本史選択に比べて世界史選択を簡単な問題にするといったものである。第二が「英語教育」文法だけでなく、ヒアリングや会話を重視した教育となる。いずれも、大学受験の場で導入することにより、その実現を図るが、それ以外にも小学校の90%が外国人を招いて英会話の時間を設けるということになっている。そしてそれが、ゆとり教育の時間に行われているのである。
 私が思うところ、これらの方策は間違えてはいない。しかし、片手落ちであるという批判も免れない。
 世界史教育でいえば、そもそも、外国文化を形成する根底には宗教があるのが普通である。以前はアメリカなどに入国する際に記載する入国カードに、宗教を記載する欄があった(最近アメリカに行かないので最近どうなっているか走らない)。日本は、俗に「軍事(戦争)」「政治(イデオロギー)」「宗教」は親しい人の間での会話ではタブーとされてきた。しかし、この三種類は外国では最も重要な話題である。
 世界史においても宗教史の一部は教える。しかし、あくまでも歴史、それも、記憶になじむところばかりである。たとえばムハンマド(マホメッド)がいつ生まれたとか、十字軍の戦争が何年に発生したか、などのものである。逆にイスラム教の教義がどのようなものか、宗教戦争はなぜ起きるのか、といった内容を教えることは少ない。少なくとも、大学の入試でそのような小論文を試験に出す大学もなければ、よほどの専門でないと、正確に(偏見なく公平に)採点できる人も少ないであろう。
 このことは、昨今世界的に話題になっているアルカイダのテロやイスラム原理主義という単語の意味さえわからないで情報をたれ流し、また聞きかじっている人が少なくないことを意味する。
 何が根底に流れているか、基本はどのようになっているのかわからずに、小手先の器用さだけで全体がわかったような気になり、また本人もそのように信じてしまっている。基本ができていないから、突っ込んだ質問などが出てきたときに対処できずに終わってしまう。
 この最たる例が、「マニュアル本」である。就職活動のときに「面接の達人」という本があり、大ヒット商品となった。マニュアル本とは、難しいきほんはとばして、コツやテクニックだけをマスターし、その本を読めば、一応外見上一流(または一人前)に見えるようになる本のことである。
 当然意私もマニュアル本の世話になることはある。しかし、すべての分野でマニュアル本を使うものではない、自分の苦手分野はそれでよく、そして苦手分野の人とあうときに、ある程度話を合わせるために使うだけであり、自分の専門という分野は、一応基礎から行っている。
 話を戻そう。国際化という話をするときに、このマニュアル本的な国際化をする人が少なくない。外国の穴場のようなマイナーな場所を知っていることを自慢したり、過去に行った国の数や渡航回数を自慢する人は、その傾向がある。または、会話の中にやたらと横文字を入れる人も、その傾向が強い。
 私は、このような人を「外国かぶれ」と呼んでいる。国際人の皮をかぶった完全な日本人である。ただ、外国に「かぶれ」ているだけでしかない。
 このような人々は、たいてい外国のすばらしさを強調する。「アメリカではーーーするのが普通」とか「フランスではーーーするのがおしゃれ」という会話を耳にする。そして、発言する人もいるが、大概は、言下に「日本はダサイ」「日本のやり方はおかしい」というような、日本の否定を主張する。これはとりもなおさず自分自身を否定しているに等しい。
 本当は、このようなことをすると外国では信用がなくなる。そもそもその人「外国かぶれ」を育成した土壌が日本と日本の風土慣習でありながら、その日本を否定するということは、とりもなおさず自分自身を否定することにほかならない。自分自身や自分自身の育った環境、風土、歴史を否定する人物を信用してくれる人はいない。
 しかし、日本ではそのような人物こそ「外国通」で通っている。逆な見方をすれば、外国で情報のない人物ばかりが外国の情報を持っているということになってしまうのである。また、そのような情報しか入ってこない。また、その情報が正しいかどうかの精査もできないのである。そもそも、情報のとり方を知らないのが、日本である。
 外国にいる日本人は、結局日本人ばかりであつまってしまい、外国の情報を入れようとしない。外国の情報をとるために、外国人と付き合うことをしないのである。そのような、日本人としか付き合わない外国の日本人が、日本に帰国すると外国通となってしまうのが現実である。
 日本に海外の情報が少ないのは、このようなことからもいえることである

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タイ プミポン国王即位六十周年慶祝式典行われる

 タイのプミポン国王(七八)の即位六十周年の慶祝式典が六月十二日十三日にわたり行われた。この式典には、各国の国王、王族、皇族が招かれ、日本からも天皇皇后両陛下が参加された。
 式典にあわせ、タイ国内では、プミポン国王の色とされる黄色に、国王宮をデザインしたTシャツや衣服が販売され、又バンコク市内では、電信柱や歩道橋、各寺院、公共施設にいたるまで全てに、タイの国旗と、プミポン国王の慶祝を表す黄色の旗が飾られ、国を挙げての祝賀ムードに包まれた。
 慶祝儀式の会場となった旧国会議事堂(アナンタ・サマーコム宮殿)のバルコニーから、プミポン国王が「国家の繁栄のためには、すべての国民が一致団結することが基礎となる」と述べ、立ち上がって王妃とともに手を振ると、集まった二十五万人の市民から「国王に長寿あれ」と声があがり、感動して涙をふく姿もみられた。タクシン首相は「六十年の在位中、タイは国王の英知と献身によって発展することができた」と祝辞を述べた。
タイで発行部数最大のタイ・ラット紙は十六日までに、読者などを対象にした調査を基に、同国のプミポン国王の在位六十年記念祝賀行事に出席した二五カ国の王族、皇族のうち「最も感銘を受け、最も洗練されていた」のは日本国の天皇、皇后両陛下だったと報じた。
 祝賀行事に出席した各国のロイヤルファミリーの特集の中で、両陛下はタイ王室と最も関係が深く「国民が最も(訪問を)待ち望んでいたロイヤルカップル」と紹介した。
 さらに、両陛下が十三日にバンコク市内のチュラロンコン大を訪問した際、大勢の市民が待ち受けたことも「まったく驚きではない」とした。
 バンコク市民のデン氏も、当社の取材に大して、「日本の天皇皇后両陛下が最も親近感を感じる」とし、「外国の皇族の中で最も敬愛する日本の天皇皇后両陛下が、わが国の国王の祝賀行事に参加してくれたことに感謝し、又、対国民として誇りに思う」と述べた。
 日本国とタイはアジアで皇族王族が残る数少ない国であり、同時に、日本とは、戦中戦後を含めて非常に友好関係を気付いてきたという感覚が、対国民の中にはあるようだ。また、周囲の国と、文化や言語、宗教が異なり、タイは特殊であるということなど、対国民が日本に対して親近感をもている理由は、複合的であるといえる。
 プミポン国王は、 一九二七年一二月に米国で生まれ一九四六年六月九日、兄王ラマ八世の急死で王位を継承、タイ国民の敬愛を集める。多数の死傷者が出た一九九二年の反国軍・民主化闘争「五月騒乱」では国軍と民主化運動の両当事者を王宮に呼んで仲裁、事態の悪化を防いだ。その後も農村振興や福祉事業など多くの王室プロジェクトを実施し、それらを成功に導いて国民の強い指示を得ている。
 

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夕張市破綻

国会新聞の記事です。

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 六月二〇日、北海道夕張市は、その累積負債に対する自主再建を断念し、財政再建団体の申請を行うことを発表した。財政再建団体の申請は、旧福岡県赤池町(現福智町)が一九九二年申請(二〇〇一年再建終了)して以来十年ぶりのものである。
 財政再建団体申請とは、地方財政再建促進特別措置法(再建法)に基づき、赤字額が標準財政規模の五%(都道府県)または二〇%(市区町村)を超えた破産状態にあり、総務大臣に申請し指定を受けた地方自治体のことをいい、正式には準用財政再建団体のことをいう。財政再建団体となることは、一般企業で言えば「倒産」にあたる。
 財政再建団体指定後は、再建法に基づき、地方議会の議決と総務大臣の承認を受けた「財政再建計画」によって予算が編成され、財政を建て直すもので、赤字は起債(借金)で埋め、当該負債に対しては国が利子補給を行うなど国から財政優遇措置を受けることができる。ただ、計画達成には住民サービスの低下・租税等住民負担の増加などが前提になっている上、財政への指導を通じて自治体そのものが実質的に国の管理下に置かれるため、やむを得ない措置とはいえ自治体として主体的な自治能力の発揮と責任を果たすことが不可能になる。

 夕張市は、国内でも有数の炭鉱の町として発展した、一九六〇年には人口約十二万人に達し、町は発展していった。しかし、日本のエネルギー政策が石炭から石油中心に変わってきたこと、また、国内の石炭のコストが海外の石炭のコストに比べて割高であり、あまり使用できなくなったことから、国内炭鉱は徐々に衰退、閉山していった。夕張市も、炭鉱閉山後、徐々に人口は減少し、昨年は一万三千人弱と、全盛期の十分の一以下の人口になり、又、炭鉱時代の住人が多いことから高齢化が進むといった状態で、市の累積赤字が増大していった。
 しかし、夕張市の負債を決定付けたのが、炭鉱閉山後の再建策である。「タンコウからカンコウへ」という標語と共に建設された「石炭歴史村」「夕張メロン城」などのテーマパークの建設と、民間ホテルの買収など、観光振興への資金投入であった。
 しかし、これら観光振興策がことごとく失敗し、また、二〇〇一年には産炭地支援措置法による国からの補助金も執行し、また、人口の減少に基づき地方交付税も減少した。夕張市は、これらの事業などを一般一時借入金で処理し定たが、この借入金を弁済する為に、金利が増大し、かえって大きな負債となった。
 夕張市が、財政再建団体を申請した時点での、監査報告で、負債総額は約六三二億円。そのうち一時借入金は二八八億一千万円。一時借入金のうち、観光振興に費やした分は一〇二億二千万円となっている。
 これらの事態に対し、夕張市後藤健二市長は、六月二〇日の議会において「自主再建は困難と判断し、法に基づいて、財政再建に取り組む決意をした。市長として、責務の重さを痛感し無念の思いを禁じえない」(中略)「私たちは先人の築いてきたふるさと夕張を次世代に引き継ぐ使命がある。窮状を率直に訴え、苦しくともふるさと夕張への責務を新たにし、幾多の苦難を乗り越えてきた夕張市民の底力を信じ、難局に立ち向かわなければならない」と発言している。しかし、市議会の岡崎光雄議長は「国策でやむなく閉山した」と政府を批判する発言をし、今回の事態に関し、炭鉱の閉山後の政策責任に関する責任意識に問題があると批判が出ている。
 責任意識で問題になっているのは、財政再建申請を行いながら、昨年以上の公務員賞与を出していることが問題になっている。企業常識や国民感情からは考えられない状態である。夕張市市民一人当たり四八〇万円以上の負担を強制することになるに関わらず、賞与を増額するということに関し、夕張市民も批判の声を大きくしている。
 夕張市の財政の七五%は地方交付税など国からの補助金に依存している。財政再建申請とその費用といっても、夕張市だけの問題ではなく、国全体の問題となる。国が推進している地方分権、三位一体改革に発展する。これまで、国からの地方交付税に依存していた地方自治体は、夕張市を他山の石とすることは出来ない。
 また、地方自治体が行ってきた、第三セクター方式のリゾート開発や開発計画の多くは失敗している状態にある。このような開発計画は「箱物行政」と批判されながらも、厳密な事業計画の性差も無く、また、失敗の後も反省も無く、現在も箱物行政が続いており、その負担の多くは国が補償している状態にある。これら負の遺産に関する地方自治体の処理も非常に大きな課題になる。
 小泉改革の中で地方分権といわれて久しい。今回の夕張市の例を詳細に検証し、スローガンだけでなく、財政的にも、また産業なども、地方が独立できるよう、改革派細部にわたるまで進める必要がある。

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7月は忙しかった

いやいや

久しぶりです。

七月31日に赤坂プリンスホテルでエネルギーセミナーをやっていたので、かなり忙しかったです。まあ、なかなか大変だったので、しばらく更新をしなかったのですが、これからまた更新します

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