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2007年2月

経営統合報道相次ぐ。アサヒサッポロに次いで大丸松坂屋提携か

経営統合報道相次ぐ。アサヒサッポロに次いで大丸松坂屋提携か

 今回は経済である。それも国家間や為替などのものでなく、純粋に日本国内の会社合併または経営統合についてである。
 先週、日本では建国記念日明けの一週間で相次いで大企業の経営統合の報道がなされた。ここでポイントなのはあくまでも「報道された」だけであって、企業が発表したものではないし、決定でもない。要するに、報道機関がそれなりの情報源から情報を得て報道したものであり、まだ本人たちが認めていない状況である。ようするに、今後変更される可能性があるというものである。
 その前提で、今回の文書を記載したい。
 まず、アサヒビールとサッポロビールの経営統合である。経営が不振なサッポロビールであるが、経営が不振である割には、明治時代以降の伝統と格式、そしてその歴史からJR山手線恵比寿駅前に広大な恵比寿ガーデンプレイスという不動産を所有している。もちろんその開発などで抵当権がついていたり、借入金ができたりしているものの、北海道などにも大きな不動産(工場)をもち、観光施設になっていることなどでも有名である。
 しかし、本業のビールなど飲料販売ではあまり振るわない状況である。アサヒ、キリン、サントリーについで業界4位の内容で、かつ、これといったヒット商品がない。ビールという「酒税法」保護産業と、明治以降日本麦酒株式会社からの伝統の二つから脱却できない経営に陥っていた。
 ビールなどもそうであるが、新製品を開発しなければならない企業は大変である。アサヒは「スーパードライ」で息を吹き返し、キリンの牙城を取り崩してきた。これは 、多額の開発費をかけた開発の勝利である。サントリーもモルツにこだわり、商品コンセプトがアサヒの逆においてある。少数派であってもコアな固定ファンを獲得が可能なものになっている。キリンはドラフトビールと一番絞りで、もともと業界一位であったために、基盤がしっかりしている。このように、新商品の開発と、そのコンセプト、そしてコンセプトを生かした営業をしっかりと行わなければならない。
 その点、サッポロはエビスビールという別ブランドを持っており、ほかのビール会社と違い、5%のアルコールのビールを販売していたが、やはり伝統とブランドだけでは厳しいようである。
 余談になるが、ビール瓶に二種類あるのをご存じであろうか。キリンビールだけが形が違い、ほかは同じ形の瓶を使っている。もともと日本麦酒株式会社系列とそうでないところとの差と聞くが、真相は明らかではない。
 さて、このサッポロビール。外資の合併とアサヒとの資本提携で選択を迫られているが、基本的に外資はあまりよいイメージを日本で持たれていない。他の会社の救済、要するにホワイトナイトが現れれば別かもしれないが、アサヒビールとの提携に落ち着く公算が強い。
 外資は評判が悪い。これは表裏一体の一つの理由である。要するに数字のみでの会社の判断と、利鞘食いでの売り逃げであり、いずれにせよ、会社の再生または経営を考えないというイメージによるものが強い。
 そもそも、日本に入ってきている外資は、投資ファンドなどのファンドマネーを扱う、いわゆる金融会社や証券会社であり、今回の案件でいえば食品や飲料メーカーではない。日本であっても、「銀行から役員を派遣されると会社が倒産する」といわれているが、金融機関は、企業のことを思うのではなく、まず自分の身の安全を図るようになる。その魂は、日本の銀行も外国の金融機関も同じ。結局は「金銭」を商品にした商売人でしかない。よって、その他の商品にかかる知識や事業に関しての知識もないし、それを得る必要はない。
 しかし、日本の企業は、出資してくれたり融資してくれたりというような「金融支援」をしてくれれば、自分の事業に対して全面的に応援してくれると信じている。それが、金銭に困っているときならばなおさらである。
 ようするに、金融機関が自らの利益のために「金融」という商品を販売しているのに、借りている方は、自分の見方で、無制限無条件の支援者であると勘違いしてしまうのである。
 そのことに気づけば、外資ファンドではなく、国内事業者と手を結ぶという選択肢なのか、あるいは外資ファンドの「商品」をうまく使うというはなしなのか、選択肢は分かれる。ただし、それまで事業性がなかった、収益を挙げることができなかった人が、外資ファンドの「商品」を使いこなすことができるとは考えづらい。結局は使われる可能性が高いということになる。それは 、外資が悪いのでもだまされるのでもなく、経営者の能力の問題である。
 さて、ビール会社に続いて小売業も提携の話が出ている。老舗百貨店で京都主体の大丸とやはり老舗百貨店で名古屋主体の松坂屋である。
 双方ともに、「小売不況」「デフレ経済」といわれる中、老舗の暖簾を守ってきた二社が経営統合する。これは、現在首位の高島屋を抜いて、百貨店業界の一位の売上になる規模となる。
 小売業は、商品開発をしない、また製造もしない。ある商品を売る業種であり、上記のビール会社とはまったく異なる。当然に外資ファンドが飛びつくような要素は少ない。多くの店舗が賃貸であれば、基本的に出資しても営業権という部分しかみれない。要するに、金融屋が喜ぶ資産が少ない。
 そこで、小売業の業界再編は、外資ファンドが出てくるのではなく、大手小売業同士の経営統合や合併という形で行われる。ましてや、百貨店の場合は、店舗数が少なく、販売時の付加価値による高荒利による収益が中心であり、資産的な魅力よりも、営業的な魅力が大きいといえる。
 とくに老舗百貨店ブランドにつく客は、ある意味で、定期的に売上及び利益をくれる人であり、当然にその顧客こそ財産であるといってよい。百貨店の一部にかならず「外商部」などがあり、サロンを併設させているのは、そのような顧客を逃さないばかりか、増やすことを目指してサービスをよくするということになる。
 ようするに、製造会社と異なり、小売業者は大手取引先があるのではなく、「お得意さま」といわれる重要顧客の売上によって成り立っている。スーパーマーケットと百貨店の差は、広く一般大衆に廉価販売をするスーパーマーケットに対し、少数の顧客でも高収益を見込める顧客を囲い込むことを中心とする百貨店で感覚が異なるが、いずれにせよ一般大衆の購買行動による収益を最も大きな柱としていることに変わりはない。当然に、地域的に競合しなければ、経営統合や合併は成立し、売上も向上する。
 このことがわかるのは小売業的な感覚のある人だけであり、そうでなければ統合の意味は存在しない。
 さて、松坂屋と大丸、接点がないようでありながら意外な接点がある。大丸の社長はトヨタの奥田会長の弟である。トヨタと松坂屋は豊田市ロータリークラブの正会員で会長と副会長をやっていたこともある。トヨタの駅に行けばわかるが、トヨタ系列以外の企業は松坂屋しかないといっても過言ではない。
 松坂屋のお得意さまの一つはトヨタであり、その会長の弟が務めるのが大丸である。ついでにいえば奥田氏が経団連の会長を優待してちょうど一年になる。キャノンの御手洗体制が定着して、すぐに奥田イズム的な経営統合が行われたということになる。
 トヨタの立場から考えれば、自社の会長の弟に利益を出すには、松坂屋と大丸の合併以外にはないのである。とくに松坂屋の収益が悪化していれば、まさに「渡りに船」という感じであろう。
 後は話を進めるのはそんなに難しいことではない。数百年続いたブランド、要するに暖簾を残して、本社機能を統合すればよい。仕入れ支払いを一元化すれば、後はテナントの処理だけをすればよくなる。
 こちらの経営統合は非常に日本的な経営お都合になったといえる。
 このように、有名企業というだけでは外資がつくものではない。業種と資産が重要である。もちろんそれだけでなく、経営に関するノウハウや、収益の見込みが必要になる。経営での失敗はある。ことに本業以外に投資すれば、失敗をすることは少なくない。しかし、本業がしっかりしていれば、助かる道もあるということである。

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安倍首相「格差是正」に意欲

安倍首相「格差是正」に意欲

  安倍首相は13日午前の衆院予算委員会で、「20、30代の人に格差が増加している傾向がある。フリーターなどの固定化などに注目し、政策を展開しないといけない」と述べ、フリーターやニートに関する対策と、就業形態に関する格差是正に向けた審議を行うことを話しながら、共産党志位氏の最低賃金を1000円にすべきという質問に対しては、「中小企業の思い負担になり、かえって雇用機会を失う結果になる」とし、格差是正と経済発展、ことに中小企業の業績とのバランスを重視する姿勢を示した。さらに「一生懸命頑張っても、生活が向上していない地域があれば、光をあてるのが安倍政権の一つの柱だ」と述べ、地域間格差の解消に努める考えも強調した。
 このうえで、14日、安倍内閣はフリーターなどの時給労働者の能力判定を行うという内容を示した。
 
 さて、経済発展と雇用機会の均等(雇用者格差の是正)とは、バランスよく行わなければならない課題である。経済政策において、車の両輪のように見えて実は逆回転をしているものである。
 小泉前首相は「改革なくして発展なし」としていた。安倍首相はその改革路線を引き継いでいる以上、経済発展に改革を優先しなければならないという立場である。しかし、当該改革は官または政の改革であり、やはり民、ことに雇用関係に関してはその改革が遅れているといわざるを得ない。
 今回の国会を、野党民主党は「格差是正国会」と名付けて、その論戦を行っている。2月13日の衆議院予算委員会は、小沢代表こそ出なかったものの、菅直人元代表、岡田克也元代表、前原誠司前代表と三人の民主党代表経験者を質問に立たせての「格差是正集中質問」を行った。上記に記載したやりとりは、その中の抜粋である。しかし、上記の質問でわかる通りに、経済の発展と雇用格差の是正という二つの車輪を、両方同時に前進させる話ではなく、格差是正を、企業の収益を少なくしてでも行うべきという、いわゆる「べき論」にすぎず、具体的な格差是正やの政策や(最低賃金を上げろという共産党の主張はあったが)格差是正と経済発展、ことに中小企業支援と雇用者保護を両立させる政策、対案を示した人はいない。
 結局批判政党でしかなくなってしまった野党では、安倍政権も本腰を入れた政策審議をしなくなってしまう。基本的に格差是正といっても、大学教授や官僚、お抱えコンサルタントにちょっと名の知れた有名人を並べた「有識者会議」で対策を練るだけで、その間の暫定策が出るわけでもなければ、実際に格差で苦しんでいる人の意見を反映されるわけではない。基本的には評論家の集まりでしかないために、実態に根付いた政策が、スピーディーに出るものではない。
 そもそも、菅直人氏も、緊急対策チームをつくるなどと国会答弁しているが、対策チームで検討している間はどのようにするのか、何も提案がない。要するに、代議士は格差で苦しんでいる人ではない、所詮他人事なのだ。他人事と思っている人の間で話し合っても何もならないのが世の常。そもそも「緊急」というひっ迫した表現を使いながら「格差是正国会」などと、100日を超える期限で審議し、対案を出すことなくチームでの審議を求めるなど、民主党もどうかしている。
 要するに「今何をすべきか」ということを、棚に挙げたパフォーマンスでしかないのが、現在の野党民主党であり、だから、安倍内閣の支持率や自民党の支持率が下がっても民主党の支持率は上がらない。
 野党民主党への不満が大きくなった。柳沢発言の対応から完全に批判政党でしかなくなってしまっている。
 さて、安倍内閣の新提案。要するに労働者に労働能力判定格付け制度をつくるという案。
 格差是正はイコールで働「か」ない人を保護する政策ではない。障害などで働「け」ない人を保護する生活保護制度を拡充するのが今回の趣旨ではない。生活保護制度は福祉であり、今回は労働問題である。働かない人とは、働くことができるのに自らの意思で働くことをしない人のことをいう。これはニートにも派遣にも一部当てはまる。求人倍率が少なくて就職がないというのでは働「け」ない人にはならない。
 働「く」人と働「か」ない人が格差が出るのは当たり前である。しかし、働く人と働かない人の格差が、働いた結果と比例しているかといえばそうではない。
 要するに、人が人を評価する場合に、評価の内容を伽菅的に明示することができない。このことが教育や雇用などの「人」に関するすべての面の改革の基本となる。
 しかし、大企業から中小企業まですべての人事を客観的に行うことはできないし、第三者が請け負うということも不可能である。そこで、格付けという能力判定を行い、格差を客観的に評価する制度をつくるという。
 多分、人の評価は能力だけではない、という批判が出てくるし、客観的にそのようなことを行うことは不可能と考えることも可能。そもそも潜在能力や期待、将来的展望など、要するに人と人の関係で数値に表すことができない部分の評価をどうするのか、という議論が起きるであろう。
 しかし、人的関係は各企業との雇用契約関係で表されるはずである。たとえばすごく仕事ができるがチームワークを乱し、全体の業績が下がる人と、本人は仕事ができなくてもその人がいるだけで場の雰囲気が盛り上がり全体が活気づく人。前者は当然に後者よりも格付けはうえになるであろう。しかし、雇用関係はその格付けとはことなる結果になる可能性がある。仕事の種類や内容によってことなるが、やはりチームワークが必要な仕事には前者の人は格付けが上でも向かない。当然に雇用関係は成立しない、または早期に雇用契約は解消される。
 これらの結果を招かないようにするために、各企業の人事または経営者の人をみる能力と、企業のアイデンティティーが必要になる。
 労働者格付けが一つの目安になると考えれば、それはよいし、それが拘束力を持つとなれば、少し問題が出るかもしれない。
 いずれにせよ、景気回復経済成長と、雇用環境格差是正を両立することはかなり難しい。
 その内容をいかに両立させるかは、雇用関係をいかに客観的に評価できるかという一点にかかっている。しかし、上記のように人と人の関係は数字や結果だけで図れないものがある。それら図れないものを「見ない」のか、または無理やりに「客観か、数値化する」のか、そこが問題になる。
 いずれにせよ、今の国会にこれらの両立策をつくることを期待するのは難しいかもしれない。

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柳沢厚労相「産む機械」発言とその波紋

柳沢厚労相「産む機械」発言とその波紋

 1月27日、柳沢厚生労働大臣が米子市で行われた会合において、自分の所管している問題の政策発表を行い、「女性という産む機械の数は限られている」という発言を行った。すぐにその場で謝罪を行い、発言を訂正したが、それがテレビなどで報道されたことによって野党がかみついた。
 おりしも、1月25日から国会が開催されており、また2月4日には愛知県知事と北九州市長選挙があったために、野党、民主党、社会民主党、国民新党は予算審議を始めとするすべての審議を欠席している。
 この審議拒否の結論は、この文書が出たときにすでに出ている。北九州市長選挙は野党民主党推薦候補が勝ったものの、愛知県知事は自民党公明党推薦候補が勝利し、柳沢発言の効果はなかったといってよい。
 さて、ここの文書では、まず発言とその対応についてということと、野党の審議拒否について書いてみたい。
 まず、発言内容から。
 人間を機械にたとえるのはよくないことかもしれない。殊に、出生など人力や技術力で左右できないことであれば、なおさらである。機械というと、それだけを専念し、それ以外のことに能力がないようなイメージがある。
 しかし、考えてみれば子供を産むことができるのは女性だけである。その子供の生まれる数が少ないということを議論するに当たり、柳沢氏の得意分野である経済の理論からいえば、このたとえは特に問題があるわけでもないと考える。問題は発言の単語ではなく、全体の文章の趣旨や話題、課題のなかで、何を言おうとしているかという内容である。その趣旨や、本来語られるべき少子化対策に関する内容や政策を議論しないのはなぜであろうか。
 「子供を産むことができない人がいる」という意見がある。しかし、逆に医療倫理などの観点から対外受精や代理母などを禁止していることについてどのように考えるのか。
 少子化問題を語るに当たり、卵子と製紙を結合させたうえで、それを胎児にまで育てる機能(こう言うとまた非難が出るかもしれないが)は女性にしかない特権である。男性はいくら頑張っても自分の体内に胎児を宿すことはできない。
 子供を産むという行為を語るときに、これを無機質なそれしか能力のないような「機械」とたとえることはよくないかもしれないが、その単語以外は特に問題のあるものではない。
 いずれにせよ、少子化問題は女性が子供を産まなければ解決しない問題であり、そのことを隠して建前の議論をしたり、根本的な解決を探ることなく、単語だけで人を非難するのはどうかと思われる。
 もう一ついえることは、大臣が謝罪していることである。発言をした瞬間にすぐに謝罪をし、そして発言を訂正している。当然に大臣もたとえがよくないことを認識しているということである。
 国会の場では安倍首相も自らの発言でないにかかわらず謝罪をしている。
 大臣の謝罪は、当然に問題と発言、そしてその影響や受け取られ方を考慮したものである。その内容も評価されてしかるべきである。
 この流れでもう一つの論点、要するに野党各党の対応に触れる。
 野党各党は「機械」という発言一つをたら得て大臣の辞任を要求した。ここまで強気の内容は、阿部内閣の支持率低下と無関係ではあるまい。ここがチャンスと思い、上げ足をとって喜んでいるようにしか見えない。
 ついでに、公式の場で何度も謝罪した内容の責任を追及するというのもどうか。もちろん、内容が政策の失敗や犯罪行為であるならば、謝罪で住む問題ではないが、講演会で不適切な発言をしたというだけで、辞任追及をするのはどのようなものであろうか。要するに、謝罪には何の意味も認めていないのであろうか。自分たちが不適切な発言をした場合に、議員を辞職するのであろうか。
 また、野党各党は少子化問題やその対応策そのものを何も語っていない。柳沢大臣の政策を批判しているのでもなければ、その実行性や効果を追及しているのでもない。
 要するに、野党は完全に「空っぽ」の議論しかしていないのである。
 人口を減少させないためには、すべての男女が二人以上の子供を出産する必要がある。子供が生まれない夫婦もあるだろうし、結婚しない人もいる。逆に3人以上の子供を産む人もいる。しかし、その平均が二人以上にならなければ、人口は減少してゆく。
 前回の国会までは、人口減少つまり出生率1.26%という数字を議論していた。それが、子供を産むような方策も、安全にそして負担なく子供を育てる環境を議論するでもなく「機械」発言だけをとらえるセンスは何とかしてほしいものである。
 同時に、審議拒否という抗議である。国会議員の職務は国会で法案や政策を議論審議することである。その審議拒否はただ単に職務放棄以外の何者でもない。それも内閣総理大臣が謝罪したにかかわらず審議拒否をする姿勢は、別な思惑があるととられてもしかたがない。
 その思惑というものが選挙である。今回の北九州市長選挙と愛知県知事選挙の二つの選挙での勝利のためのパフォーマンスに過ぎない。そのことを国民はすでに気づいている。
 国民は、そのパフォーマンスのために高い税金を払っている。国会議員の給与に政党助成金は当然に国民の税金であり、それは正常な国会運営と建設的な政策審議のために払われているもので、党利党略や政治パフォーマンス、選挙対策のために払われているものでもない。そればかりか、職場放棄した発言の上げ足とりで終始する野党に払う税金は無駄ではないのか。そのようなことをやるならば、対案を出し、しっかりとした政策論議を行わなければならないのではないだろうか。
 野党は大きな考え違いをしている。以前から私が言っていることであるが。自民党の不支持は野党の支持とは限らないということである。安倍内閣の支持率が70%から40%に下がった。しかしその阿部内閣を支持しないとしている30%は、野党の支持にな回ったのではなく、政治に興味をなくしているのである。要するに、自民不支持層は、無党派になりそして投票率が下がるという減少につながるだけで、民主党躍進になるわけではない。
 今回の事件も安倍内閣不支持につながったかもしれないが、それは政治不信の国民を増やしただけである。そしてその原因は政治、政策の議論で安倍不信任につながったのでないことを意味する。政治不信や投票率の低下は野党にも、大いに責任がある。
 その後も上げ足とりばかりで色めき立っている野党の皆さんこそ、政策審議ができないX政治不振の元凶ではないだろうか。
 安倍内閣を批判するマスコミ記事が世間を騒がせている。しかし、本当に改革しなければならないのは野党と、それを支援する「批判精神」を標榜するマスコミ各社ではないだろうか。このような状況では政権交代や二大政党制はおろか、健全な政治も危ぶまれる。そのうえ選挙といえば宗教団体のことをいうが、実際に40%以上の有権者が投票していない現実をどのように直視するのか。その票がすべて野党に傾けば政権交代は可能なはずだ。それができないのは、野党にその未投票者を吸収する能力や信頼がないということである。
 今回の柳沢大臣の発言は、一時的には安倍内閣の不信任につながったが、長期でみれば、政治不振と野党の上げ足とり、騒ぎすぎが目立ち、結局貴重な政治審議の時間を空費したという結果ではなかっただろうか。

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