« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月

参議院選挙の争点(1) 総論

参議院選挙の争点(1) 総論

 少し間があいてしまった。
 この間に大臣が自殺したり、年金問題があったり、そうとはいえ民間でもコムスンという介護事業者が介護保険の水増し請求で営業停止になったり、英会話教室のノバが業務停止命令になったりしている。
 しかし、そのような個別ではなく、これから7月(または8月)の参議院選挙までの期間、参議院選挙の争点ということで、その話をしてみたい。

 まず、第1回目ということで総論。最終回(選挙公示直前)には、まとめをしてみたいと思っているのであるが、とりあえずまず総論として選挙の総論として話をしてみたい。
 
 今回の選挙の争点は、一つには憲法改正、教育、年金、そして政権交替(安倍内閣の国会運営の是非)が挙げられる。政権交替は別にして、最もホットな内容が年金の問題であろう。
 個別の内容は別にして、総論としていえることは、参議院議員選挙というよりは、国会議員の選挙として争点は貧困であるといわざるを得ない。
 憲法改正にしても、もともと民主党の案であったものでしかないうえに、まだ国民投票法案の段階でしかない。実際「憲法9条改悪阻止」などと言っているが、全部で103条もある憲法の一つの条文だけで、憲法全体を硬度化してしまうのはいかがなものかと思う。  
 政権交替に関してであるが、参議院で過半数をとっても、政権が交替するわけではない。実際に参議院の存在意義にまで発展する議論であるが、実際、参議院で二重のチェックを行うことは重要であり、また衆院で与党が参議院で野党が第一党になっているということは健全な審議ができる。もちろん、反対だけを唱える野党では何の役にも立たない。参議院の存在意義をいうことは、そのまま野党が政権政党たる資格(または実力)がないということの裏返しの議論である。
 年金や福祉、それに拉致問題を始めとする外交防衛に関して言えば、参議院でなくても同じ議論をする内容であるといえる。しかし、当該個別議論が至近な選挙の行方を左右する内容になることは代わりがない。
 年金に関して言えば、歴代の社会保険庁のしてきたことのツケが一気に今になって回ってきたような印象を受ける。実際菅直人民主党副代表も厚生大臣を行っていたのであり、そのときに現在の事態を把握できていなかったことは大きい。また社会保険庁の改革で新たに民間から抜擢された村瀬社会保険庁長官が責任を負う話でもない。しかし、国民の矛先は過去に目を向けるのではなく現在の社会保険庁に向けられる。この状況に関して、政府安部内閣がいかなる対応をするのかがとわれる。この対応がよければ「雨降って地固まる」のたとえの通り、安倍内閣の支持率は急騰する。これに対して対応が悪ければ、じり貧的に支持率が下がってゆく。
 現在の安倍内閣は、支持率が下がっている。これは年金問題に関する安倍内閣の対応の悪さが原因として挙げられる。様々な方策を行うのに、「最善」よりは「わかりやすさ」「透明性」そして「心証必罰」を旨として対処しなければ国民はわからないであろう。
 福祉、教育に関しても同様である。今まで自民党の支持率を下げてきた原因はすべて密室政治とわかりにくさである。国民はわからないことに関して支持を行うことはない。わからないことでも支持するのは宗教だけである。安倍首相に宗教的なカリスマは存在しない。ようするにわかりやすく透明性の高い政治を行わなければならないであろう。
 一方、民主党は。
 民主党は小沢党首の対立路線で、現在もたもたしている安倍政権に攻撃を仕掛けている。しかし、それは「反対票」の集約でしかなく、民主党の支持を増やしたのではないと考えるべきでhないだろうか。アンケートなどの結果でも、民主党の支持率は自民党の支持率の半分以下にしかならない。アメリカの民主党と共和党のような拮抗した内容にはならない。その原因は、やはり、民主党に政権政党として任せられる国民の信頼がないということを意味している。
 その原因、要するに民主党の政権政党としてのまとまりのなさ、政策の一環性の欠如が露呈しないときに、民主党は選挙に勝利し、そのバラバラが露呈したときは、民主党は完全に敗北する。もっと言えば、民主党の支持層は、立証厚生会を始めとする宗教団体と、代議士の後援会構成員でしかなく、民主党そのものの政策に支持を示している人は少ない。そもそも、民主党の「政策」をいえる支持者が少ない。自民党、与党に反対とか、公明党創価学会が嫌いという「反対」票が支持基盤になっているに過ぎない。
 要するに、日本の国政選挙は、自民党の政策、というよりは事件や個別案件に対する対応の良し悪しが選挙の票の流れである。自民党の失政や対応の失敗で「支持が上がった」「政権交替が近い」「選挙に勝った」などとする野党のコメントはしらけてしまう。政策そのものを戦わせる選挙ではなく、個別の案件で戦っている選挙である。
 選挙の総論としていえることは、結局、選挙は自民党の支持不支持という選挙でしかなく、またその内容は「官僚」の行為のツケまわしでしかなく、政党として政治や国の方向性を考えるものではないということである。
 その意味で、現在の年金や福祉、教育などの案件はあまり与党にとってよいものではないし、その対応もあまりよいとも思えない。何よりも年金や福祉において、教育でも、日本の政府で何が行われているのかわかりにくいということが、最も問題である。
 わかりにくいということは、そのまま、「霞が関村」の言葉でしか物が語られていない、要するに、官僚に行政を支配されているに過ぎないということを意味しており、安倍政権が「自分の言葉」もしくは「国民にわかる言い回し」で説明ができていないということを意味するものである。
 国民がもう少し勉強して、政権や政策に関し長い視点で論じられるようにならなければ、ならない。とうぜん、官僚に支配されている政権では支持率が下がって当然であろう。それを見分ける目を、国民は持つべきである。
 議席数などをいうつもりはない。しかし、選挙でしか国民は自分の意思表示ができないという状況でいかに自分の権利を行使し、義務を遂行するのかを考えるべきである。
 次回以降は、個別の案件に関して記載する。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

現職大臣自殺の衝撃

現職大臣自殺の衝撃

 5月28日。日本では戦前「海軍記念日」として記念すべき日で祝日であった。国を挙げて帝国海軍の偉業をたたえ、国を護る人への敬意を表する日であった。1905年5月28日。日本帝国海軍連合艦隊は、対馬沖で発見したロシアバルティック艦隊を大いに破り、また、戦後漂流するロシア海兵を助けるという人道的な処置も行った。この海戦と、奉天の陸軍の決戦の勝利によって日露戦争は日本の一応の勝利によって終戦する。
 第二次世界大戦敗戦後、日本は軍隊を持たなくなったために、海軍記念日は平日となった。今その名残を残すのは、帝国海軍連合艦隊司令長官であった東郷平八郎提督を祭る東郷神社(東京都渋谷区)で大祭が行われる。この大祭が唯一といってよい名残であろう。
 日露戦争に関する記述は司馬遼太郎氏の小説で、多くの企業家、政治家などが愛読する書として有名な「坂の上の雲」という作品の中に、その連合艦隊の参謀を務めた秋山真之少将を通して書かれている。同作品には、国会新聞も登場するので、そう言う意味でも面白い作品である。
 さて、その海軍記念日に、今年2007年二つの死が報じられた。一つは歌手グループで人気のあったが、最近癌による闘病をしていた歌手の死。そして一つは、現職の農林水産大臣の自殺である。
 2006年9月、安倍晋三総理大臣が首班指名され、組閣を行った。このときに松岡利勝氏を農林水産大臣に抜擢した。
 松岡氏は、熊本県阿蘇市の出身で、もともと農林水産省の官僚であった。43歳のときに一念発起し、農林水産省を退職し、地元熊本の、当時の熊本1区から衆議院に立候補、初当選を果たす。就任以来農政畑、農政族として活躍しながら、農政林道の整備に務めた。しかし、その林道行政の強引な手腕と、それにともなった利権に関しては、批判と黒い噂が絶えなかった。
 大臣就任時も、これらの噂がマスコミでささやかれ、安倍政権短命説の一つの根拠になっていたほどである。そのスキャンダルの噂は、「東の(鈴木)宗男、西の松岡」となら微笑されるほどであった。
 しかし、松岡氏本人は非常に繊細な人であった。「気配りの人」というイメージが強い。大臣になってから、多くの大臣は記者会見場において担当記者の名前を覚えることはない。しかし、松岡氏は記者一人一人を名前で呼んで応答していた。またもう少し親しくなると(といっても、ほかの大臣であれば名前を覚えてもらえない程度であったが)個別の取材にも応じてくれるようになっていた。
 このことは、松岡氏の容姿からは想像がつかないおあも知れない。私個人の感覚であるが、世の中で悪人とされる国会関係者ほど、実は繊細で気配りの行き届いた人が多い。これは、死者の美化ではなく、現在も活動している鈴木宗男議員や、日歯連で問題になった瀧川氏なども私はそのように感じる。平然と善人ぶっている人の方が、ずっと悪人であることの方が少なくない。もちろん、私個人の感覚でしかないし、ステレオタイプ的にそのように思われてもよくない。
 さて、今述べたように、国会では「善人」の人の方が、社会的に「悪人」になることが少なくない。ではそれはなぜであろうか。
 一つは善人であるから「巧妙に隠す」という作業が下手であることが少なくない。善人である以上、まず相手を信用するところからはじまる。その中に隠さなければならないことを口外する人も出てくる。悪人は基本的に人を信用しない。これは、自然と「悪人連合」ができてくる。そしてその連合体で隠す体質が出来上がる。これは、何も金銭のことを言っているのではない。たとえば政策であったり、地元の選挙対策など、国会議員として、代議士として当然の活動も同じである。
 この結束が、いつの間にか機密連合になるのと、代議士が一人で問題(課題)を抱えてしまう差ができてきてしまう。
 そのうえ、大臣となって注目されて、また、気遣いの分支出が多くなり、その支出が目立てば、収入がどうなっているのか、問題となる。
 そもそも、日本の国会議員の年収は2000万円程度。初費用があってもその倍にはならない(遠距離の出張費などを含む)これに年750万円の秘書官3名を入れて、すべて献金にしてもらい、代議士事務所に収入があった(そんなことはない。あれば秘書給与詐欺事件いなってしまう)と仮定しても4500万円程度しかない。衆議院議員で4年間務めても1億8000万円。1回の選挙にかかる費用が3億円といわれているので、飲まず食わずで働いたとしても衆議院満期務めて選挙は戦えない。これを補うのが選挙資金団体である。講演会などの資金団体や政治連盟などの政治団体とその寄付金「政治献金」がそれらの収入となる。
 これを規制するために、政治資金規制法があるが、規制される人が立法するので、どうしても実行性がなかったり大きな抜け穴ができたりしてしまう。
 さて、しかし、この政治と金の流れに関しては与野党関係なく同じである。そこで、この問題に関しては顕著な例しか話題に上がらない。顕著な例とは、ほかの議員を攻撃し目立ったた場合と、大臣などステータスに上がった場合の二つである。今回はもともと派手な金の流れがあったうえに大臣になって注目された結果である。
 さて、もう一つは安倍内閣の慰留ということが挙げられている。柳沢厚生労働大臣の「生む機械発言事件」のときも柳沢大臣が辞意を申し出たときに安部内閣は慰留したと伝えられる。
 今年になって佐田玄一郎行政改革大臣が辞任、小泉内閣のときのような絶対的なカリスマ性もなく、支持率も50%割れで安定している安部内閣にとって、閣僚の辞任は支持率やイメージの点で大きなマイナスとなる。
 松岡大臣のときも、辞意表明に対して「口止め」と「慰留」をしたと伝えられる。しかし。国会の場で安倍総理大臣がかばう発言をした以外、内閣を挙げて松岡氏擁護の「行動」をしていないのも事実である。
 ここに内閣、俗にいう「首相官邸」と「自民党」の溝が感じられる。結局は組織を挙げて擁護できなかったのが現状ではないのか。塩崎官房長官やたくさんいる首相補佐官は何をしていたのか。井上首相秘書官はどのような動きをしていたのか。自民党に協力要請をしたのか、自民党内からも辞任説が出るほど統一が取れていないのではないか。
 上記のように政治家はすべてが精錬潔白ではない。また政治家が精錬潔白であり聖人君主であると信じている国民もいない。結局のところ、程度の問題と「一罰百戒」よろしく犠牲になる人がいる。そしてそれを攻撃する人と、擁護する人がいる。小さくても法律違反なのか、小さいし誰もしているから罰せられないのか。刑法では「可罰的違法性」という問題である。これは今回の松岡氏の問題だけではない。厳密にいえば、100円拾って交番に届けないのは「拾得物横領罪」であるし、横断歩道以外で車道を横断するのは「道路交通法違反」になる。しかしそれらをすべて摘発することは刑事政策上も経費の面からも現実的ではない。松岡氏の内容は「政治家がみんなしているからよい」のか「許せない」範疇なのか。
 この問題を受けて、野党各党は「これで疑惑の追及をやめるべきではない」とし「安倍首相の任命責任を問う」として、攻勢を強めている。これに対し安部内閣側は「衝撃を受けている」「責任を痛感している」としながらもその責任に関して明確にしているものではない。そもそも閣僚が「疑惑」の中自殺したものであり、有罪が確定したものではない。自殺に対し、遺族や支援者に責任を感じても、野党の言う任命責任は今のところで問題にする話ではない。
 しかし、世論はそうはならない。基本的に週刊誌などで出てくる事実は、安倍首相の任命責任にかかる問題ばかりである。時あたかも年金問題が加熱しており、その内容から内閣支持率は急落。不支持が支持を上回るという結果になっている(6月4日発表)。
 さて、亡くなられた大臣の内幕をここで明かす必要はない。また、ほかの代議士についても、知っていたとしても書く必要はない。マスコミ各社は、ほかにもターゲットがいるなどと記載しているが、捜査情報が漏れていたとしても、その情報の信憑性は、高かったとしても「少ない」といわざるを得ない。そもそも、そのような捜査情報が漏れること自体、警察の腐敗でしかないからである。
 内幕を書くのではなく、ここではこの事件の今後の影響を考えてみよう。
 まず近視的に言えば7月の参議院選挙である。参議院選挙は、この事件の影響を受けることなく、淡々と推移するであろう。内閣不調和と官邸と政党の対立を抱えた与党勢力と、いたずらな対立路線から空理空論で国民を惑わす野党勢力、いずれも国民の支持を得られないであろう。結局は縮小均衡。現在の議席とほぼ変わりがない数字に落ち着くものと考えられる。
 では、行政はいかがであろうか。結局問題となった政治団体経費に関してはすでに法整備が終わっている。すると、あとは緑資源財団。しかしこれに関しても赤城新大臣が廃止の方向を発表している。問題は林道や農道の整備事業という仕事は残る。この仕事の受け皿が決まって終わりであろう。
 そのようになると、全体的な影響は少ない。結局は国民の勘定的な問題が残るにとどまるであろう。たとえば今になって「ものつくり大学」の不正事件の村上正邦元参議院議員の関係者など名前を覚えていない。野党各党も、「人の死」を政争に使えば、国民の心が離れる。
 では、何が最も変わるであろうか。結局安倍内閣、俗にいう「首相官邸」と自民党の溝が深くなるだけである。しかし、この対立は郵政民営化の話のように政策に基づくものでもない。小泉内閣は、自分の総裁選やそのほかの選挙も改革と郵政民営化で戦ってきていたが、安倍内閣はそのような選挙公約や国民のコンセンサスがないまま、今回の事件になっている。結局、小泉内閣の郵政民営化であれば「その公約で勝った。国民との公約だ」と言い切れたが、安倍内閣はそのように言った国民との公約がない。結局、ほかの自民党議員や支持者を納得させるだけの公約がなく総裁になってしまったのである。
 そのうえでの今回の自殺事件。安倍内閣にとっては、首相官邸と政党、しいて言えば自民党内部の問題として中川幹事長と総務会の対立になってしまっている。
 自民党は、今回の事件を乗り越え、挙党一致体制で参議院選挙に望まなければならない。そのために何をすべきかということは、政策でなく、感情的な問題として、さまざま考えなければならない。参議院選挙前の内閣改造というのも一つの手段であろう。いずれにせよ、人心を一新して挙党一致体制をつくらなければならないし、そのことが故人松岡氏の望みでもあったはずだ。
 一方野党は、自民党内の不協和音を突き、選挙を有利に戦わなければならない。ある意味で自民党を再分裂させるような大技から、自民党と安倍内閣の政策の矛盾を丹念に国民の前にさらけ出すなどの作業が必要であろう。
 少なくとも民主党内において統一した見解と統一した基本理念でつくられた政策を、また実施可能な政策を提示すべきである。そうでなければ、単なる反対政党でしかなくなってしまう。
 この大臣の死は、下手をすれば政界再編の決して大きくはないが、長期的にみれば一つの引き金になりうるものである。しかし、そのことを気がつかない現代の政治と政治家たちの、実力がこのことで見えてしまうようでならない。

 いずれにせよ、松岡大臣の冥福をお祈りします。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »