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揺れる国技

揺れる国技

 昨今、相撲界に関する記事が紙面を彩っている。
 相撲は国技であり、その国技に関していろいろといわれている。まず、言われているのは朝青龍問題。これは、地方巡業を前にして、朝青龍が腰の披露骨折として診察所を提出、6週間の治療を要するとして、モンゴルに帰国し、地方巡業は欠席していたが、その治療期間中にモンゴルでサッカーをしていた映像が流れた。これは明らかに「仮病」での地方巡業「サボり」であるとして、日本相撲協会は二場所の出場停止にした。これに対し、朝青龍はまったく公の場に姿を表さずモンゴルに帰国しているという状況である。
 もう一つは時津風部屋での怪死事件。三カ月前に、稽古中の時太山が、マスコミ報道によると身体中あざだらけで、歯がすべて折れた状況で亡くなった。この件に関し、部屋全体で隠ぺいしていたものの、愛知県警によって現在傷害致死で捜査が進んでいる。時津風親方は相撲協会から除名されるという事件である。
 この問題は二つの日本人体質を深く反映した事件であると考える。一つは相撲(格闘技)は強ければよいのか、それとも人格などほかの要素が必要になるのかという、格闘技に対する考え方である。そしてもう一つは、「ムラ社会の隠ぺい体質」に関する問題である。
 強ければよいのか、という単語に関して、多くの人は「NO」という。では、究極の問題として「人格者であるが大関より弱い横綱の存在を認めるのか」、という話が存在する。そしてもう一つ「人格者が人を殴るのか」。
 現在日本では、暴力は軍事力と同じように敬遠されている。学校教育などで体罰を挙げられれば、すぐに教師は辞職に追い込まれる。しかし、その一方で人間は強いものにあこがれる。ボクシングやプロレス、K-1、プライドなど、放映されている格闘技は非常に多く、またその中の強い者たちは、力道山の時代からいままでヒーロー(ヒロイン)である。相撲も当然にそれらの中に入っており、昔は大鵬、最近では千代の富士や若乃花貴乃花兄弟などもてはやされたヒーローは少なくなかった。しかし、彼らがしているのはあくまでも「暴力」であることに変わりはない。張り手も上手投げも、上記のように教師が生徒にすれば、相撲部の指導以外では「暴力教師」となってしまう。この境目はなんだろうか。単純に職業(専門家)であること、競技であること(同等の体力の者が戦っていること)、そしてルールがあること。
 横綱審議委員会が、横綱の要件として挙げている人格は、この「暴力」を「競技」として、そのプレーヤーを「乱暴者」から「ヒーロー」へ変える要件であると考えられる。それはルールを守る、弱い者に対して暴力は振るわない(稽古と競技を除く)、そしてそれらが守れるであろう「人格」を兼ね備えること。朝青龍の問題でいえば、「嘘をつかないこと」「サボらないこと」「プレーヤーとしての義務と責務を果たすこと」が当然に求められていながら、それを破ったということになるのではないだろうか。
 この文書を書いている間にちょうど世間の話題になっているのが、ボクシングの亀田大毅選手が、世界選手権でチャンピオンに対し6回にわたる反則をし、試合を台無しにした事件。せのセコンドを務めた父亀田史郎氏と合わせてボクシング協会から1年間(亀田史郎氏は無期限)の資格停止処分が下されたという事件がある。これに関しても、朝青龍と根は同じ。強ければいいのか、マナーがなくても人格が悪くてもチャンピオンになれるのか、という疑問を投げかけている。
 さて、もう一つの要件「隠ぺい体質」について。
 日本人はどうしても隠ぺい体質から抜け出せない。隠すことで情報を操作することを望んでいるようである。しかし、世の中はすでに進んでいて、情報は隠すことでなく公開することで操作する時代になっている。日本人はそのことをまだ体でわかっていないようである。情報に関しては1990年代にアメリカの研究者アルビン・トフラーが「第三の波」という所の中で「21世紀は情報の波が来る」とし、情報の波による世界の変化を予測研究した書が話題になった。それから10年以上立ちながら、日本はいまだにアナログ的情報管理を行っている。
 隠ぺい体質があるのは、日本の古くからある団体すべてであるといってよい。役所(国・地方を問わず)、業界団体、大手企業などもそうである。財団法人日本相撲協会もその中に入っている。しかし、「情報の波」はインターネットなどの情報機関を使って、簡単に多くの人「マス」の中に流れるようになってきている。せっかく隠した情報も、いつの間にか漏えい、流出している状況になる。
 日本は先進国、それどころか世界に先駆けて軍隊のない国である。皇族皇室を含め、情報にタブーがない。一方、国の期間としての情報部がない。もしあったとしても、日本ほど情報漏えいが激しい国の情報部に重要情報をくれる人も少ない。一応日本には内閣調査室。公安調査庁などがあるが、私の個人的な感想からいえば連携が取れていないこと、情報が少ないこと、そして情報の利用ができていないことの三点から、基本的に国家情報部的な内容にはならない。もちろん、映画の007みたいなことを期待しているのではないが、たとえば、イラクでの日本人拉致などの事件や、現在発生しているイランでの日本人拉致事件などに関し、情報を独自に集められる期間が存在しないのは大きな問題である。日本は国家単位で情報の扱い方(集め方を含む)を考えなければならないであろう。
 話を戻せば、その古い体質の日本をそのまま背負ってしまったのが日本相撲協会であり、時津風部屋であると考えられる。
 この問題は、上記の人格の問題と、人格が欠落した集団の情報隠ぺいの二つの問題をはらんでいる。そして、それらを容認する部屋全体の雰囲気と、相撲界の密室化ということに問題があると考えられる。
 誤解がないように、この問題に関し相撲界全体に責任があるという意見はない。時津風部屋の事件は、かなり得意な例であり、また限度をはるかに超えた者であろう。しかし、上記の通り、最近の若者は体罰を受けずに育っているために、体罰の限度を守ることができない。江戸時代の拷問であっても、「指先が紫になったら拷問を中止する」など、各拷問の種類に限度を決めて行っていた。ましてや、相撲部屋で行われているのは稽古であり拷問ではない。少々制裁的な意味合いがあったとしても、稽古の枠を超えてはならない。しかし、体罰を受けていない若者にその限界を超えないようにするには、しっかりした指導が必要である。
 ではその指導とはどのようにするのか。そもそも、事件を起こした(前)親方と時太山とでは親子ほどの年齢差が存在する。当然に時代も違えば食糧事情も、育ち方、環境、いわゆるハングリー精神も異なると考えられる。それら世代を大きく超えた間であっても、教育は教育を受ける側の成長を目指さなければならない。実際、周りとの比較や昔との比較をするというのはあまりよいことではない。しかし、教育その者に関するモティベーションがないときに、そのような比較による競争原理を使用することはある。しかし、それ以上に比較を使う必要はない。万有引力を発見したニュートンも子供のころはあまり勉強ができなかった。人間も個体差があるのだから、当然に成長の速度も異なる。
 しかし、教育はある時期に、他者との比較の結果を求めるようになる。それも教育を受ける本人の能力や事情をこえてそうなる場合がある。東京都足立区の学力テストの事前問題配布不正などもそも一つで、学校でいえば学校の進学率や平均偏差値の他行との比較、今話題にしている相撲部屋では相撲部屋間での幕内力士の数の比較などである。そうなると指導に行き過ぎが出てくることもあれば、教育に歪みが出てくることになる。そして、今回のような事件に発展することになるのである。
 この相撲界の二つの問題は、このほかにも外国人や外国文化受け入れなど、日本という国が抱えている文化の大きな問題をはらんでいる。「他山の石」ではなく、自分のこととして、または身近なこととして今回の事件を見直すべきであるし、また、情報の取り扱い方や教育に関する内容の一つとして、本件を考えてみてはどうであろうか。
 ワイドショーをみてただ話題として、興味本位でみていると、次は自分にその同じ内容が降りかかってくる可能性があるのではないか。

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