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2008年1月

小沢党首のゆがんだ感覚

小沢党首のゆがんだ感覚

 1月17日、13年前の1995年の早朝、関西地方をかなり強い揺れが襲った。
 阪神淡路大震災である。
 個人的なことをいえば、私はその当時独身で、阪急電車の西宮北口駅徒歩3分のところに住んでいた。
 前日まで東京の実家にいたので、いきなり「転がされる」感覚に、一瞬誰かに強烈に起こされているかの錯覚であった。
 そして、布団から顔を出すと、当時愛用していた三省堂の模範六法という分厚い本が空中をまい、冷蔵庫が飛びはねていた。
 東京生まれ東京育ちの私は、自身が多い中で育っていたせいか、地震かそれに近い災害であると思い、すぐに再び布団の中に潜った。

 揺れが収まって布団から出てみれば、それはすごいものであった。
 すべての家具は倒れていた。
 倒れるというよりは、ちょうど怪力の人に投げ飛ばされた、巨人の星の星一徹がちゃぶ台をひっくり返すだけでは足りず、
 私の部屋の家具をすべて投げ飛ばしたかのような光景であった。

 外に出ようにも、鉄の扉はゆがんでしまってなかなか開かず、数回の体当たりの末、やっと開いた扉は、
それから、数週間後その部屋を出るまで閉まることはなかった。

 外に出れば、隣にあった木造アパートは完全に瓦礫の山になっており、アスファルトの道路は地割れで大きな穴があいていた。
 
 そんなときに、兵庫県知事は自衛隊の災害出動を要請するかどうかで悩んでいた。
 実際何があったのかわからなかったし、どうしてよいかも不明であったようだ。
 時あたかも社会党村山富市内閣であった。当時の日本社会党は、村山内閣になって初めて自衛隊は合憲としたが、
それまで「自衛隊は違憲」とし、その存在自体を否定してきていた。
 そのような政治状況から、革新系、それまでの日本社会党の委員長土井たか子のお膝元の兵庫県知事は、簡単に自衛隊出動を決断することはできなかった。

 自衛隊は、当時も今も、最も進んだ災害は県チーム農地の一つである。
 日本では、これ以上の組織はないであろう。
 26万人を超える隊員は、その訓練を毎日行ってきて、日本国民とその権益を守るべく訓練を積んでいる。
 思えば、日本社会党はこの26万人の毎日の努力を否定し続けてきた政党であろう。
 それが、政権をとって見解を変えたとしても、支持者まで浸透するには時間がかかる。

 しかし、このときの兵庫県知事の決断の迷いは、数百人の人命にかかわるものであったと思う。
 当時現場にいた私にとって、その一瞬で何人の人が助かったであろうか。
 すぐに瓦礫を取り除き処置をしていれば、6000人に届く犠牲者は出なかったであろう。

 評価の問題。政策や政治は何のためにあるのか。

 国民と国家のためにある。国民を守る義務をおいて、政治的主張やイデオロギーに左右されるのはいかがなものであろうか。
 兵庫県知事がその次の選挙で選ばれなかったのは当然のこと。
 イデオロギーも政党も国家のためにあるのであり、その本文を忘れた者に政治に携わる資格はない。

 まったく同じことが、13年後、要するに今年の1月17日に話題になった。

 前日の16日に横浜で民主党の党大会が行われた。
 小沢党首が政治生命をかけて政権を奪取するといっていた。
 しかし、日本をどのようにするかのビジョンは伝わってこなかった。

 民主党は、私の文書の中でも政策の出せない政党と位置づけているので、そのこと事態に驚きはない。
 Aテレビを始めとする「間違った批判精神」をジャーナリズムと勘違いしている報道のおかげで、
そのような政策を出せない政党が政権を狙うまでに肥大化している。

 しかし、問題はその後の小沢党首の記者会見である。

 テロ特措法の衆議院再議決に欠席し、大阪府知事選挙の応援にいったことに関し質問されると、
「大臣だって欠席する」「そんなに重要な法案ではない」「野党の党首は大臣より忙しい」と発言。
 国会議員としての本文である審議と議決を「職務放棄」したことに関して一切の謝罪もなかった。

 さて、野党党首といえども国会議員である。
 国会議員の本分は、国の政策と立法に関し審議し、その議決を行うことである。
 その議決に関し、同じ政策を志すものが同じ会は、政党を組むのである。
 政党があって国会があつのではない。憲法の規定通り国会は国権の最高機関(日本国憲法第41条)であり唯一の立法機関である(同)。
 その最高機関の意思決定である国会の議決に関し「職務放棄」をすることの意味の重さを考えるべきである。

 私は以前、審議拒否は税金の無駄遣いであるとして、野党の審議拒否という内容を批判している。
 今回の内容は審議ではなく決議の拒否である。
 要するに野党党首が国会の意思決定に関し意思を示さなかったことになる。

 もちろん、病気でもなんでも出て来いといっているのではない。
 健康であっても、海外の首脳などが着ていればその怪談が必要であろう。
 しかし、その理由が選挙というのはどうか。要するに「党利党略が国政より優先される」ということを表明したのである。

 小沢党首にすれば、自分がいてもいなくても、国会の議員数から再可決は行われるので意味がないという意味もあるのだろうが、
それであっても代議士として、国民の代表として、その意思表示をするのが務めであろう。

 昨今の政治は、「選挙で勝つこと」だけが優先される傾向にある。
 民主主義で、選挙により国民の意思が決定されるとなれば、ある意味で当然のことかもしれないが、
本来は「どのような政治を行うか」ということが重要であり、その政策で選挙が行われなければならない。
 しかし、個人スキャンダルや金銭スキャンダルなど政治・政策と異なるところで選挙が行われている。

 逆に、政策や本来の「国会議員」としての本文を忘れてしまっている人が少なくない。
 これは小沢党首に限ったことではなく、与野党ともにある話だ。
 これは「立法府の代議員」を「政治家」とよぶことに由来する「うぬぼれ」「勘違い」が最大の原因である。

 政治家である以上、この国の目指す方向や将来のビジョンを持ち、そのビジョンにたいして現状をいかに変えるか
(または変えないで維持するか)を語らなければならない。
 人の批判や反対をすることは簡単にできる。
 しかし、具体的な政策を、ほかの分野や国際関係に留意しながら作り出すことは難しい。
 簡単に「反対」ということに流されては話にならない。
 
 兵庫県の判断ミスによる数百人の命のような悲劇を繰り返すことのないように、国民は政治を監視しなければならない。

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2008年初頭放談 今年はどうなる

2008年初頭放談 今年はどうなる

 2008年あけましておめでとうございます。
 平成20年ということで、平成になってからすでに20年も経つのです。要するに「平成生まれの新成人」が出てくるわけです。
 学生時代、30代、40代といえば「おじさん」と思っていましたが、いま、そう言う年齢になってみると、自分では何も変わっていないつもりでも、若者の感覚がわからなかったり、体が思うように動かなかったり、と、なかなか「おじさん」になっている自分に気づかされるときがあるのです。昔私たちもそうみられていたのでしょう。
 今と昔も、その世代間格差はあまり縮まっていないような気がします。ただ言えるのは、昔と違って、今は若者が自分を世の中に出すための表現の「手段」が増えたのではないでしょうか。インターネットの普及やオーディション雑誌の拡販、一般人・読者モデル、投稿雑誌など、「参加型マスメディア」が増えたことと、それらの適度な匿名性は、一般人が容易に匿名で有名人になることを可能にした社会になったといえるのではないでしょうか。
 このことは、二つの現象を作り出してきた。一つはそれらを利用した犯罪の横行、「おれおれ詐欺」や「還付金詐欺」、あるいは「子供モデル募集詐欺」など匿名性を利用した犯罪が非常に大きくなってきて、一つの社会現象になっていった。
 一方、もう一つの現象として「社内犯罪告発」が多く出てきていた。昨年多くの話題になった食品偽装事件など、その事件の多くは社内告発によるものであり、これも匿名性の特徴である。内部告発に関して言えば、一般の話が表に出るということと、匿名性がある程度確保されているという二つの要件がそろわないと実現しないことで、昨年は食品偽装を始め多くの社内告発、内部告発が発生したのである。
 ここで改めて言うまでもないが、「食品偽装」が行われたのではなく、何年も継続した「偽装行為」がそれら内部告発で明らかになったのである。長年慣習として行ってきたことが、表に出て問題視されたということで、昨年事故が発生したわけではない。
 それでも、毎年恒例の清水寺の今年を表す漢字は「偽」という単語であった。どちらかといえば「偽」が「明らかになった年」であるが、なかなかそれを表す漢字一字がなかったので、「偽」という漢字になったのであろう。
 では、今年はどのような年になるのであろうか。

 今年は「変革という名の懐古」がキーワードになると考えている。

この後は、「まぐまぐ」からメールマガジンでお楽しみください。

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