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2008年2月

自衛隊最新イージス艦・漁船と衝突

自衛隊最新イージス艦・漁船と衝突

 2月19日未明、自衛隊最新イージス艦で昨年3月に就航したばかりの「あたご」と、漁船清徳丸が横須賀沖合で衝突し、現時点(2月20日時点)で漁船側の乗組員であった親子が行方不明という事故が発生した。

 まずは、漁船乗組員の親子の無事の生還を祈りたいと思う。

 さて、この事故に関し、すぐに戦争反対を叫ぶ人々は色めき立った話をする。しかし、実際にタンカーや貨物船であっても安全義務はあるので、事故を起こしたということについてすぐに自衛隊反対を叫ぶのはおかしい。そのようなイデオロギーで、事故をとらえる極端な人々は、あまりよろしい存在ではない。ましてや、この事件と元防衛省事務次官の問題とも何ら関係はないであろう。
 さてそう入っても日本の国家を守る自衛隊の幹線が起こした事故である。その件について問題を整理しよう。まず、この問題をとらえるときに二つの分類から考える。一つは、通常と同じ海難事故という観点。そして、もう一つは国防という観点である。
 まず海難事故に関して。海は海外船も通るので国際条約で決められている安全義務が多い。今言われているのは、船を右にみる側が回避義務があるというものである。この観点に関しては、ニュースやワイドショーですでに何度も繰り返し言っていただいている。基本的に通常の問題点として、要するに、イージス艦が貨物船であったとしても、同じ問題がいえるのである。そして、これは海上保安庁で捜査し、事故調査委員会が事故原因を特定して、最終の審判を下すであろう。そして、この手続きとしては、特にここでコメ
ントする気はない。
 さて、問題は国防という観点である。「防衛庁」が「防衛省」に格上げになるくらい、国防は重要である。自衛隊の海外派遣(人道であるかどうかは別にして)についても実行している。海上自衛隊も、インド洋で給油活動をしているのが現状であり、今回の事故が国際問題に発展する可能性もあったと考えれば、その意味はかなり重要になる。
 国防という観点からいえば、建造費1500億円7700トンの最新型イージス艦が事故を起こしたということが問題であろう。
 イージス艦は、イージスというギリシア神話に出てくる神の盾を意味している。要するに、ミサイル攻撃などの攻撃に対して、事前に情報をキャッチし、被害が出ない距離での迎撃を機械システムで行う艦である。しかし、アメリカ海軍でイージスシステムを考案したのは、1945年、太平洋戦争において日本からの想像できない攻撃、属にいう「カミカゼ特別攻撃」から艦隊を守ることである。現在、イスラム過激派のテロで、トラックや自動車に爆弾を積んで体当たりをするイメージである。しかし、昨今飛行機による体当たりというのはなかなか存在しない。現在はイージス艦は飛行機による体当たりではなく、ミサイルによる攻撃を想定して作られている。批判、非難を恐れずに書けば、特別攻撃、要するに有人飛行機による体当たり攻撃と、機械によるミサイル攻撃は、攻撃を受ける側としてはあまり変わらない。迎撃用の弾またはミサイルをかいくぐり、標的まで直線的でなく、誘導回避行動をとりながら向かってくるということを考えれば、結果は変わらない。いずれにせよ、迎撃・つまり撃ち落とす以外、船側は防御方法がないのである。
 さて、イージス艦はそのような構想で作られた艦である。しかし、小型船舶と衝突した。これは事実である。これは、上記にくどくど書いたようにイージスシステムそのものの欠陥、要するに空の防衛は得意であるが、海上小型船舶に対する防衛は苦手であるということを露呈した。
 日本の特別攻撃は「カミカゼ」という航空機による特別攻撃が最も有名であり、また記録映像などにも残っているので、印象に残る。しかし、当時の日本海軍は、航空機だけではなく特別攻撃、本土防衛を一億総特攻などと掲げて計画していた。昨年映画になった「出口のない海」で有名になった潜水艦型特別攻撃兵器「回天」、あまり出なかったが、俗に「人間ミサイル」といわれ、大型機の下部からジェット推進で体当たりする「桜花」、そして、第二時世界大戦全般を含め、最も小型で最も多く作られた船舶、要するにモーターボートに爆弾を積んで体当たりする「震洋」などがあった。
 「震洋」は、実際計画と製造されたものの、一度も出撃することなく終わったが、ここで問題になる「震洋」型の体当たりテロ攻撃に対し、イージス艦はあまり有効な防衛手段がないということを露呈したのである。5名の見張り体制などといっているが、最新鋭イージス艦の防御が人の目によるものであることが、いかに不安定であるのか。特に、日本のイージス艦は日本の沿岸警備を重点的に行う(要するに外洋での活動はほとんどない)状況であるが、その状況での防衛は、主に北朝鮮であろう。北朝鮮は、たびたび問題になっている「不振船」による行動が予想され、不振船は今回衝突した漁船に近い大きさ、形状である。今のところ発生していないが、「北朝鮮不振船によるイージス艦へのテロ攻撃」があった場合、イージス艦は人間の目による関し、防御体制以外事前に知る手段を持たないことになる。これで日本の沿岸警備を行うことができるのか、はなはだ不安である。
 ただし、このことは、イージス艦の性能ということと密接に関連していることである。イージス艦は、当然のこと、日本の設計によるものではなく、アメリカ海軍の設計によるもので、日本での改造はあまり現実的ではない。沿岸警備用に、小型船舶に対応するレーダーをつけるといっても、並みたいていなことではないだろう。その部分を人がカバーすることになっているのであろうが、その緊張感がないということは間違いがない。イージス艦でなくても、国防に携わるものは常に緊張状態になければならないが、現在の日本は自衛隊を含めて「平和ボケ」してしまっているのではないか。それこそ、最大のリスクであり、今回の事故の原因であり、そして、今後の日本への継承であると思う。
 第二に、その自衛隊の平和ボケであるが、緊急時の連絡体制である。
 報道によれば、事故発生から幕僚長までの連絡は20分、しかし、防衛大臣への連絡は、その後40分なされず、石破防衛大臣が事故を知ったのは事故発生から1時間以上立ってから。福田総理大臣が知ったのは2時間後である。携帯電話も緊急無線もあるこの時代に、飛脚が伝令で走っているかのごとく遅滞した連絡体制である。
 緊急時にこの連絡体制では、国家の意思決定そのものに大きな影響を及ぼす。以前にも阪神大震災を書いたときに「意思決定の遅さは、数百人の命を奪った」と書いたが、今回も同じことにならないと限らない状況である。
 ここにも現在の自衛隊の官僚体質と、そのための危機意識の低下が問題になっているのではないだろうか。これでは、皮肉にも最も情報を早くキャッチするイージス艦の事故が最も遅く政府に報告されるということになる。
 本来、これは防衛省および幕僚幹部の責任問題である。事故を起こしたことは、物が動いているから当然にあり得る話であろう。そのことに批判をするつもりはない。原因の究明と再発防止策をしっかりし、上記のイージス艦の弱点を補えばよいことである。しかし、連絡・報告ということは、当然にどんな業務でも必要不可欠なことであり、こと国防に限って言えば、下手をすれば国際問題、さらに進めれば紛争状態になってしまうので、国家としての意思決定を最も早く、優先しなければならない。意思決定のためには、なるべく多くの資料・判断材料を、なるべく客観的に評価した形で迅速に伝えなければならない。
 今回の問題は、防衛省内部において、それらの危機意識またはイージス艦の衝突事故を「重大事件」と認識する感覚がなかったことを意味する。
 私が常々この文書で批判している「官僚体質」要するに事故の隠ぺいと無責任体質が、この報告の遅れを出している。そしてその体質が組織腐敗を起こし、組織の内部崩壊を起こし、そして、国をほろぼす。これは、清王朝が八路軍という正規軍を持ちながら、組織的に活動できず、各地軍閥に敗北し、そしてアヘン戦争で欧米列強に敗北し、ついには国をほろぼした歴史だけでなく、多くの国家での組織腐敗の構図に通じるものがある。
 このようなことが起きないように、「平和ボケ」を排除し、官僚体質を打破し、防衛省の改革を、根本的な意識改革の段階から行う必要があるのではないだろうか。そのためには、少々過激ではあるかもしれないが、官僚体質がしみついた職員・幹部を排除し、国防・国家ということについてしっかりと考えなければならないのではないだろうか。
 政治家は、これらの議論をイデオロギーや党利党略でなく行い、改めて現代社会の国家と、将来の日本について語る必要があるのではないだろうか。ただ、防衛大臣の罷免要求などを行い、この事故を政争の具にする「日本のことを考えない政治家」も合わせて排除すべきであると考える。

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ガソリン国会めずらしく、コメントに対して御回答 

めずらしく、コメントに対して御回答

 この文書はブログだけに。
 先日「ガソリン国会の不思議」をあっぷしました。あまりコンピューターに詳しくない私は、コメントやトラックバック(トラックバックはいまだに何のことかわからないのですが)への対策がよくわかっていません。
 基本的に放置しておりますが、ほとんど宣伝と思われるコメントやトラックバックが多い状況です。そんな中、まじめな反応があるとうれしくなります。
 さて、先日のなかに「つなぎ法案が問題」とのコメントが出されました。
 実際、つなぎ法案という策は確かによろしくないでしょう。つなぎ法案を審議するのであれば、まともに審議をせずに暫定税率法案を強行可決すればよいし、民主党も参議院で問責決議を行えばよい。
 しかし、そもそも「なぜつなぎ法案という方策をしなければならないのか」ということを考えるべきではないでしょうか。
 テロ特措法の時もそうですが、時限立法は時間が来れば法律は効力がなくなります。野党は昔も今も「牛歩戦術」などと国民を馬鹿にした採決方法をさも自分たちが正当であるかのごとくいいわけをしながら行います。
 しかし、実際は「政策なき反対」をあおっていることが最も注目され、避難されるべき行為であり、一刻の指導的立場にある国会議員やその集団である正当が、まったく政策も出さず、または具体的な方策も検討せず、影響も考えず、政府を批判するという「党利党略」がまかり通っており、同時に、そのことをだれも批判しないというマスコミの体制が問題ではないでしょうか。
 別に難しいことを言っているのではありません。政党・国会の中の会派とは、「同一の志を持った政策集団」のはずですから、その志に根差した政策を出せば私の批判は当たらないのです。同時に、国会は立法府であるので、それらは法案として提出されればよいことで、その法案を読んで、そして立法趣旨を聞いて、その政策と政策の具現かを理解できるはずです。
 ではテロ特措法に反対した時、民主党は法案を出しましたでしょうか。答えはNOです。
 今回のガソリン値下げに関し、5兆4000億円の道路特定財源の減少分に関する補填(または政府支出の削減)は提案されたでしょうか。民主党は党内の会合であっても、それら補填に関し6000億円もの不明を出しているのです。81兆円の国家歳入に対し6000億円もの欠損を出したら、日本はどうなるのでしょうか。また国債を発行するのでしょうか。民主党はそれらに関して現在まで回答してなく、ただ25円下げるということしか言っていないのです。
 同時に、ガソリンが値上がりしたのはガソリン税の付加のためではないことは、前回のブログで記載の通り。本来であれば、石油関連企業の史上最高益から回収すべきでしょうが、個別企業だけを名指しで税を回収する法律は日本にはないのが現状です。また、そのようなことは、租税に関する基本的な考え方から今後もないでしょう。
 民主党菅副代表は「道路を作りたがっている利権主義者がいる」といっていますが、では、道路は必要ないのでしょうか。
 本来やられなければならないのは、税収を下げることではなく、税の使い道に無駄がないかを監査することであり、極端な例を挙げて誹謗することではない。不必要な道路をつくることや、ほかの目的で使う(社会保険庁のグリンピアのように)こと、無駄な工事をやめることなどの検査、監査は必要である。しかし、それらを議論することなく、必要なもの、不必要なものもわからずに、ただ一律に下げろというのは、まったく政策を感じない。
 必要な部分を監査する機能が日本にはかけている。これこそ最も重要な問題であり、これは国会や政党の対立の問題ではなく、国家公務員改革の問題である。しかし、自治労の多大な支援を受けている民主党に国家公務員改革は難しいであろう(できないとはいえないが)。現に、それができないために、今回のガソリン税も国家公務員の職務の問題にならず、単に「暫定」という単語遊びになっているのである。
 コメントを寄せてくれた方の「つなぎ法案がおかしい」というのは、私も賛成ですが、それを出すような不思議な、政策なき政党間の誹謗中傷合戦を演出する「反対しかできない」「政策や具現化調整のできない」「お題目しか唱えられない」民主党諸氏について、私はより大きな違和感を感じるのです。
 同時に、そのことをわかっていながら、政府をこき下した方が視聴率が取れる。読者が喜ぶとして、伝えない、または伝えたとしても小さくしか扱わず、ビジョンのないマスコミ諸氏に対しても反省すべき点が多いのではないだろうか。
 私は、私個人の結論として、野党はちゃんとした法案で補填策まで出すべきであり、そのことを世にとうべきと考える。
 政界再編など言葉が踊るが、仲良しクラブや、なんだかわからないけれども反対しか言わない集団では国民の政治離れが進む一方である。そのようなことをしてはならないのが、すべての政治家の義務ではないだろうか。

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ガソリン国会という不思議

ガソリン国会という不思議

 1月18日より通常国会が開催されている。与党は当然のことながら「通常国会」であることから予算と予算関連法案の国会と認識しているのに対し、野党、特に民主党は「ガソリン国会」と銘打って与党との対決姿勢を深めている。
 ガソリン国会とは何か。
 今日本ではガソリンが値上がりしている。全国平均のレギュラーガソリン1リットル当たりが155円を超えるという、過去最高値になっている。これは、ビニールやプラスティックパックという原材料費の高騰だけでなく輸送物流燃料費やボイラー燃料費などすべての原材料費の高騰を招く結果となり、最終的には消費者購入価格の高騰ということを招いている。
 さて、それだけでは単なる経済政策でしかなく、ガソリン国会とはならない。民主党が目指しているのは、ガソリンにかけられているガソリン税、現在1リットルあたり52.8円を25円下げようというものである。このガソリン税は、特別目的税(特定の行為にのみ使われる税金)であり、国の一般財源に当たらない。道路整備費などの道路関連の使用目的に使われるものである。これのキャンペーンで民主党は「ガソリン値下げ隊」というのぼりを挙げ、方々でその主張を行っている。
 さて、私は、消費者としてはガソリンの値段が下がることは望ましい。しかし、この民主党の「短絡的な」値下げはいかがかと考える。ことに、政治のことを考えれば、暫定税率の廃止(今年3月31日で期限が切れるために、その延長拒否)は反対すべきと考える。
 この民主党の主張は、政治の本質を見失った、来るべき選挙のための集票のための話でしかない。本来であれば、ガソリン税の一般財源化を議論すべきであり、ただ単に大衆迎合で値下げをうたい文句にするのはいかがなものかと思う。
 この論拠として、下記の通りの主張を行う。
1 政治は将来あるべき国の姿から現在の法案と予算、税制を語るべきであり、一過性の経済現象で語るべきではない。
2 減税を行う場合、当然にその分を補填する新たな税収または支出のカットを示すべきであるが、それが行われていない
3 道路整備が行われなくなることによる地方行政への影響を無視している
4 そもそもガソリンの値上げがなぜ起きたのかということの対策が語られていない

 まず、将来の国の姿である。
 安倍前首相は、批判も多いし不完全ではあると思うが「美しい国」というビジョンを提示した。福田首相も国民主役というビジョンを施政方針演説で披露している(1月18日国会開会日の演説より)。一方、このときに代表質問に立った鳩山由紀夫民主党幹事長は、ガソリン国会の強調で対決姿勢を示したが、将来の日本のビジョンを示すに至っていない。
 与党側も不十分であると思う。昔の池田勇人首相の「所得倍増」や田中角栄首相の「日本列島改造」といった明確なビジョンと、そのビジョンに向かって現在何をすべきかという観点から、その観点に合わせた予算と支出を決めるべきである。ただ単に値下げ値下げといえばよいのではない。
 テロ特措法の時もそうであるが、民主党は党としての意見がまったくなく、造反も日常的に行われている。今回のガソリン値下げに関しても、造反議員が複数出てきている。テロ特措法の時は前原誠司前代表がマスコミで「テロ特措法は必要」と論陣を張って話題になった。何よりも、自民・民主大連立の時は、小沢代表そのものが「造反」とみなされるに至る。結党以来「寄せ集め政党」と揶揄されるのは、こういうところにある。自民党は、たまに統一性がない場合がある。加藤の乱などがそれだ。しかし、最終的には統一されるし、統一されない「郵政民営化」の場合は、離党・除名という処分で自民党から排除されている。

 このような、政党としての統一された見解がないところから、第2の問題点である減税に対する補填策が出てこないということになる。1月18日(日付は間違えているかもしれません)民主党「ガソリン値下げ隊」の会合が行われた。このときに、道路整備関連予算で、約6000億円の補填、充当不能な欠損金が発生することが発表された。民主党の会合は、これに対して何ら対応、議論することなく、「とにかく値下げをしなければならない」とコールして値下げ隊の会合を終了している。
 これが政権を奪取しようとしている政党のすることであろうか。
 6000億円の欠損ということは、6000億円の建設国債を発行する(要するに日本国の借金が増える)か、あるいは、6000億円分の国民に対するサービスが消えるということを意味する。実際に政権をとった場合、この6000億円の欠損をどのように補填するのであろうか。それとも政権をとる気がないので、無責任な集票スローガンを挙げているだけであろうか。いずれにせよ無責任であること極まりない。
 これは、過去に日本社会党が「売上税」に反対した時と同様、減税議論をする場合はその補填を考えなければならないということを肝に命じなければならない。無責任な舵取りと、国民の誘導が国の政治を悪化させる一番の原因である。

 第三に、道路が整備されなくなることの地方の影響を考えよう。
 昨年12月より犬の映画が公開されている。2004年新潟地震の時に、新潟県山古志村が、地震の影響で全村住民が避難する事態になり、そのときに取り残された犬「マリ」がいかに人のいない村で子供とともに生き残ったかということである。
 地震は日本国土全体でいつ発生してもおかしくない状況にある。山古志村は、新潟県の山間部で錦鯉と闘牛で有名な街であった。しかし、地震により村までの「唯一」の道路が通行不能になり、支援補給物資や、緊急物資、しいては、復興のための工事車両が往来できる状況ではなくなった。このために、山古志村は全村住民が仮説住宅での不自由な生活を余儀なくされている。中には仮説住宅で、自宅に戻れずになくなった型もいらっしゃる。
 さて、山古志村の被害は、二つの要素から行われている。一つは山間部であるということ。これは、誰にも直せるものではない。しかし、人力で何とかなることもある。それは「唯一の道路しかない」ということである。
 もしも、山古志村に幹線道路までの道が二つあったら。そう考える人はいないのであろうか。
 二つともの道路が通行不能になるかもしれない。しかし、被害が少ない方から緊急車両が往来できれば、仮説住宅での避難時期は短くなったはずである。もしかすれば、一本は通行可能で、そのまま山古志村での生活が可能であったかもしれない。
 道路整備の時に、「無駄な高速道路」「だれも通らない林道」と報道される。しかし、その奥にいる住民、先祖代々山古志村で生まれ育った人々にとって、その道は「命の道」である。その村の人しか通らないかもしれない。しかし、それで何人の命が助かるか。錦鯉や闘牛といった伝統を守れるのか。利用者の量だけで測れない話があるのではないだろうか。
 これは、都会でも同じことである。
 都会の渋滞は日常である。たまに、渋滞がひどくて救急車が立ち往生している場面に出くわす。大型のトラックが動けないために、救急車が止まってしまうことも少なくない。しかし、急病人であれば、この一瞬が製紙の分岐点になりかねない。山古志村と違う意味で「命の道」が、地震ではなく「渋滞」によって寸断されてしまうことになるのである。
 都会における渋滞の解消、そして田舎における複数路の整備は、産業の振興ということではなく、生命の維持という点において考えるべきである。特に、昨今医師不足が叫ばれている時代。病院のたらい回しで命をなくした人の報道も目にする。しかし、それだけでなく、移動時間の短縮ということも、道路整備で考えるべきではないか。その予算を6000億円も削減していいのか。その削減も道路の必要性の論議ではなく、単に「ガソリンの値下げ」という大衆迎合集票政策の愚に踊らされていいのか。このような愚策が出るのは、田中角栄の日本列島改造論のような、将来的な国のビジョンがないからではないか。ビジョンがあるならば、この「命の道」に関する回答を出してほしいものである。6000億円の補填を真剣に議論してから値下げの議論をすればよい。

 では、4番目の議論、そもそもガソリンの値上げはなぜ起きたのか。二つの要因がある。そもそも今から4年前は、ガソリン税があっても100円で1リットルのガソリンが買えたのである。そのときは民主党は「暫定税率というのが長期間継続するのはおかしい」と一言も言っていない。いま、値上がりして話題になっているから言っているに過ぎない。逆な見方をすれば、ガソリン税が課税されているからガソリンが高いわけではない、ということだ。では、なぜガソリンが高くなったのか。
 簡単である。原油の値段が上がったからである。しかし、OPEC、石油輸出国機構は、ガソリンが100円であった時代も今も原油産出量を変えてはないない。統計からみれば、ベネズエラやリビアなど、OPECに加盟していない国でも産油国があることを考えれば、世界全体の原油産出量は4年前の1.4倍ほどとなって増えているのである。
 石油は市場商品であり、相場で価格が変動する。では、供給量(産出量)が増加しながら、価格が上がるのはなぜか。経済の法則から、供給量を上回る需要があるから市場価格は上がるのである。
 要するに、今まで原油や石油を消費していなかったり、備蓄料が少なかった国が、急激にその消費量や備蓄料を増やせば、当然、需要料が増えてしまい、産出量が一定であるために、価格が高騰する。そのうえで、昨今のサブプライムローン問題などで暴落した株式市場に変わり、原油商品市場が投機の対象となったこともその原因の一つに挙げられる。ニューヨーク原油はその直撃を受けWTI原油は一時1バレルあたり100ドルを超える価格がつけられるに至ったのである。
 さて、価格が市場の原理であるならば、純粋な経済行為であり、本来は政治が介入すべきではない。しかし、エネルギーは国民の重要なインフラの要素であり、その価格の高騰は国民生活を直撃する。そこで、円ドル相場の介入のように相場の介入や国家予算での原油の購入分配という政策がとられるべきであるのか否か、ということになる。当然にこの意見には賛否両論あるであろう。しかし、同時に、そのためのガソリン税があってもおかしくない。
 日本の物流の主体はトラック輸送である。たとえば佐川急便という一つの会社が、関東で都市の間を往復するトラックが、日に17000台存在する。使用する軽油は一日300万リットルという数になる(実際のところはもう少し少ないかもしれないが、簡単な計算によるとこうなる)佐川急便だけでこうなのだ、大手でヤマト運輸や日通などがある。このほかにコンビニや日々の配送に使用するトラックがあり、また、船や畑から直送するコンテナを積んだトラックも存在する。それらトラックの輸送は、そのまま商品価格につながる。
 本来は、ガソリンの話かもしれないが、それらが物流の話になり、また商品価格へ連動する。そればかりか、電気(火力発電)、農業(ビニールハウスのボイラー)などの価格の高騰も生む話なのである。
 政府は本来、インフラ価格の安定を目指して、これら価格、相場の高騰に対して予防策をとるべきであり、少なくともそれらの議論をすべきであった。特定目的税は、道路だけでなく価格の安定ということにも使用されるように考えるべきであった。それでも、今回のように石油・原油価格の高騰が長期化すれば焼石に水かもしれないが、それでも対策をとらず、金融や株式市場ばかりに目を向け、国民生活に直結する商品市場への対応をしない、議論もしない政府の対応に国民が反応したり、わけがわからない「ガソリン値下げ隊」などと叫び、政治家の本分と物事の原因追及能力を忘れた「選挙屋」野党の屁理屈を相手にする必要もなかったであろう。
 政府や国が商品市場に介入することが適切であるのか、という議論も必要であるし、反対論もあるだろう。しかし、同時に国民のインフラを守るという発想も政治家の本分として考えなければならない。
 
 また、国民もよく勉強しなければならない。そうでなければ、民主党やマスコミにだまされてしまう。そもそも、日本の石油相場はシンガポールの商品市場が基準となっている。しかし、なぜかニューヨークの原油、それも最も高いWTIばかりが報道され、その値動きに合わせて物価が上がっているカラクリにも期がつかなければならない。ある雑誌編集者は「日本の石油価格はニューヨークの相場に連動している」と断言していたが、あまりにも常識や見識が不足していて、それ以来その出版社における出版物の信頼性をおかなくなっている。彼に私は「日本がアメリカまたはニューヨーク市場の銘柄から輸入している実績を挙げてみよ」と反論した。彼は何も答えられなかった。そのときに同席したほかの記者から、後日、「宇田川さんのいう通り、日本はアメリカから1滴も石油を輸入していないのですね」という。そう、1滴も輸入をしていないというのは、極端(アメリカで給油した旅客機の給油やアメリカ者の輸入のときの自動車の中のガソリンをどう考えるかという問題がある)ではあるが、少なくとも表面上石油を輸入していない国の石油先物商品相場のみを報道する、それも最も高いWTIという原油銘柄のものを報道し、あたかもすべての価格がそれに連動しているかのごとき「雰囲気作り」が、すべてのものの「便乗値上げ」になっていることを知らなければならない。また、野党はこうした風習や報道こそ批判すべきであり、ガソリン税などと個別の内容で話をすべきではない。

 国会では、与野党が補正予算を優先することや年度末までに決着することで、議長斡旋による事態収集が企かられた。一時的にはガソリン税という個別案件でほかの多くの予算が宙に浮くという事態は避けられた。しかし、一時回避に過ぎない。物事の本質を見て、そこから解決する感覚を養うべきではないだろうか。
  

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