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2008年8月

北京オリンピック閉幕と次の経済の波

北京オリンピック閉幕と次の経済の波

 8月24日、17日間開催された北京オリンピックが閉幕した。
 北京オリンピックに関して、日本選手団の健闘と、逆に期待はずれであった結果などもあった。政治や経済と違い、スポーツの世界は二つの特徴がある。一つは必ず勝敗があるということ。金・銀・銅のメダルはすでに1位2位3位という序列であり、その序列はその協議において絶対的な価値を持つ。もう一つは、その絶対的な序列に関し、選手同士は尊敬と経緯とそして目標という感情を持つこと。競技の最中は敵でも、競技終了後、敵味方一緒になって肩を組み笑い泣くことができる。お互いを称えるという気持ちがある。政治世界のような絶対的な敵というものもなく、また、裁判のように敗訴に伴った制裁も存在しない。一部審判に対する不満があり、今回のオリンピックにおいても、レスリングではメダルを置いて表彰式をボイコットする選手や、テコンドーで審判を蹴ってしまう選手などもいたが、それら例外があっても、一応スポーツの祭典は平和の祭典として良いのではないか。
 さて、そのような背景からオリンピックは平和の祭典とされ、そして、政治利用の禁止を高らかに掲げる競技である。しかし、今回のぺ期のリンピックでは必ずしもそうでない話が伝わることに残念に思う。まずは、チベットやウイグルの反乱とデモ、そしてそのデモの規制。次に開会式でいわれた数々の偽装。そして、報道陣があれだけいながら偽装を許した、報道規制と情報統制。いずれも、中華人民共和国の特徴を表した一つのエピソードであり、その内容が今後の中国を占う一つの指針になっていることは間違いがない。
 さて、今回は北京オリンピック後の政治経済の関連に関して、今後を占うということで書いてみることにした。オリンピックの競技そのものに関して、書くつもりはない。ちなみに、競技に興味がないわけではない。星野ジャパンがメダルを取れなかったことや、ソフトボールの金メダル、北島の二連覇、反町ジャパンの予選敗退、報道されなかったが馬術の法華津選手の話など、競技に関して興味がないわけではない。ただ、ここはそれを書く場所ではないと私が考えている。
 さて、中華人民共和国はメンツを重んじる国である。国というよりは、民族性ということがいえるであろう。そのメンツは、そのまま「メンツのためならば何をやっても良い」という考え方に発展する。その考え方を持つ民族に「社会主義国家」という集団主義・団体主義が被さった格好になっているのである。いかに外国資本が入り、経済的に発展していようとも、中国は統制経済の名の元に、社会主義経済国家であり、決して民主主義政治を行う国でもなければ、資本主義経済の国でもない。要するに集団主義の名の元に自由が制限される国である。
 その中国で行われたオリンピック、世界207カ国が集まる「祭典」は、経済や政治的な主張よりも、「中華人民共和国という集団のメンツ」を世界各国に広めるまたとないチャンスであった。メンツだけを立てるならば壮大な費用負担を中国という国家が行えば良い。しかし、中国はそんな国ではない。「メンツのためならば何でもする」国である。当然に、その費用負担、出費を補うだけの収益が必要になる。またそのことによる利益が必要になる。投資には配当が最も重要なファクターとなる。
 このメンツのためならば何でもするというのが、今回の開会式で話題になった「偽装」問題であろう。開会式で歌った少女が実は「口パク」であったり、56民族を装った子供たちがほとんど漢民族であったなど、中国ならば「当たり前」といわれる偽装が普通に行われた。中国を深く知る人ならば当たり前といえる内容が、日本人や各国のメディアで話題になること事態、中国の指導者の間では不思議でならないであろう。彼らは社会主義、団体主義として当然のことをしたまでである。日本や各国のメディアは、中国を民主主義で資本主義の国と勘違いしているのではないだろうか。
 当然に、この「勘違い」は中国人民の中にも浸透している。各国のメディアが訪れたことにより、中国が民主主義化したと思う人もいるであろう。そんな人はいないが、自分たちの境遇を「同情」する人が世界に多くいるという「錯覚」は与えたことになる。この錯覚が中国の政治に及ぼす影響は少なくないであろう。私は以前記事で記載したが、中国にはいくつかの「火薬庫」がある。その火薬庫の最大のものは少数民族でも何でもない、中国の根幹をなす人民解放軍そのものである。
 人民解放軍とその退役軍人が、過去に何度も大規模なデモ行進をしている。人民解放軍は中共戦争、ネパール制圧、ロシア国境戦争、インド国境戦争、ベトナム出兵を含め多くの戦役を「中国人民のため」戦ってきた。いわば、現在の中国の形をつくりメンツを保ってきた根幹でもある。その根幹を支えた名もなき英雄たちの退役後の生活の保証は惨澹たるものとなっているのである。
 その軍人たちに制圧されたチベットとウイグルの自治区もその独立と人権の主張。こちらはそもそも征服国と被征服民族の対立である。社会主義・団体主義国家に征服された民族が、民主主義的な自治と人権を求めているのであるから、その火種は、宗教戦争や民族戦争といった人間の存在そのものに関する内容と同じ対立になっている。要するに「世界の火薬庫」といわれる中東イスラエル・パレスチナの対立と同じくらいに過激で苛烈な対立になっている。しかし、これに対しても、中国の情報統制によってあまり外国に伝わるものではなかった。オリンピックとチベットの過激でもによる世界的な注目により、広く知れるところとなったのである。
 逆に中国の強みも、今回のオリンピックでは明らかになった。一つはその経済力。今回のオリンピックの費用は30年で償却と聞いているが、直接はそうでもオリンピック需要での北京の街の整備はかなり進んでいるし、何よりも、ほかの国ではなかった「オリンピックバブル」が世界的に発生していることに大きく着目すべきであろう。
 第二はその消費力。公称人口13億人はやはりすごい。その民族が情報が統制されていたがために、そして社会主義経済であったために、資本主義先進国的な消費行動になっていない。そのことは国内GDPが計画経済で年8%くらい毎年上昇しているのに、一部の資本家と上流階級以外は30年前、改革解放経済を行う前とあまり変わらない状況にあるという事実をみても明らかであろう。それだけの統制経済下における消費行動としては、かなりの消費が行われている。日本と異なるのは、情報統制にあったことから、情報に使う金銭が非常に多いということである。
 最後に、「鈍感力」。これだけ偽装といわれながら、中国首脳は何とも思っていない。毒入り餃子のときもそうだが、下級役人が出てきて、適当に責任回避の発言を行う。それで通用しないと違う人間が出てくる。いつの間にか中心のすべてを知る人間は消えてしまい、事件は闇の中に葬られてしまう。日本などはパンダの貸出で簡単にだまされてしまうのだ。そこに関する責任のごまかし方は、日本の政治家の比ではない。
 
 さて、中国の抱える火薬庫と中国の強みに関して、簡単に触れてみた。これを解説し、例を挙げるだけで、一冊のマニュアル本ができるであろう。それをまとめたのであるから、わかりにくくて当然であろう。わかりにくい前提のうえで、話を続ける。
 今後の中国はどうなるのか。
 単純に、「中国北京五輪バブル」は終焉する。当たり前だ。終わった祭典のバブルは、一緒に終了する。
この現象をみて、あまり頭のよくないエコノミストたちと、何でもセンセーショナルに騒ぎ立てるマスコミは「五輪バブルはじける」とか、「サブプライムよりも大きな影響で日本に不景気が来る」という。
 先に挙げた中に「情報統制」「計画経済」という単語があり、その計画経済を成功させるというメンツを重視する中国が、必ず終わりが来る五輪特需の終焉で失敗を起こすはずはない。日本に不景気が来るのは、五輪バブルにわいた日本企業であって、中国ではない。私がよく引き合いに出すエネルギー問題でもそうだし、くず鉄などでもそうだが、「五輪特需だから」といって買っているのはほとんど日本人ブローカーであり、そこに乗せられるのも日本企業である。日本人が日本のブローカーの言い訳である五輪特需・オリンピックバブルにだまされたツケで倒産するのは、別に中国の変化ではない。
 では、中国はどう変わるのか。中国での特需は終わった。これにより、特需景気は止むことになる。そのことはすでに織り込み済みである。そのためといってはおかしいが、2010年には上海で万博を開催する。地下資源に関してや食糧に関しては、OPEC非加盟国やアフリカの多くの国に四資金援助を行い、その見返りとして資源や食糧の割当を得る条約を締結している。日本のODAのように、日本の企業が潤うために資金を投下し、押し着せの援助を行っているのとは違う。
 資源と食糧が、少なくとも枠だけでも確定しているのであれば、あとは、購入資金と物流ルートを構築すれば良い。それは民間でもできることであるが、中国は統制経済・計画経済であることから、国営の企業がその役目を行うのであろう。そればかりか、その割当枠以外の食糧や燃料を多量に保有する勢いである。
 さて、そのような状況でありながらバブルがはじけるということはない。そもそも、国民の一人あたりの収入が少ないのであるから、個人消費が冷え込むという考え方は成立しない。企業や特権階級、一部の資本家の消費ということになるし、外国の日本からみれば、設備投資ということになる。個人消費という考え方にならないということは、中国が社会主義経済国家であるということにも由来する。よって、計画経済の元に戻るという表現が妥当であろう。
 では、中国はどうしたら変わるのか。今回のオリンピックでどう変わったのか。
 単純に、オリンピックで変わったのは、上記の「火薬庫」の皆さん。虐げられているだけでなく、世界のどこかで自分たちの声に耳を傾ける人がいるという、チベットの独立やウイグルのテロに対する精神的な支援を得たということであろう。これにもし、外国の情報が多く流れたら、民主主義という彼らが思う理想の偶像が具体化したのであれば、そして、その「火薬庫」が文字通り一斉に放棄し、テロではなく内戦などに八停したのであれば、中国は現在の政治体制を維持できなくなるであろう。
 中国の特徴は国家が国家のメンツをかけて経済活動をしていることにある。私が中国にいたころは「副市長という名刺は営業部長と読み変えろ」といわれたほどだ。何をするのでも許可がいる。その許可の主体が営業と投資のあっせんを行うという仕組みだ。副市長でもそうだが、国家といえど同じ。中国人という国民がそうだといってもかまわない。
 逆に、政治体制が崩れれば、一斉に許可事業がなくなる。簡単に許可事業がなくなるというが、資本主義ではなく計画経済である。社会主義経済である。許可がなくてできることは何もない。小売業一つ行うのに40を超える許可が必要なのだ。その許可体制がなくなり、経済が自由化すれば、当然に大混乱が発生する。その混乱は「混沌」とし、下手をすれば国家が分裂(チベットやウイグル、うちモンゴルの各自治区の独立を含め)の危機になる。そうなれば経済どころではなくなる。
 平和がなければ経済活動は成立しない。日本の平和維持活動は、日本の円滑な貿易体制のサポートのために行っている。中国といえど同じ。不満があっても政治体制が安定しているから経済の発展がある。しかし、そのアピールのために行った平和の祭典のオリンピックが、少数民族などの闘争や独立機運、政治体制の改革運動につながる可能性が高いということも考えられるのである。
 1990年に冬季オリンピックが行われたサラエボが良い例であろう。
 そのようになれば、日本の胃袋の一端というか大きな部分を担っている中国が不安になるということは、日本の食糧不要が問題となることであろう。原油だけでなく、中国という世界の食糧供給国が需要国に転じるとき、世界的な食糧危機が、現在の原油高騰よりも大きな規模で起きることになる。そうならないために、内政干渉になるかもしれないが、それら「火薬庫」の問題解決を則する以外に方法はないであろう。
 中国の経済不安をセンセーショナルに語るのは勝手にしろという感じ。もう少し様々なことを勉強しなければならないであろう。ゼネコンがホテルか何かをつくって債権を回収できなくなるなどというのは、自業自得の世界であろう。それよりも、となりの社会主義国の計画経済と、政治体制の変化、そして日本国民の食糧時給という問題を真剣に考え、前もって手を打たなければならないのではないだろうか。
 日本企業が中国との経済関係で年間4兆円を超える数字になっている。直接投資の合計もそれに近い数字だ。これらが有効に活用できるかどうかは、北京五輪のバブルの問題ではなく、中国の政治と経済の仕組みであり、それはチベットやウイグルのテロの問題をみてもわかる通りに、非常に不安定な状況になっている。食糧や各種の生産基地として中国を使っている企業は、そのことを考えなければならないし、その対応策を論じる必要がある。
 北京五輪は、そのこと事態の華々しさと同時に、メンツを立てて様々な内容を偽装してしまったがために、中国という国家の基盤の危なさも演出してしまった。今回は大きな注目をしていないが国内の火薬庫に連動した中国を取り巻く国際関係も目を話せない。日本は、過去の戦争にとらわれることなく、冷静に日本の将来を考えて中国との関係を再構築しなければならない。その前提として、センセーショナルで無責任なエコノミストやマスコミを廃し、しっかりと地に足のついた情報と、その情報から分析される判断をすることが重要である。

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福田第二次内閣 消費者重視は本物か

福田第二時内閣 消費者重視は本物か

 8月1日、福田康夫内閣は内閣改造を行った。17名の大臣のうち13名を替える大手術を行った。
 福田内閣は昨年2007年9月に安倍晋三首相の突然の辞任を受けて、発足した内閣である。福田首相は就任と同時に組閣を行うが、そのときに安倍内閣をほとんど引き継いでいる。変えたのは自民党の役員と官房長官だけといっても過言ではない。
 その内閣で1年間、通常国会と臨時国会を乗り切ったのである。自分の指名した大臣でない閣議で、いわゆるねじれ国会はかなりの苦労であったのではないだろうか。
 福田内閣は、発足当初から徐々に支持率を下げ、最近では20%台の支持率で低迷していた。特に何があったというわけではない。小泉内閣のときに決められた後期高齢者医療制度が始まったことと、ガソリン税やテロ特措法、日銀総裁指名、いずれもねじれ国会が原因でスムーズに決まらなかったことから徐々に下がったといえる。「何もできない」「独自性がない」とは言うものの、参議院の過半数をふしなっているのであるから、二院制を行っている日本の国会では仕方がないことであろう。
 さて、これらの内容と、ささやかれる次の総選挙から、今回の内閣改造が行われたといわれる。
 
 私が注目するのは、内閣の「広報・広告塔」と、財政政策、そして小泉改革路線を継承するかどうかという三点であろう。

 まず、私は福田内閣の最大の支持率の下落要因は、福田首相および閣僚諸氏のコミュニケーション不足であると考えられる。これは閣内が不一致というのではない。内閣や政府と国民のコミュニケーションがうまく成立していないということである。安倍内閣のころから変わらず主張していることだが、国民は「実現しない政治」よりも「わかりにくい政治」を嫌う。何よりも先行きの不明確なことに不安を感じる。年金の破綻や国民健康保険制度の崩壊に対する政府への怒りはそのことを強く表している。民主党やマスコミはその「国民の怒り」に便乗しているものの、やはり方向性を示せていない。正誤は別にして将来を得しているのは政府以外にはないということに自信を持つべきである。そしてそれを強く主張すべきであろう。
 その意味で小泉首相はすばらしかった。小泉内閣がなぜ人気があって、安倍・福田内閣がなぜ人気がないのか。そこに国民とのコミュニケーション・つまり、政治のわかりやすさが大きな要因の一つになっているのではないだろうか。
 その意味で、今回の福田内閣はスポークスマン的なわかりやすい解説をする閣僚が、またも不足している。安倍内閣のころからそうであるが、自民党はわかりやすい、親しみやすいキャラクターの閣僚が不足しているのである。小泉内閣のときは、その人材が豊富に存在した。まず首相自らそうであるし、小泉内閣発足当初は田中真紀子外務大臣が、それ以降は小池百合子環境大臣がその役目を十分に果たしている。
 安倍内閣になってから、そのような人が少なくなった。殊に、安倍内閣での「論考交渉内閣」といわれたなかでは、とてもそのような役割を果たす人が少なくなったといえる。舌禍事件が多くなったのも、そのころからである。柳沢構成労働大臣の産む機械発言などその典型であろう。
 福田内閣といえども代わりがなく、はっきりと、内閣の方向をわかりやすく説明する人がいなくなったということがいえるのではないだろうか。
 安倍首相も福田首相も、会見を開いているが、その内容はわかりにくい。また長い説明をするので誤解を与えやすいし、マスコミに編集されやすいのである。恣意的な報道が増えるのは、利用される側にも原因がある。
 さて、この観点からいえば、町村官房長官はじめ、スポークスマンとして適任者は今回の内閣にもいないのではないか。麻生太郎幹事長は一部で人気があるとしても、あくまでも自民党幹事長でしかない。閣僚ではない。あとマスコミがみているのは野田聖子消費担当大臣と中山恭子拉致担当大臣であるが、双方ともに回りくどい言い方をすることは否めない。個人的には保岡法務大臣や保利政調会長は良いと思うが、今一つ地味であることは否めない。
 スポークスマンがいないということは、「地味である」ということでもある。今後はマスコミを通しての国民へのアピールというよりは、国民とのコミュニケーションが一つの課題となるであろう。消費社長を担当する野田聖子大臣にはそれだけの期待がかかっているといわざるを得ない。

 次に財政政策。日本の財政は完全に破たんしている。経済評論家が「大変なことになる」と注目を集めたいからといってセンセーショナルな言い方をするが、それも一理ある。もちろん、彼ら経済評論家は評論家でしかなく、何もできやしないし、場あたり的な対策しか出てこないであろう。そもそもテレビで吠える前にしっかりした提案書を政府に出すなど、それなりの行動をとるべきである。
 経済評論家の批評は適当にしておいて、日本の財政は、危ない状態にあることは間違いがない。居酒屋タクシーなどをなくしても何とかなる金額ではない。
 この問題に関しては、多くの会社で行っているように、結局は支出の削減と収入の増加である。
 支出の削減は、まず不稼働資産および赤字資産の売却、経費の見直し、そして人件費のカットが中心となる。不稼働資産売却に関しては、徐々に進んでいる。経費の節減に関しては、その過程で様々な事件が出てきている。
 最後に人件費のカットである。公務員の場合、人件費のカットには、通常の会社と異なって、二種類あるといえる。一つは俗にいう人件費のカットである。もう一つは天下り先のカット、要するに行政法人の統廃合ということになる。
 人件費のカットは分類して、給料や賞与の減額と、雇用人数の削減ということになる。このことを小泉内閣は「聖域なき構造改革」といっていた。いままでは族議員といわれる「抵抗勢力」が抵抗し、自治労という組合が大きく立ちはだかっていた。この二つの聖域を無視して効率的に構造改革を行うということである。これにより公務員であった郵便局は民営化され、国家公務員の世襲がなくなったし、道路公団も民営化された。省庁も再編され、独立行政法人もなくなっていったのである。
 一方天下りの禁止については、福田首相はすぐに支持を出したようであるが、渡辺喜美前行革大臣への抵抗をみればなかなか難しいのはわかる。そもそも国家公務員には雇用保険がない。明治以降完全な終身雇用とエリート組織化を進めてしまっただけに、中途でやめるという内容のプログラムが存在しないのが公務員制度である。その補完作業が天下りであるが、OBを受けるようになって、先輩後輩の関係を影響するようになってから、不正の温床になっている。
 第二時福田内閣に、このような根本的な内容を帰ることは不可能であろう。しかし、小沢民主党にも不可能であろう。いずれも国民の人気を気にしており、抜本的な改革を行う話には至っていない。国家百年の計を考え、滅私奉公した大久保利通が作り出した国家公務員制度の壁は、その日その日の生活や、日々の支持率、次の選挙しか見えない国民や政治家たちには不可能であろう。
 結局公務員改革や構造改革は支持率と選挙の動向に左右されて頓挫するであろう。これによって公務員の人件費や天下り先の「リストラ」ができなくなってくる。
 そのようになれば、結局、現在の構造を維持するための財政債権といって、結局増収以外にはない。国家の場合、それは増税ということになる。
 増税論は、そのまま国家公務員改革の失敗と直結しているが、それだけでなく、特別会計などの話も一緒になる。いわゆる道路特別財源などの特別財源の問題である。繰り返しは紙面の無駄なので、結局特定財源問題も官僚と先をみない国民の判断での抵抗によって頓挫する。
 後期高齢者医療制度が問題になった。これは、単純に国民健康保険制度が崩壊していることに単を発している。後期高齢者医療制度そのものの是非は別にして、健康保険制度をどうするかという議論ができていない。その議論がないのに、高齢者医療の話だけが進んでいる。民主党などは、国民健康保険制度の話をせずに、後期高齢者医療制度の廃止法案を提出しているが、では、国民健康保険は崩壊させたままで良いのか、という議論がまったくなされていないのである。その民主党を支持している人は、国民健康保険のない医療制度を期待しているのであろうか、それとも、それを補う財源が別に存在しているのであろうか。
 後期高齢者医療制度一つでも同じ。結局は、ムードと国民的熱狂で物事を決めてしまい、これでは財源や財政債権はできるはずがない。
 福田内閣に、それらを振り切って、「小手先の改革」に終わらない根本的な会買うと財政債権ができるかは非常に難しいところと考える。福田内閣では伊吹財務大臣と与謝野財政大臣のマスコミ受けの良い二人を大臣に据えているが、なかなか国民全体の理解を得るのは難しいであろう。

 最後に小泉改革の継承という点である。小泉改革の継承はそれを行う閣僚ではないと考える。いわゆる「上げ潮派」は入閣していない。マスコミのいうように中川秀直氏の入閣が焦点であったが、福田首相は中川氏も小池百合子氏も使わなかった。
 福田氏の頭の中には、安倍・福田両内閣の苦労は小泉改革の影響と考える向きが大きい。自民党内にもそう言う意見は少なくない。小泉元首相は、改革は行ったが自民党という組織への理解や説明は足りなかったのではないだろうか。いずれにせよ、福田内閣は改革よりも財政と「消費者重視」を考えたようである。と言うよりは、改革と財政再建と国民生活の向上が一致しなかったということであろう。

 ここでみるとわかるように、結局官僚中心の懐古主義的保守が民主党で、改革とのはざまに立たされているのが福田内閣ということになる。
 民主党は保守政党なのか。旧社会党左派はどのような考えを持っているのであろうか。結局は政権という言葉で、すべてイデオロギーを捨ててしまっている民主党が見えてきている。

 自民党にも民主党にも火種があるままの内閣改造。結局国民・消費者目線、または根本的な改革は遠いようである

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