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2008年10月

世界同時株安と近未来世界経済

世界同時株安と近未来世界経済

 アメリカのサブプライムローン問題は、いよいよ世界同時株安、世界的な金融不安に発展した。麻生内閣は、片方で選挙を抱えながら片方で経済政策をしなければならない難しい舵取りを余儀なくされている。
 とりあえずおさらいであるが、サブプライムローンとは、低所得者向け住宅ローンである。低所得低収入者に対して初めは少ない返済額でよい返済計画を持ち込み、ローンを組んで住宅を交わせるというものである。このことは都市部のスラム化を抑止し、安定した生活が犯罪の防止につながったため、瞬く間にアメリカのすべての金融機関が同様のローン制度を行った。
 ローンを行うのに際し、金融機関はその資金が保有純資産で足りなくなる。そうなると、アメリカの場合それら債権を証券化して資金を集めるという方法が始まる。債権の流動化、いわゆるファクタリングが始まるのである。
 当初はこれで何とかなったが、数年後徐々に高くなる返済額が支払えない低所得者が出てくる。当然だ。傾斜配分で初めの返済の間は低所得低収入でも支払えるものであったかもしれないが、収入や所得が増えているのではないから、返済額が増えれば支払い能力がなくなる。
 サブプライムローンの特徴は、徐々に傾斜配分の返済をするのではない。ローン開始後から2ないし3年後に一気に返済額が増える。「傾斜弁済」ではなく「二段階弁済」かもしれない。このことにより、ローンで住宅を購入した低所得者が一斉に破産宣告を行う。今年の春から夏にかけてがもっともそれが集中する時期であったようだ。これにより、春に第一次サブプライム危機が叫ばれた。しかし、その第一次危機は何とかクリアしている。これは、ローンを行った金融機関が証券化によりファクタリングをしていたため、核金融機関、具体的にはローン会社がサブプライムローンのファクタリング証券に関する債務を払える間は猶予期間があったのだ。
 これに対して、アメリカ政府はなにもしなかった。春の時期は民主党内部における大統領候補予備選挙、いわゆるヒラリー・オバマ対決に終始していた。
 政治の不安定化は経済の鈍化を招く。株価は下がり原油などの商品先物相場は一気に高騰したのは記憶に新しい。
 証券市場が冷え切り、政治が安定せず、将来に対して不透明感があがれば、証券会社はその収入の元を失うことになる。収入の元を失うと言うことは、サブプライムファクタリングの弁済原始を失うと言うことだ。9月、この論理によりアメリカの大手証券会社リーマンブラザーズが経営破綻し、バンクオブアメリカが身売りをする事態になった。この手の破綻に対して金融出動をしないFRBが、AIGに対して約9兆円の経済出動と半国営かをする決断をしたのには、さすがに世界的なショックを隠せなかった。このことを契機に、金融不安が発生し、世界的な金融危機が叫ばれるようになった。
 さて、アメリカのこれに対する政策は、かなり後手後手に回っている印象だ。アメリカにはこれら事件に対して、基本的に自己責任であるという感覚が少なくない。政治として、特に大統領選挙を控えた共和党と民主党の両党は、その国民的なコンセンサスを得られるまで大胆な政策を出せなかった。現に、ブッシュ大統領及び共和党が打ち出した経済政策を、議会が否決するという一幕もあった。修正して公的資金投入に関する法案は成立したが、そのことだけで世界経済が好転すると言うことはなかった。
 これら後手後手に回るアメリカの政策は、ある意味でアメリカらしさを出している。当然に日本もこの事態を受けて日本らしい対応をしている。
 さて、経済危機が起きる要因はいくつかある。いずれにせよ、資本主義が資本主義である以上、常に今回のような金融危機が発生する要素をはらんでいると言わざるを得ない。それだから共産主義がよいと言っているのではない。資本主義といえども完全なものではない。そのようなリスクは必ず存在すると言うことだ。 
 では、そのリスクとは何か。当たり前のことであるが、資本主義は金銭で金銭を買う仕組みがあるという事である。有価証券・株式と言った市場は、金銭的価値があるものを金銭で買う仕組みである。外国為替などは、そのものであろう。資本主義経済の場合、国や会社、または証券化された資産や事業の価値などに対して投資を行う。企業はその投資された資本を利用して事業を行う仕組みである。投資をしている一は、事業収益から報酬(配当)を得る。投資は配当という将来の収入の期待権に対して出資される。
 しかし、事業収益やそれに伴う期待感によって有価証券そのものの価値が上下する。その価値・価格の上下の差額により、頻繁に売り買いを行うことによって利ざやを稼ぐことも可能だ。これら「投機的資本家」により市場は乱高下する。元々、純資産などではなく、事業収益に対する期待権が取引の対象である。期待権であるという事は、確定した収益ではなく、未来の不確定に対する投資である。そもそも投資とはそのような意味を持っている。将来の不確定収益に対する金銭の授受は、不確定であるだけに、その内容に不透明な部分が少なくない。当然に不透明な部分全体に疑惑や期待がもてなくなったときに、投資市場は一斉に冷え込むことになる。
 もっとも大きな投資市場の冷え込みは、金融機関の破綻を招くことである。近現代の企業は、多かれ少なかれ、金融機関からの借り入れによって行われている。投資資本だけでは資金的に回らなくなる。金融機関からの借り入れと、資本の提供を併用することによって企業運営がなされる。この金融機関が破綻すると言うことは、当該金融機関の放漫経営などをのぞき、金融システム全体の不信感が発生する。この不信感は、そのまま借り入れを行っているすべての企業の経営不安につながる。また、金融機関が新たな投資や貸付を行うだけの資金的な余裕がなくなる。このことにより、新規の事業展開や事業計画の行き詰まりが発生し、企業倒産が相次ぐ結果になる。
 企業倒産が相次ぐと、雇用関係の維持ができなくなる。消費者一人一人の消費マインドが低くなる。可処分所得のほとんどが将来のための貯蓄に回ると言うことになる。金融機関が信用できないのであるから、俗に言う「タンス預金」が増える。消費マインドの冷え込みは、資金の流動化を止めてしまうことになり、全体の需給バランスが崩れることになる。このタンス預金の増加は、金融機関の資金不足の一因となり、また消費マインドの冷え込みは、製造業や流通業の全産業の商品流通の現象、景気の減速を意味する。
 いわゆる負のスパイラルが発生するのである。
 さて、資本主義と金融市場に関して、語弊や細かいところでの誤解や理解不足をおそれずにおさらいをしてみた。
 今回の世界同時株安は、アメリカ中心と言うよりは、グローバル化した経済・金融市場において、同時に発生したと言える。情報化社会において、情報が世界各国にすぐに伝わることにより、同時株安が発生する。しかし、逆にすぐに全世界には制したために、思惑や古代表現なくアメリカ証券会社の破綻が伝わったために、すぐに対処が可能だったこと、同様が少なかったことによって、強行に発展しなかった事が不幸中の幸いである。
 
 さて、11月には世界金融サミットも開かれる。政治が自由主義・資本主義経済でできることは限られている。相変わらず与党をののしることしか知らない野党各党は、経済政策の破綻とか、自民党政治が不景気を作り出したという妄言を吐いているが、アメリカのサブプライムローンを出所とした世界同時株安を予見し、防ぐことができる政府などはないであろう。世界経済が共産主義経済・統制経済でなければそのようなことは不可能である。野党各党は資本主義経済を否定するのであろうか、それとも自由主義経済においてその資本の流れを政府の力で、それも日本政府がアメリカの金融市場の中に割って入って金融危機を防止できる妙案でもあるのであろうか。
 そのような妄言と、妄言に左右される資本主義経済を理解できない「おバカ」は放置しておいて、金融サミットを行ったとして、なにが友好手段かは確定しないであろう。抽象的に金融システムの構築に対して、協調外交を行うと言うことが宣言されるのが関の山である。 
 しかし、そのように悲観してもいられない。なにか手を打たねばならない。ではどのような手を打ったらよいか。景気対策を行うためにはどうしたらよいのか。
 私は経済の専門家ではない。しかし、わかることは一つある。原因を取り除けば結果がでると言うことだ。病原菌がなくなれば病気はなくなる。同じように、金融市場でも負のスパイラルを断ち切るには、負のスパイラルの要因を解消する以外にはない。要するに、金融不安をなくすか、雇用を安定させ、消費を冷めさせないようにするのか、製造業の設備や不良在庫などを流通させるのか。日本に限らず、政府は最も簡単で相手が限定される金融機関への融資や投資により、金融不安の解消を行うことになる。
 しかし、その場合、金融機関が損失の穴埋めを行うにすぎず、結局負のスパイラルを断ち切るには至らない。日本のバブル崩壊の影響が長期にわたったことを見ても、それでは足りないことがよくわかる。とはいえ、雇用対策などを行っても国民一人一人がそれに応じるとは限らない。しかし、金融機関など限定的な投融資ではなく、広く国民に景気対策を広めなければ、結局のところ政治としては票が集まらない。
 さて、歴史的に強硬や世界同時の不景気が発生するときのもう一つの共通点は、「ものが売れなくなる」ということである。ものが売れなくなるのは、欲しい物がないからである。どんなに景気が悪くても、高度経済成長期にテレビ・洗濯機・冷蔵庫の俗に言う三種の神器は売れていた。これは、これら商品が市場、家庭になかったからだ。100年前の世界恐慌も今回も、企業側の新商品、三種の神器のように全く家庭にない新機能という商品がない。だいたい、今までの商品で満足できてしまう。売れる商品がないのに、消費マインドがあがることはない。
 政府は、これら商品開発に関して何らかの手を打つことはない。本来であれば、便利、または今で言うならばエコで環境によい、それでいて便利さを失わない生活を提案しなければならないであろう。そして、そのために必要な投資に対する減税措置などが考えられる。
 何度も言うが、経済の停滞、株安の責任を政治に押しつけるのはナンセンスである。日本は統制経済でもなければアメリカ経済に大きな影響を及ぼすことのできる権利もない。
 ただ、政府は国の進むべき方向や将来像を国民や世界各国に示すことができ、そのために必要な予算を配布することができる。これによって、金融危機などに関して危機を回避することができる。金融危機や景気対策だけでなく、産業の構造の変更や環境に関する内容など、予算の使い道は様々であろう。
 要するに、政府は金融危機に際し、緊急の経済政策を行うことによって、スパイラルを断ち切るという事をしながら、明確に将来の国家のあるべき姿を国民に打ち出し、その姿において景気回復をはかるべきである。株価が期待権や将来の配当を意図している事から考えれば「将来の不安」「近未来経済の不透明感」があることはもっとも問題であると言える。将来ビジョンが、たとえ些末なところで違ったとしても、大筋で方向性が見えれば、不安感は解消する。またどのような将来ビジョンであっても、現在の下がり基調以上に下がることはあり得ない。
 ついでと言っては問題かもしれないが、将来のビジョンに新経済の枠組みを入れればよい。環境産業など、今の日本・地球に必要な事は政治経済の枠を越えてたくさんあるのではないだろうか。
 日本では今、解散総選挙を巡り様々なやりとりがある。しかし、世界的な経済問題がこれまで深刻なときに、そのような一国の政局論を展開している場合ではない。また、政局論を行うのであれば、解散という現象で争ったり、人気取りを行うのではなく、将来の日本のビジョンと、そのビジョンに到達するまでの道筋(政策)で勝負をすべきである。「解散を約束しなければ審議に応じない」などと一つの現象を元に政治を私物化したり、政治が世界経済を悪くしたなどという妄言を吐いて誹謗中傷をする低俗な政治は辞めて欲しい。ましてや、その低俗な政治を賛美するようなマスコミ報道は慎むべきであろう。とはいえ、与党も将来の日本のビジョンを明確に示し、金融や産業・経済全般の将来に対する不透明感を払拭するに至っていない。今までの自民党の実績で、国民がそれらの言を信じなくなってしまっているし、また過去を捨てて信用させられるだけの説得力もなくなってきているのは事実だ。
 与野党とも、今が将来の日本のビジョンを示す格好のチャンスであろう。直近の政局論を行う愚を繰り返し、国民や国際的経済人の評価を下げないで貰いたい。グローバル社会の中で、日本国内と言うよりは国会の中だけの話で盛り上がるのはいかがなものか。日本が世界から取り残される日が近く感じてしまう。
 11月中旬に金融サミットがアメリカで行われる。日本はこのサミットで唯一信用があり、世界で数少ない通貨価値が上がった国として、リーダーシップを発揮し、世界経済や世界金融の将来のビジョンを示すことができればよいのではないだろうか。
 冒頭・麻生政権はもっとも難しい舵取りを任されていると書いたが、ピンチであるが故に大きなチャンスなのではないだろうか。このチャンスをつかめるか否か、麻生政権の大きな岐路の一つになることは間違いがないであろう。

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マルチ商法議連と前田雄吉議員離党の民主党

マルチ商法議連と前田雄吉議員離党の民主党

 10月15日、民主党愛知6区、比例当選の衆議院議員、前田雄吉氏が、民主党を離党した。異例の夜12時、小沢一郎代表が、離党と公認返上、そして次の衆議院選挙の不出場を発表した。
 事の発端は、2003年9月に、日本流通ネットワークビジネス政治連盟(略称NPU)が発足し、それまでの社団法人訪問販売協会とはことなる政治連盟ができたことから始まる。暮れに、石井一衆議院議員(当時、現在民主党参議院議員)が政治家で初めてこ政治連盟に参加し、そのご多くの民主党議員が参加した。
 その中で、石井一議員が紹介で議連に参加した前田雄吉議員がネットワークビジネスの書籍を出版(2007年)した。それ以前にも2005年などはネットワークビジネスに関する国会質問などを行い、ネットワークビジネス企業から多くの献金を得た。
 今回そのことが週刊新潮(10月16日号)および朝日新聞(10月13日発売)で記載され、大きな話題になった。時、あたかも解散予定稿が宙ぶらりんになった新聞雑誌各社は、すべてがこの話題に飛びつき、瞬く間に大きくなった。この事態の収拾を図る民主党は、永田寿康前集議員議員(ガセネタメール事件の主役)と同じように、いわゆる、「トカゲのしっぽ切り」で前田議員を離党させた。

 さて、この件に関し、もっとも詳しいのが私かもしれない。

 そもそもネットワークのコミッション計算の計算センターをしている内山公太郎氏(現NPU副理事長)から頼まれて、その組織を作り、その関係会社の顧問をしながら、もっとも近い位置の外野席で、見物させて貰っている。
 いきさつは、元々内山の弟の友人から節税対策の依頼を受け、政治団体の設立となる。政治団体は無税であるために、そこへ寄付を行いその経費を使うというタイプのものだ。
 設立後、用済みとして、内山氏との縁が切れた。
 その後私の個人の顧問先企業がNPUに参加することを持って再び関わるようになったが、その間、石井一が議連の会長になって精力的に活動していた。石井一の紹介で若手の議員としてきたのが前田雄吉である。

 さて、今回の事件。
 ポイントは、民主党内において「マルチビジネス撲滅」といいながら「ネットワークビジネス議員連盟」に参画し、献金を貰っていたという、民主党の公約不一致と言うこと。
 次に献金を受けた企業の為に国会質問を左右したかどうかと言うこと。これは、贈収賄や政治倫理綱領に抵触する可能性がある。
 第三に、業務停止命令を受けた会社からの献金と、献金を受けていたのに収支報告書記載がないという事態。
 第四に、小沢民主の今回の対処方法、つまり前田議員の公認取り消しと次回不出馬という処理が適切であったかどうかについてである。

 まず、民主党の公約不一致。これについては、政治家はお得意のことだ。今更様々言うことではない。しかし、この不一致は有権者全体というよりは、その支持者に非常に不信感を持たせることになる。
 たとえば、ネットワークビジネスに携わっている人に関し、片方で「応援します」と言いながら、片方で「撲滅する」という。特にネットワークビジネスなど社会的に迫害を受けていたり偏見を持って見られたりする人や集団は、政治家など社会的にステータスのある人から「応援する」「理解する」といわれると非常に強く支持をすることになる。しかし、何かあったと金急にそれを手のひらを返すようにしてしまえば、「裏切られた」という感覚が非常に強くなる。その反発はかなり大きなものになる。
 安易に「資金」「票」を得るために政策や公約を不一致にさせることは、多くの人を不幸にする。同じようなケースに、民主党では「アイヌ民族」「山口組」「在日外国人(韓国)」などがすでに報道されている。民主党はこれら報道が真実として、政権を獲ったのちに彼らを擁護する法律を作るのであろうか。そのことを民主党ははっきりさせなければならない。「陰で」「裏で」などということをやってよいことではない。ことに、在日外国人の選挙権ということになれば、憲法の問題になる。民主党は、安易に憲法の問題を口にしており、さも自分たちが初めて主張したようなことを言っているが、在日外国人の政治活動に関しては、昭和30年代にすでに多くの判例が出ており最高裁判所で、争われている。
 民主党の憲法に関連する政策論は、すでに三権分立の立法府の代議士として発言して良い政策なのかどうかよく審議しなければならない。当然に、自民党もそのことを指摘できないという弱点があるのではないだろうか。
 さて、憲法改正の話はおいて、話を元に戻すことにしよう。
 さて、では民主党はなぜこのような公約違反を犯すのであろうか。簡単である。「民主党には支持団体が少ない」ということである。民主党はもともと「自民党タカ派」と「社会党(旧日本社会党)左派」の集まりである。このことは、すでに何度も触れている通りだ。しかし、この文書でそれを触れているのは、政策論のところである。当然に、この政策の不一致は、民主党という政党を取り巻く様々な「環境」にも影響する。もともとの日本社会党の支持団体である労働組合、いわゆる「連合」は「反自民党」ということでよいかも知れない。しかし、それ以外の団体は、多くほかの団体にも参加している。民主党は、当初後援会組織をサポーターとして当時流行していたJリーグと同じような人気取りの呼称を使用していたが、そのような個人浮動票頼みの選挙対策が普段の政治資金まで圧迫する。結局のところ、代議士個人が、その代議士を支持する企業数社によって成立するということになってしまう。前原前代表と京都の大手メーカーとの話など、かなり有名な企業と代議士の関係は少なくない。この文書でも話題になっているが、岡田克也元代表とその一族が経営している小売業との関係も、訴訟になりながらも、真相は別にして、有名になっていることに間違いはない。
 結局、そのような少ない企業の後援を得てしまうと、業界全体ではなく企業という個体の利得とつながっているといわれてしまうことが少なくない。
 そのようなときに、迫害され、社会的に認知されていない業態は、自民党のようなしっかりとした講演会団体ができた所よりも垣根が低く見えるのは間違いない事実であろう。同時に、需要と供給が一致してしまうのもそうだ。現在の自民党中心政権、つまり55年体制であるから、自分たちが迫害。社会的な認知が少ないと考えてしまう場合もある。その場合、必然的に、野党側の指示単体のほうが入りやすいのは事実である。
 今回の「ネットワークビジネスの政治連盟」もそのような感覚で参加した人も少なくないと考えられる。そのような頼みの綱を、選挙のために切ってしまうのでは、「たんに利用された」と思われても仕方がない状況になってしまうのではないだろうか。
 ここまでのことは「ネットワークビジネス」そのものの是非と関係なく、民主党のとっている態度と公約における矛盾ということで、純粋に政治に関することとして理解していただきたい。
 
 次に「献金を受けた企業の為に国会質問を左右したかどうかと言うこと。これは、贈収賄や政治倫理綱領に抵触する可能性がある。」という論点である。
 これも、マスコミなどから考えて、自民党であれば「業界の指示を受けているのに、一企業のために国会質問を左右する」ということに関して、どのように考えるのか、ということになるが、民主党の場合は、支持企業が少ないということから、当然に一社からの理論が業界全体と誤解してしまう場合がある。前田議員は、「マルチ業界に有利な質問をした」と言われているが、まだ「業界に有利な質問」であるからよいのではないだろうか。一企業ではないというところがまだよいと思われる。問題は、前田議員の質問が業界の健全化になっているのか、単に政府批判になっているのかということである。つまり、まず「業界が健全化することによって国家国民にとって良いことがある」ということと、「その迫害などの事実が、政府による迫害である」という形の融合が取れていないということになり、単に迫害を受けた業界の恨み節にしかなっていないところが最大の問題であると思う。
 「良いマルチもあるし悪いマルチもある」と前田議員は発言しているが、「良いマルチと悪いマルチ」の定義はされていない。定義がはっきりしていないで、なぜ国会で追及できるのであろうか。
 民主党の場合そのようなことが少なくない。定義や根拠がはっきりしていない質問が少なくない。これは、代議士または秘書があまりにも勉強不足であるということを言わざるを得ないであろう。
 民主党はどうしても政局論が多い。まず業界の健全化ではなく、政権交代ありきである。17日の国会さん議員の質問で、今回も話題になっている石井一議員の質問がまさにそのことを表している。
「首相、景気回復のために解散しなさい」
 何を言っているのであろうか。三権分立という単語があって、その行政と立法が議院内閣制という制度の中で渾然一体として理解してしまっているということはよくあることである。しかし、石井議員は、経済と政治が一体化であるという不思議な理論をしているのである。解散総選挙をすることは、それだけ政治的な空白を作ることである。国民の信を得ていない内閣ということもあるが、議院内閣制という憲法の規定をしっかりと認識し、大統領制であるかのごとことを言うべきではない。当然に経済は、日本では自由主義資本主義経済である。共産主義経済でも統制経済でもない。政権が代わって経済が変わるということを考えるのは、銀行、金融政策を変更するか、公的資金をばらまくかいずれかしか存在しない。
 民主党は、とにかく与党を批判できればよいという考えだ。政局論以外の何物でもない。そうでないと反論するのであれば、解散総選挙と景気回復の論理を説明すればよい。政権が代われば、いわゆる「ばらまき」をするという公約なのであろうか。
 経済政策に関して少し言えば、金急に必要なことは、「将来の日本の姿の提示」であり、税金を使った公的資金のばらまきでもなければ、減税でもない。いずれもうれしい話であるが、そのことで一瞬は何とかなるが、中長期的な景気回復はありえない。構造の改革と将来の日本像が示されれば、そのことについて将来に対する不安がない。良きにつけ悪しきにつけ将来に対する予見ができるという体制があればそれに対する結果が出てくる。その結果を見て、修正することが可能であろう。
 経済と金融、特に相場に関して最も危険なものは「漠然とした不安」である。政治において漠然とした不安は「ねじれ国会の解消」であるかもしれないが、解散総選挙をしたことがすぐに「ねじれ国会の解消」つまり、民主党政権の実現になるとは限らない。それよりは、大連立を含めた政治の安定化が最も重要であり、解散を求めることはよい策とは考えられない。
 さて、業界の擁護に関する国会の質問はあったのか。いずれにせよ疑われるような質問をするということは、秘書や民主党の勉強不足といわざるを得ない。そのことは、民主党の中が政局論を優先しているということと、民主党が党を挙げて本気で業界を支援していないということを意味している。それなのに民主党として支持を受けているということは、単に集金団体として「利用していた」ことに他ならないのではないか。
 逆に、そのことを考えてしまえば、前田議員は献金をも洗った人のため身一生懸命に政治活動をしていたのかもしれない。発言内容などは別にして最も献金してくれた人にやさしい議員であったかもしれない。

 次に業務停止命令を受けた会社からの献金と、献金を受けていたのに収支報告書記載がないという事態である。このことは、特にくどくど書く必要がない。与野党ともに存在することである。
 よく言えるのは献金が先なのか、業務停止命令などの犯罪行為が先なのかということであろう。いずれにせよ、議員は、もらった献金は「金銭」という意味はあるが、札に名前が書いてあるわけでもないので、そこまで個別企業のことを気にしていないということであろう。献金を少ししているぐらいで、議員とつながっているかのごとき発言をする人もいるが、基本的には、お互いに利用しあっている関係であることに他ならないのではないだろうか。

 最後に「小沢民主の今回の対処方法、つまり前田議員の公認取り消しと次回不出馬という処理が適切であったかどうかについて」である。
 前田議員単独ならばそれでよいであろう。しかし、今回のことは議員連盟まで作って行ったことである。それもここにあげたような問題点でなく「マルチという業界全体」の迫害につながっている。そのようにしてしまったのは民主党である。野田聖子議員のパーティー券購入に関して責めるというような行為をしてしまえば、自分たちが議員連盟として行っていた内容が帰ってクローズアップされる。単に「前田議員が擁護質問と業務停止命令を受けた企業から献金を受けていた」ということで前田議員を単独で処分すればよいが、96年という12年前の野田聖子の献金を攻めれば、直近で行っている山岡賢次議員や石井一議員などの議員の献金も非難される行為として認識されなければならない。つまり「なぜ前田議員だけを処分したのか」ということになる。
 政治家はその行動や処分に関しては、その議員を支持している何万人もの有権者がいるということから、理論的なことを行わなければならない。
 民主党は、山岡議員や石井議員に被害を及ぼさないように16日未明、我々新聞syか粗見れば、その日の朝刊に小さくしか扱えないような時間帯を選んで、記者会見をしたとしか思えない実に姑息な手段で幕引きを図った。このことが、かえってマスコミ各社の疑心暗鬼を招き、そして、山岡議員や石井議員の名前をクローズアップされることになる。それでも野田大臣のことがなければなんともなかったかもしれないが、12年も前の献金も非難されるのであれば、直前まで献金を得ていた山岡議員などは、より大きな責任と非難を浴びる立場になる。
 要するに「なぜ前田議員だけを処分したのか」ということが不明である。ただ単に「政局論を優先していわゆるトカゲのしっぽ切りをした」ということになってしまうであろう。マスコミ慣れしていない、責められるのに弱い小沢民主党の性格をもろにあらわしたエピソードであろう。
 このままでは前田議員は「無駄死に」であろう。本人がそれで納得ならば良いですが。指示していた人はそれで何得するのでしょうか。前田議員はどのように謝罪し、民主党はどのように言い逃れをするのでしょうか。この辺は自民党のほうが対応に慣れているといわざるを得ない。

 さて、このようにかんがえれば、民主党は当初からかかわり方を間違え、そのことの対処に対してかなりつじつまの合わない、政局と国民の人気を優先した一貫性のない対応したということがわかる。そうでないならば、野田大臣の辞任を求めたら、石井、山岡など献金を得た議員すべてを辞任にすればよい。小沢一郎代表も例外ではない場合もありうる。

 今回の事件は、その事件そのものというよりは、このような事件に接した野党民主党の対応ということがかなり興味深くクローズアップされた。この政党を本当に政権担当能力がある政党として認識できるのか、もう一度よく考えるべきではないだろうか

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臨時国会開催・麻生異例の所信表明と民主党の対応

臨時国会開催・麻生異例の所信表明と民主党の対応

 9月29日。臨時国会が実質的に開催された。与野党とも、確定はしていないものの近日中に迫った解散総選挙を意識しての国会の開催である。
 9月1日に福田内閣が総辞職を表明。9月22日まで、麻生太郎・石原伸晃・石破茂・小池百合子・与謝野馨の5人の候補によって自民党総裁選が争われた。全国的18カ所で遊説を行い、総裁選による自民党支持の気運を盛り上げるという意味もあって激論を交わした。実際のところ、自民党が期待したほどの盛り上がりには欠けたが、無投票で代表選挙を集結した民主党よりは印象が良かったという事も事実であろう。
 同じ時期に無投票で代表を決めた政党が、民主党と公明党。公明党は、強力な支持母体である創価学会の指示により、太田昭宏代表が継続で代表となった。支持母体あっての公明党であり、政党として代表選挙を行うと言うよりは、支持母体の指名によるところが大きく、政党としての独立性の確保が課題になるところである。
 一方民主党は、初夏の段階から代表選挙に関する噂が取りざたされた。私のブログ・メルマガでもおなじみの岡田克也・枝野幸雄などマスコミの間で代表戦立候補の噂が出た代議士の名前は少なくない。毎回出てくる河村たけしも今回噂が出た。実際に報道し立候補表明しながら断念の会見を行ったのは野田佳彦である。民主党内からは、この時期に選挙を行わずに総選挙に備えるべき、と言う意見と、開かれた政党として政策議論を行うべきとする二つの意見が渦巻いた。しかし、結局野田氏の立候補に関しても、推薦人が集まらないという事情により、民主党内一部で出ていた開かれた政策論争と言うことも実現できないでいる。
 実際、9月21日に行われた小沢一郎三選の「所信表明演説」では、内容に矛盾が生じることになっている。自民党やマスコミが言っている改革での財源論もそうであるが、それ以上に国家公務員改革と国家公務員法の改正、それに伴う憲法改正にかんして言及がされていない。日本人と言うよりはマスコミと野党各党は、憲法改正というと、9条の改正と考えているが、昭和21年11月3日に制定された憲法は103条の条文で成立しているものであり、三権分立の精神がしっかりと記載されている。国会における国家公務員改革そのものに関して、三権分立の考え方とどのように調和するのか。その上で公務員の労働組合である自治労の支持を取り付けている民主党が、どのように改革をするつもりなのであろうか。
 小沢民主党は、政権ダッシュをねらうのであれば、それらの党内の矛盾をなくし、具体的な政策を国民に示すべきであろう。国家公務員改革に関しては9月26日の夕刊紙に「ダメな役人に責任をとらせろ」と小沢氏はインタビューに答えているが、現在の法律上それが可能なのか。今から法律改正をして過去の公務員の怠慢を清算することが可能なのか。抽象的に国民に受け入れられそうな発言と人気取りで、具体的な法律を蒸しした発言を行うのは、独裁者であっても法治国家の代表には向かないのではないか。
 同じ事が民主党内部でも大きく存在する。自衛隊に関する考え方も、小沢氏はISAFの参加を呼びかけ、国連指揮下における日本人の武力行使も認めるべきとしている。専守防衛を国是としている国民に、国連という連合体の指揮下において武力行使を城というのである。一方で自衛隊は違憲、集団的自衛権も認めないとした違憲も存在する。政党民主党としては、開かれた議論でこれらを党の統一した意思表示とすべきではないだろうか。在日外国人の参政権の問題など、他にも議論はつきない。
 これらを包含し、それでも「反自民」というスローガンだけで、政権交代だけを言っている。無投票三選は、私個人的には、これら意見の対立が根深く、党としての統一性や政権奪取後の政策を示すことができないので、代表選挙を「行えなかった」と見るのがふつうであろう。
 このような党内対立は自民党にも存在していたのかもしれない。この国会を前にして小泉純一郎元首相が次回総選挙での引退と息子進次郎氏への地盤の譲渡を発表した。元々5候補の総裁選において、俗に上げ潮派と言われる改革勢力を代表した小池百合子議員とそれを支持するとされる中川秀直の動きが注目された。総裁選投票を行う前は、それなりに気勢を上げていたが、地方票が全くとれなかった現実から、その勢いは見えなくなっている。自民党内における構造改革勢力は、党内対立の火種として残ると考えf羅れる。しかし、当該上げ潮派は、構造改革を声高に言っているが、民主党と同じで「構造改革後のビジョン」を具体的に示すことができていない。小泉純一郎が総裁選挙で「自民党をぶっ壊す」と言った時代は、ある程度構造が確定しており、若干組織疲労が官僚組織にも自民党にも起きている状態であった。その組織疲労の打破には「ぶっ壊す」でかまわないが、構造改革がある程度進んだ後は、「ぶっ壊した後の世界観」を示さなければならない。国民を長期間「構造改革というなの不安定な状態」においたことの責任は大きく、そのための自民党内閣支持率の低下は著しいものがある。明確なビジョンを示すことができない、または示してもそこに持って行くためのリーダーシップがないということでは、支持率が低迷しても当たり前なのかもしれない。
 ただ、自民党の場合、総裁選挙という公の形で、これらの問題点を浮き彫りにした。単なるお祭り騒ぎではなく、自民党または麻生内閣の目指す方向は明らかになり、それを得票数67%という圧倒的多数で自民党が指示したと言うことは、誰の目から見ても明らかであろう。これに対して密室での数の論理(推薦人が集まらない)という状況での代表三選は、鳩山幹事長がいかに自民党や与党の批判をしても、民主党または小沢体制への不信感として国民に残るものである。この体制は、民主党政権になっても同じように政権運営されるという不安感につながるのではないだろうか。
 今回の所信表明演説は、そのことが如実に現れている。麻生首相による民主党への質問と言う形になった国会の所信表明。これは、すでに総裁選挙で所信表明を国民が知っているという前提であろう。それだけでなく、総選挙をしても「ねじれ国会」は変わらないために、そのための布石とも考えられる。一方小沢民主党は、質問に答えることなく自分の主張を行うと言う方法になる。これは、与野党が逆転したとか、選挙対策というのではなく、民主党の国会運営の姿勢で、対話を行わない体質を表しているともとれる方策である。
 現行憲法の規定によれば、衆参両院の決議が異なるとき、政策・法案に関しての対処方法が明記されていない。昭和21年には現在のような「ねじれ国会」は想定されていなかったのである。そうなれば、決議が異なるときは、法案が成立しない状況が発生する。つまり政府を任される衆議院与党に対し、参議院与党は拒否権を持つのと同じである。ましてや、今日のように政局第一で反対を行うのであれば、国としてなにも決まらない状況になるのである。今日の金融危機などに対して、国会の中の多数は工作のためになにも決まらない状況になる。これは国民・国家・国益に反する行為である。
 では、民主党の政策に同調すればよいかもしれない。しかし、それは財源や、一つの政策による他の政策への影響を考慮すれば、安易に行えるものではない。たとえば、ガソリン税を廃止すると言う、今年はじめの政策を遂行すれば、道路の補修や山間部への道路ができなくなる。災害時の避難路ができないという状況は、新潟地震の山古志村の悲劇の繰り返しを誘うものだ。何も考えないで、矛盾する行動や発言と無責任な政府批判をしていることを是とするのでは、新しい政策は生まれない。
 政治家たちは、これらに対してしっかりとした認識を持たなければならないであろう。本件に関し、最も良いことは、国民にいかに将来の日本の姿を示すことができるか。そしてその中には希望的観測やばら色に装飾されたものではなく、しっかりと現実的な、内容の将来を示すことができるかが問題となる。政策などというものではなく、トータルで、経済も社会も文化も、すべてを政治という土俵から予見しそして将来の姿を悲観的であっても示し、それをいかに良いものにするかを示すこと。そしてそのために「今しなければならないことはなにか」を示すことが最も重要である。
 その意味では、少々麻生総理も野党一党の民主党小沢氏も足りないのではないだろうか。もちろん、足りない部分は違う。ただ「選挙」と言って、わけもわからず、国民に将来の姿も示せない民主党はどうしても物足りなさを感じるのは、私だけだろうか。
 解散総選挙に関する内容もいまだに不明である。これに関しても「経済政策優先」と言っている麻生総理に対し、それまで「政治に空白を作った」と言っていた民主党が一斉に解散という大きな政治空白を要求しているのは矛盾ではないのであろうか。だれもそのことを指摘しないのはどうしてなのか、誰かに説明を受けたいものである。

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