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2008年12月

年末恒例今年の10大ニュース2008

年末恒例今年の10大ニュース2008

 平成20年、西暦2008年も残すところ後数日となった。大晦日と正月元旦となにが違うのか、と言われても、観念的な暦の違い以外特になにも変わらない。普通通りに陽は昇るし、風も吹く。古来、暦が変わるとは大変なことであった。太陽の神である天照大神命の子孫であり、収穫と暦を司る「現人神」である天皇陛下が、暦を変えることによって新たな収穫が始まるのである。日本は農業国家であり、その農業も基本は稲作である。その稲作は1年で種から収穫がありそこでリセットされて新たな種籾からの栽培がはじまることになっている。現代は、工場生産であり、365日いつでも何でもできるが、やはり農耕民族の性格と勤勉さが、特別な休暇と観念的な「ハレ」の日をほしがっているものである。
 さて、そんな状況はともかく、今年もおわろうとしている。そこで、毎年恒例の10大ニュースを見てみたい。毎年であるが、著作権などに抵触する恐れもあるが、読売新聞社の10大ニュースをこのまま引用する。
1  中国製ギョーザで中毒、中国産食品のトラブル相次ぐ 
2  福田首相が突然の退陣表明、後継は麻生首相 
3  ノーベル物理学賞に南部、小林、益川氏、化学賞には下村氏 
4  北京五輪で日本は「金」9個、競泳・北島選手ら連覇 
5  東京・秋葉原で無差別7人殺害 
6  後期高齢者医療制度スタート、保険料の年金天引きなどに批判 
7  元厚生次官宅襲撃事件で3人死傷、出頭の無職男を逮捕 
8  東京株、バブル後最安値を記録 
9  岩手・宮城で震度6強、13人死亡 
10  洞爺湖サミット、温室効果ガス排出量半減の長期目標 
11  「事故米」の食用転売判明、太田農相ら引責辞任 
12  房総沖でイージス艦と漁船衝突 
13 ガソリン税暫定税率が失効、値下げ始まるも再可決で復活 
14  大分県教委汚職で小学校長ら逮捕、県教委教育審議監も 
15  大相撲の若ノ鵬を大麻所持で逮捕、吸引陽性のロシア人兄弟力士解雇、北の湖理事長引責辞任 
16  「ロス疑惑」で三浦元社長逮捕、ロス市警拘置施設で自殺 
17  「ゲリラ豪雨」の河川増水で小学生ら5人死亡、被害相次ぐ 
18  中国産ウナギなどで産地偽装相次ぐ 
19  大阪の個室ビデオ店で放火、16人死亡 
20  緊急搬送の妊婦死亡、8病院受け入れ拒否 

 上記のうち、政治関連が5件なのに対して、事件事故が8件。ニュースというのは、もともと日常と異なるハプニングを伝えるものであり、その「ハプニング」とは、人生の中で悪い子との方が多い。そんなことをわかっているつもりでも、いざこのような形になってみてみると、年末に暗い話題が多いと感じてしまう。
 事件事故の中でも、あまりよくわからないものが少なくない。秋葉原の無差別殺傷事件と、厚生労働省もと事務次官殺傷事件、個室ビデオ店放火事件などは、やはり、このように改めてみてみると、社会そのものが病んでいるようにしか見えない。また、その社会をただすべき、教育の現場で不正が行われ、結局誰のための教育かわからなくなってきてしまっている。この社会の荒みは、食の安全という生活の根本的な部分をも蝕むことになり、その責任を負って大臣が辞任するようになってきている。
 このように見てみると、結局のところ、官僚も教育も、社会も食も、全てが不安になってしまい、政治不信や政府不信につながってしまっていることがわかる。政府がいくら良い政策を打ち出しても、結局のところ、それを実行する官僚・公務員と、それを受け入れる社会が荒廃していれば、実効性も・効果も少なくなってしまう。またその意味を分からせる教育ができていなければ、結局のところ、なに網膜は行かないということになってしまうのではないだろうか。
 小泉改革以来、このように考える人は少なくなかった。国家公務員改革などを断行すべく、政府はその路線を進んできた。公務員制度と族議員の関係を壊し、道路公団や郵便局を民営化し、その株式の売却益と配当の収入を得ることがぇきるような仕組みは整えた。しかし、安倍内閣・福田内閣・そして麻生内閣において、やはり私が何度も言っているように、これらを壊し、改革を進めた後の日本の姿が示されていない。もちろん、野党各党は政局、と言うよりは政策をまとめる力がないので、政府を非難しているばかりで、何の解決にもならない。しっかりとした政策論の争いではなく、霞ヶ関が作った政策を、実行するか非難するかという違いで、政治不信が募っている。昨今のアンケートでは、自民の支持率急落であるが、民主の支持率があがっているわけではない。完全に政治不信が募っているだけであることがこれら数字に表れている。自民側は「重く受け止める」としているが、民主党側も、与党の支持率低下が民主党支持につながらないことについて、しっかりと受け止めるべきであろう。
 さて、そのような政治不信は、経済成長にも影を落とす。ガソリン税の混乱もあった。ガソリンスタンド前の長蛇の列は記憶に新しいが、それがあっても、この年末にガソリンがリッターああ足り100円を割る店が急増している。政治不信は株価の急落も招く。株価などは、将来の安定成長に従った長期の安定投資がその基本になるのに対し、一部の投機的な投資家と、政治不信による将来の不透明が、結局株価最安値の更新という不祥事を起こしている。
 こじつけかもしれないが、政治不信と戦後政治の問題点が多く明るみにでた一年といえる。多くのマスコミでは、これを「自民党政治の終焉」と言っているが、民主党の多くの幹部は基本的に元自民党のもっとも自民党らしさを持った人々であったことを忘れてはならない。
 この戦後政治の「膿」を出したのは日本だけでない。アメリカも同じである。
1  米大統領選でオバマ氏勝利、米史上初の黒人大統領誕生へ 
2  中国・四川大地震発生、被災者1000万人超の未曽有の大災害 
3  米証券大手リーマンが破綻(はたん)、米国発の金融危機が世界に波及 
4  北京で五輪開催 
5  NY原油、最高値147.27ドルを記録 
6  ミャンマーでサイクロン被害、死者・行方不明者13万人超す 
7  インドの商都ムンバイで同時テロ、邦人1人含む163人死亡 
8  チベットで大規模暴動 
9  北京五輪の聖火リレー、世界各地で混乱 
10  インドネシアで鳥インフルエンザの死者100人超す 

 これが、海外のニュースのベストテンである。項目だけで判断すれば別であるが、市場経済への疑問と、戦後のアメリカ中心の枠組みや中国の国内の矛盾が明るみにでた。その場に応じて、大統領選挙というイベントと北京五輪と言うイベントで乗り切ったものの、やはり経済危機はどこも変わらない。中国も五輪バブル崩壊があったし、アメリカに関しては言わなくても良いくらいである。
 日本だけでなく、世界的な構造変化やバブル崩壊、政治不信というように、戦後の枠組みの構造疲労が出てきている。
 
 アメリカ大統領選挙ですら、あまり明るい話題とは考えていない。今年は清水寺で発表される今年の一文字は「変」であるとされた。オバマ大統領候補の演説で使われた「change」が大きな理由かもしれないが、実際これは「変」ではなく「戻」という感じなのかもしれない。構造の変化の前に懐古主義があることがある。オバマ大統領候補は、そのことを敏感に感じ取り、リンカーンの使用した聖書で宣誓を行うなど、様々な演出を行っている。
 中国もご他聞に漏れず、懐古主義的な政策が相次いでいる。北京オリンピック直前から民衆や少数民族への圧力を大きくしている。また台湾の新政権への連携の強化を図るがごとく行い、一つの中国という理念からチベットへの圧力も強化している。その情報統制は、まさに古い中国を思わせる。

 さて、今年の1月最初の文書で、私は2008年は「変革という名の懐古」となると予測している。少し長くなるが、今年の1月の年初放談の最後の段落をそのまま記載してみよう。
<さて、駆け足で信長の改革から関ヶ原の合戦を見てきたが、これを今の世の中に合わせてみよう。
 小泉純一郎内閣が「自民党をブッ壊す」として、様々な改革を行った。郵政民営化だけでなく、道路公団の民営化を行ったのも小泉内閣だ。省庁再編など、確かに信長的な改革を行った。しかし、この改革は痛みを伴った。山一証券にマイカル、三田工業など大手企業が次々と倒産し、それまでの企業形態が一変し、また雇用形態も変わってきたのである。しかし、この改革ではなく「痛み」に脚光が浴びてきた。旧勢力の巻き返しである。それが今であろう。だれが明智光秀で、誰が秀吉・家康であるかはわからないし、将来見返さなければ政界は得られないであろう。しかし、改革を進めすぎればゆり戻しが来る。いま自民党はその揺り戻しに必至に戦っている。
 そこで、人物的な魅力で関ヶ原のような戦いをしたのが昨年の参議院選挙であろう。安倍と小沢の人物的な魅力で自民党は敗れた。
 では、その民主党は、いまだにはっきりした政策を出していない。私は、その点に不満であるが、逆に家康的に政権をとってから固めてもいいのかもしれない。日本はそのような国民性を持っているといえる。もちろん、政治家である以上政策で戦ってもらいたいが、それを冷静に伝えられる人も少ない。
 関ヶ原の合戦のように、一回の合戦ですべてが決着するのならよいが、残念ながら現在は命のやりとりでないので、そうはならない。
 改革の反動が現在の反自民、民主支持の根底であろう。そうである以上、改革期にいわれる「変革」は更なる改革でなく、懐古主義的な妥協に陥ってしまう。

 今年は、ちょうどその分け目の始まりの年に見える。洞爺湖サミットや北京オリンピックなど、大きなイベントがあり、華々しい内容がある一方、大きな世界的な懐古主義が芽生えつつあることに留意すべきではないだろうか。>
 奇しくもこの予言が当たっている。少なくとも私はそのように考えている。その辺の占い師と違って、当たったことそのものを自慢するつもりはないが、何となくうれしいものである。2009年の年初放談も、当たり外れは不明であるが、一応やってみたいと思う。当たるかどうかはまったく分からないが。

 最後になるが、明るい話題で今年を締めくくりたい。
 ニュースの3位と4位に、ノーベル賞ラッシュと北京オリンピックでの金メダルラッシュが挙げられている。
 このように明るいニュースがあげられるのは非常に大きなものである。「懐古」ではないが、やはり日本は技術の国なのか。ノーベル賞ではやはり科学系が4人も受賞している。なんとなく、世界的な金融市場に流されてしまっているが、やはり、日本人は毎日クラゲを追って技術や研究を極める、そのような勤勉な姿が似合うのではないだろうか。高度経済成長時代の「技術立国日本」を再度目指す必要があるのかもしれません。少しバブルの時に「財テク」という単語で踊らされて以来、日本は楽をして金を稼ぐのに慣れてしまったのではないだろうか。3位と4位は、くしくも、そのような「楽をして」というのは無縁な「苦しい下積みと、毎日の努力」が良い結果になる。そんなことを感じさせたのではないだろうか。このニュースが上位に来ることは、日本人の多くの人の心の中に、そのような毎日の努力を称賛する心が残っているという感じもあるのかもしれない。
 
 いずれにせよ、2009年、平成21年もよろしくお願いいたします。

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雇用危機、派遣切りと内定取り消しへの対策

雇用危機、派遣切りと内定取り消しへの対策

 派遣・契約社員に対する解雇(契約打ち切り)が社会問題となっている。また、大学生の就職における内定の取り消しも併せて大きな社会問題となっている。
 11月初めのトヨタの中間決算で衝撃が走った。中間決算時での利益予想を大幅に下方修正した。その下げ幅は80%に上る。トヨタは大幅な減産と工場のラインの休止を発表した。それに続く内容としていすゞ自動車、スズキ、マツダといった自動車産業が減産や工場休止を発表した。いすゞ自動車は期間従業員の全ての解雇または雇用期間の延長を拒絶する方針を発表した。トヨタやスズキ・マツダといった会社も、いすゞ自動車に近い内容となった。自動車以外の製造業も同じであったが、現在アメリカで「ビッグ3」と言われる自動車三社が倒産の危機に瀕していることと同じで、北米を主要マーケットとしている自動車産業は今回の不景気の主役になってしまっている。
 サブプライムローンとリーマンショックという二つのアメリカ発の恐慌の波は、世界を覆い、各地で猛威を振るっている。韓国は、通過の下落率が45%になり、オーストラリアでも39%に迫る下落率だ。日本は、先に不良債権を処理しているということから、銀行通貨はかなり円高になっている物の、原料を輸入しながら、製品を輸出している日本の企業モデルでは、極端な円高でも極端な円安でもうまく行かない。想定範囲内での相場の変動はよいが、急激な変動には対応できないことうことが、今年の夏の石油高騰で露呈している。それを政局にする、頭の悪い政治家と、それを煽るマスコミが多いことが、国民の不安感を助長し、より一層被害を拡大する。
 さて、今回の問題も同じ状況になっている。期間従業員や契約社員を完全に解雇すると言うことに対して、「弱者」と位置づけて企業を悪者にする。日本人は判官贔屓が好きだ。企業にその責任を押しつけたり、政府に対策批判をしてみたりする。しかしそれでよいのであろうか。

 恒例になったが、まず派遣や内定取り消しに関する問題点を整理しよう。
 まず、第一に派遣社員・期間社員という存在と制度について考えるべきである。
 第二に、このように派遣切り、期間社員の解雇に関して、そして就職内定者の内定取り消しについて、法律の側面と道義的な側面と企業側の視点から考えてみよう。
 第三に、そもそもこのようになった今回の不況に関して考えるべきであろう。
 そして第四、最後に政府がとるべき対策とそこに対する政策的な内容を考えるべきである。
 いずれにせよ、雇用は国民の生活の保証の問題であるが、同時に企業が良くならなければ日本の経済全体がおかしくなり、より一層の不景気になるので、闇雲に企業を攻めればよいと言うものではないと言うことも頭の中に入れるべきである。

 まず、「派遣社員・期間社員という存在と制度について」である。派遣制度や期間社員という制度は古く、また世界各国に存在する。そもそも壬申の乱以降、日本の軍隊は兼業期間従業員である。これは、現代の自衛隊をのぞき、太平洋戦争までの期間ずっとそうであった。他に職業のある人が軍隊に参加する方式だ。戦国時代は農家がその多くの戦闘員を兼務していたので、農繁期に休戦すると言うことがしばしばあったと文献に残っている。織田信長が版図を広げたのは、この農民の徴兵と言うことの不合理を解消した兵農分離をすすめ、専業化したために戦争をいつでも行うことができた。そのための資金を楽市楽座で徴収したのである。
 戦後、高度経済成長も、この織田信長の専業制に着目した部分が少なくなかった。もちろん例外はあるが、信長の時代に見える兵農分離から、士農工商が制度化され、その後、高度経済成長では職業が終身雇用化する。終身雇用とは、一つには被雇用者(従業員)は収入の安定とある意味での年功序列が形式化し、年限とともに収入の増加を期待できる制度である。一方で雇用者(企業側)からすれば、二十歳前後から雇用し、六十歳までの約四十年間を継続的、計画的に使用し続けることができるので、その分、安定した「専門家」を養成することができる。ここで専門家に敢えて鍵カッコをつけたのは、日本の常識の中で専門家というと大学教授や研究者というニュアンスが含まれるからである。しかしここで言う専門家とは、「営業の専門家」「コピーの専門家」「お茶汲みの専門家」というように、日常の業務の中でこの人に任せておけば安心という、仕事を任せられるプロフェッショナルな人のことを言う。高度経済成長は、会社そのものの成長と産業技術の向上、日本における消費社会の形成など、様々な要因があるが、企業側の要因として、この「専門家」の存在は欠かせない。
 この専門家がおかしくなった契機が歴史上三つの事件がある。一つは、石油ショック・一つは男女雇用機会均等法・そして一つはコンピューター社会の出現である。 
 この三種類いずれも雇用形態に大きく影響を及ぼしたのである。石油ショックは、高度経済成長、それに続く日本列島改造論による経済成長に終止符を打った事件である。「消費は美徳」という標語が切り替わった大きな契機かもしれない。石油ショックにより、大型の企業倒産が出現し、終身雇用が確保されないと言うことが社会に現実として突きつけられたのである。
 しかし、これによる終身雇用制度の崩壊はなかった。なぜならばそれまで派遣と言うよりは期間従業員は、あまり社会的なステータスとして高くなかったことと、この不景気において、炭鉱の事故や閉鎖が相次ぎ、炭鉱労働者の雇用が問題になっていたからである。この時代は、自分から派遣や期間従業員になるのではなく、時間の流れから、公共事業や道路建設などにおける肉体労働者としての「日雇い労働者」が多く、社会問題になっていたことが挙げられる。もちろん、派遣などもあまり一般的でなく、また社会保障などもあまり発展していなかったことから、非正規社員であることのメリットも少なかったと思われる。
 次に転機となるのが男女雇用機会均等法である。女性の社会進出を後押しし、男女差別をなくす女性の社会地位向上としてもてはやされたものだ。しかし、その機会均等法が、日本の雇用形態を大きく変えたのである。この法律により、女性の「一般職」というカテゴリーがなくなった。今では当たり前であるが、女性も男性も皆「総合職」である。これによりコピーや事務作業、掃除などの専門家が企業から一斉に消えてしまったのである。女性の社会進出が生まれた。それと同時に、年功序列や終身雇用ではなく、単純な能力主義という給与体系が生まれるきっかけとなる。この時期、年俸制や能力給がかなり話題になったのも記憶にあると思う。結局、男女平等という垣根が一つなくなることにより、経験や職務分担という思想がなくなり、単一基準評価の時代が生まれることになったのである。同時に、一般職と言われる業種がなくなったことにより、掃除などの外部委託(当時はアウトソーシングと言っていましたね)が主流となり、単純な事務作業に関して、外部委託や派遣社員への外注が非常に多くなったのである。このことが今日の派遣労働の契機の一つになったのだ。
 同時に、女性の社会進出に関わらず、それでも保護される女性ということが出てくる。要するに、単純肉体労働がやはり男性の職場になってくるのである。もちろん「ガテン系」と当時の就職斡旋雑誌の名前をとって、肉体労働を行う女性もいたが、まだまだ少数派であった。ここに多くの人材供給が生まれたのが、先の雇用機会均等法である。職場に社会進出した女性が多くなると言うことは、当然に優秀でない男性が職を失うと言うことになる。これは失職するのではなく、就職ができないという未就職状態になるのである。それでも生活は行わなければならない。そこで、フリーアルバイター(現在で言うフリーター)という存在が出てくる。もちろん、優秀でない人ばかりではないが、当時は、社会的にそのようなきっかけを言う人が少なくなかった。女性の社会進出により、限られた就職窓口に対して、男だけでなく女性も含めた人数が応募するのであるから、その結果は当然の帰結だ。もちろん、この現象を持って、政府が無策というのは簡単であるが、今回も同じで、給与設定まで同じにしてしまえば、当然に限られた予算内での新入社員募集となるのだから、一般職と総合職があった時代とはトータルで人数が減るのも致し方がない。それを法律で規制すれば、当然に会社が倒産する。そうすれば未就職だけでなく、会社の雇用全体の失業対策になってしまうのだ。男女平等でそこまで面倒をみれるほど、日本国の財政は豊かではない。
 第三にコンピューター社会である。コンピューターの効用は、機械化によって単純作業を長時間ミスなく継続できることにある。これにより、工場労働の多くは機械化することが可能になり、熟練手工業者が必要なくなった。機械は大型化され「誰がしても同じ結果が得られる」ようになる。実際の作業は多くが機械が行うようになるために、熟練手工業者よりも、一部の技術者とコンピュータープログラマーがいればよいと言うことになる。そのコンピュータープログラマーも、セットができるまでの期間だけやとえば、あとは常駐する必要がなくなる。結局外部委託でよいと言うことになるのだ。
 コンピューター化によって、結局、ブルーカラーにおける高度経済成長期における終身雇用と企業側からみた計画的教育が完全になくなってしまい、人件費削減の対象となってしまったのである。あたかも産業革命時代の熟練工業者のように、それまで花形であった工場の各「専門家」が機械にその場を奪われ、極端に言えばボタンを押せれば誰でも製造業になることができるということになってしまった。
 その機械を作るひとですら、コンピュータープログラマーのように短期間の委託で行われる社会になってしまったのだ。これにより、完全に終身雇用の必要性が消滅したのである。
 さて、終身雇用から派遣従業員化への道のりを、三つの契機を中心に見てきた。この三つの契機は決して一過性ではなく、徐々に一般化して来るという状況になってきた。いまや大手の工場で機械化していない会社はほとんどないし、コンピューターを導入していない会社も存在しない。男女雇用も、「一般職」という区別そのものが化石化して、今就職活動をしている大学生に言ってもわからないであろう。
 これら、の現象の一般化から、徐々に雇用形態は変化している。当然に、「時代とともに変化している」と言われても仕方がない状態である。しかし、従業員側は、これらのことを認識していない。会社や社会が何とかしてくれると思っている。その期待そのものが、期間従業員となる時点でそうはならないと考えなければならないのに、今回のような解雇が決まってから騒ぐ結果になっている。
 さて、「派遣社員・期間社員という存在と制度について」である。長くなったのでこれで終わりそうであるが、検証の一個目であるl。「派遣社員・期間社員という存在と制度について」は、現代、時代が変わった現代の企業には必要な雇用形態である。しかし、社会が、政府我とか自治体がと言うものではなく、社会が、その派遣や期限社員の解約後の補償制度までやらなければならない。単純に言えば、派遣社員の雇用保険が必要になるのかもしれない。同時に、簡単に派遣を選んだり、就職がないからと言う話で派遣を選択するのではなく、大学や高校の就職相談の担当はしっかりと派遣に関するリスクを説明しなければならない。当然に本人自身もそのリスクを承知しなければならない。今回の派遣切りのトラブルは、企業は安易に人件費を削減したことのツケがこのような社会風評で回ってきたのだし、派遣社員側は、そのリスクを自分で認識しておかなければならないし、派遣労働をしている間も、解雇された場合の心づもりをしていなければならない。それにも関わらず、両者とも、誰かが何とかしてくれるとか、解雇されるはずがないという、根拠のない甘えが原因と思う。
 なお、マイカル倒産後の私の仲間の惨状を見れば想像はつくが、しかし、そのときは政府もマスコミもなにもしなかった。今は周囲が関心を持ってくれることに感謝しなければならないであろう。やってもらって当然、行政が保護して当然という態度をテレビなどで見ると、かわいそうと思うよりも無性に腹が立つのは私だけではあるまい。
 愚痴を言っても仕方がないので、次の検証に移ろう。
 「派遣切り、期間社員の解雇に関して、そして就職内定者の内定取り消しについて、法律の側面と道義的な側面と企業側の視点からの考察」である。
 法律上の側面から言えば、企業側を責めるわけにはいかない。そもそも、派遣従業員とは、先に歴史を追って説明したとおりに、一定期間や日々の人の増減に合わせて期間を区切って雇用契約を行う形式である。そもそも期間従業員が更新し続けて正規従業員化のような雇用形態になっているほうがイレギュラーである。そもそも今問題になっている派遣従業員は、機械化された工場労働者に対して、その工場の製造体制の増減において調整できるように雇用を調整する機能がある。
 前に書いたように、派遣従業員側にも甘えの構造があり、派遣従業員であるにかかわらず、責任のない正規従業員であるかのごとく権利と保護を求める構造が認められる。同時に、企業側にも都合よく人を使っていたという事情がある。
 法的に問題がない以上、実際にそれ以上の法律上の強制力はない。このことが民主党に雇用対策四法案を作らせる結果になる。要するに、現在の派遣法そのものが欠陥法であるということである。法律は、その法律によって恩恵を得る側と、その法律によって規制を受ける側の調整ができていないことが少なくない。それだけでなく、この派遣法の問題は、当初は従業員側の保護のためにできた法律で雇用の多様化を目指したものが、時代と経済状況の変化によって悪法とされる。そもそも、その法律そのものが歴史的に果たした役割の検証もなく、新たな法案を作成しても、数年後また同じような状況になるのは目に見えているのではないだろうか。今回の問題も、雇用の多様化を目指す法案そのものは全く悪くない。企業側にも派遣従業員側にもメリットがある法律である。しかし、その件に関し、解雇(正確には派遣契約の解約)後の社会保障まで企業側に責任を負わせることは難しいであろう。
 さて、道義的というはなしになるが、会社側には、量の提供などを求める声がある。実際に空室になっているのであるから、非正規社員の解雇者を住まわせても問題がないということになる。しかし、逆にそれで住み付かれてかれてしまって、「居住権」などを主張されては目も当てられないのである。単に「かわいそうだから部屋ぐらい譲ってあげてもいいのに」とううかもしれないが、会社に敵対し、組合などを作って、権利を主張する人に、会社側が警戒するのは当たり前の話である。当然に最悪の場合「居住権を主張してそのまま定住する」「次の職が決まるまでと言って、ずっとそのままそこに住まわせなくなければならなくなってしまう」というリスクを考えなければならない状況になっているであろう。
 そのように考えれば、強硬な態度での交渉の方法というのも問題であるし、そもそも期間従業員や派遣社員が組合を作るkと事態がなじまない感じがあり、単に「年末にホームレスになってかわいそう」というだけの問題でないことは明白である。
 とはいえ、これは政府が同行する問題ではない。そのようなことをしてしまえば、次は下請けとの契約解除や取引先との契約解除などまですべて政府が関与することになってしまう。ここの文書で何度も言っているが、日本は資本主義であり、共産主義ではない。単にかわいそうというのではなく、その契約の性質や保証制度などをいかに充実させるかということも、契約の中に入れて考えなければならないであろう。日本人は法律とか契約というと敬遠するが、契約社員・派遣社員・期間従業員は自らその契約による身分の保障を自分で選んだのである。そのことによって、社内における責任なども回避し、煩わしい付き合いなどもすべて「派遣だから」という理由で解除することができる「気楽さ」という立場の自由を謳歌していてたはずだ。そのメリットをそのまま残して、正規従業員なみの社会保障を企業に求めること自体が「いいとこどり」ではないだろうか。もちろん企業側・会社側も、契約解除通告のタイミングや、解除後の保障(住居保障など)を考えなければならないであろうし、その法律の整備も必要であろう。
 いずれにせよ、道義的と言えば、どうしても日本人の場合は判官ビイキになりがちであり、会社や企業が悪いといいがちである。しかし、派遣を大量に雇い、モノが売れないという状況になれば、会社そのものが倒産してしまい、正規従業員などもっと多くの被害者が発生する。当然に、その会社との取引先もすべて影響を受ける。数百人というレベルの雇用不安ではなくなってしまう。この問題は「弱者にしわ寄せが行った」のではなく「契約形態や雇用形態に特殊な事情(期間契約)を持っている人が、その契約に従って法的に処理された」というものであり、それ以上の問題ではない。解雇されたネットカフェ難民の悲惨の徐京ばかりを流して、企業を悪者にする報道態勢や、その報道に合わせた法案の提出をし、それらの社会的風潮を増長して、物事の本質を語らない野党とマスコミの体制が、最も道義的におかしいのではないだろうか。
 第三に「そもそもこのようになった今回の不況に関して考える」ということにしよう。
 今回の不況は、アメリカ発の不況である。では、アメリカとはどのような国なのであろうか。アメリカとは、実際農業以外の製造業そのものができていない。現在カラーテレビや冷蔵庫をアメリカでは作っていない。数年前のニュースでそのような報道が流れている。もちろん中小企業などに例外はあるかもしれないが、アメリカは農産物と軍事関係以外の産業はほとんどなくなってしまったといって過言ではない。「ビッグ3」と言われているが、実際は軍事産業であり、特にクライスラー社はアメリカ製のM-1戦車などの製造で有名な会社である。ダイムラークライスラーと言えば航空機まで網羅する軍事産業の中核である。オバマ大統領になってイラクからの軍隊撤収が現実化するようになった。これは戦死者遺族などの強い支持を得たが、そのことによって軍需関連企業の多くは、撤収後の減収が確実になったのである。当然に「ビック3」といわれる中の多くもその減収が確実になる問うことは明らかであろう。
  戦争が良くないことであることは、世界誰もが知っている。しかし、アメリカという国そのものが軍需産業で成り立っている国だということを考えなければならない。携帯電話の多くもアメリカ製造ではないし、冷蔵庫や洗濯機、カラーテレビといった、日本の高度経済成長の立役者となった「三種の神器」は、すでにアメリカで製造されていない。語弊があるかもしれないが、アメリカは戦争と軍事用品の売買で成立している国なのである。その国が戦争反対、継続中の戦争の中止に大きく舵を切ったのだ。現在の産業構造と現在の世界情勢が続きそして戦争をしない平和な世界がある限り、アメリカの発展は存在しない。
  日本の経済はアメリカでの購買を中心に構成されている。特に自動車産業に関しては、その状況が非常に強くなっている。日本の技術がアメリカの軍需産業に使用されているかどうかは別にして、自動車だけでなくソニーなどの電子産業も、優秀な日本の技術とトランジスタをラジオの小型化に使用した日本の応用力は、アメリカで高く評価されているのである。そのことが明らかな状況であれば、この不況がいつまで続くかは大体明らかになってくる。中国などがサブプライムローンの影響を受けていないのは、この辺の事情がアメリカと明らかに違うということではないだろうか。その意味では、アメリカの現在の産業や経済戦略は間違えているのかもしれない。
 もう一つの要素は、現在の資本主義が市場相場制であるということである。これは経済の仕組みのことであって、政治の仕組みではない。民主主義という問題ではなく、単に自由主義経済という問題である。しかし、市場相場とは、市場における債券や証券に投資してその投資金を運用して配当金を得る仕組みである。しかし、人ところに集中し、そして一時期に合わせてその資金が移動されてしまえば、市場が乱れる。その市場の乱れが今回のサブプライムローンの問題になる。投資ではなく投機が入ってしまえば、そこで大きな問題になるのである。
  この件に関しては、何回も過去に記載しているので、過去の文書を読み返してもらいたい。
  最後に「最後に政府がとるべき対策とそこに対する政策的な内容」ということである。ここの結論は非常に簡単であろう。要するに雇用形態と社会保障のバランスのとれた政策をとることである。場当たり的な人気取りの政策を行うのではなく、派遣契約を一つの法律行為として契約関係とその維持ということを考えて政策を行ってもらわなければならない。
 このような政策の場合、すぐに「弱者保護」という観点から、安易に補助金とか無償提供となる。そのようなことをすることによって、弱者の票を集めるという集票作業が行われる。野党はそれを非難するが、結局同じ「少数のひがみ」でしかない。しかし、これはボランティアではなくチャリティでしかない。弱者に無償で何かを施しても何もならない。私は阪神震災の経験者であるが、体育館で炊き出しをしてもらっている間は、復興は行われないのである。復興とは、結局自分の手で元に戻すあるいはそれ以上の状況に作り直すという「創設」がなければならない。地震と派遣切りを同じにしてはいけないのかもしれないが、実際、いつまでもチャリティを行っている必要はないし、またそれを行えるほど日本は豊かな国ではない。「生活保護」を垂れ流しにしてはならない。結局、生活保護は次の職業に就くまでの補助的なつなぎ制度でしかなく、根本的な解決にはならないのである。
 年を越すという意味で「つなぎ融資」的な補助制度を行うことは、人道的に有効かもしれない。実際に、日本人の場合「盆と正月」は特別な意味を持つので、そのために、必要な施策は必要かもしれない。しかし、そのことを行うことが最終ではなく、派遣従業員に対しての雇用創設が最大の「政策」であると考えられる。
 では、政府は何をしなければならないのか。結局は「景気対策」でしかない。景気が良ければ、産業の発展は必要だ。当然に雇用も創設される。しかし、先にあげたように、アメリカ経済のその構造そのものに疑問が呈されているのが現在の不景気の原因である。そしてアメリカ市場に依存していた日本の企業は、その経済構造と企業の収益構造そのものに改造の手を加えなければならない。とはいえ、急激にアメリカ中心の収益構造を変えることはできないであろう。
 本来であれば、このようなときに公共投資を行えば、その公共投資による雇用創設が可能である。しかし、あまり頭のよくない与党とマスコミ諸氏は「国の借金が増える」と何が重要かを考えずにわけのわからない批判を行う。何かをする時には、必ず投資が必要であるにかかわらず、その政策投資に対する資金需要を非難する。というよりは、「何か政府を非難すれば良い」と、体制を考えずにおこなう姿勢には、さすがに本気で日本という国のことを考える姿勢が感じられない。
 結局、私が命名した「マスコミ不況」「民主党不況」がこのように進んでゆく。民主党は自分で不況を作り出し、その責任を検証することなく、場当たり的に次の批判を無責任に行っている。その状況を許し、同調し、そして一緒になって声を上げている国民も、どうかしているのではないだろうか。
 政府が行わなければならないことは、明らかに「新産業の創設」と「雇用の創設」である。アメリカのオバマ大統領は、そのことを分かっているのkじゃ、偶然かはわからないが、「環境産業」への展開を出している。軍需産業中心の国家から環境産業中心の国家へと転換を図ったのか、あるいは現在の経済危機と雇用政策に苦し紛れに出した政策かはわからないが、そのような新規産業の創設に対して、「研究開発費」ではないが、補助金と優遇税制と新規雇用の創設を行うことが最も重要な政策かもしれない。
 日本は、高度経済成長による終身雇用制度の神話から抜け切れていない。しかし、実際は、すでに終身雇用契約は崩壊し、期間従業員など「プロジェクトチーム型の雇用」が中心になってきている。まだ移行中であるので、そこまで断定はできないが、そのような雇用体制がコンピューター化とネット情報網の中で、雇用の中心になってくることは間違いがないであろう。その中において、人材集積型の産業を改めて行うことは非常に難しいであろう。結局は、個人個人がプロジェクトチーム型雇用に対応できるスキルと、それに合った、スキルアップ制度をし、それを集積した新規産業が必要になるであろう。その移行期に今回のような不景気が来ると、一気にその意向が行われることがある。日本は、それら制度や法律が時代に即していないことが少なくない。政策は、当然に時代に合わせた、機動的な対応を行うように、その政策を考えなければならないし、そのために必要な国家公務員改革も行わなければならないであろう。
 「環境問題」に関する新規事業は、一例でしかない。私が言いたいのは、社会貢献型で、アメリカを主市場としない新規産業を作り、そのために雇用創設を行うべきだ、ということである。
 今回は、派遣問題に関して、かなり長い文章になってしまった。しかし、物事を根本と歴史から考えるという姿勢を、しっかりと変えずに、弱者ひいきではなく正当に双方のバランスを考える姿勢を変えてはならないという基本を忘れないようにしなければならないであろう。と書く日本は判官贔屓で、弱者保護ばかりを行い、イpp何人はその人々を「かわいそう」ということで自らの優越感を感じる構造になっている。そろそろそれを脱皮しなければならないのではないだろうか。

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麻生内閣支持率急落

麻生内閣支持率急落

 12月8日。今から60年以上前。第日本帝国海軍南雲忠一中将率いる第三艦隊は、未明にアメリカ海軍の根拠地であるハワイ諸島内真珠湾を奇襲攻撃した。真珠湾攻撃に関する内容は、かなり様々に伝わっている。アメリカは事前に察知していたが、日本に不意打ちの汚名を着せるためにわざと奇襲攻撃されたという話まである。いずれにせよ野村吉三郎大使による宣戦布告の書面の送付が遅れたのか、あるいはアメリカ政府内の通知や発表のタイミングの問題か、その内容は不明であるが、アメリカ政府は、この奇襲攻撃により戦艦多数を沈没着底させ、無力化された。そして、この奇襲攻撃後、アメリカはこの真珠湾攻撃が日本の宣戦布告前の卑怯な「不意打ち」として「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉に太平洋戦争を戦った。
 この真珠湾攻撃には、ある程度特筆すべき点がある。日本人の特性で、表題にもある政治の支持率にも間接的に関わりがあることなので、政治の話題になる前にもう少し60年以上前の戦争の話題を続けよう。
 真珠湾攻撃まで、世界各国は戦艦による砲術・または水雷艇による魚雷攻撃が主たる決戦であった。ワシントンやロンドンの軍縮条約では、戦艦と巡洋艦の排水トン数による規制を行うという条約が挙げられ、その各国の比率を巡り、国内では統帥権干犯問題が発生する。ここで見られるとおりに、太平洋戦争で重要な主力となる航空母艦や、潜水艦、駆逐艦に関してはその総排水トンに規制はない。「大鑑巨砲主義」は日本だけでなく、世界的に決戦戦力として認識されていた。特に日本という国家にとって、直近の大きな戦争である日露戦争、日本海海戦で、その砲撃力と水雷戦ことに伊集院信管といわれる新兵器と砲術訓練で勝ちを納めた海軍にとって、そのことは揺るぎない事実であった。日本は、軍縮条約で不利な扱いになった。当時からの連合艦隊司令長官を初めとした海軍上層部は、その穴を埋めるために、新兵器を正規採用にした。航空機と潜水艦である。世界初の航空母艦は、日本が建造(改造)した鳳翔という軍艦である。この正規採用はあくまでも「大鑑巨砲」という決戦勢力の補完的な役割として採用された。その「補完戦力」が、真珠湾奇襲で主力となった。その数ヶ月後には、マレー沖海戦で、航空機のみで奇襲攻撃でもなくイギリス海軍の戦艦プリンスオブウエールズとレパルスが撃沈された。この斬新な新規戦法に、イギリスの首相チャーチルは、「大戦中もっとも印象的な悪夢であった」と振り返る。この「航空機による正規戦艦の撃沈」ということは、当時の常識ではあり得ないことであった。もちろん、その後の歴史はすでに周知の通り。戦艦大和や戦艦武蔵という当時最大級の大砲を備えた超弩級戦艦が飛行機から発射される魚雷で沈没してしまう結果になる。
 日本は、飛行機の大量投入により、艦船や艦隊そのものを撃沈するという方法を編み出した。「必要は発明の母」というが、当時の軍関係者にとって、排水トン数が足りないという「必要」が「航空機の組織運用」という発明を編み出した。このことは航空母艦を最初に作ったということと同時に、世界初航空機の戦隊「航空艦隊」という概念を持ち込み、航空機だけで一つの戦争単位を作り出したのである。先に挙げたマレー沖海戦は、まさにこの「航空艦隊」による大きな戦果であった。
 しかし、日本は最後まで「大鑑巨砲主義」を脱することができなかった。要するに、そこまでの新戦法を編み出しながら、その新戦法に乗り切ることができず、古い概念の大鑑巨砲主義と戦艦主力による砲撃戦による決戦という概念から抜け出せなかった。開戦当初最新鋭であった零式艦上戦闘機もいつしか旧型になり、新戦闘機の開発は全て後手に回った。もちろん、物資や世界情勢、政治体制、もっと言えばトータルの国力からして、それらが進んだからと言って、勝つはずだったとかそんなことを言うつもりはない。そもそも、ビジョンのない戦争は、国力の如何を問わずすべきでない。しかし、逆に敗戦したという事実が、それら全ての歴史的事実を否定するべきでもない。現に、これらの新技術や新しい運用法が世界の戦争を数年で変えてしまったし、また日本の戦時中の技術は現代でも応用して使用し、軍事ばかりでなく生活を豊かにしてくれている。

 さて、私がいいたいのは「どうしてそうなったのか」という歴史やいきさつを考えずに、古い価値観などに縛られてしまう人が少なくない。これが日本人の気質であると考えている。
 世界の最先端を行きながら、そのときの「場当たり的な」対処で、何となく判断してしまうことが少なくないのだ。
 真珠湾攻撃から60有余年、2008年12月8日に、衝撃的なニュースが日本を駆けめぐった。麻生内閣の支持率が急落したと言うのである。
 真珠湾攻撃に比べれば小さいことであるが、やはり歴史的な下落幅である。今回はこのことを主題に書こうと思う。そして日本人の苦手な「どうしてそうなったのか」を考えながら文章を構成してみようと思う。

 まず、麻生内閣の下落の原因、つまりは、悪いところをあげつらってみよう。
 舌禍口害・第二次補正予算の不提出・郵政株式売却の凍結・世界金融と雇用不安(派遣・契約社員問題)・ねじれ国会解消不可そして政治不信である。
 舌禍口害に関して言えば、はっきり言ってどうにもならない。以前田母神論文においても言ったが、憲法で言論と信教の自由は保証されていても、立場やその影響力によって言って良いことと悪いことがある。麻生首相は、そのことを考えて、様々な発言をしなければならないであろう。それら失言舌禍口害に関しては個性や愛嬌ですまされる物ではない。特にそのことが多くの国民も感じていることであればなおさらである。発言をきっかけに様々な反応が生まれてしまう可能性が出てくるのだ。これは、麻生政権に関する支持率の低下につながるであろう。とくにその発言によって影響がでる人たちはなおさらである。
 次に挙げられるのは、二次補正予算の不提出である。民主党の小沢代表は、このことをかなり批判している。マスコミなどもその小沢氏の論調に乗った形だ。しかし、10月に第一次の補正予算を組んだばかり。その効果も明らかになっていない状況で、第二次補正を求めるのはいかがなものであろうか。麻生総理も「三段ロケット」などと言っているが、そもそもなにを持って三段ロケットで景気回復を言っているのかわからない。この件に関しては、そもそも現在の不景気そのものがアメリカ依存型の世界経済のあおりであり、またその世界各国の中でも日本はすでに住専問題とバブル崩壊の時に一度不良債権を処理している強みから、円高が進んでいる。日本は未だに精神のどこかに敗戦国であるという負い目を持っており、そのために円が強くなることに漠然としたおそれを抱いている。もちろん技術立国で、資源のない、食料自給率も低い日本が、円という通貨が高くなることが不利なのはよくわかる。しかし、そのメリットを生かすことが非常に不得意である。いずれにせよ、それら特徴を活かす話をせずに、なぜか政局面でしか話がない第二次補正予算と言うことが、世界経済の分析もせずに語られて、麻生内閣の支持率の低下につながることには奇妙さを感じる。
 郵政株式売却の凍結・世界金融と雇用不安(派遣・契約社員問題)と言うことも同じ。これらに関してしっかりとした政策や方向性を麻生内閣が示していない部分は少なくない。しかし、拙速に対策を立てることもいかがかと考える。
 ねじれ国会解消不可そして政治不信二関しても、麻生内閣が悪いわけではない。実際に麻生内閣だけに責任を押しつけても、日本が良くなる物ではない。ましてや、それを批判しかしていない野党に政権を任せて何とかなるものではない。
 さて、今回は概説的に今話題になっている話を一同に挙げて一言づつコメントを入れてみた。主に経済問題(雇用問題)と政治不信。この二つに対して麻生内閣に対して何らかの解決策と、将来を示すことを国民は望んでいたが、それができない麻生首相に対して支持率が下がっている。その支持が下がったということに関して自民党内で分裂や反麻生の動きが出てきている。これらを見て自民党支持をする人の中にも自民党離れがでてしまう。
 何度も書いているが、麻生内閣も安倍内閣も服だ内閣も同じであるが、結局日本をどうするのかという将来のビジョンを全く示させていない。だから、民主党の支持率も全くあがっていない。結局永田町の近辺で、いい大人が子供の口げんかのごとき政局論をしているのはまことに滑稽としか言いようがない。日本国のことを考えず、日本国の中で騒いでいる野党はより一層おかしいのではないか。
 12月8日の真珠湾攻撃という、当時の常識では考えられない先進的な戦争方法を行った。しかし、結局濃くないの「大鑑巨砲主義」勢力に押し切られ、太平洋戦争では壮大な消耗戦を強いられ、そのための対策も行われず、そして、戦艦大和という当代一の戦艦が航空機による攻撃で沈没する。それから60年、数年前に世界の最先端で不良債権を処理した政府が、いつの間にか同じような経済対策で、国内の政局と内輪もめで支持率が下がり、国民に政治不信が蔓延してしまっている。戦争のようなものではないが「負け国」になってきてしまっている。60年たって日本国民はなにも進化していない。マスコミがこぞってそれを煽っていることを見ると、そして外国との戦争でないのにそんなことをしていることを見ると、かえって退化している用に見えなくもない。
 残念ながら、今の政治家の中に将来の日本のあるべき姿をしっかりと示す人は少ない。全くいないとは言わないが、どうも全国的に名前のしれている人の中で、そのようなことを考えている人は、与野党含めて名前を挙げることはできない。もちろん、私の死っている人の中には立派な人も少なくない。しかし、どうも政治の世界に反映されていないようである。また、そのような内容が国民に伝わらない、状況に、日本の恥が詰まっているようにしか思えない。
 そのような結果、麻生内閣の支持率は急落した。日本をどのようにするのか。その羅針盤を示してくれるという期待感に裏切られた気ぶんかも知れない。
 しかし、上記のようにこれは麻生内閣が悪いのではない。日本のことを考えない、政局争いがおかしいのである。経済がおかしいと言っても、アメリカの経済を日本が左右できる物ではない。そもそも、現在の金融投資体制、つまりは債権とか株式いう名の金銭を金銭で買うと言う行為、そしてその金額が変わるということが「投資」ではなく「投機」になっている状況で、政府がそれを海外まで規制することは不可能である。その影響で、雇用が守られないとしても、政府の責任ではない。補償金などの対策は一時的で、基本的には雇用を創設しなければなるまい。しかし、現在の経済状況で雇用を「作らせる」ことは難しいし、国が雇用すれば公務員との馬らっbすがおかしくなる。結局は公共事業と言うことになるが、道路とダムをここまで批判されてしまえば、公共事業による雇用創設もできない。政治不信とねじれ国会はなおさら。
 以前私はこの場で「マスコミ不況」という主張をしたことがあるが、今回のは「民主党不況」と名付けたい。せっかくバブル崩壊の経済危機を乗り切り、国民の感覚は別にして、不況を乗り切ったノウハウがあるのに、ねじれ国会によってそれら政策が発揮できず、また赤字国債や公共事業、道路問題などによって、国が行うことができる公共事業の議論の芽まで摘んでしまった。これだけ過去の歴史に学ばず将来を考えず、現在の政局しか考えないようでは、政治不信が募るのは当然のことである。その不信を一身に受けていては、麻生内閣も大変であろう。しかし、日本人は真珠湾攻撃の昔から同じ国民性で、古い自民党を引きずった小沢民主や国民新党が徐々に支持をのばしている現状がある。
 麻生内閣には、早く将来の政策や日本のあるべき姿、ビジョンを示してもらいたい。その上で、現状をいかに乗り切るかと言う議論をしなければ、日本がおかしくなる。野党各党の人々も、それに従えと言う気はないが、せめて政策や将来の国家像で議論を戦わせてもらいたい物だ。低俗な誹謗中傷合戦には飽き飽きした。人を批判するにはその対案を出してから話すべき。評論家ではないのだから。
 自民・公明の与党もそうであるが、民主・国民新党など野党各党の人々は、国民に責任があることを忘れず、政策論争を旨とし、誹謗中傷合戦を直ちに中止することを望む。12月8日の歴史を学び、その上で、現代に照らし、今の自分たちの行為がいかに国民の政治不信につながっているか、考えるべきである。国会議員各位に猛省を期待する。

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厚生省事務次官経験者殺害事件とテロ報道について

厚生省事務次官経験者殺害事件とテロ報道について

 最近ははっきり言ってネタがない。
 国会はねじれ国会のままで、正当な理由もなく反対している民主党と、それに対処できない与党という構図が変わらない。少々変わったのは、党首会談後、参議院で民主党が「第二次補正予算案を出さなければテロ特別措置法の審議に応じない」と、あまり因果関係のない二つの法案を引き合いに出して審議拒否をしたのに対し、共産党と社民党が野党協調を破り審議に応じたという事である。以前からここの文書では書いているが「審議拒否」という職場放棄を正当化するのは、いかがなものかと思う。少数派が時間稼ぎを行うのは、それ以外注目されたり、自分の主張を大きく取り扱うことが少ないという点で、賛成はしないが理解はする。しかし、参議院における民主党はそのような状態にはない。参議院で言えば与党である。与党が審議拒否を行うという事に関し、いささかも疑問に思わない日本国民には、少々失望する。
 いずれにせよ、相変わらず無責任な批判政党でしかない民主党と、そのような反論も跳ね返し、国民の支持を取り付けることができない与党の関係では、新たな動きが生まれることもない。どんどんと日本は「負け国」として国際社会から取り残される可能性を示唆している。

 さて、そのようにネタがない時に、かなりショッキングな事件が発生した。
 年金のエキスパートと言われ、年金局長や厚生省事務次官を歴任した団体役員が夫婦で殺害されたのである。その翌日には、やはり同じようなキャリアを持つ元厚生省事務次官の妻が、刃物で刺され、命に別状はないと言いながらも、重傷となった。
 時あたかも年金問題で国民の多くが不満と怒りを持っており、また完了の無駄遣いに関して大きく報道されているときに、年金のエキスパートと言われる厚生省事務次官経験者が二人もねらわれたのである。この件に関して、マスコミ各社は年金テロとして大きく取り上げた。
 マスコミの期待するように、テロの捜査は続いた。血の付いた足跡がある。または印鑑が落ちていた。犯人は宅配便を装った潜入などである。大きな組織的な関与を疑う論説もあった。
 被害者の年金エキスパートで事務次官経験者という経歴の共通性や、婦人まで行う残忍性など、犯行手口にいたるまで二つの事件の共通性と、年金行政との関連を報じた。政府は現職の官僚を含め、退官者まで警備を強化するという発表にいたった。実際厚生労働省の警備はかなり厳重になっている。

 さて、この事件は突然思いもよらぬ方向で終結する。小泉毅容疑者が警視庁にレンタカーで乗り付けて自首したのである。レンタカーの中からは足跡と一致するスニーカーや血の付いた刃物数点が見つかった。
 犯行動機は、犬を保健所に殺されたから。調べによると30年前小泉容疑者のペットが保健所で処分されている。しかし、30年後次官経験者を殺傷するという動機につながるのかは、かなり曖昧な点が多い。自首するきっかけは、警備が強くなったからこれ以上不可能と思ったという、また犯罪者にありがちな短絡的動機によるものであった。

 さて、この事件。報道を追ってみるといくつかの疑問点が当たる。まず、何でこの時期に、それも30年以上経ったペットの死をネタに元事務次官を二人も襲撃するのか。なぜ突然自首したのか。そして公も簡単に住所を調べて襲われる治安の悪さ。とにかく釈然としない感覚が抜けないのは事実である。何よりも、単なるクレーマーの一般人がどうして鮮やかに人を殺すことができたか。その手口と言うよりは、プロを思わせる殺傷技術は、単なる一般人ではあり得ない話である。

 まず、この事件の釈然としない部分を分析してみよう。法律的に犯罪は「罪刑法定主義」「違法性」「責任」の三種類で構成されている。要するに法律であらかじめ決められ、その行為に違法性があり、そしてその被疑者に責任がある場合に罰せられるのだ。
 法律であらかじめ規定がないと言うことでは、危険運転致死傷罪ができる前の交通事故が良い例だ。東名高速の事故など明らかに加害者に問題がある場合も過失致死でしかない状況であった。
 違法性がないとは、刑法に書かれた状況であっても、違法でない状況があれば罪に問われないと言うことだ。正当防衛や緊急避難などが挙げられる。要するに、自己防衛を行っているときに最低限相手を傷つけても、元々の加害者から守るという目的があり、違法性がないと言う判断になるために処罰されないという法律の規定だ。
 もう一つは、その人に責任があるかないか、と言うことである。よく犯罪者で精神鑑定をしているのはこのためだ。精神病で自分の行動に責任をとれない人が犯罪をしても、責任能力がないという事で処罰されない。
 ここで言う処罰されないとは、要するに少なくともその罪で無罪という判決を得ることができるという事だ。それでよいのかという議論は常にあるが、一部の例外で多くの法律の処罰体型を変えては行けない。刑事事件に関する基本的人権は憲法31条に規定されているのだ。
 これに対抗するために、警察・検察は犯罪行為の立証、(罪刑法定主義)と違法性判断(状況と動機の確認・計画性の有無)、そして責任能力の有無(計画性や準備行動)を確認するという捜査を行うのである。
 今回の事件は、その中において非常に謎の多い事件である。まず、動機がはっきりしない。また計画性は疑えるが、動機や意志がはっきりしないと言うことは責任能力を問えない可能性も少なくないという事である。もっといえば、たとえば背後に巨悪がいたとしても(もちろん仮定であるが)まったく見えない構造になってしまう。日本人は非常に「勧善懲悪」が好きだ。テレビの水戸黄門が何代も変わりながら、誰がやっても人気を博しているのはそのためだ。それだけでなく、たとえば会社が倒産したり、経済状況が悪化したりとしても、誰か一人巨悪がいて、その巨悪に群がる利権構造がいて、それを正義をもつ社会が制裁に近い処分を下すという報道が少なくない。それでもうまく行かないときは、より一層大きな「裏の力」が働く事によって、阻止されたというストーリーが作られる。
 私の経験で恐縮だが、マイカルの倒産の時もそのような報道がされた。私はマイカル社内にいながら、「シロアリのような多くの無責任社員が、巨木であるマイカルという会社を食いつぶした」と思っている。経営陣は根と実を一生懸命充実させていた。外から見た巨木の姿も立派であった。しかしシロアリと化した社員が会社を空洞化し、完全に食い尽くし、根や実だけでは巨木を維持できる状況ではなくなってしまったのだ。しかし、報道は全く異なる。故小林敏峯という会長が、そして宇都宮浩太郎という社長が、また他の経営陣が使った、または先見性のない放漫経営をしたために倒産したとなった。まさに「経営陣と言う巨悪」が「善良なる従業員を巻き込んで」社会的な存在の会社をつぶしてしまったという報道だ。本来の悪が変わってしまい、「シロアリ」が「善良なる従業員」に変わってしまった報道はさすがに苦笑せざるを得ない。マイカル倒産の報道はそれで終わらない。その後、アメリカのエンロンが社会問題化し、アーサーアンダーセンという会計事務所が崩壊すると、その会計事務所を使っていたマイカルの倒産も「アーサーアンダーセンが食い尽くした」と報道する。その後、アーサーアンダーセンの背後には、ユダヤとか、なんとか、とにかくアンタッチャブルなより大きな巨悪がいて、マイカルはその波に飲み込まれたという。マイカルの経営者は、そのアンタッチャブルな組織の手下であったと。マイカル、それも本社組織にいた私にとっては、ここまで来ると現実を離れた空想物語でしかなくなってしまっている。フィクションとかそのレベルを遙かに超えた物語でしかない。その物語が平気でジャーナリストの手で報道されている姿は、日本の報道と、日本人のそれを喜ぶ体質に、あきらめの感情しかなかった。マイカル倒産から7年経つが、現在その報道を覚えている人も少ない。一瞬でブームが来て、社会問題化し、空想物語で盛り上がり、そして何事もなかったかのように記憶すらなくしてしまう。これが日本人の好きな形だ。
 マイカル倒産で話を逸らしてしまった。話を元に戻そう。日本人の好きな形を今回の事件ではどうしても感じてしまう。裏の力がなにかはわからないし、情報があるわけでもない。しかし、小泉容疑者の異常性やその謎の犯行までの経歴、それらが解明できなければ、今回の事件を完全に解明できないと考える。つまり、謎な部分を残して「罪刑法定主義」「違法性」「責任」を全うできる物ではないし、また、その計画性が有りながら計画の半ばで、自首と言う形で途中で止めてしまった理由がわからないままになってしまう。もしも背後に見えない巨悪がいるとすれば、当然にその日本人の特性と日本の報道の特性・弱点を巧みについて、小泉という異常性を持った容疑者を作り出すのかもしれない。私にはわからないが、明らかでない部分が多い事件という物は、そのような確率があっておかしくないという結論がでてしまうのである。
 では、巨悪が誰かと言ってしまうと、この文書もフィクションの物語になってしまう。それもおもしろいかもしれないが、あまり私の好みとは合わない。ただ、日本の警察の捜査において、半端な捜査ではなく心理や主観をのぞく多くの部分を明らかにして欲しいと願うものである。
 逆に「巨悪がいない」ということも十分に考えなければならない。全てにおいて偶然は存在する。奇妙な偶然の一致は、あり得ない話ではない。強いて言えば偶然を司る神とか、そのような存在が「巨悪」である可能性もある。そのことを考えなければならない。
 警察の捜査に関して長くなったが、被害者に対する気持ちをそのままに、その次の話題を行うことにしよう。
 起きてしまった事件はどうしようもない。問題はこのような事件が起きてしまった社会的背景の分析と、その分析に基づいた再発の防止を行わなければ、政治はなにをしていたのかという話になってしまう。
 完全な巨悪の存在を求める日本人は、巨悪を取り除けば元に戻ると思っている。しかし、小泉容疑者を作った社会的な環境はそのまま存在するのだ。本当の巨悪は完全にそれを生み出す社会環境であるといえる。
 では、小泉容疑者を生み出した社会環境とはなにか。様々な要因が考えられるが、ここではあえて一つに絞って話してみたい。それは、もっとも日本人らしい「無関心」であろう。報道の範囲でしかないが、異常な常習クレーマーに皆しっかりとした対応をしていない。実に、その対応は「臭い物には蓋」と言う対応であり、その社会性が完全に乖離している。このような事件になっても「関わり合わなくて良かった」という雰囲気が伝わってくる。
 社会共同体が崩れて久しい。都市生活と都市生活者における「核家族化」を越えた「個体化」が進んでいる。それに伴い近所における無関心と、「社会の目」の欠如が大きくなってきている。道徳とか修身といった事が敬遠され、義務意識の欠如した権利意識だけの人が増えた。当然に、隣の人への関心が全くない社会ができあがり、より一層個体化が進む。
 社会共同体の欠如は、異常犯罪を生み出す。本来ならば、それを事前につみ取る社会的な抑止力があるが、今の日本、事に都市部には存在しない。
 政府は、これら犯罪に対して、単に異常者として片づけるのではなく、また警察などの警備強化をするのではなく、そのような犯罪が怒らない環境を作るという作業が必要になる。このように言うと、すぐに犯罪予備軍のリストアップと隔離という議論が発生する。しかし、たとえば懲役刑の刑務所を出所しても、再犯率が高いという事実は消せないし、その再犯罪の防止措置は「保護司」と言う職業しか存在していないのも事実だ。上記のような「個体化」の進んだ都市生活者において、まだ道徳社会・大家族制が生きていた時代の制度を適用しても効果が薄いと言うことであろうか。
 とはいえ、今の都市生活を大家族制に戻すのはかなり難しい。経済状況や仕事面で、そのことが困難になっている。特に職業が世襲でなくなった今日において、親の職と子供の職が地理的にも職種的にも異なることは通常だ。政治家の世襲が奇異に見られるのは、このような背景もあるのかもしれない。住環境、職環境、金銭環境に社会環境全てが異なれば同居は難しいし、そのために、それら環境を全て変えることは難しい。
 犯罪の未然ぼうしと犯罪予備軍の事前監視は、現在の住環境を元に考察しなければならない。当然に地域社会での取り組みや声かけが必ずしも効果を上げるものでもないが、逆に官憲に任せておいて犯罪が未然に防げるものではない。
 私個人の意見では、公務員およびその天下りの地域コ共同体への参加と達成率の提示をさせるべきで、その内容から「第二の就職」を地域ですればよい。また、道徳教育の復活。事に倫理観を子供の頃から植え付けること。このためには道徳のない教員の懲戒と言うことも含めなければならない。完全に個人的な意見であるが、国家という大きな共同体に参加できない教員は、小さい単位の共同体の維持や作成もできないであろう。共同体ができない教員が道徳やボランティアを語っても、信用できないのではないか。それら資質のない教員の懲戒は必要である。蒸し返すようであるが、田母神論文を批判するのと同じで、個人の主張は良いが、教師という立場で、国家を否定するのは許せないのではないか。某新聞が、田母神の論文を避難しながら、日の丸君が代を否定した教師を絶賛するのは、組織と立場という意味で、論理が破綻していると思う。そこまで解説して論評すべきではないだろうか。
 話がそれたが、外国では、宗教的倫理観があり、日本にはそれがない。倫理観が完全に破綻していると言うことと、そこに対する監視ができないという事が、現代の問題の多くに根付いている根本の問題である。中曽根元首相が中教審において「教育は国家百年の大計」と語ったが、戦後65年でここまでモラルハザードが進むとはだれが予想しただろうか。先にも述べたように、マイカルの倒産もモラルハザードが一つの原因であるといって過言ではない。現在のイオンの危機に関しても同様である。
 政府に関しては、まずこれら国家百年の大計を示し、10年後30年後100年後の日本のあるべき姿を示して改革に着手してほしい。そのための財源として税制も語るべきであるし、政策も立てるべき。外交も同じであろう。
 国家のことを考えない野党のことなど気にせず、この国のすべきこと、今の政府のすべきことをしなければならないのではないだろうか。何度も繰り返すが、犠牲者の冥福を祈りながら、このような犯罪が起きないような社会の「しくみづくり」を急いでもらいたい。

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