渡辺喜美議員の自民党離党と政局
渡辺喜美議員の自民党離党と政局
昨年末、臨時国会の最終から今年初めの通常国会の開始早々、渡辺喜美元行政改革担当大臣の去就が話題になっている。ことの起こりは、野党各党が発議した「解散決議」に対して、自民党からタダ一人賛成し、また、給付金の反対を主張して自民党執行部に対して意見書を出すなど、自民党執行部に対する批判を明確にしている。1月13日に離党届を提出した。
渡辺議員のこれらの動きに対して、野党はおおむね歓迎ムードである。実際、解散を早期にすべしと言うことと、補正予算案から給付金を分離すべしと言う二つの主張は、野党各党と大同小異ながら同じ主張であるために、その歓迎ムードは理解できる。
これに呼応して稼働かはわからないが、第二次補正予算の衆議院本会議での決議に際し、内閣府政務官の松波健太議員が採決を棄権した。
さて、本件において、今後の政局を見る上で大きな課題が画されていることに気づくべきであろう。
一つは自民党議員の動揺という点である。糸が解れるように少しずつこぼれていくことの原因だ。これは、麻生自民党執行部の求心力の問題となる。もう一つは選挙を目指した議員の行動と言うことになろうか。
もう一つは、野党各党の動き。ことに政権奪取に向けた合従連衡がどのようになるのかということ。
最後に、次の選挙の焦点はなにか。争点はなにか。そして、選挙後の日本の姿は誰がいえるのかということである。
まず、順序を変えて、「次の選挙の焦点はなにか」という論点から見てみよう。どの議論をするにしても、選挙と言うことが機軸になることは間違いがないからである。
民主党は、次の総選挙で政権選択の選挙という。しかし、果たしてそうだろうか。そもそも、政権選択を口にするのであれば、批判反対、誹謗中傷ではなく政策論争をすべきである。18日の党大会でも、結局民主党の目指す政策は見えてこない。「自民党のアンチテーゼ」でしかない。要するに、誰かが担当した内容を第三者的に批判評論することはできても、実際に自分たちが政権担当できるかということになると、はなはだ疑問である。そのことは支持率にも現れている。自民党の支持率が低下したのはわかるが、民主党の支持率はあがっていないことが着目される。要するに自民党批判票が民主党支持につながっていないことを示す。このことは、「一度民主党にやらせてみても、ダメならばまた自民党に戻せばいい」という、日本人特有の玉虫色解決法の心理が大きく働いていることは言うまでもない。よって、民主党の言う「政権選択の選挙」にはならず、強いて言うならば「自民党政権の信任選挙」となるのであろう。しかし、それは政策があってこそであり、なにもなく「信任選挙」というのはあり得ない。
では、結局どのような論点が選挙になるのか。
渡辺議員は、「脱公務員」を挙げた。実際昨今の公務員不正は目に余る物がある。特に話題になった社会保険庁の年金問題や雇用保険問題などは、政府が国民の反感を買い、参議院選挙で自民党が惨敗するほどの事件に発展した。農水省も職の安全を守ることもできない。近年は、不正が目立つと言うよりは、国民の生活を脅かされる事件が多発している。しかし、公務員は公務員法に守られた存在であり、その改革を行うと言うことは法案を通さなければならない。では、現在の日本において法案を作るのは誰か。これこそ官僚・つまり公務員である。ましてや、民主党の支持基盤である自治労所属者が、その中に多数はいるという結果になるのだ。そもそも、公務員は国家における奉仕者である。その身分が保障されている代わりにさまざまな労働条件などが制限されている存在だ。制限慣れている分、手厚く処遇されている部分があることも納得できる。しかし、「自治労」などとして、本来制限されている政治活動を行うことは、そもそも憲法に違反している行為だ。その憲法違反者の「支持」を受けている民主党が「護憲」をいうのは、そもそも民主党の政治姿勢に二律背反行為が存在することが明らかである。また、その「支持基盤」の公務員を改革することは疑問である。
政権与党である自民党も、公務員改革を行うと言うことは、官僚を頼らずに官僚の仕事を変える法案を、現在存在する全ての法律や政令に照らして矛盾がないように、また矛盾があれば解消するように法案を作らなければならない。地方分権に関する会議の座長を務めている丹羽宇一郎氏は、地方分権に関し、大学生などの協力を得ている。それくらいの指導力と、官僚を頼らない姿勢を貫くことができるのか。残念ながら渡辺氏を含めて難しいと言わざるを得ない。
渡辺議員や民主党が主張する、政府批判のうち、公務員改革がこのように砂上の楼閣であることが予想される。では、他の選挙の論点はなにか。民主と自民は全ての項目で対立しているので、実は争点論点が一致していない。政府がやることに、子供のように全て反対する。これでは感情論しかあり得ない。細かい論点はある。テロ特別措置法などの国際貢献、定額給付金を初めとする景気対策など、その内容は多岐にわたる。後期高齢者医療制度にいたっては、民主党は元に戻すとした。もともと、健康保険制度で破綻しているから高じた策を、破綻する方策に戻すとした主張は、常軌を逸していると言わざるを得ない。これ全て、民主党の選挙政策で「自民党は頼りない」というイメージ戦略でしかない。
要するに、上記に示したように、「自民党政権の信任選挙」となる。また、それ以外にはない。結局のところ、イメージと、現状の政府批判、それは自治労を含めた公務員への不満を自民党に重ねた選挙でしかない。また、その不満は民主党の支持団体が作り出した物である可能性もある。いわばマッチポンプ選挙の可能性があるのだ。本来であれば政策を戦わさなければならない選挙で、いわば人気投票を行うようなものだ。
さて、渡辺議員の離党と言うことを考えれば、選挙に向けたないようであると言わざるを得ない。その選挙の争点がこれである。そもそも争点そのものが議論されず、スキャンダルや空論で埋められている。渡辺議員はそのことをわかっての離党であったのか。はなはだ疑問である。どちらかというと、「選挙風」という雰囲気と、マスコミと民主党の煽る、政策なきイメージ選挙に惑わされたのであろうか。
さて、では、何故そのような「惑わし」があるのであろうか。ここが、第一の論点である「自民党議員の動揺」という点にある。
政治とはなにか。これは時代によって異なる。もともとは「政(まつりごと)」という。これは、昔の政治が神からの神託を聞くことが中心であったため、神を祀ることそのものが国民に対する政治であったことから由来する。科学的に話ができない時代は、政務のほとんどがマツリゴトであった。しかし、今はそうではない。神の存在を否定するわけではないが、少なくとも日本国憲法においては、国民一人一人に主権があり、その主権に従って、政治が行われる。国民は、過去の盛時の実績と、これからの政策、それらを示した公約とその実現可能性を判断して、投票を行うのだ。その代表が代議士と言われる国会議員であり、議員内閣制によって、その国会議員の過半数を占める正当から行政府の長である内閣総理大臣が指名される天皇陛下より任命される。他の大臣に関しては、指名が内閣総理大臣であり、任命が天皇陛下である。これら大臣と公務員が行政府を構成し、司法の独立をもって、議員内閣制に基づく三権分立が成立する。何も難しいことはいっていない、小学生が習う公民の授業だ。しかし、大人になるとそのことを忘れてしまう人が少なくないらしく、憲法があるに関わらず、内閣総理大臣を直接選挙にするとか、野党の党首が安易に解散の時期を口にすることが往々にしてまかり通っている。
また、与党自民党の議員も、なぜかそのことがわかっていない人が少なくない。内閣支持率や、マスコミの評判で一喜一憂する姿は滑稽でしかない。
自民党の衆議院は、その中に小泉チルドレンと言われる議員がたくさんいる。前回の俗に言う郵政選挙で当選した一年生議員である。この議員たちの多くは、郵政選挙の時の造反組の「刺客」として送り込まれた議員だ。その中でも、とりわけ造反組が復党した場合の一年生議員は、強固な地盤も固定した支持勢力も存在しない。一概に言うことはできないが、これら地盤がしっかりしていない議員は小泉チルドレンと言われる議員だけではない。彼らは、小泉元首相の人気と圧倒的な支持率を背景に、マスコミ報道など雰囲気に押されて当選した場合が少なくない。現実はそうでなくても、そのように見られてしまうことも少なくない。この「見られる」というのはたいそうやっかいで、その雰囲気が、併せて本当にそのようになってしまう。
彼らにおいてそうであれば、結局自民党の顔を「国民的人気(支持率)をとれる人」に名ってもらわなければならない。そうでなければ、次の選挙で自分たちは議員バッチをはずさなければならないのだ。そこで、執行部に対して「評判の良い政策を打ち出せ」というようになる。そのときは、国家のため・国民のためでなく、自分の国会議員という仕事のためにそれを主張する。
それを受けた自民党執行部も、議員の主張であるから真摯に受け止める物の、国民のために行う政策と、議員バッチのために行う政策の二律背反が起きてしまうのだ。
最近の話題で言えば、派遣労働者対策を行い、セーフティーネットを拡充せよ、という。その中にはすむところと食料を安定的に供給せよと言う。一方で、赤字国債をなくし、借金を減らせと言う。セーフティーネットの財源もなく、それらを拡充するというのは、結局誰がどの財源で行うのか。そもそも資本主義、自由主義経済国の中で、働かない人(働けない人ではない)の生活の安定を守るというのはどういうことか。派遣村に集まった人の中で「働かない人」と「働けない人」をどうやって分けるのか。それら具体的議論もなく、財源的な裏付けもない議論が繰り広げられている。それらを解消するために、一律で給付金をいうが、評判が悪いという。政府が2兆円もの資金を消費市場に直接投じることに、景気対策にならないとはどういうことか。
要するに、その内容に関する本質的な議論をすることなく、また現在の状況で、政策的な見地から物事を判断することでもなく、選挙対策用で、民主党が用意した土俵にのって政局論で発言するあまり頭の良くない議員が出てくる。マスコミはそれをとらえて、自民党の中にも反対派がいる、自民分裂と無責任にはやし立てる。物事の本質を見せないようにしてしまい、また政局をセンセーショナルに書き立てて対立を煽る。
このような雰囲気に乗せられたと言うのも、渡辺議員の離党の一因であると想像できる。つまり、選挙対策として、自分の地元の有権者に物事の本質を説明できる議員が少なく、またその教育もなされていない。そのことを民主党とマスコミにうまく利用されたということであろう。
「野党各党の動き。ことに政権奪取に向けた合従連衡」という観点に移る選挙の論点とリンクする話になると予想される。
選挙の論点が「自民党政権の信任選挙になる」ということはすでに書いた。しかし、自民党内部においては、これを「自民党執行部の信任選挙」と考える人も少なくない。自民党の信任選挙と考えれば、自民党に所属している議員そのものが大同小異を認識しながらも一致団結して政策に対処する。しかし、執行部、または麻生総理の信任選挙となれば、昨年9月の総裁選挙でも他の候補に推薦投票した議員もいることだし、また、上記のように国民の人気や支持率に頼らなければならない議員も少なくない。当然に、「反対派」という多数派に身を寄せて、我が身の安泰をはかることを考える議員も少なくないのではないか。
そのようなことは政治の世界だけではない。会社そのものの存続が危うく、倒産の危機であるのに対して、社内で内部抗争や派閥抗争をしている役員・従業員などは少なくない。身近で体験し手いる人も少なくないであろう。私が前にいたマイカルは、倒産法(会社更生法)適用時にクーデターが起きると言うことで話題を呼んだ。四方修社長(当時)が警察出身であるのに関わらず、足下のクーデターを事前に察知できなかったという、ある意味で情けない経営能力と同時に、倒産した会社の中でも、内部抗争があり、山下幸三取締役の、内部抗争の異常さが際だち、「マイカル倒産やむなし」という印象を広く植え付けた。マイカルはそれらが表にでてしまい、広く醜態をさらした事例としてもっともわかりやすいが、実際のところ、倒産会社やその寸前と目されている会社での内部抗争はよく聞かれる。実際、内部抗争の力を外に向ければ会社は立ち直るであろうに、内部抗争に明け暮れた上で、結局会社ごと倒産させてしまう事例は、後を絶たない。
自民党とて同じこと。今は野党という共通の敵に政権奪取される可能性があるに関わらず、未だに内部抗争を継続する。派閥争いを行う始末だ。その理由の中には、総裁ポストということもあるだろうし、上記のような、議員個人の身分の問題と言うこともあるだろう。民主党は、特に小沢氏は「数の論理」で話を進めるタイプである。当然に、それら自民党内部の構想に目を付けないはずがない。特に元々自民党の幹事長を歴任しているのだから、その人脈もないことはない。外部からそれら内部抗争と、議員という身分に対する不安感をあおり、自民党が頼りないとして、切り崩しを行うことは間違いがない。渡辺議員に関して言えば、政策論なども交えたかもしれない。
麻生総理の言う「政局よりも政策」は大賛成である。国民は国会内での権力争いはあまり興味がない。しかし、上記のような混乱や内部抗争が起きるのは、現在の政権があまり政策を示していないことに問題がある。この表現はあまり適切ではない。「国民とのコミュニケーションが不足している」というのが最も重要な問題だ。何をしようとしているのか、将来の日本のためにどのような政策をとっているのか、そのことの説明がなされていない。説明しているつもりになって、結局伝わっていない。その伝わっていないことをマスコミの変更報道に責任転嫁している。小泉純一郎内閣の時はそれが伝わっていたのだ。それは個人の人気の問題もあるし、注目度合に問題もあるが、安部首相の時代から、わかりやすい短い簡潔な表現を使わなくなる。誤解を招かないように長々説明することによって誰も見なくなってしまっている。そして、その揚げ足を取られて窮地に追い込まれる。
漢字が読めないなどといわれるのだ。
何度もここで繰り返しているように、現在の国会に必要なものは政策論争である政局論やスキャンダル争いは必要がない。しかしそれだけではない。その内容を正確にわかりやすく、簡潔に説明しうるコミュニケーション能力が必要なのだ。それが欠けた政権が三代続いている。政府が何をしようとしているか、国民が理解しなくなってしまっている。
渡辺議員による反乱が、あまり大きな政局にならないと考える。それは、民主党の設定した選挙の争点が破たんしていることを意味する。そして政策論争を気取っても結局政局論でしかないということが国民が気付いている。その雰囲気を読み違えた渡辺議員は、今後よほど政策論をきっちりと国民に示さなければ支持を得ることはないだろう。元の地盤があるので、議員としての活動は可能であろうが、多くお議員の中で埋没してしまう存在になるかもしれない。逆に、分離された自民党も、しっかりとした政策を示し国民に説明しなければ、あまり良い状況にはならないであろう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント