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2009年2月

北朝鮮ミサイル発射準備

北朝鮮ミサイル発射準備

 最近の報道で、北朝鮮がミサイルの発射準備を進めている話が大きく取り上げられている。
 ことの起こりは、2月16日の金正日将軍の誕生日の報道の中で、北朝鮮がミサイル実験を行う用意があることを報道し、その後アメリカのヒラリー・クリントン国務大臣の訪日の際も、それらが話題になっている。日本では、麻生内閣の不信任と、中川昭一財務大臣の酩酊記者会見(本人は風邪薬によるものとしているが)で話題が豊富になっていた。その上中川大臣が辞任を巡って迷走したために、アメリカの国務大臣の会見ですら新聞の一面からはずされてしまった。政局好きはかまわないが、なにが最も重要かを考えなければならない状況が全くわかっていないのではないか。
 さて、北朝鮮のミサイルの話。
 そもそも、六カ国協議は朝鮮半島の非核化ということが主な話題である。ここの文章でも過去何度も書いているように、拉致問題は二国間の問題で六カ国協議において話題にされるべきものではない。残念ながら、アメリカなど諸外国が拉致被害者に対して理解を示すが、実際拉致問題は日本が自力で解決しなければならない問題である。
 少し話がそれて拉致問題に関する雑感を入れてみよう。あとでその都度ふれるよりは、今回のミサイルの話題の場合、まとめておいた方がよいと思える。
 私の思うところ、または中国や韓国、日本においてアメリカやロシアの人と話をしてみると、まず国家に関する認識や軍事に関する認識が異なることに気がつく。まず北朝鮮と韓国は戦争中である。実際の戦闘行為が無いだけで、もっと言えば殺し合いとか武器の使用が発生していないだけで、戦争であることは明らかだ。両国ともに戦争に関する準備はしているし、いざ戦争となれば徴兵して軍を動かすようになっている。
 日本は軍隊がない。実際自衛隊は存在するが、「専守防衛」ということで、武器の使用を制限されている。竹島や尖閣諸島の領有権を主張しながら、そこにきた外国船に対して武器使用ができない状態になっている。日本は戦争状態にない国である。たとえばミサイルが日本の上を飛び越して公海上に落ちた場合、抗議や警告はできても、それ以上の行為ができないのが日本の憲法だ。
 この「なにをされても武力行使のできない国」日本が、実際に自衛隊をもっていても、あまり北朝鮮の脅威にはなっていない。そこで、拉致被害者がでても、自国で交渉しても解決できない。そもそも、相手のミサイルの脅威に屈しているのであるから、まともな工廠をすることができない。これは民主党であっても同じだ。「政府は不甲斐ない」などと非難しているが、それならば専守防衛を放棄し、少なくとも不法潜入者や入国者に対して武力行使を可能にすべきであるし、そのような憲法改正を行うべきである。
 以上の理由で、日本は独自に拉致問題を解決できない。そもそも日本国内の誘拐犯でさえ、誘拐場所の包囲や強行突入ができなければ解決できないほどの交渉力で、国家的に犯した犯罪者を話し合いで解決するなどは不可能である。ましてや包囲もできない。また、上記のように武力行使による解決や、武力を背景にした交渉もできない。なぜならば、専守防衛だからだ。日本国憲法がそのように規定しているし、それを世界に誇らしげに主張している。そのことの是非は別にして、少なくとも武力行使を背景にした外交交渉ができないということは事実だ。結局拉致問題の解決は、外国の武力を背景にしなければならない。アメリカや中国に解決の依頼を行う姿勢は、まさにそのものである。片方でインド洋での給油活動やサマワへの治安維持の派遣、今回のソマリアの海賊被害縮小のための自衛隊出動を反対しながら、武力背景の交渉力を期待して、または少なくともその圧力や包囲を期待して拉致問題の解決の協力を求める。
 各国とも市民感情的に拉致ということを訴え、そしてそれを政治利用するには良い題材である。アメリカなどは、拉致に関する映画を流している。しかし、これらは「北朝鮮悪人国家」要するにブッシュ前大統領の言う悪の枢軸国の定義を正当化づけるエピソードには丁度良い。とはいえ、交渉の席では朝鮮半島の非核化ということを機軸にしかおかない。過去六カ国協議で六カ国が拉致問題解決に関する話し合いをしたことはない。各国とも日本と、拉致家族と、そしてその解決を迫られた政府の立場は「理解する」けれども、同時に、その為の「具体的な取り組みや実行行為」はしない。結局、日本の拉致問題の解決よりは、日本と北朝鮮以外の四カ国にとっては、北朝鮮が核ミサイルを撃たないこと、北朝鮮が核ミサイルを背景にした強行外交をしないことが最優先である。他国の不幸は自国の政治利用はしても、それ以上ではないのが現実である。
 さて、その現実的な問題として、北朝鮮がミサイルの発射の準備を進めている。
 北朝鮮は22日になって人工衛星の打ち上げだと主張しテレビなどで放映している。現在の長距離大陸間弾道弾は、大気圏外にでて、その後に再突入して落下するタイプである。要するに宇宙ロケットが帰ってきて爆発する。トマホークのように海面ぎりぎりを通って相手の国に到着するのではない。要するに北朝鮮の原子力発電に使用する濃縮ウランを兵器利用して、人工衛星打ち上げようと主張するロケットに核弾頭として積み込めば、立派な核弾頭大陸間弾道弾ができあがるのだ。
 ことの起こりは、六カ国協議において、北朝鮮が核開発を放棄すれば、エネルギー源である重油を六カ国協議参加国が分担して供給すると言うものであった。しかし、日本は拉致問題が解決していないことを理由に不参加。そもそもその時点で会議参加国の足並みが揃わなかった。その上で、重油の提供が先か各開発停止の確認が先かというどちらが先に行うかという議論に発展した。当時のヒル国務次官補は何度も北朝鮮と会談を行ったが、結局折り合いがつかず、昨年末に北朝鮮は核開発を再開。そして、今回のミサイル実験になっている。金正日主席の誕生日とか、韓国の李明博大統領の就任一年などと、そのタイミングに関しては様々言われているが、そもそも情報をとれない日本において、これらは韓国の聯合ニュースやアメリカの報道といった外信頼りでしかない。
 少し観点を変えて、ミサイルが飛ぶためにはいくつかの条件が必要になる。まず、ミサイルそのものの開発が行われていなければならない。北朝鮮の場合テポドンというミサイルが開発され、1998年から日本はその脅威に接している。
 次に、ミサイルが生産されていなければならない。当たり前のことであるが、完全な実験用でない限り、実験で発射すればそのミサイルはなくなるのであり、ミサイルを国防に使う以上、次のミサイルができあがっていなければ、発射はしない。在庫があって余っているから実験できるのだ。
 では、そのミサイルの開発であるが、アルミニウムや鉄といったものから(なるべく)正確に標的に誘導するためのコンピューターなども必要になる。ミサイルを生産するための予算や、それら資源・材料が揃っているということを意味しているのだ。
 そして最後に燃料である。当然にロケット燃料が入手できなければロケットは飛ばない。ロケットはプロペラ機ではないので軽油や重油で空を飛ぶわけではないのだ。
 北朝鮮は、これらの資源を独自に自国領土から算出したり開発したりできるわけではない。そもそもそれだけの資源国であるならば、国民が貧困であるはずはない。また、ミサイルを使った強行外交で他国を脅しながら重油などを恵んでもらわなくても良いのだ。
 要するに、北朝鮮がミサイルをとばすためには、それなりにミサイル開発から生産、燃料の供給まで協力する国がいると言うことだ。パキスタンやイラン、中国やロシアという国の名前が挙がっている。しかし、日本や韓国もこれらに協力している国であることを忘れてはならない。北朝鮮は世界有数の麻薬輸出国であり、それの見返りとして韓国や日本のアウトローの集団からコンピューターやそのほかの物品、開発に関する情報が出されている。また、万景峰号を初めとする交流もその一部であるし、中国やロシアを通じた三角貿易での物品の貿易も見逃せない存在である。
 これに対して、三角貿易まで取り締まるのは難しいとしても、まず漁船などを使用した非合法貿易や不審船の排除を積極的に行わなければならない。数年前に不審船を一隻撃ったからといって満足しているのではなく、海上保安庁だけでなく自衛隊も協力して「国の安全」を守るべきではないだろか。
 また、この件に関して、これら行為が朝鮮半島の非核化を阻害する大きな要因であるとして、日米安全保障条約に基づくアメリカ軍の協力を仰ぐべきである。日本の自衛隊には、まだまだ武力行使に関するためらいや日本国内における批判を気にする姿勢が少なくない。アメリカや、国連、IAEAなど世界を核の脅威から守らなければならない使命感がある国の協力により、これらを排除するのは必要であると思われる。
 そして、日本が自分で自分の国を守れる仕組みを作らなければならない。領海侵犯されて、「話し合い」ですまされないのは、北朝鮮だけではない。中国の潜水艦に、ロシアの潜水艦もある。北朝鮮の不審船もあるし、先に挙げた竹島や尖閣諸島の抗議船なども入っている。自国の領土や領海、経済水域を自分で守れない国が、世界平和を語る資格はない。そもそも、それらがしっかりしていれば拉致のほとんども発生していなかったであろう。旧日本社会党は、「拉致はなかった」といい、そして「武装放棄」「憲法9条改正反対」をうたい文句にしていた。拉致家族会などが、その多くが所属する民主党とともに政治活動を行うのは違和感を覚える。
 ここで、日本を自分で守る仕組みを作るというのは、一足飛びに憲法9条を改正しろといっているのではない。そもそも、日本を守るといっても、なにを守るのか、そのためになにが必要なのかを考えなければならないし、議論しなければならない。ここで言う「日本」とは「国民」なのか「領土領海」なのか、それともなにかほかのものなのか。武力を行使してまでも守らなければならないものがなにかを決まってから、その守る手段について考えるべきである。戦前の日本でも、武力一辺倒で全てを守るとか侵略するという考えをしていたわけではない。山本五十六聯合艦隊司令長官や井上茂美軍令部次長などは、軍隊と外交を活かした国体の維持を主張していたし、そもそも加藤友三郎氏などは、ロンドン軍縮条約に賛成している。10対10対6という海軍力での国防を企画でき、受任できた背景には、当然軍隊だけでない国防、それこそ条約や話し合い、経済関係などによる国防の姿を見ていたと、様々な資料が示している。
 さて、今の日本においていたずらに軍備増強や独自防衛を歌うことは危険である。戦前の帝国海軍ですらその無謀さを認識していたのに、現代の日本が世界を相手に戦争できるはずはない。そもそも、戦後教育で培われた暴力反対の教育は、単に北朝鮮の不審船を撃退することにも気を使わなければならない状況になっているのである。軍備だけでなく、人の訓練や精神的な修練といったところを含めると、不安が残るであろう。当然に日本は世界の中で世界平和に寄与し、その世界平和の中で日本という国家の平和を享受すべきである。平和でなければ貿易も物流もできない。貿易立国である日本はそのシーレーン防衛まで含まなければ食料自給率も製造産品の販売を通しての景気の維持もできないのだ。当然に「日本を自分で守る仕組み」とは、そこを含めた議論であり、そのために「必要であれば」(私は個人的には必要であると思っている)憲法改正を行うべきであると思う。そこまでの考え方や論理的な筋道を、そして過去の戦争における感情的なアレルギー反応で、物事を判断し、憲法という国家の根幹をなす取り決めを左右すべきではない。
 さて、今回はかなり横道にそれ、国防に関する内容に立ち入ってしまった。北朝鮮にミサイルを発射させないには、「開発させない」「生産させない(原材料を与えない)」「発射スイッチを押させない」の三つの行程があり、そのためのプロセスをいかように押し進めるかということが重要になる。そして、六カ国協議でできること、日本が独自にできること、日本でしかできないことの三種類を検討し実行に移しておかなければならない。
 まず、開発させない。これは原子力を放棄させるという行為だ。原子力発電の放棄は、六カ国協議の主題だ。また、この内容を日本において日本が独自にどうにかできるというものではない。IAEAなど国際機関に様々な判断をゆだねることや、ヨーロッパの各国が提供している原子力の情報を封印すると言うことが必要になる。最近でも、イギリスが使用しなくなった原子力発電所を北朝鮮の視察団が訪問したというニュースもある。これらに対して、中止を依頼するなど、この分野でも日本ができることは少なくない。日本は世界各国に向けて朝鮮半島の非核化という重要事項を訴えるということしかできないであろう。
 生産させないということに関しては、日本の密輸や万景峰号での荷物検査、三角貿易の実態の把握など、やらなければならないことはたくさんある。それだけでなく、「スパイ天国」といわれる日本人の情報に関する認識の甘さを改善する教育が必要であろう。映画007ではないが、情報は命を掛ける者も金を掛ける者もある。日本人は情報管理の甘さから、国際社会でかなり損してきている。その認識を改めるべきだ。「水と安全はタダと思っている」というが、日本人は情報もタダと思っているのだ。
 情報の大切さだけでなく沿岸警備の強化や不審船への臨検の強化も必要であろう。これができていれば拉致も未然に防げたかもしれないし、ミサイルも開発できなかったかもしれない。
 そしてスイッチを押させない。これは、政治的な問題と軍事的な問題のに種類に分類される。軍事的な問題が簡単なので先に解説すれば、軍事的な問題は、設備を行うだけである。ミサイル防衛施設を配備することによって、発射しても打ち落とされる可能性が高くなれば、発射しなくなる可能性もまる。その意味ではミサイル防衛という考え方は必要であろう。
 もう一つは政治的な問題。当然に北朝鮮も「子供の遊び」でミサイルを撃つわけではない。なんらかの政治的な意図や目的が有ってミサイル発射を言うのである。その政治的な目的に関して「交渉」を行うことは可能であろう。また、逆にそれをききすぎれば「ミサイルで脅せば何でも諸外国がいうことを聞く」というような甘えた考えをされても困る。結局「要求」にこたえれば「何かを失う」というバランス感覚を欠いた交渉を行ってはならない。その中において六カ国協議は非常に重要な場所になっているのではないだろうか。日本もその交渉の中に入らなければならない。ここで拉致問題を大きく言いすぎて、人質一人で大きな代償というバランス感覚の欠いた交渉に諸外国や日本という国家を巻き込んではならない。
 さて、このような状況の中において、日本は重要な局面で「政局遊び」をしている。一つでは、中川昭一財務大臣の会見の態度などに関する内容。もう一つは、景気対策での予算と予算関連法案の問題。ソマリアにおける海賊の派遣など、隣国でミサイルの発射とか核の脅威を抱えながら、国内の問題で躓いているのである。
 民主党の小沢党首は、この期に及んで「米軍は海軍以外はいらない」と発言し、アメリカ陸軍や空軍の縮小(将来的な廃止)を示唆する発言をしている。そのことはそのまま日本の軍備の増強と安全保障条約の解消を意味しているのであり、ソマリアの海賊対策も出せない政党の党首が何を言っているのか、全く理解に苦しむ。実際、国防・安全保障・外交ということに関しては、自分で日本を守るということ、アメリカなど他国の傘に頼らないということは必要であるが、核兵器ということと核不拡散条約の中においては、どこかの核の傘の下における安全保障ということを考えなければならない。唯一の核被爆国である日本において、その脅威を後世に伝えるとともに、その力の利用ということを考えなければならないであろう。小沢発言における「在日米軍がひくことによって、日本の防衛は日本が責任を果たしていけばいい」「米国に(日本の防衛を)おんぶに抱っこになってるから唯々諾々と言うことをきくことになる」という感覚は、一国の指導者の発言としては不穏当ではないだろうか。基本的に田母神前航空幕僚長と、あまり変わらないのではないだろうか。
 北朝鮮のミサイルの件は、そのまま日本の隣国として、そして日本の脅威として考えなければならない。味方を増やして、北朝鮮に考え方を変えさせなければならに氏、中国からロケット燃料などの燃料を輸出することをやめさせなければならないだろう。現に燃料が輸出されれば、ミサイルは飛ぶことができるのである。その時に、政局優先の政治をしていて良いのであろうか。選挙を考えなければならないのもわかるが、日本の脅威にあまりにも無関心すぎ、日本国内の内紛に勢力のほとんどを使い果たしてしまっている。本来ならば大連立でも何でもして、まず日本に降りかかる脅威を振り払う最善の努力をすべきではないだろうか。
 そして、改めて日本という国と、日本の国の安全保障、国防ということ、そして日本人が国際社会の中で安心して暮らせるということを考えるべきではないだろうか。この期に及んで「日本人は安全がタダと思っている」という言葉が身にしみる。「日本人」よりは「日本の政治家」が最もひどい認識違いなのだ。少し政治家の皆様にはまともになってほしいものだ。

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 民主党小沢代表とクリントン国務大臣会談調整困難

 民主党小沢代表とクリントン国務大臣会談調整困難

 13日になって、驚くニュースが届いてきた。近未来の日本の政治状況を見据えて、小浜政権として初めて来日する閣僚、クリントン国務大臣が、野党第一党の民主党小沢代表との会談を希望した。しかし、当該日程は、小沢代表自身が選挙対策で地方遊説しているために、それを断って別な日程の調整をさせたというのである。しかし、外交日程上の問題で調整が困難となり、会談見送りの公算が強くなったというのである。
 今回は、純粋に民主党批判、民主党というよりは小沢執行部批判といってもよいかもしれない。小沢執行部批判の文章を読みたくない人は、ここで読むことをやめていただきたい。しかし、今の日本にとっては、非常に重要なことなのではないだろうか。良く考えて読んでいただきたい。
 まず、何が問題とされているのか。基本的に、民主党小沢執行部は、完全に「政策よりも政局」ということを、この一件で証明したのである。日本にとって日米関係は「好き・嫌いにっ変わらず」重要な関係である。アメリカのサブプライムローン不況による日本の影響は多大であるし、リーマンショックでの日本企業への影響あ非常に大きなものである。ましてや、アメリカのビック3といわれる自動車会社の不況と、北米での新車の販売台数の激減は、日本における自動車産業の減産や経営難を発生させ、生産調整から「派遣切り」という社会現象を起こさせた。最近でも日産自動車のスポーツ部のすべてを休部にするというニュースや、私が子供の頃に遊んだ多摩テックが閉鎖されるニュースなども出てきている。
 民主党は、政府に対して「派遣切り」の紋ぢ彩「景気対策」「補正予算」と様々なことを言っている。しかし、昨年来の景気対策を必要とする現象のすべてはアメリカ発である。そのアメリカの国務長官との会談を行わないということが許されるのであろうか。そもそも、それら政策の原因から解決することを民主党は自ら放棄したという姿に他ならない。その事情が、「選挙のため」とは、「政局優先」「政局のためならば外交も放棄する」ということを国民に示したのであろう。そして、そのような政党に政権を任せられるのであろうか。政権を任せるとか、そういう次元の問題ではない。政治家として政治や経済を語る資格がないのではないか。
 そもそも、参議院選挙の後、シーファー駐日全権大使が、インド洋での給油継続において、約束の時間にかかわらず長時間待たせてみたり、会談をマスコミに公開するなど「外交上非礼である」という批判が相次いだ。これは単に「民主党」ということにおさまらない。日本人の観光旅行しか海外に行かない「幸せ奥様」には受けがいいかもしれない。自分の努力不足を棚に上げてすべてを第三者に責任転嫁し、どうにもならないことは政府が悪いというマスコミや学生には支持されるかもしれない。しかし、食料自給率が40%を割り込み、石油の96%を輸入に頼らなければ電気もトラック物流も止まってしまう、海外の中で平和で安全な貿易と金融決済関係を維持しなければ「日本人の平和で安全な生活は崩壊し、日本の中で餓死者が出る可能性がある」という現実をどのように考えるのか。そしてそのために、日米安全保障条約を基軸にした「安全保障」とIMF体制とドル基軸通貨とする「世界経済の安定」は、日本の政治家として、日本人一人一人が守るということを肝に銘じなければならない。
 このためにはアメリカだけではない。隣の韓国も中国も、多くの輸送船が通るマラッカ海峡の沿岸国や資源国の中東、食良品の輸入が急増しているアフリカの東側国家とも、どの国とも関係良くしなければならない。そのためには、国内の政局などは無視してもよい。そもそも「民主党よりも日本」「政局より政策」ということを貫ける政治家でなければ、日本の指導を任せることはできないであろう。
 今から10年近く前のことになる。私が韓国のテグ市に行ったとき、その地の企業の会長で当時80才になる方とお話をする機会を得た。戦前の日本の教育も受けている会長さんであったので、流暢な日本語を話していただけた。
 われわれは、「占領時の言語を使わせて、申し訳ない。しかし、韓国語を花なすことができないので、日本語でお話をお願いしたい」ということをお話しした。会長は、その挨拶に快く応じていただき「日本人でなくても、言語と支配機構の統一は、政府が行う最もポピュラーな政治である。私は、日本語と韓国語の両方を話せることを誇りに思っている」という。しばらくは、ゴルフの話題や韓国の話題になった。そののちに両国の政治の話になったのだ。ちょうど石原都知事の「三国人」という発言があったときである。その方は「石原氏の発言は、日本人がすべて我々を蔑んでみている証明である」といってかなりお怒りであった。「日本でも三国一の美女など、三国とは、昔の日本から見た『世界』という意味ですよ」と反論した。しかし会長は「その意味で『三国人』と発言したのではない。石原は差別用語としてその言葉を使った。ことばそのものの意味を問うているのではない。その人がその言葉を使った信条の問題である。また、その石原が日本国民に支持されているということが、日本人の基本的な韓国人蔑視の感覚を表している。何か韓国人が悪いことをしたのであれば納得ができる。北朝鮮の人に差別発言を受けても戦争中だからと思うだけで怒りにはならない。表面で仲良しの顔して、心の中で全く逆の差別をするというのは、隣国の国民として許せるものではない」というのだ。
 日本人は、差別の好きな国民性である。400年にわたる鎖国と島国という地理的な特徴から、他人を蹴落とさなければ自分が浮上しないということを感覚的にしみつけてしまったのだ。そのことが、「足の引っ張り合い」という醜い状況と、社内でもどこでもある内紛や派閥争いに勢力を注ぐ不思議な風土を生み、そして、矛盾点を引き受ける存在としての差別を生みだすのだ。そのことによる階級社会を自ら作り出す。自らの身分の安定という自己満足のために階級社会を作り出し、そのために、差別を生むのだ。戦前の占領政策において、差別意識が国民の中に根付いたのも仕方がないと思うし、敗戦後、欧米への劣等感、逆差別の感覚があるのも日本人の特性であろう。
 韓国人の会長は、「対等の関係」である日本と韓国の間において「差別的感覚を持つ」という外交感覚を痛烈に批判したのだ。そして、その感覚が日本人の多くの共感を呼んでいることに危機感を持っているのだ。逆に、我々は言語の部分から話をしたので、我々には、好感を持ってくれた。
 ながなが、韓国人の会長の話から差別の話をした。日本人は、欧米に対する逆差別意識を持ている。そのことを跳ね返すような、小沢執行部のアメリカに対する態度は、一見、この日本人の特性である差別感覚を跳ね返す「自立した日本人」まさに「NOといえる日本人」を演出したのかもしれない。しかし、逆にその態度そのものが日本人の多くを「逆差別感覚を持った劣等感の塊」と蔑んだ態度であり、逆に国民をばかにした態度に他ならない。それだけでなく、その態度が、韓国ン会長のように「日本人はすべて失礼な国民である」という印象を、強く強く海外に示してしまう結果になる。日本人向けのパフォーマンスが、逆に日本を国際社会から孤立させ、日米関係を悪化させ、そして、日本人の安全な生活を崩壊させる契機となってしまうのである。
 このことによって、海外で苦労してしまう日本人は少なくないであろう。しかし、小沢氏は、そこで日本人が安全で豊かな生活を失いかけた時に、自分の行為を棚に上げ「政府が悪い」と責任転嫁するのである。また、日本人は、それを許し、歓迎し、そして自ら日本を沈没させる人にかじ取りを任せようとしている。
 一応フォローしておくと、民主党の中にも小沢氏のこのような態度に批判的な人がいるようである。しかし、民主党とういう政党は「自由な議論が許されない政党」なようで、言いたいことが言えないらしく、口を封じられてしまっているのだ。憲法上の言論の自由を封殺する風土があるのではないだろうか。民主党の政治家からの名誉棄損裁判が数多くあることにも着目するべきであろう。
 さて、クリントン国務長官は、これでどのように思うのであろうか。実際に選挙戦に入っているのであれば「仕方がない」と思うのであろう。しかし、これをもとに小沢執行部の過去を調べれば、「結局政策ではなく政局しか考えていない」と見破られてしまったり、「掛け声はいいが世界平和について考えていない政権ができる」と考えられてしまえば、非常に大きな外交問題となる。
 ここで、改めて問題にしたいのは「民主党小沢執行部は、本当に政策や外交を考えているのか」ということである。そして「将来の日本をどのようにしようとしているのか」ということであろう。単に自民党を批判しているだけ、不信感を煽るだけで、外交など、他の主権国家と「対等な」外交ができるのであろうか。
 現在は小沢執行部が政策を出しているわけではない。参議院与党でありながらも、自主的な法案提出が出されないのは、そのことであろう。参議院与党になってから「ねじれ国会」を最大限利用し、同意人事やあらゆる政策に反対し続け、自ら法案を出すこともなく、外交もまともに行わない。これで大丈夫なのであろうか。本当に日本という国家と日本人の生活のことを感がているのであろうか。何度も言っているように、国民が期待しているのは、誹謗中傷でも、不信感をあおることでもなく、政策の議論である。違う政策に関して審議・議論をするのは大歓迎であるし、そのことを拒否するのであれば、現政府は批判をされることであろう。しかし、政策は、当然に全体のバランスと予算財源をしっかりした裏付けとして行うものであり、個別の各論での善し悪しを問うものではない。民主党にかけているのは完全にその内容であろう。
 ましてや、貿易立国の日本が、外交を大事にしない政治家をリーダーにあげてしまったら…。
 そのようにならないように、「政策重視」の議論をしていただきたい。そのためには、民主党議員は、政策による議論以外の誹謗中傷、たとえば「やるやる詐欺」など、高い税金を使った国会の予算委員会の場で、頭の悪い議論をするのを即時中止し、建設的な政策議論をすべきであろう。
 もちろん、政策議論ができないのであれば、どうしようもないが、それでは細川内閣や羽田内閣の二の舞になるのであろう。

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ソマリア海賊対策準備指令

ソマリア海賊対策準備指令

 通常国会の最中。麻生首相は自衛隊に対してソマリア海域周辺への海上自衛隊への出動準備指令を行った。
 海賊というと、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロウや童話「ピーターパン」に出てくるフック船長のような感じを考え、「なにも自衛隊を派遣しなくても良いのに」となる。しかし、それらはおとぎ話。もちろん、宇宙旅行が現実化している現代において木製の帆船などがあるはずがない。「ヨーロッパの田舎町では、未だに日本人がちょんまげを結って腰に刀を差していると誤解している」といって笑うが、日本人における海賊の認識に関しても全く同じことである。まだ、映画を参考にするならば007かなにか、現代劇を参考にしてもらいたいものだ。某国会議員が「海賊なんて見たことがない、映画の中にしかいないのではないか」というが、麻生首相のカップラーメンが400円という話より、笑えない話である。海賊の存在は現実してあるのだ。カップラーメンを400円で買っても被害がないのに、このような認識は日本国民を危機にさらす結果になる。
 おとぎ話であっても、海賊がずっと海の上にいることはない。ちゃんとした根拠地があり、その根拠地において乗組員の休養、武器・食料・水などの補給、略奪物の売却、時には船の修理などを行う。海賊とは、言うなれば商船を相手にした武装強盗集団の組織と言うことができる。もちろん、その組織は根拠地港の「闇の商人」と言われる略奪物売却や、海賊船とわかりながら修理改造を行う工廠まで、全てを含んで「組織」と言われるものとなるであろう。その組織がある以上、海賊はなくならない。では、海賊の根拠地港ごとたたけばよい、と言う議論になる。しかし、簡単にはそうはいかない。「根拠地港」はあくまでも陸上である。要するに別な主権国家の領土領海内にある。第三国がそこに攻め入れば、それは「戦争」となりうる。 
 当然にその港を支配する主権国家に依頼して、海賊根拠地の撃滅をはかることになる。しかし、海賊は組織である。仕入れ形態が「略奪」という行為に基づくことを見過ごせば、国家にとっては経済行為になる。ことに、海賊根拠地港の商人たちは、「組織」であってもその国家において犯罪者となる構成要件を整えているとは言い難い。港に入ってくる商品を買って売るだけの行為である。それが略奪物と知っているだけのことであろう。日本であるならば、犯罪より入手したものを承知で売買した場合、刑法で「贓物罪」という罪が設定されている。しかし、その国においてそのような法律があるとは限らない。ましてや、有ったとしてもその証明はかなり難しいであろう。同時に、彼らはその国において納税業者である。有る意味では優良納税や高額納税である可能性もある。主権国家ないにおいて犯罪がない、または軽微な犯罪で高額納税者を逮捕監禁し、納税額を減らす行為は少ないであろう。ましてや発展途上国であればなおさらだ。当該国家は、多くの国には「ちゃんと捜査をします」「捜査中です」といって表面上の関係悪化を避けながら、裏では海賊組織から収入(税収を含む)を得ているという構造になる。
 要するに、海賊行為は根拠地港やそこでの流通商人という陸上組織がありながら、主権国家の壁に阻まれて思うように処罰ができない。当該主権国家に処罰を期待しても、それはかなわないと言うことを意味しているのだ。
 では、結局どうなるかと言えば、「海賊出没地域」の「公海上」で「武装護衛艦」によって「商船を海賊から守る」という方法しかないのだ。
 さて、これについて、アメリカも中国もすぐに対処し海防鑑や駆逐艦などを派遣している。日本においても、日本の船は自分で守るという前提にたてば自衛隊を派遣し、その自衛隊によって、日本人および日本の船を守るべきであるという議論が出てくる。
 上記のように「本当に海賊なんているのか」というあまりにも無責任で無知な議論をのぞけば、基本的に議論になる問題ではない。しかし、社会民主党は「自衛隊派遣絶対反対」を表明し、また、民主党は1月31日現在ソマリア対策について、政党として結論を出せないでいる。個人的には「政党における意志決定ができない」と言うこと自体、政権政党としての要件を欠いていると思うのである。まだ、理由はどうあれ「絶対反対」と意見を統一させ、政党としての主張を行うことの方が立派であると考えられる。
 さて、国難において意見を出せないだらしのない政党は無視することにして、まず、今回の件に関し、論点はこのようになる。
 第一に自衛隊が守るべきものは何なのか
 第二に自衛隊派遣の必要性
 第三に自衛隊派遣の法律上の問題や武器の使用を含めた是非である。
 先に、私の意見を出しておく。 
 私は、自衛隊派遣は大いに賛成である。日本国民と日本人が利用する商品権益を、海賊、つまり海上武装強盗から守る為に、相手の武装に負けないような武装を持って、自営のため、威嚇射撃を含めた武器使用を持って守ることは、憲法を含めた全ての規定に違反するものではないし、逆にそのように国家権益は積極的に守るべきであると考える。

 私の意見を出したところで、各論点について検討してみよう。

 第一の論点、「自衛隊が守るべきものは何なのか」である。
 自衛隊は軍隊ではない。軍隊ではないということは、他国に侵略進出し占領する能力がないことを意味している。逆に言えば、専守防衛で国を守る能力は存在する。では、自衛隊が守る国とはどのようなものであろうか。俗に「国」の概念は「領土」「国民」「主権」と三種類の要素からなると言われる。要するに、領土を守るため・国民を守るため、主権を守るためには、自衛隊はその力を行使することができる、と解釈すべきであろう。
 では、もう少し具体的に考えてみて、領土の侵攻に対する専守防衛はイメージがしやすい。特に日本は島国であるから、領土侵攻と言うことに関しては通常でもわかりやすいと考えられる。
 では、国民に対する侵害という点ではどうであろう。自衛隊は警察ではない。よって、個人に対する犯罪に対して自衛隊を動員すると言うことは考えにくい。しかし、少しわかりやすく言い換えて、地域的または国民全般に及ぼす国民の被害に対して自衛隊を派遣すること、つまり阪神大震災などの災害派遣は、領土が侵されるものではないので、まさに国民の安全を守る為の自衛隊出動であるといえる。逆に、イラクにおける三名の拉致事件など、もちろん自衛隊を派遣しても良いのであろうが、そこから国民全体に波及する危険が少ないので、当然に「国を守る」と言う定義に当たらない可能性もある。かえって、自衛隊を派遣することによって、戦争などと間違われ、国難を招くことになりかねない。自衛隊という強力な武装集団の運用には、それなりのバランス感覚が必要である。北朝鮮の拉致に関しても同じなのかもしれない。
 そして、主権を守るため。主権とは、憲法における国民主権の主権と同じである。要するに他人の支配に属さないということになる。ちなみに、日本においては従属しているように感じる人もいるが、そうではない。日本は、日本人の国民主権による自分たちで作ったルールに従っているだけだ。訳が分からない政党が「官僚支配」というが、その官僚も国民の税金で動いており、国民の選んだ代議員による法律で決まったものである。他人が不当に支配しようとしたとき、それは自衛隊の出動を可能にする要件になる。
 今回のソマリアに関してはどうであろうか。上記のように独立主権国家に依頼しても解決しない海賊行為、要するに武装強盗集団に対して、日本の商船が安全に航行し、そしてその商品を日本に安全に届けるために、自衛隊を出動させるよう県にはなる。一つには日本国民の「公海上」での安全、他国の主権の範囲ではなく公海という誰のものでもない海の上での安全を守るのに自衛隊を派遣することは問題ではない。また、同時に、商船という通商の安全を守ることは、国民の安定した生活を守ることにもつながる。要するに、日本国民の主権、海賊というものに不当に支配されない、通商の秩序を守る仕事だ。特に貿易立国である日本においては、当然にこれらを守る必要があるのではないだろうか。
 
 第二に自衛隊派遣の必要性。
 「自衛隊ではなく、海上保安庁を出すべき」という不思議な議論がある。憲法9条に抵触するという。社会民主党などはこの意見に偏っている。しかし、前提が異なる。そもそも、上記のように主権国家に依頼しても海賊行為がおさまらない、もっといえば、緩やかな連携をも予想される。とはいえ、そこの公海上に派遣するという必要がある。まず、ここに言える必要は、「公海上」であることと「他国の港で補給活動を行う。もしかすると自炊などの必要がある可能性もある」ということになる。
 自衛隊といえども、長期間の海上活動は困難である。当然にソマリアをはじめ近隣の諸国の補給甲を貸していただき、そこに根拠地港を構えて、そこで行わなければならない。ソマリアであれば、海賊いの組織にそれら武装を明らかにするという可能性もある。
 海上保安庁は、それらの中において長期間の公海上の活動や、他国での補給活動や自炊などの訓練がないという欠点がある。武装も自衛隊に比べれば貧弱であろう。以上のことから、自衛隊のほうが海上保安庁によるよりも確実かつ安全に任務を遂行することが可能である。
 もう一つの議論として、安全保障条約におけるアメリカ軍の出動の可能性である。しかし、アメリカ軍におけるものは、日本国の領土を中心とするものであろう。昨今のイラクやアフガニスタン、インド洋への派遣は、日本の「主権」や「権益」のためではあるが、「領土」「国民(多数)」のものではない。アメリカの安全保障条約は、徐々に年を追うごとに最小限の安全保障になりつつある。このことは日本の憲法などというものではない。条約という内容のものである。片方で「沖縄からアメリカ軍は出てゆけ」と言いながら、片方で「条約を守って日本を守るべき」という都合のいい議論は通らない。日本の革新系政党の皆さまは、これらわがままが通ると思っているが、そんなことはない。アメリカ軍の撤退、グアムへの転移をしている以上、「日本は自分で自分のことを守れるようになった」という解釈をされても仕方がなく、そのために、自衛隊の海外派遣は増えてくると考えられる。
 ソマリアと戦争となれば、日本は侵略をできないということになるので、参加は拒否できるであろう。しかし、公海上の通商の安全、特に海賊からの保護という意味では、アメリカはすべての日本艦船に対する安全保障を提供するものではないと考えるべきであろう。

 第三に自衛隊派遣の法律上の問題や武器の使用を含めた是非。
 本来であれば、自衛隊の派遣に関する恒久的な法律を策定すべきであろう。しかし、そもそも「国家とは何か」ということが日本国民に関してコンセンサスが取れていない。国家という「守るべき対象」が決まっていないのに、それを「自衛」するというのはかなり難しいと考えられる。その上で、法律の整備をしなければならない。適当に「ISAFへの参加」などということを無責任に言うのは可能であるが、「何から何を守るために自衛隊を使う。その時の基準と指揮命令系統はどうする」ということを決めなければな法律上の問題は解決しない。
 今は、「解釈改憲」という内容から徐々にその解釈を時代に合わせている状況であろう。しかし、そろそろ限界かもしれない。また、この議論をすると野党民主党は分裂の危機になるであろう。民主党の中では安全保障と自衛隊に関しては全く決まっていない状況である。しかし、それで国防や安全保障が可能であるのかははなはだ疑問である。
 武器の使用に関しても同じである。「専守防衛」は攻められてからしか武器の使用はできない。北朝鮮のミサイル攻撃であれば、早くても日本の領空、要するに日本の海岸線から12カイリの上空に来た時に初めて防衛を行うことが可能になる。しかし、それでは、兵器の進歩というか核兵器などの発達により、日本国民を守れないという事態が発生することになる。そこで、公海上でのミサイルのうち落とし、つまり、専守防衛の幅が広がり、日本に被害が起きる蓋然性が高い場合に防衛が可能という解釈になる。最終的には、アメリカFBIの基準のように、「拳銃を持った犯人が、背中を向けて逃げていながら、自分のほうに45度展開した場合には発砲が許可される」という基準になる。自分の身を守るためには、相手に構えさせないという内容が必要になるであろう。
 武器の使用は、一つは威嚇、一つは守る対象を守るための防衛というものがあるが、最も重要かつ武器の使用者が最も重視するのは、自分の防衛である。当然に自衛隊の人員が守られることが防衛の継続につながる。日本のために最前線に立つ人が守られなければならない。自衛隊はSPではない。

 以上の内容より、私はソマリアに限らず、日本の領土・国民・主権そしてこれらを示している権益を守るために、自衛隊は積極的に活用すべきと思う。乱暴な意見で批判も多いと思うが、無職のホームレスなどを広く自衛隊に参加させるということも考えたほうがよいと思うくらいである。「平和憲法」という文字の魔力ではない。現実に、最前線に立たされれば、銃口を向けられることがある。それは自衛隊でなくても同じだ。商船の船員が銃を突き付けられ、なすすべもなく被害にあうのはいかがか。日本の国会で護衛をつけながら議論をしている議員にそのようなことを実感としてわかるはずはない。海外に視察に行くのでも、外務省や大使館、当該国の軍隊まで護衛につけて、安全な中で視察を行って何がわかるのか。そのような人が「話し合いで解決すべき」「日本は平和憲法を誇るべき」などとまやかしを言っても意味がない。戦前5・15事件では、犬養首相は「話せばわかる」と言いながら射殺された。同じ状況に、日本国民を置いてよいのか。「平和憲法」へのこだわりは良いがが、現実を無視したそれらの議論は、いたずらに被害を拡大させるものではないだろうか。
 本当に日本のことを考える国会での議論を期待する。

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