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2009年5月

民主党鳩山由紀夫代表選出と小沢傀儡政権との批判について

民主党鳩山由紀夫代表選出と小沢傀儡政権との批判について

 5月11日に、小沢代表が突然の辞任をした。この件に関しては、すでに、文書で書いているとおりである。この辞任を受けて、5月16日に、民主党は代表選挙を議員総会で行い、議員投票により鳩山由紀夫前幹事長が岡田克也前副代表を破って代表に選出された。
 民主党の代表選挙は唐突に行われる。12日の役員総会で決定し、16日の午前中に立候補の受付、午後に立候補者による演説会を行い、告示期間もなく議員総会で選出する。マスコミ諸兄の努力により、早くから鳩山幹事長と岡田副代表で争われるということが明らかになっており、同時に、前日には、各紙夕刊でその投票同行で鳩山氏が選出されるであろうことまで、見出しを踊らせていた。そのときは115対105票という具体的な数字まで出す新聞まであった。実際は、有権者数221票(民主党の集散両議院総数)。欠席1票。無効1票。有効投票者数219票。鳩山氏124票。岡田氏95票。と言う結果で鳩山新代表が選出されたのである。
 残念なことに、新型インフルエンザの国内感染が拡大中で、翌17日の朝刊各紙の1面トップは鳩山氏が飾ることはなかったが、その辺の運のなさも鳩山新代表らしいエピソードかもしれない。この新聞見出しに関しては、いまから25年くらい前、西武ライオンズ優勝をかき消した芸能事件があり、西武ファンがかなり落胆していたのを思い出す。ちょうど当時横綱であった貴乃花関と人気絶頂のアイドル宮沢りえさんが婚約したというきじであった。数ヶ月後に婚約が解消されて、西武ライオンズファンの怒りが再燃したのを、巨人ファンの私はヤジウマ的におもしろおかしく見ていた。何となく、鳩山新代表就任の新聞記事に関しては、このエピソードを思い出してならない。
 個人的な思い出はさておき、鳩山代表が決まった。民主党には、よほど人材がいないのか、常に出てくる人が変わらない。結党当初、菅直人氏と鳩山氏の二党体制、その後相互が一回ずつ行い、岡田氏、もう一度菅直人氏で自由党と合併、そして前原氏、小沢氏、そして鳩山氏が今回就任する。立候補者を見ても、これ以外に河村氏や松沢氏がでるくらいで、いずれも地方自治体の首長に転出している。
 鳩山新執行部と言っても、結局上記の代表経験者のオンパレードで、前原氏が無くなり、参議院会長の輿石氏が入っているにすぎない。結局、この人たち以外に名前を聞かない政党になってしまっている。今回の代表選挙に関しても、民主党内には第三の候補擁立の動きがあった。しかし、第三の候補擁立に動いたある民主党代議士は「選挙期間の短さと、小沢の多数派工作で25人の推薦人を集めることができない」という。そればかりか、「この動きをしていることがばれれば、小沢に干される。公認も危ないかもしれない」というのだ。
 この小沢恐怖政治は民主党の中で鳩山代表の中でも続いている。結局選挙という身分補償制度の中で、その全権を持ったのが小沢である間は、結局全ての民主党議員が小沢の言うままに動かなければならないのだ。それが嫌ならば党を割ればよいのだが、これは二つの理由でできない。一つの理由は、政権交代という大義だ。自民政権を終焉させると言うことを大義に抱えている以上、党を割って別な政党を作っても小沢連立の中に入ってしまう公算が大きい。また政治家である以上は、政権という物に魅力があるのだ。その誘惑に勝てる政治家は非常に少ない。そもそも政治家は権力欲がある人の集団と言って過言ではない。その権力の象徴が政権である。政権は彼らにとってそれだけの魅力がある物なのである。ちなみに、私はあまり魅力を感じはしない。
 もう一つは、小選挙区制である。小選挙区制は、選挙区での選出議員を一人とする選挙制度だ。これでは結局「与党」「野党」というくくりでしか選挙民がついてゆけず、中道派などの意見が選挙で反映されないという状況になる。結局二大政党制がしかれることになる。この状況では民主党を割って小生党で生き残る道は少ない。社会民主党も、国民新党も、大同小異を乗り越えて与党と野党か旗色を示さなければならない。それでなければ存在意義がうまく行かず、同時に、選挙では個人の人気に頼る以外に生き残る道はないのだ。ましてや、民主党の議員で自民党の公認をとれる人は少ない。過去、小沢が1993年に自民党をでて、細川内閣をたてたときのメンバーで、自民党に戻れる人は戻っている。鳩山邦夫現総務大臣は、民主党結党の発起人の一人だし、小池百合子元防衛大臣は一回目の当選を日本新党で果たしている。
 このように考えると、民主党議員は好む好まざるに関わらず、民主党で居続けなければならないという選択肢がもっとも強くなってしまう。それどころか、主張や政策が違う社会民主党や共産党も民主党と同調するか、自民党と同調するか、あるいは独自路線を苦しくても続けるのか。その様な選択肢になってしまう。
 これらを見ていると、実際の政策が小沢傀儡であるか否かは別にして、来る総選挙で、小沢一郎が選挙担当の代表代行として選挙の全権を今まで通りに持ち続けると言うことは、鳩山由紀夫新代表には、いくつかの乗り越えなければならない問題があることが明らかになる。
 一つ目は、小沢傀儡という批判をいかに払拭し独自性を出すか。どのような政策を国民にアピールするのか。
 二つ目は、小沢一郎が辞任した経緯の説明責任と、その節明に対する事件や疑惑の処理をどのようにつけるかということだ。
 三つ目は、党内融和。または党を越えた野党連合の可否と国民への説明である。

 一つ目の問題点は、鳩山由紀夫の独自性だ。小沢一郎はかなり特異な個性の持ち主だ。その個性の持ち主に常に幹事長という立場で同調してきた。政策に関しても同じで、ずっと同調を続けてきている。問題はその政策が見づらいし、政策に一貫性がないと言うことだ。特に安全保障制度や国防、外交に関して小沢を引き継ぐのかが焦点となる。安全保障に関して小沢は「ISAFへの参加」「第七艦隊以外はいらない」という発言を行っている。要するに、国連重視アメリカ軽視と言うものだ。と言うことは日米安全保障条約の取り扱いが焦点となる。日米安保に関しては安保騒動であったように日本でも賛否両論存在する。しかし、北朝鮮がミサイルをとばし、中国が軍備、ことに空軍力を強化する中において、日本画に本独自の防衛力を、現在の日本の国力及び国民感情や世論でできるかという問題である。私が取材したところ、民主党にそこまでの明確なヴィジョンは存在しない。第七艦隊発言のときやですら、民主党の党意ではないというのが精一杯であった。民主党は政党の政策として、どのように国民の安全を守るのかを、わかりやすく言わなければならない。まさかとは思うが、侵略されている最中に国連の決議などというかったるい話をするのか。北朝鮮のミサイルの非難の議長声明をとるのも1週間かかっているのだ。同時に、国連重視であるならば、国連の安全保障理事会常任委員の国から侵略された場合どうするのか。たとえば中国から侵略された場合どうするのか、民主党は答えるべきである。安全保障委員会において、拒否権を示されれば、結局決議もなにもとれないまま、日本は侵略群に蹂躙されることになる。その状況の場合「国連重視」はどこまで役に立つのか。具体的には尖挌諸島や東シナ海ガス田開発において、どのように対処するのか国民に示すべきである。その話し合いがこじれて、軍事自体になった場合、為すすべもなく日本を差し出すのか。都合のいいときだけ日米安保を取り出すのか。基本政策をきっちり示すべきだ。
 鳩山代表は、この件に関して示唆めいた話をしている。小沢代表が辞任する直前に、ニコニコ動画のなかで在日外国人の参政権を巡り「日本は日本だけの領土ではない」と発言している。今時、無政府主義者もそのようなことを言わないが、国家の根本を揺るがす発言について、どのように考えているのか。しっかりとした釈明を求めたい。
 政策については、安全保障だけで、これだけの問題点を持っている。政策こそ政治の本分であるのだから、しっかりとして欲しい。
 第二の課題は小沢事件の総括である。
 小沢一郎の政治団体である西松建設からの政治献金規制法違反事件は、まだ終結していない。小沢一郎の公設第一秘書は逮捕拘留され、3月24日に起訴されたままである。小沢西松事件に関して言えば、事件当事者である小沢一郎から説明もされていないし、鳩山代表自身が説明責任を果たしていないと認めているところである。
 しかし、問題はそれにとどまらない。西松建設は5月13日に、今回の事件そのものが、政治資金規制法に違反した迂回献金であることと、小沢に献金をしていた政治団体二つがダミーであったことを認める決算報告書を発表し、その事件に直接関わりのなかった現社長以下取締役の多くが次の株主総会での辞任を発表している。また再発防止に関して、第三者委員会を発足し、元最高裁判所の判事を招いて法的な評価を加え、それを公開している。事件そのものはほめられたことではないが、実際に事件を起こした片方の当事者として、非常によい対応であると思う。今後の営業への影響や業績に関しては不明であるし、業界でのイメージもわからないが、反省の色も見えるし、好感が持てるものである。
 一方の当事者である小沢一郎に関しては、政治団体として大久保被告が逮捕されたが、辞任会見でも「やましいところはない」といって責任を果たすつもりが全くない状況である。3月24日の涙の会見はあったが、実際説明もなければ問題となった献金もそのままである。報道によれば3億を越える政治資金が不正に「陸山会」に流れており、それが政治資金規制法に違反していると指摘されているのだ。それに関わらず、現在小沢一郎も陸山会も一切その政治資金を返金していない。当然に、その政治資金は「選挙担当代表代行」の職責で使用されることになる。要するに、民主党議員は次の選挙で多かれ少なかれ西松の違法献金の世話になって当選することになるのだ。マルチ事件でも同じ。山岡賢次国対委員長はマルチ企業からの献金を2008年度分のみ返金するとして、全てを返金しない中途半端な対応しかしていない。それと同じで、民主党に関しては違法なことをして記されたり、疑惑をもたれたりしても、その金額を否定しない体質がある。誤解がないように、それが民主党の議員の全てではない。しかし、これらの態度は、結局金銭的な観点から見れば、「犯罪したもん勝ち」みたいな感じで、国民の理解を得られる物ではない。
 それでは、鳩山代表はどうしたらよいのか。この事件に関しても、それ以外の事件に関してもまず、政党の代表として政党の所属議員の疑惑に関してしっかりと説明をしなければならない。説明をさせるという方法でもかまわないが、大久保被告からの聴取ができなければ、その分は管理者・監督責任者が変わって説明すべきだ。
 その上で、「ヤリドク」とならないように、それら不正資金に関してはしっかりと返金しなければならない。小沢一郎は政治団体が存在しないので、返金できないといういいわけをするが、それ以外の方法をしっかりと考えて金銭的にもけじめを付けなければならない。当然、鳩山代表は、代表としてそれを推進し、小沢一郎に命令して実現しなければならない。そうでなければ、民主党議員は結局不正資金で当選したということになるであろう。
 なお、事件はこればかりではない。障害者優勢制度不正事件なども、しっかりと対応が望まれる。普段、議員会館に呼びつけて官僚から資料請求している議員が、「説明を気きに行きました」という説明がまかり通るとは思えない。
 
 第三の論点として、党内融和、野党連合の融和があげられる。
 小沢一郎の主催する連立政権は、それが与党であれ、野党であれ、なかなかうまく行かない。細川内閣も羽田内閣も短命で一年持たなかったどころか、羽田内閣は64日と、戦後二番目に短い就任期間であった。一番はポツダム宣言受託の為に、皇族が総理大臣になった東久爾宮内閣であることを考えれば、実質的にもっとも短いと言っても過言ではない。この羽田内閣は、小沢一郎が連立内閣を行うに当たり、当時の日本社会党をはずして統一会派を作ったことに端を発している。小沢はあまり周囲の相談すること無く、独断で物事を進める習性がある。2007年の自民民主大連立に関しても、民主党側で調整した形跡はない。当然の結果、民主党の役員会で否決され、辞任騒ぎを起こすに至った。先に挙げたISAFの件も、第七艦隊の件も民主党の政策ではない。小沢の個人的な考えである。私はこの文書の中で、以前田母神元航空幕僚長の論文についてでも書いたが、立場や肩書きで意って良いことと悪いことがある。代表という立場では、いくら個人的と言っても、国交や条約に関わる問題を言ってはいけないのではないだろうか。このような態度が、上記にあるように戦後二番目の短命内閣を作ってしまうのである。
 鳩山代表といえど同じ。日本の領土のことなど、国家の根幹に関することを勝手に言っては問題が多い。彼の発言は、彼の信奉する「友愛」から生まれるもので、在日外国人参政権に関しての発言である。しかし、いくら在日外国人に配慮しようとしても、一つの政党の代表(発言時点では幹事長)が、その国の国家の根幹に関することを否定してはならない。当然に、そのような人に政権を執らせてはならないということになる。それどころか、一つの政策で、他の政策や国家の存亡にかかる発言をすると言うことは、全ての政策が一方向からしか検討されていない状況で、それを実現すれば多方面に影響がでると言うことを意味する。「一事が万事」とはよく言ったものだ。一つを否定しても、その対案がまともにできなければ何の意味もない。民主党の弱点とされる財源問題も全く同じ構造である。
 では、その状態でどのように、党内外での融和をはかるのであろうか。
 本来政党は政党毎に綱領があり、その綱領に応じて政策ができている。政策が一致していれば、上記小沢や鳩山のような「個人的な意見」がでるはずはないのだ。それがこのように出てくるということは、逆に政党としてなにも決まっていないということを意味している。現に、民主党には綱領がない。何でもその場しのぎのいいわけと付け焼き刃政策と言われても、綱領という基本姿勢がないと言う時点で否定ができない。
 綱領がないと言うことは、基本がしっかりしていないということ。逆に言えば、誰の話にも会わせることができるというメリットもあるが、政治家としては致命的な、信念がないというデメリットにつながる。信念がないということは、それ一つだけで、十分に政治家としての資質が問題視される。民主党関係者に聞けば、政権交代が基本だと言うが、ここでも何でも言っているし、奇しくも麻生首相も同じことを言っているが、「政権交代は政策実行のための手段であって目的ではない」ということだ。なにをしたいから、どのような日本にしたいから、政権が必要というのが普通であるが、民主党は完全に本末転倒である。
 さて、本末転倒ではあるが、そのことが党内融和や野党連合には一役買っている。要するに、反自民、判事抗せ意見というのが旗印だ。しかしそれは、政権を執ってから崩壊すると言うことを意味しているのだ。なぜならば政策で同意していなければ、「日本丸」は「先導多くして船山に登る」の例。結局国民にその政治的な空白でつけが回ることになる。一方で、政策で強行すれば、羽田内閣と同じになる。 
 結局、鳩山代表は、政策で一致を見なければならない。そうでなければ真の融和は成り立たないのだ。しかし、そのためには、小沢一郎・岡田克也といった政策通を自負しt下いる人や、その集団と社民党、国民新党、場合によっては日本共産党と政策の一致を見なければならない。
 現在民主党は臭い物には蓋で、問題点を見て見ぬ振りをしているにすぎない。しかし、それでは政府批判はできても政権運営はできない。真の融和を目指して、政策の一致を見ることができるか。これは、小沢一人に言うことを聞かせるのではなく、多くの政策の一致を具体的な部分を見なければならない。かなり難しい状況になる。

 いずれにせよ、鳩山代表には大きな問題点となる。しかしこの問題点をクリアしなければ、仮に選挙に勝てたとしても、国民に不信を与えて終わってしまう。それこそ、小沢の傀儡である。自民党への復習を小沢の名前でなくした、その自己満足のために政権をもてあそんではななら無い。そうならないように、かなり難しい問題点を解決する指導力を発揮しなければならない。

 それらを示す27日の党首討論で明らかになるのではないか。注目である。

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新型インフルエンザ猛威をふるう

 新型インフルエンザ猛威をふるう
 「招かざる客」いよいよ日本にも上陸

 3月に、メキシコで発生した豚インフルエンザが、新型インフルエンザとして瞬く間に、世界中に広まった。5月現在で世界で一万人以上の感染者が出ており、インフルエンザの犠牲になった人も百人に届く勢いである。WHO世界保健機構は、当初「フェーズ3」といって地域的流行となっていたが、瞬く間に「フェーズ5」となる。「フェーズ5」とは世界各地において人から人に感染が広がっている世界的大流行を指す。この次の段階は、俗に「フェーズ6」ようするに「パンデミック」といわれる状況になる。5月12日から始まる世界保健機構での総会では、、危険レベルをこの「フェーズ6」に引き上げるかということを議論された。
 この状況において、5月の連休前から、日本では「水際対策」として、成田空港や関西空港などの、国際空港でアメリカ・メキシコ・カナダからの街頭きでの機内検疫を徹底するという「水際対策」を徹底した。これはあくまでも「発症している患者の国内流入を防ぐ」というもので会って、発症前(潜伏期間)のウイルスまで予防できるものではない。しかし、それでも国内の体制が整うまでの当分の期間、時間稼ぎを行うことができた。この水際対策により、5月8日にカナダに短期留学をしていた大阪の高校生4名と教員1名が初めて感染が確認された。成田赤十字病院には毎日マスコミが押しかけて、その回復状況などを確認したと同時に、同じ機内に乗っていた「濃厚感染のある疑いの乗客」は7日間成田空港のホテルで隔離され、その経過を見られた。
 この間に、国内では、海外渡航経験があり、発熱、せきなどの症状がある場合は、病院に行くのではなく、保健所などでの「発熱相談」に電話をしたのちに「発熱外専門来」の設置のある病院への通院また入院が指示された。国内における体制はこの「水際対策」によって、うまく回るようになっていた。
 そのような中、5月13日に、海外渡航経験のない兵庫の高校生から、新型インフルエンザのウイルスが検出された。その後、瞬く間に関西地区をウイルスが席巻し、5月20日の談内で日本での感染者が200名を超え、東京でも感染者が出てくる状況になってきた。
 兵庫、大阪では、政府の策定した「鳥インフルエンザ対策」にしたがって、学校の7日間の休校、外出の自粛要請、マスクなどの着用などが要請されている。これにより、大阪での経済は停滞を起こし、また、京セラドーム(旧大阪ドーム)などで予定されていたエイベックスとラックスのアーティストのコンサートは中止されるにいたった。また、阪神甲子園球場名物のジェット風船も「唾液の飛散を防ぐため」という理由で中止が要請された。
 しかし、この新型インフルエンザが、弱毒性ということもあり、国の定めたタイs買うにたいして「やりすぎである」という批判を行うようになる。大阪の橋下知事は、桝添厚生労働大臣にたいして、対策の柔軟な対応などを要請するにいたっている。
 さて、ここまでは、インフルエンザの発生から今日までの経過と対応である。
 新型インフルエンザに関しては、政局の問題とは一切関係がない。少なくともこのインフルエンザウィルスを「疫学的テロ」などという不思議な批判をする人もいないであろう。また、弱毒性で致死率が0.4%であるということも、わかってきている。しかし、これらの感染に関して、政府は二つの価値観に挟まれながら、その内容を考えていかなければならないのである。桝添厚生労働大臣は、「まず情報の把握、それから対策」ということを記者会見などですべて対応で話を行い、風評被害や情報の齟齬を少なくする効果は非常に大きかったと考えられる。個人的な思惑を安易に語らないこれらの姿勢は、国民にたいして信頼感を与えうるものと考えられる。
 これら、政府は、二つの価値観に挟まれる。
 一つの価値観は、「感染防止」「国民の健康を守る」というものである。「感染防止」といえば、現段階で違和感を感じるかもしれないが、実際に、これ以上の感染拡大を防ぐということは非常に重要である。同時に、現在感染している人々の重篤を防ぐということも重要であろう。これらの内容は当然に、国民の生命と安全を守るという意味で非常に重要である。
 一方で、経済活動やそのほかの通常生活者の負担を最小限に済ませるということが必要である。今回の措置でわかったことは、学校の休校というよりは託児施設などの閉鎖、休園などによって、夫婦共働き世帯などは経済活動がうまくいかなくなるということがあげられる。
 インフルエンザなどの感染拡大を避ける方法の最も良いものは、「隔離政策」である。数年前、中国で新型感染症SRASが発生したとき、中国政府は、感染者だけでなく、感染の疑いのある人、そして、診察に当たった看護師や医師まですべてを隔離した。要するに、一か所に集めて、その建物のある敷地ごとすべてを閉鎖隔離したのである。人民の人権を認めない、というよりは、じんみん個人の権利よりも社会の正常を重要視する社会主義国家中国ならでは、という感じである。しかし、この隔離政策のおかげで、中国は感染者が北京にいたにかかわらず、北京市内は通常の市民活動をしていた。
 日本では、そのような隔離政策は不可能である。このことから、当然に、「感染拡大」と「通常生活」の調整という要素が入ってくる。
 国民生活の安全ということを全く考えずに、厚生労働省にかみついたのが横浜の中田市長である。この異常事態に対して「桝添大臣に振り回された」「まず大臣が冷静になったほうがよい」という。
 まず、本件に関して言えば、横浜市長の考え方は異常である。実際に、新型インフルエンザの感染力やその脅威なども不明な状況であるにかかわらず、その感染に関し何も考えないで、国内の大臣を批判しているのは異常である。実際に感染が確認されていないから言えるものであり、逆に感染していたのであれば、もっと大きな話になっていたのであろう。また、致死率などもたかければ、国中がパニックになる。その内容に関して、早くに危険情報を流しておいたほうがよい。危険情報で一部が混乱し、その後に、何ともなかったとするほうが、国民の動揺も少なくなる。為政者、地方自治体としても、その為政者の一部が動揺をしたとしても、それ以上の横浜市民がパニックをおこさなかったこと考えるべきである。
 厚生労働省は、今回の新型インフルエンザに関して、基本的な指針を示しながら、地方自治体に判断をゆだねている。地方自治体は、それを、国の指針に合わせた行動をとったのである。
 現在関西地区、一部で関東でも発症者が出たとしてが、いずれにせよ、日本全体に発症者が蔓延しているわけではない。要するに、二本という国の政府が何を決めてお、たとえば、関西の兵庫県と北海道や沖縄とが同じ基準でものを動くことは、ありえない。神戸で7日間の休校、学校閉鎖をしているとしても、沖縄や札幌で学校閉鎖をする必要はない。
 結局、「感染拡大の防止」と「生活者の保護」という二つの釣り合いをとることは、地方自治体の個別の事情によって判断せざるを得ないという結論になる。日本の中央政府の指針に従って、各地方自治体が判断しなければならない。感染は、全国一律に起こるわけではないので、地方自治体によって、その判断は異なるし、感染の時期に関しても変わってくるものである。
 要するに、今回のインフルエンザを機会に「地方自治体は、自分の自治体の構成員を独自の判断で守ることができるのか」ということになるのである。
 国家に関しては、当然に世界保健機構など外交上の交渉に関する内容を公開し、国際的な情報、世界的な治療や感染の方法、ウイルスやワクチンの情報を出すことと、国としての指針を出すことが必要である。一方で、地方自治体は、それら指針や政府の情報をもとに、独自に判断し地域の生活と感染拡大防止に努めなければならない。
 兵庫県は、感染者の拡大と感染を疑う人の多さ、そして、医療機関のパニックとウイルスの致死率の低さから、通常の医療機関でも新型インフルエンザの診療を行うようにした。自治体独自の判断ができた例だ。
 一方、先にあげた横浜の中田市長は、独自の判断ができないで国に振り回された例。そればかりか、その部分を大臣や、厚生労働省の批判として責任転嫁しているにすぎない。二つの例を期せずして見ることができたわけだ。実際、関東での感染者が出た今日、横浜の中田市長はどのように考えているのであろうか。国がどうにかしてくれると、考えて責任転嫁しているのであろうか。
 地方自治体に関しては、結局今回の新型インフルエンザによって、期せずして踏み絵を踏まされることになる。
 橋下知事の行動も、一部では政府に直談判をしたと言われているが、逆な見方をすれば、兵庫の井戸知事と違い、独自の判断で物事を決めることができなかったという評価もありうるのである。それで良かったのであろうか。地方自治体は、地方分権で独自に行うというのであれば、当然に、独自に自分で方法を策定しなければならない。そして、最も重要なことは、その決断にたいして、責任をとるということであろう。責任を転嫁したり、はじめから逃げ道を作るようでは、地方分権を言う資格はない。橋下知事に関して言えば、そのような逃げ道や責任転嫁のための直談判でなかったということを明言してもらいたいものだ。そうでなければ、地方分権を偉そうに語ったり、「霞が関」を批判するのはやめるべきだ。いざという時に、対等の立場で力をかり、大阪府民の生活の安全と感染拡大防止を自分の判断でできないのであれば、意味がない。その「いざという時」が「今」であることは間違いがないのである。
 インフルエンザの話から、地方自治体と地方分権の話になった。地方自治体は、今こそ国に頼らずに地方自治体の生活の安全を自分の手で守ることができるということを示さなければならないであろう。
 この新型インフルエンザを政局に使う向きもある。民主党は、このインフルエンザで解散総選挙が長引いたなどといって政府を批判する。お門違いもよいところだ。そもそも民主党のいう生活者第一というのは、このようなときにどのようなことをいうのであろうか。政策論で戦ったゆくのであれば、橋下知事の今回のような調整依頼にたいして、「感染拡大防止」と「生活者の経済活動」についてどのような調整をするのであろうか。まさか、感染拡大防止をしながら経済損失を「すべて」補助金で賄うというのであろうか。すべてでないならば、その基準やその財源はどのようにするのであろうか。しっかりとした政策を示すべきではないだろうか。感染が拡大すれば生活者も何もなくなる。一方で、感染していないのに自粛要請や隔離を乱発すれば、すぐに経済は停滞する。この状況を民主党はどのように打破する政策を示すのであろうか。具体的に財源も示しながら、行うべきであろう。政局よりも政策ということをいうのであれば、それがいま最も重要なことである。もちろん、私は個人的に「政策なき政局論の民主党」としか考えていないのであまり期待はしていない。鳩山信代表の「友愛社会」で解決できる問題でないことは明らかである。
 今回のインフルエンザは、今のところ弱毒性で、致死率も低いとされている。しかし、後遺症などのことは、全くまだ分かっていない状況である。その状況で、経済重視とすることは、非常に危険ではないだろうか。もう少しインフルエンザウイルスの全容がつかめてから、しっかりとした経済対策を立てるべきである。
 実際に東南アジアなど、強毒性の鳥インフルエンザの地域にも今回のインフルエンザが蔓延している。強毒性で、今回のインフルエンザのような感染力の強いインフルエンザが来ないとも限らない。その時に「悪しき前例」を残さないようにしなければならないであろう。
 経済も重要であるが、それこそ地域経済同士、地方自治体同士での助け合いを考えるべき。まずは感染拡大防止をするべきではないだろうか。人が健康で、押して生きているからこその生活社製s買うであり経済であることを忘れてはならない。難しい調整を政府が迫られているということだけは、国民が理解をし、一人一人のエゴを抑えるように心掛けたい。

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小沢一郎民主党代表辞任と今後の政局

小沢一郎民主党代表辞任と今後の政局

 小沢一郎氏にはいつも驚かされる。基本的に、どのように行動するかという、その方向性はわかる。また、その理由も想像がつく。しかし、そのタイミングがいつも唐突である。基本的に独裁者の習性であるが、完全に独善的になってしまい、誰に相談することなく、勝手に一人で決める。そのときに、自分とその側近のことしか考えずに、周りの影響を考えない。
 これが高じて権力を握れば、「独裁者」となる可能性が非常に高いと言うことになる。今回の民主党代表の辞任もそうであるが、彼にはその性質があるのか、たとえば、大連立も、ISAFや米軍第七艦隊発言も、全てそれであろう。そもそも、自民党を離党するときも、その後の連立政権の作りかたも、いずれも唐突で、周囲の人は知らなかったということになる。結局のところ、彼は独りであったと言うことか。組織にとけ込めなかったという意味では、そのような人がいるのはわかる。初めのうちは「でる杭は打たれる」となるが、有る程度権力を持つようになると、シンパとアンチがはっきりするようになる。調整型ではないし、周りの影響を考えないので、シンパは狂信的になり、反対派を人格否定まであわせて言うようになり、アンチはアレルギーがでるほどの反対派になる。まさに、ナチスドイツのヒトラーのような狂信性とユダヤ人迫害のようなアンチ勢力への攻撃性が生まれてくるのである。
 小沢代表に関しては、まさにそんな感じが有るような気がする。別にヒトラー総統のように歴史的な悪人というのではないが、独裁とシンパ・アンチの出来方などなぜかきょうつうてんがあるようだ。また、唐突な事件の発生や出処進退の発表などは、ベルリン陥落の直前まで大丈夫と言いながら、最後に自殺する、有る意味での潔さと唐突性を感じる。
 そのようなことを考えながら、小沢一郎の辞任会見のニュースにふれた。しかし、様々な評価があるが、結局政治献金事件居着いてなにも語らず、都合の悪いことは隠していなくなった感じがする。
 ことの発端は、当然に大久保隆規被告の逮捕。小沢の公設第一秘書であった彼が、政治資金規制法に違反する企業献金を受けていたと言うことだ。しかし、その件に関して小沢の口からでることはなかった。事件の説明や秘書の管理責任など、なにも語っていない。それは、11日の辞任の記者会見でも同じことである。
 この文書では珍しいが、小沢辞任会見の二十分程度の内容を全てここに記載してみよう。

 【小沢氏】それでは私から申し上げます。メモにしてきましたので、後で諸君にも配りますけれども、メモを読み上げさせてもらいます。挙党一致をより強固にするために、ということで、来る衆議院総選挙での必勝と、政権交代の実現に向け、挙党一致の態勢をより強固にするために、あえてこの身を投げうち、民主党代表の職を辞することを決意いたしました。
 国民の皆様、支持者の皆様にご心配をおかけしてまいりましたことをおわび申し上げますとともに、特にこの3年間、至らぬ私を支えてくださいました同僚議員の方々、党員・サポーターの皆様に、心より御礼を申し上げます。
 もとより今度の総選挙は、国民自身が政権を選択して、自らこの国と国民生活を救う、またとない機会であります。民主党にとっては悲願の政権交代を実現する、最大のチャンスであります。
 民主党を中心とする新しい政権を作り、国民の生活が第一の政治を実現して、日本の経済社会を根本から立て直すこと、そして政権交代によって、日本に議会制民主主義を定着させること、この二つが民主党に課せられた歴史的使命であり、私自身の政治家としての最終目標にほかなりません。
 日本のために、また国民にとって、民主党にとって、そして私自身にとっても、何が何でもここで勝たなければならないのであります。それを達成するためには、党内の結束、団結が絶対不可欠の条件であります。党内が乱れていたのでは、総選挙に勝利することはできません。逆に挙党一致で、臨みさえすれば、必ず勝利することができると確信しております。
 私が代表の職にとどまることにより、挙党一致の態勢を強固にする上で、少しでも差し障りがあるとするならば、それは決して私の本意ではありません。政権交代という大目標を達成するために、自ら身を引くことで民主党の団結を強め、挙党一致をより強固なものにしたいと判断した次第であります。まさに身を捨て必ず勝利する。私の覚悟、私の決断はその一点にあります。
 連休中、熟慮を重ねまして、その結論に達し、決断した以上、党内の混乱を回避するためにも、ただちに連休明けの本日、辞意を表明することにいたしました。ただし、国民生活への影響を最小限に抑えるために、平成21年度補正予算案の衆議院での審議が終わるのを待った上で、速やかに代表選挙を実施していただきたいと考えております。
 重ねて申し上げます。新代表のもとで挙党態勢を確立して、総選挙に臨むことが、何よりも重要であります。もちろん、私もその挙党態勢の一員として、新代表を支え、総選挙必勝のために最前線で戦い続けたいと思います。
 国民の皆様、引き続き民主党をご支持くださいますよう、心よりお願いを申し上げます。ありがとうございました。

 ――挙党態勢に不安を考える面があったのか。なぜこの時期に辞めるという決断したのか。離党、議員辞職の心配も党内にあるが、今後の政治活動は。

 【小沢氏】一点はみなさん自身がよくおわかりだと思います。連日、みなさんの報道にありますから、それによって結果として党内が不安定になったり、みんなが不安になったりしてはいけないと、私が、批判の矛先の相手である私自身が去ることによって、それがかわされ、そしてみんなが安心して、安定して、総選挙へ向けて挙党一致で戦うそういう態勢を是非作り上げてもらいたいし、私も一員として協力していきたいと、そう思っております。それから、今日辞意表明をしたからといって別に、政治家を辞めるわけではありません。もうあと、わずかの総選挙までの期間でございます。代表を退いても全力で政権交代のために頑張りたいと思います。
 ――辞意決断に至った経緯、特に決断したのはいつか。今後、総選挙対策として具体的にどのような活動をしていくのか。
 【小沢氏】私が民主党の代表を辞するという決断を致しましたのは、最終的に連休で、ゆっくり考える時間ができた時点でございます。それから選挙のやり方については質問者ももう長年見ておられるはずであります。選挙必勝の私自身のやり方で、今後も全力で頑張ります。
 ――後継を選ぶ代表選挙はどのような結果が望ましいか。意中の方はいるのか。次期衆院選には立候補するのか。
 【小沢氏】辞めていく者が、次の人について論ずべきではないだろうと思っております。ましてや、まだ誰が立候補するかもわからない段階ですから、質問にはお答え致しかねます。それから、さっき言ったように、別に私これで辞めるわけではありません。次の総選挙で勝つことが私の最大の願いであり、それが日本の国にとって、国民にとって、必要な政治の転換だという風に思っておりますので、どこの選挙区であれ、全力で戦い、必ず勝ち抜いて参りたいと思ってます。
 ――代表辞任後の新執行部から、新たに執行部に入って党幹部として職を続けてほしいというような要請があれば受けるのか。
 【小沢氏】まだ私が今日辞意表明して、選挙の日取りをはじめとする選挙の手続きもまだ決めておりません。それは明日からです。そして、顔ぶれもどのような方が立つかさえもわかりません。ですから、新しい代表になってから、なったら、どうこうするかという仮定の質問に今答えるべきではないと思います。ただ、一般論として、党員である以上、みんなで決めたことは守らなければなりません。それが民主主義です。自分は意見が反対だったから、守らないでは、国会もすべて成り立ちません。反対した法律でも、多数で成立すれば、それは法律です。みんなで話し合いのうえ、まとまれば一番いいことですが、話し合いがつかなかった場合は、多数決、選挙ということで決するというのが先人の知恵であり、民主主義の基本であります。ですから、それによって、選ばれたリーダーの命については、私ばかりでなくして、全員が守っていかなければならないと思っております。

 ――(公設秘書が逮捕された)事件から2か月がたつ。進退について、国民の理解を得られるという判断も示されたが、今日の内容は乖離がある。どう判断が変わったのか。

 【小沢氏】私の話を聞いていただき、配ったメモを読んでいただけば、何の乖離も、何の矛盾もありません。民主党にとって、挙党一致、団結して、力を合わせて、国民に訴えるという態勢さえできておれば、必ず国民の信頼を得られると思っております。その意味において、私は今日でも、民主党は国民の理解を得られると思っておりますけれども、そのことをさらに万全なものにするために、少しでもマイナスの部分はこの際、自分自身が身を引くことによって取り除いていきたい。そして、なんとしても政権交代を実現したい。それが国民のためであり、我々民主党の使命であると、そう考えているということであります。
 ――党内と有権者自身からも辞任が遅すぎ、党にダメージを与えたという声もある。政権交代に貢献するために、離党や議員辞職も考えるのか。
 【小沢氏】なぜ離党、議員辞職をしなきゃいけないんですか。
 ――献金事件のイメージを民主党から離すために離党すべきではないか。
 小沢氏 私は政治資金の問題についても、一点のやましいとこもありません。法律に従って、きちんと処理し、報告しております。また、今回は政治的な責任で身を引くわけでもありません。皆さんのお力添えのおかげで、私が3年前に代表職を引き継いだ時には、本当に1けたの支持の、1けた台だったと思いますが、今、皆さんの懇切丁寧な報道ぶりにもかかわらず、20%以上の支持を持って、自民党とほぼ拮抗しております。私はそういう意味において、本当に国民皆さんの理解が、我が党に対する理解、そしてやはり政治は変えなくてはいけないという理解が進んでおる証左だと思っておりまして、私も微力ながら、そのことに多少なりとも貢献してきたのではないかと思っております。あんたどこだっけ、会社?
 ――日本テレビです。
 【小沢氏】日本テレビでもよく国民の皆さんの調査をしてみてください。
 ――バッシングと同時に、小沢首相を求める声も多数あった。無念はあるか。
 【小沢氏】個人的に私を強く支持してくださる方は、私が民主党代表として総選挙に勝ち、総理大臣になることを願っていてくれたことと思います。しかし、私は、私自身が何になる、ならないということは、まったく自分にとっては問題ではありません。民主党中心にして、とにかくこの長期政権、腐りきった政権を変えなくちゃいけないと。政権交代、それが果たされれば、私自身にとりましては、まったく本懐でありまして、それ以上の期待をしてくれた支持者の方がおりましたとしたら、それは申し訳ないことではありますが、私の政治家としては、全くこの政権交代、国民生活第一の政治、国民サイドに立った政治、そして日本における議会制民主主義の確立、これが樹立されれば、少なくともそのスタートを切れるということを自分の目で確かめることができるとしたならば、それがまさに政治家の本懐、男子の本懐、そう考えております。

 この会見で「挙党一致」が七回、「政権交代」が八回も出てきている。逆に、政策に関してやその継続性に関しては、全くふれられていない。
 テレビでは自民党も公明党も、それ以外の野党も、説明責任が尽くされていないと言っているが、実際説明するのが嫌だから辞めた人の会見で「説明責任」をいうのはどうかと思う。もちろん、政局的に説明責任を言うことは意味がある。法律の世界では「禁反言のの法則」と言うのがあるが、政治の世界でも同じでしょう。結局、他人のころを批判するには自分が、少なくとも批判している事実に該当しないということが必要でしょう。
  民主党びいきの人が「二階」とか言っていますが、結局スピード違反で一人だけ捕まって「みんなやってるじゃないか」といっているのとおなじ見苦しいだけである。民主党は過去何度「説明責任が付くさえていない」といったのであろうか。故松岡元農相や赤城農相のとき、彼らがあれだけ言っていながら、小沢一郎にたいしては民主党の身内の党首に説明させることができなかった。
 それにしても、日本テレビの七尾アナは、なかなか鋭い質問をしていました。できれば「やましいところがないのにどうして辞任するのですか」と聞いてほしかったですね。また「やましいところがないのにどうして辞任の声が上がるのか」とも。結局「やましいところがあるがそれを認めたくないから、求心力が低下し挙党一致ができなくなった」ということでしょう。「やましいところがない」と「挙党一致」そして「差し障りがある」のは何なのか。民主党は、小沢一郎は結局政策でも何でも「なぜそうなるのか」という説明がないまま、幕を閉じた。
  小沢政治は3年間結局自民党批判をしただけで、何も生まなかった。政策も何もない。「壊し屋」は「壊した先の姿」を国民に見せることができなかった。壊すだけで天地を創造することのできないのは意味がない。現状批判は勝手にすればよいが「では、どうする
」を示せない人は船長にはなれない。特に危機を乗り切る能力には欠ける。小沢はそれを属でんてき独裁で切り抜けようとした。そのために、それだけの資金力を必要とし、そのために政治資金規正法を違反してまで資金を集めなければならなかった。それは政策うがないために、「壊すこと」「現状批判をすること(自民党を非難すること)」「金を集めること」が彼の求心力の象徴であったということだ。今の時代金権政治は流行らない。
 さて、では今後の政局を占うことにする。わたしがここの文書で政局を語るのは珍しいかもしれない。
  政局の争点は、
  1 民主党は小沢路線を継承するのか
  2 どのような政策論を展開するのか
  3 過去のマイナスをいかに清算するのか
であろう
  民主党は小沢路線を継承するのか。では「小沢路線」とは何か。政権奪取を狙うのはよい。正当である以上政権を狙うのはある意味通常である。共産党のように「確かな野党」といっているほうが異常である。政権を取らず批判だけするのは、反権力のジャーナリストだけで良い。政治家にそのような人はいらない。では、小沢路線の政策とは何だったのか。上記のように、結局彼のいうことは、独善てき独裁的である。そもそも民主党の清s買うは場当たり的で、政府の反目を張っているだけであるから、基本的に政党としての統一の政策が存在しない。基本のない「砂上の楼閣」を素晴らしいと自己満足しているにすぎない。国民に「隣の芝は青い」と見せ「こっちの水は甘いぞ」とホタルのように呼んでいるだけである。小沢のような「剛腕」だからできたことで、余人には難しいであろう。結局「小沢路線」が見えない以上、その継承は難しい。
  次の論点として、どのような政策論を出すのか。代表の候補者は現時点でいろいろといわれているが、結局どの政策を選択するのかである。そもそも、社会党左派と自民党タカ派の連合体で、安全保障をどのような政策にするのかをはっきりさせるべきであろう。自衛隊は「違憲なのか」。集団的自衛権は認めるのか。「面接の達人」のようなマニュアル本的な政策で国民をだますのはいい加減にやめるべき。とはいえ、左派と右派の調整を付けて統一の政策を出すことができるのか。それが次の代表に課せられた大きな十字架であろう。
  官僚支配に関しても同じだ。官僚支配といっても、自治労と調整をつけながら官僚支配を終えることができるのか。要するに、自治労の指示を受けながら自治労を解体することができるのか。それともその支持を切ることができるのか。自治労の指示を切って政権奪取ができるのか。選挙対策と公約の調整もしっかりと行わなければならない。次の選挙では民主党にはそこが弱点となるし、その時点で党首討論やマスコミとの質疑でぼろが出てくれば、それで終わりであろう。その意味では、結局核心をいわない今回の小沢の辞任会見は、ある意味「よい手本」なのかもしれない。それどころか、「自分が身を引くことにより挙党一致」などすべて他人に責任を転嫁した小沢の辞任会見に納得して「政権奪取」と無邪気にはしゃげる民主党の議員たちは、どうなんだろう。結局小沢は、民主党の中で反対勢力が出てきたから、マスコミが騒ぐから私が身を引いてあげるというものだ。そんなに恩着せがましく辞任して、その小沢を指示できたり「会見聞いて涙が出てきちゃう」と買いいているようでは、国民に何を訴えるのか。最も悪いのは誰だ。「総選挙前の国策捜査」と言いながら「総選挙前に敵前逃亡した」のは誰だ。前にも述べたが、政策がしっかりしていれば、党首が変わっても何も変わらないが、政局論で言っている場合は困る。政局の作り方はその人の個性が出るから、結局小沢と同じようにはならない。不変の政策を出せるかがカギになる。
  もう一つは贖罪。小沢の事件も結局謝罪も説明もない。それは、故永田議員のガセネタメール、前田雄吉の離党、山岡賢次の真岡市長の秘書給与疑惑、岡田克也の公務員兼職禁止違反。民主党はそのつどいろいろと起こしているが十分な説明をしていない。一応の説明はしているのかもしれないが、自分たちが自民党に求めているのと、自分たちで行っている内容を比較すれば、いかがなものか。赤城元農相の時は「すべての領収書を出せ」と要求していた民主党は、今回の小沢の事件に証拠を出した説明ができたのか。小沢は「倭つぃはやましいところは一つもない」といっているが、それで二階を批判しているのは、どういうことか。自分でしていることと口から出ている攻撃の言葉が全く会っていない。年金未納「未納三兄弟」とおなじ、結局「ブーメラン政党」といわれる所以だ。完全な贖罪が行えないし、新しい代表が小沢に事件のけじめをつけさせることができるかが、最大の問題であろう。たぶんできないと思う。
  小沢は、田中角栄のような「キングメーカー」を狙っているという。それで良いのか。
  いずれにせよ、16日に新たな民主党の代表が選出される。
  今回は、緊急に論点だけをまとめてみました。新たな民主党の代表が、いかに政策を発表するのか。その所信表明と小沢へのけじめのつけさせ方が、最も注目の集まるところである。

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国会議員の「世襲」の是非。新たな選挙の論点か

国会議員の「世襲」の是非。新たな選挙の論点か。

 ゴールデンウィークに突入し、様々な内容の話が出てきている。国民は定額給付金と休祝日高速道路が上限1000円で利用できるということで、渋滞以外にあまり大きな傷害がないかのようになった。昨年と違い、ガソリンの価格も落ち着いており、自動車による外出の増加が多く見込まれる。この時期になると、毎年「安・近・短」と言われる。やすくて近くで短い期間の旅行という意味である。しかし、実際のところ、毎年言われていても言われなくても、レジャーは各家庭にあった内容で行われるものである。特に帰省なども含めて、多くのパターンでレジャーが行われる。
 今年は、百年に一度の不景気と言われるが、それでも各地で渋滞し、混雑が見込まれる。日本は不景気と言われるほど不景気ではない。特に、不景気であるが故に、製造業などは休みを多く出すので、最大で16連休という休みは、なかなかよいのではないだろうか。アサヒビール・毎週アンケートの
 「今年の連休はどうすごす」によると
 ・全国20歳以上男女、有効回答1947人
 ・インターネット調査
 ・09年4月15~21日
☆どの位のお休みを取れる
・休日なし 男性5.5%、女性10.4%
・5日    28.5%
・6日    12.1%
・7~9日   15.3%
・10日以上  13.0%
☆今回のGWをレジャーで過ごすか、休養するか
・すべてのんびりと休養をとる 45.8%
・すべてレジャーを楽しむ   10.1%
・前半レジャー、後半休養   34.0%
・前半休養、後半レジャー    9.1%
☆この連休の過ごし方
1 家の片づけ・掃除・洗濯       45.5%
2 とにかく寝る(睡眠)・ゴロゴロする  34.7%
3 ショッピング            26.3%
4 家族団らん・子供と遊ぶ       24.7%
5 TV・ビデオ(DVD)鑑賞        21.3%
6 日帰り旅行(温泉、観光地巡り)    20.7%
7 街散策・食べ歩き          17.0%
8 国内旅行(宿泊あり)         15.5%
9 ドライブ              13.6%
9 家庭菜園・ガーデニング       13.6%

とある。アンケートであるから、その数字を尊重するとして、休みの過ごし方は様々である。最近毎年言われているのが「安・近・短」というレジャー方法、やすくて近くですませて、それでいて短い期間という楽しみ方。この楽しみ方が、「前後半分かれた過ごし方」と言う方法に現れている。いずれにせよ、連休は心身ともにリフレッシュして、これから暑くなる夏場を乗り切れるようにしなければならない。
 そんな連休で、本来ならば明るい話題ばかりで埋めたいが、必ずしもそうではない。もっとも気がかりは、メキシコで発生した豚インフルエンザである。昨今では発表を見る度に被害者・感染者が増えている。WHO世界保健機構も緊急の会合を開き、何度も対策を行うに至っている。今まで鳥インフルエンザばかりで、あまり他の動物に関しては考えなかったが、まさか南米発で、豚インフルエンザがでるとは思わなかった。旅行会社各社は、豚インフルエンザの影響を考慮し、連休中のメキシコツアーを中止した。またメキシコからの飛行機便の乗客全てに検疫を行い、水際でくい止めるという、過去の感染症、SARSなどと同じ対応を行うことになった。こればかりは、病気やワクチンなどの問題なので、あまり政治的なこととは関係ないが、日本政府としては、日本国内に新型感染症が入らないように、入ったとしてもすぐに治療ができるように、対処をしてもらいたいものだ。このようなときに、経済とか国交とかのことを考えるのではなく、まず日本国国民を守る話をしてもらいたい。
 その、政治の世界では、昨今では「世襲禁止」が言われている。今回はそのことについて少し考えてみたい。豚インフルエンザについても考えたいのであるが、私の場合理数系の話が極端に苦手なので、病気や理数系の話は、ここで書いていても、途中で訳が分からなくなる。そこで、やはり政治の話に戻したいのである。
 
 さて、自民党内ことに若手の間で、にわかに選挙公約として議員の「世襲禁止」を公約にすべきという話がでている。自民党菅義偉選挙対策副委員長が中心になって話をしているが、自民党内に百人を越える「世襲議員」がいるために、議論百出している。一方、民主党では、全議員のうち16名しか「世襲議員」がいないということもあって、岡田克也政治改革本部長を元に、いち早く民主党の政権公約に入れる方向にしている。しかし、小沢代表も、鳩山幹事長も「世襲議員」であることに変わりはない。いずれにせよ、議論が出てきていることには代わりはないのである。
 さて、もうお気づきと思うが、私はこの中で世襲議員を全てカギカッコをつけて表記している。(ここから後ろは、便宜的に世襲という単語を使うが、カギカッコは省略させていただきます)。そもそも、日本では国会議員を含む全ての議員が選挙で選ばれるようになっており、解散のない参議院でも6年で選挙を行わなければならない。要するに現在の代議員制度において、世襲というのは当てはまらない。実際、昔の自民党の大物代議士の子息で、選挙に落選した人も少なくない。では、なぜ世襲と騒ぐのか。
 ここでいう世襲は、実質的な世襲であるということを指しているようである。現在の選挙では、まず選挙立候補において供託金が必要である。同時に、選挙活動が必要で、それらには自由になる時間とその間の活動と生活を支えるだけの金銭的な余裕が必要になる。また、あくまでも投票によって代議員は当選しなければならないことから、組織的な支援を受けなければならない。要するに、「資金」「時間」「地盤」があると有利に選挙を戦えるわけである。これは、民主主義が多数決で行われる以上、そして日本が資本主義経済で有る以上どうにも成らない。結局、親が政治家で暇で時間があって、そして秘書などの役職にいながら、顔を売っていた方が有利であるという。
 しかし、これは代議員選挙に限ったことではない。団体の職員や、大企業の取締役でもいえることだ。最近不正が話題になった公益法人の漢字検定協会も、理事長の息子が理事に入っていたではないか。これらも、国民の選挙ではないにせよ、理事会や株主総会の多数決で就任を決議するのだ。実際に取締役就任などの総会で、長時間にわたると議論や選挙戦などはあまり見たことはない。最近、慶応義塾大学の学長選挙が週刊誌に取りざたされたが、実際選挙になればいろいろ有るであろう。余りよく知らないが、選挙戦になることが週刊誌の話題になるということでありながら、世襲を批判するのはいかがであろうか。
 逆に、世襲であってもすばらしい経営をしている経営者も少なくない。事件になったり報道されていない状態で、具体的な名前を出すのはよくないかもしれないので、あえて名前は伏せるが、世襲的に会社経営を引き継いだために、会社の経営に関し幼い頃から熟知し、その問題点も内部的な視点から精査し、経営に活かして会社を発展させた経営者は少なくないのだ。逆に、私の場合、マイカルという会社に過去在籍していたが、有名なクーデターの時、要するに会社倒産において民事再生と会社更生で四方修派と山下幸三派で分かれたときがあった。このときは確かに対立し動議があり、そして多数決で会社の方針を決め、そして世襲や指名でない新社長を任命したが、その後の混乱と体たらくは、マスコミだけでなく様々な書籍ででもドキュメント的にかかれたのである。
 私がいいたいのは、マイカルの凋落ではない。世襲でもしっかりした経営者はいるし、世襲でなく、多数決で決めてもまるっきり使い物に成らず、会社を倒産させてしまう経営者もいるという事実。つまり、世襲であることと、その人の能力の評価は全く関係がないということだ。
 敢えて経営者という枠組みで書いてみたが、結局政治家も同じではないだろうか。
 そもそも「資金」「時間」「地盤」という枠組みで言えば、世襲議員とかではなく、現職議員がもっとも有利である。マスコミの報道で、よくあるタイプでは「自民党大物議員直奏選挙落選リスト」などと銘打った見出しを見ることがある。現職大物議員でも、政策や政治運用が下手であれば、または国民の期待に応えられないと判断されれば、落選してしまう。世襲議員であるからと言って、簡単に当選するものではない。そもそも不公平というのであれば、現職議員が毎回選挙区を変えなければならないとか、以前の参議院のように、全員「全国区」で選挙をすると言うこ案もある。別にこれから立候補する世襲議員だけを不公平としてやり玉に挙げる必要はない。
 世襲という行為が悪いのか、といえば必ずしもそうではない。歴史から見れば、足利将軍家も徳川将軍家も、三代目の義満・家光がもっとも幕政において隆盛を極めていた。軍事政権である幕政で隆盛を極めると言うことは、平和で国民の生活が安定し、豊かになっていたことを指す。江戸時代では、元禄でもっろも栄えていた時代に当たるし、室町の時代でも金閣寺がそのときの繁栄を遺している。
 問題は、世襲議員のように有利に進んでしまうと、能力のない者も当選する可能性が高くなってしまうと言うことである。それは、世襲が悪いのではなく、世襲で当選した議員個人の能力の問題である。
 以上の事情から、世襲議員禁止には賛否両論有る。
 禁止論者の意見は、まず、不公平ということ。一般からの参入が非常に困難と言われている。また、世襲をすることによって、意見の硬直化や地元への利益誘導という癒着、不正の温床という意見もでる。あとは、世襲議員の多い自民党似たいする問題であろうか。
 一方、世襲容認に関しては、まず、憲法における職業選択の自由に違反するとのこと。これは親が特定の職業に就いていると言うだけで、子供がその職業になれないのは職業の選択肢を少なくした行為に他なら無いということ。第二に、世襲といえども選挙があるので世襲には当たらないという意見。実質は実力社会だと言うものだ。そして、開き直りに近いが世襲でどうして悪いのかという議論である。
 両者の意見は完全に食い違っている。禁止派は道義的な問題や不公平感という、どちらかというと感情論である。癒着不正の温床と言えばそうかもしれないが、逆に世襲であると言うことがその条件になっているわけではない。一方、世襲容認派の意見も、なかなか難しいもので、憲法をここで持ち出すのもどうかと思うし、選挙があるという話も、その選挙に世襲の方が有利だと説いているのであるから、正面からの意見には成らないような気がする。
 微妙な問題なので自分の意見を言うのははばかられることもあるが、私はどちらかというと世襲容認である。私の姿勢として、感情論や道義的な議論は極力避けるべきであると考えている。あとは不正癒着の温床と言うことであるが、政治家以外の不正や贈収賄をどのように考えるのか。直近の事件として、小沢一郎議員公設第一秘書の政治資金規制法違反事件を例に挙げてみよう。小沢は世襲議員であるが、西松建設は世襲議員であるから小沢に献金していたわけではない。そもそも小沢一郎の先代からつきあいがあると言うものではないのだ。また、小沢は公設秘書の大久保被告の責任にしているが、大久保被告は、小沢氏よりも世襲や西松建設とは、事件の原因行為まで無縁である。世襲であるから政治資金規制法に違反するとか、世襲であることが事件の温床であるということには成らない。不正は、先に挙げたようにあくまでも個人の問題である。個人として政治家としての資質があるか、または、社会人として法律を守る意識、遵法主義が貫かれているかと言う問題である。この論点で言えば、あたかも世襲であることが、遺伝子的に犯罪や不正、癒着の温床となっているかのごときであるが、それは差別と言うものであろう。
 また、不公平という内容もあまり当たる批判とは思えない。基本的に、労働組合出身者のように、労働組合のことをその推薦で政治家になる人がいる。宗教団体などもそうかもしれないが、すぐに宗教の話になるので、あえて労働組合の話にしてみた。読者の方はすでにお気づきと思うが、政策のない政治家はいらないと思っている私にとって、具体的な政策もなく後援団体の推薦だけで政治家になる方がずっと不公平に感じる。
 自民党の元衆議院議員で現在も落選している方と話をしたことがある。敢えて名前は伏せるが、元江藤・亀井派に属していた議員だ。彼は選挙に先立って「公認と団体の推薦さえあればよいのだ。あとは政策も何もいらない。団体の推薦状だけガリ版刷りかなにかでもらえないでしょうか」と相談に来たのだ。私は当然のことながらお断りさせていただいた。自民党と言うだけでこられても困るし、団体の推薦状をそんな簡単に言われても、なにか勘違いしているとしか言いようがない。そもそも、政治家は政策があって、その政策に共感して、各団体や国民一人一人が支持をすると言うものである。推薦状などはまさにその証である。政策もなくただ選挙のために推薦状が欲しいと言ってくるなど、言語道断であるといえる。そもそも「主権在民」とその意見の代弁者たる代議員とが本末転倒しているとしか言いようがない。当然に、彼は自民党の公認を受けることもできず、その後国会で名前を聞くことはない。
 政治家を、国会議員をこの「元議員氏」の様に勘違いしている人は、「不公平」と思うかもしれない。しかし、それは政策がない、政策を国民に受け入れてもらう自信がないという現れではないだろうか。それだけではなく、選挙さえ通れば誰でも政治家として活躍できると、選挙と政治家の位置づけを本末転倒して理解している様に思えて成らない。国会議員をタレントか、人気投票の一つ年か考えていないのではないかと疑いたくなる。 
 また、民主党の公約では、現職は除き、世襲議員の場合同一選挙区で公認はしないという。要するに比例ではよいと言うことだ。民主党の小沢党首の選挙は、ここで何度も言っているとおりに、人気取りの政局論の延長線上に思えて成らない。民主党の公認でも、女性やタレントなど、政策と関係なく地域を割り振りしている姿は、やはり、選挙と国民主権を本末転倒しているとしか見えないのである。先ほど例に挙げた「元議員氏」と同じ、選挙さえ通れば何でもよいという感覚が根底に流れているように見えて成らない。
 また、民主党は世襲の禁止について「現職は除く」としている。そもそも、不公平を理由にしているのであれば当選回数に制限がないことや、現職だけ除かれるという不公平は何故許されるのであろうか。民主党は、そのような公約をするならば、小沢代表、鳩山幹事長を初め世襲議員は次の選挙に出なければよいのではないだろうか。これは、世襲禁止と国民受けをねらっているように見えるが、その実、自分たちだけは例外的に認められた特権階級と言うことを世に示し、不公平な存在として在職し続けるということを、高らかに国民に対して宣言したにすぎない。「泣いて馬謖を切る」という故事が有名であるが、民主党はその意気込みのある政治家はいないらしい。とても平成の孔明になれる人がいないのだ。もちろん与党側もあまり変わらないのかもしれないが・・・。
 国会議員の選挙が人気取りと金の問題というのであれば、世襲は不公平かもしれない。しかし、議員が政治家として政策を中心にすると言うのであれば、必ずしも不公平ではない。逆に政治や政策について多くのことを学んだ人に政治を、国民の主権を預けた方がよいのではないか。
 ただ、私がこの稿で「微妙な問題」と言っているのは、ここのにも上記の通り、容認派から政策に関する議論がでていないのである。本来であれば世襲だから資質がないと言うよりは、政策を出せない政治家やそれを検討する能力のない政治家が「資質がない」のであり、選挙が弱いのは政治家の資質とは関係がない。そのような真っ当な反論が容認派から出てこないのは、与野党含めて、やはり選挙が先で政策が後と言うことを認めていることなのだろうか。
 政治というと政局と思っている人が少なくない。そもそもマスコミの政治部は、与野党の政局を書けばよく、国会で審議され、可決された法律がいくつ有るか、どのような法律が新たにできたのか全く報道されない。また、そのような報道をしても「読者が喜ばない」と思っている。読者側はそのような情報がないから、政治と言えば政局としか思わない。結局与野党の有名人のスキャンダルを垂れ流すマスコミになってしまうし、それが国会の予算委員会で平然と出される。また。マスコミはそれらのネタを各社が共同でネタ合わせを行い、殿新聞を見ても政治面でスクープもなく、また、新しい事実もない。まさに政治面の金太郎飴状態担っている。読者は水戸黄門などの時代劇を見るように、一方を悪人に、一方を前任に祭り上げて、勧善懲悪の物語を楽しんでいるかのごとき感覚だ。それが現在の政治記事である。またマスコミの影響が大きいために、予算委員会などテレビ中継がなされるところでわざとスキャンダルを出して、政策論をしない風潮が許されている。故人になるが、永田議員のガセネタメール事件などは、そのような風潮の犠牲ととれるかもしれない。このような状態だから、日本の政治には魅力が無く、国民の政治離れが激しいし、国民が政局について語ることはあっても政策について語ることはほとんどなくなった。アメリカの大統領選挙の時に、選挙権がない高校生などがしっかりと政治に関して意思を表明し、そして、自分の意見を述べている姿を見た。実にすばらしい。これに対して、日本では選挙権がある大人が政治に対して、マスコミの鸚鵡返し以外出てくる意見がないというのも情けない。日本の有権者の大人たちは、考えること、自分で政治に関して意見を言うことを捨ててしまったかのようだ。アメリカの高校生以下の有権者しかいないのであろうか。日本の将来は、少子化や景気回復よりももっと深刻な危機を抱えているのかもしれない。
 はっきり言って、世襲禁止を議論する前に、日本国のために議論しなければならないことはまだまだあるはずだ。与野党ともに、選挙風に吹かれて浮ついたことをせず、今こそ景気回復を含めた国難を政治の力で何とかしてもらいたい。そして、世襲禁止などと言うことを言うのではなく、政策で政治の信頼を取り戻してもらいたい。そのためには、もっと国民の場に政治家が来て、国民の意見に耳を傾けるべきではないのか。 
 世襲禁止の議論は、そのこと自体、今の政治の空しさを映し出しているようだ。寂しい限りである。
 
 

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