東京都議選と地方自治に関する一考
東京都議選と地方自治に関する一考
今年、平成21年7月12日に東京都議選が行われる。報道では、千葉市長選挙と、静岡知事選挙、そしてこの都議選が次にくる総選挙の前哨戦として注目されている。
しかし、不思議なのは、「地方分権」を言いながら、地方選挙が国政の前哨戦とはどういうことなのか。観念的に、選挙は民意と言うことがある。一方で、都政と国政は別という観点がある。自民党・民主党を含め、多くの人がそれを誤解しているのではないだろうか。今回は、その辺を少し検証してみたい。
6月23日朝の報道で、大阪府の橋下知事が民主党に対して「政権担当能力がない」とした。産経新聞(22日インターネット版)より。
「民主に政権担当能力なし」道州制めぐり橋下知事が酷評
6月22日21時22分配信 産経新聞
大阪府の橋下徹知事と民主党との間で、地方分権のあり方をめぐり認識の違いが際立ってきた。国直轄事業負担金制度の廃止を掲げる民主党を高く評価してきた橋下知事だが、先週からは一転し、党が描く“道州抜きの国家像”を繰り返し批判。22日には報道陣に向け「政権担当能力がないと言われても仕方ない」とまで酷評したのだ。
橋下知事は次期衆院選で特定の政党を支持すると宣言しているが、道州制に関する見解の違いが今後の判断に影響する可能性も出てきた。
大阪市内で17日に開かれた民主党府連主催のシンポジウム。橋下知事は党の分権構想を「官僚主導の国の形を変えるものだ」といったん持ち上げた後、続けてこう批判を繰り広げた。「ただし、基礎自治体の次が(道州ではなく)国だというなら、それはとてつもない中央集権の国だ」。
府連代表の平野博文衆院議員は「基礎自治体が広域連合を組めば対応できる。(知事と)認識が異なっているとは思わない」などと応じたが、やり取りは最後まで平行線をたどった。
民主党は、全国約300の基礎自治体と国からなる「2層構造」の国家像を提唱しており、次期衆院選の政権公約(マニフェスト)にも盛り込む見通し。これに対し橋下知事は、自らの立場を「道州制論者」と明言し、国、道州、市町村の「3層構造」に向けた自治体再編を主張している。
知事は、20日に大阪市内であった民主党国会議員らとの会合で「他の自治体の長と連絡を取り合ったが、僕の仲間ではだれ一人賛成しなかった」と訴え、道州制の導入を検討するよう提案。さらに「民主党の責任者と広域行政について討論したい」と公開討論の場を設けることも求めた。
これに応じ党側は、原口一博衆院議員らが党の方針を説明すると府へ連絡。橋下知事が7月の上京の際に党本部に出向くなどし、公開の場で意見を交わすことが決まった。
民主党の分権構想を絶賛し、自民党の国会議員に対して「このまま選挙になれば自民、公明は必ず負ける」とまで言い切った橋下知事。その“豹変(ひょうへん)”ぶりに民主府議の一人は「道州制に関する認識の違いは前から分かっていたはずだ。どうして突然批判を始めたのか」と首をかしげる。
22日、一連の民主党批判の意図を記者に問われた橋下知事は「まあ、そのへんはね、いろいろと…」とかわし、続く言葉でこう述べた。「2層構造が最終ゴールだというなら日本は滅びます。なぜ民主党がみんなで議論してオッケーしたのか、てんで分からない。自民、公明からは2層構造なんていうものは絶対に出てきませんから」。
以上が産経新聞の記事だ。
この中で、政策の違いに関してとやかく言うつもりはない。政局論としてもっとも注目するのは、中段の記事。<民主府議の一人は「道州制に関する認識の違いは前から分かっていたはずだ。どうして突然批判を始めたのか」と首をかしげる。>である。民主党は、政局論として適当なところで合意し、最終の詰めまで行わない。そのほころびがでると、突然、政局とか、「突然」などと言って、根本的に政策が違うことを一切棚上げした議論を行う。
道州制や地方自治に関しても同じだ。「何となく与党批判」が、最終にくるとひっくり返る。他の政策も同じであるが、今回は地方自治に関して考えてみよう。
民主党の目指している政策は、完全なる中央集権国家だ。その「中央」も、官僚組織を破壊して、政治家を100人以上霞ヶ関に送り込むということを言っている。これは、ただ単に、民主党の国会議員が行政府も選挙するということを示す。日本国憲法の三権分立の理念を壊し、「民主党独裁」の道を開くものだ。今回の地方分権に関しても、民主党独裁にじゃまな者は排除すると言うことを意味する。「全国約300の基礎自治体と国からなる「2層構造」の国家像」は、橋下知事の指摘通り、「基礎自治体の次が(道州ではなく)国だというなら、それはとてつもない中央集権の国だ」となる。このことに関しては、7月に公開討論が行われるらしいので、討論の行方を見守ろう。
官僚組織の腐敗、官僚の行き過ぎや犯罪があることは明確である。昨今の「積立金疑惑」は、地方自治体の官僚にも腐敗が広がっていることを示す。しかし、腐敗の根底は「官僚」ではなく、「組織の硬直化」である。絶対的な権力と、その権力構造の「仕組みの改革」なく、組織を破壊して、他がその組織には行れば、次の組織が腐敗をするだけだ。その腐敗が明るみにでる前に、巨大な不正と、国民の損失が発生する。
組織の腐敗は、もう一つ、「権力の集中」によって発生する。兼職のない者に腐敗は発生しない。なぜならば、権力の不正確な運用こそ腐敗の姿だからだ。不正確に運用し、私腹を肥やしたり、恣意的は判断をしたりすることが腐敗の姿だ。その腐敗がカビのように広がり、組織を蝕む。これが組織腐敗の姿である。官僚は、官僚組織に日本の行政権力が集中した。この行政権力を不正確に運用することが、最大の問題だ。この解決方法は、本来、チェック機能を高めることと、権力を分散し集中させないことによって行われる。しかし、民主党の政策は。中央集権化し、その権力をより集中させて、自分の党で制御するという。橋下知事の道州制は、チェック昨日と国・地方の橋渡しを道州が行うという者である。権力と腐敗に関する考え方が全く異なる。橋下知事に批判されてもおかしくない政策だ。
民主党は、地方選挙を国政の政局の道具としか思っていないようだ。そもそも、都議選挙は、都政に関しての選挙だが、何故国政の政権交代が論点になるのか。鳩山代表も、岡田幹事長も、何故都政について議論をしないのか。演説ができないのか。簡単である。現在の都議会は民主党も自民党も与党だ。同じと制で同じ与党の議員が、選挙で対決することはできない。逆に、都議で与党でありながら国政で対決しなければならないということ自体が、地方行政無視ではないのか。橋下知事は、政策を通して、民主党のそれらの態度を批判しているのだ。彼らは、口で言っていることとやっていることが異なる。理念としていっていることが、政策に繁栄されない。強いて言えば、口で言っていることを信用できない。それで政治を語ることは妥当か、と言うことだ。
都議選、そのほかの地方選挙について今後も投票が行われる。しかし、それらの論点が、との地方自治体の行政になっていることは少ない。国会の中継ばかりで、地方行政に関しては国政の対立構造が援用される。しかし、実際の地方行政はそういうものではない。そのこともわからずに、ただ単に国政の延長戦に地方選挙を見るのはどうか。地方行政の中にまで、今まで無かった無用の対立を作り、政権交代を叫ぶ姿は、違和感を感じる。また、それに対応している国民やマスコミも、地方行政をしっかりと理解しなければなるまい。地方行政を、麻生や鳩山がやるのではないのだ。
地方自治に関しては、地方自治に関する議論が必要だ。その議論は、国と地方の関係、地方行政のあり方、具体的な業務の分担や経費の分担、財源、安全保障や災害時の関係など。理念ではなく、具体的な議論がされなければならない。そのときに二階層ということも、道州制も、あるいはすべて国政の直接統治という意見もあっておかしくない。そこは議論を行わなければならないであろう。その議論を「まやかし」ですませてはならない。そして、それらは、すべて財源を含める政策論によって議論される。理念やスローガンではない。ましてや、国政の政権交代でもない。
間違った地方自治体へのアプローチは、それを指摘し、批判しなければならない。ごまかす態度は政治家にもっとも無用なものだ。それらを考えながら、地方行政を考えなければならないであろう。
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