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2009年6月

東京都議選と地方自治に関する一考

東京都議選と地方自治に関する一考

 今年、平成21年7月12日に東京都議選が行われる。報道では、千葉市長選挙と、静岡知事選挙、そしてこの都議選が次にくる総選挙の前哨戦として注目されている。
 しかし、不思議なのは、「地方分権」を言いながら、地方選挙が国政の前哨戦とはどういうことなのか。観念的に、選挙は民意と言うことがある。一方で、都政と国政は別という観点がある。自民党・民主党を含め、多くの人がそれを誤解しているのではないだろうか。今回は、その辺を少し検証してみたい。

 6月23日朝の報道で、大阪府の橋下知事が民主党に対して「政権担当能力がない」とした。産経新聞(22日インターネット版)より。

 「民主に政権担当能力なし」道州制めぐり橋下知事が酷評
6月22日21時22分配信 産経新聞

 大阪府の橋下徹知事と民主党との間で、地方分権のあり方をめぐり認識の違いが際立ってきた。国直轄事業負担金制度の廃止を掲げる民主党を高く評価してきた橋下知事だが、先週からは一転し、党が描く“道州抜きの国家像”を繰り返し批判。22日には報道陣に向け「政権担当能力がないと言われても仕方ない」とまで酷評したのだ。
 橋下知事は次期衆院選で特定の政党を支持すると宣言しているが、道州制に関する見解の違いが今後の判断に影響する可能性も出てきた。
 大阪市内で17日に開かれた民主党府連主催のシンポジウム。橋下知事は党の分権構想を「官僚主導の国の形を変えるものだ」といったん持ち上げた後、続けてこう批判を繰り広げた。「ただし、基礎自治体の次が(道州ではなく)国だというなら、それはとてつもない中央集権の国だ」。
 府連代表の平野博文衆院議員は「基礎自治体が広域連合を組めば対応できる。(知事と)認識が異なっているとは思わない」などと応じたが、やり取りは最後まで平行線をたどった。
 民主党は、全国約300の基礎自治体と国からなる「2層構造」の国家像を提唱しており、次期衆院選の政権公約(マニフェスト)にも盛り込む見通し。これに対し橋下知事は、自らの立場を「道州制論者」と明言し、国、道州、市町村の「3層構造」に向けた自治体再編を主張している。
 知事は、20日に大阪市内であった民主党国会議員らとの会合で「他の自治体の長と連絡を取り合ったが、僕の仲間ではだれ一人賛成しなかった」と訴え、道州制の導入を検討するよう提案。さらに「民主党の責任者と広域行政について討論したい」と公開討論の場を設けることも求めた。
 これに応じ党側は、原口一博衆院議員らが党の方針を説明すると府へ連絡。橋下知事が7月の上京の際に党本部に出向くなどし、公開の場で意見を交わすことが決まった。
 民主党の分権構想を絶賛し、自民党の国会議員に対して「このまま選挙になれば自民、公明は必ず負ける」とまで言い切った橋下知事。その“豹変(ひょうへん)”ぶりに民主府議の一人は「道州制に関する認識の違いは前から分かっていたはずだ。どうして突然批判を始めたのか」と首をかしげる。
 22日、一連の民主党批判の意図を記者に問われた橋下知事は「まあ、そのへんはね、いろいろと…」とかわし、続く言葉でこう述べた。「2層構造が最終ゴールだというなら日本は滅びます。なぜ民主党がみんなで議論してオッケーしたのか、てんで分からない。自民、公明からは2層構造なんていうものは絶対に出てきませんから」。

 以上が産経新聞の記事だ。
 この中で、政策の違いに関してとやかく言うつもりはない。政局論としてもっとも注目するのは、中段の記事。<民主府議の一人は「道州制に関する認識の違いは前から分かっていたはずだ。どうして突然批判を始めたのか」と首をかしげる。>である。民主党は、政局論として適当なところで合意し、最終の詰めまで行わない。そのほころびがでると、突然、政局とか、「突然」などと言って、根本的に政策が違うことを一切棚上げした議論を行う。

 道州制や地方自治に関しても同じだ。「何となく与党批判」が、最終にくるとひっくり返る。他の政策も同じであるが、今回は地方自治に関して考えてみよう。
 民主党の目指している政策は、完全なる中央集権国家だ。その「中央」も、官僚組織を破壊して、政治家を100人以上霞ヶ関に送り込むということを言っている。これは、ただ単に、民主党の国会議員が行政府も選挙するということを示す。日本国憲法の三権分立の理念を壊し、「民主党独裁」の道を開くものだ。今回の地方分権に関しても、民主党独裁にじゃまな者は排除すると言うことを意味する。「全国約300の基礎自治体と国からなる「2層構造」の国家像」は、橋下知事の指摘通り、「基礎自治体の次が(道州ではなく)国だというなら、それはとてつもない中央集権の国だ」となる。このことに関しては、7月に公開討論が行われるらしいので、討論の行方を見守ろう。
 官僚組織の腐敗、官僚の行き過ぎや犯罪があることは明確である。昨今の「積立金疑惑」は、地方自治体の官僚にも腐敗が広がっていることを示す。しかし、腐敗の根底は「官僚」ではなく、「組織の硬直化」である。絶対的な権力と、その権力構造の「仕組みの改革」なく、組織を破壊して、他がその組織には行れば、次の組織が腐敗をするだけだ。その腐敗が明るみにでる前に、巨大な不正と、国民の損失が発生する。
 組織の腐敗は、もう一つ、「権力の集中」によって発生する。兼職のない者に腐敗は発生しない。なぜならば、権力の不正確な運用こそ腐敗の姿だからだ。不正確に運用し、私腹を肥やしたり、恣意的は判断をしたりすることが腐敗の姿だ。その腐敗がカビのように広がり、組織を蝕む。これが組織腐敗の姿である。官僚は、官僚組織に日本の行政権力が集中した。この行政権力を不正確に運用することが、最大の問題だ。この解決方法は、本来、チェック機能を高めることと、権力を分散し集中させないことによって行われる。しかし、民主党の政策は。中央集権化し、その権力をより集中させて、自分の党で制御するという。橋下知事の道州制は、チェック昨日と国・地方の橋渡しを道州が行うという者である。権力と腐敗に関する考え方が全く異なる。橋下知事に批判されてもおかしくない政策だ。
 民主党は、地方選挙を国政の政局の道具としか思っていないようだ。そもそも、都議選挙は、都政に関しての選挙だが、何故国政の政権交代が論点になるのか。鳩山代表も、岡田幹事長も、何故都政について議論をしないのか。演説ができないのか。簡単である。現在の都議会は民主党も自民党も与党だ。同じと制で同じ与党の議員が、選挙で対決することはできない。逆に、都議で与党でありながら国政で対決しなければならないということ自体が、地方行政無視ではないのか。橋下知事は、政策を通して、民主党のそれらの態度を批判しているのだ。彼らは、口で言っていることとやっていることが異なる。理念としていっていることが、政策に繁栄されない。強いて言えば、口で言っていることを信用できない。それで政治を語ることは妥当か、と言うことだ。
 都議選、そのほかの地方選挙について今後も投票が行われる。しかし、それらの論点が、との地方自治体の行政になっていることは少ない。国会の中継ばかりで、地方行政に関しては国政の対立構造が援用される。しかし、実際の地方行政はそういうものではない。そのこともわからずに、ただ単に国政の延長戦に地方選挙を見るのはどうか。地方行政の中にまで、今まで無かった無用の対立を作り、政権交代を叫ぶ姿は、違和感を感じる。また、それに対応している国民やマスコミも、地方行政をしっかりと理解しなければなるまい。地方行政を、麻生や鳩山がやるのではないのだ。
 地方自治に関しては、地方自治に関する議論が必要だ。その議論は、国と地方の関係、地方行政のあり方、具体的な業務の分担や経費の分担、財源、安全保障や災害時の関係など。理念ではなく、具体的な議論がされなければならない。そのときに二階層ということも、道州制も、あるいはすべて国政の直接統治という意見もあっておかしくない。そこは議論を行わなければならないであろう。その議論を「まやかし」ですませてはならない。そして、それらは、すべて財源を含める政策論によって議論される。理念やスローガンではない。ましてや、国政の政権交代でもない。
 間違った地方自治体へのアプローチは、それを指摘し、批判しなければならない。ごまかす態度は政治家にもっとも無用なものだ。それらを考えながら、地方行政を考えなければならないであろう。

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北朝鮮のミサイル騒動とその後継者問題

北朝鮮のミサイル騒動とその後継者問題

 今、北朝鮮が熱い。というと、何かのキャンペーンかイベントのキャッチコピーのようである。しかし、そのようなプラスの作用が働くものではなく、単純に危険という意味である。でも、ただ危険と言うだけでなく世界の人々の耳目を引きつけている。

 私は、ここしばらく本の原稿を書いていたために、少し籠もったり、意識して人とあわなかった。それにより、あまり情報を入れていない。ちなみに、政策の争点を書いた「今の論点ハンドブック」(成甲書房)が7月1日に発売される。この文書の焼き直しのようなところもある。ただ、一応オリジナルなので、かって読んでもらうとうれしいです。その後、7月7日に「民主党の闇」と言う本を出します。政局の本ではなく、影響団体に左右される民主党政策を、事件の視線で見てみる本です。これも、是非選挙の前に目を通していただきたい。

 さて、個人的な宣伝はここで辞める。
 そんな本を書いていたので、すっかり浦島太郎になってしまった。そんな中で、6月14日に、国連安保理で北朝鮮制裁決議が出されたという。中国の関係でいくらか譲歩したものの、北朝鮮行きの貨物船の臨検を各国に要請するなどが記載された。その内容は、前回の人工衛星発射の議長声明とちがい、内容はかなりきつくなっている。
 実際に、大陸間弾道弾に転用可能なロケットの発射、地下核実験の実施、プルトニウムの取り出し、短距離スカッドミサイルの発射と、ここのところ北朝鮮は核兵器による威圧行為を継続しておこなっている。
 この件に関して今回は考えてみたい。考える手法として、まずは北朝鮮の内部の政治状況。北朝鮮のない部分析に関しては、多分に推測の域を出ない可能性があることをあらかじめ了解願いたい。次に、国際社会の反応。国連安保理だけでなく、世界情勢から見たこの威嚇行為をどう受け止めるかということ。そして、最後に日本政府の対応。選挙が近いので、与野党のこの事件に関する雑感を交えて書いてみたい。
 まず北朝鮮内部の状況だ。
 北朝鮮の内部は、現在混乱期にあると言ってよい。15日に国連安保理の決議に反対するデモがピョンヤンで起きた。約10万人賭参加が伝えられるが、そこに金正日国家主席の姿はなかった。金永南首相の参加が伝えられている。金正日国家主席の病状の悪化は、かなり深刻であると伝えられる。数年前から重度の糖尿病が伝えられ、昨年糖尿病からは征する脳梗塞が言われている。復帰や無事という報道が多く北朝鮮からは流される。しかし、実際、それらを見れば見るほど、金正日の病状の悪化を疑う結果になる。
 多くの日本人のイメージでは、北朝鮮は金正日主席の個人独裁であるというイメージがある。北朝鮮人口が約2000万人と伝えられるが、小さな国でもさすがに個人で独裁は難しい。聞くところによれば、金正日主席を頂点とする少数集団統治体制であることのこと。結局金正日主席が重病であっても国家の統治には大きな影響がない。たとえば彼が突然死んだとしても、急に自由主義国家になることはないのだ。北朝鮮は、社会主義の共和国である。その内情は共産党という一政党の独裁と、人民解放軍の統制によって成り立っている。この政治と統制がなくならない限り、現状の国の形が急に変わることはない。
 では、何が「混乱」しているのか。非常に単純で、二つの主導権争いが全面に出てしまっている。一つは、共産党と人民解放軍の主導権争い。そしてもう一つが、その二つの集団のトップの主導権争いである。そして、これらの中にはそれぞれ傀儡となるヘッドを擁立している。それが金正日の三人の息子達だ。金正男、金正哲、金正雲の三人が、後継者として名前が挙げられている。このうち、北京・マカオを往復している金正男に関しては、日本のマスコミなどにも露出が多い。最近の消息なども注目されている。しかし、他の二人に関しては、その素顔があまり知られていない。正雲に関していえば、子供の頃以外の写真すらない。この正確もわからない三人が、主導権争いのトップに祭り上げられ、死闘を繰り返している、と報道される。
 これら報道は、テレビの「昼メロ」のごとく、おもしろおかしく報道されている。実際はそんなものではないのであろう。ただ、北朝鮮が対外的に強攻策を採る場合は一定の法則があるということだ。すなわち、北朝鮮内部の政治体制が、安定していないときである。今手元に資料がないので、正確な年代は別にして、90年代後半のノドン三陸沖着水のと気がはじめとする。安倍幹事長時代のテポドン7連発、今年の人工衛星と地下核実験、いずれも金正日の健康不安または国外旅行時であるのがわかる。安倍幹事長の時は、金正日は中国の南部にいたし、その前の時はロシアに滞在中であった。そもそも今回の元となる六カ国協議離脱は、金主席の脳梗塞が伝えられていた。今回は、後継者問題で国内が荒れているのである。
 北朝鮮は、基本的に国内の矛盾を抱えている。国民が権利意識に目覚めたとき、その矛盾は顕在化する。もちろん、「権利意識」という単語には様々な意味が含まれる。日本で言うところの様々な「基本的人権」がある。しかし、その中において、彼らにおける最低限の「権利意識」は生きる権利であろう。言論の自由や、資本主義という話は、二の次三の次である。生きるために、または子供など家族を生存させるために、何をしなければならないか。ここで、金正日指導者の下、人民政府に従うという選択肢がある。しかし、その基本姿勢が揺らぐときがある。この内容は二つ。一つは、指導に従っているのに生きていけないとき。もう一つは、金正日ではない指導者が出てきたときである。この場合、国内は動揺する。そして、人民政府は、その国内の動揺を解消するために、外国にその責任を転嫁する。その悪い外国の中心が「米帝」ようするにアメリカである。日本や韓国は、「米帝」の属国または同盟国であり、国連という悪の組織を作って北朝鮮に害をなす。人民政府は、人民を守るのに手一杯で、一人一人の生活を守るまでは、うまく行かない。と言ういいわけをする。これこそ、「排外主義外交」の典型であるといえる。そして、「このままでは米帝に占領され、もっと大きな害悪を押しつけられる」として、国民の団結を呼びかけるのだ。
 これらは、徹底した情報の封殺と、高等教育の禁止、そして日々の洗脳によって行われる。情報の封殺と高等教育の禁止は、国民に考えるという行為を禁止させる高等教育がなければ、現状に疑問を持つことはない。それにより、考える習慣がなくなる。一方で、情報の封殺は、考える材料を与えなくする。考える材料がなければ、当然に思考を停止せざるを得ない。情報があって、その情報と時分のおかれた環境を比較することによって、人は施行を開始する。しかし、考える習慣と、考える材料が化ければ、思考は停止したままとなる。要するに社会を小さくする。国民一人が考える「世界観」を彼の見える範囲に限定すれば、当然に比較は小さな社会で行われ、不満が少なくなる。米帝が的であるという洗脳は、一つは排外主義もあるが、一つは、外界を遮断する材料となる。海外の情報がすべて米帝に支配されているとなれば、海外の情報を信じる人もいなくなる。洗脳は、この家庭で毎日刷り込みを行うためにされるものだ。これにより、北朝鮮人民は、排外主義を信じ、指導者の下で団結を行うのだ。
 この、排外主義外交の象徴として、ミサイルが存在する。そして核実験が存在する。要するに、一つは北朝鮮の要求を通すための外交手段としている。しかしそれだけではなく、国内の矛盾の解消にも軍事力を使っているのだ。そして、それは金正日の抑えが効かなくなったときに、共産党、または人民解放軍によって行われるのである。
 同時に、北朝鮮の内部における勢力争いも繰り広げられている。後継者が正雲と言われているが、当然にその素顔は国内でも知られていない。共和国で後継者というのも変な話ではあるが、独裁政治にはそのような話はつきものだ。この正雲に取り入ろうという勢力が、過激な行動に出ることもある。注目を集めるために、非行にはしる子供と一緒だ。上記のように、高等教育の禁止と、情報の封殺が行われているのである。そのような精神的に幼い行動に出てもおかしくない。北朝鮮の内部の事情はこのようなところである。
 さて、次の論点に移る前に、高等教育をしていないということについて一つのエピソードがある。朝鮮高校の生徒に聞いた話である。倫理の講義の時間という。ラジオが壊れた。そのラジオからは金正日の声が聞こえてきていたモノだった。では、ラジオを壊した者は不敬罪にあたるか、と言うものである。もちろん、ラジオが壊れたのは事例であり、実際の事件ではない。しかし、そもそもテーマの設定が興味深い。もっと興味深いのは、その問いを出された生徒の反応だ。
 一部の生徒は、金正日の声が聞こえるということは、中に金正日主席の魂が含まれているので、それを破壊したのだから不敬罪だと主張する。一方、別な集団は、米帝の悪の誘いもラジオから聞こえるので、魂が入っているはずはないという。先の集団は、金正日主席の魂は、米帝とラジオの中で戦っているという。一方で、化学的に、これは道具にすぎないという人もいる。この議論を延々数日間続けるというのだ。感想などに関しては、個人で考えていただきたい。

 次に、国際社会の反応。
 国際社会と言うが、国連加盟国の中でも、対応は異なる。日本の報道ではさも全世界が北朝鮮と敵対し、北朝鮮が孤立しているかのごとく報道されている。しかし、実体は、積極的な敵対。消極的な敵対。無関心または自国の環境で他国のことまで考える余裕がない。北朝鮮を保護。のという四種類の対応が混在している。
 日本や韓国は積極的敵対に属している。アメリカもそうだ。日本は当然にその報道を中心に行う。拉致、核という二つのアレルギーを北朝鮮に持っているのだ。その上日本人には集団主義的なところがあるのだから、当然に時分と同じ意見のところが多いように報道する。
 しかし、世界の情勢は必ずしもそうではない。常々、私が主張しているが、日本のマスコミは「水戸黄門現象」に侵されている。日本人視聴者がそれを望んでいるのかもしれない。しかし、大衆に迎合し、望まれる報道ばかりをしてはならない。ある意味で偏向報道・イエロージャーナリズムである。事実は、視聴者が望む望まないに関わらず、しっかりと伝えなければならない。 
 消極的に北朝鮮に反対しているのが、多くの国々である。核兵器が拡散することは、あまり望ましいことではない。しかし、北朝鮮のミサイルが自国に被害を与えることはない。よって消極的な制裁参加になる。
 北朝鮮への制裁に消極的に反対している代表は中国である。日本では中国が指示しているかの報道が大きい。しかし、たとえば・イラン・パキスタンなど、核の技術やウラン功績の販売を行う国は、制裁に反対だ。そもそも、核不拡散条約は、すでに核の保有を認められた国の優位性を確保する条約と言われる。その側面から世界を見れば「なぜ他の国だけ核をもってよいのか」という議論になる。そうなれば、北朝鮮の行為は、その特権の国に対する挑戦と言うことになる。「挑戦」がおかしければ、「疑問を投げかけた」としてもかまわない。積極的に北朝鮮の行動に対して支持はしないまでも、核不拡散条約に対する疑問をこのような形で出す国は少なくない。とくに、経済的な利害がある場合はなおさらだ。技術・資源、施設の売買などから、兵器売買まで、北朝鮮と国交を持っている国は少なくない。特にイスラム諸国に多いのは、アメリカを中心とするキリスト教文化との対立も掲げられているのかもしれない。
 しかし、それより多いのが、無関心であろう。内戦を行っている国や、そこまで経済が発達していない国は、遠いアジアの核問題などに興味はない。自国の発展と、国民の生活の方が大事だ。日本の報道においては、これらの国々について何も報道されないが、たとえばソマリアというか遺族で話題になった国などは、この問題に何ら関係がない。まずは、自国の治安が大事で、その次に海賊に頼る生活形態の解消が大事だ。「国際問題」といいながらも、これらの国々に関する配慮が、日本のマスコミには欠けているのである。
 さて、そのような世界各国の状況から、「安全保障理事会」でしかなく、国連加盟国全体の決議にならないのである。
 古い話だが、ブッシュ前大統領は、演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸国」と言ったが、これは「国連の敵」と言う意味になる。国連は、いかにも一つの国際的な機関のように思うが、実際は「ユナイテッド・ネイションズ」要するに「連合国」の略称だ。要するに国連とは、日独伊三国同盟の枢軸国に対抗した連合国である。枢軸国に対する軍事同盟連合体の日本語誤訳でしかない。その国連の決議に自衛隊をゆだねるという民主党前代表のご意見は、これらのことをわかっているのであろうか。イメージで物事を判断するのは恐ろしい。ブッシュ演説に戻ろう。ブッシュは、悪の枢軸国と演説した。これは明確に「連合国の攻撃対象」と言うことを示したものだ。日本は、第二次世界大戦当時は枢軸国であったが、今は連合国の中枢だ。ブッシュ演説をまともに踏襲すれば、北朝鮮の敵は連合国となる。攻撃対象には、当然に日本が含まれる結果になる。それは「平和憲法」「戦争放棄」などという言論の世界ではなく、実際にミサイルが飛び、飛行機が押し寄せる行為として行われることになる。そのときに、上記の世界情勢の認識は必要だ。世界各国が日本の味方ではない。自国の内部で手一杯、極東の紛争に手を貸せない国はたくさんあるのだ。
 そのことをしっかりと認識すべきではないだろうか。そして、そのことを国民にしらせる義務が、マスコミにはあるのではないだろうか。
 現在、日米安保条約が徐々に形骸化しつつある。「第七艦隊しかいらない」という発言を政治家がする時代だ。そのようなときに、日本が「攻められたとき」国連や国際社会は何をしてくれるのか。
 最後に日本政府、及び与野党の対応に関して考えてみたい。
 国際社会がこういう状態であると言うことは、自分で自分の国を守らなければならないということだ。現在、各国、特に北朝鮮周辺の五カ国が軍事費をあげている中、日本だけが軍事費(防衛費)を削減している。もちろん、国全体の税収と言うこともあるが、「第七艦隊しかいらない」「軍事費は削減する」というのは、安全保障という意味で矛盾している。
 日本政府は、国民を守るために、常に最悪の事態を想定して物事を考えるべきである。突然隕石が降ってくるとか、UFOとかと言うことは、想定されても余り対処はしなくてよい。しかし、現実にミサイルが日本の頭上を通り越して発射された事実を見ると、戦争または戦闘行為に発展する可能性は考えられる想定である。当然に「防衛のための戦争」は、考えなければならない。また、そのときに日米安保がうまく機能しない、または遅れると言うことも想定しなければならない。アメリカは民主党の小沢の対応に対して、あまり快く思っていない。民主党優勢の状況が続けば、安保条約の事実上の解約と言うことも視野に入れる可能性がある。その場合は、完全に日本が独自に自国国民を守らなければならない。「日本は日本人のためだけのものではない」などと言っている場合ではないのだ。
 政府は、何よりも緊迫した北朝鮮情勢を分析しなければならない。そして、それに対してしっかりと対処する必要があるのではないだろうか。具体的には、少なくとも自衛隊の軍備の整備、資材や食糧の備蓄、国民の避難の経路確認などだ。
 実際、日本は本土が戦場となることは想定していない。しかし、科学技術が進歩し、ミサイルで攻撃ができる時代だ。空中でも、至近距離で核ミサイルが爆発すれば被害がでる。Bー29が空襲にくるのとは違う。その科学の進歩にあわせた防衛が必要である。
 それだけではない。情報の入手も必要だ。当然に、現在も諜報活動はしていると思うが、日本の報道機関の報道では、必ず「聯合ニュース」「アメリカ軍」というところが出所となる。日本の機関は出てこないのだ。
  報道しないからといって、政府が何もしていないわけではない。国会やマスコミの批判のように、政府は無能ではない。しかし、その情報がアメリカや韓国に遅れているようではどうしようもないのだ。商社や、その他の情報を組織的に得る工夫などが必要ではないか。今一度、世界各国につながる日本人のネットワークを考えるべきである。
  今は、政局を考えるべき時ではない。何かにつけて選挙という話ではなく、しっかりとした安全保障と外交に関して話をすべきである。党首討論などで、しっかりとその政策を見極めなければならない。政権を取ってから考えるなどという猶予は、今の日本にはないのだ。
  国民もそのことを肝に銘じて政治を見てほしい。

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世界最大の自動車会社の倒産

世界最大の自動車会社の倒産

 6月1日にアメリカで世界最大の自動車会社が倒産する。アメリカのビッグスリーと言われる基幹産業の一社、ゼネラルモータース(GMFが倒産するのだ。倒産を予告するのも変な話であるが、再建計画の提出期限が6がつ1日であり、取引先に対する債権放棄の合意が取り付けられない状況では、法的な整理にならざるを得ない。アメリカの破産法、日本では会社更生法に類似した倒産手続きが申請される見通しだ。アメリカのオバマ大統領は、昨年から明るみになったリーマンショックの処理を進めた。その上で金融機関の引き締めをした結果、ビッグスリーが予想以上の経営悪化が明るみになった。アメリカ政府が資本を注入し、実質的に国営銀行になった金融機関各社は、GMに対して経営再建計画の提出を求めた。この場合の再建計画は、それができなければ金融支援を行わないというものである。金融機関が金融支援をしないというのは、新たな借り入れができないというものではなく、それまでの預金の差し押さえなどを意味する。当然に債務超過を引き起こすか、決済手段の不渡りが発生する。銀行取引停止処分となり、結局のところ会社が倒産すると言うことだ。
 GMは、当然のごとくまず経費の削減を行った。不採算部門の閉鎖や経費削減。過剰生産の調整と工場の閉鎖。工場閉鎖にあわせた人件費削減、要するに従業員の解雇や退職者恩給(年金)のカット。不採算販売店・ディーラーの閉鎖。そして、取引債権をはじめとする債権の猶予またはカットである。しかし、それらもなかなか計画通りにうまく行かない。アメリカ最大、ビッグスリーという看板がこう言うときになるとじゃまになる。従業員は、それらの内容に関して全く関知せず、当たり前のことであるが会社の正否よりも自分の生活を先に主張する。組合などが力を発揮し、会社の経営よりは労働者の権利を主張する。債権者やディーラーに関しても同じだ。また資産の売却も進まない。当然に工場などは閉鎖してもすぐに売却できるものではない。結局再建策そのものが頓挫するに至ったのだ。ホワイトハウスの報道官は、5月27日の段階で、6月1日にオバマ大統領が重大な決断をするという意味の会見を行い、GMの破産法申請が決定的になったという観測が強まった。
 倒産の理由は様々ある。もっとも単純なのは債務超過に陥ったことである。しかし、中小企業ならばいざ知らず、世界での新車販売台数一位を続け、世界最大の企業規模を誇るGMが、そんなに簡単に倒産するはずがない。このニュースでは、よくリーマンショックが引き合いに出される。しかし、リーマンショックで、世界最大の自動車会社が倒産するのであれば、それより小さな規模の会社は壊滅状態になっているはずだ。そのようにならないのは何故か。その原因を探る努力をしてみよう。
 まず、会社が倒産するのは債務超過である。債務超過は、出て行く資金が多く、入ってくるカネが少ない状態の時に発生する。あえて「出て行く資金」「入ってくるカネ」と記載したのは、通常会社の経営の場合、売り上げばかりではない。借り入れや出資なども経営の数字の中には入ってくる。日本語のバランスシートでは「貸方」「借方」というが、ここの中で重要な項目になるのだ。金融支援が得られないとは、この中での借入金が新たに得られなくなるばかりでなく、資金の引き上げなど、今まで融資してもらった金を返さなければならなくなる。
 昔、ダイエーの中内功社長が、小売業の大会の後の懇親会で、「金を借りるというのは、数パーセントの現金で億・兆のカネを買うようなものだ」と発言していた。金利さえ払っていれば銀行はいくらでも金を貸してくれる。中内社長は、バブル期の金融機関の態度をそのように言っていたのだ。ダイエー絶頂期、ちょうど南海ホークスを買収し、福岡にホークスタウンを作った時期だ。当然に、皮肉や嫌みの発言ではない。本気でと言えば語弊はあるが、中内社長でもそのように思う程度の風潮であったことは間違いがない。その後バブルがはじけて、その勢いで借り続けた有利子負債の弁済を求められるようになる。当然に採算事業ばかりではない。そもそも景気が後退しているのに、ダイエーだけ右肩上がりに売り上げや業績を伸ばせるはずはない。その結果は、ここで語らずとも現状が表している。
 GMも同じである。リーマンショックを引き起こしたサブプライムローン問題。これはなにもないところで問題だけが発生したわけではないのだ。あまり詳しく解説はしないが、要するにアメリカ版バブル崩壊である。当然に、詳細は違うかもしれないが「問題」「ショック」の前にバブルがあった。その利益が続かなくなって、ある日突然問題が顕在化するのだ。GMにとっても同じで、ダイエーのように業績に関わらず金融機関から資金を調達できた時期があるはずだ。そのとき調達した資金がうまく回らなくなった、具体的には返せなくなったのだ。また、つなぎ資金程度ではだダメな規模で、なおかつ、根本的な問題が混在しているといえる。ダイエーでは語弊があるので、私が勤めていたマイカルでは、当然に小売り不況というものが売れない状況の中で、拡大戦略を継続し、その拡大戦略が全てとは言わないまでも、全体をカバーできるほどの業績を残すことができなかった。それを、不動産証券化(信託証券化)によって、一時期のキャッシュフローは切り抜けたものの、後が続かなくなった、ということである。そのような状況にならなければ、会社が倒産するはずはない。資金が回らなくなったから、会社が倒産するのだ。
 では、何故資金が回らなくなるのか。当然に、売り上げが伸びないからである。もっと言えば、他の事業の投資または経費分を、売り上げで補うことができなかった。また、それが将来に対する期待も薄いことから、金融機関が融資しなくなったということになる。売り上げは、既存の売り上げと、その売り上げの実績の積み重ねによる将来への期待が、一つの基準になる。将来事業が縮小するところを相手に、多額の融資をする金融機関は皆無に等しい。そのようなところに融資をすれば、逆に会衆の期待可能性がないところへの融資となり、実質的な利益供与として代表訴訟事由になる。金融機関はそこまで覚悟して融資をすることはない。相手が、世界一の売り上げを誇るGM出会っても、斜陽企業に対する金融機関の反応は冷たい。バブル期に借りてもらうときと態度は一変する。アメリカのように訴訟が多額化する場合はなおさらだ。
 では、何故世界一の販売数を誇るGMは凋落下のであろうか。私が経験したM&Aの中で、マイカル時代に京都にある18店舗を持つ京都厚生会というスーパーマーケットがあった。ここは、本業である小売業はそれほど悪化していなかった。もちろん、現在のような大型スーパーマーケットのような店構えではなく、地元商店街の中にある小型食品スーパーマーケットである。大型化・多角化の展開は難しく、発展性は少なかったが、逆に、地元の顧客から毎日の食材や総菜を徒歩や自転車で買いにゆく店舗として、堅実な数字をあげていた。しかし、本業と違うところで、この会社は京都府久美浜にコンドミニアムを建設し、リゾート事業に手を出した。しかし、これが失敗し、結局会社更生法を申請したのだ。倒産の形態には、この京都厚生会のように本業の不信ではなく、身の丈に合わない新規事業への出資が原因となるケースがある。これは、単純にその新規事業分を切り離して本業のみとして再生することが可能だ。バブル期には、リゾートブームでこのようなケースでの倒産も数多くあった。
 しかし、GMの場合は違う。キャデラック・シボレー・ハマーといった日本でも有名なブランドを保有し、同時にサタンなど小型車事業にも手を出していた。1931年に世界の新車販売台数が1位になり2008年にトヨタにその座を明け渡すまでずっと1位にあり続けた。逆に2008年に一位の座をトヨタに明け渡さなければならないほど、売り上げが落ちていたということになる。要するに本業での不調がそのまま倒産に結びついたということである。同時に売り上げが落ちていても、その状態における経費のカットが思うように進まなかった。直接雇用24万人と言われる労働組合は、その数のメリットから強大な力を持ち続け、万全の福利厚生を要求した。賃金も現在の日本の製造業に比べれば雲泥の差であり、その故y学な給与を元に算定した退職者年金は、経営を圧迫したのである。
 マイカルの時も同じであるが、労働組合とはなかなかその要求が難しいものである。何よりも従業員の福利厚生や人件費のアップを要求すると言うことは、経営者側から見れば経営における経費を多く掛けさせると言うことだ。経費が多額にかかれば、それだけ、事業拡大などの原資が無くなると言うことを意味する。リストラという名の解雇を反対するが、それを、経営危機状態で強く要求すれば会社そのものが倒産し、他の健全な労働者の権利もすべてを失ってしまう。会社経営を圧迫するほどの要求は、かえって労働者全体の権利の喪失につながるのだ。言い換えれば、労働組合が、周り回って労働者を失業の憂き目にさらす結果になりうると言うことだ。とはいえ、そのことを配慮して経営者と妥協して会社の存続をはかり、経営者側の提案に従えば、そのまま弱腰交渉、御用組合と揶揄される。特に、組合の長が変わったときは、何らかの結果や成果を遺さなければならない。組合は、組合の長のプライドと会社の存続と言うことの狭間におかれる。マイカルの場合、小林会長がリストラ(解雇)は市内と言ったが、2000年に宇都宮社長は、経営建て直しのために人件費削減に着手する。この内容は、子会社120社の経営者の解雇(取締役であるため辞任要求)と、希望退職制度の採用である。労働組合は、これに反対するが、宇都宮社長はこれをしなければ会社が無くなるとして断行。その後リストラを行った責任をとると言うよりは、組合の要求に従い、会社の危機をもっとも知っていた宇都宮氏は兼務していた1会社の役員すべてを辞任する。労働組合は自らの面目を保つために、宇都宮氏を辞任に追い込んだが、一方でその後の経営に関しては無頓着に「責任をとらせた」と宣伝した。しかし、その結果は、ここの文書でも何度もご披露したように、マイカルが倒産する憂き目にあう。マイカルの倒産は、時代に則さない経営とか、山下幸三氏による無計画な不動産証券化、会社従業員のモラルの低下と様々ある。モラルの低下を止めることができず、経営者との対決姿勢だけで会社の存続を考慮できなかった、労働組合幹部の無知も一つの原因である。結局当時の従業員の多くは、イオングループに吸収されるが、人事評価や給与などはかなり低くなり、イオングループ退職後生活苦での自殺者を出す結果になる。
 GMという世界最大の製造業が、マイカルと同じようになるとは思えないが、労働組合による弊害と、人件費や福利厚生費による経営の圧迫を、会社存続のために協力して事態の解決を図る姿勢が無かったのは事実だ。今後どのようになるかは予想の域をでないが、バブル期の経営の理論と同じで、会社存続時に権利を謳歌した者は、会社倒産後にそのツケを払わされることになる。労働組合は、一部でそれに対する対策を行うかもしれないが、基本的には倒産の事態を招いた経営者と政府を批判し、経営を省みずに権利の主張のみを行った反省と、その間の蓄えをすべて放出しての従業員救済を、組合の構成員全員が満足する程度に行うことはない。そして、その内容に関して「労働貴族」と言われる人々は、その既得権を維持しながら政府に責任を転嫁するようになる。
 労働組合に関することが多くなったが、話を元に戻そう。
 GMの車は何故売れなくなったのか。経費の節減の話ではなく、今度は売り上げ、収入の減少の方の話である。これは、非常に簡単で、史上のニーズに応えることができなくなったからである。マイカルも同じ。なぜイトーヨーカドーが残ってマイカルが倒産したのか。様々な経営の差異はあるが、結局客商売は顧客ニーズに応えられるかの一点である。顧客のほしくない商品をいくらもっていても、それは資産ではなく不良在庫なのだ。小売業の場合、それらは商品部、要するにバイヤーのメーカーに対する力と、店の情報収集力、そしてその二者、要するに商品の入り口である仕入れ担当部門と、出口である販売担当現場の情報の連携の緊密化しかない。イトーヨーカドーの場合、POSシステムによって、それを機械的に、システム的に行った。これに対してマイカルの場合、どちらかというとほしくない商品も仕入れ割戻金目当てで仕入れてしまい不良在庫になるケースが少なくなかった。商品部の評価が、仕入れ商品の販売点数ではなく、仕入れ割り戻し金を含む金額で評価し、店に配布した後の責任が明確でなかったところが問題の一点となる。責任を伴わない仕事によいことはない。普段政治において野党やマスコミの無責任な批判を指摘しているが、これらも放置すれば日本国そのものがマイカルやGMと同じになってしまう危機をはらんでいる。
 GMも、結局は顧客のニーズには応えることができなかった。GMは、日本でよく言われる「アメリカ車」の代表だ。大きく、頑強で、スタイルもデザインもよいが、燃費が悪く小回りが利かなかった。日本車は小型車を中心に、車内装備の充実を図ったが、軍需産業のように大型化、頑強さを生活空間の快適さを犠牲にしても追求した。軍人や外見にこだわる人はよいが、結局多くの消費者は日本車を選ぶに至った。では、なぜそのようにニーズに応えられなかったのであろうか。これも簡単である。労働組合の強さに現れているように、歴史と、それに基づ成功体験が会社を支配していたからに他なら無い。成功体験ほど始末に負えないものはない。後進の者は、一応彼らの成功の上になり経っているのだから、彼らの意見を尊重しなければならない。しかし、以前の成功体験が現代の成功につながるとは限らない。時代も、環境も、顧客のニーズも、すべてが変わっているのだから、方法と経験を過去から踏襲するだけでは逆に失敗に終わることが少なくない。事業の成功は、彼らの努力もあるが、社会的な環境や顧客のニーズ、ブーム、政治的環境や国際関係、為替など様々な要素が複合的に連鎖して行われるものだ。しかし、人は時間が経つと、成功は自分の努力と苦労話ばかりが先に立つようになる。苦労話と懐古主義は、時間が戻らないか切り解決しない問題だが、言っている本人はそれに気づかない。もっと言えば、時代に即応して、過去の成功体験を自己否定できる者しか生き残れないのだ。 
 マイカルなど小売業も同じ。マイカルの場合、高度経済成長時代の成功体験がじゃまになった。彼ら成功体験者は、「昔は商品を億だけで飛ぶように売れた。品切れになってお客様に怒られた」と懐古主義を発揮した。その上で「今の奴は営業努力がないからモノが売れない」と批判する。しかし、高度経済成長時代に、三種の神器がステータスシンボルで、それを競って買った時代と、モノがあふれており、今必要な商品がないところでモノを売らなければならない状況とは社会環境が違いすぎる。前提条件が違うのに、それを比較し、営業に責任転嫁しながら、売れない商品を大量に仕入れれば、結局会社は倒産する。
 GMも同じだ。大型車がよいという時代と、小型で低燃費が尊ばれる状況とは全く異なる。それを並列に考えて、昔の価値観で自動車を生産しても、それは販売力の低下以外の結果を招くことはない。
 こうして、GMは16長4000億円と言う負債を抱え、直接雇用24万人、影響雇用者130万人と言われる人々に府の遺産を遺しながら倒産する。日本でも133社がその影響を受けるとされている。
 これに対して、アメリカ政府は資本を入れながら、実質国営会社のようにして再建策をも策する。オバマ大統領は経営する意志はないといっているが、世界は金融機関以外に国が直接投資、支援を行い、経営再建に取り組むと言うことに注目する。金融機関の支援の場合、基本的に大勝会社の顧客は企業がほとんどだ。顧客数という意味では個人化もしれないが、貸付、預金残高比で言えば企業が圧倒的に大きなことになる。国営であっても、再建は企業相手に行えばよく、顧客のニーズなどを考えずに再建を行うことができた。金融機関が扱う「商品」は、顧客ニーズなどを調査しなくてよいのだ。一方、製造業や小売業は、その商品や新商品の開発の方向を、顧客のニーズに合わせて行わなければならず、なかなか難しい。政府が主導で自動車のマーケティングを行うわけにも行かないのだ。政府は、それらマーケティングを含めた顧客動向を見定めながら、その生産調整や販売戦略を行わなければならない。大がかりなリストラ策や、経費節減はできても、販売戦略やマーケティングは難しい。オバマ大統領はエコ事業の展開を大統領就任時に公約を掲げているが、それ紙を結ぶまでの当分の間、どのように経営を維持するのか、かなり難しい。
 それだけでない。世界最大の製造業が倒産したという、史上のマインドの冷え込みをどのように回復するのか。政府が行う景気対策と言うだけでなく、GMの再建という結果を遺さなければ、消費マインドや史上マインドの冷え込みは解消しない。しばらくは「悪い材料が出尽くした」と言う観測で値を上げるかもしれないが、その後、GMの再建が不調に終わったとき、または再倒産と言うことになれば、今度はアメリカ経済そのものがおかしくなる。そうなれば、何らかの緊急手段しかなくなると言うことになる。その「緊急手段が何か」ということに関しては、また別な問題になる。いずれにせよ一企業に何度も税金を投入することは許されない。オバマ政権の公私混同しない内容が試される。
 いずれにせよ、世界が注目する内容だ。
 

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