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2009年8月

総選挙前報道と、一足早い選挙後の政局

総選挙前報道と、一足早い選挙後の政局

 8月30日の総選挙は、大方の予想で民主党の勝利が伝えられている。私自身、多少候補者の事務所にお邪魔したり、演説を聞かせてもらい、そのことを肌で感じる。2005年の小泉郵政選挙は、「小泉劇場」と言われた。自民党は、今回民主党に意趣返しをされたのではないか。私自身、今回の選挙そのものを言えば「政権交代劇場選挙」であり、決してほめられた選挙ではない。歴史的にみて、あまりよい選挙とはいえない汚点になるのではないかと思う。
 2005年は「郵政民営化」という主題があった。その主題も政策によるものであった。その政策個別の善し悪しは別にして、小泉内閣の目指した小さな政府と、国際競争力のある社会の二つの柱が、巨大国内ネットワークと金融機関を民営化させた。民営化による効率主義で、地方切り捨てがあるなどの批判もあったが、「親方日の丸」でなければ海外に打って出ることのできない日本企業にとって、「政府(郵政省)から解体自立を促される」というショック状態が出てきた。それまで不動産担保でしか融資がなかった金融機関が、徐々にではあるが事業性などを担保に融資が実現するようになった。仕事の借金ですむところを失うというリスクが、ほんの僅かではあるが解消されたのである。
 話はそれるが、「ジャパニーズ・ビジネスマン」といえば、よく働き、世界でもトップクラスの評価を受けるとされている。しかし、実体はどうであろうか。私が親しくしているアメリカの連邦宇雲海裁判所の元判事は「ジャパニーズ・ビジネスマン」は「ジャップ」という軽蔑用語に近いと指摘する。その理由は、「無目的」「無個性」「無鉄砲」「無責任」の「四つの無(英語ではNO)」の総称であるという。それぞれ聞けばもっともな話だ。昔、栄養ドリンクのコマーシャルで使われたフレーズだが、「24時間戦えますか」は、外国の個人主義者からは嘲笑の的であった。ある意味で、日本人は、日本人的なグローバルでない価値観を持っている国民といえる。「ジャパニーズ・ビジネスマン」に関しては、後日改めて解説しよう。
 話を元に戻そう。小泉改革は、これら「親方日の丸」としてリスクを国に押しつけながら、自分の企業は世界企業と勘違いしている会社に鉄槌を食らわせた。小さな政府は、当然に 企業の責任の一端まで追うことはできない。各企業は自己責任で自由強を卯を、それこそ競争社会で鍛えてきた外国企業と戦わなければならなくなった。私がいたマイカルの倒産は少し違うが、山一証券や、日債銀・長銀などの経営破綻は、これらの競争社会での生き残りが難しくなった結果と評価されている。
 ここでいう「自己責任」と「自由競争」が小さな政府の特徴だ。逆に、現在の日本の財政は、企業の後始末までしていては持たなくなってしまう。自由競争を勝ち抜いたものが離合集散し、新たな企業体や社会の枠組みを作る。これが、経済の民主化・自由化である。一方で、ハンディキャップのある人に対しては、国や地方自治体が生活そのものを援助する。これが社会保障の考え方である。
 どうも、一般の競争に絶えられる人でも、この社会保障の対象にすると言うのが、今のトレンドのようだが、これでは共産主義になってしまう。資本主義・自由経済である以上、競争力の保持が日本の発展の原動力となりうる。失業者のみなさん、殊に派遣村などはtがいへんと思うが、一方で、競争社会としての考え方を否定するのはいかがかと思う。なぜ派遣村にいることになったのか、なぜ、失業したのか、そしてそのプロセスに自己責任は果たしたのか。
 さて、その小泉改革を巡っての攻防が一つの選挙の争点となっている。「無責任な競争社会の犠牲者救済」と民主党は主張するが、社会全体が競争を失えば、国際社会で競争力を失うと言うことを忘れてはならない。日本という国家が経済的に沈没し、競争社会では医者になってしまえば、国民の生活など守れるはずはない。私が外交や安全保障を重視しているのは、それらが国民の生活そのものへの影響力が大きいことに由来する。
 これら論点はおいておき、日本国民は、健常者に対する社会保障の実現を重視し、国際競争力を付けるという国家発展のプロセスを捨ててしまったようだ。
 読売新聞と日本経済新聞は、民主党300議席。毎日新聞は320議席、NHKは330議席と予想。480議席中であるから、当然に民主党の圧勝となる。自民党は100議席を切るという。
 大胆にも私が予想しよう。
 民主党、250議席±20
 自民党、170議席±15
 といったところであろう。
 もちろん、あくまでも予想なので、当たらなかったとしても、保証も謝罪もするつもりはない。

 いずれにせよ、民主党を中心とする連立政権が9月に発足する。鳩山由紀夫代表は、「責任の重さを感じる」という趣旨のコメントをする殊が予想される。
 さて、その「責任の重さ」に関して、今回検討してみたい。おしなべて言えば、それが、選挙後政局の予想になると思われるからだ。

 まず、例によって論点、というよりは、チェック項目を設定して、その後の予想に役立てよう。一つ目は、「選挙公約は守られるのか」。二つ目は「閣僚・党役員の名簿はどうなるのか」。三つ目は、「公約していない重要項目はどうなるのか」。この三点に絞ってみてみたい。外交とか安全保障とか、景気対策とか、政策的なものでなく、端的に民主党政権は国民との約束を守れるのか、という一点に絞って考えてみたい。

 一つ目の項目「選挙公約は守られるのか」という点からみてみよう。
 選挙公約は多岐にわたる。総額16・8兆円といわれる公費を使うものだ。マニフェストをみると

 無駄遣いの廃止として、国家予算の組み替えと天下り根絶
 子育てとして、子供手当の支給
 年金医療として、年金一元化と医師数の増加
 地域主権として、自主財源の増加と高速道路無料化と郵政見直し
 雇用として、手当付き職業訓練制度と二酸化炭素25%カット
 そして消費税の4年間凍結 

 全五章のマニフェストをみれば、バラ色の生活者支援が待っているように見える。ほかにも様々公約しているが、すべてをみる必要はない。彼らが本気で「守る意志のある公約を挙げたのか」ということがわかればよいのだ。
 まず、この中から矛盾したものを挙げてみよう。高速道路無料化と二酸化炭素排出。これは相容れない概念だ。今年のお盆休み、平日も一部高速道路を1000円とした。これにより30キロ以上の渋滞は昨年比2.5倍以上の54回となった。昨年は石油高騰でガソリンが200円に届くかとされていた時期であり、自動車は非常に少なかった。しかし、54回の渋滞は発生が多い。これにより、二酸化炭素排出は1,6倍以上となった。これは、「結果」である。高速道路無料化とガソリン暫定税率が廃止されれば、リッターあたり70円前後のガソリンと併せて、自動車の利用回数は増加する。それも、土日などの制限ではなく継続するのである。当然にマイカー所持率は増加し、ガソリンや軽油の燃焼は増加するのである。
 全世界的にも、これら環境に配慮したマイカー規制が行われており、燃油にたいする環境税や、自動車の利用税、高速道路の有料化が国際的なトレンドだ。いずれも環境の配慮と、国庫税金の無駄遣いを減らすための方策であり、現在の民主党政策とは逆行する。
 それだけでなく、高速道路を無料化と郵政民営化見直しで、地方を活性化するという内容であるが、これに関しても疑問を持たなければならない。まず、今年の夏の例で、高速道路1000円の影響で、埼玉県の夏のリゾートである長瀞町は観光客が激減した。高速道路の影響で「安・近・短」から「安・長・短」に休暇のレジャーが変わったためである。要するに、大都市近郊のリゾートはいずれも集客が激減した。このことは、高速道路が無料化された場合、人の流れだけではなく物流にも当てはまることになる。地方の物資がほとんど大都市に流出することになる。物質の平均かが発生し、地産地消が崩壊することになる。このことは、人材の大都市流出と地方都市の過疎化が生まれる土台になってしまう。
 私が、10年ほど前に訪れた、岩手県大槌町の例を挙げよう。大槌町は、三陸の漁業基地の一つで、牡蠣・サンマ・イカ・鮭が名産である。ことに鮭は「南部の鼻曲がり鮭」といわれ、北海道などとことなり、新巻鮭などによく使われる。これらに関して、地元での名産の販売を試みたが、不可能との回答を得た。理由は、すべて東京や仙台と行った大都市に出してしまうので、地元で消費する以外は販売できないという。イカなどは、わざわざ地元でとれるのに築地から仕入れることもあるというのだ。
 この時に地元に残っているのは、「輸送料をかけてまで運ばないもの」「輸送しても採算が合わないもの」「東京の人が好まないもの」の三種類であった。単価が安くても量がそろえば採算が合うので、サンマの季節には、毎日のように大型のトラックが取りに来ていた。結局「キズもの」「廃棄もの」が残るのだ。大槌町の民宿では、加工後に残った以下の口や炭などの鍋を出していたし、地元の水産会社では、イカの耳のから揚げを販売していた。これらは、缶詰などの加工後の残りである。
 高速道路が無料化した場合、これら地元の生命線もすべて築地に出されてしまう恐れがある。大槌町産の魚を築地経由で買うということだ。先に述べたように「輸送料金が少なくなる」のであるから、そうなってしまう。当然に、それら産業もなくなるので、大都市圏への人の移動が行われ、地方の過疎化が発生する。一方で、大都市圏に出てもすぐには生活がないために派遣労働者になる。しかし、短期派遣も禁止され、働き口がなくなるということになるのだ。派遣村は、輸送の近代化によって引き起こされたといっても過言ではない。
 このように、現場を知らず、なぜ今の社会問題が発生しているかもわからず、マスコミ受けするせいさくばかりをだしていれば、結局個別政策間で矛盾が生じる。当然に公約は守られなくなるのだ。これは「バラマキと財源」ということも「二酸化炭素排出制限と景気回復」「雇用確保・社会保障充実と中小企業の活性化」いずれも二律背反である。

 そろそろ次に進もう。二つ目は「閣僚・党役員の名簿はどうなるのか」。
 簡単に言えるのは、いつまで「トロイカ体制」が継続するのか。そして「労働組合や日教組の代表はどうなるのか」。そして「小沢一郎の処遇」である。
 完全に政局論なので、私が得意な部分ではない。トロイカ体制に関しては、鳩山由紀夫代表の個性の問題から、継続せざるをえないであろう。というよりは、民主党が寄り合い所帯であることを考えればそうせざるを得ない。政治は、結局利権と利権団体の代表だ。民主党のように「連合」「日教組」「民団」とさまざまな利権団体があり、なおかつ旧自民党田中派が入っていれば、各々の代表が指導体制に入らなければならない。過去、自民党の内閣に置いて「派閥」を記載していたのと同じである。
 その影響団体が影響団体の関連省庁の行政をするようになれば、今度は政治の公平性の確保が難しくなる。たとえば、連合出身の代議士が労働関係の大臣になれば、会社経営と労働者の権利とのバランスが崩れる可能性がある。日教組出身の人が文部科学大臣になっても同じだ。行政の公平性が崩れることは、そのまま、多くの国民の不利益を被ることになってしまう。バランスが崩れるということは、先にあげた公約を守れないと負うことを意味する。経営者と労働者のように、日本の中には、利益が相反する団体が多くある。そこを価値観を同じにするのは難しい。経営者は生活者でもあり、会社の維持という仕事もあるのだ。会社が倒産すれば、社会的な制裁を受ける。そのことは、マイカル倒産の時に目の当たりにしている。
 一つの影響団地亜からの閣僚が出てしまえば、それらの調整ができない。政治的公平性といっても、自民党・民主党というものではない。そのような利害が反する立場をうまく調整できるのかということである。自公政権では、宗教団体を支持母体とする公明党出身議員を、管轄象徴である文部科学大臣にはしなかった。鳩山氏にそのような組閣ができるのかははなはだ疑問である。
 最後に小沢一郎の処遇である。小沢一郎は、自民党政権の崩壊に執拗なまでの執念を燃やしている。しかし、そこにおいて、次をどうするという話は少ない。細川内閣でも閣外協力のような形であった。彼は表に立って何かをするということができない。表に立った場合は独裁を望む性格である。自分の要求が通らなければやめてしまう。自民党・民主党大連立が崩れた時もそのようになった。
 小沢は今回も同じ轍を踏むのか。とくに「小沢チルドレン」を含め、現在の清和会と同じような状況になる小沢派がどのように動くのか。数の論理で何をするのかは注目し、独裁に対して制御しなければならない。
 
 三つ目は、「公約していない重要項目はどうなるのか」ということである。
 公約していない事象といっても二種類ある。基本政策として「なくてはならないのに公約にないもの」要するに「外交」「安全保障」「天皇制」「憲法改正」ということ。一方で「新型インフルエンザ」「自然災害対策」など不測の事態に対する対応である。
 基本政策に関しては、まさに民主党の弱点であろう。結局安全保障や外交において具体的な統一政策が、現在言われている民主党中心の連立政権では出てこない。なぜならば、これらに関しては利害が一致しない。政治的な主張もまったく異なるからだ。
 日本は必ずしも安全ではない。平和ボケしているのは、日本国内だけで、世界では内戦紛争が多発している。その状況で「これから考える」では話にならない。日本の国会は二院制である。今回過半数を民主党がとっても、参議院では、そうはならない。
 北朝鮮の拉致問題に関しても、社会民主党や旧日本社会党の代議士は、「拉致はなかった」という発言に対してしっかりと国民に謝罪をしなければならない。「今の論点ハンドブック」で記載したが、北朝鮮が拉致被害者を返還したのちも社会民主党には「拉致はねつ造」との論文を掲載していた過去があるのだ。民主党、社会民主党を支持しながら拉致の解決を望むというのは、矛盾した要求であることを国民は自覚するか、自らの記憶力を疑い、頭が悪いことを認めなければならない。
このことは、北朝鮮のミサイル実験での抗議声明の決議危険や、北朝鮮貨物船の臨検に関する法案に関しても同じだ。拉致問題ということではなく、直近のミサイル問題という国民の安全に関して、問題となる。
 天皇制は、そのまま先の大戦の補償問題に直結する。靖国神社問題も同じだ。日本が村山談話以降、海外でいかに苦しんでいるか。それは民間企業の海外進出でも同じだ。大多数の観光旅行でしか海外に行ったことのない人は、わからないのかもしれないが、そこでの、日本の不利益は、あまりにも大きい。
 一方不測の事態に関しては、どのように対応するのか。今まで批判しかしてこなかった民主党に何ができるのかは未知数である。
 民主党の主張は「資源(金銭・ワクチンなど)」は無尽蔵に存在するという発想がある。民主党の政策の中に「限られたものを公平に分配する」ということが非常に苦手である。それは連合や組合など「権利の主張をするが義務の表明はしない団体」が支持母体であるからだ。そのことは、日教組に非常によくあらわれている。ゆとり教育を標榜しながら、学力の低下が出れば政府を攻撃するという、無責任な政治主張はさすがに常軌を逸している。今回は「高校の無償化」だそうだ。さすがに同化している。そもそも少子化と子供手当でも、大家族制を否定し核家族化し、子供が育てにくくなった。女性の権利と言い出して、子育てを放棄した。もしくは子育ての環境を人任せにした。人任せにするということは当然に出費が増えるということだ。そのようにしてきながら「少子化問題は政府の問題」という矛盾。どうなっているのか不明だ。この少子化問題に関しては、改めて、書く必要があると思う。
 要するに、日本における病巣の多くは「高校教育までの権利意識教育と義務意識の欠如」「競争意識の欠如と子供時代からの護送船団共産主義」である。子供手当の創設と金持ちからの増税は、要するに共産主義の実現であるということを国民は分かっているのか。

 要するに、共産主義的になった場合、中国やソ連がそうであったように、競争意識がなくなり国力全体が疲弊する。その兆しが見えた時に、今の民主党政権はどのようになるのか。そのことそのものが、政局として論点になる場合、民主党政権は崩壊する可能性が高い。逆にいえば、民主党政権の分裂による政界再編の可能性が近未来にあることが予想される。
 国民は、それらを選らんだ責任を自ら痛感すべきではないのであろうか。

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総選挙公示、日の丸を切り裂いて党旗を作る民主党の国家観

総選挙公示、日の丸を切り裂いて党旗を作る民主党の国家観

 8月18日、総選挙公示があった。長い選挙戦であるが、本格的な選挙戦が切り広げられることになる。
 選挙でいえることは、あくまでも政局でなく政策で判断すればよいことだ。マニフェスト選挙といわれて久しいが、実現不可能な公約などは、詐欺師の口上と同じだということだ。まだスーパーの安売りチラシの方が誠実である。本当に安いかどうかは別にして、チラシに書いてあることは実行すしている。一方、最近になって「現実路線」を打ち出す民主党は、私の著書でもあるとおり、批判精神だけで、実効性が伴わない。
 ここで民主党支持者が言うことは、自民党のマニフェストも同じだという。果たしてどうだろうか。与党は、基本的にそれまでの政権としての政策の継続である。特筆すべき政策のみを公約にすればよい。これに対して、野党は、政権を奪取する側である。とくに「チェンジ」を標榜する以上、何がどう変わるのかをしっかりと書かなければならない。オフェンスとディフェンスでは、自ずと主張する内容が異なる。そればかりか、その実現可能性は、継続政権であれば疑う必要はないが、交代制権であれば、実効性の証明も必要である。裁判を経験した人であればわかるが、常に原告、要するに攻撃側に証明責任が付帯する。被告は、原告の証明に対してだけ解答すればよい。政治も同じ事だ。
 たとえば、高速道路無料を標榜する。これにより都市部生活者が高速道路を利用しやすくなると言うのはよいことだ。しかし、その結果どのようなことが起こるか。その検証はしつくされているのか。考える必要がある。財源の問題は、マスコミがあげているとおりだ。無償化した場合の、道路維持経費だは最も重要だ。当然に無償化したことによる道路劣化の速度も考え合わせなければなるまい。今回の自信のような場合の緊急補修も、すべて税金でまかなわれることになる。当然に、歩行や自転車通行ができない高速道路の維持費が、自動車を持たない人から徴収される税金から支払われる。高速道路の考え方から、受益者負担という思考をなくしてよいのか。そもそも歩行者優先という考え方を行う道路交通法の精神を変えてよいのかという議論もされていない。財源は、それにとどまらず、道路公団の職員などの失業手当や再就職支援も必要である。また、減った公共工事による、地方企業の景気対策も織り込まれなければならない。現在、道路事業から払われている、地域振興資金などは、無駄遣いであるのか。
 それだけではない。物流の流動化は、商品の流通促進も発生させる。地方特産品が大都市に流通すると言えばよいかもしれない。しかし、本来の物流コストが安くなることにより、地方の商品の大都市集中が発生する。人だけでなく、物質の地方過疎化と大都市寡占化が発生するのだ。これは、地方振興資金などのカットと併せて、地方の切り捨てにほかならない。その、物流も、無料化に伴う高速道路の渋滞で遅延遅滞が発生する。寡占化と物流遅延は、都市部の生活の問題も大きくする。寡占化は、併せて物価の高騰を意味する。地方のスーパーは、地産地消でなく大都市の市場を経由した物流で、二重の物流コストを負担しなければならない。地方での物価上昇は、当然に生産者コストの値上げを意味し、回って都市部生活者の物価高騰を意味する。これに対する景気対策も考えなければならない。
 道路交通量が増えると言うことは、当然に二酸化炭素が増えるということを意味する。今年のお盆で、1000円高速の影響により、30キロ以上の大渋滞は54カ所で、昨年の2倍以上というニュースがある。渋滞は、当然にエンジンの稼働時間帯を増やすものであり、それは、二酸化炭素排出の増加を意味する。これに対して、二酸化炭素排出量削減はどのように行うのか。はなはだ疑問はつきない。その上、ガソリン税を廃止した場合、自動車稼働台数は増え、結局他国からのに酸化炭素排出取引を行わなければならず、不足の支出が行われる。これも税金だ。
 その上、高速道路の利用者が増えると言うことは、ほかの公共交通機関の利用者が減ることを意味する。当然に電車(私鉄を含む)、フェリー、飛行機などは会社存続の危機になる。これらに対する補助は民主党には存在しない。倒産と失業者を増やす結果に、これらの対策予算も必要になる。片方で雇用の維持をいいながら、雇用もとである地方企業や公共交通機関の会社を倒産の危機に追い込むのは、矛盾していないのであろうか。
 高速道路だけでも、これだけのことがあげられる。上記各問題点を「無駄遣いの削減」だけでまかなうというのは、詐欺師の口上以外の何なのか。単に16兆円の財源だけでなく、政策実現による補助・犠牲範囲の増加を考え、本当に16兆円でよいのかを再度検証しなければならない。片方で、「小泉改革は格差を広げた」といいながら、より格差を広げる可能性を隠しての、勝手の範囲設定と財源の明示で国民をだますのはいかがなものか。
 これらは、短期・中期・長期の各国家観がないことによる弊害であると考える。
 そもそも、国家観がない政党が、国の為政者になるのはどうなるのか。そこを考えなければなるまい。マニフェストに、安全保障や外交がなく、意見が一致しない政党と連立を組むという。内政はごまかせても、外国までごまかせるものではない。相手も一国の為政者だ。マンガしか読まないエコノミックアニマルがあいてではない。しっかりとした国家観や、国の長期戦略を持った代表が相手だ。適当なごまかしでは、日本国そのものの品位を疑われかねない。
 では、民主党の国家観はどのようなものなのか。以前から指摘の通り、民主党は政党綱領もなく、統一の国家観もない。私は自分の著書の中で「理念なき批判政党」としたが、全くその通りだ。
 それを現すエピソードが、8月8日の鹿児島で行われた民主党候補による日の丸切り裂き、党旗制作事件だ。
 産経新聞が大きく取り上げている。普段はあまりしませんが、今回は新聞の記事をそのまま以下、掲載しよう。

 海外なら刑事罰も

 鹿児島県霧島市で8日に開かれた民主党の衆院選立候補予定者の決起集会で、2枚の国旗を切り裂き張り合わせ、民主党旗として掲揚していたことが分かった。集会には小沢一郎代表代行も出席しており、「切り刻んだ国旗」は民主党のホームページにも一時掲載されていた。
 麻生太郎首相が17日の党首討論会でこの事実を指摘し、「国旗を切り刻むとは、どういうことか。信じたくない。とても悲しく許し難い行為だ」と批判した。
 民主党の鳩山由紀夫代表は「そんなけしからんことをやった人間がいるとすれば大変申し訳ない。それは国旗ではなく、われわれの神聖なマークなので、きちんと作られなければいけない話だ」と述べた。
 海外では国旗への侮辱行為に刑事罰を科す国も多い。フランスでは公衆の面前で国旗に侮辱行為をした場合、7500ユーロ(約100万円)の罰金刑を定めている。集会で同じ行為をすれば、加重刑として6カ月の拘禁刑が科せられる。中国やカナダ、ドイツ、イタリア、米国も国旗への冒?(ぼうとく)や侮辱、損壊などに処罰規定を設けている。
 日本では外国の国旗への侮辱行為などは外国国旗損壊罪があり、2年以下の懲役か、20万円以下の前金が科せられるが、国旗への侮辱行為には規定がない。昭和62年の沖縄国体会場で日章旗が焼かれた際は器物損壊罪が適用された。

 せっかく切り貼りしたので、真偽不明ではあるが、2チャンネル「国旗を切り刻み党旗を作った民主党に抗議文を送ろう」というスレッドの中の文章をそのまま掲載する。
 みなよし稲生後援会事務所に電話したお。

最初女の子が出たけど、「決起集会に飾られていた党旗について」と言ったら
すぐに電話を変わったので、だいぶ抗議が行ってると思う。
事務所の責任者のオジサンが出た。

こっちが何も言わないうちに
「あれは支持者の人が『よかったら飾ってください』と言って 好 意 で
持って来た」
----『支持者』って誰? 日本人なのか?
「さあ、それはわからないけど日本人だと思う」
----国旗を切り刻むなんて一目見ておかしいと思わなかったのか?
「当日は大混乱していて、知らないうちに飾られていた」
----はあ?現場に飾ったのは後援会関係者じゃないの?
「本当に忙しくて」
----アレを飾るって判断したのは誰?
「わからない」
----わからないハズないでしょ、代表代行が来る壇上に飾るものを、責任者が把握してないなんてそんなわけない。ならば毒ガスや爆弾が置いてあっても「わからない」ってことになるよ
「そう極端に例えられても・・・」
----コレに関する謝罪は出るの?
「今はまだわかりません」

電凸してわかったこと
・我が党には、国旗を「好意で」切り刻む支持者がいる
・我が党では切り刻まれた国旗を「おかしい」と思う人が1人も居ない
・我が党は、権限の無いスタッフも壇上に出入り自由

 2チャンネルに関しては、匿名の誹謗中傷が多くその信憑性には、問題がある場合がある。今回のこのやり取りに関しても、いかがなものかはわからない。
 しかし、この書き込みをした人のまとめは、ある意味であたっているのではないか。産経新聞やインターネットなどで見ればわかるとおり、小沢一郎は、その切り刻まれた国旗の前で、笑顔で演説りているのである。国旗を切り刻む行為を指摘することもなく。また、その件に関し、現在(8月20日)までに小沢一郎から「気が付かなかった」などという趣旨も含め謝罪も説明もない。
 産経新聞で報じられている鳩山代表の言葉も問題だ。「それは国旗ではなく、われわれの神聖なマークなので、きちんと作られなければいけない話だ」という発言である。国旗を切り裂いたことではなく、民主党の神聖なマークをきちんと作らなかったことを重視して謝罪しているのだ。
 これが、民主党の国家意識だ。鳩山友愛には、国家という意識がない。国家意識のない人を政治の長につけてよいのか。そもそも、国家という一つの単位があるからこそ、文化・経済などの交流がある。自国の文化を守りながら、外国の文化を取り入れる。その中で経済活動を行うことは、国家の発展と国民の生活を守ることになる。国の発展なく、生活の安定はありえない。本来の「友愛」をいうのであれば、その「国家の範囲」を広げることが必要。それは戦争とか侵略ではなく、連峰などということなども含め、ボーダーレスの考えをすべきである。間違っても国家や伝統、文化を否定してはならない。国家、伝統、文化を否定することは、そのぶんかやこっかそだった「自分自身」を否定することである。
 もちろん、現在の民主党の多くの代議士は、「自民党」という自分自身の所属母体を否定し、批判してその支持を得ている人である。彼らには、自分自身を否定することにたいして疑問を感じないのかもしれない。それだけに、そのような風潮を日本に蔓延させてはならないと感じる。
 このことは、民主党の党内に天皇制の議論を封じる風潮があることにもつながる。日本は天皇陛下を日本国民の象徴とする立憲君主制で、なおかつ議会民主制である。これは憲法で決められたことである。「官」の政治主導と言うのは、日本国憲法の三権分立の考え方を否定するものである。また、検察の捜査にたいして「国策捜査」と否定するのも、司法の独立を脅かす発言だ。「国体」という単語を使うと戦前軍国主義と間違われるかもしれない。しかし、彼らの発言を総合すれば、「国体」つまり「国家の体制」をどのようにするのかということを、改めて考えなければならない。民主党の主張するような国家にしてよいのか。もっといえば、日本国憲法を否定する政権を作ってよいのか、ということになる。これらの議論をせず「政権交代」だけを叫ぶ選挙戦を疑問に思わなければならないであろう。真に国民のためを思うのは、国を守り、文化を守り、そして発展を目指す必要がある。しかし、彼らからは、その守り・発展させる対象である「国家」というものの姿が浮かばない。わたしが民主党政権に最も不安を感じるのは、まさにこの「国家観」がないことである。守る対象が指定されていないから、外交・安全保障の政策が作れないし、憲法の審議にも応じられないのだ。逆に、自民党は、これらの政策を候補者一人一人がしっかりと訴えていかなければならない。
 単に鳩山・小沢という二人の民主党の指導者だけではない。国家観軽視の考え方は岡田克也幹事長にもある。今日の文章は、引用が多いが、「裏方日記」というブログの中に、岡田克也語録が出ているのでその中から抜粋してみる。
 

【岡田克也語録】
○「参政権がほしいなら国籍を取れということは、人権にかかわる」
○「中国の役割は米国と並んで非常に大事だ。総理が自らの考えを押し通して靖国参拝をしたことは、非常に国益を損ねている」
○「(拉致被害者)5人を(北朝鮮に)返さないと政府が決める必要はない」
○「国会で北朝鮮の名前を出すのは相手の気分を害するからやめろ」
○「イラクの人々は逞しいから、泥水でも飲めれば、それで事足りるわけです」
○「イラクの子供は10年も泥水を飲んでるから、自衛隊の給水復興支援は必要無い」
○「『国歌君が代』は民主主義にふさわしくないので違和感を感じる。民主主義国家にふさわしい国歌があっていいんじゃないか」
○「そのサインが本人のものだと確認したんですか。名誉毀損ですよ(ファビョーン)」※菅代表の拉致犯釈放嘆願署名についてファビョって安倍に食ってかかる@2003年総選挙NHK
○「九割方単位を取っているので、経歴を詐称したことにはならないのではないか」※ペパーダイン古賀について
○「私は戦争に責任を持つ人が一緒にまつられていることに非常に抵抗感を覚える」靖国問題@朝日新聞
○「金大中前大統領が言われた未来志向のレールの上をうまく走っていないとすれば、主に日本側に問題があると思う」 ※2004.5.28羅鍾一駐日大使との会談で
○「日韓両国で共通の歴史教科書を持つ必要があるのではないか。議論の場を作るべきだ」 ※2004.6.14ウリ党の辛基南(シン・ギナム)議長との会談で
○「微妙な問題は信頼関係を大事にしながら話し合うべきだ」 ※2004/6/11 東シナ海ガス田問題で中国の武大偉大使との会談で
○「野球は強いところしか応援しない。それが一日を気分よく過ごす知恵だ」
○「そうですね、議員年金は無くさないといけないと思います。ただ退職金なるものが必要ですね」 ※NHKの番組での発言。議員年金は退職金に相当するものとして用意されてきたものです
○「(記者の)皆さんも総理にあんなことやられて黙ってるわけ? 明日、北朝鮮の問題を1面トップにしちゃダメだよ。『総理のウソ』をトップにしないと。見識が問われるよ」○「国民に正直でウソをつかない政治を目指したい」
○「日韓双方が核武装しないと約束し合うことが両国の将来にとって良いことだ」
○「サミットは首相の都合」
○「台湾の独立を支持しない」「(台湾の将来のあり方については)中国と話しあって解決すべきである」
   ↑新任の着任挨拶にきた許台湾駐日代表に対する言葉。「かつての宗主国の意識が抜けていない」と酷評される
○「中国、韓国の許しを得たんですか? 得てないでしょ?」
   ↑靖国参拝に関する小泉総理との党首討論で。外国の承諾と同意と許しを得ないいけないらしい
○「小さな政府というなら、まず自衛隊を廃止すべきでしょう」
○「民主党の政策は、高学歴や高所得の人々にウケがいい」
○「学歴の低い人間は、根本的に信用できない」
○「財源はどうするかって? そんなことは厚生労働省の官僚が考えることでしょう」
○「その件について、中国の了解を取ったのですか? 取ってないでしょ?」
○「国益よりも大事なものがあります。それは正義です」
○「私も、日本海という表記には、以前から違和感を持っていました」
○「民主党は都市政党ですからね。田舎の人は応援してくれなくて結構」
(裏方日記より抜粋転載)

 読者の皆さんは、この中から、民主党の国家観や将来どのように日本を導くか読みとっる人はいるでしょうか。

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総選挙政権公約

総選挙政権公約

 7月9日以来の更新となります。少し間があいてしまって申し訳ありません。何しろ解散とかいろいろありましたからね。

 いつもならば、選挙前のこの時期は、選挙の争点として文章を展開するのが常だ。しかし、今回は、成甲書房から「今の論点ハンドブック」として、書籍を出したので、興味のある人は、そちらを呼んでほしいと思う。
 今回の争点が「政権交代」という人がいる。これが正しい日本語かと疑いたくなる。考えてほしい。政権をかけて戦う選挙というなの戦争の争点が、政権交代という。政権交代は結果であり、目的や手段ではない。「交代」というスローガンには新鮮味があるのかもしれないが、それでほんとによいのであろうか。
 本来は、政策があって、その実現のために政権が必要になる。政策が主体であり、政権交代はその結果でしかない。結果を求めることだけで、その後のことがいい加減という選挙はあまりにもみていて見苦しい。大学受験の受験生と変わらない。大学にはいることだけが目的で、大学には行った後や、卒業後の生活設計ができていない。これを求める日本人は、大学受験や高校受験生程度に知能が低下してしまったのではないかと思う。
 ここまで、知能低下が激しくなったのも、日教組教育と、団塊の世代の反政府思想であろう。私の知り合いには「元全共闘だった」と自慢げに話す人が少なくない。彼らの支持政党が民主党であるのは非常に気になるところだ。
 さて、マニフェストの内容をここでいろいろと語ることは、今回の選挙はやめよう。「今の論点ハンドブック」を読んでいただけばよいことと思う。また、私もその方がまとまっているし、字数も制限がないので、いいたいことがいえていると思う。
 今回は、そもそも、今行っている「マニフェスト選挙」そのものの是非についてみてみたい。
 
 選挙には、常に○○選挙というように、そのときの象徴的な争点を入れた名前が付く。2005年の小泉純一郎首相の選挙は「郵政選挙」といわれた。しかし、彼を揶揄する人々は「小泉劇場選挙」という。これは、選挙が戦争であり、勝ち負けがあるから、その立場によって見方が変わるという事になるのだ。
 そのときに、政権を執ったらこうする、というものが政権公約である。
 選挙は、当然に選挙によって政権を争うことになる。しかし、それは、その政党(政治家)に任せた場合、どのような日本になるのかという事を、予想して、その予想に従って将来を託すものである。それだけに政権公約は重要となる。
 一方、政権公約は、あくまでも選挙時点(選挙直前の作成時)の将来の予想でしかない。重要なものは別にして、将来の数値や経済成長率などを正確に予想できるはずがない。ここではすでに何度も記載しているとおり、日本は日本だけで成立している国ではない。国際関係の中で、貿易や国際金融の中でうまく成立している。日本の政治家が、どれだけ力があるかわからないが、世界恐慌を止める力はない。世界恐慌を予想できる力もない。ましてや、4年先の経済状況や株価など、全くわからない。要するに、直近のものや、選挙時点の懸案は別にして、あとは方向性を示すものでしかないのだ。
 さて、当然に、政権公約は実行してこそ意味があるものだ。ただいうだけならば何でもいえる。政権公約と夢物語は、その内容の実効性と実現社会のシュミレーションにこそ意味がある。夢物語ならば、世界征服でも、ガンダム製造でも、幕藩政治の再開でも好きに言えばよい。
 では、その実現ができたかどうかと言うことは、ちゃんと反省会をしなければならない。
 以前、私がマイカルの社員だった頃。毎年「中期計画発表会」というのを行っていた。マイカルの中には、当時の小林敏峯社長のシンクタンクとして「経営企画室」という部署があり、毎年「中期経営計画」の発表会をしていた。そのころから感じていたのは。「中期経営計画」は3年から5年の経営計画を策定すると言うことである。ということは、ある年の翌年は、前年に発表された中期経営計画に則って企業経営は進行しているはずである。にもかかわらず、その反省や路線変更の承認も何もなく、ただ毎年中期経営計画というものを継続しているのはどうかと思っていた。何よりも、しなければならないことは、達成率と未達成項目の事情説明、そして反省と、その上に成り立った新規計画ということになる。当然に、政治も経済も、一年でかなりのことが変わってゆく。事情変更が著しい中において、古い計画にとらわれるのは問題だ。時代に取り残されてしまうリスクを抱えることになる。しかし、逆に普遍の法則もあるはずだ。それを変えてしまえば経営そのものに問題が発生する。要するに、過去の計画に対する理論と、その理論に対する反省・検証がなければ、正確な解答への道は開けないのだ。
 さて、政権公約も同じだ。最長で4年間の衆議院の任期が存在するが、その間に何をしたのかということが非常に重要になってくる。当然に政権公約通りでない場合も少なくない。しかし、その説明と政策実現できなかった内容の反省は必要であろう。
 このように書けば、自民党及び与党と思うかもしれない。しかし、民主党も参議院第一党であり、たとえば、現在の状況では国会の第一党である。なぜならば、衆議院は解散して誰もいないからだ。政府ではないだけである。
 マニフェスト選挙と言われて久しいが、実際実現可能なマニフェストはどれくらいあるのであろうか。
 民主党の政権公約に関して言えば、よく「現実路線」という見出しがでる。よく考えてほしい。いままで民主党を支持していた人は「非現実路線」の政策を支持していたという事であろうか。今までの民主党支持者は、何を指支持していたのか。当然に、民主党では政権公約の反省はできない。民主党支持者は「政権を執っていないから」というが、その通りだろうか。2007年の参議院選挙での公約は、それで対照した現在も、実現できていない。参議院のせい健康薬はいらなかったのか。政権公約で支持した人をバカにしているのではないだろうか。参議院で大勝しても、政権を執っていないから守らなくてよい、という論理が通用するのは、日本だけである。
 今まで「現実路線」でなかった民主党が、公約を発表した後に次々と訂正している。中にはアメリカとのFTAに関することのように、鳩山代表と小沢代表代行で分裂しているのもある。選挙で戦っているときに、民主党内で政権公約に関する解釈が異なるという事態になっている。これで政権交代とは何を意味しているのであろうか。
 私は、日本では二大政党制はあり得ない、と主張している。日本は三権分立の国家である。そして立憲君主制で議員内閣制になっている。この状況の中において、二大政党制にするためには、行政を完全に立法府と同一にする必要がある。今の選挙は立法府の代議員の選挙なのだ。その行政は、アメリカはイエス・ノーで分かれるが、日本は受理・不受理以外の保留・猶予と言った手続きが存在する。刑事被告人も、告訴の受理・不受理の後、起訴・不起訴と起訴猶予という手続きがあるのだ。そのように行政の反応で三種類あるのに関わらず、政治だけが二大政党制はあり得ない。必ず、右派・左派と中道が発生する土壌になっている。
 この、二大政党制を提唱しているのは小沢一郎である。小沢一郎は、アメリカシーファー大使などに失礼な対応をとり、第七歓待発言などをしながら、アメリカの政治制度を模範としている。
 しかし、形だけをも学び、中身をよく勉強しない人にありがちな、お題目政治でしかない。アメリカや諸外国で二大政党制がよいのは、実体、二大「政策」制であるからだ。要するに、政府の政策と、根本原理を異にしながらも、国家の将来像に関し現実的な政策を常に提唱することができるから、二大政党制が成立するのだ。決して、批判勢力で、非現実路線の政党の支持者が多いわけではない。同時に、各国ともに、それを見分けることができるくらい国民の民度が高い。果たして日本はどうであろうか。
 現実路線に転向したなどと報道される政党が、政権奪取をして何の意味があろうか。
 そんな中8月11日、政権公約の修正の発表という不思議なことを行った。これはいかがなものであろうか。
 このことは、民主党という政党の政治に関する姿勢が二つの側面で上げることができる。ひとつめには、民主党は発表した公約を平気で変えてしまうというものである。麻生内閣にたいして「発言がブレル」などといって批判をしていたが、民主党は政党そのものが「ブレる」どころか、どんどんと変えてしまうという状況である。「民意の反映」といえば聞こえはいい。しかし、一回目の発表の時は、民意を反映していないものを平気で発表するということだ。麻生内閣にも言えることであるが、実際、身内だけの「うちわ受けで」日本の政策を行う危うさは何も変わらない。では、民主党の場合、「内輪」はいったい何なのか。結局は「反自民」という政局論に終始する。何度もここにあげているが、民主党は政党綱領のない性うとうである。国家で言うならば、「政局」という戦時国家で、憲法がないのと同じだ。別な言い方をすれば、政権を取った後、ナチスドイツやミャンマー・北朝鮮のように軍部独裁になる可能性を秘めている。ここは、政党綱領があり、行政官僚がしっかりと政権を支えている自民党とは異なる。「自民党も民主党もおなじ」という論調もあるが、そもそも根本に立った基本原理が異なるのであるから、「現象」が似ていても「内容」は全く異なる。民主党は政権公約をどうこう言うよりも、まず政党綱領をしっかりと世に示すべきではないのか。そうでなければ、「ブレる」が「独裁につながる」といわれて何も反論はできない。
 二つ目の政権公約変更の問題点は、そもそも、政権公約を実現したあとの日本の姿が示されないということだ。政権公約は、政権奪取後の日本の姿を想定し、それまでの期間、ことに近未来に、その目標に向かい道しるべとして何をするかということを「公約」しているのだ。
 「政権公約」の変更は、当然に、その結果の変更を意味する。当然に将来の日本の姿にも変更を及ぼすことになる。たとえば、今回修正した日米FTA交渉。この件に関して言えば、FTA交渉を促進するというのと、締結するというのでは、将来の日本の姿は全く異なる。結局、安価な農産物がアメリカから入ってきて、日本の農業を崩壊させるのか、そうではないのか。これは、そのまま日本の食料自給率をどのように考えるのかという根本原理の部分になる。当然に、それだけでなく将来の日本の姿として、食料自給率を100%に近づけるのか、今のまま、もしくは、それ以下になってもよいのかという、「将来の日本の姿」にかかる話である。
 民主党は、政権を獲ったのちの、日本の姿が示されていない。「自民党もそうだ」というが、自民党はいままで行っていることの継続であるから、そこまで明確に示す必要はないのだ。また、政党綱領を読めば、その姿に関する内容はわかる。民主党は、その指針が全くないところでの試験公約の変更であること忘れてはならない。
 この民主党に対して、首長連合を主宰する橋下知事が民主党支持を打ち出した。
 今回は、その件に関して最後にまとめてみたい。そもそも、地方分権という単語そのものがおかしい。憲法にははじめから地方自治がうたわれている。第8章、92から95条がそれに当たる。その中には、地方自治に関する考え方と、当該地方だけにかかる案件に関する自治があげられる。今問題になっているのは、複数の都道府県を横断する道路や、その恩恵が下流地域に影響するダムなどの公共施設、それに対する地方分担金の考え方である。たとえば、滋賀県や奈良県でできた道路やダムが、大阪の治水や災害防止に役立っている場合、それは大阪府民が負担するのかしないのかという問題だ。そして、その財源を国が一度吸い上げて、調整するシステムをどうするかという事である。
 この問題が歪曲されて、国家公務員庁舎などの問題になっている。高速道路の無料の問題も、ガソリン税の問題もそうであるが、結局、「受益者負担」の「受益者」の定義が揺らいでいる。元々ガソリン税であれば、自動車を持つ人、利用する人というのが受益者である。しかし、すべて無料化するということは、当然に税金の投入と言うことであり、それは、国民全員が受益者であるという事を意味する。しかし、果たしてそれでよいのかというコンセンサスはとれていない。「無料化」という宣伝であり、隠れた本質を隠す方法は、民間企業ならば公正取引委員会から排除命令がくるやり方だ。
 ダムなどに関しても同じ。2000年の愛知県の東枇杷島町の洪水などもあるが、ダムや治水は水源地で行われるものの、その受益者か下流域沿岸住民である。県境をまたいだ利益調整を、地方自治体でできるのかは疑問だ。
 今の論点になっているのは、単純に財源と権限の問題だが、義務はどうなのか。地方税の徴収責任や過不足の調整も、今の都道府県でできるのか。そればかりでなく、都道府県の下の市町村との調整をどのようにするのか。それらの疑問は絶えない。
 この状態で「どっちの政党支持」とはよく言えたものだ。首長といえども、選挙を目前にした政局論者であることは間違いがない。ましてや、国政の場に口を出すのはどう言うことであろうか。
 もう一つ言えば、地方自治はあくまでも、地方の議会選挙や地方の論点で戦うべきである。都議会選挙は「都政」でありながら、民主党は「国政の政権交代」を論点としている。これは地方政治の軽視ではないのであろうか。地方は地方自治で地方の論点で戦うべきである。オリンピックの召致など論点は都政にも少なくない。それらをムシして政党批判と国政の政権交代を論点とする戦いに違和感を覚えた人は少ないのであろうか。橋下知事や首長連合の人々は、「国政に影響される地方選挙」を支持したことになる。これは、完全に地方自治とは逆行する考え方だ。その整合性がとれない政治主張は、今回の政権公約修正と言うところと相まって、国民や有権者への不誠実を感じる。当然に、首長連合と民主党の間に、裏で何かあったと思うのがふつうである。
 政権公約の選挙と言われているが、結局、基本理念のない、裏で何をやっているかわからない選挙が行われているという事実を、国民はよく審査すべきではないのであろうか。

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