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2010年1月

現職議員逮捕と小沢献金問題

現職議員逮捕と小沢献金問題

 1月16日に民主党党大会が行われた。これをさかのぼること三日前、13日の深夜に小沢の政治資金団体の家宅捜査が行われた。
 小沢の事務所だけでなく、元小沢の秘書の石川議員の事務所、鹿島建設や鹿島建設の東北支店なども同時に家宅捜索を受けた。
 そして、民主党党大会の前日15日に、石川知裕衆議院議員をはじめ、現職の小沢一郎の公設秘書の大久保隆規、
石川の後任の会計事務担当だった小沢氏の元私設秘書、池田光智容疑者を逮捕したのだ。

  この内容を受けての鳩山首相の民主党党大会でのあいさつがこれだ。

  「新年を祝い、新春のごあいさつを申しあげるところでございますが、
昨日、わが党所属議員、石川知裕君が党大会、通常国会を目前に控え、逮捕されるという異常な事態が発生をいたしました。
 党代表として、この事態にあたりまして、国民のみなさまにお騒がせを申し上げ、ご心配いただいていることに対しまして、
率直に遺憾の意を表明をいたします。
 この問題はまた後に触れることにいたします」

「さて、冒頭申し上げました、小沢(一郎)幹事長の資金管理団体に関する検察捜査が行われております。
 しかし、小沢幹事長は法令に触れるようなことは一切していない、そのように訴えておられます。
 私は民主党代表として、小沢幹事長を信じております。
 いま民主党として肝心なことは、国民のみなさまの政権与党として、その責任を的確に果たしていくことだ、そのように思っております。
 もちろん、その責任には当然にして政治倫理の確立に対する使命も含まれていることは言うまでもありません。
 小沢幹事長も臆することなく、自らの潔白を説明をし、職務の遂行に全力を挙げていただくことを要請をいたします」

  論評の前に、小沢一郎本人のあいさつ並びに記者会見を載せてみよう。

  「本日、私は党務報告を申し上げる予定だったが、皆様ご存じのような事態になりましたので、
今までは捜査中ということも考慮いたしまして、私も物を言わずにできるだけ静かにしておったわけでありますけれども、
現職の国会議員が逮捕されるという事態にまで立ち至りましたので、
私はこの機会に、皆様にそして国民皆様に今までの経緯とそして私の考え方、今後の決意について申し上げたい。
 このことを党大会としてふさわしいことではございませんけれども、皆様のお許しをいただきたい。

  私の政治団体に関係する問題は昨年の春、総選挙の前に起こりました。
 私の秘書の大久保(隆規被告)が、ある日突然呼び出しを受けて、その場で逮捕、強制捜査ということになった。
 それ以来、今日までずっと捜査が続いていたようだが、昨日、きょう、
石川議員と同時に私の事務所におりました者も逮捕されるということになりました。
 私どもの事務所も、もちろん収支報告にあたりまして、計算の間違いやら、あるいは記載の間違いやら、あったかと思います。
 しかしながら、このような形式的なミスにつきましては、今までのほとんどのケースで、
報告の修正あるいは訂正ということで許されてきたものであります。
  それにもかかわらず、今回の場合はなぜか、最初から逮捕、強制捜査という経過をたどって、今日に至りました。
 私はこの点につきまして、何としても納得の出来ない気持ちでおります。
 そしてさらには、最近の報道で土地の購入にあたりまして、私どもが不正の資金を入手して、
その購入に充てたというような報道がなされていると聞いております。
 私どもはこの資金について、なんら不正なお金を使っておる訳ではありません。
 このことについて、実は今月の初め頃だったでしょうか。
 検察当局から、私の方に弁護士を介して、このお金はどういうものですか、という問い合わせがありました。
 私は別に隠し立てするお金ではありませんでしたので、はっきりとこれは私どもが積み立ててきた個人の資金でございまして、金融機関の名前、
支店名もはっきりと申し上げて、どうぞ検察当局でお調べくださいと、そう返答いたしておったのでございます。
 そして、その翌日あるいは翌々日だったかと思いますが、検察当局から、その預金口座の書類は入手したと、
そういう返答が弁護士を通じてありました。
 従いまして、私は、これでこの資金についての疑いは晴れたと考えて、安心してよかったなと思っていたところでございました。
 それがまた突然、きのうきょう、現職議員を含む3人の逮捕ということになりまして、本当に私は驚いております。
 しかも、意図してかどうかは分かりませんけれども、わが党の、この党大会の日に合わせたかのように、このような逮捕が行われている。
 私はとうていこのようなやり方を容認することできませんし、これがまかり通るならば、
日本の民主主義は本当に暗たんたるものに将来はなってしまう。
 私はこのことを私個人のことでうんぬんよりも非常に憂慮いたしております。
 そういう意味におきまして、私は断固として、このようなやり方、このようなあり方について毅然として、
自らの信念を通し、そして闘っていく決意でございます。
  お昼前に鳩山総理ともお話しを致しました。
 そして、ただいま総理から大変力強い言葉を頂きました。
 私はこの総理のお気持ちを支えにいたしまして、今後とも与えられた職責を全力で果たしていくと同時に、
当面、こういう権力の行使の仕方について、全面的にきちんと対決して参りたい、そのように考えております。」
 
  さて、読者の皆様はどのように考えるであろうか。
 
  いつもと違い、論点をここであげることはしない。
 というよりも、このような問題が発生すること自体論点である。

  この件そのものに関する直接の論評を避けるものとして、付帯関連する論点を記載したい。
 もっといえば、新聞や雑誌でなかなか書かない視点をご披露してみたい。
 単純に言って、これを皆さんが読むころには、事件そのものに関する論評は「飽き飽き」しているころであろう。
 少ししたらこの事件が風化するということはないと思う。
 18日に開催された国会は6月15日まで続き、その間「政治とカネ」という論点は非常に大きな課題になっている。
 そもそも鳩山の巨額お小遣い・脱税事件、西松違法迂回献金事件、そして今回の不動産事件。いずれも民主党の首脳が二人で起こした事件である。
 その二人が上記のような挨拶をしているのであるから、ただ事ではない。
 しかし、その論点の中に「事件は事件・予算は予算」「政治的に問題があるわけではない」という論評がいくつか見受けられる。
 この事件を無視し、国会の運営を行わなければならないとか、景気対策を優先という話が出ている。
 そこに国民の違和感が生まれているのであるが、その違和感の「根源」を、今回は記載してみたい。
 「政治家のスキャンダルは、政策に密着する」というのは、「民主党の闇」を記載したころからの私の信条である。
 
  さて、では、周辺論点を見てみよう。

  第一に、政治家と国民の倫理観の問題である。
 このような倫理観のない人が教育や政治を語ってよいのか。
 政治を行っていてよいのか。その倫理観から生まれた政策に矛盾はないのか、ということである。

  第二に、予算である。
 そもそも、政治資金規正法は、政務を執る人がその権力を献金によってゆがめられないということが一つの観点である。
 この観点で作られら他予算を信用してよいのか。

  第三に、小沢支配の影響である。
 自民党であれば、執行部批判や辞任論がわきあがっている。
 もちろん、今回の鳩山のような擁護派もいるであろう。
 自由な議論が闊達にされている雰囲気が出てくる。
 それが党内分裂のイメージにつながることはあるが、皆が同じ感覚で批判もできないのは「洗脳と強制」の香りがしてしまう。

 では、第一の論点から見てみよう。
 まず、日本の国民に倫理観はあるのか。

  「説明責任を果たしたか」ということが問題になっている。
 実際のところ、どれだけ説明しても「説明責任を果たした」とはならないであろう。
 過去に自民党議員がこのような問題になった時は、必ず「説明」しても「不十分」ということになっていた。
 赤城農林水産大臣の事務所費問題などはよい例で、その時に最も声高に「不十分」と言っていたのは鳩山由紀夫本人である。
  では、「説明責任」はどの内容に説明が求められているのか。
 まず「事件」に関しての説明が求められているのは明らかである。
 この時に故金丸信元衆議院のように「私の不徳の致すところで」と罪を認めてしまえばそこで終わりだ。
 逆に、現在の小沢のように「抽象的な説明」に終始してしまい、説明の場から逃れていては「秘書への責任転嫁」と言われてしまう。 今、国民が求めているものはまさにこのことであろう。
 つまり、「なぜ説明をしないのか」「説明の場から逃げるのか」「秘書への責任転嫁をするのか」ということだ。
  罪状は明らかである。
 「政治資金規正法違反(不記載)」で、世田谷の土地の購入に関して、その収支を全く記載していないということだ。
 「記載していない」ということは、その金がどこから入ってきたのか、賄賂性があるのかないのかなど不明ということだ。
 この問題に、昨年の西松建設の問題や水谷建設、鹿島建設からの問題、胆沢ダムの工事の入札の「天の声」の話なども出てくるのである。
  根本的に「贈収賄」はなぜ悪いのか。
 星新一氏の得意なショートショートのなかに「マネー・エイジ」という短編がある。
 まさに賄賂ですべてが決まり、子どもたちも金で動くというものだ。
 あまりにもシュールな内容に、読んだとき身震いがした。
 実際に「贈収賄」がなぜ悪いのかが分からなければそのようになってしまう。
 「贈収賄」の理論の中には「公平性の原則」があり、その「公平性の原則」は「金銭によってゆがめられてはならない」という原則がある。
 この一方で「自分の金で権利を買うのだから問題はない」という理論がある。
 私の父などはその論理を持っていたが、実際に資本主義である以上その考え方も成立の余地はある。
 では、なぜ「公平性の原則」が貫かれるのか。
 そこには「公共事業は国民のもの」という考え方がある。
 当然に公共事業で支払われる工事資金などは、全て税金であり、その税金は国民が支払ったものである。
 国民の支払った金銭に対して、その使用方法を「信託」されている官僚及び一部政治家といった権力者が、恣意的にそれを使ってはならないということだ。
 私は、歪んでいるかもしれないが、公共入札における原則と私立の事業とはまったく異なると考えられる。
 もっとも、会社という集団になれば「業務上横領」ということになる。
 しかし、単純に個人であれば「安いほう」「おまけが多く付いているほう」に決定するのは当たり前の話だ。
 そこに、「個人の金」と「税金(集団の資産)」との扱いの違いが出てくる。

  さて、小沢事件に戻ると、「小沢およびその周辺は、その公平性の原則」が分かるのか、ということが論点になる。
 要するに、「政権交代で付託した税金は、そのまま託しておけるのか」という観点になる。
 この点は第二の論点である予算の項目に譲るが、権力に関しても同じだ。
 そもそも、そのようなものに権力を与えてよいのか、ということになる。
 要するに、自分たちの税金や主権を恣意的に運用する人が「国民目線」『生活者重視』と言っていて、
それを信用するのか、ということになる。
 単純に言って、「国民の代わりに恣意的に権力と税金をポケットに入れてしまう」ということを表明しているようにしか聞けない。
 私だけなのだろうか。
  その国民をばかにした、自分の独裁で何でも勝手にしてしまうことの一つが、
昨年末に起きた「天皇会見問題」であり「陛下に対する不敬発言」となる。
 また、政権公約に書いていながらガソリン税減税や財源捻出、赤字国債の発行を行い、公約を破る裏で、
公約していない在日外国人地方参政権付与の法案を強引に成立させようとしている。
 公約は何一つ守られていない中で、公約に記載していないことそのものが公約違反である。
 これでは、子供や国民に「信じたほうがバカ」「約束は守らないほうが得」と教えているようなものだ。
  「政治とカネ」に関しても同様のことが言える。
 これまで自民党の議員で問題が出てきたときは、必ず旧戦法で攻撃してきながら、自分がその立場になれば、自民党議員に求めてきたこともしない。
 先出の赤城農林水産大臣は、顔中にばんそうこうをはりながらでも説明の会見を開いた。
 小沢は、説明することもしない。
 この差は大きいのではないか。
 これで不信感を持たない国民は、私から見て少しおかしいとしか思えない。
 にもかかわらず50%に近い内閣支持率がある。
 だから「このようなこと(スキャンダル)は選挙前からわかっていた。
 にもかかわらず、国民はわれわれを支持した」などという国民の倫理観を無視した発言がまかり通るのである。

  さて、最大の問題は、このことを黙ってみている諸外国や在日の外国人だ。
 このような日本の「茶番劇」を見て日本人の低俗性を感じてしまうに違いない。
 政治のトップが約束を守らない姿を見て、「日本人との約束は守らなくてもよい」と思われたら、外国との関係は全ておかしくなってしまう。
 
  第二の論点に移ろう。
 予算に関してである。

  上記のように「政権交代で付託した税金は、そのまま託しておけるのか」という観点になる。
 付託した予算とは、われわれの税金のことである。
 その税金がそのまま彼らに預けておいてよいのかということになる。
  憲法上、予算に関しては通常の国会の運営とは異なる規定がある。
 憲法60条に予算に関する規定がある。

憲法60条 予算は先に衆議院に提出しなければならない。
   予算について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、
または参議院が衆議院の可決した予算を受け取ったのち、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、
衆議院の議決を国会の議決とする。

 この規定があるために、衆議院は参議院に関して優先権があるとされている。
  さて、その週銀のうち311議席を民主党が保有している。
 社民党・国民新党を含めると、三分の二以上の議席を保有していることになる。
 当然に、予算に関しては、一定の審議期間を経たのちに、民主党の思い通りに推移することになるであろう。
 その中で、公共工事やそのほかの使用方法に関して、
小沢一郎が恣意的に利用することを前提として予算を組んでいた場合は、国民はそれを拒否することができないのである。
  すでに、この傾向は、様々なところに現われている。
 たとえば医師会と歯科医師会の診療報酬の問題。医師会は先の総選挙で、自民党を応援した。
 これに対して歯科医師会は早々に民主党に鞍替えした。
 その速度の速さと献金額の多さによって、診療報酬のアップ率が歯科医師のほうが大きいということになる。
 要するに民主党に対する献金ということが基軸になって、政策や保険料報酬などが変わってきてしまう。
 「それならば、民主党政権を倒そう」という気概のある団体はなく、元自民党幹事長の野中弘務氏も、
自身の土地改良協会で自民党を裏切るような話を始めている。
 彼らは、小沢の今回の刑事事件の一端を知ってどのように思っているのであろうか。
 彼らこそ「贈賄」ではないのか。国民はこのようなことを考えなければならない。
  予算に関しては、使用方法だけではない。
 当然に歳入に関しても同様のことが言える。
 法人税と個人の課税、消費税(間接税)、など税金に関しては様々な種類のものがある。
 まず、収入に対して直接かけられる直接税と、買い物などに付帯する間接税という分け方。
 一方で、税金の課税対象に対して、法人税とか源泉税といった内容の税金が分けられる。
 そして、その使用目的において特別税と一般税とに分けられる。
 そのおのおのが国と地方で異なるという感じだ。

 今回、民主党は事業仕訳などと言って、伝統や文化に関する予算を削った。
 教育と文化は金と票にならない、というのは、古くからの政治家の格言だ。
 しかし、それをしなければ将来の国が危うい。
 一方で、公共工事はかなり仕訳されているが、今回の胆沢ダムなどは、政権交代後話題になっただけで、結局何もしない。
 それらの結果が事件と予算につながる。
 当然に、その分歳入が足りなくなるのであるから、税金の長州が必要になる。
 ガソリン税が無くならなかったのも、赤字国債が増えたのも、小沢がこのように税金から企業を環流して私腹を肥やしたからにすぎない。
 極端な言い方をすれば、小沢の私腹を肥やさせるために、国民は喜んで政権交代を実現し、主権も税金も差し出したのだ。
  税金そのものが、政党助成金や公共工事入札として使用されている。
 今回の小沢の事件は、それら税金が小沢個人名義の不動産に変わる事が問題となっている。
 民主党は「政治資金規制法違反は微罪」というが、実際はそうではない。
 憲法上の主権者の代議員が、主権の行使の委託をするに当たり、その収支を明らかにする。
 これは国民の基本的人権である知る権利の実現である。
 単なる過失を処罰するのは行き過ぎかもしれないが、今回のような故意による法律違反は、処罰されて当然である。
 同時に、その金銭そのものが不正な入手先であれば、当然に贈収賄と表裏一体となる。
 贈収賄が実体罰であるのに対し、政治資金規制法違反は形式罰ということだ。
 その件に関し、小沢は国民に説明していない。
 実際に聞きたいのは、不明朗の資金の入手先だ。
 しかし、それだけでなく、そこに付帯する犯罪の構成であり、同時に、政治に対する影響だ。
 国民の主権や税金で、私腹を肥やしていないというならば、国民の前にでて全ての質問に答えるべきである。
 鳩山首相に関しても同じだ。それができないのは、自分たちのしたことが、国民の人権を侵害したという感覚の欠如にほかならない。
 政治家という国家公務員が、国全体の奉仕者であるという義務が欠如しているのだ。
 義務が欠如した人々が国の政治をしてよいのか。
 気味の欠如した人が予算を組んでどうなるのか。
 結局、税金を使って選挙対策をすると言う、税金の私事的使用法になる。
 そのような予算で、その予算の付けを赤字国債ということで、子や孫の世代に先送りして、それで国民はよいのか。
 今回の小沢の事件は、それを取り巻く民主党と民主党政権の政治姿勢が見て取られることになる。
 もっといえば、この事件の処理によって、民主党政権の命運が決まると言って過言ではない。
 それが予算にも現れる。税金で私腹を肥やした政治家の処理ができない政党に、予算を論じる資格はない。
 
 第三に、小沢支配の影響である。

 これを記載している時点で、民主党内では様々な反応がでている。
 一つは検察批判。
 一つはマスコミ批判。山岡賢次国対委員長などは「子供手当で支持率は戻る」などといっている。
 参議院選挙への影響もここに出てきている。
 しかし、その検察批判などに、国民の批判はたまってきている。
 とくに政策と選挙対策の公私混同には、小沢の税金からゼネコンを暗流して私腹を肥やすほうほと同じだ。
 子供手当は、将来の子供たちに借金を負わせて民主党の選挙対策をしているにすぎないのだ。
 民主つの集票行動の単に子供たが借金まみれの国に住まなければならないということを民主党は作りだそうとしている。
 不景気感をあおり景気対策といいながらバラマキ選挙を行う手法は、さすがに国民もその異常さに気付くであろう。

 小沢は、民主党そのものを巻き込んで沈没するつもりなのであろうか。
 小沢支配の影響は、一つには小沢依存の政策、もう一つには小沢依存の選挙、そして小沢に対する反対への弾圧の問題だ。
 もっと言うと、小沢一郎という実力者が、集金力と集票力で構成されていた。
 しかし、その権力は人と金の集中により大きくなり、同時に、人により虚像化してかっってに動き出してしまう。
 本来、民主党内の派閥の領袖も、本来は独立して意見を言わなければならない。
 しかし、「自分たちで」作り上げた虚像をおそれて何も言えなくなってしまう。
 もちろん、その虚像にだまされているのは他人ばかりではない。
 小沢自身も、虚像の自分が本当の自分であると誤解してしまう事になる。

 この小沢の虚像を巡る壮大な勘違いが、民主党のアキレス腱になっている。
 18日の国会開催後、この事件を巡る民主党議員の動きや閣僚の発言は、常軌を逸していると言ってよい。
 私は22日にラジオ日本の「ラジオ時事放談」に出演し、「数年前に話題になった某カルト教団と同じ」と言った。
 まさに、自分の犯罪行為や説明しないことを棚に上げて、検察やマスコミを批判する責任転嫁の態度は、
オウム真理教と同じと言って過言ではない。
 上祐広報部長という人が脚光を浴びたが、
まさに、今の鳩山由紀夫首相や原口一博総務大臣と言った閣僚、松木憲公副幹事長など民主党役員と全く同じだ。

 結局、「自分たちは何をしてもよい」ということは、とりもなおさず、「自分たち独自の正義基準がある」ということであり、
それが法律に違反している場合でも、「法律や、その執行を行う方が間違えている」という考え方である。
 これは、独裁者の考え方と同じだ。
 その「独裁者」の思考になるには、それなりの根拠が必要だ。
 そのことを端的に示したのが、小沢及び鳩山の「このようなことがあっても国民の支持があり政権交代を実現した」というないようである。
 同時に、その内容は、ほぼ完全に国民の期待から乖離した内容である。

 この言葉には、「国会で過半数とったら何をしてもかまわない」という、ワイマール憲法下のヒトラーと同じ考え方がある。
 そして「何をしても」の中には、法律違反や犯罪をしてもかまわないという認識が含まれている。
 「政治資金規制法違反くらいの微罪で」という発言はまさに、
この奢りの感情と、法律違反でも許されるという虚像が生んだ妄言と言っても過言ではあるまい。
 また、自分に批判的な勢力である検察に対し、
司法の独立を認めるのではなく「不当逮捕」を主張し、その上法務大臣による指揮権の発動まで減給する。
 一方、マスメディアに対しては、最高裁判所で情報源の秘匿の権利を認められているのに関わらず、情報源を特定しない報道を不適切と断じる。
 それもテレビ・ラジオなどの電波に関して権利を持つ所管大臣がそれを発言する。
 結局、彼らも「政権を執れば何をやってもかまわない」という妄想にとりつかれているとしか思えないのだ。

 これが、閣僚や一部議員ならばよい。
 民主党の場合は、ほぼ全ての議員がその中に含まれる。
 政権担当能力がないとは、まさにこのことと言わざるを得ない。
 そもそも、「政権」という物の考え方がなっていない。
 政権は、主権者である国民へのサービスや将来に対する政策に責任を持つことであり、
自分勝手に法律の解釈を変えてしまったり、特権階級にしたり、といった特殊な権限を与えられたものではない。
 国会の代議員を含む国家公務員は、全体に対する「奉仕者」であって「支配者」ではないのだ。
 そのことを理解できない集団が現在の民主党である。
 微罪といえども、法令に違反する者を厳しく対処しなければならない立場の人々が、それを守れないのでは、どうしようもない。
 ましてや、政治資金規制法を成立させたのは、小沢一郎を含む国会議員の決議によるものなのだ。
 これら
「奉仕者と支配者の違いがわからないこと」
「何をやってもかまわないという特権階級的認識」
「自己に批判的な勢力に対する攻撃と責任転嫁」
は、まさに独裁者であり、またカルト教団的な独裁者としか言いようがない。
 それでも、小沢批判が民主党内からでない。この違和感は何とも言いようがない。
 もっと言えば、「民主党議員全てが同じ認識」といえる。何とも恐ろしいことだ。
 また、それを「正しいこと」と思ってテレビにでて、臆面もなく発言している姿は、小沢の秘書が逮捕された異常の衝撃である。
 日本国民は、これら「犯罪者(法律違反者)」と「犯罪者を正当化する集団」に政権を与えてしまったのだ。
 
 「コンクリートから人へ」という標語を、昨年の総選挙で民主党が作った。
 しかし、実際は「コンクリートから小沢へ」が正しい姿である。

 この事件を忘れることなく、7月の参議院選挙で国民はしっかりと意思表示をしなければならないであろう。

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年初放談平成22年版

年初放談平成22年版

 新年、あけましておめでとうございます。
 本年も、国会新聞社共々よろしくお願い申しあげます。

 さて、毎年年初には、大胆にも今年がどのようになるのかを予想している。
  基本的に、占い師と同程度に昨年の予想を見てみよう。

< 「懐古への変革の挫折と混沌」と「金融自由主義と、社会主義・共産主義とのつばぜり合い」を並べて書いたのは、
結局のところ、バランスを欠いた権利意識と義務意識が、政治と経済の双方に影響を及ぼし、
現状を変えるために上を変えても、
国民の意識がついて行かないので、結局バランスを欠いたままの社会ができあがり挫折を味わうと言うことになるのではないか。>

 昨年もかなり抽象的な書き方をしている。
 しかし、なかなか的を得ているのではないだろうか。

 昨年は、政権交代があって、その結果、小泉内閣の行ってきた構造改革が完全に否定されることになった。
 一番象徴的なのが、郵政民営化の見直しだ。そもそも、財政再建が小泉内閣の掲げた大きな形だ。
 日本国家が慢性的な赤字体質であれば、税収など歳入を増やさざるを得ない。
 税収を増やすということは、それだけ民間滞留資金がなくなるという事で、そのことにより景気も悪化する。
 景気対策には構造改革と財政再建が不可欠だ。
 その理念は「小さな政府」と「国際自由競争社会」である。
 民間でできることは民間で行う、というのを一つの理念とした。
 これにより、小さな政府を実現するために官営事業や国営事業を民営化した。
 民営化すれば、それまで手厚く保護された国からの保証が、全て企業の保証に変わる。
 収益や業績によって「そこで働く人」の待遇が変わってくる。
 業績が悪ければ、当然に待遇が悪くなるし、解雇などもあり得る。
 しかし、逆に業績がよくなれば、高い待遇が得られたり、高給を得ることもできるのだ。
 やる気がある人にとっては、当然に民営化や自由競争は歓迎すべき事である。
 一方、あまり働く気のない人や能力のない人は、民営化は廃止をしてもらいたい。
 逆に、能力のない人や働く気のない人が高給を得ているから、財政が持たないのであるが、
彼らにとっては日本の財政や国全体のことよりも、自分の生活の方が重要だ。
 生活と言っても、生死に関わるような話ではない。贅沢ができるかどうかと言うことの判断だ。

 さて、これを「贅沢をしたい働く気のない人」に従って民営化を見直すことになった。
 「贅沢をしたい働く気のない人」は、逆にムダな金をたくさん持っているので、政治活動がしやすい。
 地元の名士などにもなる。
 政治は、というよりも政治家は、そのような人々の意見に弱い。
 何しろ金と票を持っているからだ。その金が、鳩山・小沢をはじめとする献金問題につながるのである。

 構造改革と小さな政府の路線を辞めることによって「懐古への変革の挫折と混沌」が行われるようになった。

 民主党の政治は、完全に陳情とその影響団体による集金集票の政治になっている。
 それらの影響団体が今回の予算を決めたと言っても過言ではない。
 結局これだけ財政が逼迫している中で、92兆円という過去最大の予算を組んだのは、
民主党として、自民党のやってきたことに自分たち伸したいことを上乗せしただけにすぎない。
 その心は、自民党の影響団体を取り込みながら、自前の団体の陳情を聞いているにすぎないのだ。

 陳情と政治というスタイル、そして、それによる小さな政府の否定、これはまさに旧態依然とした族議員的発想である。
 民主党そのものが利権団体で族議員の集合体になったという事だ。
 族議員が悪いとは言わないが、族議員だけの為の政治では、それは政治ではない。
 そもそも今の日本の財政で持つはずがない。日本政府そのものが財政危機になっていると考えてしまう。

 一方で、族議員団体の民主党は、選挙対策そのもののための政策を行う。
 それは、まさに理念無きバラマキである。
 民主党が政権奪取したのも、まさにバラマキ政策が国民に受け入れられたという事も有るであろう。
 逆に、政府から一律で資金が入ってくると言うのは、まさに社会主義的な発想だ。
 「金融自由主義と、社会主義・共産主義とのつばぜり合い」とはまさにこのことだ。
 中国のように、強力な政治指導力によってそれがうまくゆくならばよい。
 もちろん、中国と日本では政治システムも、国家の広さや民族も、地理的な条件も違う。
 中国から見て、マイナスの部分を補えるかが最大の焦点になる。
 もちろん、その模範となる中国も大卒就職率が名目60%しかない状態で、中国のまねをしていては、雇用などはとんでもない話になってしまう。
 一方で、金融自由主義は衰退したのか。一昨年のリーマンショックで、金融自由主義の破綻を予言した。
 日本ではまさにそのようになってしまいがちである。
 しかし、じっさい、バブルから復帰した失われた10年も、その期間で復帰することができたのは日本の優れtが経済力があってこそだ。
 日本は「親方日の丸」で一部社会主義的な自由経済であった。
 これを竹中改革で完全な自由主義にしようと試みた。
 格差社会などと言って、これを揶揄する報道も多かったが、逆に派遣労働者をつくるなど、それなりにバランスがとれていた。
 しかし、日本人の根本には「親方日の丸」が色濃く根付いてしまっている。
 何かあれば政府や国が面倒を見てくれる、といった甘えが強く自己責任を否定しているのだ。
 この感覚が抜けない限り、日本に真の自由主義経済が生まれることはなく、同時に、世界競争で勝てることもない。
 要するに社会主義でもなく、自由主義でもない、いいとこ取りをしているつもりで悪いところをたくさんとる選択をしている。
 これでは経済発展などあり得ない。

 その上で、現在の鳩山政権は具体的な経済政策や景気対策を行っていない。
 バラマキばかりで、選挙対策ばかりで、政策を行わないということが横行している。

 これでは、話にならないのではないか。

 さて、そろそろ今年の予想に入ろう。
 経済界は、参議院選挙後に景気が回復するとしている。
 しかしそれはないであろう。
 日米関係も冷え切り、中国からも見放される外交で、日本経済が復帰するとは思えない。
 日本は加工貿易で成立している国家だ。
 外交と安全保障が日本の経済の機軸であると言って過言ではない。
 安全保障と貿易や経済が無縁と思っている人が少なくない。
 もちろん、日本が軍需産業を機軸にしているのではないことを誰もが知っている。
 しかし、シーレーン防衛などがなければ、経済発展はない。
 内需で景気対策というのが民主党政権の主張であるが、必需品である食料も60%が外国からの輸入品だ。
 その現状で安全保障を語らない経済対策はまさに片手落ちであろう。

 さて、懸案の日米関係はいったんは膠着状態になる。
 アメリカも、みすみす日本を手放すことはしないであろう。
 一方で、第七艦隊しかいらないという外交・安全保障音痴を、いつまでも政権に近い場にいさせることはできない。
 とはいえ、ほかに頼るところもない。
 当然に、その対策は慎重を極めることになる。
 表だった反発もできなければ、小沢イズムに迎合することもできない。
 オバマ政権が盤石な基盤の上に成り立っているのであれば、様々な動きができるであろう。
 しかし、オバマ政権も、日本の民主党と同じ、一時の熱狂的な反共和党票でできている。
 国民皆保険など、成立困難な公約もあり、同時に、イラク撤兵など、アメリカの機軸産業である軍需産業界とは距離がある。
 軍需産業の一角であるGMは倒産し、リーマンショックによる景気対策も行き届いていない状況だ。
 当然に、アメリカ国内においても反民主、反オバマ政権勢力が力を強めており、またオバマ政権内部でも、親日家と反日勢力がにらみ合っている。
 このようなパワーバランスの中において、対日関係は膠着状態になる。
 鳩山政権は、そこを見越して中国に近づくパフォーマンスを行い、反米的政策を行う。
 将来的見通しと、世界的規模の思考のできていない、団塊の世代の学生運動の延長線上に有るような感じだ。
 ただ、強いもの、権威のある物にかみついて、その後のヴィジョンがない、あったとしても机上の空論で話を進めている。
 日米関係は、そのような暗礁に乗り上げた状態になるであろう。

 日米関係が構築できなければ、当然に経済界もよいことはない。
 日本の経済界は中国を一つの大きなマーケットとして認識はしている。
 しかし、中国を信用してはいない。
 中国はパートナーとしては不適格であるという事だ。
 投資しても回収できるとは思っていない。
 ただ、市場獲得のための投資というよりは会費日階感じで費用負担をしているにすぎない。
 小沢チルドレンが胡錦濤首席と一人ずつ握手して写真を撮った感覚とはかなり異なる。
 未だに、経済界では北米における新車の発売台数が大きな経済指標の一つになっている。
 中国の発売台数は問題になっていない。
 そもそも、中国は社会主義経済であり、資本主義の根本原理が通用しない。
 中国の会社の株が、上海市場でA株とB株とに分かれているのがよい例だ。
 固定資産も、結局定期借地権や借家権を入手しているにすぎず、所有権が認められているわけではない。
 固定資産でこの状態であるのだから、無体財産に関してはもっとひどいものだ。
 ミッキーマウスやドラえもんの類似品を中国国内で見つけることは、日本円を人民源に両替するよりも簡単だ。
 権利を認められない国に対して、信用して取引をすることはない。
 資本主義経済は、当然に信用取引が基準になっているが、その「信用」のない国と完全な取引をできることはない。
 小沢一郎や鳩山政権のこの感覚のずれは、彼らが政権の座から降りるまで気づかないであろう。 

 まともな経済政策もなく、貿易立国日本の外交が不安定では、経済が好転するはずはない。
 自由主義経済を捨てた時点で、外国からの資本の流入も少なくなることは必至だ。
 国際資本社会の中で「鎖国」をしているようなものであろう。

 その「信用」できない国や国交のない北朝鮮系の民族を含めて、地方参政権が付与される。
 当然に野党自民党は反対するであろうが、「数の論理」で押し切られるだろう。
 それも不完全な形でだ。
 どちらかというと、在日外国人に有利な形になる可能性がある。
 これは法案を見ていなければならないであろう。
 これは、微妙な国際関係を、日本を舞台により悪化させる可能性があることを示唆させる。
 地方選挙を通じ、朝鮮半島の南北戦争が再発する可能性があるのだ。
 その歴史的、世界的な観点が、今の政権に無いことがもっとも恐ろしい。

 以上の現状から、今年を占ってみる。
 
 実に暗い予感だ。

 「国際社会から取り残された日本と、亡国の道」

あるいは

 「政治的・経済的な独立の危機」

が今年の標語になろう。

 何よりも恐ろしいのが、国民が、これらのことに気づいていないことだ。
 マスコミに左右され、政権の詭弁にだまされ、真実を見る目を失っている。
 長きにわたる日教組教育が、覚えることと従うことだけを教え、考えること、自分で成し遂げることを教えなかった。
 責任転嫁を教え、自己責任の教育をしなかった。
 そのことが、今日の「考えない国民」を作り出した。
 その効果は、高度経済成長期の経済にはよかったかもしれない。
 東西冷戦で政治思想を考えない状況ならばよかったかもしれない。
 しかし、現在のような国際社会の中で自立しなければならない時には、何の意味も持たない。
 考えられないことが、そのまま今回の結果になっている。
 考えない人にとって「共産主義」は楽園である。
 何もしなくても生活費をくれるのだ。
 ただ、支配されている、おいしいところをとられている、利益や権力が集中しているという事さえ気づかなければ、である。

 インドネシアやバングラデシュに行ったとき、時の国会議員などと会談し、おもしろいことを聞いた。
 イギリスやオランダは、植民地支配の時に教育をしなかったという。
 モノカルチャー経済で、幼少の時から労働力として働かされたという。
 そのことは、教育を行って「知られる」事をおそれたのだ、という。
 そして、インテリ層を徹底的に弾圧した。結局支配構造をわからせないようにしたという。
 しかし、日本軍が来て、まずインドネシア人に対して行ったことは教育という。
 教育を行うことによって、日本のことと日本語を学び、その文化を学んだ。
 同時に、インドネシアにとってオランダが支配階級としておいしいところを搾取していた構造に気づいたという。
 日本軍の支配に対して反発するよりは、今まで搾取していたオランダを追い出してくれたという感覚が強いという。
 そして、特に当時「聖将」といわれた今村均中将の治世もよかったため、未だにインドネシアでは反日機運は少ない。
 そればかりか、インドネシアは、戦後、日本軍の撤退に際し別れを惜しみ、
戦後再占領しにきたオランダに対して、スカルノ氏を中心に抵抗をして独立を勝ち取ったのだ。
 そのときに日本軍の施した教育が機軸になり、そして、残った日本兵が尽力した。
 インドネシアは、その日本への感謝の意を含め、未だに国旗に日の丸と同じ色を使っている。

 逆に、現在の日本国民は、植民地時代のインドネシアやバングラデシュに近い。
 考えることではなく覚えることが重点であり、それも徐々に少なくなっている。
 今日の子供の学力の低下は目に余る物がある。
 しかし、われわれの子供時代も、道徳の授業や国語の感想文ですら結論を押しつけてきていた。
 オウム返しができる人が優秀で、オリジナリティのある人が阻害された。
 この教育を受けた有権者が、マスコミという巨大な「授業」で意見を押しつけられる。
 これは、そのままオウム返しをする癖でその通りの結論を得られるようになってしまう。

 その状況で、日米関係や財政が論じられ、選挙活動をされているのだ。
 そして、その政治のトップが、献金問題を抱え、反米政策を掲げ、経済政策を怠っているのだ。
 そして、子供手当という共産主義的な国民給与をバラマくのだ。

 なんとか、今年はこれらに対する抵抗の年にしたい。
 私は、すでにおわかりと思うが、社会主義にはなじめないようだ。
 ただ、私の価値観を押しつけるつもりもない。
 国民一人一人が「本当にこれでよいのか」と考えてもらいたい。
 その契機を作り続けようと思う。

 年初放談なので、かなり適当なことを書いているかもしれない。
 これに懲りず、今後ともよろしくお願いします。

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