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2010年2月

小売り不況 有楽町西武閉店の意味するところ

小売り不況 有楽町西武閉店の意味するところ

 一月末、小売り関係者には衝撃的なニュースが駆けめぐった。
 名門、有楽町西武デパートが年内閉店になると言う。また京都四条河原町の阪急デパートも閉店の知らせがでた。

 有楽町西武は、有楽町駅前と言うよりは銀座の入り口で、東京の反映の象徴のようなものであった。
 有楽町マリオンの中にある百貨店で、元は松竹・朝日新聞などがビルオーナーである。
 銀座といえば、人がにぎわう街の象徴であり、「××銀座」といえば、多く来る事、にぎやかなことの代名詞であった。
 その「灯り」の一つが消えるというのは、やはり大きなニュースであろう。

 一方、阪急河原町は、京都祇園の入り口。
 京都でもっともにぎわう繁華街といえる。
 そこから近くの先斗町にはお茶屋、つまり料亭が軒を連ね、舞子さんが歩く街だ。
 四条河原町は、阪急京都線の終点で、神戸三宮や宝塚につながる京阪神の大動脈である。
 バス中心の京都市内で電車が通ったところは集客もよい。近所には大丸もあり、しのぎを削っていた。

 そんな東西の百貨店の雄が、相次いで討ち死にしたと言うことだ。
 この閉店劇に関し、少し話をしてみたい。

 まず、今までの百貨店の不況は、「繁華街でないところ」での閉店が中心であった。
 たとえば心斎橋そごうも、大阪の中心といえども、繁華街ではない。
 大阪梅田、なんばに挟まれた場所で、乗り換えのターミナル駅でもない。
 実際に近くにある高島屋本店に比べれば、店舗前の通行量が格段に違うことがわかる。
 銚子の十字屋はその傾向我より顕著であるし、錦糸町そごうも同じだ。
 これは「百貨店」そのものの敗北と言うよりは、百貨店の立地の地盤沈下といえる。
 しかし、今回の有楽町と河原町に関して言えば、銀座と河原町の地盤沈下ということはできない。
 有楽町で言えば、近くにできたH&Mや、丸井などは集客ができている。
 それどころか、行列ができていると言っても過言ではない。
 一方、河原町に関しては、京都で唯一の若者の集まる場所であった。
 最近は、京都駅周辺の伊勢丹などにも客が流れたが、それでも市内随一の集客地であると言える。
 要するに、今までの百貨店閉店の「地盤沈下」が原因でないことがよくわかるのだ。

 では、次に交通手段の変化を言う人がいる。
 確かに、両自動車だからよいというのではない。
 立川のダイヤモンドシティと併設された三越は、駐車場は完備されているものの、集客はままならなかった。
 自動車などの交通手段によるものばかりでもないことはわかる。

 しかし、今回の有楽町と河原町に関しては、駐車場がないという交通手段の問題はあっても、それを上回る人が毎日行き来している。
 大きな、自動車で運ばなければならない商品の買い物は減るかもしれない。
 しかし、有楽町から地下鉄に乗ると、ビッグカメラでコンピュータやプリンターを買った人を見かける。
 彼らは、大きな荷物を持って地下鉄に乗っている。実際、買うという行為に交通手段は関係が薄いことがわかる。

 小売り不況は、全国的なものである。
 実際にスーパーマーケット、コンビニでさえも売り上げが減少傾向にある。
 とはいえ、消費が無くなったわけではない。食品など日常消耗品は言うまでもないが、洋服などの耐久品も消費が無くなったわけではない。
 それこそH&Mやユニクロなどは売り上げが伸びている。
 なぜ、この二つの百貨店は、この立地でありながら閉店しなければならなかったのであろうか。
 今回はこれを、マイカルにいた私が、私なりに解説してみる。

 まずは、不動産やと百貨店の類似。
 第二の論点は、消費性向の変化についていけないバイヤー。
 要するに、売れる商品を仕入れることができないバイヤー。
 第三の論点は、企業イメージの壁の三つの論点から考える。
 ここには外的な要因は基本的には言っていないことにお気づきだろうか。
 私は、マイカルもそしてこれら百貨店の閉店も、「内部の事情」が大きいと見ているのだ。
 外的要因を言うのは責任転嫁か、わかっていない人であり、外的要因はきっかけの一つにすぎない。
 有楽町西武では「リーマンショックの影響」といったが、リーマンショックがどうして消費不況と関係があるのか。
 リーマンショックがありながら、ほかが閉店せず有楽町西武だけが閉店するのはなぜか。
 単なる責任転嫁ではないか。
 実際、マイカルのときもそうだが、営業の人員は「売り上げが伸びない」ことを、外的要因にして責任転嫁する。
 それでは、売り上げが上がるはずがない。
 自己努力を否定してしまっているのだ。
 これらの人的被害による閉店であると言って過言ではないのだ。
 というよりは、彼ら内部で外的責任や消費環境に責任転嫁している従業員が、会社をつぶし、店をつぶしたと言って過言ではない。
 先に結論めいたことを言うが、このようなコメントがでている間は、西武は売り上げが伸びないし、閉店も続くと予想される。

 さて、第一の論点を考えよう。
 第一の論点は、「不動産やと百貨店の類似」である。
 これは、現在の百貨店という業態そのものの問題点を指摘したい。

 百貨店は、ほとんどがテナントである。
 テナントであるという事は、基本的に百貨店と出展企業との間の契約は「賃貸借契約」で有ると言ってよい。
 百貨店も小売業であり、売り上げという数字がほしいので、「消化仕入れ」などしている場合もある。
 ちなみに、消化仕入れとは、商品棚に陳列されている間は、業者の在庫であり、
顧客が買うときに百貨店が仕入れて、百貨店が売るというシステムである。
 消化仕入れはともかく、百貨店にとって、出店企業を探すことが仕事であり、自分でものを売る仕事ではなくなってしまう。
 それは、あたかもマンションを扱っている不動産屋が、空き部屋無く顧客を見つけるのと同じだ。
 それでも、はじめのうちは百貨店全体や各フロアのテーマやコンセプトが決まっているので、何とかやりくりができる。
 顧客にいいところを見せることができるのだ。
 しかし、フロアの中でも端やトイレの近くなど、どうしても売れないところが出てくる。
 そうなると、ちょうど歯が抜けるように空床ができてしまう。
 空床がでるよりは、名んでも良いから誰かに出店してもらう方がよい。
 そのようになってきてしまうと、百貨店全体のコンセプトやテーマが崩れてきてしまう。
 フロアデザインがおかしくなってしまう。結局テーマもコンセプトもない、百貨店ができあがってしまう。

 商品は、いくつかの要素で売れる。
 値段という切り口は一つの切り口だ。
 安いと言うことはそれだけで武器になる。
 特に、品質に対して一定の信用がある場合は、値段は安いほど良い。
 ガソリンなどがよい例である。
 一円でも安いガソリンスタンドに車が列を作る光景は、そう珍しくない。
 冷静に考えれば、その並んでいる間にエンジンを動かしていれば、そんなに変わらないと思うが、
消費者心理とは、三〇リットルで30円しか変わらない商品で列を作るのだ。

 一方、安くても売れないものもある。
 安いことに品質の劣化が現れている場合は、消費者は、購入をしない。
 最近の消費者は品質に対する知識も豊富だ。
 商品の多くの適正価格や適正原価を知っている。
 それを逸脱してしまうと、商品は売れなくなってしまう。
 業界では値頃という単語を使うが、その値頃の見極めは、かなり重要な仕事である。

 逆に品質と言うことで考えてみよう。
 品質が良ければ売れる。同じ値段で品質がよい方が売れるのが、現代のマーケットだ。
 しかし、その「品質」は、必ずしも機能ばかりではない。
 デザインや流行と言ったものも十分に加味されなければならない。
 もちろん、買う場所、つまり店舗の雰囲気も重要だ。

 たとえば、ディズニーランドの売店でミッキーマウスのぬいぐるみを買うとする。
 場面は様々想像できる。
 子供にねだられたおじいちゃんや、恋人同士というのもあるだろう。
 問題は、その場面で値切ることはないということだ。
 それだけでない、一版から刷れば高い値段でも、皆喜んで買うのである。
 もちろん、その中には同じ値段で大きい方とか、ネックレスになっているなど様々有るかもしれない。
 しかし、その売店で売っているものは、「中国製」と書かれていても、
横の「ディズニーランド」のブランドが品質不安を全て打ち消して、外部の商品よりも高い値段で売ることができるのだ。

 百貨店に話を戻すと、結局、百貨店ではこのディズニーランドのようなコンセプトを演出することができなかった。
 もちろん、百貨店はテーマパークではない。
 しかし、不動産屋よろしく空床を埋めるだけの商売では、高級商品も「買う場面」の「品質」を演出することができないのだ。
 百貨店のこの現象と対局にあるのが、秋葉原のメイドカフェであろう。
 オムレツ一つで二四〇〇円らしい。
 私は行ったことがないので、よく相場がわからないが、
メイドというコンセプトでふつうの喫茶店の四倍の値段を取れるのであれば、コンセプトの力がわかるであろう。

 このコンセプトを、値段という一点で貫いたのが「アウトレットモール」である。
 ブランド品が安く買える、というコンセプトの商店街に、ブランドの生鮮産品は売っていない。
 世界に誇る松坂牛といえども、アウトレットモールには入っていないのだ。
 超高級から少し低めのブランドがあるが、ブランド品が安く販売しているという事では、一致している。

 百貨店の第一の論点から見えるのは、統一コンセプトを貫くことのできなかった歴史が見られる。
 消費者の性向に左右されたと言えばそれまでであるが、逆に、先取りし、コンセプトを維持できなかったという点では疑う余地がない。

 さて、第二の論点は、消費性向の変化についていけないバイヤー。
 要するに、売れる商品を仕入れることができないバイヤー、についてである。

 結局百貨店の場合、上記のように不動産業である。
 ということは、個別店舗の中の品ぞろえまで何とかなるものではない。
 実際に「小売り不況」といわれていても、ものが売れなくなったのではない。
 もちろん、高度経済成長のような購買力はなくなっているものの、ユニクロやヤマダ電気など、売れている店はたくさんある。
 また、コンビニエンスストアの延びは、非常に大きい。
 今年になってやっと下がり始めたが、まだまだ、コンビニエンスストアは大きな売り上げを保っている。
 問題は、総合小売業といわれるところだ。

 昔は「ワンストップ・ショッピング」と言われていた。
 これは、街にある商品と百貨店にある商品は、グレードが違った。
 お笑い芸人が「伊勢丹の袋です」といって同じ柄の衣装を着て出てくるが、実際、包装紙そのものに価値があった。
 お中元・お歳暮などは、同じものでも三越や高島屋の包装紙だと高級に見えたものだ。
 要するに、昔は百貨店そのものがブランドを持っていた。
 最近は、上記のような不動産屋と同じだ。
 たとえばティファニーが三越に入っているが、買い物をしても三越の袋は使わない。
 それは、一つには三越のブランドが落ちたということと、顧客がティファニーの包装紙を重要と考えているにすぎない。
 同時に、三越の店員は、結局ティファニーと顧客の間に介在しないということも意味している。
 会計と、レジのストアコンピューターは介在していても、実際、顧客のニーズを店員が感じることはないという事だ。

  上記の延びが有る店舗はどうか。
 コンビニエンスストアは、POSレジにより、顧客の趣向がわかるようなシステムになっている。
 コンビニエンスストアによっては、近所の小学校の行事が入っていたり、毎日の天気がデーター化されている。
 いずれにせよ、顧客の購買行動と、仕入れ担当者がほぼ直接的に、そのニーズをつかめるようになっている。
 ユニクロは、価格帯の勝負だ。
 価格帯を安くしても品質に保証が有れば顧客は問題なく購入する。
 安くても悪いものは買わないが、良いものならば高くても買う。
 良くて安いならば、売れるものだ。それでも、形や種類が異なってくる。
 それもユニクロはユニクロの社員やレジデーターが全てを把握する。

 百貨店の場合、結局顧客のニーズを直接つかむ手段を失ってしまったことが大きい。
 それは、小売が最も重要でなおかつ企業秘密にも値する財産を自ら放棄してしまったにすぎない。

 スーパー系の店は、プライベートブランド商品が有るが、百貨店にはそれが少ないことにお気づきだろうか。
 プライベートブランド商品は、自らが企画・製造・販売を行うものだ。
 しかし、百貨店の場合、顧客ニーズが少ないので、結局プライベートブランド商品を作れるほどの情報がない。
 もっと言えば、顧客が何を、どのような値段でほしがっているのかが見えていない。
 昨年話題になった、千円以下のジーンズも、百貨店からでなかった。フリースなどもそうだ。

 本来、百貨店は「包装紙だけ」でも販売できた。そこには高級店という看板と品質に対する絶対の信頼があった。
 しかし、一つには百貨店が徐々に門戸を広げ、庶民的な品ぞろえを多くしたこと。
 もう一つは、販売商品の品質が百貨店のブランドでもスーパーのブランドでも同じになってしまった。
 結局百貨店とそのほかの店舗での、差別化が無くなったのである。
 このことは、百貨店がほかブランドを頼るようになり、不動産屋になってゆく課程の問題だ。
 百貨店は、自力で商品を開発し、平場でそれを売ると言うことをしなかった。
 ブランドそのものを護るために、リスクを選択しなかった。
 このことは海外や地方でのブランド探しに終始する姿を意味してしまい、自力での商品(単品)開発の能力を奪った。
 リスクを負わないという日本型経営の悪性がこのような形ででてしまったのだ。

 結局、これらを含む様々な理由により、百貨店は単品を管理し単品を自分の在庫として売る能力が欠如した。
 この逆がコンビニエンスストアだ。
 フランチャイズシステムの問題は様々でているものの、在庫を抱え、単品管理で自己の在庫を販売することで生計を立てている。
 顧客が望んでいるのは単品であり、ブランドのトータルではない。
 ナショナルブランドやデザイナーズブランドといえども、日常でトータルコーディネートする人は一握りだ。
 少なくとも。
 百貨店の日常顧客にそのような人はいない。
 外商部などになるくらいであろう。
 百貨店が、そのような顧客に徳化した場合は強みがでるが、一般消費者を顧客としている間は、その必要はない。
 ブランドの入店管理だけでは、結局消費不況の波に飲み込まれてしまう。

 消費不況の波は、90年代のバブル崩壊で経験している。
 そのときに行われたのは、第三の論点である企業イメージの壁である。
 百貨店は、元々、百貨店にあるものは高級品であるというブランド力を持っていた。
 高級品は、品質、もしくはデザイン・機能などにおいて優れていた。
 ただ、ムダに値段が高いだけではない。
 90年代のバブルの崩壊は、一部では、投機性金融の崩壊とそれにあわせた物価下落が招くものだ。
 主に金融市場や証券市場で発生したが、それ以上に不動産での価格の下落はすさまじいものがあった。

 不動産価格の下落は、不動産担保での金融市場を直撃する。
 それまで不動産を担保に入れておけば、年々の値上がりで追加融資が可能であったが、バブル崩壊後そのような資金調達ができなくなった。
 マイカルはこのときに、不動産を信託財産に入れてキャッシュフローを良くした。
 結果的には倒産したが、それは、不動産信託財産化だけが理由ではない。
 イトーヨーカ堂は、不動産を原則賃貸とした。
 不動産を所有せず、賃料という形で支出することにより、出退店の自由性を確保し、バブルや不動産価格の上下と経営を切り離した。
 そのかわりフランチャイズをはじめとする、無体財産収入を多く上げるようにした。
 イオンは、元々狸や狐しかいない田舎に大型店を作っていた。これにより、バブルといえどもその影響を少なくすませることが成功した。
 しかし、有価証券などの資産の目減りは覆い隠すことができず、現在、合併含み益を使い果たした後は、苦しい経営と伝えられている。
 さて、平場、要するに自己の在庫で勝負している会社はこのようにバブルの影響を最小限にするように工夫した。
 これに伴う消費不況には、価格の値下げという事で対抗し、ナショナルブランドで追いつかない場合は、プライベートブランドを使った。
 イオンは、それまでのトップバリューより、より低価格の商品帯を作り、二つ目のプライベートブランドであるベストプライスを展開するに至る。
 一方、百貨店は、これらに対して、リスクを少なくすると言う事を考えた。
 これはテナントを増やし、自己の在庫を減らすという事を行ったのだ。
 このことは短期的にはよかったのかもしれない。
 しかし、これによる、百貨店の「自分で商品を選ぶ力」「商品の単品が売れるか売れないか見分ける力」がなくなった。
 現在売れている者に頼ることになる。
 現在売れているものをサーチして入れるということは、当然に、その流行のピークで入れることになる。
 「ピーク」とは、その後に下がることしかないのだ。
 結局「斜陽」の集合体になってしまう。
 もちろんピークが過ぎ去ったのちであってもそのブランドには、顧客はいるが、百貨店の期待する入店客数は維持できない。
 こうりぎょうは「自分で流行」を作れなければ終わりだ。そのことを、わかっていないから、百貨店不況は続くのである。

  現在携帯電話の料金などが小売不況の一因という。
 高校生などが携帯電話の通信秀こづかいがなくなってしまっているというのだ。
 そう覆えば、百貨店に携帯電話のショップが入っているのは少ない。
 今回閉店が決まった西武有楽町店にもそのようなショップはなかった。
 近くのビックカメラは、一階に携帯電話のコーナーが大きく展開されている。
 顧客も多く賑わっている。にもかかわらず、西武には何もないのだ。
 映画館の入場券の前には行列ができていても、百貨店に入る人はいない。
 これは「百貨店そのものに魅力がなくなった」ということを示しているのだ。

  小売不況ということで、すべてを不景気へ責任転嫁している。
 しかし、実際は小売業側にも「魅力ある店舗づくり」を怠った経緯がある。
 今後は、「ほかに転嫁をせずに、自分で考える」姿勢が経済の中にも必要いなってくるのではないだろうか。

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アメリカの台湾への武器輸出に中国が反発

アメリカの台湾への武器輸出に中国が反発

 アメリカが、台湾へ武器輸出を行うことを発表した。
 米政府が今回、
地対空誘導弾パトリオット改良3型(PAC3)114基、
多用途ヘリUH60「ブラックホーク」60機、
および地対艦ミサイルハープーン12発である。
 アメリカが、この上中国との軍事バランスが崩れた場合、F16C/D型戦闘機や潜水艦の売却も予定されている。

  このアメリカの決定に対して、台湾の馬英九総統は「台湾防衛に自信を持ち、中国との関係を発展させていくことができる」と歓迎の意を表した。
 また台湾の国防部も、「台湾海峡の安定に寄与する。米国の決定に歓迎と感謝を表明する」との声明を発表した。

これに対して「一つの中国」を標榜している中国は一斉に反発した。
 まず中国外務省は30日、米国防総省が台湾向け武器売却計画を議会に正式通告したことを受け、
何亜非・外務次官が米国のハンツマン駐中国大使に抗議したと発表した。

 外務省によると、何次官は、「強烈な憤慨」を表明。
 そのうえで、
「必ずや中米関係を損ない、両国の交流や協力に重大で消極的な影響をもたらし、双方が目にしたくない結果を招くことになる」
として、強硬な報復措置を示唆した。
 また、外務省は近く実施予定だった戦略安全・軍縮・不拡散などに関する米中次官級協議を延期し、
武器売却に参加する米企業に制裁を科す方針を表明した。

  中国国防省は同日、米国防総省が台湾向け武器売却計画を議会に正式通告したことを受け、
新華社電を通じて、
「武器売却の重大な危害と中米両軍関係に与える劣悪な影響を考慮し、両軍が計画している相互訪問の一時停止を決めた」、
「中国軍は、信義に背き、中国の内政に粗暴に干渉し、中国の国家安全利益に損害を与える米軍の行為に対し、大きな憤慨と断固たる反対を表明する」
とする報道官談話を発表した。
 
  この問題に関しては、米中の軍事バランスに関する問題や中国の膨張主義、そもそも台湾海峡における東アジアの安全など大きな問題が山積している。
 この問題に関しては、様々な専門家によって新聞各紙やインターネットを賑やかにさせている。
 中国の武器との比較などもかなり詳細に書かれた内容もある。
 論点としては、「軍事バランス」「外交」などがあげられる。
 直前にあった、アメリカのインターネット検索システムグーグルへの検閲を巡る内容を記載されたものもある。

 さて、この対立はなんなのか。
 そのためにはアメリカと中国を理解しなければならない。
 様々な論文や評論の中に、「中国」「アメリカ」を基本から解説しているものあ少ないので、今回はまずそこからしてみたい。

 少し古い話になるが、私は9年前まで中国にいた。
 マイカル時代の仕事であるが、中国の大連市の出店で様々な調整を行っていたためである。
 その時代の中国と今の中国は違うという人もいる。
 元ヤオハンの和田一夫氏は、常に最新の情報を持たなければ仕事ができないという。
 そのために中国との往復は欠かせないそうだ。

 私は、実はそうは思っていない。
 もちろん、そのように何往復もでき、なおかつ他の国の情報も得られるのであればよい。
 しかし、そのように一つの国の情報だけを得たところで、現在のグローバル社会ではあまり役に立たない。
 必要なのは、中国の「絶対評価」と「相対評価」である。
 そして、中国人の基本的な気質や基本的な国の考え方を知ることができれば、だいたいのことは推定される。
 名探偵シャーロック・ホームズは、「全ての証拠が同じ方向を向いていれば、その先に犯人がいる」と言っているが、まさにその通り。
 そこに時代の変化に合わせた高圧ができれば、ほぼ間違うことはない。

 さて、その中で言えることは、中国は共産主義経済が残っているという事実だ。
 実際、上海などの都市部を見れば、日本以上の発展や競争社会を目の当たりにするだろう。
 しかし、その本質は改革開放経済以前の、というよりは、毛沢東革命による共産主義が色濃く残っている。

 当時、私の会社にいた従業員で、日本でも長期間勤務経験がある人がいた。
 中国にいても日本系の会社ばかりに勤めていた女性だ。
 われわれから見ても、中国人よりも日本人に近い感覚ではないかと考えられていた。
 その彼女に、「ある従業員が自分の活躍で仕入れ値を半額にした。その半額にした分の利益は誰のものか」と問いかけた。
 その女性は「設けた分の半分は、活躍した従業員のもの、残り半分が会社のもの」という回答であった。
 中国人は、彼女以外ほとんど「全て、その従業員のもの」と回答するであろう。
 なぜならば「仕入れ値が安くなったのは、活躍した従業員だから」ということになる。
 日本では、それは業務上横領という犯罪になってしまうのだ。
 これは、中国が資本主義になりきっていないことを示す。
 「会社の財産は自分のもの」という感覚が色濃く残っているからにすぎない。
 中国で商売をした人ならばよくわかるが、このような「横領」「窃盗」は当たり前。
 「会社の資産」と「個人の資産」の区別がつかない人が多いのだ。

 では、中国の考え方はどうなのであろうか。
 中国人のほとんど、100%に限りなく近い人が台湾の併合を求めている。
 そもそも「併合されていないことに疑問を持っている」人も少なくない。

 中国高官によれば、「台湾さえ取ってしまえば、東アジアは中国のものになる」と言っている。
 「日本も韓国もほとんどを輸入に頼っている。
 その輸入のほとんどが台湾海峡をとおっている。
 当然に台湾海峡を閉鎖すれば、韓国も日本も中国になびかざるを得ない」という。
 実際にその通りになる。
 一時的に、太平洋航路を使ったとしても、物価の高騰は免れないことになり、経済は一気に悪化する。
 アメリカなどが援助しても数カ月のことであり、長続きはしない。そうなれば、企業は自己防衛的に海外に出て油化なければならない。
 その時に、中国という人件費の安い国は、一つの有力な選択肢になることは間違いがない。
 日本の技術や経済的な富を、日本と戦争することなく中国は手に入れることができるのだ。
 台湾は、東アジアのコントロールレバーといってよい。
 ヨーロッパでは、このような国のことを「フライパンの柄」というらしい。
 フライパンだけでな買う、その中の料理まで自由にできてしまうという意味だ。
 使い方によっては中身を「ひっくり返す」ことができてしまうのだ。

 アメリカは、このようなことは許さない。
 「世界の警察」として、アメリカは、治安の維持に努めているのだ。
 アメリカは、「貿易」によって国家の富を得ている国ではない。
 軍需産業と金融による国家の富をしている。
 軍需産業による富は「防衛兵器」と「宇宙開発」によって成立している。
 防衛兵器のためには、仮想敵国が必要である。
 仮想敵国は「国」である必要はない。
 「テロとの戦い」は、まさにテロという集団に対して「仮想敵国としての設定」をしている。
 これにたいして宇宙開発は、科学の発展と新規技術の展開をしている。
 要するに「緊張のある平和」と「科学技術の安定的発展」が必要になる。
 一方、金融による富は、投資とその回収によるものだ。
 平和でなければ「投資」は成立しない。
 正確にいえば「投資の回収」が得られないということになる。
 回収の対象ができないのである。
 このことには特に解説はないであろう。
 戦争地帯や治安が悪い国に投資する人はいない。
 イラクに投資した人はいるかもしれないが、それは「イラクという国」に投資したのではなく、そこにある地下資源に投資したのだ。
 ようするに、アメリカは軍需産業と金融による国家の富の維持のために、緊張ある平和と平和の中の投資とその回収が必要になる。

 このためには、「各国の独立を維持すること」と「その独立国がなるべく自国独自の国防を行わないこと」が必要になる。
 アメリカの防衛兵器を使用していれば、安定的な開発費を得ることができるうえに、その防衛計画を知ることができるのだ。
 逆に、「防衛計画を知る」ということは、その国の安全を保証しなければならない。
 そうでなければ、アメリカ兵器の機密が他国に漏れてしまうことも考えられるだ。
 その武器の費用は非常に高価だ。
 その高価な武器を買うのに対しては、アメリカの資本の金融がここで動くことになる。
 平和であるから「買うことができる」わけであり、同時に「使用しない」のである。

 アメリカにとって、アジアと太平洋は絶対的な経済圏だ。
 アメリカは、第一次世界大戦以前に太平洋を境にした米欧の境界を守っている。
 アングロ・サクソン同士で心理的な結合があるということを言っているが、実際の支配は大西洋を超えることはない。
 アメリカは、まず南に延びた。
 しかし、キューバなど反米国家がカリブ海を支配するに当たり、結局、西に延びる以外はいない。
 つまりは太平洋という海を挟んだアジア(東南アジアを含む)しかないのである。

 中国が共産主義であることは、すでに述べた。
 共産主義とは、結局国家が税金を吸い上げて、その税金を分配することによって国民の生活を保障しているシステムだ。
 現在の民主党のバラマキ政策は、それを真似したものとしか思えない。
 さて、税収は限りがある。
 その税収が下がれば、当然に、「養える人数」も減ってしまう。
 このことを避けるために、常に、税収を下げないようにしなければならない。
 とくに中国という国は、農民から税金を得ていない。
 全体御20%の都市部人口が、残り80%の国民の生活を支えているといって過言ではない。
 当然に都市部の税収が国家全体の根幹部分をになっている。
 そのために、工業的な発展と経済成長は必須である。
 推定「にすぎないが、中国は、人民解放軍の退役軍人の年金など、非生産労働者の増加などによって、
年々その経費は増えてゆき、年間の経済成長は最低でも8%を維持しなければならないとされる。
 そのうえ、国内の物価を低額に抑えなければならない。
 現在の年金で生活ができなければ意味がないので、インフレにつながることは極力避けなければならないのだ。
 当然に、物価統制と人件費の統制も必須である。そうでなければ8%の経済成長でも足りなくなってしまうのだ。

 このように経済の統制をしなければならないので、結局のところ共産主義経済から脱することはできない。
 都市部において資本主義のような競争主義がされているかもしれないが、
実際のところ、その競争によって経済成長をさせなければならないのだ。

 昨今、それでも中国の経済成長が不自然であるということが出てきてしまった。
 結局、歪な経済成長も限界が来たと言える。オリンピック後のバブルの崩壊などは、その表れである。

 また、経済成長が生活の向上につながっていないという国内事情を、国内の人民に知らせることはできない。
 結局、ある意味での情報統制がおこなわれなければならないのだ。その中で、グーグルの検閲が問題となったのだ。

 そのような環境下での台湾問題である。
 中国は8%以上の経済成長を維持するためには、台湾の併合以外にはありえない状況になっている。
 チベットやシンチャンウイグル自治区の併合では、民族による抵抗から、内戦や国家の崩壊につながる可能性がある。
 その反乱そのものが国際的な非難につながり、ダライ・ラマ十四世はアメリカ大統領と会見するような話になっている。
 民族や宗教が異なるところの、強引な併合はかなり難しい。
 そうなれば、もともと同じ民族どころか、同じ国家であった台湾を併合するのが最も自然、という結論になるのは不思議ではない。

 8%の経済成長を維持するためには、台湾の併合ののちに北朝鮮、韓国、日本を徐々に経済や物質の傘下に収めればよい。
 増える人口よりも、経済成長が大きくなることが予想される。

 同時に、強行に反発するであろう日本は、民主党政権が誕生し、
小沢一郎という日本史上まれにみる国際感覚のない政治家の出現により、そのような中国にすり寄ってきている。
 そればかりか、台湾併合問題で、もっとも大きな障害であるアメリカ軍、ことに沖縄のアメリカ軍基地を追い出してくれるというのだ。
 日本が中国に支配されるのにかかわらず、それに賛同する政治家百四十人もつれて、わざわざ中国まで出向いてくるのである。
 中国にとって「これほどおいしい」政治家はいない。

 中国は、このような共産主義維持のための「国家膨張戦略」がある。
 その国家膨張戦略とアメリカの「緊張の中の平和出の経済成長」が東アジア、ことに台湾・朝鮮半島・日本を巡って激しく衝突する。
 アメリカ大統領も中国の国家主席も、正面衝突は避けたい。
 中国とアメリカの戦争となれば、核戦争になる可能性も少なくないし、そのようにならなくても膨大な消耗戦争になってしまうのである。
 戦後の経済発展や、国家間を持った『まともな政治家』ならば、国力を著しく衰退させる大国二国間の戦争はしない。
 中国の国家主席は、アメリカ資本主義を学び、そしてアメリカの国債を購入した。
 このことによってアメリカが簡単に戦争を仕掛けられないようにしたのだ。
 アメリカといえども、自分のスポンサーで、世界第二位の国債保有国と戦争する人はいない。
 一方、アメリカも、大統領が変わるために正面切っての戦争はしなかった。
 北朝鮮情勢でも六カ国協議として、自分が正面に立つのを控えた。
 アメリカ大統領が中国に訪問することは珍しくないのだ。

 さて、その二つの国家が台湾というよりは東アジアをめぐって衝突した。
 オバマ大統領が昨年十一月に訪中した時の最初の議題は台湾問題である。
 中国側は「一つの中国」を主張し、また、その主張を現実のものにしようとしている。
 実質は、台湾への武力行使を「内政」とし、その干渉を「内政干渉である」という理論を認めさせようとしている。
 一方で、アメリカは、そのことによる日韓両国の影響と政界経済への影響を考えている。
 今回は、その全段階として、アメリカが武器を輸出したということである。

 さて、この問題の最中も「普天間基地の問題」は、遅々として進んでいない。
 どちらかというと鳩山政権は、小沢の政治資金問題から脳死状態になってしまっているのである。

 実際、このように「一見日米安保条約と関係ない」国債関係が、深く日本とかかわりがあることがあるのだ。
 本来ならば、日本の独立のために、今回の件でも意見表明をしなければならない。
 しかし、現在の民主党政権にそのような外交的なセンスはない。
 そもそも、党内の情勢や選挙のことしか頭にない人々の「烏合の衆」でしかない。
 所詮批判でできた政党は独立で政権担当ができない。
 このような日本の独立に関わるときに、政局とは関係なく行動できるのが最も重要なことではないだろうか。

 このような問題が台湾を巡って行われるということは、日本が無視されたということに他ならない。
 日本は、両国にとって「頼りにならない国」となってしまったのである。
 もっといえば「経済だけで、政治的には見捨てられた国」ということができるのではないだろうか。

 日本の政治、ことに外交関係が正常になることを望む。

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