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2010年3月

「与謝野新党」「舛添新党」にみる、野党自民党の再生

「与謝野新党」「舛添新党」にみる、野党自民党の再生

 にわかに政局がクローズアップされるようになってきた。 
 事のいきさつから見てみよう。まずは、民主党の体たらくである。
鳩山政権だけでなく、小沢、後藤、小林各議員の秘書や選対の逮捕者続出だ。
ツイッターなどでは「戦後最多の逮捕者」というが、実際、私は統計を現在は取っていないので、わからない。
しかし、そのように言われて、説得力がある数字になっている事は事実だ。
首相の脱税で二名、小沢不正献金で3名、小林北教組事件で4名、後藤選挙違反で二名。
これでは落ち着いて政治を執っていられるはずがない。
その上で、民主党は、全く処分をしたりけじめを付けたりしないのである方、うまくゆくはずがない。

 通った候補を辞めさせられないのは、本人だ、有権者だと言うが、実際は、それだけ組合員がいると言うことを意味する。
 次々と明らかになる選挙違反や政治とカネの不祥事は、民主党の支持率を下げた。しかし、支持率が選挙ではない。

 このときに、野党側の支持率があがらないという事が出てきている。
 民主党は支持率を下げ、次期参議院選挙で過半数を執らせないという世論が多くなった。
 この動きに乗じて、3月15日鳩山邦夫元総務大臣が自民党離党。新党結成を表明した。
 「反民主党」票が雇う第一党である自民党に流れないという現象である。
 その現象を危惧して「第三極」に成らんとしての動きだ。
 同じ現象が台湾の民進党と国民党の間に繰り広げられている。
 台湾の場合は、第三局で動くのではなく、単純に国民の間に政治不信が漂う。
 これに、学生などがネットで呼びかけて、一つの潮流を作らんとしている。

 今回は、大胆にも、なぜ自民党が支持を拡大できないのかについて、推測の範囲で見てゆきたい。
 同時に、自民党が支持を拡大できない事による、社会・国民への影響について分析してみよう。

 自民党が指示を広げられない理由は、単純に前回の総選挙に戻ればよいのではない。
 自民党の敗因は、小泉純一郎内閣とそれ以後の自民党政権にある。

 そもそも細川内閣以来、と言うよりは東西冷戦以来、保守対革新という対立の構図が崩れた。
 東西冷戦は、資本主義・自由主義経済と、社会主義・共産主義経済の経済戦争である。
 同時に、民主主義と一党独裁というイデオロギー対決。集団主義対個人主義という、統治システム対立がでてきた。

 日本の場合、もともとは天皇主権による集団主義であった。
 どちらかというと、資本主義経済で、国家社会主義という感じだ。
 その上で、主権が天皇に画一的に存在することによる独裁が行われた。
 実際は天皇の名を借りた軍部独裁だ。

 日本の場合、元々島国であり、村社会が根付いているという国民性から、集団主義に成りやすい体質がある。
 「村八分」「社会の目」という単語は、一定の範囲内での集団主義が根底にある。
 余談になるが、この集団主義はそのまま現在の子供手当「社会で子供を育てる」というように使われる。
 このように、社会、集団を多用すれば当然に全体主義が発生する事になる。
 戦後の進駐軍は、この日本人の特性を十分に理解し、日本人に個人主義を根付かせた。
 しかし、行き過ぎた個人主義は核家族かを生み、そして福祉の地域化を生む。
 地域社会による弱者保護の動きは、社会集団化を生み、そしてそれを進めると社会集団主義が発展する。
 この社会集団主義が、併せて社会が子供を育てるという発想になる。
 しかし、ここで言う社会とは、責任の主体のないリスク分散化でしかない。
 社会で弱者保護をしても、結局介護者の負担は増えるし、日本の場合ボランティアなどの参加率は低い。
 これは、日本的集団主義の産物に他成らない。
 これでは、結局「一億総無責任状態」になってしまう。
 現在の子供手当は、財政などの実務的問題以上に、育児に関する無責任意識、他者意識、責任転嫁が道義的問題になる。

 話を戻そう。

 日本人は、もともと個人主義が根付かない。
 それは民族的・風土的問題であろう。
 島国であり、また統一王朝での支配が少なくとも前近代までに千年以上続いているのだから、当然といえる。
 当然に統一王朝下で上下関係は存在するが、同時に同一階級での結束は強くなる。
 特に、江戸時代の士農工商制度において、農民が土地に縛り付けられるようになると、
遠くの血縁よりも土地と農耕施設(用水路など)を媒介にした地縁共同体が生まれ、結束を強める。
 その結束の強さが、自分の農地の策付けに関わるからだ。

 この状態が、太平洋戦争時に発揮される。
 天皇崇拝を強要した、軍部独裁と、それによる国家社会主義が日本を席巻することになる。
 国家社会主義、類似の単語でファシズムといわれる、この状態は団結力と画一化を行い、個人主義を標榜するアメリカ兵の心を寒からしめた。

 アメリカは、その反省から日本に個人主義を根付かせた。
 アメリカの意志を理解する自民党は、「自分党」と揶揄されるほどの個人主義になる。
 その最たるものが1993年の小沢離党だ。
 その小沢は、流浪の政治生活から、個人主義が自らの派遣の邪魔になるとし、自分に従うロボットを作り、民主党内でファシズムを作り上げたのだ。
 さて、自民党の政策はどうであったろうか。
 ここでは何度も紹介したが、基本的には自己責任と金融国際化を行い、自由競争経済を導入した。
 その上で、財政再建を掲げ、政府自体の構造改革を断行した。

 アメリカ並みに個人主義と自由競争が徹底している国であれば、十分通用する、というよりは、至極当たり前な話であったでしょう。
 しかし、日本は、上記のようにもともと集団主義的になりやすい体質を持った民族性を持っている。
 また、集団主義的であるということは、当然に同一意識を持っている。
 そのために目立つ者に対する反感と「ねたみ」の感情は、他の民族に比べ格段に高い。
 そのような中で、「個人主義」「自由主義経済」を断行してしまったために、日本国内に混乱が生だいたことは間違いがない。
 その混乱は、当然に政権への不満として現れる。
 そして、それが「格差」という単語になって、集団主義がぐっと頭をもたげてくることになる。

 この時に、小泉内閣から、安倍内閣に政権が変わる。
 この時に、ナポレオンのごとく排外主義で北朝鮮などに国民の不満を向ければよかったが、安倍首相はそこまでの話にはなかなか中らなかった。
 個人主義・自由競争の結果である「格差」を是正する措置を行ってしまったのだ。
 福祉国家としてはそれでよいのかもしれない。
 しかし、福祉国家と社会主義国家は似て非なるものだ。
 福祉国家は、あくまでも「弱者救済」であるのに対し、社会主義国家は「集団平等主義」である。
 単純にいえば弱者でない人も保護される対象となる。
 働ける人が働かないで生活できるようにするのが、集団平等主義である。

 安倍首相は、当時保守の旗手として期待が高かった。
 しかし、その政策は、この「格差是正」も含め、保守ではなく、限りなく社会主義に近づいた。
 左傾化した問題の解決を選択してしまったといってよい。それでは、話にならないのである。

 この安倍内閣が「カリスマ的崩壊」を見せる。
 あとは、保守といわれる人々が、行き先を失った状態になった。

 安倍内閣の突然の総辞職の後、福田内閣は、その保守の受け皿として、「大連立」画策した。
 小沢民主党は、それに乗ってきた。
 ここにはお互いの腹積もりがあり、利害が一致した。
 しかし、小沢民主党は、特に枝野議員の反対によって、大連立が空中分解する。

 その後の麻生政権は、この安倍内閣と福田内閣大連立空中分解の後始末に終始した。
 実際は景気対策など様々な実績あありながら、やはり前内閣の後始末によって正当な評価を受けられなかったといってよい。
 なお、麻生氏には悪いが、この後始末がなかったとして、
麻生総理が保守として最大の実績を残せたかどうかということに関しては、まったく未知数である。
 ただ、言えることは、手腕を発揮する前に、火消しに追われてしまったということだ。

 さて、この間、小沢は、日本人の保守層の取り込みを必死に行った。
 しかし、小沢は潜在保守層の多くが自民党にいることもよく知った人物だ。
 当然に保守だけではなく、革新や左翼も取り込みにかかった。
 この革新や左翼と保守の同居を実現した初めての人物といえる。

 その手法は、先にあげた日本人の民族上の特性を上手に利用したといえる。
 そもそも「集団主義」が日本人の民族性に入っているのだ。
 その民族性を焚きつければ、当然に集団主義と保守を結びつけることが可能になる。
 集団主義の定義を、支持者の集団に合わせて「保守」と「社会主義・革新」と使い分け、外形上の現象だけを見せた。
 そのうえで、「保守派」には、「私は、元自民党だから大丈夫」というようにいった。
 逆に「革新派」には「労働組合が付いているから大丈夫」といい、その両方に都合のよい言葉である「自民党ではだめだ」という標語を使った。
 そして自民党以外他の選択肢を埋めるために「政権交代」というスローガンを多用したのだ。

 この選挙戦を見てわかるように、具体的な政策や財源に関する論議はおろか、その根底の主義も存在しないのだ。
 そのことは、昨年の総選挙以前から、「綱領が存在しない」という批判が存在していた。
 国民はそれにもかかわらず民主党に政権をとらせた。
 それは「すでに結果が出ている」自民党政権と、「何かをしてくれるかもしれない」民主党政権との選択肢で、可能性に欠けたということになる。

 さて、この内容に関して、自民党は真摯に受け止めなければならない。
 しかし、そもそもこの選挙の総括が出てきていない。
 総括的にいえばこういうことであるが、では、「誰に」責任があるのかということになると、誰も責任を獲れない状況になる。
 そもそも、戦争の総括がない状況で、当の改革はできない。

 自民党の中には、それらの総括ができている人も少なくないのであるが、それが政党の決断として出てきていない。
 また、それを出したところで、執行部に批判的な人物が批判を始めるといった感じである。
 そもそも、マスコミに出ていれば良い、目立てばよいと考えている議員もいる。
 誰とは言わないが、名前が思い当たる人も少なくないであろう。

 この辺を間違うと「自民党という名前が悪い」という不思議な議論になる。
 名前は象徴であり、名前が悪いというものではない。
 この議論は、「戦争に負けたから日の丸・君が代は悪い」と言っている日教組と同じだ。
 この議論を見ていて、自民党に失望した人も少なくない。
 本来、野党に下野した時は、一つのチャンスなはずだ。
 今までの悪い「膿」を出すことができる。
 しかし、ここで膿を出してしまわないと、致命傷になる。

 この「致命傷」ということを、間違った議論でとらえた人が、まさに鳩山邦夫氏他、新党結成を言う人ではないか。
 国民は、自民党に失望したのではなく「改革できない自民党」つまり「次の政権を担える政党に脱皮できない国会議員」に失望したのだ。
 もちろん、彼らは短気な人であるし、変革を待てない人たちであろう。
 実質的に予算などで小沢民主党にしぼりあげられて、支持政党を変えてしまう人も少なくない。

 もともと、批判しかできない政党が、選挙技術と自民党の誹謗中傷で政権を獲った。
 しかし、それは政策で政権を獲ったわけではないので、長続きするはずがない。
 そのことを読めない人は、政治的な能力に欠けているのかもしれない。

 近視眼的な政治参加は、国を滅ぼす。明治時代、日露戦争に突入する日本は、様々なシュミレーションと様々な結末を想定していた。
 絶対に勝てるという信念だけでなく、勝つための戦略や長期的な政治、国際社会での位置づけをしっかりと認識して立てていた。
 今の政治家にはそのような長期的な信念を持った政治家がいない。

 さて、そろそろ自民党が支持を拡大できない理由について、大胆な推測をしてみよう。
 民主党の支持層は「反自民」であった。
 逆にいえば積極的に民主党の政策を支持したわけではない。
 しかし、次に自民党が支持を取り付けるのは「反民主」ではない。
 しっかりとした政策によって行わなければならない。
 しかし、自民党ではそれらの動きがあまり見えない。
 選挙があると、どうしてもそのほうに目が行ってしまい、腰を落ち着けて製s買うを研究する時間がない。

 そこで、手っ取り早いので、民主党批判をする。
 「野党になりきれていない」という感覚が、それを後押しする。
 しかし、「民主党批判」では当然に支持率が回復しない。
 ここが、つまり他党批判で支持率が回復しないのが55年体制の残渣だ。
 今こそ、自民党は、その政策をしっかりと打ち出さなければならない。
 「協議して」「会議して」などではない。
 まずはたたき台をしっかりと出し、政策ができない民主党に対して、政策集団自民党を打ち出すべきである。
 そうしなければ、単に批判合戦にしかならない。

 今回は、私の意見は少なかった。
 しかし、少ないところで、しっかりと主張したと思う。
 早く政策論議のできる政党政治に変わってほしい。

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民主党候補相次いで地方選で破れる

民主党候補相次いで地方選で破れる

 2月21日、長崎地方選挙と東京都町田市長選挙で、与党推薦候補が双方とも敗れるということになった。
 長崎県知事選では、前副知事(自民党・公明党公認)と農林水産省の元官僚(与党三党推薦)の候補との差は、九万票を超える差が付いた。

2月4日の石川議員ほか小沢幹事長の元秘書三名の逮捕以来、国民の民主党を見る目が変わっている。
 実際に、それらの内容が民主党の中に危機感を生んでいることは間違いがない。
 しかし、それだけではない。民主党の場合は「事件が起きた後の処理」に問題があるということが興味深い。
 自民党は、スキャンダルが多かった。
 しかし、スキャンダルが起きても、その後の処理が早かったことも挙げられる。
 ことに、若手や中堅の議員による突き上げは少なくない。
 それだけでなく、自由な議論が発生するために、平然と自民党内から辞任や退任論が出てくる。
 それらの分裂が党内の分裂のように見られることもあったが、実際のところ、それが自民党の自浄作用であった。

それに比べて、民主党の場合は、小沢支配と反執行部に対する人事的な制裁が強い。
 そのために、その圧力に屈して自由な議論ができない風土にある。
 その内容は、北朝鮮の政府のようで、反逆者はそれなりに大きな問題になる。
 一方で、民主党の執行部はそれらで「統制された意見」しか効かない。
 ちょうど会社の社長の周りをイエスマンばかりが取り巻いて、倒産するまでわからない状況と同じだ。
 そのような会社がどのような運命をたどるかは明らかであるが、民主党は政権をとっているから始末が悪い。
 結局イエスマンしかいない民主党幹事長は辞任もせず、逮捕され起訴された石川議員も言葉で謝罪しただけであった。
 民主党代表で主将の鳩山由紀夫も、それら「イエスマンに支配された意見」を支持するという、理性的な解決は行われなかった。
 これにより「民主党のイエスマン体質」が明らかになり、そのために国民の目線が「初めからなかった」ことが明らかになったのだ。

  その結果、今回の長崎知事選などが、民主党にとって敗北という結果が生まれた。
 その後の民主党の各首脳の発言を見てみよう。

民主党・石井一選対委員長は応援演説で
  「時代と逆行するような選択をされるのなら、民主党政権は長崎に対してそれなりの姿勢を示すべき」と語った。

  鳩山首相は首相官邸で記者団に、長崎県知事選での与党推薦候補の敗因に関し「政治とカネの問題があったことは厳粛に受け止めるべきだ。
 この問題で国民の理解をさらに求める努力は必要だ」と述べた。

小沢氏側近の輿石東参院議員会長からは“被害者意識”むき出しの発言が飛び出した。
 「知事選敗北でマスコミ、野党は『政治とカネ』で攻撃しているが、ぶれずに一致結束しよう」

  渡部恒三元衆院副議長は「選挙、選挙と言っていて負けちゃった」と小沢氏を皮肉り、
「あんな大差とは。国民が理解できるけじめをつけないと次の参院選は勝てない。潔白だと説明する機会は喜んで出るべきだ」

  小沢一郎幹事長は22日の会見で
「あのー、長崎県知事選挙につきましては、あー、かなりの大差で負けてしまいましたことは大変残念に思っております。
しかし、当初から申し上げておりますように、国政選挙と地方選挙ちゅうのは、基本的に有権者の意識も違いますし、
いろいろな意味で違っております。
ただ、私、いー、ま、総理のことは別にいたしまして私の自身の不徳の致すところで、いろいろ皆様にご迷惑かけたことについては、あー、
大変、申し訳なく思っておりますし、それが、えー、決してのプラスの要因に働いたはずはないんで、その点はそのようように思っておりますが、
今言ったように、地方選挙で、うーん、やっぱり、いー、どのような状況でも自民党に勝つようになるには、
それなりの、個々の議員もすべて足腰の強いものに、いわゆる有権者との信頼関係をより一層強めていかないと、
地方議員の数を見てもお分かりの通り、圧倒的にまだまだ自民党が多いわけですから。
そういう意味での草の根の、日常活動をもっと続けていって、地方の選挙でも、また、
どのような状況下にあっても、有権者の支持を得られるような、そういう政権党に、民主党になっていかなくてはならないと思っております」

   平野博文官房長官は22日午前の記者会見で、
長崎県知事選で与党推薦候補が敗れたことに関する鳩山由紀夫首相や小沢一郎民主党幹事長の「政治とカネ」の問題の影響について、
「少なからずそういう影響があったことは否定できない」と述べた。
 ただ、平野氏は「地方選挙なので、参院選と直接は大きくリンクしているとは思っていない。
 国政に直結することではない」とも語った。

 どれもなかなか興味深い。
 しかし、結局口で言っているだけで、何もしない。
 責任があるとか影響したといっても、やめるわけでも、謝罪するわけでもない。
 結局、適当に国民の「小沢批判ブーム」が過ぎるのを待っているだけだ。

  待っているということは何もしないということ。
 そのように停滞している間に、日本国は徐々に危機が迫っている。
 トヨタのアメリカ経済摩擦は他人事ではない。
 次はクロマグロや調査捕鯨だ。
 誰かの支援がなければ、三億もする船を海中に投棄できるはずがない。
 地上でデモ行進しているのとは訳が違うのだ。
 このほかにもバイオ燃料や石油、二酸化炭素排出、マラッカ海峡など摩擦のネタは豊富だ。
 その摩擦のネタが全て火を吹けば、貿易立国日本はあっと言う間に崩壊してしまう。
 崩壊は「政治」の場面ではない。経済の舞台で崩壊劇が繰り広げられる。
 その内容は、当然に通貨のIMF管理という事態になるが、そのIMFもリーマンショックで傷ついている。
 結局韓国やインドネシアの時と違い、今後の通貨危機に対する支援は難しいものとなっている。

 まだまだ、問題は山積みだ。
 トヨタリコール問題は、トヨタだけの問題ではない。
 狭く考えれば、トヨタの下請けや部品工場、工場などの周辺の商店も影響がある。
 それは、直接的な影響である。
 しかし、今回はそうはならない可能性がある。
 前回トヨタに関して記載したが、それ以降アメリカのトヨタを取り巻く環境は一変している。
 残念ながら、一つでは政治パフォーマンスと言われながらも、もう一面では日本バッシングになる。
 端的に言えば、日本製品は品質が良いという神話の崩壊だ。
 それと同時に、今回の事件がアメリカ工場で製造されたものとすれば、日本企業における海外工場での品質管理という問題になる。
 その品質管理を日本のスペックでできるようにする。
 これは中国製造の毒入り餃子事件から、日本人に突きつけられた課題だ。
 これらの課題がクリアできなければ、ソニーや松下、任天堂など、日本を代表するブランドで第二のトヨタ事件が発生しないとも限らない。
 念のため、今ここで挙げたソニー・松下・任天堂は、現在承認に問題があるわけではない。
 あくまでも日本を代表するブランドとして例示した。

 これら、海外と日本ブランドだけでなく、普天間問題もある。
 普天間に気を取られているが、給油中止後のアフガニスタンやイラク、ソマリア海賊など、世界レベルの問題は少なくない。

 まさに、政権にとって、国家レベルの問題は山積みである。
 それは経済や外交問題であり、また国防の問題だ。
 にもかかわらず、「小沢批判ブーム」が過ぎ去るのを待っている。
 時間のロスは、取り返しがつかない。

 にもかかわらず、時間が過ぎるのを待っている民主党は、本当に政権担当能力があるのか、疑問が残る。
 その国民の意識が、マスコミの報道に関わらず、形になったのが今回の選挙結果であろう。

 上記のコメントに有るとおり、国政と地方選挙は別だ。
 しかし、長崎県民も、町田市民も日本国民であることに変わりはない。
 政治的な内容や行政の課題は別でも、国民としての意識は近いものがあるのだろう。

 さて、このような内容を続けていても、おもしろくないであろう。
 そこで、この文章では、今回の敗因を勝手に推測する。

 第一に、政治とカネだ。
 政治とカネのスキャンダルだけではなく、そのスキャンダルの処理の方法に問題があったと思う。
 民主党政権は危機管理に弱い印象を与えた。
 まず、スキャンダルの数の多さだ。
 小沢・鳩山は代表格であるが、このほかにも少なくない。
 小林千代美北教組の問題も、熊本の後藤英友買収問題も、いずれも大きな問題だ。
 また、秘書給与事件も少なくない。
 今から考えれば、田中美恵子のポルノ出演は、それほど大きな問題ではなかったように見える。 
 あえて、田中美恵子議員をここで出したのは、スキャンダルが発覚した後の対応の悪さだ。
 田中美恵子議員の時は、松木副幹事長預かりとなった。
 そのことによって、田中議員本人は、マスコミの前から姿を消し、何のコメントも出さなくなった。
 田中議員だけではなく、民主党の新人議員全てが、国民の主権の代議員でありながら、国民の前で話さなくなったのである。
 このことは、鳩山脱税事件、小沢不動産事件、小林北教組選挙違反事件、後藤選挙買収事件、全てで共通する。
 結局、何も話さず、全てを隠蔽し、国民の目から遠ざけようとする。そして時間が過ぎるのを待って、ごまかす。
 野党時代であれば、それですんだのかもしれない。
 しかし、政権党となれば、当然に国民からの注目度は違う。
 注目度が違えば、それだけ記録に残ったものも少なくないし、人々の記憶も確かになる。 
 要するに、民主党政権は、事件が起きた後の対処方法がもっとも良くない。
 本来であれば、雨降って地固まる、のことわざの通り、事件が起きれば、逆に信頼を得られるチャンスだ。
 しかし、民主党は小沢、鳩山をおそれて何模できない。
 自民党と違い自由な意見が言えないのだ。
 そもそも、小沢がそれだけの力を持てたのも、これらの金銭の力である。
 要するに、小沢の疑惑で得た力が、巨大化し、民主党議員がひれ伏す構造だ。
 もっと言えば、政策もイデオロギーもなく、小沢以上の権力者が来れば、正しくなくてもしっぽを振ってついて行くと言うことである。
 そのような政治家を信用できるのか。
 それでも、少しは辞任やけじめの理論が出てくるかもしれないと期待した。
 しかし、その期待は見事に裏切られたのだ。
 要するに、悪い人について行って、正論を言えない人の集まりが民主党である。
 そういった印象を国民につけてしまった。
 その影響は、今後民主党の看板で立候補する人全てについて回ってしまう。
 また、民主党に投票する国民も、正論ではなくカネで転ぶ人という印象になってしまう。
 今回事件のけじめを付けなかったイメージ損失は、かなりの大きさである。
 政治とカネの問題が大きくこれら地方選挙に影響したとは、このようなことである。

 第二に、政策実行力だ。
 マニフェストといいながら、マニフェストが何も実行できていない。
 これは、首相の決断力の問題であろう。
 挙げ句の果てにマニフェストに書いていない政策をごり押しする。
 そこまでの権限を国民は寄託していない。
 そもそも、総選挙前から、民主党のマニフェストには批判が多かった。
 当然に、その最たるものが財源である。
 そのことは現在も全く変わっていない。
 自民党も、他の党も、色よい政策がした異であろうが、それを市内のは財源に制限があるからだ。
 事業を拡大するためには、当然に費用も多分にかかる。
 その財源がマニフェストに入ってしまい、実行できていないのだ。 
 当然に、財源ができない、ムダ削減で16兆8千億の財源捻出という公約は完全に違反していることになった。
 当然に、財源ができなければ、その分、政策を少なくするか、何らかの対処を決めなければならない。
 そして、それで国民の理解を得られなければ、当然に責任問題となる。
 そもそも、財源を確保できないという事は、それ時点でマニフェスト違反だ。
 国民を「無駄をなくせば」といってだました罪は重い。
 このことは当然に地方財政も直撃する。
 子供手当など、財源無くバラマキを行う。
 その財源を地方行政に押しつけるのでは、地方が反発するのは当たり前だ。
 選挙対策で業界団体を口説いても、地方組織が反発するのでは選挙に勝てるはずがない。
 当然に、地方行政や財政を気にする政治家も民主党の中には存在する。
 政策の実行に足並みがそろわなくなる。
 閣内不一致は、普天間問題ばかりではない。
 目玉政策の子供手当ですら、満額子宮とその財源を巡り、閣内不一致が続いているのだ。
 閣内不一致では、結局政策は実行できない。
 鳩山内閣では、当然に就任半年で見るべき政策が行われていない。
 結局国民を混乱の縁に落としただけだ。
 私は、民主党の闇という本の中で「批判政党では、結局何も生まれない」と書いたが、まさにその通りとなった。

 第三に、発言の軽さだ。
 発言が軽いと言うことは、結局政権が発する情報を国民が信用できないという事になる。
 もう少し進めば、現在の政権の信頼性がないという事だ。マニフェスト違反もこの中に含まれる。
 そもそも脱官僚を標榜しながら、官僚出身を知事選挙で推薦するのだから、始末に負えない。
 安易に「トラスト・ミー」といって、外交関係を完全に崩壊させてしまった。
 いまや日米同盟関係は、この問題とアフガンの問題で、風前の灯火となっている。
 日米同盟は、ただ単純に安全保障の問題ではない。
 ましてや、沖縄県民固有の問題でもない。
 問題解決のプロセスが完全に狂っていると言わざるを得ないが、本人は気づいていない。
 八方美人の発言は、当然に発言内容の軽さを生む。
 発言内容が軽いと言うことは、政治家にとっては致命的だ。
 失言で職を失った政治家が何人いるか。
 たとえば日教組発言で中山成彬議員が失職。
 これに比べて、日米関係を悪化させた失言は責任が重い。
 これが許されるのはなぜか。

 他でも何でも、閣僚、官房長官、そして首相の発言は軽い、発言が軽いと言うことは、それだけ信用がないという事だ。
 為政者の発言に信用がないという事は、政治がうまく行かないという事を意味する。
 なぜならば、政治は言葉で意思を伝えることにある。
 だから、言葉が信用できなければ、為政者の意志は国民に伝わらない。
 何かを行っていても、国民が評価をしないという事になる。
 そもそも、鳩山首相は、秘書の逮捕など個人的なこと、政治と関係ないところでも、国民に嘘を言っている。
 個人の事務所や家庭を制御できない人が、国の手綱を取れるはずがないのだ。
 鳩山首相だけでなく、他の大臣、内閣のメンバーもみな発言が軽い。
 これは国民をだましていると言われても仕方がないであろう。
 これは、鳩山首相が退任したとしても、今の民主党の人々の内閣全てに悪影響を及ぼすことになる。
 端的に言えば、民主党そのものが信用されなくなったということだ。
 これらの影響を受けて、地方選挙は負けが多くなってきている。
 結局のところ、北教組事件の小林議員の辞職の時期など、そんなところまで、影響が出るのだ。
 完全に国政、地方行政をゆがめてしまっている。
 これらは、イデオロギーの問題ではなく、主権者国民として早く是正されることを望む。

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