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2010年6月

参議院選挙の争点(4) 医療・年金制度

参議院選挙の争点(4) 医療・年金制度

 参議院選挙が近くなってきた。毎日様々な選挙戦を見かける。しかし、なんとなく、盛り上がりに欠けるような気がする。そんな感覚は私だけであろうか。
 いつもの選挙であれば、もっと、ニュース番組やワイドショーで選挙関連や政治関連のニュー氏をしていなければならないのではないか。しかし、なぜか今回は、「相撲界野球とばく事件」や「ワールドカップ決勝トーナメント進出」など、様々なニュースがある。また、実際、これらのニュースも興味がある。しかし、日本の将来がかかった参議院選挙に関連するニュースをもっとやってほしいものだ。
 この現象を見て、マスコミの横暴とか陰謀という人は少なくない。実際、そのように言われても仕方がない部分があると思う。しかし、実際、ワールドカップに関しては関心が高いことも事実だ。まあ、そもそも決勝トーナメントに進むと思っていた人は少なかったので、この選挙戦本番で、ここまでスポーツが盛り上がるとはわかっていなかったであろう。実際にG20の話を延々とやられてしまうよりも、よいのかもしれない。
 そのような状況下の中でも候補者はしっかりと自分の主張を訴えている。その中で、今回の争点は「医療、年金」である。

医療・年金

<民主党>
「消えた年金」問題に2011年度まで集中的に取り組む。月額7万円の最低保障年金。後期高齢者医療制度を廃止。診療報酬を引き上げ。医師数の1.5倍増。介護ヘルパーの給与を引き上げ。
<自民党>
年金の受給資格要件を10年に短縮。加入者すべてが基礎年金を満額受給。診療報酬の大幅引き上げ。介護報酬を大幅引き上げ。介護保険料の上昇を抑制。
<公明党>
低所得者の基礎年金加算制度を創設。受給資格期間を10年に短縮。高齢者医療で70-74歳の1割負担を継続。産科、小児科、麻酔科などの診療報酬を大幅増額。介護報酬を引き上げ。
<共産党>
年金の受給条件を10年に短縮。最低保障年金を創設。後期高齢者医療制度を廃止し、老人保健制度に戻す。診療報酬を抜本的に増額。介護労働者の賃上げ。
<国民新党>
年金制度一元化、税方式に転換するための年金国会を実現。医療保険制度を一元化。医療費負担の上限を20%に軽減。医師不足の地域や診療科の診療報酬体系や補助制度を充実。介護職員の待遇を改善。
<新党改革>
60歳以上で働く人にも年金を満額支給。医師数の増加、勤務環境の改善、看護師基礎教育の充実、無駄な医療費を見直し。介護士の努力を正しく評価。
<社民党>
単身で最低月8万円の年金を保障する制度を創設。後期高齢者医療制度を廃止。医師、看護師、介護職員の増員、待遇改善を進める。療養病床の削減とリハビリ日数制限を中止。
<たちあがれ日本>
基礎年金額の改善。年金保険料補てんの導入。非正規労働者への厚生年金適用を拡大。産科や小児科の医師不足解消、病院経営近代化を進める。介護報酬アップで介護労働者を増やす。
<みんなの党>
年金記録問題を2年以内に解消。基礎年金は給付水準を維持。将来的に年金制度を一元化。医療費を対GDP比10%超まで引き上げ。高齢者医療と介護保険を一体的に見直し。介護職員の待遇を継続的に改善。

 まずは年金。この年金に関してはもともと民主党の自民党攻撃の大きな材料であった。しかし、その旧戦法であった長妻厚生労働大臣が就任してから、なぜか年金のことを聞かなくなったような気がする。実際、年金に関しては、「消えた」という政府に対する不信感が大本であったと思うのであるが、その政府が入れ替わっても一考に解決する気配がない。現在の菅直人首相も、厚生大臣であった。その時代には、当然に「消えた年金」について知っていたはずである。しかし、菅直人厚生大臣は、そのことに手も触れなかったのだ。それで、野党になったら急に年金問題を攻撃材料にする。民主党は昔から自分のことを棚に上げるのが得意な政党であり、そのために、いつの間にか自分の発言が自分に返ってくる「ブーメラン政党」というありがたくないニックネームをつけられているが、実際、この年金問題もその中の一つである。ただ、そのような報道が少ないので、そのような声が上がらないだけではないのではないか。
 そのような観点から、「年金」という争点を見てみよう。
 民主党は、昨年の選挙と同じ。逆に言うと昨年の総選挙から「前進していない」という現状がそのまま表れたマニフェストになっている。長妻大臣、または民主党政権は9か月も年金問題を解決できずにいる。それでよいのであろうか。国民の審判が仰がれるところだ。
 同じく与党、国民新党も同じである。
 一方年金受給要件の短縮を打ち出したのは、「自民党」「公明党」「共産党」である。そのほかは年金の一元化などを言っているだけだ。
 年金問題は、「消えた年金」問題の解決ということと、将来どうするかということの二つの指針が必要である。しかし、ここに税方式の導入ということや、年金制度一元化ということを言い始めると、その分の採否が増えることになる。それらに関して、いかに財源を示せるかということになる。社会保障にはそれだけの歳入もしくは財源を当てなければならない。民主党は「社会保障で雇用を作る」と「第三の道」を標榜しているが、そのようなことが可能なのか、まさか「社会保障民営化」と「そこに補助金を多額投入」などという音をするのではあるまい。または全て国営化して、老人ホームなども全て国営、公営で、なおかつその職員も公務員として画一化するつもりではないかと考えてしまう。
 
 医療に関して言えば、まず、後期高齢者医療制度。これはなくなたものの、健康保険制度が破綻しかけているという認識である以上、その内容をどのように解決してゆくかということだ。結局は、「財源」の問題と、一方で医師の報酬の問題ということになる。
 その、後期高齢者医療制度であるが、制度における「年金天引き」問題は、厚生大臣であった菅直人の発想であると知っているであろうか。平成八年六月十二日の衆議院厚生委員会における、菅直人厚生大臣と、荒井聰議員(民主党)の質疑で菅直人自身が提唱したのだ。それを民主党の政権交代時に否定している。自分で言いだしたものを否定するのは民主党の得意技だが、菅直人はその権化ともいえる存在なのだ。
 その医療に関しては、「診療報酬」「介護」「地域医療(医師不足問題含む)」「救急医療の確立」というように、この問題は、画一化した争点にはなっていない。どの政党もバラ色の医療制度を言うが、実際、財源問題と合わせて語っているところの少なさが最大の問題ではないだろうか。
 また、選挙であるから、医師会などに「我慢」を求めることもない。
 医療制度に関しては、そもそも、その地域や街づくり、国家そのもののビジョンや国民の生活ということと、深く結び付いている。医療制度そのものは、社会にとっての大きな「インフラ」であると考えてよいのではないか。そのインフラに関して、恩恵を受ける対象が違えば、当然にその政策が変わってくる。医師会ということを関あげていれば、医療報酬ということになるし、地域医療ということを重視していれば地域の票田を意識しているということになろう。実際は、その政党のビジョンがどこにあるかであり、それが「ブレ」ていれば、話にならないのではないか。
 先ほど、あげた菅直人の「自分の提案を否定する」という行為は、まさに「国家や生活に対するインフラとしての医療制度の考え方がブレている」ということを意味しているのではないか。
 医療制度の争点に関しては、そこを争点とするのではなく、そもそも、その政党がどのような国家像で将来を関あげているのかということを試されている、根本的な部分ということが言えるのではないか。その観点で、この政策争点は見てみるという「目」が、有権者には必要である。もちろん、自分の生活や身の丈に合った考え方でよいが、逆に、マスコミの報道や雰囲気で、この問題を考えれば、医療という最も重要な「命」の部分で「ブレ」た政治しか返ってこなくなることを肝に銘じてほしい。

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参議院選挙の争点(3) 雇用政策

参議院選挙の争点(3) 雇用政策

 土日記載のブログ(要するに、日曜日と月曜日の記事)は、どうしても参議院選挙でないことを記載してしまった。一つは、メルマガの告知。一つは、マスコミ論ということで、なかなか、選挙と関係あるようでないような内容ばかりが並んでしまう。これだけを呼んでいると、どうしても参議院選挙ではないような気がするので、少し浮世離れをした気分になれるのも不思議だ。
 さて、平日になったので、参議院選挙に関する争点のまとめをしよう。
 今回は雇用政策である。

雇用政策。

<民主党>
「求職者支援制度」を法制化。非正規労働者や長期失業者へのマンツーマンの就職支援。新卒者採用企業への奨励金支給を強化。
<自民党>
職能別検定制度とジョブカードの活用で就業につながるマッチングシステムを確立。解雇規制を緩和。新卒者をトライアル雇用する企業への補助制度を創設。今後10年間で雇用者所得の5割増。
<公明党>
日雇い派遣労働を原則禁止。非正規を正規雇用した企業への奨励金拡充。最低賃金を引き上げ。新卒者への就活手当を創設。高齢者を雇用する事業所への税制優遇を検討。
<共産党>
期限のある雇用は合理的理由がある場合に限定。最低賃金を引き上げ。サービス残業の根絶。失業保険の給付期間を90-330日から180-540日程度に延長。
<国民新党>
若者就職基金を創設、職業訓練の充実と正規雇用転換奨励金の大幅拡充。日本郵政グループの非正規社員のうち6万5000人を正規に転換。
<新党改革>
失業した場合は他業種に移るのに必要な技術、職能を国の責任で再教育する積極労働政策。働く意志のあるすべての人が多様な働き方を選択できる社会の構築。
<社民党>
登録型派遣と製造業派遣を原則禁止。有期契約労働に歯止めを掛ける。解雇制限ルールの徹底。同一価値労働=同一賃金原則の確立。
<たちあがれ日本>
公務員の人件費を流用して雇用能力開発予算を拡大。10兆円規模の雇用移動円滑化基金で職種転換や地方への転職、正規雇用に助成。
<みんなの党>
すべての労働者に雇用保険を適用。同一労働同一待遇を確保。長期失業者などに職業訓練をしながら生活支援手当の支給。派遣禁止法案には反対。

 単純に言って、雇用政策に関しては、経済政策と同じで各企業の自由である。日本は共産主義経済でも社会主義国家でもないので、経済活動は自由だ。よって、雇用は経済活動の自由が適用される。
 一方で、雇用は、被雇用者の家族などの生活権などが問題とされる。失業ということに関しては、どうしても「職がない」ということで生活が成り立たなくなってしまうことが考えられるのである。
 雇用政策は、当然にこれらの調整という問題になるのではないだろうか。
 具体的には、経済活動における雇用の自由化と、一方で失業者を増やさないためのセーフティーネットという考え方の調和の問題ではないのか。必要以上に、政府が「雇用」を企業に押し付けても、今度は企業の経営が健全でなくなってしまう。一方で、企業のことばかり考えてしまっては、どうしても被雇用者の生活ということは二の次になってしまうのだ。雇用という場に「自由競争」の概念を持ち込むと、当然に、能力差による富の集中が出てきてしまう。もちろん「どんなことにも能力のない人」はいないと思うが、一方で、自分の能力や可能性を見つけられない人も少なくないのである。そのような人に対する転職支援なども、どうしても必要な雇用政策なのかもしれない。いずれにせよ自由主義経済下で経済活動は自由なのであるから、雇用に関する政策は、よほどのことがなければペナルティによる政策ではなく、奨励金や補助金行政になってしまう。政府、政権公約とする以上はその財源の問題まで考えなければならないであろう。(ここまでは私の個人の意見)

 さて、マニフェストに戻ろう。
 まず、この雇用の論点を、マニフェストから「経済の自由化」「セーフティーネット(期間従業員対策含む)」「若年層就職」の三つの論点に分類してみよう。

 「経済自由化」に関して言えば、民主党、社民党、みんなの党は、経済自由化に関しては公約の内容が記載されていない。共産党は、経済自由化とは逆行し、「最低賃金を引き上げ。サービス残業の根絶」という内容を記載し、公明党も「最低賃金の値上げ」を公約している。共産党を除き、「経済自由化」を尊重しないというわけではないと思うが、残念ながら経済の自由化と雇用ということの調整ができていないと判断せざるを得ない。『民主党は、「財政収支黒字化」をあげている。<中略>考えてほしい、国家が黒字化して、国民が得をするのか?それならば、財政収支が悪化しても(国債を発行しても)国民へのサービスを充実させるべきではないのだろうか。』と記載したが、財政黒字化をして、消費税を10%にあげながら、雇用に関して自由経済の減速を無視してしまえば、経済は完全に崩壊するであろう。「セーフティーネット」的な考え方は「求職者支援制度」を法制化という内容で何とかなっているのかもしれない。それよりも景気対策をしっかりと行い、景気回復による雇用の増進を図ったほうがどれほど社会のためになるのか。ましてや「新卒採用企業への奨励金支給の強化」とまたバラマキをやろうとしているのだ。さすがに、経済政策(財政・雇用を含む)をどう考えているのかは疑問である。同時に、これらを行うに当たっての財源をどのように考えているのか。日本国の財源もそんなに無尽蔵にあるわけではない。そこについて枝野幹事長は「政策をすべて実現するには消費税20%は必要」と言い出した始末。これではなんで10%に消費税を設定したのかもよくわからない(自民党のまねだけ?)
 さて、一方経済の自由化、要するに企業の裁量を考えているのは、このほかの政党。自民党に関しては、「マッチングシステムの確立」と「解雇規制を緩和」ということを挙げている。雇用に関しては、雇用関係その物の成立が必要であり、雇用関係は、雇用者、被雇用者の双方のマッチングであるということ。その中からの選択権を双方が持つというシステムであるから、その雇用その物に、「生活権」以上に長期間雇用という観点が含まれていると評価できるであろう。
 国民新党は、相変わらず郵政の問題である。逆に、郵政以外の内容が分かっているのか不明だ。たちあがれ日本は、「公務員改革」と「地方経済」に関連した雇用政策を打ち出している。これはこれで特徴的であるといえる。
 雇用を経済行為の一つと見る観点を失っては、雇用者がおかしくなってしまう。「被雇用者の生活権」ばかりを重視するようでは景気が悪化し、結局、雇用も維持できなくなるということを考えなければならないが、その観点がどの政党にあるのかは明確になるのではないか。

 「セーフティーネット」に関してである。これは全ての政党があげている。一昨年の「年越し派遣村」以来、もしくはリーマンショックによる自動車覇権従業員の解雇以来、派遣業に関する問題と、雇用の問題が非常に強く結び付けられている。そもそも、製造業の派遣や期間従業員は、雇用の流動化と生産調整による企業経営の健全化の観点から行われた。しかし、これが景気の悪化とともに「雇用調整の調整弁」となってしまったためにこのようになったということだ。もともと失業者を増加させるために、製造業派遣の制度になったのではないのである。
 では、「セーフティーネット」は、失業保険の充実と、再就職支援ということになるのではないだろうか。「給与無支給」の時の生活の保障と、一方で、再就職をいかにするかという問題の二つである。ことに、生活の保障は「生活保護制度」もあるので、それら他の制度との兼ね合いも、合わせて様々考えなければならないのではないだろうか。
 
 「若年者就職」に関しては民主党、自民党、公明党、国民新党の各党が記載。しかし、いずれも、その仕事に関してどうかということがなかなか書かれていない。残念ながら、これらの製s化うを作っている人々が、どうしても老年もしくは「実年」(最近聞かなくなた言葉です)という人々であり、また、若年時代の失業経験などがないのだから、困ったものだ。もっといえば、残念ながら、「政策になっていない」というよりは、彼らのことを分かった内容になていない。要するに、世代間での理解ができていないで政策を作るので、政策になっていないというのが本音のところであろう。実際、「新人類」と私たちは言われたが、その「新人類」も理解できないのが現在の大学生や若年ニート世代である。そのあたりの世代をどのように理解するのかということは、一つの大きな課題になるのではないだろうか。雇用とは直接かかわりがないかもしれないが、「インターネット選挙」などの考え方にも同じような内容が様々出てくる状況であるといえる。

 このように、雇用政策に関しては、景気対策と同じ、どうしても経済自由化と雇用という、二律背反の切り口が存在するのだ。その内容に関して、どのように考えなければならないのか。そして、どのよに調整しなければならないのか、ということが最も重要な内容である。そのことの調整ができなければ、政権党としていかがなものか(民主党という意味ではなく、政権公約なのだから、その政党も政権を獲る可能性があるという意味です)。ことに「若年層就職」の論点からいえば、どの党もその世代の理解をできていないのではないかと考えてしまうのだ。
 とくに、民主党。与党政権党であるだけに、それらは非常に重要である。しかし、残念ながら労働組合の後ろ盾が非常に大きいので、経済の自由化や若年層の理解というところまでなかなか手が回らなかった感が否めない。これでは、雇用と、景気対策が両立できないのではないか。
 菅直人首相はG20に行っても、「社会保障と雇用、景気対策の両立」ということを言っているが、残念ながら、社会保障に関して言えば、社会保障をされる側の財布は、国、地方自治体を合わせた「政府」か、もしくは「被社会保障者個人」のどちらかである。個人は金がないので、保障が必要だということを考えれば「政府」しか財源がない。要するに、政府が保障し、金を出しながら、雇用を維持するということにしかならないのではないか。そのような「第三の道」つまり、社会保障国営企業化政策(私の造語です)ということになり、それが増税につながり、かえって経済が縮小するように見えてしまう。そのような雇用政策でよいのか。そのことを考えなければならない。

 毎回同じようになってきてしまうが、雇用政策も雇用政策だけで見るのではなく、このように他の政策を合わせて「実現の可能性」「将来の日本の姿」を想定しなければならないのではないだろうか。
 この争点も、参議院選挙の重要な争点であるといえる。

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マスコミ批判に対する一考 (2) マスコミの画策する勧善懲悪

マスコミ批判に対する一考 (2) マスコミの画策する勧善懲悪

 日曜日は、このマスコミ論を書き続けようと思う。参議院の装填を書いているばかりでは、やはり視野が狭くなってしまう。そう思いながらも、なんとなく、そちらの方に気が行っててしまうのは、どうしようもないことなのかもしれない。
 でも、とりあえず、ここではマスコミの考えてることをあえて書いてみたい。参議院選挙でも、マスコミの報道はやはり非常に大きな影響力を残すからだ。

 まず、前回は「マスコミ」は「ジャーナリズムではない」ということを書いた。その理由は「マスコミ」が「営利企業であるから」ということに他ならない。

 では、今回は、そのマスコミの正体をもう少し見てみよう。ただ、今回はマスコミといっても「テレビ」に焦点を絞りたい。テレビそのものは、私の得意分野ではない。私自身は、テレビ局勤務の経験はないのだ。しかし、マスコミにいるということで、テレビ局の人と話をする機会は少なくない。しかし、新聞などの「紙媒体」と違って、自分の意見がやはりどうしても第三者的になってしまう。あらかじめそこはご了承願いたい。

 まず、テレビは「勧善懲悪」が好きだ。テレビメディアは、どうしても画像が必要である。画像なしで音声だけということや、紙媒体のような文字情報ではなく、画像が必要なのである。動画その物がなければ、どんなに良い記事、必要なものであっても、ほうどうをすることができないのが、現状だ。だから、たとえば、人の心の中の動きなどは、どうしても画像にはしにくいのである。
 そうすると、単純に言って、発生した現象などがテレビメディアの中心になり、あとは、インタビューなど人、それも有名人、テレビで誰が見てもわかる人が話している姿を出すということになる。
 その時に、最も簡単な構図が「勧善懲悪」である。
 テレビにおける、情報の操作といわれる現象、実際は、「情報操作」ではなく「印象操作」なのであるが、それは「勧善懲悪」という対立の構図を作り上げるための「印象」でしかない。自民党の郵政選挙の時は、自民党の小泉内閣が「正義」で、守旧派が「悪」という作られ方をした。次の総選挙は、政権交代をする民主党を「善」、自民党を「悪」とした。はなはだ迷惑な「印象操作」であるが、実際行われたものだ。たとえば、選挙前から田中美恵子のAV出演疑惑は明らかであったはずだ。しかし、「民主党を善」とする印象操作のために、それらマイナス情報を「報道しなかった」ということになる。もちろん、「取材中」であるとか、「ヌードは放送コードにかかる」など様々な「正当な理由」で報道しなかったと思えるが、逆にこれらの言い訳があっても、「マスコミは信用できない」という印象に傾いてきてしまうのである。
 政治の政界から少し離れて、日本人の最も好きな番組は何だろうか。「ニュース」という人は意外と少ない。「ニュース」は好きな番組ではなく必要な番組なのだ。同じ理由で天気予報などもそうだ。もちろん、お天気お姉さんのファンなどは除く。
 さて、日本人が最も好きな番組は「水戸黄門」である。最も長寿番組で、最も日本人が好きな番組だ。何よりも安心してみていられる。そのうえ勧善懲悪だ。「正義は勝つ」という、実社会ではありえない内容も、テレビの世界では、いとも簡単に「脚本通り」行われるのである。実社会では、「強いほうが勝つ」のであって、「正義が勝つ」のではない。また、実際「水戸黄門があそこまで善人であった、もしくは正義の味方であったか」と言われれば、そこもはなはだ疑問だ。そもそも、徳川光圀は、伊勢参りに行っただけで、諸国漫遊はしていないというのが歴史の真実だ。「水戸黄門」は泰平が長く続いた江戸時代の創作であり、また、太平、平和が長く続いた昭和、平成の名作長寿番組という創作なのである。では、その「歴史と関係ない創作」が、なぜそんなに長く続いたのか。それは簡単である。「勧善懲悪を国民が好きだから」である。
 マスコミは、このような勧善懲悪が大好きだ。勧善懲悪が大好きというよりは、単純な国民への視聴率しか気にしていないといった方が良い。単純な対立軸を設定し、一方を悪人に仕立て上げ、さもマスコミ自身が正義の味方のように「無責任に」騒ぎ立てる。これが、デマゴーグの始まりである。複雑な対立や難しい政策は「視聴率が取れない」ので何も触れない。まさに、役者の「悪役商会」よろしく、政治家の悪人面を並べて悪役に仕立て上げるのだ。
 そのマスコミの「単純対立化作業」にうまく乗って、民主党は政権交代を果たしたのである。逆に、「単純対立」の演出でしかなかったために、民主党は、どうしてもそこから先の政策が何もないということになる。マニフェストなどといっても、全く政策になっていない。政策になっていないというよりも、「絵空事」という話に近い。どちらかというと「詐欺師の描くバラ色の将来」のような夢想に近いものだ。なぜそうなるのかといえば、一つの政策を行うのにも、多くの関係者がある。それにもかかわらず、一方的な立場からしかものを見ずに、政策を立てるのであるから、調整できない状況になる。鳩山政権時の普天間移転問題などはまさにそのよい例だ。沖縄県民の立場からだけ物を言っていたら、アメリカ、東アジアの抑止力、シーレーン防衛など、様々な調整項目が出てきた。結局、国際的に最も恥ずかしい思いを日本人に強いた形になったのだ。
 それでも、「印象操作」をしている。今も「民主党を擁護している」かのごとき番組編成をおこない、そして、報道をしない状況を続けているのである。しかし、それでもそれが国民が求めていると感じているのである。
 そして、これらの「印象操作」は番組の編成から組まれていることに気づいているだろうか。これが最も大きなものは、TBSとテレビ朝日であろう。(他もやっているが)。TBSはここに記載した「水戸黄門」の放送テレビ局だ。このテレビ局は、昼にワイドショーをした後、主婦が夕飯の用意をする夕方の時間帯に「水戸黄門」の再放送を流すのだ。まさにワイドショーで流した「善悪の印象操作」を、ドラマで退官させるかのごとき、「水戸黄門」の放送である。テレビ朝日は、同じく「暴れん坊将軍」である。昼の時間帯にこれを流す意図は、ただ単に視聴率が取れるというだけではない。そもそも、「水戸黄門」「暴れん坊将軍」の時間帯は、主婦が中心の時間帯だ。その時間帯に、ワイドショーの前後に、これら「勧善懲悪」を流すのは、何らかの意図があると考える方が良いのではないか。それも、何回も繰り返しである。たまに「水戸黄門」の放送が終わっても、「大岡越前」が、「暴れん坊将軍」が終わっても「遠山の金さん」などが行われる。
 そのような番組編成権も「放送しない自由」と同じようにテレビ局にあるのだ。これらは雑誌や新聞にはなかなかできない芸当である。
 ネットユーザーはこれらのことを「情報操作」というが、番組編成や時代劇ドラマの放送を「情報操作」というのは、批判の方法が大きく違う。実際は「印象操作」でしかなく、それも「国民(視聴者)が望んでいるから」という「営利目的」で行っているのだ。
 私は、国民などの「自民党が悪い」というアレルギーのことを「水戸黄門現象」という。悪代官も家族があり慕っている人がいる。それは小沢一郎に対してもそうだし、ルーピーでも同じだ。それは、なんらかよいところがある(もしくはあった)からそれら慕っている人がいるはずだ。にもかかわらず、それらを単純に印象で「悪」としてしまうのは「水戸黄門の勧善懲悪とおなじ」と考えている。印象操作合戦になれば、ネットが不利なのは言うまでもない。ネットの情報はどうしても「時代劇」「ドラマ」がないからだ。要するに政治に興味がなく、時代劇に興味のある人に、政治的な印象操作をネットユーザーは伝える手段を持っていないのだ。
 さて、では、この印象操作に対抗するのはどうしたらよいのか。はっきり言って有効な手段はあまり見つかっていない。スポンサーなどに行ったところで、あまり大きな解決にはならないであろう。結局「口コミ」など、ほかの方法以外にはない。このような論文が広まればよいが…。このような「マスコミ」ことにテレビ局の内情をよく知った上で、相手が言い訳をできない批判をすること。そして、これをネットだけでなく広く広めること。これが重要なのではないか。ネット世界から飛び出さないと、解決しないも台は少なくないのかもしれない。

 毎回、日曜日の文章なので、なかなか良いことが書けないし、いつも取りとめのない文章になってしまう。いつか、これをまとめられたらよいと考えているが実際は、どうなのであろうか。とりあえずもうしばらく毎週日曜日の文書(要するに月曜日朝のブログ)はこの形式でお付き合いください。
 

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 劇場型、内部対立選挙の再来と失敗<メルマガの予告です>

 劇場型、内部対立選挙の再来と失敗

<メルマガの予告です>

 菅直人首相が誕生して、というよりは、民主党政権が誕生して初めての国政選挙になった。この選挙が実質的に、民主党政権の第一回目の信任選挙であるといえる。
 菅直人首相は、「54議席(改選議席)で信任されたとする」とした。これが勝敗ラインとの認識を示したのだ。しかし、「54議席を下回っても辞任のつもりはない」と勝敗ラインを設定しながら敗北の責任を取らないという、常に責任の中途半端な内容になってきているのである。
 さて、菅直人首相がここまで弱気なのは、理由がある。実際のところ、鳩山前首相辞任時の内閣支持率は18%。これに対して、菅直人首相が誕生した時の内閣支持率は66%であった。当然に、その支持率を背景にして、早く選挙に持ち込みたいということで、当初三党合意にもあった郵政民営化廃止法案の審議、決議を見送り、6月16日の会期末通りに、国会を閉会した。このことによって、国民新党の亀井静香金融、郵政化企画担当大臣は、国民新党と、民主党の連立を維持しながらも、自らは大臣を辞任した。亀井大臣の代わりに自見庄三郎国民新党幹事長が大臣の後任に就任した。さすがは亀井静香。なかなかうまい喧嘩をしたものである。連立を維持し、政権に足跡を残しながら、自らはけじめをつけ、身を引いた。菅直人首相を外部から監視する立場で、公然と批判できる立場に身を置いたのだ。
 しかし、この喧嘩で菅直人は、「そこまで選挙に固執したのか」という印象を国民に与えた。そのうえ唐突に出てきた消費税増税である。突然10%という数字が出てきて、そのうえ、「自民党の数字を参考にさせてもらった」では話にならない。政策がまた口がう野党の「数字だけ参考にする」などという話が通るはずがないのだ。
 そこまでの失政をしながらも66%あった支持率は、1週間で56%まで下がった。1週間で10%の下落は、なかなか大きな下落だ。当然に、参議院選挙に関して「現状維持を危ぶむ」という弱気な選挙にならざるを得ない。
 しかし、逆な見方をする。片方で、もともと三党連立が社民党が離脱、国民新党も半分足を外しかけている状態だ。また、選挙前に増税を打ち出し、挙句の果てに野党自民党のまねをするという暴挙を発表した。マニフェストに書いていない増税論を、記者会見で公約と表現した。これだけで、もっと支持率が落ちてもよいはずである。にもかかわらず、この支持率が「10%しか落ちなかった」のはなぜであろうか。
 今回は「10%しか落ちなかった」という観点で、民主党の選挙戦略と、そして社会現象を見てみることにしよう。

この続きは、無料メルマガでお楽しみください。

國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)
発行システム:『まぐまぐ!』
http://www.mag2.com/

よろしくお願いします。

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2010年夏、参議院選挙の争点(2) 税制・消費税

2010年夏、参議院選挙の争点(2) 税制・消費税

 さて、参議院銀選挙の争点(2)として、行財政税制に関する内容である。早速各党のマニフェストを見てみよう。

<民主党>
消費税を含む税制抜本改革の協議を超党派で開始。法人税率は簡素化を前提に引き下げ。2020年度までに基礎的財政収支を黒字化。
<自民党>
消費税は当面10%に引き上げ。食料品の複数税率など低所得者対策も講じる。法人税率を20%台に引き下げ。
<公明党>
消費税を含む税制抜本改革を行うが、単なる財政再建のための増税はしない。財政健全化法(仮称)で国と地方を黒字化。
<共産党>
消費税の増税は許さない。所得税の最高税率を50%に戻す。資本金10億円以上の大企業の法人税を段階的に引き上げ。
<国民新党>
経済成長による税収増で財政健全化。国費と郵貯、かんぽ資金を財源とした大型プロジェクトを策定。無利子非課税国債と剰余金や積立金が財源。
<新党改革>
2020年ごろには消費税率を10%以上にする必要があるが、その場合は複数税率を導入。法人税率を25%に引き下げ。一律目標を設定した予算削減を実施。
<社民党>
消費税率は引き上げず、飲食料品分は実質非課税。給付付き税額控除を検討。法人税の課税ベースを拡大。資産課税を強化。
<たちあがれ日本>
消費税を社会保障目的税化し、2012年度から3%アップ。法人税率を10%引き下げ。一時的な景気対策は剰余金、無利子非課税国債などで調達。
<みんなの党>
今後3年間は増税しない。法人税を実効税率ベースで20%台に引き下げ。剰余金や積立金、国有財産の売却などで30兆円をねん出。

 消費税増税賛成は、「民主党」「自民党」「新党改革」「たちあがれ日本」。「公明党」も一部容認と考えられる。反対派は「共産党」「国民新党」「社民党」「みんなの党」といったところ。
 消費税増税は、その増税そのものの問題ではなく「なぜ増税が必要なのか」という問題に帰着する。逆に、理由が正当な場合、消費税増税反対派の政党は、その正当な理由をどのように増税なしでクリアに解決するのかの手腕が問われることになるのだ。
 民主党は、「財政収支黒字化」をあげている。しかし、そもそも「国家予算の黒字化」とはどのようなことであろうか。黒字にするのであれば減税すればよい。必要のないものを国民から徴収するという発想がこのマニフェストに書いてあることに違和感はないのか。考えてほしい、国家が黒字化して、国民が得をするのか?それならば、財政収支が悪化しても(国債を発行しても)国民へのサービスを充実させるべきではないのだろうか。
 民主党はもうひとつ、財政収支そのものの問題に絡め、2009年総選挙の公約である「無駄削減と予算組み替えで恒久財源16.8兆円」という公約があったはずだ。(私の記憶では1番目にこれが入っていたと記憶している)この公約とあわせて、「4年間は消費税はあげない」という公約もしていたと記憶している。この公約を「いとも簡単に破棄する」理由の説明が全くなっていない。民主党政権は「嘘」「欺瞞」のマニフェストといわれても仕方がない。そもそも「政権公約」は「公約」なんだから、その約束は果たさなければならないのではないだろうか。それができないのであれば、はじめからそのような公約はしなければよい。
 民主党は、このような公約を掲げる前に、まずは、2009年のマニフェストの総括と、その公約が実現できなかったな言うように関しての釈明、国民への説明をすべきである。
 そもそも、民主党の政策に関しては「子供手当」「農家戸別補償」「高校無償化」などによって、肥大したバラマキ政策が原因である。その肥大したバラマキ政策の検証も何もなく、ただ単に増税を言い出す、その公約を支持することはなかなか難しいであろう。

 政権与党なので、民主党に関して簡単に記載した。さて、では、もう一つの政権与党である<国民新党>はどうであろうか。
 国民新党は「経済成長による税収増で財政健全化」という政策を出している。では、昨日の内容から、その「経済成長戦略」を復習してみよう。「総額100兆円の経済対策で名目5%以上の経済成長を実現。中小企業に対する投資減税制度を創設。中小企業、個人向け無担保融資を創設。」要するに「100兆円の財源を必要とする」「中小企業投資減税」「中小企業、個人向け無担保融資」が柱だ。しかし、その「100兆円の財源」がどこにあるのかはどこにも書いていない。郵政を国に戻したところで、その資金を全て合わせても100兆円は存在しないし、日本の昨年の歳入は40兆円に届いていないのだ。要するに、歳入の3倍もの資金をどこからか調達し、その資金を市場に投入し、または投資減税や無担保う融資を行うというものだ。
 なかなか奇想天外な話であるが、私には「卵が先か、鶏が先か」という話にしか見えない。「経済成長により税の増収」「経済成長のために100兆円投資」という話が同時進行でできるはずがないのではないか。では、具体的にどうするつもりなのか。まったくわからない。「国費と郵貯、かんぽ資金を財源とした大型プロジェクトを策定。無利子非課税国債と剰余金や積立金が財源。」と記載があるが、それで100兆円もの資金があるのであれば、他のことに使うとか、何かないのか。そもそも「郵貯」「簡保資金」は国民の資金であり、政府の財源というものではない。郵政民営化反対は、このような資金源として使うためでしかないという発想なのであろうか。国民新党の経済財政政策の根本の問題にも波及する問題ではないのか。
 一つ言えることは、「消費税増税」ということに関して「閣内不一致がまた発生した」ということである。民主党中心の連立内閣では、閣内不一致ということは「日常茶飯事」であって、とくに珍しいことではなくなってしまった。しかし、その内容は実際は国民にそれだけ政治的な空白を作り出すことであり、行政府の意思が一致していないという話なのだ。消費税増税に関しても、どうしてそのような話が出てきたのか。その理由の説明がなければ誰も賛同はできないであろう。実際のところ、唐突に出てきた消費税増税論は、民主党のマニフェストには記載はない。閣内不一致だけではなく、小沢一郎前幹事長も公然と菅直人首相を批判するという、民主党内の分裂もある。「与党内不一致」の状態を菅政権はどのように説明するのか。身内を説得できないのに、国民を説得できるという考え方には、いささか無理を感じる、というよりは「傲慢さ」を感じるのは気のせいだろうか。

 さて、一方で野党各党である。
 消費税増税賛成派に関して言えば、結局のところ、財政規律に従った国債発行残高の減少ということになる。ただし、その考え方は、いずれも「直間比率の変更」もしくは「税制全体の見直し」ということが挙げられている。自民党に関して言えば、景気対策も法人税の優遇や、企業の地方移転促進など地域発展型の景気対策と連動した税制改革になっているところが特徴であろう。たちああれ日本に関しても段階的な消費税アップと無利子国債などによる調達を発想している。景気対策と税制改革が連動した形だ。
 基本的に、景気対策と税制改革が一致していることで、理解はしやすい。問題は「消費税増税」ばかりがクローズアップされる問題であろう。実際、トータルで、社会全体がどうなるのかという考え方が必要なのではないか。その考え方をせずに「家計」という矮小化した内容をことさらに報道するのでは問題である。少なくとも、景気対策と税制を分けて考えるよりは、より良い案なのではないか。

 逆に、社民党・共産党に関して言えば、「資本金10億円以上の大企業の法人税を段階的に引き上げ。」(共産党)「法人税の課税ベースを拡大。資産課税を強化。」(社民党)というように、一般国民の消費税の代わりに法人税税率のアップという形をとって、税収に充てるという感覚を持っているようである。このようにした場合に、景気対策の争点に関しても同じことを言ったが、企業の負担が大きくなれば、それだけ雇用が少なくなるということができる。企業の税負担などが大きくなれば、当然に、人件費が大きくなるのであるから、そうなるのは当然だ。企業の税負担を大きくしながら、雇用を守ることが可能なのかということを考えなければならない。企業にとっては「雇用」は「人件費」である。当然に「効率化されるべき経費項目」であることに間違いがない。しかし、少なくとも両党に関しては、雇用という問題と法人税という問題ということは、企業内で経費項目ということで一致するという考え方はないのかもしれない。それでよいのかどうかは国民の判断すべきことである。
 
 税制に関しては、国民の生活にとっては、非常に重要な部分であることはよくわかる。しかし、実際の問題として、「自分の所属している集団」ということ全体を考えなければならない。そのように考えた場合「家族」という家計の問題だけでなく、「企業」という視点や「国家」という視点がなければならないのではないだろうか。その意味では、「景気対策」や「雇用」といった問題と、「税制」は関連付けて考えなければならないことである。しかし、私もそうであるが、マスコミの論調は、どうしても個別論点主義になってしまうのである。ここではなるべくそうならないように配慮したつもりであるが、厳密にたれば長くなりすぎてしまう。読むのに大変だ(昔のここのブログのようになってしまう)。だから、結局個別論点的な書き方になってしまい、「論理的な矛盾」を見逃してしまう場合が少なくない。矛盾の指摘は、本来政党がしっかりと説明していただかなければならないが、演説なども個別論点で行う上、なかなか質疑応答まではないので、難しいところだ。そもそも「政権公約」を「政権を取らない政党」が出す必要があるのかということも議論の一つだ。「確かな野党」と初めから野党を標榜している政党が、なぜ「政権公約」を出すのかは、はなはだ疑問であるが、そのようなことを言い始めるとこの文章は終わらなくなってしまう。
 家族、家計が重要なのは十分に承知しているが、それだけでなく企業、雇用という観点や国家、景気という観点を持って、このマニフェストを比較できるのか。国民は試されている。逆に、どの政党とは言わないが、そこでつじつまが合わない政党は、(個人の感覚によって異なるが)、そのような比較ができない国民であると、当初から騙すもしくはバカにした目で国民を見ているとしか思えない。そのうえ説明が少ないのでは話にならないのではないか。

 何をもって信用するのか。そのことを考えながら参議院選挙の投票を行ってもらいたい。

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2010年夏、参議院選挙の争点(1) 経済政策

2010年夏、参議院選挙の争点(1) 経済政策

 本日、参議院選挙の立候補の受付が行われ公示された440名近い、立候補者政党9党がしのぎを削る選挙になったのである。最終的には、「昨年行われた政権交代はこれで正しかったのか」ということが、争点になるのである。しかし、1年しかたっていない民主党政権をその実績だけで測ることはできないのではないか。また、政治は今後のことを考えなければならないという前提もある。それらの考え方から、今回も、恒例の選挙の争点を連載で行おうと思う。
 まず、第一に選挙の争点に関しては、核政策項目におけるマニフェストの比較を見ることにしよう。今回は「経済政策」である。このマニフェストの内容に関しては、比較的よくまとまっている「Yahoo参議院選挙」の「マニフェスト比較」をそのまま借用することにする。これを見たうえで、話を進めてみたい。もちろん、必要に応じて各政党の本文をここに引用するが、それを引用していると、文章の量が膨大になってしまうので、今回はこのまとめを使うことにする。
 なお、選挙戦略に関しては、メルマガに記載するつもりである。
 では、早速、マニフェストの比較から。

「経済政策に関するマニフェスト比較」(ヤフー参議院選挙マニフェスト比較より)
<民主党>
2020年までの平均で名目3%超、実質2%超の経済成長を達成。再生可能エネルギー全量買取、エコカー、エコ住宅などグリーン・イノベーションを推進。
<自民党>
名目4%の経済成長を目指し、下限がゼロを超える物価目標を設定。企業の地方移転促進のため、法人事業税優遇、固定資産税を減免。
<公明党>
実質2%程度、名目3-4%程度の経済成長を達成。政府と日銀による定期協議機関を設け、3年を目途に1-2%程度の物価水準を達成。
<共産党>
家計と内需主導の経済成長。中小企業の適正な利益を確保するため大企業との公正な取り引きを保障。中小企業予算を1兆円にし、経営支援を強化。
<国民新党>
総額100兆円の経済対策で名目5%以上の経済成長を実現。中小企業に対する投資減税制度を創設。中小企業、個人向け無担保融資を創設。
<新党改革>
インフレ・ターゲットによる緩やかなインフレで経済成長を達成。輸出産業には金融政策による円高、デフレ対策。成長産業には技術開発支援。
<社民党>
景気を良くして税収増。中小企業予算を4000億円に倍増。中小企業金融円滑化法で、健全な地域金融機関を育成。
<たちあがれ日本>
官民連携で輸出入のGDP比倍増を目指す。民間貸出の年10%増加など数値目標を掲げ、政府と日銀一体でリスク投資を支援。
<みんなの党>
名目4%以上の経済成長により、10年間で所得を5割アップ。産業構造を高付加価値型へ転換。流通、教育、福祉、農業、食品などの輸出で海外市場を内需化。

さて、景気が良くなることに関しては、どの党も肯定する。不景気になるということを肯定する政党などはあるはずがない。また、成長率の数字に関しては、そんなもの今後の状況でいくらでも変わるので当てにはならない。リーマンショックのような、外的(外国)要因があれば、いくらでも変わってしまう。基本的に、国際社会の中で日本経済が成り立っており、その為替や貿易収支があれば、当然にその内容に関して変わってくるのは当然だ。
 ただし、この成長率の表現が問題である。「達成」「実現」など、団提携で記載したのが「民主党」「公明党」「国民新党」であり、「目指す」と目標として記載したのが「自民党」「たちあがれ日本」「みんなの党」。そもそも数字をあげずに経済成長とのみ書いたのが「共産党」「新党改革」「社民党(税収をよくしてとしか記載がない)」である。
 私が考えるところ、上記のように外的要因によって数字は左右されるのにかかわらず、断定する表現をつのはどうか。このような表現を使うのは、有権者に力強い印象を与えるかもしれないが、一方で、日本の経済が日本の中だけで成立しているかのごとき、印象を与えてしまい「経済音痴」の感覚が出てきてしまう。実際に菅直人首相に関しては「経済音痴の財務大臣」として有名になってしまったので、このようあ一つの表現でもそのないよが出てきてしまう。財務大臣経験者の多い自民党、政界きっての経済財政通与謝野馨ようする立ち上がれ日本、元大蔵大臣の息子が代表を務めるみんなの党が、表現に慎重なのは、それだけ、日本経済の本質を知っており、同時に日本国民に真摯な態度であるということではないだろうか。
 
 さて、次に、経済成長の手段である。
<民主党>グリーンイノベーション
<自民党>物価目標を設定。企業の地方移転促進のため、法人事業税優遇、固定資産税を減免。
<公明党>3年を目途に1-2%程度の物価水準
<共産党>中小企業予算を1兆円にし、経営支援
<国民新党>中小企業に対する投資減税制度を創設。中小企業、個人向け無担保融資を創設。
<新党改革>成長産業には技術開発支援
<社民党>中小企業金融円滑化法で、健全な地域金融機関を育成。
<たちあがれ>政府と日銀一体でリスク投資を支援。
<みんなの党>流通、教育、福祉、農業、食品などの輸出で海外市場を内需化。
 どうであろうか、まず物価ということでデフレ解消を明確に打ち出したのが、自民党と新党改革である。一方で、中小企業支援を打ち出したのが共産党、国民新党、社民党。新技術開発が民主党と新党改革、みんなの党は輸出強化という話だ。
 さて、新技術開発というこてゃ、それだけ企業会計の中において、開発投資が多くなるということを言っている。簡単にいれば単年度赤字を容認する話でなければ、そのようにはならない。中小企業や大企業にとっても、新規開発投資は非常に大きな問題であり、企業にとっては、一つの大きな賭けになる。開発投資は、その投資が生きるかどうか、そして同じような開発を他がしていて、「1番」になれるかどうかが大きな問題になる。この中において、事業仕分けで技術や学術研究の予算を思う存分カットしてしまった現状において、通用するのかどうか。これは非常に大きな問題である。無駄のカットはよいが「必要な治技術投資」に対するカットまでしてしまった事業仕分けは、それだけ、これら企業の新規技術開発の妨げになっているということを民主党は考えるべきではないのか。
 その意味で、「事業仕分け」と「企業における新規技術開発」がリンクして考えられるような話がなければならない。
 そのうえで消費税の論議だ。民主党の議論をこのままここに箇条書きであげれば
・ 事業仕分けで新規技術開発に関しては国家予算は使わない
・ 民間におけるグリーンイノベーション(新規技術開発)
・ 新規技術開発などの取引における消費税増税
・ 名目3~4%成長達成
 冷静に考えてあり得ない。片方で、景気を下げ、成長をさせないように予算を緊縮し、市場に流通する資金を少なくする(事業仕分け、消費税増税)をしながら、片方で、新規技術、名目成長3~4%など、なかなか難しいであろう。実際、事業仕分けで無駄を削減と板っところで、景気は悪くなる。景気を良くするのは「ムダ」からであり、その「ムダ」があるから、無駄の部分を余分に使うことで、成長が見込まれる。緊縮財政から景気回復はあり得ないのだ。バブルの時を考えてみれば、無駄だらけではかったか。
 森鴎外の「芋粥」の話ではないが、実際に「芋粥」を食べることができるようになれば、「芋粥」が恋しくなくなる。「芋粥」を食べなくても、生活はできていたが、「芋粥」を食べれるようになると、それが無駄、贅沢とは思わなくなる。この「芋粥が食べられる状態」が「成長」ではないだろうか。(森鴎外はそのようあ経済のためにこの小説を書いたのではないことは承知している)
 民主党の政策は、他でも同じであるが、一つ一つはいいことを言っていても、ほかの項目を合わせると、とても認められるものではないし、実質的には不可能なものが多い。これで「マニフェスト(政権公約)」と言っているのが滑稽であるといわざるをえない。テレビ番組などで、消費税を福祉に回して雇用創出などと言っているが、消費税の徴収時期(確定申告時)と、雇用創出時期のタイムラグも考えていない話である。まったくもって、これで日本国民を惑わさないでほしい。机上の空論は、聞いている耳触りが良くても実行力がなく、結局うまくいかない「空白の時間」を作ってしまうのだ。これでは景気はよくならない。
 これに対して自民党の方は、消費税増税は言っているものの、その前に「、法人事業税優遇、固定資産税を減免」という直接税のことを記載している。直間比率の見直しを示唆する内容であり、特に大きな矛盾は生じていない。少なくとも、民主党ほどおかしな内容にはなっていないのが現状である。
 
 景気対策は、いかに、政府の資金を市場に投入するかである、といっても過言ではない。そして、その市場に投入する時期は、景気動向に合わせて、適時に出さなければならない。私は、いつも言っているのであるが物価その物に関しては、価格統制が政府でできるわけではない。日本は共産主義国ではないので、価格は自由主義経済の範疇だ。結局は、政府ができる景気対策といえば「技術開発」「税制優遇」「補助金」の三点セット。これに、「市場介入」「金利政策(公定歩合など)」くらいしかないのだ。これを組み合わせて、景気対策を行わなければならない。「財政規律」「緊縮財政」で「景気回復」はできないのだ。
 
 最後に、みんなの党のマニフェストを見てみると、輸出という話が出ている。問題は、その輸出競争力をどのようにつけるのかが全く記載されていないのが、面白いところだ。人件費が高いところと固定資産税が高い(土地不動産価格が高い)ことがあり、実際に経費が多くかかる。一つの商品で多くの経費がかかるということは、それだけ付加価値の高い商品を作らなければならない。結局、新規技術開発と同じ話になっており、同時に国際競争力をどのように作るのか、要売るに為替介入などをするのかということが一つの課題になる。マニフェストにはそこまで具体的には書いていないので、なんとも言えないが、内需に頼らない国際経済的な考え方を示したのは、一つ特筆すべきところかもしれない。内需議論にしないという政治戦略、選挙戦略が、成功するか、国民に受け入れられるかは、なかなか面白いところだ。

 このように見ていると、景気対策だけで興味深い。景気対策の部分だけを見るのではなく、その内容をこのように様々な角度から、「実現の可能性」で考えると、どの政党がどれだけ変なことを言っているかが良くわかる。国民はそのことをしっかりと見極めて投票しなければならない。

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民主党消費税10%を「自民党を参考に」公約する怪

民主党消費税10%を「自民党を参考に」公約する怪

 本日、24日に7月11日の参議院選挙の公示がある。この公示後、正確に言えば24日午後8時(と思ったが、違うかもしれない)に締め切られたときに、参議院選挙が始まる。実際に選挙戦本番となるのは、今日からということになるのだ。
 その参議院選挙の一つの争点となるのが、今日あげる「消費税10%」へ値上げの問題である。このことに関しては、様々言われている。
 6月21日、菅直人首相が民主党代表としてマニフェストの説明のための記者会見を行った。その記事においgて、今回の参議院選挙の論点である消費税増税(10%)について、大きく報道された。以下時事通信の記事から。

 菅直人首相は21日午後、国会閉幕を受けて首相官邸で記者会見し、消費税を含む税制抜本改革の進め方について「参院選が終わった中で本格的な議論をスタートさせたい」と述べ、7月の参院選後に超党派で議論に入りたいとの考えを表明した。その上で、税率引き上げの時期について「よほど早くても2年、3年、あるいはもう少しかかるのではないか」との見通しを明らかにした。
 自民党が提案した「消費税率10%」については「一つの大きな参考にしたい」と強調した上で、「そのこと自体は公約と受け止めてもらって結構だ」と言明。民主党の参院選公約と位置付けた。また、「大きな税制改革をするときには、まとまった段階で国民に判断する機会を持ってもらうことは必要だ」と述べ、消費税引き上げ前に、衆院を解散して国民の信を問う考えを示した。
 低所得者ほど負担感が増す逆進性緩和のための措置に関しては、複数税率導入の場合は税額計算のためのインボイス、還付金支給なら納税者番号制が必要になるとし、「番号制の実現には2年、3年の時間が必要になる」と指摘。「参院選が終わったらすぐに引き上げるというメッセージが国民に伝わっているとすれば、全く間違いだ」と語った。 
(時事通信6月21日より)

 また22日には9政党の党首会談が行われた。この件に関しては、毎日新聞から。

9党首による党首討論会(日本記者クラブ主催)が22日、東京都内で開かれ、菅直人首相が言及した消費税率10%などを巡り論戦が繰り広げられた。首相は「このままでは社会保障制度そのものが破綻(はたん)する」と消費税増税の必要性を訴えたほか、年金制度設計に関して超党派による議論を呼び掛けた。ただ、消費税の使途は、財政再建なのか、社会保障制度の安定化なのか、法人税減税の穴埋めなのか、首相の説明では明確にならなかった。消費税増税のあり方が最大の争点になる中、参院選は24日公示され7月11日の投開票に向け選挙戦が始まる。
 「ギリシャのようになれば社会保障の根幹が崩され、国民生活が大きく破壊される」
 首相はギリシャの財政危機を引き合いに出し、消費税増税で財政再建をしなければ結局、社会保障制度の維持に影響すると強調した。だが、首相自身が「(消費税率を上げても)借金が増える勢いが減るだけで借金そのものが減るわけではない」と語るように、消費税率を5%上げても増収分は約12兆円。10年度の赤字国債発行額は44.3兆円に上り、遠く及ばない。首相が主張するように「(日本)国債がマーケットからの信認を継続できるか」という問題は残る。
 消費税の使途を社会保障目的に限定するかも明確にならなかった。民主党は04年参院選で「消費税を3%上げ年金目的消費税とする」としたが、今回は社会保障目的税化の方針は示していない。首相は年金の制度設計に関して「かつてスウェーデンが年金制度改正の時には与野党で長時間かけて検討した。年金についてはやるべきだと思っている」とし、与野党協議の必要性を強調した。ただ、具体策については、新たな年金制度に関する基本原則などを今後示す方針を示しただけだった。
 首相は、医療や介護を成長分野ととらえる考えを示し「財政再建も一緒に前進できる」と主張したが、社会保障の安定化にどれほどの財源が必要なのかはあいまいなままだ。
 これに対し、公明党の山口那津男代表は「消費税は所得の低い人により重くなるので、社会保障の協議会をつくるべきだ」と指摘。共産党の志位和夫委員長は、民主党が掲げた法人税率の引き下げに関し「消費税を5%上げても、法人税減税の財源になってしまう」と批判した。自民党の谷垣禎一総裁は「消費税を年金に充てるのか、成長分野に充てるのか、はっきりさせないで『自民党が言っているから』というから議論が混乱する」と述べた。
 (毎日新聞、6月22日)

さて、消費税の問題は、非常に大きな問題である。実際に増税の問題を出した時には、基本的には政権党は選挙に負けるという歴史だ。
 それにもかかわらず、菅直人首相は消費税増税問題に関して明言した。

 しかし、考えてほしい。そもそも民主党は昨年の総選挙で「予算の組み替えと無駄の削減で16.8兆円の恒久財源」と言ってきたものだ。それに対して、その目論見は完全に外れた。事業仕分けを二回も行ったにかかわらず、恒久財源としては「2兆円がせいぜい」(仙石官房長官発言より)となっている。当然に、民主党はその政策を実行するために、恒久財源を作らなければならない。ということになれば、何らかの「増税」をしなければならない。今までのような「扶養控除の廃止」などでは間に合わない額だ。
 これを一気に解決するために、「消費税増税」を言い始めた。これが通るのが今の社会のおかしいところだ。
 そもそも、政策を歳入に合わせて行う。これが政治ではないのだろうか。これに対して、菅直人は、政策の財源ではなくただ「消費税を上げる」という話を行っている。
 消費税を上げるという話の数字がいい加減なのは「自民党の意見を参考にして」と言っているところがおかしいのだ。自民党の谷垣禎一総裁は「消費税を年金に充てるのか、成長分野に充てるのか、はっきりさせないで『自民党が言っているから』というから議論が混乱する」と述べた。とあるが、まさにその言葉が全てを表しているのではないだろうか。
 民主党の政策の場合、このように「本末転倒」が非常に多い。そしてそれはなんだか理由を説明しないという、「密室政治」が民主党で行われていることに由来する。民主党の政治は、そのまま独裁政治につながる内容ばかりではないのか。
 困ったことに、そのことをまともに伝えるマスコミがないのも事実であるが、国民も少し考えればわかることではないのではないだろうか。そして、理由を言わないということは、徐々にエスカレートし菅直人のぶら下がり記者会見の制限をするようになっていったのである。これでよいのであろうか?

 私は常々「民主党は情報統制と情報封殺で政権を獲った」と言っている。実際に、どのような言い訳をしても、記者会見をしなかったり、今回の「まず消費税を上げることが前提」のような話で政治をしているのだ。結局その理由を言わない。鳩山由紀夫が首相を辞任するときも記者会見をしない。要するに一方的な上位下達で話を進めてゆく。下からの意見は何も聞かないという体質は全く変わらないのだ。これでよいのであろうか。
 ここに不思議を感じない人は、非常に大きな問題である。説明をしていない内容に関して「勝手な推測や憶測で理解したような『つもり』になっている」ようするに、誤解だ。誤解と錯誤を意識的に起こさせて、その内容で政権を奪取した、それが現在の民主党政権であり、それは政権運営や国会運営の場でも発揮されているのだ。国会軽視の民主党のやり方は枝野幹事長自身も反省の弁を出しているほどではないか。
 
 このような政権をいつまでも存続させてよいのか。
 今日、公示される参議院選挙はよく考えなければならない。

<追伸>

申し訳ありません。昨日体調が悪かったので、今一つ説得力がないですね。なんとなく中途半端ですし。しかし、昨日の文章はこれが限界でした。消費税に関しては参議院選挙の争点をまとめる時にもう一度記載します。

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菅直人首相の言動より、カルロスゴーン社長への批判。

菅直人首相の言動より、カルロスゴーン社長への批判。

 6月21日、インターネット上で面白いニュースが出回った。
 色々権利の問題もあると思うが、そのまま引用させていただく。あまりんび面白い記事なので、関係の方がいたらぜひご容赦願いたい。

 菅直人首相は、さいたま市内での街頭演説で、日産自動車のカルロス・ゴーン社長を名指して「何故給料が高いのか。首切りがうまかったからだ」と述べ、ゴーン社長が優秀な経営者として称賛され、高給をとっていることを批判した。
 菅首相は「すべての会社で首切りした社長が偉いなら日本中に失業者があふれてしまう。国民全体を考えたら、リストラする経営者ほど立派というのは大間違いだ」と述べた。
 菅首相は、消費税を引き上げる一方、社会福祉などを充実して雇用機会を増やす成長戦略を描いており、高給をもらいながらリストラ経営者の代表格と見られるゴーン社長を批判した。
 日産のゴーン社長は、「コストカッター」の異名を持ち、早期希望退職や工場閉鎖を断行してきたが、日産で指名解雇などの首切りはしていない。ただ、かなりの報酬を得ていると見られている。日産は6月23日に定時株主総会を開催、その際、役員報酬を公表するか注目される。
(レスポンス6月21日記事より)

 同様の記事が、PJニュースなどからも出されており、結構広まった内容である。
 さて、この記事の面白さは、菅直人の経済感覚であろう。
 民主党のマニフェストを見てみよう。

(前文より抜粋)
「第三の道」
 この閉塞感を吹き飛ばすため、私は「第三の道」を選択します。それは、過度に財政に寄りかかった手法でもなく、過度に競争に偏った手法でもない、経済、財政、社会保障を一体として捉える経済政策です。 
 「第一の道」は公共事業中心の経済政策であり、それは高度成長期には時代にあっていましたが、その後は巨額の財政赤字を積み上げることとなりました。
 「第二の道」は偏った市場原理主義に基づく経済政策であり、それはデフレを長期化させ、「企業は社員をリストラできても、国は国民をリストラできない」という根本的な問題を放置したため、国民生活は極端に不安定になりました。
 政治のリーダーシップを欠いたまま、産業構造や社会構造の変化に対応できていない政策を続けた結果、経済の長期低迷、財政赤字の拡大、社会保障の不安定化が進みました。こうした過去の失敗に学び、新政権は「第三の道」に取り組みます。わが国が抱える環境問題や少子高齢化など、喫緊の課題への解決策。急速に成長するアジア、国内の資源を活かせる観光分野などへの積極策。これらが生み出す大きな需要に応えることで雇用を拡大します。そこから経済の拡大(強い経済)、財政の再建(強い財政)、社会保障の充実(強い社会保障)という好循環をつくり出します。日本の閉塞感は政策が招いたもの。だから、政策で吹き飛ばすことができます。「第三の道」こそが、その政策であると、私は確信しています。

 このマニフェストで、「経済拡大」→「財政再建」→「社会保障の充実」という流れはおかしくないと思う。財政がないのに、社会保障を充実させれば、当然に、財政の悪化を招く。財政悪化を健全化するために増税となり、増税は経済の停滞を意味する。という「負のスパイラル・政府版」の逆転を行うというものである。
 しかし、その理論に至る前提が、少しおかしいのではないか。「わが国が抱える環境問題や少子高齢化など、喫緊の課題への解決策。急速に成長するアジア、国内の資源を活かせる観光分野などへの積極策。これらが生み出す大きな需要に応えることで雇用を拡大します。」と記載。「そこから」負のスパイラルを逆転させるという話になっているのである。この前提で話ができるのか。
 たとえば、環境問題。環境問題を解決するために、民主党政権は1990年比25%の二酸化炭素削減を国際公約した。国連、またはそののちの国際会議において、繰り返し国際公約をしたのは記憶に新しい。では、そのように、二酸化炭素排出を制限した場合どのようになるのか。産業界は、日本の場合、すでに様々な二酸化炭素排出制限を行っている。一方で、家庭需要に関してはいまだに、それを野放しにしている状態である。その中において「高速道路は、無料化した際の効果や他の公共交通の状況に留意しつつ、段階的に原則無料とします。」(民主党マニフェストより)と政策を出し自動車の二酸化炭素を排出しながら、二酸化炭素排出の制限をするということは、そのまま日本国内における産業界への制限が強まることを意味しているのである。
 産業界は、罰則の強化や企業イメージから従うものと考えられる。しかし、産業界は、当然に「営利活動をしている企業」でしかない。ということは、環境に投資を行うということはそれだけ経費を余分に使うということ。経費を余分に使えば、どこかで経費を削減しなければならない。またそこで利益が圧縮されれば、税金を納めることができない。いずれにせよ「雇用」か「強い財政」のどちらかが反故になることになる。
 少子高齢化に関しても同様である。少子高齢化の問題は、単純に言って「不労者人口の増加」と「将来の労働人口の減少」ということが重要な内容であるはずだ。では、その内容に関し、そこに税金から「手当」を支出して、貯蓄に回してもあまり意味がないのではないか。そもそも、社会的弱者に対する社会の認識は「介護」であり、それは「ボランティア」という無償奉仕の形が当り前の話になっている。日本人はそもそも「ボランティア」と「チャリティ」の差が分かっていない人が多いが、ここでも同じ議トンが行われることになるのではないか。結果として、社会的弱者をビジネス、要するに雇用を生みだす「道具」として考えることが可能かということが最も大きな問題になるのではないか。私は個人的にはそれでも社会的な経済循環が得られるとも思うが、それならば政府は積極的にそれらの社会的認識の変化を考えなければならないであろう。要するに「老人や子供手当をむしり取る商売」を「推奨して雇用を増やす」ことを奨励すべきである。
 「急速に成長するアジア」に関しては、もっと滑稽である。そもそも、上記の二酸化炭素排出に関しては、その急成長するアジアの各国、ことに最大排出国中国が最も成長著しい。しかし、その成長は、日本など先進国からの投資と、そして、共産主義的な計画経済による人件費の抑圧、そして、二酸化炭素排出など国際ルールや環境無視の産業重視で行われているのだ。単純に考えて、日本などの先進国の投資ということは、それだけ、日本から雇用が失われているということを意味している。にもかかわらず「急速に成長するアジアによる雇用の創出」というのはおかしな話だ。そんなことをするくらいならば、当初から中国へ進出し雇用を失うような事を禁止すればよい。
 このように、菅直人民主党政権の経済政策は、さすがに、経済音痴といわれる人の成長戦略だけあり、「お題目」はしっかりしているように見えるが、少し考えたり、あるいは現時点での現象の原因を考えてみれば矛盾していることばかりである。
 さて、カルロス・ゴーンから少し話が遠ざかってしまった。カルロス・ゴーンは、それなりに素晴らしい経営者であると私も思う。しかし、物事は程度の問題、バランスの問題であるので、その内容をどのように調整するかが問題である。会社を倒産させるか、もしくは解雇かと言われれば、経営者ならば迷わず「解雇」を選ぶであろう。では、それ以上の「解雇」が必要か、という疑問になった時に、このバランス問題が必要になってくる。実際のところ、経営者の最も大きな問題は「情」である。「営利」ということと「ムダ」ということは相反するものだ。しかし、それをどうしてもしてしまうのが日本人経営者の最も良くないところである。「かわいそう」「伝統」などというものがどうしても頭をよぎる。その「伝統」や「かわいそう」という「情」の部分を全てなくしてしまえば、当然に、従業員全体のモティベーションも下がるし、社会的な評価もさがることになる。しかし、経営を悪化させるまでの、「情」は切らなければならない。その調整をいかにつけるかが、「経営者」の仕事である。業績が好調なときに、「情」をなくすのは、変な話であるし、業績が悪化しているときに「情」にかかわる経費を節減するのも当たり前の話だ。
 私は、その意味で、カルロス・ゴーン社長に関しては、ある一定の評価をしている。後は個人的な趣味と評価の問題である。「やりすぎ」という人がいてもおかしくないし、一方で「まだ足りない」という人がいても不思議ではない。しかし、今回の菅直人首相のよな「何故給料が高いのか。首切りがうまかったからだ」「すべての会社で首切りした社長が偉いなら日本中に失業者があふれてしまう。国民全体を考えたら、リストラする経営者ほど立派というのは大間違いだ」という批判は、会社の経営者としての「バランス感覚」を完全に無視してしまった、発言であろう。会社は、その経営状態や収益予測で様々な経費予測を立てなければならない。そうでなければ会社経営そのものが成り立たなくなって倒産してしまう。倒産してしまえば「一部従業員解雇」以上の失業者が巷に溢れることになる。その比較が菅直人首相にはできないらしい。そもそも、労働組合の影響力をまともに受けている民主党の人々には、理解しろという方が無理なのかもしれない。考え方として、非常に矛盾がある内容であろう。まさに、マニフェストの経済財政策の考え方と同じで、一方的で、独善的な、広く大所高所の視点のない政策をしていることが分かる。残念ながら、そのような人が日本国の内閣総理大臣であることを日本国民は不幸であると感じなければならない。そして、このような感覚の経済財政政策で、景気が、そして家計が良くなるのか、改めて考えなければならないのではないだろうか。
 今回は、一つの記事から、まさにブログのタイトルどおりに「ニュース解説」を行った。その中には、現在の民主党政権の政策的な矛盾や現状分析の甘さ、そして、労働組合的な、一方的なものの見方しかできない政策や発言があることを指摘している。そのような目で、政策を見なければならない。国民よ騙されないでほしい。

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民主党マニフェストから憲法論議が消えた 

  7月11日に投開票される与党民主党のマニフェストが発表された。悪い言い方をすれば、突込みどころ満載である。

「2003.pdf」をダウンロード

 上記のように、私が、民主党のマニフェストをまとめてみた。上記表は、左が、今回のマニフェストで、右が2009年総選挙でのマニフェストの該当項目の記載を抜き出したものである。 このほかにも子供手当や子育てなどがあったが、全て削られている。「生活者第一」ではなくなったということが良くわかる図表である。

 もちろん「生活者第一」なんていう話を当初から信じてはいないのですが、少なくとも標語だけでも、残しておけばよいのにと思う。

 結局、民主党は、マスコミなどの雰囲気で流れる政党であるだけに、その時に何が話題になっているかで、マニフェストを作成する。そのような認識だから玄葉政調会長のように「マニフェストは生き物」という発言が出てきてしまうのだ。要するに「政治的に何が今一番大事なのか、ということが完全に欠けている。このようなところが、「選挙第一政党」といわれてしまう所以であろう。

 さて、この中で最も重要な話の一つが「憲法論議」が消えたことである。

国民の自由闊達な憲法論議を

「憲法とは公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」というのが近代立憲主義における憲法の定義です。決して一時の内閣が、その目指すべき社会像やみずからの重視する伝統・価値をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではありません。民主党は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という現行憲法の原理は国民の確信によりしっかりと支えられていると考えており、これらを大切にしながら、真に立憲主義を確立し「憲法は国民とともにある」という観点から、現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めることを国民の皆さんに責任を持って提案していきます。民主党は2005年秋にまとめた「憲法提言」をもとに、今後も国民の皆さんとの自由闊達な憲法論議を各地で行ない、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます。

というのが、2009年の総選挙の時の民主党のマニフェストだ。

 憲法に関しては、諸説ある。戦後GHQによって作られたとか、日本の憲法ではないというものも含めてである。その成立の内容や戦後の環境などを含めれば、致し方がない部分も多分に存在するが、それでよいのかという議論がされていないのも事実だ。

 現在まで、日本国憲法に関しては「解釈改憲」とうい話で、様々な内容を行ってきた。しかし、日本国憲法は「軟性憲法」であり、その憲法が古くなった場合、時代が変わった場合には変更が可能なようにできている。憲法に改正の規定があるのはそのためである。

 さて、自由民主党ができた時の政党綱領は、自主憲法の策定であったことは、最近とみに言われるようになった。当時は、少なくとも「日本国憲法は純粋に日本人の手で造られた憲法ではない」という認識があったということになる。

 さて、それでは、今はどうであろうか。

 「解釈改憲」という便利な言葉ができてしまっている。そのうえで「日本語の持つ特有のあいまいさ」から、時代に即した解釈を充てることによって、憲法を改正しているのと同じように、弾力的に憲法を運用しているのである。

 しかし、最近ではそう簡単には言えなくなってきてしまっている。

 一つ目には憲法9条の問題。イラクのサマワやソマリア沖、インド洋の機雷の除去や金土曜の給油など、日本の自衛隊が海外に派遣された事例は有名なものもそうでないものも含め、非常に多くなってきている。それまでは「日本国憲法」を盾に、海外への自衛隊の派遣を拒み続けた日本も、最近ではそれでは国際社会に通用しないということに気づいてきた。まず、「自分の国は自分で守る」という原則が、徐々にグローバル化して、自分の生活、権益は自分で守るという発想が必要になるのではないだろうか。

 そのような環境下において、「北朝鮮問題」「集団的自衛権」など様々な内容を考えねばならない状況が生まれて生きている。日本人は、日本国が世界の一員であるということを認識し、その中においてどのような国際貢献をしなければならないかということを考えなければならないことになる。その国際貢献の中に、憲法9条がどのように作用しているのか、もっといえば「改正しなければならない状況であるのか、そうではないのか」の判断を迫られる。

 しかし、憲法9条の問題、もっといえば軍事の問題に関しては、そのことを議論することそのものがタブーとなっているかのごとき、状況になっていることも事実である。これは日教組教育やテレビメディアの影響であることは間違いがない。戦争をいたずらに美化する必要はないが、逆に、戦争をいたずらに嫌悪する必要もないのではないか。実際に、戦争は、日本が侵略するというばかりではなく、相手に攻撃されるという場合も想定しなければならないし、机上の交渉で成立しない場合もある。そのことが重要な利権(たとえば地下資源や水利、漁業権など)が絡んだ場合は、その国益や検疫、強いて言えば国民の生活ということも守らなければならない。その場合に、それを護る手段として、武力紛争は覚悟しなければならない状況ではないのか。

 例をあげて、たとえば、日本人が北朝鮮の人に拉致されそうになった場合、当然にそれを護るという発想がある。その時に、北朝鮮人が銃を乱射した場合、日本人はただ拉致されるのを見ているのか。それとも何らかの形で抵抗するのか。その時に、個人であれば抵抗の手段がない。では警察を呼んだ場合に、警察は銃を使用する。そして、北朝鮮の人を傷付けた場合、今度は北朝鮮の国家が報復をするという状況になって、武力紛争が起きる。もしや、この時に傷つけたことに対して補償を払うなどという選択肢をする人は、通常の日本人ならばいるとは思えない。では、その武力衝突に、どのように対抗するのか。結局は軍事力しかないということになる。

 例があまりよくないので、イメージがわかないかもしれない。私が言いたいのは国家をあげた犯罪行為だけではない、単純に、日本人が日本人を護るために武力紛争になる場合、日本人はどのようにして日本人を護るのかという単純な発想しかない。その時に相手が武力を使ってきた場合、日本人は丸腰で机上の空論を展開するつもりなのか。

 さて、このような問題から、集団的自衛権まで考えれば、どうしても憲法9条にはおのずと限界があることはわかる。では、その内容に関して、何をどのようにするのかということがどうしても必要ではないのか。その議論をも封殺するのは、思考停止状態であり、日本の国家の正常な発展と国際社会での一員としての資格を日本人が自らの手で封殺してしまっているとしか考えようがないのである。

 憲法9条の改正については、まだまだ言いたいことはある。徴兵制まではいきすぎかもしれないが、現在の自衛隊が、もう少し国際社会そして日本人の生活の安全を護るために、世界の様々な場所で活躍できるようになってもよいのではないかと思う。 さて、憲法改正というと9条ばかりではない。

 今回の菅直人首相は「日本国憲法には三権分立はない」という。その心は「国会の多数派が内閣を占めているから」という。議院内閣制という単語は三権分立の妨げになるという考え方である。 私は小学校以来、日本国憲法には三権分立という高尚な理念があり、そして、三権を相互に監視するシステムがある、と習ってきた。最近の教科書にもそのように書かれていると思う。菅直人首相になったら、教科書を書き換え、日本国憲法に三権分立があるという回答をした生徒は落第させなければならない。そんな笑い話が出てきている。

 そもそも、民主党に関しては「政治主導」ということから、「行政の中立性」ということが全く考えられていない。江田五月参議院議長が民主党の推薦で参議院選挙を戦うというが、国会の議長の中立性も全く考えていない。同じ人間であっても、立場によって中立性を維持しなければならないということを、考えなければならないのにかかわらず、あくまでも政党に帰属した内閣、政党に帰属した政権、政争に帰属した国会運営ということを考えている。まさに、ワイマール憲法下でのヒトラーが行った独裁への道そのものだ。そのようなことでよいのか。

 安倍内閣の時代から、日本国憲法の二院制に関しては、少し欠陥が出てきてしまっていることは間違いがない。国会承認人事などに関して、衆参の結論が異なった場合の対処が憲法にあらかじめ書かれていないという状況になっているのだ。それでは問題であるといえる。

 そこで、戦後60年の憲政の中での矛盾点を、憲法改正ということで、考えなければならない。そのような議論ができていないから三権分立を否定する人が内閣総理大臣になってしまうのだ。そのようなことは本来許されるはずがない。しかし、それがなってしまったのだから仕方がない。

 このほかにも地方自治、(地方分権までは分かるが地方主権は間違い。日本国の主権は国民が持っています)とか、司法制度などに関しても、その内容は、しっかりと考えていかなければならないことでしょう。

 そして最も重要なのが「天皇」の章。省庁のままの規定でよいのか、そうではないのか。これは、統治システムと直接の関係はなくても、日本人の心の問題として、非常の大きな問題になるであろう、日の丸に敬意を表さず、君が代を斉唱しない今の内閣の面々で、憲法改正ができるのか。もっといえば、日本の伝統と文化を破壊するのか、そうではないのか。日本の問題として、考えるべきではないのであろうか。それらを体現するものとして、憲法の改正が非常に大きな問題である。

 今回のマニフェストは、「憲法の議論」が消えている。これは、単にその議論をしないというだけではなく、菅直人政権が日本の根幹についてどのように考えているのか、以前から言われているように、民主党には政党の綱領がない、要するに、日本をどのようにするかの将来像がないということなのか。

 本当に、日本のことを考えるのであれば、日本の将来像をしっかりと示せるはずである。「脱小沢」などと言っているが、結局何も変わっていない。もっといえば、結局日本のことを考えていない政権でしかない。そのことが伝わってくるのではないだろうか。

 菅直人首相は、そこまでしっかりと国民に説明すべきではないのか。

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マスコミ批判に対する一考  (1) 序の序

マスコミ批判に対する一考  (1) 序の序

 昨日は日曜日なので、あまり社会の動きがない。こういう暇なときに、何となく普段思っていることを書いてみようと思う。
 今日は「マスコミ批判」について。それもとりあえず(1)として、後に続くようにしたい。
 さて、マスコミ、マスメディアはいかがお考えか。
 最近、ネットユーザーとのつきあうことが少なくないために、マスコミ批判を良く聞く。私はたまには反論をするし、たまには同意する。しかし、実際私自身が新聞社の看板を背負っている人間だ。一方で、三橋貴明後援会の仕事の手伝いをしながら、ネットに関する考え方も一応少しは理解できるようになったのかもしれない。
 その中において、私はネットとマスコミは相互に依存関係にあると思う。しかし、その依存関係は一部で相互に必要としながら、相互で対立関係にある。それが、ネットとマスコミの関係ではないかと思う。この「対立」は、どうも、相互理解の欠如が原因になっているのではないかと、考えるようになった。
 前提を整理したい。この文章は平成22年(2010年)6月20日に記載している。今後、このネットとマスコミに関する考え方は、私自身変わって来るであろう。ここには二つの要因がある。一つは、今後ネットを取り巻く環境は変わってくると考えている。だから、あえて今日の日付を書いた。実際、技術が変われば扱いが変わる。ネットの技術は、周辺技術まで含めまさに日進月歩だ。このような事を書いていても、この間に大きく変わってしまう。もう一つの変化の要因は、認識の変化だ。ネットに関する、または当事者の認識が変化してしまえば、ネットとマスコミの変化は変わる可能性がある。
 そのような、変わる要素がありながら、書いているのだから始末に負えない。
 いいわけは別にして、ネットとマスコミは、相互に依存でありながら相互に対立している関係である。そして、それは相互の理解の欠如であると言える。
 では、なぜそうなるのか。
 まず、マスコミの体制から考えてみよう。マスコミ、というものに関して発信者と受信者、(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌があるので、この表現で)ですでに認識が違う。
 発信者は、株式会社であり、やはり営利目的である。どんなマスコミでも、購読者、スポンサー、広告主という収入にかかる人がいる。その経費を使って取材し、そして発信する。しかし、そこには収入にかかる人の意向も働くし、会社組織であるから上司の判断も出てくる。それらの少数の人の判断から、多くの情報が発信されるのだ。その情報には、様々な人の「フィルター」がかかっている。
 一方、受信者はマスコミを「ジャーナリズム」であると思っている。残念ながら、そうある「べき」かもしれないが、ちがう。日本のマスコミに「ジャーナリズム」は存在しない。その相手に対して「べき」論を使っても何の意味もない。単なる「マス・コミュニケーション・システム」がジャーナリズムでないことは分かり切ったことだ。
 では、なぜその「マスコミ」に対して批判があるのか。単純に言えば、マスコミに対してジャーナリズムであるべきということを言うことと、もうひとつは、マスコミが影響力が大きいということの二点だ。
 マスコミの影響力が小さければ、結局のところ、何の話にもならない。影響力が大きいだけに、その影響で受信者側の欲しい情報が入らない、入るべき情報が「有名にならない」ことに不満を抱く。逆にマスコミが余分の情報を流すことによって、受信者側の必要な情報を流すことが少なくなり、より一層期待できない結果が大きくなるのだ。
 アメリカの場合、このような事態にならないように、各メディアでの系列(株の持ち合い)を法律で禁じている。しかし日本の場合はそのようなものがない。読売新聞が頭で、日本テレビ、ラジオ日本、報知新聞が系列会社となる。このほかにも地方局も系列が出てくる。要するに、アメリカの場合、一つの新聞が情報を流しても、他のメディアは別な情報を流す可能性が高くなるが、日本の場合、読売新聞が情報を流せば、お味論調でその系列会社が情報を流す可能性が高いということになるのだ。1社が情報をだすのと、4社が情報を出すのでは影響力が異なる。影響力が大きいだけでなく、その影響力の大きな内容が多数で一斉に情報拡散を行うのが日本のマスコミシステムだ。意見や論説の多様性が少なくなっている。結局、にほんには、読売、朝日、毎日、産経、日経の5系列と共同、時事の2系列の統一情報そしてNHKという半公的機関しか情報の選択がなく、この全ての系列がネタ合わせなどしてしまうと、話にならないのである。統一の意見にしかならなければ、「マス」コミュニケーションにはならない。一方的な宣伝、統一的意見のすりこみになってしまう。それでよいのかという批判が出てくるのは当然のことだ。
 その意見の内容が中立的でないという批判は、多く存在する。結局のところ、「マス・コミュニケーション」は「ジャーナリズム」ではないということになるのだ。それは意見の内容になる。ジャーナリズムは、中立的に事実をもとに出すのであり、政治のように、各陣営があるのにかかわらず、片方だけ(2009年の総選挙では民主党に有利と思われる)に有利な情報を出すのは、いかがなものかということになるのだ。マスコミがジャーナリズムではないことは、他の媒体などでも何でも思う通りだ。
 昨年も、民主党に批判的なネタを差し出したところ「民主つの批判をしても売れないんですよね」といって、そのネタの受け取り自体拒否されるということになる。結局、マスコミは「報道すべき」というべき論ではなく、「経済行為」としてしかマスコミをとらえていない。それがジャーナリズムであるはずがない。
 ましてやネタ合わせなど、もってのほかだ。自分の足でネタを稼がなければならない。そのことがすでに分かっていない。
 それでは、どうしてこのようになってしまったのであろうか。そもそも、マスコミが、ことに政治マスコミがどうしてこのようになってしまったのか。今後、ブログで何も書くことがないときに続けて書いてみたいと思う。

 なお、完成する保証はどこにもないので、このマスコミ批判に対する一考は「期待をせず希望を持って」待っていただきたい。

6月21日

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 6月2日、鳩山小沢ダブル辞任の内幕

 6月2日、鳩山小沢ダブル辞任の内幕

~メルマガの予告~

 6月2日、鳩山由紀夫首相の突然の辞意表明があった。実際のところ辞意表明は「突然」であったのかどうかは不明だ。民主党内や鳩山周辺では、すでに、何回も辞意表明が取りざたされていた。5月11日に読売新聞社の渡邉恒夫主筆との会談あたりから、辞意表明を考えていたということが言われているし、このほかにも福島瑞穂社民党党首の連立の離脱や、アメリカとの対応など、「辞意のきっかけ」といわれるものは数多く存在する。また、前原国土交通大臣のクーデターなど、この件に関する「噂」は絶えない。
いずれにせよ、6月2日の両院議員総会で小沢幹事長ともども「辞意」を表明した。この「首相と幹事長の辞任」は、すぐに、民主党の代表選挙ということにつながり、菅直人祝首相が民主党代表に選出された。6月8日に天皇陛下の認証式を終え、正式に、菅直人首相が誕生するにいたったのである。
  さて、この一連の流れに関しては、特に事実関係を挟む必要はないと思う。ケチをつければ、ケチをつけることもできるし、それまで「決断力がない」「指導力がない」といわれていた鳩山首相から、「未知数」の菅直人に代わって、期待感が高まるということもありうる話であろう。参議院選挙を7月に控え、その部分での報道が大きくなっている。しかし、そればかりでよいのであろうか。
 今回は、鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長のダブル辞任に関して、そして、参議院選挙前後の政局の予想について、様々「邪推」してみようと思う。

 今回から、メルマガとブログを分離している。今まで、原稿用紙20枚を一つの目安にして書いていましたが、それであるとブログの更新が停滞するし、一方で、しっかりとした取材のメモにもならないという、なんとなく、中途半端な内容になってしまいました。なんとなく、飽きてきたので、スタイルでも変えてみようと思い、今回(ブログでは少し前)から、このメルマガとブログを分離してみました。しかし、今までの方式に慣れている人も少なくないので、「メルマガ予告編」として、上記の部分までをブログに出して告知にしようと思っております。
 もちろん、メルマガもブログも無料ですから、なんとなく見てもらえればよいのですが、どちらか一方というのではなく、双方の特色でも見てみようかと思うわけです。もちろん、それだけ時間も取りますが、少しこの形で試してみようと思います。
 変わらないのは、「内容のないだらだらした文書」と「誤字の多さ」だけである、という結論かもしれません。と言うことで、以下をお楽しみください。

 ということで、この続きは下記からメルマガを五郎禄ください。

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國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説

ブログ
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<mailto:CQA14363@nifty.com>
発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
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相撲界、賭博についての一考

相撲界、賭博についての一考

 最近、相撲関係者の賭博が話題になっている。
 問題の所在は「賭博罪」という刑法上の問題と、一方で、暴力団関係者との付き合いである。ことの発端は、暴力団関係者が、相撲の感染を関係者席で行っていたことの発覚による。もうひとつは、大関琴光喜関が、暴力団員から脅迫されたとしていることと、この二つの事件によって、ことがおおごとになった。
 私の昔のブログ風に、二つの問題点を見てみよう。
 まず賭博罪である。実際、賭博罪は大きな罪である。しかし、われわれも何の気なしにやってしまっていることは少なくない。たとえば、ゴルフで「握る」といえば、賭けのことであるし、マージャンを金を賭けないでやる人は少ないのではないか。今回話題になった野球賭博などは、高校野球の時に各マスコミの社会部のデスクで見ることができる。高校野球の高校の名前の下に、社会部の記者御名前と数字(賭け金)が書かれている模造紙を見るのは、そんなに難しい話ではない。
 人間は賭けごとが好きだ。勝つか負けるかという勝負が好きであり、その勝負にお金がかかることによって、スポーツの観戦への身の入り方が全く異なるのである。
 一方で、賭けごとは、「熱くなりすぎる」ことによって、自分を見失ってしまい、生活に必要な金銭まで賭けごとに投じてしまう。ようするに、賭けごとをすることによって生活の糧を失ったり、不当に高い金利での借金が行われてしまう可能性があるのだ。法律はそのことを禁じており、また、その賭けごとを誘引した人を罰するのがそもそもの発端である。

◇第二十三章 賭博及び富くじに関する罪

(賭博)
第百八十五条 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

(常習賭博及び賭博場開張等図利)
第百八十六条 常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。
2 賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。

(富くじ発売等)
第百八十七条 富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する。
2 富くじ発売の取次ぎをした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
3 前二項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。

 要するに、法律の中に「一時の娯楽に供する者を賭けた時は、この限りではない」ということは158条の条文に記載があり、ゴルフでの「握り」などは法律的に、あまり大きなことにならないようになっているのだ。
 今回の問題は186条の「常習賭博」に当たるのではないかということだ。その徐周賭博に当たるかどうかということは、当然に「生活の糧を失うほどの賭博」となり、暴力団関係者からの借金や脅迫はその中に入ってきてしまうのである。
 もともと、相撲界の人は、当然に「勝負好き」である。勝負事が好きであるから、勝負の世界にいるのであり、心底好きではなければ、心身ともに相撲界での生活が持つはずがない。彼らにとって、「賭博」そのもので、「八百長相撲」をしたというのであれば、多くのファンや懸賞金のスポンサーに対して申し訳ないであろうが、自分が賭けごとに参加することそのものは、そんなに、悪いことという罪の意識もなく話をしていたに違いない。「軽い気持ち」「つい、出来心」がいつの間にかおおごとになってしまい、その中で、犯罪などとなってしまうと「困る」のである。
 一方、暴力団との付き合いである。これも難しい話だ。いかにも「暴力団」という人であったり、初めからわかっていたのであれば、話にならないのかもしれない。しかし、準構成員とかなると、まったくわからない状態の時が少なくないのだ。しかし、このような賭博などには、「暴力団」が付きまとう。
 「暴力団」は、私の認識では違法性の感覚が少ないといった感じではないでしょうか?要するに一般の価値観と異なる価値観をお持ちの人々のようで、その価値観に流れるのは、一般社会とのかい離を示すことになります。
 日本人は有名人などに「聖人」を求めてしまいます。聖人である以上、道徳的にもしっかりとしなければならないし、模範であることを求める。少しでも道徳に悖ることをすると、大騒ぎをする。
 しかし、有名人だからといって、模範的な人間であるということはない。たとえば相撲で有名な人は「相撲が強い」ということで「人気」であり、有名でもあるが、そのことは、相撲に強いだけで、模範的な人間であるということではないのだ。
 しかし、日本人は有名であることに「道徳的な価値」も見出してしまう。それは茶道などの「道」という考え方があり、何か一芸を極めるには精神的な鍛錬も必要であるとの考え方が、日本人の奥底にあるからである。しかし、精神的な鍛錬のある人も人間であることに変わりはなく、当然に隙ができてしまう部分もある。
 その隙の部分に、巧妙につけいるのが「暴力団」の人々である。私個人としては暴力団と付き合っているということそのものは、人と人の付き合いでしかないので、それをとがめることではないと考える。問題は付き合い方の問題であり、その内容が法律に違反する事の共犯関係であったり、今回のような脅迫されるような内容であると、あまりよい関係とはいえないのではないか。人と人の付き合いではなく、暴力団と人の付き合いになってしまうと、どうしても、よくなくなってしまう。
 さて、今回は、このように見てきたが、最後にマスコミの人々の取材の内容を見てみよう。私の知る限り、マスコミの人々の中にも高校野球などの賭けごとをしている人は少なくないし、一方で、暴力団と取材を通じて知り合っているマスコミも実名であげられるほど多い。問題はマスコミは、今回のような取材をするときに、自分たちのことを「棚に上げて」取材をするその態度だ。さも「多くの人の代表」であるかのような口調でありながら、その人々は少なくとも聖人ではない。どちらかと言うと、最低の部類に入るのかもしれない(私も含めて)。
 そのうえ、上記のような「ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」という法律の規定があるにかかわらず、賭博全てが悪であるかのごとき、報道はいかがなものであろうか。
 今回の事件は、相撲界その物の不正というよりは、そのような内容ばかりがどうしても目についてしまう。なお、この文章は、相撲界における野球賭博や暴力団との付き合いを肯定する者でも擁護するものでもないことを、最後に付記しておく。

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内閣不信任・問責決議案提出と国会の閉幕

内閣不信任・問責決議案提出と国会の閉幕

 6月16日、国会が閉会した。本国会期間中は、10回の強行採決、61%しかない、提出法案の成立確立、そのうえ、会期中の内閣総理大臣交代に、その後の予算委員会も決算委員会も開かれないという、異例づくめの国会であった。
 本国会だけではないが、鳩山内閣ができてから、今日までの軌跡をここに記してみたい。

─―2009年――

 9.16 民主党の鳩山由紀夫代表を第93代、60人目の首相に選出。民主、社民、国民新3党連立による鳩山内閣が発足。初閣議で事務次官会議の廃止や政務三役会議の設置などを決定
 9.21 鳩山首相が米国を訪問。中国の胡錦濤国家主席と会談
 9.22 首相が国連会合で、2020年までに温室効果ガスを1990年比25%削減する新たな日本の中期目標を表明
 9.23 首相がオバマ米大統領と会談
10.10 首相が中国を訪問し、温家宝首相、韓国の李明博大統領と会談
10.24 首相がタイでの日・東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議で「東アジア共同体」構想を説明
10.25 参院神奈川、静岡両補選で民主党2勝
10.28 日本郵政の西川善文社長が辞任。後任に元大蔵事務次官の斎藤次郎氏を選任
11.10 首相が株や有価証券の記載漏れなどで2002~08年の「資産等補充報告
書」などを訂正
11.13 オバマ米大統領が来日。2回目の首脳会談
11.27 行政刷新会議の事業仕分け終了。削減目標の3兆円圧縮に届かず
11.30 肝炎対策基本法、中小企業金融円滑化法などが成立
12. 4 日本郵政グループ株式売却凍結法が成立
12.14 首相が来日した中国の習近平国家副主席と会談。15日には天皇陛下が習氏
と会見
12.15 「普天間問題」で06年の日米合意を見直し、移設先を改めて選定する方針
を決定
12.18 首相がデンマークでの国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP
15)に出席
12.21 首相がガソリン税の暫定税率を実質的に維持する方針を表明
12.24 東京地検が首相の資金管理団体の偽装献金事件で元公設秘書2人を起訴。首
相が緊急記者会見で謝罪
12.25 10年度予算案を閣議決定

――2010年――

 1. 6 藤井財務相が辞任。後任に菅副総理・国家戦略相。国家戦略相は仙谷行政刷
新相が兼務
 1.15 新テロ対策特別措置法が期限切れ。海上自衛隊がインド洋での給油活動を終

 1.15 小沢民主党幹事長の資金管理団体の土地購入を巡り、東京地検が石川知裕衆
院議員らを政治資金規正法違反容疑で逮捕
 1.18 通常国会召集
 1.23 東京地検が小沢氏を事情聴取
 1.24 沖縄県名護市長選で普天間飛行場移設受け入れ反対派の稲嶺進氏が初当選
 2. 4 東京地検が石川知裕衆院議員ら3人を政治資金規正法違反で起訴。小沢氏は
嫌疑不十分で不起訴
 2.10 枝野幸男民主党元政調会長が行政刷新相に就任
 2.21 長崎県知事選で民主党推薦候補が敗北
 3. 1 札幌地検が北海道教職員組合と小林千代美民主党衆院議員陣営の幹部を政治
資金規正法違反容疑で逮捕
 3. 9 外務省の有識者委員会が日米間「密約」検証の報告書を岡田外相に提出
 3.24 10年度予算が成立。一般会計総額は過去最大の92兆2992億円、新規
国債発行額は44兆円
 3.26 子ども手当法が成立
 3.31 高校授業料無償化法が成立
 4.12 首相がワシントンでの核安全サミットの夕食会で、オバマ米大統領と非公式
会談
 4.16 水俣病未認定患者の救済措置方針を閣議決定
 4.22 首相の資金管理団体の偽装献金事件で、東京地裁が元公設第1秘書に有罪判

 4.26 検察審査会が首相の資金管理団体の偽装献金事件で、首相の不起訴を「相当
」とする議決を公表
 4.27 検察審査会が小沢幹事長の資金管理団体の政治資金規正法違反事件で小沢氏
について「起訴相当」と議決
 4.28 独立行政法人を対象とした事業仕分けが終了
 5. 1 首相が水俣病犠牲者慰霊式に出席
 5. 4 普天間問題で首相が初の沖縄訪問。仲井真弘多知事らと会談し、県内移設を
表明
 5.21 首相がクリントン米国務長官と会談
 5.23 首相が2度目の沖縄訪問。同県名護市辺野古周辺への移設案を仲井真知事に
説明
 5.24 首相が李明博韓国大統領と電話会談。韓国哨戒艦沈没事件で対北朝鮮制裁措
置を支持
 5.25 公益法人などを対象とした事業仕分けが終了
 5.27 首相が全国知事会議で沖縄の負担軽減のため米軍訓練受け入れを要請
 5.28 普天間問題で、名護市辺野古への移設を明記した政府の対処方針を閣議決定
。首相が署名を拒否した社民党党首の福島消費者相を罷免
 5.29 首相が韓国・済州島で日中韓首脳会談
 5.30 社民党が連立政権からの離脱を決定
 5.31 首相が中国の温家宝首相と会談
      首相が小沢幹事長と会談
 6. 1 首相が口蹄疫の対策本部視察で宮崎県を訪問
      首相が小沢幹事長と2回目の会談
 6. 2 首相が民主党両院議員総会で辞任する意向を表明
 6. 4 民主党代表選挙で菅直人民主党代表選出
 6. 8 菅直人内閣発足
 6.16 国会閉会

 ほとんどが鳩山内閣時代の軌跡と思うかもしれない。しかし、現在の菅直人首相が民主党政権で閣僚に入り、副首相という要職に就きながら行った内容の軌跡でもあるのだ。
 このように見てくると、様々パフォーマンスはしたが、法案の成立が少ないのが良くわかる。それも、「マニフェスト」で様々なことを国民に公約しながら、この状態では話にならない。高速道路無料化やガソリン暫定税率廃止など、公約しながら平気で公約と異なるものをするのは少なくない。
 そもそも、外交の機軸が、日中関係なのか日米関係なのか、それもよくわからないのだ。
 にもかかわらず、国会、ことに菅直人政権になって、国会閉幕までの期間に、その論戦はほとんど行われなかった。所信表明演説と、代表質問の身で、決算も予算委員会もしない。そもそも予算委員会を行うとは民主党が発表した国会の進行であるにかかわらず、民主党は自ら自分の発言を取り消してしまったのだ。
 このような嘘ばかりの民主党に対して、当然に、「内閣不信任」「問責決議案」を衆参両院に提出している。しかし菅直人政権は、「問責決議案を審議もせずに終了する」という国会運営をしたのである。
 提出された法案を審議もせずに廃案にし、国会を閉会するというのは、あまり調べてはいないが、かなり異例である。そもそも、「議員立法を審議しないで国会を閉会してよいのか」という話が出てきてしまうのである。民主党は「法律的に問題はない」というスタンスであるが、そもそも、国会のような、日本国民の主権主張を代議員が調整する場において、「法律的に問題がない」といって、何でもしてしまってよいのか。そもそも民主党政権には「道義」「道徳」「先例」は一切関係がないということになるのであろう。しかし、日本のような、「道徳」以外に「宗教」など独自の価値観のない国家において、そのような「法律だけしか基準がない」という話で、よいのであろうか。
 完全な国会軽視である。
 国会を軽視するということは、当然に国民の意見そのものも行政に反映されることはないということだ。菅直人は「三権分立はない」と明言している。要するに、民主党は、国会を軽視し、国民の代議員の審議を無視し、そして、国民をだまし、独裁を行うことを考えているのである。
 それでよいのであろうか。
 個人的には、国会の軽視をする人々を政権の座につかせてはいけないと思う。そのような選択をした国民は、どうも頭がくるっているとしか思えない。

 そんな過去のことを言っても仕方がない。実際、どのようなことを言っても仕方がない。
 昨日17日、各党の政権公約が出そろった。ことに民主党のマニフェストは、昨年のマニフェストが実現できなかったことに関して、どのような反省がされているのか。表紙が変わっただけで反省もなく「独裁」に突き進むのであろうか。
 国民は、その観点で、要するに、実績と政策で、政権を選ばなければならない。7月11日の参議院選挙までもうすぐである。

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7年かけた「はやぶさ」の帰還ととぼけた枝野幹事長

7年かけた「はやぶさ」の帰還ととぼけた枝野幹事長

 2003年に小惑星探査機として打ち上げられた「はやぶさ」が6月13日に地球に帰還した。途中、トラブルが多く、地球に帰ってくることはないと負われていたのであるが、そのトラブルを全て克服し、長躯60億キロメートルの宇宙の旅を終えて帰ってきたのだ。
 2003年といえば、日本では小泉純一郎内閣のころで、「民でできることは民へ」というかけ言葉と、元来のの小泉人気において、かなり強引に多くの国営事業が民営化されていったときである。「構造改革」が叫ばれたのもこの時期である。マスコミはなんとなく批判しながらも小泉人気におされぎみで、どうしても強い批判にならなかった。その、小泉純一郎であっても「宇宙開発は国家事業」であるとして、無駄はなくしながらも政府の事業として、宇宙開発を行うことを企画していた。道路や郵政を民営化した、あの小泉純一郎でも、である。
 時は過ぎて、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣を過ぎて、昨年政権交代を標榜しながら鳩山由紀夫内閣が発足した。鳩山由紀夫内閣は、総選挙に向けたマニフェスト(政権公約)で、「予算の組み替えと、無駄の削減で16.8兆円の恒久財源を作る」と公約を掲げた。
 その「無駄削減のための魔女裁判」が「事業仕分け」ということで行われたのである。事業仕分けは、インターネットで中継され、その分野の専門家でも何でもない人々が、重箱の隅をつつくような議論で、事業そのものを廃止してゆくという悲劇が繰り返された。
 話はそれるが、そもそも、国家事業、国営事業というのは、民間で行っても事業性がないもしくは利益が上がらないが、それでも社会、国家のため、または将来のために必要な事業を、国民全体の負担で行うものである。当然に、設立当初と現代では意味合いうが違うものも少なくないのであろうが、逆に時代にあわせて形を変えながら国民に親しまれているものも少なくない。ことに、伝統、文化、スポーツといった「国の形」にかかわること、または、あまり利益につながらないが、国民にとって必要な事業。タオ問えば、教育や老人介護など人道的、生活を護るために必要な事業がこの中に当たる。そして、科学技術や新規技術開発など、今後将来の日本において必要な内容が、国家の事業となる。
 ようするに、「効率」「利益追求」では測れない重要な、日本のために必要な事業を国営事業として行う。これが国家の事業であると考えます。一方で、民主党の事業仕分けは「天下り」「経済合理性」「効率」だけで、事業仕分けを行う。何を考えているのかわからない。民間企業の利益追求型会社の「事業効率化」プロセスと同じと考えているのではないか。このまま、事業仕分けを続けさせて、将来の日本が壊されてよいのであろうか。
 例をあげてみてみよう。今回は、宇宙開発ということになる。日本の宇宙開発技術は、山なんながら兵器開発がない分、少し遅れているといわざるを得ない(とはいえ、世界全体の平均からすればかなり上であるが)。将来、宇宙開発時代になった時に、宇宙開発の技術を持っている国と、宇宙開発の後塵をけがす国とはどちらが、良い国になるのか。たとえば、宇宙に新資源があるとした場合、その開発を行う国と、開発物を交わされる国とでは、どちらが「恵まれた国」になるのか。
 そうならないためにも、日本は、宇宙開発など「将来に対する投資」は必要である。その必要な内容は、すぐには効率化できるものでもないし、当然に、利益があるものでもない。官僚出身者がいても、なんでも、日本の最高と思われる人をつぎ込まなければならないでしょう。出身などは関係がない。それは将来の日本に残す技術として、現在そこにいる人が「天下りかどうか」は関係のないことだからだ。それよりは、そのような身分差別をすることによって、技術力がなくなることの方が日本にとって損失である。
 それくらいの「将来の日本に対するヴィジョン」がないのが、今回の事業仕分けであり、民主党政権であり、そして事業仕分けを支持した国民である。
 その、事業仕分けの場面を抜き出してみる。

蓮舫「で、それが国民の生活にどのような役に立つのですか?具体的にお答え下さい。」
「イオンエンジンの実用化に向けた検証として・・」
蓮舫「具体的にお答え下さい。」
「不況にあえぐ国民に希望を・・」
「蓮舫仕分け対象と致します(キリ)」
蓮舫 ・イオンエンジンはすでにNASAやESAの探査機で実用化されており、
    何も目新しい技術ではありません。
・惑星軌道からのサンプル採取も NASAのジェネシスとスターダストですでに成功しています。
・第一、はやぶさはミネルバ投下やサンプル採取に失敗している上、
その原因はいずれもプログラミングのミスというお粗末なものです。
・こんな意義の少ないプロジェクトに150億円も投資し、能力の無い
JAXA職員に高給を払い続ける意味は本当にあるのでしょうか?
具体的にお答え下さい。」
(イザ ニュースブログより)

 そして、読売新聞には、6月14日に下記のような記事が出ていた

はやぶさ後継機仕分け、枝野氏「工夫求めただけ」

2010年6月14日(月)22時51分配信 読売新聞
 民主党の枝野幹事長は14日の記者会見で、昨年11月の事業仕分けの際、小惑星探査機「はやぶさ」後継機開発などの衛星関連予算を「1割削減」と判定したことについて、開発の必要性は否定しなかったと釈明した。
 枝野氏は当時、仕分け人の統括役を務めていた。
 枝野氏は「もう少し工夫すれば、少ないお金で同じ効果を上げられるのではないかという議論だった」と強調。今後については「成果につながることを続けることは、決して否定していない」と述べた。

 上記の蓮舫議員の発言と「もう少し工夫すれば、少ないお金で同じ効果を上げられる」という枝野幹事長の発言に、整合性はあるのか?
 そもそも、仕分けされなければならないのは、彼ら民主党の政治その物ではないのか。将来の日本のことを真剣に考えているのか、非常に疑問である。民主党のお金の感覚がいかにいい加減課は、ツイッターに面白いつぶやきがあったので、下記に引用する。

はやぶさ2の予算=3000万/蓮舫の歳費=3429万円/荒井大臣の架空事務所費=4222万円/鳩山由紀夫の脱税額=4億円/子供手当て=5兆円

 このような、政治のこととは関係なく「はやぶさ」は、宇宙のロマンと、そして、あきらめないで、最後までやり遂げるという日本人の美徳を教えてくれたような気がする。
 今後、はやぶさから入手できたカプセルの中身の解析に、新たな発見を期待するのは私だけではあるまい。日本国政府は、このような、日本人に希望を与え、そして、将来の日本に約にたつことに投資をすべきであるし、その理解を求めるように、政府は動くべきではないのか。
 そのような夢を乗せて「はやぶさ2」の開発は進むのだ。

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ワールドカップに関する雑感(今回はとりとめのない独り言)

ワールドカップに関する雑感(今回はとりとめのない独り言)

 日本時間の6月14日夜、ワールドカップの予選で、日本対カメルーンの戦いが南アフリカで行われた。私は、残念ながら(本当にそう思っているかどうかは不明であるが)出張の帰りで、新幹線に乗っていたために、中継で見ることはできなかった。
 私を知る人は、私がスポーツマンの体系ではないので、運動音痴といわれる人種に属していると見られがちであるが、小学校時代の私は、意外にも運動少年であり、サッカー・野球・柔道と様々なスポーツを行っていたものだ。サッカーに関しては、当時、読売少年サッカークラブと関東大会や全国大会を競っていた「富士見ヶ丘サッカークラブ」に属していた。といっても、基本的に何のことを言っているかわからないと思うが、要するに、東京では有名な強豪チームに属していた。当時「勝利への脱出」という映画があり、そのプロモーションできていたペレが、わざわざ教えに来てくれた(わざわざというのは、私の個人的な願望である)ほどの強豪チームであった。
 とはいえ、今のサッカーはよくわからないのが現状。当時は「ミッドフィルダー」などというポジションはなく、今の単語が分からない。しかし、サッカーそのものは、なかなか良いと感じてしまう。
 スポーツになるとどうしても個人の感情が優先してしまう。何とか元に戻そう。
 さて、今回のワールドカップは、残念ながらあまり期待されていなかった。岡田監督率いる全日本代表は、それまでの練習試合でも敗北続きであり、その内容に関してはとてもとても、ほめられたものではない。とくに、日本のサッカーチームは昔から「決定力不足」であり、その内容たるや、ひどいものである。スポーツというのは「相手に特典を入れられなければ、絶対に負けない」のであるが、逆に「得点できなければ、絶対に勝てない」のも事実である。このような状態で、ワールドカップ本戦に入ったのであるから、当然に期待されないのは、予想の範囲だ。「岡田辞めろ」という新聞の見出しが躍るたびに、私などは職業柄「岡田(克也)外務大臣がへまデモして国民の顰蹙を買っているのか」と邪推してしまうが、どうやら、そうではないらしい。たまに、地下鉄の中で、一人で苦笑してしまうこともある。
 そんな状況では期待されるはずがない。私の知り合いの、全日本のグッズを作っている会社では「今回はあまり作っていません。準決勝まで進むと、グッズが販売できなくなるくらいの在庫しかないんです」という。要するに、グッズを作る会社ですら、逆にそのほうが不良在庫を持たないという意味では、シビアな見方をしているのかもしれないが、準決勝が精一杯、そもそも予選通過が難しいと考えているということになる。
  その状況で、南アフリカという、あまり気候や治安が良くなく、行動の自由(朝にアップするなど)があまりできない国の大会では、あまりよいことはないのではないか。と、期待されない事情はそろっていた。
 少し話はそれるが、南アフリカは世界でも有数な犯罪国である。もともと、金やダイヤモンドなどの地下資源に恵まれている国家でありながら、世界の最貧国に数えられる。アパルトヘイトなど、黒人差別というよりは、地下資源をもとにした、白人社会の差別と、その差別の下にある地下資源の収奪のために、多くの国民は貧しい生活になってしまっている。そのうえで、経済的な内容よりも、まず国家、民族としての独立を考えたために、経済はどうしても二の次になってしまった。もちろん、その選択が悪かったというのではなく、民族というよりは隷従支配からの解放は、非常に重要であるが、その次の「富国」という意味では、発展途上であるといっても過言ではない。
 そのために、今回のワールドカップでも、犯罪に関しては、非常に多く報告されており、取材陣の機材が盗まれた、観光客が強盗にあったなどは、日常茶飯事であると聞く。それでも、「政治的な裏」があるにせよ、このような国際大会があることは、世界からの注目と投資があるというだけでなく、南アフリカの人々のためには、どうしても、必要なモティベーションがあがり、今後国家の経済が、そして国民の生活が向上するきっかけになるのではないかと考えてしまう。
  話を戻して、それほど、期待されていない全日本が、カメルーンに対して勝ったのである。
  日本人に限らず、期待されていない人が勝つと、それだけ、喜びが大きい。勝てると思っていなくて勝った場合の喜びは、なかなか大きなものである。その通り、6月15日のスポーツ新聞の一面は、当然のごとく、サッカー特集であり、本田という選手(ごめん、知らない)の得点シーンの写真が全紙を飾った。勝ったという喜びはよいが、それだけ期待されていなかったということであろう。
  さて、いつも思うのであるが、これらスポーツの世界の祭典(オリンピックやワールドカップなど)で、勝った場合、当然に、国旗掲揚と国歌斉唱が行われる。柔道などで優勝すると、涙ながらに「日の丸」を見上げる選手の映像が流れる。大概の日本国民は、それを見て感動する。しかし、民主党の人々や共産党の人々はどう思っているのであろうかと思う。とくに、民主党。党大会などで、国旗掲揚や国歌斉唱がないことはすでに何回か述べた。そればかりではなく、昨年の事業仕分けではスポーツや文化に関する予算を大幅に削減したのである。その人々が、「日の丸」「君が代」「スポーツでの勝利」に対して、どのような感想を持つのであろうか。これは民主党の支持者にも尾なしことが言える。片方で国旗国歌、文化の破壊政策を行っている政党を支持しながら、片方で、国際試合での勝利で、国旗国歌を見上げる選手に感動するというのは、「自己矛盾」しているのではないでしょうか?まあ、そんなことを考えないから、政策も変わらないで、首相が変わっただけで、支持率があるのでしょうが…。
  ということで、ワールドカップで勝利をしたということだけで、なんとなく様々な雑感が生まれてきます。この件に関して、それぞれは、なんとなく詳しく考えてみようと思いますが、一応「国会新聞社」なので、最後は国旗国歌で終わってみようと思います。

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 菅直人政権誕生

 菅直人政権誕生

 6月8日に、正式に菅直人総理大臣が誕生した。戦後の片山哲内閣以来の本格的な左翼政権が生まれたということができる。
 菅直人氏の出身は山口県宇部市。女性運動家として有名であった市川房江の事務所の代表を務めたことから、政治と縁を持ち、複数の落選ののちに、1980年社会民主連合から衆議院に当選した。社会民主連合は、その後新党さきがけと合併し、、1996年、自民党、社会党、さきがけの連立内閣の中で厚生大臣になる。O157問題で、カイワレ大根を食べる「パフォーマンス」で有名になった。
 その後、鳩山由紀夫氏と一緒に民主党と設立し、現在に至る。
 すでに、ここの読者の皆さんはご存じと思われる菅直人の略歴だ。この楽歴を見てわかるとおりに、鳩山由紀夫とは縁が深いし、鳩山政権の中枢であった。鳩山政権から、看板を付け替えただけで全く違う政権ができたかのような錯覚の日本人たちは、支持率を急上昇させた(これはネットの世界でも上がった)のだから、始末に負えない。もちろん、カイワレを食べただけで「さわやか」といって、特に功績がなくても高感度が上がるくらいだから、日本人は「成長がない」といってもよいのかもしれない。
 その「あまり頭のよくない」日本人に対して7月の参議院選挙のイメージということで言えば、民主党は成功したわけである。しかし、鳩山政権の時と同様「イメージ」で物事を、特に政治を決めてしまっては、大変なことになるのだ。
 今回は、その概説を見てみたい。
 まず、鳩山政権の総括をしなければならない。菅直人は鳩山政権の副首相である。その人が前政権の政策のうち、「何を引き継いで何を引き継がないのか」ということをしっかりと見てゆかなければならない。小沢を引き継がないのは分かった。しかし、小沢だけが、問題なのか。私は違うと思う。民主党そのものが問題だ。そもそも綱領もないし、日本の国家像や将来像がない。逆に、政党としての綱領が泣いた前に、代表や幹事長の個性が目立つことになるが、政党としての活動をどのように考えるのか。
 民主党の批判に関して、民主党は「鳩山」「小沢」個人で対処していながら、前政権を批判するときは「自民党」というように集団で批判を行う癖がある。実際に、同じ手法で「麻生」「安倍」という話にしながら一方で「民主党」というように批判をしてみるとどうなるのか。結局、民主党という政党そのものが理屈も統一の見解もない、烏合の衆でしかなく、それをまとめる個性のある人が、なんとなく代表にいるという構図がすぐに浮かび上がってくるのだ。
 同じことが、今回の中でもいえるのであるが、「悪いことは皆鳩山・小沢」「菅と民主党は関係がない」という話になってしまうと、非常に頭の悪い議論、つまり前提条件がそろっていない議論ができてしまう。そのために、私はこのブログの中で「政策を重視した内容」に努めてきたが、民主党政権になってから、政策がないのであるから、どうしても個人の話やスキャンダルの話になってしまうのだ。
 そこで、あえて聞く。民主党政権としての9か月の政策は何だったのか。
 菅直人が、今後、引き継ぐ政策はなんで、鳩山政権で終わった政策は何か。
 そして、昨年の総選挙のマニフェストで、できなかった部分、国民にどのようにけじめをつけるのか。それも「鳩山政権」ではなく「民主党」として責任を負えるのか。
 第二の問題点。それは「政治とカネ」である。玄葉政調会長は、幹事長と代表を辞任したことによって、小沢と鳩山の政治とカネの問題に関して、区切りをつけたという。本当にそれでよいのか。
 鳩山の脱税問題に関して、中内正ダイエー元代表は3億弱の脱税で、逮捕され、鳩山は、殊勝であるといことからその4倍以上の12億で追及もされないという状況を、どのように考えるのであろうか。「法の下の平等」は、日本ではいつからなくなってしまったのか。中内氏の弁護士には、是非その点を法廷で大きく指摘してもらいたい。もっといえば「気がつかれてから気がつかれた金額の税金を、重加算もなく納付すれば許されるのか」という問題だ。鳩山の脱税問題は、そもそも「法治国家としての日本」の根本の問題であり、その内容は行政府、そしてその行政府の長である菅直人氏にはしっかりとけじめをつける責任があるのではないか。
 小沢に関しては、もっと大きな問題だ。そもそも、石川という元秘書の衆議院議員が起訴されている。石川に対して、何もしないのはなぜだろう。法律の違反者に対する対処として、国会は、機能しなくなったのか。このような『不道徳』な人々に対して、菅直人政権は、同じ民主党でも、けじめをつけることができるのか。党内や、閣僚の人事ではなく、国民に対して、どのように説明し、どのように責任を負わせるのか。そこの問題である。
 ことに、鳩山は辞任の発表の時に「クリーンな政党に戻ろう」と、暗に、自分と小沢が、「クリーンではなかった」と認めたのである。その「クリーンではない」ことに対する民主党の自浄作用が存在しないことそのものが、大きな問題である。

 さて、今回から、ブログは、短い文章で、その代わり更新頻度を増やそうと考えている。今回は、このようなが移設の一部だけを考えてみた。今後、菅直人政権に関する政策課題を、「参議院選挙の争点」ということで、まとめてゆこうと思う。

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