« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

シリーズ日本の小売業 時間消費型マーケット<メルマガより>

シリーズ日本の小売業 時間消費型マーケット<メルマガより>

 商品の販売を行う場合、商品を並べる必要がある。
 それは、商品の供給が少ない場合には、それでものが売れる。
 ないものを売る場合や足りないものを売る場合、その商品は必需品であるから、置くだけで売れる。
 もうひとつは、価格が他よりも安い場合がおくだけで売れるときということになる。
 価格が他よりも安いということは、その時、その場所でしか安くならないのであるから、当然に売れるようになる。

  商品がない時に売れる例が、戦後の闇市や高度経済成長期のことになる。
 闇市では、すでに商品がないのであるから、当然に「おくだけ」で売れる。
 ないものを売るときは簡単だ。
 というよりは、商品を売ることよりも、購入客の混乱の方が問題になる。
 行列などは良いが、商品の奪い合いや窃盗、商品を変えなかった人による喧嘩や暴動。
 奪い合いが起きるようであれば、商品そのものの官吏が最も大きな問題になる。売れる売れないの問題ではない。

  一方、値段が安い時の例が「ワゴンセール」「タイムセール」である。
 もっと言えばバーゲンというのがまさにその例になるであろう。
 ワゴンセールやタイムセールなどを含むバーゲンは、まさに「普段高いものを安く売る」という内容になる。
 その時にその場所で安くなるということで、そのものを置くだけで売れる状態になる。
 その時を逃したら、また高い値段を出さなければ買えないということになるのであるから、当然に、闇市と同じ滋養な状況になる。
 闇市と決定的に違うのは、闇市の場合は、その時を逃せば「買うか買わないか」という選択肢になる。
 一方、バーゲンの場合は、その時を逃しても、似たような商品や同じ商品を高い値段を出せば買うことができるということ。
 その分、完全に手に入らなくなるというものとは違う。
 その分、暴動などの事件は発生しにくい。
 しかし、逆に安いものを買おうとする主婦の必死の形相と戦争さながらの奪い合いは、その現場で発生する。
 今でも、お正月の「福袋」などの初売りセールでは、そのような光景を見ることが可能だ。

<以後の内容はメルマガでお楽しみください>
<メルマガは下記からお申し込みください>

-----------------------------------------------------------
國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
<http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>

<mailto:CQA14363@nifty.com>

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
-----------------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

環太平洋戦略的経済連携協定をめぐる閣内不一致

環太平洋戦略的経済連携協定をめぐる閣内不一致

 「閣内不一致」という批判はテレビなどで聞かれなくなったのは、鳩山政権になってからだ。これはマスコミが悪いということもあるが、一方で「閣内不一致」が日常化してしまいニュース価値がなくなったということを意味していることもある。毎日日常に起きていることは基本的にニュース価値がない。ニュースは「異常なこと」「日常と異なること」があるからニュースになるので、毎日、毎回閣内不一致では、確かにニュースの価値はない。
 しかし、閣内不一致とは、本来は行政権執行者である内閣の意思が統一できていないということであり、それがないようにするため(要するに、国民に行政がどちらに向いているかわからないという不安感不信感を与えないため)に、内閣総理大臣に罷免権を与えている。(もちろん、それだけのために罷免権があるのではない)。
 今回の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に関しても同じだ。閣内不一致であるということは、実際は、参加するのかしないのかが不安定であるということ。このような協定は「YES or NO」しかないのであるから、方針の違いは180度違う。
 自民党の政権の時代は、というよりは妙な政治主導が始まる前は、事務次官会議などで、しっかりと調整が行われており、国民に発表される段階もしくは閣僚が発言する段階では、調整ができていた。この時に調整されているということは「省益」(というものがあるかどうかは別にして)や業界の利権などは調整され、関係するすべての内容に事実が通知されている状態であった。しかし、民主党の政治主導になってから、それらの内容がまったくないために、結局は経済効果の判定など研究がまったくされていないことが大きな問題だ。調整のない内容の「閣僚発言」では、当然に閣内不一致になるし、また、発言の撤回なども増える。その分、「閣僚の発言」の信用性は薄れ、そして政治不信が高まることになるのだ。
 そのような記事が下記である。


<経団連>TPP効果試算バラバラで批判「省益ばかり」

 日本経団連の米倉弘昌会長は25日の会見で、日本が参加を検討している環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を結んだ場合の経済効果試算が各省で異なっていることについて、「日本は縦割りで、国益、国民の生活を考えずに省益ばかりを考えているということで、本当に情けない」と批判した。
 TPP効果について、内閣府は日本の実質国内総生産(GDP)が最大約3兆円押し上げられると試算したのに対し、農林水産省は国内の農業生産額が約4兆円減少するなどと発表したことについての発言。米倉会長は「もう少し横断的に日本国全体でどうあるべきかをまず考えるべきだ」と注文した。

毎日新聞 10月25日(月)19時14分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101025-00000053-mai-bus_all

TPPで関係団体から批判相次ぐ「さらなる自由化耐えられない」

 民主、国民新両党の有志議員でつくる「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を慎重に考える会」(会長・山田正彦前農水相)が27日に国会内で開いた会合で、農業、漁業などの関係団体から、TPP参加に前向きな菅直人首相らを批判する声が相次いだ。
 全国町村会長の藤原忠彦・長野県川上村長は首相の姿勢を取り上げ、「憤りに似た気持ちを表明せざるを得ない」と強調した。全国漁業協同組合連合会の長屋信博常務理事は「水産物の輸入関税は大幅に切り下げられてきた。さらなる自由化は耐えられない」と述べた

産経新聞20101028
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101027/stt1010272154013-n1.htm

TPP参加…閣僚に推進論、民主内で反発の怒号

 菅首相が検討する環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加について、政府・民主党内では26日も、意見調整が続いた。
 首相に近い閣僚からは推進論が相次ぐ一方、民主党の会議では、政府の対応に反発して怒号が飛び交う一幕もあった。
 「TPPの扉は閉まりかけている。先送りは許されない」
 前原外相は26日の記者会見で早期決断を促した。
 玄葉国家戦略相や馬淵国土交通相も記者会見で、「国を開くという発想から一歩進めていくべきだ」などと強調した。
 TPPを巡っては、米国、豪州などを中心に議論が進んでおり、前原氏ら推進派には「日本が11月13、14日のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で参加を表明しなければ取り残される」との危機感がある。
 これに対し、26日に国会内で開かれた民主党農林水産部門会議はTPPを巡って一時紛糾した。政府側が当日になって、農業などへの影響を試算した数値の提示を取りやめたためだ。出席議員からは「なぜ数値を出せないのか。これでは議院内閣制は成り立たない」との反発の声があがった。
 民主党内では、農業分野を含めて貿易自由化の例外を原則設けないとするTPPに対し、小沢一郎元代表に近い議員らから「農林水産業に打撃となり、来年の統一地方選に影響する」との懸念が強まっている。首相が1日の所信表明演説でTPPへの参加検討を表明したことへの唐突感が払拭(ふっしょく)されておらず、「首相が7月の参院選前に、消費税率引き上げに言及した構図と同じで根回し不足だ」との指摘も根強い。

(2010年10月26日21時33分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101026-OYT1T01041.htm

 そもそもTPPは突然出てきた話だ。今年の4月の段階や鳩山内閣時代にこのような話など誰も聞いていないのではないか。もちろん、詳しい人やマスコミなどでは知っている人はいるが一般の目線で言えばまったく報道されていない内容である。
 それは何もマスコミの怠慢でも省庁の情報公開が遅かったわけではない。そもそも、日本は「東アジア共同体」という幻想を追い続け、その枠組みがあったために、TPPのようなアメリカやオセアニアを含む話などは全く耳を傾けていない状態であった。
 しかし、9月以降その民主党の負っていた「東アジア共同体」の話は粉砕される。言わずと知れた尖閣諸島問題である。このことによって、一つは中国を御することのできない日本が共同体などができるはずがないということになった。同時に、法律的にもしっかりとすることができない、そして、外交問題に対応できない、国内では恫喝しているのに、中国に恫喝されれば、すぐに弱腰外交になってしまう。これでは、誰も信用してくれるはずがない。今回の尖閣諸島問題によって、日本は諸外国から信用を失った。その日本が提唱する「東アジア共同体」などに乗る国はない。それどころか、日本は徐々に排除されようとしているのだ。
 それでも幻想を抱いていた菅政権は、丹羽宇一郎氏を中国大使にした。経済人を中国大使にすることのナンセンスさは枚挙にいとまがないが、今回はそれは止めておくことにする。なお、誤解のないように加えれば丹羽氏が優秀でないということを言っているのではない。
 その丹羽氏が中国大使に就任した際に、「日中間FTA」を提唱した。日中間の関税撤廃条約の締結を目指したのである。当然に、尖閣問題とそれに伴い発生したレア・アース問題がその構想も完全に飛ばしてしまった。「日中間FTA」も完全に東アジア共同体と同じ運命をたどることになったのだ。
 その状況の中において、日中間のFTAを目指す菅直人は他国を巻き込んで、関税撤廃条約を検討する。それがTPPだ。
 要するにTPPは、菅・仙石政権における日中外交の失敗・失政の産物といえる。中国とまったく交渉をできない菅政権が、日本国内への影響も考えることなく、自分のメンツによって「TPP」を言い始めたのだ。それも、上記にあるように事前の調整も根回しも何もない状態での発言。そのような事前の調整のない発言は、参議院選挙時の消費税発言でも菅直人の特徴である。もともと三権分立がないという発言をくり化している菅直人氏は、当然に首相であることが独裁者であるかのごとく思っているようだ。表面でそのように行っていなくても、このような発表のタイミングや調整によってその本心は出るものだ。
 私は何度も言っているが、国内の行政であれば、後でやり直しが利く。しかし、外交における失政は日本国の運命を変えてしまう。その外交における内容を密室でしかも議論もなく勝手に決めてしまうのは、非常に大きな問題だ。また、そのような態度は、新たな政局を産み21日には民主党内で小沢・鳩山派110名が集まって、TPP反対の集会を行うなど、民主党内の反執行部における抵抗もかなり強くなってきている。
 日中外交の失政を隠すために、TPPということを行う。その行うことの是非は、立場によってさまざまであると思うが、門ぢ亜はそれを決めるまでのプロセスと事前の調整、そして、その後の発言と政治の信用性の問題である。それらができなければ、国民の政治不信も強くなる。
 菅政権には、根本的に「日本のため」「国民のため」の政治をしてもらいたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チャンネル桜「反日デモから見る~中国は本当に強大なのか?」収録

チャンネル桜「反日デモから見る~中国は本当に強大なのか?」収録

 昨日28日はチャンネル桜の番組の収録であった。新聞記事ばかりではなく、このような内容も「私個人のブログ」であることから、半分(以上?)宣伝でやっている。

番組名:
「闘論!倒論!討論!2010 日本よ、今...」
テーマ:
「反日デモから見る~中国は本当に強大なのか?」
放送予定日:
平成22年10月30日(土曜日)
20:00-23:00
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)
パネリスト:50音順敬称略
石 平(作家・評論家)
宇田川敬介(国会新聞社編集次長・ジャーナリスト)
小川 一(建設コンサルタント会社経営)
香月勝則(マレーシア在住・アーキテクト)
永山英樹(「台湾研究フォーラム」会長)
鳴 霞(月刊「中国」編集長)
宮崎正弘(作家・評論家)
司 会:
水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

 という内容だ。
 さて、実はこの記事は、収録前に書いているので、収録がどのような方向に進むのかは全く想像ができない。とはいえ、その内容に関して大々的にここで宣伝するつもりもない。このような番組をきっかけに、私が書きたいことを書いているというのがこのブログの内容である。
 ちなみに、このブログは、当初誰も読まないような記事を適当に選んで書くつもりであった。昔は、アメリカの政治家の売春の問題(マダム・何とかっていたでしょ)など、どちらかというとスポーツ新聞の社会面の記事を参考にすることが多かったのであるが、ある時から、急に政治面をということになった。もちろん国会新聞社ということもあるので、そのようなことをすべしといわれたのもあるが、まあ、女性スキャンダルなどは私自身にも様々あるので、どうしても矛先が鈍ることがある。今後たまにはそのようなものも入れてみようと思うが、最近は面白い記事がない。
 さて、その女性問題の宝庫、というかそれが普通の中国についてが今日の主題だ。
 まず、中国との問題を整理してみよう。
 中国そのものは、現在も共産党一党独裁であり中国全土にある組織は「中国共産党」「人民解放軍」の二つの組織しかない。ここに手を入れようとして佐川急便は日本でまで疑獄事件に発展し、法倫講は弾圧された(どちらもそれだけが理由ではないとも思う)。しかし、鄧小平以降改革開放政策をとり、共産党政権下における<仮想>資本主義化を実現してきた。日本はその改革開放を完全なる資本主義・自由主義化と思い込んでいる人が少なくないので、日本で言われている「チャイナリスク」という中には、そもそも共産党一党独裁体制と社会主義政権という考え方があれば未然に防げるものが少なくない。そもそもそれを理解していないで「チャイナリスク」という論調は、日本において「日本人は自分で調べることもしないで進出してきた」という、日本人劣化説を裏付けるようになるのでやめるべきだ。
 完全に政治体制が違うし、民族における価値観もまったく異なるのが中国だ。その中国との対処で何をするのかということだ。
 「中国は強大なのか」ということでの議論。多分「中国は強大だ」が結論である。しかし、その「強大な中国を恐れる必要があるのか」という問いには「NO」である。これが簡単な結論ではないかと思う。下記、その理由について記載してみよう。
 中国の強大さは、その中国の深遠さと同じであると思う。明治維新時代、アヘン戦争などで戦勝をし香港マカオを租借した欧米列強は、それでも「眠れる獅子」といって中国(当時は清帝国)を恐れた。欧米が中国を列強ではないと判断したのは、それこそ日清戦争での敗戦からだ。日本は中国よりも小国と思われていた。その小国が中国を相手に戦勝したのであるから、「眠れる獅子」は「張り子のトラ」に変化してしまった。いや、中国が変化したのではない。中国への認識が変わったといってもかまわないであろう。
 しかし、その中国を占領すると氏「八紘一宇」の理念を掲げた日本は、日華事変、日中戦争を敗戦する。
 要するに、うまく表現できないが「中国は、中国を統一して外に出てくるときは弱く、中国の内部に入り込むと困難」というのがポイントであろう。もっと言えば、現在の中華人民共和国といえども、中国人民全てを把握し、そして中国人民を統治しているかといえば、それは違う。中国人民解放軍は人民解放軍という正規軍でしかなく、そのほかの民衆の集合体ではない。その中国の「大多数の民衆」を相手にし、それを支配しようとすれば、それは非常に困難であり、大きな敵となる。一方で、中国の正規軍、中央政府は中国の一部でしかなく、それは、「民衆(人民)の国中国」を背景に大きく見せているが、その実、外交と中国の民衆という二つの大きな集合体に挟まれて右往左往している。これが中国中央政府の実態ではないのか。
 中国の民衆の中に溶け込むことは、非常に難しい。個人としてならば、それもできるかもしれない。しかし、他国や政府(現在の中国共産党も含めて)という「公権力」が中国の民衆を支配するということは、基本的には、太古の昔、秦の始皇帝が統治している時代から今まで不可能であろうと考える。
 逆な言い方をすれば、中国政府は、秦の始皇帝の時代から今の共産党まで、中国の民衆をしていなかった。中国民衆は、確実に中国という同じ土地において中国という同じ中に入っていながら「政府なんかない」かのように、無政府状態の民間社会を築き、民間経済を営んできているのである。
 中国の農村人口など仮想人口は9億人(一説には10億人)、都市生活者が4億人(一説には6億人ともいわれる)そして、上層部の中国共産党や地方行政、国営企業、解放軍など、オフィシャルな仕事についている人が6500万人。これが実態であり、それが社会肩書条はヒエラルヒを築きながら、一方で各階級において上下関係があり、別社会が形成され、そしてお互いの階層において裏面で深くかかわりながら刺激しているのが中国の実態なのであると考えられる。
 そのような国に「一党独裁だから温家宝に会えば何でも解決する」「鄧小平の親族だから大丈夫」などと言っても、何の関係もない。いかにも、肩書や外見でしか人や集団を判断できない日本人の、最も誤った中国人観であるであろう。
 さて、ではこのような中国において、何をしたらよいのか。
 そもそも日本人は中国を知ることが最も重要であろう。中国を知ることとは、当然に中国の上記の階層や中央と地方の確執、共産党と人民解放軍の力関係などをしっかりと把握する事。逆にいえば、今まで「中国は陣地国家だ」「一党独裁だ」などといった「間違った先入観」を完全に払しょくしなければならないそれら先入観を払しょくすることができなければ、何の話にもならないであろうし、正確な情報を知ることができなければ、リスクやメリットを正確に把握することもできない。相互的な戦略を立てることもできないのである。
 もうひとつは、中国の経済の問題だ。中国の経済は、そのまま膨張経済であるGDPの毎年の上昇がありながら、労働者給与の上昇は全くない。今年6月にストが出たのが初めてくらいであろう。そのような状況において「投機目的の資産」以外の商品が内需押し手がるはずがない。物価が上がりながら給与が下がるという状況は、まさに中国経済の矛盾が大きいことを示している。
 ましてや、上記のように標記できていない、中央政府が把握していない経済活動人口がほとんどである。その中において中国経済を楽観的に語ることもできなければ、発表した数字をそのまま「中国全土の実態」と考えること自体が間違いであろう。そのような経済評論をしている人が少なくないが、とてもではない。中国は信用できないと言いながら中国政府発表の数字を引用するなどという不思議な経済評論を見ると、滑稽としか言いようがない気がする。そのような経済評論に惑わされることなく、実態をしっかりと見極める必要があるのではないか。
 孫子の兵法に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という言葉がある。日本の中国観は、まさにこの中国の古代兵法家に習わなければならないであろう。逆にいえば、今の政権だけでなく、企業も民間もマスコミも、結局のところ、中国の古代兵法家の孫子の域に達していないということだ。
 情報を大事にし、そして、冷静に分析する。中国に関することだけでなく全てのことに必要な内容であるが、それができていない。これが日本人の現状である。その日本の現状をも直視すべきなのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主党の問題発言三記事。民主党のモラルや道義はないのか

民主党の問題発言三記事。民主党のモラルや道義はないのか

 われわれマスコミの間では、大きな一面記事は非常に重要であるが、意外と小さい記事に注目をすることがある。読者の皆さんは、「扱いが小さい」ということが少なくないのであるが、実際、小さい記事のほうが、記載掲載が難しいし、影響力を持つことは少なくない。
 ただ、記事が小さいと、このブログのように、記事を切り抜いてその内容を一つを評論するということがなかなかできにくいことはある。やはり一面で大見出しの方が説得力もあれば話題性も豊富だ。当然にテレビなどでも扱いが出ることになり、画面、動画での訴求力は大きなものになる。これに対して、小さな記事は、やはり扱いも小さくなり、話題性も少ない。
 上記に、小さい記事の方「記載」「掲載」が難しいといった。話題性がない分、小さい記事の中に、様々な情報を詰めなければならない。ツイッターと違って、その次の記事を賭けるわけでもない。一つの記事で多くの内容を含めなければならないので、なかなか難しいのである。そのような記事は、見出しも少し過激になるし、本音があげられる。その本音も誰かの発言という形で印象付けるようになる。この「印象付け」がまさに「偏向報道」の巣窟であるが、そのことはまたの機会に書くとして、記事としての内容はその中においてしっかりを書かなければならない。
 今日は、そのような「小さな記事」を特集してみたい。
 内容は「鳩山前首相の引退撤回」「羽田雄一郎の世襲禁止批判」「仙谷官房長官の恫喝謝罪」である。


鳩山前首相の引退撤回、野党「不信」「無責任」

 野党各党は25日、民主党の鳩山前首相が政界引退を撤回する意向を示したことを一斉に批判した。
 自民党の石原幹事長は党本部で記者団に、「首相まで務めた方が『辞める』と言っておいて『またやる』と言うのは国民の失望を招く」と述べた。石破政調会長も「信じられない。軽々と前言を撤回するということは、鳩山氏が作った民主党の発言は信用ならない、ということだ」とし、国会でも追及する考えを示した。
 首相時代から、沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題や政治とカネの問題などで、発言撤回が相次いでいることにも矛先が向いている。公明党の山口代表は東京都内で記者団に、「前首相の発言は無責任でぶれている」と述べた。共産党の市田書記局長も25日の記者会見で、「言ったことと行うことが次々と逆で、国民は何を信じたらいいかと思っている」と語った。

(2010年10月25日20時40分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101025-OYT1T00954.htm


「一言で済まされぬ」羽田雄一郎氏、世襲に含み

 羽田孜元首相は24日、長野県東御市内で開いた後援会会合で、「(昨年)引退表明したが、これからも県全体のために努力したい」と述べ、今期で政界を引退する意向を改めて示した。
 後継者問題については言及を避けた。
 会合後、長男の羽田雄一郎参院議員は「参議院国会対策委員長の職務を全うすることしか考えていない」と語った。民主党の世襲禁止の方針について、「応援をいただいた方のことを考えると『世襲はダメという規約』の一言で済まされることではない」とも述べた。

(2010年10月25日10時41分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20101025-OYT1T00303.htm


仙谷長官の謝罪、「どう喝」明言せず自民は不満

 仙谷官房長官は25日の参院予算委員会の冒頭、自らの国会答弁について、「事実に反した答弁や、不適切な表現をした答弁があった」として謝罪した。
 特に、民主党の天下り問題への取り組みを批判した政府参考人に関して「将来を傷つける」と発言したことに触れ、「圧力を加えたと思われても仕方ない不適切な答弁だった」と述べた。
 仙谷氏の謝罪については、政府・与党と野党が事前に文言を調整し、自民党側は「政府参考人をどう喝した」と明言するよう求めたが、政府・与党側は難色を示していた。
 仙谷氏の謝罪に対し、自民党は「不満だ。了解できない」(礒崎陽輔氏)と反発しており、火種は残ったままになっている。

(2010年10月25日20時40分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101025-OYT1T00947.htm

 三つの記事を見てどう思うであろうか。
 まず、この三つの記事は、完全に「記者」「新聞社」の意見が入っていないことにお気づきだろうか。印象として、「表題(見出し)」と「鍵かっこ(誰かの発言)」だけで構成されている。それでも、民主党という政党の議員が「一度発言したことの責任の取り方や実行力が全くない」という印象をしっかりと見出すことができるのではないか。
 個別に見てゆこう。
 鳩山前首相の引退撤回に関しては、まさに「首相まで務めた方が『辞める』と言っておいて『またやる』と言うのは国民の失望を招く」という石原幹事長の発言にすべてが集約されている。鳩山氏は、以前にも「秘書が逮捕されたら私ならばバッチを外します(議員を辞職します)」と言っておきながら、自分の秘書が逮捕された事案では責任も取らなかったではないか。今回は「首相を引退された方は、議員も辞職すべき」とと発言しておきながら、自分がその立場になれば、まったく信用できない。
 さて、民主党の支持者においてあえてここで言いたいのは、小沢の政治とカネの事件では、前田検事が取り調べをしたというだけで、小沢の事件にも影響があるとしながら、鳩山の発言に関しては、なぜ民主党全体の問題として取り扱わないのであろうか。前田の件は検察全体の信用性の問題としながら、首相を経験した人の発言の撤回は「個人の問題」といって平然としている、その民主党の体質そのものが、まさに「言うだけで不実行」の民主党を物語っている。鳩山故人の問題ではない。民主党全体の体質の問題である。
 首相経験者の、自分の発言を実行できない内容は、まさに、政治不信そのものにつながる。与党第一党で、政権交代をお粉た時の政党の代表で、行政府の長である。その人の発言が「信用できない」となった時、国民は政治の何を期待し、何を信用するのか。少なくとも、民主党政権を信用してはいけないという教訓にしかならないではないか。
 もうひとつ、羽田雄一郎に関して。羽田雄一郎氏自身は何ともない。しかし、民主党が世襲禁止と言いながら、山岡賢次や菅直人の息子が立候補している。同じ地盤でできないということで羽田雄一郎は後任をもらえないのは「民主党」の問題であり法律の問題ではない。しかし、民主党は例外を認めれば、当然に「民主党不信」は完全に大きなものになるであろう。そうなった場合に「事前の発言を撤回」で済む問題ではないのではないか。
 それならば羽田雄一郎は「民主党を離党」すればよいのではないか。党内で批判するのも良いが、そもそもそれができないのであれば離党を行えばよいことそれができないのであれば、逆に執行部を批判しても何の意味もない。離党する勇気もなく、発言を撤回する勇気もない。それで政治家が良く勤まるものだ。このような発言をする、またこのような状況の民主党を支持する人は、「詐欺師が嘘を言っても怒らない」人なのであろうか。「朝令暮改」「自己都合の発言の撤回」が許されるのであれば、信用はなくなる。
 少し考えてほしい。この「政治不信」を海外からもたれた場合、日本そのものがおかしくなるのである。そのようなことがこの記事の彼らの発言の中に凝縮されているのである。そのことを政治家自身が気づいているということではないか。気づいていて、それを直すことのできない、自分の行動を律することのできない人が国を正しい方向に導くことができるはずがない。
 最後に仙谷だ。これは論外だろう。そもそも過ちはだれでもある。当然に謝罪も必要な場合がある。しかし、その謝罪ができなければ、より一層不信感と不満が募るものだ。そのことがまさにこの記事に現れている。
 謝罪ができないということは、「発言」「行動」に責任を伴っていないということだ。要するに仙谷官房長官は無責任に権力をもてあそんでいるということに他ならないではないか。日本の区の政治をそのような人々のおもちゃにしてはいけないのではないか。
 小さい記事に関しては、このように、彼らの発言から十分に物事を読み取ることができる。これからは小さい記事も読み飛ばすことの内容にしていただければ、面白いのではないか。今回のブログは、その小さい記事の内容に合わせて、少し過激に記載してみました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主党の経済音痴ぶりに驚愕、為替介入しづらくなったG20共同声明

民主党の経済音痴ぶりに驚愕、為替介入しづらくなったG20共同声明

 24日の北海道5区の補選の余波が国会の中では吹き荒れている。まさに、安倍政権以降追い風であった民主党と受け身に立たされた自民党の立場が完全に逆になった内容である。それでも、自民党時代は「他人に」責任転嫁をすることはなかった。しかし、民主党の場合は、そのような成熟した政治ができないらしく、何かというと他者に責任を転嫁する動きになる。今回の北海道5区補選。そもそも、菅政権、民主党の政治そのものに国民が嫌気をさしている状況ではないのか。今回の、国民の、少なくとも北海道5区の有権者の国民の意見をまったく無視した責任転嫁合戦は、まさにドタバタ喜劇以上の悲劇であると考えられる。
 まず、「政治とカネ」で負けたという。そして急に小沢への政倫審や証人喚問への出席の意向を聞くような話だ。しかし、それならば、日教組や北教組への制裁もしくは選挙運動規制(そもそも教職員や公務員の政治活動禁止はどこへいったやら)はどうしたのか。今回の補欠選挙になった経緯から考えて、民主党の支持団体と民主党の候補の関係を正すことをしなければ、国民は納得しない。昨日のブログでも書いたが、国民の「風」がなくなた現在では、そのような組織票仕方の身がないのもわかるが、その組織票に絡んで不正が行われた、スキャンダルがでた。そして、その内容が国民の不信につながる。まさに、「負のスパイラル」に陥っている。しかし、そのスパイラルの中心に手を入れられない。自民党の批判は十分すぎるほどできるのに、自分たちのこととなると他人に責任転嫁をして逃げ腰になる。まさに民主党の専売特許だ。
 その責任転嫁の矛先はマスコミに向けられた。仙谷官房長官は「補選の選挙区は産経新聞が良く読まれているのか」という会見を行って、記者からの失笑を買った。つまらないジョークのつもりかもしれないが、ある意味本音をついているであろう。仙谷は、産経新聞が民主党政権に批判的であると目している。逆に、そのようなことを言えば産経新聞に関してはがぜん注目が集まる。しかし、仙谷は時運が権力者と思っているからその辺が分からない。まさに共産主義、一党独裁の独裁者然とした為政者には、言論の自由は理解できないらしい。
 今回はその産経新聞から、民主党政権の経済音痴の記事を。


G20共同声明の骨子

 【G20共同声明の骨子】
 ○通貨安競争を自制
 ○経済の基礎的条件を反映し、為替レートの過度な変動や無秩序な変動を監視
 ○経常収支の過度の不均衡を削減し、持続可能な水準で維持するための政策を追及
 ○大規模な不均衡について今後、合意される参考となるガイドラインに照らして評価
 ○世界経済は回復を続けているが、下ぶれリスクは残っており、国や地域によって異なる
 ○銀行の新しい自己資本規制の枠組み「バーゼル3」を歓迎
 ○国際通貨基金は2012年までに、新興国の出資比率を6%以上、拡大

産経新聞2010.10.23 19:57
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/101023/fnc1010231958012-n1.htm


「日本はお人よし」 G20“参考指針”で円高、輸出に足かせも

 週明け25日の外国為替市場は、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が合意した「通貨安競争の回避」をあざ笑うかのように、一時1ドル=80円45銭まで円高が加速し、15年半ぶりの最高値を更新した。円高に悲鳴を上げる経済界からは、G20での政府の対応への不満が噴出。特に共同声明に盛り込まれた経常収支の黒字に枠をはめる「参考指針」が、円高圧力を一段と高め、景気回復の足かせになるとの懸念が出ている。
 「この局面で円高圧力を高めるような声明にサインするなど、“お人よし”としかいいようがない」
 ある民間エコノミストは、あきれ顔だ。
 同日の市場では、参考指針について、「中国と同様に経常黒字国である日本が、為替介入で通貨安に誘導することは難しくなった」と受け止め、円高要因になった。
 経常収支は、輸出入や海外投資などを含めた対外的なもうけを示す指標。会議では、米韓が初日に「経常収支の黒字額か赤字額を国内総生産(GDP)の4%以内に抑制する」という数値目標の導入を提案。中国やドイツの反対で見送りとなり、妥協案として「参考指針」が盛り込まれた。
 数値目標も参考指針も、赤字状態にある米国が、介入で割安に抑えた人民元を武器に輸出で黒字をため込む中国をターゲットにしたものだ。
 人民元切り上げが遅々として進まない中国への不満を背景に、G20では「介入による管理為替の弊害は、経常収支に枠をはめる管理貿易で是正するしかないと、一定の支持を集めた」(国際金融筋)という。
 野田佳彦財務相も、G20会議後の会見で、「参考値としてならば構わないのでは」と述べ、賛同したことを明らかにした。
 だが、その甘い判断が日本と中国を同一視する連想を呼び、円高が進んだ。参考指針は、輸出に依存する日本の景気回復にも影響を及ぼしかねない。
 大手自動車メーカー幹部は「決められた黒字枠の中で、誰が配分のバランスを決めるのか。輸出企業の死活問題に直結する」と懸念を示す。
 参考指針が、どういったものになるのかは現段階では不透明だが、「何らかの数値は示される」(関係者)との見方が強い。仮に米国が示した4%の枠がはめられたとしても、日本の経常黒字の対GDP比率は過去10年間ほぼ2~3%台を維持してきた。
 ただ、平成19年には輸出が伸び、4・8%に跳ね上がったこともある。現在の日本経済はデフレ不況から脱却できず、国内需要は低迷しており、景気回復は輸出に頼らざるを得ない。
 しかも、「日本企業は円高という重しを付けられ、韓国などの新興国と勝負させられている」(日本総研の藤井英彦調査部長)のが実情だ。
 少子高齢化で中長期的にも国内市場の縮小が避けられないだけに、参考指針で管理貿易がはびこれば、日本が最もダメージを受けることになる。

産経新聞2010.10.25 22:58
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/101025/fnc1010252259016-n1.htm

 民主党は、言っていることとやっていることが完全にちぐはぐな状態になっている。先日まで「単独でも為替介入を行う」「円高対策を行う」と言いながら、今回G20に行くと、このような合意に調印して喜んで帰ってくる。「通貨安競争」にくみしないとは、まさに「この局面で円高圧力を高めるような声明にサインするなど、“お人よし”としかいいようがない」(上記記事より)である。
 では、何が問題なのか。そもそも「通貨安競争」が規制されているが、「何が通貨安競争なのか」がまったく定義されていない。要するに、基準がなければ「各国の主観」が通貨安の基準になる。「大規模な不均衡」など、全てが抽象的な状況で、官吏為替あできない状況では、日本だけ円高になる可能性もすてきれないではないか。というよりはG20の日本以外の国が「現在の為替相場が適正である」と判断された場合は、日本は1ドル80円前後を基準に世界競争を行わなければならない。
 このブログで何回も書いているように、日本は、そもそも産業の構造を変えてゆかなければ立ち行かない状況になってきている。産業が空洞化して、日本における工場が少なくなり多くの工場が海外に移転されている現状において、これ以上の円高基調になれば、日本のおける輸出産業は完全に死滅する。世の中には「円高で内需拡大」と民主党の藤井裕久と同じような内容を言っている経済評論家もいるが、実際、その「内需」の源泉となる個人所得、もっと言えば個人の所有資金は、どこにあるというのか。赤字国債を無尽蔵に発行したところで、その赤字国債そのものはあくまでも返済義務と金利の付与義務があるのだから、一時的に財政出動をしても長続きをするものではない。そのことが中国のバブル崩壊説につながっているのであるが、中国は国内に東西格差があるので何とか経済発展が見込める、日本の場合そのような地域経済格差も中国ほどの格差は存在しないので、そこまでの財政出動はきて抱きないであろう。
 当然に、日本の場合は、資源の輸入と加工品(半製品も含む)の輸出で成立している貿易構造を持っている。実際に円高で景気が良くならないという現実そのものを直視し、その内容で為替介入が必要であろう。トヨタは現在の為替差損により1500億円の赤字を計上した。そのうえで最終決算ではどうなるかわからないと業績見通しを下方修正している。その内容は、まさに日本の製造業の実態を示しているのではないか。ついでに言えば、日本の場合人件費なども非常に高いので、一つの製品に対する関連原価が非常に高いので、その分の競争力の減退も考えなければならないであろう。それをカバーできないどころか、国際競争力をより減退する円高は、日本の製造業にとっては非常に大きな問題である。
 その状況を打破できるのは、為替介入か公共工事しかない。要するに競争力をつけるか需要を創出するしかない。もちろん双方でもかまわないのである。しかし、民主党政権は公共工事に関しては「ムダの削減」「マニフェスト」で完全になくしている。群馬県の八場ダムが良い例である。ダム工事中止を宣言し1年間も結論を出さずに放置したままだ。一方川瀬に関しては、「断固として介入する」と言っていたが、今回のG20の内容のとおりである。
 民主党は、この国の経済をどのように持ってゆきたいのか。経済に関して統一的な考え方があるのか。民主党には綱領がないとか言われるが、そもそも、経済の基軸はどのような政策を持っているのあ。経済は生き物であるから時に応じて変化してかまわないと思うが、現在のこの円高株安の状況での政策はどのようにするのか。
 民主党の政権運営のいい加減さは、上記の記事のエコノミストの嘆く通りでしかない。このような政治の空白が、そのままわれわれの生活を直撃するのだ。そのような政権を長続きさせてよいのか。次の選挙で選ぶのは私たち国民である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

北海道5区補選、自民党町村候補の当選と「民主党土砂崩れ現象」

北海道5区補選、自民党町村候補の当選と「民主党土砂崩れ現象」

 本来、この記事は、月曜日に出さなければならない記事であったと思う。しかし、毎週月曜日は、よほどのことがない限り(といっても、かなりいい加減な基準であるが)マスコミ批判に関する一考を行っているので、月曜日にこのことを出さなかった。
 日曜日、それも8時開票開始で開票からすぐに、北海道5区の補選において町村信孝元外務大臣が当選確実になったという報がでた。北海道5区の補選は、菅直人の改造内閣が発足してから初めての国政選挙であり、その動向がかなり注目された。そのために菅内閣は、閣僚クラスの応援をかなり多く出していたのだ。
 とくに、北海道5区は、前回、昨年の衆議院総選挙で町村氏が小選挙区で落としている選挙区だった。その選挙区において、補欠選挙が行われた。補欠選挙とは当然に誰かが辞めた後の欠員を補う選挙だ。今回は、北海道日本教職員組合における選挙違反事件で、逮捕者をだした、民主党の小林千代美議員の補欠選挙に当たる。
 記事の前に、まず、開票による票数を見てみよう。

 ▽衆北海道5区補選開票結果
当選 125636 町村 信孝 自前
    94135 中前 茂之 民新
    15583 宮内  聡  共新
     2697 河村美知子 無新
     2325 森山 佳則 諸新

 まず、町村信孝氏は二位の民主党中前氏に三万票以上の差をつけての勝利である。完全勝利と言って過言ではないであろう。その内容に関して見てみると下記のようになる。

衆院北海道5区補選、自民が勝利=民主政権に打撃―「政治とカネ」響く

菅改造内閣発足後初の国政選挙となった衆院北海道5区補欠選挙は24日投開票され、自民党前職の町村信孝氏(66)が民主党新人で元国土交通省職員の中前茂之氏(38)=社民、国民新推薦=らを破り、当選を確実にした。検察審査会の議決で強制起訴される小沢一郎民主党元代表の「政治とカネ」の問題などが、民主党への逆風となった。
 7月の参院選に次ぐ国政選挙での敗北は、菅政権にとって大きな打撃。菅直人首相は、円高・デフレ対策を盛り込んだ2010年度補正予算案の早期成立を目指すが、自民党など野党は小沢氏の証人喚問要求を強めている。補正の国会審議を含め、首相の政権運営は厳しさを増しそうだ。
 自民党の谷垣禎一総裁は24日夜、民主党が小沢氏の喚問に応じないことを念頭に「問題に決着をつけられない民主党政治に有権者が的確な批判をした」と強調。民主党の渡辺周選対委員長は「政治とカネの問題も敗因だ」などとコメントした。
 同補選は、北海道教職員組合(北教組)の違法献金事件で民主党の小林千代美前議員が辞職したことに伴う。民主、自民両党の公認候補のほか、共産党新人で党道常任委員の宮内聡(47)、政治団体「幸福実現党」の森山佳則(43)、無所属新人で元会社役員の河村美知子(62)の各氏が立候補した。 

時事通信 10月24日(日)20時6分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101024-00000077-jij-pol

町村氏に敗れた民主、「政治とカネ」で動けず

 北海道教職員組合(北教組)の違法献金事件などが発端となった衆院北海道5区補欠選挙は24日、自民党の町村信孝氏(66)が勝利した。
 今回の補選の焦点は「政治とカネ」だった。民主党は自らが招いた失点を克服できず、集票マシンである労働組合の動きにも精彩を欠いた。
 中でも違法献金事件で団体として有罪判決を受けた北教組は、選挙戦で表立って動くことができなかった。
 町村氏の「当選確実」を聞いた民主党新人の中前茂之氏(38)の選対本部長、荒井聰・前国家戦略相(64)は「政治とカネの問題は、今回の選挙の発火点だった。ハンディキャップがあった上で戦っており、影響はあった」と硬い表情で語った。
 高い組織力を誇る北教組は従来、地盤を持たない民主党候補に選対幹部を送り込み、選挙を仕切ってきた。昨年8月の衆院選でも、当時の委員長代理が、民主党の小林千代美・前衆院議員(41)の選対委員長を務めた。
 今回の補選は、選対幹部から労組関係者が外れたが、北教組は機関誌で「組織推薦」として顔写真付きで紹介。各支部に「支持者カード」集めなどを指示した。
 しかし、町村陣営は北教組批判を展開。内部にも「表だって運動すれば、候補のイメージが悪くなる」とのジレンマも広がった。

読売新聞 10月24日(日)20時59分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101024-00000517-yom-pol

 今回の補欠選挙で注目されたのは、二つ。一つは民主党の支持率低下とその影響力の薄れ方だ。過去に、政変の起きるような大きなウネリはいくつかあったが、それは長続きしなかった。日本社会党土井たか子による「反消費税・マドンナ旋風」もそうであるし、細川内閣によるウネリも同じだ。いずれも、政権をとる前と取った後で「言っていることが違う」という話、逆に、政治家にしてみれば、「現実の壁は厚い」ということになる。日本社会党はマドンナ旋風ののちに、日本新党とともに政権につく。その後村山富市政権が発足するが、その後は残念ながら衰退の一途をたどることになる。それまで「自衛隊は違憲」としてきた内容など、政権に反抗していた内容が次々と「取り込まれてゆく」形になる。細川内閣に関しても同じだ。
 小沢一郎は、その頃の状況を反省し、「政治主導」「官僚否定」を打ち出したが、残念ながら、民主党の国会議員は官僚をしのぐほどの議員は存在しなかった。そもそも、多くが官僚出身であることから、元の役職や上下関係に縛られる議員も少なくない。政治家にとって「強み」は「弱み」でもある。官僚出身が良く出る音もあれば、それが足かせになることも少なくない。「知っている」ということは必ずしも改革に結びつかない。
 官僚出身ではないが、結局「政治主導」をできなかったのが菅直人首相本人だ。24日の自衛隊観閲式でも、臆面もなく原稿を取り出して読んでいた。会場にいた人ならばわかると思うが、完全に「読み上げている」という雰囲気で、自分で考えた文章ではないことは明らかである。
 「官僚を超えられない」と言っているのではない。民主党の言う「政治主導」が絵空事でしかないということが言いたいのである。そして、そのことが完全に国民にさらされてしまったといって過言ではない。それ以外の「民主党独自」の部分は、逆に、全てが失政だらけだ。外交、安全保障いずれも国民の中でデモが起きるほどの失政であるし、中国のデモは完全に常軌を逸している。朝日新聞が報じた(このブログでも紹介した)仙谷の「素晴らしい裏ルート」は、反日デモを抑えることに寄与することができないばかりか、24日には日本人ジャーナリストの一時拘束まで発生し、看過できない状況になっているのである。政権運営としては完全に「崩壊した政権」であり、仙谷官房長官が国会で恫喝するなど、道義的にも悖るという評価になってしまうのではないか。
 そのような「民主党土砂崩れ現象」に歯止めがかからない状況になっている。
 その「民主党土砂崩れ現象」の歯止めと期待されているのが「組織票」であろう。しかし、今回は、その組織票も機能しなかった。北海道における組織票の中心は言わずと知れた「北教組」である。しかし、今回はその北教組が主体となった事件であり、組織が全く動かなかったといってよい。それでも、北教組は解放などに推薦状を出していたが、活動はほとんどできなかった。それだけではなく、北海道における道民の北教組に対する目は冷たいものがあったといってよい。従来の民主党支持者や北教組関係者であっても、今回投票に行かなかった人が少なくないのは、まさにそのものを表しているといえるのではないだろうか。
 この「政治とカネ」の問題は「北教組」だけではない。そもそも「政治とカネ」の事件そのものが民主党のお家芸のようになってしまっている。話題になただけでも、今回の小林千代美以外に、九州の後藤英友、裁判を起こされている辻恵、多額子供手当の鳩山由紀夫、そして石川知裕と小沢一郎。逮捕者もふたケタに上る。
 金銭スキャンダルは、まさに、大きなスキャンダルである。とくに金銭スキャンダルで「選挙違反」とは、金で票を買ったという事を意味している。また、これをかばう民主党の姿も見苦しい。それまで自民党の議員に何を言っていたのか。自分たちの言っていることを守れない政権がまさにここに存在するのである。「綺麗事ばかり」並べても、行動でできない人は意味がない。そして、国民も期待できない。
 まさに、現在の政権運営と、組織票と政治とカネの問題。この二つが焦点となった補欠選挙で、自民党の町村信孝氏が大勝したのである。というよりは、民主党が惨敗したともいえる。
 これは、民主党が国民からの支持を失ったといっても過言ではないのかもしれない。最終的には来年4月の統一地方選挙で様々なことが見えてくると思うが、民主党土砂崩れ現象は、まさにまだ「崩壊の始まり」でしかないのかもしれない。そのことを踏まえた今国会の運営、そして、「崩壊し始めた民主党と組む政党はどこなのか」という観点で国会を見ていけば面白いかもしれない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

マスコミ批判に対する一考(16) 日米記者の基礎知識と報道姿勢の違い

マスコミ批判に対する一考(16) 日米記者の基礎知識と報道姿勢の違い

 ニューヨークタイムズで日本の分析記事が載った。そのニアように関してPJニュースというインターネットの情報サイトでそれを特集している。残念なあらこのような記事は、日本の大手新聞には出てこない。今回は、この内容そのものではなくこの内容が新すマスコミのあり方について考えてみたいと思う。
 まずは、内容を読んでもらいたいので、その記事から。

NYタイムズの日本分析記事はアメリカ経済への警鐘だ

 アメリカの有力紙「ニューヨークタイムズ」は、10月16日号で1万2千字に及ぶ長文の日本社会分析記事「The Great Deflation Japan Goes From Dynamic to Disheartened」(マーチン・ファックラー記者)を、トップ記事として掲載した。
 このタイトルを日本語訳すれば「偉大なるデフレ 日本はダイナミック社会から意気消沈社会へまっしぐら」と皮肉っぽい。だが、その分析は、日本の社会状況をよく伝えている。
■デフレでシュリンクする日本社会
 記事は、大阪の中小企業社長Y氏の話から始まる。かつてこのY氏は、羽振りがよかった。日本の経済の隆盛期も手伝って、17年ほど前に、500万ドル(当時の日本円換算で6千万ほど)の建て売り住宅を購入した。休日にはハワイ旅行、高級車メルセデスベンツも手に入れた。ところが、バブルが弾け、日本社会が長期の景気停滞に入ると、自分の会社経営も思わしくなくなり、支払いができない状況となり、残債を残したまま安価で売却せざるを得なくなった。
 1990 年代初頭、日本においてバブルが崩壊して以来、この20年間、日本経済は、長い景気後退とデフレーションによって、投資マインド、消費マインドは次第にシュリンクしてきた。その結果、今やかつて「エコノミックアニマル」と呼ばれ、アメリカ経済をも、凌ぐような経済大国になるのではと見られていたことがウソのようだ。かつて、どんどん投資をし消費するという日本人も別人のようになった。
 最近では、国民全体が投資や消費を極端に避けて、内向きとなって、意気消沈しているように見える。
■アメリカは日本のデフレに学べ
 だが、この記事は、日本経済の現状分析には終わっていない。大阪という日本第二の都市を中心にした取材を通し、実はアメリカ社会への警鐘を鳴らしている気がする。
 多くのアメリカのエコノミストは、まだアメリカと日本は違うと明言するほど楽観的だ。例えば「アメリカは日本ではない。アメリカの消費者は、消費と再投資の方法を見つけるだろう」(スタンフォード大学ロバート・ホール教授談)とのコメントがこの記事の中で紹介されている。
 しかし、果たして本当にアメリカ経済は大丈夫なのか。10月10日、日銀の白川総裁は、ワシントンでアメリカ経済のデフレ傾向に触れて次のような発言を行った。
 『「バブル崩壊後の日本に驚くほど類似している」と述べ、デフレに陥る危険性を強く示唆。「日本の経験を亡霊として恐れるのは適当でない」とし、「バランスシート調整の完了に時間がかかるのを十分認識」する重要性を指摘した。日本の「失われた10年」の本質的な問題は、人口減少と生産性上昇率の低下にあったと指摘。日本を含めた先進国全体の課題として、生産性向上につながる「構造改革が必要不可欠だ」と訴えた。』(朝日新聞10月11日号引用)
 現在の為替相場を見ると、「円高・ドル安」が恒常化している。現在の「円高・ドル安」の本質は、リーマンショック後、アメリカ経済の立ち直りの遅さに起因しているということは多くのエコノミストが指摘する通りである。
 この記事の中でも、かつてニューヨーク連銀に勤務し、現在野村総研の首席エコノミストをしているリチャード・クー氏の見解を載せている。
 「米国、イギリス、スペイン、アイルランド、彼らは皆、日本が約10年前に直面していたことに直面している。 何百万もの個人と会社が、それらの貸借対照表(バランスシート)が沈んでいるのを見るので、借入れと支出の代わりに、負債を支払うのに自己の現金を使用しています。」
 このリチャード・クー氏の見解は、近著「世界同時バランスシート不況(村山昇氏との共著 徳間書店 2009年8月刊)」で述べられていることだ。
 とかくアメリカ人は、楽観的なところがあると言われる。しかし日銀白川総裁やリチャード・クー氏の言うことに耳を傾ける必要がある。
 デフレが進む東京では、現在、「マイクロハウス」と呼ばれるような安価な極小住宅を販売する会社が現れ、大阪では、5万円(600ドル)で済む結婚式場があると記事は語る。
 そんな中で2009年8月、日本の有権者は、自民党の長期政権を権力の座から降ろして、新たに民主党政権が誕生したが、これも日本にとっては、いささか遅すぎた選択だったかもしれないと、記事は手厳しい。
 そしてこの長引くデフレが、日本の若い世代を「草食動物」のようにして、欲も消費もしない世代層を形成し、日本全体が「意気消沈社会」に落ち込んでいるのではないというのである。
■世界はひとつになってデフレ退治を敢行すべきだ
 この記事を読みながら、ニューヨークタイムズ編集部が、何故このような長文記事を、一面トップに構成したのか、ということを考えた。おそらくそれは、世界中の国々が、デフレ経済の入口に立っているのだ、ということを楽観的なアメリカ市民にも知らせ、警鐘を鳴らすという意味合いがあったのではないだろうか。
 私たち日本人にすれば、現在の円高はドル安は、日本経済が評価されているのではなく、ドルを支えるアメリカ経済が、アメリカ版不動産バブル崩壊ともいうべきリーマンショック(2008年9月)後、予想以上に立ち直っていないこと示すものである。またこのことは、アメリカに比べ、投機的な活動を控えていた日本のデフレ経済下の慎重な姿勢がもたらしたある種の皮肉でもある。
 ただひとつ、云えることは、現在の「偉大なるデフレ」傾向は、ひとり日本の問題というのではない。「偉大なるデフレ」は、世界全人類共通の問題である。したがってこの問題の解決のためには、各国が「通貨戦争」と言われるような自国の利害を守るためのエゴイズムむき出しの間違った通貨政策に固執するやり方では絶対に不可能である。やはりこの問題の解決には「世界人類共通の利害」という高い次元の「見識」が不可欠の前提となるはずだ。【了】
■関連情報
※NYTIMES記事原文

http://www.nytimes.com/2010/10/17/world/asia/17japan.html?_r=1&scp=2&sq=japan&st=cse年10月19日09時43分 / 提供:PJオピニオン
http://news.livedoor.com/article/detail/5081218/

2010

 『「The Great Deflation Japan Goes From Dynamic to Disheartened」(マーチン・ファックラー記者)を、トップ記事として掲載した。このタイトルを日本語訳すれば「偉大なるデフレ 日本はダイナミック社会から意気消沈社会へまっしぐら」と皮肉っぽい。だが、その分析は、日本の社会状況をよく伝えている。』
 この一文でもわかる通りに、この文章は完全に「日本の分析記事」としてしっかりと記載されている。文章の内容はなかなか「日本人には耳の痛い」記事である。もちろん、原文のニューヨークタイムズの記事も読んだが、なかなか示唆に富んでいる状況である。(英文なので、自身のある方は直接アクセスしてみてください。大阪の衣料品販売のおばちゃんの写真から出てきます)。
 さて、今回の記事は、日本の現状を詳細にレポートしながら、アメリカそのものもしっかりと「同じ轍」を踏んでいるという内容。そして、「日本のようにならないために」早めに手を打つべきであるということを記載している。
 その記載の方法には「日本の国民性」「アメリカの国民性」「日本の政治体制」「アメリカの政治体制やオバマ政権の政策」「世界金融の知識」そして「世界各国の経済状況」をしっかりと踏まえたうえで、「デフレという現象そのものが世界同時に行われる問題点」を指摘している。まさに「日本の不況は対岸の火事ではない」という話をしている、しっかりとした警鐘を鳴らしたものである。
 日本の場合、ここまで来るとすぐに「政府は」という表現が出てくるが、まったくそれが出てこないことに新鮮な感じがした。もちろん言外に、経済無策なオバマ政権に関する批判が含まれているのかもしれないが、私自身はそれを読み取れるほどの英語力は存在しない。この記事はあくまでもアメリカ国民一人一人に対するしっかりと示唆をしており、そこにイデオロギーを結びつけない報道をしているのである。
 アメリカの報道を見て「これこそジャーナリズムだ」などという気は毛頭ない。しかし、この記事に関しては、なかなか欲できているという評価をせざるを得ない。日本の場合、国民的というよりは経済的にどうしても「親方日の丸」の経済であり、まあ、国民がどうしても政府依存をしてしまう。景気対策に関して「財政出動」という単語がすぐに手出てきて、財政健全化と対立する考え方が発生するのである。一方で、今回の記事は、そのところまでは書いていない。そのような話をするよりも、国民が自己責任において自己防衛をすることを示唆している面の方が強く、基本的には政府批判や大企業批判をしない。もっと言えば「経済の自己防衛に関して責任転嫁をしない」ということが最も評価されるし、そのような話を記載していないことがすばらしいのである。
 事実を伝え、そのうえで、事実の中から読者一人一人が結論を導き出すその手法は、日本においては少なくともテレビ業界では皆無である。それは、このような記事を書くためには、上記にあげたような「しっかりとした知識や取材」があることがあげられる。要するに、日本の記者は(私も含めて)勉強不足であるといえる。そのために、「事実を記載して読者に考えさせる」だけの「筆力」もないのだ。もっと言えば「語るほどの事実の取材も、そして知識」も、たとえば経済を語るのに政治が関連するというような「関連分野の基礎知識」なども全く存在しない。それがなければ、事実だけを語って示唆に富んだ書き方などできるはずがない。
 それは「知識が少なくて報道するのが恥ずかしい」というデリカシーも存在しないところが最大の問題である。これは記者だけでなく、評論家などでもまったく同じだ。数名に聞きかじっただけの知識や、もっとひどいのはインターネットの情報だけで本を書いてしまうような評論家も存在する。そのような人がもてはやされる状況で、正確なジャーナリズムが育つとは考えられない。要するに「偽物でも時代の寵児になれる」ということ。もっと言えば、「視聴者・読者側に真贋を見分ける力がない」ということになる。
 大衆がしっかりしないとジャーナリズムが育たない。これは私の持論ではある。そのための正確な情報をジャーナリストはしっかりと出さなければならない。しかし、「正確な情報」をだすためには、それだけさまざまな勉強をし、多くの場所に赴き、直接話を聞き、そして、その内容をしっかりと日本の国土に合わせて「事実の報道」をしなければならない。しかし、日本にはそのようなジャーナリストが少ないのが事実だ。また、そこまでしないでもよいとされてしまい、最後には「経費とのバランス」という不思議な「費用対効果」で否定されてしまうのである
 アメリカが、またはニューヨークタイムズが無条件で素晴らしいという気はない。しかし、それが敵国であろうとも外国であろうとも、良いところは素直に認めて、しっかりと自分の姿勢を糺す。これができるのが「真の日本人」ではないのか。
 私は、まだまだ、勉強中である。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

シリーズ日本の小売業 「買い物をする」という行為のアミューズメント性

シリーズ日本の小売業 「買い物をする」という行為のアミューズメント性

 いままでは、マーケティングの重要性を「売れないものを売る」という観点からしっかりと書いてみたつもりだ。
 実際に、ここにあげた内容は一例でしかない。商材や立地によって異なることは、すでに述べたが、その内容によって個別に代わってくることは当然の帰結である。 当然に個別の事象によって各々の内容は変わってくる。
 しかし、押し並べて、今回のような書きものにした場合は、あくまでも「一般論」として書かなければならないために、その内容をどの場面でもある程度使えるように書かなければならない。
 実際の個別の内容と、一般論とはかなり違うのは、小売りの経験をした方ならば当然にわかるはずだ。
  さて、個別の関係に関しては、まったく違い、ここからは、「買い物とアミューズメント」という観点で話を進めてゆこう。
  買い物とアミューズメントというと、似て非なるものである。純粋にいえば、買い物は「必要なものを金を出して買う」という行為である。
 必要なものを買うという行為は、そのまま生活の必要に瀬間まられて行うものである。 よって、そこに「楽しさ」は存在しない。
 古く、日本では「お使い」といえば、子供もしくは丁稚のお手伝いであった。
 日本では、今でもテレビ番組で「初めてのお使い」という番組が人気を博しているようである。
 誰でも、お母さんから買い物のメモをもらい、お金を預かって近くのお店や商店街に買い物のお手伝いをした経験があるのではないか。
 その時は「楽しい」というのではなく、「一生懸命」でしかなかった記憶があるはずだ。 逆にその時の「わくわく感」「不安感」の入り混じった感覚は忘れないであろう。
 それよりも「大人に近づいた」「一人でできた」という達成感や自信は、小さい子供にとって大きなものであったと思う。

  さて一方で、昭和50年代までは、「デパート」への買い物というと一日がかりのお出かけであった。
  今でこそ「小売不況」ということで、有名老舗百貨店が閉店している。
 私もブログで書いたが、有楽町の西武など、百貨店の不況は目を覆うばかりである。
  それに対して、昔はそうではなかった。
 「デパートに買い物に行く」ということそのものが、一つの楽しみであり、ホテルにパーティーに行くかのごときステータスであった。
 洋服も普段着ではなく「よそ行き」の服装に変え、特別な買い物をした。
 まさに、デパートでの買い物が「ハレの日」もしくはそれに準じる特別な日であったと考える。
 とくに何をしに行くわけでもない。
 買い物をして、家族で様々なウィンドウショッピングを見て、そして大食堂で食事をして帰る。
 そんな他愛もない「特別な日」を家族で楽しんでいた。

<以後はメルマガでお楽しみください>
<メルマガは、下記から申し込みをお願いいたします>

  • -----------------------------------------------------------
    國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
    ブログ
    <http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>

    <mailto:CQA14363@nifty.com>

    発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

    発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
    配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アメリカ版新左翼を倣った「地域主権」という国家解体

アメリカ版新左翼を倣った「地域主権」という国家解体

 菅直人改造内閣が発足し初めての国会が開かれている。菅直人改造内閣の一番の見どころは「完全左翼政権」ということが言える。そもそも、菅直人自身が全共闘時代に要注意人物として注目されていた学生運動家だ。警察公安担当者のOBに聞けば、菅直人は「第四の男」と言われていたという。常に、学生運動家もしくは市民運動家の時に過激なことを行い、そのために、警察が運動家リストを作るのであるが、常に上から四番目に位置するという。起訴され処罰されるのが常に三名であったために、菅直人は助かっていたという。逆に、次の団体において、または新しい組織において、生き残ったものが中心で運動を続けていてもいつの間にか「四番目」になっているというのだ。公安担当者のOBは「菅直人は、少なくとも当時は、お調子者で口はうまいが、結局、実力がないとみなされているのか、いつの間にか四番目になっている」というのだ。
  このために、内閣を実質的に仕切っているのは仙谷由人官房長官である。現在の内閣そのものも仙谷が決めたといっても過言ではない。菅直人を代表選挙で支援した長妻昭厚生労働大臣が大臣からはずされたのも、また、もともと活動家で韓国の反日運動に先頭に立って国旗をけがしメガホンを持って叫んでいた岡崎トミ子が、今度は日本の治安を守り、反日運動家を取り締まる国家公安委員長になっているのだ。これでは公安情報が半につ運動かに漏れてしまうのではないか。これからAPECなど国際会議があるのに、テロリストにとっては最高の舞台ができてしまった。
  なぜこのような思想になってしまったのか。必ずしも中国や韓国ばかりではない。日本の場合共産主義といっても中華人民共和国型のものと旧ソヴィエト連邦型社会主義しかないように考えている人が多い。しかし、実際共産主義者は席亜のいたるところにある。当然に、自由の国アメリカにも「社会党USA」という組織があった。その後、アメリカでは様々な左翼集団ができており、政治の舞台で出てくることはないが、その存在は様々なエピソードとともに知られている。殊にアメリカ合衆国内における反政府運動だけでなく、アメリカ政府と同様世界戦略を持って活動をしている事で有名な人々だ。
  このこの人々が、最も活躍し、表に出たのが、ベトナム戦争の反戦運動の時だ。ベトナム戦争反対の運動は、アメリカ型新左翼として、黒人解放運動とともに、アメリカ国内で高揚した。そのアメリカ型新左翼思想は「東アジアにおける国家解体、開放政策」を行っていたのだ。この思想は、ベトナム戦争の反戦運動や黒人解放運動と同時に、東アジアを国家から解放するという思想である。この国家解放思想を東アジアいにおいて推し進め、一気に東アジアの国家を解体し、そして、共産主義化するという計画を持っていた。
  しかし、この考え方がとん挫する。そんとん挫する原因こそが「日米同盟」であった。日米同盟は、お互いが「国家」という形を有していないと成立しない。当然に国家解体に対して、その妨げになるのは、「同盟」である。同盟は、当然に敵国に対抗する内容として出てくる。要するに国家の存在が、同盟を形作り、イデオロギー的対立を作り、そして共産主義開放ができないということにしたのである。
  このためにアメリカ新左翼が考えたのは、「日米同盟の解体」である。この日米同盟の解体は、そのまま、日本における新左翼の活動と合致する。アメリカ型新左翼の活動は「徹底した平和主義」と「東京裁判史観による加害者史観の植え付け」ということになるのである。そして、このアメリカ型新左翼を日本で最も約取り入れたのは、旧社会党のニューウェーブの会、要するに仙谷由人その人である。そのニューウェーブの会には、後に枝野幸男そしてさきがけにいた菅直人が参加する。そして、この三人が現在の菅直人政権の執行部の中心であり、同時に、現在の民主党左派の考え方の中心になっているのである。この三人の中心者の周囲には、社会主義青年同盟や革マル派といった共産主義過激派が形を変えて存在する。内閣官邸内に内閣官房調査員として入っている社会青年同盟出身sに屋は10名を超え、革マル派系のJR総連や、マルクス主義青年同盟系列の「がんばろう日本」などから、多数の民主党議員や閣僚が献金を受けているのである。
  この日本版新左翼ニューウェーブの会じは、まさにこのアメリカ型新左翼の「日米同盟解体」「徹底した平和主義」「加害者史観」を行った。
  「日米同盟解体」は、まさに「普天間移転」それも「国外、少なくとも県外」という日米関係を完全に無視した公約を掲げ、そして日米関係を冷え切らせていった。そればかりか、その内容を行いながら日中関係を急接近させるということをしている。まさに、お互いに不信感を与えることで、同盟に最も必要な両国間の信頼関係を完全に棄損したのである。また、「徹底した平和主義」は、マスコミによる平和主義報道や戦争番組での平和主義、そして日本の伝統文化の否定といった形で表れている。そして「加害者史観」は、まさに東京裁判史観というかんじで「日本が悪かった」という話をいまだにしているではないか。菅直人政権は、今年の8月に敢えて菅談話を発表し、また、仙谷官房長官は、菅談話を通して、従軍慰安婦や戦争被害者の個人保証を、日韓基本条約の条項を無視してまで、おこなおうとしているのである。
  このほかにも、日本という国家解体に関しては非常に強く出てきている。たとえば、子供手当、なぜ日本の税金で外国人の外国にいる子供まで手当を払わなければならないのか。先にあげた戦後賠償の個人保証も合わせ、韓国などでは「日本の仙谷官房長官は、韓国という国家や国民を否定している」という論調が出てくるほどである。日本の税金を外国にりゅうしゅつさせながら「国家を否定した」と不興を買っているようでは、政府としての判断力が全くないといわざるを得ない。
  そして、この国家解体、国家否定の完成形が「地方主権」と「在日外国人参政権」である。そして、民主党、殊に新左翼の思想を受けた民主党の人々がその政策を最も色濃く出したのが、「民主党政策集INDEX2009」である。
  「地域主権の確立」と書かれた章には、「住民に一番身近な基礎的自治体を重視した分権改革を推進し、中央集権制度を抜本的に改め、地域主権国家を樹立します。」<中略>「国の役割は、外交、防衛、危機管理、治安、食料・エネルギーを含む総合的な安全保障、教育・社会保障の最終責任、通貨、市場経済の確立、国家的大規模プロジェクトなどに限定していきます。」<中略>「都道府県の役割は、産業振興、災害対応、河川、基礎的自治体間の調整などに限定されていきます。」<中略>「その後も基礎的自治体の規模や能力の拡大、広域自治体の役割の整理をさらに図り、将来的には、多様性のある基礎的自治体を重視した地域主権国家を目指します。」
  また「永住外国人の地方選挙権」という章には「民主党は結党時の「基本政策」に「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」と掲げており、この方針は今後とも引き続き維持していきます。」と記載がある。
  日本版新左翼ニューウェーブの会は、私は、いつも「非国家主義」であるという。たとえば、弁護士として活躍している時代に仙谷由人と机を並べていた福島瑞穂社会民主党代表は、「国旗・国歌というものがあるから、戦争が起きる」ということを発言する。中国やソ連の共産主義は、私自身共産主義をあまり好ましいとは思っていないが、それでも「国家」という概念があり、その国家の中が「共産主義的な経済と社会主義的な政治体制」で運営するということが前提になっている。当然に、その中には国家を守るということがあり、そして国民の生活を向上させるという政治姿勢があった。中国はその国民の生活向上と国家の発展のために、国際ルールを無視してまで、尖閣諸島や南沙諸島など、地下資源や水があるといえば、実効支配におよぶように活動を始めるのである。これは沿岸部諸島部だけではない。水資源や岩塩の産地として名高いチベットやシンチャンウイグル自治区の反中国暴動は、まさに世界各国のニュースになる。これが、日本型新左翼ニューウェーブの会のような考え方では、どうして民族配合まで行いながらチベットやウィグルを中国の領土にしようとしているか理解できなくなってします。非国家主義であるのに、覇権主義ということはあり得ない二律背反ではないか。
  同じことは日本共産党にも言える。日本共産党は、同じ共産主義国家でありながら旧ソ連に対して「北方領土に限らず千島列島は全て日本領土である」という主張を崩さなかった。これは、保守系の自民党でもしなかった領土主張であった。日本共産党も私は個人的には信奉できるものではないが、この北方領土に関する見解に関しては賛成である。要するに、共産主義だからと言って非国家主義ではない。国家ということを限定し、その国家の内部の経済や政治体制が共産主義や社会主義であるべきという考え方は十分成立するし、同時に、その考え方が国民の生活の向上のために、戦争を起こし、領土の両湯を主張し、覇権主義になることは十分にありうる。
  しかし、日本の左翼思想にはそのような発想はない。それはまさに「非国家主義」という話がもっと大きなものではないだろうか。その非国家主義者の核は「地域主権」と「在日外国人参政権」そして「東アジア共同体」であろう。結局のところ、日本は他国の同意を得ずに東あざイア共同体を主張し、そのうえで、日本にいる外国人に参政権を与え、参政権その物を持って、外国人の意思を政治の場に反映させ、そして、地域主権として、外国人の意思を反映した生活権を形成するということになる。もっと言えば日本国からの独立を果たす外国人の地方自治体が出てきてしまう可能性も少なくないのだ。これこそ、アメリカ型新左翼が目指す「国家解体」であるといってよい。
  それだけではない、「地域主権」は「地域政治における国家の介入を制限」する機能と、同時に「国家としての権能を制限する」という機能を持っている。上記INDEXにあるとおりに「国の役割は、<略>総合的な安全保障、教育・社会保障の最終責任、通貨、市場経済の確立、国家的大規模プロジェクトなどに限定していきます。」と敢えて「限定」とし、地域に関する国家権力の介入を完全に制限することを主張している。このことによって地方自治体における構成員は「日本人」というよりは「地方自治体人」という帰属意識が強くなる。それだけではなく、住む地方自治体によって生活環境が完全に変わってきてしまうために、日本として国家の統一性が完全に失われてしまう可能性があるのだ。通貨と安全保障だけが一緒であっても、生活習慣や環境が完全に違っては統一性のある状況にはならない。通貨を統合したEUが、各国ごとに文化や生活習慣、産業が異なり、その国ごとに故kす愛発行などが行われてしまった。このために「ギリシア危機」が発生し、このほかにもアイルランドやスペインなど、第二、第三のギリシア危機予備軍が存在するような状況になっている。経済的には「努力をしたドイツやフランスが、努力をしないで損をしてしまった、ギリシアの国債の負担をしなければならない」という、まさに共産主義経済のような考え方に変化してしまっている。「働かなくても権利は平等」という感覚は、結局働く人の労働意欲を失わせる結果になり、EU全体の経済の低下が懸念される。このユーロ危機によって、より一層円高が進んでいるのは、すでにニュースなどで見ているとおりだ。
  同時に、「国家としての権能を制限する」ことにつながる。つまり、国民に対する直接の権能の行使が十分に限られてしまうことになるのである。これでは、まさに統一した国家という感じではなくなってしまう。
  民主党によれば、日本を全部で300の自治体にするという。要するに、民主党の思想では「地域主権」は「日本という統一国家の解体」「300の連邦国家の成立」を意味しており、同時にその300の連邦も、外国人の政治的な介入によって日本から独立する可能性も否定できないということになるのである。まさに帰属意識のない連邦国家に対してどのように安全保障をするのか、市場経済を行うのか。NATOであっても、統一した安全保障はできていない。ましてや、そのような連邦国家の上に「東アジア共同体」などを作ってしまっては、日本国民に限らず、各国国民の帰属意識は完全になくなってしまう。まさにアメリカ新左翼がベトナム戦争後に狙った「東アジアにおける国家解体、開放政策」が成立してしまうのである。そして、それも日本人、菅直人政権の手でできてしまう危機があるのである。
  日本の左翼思想に関して、どうしても東西対立の時にあるような東側諸国の影響にあると考えがちである。しかし、実際、戦後日本の解体はアメリカの手で行われたのである。日本は、片方で中国の覇権主義と闘いながら、片方で日本国内の新左翼非国家観思想を否定し国家を維持しなければならない。日本人がしっかりとこのようなことを認識しながら「地域主権」などというまやかしに騙されないようにしなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ラジオ時事対談」収録、日本の底力と事業仕分け

「ラジオ時事対談」収録、日本の底力と事業仕分け

 昨日は、金曜日22日深夜1時より放送される「ラジオ時事対談」(東京1422キロヘルツラジオ日本)の収録を行った。レギュラーコメンテーターに高崎経済大学教授の八木英次先生が一緒である。
 今回のラジオ時事対談は、前後篇のような感じで、前半は仙谷由人官房長官に関してと題して行った。そして後半は、今回んブログの話題でもある「日本の底力」という題材である。なお、「仙谷由人」に関する記事は明日のブログで行おうと思う。
 日本は「奇跡の復興」を行った。それは戦後執拗な空襲によってまったく何もない焦土と化した国土から、わずか数十年で世界第2位のGDPを誇る国になったのだ。高度経済成長はどのようにして行われたのか。その中には、当然に、日本の技術力ということが考えられるのである。
 日本の具術力は、日本に特別の何かがあるわけではない。日本にあるのは、島国特有の手先の器用な国民性と、細かいところまでのこだわり、そして、ていねいな仕事と勤勉さである。その全てへのこだわりが、日本人全体の「仕事への誇り」という形で表現されることが少なくない。
 そして、その「日本人の誇り」は世界各国から注目され、そして宇宙技術で当ても日本は第一人者として世界に直をはせた。その中の一つが、小惑星探査機「はやぶさ」のものであろう。そして、それをもとに日本のものづくりということで、街を古紙や地域おこしを行うということを考える人も少なくないのだ。
 そんな一つの記事が下記のものである。


探査機「はやぶさ」最新技術も 「ものづくりの富岡」全国アピール 群馬

 今年6月、7年に及ぶ宇宙の旅から地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。回収されたカプセルは全国各地で公開され見学者の熱い視線を集めたが、この部品を開発・製造したのが富岡市で宇宙開発事業を展開する「IHIエアロスペース」(本社・東京都江東区)だ。同市では地元製造業の高い技術力を全国にアピールする好機ととらえ、情報発信“基地”の整備に動き出している。(萩原淳子)
 ■40度以下を保った技術
 カプセルは富岡市藤木に事業所を持つIHIエアロスペースが宇宙航空研究開発機構(JAXA)と二人三脚で開発を進めてきた。
 同事業所ではカプセルに加え、「はやぶさ」を打ち上げたM-Vロケットや、小惑星「イトカワ」探査のため一緒に積み込まれた探査機も開発した。
 開発時、「はやぶさ」は大気圏突入で1万~2万度の高温に包まれ、カプセル外側の表面温度は3千度に達することが予想された。
 一方でカプセル内は40度以下に保つことが求められた。このため、同社はロケットのモーターケースやノズル(噴射口)に使われる素材を応用し、低温を保てるカプセル用シールドを新たに開発。実際、カプセルは保護されたまま地球に無事帰還し、日本の高い技術力を全世界に知らしめることができた。
 ■工業技術振興センター
 富岡市が進めている情報発信“基地”は「工業技術振興センター」(仮称)で、平成23年度から本格稼働を予定している。
 同市では「“ものづくりの街”として、もともと優れた技術者が多い」(幹部)ことに着目。製造業分野の各種団体をセンターに集めて、高度な技術を持つ“職人”や各製造業の特性に関する情報を全国に発信する一方、技術革新に関する情報収集も行い、市の製造業全体のレベルアップに役立てる方針だ。このため、展示会や研究会を積極的に開催する方向で調整している。
 また、25日には自動車部品製造など市内に事業所を持つ企業関係者ら約20人が集結。センターの具体的運用方針を議論するため、市内で初めて検討会議を開く。今後、月1回程度の会議を経て意見を集約。今年度内に市に答申を行う運びだ。
 ■ロボットコンテストも
 こうした市の情熱に応えるため、「IHIエアロスペース」は14日、カプセルの実物大レプリカを市にプレゼントした。
 市役所で開かれた贈呈式では、同社の石井潔社長が「140年前、日本の近代産業の発展が富岡で始まった。この地で製造したカプセルが(産業発展の)歴史に貢献できたことは誇り」とあいさつすると、岡野光利市長は「ものづくりの街のシンボルとして広く市民に見てもらいたい」と笑顔で応じた。
 岡野市長は7月下旬、同社のロボット開発のエンジニアを市役所に招き、意見交換もしている。
 この時の様子を知る市幹部は、「将来、市でロボットコンテストを開きたいと考えている」と打ち明ける。製造業を中心とした最先端技術を“売り”にした街づくりが着々と進んでいるようだ。

2010年10月18日(月)8時0分配信 産経新聞 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/sankei-snk20101018031/1.htm

 今回は、一つの例でしかない。しかし、日本には日本人はしらない世界の有名企業が少なくない。東京の下町といわれる工場には、コンピューターよりも正確に鉄の加工をする職人もいる。彼の作るパラボラアンテナは、コンピューター制御の機械による曲線よりもはるかに正確であるという。機械より正確というのは、カメラの一眼レフなどの技術でもそうであるが、日本人の技術力は、時として機械やそのほかの技術を凌駕する場合が少なくない。そのようなことを聞いても「へ~」といって、記憶にとどめないくらい、日本ではありふれた話だ。
 欧米各国や中国などの場合。「誰でもが及第点」というコンセプトになる。当然に、大量生産を行うということになれば、まったくの素人やパート・タイマーなどが働いて、商品化してゆかなければならない。これに対して「一点豪華主義」の日本の場合は、一つの商品に対して魂を込めてものづくりを行う。「職人気質」という言葉があるが、一つの商品に対して、品質の向上を是として物事を進めてゆくのである。
 逆に言うと大量生産とは別にして「集約製品」という感じで、同じものが二つとしてできない場合が少なくない。ある意味で商品そのものが「芸術品」「美術品」のような感じになってしまっているのである。
 さて、最近そのような職人気質も少なくなってきてしまった。自分の与えられた仕事を極めるという人も少なくなってしまったのではないか。そもそもそのような教育は行われていないのが現状である。そのために、事業仕分けでは平気で科学技術の予算も、そして文化や伝統に関する予算も「仕分け」になってしまうのである。
 そもそも、事業仕分けということそのものが非常に大きな問題であるし、そのようなことを行う前に、教育や職人の養成ということに、もっと力を入れ、「仕分け」とは逆に予算をつけて保護してゆかなければならないのではないだろうか。
 雇用を確保などということを「お題目」で言っていても、事業仕分けをしている時点で、その言葉が「国民をだますための方策」でしかないということがすぐにわかる。事業仕分けをして、雇用が増え、景気が良くなるということはない。そのことが根本的に考えられていない以上、何の話にもならないではないか。
 日本の問題は、教育と教区の結果として職業に結びついていないことと、教育そのものが「精神力」もっと言えば「徳育」といわれる道徳率が教えられていないこと、そのために「人間力」が完全に失われているのである。
 そのようなことを今回はラジオで語ってみたが、時間が少なかったので何とも言えない感じである。
 なお、八木英次氏が関与しているセミナーの案内をしていたので、そのままここに記載する。

日本の底力とは(第5回日本文明論シンポジューム)

第5回日本文明論シンポジューム ー 日本の底力 匠と技と伝統の心
・ 日  時  10月31日(日)13時30分開会 13時開場
・ 会  場  東商ホール 千代田区丸ノ内3-2-2 東京商工会議所ビル4F
・ 交  通  三田線、日比谷腺、日比谷駅
         千代田線 二重橋駅
         有楽町線 有楽町駅
         JR線  有楽町駅
・ お問い合わせ 教科書改善の会 03-3831-7620

| | コメント (0) | トラックバック (0)

うつ病と日本経済の関係を厚生労働省が統計・うつ病にならない教育への提言を

うつ病と日本経済の関係を厚生労働省が統計・うつ病にならない教育への提言を

 二日連続で経済の記事というのも珍しい。「国会新聞」という名前であり、本紙には残念ながら経済面は存在しない。私が紙面構成を全て行うようになったら、それは経済面も一部入れようか、社会面と経済面をあわせて入れようかと思っている。しかし、今の国会新聞社の主幹はそれに反対の意見だ。様々な内容はあるが、多分、本音のところは「国会」を名乗るジャーナリストで総会屋新聞的な新聞社が少なくないことがあるのではないか。私も「国会新聞社」というと「国会タイムズ社」と間違われることが少なくないのであるが、残念ながら、国会新聞社と国会タイムズ社はまったく関係のない会社である。
 さて、この辺の当社の微妙な話はやめておくことにし、このような状態であるので、国会新聞には経済面がない。そこで、経済そのものはこのブログなどで書くか、あるいは他の他の媒体を使って発表するしかないのが現状である。しかし、今回の記事は、純粋な「経済」の記事なのかどうかは微妙なところである。厚生労働省が発表した統計によると、うつ病によって日本は単年度2兆7千億円もの経済的損失が生まれているというのである。要するに、うつ病による自殺がなくなれば、経済効果が2兆7千億円もあるということだ。そのことが下記の記事である。

うつ病による経済的損失を国が試算 自殺死亡率トップの日本は約2兆7千億円

 近年うつ病の人が増えてきている。身近な人がうつ病になってしまったり、会社内でうつ病で休んでいる人がいるなど、まったく無縁という人は少ないのではないだろうか。そしてうつ病が進行すると自殺するケースが多く、自殺とうつ病は別物ではない。自殺原因の実に43.8%がうつ病によるものである(2009 年度・警視庁調べ)。
 自殺とうつ病がなくなると経済的便益の推計額が単年で約2兆7千億円(2009年)にもなる(厚生労働省と国立社会保障・人口問題研究所調べ)。内訳は自殺がゼロになることによる稼働所得の増加が1兆9028億円で71%、うつ病によってその年に必要になる失業給付・医療給付等の減少額等の合計が7754億円で29%だ。
 また自殺やうつ病がなくなった場合、GDP引き上げ効果は約1兆7千億円(2010年)にものぼる。自殺やうつ病人口がゼロになるのは現実的ではないが、自殺者数が減少した場合のデータも出ている。1997年以前の自殺者数は約2万2千人なのに対し、1998年以後の自殺者数は約3万1千人と増加。それが1998年以後も1997年以前の自殺者数と同水準で推移していた場合の GDP引き上げ額は約7千億円(2010年)。
 年間約3万1千人で推移している自殺者数が2010年以降1997年以前の自殺者数(約2万2千人)と同水準で推移した場合のGDP引き上げ額は約2千億円(2010年)。
 このように自殺者数が1997年以前程度になり、年間約1万人減少すると大幅な経済成長率が見込まれることがわかる。ちなみに日本は主要7カ国(他フランス、ドイツ、カナダ、アメリカ、イタリア、イギリス)の中でもっとも自殺死亡率が高い国である。
 警視庁の発表によると2009年の自殺者数は3万2845人。内訳は男性が2万3472人で女性が9373人。やはり一家の大黒柱であり、生涯働き続ける男性の自殺者が圧倒的に多いのだ。自殺者が少なくなる世の中づくりのためには、まずうつ病になりにくい環境の確保が必要である。そして身の回りの人間だけではなく、企業もうつ病への理解を深め、対策にも積極的に取り組まなくてはならない。社員ひとり一人のメンタルケアにも重点を置いていかなくてはならない。

2010年10月15日(金)16時30分配信 MONEYzine
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/moneyzine-20101015-188902/1.htm

 なかなか面白い記事である。厚生労働省がこのような記事を出すこと自体、非常に面白い。実際は出しているのかもしれないし、警察庁などは毎年自殺者の傾向をしっかりと記載した内容を出しているし、国会にも報告をしている。私の手元には自殺者に関する統計とその解説の資料が国会で報告された内容のまま存在しているが、その中には、今回のような非常に興味深い内容が書かれていない。
 じさつがぞうかしていることそのものは、非常に大きな問題であり社会問題であると思う。自殺そのものは、いくつかの原因で行われるのであるが、大概の場合「将来このまま生きていることに対する失望感」が強いのである。もちろん、そればかりが自殺の原因ではない。日本以外の場所であれば、そうではない自殺も多数ある。最もすぐに思い浮かぶのは「自爆テロ」のような内容であろう。このように考えれば、自殺は「自分に帰属する問題」での自殺、「自分が死ぬことによって社会や集団に影響を与えることを目的とした」自殺。そして、「殉教者のごとき、何かに殉じるという自殺」の3種類があるのではないか。あまり真剣に考えたことがないので、これ以外の累計があるのかもしれないし、間違えているかもしれない。
 日本の場合、この三つの類型の中で圧倒的に「自分に帰属する問題」での自自殺が多い。そして、その中で43.8%がうつ病であるという。
 では、うつ病はどのような病気なのであろうか。
 主な症状として、抑うつ気分(気持ちが沈む、自信を失う等)、精神運動制止(注意が集中できない、簡単な決断ができない等)、不安焦燥感(落ち着きがなくなる、焦り等)、自律神経症状(睡眠困難、食欲不振等)がある。朝が不調で、夕方になると少し楽になるという日内変動もある。子供から老年までの幅広い年齢層で見られ、子供や青少年の場合は身体症状が出たり、ひきこもる(ひきこもり)など、行動で症状を表すことがある。他人への配慮が過剰だったり、全てに完璧を目指すような性格傾向との関連性の研究もある。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)など、抗うつ薬の効果が大きく、認知療法などの心理療法も支えとなる。日照時間が短くなると発症する季節性うつ病、出産後に発症する産後うつ病、身体症状が前面に現れる仮面うつ病、さらに引っ越しうつ病、昇進うつ病などという命名もある。なお、うつ状態とは逆に、気分の高揚や活動性の亢進する躁(そう)状態が、単独に生じる躁病と、うつ状態と周期的に交代する躁うつ病がある。うつ病を含め、これら全体を気分障害(mood disorder)という。
( 田中信市東京国際大学教授 ) <知恵蔵より>

 はっきり言って、何が書いてあるかよくわからない。要するに私の理解では、挫折感や自分の思い通りにならないために精神的に参ってしまった人のことが「うつ病」であると考えてしまっている。間違いかもしれないが、精神的に弱い人なのではないだろうか。
 さて、この統計は、逆にいえば「うつ病対策」に社会として2兆7千億円までは使っても収支的におかしくはないということだ。それが助かれば「トントン」になる状況である。そこまでの予算を賭けなければ、社会全体は得をするということになる。
 他人の病気を経済的に考えるのはいかがかと思うが、不謹慎はお許しいただきたい。しかし、実際、なんでも「無駄だ」「仕分けだ」というのではなく、人の心の問題をしっかりと国の予算で考えてみるのも面白いのではないか。その対策によって自殺が少なくなるのであれば、より良いことであり、またそのために自殺がなくなるだけではなく、経済的にも良くなるのであれば、日本にとって願ったりかなったりであろう。
 戦後直後は自殺は今よりも少なかった。当然に人口全体が少なかったのであるから、基本的には、単純に人数で比較することはできない。また正確な統計がないので、精神的に問題になるうつ病が戦後にどれくらいいたのかということもわからない。しかし、戦後は「活気」にあふれた街ではなかったか。「東京ラプソディー」(かなり古い歌なので若い人は知らないのかもしれない)の歌詞にあるように「♪楽し都、嬉し都、夢のパラダイスよ、華の東京」であった。しかし、残念ながら今の東京にはそのような華やかさはない。一つには、発展しつくしてしまったという感覚もあるが、一方では「規制」や「マスコミによる批判」などもあることも間違いがないのではないか。犯罪が良いこと、もしくは未成年の飲酒などが良いこととは思わないが、逆になんでも規制してしまっては発展する場も発展しない。そのような「世知辛い」世の中が、全ての景気を委縮してしまっているのではないか。
 実際、「心のゆとり」は、「社会のゆとり」から生まれる。私の父の時代の豪傑伝説のような話は、今では全く聞かなくなってしまった。何かというと人の足を引っ張るような、変な集団主義であり、その中において失敗すればみんなで袋叩きにする。単純にいえば、そのような世の中が最も大きな問題になるのではないか。そのような世の中であるから、個人個人が委縮して経済の発展がなくなるということになってしまう。それでは、まったく面白いことはないし、経済の発展も望めない。それどころか、うつ病は増えるばかりだ。
 あまりよい例ではないが、以前大蔵省の接待に関して「ノーパンしゃぶしゃぶ」が有名になった。それがマスコミでたたかれることによって、結局、誰もが接待を行わなくなり、そして、そのために歌舞伎町の灯が消えてしまった。最近でも長妻昭議員の指摘によって「居酒屋タクシー」が話題になり、その影響でタクシーで帰る官僚が一気に少なくなた。逆にいえば、タクシーが不況になった。そもそも居酒屋タクシーなど、別に大蔵省や税金で酒代を払ったわけではない。タクシー業界には何の問題もなかったはずなのに、不況のあおりが来るのはタクシーなどの弱者だ。そして、その都度ゆとりがなくなってゆく社会に対して、政府は何の手も打とうとしない。
 このような統計は非常い面白い。しかし、それを逆手にとって2兆7千億円をどのように使えば「社会のゆとり」ができるのか、または、心の教育を行うことによって、良い結果を得るようにしたらよいのか。厚生労働省は「縦割り」で、景気も教育も所感ではないので、逆に「無責任な提言」も付して発表をしてほしかったものと考える。
 私のように、この記事で、社会のゆとりを持つべきという考え方を持つ方は少ないのかもしれない。しかし、実際「分析結果」には「その結果を利用する次なる政策」を出すことが必要なのではないか。私はあえて「自殺」「うつ病」という社会の病気をもとに、敢えて過激な方向で、今日はブログを書いてみた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

羽田空港国際化に考える。日本の国際運輸戦略はあるのか

羽田空港国際化に考える。日本の国際運輸戦略はあるのか

 毎日のように「中国」「小沢」では飽きてしまうであろう。私も毎日これを書いていると、同じようなことばかりになってしまい、なかなか面白くない状況になってしまう。殊に、毎回原稿用紙にして10枚から15枚、間に新聞記事を入れているので、少しは分量が少ないものの、やはり毎日というとそれなりにネタがなくなってくるものである。とくに、個人的な事情などもあって忙しい場合は、なかなか生地自体を書くことが難しい場合もある。
 そこで、なるべく経済のネタや国際政治のネタなどを入れてゆこうと思っている。
 そんな中に飛び込んできたのが、「羽田空港国際化」である。
 今回は事前の能書きよりもまず記事を読んでいただこう。


羽田空港 国際化に期待と限界 定期便31日就航

 羽田空港(東京都大田区)の新滑走路と新国際線ターミナルが21日に供用を開始し、米欧などへの国際定期便が31日から就航する。海外旅行や出張は都心から遠い成田空港(千葉県成田市)の利用を余儀なくされていただけに利便性アップが期待される。だが、「羽田国際化」に反発してきた成田も国際線拡充を図っており、ちぐはぐな動きは、政府が掲げる「アジアのハブ(国際拠点)空港化」をさらに遠のかせかねない。【三沢耕平、寺田剛、山田泰正、斎川瞳】
 ◇出張、乗り換え 深夜便でロス削減
 「都心に近くて深夜でも利用できるのがありがたい」。月に1、2回は海外出張する丸紅の小林輝也さん(30)は「羽田国際化」のメリットを指摘する。羽田は4都市(ソウル、北京、上海、香港)にチャーター便が飛んでいただけだったが、31日からは米欧やアジアの11カ国・地域の17都市と定期便で順次結ばれる(30日まではチャーター便のみ)。小林さんも来月11日にはさっそく羽田からソウルに飛び立つ予定だ。
 小林さんは出張はもっぱら成田を利用してきたが、職場からは地下鉄と京成線を乗り継いで1時間以上かかる。さらに成田は騒音への配慮から午後11時以降の便がなく、利用するのは昼間の便が中心で出発当日は仕事を慌ただしく済ませて成田に向かった。だが、羽田には地下鉄と京急線で30分程度。米欧便は午後10時以降の出発が多く、シンガポールやバンコクに行く場合、午前0時ごろの便があるため、夜まで働いても間に合い、翌朝から仕事ができる。
 地方空港の利用者にもメリットは大きい。例えば、広島空港の場合、最終便(午後8時45分発)で羽田に向かえば、深夜に羽田で国際線に乗り継げる。羽田から成田まで京成・京急線(直通)で1時間半以上かかった乗り継ぎが不要。成田出発便の時間の関係で、前日に都内や成田周辺で宿泊せざるをえなかったケースも解消。日本の多くの地方空港に就航する韓国・仁川(インチョン)空港を経由する方が便利といわれた地方の利用者の流れが羽田にシフトしていくとみられる。
 ◇国内線移動バスで10分
 ただ、航空各社はビジネス客の利用を見込んで、路線によっては運賃を成田発着より1割程度高く設定している。また、外国航空会社の欧州便は、発着枠の関係で朝6時台の出発になっている。
 さらに、新国際線ターミナルビルは国内線ビルから遠いところで約3キロ離れた場所に建設。両ビルを結ぶ無料シャトルバスは10分弱かかり、重い荷物を持ちながら移動しなければならない。1978年の成田開港後、「国際線は成田、国内線は羽田」とすみ分けし、羽田で国際線を想定した用地を確保していなかったためだ。
 開港当初から4本の滑走路の配置を想定し、ハブ化を推し進めた仁川に及ばないばかりか、国内線と国際線の乗り継ぎが同じビル内でできる関西国際空港にも見劣りする。航空大手幹部は「こんな不便な空港では世界に恥をかく」とぼやく。
 羽田の国際線発着回数は定期便就航後に年6万回(昼間3万回、深夜・早朝3万回)で、成田の年20万回を大きく下回る。昨年の政権交代後に、政府は13年度以降は9万回まで増やす方針を決めたが、それ以上の拡張は難しいとされ、羽田国際化の恩恵を受けられる利用者は限界がある。
 ◇役割不明確「ハブ空港化」遠く
 「(羽田、成田の)2拠点一体でのハブとして展開していきたい」。馬淵澄夫国土交通相は16日の羽田国際化の記念式典後、記者団に語り、羽田と成田の一体運用を進めたい考えを示した。昨年10月、前原誠司国交相(当時)は「羽田ハブ化」を打ち出したが、馬淵国交相の発言はハブ空港を一本に絞りきれない苦しさの裏返しといえる。「羽田ハブ化」構想の背景には、日本の空港の競争力がアジアで低下していることへの危機感があった。羽田と成田の乗り継ぎが不便なため、地方客を仁川空港に奪われ、対抗するため、羽田の「ハブ化」を打ち出した。
 だが、成田側は、千葉県を中心に猛反発。政府のスタンスも羽田・成田を一体でハブ化する方針に修正された。成田を巡っては、今月13日に国交省、千葉県、空港会社などの協議会で年間発着回数を現在の22万回(国内線含む)から14年度までに30万回に増やすことで合意。会合では「成田は兄貴分として兄弟仲良くやっていきたい」(空港会社の森中小三郎社長)との発言が相次いだ。
 さらに、成田は東南アジアを中心に台頭する格安航空会社(LCC)で新たな需要を掘り起こそうと懸命で、LCC誘致に向けた専用ターミナルの建設準備を急いでいる。
 英国ではロンドンに近いヒースロー空港はビジネス客が多く、ロンドンから離れたスタンステッド空港はLCCの拠点など役割分担が明確。国交省も羽田はビジネス路線、成田はツアーなど多様な機能を維持する青写真を描くが、「内・際分離」に代わる新たな役割分担に加え、海外より割高な着陸料の引き下げなど競争力を後押しする政策も不可欠だ。

毎日新聞 10月17日(日)11時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101017-00000005-maip-bus_all

 読んでいただいてわかるとおりに、日本には明確な国際運輸の戦略が存在しない。また、批判する側も、残念ながら国内航空輸送網と国際運輸基点とで区別ができていない。その区別ができていないのは、まさに「税金の無駄遣い」といっている空港整備基金のことであり、結局「官業」に対する批判ということになってしまっている。そのような批判がま真理通るのは、まさに、日本にしっかりとした戦略がないからと言って過言ではあるまい。
 韓国の例を見てみると、その差は歴然としている。初めから運輸物流の拠点を作るということで研究をし、仁川空港の計画時には、シンガポーる空港やクアラルンプール空港をしっかりと研究している。また、航空機を飛ばすには燃料も必要であるし物流の拠点を行うには、燃料、燃料の精製、貨物の受け入れ、貨物の保税倉庫、そして、人が移動するためのターミナルもしっかりと確保している。全ての駐機場にボーイング747が止まって、その半分の乗客が全て入るという想定になっている。一か所にたまってしまえば混雑はあるが、広い空港で分散すれば流れるように設計されており、また、その分散の具合に関しても、駐機の場所を入れ替えれば何とかなるようになっている。
 日本の場合、そのような内容になっていない。羽田空港を見てわかるとおりに、羽田空港自体が「ショッピングモール化」してしまっており、飛行機に乗らない人が楽しめるようになっている。また敷設されているホテルも、トランジットを予定されているホテルではない。要するに、羽田空港の場合は、仁川空港と異なり、飛行機で移動する人のための空港とばかりは言えないような状況になってしまっている。ここでは羽田を例にとって見たが、成田も全く同じ状況である。イミグレーションを通ったあと、待合時間が1時間くらいあるが、その時間をつぶす喫茶やマッサージなどのサービス、そしてレストラン、それらの充実は日本の空港の場合全く期待できない。ただ、椅子に座って搭乗の案内を待つだけになってしまっている。
 上記のように「国際線は成田・国内線は羽田」と言っているが、羽田空港の場合、以前からアジアの一部地域に関しては国際線の運用がされていたはずだ。しかし、そもそもの国際線の考え方や、国際線の搭乗時間のサービスなどに関しても「利用者のため」の内容になっているのかは、かなり疑問だ。
 そのことは貨物でも同じである。羽田をハブ空港にすると前原前大臣も馬渕現国土交通大臣も言っているが、そのことによって、航空貨物が空港に集中した場合、どのように対処するのか。羽田において、航空貨物の検査や関税に関する手続きはどうするのか。違法品の取り締まりやテロの可能性を羽田で対処し、周辺住民に迷惑をかけないで行けるのか。そもそも、それだけの飛行機をさばききれるだけの燃料を確保できるのか。木更津や川崎の石油タンクが次々と閉鎖されている状況で、それらの不安はないのか。もしくは燃料の輸入は経済産業省だから関係ないという、縦割り的な発想をしているのか。その燃料のシェアはどのようにし、船でどのように運ぶのか。
 このようにしてみると、「ハブ空港」などは、遠い遠い先、というよりは「夢のまた夢」でしかない。仁川の場合は、埋め立ての島を使い、空港までの間の島は、何も利用されていない状況である。横に大きなコンビナート作り、空港の横に保税倉庫群を作っている。船で1時間の場所に『ピョンテク』という都市があり、そこには50万トンの石油タンクが30機も存在し、それとは別に米軍基地があることで、空港の万一の場合はスクランブルですぐに来るように計画されている。
 韓国をほめているわけではない。「ハブ空港」を標榜する以上、それくらいの準備と計画性が必要なのに対し、現在の大臣はそのような知識も準備も計画もなく、掛け声だけで国民を惑わしているということを言いたいのだ。それは、「掛け声だけで机上の空論」という民主党の性質そのものではないか。ハブ空港を擁している国は、韓国のような計画性も運輸戦略もしっかりと持っている。日本は、当初からハブ空港などを目指してはいない。そのことは羽田空港の作り方、まさに「一般の人がショッピングモール感覚で楽しむターミナル」ということでよくわかる。二世代くらい古い考え方で、現在もできてしまっている。これは羽田に限ったことではなく、千歳空港も福岡空港も同じだ。「中に入る」と何もすることがないのは誰もが経験しているし、そのことに疑問がないのがおかしい。本当に利用者のことを考えていないといわざるを得ない。
 まず、「ハブ空港」などという掛け声を出す前に、これくらいの分析を行い、そのうえで、何が問題なのかをしっかりと考え、そして、基本計画を立てたうえで、掛け声をかける。それが政治の順序ではないのか。その順序を間違って、掛け声を先にあげてしまっては、日本国全体が恥をかく結果になってしまう。
 それでは、政権は維持できないのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

日中で反中、反日デモ一部暴徒化 その根本にあるのは、両国の政治不信では

日中で反中、反日デモ一部暴徒化 その根本にあるのは、両国の政治不信では

 個人的には、そろそろ、経済の記事を書きたいと考えているところである。国会開催中は、どうしても国会の審議やその審議中の発言が大きく扱われるようになり、また、北海道では補欠選挙がおこなわれているが、与野党入り乱れての国政選挙は、様々な対立軸がありなかなか見ごたえがあるのも事実だ。
 しかし、このようにしている間にも、1ドル80円台にまで突入し、円高はより一層深刻になっている。APECで野田財務大臣が介入に対して理解を求めたというが、それにもかかわらず円高が進んでいるということは、野田財務大臣の発言そのものが、まったく市場で相手にされていないということに他ならない。もちろん、解釈の仕方によっては、財務大臣が発言しなければ、より一層大きく円高に振れていたという考え方もあるのであるが、しかし、「円高を止めるため」に発言し、その「円高が進行する」ということは、財務大臣としての資質に大きく疑問符が付けられる状況になるのではないか。
 経済で言えば、羽田空港の国際化や猛暑でありながらビールの出荷が過去最低になったことなど、取り上げたい経済の話題はたくさんある。全体の傾向として「円高」は確実に日本の経済を蝕んでいる。世の中には「円高で内需拡大」とかわけのわからないことを言う人がいるが、円高で内需が拡大するためには、日本において輸入品が増えることをが大前提にある。また、企業が今まで通りの利益で小売販売を行わなければならない。そもそも円高でもガソリンなど燃料価格が下がらないのはなぜか。そのようなことをしっかりと解説したうえで、論拠を示さなければならないであろう。日本の場合物流費が非常に大きなウェイトを占めている。小売商品の価格の構成比が分かっていない人は「円高で内需拡大」とか言えるのであろうが、残念ながら、世の中はそんなに単純なものではない。一部の商品の「円高還元セール」が関の山ということであろうか。
 とはいえ、円高は悲観すべきことばかりではない。問題は日本の産業構造もしくは経済構造が「円高に対応し、儲けを享受できる仕組み」になっていないことが問題である。古い業界ではいまだに1ドル360円の体制が維持されている。もちろん為替の計算のようなコストの部分ではないが、戦後すぐから輸出入で行っている会社においてはそのような管理体制になっているところは少なくない。要するに、産業構造をどのように変化するのかが、最大の問題である。このようにいうとすぐに「構造改革派」といって批判が来るのであるが、実際構造改革も、財政健全化も、内需拡大もどれも必要だ。問題は、その時代に即した経済対策をしっかりと行うことであり、何を優先するかという問題である。ただ、何も知らずにエキセントリックな論理を振り回している人には注意しなければならない。
 と、経済に関しては、しっかりとした内容で書きたいのであるが、残念ながら、それよりも優先しなければならない記事が出ている。テレビでもトップニュースで行っているし、新聞各紙も大きく取り扱っている。また、経済構造の部分にも関係が出てくるので、皆さんもご存じであろう。
 日中のデモに関して、双方を一つの記事で扱っているのが下記の記事であったので、今回はこれを採用する。

日中両国で大規模な反中・反日デモ…海外メディアも報じる

2010年10月17日13時39分 / 提供:サーチナ

 東京で16日、尖閣諸島(中国名:釣魚島)の領有権をめぐり、前航空幕僚長の田母神俊雄氏が会長を務める保守派の団体らが主催するデモが行われた。当日は、3000人以上の人々が参加し、日の丸や「中国の尖閣諸島侵略を許さない」などと書かれた横断幕を掲げ、六本木をデモ行進した。中国大使館では中国政府に対する抗議文を読み上げた。
 一方、中国国内でも16日、四川省成都市、陝西省西安市、河南省鄭州市などで、大規模な反日デモが行われた。四川省成都市では、1万人を超える人々がデモに参加し、日系のスーパーや日本料理店で窓ガラスが割れるなどの被害が発生した。
 英BBCやAFP通信、ロイター通信などの海外メディアも、日中両国で尖閣諸島の領有権を主張する大規模なデモが起こったと報じている。
 韓国メディアは、日中両国で大規模な反中、反日デモが起こり、尖閣船舶衝突事件以降に深まった対立を解消するために、両政府は積極的に関係改善を図りにくくなった。それぞれ反中、反日感情の世論が強い状態で、関係の回復を急ぐことは、国内で逆風を迎える可能性があると指摘している。
 中国外務省の馬朝旭(まちょうきょく)・報道局長は16日深夜(日本時間17日未明)に談話を発表。東京の中国大使館前で行われた中国への抗議行動に対し、日本側に重大な関心を伝え、大使館員と施設の安全確保に有効な措置を取るよう求めたことを明らかにした。
 中国内の反日デモについて「一部の群衆が日本側の一連の誤った言行に義憤を示すことは理解できる」との談話を発表し、反日デモが日本のデモに反発した形で行われたことを示唆している。また、一部のデモ参加者が日系スーパーや日本料理店でガラスが割られるなどの行為には不快感を示し、自制するよう促した。(編集担当:李信恵・山口幸治)

2010年10月17日13時39分 / 提供:サーチナ
http://news.livedoor.com/article/detail/5077849/

 10月16日は、私もデモに誘われた。考え方は近いものがあり、同時に、中国人のように暴徒化することはないということであるので、デモへの参加も悪くないとも思った。しかし、非常に残念なことであるが10月16日は父の命日で、また三回忌でもあったので、批判はあるかもしれないが、私の場合個人的な事象を優先させていただいた。
 しかし、10月2日の時は全く報じなかった反中デモの件が、今回は、そのマスコミ批判に屈したのか、テレビなどでも奉じるようになった。それでも扱いは小さい。それよりも面白かったのは、中国だ。万を超える規模になり、日本のデモを凌駕している。
 私は05年の反日デモの件をよく覚えているのであるが、あのときの反日デモは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に関してである。実際に、靖国神社参拝に関して中国人に反対されてもただの「内政干渉」にすぎないし、そもそも、同じ中国である台湾の李登輝元総統は喜んで「戦友」に挨拶に来ているのに、中華人民共和国の人々は、そこまで反日デモを繰り返すのは、おかしい。
 05年のデモのときは、そう思って調査を行った。当然にデモそのものが政府が仕掛けたものであること、そして、その裏には東西格差における農民の反乱や退役軍人のデモが多数発生しており、そのために、中国政府が政府主導でそれらから目をそらせるためのデモを「反日の旗」で仕掛けたにすぎなかった。
 今回も同じだ。結局上海万博で中国における貧富の差が非常に激しくなってしまっている。中国全土において漁船の船長がもてはやされヒーロー扱いされたのは、何も、尖閣諸島の問題だけではない。上記のように中国においては貧農の貧富格差が激しくなっている。それこそNHKなどを見ても中国の四川省の大震災の映像を見ても、上海の発展や生活の格差は一目瞭然である。その貧富格差において、同じ「漁民の船長」を中国国務院政府が守るという構図は、中国全土において非常に大きなメッセージになて伝わったはずだ。しかし、この構図で忘れられたのが退役軍人や、「農民」である。また、それだけではなく「大学卒業したが就職のない」いわゆる中国人番のニートが大きな勢力になている。
 結局「漁民船長ヒーロー」説に載せられる人はいいが、「漁民の船長は救われても我々は救われない」という政府への不満は、どうしてもどこかで暴発する。中国はこのようなときに「歴史」と「日本」が大きなはけ口になってしまうのである。中国政府が簡単にデモを中止できないのはこのような事情による。要するにデモが発生しているのは西側の最大の町である成都、綿陽、西安などである。要するに都市部では発生していない。この分布そのものが、「反日」ではなく「反政府」運動であることはすぐにわかることになる。
 そのような背景をまったく報道しない日本のマスコミはかなりおかしいのか、ある意味では中国での情報が少ないのか。そのことは全く分からないが、それでも、わけのわからない反日機運を強める報道は控えてもらいたいものだ。
 一方、日本のデモも、ある意味では反政府デモであることは間違いがない。矛先は当然に尖閣諸島に対する不法侵犯問題であるが、一方で、その対応が全くできていない政府に対する不満も非常に多く聞かれるところである。今の政府では主権を守れない。このことはここで書かなくても、すでに何度も書いているところだ。
 要するに、双方のデモの主体は完全に「反政府デモ」であることは間違いがない。それでも反政府デモを正面から行うことができないために、反中・反日という形式をとっている。その内容に関し、両国の国民性が出ている。違法に者を破壊し、そして暴徒化する中国人と、統制がとれたデモ行進を行い抗議文を読み上げる日本のデモは、両国の「国民の民度」が現れたものではないだろうか。
 双方のデモの主体者が、しっかりと話をする気概があれば面白いのかもしれない。もちろん、両国の政府はそれを許さないであろう。反政府の輪が大きくなることは、情報を統制して権力を維持する人々にとって、非常に恐ろしいことであるものと考えられる。しかし、そのような機運が非常に盛り上がっていることも間違いがない。両国政府はしっかりとそのことを受け止めて、政府自体がしっかりと国民を指導する体制をとる、もしくは、それができないのであれば、政権を交代すべきではないだろうか。
 中国に関しては、内政干渉になるので、あまり言うことはしない。しかし、日本政府に関しては、そろそろ限界なのではないかと感じるものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に対する一考(15) 偏向報道が作られる過程を上杉隆氏の例で

マスコミ批判に対する一考(15) 偏向報道が作られる過程を上杉隆氏の例で

 今日は、「マスコミ批判に対する一考」であるが、「マスコミ批判に対する批判」になってしまう可能性がある。無条件にマスコミ批判を期待している人は、読んでいただかなくても良いかもしれない。私の場合、マスコミの立場もわかるので、残念ながら、無条件にマスコミを非難する立場にはなれない。批判をするならば、その批判の先の実態や批判すべき点、そしてその改善点をしっかりとあげるべきだ。もちろん、そのようなことを話しても、マスコミそのものがそのぶぶんをカットしてしまうこともすくなくないが、批判をする立場としてはカットされるされないは別にして、そのような内容をしっかりと書かなければならない。
 さて、今回は、上杉隆氏。
 もともと鳩山邦夫氏の秘書をしていたが、その後ジャーナリストとして独立。しかし、実際のところあまり売れていなかった。それが「官邸崩壊」が話題になりにわかに注目を浴びたジャーナリストだ。実際に官邸内にしっかりとしたインタビュー先があったと考えられるが、その筆はなかなかの表現力と批判に満ちた内容だった。
 その後、それに味をしめたのか「崩壊」ということで本を記載している。しかし、「記者クラブ崩壊」は、記者クラブの設立された経緯や歴史などを全く加味していない、ただの「自己都合の批判」になっている。記者クラブ批判に対しては私は賛成できない。私が記者クラブにいるからではなく、記者クラブその物の必要性があるからである。上杉氏のように「批判のために存在意義や性格をゆがめてしまう」のでは、完全に批判のための批判になってしまう。もちろん、それこそ「民主党の姿」である。
 批判のために、自分の理論を曲げてしまう。その姿が、しっかりと書かれている。論点をそらし、いつの間にか、そのような「感じ」に仕立て上げる。そのよい例が下記である。

手の平返し社説を堂々と掲載の新聞社を上杉隆氏「厚顔無恥」

 厚生労働省・村木厚子氏の冤罪事件で逮捕された主任検事・前田恒彦容疑者は、小沢一郎氏の政治資金事件でも取り調べを担当していたことが判明したが、大手メディアはそのことについて触れていない。『記者クラブ崩壊』などの著書があるフリージャーナリストの上杉隆氏は、前田容疑者を巡る大手メディアの報道姿勢をこう批判する。
******************************
 議決公表のつい前日まで、新聞各紙は「障害者郵便割引不正事件」における、厚生労働省の村木厚子・元雇用均等・児童家庭局長(現・内閣府政策統括官)の冤罪をめぐって、激しい検察批判を展開してきた。その郵便不正事件の捜査で証拠を改ざんし、証拠隠滅で逮捕されたのが主任検事・前田恒彦容疑者だった。しかし前田容疑者が、小沢氏の政治資金事件で公設第一秘書だった大久保隆規氏の取り調べを担当し、調書を作成していたことについて、10月5日付の新聞各紙はほとんど触れようとしなかった。
 前田容疑者は「郵便割引不正事件」にかぎらず、朝鮮総連詐欺事件など他の事件でも、捜査の違法性を疑われている人物だ。小沢氏の政治資金事件においても、前田容疑者が証拠物に改ざんを加えていないという保証はない。にもかかわらず、小沢氏の事件に関してだけは、テレビや新聞の記者クラブメディアは、前田容疑者による調書の偽造の可能性について、一切口をつぐんでいる。
 読売新聞は社説でこう書いた。
(大阪地検特捜部検事による証拠改ざん事件が検察審の審査に与える影響も懸念されたが、「強制起訴」議決は改ざん疑惑が発覚する前の先月14日だった。無責任な検察審批判は慎むべきだろう)
 逆である。改ざん疑惑が発覚する前に議決したからこそ、問題なのだ。改ざん疑惑を知らなかったがゆえに、検察審は検察、とりわけ“偽造犯”の前田検事のつくった調書を信用し、それを前提として「起訴相当」との判断を下した。調書そのものに偽造された可能性があるとすれば、それにもとづいた検察審の判断そのものも間違っている可能性は否定できない。前日までは検察による調書の作文について厳しく追及していたのに、小沢氏が起訴された途端、今度は手のひらを返したように同じ調書への疑惑には目をつぶる。しかもそれを社説として堂々と掲げるのだから、厚顔無恥も甚だしい。
 
※週刊ポスト2010年10月22日号
2010年10月12日(火)10時0分配信 NEWSポストセブン
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20101012-3039/1.htm

 さて、お気づきであろうか。
 まず前田検事の改竄事件は、あまりにも稚拙であってはならないことである。改竄事件によって冤罪で逮捕され失職(後に復職)した村木局長には同情する。しかし、逆にその事件があったからと言って、過去の取り調べが全て「改竄」されたものであったり、不正な操作であったとは考えられない。一つの事件で、その人の全ての功績を否定するほどの根拠がどこにあるのか。
 「逆である。改ざん疑惑が発覚する前に議決したからこそ、問題なのだ。改ざん疑惑を知らなかったがゆえに、検察審は検察、とりわけ“偽造犯”の前田検事のつくった調書を信用し、それを前提として「起訴相当」との判断を下した。調書そのものに偽造された可能性があるとすれば、それにもとづいた検察審の判断そのものも間違っている可能性は否定できない。」(本文中より抜粋)
 まるで、小沢の事件もすべて改竄されたものであるかのごとき断定ではないか。たまたま、検察の一つの事件をあげ、全てがその事件に起因しているかのごとき「いちゃもん」をつける。まるでやくざのやり取りを見ているようで不快極まりない。
 逆に、そこまで言うのであれば、「小沢が潔白であるという、納得ゆく説明」を展開し、その内容から検察を批判すればよい。相手のミスをあげ、そのないかで検察批判を行うのはいかがか。また、その内容を記載した新聞に対して「厚顔無恥」とする「厚顔無恥」はさすがにおかしいといわざるを得ない。逆に「小沢に加担する何か特別な理由」があると思われる。この論調そのものが「偏向報道」そのものであると断ぜざるを得ないのではないか。
 私は、この件において「小沢が悪い」「検察がおかしい」というジャッジをする気はない。しかし、一つには小沢の事件に関し、小沢そのものがしっかりと疑惑を晴らす努力をしているか。小沢そのものが潔白を証明しているのか。小沢が秘書責任として言い逃れをしているのではないかという疑惑が消えるものではない。以前は「微罪」といい、次に「秘書がやったから不明」という。そのうえ、検察審査会の議決では4億円の出所などが不明という極めて一般人の感覚に近い疑問が提起されている。4億円の出所に関しては、小沢はいまだに納得できる説明をしていないではないか。二転三転した出所。そして、その金銭に関する税金の支払いの証拠書面がない状況では、とても国民に説明した内容とはならない。上杉氏は、その「説明をしていない」ということそのものも、「検察の取り調べん改ざんの可能性がる」というつもりなのか。
 もうひとつは、検察審査会への批判、検察への批判、小沢の疑惑、その3種類の見解が混同されている点だ。検察審査会は、検察という密室の審査内容や手続きに関し、国民目線で起訴するかしないかを決める手続きだ。一つのオンブズマン的な要素を持っている。また、改竄したしないということであれば、当然に、刑事訴訟の場で明らかに「証拠を出して」戦えばよいことであり、別段、不公平でも何でもない。そもそも推定無罪を掲げて問題がないとしている民主党、または、逃げも隠れもしない、潔白を証明できるとしている小沢再度ならば、刑事訴訟そのものを恐れる必要はあるまいし、それによって民主党内における指導力や影響力がなくなることがあるはずがない。小沢離れが出てきているとすれば、刑事訴訟の問題ではない。起訴が小沢離れの原因ならば「口では推定無罪と言いながら、本心はそうは思っていない」ということに他ならないではないかようするに「民主党が嘘つきで国民をだましているかどうかが問われる」結果になる。
 そのことまで考えて上杉氏は発言しているのであろうか。
 とくに上杉氏を批判するつもりはないが、残念ながら上杉氏のこの様な発言により週刊ポストという週刊誌はこのような記事を掲載してしまったのだ。ということは、上杉氏を原因とする「偏向報道」が行われたということになる。簡単にいえば、上杉氏の主観により、「小沢事件における小沢擁護と検察批判」が根拠や証拠なしに、別件での改ざん事件ということをネタに繰り広げられたのである。ましてや、改竄事件が「推定無罪」であるという根拠はここに存在していない。その扱いもおかしいのではないか。
 このようにいてゆくと、全く公平に見られていない偏向報道が行われ、そのようなものが「別な偏向報道の批判」という形で出されることも少なくないことが分かる。
 読者はよほど注意をしなければならないのではないか。
 逆に、われわれマスコミは、このような過程での偏向報道の作ることを、しっかりと反省し戒めなければならないのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

最近の政局分析  2010年秋<メルマガ抜粋>

最近の政局分析  2010年秋<メルマガ抜粋>

 毎週日曜日のメルマガとブログは、日本の小売業について書いている。  
  しかし、たまには、政局分析などもしてみようと思う。

 昨日16日は、日本と中国で大規模なデモが行われた。
 中国のデモは2万人規模と伝えられているが、実際のところはよくわからない。
 日本企業イトーヨーカドーのガラスが割られるなど、実際の被害が出た。
 一方日本のデモは、東京の乃木坂から麻布の中国大使館までデモ行進を行い、そのうえで、中国大使館前で抗議を行うというものであった。
 日本のデモに関しては主催者である「がんばれ日本」から正式に人数などが発表があると思うので、そのあとに詳細が分かると思う。
 実際のところ、このデモ行進に関しては、今回その主題ではない。
 そこで、このデモ行進と尖閣問題に関しては、別なときにしっかり書くことにしよう。
 しかし、尖閣諸島問題は、日本の政局を一気に面白くした。

 「おもしろい」という表現を使うと不謹慎なのかもしれない。
 しかし、この問題によって、日本の政権ことに、菅直人民主党政権が日本の主権を守れる状況にないということが明らかになった。
 このことによって、様々な動きが出てきている。

 そもそも、政局に関しては、菅直人首相と仙谷由人官房長官は簡単に考えていた節がある。

<続きはメルマガでお楽しみください>
<メルマガは下記からお申し込みください>

  • -----------------------------------------------------------
     國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
    ブログ
    <http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>
    
    <mailto:CQA14363@nifty.com>
    
    発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)
    
    発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 
    配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html 
    -----------------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小沢一郎元代表の動向とその処分を巡る民主党の対応

小沢一郎元代表の動向とその処分を巡る民主党の対応

 しばらくこのブログからご無沙汰していた小沢一郎である。
 10月初めに検察審査会によって2回目の起訴相当という議決が出た。これにより検察審査会の規定によって、裁判所によって指定された弁護士が検察役を行い、起訴を行うことになった。検察は、これまでに過去2回不起訴という処分にしているのに対して、国民中心によって行われた検察審査会では起訴するべきという結論が出たことになる。
 そもそも、起訴とは、刑事法および国家が処罰する法律規定に違反した被疑者に対して、国家、司法警察もしくは検察が、国家の機関である司法府、具体的には裁判所に対して、訴えを起こすことを言う。実際に起訴前の取り調べを受けている間は「被疑者」そして起訴後(最近では逮捕後ということになっているが、今回の場合は逮捕はないらしい)は「容疑者」そして、有罪確定後は「犯罪者」というように変わってゆく。現段階では、起訴相当ということで起訴されることが確実であるために、小沢一郎は「被疑者」から「容疑者」に変わったところといえよう。
 さて、この事件を巡って、様々な動きがされている。単純に行って、「起訴されたくない」小沢一郎と、「起訴されて、政界に復帰してほしくない」菅直人首相や仙谷由人官房長官、岡田克也幹事長などの民主党主流派、そして「小沢検察審査会事件をもとに政局を作りたい」自民党やみんなの党などの野党各党との駆け引きである。この構図が「民主党の内部対立」と「与党対野党」の対立の二つの対立があるところに今回の内容が存在する。
 その関連の記事が下記のものである。


民主党、小沢元代表に政倫審出席要求へ

読売新聞 10月13日(水)3時6分配信
 民主党は12日、東京第5検察審査会の議決で強制起訴される小沢一郎元代表に対し、衆院政治倫理審査会(政倫審)で、自らの資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反事件について説明するよう要請する方針を固めた。
 小沢氏が無罪を主張しているため、処分は見送らざるを得ないが、党として小沢氏に国民への説明を厳しく求める姿勢を示す必要があると判断した。岡田幹事長が近く小沢氏と会談し、政倫審出席を求めるとみられる。
 党幹部は12日、「野党が政治とカネの問題を取り上げて反発したら、(2010年度)補正予算案や法案が通らなくなる。まずは国会で小沢氏が対応しなければならない」と語った。
 民主党は同日の役員会で、小沢氏の処分問題などを議論したが、結論を先送りした。岡田氏は役員会後、記者団に、「『いつまで』とあらかじめ切って議論するつもりはない」と述べ、当面、処分はしない意向を示した。

最終更新:10月13日(水)3時6分読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101012-00001174-yom-pol


小沢氏の行政訴訟は「ナンセンス」 

 小沢一郎氏が、東京第5検察審査会の起訴議決への対抗策として、行政訴訟に打って出た。弁護団は「勝算はある」と自信をのぞかせるが、議決や指定弁護士の選任を「行政処分」とする主張や、刑事事件上の不服を民事訴訟で解決しようとする姿勢には違和感を覚える。
 法曹界では「起訴に向けた手続きが滞る可能性はない」との意見が圧倒的。本腰をすえた法廷闘争としては現実味が薄く、「潔白」を世論にアピールする「政治的パフォーマンス」との声も出ている。
 行政訴訟は国や地方自治体などの行為(行政処分)について適法性を争う訴訟だ。検審の議決については最高裁が昭和41年に「行政訴訟の対象外」とする判例を示した。議決は行政処分ではないとする見解だ。
 にもかかわらず、提訴に踏み切った背景には、昨年5月の改正検察審査会法施行で法的拘束力を持つ「強制起訴」制度が導入されたことがある。弁護団は「強制起訴は直接個人の権利侵害になり、行政処分にあたる。(最高裁判例は)今日では妥当しない」と主張する。ベテラン裁判官も「41年の判例の前提は変わっている。弁護団の主張も理解できなくはない」との見方を示す。
 それでも行政訴訟で決着をつけようとする姿勢は筋違いといえる。別のベテラン裁判官は「刑事事件なら刑事裁判で争うべきだ。行政訴訟はナンセンス」と批判する。第5検審の起訴議決で審査補助員を務めた吉田繁実弁護士も「検察官の起訴に対し、不服申し立てをするようなものだ」と冷ややかだ。
 小沢氏は議決後「何の不正な問題もないという結論を得るように全力を尽くしたい」と述べた。「潔白」を示したいのなら、強制起訴後に法廷の場でこそ全力を尽くすべきだ。(森浩)

2010年10月15日22時18分 / 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/5075697/

 まず、興味深いのは、民主党が「政治倫理審査会」に応じる姿勢を見せていること。当然に、政治倫理審査会に応じるということは、少なくとも「政治倫理に何らかの問題がある」という可能性があることを民主党が認めたということになる。証人喚問になればより重たい責任があると考えられるし、発言内容が異なれば、偽証罪に問われる可能性があるのだ。
 一方小沢派、「起訴になる手続きである検察審査会その物に異議申し立てができる」というものである。実際のところ「プロ」である検察が、その専門的な能力を使って、それでも起訴できなかったものを、なぜ一般人が起訴できるように議決できるのか、ということに関して、行政不服申し立てをしていることになる。
 これによって「脱小沢」か「小沢主流」かという争いが民主党内の権力闘争として実際に存在することになるのであって、非常に興味深い。そもそも検察審査会の議決そのものに対する行政不服申し立てが通れば、菅民主党執行部によっておこなわれた政治倫理審査会への出席を認めたことは、民主党執行部の完全なミスということになる。現在の菅直人執行部は完全に「小沢に濡れ衣をかけた」ということになるのだ。一方、行政不服申し立てが通らなければ、小沢そのものが「裁判所で争うべきことを、法の内容で争ってきた」ということになり、小沢や石川知裕といった、いまだに国会議員で今回の「被疑者」に対して、さらなる国会での説明責任が求められるであろう。
 面白いのは、民主党執行部と小沢の個人の行動について、まったく意思疎通がなされていないということだ。これではかなり問題であると認識され、「執行部に関しては、密室政治的な問題が生じる」という問題が出てくるのである。
 さて、この問題に関して私の私見を述べさせていただく。 
 民主党の態度には疑問だ。実際のところ、やましい御ころがないのであれば、国会に限らず様々な場所でしっかりと説明をすればよい。逆に説明をしないといことは「説明できないほど悪いことをしていた」というように国民から受け取られかねない。そのために、しっかりと説明を尽くさなければならないであろう。
 一方、検察審査会は、本来民主党お得意の「透明化」と「民意の反映」でしかない。そもそも捜査権限は検察にしかなかった。それが、検察批判をするものであるから、当然に第三者的な、国民目線の第三者機関が必要ということになる。それが検察審査会である。癒着などが起こらないように、非公開にされている。それが出ないことで、簡単に不服といわれても困るのではないか。
 民主党の感覚は「自分に都合が良ければ何をやっても良い」というもの。それまで「検察批判」をしながら、都合が悪くなると「検察というプロ組織が判断したのに、国民という素人が勝手に判断することはおかしい」という。
 また、自民党時代は「民意」と言っていたが、そもそも検察審査会も「民意」ではないのか。その民意を裏切り、検察審査会その物を批判するというのは非常におかしいといわざるを得ない。
 そのうえで、これらを「民意と絡めて」しっかりと質問できる野党議員がいない。ここのところ、代表選挙近辺から、今まで、非常にネタの宝庫である菅直人政権。その政権に関して言えば、マスコミ操作、情報操作、そして、民意という考え方でできていたにすぎない。そのうち、「官僚」は批判されて面従腹背、「国民」は風があるから流れて行ってしまう可能性は多い、そうなれば、そこを計算に入れたうえで、質問に立つべきであり、残念ながら、そこまで論理的な、理知的な人は、なかなか流通業の周りにはいない。
 この問題は、今後政局につながる可能性はある。これに対して、野党諸君は、しっかりと頑張っていただきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

左翼政権で中国化する日本・国際的情報に関して秘密主義を貫く

左翼政権で中国化する日本・国際的情報に関して秘密主義を貫く

 尖閣諸島問題を通して、日中の様々な問題が表面化してきている。
 とはいえ、中華人民共和国そのものに関しては、何も変わっていない。以前からこのような国であったと思う。そもそも彼らは「共産党一党独裁」を変えていないし、いまだに統制経済を継続中である。中国が大きく変わったのは、まず戦後で言うと毛沢東革命のとき。この解説は必要がないであろう。この時から「二つの中国」という理論ができてきて、中華民国(俗にいう台湾、最近オリンピックなどでは「チャイニーズ・台北」と表記しているようである)と、中華人民共和国に関しては微妙な問題が存在していた。
 次に大きく路線が変わったのは鄧小平による改革開放政策であろう。改革開放政策は、そもそもは中国沿岸部14年において資本主義的な経済活動を行うことができるように特例年を作った。書く改革開放都市には「開発区」が設定され、その開発区においては外国からの投資の受け入れや国営企業との自由競争が認められた(といっても、本当に自由であったかどうかは別問題である)。
 次に大きく変わるのは、改革開放が徐々に全土に押し広げられ、上海に上場市場が生まれた時である。江沢民体制における朱よう気前首相は、上海の上場市場を発展させるために、アメリカのナスダックを視察し、そのエッセンスを取り入れるなど、上海上場市場の発展と市場経済の推進を行った。株式はA株とB株があり、片方は外国の投資家が自由に参入し投資ができるような工夫もした。この辺が中国らしいが、結局会社企業の支配権は全く手に入らないが投機マネーとして投資を受け入れることに関しては、非常に積極的であった。
 このように、中国は毛沢東革命に比べて大きな流れとして自由主義化、または資本主義自由競争経済化していったといえる。
 日本人は「エコノミック・アニマル」といわれる。ここで「アニマル」という単語が使われることに日本人は注意しなければならない。直訳すれば「経済的動物」要するに「人間ではない」と外国人にバカにされていることにいつ気づくのであろうか。
 上記のように経済が自由化、資本主義化したところで、政治体制は「情報統制」「統制経済」「共産党一党独裁」が継続している。私が中国にいた2001年まで、大連空港は空軍の演習があるといえば、完全に民間航空機も国際線もすべて空港使用禁止になったものだ。戦争などは別にし「演習」で「民間機の離着陸拒否」というのも、どうにもならない。また、上記の上海上場市場といえども、それは共産党の支配下にあり、いつでも上海の上場市場のコントロールは共産党でつけられるようになっている。そのためにA株とB株に分かれており、中国国内でしか流通しない、もしくは売買禁止の株が存在するのだ。初めから会社企業を支配できないばかりか、A株の売買や取引によっていくらでも上場市場の株価コントロールができるようになっている。
 私は中国の経済に関しては「勢いよく回っている独楽(共産党)の上に、近代的建物(資本主義)が建っているようんなもの」という例えをする。独楽が勢いよく回っている間はいいが、独楽が回らなくなってしまっては、いつでも資本主義が根本から崩れるようになっているのである。表向きはまっすぐ立っているが、いつ横になって倒れるかわからない。
 それでも日本人は、そのことが分からない。インターネットなどを見ると、中国が完全な資本主義・自由主義経済にでもなったかのような錯覚をしている人も少なくない。だいたいの場合「情報を知らないかわいそうな人がいる」と思うようにしているが、それこそ、中国の情報統制である。
 中国は、このようなきょう共産党一党独裁ができるのは、国民の多くに「情報」を制限しているからに他ならない。情報の制限は、そのまま現実を知らせないということに他ならない。政府もしkは共産党に都合のよい情報しか流さないことになっている。そのような情報の統制は、天安門事件を発生させ、また、ノーベル平和賞を受賞しても国民が祝えない状況いあるのだ。
 日本は、そのような「大本営発表」で戦争の現実を知らせず、そのことによって戦争の被害が拡大された。実際、今から見れば主力正規空母4隻を失ったミッドウェイ海戦においても、空母二隻の被害しか伝えられておらず「日本大勝」と書かれていた。
 報道の自由、言論の自由がなかったから戦争に突入したとは思えない。しかし、戦争への導入方法や戦争の被害の縮小、終戦への世論調整などはできなかったであろう。情報の統制はある意味ではどの国の政府押している。しかし、その程度が過ぎると、国家として主権も守れなくなり国家存亡の危機になってしまう。政府の過ちを治せなくなってしまうのである。
 そのことに関する日中の記事が下記の通りだ。


ビデオの提出要求を議決=尖閣での漁船衝突―衆院予算委

 衆院予算委員会は13日夕、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオ映像について、政府に提出を求めることを全会一致で議決した。ビデオを公開するかどうかの扱いは今後、理事会で協議する。ただ、政府・民主党は日中関係が修復に動きだしたことを考慮し、全面公開を見送る方針を固めており、提出する場合は秘密会での視聴などを前提とする考えだ。
 民主党は当初、15日に議決をする方向で調整していたが、自民党が13日への前倒しを強く求めたため、応じた。
 菅直人首相は13日夜、衆院予算委の議決について記者団に「捜査当局がきちんと判断をしてくれると思う。その判断を待ってから、(日中関係への影響など)その後のことは考えたい」と語った。民主党国対幹部は、ビデオの扱いに関し「秘密会も選択肢の一つだ」と述べ、視聴は一部議員に限定せざるを得ないとの認識を示した。 

2010年10月13日20時49分 / 提供:時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/5070176/


中国共産党引退幹部ら、自由化要求し公開書簡

 【北京=関泰晴】中国共産党の引退幹部ら23人が発起人となり、憲法が認める言論や出版の自由が厳格な統制を受けている国内の状況を痛烈に非難する公開書簡をインターネット上で発表した。
 発表は、服役中の民主活動家、劉暁波(りゅうぎょうは)氏へのノーベル平和賞授与決定直後の11日で、共産党政権は、民主化要求の高まりも警戒してネット上から削除した。
 発起人は、故毛沢東主席の秘書だった李鋭氏、党機関紙「人民日報」元社長の胡績偉氏ら。言論、出版、集会、結社の自由を保障した中国憲法35条が、共産党と政府機関が定める細則のために「絵に描いた餅」になっていると断じた。その上で、全国人民代表大会(国会)常務委員に対し、党中央宣伝部などによる検閲廃止やネット上での言論封鎖廃止などを求めた。

(2010年10月12日22時45分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101012-OYT1T00991.htm?from=main1

 これを見ていると、中国は徐々に自由化の方向に向かい日本は民主党政権になって秘密主義、情報統制主義に傾いている。中国が自由化され、日本が共産党(民主党)一党独裁化に傾いているのではないか。民主党は依然、「密室政治」と自民党を批判していたが、実際に閔室政治を行っているのは民主党だ。
 今回の尖閣の件もどのように外交交渉を行ったのかもわからない。そもそも、この件で官房機密費や外交機密費はどれくらい使われたのであろうか。細野議員が使った経費亜いくらなのか。相変わらず公開されない。私自身は機密費は機密であるから「機密費」であるし、外交や行政においては機密にする必要のある、広く国民がしならない方が良い話も少なくないと思うので、機密費そのものは必要と思う。しかし、今まであれだけ「機密費の公開」を言っていた民主党が、自分が政権を獲った瞬間に手のひらを返したように完全に態度を変えてしまうのでは、行政への国民の信頼はなくなってしまう。
 要するに、民主党は、野党であった時と現在とが全く違い、その上で、自分の発言や公約と違うことをしているから「秘密にしなければならない」情報が増える。それは基子らそのような対応をしていた自民党よりも、自分で出してきた発言やウソを隠す分増えてしまっているのだ。
 まさに、うその上塗りをばれないようにするために「秘密」が増える。これでは話にならない。
 このままでは、日本の中国化、情報統制化や統制経済は近いかもしれない。そうならないように、国会、殊に民主党政権には今までの建前をいかに実現させるのか。そしてその情報や審議の過程を公表させるのか。その試金石となるのが線アック諸島の漁船のビデオではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

菅新内閣で初めての予算委員会と菅内閣の政権担当能力

菅新内閣で初めての予算委員会と菅内閣の政権担当能力

 先日来、日本においては国会で衆議院の予算委員会が開催されている。衆議院の予算委員会は、そもそもは予算を審議する場所であるが、この予算委員会にはテレビ中継が必ず入る。他の委員会もテレビカメラや取材は入るのであるが、残念ながら中継されることは少ない。テレビ中継がほぼ毎回入るのは、本会議と予算委員会である。今回のように尖閣諸島問題で大きな関心事項になっていたとしても、外交防衛委員会などはなかなか中継されない。
 なぜ、この二つにだけは必ずテレビ中継が入るのか。おそらく不思議に思っている人も少なくないのではないか。本会議に関しては説明をする必要はないであろう。本会議に関しては、基本的に全議員が出席するところで、ここでの所信表明演説と、代表質問は、その時の国会を性格付けるものであり、同時に、各政党の主張が最も良くあらわれているところである。そのために、本会議に関しては、基本的には全てを包み隠さず国民に知らしめる必要がある。そのために中継をするのである。
 一方で予算委員会に関しては、いくつかの理由がある。もともとは日本国憲法において予算は国会とは独立して将だてられている。そのために、国会の「立法府」という権能ではなく、行政の予算審議という「立法」とは別の機能凝縮されているのである。予算委員会が、予算として行っているのは日本国憲法第7章の「財政」という章、第83条より第91条までの項目に関して行っている。このほかの委員会に関しては憲法の第4章の国会という章建ての内容に関し立法府としての権能を行っているのである。このために、予算委員会に関しては、通常の常任委員会や臨時委員会とは異なり、予算に関連する全ての閣僚の出席が求められている。基本的に「予算に関連する」とは、結局国家の機関である以上、全ての閣僚ということになるのであり、そのために、全閣僚が出席し、その閣僚に対して質問を行うことになるのだ。
 このほかに国会中継ということに関しては、証人喚問や政治倫理審査会などがあげられる。敢えて上記にこれを入れなかったのは、証人喚問も政治倫理審査会も、いずれも、臨時委員会であり、基本的には常任委員会ではない、つまり国会の開催において毎回行われるものではないということになる。
 そもそも国会の委員会とはどのようなところであろうか。国会は行政府である内閣が法案もしくは予算案を提出し、与野党の国会議員がその法案や予算案に関して審議を行うということになる。その審議に関しては、当然に、行政が作った内容に関しての質問になるので、質疑応答は国会議員対閣僚もしくは行政うの役人(官僚)ということになる。このほかに内閣法制局局員なども入っていたが、最近民主党の政治主導によって外されようとしている。与党内であれば、特段に国会において質問をしなくても良いし、難しい内容をここであげる必要もない。そのために、委員会の質問と審議は、野党と内閣閣僚の質疑応答になる。
 他の委員会でも同じ構成になっているが、上記のように、予算委員会だけは、必ずテレビ中継が入ることになる。そのために、本会議よりも時間が取れ、野党国会議員から直接に(マスコミなどを使わずに)閣僚に対して質問ができることになる。当然に、個人的なスキャンダルや疑獄事件疑惑などに関しても質問ができる。何しろ、彼ら閣僚や国会議員の歳費も「予算」の一部であるから、また、その政党助成金も税金であるから、予算に関連していないとは言えない。そのために予算委員会はさながらスキャンダルの暴露合戦のような、質疑応答になる。
 上記のように、結局のところ、予算という別枠であるからテレビ中継が入るし、全閣僚がそろうというものであるが、逆に、必ずテレビ中継が入り、国会議員も閣僚もすべて予算の中から採否を得ていることを考えれば、彼らに関するすべてのことが予算委員会で審議される対象となるのである。
 少々長くなったが、国会の委員会でのやり取りを見ていると、以前の自民党が与党であった時代からそうであるが、さすがに「スキャンダル暴露大会」のようである。この予算委員会の審議こそ、日本の品性を最も落としていることではないであろうか。
 問題は、スキャンダル事件や疑惑をもたれるを起こす国会議員もそうであるが、追求する議員も、またその質問に対して回答する閣僚もいずれもディベート能力に欠けると思わざるを得ない内容になっているのが残念だ。
 今回の予算委員会は、そんな内容である。仙谷官房長官の横暴トゲのある態度と菅直人のうつろな対応が目に付く。基本的に彼らの対応は、「何かを隠しているのではないか」ということを思わせる対応でしかない。その内容は首尾一貫していないのである。
 一方若返りをアピールした自民党新執行部の石原幹事長は、自分の話が長くて、政権側の話を引き出すことができなかった。かえって閣僚に上げ足を指摘されるようなものである。いまだに野党慣れしていない野党と与党慣れしていない与党。もちろん、与党慣れしていない与党の方が、政権おになっているので国民に損害が大きいのであるが、それにしても、困ったものである。もう少し国民に分かりやすく、そして論点や政権のおかしなところを引き出せる国会にはならないものか。
 今回はそんな感じ御少し揶揄お交えて描いた下記の記事である。


仙谷“増長”影の宰相の後ろで…あっけら菅?ドタバタ予算委

 衆院予算委員会は12日、菅直人首相と全閣僚が出席して基本的質疑を行った。午後からは野党議員の質問が始まり、本格論戦がスタート。菅首相はさっそく、「20年間の日本の閉塞状況を打ち破るのは、私1人ではできない」と能力不足を自ら認めた。実際、不安だったのか、重要な場面では、仙谷由人官房長官が代わって答弁に立つなど、「影の宰相」ぶりを発揮する局面が目立った。
 野党質問の先頭バッターを務めたのは自民党の石原伸晃幹事長。「このテレビ番組を見ている国民も多いでしょうから」と、NHKの生中継を意識した質問を浴びせ続けた。
 冒頭で、菅首相が自らの政治姿勢を「大風呂敷を広げた」と開き直っていることについて、パネルを出しながら「『大風呂敷を広げる』というのは、『ホラをふく、できもしないことを言うこと』という意味だと広辞苑には書いてある。これからは大風呂敷内閣と呼ぶ」とジャブを入れた。
 これに対し、菅首相は「そう簡単にはできないけど、やりたいことを言うのが私の大風呂敷だ。石原さんのとは意味が違うので残念だ」と声を荒げて反論。しかし、その直後、「この20年の日本の閉塞状況を打ち破るには、とても私1人、民主党1つの政党ではできない」と、自らの首相としての能力や民主党の政権担当能力不足を認めてしまった。
 「政治とカネ」問題で、強制起訴される小沢一郎元代表の証人喚問を求められると、菅首相は「国会の決定と本人の意向」という紋切り型答弁に終始した。
 石原氏が、野党時代の菅首相の著作に「コメントを求められた総理大臣は『国会のことは国会で決めてくれ』と答弁するだろうが、自分の党が疑惑を求められているのであれば、なんらかの措置を取るべきだ」などと記していることを突っ込むと、菅首相は「首相になってみると、ひとつひとつの言動が大きな影響を与える」と逃げた。
 一方、尖閣問題や日中関係に質問が及ぶと、仙谷氏が代わりに答える場面が目立った。
 石原氏が「弱腰外交」批判をぶつけると、菅首相を押しのけて答弁席に立った仙谷氏は「弱腰内閣と言われるが、柳腰という強い腰の入れ方もある。しなやかにしたたかに対応している」と気色ばみ、「中国に大国として、先進国の和にどういう形で入っていただくかがわれわれの課題だ」と中国に敬語を用いながら持論を展開した。
 石原氏は「官邸には首相が2人いるようだと言われる」と、「仙谷時代」と揶揄される仙谷氏の権勢を皮肉った。
 午前中には、与党議員による質問が行われ、2010年度補正予算案について、菅首相は「少なくとも今国会で成立させて来年1月から実行できるようにお願いしたい」と、改めて野党に協力を要請した。

2010年10月12日17時00分 / 提供:ZAKZAK(夕刊フジ)
http://news.livedoor.com/article/detail/5067432/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「喝」でお茶の間人気の大沢啓二元日本ハムファイターズ監督逝く

「喝」でお茶の間人気の大沢啓二元日本ハムファイターズ監督逝く

 昨日12日は新聞が休刊美であった。連休明けは基本的には新聞の休刊日になる。新聞社といえどもどうしても休みは必要だ。新聞社も人間の行っていることであり、また、機械などもメンテナンスをしなければならない。何よりも人間の頭の中をメンテナンスしないと、なかなか良い記事は書けないものである。よって、昨日は駅売りのスポーツ紙しか販売していない。だから今日はスポーツの話題から。
 それでも、コンピューターなどコミュニケーション手段の発達によって、かなり私たちの世代の新聞社は楽になっている。昔の人は、カメラも大きかったし、そもそもデジタルではないので、カメラのフィルムの現像をどれほどの速さでしなければならなかったか。それに比べれば、かなり多くの労力を節約できている。科学の進歩さまさまである。
 逆に、科学の時代に生きてしまったために、人間としての根性が足りない部分もある。私自身の話として聞いてもらいたいが、昔の人のマスコミや記者の話を聞いていると、とてもとても自分にはできないものであると感じる。私は、まだ、最近のマスコミの人と違って諸先輩方との話が非常にスムーズに言っている方であると考えている。というよりは、私の所属している両院記者会そのものが、昭和一桁生まれの「巣」のような場所である。一般の会社ではとっくに引退している年代の人たちが現役で働いているのであるから、その迫力といったらない。昭和一桁の人々は、前半の人は戦争経験者である。ここで言う戦争経験者とは、まさに戦闘体験や戦争の訓練を受けた世代という意味であり、空襲や戦争被害の体験者という意味ではない。両院記者会の事務局長をしていらっしゃる小林さんは昭和3年生まれである。昭和19年、まさに戦争中に「貴族院」入社している。私が間違えているわけではなく、当時は貴族院であった。現在の国会の改革があり貴族院が参議院になるのは、昭和26年のことだ。同年代の人は「学徒動員」で出征した人も少なくない。小林さんの場合は、女性であるからそのようなことはなかった。
 小林さんと話していると様々な話が出てくることが多い。そもそも「鳩山」という姓字で「一郎」と答える現在の政治関係者は少なくないのではないか。現在ならば由紀夫前首相か邦夫元総務大臣の兄弟のことが上がる。少し古い人であれば、「威一郎」外務大臣である。鳩山一郎氏は、自由民主党初代総裁であり、自由党と旧民主党に分裂していた時代に吉田茂と首相の座を争った人物だ。吉田茂の引退後鳩山一郎が首相になっている。やはり孫同士も同じ因縁のようで、吉田茂の孫である麻生太郎の次に、鳩山一郎の孫である鳩山由紀夫が週初になっている。
 このようなことは、昭和の時代の話を聞くものだけが知る特権であり、また小林さんのような型と話をすると、その時の情景が目に浮かぶ。殊に、国会議事堂は、当時とまったく変わらない外見である。当然にその内容はその「舞台」で繰り広げられた様々な物語を見ることができるのだ。
 さて、国会の場では、このような昭和一桁の人がまだまだ「現役」で活躍している。下手をすると大正生まれの「現役」もいるほどだ。
 これに対して、野球界、殊にプロ野球界は、現役が非常に短い。最近では横浜ベイスターズ(この球団も今年なくなるようであるが)の工藤公康投手が現役最年長であったし、中日ドラゴンズの山本昌投手が最年長で完封をしたばかりだ。とはいえ、工藤投手も山本投手も四十代である。政治の世界で言えば「若手」どころか「ヒヨコ」といわれる世代だ。野球界では、どうしてもそのように現役の時期が短くなってしまうのか。もちろん体力を使う仕事であるから、現役の期間が短いのはよくわかるが、それでも、ゴルフなど他のスポーツのように「シニア」で活躍できる部分が非常に少ないのは残念だ。
 それでも、プロ野球の話も、昔の話を聞くのは面白い。先ほどの国会の小林さんではないが、「あの時こうだった」「昔の選手はすごかった」などと聞くと、現在のような映像などが残っていない分、とてもすごいものを想像してしまう。伝説の選手というのか必ずいるものであり、実際に数字を残していない選手も確実にヒーローなのである。
 そのような「プロ野球」で昔の人が思う存分語る場面というのが少なくなった。野球そのものの中継も少なくなったし、野球の解説者は、当然に現在の選手とのつながりのある若い解説者の方が、使い勝手が良い。あわよくば裏話やプライベートの話も聞けるので、マスコミなどは非常に使いやすいのであろう。また地方遠征なども多いので、年長者はなかなか解説としては難しい部分があるのかもしれない。殊に中継ということになれば、なかなか手が届かない。
 そんな中、東京ではTBS系列で、日曜日の朝テレビ番組「サンデーモーニング」の「御意見番スポーツ」コーナーは楽しみの一つであった。大沢啓二氏と張本功氏の忌憚のない意見は、「長老」ならではの意見であり、また、誰もが納得できる話ばかりである。やはり、最近の「若い」解説者ではなく、長老でなければできない「遠慮会釈ない」意見は、野球もしくはスポーツ全体を愛しているからこそ出てくる温かい批判ばかりである。殊に、「喝」という掛け声をするときは、本当に素晴らしいタイミングであった。そのご意見番の一人大沢啓二氏が急逝した。癌であったという。その記事が下記のものだ。

「親分を最後まで」大沢啓二元監督がん死

 球界の「親分」が逝った。元日本ハム監督の大沢啓二氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため、都内の病院で息を引き取った。78歳だった。昨年10月に発覚も、すでに末期に近い状態だったため、手術をせずに抗がん剤などで治療を続けていた。9月23日に体調を崩して入院。先週、容体が悪化し、そのまま帰らぬ人となった。強打、堅守の外野手として、56年に立大から南海に入団。65年に現役を引退し、日本ハム監督として81年にリーグ優勝を果たした。現場から離れたあとは、TBS系の情報番組「サンデーモーニング」にレギュラー出演。「喝(かつ)!」「あっぱれ」のフレーズで人気を博した。
 親分は最後まで「ボール」を握り続けていた。大沢さんの個人マネジャー、久保文雄氏(48)によれば、「病院のベッドの枕元に硬球をずっと置いてました。亡くなる前日もボールを握り締めていました」という。息を引き取った時の顔は「勝ちゲームのあとのような、安らかな表情」(久保氏)だった。
 昨年10月に胆のうがんが見つかった。わかりづらい場所にあったため、発覚した時はすでに末期に近かったという。手術もできずに抗がん剤などで治療を行う一方、周囲には事実を明かさずに、野球評論などの仕事を続けていた。今年夏ごろ「腰が痛い」と訴えることが多くなり、食欲も急激に衰えたという。それでも、久保氏によれば「最後まで親分を通すぞ」と言い、仕事を優先した。元ロッテ、巨人の張本勲氏とのコンビで人気の「サンデーモーニング」の出演は、9月19日が最後となった。
 「親分」のニックネームにたがわない野球人生だった。まっすぐな性格で、高校時代には判定に怒って球審を殴ってしまい、1年間出場停止になった。南海に入団後、立大の2年後輩の杉浦忠氏(故人)、長嶋茂雄氏(巨人終身名誉監督)の面倒をみて、勧誘に一役買った。長嶋氏が巨人入りを決めた際には、たまらず怒鳴りつけたという。コーチ、監督時代に退場7度(史上4位)。最後のユニホーム姿となった94年の日本ハム退団セレモニーの際には、10年ぶりの最下位をわびて、ファンに土下座までした。
 最も光り輝いたのは、最初の日本ハム監督時代だろう。76年から指揮をとり、81年に悲願のリーグ優勝。江夏、柏原、高橋一三、ソレイタといった猛者たちを巧みに使い、球団創設8年目にして初の優勝をもたらした。当時の大社義規オーナー(故人)を胴上げし、男泣きしたのは有名。「大社さんほど野球が好きなオーナーはいない。あの人を胴上げできないようでは男がすたる」。日本シリーズでは江川のいる巨人に完敗したが、日本ハムが北海道に移転するまでの唯一のリーグVだった。
 発言もユニークだった。日本ハムの監督に復帰した93年、当時ロッテの伊良部に完敗した際、「幕張の海岸を泳いでいたらよお、イラブっていう電気クラゲに刺されてな。またの下でなくてよかったけどよ、治療してまた出直しだわな。ワッハッハ」と笑い飛ばした。この年は西武と最後までデッドヒートを演じ、優勝は逃したものの、「親分」は流行語大賞にもなった。
 「人間には、わらじをつくる人、みこしを担ぐ人、みこしに乗る人がいる。誰が一番えらいんじゃなくてよ、それぞれ与えられた役割をまっとうすることが大事なんだ」。大沢さんの口ぐせだった。球界の親分という役割をまっとうし、78年の生涯を閉じた。

2010年10月8日(金)10時10分配信 日刊スポーツ
http://news.nifty.com/cs/sports/baseballdetail/nikkansp-p-bb-tp0-101008-0011/1.htm

 「大変ショック」と張本氏=テレビ番組で名コンビ―大沢啓二氏死去
時事通信 10月7日(木)12時33分配信

 7日死去した大沢啓二さんはTBS系のテレビ番組「サンデーモーニング」の「御意見番スポーツ」コーナーに張本勲さんと共演。好プレーに「あっぱれ」、ふがいない選手らに「喝」を入れながら、若い選手らを励ました。
 張本さんはTBSを通じ「大変ショックを受けています。まだ実感がわきません。大沢先輩にはたくさんのことを教わりました。感謝の気持ちでいっぱいです。ご家族に心からお悔やみを申し上げます」とコメント。無念さがにじんだ。
 体調が悪く、最近2回は出演を取りやめた大沢さん。3日の放送では、視聴者へのメッセージを託し、「欠席」をわびた後、今季の優勝予想で中日とソフトバンクを高く評価した点を褒めてほしいと、自らにささやかな「あっぱれ」を入れたのが最後になった。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101007-00000058-jij-spo

 大沢啓二氏に関しては、私は当然のごとく現役で見ているわけではない。南海ホークスの名外野手で、外野からキャッチャーのサインを見て守備位置を変えていたという伝説の持ち主だ。立教大学では、杉浦忠投手、長嶋茂雄内野手の先輩にあたり、その杉浦忠投手を南海ホークスのエースにした人である。
 私たちが記憶にあるのは、日本ハムファイターズの監督の時。殊に二回目の監督時代は、「大沢親分」と言われてファンにも慕われた人物だ。だれい言わせても「面倒院の良い人」という感じであった。日本ハムファイターズの試合後のインタビューで、勝った時は、必ず「選手が素晴らしかった」というし、負けた時は「全て監督が悪い」と負けの責任を一人で抱え込む大きな人物であった。負けが込んできたときのインタビューでもっとも印象にあるのが「チームが負けたのも、電信柱が立っているのも、郵便ポストが赤いのも、みんな監督である俺が悪いんだ。選手を責めるな」という言葉があった。これこそ、「親分」という呼び名にふさわしい一言である。それでも、多くの人から笑いがとれる人だった。誰からも慕われる人物であった。いや、逆に「そのような人物だからこそ」多くの人から慕われたのではないだろうか。
 振り返って今の政治家にこのような人がいるであろうか。秘書やマスコミに責任を押し付けて、自分の責任を逃れる政治家は少なくない。「XXXがー」といって他人への責任転嫁が目立つ。「大物の政治家がいなくなった」とは、まさに大沢氏のような大きな人物がいなくなったということではないだろうか。残念ながら与野党込みで、そのような大きな人物がいなくなった。また、大沢親分と同じプロ野球界でもそのような人が少なくなったのは非常に残念なことだ。大きな人物がいなくなった、そのことこそ「日本全体の閉そく感」の象徴なのかもしれない。
 いずれにせよ、大沢啓二氏のご冥福をお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に対する一考(14) 民意に構わず「よいしょ記事」を書く朝日新聞

マスコミ批判に対する一考(14) 民意に構わず「よいしょ記事」を書く朝日新聞

 連休なので、ななかなかネタがない。国会開会中であるにもかかわらず、なかなか国会に関するネタがないということは、それだけ政府が何もしていないということではないだろうか。
 以前チャンネル桜の討論番組と思ったが、菅直人政権は「何もしない」と支持率があがる不思議な内閣だ。要するにそれだけ「能力がない」ということだ。要するにイメージは良いかもしれないが、政治家としての能力がないというのが支持率の数字で見えてくる。国会開催中は、本来様々な政策やそのほかの調整とをしなければならないのであるが、菅直人首相本人が動いたり発言したりすると、支持率が下がるのだ。そもそもこのような分析を載せているマスコミが少ないことが問題だ。この支持率の問題に関しては、そのうちにゆっくりとやることにしよう。
 何かやるとすぐに支持率が落ちる菅直人政権は、国会開催前から、尖閣諸島問題で様々な動きをしている。10月4日発表の支持率では、一気に20ポイント近く支持率が下落するという、通常ではありえない落ち幅で支持率が下落した。結局何かをすると、支持率が落ちてゆくということの最も大きな表れではないか。
 しかし、少し考えてもらいたい。「菅直人政権が」という主語であればよいが「菅直人が」というと、少し違うような気がする。それもそのはずで、今回の尖閣諸島問題の節目節目の行動は、いずれも菅直人首相が外遊中に行っているのである。9月24日の中国人船長の釈放の時は、菅直人首相自身は国連の会議のためにアメリカに行っていた。そして、細野議員の訪中とフジタ社員の三人の釈放の時は、菅直人首相ASEMも会議のためにブリュッセルに行っていたのである。その間「菅直人内閣」を国内で取り仕切っていたのは仙谷由人官房長官である。
 仙谷由人官房長官に関しては、様々な話を聞く。現在の内閣を実質的に仕切っているのは仙谷であるというのである。仙谷のことを、中曽根康弘内閣時代の官房長官で「切れ者」と評判であった後藤田正晴氏(故人)になぞらえて「赤い後藤田」という人もいる。私自身は個人的には後藤田正晴氏と仙谷由人官房長官を比べること自体不謹慎というほど実力の差があるような気がする。後藤田氏は肩書がなくても人が集まり、その指示は日本とおいうことを強く意識し徒のであったが、仙谷はどうであろうか。いずれにせよ、現在あまり後藤田氏のような「大物政治家」がいない中では小沢一郎と仙谷由人を比較するような声も少なくないのだ。知り合いのジャーナリストの中でも「仙谷を、あまり悪く書くと、あとで困ったことになりますよ」などと脅迫めいたことを言われた人は少なくない。私からすれば、そのようなことを言葉にしなければならないほど、力がないということに見える。後藤田氏の時は、そのようなことを言葉にしなくてもその危機感や書いてよいこといけないことは自然とわかっていた。後藤田氏は、基本的にはにこにことした好々爺でしかないという感覚だった。自ずと差が出てきてしまう。
 その差が出てきたのが朝日新聞の記事だ。


日中首脳会談へ極秘交渉 仙谷ルート構築

 4日夜(現地時間)、ブリュッセルの王宮で開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会合のワーキングディナーの後。菅直人首相と中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相の電撃的な日中首脳会談は、たまたま廊下にあったいすに座って偶発的に行われたように演出された。しかし、実際は1日に極秘に行われた菅内閣の要である仙谷由人官房長官と、中国外交を統括する戴秉国(タイ・ピンクオ)国務委員との電話会談が、首脳会談へのレールを敷いていた。
 尖閣諸島沖の漁船衝突事件でもつれた日中関係を修復するため、首相官邸は外務省ルートに頼らず、新たな政治家ルートの構築を探った。仙谷氏は中国側に歩み寄りの意思があることを独自ルートで察知し、9月の民主党代表選で小沢一郎氏を支持したものの、中国人脈をもつ細野豪志前幹事長代理を密使として9月29日に北京に派遣した。
 細野氏は戴氏との会談に成功し、ASEMでの首脳会談の可能性を協議。帰国後、首相官邸に報告し、仙谷氏と戴氏との電話会談につなげた。
 両氏の電話会談では(1)戦略的互恵関係の重要性(2)日中交流の推進――という大枠が確認され、首脳会談への環境整備は整った。その後、細野氏が東京で、仙谷氏の腹心・福山哲郎官房副長官が首相外遊に同行して現地で水面下の交渉を続けた。
 廊下での首脳会談は約25分間に及んだ。急な出来事と装うためか、菅首相の通訳は通常の「日本語―中国語」ではなく、英語だった。両首脳はその場で戦略的互恵関係の原点に立ち返ることにあっさり合意したのだった。
■密使・細野氏、協議7時間
 ASEM首脳会合を利用した日中首脳会談は、両国関係の早期改善を望む菅直人首相の強い意向を受けたものだった。実現に向けて、官邸側は周到に準備を進めた。
 動きはじめたのは先月24日、日本側が中国人船長の釈放を決めた頃だ。臨時国会に向けた人事を進める中で鉢呂吉雄国会対策委員長が、衆院厚生労働委員会の筆頭理事に名前が挙がっていた細野豪志前幹事長代理について、国対幹部に指示を出した。「細野氏の役を外しておいてくれ」。この国対幹部は「細野氏は10月1日の衆院本会議に出席できないかもしれない。何か密命を帯びているんだな」と受け止めた。
 細野氏は前原誠司外相グループに所属し、同グループの後見役を任じる仙谷由人官房長官も目をかける。前原氏が代表時代の2005年に訪中した際に同行した経験を持つ。民主党の小沢一郎元代表からの受けもよく、昨年12月に小沢氏が民主党議員約140人を引き連れた訪中では、中国側との折衝役を任された。民主党内では数少ない中国人脈の持ち主であることで「密使」として白羽の矢が立った。
 そして27日、菅首相はいったん見送りを決めていたASEM首脳会合に一転、出席を決断。2日後の29日、細野氏が北京入りした。北京国際空港には中国外務省の車が出迎え、そのまま市内の釣魚台迎賓館へ。細野氏のそばには中国外務省の日本担当者が寄り添った。
 中国外務省高官との協議は7時間近くに及び、途中で中国外交を統括する戴秉国・国務委員も姿を現した。無役の中堅議員に過ぎない細野氏相手に戴氏まで登場したのは、菅内閣の番頭役である仙谷氏の要請を受けての訪中だったためだ。
 仙谷氏は水面下で中国側に歩み寄りの気配を感じ、日本外務省を通さず、政治家の訪中による解決を探っていた。この協議では「ASEM首脳会合を利用した日中首脳の対話」が話し合われた。
 同じ日、菅首相は、細野氏の訪中をいぶかる周辺に電話で漏らしていた。「あれは仙谷がやっていることだから大丈夫なんだ」
■「演説で尖閣に触れぬ」約束
 細野氏は1泊だけして30日に帰国。中国側から伝えられた内容をすぐさま仙谷氏らに報告した。だが、官邸のお墨付きを得た細野氏の動きを知り、日本外務省は慌てた。日中外交の主導権が政治家側に奪われてしまうためだ。外務省は外交ルートを通じて中国側に日本政府高官と戴氏の電話会談を要請した。
 この動きを伝えられた仙谷氏は周辺に「そんな話は知らん」と不快感を示していたが、細野氏の訪中でも首脳会談までは定め切れない。そこで、日中双方が歩み寄る形で仙谷氏と戴氏が10月1日、極秘に電話で会談した。関係者によると、両氏が確認したのは(1)戦略的互恵関係の重要性(2)日中交流の推進――の2点。日中首脳会談の実現に向けて大枠は固まった。
 菅首相は3日夜、温首相は4日昼ごろにそれぞれブリュッセル入りした。最後まで調整が続いたのは、ASEM全体会合で行う両首脳の演説内容だった。「尖閣諸島問題はお互いに直接言及しない」。それが首脳会談の実現に向けた水面下の確認事項だった。仙谷氏や細野氏と親しく、今回首相に同行した福山哲郎官房副長官が現地で極秘で中国側と接触し、演説案に筆を入れ続けた。
 温首相は日本語に堪能な複数の中国外務省幹部を現地に連れてきていた。だが、会議参加者としての登録が間に合わなかったのか、本来の名前とは違う名札をぶら下げている同行者もいた。中国側は「日本側から会談の申し入れはない。首脳会談の予定はない」(政府高官)と繰り返したが、急ごしらえでも対応は取っていた。
 4日夕、菅首相、温首相ともに尖閣諸島問題には触れずにスピーチを終えた。双方はぎりぎりまで互いの姿勢を確かめ合い、その後2時間にわたったワーキングディナーを終えて両首脳が会談した。
 終了後、菅首相は記者団に対して会談を振り返った。「割と自然に、普通に話ができました」
■官邸外交に外務省絡めず
 「こっちでは何もしていない」。外務省幹部は5日、首脳会談実現に向けて政治家ルートを稼働させた首相サイドの動きに、あまり絡めなかったことを当惑気味に認めた。
 ASEM首脳会合には中国の担当課長が同行せず、首相には中国語の通訳もつかなかった。首相側には「こちらから日中首脳会談を望むような姿勢は見せない」(周辺)との思いもあったが、自民党の外交部会幹部は「英語を介した通訳で、温首相の発言のニュアンスまでつかめたのか」と批判する。
 そんな足元を中国側も見透かしている。衝突事件があった9月上旬から中旬、中国政府は連日のように日本側へ抗議し、出てきた中国政府高官のレベルも徐々に上げた。最後に登場したのが戴氏だった。中国政府関係者が語る。
 「外交経験のない民主党政権を外交官がプロとして支えるべきだ。民主党政権を担う政治家には、こちらの声がちっとも届いていない」
 官邸と外務省に信頼関係がなく、中国側が外務省ルートの情報が官邸に伝わらないと感じたことが、細野氏ら政治ルートの活用につながった可能性もある。日中交流にかかわる民主党議員は「官邸には外務省が本音の情報を取れていないことへの不満がある。政治家を使い官邸が独自に動くことも良い」と指摘した。

朝日新聞2010年10月6日13時8分
http://www.asahi.com/politics/update/1006/TKY201010060101.html

 少し長い記事であるが、結局「仙谷ヨイショ記事」である。
 単純に「それだけの裏工作をして、菅直人温家宝とは廊下で立ち話しかできなかった」ということだ。そのような外交外交交渉は失敗である。外交の失敗は日本という国家の敗北を意味する。敗戦の将を称賛し、ヨイショするというのは、「皮肉」なのか、あるいは現実を全く分かっていないのか朝日新聞は完全に狂っているとしか言いようがない。
 朝日新聞もわかっているはずだ。そもそも、この記事をよく読んでみればよくわかる。たとえば、中見出しになっている『「演説で尖閣に触れぬ」約束 』ということ。そもそも日中両国の懸案になっている大きな問題を棚上げし「演説で尖閣に触れない約束をするというのは、日本という独立国家が、その独立を危うくする問題を『ASEM全体会合で行う両首脳の演説内容だった。「尖閣諸島問題はお互いに直接言及しない」。それが首脳会談の実現に向けた水面下の確認事項だった。』(記事より抜粋)という調整を行うこと自体、完全な敗北だ。外交交渉で、日本は正当な主張を国際会議の場っ出すことができないということになったのだ。
 そのうえ廊下での立ち話。完全に相手にされていないのだ。これを敗北外交といわずして何という。
 しかし、その実績を持って、「日中首脳会談へ極秘交渉 仙谷ルート構築」という表題の、いかにも仙谷官房長官が外交交渉を行って解決したかのごとき「印象操作」を行ったのである。朝日新聞は狂ったとしか言いようがない。その根いようが「廊下での立ち話」でしあなく、その会議ののち何日もフジタ社員の一人は監禁され続けている。そのうえ、10月10日に解放されたものの、身代金のように資金提供を行っているのだ。まさに「謝罪」と「賠償金」を払わされたのと同じ結果になっているのである。
 マスコミのこのような印象操作は、国民に誤った印象を与えてしまう。このことに関して、国民は実際に情報がないのであるから、事実をタイムリーに得ることはできない。しかし、外交など相手のあることは完全にその結果が出てきてしまう。誤った印象で外交の結果を見たときに、国民は困惑することになる。それだけでなく、その後民間の外交などで完全に悪い結果を生み出してしまう。
 日本と中国の間は、政府だけが交流しているのではない。民間から学生まで様々な人が交流している。しかし、そのなかにおいて、政府の対応の悪さで民間にしわ寄せが来ることになる。中国の人は、経済の交渉でも政治の問題が話題に出る。自分の交渉に有利になることは何でも使ってくる。仙谷官房長官にはそのことが全く分かっていないのであろう。それよりも、従軍慰安婦個人保証などを通して土下座している外交しか考えていないのかもしれない。
 マスコミは本来、そのような土下座外交の真実や、今回の対応における日本企業の中国との関係にひびが入ったという現実、そしてそのことによる日本人の不利益をしっかりと伝えなければならないはずだ。事実をしっかり伝え、将来のリスクを回避する必要がある。しかし、朝日新聞の今回の報道は国内における権力バランスのことしか考えていない、日本企業や日本人、そして、日中関係で輸入される商品を使う全ての企業や消費者が不利益を被るということが全く分かっていない。この被害者は、朝日新聞しか読んでいなければ「予測なしで不利益を被る」という、最も最悪な状況になってしまう。朝日新聞は、そのような不利益に対してどのような責任を負うのであろうか。紙面で謝罪するだけで足りるようなものではない。その経済や日中関係の不測の損害は、日本人における中国への反発を招くことになり、そして、日中関係の正常な発展を完全に阻害するものである。ただ単に「仙谷の支援」は、他の多くの被害者を作り出し、強いては国益を損なう結果になったのである。そして、そのような被害が表面化しても朝日新聞は全く責任を負うこともなく、何の罪悪感も感じない。無責任報道が完全に続けられてしまうのである。
 このようなマスコミがあることが、「偏向報道」と言われ、また、マスコミが信用できないという批判を受ける最大の要因になっている。まさに、マスコミ批判の最大の要因を朝日新聞は自分で作ってしまった。このような報道が行われないように、抗議をしなければならないのではないだろうか。
 私からは一言だけ言わせてほしい。「恥を知れ」!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に対する一考(13) デモを報道しないに日本のマスコミ

マスコミ批判に対する一考(13) デモを報道しないに日本のマスコミ

 すでにインターネット上ではかなり話題になっている。10月2日、がんばれ日本行動委員会(田母神俊雄代表)が主催し、14時より、中国の尖閣諸島沖漁船衝突事件について、中国への抗議および中国弱腰外交を行った民主党政権に対して2600人に及ぶデモが刊行された。デモ後、渋谷駅頭ハチ公銅像前広場において街頭演説会が行われ、渋谷駅前が日の丸で埋め尽くされるという、それはみごとな光景が広げられたのである。
 これだけであればデモ行進をしただけの話であり、毎年、メーデーなどには恒例行事になっているし、そのほかのデモ行進などに関しても、ここまで規模が大きくなくても、かなり見かけることはある。インターネットなどでもかなり大きく取り上げられるので、その存在を知る人も少なくないでしょう。
 この事件がインターネット上で話題になったのは、その後の日本のマスコミの対応である。マスコミは、この件を一切報じなかった。これに対して、諸外国のメディアは、かなり大きく取り上げ、日本でも反中国勢力がデモを起こしたことが大きく報じられた。アメリカ、欧州を中心にほとんどすべての国の報道機関が、その扱いの大小は別にして、日本のこのデモ行進を報じたのである。

 要するに、日本のデモ行進を日本の報道機関だけが全く報じなかった。

 ネットユーザーや、保守派の若い人たちは、日本のマスコミの偏向報道に対して、普段から懐疑的である。中には、日本のマスコミが中国や、民主党の指揮命令系統に入っているという人もいる。日本のマスコミが、基本的に横一線で、横並びの報道を行うことは非常に多く見られるし、私も動画配信の中で「ネタ合わせ」の話をしたことがある。しかし、今回の「報道しない」ということに関して、気持ち悪いほどの状況がここに生まれたのである。
 それも「日本の事」を「日本のマスコミ」が報道せず、諸外国、日本以外の国々が皆報道しているという状況になったのである。インターネット上の報道機関(ネット新聞など)は一斉に、「日本の大手ジャーナリズム」「日本のメディア」攻撃を行った。このことが、かえってこのデモをクローズアップさせ、また、この内容が大きく取り上げられるきっかけとなった。
 その中の一つが下記のものである。無作為に選んだので、他のメディアやブログでの報告などもあったと思うが、今回はこれにした。

渋谷の「尖閣デモ」海外では多数報道されるも、日本のメディアは全く取り上げず

 東京で2日、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件をめぐり、尖閣諸島の日本の領有権主張や日本政府の対中外交、中国の対日姿勢を抗議するデモが行われた。
 当日は、2600人を超える人々が参加した。多数の日の丸を掲げ、「尖閣諸島は日本の固有の領土。中国の領海侵犯を許さない」「中国の圧力に屈した弱腰の民主党政府を許さない」と書かれたプラカードを手に、東京・渋谷の代々木公園から表参道をデモ行進した。
 デモは、2008年10月に政府見解と異なる歴史認識を論文化し、更迭された元航空幕僚長の田母神俊雄氏が会長を務める団体らが主催した。
 この話題は、2日から3日にかけて海外で多数報じられており、米ウォール・ストリート・ジャーナル、米CNN、ロイター、AFP(フランス通信)、シンガポールのチャンネル・ニュース・アジアなどのメディアが取り上げた。
 米ウォール・ストリート・ジャーナルは、大勢の日本人が、東京のショッピングエリアで普段はあまり見られない国家主義的なデモを行い、尖閣諸島に関する中国と日本政府の対応を批判した、と報じた。
 同紙は、デモ参加者にインタビューを行い「中国の過剰な対応にだまっていられず参加した」というIT企業で働く女性らの声を紹介。日本のネット上ではこのデモが話題になり、日本の多くの若者を動かしたと伝えている。
 一方、日本の大手新聞社やテレビ局は、この件をほとんど取り上げなかったことから、ネット上やツイッターでは「渋谷の尖閣諸島デモ、欧米メディアは多数報じているのに、なぜ日本のメディアは報じないのか」「情報戦争か」「圧力がかかっているのか」といった声が見られた。(編集担当:田島波留・山口幸治)

2010年10月04日17時23分 / 提供:サーチナ
http://news.livedoor.com/article/detail/5051594/

 この対応に対して、私は独自に大手メディア各社に質問書を送付した。その回答は下記のようなものである。
 読売新聞:ニュースとしての価値を感じない
 産経新聞:人手が足りなかった
 朝日新聞:知らなかった
 毎日新聞:取材の体制に対して答える必要はない(回答拒否)
 テレビ朝日:テレビカメラが回らなかった
 NHK:右翼の凱旋と同じと考えた
 TBS:まあ、わかってくださいよ
 そのほか・・・回答なし
 だいたいの場合、電話で回答を受けた。そこで、回答が「口語体」になっている。多分、最も正直に答えたのがTBSであろう。要するに、何らかの圧力がかかったのか、あるいは、このデモ行進に「チャンネル桜」という別な媒体がくっついているために、報道をしなかったということであろうと、推測する。
 またNHKの回答も特徴的だ。首長やデモ行進の規模ではなく「右翼の凱旋と同じ」というレッテル貼りをし、自分の主義主張ではないから報道をしなかったという。少なくともこの時点で「政治的な中立」は存在しない、イデオロギー的な中立報道は自分の手で否定しているといわざるを得ない。
 チャンネル桜に出演の時に「事前に案内は出さなかったのか」ということを聞いた。スタッフは「事前に各マスコミにリリースを出しています」という。しかし、「リリースだけで反応は何もなかった」というのである。
 国民が尖閣諸島問題でこれだけ「熱く」なっているときに、マスコミのこの対応はさすがに問題であろう。そもそも、中国では150名程度のデモ行進でも「反日デモが行われた」と言って大々的に報道するのに、日本において2600人のデモが行われれば「ニュースとしての価値がない」とか「右翼の凱旋と同じ」というのは、あまりにも認識が足りないし、国民の「民意」に応えた報道とはいえない。このような態度がテレビ離れ、新聞離れ、そして報道機関への不信が募る結果になるのであり、強いて言えばメディア全体の沈没が言われるようになってしまうのである。とくに、上記にも書いたが、「イデオロギー的に中立ではない」という意味のことを公共放送が公言するようでは、とてもとても大きな問題にはなりはしないか。実際、「迷惑」ではあるが、右翼街宣であっても、完全に無視してよいというものではない。その行為が反社会組織にくみしているといえば非難されるべき行為であるが、思想、イデオロギーという面だけに限って言えば、そして合法的に行っているのであれば、酌むべき主張はある。なぜならば日本人の主張の一つであるのは間違いがない。それを完全に排除するということそのものが「メディアの奢り」でしかないといえる。
 メディアは、様々な主張を公平に扱う必要がある。ましてや今回のように国際的に大きな問題になってれば当然のことである。しかし、日本のメディアは、自分たちの報道姿勢をいくらかのスポンサーや政治的圧力、もしくは「ニュース価値がない」というメディアの価値観で、それらを無視した。
 そのこと自体が、諸外国のメディアからも非難され、日本のメディアがおかしいということになってしまう。メディアは、本人は気付いていないかもしれないが、このような行為を続ければ徐々に、メディアが「偏向している」というイメージがついてしまい、諸外国から報道のネタ、要するに情報を得られなくなってしまう。今回の件は、これを報道しなかったということで「日本の報道機関はどこもすべて中国に偏った報道しかしない」ということを、諸外国のメディアに印象付けた形になった。真実とかそういうことではない、諸外国の持つそのような印象は、完全に日本のマスコミを「情報統制をしている中国」と同一視し、なおかつ、その一派と組みしていると考えるのである。そのようになれば、中国に不利、もしくは反中国的で、日本の国益にかなった情報でも、誰もその報道の情報をくれないということになるのである。これは日本国民にとって非常に不利益を被ることになる。一部メディアの報道をしない姿勢そのもので、世界的いにどのような印象を持たれるのか。日本に情報が入ってこないということがどのようなことなのか。そのことを考えるべきではないのか。
 二つの提案である。一つは、報道機関に対して、報道に対する責任を問う法案を作るべきではないだろうか。最近の検察の円材も、民主党政権の「政権交代報道」もすべて、マスコミの報道姿勢が非常に大きな役割を示している。松本サリン事件などもそうであるが、その影響はマスコミ被害の被害者には非常に大きなものであるし、政治的な報道に関しても、より一層の大きな影響を与えることになる。ただ単に報道の自由、報道をしない自由ということに関して、そのことの影響を考える期間が全くないではないか。そして、無責任な情報垂れ流しがずっと続いているのである。そのことを法律的に規制することは非常に重要なことではないのか。簡単である、マスコミ、メディアは自分の表現に責任を持てということだ。反対する人は、「無責任な報道」をしているということでしかない。そのような「踏み絵」をさせるのも面白い試みだ。
 一方、ネットの世界で怒っている皆さんは、それを組織化しマスコミ報道監視委員会をしっかり作られらたらいかがか。放送倫理委員会のような「御用組合」を作っても意味がない。本当に今回のような状況で不利益を被るのは日本の国民である。その危機感がデモ行進の参加だけではなく、日本の社会システム、民主党政権のような無責任外交をする政権を作り出してしまう国民の意識を改善する必要がある。政治、教育といったところではなく、最も大きな病巣であるメディアに対する監視を、少し組織的に行ってはどうか。
 ただ批判するだけでは、大手メディアや民主党と同じだ。私も新聞社の人間なので、その中の一つといえば、それまでであるが、せっかくであるから私案の段階で、このような二つの提案を行いたい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

日本の小売業:マーケティングとテーマ性

日本の小売業:マーケティングとテーマ性 <メルマガからの抜粋>


 これまで見てきたように、売れない時代、消費不況といわれる時代であっても、何かの形で商品は売れる。
  その商品が売れるときの共通項の一つは「付加価値」であることも見てきたとおりだ。
  では、その「付加価値」をどのように演出するのか。そこの問題だ。

  「付加価値」の演出は、当然に各世代によって異なるし性別によって異なる。
 正確にいえば、各人各人によって異なる。
 まさに「十人十色」である。その「十人十色」であっても、世代や性別などによって、いくらか傾向がある。
 各人一人一人の趣向に合わせてその全ての趣向にあった付加価値を用意することはできない。
 そこで、全体をいくつかの大きな集団に分けて、その集団に合わせた傾向を演出するのである。

  小売業を行うには、当然にその店に来る客を予想しなければならない。
 たとえば、東京郊外の千葉県千葉市に店を出したとする。
 この店にわざわざ九州から買い物に来ることはまずない。
 あったとしても年に何回かある程度だ。
 当然にこの店は千葉県千葉市、その店のある住所地周辺の顧客が利用することを想定して店づくりを行う。
 一方電車で1時間程度しか離れていなくても、東京の銀座に店を作るとなれば、千葉県千葉市よりももっと広範囲から顧客が来る。
 この理由は、一つには電車などの交通網が発展していること。
 これによって、電車で移動する人が多くなってきている。
 また「銀座」というイメージがあり、その街にイメージに人が集まる。
 申し訳ないが千葉県千葉氏とは、全く違う。
 店は、一度作ってしまうとなかなか動けない。
 店が動けない以上、その店のある場所を中心に色々と考えなければならない。

<以下は、メルマガでお楽しみください>

<メルマガは下記からお申し込みください>

-----------------------------------------------------------
國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
<http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>

<mailto:CQA14363@nifty.com>

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
-----------------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本人で17人目・18人目のノーベル賞受賞内定

日本人で17人目・18人目のノーベル賞受賞内定

 日本の国会では、菅直人首相帰国を待って、10月6日から代表質問が始まった。当然に10月1日の開会で国会が開催されているのであるから当然だ。所信表明演説に対して、野党各党が代表質問を行い、その後、各委員会での審議になる。本国会は、景気対策を含めた補正予算である。約5兆円規模と伝えられるが、そもそも、「ねじれ国会」であり、与党民主党の思う通りにはなかなかいかないのである。ましてや、民主党はこれまでに昨年9月の民主党政権発足後、「マニフェスト」を盾に取り、強行採決を連発してきたのであるあら、国民に対して、または野党各党に対してあまりにも印象が悪い国会運営をしてきていた。その国会運営の手法が「ねじれ国会」では通じなくなってしまっている。今まで「批判しかしてこなかった」「他人の批判や意見に耳を傾けなかった」というツケが、今頃になって民主党政権に降りかかっているのである。
 その民主党政権に関して、過去、支持率が低下するもしくは低下の兆しが出てくると、必ず行ってきたものがある。それが「事業仕分け」である。
 一番初めの事業仕分けは、かなり世間の耳目を集めた。民主党マニフェストの「ムダの削減」「政治主導」は、この事業仕分けを通して、国民に印象付けられたといってもかまわない。そもそも官僚の行ってきていることを国会議員や一般の有識者が「仕分け」するという話は、国民受けが良い。今まで偉そうにしていた官僚を遣り込める姿は、国民の喝さいを浴びた。私個人から見れば、ただ単に、予算の裏付けのない無謀なマニフェストで政権を取ってしまったがために、そのようにして予算を演出しなければならない、民主党政治の矛盾のようにしか見えなかった。しかし、枝野幸男と蓮舫という二人の国会議員は、そのサディスティックな質問や議事の進行により、より過激なパフォーマンスを演出した。蓮舫議員(当時)の「一番じゃなければだめなんですか」という発言は、科学技術や学術界から非常に痛烈な批判を浴びた。2番や3番でもよいという技術革新などあり得るはずがない。そのような素人が行っている事業仕分けに、1回目は国民の耳目を集めた分批判も多く噴出した。
 それでも、批判があったにもかかわらず、事業仕分けによって民主党の支持率は一時的に回復した。1回目の事業仕分けは、ちょうど「トラスト・ミー」発言の時である。日米関係悪化の兆しや、トヨタ自動車のリコール問題などによって、民主党に外交を任せても良いのかという時であった。民主党はそれら、真に国益につながる問題から事業仕分けによって目をそらし、そして、過分なパフォーマンスで一時的に人気を回復したのである。しかし、もともと実力で支持率が下がっているのだから、一時的な人気回復のパフォーマンスを行ったところで、何の意味もない。また徐々に下がってゆく。今度は小沢問題などで民主党に不利に物事が働いたとき、そして普天間がいよいよ抜き差しならない状況になった時である。
 2回目の事業仕分けは、あまり耳目を集めることはなかった。一つにはパフォーマンスということがしれてしまった。次に予算削減「ムダ削減」の効果が薄いこと。そして何よりも「1番じゃなければだめですか」に代表される、仕分け人の不勉強と、仕分けによって、教育・伝統・文化という日本固有の魂の部分を壊されてゆくという、えも言わぬ不快感。最後に、目新しさが欠けた事業仕分けは基本的には「二番煎じ」の匂いがし、誰も話題に載せなかった。当然に国民に支持率回復のために行ってきている話であり、同時に、国民の「民意」であるからとして行っている官僚の説得は、この時点でとん挫しているといっても過言ではない。結局、2回目の事業仕分けの失敗によって、支持率の回復が見込まれなくなった民主党鳩山首相は、小沢幹事長とともに辞任し、現在の菅政権ができることになる。しかし、国民の「失望感」は収まらず、7月の参議院選挙での大敗につながるのである。
 さて、そのような事業仕分けの第3段が行われるという中で、「1番でなければならない」科学技術、日本の技術力がノーベル賞という世界最高峰の受賞という形であらわされたのである。菅政権、事業仕分けを中心にした民主党パフォーマンス政治にはかなり皮肉な受賞結果になったといえる。
 その記事が下記のものである。

ノーベル化学、根岸米大教授と鈴木北大名誉教授


 スウェーデン王立科学アカデミーは6日、2010年のノーベル化学賞を、米デラウェア大のリチャード・ヘック名誉教授(79)、米パデュー大の根岸英一・特別教授(75)、北海道大の鈴木章・名誉教授(80)の3人に贈ると発表した。
 授賞対象となった業績は「有機合成におけるパラジウム触媒を用いたクロスカップリング」。日本人の化学賞受賞は08年、米ボストン大の下村脩・名誉教授以来2年ぶりで計7人となり、日本の化学研究の水準の高さを世界に見せつけた。
 賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億2300万円)は3人で等分される。授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれる。今回の受賞決定で日本人のノーベル賞受賞者は18人となる。
 炭素をベースとする有機化合物は、生命を構成する基本的な要素で、有機化学は、そうした生体内の機能性分子を自在に作り出そうと発展してきた。その中で、狙った2種類の有機化合物をつなげる反応「クロスカップリング」が注目されていたが、思い描いた化合物を得るのは難しかった。
 ヘック氏は、酸化反応を促進する触媒として使われ始めたパラジウムに着目。1972年に、パラジウムを触媒として使い、狙った通りの化合物を作り出す新しいクロスカップリングを確立した。
 根岸氏は、これを発展させ、77年にパラジウムを触媒にし、有機亜鉛を使うことで、より効率的に有用な物質を合成する「根岸カップリング」を開発した。さらに鈴木氏は、より安全で、扱いやすい有機ホウ素化合物を使った「鈴木カップリング」と呼ばれる合成反応を見いだし、79年に発表した。
 こうした有機合成法の実用化によって、複雑で多彩な物質を効率よく作り出すことが可能となり、海の生物などから採取した物質をモデルにした抗炎症剤や、エイズ治療薬、抗がん剤、抗生物質などの優れた医薬品の開発につながった。

(2010年10月6日21時48分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101006-OYT1T00928.htm?from=main1

 私の記憶が正しければ、ノーベル賞の冠となっているアルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトの発明をした実業家であり、自分の発明品が、結果として(本人が意図したものではないという意味)戦争に使われ、多くの人の命を奪ったことに非常に心を痛め、しかし、それでも科学技術などの発展には大きく寄与したいということで、ダイナマイトの収益金を基金としてノーベル賞を設立した、ということになっている。
 今回の鈴木教授と根岸教授に関しては、ノーベル化学賞ということで、まさにこのノーベル賞のできた趣旨と同じである。私は、文系であり、完全に化学・理数系とは門外漢である。というよりは、私の場合理数系の話題を目の前でされただけで、頭の中が完全に停止し、すぐに眠れるという特技を持っている。理数系の話題がある限り、私が不眠症に悩まされることはない、と断言できるほどの拒否反応だ。当然に、この二人の教授の発明に関して、テレビや専門家の解説を見ても「わからない」のである。しかし、ここまで自分でできないということを表明すると、かえって理数系の著名な先生方とお知り合いになることが多い。また、「知ったかぶり」をしないので、存外交友関係が長続きする。
 今回の両先生の発明も、すでに液晶など様々な分野d恵応用されているということであるから、さぞ素晴らしいもので、私自身その恩恵を被っているものと思うが、どうしても「わからない」のである。
 しかし、逆にわからないから事業仕分けをしようとは思わない。わからないからわかろうと努力をする(それでも結局わからないのであるが)。そして、少なくとも、社会に必要か、国家に国益としてどのような影響があるのか、この技術を進めることによって日本は世界に貢献できるのか、人類は、地球は、と規模を推し進めて創造することはできる。その中には、当然に、学者のマスターベーションもあると思うが、一方で、本当に重要な技術も多く隠されているはずだ。そのことは、立場の違い、地域の違い、環境の違い、そして未来という時間の違いを想定して、様々な研究をし、またわからない人は分からないなりに支援をしてゆかなければならない。その支援を「わからない」から打ち切るのが事業仕分けだ。
 ノーベル賞受賞という歓喜の報に触れているときに、このような事業仕分けと結び付けて物事を語るのは、よほどひねくれているのかもしれない。しかし、今の政治状況の中で、このような崇高な化学賞を受賞され、それによって、科学者を目指し、将来の日本の科学技術に、世界に、そして人類に寄与しようとしている、若い挑戦者の道を閉ざしてはならない。
 今回のノーベル賞は、そのような警鐘を民主党政権につきつけたのではないだろうか。後は、その警鐘を真摯に受け止める、または理解できる能力が、民主党にあるのかということになる。そこは、国会の運営を見ている限り難しいのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桜プロジェクト【特別討論】小沢起訴と尖閣問題、そして日本は...

桜プロジェクト【特別討論】小沢起訴と尖閣問題、そして日本は...

 昨日、7日にチャンネル桜の桜プロジェクト特別討論に出演した。詳細は下記のとおりである。

 ◆小沢起訴と尖閣問題、そして日本は...
パネリスト:
 宇田川敬介(国会新聞社編集次長・ジャーナリスト)
 クライン孝子(ノンフィクション作家)
 塚本三郎(元衆議院議員・元民社党委員長)
 花岡信昭(政治ジャーナリスト・拓殖大学大学院教授)
 山村明義(ジャーナリスト・作家)
司会:水島総・高清水有子

◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
動画サイトでは下記から。
http://www.youtube.com/watch?v=XCeSbovKo5o&feature=youtube_gdata

 さて、内容は見てもらえばよいのかもしれない。私にしてはいささか不本意である。実際にところ、政治は政策論である。政策の異なる者同士が、双方の政策を戦わせて、その政策において、どの政策がもしくは違う政策をあわせて最も国民に良いものを導き出してゆくというものが政治である。
 各々の製作には、当然に、各々のイデオロギーや政党綱領から導き出され、そこに反するものは出てこないという形になる。そもそもイデオロギーは、当然にそのイデオロギーに従って将来の国家をどのように導くのか。理想の国家や国民の姿はどのようなものなのか。政策論争をする間に見え隠れする、大きな国家論や理想論というものが、非常に重要な内容であり、その原則論と個別論を戦わせながら、国民をより良い方向に導くことが重要なものである。
 しかし、最近の場合、「政治家を選ぶ選挙が人気投票になっている」という現実がある。そもそも、政党綱領のない政党が政権与党になっている。政権与党の中に、イデオロギーの違うものが様々出てくる。過去に過激派といわれて警察や公安などから取り締まられていた人などがいると思えば、保守のタカ派がいるという。初めから相容れない極左と極右が一緒になっているのだ。当然に「綱領」という政党そのものの哲学が出てこない。原則論が出てこない。原理原則のない、国家観のない、将来の日本を示すことができない。
 では、なぜそのような政党が政権与党になっているのか。これは選挙技術の問題だ。過去の参議院、殊に「全国区」という選挙区(昔は比例区ではなく全国区という選挙区が参議院にはあったのです)の選挙では、当然に全国区で名前が売れている人が最も有利な選挙であった。コメディアンのコロンビア・トップさんや後に大阪府知事になった横山ノックさん、東京都知事になった青島幸男さんなど、芸能人や文化人で全国区の人気を誇る人などが、この選挙区では出てきた。実際、初期のこの人々に、「政策がなかった」とは言わない。実際には、「私ではわからない」のである。噂話は賛否両論かなりある。今では故人になった彼らに対しても、いまだに賛否両論があるのは否めない事実だ。しかし、実際に彼らの成功が、選挙に人気投票化の道を開いたことは間違いがない。
 その選挙に関して、選挙が比例投票制になり政党での公認候補と全国区の人気という二つが合わさると、どうしても、党利党略で選挙を行うという話になる。政党に拘束される個人の政策ということがあり、また、人気者の候補を集めることが出てくる。政党の比例候補になれば、政策そのものを個人の候補が出す必要はなくなってしまう。もっと言えば、比例代表の名簿の順位(衆議院の場合)や政党の人気、いわゆる「風」によって選挙が決まってしまう。「風」を作り出すマスコミ受けをする人というのも大きな要素になる。
 マスコミは、このような風潮に合わせて、政治番組を行う。しっかりした指示番組を行うことは良いことであるが、実際は「政治バラエティ」である。政治をわかっているのかわかっていないのかもわからないコメディアンや、基本的にどのようなイデオロギーを持っているかもわからない評論家やコメンテーターを出して、その中で、さも「多くの人がそのように考えているか」のような情報を垂れ流す。その番組に出ることによって人気を得ようとする議員も出てくる。
 結局、「風」「マスコミ」という内容と「政党の人気」という話が、選挙を左右してしまう。これではいかがなものかと思う。要するにこの選挙を左右する要素が「イデオロギー」や「政策」になっていない。イメージやテレビでの取り扱いというくだらないところになってしまう。その雰囲気で選挙を行ってしまうために、結局のところ有権者も政治や政策、基本イデオロギー、政党綱領、目指す将来の日本の姿や国家観といったものを考えない選挙になってしまっている。

 このようなことを考えるのは、本日の討論でクライン孝子さんが「ドイツと日本の政治に対する国民の姿勢」を語った場面だ。
 日本に来るたびテレビのくだらない内容にゾッとするという。そして、塚本三郎先生が日本の小選挙区制の批判をしたときに「ドイツも小選挙区制である」としたうえで、「国民の意識と、政治家の勉強」が全く違うという。当然だ。ドイツでは政治の素人が政治で立候補することはない、というよりは立候補をしても全く当選することはない。という。国民の民度が高いので、政治の素人や政策を言えない候補が当選することはない。
 それどころか、政党も日本よりも質が良いので、自分の政党綱領や政党の基本理念、主たる政策が異なる候補を公認することもないという。もちろん、些細な部分の様で排除するものではないが、現在の民主党のように、全く違うイデオロギーの人が一緒の政党になったり、あるいは、政党綱領のない政党が政権与党になるということはないというのだ。
 ドイツが素晴らしいというわけでもないし、日本がおかしいというものでもない。環境も歴史もすべてが違う。しかし、同じ第二次世界大戦(大東亜戦争・太平洋戦争でもよいが、ドイツのことを書いているので、ここでは第二次世界大戦という呼称にする)の敗戦国であり、現在の国連、国際連合の敵国である日本とドイツで、ここまで政治や国家に対する考え方が、違う。または国家国民も、それだけ民度が違うのかということが考えさせられた。とくに、クライン孝子さんが日本の現在の菅直人内閣の支持率が47%もあることを聞いて「信じられない」という対応は、たった一言で、これらのことをしっかりととらえた、外国から見た日本の真の姿ではないだろうか。
 今日は少々短めであるが、実際、今日の場合は上記の動画をよく見てもらいたい。私は、最後の最後で、まったく的を得ていない「情報の入手と情報の分析力」の事を突然言った。しかし、現在の菅直人政権や民主党にそれら情報の入手手段があるのか。逆にでは、自民党であったら、どれくらいまで対処ができたのか。考えると恐ろしくなるところも少なくないのである。
 毎回、チャンネル桜の討論に出させていただいているが、カメラが回っているとき、いないときに考えさせられることは多い。いずれにせよ、今のままでよいのか、私が、できることは何か。そのような考えを持つ慶気になることは確かだ。
 皆さんも、そのような目で、そのような意識で、この討論を見ていただいたらよいのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主党の体質、「その場限り」「パフォーマンス重視」の外交が明らかに

民主党の体質、「その場限り」「パフォーマンス重視」の外交が明らかに

 民主党の外交の一端が明らかになった。ASEM首脳会議の夕食後、菅直人首相と温家宝中国首相との間で、尖閣諸島問題で会談が行われたという。菅首相は、「温家宝首相に線アック諸島は日本固有の領土だと伝えた」という趣旨のコメントを発表した。これに対して、中国の新華社通信は、「温家宝首相は日本側に対して、尖閣諸島は中国の固有の領土であるということを伝えた」というように報道した。
 双方の報道の食い違い、それも、双方の首相が直接「語った」という形で報道されていることから、報道の信憑性というものが非常に大きく問題になったのである。しかし、その状況は、「報道の信憑性」という問題ではなく、そもそも会談そのものが「杜撰」の一言に尽きるものであるということが明らかになったのだ。
 実際に、首脳会談の時は、当然に会議場の出入り口や会食の前後などに、各国の首脳が集まるのだから、多少の声をかけるのは当たり前のことである。通常、というよりは、日本でも民主党になる以前、また日本以外の外国は、そのようなときの会話はあまり公表しないのが常である。
 皆さんもご自分経験を考え合わせて見てほしい、会議や会食の出入りや、エレベーターの中などで重要な会話を一言二言話したとしても、そのような話に拘束されることはない。そもそも、そのような「会議」でないとき、お互いに準備ができていないときに、重要な会話そのものが忌み嫌われるのではないか。そのようなところでは「当たり障りのない」会話を行い、また重要な会話をしなければならない相手であれば、「次回、ゆっくり時間をとって」というように、しっかりとお互いに準備をして行うのが普通ではないのか。菅直人は、そのような「重要な会話」をするシチュエーションそのものを経験したことがないのかもしれない。そのように疑わざるを得ない状態が、日本で報道され、また、その後中国によって否定されて問題になっている。
 その記事が下記のものである。

菅首相、中国語通訳同行せず…廊下で首脳会談

 【ブリュッセル=円入哲也、大木聖馬】菅首相と中国の温家宝首相との会談は、ASEM首脳会議の夕食会後、会場を出た王宮内の廊下で両首相が出くわす形で、急きょ25分間、実現した。
 「やあやあ、座りましょうという感じで自然に、普通に会話ができた」
 菅首相は会談後、記者団に満足そうに語った。外務省幹部によると、日本側は中国語通訳ら中国専門家を同行させておらず、双方は英語通訳を交えて会談を行ったという。
 中国側は当初、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で日本に強く反発し、ブリュッセルでの首脳会談開催に否定的だった。菅首相は首脳会談での事態打開に期待をかけていたが、中国側の姿勢を踏まえ、今回の訪問での会談実現は難しいとみて、外務省の中国・モンゴル課長の同行も見送っていた。
 菅首相同行筋は会談後、日本政府関係者に電話し、「首脳同士のあうんの呼吸で調整された」と驚きを隠せなかったという。
 一方、温首相は会場に、中国外務省アジア局の日本担当者を同行させた。在日本中国大使館での勤務経験が長い日本専門家で、関係筋によると、当初は会場入りする予定はなく、必要な登録手続きをしていなかった。このため、登録済みの別の中国代表団メンバーの名義で入ったという。菅首相との会談に同席し、発言を中国語に直接通訳して温首相に伝えたとみられる。
 この日本専門家の会場入りがあわただしく決まった様子からも、中国側も会談実現の方針は、直前に決めたことがうかがえる。 最終更新:10月5日(火)14時34分

読売新聞 10月5日(火)14時34分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101005-00000621-yom-pol

日本側、首脳会談に中国語通訳不在=「危機管理上大問題」自民追及へ

 外務省の北野充アジア大洋州局審議官は5日の自民党の外交部会で、ブリュッセルで行われたアジア欧州会議(ASEM)首脳会議に中国語通訳が同行せず、菅直人首相と中国の温家宝首相の会談が、英語の通訳を交えて行われたことを明らかにした。同党は「政権の危機管理が問われる大問題だ」(小泉進次郎衆院議員)として、国会で政府を追及する方針だ。
 4日の会談では、菅首相の発言を日本側通訳が英訳し、中国側がそれを中国語に訳した。一方、温首相の発言は、中国側の通訳が日本語に訳して菅首相に伝えた。
 日本政府は、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で悪化した中国との関係修復の糸口を探るため、ASEMの機会を利用した首脳会談を模索していた。北野氏は中国語通訳を同行させなかった理由について「(首脳会談は)日本側からお願いしたわけではない。実現することが分かっていれば準備するが、そういう状況ではなかった」と、会談が想定外だったことを説明した。

時事通信 10月5日(火)19時14分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101005-00000119-jij-pol

 そもそも、このような廊下での「立ち話」を、「会談」として報じてよいのか。ここで「報じてよいのか」というと、どうしても、マスコミ批判のように思われてしまう。しかし、今回の場合は、私はマスコミを批判するのはおかしいのではないかと思う。私自身新聞社に所属している事から、どうしてもマスコミに対しては、その現場の苦労もわかっているだけに、擁護に回る場合が少なくない。擁護に回る場合がある私でも、マスコミの報道が「偏向」していることはよくわかる。そのような私の言であるから、信憑性はないのかもしれないが、実際のところ、今回のでマスコミの偏向報道を言ってはさすがにかわいそうではないか。
 立ち話、特に廊下での立ち話は、マスコミは基本的には同席しない。何しろ移動中であり、その後会食や会議などの場に入るのであるから、その会議の取材に備えて海上に「先入り」している。当然に会議や会食の前後の廊下、それも海上から少し離れた廊下は、マスコミから完全に盲点になる。そのような場所で行われた立ち話などは、どうしても同行した側近、官僚、もしくは本人からの「報告」で報道を行うことになる。当然に裏の取りようなどはない。相手方、今回の場合は温家宝首相に直接インタビューできる間柄ならばよいが、そうでなければ「本当の事」を話してくれる保証はどこにもないのだ。
 そこで、今回は菅直人の側近などによって話がされたものを、そのまま報道し、その後中国側からの抗議もしくは全く異なる新華社通信の記事であわてて裏をとったということであろう。マスコミの場合、そのような報道は少なくない。ましてや、「首相や内閣官房」が嘘をつくとは思っていないからだ。逆にいえば、自民党時代、民主党政権になる前は、そのような「少なくとも外交関係における内容で、嘘は言わない」という最低限の常識はあったということになる。「嘘は言わない」というよりは、外交関係は必ず相手があることなので、真実か、または報道して双方で主張が食い違うような混乱することは言わない、ということであろうか。間違えて情報や報道を流すと、その後の両国の関係にヒビが入ることになるので、そのようなことは日本のマスコミにもさせないというのが通常の常識である。
 民主党政権になってから、そのような「少なくとも外交関係では嘘は言わない」という、当たり前の事ができなくなっている。民主党政権において「立ち話」での外交の失敗は今回に始まったことではない。鳩山政権におけるオバマ大統領との会話で、普天間が迷走した、有名な「トラスト・ミー」も、同じようなシチュエーションである。
 そのような立ち話を、完全に会談が行われたかのように発表する。そのこと自体、大きな問題である。それだけでなく、そのような報道が行われたことそのものが日本の国家の信用を大きく棄損することになるのである。しかし、民主党の場合、そのような国家の信用の棄損とか考えない。考える余裕がないのか、もしくはそもそもその概念がないのか。私は、個人的にはその双方と思っているのであるが、何しろ国家という概念よりも、自分がという個人的な観念しかない。それでは話にならない。
 日本国内や官僚相手ならば、それでも良いのかもしれない。しかし外交では、そのようなことをしても意味がない。そもそも、外交はお互いの利益が衝突する場所であるのだから、その衝突をいかに衝撃なく済ませるのかという交渉の問題だ。しかし、国内のパフォーマンスしかできていない民主党に関しては、このような「国益」とか、相手の国家に対する考えが全くない。これで外交がうまくゆくはずがない。結局は、無責任外交で、野党時代と何ら変わりがない。そのために「会った」というだけであるのに、それをことさら自分の功績に結び付けようとする。そればかりか、それが通らないと相手を批判することしか能がない。結局、民主党が自分で物事を解決するという、自分で自分の行動に責任を持つということが全くできないのである。
 このような状況では、当然に、民主党というよりも、世界の中で日本が信用を失ってしまう。自民党が、このことに関して徹底追及するという。自民党がしっかりとした国家観と外交の経験があることの裏付けであろう。みんなの党などにその発言がないのは、非常に残念なことだ。みんなの党が改革政党として名前を挙げているが「国家観がない」ということが批判の中心になっている。政府である以上、国家観は非常に重要な問題であるのに、それがないのは、みんなの党も「批判政党」になりつつある。危ない傾向である。
 国益、国家観ということを関あげれば、菅直人の外交は決して許されるものではない。その内容に関しては、全ての国会議員がしっかりと国会の場で追及すべきである。
 民主党内に保守派がいるというが、このような状況で国会でどのような活躍をするのか。掛け声だけなのか、あるいは民主党という館を借りているが魂はしっかりとした国家観を持っているのか。国民はしっかりと記憶にとどめて次の選挙に反映させてもらいたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

民間平均給与年収406万円へ、過去最大23万円の下落

民間平均給与年収406万円へ、過去最大23万円の下落

 民間企業に勤める人が平成21年に受け取った平均給与が406万円であったということが国税庁のまとめで発表された。平成20年との差は、23万7千円と、過去最大の下落幅だ。
 まず、サラリーマンその物に関して、非常に大きな問題であろう。ある意味で言えば、尖閣諸島や総理大臣が誰になるかよりも、はるかに大事な問題である。基本的に、民間の平均給与がここまで下がってしまえば、景気浮揚などは非常に難しいということは明らかであろう。
 景気対策・雇用対策というが、そもそも「ワーキングプア」といわれる、低所得サラリーマンに対する対策もまったくされていないことが問われるようになってしまうのである。406万円の年収が「平均」である。平均という単語にかぎかっこをつけたのは、要するに406万円以下の平均年収の人が多いということである。要するに、最低年収が言われていないが、生活できない水準の年収ということも考えられるのである。
 さて、なぜこのようになってしまうのであろうか。
 ここのブログで何度も言っているように、日本の産業構造的に、高度な技術と品質の信頼性を付加価値にして、高価な商品、付加価値の高い商品を多く販売することによって、一つの商品における付加価値を最大限にするということいを目指した。日本製の商品は「あれもできる、これもできる」という感じである。「過剰機能」ということも言われている。この過剰機能を実現するために多くの開発と多くの技術革新が行われており、その開発費と技術費用が非常に高くなっている。それが商品に付加されることによって、また、そのような精密で高度な商品の製造を管理するということであるから、それなりに高い管理コストが必要になり、その分の職能給というものが、商品一つ一つに付加される。しかし、その機能が商品本隊に必要のないものであれば、「安い」方が良いということになる。これでは売れなくなってしまう。
 日本は、「大量生産・大量消費」という発想はあまりなじまない。「個体技術力」という技術偏重の思想が大きい。太平洋戦争時の日本の軍艦がその「個体技術力」の粋を集めているといえる。日本はロンドン軍縮条約において、アメリカやイギリスという海軍国の6割の積載トン数に制限されることになった。このことによって、日本は、一つの船に通常の武装以上の武装を乗せることを行ったのである。軍艦は消耗品である。当然に軍艦は戦争時には、損傷もしくは沈没という形で消耗される。そもそも破壊され、傷つけられることが初めから予想されている船である。その船に、技術の粋を集め、一つ一つを豪華なそして技術を様々上げていった。しかし、そのために戦時中に大量生産を行うということができないという不都合な結果が生まれる。結局は技術の粋を集めたこと、個体技術力を極めたことによって、開発が遅れ、そして、一つ一つを建艦するのに時間がかかるようになってしまった。日本において、大量生産を行うのは駆逐艦の「松型」という船だけで、残りは一つ一つの船を作っていった。
 この太平洋戦争における「個体技術」偏重の考え方は、飛行機にも適用され、結局のところ、攻撃機銀河などは、一機種で急降下爆撃・水平爆撃・雷撃の3種類ができるようになっていた。逆にそれができるようにしたために、実践に間に合わないということになってしまったのである。そのことは、ガダルカナルをはじめとする南西諸島での航空線において旧型の飛行機を使わなければならず、飛行機、そしてベテランパイロットの消耗戦を行うようになってしまい、その消耗戦でも旧型であることから不利な戦いを強いられることになったのである。戦争終盤には、飛行機も空母もあっても、パイロットがいないという状況になってしまうのである。
 戦争の話になってしまうが、この戦争での反省は全くできず、いまだに日本人は「個体技術力」偏重主義的な製造業の思想になってしまう。
 要するに、日本の製造業は、家電も自動車も、どうしても一つの製品に対して様々な技術を入れてしまうのである。テレビや携帯電話、自動車に様々な機能をつける。初めのうちは便利でよいということになるが、最後にはわかりにくくなり、全ての機能を使わなくなってしまう。「機能の過積載状態」がおきてしまい、その使わない機能の技術に対して高い料金を払わなければならないということになる。また、コンパクトなボディの中に様々な機能を押しこめるということになってしまうのであるから、当然に製品としてはゆとりがなくなって無理がきてしまう。そうなれば、製品として無理がきてしまう。上記の軍艦でも「艤装の過積載」によって、船の反復力がなくなり、軍艦が転覆してしまうという「友鶴事件」という事件が起きてしまっている。しかし、その反省は軍艦の時代で終わってしまい、現在の携帯電話などには、様々な「友鶴事件」がおきてしまっているのだ。
 この「個体技術至上主義」は、逆に最新技術ではないものに対して、簡単に技術を手放してしまうし、大量生産化して安価な商品としてしまう。旧型モデルは十分に使える機能であるのに、安くなって在庫処分やアウトレットになってしまうのは、まさにこの考え方になってしまうからである。逆に、新規技術が入る余地のない製品、たとえばタオルのような繊維製品は、必需品でありながらも日本での製造ができなくなってしまう。当然に、「価格競争」の波にさらされることになるのである。
 「価格競争」はそもそも、競争相手がいるということだ。その競争相手は、今やボーダレス経済時代であり、中国や韓国、アフリカ、東南アジアの各国である。そうなれば、当然に、「製造業」のコストは中国や東南アジアに近い価格に抑えなければならない。コストは原材料や製造コストを下げられるものの、最も大きな違いは「人件費」である。
 そのことが分かれば、「人件費」が削られるという現実は明らかである。
 少し前置きが長くなったが、この結果で生まれるサラリーマン不況がまさにこれだ。

勤め人はつらい…過去最大23万円の下落 昨年の民間平均給与406万円に 国税庁まとめ

 民間企業に勤める人が平成21年の1年間に受け取った平均給与は406万円で、前年を23万7000円(5・5%)下回り、下落幅、下落率とも過去最大となったことが28日、国税庁の民間給与実態統計調査で分かった。平均給与額は9年の467万3000円をピークに減少に転じ、今回は元年の402万円に次ぐ低水準となった。
 長引く景気低迷を背景に平均賞与が前年比13・2%の大幅減となったほか、勤続年数の長い高所得者層の減少が平均給与額を押し下げたとみられる。
 調査結果によると、1年間を通じて勤務した給与所得者は前年比82万人(1・8%)減の4506万人、給与総額は14兆1925億円(7・2%)減の182兆8745億円で、いずれも過去最大の減少幅となった。
 平均給与の内訳は、給料・手当が350万円(15万3000円減)、平均賞与は56万円(8万5000円減)。男女別の平均給与は男性が500万円、女性が263万円、平均賞与は男性71万円、女性33万円だった。
 業種別の平均給与は電気・ガス・熱供給・水道業が630万円でトップ。最下位は宿泊業・飲食サービス業の241万円だった。

産経新聞 9月28日(火)15時27分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100928-00000586-san-bus_all

 さて、前文では、なぜこのようになってしまったのか。そのことに関して、簡単に今までの繰り返しになるかもしれないが、その内容をあげてみた。もちろん、ここであげた内容だけではないかもしれない。他の要因も考えられるであろう。しかし、長引く不況によって、これ以上削減できるコストがなくなってしまい、結局人件費を削減するという選択肢しかなくなってしまった企業の姿があらわれている。とくに、技術立国でありその技術が人間が生み出すということであることにかかわらず、その「技術の基」である人を切らなければならないということは、かなり大きな問題である。
 この景気の状況であるのに、「公務員の給与削減」「子供手当」「内需拡大」を挙げているのが民主党である。
 公務員の給与を削減しその人件費を削減すれば、当然に、内需拡大どころか雇用が守られなくなる。内需というのは、個人家計の余剰可処分所得が多いときに向上するものである。それにかかわらず、公務員といえども、その人件費を削減するというのは、雇用や内需拡大政策とは完全に逆行する矛盾した内容であることは明らかだ。
 一方、子供手当、これは余剰可処分所得を増加させることにはなる。しかし、実際、個人家計の収入の中心は企業からの給与収入である。個人所得は増えても、企業からの給与収入が増えないということになれば、そこでバランスは崩れてしまう。そもそもは企業収入を向上させ、その企業収入からの利益を従業員に分配できるような状況にしなければならなかったであろう。しかし、子供手当では、当然に個人所得だけになってしまい企業収益にはつながらない。要するに、企業の設備投資などにはつながらないのであるから、設備会社や下請け会社に波及効果はないということになる。これでは、同じ資金を投入しても効果は半分以下になってしまう。要するに、「最大で」子供手当でばらまいた分の消費しか効果を期待できない。それが銀行貯蓄になってしまえば、内需にはならないし、中古品などの購入になってしまえば、新規商品開発、まさに、新規技術の開発などは相変わらず人件費が上がらないままになってしまうのだ。
 今回のサラリーマンの給与の下落は、当然に、リーマンショックたバブル後の失われた10年の立ち直りがないこと、長引く不況によるものと考えられる。しかし、実際のところ、そこに失政、まさに今回の景気対策などから、企業が資金を留保するために給与や賞与を抑えてしまったということがあげられる。その下落幅が23万円。子供のいる家庭で1万3千円もらったとしても1年で15万6千円。8万1千円損している結果になっている。目に見えづらくてもその分企業や株価、景気対策に使って入れば、企業経営者の心理的な効果が違ったために、もう少し違った結果になっていたかもしれない。
 政府は、この結果を受けて、もう少し然りとした雇用、家計対策。まさにワーキングプア対策を真剣に考えるべきではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

陸山会事件、検察審査会2度目の「起訴相当」・小沢一郎強制起訴へ

陸山会事件、検察審査会2度目の「起訴相当」・小沢一郎強制起訴へ

 本日10月4日、夕方から永田町は混乱した。小沢一郎民主党前幹事長の二度目の検察審査会の議決が行われ、「起訴相当」という結論が出てきたのだ。検察審査会の制度は、検察の不起訴処分に対して、告発人が検察の結果に対して不服を申し立てると、一般人から11人が無作為に選ばれ、その議決で「起訴相当」「不起訴不当」「不起訴」の三種類の結論が出る。検察はその結果を受けて、再度捜査を行いその結果に対しても、再度議決がなされる。「起訴相当」という結果が2回連続で出ると、裁判所の任命した弁護士によって起訴が行われ、検察の代わりに公判を維持するという形になる。
 検察の捜査に関して、一般人、殊に司法試験も受けていない、司法の専門家でもない人の意見を入れることによって、一般の国民の声を受け入れて判断をするということになるのである。
 昔はなかった制度であるが、検察の捜査に関して国策捜査などのマスコミの報道がなされ、また当時野党である民主党などの法案提出によってできたものである。「捜査の可視化」「検察捜査の一般公開」など捜査権限の透明化を図る一つの制度である。小沢一郎前幹事長は、自分で推進した検察捜査透明化の法律によって、自分が裁かれる立場になったといえる。
 その記事と、その関連記事が下記のものである。今日は記事が三種類だ。

小沢氏を強制起訴へ 検審「起訴すべき」
 
 民主党の小沢一郎元幹事長(68)の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、東京第5検察審査会は4日、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で告発され、嫌疑不十分で不起訴処分となった平成16、17年分の虚偽記載容疑について、「起訴すべき」(起訴議決)と判断した。
 第5検審は4月に「起訴相当」と議決しており、昨年5月に施行された改正検察審査会法に基づき、小沢氏は、東京地裁が指定する弁護士によって強制起訴される。
 小沢氏をめぐる同事件は検察の2回の不起訴処分が、国民の判断によって覆されるという異例の事態となった。民主党は今後、小沢氏について、離党勧告も検討。「政治とカネ」の問題が再燃しそうだ。
 第5検審は4月27日、衆院議員の石川知裕(ともひろ)被告(37)=同法違反罪で起訴=ら元秘書3人と共謀が成立すると認定し、「起訴相当」と議決。だが、再捜査した東京地検が5月に再び不起訴処分としたため、第5検審で再審査が行われていた。
 再審査は1回目の審査員と違うメンバーで行われ、検察官から意見聴取をするなどしてきた。議決では、11人のうち8人以上が起訴すべきと判断した。
 昨年5月の改正法施行後、これまでに、兵庫県尼崎市の脱線事故でJR西日本の歴代3社長、明石市の花火大会事故で県警明石署の元副署長、沖縄県の未公開株詐欺事件で投資会社社長-の3件5人が強制起訴された。政治家が強制起訴されれば、初のケースとなる。

産経新聞 10月4日(月)15時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101004-00000555-san-soci

裁判で無実を確信…小沢氏が談話

 民主党の小沢一郎元代表は4日、東京第5検察審査会の起訴議決について、「心からおわびする。議決は誠に残念だ。今後は、裁判の場で私が無実であることが必ず明らかになるものと確信している」とする談話を発表した。
 談話の全文は以下の通り。
          ◇
 この度の私の政治資金団体に関る問題で、お騒がせしておりますことに心からお詫び申し上げます。
 私は、これまで検察庁に対して、私が知る限りのことは全てお話をし、二度にわたり不起訴処分となっており本日の検察審査会の議決は、誠に残念であります。
 今後は、裁判の場で私が無実であることが必ず明らかになるものと確信しております。

読売新聞 10月4日(月)18時29分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101004-00000980-yom-soci

<陸山会事件>国会議員にも波紋 小沢氏起訴議決
 
事務所を出る民主党の小沢一郎元代表=東京都港区で2010年10月4日午後6時56分、佐々木順一撮影
 小沢元代表の起訴議決で4日、与野党の国会議員にも波紋が広がった。
 代表選で小沢氏の推薦人だった川内博史衆院議員(鹿児島1区)は、小沢氏の秘書の一人を取り調べた前田恒彦検事が、証拠改ざん事件で逮捕される前に結論が出されていた点に触れ「審査会が今日開かれていたら、違う結論だったのではないか」と皮肉り、「議決書には『(検事への)供述は信用できる』と書かれているが、その調書が信用できないことが問題になっている」と強調した。
 民主党の三宅雪子衆院議員(比例北関東)は「早く判決で無実が証明されてほしい。党内から(小沢氏の処遇に関する)極端な意見が出なければいいと思っている」と淡々と語った。「小沢ガールズ」の代表格の田中美絵子衆院議員(比例北陸信越)は秘書を通じ「推移を見守りたい」とだけコメントした。
 「起訴は当然」と語るのは国会で小沢氏の政治とカネ問題を追及してきた自民党の西田昌司参院議員(京都選挙区)。「国民がおかしいと思ってきたことを、民主党は一切調査してこなかった。国民に説明すべきだ」と語気を強めた。
 同様に小沢氏の資金問題を追及してきた同党の小里泰弘衆院議員(鹿児島4区)は「(小沢氏は)これまで参考人招致や証人喚問から逃げてきたが今度こそ国会で説明すべきだ。小沢氏を代表選に出馬させ、大勢の議員が支持した民主党の責任も重い」と批判した。【安高晋、福永方人】

毎日新聞 10月4日(月)21時23分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101004-00000091-mai-pol

 この問題に関しては、何回かに分けて離さなければならない。実際のところ、今後の政局ということに関しても、気になるところだ。小沢が、今後離党するのかしないのか。一方で、民主党はどうするのか。離党勧告を出さないのか出すのか。
 国会運営も、証人喚問をどのようにするのか。また、小沢なしで、野党とのパーシャル連合が可能なのか。ことに、公明党・創価学会と民主党の関係をどのようにするのか。10月1日から開催している国会において、課題は山積しているといえる。
 さて、今後の問題は、こののちにするとして、今回はあえて違う話題。
 当初、この議決は14日前後に行われるという話であった。議決そのものが当初の予定よりも早めに行われたということになる。これは何なのか。
 われわれの取材によると、二つの事件によって議決が早められたとみられる。いわずとしれた大阪地検特捜部の証拠改ざん事件、そして、那覇地検による中国衝突船長の開放事件だ。両方の事件に関しては、ここでくどくどといわない。すでにご存じのものとする。わからない方はこのブログの昔の内容を読んでいただきたい。
 大阪地検の事件では民主党の急進派は、大阪地検だけの問題ではなく検察そのものの体質の問題として、大林検事総長の引責辞任を求める声も出ていた。そもそも民主党と検察組織の間は、捜査の可視化ということにおいて、非常に対立しているのである。ましてや郵政制度不正事件は村木厚生労働相局長の問題というよりは、民主党の石井一議員の問題として、またその私設秘書であった倉沢邦夫氏の有罪は確定しているのである。その中で、検察と民主党の対立は非常に大きな問題である。また、鈴木宗男議員の最高裁での有罪確定と失職に関しては、民主党政権においては非常に大きな衝撃になっていた。そもそもムネオハウス事件が明らかになった場合は、「証人喚問」とか「議員辞職」を大きな声で言っていたのは民主党の方であったはずだが、立場が変わると言い分が180度かわるといういい例を演出したのである。
 一方、那覇地検に関しては、国民のほとんどは内閣官邸の判断を那覇地検に押し付けたということは明らかである。そもそも、勾留延長を申請して、その捜査の終結を見ないうちに、政治的、外交的判断を地検レベルで行って、被疑者を釈放するなどということはあり得ない。その民主党政権の「泥をかぶった」形になっているのが那覇地検である。
 この数カ月の間に、検察組織と民主党政権の間には様々な内容がある。いずれも民主党が無理を言っているだけであり、選挙対策や国民の支持率をる為に司法制度を都合良いようにしているようにしか見えないのは私だけであろうか。
 検察は憲法で認められた捜査権限を持った組織である。国会議員とは違い、その捜査権限は、国民の主権を制限しても行使される。もちろん疑いがあるときだけである。その捜査組織を「国の一つの機関でしかない」として、行政が介入することは、あまりよいものではない。その部分で大きな対立がなされている。
 その対立の内容が、どうしても検事総長の「人事権」に及ぶようになる。しかし、行政の都合のよいように動かないからと言って、人事権を発動するのでは、中国や北朝鮮と同じような人治国家になってしまう。日本は、このままでは法治国家ではなくなってしまう危険があるのだ。民主党政権の横暴を止める、いくつかの砦の一つが検察組織であることも間違いがない。
 このような背景から、大林検事総長が自分が在任中に結論を早めたのではないかと、永田町ではまことしやかにうわさされている。
 民主党政権は、そのような噂が出ること自体恥ずかしいことと思わなければならない。それだけ、法治国家のルールを守っていない、もしくは原則を逸脱した発言が多いということだ。これでは、国民は安心して暮らせないではないか。
 日本は法治国家である。そのルールに従って法律が執行される以上、それが自分たちに不利であろうとも、甘んじて受けなければならない。その覚悟がないならば、民主党は政権の座から降りるべきである。それができないから、民主党は「政権担当能力がない」といわれてしまうのだ。
 民主党には、法治国家である原則と、そして、国民の模範となる道義的責任を負っているという自覚を持ってもらいたい。それができないならば、国民に懺悔して、そのうえで政権を手放すべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に対する一考(12) あやふやな情報源の実態

マスコミ批判に対する一考(12) あやふやな情報源の実態

 細野豪志民主党前副幹事長が訪中した。尖閣諸島沖の漁船衝突事故のこの時期、そして中国政府が政府高官間の交渉を停止しているこの時期にである。この細野議員の「暴挙」(あえて暴挙・軽挙妄動といわせてもらう)に関しては、別なときにゆっくりと紙面を割いて説明したいと考えている。なぜ「暴挙」なのかは、政府が政府として、政権与党が政権与党として、常に世界規模で政策やにほんのたちば、日本に対する評価や日本政府の行動を「見られている」という感覚で、行動しているのかどうかにかかっているといわざるを得ない。このような行動が、民主党の外交政策の稚拙さを演出している。
 さて、ここで問題にしたいのは、その細野議員の報道に関する「ネタ元」である。
 本来、各大手マスコミは中国にも使者を持っている。中国も、広いのであるが、だいたいのところ(各社によって異なるが)北京、上海、大連、重慶くらいは人を配置している。それだけでなく、中国の人民日報など大手の新聞社と情報提供の相互契約がなされている。
 この相互契約は、特に日本のマスコミが中国の下風に立つというものではない。報道された新聞などには、当然にその表現があり著作物であるのだから、新聞といえども「著作権」が存在する。事実報道記事に関しては、事実の報道であるから配信記事に関してある程度の「二次使用」要するに日本でその内容を配信することを許可する場合もあるが、実際は、事実報道に関しても、新聞社の許可なく勝手に日本の新聞で報道することはできない。とくに社説などは、新聞社の考え方という「法人独特の意見」が含まれているので、小説や評論のように完全に著作権の範囲である。著作物を勝手に他の媒体で掲載すれば、それは著作権法違反ということになる。要するに、新聞に掲載されたものであるからと言って、勝手に日本の新聞で掲載することは許されていないのである。
 しかし、それでは、お互いの国がお互いの情報を知ることができないという、双方にとって不利益が存在することになる。そこで、新聞社もしくは新聞社の集合体で、お互いの配信情報をお互いに自国で報道しても良いという契約が必要になる。これは日本の新聞社同士でも行っているばあがあるし、共同通信などは、まさにその配信情報を出している場所であるといえる。日本の場合は、新聞の報道紙面をテレビなどで報道として利用することは可能としている。これにより、テレビで新聞の紙面を紹介する報道番組が多くなってきているのは、テレビを見る人ならばわかることであろう。これを外国の記事でもおなっているということが、この中国との契約の一つになる。
 保守系の人の中では「中国との契約をすること自体おかしい」という過激な人もいるが、実際、中国人がどのような報道に触れているのか、中国が、どのようなことの興味があるのか、どのような内容で話をしているのかということは、しっかりと日本人として知る必要がある。太平洋戦争時に、最もアメリカが重視したのは日本の暗号解析であり、同時に日本の国情解析である。これによって、一時的に日本人は捕虜収容所に隔離されるが、その中から、愛国心が高いと判断される「アメリカ生まれの日本人」つまり日系二世もしくは三世の人を抽出し、日本語の通訳や表現のニュアンスの解析、国情分析などを行うと同時に、捕虜となった日本兵からの聞き取り調査などを行っている。アメリカがこのように「敵国の情報を正確に解析する努力」をしているときに、日本は、外国人を鬼畜米英として排斥し、国外に追放し(要するに大日本帝国のために彼らを利用することをしなかった)、そして英語や中国語の使用を禁止にした。このことによって、アメリカ人への憎悪や敵愾心は生まれたものの、その禁止に従わない場合には特別高等警察によって逮捕されて、スパイ容疑をかけられるということになり、結局、敵国の情報も入らなくなってしまった。
 この情報に関する考え方の違いが、日本側は「MI作戦」と銘打っていたミッドウェイ侵攻に対して、情報を得たアメリカ軍と、それの待ち伏せ、少なくともその海域にアメリカの機動部隊が進出してきているという「スパイ情報」を入手できなかった日本の違いになる。また、ラバウルから最前線視察に行く山本五十六聯合艦隊司令長官をP-38ライトニングが、暗号解読によって待ち伏せをしていたこと。逆に日本は待ち伏せされているということも見えなかったという情報戦争の敗北が、全体の敗北に大きく起因したことは否めない事実であろう。当然に情報がしっかりとはいっていれば、敗戦がなかったと言っているのではない。他の要因もあったと思うが、その情報に関する日本人、殊に日本の保守勢力の考え方が、非常に制限的に作用し、自分たちの正確な判断力をそいでいる可能性があるのだ。
 さて、話がそれたので元に戻そう。
 中国だけでなく、多くの国とこのような契約を結んでいる。それにより外信を受けて日本にいながら外国の報道を目にすることが可能なのだ。
 それなのに、細野議員の訪中に関しては、事前にまったく報道されなかった。これはどういうことか。
 日本の中国にいるマスコミの多くはネタ元が「日本人」でしかない。ネタ元の多くは日本大使館、その次が日本の商社、現地日本人会の世話役など、その次は「日本のマスコミ本社」になっているのである。要するに日本人からしか情報を獲っていない。一方、日本大使館の情報の多くは、「日本のマスコミ」ということを言い、また現地日本人会などからの情報を中心にしている。もちろん、現地政府などのプレスリリースは日本のマスコミの現地支社も日本の大使館も入手しているが、残念ながらそのペレスリリースが出るまでの期間、事前に特ダネを入手したり、あるいは内部情報を探るということはほとんど存在しない。
 そのために、あれだけマスコミが常駐しているのにかかわらず、細野議員が誰と話したのか、どのような会話をしたのか、中国側から全く話を聞くことができないでいるのである。まさに「中国にいながら中国の情報から最も遠いところにいる」のが、日本の中国支社のマスコミたちである。よくよく考えてみれば、日本の新聞の国際面などは、ほとんど日本と関係がある内容か外国が報道している内容しか出てこない。たとえば、最近のネタで北朝鮮の金正日総書記の後継者に金正恩氏が出てきた内容。これも、朝鮮労働テレビ、中国の報道、韓国の報道がほとんどであり、日本のマスコミが独自に入手した情報は全くと言っていいほどない。逆に、マスコミが、ちょっと北朝鮮にカメラを入れただけで、「カメラ潜入」と言って報道番組が特別枠を設けるほどである。
 中国やアメリカの報道などに関してもそうだ。いかにも現地で頑張っている風な様相は呈しているが、まったく現地の人の情報源がないことは読んでいて明らかである。ひどい時は日本ですでに分かっているネタや現地のインターネット上のネタを拾って報道していることも少なくない。これでは、取材力や情報力が完全に欠如してしまっている。それだけでなく、一部の人の報道や偏見でいくらでも「情報」を作ってしまうことができるのだ。
 先日、大阪の一部上場会社の社長が、9月に中国に行ってきたということで話に行ってきた。彼は上海から福建省を回って帰ってきたのである。なんとこの時期に、日本で販売する商品の買い付けに行ってきたというのだ。豪胆というか無謀というか、一応一部上場会社の社長なんだからもう少し気をつけた方が良いのではないか、と話すと、逆にこのようなことを言われた。「中国では尖閣諸島の問題なんかは、新聞やテレビで知る程度で、誰もデモなんかもしていないし反日行動もしていない。よく日本の新聞やテレビは反日の運動を取材できると思ってびっくりした。上海なんかは日本企業が買ってくれないと困るといって、親日運動をしていたよ。要するに、日本のマスコミがそういう中国世論があるということを作っているんだなあ」
 日本のマスコミの場合、上記のように報道やネタの相互の取り扱いを契約している。しかし、欲考えてもらいたい、中国は共産党一党独裁で情報に関しては統制された国である。近年のアメリカグーグルとの対立はまさにこのことではないのか。その「情報」は当然に中国国務院政府や中国共産党にコントロールされた「創られた情報」であることは間違いがない。要するに、中国政府の自作自演を日本のマスコミが報道させられているということは否定できない事実だ。そこに日本のマスコミの故意があるかどうかは別の問題として、(偏向報道の故意がないと断定できる資料も存在しないのであるが)じょうほうとうせいのくにのじょほうにかんして、その統制や除法を流す目的があるという事実を報道しないで、ただ与えられた情報を垂れ流しするのはマスコミとして「未熟」であるといわざるを得ない。それは、完全に現地での独自情報網ができていない、現地の独自のネタ元を持っていないということに起因する。現地のネタ元がいないということは、それだけ、「日本人とだけ群れている」ということ、または「現地の友達がいない」ということを意味しており、日本の情報の体質として最悪な事態を引き起こす可能性を示唆している。
 要するに、日本には現地の生の声を含む、真実の情報が入ってこない。それはマスコミだけに問題があるのではなく、現地にいる日本人が「日本人会」のような会合を作り、日本人とだけ付き合うような風習があることに大きな問題がある。もっといえば、日本のマスコミに、お金や利害関係のない、真に情報を交換できる友達が何人いるのか?という問いかけをしてみればよい。それはゼロ回答を含めかなり少ないし、友達が多ければ「相手国に感化され過ぎている」などとしてしまう風習がある。
 在日外国人参政権の時、私は韓国の青瓦台まで取材に行った。その時に、青瓦台の人(トップ?)に「ここまで取材に来たのは宇田川君が初めてだよ」と笑われた。「日本で在日外国人参政権が話題になっていることは知っている。また、今までパーティーやその他の会合で日本のマスコミには多数あっている。しかし、私に在日外国人参政権の問題について質問した日本のマスコミは一人もいない。また、在日外国人参政権の問題に限らず宇田川のように自分の意見をしっかりと持って私に質問をしてきた人はいない」と笑っていた。彼は「日本のマスコミは、そのような取材で何を報道しているのか、私自身、韓国がどのように報道されているのか心配になることがある」という。これが外国の政府高官(トップ?)が見た日本のマスコミの実態なのである。
 上記に話をそらせて、あえて太平洋戦争時の日米の情報に関する違いを記載した。まさに、その情報に関する考え方は、日本人の最大の欠点であるといっても過言ではない。そのために、日本は機会ロスもかなり多数存在するし、正確な情報での判断もできないでいる。これではボーダレスとかグローバルなどと言っていても、また、インターネットで外国のことをいくら騒いでいても、何の役にも立たない。情報そのものに対して、いかに「本物に近づくのか」ということを、そして「自分の意見を表現し相手の意見を聞く」ということを真剣に学ばなければならないのではないだろうか。
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

シリーズ日本の小売業 予備購入、投機、シンボル。人の心の「満足感」を売る技術

シリーズ日本の小売業 予備購入、投機、シンボル。人の心の「満足感」を売る技術

<メルマガからの抜粋です>


 「衝動買い」と「記念品」ということに関しては少し詳しく述べた。
 今後のこの文章の展開において、非常に重要と思うからである。
 二つとも「付加価値」という点では非常に大きな動機づけになっています。
 商品の価値と、その商品についてくる付加価値とその総合判断で購買意欲が出るということ。
 どちらかというと、商品そのものよりも付加価値の方が重要である場合も少なくない。
 そのために、「購入すること」そのものの行為が重要である場合が少なくない。
 そこで、購入したのちに一度も使用することなく不要になってしまう商品も少なくない。
 女性であれば「衝動買いしたけれども一度も来ていない」洋服というのがある場合が多い。
 男性でも、そのような場合が少なくない。
 そのような商品が、良質なセカンドハンズとして流通することは、流通の世界では非常に多い。
 セカンドハンズ市場は、物を売るという中でも一つの重要な市場である。
 国家の総生産には関与しないが、価格競争的な意味合いでは最も重要な市場の一つと言って過言ではない。

  さて、セカンドハンズになる前に、もう少し「購買意欲」を掻き立てられる付加価値があった。
 「予備購入」「投機」「シンボル」である。

  これら三種類は、人、殊に消費者の心の充足感を得るための商品購入である。
 皆さんには心の充足というと少し違和感があるかもしれない。
 しかし、いずれも人の心の中にある「欲」を満たすものであることは間違いがない。
 この「欲」が、マイナスになりたくないという欲なのか、または、プラスになりたいという欲なのか。
 その部分が少し異なるものでしかない。

<中略>

<省略された部分に関しては、メルマガでお読みください>

<メルマガは下記のまぐまぐからお申し込みください>

  このように、ステータスシンボルにかかる商品は、当然に「ステータスの充足」という個人的な欲求と社会的な慣習の充足という欲によって規定される。
 前にターゲットマーケティングということを書いたが、まさに、今のターゲットの収入や、その商品の持つ象徴性の「少し上」「半歩先」を誘い、
その欲またはステータスの充足という欲求を掻き立てなければならない。
 これは「予備購入」のように将来損をするのを未然に防ぐのではない。
 また「投機」のように将来儲かるということを期待するのではない。
 「シンボル」による購買意欲の充足は、まさに「現在のステータス」を満たす欲であり「ちょっと贅沢」ということが一つのキーワードになる。

  いずれにせよ、この三つの場合の購買意欲は、消費者の心の満足感を表現することによって成立する。
 心の満足感というか安心感や期待感といった欲求を満たす満足感がそこにはある。
 買い物は、商品の売買だけではなくその商品に付帯する心の売買であることは間違いがない。
 その心に訴える商品の付加価値のつけ方、そしてプロモーションを行えば、購買意欲は自然にわくものである。
 ただし、その人の現在の収入や事情、環境、地域的な習慣など、様々な条件によって、付加価値の訴え方は違う。
 また、ここであげたように商品の種類によっても、購買意欲のつけ方が異なる場合もある。
 商品の性質、消費者の態様や環境、そして度の消費者に売るのか、それらをしっかりとやらないと、今回のような商品販売が成功することはないのである。


-----------------------------------------------------------
國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
<http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>

<mailto:CQA14363@nifty.com>

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
-----------------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いまだに野党外交の気分が抜けない細野議員の隠密中国訪問

いまだに野党外交の気分が抜けない細野議員の隠密中国訪問

 尖閣諸島問題は、思わぬ形でスピンオフした。
 民主党の細野豪志前幹事長代理が、隠密で29日に中国北京に入ったというのである。もちろん尖閣諸島の問題を現在これだけ紛糾しているだけに、様々な憶測をよぶ訪中であることは間違いがない。政府、菅直人首相や仙谷由人官房長官が、禍根を残すような外交対応しかしていないのに対し、民主党の中では中国に近いとされる小沢周辺の人が、北京に行ったということでがぜん注目度は高い。
 まず、訪中目的は何なのか、そして、その結果はどうだったのか、それは誰の意向によって訪中したのか、そして、今後の尖閣問題はどのようになるのか。このほかにも聞きたいことはたくさんある。もちろん、外交交渉であれば機密事項もある。しかし、尖閣諸島問題のような国民全体の関心事、ましてや、フジタ社員が逮捕されたままであり、非常に大きな問題になっている。いわゆる敵対的関係における、または、敵対的は言い過ぎであるかもしれないが、少なくとも利害関係が衝突している関係における外交交渉である。どのような要求が来るのか、どのような要求をしたのか、当然に大きな関心事になるのは当たり前のことである。
 また、今回の尖閣問題から、中国政府は中国政府高官の日本高官との交渉の提訴を通告してきた。そのことを考えれば、中国政府のだれと会ったのかということも気になる。誰と会ったか、中国の交換ということになれば、中国の高官間の交渉の停止は当然に「脅し」でしかないということになる。一方で、中国の政府高官ではない人と話をしたのであれば、まずその会談の効果がどうであったのか、また、その効果は政府全体に影響を及ぼすのか。それで外交的な効果がしっかりとあるのか。そもそも、こちらが国会議員が言っているのにかかわらず、中国側がそれに釣り合わない階級の低い人しか出てこないのであれば、それは「日本がバカにされたこと」にならないのか。
 国と国の関係である以上、その辺のことろも含めてかなり気になることである。
 その内容に関しての新聞記事が以下のものである。

細野氏帰国「誰と会い、何を話したか言えない」

 29日から北京を訪問していた民主党の細野豪志前幹事長代理が30日、帰国した。
 中国政府関係者と会談し、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で悪化した日中関係の修復を探ったものとみられる。
 ただ、細野氏は成田空港で記者団に、「個人的なつながりで行ってきたので、誰と会ったかは言えない。(会談内容も)控えたい」と述べるにとどめた。
 民主党内では、細野氏の訪中は菅首相や仙谷官房長官の意向を受けたものだとの見方もある。仙谷長官は30日の記者会見で細野氏の訪中について、「間接的には聞いていた。政府として関知しておらず、止めも認めもしなかったということだ」と語った。
 伴野豊外務副大臣は記者会見で、細野氏の訪中が中堅ゼネコン「フジタ」の社員解放につながったとの見方について、「現時点では釈放案件とは全く別物と考えている」と否定した。

(2010年9月30日21時28分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100930-OYT1T01028.htm?from=main3

民主・細野氏北京入り、首相「承知していない」

 民主党の細野豪志前幹事長代理は29日、北京入りした。
 中国政府関係者と会談し、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で悪化した日中関係の改善を探る目的とみられている。
 菅首相は29日、細野氏の中国訪問について、首相官邸で記者団に「全く承知していない」と述べた。
 一方、前原外相は首相官邸で記者団に「政府の判断ではない」としながらも、「数日前に、『行く』というのは聞いていた」と語り、政府が今回の訪中計画を知っていたことを認めた。
 細野氏は、昨年12月の小沢一郎元代表ら同党議員約140人による訪中団の事務総長として中国側との折衝に当たった。
 政府・民主党は様々なルートで事態打開を探っていて、細野氏の動きもその一環と受け止められている。細野氏の会談相手は不明だが、30日に帰国する予定だ。

(2010年9月29日22時51分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100929-OYT1T01007.htm

 上記を総合すれば
 ・ 細野氏は、日本政府の公式な死者ではない。
 ・ 政府は訪中を知っていた。そして止めることもなく、黙認した。
 ・ 政府は知っていても首相は知らなかった(首相は知らされていなかった)。
 ・ 官房長官は間接的に知り、止めも認めもしなかった。
 ・ 訪中は29日から30日までであった。
 ・ 細野氏の個人的なつながりで、個人的に訪中した(国会で集中審議があるのにかかわらず)。
 ・ 誰と会ったのか、どういう内容の話をしたのかいずれも明かせない。
 ・ フジタ社員の3名の開放とは全く関係がない。
 ということになる。
 
 はっきり言って、国民をばかにしているのではないか。正直に「政府は政府としての役割をしていない」し、「与党としての自覚がない」というのも間違いがない。
 実際に細野氏が、個人的な内容で中国に行ったのであれば、そのことを表明すればよい。そうでないならば、基本的には細野氏は国費を使って中国に行っているのだ(政党の資金で言っているとしても政党助成金である)。ましてや、中国との関係が現在のような関係の時に、情報の開示もできないというのであれば、非常に大きな問題である。
 多分、何らかの解決の糸口を探すために行ったのであろう。しかし、その行為そのものが上記にもあるように「身分的に釣り合わない」ということから、中国にバカにされたということに解釈される。中国に解釈されるだけならばよいが、それを宣伝に使われ日本以外の諸外国にも「日本の弱腰外交」「中国にバカにされた日本」ということが言われるようになるのである。
 野党であるならば、それでも「政府とは関係がない」ということになる。しかし、現在は政府であり、また与党である。その国会議員がこの状況の時に訪中するということであるから、それなりの自覚が必要である。
 政府も政府だ。政府は、当然に政府の動きを管理する必要がある。それだけでなく、菅直人は民主党の代表でもあるのだから、当然に細野議員を含む民主党の議員の動きもしっかりと把握していかなければならない。個人的な部分までは必要ないのかもしれないが、政府の動きに関係があるところ、外交、安全保障に関する内容に関しては、当然に政府は報告を受け、必要な情報を開示しなければならない。そもそも、細野議員が不用意な発言をした場合は、その責任はだれに帰属するのか、どのように責任を獲るのか、そおそも前副幹事長という役職は外交の権限があるのか。予算委員会の集中審議をしている横で、予算委員会に出ることなく、またはその答弁をしながら同時進行でそのようなことをしても良いのか。
 要するに民主党政権には政府としての自覚もそして、政権与党であるという自覚もない。無責任外交、無責任政治が継続していることになるのではないか。行動を起こす時の慎重な調査や、結果の見通し、そのかかる経費の問題からそのことに関する影響など、まったく自覚が足りない。それは中国人船長の逮捕から釈放まで、民主党の見通しが悪く「習熟していない」(仙谷官房長官発言より)外交をしているということになる。そしてそれは、仙谷官房長官個人の問題ではなく、細野議員、強いては民主党全体の問題として、まったく政権や外交のことをわかっていない政権と政権与党ということを暴露した形になる。
 このような解決に向けた活動は悪くない。しかし、その責任の所在はしっかりと明示すべきである。単純に検察などに責任転嫁し、政府であるのにかかわらず自分は関係ないという態度を続ける政府は、結局、最終的には、国民に責任転嫁することになるであろう。そのような政府は「国民の生活を守る」政府ではなく、「国民を自分たちのために利用する」政府でしかない。そのような政府は、日本には必要ないのではないか。政府だけでなく、それは政権与党である民主党にまで広がっているのだ。そのことをしっかりを認識すべきではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

衆議院予算委員会尖閣問題集中審議で見る民主党外交の実態

衆議院予算委員会尖閣問題集中審議で見る民主党外交の実態

 9月30日、翌日10月1日からの国会開会の前に、野党各党の要請に応じ、衆議院予算委員会木開かれた。その中において今回の尖閣諸島問題とその外交姿勢につて集中審議が行われたのである。
 尖閣門ぢ亜に関しては、今までどうしても書かなければならないという感覚があり、様々書いてきた。しかし、今まではどうしても、政府与党の対応に対して、そこにおける感想をここに記載してきたばかりである。われわれは「どうしてこのような対応になったのか」ということを、現象と短い時間の一方的な会見から推測して記事を書くしかないのである。
 この尖閣問題がおきた、ようするに尖閣諸島に対する不法侵犯漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりし、公務執行妨害で逮捕されたのが9月7日、その後3週間ほどの時間、政府の外交に関しては、国会での審議で追及されることなく、今日まで行われてきた。その対応に関して、国民的な批判が非常に高まっていることは、昨今の報道や国民の声を聞けばわかることだ。様々な政府批判、弱腰外交批判提言、地方議会での決議が出されている。そのほとんどが政府に期待できないということを言っているのである。
 しかし、政権をとったら、国民の声など関係ないという民主党政権の態度は、政権奪取の昨年9月17日から1年以上「民意」という単語を使わなくなったことでも明らかな通りだ。結局、今回の対応も様々な政府批判の声を完全に無視して、今日まで来てしまった。これにより船長の釈放という、取り返しのつかない対応をしてしまったのである。それらの対応に関し、やっと国会の場で審議を行ったのである。その模様を報道したのが下記のものである。

仙谷長官「習熟足りぬ」発言が波紋

 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を巡り、仙谷官房長官が29日になって当初段階で中国側の対応を見誤っていたことを認め、野党が国会で追及する構えを強めている。
 仙谷氏は記者会見で、中国漁船の船長を除く乗組員14人を13日に帰国させた際、状況が好転するとの見通しを示していた背景を説明。「外交ルートを通じてそういう情報が入っていた。『中国も理解してくれるだろう』と判断していたが、(日中間の)司法過程についての理解がここまで異なるということを我々が習熟すべきだった」と語った。
 仙谷氏の発言について、前原外相は29日の読売新聞などとのインタビューで、「長官の個人的な考え」とし、「14人から事情聴取するのは当然で、終われば帰すのも当然だった。決して状況が好転するから帰したとは考えていない」と述べた。

(2010年9月30日10時01分  読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100930-OYT1T00242.htm

中国船長釈放で首相、政治介入は「一切ない」

 衆院予算委員会は30日午前、菅首相と全閣僚が出席し、尖閣諸島沖の日本領海内で起きた海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件を巡る集中審議を行った。
 首相は、事件に関する中国政府の対応を批判したうえで、国民に心配を与えたとして謝罪した。海保が衝突の模様を撮影したビデオは見ていないと述べた。自民、公明両党はビデオの国会提出を求めた。自民党は、中国人船長の釈放にかかわった大林宏・検事総長と上野友慈・那覇地検検事正の証人喚問を要求した。
 集中審議は野党の要求で開かれた。首相が事件に関して国会で説明するのは初めて。
 首相は、尖閣諸島について「日本の固有の領土であることは間違いない」と強調した。事件に関しては、「(海保を所管する)国土交通相から悪質な事案との説明を受け、私もその認識を共有している」と述べた。
 中国人船長の逮捕などの日本の司法手続きを「無効」と主張している中国政府に対しては、「(日本の)国内法の手続きに対し、中国にそれを認めない姿勢があったことは大変問題だった」と批判した。
 首相は、ブリュッセルで10月4、5日に開かれるアジア欧州会議(ASEM)首脳会議に出席し、「今回の事案についてしっかりとわが国の立場を説明したい」と述べ、国際社会の理解を求める考えも示した。
 逮捕した中国人船長を那覇地検が処分保留で釈放した点については、「捜査当局、検察が色々なことを含めて判断された、その判断は適切なものであった」との認識を表明した。
 自民党の小野寺五典氏が、船長釈放で「政治介入したのではないか」と指摘したのに対して、首相は「捜査への介入は一切ない」と否定した。仙谷官房長官も「首相、官房長官、法相が事件処理について指示したことは一切ない」と述べた。
 一方で、首相は事件に関し、「国民にご心配をかけたことにはおわびを申し上げたい」と述べ、謝罪した。事件の模様を撮影したビデオは「見ていない」としたが、「報告は必要に応じて官房長官等からいただいている」と語った。
 ◆首相答弁の骨子◆
 ◇尖閣諸島は日本固有の領土であり、問題にきちんとした姿勢で臨む
 ◇国民に心配をかけたことはおわびしたい
 ◇中国が、日本の国内法に基づく手続きを認めない姿勢をとったのは問題だ
 ◇アジア欧州会議(ASEM)首脳会議で日本の立場を説明する
 ◇検察の捜査に対する政治の介入は一切ない
 ◇中国人船長を釈放した那覇地検の決定は正しかった
 ◇衝突事件を撮影したビデオ映像は見ていない

(2010年9月30日12時34分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100930-OYT1T00595.htm

 記事を読んでいただいて、会話を抜き出したものから三種類のかぎかっこを抜き出してみる。
 まずは、仙谷官房長官の「外交ルートを通じてそういう情報が入っていた。『中国も理解してくれるだろう』と判断していたが、(日中間の)司法過程についての理解がここまで異なるということを我々が習熟すべきだった」というものだ。
 この発言は、簡単にいえば、菅内閣は、もしくは少なくとも仙谷官房長官は、外交を行うのに際して、情報の入手ルートがない、もしくは情報を取捨選択する能力がない、または情報をもとに外交判断をする能力が決定的に欠如しているというこの三種類の一つもしくは全部の欠点を持ち合わせているということになる。要するに「外交無能力者」ということだ。その仙谷官房長官が判断したので、『習熟すべきだった』という発言になる。
 また、この発言は、自分の外交能力が欠如しており、そして、今回はそのが憩判断を失敗したということを表明している。しかし、同時に「その失敗に対しての責任」については全く言及していないということになるのである。
 よく、会社などでも能力がない人が仕事を行い、失敗したら「だって、私にはその仕事をする能力が初めからないんだもん」と、開き直る人がいる。実際自分が失敗したのに、責任感や他人に迷惑をかけたという罪悪感はかけらもない。そのうち責任を他人に転嫁し、自分は関係ないと言い始める。そのような光景に「腹が立った」経験を持つ人は少なく愛のではないか。まさにその光景が国会の中で繰り広げられたのである。一国の国家の主権や領土がかかっている判断で、そのような無責任な対応をされては、国家の外交などはできるはずがない。本来であれば、すぐに辞任すべきだし、菅首相は罷免すべき事項である。それを行わない無責任政権である。ということを表明したにすぎない。
 次は、菅直人首相の「捜査当局、検察が色々なことを含めて判断された、その判断は適切なものであった」という発言である。
 この発言だけを見れば、捜査そのものの正当性を表現している。政治とカネの事件などにおいてこの発言が使われたのであれば、かなり良い発言の中に入るであろう。しかし、今回の場合は、その状況が違う。要するに、那覇地裁は会見で「外交的な配慮」をいうことを表明したうえで、中国人船長を解放したのである。このことを考え合わせれば、菅直人首相は、国会の場で、検察官が外交的判断によって捜査をやめたり、手心を加え、そして日本法の適用を中止したり、今回は関係ないが逆にきつくしたりする事を「肯定」したのである。
 そのようなことが許されるのか。要するに、外務省の役人でもなければ政治家でもない、一回の検察官、外交の中においては、まったく権限のない人が、外交的判断をして法の執行を変えることが可能ということは、それすなわち「日本は法治国家である必要がない」「検察官による人治国家である」ということを、国会を通じて世界に表明したにすぎない。北朝鮮か何かのような「無法国家」になり下がったということだ。
 もっと言えば、外交ではなく、政治的な判断をすることとい言うような解釈も可能である。そうなれば、「国策捜査」「身分制的法律運用」が可能というように受け取られかねない。そのようなことを国会の場で表明するのは、政権としていかがなものであろうか。私は、そのような政権を認めるべきではないと考える。
 最後に、捜査への政治介入の話。「捜査への介入は一切ない」と否定した。仙谷官房長官も「首相、官房長官、法相が事件処理について指示したことは一切ない」というもの。
 この発言は、捜査への政治介入はないというごく当たり前のことを話している。捜査は検察もしくは司法警察が独立の機関として行っているもので、そこに政府の政治権力の介入は許されない。
 しかし、上記と同じで、介入がないのであれば、かえって、検察が外交判断を行ったことになる。検察官が勝手に外交を行うことを肯定する。要するに外務省も外務大臣も、ある意味では政府もいらないということを表明しているにすぎない。事業仕分けをするのであれば外務省を解体すればよい。そのような状況になってしまうのではないか。それだけではない。このことを言うことによって、違法船長の釈放は政府とは関係がない、もっと言えば責任は全て那覇地検にあるということになる。外交の責任は政府にあり、その責任は全て結果責任だ。しかし、菅直人政権は外交における責任を検察に全て責任転嫁し、そしてそれを捜査権限というものにごまかしてしまい、そして、自分たちは関係がないとしている。今回の事件の責任の所在を明確にしないという意図が明らかである
 結局、その場限りでは正しいことを言っているのかもしれない。しかし、他の事象と考え合わせると、まったく別な意味になり、かえってお菓子に話になる。もともと「批判政党」としてしか立脚できず、批判をし誰かに責任をかぶせていなければ、自分たちの立ち位置も明確に規定できないのが民主党、ことに民主党の左翼的勢力のスタンスである。日本国のために他国を批判するのであればよいが、完全に意気地がなく、相手が強いと初めから戦意を喪失し、言わねばならないことも何も言わず、そして、責任転嫁するという態度である。これでは話にならない。
 民主党政権打倒を言うのではない、せめて、自分たちで行った内容の責任くらいは、その所在を明確にすべきではないのか。そのような監視の目を、国民はもっと養わなければならないのではないだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »