« マスコミ批判に対する一考(14) 民意に構わず「よいしょ記事」を書く朝日新聞 | トップページ | 菅新内閣で初めての予算委員会と菅内閣の政権担当能力 »

「喝」でお茶の間人気の大沢啓二元日本ハムファイターズ監督逝く

「喝」でお茶の間人気の大沢啓二元日本ハムファイターズ監督逝く

 昨日12日は新聞が休刊美であった。連休明けは基本的には新聞の休刊日になる。新聞社といえどもどうしても休みは必要だ。新聞社も人間の行っていることであり、また、機械などもメンテナンスをしなければならない。何よりも人間の頭の中をメンテナンスしないと、なかなか良い記事は書けないものである。よって、昨日は駅売りのスポーツ紙しか販売していない。だから今日はスポーツの話題から。
 それでも、コンピューターなどコミュニケーション手段の発達によって、かなり私たちの世代の新聞社は楽になっている。昔の人は、カメラも大きかったし、そもそもデジタルではないので、カメラのフィルムの現像をどれほどの速さでしなければならなかったか。それに比べれば、かなり多くの労力を節約できている。科学の進歩さまさまである。
 逆に、科学の時代に生きてしまったために、人間としての根性が足りない部分もある。私自身の話として聞いてもらいたいが、昔の人のマスコミや記者の話を聞いていると、とてもとても自分にはできないものであると感じる。私は、まだ、最近のマスコミの人と違って諸先輩方との話が非常にスムーズに言っている方であると考えている。というよりは、私の所属している両院記者会そのものが、昭和一桁生まれの「巣」のような場所である。一般の会社ではとっくに引退している年代の人たちが現役で働いているのであるから、その迫力といったらない。昭和一桁の人々は、前半の人は戦争経験者である。ここで言う戦争経験者とは、まさに戦闘体験や戦争の訓練を受けた世代という意味であり、空襲や戦争被害の体験者という意味ではない。両院記者会の事務局長をしていらっしゃる小林さんは昭和3年生まれである。昭和19年、まさに戦争中に「貴族院」入社している。私が間違えているわけではなく、当時は貴族院であった。現在の国会の改革があり貴族院が参議院になるのは、昭和26年のことだ。同年代の人は「学徒動員」で出征した人も少なくない。小林さんの場合は、女性であるからそのようなことはなかった。
 小林さんと話していると様々な話が出てくることが多い。そもそも「鳩山」という姓字で「一郎」と答える現在の政治関係者は少なくないのではないか。現在ならば由紀夫前首相か邦夫元総務大臣の兄弟のことが上がる。少し古い人であれば、「威一郎」外務大臣である。鳩山一郎氏は、自由民主党初代総裁であり、自由党と旧民主党に分裂していた時代に吉田茂と首相の座を争った人物だ。吉田茂の引退後鳩山一郎が首相になっている。やはり孫同士も同じ因縁のようで、吉田茂の孫である麻生太郎の次に、鳩山一郎の孫である鳩山由紀夫が週初になっている。
 このようなことは、昭和の時代の話を聞くものだけが知る特権であり、また小林さんのような型と話をすると、その時の情景が目に浮かぶ。殊に、国会議事堂は、当時とまったく変わらない外見である。当然にその内容はその「舞台」で繰り広げられた様々な物語を見ることができるのだ。
 さて、国会の場では、このような昭和一桁の人がまだまだ「現役」で活躍している。下手をすると大正生まれの「現役」もいるほどだ。
 これに対して、野球界、殊にプロ野球界は、現役が非常に短い。最近では横浜ベイスターズ(この球団も今年なくなるようであるが)の工藤公康投手が現役最年長であったし、中日ドラゴンズの山本昌投手が最年長で完封をしたばかりだ。とはいえ、工藤投手も山本投手も四十代である。政治の世界で言えば「若手」どころか「ヒヨコ」といわれる世代だ。野球界では、どうしてもそのように現役の時期が短くなってしまうのか。もちろん体力を使う仕事であるから、現役の期間が短いのはよくわかるが、それでも、ゴルフなど他のスポーツのように「シニア」で活躍できる部分が非常に少ないのは残念だ。
 それでも、プロ野球の話も、昔の話を聞くのは面白い。先ほどの国会の小林さんではないが、「あの時こうだった」「昔の選手はすごかった」などと聞くと、現在のような映像などが残っていない分、とてもすごいものを想像してしまう。伝説の選手というのか必ずいるものであり、実際に数字を残していない選手も確実にヒーローなのである。
 そのような「プロ野球」で昔の人が思う存分語る場面というのが少なくなった。野球そのものの中継も少なくなったし、野球の解説者は、当然に現在の選手とのつながりのある若い解説者の方が、使い勝手が良い。あわよくば裏話やプライベートの話も聞けるので、マスコミなどは非常に使いやすいのであろう。また地方遠征なども多いので、年長者はなかなか解説としては難しい部分があるのかもしれない。殊に中継ということになれば、なかなか手が届かない。
 そんな中、東京ではTBS系列で、日曜日の朝テレビ番組「サンデーモーニング」の「御意見番スポーツ」コーナーは楽しみの一つであった。大沢啓二氏と張本功氏の忌憚のない意見は、「長老」ならではの意見であり、また、誰もが納得できる話ばかりである。やはり、最近の「若い」解説者ではなく、長老でなければできない「遠慮会釈ない」意見は、野球もしくはスポーツ全体を愛しているからこそ出てくる温かい批判ばかりである。殊に、「喝」という掛け声をするときは、本当に素晴らしいタイミングであった。そのご意見番の一人大沢啓二氏が急逝した。癌であったという。その記事が下記のものだ。

「親分を最後まで」大沢啓二元監督がん死

 球界の「親分」が逝った。元日本ハム監督の大沢啓二氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため、都内の病院で息を引き取った。78歳だった。昨年10月に発覚も、すでに末期に近い状態だったため、手術をせずに抗がん剤などで治療を続けていた。9月23日に体調を崩して入院。先週、容体が悪化し、そのまま帰らぬ人となった。強打、堅守の外野手として、56年に立大から南海に入団。65年に現役を引退し、日本ハム監督として81年にリーグ優勝を果たした。現場から離れたあとは、TBS系の情報番組「サンデーモーニング」にレギュラー出演。「喝(かつ)!」「あっぱれ」のフレーズで人気を博した。
 親分は最後まで「ボール」を握り続けていた。大沢さんの個人マネジャー、久保文雄氏(48)によれば、「病院のベッドの枕元に硬球をずっと置いてました。亡くなる前日もボールを握り締めていました」という。息を引き取った時の顔は「勝ちゲームのあとのような、安らかな表情」(久保氏)だった。
 昨年10月に胆のうがんが見つかった。わかりづらい場所にあったため、発覚した時はすでに末期に近かったという。手術もできずに抗がん剤などで治療を行う一方、周囲には事実を明かさずに、野球評論などの仕事を続けていた。今年夏ごろ「腰が痛い」と訴えることが多くなり、食欲も急激に衰えたという。それでも、久保氏によれば「最後まで親分を通すぞ」と言い、仕事を優先した。元ロッテ、巨人の張本勲氏とのコンビで人気の「サンデーモーニング」の出演は、9月19日が最後となった。
 「親分」のニックネームにたがわない野球人生だった。まっすぐな性格で、高校時代には判定に怒って球審を殴ってしまい、1年間出場停止になった。南海に入団後、立大の2年後輩の杉浦忠氏(故人)、長嶋茂雄氏(巨人終身名誉監督)の面倒をみて、勧誘に一役買った。長嶋氏が巨人入りを決めた際には、たまらず怒鳴りつけたという。コーチ、監督時代に退場7度(史上4位)。最後のユニホーム姿となった94年の日本ハム退団セレモニーの際には、10年ぶりの最下位をわびて、ファンに土下座までした。
 最も光り輝いたのは、最初の日本ハム監督時代だろう。76年から指揮をとり、81年に悲願のリーグ優勝。江夏、柏原、高橋一三、ソレイタといった猛者たちを巧みに使い、球団創設8年目にして初の優勝をもたらした。当時の大社義規オーナー(故人)を胴上げし、男泣きしたのは有名。「大社さんほど野球が好きなオーナーはいない。あの人を胴上げできないようでは男がすたる」。日本シリーズでは江川のいる巨人に完敗したが、日本ハムが北海道に移転するまでの唯一のリーグVだった。
 発言もユニークだった。日本ハムの監督に復帰した93年、当時ロッテの伊良部に完敗した際、「幕張の海岸を泳いでいたらよお、イラブっていう電気クラゲに刺されてな。またの下でなくてよかったけどよ、治療してまた出直しだわな。ワッハッハ」と笑い飛ばした。この年は西武と最後までデッドヒートを演じ、優勝は逃したものの、「親分」は流行語大賞にもなった。
 「人間には、わらじをつくる人、みこしを担ぐ人、みこしに乗る人がいる。誰が一番えらいんじゃなくてよ、それぞれ与えられた役割をまっとうすることが大事なんだ」。大沢さんの口ぐせだった。球界の親分という役割をまっとうし、78年の生涯を閉じた。

2010年10月8日(金)10時10分配信 日刊スポーツ
http://news.nifty.com/cs/sports/baseballdetail/nikkansp-p-bb-tp0-101008-0011/1.htm

 「大変ショック」と張本氏=テレビ番組で名コンビ―大沢啓二氏死去
時事通信 10月7日(木)12時33分配信

 7日死去した大沢啓二さんはTBS系のテレビ番組「サンデーモーニング」の「御意見番スポーツ」コーナーに張本勲さんと共演。好プレーに「あっぱれ」、ふがいない選手らに「喝」を入れながら、若い選手らを励ました。
 張本さんはTBSを通じ「大変ショックを受けています。まだ実感がわきません。大沢先輩にはたくさんのことを教わりました。感謝の気持ちでいっぱいです。ご家族に心からお悔やみを申し上げます」とコメント。無念さがにじんだ。
 体調が悪く、最近2回は出演を取りやめた大沢さん。3日の放送では、視聴者へのメッセージを託し、「欠席」をわびた後、今季の優勝予想で中日とソフトバンクを高く評価した点を褒めてほしいと、自らにささやかな「あっぱれ」を入れたのが最後になった。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101007-00000058-jij-spo

 大沢啓二氏に関しては、私は当然のごとく現役で見ているわけではない。南海ホークスの名外野手で、外野からキャッチャーのサインを見て守備位置を変えていたという伝説の持ち主だ。立教大学では、杉浦忠投手、長嶋茂雄内野手の先輩にあたり、その杉浦忠投手を南海ホークスのエースにした人である。
 私たちが記憶にあるのは、日本ハムファイターズの監督の時。殊に二回目の監督時代は、「大沢親分」と言われてファンにも慕われた人物だ。だれい言わせても「面倒院の良い人」という感じであった。日本ハムファイターズの試合後のインタビューで、勝った時は、必ず「選手が素晴らしかった」というし、負けた時は「全て監督が悪い」と負けの責任を一人で抱え込む大きな人物であった。負けが込んできたときのインタビューでもっとも印象にあるのが「チームが負けたのも、電信柱が立っているのも、郵便ポストが赤いのも、みんな監督である俺が悪いんだ。選手を責めるな」という言葉があった。これこそ、「親分」という呼び名にふさわしい一言である。それでも、多くの人から笑いがとれる人だった。誰からも慕われる人物であった。いや、逆に「そのような人物だからこそ」多くの人から慕われたのではないだろうか。
 振り返って今の政治家にこのような人がいるであろうか。秘書やマスコミに責任を押し付けて、自分の責任を逃れる政治家は少なくない。「XXXがー」といって他人への責任転嫁が目立つ。「大物の政治家がいなくなった」とは、まさに大沢氏のような大きな人物がいなくなったということではないだろうか。残念ながら与野党込みで、そのような大きな人物がいなくなった。また、大沢親分と同じプロ野球界でもそのような人が少なくなったのは非常に残念なことだ。大きな人物がいなくなった、そのことこそ「日本全体の閉そく感」の象徴なのかもしれない。
 いずれにせよ、大沢啓二氏のご冥福をお祈りします。

|

« マスコミ批判に対する一考(14) 民意に構わず「よいしょ記事」を書く朝日新聞 | トップページ | 菅新内閣で初めての予算委員会と菅内閣の政権担当能力 »

「スポーツ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/115684/49723694

この記事へのトラックバック一覧です: 「喝」でお茶の間人気の大沢啓二元日本ハムファイターズ監督逝く:

« マスコミ批判に対する一考(14) 民意に構わず「よいしょ記事」を書く朝日新聞 | トップページ | 菅新内閣で初めての予算委員会と菅内閣の政権担当能力 »