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2011年4月

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 2 天皇陛下と臣民と国体

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
2 天皇陛下と臣民と国体

 まず、現在の日本国憲法無効論を言う人がいる。憲法無効論に関して4月28日現在のウィキペディアから当該文章をそのまま抜き出してみる。
  <以下ウィキペディア「憲法無効論」より抜粋>
概要
  憲法無効論は日本国憲法の制憲過程に重大な瑕疵があり無効であるとするもの、あるいはサンフランシスコ講和条約締結にともない自動失効しているとするものの総称であり、法理論としては前者が取り上げられ現代の憲法改正論議において論じられることが多いが、当初は後者の視点からの論であった。
  憲法無効・失効論の述べるところは憲法失効にともない大日本帝国憲法を唯一の法源とすべしという点にほぼ要約されるが(別論あり)、これはあくまで手続き上の民主主義的正統性に関する要求であり、旧憲法の改正手続きに則り速やかに新たな自主憲法を策定すべし、ないしは日米安全保障条約(条約)と憲法の整合性を確保するべく第9条を改正すべしとの論である。
  今日では、最高裁をはじめ日本国憲法を法源とした多くの判例が適示されており、憲法無効論は法曹界ではすでに解決済みの論題として積極的に取り上げられる事は無く、日本国憲法が無効ないしは失効していると論じる法学者は少ない。一方で議会を中心とした憲法改正論議においてしばしば紹介され論じられることがある。
法理としては奇抜なものではなく、ナチスが作ったオーストリア憲法(34年5月1日)やフランス憲法(1940年7月11日、占領憲法・ペタン憲法)は、ナチスによる占領解除後即座に失効宣言がなされ、破棄された(フランス44年8月9日、オーストリア45年5月1日)。

その論拠
    * 日本国憲法は大日本帝国憲法の改正限界を超えている(憲法改正限界説)。
    * GHQの指導による憲法の改正は、ハーグ陸戦条約に違反している。
    * 大西洋憲章の理念に反している。
    * 占領政策の終了にともない統治体制下での立法は失効しており、新たに措置する必要がある。
<以上ウィキペディアより抜粋http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%84%A1%E5%8A%B9%E8%AB%96>

 まず、この憲法無効論に関してみてみよう。
  私は、個人的に憲法無効論には反対である。いまさら憲法無効といわれても困るであろうし、第日本国憲法が法源としても、なかなか難しいであろう。実際に憲法9条の改正の論拠としているということであるが、この論拠を使わないでも必要性を説けばよいことである。
  ただ、そのような内容を言うのではなく、私は、憲法発布の詔勅と、「御名御璽」と書かれた内容だ。御名御璽があるということは、その憲法の原本には「玉璽」があるということだ。私は思うのであるが、玉璽のある文書を、臣下の民が勝手に理論だ何だと言って否定、無効、失効を宣言できるのであろうか。これが認められてしまえば、他の勅語や詔勅もすべて臣下の理論で無効になってしまう可能性を秘めていると思う。もちろん、天皇陛下であっても間違うことはあるだろう。天皇陛下を尊敬崇拝していても、間違いは間違いであると思う。天皇陛下がそんなことをするということは考えられないが、売国な行為をしたり、あるいは国を滅ぼすことをしてはいけないのではないか。逆に、明らかにそのような行為でない限り、御名御璽が記されたものは、従わなければならない。その御名御璽が記された内容を考えなければならないのではないか。
  日本国憲法の場合、その当時の日本のおかれた環境やそれ以上のGHQによる国民への迫害、国際社会への復帰などを考えれば、憲法9条を含め、現行の日本国憲法を選択することは必要なことではなかったか。そのうえで、上記ウィキペディアのなかにもかかれているが、サンフランシスコ講和条約によって役割が終わったとの考え方があっても、実際講和条約に御名御璽がなければ、やはり御名御璽のある詔勅の変更にはならないのではないかと考えるのである。
  このように天皇陛下の行為において考えるのも、天皇陛下及び皇室こそ日本の「国体」を象徴し、体現している存在であると考えているからだ。戦前、大政翼賛会当時の日本のように天皇陛下と国体がイコールであるとは思っていない。しかし、天皇陛下の存在が日本の国体という目に見えない概念のひとつの体現のあり方でないのか。
  では、逆に国体とは一体何のか。私は昨日のブログにも解体が、「現在の日本人の日本国および日本の文化、伝統などの総称」が「国体」であると思う。国体はまさに国の形であり国の身体であり、国の心であると思う。だから、時代とともに変化をするし新しいものを取り入れて日本人のために役立てている。日本の発展のために多くの者を吸収し、そして変えてゆきながらも、変えてはならないものそのものは変えないということではないのか。それは制度として変えたり、強制的に排除するものではなく、日本の場合、日本の固有の文化、固有の形が存在するものであると思う。
  たとえて言えば日本語がその一つである。日本語は、新たな言葉単語に対してすぐにそれを受け入れる。日本語は、そもそも大和言葉の標記のために中国の文字を使った。これが漢字である。この漢字を略して「かな」を作る。初めは漢字の音だけを利用し、万葉仮名を作るのであるが、そのうち、感じに大和言葉を当てて日本特有の文字としてしまう(訓読みのこと)であり、一方で、音だけを表記するために、万葉仮名の略字を作って「ひらがな」「カタカナ」を作るのである。もともとある「大和言葉」というものは変えることなく、中国の文化を取り入れ、そのうえで、中国の文化を日本固有の文化いた記号するように改良して、日本独自の文化として発展させる。そのうちに、中国以外のところ、要するに漢字文化圏でないところの人や物と触れるようになる。その時に「ひらがな」「カタカナ」を使い分けて、それを表記するようになる。現代では、カタカナとひらがなをあわせて新たな言葉を作ったり、または言葉を略したり、アルファベットを使った新たな単語を作るなど、新しいものを入れることによって日本語は独自の発展を繰り返している。しかし、当初からの大和言葉を生き残らせる。神社に行けば、祝詞は大和言葉で行うし、敬語なども不完全でありながら、今の若者の使う現代言葉とは違うカテゴリーで、正式なできでは役に立っている。
  このように、日本は新たな者を受け入れながら、その魂までは売らないということである。「和魂洋才」という言葉が、そのことをよくあらわしているような気がする。日本はまさに様々な文化の影響を受け、諸外国からの伝達をうまく日本流に加工しながら、日本古来の固有の文化を受け継ぎ、その精神を崩さないようにしながら、新たな者を受け入れ、日本流に加工し、そして独自の発展を遂げる。その日本流の発展こそ、諸外国の最先端に位置する発展形なのである。日本の文化、和食や建築技術などもそうであるしアニメなどのサブカルチャーまで含めて、世界の最先端に位置している日本の技術や文化は数知れない。一度西洋化しても、結局日本人は日本流を捨てられないではないか。そして、そこの「日本人の戻る場所がある」から日本人は外国において活躍することができるのではないか。
  その「日本人の戻る場所」こそ、「国体」であり「日本」であると考える。そして天皇陛下がそれを最も日本人に、そして諸外国の人にわかりやすく体現されていらっしゃるのであると考えている。いくら古来の日本の文化といえども、天皇陛下が弥生時代や奈良時代のような生活をしてるわけではない。現代の世の中の中にある文化文明を享受しながら、伝統を受け継がれ、世界平和のために、日本の発展のために祈りの毎日を送られているのである。
  そして、その祈りに関しても、「四方節」でわかるとおりに、日本は、多くの神々の中にいる。一神教ではなく多くの神と共存する社会を、もっと言えば、異質なものを受け入れる包容力を持った国体になっているのではないか。
  さて、最後に、憲法に国体はどのように影響するのか。
  国体がこのような状況であるとき、憲法ということに国体の護持という基本精神だけは書くべきではないのか。ではその国体は、まさに誤解の内容に書かなければまた大政翼賛会ができてしまう。国体は時代に即して変わるものでありながら、日本固有の伝統と文化に寝ずいたものでなければならない。そのことをわかるように記しておき、その国体を守る義務が日本人にはある、それは国防というだけではなく、日本の発展ということ、経済的、文化的な包容力の維持という点で非常に重要なのではないか。国体に関しては前文と、一方で天皇陛下に関する記述、要するに「第一章」にしっかりと書くべきではないのか。私は、「天皇は国体を体現する存在である」という内容(この通りの文章でなくても良いと思うが)を記載することが良いのではないかと思う。もちろん書かなくても良いという発想がある。文字にすることによって誤解を生み、また極端な解釈も生まれてしまう。しかし、そうならないようにしすることも「国体の護持」ではないのか。
  「国体」とはある程度観念的な内容であるため、非常に表現や憲法とことになると難しい。とくに文章化・条文化するには非常に難しいのではないか。しかし、書かないことそのものは、国体を軽んじてしまう、現在の民主党政権のような政権を生んででしまうもとにもなりかねない。なかなか難しい問題である。
  この文章をたたき台として、皆さんも真剣に考えていただきたい。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 1 ゴールデンウィークの始まりは天長節

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
1 ゴールデンウィークの始まりは天長節

  今日から世の中はゴールデンウィークである。要するに大型連休であり、多くの人が憲法上の勤労の義務から逃れられる一週間である。私も、この連休は休みをいただきたいと考えている。また、連休というのは、政治等が動かないので、連休中にニュースなどが書けない部分はある。今年の場合は、震災などによって様々な動きや社会面的な記事は少なくないと思われるが、それらに関してもを同じような内容になってしまうので、あまり書きたいとは思わない。
  昔、と言っても江戸時代、多分元禄時代くらいからと考えられるが、「盆と暮れ」は奉公人の休みの代表格となった。この「盆と暮れ」は、丁稚奉公などの奉公人が御暇を出されて、田舎や実家に帰って墓参りまたは親孝行を行うという風習があった。普段の厳しい仕事の毎日と違い、久しぶりに見る親兄弟の顔、そして毎日休みがとれる喜びは格別のものであったろう。それによって休みは楽しいものという発想になったのである。喜ばしいことが訪れたときの表現として「盆と暮れが一緒に来たようだ」というような表現がされるときがあるが、まさに時間的な問題ではなく「喜び」の代名詞に世間的な大型休日に関する内容を入れたものだ。逆に言えば、「盆」、「暮れ」などの休みは、物事が動かない、。休みであって、休みの人が戻ってきても、休みを取る前と同じ状態にあると言うのが大前提に存在するのである。
  それがゴールデンウィークである。その意味で「盆」「暮れ」以外に「黄金週間」という休みの形態ができた。これは、特に中国のメーデーを模したものではない。たまたま日本の休日の体系がこの時期に重なったことによるものである。
  4月29日は昭和の時代は天皇誕生日である。今は昭和の日という休日になっている。戦前は、この休みのことを「天長節」といった。5月3日は憲法記念日である。これは憲法が施行された日を記念として休みにしている。なえ、5月3日が憲法記念日かと言えば、11月3日の文化の日、戦前は「明治節」と言われた明治天皇の誕生日に、日本国憲法が交付され、その日に昭和天皇による憲法発布の勅語が出されている。その半年後に思考されるとなっていたために、5月3日に新憲法が思考されたのである。5月5日は「こどもの日」となっているが、基本的には「端午の節句」要するに男の子のお祭りである。日本は当然に男系社会を形成していたので、戦前より男の子こそ家を残す系譜として存在が規定されていた。このために、男の子のことをそのまま「子供」とし、将来の家長の背長を祝うと言う意味に捉えていたのである。基本的に、戦後65年たった今、女の子の祭りである桃の節句、ひなまつりに当たる3月3日を休日にすべきと言う話はあまり大きな声で言われないのであるが、男女平等を声高に言う人は、この祭りの存在をどう考えているのであろうか。5月3日と5月5日の間、5月4日は、私の子供のころは休みではなかったが、大人になってから「国民の休日」として、働きすぎの日本人に連休を作らせる目的から、休日の間の平日は強引に休日になると言う法律ができたために、なぜか急に休みになった。まあ、休みが増えるのはよいことだから、あまりここで引っかかるのはやめておこう。
  さて、このゴールデンウィークという横文字で示された大型連休も、このように紐解いてみると、なんとも「皇室」とのつながりの強いことか。戦前は祝日と祭日がしっかりと別れていた。祝日とは建国や独立などの歴史的出来事に由来する休日のことを言う。当然に、国民が国家全体の発展と子々孫々までの発展を考えて、国民全体が「国家」の歴史的な出来事に対してお祝いをする日である。一方で祭日は慣習的に休日としていた宗教上または慣習上の休みの日のことを言う。「国家」と関係がる場合と関係がない場合があるが、国民の慣習で休みになる場合だ。
  日本の場合、祝日は国家もしくは皇室の記念日を国民全体で祝うべき日を祝日としている。その祝日そのものには必ず意味があり、その意味を考え合わせながら、日本という国を考える日である。祝日は戦前は四大節といっていた。「四方節」「紀元節」「天長節」「明治節」である。「四方節」とは、一年の初めの火に、その年のへ輪を祈り日本を守る四方の神々に祈りをささげる儀式を言う。今ではこれが元旦となっている。皇室では、現在でも元旦にはこの四方節を行っており、そのために、国民の象徴と憲法で決められていないがら1月2日に一般参賀を受けられるのである。逆に1月1日の元旦は、年の初めであったとしても、四方の神々への祈りをささげるのが最も重要であり、国民のためであるために、そちらを優先させるのである。
  これらの祝日や祭日が、日本では当然のことのように日本人の個性になって入ってくるのである。私は、これこそが「日本」であり「国体」であると考えている。別に単語や言葉にとらわれる必要はないのではないか。しかし、日本人は、国家そのものの起源と言うものに対してしっかりと祭りを行う民族であった。
  日本は、当初より恵まれた自然と、恵まれた環境にあるのではないか。その環境野中に合って、ひとつの民族(この日本人の単一民族というところには異を唱える人がいるが)であって統一されたひとつの王朝のした千年以上の歴史を持つ国である。現代の歴史化が数十年研究しようと、外国が何を言おうと、その事実を否定することはできない。そしてその千年以上の王朝において独立を維持し、王朝の打倒を受けていない国であることも確かだ。
  その日本においては、当然に千年前の歴史を受けているところと、その歴史において他国のよい部分を受け入れるところの二つが存在する。その二つのミックスされた文化が日本の文化であり、現代の文化であるといえる。そしてその文化の中において育った日本人は、その体質や民族性・国民性を完全に捨て去ることはできないのである。左翼の人々が日本の文化を否定しても、中国人を引き入れても、アメリカかぶれをしても、結局彼らは日本人でしかないのである。日本を否定することは、その文化を否定することであり、それは、否定している日本人自身がその人自身の育ってきた生を否定することである。そこまで否定している日本人はいないし、そのような人は日本人の多くの支持を受けて国会議員などになれるはずがないのである。
  さて、本日は、上記のような天長節である。神話の世界では、日本という国を生んだ神々の子孫が天皇陛下であるとされている。その神話を信じる信じないは別にし、日本は、「八百万神(ヤオヨロズノカミ)」をいまだ祀っている国家である。宗教的な一神教は大政翼賛会のときも行われていない。日本では「神々の共存」が認められており、そのことに違和感を感じる人はいない。その上で、その神々の優劣もつけない。どの神々も日本の国家の発展、人類の発展、そして日本の平和を祈願し、そのために力を貸してくれている。それが日本だけなのか、世界なのか宇宙なのかは、私にはわからない。少なくとも日本はその中に入っていることは間違いがない。災害なども、古くは、神々が日本国の国民が誤った方向に行く可能性があるときに、方向を修正させる大いなる力として認識されていた。それは古代だけではなく近世、江戸時代の浅間山の噴火でも「山ノ神の怒り」と表現されていたのである。神は、このほかにもたくさんいる。山にも川にも山ほどいる。神は人間の扱いがあれば、荒ぶる神として、もう少し小さければ妖怪として人に仕置きをする。逆な見方をすれば、日本人は、神々と共存して生きてきたのである。
  さて、このゴールデンウィークに当たって、天皇誕生日といわれる日であった日が始まりになっている。今日は散文のようになった。このようにうまく言えないのは、今の日本、特に民主党政権になってから「神々と共存している日本人」でなくなっているような気がする。石原都知事の「天罰発言」はもう少し気を使わなければならない発言である。しかし、今回の震災が天罰とは言わないまでも、今の日本人が科学やマスコミのデマゴーグに頼りすぎ、道を見失っていなかったか。石原都知事を批判するのも良いが、日本人は、自分の胸に手をああてて、少し日本全体として今までの行動を省みる必要があるのではないか。そのように考えるものである。
  では、その考える一つの内容として、今の日本に最も大きな課題、要するに憲法について、私の現段階の考え方を見てみようと思うものである。とはいえ、テクニカルな方角論をするのではなく、その考え方、私の基本姿勢のようなものをこの中に入れてみようと重。もちろん、現段階の憲法に関する考え方でしかなく、状況の変化によって少し変わるかもしれないが、基本の部分はあまり変わらないのではないか。そのように思うのである。
  では、明日から、憲法に関する私見をあげてみたいと思う。

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東京電力の賠償に関する考え方と政府対応の不思議(下)

東京電力の賠償に関する考え方と政府対応の不思議(下)

 本日の東京電飾の賠償に関することは、文章が長くなりますので、昨日と今日の二部構成で掲載いたします。今日は昨日の続きからです。

 昨日は、放射能漏洩事件だといっても、人災であるとしても、基本的に根拠のある内容をしっかりと出さなければならないと言うところで筆をおいた。今日はその続きからである。
 具体的に「私案」として、というよりは、取材の結果賠償の範囲とされている内容に関して、私の「個人的な考え方」を交えてここに紹介してゆこう。
 まず、争いのない部分から、何キロ県内として強制的に避難させられ、日常の生活を奪われた人の生活費などの損害に関しては、争いがない。実際のところ、津波による被害の部分は若干、震災や津波の義援金との調整が必要であろうと思うが、それはこの文章の主題とは異なる部分である。要するに放射線漏洩に関する直接的な被害に関しては、やはり賠償の範囲内と言うことで言える。
 では、風評被害に関してはどうか。政府が出荷制限を行った野菜や魚介類などに関しては、放射能漏洩が原因となった、政府の指示による被害だ。これは風評被害ではなく直接的な被害と言える。一方、出荷指示の場所ではない場所ではあるが、放射能の危険があるとして値崩れをしたものに関してはどうなるのか。一方、日本製品が輸出を行うのにあたって、いちいち放射能検査や安全の証明書をつけなけば貿易ができない。この貿易に関する「日本」と言うブランドが落ちた、経費や損害はどのように考えるべきであるのか。実際のところ、そこまで補償の範囲にしていては「きりがない」のであるが、今回政府は賠償すると言うことを言っている。実際、ある程度の経費の負担をする、もしくは安全のための証明書発行経費分を「余分な経費」として補填する程度のことであろうが、それはそれで、日本全体のこととなれば大きな経費になる。ましてや、数名報告されえいるが、放射能が検出されたとして入国が拒否された観光客などの日本人は、どのような内容の補償になるのか、大きな問題である。
 もうひとつ、大きな問題になるのは調整停電に関するないようだ。調整停電に関しては、本来は、原子力発電所のことではない。私の取材の結果から言えば、今回の地震と津波で多くの火力発電所も被害を受けている。火力発電所はそもそも危険ではないとして津波などの想定をしていない。要するに、今回の調整停電は、津波を想定していなかった東京電力の重過失と言う議論もされて当然だ。火力発電は、日本場合蒸気タービンとガスタービンの二つの熱伝導によって発電してるために、熱効率が60%を超えている。このために、同じカロリー数で原子力発電所の倍以上(原子力発電所は熱効率が30%程度しかない)の被害になる。火力発電所の被害による電力供給の減少は、今回震災被害と安全性の問題で過度を停止した福島第一・第二原子力発電所の二つの発電量を上回る量だ。その上、火力発電所は津波の被害を堤防もなくうけたので、復旧には1年以上かかると報告されている。
 では、調整停電によって向上がストップした分の産業補償、もしくは、人工呼吸器などの障害によって転居もしくは入院を余儀なくされた場合の経費、あるいは、今後昨年の夏のように猛暑になって停電が原因で体調の不良を起こしたりあるいは命を落とされたりした場合の補償はどのように考えるのか。産業の補償だけならば、誰もいろいろと言わないであろうが、人工呼吸器の障害や熱中症など陣目にかかわる内容に関しては、補償すべきと言う声が上がるであろう。しかし、これは「原子力基本法」「原子力賠償法」が基本になるのであろうか。その場合は火力発電に関してはなんら検討されないと言うことになる。原子力を悪者にするという「偏向」した価値観の植え付けを行うのであればそれはそれでよいことかもしれないが、実際のところ、電力の安定供給は、原子力発電だけに限られたものではないので、当然に、その分に関しては火力発電の安全性や耐久性ということに関しても話題になるべきである。しかし、それらに関してまったく語られずに賠償の話だけが進んでいることに違和感を唱えるマスコミはひとつもない。下記のニュースも、停電、不評被害などはすべて放射能のためとしているが、果たしてどうであろうか。

福島第1原発 損害18.5億円請求へ 茨城・JAなど

 茨城県のJAグループと県酪農業協同組合連合会などでつくる「東京電力原発事故農畜産物損害賠償対策茨城県協議会」は25日、水戸市内で開いた初会合で、風評被害などによる3月分の損害額を約18億4598万円と算定、東電に同額を請求することを決めた。一連の被害で具体的な請求額が示されるのは全国初。28日に東電本店を訪れ、請求書を提出する。
 3月11~31日に市場に出たレタス、ピーマンなど40品目の価格を昨年同期の東京市場の平均単価と比較、下落分を損害とみなした。4月以降も請求額の算定を進める方針。出荷停止指示を受けたパセリ、ホウレンソウなどは今回、廃棄処分や返品となった分が算入できていないため、請求額は今後、大幅に増える可能性がある。
 対象農家は約5440戸。協議会会長の市野沢弘JA県中央会会長は「将来の補償のメドをはっきりとつけ、農家の不安と動揺を解消したい」と述べ、一刻も早い仮払いの必要性を訴えた。【杣谷健太】

毎日新聞 4月25日(月)21時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110425-00000047-maip-soci

放射能拡散情報公表が遅れた背景に「政府の初動ミス隠し」

 政府には、原発事故発生の際に稼働する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(通称“SPEEDI”)」がある。
 SPEEDIには、全国の原子力施設の炉型や周辺地形などがデータとして組み込まれている。原発事故が発生して放射性物質が放出されると、気象庁のアメダスと連動して、風向や風速、気温などから放射性物質の拡散を計算して図形化し、最大79時間後までの飛散を予測する能力を持つ。
 SPEEDIは事故直後の3月11日17時から動き始めたものの、最初に拡散予測図が公表されたのは3月23日、その後4月11日に2枚目が公表されたにとどまっている。その背景を追跡してみた。
 東京電力は地震発生翌日の3月12日に1号機と3号機で炉内の圧力を下げるために放射能を帯びた水蒸気などを建屋外に放出する「ベント」に踏み切り、13日には2号機でも実施。さらに、15日にはフィルターを通さない緊急措置である「ドライベント」も行なった。
 このタイミングで大量の放射性物質が飛散したことは間違いない。それはモニタリングのデータもはっきり示している。
 だが、枝野幸男・官房長官は1号機のベント後に、「放出はただちに健康に影響を及ぼすものではない」(12日)と発言し、20km圏のみの避難指示を変更しなかった。センターの証言によれば、枝野氏はSPEEDIのデータを知っていたはずだ。
 SPEEDIを担当する文科省科学技術・学術政策局内部から重大証言を得た。
「官邸幹部から、SPEEDI情報は公表するなと命じられていた。さらに、2号機でベントが行なわれた翌日(16日)には、官邸の指示でSPEEDIの担当が文科省から内閣府の原子力安全委に移された」
 名指しされた官邸幹部は「そうした事実はない」と大慌てで否定したが、政府が“口止め”した疑いは強い。なぜなら関連自治体も同様に証言するからだ。
 システム通り、福島県庁にもSPEEDIの試算図は当初から送られていたが、県は周辺市町村や県民に警報を出していない。その理由を福島県災害対策本部原子力班はこう説明した。
「原子力安全委が公表するかどうか判断するので、県が勝手に公表してはならないと釘を刺されました」
 福島県は、玄葉光一郎・国家戦略相や渡部恒三・民主党最高顧問という菅政権幹部の地元だ。玄葉氏は原子力行政を推進する立場の科学技術政策担当相を兼務しており、渡部氏は自民党時代に福島への原発誘致に関わった政治家である。
 この経緯は、国会で徹底的に解明されなければならない。「政府が情報を隠して国民を被曝させた」とすれば、チェルノブイリ事故を隠して大量の被曝者を出した旧ソビエト政府と全く同じ歴史的大罪である。
 しかも、その後も「安全だ」と言い続けた経緯を考えると、その動機は「政府の初動ミスを隠すため」だったと考えるのが妥当だろう。

※週刊ポスト2011年5月6日・13日号
2011年4月26日(火)7時0分配信 NEWSポストセブン 

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20110426-18500/1.htm

 最後に責任者である。上記のニュース記事にもあるように、そもそもの初期対応がしっかりしていれば、ここまで大きな時期にならなかったのではないか。会見で細野議員も発言していたが、中の圧力を上げないための「ベント」開放の時期が遅れたことに関して、どのように考えるのか。その初動対応の責任は誰が負うのか。一方で、上記の記事に書いてあるように情報公開が不十分であると言うことに関しては、風評被害の元になっているはずであるから、その内容は当然に除法をコントロールした、もっと端的な言い方をすれば情報を隠した人が、その情報を隠したことの当然の報いとして賠償の責任を負うべきである。では、情報の開示義務は誰にあるのか。原子力安全保安院要するに経済産業省であり政府である。政府は、枝野官房長官が会見を行っていたように、しっかりとした対応と情報公開を行わなければならない義務があったが、その義務に完全に違反していたために、風評被害を大きなものにしたのではないのか。この情報開示義務違反に関する内容まで「事業者である東京電力」が負うのはおかしいのではないかと考える。
 このことは津波に関しても同じだ。津波の想定は5.7メートルであった。しかし、実際に福島第一原子力発電所を襲った津波は14メートルその場合の非常用電源設備は海抜5メートルの場所にあったのだ。これは、想定の津波が来ても被害にあう、要するに完全な電源喪失状態にあることを意味している。逆いいえば、設計の問題は別にして、津波そのものが想定外であったということ以上に、完全な電源喪失状態と言うのは想定の範囲内であったと言うことを意味しているはずだ。にもかかわらず、想定外を繰り返すのは、ひとつのかいつですべての責任を転嫁しようとする政府の魂胆が見え隠れする。津波そのものが想定外であったことは否めない事実だ。しかし、電源の喪失など、津波そのものと関係のない状況における被害が大きいのではないか。そしてそこに対する対応がしっかりとできていないことを指摘しなければならない。
 同時に、たとえば冷却水をかける。水をかけるのであるから水がどこからか出てくる。にもかかわらず水の受け入れ先を準備していないと言うのもこっけいな話だ。蛇口があれば排水溝があるのは、小学校の家庭科でもわかる話。それを、水が漏れ出してからビックフロートをあわてて準備すると言うのは、対応の悪さで被害を拡大したと言うことに他ならない。その部分の拡大被害は完全に想定が意図して言い切れるものでは花井のだ。
 原子力事業法の場合は、その中の規定に震災などの場合は事業者はその賠償責任を負わなくてもよいと言う内容の記事が書かれている。しかし、清水社長の会見で賠償を明言したと言うことは、原子力基本法で言えば今回の放射能漏洩事件は完全なる「人災」であることを東京電力そのものも認めたということになる。
 後は、誰が払うのか、そしてその財源をどうするのか。
 最終的には政府が保証するということであるから、国民が行わなければならないのであろうが、政府担当者や閣僚の指示が悪い場合の責任や費用負担まですべて税金でと言うことで増税されたのではたまらない。それならば、菅直人以下間消した火とすべての資産を没収し、それで足りない分を国民が負担と言うことにならなければならない。
 一方、昨日のブログの最初に書いたが、これを設計施工した会社、1号炉はアメリカのGEであり、後は東芝と日立だ。この会社への求償はどのような形で行われるのかも十分に注目に値することである。それらすべての「必要な処理」が行われるのか。そもそも民主党の外交交渉でアメリカのGEに交渉できるのか、非常に大きな問題である。
 結局税金負担と言うことになるのであろうが、それは本来求償先であるところに対して政府がまったく交渉できない、交渉する能力がないということによる負担、もっと言えばそのような政権を作ってしまった国民が自己責任で増税を受け入れるしかないと言うことになるのであろうか。
 国民は次の政権選択を間違わないようにしないと、このような国際的に恥をかいた上で、なおかつ増税負担がくるのだと言うことを忘れてはならないのである。

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東京電力の賠償に関する考え方と政府対応の不思議(上)

東京電力の賠償に関する考え方と政府対応の不思議(上)

 本日の東京電力の賠償に関することは、文章が長くなりますので、今日と明日の二部構成で掲載いたします。

 3月11日の震災とは別に、福島原子力発電所の事故に関する事故が存在する。このブログでも何度も書いてきたが、震災、津波に関する被害は、世界各国ともに日本が被災国であるということを認識している。やはり、人間はどんなにがんばっても自然の大いなる力の前では無力だ。震災当日以降繰り返し流された、津波が街ごとすべてを押し流してしまう映像は、どの映像を見ても人間や、人間の創造物の弱さしか感じない。文明、文化といってもどうにもならないのが現状だ。人間が自然の力の前では無力であると言うのは万国共通の認識だ。それだけに震災、津波の被害と言えば、人間は人種や国境を超えて助け合おうとする。海外のアーティストなどから集まった義援金や、海外の救助隊が日本に駆けつけ100を超える国から援助の申し出があったことは、これら人間の助け合いが国境を越えるということを物語っている。
 しかし、震災の被害とは別に、福島原子力発電所の放射能漏洩事故が報道されると、一挙に海外からの「助け合い」はなくなり、日本は、「震災被災国」から「放射能汚染加害国」に変わってしまった。当然に、放射能は自然界の中にも存在する。しかし、原子力発電所は人間が作った施設であり、その施設を日本人が適切に処理ができなくなったと言うことである。相手は「自然の大いなる力」ではなく「人間の創造物」であり「人間が作ったものの制御を日本人ができなかった」と言う結果でしかないのである。
 政府は、この結果に対してそもそもの「津波や地震が想定を超えていたこと」が原因としているが、果たしてそのような言い訳が通用するであろうか。そのような言い訳が通用するのは、原子力発電や危機管理に関してなにも知らない平和ボケの日本人だけかもしれない。各国の政府は助け合いから一気にさめてしまい、日本を非難するようになる。日本製品に対する放射能の安全検査報告を求める国は現在100を超える。
 そもそも、原子力に関する事故に関しては、「人災」であるとされている。その「人災」の理由は、さまざま存在するがその内容に関して、あまりエキセントリックにならずに冷静に考えなければならない時期が来ているのではないかと考えるのである。
 その、エキセントリックになった考え方をしている人々に関して書かれた記事が下記のものだ。

政府、電事連に東電賠償負担を要請

 東京電力福島第一原子力発電所の事故に関する東電の賠償策を巡り、政府が、新設を検討している「原発賠償機構(仮称)」への資金拠出を電力会社の業界団体である電気事業連合会に要請していたことが24日、わかった。
 政府は東電以外で原発を持つ電力8社にも負担を求める方針だが、各社には異論も出ている。政府は今月中にも賠償策の大枠を発表する方針で、調整を急ぐ考えだ。
 関係者によると、政府は先週末、賠償策の原案を電事連に示し、各社に負担を求めた。これを受け、電事連は23日、原発を保有していない沖縄電力と当事者の東電を除く、関西電力や中部電力など8社の社長を集め、対応を話し合った。
 電事連の事務局が政府の原案を説明し、意見を求めたが、まとまらなかったという。各社が持ち帰って検討し、今週中に再協議する。

2011年4月25日(月)4時39分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/yomiuri-20110425-00199/1.htm

賠償負担に難色、四電社長

 四国電力の千葉昭社長は25日、松山市で記者会見し、東京電力福島第1原発事故をめぐる賠償の枠組みづくりで、東電以外の電力会社にも負担を求める案が検討されていることに関し「東電救済のための枠組みでは株主にもお客様にも納得してもらえない」と述べ、難色を示した。千葉社長は、大災害の際は国が補償することになっている、と指摘。同時に「将来のリスクへの保険料としてお金を出し合いプールするなら理解も得られる」との考えも示した。

2011年4月26日(火)0時36分配信 共同通信 
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/kyodo-2011042501001212/1.htm

首相、国が最終的責任と強調

 菅直人首相は25日午後の参院予算委員会で、東京電力福島第1原発事故による損害賠償について「原子力の推進は国策として進めてきた。まず第一義的に東電が責任を負うべきだが、きちんと補償されるよう最終的には国が責任を持って対応する」と述べた。賠償額が巨額に上り東電から十分な賠償が受けられないのではないかとの懸念が地元にあるとの指摘を受け、決意を強調した。民主党の増子輝彦氏らへの答弁。

2011年4月25日(月)16時47分配信 共同通信 
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/kyodo-2011042501000676/1.htm

 まず、損害賠償の考え方を基本的に復習してみよう。
 本来ならば、損害に対してその損害を復旧することがもっともよいことである(それ以上によいことは損害を与えないことだ)。しかし、不幸にも損害を発生させてしまうことがある。その上、その損害を元に戻せない場合が少なくない。原則として損害を与えられ復旧されるまでの時間は誰も元に戻せないのだ。その場合に、その損害を金銭で賠償する制度を損害賠償という。原則として、損害の範囲で損害に対応する損害の総額が算定され、その損害の総額を、双方の責任と過失の割合で按分したものが、加害者側から被害者側に支払われることになる。
 損害賠償の一般論は、このようなものだ。では、今回の事故の場合は、損害がどのようになっているのかその損害の範囲を特定しなければならない。しかし、そもそもその損害を与えた原因行為は何なのかを特定しなければならないのではないか。要するに、福島も被災地であり、地震もしくは津波の被害と、放射能被害を分けて考えないとならないのではないか。たとえば、福島原発20キロ圏内だからといって、津波で流されてしまった家屋の賠償を福島原発に求めるのは、筋が違うというものだ。しかし、津波で流されてしまった人や被害者を捜索できなかった時間的な問題、特に被災直後ならば生きていたのに、避難勧告が出たために助けることができなかった命に対する賠償が発生するとすれば、それは、福島原発の事故が原因と言うことになるであろう。しかし、それは「生きていたかもしれない」という話で賠償を算定することはできないであろう。そのために、ある程度の基準をもって話をしなければならないと言うことになる。
 次に、誰が賠償するのかと言うことだ。日本の原子力基本法の中には、当然に事業者である電気事業者が賠償責任があると言うことになっている。それは、一般の電気利用者である被害者、一般の国民が見えている相手は事業者しかないからだ。そこで、一義的には今回の場合東京電力と言うことにんるであろう。しかし、東京電力そのものがすべて東京電力の資力を持って損害を賠償しなければならないと言うものではない。そんなことは土台無理なのだ。このようなことをいうと反論が増えるのであるが、東京電力そのものも被害者である。東京電力が津波の想定高さを決めたのでもなく、東京電力が建屋の強度を決めた物でもない。当然に、原子炉を実際に作った、施工したのも東京電量ではなく、設計したのも東京電力ではないのだ。それらを考えながら、法律的に第一義の責任があるので、東京電力は国民に対しては第一義的な事業者、管理者としての責任を逃れられるわけではない。しかし、私が言いたいのは、設計者、施工者、地震や津波の想定を行った基準設定者に対する求償まで排除するものではないと言うことである。
 このように、「賠償をします」と簡単にいったとしても、そんなに簡単なものではない。また、賠償をしながら「こんなに少ないとは思わなかった」とならないように、しっかりとした具体的な基準に合わせた、そして誰もが納得できる内容を示さなければならない。これに対して、「大衆迎合型」「バラマキ優先票取り主義」の民主党政権は、少し苦情があればすぐに「払います」「賠償させます」といって、結局のところ、何の解決にもならない。国が払うと言うことはそのまま「国民の税負担」で払われると言うことであり、その内容は、そのまま今の民主党が進めている根拠なき増税論につながるものである。
 「何の根拠」で、「誰が」、「どのような被害に対して」、「誰に対して」、「どのような財源で」「どうやって」賠償を行うのか、しっかりとした内容を発表しなければならないはずだ。にもかかわらず、そのような賠償に関することは一切関係悪「払いますとしか言わない政府に対して、非常に危険性を感じるものである。
 この賠償の件に関しては、明日も続きでやってみたい。

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統一地方選挙に見る民主党政権の今後

統一地方選挙に見る民主党政権の今後

 4月10日と24日に統一地方選挙が行われた。
 統一地方選挙は、全国の都道府県と市町村の首長と、都道府県と市町村議会の議員の選挙の多くが重なっているということで、もちろんすべてのものではない。たとえば「都道府県」と書いたが、東京都の都議会議員選挙は2年前に行ってしまっているので、当然に今回はないのである。
 前半戦では、与党民主党と野党自民党の一騎打ちの知事選挙3選挙ですべてが民主党が敗戦、そして、後半戦では与党民主党と野党自民党の一騎打ちの首長選挙9選挙区で民主党の3勝6敗であった。国民の多くは民主党そのものの政権に対して期待がなくなっている。
 このような選挙の結果は当然に、民主党という政権与党の内外において大きな影響を及ぼすことは必至である。一つには、野党や国民の民主党政権に対する厳しい対応ということがあげられる。民主党という政党に対して、期待がなくなってしまった場合は、当然に民主党の支持率の低下、そして民主党への支持団体の支持離れということが考えられるのである。当然に政権政策の支持がなくなりまた政権政策における理解がなくなってしまう。理解がなくなるということは、全ての政策に関してしっかりとした説明と理解を求めなければならず、当然に、政策の実行に時間がかかるようになる。政治といえども国民に対する理解を求めなければならないのである。それだけ信用がなくなれば、国民も野党もチェックすることは非常に多くなるであろうし、政権に対する疑いは大きくなる。
 もうひとつは、民主党内部の問題だ。支持率の低下、選挙の結果は、菅直人執行部の政権運営能力の欠如であり民主党そのものの支持率やマニフェストにおける政策が否定されたのではない。それどろか、逆にマニフェストの実行が遅れているから国民の支持が得られないのであるという考え方である。そのような考え方の多くは、菅直人民主党執行部の退陣と、新たな民主党党首、要するに新たな政権による政権運営を望んでいるのである。当然に、民主党内において菅直人首相を退陣させる圧力を強めるということになる。


民主党・樽床氏、大阪府連会長を辞任へ

 民主党大阪府連代表の樽床伸二衆院国家基本政策委員長は25日未明、統一地方選の結果を受けて大阪市内で記者会見し、「目標にはるかに及ばなかったことを重く受け止め、責任をとる覚悟を持っている。けじめが必要だ」と述べ、府連代表を辞任する意向を表明した。
 民主党は10日に投開票された前半戦の大阪府議選と、大阪、堺両市議選で、地域政党「大阪維新の会」の勢力拡大のあおりを受けて前回の計45議席から23議席へと大きく後退。後半戦も伸び悩んだ。府連内には、樽床氏が辞任の意向を示すことで、党執行部に統一選敗北の責任を問う狙いがあるとの見方がある。

(2011年4月25日00時52分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/news1/20110425-OYT1T00057.htm?from=main1


民主、退潮傾向顕著…政局混迷の可能性

 統一地方選後半戦の市長選や、衆院愛知6区補欠選挙などの投開票が24日、行われ、補選は自民党公認の元議員が大勝、政権与党として初めて統一選を戦った民主党は推薦した市長選候補の敗北が目立ち、市議選、区議選も伸び悩んだ。
 統一選前後半を通じた退潮傾向の背景には東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所事故を巡る政権の対応への不信や不満があったとみられ、党内で菅首相(党代表)ら執行部に対する批判が強まり、政局が混迷の度を深める可能性がある。
 衆院愛知6区補欠選挙は、自民党元衆院議員の丹羽秀樹氏(38)が、諸派で地域政党「減税日本」副代表の川村昌代氏(44)ら4新人を破り、2回目の当選を果たした。
 民主党が候補を擁立できず「不戦敗」となる中、自民党は今回の補選を「政権奪還への第一歩」と位置づけ、党を挙げた支援態勢が奏功した形だ。投票率は2009年の前回衆院選の69・87%を大きく下回り、41・94%だった。
 選挙戦は、09年の衆院選で失った議席の回復を目指す自民党と、国政選挙に初めて候補者を擁立した減税日本の争いを軸に展開。2月の名古屋市長選などのトリプル投票と3月の同市議選で圧勝した減税日本の今後を占う選挙としても注目されたが、大差で敗れた。

2011年4月25日(月)3時52分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yomiuri-20110425-00095/1.htm


小沢系ら採決欠席、叫び声あげ…首相に抗議文も

 ガソリン価格が高騰した場合の減税措置(トリガー条項)の一時凍結を盛り込んだ税制関連法案が22日、全会一致で衆院を通過した。
 ただ、民主党の小沢一郎元代表に近い議員が採決前に本会議場を退席するなど党の方針に反旗を翻す場面もあった。「菅降ろし」を狙う議員の行動は先鋭化しつつあり、執行部とのミゾは深まる一方だ。
 トリガー条項の一時凍結について、政府は、ガソリン消費を抑えることで被災地へのガソリン供給を確保することや、復興財源を捻出する目的があると説明してきた。これに対し小沢グループは「税収減を嫌う財務省に菅政権が牛耳られている証拠だ」と批判している。
 22日の衆院本会議では、開会直前に小沢グループの石井章、黒田雄両氏がひな壇の菅首相のもとに足を運び、「凍結は(被災者に)大きな負担増を強いる。被災者支援の法案の中に、被災者のためにならない条文がある」などと記した抗議文を首相に手渡した。本会議場内は黒田氏らの行動にざわめいた。
 同じく小沢グループの菊池長右ェ門氏と、樽床伸二衆院国家基本政策委員長を支持するグループの網屋信介氏は、法案採決時に本会議場を退席した。川内博史氏は採決時に「異議あり」と叫び声をあげた。民主党会派からの離脱を表明した渡辺浩一郎衆院議員をはじめ、欠席議員も続出した。

(2011年4月23日10時49分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110423-OYT1T00205.htm

 今後の民主党ということである。
 民主党という政党はもともと自民党政権に対する反対派の集合体でしかない。統一の理念や統一の政権綱領によって運営される政党ではないのだ。どこか対立軸があって初めてその対立軸に対する反対ということで「アンチ」票を集める受け皿として成立していたのだ。要するに、賭けごとでカードを裏に裏に張っていた場合、自分が表になってしまった。その時にどうするのか、自分が主体として全ての対立軸を受け止めて政権運営ができるのかを試されることになったのである。このことは、私が一昨年の総選挙前に書いた「民主党の闇」の中でしっかりと検証している。
 その対立軸づくりが、菅直人政権においては、小沢一郎という党内の実力者と鳩山由紀夫政権におけるマニフェストが対立軸になったのである。昨年の流行語大賞にノミネートされた「脱小沢」は、まさに民主党の野党としての運営手法である対立軸の創設であり、何かのアンチでなければ政権運営ができない民主党の「独立しての政権担当能力の欠如」が明らかになったものである。
 しかし、菅政権において、その対立軸におけるアンチ型集票が難しくなってしまった。もちろんそのアンチとしての対立軸に設定された小沢一郎本人も政治資金規正法による起訴をされているものであり、特に検察審査会による二回の議決を得るという、国民の信用を得られない考え方でそのようになったのである。また、対立軸に選ばれたマニフェストに作られた政策は鳩山由紀夫首相(代表)によってつくられたものである。要するにマニフェストの変更はそのまま鳩山政権の否定につながるものである。しかし、その鳩山政権の政策の変更ということは、総選挙の結果を否定すること、総選挙での公約の破棄を意味することにつながりかねず、民主党の公約は守られない、政治不信につながるものになってしまうのである。
 これでは民主党という名前での選挙に勝てないということになる。統一地方選挙といえども、国民であることは変わりがない。そのために、次の国政選挙における民主党の内容を占うものである。今後の民主党の議員は、国民が何に対して不信感を持ったのかを考えなければならない時期になっているであろう。要するに民主党の支持率と、菅政権の支持率を見比べながら、支持されていないのは「菅直人執行部」なのか「民主党そのもの」なのかを見極めなければならない。そして「菅直人執行部」が不信感があるということは、当然に、菅降ろしになるであろうし、民主党役員の菅執行部からの離脱(辞任)になる。一方で国民が「民主党そのもの」を嫌っていると考えた場合は、その集団の離党ということが考えられる。民主党という内容と民主党の看板では戦えないということであろう。
 今後、5月の連休に民主党の議員は、野党各党との会合を重ねながらその態度を決してゆくことになるであろう。当然に自分の後援会などとも協議することになるであろう。その動きを敏感に考えなければならないのではないか。片方で復興を行いながら政局が本格化する。この統一地方選挙と連休は、そんな分岐点になるのではないだろうか。

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マスコミ批判に関する一考(41) 一般の社会でもマスコミの贔屓の実態

マスコミ批判に関する一考(41) 一般の社会でもマスコミの贔屓の実態

 このマスコミ批判に関する一考も、めでたく41回目と40回を超えた。正直なところ、新聞社に身を置く人間として、こんなに長くマスコミ批判に関する一考を続けるとは思わなかった。10回くらいで終わりになるかなと思っていたが、それどころではない。
 その内容は、一つには、マスコミそのものに根強くある病巣、そして、一方でマスコミに過度な期待をする国民、そして、そのようなマスコミと国民に付け入る様々な権力や人々。これらの関係があって、それらに関して一つ一つをしっかりと変えてゆかなければならないのではないか。戦後、GHQが入って日本の改革を行った。GHQの改革に関しては、様々な意見があると思う。とくに日本軍の解体や財閥解体などには批判があるし、特に日教組教育の基となった教育改革と、道徳教育の禁止に関しては、いまだにその影響が日本に大きな影を落としているといわざるを得ないであろう。しかし、GHQが行ったのはそのようなことだけではない。
 マスコミの改革、情報の改革を非常に強く行った。マスコミ、情報改革は戦前ということと大政翼賛会ということを一緒に考えてはあまりよいものではないと思う。戦前において、特に明治期においては情報の開示はうまく行われたいた。しかし、統帥権干犯問題や5・15事件などの軍部の専横が進んだ状況において言えば、徐々に思想統制が強くなり、天皇陛下の考えでないことを勝手に天皇陛下の考えであるかのごときに装い、国民を自分の思い通りに支配してきた。その思想統一の果てに、大政翼賛会が発足する。当然に、日本人でも大政翼賛会が良いことであったとは思っていない。そのことをもとに、思想の統制を排除し、思想の自由化、政治活動の自由化を行ったのである。
 GHQの改革は、戦争の後処理ということになる。しかし、戦争に至った経緯に関して、大政翼賛会と陸軍の専横ということを考え中がらも、それ以前の日本古来の制度や日本特有の国民性をも破壊してしまったことが問題となる。
 その改革によって「政府を批判すること」「大きな相手に抵抗すること」がジャーナリストと思い込んでいる人が少なくない。しかし、そのジャーナリストも人であることが時々出てきてしまう。そのような魔が差してしまい、なおかつGHQが壊した日本の国益とか、日本全体の発展を考えた報道ができなくなる瞬間が出てしまう。その内容こそ、「マスコミ批判」につながるのである。その対象は何も政治だけではない。今回は国民のレジャーに関してまでもその内容が出てしまうのである。


プロ野球・JリーグのナイトゲームはNGなのに、東京ディズニーランドの夜間営業はなぜ

 4月15日に夜間営業を自粛する形で再開したばかりの東京ディズニーランドが、早速23日から夜間営業(8時~22時)もスタートし、ほぼ通常営業に戻る。電飾で人気のエレクトリカルパレードも復活する。また、もうひとつの施設である東京ディズニーシーは28日に夜間も含め再開(9時~22時)。東日本大震災の発生以降、休園が続いていたディズニーリゾートは、震災後約1カ月半ぶりに全面再開となる。
 ここで、非常に気になるのは不足する電力の問題。両リゾートがフル稼働した場合、消費する電力は一般世帯の約5万7000世帯分ともいわれている。ディズニーリゾートが全面再開した場合、電力事情がひっ迫する恐れもあるのだ。運営するオリエンタルランドでは、トイレ、エレベーター、噴水などの付帯施設で節電に努め、エレクトリカルパレードは供給に余裕のある深夜電力を蓄電して賄うとしており、社会的な理解を得たい考え。また、一部電力は自家発電で賄うという。
 そこで、どうしても素通りできないのは、同じく大量の電力を消費するプロ野球やJリーグとの対比。震災で公式戦が休止となったJリーグは電力事情を鑑み、公式戦の再開日を4月23日とし、4月中の東京電力、東北電力管内でのナイトゲームを自粛するとした。
 一方、プロ野球パ・リーグは開幕日を3月25日から4月12日に延期。Jリーグにならい、4月中の両管内でのナイトゲームを自粛。ところが、開幕を急ぐセ・リーグは3・25開幕を目指したが、オカミ(政府)からダメ出し。4日ずらして、3月29日に節電開幕を強行しようとしたが、オカミの注意を受け断念。パと同様に4・12開幕、4月中の両管内でのナイトゲームを自粛及び東京ドームでの試合を行わないことで決着した。
 これを受けてか、Jリーグは5月中も両管内でのナイトゲームを行わないことを追加で決めた。東京ドームで試合を行った場合、3000~4000の一般世帯分の電力を消費するといわれているが、ディズニーリゾートはその10倍強の電力を消費し、その比ではない。プロ野球やJリーグのナイトゲームがNGで、それらより電力を使うディズニーリゾートの夜間営業は、なぜOKなのか大いなる疑問が残る。オカミはセ・リーグのときのように、なぜクレームを付けないのかナゾだ。
 「オリエンタルランドの作戦勝ちでしょう。タイミングが良かったというしかありません。節電対策も明確です。セ・リーグの開幕問題が紛糾した際は、電力事情もひっ迫し、計画停電の真っただ中でしたから、ナイトゲームや東京ド-ムでの試合など到底許されるものではありませんでした。その後、計画停電は中止、ここに来て供給電力量が増したことで、ディズニーリゾートの営業再開、全面復活にもクレームが入らなかったものと思います。それに、ディズニーリゾートは国民に非常に人気のあるテーマパークですから、海江田万里経済産業相も蓮舫節電啓発担当相も文句はいいたくなかったのでは。国民のヒールにはなりたくないですから」(ジャーナリストA氏)
 4月22日から予定されていたプロ野球の東京ドームでの巨人対中日3連戦は、代替球場が見つからず中止となった。現況なら、予定通り、東京ド-ムで開催しても何ら問題はなかったことになる。そのウラでは、東京ディズニーランドが夜間営業再開。なんとも、スッキリしない皮肉な事態ではあるが、まさに「タイミングが良かった」というしかない。
(蔵元英二)

2011年04月22日18時30分 提供:リアルライブ
http://news.livedoor.com/article/detail/5510479/

 スポーツがだめで遊園地は良いという判断基準がよくわからない。マスコミの報道も、国民のヒール役である渡邉恒雄読売新聞社主筆が表に出れば、野球の試合はダメということになり、一方で、遊園地が夜間どころか一日中電飾をつけていても特に問題視しない。マスコミは、遊園地の再開に関しては、賛辞を送りながらの報道であった。
 特に野球にひいきし遊園地が嫌いというものではない。マスコミも政府も同じであるが「電気の使用量がどれくらい多くなったら自粛を要請する」という「客観的な基準」がない。そもそも、マスコミはマスコミが上記の記事のように批判を透ける前に、政府に対して自粛を求める客観的な基準をしっかりと求めるべきではないのか。そのような客観的な基準に合わせて行わない「自粛」であるために、全てのことが主観と個人的な見解によって行われてしまうのである。そして、科学的根拠のない感情論ですべてが行われてしまうことになるのだ。
 科学的根拠のない感情論と国民的な反対できない雰囲気。まさに「大政翼賛会」と同じ状況が生まれてきてしまう。野球は大政翼賛会が中止を要請し、ディズニーランドは大政翼賛会が賛辞を贈る。その違いを明確に答えることはだれもできない。民主党政権は政治的指導力がなく大衆迎合で政治を行っているために、そしてその民主党政権に力を入れた偏向報道は、日本全体を自粛という名の大政翼賛会下してしまう可能性を強く示した状況ではないか。そのうえ、戦後のジャーナリズムが口にしていた「政権の監視能力」「政権に対する批判勢力」であるはずなのに、最も重要な客観的基準を求めた批判を行わないというのは、自らも客観的基準に合わせて何も話をすることができなくなった「感情論しか流せないマスコミ」の実態を強く打ち出してしまっているのではないか。
 マスコミ批判に関する一考は、今後も続けなければならないのではないか。この記事を見てそのように考えたのである。

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カオスの中の秩序の町 北京観光(4)魅惑の軍事博物館

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(11)
  カオスの中の秩序の町 北京観光(4)魅惑の軍事博物館

 1997年当時の北京、と言うよりは中国全体の施設は「中国人料金」と「外国人料金」と二つのカテゴリーがあった。外国人料金がなくなったのは、確か1998年からであったと記憶している(記憶違いだったらごめんなさい)。当然に、中国人料金のほうが安い。たとえば、当時北京にある軍事博物館の場合、中国人料金は8元(120円)なのに対し、外国人料金は60元(900円)であった。だいたい、10倍であるといっても過言ではない。これは、完全に中国そのものが資本主義ではなく社会主義であるということを示していることにお気づきだろうか。要するに、まずすべての施設は共産主義だから国家の共有財産である。当然に、その施設の維持費も人件費もすべてが国家の予算によってまかなわれている。国家予算は人民の税金によって維持されているのだから、施設そのものが国民の共有財産だ。それで人民民に対する料金は低めに設定する。一方、普段税金を払っていない人は、普段の税金負担分を割り増しで負担しなければならないので、料金が高い。ここまでは納得できる。日本でも市民プールなどの入場料がそのように指定されている場合も少なくない。上野動物園などは都営であるから、東京都の小学生は確か無料であったと思う。しかし、その場合も、このような多額な金額の差がつかない。通常何割か割増料金があると言う程度であって、それ以上の差があるのは、かえって外部顧客の排除につながるのである。しかし、そのようなことはまったくお構いなしで10倍近い料金を設定する。逆に中国人に対しては採算が合わなくても定額料金にする。これは、施設そのものが採算を考えないと言うこと、要するに、資本主義的な原価計算ができていないと言うことに他ならない。
 通常北京の観光と言えば、まず故宮、次に万里の長城と言うのが定番のコースである。しかし、かなりひねくれていると言うか、時間がかかるこの二つの定番観光スポットはまったく行かなかった。故宮や万里の長城に行くのは、大連のホテルがオープン儀他の地のことである。このときは簡単にいける観光スポットに言った。上記にまず料金で噛み付いた軍事博物館。中国は軍事に関しては当然に機密であろうから、海外の人は入れないのではないかとの心配をよそに、目の前でアメリカ人が入っていった。そのアメリカ人の後について入っていったのでる。
 当時は、私もまだ純粋であったし、あまり怖いもの知らずと言うものでもなかった。そのために、彼らの仮想敵国であるアメリカ人が入れるのであるから、日本人も入れるはずだ。しかし、中国の仮想敵国のアメリカ人と親しくしていれば、いつ何時拘束されるかもよくわからない。そのために、アメリカ人の近くにいながら、少し距離を置いて中に入っていったのである。

<以下はメルマガでお楽しみください>

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國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
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発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

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配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
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今日は掲示板での質問に答えます。「財政規律派と景気拡大派の底流への私観」

今日は掲示板での質問に答えます。「財政規律派と景気拡大派の底流への私観」

 土曜日は、少し軽めの内容をブログに掲載したいと考えている。とはいえ、あまりにも軽すぎるのはどうかと思う。いつも言い訳しているのであるが、このブログは「C級」なのだから、別に何でもよいのではないかと思っているが、なかなかそれでは許してくれない。昔、誰もこのブログを呼んでいないころは、当時アメリカで話題になったワシントン版「黒革の手帳」といわれたDCマダムについて書いたりもしていたのでるが、書いている本人はそのほうが楽しかったりするのである。
 でも最近ではいろいろとうるさくなって、そのような記事を書くとお叱りを受けたりする。それでもなかなか自分の感情や性格は変わらないのが現実の問題なのである。とはいえ、超えの大きい人の話ばかりを効いてもあまりよい結果にはならない。そこで、今日はいつもの記事の入手先を変えてインターネット掲示板からの引用をしようと思う。
 今日は、そんな中で、インターネットの掲示板で質問があったので、その質問に関してここで答えを書いてみようと思う。その質問の内容は下記のないようだ。

295 名前:愛国日本人[] 投稿日:2011/04/22(金) 02:03:22 ID:GdUo.Y0Y [2/2]
宇田川さん。
消費税のことでいくら考えても解らない事があり、
宇田川さんの意見を参考にしたいと思っている事があります。

今消費税を上げてはいけない、
これを前提に話し合いがされていない事をどう解釈していいかが解りません。

①政治家の中にも今上げては駄目だと言っている人は大勢います。
②そういう人がいるのだから、駄目な理由を賛成の政治家も一度を聞いたことがあるはず。
③駄目な理由を聞けば消費税は上げてはいけないと思うはず。
④そう思ったら、消費税アップなんて検討されないはずです。

①~④までで、どこを間違っているのやら。
推理によって考えることに限界を感じております。
積極的に人に会ったり、現場に行ったりする宇田川さんのような方の意見を参考にしてみたい。

いったい、消費税増税のようなアホな話が政治家によって検討される。
この現象って、何なのでしょうか?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/5223/1291890548/

 さてさて、まず、私は経済の専門家ではない。そこで、完全に経済的な話を私に聞く人はいないであろう。しかし、私が経済の専門家の話を聞いていていつも思うことは、「経済は経済だけで独立して存在しているのではない」ということだ。経済そのものは、人間の社会活動によって成立するものである。よって、社会現象や政治情勢が深くかかわり、そこに国民性や経済の中核を担う企業などの社会性、国際環境などさまざまなものが絡み合って、経済と言うものは存在しているのだと言うことだ。
 たまにブログなどで、突然ギリシアや中国、韓国の経済についてだけ、政治的、環境的、民族的、社会的背景も書かずに、またその検証を行った形跡もなく突然に経済だけがあたかも独立して存在するかのごとき書き方を行い、日本の数字とグラフで並べて数字上だけで比較して記事を書いている人がいる。もちろんその内容はある一面では正しいのではないかと思うが、残念ながら、「ある一面」でしか適合しないと言うことを認識すべきである。そのために、それら経済評論家の意見を呼んでいる人にとっては、経済の合理性や経済と政治の関係がわからずに、道に迷ってしまう。挙句の果てに陰謀論などを持ち出されては、経済評論家自身が「経済の真相は陰謀論だからわからない」と言ってしまっては話にならない。まだ、それでも「陰謀」の存在を解明しようと試みているならば、その解明の手順など読み応えのある内容になるとも思うが、稚拙な陰謀論経済評論家だと、陰謀と言うことで思考停止しているだけで話にならない。
 さて、陰謀論は別にして、この質問された方は、そのような「経済だけ独立した」論調の多い中で、消費税増税に関する内容がなぜ出て気なのかわからなくなってしまっている。それは経済だけが独立していると言う前提で言えば、当然に増税は景気拡大の障害でしかないばかりでなく、間接税そのものが原材料取引などにおける経費増加の要因となるのであるから、価格競争力の阻害材料になりかねない。そのように景気阻害を行うのは「何かの陰謀」と言うような帰結になってしまうのである。(もちろん、その論調の人がすべて陰謀論を言っているのではない)
 しかし、そのような話ではないのである。
 経済財政の考え方の中には、大きく分けて二つの考え方がある。細かいものに関しては専門家に聞いていただいたほうがよいのかもしれない。しかし、私自身が経済の専門家ではないことから、多少の語弊があってもわかりやすくすべきと考えるので、その内容を記載しようと思う。
 一つ目の考え方は、財政規律派という考え方である。財政規律派は、国主導の経済の健全化を考える。もちろんこの中にもさまざまな考え方の違いがあるが、そこはそこでまたの機会に解説するとして、簡単に言えば、「国の財政が健全であれば、経済財政対策に使う資金が多くなるので、結果的に景気拡大につながる」と言う考え方だ。ようするに、財政健全→公共事業投資→景気回復→景気拡大、と言うようになる。
 二つ目の考え方は、景気拡大派である。景気拡大派は、民間主導の経済の健全化を考える。もちろんその中にもさまざまな考え方の違いがあるが、ここでは細かいことは言わないようにする。簡単に言えば「民間の景気が拡大すれば、税収が増え、自然と国家や地方公共団体の財政も健全化する。民度もあがるので要求が大きくなり新たな公共工事などにもつながり、さらなる景気拡大を望める」というものである。ようするに、民間景気刺激→民間景気拡大→税収増加→財政健全化→新たな公共工事、となる。
 二つの考え方は当然に景気拡大の循環を望んでいることになる。一方で、この二つの考え方の違いは「順序」である。要するに財政の健全化が先なのか、景気回復が先なのかと言うことである。この問題はどちらが先に損をするかと言うことだ。どちらが先に損をするかと言うことに関して言えば、単純に「うまくいかなかったときにどうなるか」ということを意味する。
 例を挙げて言えば、財政健全化で言えば、先に増税をするもしくは財政健全化を図る、要するに歳入を増やし歳出を減らすと言うことになるのだ。そうなれば、当然に一時的には、民間の景気は悪化する。もともと悪いところで、財政の健全化を図るので、当然に、民間の景気はそこを打つ勢いで悪化することになる。財政健全化の目論見でいえば、当然にその歳入によって公共工事などの投資を行い、その投資によって民間の景気がよくなると言うことになる。しかし、経済はその目論見のようになるとは限らない。当然に、外的要因(たとえばリーマンショックのような海外でも金融事情や、戦争など)によって、世界中の経済が悪化することも考えられる。そうなれば、民間景気は悪化したところに外部的な要因でより悪化することになる。まさに、最悪の状態になることが考えられるのである。
 一方、景気拡大派の考え方も同じリスクがいえる。景気拡大のために、国の財政を悪化させて国債を大量に発行して公共工事などを先に行ったとなれば、政府の落とした金によって当然に景気は回復する。少々のインフレ傾向になるであろう。しかし、その無理をした内容で、国債の信用力が失われることになる。そうなれば、日本そのものの価値が落ちてしまうので、一時的に景気がよくなったとしても公共施設などのしうの低下が出ることになる。そこで外的要因により景気が悪化すれば、当然に財政は悪化したまま景気の悪化で税収の増加が見込めなくなってしまう。そうなれば、次に景気の拡大を望もうとしても信用が悪化してしまうので国債発行もままならない。要するに日本そのものの信用不安と景気お悪化のダブルで低迷することになり、長期間にわたる景気低迷に対して打つ手がなくなってしまうのである。
 私は経済の専門家ではないので、この二つをあわせた内容をうまく調整したり別な方法を思いつくような内容は考えることはできない。ここは経済の専門家にご意見を伺いたいところだ。しかし、景気拡大派も財政健全派もどちらもうまくいかない場合の相手(民間と財政)のことを考え、そのためのリスクへ字をしておくべきではないのではないか。そのようなリスクヘッジが行われない場合は、まさにどちらの考え方も「片手落ち」と言う感じがする。
 さて、では政治家の中に財政健全派が多いのはなぜかと言うことを考えてみよう。
 この理由は二つの理由がある。ひとつには政治家や官僚が国家からの歳費をもらっていると言うことである。政治かも官僚も家族もいればお金を使いたい。結局人間であるために、自分の懐具合が先に気になると言うのは当たり前の話だ。日本には聖人君主や清貧を尊重する風潮は合っても自分からそこに身を置いて世の中のために何かをする人は少ない。特に、政治の世界にこそそのような人は必要であるが、どうもそのような人は少ないのではないか。特に、政党助成金など、政治活動において民間からの献金をしにくくしまたは税控除額を制限して政治活動の入金を制限し、それを逸脱した者を「政治とかね」スキャンダルで告発していれば、当然に財政健全化に触れてしまうのである。
 そんなわかりやすい内容だけではない。もうひとつの理由として、政治家や官僚の性質である。彼らは権力欲が強くまた支配欲が強い。このことは、政治家などの習性として当然のことである。それは、まさに、集票によって自分の身分を得ているのであるから、ある意味ではその性質がない場合は、民主主義では、なかなか政治家になれないであろう。
 冒頭に書いたように、経済は独立したカテゴリーでありながら、政治や社会現象、国際関係などに密接に関連している。要するに、独立していながら関係が深い。者愛的なブームによって売り上げが大きくなったり、戦争によって石油価格などが高くなると言うことも考えられる。資源が高くなれば、当然に経済は悪化する。戦争が政治の延長であれば、政治が究極の経済化つどの破壊を行えることになるのだ。しかし、その内容は、お互いに独立した内容になる。それを政治家は何とか「支配」「制御」したいと考える。経済を支配する最も簡単な方法は、株式の所有など債権もしくは資本の保有である。しかし、その保有は金銭的な内容で制限がある。そのために、当然にそのような資本関係以外で支配しようと考える。その内容「規制」「許認可」「公共工事入札」である。要するに公共工事と規制と許認可によって、政治家は、経済活動をコントロールしていたのである。当然に公共工事を先行させて経済界を牛耳るためには、財政が健全でなければならない。政府が民間から金を借りているようでは、経済界に使われてしまうのだ。
 要するに、政党助成金と歳費によって政治活動を国営にしてしまい、民間からの献金を少なくし、それから逸脱する人を金銭スキャンダルで告発し、その上で、弱体化した政治家に公共工事と規制、許認可の生殺与奪権(今日本では仕分けと言う単語を使っている)を与えれば、当然に財政健全派ばかりになるでしょう。
 一方、景気拡大派は、当然に民業に力を入れることになる。政治献金に関してその献金を主とすることによる。そうなれば、上記財政健全化のアンチテーゼになるのであるから、逆に企業献金での独立した、国家の歳費がなくても何とかなる大物と言われる人が多い。スポンサーである献金元、要するに支援企業や後援会に反対しないのであれば、政党や国家に対して自由に物が言えることになる。歳費をあてにしていないからである。そのような政治家は「大物」と言われながら「政治とカネのスキャンダル」と表裏一体となってしまうのである。もちろん、民業との癒着がささやかれるようになってしまう。そこに与野党の政局が絡むのであるから、より一層複雑になる。
 このように、単に、「財政健全派」「景気拡大派」と語弊や細かいことにかかわらず二つに分けただけでありながら、政治とかねのスキャンダルや仕分け、公共工事、そして政局にまでつながることになるのである。その根っこをどこに置くのかということによって、当然に各人の主張が変わります。しかし、マスコミもある意味で許認可事業(テレビは総務省の電波許認可が必要です)のために、上記のような財政健全葉に触れてしまう可能性が高いですね。また、マスコミはスキャンダルを攻撃する立場であったことなども考えれば、国民に迎合しながらも、財政健全派に傾いてしまうことになるのです。当然に、この景気悪化、震災被災、原子力発電所の風評被害での景気悪化の中で消費税増税と言う論調が強く出てしまうことになるのです。
 この考えはどちらも正しくどちらも片手落ちの議論しかしていないようにしか感じません。ただ、ここに書いたように、マスコミの社会現象や、事業仕分け、規制し分け、公共工事、政治と金のスキャンダルなども含め、すべて関連すると言う観点で経済を見る目は必要ですね。また、それを見れない経済評論家がたまにいるので、そのような人は「政治をわかっていない」「社会をわかっていない」「検討する能力が欠けている」と言うことを疑ったほうがよいかもしれません。検討した上で関係がない場合は、関係ないということを示した上で検討を進めればよいのですが、経済評論の世界ではそうはなっていないようですね。
 とりあえず、経済の専門家でもないのですが、このような回答にしてみました。

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最も助けが必要な人は誰か。日本人軽視の民主党政府を信用できますか?

最も助けが必要な人は誰か。日本人軽視の民主党政府を信用できますか?

 このブログでも、被災者が避難所で死んでしまうと言うことを何度か書いてきた。しかし、一考に進まない仮設住宅の建築に義捐金配布。この国はどうしてしまったのか?
 阪神大震災のときは義捐金の配布は震災発生から14日後。しかし、今回はもう一月以上たってもやっと仮払金が決まっただけであり、義捐金の配布は行われない。その上、印鑑も通帳も流された人に「銀行振り込みをする」といっているのであるから、実務として進むはずがない。政府にこのことを問い合わせると「公平に行うために事務作業に時間をいただいております」という。「いつまでかかるのか」と聞くと「それは地方自治体の判断と能力によって異なります」との事。国家政府は、自分でさまざま決めながら、地方行政にマル投げしているだけで、結局何もしていない。首相官邸の職員などはまったく汗をかいていないのである。
 阪神大震災の村山内閣のときと、今の民主党内閣の違いは、まさにこのことである。結局「テレビに映る」「パフォーマンスをする」ことはしても、テレビに移らないほんとに大切な部分か完全に欠落してしまっている、陰に隠れ目立たず、しっかりと日本を支えている人のことをまったくわかっていない、そして、机上の空論だけで政権を執らせてしまった付けが、国民に跳ね返ってきているとしか言いようがないのである。
 では、逆に、私が取材して(といってもそんなにしっかりと取材はしていません。岩手も福島も行っていませんが、千葉県旭町や茨城県大洗などは自分で見てきました)千葉や茨城の人に話を聞き、岩手や宮城・福島の人々には電話で話を聞いたところ、「本当に重要な部分はテレビには映らないんです」という。「もっと重要なことがあるノン、それが流れない。偏向報道とかそういうのじゃないんです。いろいろ行っても仕方がないので内容は言いませんが、われわれが行って、宇田川さんがわかるのは、政治も経済も芸能人もパフォーマンスはもういらないと言うことなんです」という。この言葉には、私自身も身につまされ、詰まるものがある。
 その上で、こう続けられた「それでも、私たちはまだいいんですよ。こうやって電話で話を聞いてもらえますし、電気も通ったのでテレビも見れます。もっとひどい人も少なくない。『物資が足りない』という声があるところ、『ひどい被害』といっているところはまだ被害の軽いところ。本当にひどいところは、東京や政府に声も届かないんです」
 この『声も届かない』中でがんばっている人がいる。その人々の話を少ししたい。インターネットから拾った記事は下記のものである。

現場の東電社員のストレスを危惧

 福島第1、第2原発の東京電力社員約90人を16~19日に現地で診察した愛媛大医学部教授の谷川武医師(49)=公衆衛生学=が共同通信の取材に応じ、「不眠を訴える人も多く、このままではうつ病や過労死のリスクがいっそう高まる」と指摘、入浴や食事の環境を整え、休息が取れるよう配慮すべきだと訴えた。「危険な作業」「被災者」「肉親や友人の死」「加害者」の四重のストレスを感じている人もおり、早急に精神的ケアが必要な状態だという。谷川医師は1991年から福島第1、第2原発の非常勤産業医。今月16日から4日間にわたり、第2原発の免震重要棟に寝泊まりしながら診察した。谷川医師によると、中には24時間態勢で作業に従事し、一時、外出を禁止されていた人もいた。最初は1日1食、現在は3食になったが、缶詰やレトルト食品が中心の偏った食事だという。

2011年4月20日(水)5時24分配信 共同通信 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2011042001000043/1.htm

「原発事故怖い」=車盗み逃走の隊員、懲戒免職―陸自.

 陸上自衛隊は19日、福島第1原発事故で自衛隊の拠点が置かれている郡山駐屯地(福島県)から官用車を盗み逃走したとして、練馬駐屯地(東京都)所属の通信士前床祥一郎3曹(32)を懲戒免職にした。「原発事故が怖かった」などと供述しているという。
 陸自によると、前床3曹は、放射線の除染能力がある第1特殊武器防護隊に所属。原発対応のため災害派遣され、郡山駐屯地に駐在していた3月14日午後10時ごろ、同駐屯地から官用車を盗み行方不明になった。
 同月19日午後5時50分ごろ、東京・池袋駅周辺にいるところを本人からの連絡で保護され、翌20日、窃盗容疑で郡山駐屯地の警務隊に逮捕された。官用車で逃げた後、別の車を盗んで逃走を続けた疑いも持たれている。
 逃走した14日は、同原発3号機で水素爆発が起きていた。 

2011年04月20日01時03分 提供:時事通信社
.http://news.livedoor.com/article/detail/5502384/

帰国した留学生への支援が決定!?.

 文部科学省は震災後に帰国した外国人留学生に対して、再来日のために航空券を支給するなどの支援策を決定した。航空券が支給されるのは国費留学生。私費留学生については日本学生支援機構が学習奨励費を支給するという。外国人留学生の支援がすばやく確定したことになるが、このことについてブロガーたちはどのように反応しているのだろうか?
ブログに掲載された書き込みの多くは、怒りに満ちたものだった。
・アホか!!!!!!!!!!!!!!!!
・この国はなにを考えてるんだ!?この期に及んで!
・言葉を失ってしまいます……
怒っている理由として
・さっさと逃げ出した留学生をなんでわざわざお金払って呼び戻すのよ?
・レベル7の国に来ると思うのか?それより先に放射能漏れをどうにかしろよ!
・被災地の支援が先!そのお金は日本人のために使えよ!
・日本にもお金がなくて大学行けないヤツがいるのにな…
などの言葉が目立つ。
 震災による被害は甚大、そして原発対応も継続中という状況で、日本を後にした外国人留学生へのすばやい対応が決まったことが許せない、というところだが、それは頭に来て当然だろう。
 外国人留学生を迎えたり、外国に留学しに行ったりすること、それ自体は外交の面からも、文化交流の面などからとても重要だ。働き手を大量に失って、困っている企業もあるだろう。だが、海外では渡航禁止措置などが取られている現状で、早急に決めてしまう必要は確かに感じられない。また、ほかにも外国人への優遇策として不満を呼んでいることがある。現在、政府開発援助(ODA)を2割削減して震災の復興へあてる予算案が検討されているのが、これに反対する議員がいることだ。
・日本人が困ってるのに、ODA削減に反対する超党派議員の奴ら頭おかしいんじゃないか!
・呼びかけ人の自民党の中村博彦ほか、メンバーは、自民、民主、公明、みんな、たちあがれ日本、新党改革にも。なんなのこいつら?
・日本の経済は落ち込んできているのに、いまだに援助ばかりしているのはおかしいよ
“こんなときなのに外国人が優先なの?”と、思わずにいられないこれらの施策。
「心をひとつに、頑張ろう日本!」、なんてスローガンが叫ばれるが、果たして心が結束できているかは大きな疑問だ。
“どさくさに紛れて、余計なことをするヤツはいないか──?”
“政府、メディアはウソをついていないか──?”
こんなことを考えて情報を探りながら毎日を生きるのは、なかなか大変だ。

2011年04月20日08時00分  提供:blogram通信
http://news.livedoor.com/article/detail/5502637/

 本当に必要なものは何か、一方で必要がないのに、お金をばら撒いているのは何か。こうやって並べると一目瞭然である。
 原子力発電所の放射能漏洩事故。これに関して、政府、経済産業省の原子力保安員、原子力安全委員会、そして東京電力が管理もしくは処理が遅れたのであろうと言うこと、そもそもは設計や設置、津波対策ができていないと言うことなどはいわれているとおりである。しかし、東京電力の一人ひとりの社員が悪いわけではない。組織としての「悪」と、個人の犯罪とは大きな違いがある。
 現在、このようなブログを私が東京の地で安心して書いていられるのは、まさに、福島原発の施設内で、何とか放射能を食い止めようとして作業をしている作業員の皆さんがいることによる。東京電力が悪いから当然の報いなどと言うつもりはない。そもそも、そのようなことは「かけ」らも思っていない。彼らは英雄であり、なおかつ国のためにがんばっている人である。名前も知らないが、感謝すべき対象であると認識している。それは、東京電力が悪いとか、そういう次元の問題ではない。起きてしまった事故に対して、その事故の沈静化を文字通り命を賭してやっているのだ。役目だから、あるいは東電の社員だからと言うのではない。
 同様のことは、自衛隊員にも同じことがいえる。逃げ出したのは、ほめられた行為ではない。しかし、放射能に関する「危険だ」と言う知識しかない、どちらかと言うと広島方原爆の被害の写真ばかりを見せられてとだった人々(私もそうであるが)、原子力は危険だと日教組に洗脳された人々にとっては、やはり福島原発の事故は非常に恐怖でしかない。230キロメートルはなれた東京で、水が飲めないとか、関西へ避難と言っている中で、その場所に向かわなければならないと言うのは恐怖であろう。逆に言えば、逃げると言う行為は、ほめられたものではないが、一方で、その内容はあくまでも日教組による正確でない教育が悪いのであって、完全に彼本人の問題だけではないのかもしれない。(とはいえ、同じ教育を受けた人が何人も行っているのであるから、逃げ出した自衛官の擁護ばかりをできるものではない)。
 一方、すでに逃げ出した留学生の補助金と言うのはどういうことなのか。自衛官に正確な教育をすることなく、福島原発の作業員に、風呂も与えずレトルト食品しか配給せず、身の安全も守れずに、外国人に金を配る、そのセンスはとても理解をできるものではない。はっきり行って「外国人の政府」としか考えられない。外国からの命令で、非常時に外国に日本の貴重な資産を流出させることを目的としているとしか思えない。
 旧民社党の委員長を勤められた塚本三郎氏と話をする。「自民党は左翼政党、でも民主党は国籍の違う人々の集まり」とよく言われる。まさに、その言葉を実感する状態である。このようなことが許されてよいのか。
 今は国民が試されているときなのかもしれない。このようなときにしっかりと意思表示をすべきなのではないだろうか。

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経済の復興が叫ばれる中で消費税増税を言い出す政府

経済の復興が叫ばれる中で消費税増税を言い出す政府

 震災と、震災後の風評被害、そして、震災後の経済活動の自粛。これらの経済活動の「心の制限」が日本人を徐々に締め付けてきている。もちろん、日本の製造業の中において、多くの下請け工場が今回の津波の被害を受けたことによって製造業がとても大きな被害になっている。このためにトヨタなども道具や材料がないということで減産に追い込まれている。
 本来であれば、非常に不謹慎な言い方になるが、当然に「生産地」が減り「消費地」が増えたのであるから、消費は潤滑に増え生産量が調整されることになる。需要と供給のバランスで、少なくとも一時的には需要が大きくなるということになるのであろう。しかし、それが行われるためには、インフラの整備と、もう一つには「需要に必要な金銭」の問題がある。要するに「工場」がなくなっただけではなく、被災地では資産も現金もなくなってしまっているのであるから、当然にアンバランスな形になるであろう。
 貸借対照表を読める人は、少し思い浮かべてくれれば、貸借対照表の左側が、震災で突然すべて「0」の羅列になってしまうということである。当然に貸借対照表(バランスシート)のバランスが悪くなってしまったのだ。そのバランスが悪くなったのは、住民で言えば数十万人、法人で言えば数万社、一瞬でできてしまったのである。
 そのうえ、福島の風評被害だ。風評被害は、二つの側面があることを忘れてはならない。一つには、製造物そのものの風評被害だ。これは国内でも行われており、被災者に放射能検査をしたり、福島さんの農産物の出荷を見合わせたりしている。実際に、ネットなどで福島応援ということを含めてと思うが福島県産の農産物を買う人が多いというが、太田市場などを取材すれば、会津地方のような原子力発電所から離れた福島県産の農産物でも値崩れしてしまい、良くて平常時の半額、悪いものは値段がつかないという現象が起きているのだ。
 政府は本来、この経済対策を考えなければならないのであるが、残念ながら、政府はこのタイミングで「復興税」を持ち出し増税することを考えているのである。
 震災関連の倒産が増加している記事を含めて、新聞記事は下記のものである。

日本全国バタバタ倒産!「阪神・淡路」より広範囲ハイペース

 大震災余波で中小・零細企業がバタバタと潰れている。早くも14社が倒産し、実質的に経営破綻した企業を含めると33社に達した。阪神・淡路大震災の関連倒産よりハイペースというから、ただ事ではない。
 東京商工リサーチの調べによると、大震災に関連して倒産した企業は18日時点で14社、破産手続きの準備に入るなど実質的に経営破綻した企業を含めると33社に上る。
 エリアは被災地の東日本にとどまらず、北海道から九州まで広範囲に広がっているというから不気味だ。
 負債額が最大だったのは青森県の老舗百貨店「中三」の122億円で、店舗の一部が損壊、宮崎県の和牛生産「尾崎畜産」(14億円)は県外の需要が急激に減少、石川県の食器卸「ホクト」(11億円)は取引先が被災したことが大きく響いた。
 14社の業種別は、製造と卸販売、サービスがそれぞれ4社で、農林水産と小売が各1社。「長引く不況で体力を疲弊していた中小企業も多い」(商工リサーチ)という。
 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、2月末までに14社が関連倒産した。
 商工リサーチでは「倒産企業の大半が近畿だった阪神大震災に比べ、今回は影響が全国的でペースも速い」と指摘。「企業倒産は夏前まで現状水準での推移が見込まれるものの、夏以降は不安要因も多く、幅広い業種で体力が脆弱な中小・零細企業を中心に増加に転じることが懸念される」
 何とか食い止める方法はないものか。

2011.04.19 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110419/dms1104191616017-n1.htm


政府の消費税引き上げ案、与野党から異論相次ぐ

 政府が東日本大震災の復興財源確保のため、消費税率引き上げの検討に入ったことに対し、自民党は慎重な姿勢を示している。
 自民党の石原幹事長は19日、国会内で民主党の岡田幹事長と会談し、消費税率の3%引き上げ案に反対する意向を伝えた。政府は被災地住民には増税分を還付する案を検討しているが、石原氏は「還付の手法がわかりにくい」とし、「社会保障目的税でないと(税率引き上げに)国民の理解は得られない」と語った。岡田氏は「(3%引き上げは)まだ決まったわけではなく、白紙から検討する」と答えたという。
 自民党は復興財源のための増税自体には反対していない。消費税率引き上げに理解を示す声の一方、消費税ではなく、所得税や法人税の税率の引き上げの検討を求める意見も強い。公明党も、自民党と足並みをそろえている。山口代表は19日の記者会見で、「消費税は(低所得者ほど負担感が増す)逆進性が免れない。法人税や所得税を使う考え方もある」と語った。
 野党側には、菅政権への不信感が根強い。菅首相がもともと消費税率引き上げによる財政再建を重視していたこともあり、「首相の構想にうかうかと乗れない」という側面も大きい。
 民主党でも反発が出ている。同党が19日に開いた党税制改正プロジェクトチーム(PT)・財務金融・総務部門合同会議では、「上層部で消費税率引き上げを決めても、国会で堂々と反対する」「今消費税増税の話をするなんて被災地の住民の気持ちをわかっていない」などの声が相次いだ。

最終更新:4月19日(火)22時5分 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110419-00001021-yom-pol

 そもそも「税金」というものは利益を圧迫するものである。とくに、今回検討してる消費税、要するに間接税は、金銭もしくは物資の移動に対してかかる税金である。ある意味で通過税だ。関税などもその中に入る。間接税の特徴は、貧乏でも赤字でも支払わなければならないということだ。
 逆にいえば、間接税があるということで、取引を控えるようになってしまう。下請けから材料を勝手、組み立ててそれを販売する、これだけで下請けと組立工場と販売の間で、間接税がかかることになる。間接税がかかれば、それだけ値段が高くなる。構内の流通価格が高くなるだけではなく、その最終商品が海外に販売されるにあたって、まったく同じ価格であったとしても間接税分競争力がなくなるということだ。
 要するに、買い控えがすすみ、また国際競争力がなくなるということになるのだ。それは単純に景気が悪くなるということを意味している。供給過多、需要不足、ますますデフレが進む可能性がある。
 逆に、自粛もしくは東北の震災による回収不能などで、倒産の件数は非常に多くなっている。これも当然に大きな景気後退の要因になっている。そのような倒産が増加しているということは、雇用の場所が少なくなるということだ。菅直人が昨年9月の民主党代表選で「一に雇用二に雇用」といったのは、どこに行ってしまったのか。完全に保護になっているのがわかるだろうか。
 これらの内容は、完全に予想ができていないということだ。もっと言えば、消費者心理を考えた動向調査予測ができていないということに他ならない。税金をあげてもいまのままの需要があるということを考えているのである。その不安定なないようをもとに、消費税の値上げを言い、逆に倒産防止の景気対策うやモラトリアムろ言わないというのは、政治として財政的に、景気対策的にどうなのであろうか。
 政府がやらなければならないことは、何か。もっと「民力」の活用を考えるべきではないのか。そう考えれば、菅直人肝いりの災害対策復興会議でも民間の力を活用するような人はいない。これでは日本の経済は完全に壊されてしまうのではないか。

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国民の素養やモラル低下を嘆く温家宝中国首相、日本はどうなのか

国民の素養やモラル低下を嘆く温家宝中国首相、日本はどうなのか

 久しぶりに中国のことでも書きたいと思った。
 日本は震災で、3月11日ですべての時計が止まっているような感じだ。とくに原子力発電所の放射能漏えい事件から考えれば、すべてがそれだけであるような感じである。実際に放射能漏えい事件は、「日本沈没」「日本メルトダウン」とかなり衝撃的な見出しで海外の新聞を飾ってしまい、各国の報道の一面や第一ニュースをすべてジャックした形になっているので、海外の話題で探しても、すべてが原子力発電所の話題や震災の話題になってしまっている。とくに政府の対応の悪さなどは、海外でも話題であり、現在の民主党政権を選んだ日本国民は非常に恥ずかしい状態になっているのである。
 とはいえ、日本国民における日本政府のわけのわからない震災対応は別にして、震災における日本国民の整然とした対応は、逆に世界各国の称賛の的となった。日本人はある意味で災害慣れしている。その災害慣れの部分と、規律性の高さ、そしてパニックを起こさない国民性は、ある意味で、災害の被害に対してその自然の脅威を受け入れると同時に大きな自然の力と共存する知恵を持っているということになるのだ。それに対して、そのような規律性の高さやパニックを起こさない国民性は、そのまま、菅直人のようなどうしようもない政権であっても、その政権の指示に不満を持ちながら従ってしまう。反乱や革命などを起こすような国民性ではない。それでいて、マナーや他国の人に対する礼儀をしっかりと護っている。
 その規律性やマナーの良さに関しては、特に中国が非常に大きな興味を示している。特に、中国人は「日本のこの国民性こそ、日本の戦後の奇跡の発展を支えてきた原動力である」と考えているようだ。そのことに関する内容が下記のものである。

温首相「国民の素養向上なしに、強大で尊敬される国にはなれず」

 中国の温家宝首相(写真)はこのほど、新任の国務院参事官や中央文史館館員らと行った座談会で、「毒ミルク」や「下水油」など、中国の「食の安全」を脅かす問題の多発について、「誠意の欠如が深刻化している」と発言。国民の素養向上がなければ、本当の意味で、強大な、人から尊敬を受ける国には絶対になれない、との考えを示した。新華社などが報じた。
 温家宝首相は、メラミン入りの「毒ミルク」をはじめ、「痩肉精(赤身肉化剤)」、「地溝油(下水油)」など、近年、中国の「食の安全」を脅かす問題の多発について触れ、「このような食の安全を脅かす悪い事件は、誠意の欠落、道徳の低下が深刻化していることを表す」と発言。国民の素養や道徳の向上が見られなければ、本当の意味で、強く、人々から尊敬を受ける国には絶対になれない、と主張した。
 温首相は、「中国は法に基づく国の統治と道徳の形成を急ぎ、政治、経済、文化、司法を体制改革を深化させ、道徳ある企業や個人が法によって守られ、尊重される社会にしなければいけない」と示した。(編集担当:青田三知)

2011年4月18日(月)11時47分配信 サーチナ 
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20110418-20110418_00023/1.htm


「深刻なモラルの低下」を嘆く温首相、「政治、司法改革が必要」

 中国国務院の温家宝首相は14日、国務院参事官や中央文史館館員との座談会で講話を行い、「毒入り粉ミルク」、「痩肉精(飼料添加物・塩酸クレンブテロール)」、「地溝油(下水溝油)」、「染色饅頭」など食の安全を脅かす極めて悪質な事件がここ数年頻発していることを憂い、「誠実と信用の欠如と道徳の低下が深刻化していることを裏づけるものだ」と述べた。中央通訊社が新華社の記事を引用して伝えた。
 温首相は、「ひとつの国家において、国民の素養や道徳力の向上がなければ、真の強国、尊敬に値する国家になることは不可能だ」と指摘。「政治体制改革、経済体制改革、文化体制改革、司法体制改革を深めなければ、モラルの高い企業や個人が法的保護や社会的な尊敬を集めるようならない」と述べて、道徳レベル向上の前提として、政治や司法改革の必要性を訴えた。
 温総理はこのほか、解決が必要な問題として、社会の公平、貧富の格差、都市・農村間の発展の不均衡、司法の独立と公正、汚職、住宅、環境などの各問題を取り上げた。(編集担当:松本夏穂)

2011年4月18日(月)18時25分配信 サーチナ 
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20110418-20110418_00057/1.htm

 似たような記事が二つある。
 競争社会は、一つには、大きな発展とその発展による国力の工場を作り出す。競争が「切磋琢磨」と考えれば、それは非常に大きな力となり、その総合力は底上げされる。それは国家全体にとってみれば、非常に素晴らしいことである。しかし、競争社会は、逆な面要するに「相手を引きずりおろす」ということができれば、全体がレベルが下がり、消費者など第三者が損害被る。損害を被れば、当然に信用が失われる。結局国家としての信用が失われれば、全体としてのレベルが下がる。
 前者の「切磋琢磨」後者の「足の引きずりおろし」いずれになるかは、まさに国民のマナーそのものにかかっている。中国の上層部はそれに気付いたということである。中国をむげに嫌うとかではなく、中国は道徳性の高さを司法や政治で守るということをしている。もちろん、そのようなことをしなければ、道徳やマナーが守れないというのは非常に悲しいことだ。しかし、逆に嘆いているよりも、何もしないよりも、何かをした方が良い。空論で何かをしたつもりで偉そうなことを言うよりも、実際に行動した人の方がどれほど素晴らしいか。
 では、一方で日本はどうなのか。
 空論で自民党を批判していたひとが政権を担った。しかし、首相になった鳩山も菅も、この結果だ。マニフェストとして挙げた公約はまともに守られるものはなく、また、議員一人一人の順法意識は完全に欠如している。首相本人が政治資金規正法に違反し、外国人から献金を受けていて、それでも平気でその座に居座り続けるという状態だ。
 政治のトップがモラルが欠ければ、当然に国民もモラルにかけてしまう。どのようなことをしても、嘘をついても、法律に違反しても、首相になってしまえば、何をしてもかまわないという感じになってしまう。それは菅だけでなく、小沢、前原もそうであるし、革マル派から献金を得ている枝野も、問責を受けた仙谷や馬渕も同じだ。
 まず政治家がモラルを正さなければならない。もちろん自民党にも道徳観のない議員はいるかもしれないが、大臣になってなおそのまま「報道されるまで」ばれなければ何をしても良いというような話では、とても国民のモラルを言える状態ではない。今はまだ、「自民党時代」もしくは「戦前」の遺産でモラルの高い国民かもしれない。また、震災時も海外から称賛されるような国民性があるのかもしれない。しかし、今のまま、モラルのない人の政権が続けばどうなるであろうか。
 手遅れにならないうちに、日本も手を打たなければならないのではないか。もちろん、中国に追い越される前に。

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菅直人の無責任発言からわかる政府の情報隠ぺい体質

菅直人の無責任発言からわかる政府の情報隠ぺい体質

 菅直人首相の無神経な発言が話題になっている。福島原発に関して、「当分住めない」といったとか言わないとか。本人は、それを否定しているが、実際言わない言葉が表に出てくるということもない。また、側近が、首相の言ってもいない発言を捜索したとなれば、それはそれで大問題だ。しかし、その側近の発言であったとすれば当然に、その側近の任命責任もあるのだから、結局は菅首相本人の問題である。
 さて、私は「当分住めない」という発言そのものを責めるつもりはない。その発言そのものが「事実」であるならば、その発言は仕方がない。責められるべきは、その発言が行われたシチュエーションと、その発言の根拠である。
 まず「シチュエーション」に関して考えてみよう。この発言がどのような場で発言されたのかわからない。架空の話であるが、対策を話し合われたときに出た言葉なのか、あるいは、被災者の支援の打ち合わせのときにそれが出たのか、まったくわからない。もちろん、当分戻れないことを前提に、何かを考えなければならない状態なのであろう。それが、被災者の支援なのか、あるいは被災者の補償なのか、いずれにせよ、そのなように関して考えなければならないことを示唆しなければならないであろう。一方で、早く被災者を元の暮らしに戻してあげなければならない。被災者も震災がある前の生活に戻りたいと思っている。しかし、完全に戻ることは無理だ。そのことは分かっていながら、誰かに何とかしてもらいたいという発想になる。その気持ちの部分を離したときに、「当分住めない」といったのであれば、単純に有権者の気持ちがわからないということであろう。そもそも、そのような発言をするのであれば、しっかりとオフィシャルな関で発言をすべきであろう。しかし、それを、なぜか側近との会話でそのようなことを言ってしまう。これが菅首相の人望の欠如を表すことであろう。
 もうひとつの論点に関しては、記事の後ろにしよう。


「生きがい奪われた」「計画的避難区域」福島・飯舘村の苦難

 緑が芽吹き、道端にはタンポポが咲く。冬が終わり、ようやく待ち望んだ季節が来たはずだった。高校時代まで過ごした村の風景は、いつもと変わらない春。だが、いつもとは違う。記者の故郷である福島県飯舘村から報告する。(大渡美咲)
 東京電力福島第1原子力発電所から北西に半径30~50キロ圏にある村は、一部が屋内退避区域の20~30キロ圏に入り、自主避難などを行っていたが、高い放射線量の数値が続いているため、政府が1カ月をめどに避難を要請する「計画的避難区域」に指定する方針を固めた。水道水の飲用規制、農作物の作付けの規制など、苦難が次々と襲いかかってきた。
 ◆深呼吸できるか
 「この村で深呼吸できますか」。16日、計画的避難の説明に訪れた福山哲郎内閣官房副長官に農家の男性は問いただした。報道陣が会場からの退出を求められた時には「生の声を聞かせてやれ」と怒号が飛び、説明会は2時間半に及んだ。
 農業や畜産は、豊かな土と水と空気で育まれてきた。自然とともに生きてきた村の生活が、根本から崩れ去ろうとしている。だからこそ、多くの村民が「飯舘村を離れるわけにはいかねえ」と口にする。
 過疎化でも市町村合併に参加することなく、「自主自立の村作り」を掲げ、村おこしに励んできた。しかし、この未曽有の危機に、村民約6200人、それぞれが不安を抱えている。
 父(60)は昨年、長年の夢だった農業に本格的に取り組みはじめた。昨年の経験から今年は、改良した作物を作ることを楽しみにしていた。それなのに田植えの準備もできず、外に出ることもままならず、家の掃除ばかりの日々を送っている。
 野菜直売所「みちくさ」は収穫の時期を迎えているのに、シャッターが閉ざされたまま。運営者の一人、本田美代子さん(79)は「自分で作った野菜を自分で売る。お金ではない、楽しみ、生きがいを奪われた」。
 ◆外で遊びたい
 佐藤優菜ちゃん(9)ら3姉妹は、「放射能があるから外に出ちゃだめなんだよ」と、家の中で絵を描いたり、かくれんぼをして遊んでいる。学校も始まらず、友達とも会えない。快晴の空を見て「外で遊びたいな」と寂しそうな顔をする。
 100歳を超えた男性は計画的避難が発表された日、「長生きはするもんじゃない」と家族に告げ、足手まといになると思い詰めた末に自ら命を絶った。村の幹部は「冷害、大火災、村の危機はたくさんあったが、今度ばかりは乗り切れる気がしない」と弱音を吐く。
 1年でも手入れをしなければ、田畑は荒れる。見た目には何ら変わりない、普段通りの景色がよけいむなしさを募らせる。「10年、20年」となれば、元の美しい田園風景に戻すのは難しい。
 「こんな小さな村なくなっても誰も気にしねぇよ。国の人もみんなそう思ってんだべ」と男性はつぶやいた。
 店は少ない。夜は暗い。コンビニも1軒だけ。電車も走っていない。子供のころは不便に感じていたが、広い空が近く、穏やかな空気が流れている村に、毎年夏は帰郷していた。今年の夏も帰れるだろうか。
 ■東日本大震災の被害
死者    13705
行方不明者 14175
負傷者    4917
(16日午後6時現在、警察庁まとめ)

産経新聞 4月17日(日)7時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110417-00000080-san-soci


「菅内閣そのものが大災害」伊吹文明氏

 東京電力福島第一原子力発電所の避難対象区域を巡る菅首相と松本健一内閣官房参与との当面「住めない」とのやりとりは、14日も与野党に波紋を広げた。首相サイドは火消しに躍起になっているが、与野党双方の「嫌・菅」ムードや首相退陣論に拍車をかけている。
 首相は14日、「計画的避難区域」に町の一部が設定される福島県川俣町の古川道郎町長と首相官邸で会談した際、前日の「住めない」発言について「私は言っていない」と改めて否定し、「国が避難については全責任を持ってやる。原発事故を早期に収束するように全力を挙げる」と強調した。
 しかし、地元の憤りは収まっていない。町長は会談後、記者団に「『20年は戻れない』なんてとんでもない。(首相の)話を聞いていると、現場の苦労をどれほど分かっているのか」と不満をぶちまけた。
 首相サイドは防戦に懸命だ。民主党の玄葉政調会長は14日の党政調の会合で「松本氏の発言に憤りを感じている。私たちは心の痛みが分かる政治をしていかないといけない」と松本氏の責任を強調した。
 ただ、首相への批判は足元の民主党内でも強まっている。樽床伸二衆院国家基本政策委員長は14日の自らのグループ会合で、「こういう状況では国家のためにならないという気持ちは強く持っている」と述べた。小沢一郎元代表を支持するグループ幹部は「首相は被災民の心を分かっていない。2011年度第1次補正予算の成立を花道にやめてもらいたい」と語る。輿石東参院議員会長は14日の政府・民主党首脳会議で、首相と松本氏との会談を念頭に、「そんなにいろんな人に会わない方がいい」と首相をたしなめた。
 野党も勢いづいている。自民党の谷垣総裁が14日、早期退陣を要求したほか、伊吹文明元財務相は伊吹派会合で「菅内閣そのものが(日本にとって)大災害だ」と指摘し、民主党議員から菅政権打倒への協力の呼びかけが自民党側に寄せられていることも明らかにした。

(2011年4月14日22時44分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110414-OYT1T00944.htm?from=main2

 もうひとつの論点、それが「なぜこの発言をしたのか」ということだ。いくら菅直人が頭が悪くても、またはいい加減であったとしても、根拠のないことを話すことはないと考える。では、何らかの根拠があって「当分住めない」という発言をしたのであろう。ではその「根拠は何か」ということを考えなければならない。
 この根拠があれば、当然に今まで安全と言っていたこと、または対策をしていたことなどは全て「嘘」であったことになる。一方、根拠がなく言ったのであれば、非常に不謹慎だ。そのような憶測で、根拠もなく「当分住めない」などという首相は、国害以外の何物でもない。首相を辞職するとかそういうレベルの問題ではなく、そもそも日本人としてどうなのか、人としてどうなのかという感じだ。
 では、根拠があった場合を考えてみよう。根拠があった場合には、損根拠を隠していることになる。根拠を隠しているということは、それだけ、国民に秘密を持っているということだ。政治にとっては様々な判断から国民に何も言わない場合もあるであろう。しかし、今回のような非常時、それも、国民の生活に直接関わりのある内容に関して、そして、国民の、日本の危機状態にある内容で、その情報を秘密にするというのは、非常に大きな問題である。
 そもそも、私の取材によると、政府(経済産業省を含む)の出している情報は外国に対する情報と、国内に出している情報とは全く違い、日本国内における情報量は非常に少ないといわれる。たとえば、メーターが動いているのであれば、当然に、原子炉内の水位計などもあるはずだ。しかし、それらは全く公開されていない。どこで、線量計で放射線を計っているのか。しかし、逆にアメリカはすぐに福島原子力発電所から80キロメートルを立ち入り禁止にした。また、放射線のトータルの放出量でレベルがきまる。しかし、レベル5からレベル7に突然上がるというのは、どういうことなのであろうか。途中放射線量を測っていなかったのか、それとも隠していたのか。
 要するに、何か発言をしている、その発言を不謹慎とか何か言うのはとにかく、その発言や行動が行われた内容をしっかりと検証すれば、政府が何かを隠しているということが分かるのではないか。その内容を、ヒステリックに叫ぶのではなく、その後ろに「真実を隠す」という政府の大きな犯罪を、この危機状態のような国難の時期に政府が物事を隠し、国民を危険にさらしている。そして、真実を隠して何か裏で何かをする、そのような犯罪者と同じ体質を、もっと注目すべきではないのではないか。
 今の政府が信用できない。それは国民の多くが感じていることである。しかし、今回のような状況があれば、その「感じ」は「確信」にかわる。そのことを国民に分からせることが最も重要なわれわれの使命なのかもしれない。

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マスコミ批判に関する一考(40) マスコミ内からも上がる情報開示の声

マスコミ批判に関する一考(40) マスコミ内からも上がる情報開示の声

 マスコミというと、どうしても「マスコミ」という集団があり、その集団全体が偏向報道を行う「悪の巣窟」のようなイメージがある。実際当たらずといえども遠からずということであろう。しかし、それは「マスコミ」という集団の性質であって、そこに所属する人すべてがそのような偏向報道を望んでいるものではない。
 何度もここでは繰り返しているが、基本的にはマスコミは「事実」を伝える仕事だ。しかし、その仕事につくためには何か特別な資格があるわけではない。最近フリージャーナリストの記者会見のようなものを小沢一郎議員周辺で見かける。しかし、「フリージャーナリスト」というのは、ここでブログを読んでいる人が、今からそう名乗ればフリージャーナリストになれてしまうほど簡単なものだ。資格がないということはまさに「誰にでもなれる」ということに他ならない。要するに、大きなマスコミの会社員も、入社試験を受けた以外に、なんらの私見も資格もなく新聞記者やアナウンサーをしているのである。私も同じだ。このブログを読んでいる人ならすでにご存じと思うが、私は、小売業のマイカルで法務担当をしてた。しかし、マイカルの経営悪化により、マイカルという会社や大型小売業の将来性に疑問を持つことになり、一念発起して転職したのである。その間に、ジャーナリストということに関する資格などは存在しない。
 ということで、ジャーナリストなどマスコミにかかわる人も、基本的に読者と同じ素人である。私が理数系の取材を行っていると眠くなってしまうのと同じで、誰もが専門の内容を行っているわけではない。逆に「専門がない」ために、一般の人でもわかるような、一般の読者が疑問に思う視点で記事を賭けるのではないか。
 しかし、逆に資格がないので「偏向報道」「印象操作」やりたい放題である。結局資本主義の原則であるとおりに、不買運動や広告の減少といったこと以外に、マスコミを止める手段はない。しかし、実際にマスコミを止める方法はもうひとつあるのだ。それは「内部告発」である。
 その内部告発に関する内容が記事になっている。


テレ朝の名物リポーター玉川徹が宣言 「政府・東電の対応を追及する!」

 「政府は情報開示せよ!!」
 そう話すのは、テレビ朝日『スーパーモーニング』の名物リポーターで、宮城県出身の玉川徹さん。玉川さんは同番組内の「ちょっと待った!総研」というコーナーで、8年間に渡り政治家や官僚の不正を暴く突撃取材を続けてきました。その成果を書籍『ちょっと待った!総研』(講談社)にまとめ発行しました。
 本書には様々な取材体験が記されていますが、なかでも玉川さんの印象に強く残っている取材は、「UR(都市再生機構)」の天下り問題。この取材を通じて、税金を我がもの顔で浪費する独立行政法人の実態に触れ、自身の取材テーマを「税金の無駄遣い」から、「その裏に潜む官僚機構の闇」に切り替える決心をしたそうです。
 税金の無駄遣いも大きな問題ですが、そうした問題を個々に追っても、「その裏で利権を貪る官僚機構はビクともしないと気がついた」そうです。本書は、玉川さんがその「気づき」に至った軌跡が時系列に沿って書かれており、読者が玉川さんと同じ感覚を追体験できるように構成されています。
 玉川さんが突撃取材を続ける理由は、「人々は情報がなければ"不安"になり、デマやいい加減な噂にすがってしまうから」と話します。そしてそれは、「今回の東日本大震災における政府や東電の対応にも当てはまる」と。
 今回の震災後のマスコミの対応についても、「もちろん、テレビが正しかったわけではないし、テレビマンとして自戒が必要だとも思う」とした上で、「自分が隠された情報を暴き、発信していくから視聴者には"不安"ではなく"危機感"を持って欲しい」と言います。
 「危機感とは、"漠然とした不安"の対極にある"目的がはっきりとしたある種の怒り"のこと。そうした怒りを視聴者が抱くことで、官僚機構に代表されるような歪んだシステムを、初めて変えていくことができる」
 今後は、震災や原発にまつわる政府の対応についても追及していくとして、「この本でいただく印税のうち、私がいただく分はゆかりのある宮城県に全額寄付する」と表明した玉川さん。
 そして、次のようなメッセージで本書を結んでいます。
 「生き残りましょう。望むべくは国民全体で、少なくとも気づいた人だけでも」

2011年4月11日(月)18時18分配信 WEB本の雑誌 
http://news.nifty.com/cs/item/detail/wh-20110411-20110411_005352/1.htm

 朝日新聞など朝日グループというと、どうしても左翼的であると判断してしまう。しかし、朝日の若手には意外と保守的な思考の持ち主もいる。逆に保守的と思われている産経などに、完全な左翼的な人も少なくないという感じ。要するに、「所属している組織」と「所属している個人」とは必ずしも一致しない。
 では、保守的な人が多いのになぜ左翼的な報道になってしまうのか。それは、記事の編集権限を持っている人が左翼的であるからに他ならない。要するに、その会社、報道機関の権限を持っている人が左翼的であれば、会社の発する情報全般が左翼的に傾いてしまう。マスコミといっても、虚偽報道はできない。そのために「印象操作」と「報道しない自由」を屈指して大衆を煽動する。まさにデマゴーグ(衆愚政治)の現状である。
 「玉川さん」に関しては、私はテレビ朝日はあまり見ていないので、残念ながらあまり記憶にない。見たとしてもどうしても女子アナウンサーの方に目が行ってしまい、次に、コメンテーターであろう。レポーターはカメラマンなどとセットで単なるスタッフの一員としか思っていない場合が少なくないので、見れば「あの人か」と思うが、名前を見ても、顔が思い浮かばない。
 しかし、、彼の言っていることはなんとなく良くわかる。「不安ではなく危機感を持ってほしい」というのは、まさに今の政治全般というよりは、日本全体に言えることなのかもしれない。そのことは、実は左翼も右翼も保守も革新もなく、最前線に行って取材している人は皆共有している危機感だ。そして、編集や会社の方針などで、その「危機感」が国民に伝わらないことに非常に憂慮しているのだ。しかし、彼らも家族があり生活があるために、誰かがしてくれることを非常に強く望みながら自分では、会社を批判できない。そのような最前線の記者はすくなくない。そのような「現場の観点」を持った人がもう少し勇気を出せば良いのかもしれない。少し前の映画になるが「事件は会議室で起きてるんじゃない」という映画のセリフが話題になったが、まさに、そのような状態である。福島原発の事件などもまさにそうだ。官邸の人が福島に行かないのはなぜか。
 何度も言う、まさに、現場にいる人は非常に強い危機感を持っている。しかし、それが伝わらない。国民は伝わらないことを不安感として批判をする。その間に立つ編集者や会社という大きな存在を打ち壊さなければ、残念ながら日本に正しいジャーナリズムも、そして未来もなくなってしまうのではないか。
 批判されるべき「標的」を然りと見据えなければならない。何が問題なのか、何が、標的なのか、何を変えなければならないのか。そのことを認識したうえで批判をしなければ成らないのかもしれない。

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カオスの中の秩序の町 北京観光(3) 回る毛沢東ライター

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(10)
  カオスの中の秩序の町 北京観光(3) 回る毛沢東ライター

 

  さて、観光である。
  少し前、前々回にもここで開設したが、われわれはあくまでも交渉の合間に息抜きをしている感じだ。イメージとしては、仕事のがアポイントの待ち時間に漫画を読んでいるのと同じだ。その待ち時間が以上に長く、そして他にやることがない状態である。そこで、観光ということになるのであるが、逆に、観光目的ではないために、珍道中になる。
  まず、われわれが見たのは「天安門広場」ある。現地の人には「広場を見て何が楽しいのだ?」と聞かれた。しかし、天安門事件などがあった現場をなんとなく見たいと思ったのである。天安門広場は、ただ広い石畳の広場である。しかし、行ってみて解説を聞くとなかなかである。運転手(ガイド兼任?)は、「この石畳ひとつに一人並ぶのです」という。そう聞けば、最近では江沢民と故錦涛が出てきた軍事パレードのときに広場に並んだ人が整然と並んでいた。その並びは、石畳がしっかりと並んでいることによって、整列などもせずに整然と並べる。舞台などで、テープで立ち居地を確認するのと同じだ。なかなか面白い。そう思いながら見回すと、広場の横には大きな公衆便所がある。「これだけの人が集まれば、トイレも大変ですね」というと「実は広場の周囲は公衆便所だらけだった」という。本当かどうかはわからないが、まさにそのようにある程度効率的にできていたのであろう。なんとなく薄く日焼けしたあかのいろが印象に残るのと、普段の広場は親子の遊び場であったということが思い出に残る。
 天安門広場でもうひとつ記憶に残ることがある。何しろ、夏に日陰のない石畳の場所にいるのだから、当然にのどが渇く。通常であれば、ホテルから「安全な」水を持ってくるのである。外で水を飲むということは、どこかのホテルで飲む以外は危険極まりない。中国などの観光では、水を持って歩くというのは至極当たり前のことである。しかし、私は敢えて天安門広場の売店に行ってみた。いくつかの売店を見てみる。様々な商品を売っている。「氷菓」と旗の立った屋台がある。要するにアイスクリームであった。しかし、アイスクリームも中国で見るとなんとなく違うものに見えてくるから不思議だ。何が違うといってその色だ。イチゴ味というアイスクリームは、いかにも食紅で真っ赤になっている塊である。ちょうど赤のサインペンを長時間紙につけていたような感じだ。それもガラスのケースなどに入っているのではなく、業務用のアイスクリームのような段ボールの箱に入っている。その塊の端を崩して盛りつけてくれるのであるから、なかなか食べられるものではない。

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国民の見る菅政権を表すパロディー

国民の見る菅政権を表すパロディー

 土曜日なので、少し、軽い話題にしようと思う。
 「風刺」という文化がある。「風を刺す」と書く。この風は吹く風のことではなく「雰囲気」「空気」という意味である。雰囲気ということは、当然にその場(日本全体?)の空気を鋭く刺して、わかりやすく現代を表わそうということだ。新聞にはヒトこまで風刺画というものが書かれることが非常に多い。基本的にはあることを強調し、そして何かにたとえてわかりやすくそして少し面白くやっている。
 風刺を行うことの条件は、「誰もが共有している感覚」を「少し強め」そして「少し皮肉に」書くことで笑いがとれるのである。
 この文化は、昔からある。日本では、歴史の教科書に良く出てくる室町時代の「二条川原の落書」というものがある。素人の私ではなく「ウィキペディア」の記事から抜粋してみる。
<以下ウィキペディアから抜粋>
二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)とは、室町幕府問注所執事の町野氏に伝わる『建武年間記(建武記)』に収録されている文である。88節に渡り、建武の新政当時の混乱する政治・社会を批判、風刺した七五調の文書。専門家の間でも最高傑作と評価される落書の一つである。
編者は不詳、建武政権に不満を持つ京都の僧か貴族、京童であるとも言われているが、中国の『書経』・『説苑』由来と見られる文言や今様の尽くし歌風の七五調の要素を持つ一種の詩をかたどった文書であり、漢詩や和歌に精通している人物が書いたことは間違いないと思われる。また、後嵯峨院が治天の君の時代であった正元2年(1260年)に院の御所近くに掲げられた『正元二年院落書』を意識したとする見方もある。
<以上ウィキペディアから抜粋>
 さて、この内容に関して、現在でも存在する。少し前は、童謡の替え歌をおこなった者が新聞に掲載されたことがある。しかし、現在はAC(公共広告機構)の内容をパロディーにした内容がはやっているようだ。その内容が下記のものである。


官邸周辺ではやるパロディー詩

●笑いたくないが、笑っちゃう

 近ごろ都に、はやるもの。ACの大量広告と、いきなり中継が始まる枝野官房長官の要領を得ない会見。ウンザリしているのは官邸記者も一緒のようで、こんな戯れ歌が出回っている。
「大丈夫?」っていうと
「大丈夫」っていう
「漏れてない?」っていうと
「漏れてない」っていう
「安全?」っていうと
「安全」って答える
そうして、あとで怖くなって
「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと
「ちょっと漏れてる」っていう
こだまでしょうか?
いいえ、枝野です

 AC広告で使われている金子みすゞの詩をもじったものだが、別パターンもある。
「安全?」って聞くと
「安全」と答える
「健康被害は?」と聞くと
「直ちに影響はない」っていう
詐欺師でしょうか?
いいえ、枝野です

 他には、AC広告のこんなパロディーも。
「こころ」は見えないけれど
震災利用の「下心」は透けて見える
「思い」は見えないけれど
「思い上がり」は誰にも分かる
 スッカラ菅のことをちゃかしているのは、言うまでもない。

(日刊ゲンダイ2011年4月1日掲載)
2011年4月4日(月)10時0分配信 日刊ゲンダイ 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/gendai-000141565/1.htm

 「誰でも知っている」という意味ではまさに「ACの広告の内容」は非常に良い着眼点だ。3月11日の震災以降、文字通り「耳にたこができる」ほど聞かされた内容だ。テレビで度の民放でもこの放送を行っていたのだから、基本的には知らない人は少ないであろう。その内容を、パロディにしているのだから、元ネタは誰でもわかるであろう。
 そのうえで、枝野官房長官の会見。その会見にまったく信憑性もなく、基本t系には何か隠しているに違いないという国民の「風刺」が雅に現れているとしか言いようがない。逆に、大手の新聞がこのような観点で書かれていないということが最も大きなものん大ではないのであろうか。今の民主党政権とその流す情報を垂れ流しているだけのマスコミ、特にテレビに関して、見ている側はまったく信用していないということがこのパロディーで見てとれるのである。単なる悪口などではなく、これが風刺という形でインターネットの中で流れているという事実を、マスコミ各社は重く受け止める必要があるのではないか。そして、そのような「会見や情報に信用がない」ということが、まさに、「風評被害」の根本である。わからない、信用できないから風評が立つし、日本国民は海外やそのほかの相手に全く説明できないでいるのだ。
 このパロディは、まさに、信用できない政府とマスコミを揶揄した風刺であり、その内容そのものが風評被害の原因であるといことになる。風評被害はマスコミと政府が作り出した人災であるということがこのことで明らかになるのではないか。そのような補償をマスコミと政府はどのようい行うのであろうか。そして、そのような政府への信用がないということは、まさに、安全や、そのほかの政策にもまったく信用ができないという国民の政治不信情報不信につながるものである。
 あまり固いことを書くつもりはない。それにしてもこのパロディは面白い。なかなか秀逸である。作者が誰だかはわからないが、今後もこのようなパロディを期待するものである。

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夏に向けた節電対策に対する石原都知事からの提言が話題に

夏に向けた節電対策に対する石原都知事からの提言が話題に

 誰もが思っている、しかし、さまざまな関係、特に金銭的な関係があるために公の場で口に出せないということがある。私のように新聞をやっている人間からすれば、世の中「真実を知らないで動いていることばかり」とっても過言ではない。「本音と建前」という単語があるが、実際のところ、日本の世の中(外国もそうかもしれないが私はそこには言及しない)そのものがそうなっている状態である。
 政治や経済のことを実名であげると、それだけで大きな話題になるので、ここでは控えることとして、あえて、私が大学時代に法学部の教授から習ったことをそのままここに書いておこう。
「法学部の人は代替が司法試験を目指し、司法関係を仕事にしようとしていると思う。もちろん、狭い世界だから難しい。しかし、一般の社会でも法学部で役に立つことはたくさんある。何よりも考えておかなければならないのは『真実と事実は違う』ということだ。裁判の判決文を見ればわかるが、判決の主文の後に『事実の認定』ということが書いてある。要するに、真実と違っても、裁判所という客観的な第三者が、証拠や供述などの証拠を元に事件の後日に、こうであったことが合理的である、強く推定されるという判断と現象の流れや真理の流れを『認定するもの』である。それは必ずしも『真実』と同一ではない。後で認定することができるから、人の心の中、たとえば犯罪者の動機なども『認定』することができるのだ。これは、裁判だけではない。世の中すべてがそのように真実と第三者が認める事実が違う場合がある。」
 講義のテープを残しておいてそのまま書き出しているので、あまりよい日本語にはなっていないかもしれないが、内容や言おうとしていることは通じるのではないか。司法という厳格な場所でも基本的には「真実」と「事実」という二重構造が発生しているのである。ましてや一般社会では、まさにそのものである。
 福島第一原発の事故の影響で、日本全国とは言わないまでも、東京を始めとする多くの地域で節電が叫ばれている。原子力発電所の事故による内容は、まさに逼迫した事情であるが、その中に誰も報道はしないけれども、不安定な情勢を原因とする原油高の影響があり、また、地球環境における低炭素運動が非常に大きく話しになっている。要するに、片方では自動車の動力などをすべて電気にしよう、火災の危険があるからオール電化の家庭にしようと推進していながら、一方で、火力発電を少なくしようとし、そして原子力発電も危険だという。批判をするのは簡単であるが、残念ながら批判だけでは世の中は動かない。結局、それらの話をすべて聞けば「船頭多くして船山に登る」のことわざの通り。
 しかし、その電源、発電量を増やすという話とは別に、一方で節電ということは当然に必要なものである。家庭での節電も必要であるが、工場や大規模商業などにおける節電、要するに企業の経済活動における制限が必要になる。
 当然に企業活動における制限は、必要のないものから削減されてゆくべきであ。まずは看板など、次に、エアコンの温度を変えるというような感じである。そしてそれらは行っている。そして石原知事がだれもが思っていながら言わなかったことを口にしたのである。その新聞記事が下記のものである。

「自販機、パチンコやめちまえ」 石原都知事の発言が大反響

   4選を果たした石原慎太郎東京都知事(78)が、自販機やパチンコの電力消費ぶりをぶった切り、ネット上で絶賛する声などが相次いでいる。一方、両業界では、節電に努めていると反論しており、困惑している様子だ。
   選挙戦最終日の2011年4月9日、やっと始めた街頭演説で石原節がさく裂した。
「今の日本にはこういうカミナリ親父が必要」
    「自動販売機なんてやめちまえ。コンビニで買って家で冷やせばいいじゃない」
    「パチンコはジャラジャラと音を立てるために電気を煌々とつけるのは、世界中で日本だけだ」
   原発事故に伴う電力不足について、こう持論を展開した。石原慎太郎氏は、これまで震災対応の公務を優先しており、街頭演説はこの日が初めてだった。
   10 日夜の当選後も、各社のインタビューに熱弁を振るった。石原氏は、自販機とパチンコの両業界で年間の電力消費がそれぞれ450万キロワットで、合わせて 1000万キロワット近い電力が浪費されていると強調。これは、福島第1原発とほぼ同じ電力消費だとした。そして、国は、オイルショック時に出したように、節電のための政令を出せばよいとまで言い切った。
   地震天罰発言の時は批判を浴びた石原知事だが、今回はネット上で好意的な声が多いようだ。2ちゃんねるでは、「庶民のささやかな娯楽を何故ここまで目の敵にするのか」といった疑問もあるものの、「正論」「すばらしい」「どんどんやってくれw」といった書き込みが相次いでいる。
   関係者からも、絶賛の声が出ている。民主党の長島昭久前防衛政務官(49)は10日、ツイッターで「NHKで勝利スピーチを見て、今の日本にはこういうカミナリ親父が必要だと改めて感じた」と共感の意を示した。また、日テレ系で11日放送の「スッキリ!!」で、司会のテリー伊藤さん(61)も、「敵を作るっていう才能を持っていますよね」とその選挙戦術に感心していた。
   この過激な石原節に対し、自販機とパチンコの両業界には、戸惑いが広がっているようだ。

業界側は、節電に努めていると反論
   自販機メーカーでつくる日本自動販売機工業会では、やめちまえ発言について、専務理事が「自由競争を阻害するようなものではないか」と困惑げに話す。
   年間450万キロワットという消費電力の数値については、「どこから出てきたか分からない」と首をひねる。全国の消費電力量は年間44億キロワット時で、東京電力管内に絞っても、石原慎太郎氏が挙げた数値は小さ過ぎるとしている。
   専務理事は、その一方で、節電の取り組みを強調する。業界では、1995年から夏の電力ピーク時は自販機に冷やさないプログラムを組み込んでおり、また、清涼飲料については、大震災後の2011年3月16日から東京電力管内全域にある自販機の明かりを24時間消す試みを続けている。これによって、売り上げも落ち込んでいるという。
   さらに、クーラーなどで電力を使う夏は、政府が電力制限をほぼ終日行う見通しが報じられており、業界も何らかの対策をしなければならないのではないかという。
    「自販機のプログラムは時間設定されていますので、電源を抜かない限りはこれに対応できません。しかし、飲料メーカーが考えないといけない課題になると思います。設備投資の可能性も出てくるので、大変なことなんですよ」
   パチンコ店でつくる全日本遊技事業協同組合連合会でも、困惑した様子だ。
   同会の広報課では、「(石原氏が)お思いになることについては仕方がありませんが、消費電力の数値が間違っていますね。おっしゃられる年間消費電力量は、東京電力管内のものよりは小さ過ぎますし、何を持って言っておられるのか分かりません」と話す。
   業界では、3月15日から計画停電地域でネオンや屋外広告の明かりを終日消しており、営業時間の短縮にも努めているという。夏のピーク時については、節電に向けての取り組みを現在考えているところだとしている。

2011年04月11日20時07分 提供:J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5482546/


自販機“悪玉論”にメーカー困惑 慎太郎さん、節電してるのに…

 4選を果たした石原慎太郎東京都知事が、電力消費が多いとしてパチンコ店と並んで批判したのが自動販売機だ。ヤリ玉に挙げられた自販機メーカーの業界団体は「夏場午後は冷却機能を停止して消費電力を10分の1以下にするなど省エネに取り組んでいるのに」と困惑している。
 石原知事は自販機について「軒並み自販機が並んでいるバカな国は、世界中にない」「便利かもしれないが自分の家で冷やせばよい」と強く批判、見直しが必要だとの持論を展開している。
 こうした発言を受けて10日の株式市場では、硬貨・紙幣処理機メーカー大手で自販機も手がけるグローリーの株価が下落する場面もあった。
 東京電力管内の清涼飲料水の自販機は約84万台で、1日の消費電力量は約400万キロワット時、一般家庭の41万世帯分の電気を使っているとの試算もある。
 こうした“自販機悪玉論”に対して「われわれは以前から粛々と省エネ対策をやっている」と訴えるのは、自販機メーカーで作る業界団体の日本自動販売機工業会だ。
 震災後、すでに24時間の消灯を実施中で、最新機種では15%程度の節電になっている。そして、年間の電力需要のピークとなる夏場の午後の対策はすでに実施済みだというのだ。
 「実は、国内のすべての缶やペットボトルの清涼飲料水の自販機は7月から9月の3カ月間、午後1時から4時までの3時間、冷却機を停止している」(同工業会)というのだ。
 電力需要の少ない午前中から午後1時の間に商品の冷却を済ませ、午後4時まではお金の識別をする微量の電力と待機電力しか使われておらず、この間の1台あたりの消費電力は17ワット時と、通常運転時(280~300ワット時)の約16~17分の1と大幅に小さくなるという。
 一方、石原知事から同様に批判されたパチンコ店の業界団体、全日本遊技事業協同組合連合会は、震災後にネオンの終日消灯に協力するよう各社に依頼。夏場の電力使用量の削減に向けて、利用客が座っていない遊技機の電源を切るなど店内の大幅な電力削減を求めていく方向だ。
 全日遊連は「節電でやれることはやる」(広報担当)と、徹底した節電に取り組む姿勢を示している。

2011年04月12日17時00分 提供:ZAKZAK(夕刊フジ)
http://news.livedoor.com/article/detail/5484845/

 自動販売機に関しては、意外とわかっていないが、あの大きさの「大型冷蔵庫」を365日24時間動かしているのである。当然にその電気使用量は非常に大きなものだ。以前原油高の時にも自動販売機とコンビニエンスストアの制限ということが言われた。当然に自動販売kの次はコンビニエンスストアの冷蔵庫などの半減というような制限が出るであろう。問題は照明などの明かりではなく、冷蔵装置の方だ。そして、もう一つの特徴は自動販売機に関しては「販売手段」の制限でしかなく、販売を行うことそのものを制限していない。記事の中で数字が違うという主張をしているが、実際に「電気をつかなわないでもできる手段」を電気を使うことで行っているのであるから、当然に、業界は考えなければならないであろう。
 一方パチンコは、そもそもパチンコなどそれ自体が「遊興」であることは間違いがない。そもそもその業界が遊技機協会なのである。そして「華美」などん自粛が言われていた間もパチンコ店はネオンなどの目立つところを止めたとはいえ、基本的に「必要のない産業」であるということが言える。また、最近の遊戯機は当然にコンピューター制御だ。ということは熱に弱く、常に冷やしておかなければならない。業界が何を言おうと、電気を使って遊んでいることは間違いがない。昔懐かしい電気をほとんど使わない手打ちのパチンコやスマートボールとは違うのだ。パチンコもスマートボールに変えればよいのかもしれない。
 結局のところ、石原知事に言われた二つの業界は「必要のない」業界である。そして代替手段を取ることができる。そのような業界は業界が生き残るために、政治家などの献金を多く行っている。その業界が不必要であるということは分かっていても、献金の都合などで言えないことも少なくない。しかし、石原知事は「建前」をすてて「本音」の部分で本当に必要のある者でない部分を切り捨てるべきという提案をした。それに対して業界はくだらない言い訳をするのではなく、必要性をアピールし、そして、代替手段に切り替えるべきではないのか。
 適当に口先だけでごまかすのは、民主党政権ができた時と同じだ。そのような連中が中心になれば、今の日本の震災対応のように、結局国民が困ることになる。一時の快楽や便利さを捨てても日本のために何をすべきかを考えるべきではないのか。

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原子力発電所事故レベル最悪のレベル7とその反応

原子力発電所事故レベル最悪のレベル7とその反応

 私は、はっきり言って理数系の話はよくわからない。
 残念ながら「シーベルト」と「シーボルト」を間違えていた程度だ。カタカナが多くなって、なおかつ数字が大きくなるとまったくわからない。今回も「テラ」という単位が出てきているが、要するに仏様(寺)のレベルに数字の単位も行ってしまったのかと、一人で納得しているれべるだ。とにかく良くわからない。このような理屈の世界ではなく、とにかく理数系は感覚としてよくわからない。私の場合は、わからないと退屈になる、そして眠くなるのだ。理数系の講演や取材に行って「いびきがうるさい」と起こされたことも多数。最近では理数系の講演や取材にはなるべく行かないようにしている。
 それでも、さすがに今回の原子力発電所の事故に関する取材はなるべく足を運ぶようにしている。残念ながら「シーベルト」と「ベクレル」の区別はいまだに私の頭の中でついていない。要するに理解していないのであると考えている。私は完全に「文系脳」である。私は、この「文系脳の説明」で、大学教授などにミサイルを例にとってこのように説明している。「ミサイルを作るのが理数系、発射ボタンを押すのが文系。」要するに、文系の人は、ミサイルの発射ボタンを押せば、相手国で被害が出るということ、相手の武器が破壊され、人が死ぬという現実を知っていればよいこと。そのミサイルを作り、破壊規模の大きさや確実に当たるように作るのが理数系である。文系にとっては、ミサイルの性能やミサイルがなぜ飛ぶのかという理論、どうやって爆発するのかというような原理を知ることは基本的には関係はない。
 今回の原子力発電所の事故に関しても同じである。危険であるということの理論や根拠を数字や単位を使われて説明されても良くわからない。しかし、「危険である」という事実と、「その原因を排除しなければならない」ということ「一般の人は避難しなければならないということ」はわかる。しかし、その効率的な避難や、必要最小限の内容などは分からない。逆に、今回の対処で何をしなければならないのか。そして、海外との関係や風評被害に関しては敏感に対処しなければならない。
 要するに、原子力発電所の事故に関して言えば「理数系的、真実の被害」ということ「文系的風評被害」ということ、そして、その複合要因による「国際関係」ということの三種類の被害に対処しなければならない。その意味では、事故レベルということは非常に大きな問題になってくるのである。
 その事故レベルが最悪の7となった。これはチェルノブイリ原発事故と同じ事故レベルになったということである。技術大国日本と言いながらも、技術が作動せず、そして最悪の事故レベルになった。私からすればチェルノブイリもいまの日本も左翼政権であり、左翼政権特有の全体主義、技術系し、対策の後付けでおかしくなっているという分析も成り立つのであるが、残念ながら、そのようなことを今の時点で言ってもあまり意味はない。そのレベル7になった内容に関して新聞の記事が出ている。


原発「レベル7」「極めて重く受け止める」東電・清水社長が声明

 東京電力の清水正孝社長は12日、政府が同日、福島第1原子力発電所の事故について、国際的な評価に基づく事故評価を最悪の「レベル7」に引き上げたことに対し「極めて重く受け止めている」との声明を発表した。
 このなかで清水社長は「発電所の周辺住民をはじめ、県民、社会に心配とご迷惑をおかけして心より深くお詫び申し上げる」と謝罪。「原子炉の冷却、放射性質の飛散防止を鋭意進め、事態の収束に向け全力をあげて取り組む」としている。
産経新聞 4月12日(火)16時54分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000596-san-soci


レベル7引き上げは当然…海外の専門家
 【ワシントン=山田哲朗】日本政府が福島第一原発事故について、「国際原子力事象評価尺度(INES)」の暫定評価を「レベル7」に引き上げたことについて、海外ではこれを当然と考える専門家が多い。
 米紙ニューヨーク・タイムズは12日、「これだけの量の放射性物質が放出されたことを公的に認めるまで、1か月もかかったのは驚き」とする米国の原発危機管理専門家マイケル・フリードランダー氏のコメントを紹介した。同原発で計七つの原子炉と使用済み核燃料プールのトラブルが同時進行していることを深刻視する専門家も多い。
 一方で、チェルノブイリと同一視はできないとの指摘もある。米サンディエゴ州立大のマレー・ジェネックス准教授はロイター通信に対し、「福島第一原発では炉心の封じ込め機能が維持されている」と強調、炉心がむき出しになったチェルノブイリの水準には達していないとの見解を示した。

(2011年4月12日22時04分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110412-OYT1T00985.htm?from=main2


「国は事故を過小評価」専門家から批判の声も

 福島第一原子力発電所の事故の国による評価は、事故発生直後の「4」が3月18日に「5」に、そして20日以上たった4月12日になって最悪の「7」に変わった。専門家からは「国は事故を過小評価しようとしてきたのではないか」との批判の声も上がっている。
 原子力安全委員会が12日に公表したデータによると、外部に放出された放射性物質の大半は、1~3号機で核燃料が全露出し、1、3、4号機で水素爆発や火災が相次いだ3月16日頃までに放出されていた。
 2号機で圧力抑制室が損傷した15日には、フランス原子力安全局と米民間機関「科学国際安全保障研究所」が相次いで「レベル6か7」との見解を公表したが、保安院の西山英彦審議官は「外部への放射線量は健康にかかわるものでない」と主張し、見直す姿勢は見せなかった。
 しかし、18日には国際世論に押されるように「5」に変更した。西山審議官は「各号機とも圧力や温度などが大きく変動し、評価が難しい状況だった」と弁明。その後は「6にするには早い」と繰り返してきた。

(2011年4月12日20時20分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110412-OYT1T00883.htm?from=top

 レベル7になったとことは、様々なメディアで国民に伝わった。しかし、国民の動揺が少なかったのが印象的である。要するに、国民はすでに「レベル7」であるということが分かっていたのではないか。もちろん何か根拠があったというのではない。そうではなく、感覚的に政府の言っているほど原子力発電所の事故に関しては、非常に大きなものであり、国際的にも注目されているということをわかっていたのである。
 逆な言い方をすれば「安全だ」と言っている政府の会見をまったく国民は信用していなかったということになる。たとえば、累積での放射線漏えい量でレベルを決めるとい言うのであれば、レベル5からレベル7に急に上がるということは考えられない。当然に途中でレベル6の時期があるはずだ。ということは、政府の意向によって統一地方選挙までレベルが上がったことを隠していたということに他ならないであろう。また、「レベル7といってもチェルノブイリとは違う、もっと少ない放射線量だ」と言っても、実際に出荷制限やコウナゴの数字などを見ていれば、そのような「口先だけの言い訳」をいくらしても意味がない。安全な会津地方の野菜やイチゴを食べるパフォーマンスをしても何の意味もない。というよりは、カイワレ大根を食べたかつての菅直人同様、それらを食べるパフォーマンスをしても、単なるパフォーマンスでしかないということが国民には分かっているのだ。
 要するに、レベル7に引き上げたところで、国民の動揺は少なかった。そしてその動揺が少ないという状態は、「政府が信用されていない」ということによって「国民が賢くなった」「国民が独自に情報を入手し、独自に判断するようになった」ということであろう。もちろん、だから選挙なども大丈夫というのではない。しかし、以前のように菅直人がかいわれを食べて騙される国民ではなくなったのである。
 事故は人を変化させる。その内容が改めて明らかになったのではないか。同時に信用の無い政府は自分が信用されていないということをしっかりと認識しなければならないのではないか。そのうえで、今後の政策、政局を考えるべきである。

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震災から一カ月を迎えて、一向に進まない復興

震災から一カ月を迎えて、一向に進まない復興

 3月11日、あの震災と大津波の未曽有の被害から一カ月がたった。
 阪神大震災では、震災から一カ月たった2月17日の時点で、行方不明者43名担っていたし、被害の全貌もかなり把握されていた。そして、すでに多くの者が復旧していた。電機など家事になる者はまだまだであったが、仮設住宅などはすでに多くが出来上がっており、多くの人が集団避難所の体育館や公民館から仮設住宅に移転が進んでいた。
 しかし、今回の場合は、そうはなっていない。いまだに行方不明者は1万を超える数である。また、その中においても、仮設住宅の数も一つの町に数十という数しか建っていない。理由はいくつかある。
 一つには、震災の規模が大きいことそして広いこと。とくに、津波の被害が大きかったことから、沿岸部に被災地が集中している。そのために、広範囲に広く物資を届け、捜索を行わなければならない。そのための問題が大きい。
 二つ目には、津波の被害であったということ。阪神大震災の場合は、震災の被害であった。そのために、震災後も火事になって燃えていても陸の上に多くの者が残っていた。しかし、津波被害の場合は遺体も、また遺体を確認するための物資も、ほとんどの物資が海の中に流されてしまっているのである。遺体の本人確認などは、通常は遺留品や歯の治療痕などで断定する。しかし、その決め手となる歯科のカルテなどもすべて流されてしまっているのであるから、遺留品や決め手となる本人確認の道具が全て失われてしまっているのである。これでは一考に本人確認が進まない、要するに、行方不明者の数が減らないということになる。阪神大震災と比較することも少なくないし、私もそのようなことをするが、本質的に津波の被害と、直下型の地震の被害の違いは大きく違うのかもしれない。
 ここまでは、天災としての特異性の問題だ。しかし、残りは「人災」である。
 三つ目には、原子力発電所の事故である。福島第一原子力発電所の放射能漏えい事故に関しては、もちろん津波や地震が引き金となったが、その後安全と言いながらも、まったく安全ではない、また、情報が混乱して原子力保安院と東京電力と政府とで言っていることが全く違うということが何度もある。避難指示なども次々と代わり、また、調整停電による産業復興の遅れ、または大都市圏の生活の乱れ、漁業や農業に対する影響の甚大さは、今後も大きな事件になる。そればかりか、汚染水の海洋への投棄は、まさに、国際問題になる大きな問題である。これらの処理の問題は非常に大きな問題といえるのではないか。
 第四の問題は、まさに、原子力発電所の処理でもあるとおりに、指揮命令系統の未統一である。単純にいえば、災害対策基本法に基づいた処理が全く行われていない。中央防災対策会議も開催されていなければ、非常災害対策本部も設置されていない。そのことはすでに私がブログで指摘したとおりである。
 まさにそのことが新聞の記事になっているのである。


震災1カ月、犠牲者に祈り

 東日本大震災は11日、発生から1カ月を迎えた。死者・行方不明者は計2万7千人以上で、不明者の捜索活動は依然難航。福島第1原発も予断を許さない状況が続いている。津波で大きな被害を受けた沿岸部では、避難生活を送る住民らが犠牲者に祈りをささげた。警察庁の10日午後7時のまとめでは、死者は12都道県で1万3013人、行方不明者は6県で1万4608人で、死者・不明者の総数は2万7621人となった。宮城県内の仙台市、東松島市、南三陸町については依然、不明者の集計ができていない。被害の大きい3県の死者は宮城7929人、岩手3811人、福島1211人。不明者は宮城6460人、岩手4721人、福島3423人。3県で検視が終わった遺体は1万2898体で、うち1万791体の身元が確認された。北海道から静岡までの18都道県に設置された約2300カ所に約15万1千人が避難。このほかにも、全国の自治体が公営住宅などに受け入れを表明している。

2011年4月11日(月)5時26分配信 共同通信 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2011041101000007/1.htm


本部や会議が乱立…指揮系統、官僚も「不明」

 東日本大震災への対応で、政府全体を指揮する「司令塔」が依然として見えてこない。
 政府内には「本部」や「会議」が乱立気味のうえ、菅首相はブレーンとして内閣官房参与を次々と任命するなど肥大化が続いている。菅首相がどう指導力を発揮するのか、正念場となる。
 ◆「何の会議」◆
 「出席してても『これは何の会議だっけ』と思う」
 国土交通省幹部は震災以来、対策本部などの会議に忙殺される官僚の気持ちをこう代弁した。
 震災から1か月後の今、政府内では、「会議が多過ぎる」「指揮系統や役割分担がハッキリしない」など、「組織乱立」への不満が充満している。各組織の構成や仕事の内容を整理するために政府が作成した内部資料は十数ページに及ぶ。
 対策本部は閣僚級だけで五つ。被災者受け入れ支援については、地震・津波なら「被災者生活支援特別対策本部」、原発事故による退避なら「原子力被災者生活支援チーム」に分かれる。省庁ごとの「縦割り」でなく、複数省庁による「横割り」組織の乱立には、「責任の所在がわかりにくくなり、かえって非効率だ」(政府筋)との指摘もある。
 ある経済官庁幹部は、「ナントカ会議が多すぎて政府全体の優先順位が見えない。自民党政権時代は、党の部会で政治家同士が議論し合い、その場で役人に指示があったので、政治家の問題意識が顕在化して動きやすかった」と話す。民主党は、内閣と党の「政策決定の一元化」を掲げ、震災対応も党より政府主導で進んでおり、意思決定プロセスがわかりにくい。
 震災1か月となる11日を機に、首相はさらに有識者らによる「復興構想会議」や閣僚級の「復興本部」(仮称)などを設置する方針だが、西岡参院議長は7日の記者会見で「会議が踊っている」と酷評した。
 ◆参与膨張◆
 政府の責任の所在をさらに見えにくくしているのが、首相のブレーンとなる内閣官房参与の存在だ。震災後、首相は6人を任命。現在は総勢15人と過去最多だ。
 「あいつらは、正確な情報を伝えてこない。あいつらは、何か情報を隠している」
 菅首相は、しばしば周辺に「あいつら」への疑心暗鬼をあらわにする。東電や原子力安全・保安院、原子力安全委員会のことだ。首相は連日のように参与を呼んで「あいつらとは違う視点のセカンドオピニオンを得る」のだという。このため、首相は参与との面会には官僚を同席させないことが多い。一部の参与は、東電にある統合本部にも詰め、日米両政府の連絡調整会議にも出席。官僚からは「どういう権限で出席しているのか」との不満が漏れる。
 そんな首相に先月27日に会った政治学者の山口二郎北大教授はこう伝えた。
 「外部の専門家を使うのはいいが、情報がランダムに入ってくるだけでは逆に混乱する」
 一方、参与側にも「個別の意見では採用されない」として、民間スタッフによる発言力を強めるための「参与会議」創設を模索する動きもあり、政府内の意思決定ラインは複雑を極めている。(政治部 吉村隆平、鎌田秀男)

(2011年4月10日14時53分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110410-OYT1T00366.htm?from=main4

 菅政権は新たに復興対策会議という会議を設置した。しかし、これ以上会議や本部が多くなっても、結局現地に行った菅首相は何も具体的な施策を発表することはできない。ただ「がんばって」というだけならば、首相でなくてもできる。今政治に必要とされているのは具体的な政策と、その政策における責任ある実行力である。会議や打ち合わせで時間がたっている間にも、生活を壊された被災者の時間は過ぎてゆく。しかし、そのような被災者の立場になった政策が全く行われていない。まさに「会議が踊っている」(上記より抜粋)である。
 日本人の悪い癖は「会議による責任の分散化」である。これは平時におけるリスクヘッジには良いのかもしれないが、残念ながら、緊急時の実行力は大きく阻害される。単純にいえば、会議の乱立は危機管理ができないことの証明でしかない。責任を持たせた指導者が専門家の意見を受けて決断しなければならないのに、その決断の前段階、まさに、情報の性差と分析だけで1か月もかかっている。原子力災害発生時からの重要な1ヶ月を浪費したといえるのである。この間に、数百の人が避難所でなくなっている。まさに菅直人に殺されたようなものだ。それだけでなく農家や漁業で発電所の事故で出荷制限になって、自殺した人もいる。これも政府に殺されたといって過言ではない
 地震から一カ月。このことを振り返ると、民主党政権がいかに危機管理能力がなく、また復興能力がないかということが表れている。それは菅直人個人の問題ではなく、民主党全体の問題である。そのうえで、そのような国民を見殺しにする政権を、日本国民が投票で作り出してしまったということを忘れてはならない。間接的には、被災者数百名の命を奪ったのは、民主党に投票した国民なのである。このことを重要に考え、次の選挙でどこに投票をするかしっかりと考えなければならないのではないか。

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統一地方選挙前半戦でパフォーマンスができない民主党惨敗

統一地方選挙前半戦でパフォーマンスができない民主党惨敗

 4月10日は、統一地方選挙の前半戦、都道府県知事選挙および道府県議会議員選挙、そして、政令指定都市の市議会選挙が行われた。その結果は与党民主党が議会選挙で過半数を持つところが一つもないという、民主党の惨敗といってよい結果である。
 奇しくも、3月11日に東日本大震災が発生し、それから1ヶ月。民主党政権にとっては、一昨年の政権交代選挙から鳩山政権、そして菅政権と平時の対応や政権を取った民主党の姿を見て、そして、最後の一カ月では民主党政権における国難に対処する危機管理能力を見た。結果として、多くの国民はその民主党政権の平時の政策にもそして江南に対する危機管理能力も否定し、民主党政権にNOを突きつけたのである。
 政権交代以前は、「民意」という単語をマスコミも民主党の議員も非常に多く使っていたのに対して、昨年の参議院以降は「民意」という単語がまたく聞かれないようになってしまったのである。まさに、民意を伴わない民主党の「自分勝手」な政権運営に国民は完全に嫌気がさしているのではないだろうか。
 統一地方選挙の結果では、民主党と自民党の直接対決3か所の知事選で、民主党はそのすべての選挙で敗北。また、「民主党王国」と言われた愛知県では、河村たかし率いる減税日本などの地方政党に票を食われてしまった。また、革新地盤の強い北海道でも、民主党は票も議席も伸ばすことができず、結局、過半数を維持することができなかったのだ。
 11日、民主党内ではすでにこの選挙の敗北の責任論が持ち上がっていた。菅首相に対する退陣論はただちに起きないまでも、岡田幹事長に対する責任論が民主党内で起きている。これに対して、民主党の執行部は、岡田幹事長の辞任を否定、そのうえで24日の統一地方選挙の後半戦と、震災復興に全力を挙げるという事を主張している。
 私は、この選挙に関し「NOマスコミ選挙」「NOイメージ選挙」ということを言えるのではないか。その詳しい話は、新聞記事の後に譲ることにする。


震災選挙、民主「敗北」…岡田幹事長は辞任否定

 統一地方選の前半戦は、民主党が自民党と事実上の「対決型」となった3知事選すべてで敗れたほか、議員選も総じて伸び悩み、2010年参院選以来続く退潮傾向に歯止めをかけられなかった。
 一方、首長と地方議会の対立などから各地で生まれた地域政党は、明暗が分かれた。
 「震災で政府・与党はそちらに重点を置かざるを得なかった。選挙運動も自制したものとなり、知名度に劣る新人には厳しかった」
 民主党の岡田幹事長は10日夜、NHKの番組で、民主党の敗北の理由についてこう解説した。
 岡田氏は敗北の責任をとった幹事長辞任は否定したが、与党の国民新党の下地幹事長は「大胆な人事と政策の見直しの必要性を国民から突きつけられた」と述べ、人心を一新すべきだとの考えをにじませた。
 一方、自民党の石原幹事長は「菅政権にハンドリングを任せて大丈夫か。民心が離れた政権で国難に対処できるのか」と訴えた。自民党は東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所の事故対応のため政権批判を抑制してきたが、今回の結果をきっかけに、政権打倒の動きを再燃させる構えを見せたのだ。
 震災や福島原発の事故という危機的状況での菅政権の対応も、民主党支持には結びつかなかった。読売新聞が行った各地での出口調査では、政府の震災対応を「評価する」と「評価しない」でほぼ二分された。

2011年4月11日(月)4時22分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yomiuri-20110411-00194/1.htm


民主苦戦、菅政権に打撃=自民は攻勢強める―統一地方選【統一選】

 民主党は10日の統一地方選前半戦で苦戦しており、菅政権にとっては手痛い打撃となりそうだ。東日本大震災や福島第1原発事故の対応が長期化する中、直ちに菅直人首相の進退に発展する可能性は低い。民主党苦戦は予想の範囲内とはいえ、同党は選挙結果を深刻に受け止めている。小沢一郎元代表に近い議員から、首相や岡田克也幹事長の責任論も出てきそうだ。
 一方、自民党は選挙結果を「菅政権への有権者の不信の表れ」(選対筋)と分析。大震災や原発事故の対応で、首相の指導力不足が露呈したことも影響したとみて、今後、国会でも首相の姿勢を追及、攻勢を強める構えだ。
 「大きな震災があったので、政府・与党としても、そちらに重点を置かざるを得なかった」。岡田幹事長は10日夜のNHK番組で、厳しい選挙情勢について、こう語った。
 民主党は12都道県知事選のうち、自民党の推薦候補と対決した北海道知事選で敗北。三重県知事選も厳しい情勢だ。首相のお膝元の東京都知事選は自主投票で不戦敗。党執行部は「国政と地方選とは別」(党幹部)としているが、昨年9月の菅改造内閣発足後、主要な地方選では敗北が続き、小沢氏系議員から「首相を降ろすしかない」(若手)と悲痛な声が出ていた。ただ、今は被災地の復旧・復興対策が急務で、「菅降ろし」には動きにくい状況だ。それでも、ある民主党幹部は「すぐに首相に『辞めろ』とはならないだろうが、じわりと選挙の影響は出てくる」と語った。
 自民、公明両党は、大震災発生後、政府の被災者支援などに全面的に協力し、「政治休戦」に応じてきた。しかし、首相らの対応に不手際が目立ち、「菅政権で国民は救えない」と政権批判を強める方針。「民主惨敗なら首相自ら退陣を決意すべきだ」(自民党幹部)と進退を問う声も出ている。(了)

2011年04月10日21時57分 提供:時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/5480011/

 さて、今回の選挙は大震災の被害が大きかったこと、そして福島原発の事故によって、選挙戦もそしてマスコミの報道もあまり行われなかった。要するに民主党の得意とするマスコミを使ったパフォーマンスができないということになるのである。私の見立てでは、政権交代選挙もその後の政権運営も、民主党に偏重したマスコミ報道による影響が多分にあり、デマゴーグ的に民主党が大衆迎合政権を維持してきたところがある。上記に、最近では民意という単語をまったく聞かなくなったということを書いたが、まさに、そのような状況で、民主党の政権に不利になる内容を「報道しない」ということが起きてしまったのである。
 これに対して、今回はほとんど選挙報道はされなかった。そのことによってパフォーマンスは最小限になり、危機管理、防災対策、要するに国民の命を守るということそのものの政策が争点となった。そして、「机上の空論」だけでなく、しっかりとした実行力である。
 国民はマスコミに騙されることはあっても、民主党そのものの「パフォーマンス」と「机上の空論」そして「実行力」「危機管理能力」「政権運営能力」の欠如をしっかりと見ていた。そのために、当然に「民主党の公認」候補に対しては、厳しい審判が下された。候補一人一人が良くないとは言わない。私の友人の神奈川県議候補(落選したが)も立派な考えを持っている人であった。しかし、残念ながら、国政レベルで民主党の実行力、政権運営能力の欠如を見ていれば、その「能力のない人が公認した候補」という色眼鏡で見られていしまうものである。当然に、民主党そのものの地盤低下があげられる。
 マス恋ということで言えば、震災以降ほとんど枝野官房長官がジャックしていたと考えてよい。明けても暮れても官房長官の会見ばかりがテレビで流れマスコミで報道される。しかし、その会見があっても、なお、民主党の支持率が回復することはない。一つには菅首相の無策、もう一つには、震災に対する対処がまったく国民の支持を得られるものではなかった。もっと言えば、毎日のように流される被災地の報道と、そしてそれに対処する(全くしていない?)政府の対応に対して、誰もが歯がゆく思っている。東北の出荷停止をすれば、民間で東北の野菜を買うようにフェアやセールを行うなど、政府の対応の逆を行う子知によって国民の支持を得ているのである。そのことが今回の選挙の結果に大きく影響しているのではないか。具体策も何もない、抽象的な言葉だけのパフォーマンス、生活が良くならない内容などは何の意味もないのである。
 さて、選挙も後半戦がある。また、復興も終わっているわけではない。この結果を受けて永田町はどう動くのか。

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マスコミ批判に関する一考(39) 印象操作から生まれる菅政権の支持率上昇

マスコミ批判に関する一考(39) 印象操作から生まれる菅政権の支持率上昇

 連日テレビを見ていると枝野官房長官の顔ばかりが映っている。好き嫌いは別にして食傷気味であることは否めない事実だ。公共広告機構のテレビ広告が話題になっていたが、枝野官房長官の会見はそのころからほとんど「ニュースジャック」しているのだから、大変なものだ。ついでに言うと東電、原子力保安院とあまり頼りにならない会見と枝野官房長官が出て会見を行うのであるから、テレビしか見ない人にとっては枝野官房長官の評価が上がっているであろう。少し考えれば、政府の対応がおかしくて状況が悪化していることもわかるし、支持率が上がる要素が何もないことも良くわかるのであるが、残念ながらそのように考えてテレビを見る人が少ないので、民主党の支持率が上がっている。非常に不思議な現象だ。陰謀論が好きな人は、「民主党がわざと原発事故を悪化させて、民主党のニュースジャック状態を継続し支持率を操作している」とか言う人も出てくる。他にも陰謀論では「災害復興をしているように見せて、自粛を強調して日本経済を壊し、日本を破壊するようにしている」という陰謀論や、そもそも「地震そのものも民主党をはじめとする左翼の日本は会の一環であり、菅直人の外国人献金問題で危機に立たされたので、あわてて地震を起こした」などというとんでもない陰謀論を言う人も出てくる。
 陰謀論を言う人は、その時点で思考が停止しているのではないか。たとえばTPPについてアメリカの陰謀という人がいる。実際に私自身は陰謀であるのかないのかは不明だ。しかし、国益にかなうのであればTPPに参加すればよいし、国益にかなわないのであれば陰謀でなかろうと参加しなければ良い。実際に制度を研究し、日本の国益を考えることが最も重要であり、陰謀のあるなしによって左右される問題ではない。陰謀論は、私から見れば、古代の人々が自然災害を「神の怒り」と言っているのと同じ。陰謀だと騒げばよいが、結局逃げる以外に回避する方策を考え、また利用する方策を考え、日本を良い方向に導く思考を完全になくしているといわざるを得ない。現象を見て、その現象から思考される将来を考え、そのうえで対策を考えて国益を図るのが普通であり、「陰謀だ」と言って思考を停止するのは、止めるべき。それこそ、「陰謀である」ということを状況証拠だけでなくしっかりと証明してみればよい。
 TPPの話は少し別にして、地震によって民主党政権が長続きしたことは間違いがない。そのうえ、その政権による危機管理がうまくいっていないので、あまりにもおかしなことになっている、国際的に非難を受ける国になってしまった。上記に書いた「陰謀論」が、必ずしも否定できない状態であることは間違いがない。もちろん、そのような陰謀を仕掛けてできるのであれば、かなりの思考力と実行力があるということになるのであるし、こんなに非難を浴びる方法を取るとも思えないが、それでも、これで日本の国際的な地位が低くなったことは間違いがない。
 このようなときに、期待されるのが野党だ。今や党は何をやっているのか。確かに新聞でもテレビでも、ほとんど何も見ない。とくに野党第一党である自民党の活躍に関してはインターネット上では話題に上るものの、マスコミに登場することはほとんどない。ある意味で原子力発電所が緊急事態であるとしても、その報道の偏重加減は異常といえる。
 その自民党議員の活動に関する内容が下記のものである。


連日被災地に足を運び被災者支援に取り組む自民党議員がいた

 東日本大震災では、政治家がいかに被災者を支援するか、その姿勢が試されているが、ほとんど報道されないところで被災者支援に取り組んでいる政治家も一部にはいる。
 弁護士出身で福島選出の森雅子・参院議員(自民党)は、連日のように被災地に足を運び、被災者の声を集めた。その上で政府の問題点をこう指摘する。
「法の適用が遅れている。新しい法律を作らなくても、住む家を失った人が再建しやすくすることは政令でできる。ところが法務省は『調査しないと判断できない』という。現場は瓦礫で土地の調査などできる状態ではない。瓦礫処理にしても、津波で家屋が別の土地に移動し、所有権が複雑で勝手に撤去できない。
 法の周知で安心させることも大切です。被災地の経営者たちは津波で社屋が流れて、会計上、債務超過になっている。が、破産申し立てを2年間延期できる法律がある。この制度を周知させるために法務省にテレビCMを流すように求めたのに、『文書で通知した』という。でも、被災地の首長さんは知らなかった」
 震災は、地方と中央の連絡機能もズタズタにした。だからこそ、現場から直接、声を聞く意味がある。永田町をうろうろするだけの「お座敷政治家」たちには、それがわからない。
 中越地震当時の新潟県山古志村村長として復興の第一線に立った長島忠美代議士(自民党)は、被災地の首長たちと中央の大臣たちの意識の違いをこう指摘する。
「被災地の首長は、失敗したら言い訳が通用しない張り詰めた仕事を続けている。それに比べて政府は、検討しているとか、最大限の努力をしているというばかり。被災者にとって何の意味もない。政治の強いメッセージが決定的に足りない」

2011年04月08日07時00分 提供:NEWSポストセブン
※週刊ポスト2011年4月15日号
http://news.livedoor.com/article/detail/5474969/

 大連立でも、自民党は復興需要の利権を欲しがっていると報道されている。実際、大連立になれば、自民党は利権の力のために負けたとなるであろう。しかし、実際に、上記の記事のように自民党議員の中には復興のために現地に言っている人も少なくない。逆に、毎日テレビに出ている枝野官房長官は、原子力発電所のことを毎日会見しているが、なぜか原子力発電所に一回も言っていない。「百聞は一見にしかず」というが、見もしないで、安全なところに毎日こもって現場っているようなパフォーマンスをしても、結局は実質の結果を求められない。だから原発は全く解決しない。それだけでなく、日々悪化している状態だ。
 実際に、マスコミが報道しようがしなかろうが、実際に国民のために何をしているか、何をしなければならないのか。そのことをしっかりと考えるべきだ。くだらない陰謀論や利権などのことを言っても意味がない。もっと意味がないのは、、能力がない人が危機管理をしていることである。単純に市機関に適さない人が指揮を行うことは、そのまま全体を聞きに貶める最も良い例が今の日本であろう。
 マスコミは、しっかりとそのことを考えて報道すべきだ。TPPのくだりで説明したような陰謀論は、面白いかもしれないが何の意味もない。そのような思考停止状態の内容を紹介している暇があったら、しっかりと行動を行っている人を紹介すべきであろう。まさに、このような偏重報道をして印象操作をしているからこそ「マスコミん亡国論」が出るのだ。
 大連立の時に「自民党も民主党もない」などという掛け声をあげたが、最もその意識がい必要なのはマスコミ自身である。

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カオスの中の秩序の町 北京観光(2)北京でのショッピングと屋台の危険

宇田川敬介東アジア放蕩覚書
  カオスの中の秩序の町 北京観光(2)北京でのショッピングと屋台の危険

 

  マイカルの仕事で北京観光を行った。前回で紹介したように、なんとなく仕事の延長のような状態であったので、北京観光といってもまずはショッピングセンターの視察だ。当時の北京のショッピングセンターは、半分共産主義の市場のようなところ。まず、笑顔とあいさつがないということが一番気になった。愛そうがいいのは日本人観光客向けのお土産屋ばかりである。「社長、千円でいいよ」という、場末の飲み屋の呼び込みのような掛け声が高級デパートの中で聞こえるのだから、笑ってしまう。基本的に、そのような観光客相手の従業員以外は、客などは全く関係ない。従業員同士でおしゃべりは当たり前の光景。中には売り場のカウンターで弁当を食べている光景も、そんなに珍しいものではない。当然にお客さんが入ってきても「いらっしゃいませ」の声掛けなどは何もないのである。中には、こちらから声をかけても聞こえないふりをすることもある。日本のショッピングセンターでは絶対に考えられない態度だ。
  まだ共産主義が残っているというのは、要するに、サービスすると損をするという感覚だ。資本主義は、自分の努力によって収入が変わる。ということは仕事に対して結果を残そうと考える。小売業では、当然にお客様に対して勝ってもらうという結果を残さなければならない。そのためには、お客に挨拶は当然のことながら、しっかりとした接客をしなければならない。しかし、共産主義経済においては働いても働かなくてもバラマキ給与は同じだ。それならば、何もしない方が得。何かするだけ損である。給料をくれる人だけにあい層を振ればいいのであって、お客なんかは全く関係がない。そのような態度がありありと見えるのである。これでは、形だけ資本主義にしても何の意味もない。
  後日談になるが、私は過去に数回中国経済に関する講演会を行っている。また、その関係で中国経済に関することを一言で表現してほしいといわれることがある。私は、中国経済をひと言でいう場合は、このようにいう。
  「勢いよく回っている共産主義経済と言う独楽の上に、資本主義経済という建物が建っている状態。共産主義という基礎の上にアンバランスに資本主義が上にある状態。だから、共産主義、全体主義が倒れればいつ資本主義経済もおかしくなるかわからない。見た目は日本と同じような資本主義経済でも、その基盤となる者は全く違う、不安定な資本主義です」
  このようなコメントを出すとだいたいの人が納得する。それも、中国に行ったことがある人、中国での商売の経験がある人はなおさらのことである。
<中略・この部分は無料のメルマガをお申し込みください>

  次回こそ、私なりの北京の観光地の解説をしたい。

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國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
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発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

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配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
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震災報道で全く注目されていない統一地方選挙とその争点

震災報道で全く注目されていない統一地方選挙とその争点

 明日4月10日は統一地方選挙の投票日だ。多くの投票が明日、そして4月24日が投票日となっている。
 平時であれば、統一地方選挙の内容は様々なニュースで取り上げられ、与野党の候補の争点がクローズアップされる。与野党候補の争点は、地方選挙であるのにかかわらず、国政レベルの政策、地方選挙なのに外交や国防に関する内容まで出てくるときもあり、一方で、公園の整備や公共建物の建設の賛否など、地元に密着した内容が争点になることもある。地方行政に関する内容は、地方行政という内容と一方では有権者は「日本国民」であるという意味で国政の部分を支援するという意味での争点の設定が考えられた。
 さて今回は平時ではない。地方選挙戦の内容では、街宣車の使用の自粛などさまざまな自粛ムードの選挙がされている。しかし、街宣車などを使わなくても様々な内容の選挙戦が繰り広げられている。
 統一地方選挙で最も注目されているのが、東京都知事選挙だ。どちらかといえば、この都知事選挙も候補者が出そろうまでのお祭り騒ぎとくらべてかなり沈滞ムードの選挙戦だ。東京は首都であるということ、世界最大のGDP保有都市であるということ、そして山岳部(奥多摩)、住宅地、大都市部、そして諸島部、農民、漁民も含めた様々な人の集積地であるということなどから、ある意味で日本の国政を占う象徴的な選挙としてとらえられることが多い。そこに人気候補や話題候補が出てくるので、どうしてもマスコミに取り上げられる回数が多くなる。しかし、その東京都知事選挙も、今回報道されることは極端に少ない。
 そのような中で、統一地方選挙で「原子力発電所の是非」が一つの争点になっているというのである。とくに原子力発電所を抱える道府県、および、その恩恵を大きく被っている東京都では、その争点は「原発の危険にある場所」「原発の恩恵を被っている場所」として、様々なハレーションを起こしているという感じである。
 その中における記事が下記のものである。


<統一地方選>原発が争点に浮上

 東京電力福島第1原発事故をきっかけに、原発の是非が統一地方選の争点に浮上してきた。原発を抱える北海道、福井、島根、佐賀の4道県知事選では現職が説明に追われる一方、対抗馬が自然エネルギーへの転換などをアピール。主要政党でも共産、社民両党が原発重視のエネルギー政策の見直しを訴えており、各地の有権者に「原発とどう向き合うか」を問いかける選挙戦となっている。【竹花周、横田愛、念佛明奈】
【統一地方選】12知事選の構図
 ◇容認現職、対応に追われ 佐賀知事選
 九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)を抱える佐賀県知事選は、3選を目指す現職の古川康氏(52)=自民、公明推薦=と、共産新人で党県委員長の平林正勝氏(63)の一騎打ちとなっている。原発の安全基準の見直しを求めつつも、必要性を訴える古川氏と、自然エネルギーへの転換をアピールする平林氏が原発論争を戦わせている。
 「私のもとには毎日『原発やめろ、すぐ止めろ』という声がたくさん届く」--古川氏は6日、佐賀市で開かれた集会で、福島第1原発事故による民意の「変化」に言及した。九電玄海原発で日本初のプルサーマル発電計画に同意するなど、原発容認の立場を取ってきただけに、選挙戦で対応に追われている。
 古川氏は福島原発の事故後、発表目前だったマニフェストを急きょ変更。「安全・安心」を筆頭に掲げ「安全対策全体の総点検を国や電力会社に求め、絶対事故を起こさせないという決意で万全の対策を行う」と強調した。
 玄海町に告示後初めて入った4日、古川氏は報道陣に「突風のような風を感じるが、それは決して私へのフォローではない」と語り、逆風を認めた。
 一方、プルサーマル発電に反対の姿勢を続けてきた平林氏は「プルサーマルを止めると言わない古川氏は県民の危険に対する認識がない」と批判。原発不安層の支持を取り込もうと攻勢をかける。
 ◇自民は触れず
 民主党は09年衆院選の政策集に「原子力利用は安全を第一としつつ着実に取り組む」と明記した。党としては原発推進の立場を変えていないが、北海道知事選の民主党推薦候補は4日、北海道電力泊原発が稼働する泊村で「自然エネルギーの導入拡大」を訴えた。
 自民党の谷垣禎一総裁は3月17日の記者会見で「原発の推進は難しい状況になった」と表明した。
 しかし、震災を受けて修正した統一選の公約では「落ち着いて議論しないと感情論になる」(党政調幹部)との理由で原子力政策に一切触れなかった。政権与党として長年原子力行政にかかわってきただけに、原発問題を取り上げにくいジレンマがある。
 これに対し、「国会で唯一の脱原発政党」を自負する社民党は「命を大切にする議員を自治体に送り込む」(福島瑞穂党首)と意気込む。3月30日には、国民の合意形成ができるまで原子力施設を停止するよう菅直人首相に申し入れた。
 共産党は「すぐに原発を全部止めるのは現実的でない」(志位和夫委員長)と分析。(1)原発の新増設中止(2)新たな安全基準による全国の原発の総点検--を求め、原子力行政の段階的な転換を訴えている。公明党の山口那津男代表は1日、埼玉県川口市での街頭演説で「全国の原発の総点検をすべきだ」と述べるにとどめた。

毎日新聞 4月7日(木)21時9分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110407-00000135-mai-pol


衆院愛知6区補選、民主の不戦敗が決定

 民主党は7日、衆院愛知6区補欠選挙(12日告示、24日投開票)への公認候補の擁立や推薦を見送ることを決めた。
 複数の党幹部が明らかにした。民主党の牙城・愛知での不戦敗は、党勢の陰りを改めて印象づけることになる。
 同補選は、2月に名古屋市長選に立候補した石田芳弘前民主党衆院議員(市長選で落選)の辞職に伴うものだ。自民党元衆院議員の丹羽秀樹氏、共産党新人の河江明美氏、河村たかし名古屋市長が率いる減税日本新人の川村昌代氏らが立候補を予定している。
 民主党執行部は当初、愛知県連に候補者選びを任せたが、県連が「減税日本の勢いに勝てない」と擁立を断念。党本部は元衆院議員の擁立を模索したが、これには県連の理解が得られず、「打つ手なし」(執行部の一人)の状況となった。党内では「幹事長の責任は大きい」と岡田幹事長を批判する声が出ている。

読売新聞 4月7日(木)17時23分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110407-00000661-yom-pol

 現在の国政の与党は、民主党である。その民主党が、候補を立てなかったり、あるいは公認候補が民主党の公認であることを隠して戦ったりするというのはいかがなものであろうか。はっきり言ってしまえば、民主党はそこまで国民の支持がなくなっている状態であるといえるのである。
 普段批判している私が言うのも変だが、民主党議員の中にもしっかりした考え方の人もいるし、野党の中にもろくでもない人がいる。しかし、民主党議員は、鳩山由紀夫にせよ、菅直人にせよ「史上最悪」と呼び声の高い首相を「支持」していたのであるから、少なくとも「人を見る目がない」「人を評価できない」人々であることは間違いがない。結局国民は、自分が民主党に投票したことは棚に上げて、現在であれば菅内閣の行動に対して苦情が出る。政権交代で期待していただけに、よりひどい結果には失望されているはずだ。
 その苦情の大きさは、菅直人本人や大臣などではなく、現在地方選挙や補欠選挙で戦っている議員候補が一手に受けていると言ってかまわない。その空気を四dえ、補欠選挙では「勝ち目がない」ために、候補を擁立できないという。上記に書いた都知事選挙でも公認候補を立てることはできなかった。逆な言い方をすれば、日本国は、震災や経済の低迷というこの国難において「勝ち目のない選挙」にしかならない政党に政権を任せているということになるのだ。これははっきり言って日本の恥である。
 早々に解散し総選挙を、できないならば、せめて菅首相の総辞職を。それが国民の総意であり、民主党自身が「候補を立てることができない」ということでそれを最も自認しているということの表れではないだろうか。

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震災という緊急時の例外的措置、女子大で男子学生受け入れ?

震災という緊急時の例外的措置、女子大で男子学生受け入れ?

 震災について、さすがにこんなに長く書き続けると、私も違うことが書きたくなる。しかし、なかなか新聞やインターネット上から震災関連の記事が減らない。私のブログの場合、基本的には新聞などインターネット上の記事から思うことをつらつらと書いているので、新聞などのマスコミが変わってくれないとなかなか記事も変わらない。
 今回の震災の記事が、そろそろ発生から1か月になろうとしているのに、いまだにマスコミから震災の記事がなくなならないのは、二つの理由だ。
 一つはそれこそ未曾有の大災害であったこと。まさに被災者は多く、多くの人に影響があるということだ。もちろん、なくなられた犠牲者の数も多い。しかし、それだけでなく、津波の被害によって、製造業の多くが問題になってきたということだ。調整停電によってヨーグルトなどが出荷制限になっていたり、過剰な、商品表示や消費者保護法が、大きな問題になっている。商品表示を行うための包材や容器の不足のために食品を売ることができない。ヨーロッパの市場のように野菜や魚をそのまま置いて販売できれば問題はないのであるが、残念ながら日本人は「安全アレルギー」とも言えるほど食料品とその放送、表示に過敏にあっているために、「販売」することのできない安全な商品が、包装資材など不備によって廃棄されている。このことは一度問題にしなければならないが、今日の主題ではない。ただ、このことによる経済の制限など、かなり大きな影響が出ているのである。
 もう一つ、この震災報道がなくならない理由がある。それは、ここにあらためて描かなくても良いと思うが、原子力発電所の事故だ。あくまでも人災であり、そして世界から同情され、またその規律性の高さや整然とした避難姿勢で、称賛されていた日本が、東電と経済産業省と、そして民主党政権の所業によって「世界・海を放射能汚染する加害国」ということになってしまった。このことは、毎日のように書いているので、ここであらためて描くことはしない。しかし、単純に政府の無策には、私のような完全な素人でもおかしいということが分かる。
 この震災報道において、政府の答弁や会見では「想定外」ということが言われる。政府などに関しては、想定外の事態においてしっかりとした対応をし、国民をけん引しなければならないのに、野合で大衆迎合の民主党政権は、大衆が落ち着かないと一緒に落ち着かなくなってしまうので、これではより一層パニックが深まってしまうのである。要するに民主党政権では危機管理能力がないということ、それだけでなく日本が破壊されてしまうということが良くわかるのである。もちろん、私の想像以上の陰謀であり、「パニックに見せかけた日本破壊が進められている」というような陰謀論も考えられるのであるが、そうであるとすれば、かなり巧妙な陰謀であろう。私が見ている民主党はそんなに巧妙なものではないような気がするが、その実態は分からない。
 そのような中で、何か別に書くことは無いかと探していたら、「震災関連だが、震災とは少し趣の違う記事」にであった。下記のものである。

被災学生を「授業料免除」で受け入れ 清泉女子大では男子も

   大学が被災地域の学生を、授業料免除で受け入れようという動きが全国で広がっている。清泉女子大学が「男子」学生を受け入れることを、webサイトで明記したことも話題になった。
   清泉女子大学は2011年4月4日、災害救助法が適用された地域(東京都を除く)で被災した他大学の学生を、「科目等履修生」として受け入れることを発表した。
試験に合格すれば証明書を交付
   東京近郊に避難している学生が対象となる。書類審査を経れば、大学で授業を受けたり、図書館など学内の施設を利用したりすることができる。期間は1年間を予定しており、履修にかかる費用は全額免除となる。
   所定の科目の履修を終え、試験に合格したときには、単位修得証明書を交付する。webサイトの発表では「男子学生も特別科目等履修生に申し出ることができる」と書かれ、「女子大なのに」と話題を集めた。
   広報によると、「科目等履修生」という制度は、別の大学に在籍しながらでも、当該大学で授業を受けられる仕組み。清泉女子大ではこの制度に基づいて、これまでにも男子学生を受け入れていた経緯があり、今回だけが特別に「男子」学生を受け入れではないという。
   ただし、男子が受講する例は最近では3年前に1人だけで、ここ2年はなかった。webサイトに掲載したのは、一般的には女子大で男子を受け入れることが認知されていないため、と広報は説明している。
国立大学協会、学習支援呼びかけ
   このように授業料を全額免除して、被災地域の学生が授業を受けられる態勢は、ほかの大学でも整えられている。
   長崎大学はすべての学部で、被災のために授業ができない大学に通う学生、避難により在籍する大学で授業を受けられない学生を、特別聴講学生または科目等履修生として受け入れる。住居(職員用の寮など)の無料提供も予定している。
   学生支援部教育支援課によると、この取り組みは「複数の学部から支援ができないかという申し入れがあった。全学的な受け入れ態勢を急いで整えた」と説明する。期間は未定だが、元の大学に戻れる状況となるまで対応していく。単位は長崎大学の規程に従って認定され、在籍先の大学が認めれば卒業に必要な単位にもなるという。
   神戸女学院大学は3月25日、被災地にあるキリスト教学校教育同盟傘下の大学に在籍する女子学生を、特別聴講生として迎え入れると発表。通学できる地域に寄留先のない学生のうち希望者には、住居と生活支援金(月5万円)を提供することにした。「阪神淡路大震災のときには、本学も多くの支援を受け復興した経緯がある。何か力になれないかという話がすぐに出た」と担当者は話す。
   また、国立大学協会では、避難先にある大学の講義の履修、聴講を希望する被災学生がいる場合、科目等履修生制度等を利用した学習支援を呼びかけている。これを受けて、山口大学、都留文科大学でも授業料免除の措置をとっている。

2011年04月07日19時57分 提供:J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5474375/

 震災時は、当然に様々なことが震災時の例外的な対応になる。そのために、普段では見られない光景が見える。
 しかし、「女子大」に「男子生徒」というのはなかなか、無いのかもしれない。完全に例外的な措置であろう。実際には「無償で」ということであるから正式な学生ではない。しかし、形式的な問題ではなく、女子大に通う男子学生というのは、ある意味で最も例外的なものであろう。
 さて、私など非常に不謹慎な人間にとっては、被災した男子学生の保護とか勉学の機会の維持という問題ではなく、単純に「女子大生の真ん中に男がいる」というハーレム状態そのものに、素直に「うらやましい」と思ってしまう。私のような邪な心の持ち主においては、「女性ばかりが目に入って勉強どころではないのではないか」と思ってしまう。また、「サークル活動」などはどうするのであろうか。聴講生だから入らないのかもしれないが、それでもなかなか。
 男性とは、こういう無責任な場所においては好き勝手なことを妄想のままに語るものであるが、残念ながら女性の中に一人でいると意外と何もできないものである。かえって、他を遮断して勉強ができるのかもしれない。しかし、なかなかそうでもない可能性もあるので、なんとも言えるものではない。
 少女マンガ、あるいは男性の妄想の世界において、女性に囲まれる毎日は、当然に憧れだ。地震、震災の影響とはいえ、何ともうらやましい。先日も那須御用邸の中が公開されたという非常に例外的な対応に対して書いたが、同様に「例外的」という意味で並列に並べられ、平時では絶対にあり得ない、「うらやましい」状況ではないかと考えられるのである。
 もちろん、清泉女子大だけではなく、国立大学などでも同じような措置を行っている。勉強の機会を得て、私のような邪な心を持つことなく、しっかりと勉強してもらいたい。

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大連立という名の大政翼賛会にならないための方策を

大連立という名の大政翼賛会にならないための方策を

 今、インターネットなどを見ていると、平成の後藤新平を求める声が少なくない。後藤新平とは現在で言う岩手県塩釜市出身で、関東大震災時の内務大臣だ。計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、日本の植民地経営者であり、『都市計画家』である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の都市復興計画を立案したことで有名である。震災後の都市計画を私有財産制度などを無視して行い、公園の整備、道路網の整備を行い、東京を一気に近代都市にした人物だ。
 逆に、現在の日本の状況が「関東大震災直後」と似ているといえる。
 現象的にいえば、大災害による国難であり、被災地だけでなく周辺都市まで影響が出ている。調整停電と福島原発処理の遅れという、完全な人災でありながらも、一部首都機能が制限されているというのは、関東大震災時とあまり変わらない。それだけでなく、自衛隊に対する国民のコンセンサスと依存心が強くなり、また、復興のためにすべての経済活動が自粛の方向に向かっている。経済全体の縮小傾向は、震災と関係なく、もともと慢性化した米騒動による国民生活の困窮は、バブル崩壊やリーマンショックによる現在の経済閉塞状況と酷似しているといえる。一方、大正デモクラシーによる政治の混乱は、ちょうど民主党による政権交代や安倍首相の時代から続くねじれ国会、そして民主党政権から続く、ここにもかなり書いた民主党の失政による国民的政治不信と酷似しているといえる。
 その中において、大連立が現在言われている。大連立の定義は、「国会における第一党と第二党が連立し、政権運営を安定させること」ということになる。メリットは政権運営が簡単になり、安定与党ができるために政策の実現までの期間が非常にスムーズであるということが言える。しかし、デメリットとして、すべてが密室で決まってしまい、国会における野党の政策チェック機能も無くなり、国民に対策に対する説明の機会も失われてしまうのである。
 この状態が究極に進むと、「大政翼賛会」になる。要するに、大連立与党における意思決定が唯一無二の政策になってしまうのだから、当然に、その内容に関しては価値観が統一化されてしまうことになる。その中において、精神的な内容や思想的な内容まで入ってしまえば、完全に戦前の大政翼賛会になってしまう。特に、この懸念は消えない。権力を持ってしまえば、人間は変わる。その権力にしがみつく。今の菅政権がまさにそのものである。死に体でありながら、原子力発電所で人災を起こし、海に放射性物質を流し、国際社会から非難を浴びながらもいまだに政権の座にしがみつく姿は、日本の悲劇としか言いようがない。そこまでの考えを見ながら、賛否両論がある。その記事が下記のものである。

<自民党>大連立に賛否 中曽根氏「協力を」、河野氏「既に協力」

 自民党の谷垣禎一総裁は4日、中曽根康弘元首相、河野洋平元総裁と東京都内で個別に会談した。中曽根氏は東日本大震災を受けた民主党との「大連立」について「期限の見当をつけ、公明党にも配慮しなければならない」と述べ、公明党の理解を得たうえでの「期限付き」連立に理解を示した。河野氏は慎重な姿勢を示した。
 中曽根氏は大震災の復旧・復興対策について「政府・与党から頼まれたら全面的に協力すべきだ。災害に対する挙国的な体制を作る意味では協力した方がいい」と述べ、菅直人首相と連携を密にするよう促した。谷垣氏は「同感だ」と応じた。
 一方、河野氏は「(震災対策では)既に相当協力している。あまりパフォーマンスのようになっても仕方がない」と述べた。
 会談後、谷垣氏は記者団に「私は白紙。上下左右前後、360度見渡してこれから(方針を)決める立場だ」と述べるにとどめた。
 一方、自民党の山本一太参院政審会長は4日の会見で、「菅首相がトップに座ったままで、まともな政策協議も期限もない、なし崩し的な連立には反対だ」と明言。「一部の役員だけで方針を決めてはならない。国会で与党の対抗勢力がなくなるデメリットも考えなければならない」と指摘。小坂憲次参院幹事長が「時限的連立」に前向きな発言をしたことにも「参院自民党の総意ではない」とした。【野原大輔、岡崎大輔】

最終更新:4月5日(火)9時40分 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110405-00000003-maiall-pol


谷垣総裁「連立あり得ない」…入閣要請されても

 自民党の谷垣総裁は5日、菅首相(民主党代表)が呼びかけ、自民党内の一部に積極論のある両党の「大連立」について「政策のすり合わせもないところでの連立はあり得ない。野党として震災対応の協力をきちっとやる」と述べた。
 菅政権との大連立はできないとの立場を示したものだ。東京都内で記者団の質問に答えた。政府・民主党が内閣法を改正して閣僚を増員し、自民党に入閣を要請しても断る方針だ。
 谷垣氏は首相の震災対応に関しても、「(首相官邸内で)たくさんの役を次から次に作るのは、責任と権限を一元化することにつながらない」と批判した。
 谷垣氏は先週から総裁経験者回りを行っており、5日の海部、小泉両元首相との会談で一巡した。小泉氏は「健全な野党のあり方を発揮すべきだ」と助言した。自民党幹部は「総裁経験者は菅政権との大連立に皆、慎重だった」と語った。

2011年4月5日(火)21時16分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20110405-00867/1.htm


大連立、小泉元首相が否定的見解

 自民党の谷垣禎一総裁は5日午後、都内で小泉純一郎、海部俊樹両元首相とそれぞれ会談し、東日本大震災を受けた民主党との大連立を含む協力体制構築について意見交換した。大連立への慎重論が強い党内中堅、若手議員への影響力が大きい小泉氏は「健全な野党としての協力の仕方がある」と述べ、否定的な考えを表明した。谷垣氏は「まったく同感だ」と応じ、会談後、記者団に対し「私は一度も『連立したい』と言ったことはない」と述べた。ただ、大連立構想については大島理森副総裁らベテラン議員が前向きな考えを示しており、今後執行部で対応を協議する。会談で小泉氏は、「今こそ、協力すべきところは協力し、批判すべきところは批判していく。そういう野党の良さを、自民党はきちんと発揮すべきだ」と重ねて強調した。

2011年04月05日21時05分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/5468805/

 大連立の要請は、まさに「震災復興における意思決定のスピードの要求」ということ、もう一方では「政権の暴走を止める」ということ。この二つの要請を満たさなければならない。そのために「政権政策協議」を行うべきということになるのであるが、政権政策協議もせず、大連立論の横で、復興と異なる左翼法案を国会に提出する、子供手当などをそのままにした予算案をそのまま成立させてしまう、そのような譲許の政権と政策協議もせずに大連立をするというのは、大政翼賛会というよりはソビエト連邦をつくるようなものである。
 現状のままでの大連立に、私は反対だ。
 まずは、非常災害対策本部の設置と復興に関する権限の集中、次に、財源の確保(増税ではなく国債発行が望ましい)、そして、復興後の、今回の「人災部分」の責任の追求だ。復興財源のためには、民主党のすべての政策を考えず、バラマキをやめ、その分をすべて復興財源に回すという必要がある。俗にいう「バラマキ4K」を中止。民主党のお得意のフレーズを使えばまさに「マニフェストをゼロベースで見直し、復興財源に充てる」ということが必要なのではないか。要するに、民主党の党内をそれでまとめることができるのか、小沢一派がマニフェスト違反として離党するのを食い止められるのか。その問題は非常に大きな問題だ。
 そして、復興の道筋をつけた時に「解散、総選挙で国民の信を問う」必要がある。その間、国民の審査を受けずに緊急の内閣ができるのだ。政策決定で誰も見えない議論がされるのだ。結果に対して政権が責任をおわなけれればならない。このほかにも、当然に自衛隊に対する考え方なども考えなければならないが、この内容は別途設けて考えるべきである。
 復興のため、といって、全てを密室で勧めるのは良くない。それならば、逆に自民党は野党として民主党の政策をチェックすべきである。当然に、閣外協力で十分であるといえるのではないか。その選択肢をしっかりと残しておくべきである。

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震災後、原発人災後、復興のためにも経済の活性化を考えるべき

震災後、原発人災後、復興のためにも経済の活性化を考えるべき

 月曜日の夜、上野に出かけた。花見の時期である。桜は、地震があっても原発の事故があっても、例年と同じように花を咲かせている。月曜日の夜は三分咲きといったところか。日当たりのよい場所は五分咲きといったところでなかなか風情がある。
 この日の上野は、ある意味で二度と無い「上野」ではないのか。桜の時期、それも深夜ではない夜7時、ちょうどサラリーマンが帰宅の時期、真っ暗な上野の山は、さすがに驚きである。弁天堂周辺の屋台が「これから」という時に店じまいをしていた。「もう店じまいですか」と聞くと「上の方のお達しで花見はしないんだって」という残念そうな声。「花は咲いているのにねえ」という隣のご婦人のため息も聞こえる。
 花見の時期に上野でほとんど人がいないというのは、多分今後もないであろう。なぜ、「自粛」なのか、意味がわからない。逆に、経済を活性化してその利益を被災地の復興に回せばよいのではないか。経済の復興ということと、華美に耽ることの自粛ということの二つのバランスがなぜ取れないのか、非常に不思議だ。「自粛」したことによって何ができるのか、何が生まれるのか、先のことを考えない状態はさすがに驚きだ。
 家に帰れば、節電、自粛を呼び掛けるACの広告。「被災地の人の身になって考えてみよう」。その気持ちはわかるが、日本全国が被災地と同じでは誰かに救助してもらわなければならなくなる。「一日も早い復興を」という呼びかけは、復興需要と、復興財源を確保することだ。そのことができないで、一緒になって被災者になっていては、日本全体が沈んでしまう。
 もうひとつの要因が電力の不足だ。電力の不足によって、日本経済は完全におかしくなってしまうのではないか。その記事が下記の記事である。


電力不足、実質GDP3・9兆円押し下げ

 第一生命経済研究所は4日、東日本大震災に伴う電力の供給不足は2011年度年間で最大4・5%に達し、実質国内総生産(GDP)を約3・9兆円、年率で0・84%押し下げる可能性があるとの試算をまとめた。
 特に夏場は深刻な電力不足が避けられない状況で、製造業を中心に大きな打撃が懸念される。
 試算では、電力不足によるGDPの押し下げ額は、製造業だけで約1・9兆円と予想した。内訳は、電気機械が6407億円、一般機械が3765億円、輸送用機械が3209億円――などと見込んでいる。
 同研究所の永浜利広・主席エコノミストは「電力不足を早期に解消することは難しく、企業は電力需要の少ない夜間に生産を移行させたり、自社発電設備の導入を促進したりすることが求められる」と指摘している。

2011年4月4日(月)22時48分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/yomiuri-20110404-00769/1.htm


「夏の計画停電は避けられる」 化学工学会の提言が大反響

   エネルギーの専門家らでつくる「化学工学会」が、2011年夏の電力不足についてサイト上で緊急提言を行い、大きな反響を呼んでいる。これらの提言を実行すれば、計画停電を避けられるかもしれないというのだ。
   化学工学会とは、研究者や技術者ら8000人ほどでつくる学術団体だ。そのエネルギー部会の大学教授ら8人が大震災による電力不足について2011年3月28日に国などに緊急提言をしたところ、関係者らの間で大きな話題になった。
土日に働いたり、勤務時間を夜にシフト
   4月4日には、東大政策ビジョン研究センターもその趣旨に賛同して、提言全文をサイト上で紹介している。そのサイトは、ネット上で反響を呼び、はてなブックマークが800以上も付くほどだ。
   原発事故の影響で、クーラーなどを使う夏には、深刻な電力不足が予想されている。東京電力管内で、節電しても5500万キロワットの電力需要があるとされるが、それでも4500万キロワットほどしか供給が見込めない。このままでは大規模な計画停電は避けられない見通しだ。
   これに対し、化学工学会では、電力需要を時間的・空間的にシフトさせることなどで、数百万世帯分に当たる1000万キロワットほどの不足分をカバーできると提言で試算している。
   時間的シフトでは、電力に余力のある土日に働くようにしたり、工場や大学などの勤務時間を夜にシフトしたりすることを挙げる。スペインなどのシエスタのように昼休みを電力ピーク時の13~16時に作ったり、在宅勤務を増やしたりすることも手だという。これで、520万キロワットを削減できるとした。
   また、空間的シフトでは、サーバーを東日本以外に移設したり、生産拠点移動に伴って家族で引っ越してもらったり、学生の国内外留学や東日本以外への旅行を勧めたりすることを挙げている。95万キロワットの節約になり、時間的シフトと合わせて、615万キロワットになる計算だ。
ツイッターでは、千数百件もの反応
   化学工学会の緊急提言では、さらに身近な電力供給力利用で365万キロワットを増加させ、省エネ利用の徹底などで280万キロワットを削減できるとしている。
   供給力増強では、太陽光発電や蓄電池、防災用自家発電などの利用を挙げた。省エネでは、旧式から省エネの最新式に冷蔵庫やエアコンなどを買い替えたり、空調をガス化したりすることを提案。ライフスタイル面でも、自販機停止やバッテリー駆動のノートパソコン利用、テレビ視聴停止などで省エネを実現できると指摘した。
   これで時間的・空間的シフトと合わせて、1260万キロワットの電力を減らせる計算になる。
   化学工学会によると、ネット上などで大きな反響があり、ツイッターでは、千数百件も反応があったという。「分かりやすい」「総合的な見方でよい」などの評価が9割ほどで、残りが「実行できるか疑問」といった批判だった。
   提言者の1人である早大の松方正彦教授は、その意図についてこう説明する。
    「3時間も計画停電すれば、工場ではその前後も操業できずに動かなくなります。また、お年寄りが暑さでダウンするなど社会的弱者にもしわ寄せがありますので、望ましくありません」
   そのうえで、松方教授は、「特に時間的シフトで、電力ピーク時の需要を平準化することが大切です。それが、この夏の分かれ目になる大きな勝負となるでしょう」と指摘する。そして、節電に理解してもらうためにも、東電に対し、電力総量だけでなく、地域ごとや一般・大口利用者ごとの時間変化データもリアルタイムで出すことを求めている。
    「火力発電所を増設するのにも時間がかかり、へたをすると、電力不足が5~10年も続くことになります。勤務時間の夜間シフトなどには痛みも伴いますので、政治家がリーダーシップをもってやるしかありませんね」

2011年4月4日(月)21時6分配信 J-CASTニュース 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-92164/1.htm

 今の政府は「節電」「出荷停止要請」「自主避難指示」命令や指示は次々に出す。しかし、それをしたことによって起きる影響、そしてその後の補償のことは何も言わない。代替案も何も出さない。福島県では出荷停止要請を受けての自殺者が出た。まさに「政府が殺した」と言って過言ではない。
 出荷停止に対しては生活補償や収入補償を、また避難指示しには、避難先の誘導や避難時の交通手段を、しっかりと次の行動、次に起きる現象をしっかりと踏まえた対策を発表しなければならない。まさに「片手落ち」だ。これでは政府の不信感が多くなり、政治に対する問題が大きくなるであろう。指示を出す政府が「指示を出された人の身になって考える」ことができないのであるから、ACの広告は何の意味もない。ましてや、出荷指示などは風評被害の問題も何も考えていない。
 一方、節電に関しては、もっと大きな問題だ。そもそも、震災直後「電車を止めて節電」という、あまりにも驚くような官房長官の会見があって、都内は混乱した。そればかりではなく、節電の影響は、日本の経済に深刻な影を落としている。日本の経済は当然に機械化されている工場がほとんどだ。その中において節電をするというのは、どういうことなのか。要するに「経済活動を制限しろ」ということに他ならない。
 数年前の原油高騰の時は、「コンビニエンスストアの営業時間制限」「自動販売機(巨大冷蔵庫)の一時停止」など、電力を直接使い、そして工場などの経済活動にあまり影響のない部分である。今回の政府は「例外ない節電」「インフラを含めた制限」「スポーツイベントなどの自粛」と、経済活動や国民のモティベーションにお構いなしだ。そのようなことで経済を低迷させて何がいいことあるのか。その先にあるンは共産主義経済とバラマキ、そして北朝鮮のような日本になってしまうのではないか。そのことを撒き散らしているマスコミも同罪だ。そもそもそんなに節電というのであれば、「輪番放送停止」で民放各局も放送停止すればよい。民放各局は深夜放送を行い、工場や電車は制限というのでは国民は納得しないであろう。
 何を制限すべきか、経済の活性のために何をしたらよいのか。「次の日本」をどのようにするのか、ヴィジョンを持って今の行動を決めるべき。そう考えれば、今こそ経済の活性化を図るべきではないのか。

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放射能汚染粋を海へ放出 ロシアなどから将来補償を求められることになるのでは?

放射能汚染粋を海へ放出 ロシアなどから将来補償を求められることになるのでは?

 4日の夜のニュースを見ていると、枝野官房長官の会見の模様が映っていた。別に、震災以降見慣れた光景だ。しかし、その内容に関しては、驚くものであった。低レベルの放射能汚染粋を海に放流するという「仕方がない対応」を強調したその会見に何となく違和感があった。
 何が仕方がないのか。
 今回の事件は、12日、震災発生翌日菅直人が福島第一原発に視察に行った。福島第一原発は、その視察に対応するために、東京電力は福島原発の対応が遅れた。国会答弁ではそんなことはないと否定していたが、否定の根拠は何もない。東京電力および自衛隊隊員(佐官クラス)に聞いたところ、やはり大きな影響があったという証言が得られている。「基本的に、首相自身および首相官邸周辺が何も言わなくても、首相の視察となれば、当然にその視察の対応が第一優先になり、事故対応が後手に回る。首相は国会でそのような指示はしなかったということを言うかもしれないが、逆に、それくらいのことが分からないで首相視察など、事前に予告してくること自体が自覚の欠如である。視察に行かなかった第二原発や女川原発は何もなく、首相の視察があった第一原発だけ事故になっていることで、おかしいと思っている人は少なくないのではないか。そもそもは、視察に行く前に「視察に言って対応に影響はないのか」と問い合わせるのが通常であり、そのような問い合わせは全くなかった」というようにまくし立てたのである。それも、政治主導を色濃く打ち出している民主党政権ならばなおさらのことである。
 その影響が、今になって大きくなってきている。そもそも、今回の話も第一原発2号炉においてピットというところにひび割れがあった。そもそも、大きな地震があり、津波で家屋の前回半壊が多数存在する。その中において、爆発などもあり、建物に非常に大きな負荷がかかっていることは間違いがない。冷やさなければならないだけでなく、その建物の点検は行わなければならないであろう。
 今回の件で、記者会見の質問で「ピットのひび割れ」に関して、事前に質問をした人はいなかった。ひび割れと、ひび割れからの漏水が明らかになった時に、記者、取材陣の間ではさすがに「呆れ」が出てきた。がれきが多くて放水が困難などの報道を過去に受けていたので、当然に建物の点検はしているものと思っていた。「思い込みが良くない」というのは私の口癖であるが、さすがに今回は「思い込み」があった。いくら東京電力であっても、それくらいの点検はしているだろうし、枝野官房長官といえども、それくらいのことは確認していると思った。それもせずに、ただ単に放水し、放水後の汚染粋の行き場も準備せず、たまってから準備する。そのような、文字通り「泥棒を見て縄をなう」という対応でこの国難を乗り切れると思っていたとすれば、さすがに驚きであり、常識の欠如もはなはだしい。
 このように考えるのは、私だけではない。インターネットで探したニュース記事より、海外の論調を出した記事があるのでそれを掲載してみよう。


放射性物質まき散らす日本 海外論調「同情」から「不信」

 福島第1原子力発電所の事故処理が進展しない現状に、国際社会もいら立ってきた。放射性物質が大気や海水へ放出されたままで、有効な手を打てない日本政府の対応に不満を募らせる。
 東日本大震災と津波で未曾有の被害を出した日本に同情的だった海外の論調も、原発対策の遅れとともに「日本は何をやっているのか」と風向きが変わりつつあるように見える。
 「東電社員の死をすぐ発表しなかったのはなぜか」
「日本の原発、数か月にわたって危険な放射性物質放出の可能性」
   米ワシントンポスト電子版(WP)は2011年4月3日、このような記事を配信した。細野豪志首相補佐官がテレビ番組で、福島第1原発から放出される放射性物質を止めるのに数か月かかる目算を示したのを引き合いに出したのだ。記事の中では、当局が「数か月」と発表せざるをえなかったのは、「損傷した福島第1 原発の修復が困難で、すでに4週目に入っている大規模な事故対策も見通しが立っていないことの証明だ」とした。
   さらに同紙は、東京電力と日本政府が原発関連の情報を適切に開示しておらず、外部の有識者やメディア、世論から批判を浴びていると指摘、「記者の間では不信感が募っている」とした。4月3日に東電は、行方不明となっていた同社の社員2人が3月30日に4号機のタービン建屋地下で遺体となった発見されたことを明らかにした。
   すると、3日夕方に開かれた海外メディア向けの記者会見で、記者から「東電社員の死をすぐ発表しなかったのはなぜか」「どうして東電の幹部は、社員が亡くなったことを公表した会見に同席しなかったのか」と質問が飛んだ。だが、政府の広報官からは満足な回答が返ってこなかったという。
   高濃度の放射能汚染水が海に流れ出したことも、海外メディアの高い関心を集めた。2号機の取水口付近にあるピットの壁の亀裂から漏れ出したと見られるが、米 CNNやウォールストリートジャーナル、英ガーディアンなど欧米の主要紙やテレビのニュースサイトがこぞって写真入りで紹介した。CNNの記事には 1700件ほどのコメントが寄せられている。中には、「日本(政府)が意地を張らずに、米国の専門家が『廃炉を決めて、原子炉にセメントを注入せよ』と助言したのを受け入れていたら、こんな大事にはならなかった」と、日本に対するあからさまな批判も出始めている。
 おがくずに新聞紙「効果あるわけない」
   英テレグラフ紙電子版は、4月4日付記事の見出しに「配管をふさぐために新聞とおがくずを使う」と掲げた。2号機から漏れ出した汚染水を止めるため、吸水性の高い「高分子ポリマー」と合わせておがくず、新聞紙も流し込んだことを伝える記事だが、おがくずや新聞紙を使ったのが奇異に映ったのか、読者からは「そんなものが効果あるわけないだろう」「髪の毛や金属の屑なんかも効くんじゃないか」と、揶揄するようなコメントが見られた。
   米ブログメディアのハフィントンポスト(HP)も、この「おがくず作戦」について4月3日、トップページに大きく掲載。「毎日毎日、新たな問題が生まれる原発」で、漏水を防ぐために「おがくずと、大きなゴミ袋3つ分の細切れになった新聞紙、おむつにも使われている高分子ポリマー」を使ったものの失敗に終わった様子を報じた。
   HPの別の記事では、リスクマネジメントの専門家が「日本政府は一刻も早い解決を」と強調。米国の原子力工学研究者による試算で、福島第1の事故で放出されたセシウム137の濃度が、チェルノブイリ原発の事故で検出された数値を上回ったとして、「試算が正しければ、フクシマは今や史上最悪の原発事故になっている」と警告。日本の当局が国際原子力機関(IAEA)や諸外国政府の支援を受けるのをためらえば「事態はさらに悪化する」と断言した。
   なお東電は4日夜から、福島第1原発にたまっている放射性汚染水のうち、汚染レベルの低い水およそ1万トンについて、海への放出を始めた。

2011年04月04日19時17分 提供:J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5465963/

 日本の対応に関しては、さすがに私自身も海外の新聞のように驚くことが多い。正直なところ、この新聞記事を「日本をバカにした」と起こるのではなく、一つ一つうなづけるのが悲しい。
 「日本(政府)が意地を張らずに、米国の専門家が『廃炉を決めて、原子炉にセメントを注入せよ』と助言したのを受け入れていたら、こんな大事にはならなかった」(上記記事より抜粋)は、まさに的を得た批判だ。日本は、このようになるまでに米軍、アメリカの専門家などを含め、様々な助言を受けていた。しかし、その助言をことごとく退けてきたのは日本政府だ。その日本政府が、この期に及んで行った対策は「汚水の海洋垂れ流し」と「配管をふさぐために新聞とおがくずを使う」(上記記事より抜粋)ということだ。「毎日毎日、新たな問題が生まれる原発」で、漏水を防ぐために「おがくずと、大きなゴミ袋3つ分の細切れになった新聞紙、おむつにも使われている高分子ポリマー」を使ったものの失敗に終わった(上記記事より抜粋)の通り、私も何をしているのか?と疑問になる。もちろん、現場の人は頑張っているし、命を危険にさらしても、何とかしようということも考えられる。しかし、政府(経済産業省や原子力保安院を含む)や、東京電力の本社は何も考えていないのか。この対応の遅れは、さすがに驚きである。
 枝野官房長官の会見は、まさに「日本は海を放射能で汚染しました」という宣言に他ならない。本来ならば、それを謝罪するのであろうが、日本政府を代表しての謝罪もなく、「仕方がないことだ:」と開き直る姿に、同じ日本人として何となく違和感があるのはご理解いただけるであろうか。
 この対応によって、日本の漁業は壊滅的な被害を受けるだろう。それどころか、海流の先、ロシアやアラスカから、「漁業補償」を日本は請求されることになる。それを食べた人から「食事の補償」を求められる。官房副長官になっている仙谷由人は、従軍慰安婦の個人補償を推進する会にいるが、ロシアやアメリカの漁業補償も、その魚を食べた個人まで、すべてに個人補償をすれば、日本は経済的にどのようになるのか。そこまで考えたのか、あるいは、大連立になるから、自分たちには責任がないと思っているのか。そのような「近未来の日本」をまったく考えていない政府の対応と会見にはさすがに驚きだ。
 海を汚す、それも政府の後手後手の対応で放射能で汚染をする。汚染そのもののレベルや魚に対する影響の問題ではなく、そのような風評被害が、どこまで拡大するのか、そのことをしっかりと健闘したうえで何をすべきかを考えるべきではないのか。
 政府にはそのように近未来まで予想し、国益のために考える必要があり、そしてその義務を果たさなければならない。今の政府、それは頑張っていると評価されている枝野氏も含めて、その観点が完全に欠如しているように思えてならない。

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マスコミ批判に関する一考(38) 共同と産経でこうまで違う首相視察報道

マスコミ批判に関する一考(38) 共同と産経でこうまで違う首相視察報道

 4月2日に菅直人首相が、被災地のうち岩手県陸前高田市の避難所を視察した。震災発生から3週間後である。すでに、先週天皇陛下もそして皇太子殿下も東京都内の避難所をご訪問され、膝をつかれて被災者の方々と話をされていた。一人一人にお声をおかけする天皇陛下、皇后陛下のお姿を見て、また、その横の方でせまい避難所の中で家族全員で正座をしている姿は、やはり「日本人」を思わせるものである。その天皇陛下のご訪問よりも遅れて、菅首相が初めて被災地、避難所を回った。その内容は、マスコミのカメラをシャットアウトしたものであり、詳細は、避難所の中で住民が撮影したものしか公開されなかった。
 そもそも、天皇陛下よりも政治の担当者が遅れるということ自体、同化している。要するに、現在被災地の復興支援策を考えている政府は、現地も見ないで復興支援策を作っていたということであるし、菅直人首相自身、被災三週間で首相の記者会見をしていたが、現地の状況も知らないで「机上の空論」を会見していたにすぎないということである。
 そのことは、現地の人が最も良く知っているはずだ。テレビなどが通じていないので、東京や彼らの記者会見がどうなっているかは全く分かっていないのかもしれない。逆に言えば、被災して3週間もたっているにかかわらず、いまだに万を超える行方不明者があり、また、インフラ、ライフラインの復旧もままらない状況になっている。その状況で、東京都原子力発電所のことしかしていない政府の対応を見てい、彼ら避難所で毎日過ごしている人々はどのように思っているのであろうか。
 それらの直接の会話の機会が陸前高田で、はじめておこなわれたということだ。それも、もう少しで一カ月たちそうなこのタイミングである。その報道に関して、共同通信と産経新聞でまったく違う内容になっているので注目してもらいたい。


「来るのが遅い」 首相の被災地視察に冷めた目 東日本大震災

 「来るのが遅い」。菅直人首相は2日午前、岩手県陸前高田市の避難所のひとつ、米崎小学校体育館を訪問した。固い床にマットを敷かれただけのブースに、滞在時間はわずか20分。早急な対策を望む声があがる一方、後手後手の対応に「何をしに来たの?」という冷めた視線もあった。
 自宅が津波に飲み込まれた無職、大坪涼子さん(60)は「首相は少し来るのが遅いような気はする。もっと時間をかけて多くの被災地をめぐり、被災者の声を聞いてもらえるといい」と複雑な表情を浮かべた。心臓に持病を抱える藤丸孝義さん(64)は「いつまでも共同生活をしているのでは、精神的にも体力的にもつらい。仮設住宅も一向に進んでいる気配はない」と話した。
 菅首相は青い作業着姿で、体育館にいた約60人が疲労の表情で出迎えた。
 「どれくらい被災者の状況を見てもらえたのか」。両親と3人で避難する漁師佐藤一男さん(45)の表情は厳しい。「まだ電気や水が通っていない避難所もある。遺体の捜索すら手を出せない人もいる。そっちに気を向けて」と話した。
 住民の要望を聞きながら避難所を回った菅首相に、グローブを持った子供と母親は「野球をするはずだった高田松原球場がなくなってしまった」と涙ながらに訴えた。
 仮設住宅の早期の建設を住民に約束した菅首相だったが、具体策も明言できないまま、「これからも精いっぱい、最後まで国の方も対応したい。元気を出して頑張って」「長丁場だから元気を出して」と言葉をかけるのがやっとだった。

2011年04月02日15時34分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/5461541/


首相、岩手の避難所を視察

 菅直人首相は2日午前、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市を視察のため訪問した。避難所となっている米崎小学校では住民に避難生活の状況を尋ね「国もしっかり対応するので頑張ってほしい」などと声を掛けた。首相の震災地視察は発生翌日の3月12日以来、2回目となる。これに先立ち、首相は市内の市役所仮庁舎で、達増拓也知事や戸羽太市長から被災状況の説明を受け、地域の生活再建や復興をめぐり意見交換した。仮庁舎を出る際には、居合わせた約20人の消防団員に「少し長い戦いになるが、政府も最後まで一緒に頑張る。皆さんも頑張ってください」と呼び掛けた。
 午後には福島第1原発事故の対応に当たる自衛隊や消防、東京電力関係者らが拠点とする、第1原発から約20キロ離れたサッカートレーニングセンター「Jヴィレッジ」(福島県広野町など)に移動し、関係者を激励。

2011年04月02日12時38分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/5460666/

 見ていただいてわかるとおりに、双方とも「嘘」は書いていない。しかし、読んだ後の印象は全く違うことに気づくはずだ。
 マスコミの批判を行う時に「偏向報道」ということがあげられるが、簡単にいえば「誰の主観で記事を書くのか」ということになる。事実を記載している。しかし、度の立場で「記事を編集するのか」ということによって、かなり違う印象になることが良くわかるはずだ。このような記事を「印象操作」というものであり、マスコミの批判で使われる「偏向報道」の中心的な手法であるといえる。
 共同通信の記事は、「事実」を書いているようでありながら、「三週間も行かなかった」ということも、また、首相が声をかけたということ激励したという「事実」を記載しているものの、そのような首相の姿を見た「被災地の人々の印象や意見」をまったく無視している。一方で産経新聞の記事は、滞在時間が20分しかなかったこと、具体策を何も約束できなかった姿などが映し出されている。共同通信の記事を見れば、菅首相は現地で歓迎され、そして多くの人を激励したかのように映る、一方で、産経新聞を読めば、菅首相の後手後手の対策に業を煮やし、そして政府に失望している被災地の国民の様子が映し出される。簡単なことで、共同通信は首相側の主観で記事を書いている。一方で産経新聞は、被災地の皆さんがどのような目で菅首相の訪問を受けたのかという観点で書いている。
 どちらが間違えているというのではない。どちらも事実だ。しかし、共同通信の記事は、まさに政治権力に近いものが、その情報を垂れ流しているかのごとき印象をぬぐえない。まさに戦時中の「大本営発表」をしているかのごとき内容でしかない。言論の自由も、国民の立場の報道もできていないし、政権に対する批判精神も全く無くなってしまっている。一方、産経新聞は、首相側の主観がない。基本的に意味がないが、それでも、いまだに被災地にかない枝野官房長官や仙谷官房副長官より「まし」なのかもしれない。そのような観点が欠けているのではないか。
 報道によって何が変わるのか。簡単にいえば行動を起こした人、今回で言えば菅直人に対する国民の評価である。その評価は正当にそして客観的に評価される必要がる。どちらかに偏った報道を行うことは、その国民の選択を「不当に犯している」ということに他ならない。大本営発表は止めなければならない。ちょうど、二つを並べたような記事が最も良いのであるが、残念ながら紙面の都合などでそうもいかない。うまくバランスを取った記事を書くべきではないのか。そのためにはしっかりとした比較が必要だ。自民党の代議士や、天皇陛下のご訪問と比較し、何が違い何が足りないのか、そしてそのことに国民がどのような評価を出しているのか。国民のため、今回は被災地の一日も早い復興のために、マスコミもしっかりとした報道をしなければならない。政府が頑張っているのは「当たり前」であり、政治に対する不信があるのであればタブーなく早々に解散総選挙をすべきであろう。そのような報道にしなければならない。マスコミによる「印象操作」は一刻も早くやめるべきであるし、そのような「印象操作」をしたマスコミこそ、国民に糾弾されるべきである。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書 カオスの中の秩序の町 北京観光(1)北京の外観

宇田川敬介東アジア放蕩覚書
  カオスの中の秩序の町 北京観光(1)北京の外観

 先週、先々週と東日本大震災の影響で、復興にする提言とその提言に対する皆さんからの意見を掲載しました。その間、「宇田川敬介東アジア放蕩覚書」はお休みさせていただきました。あれだけの震災ですので、やはり、何らかの提言を出さないといけないと思うのです。しかし、その間連載をお休みさせていただいたことに関しては、この場をお借りしてお詫び申し上げます。また、この場をお借りして、震災の犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。また、この連載は、私の外国での放蕩三昧を記載する内容ですので、不謹慎に当たる場合もありますのでご了承ください。もちろん、現在遊んでいる話ではありません。あくまでも昔の記憶ですのでご理解ください。

  さて、前回まで華夏スイスホテルとの交渉をお知らせした。前回まで書いた勢いで交渉をしていれば、それはそれは素晴らしいビジネスマンであろう。しかし、今の私を知っている人は当然ご存じのように、私はそんなにまじめな人間ではない。当然に、適当に交渉し、適当に遊んでいるというのが私の性格だ。それどころか、基本的には仕事2割遊び8割が私の基本だ。私が年中仕事をしているとか、真面目に何かを考えていると思えば大間違いである。それは、現在も同じである。チャンネル桜に出演したり、本を書いたりというのが目立つ。しかし、残念ながらそれは私の一部で、基本的には、そんなにまじめな人ではない。もちろん、真面目な性格では、このような文章が書けるはずもない。このような文章を書くというのは、要するに、私がまじめな性格ではないから様々な体験をする。そのことの証明でしかない。
  当然のことながら、そのような性格は中国に初めて行ったこのころから同じだ。さすがに生まれながらにしてふまじめな性格と言われるとなんとなく違う気もする。しかし、かなり早時期からこの性格であることは間違いがない。要するにスイスホテルとの交渉中も、当然のごとく遊び部分は非常に重要な要素である。
  スイスホテルとの交渉の時間割はこうなっている。

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被災地から甲子園、東北高校ナインの勇姿と正面から戦った大垣日大高校にエールを

被災地から甲子園、東北高校ナインの勇姿と正面から戦った大垣日大高校にエールを

 今日は土曜日なので、珍しくスポーツの話題を。
 とはいえ、巨人軍をはじめとしたセリーグの開幕をめぐるごたごたを書くつもりはない。私がコメントするのは「奢れる者は久しからず」まさに、セリーグに対しては国民が審判を下すことになるであろう。
 そんな暗い話題よりも、スポーツの話題くらいは明るい話題にしたい。私も毎日ブログを書いているものの、そろそろ震災のことから離れたいという思いもある。非常に不謹慎であるが、私などは被災もしていなければ何もないのであるが、毎日震災に関する取材をし、首相官邸の対応に落胆し、ここのブログで愚痴に近い内容を書いていても、やはりなんとなく満たされない思いがあるからだ。それと、今回のような震災意外に関する内容を書いていると、いつもは笑い話にしている阪神大震災の記憶がどうしても戻ってしまう。普段、極力笑い話にして話している。実際に悲惨な内容はよく見ていたし、多くの建物が倒壊してるさまを見て、愕然とする思いであった。しかし、悲惨な話、悲しい話は十分であり、何とか「生き残ったものだけでもたくましく生きる」ということをしっかりと話をすべきではないのか。そう思って、普段はいやみにならない程度に笑い話で阪神大震災の話をしている。風化させないということでは役に立っているのかもしれないが、逆に、今回のような「瓦礫の山」を見ると、どうしても嫌な記憶が戻ってしまうのも仕方のない話だ。トラウマという単語があるが、どうも、震災後の風景は私の中になんとなくそのような形で入ってきてしまうようだ。それだけに、民主党政府の対応には怒りがこみ上げてくる。こんな茶番劇の影で、何万人の人が苦しみ、そして必死に生きようとしているのに、その姿が見えない政治などは「日本にはいらない」のである。
 さて、そのような中、やはり勇気をくれるのは歌とスポーツである。今回も高校野球はやってくれた。平成23年の春の選抜高校野球は震災被災者を慮り、行進曲もない開会式で始まった。その一回戦最終試合は、被災地仙台の東北高校と岐阜県の大垣日大高校の試合であった。歴史に残る名勝負というものではないが、それでも、被災地だけでなく、日本を元気にするのは十分な試合であったと思う。
 その記事が下記のものだ。

あきらめてたまるか!東北の気迫に日本中が拍手…センバツ第6日

 9回2死一、二塁、東北の代打・山田は一ゴロでヘッドスライディングを試みるが、アウトとなりゲームセット ◆第83回センバツ高校野球第6日 東北0―7大垣日大(28日・甲子園) 日本中が拍手した。東日本大震災で被災し、出場も危ぶまれた東北(宮城)が28日、昨春4強の大垣日大(岐阜)に0―7で敗れた。エース・上村健人主将(3年)が初回に5安打5失点。打線も3回2死一塁から小川裕人遊撃手(3年)が放った“右越え本塁打”が、審判団の協議で二塁打となる「幻のアーチ」もあって完封負け。しかし、最後まで全力プレーを続けたナインが、被災地へ最高のエールを送った。
 試合終了とともに甲子園球場が拍手に包まれた。勝敗も敵味方も関係ない。東北ナインへの称賛と激励の思いがこもった拍手だ。アルプススタンド、内外野席、バックネット裏と計2万7000人の観衆から、縦じまのユニホームへ降り注いだ。先発した上村主将は試合後、「『東北頑張れ』と声を掛けていただいたり、すごくありがたかった。攻撃中は被災地のことを考えました。いろんな人に支えられて試合ができました」。観客や地元から駆けつけた応援団、激励や差し入れをくれた高校野球ファンら、すべての人に感謝した。
 「感謝」と帽子に書いてプレーした上村主将 19日に大阪入りも、練習試合は雨で1試合しかできないまま本番を迎えた。昨秋の明治神宮大会で最速136キロだった上村の直球は、ほとんどが120キロ台中盤。打線は4安打に抑えられ、0―5の3回には小川の当たりが“幻の2ラン”となる不運もあった。
 3月11日の午後2時46分。学校のグラウンドで練習中だった選手たちを、未曽有の大地震が襲った。当初、この日の午後、津波で水没した仙台空港近くの岩沼市海浜緑地公園野球場で練習試合を予定していた。2日前に相手校の都合などで中止となったが、河西利明部長(43)は「もしも試合が行われていたら…。この子たちが生きているだけで十分」と振り返る。
 宮城では多くの方が亡くなり、野球部員も学校近くの中学校での避難所生活を強いられた。携帯電話に緊急地震速報メールが届くたびに外への避難を繰り返し、夜は眠れない。電気、水道、ガスがストップし、食事も1日2食。そんな中、ナインは給水活動のボランティアを行いながら、キャッチボールと素振りだけでもと体を動かした。
 マグニチュード9・0という大地震から17日、内外野は再三ファインプレーを見せた。攻守ともに常に全力疾走する姿は、見る者に感動を与えた。代打で出場し、最後の打者となった山田卓哉(3年)は「僕らは野球と甲子園に元気をもらいました。今度は僕らの全力プレーで、被災者の方に1人でも元気になってもらいたかった」。一ゴロにも一塁ベースへのヘッドスライディングで気迫を見せた。
 7年ぶりセンバツ勝利には結びつかなかった。それでも、五十嵐征彦監督(35)は「選手たちはやりきった。何かを伝えることはできたと思う」と褒めたたえた。29日にナインらと仙台に帰る上村は「胸を張って帰りたい。一から練習してもう一度、夏に戻ってくる」と力強く言った。厳しい状況が続く中、復興を目指す被災者へ、東北ナインからのエールは届いたはずだ。
2011年3月28日 スポーツ報知

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/hs/news/20110328-OHT1T00249.htm

東北ナインが帰途に、上村主将「もう1試合見せたかった」…センバツ

 宿泊していたホテルを出る東北の選手ら 東日本大震災の被災地から第83回センバツ高校野球に出場し、初戦で敗れた東北高(宮城)の選手らが29日朝、帰途に就いた。
 主将の上村健人投手(17)は宿泊先の大阪市内のホテルで取材に応じ「もう1試合見せたかったが、この状況で1試合でもやることができてうれしかった」と振り返り「被災地の人に『元気をもらった』と言ってもらえたらうれしい」と表情を緩めた。
 五十嵐征彦監督(35)は「微力だと思うが、今まで(地元に)支えてもらった分をお返しし、地域の方々と一歩ずつ前に進んでいきたい」と語った。

2011年3月29日 スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/hs/news/20110329-OHT1T00136.htm

 はっきり言って、大垣日大高校は非常にやりづらかったと思う。日本中が東北高校の応援団であったといってよい。下手をすると岐阜県の人でも、内心のどこかで地元大垣日大高校ではなく被災地の東北高校を応援していた人もいるかもしれない。そのような中で「わざと負ける」でもなく「全力で試合をする」というのは、非常に難しかったのではないか。私が奇異s他のは、東北高校よりも大垣日大高校のほうだ。勝っても負けても批判がくるのではないかと心配になるであろう。
 もちろん、被災後練習もできず、そしてボランティアになって被災地の人々を元気付け、その上、地元のことが気になって試合に来ているのであるから、当然に東北高校が実力を出し切れるはずがない。どこかに「大きな使命感」があるであろうし、日本中の声援という大きなプレッシャーを感じることもある。平常心で試合あできない状況であったかもしれない。そのような中で、万難を廃し、辞退せずに甲子園で元気にプレーをした姿には感動をした。そして、実力を出し切れない東北高校を相手に、手加減もせず、そして日本中の東北高校の応援をプレッシャーに感じながらも、全力で戦った大垣日大高校もすばらしいと思う。そして、東北高校を応援する人もたくさんいた甲子園で、大垣日大高校に対する避難もなく、暖かい拍手でその勝利をたたえた観客もすばらしい。
 すべてを自粛するムードの中、この動きは非常にすばらしい。この試合を見て、日本はすばらしいと思った。私の個人的なわがままであるが、震災以降どのテレビを見ても新聞を見ても、みな震災のことばかりであった。同じものばかりで能がない報道とも思った。しかし、このような「元気をもらえる」報道は何度見ても悪くないものである。
 われわれ大人がこんなことではいけないのであるが、高校生のひたむきな姿ということ、子供の無邪気な笑顔など、われわれが勇気をもらえるものがある。そしてそれを許容する多くの日本人がいるということは最も重要なことではないのか。政治はだめでも日本人はすばらしい、日本はすばらしい国だと思う。
 このように元気をくれる報道を、もっとマスコミはするべきではないのか。私は、声を大にしてマスコミ各社に要望したいと思う。

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福島原発人災事故を受けての各国の原子力政策

福島原発人災事故を受けての各国の原子力政策

 福島の原子力発電所に関しては、基本的に菅直人首相のヘリコプター視察による初動対応の遅れが原因ではないかということが、国会でも問題になっている。実際に20キロメートルしか離れていない福島第二原子力発電所や、東北電力の女川原子力発電所は何も問題がなかった。しかし、福島第一原子力発電所だけ事故になった。地震と津波が原因である放射能漏れであることは間違いがない。しかし、当初は一号炉から水蒸気とみられる白煙が上がっていた。その時に全ての原子炉をしっかりとチェックしていればよかったのではないか。原子力発電所の今回の事故の対応に関しては、事故が起きてから場当たり的に対処している姿が良く見てとれるのではないか。途中で機動隊の放水車を用意したり、自衛隊その次に消防庁のレスキュー隊というように、次々と違うものが出てきてしまう。これでは「事故を未然に防ぐ」ということはできない。事故が生きてからの対処療法以外はしていない日本政府の態度に世界各国は不信の目を向けている。
 18日くらい、要するに、地震から一週間たった時点くらいから、「震災被害国」から「放射能汚染加害国」というように報道は変わっている。「JAPAN MELTDOWN」と書かれた外国の新聞を見ると、さすがにドキドキする。今週になってから、外国の友人(外国人の友人及び外国にいる日本人の友人たち)からの電話が多かった。震災当日および震災翌日などは、電話が通じづらくなっていることもあり、あまり電話がなかった。着信履歴なども少なかった。しかし、放射能汚染加害国という報道が出たのちは、急に電話が増えた。「水や食料を送りましょうか」というものから、タイのバンコクからは「老人用の日本人町だが、少しあいているので、家族で避難しに来ないか」というものまであった。
 外国では、これほど大きな衝撃はないということになっている。技術の国であり、原子力先進国の日本が、チェルノブイリ原発事故に近い原子力事故を起こしたのである。この内容が完全に天災、要するに津波や地震によるものではないということを意味しているのである。しかし、人災であっても事故は事故だ。その事故を受けて、世界の原子力政策がかなり大きく変化しているのである。その内容が下記のものである。


原発新設の「白紙」検討=被災者支援、支給額引き上げ―菅首相

 菅直人首相は31日午後、共産党の志位和夫委員長と首相官邸で会い、東日本大震災と福島第1原発事故の対応をめぐって意見交換した。「2030年までに原発を14基以上新増設する」との政府の目標について、首相は「白紙、見直しを含めて検討する」と表明した。会談後、志位氏が記者団に明らかにした。
 政府は昨年6月、エネルギー基本計画を策定。二酸化炭素の排出抑制を念頭に原発推進の立場を鮮明にしていた。原発の新増設を見直す場合、エネルギー政策の抜本的な転換につながることになる。成長戦略の柱の一つでもある原発の海外展開にも影響を与えるのは必至だ。
 首相は志位氏との会談で、「使用済み核燃料の問題をどうするかも含め、安全性の見地から構造的な原子力政策の再検討を行いたい」と強調。福島第1原発の現状に関しては「安定的な冷却の見通しが立っているわけではない」と説明した。
 一方、首相は、地震や津波などで住宅が壊れた世帯が対象の被災者生活再建支援法について「300万円の上限(支給額)は引き上げが必要だ」との認識を示した。「町を高台に移し、新しい町づくりをするという計画が出てくることも念頭に置く」とも言及した。 

時事通信 3月31日(木)15時49分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110331-00000069-jij-pol


それでも…オバマ大統領は原発推進路線を堅持

 【ワシントン=山田哲朗】オバマ米大統領は30日、ワシントン市内のジョージタウン大学でエネルギー安全保障について演説、「米国は電力の5分の1を原子力エネルギーから得ている。原子力には大気中の二酸化炭素を増やすことなく電力を作る重要な能力がある」と指摘し、原発推進の姿勢を堅持する考えを表明した。
 福島第一原発の事故で米国内でも原発の安全に懸念が高まっていることに対しては「安全は必ず確保する。調査結果や教訓を、次世代の原発の設計、建設に役立てる」と述べた。
 また、中東政情が不安定になり原油価格が高騰している問題については「今から10年少しで、石油輸入量を3分の1削減する」とし、2025年までに石油の輸入量の3分の1を減らす方針を示した。

2011年3月31日(木)11時22分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20110331-00407/1.htm


ドイツ、全原発を緊急点検

 東京電力の福島第1原発事故を受け、ドイツ政府が同国内の全ての原発を対象に、大津波や施設内での水素爆発、電源の完全な喪失などを想定した大がかりな安全性評価をする方針であることが31日、分かった。関係者が明らかにした。使用済み核燃料プールを原子炉格納容器内に設置して損傷を受けにくくすることや、放射性物質の影響を受けない緊急制御室の新設、地球温暖化による暴風雨や海面上昇などの影響の考慮など多項目の改善策を検討する方針で、大規模な施設の改造につながる可能性もある。

2011年3月31日(木)6時12分配信 共同通信 
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/kyodo-2011033101000037/1.htm

 技術立国日本、原子力先進国日本の今回の事故は「日本でも大きな原子力事故が起きる」という事を世界に示した。そして、事故が大きくなってからの対処では、日本の技術力といえども、事故を抑えることは難しいということである。もっと言えば、菅直人のような、民主党のような、頼りない指導力のない政権では原子力を制御できないという事を世界中に示した。それだけでなく、そのようなときに外国の援助がなければならないこと、または、何か他の内容を考えながらでは、国民の安全が守れないということが世界中に知れ渡った。
 世界では、民主党菅政権に対し「自分の国や地球環境のために助けなければならない」としながらも、「民主党政権は信用できない」という不信感を持っているのである。これでは話にならない。マスコミは、フランスが全面支援というが、その内容が「自国のため・地球環境のため」ということであり、必ずしも日本のためではないという事をしっかりと報じなければならない。
 それだけでなく、ドイツなど、これで原子力発電を全て火力発電に変えてしまえば、当然に、地球温暖化は進み、そして地球環境を壊してしまうことになる。「米国は電力の5分の1を原子力エネルギーから得ている。原子力には大気中の二酸化炭素を増やすことなく電力を作る重要な能力がある」(上記より抜粋)というオバマ大統領の表明は、日本の対応がまずかっただけであり、地球環境そのものの考え方と今回の事故の確率から考えたものであると想定される。原子力が危険であることはわかるが、その危険を抑えられるのであれば、その有用性を認識することは可能だ。しかし、その危険性と、一方で有用性のバランスをどのようにとるのか。そこにどのように国家の予算や研究成果をつぎ込むのかは各国政府の対応だ。日本政府は、温暖化に進める地球環境よりも、原子力を制御できないという自国の具術力の限界を悟る方に舵を切ってしまった。クリーンエネルギーを割合を増やすというが、そんなに簡単にできるのであろうか。実用性、実効性、そして費用対効果に関してしっかりと検討もせずに、今回の事故を受けて雰囲気で原子力の見直しを決めてしまうということはどういうことであろうか。
 事故は、必ず原因がある。上記のように福島第二原発や女川原発は同じ条件でありながら事故が起きていない。菅首相が視察に行った福島第一原発だけが事故になっている。それは何なのか。事故の原因追究を、すべての情報をしっかりと開示して行い、そのうえで、地球環境をあわせて考えて世界のエネルギー対策を考えるべきではないのか。
 ここで提案する。福島でCOP17を開くのはどうであろうか。原子力の危険と同時に、火を燃やして灯りを取ってみてはどうか。電気をなくし灯りを火を燃やすことで取れば、二酸化炭素が出る。今回もガソリンスタンドに並んでいて、社内で練炭などを焚いていてなくなられた方もいた。何が危険で何が環境に悪いのか。しっかりと考えるためには、地球環境の会議を福島でやるべきである。

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