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2011年5月

民主党政権のままでは日本経済が破滅する 日本のモノ作り離れ

民主党政権のままでは日本経済が破滅する 日本のモノ作り離れ

 震災後、様々な相談を受ける。
 震災直後は、被災地への物資の輸送や安否確認などが相談の中心であった。その後しばらくは被災地の生活に関する問題がほとんどであった。しかし、最近になっては「復興」に関する内容が非常に多くなってきている。
 復興に関する内容といっても、復興計画に関する事の相談ではない。「復興」といってもそもそも震災からの復興ではなく、震災後の「自粛経済」そして福島原発放射能漏洩事故からの「放射能からの復興」である。このブログでも、何度か紹介したが、放射能漏えい事故は、日本国内よりも海外の方が非常に神経質になっている。日本からの輸入物資に対して、全てにおいて放射能の安全性の証明書をつけるうように要求されるなど様々な内容になってきている。EUでは、日本でも東日本の山地の商品は一切輸入禁止であるし。中国なども日本からの輸入品は国内で需要がほとんどないという状態になっている。
 日本以外の国にしてみれば、二つの要請がある。一つは、科学的根拠による放射能汚染物を国内に持ち込ませないということである。ここについては解説入らないと思う。一方で、もうひとつの要請は「日本製」を出すことによる国内における反原発の動きが発生することを避けるという意味合いである。単純に言えば、日本における反原発デモなどの反原子力発電の行動が「伝染」すると非常に困ることになるのである。
 日本以外の各国とも、エネルギー政策などは簡単に変えられるものではない。国民の感情的なアレルギーで簡単に資源購入や発電所の増設などはできるものではない。できないことを、無責任に「すべき」というのが民主主義である。国民のアレルギーとはそういうものであり、科学的根拠のない、いたって扇情的な感情の高ぶりが、「日本製品」から沸き起こることを警戒しているのである。
 逆に、日本国内においては、その国際的な風評被害を完全に払しょくしなければならない。発電所の増設ならぬ修理、そして、資源の購入などは予算だけの問題ではなく、国際間の信用問題である。また予算に関しても日本の現在の不景気をどのようにするのかということも考えなければならない。その景気対策があり、景気この雇用と同時に様々なことを行わなければならない。景気が悪い中でエネルギー政策を転換するなどは、日本経済においては完全に「自殺行為」としか言いようがない。


部品メーカー「海外生産」重視へ 「国内のモノづくり」に危機感

   レンズのHOYAや半導体のルネサスエレクトロニクスなどが国内での生産体制を見直している。東日本大震災後、自動車産業をはじめ多くのメーカーが部品などの供給網が分断されたことで生産が滞った反省がある。
   自動車部品などは海外生産にも影響が及んだことや、海外メーカーには地震の多い日本から他国へ調達先を増やそうという動きがみられるため、部品・部材メーカーは海外生産のウエートを高めてリスクの分散化を図る方向で検討している。
国内生産は「技術流出防ぐため」
   ルネサスエレクトロニクスは2011年5月18日の決算発表時に、停止している主力の那珂工場(茨城県)について、「(震災前の状況に戻すため)復旧を加速させていく」と力強く話した。那珂工場の生産再開品は8月末以降に順次供給を開始しるが、それでも震災前の供給レベルに戻るのは10月末になる見通しだ。
   ルネサスがつくる集積回路の「マイコン」はパソコンや携帯電話、銀行のATMなどに幅広く使われ、なかでも自動車部品は世界シェア4割とされる。ルネサスの供給が止まれば、世界中でクルマがつくれなくなるわけだ。
   ルネサスは生産拠点の見直しについて、「震災前から自社工場やファウンドリー(受託製造会社)も含め生産ラインを見直していました。ラインの平準化による安定供給はつねに考えています」と話す。
   一方、HOYAは半導体生産の原版となる「マスクブランクス」というガラス製部材の海外生産を検討している。同社は「具体的に決定していることはない」というが、すでにマレーシアに一部を移転製造していて、本格的な海外生産を進めるようだ。
   国内の部品・部材メーカーは技術流出を防ぐ狙いもあって、基幹部分の国内生産は残してきた。また数年来、生産効率のアップや利潤追求のため、できるだけ在庫をもたずにいたが、国内であればすぐに生産が調整できると考えられてきたこともある。
   しかし震災の影響とはいえ、長期に供給が滞れば、海外を含めたメーカーからは不満も募るだろうし、他社との併用も検討せざるを得なくなる。
   各社は生産拠点を海外に分散することで、安定的な供給体制を目指す。
アジア諸国は「誘致」をアピール
   「国内のモノづくり」のリスクは高まっている。円高の影響は大きく、トヨタ自動車ですら、小澤哲副社長が決算会見で「(円高対策は)すでに一企業の限界を越えている」と述べるなど、「トヨタが海外生産のウエートを高めるのではないか」と取沙汰された。
   さらには、原発事故による電力不足への懸念がある。中部電力浜岡原子力発電所が政府の要請で運転停止に追い込まれたことで、その懸念は全国的に広まっている。
   海外への生産移転を検討するメーカーがあるなか、震災後、日本企業を誘致しようという動きがアジア諸国に高まっている。4月には韓国政府が日本政府に対して、「被災地で操業停止に陥った日本企業の工場を韓国に移転するよう非公式に伝えた」との報道もあった。台湾やバングラディッシュ、タイなども誘致に熱心という。
   すでに中国に工場を構える国内メーカーは少なくないが、最近は中国内の人件費の上昇などで、ベトナムやマレーシアなどに工場を移転するケースも目立っている。

2011年05月29日19時32分 提供:J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5594238/

 ネットニュースの記事を間に挟んだ。まさに、巷といってもインターネットの中で言われているように、「日本の左翼政権が日本を壊そうとしている」というのであれば、まさに震災復興を遅らせてしまい、同時に、インフラへの不安を募らせ、インフラを停止し、日本の経済に関する信用を完全に失墜させたとなれば、日本は完全に崩壊する。日本は軍事、資源がない国であり、その中において経済と信用がなくなってしまえば、日本は完全に崩壊する。日本国というよりも、日本国民の生活が完全に崩壊してしまう。
 その日本経済の崩壊の序章ということが行われているのがこのニュースである。日本のモノ作りが完全に海外に言ってしまえば、日本国民の雇用は失われることになる。企業がどんなに良くなっても失業者が増えてしまえば、日本経済などが持つはずがない。日本経済が持たないのであれば、日本国の財政が破たんするという、負のスパイラルが発生してしまう。
 専門の経済のことをここで言うつもりはない。しかし、もしも上記に書いたように日本の左翼思想が民主党の中心部にいて「日本崩壊」を考えているのであれば、その目標が半ば達成しているということになるであろうし、そうでないならば、あまりにも無能な民主党政権を維持している意味は全くない。
 昨今、内閣不信任案に関することが言われている。その中においては、これらのことも考えなければならない。もっと単純に言えば「内閣不信任案に賛成しない議員は、日本を壊そうとしている議員」「今の菅内閣を信任している国民は、自分の生活が崩壊し、日本経済が失業者だらけになってもかまわない人々」ということであると考えた方が良いのではないか。
 次の総選挙で、日本人が試されている。

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マスコミ批判に関する一考(45) 誤報に対する対処と隠蔽体質

マスコミ批判に関する一考(45) 誤報に対する対処と隠蔽体質

 この連載を読んでいる人ならば、すでにお気づきと思うが、マスコミは完ぺきではない。マスコミも当然に間違いを起こすし、マスコミも誤報は流すものである。もちろん、マスコミ各社は誤報を流さないようにするために、何重ものチェック体制で記事をチェックしている。前線で取材している記者に対しては、その記者がしっかりと取材し、その取材をもとに、編集者が記事を書くということになる。しかしその間に「記事を書きながら疑問に思ったことに対して裏を取らせる」ということは普通に行われることである。マスコミの人々と夕食を一緒にしていたり、あるいは会議をしていると、それ以前に書いた記事や提出した記事企画に対する問い合わせや、その内容に対する裏とりの指令などが様々来ること場合が少なくない。記者は、たいていの場合その場で内容を説明するのであるが、必要な場合は、改めて問い合わせの電話をする場合もある。場合によっては、私が手を貸すようなケースもあるのだ。それらをしたうえで、足りない場合は食事会などを切り上げる場合もある。切り上げなければならないのは、担当のデスクあたりが疑問に思った場合ではない。編集委員などもう少し上の方が疑問に思った場合である。要するに、何度も記事についての問い合わせをしたうえで、デスク、部長(編集長)、編集委員、役員といった感じで、何重ものチェックが行われるのである。
 それでも誤報はでてしまう。誤報も程度がある。多少間違えたぐらい、あるいは理解を得られる場合の間違いは、簡単に謝罪をしてしまう。しかし、重大な事項を間違えたり、あるいはm悪意を指摘された場合などはなかなか困ってしまう場合がある。今回、朝日新聞において、そのような状況が発生した。その記事が下記のものだ。


朝日新聞に文春の「黒塗り」広告 東電社長人事「誤報」指摘に反発?

   読売新聞が東京電力次期社長の名前を誤報した問題が、週刊誌の広告に飛び火した。週刊文春が誤報の背景を解説する記事で、朝日新聞も同様に誤報をしたと指摘。これが朝日の反発を招いたのか、朝日新聞に掲載された文春の広告では、朝日の名前が「黒塗り」にされたのだ。
   朝日新聞は、広告の原稿を黒塗りされた状態で受け取ったと説明しているが、読売新聞に掲載された広告は、どういう訳か黒塗りされていない。
「『西沢俊夫新社長』読売 ●●はなぜ間違えた」
   毎週木曜日の新聞各紙の紙面には、木曜日発売の週刊文春、週刊新潮などの広告がいっせいに掲載される。通常、両誌は朝日新聞と読売新聞には同じサイズで広告を出稿するので、同じ内容の広告が両紙に載るはずだ。ところが、2011年5月26日朝刊は違った。読売新聞に掲載された週刊文春6月2日号の広告の中には
    「『西沢俊夫新社長』読売 朝日はなぜ間違えた」
という見出しがあるが、これが朝日新聞では
    「『西沢俊夫新社長』読売 ●●はなぜ間違えた」
と、いわゆる「黒塗り」の処理がされていた。
   文春の記事は、読売新聞が5月20日朝刊の1面トップで「東電社長に築舘氏」と題して掲載した記事が「想定外の大誤報」(文春)になった背景を報じたもの。読売新聞の記事では、
    「原発事故の責任を取って清水正孝社長(66)が辞任し、後任に築舘勝利常任監査役(69)を宛てる人事も固めた」
と報じたものの、同日午後の決算会見では、西沢俊夫常務(60)が6月末の株主総会で昇格する人事が発表された。読売新聞は、5月21日朝刊1面に、
    「20日朝刊で『東電社長に築舘氏』との記事を掲載しましたが、誤りでした。おわびします」
との「おわび」を掲載し、誤報を明確に認めている。
   だが、文春の記事では、朝日新聞も同様の誤報をしていたと指摘。記事では、「読売関係者」と名乗る人物が、読売の誤報の背景を
    「現場の記者は反発したものの、ある編集委員がネタを掴(つか)んで押し込んだようです。記事では東電の最終赤字が1.5兆円と書かれていますが、実際は1.2兆円」
と解説する中で、朝日新聞についても、
    「実は、朝日も同日の夕刊で社長人事と赤字額を同じように間違えていました」
と言及している。
次期社長人事「誤報」と言えるかは微妙
   誤報を指摘された5月20日の夕刊(東京本社4版)を見ると、1面に掲載された「東電、赤字1.5兆円」という見出しの記事で、清水社長の退任の意向についても触れている。その中で、次期社長について、
    「後任には元副社長の築舘勝利常任監査役(69)、武井優副社長(61)らがあがっている」
と、断定的な表現を避けてはいるものの、西沢氏ではない名前を挙げている。赤字の額は実際とはズレがあるものの、人事についての表現が「誤報」と言えるどうかは微妙だ。
   ある朝日新聞OBは、「誤報」とまで言われるのは心外だといった反発が、今回の「黒塗り」の背景にあるのでは、と推測する。
   もっとも、朝日新聞広報部では、「黒塗り」の経緯について、
    「お尋ねの広告は、広告主が作成したものです。内容については広告主にお尋ねください」
と説明する。元々「黒塗り」された状態で広告が出稿されたとの主張だ。広告主といえば普通は文春を指すと思われる。文春は読売と朝日と別々に広告を作って出稿するという不思議なやり口をしたことになる。

2011年5月26日(木)18時53分配信 J-CASTニュース 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-96655/1.htm

 朝日のグループは、今から10年ほど前(詳しい年代は忘れた)、沖縄のサンゴ礁に撮影者のイニシャルを彫りつけて話題になった。その時は、まだ「報道ステーション」の前番組である「ニュースステーション」であったが、その中でこの事件を報道しないということがあった。基本的には、朝日グループのカメラマンが軽い出来心でやったということであるが、その後、多くの新聞が一面に近い扱いで、落書きをした写真を掲載し、話題になった。テレビカメラも海の中に入り、朝日不ループの非道な「落書き」を非難したので。しかし、朝日グループだけは完全に無視。ニュースステーションはもちろんのこと、他のニュースでも扱わず、新聞や週刊誌でもまったく何も報道しなかった。完全な隠ぺい体質。マスコミそのものの「ご都合主義」「隠蔽体質」は「朝日だけなのか」「マスコミ全体なのか」ということがかなり話題いなったものだ。しかし、結局それ以上のことはなかった。
 さて、今回東京電力の社長人事に関する誤報。この誤報そのものは、取材中の問題であろう。問題は、誤報を流した後とそれを追及する週刊文春の記事に対して黒塗りで隠ぺいするという暴挙を行ったのである。この記事を見てまず思ったのが、上記のサンゴ落書き事件である。マスコミは、当然に、自分に対しても追求しなければならない。もちろん、間違いを認めることは非常につらい場合もあるが、それでも、その痛み分からずに、人に追及するなどというのは許されるものではない。とくに誤報の責任は、そのような批判を受けて、それに対して襟を正すことではないのか。朝日新聞は、保守系から最も攻撃されている新聞である。その朝日新聞らしい、実に責任感のない広告掲載ではないのか。
 左翼の人々の特徴として、権利を主張しながら義務や責任を全く意識しないということになっている。まさに今回の朝日新聞はそのような行動になっているのではないか。「広告主が」というコメントも、菅直人バリの責任転嫁。朝日と民主党がこの一件からでも似たような感じであることが分かるのかもしれない。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(12) 中国的酒の飲み方(2) 酒で中国人に勝つ方法

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(12)
中国的酒の飲み方(2) 酒で中国人に勝つ方法

 前回のメルマガでは、1to1の方法に関して解説をした。解説というよりも、経験を離しただけである。
  さて、酒の飲み方は、まず食事会の初めに乾杯。この時は、誰かが挨拶をする。次に、丁寧な場合は、招かれた側が乾杯をする。これで二杯目。基本的には前菜を除く料理が一品出てくるごとに乾杯。話の話題によって、乾杯。そして、最後にスープが出てくるが、そのスープの時に、全員がグラスを満たして、全てのグラスをからにするというのが礼儀。基本的には、16~7杯の白酒を飲む。白酒は、様々な種類があるが、基本的には茅台酒(マオタイシュと読む)である。白酒では低くて35%程度、高いものでは70%くらいのものもある。要するに、泡盛のアルコールの高い方やウィスキーを一気飲みでそれくらい飲むということである。とてもとても身体が持つものではない。問題は、どれくらい飲む「ふり」をするか。そして、もうひとつはどれくらい吐き戻すか。もっと言えば、身体の中に、いかにアルコールを残さないようにするのかということが重要である。
  私の場合は、そのような酒のペースが分かってきたら、基本的にはトイレで戻すタイミングが分かってきた。後は、パターンと慣れの問題である。しかし、基本的には、酒に酔わせて本音を聞き出すという中国人の性質は変わらない。何とか、「宇田川から」本音を聞き出そうと必死になる。毎回、中国人のサケを使った尋問と、私の肝臓の戦いである。そして、肝臓だけでなく、何度も入れて戻すのであるから、胃袋もかなりのダメージだ。私の胃の肝臓は、この時のダメージでいまだに私の体をむしばんでいるのである。
  さて、私の体の話などは誰も聞きたくないであろう。皆さんが中国で私のように身体を壊さないためにはどうしたらよいか。まず最も良いのは「一滴も飲まない」ことだ。いくら中国人でも「ドクターストップ」の相手に無理にのませることはしない。基本的には、「医者に止められている」といえば、飲まないでもよい。

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國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
<http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>

<mailto:CQA14363@nifty.com>

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
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日露戦争・日本海海戦・海軍記念日と今の日本

日露戦争・日本海海戦・海軍記念日と今の日本

 今から106年前の昨日5月27日、対馬沖を北上するバルチック艦隊を発見した。
 鬱陵島にいた日本帝国海軍連合艦隊は、ただちに現場に急行し、バルチック艦隊との戦闘状態に入る。連合艦隊は大本営に向け「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と打電した。これは司馬遼太郎の著作「坂の上の雲」で有名な、秋山真之作戦参謀の起草であるという。
 11時42分、第3艦隊第7戦隊も沖ノ島沖でバルチック艦隊を確認し、その後、友軍と合流した。13時39分、連合艦隊主力の第1・第2艦隊もバルチック艦隊を左舷南方に視認し、戦闘旗を掲揚して戦闘開始を命令した。13時55分、東郷は連合艦隊旗艦「三笠」へのZ旗の掲揚を指示した。
 この信号ぼというのは、あらかじめ各艦にはたとその旗に対する意味を配布しておき、その旗が揚がった時には、こういう命令であるということを伝えておく。この時のZ旗の意味は、有名な戦闘開始の言葉である。
「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」
 さて、本日このような記事を挙げたのは、日本海海戦は5月27日よ5月28日の二日間にわたり行われる。主力艦による砲撃船は5月27日に大勢が決し、27日の夜と28日の未明に水雷艇がほとんどの官邸を襲撃、戦闘能力を奪った。そして28日は最後まで戦闘能力を保有していたバルチック艦隊第三艦隊のネボガトフ少将が降伏し、日本海海戦が終結した日である。28日の10時34分のことと記録されている。
 現在27日は横須賀にある戦艦三笠において記念祭が行われ、28日は東京原宿の東郷神社において大祭が行われる。
 さて、大祭の話は別にし、まさに今「皇国の興廃」が政府の対応にかかっているのではないか。本来であれば、東郷平八郎提督のような有能で責任感の強い指揮官が日本のかじ取りを行い、上村彦之丞第二艦隊司令長官のような猛将が国難を廃し、秋山真之作戦参謀のような地位はなくても「智謀湧くが如し」といわれるような英知を絞り、加藤友三郎参謀総長のような下の能力を十分に生かし、そして後に海軍軍縮条約を締結したように構成につなげるヴィジョンを持って国難に当たるべきではないのか。まさに、坂の上のく主を目指すがごとき、国民一丸となって事態に当たるべきであり、指揮官はその国民の意思を尊重し、自らが全責任を取って「腹を切る覚悟」でいなければならない。途中で「斑目が-」「東電が-」と言っているようでは、明治時代の指導者たちと比べるまでもなく、政治が信用できない状況にあることは明らかになってしまう。
 そのような事を思って顔もわずか、民主党の国対委員長室の中にZ旗が掲げられているという。

後がない民主党・国対委員長室に飾られた「Z旗」

 司馬遼太郎著『坂の上の雲』にも登場する「Z旗」が、国会内にある民主党の安住淳国対委員長の執務室に飾られている。安住氏は元防衛省副大臣で、海上自衛隊に依頼して取り寄せた。
 Z旗は日露戦争時、日本海海戦を前にした東郷平八郎連合艦隊司令長官が旗艦「三笠」に掲げたことで知られる。船舶同士の通信に使う国際信号旗の一つだが、アルファベットの最後の文字であることから「後がない」ことを意味する。
 「連合艦隊の各艦の金庫には作戦を記した暗号書が保管され、旗艦三笠が掲げる旗が作戦の暗号だった。Zを意味する赤、黄、青、黒の4色からなる旗を掲げたことから各艦が暗号書を確認したところ、そこに書かれていた一文が有名な“皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ”だった」(軍事評論家・浜田紡氏)
 旗艦「三笠」は保存され、今も横須賀市の海岸で公開されている。運営しているのは防衛省の外郭団体で、補修等は海自横須賀地方総監部が行う。
 海自関係者によると、安住氏は副大臣時代の昨年夏頃、家族と一緒に三笠を訪問。そのときZ旗の由来について詳しい説明を受けたことがきっかけで、Z旗に強い興味を持ったという。
 「安住氏の家族が訪問・乗船したとき、海軍旗(旭日旗)とZ旗、大将旗の3種類がマストに掲げられたそうです。国際信号旗はアルファベットや数字などを示すものが計40種類あり、海自の各艦船や海自の補給部で保管されています。安住氏は三笠訪問後、海自側にZ旗の貸与を申し入れ、今年3月に貸し出されました」(前出関係者)
 むろん、安住氏の執務室にあるのは三笠に掲げられたZ旗とは別物だ。
 「安住氏に無償貸与し、安住氏から借用書をいただいています。艦船から持ち出したのではなく、使われてなかった物を貸し出しました。旗は額縁に収められ、『海幕長寄贈』と記したプレートが付いています」(海幕広報室)
 この旗については防衛省の一部で「紛失扱いになっているのでは」という噂が流れたことがあるが、同広報室は「借用書があるのだから、紛失の事実はまったくありません」と一笑に付した。
 安住氏はZ旗を借りた際、予算関連法案を成立させる覚悟を示したものだと説明していたという。瀬戸際の菅直人首相も、Z旗を掲げたい心境かもしれない。

プレジデント 2011年5.30号
http://president.jp.reuters.com/article/2011/05/16/3E2A6062-7AF0-11E0-B443-6EF03E99CD51.php?rpc=169

 しかし、自衛隊を暴力装置と言ったり、海上自衛隊からZ旗を借りてきたり、民主党はその行動が矛盾して理由づけに忙しいことだ。
 はっきり言う。
 次の総選挙で「皇国の興廃この一戦にあり」とは、敵は間違いなく民主党政権である。安住氏は、もしも歴史をもう少し勉強しているのであれば、日露戦争直前の危機そのものの時に第一艦隊司令長官を日高壮之丞から東郷平八郎に交代させた逸話も知っているはずだ。危機だからこそ、国難だからこそ、任せられる東郷平八郎に艦隊司令長官を交代させた山本権兵衛海軍大臣の英断は、まさに勇気ある決断でもあるし、「殺してくれ」と迫った日高も明治男児である。明治天皇は第一艦隊司令長官の交代に対し諮問したところ、山本海軍大臣は「統合は運の良い男ですから」とだけ答えた。東郷平八郎は科目の人といわれる。明治天皇から戦争の予想を聞かれると「撃滅します」とだけ答え、あとは何も答えなかった。
 今、震災そのもののではなく、震災復興の時期である。しかし、歴史に学べば「復興の時期だから首相を変えてはいけない」「非常時だから政権を変えてはいけない」というタブーはないはずである。逆に、日本海海戦が東郷平八郎でなかったらどうなっていたのか。国難に際し、適材適所で「指揮官」も「首相」も「政権」も変えてゆかなければ国難を乗り切ることはできないのではないか。
 有名な連合艦隊解散の辞。最も有名なのは「勝って兜の緒を締めよ『と』」とある。これは東郷平八郎の出身地薩摩の国のことわざから取ったそうだ。本来は
「勝って兜の緒を締めよ 負けても心の尾を締めよ 深く考えきまりよく 最後まで頑張れ」
 という。先勝の後の解散の辞で「負けても」というのはよくないであろうということで秋山参謀が後半を削った。『と』は東郷平八郎のこだわりである。では、今、被害を受けた状況で「心の緒はしまっているのか」「深く考えているのか」「きまりよいか」「最後まで頑張っているのか」これができていない指揮官も、そして政府も、完全にいなくなって欲しいと思うのは不謹慎なのであろうか。
 日本人は歴史に学ばなければならない。アメリカなどと違い日本には2000年を超える歴史の積み重ねと教訓がある。その中から学ばなければならないことはたくさんある。歴史を捨てた国民は弱い。見た目で発展していてもその精神性が脆い。日本がしっかりとできるのは歴史の積み重ねがあり歴史から学ぶことができるからだ。科学や技術は発展しても人間は変わらない。日本人は、このような歴史から学び、現在の「国難」に対処しなければならない。逆に歴史を否定する現在の政権には、早く退いてもらいたい。日本の国難を乗り切れるとは思えないからだ。

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民主党お得意の実現可能性の薄い国際公約で日本はまた恥をかく

民主党お得意の実現可能性の薄い国際公約で日本はまた恥をかく

 一昨年9月、政権交代直後、鳩山由紀夫首相はサミットの場において1990年比の二酸化炭素排出の25%マイナスを表明した。今から考えれば、できるはずのない約束などをするのは、完全に狂っているとしか言いようがない。マイナス25%の数字などは誰もできるなどとは思っていない。民主党得意のパフォーマンスである。ただ問題は、国内の問題でて苦闘なパフォーマンスをするのであればよいが、外国にまでそのよう国内的なパフォーマンスが通用するはずがないのである。
 実際にパフォーマンスを実現するために、鳩山政権では原子力発電を推進し、またその意向を受けた東京電力は「オール電化」の住宅を推進したのである。そのオール電化の住宅は、現在の震災と津波そしてその派生的な問題になっている原子力発電の問題で、岐路に立たされているといえよう。単純に言えば、「オール電化」で二酸化炭素の排出は少なくなったかもしれないが、一方で、電気や電源がなければ生活そのものが成立しないのである。一方で、鳩山政権の後を受けた現政権である菅直人首相は、究極のポピュリズムで、「原発は危険」をアピールし、被災地と何の関係もない静岡県の浜岡原発を、法的根拠のない行政指導で止めてしまった。これにより鳩山政権の進めていた「オール電化」の根本となる発電が足りなくなってきている。インフラがないということは、生活を守れないということ。生活を守れないということは、政府が何もしていないということになる。
 政府が何もしていないのは、責任問題である。そこで、菅直人政権はより一層パフォーマンスを行う。パフォーマンスは、どんどんと過激になり、目立つようにしなければならない。しかし、内容を過激にするばかりではに身がない。単純に言えば、す電パフォーマンスとばれてしまっている相手に対して、どれだけパフォーマンスをしても目立たないし記憶に残らない。ということは、より一層目立つ場所で、極端な内容を行わなければならない。結局「国際公約」という形で、一層過激な実現不能なパフォーマンスをしてしまう。


菅首相「太陽光パネル1000万戸に」 実現可能な数字なのか

   菅直人首相が、「1000万戸の屋根に太陽光パネルを設置することを目指す」と国際舞台で表明した。現状は54万戸程度だ。「1000万戸」は実現可能な数字なのか、それとも「政治主導」で打ち出したパフォーマンスなのか。
   菅首相は2011年5月26日(日本時間)、パリであった経済協力開発機構(OECD)設立50周年記念行事で講演した。原発事故を受けたエネルギー政策を語る中で、「設置可能な約1000万戸の家の屋根にすべて太陽光パネルを設置することを目指していく」と日本語で宣言した。
「難しい数字だが、やれないことはない」
   菅首相は、太陽光を含む自然エネルギーの比率について、2020年代のできるだけ早い時期に20%を超えるよう取り組むとも話しており、太陽光パネルの話も同様の時間幅をイメージしているようだ。
   一方、業界団体の太陽光発電協会の2020年段階の目標戸数は530万戸だ。菅首相が示し
た目標値は、この倍近い数字だ。
   太陽光パネルを一般家庭で導入するには、平均で240万円程度かかる。行政の補助金制度もあり、経済産業省の補助金への申請件数は、2008年度には約2万 1000件だったのが、10年度には約19万5000件に急増してはいる。とはいえ、「1000万戸」が大きな数字であることに変わりはない。
   太陽光発電協会の岡林義一事務局長は、1000万戸という菅首相の目標設定について、「難しい数字だが、やれないことはない」との見方を示した。ただし、行政のバックアップが相当必要だという前提だ。
   「1000万戸目標設定」は、官庁で積み上げた数字なのだろうか。はっきりしない部分もあるが、経済産業省や環境省の複数の部署にきいた範囲では、「われわれが報告を上げた数字ではない」という反応だった。
「3軒に1軒は太陽光パネル」の時代到来か
   とはいえ、突拍子もない数字、というわけでもないらしい。現行のエネルギー基本計画などでは、2020年の段階で太陽光発電の能力を05年比で20倍にする目標が掲げられている。現在、目標を大きく上回るペースで浸透している。太陽光パネルを導入した家庭の戸数は約54万戸(09年)で、「1000万戸」になるには約18倍にする必要がある。経産省や環境省の担当者は「楽な数字とは言わないが、無理だというわけでもない」とみているようだ。
   また、環境省の審議会資料に引用された国立環境研究所の2010年の試算によると、「20年までに二酸化炭素排出を25%削減するには、1000万世帯での導入」が必要だと指摘されている。国内戸数は現在、一戸建て約2745万戸、共同住宅約2068万戸だ。仮に一戸建てに限定して考えると、1000万世帯導入が実現すれば、3軒に1軒は太陽光パネルを設置している計算になる。そんな光景が約10年後には見られるのだろうか。

2011年05月26日19時26分 提供:J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5588086/


菅首相、復興へ連帯呼び掛け=異例の冒頭発言、原発討議―仏サミットが開幕

 【ドービル(フランス)時事】第37回主要国首脳会議(サミット)は26日午後(日本時間同日夜)、フランス北西部のドービルで開幕した。菅直人首相は冒頭行事の昼食会で最初に発言。東日本大震災からの復興と東京電力福島第1原発事故の収束に全力を挙げる決意を表明するとともに、各国に連帯を呼び掛ける。事故の情報と教訓を国際社会と共有し、原子力の安全に貢献していく姿勢を打ち出す考えだ。
 菅首相の冒頭発言は、議長を務めるサルコジ大統領の意向。日本以外でのサミットで日本の首相が行事の最初に発言するのは異例だ。震災からの復興に向け、各国は日本支援で一致する見通し。
 今後のエネルギー政策について菅首相は、太陽光や風力など自然エネルギーの普及へ技術革新に取り組む方針を強調。2020年代のできるだけ早い時期に全発電に占める自然エネルギーの比率を少なくとも20%とする目標を示す。 

2011年05月26日22時04分 提供:時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/5588388/

 フランスは、日本の福島の事故にかかわらず、原子力発電所の推進を継続している。ドイツは脱原発を行っている。この違いは何か。二つの大きな違いがあることにお気づきだろうか。一つは、戦勝国と敗戦国の差だ。そしてもう一つは電力資源輸出国と買電国の差だ。といつは、敗戦国だ。国連ではいまだに日本とイタリアとともに敵国条項がある。敵国条項というのは、国連の設立の時に第二次世界大戦の枢軸国のような敵国が現れないように、連合国側で同盟を行うために国際連合ができている。国連の栄運役であるUnited Nationsは、直訳すると「連合国」であり、「枢軸国」に対抗する世界大戦の陣営である。
 敵国条項があるということは、当然に核兵器を持てないということだ。とくにドイツの場合、冷戦終結まで東西ドイツに分かれており、ドイツとしては、特に原子力発電にこだわる必要はない。また、ドイツは電気を外国から買っている国である。要するに勝っている国の先が原子力発電していようと何だろうと関係がない。ドイツは原子力そのものの発電をしていないということにこだわるのだ。
 一方、フランスは、そもそも火力などの化石燃料が少ない資源輸入国である。また、フランスは核保有国である。核保有国が原子力発電を推進しないということは核を完全に軍事利用しかしていないということになる。それだけではなく、原子力発電がなくなれば、資源がなくなった時に問題がある。国防上大きな問題のある選択を、政府が選択できないのではないか。
 フランスがそのような子をしなければならないのは、再生可能エネルギーが確立していないということに他ならない。しかし、それを大幅に広めるということを菅はパフォーマンスで行ったのである。
 霞が関の取材によれば「パフォーマンスですから信じないでください」ということを壁でわれわれに言う。それだけではなく「現地でも、あまり大きく扱わないように要請した」というのである。これでは完全に国家としての信用がなくなる。もっと言えば、サミットで鳩山、菅と二代連続でうその公約をしたということになる。日本の首相の言うことは、あるいは公約することは「守られない」ということになってしまうのだ。あまりにも日本国民の信用を棄損し、日本の信用を失ったこの行動はさすがに許されるものではないのではないか。
 日本の信用をなくし、日本を滅ぼそうとしているのが、日本の首相だった。もっと言えば、そのような首相を国民が選んだ。国民全員が、信用されない日本を子供たちに残したという罪悪を犯してしまったのである。

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自民比例当選の与謝野は入閣させ、民主比例の横粂議員を比例だから離党を認めない?

自民比例当選の与謝野は入閣させ、民主比例の横粂議員を比例だから離党を認めない?

 民主党菅直人政権の壮大なブーメランはまだまだ続いているようだ。はっきり言って、「天罰」でしかないのではないか。要するに、「天」が菅政権や民主党政権を完全に見放しているとしか思えない状況である。
 23日、横粂勝仁議員が民主党に対して離党届を出した。横粂議員といえば、さまざまな発言でテレビなどで目立っている(人気があるとは言わないが)議員である。鳩山代表時代に「小泉純一郎首相の世襲」といわれた小泉進次郎校本対抗馬として神奈川県横須賀を拠点に立候補した。小選挙区では敗戦したが、比例で復活し衆議院議員として活躍している。当選後は、数々の軽い発言などで、政治の実績よりもマスコミの発言などで注目を集めていた。
 永田町の界隈のうわさでは、最近、小泉新次郎人気と自分の立場を比較し、次回の総選挙で尾当選が期待できないことと、民主党の不人気、民主党の失政続きの状況で自身の選挙区でも人離れが激しく、「次の選挙では当選できないのではないか」と心配しているという声、ある意味では、今の菅政権のままでは民主党の看板を背負って選挙を戦うこと派不可能であるとして、弁護士としての生活設計を立て始めたなどのうわさがあった。
 しかし、まさか離党するとは誰も思っていない。横粂議員には政治家として活動して行くのに「民主党」は必要であるし、また、脱小沢路線といわれる中で、それほど小沢一郎氏と近いわけでもないという観測もあって、「最も離党から遠い一年生議員」と思っていた。その横粂議員の離党は、政界への影響よりも、マスコミのほうが驚いたのである。
 その新聞記事が下記のものである。

民主・横粂氏が離党届、執行部へ不満か 神奈川

 民主党の横粂勝仁氏(衆院比例南関東)が、党本部へ離党届を提出していたことが21日分かった。党執行部などへの不満が背景とみられる。横粂氏は23日と30日に横須賀市内で後援会向けに説明を行う予定。
 横粂氏は20日、党に離党を届け出た後で笠浩史県連代表(衆院9区)に提出の旨を伝えた。笠氏によると、横粂氏は離党の理由を「現政権が国民の期待に応えられていないため」と説明。また離党届は岡田克也幹事長に提出したが受理されなかったという。笠氏は「比例復活での当選であることや総支部長としての責任をよく考えてほしいと慰留した」と話している。
 横粂氏は鳩山由紀夫首相、小沢一郎幹事長の当時に「政治とカネの問題は重い」などとして両氏の退陣を要求。先の代表選では菅直人首相を支持した。その後、両院議員総会で「総理しっかりして」と苦言を呈するなど、党執行部への不満を明言してきた。
 横粂氏は東大卒の弁護士。テレビのバラエティー番組への出演などを経て、先の総選挙で初出馬。選挙区(衆院11区)では自民党新人の小泉進次郎氏に敗れたが、比例南関東で復活当選した。

2011年5月22日(日)0時40分配信 神奈川新聞 
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/kanaloco-20110522-1105220017/1.htm

民主離党の横粂氏、支持者から袋だたき「ばか野郎」「議員を辞めろ」

 民主党から離党する意向を固めた横粂勝仁衆院議員(29)が23日、地元の神奈川・横須賀市内で会合を開き、支持者に説明したが、議員辞職を要求されるなど“袋だたき”にあった。
 約100人の後援会関係者を前に、横粂氏は「菅総理の震災後の政権運営への不満、政党政治に限界を感じた」と離党理由を説明したが、支持者からは「一匹狼(おおかみ)じゃ何もできない。なんで離党するんだ、ばか野郎!」と厳しい意見が。小選挙区で敗れ、比例代表(南関東ブロック)で復活当選しただけに、70代男性からは「議員を辞めろ!」の声も飛んだ。しかし、横粂氏は「批判は真摯(しんし)に受け止めた上で、それを超える活動をしたい」と議員辞職を否定した。
 20日に同党の岡田克也幹事長(57)に離党届を提出したが受理されず、慰留された。22日にも再面会し「除名でも受け止めますので受理してください」と伝えた。「一匹狼でも国民の皆様の思いを政権与党にぶつけていく手段はある」。離党の決意は固く、今後は無所属で活動する決意だ。
 地元支援者からの90分間の“お叱り”を終始、ニコニコ顔で受け止めた横粂氏は、野党から衆院に内閣不信任決議案が提出された場合は「現段階では賛成する」ときっぱり。24日には都内で記者会見する予定だ。

2011年05月24日08時05分 提供:スポーツ報知
http://news.livedoor.com/article/detail/5580139/

 民主党は、そもそも、自由民主党の比例候補として当選した与謝野馨氏を、たちあがれ日本から引き抜いて閣僚にしている。実際に、与謝野氏を閣僚にしたときには「国会議員なのだからどこで活躍しても関係ない」「能力を活かす場所で適材適所である」などとして、比例当選者の民主党側への加担に対して反論をしていた。しかし、永田町で取材していると民主党のご都合主義がよくわかる。二月に小沢系と観られる16名の議員が離党せずに会派を離脱したときには、16人の議員が完全に離れてしまうと民主党の国会運営がうまく行かなくなる。そのために、穏便な粗衣を取るようになった。しかし、横粂議員ひとりとなると民主党は俄然強気だ。「比例で当選したのだから党に忠誠を尽くすべき」などと、与謝野馨議員のときはまったくでなかった議論が民主党の中で出てきてしまうのである。
 単純に言って、比例は本来は正当に拘束されるはずである。与謝野氏のときも、議員辞職をさせた上で閣僚に登用すればよかったこと。しかし、それをしなかったツケが、このようなときに出てきてしまう。簡単に言えば、「比例当選者の離党」という名の大きなブーメランがまた突き刺さったのである。そして、それを留めるために騒げば、騒ぐほど、民主党内の自己矛盾が大きくなり、その矛盾を抱えた政権ということでおかしな話になってしまうのである。政局も政策も、この場になっては変わらない。単純に言えば、民主党の発している理論が、理路整然としていて誰もが納得できる理論であるのか、あるいはその場その場で場当たり的に雰囲気でご都合主義的に発言し、その集大成をセンセーショナルにプレゼンしているだけでしかなく、中身のない「スッカラカン」なのか、その二つの情報発信において、横粂議員の取り扱いから後者、要するに「スッカラカンのご都合主義であったことが明らかになってしまったのである。
 さて、今後は、民主党にいるというだけで「ご都合主義で国民に悪影響を及ぼす議員」ということになってしまうであろう。また、次の選挙で当選が見込めない議員は、そのような正当に長居をすれば、自分の選挙にも影響を及ぼすことになってしまう。そうなれば比例で当選しそうにない状況の議員から「離党」をするような動きは増えるであろうし、また、そうしなければ支援者や国民から支持を得ることはなくなってしまうのではないか。
 民主党は批判だけで、中身のない政党というのは、一昨年私の書いた「民主党の闇」主題である。まさに横粂議員その人が、行動でそのことを示してくれた。そんな感じである。

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日中韓3国会談と馬鹿にされた日本政府(韓国取材の報告を兼ねて)

日中韓3国会談と馬鹿にされた日本政府(韓国取材の報告を兼ねて)

 週末、ブログをお読みいただいている方には非常にご迷惑であったと思いますが、韓国に出張してきました。韓国の出張は、ひとつは友人のビジネスでの人の紹介という部分もあるが、そのほかに、韓国の人々とさまざまな情報交換を行うという目的もあった。紹介などはすぐに終わってしまうので、簡単に終わる、というか、実に単純にいえば、あわせてしまえば終わりなので、残りの時間は情報交換と情報収集になる。
 ちょうど、韓国では懸案の北朝鮮の「金正日と思われる人物」の訪中が言われているということと、日本での日中韓三国会談があるということで、なかなか大変なことになっていたし、日本では、韓国の議員が北方領土に行くということを表明し、日本を完全に馬鹿にしているということで怒り心頭名部分があるようだ。
 そのような微妙な空気の中での韓国出張はなかなか有意義な部分が少なくない。私のように情報の最前線にいる(つもり)の人間は、それら「事件の現場」もしくは、「事件が生まれる場所」に身をおいているということはなかなか有意義である。なお、完全な予断ではあったが、日本での事件にかかわらず、韓国ではユッケはしっかりと売っていた。ユッケを売る店は、韓国でも厳重な審査があり、また、韓国では新規の参入は非常に難しい。何よりも、新しいユッケの店は人が信用しないので、日本人のように「値段だけ」でユッケを食べる店を選ぶことはないという。たとえば「ふぐ」と「ユッケ」を一緒に売っている店は「信用できない」そうだ。そのように「消費者の側が店にだまされないようにしなければならないし、それができなければ自分や自分の家族の健康を守れない」という。韓国に、ユッケで教えられるとは思いもしなかった。
 さて、金正日の話は明日以降にするとして、日中韓の三国会談に関する内容を見てみよう。日中韓の三国会談に関して、韓国では事前に「菅政権と話をして実りがあるのか」ということがいわれていたという。そもそも「議題」が何なのかさっぱりわからない。菅のパフォーマンスに使われるだけでは、韓国の名折れである。韓国は、現在の時点で韓国国内が完全に割れている状態だ。北朝鮮との統一、中国に依存した経済、しかし、安全保障や国の維持という意味ではアメリカや日本と近づかなければならない。中国や北朝鮮に近づいて、共産主義的な国になってよいことはない。そもそもキム・デジュン、ノ・ムヒョン政権での経済の低迷や日米との国交の問題。徐々に離れてゆく西側陣営や中東は、彼らにとっては非常に大きな恐怖であった。しかし、直近の問題としては、中国に依存した経済にならざるを得ない。李明博大統領は経済優先を表明しながら保守的な安全保障を行った。しかし、昨年の延坪島の砲撃事件では、「拡大しないように反撃する」とか、「アメリカに依存した国防」を表明し、完全に安全保障という考え方では弱腰であり、国民は李大統領に、経済以外の部分で期待できないとなってしまっている。
 一方中国は日本との間で尖閣諸島問題を有し、なおかつ白樺ガス田の問題などさまざまな摩擦を抱えている。ここであげる必要もないのかもしれない。
 そのような中で日中韓の三国会談が行われたのである。

日中韓サミット 中国が輸入規制一部解除 復興へ原子力安全・防災連携強化

 菅直人首相は22日、東京・迎賓館で中国の温家宝首相と会談した。温首相は東京電力福島第1原子力発電所の事故以来継続している日本の農産品の輸入規制を一部解除すると表明。両国間の観光促進や貿易・投資促進でも一致した。韓国の李明博大統領を交えた日中韓首脳会議(日中韓サミット)も行われ、東日本大震災の復興に向けて原子力安全と防災分野の協力を強化する首脳宣言を発表した。
 温首相は日中首脳会談で現在12都県産を対象とした輸入禁止措置から山形、山梨両県をはずし、野菜や乳製品、水産物以外の加工食品などについては放射性物質の安全検査証明書を不要とする意向を示した。
 日本への観光を促進するために、中国国家観光局長を団長とする約100人の訪日団を派遣すると表明した。同日の経済人との昼食会では、「今年下期に、貿易・投資促進のための代表団を日本に送る」と述べた。
 菅首相は低レベルの放射性物質を含む汚染水の放出について「大変遺憾だ」と述べ、温首相は「放出が阻止されることを希望する」と応じた。
 温首相は昨年9月の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件を踏まえ、両国が緊急時に情報を迅速に共有する「海上での危機管理に向けた連絡メカニズム」の構築を進めることを提案。菅首相は東シナ海のガス田共同開発に向けた条約締結交渉の再開を要請したが、温首相は明確に応じなかった。
 日中韓サミットでは、原子力安全について事故発生時の早期通報の枠組み構築や、放射性物質などの飛散に関する情報交換などの協議開始に合意した。原発事故に伴う風評被害を阻止するため、科学的証拠に基づく対応を図ることで一致。こうした課題を検討するハイレベルの定期協議を推進することを確認した。
 災害発生時に救助隊や物資の受け入れを迅速に行うことを確認し、3カ国共同の災害訓練の実施も検討することになった。
 また、日韓首脳会談では、韓国政府や民間企業で作る復興ミッションを日本に派遣するなどが新たに取り決められた。

産経新聞 5月23日(月)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110523-00000068-san-pol

“弱腰”日本なめられすぎ!韓国の国会議員が国後訪問へ.

 日本はここまでなめられているのか。韓国が不法占拠する日本固有の領土、竹島(韓国名・独島)をめぐって、韓国の領有権確定に向けた政策や立法を審議する韓国国会の「独島領土守護対策特別委員会」に所属する野党議員3人が22日から北方領土の国後島訪問を計画していることが分かった。韓国の国会議員が北方領土を訪問するのは初めてという。
 ロシアのメドベージェフ大統領が昨年11月に国後島を訪れて以降、ロシアは中国や韓国に北方四島への投資を呼びかけている。韓国議員の訪問計画は領土問題に第三国を巻き込むロシアの戦術が思惑通りに進みつつあることを示している。
 委員会に所属する議員の事務所は訪問目的を「日本との領有権問題がある地域の支配・管理状況の視察」としており、韓国の竹島への実効支配強化を強調する狙いがあるとみられる。

2011年05月20日17時00分 提供:ZAKZAK(夕刊フジ).
.http://news.livedoor.com/article/detail/5573231/

 韓国の現在の懸案は、「北朝鮮発、中国朝鮮族国籍取得、日本帰化、韓国上陸」という経路で来るスパイたちである。韓国は公式、非公式を含め、この日本の国籍状況に対して警告を発し、なおかつその国籍の状況に関して非常に注意している。韓国の特にメディアなどの中に北朝鮮のスパイや工作員が非常に多く入っているが、その多くは日本経由で入ってくるものである。日本は、そもそも在日朝鮮人の把握が行われていない。日本の在日は、国際条約にかかわらず無国籍に近い。韓国の政治の要人はこのように主張する。
 もちろん、そのような手段を好んで使うのは中国だ。中国は多くの人間をチベットなどに定住させ、子供とつくり、いつの間にかチベット人を根絶させてしまうという遠大な計画を行う。日本はそのような遠大な計画どころか、上記のようなスパイの流入出国に完全に無力である。今回、このような混乱期に「観光の自由化」を中国が言ってきた背景にはそのような内容がある。しかし、菅直人はそのような中国、北朝鮮の計画を知ってかしらずか、簡単に受け入れ、合意したとパフォーマンスをしているのである。
 中国も韓国も三国会談において「領土問題を行わない」としているが、残念ながら、その影において韓国議員の北方領土視察が行われている。韓国国内にも嫌日は少なくない。また日本と反目までしなくても、日本と組むことが国益にかなわないと思う人も少なくないのである。そのような人々は、中国もアメリカも信用できなくなればロシアに行く。
 この件に関し私が抗議の意思をしたところ、「竹島(彼らは私に対して合えて竹島といった)であっても韓国の領土といって、韓国に来てサインした民主党の議員がいるのに、何年もそのままにしている北方領土でいきなり講義するなど日本人は不思議だ」という。そのうえで「地震があったから、土肥議員のことは忘れているかもしれないが、日本人を代表する国会議員であり、そのような人を議員にしている日本人の問題である。単純に、韓国ではあのようなことをすれば、自身の混乱にまぎれて殺してしまうかもしれない。日本人は、そのような土肥議員に講義もしないので、当然に竹島(ここでもあえて竹島といった)は韓国の領土であると認めた。その上で、今回の議題では、事前に韓国側から領土問題は話さないと申し入れ了承している。要するに、竹島は韓国が領有するということで、少なくとも今の日本の政府は合意しているとみなされても仕方がない。それが日本人の意思ではないのか」という。確かに、最近マスコミを含め土肥議員に対する追求は完全になくなっている。そのような「事なかれ主義」が韓国の嫌日派を勢いづかせている。そのように都合よく使われる菅政権そのものが、完全に馬鹿にされいる。まさに政府が馬鹿にされているということは日本人、日本の国家そのものが馬鹿にされているのである
 日本は、まず、領土を勝手に明け渡す日本の政府を倒閣しなければならない。

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「ジミンガー」「マスコミガー」につづく「マダラメガー」

「ジミンガー」「マスコミガー」につづく「マダラメガー」

 いやいや、見苦しい。
 23日に、国会で特別委員会があり、菅直人首相と谷垣自民党総裁の直接対決が見られた。その中において、実に軽妙な「責任転嫁」が行われたのである。
 事件の概要を簡単に、私なりに言おう。3月11日の震災で、残念ながら福島第一原子力発電所の1~4号炉の機能は停止した。正確に言えば、他の原子力発電所に関しても、津波の影響により、基本的には一時的に全電源喪失状態になった。本来であれば、その状態になったときにどのように原子炉を冷やすかということが問題になる。原子力発電所の事故の対応は「止める」「冷やす」「固める」である。問題は、これを確実に行うということが最も重要であり、その手順やその内容が最大の問題になってしまうのである。
 東京電力は、全電源喪失状態に担った後に、すぐに原子炉内における海水注入を行った。しかし、「事情」は後に回すとして、首相官邸の指示によりその海水注入を中止し、その後再度首相官邸の指示で海水の注入を行う。
 問題はこの「事情」である。そもそも菅首相による12日の福島へのヘリコプター訪問が、一刻を争う原子力発電所の事故対応を遅らせ、そのために悪化させたという意見がある。それだけではなく、何の目的かどうかはわからないが首相官邸の指示によって「いちど行っていた海水注入」をいちど中断させたとなるとその責任は重い。
 これに対して、首相官邸側はこれが発覚した20日から23日の国会答弁までの期間、「原子力安全委員長の斑目氏が、海水を入れると再臨界になるというので」という答弁をしていた。しかし、この発言に対し斑目委員長は反論「そのようなことを行った覚えはない」とし、首相官邸を訪れるにいたったのである。細野首相補佐官は、これに対して「いった記憶がある」などと反論したが、そもそも議事録などがある話でもなく、完全に「水掛け論」になってしまっている。記録には「再臨界になる可能性はゼロではない」という記載に変えているが、実際に、その責任の明確性は完全に失われ、官邸や安全委員会に振り回された東京電力が、この場では被害者になった感じだ。
 そのことに関する記事が下記のものである。


海水注入が一時中断=再臨界懸念し菅首相指示―福島1号機

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、発生直後の3月12日に東電が1号機で開始した海水注入に対し、政府が「再臨界の可能性がある」として一時停止を指示し、1時間程度海水の注入が中断していたことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。海水注入の中断で、被害が拡大した可能性もある。
 1号機では、3月12日午後3時半すぎ、水素爆発が発生。東電の公開資料によると、東電は同日午後7時4分から海水注入を開始した。一方、首相官邸での対応協議の席上、原子力安全委員会の班目春樹委員長が再臨界が起きる可能性を菅直人首相に進言。これを受けて首相が中断を指示し、午後7時25分に海水注入を停止した。
 その後、問題がないと分かったため、午後8時20分に海水とホウ酸の注入を開始したが、55分の間、冷却がストップした。
 東電は1号機に関し、3月12日の午前6時50分ごろ、メルトダウン(全炉心溶融)が起きていたとしている。

時事通信 5月21日(土)1時26分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110521-00000008-jij-pol


原発で水掛け論!海水注入による再臨界の危険性、細野補佐官「言った」斑目委員長「言ってない」

 福島第1原発事故で、1号機の海水注水が一時中断した問題で、注水による再臨界の危険性があることを指摘したとされた原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長(63)は22日、「専門家として、そんな指摘をするはずはない」と全面否定した。一方、細野豪志首相補佐官(39)は、同日のテレビ番組で斑目氏の指摘があったことを、あらためて説明。両者の主張に、食い違いが浮上した。その後、斑目氏は政府に訂正を要求し、細野氏は、指摘内容を訂正するドタバタ劇となった。
 1号機炉心への海水注入の一時中断問題は、主張の食い違いが浮上、訂正騒動に発展した。
 注水による再臨界(燃料が再び連続的な核分裂を起こすこと)の危険性を指摘したとされた安全委の斑目委員長は、共同通信の取材に「専門家なら誰もが、(注水で)冷却を最優先すべき、と判断するのは当然」と反論。実際は、可能性がほとんどなかった再臨界を指摘したとされたことに「原子力の“げの字”も知らない素人だと侮辱されたようで、怒り心頭だ」と憤慨。
 一方、細野補佐官は22日朝のフジテレビ「新報道2001」に出演。「(斑目氏)ご自身が、そういうことをおっしゃった記憶はある」と、再臨界への指摘があったことを重ねて明言した。
 細野氏の発言を受けた斑目氏はこの日午後、細野氏と面会。政府・東京電力統合対策室の21日の発表を訂正するよう、政府に要求。細野氏は「再臨界の危険性がある」から「再臨界の可能性はゼロではない」と訂正することを受け入れた。
 3月12日に、1号機炉心への海水注入が55分間、中断していたことが判明していた問題は、再臨界を恐れた菅首相の指示によるものともされたが、細野補佐官は会見で、東電の判断だった、と発表。枝野官房長官もこの日、「東電がやっていることを、止めたことは一度も承知していない」と政府指示を否定した。ただ、再臨界の可能性が検討されたのは「時期は不正確だが、記憶している」と認めた。
 自民党の大島理森副総裁は22日の講演で、中断は政府指示による措置との認識を示し、「止めたのは菅首相だ。その結果、こんな大きな災害になったならば辞任するのが当然だ」と責任追及の姿勢を強調した。
 言った言わないの水掛け論は、斑目氏が発言したとされる「危険性」という言葉を対策室側が「可能性」に訂正することで手打ちに。何とも分かりにくい幕引きとなった。 .最

スポーツ報知 5月23日(月)8時3分配信 終更新:5月23日(月)8時3分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110523-00000074-sph-soci

 原子力安全委員会は、政府の組織である。さて、この記事を見て疑問に思う人はいないのであろうか。斑目委員長が何を言おうが、民主党は「政治主導」を推進している政党ではなかったか?それにもかかわらず、何か事件があったり、民主党または自分たちに不都合なことがあれば、「マダラメガー」といって言い逃れをする。完全に自分たちの責任転嫁と「良いとこどり」のため、もっと言ってしまえば自分たちの権限と権利の掌握のための方便でしかなく、そもそも「権利」「権限」に対する「責任」を負うつ折がないことが良くわかる。
 日本国憲法は三権分立があるということは小学校で学ぶ。現在の首相である菅直人は、日本国憲法には三権分立の規定はないということを言っている。いっ差う年の9月のNHKの「クローズアップ現代」でしっかりとそのことを主張しているのであるが、いまだにNHKがそのことを指摘したり、あるいは、教育テレビの公民に関する内容が変更されたということは聞かない。
 ここでは三権分立のことは良いが、日本国憲法の「内閣」の章には、そもそも「官僚」もしくは「公務員」を示す単語はほとんどない。「官吏」という単語が一か所記載されている。
第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
この中にある四の「官吏の事務を掌理すること」というところしか出てこない。これ以外の部分は
第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
とある。
 要するに、斑目委員長がが何を言おうが、東京電力がどう言おうが、行政上の責任は全て内閣が連帯して責任を負うのである。その責任を第三者に転嫁するような発言を行い、その発言の責任を官僚や第三者に求めるくらいならば、要するに、国民に対して責任を負えない内閣ならば即刻憲法の規定に従って辞職すべきである。刻印に対して責任を負えない内閣は、権限を与える必要もない。
 特に、「当面安全」と言っていた枝野官房長官などはもってのほかであろう。その発言と支持で、福島県の何人が「命の危険」「被爆の危険」にさらされたのであろうか。野党各党もこの責任をしっかりと追及すべきである。

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マスコミ批判に関する一考(44) 外国人に支配されたテレビメディアたち

マスコミ批判に関する一考(44) 外国人に支配されたテレビメディアたち

 日本には電波法という法律がある。日本において電波を発するのに必要な免許をふすためお法律である。電波を発するのは、何もテレビ局だけではない。基本的には「無線機」を扱うものはすべて電波法の枠の範囲になる。航空機、船、ヘリコプターなどの運航機器、救助隊が使ってるような無線、身近なところでは携帯電話なども電波法の枠の範囲になる。これらは、ひとつには同じ周波数を使ってしまい、混線するということを避けなければならない。緊急の無線などにおいて、混線してしまい、重要な情報が伝わらない状況になってしまえば、当然に事故が起きてしまう。まあ、外国の放送局などとの混線の問題も生じる。また、人の通信を妨害する目的で妨害電波などを発することも考えられる。これらの危険をあらかじめなくすように、電波に関しては当然に免許制となっているのである。
 もちろん、日本の場合には軍隊がないので軍事機密などが無線で話されることはないと考えているが、それでも外信や外交官無線など、一般の国民に知られないようにしなければならないこと、もしくは当該国以外にはわかられてはならないようなことも存在する。そのような意味において、日本では電波法によって無線の免許を与える人は日本の国籍を有する人に限定されているのである。電波法第5条は下記のようになっている。
 
 第五条  次の各号のいずれかに該当する者には、無線局の免許を与えない。
一  日本の国籍を有しない人
二  外国政府又はその代表者
三  外国の法人又は団体
四  法人又は団体であつて、前三号に掲げる者がその代表者であるもの又はこれらの者がその役員の三分の一以上若しくは議決権の三分の一以上を占めるもの。

 ちなみに、外国人と日本人の間において、差がついているものはたくさんある。邦人における外資規制があるものは、この電波法を含めこのようになっている。
NTT法 - NTTの持株会社である日本電信電話の議決権の3分の1以上を外国人が保有する事を禁止(間接出資も含む)。外国人が日本電信電話と地域会社の東日本電信電話・西日本電信電話の役員に就くことも禁止。
電波法 - 外国人、外国人が代表を務める法人、外国人が役員の3分の1以上を占める法人、外国人が議決権の3分の1以上を占める法人には無線局免許を与えない。
航空法 - 外国人、外国人が代表を務める法人、外国人が役員の3分の1以上を占める法人、外国人が議決権の3分の1以上を占める法人に該当する者が所有する航空機は、登録することができない。

 なぜこのような法律があるのであろうか。
 理由は二つである。ひとつは妨害電波など、電波そのものの管理をしなければ、国民の生活を守れないということがひとつ。電波を利用した犯罪や情報の混乱を防ぐことが目的となってるのである。一方、もうひとつの理由は、電波を利用しての情報の統制といえば大げさだが、公共の電波そのものを利用するには公共の利益に帰さなければならないという、日本人の倫理観に基づいた価値観である。単純に言えば、前者は無線など、通信技術に関するほうの目的であり、公社はテレビやラジオなどの情報獲得手段としての内容である。
 しかし、この法律がなし崩し的におかしくなってしまっている。
 今日は新聞記事ではなく、インターネット上から見ることのできるこの表をご覧に入れたい。

対象期間
2011/05/01 - 2011/05/15
日付 会社名 銘柄コード ISINコード 振替口座簿記録総数 外国人直接保有総数 外国人直接保有比率
5月2日 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 46760 JP3819400007 2364298 705992 30%
5月2日 株式会社WOWOW 48390 JP3990770004 144222 8200 6%
5月2日 全日本空輸株式会社 92020 JP3429800000 2524959257 282707531 11%
5月2日 スカイマーク株式会社 92040 JP3396000006 70819400 10617529 15%
5月2日 株式会社東京放送ホールディングス 94010 JP3588600001 190434968 12709594 7%
5月2日 中部日本放送株式会社 94020 JP3527000008 26400000 2372500 9%
5月2日 日本テレビ放送網株式会社 94040 JP3732200005 25364548 5696559 22%
5月2日 朝日放送株式会社 94050 JP3116800008 41833000 3356820 8%
5月2日 アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 94070 JP3100400005 11200000 955900 9%
5月2日 株式会社新潟放送 94080 JP3656400003 6000000 181600 3%
5月2日 株式会社テレビ朝日 94090 JP3429000007 1006000 141698 14%
5月2日 株式会社テレビ東京ホールディングス 94130 JP3547060008 28779500 277495 1%
5月2日 日本電信電話株式会社 94320 JP3735400008 1448659067 343792141 24%
5月6日 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 46760 JP3819400007 2364298 707220 30%
5月6日 株式会社WOWOW 48390 JP3990770004 144222 7861 5%
5月6日 全日本空輸株式会社 92020 JP3429800000 2524959257 274878491 11%
5月6日 スカイマーク株式会社 92040 JP3396000006 70819400 10648329 15%
5月6日 株式会社東京放送ホールディングス 94010 JP3588600001 190434968 12629294 7%
5月6日 中部日本放送株式会社 94020 JP3527000008 26400000 2372500 9%
5月6日 日本テレビ放送網株式会社 94040 JP3732200005 25364548 5694939 22%
5月6日 朝日放送株式会社 94050 JP3116800008 41833000 3356330 8%
5月6日 アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 94070 JP3100400005 11200000 955900 9%
5月6日 株式会社新潟放送 94080 JP3656400003 6000000 181600 3%
5月6日 株式会社テレビ朝日 94090 JP3429000007 1006000 141859 14%
5月6日 株式会社テレビ東京ホールディングス 94130 JP3547060008 28779500 278295 1%
5月6日 日本電信電話株式会社 94320 JP3735400008 1448659067 343899641 24%
5月9日 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 46760 JP3819400007 2364298 706821 30%
5月9日 株式会社WOWOW 48390 JP3990770004 144222 6999 5%
5月9日 全日本空輸株式会社 92020 JP3429800000 2524959257 271534992 11%
5月9日 スカイマーク株式会社 92040 JP3396000006 70819400 10689429 15%
5月9日 株式会社東京放送ホールディングス 94010 JP3588600001 190434968 12606694 7%
5月9日 中部日本放送株式会社 94020 JP3527000008 26400000 2372500 9%
5月9日 日本テレビ放送網株式会社 94040 JP3732200005 25364548 5681757 22%
5月9日 朝日放送株式会社 94050 JP3116800008 41833000 3355030 8%
5月9日 アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 94070 JP3100400005 11200000 955900 9%
5月9日 株式会社新潟放送 94080 JP3656400003 6000000 181600 3%
5月9日 株式会社テレビ朝日 94090 JP3429000007 1006000 141605 14%
5月9日 株式会社テレビ東京ホールディングス 94130 JP3547060008 28779500 280095 1%
5月9日 日本電信電話株式会社 94320 JP3735400008 1448659067 344134741 24%
5月10日 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 46760 JP3819400007 2364298 709759 30%
5月10日 株式会社WOWOW 48390 JP3990770004 144222 6433 4%
5月10日 全日本空輸株式会社 92020 JP3429800000 2524959257 280718439 11%
5月10日 スカイマーク株式会社 92040 JP3396000006 70819400 10736029 15%
5月10日 株式会社東京放送ホールディングス 94010 JP3588600001 190434968 12744894 7%
5月10日 中部日本放送株式会社 94020 JP3527000008 26400000 2372500 9%
5月10日 日本テレビ放送網株式会社 94040 JP3732200005 25364548 5691887 22%
5月10日 朝日放送株式会社 94050 JP3116800008 41833000 3368620 8%
5月10日 アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 94070 JP3100400005 11200000 956900 9%
5月10日 株式会社新潟放送 94080 JP3656400003 6000000 181600 3%
5月10日 株式会社テレビ朝日 94090 JP3429000007 1006000 141957 14%
5月10日 株式会社テレビ東京ホールディングス 94130 JP3547060008 28779500 279195 1%
5月10日 日本電信電話株式会社 94320 JP3735400008 1448659067 344491741 24%
5月11日 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 46760 JP3819400007 2364298 709380 30%
5月11日 株式会社WOWOW 48390 JP3990770004 144222 6388 4%
5月11日 全日本空輸株式会社 92020 JP3429800000 2524959257 281321987 11%
5月11日 スカイマーク株式会社 92040 JP3396000006 70819400 10750429 15%
5月11日 株式会社東京放送ホールディングス 94010 JP3588600001 190434968 12765494 7%
5月11日 中部日本放送株式会社 94020 JP3527000008 26400000 2372500 9%
5月11日 日本テレビ放送網株式会社 94040 JP3732200005 25364548 5713117 23%
5月11日 朝日放送株式会社 94050 JP3116800008 41833000 3364520 8%
5月11日 アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 94070 JP3100400005 11200000 956900 9%
5月11日 株式会社新潟放送 94080 JP3656400003 6000000 181600 3%
5月11日 株式会社テレビ朝日 94090 JP3429000007 1006000 142544 14%
5月11日 株式会社テレビ東京ホールディングス 94130 JP3547060008 28779500 281295 1%
5月11日 日本電信電話株式会社 94320 JP3735400008 1448659067 344685933 24%
5月12日 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 46760 JP3819400007 2364298 709437 30%
5月12日 株式会社WOWOW 48390 JP3990770004 144222 6289 4%
5月12日 全日本空輸株式会社 92020 JP3429800000 2524959257 279648742 11%
5月12日 スカイマーク株式会社 92040 JP3396000006 70819400 10974529 15%
5月12日 株式会社東京放送ホールディングス 94010 JP3588600001 190434968 12705198 7%
5月12日 中部日本放送株式会社 94020 JP3527000008 26400000 2372600 9%
5月12日 日本テレビ放送網株式会社 94040 JP3732200005 25364548 5718944 23%
5月12日 朝日放送株式会社 94050 JP3116800008 41833000 3361020 8%
5月12日 アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 94070 JP3100400005 11200000 957900 9%
5月12日 株式会社新潟放送 94080 JP3656400003 6000000 181600 3%
5月12日 株式会社テレビ朝日 94090 JP3429000007 1006000 143084 14%
5月12日 株式会社テレビ東京ホールディングス 94130 JP3547060008 28779500 280495 1%
5月12日 日本電信電話株式会社 94320 JP3735400008 1448659067 345014000 24%
5月13日 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 46760 JP3819400007 2364298 709643 30%
5月13日 株式会社WOWOW 48390 JP3990770004 144222 6244 4%
5月13日 全日本空輸株式会社 92020 JP3429800000 2524959257 280716148 11%
5月13日 スカイマーク株式会社 92040 JP3396000006 70820200 10947729 15%
5月13日 株式会社東京放送ホールディングス 94010 JP3588600001 190434968 12765098 7%
5月13日 中部日本放送株式会社 94020 JP3527000008 26400000 2372600 9%
5月13日 日本テレビ放送網株式会社 94040 JP3732200005 25364548 5730194 23%
5月13日 朝日放送株式会社 94050 JP3116800008 41833000 3361120 8%
5月13日 アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 94070 JP3100400005 11200000 957900 9%
5月13日 株式会社新潟放送 94080 JP3656400003 6000000 181600 3%
5月13日 株式会社テレビ朝日 94090 JP3429000007 1006000 143345 14%
5月13日 株式会社テレビ東京ホールディングス 94130 JP3547060008 28779500 279895 1%
5月13日 日本電信電話株式会社 94320 JP3735400008 1448659067 345630632 24%

http://www.jasdec.com/reading/for_pubinfo.php

 テレビ局の外国人株式保有の比率が書かれている。
 テレビ局がなぜ電波法で外国資本が制限されているのか。非常に簡単であり、テレビの流す情報が日本のための情報でなければ日本の電波を使ってはよくないからである。日本の公共の電波を使う以上は、日本の文化の発展に寄与しなければならないし、日本の内容をしっかりと見なければならない。しかし、外国の資本が入る、要するに外国に支配されるということは、それだけ外国の意向が入ってしまうということ。当然に、日本の政治や日本の国防に関する報道がおかしくなってしまうのである。
 この外国人株式比率は、そのまま、日本の情報や番組構成権が外国に支配されているということに他ならない。そしてこのような中であるから、日本の情報は、特にテレビメディアは、日本にとってよい放送をしているとは言い切れなくなってしまい、株式を保有している外国に対して忠実な報道をしている可能性もあるのだ。
 できれば、このようなことがないように、日本は、日本情報産業は外国人の資本の流入をなくすべきではないのか。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(12) 中国的酒の飲み方(1) 初めての1to1

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(12)
中国的酒の飲み方(1) 初めての1to1

  中国といえば酒である。
  酒というと「?」と思う人もいるかもしれない。
  しかし、「カンペイ」といえばうなづく人も少なくないのではないか。
 そして、「カンペイ」の文化にやられたと思って遺るる人もいるのではないだろうか。
 今回は、私の経験とそのときの心情を書いてみたい。

  中国では、古来より「牛耳る」という単語がある。
 もともとは、諸国連合をするときに、牛を殺し、そしてその牛の耳から血を取って乾杯した事に由来する。
 あくまでも同盟や契約の儀式で牛の耳を切ることがあったので、「牛耳る」という単語になるのだ。
 この辺は、中国の古代と日本とでは、ある意味で同じである意味で違うところであろう。
 日本では、その後の武士の世界で「血判状」というものが出てくる。
 「血」というものに水やサインではなくそれ以上の意味を持たせたということは、中国の文化と日本の文化は似ている。
 しかし、その由来は基本的には違うもののようだ。
 中国は、基本的に相手を裏切る事が日常的に行われた。
 その裏切りを行わないように、同じ牛の血を一緒に飲むことによって、同じ血が流れているという感覚を持つようだ。
 日本で言うと「同じ釜の飯を食った仲」ということになるのであろうか。
 そのうち、牛を負担した者が名訳注の中心になるような状況になってくる。
 何しろ、昔の中国では貴重品である牛を一頭殺すのであるから、それはそれでかなりの試算があるということだ。
 当然に、今の日本も、今の中国もカネを持っている人間、裕福な人間、地位のある人間が盟主になるのは普通の話。
 盟主になり同盟が一体化の度合いを強めれば、盟主がそのうちに首領になる。
 首領と部下の差は、はじめのうちは対等でも、徐々にその差が広がり、君主と臣下、領主と奴隷の差にまで発展する。
 旧来の中国であれば、日本のイメージよりもはるかに違う差が生まれる。
 まさに人間としての自由までも制限される。
 まさに今日本で塚割る単語の「牛耳る」の意味になるのである。

  その「牛耳る」の単語の意味は別にして、古来よりも中国は裏切りが多かった。
 そこで「同じ血が流れる」ということで、牛の血を飲むのである。
 しかし、それだけで掃く、一堂に会してというのに意味があるのだ。
 要するに、同じ者を飲むということは、その場にいる人は独などが入っていないということが確認できる。
 裏切ったりするのであれば、相手の食べ物の中に毒物を仕込む可能性が高い。
 要するに、一堂に会し、無作為に選んだ器で、同じ器の中のものをくちい入れるということは、お互いを信用しているということだ。
 信用しているから「毒が入っていない」といえるのであり、安心して物を飲むことができる。

  現在になって、牛は目の前で殺さなくなった。

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「歌手とは本来何なのか」ということを問う韓国の「口パク禁止法」

「歌手とは本来何なのか」ということを問う韓国の「口パク禁止法」

 これは土曜日のブログである。
 このような書き方をするときは、基本的に海外に出張をしている時である。この記事は実際5月17日の火曜日に記載しているものだ。19日の木曜日から、私は韓国に出張している。様々な仕事があるのであるが、一つには韓国をも巻き込んで「中国包囲網」を作ろうという画策をしている。もちろん軍事的にそのようなことを行っても意味がない。しかし、その状況に関しては、様々な内容がある。たとえば韓国と日本では台湾海峡が自由でなければならないという共通の国益が存在し、そのためには、尖閣諸島を中国に取られてはならないということ、台湾が中国に併合してはならないということが国益としてあげられるのである。そのようなことを、日本の立場で今議論するにはどうしたらよいのか。竹島の件などもあるが、基本的に日本としてていばかりを作っても仕方がない。より巨大な敵を倒してからということも考えられる。国益をいかに守るのか、そのようなことを模索しようと考えている。
 そのようなかたい話はとにかく、その韓国で面白い法律が提起された。いわゆる「口パク禁止法」である。歌手がテレビもしくは講演において「口パク」をする、要するにレコードやあらかじめ録をんした内容に合わせて口を動かし、歌っているように見せることは、「詐欺」であり、それを禁止すべきというものである。
 このことは当然に現在の日本のK-POPブーム(そのようなブームが本当にあるのかどうかは不明であるが、実際に韓国のアイドルが売れていることは確かだ)などにも大きな影響を与えることになる。
 そもそも、芸能人(歌手も含む)の講演は「演技」なのか「歌手は歌うこと」が本職であってそれを行うべきであるのか。そのようなことを考えさせられる問題提起である。そのことをほうじたブログの報道が下記のものである。


韓国でリップシンク禁止法に賛否両論、「歌唱力かヴィジュアルか」

 韓国自由先進党の李明洙(イ・ミョンス)議員は13日、放送や公演などで歌手がリップシンク(あらかじめ収録された歌や楽曲に対して歌っているように見せること)することを禁止する「公演法改正案」を国会に提出したことが分かった。複数の韓国メディアが関連内容を報じており、注目が集まった。
 李議員が発議した法案によると、歌手や演奏者が公演などでリップシンクすることは禁止され、これに違反した場合は1年以下の懲役や1000万ウォン(約75万円)以下の罰金刑が下されるという。
 李議員は、「商業的な公演で事前告知もなく、リップシンクするということは観客に対する欺瞞(ぎまん)行為であり、詐欺行為だ」と主張。また「過去はバラードや演歌などさまざまなジャンルの歌が多かったが、最近にはダンスグループ中心のアイドル歌手しか見られない」として「歌唱力よりヴィジュアル系の歌手を養成する偏った現象が起きている」と指摘した。
 リップシンクを禁止する公演法改正案について、韓国では「歌手ならば当然に歌唱力を優先にすべき」、「歌手によっては歌より舞台で見せるパフォーマンスが重要だ。一方的にリップシンクを禁止するのは妥当(だとう)ではない」という対立した見解が示されており、賛否両論となった。
 インターネットでは、「粗雑なライブで観客の耳を不快にすることよりはリップシンクを使った方がましだ」「外国の歌手は(リップシンクせずに)踊りながら歌を歌えるのに、なぜわが国の歌手はできないの?」などと、韓国歌手の「歌唱力不在」を非難する書き込みが寄せられた。一部では「アイドル歌手のパフォーマンスも見所ではないか」「現実的に話にならない法案」などと法的に規制する必要はないとの主張も提起された。(編集担当:永井武)

2011年5月15日(日)10時3分配信 サーチナ 
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20110515-20110515_00005/1.htm

 残念ながら、日本では口パクはかなり一般的である。実際にあるベテラン歌手の事務所の社長に聞いたことがあるが、そもそも50を超えた歌手は、コンサートで20曲以上を2時間で歌うだけの体力も、そして気力も、一部は菓子の記憶力も持たないという。全体の3分の2程度が口パクであり、その口パクをうまく見せるという練習もあるそうだ。ある意味実力派シンガーと言われた歌手のことであったので、かなりのカルチャーショックを受けたことは確かである。
 実際にテレビなどをじっくり見ていると、音と口があっていないこともある。そもそも若手のアイドルとはいえ、あれだけ激しい踊りを行いそのうえで歌まで歌い、行きもきれずに歌詞が出てくるなどは人間的に不可能である。歌った後のインタビューで息が切れているのに、歌の最後の部分ではまったく息が切れていないのはさすがに違和感を感じることは少なくない。
 しかし、日本人はそのような歌手の行為を「詐欺」と思うことはない。そもそも芸能人などは「夢を与える」といって「夢を与えている」存在なのだ。「夢を与える」ということは歌で希望を与えるということもあるが、一方で「夢」は「夢」でしかない。単純に言えば、「夢を与える」といった時点で「騙します」という看板を掲げているのとあまり変わらないのではないか。もちろんしっかりとうたっている人には非常に失礼なことを言っている。しかし、たとえばプロレスの公演がある程度八百長で、狂言師が突然出て行ってプロレスラーと戦って勝つなど、どう見ても「八百長」というよりは「演技」でしかないことは明らかだ。しかし、その演技は縁起として楽しんでいるものであり、歌手も歌を楽しむのかあるいは踊りを楽しむのか、それとも親近感や空気感を楽しむのか、その内容によってまったく異なるものであろう。
 しかし、逆に歌手であり歌を歌うという意味で人気を博している以上は、本来は歌を歌うべきであることも確かな理論だ。実際のところ、歌が歌えない歌手などはファンが離れてしまい、当然に自然に淘汰されるべきであろう。もちろん自然に淘汰されるということをするくらいならば、そもそも法律によって実力社会としてしっかりと行うことも良いのかもしれない。
 この件に関しては、歌手に何を求めるのかということが最も大きな課題になるものであり、求める内容によっては「詐欺」も成立するのであろう。そもそも芸能のあり方に関して根本的に考えなければならないのかもしれない。このような議論が、日本ではなく韓国ででてきたということが残念であり日本でも似たような議論が「法整備」などではなく一般から出てきても良いのかもしれない。

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震災の復興は建物ばかりではない 伝統や文化を守れ

震災の復興は建物ばかりではない 伝統や文化を守れ

 本日は5月20日の金曜日のはずである。このような書き出しの時は、単純に、事前に書きためている証拠である。現在ある話で韓国に出張しているので、これは18日に書いた文章です。予めご了承ください。
 今回の震災で最も危機的な状況に立たされたのは、まさに、文化や伝統ではないのか。その観点から。今日は色々と考えてみたい。
 そもそも、建物も文化だ。しかし、建物に関しては「写真」「ミニチュア」といった資料によって様々な形が残っている。それだけに、同じ建物を作ることは可能だ。実際に細かい部分や組み木の合わせ方などの資料があれば、しっかりと似たようなものは建てられるかもしれない。もしも何もできないでも「形のある物は必ず壊れる」との内容の通りに、実際に建物は壊れるし、そのために補修も必要となるのである。100%の補修ということで関あげれば、実質的に建て替えということとおなじだ。これは災害などでなくても、普通に存在がされていれば補修や建て替えなどの修理は必要なのである。
 では、建物や形のないものに関してはどのようなことが必要なのではないか。祭りや、習わしなどは人が生きていなければならない状態である。そもそも「口承伝承」によって物事を伝えなければならないものは、人がいなくなってしまえば、当然にその伝承は途切れてしまう。本来であれば、それらは記録に残さなければならない。しかし、それらの行動や動きなど形として見えるものは動画などで形に残せても、その精神性や一つ一つの行動の意味合いは、口承伝承でなければ分からない。ましてや、敬虔な気持ちやその態度など「空気」・最近では「オーラ」というのか、そのような雰囲気は動画では伝わらない。
 今回の震災でその「祭り」や「慣習」が危機的状態であるという。


震災で郷土芸能ピンチ 無形文化財 被害の把握困難

 東日本大震災で損壊したのは、歴史的建造物や美術工芸品といった有形文化財だけではない。東北には昔から数多くの民俗芸能が息づき、人々をつないできた。そうした無形の文化財も危機にひんしている。(黒澤綾子)
 「1千年余の文化をどう守っていけばいいのか」。関係者が頭を抱えるのは、福島県相馬地方で毎年7月に開催される国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追(のまおい)」。起源は平安中期の武将、平将門の軍事演習とされ、約500の騎馬武者が駆け回る神旗争奪戦は大きな見どころだ。
 南相馬市観光交流課によると、震災で地元の馬約200頭のうち約80頭が死んだ。主会場の南相馬市は一部、東京電力福島第1原発から半径20キロ圏の警戒区域にあたり、神事の「野馬懸(のまがけ)」が行われる相馬小高神社は立ち入りが規制。域内に取り残されていた馬28頭は今月初めに移動させたが、開催の見通しは立っていないという。
 国指定重要無形民俗文化財では、宮城県石巻市の「雄勝(おがつ)法印神楽」も甚大な被害を受けた。伝承の要である新山神社は流され、保存団体の会長は行方不明だ。
 全日本郷土芸能協会(東京都港区)によると、東北ではほぼ集落ごとに神楽や舞など民俗芸能が存在する。事務局の小岩秀太郎さん(34)は「過疎と高齢化で存続が難しい中、大震災が追い打ちをかけそうだ。人的被害に加え、面や装束などの道具類を失ったケースも多い」と懸念する。
 文化庁は震災を受け、美術工芸品など有形文化財の捜索・保全について「文化財レスキュー事業」を立ち上げた。しかし、「無形文化財は人間の行為や技が対象だけに、被害状況の把握が難しい」(伝統文化課)という。
 一方、「大きな不幸があったからこそ、冥福を祈る舞をささげたい」と、早くも再起を決めた被災地もある。
 岩手県大船渡市では、県指定無形民俗文化財「浦浜念仏剣舞(けんばい)」の道具類が失われたが、保存会メンバーは無事だった。念仏剣舞は鎮魂の行事。毎年8月のお盆時期を中心に、寺社や初盆を迎えた家の庭で踊り、霊を慰める。例年なら回るのは25世帯ほどだが、今年は3倍くらいに増えそうだという。保存会の古水力会長(65)は「地元に定着している芸能。自粛ではなく、今まで通り行うことが供養となる」と話している。

産経新聞 5月15日(日)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110515-00000105-san-soci

 正直なところ、「祭り」は神への感謝である。その意味をわかっていないと「祭りの自粛」という不思議なことを行うようになってしまう。人が死んで「葬式」を自粛するようなものだ。祭りは、一つの意味で、当然に「楽しむ」という部分もある。しかし、「祭り」は「祀り」である。たとえば、盂蘭盆会が「お盆」になり、「盆と正月が一緒に来る」というような表現で使われるような、楽しみや著機関の休みとして認識されてしまっている。しかし、本来「お盆」は仏教の盂蘭盆会が大本になっておりご先祖様が黄泉の国から現在の世界に戻ってくるということになる。そのために、お盆の時にご先祖様が家を間違えないようにお盆の迎え火とお盆の終わりの時には送り火を行う。このお盆の際には、当然にご先祖様にお参りをする。墓参りをしなければならないために、当然にお盆には長期休みになるのである。しかし、墓参りだけではなくついでに「レジャー」を行うようになる。その「レジャー」に目をつけて、企業が利益のために様々亜宣伝をお子会うようになる。その結果、本来の盂蘭盆会の意味合いが薄くなり、レジャーばかりが目立つようになるのだ。
 では、祭りはその儀式の際に何を起源にしているかは別にし、祭りが祭りである以上、祭りは神事である。震災などの後、そして震災の被害が大きく犠牲者が多ければ、なおさら神事を行うようにすべきではないのか。そして、神の所・黄泉の国に行ってしまった(キリスト教ではないが)人々に祈りをささげるのが「祀り」ではないのか。
 では、なぜ「祭りの自粛」などということを言うのであろうか。伝統文化に関してこのような意味があるということを否定したのは、民主党の事業仕分けである。しかし、私はこの場で事業仕分けで国民の意識が変わったというつもりはない。事業仕分けを歓迎する国民に代わってしまった方事業仕分けが受け入れられたのだ。そのことは非常に大きな問題だ。だから、このようなときこそ、原点に戻らなければならない。そもそも震災と津波が教えてくれたのは、人間の作った文明の自然の前での無力さであり、その文明の無力が原子力発電所として、風評被害も含め人間を苦しめているのではないか。そのことに思いをはせ、しっかりとした神事を残し、祭りの意味をしっかりと考えるべきではないのか。
 これは祭りだけではなく、方言や地域特有の慣習も同じであると思う。このような地域性を守れなくて地方自治だけを金の関係で声高に叫ぶ政治家を排除しなければならないのではないか。

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国旗国家を敬えない人を雇わないという当たり前のことがニュースになる不思議

国旗国家を敬えない人を雇わないという当たり前のことがニュースになる不思議

 普段、というよりは、大阪都構想や地域連合、道州制ということに関して、私は橋下大阪知事にあまり賛同できない立場である。基本的に、彼は法律家(弁護士)でありながらあまり憲法に関してご存じないようであり、基本的に憲法を無視し、専横し、その上で日本をか痛いするかのごとき荷見えてしまうのである。実際に日本国憲法第8章第92条には「地方自治の本旨に基づいて、法律によりこれを定める」というようになっており、現在の枠組みを変える方策は、そのような主張で決まるものではなく、すべて国会の審議により立法で決められなければならないのである。それだけではなく、その「地方自治に関する法律」も、当然のごとき「地方自治の本旨に基づいて」作られねばならず、そもそも国会の場において「地方自治の本旨とは何か」ということをしっかりと議論しなければならないのではないか。普段政局や目玉政策ばかりであまり注目を浴びない地方自治に関して、国会議員が選挙区の利益を代表し(この場合は利権とかそういう意味ではなく、まさに地方自治ということに関して各選挙区で何が選挙区の人にとって利益になるかと考えなければならないのであるが)、国会において議論を戦わせる。単純にいえば、選挙区が同じで、政党が違うという場合、たとえば衆議院でいえば、小選挙区と比例で、あるいは参議院では3年ごとに変わる議員で、あるいは比例で、そして衆議院と参議院で、地域が同じで政党が違う場合に、どのような地域性を持って地方自治において議論が出てくるかは、想像だけで少し面白くなってしまうのではないか。
 基本的にその議論を見れば「選挙区に根ざしている議員」なのか「永田町ムラ在住で選挙区を省みない議員」なのか、すぐにわかってしまう。実際にそのような内容が国会の場で明らかになるのだから、次の選挙ということを考え、そして政党による政局ということを考えて、各議員がどのような意見を出すのか、これこそが政界再編のひとつのキーワードになるのかもしれない。
 橋下知事の指摘は、その表現の方法が少々エキセントリックではあるが、そのようなことを国民に意識させ、国会議員に「地方自治の重要性を認識させた」という意味では評価に値する。ただ、そのエキセントリックさから、憲法による議論ということや地方自治の本旨という憲法に書かれた内容をしっかり認識しているのかは、はなはだ疑問である。とくに、大阪だけ独立するかのような政治手法は、とてもとても指示できるものではない。
 さて、そのような内容であるが、私は橋下知事のその手法と地方自治に関する考え方で彼を全否定するつもりもない。彼の主張や政治手法を否定するからといって、「敵」「見方」というような分類はできないのではないか。特に、今回取り上げる内容は、私は賛成である。その取り上げる内容は下記の通りである。

橋下知事「許さない」 「君が代」起立しない教員、全部クビ!.

 大阪府の橋下徹知事(41)は17日、入学式や卒業式での君が代斉唱時に起立しない教職員に対する免職処分の基準を定めた条例案を、9月の府議会で審議する意向を表明した。橋下氏は「辞めさせるルールを考える。国旗国歌を否定するなら公務員を辞めればいい」と16日に述べており、その具体策として条例化への意欲を示した。大阪府教職員組合は、同様の条例は全国でも例がないと指摘し「民主主義の根幹を揺るがす」と猛反発している。
 君が代斉唱時に起立しない教職員はクビにする―。16日には「身分保障に甘えるなんてふざけたことは、絶対許さない」と強硬発言を繰り返していた橋下知事はこの日、その具体策として条例化に言及。「(校長などからの)職務命令違反を繰り返した場合、段階を踏み停職を入れるが、最後は免職処分とする」と処分基準の考えを示した。
 自身が代表を務める「大阪維新の会」の府議団が、教職員に起立を義務づける条例案を、19日開会の5月議会に提出する予定。維新の会は府議会で単独過半数を占めているため、提出すれば可決する見通しだ。ところが、維新の会の条例案には罰則規定がないため、橋下知事は、その実効性を担保するため、免職処分の手続きを定めた規定の条例化を目指す。
 これに対し、大阪府教職員組合は「大変大きな問題。知事に異論を唱える声を条例で封じる。これはファッショ以外の何者でもない」と指摘。また、「教育文化府民会議」はこの日、条例案の提出を見合わせるよう府議会各会派に求めるなど、反発の動きも出ている。
 大阪市、堺市の政令市を除く府内の公立小中学校教職員の処分権は大阪府教育委員会にあり、従来の規定では、懲戒処分のうちで最も軽い戒告が“上限”。府教委によると、2002年度以降、君が代斉唱に関する職務命令違反で厳重注意か戒告となった教職員は計9人だという。同知事は「免職になるルールを作った後は政治が介入せず、どういう職務命令を出すかは学校現場に任せればいい」とし、最終的な処分の判断を学校側に委ねる意向を示した。
 ◆物議を醸した橋下知事の発言
▼「くそ教育委員会」 2008年9月、全国学力テストの結果公表に消極的な市町村教育委員会を批判。テレビ番組でも「教委は関東軍」とダメ押し。
▼「朝日のような新聞社は早くなくなった方が世のため」 08年10月、光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求発言を巡って敗訴した知事に対し、同紙は弁護士資格返上を求める社説を掲載。知事は「朝日は今まで事実誤認したことがないのか。偉そうに。すぐさま廃業した方がいい」と激怒。
▼「世間を知らなすぎる」 10年10月、全国的に広まる自治体首長の「育児休暇」取得について反対。第3子の誕生に際して取得した広島県の湯崎知事は「大きなお世話」と不快感。

2011年05月18日08時05分 提供:スポーツ報知
http://news.livedoor.com/article/detail/5565688/

 はっきりいって「職務命令違反する場合は免職処分」って、ある意味では当然ではないのか。民間の会社の場合は当然にそうなる。そもそも、日教組の支持する民主党自体「党議拘束に違反したら除名処分」と岡田幹事長が脅しているではないか。日教組の人々は、自分に都合のよいときは命令、強要するにもかかわらず、自分に都合が悪いと「人権」「身分保障」と言い出す。非常に都合のよい「人権」が振りかざされ、はっきり異って気分が悪くなる。
 日本国民である異常、日本の国旗、国歌に対して敬意を表するのは当然であり、その当然のことができないのであれば公務員としての資格を喪失する。なぜならば、公務員は公務員法により全体の奉仕者でなければならず、当然にその全体を象徴する国旗国歌に対して「奉仕者」でなければならないはずだ。まさに地方自治の本旨ならぬ「公務員の本旨」に基づいて、本来の仕事を行うべきであり、それができないのに文句をいうのではない。
 まあ、日教組と橋下知事の戦いであるから、双方ともに手法はあまりよろしいものではないので、それはそれなりに面白いのであるが、この対立に関しては橋下知事はわたしの感覚から正しいことを言っているのではないかと思う。ひとつは「命令に対する行動」もうひとつは「公務員の本旨」ということ。そして何よりも「日本国民」であれば当たりまえのことではないのか。その当たり前のことができない人が「教職員」として将来の日本を担う子供たちを教育しているのである。なんと恐ろしいことか。そのような教育者たちが教育してる結果が、今の堕落した日本ではないのか。
 日教組には反省がない。本来であれば、教育者はこの社会現象すべてにおいて責任が付帯すると考えるべきである「人権」ばかりではなく公務員、教育者としての「義務」をしっかりと考えさせるべきだ。橋下知事は、そのエキセントリックな手法で、この日教組の矛盾をしらしめてほしいものである。

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震災復興を人質に延命を図る菅政権打倒を叫べ

震災復興を人質に延命を図る菅政権打倒を叫べ

 政治権力とは一体何のためにあるのか。
 最近、「日本の国益(仮題)」という本の原案を執筆しているので、その本の中において当然に政治や憲法に対するあり方とその提言を起草している。この「日本の国益」という本が時間がかかっているのは執筆の最中に大震災が起きてしまったこと。それにより震災復興に忙殺され、なおかつその震災の状況は原子力発電所の状況を踏まえたうえで書物にするのか、あるいは、そもそもそのような者がなかった昨年の間に執筆したということで主パンをするのかかなり迷ったことだ。実際には何もなかったことにして震災の状況は一切触れずに本を書いた。それでも、私も人間なので、その部分の迷いや震災の状況の説明などは行間に大きく表れていしまうのである。そのような修正が非常に多くあったので、本来は6月の初旬には出す予定であったが、残念ながら大きくずれ込むことになりそうである。
 しかし、その「日本の国益(仮題)」の中にも執筆したが、本来政治というのは、政局や権力争いではなく、国民の生活のために為政者が行うものである。国家の行く末や方向性を国民に示し、そのうえで、現状の分析を行い、国家の方向性や目標との差を検証する。数式で表せば
「理想」-「現実」=「課題」
となり、課題を克服する方法として、「優先順位」と「課題の対処の方法論」が必要になるのである。
 政治は船のかじ取りであらわされるときがあるが、現状分析がスタート地点、そして国家の目標がゴールだ。その間にはいくつもの障害がある。その障害を克服するのに対して、「障害を破壊する」「障害が過ぎ去るのを待つ」「障害をよけて通る」など様々な方法が存在する。日本からアメリカに行くのに、太平洋横断ばかりが道ではない。東南アジアからアフリカ喜望峰を抜けて太平洋を横断するのも一つの航路だ。当然に航路の選択によって、障害の種類は異なる。その目標と、航路、そしてその航路における障害の予想とその対処これを示すのが政治の役割ではないのか。
 現状、日本は非常に大きな災害を被り、その災害に対して復興という目標がある。しかし、復興の順序や復興の障害、たとえばがれきに除去や都市計画、仮設住宅に被災者の生活の補償という様々な「障害」「課題」をどのように克服するのか。これを示すのが政治の役目であり、それを一刻も早く示し、そしてその内容に関して議論を行い、議論を尽くしたうえで国民の合意の上に復興を進めなければならない。
 しかし、今の菅政権はそのようなことを行うつもりはないようだ。その菅政権の卑劣な政治認識について下記の通りに記事が書かれている。


東電の賠償支援法案も先送り 政府民主、臨時国会へ

 政府、民主党は16日、福島第1原発事故で東京電力による被害賠償を支援する法案の今国会提出を見送り、8月にも召集する臨時国会に先送りする方向で調整に入った。政府が決定した賠償支援策に対し民主党内の異論が強く、法案策定に手間取る恐れが出てきたためだ。
 菅直人首相は今国会を6月22日の会期末で閉じたい意向で、40日を切った残り会期中に処理する法案を絞り込みたい思惑もある。本格復興のための2011年度第2次補正予算に加え、賠償支援法案の処理も先送りとなれば、野党が反発するのは必至だ。法案は、巨額の賠償負担を負う東電の経営破綻回避のために新機構を設立するのが柱。被害住民らへの賠償に対応するもので、賠償仮払いには直接関係しない。

2011年05月16日19時26分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/5562002/


2次補正は8月以降に提出と首相 政府の工程表はあす発表

 菅直人首相は16日午前の衆院予算委員会で、東日本大震災の本格復興に向けた平成23年度第2次補正予算案の国会提出時期が8月以降になるとの認識を表明した。
 首相は「被災した自治体でも7月、8月に復興計画を出したいというスケジュールを示している。地元の意見を踏まえながら考える。拙速にすぎるのは、気をつけなければならない」と述べた。2次補正の提出時期について、首相が具体的に言及したのは初めて。
 一方、東京電力福島第1原子力発電所事故の対応をめぐり、事故収束までの期間を6~9カ月とした東電の工程表について「なんとか時間的な展望は変えずに進めることができる」との見通しを示した。東電の工程表改定に関連し「政府としても、どのようなことを進めていくかをまとめて発表したい」と述べ、周辺住民の避難期間や帰宅のめどを盛り込んだ政府の工程表を、17日に発表することを明らかにした。
 東電の清水正孝社長は賠償に関し「資金調達が極めて厳しく、資金がショートして公正、迅速な補償ができなくなる可能性もある」と指摘、賠償支援策の関連法案の今国会成立を求めた。
 枝野幸男官房長官は「今、生じている損害の範囲内なら、企業、利害関係者の努力で出すことはできる」と述べ、東電の賠償に電気料金値上げの必要はないとの認識を重ねて示した。
 原子力安全委員会の班目春樹委員長は福島原発1号機の現状について「温度はどんどん下がっており、一定の安定状態にある」とした。

産経新聞 5月16日(月)13時5分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110516-00000534-san-pol

 はっきり言う。
 菅直人およびその執行部にはすぐに政権の座を降りてもらいたい。そして、二度と国民の前に出てこないでもらいたい。少なくとも、復興という状況を行うときに、その復興の道筋を示せない政治家などは、その存在自体が必要ないのだ。このような復興の時期に不信任などを言うのはおかしいなどの論調もあるが、実際のところ、政治家の本文を忘れ、それが延命であるか個人の権力欲であるかは分からないが、いかなる事情であれ、復興そのもの、国家の目標そのものを先延ばしにするような政治家は日本には必要ないのだ。
 ましてや原子力発電所の放射能漏えい事故はまさに現在も進行中であり、報道いよればぼろぼろと新たな事実が発表される。そもそも、そのような情報があるならば、原子力発電所の放射能漏えい、要するに3月15日前後の時点ですぐに発表し、国民を安全な場所に避難させるべきではないのか。そのような手法を取らず、国民を危険にさらし、避難もさせず「パニックを起こさせないため」などと言って放射能を浴びさせていた罪は、まさに民主党政権そのものの人災である。にもかかわらず、その内容に関して賠償を先送りにするなどは、責任を回避し、その責任を転嫁し、そしてその間の責任をうやむやにする。単純に言えば国民に対して責任を負える政治を行えないということに他ならないのではないか。そのようなことをして、政治家などという事どころか、「床屋政談」でも許されない状況である。
 はっきり言って言語道断。このような政権は、一刻も早く打倒すべきであるし、同時に、この政権を支持しているすべての国会議員を次の選挙では落選させなければならないのではないか。そして、そのことを国民に知らせる努力が必要なのではないか。
 このように私が起こっている間にも、被災者は毎日体育館で寝食を行い、そして、元の生活に戻りたいというかなえられない願望を持っているのだ。その国民の心を、同じ日本国民はなぜわからないのか。菅政権の支持率がこれでも上がっている状況が私には信じられない。

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原子力発電所をめぐる二つの世論調査

原子力発電所をめぐる二つの世論調査

 世論調査の結果を書くのに関しては、基本的にその世論調査が正しいという前提で書かなければならない。そもそも、その数字に関して正しいのか正しくないのか、あるいは、その調査結果の前提である設問が適切なのか(誘導的な設問になっていないのか)、あるいは、そもそもその設問の原因となる事象に衆愚型のアナウンス効果がないのかということをしっかりと考えなければならない。そのような内容がない世論調査は、それなりに操作されていると考えるべきである。
 逆に、これらの前提がなければ、安易に世論調査の結果を扱う必要はないし、または扱うのであれば、それらの前提があるということを意識して文章を書かなければならない。そもそも世論調査には何の法的根拠もないのである。数字を出されてもその数字が正しいものであるのか、正しくないのか。その数字野党系の信憑性は株式会社であるマスコミの内容がどのように出されているのかをしっかりと見ながらやらなければならないのである。
 さて、それらの前提を観ながら、今回はYAHOOのニュースの一覧から世論調査を拾った。YAHOOは毎日新聞の世論調査結果を出しているので、今回は毎日新聞の統計ということになる。
 菅直人政権は、福島第一原子力発電所の放射能漏洩事故を見ながら、片方で、東海大震災が予想される静岡県の浜岡原発に対して停止要請を出した。そもそも「停止要請」というものが非常に厄介だ。単純に「行政指導」でしかなく、その法廷根拠は何もないということが「要請」という単語の中に入っている。しかし、折からの原子力発電反対勢力と、それに基づいた東京電力、原子力保安員などの原子力行政およびその関係者の脆弱な体制に嫌気のさした日本国民は、その法的根拠のない停止要請を非常に高く評価している。しかし、実際のところはどうなのであろうか。
 そもそも、「何かをやめる」これは、原子力発電にかかわらず、すべてのことであると思うが、政府が民間の行っていることをとめるには、それなりの理由があるはずだ。今回は気象庁だか、その諮問機関だかが出した「地震予想」という内容が今年の1月に出されている。その書面の中には今後30年以内に各原子力発電所のある地域が震度6以上の地震に見舞われる確立が記載されており、浜岡原発は84%とかなり高い確率になっているという。実際にこの書面には、福島原発は地震の確立が0%となっており、まったく地震や津波の心配はないとされているのである。しかし、その書面が出た2ヵ月後に福島第一原発はこのような事故に見舞われているのである。その「完全に予想が外れた」書面を根拠に原子力発電所に対して「行政指導」を行った。本来は、その研究所地震に対して、福島原発に対する責任を負わせるべきであるが、逆に、その研究所のデータを信用して電力不安をあおるようなことをするのは、どうなのか。
 「何かをやめる」には、その「やめたことによる影響」をすべてフォローする必要がある。もちろん福島原発に関する内容をすべてフォローしろというつもりはない。「やめる」ことになった原因が完全に地震や津波などの震災被害であるからだ(もちろん、その後の状態の悪化や風評被害、避難地域の変更やその非難地域内のペット家畜の命の問題は人災であると考えている)。しかし、浜岡原発の場合は、現在正常に動いている者をとめるのであるから、その動いていたことをどのように評価し、そのとめたことの影響をしっかりと建てなければならないのではないか。
 その意味において、今回の世論調査はなかなか興味深いものがある。

毎日世論調査 浜岡原発停止「評価する」66% 

 毎日新聞は14、15両日、全国世論調査を実施した。菅直人首相の要請を受けて、中部電力が受け入れた浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の運転停止について「評価する」が66%に上り、「評価しない」(25%)を大きく上回った。一方で、浜岡原発以外の原発については「停止する必要はない」が54%に上り、「停止すべきだ」は34%にとどまった。内閣支持率は4月の前回調査比5ポイント増の27%にとどまり、不支持率は前回調査と同じ54%と高止まりしている。
 日本の電力の3割を原発でまかなってきた日本のエネルギー政策について引き続き聞いたところ、「原発は減らすべきだ」(47%)が前回より6ポイント増えた。「やむを得ない」は、9ポイント減って31%。東京電力福島第1原発事故の深刻な状況が続く中で、原発縮小を求める回答が拡大している。「原発は全て廃止すべきだ」は12%(前回13%)にとどまった。
 浜岡原発の運転停止については、内閣支持層の78%、不支持層でも61%が評価した。支持政党別にみると、民主党支持層の79%が評価したほか、自民党支持層でも58%、公明党支持層でも55%がそれぞれ評価し、与野党の支持層を問わず、一定の評価を得ている。
 一方、首相の交代時期については「復興対策が一段落するまで」が前回比3ポイント減の50%で、最も多かった。「できるだけ早くやめてほしい」もほぼ横ばいの25%に上り、首相に対する厳しい評価は変わっていない。内閣不支持の理由では、「指導力に期待できないから」が昨年6月の菅内閣発足以来、最多の54%に上った。
 福島第1原発の放射性物質に関する政府の発表については「信用している」が26%と、前回比6ポイント減った。「信用していない」は同6ポイント増えて64%と大きく上回った。復興財源を確保するための増税に「賛成」の回答は前回比10ポイント減の48%、「反対」は41%で同8ポイント増え、拮抗(きっこう)している。
 被災地に対する政府の支援や復興の取り組みについては「大いに評価する」(4%)、「ある程度評価する」(46%)と合わせて50%が評価。一方、「あまり評価しない」(33%)、「全く評価しない」(11%)と合わせ、評価しないも44%に上り、判断が割れている。
 次期衆院選の時期については、「早く行う必要はない」が47%に上り、震災前の2月調査に比べ11ポイント増。「できるだけ早く行うべきだ」は、2月調査時の60%から今回41%にまで下がり、衆院選先送り論が上回った。【野口武則】
 ◇ ◇
 東日本大震災による被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の一部地域は、今回の調査対象に含まれておりません。

毎日新聞 5月15日(日)21時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110515-00000023-maip-pol

<毎日世論調査>原発政策巡り揺れる民意

 毎日新聞が14、15日実施した全国世論調査では、地震・津波による事故が想定される中部電力浜岡原発の運転停止を評価する人が6割を超える一方、国内のほかの原発停止には慎重な国民感情の「揺れ」が表れた。原発事故の再発を恐れながらも、停止すれば電力供給が不安定になるとの懸念も強く、性急な「脱原発」への不安がうかがえる結果となった。
 中部電は菅直人首相の浜岡停止要請を受け入れる一方、夏のピーク時の電力確保へ向け国やほかの電力会社に支援を求めている。世論調査では、浜岡停止を評価した人でも、ほかの原発については「停止する必要はない」が50%を占め、「停止すべきだ」の44%を上回った。政府もほかの原発に波及させない姿勢を強調しており、浜岡原発に限定した運転停止は好意的に受け止められている。
 供給電力の約3割を原発に頼ってきた日本のエネルギー政策をめぐっては「原発は減らすべきだ」が47%と半数近くに達し、「すべて廃止すべきだ」の12%を合わせた約6割が原発依存からの脱却を志向している。浜岡停止を評価する人の中では「原発は減らすべきだ」が56%、「すべて廃止すべきだ」が16%で計7割強。一方で、浜岡以外の原発も「停止すべきだ」と答えた人でも、原発全廃を求める人は31%にとどまった。
 菅首相は10日の記者会見で、2030年までに原子力発電の割合を50%以上とする政府のエネルギー基本計画を白紙に戻して見直す方針を表明。26、27日にフランスで開かれる主要国首脳会議(G8サミット)などで再生可能な自然エネルギーを重視する姿勢を打ち出したい考えだ。
 政府内では地震・津波対策の強化によって浜岡原発の運転再開を目指す経済産業省などと、菅首相との温度差も浮き彫りになっている。福山哲郎官房副長官は15日、毎日新聞の世論調査の感想を聞かれ「国民の声も聴きながら、電力の安定供給という課題もある中で見直す作業をやっていくことになる」と慎重に言葉を選んだ。【平田崇浩、中田卓二】

毎日新聞 5月15日(日)21時29分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110515-00000080-mai-pol

 日本のエネルギー行政はその電力の供給の30%を原子力に頼っているのである。原子力に頼るのは、まさにいくつかの理由がある。エネルギー白書などにはそれらの理由がしっかりと示されているほか、国防やシーレーンの安全の問題など複雑に絡む外交関係上原子力の研究および実用化は必要とされてきている。
 原子力の必要性や国防をここではかたらないこととする。しかし、実際に30%の電力の供給の一部が止まるわけであり、その内容は「防災対策ができるまで」とある程度不定期な状況になる。場合によっては3~5年の間調整停電が継続することになる。
 本来は行政指導を行うのであれば、当然にその代わりの電力供給にめどをつけなければならない。そればかりか、浜岡原発で働いている人3000名の雇用の問題などもしっかりと考えなければならない。そのような手当てはまったく行われていないのが現状だ。中部電力は自力で天然ガスの確保を行い、その目途をつけるにいたったが、実際のところ、その費用が中部電力の電気代や税金に跳ね返って国民の負担になることは明らかである。一方で「再生可能エネルギーの重視」というが、実際にインフラの問題であり、毎日欠かすことのできない電力需要に対して、今後研究史重視してゆくというような無責任な発言で許されるはずはない。もちろん雇用に関しても同じで、正社員だけではなく、派遣社員や下請けなど、労働弱者に対して、完全に「政府が雇用を解除した」形の今回の行政指導に対して政府はどのように責任を取るつもりなのかまったく不明である。
 単純に異って「思いつきで、なおかつ、その影響をまったく考えず、またその影響が出ても一切フォローしない」政府のあり方は、よく言われるように「延命作業」としか言いようがない。
 幸い、マスコミが原子力反対のキャンペーンのような報道を行い、なおかつ産業界も表立って原発推進や浜岡原発停止反対を行うことによる企業イメージの低下を恐れて、何もしない状態になっているので、その内容はなんとなく流されえいる。しかし、この夏の調整停電を、東京や東日本だけでなく中部や関西にまで広げ、なおかつ中部電力から東日本管区内への電気の供給が止まるということは、まさに日本の経済や国民の文明的な生活を完全にとめてしまうないようだということを、国民はわかっているのであろうか。ここの、上記の書いた「設問の原因となる事象に衆愚型のアナウンス効果がないのか」ということが最も重要なキーワードになるのである。
 日本人は、非常に感覚が鈍くなっている。上記のように政府のはっぴゅする情報が不十分であり信用できないことは十分承知しているくせに、マスコミの垂れ流す情報には簡単に引っかかってしまう。その衆愚制が完全に現れた結果ではないのか。
 もう少し、何か政策を行うときにはそのメリットとデメリットを考え、その上でデメリットを最小限にする手立てをしたのちに、その政策を実行するということが必要なのであり、菅直人およびその内閣の延命のために、われわれの生活や国民の命を危険にさらしたり生活水準や経済レベルを下げるつもりはない。そのような意思表示をしっかりと国民は発信しなければならないのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(43) 多角収益を望むよりも本業の報道を改善せよ

マスコミ批判に関する一考(43) 多角収益を望むよりも本業の報道を改善せよ

 マスコミ批判を行っているのであるが、実際にマスコミの行っている内容を知っていてその内容に関してその内容を知った上で批判しているのか、あるいは新聞やテレビの報道の偏向性を、単一視眼的にやっているのか判然としないことがある。一方で、新聞や雑誌に関しては、その収益性を確保するために、事業の多角化を行っており、その多角化経営の事業に関して、また偏向的な事業を行うという悪循環を行うことが少なくないのである。
 批判・非難をする場合には、その体質全般を見てしっかりと批判を行わなければならない。たとえば、毎日新聞。昨年、参議院議員に立候補した候補で、マスコミ批判を強烈に行った人がいた。後援会などで毎日新聞の批判を行い「毎日新聞はもうじき倒産する」などということを主張、またはブログなどでも書いて、一時期人気を博していた。しかし、彼の場合(誰とはいわないが)、実に単一視眼的批判でしかなく、それを自分の立候補の行為に悪用している場合が少なくなかった。彼の場合、ブログはほとんどマスコミ報道のねたであって、自分の取材とマスコミ報道の違いをしてきるするわけではない。しかし、そのようなことよりも、彼が単一視眼的でマスコミの会社の経営やその実態を知らないということをあらわしたのは、地方での打ち上げの際、彼が批判の的としていた毎日新聞が100%出資の会社の酒を飲み、その権を何も批判できなかったことである。場の雰囲気などがあるので、これは飲めないなどと拒絶をしろといっているのではない。しかし、その日の昼に毎日新聞批判の講演を行っておきながら、毎日新聞社グループ全体の実態を知らないで、片方で「酒を買って応援している」実態は、あえて上記に出したように「自分の足で取材した内容と、マスコミの発表を比較していないという行為に所以しているところである。
 ネット上の批判は、その参議院議員候補が『ネットの代表』と自称していたことでもわかるとおりに、そのような片手落ち、イメージ的な批判が少なくない。
 しかし、知らないということを批判することをいいたいとは思わない。そうではなく知らなかったのであれば、言い訳をせずに素直に知らなかったといって教えを請えばよい。しかし、それができる人もかなり少ないのではないか。そのような態度が出てきてしまうことは非常に問題であるといわざるを得ない。
 そこで、今回は朝日新聞の多角経営に関して、少し紹介したいと思う。

朝日新聞社 大阪にツインタワー建て不動産事業に収益源求める

 震災と原発事故によって自粛ムードが日本経済を覆う中、「自分たちが日本を支えなくては」と立ち上がり始めたのが関西経済界だ。被災した工場の代替え生産や復興需要を追い風に浪速の商人たちが今、日本を元気にしようとしている。ジャーナリストの井上久男氏が報告する。
 * * *
 関西財界の大きなプロジェクトとして、大阪市には「最後の一等地」と呼ばれる旧国鉄の土地だったJR大阪駅北側の「梅田北ヤード」の再開発がある。24ヘクタールのうち7ヘクタールが先行開発され、2009年に開発企業12社が出資して「ナレッジ・キャピタル・マネジメント」を設立。世界から最先端技術や芸術、エンターテインメント関連の施設を誘致する方針だ。しかし、地盤沈下が著しい関西に世界から本当に人材が集まるのかという声も出ていた。ある財界の長老は「震災によって関西の位置づけが見直されているこの時期にテナントなど集客向上のために営業を強化すべきだ」と語る。
 朝日新聞社も、発祥の地である大阪の中心部、中之島地区にツインタワーを建設する計画で、新聞事業に代わる収益源を不動産ビジネスに求めているが、「1棟目はすでに建設中だが、2棟目はテナントが埋まらない可能性があったため、建つかどうか雲行きが怪しくなっていた」(関西財界団体の幹部)。しかし、この震災を受け、「海外の大使館や領事館や外資系企業に営業をかけて、こうした『リスク分散需要』を取り込むべき」(朝日関係者)との強気の意見も出始めている。
 実際、震災直後、福島原発からの放射能漏れを恐れて海外企業や大使館関係者が関西に一時避難していた。JR大阪駅と一体化しているホテルグランヴィア大阪でも「震災の翌週から、個人で避難してくるお客様と外資系を中心に企業が部屋を一定数確保するケースが増えた」と話す。
 こうした「リスク分散需要」は今後、拡大すると見られる。コールセンターやデータセンターを家賃や人件費などの管理コストが安い仙台市など東北地区に置く企業が多かったが、関西への機能分散をNTTなどの通信会社に相談するケースも増しているという。企業が、災害など想定外の事態で肝心な顧客対応機能を失えば死活問題になると感じ始めたからだ。

※SAPIO2011年5月25日号
2011年5月12日(木)16時0分配信 NEWSポストセブン 

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20110512-20270/1.htm

 毎日新聞社が酒造メーカーを持っているように、朝日新聞も多くの不動産を所有している。読売グループに関しては、よみうりランドや読売ジャイアンツなど、その企業の冠に「よみうり」を入れてくれるので、非常にわかりやすい。後は日本テレビが読売グループであるということを認識していれば、女子サッカーの「日テレベレーザ」なども大きく読売グループであるということが非常によくわかる。同じことは中日新聞グループも同じだ。スポーツチームを持っているところはよいが、そうではないところはなかなかその判別が難しい。それだけにその内容をしっかりと見ておかなければならない。
 気温的に読売のように冠に「読売」と書いてやっているところは、一般論として「読売」という産ランドがしっかりしているということである。逆に言えば、読売新聞に関しての批判が非常に少ないということになるのではないか。概して読売新聞が偏向報道を行った場合も「読売がー」という批判は非常に少ない。なぜならば、読売グループの場合、読売グループ全体の「ヒール役」を買って出る大物がいるからだ。まさに「ナベツネ」その人である。
 一方、朝日新聞や毎日新聞のように、その新聞社全体が批判されている場合は、その主筆や主幹などは、あまり個人名で言われることは少ない。「船橋(朝日新聞)がー」「朝比奈(毎日新聞)がー」などといわれることは非常に少ないのである。これは、ひとつには朝日新聞の体質的な部分もあり、船橋氏や朝比奈氏がその首領として大きな力を持っているというものではなく、会社全体の内容のような感覚で言われていることなども上げられる。要するに新聞社全体が「偏向報道体質」であって、「主筆のエゴで変わった」という論理を許さない体質になってしまっているのである。
 マスコミの批判をするときに、新聞社全体を批判する必要があるのかということは非常に疑問の残るところである。実際にそのようなことをしても意味がないし、朝日新聞の中にも保守を通り越して右翼的な人も少なくない。読売も、ナベツネ一人で切り盛りしているのではない。ただ単に目立つか目立たないか、もっといえば、ナベツネという人をクローズアップしたマスコミの戦略にまんまと乗っかっているに過ぎないのではないか。
 さて、しかし、朝日新聞屋毎日新聞が多角経営を、自分の名前で行えないということは、まさに新聞報道そのものに偏向職がついてしまっているためであり、朝日というだけで保守系が忌避してしまう場合が少なくないためである。「ナレッジ・キャピタル・マネジメント」などという朝日新聞と縁も所縁もない名前にしなければならないのは、そのような忌避団体や会社が少なくないために、朝日新聞を隠さなければならないというのも一因存在するのである。
 しかし、考えてもらいたい。上記のような参議院候補がいれば、それで簡単に国民をだませるわけであるし、逆に、朝日新聞はしっかりと偏向報道をしないで、多くの人に真実を伝え、しっかりとした真実の報道をしていれば、そして、その報道に責任を持って対処すれば、そもそも縁もゆかりもないカタカナの名前にする必要はないのである。それだけ、朝日新聞の報道体制が忌避されてきているということに他ならず、その朝日新聞の報道体制を、上記の記事では「震災が助けた」ということになっている。実際に大阪にしばらく行っていないので、この建物に関する取材は行っていないのであるが、その内容に関しては追ってご報告することにしよう。
 このような多角経営をすれば、当然にその関係で「偏向した」報道をせざるを得なくなってしまう。新聞社も営利目的の株式会社であるので、実際のところ「スポンサー企業」には弱い。それは国会新聞といえども同じである。新聞社が多角経営をすれば、会社としての『スポンサー企業』が多くなってしまう。それでは、どんどんと偏向報道や贔屓報道が増えてしまうのである。マスコミが社会的存在であるならば、そのような体質そのものを禁止しなければならないのではないか。同じことは、政治資金規正法にも言える。小沢一郎の不動産収益などは、法律に規制がなくても同義的にはおかしいし批判の対象である。それはそもそも政治家としての「本分」をわきまえていないからであり、それはモラルや道徳の崩壊でしかないのである。逆にモラルや道徳が崩壊しているのであれば、法律ですべてを禁止しなければならないのかもしれない。
 そのような議論が、一度されてもよいのではないか。いずれにせよ、マスコミを批判するのであれば、相手の実態をよく知った上で本質的な批判をすべきではないか。

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政治評論家、花岡信昭氏の死去の報に寄せて

政治評論家、花岡信昭氏の死去の報に寄せて


なんとも急な話で、言葉が出ません。
本日というか明日というか、月曜日のていきブログはマスコミ批判に関する内容であったので、イレギュラーにここに挟み込みたいと思います。

花岡先生とは、チャンネル桜の討論で何度もご一緒していただき、
広いご見識やご経験を賜っておりました。
先日と言っても連休前ですが、地下鉄の四ツ谷駅でお会いし、気さくに話しかけていただき
今の政局や自民党についてのことや小沢一郎、菅直人といった個別の政治家の名前を出して立ち話をしたばかりです。その立ち話が、花岡先生との最後の会話になってしまうとは思ってもみませんでした。
花岡先生の政治批判は、私のような若輩者のそれとは違い、様々な示唆に富んでおりましたし、また、政治に対する「愛」も、日本の将来に対する憂いもあったと思います。
まだまだ、われわれ後輩には教えていただかなければならないことばかりであったと思います。
今後は、ゆっくりお休みになられ、われわれのような若輩の後進を見守っていただきたいと思います。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


政治評論家の花岡信昭氏が死去 拓殖大院教授、元産経新聞政治部長
2011.5.15 17:57
花岡信昭氏(植村光貴撮影)

花岡信昭氏(植村光貴撮影)

 花岡信昭氏(はなおか・のぶあき=拓殖大院教授、政治評論家、元産経新聞論説副委員長)14日、急性心筋梗塞のため死去、65歳。通夜、葬儀・告別式は未定。

 長野県出身。早稲田大政経学部卒業後、昭和44年に産経新聞社に入社。論説委員、政治部長、編集局次長、論説副委員長を歴任した。

 平成14年に退社後は政治評論家として活躍した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110515/stt11051517580003-n1.htm

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(12)  「This is China」に込められた意味

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(12)
 「This is China」に込められた意味

 

  先週は5月の連休なので、一回お休みをいただきました。
  それまでは、北京の観光をみてきた。もっと観光に関しても書いていきたいと思うのであるが、そればっかりだと文章が持たなくなってしまう。そこで、そろそろ話題を変えて、次の話題にしよう。
  といっても、中国的な話題を選ぶのはなかなか難しい。なぜかといえば、中国は、何から何まで違うのである。この後、「東アジア放蕩覚書」なので、韓国やインドネシア、タイなども紹介する。しかし、中国ほど「変」な国はない。日本人から見て違和感がたくさんある。そして、中国に対するその違和感は他の国の人も持っているということが明らかになるのである。
  その中で、是非紹介しなければならないことは「酒」「女」「賭けごと」である。いわゆる「飲む」「打つ」「買う」の三種類。この内容が完全に違う。まず基本的に日本人他外国人は、この飲む打つ買うを親睦のために使う。単純に言えば、「遊びの席で人を騙さない」ということがあげられる。どちらかというと『仲間で遊びに行く』ということで、親しい人と遊びに行く漢字である。しかし、中国の場合ではこれを仕事に利用する。もっと言えば遊ばせて「弱みを握る」という感じになってしまうのである。酔わせて、本音を言わせて、翌日からの交渉でそれを使うということである。
  「そういうの嫌いなんだ」
  契約交渉相手のジョン・ジーキンスはカナダの出身である。中国で仕事をしているが、あまり面白くないようである。彼らは、仕事の仲間がいながら、「欧米人の集まり」を持っていた。ちょうど日本人が日本人会を作って、日本人で集まって、非常に日本人的なかいわをしてストレスを抜いているのと同じだ。欧米人も中国人となれているように見えていても、その習慣には璧壁としているということが分かったのである。
  そのように「中国で仕事しながら反中国人慣習という共通点を持った」ジーキンスとは、非常に仲良くなった。一緒に飲みに行くことも少なくない関係であった。彼の示してくれた中国人の慣習を聞いた。

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若者の自殺について 土曜日なので政治以外のネタで

若者の自殺について 土曜日なので政治以外のネタで

 土曜日は、なるべく政治以外のねたに触れてみたいと思う。国会新聞社は基本的に政治面と国際面ばかりであって、社会面やスポーツ面、芸能面などは存在しない。実際に経済面(産業面のようなところ)もなく、経済のネタを行うときには、あくまでも財政とか経済政策ということになってしまう。単純にいえば、今ここであげた「芸能ネタ」「スポーツネタ」「経済ネタ」「社会ネタ」は、よほどのことがない限り、潜在的にボツネタである。もちろん、社会ねたでも今回の東日本大震災のように、その影響が大きく、国会での立法・法案審議や予算、行政に影響を与えるときには、その内容が大きく取り上げられるし、日本航空の破綻のように、政策的な内容であれば大きな内容になるであろう。東京電力の賠償問題などは、東京電力が「株式会社」という民間会社の形態であっても、大きく影響する内容であるから、当然に国会新聞でも取り上げるのであるが、それ以外の個別の内容に関してはやはり潜在的にボツネタ。そもそも企画でも取り上げられない程度の内容になってしまうのである。
 話は違うが、5月10日やまと新聞の岡社長とゆっくりと話をした。私も岡社長も「保守」ということでは一致しているものの、保守そのもののあり方についてはさまざまな考え方を持っている部分が存在する。そのなかで岡社長が「今までの形態そのものにもんぢあがあるのかもしれない。やまと新聞も、たとえば『YAMATO』とアルファベットにしてみるとか、あるいは『ヤマトスポーツ』のようなスポーツ新聞などの形式をとって、まずは存在を知らせること、または読む人の数の拡大を行わないといけないのかもしれないと思っているのです。」という。なかなかよい意見であると思い、普通に賛同をした。もちろん今までの「やまと新聞」をなくせといっているのではない。しかし、活動的な保守ではなく大多数の「中道保守」もっと言えば、安保騒動の国会における岸信介首相のいう多くの日本人の「声なき声」を聞き、その声を集約するためには何をしなければならないのか。もっと、いえば政治に興味がない人に政治に興味を持ってもらうためにはどうしたらよいのか。多くの政治家や保守の論客といえる人も人間であり、その人間味を出してもらうにはどうしたらよいのか。岡社長も私も悩むところは同じである。その面では芸能やスポーツに裾野を広げてゆかなければならないのかもしれない。
 そこで、このブログでも、芸能面をと考えていたときに、下記のような内容が飛び込んできたのである。

「2時間だけ独りに」上原美優さん 恋人を外出させた後に命絶つ

 「大家族貧乏アイドル」として人気だったタレントの上原美優(うえはら・みゆ、本名・藤崎睦美=ふじさき・むつみ)さんが12日、東京都目黒区の自宅マンションで首をつって死亡しているのが見つかった。警視庁目黒署などによると、自殺の可能性が高い。部屋では解読不能のメモ書きが見つかった。昨年3月に母親を心筋梗塞で亡くした後、精神的に不安定な状態が続いていたという。
 上原さんは自宅のドア付近にベルトとスカーフをかけ首をつっていた。発見されたのは12日未明。マンションには男性が叫ぶ声や走り回る音が響いた。
 同署や所属事務所によると、交際していた会社員の男性(26)が発見し、同日午前2時ごろ通報。上原さんは搬送先の病院で死亡が確認された。部屋にあったメモ帳には殴り書きのようなものが残されていた。知人によると、睡眠導入剤や安定剤を常用。この日も多量にのんでいたという。
 前日11日は休日。男性とマンションで過ごしていたが、深夜になって「2時間だけ独りにして」と言い男性を外出させた。その後、電話しても出ないのを不審に思った男性が合鍵でマンションに戻ったところ、すでに首をつっていた。

2011年5月13日(金)0時33分配信 スポニチ 
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/sponichi-kfuln20110513006001/1.htm

上原美優 若すぎる死に親交のある芸能人が次々とコメント

 バラエティ番組などで活躍していた上原美優さんが12日未明、東京・目黒区の自宅マンションで首をつっているのが見つり、搬送先の病院で死亡が確認された。目黒署は自殺とみている。この突然の悲報に親交のあったタレントが次々とコメントを出している。
 バラエティ番組で共演したこがあるモデルの小森純は、自身のブログで、「なかなかプライベートで会う機会がなかったんだけど、2か月前一緒お仕事した時は、いつもと変わらず元気な美優でした。プライベートでも純ポ~純ポ~と、甘えてくる美優は、本当に可愛い子でした。あの笑顔が忘れられません」とコメント。
 グラビアアイドルのほしのあきも、自身のブログを、「美優ちゃん」とのタイトルで更新、「すごく頑張り屋さんだった美優ちゃん。24歳ってまだ早すぎるょ」と悲しんだ。
 姉貴分として上原がしたっていたタレントの眞鍋かをりは、コメンテイターをつとめる「とくダネ!」に生出演中に何度も涙を流した。上原は過去にイベントで、「眞鍋かをりのポジションを狙う」とネタにするほどプライベートでも仲が良かった。
 また、上原が所属していた事務所のHPには、「弊社の所属タレント 上原美優が5月12日3時37分に逝去いたしました。(享年24才)ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます」とのコメントが掲載されている。

2011年5月12日(木)18時30分配信 リアルライブ 
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/rl-20110512-7099/1.htm

 人の生死を上記のような『保守』とかそういうことに結びつけるのは正直言って不謹慎であり、同時に、そのようなことはすべきではないと考えている。よって、ここから以下は政治とか保守とかはまったく関係はない。前半部は、なぜ、このブログでタレントの自殺を取り上げたかという説明が期であると解釈していただきたい。
 さて、上原美優さんというタレントを直接あったことがあるわけでもない。しかし、テレビなどでは何度か見たことがある。もともとの貧乏話を面白く話す姿には、ある程度作り話もあるのかな?という疑問を持ちながらも好感を持った。私も、阪神の震災もあるし、マイカルの倒産のこともある。実際に自分の身に起こった不幸を「不幸自慢」のように話すことも、苦労話をお涙頂戴的に話すこともできる。しかし、そのようなことをして何の意味があるのか。不幸があっても、その不幸を楽しい話に変える力があるから、人間は次に進めるのである。私が阪神大震災の体験談を話すと、たいてい会場から笑い声が出てくる。他人の不幸を吹こうとして捕らえるよりも、笑いとして心にとどめておいてもらいたい。そしてそれを教訓として生きてもらいたいと思う。そのことができるかできないか。そこが人間の大きさになるのであろう。この上原美優さんに関しては、そのような力のあるタレントなのかと、好感を持ってみていた。
 逆に、私もそうであるが、そのようなことをしている人は、ある意味で自分の中で消化し切れないつらい部分や消せない記憶というものがトラウマになって入ってきてしまう。それは理屈や理論とはまったく関係がない。条件反射的に自分の頭の中に入ってしまい、本能的にそのような行動をとってしまうのである。それも一人になったときにそのようなことをどうしても考えてしまう。上原さんにもそのようなことが遭ったのではないか。
 それは人それぞれ違う。自分が、そのようなつらい思いを笑いに変えてがんばれるのは、何か変えられる「動機付け」があるのであって、その内容は、非常に本能的に入ってきてしまう内容なのである。逆に、私も同じと思うが、その『動機付け』の元がなくなってしまうと、非常に弱い人間になってしまう。そのときに「あの人は強い人だから」といって、周囲の人も心の傷の深さに気づかないことも少なくないために、手遅れになってしまうことが少なくないのである。
 日本は若者の自殺が非常に多い。問題はそれだけ「動機付け」の元となる存在、要するに他人からの愛情が非常に薄い国になってしまったのかも知れあい。人の心は、人が癒す以外に方法はないのだ。しかし、希薄になった人間の関係はそのことに気づかずに、イメージを先行させて考えてしまい、表面的な解釈だけを優先させてしまう。
 このことは上原美優さん一人の問題ではなく、多くの若年自殺の問題になっているのではないか。そのようなことを少し考えてみてもよいのかもしれないのではないか。
 いずれにせよ、タレントの自殺。昔、私が若いころ岡田有希子さんというアイドルタレントが自殺し、後追い自殺が何件か出てしまった。私の考え方に適用できるならば、タレントがその人の「動機付け」になっていることもすくなくないのである。今回は、そのような若者の『後追い自殺』のないように、しなければならないし、このことを単なる個人の自殺ではなく、社会のひとつの現象として、考える向きが必要なのではないか。
 いずれにせよ、なくなられた上原美優さんのご冥福をお祈りします。

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与野党の若手が結集で議連 政界再編の動きか

与野党の若手が結集で議連 政界再編の動きか

 震災から二カ月以上が経過した。地震と津波そのものは、もちろん菅直人民主党政権の悪行ではない。逆にそのような地震や津波を起こせるほどの力があるのであれば、かえって頼れる内閣と評価されるのかもしれない。
 震災発生から今までの間、菅直人が行っているのはどのようなことなのか。単純に言って「世間が求めそうなこと、マスコミが懸念で報道しそうなことを行うこと」ようするに「国民の支持率を上げ、なおかつ自分の政権を延命すること」に余念がないのである。三月一四日に電車を止めて節電という、交通手段を止めて国民の批判を浴びればすぐにそれを解消し、また、被災地に短時間しかいないといわれれば、次は五時間もの間一つの避難所にいて、他の批判所と差別をするといった感じだ。その最たるものが、中部電力浜岡原子力発電所の運転停止要請であろう。しかし、法律的にも根拠もなく、また、事前に相談も何もしていないと経団連の米倉会長に非難される状況になっている。
 片方で、大衆迎合型ポピュリズム政治を行うということは、当然に統一の理論や思想を持った政治がおこなわれなくなる、また、事前に準備してしっかりとした議論に基づいた政策を行われなくなってしまうということである。当然に、一昨年の総選挙以降、民主党への期待感で支持をしてきた、あるいは野党時代から民主党政権に期待し、支持してきた団体や固定票を失望させ、支持をやめさせるには十分な状況になったのである。
 そんな中、民主党と自民党の若手が連携するというニュースが入ってきた。

“姑息”菅も“腹黒”小沢もイヤっ…民自の中堅・若手が見放した!

 激しく反目する菅首相(左)と小沢氏。ただ、永田町では「菅・小沢抜き」の政治体制を模索する動きが出てきた
 民主、自民両党の中堅・若手議員が近く、小沢一郎民主党元代表と距離を置く形で新議連を発足させることが分かった。「菅降ろし」の前に「小沢外し」を模索しようという動きで、今後、「菅・小沢抜き」の新しい政治体制が構築される可能性がある。一方、菅直人首相は姑息にも、内閣改造を断行することで政権の求心力を取り戻そうと画策しているという。
 新議連の名称は「国難対処のために行動する『民主・自民』中堅若手議員連合」(民自連)。17日に国会内で初会合を開く。
 呼びかけ人は10人。民主党から樽床伸二元国対委員長、松野頼久元官房副長官、自民党からは菅義偉元総務相、河野太郎衆院議員らが名を連ね、菅首相がもくろむ「復興増税」への反対を唱える予定だ。
 しかし、この新議連には別の狙いが秘められている。呼びかけ人の1人はこう漏らす。
 「小沢グループの連中が入ってくるので、すぐに『菅降ろし』はやらない。民主党議員の多くは『親小沢』『反小沢』に分けられることにウンザリしている」。つまりは、「反菅」勢力から小沢色を払拭しようという狙いだ。
 そもそも、小沢氏主導の「菅降ろし」には、どこかうさん臭さが漂う。
 小沢氏は、東日本大震災や福島第1原発事故に関し、「政府対応がこのままではいけないという声を強くしていきたい」(6日、千葉県いすみ市で)と豪語しているが、自身は「政治とカネ」の問題を抱える刑事被告人であり、党員資格停止処分を受けている身だ。
 先月末には、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件の公判で、ゼネコンの元社長が「小沢氏側に1億円の裏金を渡した」と証言。10日の公判でも、別の建設会社社長が「(現場に)同席した」と証言している=小沢氏側は裏金授受を全否定。
 このため、民主党中堅は「菅首相の場当たり的な震災・原発事故対応もひどいが、小沢氏主導の『菅降ろし』に対しても、有権者は『小沢氏の復権を許すのか』『数十兆円といわれる復興利権狙いでは』と色メガネで見てしまう」と話す。
 これに対し、菅首相は延命工作に余念がない。
 被災地の本格復興に向けて、第2次補正予算案の成立を急ぐべきなのに、財源をめぐって与野党の攻撃を受けそうなため、10日の記者会見でも「(提出時期は)現在は白紙だ」とあいまい。
 その陰で、菅首相は国会閉幕後に内閣改造を行う方向で検討に入った。「震災対応に万全の態勢で臨む」という表向きの理由とは別に、閣僚ボストをチラつかせることで、「反菅」勢力や中間派の動きを封じ、政権の求心力を高める狙いだ。
 週内にも、閣僚3人を増員する内閣法改正案を国会に提出する方針で、具体的な新設ポストとして「復興対策担当相」や「原発災害担当相」が挙がっているという。
 そろそろ、永田町の時計の針を前に進めるべきではないか。

2011年05月11日17時00分 提供:ZAKZAK(夕刊フジ)
http://news.livedoor.com/article/detail/5549577/

 この動きに関しては、実は震災前からずっとあった。私が3月17日に行った後援会では「菅もだめ、小沢もだめという勢力が民主党内にあり、それが動き出そうとしている」と発表している。その中の一つの動きが、震災後の復興でしばらく鳴りをひそめていたが、実際に場当たり的で、根本の思想のない、掛け声だけの復興政治に対しての批判を、マスコミは批判しなくても選挙区で、そし4月の統一地方選挙で国民の意思が出てしまい、「黙っては見ていられない」という雰囲気になてしまった。
 その状態に追い打ちをかけたのが、五月二日に成立した第二次補正予算である。国民に向かっては「第二次補正予算で子供手当などマニフェストを見直す」と言いながら、今回の補正予算で、原子力発電所の事故が継続してる時期に、原子力安全保安院から子供手当文の減額が行われている。要するに、この緊急時に原子力安全保安院の予算を減額しているのである。ひかれているのは原子力安全保安院だけではない。内閣府の安全保障対策費からも子供手当分は引かれている。「つなぎ法案」のために、この緊急事態であってもすべての予算から減額しているのである。その割には原子力損害賠償審査会の会議費だけで五七〇〇万円、情報が全く出していないにもかかわらず、震災の情報費用として七九〇〇万円もの補正予算を増額しているのである。自分の仲間が出てくる会議や、至急の経費には湯水のように予算をつけている実態が明らかになってくるのである。そのうえ「復興予算」としてしまっているために、あまり国会でも反対できない。まさに復興予算、要するに被災地の人名や生活を人質に取った形で、手前味噌な補正予算を強引に通したということになったのである。
  民主党の反執行部は連休中に反執行部の会合を行った。山岡賢次副代表が発起人となった「震災で対応できる連立政権に向けた総調和の会」では、昨年の代表選挙で二〇〇名の議員を集めた反菅執行部のうち六〇名しか集まらなかった。この人数の少なさにおいて、民主党の反菅執行部の「菅降ろし」の動きは一部でしぼんでしまったかのように見える。特に、「反小沢」で執行部にずっと干されてきた小沢一郎の求心力は完全になくなったのではないかと考えられるようになってしまった。
 民主党内実力一の小沢一郎の求心力の低下は、訴訟でも如実に表れている。政治資金規正法違反の訴訟では水谷建設関係者から賄賂性の高い現金の佑銃に関する証言が次々とでてきてしまい、民主党支持者の中でも小沢に対する失望の色は隠せない。また、議員の中では、「刑事被告人と一緒にいても将来はない」という発想があり、あの「小沢ガールズ」といわれる中でも、小沢の基を去る人が少なくなくなったのである。六〇名という数字は、その斜陽を表したものと言われている。
 しかし、実際に民主党党内における「菅降ろし」の芽は完全に摘み取られたわけではない。当選四回以内の「反菅・脱小沢」の議員が集まって、何回も勉強会を開いている。その中で五月一七日には、民主党の樽床伸一議員を中心に、民主党・自民党による超党派の議員連盟である「国難対処のために行動する『民主・自民』中堅若手議員連合」が発足した。民主党の中では、小沢についていても、菅に従っていても、次の選挙で通過することができないという危機感が、中堅若手の中に蔓延しており、その中の一つの表れと言われている。
 この動きは、民主党内に徐々に広まりつつある。とくに、民主党内における小選挙区での当選者が多数集まった場合には、一つの大きな戦力になるものとみなされており、その動きは注目に値するものである。一方、この動きを受けて、菅執行部にも動きがある。菅は延命工作のために、国会閉会後の内閣改造を表明し、中堅若手の動きに対して閣僚ポストで応戦しようとしている。そのポストで、これら中堅若手の「反菅・脱小沢」勢力の取り込みを図ろうというものである。しかし、彼ら中堅若手議員は「菅野政策では日本が持たない」「被災地がまったく助からない」という選挙区の声を反映したものであるために、簡単に大臣ポストで動くものではないようだ。
 菅執行部のうち、仙谷官房副長官などは、菅直人首相を交代して、民主党支持をつなぎとめようという声動きもある。特に市民団体などから「外国人からの献金」で告発された状態になってしまったので、その動きはかえって強くなっているともいえる。その場合の「ポスト菅」候補は、震災対応で評判が良く、福島原子力発電所の放射能漏えいでもマスコミ対応をやって支持率上昇につなげた枝野官房長官や、第一次補正予算で力を発揮したとされるのだ財務大臣などの名前が挙がっているのである。
 しかし、枝野官房長官には、昨年雑誌などで話題になった革マル派からの献金の問題もあり、また、参議院選挙での敗北で幹事長を一度退いた実績から、党内での人望、特に次の総選挙での「選挙の顔」に成りえないという批判がある。何よりも、それらのことから党内議員や保守系の支持団体をまとめきれないという批判が強い。一方野田財務大臣には、補正予算をやったとはいえ、昨年の急激な円高での対応ができていないということや国際会議での不用意な発言などで、あまり人望がないことも事実だ。実際に、今回の補正予算でも藤井裕久首相補佐官や与謝野馨経済財政大臣の名前が挙がってしまい、野田財務大臣の影は非常に薄くなてしまっている。これでは枝野官房長官以上に国民受けをするものではないという発想が、民主党内には存在するのである。
 そのような中で、「民主党にいなければ他の政党から首相を選出しよう」という民主党内の動きもある。特に、震災後の非常時には、完全なる調整型首相かあるいは独裁型で剛腕な感じのある、批判に強い首相か、いずれかが適任ではないかという発想があるようだ。
 そんな中で、様々な名前が出ている。「ポスト菅」と簡単に言っても、そもそも首相が辞めるのは、辞任以外には内閣不信任案が衆議院で可決した場合に以外にはない。その場合も内閣総辞職かあるいは解散総選挙になってしまう。統一地方選挙もできない被災地で、解散総選挙などできるはずもないのである。そのような現実的な事項は分かっているのにかかわらず、「ポスト菅」が声高に語られているのは、それだけ、菅政権の震災復興施策が場当たり的であり、統一の思想もなく、このままでは日本そのものが壊れてしまうという危機感の表れである。
 そろそろ、民主党の中には世代交代の流れがあるのかもしれない。これらの動きは「民主党はだめ、しかし自民党も今一つ」という流れにつながり、結局政界再編の芽になってゆくのではないか。その内容に関して、どのように考えるのか。この動きには注目が必要である。

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問われる「被災者のモラル」

問われる「被災者のモラル」

 栃木県の小山市の被災者の避難所を訪問した。4月の半ばのことである。以外にボランティアなどが少ないのに違和感を持った。小山市の市の職員や、数名いるボランティアの人日話を聞くと「被災者は何様のつもりなのかわからない。被害を受けて同情を集めるからって、私たちに偉そうに言う資格などはない。助けてもらっていることを感謝するのが普通なのに、やってもらって当然とか、してくれないと不満を言うようでは、助ける気などはなくなってしまう」という。体育館の中に入ってみて、なるほど、中は「不満」しかない状態であった。
 実際に避難所を回った人しかわからない状態ではないのか。実際に回ったり、被災地で話を聞かない人は、このような現象が分からない。雰囲気や映像で話をしている人が非常に多いので、このような被災者に対して意見する内容は、なかなか書きづらいのであるが、それでも書かなければならないのではないかと考える。
 実際にい避難所にいる人々は、非常に同情すべきであるし助けてあげなけれあならないと思う。しかし、それだからと言って、全てを頼ってよいわけでもないし、命令できるような立場ではない。しかし、日本人は何となくそういうところを勘違いしてしまう部分が少なくないのである。被害者に対して何か文句を言ってはいけない雰囲気が蔓延しており、必要以上に甘やかしてしまう。しかしそれが当然なようになってしまう。しかし、彼らが何か貢献したわけでもない。何か一般の人に迷惑をかけてよいとか、一般の人に命令できるような偉いわけでもない。彼らはなぜ「やってもらって当然」「自分の思い通りにならなければ不満を言う」のであろうか。
 その部分の問題に関して、下記のような記事が出てきている。


「我々は避難民だから行政応じるの当然」と支給靴メーカー指定

 震災から約2か月、避難している被災者たちはストレスも溜まり、そのやり場を見つけられないでいる。結果として行政に対してクレーマーのようになってしまう被災者の姿も、目につき始めている。
 宮城県のある自治体では、被災者に自転車の貸し出しをはじめた。自転車は買い物など用に短期で貸し出す決まりだが、ある中年男性が「3か月ほど借りていたい」といい出した。それは無理だというと、役人の胸ぐらにつかみかかってきたというのだ。
 「車を買うからカネをよこせ」「内風呂のある部屋じゃなきゃ嫌だ」――こうした一部被災者の無理難題には、行政側も困惑気味である。
 岩手県大船渡市職員はこう語る。
 「支給する靴のメーカーを指定してくるなど、要望が細かくなってきている。時には強い口調で『我々は避難民なんだから行政は応じるのが当たり前だ』とおっしゃる被災者の方もおります」
 宮城県亘理町職員もこんな事例を紹介する。
 「仮設住宅は抽選ですが、先日、申請にこられた方が障害者の方で、障害者手帳をこちらに突きつけながら『何で優先的に入れないのか』と怒鳴られまして。そんな時は、私も家が流されたので、というと少し落ち着いてくださいます」

※週刊ポスト2011年5月20日号
2011年05月09日07時00分 提供:NEWSポストセブン
http://news.livedoor.com/article/detail/5542056/


中学生ボランティアに「毛布がない」と不満ぶつける被災者も

 避難生活が長期化する中で、被災者たちはストレスも溜まり、結果として行政に対してクレーマーのようになってしまう人も、出てきているという。
 福島県の避難民を受け入れている、山形県の体育館職員が重い口を開いた。
 「避難してきた方たちもイライラしていたんでしょう。『毛布がない』『寝る場所が狭い』といった不満を、ボランティアに来てくれた近隣の中学生たちにぶつける人がいましたね。しゅんとした表情で報告してくる子供を見ると、わざわざ子供にいわなくても、と。
 あと困ったのは、原発がある地域から避難してきた人たちの部屋割り。原発反対の立場をとってきた人たちが、原発を推進してきた住民と一緒の部屋は嫌だと主張してきたのです。『あいつらのせいでこんな目にあったんだ。一緒に過ごしたくない』というのです」
 被災者たちの苦悩もよくわかるだけに、行政側も対応に窮している。

※週刊ポスト2011年5月20日号
2011年05月10日16時00分 提供:NEWSポストセブン
http://news.livedoor.com/article/detail/5546596/

 上記の記事の他にも、東京電力の清水社長が避難所を訪問した時に「どげざしろ」という叫び声が出ていた。実際にそのような土下座をしたところで、何の解決にもなりはしない。そもそも清水社長自身が好んで放射能を漏えいさせたわけでもない。にもかかわらず土下座をさせた被災者の態度は、あまり見ていて好感を感じるものではなかったと思う。そのような気持ちはわかるが、でも、それをさせることによって何が解決するのか。
 このような内容を見るときに、いつも思い出すのが、イラクで三名のボランティアが拉致をされた時の話だ。その時に官房長官(確か福田官房長官だったと思う)が関係者と面会をしたときに、「政府何をしてくれるんですか」とつかみかからんばかりに言った人がいた。そもそも「渡航禁止勧告を無視して現地に行った」などの内容をまったく無視して、被害に遭った時だけ、そのように政府や誰かに責任を転嫁し、大騒ぎをする。これはとてもとても感受できる内容ではないと思ったものだ。
 今回もそれと同じ内容を感じる。飯館村は別にしそのほかの今回30キロ圏内に入っている市町村の多くは原子力発電所を誘致し、いままでの間、かなり多額な補助金を得ているのである。その補助金をどうしてもらっていたのか。その補助金をもらっていた時は何も言わずに、事件の時だけ大声を出すという『フェアでない態度』を誰も何とも思わないのであろうか。
 一つにはマスコミがそのような報道をしているからに他ならない。マスコミの人々と話すと「そろそろ、被災地のいい話とか、泣ける話、感動できる話がほしいんですよね」とか「福島の被災者で、なにかネタないですか?読んだら誰でもが共感し泣けるようなやつがいいんですけど」などということを聞かれることがある。そもそも、そのようなネタを探し、脚色し、そして片方の「補助金をもらっていた事実」を隠してお涙ちょうだいの物語をドラマ的に仕上げる。そんな作りものの報道を毎日、もう震災発生から二カ月も繰り返しているのであるから、いい加減にマスコミ報道を信じ切っている人にはに二が本物だかわからなくナているはずだ。だから、このブログの冒頭に「実際に避難所を回った人しかわからない状態ではないのか。」と書かせていただいた。どうであろうか。
 被災者に感謝の気持ちがない。それは、人災とはいえ放射能漏えいにしてもそうだ。被災者に何の罪のないのと同じで、ボランティアにも何の罪もない。当然のことながら、そこにあるのは「人と人の対等な関係」であり、ボランティアが被災者という弱者を助けている構図だ。助けられている人には「感謝」が必要であり、「不満」などはとんでもない話だ。それを許している多くの人々もいかがなものか。
 敢えて非難されることを覚悟で言うが、被災者は、助けてくれる人すべてに感謝すべきではないのか。別に感謝してほしいわけではないが、彼らが「被災者面してわがままを言っている姿」を見るのは耐えられない。

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原発敷地内の求人についての国が犯した「事件」

原発敷地内の求人についての国が犯した「事件」

 読売新聞の中に非常に興味深い内容が出されていた。
 大阪市西成区あいりん地区に出ていたダンプカーの運転手募集広告で応募した労働者が、実際は、福島第一原子力発電所敷地内の労働に着かされていたというのである。この内容に関して、早速さまざまな場所に問い合わせてみたところ、さまざまな思惑が隠されているんではないかという疑惑があがってきたのである。
 まずは、その記事を読んでみよう。

運転手のはずが原発敷地内作業…あいりんで紹介

 大阪市西成区・あいりん地区の60歳代の男性労働者2人が、宮城県でダンプカー運転手として働くとの求人に応募したところ、実際には福島県の東京電力福島第一原子力発電所敷地内などで働かされていたことが9日分かった。
 求人の際に労働条件を明示するよう定めた職業安定法に違反している疑いがあり、大阪労働局が調査に乗り出した。
 仕事を紹介した財団法人「西成労働福祉センター」によると、岐阜県大垣市の建設業者から3月17日に「宮城県女川町で10トンダンプの運転手、日当1万2000円で30日間」と求人があり、2人に紹介した。2人は採用されたが、同月24日、1人から同センターに「原発が見える場所で作業をしている。求人と条件が違う」と苦情の電話があったという。1人は5、6号機の外で防護服を着てタンクから水を運ぶ仕事に4月21日まで従事。求人条件の2倍ほどの約60万円の報酬を得たという。もう1人は原発敷地外でタンクローリーで水を運ぶ作業をしていた。

(2011年5月9日12時44分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110509-OYT1T00595.htm

 本件について、早速知り合いを通じて西成の「顔役」という人に取材をした。まず「通して」とあるが、実際は電話を借りて前ではじめだけ趣旨説身をしてもらい、了解してもらった上で、私がそのまま電話取材を行う形式をとった。第二に「顔役」とは、あいりん地区は知る人ぞ知る場所であり、その中にはそれなりの組織がある。基本的に時代劇で言う「口入屋」のような存在があり、それらがいくつか頭を張っている状態と思っていてくれればよい。語弊を恐れずにいえば、この地区に小さな集団があって、その頭目が何人かいるという感じである。今回はその中の一人の産業廃棄物商の社長と話をした。
 この問題に関しては「3月17日という時期」「なぜ大阪の西成から連れていったか」「36万円の予定が60万円になっている金の問題」という3点を重要視してもらいたいという。
 3月17日というのは、福島原発が最も危険という状態であった時だ。それも、1号炉、3号炉での水蒸気爆発がテレビなどで大きく報道された後で、また、東京の浄水場で放射能が検出された時期である。いわば、日本全体が放射能ショックになっていた時期のことだ。そのような時期に福島原子力発電所に手伝いに行く人はいない。
 ちょうどこの時期、「福島原発で高額の報酬で募集している」「借金まみれない人が何人も連れて行かれて、暴力団の資金源になっている」などの噂が立った時期である。東電や総務省はそれらのネット上の噂を全て否定し、ネット上のデマを取り締まるということまで発表していた。民主党政権は本当のことを言われても、それを否定し、国民に嘘をつき、そのうえで取り締まるとうその上に国家権力をかざして黙らせるという、政権担当者として最もやってはいけないことをしているのである。このようなことをして良いのか、ポルポトやもう託そう、レーニンのような思想、言論統制がおこなわれているということになるのではないか。
 主題が少しそれた。さて、その顔役は「こんな時期に何も知らない、関係者でもない人を募集するというのはどういうことか。普通じゃ集まらないということであろう。逆に言えば、西成の人は金さえ払えばこの時期でも行くということであろう」ということである。
 「これは西成の人に対する差別だ」という。なるほどそのように感じる。まさにそのものである。西成の人のイメージは決して良いものではない。金に困っている、生活に困っている、金のためなら何でもする。そんなイメージがある。そのイメージに合わせた求人は、この地区では少なくない。しかし、今回のように「本当に命の危険がある場所に騙して連れてゆかれる」ということはないという。
「逆に、」顔役が続ける「そんなに騙して人を集めたら、一回きりだったら何とかなるかもしれないが、次からは必ず西成に復讐されるよ」という。「生活が苦しいからこそ、人のつながりが大切だ。信用とか、そんなきれいごとを言う気はしない。中には、本当に福島に言って大金が出るならばそこに行くやつはたくさんいる。問題は騙されたという西成の人間がバカにされた事実だ」というのだ。そして「60万円になった」ということは、「口止め料が入っている」ということであるだろう。そんなこともつながるのではないか。
 さて、政府が知っているのにかかわらず、原子炉や放射能漏えいのデータをほとんど出さなかった。放射能拡散データ「SPEEDI」が、あるのにかかわらずまったく公開されなかったことに対して「パニックになるのを防いだ」などと言っているが、実際のところ、今回のように騙して連れてきている人、国民に嘘を打ちている人が少なくないということの証明ではないのか。福島で働いている人、それどころか「SPEEDI」データを丹念に見れば、郡山市、二本松市、福島市の一部も危なかったということはわかる。では、その時期にそこにいた人、飯館村のその危険な時期に避難しなかった人はどういうことなのか。逆に、落ち着いてから避難命令を出し退去命令を出すというのはどのようなことになっているのか。「ちぐはぐ」と言われている菅直人政権の原子力発電事件対処。これで国民が評価しているということそのものが許されることではない。
 この事件に関して言えば、たまたま「西成の人」が被害者だ。しかし、その加害者は国家、または東京電力という巨大企業である。国家権力が国民をだましたということは非常に大きなことではないのか。そしてマスコミはなぜこれをもっと大騒ぎしないのであろうか。事件に関すること、現象に関する本質的な意味を見誤った報道ばかりで、うんざりする人も少なくない。
 国家、政府、マスコミ。これらが信用できるよういなるのはいつのことか。

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この夏の電力は大丈夫なのか インフラをとめる政権の愚

この夏の電力は大丈夫なのか インフラをとめる政権の愚

 5月6日。今年の大型連休において5月2日と6日だけが平日であった。もちろん、有給休暇などを使って大型連休に下人も少なくないのではないか。そのような休み気分の中は、当然に永田町といえども連休の雰囲気が蔓延する。もちろん悪いことではない。本来は連休は、普段多忙で休みを取れない政治家たちが少々や墨を執って、読書をしたり、趣味に興じたり、あるいは家族サービスをするという時期に使われる。小泉純一郎氏が殊勝だったときに、息子とキャッチボールをしていた映像が流れたのも5月の連休である。もちろん、そのような中に選挙区を回って有権者の意見を聞きに回っている人も少なくない。連休といえども、日常の選挙戦は行われているし、連休のほうが人は集まるものだ。私も4月29日に、チャンネル桜を応援する会の後援会に出席させていただき、名古屋での討論に参加させていただいた。この中で、東電がIAEAに出して日本には公開していない書類などを公開している。祖模様は5月7日放送の同じチャンネル桜の討論でも出しているので、これはこれで、ご覧になられる方も少なくないのではないか。
 さて、そのように思い思いにつく連休。今年は震災復興のためのボランティアに行かれた方も少なくないのではないか。私のマスコミの友人たちも、多くは、被災地を回り、ある人は、富山の食中毒事件に駆り立てられといったような感じで東京を離れていた。そんななかの5月6日。首相官邸から「菅首相から重大な発表がある」ということであった。
 菅首相からの重大な発表としか報告されなかった内容は、民主党の議員などもあまり知らされていなかったようで、何件かその内容を聞いたときに民主党の議員に「どんな発表があるのですか」と聞いたところ「わからない。まさか菅首相が補正予算が通ったことで辞任じゃあるまいな」というような冗談にならないようなことが言われていた。
 その「菅直人首相辞任か」ということで、被災地や富山に派遣されたマスコミの多くが東京に呼び戻された。その中において、発表されたのが「浜岡原発の停止要請」である。事前の調整も何もしていない。発表後の取材では静岡県も、御前崎町も、そして中部電力も何も聞かされていない「唐突」な発表に、誰もが驚いた。その内容は下記のものである。

停止要請「英断」「唐突」「党内調整不十分」

 菅首相が中部電力浜岡原子力発電所のすべての原子炉を運転停止する方針を示したことについて、民主党内では「原発に対する国民の不安を意識した、首相の英断だ」(ベテラン議員)と評価する声が上がったが、自民党内では「唐突な発表だ」と戸惑いや反発が広がっており、同党をはじめ、野党は国会で追及する構えだ。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡る菅政権の対応は「後手に回った」として世論の評価が低く、民主党内の「菅降ろし」にもつながっている。首相に近い閣僚の一人は6日夜、「今回の決断で国民の支持が戻れば、党内も落ち着くのではないか」と語り、倒閣に動いてきた小沢一郎元代表グループも首相を批判しにくくなるとの見方を示した。
 静岡県選出の民主党の牧野聖修衆院議員は、「素晴らしい決断だ。浜岡原発の地元では、東海地震が浜岡原発の放射能漏れ事故につながるという不安の声が広がっていた。私も海江田経済産業相に、こうした声を届けていたが、それが受け入れられて、本当によかった」と述べた。
 ただ、今回の停止要請を発表直前まで知らなかった小沢グループのある議員は「党内調整が不十分だ。そもそも、なぜ浜岡原発だけなのか、理解に苦しむ」と批判。政調幹部も「日本の原発はダメだという誤ったメッセージを発信することになりかねない」と懸念を示すなど、今回の判断が首相の政権基盤の強化につながるかどうかは微妙だ。

2011年5月6日(金)21時18分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20110506-00758/1.htm

<浜岡原発>中部経済、夏に懸念 関西電力に支援要請

 浜岡原発の全原子炉停止が避けられない情勢になったことを受けて、中部電力が電力を供給する愛知、静岡、三重、岐阜、長野の5県では需要がピークを迎える夏場の電力供給に懸念が高まってきた。東海地域にはトヨタ自動車、ホンダ、スズキなど大手自動車メーカーなど製造業の工場が集積している。仮に電力の使用が制限される事態になれば、東日本大震災で打撃を受けた生産の復旧への影響は避けられない。
 中部電が策定した11年度の供給計画によると、同社の供給力は約3000万キロワットで、ピーク時の最大電力量を約2560万キロワットと想定している。供給力から最大電力量を引いた予備電力は439万キロワットだ。
 浜岡原発の供給電力量は、現在定期検査中の3号機(出力110万キロワット)と4、5号機の合計で360万キロワットのため、浜岡原発を全面停止した場合の予備電力量は約80万キロワットに落ち込み、予備電力率は約3%程度に低下することになる。
 中部電幹部は「極めて低い水準で、計画停電などの協力をお願いする可能性もある。東電に融通している電力供給にも影響が出る恐れがある」とする。海江田万里経済産業相は6日、関西電力に対して中部電に電力を融通するよう支援要請したことを明らかにしたが、夏場に電力が不足する東電管内から関西電力管内に生産を移管する予定の企業も多く、関西電力もどれほど余裕があるか不明だ。
 浜岡原発では10年12月に駿河湾沖地震などの影響で三つの原子炉全てが停止した時期がある。しかし、この時は電力需要の少ない冬場だったため、火力発電所の運転再開などで補うことができた。管内の電力需要の約7割は産業用で、仮に猛暑などで家庭の使用電力量が増加すれば、使用制限など生産活動に影響が出る可能性もある。【工藤昭久】

毎日新聞 5月6日(金)21時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110506-00000117-mai-bus_all

 さて、この問題は5月の連休に細野原発対策本部長と枝野官房長官が、ネットで話題になっている浜岡原発に関して視察にいった。そして社民党の福島代表は、浜岡原発の即時は意志を訴えに官邸まで出向いている。このような動きに配慮して、「国民の不安があるので」ということで、浜岡原発をとめる養成を行ったのである。地震の対策や津波の対策が終わるまでということであるが、さすがに唐突であり、驚きを隠せない。
 その後の記者会見などで、菅首相は自身による危険があるために浜岡原発だけを停止要請するものであり、他の原子力発電所についてはその医師はないということを表明している。要するに危機管理であってあくまでも原子力発電におけるエネルギー政策の転換ではないということだ。それでもこの措置にはいくつかの疑問が残る。
 第一に「地震や津波の対策はどのようなものか、どれくらいとめていなければならないのか」ということである。
 津波や地震に対しての対策などはできるはずがない。単純にいえば、今回の内容でわかることは、津波や地震で完璧な防御はできないということと、もうひとつは、原子力発電の安全神話は崩れた、もっといえば絶対に安全なものなどはない、ということである。菅首相はあれだけ福島原発に関して「想定外」といいながら、今回の浜岡原発に関してはどのような想定をするのか。それともこれから想定を決めてその内容を決めるのか。そもそもスーパー堤防などの工事費を事業仕分けで削ってきた政治の責任をどのように考えているのか。その内容をしっかりと考えなければならないのではないか。
 もうひとついえるのは、福島原子力発電所の事故の原因の追究ができたのだろうか。まったくできていないのではないか。技術的な問題はわかる。津波によって非常用電源が破壊され、そのために原子炉を冷却する装置が失われたというものである。しかし、それだけでよいのか。もしその通りならば、福島第二原発や女川原発も同じような事故が発生したはずである。そんなに距離が離れなくても、福島第一原発の5号炉・6号炉も爆発し、危機的な状況になっているであろう。しかし、そのようになっていないということは、1~4号炉と他とは何かが決定的に違っていたということだ。また技術的にいえば、電源車など、外部の非常用電源がなくなったときにどのようにするのかということもしっかりと対策がされてなければならないのではないか。単純にいえば、「原子力発電所内の全電源(非常用発電装置を含む)が喪失したときにどのように対処するか」という想定がされていなかった、もしくは想定がされていたにもかかわらずそれが実行できなかったことが原因であることは明らかだ。ではなぜそれが実行できなかったのか。そのことを検証しなければならない。その原因がわからないのに対策を講じるというのも不思議な話だ。いったい何をしようとしているのか。
 第二に、「日本は地震国であり他の地区の内容はかまわないのか、それともまた唐突に停止要請が出される可能性があるのか」ということである。
 日本は地震国である。要するに他の原子力発電所近郊でも地震や津波が発生する可能性は少なくない。ということは原子力発電所は「唐突に」停止要請が来る可能セがあるということだ。ということはすべての原子力発電所後待った場合の電源施設、要するに呼びの発電所をいくつも保有していなければならないということであろう。これでは話にならない。そもそもどのような基準でどのような内容があるから停止要請をしたのか、客観的な基準を示しその上で停止養成を行うものが普通なのであって、政権の示威的な判断によって停止養成が行われるのでは大きな問題である。ましてや中部電力は「民間会社」である。事故が起きたときに、今回のように東京電力などの民間会社が悪いというのであれば、はじめから民間会社に責任を持たせればよいことであろう。一方、中途半端に指示し、中途半端に責任を取らせるのであれば、政府などは介入しないほうがよい。責任の所在と、指揮命令をしっかりと明確にすべきではないのか。
 第三に「直近の問題として、この夏の中部電力の電気供給に政府は責任を持つのか」ということである。
 最後に電気の問題である。
 震災の復旧といえば、まずは人命救助、その次にインフラの整備である。震災直後の調整停電で電車を止めて節電という、あまりにも何もわかっていない、経済の混乱をさせる決断を下菅内閣は、今回も名古屋や静岡にその電力不足、インフラの不整備を押し付けようとしているのではないか。これでは非常に大きな問題であると考えられるのである。
 このような要請を行うのであれば、そもそも、止めていた間の電力の確保や他の燃料(背急、石炭、天然ガスなど)の手当ての補助金を出すなどの措置が必要であろう。しかし、「要請」であって「命令」ではないので、基本的にはそのようなことはしないということが明らかになっている。では、これで浜岡原発を止めて名古屋が停電をしたら、そのことで病院にいる人の命が奪われたら、菅直人、民主党政権はその責任をどのように取るのか。あくまでも、今回の福島原発と同じように「中部電力の判断」というのであろうか。逆に中部電力は、このような要請があったのであるから、この夏は平気で停電を起こせばよい。政府の要請であり、またその手当てもなされていないのであるから、大きな問題であるということを態度で示すべきであると考える。
 インフラそのものを完全に無視した内容は、さすがに驚きである。このようなことをしていては話にならない。日本の経済は死んでしまうのではないか。それも昨年までは「オール電化」「二酸化炭素排出マイナス25%」を標榜していた政権がこの態度ではあきれる。
 国民はこのような矛盾を政府に突きつけて是正を求めるべきではないのか。

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マスコミ批判に関する一考(42) テレビの影響力とその責任の取り方

マスコミ批判に関する一考(42) テレビの影響力とその責任の取り方

 世の中は連休であった。今年は5月2日と5月6日の二日間を休みにしてしまえば、10連休ということで、かなりの大型連休であった。例年大型連休であれば、当然にその連休を満喫するために長期間の休暇を利用して旅行に行く人が多い。しかし、今年の場合は3月11日の震災の影響と、その後の「自粛ムード」によって、なかなかそうはいかなかった。海外旅行客は昨年比で20%以上の落ち込みになり、また旅行業界はなかなか書きいれ時にあまり伸びなかったということになる。
 阪神大震災の時は「がんばろう、神戸」というキャッチフレーズになっていたが、今回の東日本に関しては「がんばろう!東北」というキャッチフレーズに混ざり「がんばろう!日本」という日本全体に対するエールが入っている。東北の震災でありながら、その後の調整停電や産業の停滞において東京が停滞している。しかし、日本全体がそうかといえな、本来はそうではない。しかし、その後の経済の自粛ムードはかなりひどい状態になっているのではないか。その自粛ムードが、日本全体の経済の動きを停滞させ、、「がんばろう!日本」というようなスローガンを出さなければならない状況になってしまうのである。これは、震災の影響ではあっても震災の影響だけではなく、その後の為政者、要するに民主党政権による人災であるといえる。
 連休の話題といえば、まずは震災の内容。連休中に東北に言った人の話なども非常に多くあった。しかし、それ以外に震災から50日も経過するとさすがに震災ばかりがその話題の中心にはならなくなった。その時に話題になったのが、「テロ集団」とされているイスラム原理主義組織アルカイダのウサマ・ビンラディン氏の殺害である。マスコミでは「容疑者」という単語をつけてビンラディン氏のことを伝えているが、そもそも法的に何の法律の容疑者なのか不明であることから、このブログではその辺がはっきりするまで「氏」という一般呼称を使わせていただく。このビンラディン氏殺害に関する内容は、別な日に書くことにしよう。この件に関してもマスコミを批判する内容はたくさんある。
 しかし、それ以外にもうひとつ連休中の話題があった。金沢に本店のある株式会社フードフォーラスが展開する「焼肉酒家えびす」で集団食中毒が発生し、その集団食中毒で4人が死亡した事件である。その会社に関して、日本テレビではこの事件の直前、4月18日に宣伝とも言える放送を流していたという。その件に関する記事が下記のものである。

「えびす」食中毒の直前に日テレ番組で称賛「大量仕入れ、高級店並み」

 「焼肉酒家えびす」について、日本テレビ・読売テレビ系の人気バラエティー番組「人生が変わる1分間の深イイ話」が食中毒発生の直前に取り上げていたことが、インターネットで話題になっている。動画投稿サイトには放映時の録画とみられる映像が転載され、「番組を見て行った人もたくさんいるだろうに」などとする書き込みも相次いでいる。
 番組は、4月18日の放送で焼肉酒家えびすを紹介。視聴者の投稿を基に「焼肉1皿100円」の安さと人気の秘密を探る-として、「人気の種類を大量に仕入れることで激安価格を実現」「高級店並みの接客」などと称賛していた。
 死亡した4人のうち、富山県内と福井県内の男児2人が食事したのは放送3日後の4月21日。70歳と40代の女性2人は同23日だった。番組ではユッケを直接取り上げなかったが、メニューに掲載されている映像はあり、動画投稿サイト「ユーチューブ」などに番組の映像が次々と転載。5月6日までに100万回以上再生された投稿もあった。
 書き込みには「番組がきっかけで焼肉酒家えびすに足を運び、死亡もしくは重症になった方がいるかもしれない」「これを見て被害が増えたのも否定できないよな」などという意見のほか「日テレは知らんぷり。これっておかしくないですか?」という声もあった。
■今後は安全面も注意
 日本テレビ総合広報部の話「焼き肉チェーン店で被害に遭われた方が出られたことは、誠に残念です。今後も番組で食べ物を扱う場合には、安全面に十分に気をつけて放送してまいります」

2011年05月06日12時26分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/5537765/

 さて、私も新聞社にいることから、実際に新聞で報道することはたくさんある。また、このシリーズで何度も書いているように、新聞社といえども株式会社であり、公的な会社ではないので、当然に営利性を追求しなければならない。当然に、新聞社の中にも「記事広告」のような内容は存在する。しかし、新聞の場合は「記事広告」の場合は、「記事広告」と紙面の端にしっかりと記載する。新聞でも「記事広告」「全面広告」という記載がしっかりを記載されているのを見ることもあると思う。しかし、テレビの場合は、番組内にそのような広告があっても、その広告そのものに関してそのような表記がされることはない。今回の「えびす」に関しても、それが広告になっているのか、そうではなく本当にバラエティの番組のネタとしてやっているのかは不明だ。
 テレビの場合は、非常に影響力が強い。昨年ネット選挙を経験したが、実際にブログでアクセス数が多いという話があっても4~5万である。本が売れているといっても村上春樹のようなベストセラーならば別であるが、実際に経済や政治の本では数万でベストセラーになってしまう。それに対して、私が時々出演しているラジオ、関東限定でなおかつ金曜日の深夜1時からでありながら、約21万人が利いている。テレビの全国ネットでは、視聴率1%といっても120万人以上が見ているという計算になるのだ。その内容は、本や新聞紙面のそれとは影響力が大きく違う。ネットの世界でテレビの批判があるのは、非常によくわかるがその影響力の大きさはやはりかなり差があると思う。それはこのような数字でわかってしまう。
 逆にその影響力の大きさがあるだけに、しっかりとした放送とその責任が必要である。それができなければ、今回のような事件でも大きな影響が出るし、被害者を増やすことになってしまう。今回は、日本テレビの番組での報道が被害を増加させたことも十分に考えられるのである。細かく調査を行うのであれば、日本テレビでの放送の後に「えびす」のネットでの検索が増えているかどうかを見ればわかる話である。
 日本テレビは、逆になぜ何も謝罪をしないのであろうか。これも非常に不思議な現象である。本来であれば、番組内でしっかりとした説明が必要なのではないか。そのような説明も何もされていない。とくに事件そのものに関して責任を負えというものではない。しかし、言論の自由には言論の責任も存在するはずである。しかし、日本テレビは上記のような「焼き肉チェーン店で被害に遭われた方が出られたことは、誠に残念です。今後も番組で食べ物を扱う場合には、安全面に十分に気をつけて放送してまいります」というコメントを出しているしかないのである。そうではなく、本来であれば、このような放送を行ったいきさつなどをしっかりと説明し、また、それなりの謝罪をすべきであろう。しかし、5月9日の放送予定の同じ番組でも「激安定食」を同じように放送するという。これでは責任があるのか、あるいは、同じような事件を発生させないようにするのか、それもわからないということになってしまうのである。
 マスコミは影響力が大きい、それだけに影響を与えた効果に対して責任を負わなければならない。もちろん、今回の食中毒が日本テレビに責任があるというのではない。しかし、そのような事件を起こす場所を扱ってしまった経緯に関しては、説明の責任があるし、次の放送では、似たような内容を行う時にはそれなりに対策を持たなければならないのではないか。その点で言えば、今回日本テレビはそれらの「言論の自由に対する責任」を全うしたとはいえないのではないかと考えるのである。そして、それは批判されて当然の問題ではないかと考えるのである。
 言論の自由は、完全に「広告」とわかる内容(その責任もあるとは思うが、広告であることが分かれば、少しはマスコミ側の責任は軽減されると考える)が明らかな記事や番組以外、要するに今回のように、バラエティの番組の中に組み込まれた内容であれば、その責任はしっかりと負わなければならない。もちろん賠償責任があるというものではないが、再発防止策や、そこにおける謝罪、経緯説明などは行わなければならない。マスコミはこのようなときに、ややもすると「自分たちも騙された」と被害者面をする場合がある。視聴者はそのようなことを許してはならないのである。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 10 憲法改正に関する具体的手法

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
10 憲法改正に関する具体的手法

 4月29日の「昭和の日」からはじめた「宇田川晩憲法草案私案・新憲法の考え方」いかがでしたでしょうか。私は、日本国憲法の無効論には非常に強い違和感があるが、一方で改正は必要なことであると思うのだ。現在の日本国憲法が、現在の日本国のおかれた現状にあっていない。そのために憲法を変えてゆかなければならない。その事は誰もがわかっていることである。問題は、その変える方向性がまったく異なるというところだけではないのではあるまいか。
  今日は久しぶりに、憲法に関する記事を見てみよう。時事通信から。
 
 
  憲法記念日で与野党が談話

 与野党は3日の憲法記念日に当たり、それぞれ談話を発表した。
 民主党 現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改める。国会での円満な合意形成の下で、憲法をより豊かにする論議を進めていきたい。
 自民党 国会では民主党をはじめ憲法論議に後ろ向きな政党の協力が得られず、憲法審査会のメンバーも決まっていない違法状態が続いている。各党に速やかな始動を呼び掛けていきたい。
 公明党 憲法審査会を休眠状態のまま放置させてきた民主党の姿勢は、真摯(しんし)な議論が必要と考える国民の思いを無視するものだ。
 みんなの党 道州制の導入、一院制の実現など新たな国家の枠組みの構築に向けて、憲法審査会を早急に始動して議論を開始すべきだ。
 共産党 東日本大震災の被災者支援と被災地復興に当たって、憲法の先駆的な原理・原則を生かさなければならない。
 社民党 大震災だからこそ、憲法上の権利の保障を真摯に追求すべきだ。憲法審査会を始動させようとする勢力への警戒を強める。
 国民新党 災害から国民一人一人の安全と生存をしっかりと守ることを宣言し、国民と一緒に決意を新たにしたい。
 たちあがれ日本 大規模災害や領海侵害行為から、国民の生命と財産を守る体制を構築するには、憲法改正の必要がある。各党に、今国会での憲法審査会始動を呼び掛ける。
 新党改革 新たな時代にふさわしい憲法改正を議論していかなければいけない。憲法審査会を一日も早く機能させるべきだ。

時事通信 5月3日(火)0時3分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110503-00000001-jij-pol

 与党民主党も「現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改める。」と談話を発表。野党自民党、公明党、みんなの党、たちあがれ日本は「憲法審査会」という憲法見直しにおける国会の会議の指導を強く求めるものとなった。要するに、積極的、消極的なものを含め、憲法の見直し作業を行うべきであるというのは、国会議員の中において過半数の議員がそれを考えているのである。それなのに、憲法に関する議論が進まないというのはどういうことなのであろうか。要するに現行憲法が時代に即していないという問題よりも、「ではどのように変更するのか」という、憲法見直しの方向に関して何も決まっていないということになるのである。これではよい話になるはずがないのである。そもそも、政府だけでなく、国会議員一人ひとりをすべて聞いても、憲法全体をどのように変えるのかということをしっかりと話せる人は少なくない。憲法に関して「天皇」「9条」「人権」「統治機構(立法・行政・司法)」「予算」「地方自治」すべてにおいてしっかりと話をできる国会議員はいないし、その話しを勉強する人も少ないのである。そして、何かというと「9条」と「人権」ばかりを注目して、そこで硬直してしまう、まったく進歩しない、国会議員の姿がよくわかるのではないか。
  一方で、国民の間には、方向性は一致していないものの、憲法を見直ししなければならないという機運は高まっている。それは、まず何よりも「ねじれ国会」という状態。そもそも衆参の国会がねじれてしまって政治の停滞が発生するという事態において、もっともその影響を受けているのは国民である。その国民が、国会のわけのわからない政局論に振り回され、その政局論ばかりで話が進まない姿を見て、憲法の規定を変えなければならないという部分は感じているはずだ。そもそも、安倍内閣、福田内閣の時代の野党民主党は、日銀総裁人事などの承認人為まですべてに反対し、その採決を政局のねたにしてしまった。そのために、福田内閣ではほとんど売国というような法案まで通してしまったという状態になってしまっている。
  その民主党は、「因果は回る」ではないが、民主党がねじれ国会で困っている状態になっているのだ。上げ潮だった民主党支持派いまや地に落ち、震災の対応では被災地では支持の有無ということではなく「怨む」という状態にまで高まった民主党内閣への不信は、まさに、国民的な大きなうねりになろうとしている。その力は、ここでも見てきたように、憲法改正への原動力。
  私が提案するのは、はじめから9条や人権といったところすべてを変える必要はないということである。憲法は第9章と、ひとつの章を建てて「改正」に関してしっかりと記載している。
 
  第九章 改正
第九六条【改正の手続、その公布】
1 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 憲法は、自分自身で憲法が変わることを前提としている。そしてその場合も「天皇は国民の名で、この憲法と一体をなすものとして」として、天皇陛下が憲法そのものの交付をお行うこと、要するに天皇陛下自身が憲法を公布できる唯一絶対の存在であるということを示しているのである。天皇陛下はその名においてこの憲法を変えることができる。憲法は時代に即して帰ることができる存在であり、その審議を行うことはタブーではないのである。
  しかし、日本は戦後憲法は変えてはいけないもののような発想をしている。そこで、とにかくどのようなことでもかまわないので、憲法を変えることができるということを、しっかりと国民が認識できるように、憲法そのものをまず変えてみる必要があるのではないか。9条や人権のところではなく、今問題になっているねじれ国会の部分などもすべて、憲法に記載してはどうであろうか。そのようなことで帰ることができれば、憲法に関して「憲法を変えることはできない」という議論そのものはなくなると考えられる。そして、国民の間でも憲法改正の議論が活発化するのではないか。
  日本人は実績がない話をしない。特に官僚は先例のない話しない。そのために、まずは憲法を変えてみる。その上で実質的な憲法改正論議をしてみてはいかがか。
 
  このようにして、憲法そのものに関して考えてきた。憲法そのものの話をしっかりと考え、そして日本という国家、国体に関して思いをはせる。このことこそ、今の日本人にもっとも必要なことと思う。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 9 地方行政と地方自治

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
9 地方行政と地方自治

 最近政治の中では「道州制」ということを言う人が少なくない。私には今一つメリットが分からないので、賛成でも反対でもないのである。というよりは、特に道州制にすることのメリットを感じないということにしか感じないのである。現在の体制で何が不満なのか、まったくわからない。そのように「道州制」などを議論する暇があるならば、日本国に関する団結、国家としてのまとまりをしっかりと行うこと、法制化することがもっと重要ではないのか。橋下大阪府知事を中心にした関西連合のような組織もあるが、実際にそのことのメリットが見えない。そもそも、私の記憶が正しければ、奈良県知事はその菅彩連合に入っていない。連合は、連合することによる各都道府県の役割分担がなければ、都道府県間に上下関係を作ることになってしまい、都道府県の序列化、それに伴う経済的もしくは権利的な格差を生むことになってしまうのである。日本国の場合、すでに述べてきたように日本国民であるということは、その範囲内において基本的人権で平等であるということであるはずだ。しかし、住む場所によってこのように格差ができてしまう、それも、首長の勝手な判断と、デマゴーグ、そしてそのメリットとデメリットをしっかりと国民に知らせない内容にしてしまう。そのような内容で、雰囲気で、首長の身勝手な反d何を許す事は、「地方自治」ではなく「地方の首長の自分勝手」でしかないのではないか。
  このようなことを言うと、選挙で有権者が支持したとか、そのような争点をしっかりと出してきたというようなことを言う。しかし、実際のところ、有権者のどれくらいの割合でその争点を熟知し、どれくらいの割合が、その政策のメリットとデメリットを評価し、比較し、そしてどれくらいの割合がその政策の上で判断したのであろうか。そのようなことを言うのであれば、誰が何を言うというのではなく、政策だけを出して、考えられうるすべてのメリットとデメリットを発表し、そのうえで、候補者が顔を出さずに内容だけで住民投票としてみればよいのではないのか。国民、有権者が本当にその政策を支持しているのかどうか、そのような方法で一度計ってみるのも一つの根拠ではないのか。
  地方自治は、あくまでも「日本国」の中の一地方行政区における「地方性を活かした行政」を国家の法律、国家政府の下において、その内容を充実させるために行われる自治制度のことであるといえる。
  憲法では第8章に「地方自治」ということで、記載されている。
 
  【第8章】 地方自治 
  
第92条  [地方自治の基本原則] 
 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨(ほんし)に基いて、法律でこれを定める。 
第93条  [地方公共団体の機関、その直接選挙] 
① 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
② 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員(りいん)は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。 
第94条  [地方公共団体の権能] 
 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。 
第95条  [特別法の住民投票] 
 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することはできない。
 
  憲法の規定にあるように「地方自治の本旨に基づいて」とある。この地方自治の本旨が、最大の問題ではないのだろうか。
  では、地方自治の本旨とはいったいなんであろうか。地方公共団体といえども、実際は日本国内の一組織である。それも日本の統治機構にも何もはいっていない。地方公共団体は、「法律の範囲内で条例を制定することができる」とあるだけであり、あくまでも日本国内における、一組織でしかないことは明らかである。この規定から考えて、ま地方公共団体は、まさに日本の国民の統治を行うにあたり、国家政府では細かい部分ができないということや、あるいは、徹底ができない部分がある。そこで、法律の定める範囲内において、その政策を徹底するための補完機能的な意味合いが強い。
  補完的な意味合いという単語を使うと、国と地方公共団体の間に上下関係があるかのごとき錯角をしてしまう。しかし、実際日本国においては国民主権であり、国民に近いほうが重要な地位を占めている。しかし、日本国といえども狭いようで広い。その地域性は気候や文化と違ってかなり地域性がある。北海道と沖縄が機構も、その機構にああ勢田習慣が違うということは、ここで改めて言わなくてもよいのかもしれないが、しかし、そのような極端な例ばかりではないのだ。
  たとえば、お正月に食べる「お雑煮」である。関東では長方形の切り餅を使う。また「お澄まし」という吸い物のようなだしの中に、雑煮を作るのが普通のである。しかし、関西では味噌仕立てで丸もちを使うのが普通である。蕎麦の露も、関東はしょうゆの色なのに対し、関西は澄まし汁である。このように、同じ日本人でありながら、同じ内容がまったく異なる場合が少なくないのだ。このほかにも、たとえば正月に飾る門松、東京は竹が入っており、関西は松飾になっている。これに対して愛知県の一地方、豊田市などは松明を焚いて正月を迎える風習があるのだ。
  これあの風習が違うように、基本的に地域性を持ってその内容が細かいところで異なる。それに対して国家の基本的な法律を浸透させるには、その地域性に根ざした内容で伝達しなければならないし、法律の範囲内であれば、地域性を持ってその内容をしっかりとすればよいことであると考える。要するに、地方公共団体には、法律の範囲内において法律の趣旨を踏まえ、その法律の趣旨が徹底し、法律の内容を国民の間に浸透させるために、一定の裁量を持って、その法律の趣旨を実現させるような内容を行えるようにしてきた。ひとつの地方では「奨励金」他の地方では「罰則」など、さまざまな対処の方法でやり方は異なるのではないか。そのような地方性を決め、その地方性を表現する場が「地方議会」であり同時に「条例」であるとしているのである。
  では、今言われている道州制とはいったい何なのか。
  この内容は、私には地方を地域別に変えているような内容ではないかと考えている。これは広い地域におけるまとまりを作る。上記の例で言えば、関西と関東というような区別異は対応が可能であり、また同じ関西での対応が堅固とに違うということはなくなるのである。一方、道州制のような大きな対応では、先にあげた豊田市の特有の松明での正月などでは対応が出来ない。結局、これでは地域性を無視することになってしまう。少数派の意見が完全に無視されてしまい、そのために、少数の意見を「殺してしまう」ことになってしまうのではないか。関西連合のようなことをする場合には、奈良県のように奈良圏内でももともとも都があったところと、それに対して、十津川や天川などの山林地区との違いで対応が異ならなければならない県は、大きなまとまりで統一の地王を行うということに対しては、その対応に無理があるということをわかっているのではないか。
  そもそも、道州制をいう人は、日本国憲法に書かれた「地方自治の本旨」をもう一度考えるべきではないのか。その本旨の解釈をめぐってまずろんそうをおこなうべきであり、地方交付税など、ただ単純な経済的な問題ではなく、文化、国家、そして日本国憲法という観点にしたがって物事を課が得るべきではないのか。
  では、このことを憲法で記載するには度したらよいのか。上記のように、アメリカからいたGHQは、もともと合衆国であったために、日本に必要な地方自治の姿をまったくわかっていないのではないか。そのために、地方自治に関してはまったく違う内容をしっかりと考えてみなければならないのではないか。そのときに、まず、国家、地域という二つの役割と、国家による統制、そして地域による提案権などをしっかりと考える必要があるのではないか。そのために必要なのは「道州制」でも「都構想」でもなく、しっかりとした国民のための政治、地方自治、そして国と地方の関係ではないのか。そのことをしっかりと記載しなければならないと考えるのである。地方公共団体の役割は、国家から独立することではなく、国家と一緒になって有権者のために、国民のために、しっかりとした、国全体に貢献する仕事をすることではないのか。そのために、「ダム工事」などを含め、全体のために何をできるか、そして何をしてもらうべきなのか。そのバランスは正しく行われているのか。それらのことをしっかりと考えなければならない。その地方自治の精神をしっかりと記載しなければならないのではないか。
  本件はあくまでもたたき台として、皆さんも真剣に考えていただきたい。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 8 国民としての基本的義務の規定を加えよ

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
8 国民としての基本的義務の規定を加えよ

 昨日のブログでは「人権」に関して記載した。そして権利に対しては責任が伴うということをしっかりと記載したと思う。現在の民主党政権がまさに「責任転嫁型」の政権であり、全ての内容が口から出まかせで、口から吐いた言葉を実現することができない。こういう内容を世間では「嘘」というのであるが、なぜ民主党政権だけがそのような嘘を許されているのか、私にはまったく理解できない。マニフェストなどといている政権公約も何もできないまま、完全に反故にされている。「嘘つきは泥棒の始まり」というが、まさに政権を簒奪し、国民生活の権利を不当に蹂躙している今の政権は、まさに「国家泥棒」そのものなのかもしれない。
  これは、まさに日本人の権利意識に対して責任感がないことによる影響であるといえる。責任があるならば、すでに民主党政権などはないであろうし、多くのマスコミのコメンテーターといわれる人々は、完全に公の場でその発言の責任を追及されているであろう。しかし、一昨年の総選挙前に民主党政権を煽ってきた、政権交代機運を盛り上げてきたコメンテーターといわれる人々が、何の臆面もなくいまだにテレビなどに出て政治や刑事亜に関して論じている姿を見ると、日本人の責任感の欠如があまりにもひどいものであるということが明らかになるのではないか。
  元警察庁長官の後援会に過去行ったことがある。その中でその方が語ったことは非常に興味深いものであった。「私はワイドショーやニュースの解説番組はあまり好きではありません」という。
  「コメンテーターといわれる芸能人や、一般人が、何を知っているのか、どのような思想信条で話しているのかもわからず、ただ笑いや人気ということだけで、政治や経済を語る風習は、日本人の堕落を意味しているとしか言いようがない。そもそも、日本の政治や経済は、そのような素人の意見で左右されてよいものではない。それと同時に、その一般人や芸能人が偏った政治思想や偏った思想信条、たまには宗教的な価値観を押し付けてしまい、それを何も知らない視聴者が信じてしまったらどのようになるのか。日本の政治はしっかりと思想信条を示した専門家の意見を入れて、そのうえで根拠に基づいた判断をされるべきであり、そうでなければ日本は堕落してしまう」というのである。
  まさにそのものではないのか。実際に責任という内容だけではなく、「義務」があるのではないか。
  本来、「自由」に対応するものは「責任」であり、「権利」に対応する概念は「義務」である。基本的人権において、「自由」ということに対応して「自由と勝手」という書き方で昨日は「責任を求めるべき、そして憲法上に明記すべき」と書いた。しかし、そもそも「人権」を主張する以上、その対応概念として「個人の国家に対する義務」という事が必ず対応して良いのではないか。
  日本国憲法第三章には「国民の権利及び義務」という章があり、その中には当然に義務も存在する。普通に小学校などの公民の授業の中において、日本国憲法に記載された国民の三大義務というのは「勤労」「納税」「教育」の三つの義務である。しかし、本来日本人の義務はこれだけでよいのであろうか。私は先にあげたように「自由に対応した責任を負う」ことも義務であると思うし、「国防」の義務も日本国民には潜在的に存在すると思う。そもそも日本国憲法は「日本国に帰属する」ということがあげられるのであるから、日本国憲法に対応した権利は全て日本国が存在しなければ、その存在自体がなくなるのである。日本が日本でなくなったら、日本国憲法に書かれた基本的人権はなくなるのである。そのことに気づいている人が何人いるのであろうか。たとえば「売国」などという行為を行う人は、日本国憲法の人権、日本国憲法下における自らの財産や経済的な権利などがすべてそのまま存在したうえで、自らの欲やあまり勉強をしていないであろう権利意識の基に、売国的な行為を行っているのであろう。しかし、国家がなくなれば当然に憲法はなくなり、その憲法に記載された基本的な権利はすべて消滅するのである。たとえば、中国に日本が占領された場合、または占領まで行かなくても併合された場合は、日本国憲法に記載された人権はなくなり、中国人民と同じ権利にしかならなく成ってしまうのである。中国や韓国に近い政策を言い、その国家にひいきしている人々は、そのようなことを考えているのであろうか。もっと言えば、「世界市民」などと言っている人は、その世界市民の基本的人権をどこに求めるつもりであろうか。
  このように考えれば、日本国民の国家に対する義務は、まさに「国家を存続させるために個人ができることすべて」が「義務」であるということが言えるのではないか。要するに、「納税」「勤労」「教育」は当然のこと、「統治機構の正常化」「国防」などもすべてが国民にとっての義務ではないか。もちろん、「国防の義務」はそのまま「徴兵」「兵役」ということばかりではないのではないか。国防の意識や思想、そしてその内容に関する伝達、伝承などもすべてがその義務になるのではないか。それだけではなく、国民一人一人が自分の立場や体力、そのほかの事情に合わせて「できることを行う」ことが義務を果たすことではないのか。全ての人が兵役に行き、または被災地でがれきの撤去をするのではない。補給を行う人、次の都市計画を作る人、自分の力の発揮できることで力を発揮することが最も重要なのではないか。
  要するに、そのようにして義務を果たす対象は、まさに「国家を守ること」要するに「主権」「国民」「領土」を守ること、そして「国体を護持すること」k蘇我国民の義務ではないのか。そのようにして国体が、そして日本国があるから、日本国憲法は存在するものであり、同時に、日本国憲法に記載された基本的人権が守られ、平穏無事な生活を送ることができるのである。そして、その姿こそが国家と個人の最も良い関係なのではないか。
  国民は、今の世の中義務感がないために、何かというと「国は何をしてくれるのか」「政府は補償するのか」ということばかりを言う。しかし、日本政府の補償ということはまさに税金による補償だ。そのことはすでに書いた。主権者である日本国民が国を守らなければ日本国は存在しなくなってしまうのだ。
  さて、日本国憲法における記載はどのようにしたらよいのであろうか。
  憲法の第三章には、しっかりと「国民の権利及び義務」という章建てがされている。では、その章建てといえども、なぜか基本的人権の存在しかなくなってしまっているのである。そこで、日本人はしっかりとし義務を記載しなければならないのではないか。その義務の内容は上記のようにしっかりと上記に記載した。しかしそれだけではなく、国民の義務を果たせない者の権利の制限ということをしっかりと認めるべきではないのか。たとえば勤労の努力を行わない健常者に、生活保護の権利が与えられて良いのであろうか。もちろん、障害者や病気の人など、またはそのほかの事情などにおいて、働きたくても働けない事情のある人は、保護される権利を有すると思う。日本国政府は「働きたくても働けない人」と「働かない人(勤労の義務を果たさない人)」の区別をしっかりとしなければならないのではないか。
  それだけではなく、当然に「義務を果たすこと」が外国人による聞かの条件になるであろう。外国人、要するに外国で生まれたからと言って、全てが帰化を認めないというものではないと思う。しかし、日本国民として権利を有する以上は日本国民としての責任と日本国民としての義務を果たすことが条件とされるべきである。何もしないで参政権を与えるとか、何もしないで国籍を与えるなどというのは、国そのものが壊れてしまうのではないか。まさに、そのような規定そのものが「日本国を守るための義務」を果たしていないことになるのではないか。
  今回は日本国民の義務という意味で、あまり今までの憲法の論議と異なることを言いだした。しかし、今の日本国憲法に最も足りないのは、9条の改正よりも、国民としての義務起きていなのではないか、その中に「国を守る」「国体護持」という義務が存在しないことが最も問題である。そのような義務が記載されていれば、9条の問題もそのほかの憲法上の問題も、全てその原則に戻って判断されるものであると考えるのである。私は憲法改正においてはこの「国民としての義務」をしっかりと記載すべきであるというのが最重要ではないかと考えているのである。
  本件はあくまでもたたき台として、皆さんも真剣に考えていただきたい。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 7 基本的人権についての「自由」と「勝手」

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
7 基本的人権についての「自由」と「勝手」

  憲法というと、すぐに9条しかないようなアレルギー反応を起こす人がいる。特に日本では旧社会党系の人が多いのであるが、実際は11章103条の条文のあるないようだ。日本国憲法の内容といえば、基本的日本の法制のすべての根本となっているが、逆にどれほどすばらしい論理であれ、真理であれ、基本的には日本以外では通用しない内容となっている。法律というものはあくまでも日本の中における規律であって、国際的な条約などとはまったく異なるものである。日本人の中には、日本の法律がすべて他の国に優先するようなことを考える人がいるが、それは完全に間違いというものだ。法律や規定の国家への帰属というものはそんなものである。しかし、憲法やそのほかの法律は、単純に日本人や日本で住む人の文化や価値観を規定することになる。もちろん、文化や価値観があるのでそれが条文化するのであるという逆な面もあるが、その価値観や文化と法律の関係は完全に相互関連の中において規定されているものであると考えられるのである。
  特に「統治機構」や「国防」に関することに関してはなおさら国家に帰属するものであるといってよい。このことは誰でもわかることである。たとえばアメリカは大統領制であり、日本は内閣総理大臣である。その違いがあることなどは、誰でもが分かることである。また、日本は軍隊がなく自衛隊しかないのであるが、他の国は当然に軍隊が存在し、兵役や徴兵制が存在する。このような制度の違いは皆すぐにわかるのである。
  しかし、なかなか、文化や価値観の違いという者に関しては理解ができないような人が少なくない。バブルの時代に、日本人が大挙して「買い物ツアー」を行っていたことがある。ちょうど、今、中国人が退去しバスまで仕立てて秋葉原に家電製品を買いに来ていたような感じだ。今、中国人のマナーが悪いというのと同じように、当時、買い物ツアーをしていた日本人に対しても諸外国から批判が出されたものである。腰にウエストバックで、どこに行っても団体行動で金さえ払えば何でもしてくれるという感覚の日本人に対する反感は、非常に強いものであった。この「何でもしてくれる」の中に、売春のようなことも少なくなかったために、日本人の観光客、特に男性客の集団はあまり評判が良くなかったものである。私が中国に言っていた時代も「JALパックツアー」を文字って、日本語のわかる中国人から「ヤル・パックツアー」などと揶揄されたものである。
  さて、そのような話はいい加減して、憲法の三大要素といえば「統治機構」「国防」ともう一つが「人権」である。憲法が人権を書くのは、当然に国家権力が人権に優先するという事態を防ぐためである。日本の場合、大政翼賛会において思想統制や言論統制がおこなわれ、特別高等警察がそれらに違反した者に対して検挙するという状態が生まれた。実際に戦時中のある程度の思想統制や反戦行動、もしくは敵国に有利になるような言動、不安をあおるようなデマを放置することはよくない。しかし、そのような内容ではなく、徹底した思想統制と言論統制は、行き過ぎた感もあり、戦後にその反動が発生したのである。その反省から、GHQの改革による人権は、アメリカの極端な人権派の意見も取り入れられてしまい、日本人の権利意識がかなり大きくなっている。しかし、実際の日本国憲法にかかる基本的人権に関してはその半数近くが「刑事訴訟」に関する内容である。拷問の禁止や刑事捜査や起訴手続きにおける令状主義、刑事訴訟法における「城の法理」など、国家権力が個人に対して「恣意的に」または「予告なしに」介入できないということを記載しているのである。
  ただ、世の中の人権派という人々は、この部分、要するに刑事訴訟法に関する内容についてあまり大きなことを言うことはないのである。基本的に刑事訴訟法に関する根拠法である部分が最も憲法の重要な人権の部分であるといえる。憲法は、そもそも国家と個人の関係に関して、根拠法となっている。当然に国家の役割というものがしっかりと記載されているのである。そこで、人権とは国家が個人の権利に対して不当に介入しないということを考えている。それが憲法の目的である。
  しかし、世の中の人権派という人は、その部分にはほとんど見向きもせずに、「~~の自由」というところばかりを強調する。
  日本語には「自由」ということと「勝手」という言葉がある、と教えてくれたのは、私が中学時代の書道の先生であった。近藤先生という先生は、「『自由』には自分で自由にするという権利があるのと同時に、自由に行うために必要な責任が伴うものである。ただ、自分の好きに行動をするということは、『勝手』というのだ。世の中には『自由』と『勝手』を履き違えている人が少なくない」という。これは中学時代の逸話であるが、実際のところ今の日本人全体に言えることではないのか。
  たとえば言論の自由といっても、その言論には当然に責任が伴うものである。しかし、現在の言論の自由は、ただ単に勝手な評論と無責任な発言が続くだけである。たとえばあれだけ支援していた民主党政権がこれだけの体たらくで、国民の期待に添えない内閣であるのならば、当然に、言論人はその責任を取って筆を置く、もしくは自分の不明を恥じて謝罪をしたうえで、しっかりとした意見を表明すればよい。その辺の部分を全く行うこともなく、ただ漫然と責任を取ることもなくテレビなどに出続けて世迷言をコメンテーターとして言い続けるのは、「言論の自由」などとは違い「勝手」を通り越して「迷惑」でしかない。このほかにも、「自由」ということを言いながら「勝手」になってしまうことは非常に多いのではないか。信教の自由、思想の自由、職業選択の自由、自由に関する者は他にもたくさんある。しかし、これらに関してもすべて「勝手」は許されるものではない。はっきり言って、全て「自由」であるということは「責任が伴う」ということである。
  しかし、日本の人権派という人々は「自由」ということと責任が伴うということがまたく分からない人が少なくないのである。そしてその根拠に「憲法に書いていないから」ということを平然と言う人が多い。こういう人は「自由」と「勝手」という日本語が分からない、日本語の意味が正確に理解できないような環境にあるのかもしれない。外国人ならば、日本語の意味を正確に理解できなくても良いかもしれないが、日本人ならばしっかりと日本語の意味を理解してほしいものである。責任のない自由ならばないほうが良い。「自由」が他人、同じ日本人に対して迷惑をかける、もしくは日本の国体を壊してしまう可能性があるのである。
  もうひとつ、日本の国体を壊してしまう内容がある。「幸福追求権」といわれるものである。

  第13条     [個人の尊重と公共の福祉] 
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。

  この条文をもとに、生活保護という制度があり、また、日本国民の権利重視ということ、もっと言えば「義務の軽視」「責任の軽視」が生まれてくるのである。
  私は生活保護制度そのものに反対なわけではない。生活保護制度の適用にしっかりとした要件を入れるべきである。本来は、日本国民であり、日本国の構成員でありながら、何らかの事情によって生活が困難な者が、国や行政機関の支援を受けて、幸福を追求する権利を実現するために生活の保護を受けられる制度は必要であると思う。とくに障害者や、自然災害などでの被災による不可抗力によって生活保護を受けなければならない人は、しっかりと保護をする必要があると思う。しかし、それは日本国民に限ることであろう。なぜならば、日本国の憲法で認められた権利であり、また生活保護の財源は当然に日本人による税金であるからだ。この生活保護制度を悪用して、日本国民以外にも日本で居住するだけで生活保護をし、本国に仕送りをしているような外国人も少なくない。日本人の税金が、「働くことができるのに好きで働かない外国に流出する」ということになる。これでは、日本の富が海外に無作為に流出し、日本人の幸福追求県が存在しなくなってしまう。このようなことを言えば、人権派の人々は、「基本的人権は人本来のものであり、外国人であっても適用すべき」という主張を行う。もちろん、外国人であったからと言って拷問をしたり、思想統制をして良いというものではないのかもしれない。しかし、そのことの根拠が日本国憲法である必要性はないのである。当初に記載したように、憲法を含むすべての法律は国に帰属するものであり、外国に適用されるものではない。それをなし崩し的に適用範囲を広げてしまうのは、おかしなものである。
  そもそも憲法の第三章、「国民の権利及び義務」と記載された章に、基本的人権が化かrてえいるのであるが、その章建ての一番初めの条文、要するに第10条は次のように書かれているのである。

  第10条     [国民の要件] 
 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。    
第11条     [基本的人権の享有]
 国民は、すべての基本的人権の享有(きょうゆう)を妨(さまた)げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵(おか)すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

  要するに、基本的人権の内容は、少なくとも日本国憲法には国民に認められるものとしているのだ。

  そろそろ、憲法に関して提言しよう。
  新憲法といえども、基本的人権の記載は必要であると思う。その内容に関しては今とほぼ同じでよいのであろうが、上記にあるように若干の変更は必要であろう。まずは、基本的人権は日本国民に限るということだ。もちろん私は外国人に対して拷問をして良いとか基本的人権を認めないというのではない。しかし、その認める根拠は、外国と日本の間における条約、包括的であるならば国連憲章のような集団での取り決めであるべきであり、日本国憲法がすべての外国人に対してまで適用されるのではないと考える。
  第二に、上記にあるように「自由」には「責任」が伴うということをしっかりと明記すべきである。「自由」と「勝手」を取り違えないようにしなければならない。そのうえで、憲法をもとにした各法律に関して「責任」の追及方法をしっかりと記載すべきであろう。いずれの場合もしっかりとその要件を記載するということが必要なのではないか。
  日本国憲法の適用範囲は日本国と日本人だけである。そのことに準じる扱いを行うことは当然に条約などで行うものであり、憲法によるものではないと考える。それは、在日外国人といわれる人々にも田起用されるべきではないのか。そこに国民とそうではない人の差があっても不思議はない。そこに国民意識がないことは、日本にとって不幸であることだ。
  本件はあくまでもたたき台として、皆さんも真剣に考えていただきたい。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 6 憲法9条と国防に関する考え方(下)

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
6 憲法9条と国防に関する考え方(下)

 昨日は、憲法9条といいながらも国民の国防の義務とそれに対する国家としての誇りの部分、非常に国民一人ひとりの精神的な部分の話に趣旨してしまった。そこで、今日こそ、国防に関する話をしたい。
  ちなみに、先に私の意見を表明しておくが、私は憲法9条の改正論者である。しかし、憲法9条を改正したところで、すぐに世界に通用する軍隊ができるとは思えない。もっといえば、設備や国防費に関しては非常に高いものがあったし、機械技術に関しては日本の技術力の粋を集めれば、世界最先端の「装備」ができると思う。しかし、戦うのは「人間」である。どのような機械装備も、人間がボタンを押さなければ動かない。では、今の日本人に人を殺すボタンを押すことができるのか。そして、反撃を食らって自分がまたは日本人が、自分の家族や知り合いが殺されてしまう可能性を享受できるのか。その部分の精神性が非常に難しい。また、その部分の精神性があっても、その覚悟での訓練が行われているかといえば、必ずしもそのようなことはない。日本はあくまでも平和の中において平和であることを前提に「有事」を考えているのである。
  そもそも、民主党政権において震災後の言い訳のひとつに「想定外」というものがある。しかし、よく考えてもらいたい。「想定外」に対処することが「危機管理」であって、「想定内」の事件は「事件」ではない。福島原子力発電所の放射能漏洩事故に関して、「想定外」などという言葉で危機管理の不手際の言い訳にするということは、国民の生命や財産を守れる政権ではないということだ。危機は想定外である。それは戦争に関しても国防に関することに関しても同じことだ。北朝鮮のミサイルがいつ飛んでくるのか、そのようなことはまったくわからない。飛んできてから対処するのでは遅すぎるし爆発してから「想定外でした」といわれても、そのときには国民の生命も財産も失われているのである。そんな言い訳をする必要はなく、そもそも考えられうるすべての事象において準備をし、訓練をしておかなければならないし、また、その想定を越えた内容が発生した場合といえどもしっかりと国民の生命と財産を守らなければならない。それが政府の役目であり、危機管理である。
  要するに二つの要素が必要だ。一つは、なるべく多くの事象を予想し、「想定の範囲を広げる」こと。これが危機予想と危機対策であるといえる。一方で、その想定の範囲外の事象が発生した時に、被害を最小限に抑え、そして一日も早い復興を行うことを企画する行動。これも危機管理の一つといえるのではないか。要するに「危機が発生しないようにする事」「危機が発生した場合にその被害を最小限にするように準備すること」「危機が発生した場合に、危機を克服する力」「危機が去った後に、通常の生活に早く戻す復元力」の全てを総称して「危機管理」と称しているのではないか。
  この危機管理こそ、まさに「国防」であると考えている。
  国防とはまさに「危機管理」である。現在、平成23年の5月という時期、つまり東日本大震災の被災後、そして福島第一原子力発電所の放射能漏えい事故が継続中である状況に応じて「危機管理」といえば、すぐに震災の対応や放射能漏えいに関する対処方法ということが言えるのかもしれない。しかし、何も危機管理は震災や津波の自然災害や、原子力発電所の放射能漏えいのような事故に対する事ばかりではない。当然に自然災害や事故に対することもあげられるが、実際に戦争、そして不法侵入、老獪、領土の侵犯という他国による内容が最も多いのである。
  日本は幸いなこと、戦後65年以上の期間、武力衝突という戦闘状態は存在しない。しかし、領土争いは、サンフランシスコ講和条約直後から北方領土は日本とソビエト連邦の主張が違う。日本から見ればソ連が不法に占領したまま、今日まで至っている状態である。同じことは、日本海の竹島にも言えることである。また、歴史認識などに関しても同じで、南京大虐殺など、なかなか歴史的に不明な部分(私は南京大虐殺そのものがなかったと思うし、また、仮にあったとしても戦争である以上当たり前のことと思う)が、日本側がそれを受け入れているような印象を受けてしまう。要するに「戦闘行為」がないだけで「領土争い」や「主権の主張争い」が、実際に戦後常に日本の周囲でも発生しているのである。
  戦争は、これらの戦闘行為だけではない。戦闘行為がなくても「国民」「領土」「主権」の争いがあれば、当然に戦争の前段階になっていると考えてよい。戦争そのものが、外交交渉の延長線上、外交交渉の解決方法の一つであるという解釈をする場合は、すでに、隣国との間に争いや主張の違いが出てくる時点で「戦争」の前段階が始まるのだ。そして、地球が限られた領土、限られた資源であり、そして60億の人がその資源を分け合って暮らす以上、欲が出たり、不測の事態が起きたり、その不足お事態に備えたりすれば当然に資源や領土の不足が心配されるようになり、その奪い合いが発生するのだ。その解決方法の一つに戦闘行為がある以上、戦闘行為は隣国と接している国(接していない国はないが)がすべて持っている当然の危険であるといえる。口頭で「世界平和」などの掛け声を繰り返しても何の意味もない。5・15事件では、犬養首相は「話せばわかる」と言いながら若い将校に銃で射殺された。現在の北方領土や竹島や尖閣諸島の領土争いの前に、「世界平和」というスローガンはあまりにも無力であり、また話にならない。
  日本は現在までそれらの克服のために、日米安全保障条約と自衛隊という2段重ねで対処してきた。
  国防の基本は「防衛力」「抑止力」「打撃力」の三つの力である。防衛力とは日本の国土・国民・主権が不当に攻撃された場合にその攻撃を排除する力である。抑止力はそのような不当な攻撃を事前にさせないように大きな武力を持つことである。そして打撃力は攻めてきたときに2度と攻め込まれないように相手方の根拠地(基地や軍需工業所、資源備蓄所など)を破壊することである。日本は、自衛隊により防衛力を、米軍によって抑止力と打撃力を分担している。自然災害など、「抑止力」「打撃力」を必要としない事象での「防衛」に関して自衛隊が世界各国で力を発している。これは、まさに生前災害のスペシャリストなのではなく「防衛力」のスペシャリストとして、日本の国内外で活躍できる世界でもトップクラスの力を持っているということである。当然に、災害派遣に関する自衛隊の評判は良く、そして各国でいまだに感謝されている。しかし、「抑止力」「打撃力」に関する日本の自衛隊の評価はまったく存在しない。これは当たり前といえば当たり前のことである。
  国防は当然に日本そのものが単独でこれらを行うことができるようにするということ、これが自主防衛である。憲法9条を改正するということは、当然に、「抑止力」「打撃力」を日本が保有するということ、それに従った装備と、隊員の訓練が必要であるといえるのである。しかし、すでに紹介したように、日本人は攻防という意味ではまったく意味のない「世界平和」の教育を受けてしまった。よって、まず「隊員の訓練」ということ、もっと言えば「意識改革」が最も大きな問題ということになるのではないだろうか。装備などは作ったり、あるいは買ったりすればすぐに(と言っても時間はかかるが)備えることが可能である。しかし、意識改革は、特に危機管理の事態、危機の前面にたたされたときに、とっさの判断ができないなどの大きな問題になってしまうのである。
  とはいえ、すぐにできなくても、いつまでも日米安全保障条約の範囲内に入れておくことはよくないのである。そもそも日米安全保障条約は「日本に独自の防衛力が充分にいないことを構築されていないことを認識し、また国連憲章が各国に自衛権を認めていることを認識し、その上で防衛用の暫定措置として、日本はアメリカ軍が日本国内に駐留することを希望している。また、アメリカ合衆国は日本が独自の防衛力を向上させることを期待している。平和条約の効力発行と同時にこの条約も効力を発効することを希望する。」という前文に記載されているように、あくまでも「防衛用の暫定措置」として行っている内容が60年以上継続しているものである。っそして暫定措置が終わるのは「日本が独自の防衛力を向上させること」によって、行われる、つまり、日本が独自に国防が行えることは日本だけでなくアメリカも、そして国際社会全てが望んでいることである。それを、日本国内において、まさに南京大虐殺や、東京裁判史観的自虐史観と同じように、日本の軍事、日本の独ぞの防衛力を阻んできているのである。
  憲法9条の改正は、まさに「日本が普通の国」になることである。今は「障害者」と同じ状態であることを認識しなければならない。まsない一人では何もできない国である。それを変えるべきではないのか。
  同時に憲法9条の改正のためには、改正後「日本が一人前の国になるまでの期間」要するに「抑止力」と「打撃力」を保有するまでの期間、アメリカに頼らなければならない。独自に防衛を行うことと同盟をて決、もしくは解消することとは全く違う。同盟関係はしっかりと維持すべきではないのか。
  もうひとつ、重要な内容は「国際法の熟知」である。とくに軍事に関しては国際法上の対応が必要である。ただ強いだけでは、戦前の日本のように国際社会から孤立してしまう。逆に日論戦争などに日本が先勝できたのは、たとえば日清戦争時における東郷平八郎の高陞号事件のように、しっかりとした国際法に則った対応ができるということが最も重要なのではないか。それは、軍事担当者だけでなく、政治家や国民一人一人がすべて同じことであると考えられる。経済的に裕福であるもしくは軍事的に強いというのではなく総合的に外交力があるということを、そして国際的に非難を受けないようにするということ、その風潮を国民全体に押し広げておかなければあならないのである。
  憲法9条の改正を言う人は少なくない。しかし、そのための工程表をしっかりと出して、そのために何が必要か、何が最も重要か、単なる軍備だけのことではなく国民基本意識の部分から考えなければならないのではないだろうか。
  本件はあくまでもたたき台として、皆さんも真剣に考えていただきたい。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 5 憲法9条と国防に関する考え方(上)

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
5 憲法9条と国防に関する考え方(上)

 このように憲法を見てくると、どうしても出てくるのが憲法9条に関することである。まさに、日本国憲法の特徴でもある「非武装」「平和主義」という考え方に関して、憲法そのものを考える際には「ほんとにそれでよいのか」という事を再度検証しなければならないのではないか。ちょうど今日は憲法記念日である事もあり、最も憲法改正論議で派kつする場所に関しては、今日議論をするとよいのではないかと思う。そもそも「憲法記念日」は、戦後の日本となった日本国憲法が施行された日であり、その意義を考えそして、今の日本の最高法規である日本国憲法を考えるための休日である。基本的に日本の古来からの祝祭日ではない。まさに現代の日本のための休日であるといえる。その祝日の意義に従って、憲法を考えるのはもっとも重要なことではないのか。
  では、そもそも憲法9条はどうしてできたのか。現在の日本国憲法無効論を言う人々は、GHQによる押し付けであるということになる。しかし、実際にそれだけではない。サンフランシスコ講和条約以降、日本は真の意味で独立をおおなったにもかかわらず憲法9条を護持し、日米安全保障条約を堅持し、その上で平和憲法があるということを国際社会の中でも強く主張し、人的国際貢献、特に内戦調停監視などを拒んできた歴史がある。1955年に保守合同を行い、その保守合同と行ったことによって自由民主党が結党した。自由民主党の結党以来の綱領に「自主憲法の制定」という項目があるものの、いまだにそのことができていない。安倍内閣のときに、憲法改正に必要な国民投票に関する穂率が決まったのであり、その内容は進んでいない。憲法改正に関する与野党の会議も安倍内閣威光開かれていないままである。このように考えれば、何もGHQの思索やアメリカの陰謀をことさらに言うのではなく、日本人そのものが「腑抜け」になってしまったということに他ならないのではないか。このような議論になると、逆に「GHQ改革による左翼思想、左翼教育によりできなかった」という反論が来る。しかし、戦後生まれの首相は安倍内閣が初めてであり、60年安保、70年安保と安保騒動によって日本の国防や安全保障が話題になったときは少なくないのにかかわらず、憲法改正論議になったことはないというのがもっとも奇異な状況であるといえるのである。
  戦前生まれ、戦中教育を受けた人々こそ、本来であれば憲法改正の論議をすべきであった。しかし、それが行われず「自主憲法制定」ということを言いながらも、その具体的な行動が起きなかったのには何かわけがあるはずだ。それは「保守」「左翼」というような話ではなく、何か違う力が働いているということを遂げた考えるべきではないのだろうか。
  日本は江戸時代、鎖国によって非常に遅れた国であった。しかし、その日本が「文明開化」「富国強兵」ひとつのスローガンを掲げ、一致団結して国の発展を遂げた。その結果、日本は四十数年後には、強国露西亜を破り列強の仲間入りをし、そして、世界最強といわれたバルチック艦隊を打ち破って世界で第三位の海軍国になったのである。その世界三位の海軍国は世界一位、二位のアメリカ、イギリスをはじめとする世界各国を相手に千三百日以上の戦争継続を行い、敗れたものの、世界各国脅威を与えたことは間違いがない事実である。日本は、ひとつの価値観、ひとつの考え方の中において団結したばあには驚異的な力を有する。その上、世界各国の最新の技術を受け入れ、自分のもののように使いこなし、そして独自の発展を遂げて世界の上を行く力を持っている。
  実際にバルチック艦隊を打ち破った日本海軍連合艦隊の旗艦戦艦三笠は、イギリス製である。軍縮条約によってアメリカの6割の規模(排水トン量および武装)の戦艦と巡洋艦しかもてなくなった日本は、そのときの計画を変更し、戦艦や巡洋艦を航空母艦二改造した。この改造航空母艦こそ第二次世界大戦で活躍し、航空機の集団使用による艦隊殲滅の世界初の作戦となった真珠湾攻撃の旗艦となったのである。ちなみに、戦艦から改装された航空母艦加賀が、世界で初めて航空母艦が実践戦闘に参加したという記録がある。また、日本は排水トン量を規制された場合に、その規制の範囲内において重武装を行うことが可能である。太平洋における戦争でもっとも大きな口径の大砲を積んだのは戦艦大和、武蔵であり、また、軽巡洋艦夕張などは、排水トン量に比較して武装が重武装であり高性能であったことが、世界各国の海軍関係者の度肝を抜いたことは間違いがない。
  日本は、ある規制がある中においてその規制の範囲で最大限の技術力を発揮する力があり、その技術料は世界のでも群を抜いているということ。そして規制ができた場合にその規制の外において新たな発想を行い、代替品を作り、その代替品の使用によって本来の目的以上の大きな成果を上げることがある。その代替品の使用は、まさに、世界の常識を覆し、世界の基準になりうるような状況になってしまうということ。そして、日本が「世界初」になることが非常に多いということがあげられるのである。そしてそれらの日本人の特性は、まさに、日本人が世界から尊敬されることであり、同時に日本が世界から恐れられるまさにそのものであったと考えられるのである。
  戦後派、これらの技術力および団結力がまさに、経済の発展に変わったのである。経済の発展は、トランジスタという精密機械をラジオに使用することによって、自動車の中でもラジオを聞けるようにし、また、水晶に電気を通して正確な時計を作り、精密機械は日本のブランドになるようになった。世界の自動車産業は日本のトヨタや日産、インドではスズキなどに代表される内容になり、また、セイコー、カシオなどは、いまだにオリンピックなどの世界競技での公式な時計として使われるようになっている。日本は軍隊がないために、これらの技術がひとつには完全に民間利用として公開された技術になり、同時にこれらの内容がまさに、世界各国の経済の発展に寄与した。しかし、これらの技術は軍事転用も可能な技術ばかりであり、日本の技術公開はその公開によって世界各国の軍事力を底上げし、テロリストも武器を簡単に作れるようになり、そしてその戦争が簡単にできるということで、まさに、日本の技術が利用された武器によって毎日人が殺されているという状態になっているのである。
  このように世界が恐れるのは、日本の代替品をすぐに作れるところ、代替品の利用をオリジナルで行う、そしてそれを独自に発展させて世界の最先端を行くようになる「技術力」、一方で、世界の技術を使いこなすことができるようになる、また規制が発せられたときに、その規制の範囲内で最大限の力を発揮させることのできる「順応力」、そして、それらの内容を集団としてできるようにした「団結力」である。それは軍事という分野だけではなく経済、科学技術、商品開発などさまざまな分野で日本人の特性が発展し、戦後軍事を放棄した後の世界においても、その力によって世界を席巻している。その「日本人の特性」こそが世界の最も恐れる日本の姿である。
  この「日本人の特性」が、サイド軍拡もまたは世界の征服に力が発揮された場合にどのようになるのか。そのことを恐れたアメリカは、すぐにこの「日本人の特性」のは徐と破壊にかかった。それが、よく言われる「軍事放棄」「東京裁判自虐史観」といった内容であり、同時に教育改革である。しかし、実際にそれだけであろうか。そうではなく、日本人そのものも、その後の経済の発展、日本そのものの復興ということから、自ら戦争、軍事に対して、見てみぬ不利をしていたのではないか。そのことは日本人の特性を経済の発展に向けたことによる高度経済成長と日本の世界における地位の向上がまさに日本の今のプライドになっていることを考えれば、日本人そのものも、軍事放棄ということによって非常に多くの資源を得ることができ、同時に経済の発展と便利な世の中を手にすることができたのである。現在の日本国の独自防衛論の中に、そのことを行うことによる経済的亜裏づけということをしっかりと検証したものが少ないことにおいても、また、憲法改正、独自国防をいう人の中において、軍隊を持たない日本国の外交そのものが不利になるという外交王将、特に資源戦争における経済的な敗北がその理由に入ってくることからしても、まさに、経済優先での限界、頭打ち感覚が根底にある人も少なくない。逆に言えば、経済優先でいけるならば、それで軍事、国防に関して口を閉ざしてしまう人が少なくない。経団連などは、平気で民主党支持に鞍替えできるということは、まさにそのような政治的な基盤に基づいて、思想に基づいて国防論が出ているのではないことのひとつの表れではないのか。
  国防に関して、要するに憲法9条に関して語るには、まずは国家意識と国を守る意識。そして経済または金銭的なものなどに関しても、国家的な意識や誇りを認識し、金のためには国を売ってしまうような人物を排除しなければならないのではないか。
  さて、憲法草案ということになれば、結局のところ、9条そのものの改正と同時に、またはそれ以前に、国民の国家意識に関する規定が必要なのではないか。税金を払いたくないから海外に移住するなどというのは、まさに経済と国家意識で経済を優先させ、国家意識が欠落している人物のことであり、それを賞賛するかのごとき報道を行うこともまたおかしな現象だ。国民としての義務と誇り、その上に存在する国防という意識と行為が必要であり、そのための、団結ということが必要である。そのようになれば、世界が恐怖する日本の国民性が再生し、国民そのものの意識の中において国家の発展が得られるのである。そこで、憲法には国民の義務と国民の義務を果たさない場合のペナルティを記載すべきではないのか。要するに国家への帰属意識と国家としての義務、これをことさらに国防に関する義務ばかりをいう人がいるがそれ以外にも、経済活動でも、何でも国家としての誇りを持ち国家の象徴を汚すことを禁ずるような規定を考えるべきである。もちろん憲法は基本放棄であるので、具体的な罰則などを記載するものではない。しかし、その精神性やそれらの法律、たとえば日の丸君が代法に、それを汚すものに対する罰則を入れることを容認できる規定(思想の自由の制限)をしっかりと明記すべきではないのか。単純に国体とその国体を象徴する物を汚す行為は、基本的人権によるすべての自由の適用外とする、と記載するだけで、簡単に国体を汚す行為を行う人物を処罰できるのである。
  国家としての誇りがない軍隊は、非常に弱い。集団への帰属意識のない兵は、まさに烏合の衆でしかない。そのようなことにならないように、9条改正以前に日本人の国民性に関してしっかりとした記載が必要なのではないか。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 4  政体に重大な瑕疵がある場合の対処

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
4 政体に重大な瑕疵がある場合の対処

 日本国憲法の「統治機構」といわれる部分、要するに、「立法」「行政」「司法」の三権が、まさに政体であるということになる。そして、今、民主党政権になってまさにその政体が重大な瑕疵があるという状態になっている、と考えている人が少なくないのではないか。
  特に、菅内閣に関してそのことが顕著になっているが、実際に民主党政権になってから天皇陛下が国政に関してお言葉を発せられることが非常に多くなってしまった。民主党政権になってからの「政体」の行ってきたことを考えれば、「事業仕分け」という名の下に学術や伝統に関する国家予算を削った。これは伝統と重んじ日本人の心を継承し、日本としての国家の発展を目指す国体の意思とは異なるものだ。もちろん、これ以外に手段がなく、他に財源がない場合に伝統や文化に関する財源を現在の国民生活のために一時流用するというのであればわかるが、「無駄削減」の掛け声で、伝統や文化、学術研究を無駄なほうに押しやってしまう行為は、まさに国家そのものの発展を妨げているとしか言いようがない。たとえば今、今年度に限りもしくは復興するまでの機関伝統や文化にかけた予算の一部を復興の財源にしたいというのであれば国民の理解を得られたであろう。その物事の重要性を判断できない状態の政権である。
  だめなのは事業仕分けだけではない。尖閣諸島問題も竹島問題も北方領土問題も、いずれも領土保全ということをまったくわかっていない。ひとつの島で200海里の排他的経済水域を持つという事は、まさに海において四国と同じ面積を国民が有するか有しないかの差がある。その損失を、国民に諮ることもなく、他国に譲り渡してしまうなど、ありえない話だ。今、人が住んでいるかいないかという問題ではない。地球上の資源において、その資源、水、魚、地下資源、空気、空、そして人や物の通行や往来といった権利関係まで、すべての権利に関して、その権利を何の対価もなく譲り渡してしまい、その内容を国民に黙っているというのは、「国体」に反する行為ではないのか。
  国民に内容を知らせないという意味では、震災の対応でも同じだ。週刊誌フライデーに私の資料提供で掲載したが、原子力安全保安院は、福島第一原子力発電所の原子炉内亜t力や水位計計測地などをすべて隠していた。その隠していた内容はIAEAには発表していながら、国内には一切は票していないというものだ。その水位計でいえば、まさに原子炉内での爆発と同時に原子炉内の圧力が低下し、また、水位が低くなっていて炉心がすべて出てしまっている状態を示しているのである。要するに、枝野官房長官が「安全です」といっている裏で、彼らは放射能が拡散し、アメリカが80キロメートル圏内立ち入り禁止にするほどの統計資料を隠し持っていたことになる。もっといえば「国民に事実を知らせることなく、命の危険にさらしていた」ということになるのである。
  要するに、今の民主党政権はまさに「国民の主権」「国家の領土」「国民の安全」「日本の文化や伝統」を守ることのできない政権であるということである。要するに国家の三要素である「主権」「領土」「国民」を守ることのできない政権などはありえないし、そのような「政体」は「国体」に排除されてしかるべきではないのか。
  では、日本国憲法においてこれらの状態を是正する措置はないのか。
  日本では統治機構として三権分立を行っている。そのために、統治機構として存在する権力内において相互尾チェック機能が存在する。立法府である国会が国権の最高機関として存在し、それは国民主権の実現の場として主権者である国民が投票で選択する代議員による審議が行われる。その代議員の中から内閣総理大臣を選出し、内閣総理大臣が内閣の各国務大臣を任命する。大臣は公務員の指揮命令権を有し、その指揮命令によって行政が円滑に作用するという仕組み担っている。これらと独立して司法が存在する。なお、よく検察官を司法と取り違えている人がいるが、「司法」はあくまでも裁判官のことである。国会で成立した法律に関し、その運用とその運用における法律の審査、判断を行う場所である。要するに、国会を頂点にし、その国会の予算や行政権限の部分を内閣が、立法機能の法律の判断部分を司法が行うという構造である。
  上記のような、「政体」に瑕疵がある状態とは、まさにこの立法と内閣の二つの機関が完全に「壊れている」状態であるといって過言ではない。日本の場合は「議院内閣制」であり、議院内閣制の場合はその利点もあるが、悪くなると権力機構、統治機構の尾3分の2が悪化してしまい、手がつけられなくなってしまうのである。日本はそのようなことを避けるために、二院制になっており、衆議院でさまざまなことを決めても参議院においてチェック機能を果たせるような状態になっているのである。そのために、「議院内閣制」のデメリットの歯止めとして参議院の選挙制度と、参議院におけるチェック機能というのが非常に重要なファクターになっていることは間違いがない。しかし、それでも衆議院の優位性というのは変わらないので、基本的には、国民のわからない部分が少なくないのである。
  また、日本国憲法における足りない点は、まさに「主権者による直接の三権のチェック機能」がないことだ。衆議院で4年に一度、参議院で3年に一度の選挙で行うものになっているものの、それまでの期間のリコールなどがない。三権分立でありながら主権者の直接の意思表示の場がないというのは民主主義所憲法での欠陥であるといえるのではないか。逆に、そのような手段がないことによって、逆にその内容がマスコミに利用され、「支持率調査」という法的根拠のない「民意」というものが話題になるようになるのだ。また、国民主権の発揮の場が選挙しかなく、行政の監視機能を主権者が行わないということは、そのまま数年間の白紙委任を行った感じになってしまい、また、その機関の日本以外の外国に国家としての意思表示を行ってしまうことになってしまうのである。
  要するに、日本国憲法は「国民主権」といいながら「平民支配者層主権」のような形になってしまっており、その内容は、日本国憲法に名を借りた神託政治とそれに文句を言えないで責任だけ負うことになった国民ということになる。
  この姿が最もよく現れているのが「国が賠償する」という現象である。「国が賠償する」というと、国民は国という別人格がお金をくれるという感じになる。一瞬ありがたいとか、培養だから当然と思いながら、その「国の財源」に関して思いをはせることはない。会社や法人買い賠償する場合は、その会社や法人の収益もしくは出資者の中からその金額が賠償される。しかし、「国が」という主語になった場合には、その国の構成員(国民とばかりは限らない)の税金がその原資になっているのである。要するに自分の払った税金が買えってくるだけだ。もちろん払ったままになるというよりはよいなどの発想があるかもしれない。しかし、そのときに「払った税金が戻ってくる」という「還付」のような感覚になることはほとんどなく、第三者から払われたがごとき感覚になっているのである。その感覚は、特に今の民主党が野党であったとき、古くは日本社会党が「国が賠償すべき」「国が払うべき」「国が補償すべき」と国家が、いかにも第三者で、会社か何かが賠償するかのごとき感覚で、同じ国会の代議員が国家の賠償をことさらに強調するのである。
  今回は、そのような財源感覚のない国家による賠償やバラマキを政策として掲げていたために、国家財政における財源がなくなり、そのために自らの「絵空事マニフェスト」がうまくいかなくなるばかりか、東日本大震災のような緊急時に対応できる財源にも事欠くような状態になってしまうのである。
  ここは憲法の議論なので、民主党の失政、悪性に関してはここで言うのはやめておこう。文書の主題とは異なるからである。それよりも、憲法における「主権者」たる国民の意識は、政府統治機構とは別物であり、とても主権者の意識は存在しない。それだけに、主権者の意識である在日外国人参政権などが話題になっても、国民は何の疑問の持たなくなってしまう。そればかりか、「税金を払っているのだから参政権を与えても悪くない」などの論調が出てきてしまうのである。この根底にあるのは、主権者としての国政の参加の実感がないこと、それに基づいて、国家、政府という存在が完全に外側になってしまっているということではないのだろうか。逆に言えば、国民主権が文字面だけで国民が実感していないということに他ならない。まさに他人事でしかないのである。政治に瑕疵がある場合に、その貸しを正すことを主権者である国民がいえない。それこそがまさに現行憲法の欠陥であり、最も改正しなければならない部分であると考えられるのである。
  では、リコールになった場合に日本人はどうしたらよいのか。日本国憲法では、週銀の解散通などの場合は参議院が行うことになっている。しかし、その参議院にも瑕疵がある場合は、どうしたらよいのか。そのときは、暫定的に国体、要するに天皇親政が行われてもよいのかもしれないし、天皇陛下が誰かを暫定的に指名するということもあるかもしれない。もちろん、無作為に誰かが行うのではなく、それなりの有資格者をあらかじめ決めておくこともひとつの手段であろうが、それは、憲法でそこまで決めるものではないのかもしれない。ここで憲法が規定しなければならない事は、まさに、国体の具体化、具現化する機関が政体であること。その政体に瑕疵がある場合は、主権者である国民がその貸しを正す行為を行う規定を入れるべきであるという提案。国民による行政審査権やリコールという内容がそれに当たるのではないか。そして、国民が政治、統治機構に主権者として参加する意識が必要であるということ。そして、その混乱が発生した場合には、国体の象徴である天皇陛下による親政もしくは天皇陛下による指名で暫定政権を作ることができる規定を盛り込むべきであるという提案である。もちろん、現行政権はそれに対して、反対をするなどではなく、そのような事態にならないような「善政」「仁政」を行えばすむことであり、そのようなことに苦情を言う人は、そもそも国民主権であるにもかかわらず、その国民が選んだ統治機構・政体が善政を行わないという前提であるということに他ならないのではないか。
  本件はあくまでもたたき台として、皆さんも真剣に考えていただきたい。

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宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方 3 国体と政体と主権

宇田川版憲法草案私案、新憲法の考え方
3 国体と政体と主権


 「国体」が、ある意味で観念的な存在であるということを昨日のブログで記載した。では、その観念的な中において日本という国は、誰がどのようにするのか。
  日本国憲法では、小学校の公民の授業で「立法(国会)」「行政(内閣)」「司法(裁判所)」という三権があり、その三つの権力が独立し、相互に監視できる状態にあることによって、バランスが取れ、そして日本国民の統治に独裁的な要素がならないような形になっている。「三権分立」という。もう皆さんご存じと思うが、三権分立について一応ウィキペディアの中から抜粋しておこう。
  <以下ウィキペディア「権力分立」より抜粋>
  三権分立 [編集]
権力分立は、国政上、三権分立ともいわれる。これは、国家権力を行政権・立法権・司法権の三権に分類し、それぞれ、立法権を立法府、行政権を行政府、司法権を裁判所に担わせるからである。もっとも、その眼目は権力分立にあるため、三権以外にさらに権力を分立させることもある(行政委員会など)。
これらの三権は、法との関係に着目して、簡単に次のように説明される。
    * 行政権:法を執行する権力
    * 立法権:法を定立する権力
    * 司法権:法を適用する権力
立法権は一般的抽象的な法規範を定立し、司法権と行政権は個別的具体的な事件に法を適用・執行する。ここで、「執行」と「適用」は元々一体のものである点に注意を要する。行政権が法を「執行」する際には、当然、法を「適用」しなければならず、司法権は法を「適用」して裁定するほか、自ら「執行」もする。そのため、行政と司法は、司法権が法を適用し「終局的に裁定する」ことをその顕著な違いと解すべきである。
また、行政は、立法・司法に比べて、定義づけしにくい。そのため、行政の定義については、国家作用から立法と司法を控除したものとして消極的に定義する見解(控除説)が通説とされる。これは、当初すべての権力が君主に集中し、そこから立法権が議会に移譲され、司法権が裁判所に移譲された歴史の流れにも沿うものである。現代では、大統領制と議院内閣制のいずれの体制を採る国も、行政権の増幅が大きく、いわゆる行政国家現象が顕著である。 行政権は、行政立法によって立法権と重なり、行政審判によって司法権と重なる。そのため、三権分立は、特に行政権の侵食から立法権・司法権を守る防衛原理(行政権にとっては抑制原理)としての意味が大きくなっている。
<以上ウィキペディアより抜粋 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E5%88%86%E7%AB%8B#.E4.B8.89.E6.A8.A9.E5.88.86.E7.AB.8B>

 今日のブログは話題が違うので、この三権分立を民主党の菅直人副首相(当時)がテレビでも参議院本会議でも否定したということはあえて触れないでおく。そのようなところまで触れていると紙面がなくなってしまうからである。今日の主題はあくまでも、昨日ブログで話題にした「国体」と「政体」の関係である。
  日本国憲法で「統治機構」としてかかれている「国会」「内閣」「司法」こそまさに「政体」であるといってよい。私の頭の中では政体とは、国体を実現し具体的に国家を統治する構造こそが政体であると思う。要するに、国民に対して国民の統合でありその文化、伝統、国民性、魂そのものが国体であり、一方で、その自由奔放な国民性を阿智が得た方向に行かないように、そして、国民そのものの向かう方向をしっかりと道筋をつけて、国家安寧、世界平和、国民の発展のために、時局に即した対応を行う権力機構こそ、「政体」である。逆な言い方をすれば「国体」の実現のための国家としての行政システム、当地システムそのものが「政体」であるといってよい。
  これが、「天皇主権」で「天皇の主権を輔弼する機関」として統治機構が存在する場合は、理論がつけやすかった。あくまでも天皇の主権に対して、その主権を行使し、臣民を統治するということになるのであるから、主権者の向かう方向性と違う人、たとえば犯罪者や治安を乱すものなどに対して主権が国家権力を使って処罰することは、理論的に簡単であった。しかし、「国民主権」という部分に関しては、そのような単純な構造ではなくなってしまっている。「天皇主権」である場合は、主権者要するに、臣民に対する処罰者と処罰される臣民そのものは別人格の存在である。当然に他者異体して処罰権力を発するのであるから、その問題に関しては簡単な理論構成でできてしまう。しかし、国民主権の場合は、自らが主権者でありながら自らの自由意志で行動をした者を犯罪とされ、その犯罪者が主権者の権力によって処罰されることになるのである。要するに、処罰される被告人にとっては、裁判官や検察官と被告人は、他人格でありながら、一方で同等の権利を保有する主権者として平等であるはずである。その平等なはずの権利保有者が、片方は国家権力によって処罰する側で、片方は処罰される側になる。道義的、常識的には当たり前の話が、憲法の人権を行うときにはどうしても難しくなってしまう。要するに、その内容は、単純に統治機構の権力の源泉がきっちりと定義されていないことになるからだ。
  そこで、大日本帝国憲法推進派、日本国憲法無効論者は、やはり天皇主権で、ということをいい始める。一方で、人権派は刑罰は仕方がないが「死刑廃止」などということを言い始めるのである。
  私は、そもそも国家の機構は「国体」があり、その国体の実現のために「政体」が存在すると考える。政体は、その明文規定の有無にかかわらず「国体」の目的の達成のために存在するものである。しかし、「国体」の目指すものは、当然に時代の変化や環境の違いによって異なる。また、隣国同士で国体が損じするので利害の一致しない状態も存在する。領土争いなどが祖霊あたるが、それらの隣国問題などに関して、環境などによって対処方法が異なるものであると考えられるのである。そのために、政体は、国体と異なり、時局に応じて変化が可能な状況になりうるものである。
  国民主権の場合といえども、その内容は同じである。国民は国家の構成者のひとつであり国体の構成者おひとつである。国民そのものは国家における主権者である場合も構成者である場合でも、いずれの場合も「個人的な存在」と「集団内部の構成員としての性格」を併せ持つものであるといえる。その中において、集団の構成員としての性格は、常に「国体」の目的にしたがって規定されているものであると考えられるのである。要するに、国民主権の場合といえども、国民の持っている主権の一部集団を構成し、維持し、集団として発展を遂げるという目的において、その主権は集団に帰属するものであり、政体に対して「国家権力」「当地権力」賭して自らを律する力として維持できるものであると考えられる。個人の自由意志があっても、この集団としての目的を達成させる力、秩序を乱すものに対して、その人の主権が入っているとしても、集団としての権力がそのものを律する事ができる、としているのである。
  では、逆にその人の命を奪うこと、要するに死刑に関しても同様に考えるのか。もっといえば、主権者が主権を失う行為を主権の集合体が許すのかということになる。当然にそれも同じで、ひとつの主権を守るために、多くの主権を犠牲にすることはできない。そのために主権者であったも犯罪者は処罰されることになる。しかし、その犯罪者が主権集団もしくは国体そのものを破壊しようとした場合、または集団への主権侵害行為に改善の余地がない場合は、集団のために犠牲になる場合が存在するといえる。もっといえば、憲法内部において基本的人権が欠かれていても、「国体」対する侵害行為が合った場合、または国体を維持できないような状態にする場合は、その主権者一人を犠牲にすることは当然にありうる話である。
  「国体」は、それだけ多くの集団となっているだけでなく、「時間軸的」にも継続性が要求されているはずだ。私が国体そのものに関して常に「伝統」「文化」ということを書いているのもそのためであり、歴史に基づいて未来につなげてゆくもの「国体」であると考えている。そのために、「政体」も当然に将来の日本をどのようにするのか、子供や孫にどのような日本を残すのかという観点で行うべきであると考えているし、その観点から「今、何をしなければならないか」ということを行わなければならないはずである。政治に基づく経済活動も、文化もすべてがその観点で行われなければならないのではないか。そして、その国体の目的を達するために政体が具体的な施策を行う。政体その物が腐っている場合は、国体が政体を改める力を持つべきである。それは、上記にある主権者である犯罪者が処罰される理論と同じく、政体といえども、国体の実現という大きな目的から逸脱した場合には、その生命を終える必要があるのではないか。
  まさに今、その状態にきているのかもしれない。震災での復興政策は何もできていないし、尖閣諸島、竹島などの領土も守れない状態で、そのことを自己保身の権力のためだけに、長引かせている。このために多くの国民が苦しんでいるのである。少なくとも戦後今までの間、このようなことはなかったのであるが、現在そのような状態になってしまっている。その状態を打破するために、主権者である国民あ、もう一度国体と政体の関係について考えなければならないのではないか。
  この文章をたたき台として、皆さんも真剣に考えていただきたい。

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