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2011年7月

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(21) 中国での契約と中国人の性質(7) 中国でのノウハウの実験

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(21)
中国での契約と中国人の性質(7) 中国でのノウハウの実験

 先週は連載のために1回お休みをいただいた。実は、毎回楽しいにしているので休みが残念だという声をいただいた。先週のお休みは、7月の連休という意味もあり一方で台湾に出張をしなければあらないということもあったからだ。その台湾訪問は何名かの企業経営者の方と一緒であった。その道中である社長さんから、この連載を楽しみにしているというお話をいただいた。台湾に出張するくらいであるから、日本でのビジネスだけでなく、非常に海外のでビジネスに関して意欲の高い方である。そのような方が「非常に参考になる」というお話をいただくのは、非常に光栄なことだ。
  私の場合は、基本的に自分の体験談を話している。しかし、中国に進出した企業の皆さんが体験談を話すことは非常に少ない。体験談の講演会などに参加させていただくこともある。しかし、その多くは体験談というよりも、中国の政治状況や事件などの解説になってしまい、体験談は少ない。体験談を行う場合も、失敗談は少なく、成功談ばかりであった。失敗といっても、そんなに大きなものではなく、どちらかというと愚にも突かないようなものばかりである。
  そもそも、人間失敗談を話すことは少ない。私も当然似そうである。自分の失敗を話すことは恥と思うものが少なくない。しかし、実際の講演などに関して求められるのは二つである。ひとつは成功体験から、汎用性のあるノウハウになっているものである。その人だから成功したとか、個性や運などによって成功した体験談などは、他の人にとっては役に立たない。役に立たない話をしても、あまり意味のあるものではないのである。一方、もうひとつ必要なのは、失敗談である。失敗談は、特にノウハウ化していなくてもよい。かえって、生々しい話のほうがよいかもしれない。失敗談は、感情に訴えて肝に銘じなければならないものである。教訓化して「整った言葉」になっていると心に響かないものだ。当然に、生々しい話のほうが、面白おかしくして聞ける。しかし、実際にそのような話をすれば、はずかしくてやっていられないものだ。

<中略 ここからはメルマガを下記から申し込んでお楽しみください>

  来週からは、大連観光に関して少し触れてみたい。

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國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
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<mailto:CQA14363@nifty.com

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
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「嫌菅流」から「嫌民主流」しかし自民党浮上せずの民意調査

「嫌菅流」から「嫌民主流」しかし自民党浮上せずの民意調査

 先週は10日間、短期連載を続けてきた。土曜日の軽い話題もなくなってしまっていた。そのために政局や世事に疎くなってきてしまった。私は、以前政局よりも政策を重視すべきであるということを主張していたのであるが、最近の国会は、基本的に政策がまったくないというのが現状である。金科玉条のごとき扱っていた「誰が作ったのかもわからない」マニフェストを簡単に甘かったといって謝罪をしてしまい、ただ単に自分のやりたいことの法案を通すことと政権への固執が見えてしまっている。もちろん、菅政権の「やりたいことの法案」そのものが民主党というよりは、まさに左翼政権の主義主張に合わさっているのである。しかし、その内容そのものが徐々に崩されてしまって、その内容に関してはまさによくわからない状態になってしまっている。
 元民社党の委員長で元衆議院議員の塚本三郎氏は、私と一緒に出演したチャンネル桜の討論番組の中で「自民党は左翼政党である。さまざまなことを言って徐々に左に偏っていってしまう。しかし、それでも日本の政党である。民主党が外国の政党である。中国や韓国の利益になることばかりをする。」と、現在の二大政党を評している。この内容の解説は、田母神俊雄元自衛隊航空幕僚長がもっとも的確にあらわしている。もちろん講演などで誰もが聞けるところである。「自民党は、声の大きな左翼が口を開くと徐々に左傾化して調整を行ってきていた。しかし、いつの間にか軸足がぶれて左に近い政策を行い、本来の保守を見失ってしまっている。見失っただけならば、戻ることができるかもしれないが、もうもとの保守に戻れないまでに左に来てしまった。」私自身、自民党に出入りしていてそのように考えさせられることが少なくない。
 自民党の中には、「民主党的な選挙」がすばらしいと思っている議員がいる。民主党的な選挙とは、要するに実現できない公約を掲げ、相手を批判し批判の受け皿になるということである。小選挙区制度の最悪な部分が出てきてしまったのである。私は批判しかできない人に対してまったく評価に値しないと考えている。しっかりとした対案があって、その対案にあわせて批判をするならばわかるが、そうでないならば、単なる誹謗中傷と同じで、まったく建設的ではない。まさに民主党が現在批判だけで政権を執ってしまったがために、立ち往生しているのと同じ。自民党もそのような正当になるならば、当然に私は評価しない正当となる。
 そのような考えが多いのか少ないのか、産経新聞での世論調査には下記のような結果が出ている。

菅内閣支持16.3%で過去最低 早期解散を望む声6割超

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が23、24の両日に実施した合同世論調査で、菅直人内閣の支持率が16.3%と、前回調査(6月25、26両日実施)より6.7ポイント下がり、昨年6月の政権発足以来、過去最低となった。菅首相を退陣させられない民主党への風当たりは強まっており、同党の支持率は前回比3.9ポイント減の14.1%と、政権交代前の平成19年4月調査時点の水準にまで落ち込んだ。
 菅内閣の不支持率は73.1%で、初めて7割を超えた。内閣の不支持率が7割を超えるのは鳩山由紀夫内閣末期の22年5月調査以来。菅首相の退陣時期については「今国会が閉会する8月末まで」との回答が、「今すぐ」の28.4%、「今国会の会期中」の36.5%と合わせて64.9%に上った。
 菅首相が具体的な退陣時期を明らかにしないことには71.9%が不適切だと回答。平成23年度第2次補正予算案、特例公債法案、再生エネルギー特別措置法案の「首相退陣3条件」が成立しなくても菅首相は退陣すべきだとの回答は76.1%に達した。
 菅首相に対しては「言動が政権の延命狙いとみられても仕方がない」73.7%、「首相続投で政治の停滞が生じている」76.4%と厳しい評価が並んだ。
 一方、菅首相の「脱原発」方針は64.3%が評価できると答えた。太陽光や風力などの再生可能エネルギーの買い取り制度も71.3%が「導入すべきだ」とした。ただ、菅首相が「脱原発」方針を「個人の考え」と表明したことには75.0%が「無責任だ」と批判。「脱原発」を争点に衆院解散・総選挙を行うことにも58.1%が「適切ではない」と否定的だった。
 菅首相や民主党の岡田克也幹事長らが21年衆院選マニフェスト(政権公約)実現の甘さを認めて陳謝したことについては、衆院選のやり直しを求める意見が54.9%に上った。次期衆院選の時期は「なるべく早く」25.7%、「次期政権の発足直後」36.5%と、早期解散を望む声が6割を超えた。

2011.7.25 11:42 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110725/stt11072511430000-n2.htm

自民浮上できず 支持率18・9%に低迷 「菅降ろし」不評? 

 菅直人内閣の支持率が16・3%まで落ち込んだにもかかわらず、最大野党・自民党の支持率も回復の兆しがない。23、24両日の産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査で、自民党の支持率は18・9%と前回より下落した。「菅降ろし」が評価されていないともとれる数字で、執行部は新たな戦略を打ち立てられず、苦悩している。(赤地真志帆)
 「民主党は2年前に消費税を上げないと言っていたのに、言うことが変わっている。解散だ、解散!」
 自民党の大島理(ただ)森(もり)副総裁は25日、国会内で顔を合わせた国民新党の下地幹郎幹事長に上機嫌な表情で衆院解散を迫った。
 だが、下地氏が「解散しますかね」と応じると、大島氏の勢いは止まった。
 「もういい。首相は8月31日までおやりなさい」
 谷垣禎一総裁ら党執行部は、7月から衆院1~5回生の若手を期別に集め、今後の党戦略について意見を聞いた。
 「政権批判一辺倒ではだめだ」
 「政局ばかりで自民党は震災対応をしていないとみられている」
 若手の執行部批判が相次ぎ、石原伸晃幹事長は「しっかり訴えることを訴えていく」と引き取るしかなかった。
 自民党と民主党の政党支持率の差は、4月下旬に7・5ポイントあったのが今回、4・8ポイントまで縮まった。内閣支持率の下落に合わせて政権交代の「受け皿」となる野党第一党の支持率は上昇するものだが、自民党支持率も今回は下落した。
 党幹部の一人は「ダメな首相をダメと言っても自分たちのイメージを下げるだけだ。菅さんは存在しないものと思って無視する方がいい」とぼやく。
 「菅降ろし」の切り札としてきた特例公債法案への対応も、執行部内で温度差が露呈している。
 もともと自民党は、民主党がマニフェスト(政権公約)で掲げた子ども手当などの「バラマキ」を撤回させることと同時に、政権を揺さぶる材料として同法案に対応してきた。
 21日に民主党の岡田克也幹事長が平成21年衆院選マニフェストについて謝罪すると、石破茂政調会長は夜に石原氏に電話で「特例公債法案に安易に妥協すべきではない」とくぎを刺した。石破氏は、同法案が野党にとって政府の財政運営を縛ることができる唯一ともいえるカードなので、安易に手放してしまうことに慎重だ。
 しかし、石原氏は「岡田氏ら民主党執行部も辞めさせるためにやっているんだ」と反論した。
 支持率低迷の最大の原因は谷垣氏の存在感がないこと、との分析も根強い。
 世論調査では、「ポスト菅」について谷垣氏は1・2%にとどまった。
 民主党が子ども手当見直しで譲歩案を示した22日、自民党幹部は対応を協議したが、谷垣氏は「公明党の山口那津男代表とも話をしてみないといけない」と答えるにとどめた。

2011.7.25 20:53 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110725/plc11072520530016-n1.htm

 今日の後半は自民党について書いてみたい。
 端的に言って、自民党はだめだ。残念ながら期待できない。「自民党が」というと語弊があるのかもしれないので、正確に言うと「自民党の今の執行部は」ダメである。
 その内容は上記新聞記事の石原幹事長の言葉に表れている。『石原氏は「岡田氏ら民主党執行部も辞めさせるためにやっているんだ」と反論した。』(上記記事より抜粋)これではどうしようもない。上記に私は、以前は私は政局よりも政策が重要であるということを主張したと書いた。そして、自民党の中に政局重視の民主党的な考え方の人がいることに懸念を示している。しかし、石原幹事長のやっていることは、まさに「政局のための政策取引」でしかなく、はっきり言って国民不在の状態になってしまっている。
 上記の新聞記事にあわせて言えば、特例公債法案を通してしまったらどのようになるのか、政策的にどうなるのか、政治理念的に日本は左翼思想になってしまうのではないか。それでは将来の日本がよくない方向に行く。そのために政策をしっかりとしてからでなければ賛成できない、というのが本筋であろう。それを「執行部を辞めさせるため」というようでは話にならない。いつの間にか、自民党の執行部が民主党的な政局重視の姿勢になってしまっている。これでは国民がついてくるはずがない。
 なぜ、菅政権の支持率が下がったのか。それは国民のための政治を行っていないからだ。国民のための政治とは、何もバラマキを行うことではない。緩やかであっても、安定した発展を遂げること、そして、そのことがかなり強い蓋然性を持っていることが重要であって、菅直人や民主党に任せていてはそれができない、それどころか、日本が解体されなくなってしまうのではないかという危機感がある。または、政治家として発言が信用できないということも言えるし、被災地が助からないということも言える。もちろんわれわれのような、政治に携わっている人にとっては、その根本の思想やイデオロギーがおかしいということを言う必要があるのだが、一般人はそこまで知らなくても、不信感だけで十分だ。
 しかし、その逆を行うのであれば、ただ人気取りのポピュリズム政治をおおなっているのではなく、国民のための国民に信頼される政治を行わなければならない。自民党が政権を執ったならばこのようにするという姿勢を示さなければならない。政局的な妥協などをするのではなく、政策を打ち出して正々堂々と政策論で民主党を追い落とすべきである。それができない執行部であるために、谷垣自民党総裁の総理への期待度は1.2%しかないのかもしれない。
 何も、この数字を信用してはいない。世論調査などは、マスコミ、今回は産経新聞社の石が入っているものと思ってかまわないであろう。しかし、一般的に高い低いということはわかる。数パーセントの上下を気にする必要はないが、上記の石原幹事長の発言のような状況では、期待されていないという数字が出ても納得してしまう。数字はあくまでも参考にすべきであるし、何らかの意図が浮くまれ手いると思うべきである。しかし、同時に、その数字から自分の行動を律することができるならば、あるいは省みて何かを行うことができるならば、それを行うべきである。結果が出る前に対処を行うこと、それが政治家の本分である。

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米国債務デフォルト危機なのに対策を全く打たない菅民主党政権

米国債務デフォルト危機なのに対策を全く打たない菅民主党政権

 7月15日の深夜と7月22日の深夜、ラジオ日本のラジオ時事対談で、米国債デフォルト問題に関して、私とアナリストの青木文鷹氏とで出演し、アメリカの国債のデフォルト問題に関して話をしている。アメリカ国債のデフォルト問題は、非常に世界経済において深刻な問題である。
 そもそも世界の基軸通貨がドルであること。そして日本だけではなく発展途上国の多くが米国債を担保にした融資や国債の発行を行っているということです。そのために、米ドル債のデフォルトは、ただ単にデフォルトでドルが安くなり円が高くなるというだけでなく、他の国における経済状況の悪化など様々な状況が発生することになる。
 日本では経済評論家の高橋洋一氏が「「米国債はデフォルト危機」と大騒ぎする日本の新聞は「財政破綻」「増税」は好きが、自分たちだけ「軽減税率」求める浅ましさ 日本と同様、「ねじれ」に苦しむオバマ大統領だが、煽るような危機ではない」などの楽観論を出している。振り返って考えれば、今から20年前のバブルの崩壊も、特に大きな問題もないというような論調であった。また、一昨年のリーマンショックの時も、特に大きな問題ではないというのが日本の経済企画庁や財務省の見解である。
 残念ながら、日本の経済評論家といわれる人々の多くは、今回の米国債のデフォルト問題に関しては非常に鈍感である。鈍感な理由は主に二つ。「アメリカが何とかする」という根拠のない楽観論、そして「米国政府が完全になくなるわけではない」というわけのわからない理由だ。しかし、実際に債券の格付けが下がり、その担保価値がなくなってしまえば、通常の会社の借金の場合「追加の担保」を求められる。そのために、資金が回らなくなる。そのために経済が停滞するのである。
 楽観論の大きな問題は、日本とアメリカの二国間しか見ていないことではないだろうか。要するに日本は国際社会の中にあり、中東や東南アジア、アフリカの諸国とも貿易をしているである。そのような国々がすべて景気が悪くなれば、当然に日本も影響がある。世界恐慌の中において、日本だけ景気が良いなどということはあり得ない。特に、中国などは1兆1000億ドルの米国債を保有しており、それが上海の上場市場などの基軸になっているのである。中国もバブル状態であり、中国の産業は、ほとんどが北米が販売先になって大きなバブルに膨れ上がっているのである。その中国などは米国債のデフォルトがあれば、バブルの崩壊にもつながりかねない。特に、先日の高速鉄道の技術不信などが続けば、中国の技術力に疑問符が付くのだから、そのバブル崩壊はより一層大きなものになる。下手をすれば、バブル崩壊と経済の低迷で中国内乱もありうるのではないか。
 そのきっかけとなるかもしれない記事が下記のものである。これは27日時点の記事を基軸に選んでいるので、これを皆さんが読んでいる頃には、解決しているかもしれない。しかし、このことをしっかりと考えてみたい。


米債務問題、採決先送り…下院共和党内部分裂

 【ワシントン=岡田章裕】米連邦政府債務の上限引き上げ問題が一段と混迷を深めている。共和党のベイナー下院議長の主導で作成した下院案について26日、身内の共和党保守系議員から反対が浮上した。
 同案に対しては米ホワイトハウスもオバマ大統領による拒否権発動を示唆しており、問題解決の「入り口」となる下院での採決の行方が不透明になった。下院は27日に予定していた採決を28日に先送りすることも決めた。8月2日に迫る米国債のデフォルト(債務不履行)危機を目前に事態は緊迫度を強めている。
 米議会の予算ルールでは、下院が法案を可決して上院に送付する。上院が可決した法案が下院と異なれば、両院がそれぞれ協議して一本化し、大統領の署名を経て成立する。
 しかし、債務問題を巡っては下院で多数派を占める共和党案についても、草の根保守派「茶会運動」の支援を受けた保守系議員らが、「歳出の削減規模が不十分」と反対し、可決できるかどうか不透明な情勢だ。
 一方、ホワイトハウスも26日、下院案が可決されても、大統領は拒否権を発動するだろうと警告した。

2011年7月27日(水)13時7分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/yomiuri-20110727-00489/1.htm


米デフォルトなら日本の金融機関にも相当な問題=亀崎日銀審議委員

 [津 27日 ロイター] 日銀の亀崎英敏審議委員は27日、三重県金融経済懇談会後の記者会見で、米国連邦債務上限問題を踏まえ、仮に米国債がデフォルト(債務不履行)、もしくは格下げされる場合、日本の金融機関や金融システムに「相当大きな問題を引き起こす」と指摘。
 交渉の期限である8月2日までに民主・共和両党が妥協するよう「米リーダーの良心を信じ注意深く見守っている」と強調した。
 欧州周辺国の問題が「これだけ国際金融市場の不安定さをもたらしており、ましてや世界の最大のGDP(国内総生産)で大きなインパクトを持つ米経済の国際金融市場に与える影響は計り知れない」と懸念を表明した。
 現在の円高については、「企業マインド悪化通じてマイナスの影響を及ぼす可能性があるために、極めて慎重にみている」と述べた。
 また、高い法人税率や電力供給懸念などに円高が加わることで企業の海外シフトの加速や中長期的な成長期待の低下が生じないか、「極めて重要な局面にある」と指摘。「先行きの経済物価動向について、為替変動の影響含めて注意深く転換しながら必要な金融政策をプロアクティブに打つ」と強調した。ただし、現時点では追加緩和措置が必要とは考えていない、と付け加えた。
 一方、円高にもかかわらず株価が底堅いのは、日本経済が東日本大震災のショックから立ち直る途上にあることが一因と指摘。さらに、円高の原因は欧州ソブリン問題や米国の債務上限問題で、「日本経済のファンダメンタルズを反映しているか若干疑問がある」との見方を示した。
 急激な為替変動に対して「為替介入は一定の効果がある」とし、介入権限を持つ財務相が影響や効果を「あらゆる角度から考慮されて決定されるもの」との認識を示した。

(ロイターニュース 竹本能文;編集 田中志保)
2011年7月27日(水)16時28分配信 ロイター 
http://news.nifty.com/cs/economy/stockdetail/reuters-JAPAN-223896/1.htm

 そもそも、「危機管理」とは、その業務の9割は無駄な作業である。対処をして、何もなければそれに越したことはない。官僚などは無駄といわれるほどたくさんいるのであるから、その中において一部を危機管理用に対策を考えさせておけばよい。その9割は無駄だ。しかし、何かあった時に1割は役に立つ。その1割のために、普段からリスクを全て考え、察知し、情報を入れ、そのうえで対策を講じる。これが政治の役割だ。
 昔、私はマイカルの法務部にいた。法務部の仕事は、契約書の作成、事業の法律的な評価、そして、訴訟対応。契約書の作成などは、「何か事件があった時のため」に行うものである。契約書など、事件がなければはっきり言って無駄だ。当時のマイカルの社長は「番犬は吠えないことが最も重要な仕事である」といっていた。「仕事が無駄、ということはそれだけ安全に会社が運営されているということだから、それは喜ぶことだ。でも、何かあった時に最も最初にリスクをかぶる覚悟が必要だ」法務部という通常の仕事もある部署であったが、私にとっては危機管理の部署にいたような感じである。
 今の政府にはこれが足りない。単純にいえば「無駄の削減」といった時点で「危機に対する備え」という無駄を完全になくしてしまったのである。でも、それで良かったのか。東日本の震災後の日本を見ていれば、その無駄の削減が実に今の被災地の悲惨な状況を生み出したかが良くわかる。危機管理のできない政府は国民の生命や財産を守れないのだ。
 今回の、危機は8月2日というように、起きる時期が分かっている。震災や戦争などいつ来るかわからない内容のものではないのだ。それなのに根拠のない楽観をんロ振り回すのはいかがなものであろうか。無駄を覚悟で対策を講じておく。何かあった時に、しっかりと対処できるようにしておく、そして日本人の生命と財産を守る。それが政府の責任であり義務だ。そしてその責任を果たせない、そして義務を履行できない政府ならば、退任すべきだ。
 このデフォルト問題は、起きるかどうかわからない。しかし、それに対する事前の対策ができるのか。民主党の危機管理の問題である。そしてそれができないならば、国民は危機管理のできない、われわれの安全と生命と財産を守れない政権を、国民の手で選んでしまったということである。

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非常に中国らしい事故と中国共産党事故対応と菅政権の原発処理の類似性

非常に中国らしい事故と中国共産党事故対応と菅政権の原発処理の類似性

 私のメルマガの連載で、「宇田川敬介東アジア放蕩覚書」という連載をしている。私がマイカルにいた時に中国の大連市で仕事をしたときの経験を、ある意味では面白くある意味では、なるべく教訓になるように、その内容を記載している。私は、大連で仕事をしていたところから、自分の個人的な中国人の友人は少なくない。もちろん政府高官から優秀な弁護士から親日家から反日家まで、さまざまな人々が私の友人には存在する。その友人たちに共通していることは、私に対してはあくまでも一個人として友人であるということだ。非常によい友達であり、個人的には支援をしてもらったり、助けることもあったりという感じであるし、私の現在の職業上、情報をいただいたり、取材を代わりにしていただいたりということもしている。何よりも、中国人でなければわからないことを教えていただくという点では、非常にありがたい。特に、日本人、中国人という垣根を越えた付き合いや、犯罪ぎりぎりの部分まで機密事故を教えてくれるということに関しては、感謝をしても仕切れないほどである。
 よく、中国のコンサルタントや中国通といわれる人は、このような友人たちを持ってしまい、「中国はよい国だ」という事を言うパターンが少なくない。しかし、私の場合、残念ながらそのような感想にはならない。
 私の場合、中国に関する印象は「行けば行くほど嫌いになる国」という感じであろうか。親しい友人がいても、あるいは、国家の要人に良くしていただいても、その感想はまったく変わらない。もちろん、だからといって中国人の友人たちが嫌いというのではない。個人としてはよい友人でも、集団、国家、政府となると、日本人とは相容れないものがある。それが中国の特色であるだろう。
 多方面から、その内容を検証し、私なりに考えているが、要因は複数あるような気がする。その中のひとつは、「人命、人心に対する優先順位とアクセスが違いすぎる」という部分があるのではないか。
 今回そのような中国の姿勢を如実に世界に示した事故が、中国の温州で発生した。中国高速鉄道の衝突脱線事故である。事故そのものは日本でも発生する。数年前には福知山線の事故が発生したし、今年もJR北海道で信じられないような車両火災が発生した。しかし、問題は、その後の事故の処理の問題ではないのか。その件に関する新聞の記事を、今日は読売新聞から。

国威優先、安全性軽視のツケ…中国高速鉄道事故

 中国で起きた高速鉄道事故は、成長至上主義の経済路線同様に、安全性を軽視して拡大する鉄道計画のひずみを露呈した。
 胡錦濤政権は、北京五輪や上海万博のイベント会場などとともに、高速鉄道など大規模インフラ建設を国威発揚のため政治利用してきたが、安全性を十分に重視しなければ、世界第2位の経済大国も実質を伴わない姿になるのは避けられない。
 ◆もうこりごり◆
 顔が赤黒く腫れ上がり、全身が傷だらけの女性(26)は落下した車両に乗っていた。北京出張の帰り、友人と話していた時、突然大きな衝撃を受け、意識がなくなった。だれかが自分を車両から引っぱり出そうとしていることが何となくわかった。次に気がつくと病院にいた。ベッドに横たわった女性は、腫れ上がった唇で弱々しく、「全身が痛い」と訴えた。
 官製メディアを動員する政権の宣伝の効果もあり、大半の乗客にとっても高速鉄道に乗ることは、「経済大国」を実感する機会だ。だが、多数の死傷者を出す大惨事に遭い、病院に運ばれてくる負傷者や付き添いの家族は不信感を隠さない。
 「なぜ、こんなことになったのか」「高速鉄道は安全で安くて速い。そう思っていたのに」などと、高速鉄道の安全性について口々に疑問を呈し、「もう高速列車はこりごり」と憤まんやるかたない様子で話す負傷者もいた。

(2011年7月25日08時35分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110725-OYT1T00192.htm

高速鉄道事故、報道現場やネットで批判噴出

 【温州(中国浙江省)=角谷志保美、北京=関泰晴】中国浙江省温州の高速鉄道事故を巡って、胡錦濤政権は国内メディアの報道規制を一段と強化しているが、今回の大惨事を発端に噴き出した批判は、報道現場やインターネットで抑えきれないほどに広がりつつある。
 事故現場では25日、脱線車両の撤去などを終えて運行が再開。国営の中央テレビも正午のニュースのトップで伝え、復旧ぶりを大々的に宣伝した。しかし、北京の中国紙記者は「復旧を急ぎ過ぎている。政府はきちんと調査を行う気があるのか」と疑問を呈する。
 胡政権は事故発生翌日の24日、国内の新聞各紙に対し、今回の事故の独自報道自粛を求める通達を出した。だが、一部の中国紙は25日、事故の原因究明や責任追及を求める社説や評論を掲載し、当局の通達に反発する動きも出ているようだ。

(2011年7月25日20時58分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110725-OYT1T01008.htm?from=popin

「遺体どこにもない」鉄道事故家族…死者40人

 【温州(中国浙江省)=角谷志保美】新華社電によると、中国浙江省温州で23日夜起きた高速鉄道の追突、脱線事故による死者は25日夜までに40人となった。
 当局は「これが最後の数字ではない」としており、行方不明の乗客も多いため、犠牲者はさらに増えそうだ。
 「市内の病院は全部回った。遺体もすべて確認したが、どこにもいない」「列車とともに地下に埋められたらたまらない」。温州市内の遺体安置所には、不明乗客の家族や友人ら約20人が集まり、担当者にすがりついて訴えた。テレビのインタビューに涙を浮かべながら答える者もいた。
 鉄道省は、24日深夜の記者会見で死傷者数を公表したが、不明者がいるのかどうかについては説明がなく、疑心暗鬼を生んでいる。
 また、妊娠7か月の妻(28)と義母(52)ら家族5人を亡くした浙江省の男性は、「政府は生命よりも運行再開を優先した」と声を荒らげた。男性の家族が24日夜、運行再開のために高架から落とされた車両の中で発見されたためだ。

(2011年7月26日08時38分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110725-OYT1T01087.htm?from=popin

 こういう言い方は私の偏向的な感想だが、今の菅政権と何か似てないでしょうか?民主党内閣に関する内容を<>で囲いながら、上記記事から事故をまとめてみよう。

 経済優先、国威発揚のために高速鉄道<原子力発電所>を推進し、また、その利用を<オール電化などのPRで>奨励した。しかし、安全性を十分に重視しなければ経済大国も実質を伴わない姿になるのは避けられない。(上記一番上の記事より抜粋)
 中国浙江省温州の高速鉄道事故<福島第一原子力発電所の放射能漏洩事故とその被害状況を>を巡って、胡錦濤政権<菅直人政権>は国内メディアの報道規制を一段と強化しているが、今回の大惨事を発端に噴き出した批判は、報道現場やインターネットで抑えきれないほどに広がりつつある。
 胡政権は事故発生翌日の24日<菅政権は>、国内の新聞各紙に対し、今回の事故の独自報道自粛を求める通達を出した<そもそも存在するSPEEDEやそのほかの資料の公開を避けて報道をさせないようにした>。だが、一部の中国紙<新聞もしくはマスコミ>は25日、事故の原因究明や責任追及を求める社説や評論を掲載し、当局の通達に反発する動きも出ているようだ。(上記二番目の記事より抜粋)
 
 いかがであろうか。福島原発の記事とあわせると、まったく同じであることが良くわかる。あくまでも私の偏向した意見であるが、菅直人首相の原発事故対応と胡政権の今回の高速鉄道事故の隠蔽体質はまったく同じであるといえる。まさに民主党が中国的な政治を目指しており、その政治的なアウトプット、要するに事件や危機管理に対する対応対策は、ほとんど同じだということがいえるのではないか。
 そのような結果、上記の3番目の記事のように、遺体や行方不明者の数もまったくわからないという状態である。これも、原発作業員の被爆検査などをせず、その実態を把握していない現状の事故対応とまったく変わりないし、いまだに福島県の被災者の放射能被爆検査も行っていないという原状と合致しているではないか。このようなところから、民主党が行う政治が中国の政治と同じとか、すでに日本の政治が中国化している党事が証明できるとはまったく思わなかった。そして、国威発揚も経済の浮揚再興もこれでは出来合い問いことが明らかになったのではないか。だから民主党政権を追い落とさなければならない。
 中国は、上記のように「個人」「人民」を標榜しながら、結局は政治執行部のメンツを重視し、そして、個人を、コミュニティを完全に破壊し、その上で共産党上層部による独裁を行う。もちろん、中国は法治国家だ。しかし、その運用が残念ながら恣意的に行われている。運用までは法律に取り決めがないからである。法律を破るほどの威力はないにせよ、その運用が恣意的であれば、十分に人治独裁といえる。今、まさに菅政権も同じようになってきているのではないか。
 上記のように個人的にはよい人とか、上に流されるものではなく、権利や義務、そして責任ということで、しっかりとした政治が期待できない。まさに今の中国尾同じようになってしまう危機感を、この中国の高速鉄道事故で感じた。そしてその類似性を報道するマスコミのないところも非常に不気味だ。
 多くの人にこの事実を知ってほしい。そう思う事件である。そうでなければ、事故があっても遺体も行方不明者も探してもらえないということに、日本もなってしまう恐れがある。そして日本人はそのような政党を与党にしてしまったという自覚を持つべきである。

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なぜ、民主党の執行部や内閣に人々を「嘘つき」といわないのか?

なぜ、民主党の執行部や内閣に人々を「嘘つき」といわないのか?

 民主党議員の中に「保守派」といわれている人がいる。特に議員の中にいるのであるが、名前を挙げればさまざま出てくると思う。実際のところ、名前を出せば一方で反論が出てくるのが現状であろう。しかし、その内容に関して、少なくとも現在の菅首相や仙谷官房副長官や枝野官房長官といった人々に比べて、はるかに左翼的でないということはいえるのかもしれない。実際、いまや「四人組」と悪の温床の一人に数えられている岡田克也幹事長も、もともとは自民党である。
 特に自民党が悪いといっているのではない。実際に、岡田幹事長のように元自民党ですら左翼に洗脳されてしまうというのが現状である。完全に取り込まれてしまっている。これはひとつには左翼側の理論が優れており、感情的な保守論には論破できないというのが現状である。実際に論破しようとして、言いくるめられて帰ってくる人も何人かいる。感情論や是非論ではなく、理論には理論で対抗しなければならない。その点で左翼的な人々には弁護士が異常に多いことでわかるとおりに『詭弁』に関しては彼らのほうが上手なのかもしれない。
 しかし、左翼思想の理論はどうしても、文字にできない『日本人的なもの』との融合ができない。そのために「個人的な感情論」に訴えなければならない部分が少なくない。もちろん、そこが理論の破綻の入り口なのであるが、実際その話になるまでに、理論的に破綻してしまう保守陣営は、理論の後の感情論に負けてしまう。特に「かわいそう」ということに対して、その内容に関してなかなか抵抗ができないでいる。その「かわいそう」な範囲は非常に範囲が広がってしまい、それに従って「責任感の欠如」が発生したり、あるいは、集団と個人の関係がおかしくなってしまう。集団は助けてくれて当然というような感覚になってしまうのである。
 民主党の左翼政権に対抗するのは「自己責任」と「集団の帰属意識」ということの二つがキーワードではないか。
 その責任をまったく感じない人が現在の菅直人日本国内閣総理大臣である。それなりの理論があり、その政策の遂行をしているものの、自分の発言や政策実行に関する他者との調整は、一切責任を持たない。自己都合だけで適当な言い訳を繰り返し、そのうえで責任を負わないのだからひどいものだ。民主党政権の特徴として「権利を主張する」「義務は履行しない」「責任は負わない(転嫁する)」と三つの内容を言うのであるが、まさにそのものである。
 そもそも6月2日に内閣不信任決議案が野党三党から提出されたときに、「辞任する」ということを言い、そのうえで、否決され田や否や、すぐに辞めないという。鳩山由紀夫前首相に「ペテン師」といわれ、あわてて執行部が「すぐに辞める」といい、そのうえで「特例公債法案」「二次補正予算」そしてなぜか「再生可能エネルギー買い取り法案」の3法案にめどがついたら辞任するという。再生可能背ネルギー法案に関しては、「顔を見たくない、それならばこの法案を通せ」という報道もある。
 民主党の執行部では、特例公債法案を通すためにマニフェストが間違いだったというような謝罪文章まで出して、何とか調整を行った。にもかかわらず、7月26日の国会答弁で菅直人首相は辞任しない旨の答弁をしたのである。


次期衆院選は2年後の「ダブル選挙でいい」 菅首相、早期解散を否定

 菅直人首相は26日午前の衆院東日本大震災復興特別委員会で、次期衆院選に関し「(平成25年夏の参院選との)ダブル選挙でいいと思っているが、信を問うときは必ず来る。早く解散と言うのは国民の気持ちと離反している」と述べ、早期解散を否定した。自民党の額賀福志郎氏への答弁。
 同委には、民主、自民、公明の3党は午前に、東京電力福島第1原発事故の損害賠償を支援する枠組みを定めた「原子力損害賠償支援機構法案」について、国の賠償責任を明確にする条文を盛り込んだ修正案を共同で提出する。午後に可決される見通しだ。
 自民、公明など野党5党が提出し、政府が賠償金の立て替え払いができるようにする原子力事故被害緊急措置法案も修正を経て午後、同委で可決する見通し。両法案は28日に衆院本会議で可決され、参院に送付される予定。

2011.7.26 10:34 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110726/plc11072610370011-n1.htm


「辞める首相…意味ない」自民・石原幹事長、菅首相ダブル選発言で

 自民党の石原伸晃幹事長は26日午前の記者会見で、菅直人首相が次期衆院選の時期について平成25年夏の参院選との同日選が望ましいと発言したことに対し、「辞めるという首相が、いつ選挙をやるということを言及してもあまり意味がない」と述べた。

2011.7.26 12:40 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110726/stt11072612410001-n1.htm


自民・小池氏「首相の言葉、通じない」 首相の同日選発言に

 自民党の小池百合子総務会長は26日の記者会見で、首菅直人首相が次期衆院選について平成25年に衆参同日選が望ましいとの考えを示したことについて「(国民の間では)もはや首相への嫌悪感が先に立ち、(何を発言しても)言葉が通じない状況だ」と皮肉った。
 また、石破茂政調会長も「首相が退陣を表明しているということを前提条件とするなら、そういう人が選挙の時期を明言をするということはあるべきことではない」と述べた。
 公明党の山口那津男代表も同日の記者会見で「退陣を表明している首相が2年も近く先の解散のあり方に言及するというのは信頼性に乏しい」と指摘。そのうえで「衆参両院で異なる任期を設定した憲法のもとで、(同日選は)本来、あるべきではない。同じ民意を取りあげることになる」と批判した。

2011.7.26 19:47 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110726/stt11072619490004-n1.htm

 そもそも、この答弁で「首相退陣をしない」ということを言うのであれば、単純に「8月末には辞任する」「8月上旬には辞任する」といってきた民主党執行部、岡田幹事長や枝野官房長官は、即刻辞任すべきである。まさに国民に対して「嘘」を吐いたのである。国会の代議員が国民に嘘を言ったのである。当然に責任を持たなければならない。一方で責任を取りたくないのであれば、一方で、嘘を吐いている民主党の代表であり首相である菅直人を下さなければならない。
 逆に、今のまま民主党にいる議員は、単純に「不信任も否決し、菅をのさばらせている現状をなんとも思わずに、民主党に所属し続ける議員」ということであり、なおかつ国民の普通の感覚である「嘘をつく人は人の上に立てない」という当たり前の常識が、通じない集団民主党であるということになる。
 単純に言って、菅首相がこれ以上いることは、民主党というブランドを菅首相自身が壊していってくれることであろう。また、民主党という政党が壊れれば、単純に民主党の「迷走政権」はなくなる。小沢一郎氏がどれだけ力を持っていたとしても、民主党という母体に頼らなければ政権を取れないのであれば、脱小沢のままでそのまま政界を去ることになるであろう。
 要するに、このような答弁をして、国民の意見を完全に無視する首相をいつまで与党のメンバーは放置するのか。もっと言えば、いつまで民主党という同じ「館」に住んでいて件を感を感じないのか、その時点で国民と完全に感覚がかい離している。
 民主党を支持しない私としては批判政党の末路とはこのようなものであろうとも予想していた。しかし、予想以上にひどいものであるともいえる。ここまでひどいとはさすがに思わなかった。そして、私たちがいくら批判しても国民は分かってくれなかったのに、菅首相は一人で「民主党はダメだ」ということを国民に知らしめた。そのことが良くわかる今日の記事ではないのか。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(10) 民主党マニフェストの終焉と現実の日本政治

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(10)
民主党マニフェストの終焉と現実の日本政治

 この連載も今日で最終日にしたいと思う。一応、7月の連休であり、また、私の海外出張も重なっていたので、今回はこのような連載という形にした。基本として、綱領のない政党である民主党の政策理念をうかがい知るには、出てきた政策や政策集、マニフェストや政権公約などを丹念に調べてその真意を探らなければならない。また、会話や、彼らの著書などから、彼らが影響を受けている思想家などの著書などからうかがい知るしかないのである。
  実際にその内容を知ることはそんなに難しくはない。彼ら左翼の人々は、自分の思想に他者を感化したいために、自分の思想の原点を説明しなければならず、その内容を広く頒布することに勤めているのである。その原点に当たる「首領」を探し出すことは非常に難しいかもしれないが、アウトプットされる内容や思想、考え方を知るのは、彼らの鼓動を逐一監察していれば済む話である。その中に「松下圭一」という法政大学の名誉教授の名前が出るのであり、そのほかにも左翼系思想家として名前が挙がる政治思想家は少なくないのである。
  私は「民主党の闇」という著書の中で、民主党という政党は批判しかできない正統であるということを言っている。批判しかできない政党が、しっかりとした政治ができるはずがないのである。出来上がったものに対して文句を言うのは簡単だ。批評や評論というのは、語弊があるかもしれないが余り優秀でなくてもできる。何しろ出来上がったものに対してただ単純に文句を言えばいいのである。しかし、実際に何もないところから物(制度・法律などを含む)を作ることは非常に難しい。何かを作るには、その新たにできるものに対して、新たな物を作ったことに対する影響や、今までの制度との調整が必要である。また、今までの精度で利益を得ている人の既得権益に対する何らかの処分が必要になるであろう。
  ある一面から見て物事を批判していても、他の一面から見ては非常に優れた制度であることも少なくない。たとえば、八場ダムでも、片方で不要論があることは承知している。不要論の主軸は、税金の無駄遣いと、自然の破壊、そして、住民の負担とかわいそうという感情論であろう。これらだけを集中的に批判すれば、多くの人は不要論に傾く。しかし、逆に考えれば、ひとつは長期間にわたる工事があり、その工事における作業従事者にしてみれば、雇用がなくなるということになる。それだけでなく、地元に落ちる金銭も少なくなり事から、完全に地元の経済は破不景気になるであろう。地元経済や雇用対策という面では、間違いなく必要論でしかない。また、失業者が増えれば、それだけ犯罪も増加することになるなど、治安に関する内容も悪化する。もちろん、ダムがあれば治水も得きるし、電力の発電もできる。ということは、現在のように原子量発電所が不安定な状態において「水力」というクリーンなエネルギーによってそれをカバーすることができたのである。このように不要論はあくまでも一方的な観点でしかなく、もう一方の観点から考えると、その損失は非常に大きなものであるということがいえるのである。
  マニフェストは、その現在との調整を完全に行わない前提で「非常に身勝手で一面的な批判」によってしか作られていないということが明らかなのである。
  日本の国民は、現在の生活やその生活水準を維持しながら、新しく付加される機能として「民主党マニフェスト」を望んだのではないだろうか。要するに、景気も、エネルギーも生活環境も全てそのまま。もちろん、権利も人権の保護も、主権も今のままで、ただ単純に減税され、高速道路も無料になり、ガソリンも安くなり、高校も無料になり、そして政府から子供手当てと称するお小遣いがもらえるということだ。それならば非常にすばらしいということで、こぞって民主党に投票したのである。もちろんその財源などは「無駄の削減と予算の組み替え」でできるということで考えていたのであろう。
  しかし、「きれいな薔薇にはとげがある」「うまい話には気をつけろ」の例えの通り、その内容はもろくも崩れ去った。事業仕分けでは、非常に重要な日本のプライドを完全に馬鹿にされ、重要な予算も削られてしまった。太陽光パネルや原子力の点検に関する予算まで毛図他のだから、現在何をしているのかわからない。また、予算の組み換えなどは夢のまた夢。政策のほうも高速道路無料化などはできるはずもなく、また、ガソリン税もそのままである。子供手当ても半額しか支給しない。また沖縄の普天間基地の移転も、「抑止力ということがわかった」などという不思議な発言で撤回してしまったのである。まさに、一方向からしか見ていない「改革案」のオンパレードは、他の状況や日本のバランス、そして日本人の意識や根底に流れる魂を完全に無視したものでしかなかったのである。
  平成23年7月21日に、民主党は特例公債法案を通すために、こぞってマニフェストの見通しが甘かったということで謝罪を行った。しかし、その根底にある理念を捨てたわけではないのである。そして、謝罪も、「特例公債法案を通すための方便」でしかなく、その内容は、完全に自民党や公明党、そして民主党の日本解体を阻止しようとする国民をだますための「手段」でしかないのである。そして、また、その程度でだまされるという意味において、日本の国民は「何も考えていない」ということになってしまうのではないか。
  では、今は何をしなければならないか。
  1 民主党の正体を暴くこと
  まさに、民主党が考えている理念とその理念を推し進めた場合にどのような日本になってしまうのかをしっかりと示さなければならない。日本人の場合は、最後は何とかなるという楽観的な思想をしているが、そのような生易しいものではないことは、浅間山荘事件や左翼過激派の内ゲバなどで明らかである。また、そのような国がどのようになったかは、旧ソ連の国民や改革解放前の中国の貧しさがどのようなものであったのか、あるいは現在の北朝鮮の国民がどのような悲惨な芽に会い、そして、政府に抑圧されているかを考えるべきである。「抑圧をなくすという勢力」がもっとも「抑圧をする勢力」であることを忘れてはならない。身近にある外国や歴史を学ばなければならないのは、何も保守的な思想のことばかりではなく、中国や北朝鮮、東側諸国の崩壊ということを考え、そして知ることによって、自分たちの行動を律するということが必要なのである。
 
  2 保守側の理論を作ること
  私は、個人的にいつも言っていることであるが、左翼にはマルクスなどの根本理論があり、その上で松下圭一の理論など、新左翼系の理論を持つ思想家が非常に多くある。しかし、保守系はどうもそのような理論になることは少ない。私の偏見なのかもしれないが、保守の人々は、どうしても精神論に偏ってしまう。たとえば武士道ということを考えても、「葉隠」の有名な一説「武士道とは死ぬことと見つけたり」というこの部分だけが一人歩きをしてしまう。しかし、実際によく読めば「死ぬときに恥ずかしくない生き方をせよ」ということで「武士は、町人以上にいつ死ぬかわからないのであるから、常々、死ぬと時そして死んだあとの自分の名誉のために、衣食を律し、礼節をただし、恥ずかしくない生き方をせよ」ということに他ならない。何でもよいから死ねばよいというものではない。また、切腹すれば何でも済まされるというものでもないのである。しかし、この武士道が間違えて伝わってしまっているために、どうしても精神論に傾き、覚悟や心意気などを自慢する人が少なくないのは事実だ。しかし、実際に左翼系が理論を立てているのに、保守系が理論もなく精神論だけでいるのはよくない。そもそも議論に勝てるはずがない。また、精神論だけに偏れば、大多数の中道派から嫌われてしまうし街宣旋右翼と混同されてしまうのである。ここは、まず保守系の理論をしっかりと打ち立てなければならないのではないか。その上で、理論的に新左翼系の理論をつぶしてゆかなければ、保守の再興はありえないのではないかと考える。
 
  3 保守の結集
  保守という言葉にこだわっているが、マニフェストをこのように見ていると、どうしても民主党の左翼的な考え方が明らかになってくるので、どうしてもそのような対抗軸を作り、そして理論的に論破して相手が間違えていることをしっかりと世に示さなければならないのではないか。
  その上においては、数の上でも同じである。また活動、運動方針なども全てにおいて保守系の行う方法をしっかりと考えなければならない。その方向こそ、まさに保守の結集であると考える。保守政権そのものを作るのに、左翼の前で保守同士が県下をしていては意味がない。そのために、保守の大同団結は必ず必要であると考えられるのである。
 
  以上の状況から、民主党のマニフェストが完全に破綻をきたし、そして、民主党自身、理論の破綻に気づいていない現在こそ、その好機ではないのか。私自身も保守理論の構築を現在進めているが、多くの人に、精神論ではない保守理論の立ち上げを行ってもらいたい、そして考えてもらいたいと思うのである。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(9) <検証5>中央集権から、地域主権へ。

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(9)
<検証5>中央集権から、地域主権へ。

 本来ならば、本日は月曜日なので「マスコミ批判に関する一考」の連載なのであるが、民主党2年間の評価と日本の政治の連載が途中なので、これが一定の形がつくまで続けさせていただこうと思う。何しろ「5つの原則」で行っているのに、4つ目で終わってしまってはなんとなく中途半端になってしまうのである。そこで、今週は「マスコミ批判に関する一考」をお休みして、このまま民主党政権の2年の評価ということで、マニフェストにある5つの原則の内容をそのまま続けたい。
  さて、「中央集権から地域主権へ」という。果たしてこれは良いことなのであろうか。そもそも、日本は日本国憲法によって主権は国民にあると考えていたが、彼ら民主党は地域に主権を持ってゆくということを考えている。また、その地域主権そのものが良いことなのかということはしっかりとした議論が必要である。
  保守系、もしくはしっかりと政治をわかっている人は「地域主権ではなく地域分権ではないのか」ということを主張する。しかし、多分民主党は「地域主権」と意識して使っているに違いない。というよりは、これは地域分権と間違えたものではなく、しっかり明確に「地域主権」を主張したものではないかと考えられるのである。よって「地域分権と間違えたのではないか」ということを主張する人に関しては、本気でそのように思っている人もいると思うが、逆に、民主党の日本解体の野望を敢えて隠すためにそのような主張を行っている人も少なくないのかもしれない。
  さて、何度もこの連載で記載している「松下圭一」について、その著書かr地方自治に関する内容を考えてみよう。
  市民とは、自由・平等という共和感覚をもった自発的人間型、したがって市民自治を可能とするような政治への主体的参加という徳性をそなえた人間型、ということができる。(中略)市民的人間型は理想概念ではなくて規範概念である。(「市民自治の憲法理論」はしがき)
  ここであらためて重視されるべきは、共和すなわちシビル・ミニマムの実現の主体である。それは、まず市民であり、ついで市民自治機構としての自治体、それも基礎自治体としての市町村である。この論点が、市民自治を基点とする憲法理論の再構成、したがって分節政治システムの憲法理論的定礎へと接続していく。すでに社会保障・社会資本・社会保健の市民福祉をめぐって、自治体は、革新自治体を中心に、市民共和を指向するシビル・ミニマムの策定へと一歩ふみだしている。そこに、政策基準における国と自治体との二重基準状況がうまれつつあることを、率直に承認すべきであろう。自治体による社会保障基準、公害規制基準による国の基準にたいする上積みはよくしられているが、今日では国内政策のイニシアティブはパイオニア型の自治体がにない、国がそれに追従して法令改正にふみきるという自治体主導の政策形成が、他方における大企業優位の政策展開に対決して、進行しはじめたのである。このような問題状況は、市民自治による市民福祉の共和的構成が、ようやく日本で出発しはじめたことを意味する。(「市民自治の憲法理論」p.50)
  市民主権は市民的人間型の全般的成熟という国民主権の「主体」の今日的特性を、分節主権は分節化された多様な制度的活力という国民主権の「機能」の今日的特性を、特徴づけた概念である。(「市民自治の憲法理論」p.162)
  さしあたって、第一に、自治体への大幅な自治権ことに行財政権の移譲による現行法制の分権化、第二に、それにともなう自治体職員の自治意識の拡大と中央官僚の官治意識の転換が、強調されなければならない。ことに通達・補助金行政の打破は今日の急務である。通達・補助金行政こそは、国民愚民観、自治体蔑視の制度的補強システムだからである。(中略)憲法、行政法の画一解釈というのは、法フェティシズムによる幻想か、あるいは解釈の政府独占の強制を意味するにすぎない。自治体職員が法律の解釈に自信をもちえないのは、したがって当然なのである。このことが、かえって、中央官庁による政府解釈への衝動をひきおこして、官治的統一解釈のための通達の乱発となり、かつ研修装置として自治大学校などの設置となる。しかし、法律は本来多様な解釈を許容するものであり、そのためにこそ、多様な解釈の調整機構として、合議・審級の裁判所を不可欠としているのである。(「市民自治の憲法理論」p.65)
  自治体の自治性は、市民主権・分節主権の発想から導出されるだけでない。それは、それぞれの自治体自体が地域的特性をもっているかぎり、都市・農村改造という急務から政策技術的にも不可避とされる。自治体の行政内容が、戦前は戸籍管理を中心とし、ついで戦後はフローの保障としての社会保障がくわわったが、その段階までは全国画一行政が政策技術的に前提とされていたともいえる。しかし、今日、社会資本、社会保健の拡充をめぐり、地域生産力の適正整備をふくめて地域的特性を反映した都市・農村改造がその課題となってきたため、あらためて市民参加によるシビル・ミニマム、自治体計画の独自策定が不可避となってきたのである。もはや全国画一行政の段階はすぎさったのである。(「市民自治の憲法理論」p.163-164)

 このように、松下圭一の理論は、一見上記定義にある市民、ようするに「自由・平等という共和感覚をもった自発的人間型、したがって市民自治を可能とするような政治への主体的参加という徳性をそなえた人間型」の人間が市民であるという前提であり、その市民が、「市民主権は市民的人間型の全般的成熟という国民主権の「主体」の今日的特性を、分節主権は分節化された多様な制度的活力という国民主権の「機能」の今日的特性を、特徴づけた概念である。」ということで、地方自治を行うというものである。
  一見用意ように見えるのかもしれない。しかし、ここに国家観が全くないことに気付くであろうか。本来日本国憲法では「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」(92条)となっているにも関わらず、憲法理論という本の中において、この規定を完全に蒸すしして国家観のない市民自治を言うこと自体がおかしいのである。ましてや、市民の定義が、そんなにしっかりと「特性を備えた、主体的に参加する」市民ばかりではない。現実をあまりにも見ていないし、憲法の規定も完全におかしな方向に行ってしまっているのが、この松下圭一の本の引用で読み取れないだとうか。興味のある人は他の本も読んでみながら、「国家観の欠如」「国家解体思想」を考えてみてはいかがか。
  日本国憲法が、日本国憲法である以上、間違いなく日本は中央集権国家である。中央集権であるために東京がすべての中心になっている。地方主権なのであれば東北の震災の後などは、無視して「地方で勝手に復興すればよい」というような考え方になるであろう。まさに今の菅政権はそのような対応になっている。復興大臣に9日間就任した松本龍参議院議員は「知恵を出せ」といい、「知恵を出さないやつは助けない」ということ発言した。この発言に多くの人が反感を持ち、他の発言、殊にマスコミに対する言論弾圧の発言が大きく反感を持たれて辞任するのであるが、そのほかの発言は、この際問題視せずにこの「知恵を出さないやつは助けない」という発言は、まさに地域主権、中央集権解体の理念からすれば当然であり、地方で勝手に復興するということ、その内容が、まさに松下圭一のいう地方主権そのものの内容ではないのか。
  では、なぜ地方主権でなければならないのか。地方主権であれば、その主権を発動することによって地方で日本から独立することも可能であるし、今の民主党が行った政策を推進することも可能なのだ。それも日本の政府の議決に反対してデモ行えるようにしたのである。
  現在の時点で地方自治基本法など地方自治体の条例を最高法規とするような条例を作ってしまうのである。現在は200を超える地方自治体が地方自治基本法を採択している。多分それが左翼的な地方主権の考えかたに従っているということもわからずに「良いこと」であるかのような感じである。しかし、その考え方の基本には「国家軽視、国家解体」という考え方があるということを、そしてその結果が、今の日愛知のように、国家に見放された地方自治体となってしまう。そして、その内容こそ、「地方自治によって国民を殺してしまう」そしてかえって国民の生命や財産を守れない政府、地方自治体を作り出してしまうのである。
  今回のこの原則に関しては、ある意味で完成しているのかもしれない。その完成形が、被災地における国家支援の遅れである。そして、実にその理念をこれ以上完遂することが本当に国民のためになるのか、そのことをしっかりと考えなければなないのではないか。民主党のマニフェストにある「表面上のバラ色の将来」ではなく、「その根底にある悪意に満ちた国家解体理論」をしっかりと見据えて、政治を監視しなければならないのではないか。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(8) <検証4>タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(8)
<検証4>タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。

 民主とは今までの自民党政治の社会を「タテ型の利権社会」ということを位置づけている。しかし、よく考えてみれば、この総選挙のときに民主党の代表であった鳩山由紀夫の祖父鳩山一郎が自由民主党の初代の総裁である。父鳩山威一郎も自民党の重鎮であった。祖父・父が自民党であったということは、まさに鳩山由紀夫自身というか、鳩山家がそのような「タテ型の利権社会」を作ってきた張本人である。しかし、本当にタテ型利権社会なのかの検証はまず必要であろう。
  タテ型利権社会ということは、上から下に流れる利権によって人々が生活しているということ。もっと言えば、上の者には下の者が逆らえないという考え方である。このような「タテ型」もしくは「ヒエラルヒ型」の社会である部分は否めない事実だ。しかし、そのタテ型社会が利権社会であるのかということになると必ずしもそうではない。利権社会ということは、まさに、その利権によって上の者が不当な利益を得ているという考え方を言う。しかし、組織上で「上の者」は「下の者」よりもより大きな責任を負っている。極端な言い方をすれば、「下の者」は「上の者」から言われた仕事に対してのみ責任を負えばよいのかもしれないが、「上の者」は、対外的にも責任を負わなければならないし、下の者に対しても責任を負わなければならない。場合によっては下の者の失敗に関しても管理責任が発生する場合があるし、仕事の内容によっては社会的な責任を負うこともありうるのである。要するに、その責任に応じて権限も変わってくるし、権限が変わってくれば報酬(利益)も変わってくることになる。
  民主党は、個人主義、社会主義でありまた平民主義である。「庶民派」といえば聞こえはいいかもしれないが、組織そのものの破壊になってしまえば、組織力がなくなってしまうのである。彼らの考え方の中心は「個人を抑圧する全ての排除」という考え方があり、その中には「人間はまず家庭に抑圧され、次に社会に抑圧され、そして国家に抑圧される」という考え方を持っているのである。その考え方からすれば、当然に会社やチーム、地域コミュニティなどの全ての「抑圧の対象」を排除するという考え方になってしまっているのである。
  この考え方から「タテ型社会」を完全になくすということを考えると、社民党福島瑞穂代表が言っている「家族解散式」に行き着いてしまうのである。何しろ、子供の個人の権利を抑圧しているのが家庭ならば、その家族を解散して完全な個人社会にしてしまうということを言っているのである。
  しかし、日本の高度経済成長もそして、世界的な日本の地位も、全て日本の組織力によって培われたものであることは否めない事実である。科学技術力は一人の天才的な研究者がいても、それでは話にならない。研究は必ず研究チームがあり、また、その研究チームのライバルと言うチームが存在するのである。それだけでなく、ある研究の基礎的な研究をしっかりと行うチームも必要になる。研究を行う人々が個人ではなくチームで行っていることによって、日本の科学技術力は世界一になった。しかし、このチームを解散すれば当然に当然に日本の研究開発力は低下する。このことを踏まえてか踏まえないでかしら内が、事業仕分けで「1位じゃなきゃだめなんですか」という発言が民主党の議員の口から出てくるのである。逆に言えば、このようなことは、事業仕分けをおおなうからとか予算が足りないからというのではなく、彼らのような「組織、抑圧する団体をすべて排除する」ということを目指し、研究チームも会社組織も、おっ化ですら解散してしまうという考え方を持っている人にとっては、「1位」であることそのものが無意味でしかなく、また、国家そのものが、研究開発力やそのほかの内容で「競う集団」となっていること事態に違和感があるのではないか。要するに、民主党政権は、今われわれ日本人の持っている常識そのものが通用しない考え方をしているとしか言いようがないのである。
  逆な言い方をすれば、タテ型社会は当然に、責任において平等な社会ではない。責任と権限が平等ではないことは、そのまま報酬も平等ではない。もちろん、この「平等でないこと」の容認を私がしていることは、賄賂などの肯定をしているものではない。同じルールで行っている以上は、当然にそのルールを破るものは罰せられなければならない。しかし、通常の段階で社長が新入社員よりも報酬が多いというのは、ぎゃkに当然のことであると認識しているのである。
  この「全てにおいて平等」という考え方は、ある意味で庶民的な考え方かもしれない。しかし、民主党の掲げる子供手当という政策は、まさに日本人の不平等の甲斐性ではなく、不平等の助長を促しているに過ぎないことと考えられる。全ての子供に2万6千円の支給を行うということであるが、ここに所得制限を行わないということになる。所得制限を行わないということは、当然に、年収が数億円の人も生活保護を受けなければ生活できない人も全てが同じであるということである。まさに「平等」であることは間違いがない。しかし、その財源が税金であり、その税金が社会福祉などの財源になっていることを考えれば、本来そのような保護を必要としない人にまで「平等」に行うということは、まさに社会的な不平等を助長することになってしまうのである。
  古代ローマの哲学者アリストテレスは、平等には種類があるということを主張している。アリスと照れるによると平等は「均分的平等」「配分的平等」という二つの平等があり、社会的な活動を行うためにはこの二つの平等を使い分けなければならない。均分的平等とは、まさに上記に説明した民主党の言うような平等である。要するに人一人につき完全におない量を全て同じように平等にすることである。一方配分的平等とは、その責任や能力、性質などによって配分を行うものだ。この考え方に従えば、「人権」などの権利は当然に均分的平等ということになるであろう。生まれながらにして奴隷と平民と帰属で別れているようなものではないのだ。しかし、「人権」が平等であるからといって、社会的な地位や報酬、権限、責任が均分であるとは限らない。それらは性質や能力によって配分的に平等になる。要するに能力や責任を加味した値に比例的に平等に行われるものである。みんしゅとうにかけているのは、まさにこの配分的平等における
  さて、では民主党はなぜこのような均分的平等に偏った考え方になってしまうのであろうか。これは、単純に責任感の欠如ということしか考えられない。そもそも「国家が抑圧する」という考え方そのものがおかしいのである。個人が国家のために何ができるのか。国家が個人のために何をするのか。この二つの考え方、英語で言えば「one for all & all for one」という考え方がまったくでいていない。これを義務とか抑圧というのではなく、個人の所属意識や個人の責任感というものがある。民主党の場合は完全に自分勝手な自己都合による権限や権利をもてあそび、そして、責任転嫁することによる政権の維持しか考えていない。これは菅政権になってから顕著に現れているが、民主党政権の間は継続してこの哲学が行われるということになるのである
  このように見てくれば、当然に、この考え方その者が間違えているといえる。間違えているというよりも、日本の伝統的な常識に遭っていないということになるのである。日本人は地域コミュニティを含め、集団を作り、その手段の中でリーダーを作って生活をするのが中心である。その上、その集団に帰属して生きてゆくことができるようになり、そして、個人が集団へ帰属意識があり同時にその集団への責任を果たすことによって大きな力を発揮するのである。その考え方そのものが間違えているのであるから、当然におかしなものでしかないのではないか。
  民主党がこの原則から出した政策はさまざまある。上記に紹介した子供手当ても、また高校無償化などもまさにその考え方であろう。それだけでなく、現在大きな問題になっている教科書採択問題などもその中のひとつでしかない。また、国家観の喪失は尖閣諸島問題や竹島問題のような領土問題を悪化させ、日本の主権を主守れない状態が継続しているし、アメリカとの「対等な同盟」を主張しながら憲法9条に固執するというあまりにもおかしな理論矛盾をおこしてしまうのである。政策個別の評価を行う段階にもないのが現状であるが、それでも子供手当てなどは行われてしまっている。
  また、震災対応もまさにそのものである。実際個別主義なのであるから、民主党の理論に固執し、コミュニティを否定する常態の中にあっては、地域を中心したコミュニティ社会の再構築などはできるはずがないのである。復興がまったく前に進まないのは、まさにこのことに由来するのではないのか。
  いずれにせよ、この原則に関して検証すれば、そもそもこの実行ということではなく、このような原則を掲げていること自体、民主党は実際の日本の姿も日本人の考え方も何もわかっていないということが明らかになったのではないか。その意味では、この内容の検証は非常に重要である。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(7) <検証3>各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(7)
<検証3>各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。

 マニフェストに記載された5つの原則の3つめの原則が「各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ」である。この内容は、2年前の総選挙の時に言われた「行政改革」「官僚改革」という官僚悪玉論の明文化といえるであろう。
  しかし、この内容の裏には法政大学名誉教授の松下圭一氏による新左翼理論を体現化したものである。松下圭一氏は、その著書の中において「官僚内閣制」という造語を作り、そこから「国会内閣制」ということに移行すべきということを主張している。これは、簡単にいえば衆院総選挙で多数派となった政党(与党)は4年間の任期中、内閣を私物化してよいと国民から白紙委任されたと理解できるし、また菅直人首相はそのように理解している。これが現れたのが2009年の9月にNHKで、2010年1月には国会の参議院の審議の中において「日本国憲法の議院内閣制の中においては、三権分立は存在しない」という、まさに内閣による審議なき国会による独裁を行う宣言をしていたのである。現在の菅直人首相が、国民の総意ともいえる民意や支持率などによる低下を受けても、また、同じ民主党の党内から退陣要求が出ても、退陣を行わないのは、まさに、「内閣の私物化」ということが憲法上認められていると考えているからに他ならない。そのような基礎理論の上で、菅直人首相の独特の左翼的危機感や、あるいは権力欲、そして図々しさや鈍感力がまさに退陣をしない理由といっても過言ではない。完全に「白紙委任された」のであるから、彼の頭の中、または、松下圭一の理論上では「意見を言ったり、批判をしたり、退陣を要求する方がおかしい」ということである。2010年の参議院内閣委員会で「議会制民主主義というのは、期限を区切った、あるレベルの独裁を認めることだと思っている。(中略)4年間なら4年間は一応まかせる」とまで発言しているのは、まさにその考えを直接的に表現しているものであろう。
  さて、菅直人首相というよりは、一番初めに首相になったのは鳩山由紀夫であるが、その時も民主党の左翼的な事務局などはかなりの状態で言われていたことになる。その内容に関しては、保守派といわれる民主党の議員の中においてもかなり浸透した政治理論になっていたのであろう。そのために、その政治理論「一度やらせてみればよい」という内容が「4年間様子を見る」ということになってしまっている。鳩や政権時代に、マニフェストに関して質問された鳩山首相は「4年間かけてマニフェストを達成する」として、答弁をしているのである。要するに松下圭一理論を出したからといって、それは民主党の左翼勢力だけが言っていることではなく、実体として「民主党保守派」を僭称している民主党の議員の間にも、気がつかない間に左翼思想が入ってしまっているということになる。私は常々「無意識のうちに左翼になっている人々」が民主党の中にいるということを主張しているのであるが、まさに、確信犯的な左翼や生粋の新左翼ではなく、なんとなくその方が良いと信じているが実はその根底に左翼の理論があることをわかっていない、それで左翼の片棒を担いでしまうような人が多いのである。
  さて、そろそろ松下圭一理論から民主党のマニフェストに戻ろう。ただ、何気なく出している単語や言葉の中に、左翼思想を示す単語が入っていることがある。その内容をしっかりと伝えることが最も重要なのではないか。
  「各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ」ということを具体的に行ったのはないか。それをあげてみよう。ちなみに、昨日の政党と内閣の分離というのと違うのは、今回は同じ行政府の中の分離を促進しているということになる。昨日の「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ」は、立法府代議員の立法行為の制限、内閣による独裁と三権分立の否定を言っていた。しかし、今日季節するのは、国会議員と内閣の関係ではなく、まさに内閣という行政府内の問題である。単純にいえば、行政における内閣という大臣機構、いわゆる政務三役と官僚との関係、および官僚同士の分解ということが目的である。
  1 事業仕分け
  そもそも、事業仕分けとは、マニフェストにある「予算の組み替えと無駄の削減で16.8兆円」という公約を守るために行われた「無駄削減作業」を最大限パフォーマンス化したものである。しかし、単純に考えれば、そもそも事業仕分けそのものが法律に基づいて行われているものでもないし、元都は大蔵省の摂政を行っているものを公開の場で行ったにすぎない。このことによって、民主党の政治家と官僚との関係を決定ていに悪化させてしまった。「官僚内閣制の否定」ではなく、「官僚的体制」になってしまったのである。法的にコンセンサスが取れたものでもなく、また見世物にされたということは完全に官僚のプライドを傷つけたものでしなかったのである。
  そのうえ、それによって得られた資金は、完全に少ない状態になってしまったのである。16.8兆円などという数字は夢のまた夢。数兆円ですらできない状態では話になるものではない。効果のないパフォーマンスで、見世物にされ、なおかつ予算を削られたということになれば、それこそ怒りしかいない。その怒りの省庁が「1位じゃなきゃだめなんですか」という発言であろう。
  民主党がこれによって示そうとしたのは、まさに官邸主導の国益というものである。実際にこれが国益にかなったものであるのかどうかという評価は別にし、少なくとも官邸衆づであることは間違いがない。しかし、それを必要以上に示すことによって官邸主導ではなく官僚敵対政治になったということである、その官僚敵対政治が、完全におかしなものになってしまったのは、まさに3・11の東日本大震災以降の復興の遅さであろう。結局、復興基本法ができるまでに108日、官僚は縦割りのまま、政治の指示待ちとなってしまい、復興の大きな足かせになってしまった。復興の遅さ、支援物資の横の調整の欠如は、完全に「民主党の言う政治主導」の破綻を意味し、民主党政権の理念では国民が死滅してしまう、国家が解体してしまう、社会やコミュニティーの維持ができないということを世に知らしめたのである。
  事業仕分けというのは、まさに民主党政権の象徴であり、その政治のあり方そのものであった。しかし、そのことが示すパフォーマンス性を国民に見抜かれてしまい、そして結果が出ないという状態で、その民主党の実行力の欠如、政策そのものの欠如が国民に示されたということが言えるのではないだろうか。

  2 国家戦略室の設置
  もうひとつ民主党が内閣改革、要するに行政府改革で行ったのが国家戦略室の設置である。これが実質的な民主党の政務調査室と同じになった。このことによって民主党の職員が国民の税金負担によって政治的に中立ではない人員を内閣府の調査員に入ってしまうということになってしまうのである。これは上記に紹介した松下圭一理論の実践という意味の象徴的な部分である。
  国家戦略室の設置の理念は、まさに縦割り行政をなくし、各省庁からの人材の派遣によって、各省庁の指揮命令し、同時に横串的な調整機関として国家戦略室を作るということを考えていたようである。また、その内容に関しては、各省庁の省益ではなく、各省庁の省益とは関係のない期間(または象徴)によって、長期的なヴィジョンを作るということを目的としていたのである。
  しかし、しかし、その内容に関しては、まず官僚が出向によって行われたこと、要するにこの内閣が終わったら各省庁に戻るという前提であったことから、各省庁の省益ということと国家戦略を切り離すことができなかった。そしてそれは「人」の行うことであったために、人を無視した理念や原則を完全に排除することはできなかった。
  そのうえで、その国家戦略も結局本来であれば官房長官が行えばよいことである。また次官会議などを廃止しなければ、出向などの無駄な手続きをしなくてよいということになるであろう。そのことを考えれば、今までの機能をそのまま使えばよいのにそれを使いこなすことができないで、自分の頭の中の構想をそのまま実現したということになる。松下圭一理論を実践すると言いながら、新たなことをしようとして、今まであることと同じことをしてしまい、結局のところ無駄を多くしてしまっている。それがこの国家戦略室の実態ではないのか。

  まさに、この原則は「内閣」「行政府」の改革ということと、官僚の改革を行うということであった。その改革は完全にできなかったということになっている。できなかったのではなく、その理念を民主党の陳腐な人気取りパフォーマンスに使われてしまったということではないのであろうか。しかし、そのことを行うために、結局のところ、無駄をかえって増やしてしまった。そのムダを多く使ったことが、まさに、現在の行政の停滞ということを示しているのであり、同時に、「国債発行しない」「増税しない」などという寝言ともいえる嘘を平気でいいながその公約を守れない実態を示しているのである。その分を全て官僚に責任転嫁したり、自民党やマスコミに責任転嫁しているようだ。しかし、そのような事をしても、結局マニフェストの原則を守れなかったという事実は変わらない。それも東日本震災とは関係なく、鳩山政権のころから完全に破たんしていたといって過言ではないのである。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(6) <検証2>政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(6)
<検証2>政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ

 昨日は、なぜマニフェストの原則について行うかということを書いたので長くなってしまった。なるべくわかりやすく短くするつもりであるが、なかなか難しい。
  さて、今日は「原則2」としてかかれた「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ」ということで検証してみよう。
  まず、この批判の的となった自民党・公明党政権の問題点はいったいなんであったのか。自民党には自民党の中に政務調査会があり、また各課題や国会の委員会に対応して勉強会(部会)が設置されている。自民党の場合は部会で勉強し、その中で検討されたことが政策、法案として提出されることができた。しかし、このことは、「族議員」を作り出してしまうことになり、一方で部会に参加する国会議員と、政策を担当する官僚と、そして国会議員の参加の企業の利権構造化、癒着、そして贈収賄の温床になるという指摘も存在することは事実である。
  また同時に、内閣の側も自民党の政務調査会によって検討が進められることから、政務官や副大臣、そして大臣が「名誉職」化してしまい、適材適所の配置がなされないという弊害も指摘されていたのである。このことによって、当選回数による年功序列型の閣僚・政務三役人事が行われるようになってしまい、その上で、専門家である官僚に支配されてしまう状態を作り出してしまうのではないかということになった。
  まさに、「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ」は、最も自民党らしい構造を指摘し、批判したものである。それも、小沢一郎元代表のように、その族議員の権化のような人が、自己否定的にその内容を批判するのであるから、攻撃としては最も痛いところをついた形になったといえる。
  しかし、民主党はやはりその指摘もうまくいかなくなっている。その要点は二つの事である。
  1 民主党の政務調査会を廃止する事
  民主党は、「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ」という公約のために、政策決定を全て政府に一元化した。しかし、このことはそもそもの国会議員の役割を著しく制限する結果になり、また、政策が硬直したのである。
  まず、ここで言う「政策」というのは、全て立法を必要とするものばかりである。にもかかわらず、立法府の代議員の集団である政党が、残念ながらその政策立案件を放棄するということになったのである。逆な言い方をすれば、内閣にそれらを集中させるということは、そのまま内閣が法案提出権を独占し、立法における審議権を与党という絶対多数で押し切り、そして、その法律にあわせた行政を行い、大臣が自己都合に合わせた政令を発布するということになるのである。そのような状況においては、まさに、国民の意思も国会での審議も完全に無にされてしまい、そればかりか、内閣による完全なる独裁を追認していることになってしまう。まさに、ナチスドイツにおけるヒトラーの受任権に近い除隊になってしまったのである。
  このことによって、
   ・ 議員立法の禁止
    ・ 国会審議、採決における党議拘束
    ・ 国会における強行採決の乱発(過去ワーストの10回の強行採決)
    ・ 補正予算の国会審議のない執行停止
    ・ 国会における民主党からの代表質問の中止
    ・ 民主党内における政府批判の禁止
  というような、言論統制、国会軽視が完全にまかり通ってしまうことになるのである。この内容はまさに国会軽視以外の何物でもなく、また、国会議員の役割を完全に、選挙によらない政党職員や内閣という一部の階級にゆだねてしまったということに他らないのである。
  たとえば国会議員とは「立法府の代議員」である。要するに「立法」を行うことが彼らの仕事であり、同時に、立法府として行政や司法を監視することが最も重要な仕事ではないのか。そのために、彼らの主たる業務は「法案を提出すること」「法案を審議すること」「行政・司法を監視すること」の三種類である。もっとも、国会には予算審議ということも必要なので、これだけが国会議員の仕事ではない。しかし、「立法府の代議員」としての仕事は、ここにあげた三種類が主な業務だ。この売り「法案提出」に関しては、「議員立法の禁止」ということでそれを禁止したということになる。
  そもそも、立法府の代議員は、その支持者の意見を反映し、その有権者の意見を国政の場に持ち込み、法案を提出し審議することによって、国民の意見を反映するために存在している。しかし、代議員の立法権を奪ってしまっては、それだけ、国民の意見を国会、国政の場に反映することはできなくなってしまう。要するに、この政策によって、民主党の政策は有権者の意見を完全に無視し、有権者の意見の国政での反映を一切行わないということを宣言したに等しいのである。もっと言えば、「政権を取らせてもらえさえすれば、あとは、国民など無視してもかまわない」というのが、民主党の姿勢である。はっきり言って、日本の国民は、欲自分たち会お騙し勝手に政治を行うという政党に投票したものであるとおもってしまう。
  同じことは、まさに採決の党議拘束ということにも言える。もちろん党議拘束そのものを否定するものではない。しかし、全ての法案を代議員、要するに国民の意見を反していたものではなく、内閣が「支配をしやすくするために」行った法案であれば、なおさら、そのような者に党議拘束をして良いのかということになる。はっきり言って、民主党の議員は、政府の法案と有権者の意見のはざまに挟まれてしまった場合はどのようにするのか。そのことをしっかりと考えなければならない。それどころか、そのような内容をそのままにしておくということは、完全に国民を無視し、支配者の意見だけを立法してゆくという「民主党の独裁的なエゴ」が発生してしまうということになるのである。
  そして、その反対意見を封殺するために、「強行採決」が増えてしまうのだ。強行採決というのは二種類存在する。野党側がただ無為に見引き延ばしている場合に、その真偽にけりをつけるというものである。一方で、与党側が十分に審議をしないで強行採決を行う場合がある。一概に数字で何時間だから十分な審議をしたというものではない。特に国会の予算委員会などは、誰が見ても予算を審議しているようには見えないのが現状であり、さながら国会議員のスキャンダル合戦を見ているようなものだ。しかし、それでもしっかりを審議をし、その審議を通して国民にその立法に至る過程や、そのような法案なのか、どのようなことが論点になるのか、その法案を通して生活や世の中はどのように変わるのかをしっかりとしていなければならないのである。しかし、その姿を十分に見せないということは、まさに国会の軽視であり、同時に、それは国民の意見を無視した姓字でしかないということ、もっと言えば民主党は独裁し、国民を隷従させるために政権をだまし取ったということが言えるのかもしれない。
  いずれにせよ、そのようなことはそもそも憲法が変わらなければできるはずはないし、また、いくら明文の憲法があっても許されるものではない。当然にこの原則は「とん挫」することになる。

    2 族議員化による贈収賄および政治資金をきれいにすることができなかった事
  この問題に関してはあまり長く言う必要はない。まさにその族議員の権化である小沢一郎議員が、そのまま幹事長にいたのである。マニフェストに記載しているからといって八場ダムや川辺ダムの工事が中止された。しかし、小沢が関与した胆沢ダムは今も工事が続いている。まさに建設工事に関する族議員ができてしまった。小沢一郎は、そのことをとおして「企業献金の禁止」を高らかにうたったが、残念ながらその法案はいまだに提出されていない。法案が提出されていないということは、その審議ができないということだ。これでは「企業献金の禁止」を約束した小沢一郎が嘘つきでしかないということであろう。実質小沢が嘘つきなのか、それとも民主党がそれを阻んだのか、そこは判然としない。しかし、いずれにせよ族議員による政治資金のクリーン化ということは、小沢一郎の例を見れば、実際それは明らかな部分である。
  そればかりか、企業献金だけでなく、最近では菅直人の北朝鮮との不透明なカネの流れや、革マル派と枝野幸男との関係など、単なる族議員ではなく、日本の公安が警戒に当たっている集団と政権の不透明な関係の暴露が続いている。そのような人々が、「暴力反対」「拉致対策本部」などといって何の意味があろうか。悪い冗談でしかないのである。

  このように見てくると、「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ」という原則は、その実現ができなかったのではなく、まさに初めから守る意思がなかったのではないかということを考えてしまう。あるいは、建前で言っていれば「バカな国民をだますことができる」とでも思っていたのであろうか。いずれにせよ、この原則も完全に反故にされたといって過言ではない。というよりは悪質な政権奪取のための詐欺の道具でしかないということが言えるのかもしれない。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(5) <検証1>官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(5)
<検証1>官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ

  昨日までの内容で、選挙の一応の総括としてみたい。いずれにせよ、結果として政権交代が行われたという事実は変わらないのだ。投票者、有権者の一人ひとりの意思にかかわらず、自民党が破れ、民主党が勝ったということは間違いない。
  では、その後の民主党政権はどのようになっているのであろうか。単純に言って「批判政党」でしかなかった民主党政権がその実力を試されたといえる。そして、国民から完全に失格の烙印を押されたといってよいのではないか。
  さて、この文章を書くにあたり、残り数日間どのような構成にするかなやんだ。単純に、時系列で並べてみてもよいし、政策別に論評してもよい。しかし、今回は、民主党のマニフェストそのものの「5つの原則」から、その内容がどれくらいできているのかということを探ってみようと思う。そもそも、原則と自分たちで言っていることができているかどうかが最大の問題だ。できもしないことを約束したのであれば、それは国民を「騙した」ことである。国民を騙すような政権ならば、即刻退陣を願うしかない。それは、政権を託すのではなく、逆に日本から廃除しなければならないのではないか。また、できると思ってできなかったのであれば、当然に、その結果に関して国民に謝罪をしなければならないのではないか。できると思ってできなかった、そのことを日本では「思い上がり」という。その「思い上がり」があるのであれば、そもそも、日本の政権を任せるのに信用できないということに他ならない。あと考えられるのは、「もう少し時間がかかる」という内容である。時間がかかるのであれば、当然にその途中経過を国民に説明し、そして工程表を示してどれくらいの猶予が必要なのかを考えなければならない。しかし、民主党の当時の選挙ポスターには「政権交代準備完了」と書かれていた。ということは、政権交代「準備完了」という単語が嘘であったのかもしれないという疑いも出てくるのである。
  そのようなことで、民主党のマニフェストに書かれた原則に関してしっかりとした検証を行いたい。今日は「原則1」の「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」、という内容ができているかどうかを検証しよう。

  まず、何よりも日本には憲法がある。日本は日本という国家がありその国家の原則として憲法が存在するのである。憲法は、当然に日本国のものであり、中国やアメリカのものではない。その憲法に規定されているために、国会という場があり、同時に内閣という行政府が成立しているのだ。ここで憲法の講義をすると長くなってしまうので、それは避けることにする。しかし、政治家といわれる人々が、政治家であるということ、そして国会という場が国会であるということは、憲法の規定に従っているからに他ならない。逆に言えば、憲法を完全に無視するもしくは、憲法を改正する以外には、自民党が与党でも民主党が与党でも、政治行政機構も、立法府も同じである。「政権交代」をしたといっても、その部分が変わるものではない。
  その上で考えれば、そもそも「官僚丸投げの政治」という単語に説明が必要であろう。日本国憲法には、国会議員は立法府であるとされており、日本で唯一の立法機関であることが明記されている。また、行政は内閣が行うことになっている。これは小学校の社会科で習うことだ。このブログをお読みの方であれば、すでに何度か記載しているが、日本は立法、行政、司法の三権が分立しており、その三権分立の中において権力の暴走顔恩割れない仕組みになっている。しかし、同時に、日本の行政府は国会の多数決によって決められる。これを議院内閣制という。行政は、内閣が行うことになり、その内閣は国会によって選ばれるということだ。要するに国会の多数派から行政の「責任者」がれらばれることになる。
  さて、日本国憲法には「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」(憲法66条)とある。実は日本の行政府は国民に対して責任を負うものではない。国会に対して責任を負う形になっている。よって、国民による直接のリコール請求などはできないという法律構成に名手いる。その代わり国会に対する責任に対応するチェック機能が「内閣不信任案」である。逆に言えば、国民は、内閣不信任の決議や行政の責任に関しても、全て国会議員に対して意思表示をする仕組みだ。立法府の代議員が「政治家」と呼ばれる意味は、そのようなところにある。この内容に関して言えば、6月2日に野党3党の連盟による内閣不信任が提出され、それが「菅首相がやめるといったから」という理由で否決されてしまった。しかし、この憲法の規定からすれば、その後の国民の内閣支持率(7月11日で13%前後)ということをあわせて考えれば、民主党という政党の衆議院議員全てが憲法の予定する判断と異なる内容で内閣不信任案を否決してしまったということに他ならないのではないか。
  さて、内閣不信任案に関する内容も過去のブログを読んでいただくとして、ここで主題となるのは、日本国憲法では「官僚による政治」などということは存在せず、もともと官僚がやろうが、国会議員がやろうが、その責任は全て内閣が負うのがその仕組みだ。
  ではなぜ、改めて「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」などということが言われるのであろうか。これは、自民党が与党であったときの政治において、法案などにおいて官僚がそのまま「代議士の名を借りて」提出してしまったことが少なくないということ、また、それが国民の目から見てわかりやすい形で現れてしまったということである。もちろん、国会議員は官僚のようにその分野においてのスペシャリストではない。当然に官僚の力を頼らざるを得ないし、そうしなければ回らないであろう。しかし、国会議員や大臣は、その分の責任は大臣に帰属するということを忘れてしまったかのような話になってしまっていたのである。その上で、官僚の専横や横領、犯罪などが相次ぎ、「官僚に対する国民の厳しい意見」が非常に大きくなったといえるのである。
  もちろん、犯罪などは多数いる官僚といわれる中の一部でしかない。しかし、同時に官僚による国会議員を見下したような発言なども次第に増えてきてしまい、国民の目から見て「官僚に使われる国会議員」という構図ができてしまったのである。
  民主党のマニフェストは、まさにこのことを巧妙に指摘したものであるといえる。当たりの事琴を当たり前に言うこと、憲法に書いてあることをそのまま繰り返すことによって、国民に対しては当時の与党自民党と公明党が、「当たり前のことができない政党」という印象付けを行った。そして、一方では「民主党であれば、国民の選んだ国会議員が官僚を使う政治」となるというアピールをしたのである。そして、その内容は、国民にとって非常に高い評価を得たのである。政権交代から2年たった現在でも、「官僚改革」必要論は非常に高い。また、私自身も、官僚における犯罪や特権階級化のチェック機能の必要性は感じている部分がある。特に、官僚の責任構造に関しては、全ての責任が内閣に付帯するのではなく、実質的行為者である官僚による連帯責任性を明記してもよいのではないかと考えることもある。しかし、それら改革は官僚の長所を活かし、また政治家による内閣制の短所を補うものでなければならないはずだ。国民の多くは、そのような改革が行われるであろう事を期待したのである。
  しかし、民主党は政権交代後行った手法は官僚の長所を伸ばし国会議員による内閣制の短所を補うものではなかった。民主党の行った官僚改革をまず列記してみよう。
  1 次官会議の廃止
  民主党政権の狙いは、各省庁の調整は全て大臣もしくは政務三役によって行われるということを基本にしていた。これを行うためには、政務三役は当然に各省庁の官僚以上に、その立法趣旨を学び理解していなければならないし、また、その新制度や新法の必要性を持つ業界の内助を知っていなければならない。しかし、残念ながら、選挙を行い国民の意見を聞き、そして国会の審議に参加しながら、それらの業界や法律の立法趣旨を省庁単位の分量で理解をするのはとても不可能であろう。特に、社会人になってずっとその分野のスペシャリストとして業務をしている官僚に対し、国民の意見や国民の判断基準しか持たず、専門知識のない国会議員には対抗できるだけの下地がないものといっても過言ではない。かなり長いキャリアのある政治家ならばできるかもしれないが、当選数回の政務官クラスでは、必ずしも不可能ではないが、かなり難しいのではないか。
  そのために、理念はよくても実質的に、そして能力的に政務三役による省庁間の調整は非常に難しくなった。これにより、法制度や新法を考えるにあたって、省庁間の連絡や調整が、官僚間で行われることはなくなった。このことは、非常に日本的な「根回し」によってスムーズに仕事を運ぶ制度が否定され、各省庁のエゴや利権が政務三役の会議によってぶつかるということになるのである。
  このことによって、多くの政策が発表されては消えてしまうという、政治家の言葉が完全に震央置けなくなる状態になってしまったといえる。何しろ、大臣が発表した内容が、他の省庁からの反対で一朝一夕に変わってしまうもしくは撤回されてしまうということになるのである。また、事前の調整不足による発言での混乱など、さまざまな弊害を起こしてしまった。古くは、高速道路無料化の実施が全体なのか一部なのか、ガソリン暫定税率が無くなるのかどうか、といったところやJALの処理、年金問題の処理などもまさにこの中に入ってしまった。また、最近では原子力発電所の再稼動に関するストレステストなどの問題もここに挙げられるのではないか。また、二酸化炭素排出マイナス25%などもこの部類に入る。
  このように、事前調整がなされないことによる国政の「発表後の混乱」は、まさに民主党のお家芸となってしまい、それは、まさに民主党の政治家の「言葉の軽さ」という政治不信に津阿賀津者となってしまったのである。

  2 政務三役による記者会見(すぐに撤回)
  政務三役以外は記者会見をさせないというのも、まさに同じものであろう。民主党の理念としては、他省庁との調整は、政務三役しかしないのであるから、その結果をしっかりと記者会見すればよいという形になったと思われる。また、会見を行って国民の声にこたえるのは、国民に選ばれた国会議員でしかない。ということになるであろう。
  しかし、まず問題となったのは気象庁だ。異常気象や災害に対する記者会見を誰がおおなうのかという問題に直面する。そもそも東日本大震災のような激甚災害ならば大陣屋首相が出てきて当然である。しかし、一般の大雨や台風への警戒の呼びかけなどが全て政務三役となると、それは行き過ぎではないか、ということになる。要するに「程度の問題」となるのだ。
  それだけではなく、上記に紹介したように国民の声に答えを出すには専門知識に精通していなければならない。しかし、何度も書くと思うが政務三役は残念ながらスペシャリストではないのである。スペシャリストでない人が、一般の超えに「専門的見地」から答えられるはずがないのである。
  このような事情から、この政策はなし崩し的に撤回されてしまったのである。東日本大震災による福島第一原発放射能漏洩事故に関しては、原子力安全保安員の審議官が有名になったのは記憶に新しいし、また、官僚でもなく東京電力が記者会見を行うということも珍しくなくなったのである。

  3 官僚(衆議院法制局長など)の国会答弁の禁止(いまだ準備中)
  この政策に関しては法案まで準備されている。しかし、ねじれ国会と東日本大震災による混乱でいまだに実現できていない。しかし、逆に言えばいつでもできるように準備がされているということである。
  これは、上記二つよりももっと大きな問題である。要するに法律の審議を行う国会の場においてスペシャリストの意見や、実際に作った人の意見を出さないということになる。要するに国会という、国民に公開された真偽の場において情報を制限するということになるのである。これは、まさに三権分立の軽視、国会審議の軽視であるといわざるを得ない。官僚批判というよりは、官僚の国会からの締め出しでしかないのではないか。
  ここまでくると、「国会議員」と「官僚」が「対立」の構図になってしまっており、残念ながら協力して事に当たるというものではないという状態に見えるのではないか。ただ、この内容に関しては実施していないので、なんともいえない部分もある。

  このように見てゆくと、民主党の「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」という原則は、そもそもそのような原則に合わせられる国会議員を立候補させなければならず、タレント議員や顔かたちのよい女性を立候補させていたという時点で完全に破綻していたといって過言ではない。しかし、民主党政権はその「官僚改革」という国民の声に答えなければならない。そのために、結局はうまくいかない部分を「官僚の抵抗」とし、「官僚を使う」のではなく「官僚と敵対する」行政になってしまったといってよい。過激にしなければ、国民の目に映らないという大きな問題があるからである。そして、それは理解を得られるまで、国民の支持が絶対なものになるまで継続されなおかつ過激化、先鋭化してゆくのである。その有様は、官僚の長所を活かし、国会議員の短所を補完するものではなくなってしまって、完全に官僚をヒール化した内容となってしまっているのである。
  また、民主党政権が官僚に対抗しうるだけの力や知識があればよい。しかし、残念ながら民主党政権にはそのような力は存在しないのである。まさに、敵対したものの完了のほうが強いという形になってしまった。このことは、まさに上記にあったような朝令暮改的な政治家の言葉の軽さに表れてしまい、最近の菅内閣では「財務省の犬」とまでうわさされるような状態になってしまったのである。
  本来であれば「政権交代準備完了」であったはずが、たった2年で逆襲され、そして完全に官僚に支配されてしまったとしかいえない。その有様がまさに、政局ばかり、権力争いばかりで政策をお行わない、震災後4ヶ月たっても体育館に暮らしている人が4万人もいるという現実の国民の被害となって現れているのである。
  まさに、この原則は完全に看板倒れ、期待はずれでしかなく、かえって政治不信を招き、そして官僚に支配された政権が出来上がってしまった。批判した自民党、公明党の政権よりもひどいものになったといえる野ではないか。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(4) 政権交代選挙の総括~批判政党である民主党の勝利

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(4)
政権交代選挙の総括~批判政党である民主党の勝利

 では、自民党の代わりに政権を取った民主党も万全な状態ではないといえる。左翼右翼ということを言うつもりはないが、実際に政党として綱領がないのは、政党としてのまとまりがないのと同じである。政党としての将来像が出せない政党に国家観や国家の目標、将来像が描けるはずがない。
  では、なぜ民主党は選挙に勝つことができたのであろうか。
  ポイントは二つである。第一に「批判の手法」第二に「デマゴーグ」第三に「アンチ票の集積」であろう。
  まず自民党に対する「批判の手法」である。政権の批判は非常に簡単なものである。批判は「作り上げたもの」に対してその内容を批判するのは非常に簡単だ。どのような状態であっても万人が良いことはない。政治というのは、小選挙区でるということは全体の51%が賛成すれば、その政策が通ってしまうということを意味する。ということは裏返して見れば49%の人が不満を持つ場合がありうるということである。一つの政策であっても、どうしても譲れない場合はあるが、そのような政策が次々と行われれば、当然に国民の間に不満はたまる。しかし、政府にあれば、当然に国民に賛成されない政策であってもその政策を行わなければならない状態もありうる。増税や新税制などはまさにその代表的な政策であろう。それでも行わなければならない状況に変わりはない。
  民主党はそのような状態に容赦なく批判を行った。しかし、そこに国家観があったわけではない。しかし、民主党の代表はその批判においてほとんど必ず「われわれならば~~~~とします」ということを言った。もt理論、鳩山前首相は、その言葉に足元をすくわれた形である。「秘書が不正を行ったならば、私ならばバッチを外します(国会議員を辞めます)」と不正に対してのことを言い、また、沖縄県の普天間基地の移転問題に関して言えば「(米軍の基地は)できれば国外、少なくとも(沖縄)県外」といい、また、自民党の森前首相などが衆議院に立候補した場合にも「首相を辞めた人は国会議員も辞めるべき」ということを発言している。しかし、いずれもその発言を反故にしてしまっている。
  このような自分でできないことの発言、自分のことを棚に上げた発言は、まさに民主党の多くの人が行っている。前原代表の時の「デマメール」問題の対応でも同じであり、また菅首相に関しても、「(年金)未納三兄弟」などといいながら自分が未納であったなど、発言の一貫性と発言の実現性がないが批判に関しては非常に威勢よく行っている。
  国民は、先に述べたように自民党に対して根本的な不満があり、そのふまんにたいして「私ならばこうする」ということを言っていたのであるから、その方が「二者択一的な比較」で批判側が良いというような判断を下してしまったといえる。
  民主党の場合左翼的な考え方の議員もいる、また保守的な考え方の議員もいる、そして批判を行うのに対して、様々な立場から政権を批判しているといってよい。それは様々な立場とその見方を示すということは良いが、逆に、何らかの決断をしながら政策を立案するには不向きだ。
  一方国民は、様々な見方ができその立場から批判ができるということに関して、一種の「インテリジェンス」を感じるものである。様々な観点、自分が気づいていない観点で見ることができる人に対して、逆に様々な利益の代表で政策を立てることができるというような誤解を行う。それは他の立場とも調整をつけながら自分たちの要求が100%に近い形で実現されるものと信じてしまう。批判することの政党は、その批判が国民に受け入れられることが目的になってしまうので、当然にその批判に関する一貫性の無さや実現可能性の低さに関して、それを指摘しながらその内容をしっかりと見ることができるものではないのである。
  そして、その政権批判というインテリジェンスに対して、過大な期待感をもって民主党に投票したと考えられる。

  次に、デマゴーグに関してである。これは、改めて書くよりも、総選挙直前である2009年7月に上梓した「民主党の闇」よりそのあとがきをそのままここに記載することによって、ここの文章に変える。
   あとがき

 「民主党の闇」として、批判精神に取りつかれた民主党の姿にスポットライトを当ててみた。
 当初私は「だまされるな!日本人」という題名で本書を出そうと思っていた。しかし、本書を読んでいただいてわかるとおりに、民主党は「政権交代」という呪縛に取りつかれて、自分たちでも「国民をだましている」という意識がないのかもしれないと思う。
 第二次世界大戦を引き起こしたといっても過言ではない団体として、ナチス・ドイツを挙げる人は少なくない。そのナチス・ドイツの国民啓蒙・宣伝大臣パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels)は、「宣伝を宣伝と気付かせない」ことを旨とした。「宣伝したい内容を直接キャッチフレーズ化して強調・連呼せず、心の中で思っているであろう不満・疑問・欲望を遠まわしに刺激し暴発させる」という手法を使ったのだ。民主党が口癖のように言っている「政権交代」「「自公政権の崩壊」「官僚政治の打破」「生活者目線」いずれも、この二つの広告宣伝のやり方を踏襲したものであることがわかる。
 「宣伝の天才」と言われたゲッペルスは、広告宣伝に関してこのようなことも言っている。「もっとも速度の遅い船に船団全体の速度を合わせる護送船団の如く、知識レベルの低い階層に合わせた宣伝を心掛ける」というのだ。要するに、詳しく内容を説明せず、キャッチフレーズ化し、不満・疑問・欲望を遠まわしに刺激し暴発させることに乗せられて、民主党を支持しているとすれば、それはわれわれ国民を「知識レベルの低い階層」と認識しているからに他ならない。
 彼の発言とされた言葉で有名なのは、「嘘も百回言えば真実となる」という言葉だ。しかし、所詮嘘は嘘でしかない。また、キャッチフレーズはキャッチフレーズでしかないのだ。そんなゲッペルスが宣伝し、国民的熱狂を作り上げたナチス・ドイツの末路は、歴史が押してくれる。また、そのナチス・ドイツを押し上げたドイツ国民は、東西ドイツの分裂ということになるのだ。
 歴史は、なんでも教えてくれる。しかし、その歴史を「物語」としてしまい「現代の政治」と結びつけて考えられる人は少ない。しかし、このように並べてみると、小沢一郎から始まる民主党のプロパガンダがいかに「危ない」ものであるのかがよくわかる。
 これを危険なものとしないのは、簡単なことだ。具体的な政策として、しっかりと検証をすればよい。「やめてから考える」などといって、白紙委任をしてしまえば、結局国民はその政策を検証する機会を永久に失ってしまうことになる。これこそ「独裁政治」の入り口である。
 「闇」は、毎日やってくる。だれしもが心の中に持っているし、それがさまざまな形で表れてしまう。その「闇」のささやきに、だまされてはいけない。よく子供の漫画に「天使と悪魔」が出てくるが、人間はどうしても欲があるので、悪魔のほうに意を寄せてしまうことがある。国民の大多数がそうなれば、どうしても日本国全体が「悪魔」の選択をしてしまうのだ。
 この本を契機に、国民一人一人が、主権者として、政治家の政策をしっかりと検証すること、そして、政治家は、検証できる政策をしっかりと具体的に打ち出さなければ支持されない環境になれば、日本は世界に誇れる国になるであろう。
 そして、そのような政策で政治家が選ばれるようになれば、この本に記載し多様な疑獄事件は起きなくなるのではないだろうか。
 そのような社会を目指してほしい。
 あえて、もう一度言う。「だまされるな・日本人」

  第三に、「アンチ自民党票の受け皿」としての存在である。
  今になって、民主党に投票したが公開しているという有権者が少なくない。それは、まさに「自民党へのアンチ」であったということであろう。自民党へ不満がある、しかし、適当な政党が存在しない。そのような場合に、受け皿になることがある。昨年の参議院選挙におけるみんなの党がその役割になったが、まさに「中間派的な」政党が選ばれることになる。
  そもそも、日本の場合二大政党制はあまり合わない。日本の神道・宗教観から考えてキリスト教的二元論はあまりなじまないのではないかと考えている。小沢一郎氏には悪いが、日本人の場合は、神仏習合を行い、本地垂迹説を平然と唱えられるだけの「異文化」「異なる存在」への畏敬の念と憧憬があり、同時に、異文化を完全に受け入れ自分の文化に取り込んでしまう器用さを持ち合わせている。その日本人の特性から考えれば、当然に最先端と古いものが混在することをよしとしており、物事を二つで割り切らない状態を作り出している。とくにスポーツの観戦などでは「勝ち」「負け」ではなく「辛勝」「惜敗」というように勝敗にも様々な色をつけてみることがスポーツ新聞に見出しに躍り、それを今も多くの人の感動を呼ぶ。ということは、勝ちと負けで割り切れない日本人の心証がここに表れているはずである。しかし、選挙という投票行動はどこかに投票しなければならない。そのことは、まさに「アンチ票」の受け入れが大きなカギを握る。
  その天においては民主党は上記のように様々な意見を披露し自民党政府を批判していたのであるから、当然にアンチ票の取り込みは非常に楽にできたものと思われる。しかし、アンチ票は非常に浮動票に近い投票行動を起こすので、現在の「自民党よりも悪いのではないか」という民主党の雰囲気や自分の期待した結果の残せない民主党の態度に最も早く雪崩を打って逃げだしてしまう状況になっているのではないか。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(3) 政権交代選挙の総括~嫌われた自民党

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(3)
政権交代選挙の総括~嫌われた自民党

 55年体制に対して、自民党的なるものが「飽きられていた」ということは、非常によく言われていることである。しかし、そもそも「飽きられる」というのはどのようなことであろうか。
 自民党が期割られた理由について、自民党の支持者から見るとマスコミの偏向報道血うことが言われている。基本的にマスコミが双方にとって平等な報道をしていたかといわれればそれは疑問が残る。政権交代後、民主党議員において一気に金銭スキャンダルがでたが、そのほとんどは政権交代選挙以前からマスコミの間では知られていた話ばかりである。敢えて名前を出さないが、九州の議員の選挙違反、関西の議員(候補)の自己破産、長野の議員の秘書給与不正取得、大阪の議員の弁護士報酬い関するトラブルと民事訴訟など、様々な政権交代までの間はそれらの話を封印していたという事実を知る者において、公平な報道ではないということが断言できる。彼らは「有名になったり、与党になったりしてから落とす方がニュース価値が高まる」ということで温存していたものであるが、そのことが国民に間違った投票行動を起こさせる一つの要因になっている場合も存在するのである。
 しかし、マスコミ報道のことを言ってもどうしようもない。というよりは当時の与党自民党がマスコミをしっかりとコントロールするだけの力を持っていなかったということになればその通りでしかない。よって、自民党の凋落は政権交代選挙直前に起きたのではなく、それ以前に遠因があったということに他ならないであろう。マスコミそのものの報道があったとしても、良いものは良くなるし悪いものは悪くなる。またマスコミも日本人であり有権者である以上、その指示を取りつけられなかったのは、それなりに対策が足りないということに他ならない。政権与党を長くやっているのにそれくらいの対策ができないようでは、組織的に問題があるといわざるを得ない。

  では、その遠因とは一体何なのであろうか。この内容にはいくつか存在すると考えられる。その中の一つは、自民党の目的意識の欠如にあるのではないか。自民党の目的意識の欠如ということを言うと、よく言われるのが綱領にある自主憲法の制定に向けた動きがないというものである。しかし、実質的に自主憲法の制定などといっても、それが難しいことは間違いがない。憲法を変えなければならないということは多くの人が分かっているものの、「どのように変えるべきか」ということに関してのコンセンサスが取れていない。ましてやコミュニケーションツールの発展が著しく価値観が多様になった中において、そのコンセンサスを一つの形にするのは容易なものではない。
  では、そうではなく目的意識の欠如とは一体何なのか。自民党はその結党の沿革からいって東西冷戦時代の中における西側諸国の極東における橋頭保の一つとして、西側諸国側の理論に従って強化された国である。1950年に朝鮮半島において朝鮮戦争が勃発し、社会主義全体主義における北朝鮮労働党と自由主義国における大韓民国の間において「内戦」が発生してる。その内戦は、38度線において休戦中であり、いまだに戦争は継続されている。また、中国においては国共内戦において中国共産党と中国国民党において内戦があり、大陸本土では中国共産党が政権を樹立し中華人民共和国を建国した(1949年)。これに対し国民党は台湾島において中華民国を遷都して、解釈によってはいまだに一つの政府といいながらも二つの制度になっていると考えられる。
  このような状態において、極東における西側諸国は大韓民国、中華民国(台湾)があるものの、双方ともに共産主義政党との内戦を継続している国々であり、次週主義国、資本主義経済の国家樹立で独立し、内戦のない国家は、当時日本しかなかったといえる。太平洋西岸における西側諸国の安定した政府は日本であり、そのために日本の存在勝つおよび投資発展は西側諸国の全体の戦略からいって不可欠であったと考えられる。
  その中において、西側諸国の中における外交と政治を行うに当たり、日本においては保守政党が政権を取るということが必要であった。この保守政権の樹立と維持に関して、西側諸国からの干渉や支援があったのではないかというような陰謀説がある。しかし、そのような内容は一切ここでは関係がない。単純にいって陰謀説を語っても意味は何もない。ただ、ソビエト連邦の崩壊とベルリンの壁の崩壊の二つの崩壊によって東西冷戦が終結した後、自民党政権はこの平和の国日本の中においても「仮想敵国」を失ってしまったのではないか。
  仮想敵国を失うということは、そのまま、何を目標にして良いのかわからなくなってきている。古い自民党政府は、二つの陣営の対立において、その対立の中で軍備や科学技術の発展がなされていることも知っている。結局東西冷戦の中において、東西という二つの陣営の競争原理の中で、日本はその競争の最先端を走り、そして、その競争の中における科学技術の粋を集めて発展した国であるということを、古い自民党は知っているのではないか。そして、その古い自民党は、東西冷戦がなくなった後において、新たな枠組みを作らなければならなかった。アメリカは、当初「テロとの戦い」という標語を使い、新たな対立基軸を作ろうとした。しかし、テロという目に見えない敵徒の間における対立軸は斉一しなかった。そこで、共和党ブッシュ政権は、宗教ということを軸に「悪の枢軸国」としてイラン・イラクをそして日本などの問題から北朝鮮をあわせて、連合国(ユナイテッド・ネイションズ・国連)の敵として、新たな仮想敵国を作った。1990年の湾岸戦争はさながら宗教戦争のごとき内容になってしまったが、世界各国の協力によりそのようにはならなかった。しかし、その宗教戦争にならない状況は、「テロとの戦い」の時と同じ、はっきりした対立基軸を作れないまま現在にいたっている。その内容がリーマンショックと一方でビッグスリーの破綻に近い状況という経済的な悲劇に結び付いている。
  一方、日本の場合もその対立軸を失ったままになっている。そのために、政策も経済も外交も迷走状態になっている。そのために政策的な求心力がなくなっているのではないだろうか。本来であれば「東西冷戦」という形で、「東側諸国の全体主義、社会主義、共産主義を日本から排する」というような状況を行っていた。しかし、まずは世界各国からこれら共産主義的な思想がなくなってしまったこと、中国も改革開放経済から資本主義化されてしまい、日本人が明確に対立軸を作れるものではない。ソビエト連邦は崩壊し、東側諸国の多くも共産主義ではなくなってしまっているのである。思想イデオロギー的になってしまった場合には、ようするに冷戦解消の時代において、目的を見失ってしまっているのである。
  政治において、国民に明確な目的を示すことができない場合は、政治は一瞬で腐敗する。腐敗といっても、別に不正やスキャンダルがあるわけでもない。政治的思想的な腐敗は、まさに目的がなくなり国を迷走させることである。まさに、自民党はそのイデオロギー的な腐敗、要するに国を迷走させた状況になってしまっているのではないか。バブル崩壊以降の「失われた十年」を作り出してしまった。失われた十年は、まさに、経済的な損失だけではなく、政治的な迷走を生み出している。1993年の日本新党を中心とした細川内閣以降の政治的な迷走は、ただ単に自民党の問題ではなくなった。しかし、その後の自社連立、そして自公連立となる中において、時の政権が過去を収攬したうえでの対策を十分に立てることができなくなったということになるのではないだろうか。
  では、目標がなくなった政権はどうなるのか。その政権は単純に、国民から見た場合に政権に対する欲望の塊として映ってしまう。とくに、政府に依存心の強い国民であればあるほど、自分の問題に関してその責任を転嫁し、政府の責任としてしまう。その中においてある程度までは福祉国家的な政策を行うよういなった。国家目標をしっかりと示せない自民党において、ただ国民の中で大きな声のする方に寄ってゆく政権与党になって伊s待っていたといえる。
  初めのうちはそのようなものでよかったのかも知れない。そのうち国家の目標をしっかりと示すまでの「探している期間」であれば許されるのであるが、残念ながら自民党はそのまま声の大きな方向に行く、「堕落した、そして楽な方向にゆだねる」政治を行っていたに違いない。
  もちろん、その中における、国民の声にゆだねる政治を完遂したのが小泉純一郎の政治であったと考える。選挙手法なども含め明確な二元論を作り出し、まさに時代劇のごとく勧善懲悪が他の選挙を行い、その数お力で政策を押し通した。しかし、その中において、明確な国家観や将来があったのかといえば、必ずしもそうではなかったようである。その後の安倍内閣、福田内閣などの迷走において、明確な指針をうしたすことも助言を行うこともなかったのは、ある意味で、国家観を示し、その国家観を安倍・福田・麻生内閣が踏襲できる形で「経験知」として蓄積されていなかったことを示す。要するに小泉純一郎という政治家によってできた話であり、自民党の国家目標となっていなかったということで評価される。なお、この場において個別の政策に関しては割愛する。
  そして、自民党が根本の部分、そして国家の目標を失ったことによって、自民党はその大本の支持層を失い、そして、国家の目標のないままに政権にあり続ける自民党に対して、一つ二つの官僚の不正や自民党議員のスキャンダルから、自民党全体が「権力にしがみつく」というイメージになり、いつの間にか「権力を専横する政党」として自民党が国民の記憶に残るようになり、一種の「自民党アレルギー」となった。
  なお、各企業は本来資本家の代表であり保守・資本主義を推進する政党を支持するのが通例であろう。とくに労働組合が支持している民主党と、資本家団体である経団連が同じ政党を支持するなどということは、民主党内における自己矛盾を示すことになるであろう。しかし、そのようになったのは、ある意味で経済団体、要するに会社も、その顧客が社会的なイメージによって左右されるということに他ならない。その内容によって、ポピュリズム的に、「人気のある方」を支持する、というよりも「良くない方を支持しない」と明確に示したものと考えられる。
  自民党からの支持者のかい離はこのような、東西冷戦後の歴史的構造改革に自民党が体質を改善できなかったことによるものと考えられる。そのうえで、55年体制以降その政党をけん引してきた政党職員は、全て官僚化されてしまいセクショナリズムによって行動されてしまっている。当然に、上記のような分析およびそれに対する対処ほ、簡単にいえば国家像の創設と国民への啓蒙は政党職員が行うべきであろう。しかし、官僚化し、スペシャリストを気取っている政党職員に、冷静に全体を分析する力がなく、そのために自民党においては旧来の支持層をつなぎとめることもできなくなっていたと考えるのが妥当であろうと考える。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(2) 政権交代選挙の総括~当時のブログから見る民主党政権交代

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(2)
政権交代選挙の総括~当時のブログから見る民主党政権交代

  さて、まず何よりも、2年前の選挙の総括を行いた9位。その前に渡井sのブログで、当時何を欠いていたのかを復習してみよう。当時は「革命が起きる要件は三つ。一つ目は現政権の腐敗と国民の信頼の喪失。二つ目は、利権の移譲。支配階級の交代とその受け皿の創設。三つ目は広義におけるマスコミの煽動。」と記載し、その内容に関して解説をしている。そのうえdえ、日本人の多くが不敬機関から「プロレタリアート」になってしまい、そのプロレタリアート革命」がこの時の総選挙の総括であるということを言っている。
  歴史的にこの革命を見てきた場合は、イギリスにしても、フランスにしても結局反動的な反革命勢力による揺り戻しが起きてしまう。その内容は、日本においてもあてはまるのではないか。結局革命勢力は「不満分子」を受け入れて増殖するが、不満分子は自分の理想にしか反応しないために、革命分子の行う政治においても「不満分子」をしてしまう。要するにいままでの見方がすぐに敵になり、そして内部分裂を起こす。
  これをわざと起こして粛清を行ったのが左翼政権の特徴だ。逆に残った側はカリスマ的「指導者」となる。しかしカリスマであっても人間であるから矛盾を含む存在になる。共産主義でありながら、特権階級や支配階級ができる。そもそも階級ができること自体におかしくなってしまう。これでは、不満分子が不満分子になってしまう。その不満分子を作り、そして粛清して上下関係を作り、階級社会で支配を継続する。この内容がまさに、左翼政権の特徴である。しかし、上下関係は上下格差を生み、そのために、人権の虫などが生まれるのである。
  さて、そのような内容が、今すでに日本では行われつつある。アメリカなどからは「極左政権」と評価され、完全におかしな日本という印象をつけてしまっている。
  その大本となった革命が「プロレタリア革命」である。中世から近世に変化したヨーロッパも全く同じようになったのではないか。そのことを開設したのが、当時のブログである。

 

  総選挙総括・日本版プロレタリアート革命と自民党歴史的敗北

 8月30日は様々な意味で歴史的な一日となった。わたしは、自民党の田村重信政務調査会調査役のご厚意により、期日前投票を前日までにすませて、御殿場の陸上自衛隊総合火力演習を見に行った。あの迫力はすごい。子供ならずとも、日本人は武器実弾の迫力をみることは少ない。日本人の多くは、戦争や武器使用は数十インチの画面の中のことと思っている。私自身もそうだったのかもしれない。爆風や轟音は我々が守られると思えば、頼もしくもあり、一方敵国から飛んでくると思えば驚異でもある。弾が飛んできてからでは「専守防衛」といえど犠牲者は発生する。国民の安全を守るためには、これら武器という実行行為と同時に、外交など実行行為にならないための不断の努力が必要になる。経済発展も貿易も、平和でなければ成立はしない。逆に、その平和を維持するために、自衛隊のこれらの火力は必要なものである。
 暑い中、彼等は常時の訓練の成果を演じてくれた。もちろん、訓練であり、またある意味では観客総数三万人超への見せ物だ。訓練や実践の想定とは異なるであろうところも多々あるであろう。しかし、何かあったときに最前線で戦うのは彼らであることには代わりはない。事に、敵国という戦争だけではなく、自然災害も同じ状況になる。
 その外交は、継続的な国の意志として海外から尊重される。その基本方針を決める政権の交代が8月30日に行われた。結果は知っての通り、民主党308議席、自民党119議席で、民主党が圧勝となった。9月16日の首班指名で鳩山由紀夫代表が総理大臣になることは明らかであろう。ここに政権交代が行われる。

 わたしは、今回の選挙をあえて「日本版プロレタリアート革命」といいたい。

 革命というと、日本ではよいイメージしかない。しかし、いくつかの革命をのぞき、国民を不幸に導いた革命も少なくない。日本の今回の革命もその結果は歴史の溝知り事になるであろう。百年後、日本人が、よかったと思うか、バカなことをしたと思うか。
 いずれにせよ、革命と言うことに関して、少し歴史からみてみよう。
 まず、革命はどうして起きるのか。
 革命が起きる要件は三つ。一つ目は現政権の腐敗と国民の信頼の喪失。二つ目は、利権の移譲。支配階級の交代とその受け皿の創設。三つ目は広義におけるマスコミの煽動。
 これら三種類の要件を歴史的な革命とともにみてみよう。まず現政権の腐敗と国民の信頼の喪失である。フランス革命は、ベルサイユのバラという歌劇で有名になった。ルイ16世とマリーアントワネット夫妻の悪政による国民の困窮が原因とされる。しかし、実際はルイ16世夫妻がどんなに浪費をしても、フランス国民が困窮するほどの浪費などできるはずがない。実際は「太陽王」といわれたルイ14世による国庫の枯渇と階級社会が問題の原因だ。ルイ14世は、オランダ侵略をはじめとした侵略戦争と、中央集権・重商主義による政治を行った。これが16世の治世になると、軍費による国庫の枯渇、中央集権による貴族の特権階級化、重商主義による貧富の差の明確化が顕在化する。ルイ16世は、このときに調整型の政治をとればよかったのか、手遅れだったのかは不明である。しかし、このときにルイ16世とマリーアントワネット夫妻の浪費がフランス国民の感情に火をつけたのは間違いがない。要するに、長期政権とその制度披露による矛盾が国民に蔓延し、不公平感が広まると、そこに、政治腐敗が顕在化する。そこに小さな事でも信頼を損なう行為があれば、それが引き金となるのだ。日本の明治維新でも同じだ。400年という長期間安定政権であったが、当然に「米本意世による貨幣経済」の矛盾は大きくなる。下級武士は「士農工商」の身分制度でもっとも最上位にいながら、貨幣経済下では商人に頭が上がらない状況になるのだ。そこに、黒船来航と、外国人への最恵国待遇が矛盾を増大化する。諸藩が独自に海外と戦争をする。薩英戦争などで、幕反体制の矛盾が顕在化する。そしてその矛盾を感じた下級士族と一部平民(高杉新作の奇兵隊など)により、維新が遂行される。幕府は、幕藩体制と尊皇・攘夷とで挟まれ、内部分裂を起こしてしまい、また、外国人など突発事項に対処できなくなっていたのである。
 今回の自民党もまさにそのものであろう。小泉改革は、小さな政府の実現と競争社会の導入による国力のアップを図った。しかし、急激な制度変更は、時間を追うにつれその歪みが発生する。阿倍・福田・麻生閣内閣はその歪みに対する対処が後手に回ってしまった。その結果が雇用不安と派遣村であろう。実際、今回の選挙でも小泉人気は衰えていなかった。小泉人気が衰えていなかったのは、小泉の政策そのものは間違っていなかったという事を示す一つの指標にもなる。しかし、ルイ16世が14世の歪みを一身に背負ったように、そしてフランス革命でもルイ14世が国民から指示されていたように、麻生太郎氏一人がその責任を負わされた形だ。この小泉改革以外にも、年金問題や官僚・閣僚の不祥事が追い打ちをかける。中川昭一氏の会見などは、その象徴なのかもしれない。
 そのような事項で内部分裂が起きるのは江戸幕府と近いところがある。官僚改革派と、歪み解消派の二つにわかれた自民党議員は、国民の批判を一身に浴びた麻生執行部に対し、最後まで麻生おろしとして内部混乱をした。国民からすれば見苦しい限りである。また、外国からの突発事項への対処が遅れたのも江戸幕府ににている。リーマンショックにたいする補正予算実行は、はじめから大きく行けばよいものを、三段ロケットと称して長期化した。これは、経済政策としては、やらないよりはましではあるものの、景気刺激には余分なコストがかかることになる。
 二つ目に、利権の移譲である。フランス革命は、ルイ16世とマリーアントワネットをギロチンにかけた革命政府は、共和制に移行する。共和制の後、その矛盾を受けて対当するのがナポレオンである。結局ブルボン王朝から平民出身の軍司令官ナポレオンに利権が移動したにすぎない。平民や下級階級のひとが支配階級になるのが革命だ。決して国民平等の世界が生まれるわけではなく、頭がすげ変わるだけである。明治維新でも同じ。維新の三傑をはじめとする薩長土肥の下級士族が台頭する。坂本竜馬の考えた国民主権の国会構想は、第二次大戦敗戦後、アメリカにより改革されるまで成し遂げられなかった。そればかりか、明治政府は民権運動を弾圧した時期があったのだ。このほかにも、中国の毛沢東然り、ソ連のレーニン然り、キューバのカストロ、リビアのカダフィ、北朝鮮の金日成、いずれも下級支配階級者の利権移譲の実現でしかない。北朝鮮の国民が現在革命によって幸福になったのかといえば、読者の皆様はどのような結論を出すであろうか。
 今回の選挙も、単純に自民党から民主党へ、もっといえば、自民党の支持団体である経団連から、民主党を支持する連合など組合側への利権移譲がなされただけでしかない。労働組合の幹部が「貴族」といわれるほど豪華な生活をしていることは、いまや常識である。経営者から組合への利権の移譲。これが「国民の勝利」なのかははなはだ疑問である。そもそも「官僚政治」は何が悪いのか。どうしてよくないのか。その説明はだれか受けたのであろうか。希少な不祥事をあげて、それを全体にあてはめてしまっているだけではないだろうか。それら理由づけこそ「利権の移譲」でしかないのだ。年金問題などは、管直人など民主党の代議士が厚生大臣であったときに見落としてきた問題であるし、拉致問題は、社会党はなかったと論文を掲載していたのだ。それらの謝罪もいまだに存在しない。それは利権がほしいから事故の責任を他人(官僚や自民党)に転嫁しているからに他ならない。
 第三に、マスコミの煽動である。昔はマスコミというものはなかった。その代わりに処刑は公開で行われ、日本では「獄門」「さらし首」と言ってそれを世に広める方法をしていたのである。フランス革命時代も同じで、バスティーユの襲撃など多くの事件や夫人がヴェルサイユ宮殿にパンを求める交信をするなどの市民に訴え徐々に集団を増やしてゆくという方法を行っていたのである。ちょうど本が一般に読まれるようになっておりルソーの社会契約説などの考え方が市民の間に広まる役目をしていたのも、一種のマスコミ効果であろう。明治維新においても、生麦事件など多くの事件がマスコミの役目をした。それ以上に江戸や横浜の街を闊歩する「南蛮人」「紅毛人」が何よりの宣伝効果であった。現在の北朝鮮の報道も、まさにマスコミによる煽動により国民が異常な状況になってる一例である。
 今回の選挙がマスコミの煽動である以外に他は何もない。麻生内閣に失政がなかったのは間違いがない事実だ。先にあげたように、小泉内閣の意生み出した「格差」というひずみを埋めることができなかったし、それ以前から延々と続く年金問題なども、現政府が問題があるかのごとく報道を繰り返していた。何よりも「政権選択選挙」ということ自体がおかしい。そもそも、選挙は代議員を選んでいるものの、それにより今までも政権選択をしていたのである。しかし、それが、今回だけことさらにあげているのは、政策が論争の的にならなかったからである。自民党も、ネガティブキャンペーンに終始した感があったが、実際は政策を比較すべきであり、その政策を行ったときに具体的な生活や環境の変化を考えるべきであったと思う。しかし、マスコミがそれをさせなかった。われわれ日本人は、隣の北朝鮮を気にするよりも、まず我が国のあり方を見直すべきではないのか。
 いずれにせよ、このようにして革命が発生した。それだけでなく、それが「プロレタリアート(無産階級)」によって行われたという。
 実際、日本に「プロレタリアート」がいるのかといえば、それは違う。しかし、日本人は「心理的プロレタリアート」の集団である。
 日本人は、常に横並びを意識し、また世間の目というように、実態のない社会という集団における自分の位置関係を意識している。一時期「KY」(空気読めない)という言葉がはやったが、まさに「空気を読まないと周囲から奇異な目で見られる」という文化の中にある。その国民性に対して、戦後60年間日教組は「権利意識教育」を施してきた。そのために、結局は「権利の充足がないことは不幸なこと」ということになると同時に「自分の権利が認められないのは他人が悪い」という責任転嫁の考え方に傾倒してくる。この考え方が究極に行ってしまったのがニートであり、一方で通り魔的な異常殺人である。昨年の秋葉原通り魔などはその典型と言えよう。自分が悪いという義務の感覚が抜けていることが、そのまま他人を傷つけるという行動につながってゆく。また、これが、集団になると「集団的不満状態」が成立してしまい、「心理的プロレタリアート」が発生する。これは「無資産」という意味ではなく「心理的に充足することを知らない人」という意味になるのではないだろうか。そして「充足できないこと」の責任が、そのまま「政府に対する不満」ということになる。
 今回の選挙は、その「心理的プロレタリアート」集団が、横並び意識によって他社と論調を合わせて「政権交代」という不確定な現状打破を狙ったものである。それが大きなうねりになり、「プロレタリアート革命」になったのだ。その中には政策などは考えず、現状打破と、責任の転嫁先の破たんの身を望み将来を考えない「無知な国民」とそれを煽動する集団が発生するのだ。私は、私の著書の中で民主党をナチスドイツと同じとしたが、まさにそのような結果になったと考えている。
 さて、この状態において、自民党はどのような再生をするのか。今までのままではだめであろう。また、民主党が善政を行ったらそれもだめであろう。ただ143人もの新人議員をどのように束ねて意見の統一を求めるのかは、なかなか難しい。
 現段階で、若返りなどと言われている。しかしそれだけであろうか。実際に、自民党の再生というよりは理性的な政治を取り戻し、日本を良くするためには、まずは大人に対する再教育システムの開発であろう。活字離れなど憂慮すべきことは非常に多い。ことに「考えない大人たち」は、もっとも大きな問題だ。考えない大人たちが多いことが戦前日本を戦争に導いたのだ。
 第二に、理想を持つことである。100年、50年先の日本の姿を思い描き、そしてそこから現在を導き出して考えなければならない。目標がないので、どうしても直近の生活やバラマキに目が行く。それが国の借金を増やし、子や孫の世代の日本を暗くしてしまっている。長期的ビジョンを持った政策うを立てて、その中で「今何をすべきか」を国民に問いかけなければならない。高速道慮を無料化したり、借金して子供手当をばらまいたり、官僚組織を破壊してしまって、日本の政治が持つのか。どのような日本が待っているのか。政治家は、しっかりとそれらを示さなければならない。直近の財源論などは二の次である。
 最後に、フランス革命でナポレオンの登場、明治維新で維新の三傑の登場のように、しっかりとそれら政策を実現し、そして日本人を導くカリスマ指導者が出現しなければならない。若返りということは、逆にいえば、今までの人にそのカリスマ指導者がいなかったということを示す。本当にそうなのか、また、議員でなくてもそのような指導者の候補者がいるのか。人材育成が必要であろう。
 いずれにせよ、しっかりとした製s買うと議論をする環境が日本を良くする方策である。利権の移譲で民主党の独裁にしてはならない。国民はそのことを肝に銘じて政治を監視しなければならないのではないか。

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短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(1) 初回は2年間の年表

短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(1)
初回は2年間の年表

 7月の連休、ちょうど今年は猛暑となっており、その猛暑にあわせたように電力不足が日本を襲っている。さて、私がこのブログでこのような連載をするときは、決まってどこかに出張に言っているときである。今回は、台湾に出張でいっている。李登輝元総統とお話させていただける機会に恵まれたので、国会開催期間中でありながら、日本を離れ、台湾に長期出張を行っている。李登輝元総統とは、日本と台湾の安全保障に関してお話をさせていただく予定である。しかし、ただ単に安全保障ということお話させていただいても面白くもなんともない。李登輝元総統の、たとえば尖閣諸島に関するお考えなどに関して言えば、月間文芸春秋などに掲載された論文があるのだ。そのような話ではなく、一足飛びに世界の平和について語り、その世界平和に寄与する日本と台湾ということについてぜひ考えてみたいとご提案させていただいている。
  その内容に関しては、帰国後にまたここで報告させていただくことになるであろう。逆に、ここで、今伝えなければならないことは、今私は日本にいないということである。ということで、基本的には、この短期連載の期間中は私は日本のニュースをチェックできない。というよりは、インターネットの環境が分からないのでなんとも言えないということである。そこで、これは、7月の初旬に記載したものである。
  さて、そこで、今回は「民主党内閣2年」とし、一昨年の民主党政権設立より、今日までの民主党の評価を記載してみたい。
  初回の今日は、何よりも年表である。そこで、下記のように年表を書いてみた。しかしものの見事に何もしていないのが分かる。明日から、この中の内容をしっかりと見ていきたいと思う。

  ――2009年――
9.16
民主党の鳩山由紀夫代表を第93代、60人目の首相に選出。民主、社民、国民新3党連立による鳩山内閣が発足。初閣議で事務次官会議の廃止や政務三役会議の設置などを決定
9.21
鳩山首相が米国を訪問。中国の胡錦濤国家主席と会談
9.22
首相が国連会合で、2020年までに温室効果ガスを1990年比25%削減する新たな日本の中期目標を表明
9.23
首相がオバマ米大統領と会談
10.10
首相が中国を訪問し、温家宝首相、韓国の李明博大統領と会談
10.24
首相がタイでの日・東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議で「東アジア共同体」構想を説明
10.25
参院神奈川、静岡両補選で民主党2勝
10.28
日本郵政の西川善文社長が辞任。後任に元大蔵事務次官の斎藤次郎氏を選任
11.10
首相が株や有価証券の記載漏れなどで2002~08年の「資産等補充報告書」などを訂正
11.13
オバマ米大統領が来日。2回目の首脳会談
11.27
行政刷新会議の事業仕分け終了。削減目標の3兆円圧縮に届かず
11.30
肝炎対策基本法、中小企業金融円滑化法などが成立
12.4
日本郵政グループ株式売却凍結法が成立
12.14
首相が来日した中国の習近平国家副主席と会談。15日には天皇陛下が習氏と会見
12.15
「普天間問題」で06年の日米合意を見直し、移設先を改めて選定する方針を決定
12.18
首相がデンマークでの国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)に出席
12.21
首相がガソリン税の暫定税率を実質的に維持する方針を表明
12.24
東京地検が首相の資金管理団体の偽装献金事件で元公設秘書2人を起訴。首相が緊急記者会見で謝罪
12.25
10年度予算案を閣議決定
――2010年――
1.6
藤井財務相が辞任。後任に菅副総理・国家戦略相。国家戦略相は仙谷行政刷新相が兼務
1.15
新テロ対策特別措置法が期限切れ。海上自衛隊がインド洋での給油活動を終了
1.15
小沢民主党幹事長の資金管理団体の土地購入を巡り、東京地検が石川知裕衆院議員らを政治資金規正法違反容疑で逮捕
1.18
通常国会召集
1.23
東京地検が小沢氏を事情聴取
1.24
沖縄県名護市長選で普天間飛行場移設受け入れ反対派の稲嶺進氏が初当選
2.4
東京地検が石川知裕衆院議員ら3人を政治資金規正法違反で起訴。小沢氏は嫌疑不十分で不起訴
2.10
枝野幸男民主党元政調会長が行政刷新相に就任
2.21
長崎県知事選で民主党推薦候補が敗北
3.1
札幌地検が北海道教職員組合と小林千代美民主党衆院議員陣営の幹部を政治資金規正法違反容疑で逮捕
3.9
外務省の有識者委員会が日米間「密約」検証の報告書を岡田外相に提出
3.24
10年度予算が成立。一般会計総額は過去最大の92兆2992億円、新規国債発行額は44兆円
3.26
子ども手当法が成立
3.31
高校授業料無償化法が成立
4.12
首相がワシントンでの核安全サミットの夕食会で、オバマ米大統領と非公式会談
4.16
水俣病未認定患者の救済措置方針を閣議決定
4.22
首相の資金管理団体の偽装献金事件で、東京地裁が元公設第1秘書に有罪判決
4.26
検察審査会が首相の資金管理団体の偽装献金事件で、首相の不起訴を「相当」とする議決を公表
4.27
検察審査会が小沢幹事長の資金管理団体の政治資金規正法違反事件で小沢氏について「起訴相当」と議決
4.28
独立行政法人を対象とした事業仕分けが終了
5.1
首相が水俣病犠牲者慰霊式に出席
5.4
普天間問題で首相が初の沖縄訪問。仲井真弘多知事らと会談し、県内移設を表明
5.21
首相がクリントン米国務長官と会談
5.23
首相が2度目の沖縄訪問。同県名護市辺野古周辺への移設案を仲井真知事に説明
5.24
首相が李明博韓国大統領と電話会談。韓国哨戒艦沈没事件で対北朝鮮制裁措置を支持
5.25
公益法人などを対象とした事業仕分けが終了
5.27
首相が全国知事会議で沖縄の負担軽減のため米軍訓練受け入れを要請
5.28
普天間問題で、名護市辺野古への移設を明記した政府の対処方針を閣議決定。首相が署名を拒否した社民党党首の福島消費者相を罷免
5.29
首相が韓国・済州島で日中韓首脳会談
5.30
社民党が連立政権からの離脱を決定
5.31
首相が中国の温家宝首相と会談 首相が小沢幹事長と会談
6.1
首相が口蹄疫の対策本部視察で宮崎県を訪問 首相が小沢幹事長と2回目の会談
6.2
首相が民主党両院議員総会で辞任する意向を表明
(2010年6月2日  読売新聞)

菅内閣1年の歩み
【6月】
8日    菅連立内閣発足。菅氏が第94代首相に正式就任
25~26日カナダ・ムスコカでのサミット(主要国首脳会議)出席。
27日   カナダ・トロントで日米首脳会談。
【7月】
11日   参院選投開票。民主党大敗で与党過半数割れ
【9月】
7日    尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船と中国漁船が衝突
14日   民主党代表選で菅氏が小沢元代表を破り再選
17日   菅改造内閣発足
25日   那覇地検が海保により逮捕された中国人船長を処分保留で釈放
【10月】
4日    東京第5検察審査会が小沢氏の起訴議決を公表
24日   衆院北海道5区補選で民主党公認候補が敗北
【11月】
13~14日横浜市でアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議
22日   柳田法相が失言で辞任
26~27日仙谷官房長官と馬淵国土交通相の問責決議が可決
【1月】
14日   菅再改造内閣発足
31日   小沢氏が政治資金規正法違反罪で強制起訴
【2月】
17日   小沢氏に近い衆院議員16人が会派離脱願を提出
【3月】
6日    前原外相が外国人献金で引責辞任
11日   東日本大震災発生、初の原子力緊急事態を宣言
【4月】
10・24日統一地方選で民主党敗北
【5月】
6日    首相が中部電力浜岡原発の全面停止を要請
26~27日フランス・ドービルでのサミット出席
【6月】
2日    菅内閣不信任決議案が否決
8日    菅内閣発足1年
(注)肩書は当時(2011/06/07-19:11)

時事通信 2011 06 07

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民主党内で菅首相退陣を求める勢力が結集

民主党内で菅首相退陣を求める勢力が結集

 本日は土曜日であるが、基本的にまじめな内容を書いてみようと思う。というのも明日から海外出張で、「小連載」にしようと思っているのである。そのために、出張前に軽い話題で終わるというのも何となく嫌な感じなので、今日は真面目な内容にしてみようと思う。
 13日に、菅首相は「脱原発演説」を行った。しかし、その内容はすぐに反発を呼んだ。そもそも、菅首相の「脱原発演説」は、誰ともどことも調整していなかったらしい。そのために、まず電力を必要とする産業界はすぐに反発した。また、景気や経済に関して菅首相と違う考え方をしている議員11名が、首相に対して即時退陣を求める意見書を提出した。
 その議員たちの延長は15日に菅首相の退陣要求を行うにいたったのである。その人数は30名を超える議員数となり、その若手、中堅の署名活動は、続いている。
 この15日には、菅首相は、「脱原発演説」は自分の個人的な意見と希望であって政府の政策ではないということを言っている。そもそも、自分の個人の意見表明に「官邸」を使うというのはいかがなものなのであろうか。「公人」と「私人」の使い分けができていないというか、公私混同もいいところ、まさに「その場の雰囲気で思いつきの発言をする」ということでしかなく、根本の考え方も何もないということである。まさに「空き缶」でしかない。
 ここで挙げた事実を、とりあえず新聞記事で並べてみた。


首相退陣要求、民主党議員の決起集会に30人

 菅首相に即時退陣を求める意見書を提出した民主党若手の吉良州司、長島昭久両衆院議員らが15日昼、国会内で「決起集会」を開き、党内で退陣要求の署名活動に入る方針を決めた。
 集会には、松井孝治元官房副長官ら同党の中堅・若手議員約30人が参加した。小沢一郎元代表、野田財務相、樽床伸二衆院国家基本政策委員長の各グループなどから出席者があった。

(2011年7月15日13時34分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110715-OYT1T00574.htm

菅首相の即時退陣を求める決起集会、参加議員

 「菅首相の即時退陣を求める決起集会」に参加した民主党議員は次の通り。(敬称略。〈〉内の数字は当選回数)
 【呼び掛け人】▽衆院議員 吉良州司〈3〉、長島昭久〈3〉、石関貴史〈2〉、北神圭朗〈2〉、鷲尾英一郎〈2〉、網屋信介〈1〉、勝又恒一郎〈1〉、杉本和巳〈1〉、長尾敬〈1〉、山本剛正〈1〉▽参院議員 金子洋一〈2〉
 【出席者】▽衆院議員 田村謙治〈3〉、神風英男〈3〉、古賀敬章〈2〉、福田昭夫〈2〉、木村剛司〈1〉、菅川洋〈1〉、今井雅人〈1〉、木内孝胤〈1〉、空本誠喜〈1〉、大谷啓〈1〉、熊谷貞俊〈1〉、萩原仁〈1〉、奥野総一郎〈1〉、川口浩〈1〉、三輪信昭〈1〉、早川久美子〈1〉、渡辺義彦〈1〉、高松和夫〈1〉▽参院議員 松井孝治〈2〉、大野元裕〈1〉、安井美沙子〈1〉

(2011年7月15日18時05分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110715-OYT1T00900.htm


「脱原発」より復興対策が急務=経団連会長、改めて菅首相批判

 経団連の米倉弘昌会長は13日、仙台市で記者会見し、原発への依存度を下げ、太陽光など再生可能(自然)エネルギーの比重拡大に重点を置く菅直人首相のエネルギー政策について「東日本大震災からの復興に直接関係しない」と指摘した。その上で「復興を真剣に考える内閣であれば、復興特区や復興庁(の早急な設置)などをやるべきだ」と述べ、首相の姿勢を改めて批判した。
 米倉会長は、中長期的なエネルギー政策に関して「日本の将来を見据えることが必要だ。そうした政策は必ずあるはず」と述べ、安定した電力確保やコスト面を含め、経済成長を阻害しない形での政策立案が不可欠と主張した。 

2011年07月13日18時10分 提供:時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/5706311/


民主党議員「首相、即刻退陣を」意見書提出

 民主党の吉良州司、長島昭久両衆院議員らは13日、首相官邸に仙谷由人官房副長官を訪ね、菅首相が進めるエネルギー政策では電力危機を招く恐れがあるなどとして、首相の即時退陣を求める意見書を提出した。
 意見書は、退陣を求める理由として、九州電力玄海原子力発電所の再稼働を巡る混乱などを挙げ、「菅内閣の機能は完全に崩壊した。菅首相のもとでの被災地復旧・復興、原発事故の早期収束、国全体の復興は実現不可能だ」と首相の対応を批判した。意見書には、同党の若手衆参両院議員11人が名を連ねた。
 吉良氏らは首相との面会を求めたが、首相は応じなかった。
 菅首相の即時退陣を求める意見書に名を連ねた民主党議員は次の通り。(敬称略。丸数字は当選回数)
 ▽衆院議員 吉良州司〈3〉、長島昭久〈3〉、石関貴史〈2〉、北神圭朗〈2〉、鷲尾英一郎〈2〉、網屋信介〈1〉、勝又恒一郎〈1〉、杉本和巳〈1〉、長尾敬〈1〉、山本剛正〈1〉▽参院議員 金子洋一〈2〉

2011年7月13日(水)20時7分配信 読売新聞 
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20110713-00950/1.htm

 さて、いつも思うのであるが、なぜ執行部に反発しながら離党しないのであろうか。あわよくば民主党から菅を追い出して自分の立場を良くしようもしくは、選挙の時に今の民主党の組織を使おうという「エゴ」が見え隠れする。
 このような人々は、まさにいまだに民主党に未練のある人である。民主党に未練があるので、何とか民主党をしようと思っている。しかし、その割には「菅退陣」はいうものの「ポスト菅」や「菅の政策の何が悪いのか」は一切言っていない。はっきり言って民主党に限らずに、自分の手で政治や日本国を切り開こうという考えは少ないのではないか。
 今の観の政治が悪いことは間違いない事実であるし、今の菅政権の支持率は、まさに史上初の一桁になるのではないかという考えが出てくる。
 このようなことの勉強会も非常に少ないのかもしれない。
 そのような人々は、是非このブログを読んで民主党の何が悪いのかを研究してもらいたい。そもそも、今民主党に期待しているということは、まさに、「国民の考え」「国民の声」が分かっていないのである。それでは「代議員」ではなく「エゴの塊」でしかない。そのような政治家にはだれもついて行かないであろう。
 民主党という腐ったブランドにいつまでも依存することなく、自分の政治家として、日本国民としての信念を持ツべき時ではないのか。

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菅首相ら6人を業務上過失傷害で刑事告発 電力不足の熱中症被害などでも告発を

菅首相ら6人を業務上過失傷害で刑事告発 電力不足の熱中症被害などでも告発を

 14日午前、被災地を中心とする市民団体「被災地とともに日本の復興を考える会」が菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業大臣を刑事告発した。原子炉等規正法第64条1項違反ならびに業務上過失傷害である。
 今回の事故対応に関して、その遅れや不手際に関して刑事責任を問う告発上が出されたのは初めてのことである。それどころか、たぶん震災被害の復興に関して「業務上過失傷害」で告発される首相などは、古今東西世界中を見渡してもまずいない。もちろん戦争中などに関してはそのような例もあるであろうし、個人的な交通事故などもあるであろう。しかし、その失政の責任を問われる首相というのはまずないであろう。
 さて、この問題に関して、私は新聞社であるために、よほどのことがない限りにおいて私自身が告発者になることはない。誰かがしてくれないかと思っていたところ、戦場アナリストの高部正樹氏が中心になり市民団体を作って告発をしていただいた。もちろん、事前にさまざまご協力させていただいたので、紆余曲折はあったものの非常に感謝している。
 今日は何よりも、まずこの問題が掲載された記事を見ていただきたい。掲載は、「民主党より」と目されている朝日新聞と「反菅政権」と目されている産経新聞より。

菅首相ら6人を告発 住民団体、原発事故対応めぐり関連トピックス菅直人東京電力原子力発電所枝野幸男.

 東京電力福島第一原発の事故をめぐり、「被災地とともに日本の復興を考える会」と名乗る団体が14日、菅直人首相らに対する原子炉等規制法違反と業務上過失傷害容疑での告発状を東京地検に提出した。今回の事故で刑事告発の動きが明らかになったのは初めて。
 告発されたのは、菅首相と、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業相、経産省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長、原子力安全委員会の班目春樹委員長、東京電力の清水正孝前社長の計6人。
 告発状によると、福島第一原発の1号機について、菅首相ら6人が、原子炉格納容器の内部圧力を下げるベント(排気)の必要性を認識していたのに、それを遅らせたのは原子炉等規制法(危険時の措置)違反の疑いがあるとしている。また、菅首相、枝野官房長官、海江田経産相の3人については、適切な避難対策を怠り、1号機の原子炉建屋内で水素爆発が起きた際に避難者に被曝(ひばく)させるなどした業務上過失傷害の疑いもあるとしている。

http://www.asahi.com/national/update/0714/TKY201107140325.html

原発対応は法律に違反! 菅首相らを市民団体が告発 被曝は業務上過失傷害

 東京電力福島第1原発1号機で起きた水素爆発事故は、政府と東電が原子炉格納容器内の蒸気を放出する「ベント」作業を速やかに行わなかったためで、原子炉等規制法に違反するなどとして、市民団体が14日、菅直人首相と清水正孝前社長ら6人に対する告発状を東京地検に提出した。
 同法は原子力災害の恐れがある場合、直ちに応急措置を講じるよう定めている。市民団体代表で元傭兵の高部正樹さん(46)は「対応には法律的に問題があり、司法の場で責任をはっきりさせたい」と説明している。
 告発状では、3月12日未明には格納容器内の圧力が上昇し、ベントを行うべきだったが、首相が同日朝に視察した影響で実施が遅れ、午後に水素爆発が起きたと指摘。周辺住民の被曝(ひばく)についても業務上過失傷害容疑に当たるとしている。

産経新聞  2011.7.14 11:54
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110714/dst11071411560007-n1.htm

 さてさて、まずこの論点は二つの問題になっている。ひとつは「東電が悪い」としている現在のマスコミ風潮がいかがなものかということである。この件に関してはすでにさまざまな内容が出てきている。しかし、13日の脱原発宣言など、エネルギー基本政策も何も発表しない、また、具体的な工程表も一切関係なく、スローガンとパフォーマンスを行うことだけ、そして脱原発解散という真夏の世の夢のようなわけのわからない話をするための、くだらない民主党内権力争いを目的としたスローガン選挙を許さないということがある。
 そのくだらないパフォーマンスのために、電力を供給している東京電力そのもの、それどころかそのほかの原子力発電所を安全に運転している多くの電力会社が「槍玉」に上がっているのである。しかしその責任は本当に東電だけにあるのだろうか。
 原子炉等規正法には、事故が起きたときの責任は全て政府にあるとしている。にもかかわらず、自分が指導し、枝野官房長官などは「安全です」といって非難もさせなかったのである。この件に関しては、山と新聞の掲載記事の中に私の資料をダウンロードさせることができるので、その内容を参照していただければありがたい。
 社会人の行動は、「行動を起こすときにはすでにその行動をした人に責任が付帯する」のである。ようするに「安全です」といった枝野官房長官には「安全です」といった責任が、対策本部を作れば首相にその責任が、所管官庁にである経済産業大臣ならばその所管官庁の責任が存在するのである。行動とパフォーマンスには、それなりの責任が伴うことを民主党の閣僚たちも学ばなければならないであろう。
 ようするに、その責任の明確性をしっかりと政府にも存在するということをやらなければならない。
 なお、読者の中には、「原発を推進してきた自民党の責任」ということを言う人がいるであろう。しかし、上記は「原発の事故の対応」ということを言っているのであり、そのような議論は「平時」と「緊急時(事故発生時)」を完全に混同した議論でしかなく、そのような相当因果関係がないことまで広げる不思議な議論が、マスコミの偏向報道を作り出してきた温床となっているのである。そもそも、自民党は「原発の事故対応」をしていない。事故対応で問題となるのは、政府であり行政府である。それくらいのことがわからないのでは、日本の社会化教育、もっと言えば三権分立に関する教育が死滅しているのかもしれない。
 もうひとつのことは、「政策の失敗でも、被害があり、違法であれば刑事告訴の適応する」ということだ。
 この告発により、正式に起訴されれば「違法行為を行った政府」である疑いが強まる。ということは、電力を十分に供給しないで、熱中症で被害に遭った人やその関係者も、また、支援物資を十分に送らなかったことによる餓死者の遺族(森まさこ参議院議員の答弁より)も、法律によっては刑事告発の材料になりうるのである。
 そして、刑事告発されれば、当然に刑事告発された違法内閣であり、「違法状態」であることを理由に再度内閣不信任の提出ができるのではないか。「平時」と「違法検討時」もしくは今後の展開では「起訴された被告人」としての政府を、その理由で内閣不信任にするのは二回目であっても問題はないであろう。あまりにも国民の信任がなさ過ぎるどころか、そのまま続けていれば国民が「被害を得る」ということになるのだから、その内容をしっかりと審議される必要があるであろう。
 いずれにせよ、前代未聞の状態になった。菅内閣はどのような対応をするのか。注目するべきである。

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過去最悪の貧困率の国が日本を攻撃する空母を建造した国に援助をする不思議

過去最悪の貧困率の国が日本を攻撃する空母を建造した国に援助をする不思議

 厚生労働省が、日本の貧困率を調査し、その数字が過去最悪になったということを報じている。国民生活基礎調査という調査を行っている。この調査は、保健、医療、福祉、年金、所得等国民生活の基礎的事項を調査し、厚生労働行政の企画及び運営に必要な基礎資料を得ることを目的とするものであり、昭和61年を初年として3年ごとに大規模な調査を実施し、中間の各年は小規模な調査を実施することとしている(厚生労働省のホームページより)。この内容は、日本の現在の国民の所得に関してしっかりと見ることができるのである。
 その調査で、日本のひんこんりつが16%と過去最悪の結果が出た。ちなみに経済協力開発機構の調査では、加盟30か国の平均は10.6%となっている。要するに日本はあまりよい状態ではないということだ。
 日本人のGDPとか、日本トータルの統計はたくさんあるが、その中における日本の国民の相対的な生活水準を見るものとしては、最も有効な者の中の一つである。このほかにも消費性向や消費統計なども日本人の一人一人の景気感覚に関する調査は存在する。それらをあわせると、企業や一部の金持ちといわれる人々と、そうでない一般の人々のかい離が分かるのではないか。
 その中でこの数字はある意味で衝撃的な数字である。ヨーロッパでは日本のことを「衰退途上国」というような評価をしている論文も存在する。その衰退の度合いが、日本人の生活水準にまで広く及んでいるのである。
 一方その日本という国は隣の中国に対しても、そのほかの国に対しても政府開発援助(ODA)を支出している。
 政府開発援助に関して、いつものごとくウィキペディアでその内容を調べてみる。
 <ウィキペディアから抜粋>
 政府開発援助(せいふかいはつえんじょ, 英語:Official Development Assistance, 略称:ODA)は、国際貢献のために先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと。
 世界恐慌によって進んだブロック経済による長引く不況や、第二次世界大戦によって混乱した世界経済の安定のため、1944年にブレトン・ウッズ体制(IMF体制)が確立した。そして、1945年12月、戦後の世界の復興と開発のため、国際通貨基金 (IMF) と国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立される。1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表される。アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たす。
 オリバー・フランクスによって指摘された先進国と発展途上国の間にある大きな経済格差の問題(南北問題)を発端に、途上国支援のために1960年に国際開発協会(IDA、通称は第二世銀)、1961年に開発援助委員会 (DAC) と立て続けに支援体制が整っていく。1961年、アメリカのケネディ大統領が国連総会演説で先進国の国民所得の1%の移転と、途上国の年率5%の成長を目標とした「開発の10年」を提唱する。
 先進国側が直接、発展途上国に有償、無償の資金などを援助する。
日本の援助
二国間援助
    * 有償資金協力は、グラント・エレメント(贈与要素)が25%以上であるものと定義付けられている。(グラント・エレメントとは借款条件の緩やかさを示す指数。金利が低く、融資期間が長いほど、グラント・エレメントは高くなる。それだけ受け入れ国にとって負担は少なくなる。贈与の場合、100%となる。)また円で貸し付けられるため円借款などと新聞やテレビで報道されることもある。中国などの、ある程度発展している国に対して行われる。
    * 無償資金協力は、援助相手国に返済の義務が無い。
    * 技術協力は、人材育成と技術移転など将来の国の根幹となる労働力作りが目的とされている。研修員受入れ、専門家派遣、開発調査、最新機材の供与などがされている。研修員の受入れが最も多い。
    * 「円借款等の有償資金協力」、「一部の無償資金協力」、「技術協力」を担当する機関は国際協力機構(JICA) である。
    * 日本が2国間援助の累積総額で一番援助している国は中国であり、2007年度末までに、円借款:約3兆3165億円、無償資金協力:約1510億円、技術協力:約1638億円の資金援助を行っており[1]、2007年度までに日本は中国に多国間援助と合わせて約6兆円のODAを行っていることになる。このような日本のODAに対して、中国の要人は感謝の意を表している[2]。中国の経済急速発展を理由に、日本政府は対中ODAのうち有償資金協力(円借款)に限り2008年の北京五輪を境に打ち切った。2010年12月18日、政府・与党内にて対中政府開発援助に厳しい声が上がっている中、中国大使の丹羽宇一郎は中国への政府開発援助を増額するよう外務省本省に意見具申していたことが判明した。その理由のひとつとして、丹羽は「対中ODAを打ち切ると、中国側の批判を受けることになる」と外務省に「警告」したとされる[3][4]。なお2003年度末における円借款に対する償還額は元利計で約9401億円となっており、この年度より、中国からのODA返済額が中国へのODA援助額を上回っている。
多国援助
 日本は国際連合世界食糧計画 (WFP) 、国際連合開発計画 (UNDP) 、国際連合児童基金 (UNICEF) 、世界銀行 (IBRD) 、アジア開発銀行 (ADB) などの国際機関に資金を拠出して、多国間援助を行っている。
 特にアジア開発銀行に対する日本の出資比率は15.7パーセントで米国と並んで首位であり、歴代総裁は日本の財務官僚が就任している。このうち日本は1986年から2007年度までの間に2兆3000億円のアジア開発銀行経由の対中資金援助を行っており、対中円借款が終了した2008年以降はそれを埋め合わせるように対中資金援助が増額している。2008年から2011年までの間に5000億円のアジア開発銀行経由の対中資金援助が決定している[2]。
<以上ウィキペディアより>

 この政府開発援助を、GDPで日本を抜いた中国に貧困率が高くなった日本が行うというのである。

貧困率、過去最悪の16・0%…厚労省調査

 全国民の中で、所得の低い人がどのくらいの割合でいるかを示す「相対的貧困率」が2010年調査で16・0%と、前回(07年調査)より0・3ポイント悪化し、過去最高となったことが、厚生労働省が12日公表した「国民生活基礎調査」でわかった。
 同省は、所得の低い非正規労働者や、高齢者の増加が要因とみている。
 今回の調査で「貧困」とされたのは、09年の年間所得が112万円未満の人たち。国民の6~7人に1人が貧困状態であることを示している。1986年調査の貧困率は12・0%で、年々悪化傾向にある。経済協力開発機構(OECD)の00年代半ばの調査では、加盟30か国の平均は10・6%だった。

最終更新:7月12日(火)23時1分 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110712-00001074-yom-soci


対中国ODA大幅削減見送り 政府指針、実質7%減

 中国向けの政府開発援助(ODA)見直しに関する政府の内部指針が12日、判明した。実施中の援助計画の大半を占める環境、衛生関連プロジェクトについて「今後も継続する」と明記。2012年度の対中国ODA予算は、46億円だった11年度比で実質3億5千万円(7・6%)減にとどめ、42億5千万円となる。中国の急速な発展を理由に、前原誠司前外相が在任中に指示した大幅削減は見送られた。

2011年07月13日02時02分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/5704194/

 日本がなぜ中国に開発援助を行わなければならないのか。もちろん金銭の貸与ばかりではなく技術援助なども必要である。その技術援助などの必要性は考えられるが、逆に、その国が東シナ海に空母を浮かべようとしているのである。日本は自分の国を攻撃させるために援助を行っているというものであろう。それならば、急にゼロというわけにはいかなくても、その開発分くらい減額しても、また、空母開発をやめつまで凍結するなど様々なことを考えられるはずだ。もっと言えば、空母建造の分、日本に返金を受けてもかまわない。尖閣諸島、そのほかの人道的な問題など、様々な内容をすべて勘案して開発「援助」をすればよいのであり、そうでなければ必要はないはずだ。
 東京大学の教授の中には「GDPは上がっても、一人当たりにしたらまだまだ途上国」などという中国を擁護する発言があるが、その擁護発言そのものは、日本を攻撃する空母開発をどのように弁護するつもりか。いい加減にしてもらいたい。
 このような状態が、現政権の媚中外交ということを言っているのである。
 被災地のこともそのまま、日本の貧困もそのまま、中国には「援助」を行う。これで日本の政府は良いのか。ゆっくり考えなくてもその結論はわかるのではないか。

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少し気の早い次の総選挙の争点増税と原発

少し気の早い次の総選挙の争点増税と原発

 菅直人首相が第三次補正予算に関して指示を出したという。ということは、今までの民主党執行部や幹部が発言した内容が全て嘘であり、三法案が成立しても基本的には菅内閣は退陣しないということを意味している。左翼政権は権力を失った瞬間に粛清される。中国の江沢民主席が主席を引退してなお軍隊に対する掌握を行っているのは、まさに中央における権力を掌握していなければ「身が危険」だからであると断言してかまわないのではないか。それだけに今話題になっちる江沢民主席の健康問題というのは中国の二つしかない全国組織の一つである人民解放軍の軍隊利益の掌握を誰が行うのかということで、注目を集めているといっても過言ではない。
 その意味で菅首相が辞めないということは、すぐにわかる。逆にわけのわからない楽観的な予想を無責任に口にした枝野官房長官や岡田幹事長は、自分の個人的関係で「菅首相はやめると思う」などと口にして国内を混乱させた責任を取るべきではないか。もちろん本来であれば辞めるべきであるが、実際菅直人首相と『同じ穴の狢』でしかないので、到底やめそうにはない。
 民主党政権に関して「責任を負わない」「義務感がない」「権利だけ主張する」と私はその特徴をいつも言っているのであるが、まさに菅首相だけでなく、岡田幹事長も枝野官房長官も仙谷官房福中間も、いずれもわけのわからない見通しでその責任を負わない状態になっている。そればかりか「やめるといったから否決する」といって内閣不信任案を否決に回った民主党議員は、全て国民に対して責任を負わなければならないが、そのような動きはまったくない。
 さて、その様な状態であるので、菅内閣の総辞職ということは存在しない夢物語だ。ということはいずれ行き詰れば解散総選挙ということになるであろう。まさに毛沢東の文化大革命のごとき強硬な革命を行ってくるに違いない。しかし、日本の左翼は当然のごとき巧妙に民衆に取り入るので、その中にあるのは「反原発」と「増税」であるが、たぶん「脱原発」と「贅沢品課税」という不思議な名前で出てくるであろう。その内容を新聞記事になって出てきたので見てみよう。

<ストレステスト>政府統一見解 菅首相が押し切る

 菅直人首相が指示した原発のストレステスト(耐性試験)を巡る政府内の混乱は、11日の統一見解発表によって一応の収束をみた。運転停止中の原発を再稼働させる条件として暫定的な「1次評価」を実施し、そのうえで稼働中を含む全原発を対象とした「2次評価」で運転継続か中止かを判断する2段階方式を採用。1次評価の手続きで事実上、8月末までと目される菅首相在任中の再稼働は「無理」(経済産業省幹部)な状況だ。ただ、評価基準の設定に関与することになった内閣府の原子力安全委員会は再稼働の条件化には慎重で、どこまで原発の安全性向上につながるかは未知数だ。
 首相がストレステストの検討を指示したのは、海江田万里経産相が6月29日に九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働を地元に要請した直後。それまで経産省の再稼働方針を黙認していた。
 だが、佐賀県の古川康知事から同県訪問を求められ、自ら再稼働を要請せざるを得ない立場に追い込まれると「自分が地元と話すときには総合的に判断しなければならない」と突然、原子力安全委員会を関与させて安全審査をやり直すよう海江田氏に指示した。
 はしごを外され、「怒り心頭」(経産省幹部)になった海江田氏が1次評価実施を受け入れたのは、約6カ月かかる欧州連合(EU)のストレステストに準じた2次評価を再稼働の条件にされれば国内のほとんどの原発が止まりかねないためだ。より短期間で終わる1次評価導入で、「脱原発・再生可能エネルギー推進」の流れを加速させたい菅首相の指示を守りながら、「早めの原発再稼働にめどをつけられる」(経産省幹部)ことになる。
 ただ、1次評価に「安全重視のメッセージ発信」以上の効果があるかは未知数だ。2次評価基準ができる前に実施してしまうことにも「拙速」との批判は避けられそうにない。民主党の岡田克也幹事長は11日の記者会見で「(運転を)停止しなくても(2次評価が)できるなら、停止してから(の1次評価は)しなくていい。停止が長引いてしまう」と疑念を呈した。
 海江田氏も11日の衆院東日本大震災復興特別委員会で「再稼働し、さらなる安全性確保(の目的)で(テストを)やらないといけないと思っていた。1週間ぐらい前の考えだ」と再稼働前のストレステスト実施に反対していたことを認めた。
 立地自治体との関係にも禍根を残した。海江田氏の再稼働要請にいったん同意した玄海町は政府の迷走に反発して撤回。今後、1次評価で再稼働にゴーサインを出しても自治体側が受け入れる保証はない。首相の意向で自治体との信頼関係が崩れる展開は鳩山政権時代の米軍普天間飛行場移設問題と似ており、経産省内からは「これは菅政権の『普天間』だ」との声も上がった。
 一方、玄葉光一郎・国家戦略担当相は11日、政府の新成長戦略実現会議(議長・菅首相)の会合で、「電力需給について、そう遠くない時期に首相から申し上げることになる」と述べ、原発の稼働低下を踏まえた電力需給の見通しや対策について、菅首相が説明するとの見方を示した。【田中成之、野原大輔、宮島寛】

毎日新聞 7月12日(火)2時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110712-00000002-mai-pol

復興財源に酒税増税案、政府内で浮上

 東日本大震災の復興策の財源に、政府内で酒税の増税や携帯電話の「電波利用料」の引き上げ分を充てる案が浮上していることが11日、分かった。
 政府は週内にも関係閣僚会議を開いて臨時増税の議論を始める。10兆円を上回るとみられる復興財源の大半は所得税や法人税など「基幹税」の増税で賄う方向で、酒税や電波利用料は、これを補うものとなりそうだ。酒税は、ビールやワインなど酒の種類ごとに、量やアルコール度数に応じてメーカーや輸入業者に課税され、税金は小売価格に上乗せされている。財務省によると2010年度の税収は約1・4兆円で、うちビールが5割弱を占めて最も多い。
 電波利用料は、携帯電話の端末数や基地局数などに応じて、通信会社などが国に支払っている。総務省によると、09年度の利用料の総額は約643億円。

読売新聞 7月12日(火)7時51分配信
.最終更新:7月12日(火)7時51分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110712-00000056-yom-pol

 まさに、「酒税増税」と「原発の実質的再稼動禁止」という二つが上げられる。
 原発のほうはすでにさまざまな内容で言われているが、実際に原発そのものを今全て止めてしまえば、それだけエネルギーコストがかさむ。重油や石炭の価格が高騰することが考えられる。高騰しなくても今の価格のままで原子力発電所のかわりを全て重油による火力発電で行うとなれば、燃料費だけで約5兆円の増加になる。そのほかにタンクなどの増設や輸送コスト、そして燃料の高騰分、その上に、二酸化炭素排出権の購入などを考えれば、この約3倍の資金、要するに年間15兆円のエネルギーコストの上昇が見込まれることになるという試算が出ている。(今私が入手した中でもっとも大きなものである)。そのようになれば、一世帯のエネルギーコストは、年間約30万円値上がりすることになる。単純に月2万5千円のコスト高だ。しかしそれだけでは終わらない。製造物や燃料の高騰は全ての物流コストを押し上げてしまうので、生活費は、実質的に現在よりも月間で5~10万円のコスト高になる。単純に言えば、今の生活水準を維持することはできなくなってしまうということだ。(上記と同じ最も高いアップの資料を使った)。なお、ここでは最も悲観的な資料や統計を使っているが、これは、リスク管理において最も悲観的な様相から考えることを基本としているので、さまざまなシンクタンクから資料を取り寄せて、その中で最も悲観的な内容をここに掲載したものである。
 原子力発電所が危険であることは十分承知した上で言うが、われわれに必要なものはエネルギー政策とそのエネルギー政策の有効な実行。そしてその実行までの期間のエネルギーの確保だ。もっと直近の例で言えば、危険でも原子力発電を動かして電力を得ることによって、熱中症患者を減らすのか、あるいは、維持でも動かさないで弱者を全て病院に追いやるのか。その選択を政治が迫られている。それを姑息な手段で実質的に再稼動を不能にするという。もしも、熱中症による死者が出た場合は、それこそ政府を告発し、刑事罰を与える必要があるのではないか(これらに関しては近日何らかの話があると思います)。
 一方増税。増税をするということは政府の収入は増えても、民間の商品流通は減るということを意味している。もっと言えば、民間活力は完全に失われ、同時に、その内容は、今まで国民に行き渡っていた物資が行かなくなうということだ。同時に企業そのものの価値は売れなくなるのだから下がってしまうし、また、日本商品の国際競争力は低下する。要するに増税すれば景気が死滅するということを意味している。
 景気が悪くなるということは、増税をしてもその税そのものの収入は減るのであるから結局悪循環にまた増税を繰り返さなければならない。その分子供手当てなどの『配給』で生活させることになるのであるが、まさに国家のお恵みで生活する人の集団、共産主義国家がここに誕生するわけである。論理にかなりの飛躍があるが、実際今の政府の考えていることにそう遠くないものと思われる。
 実際、「政策的に必要のないもの」ようするに「子供手当て」などのバラマキ政策をはじめとする民主党政策による無駄遣いを、いかになくすかということだ。リーマンショック以降最も景気の悪い時期に、国家の予算は最も多いのが二年続いている。90兆円を超える予算を2年も続けてしまい、赤字国債を乱発していては、話にならない。ただ単に赤字国債を乱発するだけで景気がよくなるのであれば、昨年の民主党の行った予算で、赤字国債の発行分要するに40兆円分のGDPの上昇が見込まれ、そして、その分の景気の回復が日本国内で見られるはずだ。なぜそうなっていないのか。国債発行で景気がよくなるという人々は、そのことをしっかりと解説してほしいものだ。
 一方、景気がよくあるためには、それなりに「金を使える環境」を整えなければならず、その内容がしっかりと示されなければならない。そのないようは、講演会などあれば発表するが、単純なものではないであろう。企業も従業員もが消費を行う状態、それは何かということがわかっていなければならない。
 残念ながら、菅直人首相のように市民活動ばかりで企業経験の少ない人にはそのようなことはわからないであろうし、枝野官房長官や仙谷官房副長官のような弁護士にも、わからないであろう。特に枝野官房長官のように「政治家になるために弁護士になった」とかいう動機不純の輩には、社会のシステムそのものがわからないのであろう。そのような『わからない人』による財政経済政策は、まさに日本に「空白の二年」を作り出し、そして、景気を悪化させることになるであろう。
 そのようなことがないように、次の総選挙ではこれら『現在の生活とエネルギー政策と原発』『現在の景気と政府の財源と財政・景気政策』という観点で選挙の争点が推移するものと考えられる。そのことに対して与野党とも準備が必要である。

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2次補正予算も財源もないうち3次補正予算を語る民主党

2次補正予算も財源もないうち3次補正予算を語る民主党

 民主党のパフォーマンス体質にはさすがに驚くことが少なくない。このようなデマゴーグで動かされた政治そのものが日本にと手不幸であるということを、どうして誰もまともに伝えないのであろうか。
 本当に最近のマスコミは質が悪い。それだけでなく、野党自民党も残念ながらその内容がしっかりと理解できていないのではないか。お互いが根っこのない「浮き草」のようになっていて、その浮き草がぶつかり合っているかのような話になってしまっている。これでは話にならない。
 予算案に関しては
  平成23年度本予算にバラマキ4Kがあり、調整がつかなかった
     ↓
  野党各党が民主党の調整しない態度に反対を表明した
     ↓
  民主党は財源である特例公債法案を採決せず、支出計画である予算だけを採決した
     ↓
  震災後予算が必要になったが特例公債法案がないので財源がない
     ↓
  第一次補正予算を野党の協力の下に出したがとても足りるものでもなく財源も不確定
     ↓
  一向に進まない復興に対して野党各党が不信任を提出するも否決
     ↓
  菅内閣は特例公債法案、二次補正、自然エネルギー法を採決後退陣を表明
     ↓
  二次補正に関して2兆円規模の小規模の内容を提出。自民党は17兆円規模を要求
     ↓
  特例公債法案に関して自民はばら撒き4Kの処理を優先する意向
     ↓
  岡田幹事長が、財源もしっかりしない間に三次補正予算について言及

 とこのようになっている。そもそも、予算は被災地だけのものではない。国家全体のものである。しかし、民主党は、被災地の復興を人質にとって、「ばらまき4K」などに関しては何も言うことなく、見直しもすることなく、ただ漫然と自分のやりたいことを強行採決する施政だ。しかし、このまま特例公債法案が通らなければ、十一月には政府は破綻する。私自身は破綻させればよい。公務員の給与の遅配や公共事業の支払いの遅延を起こして民主党政権の愚を世の中に知らしめればよいと考えているが、そのように田因循なものではないようである。
 さて、上記の補正予算の内容を報じたのが下記の記事である。

3次補正は9月中、政局混乱しても…岡田幹事長

 民主党の岡田幹事長は10日、東日本大震災の本格復興のための2011年度第3次補正予算案について、9月中に編成するべきとの考えを示した。
 岡田氏は視察先の岩手県大船渡市で、記者団に「中央で政局の混乱があっても被災者に影響をおよぼさないように万全を期す。3次補正が10月になるのは論外だ」と述べた。
 また、岡田氏は、菅首相の諮問機関「東日本大震災復興構想会議」の提言に盛り込まれた住宅の「高台移転」について、「3次補正の柱の一つになるのは間違いない」と明言。11日に民主党政調を中心とした組織を設置し、3次補正の党内議論を本格的にスタートさせるとした。

(2011年7月10日20時16分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110710-OYT1T00524.htm

「一刻も早く」谷垣氏、首相退陣求める

 自民党の谷垣総裁は10日、松江市で講演し、全国の原子力発電所を対象に実施することになったストレステスト(耐性検査)をめぐる政府内の混乱について、「閣内不一致も甚だしい。大変な混乱を招いた」と批判した上で、「一刻も早く菅首相に退陣してもらわなければ、日本が復興し、国際社会の中で地位を保つこともできない。(震災対策に)協力しながら退陣を迫るのは簡単ではないが、何とか打開しなければ」と述べ、菅首相に早期退陣を求める考えを改めて示した。

読売新聞 7月10日(日)20時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110710-00000532-yom-pol

 はっきり言って、2次補正予算の審議も入っていない状態でなぜ3次補正予算の話をするのか理解に苦しむ。日本には古来「来年の話をすると鬼が笑う」ということわざがある。これは不確定な事実を話すことは、本人や聴衆が夢であることを理解していればよいが、それを真実であるかのごとき人をだますような結果になれば、鬼が自分の仕事が増えると嘲笑するという意味でもある。
 2次補正予算、特例公債法案、そしてそれらの財源もしっかりしていない状態で、何をいまさら「3次補正」なのか。その必要性を感じるならば2次補正の予算案の中にしっかりとそれを入れ込めばよい。野党の協力が得られないならば、えられるようにすればよい。それもできないで何が与党だ。ふざけるな!という声が聞かれるようなものだ。
 岡田幹事長の発言を見てみればよい。『「高台移転」について、「3次補正の柱の一つになるのは間違いない」と明言』とある。要するに、九月に予算をつけて、それ言おう工事を行うということ。逆に言えば、復興やその計画は、9月以降まで持ち越し、8月中は被災地の人々の避難所暮らしを肯定するということである。政府はそれでよいのか。半年も被災地を放置して何が政府だ。そのような政府は「一刻も早く退陣」すべきであり、必要ならば解散総選挙で国民の意思を問えばよい。日本テレビの調査によれば、菅内閣の支持率は16.1%、民主党支持率は18%程度である。そのような国民に期待されていない政府に何ができるのか。自分たち民主党が言っていた「民意に従え」は、今民主党に浴びせられている言葉である。
 3次補正などを民主党主導で行わせてよいのか。そこまでの信任を得られていると思っているのか。ただ単に菅首相、菅内閣ではなく、岡田幹事長がこのような発言をしてくれたおかげで、民主党全体が「腐っている」ということがよくわかるのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(52) 恫喝に屈してきたマスコミたち

マスコミ批判に関する一考(52) 恫喝に屈してきたマスコミたち

 あまり大きな声では言えないが、やまと新聞で今「恫喝に屈した警察」に関して取材を進めている。この件は、やまと新聞でそのうち記事になると思う。その報道に関しては非常に社会的な問題になると思うので、記事になった時に、私もこのブログで取り上げたいと思う。自分の新聞社の記事をそのままここで取り上げるというのもなかなか面白いのかもしれない。
 一昔前、といっても私の子供のころであるから20~30年前の話であると思うが、ジャーナリズムも司法も、そして一般の人々ももっとしっかりとしていたと思う。ここで「マスコミ批判に関する一考」シリーズを行っている。いつ終わるということもなくただこれを継続しているものである。そもそもマスコミに対する批判を行うというのは、マスコミが完全に偏向報道を行わないということにならない限りにおいて、批判は継続する。マスコミが完全に偏向報道を行わないというのは、いくつかのパターンしかない。一つ目は、事実だけを伝える。二つ目は、完全に全ての立場の意見を伝える。三つ目は全てのメディアが、自分の立場を表明し、そのうえで「偏向しているということを明示したうえで」報道を行う。要するに赤旗新聞の理論だ。建前と支持者による広告費で放送を行っている今のマスコミには到底不可能な話である。
 それだけではない、政府という権力者からは、様々な圧力がかかる。本来骨のあったジャーナリズムは、しっかりとそれらの圧力をはねのけて報道を行っていた。圧力をかければ、かえって辛辣な報道を行うこともあり、権力をカサに来た圧力などは実際かけられない状態であった。
 これに対して、民主党は「マスコミの圧力をかけて政権を獲った」政党である。このことは、私のブログの中では常々言っていることであるので、敢えて詳しくここでは述べないことにするが、その体質は現在、要するに政権と取った後も続いているのである。そのことを示した内容が下記の記事である。


大臣の「これはオフレコ」に反論せず 「記者たちはなめられている」

宮城県庁で起きた「オフレコ」問題
   松本龍・前復興相の「オフレコ」恫喝に多くのマスコミは当初は屈していたのか。オフレコ強要発言をいち早く報じた地元の東北放送や宮城県庁記者クラブ関係者にきいてみた。
   「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさん。いいですか? はい。書いたらもうその社は終わりだから」。松本復興相(当時)が2011年7月3日、宮城県庁での村井嘉浩知事との会談中、取材中の記者らにこう注文をつけた。
記者から「異論」出ず
   松本氏の発言に対し、その場で異論を唱える記者はいなかった。記者らは「オフレコ」を受け入れてしまったのか。
   宮城県庁関係者に話をきくと、当日取材にきていたのは、大臣の「番記者」ではなく、ほとんどが地元の記者クラブ関係者だった。
   「オフレコ恫喝」場面を含んだ映像をいち早く3日午後に報じた東北放送(TBS系)に聞いてみた。すると、「今回の件はオフレコ(が成立している)とは認識していない」との答えが返ってきた。当日の状況については「報道したことが全てなのでコメントは控えさせて頂きます」との回答だった。
   宮城県庁の記者クラブ員のある男性記者にきくと、松本氏の「オフレコ」発言については、受け入れるかどうかなどクラブ内では議論もされず、「相手にしてない」状態だったという。冗談だと受け止めた記者もいたようだ。
   東北放送以外の社は、「オフレコ」を受け入れてしまったのではないか、との見方が出ていることについては心外に感じている。
   確かに、松本氏が「オフレコ」だと指定した「今の最後の言葉」とは、村井知事に対し、松本氏が「お客さんが来るときは自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」と話した部分だ。その発言部分を報じている社は複数あり、オフレコに乗ったわけではない、というわけだ。
新聞協会「取材源の秘匿などと同次元」
   とはいえ、大臣が「オフレコです」と発言したこと自体を問題視した記事にしなかったことへの疑問の声は挙がっている。
   元産経新聞記者の福島香織さんは7月4日、ツイッター(@kaokaokaokao)で松本氏オフレコ発言について「私なら、囲みネタにぴったり、とか思うけど」とつぶやいた。
   そもそもオフレコとは、どういう仕組みでどんな意味があるのか。日本新聞協会編集委員会は、1996年2月に見解をまとめている。
   見解では、「取材源側と記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさない」などの条件で行われる取材だ。「取材源の秘匿」などと同次元のもので、「その約束には破られてはならない道義的責任がある」と重々しくその意義に触れている。
   一方で、「これは乱用されてはならず」「安易なオフレコ取材は厳に慎むべき」とも注意を促している。
   見解に従えば、松本氏のような「発言後の一方的通告」ではオフレコは成立しないことになる。
背景にはメディアの甘い姿勢
   とはいえ、松本氏のオフレコ発言が浮き彫りにした問題点は、「松本氏の資質」だけなのだろうか。
  元ロイター通信記者で近畿大准教授の金井啓子さんは、メディア側の問題点を指摘する。「オフレコだ」と言えばマスコミがおとなしく従うとばかりに、オフレコを連発する人たちが増えているからだ。背景にはメディアの甘い姿勢があり、「ナメられている」。つまり、松本氏の例は、氷山の一角というわけだ。
   金井准教授は、信頼関係構築の観点からオフレコ取材の一定の必要性は認めている。しかし、取材源側の「いいなり」でいいはずはない。
   今回の騒動については、「態度の悪い政治家がいた」という側面が注目されているが、むしろこんなに簡単にオフレコ発言が政治家から出てきたこと、さらにそのオフレコ発言を当初は一部のメディアしか報じなかったことの危機的状況に対して注目すべきだと指摘している。

2011年07月06日19時56分 提供:J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5689511/

 仙谷由人氏が官房長官であった時も、マスコミに対する恫喝は非常にすごいものであった。私などは、様々仙谷官房長官に対する悪口を欠いていたが、そのたびに知り合いのジャーナリストや編集者から「仙谷氏から圧力がかかる」「仙谷氏に仕事をできなくされる」などといわれたものだ。残念ながら、私は現在も民主党批判をしっかりと続けているが、中には民主党に巻き込まれた政治評論家も少なくない。
 さて、その体質のまま防災大臣ができた。その前も、記者会見などで民主党政権に都合の悪い質問や真相の的を得た質問をすると、記者会見の会見場への出入りが禁止されることも少なくない。民主党の会見や内閣官邸の記者会見に出入りできないジャーナリストは少なくないのが現状である。
 とはいえ、そのような圧力に屈して真相の報道を行わなくなってしまうのであれば、まさにジャーナリズムは死んだといっても過言ではない。それどころか、それに合わせて都合のよい質問しかしなかったり、圧力に屈した報道しかできないようであるならば、それは、戦中の大政翼賛会の大本営発表を行ったマスコミ、ジャーナリズムとまったく変わらない。まさに一般の庶民に真相を報道しないことによって誤った方向に国を誘導する「デマゴーグ」の主役になってしまうのであり、マスコミが国を滅ぼすという恐ろしい状態ができてしまうのだ。
 今回の松本大臣の恫喝。その恫喝事態も非常に大きな問題にしなければならないのであるが、同時に、そのような恫喝をする体質のある民主党という政党をしっかりと批判しなければならない。逆にマスコミは、この報道を行わないのであれば、日常的に行われている民主党によるマスコミに対する恫喝に屈したということを国民は思うべきである。それと同時に、民主党に買収されたマスコミの報道は信用してはならない。そのことをもっと論理的に国民に伝えなければならなくなるのではないだろうか。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(20) 中国での契約と中国人の性質(6) 逆転の発想による懐柔

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(20)
中国での契約と中国人の性質(6) 逆転の発想による懐柔

 紆余曲折があったものの、ホテルの契約内容をやっと合弁会社の相手側中国企業との話し合いにができるようになった。とはいえ、この段階では、やっと議題にあげることができた状態でしかなく、了解を得られたものではないのである。
  日本人が最も中国ビジネスの場において間違うのがこの部分だ。日本人の場合は日本独特の風習において「根回し」という風習がある。しかし、中国には事前の根回しのようなビジネス慣習は存在しない。日本人は自分たち日本のビジネス慣習を持ちこんで、それで通用すると思っている。しかし、中国は圧倒的に人数も多いし、法体系も商慣習も全く違う。日本的な商慣習だけを持ち込んでも通用するはずがない。しかし、日本人の多くは中国が人治国家であると思っている。もっと言えば、法律やそのほかの規則を無視して商売をしても大丈夫であると思っているのだ。上層部の人に賄賂さえ回して了解尾を得れば、なにをしてもかまわないとおもっている。まさに、独裁者の股肱の臣になったかのごとき振る舞いができると思っているのである。
  しかし、残念ながら中国は法治国家である。中国が法治国家であるというと、日本人の多くの人が違うという。しかし、実際に中国は憲法もあれば刑法も民法もある。そして、後のことになるが、中国人は意外とこの法律に従っているのである。日本人から見て、中国が人治国家に見えるのは、法律における運用の幅が日本よりも広いこと。もうひとつは、日本の法体系にはあって、中国の法体系にはないものが二つある。法学の専門的な内容になるが、その二つが重要な内容になっているのだ。そのうちの一つは、細則などの法律の補助となる法律、または執行規則のようなないようである。これがなければ、法律をどのように運用するのか、あるいは度の順番で多くの案件を処理するのかわからない。その部分が結局は担当者の自由になってしまうということになるのである。そしてもう一つが似たようなものではあるが「通達集」のようなものである。日本の行政は、法律や催促だけでなく、その運用に関しては通達を各省庁が出すようになっている。通達は法的拘束力はなく、運用細則を補助するものである。しかし、実質的には通達は法律のように扱われている。日本では、その通達も法律に準じるために「通達集」という形で、誰でもが確認できるようになっている。しかし、中国にはそのような文書による通達は少ない。口頭で行われる通知がほとんどで文書の通知も少ない。そうなれば、当然に通達集も作れるはずはなく、同時に、口頭の恣意的な内容も少なくない。

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ふざけるな!日本で生肉が食べられなくなる

ふざけるな!日本で生肉が食べられなくなる

 国会新聞社は、明治以降存在している新聞社である。その新聞社において戦後の大きな功績は二つ。
 ひとつは原子力基本法の制定である。今でこそ問題になっているが、戦後直後はヒロシマ・ナガサキアレルギーと左翼的思想によって、全体のエネルギーバランスがわからない人々が少なくなかった。しかし、そもそも太平洋戦争自体が南方資源地帯南部仏印進駐ということを機軸に行われたこと、そしてアメリカという当時の仮想敵国との戦いを想定し、アルミや鉄鋼、そして何よりも石油の禁輸とブロック経済の打破という経済側面から行われた戦争であるということを否定はできない歴史認識の中(この考え方は、戦争における経済的側面からの見方のひとつであり、八紘一宇などの理念の部分を否定するものではないと考える)、戦後アメリカ進駐の中においても、そのアメリカによる占領が外れた後にあっても、日本の慢性的エネルギー不足状態は解消していない。そこで、エネルギーに関する不足状態の甲斐性という意味で、昭和29年の原子力基本法制定に対してキャンペーンを張ったのである。当時通商産業省の機関紙であった政経新報社と、当社だけが原子力推進に非常に前向きであったのに対し、他の新聞、朝日新聞、毎日新聞、赤旗新聞は当然のごとく、他の政府系新聞も、省庁の機関紙も院内紙も全てが原子力に反対であった。その結果が良かったのか悪かったのかということは、歴史が判断するであろうが、実際に、2回の石油ショックを経験した日本において、また、当時の1ドル360円の固定相場などを考え合わせれば、他の選択肢があったのかという、現在では名億答辞の選択肢の視点で物を考えてみていただければよいのではないか。
 一方、もうひとつの大きな功績が「売春防止法」制定のキャンペーンである。昭和33年3月31日を持って、売春防止法が施行され、東京の吉原から遊郭が消えてしまうのである。もちろん、日本が国際社会において独立した国家として認識されるためには「人身売買」をやめなければならない。戦後日本は400万人の国民が死亡し、人口は約7200万人、そもそも日露戦争のときですら外国の文献を調べれば「日本は貧しい」ということが書いてあるものばかりである。その貧しい日本が15年間も戦争を継続し、国家予算の半分に近い金額を国防と戦争に通夜してきた。その上、度重なる空襲で日本のあらゆる都市の都市機能は麻痺し、また工場地帯は全て焼け野原と化した。そこに、着の身着のままで復員してくる兵約720万人が帰ってくるのである。雇用も働く場所もない日本が復興を行うのは、急激な産業化と消費構造が必要になる。当然のごとく緊急事態であり、大変不謹慎ではあるがその度合いは現在の東日本大震災後の日本の比ではなかった。しかし、それでも産業のない日本人は、女性が体を売ることによって米軍兵から生活の糧を得ていた。当時「パンパン」といわれる女性が多かったのは、まさに生活のためであり、それは産業がなくまともな雇用関係が存在しない日本の当時の現状を物語っているともいえる悲しい話である。
 しかし、日本は朝鮮戦争の恩恵もあり、7年で復活し、50年で世界第2位の経済大国に変化する。その間には日本がが独立国としてしっかりとした地位を築いてきたということに他ならない。その国際社会の仲間入りをするにあたり、日本は明治維新のときと同じように西欧列強、戦後の場合は「連合国」(ユナイテッド・ネイションズ)各国のまねをすることによって頭角を現した。その中におけるひとつが、「売春防止法」であり、現在のような行き過ぎたジェンダーフリー、男女共同参画を行うものではなかった。
 もっと言えば、売春防止法は、ひとつの日本の文化である「遊郭」を消滅させたが、そのことによって女性が家庭に入り、男性が社会に出て働くという構造を再構築するためには必要なものであったといえる。そればかりではなく、家族関係や家制度、そして日本人的な一族郎党の団結力を強化したことにより、日本は高度経済成長を達成し世界2位の経済大国に発展したのである。
 要するに、売春防止法に遭っては、ひとつの文化を消すことによって、より大事な家族という文化を取り戻したということが言えるのかもしれない。そして、日本的な家制度が、西欧各国の個人主義よりも優れていることは、ひとつには数年で世界2位の経済大国になったこと、そして、もうひとつには戦後7200万人しかいなかった日本の人口がたった50年間で5000万人も増えて1億2000万人に増えそしてそのほとんどが貧困にあえいでいるわけではないということが、その証左である。西欧各国などは人口がほとんど増えていないことを考え、またその産業も発展していないことを考えれば、日本の家制度、団結力、そして日本の文化が世界に誇れるものであることは十分にわかるのではないか。
 さて、このような文化論をしながら、今日は、ひとつの犯罪でひとつの日本の食文化が消えようとしているという事を訴えたいと思っている。新聞記事は下記のものである。


牛生レバー禁止を検討 厚労省審議会、違反なら罰則も

 厚生労働省の審議会は6日、生食用の牛のレバー(肝臓)の提供を食品衛生法で禁止する検討を始めた。食中毒の多発を受け複数の委員が危険性を指摘。厚労省は同日、意見がまとまるまでは生レバーを提供しないよう飲食店などへの指導の徹底を自治体に求めた。禁止の方針が決まれば、厚労省は罰則付きの法規制に向けた手続きに入る。
 焼き肉チェーンの集団食中毒事件を受け、審議会はユッケなど生食用の牛肉などの取り扱いについて協議している。牛の生レバーは、内部で細菌が見つかっており、食中毒を防ぐには加熱するしかない。審議会では「生での提供を禁止すべきだ」との意見が大勢を占めている。
 厚労省によると、生食用の衛生基準を設けた1998年当時は、食中毒の原因となる細菌のカンピロバクターは牛の腸管内にはいるが、肝臓の内部にはいないと考えられていた。このため、解体処理中に腸管が破裂するなどして、細菌が肝臓の表面に付着しないようにすれば、生で食べられるとしていた。
 ところが、2001~03年度に行われた厚労省研究班の調査で、肝臓の内部にもカンピロバクターがいることが判明した。腸管から胆嚢(たんのう)や胆管を通って、肝臓の内部に入り込んだとみられている。

朝日新聞 7月6日
http://www.asahi.com/national/update/0706/TKY201107060268.html

 五月におきたユッケによる死者が出た食中毒事件を受けて、日本においては生肉の検査制度がないこと、そしてその検査が行われていないことが明らかになった。厚生労働省はすぐにその問題を重視し検討部会を行っている。しかし、日本の役所というのは基本的に「責任転嫁型」行政の典型的なものであり、そもそも基準を作っても運用できないし、運用しないことを指定されれば全てを禁止してしまうというあまりにも国民をなめきった対応しかしてこない。
 たとえば、秋葉原の通り魔事件が起きた後に、ダガーナイフが犯行に使われたということを重く見た。本来であれば、ナイフそのものの購入の制限やナイフ購入者を登録制にする、もしくは人が多く集まるところそのものに対しての警備を強めるなどをすることが最も生活にも何にも影響が少ない内容である。しかし、日本の場合は、そのような「自分の仕事と責任が増えること」は行わないのが官僚の基本姿勢である。もっと言えば「国民から税金を吸い上げて、楽して、責任を他者に転嫁して、自分の地位を守る」というのが日本の官僚の基本姿勢であるといって過言ではない。本来は全体の奉仕者として、国民に対してのサービス業を行っていなければならないのであるが、残念ながら、取り締まり権限を持ってしまったサービス業はいつの間にか「特権階級の集団」に変わってしまい奉仕者ではなく命令者に代わってしまったのである。その結果、ナイフそのものの販売を禁止するという、もっとも楽でかつ、責任を転嫁でき、そして仕事をしない方向で物事を決着してしまう。
 同じことは、振り込め詐欺におけるATMの使用制限にも言えることである。詐欺があるならば、一件一件しっかりと調査し、警備員を置けばよいことである。特にお年寄りが被害者が多いのであれば、お年寄りのサポートシステムを作ればよいことであり、一般の人の分まで制限をしなくても良いのではないか。しかし、「責任転嫁で楽な決着をする」日本の官僚的な体質は、一般の人の不便などを考えることなく、取り扱い金額の制限という最も良くない、そして生活を不便にする結論を出してしまうのである。
 さて、今回の生肉、特に生レバーの販売禁止というのもまさに「官僚が楽したいための結論」でしかない。要するに生レバーなどをしっかりと検査すればよいことであり、それだけの予算とそれだけの雇用を生み出せば、それなりに日本の経済の発展を得ることも可能なはずだ。しかし、責任を負いたくない日本の厚生労働省は、検査をすれば、当然にその検査漏れに対しての責任を負わなければならないという、「非常にけち」な判断基準を元に「危険があれば禁止する」という安易な結論を出してしまった。
 生レバーを食するのは日本古来の食文化ではない。しかし、生レバーを元に、ビールなどを楽しむ人は今のサラリーマン文化の中では非常に重要な動きの中のひとつではないのか。そのような「サラリーマンの楽しみ」を、非常に厚生労働省的な理論と身勝手な責任転嫁型の政治で禁止されて、国民は黙っているのであろうか。このような結論が出るところを見ると、まだまだ日本の官僚制度、公務員制度は、自分で責任を追って仕事をしながら、国民の自由な活動を束縛しないという、「全体の奉仕者」としての考えがまたく足りないことがわかる。私は、個人的に国家公務員改革ではなく「国家公務員守旧運動」でしかないのではないか、と考えている。要するに「全体の奉仕者」として、しっかりと席印を回避せずに活動すれば、それでよいのである。そのことがわからない政治家とわからない官僚ばかりで、何かといえば「耳ざわりの良い」改革という単語を使っている。しかし、本来「改革」というのは過去が悪い因習であるということを言っているのと同じである。その根本的な考え方から変えなければならないのかもしれない。
 生レバーの好きな人間からの、提案である。

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日本の国会空転の間に中国では空母が進水間近の衝撃

日本の国会空転の間に中国では空母が進水間近の衝撃

 中国の空母、通称「ワリヤーグ」が進水間近であるという。
 先日、中国の空母が大連港で撮影された。その写真を見るところ、レーザー型イージスシステムなどを備えた航空母艦であり、多分ミサイル防護システムや防空シスエムなどがしっかりと施されているであろう。大連港の写真でわからないのは、カタパルトの仕様と対潜水艦(対魚雷)システムの優劣といったところであり、47機(想定)の搭載機数の航空機の戦力と合わせれば、日本海、東シナ海、南シナ海に展開されることになり、隣国においては非常に大きな脅威となる。
 この空母の完成は、空母一隻の完成ではなく空母と護衛艦隊の完成と編成を意味するものであり、その内容は、空母艦隊の編成が行われる中において、中国が本格的に太平洋に進出するということを意味している。
 ただ単に技術力の誇示のために作ったのであれば何の問題もない。しかし中国は「大陸棚領海論」を出しているので、その中国の主張する了解を守るため、要するに尖閣諸島や沖縄、台湾の「護衛」のために空母が使われるとなれば、日本の現在の領海の中に中国のこの空母艦隊が侵入してくるといことになる。
 国際条約上、排他的経済水域(EEZ)の中においては、商船などの通常の航行は認められていることになる。しかし、軍艦の侵入は認められておらず事前の相手国の通知を必要とすると同時に、相手側国内における軍事構想(演習、調査などを含む)も禁止されている。領海内(排他的経済水域ではなく12カイリ内という意味で)においては、民間船の侵入も認められておらず、真有事に命令に従わない場合は攻撃が認められている。
 数年前に、日本の漁船がロシア実効支配領海内(北方領土であるために、その領海の設定自体にも問題があるので「実効支配領海」とした)において操業をし、ロシア巡視船の停船命令を無視したために攻撃を受けた。船長以下数名が死亡し、日本は国際社会に訴えたが、国際社会の対応は非常に冷たく、「他国領海内に不法に侵入した日本の漁船が悪い」というのが国際世論である。このような国際世論は今も変わらない。尖閣諸島が中国領土と認められれば、この空母の艦載機が日本の漁船を予告なしに攻撃する危険も懸念される。尖閣諸島の実効支配ということに関して、この空母の完成は、予断を許さない状況を作り出したのではないか。
 その空母に関する記事は下記のものとなる。


中国初の空母が進水間近、船長には柏耀平氏が有力視―米シンクタンク

 2011年7月4日、香港紙・明報によると、中国で初めてとなる空母の進水の準備が進められている。米シンクタンク・ジェームズタウン基金会によると、20年以上の海上作戦の指揮経験をもつ柏耀平(バイ・ヤオピン)氏が中国初の空母艦長となる可能性が高いという。シンガポール華字紙・聯合早報が伝えた。
 同基金会は、同空母艦長の育成は既に長期にわたって厳格そして戦略的に行われてきていると指摘した。87年初め、当時海軍指令部にいた劉華清(リウ・ホアチン)中央軍事委員が空母と原子力潜水艦の建造を提案。同年5月、最も優秀なパイロット9名が選抜され、3~4年間、軍艦の作戦指揮などの訓練が行われたという。
 記事は、空母艦長候補の柏氏は当時の9名の中で最も優秀な成績を収めていたと紹介、多くの専門家が同氏を有力視していると指摘した。同氏は安徽省准南市出身の49歳。17歳で中国空軍飛行学院に入学、18歳で戦闘機「単飛」の操縦を開始したという。選抜訓練期間は30以上の科目を学んだが平均成績が90.5点と最も優秀で、2000年にはロシアの海軍指揮アカデミーに留学している。(翻訳・編集/津野尾)

2011年7月5日(火)10時2分配信 Record China 
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20110705007/1.htm


中国、2020年までに空母4隻建造か=海軍増強に注力―ロシアメディア

 2011年7月4日、ロシアの軍事ニュースサイトは、中国が2020年までに空母2隻を完成させる計画だと報じた。新華社通信が伝えた。
 ロシアメディアが報道した中国海軍の計画によると、2015年までに4.8万~6.4万トン級の中型空母2隻を建造し、さらに2015~2020年に9.3万トン級の原子力空母2隻を完成させる予定になっている。
 また、空母キラーとも称される対艦弾道ミサイル「東風21D」などの開発にも力を注いでいる。現在、中国軍の予算の3分の1が海軍の拡大に向けられているが、2025年までに陸軍を徐々に縮小すると同時に、海軍の勢力をさらに増大させていく方針だという。
 こうした状況について、米国の軍事専門家は中国が海軍こそが国家の安全確保のために重要だと考えている証だと分析する。また、中国海軍の高官もかつて「中国海軍の戦略は沿海の安全確保から遠洋の保護へと変わりつつある。経済的利益の増大に伴い、海軍は国の交通ラインと主要な航行ラインの安全を確保しなければならない」と語り、エネルギー輸入ルートの安全確保や南シナ海の領有権問題など、海軍の重要性を指摘していた。(翻訳・編集/HA)

2011年7月6日(水)5時51分配信 Record China 
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20110706002/1.htm

 日本の問題は、領海の護衛をできないことである。領海侵犯罪と他国の侵犯に関してしっかりと自衛隊が機能するようにしなければならないのではないか。そのうえで、戦争に発展する場合の日米安全保障条約の具体的な運用論が必要になってくると考えるのである。
 領土の守護や国防、災害に対する防災に対して「想定外」は当たり前のことである。しかし、その想定の幅をいかに広げるかというのは、いかに将来を楽観視しないかということにかかっている。将来を楽観視しないということに関しては、当然にそれにおける情報をいかに多くそして確実性を持って収集するかであり、その情報をいかに「活かし」て確実性を持った将来を想定するかである。そのうえで将来の想定外の場合(想定を超える事態)を考えて、その権限の移譲と緊急時対応を考えなければならない。残念ながら「想定外」を乱発し、いまだに震災の復興のできない(それは努力の有無ではなく結果として被災地の人が満足・納得できる内容になっているのか)状況において、今の政権でそのような領土の守護や攻防ということに関して不可能であるということが十分にいえるのではないか。
 当然に隣国がこのような状態であるということはいつまでも憲法9条を誇示するということも不可能である。中国の場合は、どのような手段で日本に侵略してくるかわから愛ばかりではなく、中国の沿岸諸国における連携を持ってその軍事侵略に対抗しなければならない。台湾、フィリピンなどへの進出が行われれば日本の領土が侵略されなくても、日本への物資の輸送、要するにシーレーンが危うくなるのである。
 中国における空母の完成と空母艦隊の編成に関し、その体制を今こそ国防と防衛、シーレーン防衛という意味でしっかりと考えなければならないし、法律の改正、場合によっては憲法の改正を含めて、検討をすることが急務である。それだけではなくその危機管理のできない政権を追い落とさなければん日本がなくなってしまう、中国に占領されてしまう、少なくとも現在の生活を維持することが難しくなるということを、日本国民一人一人がしっかりと考える必要があるのではないか。

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菅首相が進退を語った2週間の空転後の衆議院予算委員会

菅首相が進退を語った2週間の空転後の衆議院予算委員会

 新聞記事のような記事をたまには書いてみようと思う。
 6日延長国会がやっと再開した。「再開」ということは、今まで空転していたということである。要するに6月22日の通常国会の本来の閉会予定日から70日間延長したにもかかわらず14日間国会は「空転したまま」であったという。
 空転の理由は二つ。
 一つは、6月2日の内閣不信任否決における退陣表明とされているものである。民主党の執行部は、その後の菅直人首相自身の退陣しないという態度と鳩山前首相の「ペテン師」発言によって、あわてて退陣の見通しを語った。しかし、与野党合意に関しても「新首相のもと」を「新体制のもと」と直し、ひんしゅくを買っている。一応執行部が退陣させるということを言っているのでおさまっているが、予算委員会でその内容に関して菅首相の「ペテン師ぶり」が明らかになった。
 もうひとつは、浜田和幸参議院議員の「一本釣り」である。昨年初当選の参議院議員を一本釣りした。この行為には民主党の執行部でも呆れてしまい、そのために審議をすべて拒否するという野党を説得できない状態になったのである。浜田議員は「一本釣りではなく一本勝負」などといい「大義のために政党を離党した」といっていたが、その自分の行動で審議を14日間も停滞させたということは、自分の身勝手で、被災者の生活を、この暑い中に停滞させたし、復興をそれだけ遠くさせたのである。その日本国民と国家に対する罪は非常に重い。
 この浜田議員の政務官東洋に関しては、さすがの民主党執行部も菅内閣を見放したようである。安住国会対策委員長も菅内閣に対して否定的な内容を言っているし、松本復興大臣の後任として指名された仙谷官房副長官も、安住国会対策委員長も復興大臣人事を誇示している。沈没船に乗るのは嫌だということだ。
 その章名内閣の末期状態で繰り広げられた与野党の対決を少々見てみよう。


内閣不信任案再提出に言及 自民・石破氏「一国会に一度はあくまでも慣例」

 自民党の石破茂政調会長は6日午前の衆院予算委員会で、復興対策担当相新設などで内閣の構成が変わったことを理由として、今国会に内閣不信任案を再提出する可能性に言及した。
 与党は自民党など野党が出した不信任案を6月2日に否決している。不信任案の提出は一国会に一度との慣例があるものの、石破氏は菅直人首相に対する質問で「あくまでも慣例だ。事情が変わればもう一度、議案は出せる」と強調した。
 一方、首相は「一度議決されたものは同じ会期の中ではもう一度議決しない。議会を順調、適切に運営するルールだ」と答弁した。
産経新聞 2011.7.6 14:18
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110706/plc11070614210016-n1.htm


首相「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまでやる」

 菅首相は6日の衆院予算委員会で、野党から相次いだ早期退陣要求に対し、続投への強い決意を改めて表明した。
 みんなの党の渡辺代表は、「首相はまだ伝家の宝刀を持っている」と衆院解散の決断を迫ったが、首相はこれを逆手に、「大きな激励をいただいた。満身創痍(そうい)、刀折れ、矢尽きるまで、力の及ぶ限りやるべきことをやっていきたい」と返した。
 また、自民党の石破政調会長から「あなたは1度でも『辞める』と言ったか」とただされると、首相は「『辞める』『退陣する』という言葉を使ったことはない」と強調し、「私が最高の首相だとうぬぼれてはいないが、責任から逃げるわけにはいかない」と追及をかわした。

最終更新:7月6日(水)18時53分 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110706-00000827-yom-pol


菅首相:復興相辞任…「任命責任は私に」 衆院予算委

 菅直人首相は6日午前に開かれた衆院予算委員会の集中審議で、松本龍前復興・防災担当相が東日本大震災の被災地での放言で引責辞任したことについて「被災者の皆さんに不快な発言があったということで、おわびしたい。任命責任は私にある」と陳謝した。
 菅首相は自らの退陣時期について「三つの法律や予算の成立をもって一定のめどといたしたいと申し上げた」と述べ、11年度第2次補正予算案や再生可能エネルギー固定価格買い取り法案、特例公債法案の成立が退陣条件になるとの認識を重ねて表明。その上で「やらなければならないことを責任を持って、全力を挙げて進めたい」と述べ、当面の続投に意欲を示した。
 菅首相は「3次補正(予算案編成)や(被災地復興)特区の法律づくりに進んでいかなければならない」と述べ、本格復興に向けた決意を強調。松本氏に代わって就任した平野達男復興・防災担当相は「一日も早い復興、復旧に努力したい」と意気込みを語った。民主党の郡和子、自民党の石原伸晃、石破茂各氏への答弁。
 衆院予算委の開催は、6月22日に70日間の会期延長を議決して以来初めて。空転が続いていた国会は2週間ぶりに正常化した。【西田進一郎、光田宗義】

毎日新聞 2011年7月6日 11時33分(最終更新 7月6日 13時16分)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110706k0000e010034000c.html

 まず、このご都合すぎには、怒りを通り越して笑いになってしまう。私はわざと並べて見たのであるが、『自らの退陣時期について「三つの法律や予算の成立をもって一定のめどといたしたいと申し上げた」と述べ』、(上記毎日新聞より)それにもかかわらず『首相は「『辞める』『退陣する』という言葉を使ったことはない」と強調』(上記読売新聞より)ということだ。結局辞める気はさらさらないということだ。
 これならば岡田幹事長も安住国会対策委員長も「刺し違える」まで言っていたのであるから、本当にいう通りにすればよい。まさに民主党こぞってのペテン師ぶりには呆れてしまう。完全にペテン師の集団、嘘つきは泥棒の始まりというが、このような人たちに政権を任せておいてよいはずがない。
 それだけではなく、『松本龍前復興・防災担当相が東日本大震災の被災地での放言で引責辞任したことについて「被災者の皆さんに不快な発言があったということで、おわびしたい。任命責任は私にある」と陳謝した』(上記読売新聞より)徒あるが、その責任を取って松本大臣が辞任したにもかかわらず自らは居座り続けるということだ。
 そのうえ、内閣不信任の再提出に関して言えば『不信任案の提出は一国会に一度との慣例があるものの、石破氏は菅直人首相に対する質問で「あくまでも慣例だ。事情が変わればもう一度、議案は出せる」と強調した。
 一方、首相は「一度議決されたものは同じ会期の中ではもう一度議決しない。議会を順調、適切に運営するルールだ」と答弁した。』(上記産経新聞より)とあり、自分の退任に関しては「退陣するという言葉を使ったことがない」と答弁したにもかかわらず、内閣不信任に関しては書いていないこと、文字になっていないことを「ルールだ」と答弁するめちゃくちゃぶり。このご都合主義をしっかりと指摘する人が全くいないのはさすがに驚きである。この対比をしたいために、わざわざこれを並べてみた。
 自分の都合で書いてなければ辞めないといい、一方でがいていなくてもルールだと答弁する。これを信用できるのか。そしてこのような内閣総理大臣を示しいた民主党という政党の問題をしっかりと国民は認識すべきであろう。

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松本復興大臣の暴言で助けられた菅直人外国人献金スキャンダル

松本復興大臣の暴言で助けられた菅直人外国人献金スキャンダル

 菅直人に関する北朝鮮・韓国・在日に関するスキャンダルは少なくない。これまで報道荒れているだけでも、そのあまりにも多い内容にはあきれて物が言えないくらいである。実際に、彼らの行動そのものが反日的、反国家的である事は明白であるばかりか、明確に国益と反し、同時に国家の存亡を脅かす存在であることは間違いがない。その国家の存亡にかかわるほどの重要な内容であるにもかかわらず、その人物が首相の座に居座り続けているというのは日本国民一人ひとりどのように考えているのであろうか。その辺のところをじっくりと聴きたいと思う。
 さて、当該内容に関し、また菅首相の悪運が強いのが、このようなスキャンダルが出ると他の問題が出てくるということである。シンガンス釈放署名のときは野党であった。そして、外国人からの献金疑惑のときは、その直後に東に本題震災が発生して一命を取り留めた。そして今回は松本復興大臣の暴言騒ぎでまたかき消されそうになっている。しかし、実際のところ、首相の資金管理団体が北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体に献金していた(資金援助していたとも読める)ということであれば、まったくその行動はおかしなものということになる。
 そもそも、拉致実行犯とされるシンガンス釈放署名に関しては「知らなかった」でsませているが、今回は出勤しているという状態でありその内容は、完全に拉致を解決するという国家の大方針(この方針に関しては方法論は別にして日本国民の間においてはコンセンサスが取れていると思うが)に相反する行動出るといわざるを得ない。そして、首相自らがそのようなことを行うということその物が非常に大きな問題である。
 もっと端的に言えば、首相自ら拉致を推奨し、日本国民の主権を脅かす行動を援助しているかのような状況になっているということになるのではないか。今回の件そのものに関してだけでなく、それまでの菅首相の行動や憂いままでの政治活動、そして外国人との政治的なかかわりに関して言えば、まさに「売国政治家」「北朝鮮の拉致を援助した日本人」「日本を破壊し、日本人の安全を美や貸す活動をしている人物」として出てくるのではないだろうか。
 少し古いがそのことを報道した記事が産経新聞から出ている。



菅首相側、北の拉致容疑者親族の周辺団体に6250万円献金

 菅直人首相の資金管理団体「草志会」が、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」(東京、酒井剛代表)から派生した政治団体に、計6250万円の政治献金をしていたことが1日、分かった。年間の献金限度額上限の5千万円を支出した年もあり、大口の献金者だったことがうかがえる。政府の拉致問題対策本部長でもある首相側の献金先としては「不適切」との批判を受けかねない。
 菅首相側が献金していたのは、「市民の党」から派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」(神奈川、奈良握(にぎる)代表)。
 「めざす会」は市民の党の酒井代表の呼びかけで平成18年に結成され、奈良代表も市民の党出身。めざす会には、市民の党の名を冠する会派に属している複数の地方議員が年間計1千万円近い政治献金をしているほか、事務担当者が同一だった時期もある。
 政治資金収支報告書によると、草志会は19年に5千万円、20年に1千万円、21年に250万円をめざす会に寄付している。19年の5千万円は資金管理団体から政治団体に献金できる上限額。この年は、めざす会の収入の6割近くが草志会の寄付だった。市民の党をめぐっては14年6月、横浜市議2人が市議会本会議で議場内の国旗掲揚に反対し、議長席と事務局長席を占拠して6時間近く議事を妨害した問題が起きている。
 一方、市民の党には日本人拉致事件の容疑者の親族が所属。この親族は、昭和55年に石岡亨さん=拉致当時(22)=と松木薫さん=同(26)=を欧州から北朝鮮に拉致したとして結婚目的誘拐容疑で国際手配されている森順子容疑者(58)と、よど号ハイジャック犯の故田宮高麿元リーダーの長男(28)。長男は北朝鮮で生まれ、平成16年に日本に帰国するまで現地で生活していた。今年4月の東京都三鷹市議選に市民の党から立候補したが、落選している。
 市民の党には、民主党の黒岩宇洋(たかひろ)法務政務官の関係政治団体も21年に計約400万円の政治献金を行っており、自民党の河井克行衆院議員らが今年5月の衆院法務委員会で「(長男は)20歳のときまで北朝鮮にいた。どのような教育を受けたかということは容易に想像がつく。そういう人を公認したのが市民の党だ」などと指摘している。
 市民の党の酒井代表は取材に、「菅首相とは30年ぐらい前からの付き合い。寄付については出している側に聞いてほしい」、めざす会の奈良代表は「首相と会ったこともないし、詳しいことは分からない」と話した。
 菅直人事務所は献金について、「当時の党の役職者(代表代行)としての責任において、職務遂行の一環としてのものであり、法に則(のっと)り適正に処理している」とコメントしている。

2011年07月02日08時15分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/5678960/

 そもそも、この報道をしないマスコミは、今後二度と拉致などと言うことを言わないでほしい。そもそも、拉致だのかわいそうだの言いながら、民主党が絡む北朝鮮関連の報道をしないということ、もっと言えば、北朝鮮に組し、まさに拉致や日本への威嚇、攻撃、日本の領土への侵犯や日本の主権を脅かす行為を、見過ごしているばかりではなく、そのような連中を野放しにし、そしてそのような支援を行っている人物を首相に仰ぎ、その権力をそのまま維持しようとしている連中は、マスコミでも、支持者でお、一般国民でも、それは拉致の実行犯、もしくはそれに協力する共犯としてきっと弾劾されるべきであろう。
 要するに、このような内容に関してしっかりと報道ができない、それどころか松本復興大臣の発言だけでおたおたとしており、日本の国益のためにならないのであれば、マスコミそのものの存在も必要がなくなってしまうばかりか、その存在自体が「国益に反する」ということになるのではないだろうか。
 民主党政権の嘘ということに関しては、マニフェスト以降日本人は完全に見やぶっている。それまでは、「未納三兄弟」など、ブーメラン発言というレベルでよかったが、政権を執り、その発言が国家を打表すうようになれば、その状態で済まされるものではない。当然に、発言、行動は責任を持たなければならないし、責任を取らせるように国民は動かなければならないのではないか。その責任感の欠如が、何よりも今の民主党にかけていることなのかもしれない。

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松本復興大臣の発言は何がいけないのか

松本復興大臣の発言は何がいけないのか

 連日松本復興大臣の発言が話題になっている。
 まず就任のあいさつのときに「私は民主も自民も公明も嫌い」といって物議をかもした。この時は「政局が嫌い」という意味だという弁明をし、一応おさまったかに見えた。そして、7月2日には「御用聞きのように十移民の意見を聞いていきたい」といいながら、3日には、「みんながどういう知恵を出せるか、これからは知恵合戦だ。今度は知恵を出すところは助けますけど、知恵出さないやつは助けない、そのくらいの気持ちをもって(対処する)。」と岩手で発言し。宮城県では「先にいるのが筋だろう。お迎えするのがね。」といい、「例えば、水産関係でも、(県内の漁港を)3分の1から5分の1に集約するってと言っているけど、県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと、我々何も知らんぞ。ちゃんとやれ、そういうのは。」といった後、周囲のマスコミを「(報道陣に)今の最後の言葉オフレコです。いいですか?いいですか?はい。書いたら、もうその社は終わりだから」と恫喝した。
 これが、復興担当はいえ、一国の大臣の発言だ。「末は博士か大臣か」というのは、子煩悩の親が子供に対してっ期待しているときにいう言葉であるが、その大臣がこのようでは何とも言えない。「末は大臣」というのは、最近では近い将来悪口の一つになってしまうのではないか。かなり心配しているのである。
 とりあえず、その松本語録を新聞から抜き出してみよう。


ご用聞きのように住民意見聞きたい…復興相

 松本復興相は2日、就任後初めて被災地入りし、福島県庁で佐藤雄平知事と会談し、今後の復興の進め方について意見交換した。
 この後、記者団に「私自身はあまり東京にいることなく、被災地に行き、ご用聞きのように住民の意見を聞いていきたい」と述べた。3日には岩手、宮城両県庁で達増拓也、村井嘉浩両知事とそれぞれ会談する。

(2011年7月2日20時58分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110702-OYT1T00726.htm?from=popin


欲しいはダメ知恵出せ…復興相、3日岩手知事に

 松本復興相と岩手県の達増拓也知事が3日午前に会談した際の復興相の主な発言(要旨)
 「発災から今日まで、休んだのは5月5日だけ。これからは私自身はいろいろな所に被災者の話を聞いて回りたい。(現地対策本部には支援を)絶対切れ目を作るなよ、と指示している。強力な体制でやってくれると思う。それと、俺九州の人間だから、何市がどこの県とか分からん。昨日は(岩手県)宮古の山本(正徳市長)に連絡して、『頑張るぞ』と話をした。陸前高田、大船渡、南三陸、気仙沼、山元町、相馬、新地町、南相馬(各首長ら)にも昨日電話した。本当はね、仮設(住宅)はあんたたちの仕事だから、仮設よりも恒久住宅を我々は構想するから、みんながどういう知恵を出せるか、これからは知恵合戦だ。今度は知恵を出すところは助けますけど、知恵出さないやつは助けない、そのくらいの気持ちをもって(対処する)。昨日も宮古の山本(市長)に言ったけど、もうあれが欲しい、これが欲しいはだめだぞ、知恵出せよ、という話をした。あいつは俺の弟みたいなものだから。甘えるなって言った」

(2011年7月4日20時18分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110704-OYT1T00952.htm


「コンセンサス得ろよ」復興相、3日宮城知事に

 松本復興相と宮城県の村井嘉浩知事が3日午後に会談した際の復興相の主な発言(要旨)
 (復興相が先に宮城県庁の会談会場に入室したが、村井知事が遅れて現れた)
 「先にいるのが筋だろう。お迎えするのがね。分からん。俺、大臣室にいる時は立って(来客を)お迎えするよ。もう俺ずっと3月11日から5月5日に1日だけ休ませてもらったけど、ずっとこの仕事をやっているから、何でも相談には乗る。だから、しっかり政府に対して甘えるところは甘えて、こっちも突き放すところは突き放すから。そのくらいの覚悟でやってください。それぞれの市町村で(復興)構想会議とか、絵を描いていると思う。私の基本的な立場はそれぞれの町で伝統や産業や文化が違うから、それぞれの話を聞いて、我々もしっかり見ながらやる。例えば、水産関係でも、(県内の漁港を)3分の1から5分の1に集約するってと言っているけど、県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと、我々何も知らんぞ。ちゃんとやれ、そういうのは。今、(村井知事が)後から入ってきたけど、お客さんが来る時は自分が入ってからお客さん呼べ。いいか、長幼の序が分かっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。分かった?(報道陣に)今の最後の言葉オフレコです。いいですか?いいですか?はい。書いたら、もうその社は終わりだから」

(2011年7月4日22時53分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110704-OYT1T00959.htm?from=main2

 さてさて、何がいけないのか、箇条書きにしてみよう。基本的に大きな内容だけをあげてみるが、これはまとめると完全に「THE 民主党」という特徴が出てくるのが面白い。
1 2日の発言と知事への発言がまったく異なる
 要するに、事前の発言と当日の発言が異なるということ。要するにどちらかが完全に嘘なのだ。そもそも、大臣や長幼の序を考えて、「先に迎えるべき」というのは、時と場合と相手を考えればある意味当たっている。たとえば、天皇陛下が相手ならば、迎えるのが当然であろう。松本大臣は、ある意味「舐められた」と感じたのかもしれない。しかし、逆に現状、すでに震災後4カ月たつといいながらも、実際に復興が進んでいない状態において、自分が大臣だからといって迎えを出せというのは非常にどうかと思う。もっと言えば、そのようなことを事前に調整する秘書もまともに仕事ができないという、民主党大臣の人望の無さと仕事の段取りの悪さが目立つということかもしれない。
 迎えの話以外の部分、「御用聞きのように」と「知恵を出せ、でなければ何もしない」というのは、両立する概念なのだろうか。そもそも、震災後の現状で、体育館に暮らしている人に対して、知恵を出せというのはどういうことであろうか。
 平時と緊急時が全く分かっていないのではないか。まさにへつ言語あころころ変わる民主党の象徴ではないのか。
2 現場を理解した発言ではない
 今の現状が把握されていれば、知恵が出るか、県内のコンセンサスが取れるのか。すぐにでもわかるはずだ。逆に他の都道府県に非難している人のコンセンサスをどのようにとるのか。岩手でも、仮設住宅よりも高級住宅は良いが、単純にそれまで体育館でクラスということなのか。
 結局現場をわからずに他人任せ、そして責任を負わない体質がまさに民主党そのものであるといえる。
3 マスコミへの恫喝
 マスコミへの恫喝。昨年は仙谷官房長官がこのマスコミへの恫喝で有名になった。国会でもそのことは追及されている。では、その恫喝で何をするのか。そもそも、言論の自由であるし事実をそのまま報道するのに何の遠慮がいるのか。それを報道しないことを要請すること自体が問題であるのに、その社は終わりだから、という話は一体何を考えているのか。
 まさに、言論統制で政権を取った、そしてマスコミがそれに従って、偏向報道したから政権を取った民主党を端的に表している。
 この事件に関して言えば、このようにこの発言の問題点をしっかりと解釈し、松本大臣個人の問題ではなく、今まで民主党政権がしてきた内容に関して、それを踏襲しているだけ、つまり民主党政権のそのもの性格がしっかり出てきたのに過ぎないと言うことを国民が認識しなければならない。そのうえで、松本大臣だけではなく、民主党が今までしてきたことそのものの問題をしっかりと指摘すべきではないのか。そして松本大臣個人の問題ではなく民主党そのものの問題だけで、国民がこれだけ違和感を感じ、そして起こっているということをしっかりと認識すべきではないのか。

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マスコミ批判に関する一考(51) 誤報の責任を負わないNHK

マスコミ批判に関する一考(51) 誤報の責任を負わないNHK

 マスコミといっても実際の取材をする記者という職業に関して関心が高まっている。とくに東日本震災、福島原発、そしてそれ対応する政府、現場の地方自治体、そして東京電力、現地の被災者を含め、多様な取材対象をそれこそ様々な目的で取材をする。3月11日にすぐ全国各地から被災地に飛んだ多くの記者たちには敬意を払う。彼らがいたから現場の状況がすぐに分かったということは間違いがないし、彼らの取材や通信機器によって安否確認ができたというところも少なくない。一方で、誤報なども少なくない。震災直後の混乱期であったために、情報が少ない中での取材であるからある程度は許容されるべきであると私は考える。たとえば、なくなられた方の数などに関しては、当然に、時間を追うごとに増えてくる。初めのうちは数百人だったのに、今では万を超える数字が並ぶ。数百であったということを批判する、あるいは誤報であると言って怒る人はいないであろう。
 一方、そのような混乱による誤報は、震災直後であるから許されることになる。震災直後に「津波は怖い」といっていても、やはり海と共に生きる人々海で生活している人々の海に対する強い思いはしっかりと伝えなければならない。時間とともにしっかりと意思が固まってゆく、または傷は癒えて新しい生活に目を向けてゆく地元住民中心の、地元の人のための報道をしなければならないのではないか。
 震災後100日以上たった現在では、しっかりとした報道が求められる。それだけではなく、あまりにも影響の大きな誤報(または政府発表)などに関してはしっかりとした責任の追及がなされなければならない。とくに政府の対応に関しては、なぜ早く非難させなかったのか、なぜ「安全だ」といっていたのか。その部分に関する検証や、データ、詳しい資料が国民に示されなかったことに関する追及ままだまだ足りない部分である。
 最近、なぜ、その「追及が足りない」のか、私なりに思うところがあった。その部分に関して記事の後ろで書いてみたい。


【日本版コラム】震災で高まるメディア批判、報道現場とのかい離も

金井啓子・近畿大学准教授
 よくも悪くも記者という仕事が注目を集めている。東日本大震災では現地の悲惨な状況を伝え、各国の共感と支援を得た。その一方で、記者クラブの閉鎖性の著しさや、スポンサーや取材先をおもんぱかり過ぎた末に取材内容を十分に報じないこと、権力との癒着などの問題点も多く指摘された。批判されても仕方がない部分もある。とは言うものの、昨今のジャーナリズム批判は、目に見えやすい瑕疵(かし)をあげつらう傾向が強い。メディアの世界に身を置いた者としては、ただやみくもに非難するのではなく、実際の仕事ぶりをさまざまな角度から見た上で、おかしいと思われる点は正すよう促すという是々非々の態度で臨みたい。
 もっとも、分かっているようで、あまり分からないのが記者という仕事。ニュースを追いかけると言っても、そこに葛藤もあれば喜びもある。参考になるテレビドラマがある。NHKの「クライマーズ・ハイ」だ。原作は横山秀夫さんの小説で、群馬県にある架空の地方新聞社を舞台に、1985年の日航機墜落事故発生時の記者やデスクの様子を描いており、映画化もされた。ドラマは6年前に放映されたもので、決して新しい作品ではない。だが、記者という仕事をイメージ先行ではなく丹念に描き、伝えているメッセージが普遍的で、「古典」と呼んでもいいのではないかと感じる。ジャーナリズムの現場を知る記者仲間にもこの作品のファンは多い。それだけリアルに描かれているということなのだろう。
 描写の細やかさでは原作が群を抜くが、ドラマと映画は甲乙つけがたい。遺族への向き合い方、事故原因に迫る過程、社内外からの圧力に抗おうとする記者の姿、多忙であるための家族関係の崩壊、大きな事件・事故の現場を取材した同僚への闘争心と嫉妬心など、普遍的な記者の姿が強い印象を残した。ただ、岸部一徳さん演じる社会部長が秀逸であるため、私はドラマに軍配を上げたい。詳しくはぜひ鑑賞してほしいが、過去に自身が取材した大きな事件について彼が飲み屋で語る場面は筆者もうなずかされる部分が多い。
 さて先日、大学の講義でドラマ版を鑑賞する機会があった。その講義で、全国紙の社会部記者と筆者と元同僚の経済記者が、仕事の内容や印象に残る取材経験を話してくれることになったのだ。貴重な機会が得られたのだから学生側の準備を整えたいと考え、前もって「クライマーズ・ハイ」を鑑賞することにした。鑑賞後、ある女子学生から「大きな事件や事故が起こると何気なく読んでいる新聞だけれど、新聞社では実際にどんな動きをしているのかがよくわかるドラマだった。『新聞の仕事』の見方が変わった。新たな視点を知った気がする」という声が出た。
 一方で、「情報を取り扱うことの難しさを感じた。はっきりとしない情報を載せるかどうかの判断、その後の結果の責任、考えれば考えるほど過酷な仕事のように感じた」と語った男子学生もいる。これまで記者に対してあまりいいイメージを持っていなかったらしいが、「考えを改めるきっかけになった」そうだ。小売業への就職がすでに内定しているある4年生は、「クライマーズ・ハイ」鑑賞のほか、講義でジャーナリズムの話を聞くうちに、「この講義を3年生の時に取ればよかった」と感じたそうだ。「今になってジャーナリズムに興味が湧いてきた」と残念そうに話した。
 社会部記者が教室に来てくれるのはもう少し先だが、「クライマーズ・ハイ」鑑賞からしばらくたって経済記者が教室に登場した。話を聞いた後、受講生から「スクープと誤報は紙一重で、慎重に事実を集めることは大変だが、やりがいのある仕事だと感じた」「記者の本質に近づいた話が聞けたように思う。『1秒の大切さ』『事実の積み重ね』『事実に対して謙虚に』などたくさんの言葉が頭に残った」との声が出た。話の内容が良かったことはもちろんだが、やはり事前準備を整えたからこそ話を深く聞けたのだろう。そう思うと、相手をあらかじめよく知ることの大切さは侮り難いのだ。
 原発事故の収束に向けた見通しが不透明なままであるなか、原発推進か脱原発かをめぐり、世論は大きく揺れている。「クライマーズ・ハイ」で描かれた日航機事故も相当に大きなインパクトを与えたが、今の日本を覆う状況はそれを上回ると言って間違いない。より多くの市民の命を守るために、ジャーナリズムはしがらみをさらに断ち切って真実を伝える重責を担っている。その期待が大きければ大きいほど、批判の声も大きくなるだろう。
 ただし、冒頭にも述べたように、批判する際には相手を多面的に知った上でおかしい点を正すよう迫るべきだと筆者は考える。「クライマーズ・ハイ」を見ただけですべてが分かるとは言わない。さまざまな方法を駆使してジャーナリズムの姿を知る。このようにして、ニュースの受け手が準備を整えれば、ジャーナリズムの側におかしな報道をさせない環境に近づけるのではないだろうか。
*****************金井啓子(かない・けいこ)
Regis College(米国)と東京女子大学を卒業。ロイター通信(現トムソンロイター)に18年間勤務し、ロンドン、東京、大阪で記者、翻訳者、エディターと して英語・日本語記事を配信。2008年より近畿大学文芸学部准教授。英語やジャーナリズム関連の授業を担当。「ロイター発 世界は今日もヘンだった」 (扶桑社)を特別監修。日本テレビ「世界一受けたい授業」、関西テレビ「スーパーニュースアンカー」への出演、新聞でのコラム執筆の経験を持つ。

2011年6月24日(金)7時9分配信 ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/wsj-20110624-0624007/1.htm

 今日は記事が長かったので、少し読むのに時間がかかったかもしれない。記事の中で「スクープと誤報は紙一重で、慎重に事実を集めることは大変だ」(上記記事からの抜粋)という受講生の言葉がある。
 6月27日に、復興大臣が任命された。復興大臣は松本龍防災担当大臣の兼務となり、環境大臣が担当から外れた。この時に浜田和幸参議院議員が自民党から一本釣りされたことは、私のブログでも書いたとおりである。その時に「宮城県復興本部長に東祥三内閣副大臣」という報道がNHKと朝日新聞で報道した。たまたま、東祥三副大臣を当日の12時に訪問し会食をする機会があった。副大臣室の前に若い(本当に若いキャリアのない感じ)女性がたっている。それを無視して室内に入り、東副大臣と話をすると、問わず語り的に「今日、朝NHKで宮城県復興本部長ということが報道されたんだが、僕自身何も聞いていないんだよね」という。「NHKも朝日新聞も副大臣本人に確認しないで報道したのですか}と聞くと「そうなんだよ。いったいどうなっているのかね今のマスコミは」という。
 会食といっても庶民的なラーメンを食べに行った。その時に先の若い女性がエレベーターに一緒に乗ってきた。副大臣は特に拒絶するような状況ではないので、一緒に乗せると。「朝日新聞ですけれども」という。面白い場面に出くわした。「宮城県の本部長になるということですが…」
東副大臣「あんたがたが勝手にそういうように報道したんでしょ。私に一言も聞かないで。だいたい誰がそれを言ったの」
朝日新聞「いや、NHKが報道したので。民主党の複数の幹部ということですが」
東副大臣「自分で取材もしないで新聞書いちゃうの」
朝日新聞「複数の幹部ということなんで」
東副大臣「複数って誰よ。同じ民主党の本人にその複数の幹部の名前が言えないの」
朝日新聞「NHKの取材で」
東副大臣「NHKがそういう報道したら、本当のことを取材もしないで報道するんだ。それくらいしっかりと調べてから取材に来てよ」
朝日新聞「あ、はい。でも、来たら受けるんですか」
東副大臣「あのね、首相からも復興大臣といわれている松本さんからもまったく何も連絡がないんだ。そんなこと調べもしない新聞に何で答えなければならないんだ」
朝日新聞「はい、すみません…」
東副大臣「そういうのは、しっかりと任命権限のある人に取材してから来てください」
 なかなか面白いやり取りである。朝日新聞の記事がいかにいい加減でNHKが報道したから裏も取らないで情報を流したという、報道を行う者の姿勢としてまったくできていない姿勢が明らかになった。
 その後車で一緒の時に松本大臣から東副大臣に電話があり「東さんは、お願いしてもいまの業務があるから受けないと思ったので、今回は声を書けませんでした」という。要するに松本大臣は初めから東副大臣に宮城県の副本部長を依頼するつもりはなかったという。
 後日、朝日新聞から東副大臣に対しては謝罪があったがNHKからはまったく何の反応もないという。ようするに、誤報を流しておきながらNHKは一切責任を取ろうということもないようだ。(6月29日現在)このことは東祥三氏がパーティーのスピーチで謝罪の有無を話ていたことから明らかになったものである。
 この例でわかるように、「本丸」に一切取材をすることなく、周辺の「推測取材」で平気で誤報を流し、そのうえ誤報とわかった後も謝罪をしない。これではマスコミは完全におかしな話になってしまう。
 「より多くの市民の命を守るために、ジャーナリズムはしがらみをさらに断ち切って真実を伝える重責を担っている。その期待が大きければ大きいほど、批判の声も大きくなるだろう。ただし、冒頭にも述べたように、批判する際には相手を多面的に知った上でおかしい点を正すよう迫るべきだと筆者は考える。」(上記より抜粋、改行加工)とあるが、これはあくまでも多面的に知った上で行わなければならない。ここにでてくる朝日新聞のように自分で取材もしないで報道したり、あるいは、NHKのように誤報を流していて責任も負わないようでは話にならない。そもそもジャーナリズムとしての役割を全く果たしていないということが分かる。このことに関して言えば、NHKと朝日新聞は程度の低い取材で誤報を垂れ流しジャーナリズムとしての使命を全うできないマスコミであるということである。
 国民は、マスコミ以外に知る手段がない事情もたくさんある。上記のように3月11日の震災直後、国民の全てが被災地に行くことはできない。電話なども不通なのであるから、ジャーナリズムを通してしか知ることができない。政治に関してもそうだ。東副大臣と話をすることができる人などは限られている。全国民が話をできるわけでもない。ジャーナリズムしか知らない状況なのに憶測記事で誤報を流しているようでは話にならない。それでは、偏向とかそういうものではなく、ただ単純に「嘘つき」でしかない。他の報道、たとえば外信や事件に関しても「このような憶測記事」で「誤報かもしれない」という疑いを持って見なければならないのかもしれないのである。そして、その誤報に関して責任も負うことがないのであれば、話にならない。そのモラルの低下は、まさに日本の国民の知る権利を完全に迫害しているとしか言えないのではないか。
 偏向報道などを言う前に、そもそも、マスコミの取材力の低下がひどいのかもしれない。

 

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(19) 中国での契約と中国人の性質(5) 敵対関係の鞘当

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(19)
中国での契約と中国人の性質(5) 敵対関係の鞘当

 24時間の契約書チェックという、はっきり言って拷問のような状態の後、やっと合弁相手のトップが出てきた。そのまえに、先週なんとなくスルーした部分を詳しく解説してみよう。
  まず、弁当を買ってくるというところである。その中国の弁当というのは、さすがに驚きである。まず、中国は「石油が少ない」国である。そこで、お弁当箱そのものが「紙」でできているのである。要するに、中国の安っぽいボール紙の箱の中に弁当が入っている。御飯の湯気でボール紙は柔らかくなっている。そのうえおかずが何のハッパだかわからない草のあんかけ。それでおしまいである。日本のように塩ビやプラスティック素材によるお弁当箱は禁止されている。基本的にお弁当を買う場合は、自分でアルミやアルマイトのお弁当箱を持ってくるのが普通だ。そこで、この時のように日本人が突然弁当というと箱がない。そこで、ちょうど日本では饅頭やお菓子の入るようなボール紙の箱に入ってくるのである。しかし、ボール紙の箱に湯気のでる御飯とあんかけのかかった草である。箱が持つはずがない。徐々にボール紙が溶けてきて、あんかけが机の上に流れ出す始末である。
  数年前に、「段ボール入り肉饅頭」というのが、北京で売っているということで話題になった。テレビなどが「ヤラセ」であったというような話になっていたと思う。しかし、そのような報道の約10年前に、私自身、ボール紙が溶けだした御飯を食べているのである。それどころか、あんかけの方はもっと悲惨。上記に机の上に流れ出したと書いたが、それは箱が崩れている証拠でしかない。中国のボール紙の箱が、折り方などで箱を作るようなことはない。要するに、ホッチキスの針でしっかりと止められている箱である。その箱が崩れたということは、当然に針がそのままあんかけの中に入っているということである。数秒後、私の口の中から針は見つかったのであるが、その針を見てもうひとつの衝撃があった。針がさびているのである。要するに、錆を混ぜながら私は弁当を食べていたということになったのである。

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不謹慎ながら原発事故の派生効果人事で更迭と引退か

不謹慎ながら原発事故の派生効果人事で更迭と引退か

 今週はネタが多かったので、土曜日が待ち遠しかった。ネタが多いときはあまり探さないでいい代わりに、記事そのものに関しても、エスカレーターで階を登るごとき、どの記事も同じような論調になってしまうという悩みもある。それはそうだ。結局のところ、同じ現象を見ているのであるから、同じ現象と同じ社会の中にすんで同じような価値観(ここでは「ような」と入れている事に注意)を持っているのだから、どうしても同じような記事になってしまうのである。もちろん、外国人など、違う部下や観衆を持ったh都から見れば、当然に何かが違うというような内容になっているのかもしれないが、残念ながら、そこまで外国の文化や慣習を知っているわけでもなく、同時にそのような感覚を見につけているわけでもない。
 そのために、何か違う観点や違う内容の文章を書くというのは、なかなか面白いものである。ようするに、土曜日に軽い記事を書くのがひとつの楽しみになってきている。逆にネタがない週は、せっかく苦労して集めたネタなのだから、何とか書きたいと思うのであるため、土曜日まで硬い記事になってしまう
 要するに、土曜日の記事は、かなり私の個人的な事象や一週間の疲れのよな者によって左右されているということである。ご了承の上、今後ともお引き立てくださいますようお願い申し上げます。
 さて、7月になって、さまざまな人事が発表される時期になた。特に役所は7月にひとつの区切りが来る。基本的に6月中に1月から始まる通常国会が終わることが多いために、国会終了後、新予算の体制と引き継ぎ終了後に人事異動が欠けられることが少なくないのである。もうひとつは細野原子力担当大臣の就任と、その細野氏と以前うわさになった(噂というよりは写真週刊誌に取られたのであるが)山本モナさんの芸能界引退である。記事は下記の通り。

【エンタがビタミン♪】「イヤだなぁ。」“元カリスマキャバ嬢”立花胡桃、更迭された西山審議官にキレる。

 経済産業省原子力安全・保安院は29日、これまで記者会見などを担当してきたスポークスマン役の西山英彦審議官を交代させた。事実上の“更迭”と見られている。
 一部週刊誌が西山審議官の「女性関係」の記事を掲載、23日には海江田経産相から厳重注意を受けていたが、その後の記者会見で本人は続投の意欲を述べていた。しかしその後、この件に関しての取材が関係者に相次ぎ「職務に支障を来す恐れが生じたため」、西山審議官は更迭されたようだ。
 このニュースは29日の夕方から、ニュース番組を中心に報道された。そして翌日の情報番組でも、このニュースは取り上げられ『情報満載ライブショー モーニングバード!』(テレビ朝日系)でも、詳しく特集していた。
 その中で“更迭”と聞くと、西山審議官がいわゆる「出世コース」から外れたように思えるが、将来の事務次官候補であるスーパーエリートには変わりなく、今回の女性スキャンダルは影響しないだろう―と専門家が語った。元々原子力安全・保安院の所属ではなかったので、以前のポストに戻っただけであるということだ。「今度は委員会などで答弁に詰まった海江田経産相に、メモを渡したりする役で(西山審議官が)登場するかもしれませんね。」との話も出た。
 「イヤだぁ~。」と女性の声が聞こえてきた。木曜日のコメンテーターの作家で、元カリスマキャバ嬢の立花胡桃である。「こんな倫理観の無い人が、(何の影響も無く仕事を)続けるんですか。」と怒っていた。彼女は言いたいことがあったのだろうが、残念ながらこの話題は終わろうとしていた。次のニュースに移ろうとする間際にも、「イヤだなぁ。」とひと言。よっぽどご立腹だったようだ。
 以前、別の情報番組に出ていた時の立花胡桃は“元カリスマキャバ嬢”として、胸の谷間を強調した衣装でメークも夜っぽかった。だが『モーニングバード!』に出演している現在は、谷間どころか胸を強調しない衣装を選びメークも薄めである。また昨年入籍し今年の2月にママとなった彼女は、福島原発事故による子どもへの放射線の影響について、母親として積極的にコメントをしている。妻となり母親になった今の立花には、西山審議官は信用できない男と映ったのだろうか。
(TechinsightJapan編集部 みやび)

2011年06月30日17時00分 提供:Techinsight Japan
http://news.livedoor.com/article/detail/5674334/

妊娠かそれとも…お騒がせ山本モナが突然引退発表

 電撃引退は妊娠かそれとも…タレント・山本モナ(35)が30日、突然芸能界からの引退を発表した。報道各社へのFAXで、「6月30日をもって芸能界でのお仕事を引退させていただくことになりました。結婚を機に、これまでの自分と、今後の自分の生き方についてもう一度考えました。今後は山本モナではなく、結婚後の本名である名前に戻り、35歳の女性として、歩幅は小さいですが、出来ることをひとつづつやって進んでいこうと思っています」とコメント。
 モナは2010年8月に1歳下の不動産投資会社社長と結婚しているが、最近行われた映画のトークショーで子作りについて「病院の先生と相談しながら鋭意製作中です。先日、主人と京都の鈴虫寺に子宝祈願に行ってきました」と語っていたので、妊娠引退の可能性もある。
 また、不倫キス写真をフライデーされた細野豪志衆議院議員(39)が原子力発電所事故の収束及び再発防止担当大臣就任を受けて、「過去のキャンダルを蒸し返されたくないとの意志が働いたのでは?」と話す永田町関係者もいる。突然の引退発表に憶測が入り乱れた状態だ。

2011年06月30日22時16分 提供:リアルライブ
http://news.livedoor.com/article/detail/5675263/

 今回は、西山審議官の人事異動が話題になった。そもそも、3・11の震災とその福島原発の放射能漏洩事故がなければ、一般に西山審議官などといっても誰も知らないひとであった。誰も知らないといったら失礼かもしれないが、少なくとも、現状のような知名度はない。知名度がなければ、正直なところ不倫だの女性関係などがあっても誰も報じたりはしない。マスコミというのはわがままなので、世の中にあるたくさんの事例の中から「時の人」「話題の人」を選んでスキャンダルを報じる修正がある。ある意味『有名税』という考え方になるのであろうか。西山審議官の女性関係に関しては週刊誌レベルの話しか知らない。その上で、少なくとも福島原子力発電所の事件とその後の報道官としての役割がなければ、、西山審議官の女性関係が週刊誌で話題になるということはなかったであろう。女性関係そのものの真偽ではなく、話題になったということそのものが報道官、審議官としての職務遂行に問題があるというのであればそれはその通りかもしれないが、そのことで字いつ上の更迭というのもなかなか厳しい処分なのかもしれない。
 一方、写真週刊誌にありながら、「事実上の更迭」を撥ね除けて大臣になった人がいる。細野豪士議員である。タレントで当時TBS系列のNEWS23のニュースキャスターになっていた山本モナさんとのスキャンダルが報じられた。何年か前の話である。その後「モナ夫」という通称がインターネット上でつけられるようになっている。しかしそれを跳ね除けて今回原子力発電所事故担当の大臣に就任した。そして、その関係者である山本モナさんは、6月30日に突然の芸能界引退宣言を出してしまうのである。
 さて、別に私は西山審議官のファンでもなければ山本モナさんのファンでもない。しかし、この人事なんとなく違和感を感じないであろうか。もちろん、偶然の一致かもしれない。しかし、スキャンダルのある「官僚」を更迭し、一方でスキャンダルのあった代議士を大臣に就任させその相手が芸能界引退する(要するに、口を封じられたということである)。処分や人事に関する一貫性がないばかりではなく、福島原子力発電所の事故があったにもかかわらず、適材低所にその人材を配置するのではなく、そのような「暗い部分」を隠しながら自己都合で人事を行ってゆく現在の政権の姿は、まさに共産党における特権階級の人事を見ているかのごとき「身分制」「恣意的人事」を感じてしまうのである。
 別に細野氏に能力がないというのではない。しかし、同じ原子力関係で、不公平な恣意的な人事があると、または芸能界の引退という関係のない話まで一緒になってしまうと、どうしてもうがった見方をしてしまうのもマスコミの日常茶飯事であるといえる。そのような違和感はすぐに憶測として世の中を駆け巡るのである。『李下に冠を正さず』というのは中国の格言であるが、まさに、偶然にしてもこれだけ重なってしまえば、どうしても「李下に冠を正したため、無理がでた」としか言いようがない。
 昔の政治家は「下半身に人格なし」という格言があり、下半身ネタ(要するに異性スキャンダル)で政治家を攻撃しないということもあったのであるが、残念ながら今はそのような状態ではない。特にネット社会においてうわさ憶測はまさに真実であるかのごとき説得力を持って世の中を流れてしまう。それだけ、政治家で表に出る人は身を糾さなければならない。
 消費税よりも先に「有名税」はかなり上がったとしかいえないのではないか。

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冷静な議論のできない日本人による株主総会の図

冷静な議論のできない日本人による株主総会の図

 今週はあまりネタに困らなくてちょうどよい。
 何しろ株主総会のシーズンでもあり、国会も延長してくれて、その上菅首相があまりにも身勝手な行動ばかりを起こしているので与党内でもさまざまな亀裂を生んでしまっている。これでは、日本という国家は憂う必要があるがマスコミ、新聞ということになれば、ネタに困らないということになり、喜ばしいことだ。
 何よりも、人の不幸を喜んで報道するのがマスコミである。建前で何を言っていようと、不謹慎といわれようと、基本的に事故、事件、政局、経済界の内容など、事件がなければ話にならない。事件がない場合は、事件を探さなければならないし、無理して事件を探した後に記事を書かなければならないのである。テレビメディアなどに関して言えば、事件がない場合は「ヤラセ」というとんでもない「事件創出」があり、それを放映して煽るということをしてしまう。その行為があまりにも非社会的であれば、非難が来る。最近では「ヤラセ」そのものが社会世論誘導と評価されて非難の対象になるものである。
 そのような意味では、今週は実にマスコミにとってはありがたい一週間である。自民党の浜田和幸参議院議員の引抜から始まり、民主党の両院議員総会、そして東京電力の株主総会、いずれもかなりの大ネタであり、できれば来週・再来週に分割してほしいくらいのネタである。ネタというのはどうも重なる傾向にあるようで、何か社会が動くときは一緒になって動くようなものなのかもしれない。
 さて、その株主総会。通常であれば何のこともないのであるが、3・11以降というよりは福島原子力発電所の放射能漏洩事故以来当該内容は、全て東京電力が悪いという政府とマスコミによる広告効果によって、かなり大きな問題になっている。要するに「脱原発」「反原発」の内容に関して、東京電力の株主総会がひとつの決議の場になってしまったのである。
 そのときの記事が下記のものである。今回は、もっともセンセーショナルな書き方(見出しのつけ方)をした新聞を探していたので、スポーツ紙の報知新聞の記事からである。

東電株主総会大荒れ!「お前ら原子炉に飛び込め」

 東京電力の株主総会が28日、都内のホテルで行われた。過去最多の9309人が出席し、最長の6時間9分に及んだ総会は、開始15分で勝俣恒久会長(71)の議長解任動議が出されるなど大荒れ。福島第1原発事故の責任を追及する株主からは、経営陣に「お前ら原子炉に飛び込め!」などの怒号が飛び交った。原発事業からの撤退を定款に盛り込むよう求めた一部株主からの議案は、反対多数で否決された。この日は、中部、九州、北陸の各電力会社でも株主総会が開かれた。
 会場となった東京・港区のホテルの周辺には、総会開始1時間前の午前9時頃から長蛇の列ができた。例年は3000人集まる程度の株主総会が、この日は過去最多の9309人に膨れ上がった。
 総会の冒頭、原発事故や計画停電について「心より深くおわびします」と頭を下げる勝俣恒久会長ら経営陣には、容赦のない罵声と怒号が浴びせられた。「人生を絶たれている人がいるんだ」「役員は全資産を売却して償え!」。さらに「お前ら、原子炉に飛び込め!」。開始15分後には、株主の女性が「本当に責任を感じているなら議長は務められないはず」と涙声で、勝俣会長の議長解任動議を提出。否決されたが、拍手が巻き起こった。
 質疑では、賠償問題について株主が「役員の報酬は全額返還すべき」と批判。各役員がこれまでに受け取った報酬額を公開すべきだと提案した。しかし、勝俣会長は「プライベートな話」として公開を拒否した。
 一般株主のうち、本会議場からあふれ、4つの部屋に分散してモニターで視聴した者は、質疑の機会すらなかった。「発言したい方は本会議場へ」と案内はあるが、ごった返して中に入れない。20年以上前から東電株を保有する船橋市の野津徹貫さん(79)は「テレビ画面を見に来たわけじゃない。こんなバカバカしい総会は初めて」と声を荒らげた。
 株主402人から提案された、「原発事業からの撤退」を定款に盛り込む議案には次々と「賛成」の声が上がったが、大株主や機関投資家の大半が反対に回った模様で、東電は議決権の大半を委任されていることを理由に否決。「脱原発」議案への賛成は全体の約8%で昨年の5%を上回ったが、60代の主婦は「最初から結論が出ているみたい。茶番だわ」とあきれ顔だ。
 過去最長6時間9分にわたった総会は、株主と経営陣が対立したまま終了。引き揚げる役員たちの背中に、株主の「お前らはオウム真理教と同じだ」という声が刺さった。

2011年06月29日08時05分 提供:スポーツ報知
.http://news.livedoor.com/article/detail/5669682/

 さて、株主総会というのは、人の頭数による多数決ではなく、株式数による多数決である。よって、株主の意見と株主としての提案権と派別であり1株買っているだけで何でも会社が左右できるなどというものではない。そしてそのことは東京電力という株式会社に限ったことではなく、全ての株式会社がそのような内容になっているのである。そしてそれは当然に商法という法律によって決められている。よって記事の中で「意見が通らない」などの「少数意見」は、基本的には株主総会の『発行株式禅僧数分の1』の声でしかないということだ。よって、このような記事の書き方をしているが、実際は、法律どおりに運営しているのである。「テレビ画面を見に来たわけじゃない。こんなバカバカしい総会は初めて」(上記記事より抜粋)という発言をした人は、ただ単に「商法という法律を知らない人の無知識の表明」でしかないのである。
 逆に言えば、反原発であるとか、議長(取締役)の責任などに関して言うのであれば、単純に言って、大株主に対する意見を言うべきであり、株主総会で野次を飛ばしてもどうにもならない。逆に野次を飛ばしたり、エキセントリックな騒ぎを起こせばマスコミが喜ぶだけである。
 その上で、なぜ冷静な議論ができないのかということがもっとも大きな問題であることも気づくであろう。建設的な意見であるならば、いくら少数意見でも当然に会社は真摯に受け止めるべきであるし、その内容は社会的な賛同を得ることができるであろう。しかし、「原子炉に飛び込め」などといったところで、何の解決にもならないのではないか。また、役員報酬を返上したところで、全体の賠償から考えれば焼け石に水でしかない。そんなことを言うくらいであれば、電力を使わない生活を流行させたほうがよいのではないか。結局のところ、反原発といっても感情論しか出てこないので、建設的な文明的な、そして日本の産業の発展などを考えた議論は株主総会の場でも出てこない。
 一方で、将来的に原子力を排除しようという「脱原発」は今は脚光を浴びている。何年先になるかわからないが危険を克服できないのであれば、それ以外のエネルギーを使うべきという意見は確かに受け入れられる。しかし、「それ以外のエネルギー」が存在しないというのも現実である。原発をやめて再生可能エネルギーに移行すべきというが、移行するまでの期間、エネルギーはなくてよいのか、電気がなくてよいのか。
 たとえば東京都内において、自宅で人工呼吸器や人工透析を行っている人は約1万2千人いらっしゃるのである。彼らは24時間電力が必要なのであるが、原発がなくなって、伝記が自宅に来なくなったら、「反原発」を訴えている人は、何らかの責任を負うつもりがあるのか、あるいはその電気が必要な人は死んでもよいというのか
 株主総会によってわかることは、反原発といっても脱原発といっても、結局のところ感情論でしかない。そして、感情論で流されるような記事しかマスコミは書かない。しかし、その感情論では社会は動かないし、その感情論で社会を動かしてしまうと菅内閣のように何も動かなくなってしまう。
 この株主総会はまさにそのようなことがよくわかったのではないだろうか。

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