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2011年10月

マスコミ批判に関する一考(67) テレビ不況の波が日本のテレビ製造業を直撃

マスコミ批判に関する一考(67) テレビ不況の波が日本のテレビ製造業を直撃

 マスコミ批判ということで行っているが、マスコミがあまりにもふがいないとどういうことになるのかということが、テレビの不況ということで報道されている。
 今日も「マスコミ」といいながらも「テレビ」に関することだ。今日はテレビメーカーが次々と事業を縮小しているということの報道であり、新聞などとは基本的に異なる。新聞はその内容を読むのに機械を必要としない(ただしスマートフォンなどで読む電子コンテンツは除く)。一方テレビ・ラジオという電波メディアは、電波でコンテンツを発送しているのであるから、当然のごとく電波の受信機が必要になるのである。
 問題は、その受信機である。特にテレビは「音質」「画質」という二つの品質にこだわると、そこに多大な技術を入れなければならない。機械であるために小型化すれば、液晶などの小型化した内容を造らなければならない。しかし、それら技術を投入した機械は当然に高額になるので、ある程度の耐久財となる。要するに次の買い替えまでに数年かかるということになる。
 テレビは、今年7月に地上はデジタルに方式を変えた。このことによっていっせいに買い替え需要がおきて特需があったが、その後次の買い替え需要までに時間がかかることになる。また、サムソンなど海外のメーカーの台頭も大きく、日本の製品といえども、なかなか安価な商品に対して他行できる措置がない。特に、日本全体がデフレ不況の中、安価であるという最大の武器を海外のメーカーに取られてしまっているのであるから、その分非常に大きなデメリットになっているのである。

テレビ不況「4K」は救世主?

 テレビが売れない。7月の地上デジタル放送への完全移行に伴う一斉買い替えで需要の長期低迷は避けられない。韓国メーカーとの競争でも劣勢に立たされ、生産の撤退や縮小の方針を固めたメーカーも出てきた。各社は「付加価値」の高い新製品を投入し、需要を喚起しようと躍起だ。なかでもフルハイビジョン(HD)の4倍の画像解像度を持つ「4K」テレビに“救世主”としての期待を託している。

 ◆祭りの後
 家電量販店のテレビ売り場では、店員が手持ちぶさたで客を待っていた。整理券を配るほどだった7月の喧噪(けんそう)が嘘のようだ。「お客さまが少ないので、製品の特長を丁寧に説明できますが…」と、ある店員。祭りは終わった。
 調査会社BCNによると、主要量販店の薄型テレビ販売台数は、8月が前年同月比38%減と5カ月ぶりにマイナスに転落し、9月は52%減と、平成16年の集計開始以来最大の落ち込みとなった。価格下落も激しく、9月の平均単価は29%安の5万2900円にまで落ち込んだ。
 地デジ対応テレビへの買い替え特需で、昨年の国内出荷台数は前年比84%増の2519万台と過去最高を記録。今年も1~7月で32%増の1407万台と売りまくった。それだけに反動減も大きく、「来年は年1千万台を割り込む」(アナリスト)との悲観的な見方が広がる。
 「新しい提案や価値創造をしていかないと、ビジネスとしてきつくなる」 国内トップのシャープの中村恒夫執行役員は、危機感をあらわにする。

 ◆3Dは暴落
 だが、昨年各社が相次いで発売した立体映像が楽しめる3D(3次元)テレビは、早くも賞味期限切れだ。BCNによると、3Dテレビ(40型)の平均単価は昨年5月が26万7900円だったが、今年9月は13万300円と、半値以下に暴落している。ネットワーク機能を強化し、独自のコンテンツを配信できる「スマートテレビ」のほか、ディスプレーの薄さやデザイン性を前面に出した新商品を売り出しているが、「需要喚起のインパクトは小さい」(業界関係者)のが実情だ。
 八方塞がりのなか、今月8日まで千葉市で開かれたアジア最大級の家電見本市「CEATEC(シーテック)JAPAN」。各社は「高画質化」という原点に回帰した。
 「やっぱりテレビは画質。だれが見てもきれいな映像を追求する」 12月中旬に発売する55型の4Kテレビを出展した東芝の担当者は胸を張った。市場想定価格は90万円だ。
 4Kは横4千×縦2千画素前後と、現行のフルハイビジョン(1920×1080画素)の4倍の解像度を誇る。同社の大角正明上席常務は「そこまで(高精細な映像が)必要かという声があるのは事実だが、夢を実現したい」と話す。
 シャープもシーテックで試作品を公開し、来年度半ばの製品化を目指している。ソニーは12月下旬に世界初の家庭用4Kプロジェクターを発売。テレビも「検討していく」(平井一夫副社長)と意欲的だ。

 ◆鍵はコンテンツ
 ただ、普及には課題が山積している。4K対応のコンテンツは現時点で、映画やインターネット用動画のごく一部に限られ、テレビ放送用の映像はない。メーカー側は「市場拡大には放送業者やネット業者との連携が必須」(大手首脳)とするが、テレビ局はやっと地デジ化を完了させたばかりで、4K化に取り組む余力はない。
 究極の高画質テレビの普及には、コンテンツの充実が欠かせない。米ディスプレイサーチの鳥居寿一アナリストは「長い目で見る必要がある」と指摘する。だが、家電各社にそれを待っている時間はない。国内の過剰プレーヤーに加え、韓国メーカーとの激しい競争で、新製品は店頭に並んだそばから値下げされる。ソニーのテレビ事業は今期で8年連続、パナソニックも4年連続の赤字となる見通しだ。
 「テレビ事業を継続する意味が見いだせない」。メーカー幹部からは悲痛な声が漏れる。すでに日立製作所はテレビの自社生産から撤退する検討を進め、パナソニックも、工場売却や人員削減による大幅縮小の方針を固めたことが明らかになった。
 消費者の購買意欲を刺激する起爆剤が見つけられないままでは、「看板商品」であるテレビ事業の淘汰(とうた)が加速するのは必至だ。(古川有希)

産経新聞 10月23日(日)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111023-00000079-san-bus_all

 産経新聞の記事にあるとおりに、上記のような買い替え需要が遠いこと、そして、3Dが不調なことがある。3Dに関しては、確かにすばらしい技術なのだと思う。しかし、私にしてみれば、あまり魅力を感じない。基本的に目が悪い人にとっては、目の疲れが増大するという先入観があるのでうれしくはない。映画などを見る人にとっては良いのかもしれないが、残念ながらニュースなどを見るのに臨場感があってもどうかと思う。特に国会の中の臨場感など、私に限って言えば実際に中にいるほうが臨場感があるのだ。3Dは、確かに新しい考え方なのであると思う。しかし、たとえば「タイヤが5箇所ついている自動車」が「新しい技術」といわれてもあまり魅力を感じない。タイヤは4箇所ついていれば十分であるからだ。要するに必要のない機能の新規性は、誰も求めていないのであると思う。
 そして新聞にもあるとおり、コンテンツだ。要するにテレビを買い換えてみたいと思うようなコンテンツがない。まさにマスコミそのもの、テレビメディアそのものが否定されているのである。フジテレビが「韓流、K-POPが流行」といえば、どのチャンネルでも同じ者をする。日本人の横並び意識は、まさに民放がたくさんあってもひとつしかないのと同じ、という結果を生んでしまっている。
 そもそも、インターネットの出現で情報の多様化というものが非常に強く押し出されている。情報の多様化は、まさに止められない潮流であるといえる。そしてその除法の多様化に合わせた番組構成や、報道体制をとらなければテレビメディアは完全に崩壊する。何でもかんでも笑いを取れる番組にすればよいわけではないし、民主党や韓国や中国を擁護する番組ばかりでは、見るほうが飽きてしまう。そもそも出演者の名前を見るだけで、誰が何を言うか、テレビ番組を見ないでも内容がわかってしまい、テレビそのものを見なくなってしまう。そのようなつまらない番組を見るくらいならば、ゲームデモしているかDVDで映画を見ているほうがマシだ。特に日本の映画のようになんでも反戦、自虐史観といったわけのわからない思想的なものよりは、ハリウッド映画(これも韓流ブームのように批判されるのかもしれないが)のようにあまり何も考えないで楽しめる映画のほうが良い。もちろん個人の趣味である。
 テレビのコンテンツの不調は、テレビそのもののメディアとしての価値を下げた。そのことは地上波デジタルに変えたときに、テレビそのものを買い換えずに捨ててしまった人が少なくないことでも明らかである。しかし、それだけでなく、次のテレビ買い替え需要は、まさにテレビコンテンツが魅力的かどうかで決まる。昔、ラジオドラマ「君の名は」が始まったときに、その時間はお風呂屋がガラガラになったという。当時のラジオはお風呂場では聞けない。もちろん、当時は銭湯が主流で自宅に風呂がある人は少ない。そのために、ラジオドラマ「君の名は」を聴きたいために、みな家に帰ってしまう。そのような社会現象があった。資料映像でしか知らないが、力道山が空手チョップでアメリカのプロレスラーを倒す姿や、長嶋茂雄のホームラン、大鵬の相撲は、当時街角にあった街頭テレビの前に黒山の人だかりを作った。いずれも強い日本、すばらしい日本の象徴ではなかったか。そして将来強い日本を作るためにがんばろうと心に誓った。そのようにして作った高度経済成長、そして世界第2位であった経済大国日本は、同じマスコミのつまらないコンテンツと自虐時間によって滅ぼされようとしている。まさにテレビを作る工場、日本の産業が破壊されようとしているのである。
 テレビメディアがダメだと政治がだめになる。しかしそれだけではなく、経済まで悪化する。まさにコンテンツの悪さがハードの購買意欲を大幅にそいでしまうという良い例である。テレビは、自虐史観と外国輸入のコンテンツで滅びるのか。業界を挙げて価値観と情報の多様性に向けた対策が必要なのではないか。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(33) 中国での開店準備(2) 中国で従業員寮を作り学んだこと

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(33)
中国での開店準備(2) 中国で従業員寮を作り学んだこと

 先週は、面接の模様を紹介した。しかし、「下着を見せなければ損」という価値観は、なかなか面白いものである。単純に日本人との間に「下着」もしくは「貞操観念」という感覚がまったく違うことが伺える。このまま中国人の貞操観念の話しをしてしまっても良いのであるが、それは、大連の夜をまとめて後に紹介しよう。とはいえ、中国人のことを知ってもらわなければ、この文章は成立しない。そこで、大連の夜をまとめて紹介する以前に、同じ内容を少しずつ入れながら、その話をしようと思う。
  早速出あるが、中国人の貞操観念は完全に日本人の感覚と異なる。それは、面接のその後もそのようなエピソードが続く。中には本当に夜を誘ってくる女性もいた。しかし、履歴書を見れば「既婚」「子供一人」と書いてある。それでも集団面接であるのにかかわらずあからさまに夜の話をするのだ。自分の夜の営みをどのように話してくれてもかまわないが、面接で誘うというのはいかがなものか。ただ、その誘い方が、日本人とはまったく異なる。その会話をここで再現してみよう。

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デフレの時代に高級店情報発信基地ができるのか

デフレの時代に高級店情報発信基地ができるのか

 現在はデフレの時代といわれている。30年ほど前タレントの宮尾すすむさんが「インフレ飛んでけ~」とある衣料品メーカーのコマーシャルで言っていたが、実際にそのインフレがバブル崩壊によって飛んでいってしまってから、早20年を過ぎてしまっている。
 実際にインフレのときは、毎日用に値段が上がり困った困ったといっていた。今年不動産を買っても、来年には値上がりしていたのであるから、不動産や証券は投資に適格であったといえる。なんでも値上がりしてしまったが、そ礼状に収入が増えていった。バブルと祝えるときは、収入が増えないというのは「おかしい」とされていた。年収1000万円などはざらにいたし、一晩100万円を使ったなどという話は何の珍しい話ではなかったのである。ブランド品が飛ぶように売れ「一生もの」として、高価なものがたくさん売れていた。そのこと「一生もの」として買ったもので今残っているものは何もない。
 そのインフレが本当に飛んで言ってしまった。人は、そのときはそのときにつらいものばかりが目に入り、どうしても新しいものや今の境遇と逆な者を求めてしまう。しかし、いざ過ぎ去って失ってみると、そのものの大事な者を失っていることに気づく。恋愛小説の失恋の場面などでよく目にする話だ。政治の世界では、江戸時代賄賂が横行し、その賄賂でよくなかったといわれたが、松平定信が改革を行って賄賂政治が一切なくなった。しかし、そうなってみれば賄賂しだいで何でもできた自由な世の中のほうがよくなる。庶民はわがままなものである。「白河の 清き流れに 住み飽きて 元の田沼の 濁り恋しき」とはよく言ったものだ。賄賂であったとしてもカネが回っているほうが景気はよくなった。規則どおりに賄賂も犯罪もなくせば、経済は縮小均衡でジリ貧になってゆく。まさに「元の田沼の 濁り恋しき」でしかない。
 現在民主党とマスコミが行ってきたインフレ撲滅と、一方で、小さな不正の弾圧そして官僚へのバッシングは、ある意味で正しいことをしているが「民主党不況」「マスコミ不況」を生み出し、デフレに拍車をかけている。その民主党不況のもっとも大きな敵である「濁り」が、民主党政権を執らせた原動力である小沢一郎というのも、なんとも皮肉な話ではないのか。
 さて、このような世の中に完全と立ち向かう「高級店」がオープンした。話題になっているのは有楽町のるみ根である。2年前に有楽町マリオンの西武百貨店が閉店し、その跡地に入ってきたのが、まさにこのルミネである。
 私自身、久しぶりにこのブログで小売業に関して書くので、少し気合を入れて前段を書いてみた。後半は、このルミネの行く先について、もう少し掘り下げて書いてみたい。


有楽町のトレンド発信地「ルミネ有楽町店」がいよいよグランドオープン!

 有楽町マリオン内で昨年末まで営業されていた「西武有楽町店」に代わり、同所で10月28日(金)にグランドオープンを迎える「ルミネ有楽町店」(千代田区有楽町)。27日(金)には関係者向け内覧会が開催され、東京ウォーカー編集部でもひと足早く、そのお洒落な店内を巡ってきた。
 ルミネ初の“駅外”出店となる有楽町店は、“有楽町comfy breeze 心地よい空気がそこにある、潤いある「有楽町」へ”をコンセプトに、洗練されたファッション、コスメ、雑貨、食料品などのテナントを107店展開。20代後半から30代までの男女がメインターゲットとなっており、近接する「有楽町マルイ」や「プランタン銀座」との回遊性にも期待が集まる。これまでは“オヤジ街”的なイメージも強かった有楽町だが、新しいトレンドの発信地として注目されているスポットなのだ。
 そんなルミネ有楽町店は、地下1階から8階にレディスファッションや生活雑貨、コスメ、レストランなどで展開される「ルミネ1」と、地下2階から4階にフードフロアや総合ファッションフロアなどが設けられた「ルミネ2」の2つの施設で構成(※ルミネ1の8階レストランフロアのみ、2012年春開業予定)。
 なかでも「ルミネ1」には、エリア初となるイデーの新業態「Attache d'IDEE」が出店。ファブリックやフレグランスなど可愛い生活雑貨が並び、インテリア好きの目を楽しませてくれそうだ。さらに隣接する「無印良品」の一角では、実店舗では初となる無印良品×IDEEのコラボコーナー「MUJI meets IDEE」が登場。お洒落で温かみのある暮らし方を提案してくれる。ルミネ有楽町店では、他にも「Bshop」や「B-COMPANY」など生活雑貨系のショップが多く展開されているが、インテリアグッズを探している人にもピッタリの場所ではないだろうか。
 そして、セレクトショップ「ロンハーマン」や「パリゴ」、ブックストアを併設したカフェ「biblioteque」など関東初出店の店舗もあり、話題性も抜群。モダンで居心地良いカフェスペースで、プレートに盛り付けられたケーキなど手作りのフード&デザートを楽しめば、日常の喧騒から解き放たれること請け合いだ。
 他にもルミネ有楽町店には、フルーツに特化した紀ノ国屋の新業態「紀ノ国屋果樹園」や、フィットネスクラブとカフェを組み合わせた「WIRED CAFE FIT(ワイアード カフェ フィット)」など注目ショップがいっぱい! 内覧会を満喫した記者は、テラコッタタイルやグリーンで演出された開放感のある店内で、“都会の中の憩いの場”を発見した気分だった。10月28日(金)10:00からはオープニングセレモニーが実施され、いよいよ営業が開始されるので、皆さんも早速訪れてみては? 【東京ウォーカー】

2011年10月27日(木)20時24分配信 東京ウォーカー
http://news.nifty.com/cs/item/detail/tw-20111027-25615/1.htm

 こんにちのようなデフレのときは、基本的には高いものは売れない。消費者の消費真理は完全に冷え切っているといえるであろう。不景気というのは、基本的には富が偏重的に固まっている場合を言う。もちろん、通kが固まって動かない状態があれば、全体の循環量が少なくなるのであるから、その分の流通貨幣量が少なくなる。単純に言えば、その分GDPが少なくなる。それだけでなく、流通するものが流通しなくなるのであるから、当然のごとく、予定通りに利益が得られなくなってしまい、その内容が不良債権になるのである。
 そのような不景気の構造は言わないことにして、不景気の場合は、富が変住している。要するに金持ちは、際限なく金持ちだ。その金持ちがしっかりと流通できるようにすれば良い。不景気は中産階級が完全に破滅してしまっているということを意味しているのであるから、大多数の貧困層(ワーキングプア含む)と突き抜けた金持ち。その金持ちがしっかりと買い物できるような環境を整えなければならない。
 しかし、金持ちがしっかりと買い物をするということは、当然にそれだけの信用がなければならないし、また、金持ちが持っていてステータスを傷つけないだけのブランド力を持っていなければならない。
 しかし、そのブランド力は、残念ながらはじめから備わっているものではない。ルミエというブランドは、昔は「駅に近い安売りの店」のイメージが大きかった。それが高級店とするブランドを持たなければならない。もちろん中に入っている店のブランド力はあるのかもしれない。しかし、店そのもののブランド力が育たなければ、客が来ない。客が来ない店は、どんなに良い商品を打っていても売れるはずがないのである。
 そのブランドは育てるものであって、残念ながら、マスコミで一回や二回放送したからといって何とかなるモノではない。高級店と称する店がオープンしたということで話題はでいるが、人のうわさも75日、すぐに忘れられてしまい、後は店舗そのもののイメージと高級感で売らなければならない。ブランドは育てるものであって、誰かが作るものでもなければ、告知で認知されるものではない。
 あとはルミネがそのブランドの育つ時間を待てるか。それは非常に難しい。
 デフレの時代の高級店。そのオープンは話題になる。しかし、一方で高級である事はタダ値段が高ければよいというものではない。単純に言えば、ブランドを育てる、その高級な値段に見合った信用があるということが重要なファクターである。そのファクターがそろうことを待てるのか、あるいは待てずに滅びるのか。顧客の成長と、ルミネそのものの待てる力が左右することになる。そして、待てるようであれば、ある意味で、デフレの出口が見えるのかもしれない。

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有識者会議という名の応援団 朝霞などの公務員宿舎建設で浮世離れ

有識者会議という名の応援団 朝霞などの公務員宿舎建設で浮世離れ

 「有識者」という単語に違和感があるのは私だけではないはずだ。
 最近では「プロ市民」という名前も少なくないのであるが、まさに、政党が自分の意見を代弁させる代弁者を山ほど用意しているということが上げられる。これに反発したもっとも有名な発言が、安保騒動時の岸信介首相の「声なき声」である。そのような反発やデモを行っていても、基本として収束してしまう。現在「日米安保反対」を叫び国会に押し寄せる人はいない。安保騒動でデモを行っていた人々は全て死滅したわけでもないのに、そのようなことを言う人はいないのである。その頃反対に回っていた人々、いわゆるプロ市民は、いつの間にか「反原発」などの話をしている。それどころか「国連軍」などという単語を使い、自衛隊意見というような話もしていない。私からすれば「プロ市民」は、ある意味で「現状の不満を反政府と言うことで煽られて、熟慮することなく即応する単純な人々」と、「その扇動されやすい単純な国民の習性を利用して扇動する国家観なき悪人たち」という二種類に分類されるものと考えている。
 今日は「プロ市民」ということについて書くのではない。「有識者」というこれまた不思議な存在である。そもそも「有識者」という言い方は、一般の国民であり主権者を「知識のない人」というような感覚で捕らえているものであり、あまり喜ばしい内容ではない。まあ、単語に関する印象が悪くても、それは定義であるから仕方がない。しかし、実際に有識者という人はどのような人をさすのか。
 ゆうしき‐しゃ〔イウシキ‐〕【有識者】
学問があり、見識が高い人。
 けん‐しき【見識】
1 物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。ある物事に対する確かな考えや意見。識見。「―を備えた人物」
 2 気位(きぐらい)。みえ。「彼女はいやに―が高い」
(デジタル大辞泉)
 要するに確かな考えや意見を持ち、優れた判断力を持った学問のある人、少し気位が高い人土地宇感じであろうか。具体的には研究者や大学の教授などがあげられるのであろう。後は企業団体の理事や企業の経営トップなどもその中に入るのかも知れない。いずれにせよ、そんなに何をしているのか良くわからないが、そのことの知識に精通している人ということ、単純に言えば専門家である。
 では、そもそも専門家の意見というのは統一されているのか。単純に言ってその答えは「NO」である。統一されているのであれば、今頃、事故以来の原子力発電所をどのよう
にするのかも「有識者」の意見が統一されているであろうし、また、今議論が紛糾しているTPPなどに関しても「有識者」の意見は統一されたものであろう。
 専門家は、当然にひとつのことの専門である。しかし、たとえば、空き缶を見てもらおう。横から見れば長方形であり、上からいれば丸い形だ。下から見れば穴が開いていないし、上から見れば穴が開いていて中身が見える。同じ者を見ても角度を変えればまったく違う者を見ているのと同じである。
 本来は「有識者」というのは、そのような状態を全て解説でき、その上で、すべての角度からのメリットデメリット、特徴や国民の印象をしっかりと伝えたうえで、自分の意見をしっかりと述べなければならないであろう。しかし、学識経験者というのは、たいていの場合(そうでない人も少なくないということは付け加えるが)自分の専門的な内容からしか物事を見ていない。当然にそのためにはある一方から深くかが得るということになる。上記の通り『物事を深く見通す』のも見識のひとつの定義であるから、多方面からの外観を捉えることなく、ひとつの方向しか見えない。学術研究の場からいえば、空き缶を「中身が見える丸いもの」という人と「穴の開いていない長方形の物体」という人がいつまでも延々と議論を続けているようなものだ。
 これは、私が大学時代に法学部にいたその法学部の教授たちでもそうだ。何も理数系だけの話ではない。私の場合は手形法の研究をしていたが、二つの学説と一つの折衷的な学説のあわせて三種類が存在する。しかし、その内容に関して、相容れることもなく対立したまま、時にはいがみ合うほどの話をしてしまうのだ。もちろん折衷が良いとはいえないが、いがみ合い批判しあっても意味がない。現在の有識者といわれる人々の議論、たとえば原子力発電所についてネット上でいくつかの意見が上げられれているし、TPPに関してもそのような意見が上げられているが、その背景や、なぜこの人が反対(もしくは推進なのか)の論拠を見ることなく、そのような議論を延々と続けても意味がないのである。その上で、今回の新聞記事を見てみよう。

公務員宿舎サイアク~“騒ぐ国民悪い”と言わんばかりの意見に唖然

 復興増税に絡み、国民の多くから「無駄」の大合唱が広がった朝霞宿舎(埼玉県朝霞市)など国家公務員宿舎の建設問題。削減規模などを検討する有識者会議が始まったが、中では、建設推進派の意見が大勢を占め、反発する国民やマスコミが悪いといわんばかりの、とんでもない意見が交わされていた。どこまでズレているのか。
 注目の「国家公務員宿舎の削減のあり方についての検討会」は17日に第1回、21日に第2回の会合が 開催。藤田幸久財務副大臣を座長に、政務官や民間有識者6人、財務省理財局長も出席した。
 会議は非公開だが、25日までに第1回分が、発言者を明らかにしない議事録要旨として公開された。そこでは、「民間はバブル崩壊後、何回もリストラを経てきており、今回の震災にも我慢強く耐えている。これ以上は駄目だという環境にある」といった、民間目線の意見は少数派だった。
 ある出席者は「事業仕分けで凍結と決められたことと、去年のPRE(=有識者会議)において理詰めで決めたことと格差があり、そこが取り上げられている」と、建設再開が論理的に正しいと主張し、「一種のアファーマティブアクション(被差別者の地位回復のための行動)が必要」と述べ、「公務員=弱者」と言い切っていた。
 別の出席者は「戸数を削減すべき等の批判があるが、国民に理解をしてもらえるよう、合理的な説明をすべき」と発言。また、「現在の住宅補助金(=上限月2万7000円)で民間住宅を借りにいったときに足りないということを正直に議論した方がよい」という、あぜんとする意見も。
 極め付きは、公務員宿舎問題を「騒動」と矮小化し、「被災地以外の人々は、公務員の給料を削って公共投資をやめれば増税などしなくてもよいと思っている」「アメリカでトヨタ社の問題が起きたときの対応と似ており、感情論は合理的に説明しても受け付けられない」と、「騒ぐ方が悪い」といわんばかり。
 公務員特権問題を追及しているジャーナリストの若林亜紀氏は「これでは『言い訳検討会』だ。世論が盛り上がって道理が引っ込んだという理屈だが、それは違う。隠してきた公務員の厚遇が明らかになっただけ。『2万7000円の住宅補助で足りない』というが、家賃を全額補助する民間企業などない。給料から家賃を払う発想がないのが公務員らしい。民主党は『公務員人件費や天下りを削れば、増税なしに年金を立て直せる』と主張して政権を獲ったが、あの公約はどうしたのか」と語っている。

2011.10.26 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20111026/plt1110261138003-n1.htm

 若い女性の恋愛相談。大体の場合、先に結論ありきであり、その意見の背中を押してくれる人を探しているだけだ。だから真剣に相談に乗るのではなく、その女性の考えを肯定してあげる必要がある。これは、ある精神科医の話しである。相手を否定しないということが最も良い治療法だという。
 まさにこれこそ政府の行う有識者会議の実態だ。増税にしてもTPPにしても同じ。要するに先に自分の結論があり、その意見に国民を誘導するために「有識者」渡渉する正体不明の人々の口を借りているだけに過ぎない。この手法はマスコミも同じ。マスコミは出演料などで顔を出しているコメンテーターという専門家でもない人に話しをさせるのであるが、政府の場合は、さすがに素人の意見というわけにも行かないので、「有識者」という、専門家でもなければ、なんでもない中間的な人を使う。そのようにして自分たちの意見に従ったコメントを出す人を探していすだけである。
 それでもその「有識者」の名前が公開されれば、その人々になぜそのような意見を言ったのかを聞くことができる。しかし、民主党政権の場合は有識者会議そのものが非公開であり、発言者の名前も参加者の名前も公開されていない。公式の政府の決断に影響力を与えうる会議であるのにかかわらず、その発言者そのものが発言の内容に対して責任を負わないというひどいないようだ。ひょっとすると会議そのものが行われていないかもしれないし、あるいは「やらせ」や「民主党による作文」なのかもしれない。そのような批判があっても、反論ができないのではないか。
 その会議の中で公務員住宅について、国民を小ばかにしたようなことが言われている。しかし、その内容が公開されるということは、まさに今の野田政権がその内容を考えているということに過ぎない。それは有識者に責任を転嫁した野田政権の本音であり、民主党政権の実態なのである。国民はこのようなことを言われて良く我慢していると思う。いまだに「野田さんは人柄が良い」などといっているのであるから、「現状の不満を反政府と言うことで煽られて、熟慮することなく即応する単純な人々」と定義できてしまうのである。
 もう少し、物事の真相をしっかりと考えながら政治を見なければならない。生活に直結することなのだから。

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大先輩、北杜夫さん死去

大先輩、北杜夫さん死去

 今日は、このブログが私の個人のブログであることから、政治などと離れて、非常に個人的なことを書かせていただきます。

 大先輩の作家北杜夫さんがなくなられました。84歳ということです。
 まず私が大先輩という根拠を北杜夫さんの学歴から。
   * 青南小学校卒業。
    * 麻布中学校(現在の麻布中学校・高等学校)4年修了。
    * 東京帝国大学臨時附属医学専門部入学。
    * 麻布中復帰。
    * 旧制松本高等学校理科乙類(新制信州大学文理学部の前身)卒業(『どくとるマンボウ青春記』の舞台)。
    * 東北大学医学部卒業。
    * 博士論文「精神分裂病における微細精神運動の一考察」により医学博士(慶應義塾大学医学部)。

 要するに私の中学高校の母校である麻布の先輩なのです。小学校時代、受験をしようと思っていた私は、様々な本を読んでいた。初めは星新一のショートショートが初めで、その次が北杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズであった。この「マンボウ」知り―自はは和紙に対して非常に強い衝撃を与えた。小学校当時、学習塾の話を聞けば当然のごとく「麻布・開成・武蔵」というのが御三家であり、そこからは東大、そして日本のエリートに行くものといわれていた。当時は、非常に素直で勉強のできる子供であった私にとって、「麻布」というのは、憧れでもありある意味で手の届く「夢」であった。しかし、その「麻布出身者」が東大でもなく、いつの間にか調査船に乗ってある意味でドタバタ喜劇のような毎日を送り、そのうえ、その体験記を随筆として出版し人気を博しているというのは、自分の将来に「敷かれたレール」の先にいくつもの分岐点があり、まだまだ自由があるということを知らせてくれた。
 当時、(ご本人は覚えていないかもしれないが)北杜夫氏とやはり麻布出身の作家であるなだいなだ氏が受験生のための講演会を行った。中学お受験をする私は当然のごとくその講演会を見に行った。その内容は、私の「しかれたレールの先の分岐点」が自分ん御自由に選べるということを知らしめた。
 北杜夫氏の冒頭のひと言は「何で君たちは受験するの?遊んでた方が楽しいじゃない」であった。北杜夫氏となだいなだ氏の講演会は、当時では仕込みであったかもしれないが、漫才のボケ役が北杜夫氏、突っ込み役がなだいなだ氏という感じであった。その軽妙なやり取りは、プロの漫才師以上であり、またその内容は麻布という学校や受験という内容よりも、はるかに素晴らしい「自分の人生の生き方」を教えてくれた。北杜夫氏は、その中で水産庁の調査船の話をした。もちろん「どくとるマンボウ航海記」のものであった。しかし、それば文章で書かれたものではなく、生きた話として話を聞けるのは非常に素晴らしい。
 なだいなだ氏が「船は狭くて苦しいでしょう」というと。
 北杜夫氏は「どんなとこでも住めば都よ」という。
 なだいなだ氏が重ねて「船酔いとかはどうなんですかねえ」
 北杜夫氏は「苦しいこと、つらいことを、つらい、苦しいって書いたら、誰も楽しくないじゃない。苦しいことこそ楽しく、面白く書かなきゃ。受験も同じ。苦しいとき、つらい時こそ、それを楽しむことを考えるべきですよ。それができない人は、これから受験なんかよりもはるかに厳しいことがあるんだから、その都度つらい、苦しい、昔は良かったなんて言ってたらだめなんだよ。もちろん、船酔いはひどかったが、それを笑えるようにならないと、狭い船の中ではやってられないよね。船なんだから、途中で逃げられないんだから」
 1時間くらいの講演で覚えいているのはこのくだりだ。他にも様々教訓になったことは少なくなかったと思う。しかし、この「つらい時こそ面白く書く(伝える)」ということは、私の今の文章にも何にも通じる。私と会って阪神大震災の話を聞いた人は知っているかもしれないが、私は阪神大震災の被災者であるものの、その話は不謹慎ながら笑いがでるような話しかしたことはない。しかし、もちろん、阪神大震災などは東日本大震災の内容を見ればわかるとおりに悲惨な現場でしかなく、本来は笑えるようなものではない。それを笑い話に変えられるのは、私たち経験者、被災者しかいないのだ。そして、それを笑えるから、明日があるのであり、もっと苦しいことにも立ち向かっていけるのだ。
 本来は、上記のように受験に関する講演会であったが、そのことは今も、私の子ことの中に生きている言葉である。
 麻布の文化祭の時、私は文化祭の実行委員をしていた。卒業生を呼んでショーをやろうということで、作曲家の神津善行氏や、ジャズピアニストの山下洋輔氏、脚本家の倉本総氏、政治家の橋本龍太郎氏やその同級生で作家の安倍譲二氏を呼んだ。このほかにも俳優の中谷昇氏、小沢昭一氏なども声を掛けさせていただいた。この時に当然のごとく北杜夫氏にも出演交渉を行った。その時に受験の講演会の話をした。そのおかげで今こうして麻布の文化祭の実行委員会をしていると伝えると、北杜夫氏は「そんなの覚えていないなあ。だいたい、ぼくの話で影響を受けていると、将来こんな風になっちゃうからやめた方がいいよ」といい、病院と作家業が忙しいので出演はお断りいただいた。もちろん、母校とはいえ高校の文化祭であるから出演料などはまったく出せないので、ボランティアで来てくれというのだ。基本的に断られて当然だ。しかし、それらの理由をしっかりといった後で、「そんなに影響されているなら、君が私の代わりに話したらいいんだよ。私は鬱になっている時期だから」といって、笑いをとることを忘れなかった。
 社会人になってから、一回だけお会いしたことがある。あまり親しく話せるような感じではなかった。ある意味、政治家よりもはるかに緊張する相手であった。しかし、「心の師」という感じで、今の私を「創造した」人の一人であることは間違いがない。もちろん、私が社会的にあまりよい人でないにしても、その責任が北杜夫氏にあるものではない。上記のように同じ学校の出身者、そして、しいて言えば誕生日が一緒というくらいで、あとは特に接点はない。しかし、私のように文章を書いている人間にとっては、私にとっての北杜夫氏のように、直接の接点が少なくても、師と仰がれる可能性があるのではないか。そのようなことをなんとなく教えてくれた大先輩であったと思う。
 ご冥福をお祈りいたします。


「どくとるマンボウ」北杜夫さん死去

 ユーモアあふれる“どくとるマンボウ”シリーズや、大河小説「楡家(にれけ)の人びと」で知られる作家、芸術院会員の北杜夫(きた・もりお、本名・斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が、24日死去した。
 84歳だった。告別式は親族で行う。
 近代短歌を代表する斎藤茂吉の次男として東京に生まれた。旧制松本高を経て東北大医学部に進学。卒業後の1954年、初の長編「幽霊」を自費出版した。
 60年には、水産庁の調査船に船医として半年間乗った体験をユーモアを交えて描いた「どくとるマンボウ航海記」を発表。「昆虫記」「青春記」などマンボウものを出版して人気を博した。
 同年、ナチスと精神病の問題を扱った「夜と霧の隅で」で芥川賞。64年には斎藤家三代の歴史を描いた「楡家の人びと」を刊行、毎日出版文化賞を受けた。「さびしい王様」など、大人も子供も楽しめる童話でも親しまれた。「青年茂吉」など父の生涯を追った評伝で98年、大仏次郎賞を受けた。

2011年10月26日(水)3時1分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yomiuri-20111026-00081/1.htm

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ユーロ崩壊と円高と日本経済の崩壊前夜

ユーロ崩壊と円高と日本経済の崩壊前夜

 ギリシア危機から始まるユーロ危機が続いている。
 そもそもユーロというのは、通貨統合であった。当初は各国が通貨を持ちながら共通兌換紙幣を持っているような幹事であったが、段階的に各国の通貨をなくし、ユーロ一本に絞ったのである。
 これは、単純に通貨が統合されたというだけではなく、通貨の統合は、そのまま通貨発行権を各国政府が喪失したということに過ぎない。当然に各国の為替と、各国の発行済み通貨にしたがって、または各国の資産にしたがって各国の保有通貨が決められるという状態になったのでるが、そこに大きな落とし穴がある。
 一つ目の落とし穴は、通貨発行量でユーロを発行したということである。国家も企業と同じで通貨発行に関しては本来の税収と借金がある。借金しても通貨発行量は増える。ユーロの場合は、債務は全体の3%以内とすることを決めていたために、その前提条件が崩れれば国の歳入以上に通貨発行が起こり、極端なインフレになる。
 ちなみに、経済評論家の中には、ギリシアと日本の債務発行の違いは外国が債券を買っているかいないかということで変わるとしている。国内に国債が売られているので、問題はないとか。日本の場合は、国内に国債が流通しているので、基本的には、国債をいくら刷っても問題はないという主張をする人がいる。しかし、上記のギリシアとユーロの前提は、内債外債にかかわらず3%を基準としている。基本的に資本主義の場合は、国家財政も税収という収入を前提にして歳出を見る、そして通貨発行量を決めてゆくということになる。本来の金兌換紙幣から信用通貨に変わった状態から考えれば、その信用は国家の蔡縫う及び国家の資産を元に行われていることが明らかである。要するに、信用通貨は信用の元となる歳入や国家資産が会って初めて信用通貨としての信用を維持できるのだ。よって、国内の内債であっても外債であってもその内容はかわらない。政府としての信用通貨の信用を維持するかしないかということにある。よって「国債をいくら刷っても問題はない」とするのは、完全に通貨の信用性を無視した議論といえる。もちろん、信用通貨の信用を維持する政策をとった後に、その維持できる範囲で通貨および国債を発行するということは良いことであると思うが、そのへんの片手落ちの議論をしていても、不景気の対策にはならない。そのような主張をする人は、「信用通貨制」の歴史、金兌換性との違いなどをしっかりと勉強した方が良いのかもしれない。もちろん、通貨の歴史に関しては、われわれの教育プログラムの時代、要するに、ゆとり教育以前の教育カリキュラムでは高校の歴史(日本史および世界史)で習ったものである。
 さて、ユーロのもうひとつの問題点は、まさにそこである。要するに、ユーロそのものが信用通貨として成立するその「信用」の創造は、まさに、各国家の歳入であり財政バランスであるといえる。もともと国家財政に関係なく通貨を統合したものであるから、その内容はまさに財政上に歌詞があった場合にユーロ全体が致命的な打撃を受けることになる。要するに歳入があると思って信用を維持していた通貨が、実は債務のほうが多いということになれば通貨価値が完全に下落してしまうのである。
 ギリシア一カ国を見れば、通貨発行件がないのであるから、存在する通貨で何とかしなければならない。要するに完全に破産状態であるから、今までの発行済み国債をデフォルトする以外には存続の道はないということになる。しかし、ユーロということになれば話は別だ。ユーロ全体はギリシアのような(ギリシアだけではないが)債務超過国もしくは財政悪化国があった場合に、その国債を保有している銀行に対して不良債権を処理しなければならない。暴落するのはギリシア一カ国の通貨ではなく、ユーロ全体であるからだ。そのユーロという通貨を維持するためには他の国々が負担を分担して、ギリシアの国債のデフォルトに備え不良債権を処理しなければならないのではないか。
 日本の人ならばすでにバブル崩壊後に体験したRCCのような債権管理機構をユーロ全体がユーロ参加国主導で作らなければならないということになるのだ。ある意味で、不良に対する連帯保証を他の人がみんなで行っているようなものではないか。その取りきめが行われた。

「1ドル=73円台」に現実味!ニッポン経済“崩壊”前夜

 一体どこまで上がるのか。“ハイパー円高”が日本を襲っている。21日のニューヨーク外国為替市場の円相場で一時1ドル=75円78銭まで急騰し、8月19日に付けた75円95銭の戦後最高値を約2カ月ぶりに更新した。市場では「73円台」の観測も流れる。これじゃ日本の輸出関連企業はメタメタだ。
 円を一気に急上昇させた理由は、(1)欧州各国の債務問題への警戒感(2)景気が低迷する米国で追加緩和観測が高まった-のが大きな要因。一方で、26日のユーロ圏の首脳会議で欧州危機に対する包括策が最終合意に達するとの期待を材料にドルを売る動きが加速、債務問題を抱える対ユーロでなく、対ドルで円が上昇した。
 「ユーロ各国の合意が難しく、市場の失望感が高まっている。米国の緩和を先取りしドル売り円買いが進んだ」。野村証券の木内登英チーフエコノミストはこう指摘する。
 第一生命経済研究所の永浜利広主席エコノミストも「経常黒字国の日本の円が消去法的に買われている」と分析する。
 しかし、為替市場やこの日一気に200ドル超値上がりした米株式市場では、市場関係者の間で欧州財政危機への過度な悲観論が後退し、「ドル買いの動きが巻き戻され、売りに転じた」との見方も広がった。
 ロイター通信によると、ニューヨーク市場で大口のドル売りが出た後、76円の水準で邦銀からとみられるドル買いが入った。
 ただ、市場では「73円台まで円高が進むのも間近」との観測は根強い。政府・日銀は、週明けの市場動向などを見ながら対応を検討する。
 多額の資金が動く為替市場では、先進7カ国(G7)が東日本大震災後の今年3月に実施した円売り介入のような政策協調が不可欠。現在は円高に対する各国の危機感は共有されていないが、日本は急激な円高による産業空洞化の危機に直面している。単独でも円高阻止の姿勢を強く示す覚悟が必要なのだが…。

2011年10月22日17時00分 提供:ZAKZAK(夕刊フジ)
http://news.livedoor.com/article/detail/5958748/


欧州版IMF前倒し…ユーロ圏首脳会議声明原案

 【ブリュッセル=工藤武人、中沢謙介】ユーロ圏17か国が26日の首脳会議で採択する声明原案が23日、判明した。
 財政危機に陥ったユーロ圏の国に対する恒久的な財政支援制度「欧州安定メカニズム(ESM)」(5000億ユーロ=約53兆円)の設立時期を前倒しする。民間投資家が保有するギリシャ国債の元本削減の詳細については、欧州連合(EU)などによる公的支援の見直しとセットで、11月末までに詰める。
 ESMは、昨年6月に発足した緊急支援制度「欧州金融安定基金(EFSF)」(4400億ユーロ=約47兆円)の後継となる。「欧州版の国際通貨基金(IMF)」に位置づけられ、EFSFの設置期限が切れる2013年6月の発足を目指していた。前倒しで発足させ、EFSFと併存させて、一時的に基金の能力を拡大させる案が浮上している。
 声明原案は、ESMの発足に必要なEU基本条約の改正について、各国議会の批准を「13年6月より前に、可能な限り早く」行うことを明記した。条約改正の第1段階となるユーロ圏財務相による署名を来月中に行う点にも言及している。早ければ12年半ばにもESMが発足する可能性がある。

最終更新:10月24日(月)3時1分 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111023-00000924-yom-bus_all

 さて、国家に限らず、財務体質を改善するためには、収入と支出のバランスをしっかりとしなければならない。収入と支出のバランスをしっかりとするということは、まさに歳入と支出のバランスを改善するということ。ある意味で言えば歳入を増やすかあるいは支出を削る以外にはない。これは企業でも同じことだ。
 上記にあげた信用通貨制度における信用の創造は、まさにこの歳入と支出のバランスによって生まれることが基本である。この歳入は主に税収であるといってよい。もちろん、これ以外にも、たとえば国営企業や国家保有資産の果実、または資産売却益などもあるし、臨時の歳入といえば、たとえば戦時賠償などもあげられる。日本の従軍慰安婦問題で支出しているのはこの一種であり、韓国は税収でで賄えないぶんを、日本に戦時賠償として歳入を増やし、財政を改善しようとしていることは明らかであり、その上に通貨スワップなどもしているのだから始末に終えない。
 一方支出には、公務員の給与や国家施設の賃料、建設や設備工事(俗に言う公共事業)、年金、国民保険などがあげられる。もちろん軍隊に対する支出も設備投資であるし軍人に対する給与も公務員給与であるという考え方である。支出を削るということはこれらの支出を下げるということに他ならない。
 単純に、そのバランスはユーロ全体もしくはアメリカよりも日本のほうが良いとされている。考えれば、日本はバブルとリーマンショックで不良債権処理は終わっている。当然に今もっとも危機になっているユーロやアメリカよりも日本の通貨の信用が高いことは間違いがない。しかし、そのように極端な円高は、日本の貿易などに関しては不利に働く場合が少なくない。
 この改善策は、基本は二つしかない。ひとつは為替相場を改善すること。要するに円を安くするしかない。これは為替介入ということができる。しかし、為替介入は一時的なもの出しかない。もちろん一時的といっても効果はあるし、やるべきである。しかし、実際に根本的な解決にはならない。介入した堕ちに一定期間そのままであれば、再度円高がやってくることになる。
 そこでもうひとつの改善方法、要するに根本的な解決方法を考える。それは他の国のし尿を高めるということである。この方法は二つある。ひとつは、海外の企業に対する投資によってギリシアやアメリカの信用を高めるという方法である。一方、日本原産で日本でしかつくれない商品を作るということ。要するに技術力を高めるということである。そうであれば円高でも関係なく貿易が成立する。
 日本の政府は本来はそのような根本的な内容を説明して行わなければならないのではないか。しかし、事業仕分けでは「一位じゃなきゃダメなんですか」などといって技術力や研究開発費を削る。または海外には技術力ではなく、通貨スワップなどでタダで金だけを取られる。ましてや為替介入も限定的。これでは日本が滅びてしまう。
 今日は、多少語弊があるかもしれないが、通貨と為替に関する内容を記載した。このように見てきても、そもそもこのようなことがわかっているのか、何もしない、根本的な解決も緊急措置も行わず、タダ漫然と時間が過ぎるだけ。官邸機密費を無駄遣いしている。こんな政権では、この緊急事態に日本崩壊を招いてしまうのではないか。

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アラブの狂犬の死とカオスの北アフリカ

アラブの狂犬の死とカオスの北アフリカ

 久しぶりに海外の記事を書いてみようと思う。野田内閣になってしばらく衝撃的なことが多かったので、海外情勢に関しては基本的には触れてこなかった。「基本的には」というのは、要するにG20に参加した安住財務大臣の内容などがあるため、少しは文中江ギリシア危機などに関して触れてきたという自負がある。もちろん本当に「触れた」程度でしかなくて、海外情勢に関する記事の書き方も忘れてしまう。
 何度かここで内情を暴露しているが、このブログそのものは私の文書の練習である。小さい子供のレッスンと同じで、毎日長文を書いていないと、いざ文章を必要とするときに書けなくなってしまう。私のような商売でそれでは困るのである。そこで、なんとなく、誰が読むというのではないブログに、毎日何かを書いている。日記でも良いのかもしれないが、日記は基本的に他人に読ませる文章ではない。そのために、このような文章を毎日書くことによって、自分の練習としている。ある意味読者の皆様には大変失礼であるかもしれないが、皆様は私の練習にお付き合いいただいているという感じである。
 なぜ急に私の練習と書いたかというと、基本的に海外事情に関する文章と国内政治の文章は異なるからだ。海外事情に関することは、海外事情を知らない人でもわかるように前提条件を整理して書かなければならない。国内政治に関する文章は、誰もがニュースなどで知っているという前提で書く。基本的に文章を書くときのスタンスが異なるのだ。毎週土曜日に書いている軽いネタは、前提条件として、事実関係を知らない人でも面白く読めるということを心がけて書いている。今日は、その意味では前提条件から書かなければならない。
 リビアのカガフィ大佐が殺された。リビアにおける内戦の後に、逃亡しながら影響力を行使しようとしていたのであるが、その途中追っ手に捕らえられ、搬送中に若い兵士に頭を撃たれた。
 前提条件として、なぜカダフィ大佐が独裁できたのか。そして、なぜ内戦になったのか。最後になぜ反政府軍が勝てたのか。この三つの焦点を簡単に書いてみよう。
 まず、そもそも地理的に北アフリカは豊富な石油および天然ガスの埋蔵地区であり、基本的にはOPECの加盟国ばかりである。もともとイスラム教を国教とする国家が多いことと、砂漠が多いこと、そして地中海を挟んでヨーロッパの影響が非常に強いことなどから、王権が非常に強い土地柄であったが、第二次世界大戦後、石油を狙う欧米列強の支援によってさまざまアド臭い政権が生まれるようになったのである。このほかにも着たアフリカは地中海貿易の片方、どちらかというと資源だけでなく農産品や毛皮などの趣向品の輸出国で、なおかつ戦前はヨーロッパの植民地になっているところも少なくなかった。
 戦前のこれらの石油利権と、その欧米の介入をうまく表現したのが「アラビアのロレンス」であろう。映画として、いきなりロレンスがオートバイの事故で死ぬところか原始まる映画は、現代の北アフリカ、というかアラビア情勢を知るのには、ちょうど良い作品である。もちろん、映画としても良い作品なのであろうが、私には、その辺の芸術的な評価は良くわからない。
 それら欧米の傀儡的な政府、もしくは、植民地の延長のような政府に対して、党が王権政府に反乱を起こし、そして独裁者になった人がいる。これがカダフィであった。リビアは、アフリカの独立を声高に叫び、反米、反欧勢力やテロリストを保護してきた。しかし、同時に旧東欧やイタリアなどに天然ガスなどの地下資源を輸出し、巨万の富を得ていたのである。
 しかし、そのような巨万の富を国民に配布することなく、カダフィは自分の富として確保を行った。このことによって、国民の生活は疲弊し、カダフィ一族と一部の支配階級との間に格差ができるようになるのである。当該格差は、40年以上続く。また、アメリカなどは、その地下資源の自由化を求めカダフィの暗殺を試みるなど、リビアは非常に大きな『火薬庫』になっていたのである。
 反乱軍の首領であったカダフィは、富を得ることによって国民そのものも信用できなくなる。そのために巨万の富で軍隊と武器を雇うようになる。この巨大な武力と地下資源を基礎とした財力が独裁の源となる。そして反米・アフリカの新の独立というスローガンが、理念的に反対派を封じ込めるという手法で独裁が行われたのである。
 しかし、国民の格差や貧困に対する支配階級への不満は鬱積いていた。それが今年の恥江に起きたアルジェリアのいわゆる「ジャスミン革命」そしてエジプトのムバラク政権崩壊の勢いを得て、リビア国内においても独裁政権打倒のデモが起きる。普段から格差があることと、生活ができないという貧困、そして隣国での実績は、大きな精神的な力になった。そのデモは日増しに大きくなった。カダフィ大佐は、このデモに対して外国人の傭兵部隊によって殺戮を行ったのである。外国の介入を許すのは、この行為だ。カダフィはここで選択肢を誤ったのである。
 「外国人の傭兵部隊がリビア国民を殺した」という衝撃は、カダフィに対する憎悪を国内に充満させた。それと同時に外国の介入を許すという姿勢は、ヨーロッパ各国の介入を許す口実になった。NATO、北大西洋条約機構は、リビアのカダフィ政権に対して国民の殺戮の罪を持って空爆などの介入および反政府軍に対する武器弾薬の供与を行った。これにより勢いづいた反政府軍はカダフィ政権を打倒した。カダフィは逃亡生活になったのである。

カダフィ氏の死因は頭部への銃撃…射殺か

 【トリポリ=佐藤昌宏】AP通信は23日、リビア法医学界権威の話として、元最高指導者カダフィ氏の死因が頭部への銃撃だったと報じた。
 カダフィ氏の遺体は西部ミスラタに安置されており、23日までに検視を終えたという。銃撃が至近距離からのものだった場合、反カダフィ派兵士などによる射殺だった可能性が高まる。反カダフィ派組織「国民評議会」は死因について「銃撃戦の最中に撃たれて死亡した」(ジブリル暫定首相)と説明していた。しかし、戦闘に参加した兵士の中には、「自分がカダフィ氏を射殺した」と主張している者もいる。

最終更新:10月23日(日)20時14分 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111023-00000590-yom-int

カダフィ大佐死亡、国民評議会が発表

 リビアの国民評議会(NTC)は20日、最高指導者だったカダフィ大佐が死亡したと、中東の衛星テレビ、アルジャジーラを通じて伝えた。トリポリは祝賀ムードに包まれている。
 しかし、カダフィ大佐は拘束されたとの情報もある。また、AFP通信が携帯電話で撮影した血にまみれたカダフィ大佐とみられる映像の一部を公開しているが、CNNはこれらの情報について正式な確認をとれていない。
 約42年にわたって同国を支配してきたカダフィ大佐は政権崩壊後、行方が分からなくなっていた。
 今月17日には、リビアの新政権づくりを目指す国民評議会が、カダフィ大佐の支持派が抵抗を続けていた最後の拠点の1つ、バニワリドを制圧したと発表し、バニワリドの制圧により、国民評議会の部隊はカダフィ大佐の出身地シルトに兵力を集中させるとしていた。

CNN.co.jp 10月20日(木)22時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111020-00000013-cnn-int

リビア「解放」を米大統領が祝福 「希望ある新時代」

 【ワシントン共同】オバマ米大統領は23日、リビアの反カダフィ派「国民評議会」がカダフィ政権による独裁支配からの「解放」を宣言したことを受け、「希望ある新時代の幕開け」だとしてリビア国民を祝福する声明を発表、国家再建への支援を約束するとともに民主的な新政権の発足を求めた。大統領は「米国民を代表し、歴史的な解放宣言を祝福する」などとした。

2011年10月24日06時37分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/5960728/

 さて、上記のような内容である。基本的に西側諸国は「独裁者がいなくなり、リビアに民主主義が達成する」という非常に人権的なことをいう。もちろん、地下資源をめぐる利権を絡めた内容があることは誰の目にも明らかだ。ただ、ここまで明らかであると「陰謀」というようなものではない。ある意味多国籍軍隊カダフィ軍の戦争であったといえるのではないか。
 さて、問題はカダフィ亡き後のリビアである。革命というのは、ある意味で、「貧困からの脱出」そして「富の不均衡の甲斐性【再分配】」が言われる。しかし、それが公平に行われるはずはない。傾斜が緩やかになる程度で、「均分的な平等」が行われるのである。中には、よこしまな人間があり民主主義を利用した独裁者が現れることも考えられる。ドイツのヒトラーであっても民主主義で選ばれた独裁者だ。ある意味、洗脳的そして扇情的な指導者があれば、そのものが大きな力を持つことも考えられる。
 アメリカは世界の地下資源をしっかりと手中に収めることを考える。またヨーロッパは、北アフリカの地下資源が命綱ともいえる。特にギリシア危機が叫ばれ、ユーロ圏全体の経済基盤としてきたアフリカの地下資源はなくてはならないものであろう。TPPではないが地中海沿岸経済協定のようなものができれば、ユーロそのものも持ち直す機運が出てくる。その主導権争いは、カダフィ政権が打倒されたときにすぐにフランスのサルコジ大統領が声明を出し、またカダフィ殺害の報に触れて「米国民を代表し、歴史的な解放宣言を祝福する」とオバマ大統領が声明を出したことが象徴的である。
 現在の民主党と同じで「反XX」「アンチXX」といっているときはいいが、その集団の新の力構えされるのは、その相手が倒されたときである。その後の政治の動き方で、その集団(国民)の政治センスが問われる。リビア国民は、当然にアメリカとユーロの二つの綱引き(もしかしたらロシアや中国などもあると思うが)の間に立たされることになる。反カダフィで戦った主要メンバーは国民評議会という会議隊で指導的立場になる。しかし、その中にも対立が出てくる。そのような醜いことはあまりせずに、真に国民のために何ができるかを考えるべきであろう。日本の民主党政権を悪い手本として、リビアは内戦後の復興を果たしてもらいたい。

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マスコミ批判に関する一考(66) ミイラ取りがミイラになる自由報道協会

マスコミ批判に関する一考(66) ミイラ取りがミイラになる自由報道協会

 マスコミ批判の第一人者といえば、ジャーナリストの上杉隆しであろう。彼の記者クラブ批判は、彼の著書であった「官邸崩壊」と一緒になってなかなか好評のようである。私からすれば、そもそも矛先を向ける方向も違えば、その論拠もおかしいものばかりである。確かにマスコミに対してその偏向報道は非常に大きなものであるが、上杉氏の記者クラブ批判には私は同意できない違和感を感じていた。
 そもそも記者クラブという集団は、官僚にせよ、大臣にせよ、内閣にせよ、国会議員にせよ、その本来の仕事をしなければならない時に、国民の知る権利を充足させ、情報を国民に出す事を行うようにするために、集団で記者会見を行ったことは初めである。現在も国会議事堂内においては写真撮影は原則として禁止されているし、廊下でのぶら下がり取材も基本的には禁止である。特に本会議前後は、その議事の進行が最も重要であり、その議事を妨げるものは、いくら知る権利だの憲法だの言っても意味がない。要するに役職にある人は役職にある本来の業務が最も重要であり、記者会見などは、国民が知りたがっているなどといっても、その本来業務を妨げる権利はないというのが通常な考え方である。その辺の規則を守れない人をシャットアウトし、記者会見を行うことと本来の業務を行うことをバランスを取って行うということが最も重要な仕事である。要するにバランスだ。そのバランスにかけた人は、記者クラブには入れない。実際は言った人でも、その記者クラブから除名された例は少なくないのである。
 フリージャーナリストは、基本的に記者クラブに入れないという。フリーの記者だけでなく、基本的には週刊誌記者も入れないというのが一般的だ。フリー記者は、どの媒体で記事を書くのかがはっきりしていない。要するに、フリーの場合は、ギャラ次第でどのような媒体にも記事を書いてしまう。母体がないということはそういうこと意味する。そのために、基本的な主義主張や、イデオロギーなどが分からないということになるのだ。政治に関しては基本的に個人の主義主張やイデオロギー、または新聞社の基本的な姿勢というのがあるのだから、その内容から所属の記者が何を言うのかということはわかる。そのために、その質問が議事の進行を妨げるものであるのかそうでないのかがあらかじめ分かるものである。これは政権や大臣に批判的であるとかスキャンダルしか聞かないという、報道の内容のものではなく、あくまでもその対象者の本来業務とのバランスの問題である。だから、イデオロギー的に偏っている(とされている)赤旗新聞なんかも記者クラブに入ることは可能であるのに対し、首相官邸でフリー記者に解放されたときの上杉氏のように、「これで質問はありません」などとして、他の記者や多くの国民がいるのに、自分が納得するというだけで記者会見を終了させるかのごとき発言を行うことの方が大きな問題になるのである。要するに赤旗新聞には、何万の読者がいる、そして氏の読者の要望という者があるのに対し、上杉氏には、その読者の背景がなく、そのために国民の総意(読者の総意)としての聞きたいことの興味、知る権利の代弁者ではないということになる。
 そのような状態がまさに表立ってでてきたのが、先日の自由報道協会における読売新聞記者と上杉氏や岩上安身氏とのやりとりであろう。
 普段は新聞からで、ブログからの引用はしないのであるが、今回は面白いのでブログからの引用である。


「ルール違反だろ!」小沢一郎会見で″場外乱闘″ 上杉隆氏らと読売記者が口論に

 会見場の廊下で読売新聞の記者(左)を取り囲む岩上安身氏(中央)と上杉隆氏(右) 写真一覧(3件) 10月20日、自由報道協会が主催した小沢一郎・民主党元代表の記者会見で“場外乱闘”が勃発した。司会の進行を無視して、小沢氏に質問をぶつけまくった読売新聞の記者に、同協会の暫定代表でフリー記者の上杉隆氏が「あんたルール違反してるんだよ!」と激高。会見終了後も、上杉氏に加えてフリー記者の岩上安身氏も読売記者に詰め寄り「なんであんな質問をしたのか!解答をさえぎってたら質問にならないでしょ」と抗議した。読売記者も「会見であれぐらいは普通だ」と抗弁したことで十数分に渡って大騒ぎになってしまった。
 もともと同協会は、記者クラブに所属しないフリー記者やネットメディアが中心となってオープンな記者会見をするために誕生した。いつもは全国紙など大手マスコミの記者は足を運ばないが、東京地裁で公判中の小沢氏ほどの大物議員は別格で、朝日新聞や共同通信からテレビ局まで勢ぞろい。70人近い記者とカメラマンの熱気で、会場は蒸し暑いほどだった。
 フリー記者らは小沢氏にTPP加入問題や日中関係など政策についてのみ質問。それに対して新聞記者の質問は、小沢氏の政治資金問題に集中するというように、くっきりと分かれていた。読売記者がしつこく小沢氏に食い下がったことにフリー記者が抗議したことは、マスコミ対フリーという新たな火種を産むことになりそうだ。【写真・文:安藤健二(BLOGOS編集部)】

読売記者と小沢氏の一問一党

―陸山会の今回の問題が起きてから、先日の(東京地裁の)意見陳述でもそうでしたが「政治規制法違反に関して脱税や汚職に伴わない場合は実質的な犯罪とは言えないのだ」というお考えを述べていらしたが

小沢氏:(憮然として)そうは言っておりません。

―こちらとしては、そう受け取れられるような発言をされましたが

小沢氏:そんな事はありません(苦笑)記者会見でも全文言いましたから!

―そういう風に一貫して、述べられていると思うんですが

小沢氏:違いますよ!それ。

会場の一部で笑い

―(小沢氏の反応を無視して)2007年2月の事務所費の問題がございまして、小沢氏が会見を開かれた時に、すべて情報をオープンにして国民の判断を作っていく事が大事なんだとおっしゃっておりました。その通りだと思いました。
でも今回の問題が起きてからの小沢さんの対応を見ると、その時のお考えを修正されたのかと、思わざるを得ないような表現をしています。「実質的な犯罪ではない」とか、「形式的なミス」だとおっしゃっていますが、2007年の会見の時におっしゃった様な主旨でいえば、「政治資金収支報告書に誤りがあった場合には、国民側が判断する事が大事だ」とおっしゃっているわけですから、その判断を誤らせるような虚偽記入があった場合、もし、汚職や横領とか脱税ということがなくても“実質的な犯罪”と言えるのではないでしょうか?

小沢氏:ちょっと、あなたの理解が違うと思います。私は、犯罪ではないという見方をしている訳ではない。犯罪といったら、軽犯罪だって犯罪であるから、そういう言い方をすれば、ちょっとでも法に触れれば犯罪となりますが、所謂、実質的犯罪と形式的な犯罪は解りますか?「今まで実質的犯罪が伴わない場合には、全て収支報告書の修正で済まされてきた」と申し上げたんです。

―「実質的犯罪じゃない」というお考えがどうなのかと聞いているんですが

小沢氏:それは法律学者でも誰かでも聞いてください!実質犯と形式犯と二つあって……。

―そうじゃない!

小沢氏:そういう意味のことを私は言っているということで……。

―そういう意味でですね、あの……

司会者の女性:会見中には質問は一つまで……

―話が終わってないから!

司会者の女性:この辺で終えて頂けますでしょうか

(場内騒然)

上杉隆氏:あんたルール違反してるんだよ!

2011年10月20日20時23分 BLOGOS編集部
http://news.livedoor.com/article/detail/5954124/

 はっきり言って、読売新聞の記者が質問している内容はなんらおかしいものではない。というか、訴訟を行っている小沢一郎議員が記者会見の場で「何でも話します」というスタンスででてきたのであれば、当然に聞きたい内容である。もちろん、本人が「訴訟の最中であるから答えられない」というのであれば、特にそれ以上突っ込むのはマナー違反であろう。しかし、上記の質問を見ていれば、小沢氏も答えているのであるから、そのことを気にする必要はない。要するに上記の司会者などは人の会話、そして国民の知りたいことを遮ったという行為だ。
 そして、その行為は上杉氏の「あんたルール違反してるんだよ!」の一言である。
 『フリー記者らは小沢氏にTPP加入問題や日中関係など政策についてのみ質問。それに対して新聞記者の質問は、小沢氏の政治資金問題に集中するというように、くっきりと分かれていた。』(上記記事から抜粋)という書き方でわかるように、事前に質問内容なども調整していた節がある。もちろん小沢氏のTPPに対する意見や日中関係などの政策に関しても聞きたいので、その質問をすること自体はなんらおかしいことではない。しかし、フリーの記者がそれ「しか」しないというのは異常である。小沢議員に対して聞きたいのは、まさに訴訟のこと、それも訴訟の記者会見ではぐらかした部分だ。本来ならば三権分立のことなどもゆっくり聞きたいくらいであるし、憲法の解釈に関してまでしっかりと話させたい。小沢一郎という日本人個人の法律や憲法解釈の異常さを際立たせたいと思うのが、マスコミであろう。
 それを遮るということ自体が、大きな問題だ。要するに上杉氏は記者クラブを否定し、記者クラブに対して文句を言っていたが、その記者クラブ批判は、小沢擁護のためのものであったということが明らかになったのである。それだけでなく、フリージャーナリストは、当然のごとく、その小沢の国民が最も知りたいことを知らさない「情報の壁」になったということが明らかになったのである。
 まさにミイラ取りがミイラとはこのことだ。いや、ミイラ取りがミイラになったのではなく、初めからミイラがミイラ取りの真似をしていただけなのかもしれない。上杉氏に対して感じていた違和感はこれであったのかと納得したものである。
 情報をコントロールするというのは、今の世の中では非常に大変である。本来は、小沢氏は、国民にヒール役となりたくないならば、最も聞かれたくない部分を正直に話すことで危機を回避すべきである。このような情報を隠す五人を近づけていては、かえって国民から不信感を持たれる。まさに政治家として「死」を意味する状態になるのではないか。佞臣を排することができないから、小沢氏は、いつまでも浮上できないのではないか。
 マスコミを批判している人も、まさにこのようにならないように、偏向報道のための反対側の批判にならないように気をつけるべきなのかもしれない。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(32) 中国での開店準備(1) 下着を見せる女性たち

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(32)
中国での開店準備(1) 下着を見せる女性たち

 契約がそろったところで、中国での開店準備を行うことになる。先週ご紹介した中国事業そのものの改革案は、それなりに功を奏した。開店準備に関して中国側からのクレームや邪魔はほとんど入らなかったといってよい。もちろん、細かいものはたくさんあったが、担当者が煩わしいだけで、全体の振興にはあまり関係がなかった。もちろん、担当者にとっては非常に大きな問題になっていた。何しろ、中国人の性質と片方で開店日に間に合わせなければならないという使命感の板挟み。多くの日本人がこのような状態におかれながら、中国で仕事をしているのである。もちろん、この辺の苦労は中国だけではない。中国そのものというよりも、どの国でも同じだ。日本は日本のやり方で世界各国が通用しないということは、頭でわかっていてもやはり体験しないとわからない。「所変われば品変わる」「郷に入れば郷に従え」は、まさにそのものである。
  マイカルの中国プロジェクトの場合、事業が3種類に分かれる。一つはスーパーマーケット業。もうひとつはブランドショップ、これはイタリアの有名ブランドの協同組合との共同事情だ。イタリアのブランドは「アルタガンマ」という協同組合をつくっている。その組合としてのショップの展開権をマイカルは取得した。そしてそのイタリアのブランドショップを大連で出店したのだ。「ベルサーチ」「エトロ」「ゼニア」などイタリアのショップの直営店が大連に初上陸したのだ。そしてホテル事業。スイスホテルもホテルのショップの位置づけのところにアルタガンマが入っていることに魅力を感じていた。ホテルは合弁会社の事業部でありながら、独立事業でお粉た。これらの事業を一つの建物のナkにおいて展開したのである。
  当然に雇用も給与体系もすべて別々に行ったのである。中国人はメンツの世界であることはすでに何回も述べた。要するにホテル従業員にはホテル従業員としてのメンツを持たせる。小売業には小売業従業員のプライドを持たせる必要がある。そのプライドがメンツになり、そしてそのメンツを保つことで仕事をさせるということになる。そのためには仕事一つ一つが「誰でもできる仕事」としないで、仕事を区別する必要がある。一方、小売業の中においては、ある程度ローテン―ションをさせなければならない。大きな枠組みは変わらないが、一つ一つの中においてはローテーションをさせる。ローテーションをさせなければ、癒着してすぐいわいろやリベートの話になってしまう。これが、中国の真の姿である。

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栄枯盛衰 国家観のないルーピー首相の斜陽

栄枯盛衰 国家観のないルーピー首相の斜陽

 最近すっかりと名前を聞かなくなった人が少なくない。芸能人でもそうであるが永田町でも同じである。先日、あるパーティーに某芸能人が来ていた。何しろ芸能音痴を自他共に認める私が、「あっ!芸能人のXXXXだ」(本人の名誉のためにあえて名前は伏せるが)というように声を上げられるほどの有名人であった。その人が、あるパーティーに来ていた。人気の絶頂期ならば、舞台上に上がり万雷の拍手で迎えられていたであろう。しかし、残念ながら、そのようなことはまったくなかった。それどころかそんなに広くない会場で、基本的には誰からも声をかけられることもなく、所在なげに部屋の隅にたたずんでいる。一応マスコミ(芸能とはまったく関係ないのだが)私も近くによって話しかけてみた。話によると、最近では仕事もなく、マネージャーもいない。パーティーの主催者とは人気があったころの友人で、たまには外に出ないかといって呼ばれたものの、挨拶などの声もなく、なんとなくここにいるという。芸能人は人気商売であるし水物といわれるが、まさにその姿を見た気がする。
 さて、芸能人だけではない。栄枯盛衰が激しいのはまさに永田町でも同じことである。永田町の場合は、位人臣を極め、三権の長である国会両院の議長かもしくは内閣総理大臣を拝命したときが頂点であるといえる。しかし、実際は内閣総理大臣を退任した後も議員としての活動を続けている人は少なくない。もちろん、そうでない人もいる。そこで、政治にかかわるかかわり方で四種類の人生がある。
 ひとつは、キングメーカーとして君臨し続けるタイプ。代表は田中角栄元総理。こういう人は何かが違う。現在ではキングメーカーではないものの森喜朗氏や安部晋三氏などもその中に入れてよいのかもしれない。
 もうひとつは、政治評論家になるタイプ。元首相の政治評論家というのはあまり見ないが、元衆議院議長の河野洋平氏などはまさにこのタイプといえる。小泉純一郎氏も、この中に入っているといえる。また大勲位中曽根康弘氏も現在はこのタイプとして、その評価は別にしても世界的に存在感がある。
 もうひとつは、まったく政治と関係のない生活を送るタイプ。代表的なのは細川護熙氏。現在は鎌倉で陶芸家として活躍中。野田首相になって多少出てきたものの、基本的には政治とはまったく関係のない仕事をしている。
 そして、議員を続けながらもなんとなく影響力もなく、なんとなく過ごしている人。これは名前を出すと大変失礼なので、なかなか名前を出せないのですが、思い浮かべる人は何人もいるでしょう。実際に、テレビなどマスコミで出なくても永田町では力があるという人もいるが、逆にマスコミの通りに、まったく名前も何も出てこない人、永田町でも名前を聞かなくなってしまった人という分類があるのである。
 そのようになりそうな人が「鳩山由紀夫」元首相である。菅直人前首相が辞任したので、退任後1年半ですでに「元」首相である。その人の影響力が極端に下がったと評判である。


落日の鳩山グループ、しみる秋風 グループ研修わずか10人

 民主党の鳩山由紀夫元首相は14日、自らが率いるグループ「政権公約を実現する会」の研修を福島県郡山市の磐梯熱海温泉で開いた。民主党創設者の一人であり、政権交代に導いただけにオーナー然と振る舞ってきた鳩山氏だが、最近はめっきり求心力が落ち、研修参加者はわずか10人。自らの優柔不断さが招いたツケとはいえ、冷たい秋風が骨身に染みる。(酒井充、小島優)
 「被災地には国の支援が遅れているところが多々ある。皆さん方が何をなすべきか勉強するいい機会だ」
 午後6時20分、温泉旅館の会議室で、鳩山氏はマイクを握り、震災復興への意気込みを熱く語った。
 だが、話を聞いていたのは、松野頼久元官房副長官らグループ所属の5人と地元選出議員1人の計6人。米長晴信事務局長や川内博史衆院議員らが海外出張中とはいえ、あまりにわびしい会合となった。
 鳩山グループは、平成21年の政権交代が実現したときには100人近くに膨れあがり、小沢一郎元代表系のグループと肩を並べる勢いとなった。
 ところが、昨年6月の首相退陣とともにくしの歯が欠けたようにメンバーが脱落した。
 昨年8月に長野県軽井沢町の別荘で開いた研修には小沢元代表ら他グループを含め150人以上を集めてみせたが、研修直前に主力メンバーの小沢鋭仁元環境相が分派。同12月には平野博文国対委員長も自らの勉強会を立ち上げた。
 衰退の要因としては、鳩山氏が首相退陣時に「政界引退」を表明したことが大きい。その後引退を撤回したが、もはやメンバー離脱は止まらなかった。
 6月2日の菅直人内閣への不信任決議案への賛否をめぐっては、鳩山氏は小沢氏と不信任案賛成で動いたが土壇場で撤回。これも大きなしこりを残した。
 同月30日、会長に復帰した鳩山氏は、所属議員に他グループとの掛け持ちを禁止する「純化路線」に傾斜した。これが逆効果となり、8月の党代表選では、前会長の大畠章宏前国土交通相らが鹿野道彦農林水産相の支援に走り、そのままグループを去った。
 今やグループの実態は、「鳩山、松野、米長、川内の4氏のカルテットにすぎない」(民主党関係者)とまでいわれる。
 焦りを感じたのか、鳩山氏は13日夜、小沢鋭仁氏と都内で密会した。
 「幹事として戻ってきてくれないか…」
 鳩山氏が頭を下げると、小沢鋭仁氏は「いいですよ」と応じながらも自らの勉強会の継続を条件に突き付けた。先の代表選で鳩山氏は小沢鋭仁氏の支援要請をにべもなく断っただけに両氏の溝はなお深い。
 小沢元代表との関係も微妙となりつつある。これまで鳩山氏は「首相になれたのは小沢さんのおかげ」と公言し小沢氏と共同歩調をとってきたが、小沢氏は刑事被告人として公判を抱えており、身動きできない。小沢元代表と最後まで運命をともにする腹づもりなのか。それとも民主党オーナーに返り咲く秘策を練っているのか。

2011.10.14 22:15 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111014/stt11101422170014-n2.htm


鳩山元首相「韓日中の“壁”は崩壊している」

 日本の鳩山由紀夫元首相は19日、韓日中3カ国による国際学術会議に出席し「東アジア共同体構想は歴史の必然」と訴えた。鳩山氏は基調講演で「首相在任中は、激動のアジア大洋州地域の平和と繁栄を確固たるものにするためのビジョンを持ち、東アジア共同体構想を温めた」として上記のように語った。鳩山氏は自らの著書でも東アジア共同体構想について説明している。
 鳩山氏は「アジア太平洋地域に、恒久的かつ普遍的な経済社会協力および集団的安全保障の制度が確立されることを願う」「この構想は(東アジアだけを対象とした)閉鎖的なものと誤解されることもあったが、開放的かつ透明性の高い地域協力を進めることがその目的だ」と述べた。
 続いて「(東アジア共同体構想は)“友愛”の精神によって相手側との違いを認め、平和で繁栄する東アジアを志向するものだ」「韓日中3カ国の“地理的な壁”“歴史の壁”“アイデンティティーの壁”はすでに崩壊している。東アジア共同体構想はすでに動き出した」とも訴えた。
 鳩山氏はさらに「私は韓国が大好きだ。そのため首相に就任してから最初の訪問国に韓国を選んだ。哨戒艦爆沈事件が起こった時は、無理を承知で李明博(イ・ミョンバク)大統領にヘリコプターをお借りし、国立大田顕忠院を訪問して犠牲となった方々に献花を行った」と話し、韓国に対する格別な愛情を表現した。また、今年3月に発生した東日本大震災についても言及し、福島第1原発からの放射能流出事故に対する遺憾の意を表明しながら「今後は正確な情報が公開されるよう努力し、世界各国にこれ以上心配をかけないよう最善を尽くしたい」と語った。

2011年10月20日13時51分 提供:朝鮮日報
.http://news.livedoor.com/article/detail/5952848/

 さて、政治家は人気商売である。人気があるものが、人を集めることができる。人が集まれば票になる。表があれば政治家が輩出できるのである。政治家が集まるから派閥ができ、そして多数決で決める予算や法案に対して影響力を保持することができるのである。しかし、政治に人気が必要というのはわかるが、真のところはどうなのか。人気が必要というから、タレントやスポーツ選手などが政治家に立候補する。昨年の参議院選挙でも、柔道で有名であった谷亮子参議院議員や芸能人の三原じゅん子議員が当選している。しかし、実際人気だけで通ったのであろうか。もちろん、人気だけ、知名度だけという人も少なくない。
 タレントと政治家。双方ともに人気が必要であるが、逆にその違いはいったいなんであろうか。単純にタレントは、演技や歌の技術または笑いの面白さなどである。その中には別威勢策などは入っていなくて良い。極端な話、政府を批判した風刺でも面白いものであれば売れる。一方、政治の人気の根源は主張や政策、理論やイデオロギーである。要するに「人気」が必要であるが、その人気の根源になる部分がまったく異なる。
 さて、鳩山本首相は、巨額子供手当てなどを見ても金があることは良くわかる。政治には金がかかる。しかし、その金があったからといって、または元首相だからといって、性s買うや主張、理路にゃイデオロギーがなければ何もならない。それどころか、首相になっても実績がなければ、また、その後の政治家としての行動、たとえば菅首相の不信任決議直前の喜劇のようなドタバタ喜劇や、その後のペテン師発言など、考えてみれば、政治的な「人気」が出るはずがない。
 その状況がまさに派閥の勉強家などに出てきているのではないか。
 今日は土曜日なので、軽い話でよいのであるが、軽口で言えば、鳩山氏は自分の言葉の通りに首相を辞めたら議員を辞職すべきではなかったか。そして評論家などで過ごしたほうが良かったのではないか。鳩山の影響下にある人は、いかがなものであろうか。
 元首相で、往来度があるかもしれない。しかし、最も難しいのが身の引き方である。鳩山氏も決断のときではないのか。

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皇后陛下喜寿のお祝いに先立ち「悲しみの多い年でした」とお言葉

皇后陛下喜寿のお祝いに先立ち「悲しみの多い年でした」とお言葉

 10月20日は臨時国会の召集日だ。国会の召集は憲法によって天皇陛下によっておこなわっる。具体的には参議院(旧貴族院)の壇上にお出ましになり、国会召集の詔をお読みになる。通常は午前11時が慣例だが、民主党政権は慣例とか歴史を完全に無視する人々の集団だから何をするかまったくわかるものではない。今回は21日要するに今日国会開会の詔を発せられる。
 9月の特別国会(首相選出のための国会を特別国会という)では、天皇陛下のお姿を携帯電話の内臓カメラで写真を撮った不謹慎な参議院議員がいたことが話題になった。マスコミはあまり大騒ぎをしなかったが、マスコミは特権的に写真を取ることができるので、会議場の中で写真をとることの重要性がまったくわかっていない。
 本来は、国会議事堂の中は、写真をとってはいけない場所である。写真を撮ってはいけないというのは、国会内の規則である。この理由はひとつ。国会は国権の最高機関であり、その議事を最優先する必要がある。ひとつには写真のフラッシュなどで、議事の進行が妨げられるなどは、国会の審議、強いては国民の国益を損ねる行為であるとされる。そのために、写真だけでなく、本来は廊下での取材なども基本的には禁止だ。もちろん、議員のほうが自分の時間を見繕ってマスコミに話しかけることまで禁止しているものではない。国会の本会議場前のぶらさがりインタビューなどは、そのような形で行っている。
 原則者診察江が禁止されているということは、本来は、記者も写真を撮ってはいけないことになっている。しかし、それでは国会周辺の国民だけが国会を見ることができることになり、住んでいる地域によって国会審議の経過を知る権利が差別されることになる。そこで、記者証を持っていて、なおかつ、国会の事務局に登録され、写真撮影および取材の許可を得たものだけ、特別に取材と写真撮影が認められる、もちろん、その場所なども限られている。これらは毎回国会で申請し許可をもらう仕組みになっている。記者証さえ持っていればどこでも関係なく写真が取れるわけではない。本会議場で言えば、記者席がしっかり決まっていて、その記者席に中においてのみ写真撮影ができる。本会議場の議場の中は、議員秘書でも入ることができない場所だ。議員に緊急の用事がある場合は、中にはいることのできる人、要するに、国会の事務欲や警務部に依頼して言伝を頼むのが風習だ。そのようにして国会の審議は国民のために護られており、なおかつ国権と国益を優先するようになっている。
 マスコミは、あの参議院議員に対してあまり抗議をしなかったが、それはマスコミ自体がそのような特権に慣れてしまっているからに他ならない。単純にマスコミのおごりでしかない。正当な発言以外で議事進行を妨げるのは議員としても許されることではない。ましてや天皇陛下をカメラで議場内で撮影するなど、もってのほかだ。国会の中の決め事すら護れない人が日本国全体の法案を審議する立法府の代議員であるかと思うと、少し背筋が寒くなる思いだ。
 さて、しかしそこまでして斜視を執りたいと思う対象が天皇皇后両陛下である。その皇后陛下の誕生日でありちょうど喜寿を迎えられる日に国会開会が重なってしまったのである。20日は皇后陛下にとっても非常にご多忙で分刻みの予定になられた。11時から国会開会の詔11時40分から御所で三権の長を招いての祝賀をお受けになり、その後各国大使からの祝賀をお受けになられる。19時より宮家、われわれ一般の者からすればご親族という感じになるのか、その皆様より祝賀をお受けになりそのまま後会食となられたようである。もちろん私は近くで見ているわけではないので、伝聞に他ならない。記者会を通じての話である。
 本来は、国民総出でお祝いをするムードであろう。何しろ喜寿だ。普通の誕生日とは違う。しかし、今年はそのようなイメージにならない。ひとつには日教組による自虐史観反日教育の賜物であろう。もうひとつには、民主党政権によって荒廃しつつある日本を見れば、それど頃ではないとも思ってしまう。しかし、それ以上に思うのは、皇后陛下のお言葉である。後半は、そのお言葉について考えてみたい。

皇后さまが77歳「復興見守っていきたい」

 皇后さまは20日、77歳、喜寿の誕生日を迎え、これに先だち宮内記者会の質問に文書で回答された。
 この1年を振り返って、との問いには、「各地が大きな災害に襲われた、悲しみの多い年でした」との書き出しで、特に東日本大震災と原発事故の被害について、犠牲者の遺族、被災者への思い、復旧・復興に携わる人々への感謝を1700字近い異例の長さでつづられた。
 この中では、天皇陛下が、苦しむ人々を見舞い、共にあることを役割と考えられていたことや、自身、一時は深い絶望を感じたが、助け合う人々の姿に支えられたことなどにも触れられた。その上で、「真によい復興をとげる日まで、長く心を寄せ、その道のりを見守っていきたい」とこの部分の回答を結ばれた。

2011年10月20日(木)5時5分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20111019-01296/1.htm


「平穏な日々の再来を」=被災者に思い寄せる―皇后さま、喜寿に

 皇后さまは20日、77歳の誕生日を迎え、これに先立ち、宮内記者会の質問に文書で回答された。日本各地で大きな災害が起きたこの1年を「悲しみの多い年でした」と振り返り、東日本大震災について「厳しい日々を生き抜いている人々、別(わ)けても生活の激変に耐え、一生懸命に生きている子どもたちが、一日も早く日常を取り戻せるよう、平穏な日々の再来を祈っています」と被災者への思いをつづった。
 天皇陛下と4月に宮城県、5月に岩手県と福島県を慰問。大震災当初のご自身の心境について、「ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした。このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした」と明かした上で、「一時味わった深い絶望感から、少しずつでも私を立ち直らせたものがあったとすれば、人々の健気(けなげ)で沈着な振る舞いでした」と説明。「目に見えぬ絆が人々を結び、社会を支えている私たちの国の実相を、誇らしく感じました」とも述べた。 

2011年10月20日(木)5時1分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-20X673/1.htm

 日本各地で災害が発生した。もう忘れている人もいるかもしれないが、まずは鹿児島県と宮崎県にまたがる地域での新燃岳の噴火、豪雪による各地での交通マヒ、東日本大震災、長野新潟の地震、台風12号と15号による水害。いずれをとっても大きな災害であったことは間違いがない。皇后陛下が「悲しみの多い年」と表現されたのも、これだけの災害があればうなづける。
 しかし、それだけではなく、われわれが考えなければならないのは、その後のお言葉ではないだろうか。
 「厳しい日々を生き抜いている人々、別(わ)けても生活の激変に耐え、一生懸命に生きている子どもたちが、一日も早く日常を取り戻せるよう、平穏な日々の再来を祈っています」
 要するに、震災から7ヶ月たった現在も、政治主導で行われている復興が遅々として進まずに、平穏な日常を取り戻せないでいるのだ。復興関連で言えば、震災後100日、阪神のときは108の特別措置法が可決されたのに対し、今回の東日本震災では100日目には何の動きもなく108日目にやっと震災復興特別祖措置法が国会を通るという現状。これで両陛下が御心を安んじられるだけの復興が進んでいるとはとてもいえないのではないか。ある意味で今皇后陛下のお言葉は、皇后陛下の率直な国民への思いであり、同時に、不幸が進まない民主党政権へのアンチと受け取るべきである。
 両陛下は、天皇陛下も皇后陛下もお体の具合が余りよくないのにかかわらず、震災後8週連続で被災地や避難所を回られ、国民とともにあるというお姿を示された。それだけではなく、震災後、被災地の方とともにあるとして、現代社会において電気のない生活を送られ、缶詰でお食事を済まされていた。これも被災地の痛みを分け合うというご意思に基づくものであった。被災地を回るのも、被災地の皆さんの手を煩わせてはならないと、護衛などのことをお考えになられ、ヘリコプターで移動し、なおかつ全て日帰りで現地に逗留しない強行スケジュールをされた。われわれでも日帰りは厳しいのに、ご高齢の陛下がそのような移動をされては大変お疲れになられたと思う。また、福島の相馬市では、放射能の危険があるのにかかわらず、防護服などを身にまとうこともせず、雨の中かさもささずに犠牲者の御霊の慰霊をされた。民主党政権の人々は、みな厳重な防護服を着て、護衛もたっぷりつけている中で、「被災地の皆さんとともにある」というお心は、放射能を含んだ雨かもしれない中で、犠牲者に不敬にならないように傘も差さないで雨の中立たれたお姿は、以前もこのブログで紹介させていただいたが、国民すべてが賛辞を贈るものであり、同時に、現政権の対応や大臣たちのあまりにも無責任な放射能事故対応、そして、原発反対といっている人々、放射能は怖いといっている人々そのものの主張へ、現地で生活している被災地の人の心を無視した行動であるということを、両陛下がその行動で示されたのではないか。
 両陛下は、まさにそのような状態で「国民とともにある」ということを強く打ち出している。「世界市民」などといって国家観のない政治を続ける民主党政権は、この両陛下の行動で示される内容に恥ずかしさを覚えないのか。また、いつまでもそのような民主党政権を打倒できないわれわれ国民も、実に「両陛下に申し訳が立たない」状態ではないのか。
 政治を安定させ、国民の生活を安定させ、平穏な日常を取り戻し、一刻も早く両陛下の心を安んじるように、皇后陛下の喜寿をお祝いする心を忘れずに、そのようなことを考えるのである。

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『保守派』を詐称する野田首相の朝(鮮)貢外交

『保守派』を詐称する野田首相の朝(鮮)貢外交

 野田首相が誕生したときに「保守派」といったのはどこの誰であったろうか。ほとんどのマスコミはそのようなことを言っていたと記憶している。はっきりいてどこが保守派なのか良くわからない。
 現在、日本と韓国とは非常に微妙な関係にあることは確かだ。隣国であり、それなりに良い関係を保たなければならないが、韓国の民族性からそのようなことはなかなか困難であることが明らかである。歴史認識だの何だの言っているが、実際に「日韓平和条約」が締結されていながら、いまさら何を言っているのか良くわからない。また、日本人の中にそのような韓国人の言うことを間に受ける人が少なくないというのも大きな問題だ。
 日韓平和条約の締結に関する議事録なども全て公開されているものである。その中で、確かに竹島に関しては「継続協議」ということになっていた。しかし、それ以外の問題は何も問題なく、同時に、その平和協定ですべての過去のことを清算した筈である。なお、私は竹島問題も日本国の固有の領土ということで認識しているし、韓国に行ってもその意見を曲げない。たまに危ない目に遭うが、ソウルの真ん中で竹島は日本の領土であるということはしっかりと主張するようにしている。日本にいて騒いでいるのとは違う感覚がある。もちろん、「継続協議」となっているだけで竹島は公式に日本が放棄したということもない。ただ、継続協議の『協議』が日韓両国の間にされていないだけである。
 従軍慰安婦に関しても、そのほかの文化財に関しても、実際日本と韓国の間には過去にとらわれる賠償問題や、返還義務などはないはずだ。もちろん、日本があるいは韓国が、それら歴史的な感覚は別にして、個別に新しい関係としてそれら文化財の譲渡を行うことは、未来永劫ないとは限らない。しかし、そのやり取りにおいて歴史問題が出てくるのは、条約に違反する内容であるといえる。
 しかし、それを民主党政権はやってしまったのだ。はっきり言って法律のセンスも外交のセンスもまったくないということを示してしまった。私はここであえて「示してしまった」と書いた。これは、日本国内で大きな問題になるとか保守派とかそういうことを言っているのではない。「条約を締結しながら、反日運動をすれば、それで条約に書いていることをまげて国益を損ねる好意をしてしまう国家」という印象を、全世界に野田首相は発信してしまったのだ。すでに鳩山・菅と二人の首相がそうであったにもかかわらず、野田首相もそうであれば、日本は「条約にあってもそれを遵守しない国家、国益を損ねる政府を選ぶ国家」ということを三代連続で全世界に示すことになるのだ。
 日本国民よ、それでよいのか!
 日韓首脳会談の要旨を書いた記事を、あえて産経新聞の記事を下記に記載した。よく読んでもらいたい。出所はニューヨーク支局である。要するに、上記にある「条約を護らない国」という感覚は、すでにアメリカに伝わっているということなのだ。

日韓首脳会談要旨 「大局的見地からの協力で一致」

 野田佳彦首相と韓国の李明博大統領が21日午後(日本時間22日朝)、ニューヨークで行った日米首脳会談の主な内容は以下の通り。
 【2国間関係】
 李明博大統領 韓日関係の強化のために貢献してほしい。
 野田佳彦首相 外交は継続性が重要だ。これまでの政権の方針を継続していく。最も重要な隣国である韓国と今後の100年を見据えて友好関係を強化したい。
 両首脳 日韓関係には時折難しい問題が起きることも事実だが、未来志向の考えの下で日韓関係全体に悪影響を及ぼすことがないよう、大局的な見地から協力していくことで一致。
 首相 大統領の早期訪日を要請する。
 大統領 首相の韓国訪問を要請する。
 【北朝鮮】
 両首脳 北朝鮮の核・ミサイル問題で日米韓が緊密に連携することで一致。
 首相 拉致問題は主権、人権の侵害だ。被害者を一刻も早く取り戻したい。韓国に引き続き協力を願いたい。
 大統領 拉致問題は韓国にも存在する。これからも日本と協力したい。
 【EPA】
 首相 日韓経済連携協定(EPA)を実現したい。
 大統領 話し合いを促進させたい。

(ニューヨーク 今堀守通)
2011.9.23 00:10  産経新聞

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110923/plc11092300120000-n1.htm

日韓通貨交換枠、700億ドルに拡充…首脳合意

 野田首相は19日、韓国の李明博(イミョンバク)大統領との会談で、欧州の金融危機の波及を防ぐため、互いの通貨をやりとりする日韓通貨スワップ(交換)の枠を現行の130億ドル(約1兆円)から700億ドル(約5兆4000億円)に拡充することで合意した。
 韓国は、日本の外国為替資金特別会計(外為特会)からドル資金の融通を受けたり、日本から調達した円を売ったりすることで、ウォンの急落に歯止めをかけるウォン買い・ドル売りのための資金を調達しやすくなる。日本は通貨スワップの行使による円売り・ドル買いで、円高を抑える効果が期待できる。通貨スワップは、自国通貨を相手国の中央銀行などに預け入れ、代わりに相手国が保有する通貨を受け取る仕組みだ。

(2011年10月19日13時33分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111019-OYT1T00632.htm

首相、対韓外交は「これまでの方針を継続」 慰安婦、竹島の言及なし

 会談に臨む韓国の李明博大統領と野田首相=21日、ニューヨーク(代表撮影・共同)
 【ニューヨーク=今堀守通】野田佳彦首相は21日午後(日本時間22日朝)、ニューヨーク市内のホテルで韓国の李明博大統領と会談した。首相は韓国との懸案課題について「これまでの政権の方針を継続していく」と表明。両首脳は「日韓関係には時折難しい問題が起きることも事実だが、両国が未来志向の考えの下で日韓関係全体に悪影響を及ぼすことがないよう、大局的な見地から協力していく」との考えで一致した。
 対北朝鮮政策では、北朝鮮の核・ミサイル問題について米国を交えた3国が緊密に連携していくことを確認。首相は拉致問題について「主権、人権の侵害であり、被害者を一日も早く取り戻すことがわが国の基本方針だ」と述べ、大統領も「拉致問題は韓国にも存在する。これからも日本と協力していく」と答えた。
 日本側の説明によると、日本統治時代の慰安婦の賠償請求権や竹島問題については両首脳とも言及しなかった。
 両者の会談は、2008(平成20)年2月の李大統領就任式に合わせ、首相が日韓協力委員会(中曽根康弘会長)の一員としてソウルで会談して以来となる。

2011.9.22 23:01 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110922/plc11092223080020-n1.htm

 国益を損ねるということで言えば、スワップ取引の枠の拡大も同じことである。そもそも韓国は義援金を集めたのにかかわらず、竹島問題があるからといって一切送金しなかった実績がある。単純に言って、天災で困っているという人道的な問題にもかかわらず、そのことを無視して政治を持ち込んだのだ。上杉謙信のように「敵に塩を送る」様な発想はまったくない。どちらかといえば「川に落ちた犬を叩く」ような国民性であるということだ。もちろん、韓国国民が全てそうであるとは思えない。しかし、そのような政府の対応に対して異議や反論が出ないという、そのような国民性を持っているのである。
 そのような国が、経済的に困っているからといって、何で取引枠をあげなければならないのか。「震災復興で韓国からは義援金がなかったので、その分復興に使う」くらいのことは、「保守派」を名乗るならば言えばよい。最も義援金を出した台湾には「国交がないから」といって中国に尻尾を振る、義援金を全て竹島につぎ込んで軍備を増強した韓国には、喜んで文化財を朝貢し、復興財源もないのに、増税をするといっているのに、資金をばら撒く。その総枠は第三次補正予算で予定されている金額を超えるのだ。
 このようなことが続けば、次に震災で大きな被害を出しても、「義援金を出さない国のほうが、後になって手厚く保護される」ということになってしまうのではないか。それでは今回200カ国に近い国から支援の手が差し伸べられたが、民主党政権、特に菅政権と野田政権のおかげで、次は日本を助けるところがなくなるのではないか。これほど信用を失い、国益を損なう政府がどこにあるのか。
 その上、首脳会談でしか解決することのできない、従軍慰安婦問題や領土問題は一切何も話さないで帰ってくる。はっきり言って、日本の政治を任せられる人ではない。そのことが良くわかった首脳会談ということができる。

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TPP イメージと選挙で集まった烏合の衆は議論ができない

TPP イメージと選挙で集まった烏合の衆は議論ができない

 昨年もこの時期に突然TPPという単語が出てきた。TPP「環太平洋協力機構」の略語である。昨年は、8月まで丹羽宇一郎駐中国大使が「日中間FTA」という、奇想天外な抗争をぶち上げたのであるが、その発想が尖閣諸島問題によってもろくも打ち砕かれた。その代わりという意味ではないにせよ、突然「TPP」という不思議な概念が出てきて、菅直人首相(当時)は、TPPに参加することが必然のような、まさにオリンピックに出場するようなイメージで突然に話を始めたのである。
 民主党の内閣に限ったことではない。自民党の内閣のときもそうであるし、大手の株式会社などに関しても株主総会に向けて同じような心理状態になるのであるが、「現状維持」では良しとせず、自分の内閣(政権)のときに、何かしなければならないというような風潮が強くある。また、マスコミに関しても、何もしない、現状を維持するということを軽視し「何もしない」ということを強く主張する。特に、「何もしないことは無能」であるかのごとき論調は、まさに以上としか言いようがない。株式会社などではなおさらそうであるが、バブル崩壊、そしてリーマンショックと、グローバル化しながら景気低迷している現在の状況の中において、現状維持は大変なことなのであるが、そのことは評価せずに、「何もしなかった」ということだけをもって無能扱いする。もちろん株式会社などにおいては増収増益が望ましいのであるが、そのために無理をして会社ごと倒産してしまっては意味がないのである。
 まさに、これらの「何もしないことが罪」「現状維持は無能」というのは、高度経済成長における「何もしなくても増収増益」という状態の後遺症である。これは経営者にも投資家にもそして労働者にも同じ病気があり、日本国民全体の戦後経済後遺症ということができる。労働組合がいまだに使っている「ベア」という単語。「ベースアップ」という単語の略語であるが、何もしないでも基本給が右肩上がりにあがってゆくという現象にとらわれている「戦後経済後遺症」という話ではないのか。
 もちろん、3・11以降などしなければならないときに何もしないのは、「不作為の作為」であって、それは単純に罪であると思う。しかし、逆に「しなくても良いことをする」のはもっと以上であり責められるべきことではないのか。そして、それらの判断の基準はまさに、情報と選択肢の洗い出しと、そして各選択肢によるメリットとデメリットの検証。その上で、政府が将来どのようにしたいか問い言う日本の国家像に照らして、議論を行うということが最も重要なのではないか。その重要な議論もなくタダ闇雲にイメージで議論をするのは、そもそも「不作為の作為」「しなくても良いことをする」という評価以前の問題であり、まったく話にならないのではないか。
 今、TPPがまた俎上に上っている。昨年菅政権のときに出てきたのにかかわらず、1年間ろくな情報開示もなく、またろくな議論もない状態で、「やる」「やらない」の議論をしているのである。そしていずれも「業界団体の保護」「世界から遅れる」というイメージの話になってしまい、議論が議論として成立していないのが特徴だ。その売り「おばけ」間で出てくるのであるから、民主党というのは政治も議論もできない人々なのだとつくづく思ってしまうのである。

PP:民主、議論の入り口で紛糾 総会開催

 民主党の経済連携プロジェクトチーム(PT)は14日、党所属全議員を対象にした初の総会を開き、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加の是非を巡る党内の議論が本格的に始まった。会合には慎重派が多数出席し、PT役員の人選や運営方法などへの反発が続出。議論の中身以前に「議論の枠組み」を巡って紛糾した。11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議までに結論を出すことも決められず、党内の溝の深さがあからさまになった。【青木純】
 会合には約60人の議員が出席した。冒頭の役員あいさつで推進派の仙谷由人政調会長代行は「ここ数十年のグローバリゼーションは避けられない。これに適切に対応するのが日本の生きる道だ」と強調。藤井裕久元財務相も「主要国が国境の壁を高くした時に必ず平和が破れる。これは歴史的事実」と同調した。
 慎重派の先頭に立ったのはPT顧問で、国会議員による「TPPを慎重に考える会」会長を務める山田正彦前農相。会場前方の役員席に座るのを拒み、一般席の最前列から発言を繰り返し、「党内の半分は慎重論だが役員構成が公平でない」と役員人事の再考を求めたほか、「国の形が変わる大きな話なので、フルオープンで議論してもらいたい」と総会の全面公開も求めた。
 同調する意見が相次いだため、座長の鉢呂吉雄前経済産業相は人事に関し「私の方で配慮して、もう一度考えたい」と応じたが、総会公開については「本音の議論をしたいということで非公開と決めた」と理解を求めた。
 結論を出す時期について、役員側は「私たちが選んだ野田(佳彦)首相はAPECで何らかの発言をしないといけない」と求めたが、慎重派は「重要な問題なのでじっくり議論すべきだ」と主張。PTの吉良州司事務局長は会合後、記者団に「APECにこだわらずに議論を進め、参加する、しないではなく、党として何らかの提言ができればいい」と語った。
 妥協点は「日本に不利にならない条件をつけて参加を表明する『条件付き参加』」(PT役員の一人)とみられる。小宮山洋子厚生労働相は14日の閣議後会見で、医療分野の外資参入への懸念に対し「プラスになる部分もあるのではないか。参加して日本に有利になるようにすることはできる」と指摘。一方、慎重派の鹿野道彦農相は「民主主義はプロセスが非常に大事。情報提供をどうやるか、当然、重視する必要がある」と情報公開の重要性を強調した。

毎日新聞 2011年10月14日 20時49分
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111015k0000m010080000c.html


「TPPおばけ」はどっち? 前原氏VS亀井氏

 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)をめぐり民主党の前原誠司政調会長と国民新党の亀井静香代表のバトルが始まった。お題は「お化け」。政府・与党の月内の意見集約はますます難しくなりつつある。
 先に仕掛けたのは前原氏だった。14日に都内で講演し「慎重論、反対論の中には事実でないことへの恐怖感がある。これを『TPPお化け』と呼んでいる」と語り、慎重派を弱虫呼ばわりしたのだ。
 これに慎重派の亀井氏はかみついた。16日朝のフジテレビ新報道2001で「言い方を考えないと駄目だ。頭に浮かんだことをそのままパッとしゃべっちゃう」と批判。その後、記者団にこうぶちまけた。
 「国民に正確な知識を届けずにのぼせていることこそ『TPPお化け』なんだ。民主党はできないことを口走って国民の信を失い行き詰まるぞ!」

2011.10.16 21:03 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111016/stt11101621040001-n1.htm



民主党:全国幹事長会議 「TPPきちんと議論を」 地方代表が注文

 民主党は15日、野田政権発足後初の全国幹事長会議を東京都内のホテルで開いた。野田佳彦首相(党代表)は会議の冒頭、「転がり落ちた雪だるまを、また上に持って行くのは労力がかかる。地域で根を張って活動されている皆さんの後押しが必要だ」と協力を要請。地方代表からは環太平洋パートナーシップ協定(TPP)について、積極的な情報開示を求める意見が出た。
 野田首相はあいさつで、民主党政権の現状について「国民の多くが『政権交代をしてよかった』と思える実感はまだない」との認識を表明した。
 その後の非公開の質疑では、地方代表から「TPPは選挙にかかわる。きちんと議論して全国に伝えてほしい」との注文が出た。
 一方、会場の雰囲気は首相のあいさつで笑いが起きるなど、党内対立が続いた菅前政権当時とは一変した。首相は閣僚の資産公開で自身の資産が歴代首相で最少だったことに言及。「お金はないけれど、されど志あり。資産はないけれど、全国によき同志あり」と結束を呼び掛けた。【高橋恵子】

毎日新聞 2011年10月16日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111016ddm002010105000c.html

 今日は、民主党の各立場からの意見を主張している内容を、新聞記事になっている内容から抽出してみた。
 TPP推進派は、現在の野田内閣執行部、もともとの菅直人執行部の継続系である。影響団体としては、経団連などだ。経団連も実は細かいところでは異なるもののようで、現在の米倉会長は商社出身であるからTPP推進であるが、一方で、製造業などに関しては、それほどTPPに積極的ではないようだ。
 一方TPP反対派は、山田正彦元農相などと農協などである。農産物の保護関税がなくなってしまえば、当然に農業の破壊につながる。この観点から農業地区の多くを選挙区に含む議員と、食料自給率に関して考えている議員などが反対派を構成している中心メンバーである。
 そして慎重派がある。これは、その双方のように直接的な利害もない人々だ。上記の新聞記事では「全国幹事長会議」の参加者などがそれに当たる。彼らは地域別に集まっているのであるから、農業も商社も混在している。そのどちらかを優遇し、どちらかを切り捨てることはできないのである。そのために、当然に「慎重な議論を求める」ということになる。双方が納得する結論というのがもっとも望ましいからである。
 さて、ここでわかるように、民主党の執行部は「慎重な議論をすることなく」参加を決めているのである。そして反対派はそれにまったく納得していないことが明らかだ。そして、ここまで書いてきているように、なぜ「今TPPなのか」「他にやるべきことはないのか」ということをまったく議論しようとしていない。このような乱暴な話があるのか。そもそもTPPの条文ひとつ政府としては公式に提示もしていないし、その内容から見られる日本国におけるメリットもデメリットも何も示していないのである。それどころか、上記に私が出した議論の進め方から見て、そもそも「民主党政権の示す国家観」がまったく見えてこないのであるから、なぜ民主党の示す国家観の中にTPPが必要なのかということがまったく見えないのである。
 このことは、選挙互助会としての民主党という政党そのものの存在価値をなくしてしまいかねない深刻な対立を生むのではないか。その内容は、まさに、TPPに参加したら農村票がなくなり選挙を戦えなくなるという危機感である。特に新潟や東北など米どころで有名な選挙区は、TPP推進した民主党からの表離れが深刻になることが予想される。
 この内容に関しては、しっかりとした議論が必要である。もちろん最終的には政治決断が必要であるが、民主党の会議の中で議論もしていないのに結論が先にあるという、不思議な状態を国民は違和感を持ってみているのである。そのような状態でよいのか。国民の意見や国民の議論を無視した政策決定をして良いのか。そもそも、われわれ日本国民は、民主党政権にそこまでの独裁権限を渡したのか。民主党を独裁者としてかまわないのか。そもそもTPPの参加の是非ではなく、このような議論の進め方で国家的な意思を決定してよいのか。
 次の選挙に向けてよく考えなければならないのではないか。

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20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議の安住大臣の酷評

20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議の安住大臣の酷評

 「大人の中の小学生」
 G20に参加した国のタブロイド紙に集合写真がでていたのであるが、その写真につけられた改札がこのようになっていた。もちろん、新聞はその国の言語で書かれていたために、私たちはその新運を入手してもその通り読めるとは限らない。しかし、その国の人がご丁寧に教えてくれた。
 集合写真を見れば、その表現は日本に対して多少失礼という感じは否めないものの、その解説がある意味で適当であるといううことを認めざるを得ない。安住大臣の得意げで自信に満ちた表情であるもんの、どこか場違いで、遠足の集合写真のような意気揚々とした表情は、まさに「小学生」というような感じでないことはない。何よりも、少し背伸びをした感じがその雰囲気を醸し出している。
 しかし、それ以上に私が感じたのは、その表現である。単純に考えて、安住財務大臣が、「背が低い」「学歴が低い」「元暴走族」ということに関して強いコンプレックスを持っていることは、日本国内でも知られ始めている。しかし、その日本国内でやっと知られ始めてきた内容を、先に知っていたということである。「子供」「小人」ではなく、「小学生」と揶揄した内容は、まさに、日本というよりは「安住財務大臣が、その表現を最もコンプレックスに思っているからその表現を使った」ということがありありとわかる内容なのである。
 私が思うのは、その情報力である。よく考えてもらいたい。日本においてG20の財務大臣の名前をすべわかっている人がいるであろうか。私はこのように書いていながら、G20に参加したすべての財務大臣の名前を知らない。もちろん、中央銀行総裁の名前もほとんどわからない状態だ。マスコミの中には、下手をすれば、G20に参加した国の名前20カ国(地域を含む)を言えない人も少なくないのではないか。日本のマスコミといえば、韓流芸能人やハリウッドスターの情報ならばたくさん持っているかもしれないが、海外の政治家に関する情報などは全く期待できないのが現状である。しかし、海外のマスコミは、まず世界のこと、そして政治のこと、経済のことを中心にし、エンターテイメントなどは、その専門誌の記者が行うのがふつうである。せいぜいゴシップ紙が行うくらいで、よほどのことがない限り、芸能人が一般のマスコミを連日飾るようなことはない(もちろんアカデミー賞などの受賞とか、例外はある)
 その、情報の少なさは、新聞記事に関しても同じことが言える。下記の新聞記事を読んで何か感じる事はないであろうか。

円高は日本経済に大きなリスク、G20で懸念表明=安住財務相

 [パリ 14日 ロイター] 安住淳財務相は14日、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で、円高は日本経済の大きな下振れリスクとの懸念を表明したことを明らかにした。
 財務相は記者団に対し「第3次補正予算を出して復興に向けて経済が動き出す中、円高が(経済の)大きな下振れリスクになるため、懸念していると伝えた」と語った。
 今回の会合では欧州の危機が新興国に波及するとの懸念が各国から示されたとし「欧州を中心とした資金の引き揚げが堅調だったアジア、(中国やブラジルなど含む)BRICS、中南米等の経済失速を招きかねないとの指摘があった」と述べた。
 国際通貨基金(IMF)の役割強化を指摘する国もあったことを明らかにした。ただ財務相は、IMFには十分な資本があるとして、一部の新興国が主張する資本増強などの追加的な措置は不要との考えを示した。
 中国の通貨・人民元に関する議論はなかったと語った。
 安住大臣はG20会合前に米ガイトナー長官とも短時間会談し、欧州問題に対して日米で共同歩調をとっていくことを確認した。

2011年10月15日(土)9時7分配信 ロイター
http://news.nifty.com/cs/economy/stockdetail/reuters-JAPAN-236404/1.htm


為替の過度な変動は「悪影響」、日本の主張受け入れられた=財務相

 [パリ 15日 ロイター] 安住淳財務相は15日夕、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議終了後の記者会見で、為替の過度な変動に懸念を表明する表現を踏襲したG20声明について、「日本の主張が受け入れられた」と述べた。
 また、日銀の白川方明総裁は今回会合で経済の現況について、円高などの影響で「下振れリスクが意識されると説明した」ことを明らかにした。
 G20声明は今回も為替レートについて「過度の変動や無秩序な動きは、経済および金融の安定に対して悪影響を与えることを再確認する」として、これまでの表現を据え置いた。財務相は「基本的な認識は変わらないかもしれないが、言葉でしっかり盛り込んだ」と評価した上で、文章に含まれた「悪影響」の表現が、円高に苦しむ日本の主張が盛り込まれた部分だと強調した。
 財務相はまた、声明で先進国が財政健全化を進める必要性を指摘する一方、新興国の景気下振れリスクに言及したことも「日本の主張を十分取り込むことができた」と指摘。今回の会議で財務相は「欧州の危機を止めないと、結果的に高い成長を誇っている新興国に伝播するおそれがあるとの認識を示し、そのまま声明に盛り込まれた」という。
 今回も議題の中心となった欧州の財政問題に関しては「国債が信頼を保てなければ、世界経済にとてつもない悪影響を及ぼすことを(各国が)自覚せざるを得なかった」出来事だとして、日本も「国債の消化は順調だが、累積債務や1年間の国債の消化量を考えると、これ以上財政の悪化を招いた場合、国の信用を失いかねないと認識した」という。財務相は「ピンチをチャンスととらえ、日本は先駆的な取り組みで財政健全化と成長促進を成し遂げないといけない」との考えも示した。 
 <白川日銀総裁「円高進行で下振れリスクを意識する必要」> 
 会見に同席した白川日銀総裁は、G20会合で日本経済について「震災からの立ち直りが予想以上のペースで進み、生産・輸出がおおむね震災前の水準に服している。足元は持ち直しの動きが続いている」と各国当局者に説明したことを明らかにし、「欧米銀行の資金調達環境はドルを中心に緊張感が高まっているが、日本は安定を維持している」ことも伝えたという。
 ただ、景気の先行きに関しては「世界経済の見通しの不確実性の高まりや、それを受けた為替円高の進行で、下振れリスクを意識する必要がある」と表明。欧州各国に「問題解決に取り組むことが欧州経済はもとより、円高を含めて世界経済の安定に寄与する」と要請したという。

 (ロイターニュース 木原麗花、基太村真司)
2011年10月16日(日)9時12分配信 ロイター
http://news.nifty.com/cs/economy/stockdetail/reuters-JAPAN-236449/1.htm

 そもそもG20は、世界の経済情勢に関して、その世界の経済情勢に影響力のある国々が集まって会議をするというう状態になっている。実際のところ、その内容は、まさに世界の経済を動かすだけの力と政策を持っている。しかし、日本のマスコミは、上記の記事のように「日本のこと」しか書いていないのである。それは、まさに「いま日本人が理解できること」しか興味を示さない。同時に安住大臣もその程度の内容しか語らないのである。
 本来、G20は世界全体のことをしっかりと会議するのである。世界経済が悪ければ、今の世界経済は一国だけでは成立しないようになっている。貿易とかそういう数字ばかりを追いかけて貿易に依存していないなどという経済評論家もいるのであるが、実際に現在の金融資本のグローバル化は、最終的にどの国の誰(法人・個人を含む)が最終的な損を被るかが全くわからない状態になっているのである。リーマンショックも、初めのうちはアメリカ国内のことでありGMなどのアメリカビックスリーの問題といわれていた。しかし、アフラックなど生命保険会社の問題になると、日本人、それもその会社が投資した機関投資家や、あるいは保険契約を行った個人が最終の損失負担者になってしまう。資本だけではなく保険契約や機関投資がグローバル化したことによって、一国の「経済ショック」は、その国で収まることにはならないのだ。そのことをいかに回避するか、世界恐慌を起こさないようにするかがG20の使命である。
 にもかかわらず、なぜ円高になっているか、金融資本がどのように動いて、今後どのようなトレンドになっているか、などが全く解説もなく書かれていながら「円高」のことだけをしっかりと話しても何にもならない。その大臣の発言は、まさに「自分のことと、自分の見える周囲のことだけを重要視し、全体のことを把握できない小学生と同じ。」でしかない。そして、その小学生が「目いっぱい背伸びして大人の会合にでてきた」という、見た目ではなく中身の部分で「小学生」ということを比喩的に使ったのである。
 政治家は国民の鏡という。まさに、安住財務大臣だけを責めるものではなく、そのような政権を作った野田内閣、そして民主党そしてその政権与党を選んだ国民の中身が「小学生」と揶揄されているのであると考えるべきではないのか。
 もっと、全体のこと、そして根本のことをしっかりと考えるべきである。韓流とかわけのわからない外国の話ばかりしていないで、少しは経済や政治をまじめに考えるべきではないのか。

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マスコミ批判に関する一考(65) テレビ時代はなぜ終焉したのか

マスコミ批判に関する一考(65) テレビ時代はなぜ終焉したのか

 今日はテレビに限ったこととして新聞や雑誌などに関しては少し事情が違いという前提で呼んでいただきたい。
 先日のフジテレビの韓流反対デモから、テレビの編成権やテレビのそのものの内容が見られることが多くなった。今まで視聴率と簡単に言っていたが、実際いはどのような仕組みなのか、以前は調査員が機械をつけてということも知っていたが、改めてこれらの内容は、現在の制作会社とテレビ局そのものの関係などを勉強させていただいた。
 もちろんこのデモが変更報道に対するでもとか、さまざまなことを言っている。このブログにも意見を言ってくる人も少なくない。しかし、いまだに私に対して私の意見に違和感があるといている人は一人しかいない。もちろん、その人とはしっかりと対話をして、少なくとも私は双方で立場を理解していると考えている(相手のことは良くわからないが、私と同じと思っている)が、それ以外の人は、議論になると途中で逃げてしまう人が少なくない。自分の言いたいことだけを一方的に言って、反論されると逃げてしまう人が多いので、どうも議論にならない。
 私は、フジテレビに対するデモには反対である。もちろん一回くらい言っても良いが、その目的を達するためには他の方法があるのではないかと考えている。そもそも、政治活動を行うときに「ビラ」「ポスター」「デモ」などそれぞれにどのようなこうかがあるのか、それぞれがどのような効果を期待して行うのか、そして、それらを通してどのような目的を遂行しようとしているのか。目的に対して手段が適当であるのかはしっかりと検証し鳴けレアならないのではないか。そのようなことができずに、何でもデモを行うなどは、あまり頭の良い方法ではないのではないか。尖閣諸島のときは、相手が治外法権で護られている中国ということ、そして、政府に対して国民の声を届けさせるということが需要だ。国民お声の大きさは、ひとつはデモというパフォーマンスひとつは署名運度という数の力になる。そして、危険を知らしめるということに関しては、「注意を引く」ということでは街宣が有効であるが、「知る」ということではかえって嫌われる可能性も少なくない。尖閣のときは、それをチャンネル桜など動画配信で行うことが二次的に有効であったと考える。一方フジテレビも電通も民間会社であり、変な話「視聴者がゼロでも収益があればよい」のが彼らのスタンスだ。当然に、政府や国家に対する運動と異なって当たり前であろう。実際に、デモの主催者に効果があったのかということをしっかりと聞いてみようと思う。
 さて、そのようなデモの批判ではなく実際に「視聴率が下がる」ということが最も重要なのではないか。ようするに「見ない」という行為は最も重要なものとなる。ただし、相手の文化を否定せずに日本の文化を誇るということが重要であり、そのスタンスを忘れた相手に対して、そのことを気づかせることは、数字という意味で最も重要なのかもしれない。同時に、現在のテレビ局の収益は視聴率と連動した広告収入という形になる。要するに視聴率が低ければ、当然に、打ち切りもしくは収入の現象ということにつながる。フジテレビがどんなに「流行している」といっても、実際に数字を示されてしまえば、その言葉だけがむなしく痛いものになってしまうのである。


「テレビの時代」はもう終わった 視聴率トップたった18.1%と「史上最低」

どうなる視聴率。
   1週間のテレビ視聴率のランキングで、ワースト記録が生まれた。1位がたったの18.1%しかなかったのだ。テレビ離れは、どこまで深刻化しているのだろうか。
   産経新聞は、ビデオリサーチの数字(関東地区)をもとに「週間視聴率トップ30」を毎週まとめている。2011年10月3~9日の1位の視聴率は、「史上最低」の18.1%(笑点、日本テレビ)だった。
「12%台でトップ30入り」という悲惨状態
   産経記事(10月12日付)によると、「18.1%」は、2009年4月末から5月頭の週の18.9%を下回るワースト記録だ。「週間1位が17%台」が目の前に迫っている形だ。
   また今回は、ほかにも「前代未聞」の低い数字が相次いだ。2位(連続テレビ小説カーネーション、NHK)が17%台で、4位が16%台という低さだった。
   今の時期は、多くの新番組のスタートを控えた「特番週」ではあるが、それは例年のことだ。
   前週(9月26日~10月2日)も「前代未聞」の低い数字があった。12%台の番組がトップ30に入ってしまった。記事担当者は「ついにその日がきた、という感じだ」と書いた。
   直近4週のトップ30を見比べると、20%台が上位6位(トップは25.9%、首都圏ネットワーク、NHK)まで続く週もあれば、1位は21.3%とかろうじて20%台で、2位は17.6%の週もある。「1位が17%台」は現実味を帯びているようだ。
   6月中旬には、ゴールデンタイムの入り口、19時台の民放全局の視聴率(関東地区)が1ケタになったことがネットで話題になったこともある。
   こうした数字をどうみるか。「テレビのゆくえ」などの著書がある同志社女子大の影山貴彦教授(メディア・エンターテインメント論)に聞いた。影山教授は、元毎日放送プロデューサーだ。
「保身や惰性で番組を作っている」
   影山教授によると、経済的理由から「番組を安く作り、かつすぐに視聴率を求める」という傾向がしばらく続いたため、最近のテレビ局の現場では、「番組作りへの熱の低さ」や「あきらめ」が蔓延しているそうだ。
   「保身や惰性で番組を作っている」のが画面を通じて視聴者に伝わるほどのレベルに達しており、「低視聴率が話題になることが続くのは、不思議ではない」と指摘する。
   一方で影山教授はエールも送る。
   現場も「上司」も、「当たりそうな番組」ではなく、「本当に作りたい番組」を視聴者にぶつけてほしい。最初の視聴率は低いかもしれないが、情熱が伝われば結果的には視聴率につながるのではないか。
   「視聴率をいったんは捨てる開き直りが必要な時期に来ている」。目先の視聴率を追うばかりでは、じり貧傾向に歯止めはかからないだろう、というわけだ。
   テレビの地上波は、インターネット利用の増加だけでなく、テレビ番組の録画視聴や衛星放送との競争にもさらされている。
   また、7月の地上デジタル放送への完全移行(被災東北3県は除く)に伴い、NHK受信契約の解約件数は、9月末までに9万8000件にのぼった。
   対応型テレビへの買い換えに伴い、一端解約して再度契約するケースも少なくないため、9万8000件の内、どの程度が「テレビなし生活」を選んだ人なのかはまだはっきりしないが、テレビの世界に異変が起きているのは間違いない。

2011年10月12日19時09分 提供:J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5931791/


フジだけじゃない! 音楽番組が韓流推しにならざるをえない現状

 7組の出演者中、6組までが韓流グループとあって注目されていた10日放送のフジテレビ系音楽番組『HEY!HEY!HEY!』2時間スペシャル特番の視聴率が、前週からかなり急降下し10.3%だったことはリアルライブでも昨報した。韓流偏重番組のバッシングを受けるフジテレビが、そのバッシングに真っ向対決するように放送した番組は思うような結果が得られなかった形だ。
 10日の放送では、東方神起を筆頭に韓国の人気グループ6組が出演。対する日本のアーティストはTRFだけだった。ネット上では反韓のユーザーを中心とした掲示板の話題にのぼり、“視聴阻止”が呼びかけられていた。その成果ともいえなくもないこの低視聴率、ネット住民の“大勝利”かといえば、そうでもないようだ。
 あるテレビ関係者は証言する。「今回は強力な裏番組の存在がありましたからね。NHKではSMAP中国公演のドキュメント、TBSでもなでしこジャパンが出ていた『炎の体育会TV』でしたからね。特にSMAPのNHKには、かなりの視聴率を持って行かれたのではないでしょうか。10%そこらの数字といっても、歌番組衰退のこの時期では、むしろ大健闘といえるかもしれません」。他の関係者も口を揃える。「SMAPが裏に出ている以上、他のジャニーズのグループは出演を自粛せざるを得ない。あと頼みになるのはAKB48ぐらいですからね。どのアーティストも視聴率をそれほど持っていない現状では韓流頼みになるのはフジテレビに限ったことではないでしょう」
 韓流偏重バッシングがデモにまで発展しているフジテレビだが、フジにも韓流頼みにならざるを得ない音楽業界の惨状もありそうだ。

2011年10月13日18時30分 提供:リアルライブ
http://news.livedoor.com/article/detail/5935198/

 前半は、フジテレビのデモに関することになった。
 そのテレビが、韓国の芸能人頼みでやはり日本人に飽きられてきたという結果が出てきている。もちろん、デモの効果もあったのかもしれない。しかし、実際そのようなものではなく「過剰な偏向放送に関しては、日本国民が自浄作用を起こす」というものになっている。
 以前もブログに書いたかもしれないが、毎年、ホットドックの大食い競争をアメリカで行う「ネイザンズ」の会長が言っていた言葉を思い出す。「日本の商売の最大の敵は『ブーム』の波である。ブームが来れば瞬間的に売れるかもしれないが、すぐに飽きられて根付かなくて終わってしまう。」まさに、日本人の特性を最も良く現した一言である。今から考えれば、ベルギーワッフルも、またルーズソックスもいつの間にか亡くなってしまった。あれだけ行列であった餃子ドックも最近では見かけないのである。
 この現象は、一般の顧客を対象にしたすべての者に当てはまる。テレビでもあれだけ『お笑いブーム』であったのに、今ではお笑いの番組などは数えるほどしかない。飛ぶ鳥を落とす勢いの芸能人も、数年後にはいなくなってしまっている。今はAKB48が売れているが、数年前に毎日のようにテレビで見ていたモーニング娘は今はほとんど見ないではないか。
 同じ現象が韓流にも現れている。要するに、「テレビで売れている」というときは、すでに斜陽が始まっているときである。それが原則として考えている。上記のデモに対する私の批判も、単純に言えば、このような原則論があることも考えているのかもしれない。逆に、テレビメディアがどんなにゴリ押しをしても、世の中の流れを変えられるものでもない。それらメディアの特徴とメディアの使い方をわかっていれば、どこにピークが来るのかということもわかるはずだ。バブルの頂点で不動産を買って損するのと同じだ。
 そもそも韓国ブームは、韓国のドラマが古い日本のドラマの焼き直しであったから、郷愁的におばさんたちに流行した。同時に、日本のドラマがトレンディドラマばかりになり、ついでに漫画のカバーばかりにな手しまった。要するにちょうど日本のドラマ制作力が完全に落ちてしまったときに、レトロな日本のドラマが、外国から逆輸入されたのでしかない。日本のメディアは古い日本のメディアに負けたのである。韓流音楽のブームも、日本の80年代のアイドルブームやその後のおにゃんこくらぶと変わらないではないか。
 韓国のテレビや制作会社の人と話せば、「韓国は一〇年日本に遅れている」という。その上で「一〇年遅れているから、日本の市場は完全にがら空きである。そこに10年前の価値観をまだ持っている人に売り込めば、ブームになる」という。まさにそのものである。ある意味で日本人のプロデュースが優れているのかあるいは市場を置き去りにしてしまった結果である。それを「韓流」とまったく別物のような書き方をすること自体が、日本のメディアの最大の間違いである。
 この問題は、このように、日本のテレビメディアの「死」を意味していると思う。もちろん、それは韓流に乗っ取られたというのでもないし市場がなくなったというのでもない。私が指摘したいのは、まさに日本のメディアが自力での政策能力をなくしたということ、そして、国民の市場を見失い、何を作ってよいのかわからなくなっているということを意味しているのである。そのことを冷静に指摘する人が少なく、韓流というメディアが別物の名前をつけたことに反応し、先鋭化した保守主義を出すことそのものがおかしいのではないかと思う。
 テレビは死んだ。しかし、まだ新聞や雑誌などの文字媒体は生きている。これは、実は文字媒体は一度死んでしまったからこれ以上死にようがないということだ。今生き残っているのは、まさに、コアな自分の顧客と身の丈に会った囲い込みによる生き残りをしている、もちろん民主党に偏向している新聞や雑誌は、徐々に淘汰されるであろう。当然に結果が出てダメであるということがわかり、また、メディアはそれを煽ってきた総括を行わなければならないからである。
 そのメディアがどのように生き残るのかが、今後の焦点になる。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(31) 中国事業の改革

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(31)
中国事業の改革

 さて、調印式が終わった。調印式と同時に、中国の合弁会社において董事会が行われた。董事会とは、日本で言う取締役会と株主総会をあわせたようなものと考えてもらえばよい。この董事会において、合弁会社の改革案が示されたのである。
  まずは、人事変更である。これまで何もしてこなかった日本人スタッフの総入れ替えがここで行われた。この効果はいくつかある。中国では「人事権の発動」はまさに「権力者の象徴」である。日本から来た人が日本側の代表を変えるということは、この事業が日本の本社主導で行われていることを示すことに成る。日本の場合、親会社と子会社という概念になるのであるが、中国ではそのような形にはならない。人事権を発動できる人が最もえらい人なのである。日本人の言う「雇われ社長」とか「株主総会に戦々恐々とする役員たち」などは中国では考えていないのだ。この辺が中国共産党の大きな影響ではないか。一党独裁ということは、多くの権力の象徴を行うものとはまったく違う。そのために、一人の権力者がすべてを行うことができる。そのすべての中に『法律を変える』ということと『人事を変える』ということが二つセットになっているのである。

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日本語のイメージに振り回される日本人狂想曲 放射能編

日本語のイメージに振り回される日本人狂想曲 放射能編

 日本人というのは、非常に面白い民族であると思うことがある。ある言葉に自分で名前をつけ、そのイメージを作り出すのであるが、逆に自分で作り出したイメージにとらわれて、その作った虚像に拘束されてしまうのだ。
 このブログでいくつか指摘しているが、まず戦後の政治でもっとも大きなものは「国連」という単語だ。国連というと合衆国政府のごとき統一の価値観といつの法律、統一された権力構造の中で物事の善悪が決められると思っている人が少なくない。しかし、それは「国際連合」という日本語の訳文がそのようなイメージを作り出しているだけで「UN」という言語、要するに直訳すれば「連合国」という単語にはそのようなイメージはない。本来は「日独伊三国同盟」を「枢軸国」といい、この攻守同盟に関する、軍事同盟連合国の訳文であるはずだ。しかし、この日本語の訳文は不思議な威力を発揮する。憲法9条を護るという人々の中に、または小沢一郎のような政治家ですら「国連軍に参加するのは是」ということを言い出す。よく考えてもらいたい「枢軸国に愛好する軍事同盟連合国」への参加は、そもそも軍隊の参加でしかない。「連合国軍への参加は是」と「憲法9条堅持」はどうしても相反する。それどころか「集団的自衛権反対」とか言い出す。はっきり言って『馬鹿』なのだ。完全に自己矛盾を起こしているのだ。その自己矛盾の原因は「国際連合」という訳文に端を発しているに他ならない。
 この虚像ということで言えば「小沢一郎」という政治家に関しても同じだ。本物の小沢一郎という政治家と、一方でマスコミで伝えられている「剛腕」のイメージとはかなり違うのではないか。ましてや、今の民主党でそのままい続けて安穏としている政治家に「壊し屋」などという肩書きをつけている。その上、行動しない政治家に対して首相待望論が出るのだから始末に終えない。本当に小沢一郎という人が剛腕で、頼りになる政治家であるならば、司法制度などにこだわることなく、日本のために、日本の国益を損ねる政治家たちを成敗すればよい。改革を進めればよいのだ。しかし、それができない。それでも指示をする人がいるのは、小沢一郎という政治家の「やらない言い訳」を鵜呑みにしているとしか言いようがない。しかし、政治家として国民の神託を受けている以上「やらない言い訳」そのものが罪である。やらないならば他に地位を譲るべきである。この小沢氏に対する期待をしている人々を診ると、日本に関する危機感の欠如と虚像の大きさ、そして虚像に対する宗教的信仰信を思わないではいられない。行動という結果を信じないで期待感で動くということだから、その部分に関しては批判されてもしかたないであろう。
 さて、その「単語のイメージ」に振り回されるもうひとつのものが「放射能」という単語だ。世田谷区で、スポット的に放射能が高い『場所』が発見された。当初は福島原発の事故によるホットスポットというように見られたが、調べてみると民家の下に古い木箱があり、その中にラジウム鉱石が入っているという。

世田谷放射線 区道「避難目安より低い」 京都医療科学大・遠藤啓吾学長

 京都医療科学大・遠藤啓吾学長(放射線医学)の話「民家の床下付近の放射線量はかなりの高レベルと推測される。一方、区道で検出された毎時3・35マイクロシーベルトは、毎日8時間を屋外、残りを木造家屋内で過ごしたとの仮定で年間被曝(ひばく)線量に換算すると約17ミリシーベルトとなる。これは国が避難を促す目安の20ミリシーベルトより低く、さらに今回は1カ所での検出であり、原発事故のように広範囲に放射性物質が飛散している状況ではないため、被曝量はもっと少なくなる。区道を通る程度なら、ごく短時間でもあり、健康に悪影響はない」

2011年10月14日01時40分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/5935736/

世田谷区放射線、発生源?の瓶は4、5本 警視庁も現場に

 東京都世田谷区弦巻の区道から周辺よりも高い放射線量が検出された問題で、区は13日夜、記者会見を開き、最寄りの民家の床下に置かれた瓶から放射線が発せられていた可能性が高いと発表した。文部科学省は同日深夜、瓶の中身は放射性ラジウムと推定されると明らかにし、放射性セシウムが検出されていないことから福島第1原発事故とは関係ないと断定した。
 世田谷区はこの日、専門業者による測定を実施し、区道の高さ1メートルの地点で毎時3・35マイクロシーベルトの放射線量を検出。非常に高い線量だったことから業者は近くの民家から放射線が発せられている疑いが強いと判断。区は所有者の了解を得て敷地や室内の調査を実施した。
 区道から約1・5メートル離れた民家の壁からは最大毎時18・6マイクロシーベルトの放射線量が検出されたほか、床下に大小合わせて少なくとも4、5本の瓶を発見した。
 瓶は、木箱と紙箱で2重に梱包(こんぽう)されていた。大きい瓶は高さ7、8センチで太さは5、6センチ。業者が線量計を当てたところ、針が測定限界値を振り切った。限界値は毎時30マイクロシーベルトの放射線量だった。区によれば、民家の所有者は「(箱や瓶に)見覚えはない」としている。
 業者は安全確保が困難と判断し、測定を中止。区は瓶から放射線が発せられていた疑いが強いとして文部科学省に通報した。警視庁も現場に警察官を派遣した。文科省は瓶を放射線を封じる容器に入れて、現場から搬送。容器は遮蔽措置が取られているといい、瓶の中の物質などについて専門家による詳しい調査を実施する方針。
 放射性物質の保管をめぐっては、平成21年10月、長野県飯綱町の山林にある倉庫にトリウムを含む合成樹脂が保管され、住民らから撤去を求められる騒ぎがあった。一方、戦前から戦後にかけてはラジウムががん治療に広く使われていたといい、処分費用が高額だったため不法に廃棄されるケースもあったとされる。

2011年10月13日21時46分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/5935476/

 関連する擁護をあげてみよう。「放射能」「原子力」「ラジウム」「ストロンチウム」「プルトニウム」「鉱石」・・・
 価値観は問わない。しかし、これらの言葉は、多少違いはあるものの放射性物質であるということは間違いがない事実だ。しかし「ラジウム温泉」といえば健康に良いイメージがあるのに対して「放射能被爆」といえば、健康に悪いイメージがある。いずれも「000マイクロシーベルト」というような単位で計測できる範囲であるのにかかわらず、片方は健康に良いというイメージで片方は、「死ぬ」と言うイメージになってしまう。
 私は理数系ではないのでどちらが正しいのかわからない。しかし、ガンが治るということで有名な秋田県の玉川温泉などに行って、今こそ「何シーベルト」あるのかしっかりとは買ってみればよい。街の中にある「ラジウム温泉」に行って何シーベルトそこにいる人が浴びているのかしっかりはかればよい。その上で、片方は健康いよくて片方には死ぬというイメージがあるのか、理数系の教授たちにしっかりと解説を賜りたい。できれば、ラジウム温泉にゆっくりつかりながら話を聞いたらよいのではないか。
 原子力発電所反対デモのに参加した人が、デモで疲れた身体をラジウム温泉で癒すという笑い話もある。このように冷静に見れば面白いが、逆に日本人は自分のつけた言葉、単語のイメージにとらわれて、冷静な判断ができない状態になっているのである。はっきり行って頭が悪い行動としか思えない。
 もちろん、ラジウムと他は違うとか、原爆のように一時期に強い放射線を浴びるのと、温泉のように徐々に浴びるのとは違うという話も聴くことがある。しかし、いずれにせよ、その辺のメカニズムをしっかりとわかってから意思表示をしたら良いのではないか。
 もう一月になるのは、軒下に瓶のあった家の住人の健康状態だ。今まで住人が全て『のろわれた家』のようにガンで亡くなっていたというのであれば、これはまたひとつの反対の要因になるであろう。しかし、逆に皆さん長寿であったというならばラジウムという放射性物質が非常に健康に良いということになる。何の関係もなければ、放射能はそんなに気にする必要もないということになり、福島の牛乳や農業の風評被害は何韃靼かということになるのではないか。
 偶然とはいえしっかりとした実証できる例が東京都内にあるのだ。健康に被害がないという話ではなく、「どうしてこうなったのか」「結果どうだったのか」という検証をし、放射能と健康にかんしてしっかりとした話をしてもらいたい。要するにイメージで馬鹿騒ぎをするのは良くないということだ。もちろん、はじめから冷静に話を聞くのであれば、このような騒ぎになっていない。冷静に聞く耳があれば、安保騒動のようなものもないし、デモで火炎瓶を投げたりもしないであろう。こういう冷静な、そして科学的、実証的な話ができないから、彼らはいつまでたっても馬鹿なのだと思う。
 最後に言うと、この文章は実証的でないという行動に対する批判であり、放射能の肯定でも否定でもない。そもそも、そのような判断をできるだけの理数系的な知識は私は持ち合わせてはいない。ただ、この事件の報道を見て、私自身はこの週末に近所の「ラジウム温泉」に行って、日ごろの疲れをゆっくり癒してこようと思っている。

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年金問題で人気を博した民主党は年金を国民に配布しないようにしている

年金問題で人気を博した民主党は年金を国民に配布しないようにしている

 民主党人気おなかのひとつに、「消えた年金」問題の私的があった。当時「ミスター年金」といわれた長妻昭元厚生労働大臣は、当時の安倍内閣を厳しく追及した。その姿がかっこいい、またはその内容に関して年金不安を煽るような状況が社会的に生まれ、結局のところ自民党は信用を失った。
 この件に関しては、少々手縫いではあるが、当時の私のブログからそのままむき出してみたい。ちょうど参議院選挙があったので、そのときの争点としてこのようなことを書いている。

そのときに現在の事態を把握できていなかったことは大きい。また社会保険庁の改革で新たに民間から抜擢された村瀬社会保険庁長官が責任を負う話でもない。しかし、国民の矛先は過去に目を向けるのではなく現在の社会保険庁に向けられる。この状況に関して、政府安部内閣がいかなる対応をするのかがとわれる。この対応がよければ「雨降って地固まる」のたとえの通り、安倍内閣の支持率は急騰する。これに対して対応が悪ければ、じり貧的に支持率が下がってゆく。
 現在の安倍内閣は、支持率が下がっている。これは年金問題に関する安倍内閣の対応の悪さが原因として挙げられる。様々な方策を行うのに、「最善」よりは「わかりやすさ」「透明性」そして「心証必罰」を旨として対処しなければ国民はわからないであろう

<2007年6月27日 (水)>

 この問題は、今後の国民の不安をいかに少なくする方策を挙げることができるかという、運用の問題にかかってくるものである。
 その意味では、野党であっても年金問題の「解決方法」を明示してはいない。ただ政府の対応を批判しているだけである。
 今回の参議院選挙は、年金問題に関して言えば、与野党ともに解決方法を明示することなく、ただ、現在の政府の対応に対して不満と否定が渦巻いていて、野党はそのうえに乗っているに過ぎないという構図が見えてくる。
<略>
 将来の見えない選挙になってしまうのは、与野党ともに避けるべきである。
<2007年7月 5日 (木)>

 掲載日は皆さんが検索しやすいようにあえて西暦にしている。このようなところでも「保守ならば元号を使うべき」などという意見をメールしてくる人もいるが、実際コンピューター上の検索など便宜的に西暦を使ったほうが便利な場合があるので、その点は理解願いたい。
 上記の記事は、私のブログのバックナンバーからこの日付の者(月ごとになっているようであるが)を出していただければ誰でも読んでいただける。実際にこの当時の安倍政権に対し、応援しながらも占拠という現場でのアピールの薄さにがっかりしていた部分はある。
 さて、その当時の雑感は別にして、ここに書いているように、民主党は年金政策や年金の過去のことに関して批判は思いっきりしたものの、批判以上のこと、要するに対抗策は何も示していない。その対抗策が示されたのが年金と社会保険の一体化と国税負担化ということになる。しかし、そのような案が出てくるのは参議院選挙の1年後。それも財源がしっかりしていない段階であった。民主党は、このブログではかなりおなじみになったが、マニフェストの1項目目で「予算の組み換えと無駄の削減で16.8兆円の財源捻出」といっており、それができていれば、このようなことはそんなに難しいことではなかったはずだ。
 しかし、「対案のない批判」に野手しまった日本国民に対するツケの代償は大きい威。これら嘘八百のマニフェストにだまされた被害は、まさに国民の生活をそのまま直撃したのである。その中のひとつが今回の年金支給年齢引き上げだ。増税だけでなく、年金財源も完全に「民主党バラマキ」のひとつどころか、まったく削らない政治家の歳費や調査費などに消えてゆくのである。

底をつく埋蔵金、基礎年金の国負担どう捻り出す?

 政府が2012年度予算案の編成で、基礎年金の国庫負担の一部を「つなぎ国債」でまかなう方向で調整するのは、これまで活用してきた特別会計の剰余金などの「埋蔵金」が底をつき、借金に頼らざるを得なくなっているためだ。
 ただ、「つなぎ国債」の発行は、消費税の引き上げ法案の取りまとめが前提で、実現に向けたハードルは高い。
 基礎年金の国負担割合は、04年に成立した年金改革関連法で、09年度までに2分の1に引き上げることが決まった。現役世代の負担が重くなり過ぎないようにしながら、年金給付額の減少を避ける狙いだった。
 当時、政府が財源として想定したのが消費税だ。安定した財源の確保には、すべての国民が負担する消費税が適しているとの判断だ。しかし、消費税の引き上げは実現せず、毎年の予算編成で巨額の財源不足が課題となっている。
 09~11年度は、現行の消費税収などによる国の負担は36・5%にとどまり、残りは埋蔵金と呼ばれる財政投融資特別会計の準備金や剰余金などで穴埋めしてきた。しかし、埋蔵金も東日本大震災の復興財源に優先的に充てることになり、12年度予算では当てに出来なくなった。過去には年金の積立金から国が負担金を借りた例もあるが、運用が難しくなるなど問題が多い。
 政府は中期財政フレームで、12年度の新規国債発行額を44兆円以下に抑える方針を掲げており、年金財源として国債を2・6兆円発行すれば、12年度の新規発行額が目標を超過してしまう恐れがある。また、「つなぎ国債」の発行には、反発が強い消費税の引き上げ論議の決着が前提になる。
 政府の新年度の予算案は例年、12月下旬に閣議決定される。政府・与党が予算編成までに消費税の引き上げ時期や増税幅を決定できなければ「つなぎ国債」の発行は12年度予算案に盛り込めない。国の負担をどう捻出するか、正念場を迎える。(経済部 有光裕)

最終更新:10月10日(月)20時57分 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111010-00000493-yom-bus_all

「年金70歳支給」の地獄…モ~民主じゃ庶民救われない!

 民主党政権の“国民イジメ”が、あらわになった。厚労省が11日、厚生年金の支給開始年齢の引き上げについて複数案を示したが「68-70歳程度」という案まで提示されたのだ。民主党は2009年衆院選マニフェストで、年金関係の公約を複数並べたが崩壊状態。一方、触れていない「対象年齢の引き上げ」に邁進している。高齢者の生活の糧を奪うたくらみ。これを裏切りと言わずに何というのか。
 衝撃の引き上げ案は、厚労省から社会保障審議会年金部会に提示され、議論された。
 25年度(女性は30年度)までかけて、3年に1歳ずつ厚生年金の支給開始年齢を65歳まで引き上げる現行計画を、2年に1歳ずつに早めて4年前倒しする案。さらに、基礎年金(原則65歳開始)も含め開始を68歳へ段階的に引き上げ、28年度か35年度に実現する案などが示された。
 政府・与党が6月にまとめた「社会保障と税の一体改革」案に盛り込まれた内容で、増大する社会保障費の伸びを抑制することで、消費税増税への環境整備を進めることが狙いなのだ。
 つまり、「金がないから支給先送り」「金がないから増税」という発想。長引く不況で雇用環境が日に日に悪化するなか「年金70歳支給」など、国民の老後を軽視した提案といえる。
 そもそも、民主党が政権交代を実現できた背景には「消えた年金」問題など、国民目線の真摯な取り組みがあった。
 09年衆院選マニフェストでも、「国民年金、厚生年金、共済年金の一元化し、月額7万円の最低保障年金実現」「消えた年金問題の解決に、2年間、集中的に取り組む」「年金通帳の交付」「社会保険庁と国税庁を統合して歳入庁を創設する」など、年金関係の公約をズラリと並べた。ところが、政権交代から2年過ぎたが、年金一元化は具体案すら見えず、「消えた年金」も約5000万件の未統合記録のうち、回復は1584万件(6月時点)。年金通帳は意識調査の段階で、歳入庁に至ってはまったく進んでいない。
 年金マニフェスト崩壊という状況で、マニフェストにはない「支給年齢の引き上げ」に突き進んでいる。これも、野田佳彦首相を手駒のように使う財務省の思惑なのか。
 政治評論家の小林吉弥氏は「これは野田内閣の致命傷になりかねない。いまの経済・社会情勢のなかで、こうした提案をする感覚が信じられない。マニフェストの裏切りも含めて、国民の怒りに火がつきかねない。強引に進めれば支持率は急落する。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加問題もあり、野田内閣は年末に大きな曲がり角が来るのではないか」と語っている。

2011年10月12日(水)17時0分配信 夕刊フジ
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/fuji-zak20111012010/1.htm

 はっきり言って、年金問題は、同時に高齢者雇用の問題とリンクして考えるべきである。また、年金の財源問題は、単純に若年者を含み雇用と雇用賃金の問題とリンクして考えられるべきであろう。
 60歳で定年で70歳まで何の手当てもなく、70歳から年金を支給するというのであれば、これは無収入で10年間過ごせということだ、支給が68歳であってもその年数が2年短くなただけである。高齢者雇用がまたく進んでいない状態の中において、このような財源だけの議論をしているのは民主党の本質を暴き立てている。なぜこのような状態のときに、マニフェストの話をする人がいないのであろうか。非常に不思議であり奇異である。民主党は自分でいったことややってきたことを完全に忘れてしまう、非常に恐ろしい悪癖があるようだ。このような政党に投票し、自分たちの生活を苦しめている団塊の世代はいったい何を考えているのか。
 また、その高齢者を支えなければならない若年層の就職率が低いのも気になる。この年金の問題を話すときに、実際のところ、財源という国家の財布の話ばかり(上記の新聞記事もそうであるが)であるが、実際にその支払う側、要するに、働く人の収入やワーキングプアの現実などをまったく考慮しない状態はさすがにおかしいと思わなければならない。
 そして何よりもかけてはならない観点が、「年金をもらうのもその財源を払うのも人」ということだ。その中に大きな不公平感があれば、それは受けいられる状態ではない。それを受け入れられるようにするためには、しっかりとした話をしなければならない。民主党の場合は、上記のように、参議院選挙で安倍政権を批判していたところからすべてをしっかりと説明すべきである。タダ批判しただけであるならば、「国家のヴィジョンもなく批判をしました」と、国民に謝罪し、批判しかできない政治家の集団が民主党であったということを世に知らしめるべきである。その上で、潔く解散し国民の信を問うべきではないのか。
 財源がないのはわかる。しかし、その財源を作るといって、まや社会保険との一元化をするといって政権交替し、自民党を批判してきた。その部分の国民との約束を反故にするのは、まさに、60歳から根金をもらえると思って、額に汗して働いた国民を完全にだますものでしかない。国民をだます政権に、明日はない。そういう国であるべきだと思う。

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恫喝に屈するようでは政治などできない 前原氏の慰安婦問題の認識に疑問を呈する

恫喝に屈するようでは政治などできない 前原氏の慰安婦問題の認識に疑問を呈する

 政治家のもっとも大きな仕事は、国家の将来像を示すことである。国家の将来像を示すときには、当然にそれなりの根拠が必要だ。もちろん支援災害などの突発的な事項が発生した場合に、その突発的な事項を加味した内容の将来像を示さなければならないし、その突発事項による計画の遅れなどが見込まれることはしっかりといわなければならない。
 逆に、政治家が最もしてはいけないことの「ワースト3」は
 ・ 個人的な判断や個人的な収入のために国家権力を使うこと
 ・ 客観的な基準や法律条約などを自己都合で変えてしまうこと
 ・ 自分の評判のために国益を損ねる行為をすること
 基本的にはこの三点だと思う。一番に出したものは、国家権力に基づく贈収賄のようなものだ。まさにこのようなことをしていては、国家が持つはずがない。また二番目は法律や条約などの基準の強いて異な変更である。近代法治国家である以上、法の下の平等は当然のこと、国家間であってもしっかりとその内容を考えるべきである。そして国益を損ねること。これはある意味でここで何の解説も必要ないことであろう。
 このように見てゆくと、今日の問題である前原氏の慰安婦問題よりも、早紀にほかの名前が挙がってくるのではないか。単純に考えて小沢一郎氏の政治資金問題や鳩山由紀夫元首相の巨額子供手当て問題。小沢氏に関しては、「小沢だけ疑惑をもたれたのに特別扱いをしてくれない」などといっている暇があるならば、しっかりと法廷とそれに国民に向かって説明をすればよい。納得できる説明もせずに、「自分のときだけ」司法制度とかいっていること事態が滑稽であり、「ワースト3」に入る行動ではないのか。同じことは鳩山由紀夫元首相にも言えることだ。政治資金は当然にそのように監視が厳しいものでありながら、適当に親から金をもらい贈与税の違反をし、首相だからといって自分から金を払っておしまい。同じ時期に元ダイエーの中内氏が脱税で逮捕されている。この用意個人の恣意的な話で、法律解釈をゆがめたり、政治資金とはいえ、個人のために国家権力や政治権力を使ってはいけないのである。もちろん、そのようは法律がある内の問題ではなく、動議にも執ることをしてはならないという日本的な道徳観や倫理観をしっかりとしなければならないのではないか。そのような倫理観に違反する内容を、横暴とか陰謀とか言ってもあまり説得力はないのである。
 そのことは、こくないであれば単なる非難で終わるかもしれない(もちろんそれで終わらせるつもりはない)。しっかりとした真相究明が必要なのである。しかし、これが外交となると非常に大きな問題になる。要するに、外交は二つのことで国内と大きく違う。ひとつは国益、国家の権力構造がまったく違う。要するに、統一の権力化にあるわけではない。国益が違うということは、当然に相手の要求は日本の国益を害する場合が少なくないのだ。もうひとつは、その紛争の解決期間がない。国連は別に裁判機関でも紛争解決機関でもなければ、その強制力も存在しないのである。国家は独立国家であり、その独立した主権の下にあるのだ。その主権の下にあるのに対して、他の主権がさまざまというのは完全な内政侵害でしかない。
 そのような状況であることを解決するために、条約や協定が出されている。しかし、これら協定は、いつの間にか破られることになるのである。それも上記の政治家がしてはいけない「ワースト3」の金を犯すという形でされてしまうのが最大の問題だ。

前原氏、慰安婦基金を構想 韓国側乗じる懸念

 民主党の前原誠司政調会長は10日、韓国政府が賠償請求権交渉を求める慰安婦問題について、平成19年に解散した財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)を参考にした新たな基金の創設構想を明らかにした。前原氏も請求権問題については「解決済み」との政府の立場を支持しているが、この発言に韓国側が乗じ、慰安婦問題の火の手がさらに強まる可能性がある。
 前原氏はソウル市内で金星煥外交通商相と会談し、慰安婦問題について「人道的観点から考える余地がないか、お互い議論したい」と述べた。会談後、前原氏は記者団に「自民党政権の時もアジア女性基金が行われたことを考えた場合、何らかの人道的な仕組みを検討する余地があるのではないか」と語った。
 元慰安婦とされる人々に一時金(償い金)を支給するため村山富市政権の平成7年に発足したアジア女性基金は、昭和40年の日韓基本条約で請求権問題が「完全かつ最終的に解決」されたため民間募金となった。
 前原氏としては北朝鮮の核問題や軍拡を続ける中国に対抗するためにも韓国との連携を深める必要があるとして、慰安婦問題でも「門前払いするのではなく余韻を残した方がいい」(周辺)と判断、新基金の創設に言及したもようだ。
 民主党政権はこれまでも韓国に配慮を示してきた。昨年8月には当時の菅直人首相が、日韓併合100年に合わせ「痛切な反省とこころからのおわび」を表した「首相談話」を発表。同談話に基づき、野田佳彦首相は18日からの訪韓で、朝鮮半島由来の「朝鮮王室儀軌(ぎき)」などの図書の一部を持参する方針だ。
 だが、相手に配慮が通じた様子はない。韓国は日本固有の領土である竹島付近でイージス艦が停泊可能な海軍基地を建設する計画を進める。ソウル市も在韓日本大使館前に慰安婦の記念碑建立を認めるなど「挑発行為」を続けている。
 相次ぐ「対韓融和外交」に、政府内からは「本来は決着済みの問題で筋違いだ」(外務省幹部)とため息が漏れている。(坂井広志、ソウル 杉本康士)

2011.10.11 23:59 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111012/plc11101200000000-n2.htm

「政府の態度は変わらない」 韓国の慰安婦提起で藤村官房長官

 藤村修官房長官は12日の記者会見で、韓国政府が国連総会第3委員会に旧日本軍の慰安婦問題を提起したことに関連し、賠償は決着済みとの見解を改めて強調した上で、「(アジア女性)基金を設け、民間レベルではそれなりの手当てをしてきた。平成19年の同基金終了後も事業のフォローアップは勘案していくということで、その態度は全く変わっていない」と述べた。

2011.10.12 12:24 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111012/plc11101212260009-n1.htm

 「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」というのがある。日韓基本条約(1965年)と同時に締結された内容である。この協定において、当時世界最貧国のひとつであった韓国に対して、日本は国交と同時に合計5億米ドル(無償3億米ドル、有償2億米ドル)及び民間融資3億米ドルの経済協力支援を行った。当時の韓国の国家予算は3.5億米ドル程度、日本の外貨準備額は18億米ドルであったことから、その額の膨大さが推し量れる。この経済協力金を基として、ダムや高速道路を整備した韓国は漢江の奇跡を成し遂げた。
 日本側は日韓基本条約の交渉の過程で、韓国人への個人補償を日本政府が行うことを提案していたが、韓国側は拒否した。このため韓国政府が一括で経済協力金を受け取り、韓国政府が個人補償を行うということで両国間の合意がなされた。しかし、韓国政府は上記のようにインフラ整備を行ってしまったために、戦争被害者に対する個人補償をほとんど行わなかったのである。
 要するに協定違反をしたのは韓国側である。にもかかわらず「戦争被害者」として出てくるのが従軍慰安婦の問題であり、その個人補償を行うことを日本の法律家が支援しているのだ。そして、その法律家の代表が仙谷由人元官房長官、現在の民主党政調会長代行である。
 はっきり言って法律のセンスも政治のセンスも何もない。
 語弊を恐れずに言うならば「この従軍慰安婦を認めるのであれば、日刊平和条約およびそのほかの付帯協定を破棄し、現在価値にあわせた国家賠償金を返還せよ」というべきである。これは国益とかそういう問題ではなく、単純に、条約の問題であり基準の問題だ。これを、韓国側は「経済的に危機だから執りやすいところから恐喝する」といういみで、日本は、「かわいそうということを言って戦争反対の機運を盛り上げる」というわけのわからない反戦イデオロギーによって、いずれも国家の基準を曲げ、条文の記載事項を無視し、そして、自己都合で、なおかつ日本の政治かは日本の国益を無視した形で、行われるのである。遵守できない条約なら場はきれしたほうが良い。その代わり日米安全保障条約の適用を申請して竹島でも韓国全土でも日本が占領すればよい話だ。また、賠償金を円額返還し、変換できない部分は韓国の設備を全て破壊すればよい。そもそも法律(条約)を無視して恐喝するのは独立の国家としておかしい話であるし、その恫喝に屈するようであるならば、日本国の政治家などにならなければ良い。資格喪失といえる。
 民主党は、上記のように小沢・鳩山といった人から土肥隆一や前原誠司・仙谷由人のような政治家として不適合な人の集まりなのか。
 小沢も事件について国民に説明すべきであるが、前原は、このようなことを韓国で言う以上、日韓基本条約とそれに伴う付帯事項まですべてをしっかりと国民の納得逝くように説明し、そのような説明ができないとき理解を得られないときは潔く国会銀を辞任すべきである。ついでに言えば、二度と立候補などすべきではない。このように恫喝に屈するということは、他の疑惑、新聞などであげられている暴力団とのつながりなども「恫喝されたから」容認したといいかねないではないか。

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「口だけ番長」の「お追従外交」で迷惑する日本人

「口だけ番長」の「お追従外交」で迷惑する日本人

 この国の政治かはいったいどうなっているのか。
 「政治家」という商売は、ある意味で嫌な相手にも笑顔で接しなければならないし、敵対する相手と交渉しなければならない大変な仕事である。実際、過去の外交の場面では、日本は何度もそのような場面を経験している。昔の日本人はすごかったと思う。
 日本の外交の幕開けは当然に江戸幕府による「日米和親条約」であるといって過言ではない。もちろん、この日米和親条約は『横浜』と『神戸』だけの限定的な開国に過ぎず、また、なぱせんに対しての救助義務などを書いたものであるために、後の不平等条約とは少し違うという説もある。しかし、日本の歴史ではこの時代から不平等条約が始まっていると考えられているのである。なぜならば、江戸幕府による鎖国という理念が完全に武力の前に打ち破られたのであるからだ。日本ペリーによって開国させられた。
 この外交的な判断は江戸幕府の中を完全に二分することになる。ひとつは井伊直弼と徳川家茂(このときは紀伊徳川家藩主慶福)の開国派である。一方、水戸斉昭や一橋慶喜を主軸とする攘夷派である。この二分する戦いは、14代将軍に家茂が着任しまた日米修好通商条約の締結などから一時開国はが勝利したかに見えた。当然に、大老井伊直弼から見れば、江戸幕府の力で欧米列強と戦うことは不可能と踏んでいたに違いない。多少の不平等条約であっても、その条約によって戦争を回避するということを考えていたようだ。これに対して、攘夷派は、あくまでも日本の独立を望むこと、海外欧米列強の属国にあらないということで運動を開始する。この動きを鎮圧するのが「安政の大獄」であり、またその鎮圧に対する復習が「桜田門外の変」という大老井伊直弼の暗殺である。
 歴史は、この後明治政府の最大の目標を「不平等条約の解消」というところに持ってゆくことになり、まずは「富国強兵」で欧米軍隊制度の取り入れと、殖産興業の発展を行った。急激な富国強兵は、それまでの士族の反発を招き、萩の乱や佐賀の乱、そして西南戦争という内戦を行うことになるが、結局、官軍が勝利し、落ち着いた後に日清戦争になる。もちろん、この間もさまざまな海外との交渉を行っている。しかし、譜病状条約を逆手にとって、日本に海外の制度を取り入れ、日本式軍制や日本式殖産興業の礎を作ったことには違いがない。そして「不平等条約の解消」という日本国民全体の目標は、逆に日本国民を団結させ、海外欧米から見た日本の姿以上の力を発揮した。
 日清戦争はまさにそのものであったのではないか。陸奥宗光外務大臣は、全権大使として李鴻章を下関に呼び外交交渉を行う。戦勝国の戦時交渉であるから、当然に強気である。しかし、当時の清国は「眠れる獅子」といわれるほど、その力を威秘めていたと見られている。当然に、戦勝国日本も中国全土を占領したわけでもなんでもないのだ。そのために、3万両の賠償金と朝鮮の領有権、そして遼東半島と青島の領有にとどまるのである。
 これでも譲歩しているのに、三国干渉によって中国本土の領有を手放す。これによる「臥薪嘗胆」を合言葉に、日本は更なる国力の充実を目指すことになる。そして日露戦争。日本海海戦によりロシア海軍は完全に壊滅状態になり奉天大会戦によって、極東軍の主力を粉砕した。しかし、日本そのものにも戦争継続力はあまり残っていない。全権大使小村寿太郎は仲介に入ったアメリカの軍港の町ポーツマスでのロシアとの交渉で、「まだ負けていない」というロシアに負けを認めさせる交渉を実現したのである。
 その後、この日本海海戦の連合艦隊参謀長であった加藤友三郎は、米:英:日の海軍日を5:5:3とすることに合意し、外交と軍事力【防衛力】による海外戦略をk名が得た。この考え方の継承者が山本五十六・井上茂美・米内光政の海軍親米派三人週であり、日米開戦に最後まで反対したグループだ。
 日本は戦前までこれだけ戦略性に富み、そして日本国民の団結力を生む、もちろん譲歩すべきところは譲歩しながらもしっかりとしたおっ果敢と国家的な目標を持った外交交渉をしていたのである。それに比べて、現在の外交交渉はどのようなものなのか。
 民主党政調会長の前原誠司が韓国に言って、さまざまなことを言っている。

前原氏「日本文化開放が韓流ブーム生み出した」 講演でEPA交渉再開訴える

ソウル市内で講演する民主党の前原政調会長=11日(韓国の毎日経済新聞提供・共同)
 【ソウル=杉本康士】韓国を訪問した民主党の前原誠司政調会長は11日午前、ソウル市内のホテルで講演し、「日韓EPA(経済連携協定)を契機としてさらに絆を強め、経済的交流、人的交流がさらに拡大し、両国のさらなる繁栄が生み出される」と述べ、中断しているEPA締結交渉の早期再開を訴えた。
 日韓EPAをめぐっては6、7両日に訪韓した玄葉光一郎外相も金星煥(キム・ソンファン)外交通商相に交渉再開を要請しており、政府・与党一体となって対日貿易赤字拡大を懸念する韓国側に再考を促した形だ。
 前原氏は講演で、日韓関係について「価値観を共有する隣国同士であり、極めて重要な戦略的パートナーだ」と指摘した。故金大中大統領が行った日本文化の開放が日本での「韓流ブーム」を生み出したことを例を挙げ、EPAが韓国側にもメリットがあると力説した。
 また、北朝鮮による拉致・核問題の解決に向け、日米韓3カ国が連携する重要性を強調。中国の軍事力拡大や周辺諸国との領有権問題にも触れ、中国を「コンテイン(封じ込め)」するのではなく、国際社会のルールに「エンゲージ(関与)」させることが重要との認識を示した。
 前原氏は11日午後、金浦空港を出発し、帰国する。

2011.10.11 09:27 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111011/stt11101109290002-n1.htm

前原氏「中国は良き隣人」封じ込めでなく関与を

 【ソウル=東武雄】民主党の前原政調会長は11日午前、ソウルで開かれた「世界知識フォーラム」で講演し、軍事力増強を続ける中国に懸念を示す一方、国際社会が強硬的な「中国封じ込め」に向かうべきではないとの考えも表明した。
 前原氏は中国の軍事力について、「国防費は名目上、過去5年間で2倍以上になった。核兵器や弾道ミサイル戦力、サイバー戦能力などの近代化や海洋戦略を着々と進めている」と懸念を表明。その上で、「『コンテイン(封じ込め)』するのではなく、良き隣人として『エンゲージ(関与)』するべきだ。様々な分野の建設的な協力関係の強化が重要だ」と訴えた。中国を国際社会の枠組みに入れることで、その軍事的脅威を減らすべきだとの考えを示したものだ。 .最終更新:10月11日(火)10時52分

読売新聞 10月11日(火)10時52分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111011-00000174-yom-pol

 「前原氏は講演で、日韓関係について「価値観を共有する隣国同士であり、極めて重要な戦略的パートナーだ」と指摘した。故金大中大統領が行った日本文化の開放が日本での「韓流ブーム」を生み出したことを例を挙げ、EPAが韓国側にもメリットがあると力説した。」<上記記事より抜粋>
 (日中関係について)、「『コンテイン(封じ込め)』するのではなく、良き隣人として『エンゲージ(関与)』するべきだ。様々な分野の建設的な協力関係の強化が重要だ」と訴えた。<上記記事より抜粋> 
 まず、前原氏は金大中という大統領が韓国の中でどのようのに考えられているのか、現在の李明博大統領率いる犯なら党とはどのような関係なのか知っていてこのような発言をしたのであろうか。もしも知らなかったとすれば滑稽でありあまりにも勉強不足であるし、知っていてはなしたのであれば、現在の犯なら問う政権と日本の民主党は停滞してもかまわないという考え方をもているといって過言ではない。金大中大統領に対してはノーベル平和賞を返すべきというデモ行進まで出てきている。金大中は日本の文化も開放したが、同時に太陽政策によって韓国経済に深刻な打撃を与えたのだ。そのことを知った上でこのような話になっているとすれば、かなりおかしな話になってしまう。
 もちろん、「日本文化の開放が韓流ブームを生み出した」などといわれても、そもそも、韓国人の反日感情をどのように扱うかというような戦略的な国家観はまったくない。要するに、このようなお追従などを言わずに、しっかりとした両国の国家観と両国の関係、そして国民の考えるものや国民の目指す内容を捉えるべきであるし、同時に言いにくいこともしっかりと発言し、日本の立場を鮮明にしなければならない。もちろん、自民党時代の外交もそれができていたとは限らないが、今、日本で反韓流デモが発生し、韓国で反日デモが発生し、民主党の中に韓国よりで反日の議員が複数いることが明らかになっている状態において、このようなお追従をいう、リップサービスをする、そして政治や外交のことだけでなく、文化のことまで言及し、国民を馬鹿にするのであれば、それはもはや「売国奴」であって「政治家」ではない。
 一方もうひとつの中国に関しても、韓国において「封じ込めでなく関与」などといって何になるのか。そのようなことをするならば、自分でまず実践すればよい。端的に言えば、民主党政権で、「朝貢貿易ではなくしっかりとした対等関係を構築する」べきであり、そのためには、尖閣諸島問題や衝突した船長の処分、逆に韓国で反日でもに参加した議員や竹島は勧告の者と発言している民主党議員を、民主党で処分する必要がある。そのようなこともできないで「対等な」関与などできるはずがない。自分の政党の中のこともできないで、何が日韓関係か、ましてや、韓国において中国との関係を言及するなどもってのほかである。
 日本の偉人は、何も政治家ばかりではない。現在は政治家をさげすんでみる風潮もある。しかし、戦前の政治家、特に軍政家を含め外交交渉の正面出でた人々は、すばらしい人であった。台湾総督の児玉源太郎も、今震災後で再来が求められている後藤新平もいずれも外交の正面で日本人としての誇りを持って外交の対処をした人物である。今の政治化に足りないのは日本人としての誇り。彼らにあるのは「誇り」ではなくまさに「埃」でしかない(おじさんギャグです)。そのようなつまらない政治家を、早く日本の政治から排除し泣けれ晩、このような恥ずかしい外交を続けられては、日本人が迷惑することになるのだ。

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小沢一郎陸山会事件の初公判についての雑感

小沢一郎陸山会事件の初公判についての雑感

 一応、昨日のブログでマスコミの社説における陸山会事件の扱いに関して書いてみた。しかし、このブログの中において私の個人の意見を書いてはいない。そこで、今日は、昨日が休みであったこともあり、あまり政治の世界も進んでいないのでこの問題に関して私なりの意見を書いてみたいと思う。今日は少し早いが、今までにさまざまな内容を書いているのですぐに新聞の記事を書いてみたい。民主党に対して批判的とされている産経新聞と民主党に比較的好意的という毎日新聞の記事から。

民主「脱小沢」の秋

 政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢一郎元代表の初公判に対し、民主党内は6日、裁判への無関心を装おうとする空気で支配された。小沢氏を軸とする対立構造が消え、むしろ「脱小沢」が静かに進行しているのだ。ただ、法廷で“徹底抗戦”を宣言した小沢氏に対する世論の視線は一層厳しくなるとみられる。民主党は、野党が要求する小沢氏の証人喚問に改めて消極的な姿勢を示したが、今後も節目で小沢問題を突きつけられていく。(酒井充)
 野田佳彦首相は6日の参院東日本大震災復興特別委員会で「党所属議員が強制起訴されたことは極めて遺憾。裁判を通じてしっかりと説明責任を果たしていただきたい」と述べるにとどめた。藤村修官房長官も記者会見で5回も「コメントは控える」と繰り返した。
 輿石東幹事長は、小沢裁判の与野党協議への影響に対し「全然ないって言えば嘘になるかもしれないが、平成23年度第3次補正予算案で与野党協議に入るということが確認できたことは、それでよろしいじゃないか」と述べ、6日に与野党協議の道筋がついた成果を強調した。
 確かに、「親小沢対反小沢」の党内抗争で明け暮れた菅直人前政権とは様相が一変した。幹事長室に小沢氏に近い中堅・若手議員を配置するなどの人事が功を奏したのか、首相が小沢氏の党員資格停止処分を見直す考えがないことを明言しても反対の声はさほど起こらない。
 もっとも、東日本大震災の復興対策で発行する「復興債」の償還財源や、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉参加問題など、党内対立を生む「爆弾」が今後も控えている。
 執行部にとってさらに悩ましいのは、6日の初公判を含め来年1月11日まで計13回、立て続けに設定された小沢氏の公判日程だ。平成23年度第3次補正予算案、24年度予算案の国会審議や復興増税などに関する与野党協議が行われる時期と重なる。
 野党は裁判の度に喚問を要求する。民主党執行部がもし応じると、小沢氏を支持する議員が反発し、復興財源やTPP問題などの政策課題を党内政局に利用されかねない。
 政界では小沢氏は「過去の人」になりつつあるのに、民主党執行部は引き続き「小沢問題」にひきずられることになりそうだ。

2011.10.6 23:58 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111006/stt11100623590023-n2.htm

<陸山会事件>何らやましくない…小沢元代表、会見で強気に

 「何らやましいことはない」。資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴され、6日の東京地裁での初公判に臨んだ小沢一郎・民主党元代表(69)は、閉廷後の記者会見で強気の発言を繰り返した。公判での意見陳述と同様に検察批判をまくし立てながら、捜査を受けたことを逆手に取り回答を拒否するなど一方的な説明に終始。1審で全員が有罪判決を受けた元秘書3人の監督責任や道義的な責任についても言及はなかった。【鈴木一生、山本将克、島田信幸】
【会見詳報】小沢元代表、初公判後の会見・一問一答
 「今日ぐらいはサービスしようか」。午後5時半過ぎに始まった会見の冒頭。カメラのフラッシュの中、元代表は笑みを浮かべながら、法廷でも読み上げた陳述書を立ったまま再読した。
 「(検察捜査は)法治国家では到底許されない暴力行為だ」「実質的証拠は何もない」。緊張のためか早口だった法廷と違い、抑揚をつけてゆっくりと読み進めた。
 だが、質疑応答になると一変。質問を計6問に限定し、険しい表情を見せた。国会で説明責任を果たすつもりはあるかと問われると「君は三権分立をどう考えているの?」と逆質問。「(司法の独立について)もうちょっと勉強してから質問してください」とたたみかけた。土地購入代金4億円の原資については「詳しく聞きたければ検察に聞いてください。強制捜査を1年以上やっているんだから」と、初公判で厳しく批判した検察捜査を逆に盾にとり、具体的に答えなかった。
 指定弁護士が「4億円の隠蔽(いんぺい)工作の一つ」と指摘した、陸山会の定期預金を担保にした融資について問われた場面では、別の記者が質問する順番だとして回答を拒否。「ルールは守らないと」と質問者をたしなめた。
 「何らやましいことはないので、今後も頑張っていきたいと思います」。元代表は最後にこう述べ、約20分間で会見を打ち切った。
 会見後、小沢元代表は東京・赤坂の居酒屋に向かい、偶然居合わせた大学生に拍手で見送られると、「君らも頑張れよ」と笑顔で手を振り、車の後部座席に乗り込んだ

毎日新聞 10月6日(木)21時50分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111006-00000116-mai-soci

 小沢裁判に関しては、私は非常に強い違和感がある。刑事訴訟というものというか訴訟というものは、そもそも、先入観のない裁判官による証拠の判断によって行う。その時点で検察や警察による捜査とはまったく異なる。もちろん、検察と警察は憲法によって捜査権限が認められている(警察は刑事訴訟法によって司法警察として出てくると記憶している)ので、疑いがあればその内容を捜査する。その捜査に関しても司法の許可が必要であり捜査令状の交付を必要とする。当然にその意思表示(捜査令状の入手)に関しては、それなりの内定や証拠に基づいて行われるのであり、疑わしいものに対して捜査が行われるのである。その疑わしいという端緒はさまざまな場面で出てくる。不動産投機や税務申告など、通常の行政とのつながりの中において、しっかりとした手続きを行っていなければ、その端緒にしかならない。特に政治資金規正法は政治家にしか適用されないものでしかなく、ある意味では身分法だ。通常の人よりも現準に審査されているのである。それだけ重要な社会的影響があるとされているものである。
 検察の捜査というものは、当然に主観的に行われるものだ。罪状を裁判所の冒頭で述べるにあたり「動機」など、被告人の主観に基づくものがなければならない。しかし、被告人の主観を全て客観的な証拠で証明することはできない。ある程度は状況証拠などにおいて補充をしてゆかなければならない。小沢一郎被告を擁護する論調の中で「状況証拠ばかりで」というものがあるが、日本にかぎらず世界各国において、それはアメリカやイギリスであっても、「動機」という本人の主観が判断基準のひとつになる場合は、当然に状況証拠による訴訟になりうる。このような批判を「司法批判」としている人は、まるっきり訴訟を知らない人だ。この動機の部分についてもう少し例を挙げてみよう。人が一人死んだとする。これを殺してしまった人が「殺人」なのか「業務上過失致死」なのか「暴行傷害致死」なのかあるいは「正当防衛」で無罪なのは、「人が死んだ」という事実と状況証拠やそれまでの発言などの過去の状況によって大きく変わる。殺人と暴行傷害致死の違いは、あくまでも主観の違いでしかない。正当防衛と過剰防衛の違いもそうだ。その部分に関しては状況証拠以外主観部分を証明できるはずなどはないのである。逆に、全て客観的証拠を必要とするならば、殺人罪がなくなり、凶悪犯が待ちの中を今よりも大手を振って闊歩してしまう可能性がある。これは刑事政策上よろしいことではない。
 ただし、その捜査に関しては当然に検察官の捜査がある意味で行き過ぎ、そして、ある意味で検察官の主観に偏る場合がある。そのために司法は裁判所によってなるべく先入観のない状態で判断されるものだ。その司法の判断も、問題となる場合は控訴・上告と3回裁判を受けることができる。
 さて、捜査から刑事裁判に関してはこのような流れだ。訴訟は本来このような手続きなのである。上記からわかるように、訴訟は全て検察官側が被告人の罪状を全て証明しなければならず、被告人は、その検察官側の証拠を否定するだけでよい。当然に自らが積極的に無罪を証明する必要はないのである。逆に言えば、司法制度や検察制度を批判している暇があるならば、その分検察側の主張をしっかりと検証し、それに対して粛々と反論をすればよいだけのことである。
 石川被告他秘書三名の裁判は、「検察に不信感があるから検察のいうことは全て信用できない」という不思議な訴訟を行った。これが通るのであれば、日本の司法制度は完全の崩壊である。検察が不信であるならば、どの部分がどういう理由で不信であるかを証明し、その部分の主張と証拠を取り下げればよい。今回、石川被告他の供述の多くが証拠として不採用となった。しかし、それ以外の証拠は採用され、それに対して「検察の不信感」という部分しかなく、それ以外の証拠の否定を行わなかったのであるから、有罪は当然である。ひとつでも有罪の証拠があり、その有罪の証拠が否定できないものであるならば、その事件は有罪になる。もちろん、重要性が低かったり犯罪の蓋然性が低くなれば、その部分で執行猶予がつくなど『量刑』の部分で考慮されるだけだ。逆に言えば、刑事裁判の場合、検察の提示した証拠に対して、有効な反論および反証ができない場合は、その証拠を認めることになる。まさに有罪となる端緒だ。検察批判をするならば、検察批判をしっかりと行えばよい。そのすべての捜査、そして証拠を否定すればよい。都合の良いところで検察を頼り、自分の都合の悪いところだけ批判するようでは、まともな議論などできるはずがない。
 さて、小沢一郎被告の話であるが、その部分では記者会見でも一貫性がない。検察を批判しながら『土地購入代金4億円の原資については「詳しく聞きたければ検察に聞いてください。強制捜査を1年以上やっているんだから」と、初公判で厳しく批判した検察捜査を逆に盾にとり、具体的に答えなかった。』(上記毎日新聞より抜粋)ということでは、話にならない。刑事裁判でもっとも良くないのは「一貫性のない主張」であり、その一貫性のない主張を繰り返せば、当然に発言の信用性がなくなるのである。検察を信頼していないならば、記者会見は別にして、この4億円の原資に関してもしっかりと答えればよいことではないのか。答えることができないのは「隠したいことがある」という話になる。この辺が、小沢被告のもっとも訴訟に弱い部分である。
 そして、これらを通してわかることは、小沢被告が、自らの訴訟を「政治パフォーマンス」にしてしまっていることである。しかし、司法批判をするならば、立法府の代議員なのだから、議員立法で司法改革を出せばよい。憲法に定められた「司法の独立」を「議会制民主主義」と絡めて話すことそのものが大きな問題だ。民主党得意の「推定無罪」を主張することは需要なのかも知れない。しかし、それならば、他の公務員が逮捕された時点で懲戒免職にするなど、民主党そのものの行動にも大きな矛盾点がある。有罪が確定するまで、他の公務員も保護すればよい。要するに小沢一郎被告だけを特別扱いするトン長そのものに大きな問題があるということを、民主党議員も小沢被告地震もそしてその擁護者や支援者も気づいていない。そして、その小沢被告だけを特別扱いする論調が、上記のような冷静な訴訟対応を難しくし、訴訟を政治パフォーマンスのひとつとしてしまい、そして、結局、政治家の疑獄事件にありがちな「疑惑のまま有罪になる」状況になってしまう。これは支援者や民主党議員に大きな責任があるのではないか。国会議員として、推定無罪の国民的啓蒙をしっかりと行い、その上で、冷静な訴訟対応を呼びかけることをしないのは、違和感しかないのである。
 小沢一郎被告の訴訟の行方は、当然に、政治的、社会的、司法制度的に大きな影響がある。その影響に関しては、徐々にこれから書いてゆくことになる。しかし、裁判は純粋に法律的な手続きであり、政治的なまたは感情的な手続きではない。このような感情的政治的な介入を行うマスコミ、そして支援者はすべて排除して物事を考えなければならないのではないか。政治だけでなく司法までパフォーマンスにしてしまうのでは、日本がおかしくなってしまうのだ。

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マスコミ批判に関する一考(64) 社説の比較に見る小沢初公判

マスコミ批判に関する一考(64) 社説の比較に見る小沢初公判

 今日は、私が語るよりも、三社の社説を読んで皆さんで感じていただいたほうが良いのではないか。そう思っている。そのために、新聞記事の後ろには今日は私は何も書かないことにする。ちょうど今日は休日でもあるので、ちょっと時間を割いてこの問題に対して少し考えていただきたい。
 先週木曜日、小沢一郎民主党元代表をめぐる政治資金規正法違反(虚偽記載)に関する初公判が行われた。そもそも、この初公判に関して言えば、後半に来るまでの期間の紆余曲折はかなり大きなものであったであろう。単純に昨年2月4日に不起訴になった。1月14日の夜に、石川知裕元秘書(衆議院議員)が逮捕された。その前年の3月3日に、陸山会に対して強制捜査が行われ、夏に西松建設との間の不可解な金の流れに関して大久保隆則元秘書が有罪となった、その同じ資料から今度は世田谷の土地をめぐる資金の不透明な部分に対して、捜査が継続され、石川元秘書、池田元秘書の逮捕、大久保秘書の再逮捕になったのである。しかし、逮捕は起訴と違う。そこで拘留期限までに小沢元代表が起訴されるか否かで大きな話題を呼んだ。その結果逮捕された三名の元秘書は起訴されたものの、小沢元代表は嫌疑不十分で不起訴となった。しかし、検察審査会の二回の議決によって起訴総統と出され、法の規定に従って起訴されることになったのである。
 そもそも、この検察審査会の判断そのものがおかしいということを小沢側は主張する。「法律のプロが不起訴としたのに、一般人の判断で起訴されるのはおかしい」という。しかし、逆に言えば、「法律のプロである検察」を、その下の根も乾かないうちに「不信」と言い切るのであるから、小沢自身が大きな自己矛盾を抱えている。検察不信ならば、「不起訴の判断」も不振であって当然だ。自己都合で都合の良いものは「プロ」とし、都合の悪いものは「不信」とするのは、世の中では通る話ではない。
 次に、社説の中にもあるが「議会制民主主義に対する侵害」としている点だ。この論理を貫けば、国会議員は何をやっても無罪であるということになる。そもそも政治資金規正法自体を国会議員が作った規範だ。自分で作ったルールを自分で遵守することができないで、「議会制民主主義」などといわないでもらいたいものだ。議会制民主主義とは、国民の代表である代議員が国民のためにほうき判を作るものであり、自分の犯罪の言い訳をするための道具ではない。単純に議会を盾にした法廷闘争などは認められない。そもそも日本国は憲法によって三権分立を行っており、司法は立法、行政から独立しているのであるから、司法がそのようなことを気にする必要もなく、独自の良心に従って判断をすればよいし、その判断は、法廷に出された証拠(状況証拠や証言を含む)をもって総合的に判断されれば良いことである。この発言は三権分立を完全に否定し、日本の憲法の根幹を揺るがす独裁者の施行を出したものとして、後世に大きな汚点を残すものとなるであろうし、この発言そのもに負けたとなれば日本はもはや法治国家とは呼べなくなる状態に置かれてしまうのではないか。
 この訴訟は、当然に『司法』『社会』『政治』の影響を考えなければならない。その全てを網羅した社説がないのは、日本のマスコミとして非常に残念なことだ。短い言葉でこれらをしっかりと解説できる論説委員がいないということは、日本のマスメディアの凋落を見るものである。この辺のことは後日に話すとして、今日はマスメディアに関する批判であるために、言論者として、上記のような三権分立の危機や、司法制度への挑戦的な発言は厳しく糾弾されるべきである。毎日新聞の社説のように「審議されるべき」などというものではなく、積極的に、これらの発言に対する『説明責任』を追及する姿勢がないのは残念である。
 もちろん、小沢元代表のような政治家に対する司法の影響は大きい。田中角栄のロッキード事件などもすべてそうであるが、政治権力に対する司法の介入は慎重であるべきと考える。しかし、とはいえ事件を風化または見過ごしてはならない。
 最後になるがメディアは、逆にこの初公判を見て「不起訴とした検察」に言及すべきではないのか。検察不信は、逆にここまで疑惑に残る事件を不起訴とした検察の判断を問題視する声が上がらないのはなぜなのか。『公権力の介入』などという小沢サイドの意見ばかりを出すのではなく、また、結果的に初公判になったから不問に付すのではなく、逆な意味での検察不信をしっかりと展開すべきであり、それが中立の道ではないのかと思う。

小沢氏初公判―雄弁の後に残る不審

 「法廷で真実を述べる」。そう言って国会での説明を拒んできた民主党元代表・小沢一郎被告の刑事裁判が始まった。
 約束の場で小沢氏は何を語るか。罪状認否に注目したが、見事な肩すかしとなった。
 氏は無罪を訴え、激烈な検察批判を展開した。政治資金収支報告書に間違いや不適切な記載があった程度のことで捜査するのは、政治活動を阻害し、国民の主権を侵害する――と。
 収支報告書は、まさに主権者である国民が、政治家の動きを資金面から監視・批判する大切なよりどころである。問われたのは単年度の少額な記載ミスではない。法の精神と氏の認識との溝はあまりに深い。
 そして、社会の関心が集まる問題の土地購入資金4億円の原資には一切触れなかった。
 刑事被告人には黙秘権があるし、原資の解明は裁判の直接の争点になっていない。だが疑惑の核心はここにある。
 元秘書3人に有罪を言い渡した東京地裁判決は、捜査段階の小沢氏の供述の揺れと資金の流れを丁寧に検討したうえで、原資は手元にあった現金だという当時の氏の言い分を「信用できない」と退けている。
 小沢氏は初公判後に短い記者会見を開いたが、捜査や裁判所の批判にほぼ終始し、原資についても「私のお金です」と一言述べただけだった。このまま沈黙を貫く作戦だろう。
 国会でも、法廷でも、会見でも、しっかり説明しない。
 一方で、日本が混迷を抜け出すには「政党政治への国民の信頼を取り戻す以外にない」と唱える。同じ初公判での陳述だ。もちろん異論はない。ではそのために、責任ある政治家として自ら何をすべきか。よく考えてもらいたい。
 裁判の行方は、検察審査会の議決で強制起訴になったという経緯もあって、軽々しく予想できない。検察官役の弁護士は、細かなことも報告させ指示に従わせていた日ごろの秘書との関係や、銀行融資申込書に小沢氏が署名している事実などを踏まえ、氏もうその記載を承知していたと主張する方針だ。
 自白など犯罪事実に直接結びつく証拠がなくても、物証や証言から一定の事実を証明し、それらを積み上げて立証する手法は珍しくない。自白偏重の弊害を考えれば、むしろ時代の要請に見合うやり方ともいえる。要はその積み上げの過程が合理的で、納得できるかどうかだ。
 冷静な目で、来春の判決に向けた法廷での攻防の一つひとつを追っていきたい。

10月7日朝日新聞社説
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

小沢氏初公判 「4億円」の出所をどう語る(10月7日付・読売社説)

 長年、政界に影響力を及ぼしてきた民主党の小沢一郎元代表の政治生命を左右しかねない、注目の裁判が幕を開けた。
 自らの資金管理団体・陸山会の土地取引を巡る事件で政治資金規正法違反に問われた。
 小沢氏が用意した土地購入原資4億円を隠蔽するため、石川知裕衆院議員ら元秘書と共謀し、政治資金収支報告書に虚偽の記載を重ねた、というのが起訴内容だ。
 一般の市民で構成される検察審査会の議決に基づき、強制起訴された事件の初の裁判である。
 被告人となった小沢氏は法廷で、「直ちに裁判を打ち切るべきだ。罪に問われるいわれはない」と、全面無罪を主張した。
 この事件では、東京地裁の別の裁判官が元秘書らに有罪判決を言い渡したばかりだ。裁判の焦点は、検察が「起訴するには証拠が足りない」と判断した、小沢氏と元秘書の共謀を、検察官役の指定弁護士が立証できるかどうかだ。
 小沢氏がこの日、意見陳述で展開した一方的な検察批判には、首をかしげざるを得ない。
 まず、自らの政治資金疑惑が捜査されたことについて、「国民の負託を受けていない検察が、権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじった」と言い切った点だ。
 選挙で選ばれた政治家に、検察は手を出すべきでない、という傲慢な主張ではないか。
 小沢氏は捜査中から検察批判を繰り返し、検察が嫌疑不十分で不起訴とすると、「公平公正な捜査の結果」と態度を一転させた。被告席についた途端、再び検察に批判の矛先を向けるのは、ご都合主義以外の何ものでもなかろう。
 「収支報告書の不適切な記載は自主的な修正が原則で、検察が捜査すれば、自由な政治活動が阻害される」との発言も疑問だ。
 政治活動が国民の不断の監視の下で公正に行われるよう、政治資金の流れを公開するのが政治資金規正法の趣旨である。順守されていない疑惑があれば、司法が解明を目指すのは当然だろう。
 現に先の地裁判決は、元秘書らの違法行為を認定した上で、「規正法の趣旨にもとる悪質な犯行」と断じている。
 政治資金の透明化と規制の厳格化を目指し、国会で改正が重ねられた経緯も忘れてはなるまい。
 小沢氏が、説明を変遷させてきた土地購入原資の4億円の出所について、法廷でどう語るかが注目される。裁判とは別に、国会の場などで政治家としての説明責任を果たすことも改めて求めたい。

(2011年10月7日01時30分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20111006-OYT1T01373.htm

社説:小沢元代表初公判 冷静に審理を尽くせ

 民主党の小沢一郎元代表が「罪に問われる理由はない」「裁判を打ち切るべきだ」と無罪を主張した。資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反事件の初公判だ。
 04年に東京都世田谷区の土地を陸山会が購入した際の金銭の出入りに絡み、元秘書らと共謀して政治資金収支報告書にうその記載をしたとして刑事責任を問われた。
 検察が不起訴としたのに対し、市民から選ばれた検察審査会が2回の審査を経て「起訴すべきだ」との結論を出した。政治家が強制起訴された初めてのケースでもある。
 強制起訴という新制度の下での公判だが、刑事裁判のルールに基づくのは当然だ。元代表の有罪を立証する責任は検察官役の指定弁護士にある。元代表には黙秘権があり、個々の質問に証言を拒むこともできる。
 それを前提とした上で、元代表には公判の場で正面から証言することを期待したい。透明であるべき政治資金について国民の不信感を招いたのは間違いないからだ。
 元代表は初公判で、激烈な検察批判を展開した。その後の記者会見でも、事実関係を問う質問に正面から答えなかったが、法廷では証拠に基づいた冷静な攻防こそ望まれる。
 土地購入のために元代表が提供した4億円の原資にまず注目したい。元秘書3人の公判では、土地取引を巡る資金操作の不自然さが「隠蔽(いんぺい)工作」とみなされ、有罪の根拠となった。元代表の4億円提供はその出発点だ。東京地裁は3人の判決で、4億円の原資について「元代表ですら、明快な説明ができていない」と、厳しく指摘した。
 元代表の弁護側は初公判で4億円の原資に言及せず、元代表は会見で「私のお金です」と言うにとどまった。銀行融資、相続遺産など元代表の原資の説明は変遷した。実際はどういう金なのか改めて聞きたい。
 先月の判決で、元秘書の大久保隆規被告は、西松建設の違法献金事件でも有罪を認定された。判決が指弾したのは、「天の声」を背景とした小沢事務所とゼネコンとの長年の癒着だ。今回の公判で裁かれるのは、元代表を巡る「政治とカネ」疑惑の一断面に過ぎないとも言える。
 1審とはいえ、元秘書3人の有罪認定は重い。少なくとも政治倫理審査会の場で、秘書を監督する政治家としての説明責任を果たすべきだと改めて指摘したい。
 国会の自浄力も問われる。公明党が一昨年、「秘書がやった」と言い逃れできないように、報告書の虚偽記載の際は議員の公民権を停止させる政治資金規正法改正案を国会に提出した経緯もある。さらに議論を深めてもらいたい。

10月7日 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111007k0000m070134000c.html

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(30) ああ華麗なる中国の調印式(4)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(30)
ああ華麗なる中国の調印式(4)

 先週は、多くの人が登壇したところまで解説したと思う。少し広めに作ってある舞台の上には、机と椅子があり、その後ろは広めに取ってあるのだ。そこに、呼び出したVIPが所狭しと並ぶ。その前でサインを行うのである。
 中国式の調印式は、その契約書のすべてのページに調印を行う。もちろん、そんなことは考えていないので各ページにサイン欄など存在しない。その空白の部分に4人がサインをしなければならないのである。これはこれでなかなか大変な作業である。大連スイスホテルの運営委託契約は本契約(基本契約)が108ページだ。このほかに設計に関するアドバイス契約や総支配人の雇用(出向)契約などが存在する。これらの契約をすべて含めれば、200ページを超える冊子だ。その全てにサインをしなければならないのである。そして、署名する人が4人いるということは、その冊子が4冊あるということである。その全てにサインをしなければならない。サインをするだけで30分を有に超える時間が経過するのである。
 その間、VIPはずっと後ろに立ってみている。当然にあまりマナーと態度の良くない中国人だ。はじめの5分くらいはおとなしくたっているが、そのうち身体が揺れ始める。そして、私語が始まる。

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TPPが再燃も国民にまったく説明もしない野田内閣

TPPが再燃も国民にまったく説明もしない野田内閣

 本来は土曜日であるから、なんとなく楽しい話題、政治とは関係のない話題を行うつもりであったが、今週はアップル社のスティーブ・ジョブズ氏の訃報があったことと、小沢一郎民主党元代表の初公判があったことなど、やはり新聞としてネタに困らない一週間であった。もちろん、私はジョブズ氏は知らない、というかあったことはない。昨日のブログでも書いたが、マックユーザーでもないのでそんなに語る資格はないのかもしれないが、逆に、私のようなまったく関係のない門外漢でも知っている「企業経営者」であり「文化人」の死は、それなりに影響がある。
 影響があるといえば、小沢一郎元民主党代表の初公判だ。しかし、これについては、来週くらいに少しやってみても良いのかもしれない。法律という支店と政治という視点そして社会という支店それ俺に論点が違い、その上で検察批判や司法制度、そして政治資金規正法という史上まれに見るざる法や贈収賄という法体系に関して、あえてもう一度考えなければならないのかもしれない。法律論上で言えば、なぜ「贈収賄」に「共謀共同正犯」が成立しないのか、あるいは成立させるための証拠審査が非常に強いのか。一般に企業はなぜ政治家に献金するのか、その献金は会社の利益を阻害するものでありながら、献金しながらその献金が株主代表訴訟にならないのはなぜか。そのように考えてゆくと「実質論と建前論」のハザマが大きく作用していることがわかる。その中において政治資金規正法がニッチ的な役割になっているのであるが、その辺は、何しろ政治家じかが自分を規制する法律を作っているのだから、「まれに見るざる法」で当然なのかもしれない。本来ならば、このような法律にこそ検察審査会のように一般人の審査を必要とするのではないだろうか。
 さて、このような事件が起きている間に、野田内閣は、やりたいことを隠れてこそこそと一般の人に見えないようにやっているのである。単純に考えて、地方合同庁舎の立替は、朝霞や法案長の公務員住宅と並んで無駄と判断され、なおかつ政権交代直後の鳩山首相は「この中止と公務員改革こそ一丁目一番地」と発言していたはずである。それにもかかわらず、野田内閣は、そのようなことを三次補正予算になんとなく入れていたりする。自民党が大きな問題にすべきであるが、今の谷垣・石原執行部では甘利期待もできない。復興の陰に隠れて、公務員のための予算が数百億円使われ、その分を増税させられるという状態になるのである。
 そればかりか、TPPという条約もその検討に入ったのである。そのTPPに関しては、下記の記事の通りだ。

鉢呂前経産相、民主党TPPチームの座長に

 民主党は3日、環太平洋経済連携協定(TPP)に関するプロジェクトチーム(PT)の座長に鉢呂吉雄前経済産業相を充てる方針を固めた。
 同チームの名称は「経済連携と農業再生に関するPT」とする。鉢呂氏は、東京電力福島第一原子力発電所事故の被災者への配慮を欠く言動で、TPPを担当する経産相を9月に引責辞任した。ただ、鉢呂氏は農協出身でTPPの課題を熟知していることから、TPP参加に反対する農協との調整役を期待しての起用とみられる。

(2011年10月4日10時32分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111004-OYT1T00310.htm

TPP参加問題 戦略会議で議論も見えぬ道筋

 藤村修官房長官は5日の記者会見で、政府の経済財政運営の司令塔となる「国家戦略会議」(仮称)の初会合を来週中にも開き、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉参加問題の議論を本格化させると表明した。11月中旬に米ハワイで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議までの決着を目指すが、民主党だけでなく政権内にも東日本大震災や原発事故で打撃を受けた農業に追い打ちをかけると反対論も強く、参加表明への道筋は見えない。(加納宏幸)
 野田佳彦首相は5日の衆院東日本大震災復興特別委員会の集中審議で「さまざまな論点、観点をしっかり議論しながら結論を出す」と明言した。首相は9月の所信表明演説で「世界経済の成長を取り込む」と述べるなど、TPP参加に前向きな姿勢を示している。
 藤村氏も5日の会見で「経済成長の大きな柱の中にTPP問題が入る。新しい会議体(戦略会議)最初のテーマとして進めていく」と語った。
 戦略会議は首相、古川元久国家戦略担当相、枝野幸男経済産業相らのほか、参加に消極的とされる鹿野道彦農水相も参加する見通しだ。古川氏はTPP参加に積極的な前原誠司政調会長を戦略会議に加える構想を示しているが、藤村氏は「党とよく連携をとるが、政府は政府でやるべき問題をやる」と否定した。
 政府側は戦略会議、民主党は政策調査会に設置される「経済連携プロジェクトチーム(PT)」(座長・鉢呂吉雄前経産相)で意見集約し、最終的に政権の最高意思決定機関「政府・民主三役会議」で方針を決めることにしている。
 民主党内では山田正彦元農水相ら反対派が活動を再開させており、参加実現のハードルは高い。国民新党の亀井静香代表も5日の記者会見で「TPP参加は絶対にできない。自由貿易が即関税ゼロとは直結しない。入(はい)れないということでまとまるんじゃないか」と述べた。
 首相は先月の日米首脳会談でオバマ米大統領からTPP参加を求められたが、政府・与党内に積極論と慎重論が混在するなかで、意見集約に手間取ることも予想される。
 首相がAPEC首脳会議前に明確な方針を打ち出すことができなければ、参加の是非でぶれ続けて国際的な信用を失った菅政権の二の舞いになる可能性がある。

2011.10.5 22:55 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111005/plc11100522560015-n2.htm

TPP早期参加に黄信号 反対派7カ月ぶり活動再開

 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加に反対する民主党議員中心の「TPPを慎重に考える会」(会長・山田正彦元農水相)が4日、7カ月ぶりに活動を再開した。野田佳彦首相は11月中旬のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議までに結論を出す意向を固めているが、反対派は強硬姿勢を崩しておらず、APEC前の決定に黄信号がともった。
 国会内で開かれた勉強会には民主党や社民党議員ら約50人が参加した。昨年10月の初会合では約110人が参加しており、勢いの衰えは否めないが、農業関係者ら約150人も加わり、会場はさながら糾弾集会と化した。
 TPP交渉は現在米国など9カ国がテーブルに着いているが、関税項目の設定など具体的なルール設定については「部外者」の日本に詳細を開示していない。
 このため、外務、経済産業、農水の各省幹部が参加交渉の現状などを説明しても「どういう内容なのか何ら分かっていないじゃないか」(山田氏)と怒りの声が収まらない。原口一博元総務相は「もう答えは出ている。こんなむちゃはやらせない!」と声を荒らげた。
 首相は先月21日の日米首脳会談でオバマ米大統領にTPPへの早期の参加を強く迫られたこともあり参加に意欲を示す。
 これを受け民主党は4日、TPPに関するプロジェクトチーム設置を正式に決めた。座長に鉢呂吉雄前経済産業相が就任。前原誠司政調会長は記者会見で「今週中にも1回目をキックオフしたい」と意見集約を急ぐ考えを示した。
 一方、首相は4日、全国農業協同組合中央会(JA全中)の萬歳章会長らと官邸で面会。萬歳氏が「TPPは日本の農業を壊滅させる」と参加しないよう求めたが、首相は「いろんな皆さんの声を聞いて判断したい」と述べただけだった。

2011.10.5 07:07 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111005/stt11100507080001-n1.htm

 条約を行うということは、当然にメリットがある。しかしメリットがあれば当然にデメリットも存在する。TPPに関して言えば、日本のある業界にはメリットがあり、逆に他の業界にとってはメリットが存在しないということになる。上記の新聞記事によると、農業分野ばかりのようであるが、実際はそうではない。雇用や公共事業などもすべて開放され競争入札されるということになるのであるから、その部分に関しては、しっかりとした情報公開が必要である。
 私は、基本的には反対の立場だ。しかし、世の中のエキセントリックに反対を叫ぶ人たちには賛成できない部分がある。なぜならば、日本国内にTPPに参加することによってメリットを受ける人がいるからである。そのためには、当然に国民的議論が必要であると考えられ、その国民的議論の中において、参加不参加を決めるべきである。当然にその場合は、情報の全てを公開すべきである。まさに国民投票のような話が必要になってくるのではないか。
 公共事業が海外に解放されるということは、東北の復興工事を中国や韓国の企業が行うこともありうるということである。東南アジアの企業がやれば、雪や寒さに対する耐性に対する知識が乏しいことが予想され、単純な価格などに関する比較ではできないはずである。そのようなしっかりとしたシュミレーションがなぜ行われないのか。要するに政府は、原子力発電所の事故のときと同じで、完全に情報を隠しながら議論を勝手に進めているということになる。まさに、上記に書いた公務員住宅や地方合同庁舎の立替のように、どさくさにまぎれて火事場泥棒的に既成事実を作る。左翼の裁判や中国の強引な占領政策と同じようなやり方なのである。私は、このような左翼や中国共産党の占領政策のような隠れて既成事実を作るやり方そのものに非常に強い嫌悪感を感じるのである。このような話は、まったく信じられない。情報を公開しシュミレーションをしろといっているだけなのに対して、なぜそれができないのか。そのようなことができないということそのものに、大きな問題が隠されている。そのように隠れて勝手に行うのが左翼政権の特徴であり、野田内閣の化けの皮がはがれた姿なのではないか。
 基本的に反対といえども、国民的議論があってその議論の中において賛成が多いならば、私はそれに従うのが国民の義務と思う。しかし、情報を隠して議論をしても何の意味もない。それならば、しっかりとした議論をすべきではないのか。情報も公開できない、議論もできない条約などに参加はできない。これは国民が大きくNOを突きつけなければならないのではないか。

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コンピューターの一時代を作った巨星

コンピューターの一時代を作った巨星

 今日は政治の話から少し離れて、単純に訃報をブログにしたい。
 アメリカアップル社のスティーブ・ジョブズ前CEOが亡くなったという。56歳であった。
 私はジョブズ氏に会ったことは当然ない。また、私自身マッキントッシュのコンピュターを使ったことはない。そもそもマッキントッシュという言い方をする人自体が少なくなったのではないか。
 私が小学生の頃、コンピューターが身近なものになったのは、何よりも「スペース・インベーダー」であった。日本国内のいたるところから100円玉がなくなるといった話は、当時テレビやラジオでも話題になったほどのことである。その当時はまだ立って行うものであり、なおかつ画面は白黒であった。コンピュータープログラムも「ベーシック」といわれるものや「C+」というものであり、コンピューターといっても甘利そのありがたみを感じなかった。次に出てきたのが、YMOだ。コンピューターという言い方ではなかったが、シンセサイザーという画期的な音楽の道具は、それまでの音楽シーンを一新した。今でこそシンセサイザーなどはそんなに珍しいものではないが、コンピューターサウンドをふんだんに盛り込んだ音楽は、日本発で世界を席巻するのに十分であった。また歌詞のない彼らの音楽はアジアだけでなくアメリカやヨーロッパでも大反響だった。現在のアニメソングよりもすごい人気であったかもしれない。
 小学生の頃であるから約30年前の話。コンピューターというのは夢の道具であり、われわれにとっては手に届かない高嶺の花であると思ったが、同時にコンピューターがあれば何でもできると思っていた時代であった。
 それから数年後、マッキントッシュという非常に使いやすい優れたコンピューターが生まれたのである。それまでベーシックとかMS-DOSというような英文で文字でプログラムを打ち込むというものではなく、現在のウインドウズのように、そして現在のマックのように、机の上の書類をマウスで動かすように、感覚的にコンピューターを操作できるというものであった。マッキントッシュがあれば、コンピューター世界は変わるということは「マック・ユートピア」というコンピューター神話が生まれるほどであった。
 それがウインドウズ3.1そして、IBMの正式採用によりマイクロソフト社がコンピューターの世界を席巻する。特に、通信技術を入れたインターネット(当時はパソコン通信といっていたが)の普及は、コンピューターのビジネスユーザーの絶大な人気を誇ることになり、メールでファイルをやり取りする今日の形式が生まれたのである。そのウインドウズ万能の世界の中でも、アップル・マッキントッシュコンピューターは独自の路線を行った。そしてI-MACが出てくることによって、音楽もしくは画像の編集、動画などの編集はアップル。そして文書作成などはウインドウズというような暗黙のすみわけができてきたのである。
 現在のアイフォンや、携帯型音楽プレーヤーなどは、すべてこのマッキントッシュコンピューターの特長を最大限に活かす内容ではなかったのか。そのような経営手腕を発揮したアップル社の前CEOの死去は、当然に世界に衝撃を与えたものと思うし、私自身、この政治ばかりのブログで取り上げるほどの衝撃であった。

米アップル社、スティーブ・ジョブズ前CEOの死去を発表

 米アップル社は5日、同社の創業者、スティーブ・ジョブズ前CEO(最高経営責任者)の死去を発表した。享年56歳。中国では中国新聞社が速報した。
 同社のオフィシャルサイトでは、同氏の死を惜しみ、「アップル社は、先見の明のある、独創的な才能を持つ、素晴らしい人物を失いました。幸運にも彼と知り合い、仕事をした私たちは、親愛なる友であり、士気を高めてくれる指導者を失いました。彼が自分で作った会社を去っても、彼の精神は永遠にわが社の礎(いしずえ)になるでしょう」と表明した。
 ジョブズ氏は、2004年に膵臓がんにより半年間休職し、その後職場復帰した。しかし、2011年4月から再び病気により休職し、同年8月には「アップルのCEOとしての義務と期待に応えられなくなった」として、CEOを辞任していた。(編集担当:青田三知)

2011年10月6日(木)9時54分配信 サーチナ
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20111006-20111006_00004/1.htm

「狂おしいほど光栄だった」ゲイツ氏、友人悼む

 米アップルとともに、パソコンの大衆化に貢献した米マイクロソフト(MS)の創業者ビル・ゲイツ氏(55)は、「スティーブとともに歩めた我々は『狂おしいほどに(insanely)』光栄だった。スティーブを失ってものすごく悲しい」と、ジョブズ氏が好んで使った表現を引用した声明を発表し、30年来の友人で、経営者としては最大のライバルの死を悼んだ。

2011年10月6日(木)12時31分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/yomiuri-20111006-00414/1.htm

 マイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツ氏の最大のライバルであって30年来の友達という関係の人の「狂おしいほどに光栄」という言葉は、非常に重い言葉ではないのか。
 私から見てジョブズ氏は、自分の先見性とかそういうものではない。自分の使いやすいもの、そして感覚的に良いと思うものを、そのまま形にする能力があった人だと思う。その上で、その能力の中にある人が、多くの人に受け入れられる者を作った。その受け入れられる中には、すべてのことに総花的に行うのではなく、自分の得意分野を特化して形にしてゆく。核になるところに、人間性を持った形を突くつと言うことに長けていた人ではないのか。まさにそのものの発想である。
 日本でもそうであるが学者は、必ず専門的なことを難しく言う人がいる。中にはなんでもないことを輪後難しく言うような人もいるくらいだ(誰とは言わないが)。そのような人は、なんとなく議論を混ぜ返しそれなりの話しをしているように見えるが、結局形になるものは何もない、心に残るものはないもない人物になってしまうのである。それに対して、ジョブズ氏のような人は、難しい技術を誰デモが使え、理解できる簡単なものにする技術、単純化することができる技術の持ち主であったといえよう。そして、そのことは、「すべての偉大なものは、すべて単純である」という言葉の通り、誰でもが理解できながら、誰も真似できないという偉大さを兼ね備えていたのではないか。そして、その中に、音楽や映像といった、「感覚に訴える遊び心」が残されていたのではないかと思う。
 彼の行ったもので評価されることは、その部分難しい技術を簡単に誰でも使えるようにしたことと、人間の感覚的なところにしっかりと訴えたことではないのか。コンピューターがどんなに発達しても、それを使うのは人間である。人間に訴えるものがなければ何もならない。そして、それは誰でもが理解できる単純なものではなければならない。まさにそのものではないのか。これはコンピューターの中で必要なことではなく、政治も経済もすべての分野において必要なことであると思うし、彼はそれを実践した数少ない世界の経営者の一人であると思う。
 外国の方にこのような言い方が適当かどうかはわからないが、ご冥福をお祈りします。

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平成日本版プロレタリア革命の終焉の始まり

平成日本版プロレタリア革命の終焉の始まり

 私は、一昨年の政権交代以降、この政権交代の意味を問われたときに「プロレタリア革命が起きた」と主張するようにしている。詳細に言えば、旧ロシアにおけるロシア革命のように武力による内戦革命ではない。ある意味イギリスのピューリタン革命のような革命の方式ではあるが、しかし、その内容は単純に日本のプロレタリアートによる革命であるということに他ならない。逆に言えば、民主党に当方した人は、平成日本のプロレタリアートに他ならないのではないか。
 と、講演でも行っているしこのブログにもそのような記載をした覚えがある(昔なので少々忘れているため詳しい書き方は忘れた)。しかし、大学受験のときに世界史を学んだ人にとっては、この辺は得意かもしれないが、歴史が嫌いだった人や歴史を詳しく学ばなかった人には「プロレタリア革命」といってもなんだかわからない。
 そこで、例によってウィキペディアから該当の項目を抜き出して見たい。この項目は短いので、全文掲載しよう。
<以下ウィキペディアから引用>
プロレタリア革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プロレタリア革命とは、プロレタリアートがブルジョワジーの国家を打倒し、プロレタリアート独裁を樹立し、ブルジョワジーの所有を公的所有に移すことにより、資本主義社会から社会主義社会への道を切り開くことを目的とした革命。
歴史的には、1871年のパリ・コミューンが短期間に終わったものの最初のプロレタリア革命である。
帝国主義時代にはいり、第一次世界大戦が1917年のロシア革命を生み出した。1919年にコミンテルンが結成され、プロレタリア革命の波を西欧へと拡大する試みがなされたが、ハンガリーの短期間に終わった革命をのぞいて西欧諸国での革命は成功せず、ソ連は孤立を余儀なくされ、やがて一国社会主義論を掲げるスターリン主義が台頭することとなる。
<ここまでウィキペディアより引用>
 さて、プロレタリアート(貧困層)がブルジョワジー(貴族・特権階級・資本家)の国家を倒し、社会主義国家への道を切り開くことを目的とした革命、とあるが、まさにそのものではないのか。
 歴史は何でも教えてくれるのであるが、このプロレタリアート革命、革命終了後はいわゆる「内ゲバ」ソ連の場合は「粛清」になるのである。日本版の「内ゲバ」「粛清」は何なのか。そのひとつの話が次の新聞記事である。

路に立つ連合 民主党とじわり距離 内部の軋轢も表面化

 民主党最大の支持団体であり、政権交代の立役者である連合(日本労働組合総連合会)の定期大会が4日、東京・丸の内の東京国際フォーラムで始まった。民主党の凋落傾向を受け、古賀伸明会長の表情はいつになく厳しく、採択された平成24~25年度の活動方針では「今後の政治方針の見直し」に言及した。民主党に最後通牒を突き付けたに等しい。東京電力福島第1原発事故をきっかけに連合内では、官公労を中心とした旧総評(日本労働組合総評議会)系と、民間労組がベースの旧同盟(全日本労働総同盟)系の軋轢も表面化する。11月に結成22年を迎える連合は岐路に立った。(桑原雄尚)
 「政権交代の原動力である皆さまの評価を十分得るに至っておらず責任をひしひしと感じている。引き続き心を合わせて力を合わせて…」
 大会冒頭、野田佳彦首相はひたすら低姿勢に今後の連携強化を求めたが、古賀氏のあいさつは辛辣だった。
 「鳩山、菅両政権は首相の指導力が課題とされ、思慮を欠いた発言で政局の混乱に引きずられ、国政の停滞を招き機能しない政治が続いた。率直に落胆と失望を感じた…」
 連合が掲げてきた「政権交代可能な二大政党制の実現」という政治方針についても「連合の理念、政治の実現のために政治の関わり方も検証しなければいけない」と見直しに言及。首相には「民主党政権再生へのラストチャンスだ」との言葉を浴びせた。
 2年前の衆院選でフルパワーで民主党を支援した連合だが、政権交代後は煮え湯を飲まされ続けた。労働者派遣法改正や雇用創出など連合が求めてきた多くの政策はなお実現していない。
 3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故への対応はその怒りを増幅させた。多数の企業・従業員が被災したにもかかわらず政府の動きは鈍く、原発事故を受け菅直人前首相は場当たり的に「脱原発」にかじを切った。
 エネルギー政策の“揺らぎ”は、自動車総連など産業系労組を怒らせたばかりか、連合内の確執を表面化させた。
 連合はこれまで旧同盟系の電力系労組に配慮し「原発推進」を掲げてきたが、事故後は旧総評系が勢いを増し、連合は5月の中央執行委員会で原発推進方針を凍結し「脱原発依存」にかじを切った。電力系労組は「性急すぎる」と収まらず、電力の安定供給が生命線となる製造業系労組も不満を募らせる。
 古賀氏が大会で「中長期的に原子力への依存度を低減させ、最終的には原子力に依存しない社会を作る」としながらも「脱原発や原発推進という二項対立の議論を行うべきではない」と断じたのは、民主党にこれ以上振り回されれば、連合が存亡の危機に瀕すると考えたからだろう。
 古賀氏ら連合幹部は9月5日、政権交代後初めて山口那津男代表ら公明党幹部と会談し、「政治の混乱が長期化するのは好ましくない」との認識で一致した。連合と縁が薄い野田首相の就任を機に民主党と距離を置き、この先の政界再編を見据えて先手を打つ。そんなしたたかな思惑が見え隠れする。

2011.10.4 23:40  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111004/stt11100423420013-n3.htm

 粛清のひとつは、小沢一郎元代表だ。菅政権の時の「脱小沢」は、まさに政治生命を絶つための標語である。まさに内ゲバが表面化し、日本ではその単語が流行語大賞にえらばれるのであるから、平和のきわみであろう。
 一方内ゲバはまさにこの連合の態度でわかる。選挙において連合や日教組といった労働組合と連携をとった民主党。しかし、政権を執ってみると景気全体のことはやはり資本家でなければならない。菅直人前首相は昨年の代表選挙のときに「一に雇用二に雇用」と叫んでいたが、実際に雇用を行う主体は企業である。その企業を生かす政策がなければ、雇用を安定化させることはできない。しかし、労働組合は、労働者の権利を主張するのことが重要であり、雇用条件の改善が彼らの使命だ。しかし、そのためには、企業を残さなければならない。そのためには企業の論理を優先しなければならない。権利の主張だけでは、結局失業者が増えてしまうのである。
 当たり前の話なのであるが、その当たり前の話が通用しないのである。当然にうまくいくはずがない。民主党政権になれば労働者の権利が改善するとする労働組合側と、それでは日本経済全体がおかしくなってしまうので、そればかりを優先できない。しかし、色よいことを行ってしまった上、4年で実現するとしているのでるあら、なかなか待ってはくれない。労働組伊からすれば「裏切られた」「利用された」ということになる。それどころか、一考に改善しない失業率は、組合の組織率をも下げ、彼らのマイナスにしかならないのである。
 「政権をとるため」といったことを行っていたが、そのための、嘘がこのようになってから矛盾をきたしている。しかし、それはどちらが悪いというものではなく、双方が問題なのである。そろそろ、民主党の嘘の体質と、連合の権利を主張するだけの体質そのものが日本にとって大きな問題であるということに気づかないのであろうか。

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諸悪の現況である菅前首相のお気楽余生と検察不信

諸悪の現況である菅前首相のお気楽余生と検察不信

 菅直人前首相といって、良い印象を持っている人は少ないのではないか。実際に、この人物のおかげで、どれくらいの国益が損なわれたのであろうか。
 菅内閣の行ってきたことを考えると、日本の国益にかなったことは何一つしていないことに気づく。まず、私がこだわっているのは、憲法の三権分立の否定。そもそも、これは政治家というよりは日本人として考え方がおかしいとしか言いようがない。それどころか、このようなものに議席を与えた選挙区の人々にまで、人格を疑う。はっきり言って、まず小学校の社会科から勉強しなおすべきである。なぜ彼がこのような思想になったのか、菅野との「大臣」という著書を読んでみたのであるが、はっきり言って、物事の考え方がおかしい。論理的思考になっているところと、現実的な思考になっているところがあいまいで、まったく話にならない。単純に「自分の結論に持ってゆくためには、前提条件や論理構成や案談基準まですべて変えてしまう人」というイメージしか持たなかった。人間誰しもそのような部分を持ち合わせているのであるが、そのレベルがあまりにもひどい場合は、やはり日本人として社会生活を送ることに問題が生じる。まさにそのものである。このブログは、あまり書評をやらないので、新刊本とかではなく、このような本の書評をやってみるのも面白いかもしれない。
 このほかにも尖閣諸島問題、竹島問題という領土問題での「恥さらし」な行動。国際的な恥をさらしてもなんとも思わない図太い神経だけが目立った。鳩山政権以降懸案であった普天間基地の問題などはまったく前に進むこともなく放置された。また、北朝鮮の拉致問題や核問題などに関しては、菅直人前首相自身、拉致対策本部の本部長でありながら、拉致実行犯と関係のある団体との不可解な金の流れが指摘されている。この私的に関しては下記の新聞記事のところで詳しく行うことになる。
 その上で、震災の対応である。要するに「何もしない」ということを行ったのである。法律用語でいうと「不作為の作為」という。目の前に怪我をした人がいて、手当てをすれば助かるかもしれないのに、放置した場合「保護責任者遺棄致死」という刑法罪になるのであるが、菅前首相は、東北地区という全体でまさに「保護責任者遺棄致死」を約2万人分行ったのである。そればかりか、その保護責任者はいまだに多くなっており震災から7ヶ月経つ現在も、避難所で暮らしている人がいるという。7ヶ月も避難所で暮らす人の思いはどのようなものであろうか。
 その「諸悪の根源」といえる人が四国をお遍路で回っているという。はっきり言う、お遍路で回るくらいならば、その足で、被災地をすべて回ればよいのだ。そもそも、遍路とは、神道で言う「根の国」へ向かうための修行ということが言われており、それが徐々に変化し仏教における「補陀落浄土に至るための修行」として、海辺の辺地の修行として行うこととしている。要するに、ある意味では他人のために行うものであるが、ある意味では自分の修行の意味合いもあるものだ。それも、「辺地」での修行であるということは、代々敵意マスコミに発表して「再開」するようなものではない。そもそも、何かを間違えている行動としか思えない。このようなところも、完全にパフォーマンスの人でしかなく、本当に被災地や日本の国民のことを思って行動している人ではないということが明らかなのではないか。
 よくまあ、このようなお気楽な人を首相として1年以上も日本国民は耐えたと思う。菅直人前首相自身が修行をするのではなく、この菅内閣の間日本人全体が修行をさせられたのではないか。

菅前首相を不起訴 外国人献金「嫌疑なし」

 菅直人前首相の資金管理団体「草志会」(東京都武蔵野市)が、在日韓国人系金融機関の元男性理事から献金を受けていた問題で、東京地検特捜部は菅前首相に対する政治資金規正法違反罪での告発について不起訴処分(嫌疑なし)とした。処分は9月30日付。
 不起訴の理由を検察幹部は「故意を認める理由がない」などとしている。告発状は神奈川県の住民らが5月に提出していた。
 政治資金収支報告書によると、草志会は旧横浜商銀信用組合(横浜市、現中央商銀信用組合)の元非常勤理事の男性から、菅前首相が民主党代表代行だった平成18年9月に100万円、21年3月に2万円、同8月に1万円を受領。副総理兼国家戦略担当相だった同11月の1万円を合わせ、計104万円の献金を受けていた。
 告発状では献金のうち、18年9月の100万円は公訴時効(3年)を過ぎているため対象から除外。残る4万円について、規正法に違反するとしていた。
 菅前首相をめぐっては、草志会が、日本人拉致事件容疑者の長男が所属する政治団体「市民の党」の派生団体に6250万円を献金していた問題をめぐり、資金残高が帳簿上「マイナス」で寄付が不可能だったにも関わらず現金を支出したとして、規正法違反罪で告発されている。
 また、特捜部は内閣官房報償費(機密費)2億5千万円を目的外で使用したとして、詐欺と背任の罪で告発された自民党の河村建夫元官房長官についても不起訴処分とした。

産経新聞 10月3日(月)19時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111003-00000584-san-soci

菅前首相、四国八十八カ所お遍路再開

 民主党の菅直人前首相は、四国霊場八十八カ所を巡る「お遍路」を再開、3日は愛媛県今治市の57番札所「栄福寺」などを訪れた。「東日本大震災の犠牲者の慰霊や福島第1原発事故からの復旧への祈り」を込め、9月末に再開を決め、臨時国会閉幕後の今月2日に始めた。
 年金未加入問題で党代表を辞任した平成16年以来、「自分を見つめ直す」として始めた巡礼は今回で6度目。宿坊などに泊まりながら9日まで歩き続ける。
 「同行二人」と書かれたすげがさに白装束姿の菅氏は、政治の話題には遍路の禁止事項「不悪口」(ふあっく)を持ち出して「政局の話はあまりしない。どうしても悪口になってしまう。だからお遍路は良い」と述べた。

2011.10.3 17:50 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111003/stt11100317530009-n1.htm

 さて、上記のも少し触れた菅前首相と北朝鮮との不可解な金の流れについてである。この金の流れに関しては、すでにさまざまなところで報道されているので、ここで改めていう必要もない。ネットで「市民の党」とすれば、すぐに誰でも見ることができる。
 その不可解な事件に関して、東京地検特捜部は9月30日付で不起訴処分(嫌疑なし)とした。不起訴の理由を検察幹部は「故意を認める理由がない」などとしている。
 はっきり言う。陸山会事件ではないが、日本の司法は死んだのか。まさにそのように思う処分である。私は個人的に検察審査会による厳重なる審査を求めたい。そもそも、政治資金規正法違反はにおいて「故意を認める理由」なんてことをいう捜査機関がどこにあるのであろうか。政治が「日本国の政治」であるために、外国人からの献金をなくした。これは、当然に憲法の要請でもある。そしてその要請は、ある意味で身分法のごとき、その注意義務が政治家側にあるものであり、もちろん瞬間的に受けてしまっても、その内容をチェックして返金するなどの手続きが必要である。特別な公人であり、ある意味で政治資金規正法が政治家だけに適用される身分法である以上は、その特別な注意義務は政治家にあると解釈することは問題がないはずだ。要するに「義務違反」もしくは「重過失」であって、「故意」だけが構成要件ではないはずである。逆に、政治献金を受ける側が故意に外国人から献金を受けるのであれば、それはある意味で犯罪であるし、また、程度によっては恐喝になる可能性もある。「政治団体の献金の強要」という事実だけであれば、右翼政治結社の政治献金の強要も同じ構成要件になるのだ(もちろん社会的評価はかなり違うが)。
 このような状態でありながら、この事件を「故意がない」という処分をするというのは、まさに「司法が現在の政治権力に買収された」としか言いようがなく、まさに人事権を持つ官邸に、あるいは民主党本部に逆らえなかった東京地検特捜部の情けない姿が目に浮かぶ。そして、この時点で「日本の正義」は死んだのである。
 上記のように検察審査会において、良識ある判断を待つものである。諸悪の根源が自分の修行を自慢げに行っている姿など見たくはないのである。

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小沢一郎秘書三名有罪と「民意に答えろ」の声

小沢一郎秘書三名有罪と「民意に答えろ」の声

 小沢一郎の秘書三名、石川、池田、大久保の三名の被告に有罪を言い渡されてから1週間たつ。この間に三名をはじめとした集団および、小沢一郎議員を中心とした政治的な影響力に関してさまざまな報道がなされた。
 さて、その報道は完全に二つに割れたといっても過言ではないであろう。単純に言って「小沢擁護」という立場の評論と「有罪で当然」という評論の二つ立場だ。
 小沢擁護というものは、何をしても徹底的に小沢擁護である。その論点は大体
 ・ 小沢が社会的な改革を行おうとしたので官僚の抵抗にあった
 ・ 国家的な陰謀である(司法による政治権力への介入だ)
 ・ 証拠がないのに有罪なのはおかしい
 ・ 検察の捜査そのものが違法だ
 といったものだ。そしてその内容の根拠の中に「小沢一郎を起訴できなかったのに、有罪判決が出ることに違和感がある」というような論調になっている。
 一方「有罪で当然」という論調のほうは
 ・ 第三者の承認が金を渡したというのだから当然
 ・ 秘書が有罪になったのであるから、当然に小沢も有罪である
 ・ 小沢の資金の出所がはっきりしていない、またその説明が二転三転している
 といったものである。
 上記を見てわかるように、裁判でありながら裁判的な主張のやり取りで擁護をしているのではない。「小沢一郎」というひとつの政治家の個性に対して、その個性に対して司法がどのように判断しているのかということが、これら擁護、反擁護論の主軸になっている。もちろん、「証拠がない」という話や「証言」というところは、訴訟的な話である。しかし、証拠がない訴訟などは星の数ほどある。状況証拠だけで積み重ねて、他の可能性を排除するような罪状がなければ、セクハラ裁判などはないはずだし、またそもそも疑獄事件で有名なロッキード事件も存在しなかったであろう。ロッキード事件は結局審査中に田中角栄元首相が亡くなるという結論があったが、実際操作も何もしていないのに、アメリカの議会でコーチャン氏が発言した内容だけで訴訟を行ったのである。今回の陸山会事件は、ロッキードに比べればはるかに証拠のそろった事件ということができる。
 私は、小沢一郎を擁護する気はまったくない。判決文を見る限りにおいて、
・ 政治資金規正法違反の事実がある(収支報告書・これは動かせない事実)
・ この不記載(虚偽記載)に関する説明が不十分だ
・ これに対して被告人側は、検察の操作に問題点があるとして無罪を主張
・ それ以外の被告人側の事実説明は釈然としない
・ この状態で水谷建設の会長から金銭の授受に関する証言があった。
・ 水谷建設の会長は証言だけでなく、そのときの喫茶店の領収書なども証拠として提出
・ これに対して、石川などは論理的、証拠的な反論をせず、検察の取調べの瑕疵と不信感を主張
 以上の状況で、証拠に対して何の反論もしていないのである。いくら社会的にどうこう言っても、検察不信を言っても、証拠に対してその証拠を打ち消す答弁をしていなければ話にならない。ひとりの信用できない検察官がいたとしても、その検察官が「改竄した」という証拠がなければ、話にならない。改竄と不信感を言うのであれば、検察の捜査した中の「被告人に都合の良い証拠」もすべて取り下げられるべきである。都合の良いところだけ採用し、そうでないところは不信感といっても話にならない。
 はっきり言って、この裁判は「陰謀」とか「検察不信」ではなく、石川被告側の完全なる戦術ミスでしかない。逆に言えば、戦術をミスしてしまうほどの、稚拙な証拠しか存在しないのではないか。それを、隠すために「陰謀論」などを持ち出すしかないのかもしれない。単純に言えば、そんな話を大事にしなくても、証拠が少ないならば、その証拠を打ち消す反論をすればよい。それを採用されなかったというならば、「陰謀」などといえるが、すべて採用され、検察側の証拠も採用されなかったのが多いのに限らず、状況証拠がそろうというのは、まさに大きな問題が被告人側にあったといわざるを得ない。単純に、訴訟に負けただけの話。その負けた話を単純に大事にして、誰かに責任転嫁しているかのようにしか思えないのである。

初公判控えた小沢元代表「政権交代のスケープゴートにされた」

 小沢一郎元民主党代表は2011年10月2日、ネットメディアと主権在民を考える会が主催した「第2回 小沢一郎元民主党代表vsフツーの市民」に出席した。小沢氏が公の場に姿を現すのは、自身の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で東京地裁が9月26日、元秘書3人に有罪判決を言い渡して以来、初めて。この模様はニコニコ生放送で中継された。
 6日に自身の初公判を迎えた小沢氏は、元秘書3人の有罪判決について「このあいだの判決は大変びっくりした」と語り、「なんの証拠もないのに裁判官が独断で推測に基づいて有罪に決めてしまうのは、民主主義国家では考えられない結果」だとした。
 またこの背景には、小沢氏自身が国を変えなければならないと強烈に思っているがために「既得権益を持っている方にはある意味で恐怖」になっていることがあるとし、「『あいつだけは許せない』という意識が働くんじゃないでしょうか」と述べた。
 さらに今年5月、「ウォール・ストリート・ジャーナル」誌のインタビューで、政治資金規正法違反事件に関する質問に「旧体制の弾圧だからしようがない」と答えていることについて問われると、「半世紀を経て新しい民主党政権というものができた。それはある側面から見るとひとつの権力闘争でもある」としたうえで、
「(自分は)ある意味で、政権交代のスケープゴート(いけにえ)にされたということ」
と語った。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]小沢氏の「スケープゴート」発言から視聴 - 会員登録が必要

2011年10月2日(日)18時10分配信 ニコニコニュース
http://live.nicovideo.jp/watch/lv65668274?po=newsnifty&ref=news#0:15:15

内閣支持減 小沢氏証人喚問86%「応じるべき」 共同通信世論調査

 共同通信が1、2両日実施した全国電話世論調査によると、野田内閣の支持率は54・6%で発足直後の前回調査より8・2ポイント下がった。不支持率は9・7ポイント増の27・8%だった。
 9月30日に発足した自民党新執行部に「期待する」と答えた人は32・1%にとどまり、「期待しない」の60・6%を大きく下回った。
 資金管理団体の収支報告書虚偽記入事件で元秘書3人に有罪判決が出た民主党の小沢一郎元代表の国会招致問題では「証人喚問に応じるべきだ」が86・0%に達した。「応じなくてよい」は11・6%。小沢氏は「議員辞職すべきだ」と答えた人も66・5%いた。
 民主党の支持率は27・1%で、自民の23・2%を上回った。他の政党支持率はみんなの党5・7%、公明党4・0%、共産党3・2%、社民党0・9%、国民新党0・4%、たちあがれ日本0・2%、新党改革0・2%、新党日本0・1%、支持政党なしが33・8%。

2011.10.2 20:09 共同通信
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111002/stt11100220100007-n1.htm

 さて、今度は小沢一郎氏である。
 小沢一郎元代表に関しては10月6日に初公判がある。この訴訟は当然に石川被告を含む三人の秘書の判決が参考になると考えられる。
 それだけでなく、小沢氏に関しては、この訴訟に関する国民からの説明責任を求める声が大きなものになる。今年の夏、台湾の李登輝元総統は違法な金銭のやり取りに関していきなり報道された。しかし、李登輝総統は、これらの報道に関して、「来年の総統選挙に関する陰謀である。民主主義がこのような陰謀に負けてよいのか」というように国民の前に積極的に出て演説をし、また国民との間で積極的に対話を行った。われわれ外国人がそのことを聞いても快く疑問に対して答えた。それはかなり具体的なものまで答えていただけたし、その内容は、よどみなくしっかりとした口調であった。そして、李登輝総統の場合は、それら国民の質問が終わった後、一段落して、これで疑問がなければ、これほど何でも話せるような明らかなことを、印象操作で新聞報道を行うのだ、というようにはなしをするのである。
 一方、小沢氏はどうであろうか。たとえば、上記にある記者会見も1週間も放置した後にはじめて語ったものである。なぜもっと国民に説明できないのか。すでに疑惑を持たれてから三年。その疑惑に関して、なぜ三年も放置し「陰謀だ」としか言わずに説明をしないのか。また、都合の悪い、悪意のある質問はなぜさえぎるのか。そのような質問に答えなければ国民を説得することなどはできない。もっと言えば、国民を説得することができない政治家が国会内で影響力を持つことはできないのではないか。
 この問題は、ひとつには当然に小沢一郎元代表祖その資金管理団体であり陸山会をめぐる金の流れをめぐる訴訟である。しかし、その中における真実の闘争は、小沢一郎という政治家の国民との対話がしっかりとできるかということであろう。逆に国民は、小沢一郎という政治家における「虚像」を思い知るひとつの大きなきっかけなのかもしれない。私自身、この事件の内容に関することをここでは論評しない。しかし、国民の前でしっかりとした説明を行わない政治家に対する糾弾は、かなり激しいものがある。国民を無視する政治家などはいない。それは自らに最も都合の割ることであっても、しっかりと答える政治家でなければならない。
 野田首相・菅前首相・前原政調会長などの外国人献金などに関しても、同様のことが言える。民主党はこれらのことの「説明責任」を果たすことができるのか。今後の政治の焦点のひとつになるのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(63) マスコミの財務省支配の構造

マスコミ批判に関する一考(63) マスコミの財務省支配の構造

 マスコミといえば、権力に立ち向かう権力の監視役という位置づけを期待している人が少なくない。よくテレビに出てくるジャーナリストを名乗るT氏などは、「権力に対抗するのがジャーナリストの役目」などという。実際に、そのようなことを言って偏向報道を行っている実態を自分で正当化しているのであるから、これらは悪質である。
 さて、このジャーナリストのT氏の発言の検証をしてみよう。まず、ジャーナリズムとは権力に対抗するものだという。T氏および、そのほかのメディアは、実際にそのようなことを言って「自民党政権」を徹底的に批判した。しかし、民主党の野党時代の「ねじれ国会」要するに安倍内閣のころから、突然に「官僚改革」ということを言い始めるようになる。
 そもそも、官僚主導という単語は、松下圭一法政大学教授以下新左翼系の人が良く使う言葉だ。実際に官僚主導などということがあり得るのは、官僚を使いこなせないバカな政治家が多いことが問題であり、その優秀でない政治家が「政治主導」を語ったところで、うまくいかないことは、この二年間の民主党政権の結果を見ていれば、よくわかる、もちろん、民主党政権の「政治主導」が史上まれに見る能力のない人間たちで行われたということもある。しかし、松下圭一氏は憲法の教授であるのに、憲法に記載のない「官僚」という役職をさも憲法の中の「内閣」要するに行政府の主役であるかのごとき単語を作り、自分の説の「市民政府」を行うために、法理論や現実をゆがめるというのは、とても法学者としてあるまじき内容である。同時に、その考えを、憲法もろくに勉強することもなく猛進し、政治を行うこと自体、これも政治家、もっと言えば立法府の代議員として役職の放棄であるとしか言いようがない。
 そのようなことはさておき、実際に官僚と内閣は一体である。一体であるというよりは、本来は憲法にあるとおりに、大臣や政務三役だけで何とかなるものではないのだから、その部分の事務処理を行うために、公務員法にある「全体奉仕者として」その業務を行うことは最も重要な内容であると言える。しかし、官僚も優秀であればある程、その分野における専門家になり、同時にその分野から見た全体像を語るようになり、そして自分の意見を言うようになる。中に邪な考え方をするようになれば、その業務を権限として事故の自由に対応し、その内容において工作をしたりするようになる。完全に憲法の規定にある「官吏」としての業務を逸脱した、勘違いした人が少なくないものも多い。
 しかし、それらはまさにT氏によるジャーナリズムが「権力に対抗する」べきことをしなければならない。しかし、そのジャーナリズムが財務省という全体の一部からしかものを見ることのできない官僚のいうことを、そのまま検証もせずに報道を行うようであれば、困ったものである。

朝日、読売を国税狙い撃ち「財務省には逆らえない」と幹部談

 財務省の強さ――それは国家の予算を握っていることだけでなく、情報収集力と組織の結束の強さこそ、官僚主導政治を根付かせてきた秘密だろう。財務官僚たちの影響下にあるのは民主党政権だけではない。彼らは政・官・司・財・報に幅広く支配の手を伸ばしている。
 政権交代をはさんだこの数年、財務省が最も力を入れてきたのが「第4の権力」であるメディアへの工作だった。
 財務省が本格的に増税に向けたメディア工作をスタートさせたのは、「消費税増税なしで財政再建できるとは考えられないし、安心できる社会保障制度も成り立たない」と消費税増税路線を鮮明にした福田康夫首相の頃とされ、世論工作の司令塔を長く務めてきたのが「財務省の天皇」の異名を持つ事務方トップの勝栄二郎・事務次官の直系とされる香川俊介・官房長だ。
 若手官僚を中心に組織された100人規模の政界工作部隊は、香川氏の指令ひとつでメディア工作部隊にも変身する。それをバックアップするメディア対策専門部隊もある。
 東京・竹橋の大手新聞社の本社に近いエスニック料理店は、財務官僚がベテラン記者や編集幹部、評論家などと勉強会を開く際によく使う店の一つだ。常連というベテラン記者の話である。
「飲食費はワリカン。財務官僚の守備範囲は財政政策だけではない。バックグラウンド・ブリーフィングといって、例えば『エリート教育について取材したいと考えている』といえば、調査課などから関連資料やデータを一式取り寄せた上で、霞が関での議論や問題点を非常にわかりやすく説明してくれる。ブレーンストーミングですね」
 それを自分でやるのが記者の本来の仕事のはずで、昔は、資料一式役所が用意した記事は「もらい記事」と呼ばれて恥とされた。だが、政策が嫌いな政治部記者や、不勉強で専門知識がない経済部記者は、財務官僚のサービスを有り難がって役所に頼りきりになる。
 メディア工作部隊の幹部には、キャリア官僚ながら玄人はだしの「手品」を演じる課長クラスや「腹話術」を得意芸とする審議官クラスもいて、記者たちを絡め取る。そして会合のたびに記者たちに、「野田さんはああ見えて政策にはかなり詳しいね」とささやくことで、大メディアに「政策通の政治家」と報じさせる。これぞ正真正銘の腹話術だ。
 だが、大メディアが増税必要論を一斉に報じるようになったのは、個々の記者への工作だけが理由ではない。財務省の報道機関工作の有力な武器となったのが、国税の税務調査である。
 朝日新聞は2009年2月に東京国税局の税務調査で京都総局のカラ出張による架空経費の計上など約5億1800万円の申告漏れを指摘され、東京、大阪、西部、名古屋の4本社編集局長と京都総局長を処分した。同年5月には、読売新聞東京本社も東京国税局の税務査察で推定2億7000万円の申告漏れを指摘されている。その前には日テレ、フジテレビ、NHKも申告漏れを指摘された。
 時系列でいえば、税務調査の後、読売は丹呉泰健・前財務事務次官を社外監査役に迎え、朝日も「増税礼賛」の論調を強めていく。
 有力紙の論説委員は、「メディアは常に税務当局に狙われている。経営上も財務省に逆らえない」と本音を明かす。

※週刊ポスト2011年10月7日号
2011年10月02日07時00分 提供:NEWSポストセブン
http://news.livedoor.com/article/detail/5905228/

 週刊誌の記事である。しかし、最近の増税礼讃の報道姿勢は、さすがにおかしいとしか言いようがない。他の方法などをまったく検証もせずにただ政府と財務省の言うままになっている。これがジャーナリストの姿なのかと思うと、さすがにおかしなものとしか言いようがない。
 単純に言って、大きな会社の場合氏の会社を維持するということにきゅうきゅうとしているようでは、話にならない。そのような状況だ。
 そのうえ、その内容が「民主党VS自民党」というような単純二元論の対立ばかりを報道し、本来ならばその陰に隠れている、実際に動かしている集団である財務省をそのままに放置してきていたのである。真実を知っていながら、その真実から目をそむけるような報道に終始し、そして真実の権力者、本来ならば憲法に規定のない人々に買収されて、その「犬」のように動く。これが現在の第マスコミの姿なのである。
 もうひとつ言えば、新聞の系列にテレビもラジオもある。メディアはたくさんあるように見えても、結局は大手5新聞の系列になってしまう。その異常さは海外からも指摘されていながら、一向に改善しない。情報を統制すすがわから考えれば、対象が少ない方がやりやすい。その実態がまさに財務省による買収である。
 このような報道を受けて、本来ならば新聞はしっかりとした声明を出さなければならないのではないか。それができないならば、財務省による報道内容の統制は今後も続く。本来ならば、財務省のこのような権限を制限しなければならないのではないか。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(29)
ああ華麗なる中国の調印式(3)

 先週は、話の流れから調印式ではなく、中国のテレビの話をしてしまった。マスコミというものに対する中国特有の考え方は、日本とは完全に違う。非常にアジア的というのか、日本も昔はそうであったのかもしれない。「見せる人」「見られる人」は、まさに身体そのものが商品だ。その商品をいかに使うかということが大きな問題になるのではないか。日本でも昔は芸能人のことを「かわら者」といっていた。これは歴史的に芝居小屋がかわらに多くあったということから由来する。戦国時代に始まった歌舞伎は、出雲阿国によって流行した「阿国歌舞伎」といわれる。日本の闇の歴史になるのでなんとも言えないが、一説には情報屋をかねていたのではないかといわれる。要するに踊りを店、武家や大名を魅了し、寝床をともにして情報を得る。その情報を売りながら各国諸国を流転するというのである。出雲阿国が実際にそうであったかどうかは不明だ。しかし、江戸時代に、女性による歌舞伎が「風紀を乱す」という理由で中止になったことを考えれば想像がつく。要するに、女性の歌舞伎は、踊り娘を売る商売の品評会になっていたのだ。風紀を乱すとして女性の歌舞伎を禁じられたので、歌舞伎は現在も男ばかりである。女性役もすべて男性が行うようになったのは、このような出来事に基づくものだ。
  このような文化が残念ながら日本にもあった。このような「風紀の乱れ」は、平和であればこそできるものである。しかし、平和であるということは、女性の権力を飛躍的に向上させ、そのために助成が事件を起こすようになる。大奥などは、まさにその女性の権力の象徴だ。また、その女性の権力が頂点に達し、男性が「買われる」ようになると、男性のときと違って事件になる。まさに、映画「大奥」などで取り上げられた「絵島事件」がそれである。
 一方、中国の場合は、完全にそのような内容にならなかった。日本のように「平和の中での人身売買の発展」ではなく、戦略的に有名人を売買する環境にある。その内容は、この後に、私たちはさまざまな経験をするようになる。そして、その経験の中において、各国の違いが別な意味で見えてくるようになるのである。

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日本人女性が狂っているといわれるのは、このような女がいるからか?

日本人女性が狂っているといわれるのは、このような女がいるからか?

 今週は土曜日が繰るんが待ち遠しかった。今日のこの記事を見て書きたいことがたくさんある。正直なところ言いたいことはたくさんあるのであるが、一応、自分の中で勝手に決めた基準で、政治でない話題、特に男女関係など砕けた話題に関してはなるべく土曜日に書こうと決めているからである。
 しかし、正直なところこの北原みのりという女性は何を考えてるやら。このような女性がいるから「日本の女性は・・・」といわれてしまうのではないか。今日は、まず、前半にこの北原女史の主張について、私の意見(お怒り)を表現し、その上で、後半には、このように書かれてしまう現代の風潮について少し触れてみたい。
 しかし、ひどすぎるな。「韓流のどこに惹かれるか」という問いに「言葉にならないエロさ」とは、なんと言うか「肉食系おばさん」丸出しではないか。このような女性がいるから、「日本人女性は全部娼婦」のような書き方をする海外の雑誌などの論調がまったく減らないのである。日本には日本特有の文化があり、その文化を完全に否定しているこの発言は到底看過できるものではない。日本の場合は、エロティシズムに関して「秘め事」として公にすることをしないのが文化だ。逆にその文化は、「やまとなでしこ」といわれるような奥ゆかしく清楚な女性の代表であり、欧米で『クールビューティー』として、世界の中で最も高い評価がある。
 日本人の女性の評価で「佳人」「麗人」という評価がある。もちろん、良い評価である。佳人とは顔や姿が美しいだけではなく、身分、教養などもすばらしい女性でなければそのような評価は与えられない。麗人に関しても「麗しい人」ということであるから、当然に「佳人」に負けず劣らず教養や立ち居振る舞いが求められる。もちろん、この振る舞いなどは、「気品」「品格」というものを伴わなければならない。そのような「気品」を漂わせるためには、普段から自分の行動を律する精神力が必要であるし、その精神力を鍛えるためには「胆力」や「教養」がなければならない。
 人間は、動物である。しかし、その『動物』であることをいかに隠して、理性的な生き物としているかということが最も重要なのである。その部分に価値があるとされており、欲望のまま生きている人を蔑み、そして下品に思うのである。特に日本は、仏教的価値観があいまって「煩悩を払拭する」ということに人間的な価値があるとされ、それが宗教でなくても、悟りを開くことを『道』と称して、人間的に、人格的に、品格的に昇華する事を目指す民族性を持っていた。
 逆に言えば、女性にもそのような女性特有の品格を求めるものであり、この北原女史のような「ただ肉欲だけで政治的な行動や主張をも評価してしまう」という行為に対して強い反発を感じるのである。正直なところ、「お前のような肉欲だけで生きている女に魅力を感じない日本人が多い」ということは事実であろうし、そのために「韓国人でなければ相手にしてくれない」のであろう。その強烈な高いところを求める男性に対しての嫉妬の感情が、今回のような韓流ブームを生んでいるとすれば、それは、女性の品格という点で非常に大きな問題ではないのか。

日本の女性が韓流男に走る理由 エロくて性欲刺激されるから

 文筆家で女性用アダルトグッズショップ「ラブピースクラブ」代表の北原みのり氏が「女の本音」について、読者に語りかけます。1回目は「なぜ日本の女は韓流に惹かれるか」。(聞き手=神田憲行)
* * *

――ネットでフジテレビへの反・韓流デモが話題になったんですが、北原さんは韓流ファンとしてデモ反対の立場なんですよね。韓流のどこに惹かれるんでしょうか。

北原:きっかけは『チャングムの誓い』というドラマだったんですが、そのあと東方神起のライブ映像を見て、あまりのエロさにびっくりして(笑)。言葉にならないエロさがある。日本人の歌手に感じたことがないような下半身が熱くなるものを感じたんですよ。

――エロいんですか? 私はてっきり王子様的なイメージがあったんですが。

北原:エロいんですよ。男ってこんなにいいんだという、日本のアイドルに夢中になってきた自分がどんだけ人生無駄にしてきたんだという(笑)。私が話を聞いたファンの人たちも、韓流好きになってから「生理が来るようになった」「睡眠薬を飲まなくても眠れるようになった」「今まで男だと思っていたものが男じゃないのに気づいた」とかいってますよ(笑)。

――漢方薬の効能みたいな(笑)。私はゴルフの石川遼選手やハンカチ王子こと斎藤佑樹投手のファンと韓流ファンは重なると思っているんですが。

北原:被らないですね。遼君が好きな子はジャニーズの「嵐」が好きなんです。ハンカチ王子も他のジャニーズで、要するに「息子萌え」ってやつなんですよ。息子的な礼儀正しさとか、さわやかさに惹かれる。韓流は完全に男を求めている感じなんです。もちろんセックスしたいとか具体的なことが叶うとは思っているわけじゃないですが、絶対、性欲という女の部分を刺激されてると思う。
韓流のファンミーティングという集いで、主催者が「今日は握手会なしです!」などと発表しようものなら、ファンの女性の間で「お触り無しかよ!」って暴動みたいな雰囲気になる。年配の女性でも両手でこするように握手しますからね。

――日本のアイドルだって握手会するじゃないですか。

北原:日本のアイドルはどこかおばちゃんとか、ブスに対してバカにしてる視線を感じるんですよね。でも韓流は優しい。新大久保に行くと19歳の韓国人の男の子が50分5000円でハンドマッサージしてくれるお店があるんですが、ずっと話をしてくれるんですよ。
日本人の19歳ならたぶん5分持たないと思うんですが、来日半年で片言の日本語なのに、会話の幅がものすごく広くコミュニケーション力が凄いんです。ぐいぐい人が近づいてくる感じ。
韓国はもちろん男尊女卑の国だし中に入ると難しさはあると思うんですが、外側から見る気楽さってあるじゃないですか。どうせ威張られるんなら、こっちの男に威張られた方がいいや(笑)。ファン層は20代から70代まで、日本の女の8割の年代が韓国に向いている気がします。

――そこで起きたフジテレビに起きた抗議デモ。どう思われました?

北原:なんて醜いんだろう。彼らの中には「日本の女がなんで俺たちより下の韓国人に行くんだ」というやっかみがあるんですよ。日本文化を貶めるなとか、フジテレビの偏向とか、バカ言えよ、素直に整形しろよって(笑)。筋肉鍛えろよ(笑)。
俺はモテない、俺より下の韓国人がなんでもてるんだろう。悔しくてたまらなかったんでしょうね。最近、デモの首謀者が彼女が出来たからデモ辞めますというニュースがネットに流れましたが、まさにそれを表しているじゃないですか。

【北原みのり氏プロフィール】 1970年生まれ。女性のためのアダルトグッズショップ「ラブピースクラブ」代表のほか、文筆活動も行う。最新刊に「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版刊)。

2011年9月26日(月)16時0分配信 NEWSポストセブン
http://news.nifty.com/cs/item/detail/postseven-20110926-32114/1.htm

 さて、北原女史に関しては、上記のように日本人的な感覚から完全にかけ離れた「肉欲のためにだけ存在する動物」として扱うことにして、逆に、この北原女史の言葉からわれわれ男性も考えなければならないのではないか。
 まず、品格などを考えなければならないのは、何も北原女史だけではなく、われわれ男性側もあるのではないか。「草食系男子」などといわれて喜んでいるようではとてもとても。自分の意見をはっきり言えない。他人からの批判を受けることができない。自分の言葉に責任をもてない。これでは、女性側に「佳人」「麗人」がいても、それに見合う日本人男子がいなくなってしまった問いあれて仕方がない。北原女史のような「肉欲の塊」は外国に行ってくれてかまわないのであるが、そうでない女性も結婚相手がいないという状態になってしまうのではないか。これは非常に大きな危機である。
 私が考えるところ、女性の社会進出は、いつの間にか「女性の男性蔑視」につながっていると考えている。私が法学部の大学時代に書いた論文で「女性優位の差別法である刑法」というものがある(題名は少し違ったかもしれない)。男性が女性を押し倒して行為に及んだ場合、そこに合意がなければ「強姦罪」である。最高刑は「強姦致死」で死刑だ。しかし、強い女性が男性を押さえつけて強引に行為に及んだ場合は、「強制わいせつ罪」にしかならない、最高刑は懲役三年にしかならないのだ。日本の法律は、女性蔑視などといいながら女性に対する保護規定も非常に多く、すでにその時点で法律上の特権を女性は持っているのだ。日本の政治化のジェンダーフリーを主張する馬鹿な女性たちは、これら女性の特権、女性が優遇されている部分は何も言わずに、逆に女性が虐げられている部分だけ声高に表現する。権利の主張だけして義務の履行はしない。まさに左翼政権と結びつく感覚がこのようなところに存在するのである。
 ではなぜこのようなことが許されるのか。政治的、社会的には「誤った平等の感覚の植え付け」があり、その平等の感覚に「感情的な平等」「観念的な平等」を随所に押し込むことによってそのようになってしまう。しかし、それ以上にこまるのは、それを認めてしまう男性たちの弱さだ。女性の社会進出と同時に出てくるのが「男性の女性化」である。化粧をしたり、見た目ばかりを気にする男性が多いという風潮が「常に女性を意識した」内容になってしまっており、「行過ぎたフェミニズム」が標準になってしまう。社会生活上の役割分担がまったくできていない感覚の男性も少なくないのだ。
 ネット上ではこの北原女史に対する怒りの声が多数上がっている。しかし、では男性諸君はそれを言われないような態度でいるのであろうか。もっと言えば、女性にこのように言われる「スキ」を与えていないのか。
 この問題は、一人の「少しおかしい女性」の戯言ではなく、社会全体の減少として深く受け止めるべきであると考えている。そして、もちろん、私自身もその中の一人として、自分の行動を考え直さなければならないと思う。

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