« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

女性宮家創設要請問題について真剣に考えよう

女性宮家創設要請問題について真剣に考えよう

 今年ほど皇室のありがたさを感じた年はない。未曾有の大災害において、天皇家の果たした「心の支え」というものはどれほどすばらしいものか。民主党の当時の菅直人内閣が史上まれに見るふがいない、頼りない内閣だったので、なおさら皇室や天皇陛下のありがたさが良くわかるエピソードがつついたのではないか。
 私はこのブログに何度も書いているので、「またか」と思う人もいるであろうが、良いこと、どうしても伝えたいことなので何度でもここに書く。読者の皆様はまたかと思わずにいていただきたいし、それだけ重要なことと思っていただきたいのですが、天皇皇后両陛下が、福島の相馬市の被災地を訪れたときに、雨の中、外で海の方向に向かって被災者の慰霊のために頭を下げられた。当然に福島原発の放射能を含んだ雨である可能性があったにもかかわらず、雨にぬれながら慰霊をされた。被爆の恐れがあったにもかかわらず、その様なことをしている。当時の菅政権と比べては、その比較すること自体が失礼に当たるほどのことではないか。
 この被爆の恐れだけでなく被災地を慰問されたのは、やはり天皇皇后陛下出なければできない話ではないか。被災地の多くの人が、「津波にあってよかった。天皇陛下に会えた」という言葉が出てきた。この言葉を聴いたときの衝撃、聴いた瞬間の背筋を通る電気のようなもの。そして、言っている被災者の笑顔。何もかも失った被災者が笑顔で天皇陛下に会えた感動を口にする、その顔を誰がまねできようか。
 その天皇家に関して、平民が、そして民間人が、そして上記に比較すること自体が失礼といった菅政権の時の財務大臣の政権が、口を出そうとしている。


「皇族減少」課題伝える 宮内庁長官、野田首相に 「女性宮家創設要請」報道は否定

 藤村修官房長官は25日午前の記者会見で、宮内庁の羽毛田信吾長官が10月5日、野田佳彦首相に対し、「今の制度の下では女性皇族の方は婚姻で皇室を離れる制度になっており、女性皇族の方々がご結婚年齢に近い年齢になっている。皇室のご活動という意味で、緊急性の高い課題がある」と伝えていたことを明らかにした。
 記者会見で藤村氏は、皇太子さま、秋篠宮さまの次の世代の皇位継承資格者が悠仁さまだけであることを挙げ、「安定的な皇位継承を確保するという意味では、将来の不安が解消されているわけではない」と述べた。その上で「国家の基本に関わる事項であり、国民各層のさまざまな議論を十分に踏まえて検討していく必要がある」と強調した。
 一方、宮内庁が女性皇族による「女性宮家」創設の検討を野田首相に要請したとする25日付の読売新聞の報道については「具体的な制度創設の検討を要請されたものではない」と否定。羽毛田氏も同日、報道各社の取材に対し「(野田首相に)状況を説明しただけ。具体的な選択肢を言うのは、宮内庁としては出過ぎたことだ」と語り、首相に女性宮家の創設の検討を要請したり、選択肢として示したりしたことはないと否定した。
 複数の宮内庁幹部によると、羽毛田氏は首相に対し、皇位継承の安定という点で万全となっていない制度面や、女性皇族の結婚により将来的に皇族の数が減少する見通しとなっていることなど、皇室をめぐる課題を説明したという。
 皇室では皇族方22人のうち、結婚すると皇室の身分を離れることになる未婚の女性皇族が8人おられる。このうち成年皇族は、寛仁親王殿下の長女で29歳になられた彬子さまや、今年20歳になられた眞子さまを含め6人になられる。

2011.11.25 11:28 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111125/plc11112511290009-n1.htm


「女性宮家」宮内庁に焦り 識者「皇位継承の基本 議論必要」

 藤村修官房長官が25日、「女性宮家」検討の必要性を指摘した背景には、10月に秋篠宮家の長女、眞子さまが20歳になったのをはじめ、女性皇族が相次いで結婚年齢に近くなられていることがある。悠仁さまのご誕生で皇位継承問題は一段落したものの、宮内庁は天皇家を支える皇族方が減ると、皇統の安定的な維持に影響が出かねないとして焦燥感を強めている。
 「だんだん緊急性が高まっている、というのが大きな変化だと思います」
 宮内庁の羽毛田信吾長官は10月27日の会見で、宮家の将来的な減少について危機感を口にした。
 未婚の女性皇族8人が結婚し皇室を離れられるとすると、天皇陛下の孫の代の皇族は悠仁さまのみとなる。皇族方の果たす役割の重要性は今月、陛下が入院された際に、皇太子さまと秋篠宮さまによる公務分担で注目されたばかりだ。
 羽毛田長官は「実際にどうするかは政治、国会の議論」としたうえで「皇室をめぐる問題の状況は時の内閣に伝えてきている」としている。
 陛下も21年の記者会見で皇統の維持の難しさについて尋ねられ、「現状については質問の通りだと思います」と、懸念していることを明らかにされている。
 これまで、安定的な皇位継承については「女性宮家創設」のほか、元皇族の男性の皇籍復帰などが選択肢として議論されてきた。
 「女性宮家」創設の場合、お子さまは男子であっても「女系」となり、皇位継承権の有無についての議論が避けて通れない。元皇族の復帰については、宮内庁幹部も「皇籍離脱から年月がたっており、国民の理解が得られるかどうか」と慎重だ。
 「女性宮家」の創設など皇室典範の改正は、皇位継承の男系・女系問題と密接に関連する。藤村官房長官が会見で指摘したように「国家の基本にかかわる重要事項」であり「さまざまな議論を十分踏まえて検討する必要がある」ため、制度改正は困難が予想される
 國學院大の大原康男教授(皇室制度史)は「陛下のご公務を手伝う皇族を確保するという喫緊の課題への対応として、今できるのは女性宮家しかない、という論は、一般の人の耳に入りやすい。しかし、皇位継承についての議論をせず女性宮家の創設を語るのでは、本来の議論から外れる。皇位継承問題の議論ならば、男系維持か、女系を認めるかという基本に立ち返るべきだ」と指摘している。
      ◇
 皇室典範 皇位継承や皇族の範囲、皇室会議など皇室に関する事項を定めた法律。第12条に「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と規定している。小泉純一郎内閣時に設けられた有識者会議は、平成17年、現行制度のままでは安定的な皇位継承は難しくなるとして、女性・女系天皇の容認を提言する報告書をまとめたが、翌18年に秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが誕生されて以降、皇室典範改正の議論は進んでいない。
 宮家 皇族の中で、宮号を天皇から賜った一家のこと。男性皇族が結婚や成年に伴って設ける。現在の皇室には、いずれも大正天皇の子孫にあたる秋篠宮、常陸宮、三笠宮、桂宮、高円宮の5家がある。

2011.11.26 01:21 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111126/imp11112601230000-n2.htm


女性宮家創設、「性急に考えるべきでない」と自民・安倍氏

 自民党の安倍晋三元首相は26日、都内で行われた保守系団体の集会で、藤村修官房長官が女性皇族の結婚による皇族の減少を食い止めるため「女性宮家」創設検討の必要性を指摘したことについて「性急に考えるべきではない。民主党政権が取り組んで大丈夫なのかと強く危惧している」と述べ、慎重に議論すべきとの考えを示した。
 安倍氏は「(女性皇族に)適齢期がくれば、民間に降嫁されて宮家がなくなってしまうという状況にもあり、いくつか選択肢を考えるべきだ」と述べた。
 同じ集会で、たちあがれ日本の平沼赳夫代表は「125代にわたって、男系で続いてきた世界の宝といわれる皇室を女系に変えることがあってはならない」と指摘。一方、「女性の宮家をつくることはいい」と一定の理解を示したが、その場合でも「(旧宮家などの)男系のいわゆる血を持っている男性と結婚して男系の血を守っていくことが皇室の存続にとって大切だ」と強調した。

2011.11.26 21:10 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111126/stt11112621140006-n1.htm

 女系天皇が何が悪いのか。このことに関してはさまざまな話がたくさん出ている。もちろん女系天皇を認めるべきという話もある。今のままであれば、悠仁内親王が天皇陛下になられる頃には、皇族が無くなってしまう。男性がいなくなってしまうからである。
 確かにその場合の皇族の活動は困ったことになる。しかし、それくらいであれば級宮家や旧華族などを宮家に復帰することをなぜしないのであろうか。
 私は、明確に女系天皇反対論者である。一般人男性が皇位継承に絡んでくるなどは、日本の歴史上おかしくなる。古代に推古天皇などがいるが、実際に、女系天皇の場合は、その相手がほとんど皇室もしくは皇族である。要するに女性の天皇ができた場合も、血統はおかしくなかった。旧皇室の宮家復帰をなぜしないのか。その部分は、線粗野歴史との関係もあるが、そればかりではない気がする。
 その様な議論も何もせずに、女性宮家の創設を気軽に口にするのはいかがか。祭祈を公務とする天皇陛下の役割をわかっているのか。その様なことを言うならば、逆に、私は皇室に限って、あるいは皇族に限って側室を認めても良いのではないかとも考えているのである。
 その内容の賛否ではなく、それ以上に、気軽にこのようなことが出てくる、話題の橋に出てくるということ事態が、そもそもこの民主党政権の陰謀のようなものを感じるのだ。なぜ今これが言われるのか。なぜ今なのか。なぜ他の旧宮家の復帰などの議論がされていないのか。どうしてこのような話が出たのか。そしてどうしてマスコミがこれを発表したのか。特に天皇陛下がご病気で退院した手のこの時期に。
 今の政権の問題がこのようなところに現れているのではないか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

大阪ダブル選挙と草食系の若者たち

大阪ダブル選挙と草食系の若者たち

 少し刺激的な題名にしてみた。大阪都構想をかかげ大阪維新の会を率いて戦った橋下徹前大阪府知事と、松井一郎前府議が、それぞれ大阪市長と大阪府知事に当選した。その当選は圧勝で市長選挙で言えば70万対53万、府知事選挙は200万対130万でいずれも有効投票数の過半数を維新の会で占めたということになる。
 この内容に監視橋下徹氏や維新の会などについてまたは選挙戦についてさまざまなことを書くつもりはない。一応、私も政治記者をしているので、政治に関してその内容をしっかりと話をしておこうと思う。しかし、そのような通常の内容では面白くはないのである。そこで、今回はわざと過激な、そして読者の人を怒らせるような題名にしてみた。
 私が昨年の参議院選挙においてネット選挙を手伝ったことは、知っている人は知っているという感じではないのか。その内容において、ネットというものの限界と、ネットの恐ろしさ(というかネットを過信した場合の頭の悪い対応といったほうが良いのか)というのを良く感じた門である。ネットは基本的に単なるコミュニケーション手段でしかなく、その力は万能ではない。ただ、それ以上に、問題なのは、ネットを扱っている人の修正ではないのか。特に都市部にいるネットを重視する若者たちに対して(私もだいぶ年をとったものだ)、ある種の現象を考えているのである。
 最近の若者に対するひとつの考え方の中に、それはすべてではないが、「草食系」という単語がある。あまり好きな言い方ではないが、以前少子化問題の話題になったときに太田誠一議員が「元気があってよい」という発言をした。それにあわせて「男子は豹のような」という表現をした政治家もいたと思う。まさに、肉食系の代表であるが、それに対して自分の意思を先に出さない内容が出てきているのではないか。その社会現象を「草しか食べずにおとなしい、そしてリスクが着たら真っ先に逃げる」草食動物の修正にあらわした表現として、数ヶ月前までもてはやされていた。
 男女関係に関してはどうでも良いのであるが、実際のところ「引っ込み思案」「リスクを先に考える」「自分で動かない」「匿名性の中で言いたいことしか言わない」「ネットの情報で信じたいものだけを信じる」「自分で動かない」というような特徴は、ネットを中心にした選挙の中においてさまざまな特徴が出てくるのである。そして彼らが望む指導者は「改革」「カリスマ性(引っ張って言ってくれるという表現が使われる)」「わかりやすさ」の三つの要件であるといえる。その上で、マスコミあたりから批判されていれば、ネットの優位性を確認する意味でよりカリスマ性が増すということになる。マスコミの批判を撥ね退ける力は、マスコミ情報を良しとしない彼らネット重視の若者の中に非常に強く現れているので、その批判を以下に力に変えるかが、ひとつの大きな問題になるのである。

大阪市長選で橋下氏、府知事選で松井氏が当選

 大阪府知事選と大阪市長選が27日、投開票され、市長選は前府知事で地域政党・大阪維新の会代表の橋下徹氏(42)(諸派)、知事選では同会幹事長で前府議の松井一郎氏(47)(諸派)が初当選した。
 府と大阪・堺両市を再編する「大阪都構想」を共通の公約に掲げた両氏は、実現に必要な住民投票や、法整備に向けた国への働きかけに着手する。地域政党が知事・政令市長を独占するのは初めてで、支援した候補が敗れた既成政党には痛手となった。
 知事経験者が政令市長に就くのも全国初。
 午後8時半、大阪市内のホテルに設営された記者会見場に姿を見せた橋下氏は、「都構想を4年で実現できるよう、国に法改正を求める」としたうえで、国が都構想の法整備に動かない場合、「年内にも(国会議員の)候補者擁立の準備を始める。近畿一円で擁立を呼び掛けていく」と、維新の国政進出を明言した。自らの国政転身は「やりすぎだ」と否定したものの、次期衆院選の構図にも影響を与えそうだ。

2011年11月27日(日)22時0分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yomiuri-20111127-00554/1.htm


野田政権に痛手=有権者が政党不信―大阪ダブル選

 大阪府知事と大阪市長のダブル選挙で、橋下徹前知事が率いる地域政党「大阪維新の会」が既成政党を一蹴した。市長選では民主党が自民、共産両党と相乗りで現職候補を支援したが、橋下氏の人気や知名度、「大阪都」構想の前に既成の「政党連合」は敗北。有権者の政党不信もあらわになった。政権発足後、初の大型地方選挙に敗れた野田佳彦首相にとっては痛手で、今後の政権運営にも影響を与えそうだ。
 民主党の高木義明選対委員長は27日夜、党本部で記者団に選挙結果について「残念ながら力が及ばなかった。政党が前面に立たない選挙で、党派性を超えたところに有権者の審判があった」と表明。また、政府高官は「一地方選挙だ。維新の会は全国で何かをしたわけではない」と述べ、政権への直接の影響を否定した。
 もっとも、民主党は政権獲得後の各種選挙で連戦連敗。党内では首相交代を機に反転攻勢を期待する向きは多かっただけに、ダブル敗北のショックは大きい。「知事選はもう少しいけると思ったが…」(ベテラン)と党内には落胆が広がった。 

2011年11月27日22時26分 提供:時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/6066621/

 民主主義は数が力である。その人の票がどのような構成であろうと、若者やニートが多くても、不良者や老人が多くても一票は一票である。それが同和でもヤクザでも夜の街の女性で、日本国民であり成人であればもまったく変わりなく平等である。
 その中における若者、特に都市部に多いネット重視の人にとって、それらの改革熱をいかに強く打ち出すのかというのは、非常に重要なものである。要するに、彼らは自分の力で変えるのではなく、誰かが変えてくれるのを待っている。変えてくれた結果が自分の思ったものや自分の考えている姿、ネットの中の情報と違うと逆に強い反発を行う。
 さて、今回の大阪の選挙、既存政党と地方新党の争いであるという話があった。特に自民党民主党の相乗りをした府知事選挙、既存政党が全て入った市長選挙、いずれも政党がしっかりと基盤表を持っていながら、その基盤票が届かなかったということを意味する。その中には、一般の人の政党離れということと同時に、政党に属さない、自分の生活に不満のある人の集合体である浮動票が、固定票を大きく超えているということを意味している。もちろん、橋下維新の会の固定票も多かったと思う。特に週刊誌で話題になった同和やヤクザといったところが固定票になっている可能性は否定できないであろう。しかし、その固定票の戦いの飢えに、上記に書いた都市部に多いネット層の浮動票とそれに動かされる何も考えていない人々がかぶさった感じである。その結果がダブルスコアといえる。浮動票をどのように考えるのかそのことは非常に大きな問題だ。
 しかし、既存政党が嫌われているとか没落というには、票の差がダブルスコアにしかならなかった。また投票率もそんなに大きくなかった。それは逆に、浮動票のうち投票をしなかった人が少なくないということもいえるし、浮動票でも維新の会に投票しなかった人も少なくないということを意味する。それは、政策に共感できないということもあるが、ただたんに「改革する」「現状を打破する」といっただけの掛け声で選挙をして帰って痛い目にあった民主党政治の反省から、しっかりとした政策やビジョンが見えなければ信用できないという風潮が生まれたことを意味するのではないか。また私は個人的にその様な国民の芽が出てきたと信じたい。
 逆いいえば、ヴィジョンがはっきりしていない、期待だけの扇動政治にだまされているのか、まともな改革に対して乗り遅れているのか、この二つの考え方にはなかなか難しい違いがある。しかし、その政策としてあげた大阪都構想の実現とその内容の理解がなければならないし、大阪のために国家の法律を変えるところまで影響力を行使できるのか。そのことはしっかりと考えなければならないのではないか。また、その実現のプロセスをしっかりと見てゆかなければならない。すでに、「国家が言うことを聞かなければ国会議員を擁立」といっているようであるが、これはできなかったときのあらかじめ言い訳になっているのではないだろうか。
 民主主義が生み出したヒトラーという独裁者がいた。その期待感の収束はベルリンの壁というドイツ国民を巻き込んだ悲劇であった。大阪ではその様なことにはならないであろう。しかし、期待感を煽っただけのデマゴーグ政治であるとすれば、維新の会はかなり罪作りである。デマゴーグ選挙であったかどうか、今後の維新の会の政治にかかっているのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(71) 政治家の圧力でアニメを放送中止する

マスコミ批判に関する一考(71) 政治家の圧力でアニメを放送中止する

 私の場合、あまりアニメーションを見なかったりするのであるが、この騒動があってから見てみた。まあ、なかなかギャグ漫画としては面白いアニメーションであった。「銀魂」は、幕末の人物が暮らしている地球と思われる場所に、宇宙人が共存しているという奇想天外なアニメーションである。その宇宙人の中に「レンホー」というキャラクターが登場し、確かにひどい扱いになっていたようである。
 これに対して蓮舫大臣が抗議をし、その放映が中止になったというのである。まず、近所の小学生などに聞いてみたところ、おおむねアニメそのものの面白さと人気から「レンホーがおかしい、アニメを中止に刷るなんて信じられない」という声が圧倒的であった。 しかし、どうしてこのようなことになったのであろうか。まずは蓮舫大臣の心の小ささだ。もっと言えば、そのようなことを気にしなければならないほど「斜陽の中にいる」ということになるであろう。また、以前「一位じゃなきゃダメですか」という発言をずいぶんパロディに使われた。これで人気がなくなったという自覚もあるのであろう。その部分でかなり神経が過敏になっているのではないか。しかし、一方で、そのような評判だけを気にしなければならないということは、そのまま、「真の実力がない」ということもいえるのかもしれない。本来ならば、誤解だとか何とか言う前に、それらを跳ね除けて説明し、相手を納得させるだけの話をしなければならないはずだし、政治家はそのようなことをしなければならない、それを、マスコミの評判を気にし、それもアニメーションなどでパロディで「笑ってもらう」にもかかわらず、そのようなことができないでいる。政治家として「悪名は無名に勝る」という話もわからないようでは何もならないではないか。蓮舫大臣が、要するにテレビの人気だけで左右される政治家であるということ、そのような「器の小さい政治家」をパロディに使ってしまったことがこの問題のひとつの要因であると思う。
 ここで記事を読んでいただいて、後半にマスコミの問題点を書いてみたいと思う。

テレビ東京:「個人中傷」でアニメ再放送を中止

 テレビ東京で10月31日に放送されたアニメ「銀魂(ぎんたま)」の一部表現が、実在する人物の人格を傷つける内容だとして、子会社のCSチャンネル「AT-X」での再放送を中止していたことが24日、分かった。
 番組には特定の個人を連想させるキャラクターの人格を傷つけるような表現が含まれており、放送後に関係者からテレビ東京に問い合わせがあった。このため内容を確認の上、CSでの放送中止を決めた。同局は「特定の人物をパロディー化することに問題はないが、人格的に非難しており中止を決めた」としている。CSでは11月15日と18日に放送予定だったが、別の番組を放送した。

毎日新聞 2011年11月24日 19時22分(最終更新 11月24日 20時19分)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111125k0000m040030000c.html

銀魂、蓮舫氏を連想させる人物をネタにした回を放送中止 真相は

 170コメント..11月11日、アニメ専門チャンネルAT-Xがアニメ『銀魂』第232話の放送中止を発表した。番組購入元のテレビ東京から番組休止の要請があったためだ。
 問題の第232話では、蓮舫氏を連想させる人物が公園で休んでいる高齢女性へ唐揚げを投げつけたり、バリカンで自らの髪を刈ったりする場面などがある。
 これに対し、ツイッターやネット掲示板では「これは放送休止で妥当」「逆においしい」といったAT-Xの発表に賛同する声が上がる一方、「新聞の風刺マンガなどはどうなるのか」など反対意見も目立った。
 ネット上では諸説入り乱れていた放送中止の理由だが、この件に関して探偵ファイルがテレビ東京の担当部署に質問したところ、「特定の人物を想起させる描写があったため」との回答を得たという。
 ニコニコ動画でも「蓮舫が銀魂でひどい扱いになっててワロタww」と題した動画が10万回以上再生されるなど、ネット上では注目度が高かった今回の一件(現在はテレビ東京の申立てにより放送事業者の権利侵害として当該動画は削除されている)。ネット掲示板には「どこがいけないのか、まったく理解できない。この国は風刺もできないのか」という声も上がっており、今後もテレビ放送の“悪ふざけ”がどこまで許されるかについて様々な議論が交わされそうだ。

2011年11月14日23時23分 提供:トピックニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/6027248/

 さて、テレビ東京である。そもそも、ジャーナリズムは権力に対する監視装置と田原総一郎が気取っていっていた。実際私はこの意見には反対であり、ジャーナリズムは事実を正確に伝えるコミュニケーション装置であり、その事実の中にタブーがないというのがその思いである。もちろん、紙面の都合や時間の都合で編集で扱えアイ部分があるのは事実として存在する。社会面があるからといって日本全国のすべての交通事故を新聞で上げていては紙面が膨大になってしまう。
 しかし、今回の話は「ジャーナリズム」の話ではない。そもそもアニメーションという娯楽番組の中のひとつである。上島竜平氏が野田首相の物まねをしながら、他の芸人にいじられるのと大差はない。このようなパロデイは、民主党政権になったからといって始まったのではない。政治家が有名人であれば、そのような物まねの芸人は少なくないのであるから、小泉純一郎や安倍晋三といった自民党時代の総理も十分に風刺されパロディとして使われている。かなりひどい扱いになっているのもあるし、漫画やアニメでもまさにその人とわかるような画像を流されたものも少なくない。しかし、報道番組で意識的に偏向報道をしたもの以外そのようなことはなかった。それだけにクレーム対応はあまりなれていなかったかもしれない。
 しかし、慣れていなかったにせよ、そのようなパロディやバラエティ、アニメなどの娯楽作品であり、特に政治的なメッセージのないもの(ワイドショーなどを除く)にクレームがついても、そのようなものに神経質に対応する必要などはない。にもかかわらず、簡単にそのようなクレームを受け入れ、子供が楽しみにしている番組をやめてしまうというのはいかがなものであろうか。はっきり言って、風刺やパロディも認めない、言論の自由がある国とはいえない。逆にテレビ東京は自ら言論の自由を放棄してしまったと評価しても反論の余地はないであろう。もちろん、法的に差し押さえなどがあれば話は別であるし、それ以外でも法的な問題があることまでテレビメディアで行えというつもりはない。しかし、その単なるクレームで娯楽番組の放送を中止すること自体、マスメディアとしてはどのようなものなのか。そもそも、大臣は「公人」である。その公人をパロディに使ったからといって何を言っているのか。そのようなことは単純に「公人の公としての性質を無視している」ことであり、そのような指摘も行えないのであればマスメディア後と辞めてしまえばよい。
 政治家は国民を育て、そして国民は政治家を育てる。その双方の橋渡しになるべきものがマスメディアである。しかし、そのはしわつぃやくが、公人に対して公人としてのことを教えることができず、政治権力に負けているようでは、その役目を果たすことはできないのである。役目ができないマスメディアだから、偏向報道も平気で行ってしまう。それは政治家が国民を育て、国民が政治家を育てるという状況の逆、マスメディアが国民と政治家の双方を堕落させているというのになってしまうのである。
 今回の事件は、単にアニメの中の問題ではなく、本質的に政治家とマスメディアの歪んだ関係を示したものになるのではないだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(36) 中国での開店準備(5) 取引先との契約

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(36)
中国での開店準備(5) 取引先との契約

 中国の出店のために、仕入れの契約をしなければならない。その仕入れの契約はどのようにしたらよいのか。現在中国の会社と取引をしている人は少なくない。中国の会社は、現在の日本の会社と同じように通常の商品売買契約が結べる。これは当然に改革開放政策によって資本主義化したからであろう。契約書の文章の内容は全く同じであっても、その中身、要するに取引関係は日本で行っているものと違う。当然に相手が中国人だからである。今週は、通常の中国との取引契約の中に潜む、中国人の危険を見てみたいと思う。
 北京オリンピックの時に、中国国内において大きな問題があった。その問題とは「中国の観戦のマナーがない」ということだ。もちろんこのほかにもチベットの内戦のことなどがあるが、そのことはこの文章の主題とは違うので。北京オリンピックの前に「マナーがない」という事を認めた込む院政府は二つのことを行う。一つは、中国人のマナーの向上作戦である。中国人のマナーの向上作戦は、まさにマナー講座などを行い、またマナーのない人を平気で逮捕した。もうひとつはマナー向上に努めている姿を国外に宣伝したのである。要するに、北京オリンピックの最大の問題は外国からの感染者が全く来ないということ。そして外国のテレビ局にマナーのない中国人のエピソードを報道されることである。この二つのことが最大の問題と考えた国務院政府は、その対策をとったのである。
 さて、北京オリンピックは、私が中国で開店した10年以上後のことである。この10年間で、中国人は少しは資本主義や欧米の商習慣に慣れてきたはずだ。しかし、それでもマナーがないというようになったのである。逆に言えば、私がいたころはマナーがないなどというものではない。まさにまだまだ中国人は共産主義の駐豪とまったく変わらない状態であったと言える。

<ここより下はメルマガでお楽しみください。メルマガは下記より無料で登録できます。>

----------------------------------------------------------
國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
<http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>

<mailto:CQA14363@nifty.com>

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
-----------------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インドネシアでもネット規制の波 ネットの性的表現と情報自由化について

インドネシアでもネット規制の波 ネットの性的表現と情報自由化について

 毎週(といっても多少休みもあるが)日曜日に「宇田川敬介東アジア放蕩覚書」を連載している。すでに40回を超えていると思う(先週休みだったので正確に覚えていない)。
 私の場合、日本には日本の価値観があり、その価値観は日本人の生活習慣や風土、そして日本人の気質や人との絆などによって形成されたまさに日本人が日本人として存在するための価値観であると思う。しかし、これは日本人にとって「ベスト」であって、必ずしも外国人にとって「ベスト」であるとは考えられない。中国には中国の、韓国には韓国の「ベストな価値観」があり、その価値観の違いを楽しむ余裕がなければ外国と対等なつながりはできないのでは中と考える。
 「宇田川敬介東アジア放蕩覚書」は、これらの価値観から、日本人の必要以上に高まり感情的になった外国人批判について少し反感を覚えながらも、やはり違うアジアの各国の風情を、私の体験を通して考えてみるという話が必要なのではないかと考えているために、そのような文章にしている。もちろん、そんな内容を学術的に書いても何の意味もない。数日前にブログでも書いたが、人間は感情の起伏とともに物事を記憶する。私の場合は、怒りや悲しみとともにそれらの物事を記憶させるよりも、笑いとともに記憶させるほうが良いのではないかと考えているのである。だから、なるべく私自身のドジな失敗談や時には卑猥な話などを交えて、少々大げさに日本とアジアの違いを紹介しているのである。もちろん、面白おかしい内容だけでなく、私自身の中にはまじめにこれらの違いを考える基礎もあるのだが、それを文章で紹介するのは難しいのかもしれない。
 現在、連載では中国ばかりであるが、そのうちインドネシアやタイ、韓国なども出してゆこうと思う。中国が長くなったのは簡単で、中国人は日本人とまったく違うから、その分面白い。
 さて、そのインドネシアで、数年前に日本で話題になった規制が話題になっているので、土曜日のねたにしようと思う。ネットにおける猥褻画像の頒布ということ、特に、有名人の猥褻画像は、アメリカ、日本、韓国とついでインドネシアに入っていった。もちろん中国はそのような画像はたくさん入っているはずであるが、それらについてはなかなか表に出てこない。
 どの国でも同じであるが、「ネット規制派」と「ネット情報自由化派(自主規制派)」二つに分かれる。インドネシアの中では「子供の性教育を早める」という意見もあるからなかなか面白い。その新聞記事が産経新聞から出ているので見てみようと思う。

有名人の性的動画に波紋 インドネシア、ネット規制強化も

 【シンガポール=宮野弘之】インドネシアで有名芸能人同士の私的なベッドシーンを撮った動画がネットに流出し、イスラム教徒が大半を占める同国に波紋が広がっている。性的表現を禁じたアンチポルノ法に反しているとして動画に映っている有名人も罪に問うべきだとする声やネット規制の強化を求める声もあがる。動画は携帯電話を使って生徒同士が次々とコピーしたことで学校にも広がり、携帯電話の全面禁止や性教育の必要性を指摘する声もあがるなど、騒動はなかなか収まりそうにない。
 問題の動画は、インドネシアで人気の男性歌手と女性タレント2人とのベッドシーンとされる。3人は14日までに警察の事情聴取に応じ、映っているのは自分ではないと否定した。しかし、地元紙ジャカルタ・ポストによると、男性のパソコンが先月盗まれ、その後、何者かから脅迫されており動画がネットに流れたことから、私的に撮った動画をパソコンに保存していたものとみられている。
 動画自体は最初に流出した複数のサイトからすぐに削除されたものの、ダウンロードされた動画は人気タレントのものとあってパソコンや携帯電話を使い次々にコピーされ、瞬く間に広がった。ジャカルタ市内の高校では教師が生徒一人一人の携帯をチェックし、動画を削除させるなどしたが、生徒は直前に友人に動画ファイルを転送し、チェック後に再び戻すなど、イタチごっこが続いているという。
 事態を重視したインドネシア政府も対応に乗り出した。6日に開かれた教育に関する閣僚会議では、ブディオノ副大統領が、動画が生徒の間で広がっていることに懸念を表明。学校での携帯電話のチェックを強化することにした。また、テイファトゥル情報通信相もネット規制強化と、個人の使用であっても性交渉の映る動画を作ったものは、反ポルノ法違反として摘発することも検討する考えを示した。
 こうした動きにネット上では、「ちまたではポルノは氾濫(はんらん)している。ネット規制だけではだめだ」「子供には早い段階で正しい性教育を」という意見や、「森林の違法伐採の方がこんな動画問題より重要なニュースでは」「汚職撲滅の方がポルノなんかより重要だ」といった声があがっている。

2010.6.17 18:06  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110202/asi11020210410002-n2.htm

 今日はあえて二つの観点から。
 ひとつはネットの情報の自由化という観点、そしてもうひとつは、子供の性教育という観点である。
 ネットの自由化に関しては、東京都の条例などでも私はここでいっているとおり、行過ぎた情勢は帰って犯罪を生むのではないかと考えている。アメリカの禁酒法もアル・カポネの横行を許し、「アンタッチャブル」という映画の題材になった。現在の日本の麻薬などでも同じように法律で禁止すれば、その違法行為を行う輩が出てきて、それを統括する暴力団組織などの横行、そして資金源を作ることになる。そのようなことをしていたちごっこを続けるよりは、法律で規制するのではなく何か違う方法で規制をすることが良いのではないか。要するに「徳育」である。これらを法律で規制しなければならないということは、それだけ、徳治教育ができていないということでしかない。要するにネットの自由化、特に猥褻画像と青少年の問題は、まさに教育の問題であり、その教育者が教育の責任を放棄した段階で法律の規制をしても何の意味もないのである。
 では、子供の性教育という意味では何があるのであろうか。ふと思い出していただきたい。私たちは、「大人」だから性教育の内容を知っている。しかし、それは「いつ」「どうやって」覚えたのであろうか。一応学校の保健体育の授業で身体の構造は習ったような気がするが、私の場合中学、高校は男子校であったので、当然に「エロ本」を先輩からもらって、興味心身に見ながらさまざまな知識を身につけていったと記憶している。自慢ではないが友達の家に泊まりに言って成人映画のオールナイトを見に行ったとか、避妊具を買ってきてつけ方をみんなでやってみるとか、今考えれば馬鹿なことばかりをしていた。このように改めて文字にすれば恥ずかしいが、当時は面白がりながらなんとなく大人の世界を垣間見ていたものだ。
 私の中学、高校の当時は、インターネットなどはなく、まだパソコン通信といっていた時代。まだ「本」が主流であったし、また携帯電話などもなかったから、さまざまなエピソードもあった。ビデオなどもあまり発達していなかったし、そもそも家の真ん中に一台ビデオがあった家がほとんどで、成人ビデオを借りてきても見ることなどできないのが普通だ。子供というのは、そういう中でもさまざまなことを学んでゆくのではないか。改めて学校で性教育をするのではなく、なんとなく覚えてゆくようなものだ。
 その「なんとなく」が「ネット」で手軽に入ってきてしまうのである。これは時代の変遷だ。しかし、それを規制しても、機械がある以上どうしようもない。いっそのことネットそのものを全てなくすならばよいが、ビジネスなどの都合そうはいかないであろう。逆に子供が見るということをそんなに目くじら立てて怒ることなのであろうか。
 「子供が」というのはタダ単に言い訳のような気がする。インドネシアでは14歳から働くことができる
私がインドネシアのカラオケ(といってもアジアのカラオケはまさに女性を買う場所であるが)に行った時、時間がずれていたこともあって、ホステスが全て14歳であり、チップだけ上げて帰ってきたことがある。また、インドネシアはイスラム教の人口が9割を超える国家であり、4人まで妻を持つことのできる一夫多妻制である。そのような中において「子供の教育」などといってもいかがなものか。子供は、そのような者を規制しても自然にさまざまなことを学んでゆく。逆に「ネットの中の世界」と「現実のの世界」を区別させるほうがよほど重要なのではないか。それは猥褻なものばかりではなく、ビジネスの成功談でも、または陳腐な陰謀論でも、そのようなものが現実にあると思っている人のほうが多いことのほうが重要な問題であるのではないか。
 ネットの規制に関しては、どうしても「子供(青少年)」と「猥褻」がキーワードになりがちであるが、実際はそうではなく、ネットと現実の世界の区別をしっかりと教えられない教育の問題であるような気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

外交交渉中に軍艦の沖縄本島付近通過 これが民主党外交の舐められた日本

外交交渉中に軍艦の沖縄本島付近通過 これが民主党外交の舐められた日本

 ニュースを見るときに、一つのニュースを見てしまう人が少なくない。フェイスブックやツイッターなどを見ると、一つのニュースを見て様々評論している人が少なくない。もちろんそれも良いのであるが、もう少しニュースは深読みしてもらいたい。一般の人は一つのニュースで評論をしていただいてよいのである。しかし、ジャーナリストを名乗っている人は複数のニュースやそのニュースが出るに至った背景をしっかりと結び付けて一つの解説をすべきであると思う。もちろんそればかりではないが、今回は二つのニュースを結び付けて考えるのが適当であるとするのにちょうどよい内容である。
 玄葉光一郎外務大臣が中国を訪れ、中国の指導部と個別に会談した。これは日中外交を行っているのであり、外務大臣が外交を行っているのだから問題はない。もちろんこの外交交渉の内容をどのように評価するかとか、内容に関して様々な問題を提起することは非常に重要なことである。特に、できもしないことや国内で何の話もしていない初耳の内容をいきなり国際公約してきてしまい、これまでの外交課題を棚上げし朝貢外交や服従外交、土下座外交を続けてきた民主党の外交にははっきり言ってしっかりとした監視の目が必要である。
 しかし、今回注目しているのは、この外交交渉をしている最中に、中国海軍6隻が沖縄沖通過しているということである。外交交渉の内容は、「戦略的互恵関係を深化させるべく幅広い分野で多くの成果を上げたい。来年の日中国交正常化40周年を契機に国民感情の改善を図りたい」といい、日中の海に関することを話し合いをしているのにっ変わらず、その中において海を完全にあらしている中国の姿、それは外務大臣が来ていてもその交渉を内容を無視しても全く関係がないとした中国の「完全に日本をなめきった態度」が見えてくるのである。
 まず、そのニュースを見てみよう。


<玄葉外相>中国の温首相らと会談 TPPに一定の評価

 【北京・横田愛】玄葉光一郎外相は23日、就任後初めて中国を訪れ、北京で温家宝首相、楊潔チ(ようけつち)外相、戴秉国(たいへいこく)国務委員(副首相級)と個別に会談した。楊外相は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)について、「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)を実現する上での一つの基礎になる」と述べ、一定の評価をした。また、東シナ海での日中両国の衝突など不測の事態を避けるための「危機管理メカニズム」の構築について、「対話の枠組み」づくりに向けて引き続き調整することで一致し。
 玄葉外相は、楊潔チ外相、戴秉国国務委員(副首相級)とも会談した。
 温首相は会談の冒頭、「(国際会議に合わせたものを除き)民主党政権初の首相訪中が成功するよう、双方が努力していきたい」と野田首相の訪中を歓迎する意向を表明。これに対し、玄葉外相は「戦略的互恵関係を深化させるべく幅広い分野で多くの成果を上げたい。来年の日中国交正常化40周年を契機に国民感情の改善を図りたい」と応じた。日中両政府は、野田首相が12月12、13日に中国を訪問する方向で調整している。
 温首相との会談では、玄葉外相が、危機管理メカニズム構築のほか、▽東シナ海ガス田開発の条約締結交渉の早期再開▽日中海上捜索・救助協定の早期妥結--なども提起。東京電力福島第1原発事故を受けた中国の日本産食品などに対する輸入規制の一層の緩和も要請した。
 日中関係は昨年9月に尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件を機に冷え込んだが、東日本大震災復興支援などを経て回復基調にある。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加表明など、今月中旬のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議や東アジアサミット(EAS)で一定の存在感を示した野田政権は対中外交を本格スタートさせ、首相訪中で中国との関係改善を加速化させたい考えだ。
 海上の危機管理メカニズムは、5月の菅直人首相(当時)と温首相との会談で、構築を確認。事務レベル協議が始まっており、関係部署による対話の場を設定する方向で調整が進んでいる。日本産食品などの輸入規制についても、原産地証明書を巡る日中間協議が近く妥結する見通しで、実務的な協力ムードは醸成されつつある。
 一方、08年に共同開発で合意した東シナ海のガス田開発問題は、条約締結交渉が漁船衝突事件を契機に中断したまま。中国では来年のトップ交代を控え、国内世論の動向に敏感になっており、主権が絡むこの問題の早期進展はハードルが高い。
 経済連携も焦点だ。日中両国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心とした経済連携に向け、作業部会の設置を共同提案した。しかし、日中韓FTA(自由貿易協定)の先に、ASEANプラス3(日中韓)、ASEANプラス6(日中韓とインド、オーストラリア、ニュージーランド)のどちらを追求するのか方向性は定まっていない。
 ◇中国、対日関係の安定望む
 中国政府はアジア重視を掲げた民主党政権の発足時に期待を寄せたが、相次ぐ首相の辞任と不安定な政権基盤に戸惑い続けてきた。
 日中関係に詳しい清華大学現代国際関係研究院の劉江永副院長は「外交の継続性は信頼の基となる。中国は周恩来やトウ小平の言葉を引用しながら中日関係の重要性を訴えるが、日本は同じ民主党政権でも(鳩山由紀夫元首相が提唱した)東アジア共同体を口にする人が今ではいない」と指摘し、日本の政権安定の必要性を訴える。
 共産党指導部が交代する来年の党大会を控え、中国も敏感な問題を含む対日関係の安定は不可欠ととらえている。特に、漁船衝突事件から双方の国民感情が改善していないことについては中国も懸念、「国交正常化40周年をてことして関係改善にはずみをつけたい」(日中関係筋)という点では、一致している。
 また、対中攻勢を強める米国の主導で環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉が進展するなか、中国は日中韓による自由貿易協定(FTA)の交渉入りを日韓両国に強く働きかけている。
 温首相は玄葉外相との会談で、こうした構図を意識するように「中日は影響力のある大国として手を携え、東アジアの振興に貢献すべきだ。経済・貿易分野での強みを発揮して新たな協力分野を開拓しなければならない」と訴えた。【北京・成沢健一】

毎日新聞 11月23日(水)21時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111123-00000069-mai-pol


中国海軍6隻が沖縄沖通過 公海上、自衛隊機が確認

 防衛省は23日、中国海軍の艦艇計6隻が22~23日にかけ、沖縄本島と宮古島の間の公海上を、東シナ海から太平洋に向けて通過したと発表した。公海上のため国際法上の問題はない。防衛省によると、海上自衛隊のP3C哨戒機が22日午前11時ごろ、宮古島の北東約100キロの海上を通過する中国海軍の情報収集艦1隻を発見。海自は同じ海域で、同日夜から23日にかけミサイル駆逐艦など5隻を見つけた。

2011年11月23日13時03分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/6054789/

 さて、私は24日病院にいるので、あまり長文を書くことができないので、今回は少し私の文章は短めでご容赦願いたい。病院のロビーにある借りたコンピューターではなかなか難しいのである。 
 さて、この内容に関して言えば、右手で握手しながら左手で銃を構えている。その中で笑顔で外交交渉をしている玄葉光一郎の姿が見えるのである。あまりにも恥ずかしいし、そのような状況が完全に予想されているのにもかかわらず、中国にいながら一つの抗議もしてこない状態は忌忌しいことである。
 そもそも、国防や国家という概念のない民主党。地球市民などといって中国にも韓国にも出ているようでは話にならない。また玄葉外務大臣には週刊誌上で「尖閣を中国に差し上げればよい」などといっている話も伝わっている。そのような状態である中で、日中外交はしっかりと行わなければならないのであるが、その外交が片方で交渉をしながら片方で一川【素人】防衛大臣との連携も全くできていない状態で、情報も何もない状態の外交交渉をしている。外交は完全に二国間で行われるものではない。その外交交渉の成果は各国の首脳が見ている。片方で交渉しながら片方で領土を護れない日本の現在の政府は、世界各国に嘲笑されるもとを作りに言ったようなものだ。なおかつ、軍艦が無断で通っているにもかかわらず「戦略的互恵関係」だそうだ。噴飯ものとはこのことを言うのであろう。
 はっきり言うが、民主党政権が恥ずかしいので外交を行わない方が良い。このような外交を行うくらいならば外務大臣は空席にし政治的に鎖国をした方がどれほどよいか。国家観、国家としての自負があり、同時に、その交渉を行うための情報を常に入れることができるようにしておかなければ外交交渉などはできない。刻一刻と変わる世界情勢に対応できないで、自国の足元も監視できない外交交渉を、誰が相手にするであろうか。内容よりも、この体制そのものが日本の恥である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

震災から8カ月で復興できない大槌町詳報

震災から8カ月で復興できない大槌町詳報

 本日は、「ニュース解説」でありながら、ニュースではない事をお断りする。あらかじめご容赦願いたい。
 23日は本来は新嘗祭。宮中の大事な行事であり、同時に、五穀豊穣を感謝し、来年の豊作を祈願する重要な祭りである。現在は「勤労感謝の日」として、国民の祝日になっている。もちろん、これは、新嘗祭そのものが働いた人の成果に対して感謝を行うものである。もちろん、働いた人ではなく新嘗祭は恵みを与えてくれた神々であるが、日本の場合は人間にも神が宿るという感覚があるため、働いた人に感謝をしても、新嘗祭の延長ということが言えなくもない(かなり苦しい)。戦後の人々が宮中行事をGHQ統治下で使えない状態であったと思う。ましてや宮中行事を国民の祝日にするなどとんでもない話ではなかったか。そのように考えると、現在は「本来は新嘗祭」などといっている人もいるが、日本の新嘗祭の伝統とその意味を護りつつ、GHQの占領下にそれとばれないようにした当時の人々の苦労がうかがえる。そのように考えれば、元旦はそんなに難しくはないが、建国記念日の紀元節、天皇誕生日の天長節、明治節を文化の日など、なかなか苦労した内容ではないのか。ある意味で宮中行事をしっかりと認識しながら、GHQに「敗戦した」(周旋したではないことに通意をしてください)事実をしっかりと認識し、その環境下で日本とその祝日の意味を残そうとした当時の人々の苦労も感じ、敗戦の国辱を感じるのは悪くないのかもしれない。
 その「国辱」といえば、最近の民主党の政権のそれはかなりひどいものではないのか。いちいち書かないが、すでにブログに書いた国賓を迎えた晩餐会の欠席など、その内容のひどさは日本国民すべてが知るところであろう。
 さて、現在の政権下において、祝日を単純に祝日として祝う気にはなれない。とくに今年の場合は、そもそも2月の新燃岳の噴火、3月の東日本大震災と津波、それから派生した福島原発の放射能漏えい事故、9月には台風12号と15号、こんなに自然災害が日本を襲った年はないのではないか。そのうえ愛子さまも陛下も御病気で入院というのは、さすがに新嘗祭といえどもいかがなものか。
 そう思い、また、仕事もあったので、今年の23日は岩手県大槌町に出張し、碇川町長に話を伺い、震災から9カ月たった被災地の状況を見てきた。このインタビューの模様は、JAPANISMに掲載するので、今日はそうではない部分や私が大土に言った印象を改めてここに書いてみようと思う。
 今回は釜石まで電車で行き、後は車である。釜石駅前は、以前と変わらない状況。しかし、その辺でも1.5メートルくらいの津波が来たという。途中海側を走ると、一回が何もなくなっている建物が目立つ。「すごいですね」というと、運転していただいた方には「ここはまだあるからいいが、トンネル越えたら何もないから」という。
 気がつかない人もおいのかもしれないが、トン年ルを越えたところは木が白くなって葉がすでになくなっている一帯がある。「寒いからもう葉が落ちたのですか」と聞くと「これは全部津波の塩害でやられたものです、という。塩害がかなりの広範囲で山や野原にまで広がっていることが分かる。
 大槌町に入って何もない。それでもスーパーマーケットや薬局などがすでに建築工事を始めており、町は徐々に戻ろうとしている。しかし、周囲の家は全くない状態だ。まさにテレビで見るとの同じような状態だ。はっきり言う9カ月以上たっていまだに瓦礫の山はかたずいていないのである。町から瓦礫とご遺体がなくなっただけ、いやなくなったのではなく、がれきは一か所に山になっている。ご遺体はすでに埋葬をしている。そんな状態だ。それ以上は何も進んでいない。しかし、このようなところでもパチンコ屋だけは真っ先に営業をしているのには感心した。娯楽とかそういう意味もあるが、他に何かすべきではないのか。
 神社はみんなの手で守られ、そして大事にされていた。しかし、それ以外の施設、警察も消防署も学校も病院も、すべてがなくなっているのであるからどうにもならない。
 町そのものは、人の力で何とか生き帰ろうとしている。ちょうど、植物の芽が出るときに、上に土がかぶっていてもがんばってはを広げようとしている姿い似ている感じだ。しかし、その上に乗っている土は非常に重い。そして、それを助けるための力であるはずの国政(民主党政権)も、また、その目に力を与えるはずの肥料や水(補助金など)はまったくまだまだ先の話だ。産みの苦しみという言葉は簡単であるが、実際はそのようなものではない。
 祝日であったがボランティアの姿は全くなかった。今年の五月の連休はボランティアが山ほどいて収拾がつかなくなっていた。しかし、9ヶ月たつとその姿もなく、結局町の人だけで復興し、そしてその状態で年を越さなければならない。三次補正予算が、どれほど遅く、そして暦の代わる時期に間に合わなかったのか、その間の永田町の菅直人の空白と福島の原発ばかりに力を入れた偏重行政は、何とかならなかったのか。
 「白いキャンパスに絵を描くようなものです」碇川町長は、復興計画についてこのように言った。そして「復興には非常に多くのマンパワーが必要です。年齢条件も取っ払いました。」これがまさに本当の姿なのではないか。多くの人に感謝していると言いながらンも、やはり町の行政を考えれば、年内に、何とか将来像を見せ、明るい未来を住民に示さなければならないであろう。その苦労と苦闘は、私にはわかるはずはなく、ただ大変であるということは伝わってくる。
 今日は、このような文章にした。詳しくは12月に発売するJAPNISMに記載するのであるが、今でも、復興は終わっていない。予算だけではなく多くの人の知恵やマンパワーが必要だ。反原発デモとかやっている暇があったら、復興を手伝ったらどうか。そう思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本に先駆けてアメリカと自由貿易の韓国で国会が戦場に

日本に先駆けてアメリカと自由貿易の韓国で国会が戦場に

 呼んだ方も多いのではないか。産経新聞に面白い記事が出た。もちろん、産経新聞だけではないのであるが、ロイター配信であるからどの新聞の記事も基本的にはあまり変わらない記事になっている。
 韓国の国会で、与党ハンナラ党は22日に突然国会を緊急招集し、そのまま韓国とアメリカの間で締結された自由貿易今日手(FTA)に関しての批准を決議した。最大野党の民主党は、これに対して国会の日程に関してボイコットをするなどとしていたが、ハンナラ党は強行採決を行った。その中において、民主党の議員が国会内で催涙弾投げるなどして議会進行を妨害したのであるが、賛成多数で採決が行われた。これによりFTAは来年1月から施行されることになる。
 しかし、この韓国の議会はすごい。日本の議会でも議会内で催涙弾が発砲されたことはない。安保騒動の時も、国会の敷地外に押し掛けた学生デモ隊と機動隊の間での衝突はあり、放水車や催涙弾があったと言われている。しかし、国会の中においてそのようなことがあったことはない。火炎瓶などが投げ込まれることがあってもその限りのことである。しかし、韓国の場合は一味違う。議員自ら催涙弾を持ちこんで議会上の中でそれを議長席に向かって投げるのであるから、「すごい」としか言いようがない。どちらかというと嗤うしかない。韓国の人には大変申し訳ないが、はっきり言って韓国の国会議員の質というのが良くわかるエピソードではないのか。
 日本のマスコミは、この事件を報じているものの、基本的にはあまり論評はしていない。しかし、今年の8月にあった日本の自民党議員三名が鬱陵島訪問を企画し、金浦空港に閉じ込められたときのことを思い出せば、空港ないという公共の建物の中で、火を燃やしたり大声で騒いだりするのであるから、そのことを考えれば、公共の建物の中で火を燃やしたり、大声で往来の妨害をしたり、あるいは、国会の議会上の中で催涙弾を投げたりするのが、韓国の民度ということであろう。それは、法律とか公共の重要性ではなく、一種の「愛国無罪」のような状況が生まれているということになっているようであり、同時にそのようなことが許されるどころか、国民に歓迎されているということが最大の問題なのかもしれない。
 とりあえず、そのロイターの記事を読んでみよう。


韓国議会、米韓FTA法案を可決 催涙弾や怒声で議場は大混乱

 【ソウル=加藤達也】韓国の与党ハンナラ党は22日、採決をめぐり与野党間で激しい攻防が続いていた米国との自由貿易協定(FTA)の批准同意案を、緊急招集された国会本会議で強行採決し可決、成立させた。米国側は批准手続きを10月に終えており、米韓FTAは李明博大統領が目指していた来年1月にも発効する。
 強行採決に最大野党・民主党が今後の全国会日程のボイコットを宣言するなど政権との対決姿勢を一層強めており、政権は厳しい国政運営を迫られそうだ。
 野党側はFTA発効で「社会の二極化が進む」などと反発していたが、処理が停滞した最大の理由は条項に盛りこまれた「国家・投資家間における訴訟制度(ISD)」に対する警戒感が大きかったためだ。
 ISDは投資家が不利益を被ったと認識した場合、投資先国の裁判所ではなく国際仲裁機関に提訴できる制度。企業の海外投資が多い韓国側に有利な側面もあるが、反対派は「政府や地方自治体が訴訟対象となる可能性があり、敗訴すれば国民にツケが回る」として削除を要求していた。
 事態の収拾のため、李明博大統領は国会を訪問。与野党に協力を要請し、発効3カ月以内の再交渉という妥協案も示すなど異例の対応に出たが、野党側は同意しなかった。22日の本会議には与野党議員170人が出席。怒号の中、採決直前に野党議員が催涙弾を投げるなど一時混乱したが、賛成151票で可決された。

2011.11.22 19:25 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111122/kor11112219300005-n1.htm

 さて、このことは日本のTPPとも同じ内容であり、また日本のTPPは韓国のFTAと比較して語られるものである。今年の日曜日の記事で書いたように、私自身は、TPPそのものに関して反対というのではなく、少なくとも今ではないし、民主党の政権でまともな外交京証ができるものではないと考えているので、その意味において「時期尚早」というのが結論であると言える。週刊新潮に書かれているように、「中国に尖閣諸島を差し上げればよい」などという話をする外務大臣であれば、実際のところ、国会でどのようなことを言おうと、またはマスコミの前で何を言おうと、それらは国民をだますための仮の姿であり、そもそも外国人よりも日本の売国に真剣に動いているということになりはしないか。
 そのことと同じ議論が韓国で行われている。それでも韓国の場合は、農業に関して法人化を進めたり、農業経営をそのまま農民に教えたりということを国家が主導で行っていた。日本はその間補助金という名のバラマキで、民主党政権は農家戸別補償という独自の新たなバラマキを検討し、マニフェストに掲げ、そのうえでその財源がないということで、消費税増税をしようとしている。
 実際に日本国内におけるTPP反対派は、非常に大きな力を得ているが、同時に、1月以降韓国がどのようになるのか、そのことをよく見極めてTPPのことを決めることができるので、国民の意思を無視した韓国ハンナラ党の決断は、日本国としては歓迎すべきなのかもしれない。もちろん、野田内閣がこのようなことから自分たちの為政を省みて参考にするという力があれば、のことである。
 しかし、そのようなことをしているからといって、自民党の議員が国会内で催涙弾を投げるということはない。心情的には爆弾でも投げたいという人は少なくないかもしれないが、そのようなことをしないのは日本人の民度が高いことの表れではないのか。実際に、催涙弾を投げたところで、可決されてしまっているのであるから、話にならない、というか、話題になっただけで、国際社会に韓国の議会と国会議員のレベルの低さを露呈しただけのことでしかない。
 逆に言えば、日本のマスコミが一生懸命報じている韓国における「反日デモ」も、または韓国芸能人の流行も、このような民度の国民が来て何かをやっているものでしかないとい言ううことである。一方で、このような国に儀典書を差し上げたり、あるいは竹島の不法占拠に対して正当な抗議ができないなどでは、民主党政権もそれより前の自民党政権も、同じようなレベルの議員なのかもしれないと日韓以外の諸外国に思われているのかもしれない。
 このような国会の恥は、まさに国家の恥である。日本も同じだ。昨日のブログで書いたように、日本の閣僚が皇室主催の国賓を招いた晩さん会に欠席するという非礼をした。これも、議会内で催涙弾を使うのと同じくらい恥さらし、ひょっとするとそれ以上の国家の恥なのかもしれない。そのようなことを国会で追及される前に、彼らは辞任しまたは野田首相は罷免すべきである。韓国の議会のように国際的な恥をさらす前に、そのようなことを考えなければならないのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国賓よりも政治資金が大事、不敬な大臣たち

国賓よりも政治資金が大事、不敬な大臣たち

 土日を挟んだので、この話題に触れるのが遅くなってしまった。少し時期遅れのような気がするが、この話題はどうしてもここで触れておかなければならいのではないかと考えている。
 ブータンの国王夫妻が家今後1ヶ月という落ち着かない状態であるにもかかわらず、日本を訪問した。日本はこの国王夫妻を国賓として迎えた。国賓として迎えた場合は、当然に日本国を挙げて接遇するのがふつうである。このようなことはここで書かなくても常識であるし、当然に、日本以外の国でも当然のことである。あまりにも当然のことであって、法律や規則などに書かれることはない。しかし、この「当たり前」のことを無視して、自分の政治資金パーティーに出席した大臣がいる。一川保夫防衛大臣である。国賓であるから当然に皇室主催の食事会が行われている。その皇室主催の宮中晩餐会を欠席し亜のは、一川大臣だけでなく山岡賢次国家公安委員長、川端達夫総務相、細野豪志環境相が欠席した。これで「国賓」を接遇する感覚があるのか、そもそも日本国の行政府の大臣であるという感覚が彼らにあるのか非常に疑問であるし、このようなニュースが流れたことによる日本国の「国際的な恥さらし」を徹底的に糾弾すべきであろう。
 それも一川防衛大臣の場合は悪質で、そのことを知りながら「ブータン国王が来て宮中で催し物があるが、私はこちらの方が大事だ」とあいさつしていた。この発言は、単純に、ブータンの国王や国家としての価値よりも自分の懐の方が大事ということになっている。このようなことで閣僚が務まるのか。はっきり言って不敬であるということが言える。
 また蓮舫大臣は宮中で携帯電話を使い、話をしているなど、とてもとても敬意を払うというようなことは全く考えていないのである。ただ単に怒りを感じる以外にはない。

防衛相の晩餐会欠席「ブータン国王よりもこっちが大事」野党徹底追及の構え

 一川保夫防衛相が16日夜、国賓として来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻を歓迎する宮中晩(ばん)餐(さん)会を欠席し、同僚議員のパーティーで「ブータン国王が来て宮中で催し物があるが、私はこちらの方が大事だ」とあいさつしていたことが17日分かった。
 国王夫妻にも皇室にも礼を失する行為だといえ、自民党など野党は参院での問責決議案提出を視野に徹底追及する構え。
 発言は参院予算委員会でも取り上げられ、一川氏は「軽率だった。申し訳なく思い、反省している」と陳謝した。藤村修官房長官は首相官邸に一川氏を呼び「宮中行事を軽視するかの発言は軽率だ。厳に慎むように」と厳重注意した。
 この後、一川氏は記者団に「自分の任務はしっかりと責任を持ってやっているつもりだ」と述べ、引責辞任を否定した。
 自民党の谷垣禎一総裁は「閣僚が国賓をどう迎えるかという基本的姿勢がしっかりしていない。政権全体の問題だ」と述べ、追及する考えを強調。公明党の山口那津男代表も「非常識であり閣僚の資質が欠けている」と批判した。
 宮中晩餐会には全閣僚が招待されたが、一川氏のほか山岡賢次国家公安委員長、川端達夫総務相、細野豪志環境相が欠席した。
 また、藤村氏は17日の記者会見で、晩餐会の席上で携帯電話を使用した閣僚がいたことを認めた上で「行事進行上支障を生じることのないように」と全閣僚に注意したことを明らかにした。携帯電話を使用した閣僚は特定できていないという。
 自民党は、他の欠席閣僚についても理由が適切だったかどうかを追及する構え。携帯電話問題についても閣僚の特定に向け、調査を始めた。

産経新聞 11月17日(木)22時48分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111117-00000617-san-pol


防衛相の晩餐会欠席 民主党政権の安保危機意識の薄さ露呈

 アジア太平洋の安全保障環境が大きく変わりつつある中、民主党政権の安保・防衛問題への認識の薄さがまた浮き彫りになった。宮中晩餐(ばんさん)会より同僚のパーティーを「大事」と言い放った一川保夫防衛相は防衛政策でも「素人」を公言しており、野田佳彦首相は任命責任を免れない。
 一川氏は9月2日就任に際して記者団に「私は安全保障に関して素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と発言して批判されたが、反省の色はない。
 10月15日には地元・石川県の民主党県連パーティーで「防衛省、自衛隊の仕事は私より前原誠司政調会長のほうが詳しい」と発言するなど素人ぶりはむしろエスカレートしている。
 米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、10月17日に沖縄県の仲井真弘多知事と会談した際は「私も航空自衛隊小松基地を抱える石川県に生まれ育った。地元の悩みや苦労は分かっている」と米軍基地と自衛隊基地を混同した。このとき仲井真氏は黙っていたが、2日後に会談した玄葉光一郎外相に「首相の指揮命令系統にある自衛隊と米軍基地が全く違うことが分かっているのか」と詰め寄った。
 10月25日には衆院安全保障委員会で平成23年版防衛白書について「正直言ってまだ全部目を通していない」と発言。11月12日には、年内に提出予定の普天間飛行場移設に関わる環境影響評価書について「無理に提出するものではない」と言い放った。
 防衛省内での求心力は皆無に等しい。10月7日に起きた航空自衛隊小松基地所属のF15戦闘機の燃料タンク落下事故について同月11日の「防衛省は国民目線の観点が十分浸透していない」と身内を批判し、自衛官の総スカンを食った。
 南スーダンへの国連平和維持活動(PKO)への陸上自衛隊派遣は外務省主導で決まり、当事者の防衛省はほぼ“蚊帳の外”。年内に控える航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)の選定では、一川氏に政府・与党の調整役を期待する声はなく、北沢俊美前防衛相が「影の防衛相」として影響力を強めている。(坂井広志、峯匡孝)

2011.11.17 22:44  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111117/plc11111722450016-n2.htm

 さて、アメリカ合衆国。この国は歴史も浅く(日本よりも歴史の深い国は少ないのであるが)また多くの移民の集合体であるということを自ら認めている国である。しかし、その分象徴性である星条旗を侮辱されたり、あるいは、国旗を棄損されたりということになると非常に大きな怒りを感じる。移民の国であり歴史が浅いことが、そのまま国家の象徴としての団結を揺るがす行為を絶対に許さないということになっている。
 このような精神性が、アメリカ合衆国の強さであり、アメリカ人の多くのアイデンティティにつながる。国家の帰属意識を持つことは、そのまま「守る者」と持つことである。まもるものがないものは、ただ単に終戦度となり自分のことしか考えない。重要な部分でも妥協を行ってしまい、その自分の礼を失した行為を気づかないのである。
 今回は、まさにそのようなことが表に出た行為ではないか。民主党の多くの政治家たちの国家観の無さ、日本国国民であるといアイデンティティの低さは、そのままこのような「国賓」という国家の行事を「国家の行事と思わない」非常に低い精神性を露呈してしまうのである。その行為は、まさに閣僚にあるまじき行為であり、同時に、このような行動は売国奴といわれる所以につながるものである。
 日本人は不幸である。このような「国家観」のない人物たちが閣僚にいるのだ。、
 もちろん国賓だからといって、どんな状態でも必ず出席しなければならないというものではない。今回健康上の理由で天皇陛下ご自身が御出席にならなかった。もちろん、そのために皇太子殿下がすべて名代を勤められ、なおかつ、陛下ご自身からお言葉が出ている。これに対してブータンの国王は、一日も早い平癒をお祈りしますということで、ご理解されている。このような健康上の理由など正当な理由がある場合に、欠席することを責める人はいない。また、そのような人はしっかりと名代を立て、欠席をする非礼に対してしっかりとした対応を行う。では、彼ら大臣は欠席に当たりそのような正式な対応をしたのか。それもない。単純に言えば、国賓を迎えるだけの、しっかりした礼や格式も何も分からず、ただ単に日本の閣僚の恥を撒き続けているのである。
 日本人の多くは、これで日本の政府は国家観のないものが行ってはいけないということが分かるのではないか。同時に、その国家観のない人が閣僚にいる現在の政権をどうしなければならないのか。それはここで言わなくてもわかることである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(70) 新聞社内の争いが生む外界の軋轢

マスコミ批判に関する一考(70) 新聞社内の争いが生む外界の軋轢

 しばらくテレビの世界のことばかり書いていたので、久しぶりに新聞社の中のことを書いてみたい。ちょうど面白い事件が発生したので、これはこれでひとつの記事になるのではないかと思っている。
 新聞とテレビは、同じマスコミでも基本的に違うということを考えていただきたい。これは完全に政策サイドの話であるが、その内容はまったく異なるといっても過言ではないのである。テレビの場合はプロデューサーとディレクターが基本的には権限を持っている。週刊誌の編集長とあまり変わらない。編集長が万能で、その編集長の性格で週刊誌というのは変わってくるのであるため、記者やライターが何を言っても編集長の権限の範囲内でしかないのである。ぎゃくにいえば、週刊誌は編集長のおもちゃとも言える。一方テレビはそれ以上にプロデューサーとディレクターの権限が強い。しかし、雑誌と違うのは、その番組の制作のほとんどを制作会社と割れる外部の人が行っている。基本的に、生放送でない限りにおいて、編集会社の編集によってまったく異なってしまうことになるのだ。
 一方、新聞は各部署がいてそのデスクが采配を振るう。しかし、取材と記事を書く人は同じ新聞社の人であり、そうでない場合は「署名記事」ということで誰が書いたかを明らかにする。投稿のコーナーなどはペンネームや匿名もあるが、基本的には書いた内容に関しては、その投稿コーナーの編集も含め、新聞社がすべての責任を負う。編集責任というものがあり、その責任において編集記事量や原稿料とは違う編集費というものが発生するのである。
 さて、その新聞社においても社内において派閥争いがある。主に大きいのが社会部と政治部の戦いである。たまに経済部がそこに参戦することもある。基本的に新聞紙は新聞紙面の右上にその紙面【ページ】の内容が書いている。テレビ欄の裏は大概「社会」となっているし、「政治」「経済」「地方」などが基本的には備わっているのではないか。日経新聞はこのほかに「産業」というものがあり、または「地域経済」「市況」などというページもある。わすれてはならないのが「スポーツ」である。この各ページ編成に応じて新聞社には部署があると思っていただきたい。要するに「社会」面は社会部が、「政治」面は政治部が基本的に記事を作る。
 このうち1面といわれる、記事が最も記事としての価値があるのだが、そのページは「総合」となっているのが普通だ。要するに、もっとも必要と思われるトピックがここを占領する。政治面、経済面、社会面。どの面がここにきてもおかしくない。そして、この面を取れるかどうかが、各部署の部長の手腕ということになる。そして、その手腕が大きい人が社長(もしくは主筆、主幹など)になるのである。当然に、各部署ともに、その面の執り方や社内での派閥争いが出てくる。
 その部署の派閥争いが出てきたのが、巨人軍をめぐる渡辺主筆と清武球団代表の争いであるというのだ。

巨人内紛は読売新聞“代理戦争”か…政治部vs社会部の社内事情

 読売新聞グループ本社のトップ、渡辺恒雄・読売巨人軍球団会長(85)の独断専横を告発した清武英利・同球団代表兼GM(61)。無謀な下克上を断行した同氏について、かつての部下や周辺の者から漏れ伝わってくるのは「傲岸不遜」「親分気質」という相反した声だ。一方で、両氏の出身母体、読売新聞の派閥抗争を騒動の背景に挙げる向きもある。清武氏を“自爆テロ”へと駆り立てたものとは何だったのか。
 「一言で言うなら古いヤクザタイプ。私にとってはいい親分だった」と振り返るのは、清武氏が読売新聞東京本社社会部次長在職時、部下として働いた元記者のA氏だ。
 「関東の支局にいた私を『オマエは根性がある』と社会部に引っ張ってくれたのが清武さん。一本釣り人事でしたから、私にとっては恩人でもあるんです」(A氏)
 1999年から「清武班」に入ったA氏は、遊軍記者として経済事件や、暴力団犯罪などを取材。社内的に取り扱いが難しい案件でも清武氏は「気にする必要はない。どんどんやれ」と発破をかけて、部下をバックアップした。記者時代には、第一勧業銀行総会屋事件などのスクープを連発した同氏だが、「酒席でも、自分の実績をひけらかすことはなかった」(A氏)。庶民的な人柄から、「キヨタケブー」とのあだ名で親しまれていたという。
 人情家の顔は、球団でもみせた。昨年4月、くも膜下出血のため急逝した元巨人・内野守備走塁コーチの木村拓也氏=享年(37)=とはフロントと選手以上の関係を築いた。
 「2人はともに県立宮崎南高校の出身。2006年に木村選手を広島からトレードで獲得した際、清武さんの意向が強く反映されていた。地元の後輩として特別な思い入れがあったようです」(同社関係者)
 09年、7年ぶりのチーム日本一を花道に木村氏は現役を引退。翌10年からは、コーチに招聘して関係は続いた。自著「こんな言葉で叱られたい」(文春新書刊)では、《巨人軍の中では話せない夢が私にはあった。(中略)木村拓也をいつか母校の監督に据えて、二度目の甲子園を勝ち抜く夢である》と郷里の後輩に抱いていた密かな期待も吐露している。
 しかし、敵対する者には別の顔もみせた。
 「球団フロントに批判的な報道に対しては矢継ぎ早に『出入り禁止』を乱発。ソリが合わない番記者には冷淡で傲岸不遜な一面があった」(報道関係者)
 前出の自著「こんな-」でも部下の球団職員に身だしなみを注意され、《球団代表として面目丸つぶれ》と憤慨し、職員を部屋から追い出したエピソードを紹介している。
 「好き嫌いがハッキリしていた。目をかけた部下には丁寧に記者のイロハを教え込むが、指示待ち人間には辛く当たった。それだけに社内には敵も多かったと思う」(A氏)。ただ、こうした毀誉褒貶は大手企業の重役には付き物ともいえる。
 企業の内紛を取材し、見てきた本人がなぜ反逆し、当事者になったのか。ケンカするには失うものが大きく、怖い者知らずというには還暦を過ぎている。要は合点がいかないのだ。
 政治部出身の渡辺氏と社会部上がりの清武氏。母体が敵対する読売社内の派閥抗争が関係していそうだ。社会部OBのジャーナリスト、大谷昭宏氏はこう話す。
 「渡辺さんが社会部を嫌うようになったのは、番記者をしていた自民党の実力者、大野伴睦氏の土地問題を東京社会部が追及したのがきっかけ。『オレの親分に何をしやがる』という感覚で、それ以来『社会部憎し』の風潮が政治部内に一気に広まりました」
 その対立を象徴するように、社内では社会部を揶揄するこんな蔑称が流れたという。
 「中国で文化大革命が巻き起こった当時、言論統制の先兵として活躍した学生組織の紅衛兵をもじり、『社会部紅衛兵』と呼んだ。重箱の隅をつつくように政治家のアラを探すというわけです」(大谷氏)
 だが、老練な渡辺氏は人事面では、社会部出身者を巧みに利用してきた面もある。
 「社会部の腕っこきを球団の要職に迎えた。桃井(恒和)さんや滝鼻(卓雄)さんもそうだが、歴代の球団代表はいずれも社会部長経験者。ただ、敵陣営から引っ張ってきた人材は使い捨て。01年まで球団代表だった山室寛之さんは子会社に追いやられた。こうした渡辺さんのやり方に、清武さんは不満を募らせて、ついにチャブ台を引っ繰り返したのでは」(同)
 社会部畑一筋に記者人生を歩んだ熱血漢の清武氏と、大物政治家然と権勢をふるった渡辺氏。傍目には一枚岩の上司、部下でも、育った環境は「水と油」。巨人に送り込まれた先輩たちの“弔い合戦”でもあったのかもしれない。

2011.11.15 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111115/dms1111151558014-n1.htm

 この「清武の乱」を、単なる社内の上下関係で語る人は少なくない。しかし、たとえば、読売新聞社内における社会部と政治部の争い(朝日新聞にもそれはかなり強くあるし、日経新聞でも聞く話だが)を知っている人には、そのようなと頃に注目してこれを見てしまうものである。渡辺主筆が自民党内の記者クラブ、通称「平河クラブ」にいた頃、NHKのE元代表や日経新聞のT元社長などもいた。その頃は中曽根首相の頃であり、自民党がそれなりに強い頃だ。マスコミ内でも平河クラブ出身が最も幅を利かせていた時代であり、社会部や経済部はその内容をなかなか大きくかけなかった時代だ。しかし、社会部は、田中角栄元首相の判決が出たり、あるいは竹下大蔵大臣のスキャンダルなどがあり、また中曽根首相の不沈空母発言などで色めきたっていた時代。その時代に、社会部と政治部で一面争いをしていたのは容易に想像がつく。自民党よりと社会党(当時は社会党で土井たか子委員長がマドンナブームを出していた頃)で対立をしていた頃だ。社会部は、どうしても政権党のスキャンダルを追っていた。
 その当時の社会部は、(今は違うが)どうしても反執行部、反省権、反権力になってしまう。権力側の代表であった渡辺主筆とはそりがあわない。天下国家を語っている人と、その天下国家の中心人物のスキャンダルを追っている人。当然に立場も違う。この長年培われた性格の違いは、確かに、遺恨として残っている可能性は少なくないし、何かの折に、そのような内容が出てきてしまうのかもしれない。
 そして、これはたまたま巨人軍というスポーツの話になっているが、政治のところでも少なくない。政治をめぐる自民党と民主党の戦いを報じる新聞が、実は社会部と政治部の遺恨対決になっていることなどは少なくない。良く例えるが「朝日新聞」だからといって、社会部まで含めて全員が民主党支持者ではないのだ。その辺の内容を見ながら新聞を楽しむ余裕が読者にも求められていると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やまと新聞TPP号外配布

やまと新聞TPP号外配布

 本日は、普段ならば「宇田川敬介の東アジア放蕩覚書」の日ですが、今日はやまと新聞のイベント報告。そして、東アジア放蕩覚書はお休みします。なお、メールマガジンも本日はお休みいたしますのでよろしくお願いします。
 11月18日よりやまと新聞のTPP号外の配布が始まった。TPPの号外は18日からの三日間で30万部の配布の予定である。近隣の方にはご迷惑をおかけしていると思うが、ご容赦願いたい。
 今回は、その反響は非常に大きなものであったといえる。予定枚数が30分程度で終わってしまうというような報告が数多く寄せられている。配布を協力してくださった皆さんの危機意識の表れであるとも思うし、同時に、おおくの国民が興味のある問題であると考えられる。
 さて、では何が問題なのであろうか。
 TPPの問題点を、あくまでも現時点で少し整理してみたいと思う。私の場合、何よりも感情的にこの問題をとらえ、何が何でも自由貿易はよくないというつもりはない。同時に、景気対策さえすれば何でも構わないという、経済だけしかわからないような人の話に耳を傾ける気もない。TPPを経済の問題だけで特化する考え方はあまりよいものであるとは思わない。もちろん経済は非常に重要であるが、国家観のない経済論議などをしても何の意味もないのである。
 そこでTPPの問題点をまとめてみたい。それも、TPPそのものの内容ではなく、TPPを含む野田内閣の外交の問題点を考えてみたいと思う。TPPの内容の危険性に関しては、やまと新聞の号外を見ていただきたいと思う。
 1 国家観のない野田内閣にTPPを語る資格があるのか

 そもそも、TPPに限らず、外交は国家間における国益のぶつかり合いを調整するものである。クラウゼビッツの戦争論から考えれば、戦争が外交交渉解決の一手段である。逆な見方をすれば、外交は戦争の一種であるということも考えられる。では、当然に外交交渉で言えば、国益を得るところもあるし、交渉の結果やそのほかの取引に負っては国益を譲らなければならない部分もでてくる。国粋主義者は別にして、正常の感覚を持っていれば交渉である以上日本が常に勝ち続けることはない。もちろん、左翼自虐史観の人々が言うように日本が負け続けなければならないような話もないのである。
 では、その交渉を行うため、もっと言えば全権大使として国益をやり取りする場において、どのような取引が行われるのか。それは将来日本をどのようにするのかということを考え、その将来の日本の形を考えたうえで、その交渉時点の現状を比較して交渉を行う。
 ということは当然に、国家観がなければ交渉などはできるはずがない。国家観のない交渉はただの人気取りである。しかし、日本国内における人気取りはそれでも下劣であると思うが、国際社会における人気取りは、単純に言えば、単に日本の国益との差し替え、要するに各国に手放しで歓迎されているということは、その歓迎の大きさに比例した国益を失ったということに他ならない。
 もちろん、譲っても良い国益もあるであろう。しかし、国家観のない人が交渉できるほど、外交交渉は甘いものではないのではないか。その観点から言って、野田内閣または民主党内閣に、国家観や日本の将来像は何かあったであろうか。国家観のない外交交渉は国を滅ぼすものである。

 2  外交のできない野田内閣でまともな条約ができるのか

 外交交渉ができない野田内閣。まさにそのことは12日からのAPECでよくわかる。日米交渉で完全に手玉に取られ、言った言わないで話になり、そのうえ日米で認識の違う会談内容になっている。要するに、まともな条約交渉ができないということが明らかになったと言えるのではないか。
 外交は、「野田が言った言わない」ではなく「言っての条件で交渉の双方(または各国)が合意する」ということが重要である。交渉を行ったところで、交渉が行った後に、その双方が表現が違ったり認識が違ったりするようでは、話にならないしそれは外交交渉とはいえない。
 では、外交交渉はどのようにしたらできるようになるのか。上記と同じ国家観がなければならない。しかしそれだけでもだめだ。海外の国々は当然にしたたかに交渉を進めてくる。信頼関係などはない。国益のために行っているのであるから、例えは悪いが「詐欺師の集団の中にいる」と思わなければならない。「平和を愛する」などといっていても、国そのものがなくなってしまっては話にならないのである。
 要するに、しっかりとした国家観、これが基礎になる。これとは別に慎重でなおかつ相手の意向を踏まえた上での交渉力。これは相手の意向を知るということであるから当然に情報網がしっかりしていなければならない。その情報は情報を入手することと、その情報を分析すること、審議の見極めをすること、そのうえでその情報を使って交渉を進めることの三種類の総合力を持って情報力というのであるが、その情報力が存在しなければまともな交渉などはできやしないのである。
 野田内閣は、というよりは民主党全体がそうであるが、海外とのパイプもなく、そのパイプがあっても活かすだけの力も情報の分析力もない。そのうえ国家観がないので、情報があってもその情報を拾うことはできないし、情報を持っていても情報を活かすことができないのである。北朝鮮の拉致問題などにおける横田めぐみさんの生存情報、1年も前にあったにもかかわらずその情報が明らかになったのが今頃である。情報があっても何もできない、しっかりとした交渉や国際社会の場でそれらを活かすことができないということに他ならないのである。

 3 TPPに関する事前説明と国会での議論の不足

 条約を行う場合は、当然に調印とは別に国家での批准を行わなければならない。また国民の多くの反対があれば、国会で強行してもその後の選挙や国会での運営はうまくいかないであろう。そうならないように、国会において事前の情報の整理や情報の開示を行い、国会内における研究会や勉強会を行うべきであろう。これはTPPに限ったことではない。増税などに関しても同じであろうと思う。
 政権を取ったからといっても、それは独裁を許すものではない。当然に独裁を許すものではないのであるから、国民はその行政を監視しなければならないであろう。では、そのTPPに関する内容を監視の目にさらした時に、情報の開示がされていないという事実をどのように考えるべきか。
 議論の不足は、当然に政府による情報収集力の欠如や、情報そのものの問題の大きさを示している。その大きさは、議論の不足ということで、疑心暗鬼を生み、政府の政権運営の躓きを示す。
 特に、新しい枠組みを行う場合は、その制度のメリットとデメリットをしっかりとならべ、そのうえで、その制度が日本人的な考え方や習慣に合致するのかを慎重に考えなければならないのではないか。
 これはTPPに限ったことではなく、外交交渉、特に条約に至る内容のほとんどが同じものであると考えられる。では、野田内閣はどうか。情報の開示も行わず、ぶら下がりの記者会見も行わない。そのような状態で国民を納得させることができるのか。主権者は国民であって内閣の独裁ではないのである。そのことを根本的にわからない場合は、話にならないのではないかと考えられる。

 以上の理由を、外交交渉としてできていない野田内閣のTPP交渉としてまとめてみた。これらはTPPの条約の中身を完全に触れずに、その外交交渉が大きな問題になる。もちろん外交の権限は内閣にあるのであるが、その内閣の動きは国民主権のもとで行われているのではないか。
 野党各党は、このような外交交渉のもとで行われている内容をみて、賛成するのかということである。そもそも手続きの不備を主張すべきではないのか。これは与党の中にもそのようなことを言う人がいてもおかしくない。手続きの不備は、そのまま「何かを隠している」可能性を示しているのである。
 このようなことを考えながら、TPPの号外を配布した。内容そのものよりも野田内閣の外交交渉の進め方、そして、民主党の政策とTPPが絡んだらどうなるのか。号外では近未来小説なども書かれているので、是非お読みいただき、TPPや政治に関して考えるきっかけになっていただければありがたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

有能と無能の境目は何か

有能と無能の境目は何か

 土曜日は軽い話題だ。やっと土曜日が来たと思っていつも楽な気分になる。どうも私の場合、元来、政治や経済などの難しい話はだめなようで、まじめな話をすると息が詰まる思いになるのだ。私の講演などで、直接話を聞いていただいた方はわかると思うが、基本的に笑いの中で話をするようにしている。もちろん戦略的にとか、後で理由をつける事はたくさんあるのであるが、残念ながらそのような難しいことではなく、私自身が笑いを取らないと落ち着かない性格にあるようだ。シーンと静まり返った中で、ひとりではなしをしていると、どうしても大衆の中の孤独を感じてしまうのである。
 笑いの中で話をするのは何が良いのか。二つの効能がある。まずはかなり厳しいことを平気で言うことができる。何しろ笑いのなかで話をするのであるから、厳しい話も一緒に笑えるのである。人間は、何かアクションを起こすと、そのアクションと同時に記憶に残るものである。よく、地理や人の名前などをエピソードと一緒に覚えている人はいないだろうか。「あの時、落し物をして…そうそう」みたいな感じだ。それと同じで、政治的な主張や政治家の品性などは「喜怒哀楽」をいうが、この感情の起伏とあわせて記憶に残るのが普通です。保守系の人の中には「怒り」と一緒に物事を主張する人が少なくないのですが、私の場合、笑いの中にさまざまなメッセージをこめるようにしている。ちなみに、笑いには、「面白い」「喜ぶ」などの笑いと一緒に「嘲る」「安堵」などの笑いもある。どの笑いを使うかは、そのときの話題によって異なるのである。
 もうひとつの笑いの効用は「一体感」である。要するに、同じ内容で笑うことができる人は同じ価値観であるといえる。「愛想笑い」以外はそのような状態になる。特に「面白い」ところで同じに笑える人は「怒り」も同じである。笑いを入れることによって、そのときの会場の価値観を図ることができるのである。
 さて、そのようなまじめな話をまじめにできない私は、確かに「仕事のできない人」なのかもしれない。しかし、実際最近仕事のできない管理職が増えている。私はこれを「減点法症候群」と呼んでいる。日本の場合、戦後すぐに高度経済成長が発生し、そのために、高度経済成長の中から「能力が開く手も給料が上がる」というシステムと年功序列型人事制度ができた。私はこの二つは非常に日本的であるということが言えるのでるが、同時にこれは実績重視の人事制度ではなくチーム単位の仕事の方針になってしまいチーム内の軋轢が組織の疲弊につながるという功罪も含んでいるという。制度には常に一長一短あるが、その端緒ばかりを見ればおかしなことになるし、長所ばかりを賛辞しても何の意味もない。問題は、その一長一短がその国やその会社の風土、習慣に合致するかどうかということが最大の問題であると考える。その考えができず「改革」というな野本に、タダ古い制度や習慣をを壊すのは、単なる破壊者でしかなくて改革者ではない。要するに「革命者」は「破壊者」でしかなく、破壊者は国民や社員に不幸しかもたらさない。要するに改革者であれば、単純に習慣や歴史を重視し、その制度の「功罪」をいかに解消するかを考えるべきであり、因習、習慣、歴史を否定することは許されないものである。
 さて、年功序列、何もしないでも給料が上がるシステム(労働組合はこれをベースアップ、ようするに「ベア」と呼んでいる)の功罪は、コストとかそういうものではなく、「事なかれ主義」と「新しいことをしない守りの姿勢」であるといえる。この二つは新しいことをしないということになってしまい、因習、習慣、歴史にとらわれるあまり、企業や国家を古い因習に縛り付けて新たな発展を求めなくなるということになってしまう。それは、かなり大きな問題である。
 その人事制度に関して、面白い記事があったので少し見てみたい。

出世する人は“仕事ができない”ことをさらけだす

 厳しい経済環境のなかで、ようやく勝ち取った就職の内定。しかし、いざ入社してみると、厳しい研修や先輩からの指導に面喰う人も少なくはありません。あんなにきつかった就職活動を終えたのに、まだこんなに苦痛なことがあるのかと、心の声が聞こえてきそうです。「早く出世したい」というのが、最近の本音ではないでしょうか。
 「出世する人の特徴は、まず"仕事ができない"ということだ」
 フリーペーパー「R25」の巻末に、石田衣良氏と交互にエッセイを書いている高橋秀実氏。ここでのエッセイをまとめたのが、書籍『結論はまた来週』です。ここで、高橋氏は、"出世する人、しない人"について、持論を展開しています。
 高橋氏は、25歳でテレビ番組制作会社を辞めると、出版編集プロダクションに転職。半年後につぶれてしまったので、そのままフリーランスとして原稿を書く仕事を25年近く続けています。
 そんな高橋さんのまわりには、仕事ができる有能な人材がたくさんいたようですが、意外にも出世していないよう。むしろ、「大丈夫かな」と心配になった人たちの方が、次々と要職に就いていたりするというのです。
 彼らの立ち振る舞いを考察した高橋氏は、あることに気づきました。彼らは、「仕事ができない」というより、「できない」ことをさらけ出しているようなのです。
 「自分はできないので、人にやってもらうしかなく、それを自覚するゆえか愛想がよく、まわりも思わず手を貸したくなる。実際、こういう人がリーダーになると組織は活性化する。例えば会議でも、まず彼がダメなアイデアを口にする。部下たちは"そんなんじゃダメですよ"と思い、次々とアイデアを出す、というか出しやすくなるのだ。リーダーがダメだから俺が頑張ってあげようと、優越感とともに能力以上の成果をあげたりするのである」(高橋氏)
 リーダーが「できる人」だと、部下は従うしかないといったことが多くみられます。ミスを犯さぬよう委縮したりするので、アイデアもリーダーの考えのミニチュアになったりすることも。常に新しいアイデアが求められる組織においては、何の益もありません。
 リーダーには統率力や決断力が必要などとよく言われますが、本当に大切なのは本人の能力より、人の能力を引き出す「引力」だと、高橋氏は分析しています。
 しかし、このことを鵜呑みにして「できない」を正当化したり、愛想を振りまくことだけに注力していては危険です。「大丈夫かな」と心配されているなかで、要職に就いた人たちはどのような努力をしていたのでしょう。その想像を膨らませることが、まず大切なのかもしれません。

WEB本の雑誌 11月13日(日)17時4分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111113-00000301-webhon-ent

 ある組織において、その組織そのものの大きな問題は、その組織のトップのカリスマ性である。そのカリスマ性が大きく、社会にマッチしている場合はそれでよいかもしれないが、逆に、その内容が社会にマッチしていなくなった場合に、組織そのものが疲弊化してしまう可能性が少なくないのである。そのようなときに、管理職が全てそのカリスマのイエスマンしかいない場合は、組織そのものが没落する。
 そしきのよさは、常にカリスマ外ながらそのカリスマをアンチテーゼするチェックマンが入ること。要するに「どのような制度にも一長一短があり、その一長一短が習慣や歴史、そして社会に適合しているかどうかを見ること」が最大の問題である。その問題性がまったく見失われている場合は、はっきり言って何もできないということがいえるのではないか。
 しかし、日本は「接待の文化」である。要するにトップには向かって出世できることはない。すぐに派閥ができ、その派閥を持って対立軸を作る。特に日本のマスコミは頭が悪いので勧善懲悪の二律軸としてしまう。そのマスコミによって頭を刺激されている日本人の多くはやはり勧善懲悪型の思考で組織内対立をしてしまうのである。そのようにならないようにするために、出世する人は「事なかれ主義」になってしまう。要するに仕事ができない人であり、なおかつ仕事ができないということをさらけ出す人になってしまう。これが日本型組織没落の根本ではないのか。とはいえ、この日本型組織を否定するのは早計である。その功の部分を見なければ、要するに日本型組織を否定することそのものが、非常に日本的な「勧善懲悪」になっているからである。
 昔の有名な政治家の秘書に「仕事ができないことが有能なしるし」という人がいたという。そのようなことだから日本の政治が退廃したのかもしれない。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

民主党政権で迷走する拉致問題で解決はお蔵入りか

民主党政権で迷走する拉致問題で解決はお蔵入りか

 私は、どうもひねくれているようで、多くの人がTPPといい始めると、私自身はTPPはなんとなく終わった感が強くなってしまう。山岡国家公安委員長の問責に至る経緯(山本一太議員が問責を出すといっているので)に関しても、私からすれば、3年前の前田雄吉元衆議院議員が辞任したあたりで、なんとなく終わった感じがある。もちろん、そのときに逃げおおせた山岡賢次議員は逃がさないという感覚を持っているのであるが、残念ながら、その感覚に関して、そこに執着することはあまりないのが現実である。はっきり言って、執着できるほど暇人ではない。誰かに聞かれれば、ほとんどよどみなく答えることができるのであるが、逆にそのレベルであって、自分から積極的に動く気はしないのである。元来無精者であり、同時に、流行するとなんとなく面白くなくなってしまうというこの性格は、マスコミのような時流に載って文章を書く仕事に向いていないのかもしれないと思うときもある。
 さて、その山岡賢次大臣に関することだ。今回は、国家公安委員長という肩書きでも消費者担当大臣という肩書きでもない。拉致担当大臣に関する肩書きである。
 山岡拉致担当大臣は、これまで拉致議連に入ったこともなければ参加したこともない。そもそも拉致などには興味がない。北朝鮮に関する拉致事件の本質(ただ、拉致というと、他の誘拐事件などと誤解されるという苦情があるので)は、日本国民が日本国内において、平穏無事に暮らす権利、ようするに、領土と国民、そしてその権利であるから日本人としての主権を非合法に侵害されたということである。「領土」「国民」「主権」という国家としての三つの要素を完全におかされ、それに対して問題視しないというのは、まさに国家観の欠如ということが言えるのではないか。しかし、一方で、「拉致問題だけ」に特化するということはこれまたできない。われわれといえども生活があり、その生活を支えるために内容を何とかしなければならないということになる。要するに拉致問題を支援はできるが、主体としてそのことでわれわれ支援者も生活ができなくなっては問題だ。そこで、余暇的な時間(といってらかなり失礼であるが)に拉致のことを考え、同時に拉致の被害者に思いをめぐらせ、できることを行うというのが拉致に対する一般人の基本姿勢であろうと思う。
 これに対して、政治家は、国家の基本要素を非合法に犯されたのであるから、そのことは怒り、そして活動し、何とかその国家としての要素の復権に勤めるべきではないのか。そのことは単純に政治家が国家観を持っていなければならないし、その国家観にしたがって、しっかりとした対応を行わなければならないのではないか。
 さて、民主党政権はそもそも国家観も正当としての綱領もない。その内容は完全にどうかしているということになっている。特に在日外国人参政権の付与を進めていて、外国の大使館まで出向いておべっかを使い、一緒にゴルフにいって媚を売っている山岡賢次大臣に、そのような国家観を求めることは不可能といえるであろう。単純に言えば、在日外国人参政権の付与ということを推進している議員は、北朝鮮から来た朝鮮総連の人々にも参政権が付与されるということをしみしているのであり、その内容は、拉致をした国の人々を日本の政治に参加させるということを意味しているのである。そのようなことを推進している山岡氏に、拉致が解決できるはずがない。
 そこで、山岡氏は拉致に関して保守派の某氏(Sさんと聞いているがその真相は不明)に相談し、松原仁国土交通副大臣に兼務を要請した。しかし、省庁をまたいだ兼務そのものは認められていないし、そうであれば、国土交通副大臣と総務副大臣(総務省が拉致問題の担当省庁である)の大臣の兼務をしなければならない。しかし、総務副大臣は全て人が埋まっていて、中途半端に拉致問題だけ松原仁副大臣にいライルという歪な関係になったのである。
 しかし、総務委員会埒特別委員会で「国土交通副大臣松原仁君」という呼称に対し、自民党からおかしいという指摘があり、松原仁議員が拉致担当から外れるということになった。

拉致問題担当の兼務問題、官房長官らを処分

 北朝鮮による拉致問題担当の松原仁国土交通副大臣が兼務を解かれたことについて、野田首相が藤村官房長官を厳重注意、竹歳誠官房副長官を訓告とする処分を下したことが15日明らかになった。
 後任は、同日付で後藤斎内閣府副大臣が就いた。同日の参院予算委員会で藤村氏が自民党の宮沢洋一氏に答弁した。
 首相は内閣発足直後の9月6日の閣議で松原氏に拉致問題担当の兼務を指示した。拉致問題は国土交通省の管轄外のため、自民党の小泉昭男氏が今月2日の参院代表質問で国家行政組織法違反だと指摘。同党は、副大臣ポストが天皇が認証する認証官の要職でもあることから、人事の取り消しを求めてきた。
 松原氏自身は超党派の国会議員で作る拉致議連の事務局長を務めるなど、拉致解決に携わってきた。

(2011年11月15日22時05分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111115-OYT1T00966.htm

めぐみさん母「日本中が立ち上がって」=拉致から34年―新潟で県民集会

 横田めぐみさん=失跡当時(13)=が北朝鮮に拉致されて34年となる15日、新潟市で市民ら600人が出席し、「忘れるな拉致 11・15県民集会」が開かれた。めぐみさんの母親の早紀江さん(75)は「私たちももうクタクタ。娘は元気でいると祈りながら暮らしている。どうか日本中が立ち上がって」と早期解決を訴えた。
 集会では、めぐみさんが卒業した小学校の校長で、先月死去した馬場吉衛さん=救う会新潟会長=の冥福を祈った。早紀江さんも「めぐみを本当の娘のように思い、顔を見るまで死ねないと私たちを助けてくれた」と故人をしのんだ。 

時事通信 11月15日(火)21時27分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111115-00000134-jij-soci

 拉致問題は国家観の問題であるということを言った。同じことが副大臣の認証や天皇陛下からの認証式、そして省庁間の職務の分掌という国家の基本的な問題にかかわる内容であるといえる。そして、民主党にはそれが決定的に欠けているということが言えるのではないか。
 松原氏の問題は、松原氏一人の問題ではなく完全に民主党の「独裁体質」「成文法に従わない身勝手」そして「国家や国民を軽視している態度」ということにつながる。認証のない副大臣が行政を行うということは、単純に、国対に対する考え方がないということである。国体に対する考え方がないということは、逆に言えば、自分たちで独裁してもかまわないと思っているということに過ぎない。要するに左翼的な独裁主義の表れであり、そのことに違和感を感じない民主党議員は「保守」といっても何を守るのか良くわからない。民主党の地位と利権を守っているのではないかとしか考えられないのである。
 それでもまだ松原副大臣は同情の余地がある。野田首相、藤村官房長官双方は、間違いなく確信犯であり、日本を壊そうとしている、天皇を廃そうとしているとしか考えられない。それだけでなく、拉致問題を政治利用はするものの、拉致問題を解決する気はまったくないのである。いくら詭弁を弄しても、まったく話にならない。
 めぐみさんの母親の早紀江さん(75)は「私たちももうクタクタ。娘は元気でいると祈りながら暮らしている。どうか日本中が立ち上がって」と早期解決を訴えた。(上記より抜粋)とあるが、その切なる願いが野田内閣では政治利用だけされてしまうということに怒りを覚える。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

民主党閣僚の質の悪さの象徴である山岡賢次

民主党閣僚の質の悪さの象徴である山岡賢次

 民主党の閣僚に関して、鳩山政権時代からその質の悪さに関してかなり話題になっている。その質の悪さがより話題いなったのは菅政権の時だ。敢えてここで話題になった人をあげれば、中井洽氏、千葉景子氏、岡崎トミ子氏などがかなり話題になっていた。また、問責決議を受けたのも、仙谷由人氏、馬渕澄夫氏と二人いる。問責決議に関しては、必ずしもその質の悪さにつながるものではないかもしれないが、それ以外の部分に関してはひどいものも少なくない。ここにこのように固有名詞をあげれば、「あいつも」「この人おこんなだった」とご意見を頂くが、実際ここに書いたのは例示であるので、その辺はご容赦いただきたい。閣僚に関する事を言えば、はっきり言って全員をあげなければならないともいえるのである。特にひどい、そしてこれから展開する話題で例を挙げているので、その辺を考えて選んでいるのだ。
 さて、国会開設120年の式典の時に、御臨席賜った秋篠宮殿下に対して「早く座れ」と言ってみたり、あるいは、閣僚の就任前とはいえ、わざわざ韓国まで出向いて日の丸にバツをつけて反日の演説をしてみるという不思議なことをする、日本を嫌いな不敬な人々が閣僚になるのをみれば、「世も末」と思う。
 その民主党閣僚の集大成ともいえる人が山岡賢次ではないのか。はっきり言って、これほど評判の悪い閣僚も少ない。山岡氏が大臣になった瞬間「うそだろ」「何のギャグ」という声が多数聞かれた。また、その山岡大臣の担当である。「国家公安委員長」「消費者担当大臣」「拉致担当大臣」である。

【山岡賢次研究】民主・山岡氏の“裏金疑惑”全部バラす!元後援会長が怒りの告発

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉参加をめぐる民主党内対立がくすぶっているが、国会では、数多くの疑惑が指摘される山岡賢次国家公安委員長兼消費者担当相の適性問題も過熱している。15日の参院予算委員会では、自民党議員が問責決議案提出を視野に、山岡氏を厳しく追及。こうしたなか、山岡氏の裏金疑惑を告発している山岡氏の元後援会長で、栃木県真岡市の福田武隼元市長夫妻が、夕刊フジにすべてを語った。
 自民党の山本一太参院議員「山岡氏の閣僚任命を適材適所だと思っているのか」
 野田佳彦首相「政治経験などを踏まえて判断した」
 15日午前の参院予算委員会でこんな質疑応答があった。山本氏が仕方なく、枝野幸男経産相と蓮舫行政刷新相に同様の質問をすると、2人は「任命権者は総理なので…」と、答弁から逃げた。
 マルチ商法業界との関係など、複数の疑惑を指摘されながら、山岡氏は閣僚に居座っている。このことを、元後援会長で病院理事長を務める福田氏と夫人はこう語る。
 「山岡先生が大臣になったことにあぜんとしています。よりによって警察と消費者行政なんて…。最もふさわしくないポストという印象です」
 2人が怒りをあらわにするのには理由がある。山岡氏から裏金を要求され、2000年から03年にかけて「コンサルタント料」として関連会社に振り込んでいたのだ。
 「00年12月16日の夜、山岡先生と秘書が突然、自宅に訪ねてきました。翌年4月に市長選挙を控えており、激励かと思いましたが、山岡先生らは『秘書1人が市長選挙にかかりきりだ。600万円を支払ってほしい』と切り出してきたのです」
 福田夫妻は唐突な申し出に戸惑ったが、自らの選挙や、後援会長でもあり断れない雰囲気だった。最終的に、福田夫妻は、山岡氏側から提案された「病院の経営コンサルタント料」として、月15万円、36回、540万円の支払いに合意。00年12月20日付で契約書が交わされ、01年1月から支払いが始まった。
 《公職選挙法は第221条で『買収及び利害誘導罪』を設けており、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する-としている》
 その後、福田夫妻は山岡氏と決裂。コンサルタント料の支払いも打ち切った。それまでに27回、計405万円が山岡氏の関連会社「ニューワールド」に振り込まれた。
 福田夫妻は沈黙を守っていたが、09年に山岡氏のマルチ問題が発覚すると、裏金について朝日新聞や週刊新潮に告発。山岡氏は名誉毀損で新潮社側を提訴したが、昨年5月、自らの主張に理由がないと認める「請求放棄」手続きを取った。
 《山岡氏は8日の衆院予算委員会で、この疑惑を追及され『私も秘書も後援会長の選挙に総力を結集した。(選挙で)お金をもらったことはない』といい、請求棄却は『当時、野党国対委員長を務めており忙しかった。証言に立つ時間がなく、弁護士に処理を任せた』と語った》
 福田夫妻は語る。
 「山岡先生の国会答弁は事実に反する。『よく平然と…』と思います。山岡先生には問題が多すぎる。野田首相はどうして任命したのでしょう」
 山岡氏が抱える疑惑や問題を徹底研究する。 (ジャーナリスト・田村建雄)

2011.11.16 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111116/dms1111160825003-n1.htm


「山岡問責」向け集中砲火 蓮舫氏にも飛び火

 自民党は15日の参院予算委員会で、今国会中の参院への問責決議案提出に向け、山岡賢次消費者問題担当相に集中砲火を浴びせた。山岡氏の秘書とマルチ商法業界が「事務所ぐるみ」で関係を深めていた疑惑を追及。公明党なども問責決議案への同調を検討しており、山岡氏への包囲網は狭まり始めた。
 自民党の森雅子氏が俎上に載せたのは、DVDに残されている山岡氏が出席したマルチ商法業者の会合。山岡氏が「(業者の)トップリーダーの元秘書に呼ばれてきた」との趣旨のあいさつをしたと指摘した上で、元秘書が大臣秘書官の叔母に当たると暴露。「マルチを取り締まる立場の大臣の秘書官の母がマルチの会員、叔母がマルチのトップリーダー」と批判した。
 山岡氏は「元秘書の仕事は当初、知らなかった。私は販売促進をしたわけではない」と釈明。森氏に「生々しいメモや山岡事務所からの支払い契約書も持っている」と地元政治家との金銭トラブルも追及されると、「事実無根だ」と顔を真っ赤にして反論した。任命責任を問われた野田佳彦首相は「適材適所で大臣を選んだ」と答えるのみだった。
 首相の側近議員もターゲットになった。蓮舫行政刷新担当相は脱税などで逮捕歴がある男性との関係を西田昌司氏に指摘され「逮捕歴を知らなかった」と弁解。西田氏は、この男性から手塚仁雄首相補佐官への献金も指摘したが、首相は「本人が説明責任を果たせばいい」と突き放した。

2011.11.15 22:43 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111115/plc11111522440016-n1.htm

 問題なのは、閣僚になる前の行為と閣僚の担当がリンクしているということだ。昔、自民党の閣僚の場合は、族議員という者があったが、その族議員にその得意分野の閣僚をさせなかった。その事はある意味で不正の防止になっていた。その不正の防止が様々な問題を産むことになる。「生む機械」発言などは、まさに金融や産業の専門家が他の担当の閣僚を歴任することによってできるわけで、そうでなければそのようなことにはならない。自民党時代はそのような歯止めがあった。その分、閣僚が専門家ではなく、そのために官僚の専横に対抗できなかった場合があったことも否めない事実である。
 一方、民主党になってから「適材適所」「政治主導」を色濃く言うことによって、その人の専門の分野で閣僚にすることが少なくない。しかし、その分、自分の信念や個人的な考えの実現の場ということになり、議論をして物事を行うというような土壌が全くなくなってしまった。小宮山大臣のたばこ税騒動などは、まさにそのものではないのか。専門性というよりは、個人的な考えを国民に押し付ける場所としての立場を与えてしまったのが民主党の閣僚ということが言える。そのことがあるだけに、日の丸にバツをつけて海外で反日演説をする人を国家公安委員長にしたり、秋篠宮殿下に不敬発言をする人を国家公安委員長やその後予算委員長に就任させるなど、そのモラルが疑われるものである。
 その集大成が山岡大臣だ。まず、何回も苗字を変えており、その苗字の変更の理由もなんだかよくわからない。その人が国家公安委員長である。そして、わざわざ韓国大使館まで出向き在日外国人参政権の付与に言及してくるほど外国人びいきの人が拉致担当大臣であり、また、ネットワークビジネスの議員連盟の会長が消費者担当大臣である。
 専門性の強さは、そのままそれまでの政府の方針やその政府の方針に反することをした人も含まれる。その悪い例の集大成が三つの文章を持ちながらその三種類がいずれも反政府的な立場の人を閣僚につけるということになるのだ。
 そして、そのような人を閣僚にしなければ人材がいないし、党内融和が果たせないのが、まさに民主党野田内閣の現状であり、そして、民主党の閣僚の性格である。これでは日本が壊れてしまう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

新憲法制定議員連盟の見る未来の日本

新憲法制定議員連盟の見る未来の日本

 最近はTPPばかり話題になっている。
 もちろん、マスコミ的には非常に面白い話題だ。そもそも、与党民主党が党内で割れており、その内容に案して、批判しあっているのがよい。はっきり言って、民主党は、綱領も作ることのできない烏合の衆であるが、そのことを広く一般に知らしめるには、それなりのエピソードが必要だ。週刊誌の記者が私のところに良く来る。ネタがほしいとか、何か教えてくれという。しかし、その中で最も多いのは、「そのネタに関して何か読者のわかりやすいエピソードはないか」と聞かれることがある。えぴそーどといわれてもきほんてきにはこまるものだ、エピソードを言うというのは、当然にそのエピソードに関して、話す人と、そのエピソードをいている人(もしくは体験した人)が限られている。たとえば、「怒られた」とすれば、怒られた人は一人である。ということは「怒られて怖かった」といえば、そのネタ元は一人しかいない。一方で、「あんな怒り方をしなくて良いのに」といえば、その場にいてみていた人となる。これでも数人だ。要するにエピソードは、それを明かすことでそのネタ元がばれてしまう確率が高くなるのだ。そうではなく、本来は噂話などにしてくれれば、非常にらくだ。しかし、週刊誌は臨場感や読み応えを求める多面、寝た元に無理を言うことになる。当然にそれが、ネタもとそのものをつぶしてしまうことになるのである。
 さて、逆に書き方を工夫しなければならない雑誌もある。ある雑誌は、「読者層が幼稚な人しかいないので、漢字を使わないで書いてください。漢字を使っても小学校の四年生程度でお願いします」という。単純に、このブログを見せたら「このブログは内容は面白いのですが、難しすぎてうちの雑誌の読者で読める人がいない」というのである。
 雑誌というのもなかなか難しい。その雑誌も新聞もみんなでこぞってTPPを書いているのは、まさにTPPが面白いからに過ぎない。そのTPPの問題が重要とか国益がどうということを考えているマスコミなどはないといっても良い。そのようなマスコミは、要点と内容ともんぢあ点だけを伝える。しかしそれではユース番組や読者に面白い新聞や雑誌を作ることはできないのである。だからTPPばかりになってしまう。
 最近、保守の論客もしくは保守系のブログでも、TPPばかりである人が少なくない。もちろんTPPが重要でないというものではない。しかし、私のように毎日更新しているブログで、わざわざ同じようなことばかりTPP・TPPと続けても、読者は飽きてしまう。経済も政治も、ほかの事も行われている。当然に民主党内が割れているネタもあれば、自民党と民主党双方が手を結んで同じ内容で取り組んでいるものもある。そして、祖尿な取り組みをしている事象のほうが重要であるということも少なくないのである。
 今日お伝えするニュースもまさにそのようなことだ。
 政治家の間では、票に結びつかない重要な課題ことが三つあるという。ひとつは、教育問題。ひとつは増税。そしてもうひとつが憲法である。教育問題は、非常に大きな問題は、中曽根康弘元首相は「教育は国家百年の大計」といっている。そうでなくても日教組教育を受けた若者が、引きこもりやキレルなどの社会現象を起こし、また犯罪の低年齢化まで問題になてちる。それらが全て教育が悪いかとそうでもないのかもしれない。しかし、教育が道徳や人の道を教えないことや、甘やかした内容が自由競争に耐えられない正確を作ってしまったということは否めない事実である。教育そのものの問題は、非常に大きな問題だ。しかし、教育そのものは何も学校や教育機関だけの責任で行われるものであはない。社会教育や家庭教育ということも非常に重要なファクターである。しかし、それらを行えば、各家庭の教育方針に政府が介入することになるし、また、社会が崩壊し、隣の家が何をやっているかわからないという都会の生活において、社会が人を育てるなどといっても、何の話にもならない。教育を真剣にやり、国家のことを行えば、当然に学校、社会、そして家庭に負担が増加し、当然に不満が募る。その上、教育の結果、各家庭の望む子供にならなかったり、あるいは、成績などに差がついたりすれば、当然にその不満は全て政府に向けられる。教育は非常に重要でありながら、その教育の結果の責任を自分で負うという人はいないのである。
 いまだかつて、教え子が事件を起こして責任を取った教師はいない。また子供手当てで「社会が育てる」といいながら、その子供の教育がうまくいかなくなった場合の責任を「社会」という不安定な要素が負うのかどうかは非常に不安定である。
 増税に関しては、特に言うまでもない。増税を好む国民などはいない。必要とわかっていても、嫌なのが増税である。
 さて憲法。その憲法に関して下記のような記事が出てきている。この問題を報じている産経新聞から。

緊急事態条項の不備めぐり意見交換 超党派の新憲法制定議員同盟

 前職を含む超党派国会議員でつくる新憲法制定議員同盟(会長・中曽根康弘元首相)は15日、国会内で定例会を開き、現行憲法に緊急事態条項がない問題について意見交換した。
 講演した中山太郎前衆院憲法調査会長は、大規模な自然災害やテロの発生時に首相は緊急事態を宣言するとの規定を設けた独自の憲法改正試案を説明。その上で、非常事態に対応できる憲法のあり方を衆参両院の憲法審査会などで検討すべきだと訴えた。
 また、東日本大震災発生直後に当時の菅直人首相がヘリコプターで福島第1原発を視察したことについて「ヘリが墜落した場合、日本はいったい誰が指揮するのか」と指摘した。
 自民党の中谷元政調会長代理は「党の憲法改正推進本部で非常事態条項について鋭意議論している。憲法で規定できるよう努めていきたい」と述べた。
 同議員同盟は今年4月の大会で、東日本大震災の教訓を踏まえ、現行憲法について、非常事態条項がないなど「欠陥が明らかになった」とする大会決議を採択している。

2011.11.15 15:23  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111115/plc11111515230006-n1.htm

 さて、憲法とは言わずと知れた日本国憲法のことだ。
 憲法は、その国家の根源をなす法律であり、逆にその国家の国民と政府の関係を規定した成文法である。日本の場合昭和20年8月15日に敗戦し、アメリカ進駐軍が日本を占領した。マッカーサー元帥が飛行機からパイプをくわえて降りてくる写真は、アメリカの日本占領の象徴ともいえるものである。その後、アメリカは、それまでのアメリカ国内の研究成果を元に、日本国の強さの秘訣を壊しにかかった。その象徴が「日本国憲法」戦前の人や憲法否定はからすれば「占領憲法」ということになる。
 自民党が自主憲法制定という綱領を出していた。しかし、当然に表につながらない憲法の改正を行うことはなかった。その憲法について手をつけたのは、初めての戦後生まれ首相の安倍晋三内閣である。
 しかし、その安倍内閣以降、ねじれ国会になったり、また日銀総裁など国会承認人事で決まらないという、わけのわからない民主党の国会戦略で、憲法の不備が出てきた。憲法改正といえば、9条ばかりを言うが、それ以外の部分でも不備がると言うことがでてきた。それどころか、国会の不毛な与野党の内容、特に、民主党の野党時代の国会戦略は、憲法の規定の不備を表したものであった。それだけでなく、民主党の不毛な国会線りゃ右派憲法の想定を越えた、国益を図る政治家ならばそのようなことをしないという内容であったはずだ。それだけでなく、上記記事になった非常事態条項などがないというのも問題である。非常事態、今回の東日本大震災のような非常事態になった場合、その主導は立法府である国会なのか、行政府である内閣なのかもはっきりしていない。私は個人的に、非常事態時の対応の一義は内閣が行うべきもので、後になって立法府である国会と国民が監査的に審査を行うまたは国民の審判を仰ぐということであろうと思うがそのような規定もないのである。
 憲法に関する議論が進むことは、しっかりと行わなければならない。特に、票につながるつながらないではなく、国会議員の身分を規定しているのも憲法である。自分の身分を決めているのが憲法なのだから、選挙や表に関係なく、しっかりとした対応を行うべきではないのか。
 その第一弾が行われたという知らせは、TPPとは違う意味で重要なニュースと思われる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

すでに外交交渉の場で敗北を喫した野田首相

すでに外交交渉の場で敗北を喫した野田首相

 外交とは戦争である。クラウゼビッツの戦争論を読めば、戦争とは外交の延長線上にあるとい違いはうことが書かれている。逆に言えば、外交は戦争の入り口でしかない。武力を使うかあるいは口頭で行うか、この手段の違いだけでしかなく外交も戦争も、双方ともに二国間の国益の実現のために、相手国の条件の譲歩を迫るものであるから、その目的は同じものであるといえよう。国益の実現は、何も、領土の割譲や支配霊獣の関係、植民地化だけではない。関税自主権の排除や入国の自由化、治外法権の獲得など、さまざまな内容が含まれる。ある意味で、別国家として属国化したほうが良い場合も少なくない。文化や経済が違いすぎれば、当然に、その国を支配下に置いて同一国家とするのはかなり難しいことになるのであるから、それなら亜植民地化、もしくは、都合の良い内容で属国化するほうがはるかに良いということになるのである。
 この外交交渉は、まさにそのような国益の実現の場でしかない。日本の場合、特に、武力を放棄し、戦争を行わないという世界でも少数派の憲法を持っているのであり、その憲法を誇らしげに、恥ずかしげもなく国際社会の場で披露しているのである。それは、単に外交交渉の解決手段を自らひとつ蜂起しているのに過ぎないということを言っており、もっと言えば、それだけ国益を護る手段が少ないということを自ら宣言し、その上国益を護らないということを誇らしげに政治家が口にしているということである。国民は本来そのような状態を怒らなければならないのであるが、日教組という不思議な組織が、国益を護らないことを正しいとして小さい子供に教えているのであるから始末に終えない。その日教組は領土問題でも、不当な侵略に対して「あれは韓国の領土」などといっているのであるから、あまりにもおかしいとしか言いようがないのである。
 さてこの外交交渉が12日よりハワイでAPEC首脳会談として行われている。APECの全体の会合や、他の国との間はとにかく、その全体会議の前に日米首脳会談が行われた、そのことに関して少し今日は触れてみたい。
 まず、産経新聞が首脳会談を箇条書きにして要旨をまとめていただいているので、それを見ながら、読売新聞の記事を見ていただきたい。

日米首脳会談要旨

 【環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)】
 野田佳彦首相 TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入ることとした。東日本大震災があり、慎重論も強かったが、日本を再生し豊かで安定したアジア太平洋の未来を切り開くため、自分自身が判断した。大統領の協力を得たい。
 オバマ米大統領 首相の決断を歓迎する。今後の協議の中で日本側と協力していきたい。各国が高いレベルの合意に向け準備する必要がある。

 【普天間移設問題】
 首相 環境影響評価書を年内に沖縄県側に提出する準備を進めている。米国側からも、(米海兵隊の)グアム移転の着実な進展を含む沖縄の負担軽減について協力を得たい。
 大統領 日本側の取り組みを評価する。さらに前進することを期待する。

 【日米同盟】
 大統領 米国のアジア太平洋地域の施策の礎だ。その強固な関係はアジアのみならず世界にとっても大変重要だ。
 首相 アジア太平洋地域で米国のプレゼンス(存在感)が高まっていることに勇気づけられている。この地域での経済のルールや安全保障秩序の構築などに日米両国が緊密に連携していきたい。

 【米国産牛肉の輸入規制】
 大統領 科学に基づいて解決されるべきだ。
 首相 牛海綿状脳症(BSE)対策全般の再評価を行うこととし、食品安全委員会への諮問の準備を開始した。

 【北朝鮮問題】
 首相 北朝鮮による具体的行動を引き出すことが重要だ。先の米朝対話で拉致問題に言及してくれたことに感謝する。
 両首脳 日米韓の緊密な連携を維持すべきだとの認識で一致。

 【ハーグ条約】
 首相 国内担保法案とともに(条約承認案を)来年の通常国会に提出することを目指して作業を進めている。
 大統領 日本側の取り組みを評価する。

 【東アジアサミット】
 首相 地域の共通理念や基本的ルールを確認し具体的な協力につなげる首脳主導のフォーラムとして発展させたい。
 両首脳 地域の政治や安全保障の課題を扱う主要なフォーラムにすべきとの考えで一致。(ホノルル 坂井広志)

2011.11.13 14:33 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111113/plc11111314360021-n2.htm

TPP、日・米政府発表に大きな食い違い

 【ホノルル=中島健太郎】12日の日米首脳会談について、米ホワイトハウスが文書で発表した概要によると、野田首相は環太平洋経済連携協定(TPP)交渉について、すべての物品やサービスが対象となる考えを示した。
 米側の発表によると、会談で首相は「TPP交渉への参加を視野に、各国との交渉を始めることを決めた」とオバマ大統領に伝えた。大統領は「両国の貿易障壁を除去することは、日米の関係を深める歴史的な機会になる」と歓迎する意向を明らかにした。
 その上で、大統領は「すべてのTPP参加国は、協定の高い水準を満たす準備をする必要がある」と広い分野での貿易自由化を日本に求めた。首相は「貿易自由化交渉のテーブルにはすべての物品、サービスを載せる」と応じた。
 大統領は首相に、日本のTPP交渉参加に向け、米議会との交渉開始をカーク通商代表に指示すると明言した。同時に、米国内の農業、サービス業、製造業の関係団体との交渉を始める方針も示した。
     ◇
 これに関連し、日本政府は12日、「今回の日米首脳会談で、野田首相が『すべての物品およびサービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せる』という発言を行ったという事実はない」とのコメントを発表した。
 日本側が米側に説明を求めたところ、「日本側がこれまで表明した基本方針や対外説明を踏まえ、米側で解釈したものであり、発言は行われなかった」と確認されたとしている。

(2011年11月13日17時38分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111113-OYT1T00394.htm?from=top

 はっきり言って、日本側の外交の完全な敗北であるといえる。まずどのような交渉が行われたのかということは先に発表したほうが最も印象に残ることは明らかである。その印象に残る内容は、まさに、世界各国に配信される。その後にどのような否定をしても意味がない。否定が通用するのは、世界各国のマスコミおよび各国の政府に対して、相手国よりも日本国のほうが死人用が高い場合に限られる。
 では、今回の場合問題になったのは貿易の自由化にすべての分野が交渉のテーブルに出されるのかということである。アメリカは日本がそのような発表をしたことを歓迎し、日本はこれを否定した。しかし、日本はマスコミにもあまり信用がない。そもそも、野田首相は普段マスコミとの間において意思疎通がないことは、すでにマスコミ各社が批判しているところである。ぶらさがりの記者会見も何もせず、挙句の果てに秘密主義どのような議論の末にTPP参加表明にいたったのかはまったく明らかにされていない。まさに国会無視、国民無視の政治体制は、完全に批判の的である。
 そのような関係のときに、アメリカに先んじて交渉内容を発表しなかったのはすでにおかしいし、アメリカの発表を改めてひていしたところで、聞いたほうは半信半疑でしかない。
 逆に、アメリカは、そのような野田内閣の弱点を知っている。その上で、アメリカの国益のために、野田内閣の弱点をうまく使い、交渉内容を多少捏造もしくは飛躍した解釈を交えながら、有利に国際関係を進めたのであることは容易に予想できる範囲である。野田内閣と国民の距離感の間隙を突いた、非常に巧みなマスコミ戦略であり、その外交交渉の手腕はさすがアメリカであるということを感じざるを得ない。
 野田内閣は、すでに外交交渉で敗北した。これを取り戻すことは用意ではない。というよりは、はじめから外交交渉で負けに行ったようなものだ。外交交渉の負けは、戦争での敗北と同じで国益を損なう。まさに、野田内閣は、拙速で国内での議論を経ずに外交交渉に望んだことによって、内閣全員が万死に値する罪を犯したといえるのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(69) つまらなくなったテレビ

マスコミ批判に関する一考(69) つまらなくなったテレビ

 11月17号の週刊文春に「テレビはなぜつまらなくなったのか」という特集があった。これはなかなか面白く読ませてもらった。
 実は今週は、先週木曜日の報道に関して少し批判をしてみようと思っていたが、その内容を少し変えてみたのである。まず、ここに書かなかった内容に関して、少しこの場で書いてみようと思う。10日の木曜日は野田首相がTPPの参加交渉に参加の意向を示すはずであった。しかし、民主党の経済連携PTでの決議で7割の参加議員が反対もしくは交渉参加に慎重な姿勢を示したことによって、そのようなことを発表するのはどうかということになった。それどころか、5名のの民主党議員は離党届を持って幹事長室に詰めかけたのであるから、その反対派の動きは尋常ではない。そのことから、野田内閣はそれらの記者会見その門を一日延期したのである。
 これが事実の内容であり、この時点でTPPの参加表明はどうなるかわからない状態であった。単純に言えば、民主党のPTで反対の決議になったのであるから、当然に延期は、方針の転換であろうということが予想されるはずである。要するに、この時の新聞の見出しは「TPP記者会見一日延期」となるはずである。しかし、この時の新聞各紙の見出しやインターネットの見出しは「参加表明を一日延期」となったのである。似たようでありながら、マスコミの打った見出しは「参加表明という結論ありき」であり、同時に、その見出しを見た野田首相及び反対派の民主党諸議員は「マスコミは推進派である」ということを強烈に印象付ける内容となったのである。実際にこの間、一晩の間に反対派や慎重派は、すべて野田や輿石といった民主党執行部に骨抜きにされた。そのために、翌金曜日の会見の後、山田正彦元農相の「事前協議でよかった」という世紀のお笑い会見が出来上がってしまったのである。まさにマスコミと野田民主党執行部との連携プレイは、素晴らしいの一言に尽きる。保守派、もしくは反対派にこれくらいの連携ができれば、もう少し面白い戦いになっていたのではないか。
 さて、今日の主題である。文春の特集「テレビはなぜつまらなくなったのか」である。ここ数週間、テレビにおけるコンテンツ力の欠如、制作力の低下ということが挙げられている。さすが週刊文春でありその内容をしっかりと分析し、インタビューなどで構成されているつくりは、私の個人のブログとは異なる面白いものになっていると言えよう。
 まず、その文春の感想文のような記事をサイゾーから。

「テレビはなぜつまらなくなったのか」お笑い芸人編

 11月17日号の「週刊文春」(文藝春秋)が「テレビはなぜつまらなくなったのか」という特集を6ページに渡り掲載している。同誌は、記事の中で「見たくないタレント、笑えない芸人ランキング2011」を展開。意外にも「見たくないタレント」の上位に入った人気子役の芦田愛菜について、視聴者から「同情」を買い、もはや「見ていられない」レベルに達していると指摘し、その他、国民的アイドルとして認知されているAKB48や人気のK-POPアイドルが、「実は数字(視聴率)を持ってない」と分析するなど、ますます深刻化する人々のテレビ離れを記事にしている。
 また、同誌は今秋の番組改変期に乱立した「衝撃映像もの」の特番に注目。TVディレクターの言葉を引用した記事の中では、日本の番組で流される衝撃映像のネタ元は「海外の代理店から数ヶ月ごとに持ち込まれる」(「週刊文春」11月17日号)もので、「だから、他局とネタがかぶる」(同上)とVTR 使い回しの実態を明らかにする。さらにひどい例として、『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)の特集企画のネタが、その約1年前に放送された『世界まる見え!テレビ特捜部』(日本テレビ系)のネタとまったく同じだったことを挙げる。両番組の顔として出演するビートたけしと所ジョージについては、「二度も同じVTRを観せられた所ジョージは特にコメントせず。賢明だ」(同上)と皮肉を込めた。
「YouTubeなどの動画サイトをネタ元にする衝撃映像などのVTRネタがかぶってしまうのは、ネタ元の限定性から正直仕方のないこととも思います。ある程度、量が揃わないと番組にはなりませんしね。VTRを使ってもらう側からすれば、単純に1本でも多く売りたいだけですから。そのタイミングが番組改編期に集中してしまうということなのでしょう。それに特番期に集中するそれらの番組は各局共に1つか2つですしね。視聴者とすれば選択の余地がありますから、大きな問題ではないのではないでしょうか。問題は、テレビを作る側のスタッフが他の人が作ったテレビを見て、面白いと思ったからといって、すぐさまそれを自分の番組で使用するという安易な行為でしょう。特に芸人さんたちの披露するエピソードトークに見られる現象です」(番組放送作家)
 インターネットの普及で急激に数を増した世界の衝撃映像を特集する番組。安易な使いまわしというのは問題だが、特番期間に限定されるという点を踏まえれば、より問題なのは毎日のようにテレビに出ては使いまわされるお笑い芸人たちによるエピソードトークといえる。
 「知り合いのディレクターや作家の中には、出演する芸人さんに直接『あの番組で話したトークをしてください』と頼む方もいます。おいおいそれでいいのか、とも思いますが、彼らが言うには、『うちはあの番組とは時間帯が違うし視聴者層が異なる。だから大丈夫だよ』『あのトークは鉄板だからね』というのです。芸人さんの中には、『同じ話をテレビで2度はしません』という人もいますが、そうしたスタッフの要望には従わざるを得ないというのが多くのケースでしょう。頼まれた芸人さんは、まるで初めて喋るようにトークを披露してくれますよ。たまたま同じ話を見た視聴者からすれば「また同じ話をして」ということになるでしょうけど、かわいそうなのは芸人さんかもしれないですね」(前出)
 エピソードトークの名手として知られる千原ジュニアは、ことあるごとに「1局1エピソード」が同じトークを披露する限界だと語る。それ以上は、どんなに頼まれても同じ話はできない。それなら仕事を断ったほうがましだという。ジュニアは、「また同じ話をして」という印象を持ってしまった視聴者には、たとえ初出しのトークでも「どうせまた同じだろう」という冷めた視線が注がれてしまうことを恐れているのだろう。芸人とすれば、当然のことなのかもしれないが、こうした徹底した自己管理が今の彼の人気を支えているのかもしれない。
 1度受けたネタを進んで使いまわすような芸人はともかく、前出の放送作家の話やジュニアの例からは、芸人の多くがプライドを持ってトークを披露していることが分かる。しかし、人気芸人ともなれば毎日のようにテレビに出るのが今のバラエティ。毎日テレビに出るということは、それだけの面白いエピソードを見つけなければならないともいえる。それがどれだけ大変なことなのかは想像するしかないが、人を笑わせなければならないという使命を背負った彼らと比べ、同じように日々ネタを探すこの身とはケタ違いの苦労だろう。
 「週刊文春」は、特にテレビ制作者側の怠慢を指摘し、人々のテレビ離れが深刻化しているというが、矢面に立っている芸人たちの真摯さがより前面に出てくれば、現状は変わってくるのかもしれない。もちろん、そういった評価に値しない芸人も多いのは事実だが......。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/)

サイゾー 20111112
http://www.menscyzo.com/2011/11/post_3207.html

 さてさて、「知り合いのディレクターや作家の中には、出演する芸人さんに直接『あの番組で話したトークをしてください』と頼む方もいます。おいおいそれでいいのか、とも思いますが、彼らが言うには、『うちはあの番組とは時間帯が違うし視聴者層が異なる。だから大丈夫だよ』『あのトークは鉄板だからね』というのです。」(上記記事より抜粋)というのがまさにこの問題の最大の病巣御浮き彫りにしているのではないか。
 テレビとしてはどこかで受けたネタを同じようにやる。要するに多極のまねや他の人のパクリでまったく罪悪感がないというのである。多くの人が見ているというような漢字は何もない。そのうえ、そのようなことをしても怒られるようなところはない。テレビの評価システムは視聴率しかなく、その内容まで大きく評価されないのであるから仕方がない。そして、最後には「ヤラセ」や「でっちあげ」で視聴率を作るようになる。そのものが合わさったのがまさに「韓流ブーム」である。自分で作るというプライドがなくなってしまい、隣の国の作品を持ってきて、そのまま放送し、そのうえで、「ヤラセ」「でっちあげ」で「韓流ブーム」を作ってしまったのである。要するにテレビ制作者の怠慢でしかない。そして、そのようなことをしても罪悪感のないテレビ制作者には、さすがに国民、視聴者の方がテレビを見放してしまうようになったのだ。
 もうひとつ言えば、そのようにしてリスクを張ってまで作る責任感がないということである。逆に言えば、責任感がないのがまさにそのものである。
 民主党政権に関して「義務を履行しない」「権利の主張ばかりする」「責任を取らない」というのがその特徴といっている。テレビ制作者は、理恵がいはあってもまさに民主党政権と同じ体質を持っているということになる。この二つが華麗に連携するのは、「同族相哀れむ」の法則であろう。
 まさに民主党とマスコミ、この二つの無責任体質が日本を悪くしているのである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(35) 中国での開店準備(4) 意地悪な人事異動

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(35)
中国での開店準備(4) 意地悪な人事異動

 薬局のような特別な商売の場合でなくても、商品の仕入れは必要なものである。基本的な内容として、ショッピングセンターの仕入れ形態は大きく分けて三つある。仕入れというか、商品が店先に並ぶまでの手順である。
 ひとつは、「平場」といわれるショッピングセンター直営の売り場での仕入れである。通常、読者の皆さんが思い起こす普通の仕入れ形態である。要するに、ショッピングセンター運営者が卸売業者から購入し、そして自分の商品として利益を載せて販売する。これがひとつの仕入れ形態だ。
 もうひとつは、「テナント」という形態である。店の中に店を運営する場所そのものを貸すというものである。ショッピングセンターは場所貸しでしかなく、最低限の事意外は自由にできるというものである。この場合、商品の一つ一つの品揃えの責任は全てテナントに向かう。ショッピングセンターとしては賃料が入ってくるという形態である。
  そしてもう一つは、「委託販売」という形式であろう。取引先から商品を借り、そして陳列を行うという手法である。その手法において、販売ができた瞬間で売り上げを計上し、そして一定の料率の仕入れ金額を割り戻すという方法である。要するに販売の場所を貸してているということだ。だからテナントのように内装などは全て平場の中で行うという形式である。
  この三つの形式は、名前やその細かい部分では多少違いが出てくるものの、
  1 商品を買うか、
  2 品物を借りるか、
  3 あるいは土地(売る場所)を貸すのか、
  ということで、だいたいの場合は同じになる。そして、これは特に法律で禁止されていない限りにおいて、だいたいどの国でも同じ状態になる。

-----------------------------------------------------------
國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
<http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>

<mailto:CQA14363@nifty.com>

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
-----------------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

流行語大賞の候補60語ノミネート 今年を映し出す言葉達

流行語大賞の候補60語ノミネート 今年を映し出す言葉達

 もう11月も半ばである。そろそろ「今年は」というようなことを言うような「今年を振り返った」内容がでてくる。文字の媒体で恒例なのが、この流行語大賞と、清水寺で行われる今年の漢字であろう。そして12月に入って10大ニュースがある。このブログでもこれらの今年を振り返る者に関しては使わせていただき、言葉から今年を振り返って、平成23年、2011年がどんな年だったのか。どのような歴史を将来の日本に残したのかということを少しでも残してみたいと思う。
 流行語大賞は「現代用語の基礎知識」の選出した内容であり、その中から60の単語を選出し、その中から大賞を選ぶものである。この中には造語もあれば、今までも普通に使われたが、事件で急に誰でもが口にするようになった流行語もある。まさに、今年を映し出すものといえよう。


今年の新語・流行語大賞の候補60語決まる

 「現代用語の基礎知識」を発行する自由国民社の編集部は10日、「2011ユーキャン新語・流行語大賞」の候補60語を決定した。トップテンと大賞は12月1日午後5時に東京都千代田区の東京會舘で発表する。候補は以下の通り。

 あげぽよ▽瓦礫▽災後▽タイガーマスク▽内部被曝▽美ジョガー▽満身の怒り▽あとは流れで▽がんばろう日本▽再生可能エネルギー▽ただちに▽なでしこジャパン▽風評被害▽マルマル、モリモリ▽アフター4▽安全神話▽絆▽3・11▽脱原発▽ノーサイド▽一定のメド▽エダる▽帰宅難民▽シーベルト▽建屋▽ フクシマ50▽自粛▽ジャスミン革命▽エンディングノート▽除染▽タブレット▽地デジ難民▽おかわり君▽君、きゃわゆいネェ▽スマホ▽超円高▽復興▽推しメン▽節電▽津波てんでんこ▽お嬢様の目は節穴でございますか▽東北魂▽年の差婚▽平成の開国▽計画停電▽ゼロではない▽どじょう内閣▽放射線量▽原子力ムラ▽こだまでしょうか▽おねえキャラ▽想定外▽トモダチ作戦▽ホットスポット▽ソーシャルメディア▽見せましょう野球の底力を▽メルトダウン▽どや顔▽ ぽぽぽぽーん▽ラブ注入

産経新聞 11月10日(木)16時39分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111110-00000579-san-soci


前代未聞!流行語大賞ノミネート過半数が震災関連語

 「2011ユーキャン新語・流行語大賞」の候補語が10日、発表になった。東日本大震災、東京電力福島第1原発事故に関連した言葉は、候補60語のうち、実に半分以上の33語もノミネート。選考を主催する事務局によると、ひとつの事件、事象に関連する言葉が、ここまで多数を占めるのは初めてだという。震災が今年の日本に与えた衝撃の大きさと傷痕の深さが、改めて浮き彫りになった。
 「瓦礫(がれき)」「復興」「節電」…。候補語には、今年3月11日以降に繰り返された言葉ばかりが並んだ。「シーベルト」「メルトダウン」「ホットスポット」など、原発事故後に耳にしたカタカナ語も目立つ。候補60語のうち、東日本大震災と、福島第1原発事故に関連する言葉は33語。半数以上が“震災関係語”となった。
 新語・流行語大賞は1984年に開始。事務局によると、ひとつの事件、事象に絡む言葉が候補の半数以上を占めるのは大賞史上、初めてのことだという。「ここまで多かったことは、今までありませんでした」
 人為的な大事件では、1995年にオウム真理教に絡む事件が起き、「ポア」「サティアン」などの言葉が話題に。だが当時、同事務局は「無視という形の最大の抗議」として、関連語をすべて選考対象外とする措置をとった。「自然災害は別にして、あまり悪い言葉は選びたくないということです」
 災害では、91年の雲仙・普賢岳の火砕流、95年の阪神・淡路大震災、2007年の新潟県中越沖地震など、大きな被害をもたらしたものが過去にもある。だが今回のように、多くの関連語が選考されることはなかったという。「東日本大震災は過去にないほど各方面に派生し、関連語が多くなってしまっている」
 候補語には「内部被曝(ひばく)」「風評被害」「自粛」など、震災以前から言葉として存在していたものも多い。「新語ではないし、流行語ともいうわけにはいかないが、与えた影響の大きさを考えると外せない。入れざるを得なかった」(事務局)という。震災の衝撃の大きさは、言葉の意味や性格も変えてしまったことになる。
 大賞発表は12月1日。日本社会だけでなく、言葉のターニングポイントとなった日付「3・11」もノミネートされている。
 ◆嶋スピーチもノミネート「見せましょう野球の底力を」 ○…楽天の選手会長・嶋基宏捕手により、多くの人を感動させた言葉「見せましょう野球の底力を」も候補語に選出された。4月2日の12球団慈善試合(対日本ハム・札幌D)で「底力」というフレーズを繰り返して震災復興を呼びかけたスピーチが評価されたもの。本人は「僕たちは野球を通じて復興の力になりたいと思い、出た言葉です」と感慨深げに振り返った。

スポーツ報知 11月11日(金)8時3分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111110-00000279-sph-soci

 今年の内容は、多くが「東日本震災」と「福島原発事故」にかかわることであった。特に放射能に関する内容は、現在も普通に言われるようになったのではないか。それらの内容は、それだけ日本人全体にこれらの単語が関心を持たれたということを意味するのである。しかし、これらの単語が流行語としてでてきたというのは、なんとなく暗い感じがしないでもない。
 本来は震災関連ではない言葉なのであるが、震災関連のように思われている単語もある。「ぽぽぽぽーん」なんかはその代表である。この単語だけが独り歩きしてしまっているがACのコマーシャルソングの中の一節である。10年後これが流行語であったと言われても開設するのは難しいのかもしれないが、しかし、現在、少なくとも4月や5月の段階で「ぽぽぽぽーん」ということを言えば、皆すべての人が分かるほどであった。この単語の流行というのは、まさに「震災の悲惨さ」というその影響力の大きさと同時に、ある意味で、テレビの影響力の大きさをやはり、考えられるものではないのか。テレビ以外で「ぽぽぽぽーん」ということを言っても全く分からない。しかし、これを皆が見ているということは、それだけテレビの影響力、特にコマーシャルの影響力を大きく知らしめるものではないのか。
 テレビなどと関係なく、日本に明るいニュースを出したのが「なでしこジャパン」である。世界一になるとだれが予想したであろうか。希望であり夢が実現した。そして世界が変わった。まさに震災の後に生まれた明るいニュースを思わせる素晴らしい話ではないか。このような単語こそ、後世に残したいのかもしれない。
 さて、上記に60の単語すべてを記載しているが、さて、どれくらいの単語を皆さんはお分かりであろうか。本当に流行しているのは、何なのか。そしてその中から、考えられう2011年はどのような年だったのか。改めて思い起こさせるものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

見直さなければならない生活保護制度と労働市場開放を求めるTPP

見直さなければならない生活保護制度と労働市場開放を求めるTPP

 民主党の経済連携PT(プロジェクトチーム)は、玉虫色の決着を持って終了する。これによって「反対意見が多いことを配慮」しながら野田首相の判断に一任される。もちろん、TPP交渉参加のことである。
 TPPの交渉参加において、その意義は「はじめから参加していればルール作りに参画できる」というものがいる。しかし、TPPはシンガポールやブルネイなど4カ国によって、すでに行われている枠組みであり、いまさら「はじめから」などといっていること自体こっけいではないか。またそのことをまったく指摘しないマスコミや野党は、不勉強のきわみである。
 ルール作り云々言っているようであるが、そもそも二国間FTAもしくはEPAではなく、多国間で協定を結ぶということは、例外が極めて認められづらい環境である。ということは、外圧(TPP)によって、一気に規制緩和が行われる可能性を秘めている。しかし、そのことにおいて、現在の経済の閉塞感からその打破の起爆剤として外圧尾期待する向きもある。そのことは頭では理解できる。しかし、これには新たに二つの疑問が生じる。ひとつは規制緩和を日本人の手ではできないのか。そしてTPP参加によって「適度な外圧」といえるかの二つである。
 さて、このような「国家論」「国益論」を得意としない人も少なくない。得意としていても、毎日の生活に追われて、それど頃ではない人も少なくない。
 そこで、TPPという協定をもっと身近に考えていただきたいと思う。その題材として最も良いものが労働である。
 労働市場は当然にTPPによって開放される予定のひとつである。労働に関しては特別に労働協約を別途締結することになっており、その上で、労働条件の改善や言語、ビザ、生活習慣など労働者が日本に来て習慣などが「障壁」とならないようにしなければならないのである。そのような義務を日本国政府が負い、それが実現できないと賠償責任を負うことになる。
 逆に言えば、非常に居心地の良い条件で日本の労働市場に海外の安いそして日本語も通じない、日本の生活習慣や労働習慣に合わない労働者が山ほど入ってくる可能性を秘めていることになる。では、日本の労働市場はそのような人々を受け入れられるような状態になっているか。それはまったく逆だ。失業率は増え続け、完全失業による生活保護は205万人を超えた。


<生活保護>中年層急増、自立意欲にハードル

 生活保護の受給者数が過去最多になった。背景には働く能力のある中年層の急増があるが、失業してひとたび保護を受けると、意欲があっても再就職のハードルは高い。東京23区で最多の約2万5000人が受給する足立区で、現状を追った。【石川隆宣】
【生活保護】受給者、過去最多205万人
 10月末。中高年の受給者を対象にした区の就職面接会が開かれた。専門家による面接研修などをセットにした全国初の取り組みで、8月に続き2回目。32歳から63歳までの36人が参加し、14社が面接を行った。警備や清掃、タクシー、建設関係の職が多い。
 「自分は中間層だと思っていた。生活保護という制度があるのも知らなかった」。エントリーシートの書き方を真剣に聞いていた男性(49)は受給して2年が過ぎた。大学の工学部を卒業し、外資系企業でシステムエンジニアとして働いた。一時は年収が800万円あったが、会社は国内から撤退。派遣で働き始め、08年秋のリーマン・ショックを機に収入が途絶えた。車いす生活の父親もおり、賃貸住宅の立ち退きを迫られた時、生活保護を知って申請した。
 これまで70社に応募し、すべて不採用。短期のアルバイトでつなぎながら職種を広げて探すが、保証人がいないことや年齢がネックになっている。面接で「生活保護を受けている」と告げると、相手の態度が変わることもあるという。今回の研修には、すがるような気持ちで臨んだが、すぐには決まらず、パート職の2次面接を待つ段階だ。
 元コンビニ店員の30代男性は「いくらバイトしても自立できる収入にはならない。その上、収入分が保護費から引かれるので、意欲が薄れそうになる」と言う。交通事故で足にけがをして店を辞めた。この日の面接会では事務職に申し込んだが「未経験の人を育てる余裕はない」とやんわり断られた。
 会場にブースを設けたタクシー会社は「予想以上に良い人材がそろっていた」と驚いた。しかし、参加企業はなかなか集まらない。「生活保護受給者というだけで敬遠されるのだろうか」と区の担当者は嘆く。
 福岡県出身の男性(52)は塗装業を営み5人の従業員を雇っていたが、不況で受注が減り廃業。ホームレスも経験した。「生活保護のおかげでどん底から抜け出せた。同時に後ろめたい気持ちもある。仕事を見つけて自立したいのに」
 8月の研修には59人が参加したが、本採用は1人。今回は当日中に就職が決まった人はゼロだった。足立区の高橋秀幸・自立支援課長は「就労にはきめ細かな支援が必要だが、保護の新規申請手続きに追われ、現場は手いっぱい」と話す。
 面接訓練などの就労支援は各地で行われている。厚生労働省によると、昨年度支援を受けた受給者は全国で8万8631人いるが、このうち職を得られたのは35%、生活保護から抜け出せた人は6%にとどまる。
 埼玉県で生活困窮者を支援するNPO法人「ほっとプラス」の藤田孝典・代表理事は「雇用がなく格差と貧困が広がる現状で、自立できる収入を得られない人が多いのは当然。行政は仕事おこしや専門家によるマンツーマン支援の体制づくりを急ぐとともに、生活保護を受給しながら働く道をもっと積極的に認めていくべきだ」と訴える。

毎日新聞 11月9日(水)12時57分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111109-00000043-mai-soci

 本来海外に労働市場を開放するよりも、まずは日本国内の失業者対策を行うことが先ではないのか。TPPは、すべてを否定するものではない。もちろん上記のように規制緩和などのメリットがあることは認める。しかし、その参加の影響を見極め、そのための変革や変動を趣味レーションした上で行うべきであろう。
 労働市場にしてみれば、上記の失業者対策がまさに重要な問題である。失業者対策のもっとも大きな問題は不景気である。不景気ということは、まさに企業も個人も可処分所得が少なく名手いるということになる。経団連に加盟しているような企業は、資本が海外にあったり工場が海外にあったりということで、自力で更生できるし、すでにグローバリゼーションの真っ只中にいる。上記のように、海外の商習慣と日本の商習慣の違いに関して、そのカルチャーショックはすでに経験済みである。しかし、中小企業や日本人個人はそのような免疫はまったくない。
 TPPは自由競争を促進する。しかし、ここにある生活保護を受けている人々はある意味で社会的弱者であり、自由競争における敗者である。その敗者に対して安倍晋三元首相は「セーフティーネット」「再チャレンジ」ということを表明し自由競争市場を維持しながらの弱者救済を表明した。しかし、その道は半ばで民主党の無意味な反対によって挫折する。問題はその後の内閣が、景気対策ばかりで弱者救済隊策をしていないことだ。年末派遣村などを作っていた活動かもいるが、イデオロギーなどが入っており、とても素直に受け取れるものではない。
 まず、これら弱者の保護が必要だ。そもそも自由競争社会を教えてこなかった日教組がおかしい。競争は差別になるとか言っている。格差社会の是正はバラマキに通じ、そのまま共産主義政府の実現へとつながる可能性を秘めている。アリストテレスの言う二つの平等に意味がわからなければ、この問題は解決できないであろう。敗者は保護をする。しかし、自由競争を堅持し、商社、努力をしたものにはそれに報いる栄冠を与える。それでなければ資本主義社会は成立しないのである。
 タダが威圧に頼ればよいわけではない。今の談合(これは合法ではないが)や利権は、単純にある意味での配分的な平等を行い、弱者保護を行っているセーフティーネットの形であった。竹中改革による自由競争主義は、その競争によって日本のこれらのセーフティーネットが破壊された。それは金融圧力によるものである。弱者保護は、そもそもは橋本内閣の金融ビッグバン、最近では竹中の金融自由化で金融の世界から意識が芽生えた。しかし、今度は貿易障壁ということで、これら日本的な商慣習、要するにセーフティーネットがなくなり、そこに外国が入ってくることになる。新たな弱者保護など、しっかりとした新たな制度作りがなければ、ここの記事に書かれたような状態はより悪化する事になるであろう。
 民主党にそこまでの政策立案能力があるのか。私には無理だと思う。TPPに慎重な態度を表明しているのはこのような状態であるからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

衆議院予算委員会民主党閣僚の答弁に非難集中

衆議院予算委員会民主党閣僚の答弁に非難集中

 民主党の閣僚の答弁の質の低さには驚いたものだ。正直なところ、これが政権交代前の自民党だったらマスコミはどれくらい批判していたであろうか。そのようなことを考えると、やはりマスコミの偏向報道というのは非常に強く感じる。逆に言えば、マスコミの偏向報道があっても、これだけあぶりだされる数々の閣僚の不祥事、そして閣僚のわけわからない発言は、今までの民主党の政治がここまで低かったのかと思われるものであるし、また、そのような批判にだまされた日本国民のレベルの低さ(マスコミなどにだまされ後言っても同じこと)そして、やはり、同じようにその民主党に選挙で負けた自民党の問題というのも非常に大きなものであると確信する。
 はっきり言う。民主党政権で、過去に年と数ヶ月たっているがこの期間にどれくらい国益が損なわれたか。そして、逸失利益はどれくらいであったのか。困ったものである。
 とにかくひどいものだ。ここに記載するように、文字にしてしまうとあまり迫力がないのであるが、その現場(動画もアップされているようですが)の空気は、完全に民主党の「いいかげんな政治に対する姿勢」を浮き彫りにしたといえる。
 永田町では記者が集まることがよくある。政治部におけるネタあわせなどは、私が明らかにした部分もあって多少は知られるようになった。他の新聞社でも何でも、国会で働いている人にとっては、仲間意識が強い。その永田町の記者の中では「今回の野田内閣は攻めるところがありすぎて困る」という評価だ。何よりも、山岡、平岡、安住、小宮山といったところは、マスコミがさまざまな情報をもっている。
 その辺のところが予算委員会では完全に攻められる状態になっているのである。

自民「問責閣僚」ロックオン まずは「マルチ」山岡氏

 自民党が8日の衆院予算委員会で「問責閣僚」のあぶり出しに入った。標的としてロックオンしたのは、マルチ商法業界との関係が取り沙汰される山岡賢次国家公安委員長(消費者担当相)。今国会での問責決議案提出も視野に入れる。さらに、平岡秀夫法相と小宮山洋子厚生労働相も照準にとらえる。早期の衆院解散・総選挙に追い込む具体的な戦術が描けない中、まずは閣僚の辞任騒動を巻き起こそうという狙いだ。(斉藤太郎)
 山岡氏への切り込み隊長を担ったのは、元警察官僚の平沢勝栄氏だ。
 平沢氏「山岡氏の事務所の関係者の話では、山岡氏は平成16年、『事務所の経費が厳しいからマルチで稼いでくれ』と言ったというじゃないですか」
 山岡氏「これは名誉毀損(めいよきそん)です!」
 平沢氏は元秘書の実名を挙げて証人喚問を要求した後、二の矢を放った。
 持ち出したのは、マルチ関連会社の会合でスピーチする山岡氏の姿を収めたDVD。「山岡氏は『みなさんに革命家になってもらいたい』と最初から最後までマルチ商法を推奨している。しかも会社の社長は脱税で起訴されている」と指摘。さらに、山岡氏と地元政治家の金銭問題まで持ち出し、山岡氏が「カネを要求したことは断じてない」と否定すると、再び関係者の証人喚問を要求した。
 NHKで生中継される中、集中砲火を浴びた山岡氏は「マルチで稼いでくれ」発言を完全否定したものの、平沢氏に対し「後ほど…。長いつきあいだから友情を持って…」と泣き落としにかかるのがやっと。
 野田佳彦首相も「山岡氏は説明責任を果たし、むしろ襟を正して職責を果たしてもらいたい」とかばうのが精いっぱいだった。
 平岡氏もターゲットとなった。10月に辞任した政務秘書官が平岡氏の公設秘書としての9月分の給与も受けていた問題について、「大臣秘書官は日割り、公設秘書は月割りで支給する制度の違いで生じた」と説明。だが、棚橋泰文氏に「良識の問題だ」と攻め立てられ、「(9月の公設秘書給与分を)国庫に寄付することも考えたい」と釈明せざるを得なかった。
 小宮山氏は、年金の支給開始年齢引き上げ問題で、加藤勝信氏に「首相は『希望の種をまこう』と言うが、小宮山氏は負担の種をまいている」と指摘され、「議論の順番、伝え方がまずかった」と陳謝した。

2011.11.8 22:05 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111108/plc11110822070023-n1.htm

枝野氏「『直ちに』は7回しか言ってない」に非難殺到

 8日、衆議院予算委員会の質疑における枝野幸男氏の答弁が話題になっている。
 枝野氏は、自民党・村上誠一郎議員から受けた震災初期対応の不備を指摘する質問に答える形で わたくしは3月11日からの最初の二週間で、39回の記者会見を行っておりますが、そのうち「ただちに人体、健康に害が無い」ということを申し上げたのは全部で7回でございます。そのうちの5回は食べ物、飲み物の話でございまして、一般論としてただちに影響がないと申し上げたのではなくて、放射性物質が検出された牛乳が1年間飲み続ければ健康に被害を与えると定められた基準値がありまして、万が一そういったものを一度か二度摂取しても、ただちに問題ないとくり返し申し上げたものです」
と回答した。
 枝野氏の「ただちに影響ない」という言葉は、震災直後、混乱する日本で一種の流行語になったが、改めて、同氏は「これは『基準値超えの食品を一度か二度摂取した場合』に限られる」と説明し直した。
 今回の発言を受け、「今までと変わらぬ生活を続けてもただちに影響ない」という意味だと信じていたネットユーザー達は、それぞれのツイッターや掲示板上で、「こう言うと思ってた」「枝野を信じて汚染水道水を飲んでた自分が悔しい」「子どもの言い訳か」「全力で国民を騙した」「『食べても心配ない』と曲解して報道したマスコミに責任」などと書き込み、様々な反発の声を上げたのだった。

2011年11月08日19時02分提供:トピックニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/6008714/

 そもそも、民主党は野党が長すぎた。それだけでなく、自民党のことを攻撃している割には、自分たちは同じ事をしていた。俗に言う「闇紳士」で自民党にも民主党にも出入りしているような人の名前を挙げるのは、そんなに難しいことではない。同じ事をしながら、当時政権与党であった自民党よりも取り分が少ないからといって攻撃していたのであるから、攻撃の舌鋒は鋭くてもその内容は信用ができるものではない。菅直人前首相などはその典型であり、「ブーメラン」があだ名になっているほどであるが、民主党議員は大なり小なり「ブーメラン」の傾向があるということになってしまうのではないか。
 単純に言って、野党は、国会で追及されることはない。国会は国会議員と内閣の答弁であるから、閣僚にならない限りその発言はない。例外は証人喚問や政治倫理審査会である。逆に閣僚は少しでもスキャンダルがあれば総攻撃を喰らう。これはすごいものである。当然に、国会は中継されるし、マスコミもそれを面白がって書く。マスコミは良い意味でも悪い意味でも政権中心だ。あえて内閣と書かなかったのは与党の幹事長や政調会長も含まれるからである。よって、同じ事をしていても、野党であれば書かないが閣僚であれば一面のトップに躍り出る。民主党議員はそれに慣れていない。要するに「野党時代に許されていたこと」を閣僚になってもやってしまう。もちろん、外国人からの献金もマルチの政治連盟も、詐欺師の前科者を秘書に雇うのもまったく同じことである。小泉純一郎元首相などコンサートに言っただけでニュースになったのであるから大変だ。
 当然に閣僚になればそのことがあげられる。私もブログやツイッターなどには書かないが、政治家の予算委員会前の情報交換会や模擬質疑などに参加する。(当然にそのようなところでの写真やその中身などは公開できるはずがない。その政治家の名前も一切公開できない)それだけに、ブログなどで、政治家との写真を掲載し得意気に語っている人を見ると、それだけで、「政治に深くかかわっていないのであろう」ということを考えてしまうのであるが、そのような中でも、「この人は閣僚でなく補佐官だから、質問に出せない」などの話が良く出るのである。何でも良いヒラの議員を叩くのは、よほど刑事被告人でない限りはマスコミといってもあまり価値はないのである。
 逆に言えば、「その程度」でしかなかったのが民主党の議員であり、「その程度の扱いしかされてこなかった」人が大臣をしているのである。
 それだから「公人としての発言」あるいは「官房長官としての記者会見での公的な発言」の重みもわからずに「7回しか発言していない」などと、いえるのである。それを信じた人の被害を枝野大臣はどのように思っているのか。だから「枝野を信じて汚染水道水を飲んでた自分が悔しい」「子どもの言い訳か」「全力で国民を騙した」(上記記事からの抜粋)というような非難が集中するのである。閣僚または政務三役でありながら「個人的な発言」小宮山大臣のタバコ税のように「個人的な信念」などといって、公的立場をまったくわきまえていない人が大臣になり、それが許されるようになるから、国家的な、または国会内での審議を経ずして勝手に国際公約ができるのである。まさに国民無視の政治であり、国民主権への重大な朝鮮、民主党独裁への道を進んでいるといえるのである。
 このようなことは許してはならない。閣僚一人ひとりの発言を見ながら、そのことをしっかりと考えるべきではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

外国で何を言うかわからない民主党内閣の怖さ

外国で何を言うかわからない民主党内閣の怖さ

 元民社党の委員長で元衆議院議員の塚本三郎先生が、自民党と民主党の話になると、必ずといっていいほどこのような話をする。
 「自民党は左翼の政党である。はじめのうちは保守に見せかけても、すぐに左に寄った政策に変えてしまい、結局左翼的な政策を実行する。しかし、それでも日本の政党である。民主党は外国(害国)の政党である。日本の国益を考えず外国の利益のために日本でせいぞを行っている政党である。左翼の政党もよくないが、外国の政党はもっとよくない」
 初めのうちは違和感があっても、最後まで聞いているとなかなか言いえて妙なものであるし、的を得た評論である。塚本先生のこのような話を伺うと、その経験と表現力の豊かさ、そして的確な指摘に関しては、私などはまだまだ足元にも及ばないと思うものである。
 その「外国の政党」といわれた民主党の政権は、すでに3年で3代目の首相になった。この政党の首相が外国で発言してきたことを考えてみよう。鳩山由紀夫元首相は、個人の信念で「東アジア共同体」をいい、また、温室効果ガス90年比25%削減を国際公約してきた。また、次の菅直人前首相は、何もしなかったが、突然TPP加盟を打ち上げ、地震によってしばらくなくなったが、今度は1000万戸にソーラーパネルをつけるなど、担当の経済産業大臣も知らないことを平気で国際公約してくるのである。
 野田内閣になって「安全運転」が標榜されている。しかし、その「安全運転」とは「何も話さないこと」であり、要するに民主党内もしくは執行部・内閣による「秘密主義」でしかない。秘密主義であるということは民主主義の基本に反する。しかし、鳩山内閣や菅内閣とまったく同じで、国内でまったく議論されていないことや、国会で審議されていないことをいきなり国際公約するということになる。
 その国際公約を行うことそのものを今回は問題にしたい。

野田首相、消費税増税を国際公約 高まる財政再建圧力

 野田佳彦首相は3日始まった主要20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)で、消費税増税を表明する。欧州債務危機が主要議題となる中、巨額の国債を発行している日本にとっても危機が「対岸の火事」で済まなくなる恐れは否定できないため、財政再建への決意を「国際公約」として明確にする。ただ、東日本大震災の復興財源を賄う臨時増税も検討するなど、財務省の敷いた路線に乗り相次ぐ増税を打ち出す首相に対し、「日本経済を冷え込ませる」との批判も強い。公約実現への道のりは平(へい)坦(たん)ではない。(仏カンヌ 加納宏幸、本田誠)

 ◆行動計画にも明記
 「世界経済は民間と政府が債務を過剰に抱えるという課題に直面している」
 首相は3日、G20に先立って開かれたビジネスサミットでこう演説し、債務問題の解決に向けた結束の必要性を訴えた。
 首脳会議では、各国が財政再建の具体策や内需拡大策を示す。首相も2010年代半ばまでに消費税率を10%に段階的に引き上げる方針を表明し、財政再建に取り組む姿勢をアピールする。
 首相は首脳会議での表明に加え、4日に採択される各国の政策対応を盛り込んだ行動計画(カンヌ・アクションプラン)にも日本の消費増税を明記させる方針だ。
 経常黒字国で国内の貯蓄が豊富な日本は国債の9割を国内で消化し、債務危機は顕在化していないが、財政は世界でも突出して悪化している。
 日本の政府債務は国内総生産(GDP)の212・7%と、米国の101・1%、フランスの97・3%、ドイツの87・3%を大きく上回るだけでなく、ギリシャやイタリアと比べても極端に高い水準だ。
 歴史的な円高や海外経済の減速で日本の輸出は減少傾向にあり、海外で稼ぐ力が衰えて国債を国内で買い支えられなくなり、日本の債務問題が世界経済のリスク要因に浮上する懸念は拭えない。
 日本の債務不履行(デフォルト)が現実味を帯びれば、世界経済への打撃は計り知れない。日本の消費税率は海外と比べて低いだけに、各国から増税圧力が増すことも予想される。
 「経済成長と財政再建の両立など取り組むべき課題は山積している。困難の克服には、国際社会のリーダーたちが強い決意とリーダーシップを発揮し、国民の理解を求めながら改革を進めることが必要不可欠だ」
 首相は講演でこうも述べ、「ギリシャのように『日本発の危機』を起こさぬ覚悟」(首相同行筋)を示した。

 ◆増税のシナリオ
 首相は10月31日から2日までの衆参本会議で「消費税の具体的な税率の引き上げ時期は政府・与党内の議論、与野党協議を踏まえ決定する。実施前には総選挙で民意を問う」と述べた。
 年末までに消費税の増税幅や時期を含む「社会保障と税の一体改革」を具体化し、来年の通常国会で関連法案を成立させる。そして、衆院議員が任期満了を迎える平成25年夏までに衆院選で増税の是非を問うのが首相の描く道筋だ。
 だが、シナリオは書き直しを迫られつつある。野党が参院で多数派を握る「ねじれ国会」で法案成立のキャスチングボートを握る公明党が早期解散を視野に入れ始めたためだ。
 同党の山口那津男代表は3日のBS11番組で「実施前に信を問うというのは民主党が言ってきたことに反する。法律を作る前に、上げる方向がよいかどうかを問うのが筋だ」と、首相の答弁を批判した。自民党の谷垣禎一総裁も3日、神戸市で講演し、法案提出前の解散・総選挙を求めた。
 民主党内の調整も容易ではない。民主党は21年衆院選に当たり、マニフェスト(政権公約)に消費増税を明記せず、鳩山由紀夫代表(当時)は税率引き上げの4年間凍結を明言した。党内には小沢一郎元代表に近い議員を中心に消費増税反対派は根強い。
 首相は10月12日、中曽根康弘元首相に外交問題で指南を求めた。元首相のアドバイスは明快だった。
 「サミットでは首相や大統領が相手の目方を量る。30分も話をすれば、どの程度の重さがあるか分かるおっかない所だ」
 国際公約を実現できなければ、「軽量級」の烙(らく)印(いん)を押されるだけではない。就任後2カ月間安全運転に徹してきた野田政権の足腰はガタガタとなり、崩壊につながっていくのは必至だ。

2011.11.3 22:58 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111103/plc11110323030005-n3.htm

野田首相内政懇要旨

 【消費増税と衆院解散】
 (主要20カ国・地域首脳会議で消費増税に関する)基本的な政府の姿勢、方針を口頭で説明した。各党がどういう判断をするかは分からないが、基本的には呼びかけをし、一緒にこの議論をしていきたい。信を問うとするならば、法案が通った後、実施をする前に信を問うというやり方にしていきたい。(衆参ダブル選挙の可能性は)解散時期はお任せください。

 【環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)】
 基本的には挙党一致が望ましい。党を割るようなことはよくない。党の議論が集約された後に態度を決めたい。しっかり議論をして早急に結論を出す。

 【復興債の償還期間】
 将来世代に(負担を)先送りせず今を生きる世代で連帯して負担を分かち合うのが基本方針。10年を基本に考えてきたが、野党の声にも真摯(しんし)に耳を傾けて一定程度の柔軟性を持って対応していく。まだ、数字を私から言う話ではない。

 【普天間移設問題】
 日米合意にのっとって沖縄の負担軽減を図り、沖縄の皆さんに説明をしながら進める。(野田佳彦首相自身の沖縄訪問は)そういう時が来るよう環境整備に努める。

 【胡錦濤中国国家主席との懇談】
 立ち話だった。来年は国交正常化40周年なので戦略的互恵関係を深めていきたいという話をした。(首相)訪中は温家宝首相からも招請があったので、年内に行けるようにしたい。

 【内閣官房参与への元公明党参院議員起用】
 (高野博師氏の起用という)確定したか分からない話は申し上げられない。

 【外国人献金問題】
 国会では谷垣禎一自民党総裁に答え、私なりに説明をしている。国会で説明した以外を(首相の個人)事務所でちゃんと公表した。 (カンヌ 加納宏幸)

2011.11.4 09:45  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111104/plc11110409470003-n2.htm

 民主主義とは、国民が主権でその国民が物事を決めるということに他ならない。しかし、物理的に国民投票ですべての政策を決めることはできない。そこで、日本国憲法では、民主主義の実現として、国権の最高機関である国会の代議員を選挙で選出することしか実現できないようになっている。議院内閣制をとっている日本の場合、行政の長である内閣は国会議員による選出が行われるのだから、当然に、その議員の多数派を選ぶということは、行政の内閣を決めることに通じる。
 しかし、日本の国民主権には、その議員を罷免することはできない。そこで、国会の衆議院を解散することができるようになっている。解散し、国民の意思を確認し、立法・予算・そして議院内閣制によって間接的に国民主権を実現する行政に反映することになっている。
 しかし、野田内閣は「予算案が通過した後に解散」というふざけたことを言っている。あえて「ふざけたこと」と書いているが、上記の日本国憲法の規定である国民主権、要するに重要案件の国民の意思を反映するということをまったく気にかけることはなく、法案を通し、自分の都合の良いことをした後に解散するということを言うのである。憲政の常道も国民主権も憲法の規定も、国民主権もまったく関係ないというこれらの発言は、当然に国民のすべてに批判されて当然の者である。しかし、鳩山・菅を含め三代連続で国際公約を行い、なおかつ、国民の議論を無視する秘密主義、そして独裁的な行政手法は、国民において、そこまでの白紙委任をしたものではないという反論ができる。特に民主党に政権を執らせた選挙で、増税はしないということを公約したのを、選挙も通さずに公約と反対のことを行ったのであるから、大きな問題だ。
 このような「約束破り」「違憲助長」「国民主権無視」の内閣を置くことは、どういうものなのか。もっと言えば、それを支えている民主党議員そのものの国会議員としての資質の問題が大きなものではないのか。はっきり言うが、良識があるならば、また、憲法を護り国民主権を護る意思があるならば、民主議員は民主党政権を壊すべきではないのか。そしてもう一度国民の意思を確認すべきであろう。
 今日は、これらのことに怒りを覚えるとともに、それを追及できない自民党そのほかの野党にも、ふがいない思いを持っているところ、筆をおきたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

厳格な人柄であった西岡武夫参議院議長の死

厳格な人柄であった西岡武夫参議院議長の死

 このブログで号外(ブログの号外というのもおかしな話であるが)を出したのは過去に二回である。西岡武夫参議院議長の訃報は、土曜日のけだるい朝に時計代わりにつけていたテレビで「ここで速報が入りました」という一言に続けて伝えられた。すでに昨年の三銀議長を引き受けたときに、「先が長くない」と口癖のように言っていた言葉が思い起こされる。他の人はともかく「最後の御奉公」という言葉にもすごく力がこもっていた。西岡議長のこれらの言葉になにか並々ならぬ力を感じたのは、私だけではあるまい。
 雑誌ジャパニズムの記事の件で7月に西岡議長を訪問した。どちらかというと西岡議長をおちょくる記事であったために、怒られることを覚悟で西岡議長のところに行った。内容は、議員西岡武夫氏が初当選初登庁のときに、お母様がご一緒されたという伝説の逸話。何しろ、国会の初登庁に秘書でもなんでもない「お母様」が同伴付き添いで登庁したのは初めてのことであり、当時の国会はかなり大騒ぎになったという。もちろん、初登庁のことでもあり認められたようであるが、その手を引かれてくる西岡議員の若々しい姿には、「政界のプリンス」とあだ名されるほどであった。
 そのエピソードを雑誌に載せる旨本人に直撃したところ、はじめのうちは確かにお怒りであった。「誰から聞いた」「両院記者会の事務局長の小林さんです」というと、「ああ」といって急に表情が和やかになり、逆に昔話をしてくれたのである。もちろん、今の西岡議長からは想像もつかないような失敗談ばかりである。先輩の政治家に料亭に集合といわれて歩いていったら、なかなか入れてくれなかった。強引に入ったら、秘書の控え室に通された話などは、なかなか興味深く面白く話が聞けた。
 また、落選期間中に写真週刊誌に御見出しの風景を撮られた話。これは、落選議員の悲哀というものをなんとなく感じるものであったらしい。「そのまま自民党にいれば今頃」という書き方に対して、やはり非常に強い抵抗があったという。自民党そのものは嫌いではないし、問題はないと思うが、自分の政治家としての信念を貫くことこそ日本国民への責任の果たし方であるということを強く説いてくださった。
 そのような西岡議長がなくなったことについて、後半は今後の政局を書いてみたい。

西岡武夫参院議長が死去…文教行政に手腕

 参院議長の西岡武夫(にしおか・たけお)氏が5日午前2時24分、肺炎のため都内の病院で死去した。
 75歳。告別式は7日午後1時、長崎市茂里町3の31の法倫会館で。喪主は妻の永子(ひさこ)さん。自宅は長崎市館内町5の16。
 西岡氏は長崎市出身。早大教育学部を卒業後、1963年の衆院選に27歳で初当選し、政界入り。衆院11期、参院2期を務めた。
 1976年、河野洋平前衆院議長らと自民党を離党し、新自由クラブを結成。自民党復党後は文教族として手腕を発揮し、竹下、宇野内閣で文相、海部内閣で党総務会長を歴任した。93年の自民党の野党転落を機に再び離党すると、新進党結党に参画し、自由党を経て、2003年に民主党入りした。新進党結成以降は、小沢一郎元民主党代表と行動を共にした。
 98年には衆院議員を辞職して地元の長崎県知事選に出馬し、落選したが、01年の参院選で初当選を果たし、国政に復帰した。
 野党だった民主党が参院第1党になった07年参院選後は、議院運営委員長に就任し、衆参の「ねじれ国会」で参院側の議会運営を差配した。
 10年7月、菅政権下で参院議長に就任した。与党である民主党出身の議長にもかかわらず、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件を巡る政府の対応などを厳しく批判。11年5月には、東日本大震災発生以来の菅首相の対応を「首相としての責務を放棄し続けてきた」と指摘した上で、「今、(首相を)お辞めにならなければ、原発事故がもたらす重大な課題も解決できない」と退陣を求める論文を読売新聞社に寄稿した。
 最近は「1票の格差」是正に向け、参院選挙制度改革の私案を発表し、与野党の意見集約に意欲を示していた。

2011年11月5日(土)9時57分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20111105-00153/1.htm

《評伝》歯に衣着せぬ発言 小沢氏も一目

 「政治家は命をかけて仕事しなくちゃ…」
 西岡武夫氏は昭和38年の衆院選で初当選以来、日本の行く末を案じ続けた、まさに信念と情熱と決断の政治家だった。
 51年に「保守政治の刷新」を掲げ、自民党を離党して新自由クラブを結成した。以後、自民党復党も含め多くの政党を渡り歩いたが、これも国家の将来を案じた上での決断だった。
 平成6年に民主党の小沢一郎元代表らと新進党結党に参画。以来、小沢氏と行動を共にしてきたが、自由党時代には、民主党との合併に慎重論を唱えて小沢氏を困惑させた。小沢氏も一目置く存在で、政策・政局課題などではしばしば相談相手になっており、小沢氏に直言できる数少ない政治家の一人だった。
 実際、今年6月のこと。東日本大震災の復旧、復興の足かせになっていた菅直人政権に危機感を持った小沢氏はひそかに参院議長公邸を訪れ、「今の危機的状況に対処できるのはあなたしかいない」と、約2カ月後に予定されていた民主党代表選への出馬を求めた
 西岡氏擁立劇は不発に終わったが、その後も参院議長として歯にきぬ着せぬ発言、行動を続けた。10月27日付産経新聞朝刊には、遺稿となった1面コラム「決断」を執筆し、野田佳彦首相をはじめとする全国会議員に政治家としての覚悟を促した。
 こうした言動ゆえに、政界では「気難しい」「孤高の人」との評や「議長の分限を逸脱している」との批判もあったが、実際には地位におごることのない、気配りの人でもあった。
 約20年前、駆け出しの政治部記者だった私は、自民党総務会長だった西岡氏の担当になり、政治記者のイロハを教わった。周囲からは「西岡学校」と揶揄(やゆ)する声が出るほどだった。
 「政治記者を育てるのも政治家の仕事」「政治家は『知らない』『言えない』と言うのは良いが、事実と異なる嘘をついてはいけない」と常々語っていたが、その裏には「誤った報道で被害を受けるのは国民だ」という思いがあったのだ。
 コラム「決断」は、帯状疱疹(たいじょうほうしん)で体調を崩された中での執筆だったが、題字を含め、締め切りギリギリまで推敲(すいこう)を重ねるこだわりをみせた。掲載後、西岡氏から届いた名刺には「わがままばかりで申し訳ありません」と書き添えられていた。(新井好典)

2011.11.5 21:58 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111105/stt11110522000008-n2.htm

 西岡議長は非常に厳格な方であった。
 まず、公人として議員はあるべきであるとした。そしてプライベートな部分をなるべく人目で見せないということを心がけていたようである。食事する姿を見せないという都市伝説は永田町の中にあり、先輩議員が箸をつけないので、若手議員が食べることができないなどといった話は少なくない。
 公人であるために、議員のスキャンダル、特に不倫とか浮気とか、女性関係に関するスキャンダルなどは持っての他とされている。参議院の中ではそのような議員は西岡議長と眼を合わせられないという話まである。もちろんどちらも都市伝説なので、その真偽は不明である。本人に確認したところ、そのようなものは誇張表現であるといっていたが、誇張表現ということは、当然に少しはあるということの裏返しである。
 逆に公人であるがゆえに、政治記者に対しては「国民への窓口」として非常に大事にしてくれた。嘘はだめだが、真実の報道に関してはさまざまな協力をしてくれた経験を持つ記者は少なくない。記者を育てるのが政治家の仕事という信念は最後まで持っていた。しかし、自分の病状というプライベートは、最後まで明らかにしなかった。公人としての美学なのではないか。
 この公人としての仕事へのプライドは、服装などにも表れる。参議院の本会議場は当然にスーツにネクタイでなければならないとし、議員は少なくとも選挙区数十万の国民の代表であるから、当然にその分の責任があり、常にその仕事に対して敬意を払い、また国民から信頼されなければならない。としていた。そのことはクールビズに直撃し、本会議場でのスーツとネクタイに関しては最後まで譲らなかった。本来はモーニングなどを着用すべきであるとした西岡議長の経緯はもちろん、天皇陛下、国家、そして議員としての仕事に対して全力が向けられた。参議院の若い議員では西岡氏に怒られた人も少なくないのではないか。
 このように国会、そして天皇、皇室、そして仕事への敬意を持った政治家は少ない。占拠にさえ通れば何でも良いというような話ばかりである。逆に、そのような状態であるから、西岡議長は「最後のご奉公」として行政の長である内閣総理大臣に何度も異例の勧告を行ったのである。もちろんご都合主義の民主党の議員たちには、そのようなプライドのかけらもないので、まったく通じなかったようであるが。しかし本来の政治家の仕事とはそのようなモノではないのか。国会議員の本分、憲政の常道を知る政治家の死は、今後、民主党の横暴政治の大きな防波堤がひとつなくなったようなものではないのか。
 いずれにせよ、西岡議長によるこの一年間の参議院の運営は、すばらしいの一言である。そして、国民の多くが、西岡議長の死を悼み、そして亡くなった西岡議長の存在の大きさを知ることになるのであろう。特に「国会、天皇、皇室、そして仕事への敬意」を常に心に持った政治家が一人いなくなった。そのことの大きさは計り知れないであろう。ただ、残された国会議員は、その意思をついで、しっかりとした態度で国会議員としての仕事を行うべきではないのか。
 西岡議長のお冥福を改めてお祈り申し上げます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(68) 自分で質を悪くし、自分で呪縛にはまるマスコミ

マスコミ批判に関する一考(68) 自分で質を悪くし、自分で呪縛にはまるマスコミ

 テレビニュースの劣化がひどい。そもそも「報道」と「情報番組」の差がなくなってしまっている。
 古くは情報番組と報道番組はまったく異なったカテゴリーであった。情報番組はあくまでもバラエティのカテゴリーであり、街角レポートなどを行っていた。体験レポートなどもあり、芸能人がそれらの体験を通して情報を伝えるという趣旨である。しかし、それは報道とは違い、企業宣伝的な内容もあり、また、ある意味で、誇張表現なども使われる(どちらかというとそのような者が多い)。また、今だけ、今回に限りなどの限定商法的な部分もあり、基本的に、「報道」というカテゴリーの事実の伝達とは異なる部分が少なくないのである。
 一方報道は、まさに事実の報道である。事実を伝達することが最も重要なものであり、情報番組と異なり、しっかりとした事実を報道しなければならない。事実は時に国民にとって面白くないこともあるし、認めたくない場合もある。しかし、それらは必ず事実であるし、またその事実を伝えることに社会的な意義がある。認めたくなくても、当然にそのことを踏まえて新たな一歩を踏み出さなければならない。その意味で、国民が望む望まないにかかわらず、事実の報道というのは必要なものである。
 この二つのカテゴリーは別々に発展した。ニュースはあくまでもニュースとして報道番組を発展させてきたし、情報番組はあくまでもバラエティの中の一つとして発展してきた。古い番組名をここにあげることはしないが、情報番組は、様々な街中情報を出していた。時には民間人宅に突然おじゃまするなどの企画も大方し、名物経営者やおいしいものの情報などもかなり昔からある企画だ。
 この二つが融合した形が「ワイドショー」という形式である。情報番組の中に報道が入り込むという番組がでてくる。これが情報ワイドショーである。昔から午後のワイドショーなどがほとんどこの状態に当たり、情報番組の一部の中に、「それでは、報道デスクからニュースです」などといって、ワイドショーで報道をしているにかかわらずニュースのコーナーが別建てででてくるのが特徴だ。ワイドショーは基本的にバラエティの枠として行われている証明だ。ワイドショーは基本的には街角情報を出す番組であったが、その中にニュースの用語解説や、話題になっている政治家の情報、または社会的な事件などの解説を行い、「専門家」といわれる人を出演させて意見を言うという番組になった。
 その番組の発展形の中から、「報道中心のワイドショー」を展開するようになった。この画期的な番組が「ニュースステーション」である。ニュースステーションも初めのうちはワイドショー色が非常に強く、毎週金曜日はセットを変えて週末情報を流す番組であった。しかし、報道中心のワイドショーが脚光を浴びるようになり、徐々にニュースステーションのような報道中心のワイドショー番組がでてくるようになる。
 報道中心のワイドショーは、あくまでも報道でありながらワイドショーである。要するに視聴者の興味に合わせて報道を行うという感覚の番組であり、社会的に必要であったり、あるいは事実の伝達などで、「耳に痛い」情報を排除し、聞きたいこと、ミーハー的に面白いことだけを報道番組として行い、そこに専門家と称する人が出てきてもっともらしい解説を行うという形式である。これらが横行し、全テレビ局がこのような番組を展開することによって、完全の報道番組は番組間の5分間ユース以外ではめったに見られないようになってしまった。もちろん報道ワイドショーが人気が高いことは確かである。しかし人気がなくても知らせなければならないこと、報道しなければならないことや、専門家などに誘導されないしっかりとした解説がなくなってしまったのである。
 そのような現象の果てにでてきたのが、下記のような現象である。

ニュース関係者「主婦に政治・国際など硬派ネタはウケない」

 テレビの劣化を最も如実に表わしているのが「夕方のニュース」だ。現在、夕方5時~7時台の情報番組では、長らく視聴率トップに君臨してきた『スーパーニュース』(フジテレビ系・以下『スーパー』)を、2位の『news every.』(日本テレビ系・以下『エブリィ』)が猛追している。しかしその激しいトップ争いの中身を見ると、「これってニュース?」と首を傾げてしまう内容なのだ。
 試しに10月20日の両番組を比べてみた。すると、どちらも番組名に「ニュース」とつく割には、ニュースが非常に少ないことに気がつく。番組の中でニュースが占める割合は、『スーパー』は全119 分の放送時間のうち60分30秒、『エブリィ』は全127 分で同じく60分30秒となった。
 残りは「芸能」と「特集企画」がほとんどだ。何でこんなことになっているのか。『スーパー』のスタッフが打ち明ける。
 「30~40 代の主婦層がメインターゲットのため、ニュースは視聴率が上がらないんです。『スーパー』もライバルの『エブリィ』も、ニュースの時の視聴率はだいたい 8~9%しかないから差がつかないのですが、芸能ニュースの時だけ数字が2ケタまでハネ上がる。だから、どうしても扱いが大きくなるんです」
 これは『エブリィ』でも同様のようだ。
 「主婦には政治・国際・ヤクザなど硬派ネタはさっぱりウケない。例外は、人魚の入れ墨が入ったニューハーフの遺体発見のような、エログロがらみの事件だけ。ギリシャのデモなんかはやらないわけにはいかないからやりますが、正直あまり時間は割きたくない」(『エブリィ』のスタッフ)

※週刊ポスト2011年11月11日号

2011年10月31日16時00分 提供:NEWSポストセブン
http://news.livedoor.com/article/detail/5982502/

 「水は低くに流れる」ということはよく言われる。人間も常に安易な方向に流れてしまうということだ。要するに報道ワイドショーはその存在を否定することはしないが、だからといってしっかりとした報道番組をなくしても仕方がない。
 そもそも民放の横並び意識のひどさたるや、共産主義の情報統制化のような劣化を感じる。まったく独自性もなく、トレンディドラマが一つヒットすれば、すべてドラマ番組ばかり、アニメがはやればすべてアニメになってしまう。今問題になっている韓流もまさにそのもの。NHKが冬のソナタを流行させて以来、まさに猫も杓子も韓流というような報道や番組構成をしているのには、デモそのものを行うような怒りよりも、テレビ制作者のオリジナリティの欠如、能力の欠如をまさに嘆き悲しむような気分にしかならないのである。はっきり言って、日本のテレビには政策能力がなくなった。
 逆に、そのような番組ばかりで「馴らされてしまった」安易な考えの視聴者は、まさに快楽と地元のスーパーマーケットの安売り情報のような情報ばかりを気にすることになり、基本的には国家のこと、国際的なことなど、どうしても重要なそれでも難しくそして耳の痛いようなものも含まれる報道を好まなくなってしまった。しかし、これはテレビ局の怠慢でしかない。要するに必要な番組を視聴率という安易な数字稼ぎのために捨ててきてしまったツケがこの世様なところに現れていると言えるのではないか。
 はっきり言って菅龍ばかりのテレビ局があっても良いし、バラエティばかりのテレビ局があっても良いのではないか。しかし、しっかりと報道を行うテレビがあっても良い。せっかく民放が多極化しているのにかかわらず、そのようなオリジナリティのある番組が全く作られないというのは、まさにテレビ局そのものの大きな問題ではないのか。
 このテレビの劣化の結果はテレビ局が最も受けている。まさにテレビ視聴者の減少は、テレビがつまらなくなった、テレビ情報が各一化したことの表れでしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(34) 中国での開店準備(3) 中国での薬局経営と一人っ子政策

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(34)
中国での開店準備(3) 中国での薬局経営と一人っ子政策

 開店準備で必要なのは、従業員のことばかりではない。店を作るには、当然に売るものをそろえなければならない。要するに仕入れだ。日本のスーパーマーケットを行うからといって、すべての商品を日本から輸入することはできない。もちろん、日本のスーパーマーケットを展開するということは、日本の品揃えを期待されてる。しかし、ブランドショップでなく、フルの品揃えのスーパーマーケットなのだ。当然に、中国での仕入れも行わなければならないし、そのほかの国からの輸入品もおかなければならない。
 簡単に、日本の企業からだけ商品を入れたり、ブランドショップのようにひとつの会社から仕入れるのであれば楽であっただろう。単純に言って、スーパーマーケットである以上、食品も入れなければならない。肉、魚、野菜いわゆる生鮮三品などは、日本から輸入などして販売はできない。特別な例外を除き、輸入食材は関税などがあって高くなるし、鮮度を保つためにそれなりの購買力がなければならない。当然に日常の食品を売るというものではない。当然に「スーパーマーケット」だるい上、生活に密着した売り場を作らなければならない。少しステータスが高い高級食材というのと、大多数が手を出すことができない店というのとは違う。日本で言うところの「ちょっと高級」という感じの売り場が上限である。
 そのためには当然に中国の企業を相手に仕入れを行わなければならないのである。生鮮産品だけではなく、雑貨や衣料品などに関しても仕入れをしなければならない。その慣習の違いはなかなか面白い。
 まず、第一にもっとも困ったのが薬局である。

<ここからいかはメルマガでお楽しみください。メルマガは下記から無料でお申し込みいただけます>
-----------------------------------------------------------
國會新聞編集次長の未掲載記事とニュース解説
ブログ
<http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/>

<mailto:CQA14363@nifty.com>

発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

<号外>西岡参院議長が死去

西岡参院議長が死去

2011.11.5 07:55 国会

 西岡武夫参院議長が5日午前2時24分、肺炎のため都内の病院で死去した。75歳だった。葬儀・告別式は未定。

 西岡氏は20日召集の臨時国会の本会議をこれまで全て欠席。10月28日には、参院事務局を通じて、臨時国会の本会議を来月半ばまで欠席すると発表していた。

 その際、西岡氏は「帯状疱疹(ほうしん)と口内炎がいまだ十分に回復せず発声が聞き取りづらい状態であり、議事進行などに迷惑をかけることにもなりかねないため」と説明していた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111105/plc11110507550002-n1.htm

 大変衝撃的なニュースなので号外でブログを出します。
 西岡武夫参議院議長が、お亡くなりになりました。

 体調を崩し、本国会の前半を欠席するとのことでした。
 西岡議長は、参議院の独自性を強く主張し政府に従属する形の国会を強く批判しました。菅直人前首相を強く批判し、また、民主党の国会運営を憲政の常道から照らして強く批判し、「物を言う議長」という新しい議長像を確立した人です。この件に関しては賛否両論あることは心得ておりますが、西岡氏の国を思う心が、異例とはいえ、そのようにさせたのだと思います。
 今後国会が西岡氏の遺志を引き継いで、真に国民のための審議する国権の最高府としての役割を果たすように、われわれ国民は祈願したやみません。同時に、議長でありながらそのように意見をした西岡議長の考えを実現できる事を、国会議員一人一人に強く希望します。

 いずれにせよ西岡武夫参議院議長のご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地域活性化におけるソープランドの効用

地域活性化におけるソープランドの効用

 石川県片山津温泉でなかなか面白い論争が話題になっている。温泉街にソープランドを残すのか残さないのかということがそれである。
 古くから温泉街には三種類去るとされている。一つは、「温泉療治のための温泉」である。実際に効用があるなどの温泉である。山梨県や長野県に広く広がる「震源の隠し湯」とか秋田県の玉川温泉などは有名なところである。二つ目には「観光のための温泉」である。観光地として温泉街が存在し、勇壮な景色と温泉の剰余、そして歴史などを楽しむ温泉である。日本人的に「ハレの日」を体験するための温泉旅行、旅行を目的とする温泉がこの二つ目の観光の温泉に当たるのではないか。この観光温泉の中には、熱海温泉や箱根など様々存在する。もうひとつの温泉が「温泉風俗」である。
 風俗の温泉というのもなかなか面白い。日本人の場合、普段が勤勉であるために(最近ではそうではないのかもしれないが)、ある意味では目をはずしたリフレッシュが必要になったのである。日本は、戦前どころか戦後女性の選挙権が認められるまで断線社会であった。当然に、「日本人の場合」と書いたとしても、基本的には「日本男性」ということになっていたのではないか。日本男性の遊びといえば「飲む・打つ・買う」の三種類。要するに「酒を飲む」「博打を打つ」「女を買う」の三種類だ。酒を飲むのは、今でもサラリーマンの重要なストレス解消だ。酒を飲むことで発散する人は少なくないし、友人たちと酒を飲みながら職場の愚痴を言うのは、楽しくはないけれども、ストレスの発散にはなる。また、博打を打つというのも実際にはストレスの発散になるようだ。いまでは博打といってもパチンコと競馬・競輪などの公共競馬でしかない。しかし、それでも「熱中する」という行為は、他の仕事のことなどを一度忘れるということにつながるので、リフレッシュということにはつながるのではないか。難しいことは精神科の人々など専門家に任せたいが、ある意味経験則的にそのようなものである。
 そして「女を買う」である。日本では昭和33年3月31日まで遊郭が残されていた。世界的な売春防止、男女同権の動きは、日本にもはいってくることによって売春防止法ができた。しかし、売春防止法ができても国民性が亡くなるわけではない。当然に、女性を買うための旅行は、さまざまな場所で行われた。東京とないでも、遊郭の跡地を赤線といって警戒地域になっており、その後「青線」というように変化してゆく。アジアでは、飲む・打つ・買うをさせることが最大の接待とされており、中国や韓国でも女性を競ったに使うことは少なくない。そもそも中国の纏足などという文化はまさにそのものである。
 日本の温泉は、そのような場として発展した部分もある。温泉・宴会・酒・女というセットで、発展してきた。そのような温泉は、批判があるかもしれないが山梨の石和温泉や滋賀県の雄琴温泉などは有名である。今回問題になっている石川県片山津温泉も有名な「風俗温泉」であるといえる。その中で「風俗としての伝統」を残すのか、あるいは、健全な温泉にするのか。その辺の論争が起きているというのである。

ソープ論争 ソープ派が脱ソープ派負かすため議員へ陳情プラン

 加賀温泉郷の片山津温泉(石川県加賀市)では、1970年代のピーク時に比べると温泉旅館も観光客も3分の1に減少した。夜8時を過ぎると人の姿はなく寂しいが、ソープ店だけは賑わいを見せている。平日の夜にもかかわらず、駐車場はどこも満車で、富山や福井ナンバーの車も多い。店の送迎車からは観光客とおぼしき男性が次々に降りてくる。
 地元風俗関係者によると、近隣の富山、石川、福井は条例によってほとんどの場所でソープを設置できない。片山津は3県の利用客を一手に引き受けているという。あるソープ経営者は悲鳴を上げる。
 「片山津のソープ文化を残さないとどんどん他県にお客を取られてしまう。藁にもすがる思いで、存続方法を考えています」
 そこで登場してきたのがこの人の名前だった。
 「地元選出の民主党・田中美絵子議員は元風俗ライターだから理解もあるはず。陳情に行ってはどうか、というプランが出ているほどですよ」(同前)
 確かに温泉街には田中センセイのポスターがあちこちに貼られている。お膝元の騒動を、どのような目で見ているのか。早速事務所に取材したが、締切までに返答はなかった。残念。
 「地元では彼女は反対派だ、いや賛成派だ、などと田中先生の“立ち位置”でも対立している。たかがソープと思われるかもしれないが、街にとっては重要な問題なんです」(前出の商店主)
 廃れゆく温泉郷の経済は泡と消えるのか、それともイメージを刷新して新たなバブルが生まれるのか――。

※週刊ポスト2011年11月11日号
2011年11月01日16時00分 提供:NEWSポストセブン

http://news.livedoor.com/article/detail/5988013/

 私は男性なので、「ソープのある温泉街」があってもおかしくないと思う。実際法律に反しているとかそのようなことは別にして、ソープランドがあるないではなく、このような内容も「分煙」のようなやり方をすればよいのではないか。
 今週のブログで、女性の社会進出の件を書いた。70億人を越えたのに日本は人口が減少しているということである。この件に関して書いたように、ある意味で女性の社会進出が、このような日本の「悪しき」伝統を含めた日本の発展をなくしているのではないかという気がする。掘り津で規制することは間違いなく必要なことなのだと思う。しかし、ある意味で人間は動物でしかない。どんなに理想があっても、どんなに理論的にわかっていても、動物的に女性が欲しいという男性は少なくない。特に法律で規制していると、その法律の網の目をかいくぐって行うことがより一層良いことのように思える。高校生がタバコを吸うのと同じで、規制すれば、その分規制をかいくぐる内容が出てくる。同時に暴力団などがそこに絡むことになってしまい、もっと危険になる。最近ではネットなどで売春を行い、中学生や高校生がいじめの延長のような形で管理売春で逮捕されるような事件がすくなくない。
 このようなことを書いていると、女性団体などからクレームがくるかもしれない。しかし、どの温泉も「金太郎飴」のように、同じような温泉街で、同じようなイメージでは面白くない。そればかりか、温泉街も顧客が少なくなり廃れて行く一方だ。それならば、温泉街がそれなりの特徴を持つ必要がある。逆にソープランドではなく、ホスト倶楽部ばかりの温泉街があってもよいのではないか。18歳以下禁止の温泉街というのもある意味面白いような気がする。そのようなことをしてはいけないのであろうか。
 温泉街がそもそもの伝統的な内容や、その温泉街の特徴を出さなければならない。その温泉街の救世主に元風俗レポーターの代議士ができるのかといえばそれはかなり難しいであろう。しかし、地元選出というのであれば、真に地元のことを考えて、温泉街やその穂あの地域の特色をしっかりと出せるような法体系を作ることが最も重要ではないのか。このソープランド論争。非常に興味深く今後の進展が気になるところである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇室軽視の極み 任命のない副大臣を動かす野田内閣の不敬

皇室軽視の極み 任命のない副大臣を動かす野田内閣の不敬

 11月3日は文化の日である。
 文化の日は明治44年までは「天長節」要するに明治天皇の誕生日であった。明治天皇はその申請によって江戸幕府寄りの大政奉還を受け幕藩政治を終了させ文明開化を実現した天皇陛下である。現在では、この文化の日に日本国憲法が公布され、その半年後に日本国憲法が施行される。5月3日はそれによって憲法記念日になっている。11月3日は休天長節であり、同時に、文化の日として文化勲章などの授与が現在では行われる。皇室とは非常にゆかりのある祝日であると言える。
 そのような月になって「天皇陛下の任命のない副大臣がいた」ということが明らかになったのである。9月に発足した野田内閣において、11月まで二カ月間「いわゆるもぐり」の副大臣がいたのである。
 その件について、今日は少し早目であるが、まず記事を読んでいただこう。

野田イタタ~ッ!天皇陛下の任命ない副大臣がいた~!

 国会で1日、“ニセ副大臣”騒動が勃発した。民主党の松原仁国交兼拉致担当副大臣(55)について、自民党が「拉致担当副大臣としての認証は受けていないのではないか。拉致問題特別委員会で答弁に立つのはおかしい」と問題視して紛糾し、同日に行われるずだった国会同意人事の提示が見送られたのだ。
 松原氏は9月6日、すでに国交副大臣だったところに、拉致担当を追加される形で就任。拉致問題に不安を残す山岡賢次拉致問題担当相(68)が、超党派の拉致議連事務局長を務める松原氏にSOSを出す形で、野田佳彦首相に要請して実現した人事だ。
 しかし、先月28日の拉致問題特別委員会で松原氏は、「国交副大臣」のみの肩書で政府側答弁者として出席。自民党の山谷えり子参院議員(61)が「内閣府の発令はない。役所の(ホームページの)中には載っていない」と指摘すると、審議が何度か中断した。
 内閣設置法では、拉致問題を所管する内閣府の副大臣は3人までだが、松原氏ではない3人で埋まっている。内閣府総務官室特別職担当も夕刊フジの取材に対し「松原氏に、天皇陛下から内閣府副大臣としての任命はない」と断言した。自民党は1日、国会対策委員会レベルで「拉致担当の副大臣でもないのに、拉致担当大臣を補佐して、拉致特別委員会で答弁に立つというのは一体どういうことなのか。法的根拠がない。本来ならば、天皇陛下の認証が必要なのではないか。閣議決定でそれが許されるということは、果たして良いことなのか」と説明を求め、政府は衆参両院の議院運営委員会の理事会で予定していた同意人事の提示を見送った。
 別の自民党関係者は「副大臣としての給与はどちらの省庁から支払われるのか。秘書や副大臣室の扱いは。松原氏が拉致問題関連の公務で出張する場合の経費の扱いはどうなのかなど、疑問だらけだ」と話している。

2011.11.02 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20111102/plt1111021142002-n1.htm

 この件に関しては様々うかがっている話がある。
 松原仁副大臣に関し、山岡賢次拉致担当大臣が、保守系のある大物の助言に従って副大臣を要請したという。その時に松原副大臣より「任命書はないのか」と聞いたところ、その通知をした藤村官房長官は「この電話をもって任命とする」といったという。
 憲法を知らない松原仁が、天皇陛下の認証もなく担当の副大臣を拝命したと思っていること自体そもそも彼が保守であるのかと疑いたくなるエピソードであるが、逆に、この山岡大臣の態度も、また、藤村官房長官の言葉も歌いが痛くなるものばかりではないのか。
 そもそも憲法上は内閣総理大臣は国会が指名し、天皇陛下が任命をして正式な大臣になる。フェイスブックで民主党の若手議員が認証前に野田首相に関して「首相任命」といっており、その内容に関して、私が「天皇陛下の認証式前に首相と呼称するのはおか意思」といったところ「それくらいのことは問題がない。実質的に首相だ」といっていた。これが民主党のレベルであるのかと思った。実際に保守といわれる議員であっても、憲法の規定も守れなければ、天皇陛下の認証という内容も無視してしまう不敬な考え方は、実質的などという言葉でごまかせる問題ではない「重大な憲法違反」である。そして、この状態で副大臣といっている松原議員そのものの保守などといっているのはおかしいのではないか。
 そもそも、民主党の皇室に対する不敬はあまりにもおかしなものである。実際に10月20日美智子皇后の古希のお祝いの日に国会開会を設定するなどは、その日に天皇陛下からの国会開会の詔が得られないということになるのであるから、当然に配慮されるべき内容である。天皇陛下の国事行為や御祭事の予定を見ながら、そのような内容をしっかりと決めてこそ物事がスムーズに進む。もちろん、首相の突然の辞任、特に小渕恵三首相や大平正芳首相の時のように本人の病死による場合は仕方がない部分もある。また、解散などの場合も仕方がない場合もある。しかし、それ以外で開会日に天皇陛下の詔を頂かなかったという例は少ないのではないか。その前の小沢一郎の不敬発言なども含め、民主党による皇室軽視はマスコミの皇室軽視や教科書における天皇家の歴史を教えないようにしているものと相まって、日本そのものの伝統と国体を全く無視した国家を目指す亡国政策の一つと考えられるのである。
 不敬とか憲法の話はそれだけで文章が長くなってしまうので、これくらいにして、次に実質的にどういうことが問題になるのかを考えてみよう。松原議員(敢えて副大臣とは使わない)は、周知のごとくその議員活動の際に拉致問題に尽力してきた。もちろんその力が不足しているとか、結果が出ていないという批判も少なくないが、それでも、松原議員の活動により維持できた部分や周知が進んだ部分も少なくない。しかし、その松原議員による組織上での指揮命令がしっかりしていないということは、それだけで、大きな問題になる。
 副大臣としての認証を受けていない人の国会の答弁は、その内容が拘束力があるのか。同時にその発言で問題がでた場合に、内閣は内閣として責任を負うのか。その問題もある。要するに拘束されない内容の中途半端な答弁を行い、何か問題があれば松原議員個人の責任門d内で内閣は逃げてしまい、良いことがあれば内閣の功績として行うという者になる。そのような内容で行うのであれば、実際に内閣の何を信頼できるのか、国会の何を信頼できるのか、そもそも国会の内閣との質疑や審議は何を誰と話しているのか。まさに議会制民主主義への冒とくであり、国民の政治への不信を増大させるものである。
 同時に内閣側の内容を認証を受けていない「素人」「一般議員」が答弁できるのであれば、それはそもそも三権分立そのものが大きな問題になり、そのようなことが許されるようにするためには憲法をしっかりと変えなければならない。もちろん、そのような天皇皇室を無視する憲法の改正が日本国民が望んでいるとは思えない。
 単なる過失ということであれば、民主党のいい加減な政権運営というのが明らかになるし、一方で、上記にあるように責任回避のためにそのようなことを行ったのであれば、野田内閣は拉致問題を本気で解決する気はなく同時に、憲法や三権分立を完全に無視し、国会を形骸化した儀礼としてしか見ていない、危険な独裁思想の持ち主であるということをしっかりと国民は見極めるべきである。
 なお、過失であれ、過失でなくそのようなことを策謀したものであれ、このことは任命責任である野田首相の任命責任であり、同時に山岡大臣の責任である。拉致問題は放置できない問題であるから、このことは早急な是正と責任の明確化を求めるものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

必要な経費まで「無駄遣い」とする現場感覚喪失は辞任に値する

必要な経費まで「無駄遣い」とする現場感覚喪失は辞任に値する

 事業仕分けという単語がある。民主党政権がこの言葉を言い始めたときには、「無駄削減」ということであると思っていた人は少なくないのではないか。しかし、無駄ということは誰が決めるのであろうか。
 東京都小金井市において「ごみの処理費用」を「無駄遣い」と表現し削減しようとした市長がいた。その小金井市の市長が辞任をした。小金井市は、小金井市内にあるごみの焼却場が老朽化によって使えなくなっている。しかし、新しいごみの焼却場を作る計画はなく、老朽化したごみ焼却場を修理しているが、小金井市の財政の悪化などによってそのことができない状態であった。しかし、毎日小金井市市民のごみは出てしまう。そこで、小金井市は、隣接する三つの市にごみの焼却を依頼していた。小金井市の佐藤和雄市長は、この隣接しに依頼しているごみ焼却費用を議会の中において「無駄遣い」と表現したのである。
 この発言に遺憾の意を表明した羽村市をはじめとする隣接市は、契約範囲内のごみ処理を終わったら追加のごみ処理を行わない意向を発表した。こがねいしないで、十一月中旬以降のごみの処理ができないという現状になり、ごみ収集上位ごみが山積みになる可能性が出てきたのである。これに対し、1日に小金井市長は辞表を提出し議会がそれを承認した。
 佐藤市長は、ごみそのものの減量や生ごみの堆肥化などによって、ごみそのものがすくなうなる党ことを主張、それでも処理しなければならないごみを、焼却場の建設までの期間隣接しに委託していたが、それを無駄だということで表現したのである。
 そもそも、ごみそのものの減量ということは、ある意味で重要な課題だ。公共広告ではごみの再利用ということや資源化ということに取り組むことを訴えている。しかし、それを行うには各家庭個人個人の意識の改革が必要になる。また、ごみの分別などに関しても費用と設備が必要になるのであるため、そのような簡単にできる話ではない。しかし、ごみの再利用かを目指し、現実を見ないでその理想しか考えなければ、そもそもごみ処理費用そのものが無駄ということになる。本来ならば資源であるはずの物品を捨ててしまい、その処理に金をかけるのであるから、こんなに無駄なことがあるはずがない。
 しかし、現実はそのようなものではない。部ごみを分別し資源化するまでのコストは非常に高く、その後の資源としての清貧は価格競争力がない。そのような現実を見なければならない。そもそも、すべての人がごみに対してそこまでの意識を持っているとも考えられないし、そのような思い込みで政治を行うことは非常に大きな過ちを示しているのである。
 その新聞記事が下記のものである。


小金井市長が引責辞任 ごみ処理費発言めぐり周辺自治体と摩擦

 東京都小金井市の佐藤和雄市長(54)は1日、周辺自治体や一部事務組合に委託している可燃ごみ処理の費用を、4月の市長選で「ムダ遣い」と表現したことが原因で委託先との関係がこじれ、ごみ収集が滞る恐れが出た責任を取るとして、市議会に辞職届を提出した。議会は12日付の辞職に賛成多数で同意。公職選挙法の規定で、50日以内に市長選が行われる見通し。
 「悩みに悩んだ末の決断です」。就任からわずか半年で辞任に追い込まれた佐藤市長は1日、市役所で記者会見を開き、辞任の決断に至った経緯を説明し市民に謝罪した。
 小金井市は、調布、府中両市と運営していた二枚橋焼却場を老朽化から平成19年に閉鎖。新処理場の建設が進まないことから、周辺自治体などに可燃ごみの処理を委託してきた。
 佐藤市長らによると、市長選での発言がきっかけで、周辺自治体との関係が悪化。ここ数カ月は発言の撤回と釈明、周辺自治体などへの謝罪と支援要請に追われる日々だったという。しかし委託先は決まらず、与えられた処理枠を使い切るタイムリミットが今月15日前後に近づいていた。
 「政治生命をかけて安定的な処理態勢の構築に取り組んできたが、(周辺自治体の)支援を得られていない。私の発言が障害となっており、職を辞すことが最大のおわびだと考えるに至りました」と述べ、辞職までの間、周辺市長らに協力を求めるという。
 選挙戦当時はごみ処理問題の抜本的解決を公約に掲げた佐藤市長だったが、新たなごみ処理システムの構築などは依然、緒についておらず、就任後半年の成果としては「生ごみの堆肥化事業を進めた」と強調するだけだった。「ムダ遣い」とした発言については、「率直に言って甘かったと思っております」と謝罪。市民に対しては「とりわけ選挙で私に一票を投じてくださった皆さんには、申し訳ない思いです」と結んだ。
 後継市長選への出馬については「まったく念頭にない」と言明した。

2011.11.1 23:06 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111101/lcl11110123080007-n1.htm

 さて、まずここで要点を繰り返す。
 タテマエや理想論、机上の空論は、確かに耳障りが良いし、そうすべきという「べき」論は納得できるかもしれない。しかし、その内容が現実を見ないで共生してもそれは単なる「空論」でしかなく、何の意味もない。そのような政治決断や発言をしてしまった場合、当然に現実社会から乖離をしてしまうことになり、国民(小金井市の場合は市民)や関係者(小金井市の場合は隣接市)の理解を得られないということになってしまうのである。
 では、これは小金井市の特殊事情なのであろうか。
 民主党の行った事業仕分けもまったく同じではないのか。単純に「無駄を削減」というが、そもそも「無駄」は何が基準になって無駄といっているのかわからない。タダ単に、予算を削減する道具として無駄というレッテルをはってしまい、予算を削る道具になっていた。しかし、本当は重要なものが存在したはずだ。原子力に関する予算やスーパー堤防、野菜などの食料品の高騰に備えた基金なども全て「偉業仕分け」「無駄削減」の名の下に、予算を削られた。その結果、原子力の事故が起きても対処ができず、台風12号と台風15号で大洪水が発生し、それら自然災害での食料品の苦闘に性は予算不足で何の手も打てない状態になっている。本当にそれらの削減された予算は「無駄」であったのか。そもそも事業仕分けという民主党が行ったことそのものの検証が必要だ。
 それどころか本当に無駄なのは、ここでも紹介したが、菅前首相のお遍路歩きについてゆくSPなどであろう。自分たちのことについては甘い査定で、他人に対しては、厳しい査定。そのような無駄削減をしても誰も納得しない。予算がない、財政健全化の名の下に、ごみの処理や電気の供給までも不安定にし、それらは全て増税する。しかし、タイの洪水にはすぐに10億円の支援を、韓国のスワップには5兆円の増額をするというように、外国の要求には、すぐに応じて日本国民の声には耳を化さない。このようなもので無駄削減として今までの豊かな生活を手放すのはいかがなものであろうか。
 本来最も無駄なのは、無駄無駄といって本当に必要な者を削減してしまう政治執行部なのかもしれない。小金井市の市長は辞任した。民主党政権がこれらの検証を行い、その責任を取るのはいつのことであろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

TPPで党内もまとめられない野田内閣

TPPで党内もまとめられない野田内閣

 TPPが話題になっている。ちなみに、私の中ではTPPはすでに過去のものという感じがしている。昨年管直人首相がいきなりTPPと言い出して、すぐに研究を始めた。その成果は、広宮孝信著、青木文鷹編集の「TPPが日本を壊す」の中に反映されているので、興味のある方は読んでもらいたい。
 はっきり言って、TPPに関して言えば、昨年から話題になっているのに一年後の今頃になってTPPがどうなっているとか、保険が入っているとかいないとか、例外が認められると駆られないとか、何の議論をしているのか。官首相が口の端から出した時点でそのような研究は行うべきであるし、そのときに内容をないも伝えずに、小沢だ、岡田だといっていたマスコミははっきり言ってバカとしか言いようがない。内容に関しては、はっきり言って、ここで何かを言うつもりもないので、上記の本を読んでいただいたほうが良いのではないか。
 さて、私が今注目しているのは、TPPをめぐる民主党内の動きである。
 民主党というのはこれほどまでに何もできない政党であったのかと、改めて思うことがある。まずは、そのドタバタ喜劇(日本国民にとっては悲劇)をマスコミ各所の報道から見ていただきたいと思う。

首相の所信表明演説、政策より配慮優先

 野田首相の28日の国会での所信表明演説は、野党や地方自治体などへの配慮を優先させ、野田政権が進める諸政策を強く訴える姿勢は目立たなかった。
 首相は先週末、側近議員と演説内容の詰めを都内で行った。焦点となったのは、武器輸出3原則の緩和の扱いだった。
 原則としてすべての武器と関連技術の輸出を禁じる3原則の緩和は、当初、今回の演説にも盛り込むことが検討されていた。しかし、側近が「(緩和に慎重な)公明党に影響を与えることはやめた方がいい」と進言。首相は「分かった」と応じ、その場で演説から外された。2011年度第3次補正予算案や関連法案への協力を期待する公明党への配慮を優先した格好だ。
 党内外で異論がある環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加についても、「批判は承知の上」(周辺)で、9月の所信表明演説と同じ表現にとどめ、摩擦を避けた。

(2011年10月28日21時37分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111028-OYT1T01105.htm

慎重派徐々に陰り 賛成派は反転攻勢へ TPP交渉参加問題

 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加問題で、民主党執行部は11月4日の党のプロジェクトチーム(PT)での意見集約、7日の野田佳彦首相の参加表明との方針を決め、反転攻勢に出た。逆に、これまでPTを中心に声を張り上げてきた慎重派の勢いに陰りが出はじめている。離党をちらつかせる議員もいれば、早急な結論を出さなければよいという議員もいるなど慎重派にも濃淡があり、必ずしも一枚岩でない。(酒井充)
 議員間の議論が始まった28日のPT総会では、これまで鳴りを潜めていた賛成派議員から「交渉への参加は必要だ」(近藤洋介衆院議員)とする発言が出てきた。慎重派も「命がけで反対する」(斎藤恭紀衆院議員)という主張で応酬したが、発言者の割合は慎重派6に対し賛成派は4と、賛成派の発言がこれまでよりも大幅に増えた。
 慎重派の陰りは出席人数にも表れている。
 「TPPを慎重に考える会」(会長・山田正彦元農水相)に賛同した議員は約200人と党所属議員の半数に匹敵する。しかし、この日も総会に出席したのは、賛成派も含めて約70人にとどまった。慎重派とされる議員は会のメンバーの4分の1程度しか出席しなかったことになる。
 また、TPP参加に反対する全国農業協同組合中央会(JA全中)が25日に衆参両院議長に提出した国会請願で紹介議員となった民主党議員は120人で、「考える会」よりも数が減った。
 農協関係団体はもともと自民党の票田であり、自民党の大半の議員がTPP参加に反対する中、「ここで反対を言っても票につながらない。執行部が参加と決めれば従うだけだ」と賛成に転じた若手議員もいる。
 山田氏は離党をちらつかせることで党執行部に結論を先送りするよう迫ってきた。だが、「考える会」のある幹部は「参加か否かを決める権限は政府と党執行部にあり、われわれは意見を表明する以外に手段がない」と漏らすなど、慎重派内には「降参ムード」すら漂っている。

2011.10.28 22:56 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111028/stt11102822570013-n1.htm

TPP交渉、賛成は6知事 全国緊急アンケート

 野田政権が11月上旬にも参加の是非を決断するとしている環太平洋連携協定(TPP)の交渉について、参加に賛成する都道府県知事は、条件付きを含め全国で6人にとどまることが28日、共同通信社の緊急アンケートで分かった。反対は14人で、27人は「どちらとも言えない」などと賛否を留保した。反対派の知事は、国内農業への打撃や国民の合意がないことを懸念。

2011年10月29日05時02分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/5976486/

 記事は、まず野田内閣の今国会での所信表明である。はっきり言って、内閣の所信表明が民主党という連立与党のひとつの党の中のパワーバランスの配慮で造られて良いのかという大問題が考えあっれる。内閣は内閣の考える政策国策を発表し、それを国会の中で、国民に見える形で議論をするのが本筋である。そもそも配慮して所信表明を含む内容鹿発言しないということ自体、国民に対して秘密主義であり、国民の「知る権利」を完璧に無視しているとしか言いようがない。逆に、国会の所信表明で配慮した発言ならば、その範囲しか行わない。もっと言えば、「交渉参加を早急に決める」ということしか言わないのであれば「交渉参加をするかしないか」だけを決めて、実際の交渉の参加をしない(次の国会までの期間は交渉自体は行わない)とすべきである。
 民主党は完全にだまし討ちであり、公式な内容の中において何もせず、突然ふって沸いたように何かを行う。これでは政治などができるはずがないし、民意を反映できるはずがない。そもそもそのような国民主権などは存在しないのである。
 一方、その次の記事であるTPP推進派と慎重派の動きもどうかしている。はっきり言ってTPPは農業の話だけではない。単純に言えば、国益の問題である。日本国をどのようにして発展させるか。そのヴィジョンにあわせて条約や政策を決めなければならない。その条約(外交関係)の中のひとつがTPPである。しかし、記事を見れば「選挙の票田」ということでしか見ていない。実際のところ、国益ではなく議員個人の懐具合で政治がもてあそばれていることがすぐにわかる。一方、政治そのもので政策が統一できないのであれば、そもそも一緒にいる政党であるということにはならないであろう。
 単純にいって、仙谷政調会長代行の発言のように、恫喝しなければ相手を説得させられないようであれば、基本的には政治ではない。そのような政党に所属しているのでは、論理や議論で物事が決まらないことを意味しているのであるから、民主主義などはまったく存在しない。本来推進派の言うことが自分たちで国益にかない正しいと思うのであれば、しっかりと説得できるはずである。しかし、恫喝しかできないのであれば話にならない。
 この混乱の内容は、まさに野田内閣・民主党執行部がしっかりとした国家観を出していないことと、それに基づいたしっかりとした政策やそのスケジュールができていないということに他ならない。それでは話にならない。政治になっていない。まさに民主党の党内もまとめきらない人々に、日本をまとめられるはずがない。党内の安全運転では国家の運転を誤り事故を起こす。そうなる前に、TPPがきっかけであってもなくても、民主党の議員は今後の行動を熟慮しなければならないときが着ているのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

世界人口は増加、日本の人口は減少のなぜ

世界人口は増加、日本の人口は減少のなぜ

 政治に関して記事を書いていると、どうしても疑問に思うことがある。
 税収にしても年金にしても、今までの日本は子供が増える、人口が増えるという前提で政策が作られていた。これは民主党というよりも、どちらかというと今までの自民党が悪いかもしれないが、実際に現在民主党もまったくそのことを是正しようとしていない。政治主導などは嘘であるというのは、その辺のことである。
 年金制度にしてもまた、そのほかの制度にしても、日本の法制度も政策もすべてが戦前の大家族制で子だくさんの家庭を基準にした政策になっている。それでも、都市化、核家族化を行ったときでも、高度経済成長によってその制度の溝を埋めていた。、要するに政調が家族制度や社会制度の矛盾を埋めていたと言えるのである。しかし、実際にそのバブルがはじけて以降「失われた20年」が行われてから、一つには、その矛盾が一気に噴き出すことになる。その矛盾を最も大きく受けたのが安倍内閣の時の「失われた年金」であると考える。経済政策のなか、あるいは財政を語る上で社会保障を考えなければならないということ、もっと言えばバラマキといってもその中で必要なバラマキである年金や障害者保護という内容を考えなければ、日本の経済やマクロ経済および財政を語る資格はないという状態になってしまう。
 安倍晋三元内閣総理大臣に関しては、このことに関して、経済が弱いというイメージができてしまった。しかし、それまでの日本の経済学者や評論家で、社会保障(要するに投資でもないただ単なる支出)を考えるという考え方が一般的でないときに、プライマリーバランスの話などを挙げられ、新しい概念の中において経済や財政を語らなければならなかったのであるから、経済音痴何のではなく、それまでの日本の経済の基本がそのようなものでしかなかったということを示しているにすぎない。
 さて、今日はそのような制度や政治の話ではなく、もう少し根本の話をしてみたい。
 なぜ、日本は少子化で、なおかつ世界では人口増加が止まらないのか。そのことを考えるきっかけの新聞記事を下記のあげる。どの新聞でもよかったが今回は産経新聞にした。

【世界人口70億人】 日本は少子化に歯止めかからず

 日本人の人口は減少し始めている。平成22年国勢調査の確定値によると、日本人の人口は1億2535万8854人と前回調査(17年)に比べ、37万1千人(0・3%)減少し、外国人と区別して集計を始めた昭和45年以降、初めてマイナスとなった。外国人を含めた日本の総人口は1億2805万7352人で、前回調査から0・2%増加したものの、大正9年の調査開始以来最低の伸び率となっている。
 総務省は「日本は人口減少社会に入ったが、外国人の増加で総人口は横ばいの状態」と分析している。
 年齢別では65歳以上の高齢者が総人口に占める割合は前回の20・2%から23・0%に上昇。逆に15歳未満は13・2%と前回から0・6ポイント低下した。少子高齢化が進んでいることを裏付ける結果で、有効な少子化対策が施されなければ、人口減は一層進むとみられる。

2011.10.31 20:08 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/science/news/111031/scn11103120090004-n1.htm

 まず人口の増加に関して考えてみよう。非常に簡単なことだ、一つには「死ぬ人が少なくなった」ということ。一方で「生まれる人が多くなった」ということである。
 死ぬ人が少なくなったということは、二つの内容がある。一つは医療が進歩したということである。これは説明はいらない。もう一方は、戦争や紛争が少なくなった。または人道援助が活発になったということがあげられる。要するに、戦争などの寿命(自然死)によらない人の死の要因が少なくなったということである。そして、その後のフォロー要するに医療援助や食料の援助が活発に行われるようになったために、人が、特に子供たちが病気やあるいは餓死をしなくなったということがあげられる。
 一方生まれる人が多くなったということは、単純に子供が増えたということだ。一般に子供が増えるのは、貧困の家庭の方が多いと言われるが必ずしもそうではない。ただ、いえるのは、経済的に裕福であり子育ての余裕があるのか、あるいは、子育ての余裕はないが、子供も働かなければならないような環境にあるのか。いずれにせよ中産階級意識で、なおかつ親が自分のことしか考えない状態では子供が多く生まれるということはないのではないか。そして、いずれの場合も子供が多い家庭は結婚が早い。もちろん男性も女性も、年が若くなければ子供が産めない。もちろん野田聖子議員のような高齢出産もある。しかし、子育てなどはよほど頑張らないと高齢者にはつらい。
 さて、一方、日本の人口は減っている。日本は特別に疫病がはやっているわけでもないし、日本は特別に医療が遅れているわけでもない。どちらかというと逆で、日本の医療は最先端であると言える。そのために平均寿命は世界でも有数の高さである。ではどういうことか。上記に書いたが、日本人の晩婚化がまさにその原因といわれている。
 日本人の晩婚はいつから始まったのか。昔は女性は「クリスマスケーキ」といわれた。要するに24歳までは引く手あまたでお見合いなどもきたが、25歳を過ぎると結婚相手もないとされている。そもそも「年増(としま)」という単語は20代のことである。江戸時代などは14歳で元服できたのであるから20代は確かに「中年」であろう。
 しかし、昭和の後期から「女性の権利」を言い始め、同時に女性の社会進出ということを強く言うよういなった。現在の小宮山洋子厚生労働大臣などはまさにそのものの権化のような人であるジェンダーフリーということはよく言われるが、小宮山大臣の場合は女性上位、女尊男卑というような考え方に近いのではないかと考えることが多い。女性の今までの特有の子供を有無などを配慮しながら、権利だけは男女平等にするということは、女性だけが特権を持っている状態になるのだから始末に負えない。
 しかし、そのような呼びかけは、まさにマスコミの報道によって、広まった。女性そのものの権利の向上ということを言い、男尊女卑を必要以上に排除した。ちょうど社会党のマドンナブームといわれる選挙などと相まって、それは非常に大きな党龍となった。現在のように、マスコミの偏向報道もあまり話題にならなかった時代。完全に女性の社会進出が制度化され、同時に、日本の大家族制どころか、核家族においても女性が働きにでてしまうために、結局家族が崩壊して個人主義化してゆくのである。
 家族だんだんとか、家族でそろってということがなくなる。何も携帯電話やインターネットが最大の問題ではなく、これらの女性進出がまさに時代の潮流になった。「おやじギャル」などという単語がはやり、キャリアウーマンがもてはやされ、女性が競馬やパチンコに現れるようになったのもこのころである。このころから、女性の男性化が進み、一方で第ん性の女性化が進むようになるのだ。何でもアイドル的なヒーローが求められるようになる。競馬では武豊などが、「かわいい」といわれて、ヒーローとなった。武豊は、実力もあったので別におかしくないが、その延長線上が現在の韓流ブームといえる。女性が恥じらいもなく若い男性をかわいいという。しかし、ある意味で女性は男性の強さを求めている。にもかかわらず、日本の場合男性が女性化してしまい「草食男子」といわれるようになってしまっている。
 その草食男子も、ちょうど女性の社会進出と同じころに「男性化粧品」というのが大々的に売られるようになる。それまでは整髪料とひげそりくらいしかなかった。しかし、今は洗顔料から化粧品まで山ほど出ている。女性並みに身だしなみに気を使う男性も少なくない。もちろん男性がファッショナブルになることウィ艇はしないが、それよりも大事なことがあるのではないかと考えてしまう。
 女性の社会進出、そして女性の男性化、一方で男性の女性化は、まさに一つの家庭に同種の人がいることになってしまい、その内容は相手の思いとは全く異なるものになってしまう。家庭内において役割分担がなくなり、社会的な差がなくなるということは、家庭を必要としなくなってしまう社会が発生する。まさにそのものが、少子化の遠因であるのではないか。
 日本よりも少子化が進んでいる韓国はまさにそのような状態になっている。私のブログによくでてくる韓国の大統領補佐官は、「世界で最も恐ろしい生き物は虎でも熊でもなく、韓国のおばさんです」という。まさに「女性上位」の社会は日本よりも進んだ少子化国になってしまうのである。
 さて、世界の人口が増えて日本の少子化が進むということは、その少子化になる事情の問題がある。しかし、少子化に合わせた社会制度にしなければならない。その中において、少子化というものではなく、このような少子化の原因となる社会現象をしっかりととらえた内容にしなければならないのではないか。
 少子化などもすべて政治の世界の問題につながる。しかし、現在の小宮山大臣にそのような政策ができるのか。まともな家族制度をしっかりと維持できない小宮山大臣にそのようなことはできないのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »