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2012年1月

「べき」論と「期待感」だけでは前に進まない石原新党の前途多難

「べき」論と「期待感」だけでは前に進まない石原新党の前途多難

 先週末いきなり飛びこんできたニュースで石原新党結成という者があった。石原新党とは、当然に石原慎太郎都知事が、保守派を結集して新党を立ち上げるというものである。もともと、平沼赳夫代議士が立ちあがれ日本を結党する際に、一緒になるのではないかとか、あるいは、尖閣問題の時や河村たけお名古屋市長が減税新党を作った時など、様々なときい石原新党待望論や、その新党への石原慎太郎都知事の合流がささやかれてきた。しかし、今まで実際にはまったく動かなかったのである。今まで石原都知事が動いたのは、まさに立ちあがれ日本の「応援団長」という、一瞬分かったようなわからない肩書の時と、橋下徹大阪市長の時に応援演説をしたときぐらいであろうか。そうでないときは、記者会見でも基本的な姿勢をはぐらかしてしまうことが少なくないのである。
 その石原慎太郎氏が、国民新党の亀井静香代表、平沼赳夫たちあがれ日本代表の説得に応じてこれから新党を立ち上げるという。
 このことに関しては28日に放映されたチャンネル桜の討論番組の中でも、山本峯章氏が自分の手柄のように話していたのが印象的であったが、実際にこの石原新党に対する期待感は非常に大きなものではないのか。
 石原慎太郎都知事に関しては、都知事就任前から歯切れのよいものいいと保守的な思想から、保守派の中では非常に期待の大きな政治家である。もちろんアメリカに対しても媚を売ることはなく「NOといえる日本人」は、ベストセラーになった。一方、アメリカは別にして、韓国・中国での石原慎太郎都知事に対するバッシングは非常に大きなもので、そのバッシングは小泉純一郎元首相が靖国を参拝した時よりも、石原慎太郎氏が「三国人」と発言した時の方が大きかったことを見ても、その影響力は東アジアの中においても非常に大きなものであることがうかがえる。
 このブログでは、非常に個人的な意見でありながら、この「石原新党の今後」を占ってみたい。

【石原新党】「国柄を守る」「小さな政府」「中福祉」…綱領の骨子判明 石原氏「東京よりも国家」

 東京都の石原慎太郎知事が、たちあがれ日本の平沼赳夫代表らとともに結成を目指す新党の綱領の骨子が27日、分かった。石原氏は同日の記者会見で、亀井静香国民新党代表らとの25日の会談について「いくらでも協力しますと同意はした。今の政治構造をシャッフルする必要がある」と語り、新党の綱領に関し意見交換したことを認めた。
 都知事と党首の両立について「それはダメだ」と否定、「東京も大事だが、東京よりも国家が大事だ」とも述べ、新党結成後の国政復帰をほのめかした。
 綱領の柱は(1)わが国の国柄を守る(2)「小さな政府」と「中福祉」を目指す(3)デフレを克服する(4)長期的に貿易立国を目指す-など。「国民に大人の自覚を持ってもらう」と訴え、「国を愛する教育と人づくり」に向け、政策パッケージをまとめる構え。
 「小さな政府」の具体策として国会議員と国家公務員の人員・給与削減策をまとめるほか、国家会計の複式簿記化も打ち出す。参院の廃止を訴えることも検討しており、今後石原氏らで文案を詰める。
 一方、石原氏は、大阪維新の会を率いる橋下徹大阪市長との連携について「橋下氏に非常に共感することがいくつかある。地方から中央集権をぶっ壊していく絆だ。橋下氏は大阪市という伏魔殿をぶっ壊すために頑張っているのだから手を組むのは妥当だ」と述べた。

2012.1.28 01:37 産経新聞
【石原新党】焦点は亀井氏の処遇 早くも路線対立 

 「明治維新は下級武士の反乱によるが、反乱のゆえんは坂本龍馬が船中八策を作ったことにある。やっぱりゆえんなくして物事は動かない。政界再編を論じるならばそれを打倒する政策を考えなければしようがないじゃないの…」
 27日午後、都庁で記者会見を開いた石原慎太郎知事は複雑な表情を浮かべながらも新党の綱領作成に着手したことを渋々認めた。
 ただ、3月結党については「亀井静香の流す怪情報にはだまされない方がいいよ。3月は一番忙しいんだから…」と突き放した。
 この冷ややかな態度に表れる通り、石原氏と国民新党の亀井静香代表の間にはすきま風が吹き始めている。25日夜、石原、亀井両氏は東京・西麻布のフランス料理店で、たちあがれ日本の平沼赳夫代表らを交えて新党について話し合ったが、ここでも意見の対立が鮮明になった。
 亀井氏「6月にも解散がある。3月末までに新党を作らないとダメだ!」
 石原氏「そんなのできるわけないだろ!」
 早期の新党結成で衆院解散をめぐる攻防で主導権を握りたい亀井氏。これに対し、石原、平沼両氏は自民、民主両党を巻き込んで70~80人規模の新党を作るため、機が熟すのをじっくり待つ腹づもりなのだ。
 加えてネックになっているのが亀井氏の処遇だ。
 石原氏周辺は昨年末から綱領策定作業を始めたが、まず消費税問題でつまずいた。石原氏は27日も「消費税増税は絶対に必要だ。2段階ではなく一気に上げるべきだ」と語ったように消費税増税論者。強硬に反対論を唱え続ける亀井氏とは相いれない。
 亀井氏の存在は、橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会との連携にも影を落とす。橋下氏は亀井氏の守旧派のイメージを嫌がっているとされ、維新の会首脳も「亀井氏との連携はあり得ない」と断言しているからだ。橋下氏は27日も「新党3月結成説」について「そんな話は聞いたことがない」とつれなかった。
 ただ、昨秋から新党構想を主導してきたのは亀井氏だ。自らが率いる国民新党のメンバーを路頭に迷わせるわけにはいかない。むしろ国民新党とたちあがれ日本による小所帯でスタートした方が自らの手腕を発揮しやすいと考えており、25日の会合でも「結成当初は小人数でもいいじゃないか」と譲らなかった。
 「石原代表-平沼代表代行」の二枚看板で関東、関西、中京の3大都市圏で旋風を巻き起こしたい石原氏との溝は深まるばかりだ。
 「政界再編を論じるのなら手段や政策を考えなければしようがない。不満分子を集めて数をそろえたって政党にならんよ…」
 石原氏は記者会見でこう断じた。とはいえ亀井氏は国会議員時代からの盟友であり、突き放すのは忍びない。石原氏は情と理想の間でなお揺れている。(今堀守通)

2012.1.28 01:37 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120128/stt12012801370003-n2.htm

 そもそも、石原慎太郎氏一人に保守派が期待して集中している事態に、保守の人は疑問を持たなければならないのではないか。もちろん、他の人も名前は上がっているが、実際のところ、80を超える年齢で、都知事4戦目の出馬ですら悩んでいた石原慎太郎氏に、国政を預けることができるのか。もちろん、石原氏自身が首相をやるとは限らない。しかし、保守新党を結成してその代表に石原氏を行うということは、その激務の多くは石原氏に集中することになる。テレビ映像で見ているよりもずっと激務である。石原氏にそれが耐えられるのか。もちろん精神的なものや主張の問題ではない。体力的な問題である。石原氏が悪いわけではないが、年齢には勝てない。要するに、本来ならば石原氏に代わる保守の盟主を作らなければならないのではないか。
 しかし、旧「青嵐会」では、後進が育っていない。中川昭一氏はすでにお亡くなりになられている。石原慎太郎氏に関しては、その息子石原伸晃氏は自民党幹事長であるが、石原慎太郎氏には遠く及ばないのではないか。そして、石原氏にしても平沼氏にしても亀井氏にしても、実際にその後任という音で言えば誰がいるのか。石原氏に代わる保守の盟主は誰がいるのか。彼らが後継指名をできる人はだれなのか。なお、石原氏は都知事選挙の時に松沢成文氏に後継指名しようとしたが、実際に失敗している。上の人のカリスマが大きいと、下の人はどうしてもその人との比較になり物足りなさを感じられてしまう。野球でいえば長島茂雄の息子長島一茂が、選手として開花しなかった(もしくは今一つファンの期待に添えなかった)のは、父茂雄氏との比較ということではないのか。
 次に、彼らは偉い人である。要するに「神輿に乗る人」であり「神輿を作る人」ではない。神輿を作る人が誰がいるのか。もちろん単純に作るのではない。石原・平沼・亀井各氏が納得する内容を作らなければならない。そのような神輿を作れる実力のある人がいればよいが、実際のところ後継者ですら指名できない状態の人々が、自分の下腹ら気をできる人を作れるのか。逆もまた真なりである。
 そして、最後にこの新党から誰が出るのか。実際に現在上げ潮の自民党からの入党は少ないであろう。要するに「新党絆」など民主党保守派といわれながら、次の民主党では当選が危ない人ばかりではないのか。そもそも民主党内において、現在の菅直人・野田佳彦の姿勢を見て、同じ政党にいながら「保守」を僭称している人が保守なのかという疑問がある。しかし、それ以外の保守の論客を出すことができるのか。そのような政治家を育てて選挙に間に合わせることができるのか。これはかなり大きな問題ではないのか。民主党離党組を入れてしまうことによる「似非保守」の集合体にならないようにしなければならないが、その策はだれがやるのか、もっと言えば神輿を作る人もいない中で、その人選を誰が行えるのか。実際に、今回一緒に政党を作る平沼氏の率いるたちあがれ日本では杉浦太蔵前議員を立候補させたという実績がある。落選後の杉浦氏を見て、「保守なのか」という疑問を持つ人は少なくない。
 少々悲観的なことを書いた。しかし、実際に我々の世代で石原慎太郎氏にとって代わるくらいの保守の盟主がいなければならないのではないか。他人の行動に期待し、他人からの受動的な動きばかりで、「国を守る」などということを言っても意味がない。国を守れない人が保守などといっても意味がないのではないか。自分で行動できる人が求められている時代だ。保守に期待するのではなく、自分で動く人が出てくるべきである。そのような動きのさきがけに、石原慎太郎氏が動いてくれたとしたらありがたいと同時に、われわれの世代は恥ずかしく思うべきではないのか。

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マスコミ批判に関する一考(79) 日本における報道の自由と責任

マスコミ批判に関する一考(79) 日本における報道の自由と責任

 今回は少し難しい話題になるかもしれない。なるべくわかりやすいように書くために、多少話の中に語弊があったり、あるいは極端な表現などがあることをあらかじめご了解いただきたい。
 さて、「報道の自由」とは、日本国憲法における「自由」の問題である。この問題に関して考えなければならないことは、二つである。
 一つはマスコミ側の問題だ。要するに、「自由の報道することができる」なのか「勝手に報道して良い」ということなのか。これは今までに何回かここに書いていているが、このようなことは繰り返しによってしっかりと見てゆかなければならないことなので何回かいても良いことだと思う。
 そもそも報道っは「正確に事実を伝える」ということが大原則である。その中において、マスコミの人自身の意見を入れてはいけないのである。もちろん意見を入れる子事態そのものを全面的に禁じるものではない。新聞にはそのために「社説」という場所があるのである。しかし、社説以外に偏向的な意見を入れてみたり、あるいは片方の意見のコメンテーターばかりを集めてみたり、あるいは、自分が支持していない方の意見をほとんど掲載しないなど、意図的な「編集」をするというのは弾に見受けられる内容である。当然にその報道に関しては、書かないということだけでなく、編集を含めて「偏向報道」ということができるのではないか。
 報道の自由というのは、そもそも「何を書いても良い」「何を書いても、許される」というものではない。まさに事実をしっかりと伝え、読者または視聴者の「自己判断」に、任せるということをしなければならない。報道の事実を見た人の判断はざまざまだ。賛成、反対それ以外にも様々な判断を行うはずだ。事実だけを見た場合は様々な反応になるのに、報道を見た人のほとんどが同じ方向に向かうということになれば、それはその報道の内容が偏向報道になっているということにほかなら会い。社会的な事件であればいざしらず、政治に関してはなおさらそうであろう。
 報道の自由を語るときは、当然に記載の自由・編集の自由など議割れることになるのであるが、一方で、その自由は勝手ではいけないということを肝に銘じなければならないはずである。
 しかし、今日はその「マスコミの自由」を書きたいのではない。国際ジャーナリスト組織国境なき記者団が、日本の報道の自由に関して、前年の11位に比べ22位に格下げになったのである。

報道の自由度 日本、22位に後退

 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は25日、世界179カ国・地域を対象にした報道の自由度ランキングを発表した。日本は前年の11位から22位に後退した。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で過剰な報道規制が行われ、「報道の多元性が制限された」としている。
 「アラブの春」の結果、中東諸国ではチュニジアが164位から134位、リビアが160位から154位にそれぞれ上昇した一方、ムバラク政権崩壊後も軍が統治を主導するエジプトは127位から166位に下がった。(ベルリン 宮下日出男)

産経新聞 1月26日(木)0時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120126-00000501-san-int

議事録未作成、10会議=震災対応で調査結果公表―政府

 政府は27日午前、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故への対応に当たった15会議体を調査した結果、原子力災害対策本部(本部長・首相)など10の会議が議事録を作成していなかったことを公表した。このうち3会議は、議事概要すら未作成だった。野党は政府対応に批判を強めており、国会論戦の新たな焦点に浮上してきた。
 議事録も議事概要も作っていなかったのは、同本部と緊急災害対策本部、被災者生活支援チーム。政府・東電統合対策室や官邸緊急参集チームなどは議事録を未作成だった。
 調査結果を受け、公文書管理を担当している岡田克也副総理は同日午前の閣僚懇談会で、2月中をめどに、議事概要を事後的に作成するよう関係閣僚に指示。また全ての閣僚に、公文書管理法に基づき文書管理の徹底も求めた。この後、岡田氏は関係者の処分について記者団に「(未作成の経緯などを)議論するので、その結果次第だ」と述べた。
 岡田氏は同日夕に記者会見し、詳細な状況や今後の対応を説明する。 

時事通信 1月27日(金)10時3分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120127-00000045-jij-pol

内閣府、議事録未作成認める 緊急災対本部の全19回分

 内閣府=東京都千代田区永田町 内閣府は25日、東日本大震災を受けて昨年3月11日に設置された政府の「緊急災害対策本部」会合の議事録全19回分を作成していなかったことを認めた。同本部の事務局を務める内閣府の幹部は「会議の内容が分かる資料はあり、主な発言などを整理し議事概要としてできるだけ早く公表する」としている。緊急災害対策本部は、首相を本部長とし、今回の震災で初めて設置した。

2012年01月25日18時19分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/6221689/

 もうひとつの問題が情報提供者側の問題。要するに、「勝手ではなく自由」に報道するマスコミに対して、しっかりとした事実を伝えているのかということである。
 どんなに報道を行う者が危険を冒して事実を伝えようとしても、その事実が公表されなければどうにもならない。もちろん、政治報道や災害報道は、政府の発表が最も大きな内容になるはずである。しかし、その政府発表の事実が大きく制限されていれば、報道は大きくその事実によって左右されることになる。
 国境なき記者団が評価を下げたのは原子力発電所の事故の報道である。事実をアメリカ軍は知っていながら、一番伝えなければならない日本国民、そしてその日本国民に伝えるべき日本のマスコミは完全に無視された形になった。当時の枝野幸男官房長官の「当面は安全」という記者発表は何度も繰り返していたが、その間に福島原発の炉心は溶融し、いわゆるメルトダウンという現象になっていたのである。このほかにも福島原発のSPEEDIのデータが隠されたり、菅直人首相が福島原発の上空にヘリコプターで視察した時の事実がおかしかったりと、民主党特に菅政権における震災対応の事実公表はあまりにも稚拙であったと言える。それだけでなく、最近になって上記の記事のように当時の議事録を作っていないということも言われてきているのである。
 これは民主主義の危機であるのに、上記の報道を見て分ける通りに、まったく大きな問題として扱っていないところがある。実際に、政府が国民を守るために情報を明らかにするのではなく、自分たちの政権の保身や、事実の隠蔽のために記者会見を使いマスコミを使うというので亜はな死にならない。その内容で、実際に放射能漏洩事故において、その情報を後にならないとでてこないということになる。
 ここから先は上記の問題いなる。要するにマスコミが国民の声として、要するに福島県民の代わりになってなぜ食材を求めないのか。なぜ菅直人という個人に対してだけ責任を覆いかぶせ民主党という組織全体にその責任がある、菅直人という人物は、まさにその代表でしかないということを伝えないのか。これは「伝えない自由」「報道しない自由」なのか。非常に大きな問題ではないのか。
 マスコミのあり方は、ただ単に政治や政権中枢のメンバーの変更だけでなく、その情報そのものの主体を決めるものである。たとえば政権交代がなければ、今回の震災の処理はここまでお粗末であったのか、もっと全体を考えて政治を行う人がいなければ震災の復興などはできない。
 現に、震災から10カ月(もうじき11カ月)立つ現在、いまだに復興は全くできていないではないか。これはもちろん菅政権や民主党が悪いのであるが、実際にこれを報道し責任をできないマスコミがしっかりとした報道を行わないことが、その状態に拍車をかけているのではないか。
 「自由」には責任がある。報道の自由は報道を行うマスコミだけでなく、その報道を行うマスコミに情報を提供する政府にも「報道の自由を守る責任」があることを自覚すべきではないのか。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(44) 大連の開業式典の一部始終と舞台裏(5)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(44)
大連の開業式典の一部始終と舞台裏(5)

 翌日、要するにファッションショーの翌日9月18日の朝10時に店舗部分がオープンした。
  このオープンに関してはかなり様々な異論があった。9月18日は、実は『柳条湖事件』の記念日だ。この柳条湖事件に関して、まず解説が必要であろう。そこで、まず、ウィキペディアから該当部分を抜粋する。
  <ウィキペディア「満州事変」から抜粋>
 満州事変(まんしゅうじへん、旧字体:滿洲事變、Manchurian Incident)は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍の軍)が南満州鉄道の線路を爆破した事件[1](柳条湖事件、ソ連軍犯行説もある[要出典])に端を発し、関東軍による満州(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、大日本帝国と中華民国との間の武力紛争(事変)である。中国側の呼称は九一八事変[2]。 
 関東軍はわずか5ヶ月の間に満州全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。
 この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化した。満洲国の建国により中国市場に関心を持つアメリカら他の列強との対立も深刻化した。いわゆる、十五年戦争(中国での名称は、十四年抗日戦争)の発端は満州事変を基点としている。

  柳条湖事件

 柳条湖事件は、満洲事変の発端となった事件である。柳条湖(溝)事件は、河本大佐の後任の関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦参謀石原莞爾中佐が首謀しておこなわれた。奉天特務機関補佐官花谷正少佐、張学良軍事顧問補佐官今田新太郎大尉らが爆破工作を指揮し、河本末守中尉らが工作を実行した。第二次世界大戦後に発表された花谷の手記によると、関東軍司令官本庄繁中将、朝鮮軍司令官林銑十郎中将、参謀本部第1部長建川美次少将、参謀本部ロシア班長橋本欣五郎中佐らも、この謀略に賛同していた。
 1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分頃、中華民国の奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽)北方約7.5kmの柳条湖の南満州鉄道線路上で爆発が起き、線路が破壊された。関東軍は、これを張学良ら東北軍による破壊工作と断定し、直ちに中華民国東北地方の占領行動に移った。
 実際には、爆破は関東軍の虎石台(こせきだい)独立守備隊の一小隊が行ったものであり、つまり関東軍の自作自演であった。この爆破事件のあと、南満洲鉄道の工員が修理のために現場に入ろうとしたが、関東軍兵士によって立ち入りを断られた。また、爆破直後に現場を急行列車が何事もなく通過したことからも、この爆発がとても小規模だったことが伺える。

<以上インターネットから抜粋>
 
  要するに、9月18日は、満州事変、中国では十四年抗日戦争の始まった・・・

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民主党野田内閣の詐欺的(官僚的)政治手法による公務員給与削減

民主党野田内閣の詐欺的(官僚的)政治手法による公務員給与削減

 消費税増税に対して、国民は「まず身を切れ」という大合唱である。これはマスコミ主導の声ということもあるが、この内容にはかなりの問題が存在するのである。
 「身を切る」とは、当然に、次の三種類になる。
 ・ 国会議員の定員削減
 ・ 国会議員歳費の削減
 ・ 国家公務員給与【総額】の削減
 である。国会議員の定数削減に関しては、当然に少なければよいというものではない。たとえば、極端な例をあげて考えてみれば「一人」というので良いのか、ということになる。国会議員が一人というのは、当然に、歳費は一人分に削減されるということを意味するのであるから、歳費と家計費の部分では当然に「身を切る」ということになる。しかし、これは1億2千万人の民意を一人で行うということだ。しかし、「民意を実現する」ということならば良いが、これは逆に日本の法律を一人で自由に決めることができるということ、要するに「独裁」という。定数削減をして身を切れという言葉で定数削減をすればよいというものではない。定数削減の中には、当然に「バランス」というものがあるのだ。このような例を挙げて説明すると極端すぎるなどということを言う人がいるが、では、一人ではなだめで10人ならば良いというような話があるのか。そんなものは全くないのである。
 さて、もうひとつは国会議員の歳費に関しては、これは国民が分かって何かを言うものではない。そもそも一般に何が国会議員の歳費になっているのかはあまり知られていない。歳費というよりは経費であろうか。交通費や文書費、調査費など、様々な内容が存在するのであるが、これらに関して、何がありいくらあるのかなどは全く関係ない。そもそも国会議員の所属する政党に交付される政党助成金。これは税金が指示していない政党にまで使われるということを意味しており、とてもとてもよいものではない。このような話をすれば、自民党がということを言うのであるが、このような公私混同し税金を使うような法案は細川内閣が行ったものである。塚本三郎先生とラジオで一緒になった時、「国会議員の身分や経費に関する悪法は、すべて細川内閣が作った。細川内閣は、彼こそ日本を破壊した日本最悪の総理である」といっていたが、まさにその通りであろう。
 この二つの内容ではなく、もうひとつの内容、要するに公務員給与の削減に関してが今回の話題である。その内容に関して下記の記事を読んでいただこう。

国家公務員の給与削減、民自公合意…人勧も実施

 民主、自民、公明3党は25日昼、国会内で国家公務員の給与削減に関する実務者協議を行い、人事院勧告(人勧)による平均0・23%の引き下げを実施したうえで、さらに2012年度から2年間、平均7・8%の削減を上積みすることで合意した。
 民主党が自民、公明両党の主張を基本的に受け入れた。25日の3党の実務者協議では、3月から国家公務員給与を0・23%、4月から7・8%引き下げ、削減幅は計8・03%とすることで一致した。地方公務員にも反映させるかどうかや、国家公務員に労働基本権を認める関連法案の扱いに関しては、さらに調整する。
 民主党は、東日本大震災の復興財源確保のため、給与を平均7・8%引き下げる国家公務員給与削減法案を昨年の通常国会に提出した。野田首相は、平均で0・23%引き下げるとした今年度の人勧の実施の見送りを表明していた。これに対し、自公両党は、人勧を実施したうえで、勧告の引き下げ分と合わせて平均で7・8%削減する対案を提出していた。

2012年1月25日(水)14時31分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20120125-00692/1.htm

労働協約締結権付与「応じられない」 自民・岸田国対委員長

 自民党の岸田文雄国対委員長は27日の記者会見で、民主党側が国家公務員給与を平均8・03%減額する見返りに、国家公務員に労働協約締結権を付与する公務員制度改革関連法案の今国会成立を求めていることについて「協約締結権付与には応じられない。(公務員給与削減と)関連するものではない」と述べ、否定的な考えを示した。

2012.1.27 13:25  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120127/plc12012713270012-n1.htm

 さて、この官僚的な騙しの手段が分かるであろうか。まず、民主党は総選挙の公約で「公務員給与20%削減」を約束していたはずですが、残念ながらその公約も完全に無視され、なおかつ反故にされた形になっている。それだけでなく、注目してくれればよいのは「2012年度から2年間、平均7・8%の削減を上積み」と『2年間』と限定しているところである。私がラジオ時事対談やチャンネル桜の討論で指摘したのであるが、来年確実にある参議院選挙もしくはこれからある衆議院の解散総選挙に向けて、労働組合に対して、「われわれの言うことを聞けば給料を戻してやる、そうでないならば、公約通りに20%削減する」というような労働組合に対する忠誠心【選挙での支持】を取り付けるための踏み絵でしかない。これは、現在官公労・自治労の組織率が低くなっている現状から、組合に不参加である公務員に対する脅しも存在するのである。
 なぜこの8%減額に関して、自民党と公明党は「2年間」というものをつけたまま合意に達したのか、まったくわからない。自民党と公明党の執行部の頭の中はボンクラとしか言いようがない。これでは、自民党の谷垣執行部に対して「物足りない」「谷垣では戦えない」という批判が来て当然である。
 一方、岸田国対委員長が記者会見で明らかにした「国家公務員に労働協約締結権を付与する公務員制度改革関連法案」という者に関しては、とてもとても何とかなるものではない。単純に言えば国家公務員を全体の奉仕者とした国家公務員法の方の精神を根本から揺るがすばかりか、国家公務員の特権をそのままに、国家公務員を民間と同じ待遇にする。もっと言えば、給料は景気と比例配分にせずその権限もそのままに、労働協約などをつけさせて国家公務員が「国民のために働かない理由づけ」を与えることになるのである。自民党の谷垣執行部はこれに対しては反対したようであるが、自民党の中に「公務員の労働協約ぐらいはいいのではないか」という不思議な意見があることもここで紹介しておく。
 要するに、民主党の提案は、完全に国民を消費税増税のために暫定的に目くらましをしているようにしか見えない。そしてそれを見抜けずに安易に合意してしまう「戦えない野党自民党」の姿がありありと見える。野党はだめだが国民がこのような目くらましの詐欺師的な政治に騙されないでほしい。

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久しぶりのチャンネル桜の討論番組

久しぶりのチャンネル桜の討論番組

 昨日、国会開会中ということで、久しぶりのチャンネル桜の討論番組に出演し、収録した。今回は番組終了後、出演者で新年会を兼ねた情報交換会を行ったのでその模様も含めてお話しをしたい。
 まず番組は、下記にあるとおりに、「野田民主党内閣の本質と行方」というものである。もちろん、これからバラ色になるなどという話になるはずがない。何しろ景気対策なしに消費税増税に、TPP、衆議院の議員定数「削減」に公務員改革、それに外交の不手際に震災復興、原子力発電所の事故対策とエネルギー対策、そのうえ皇室典範問題。そもそも通常国会は、来年度予算とその財源を言うところであるのに、これ以外の問題点が満載である。
 この問題点に関しては少し後に言うことにして、そもそもこの問題点があるのにかかわらず、「党内融和」ということしか言わない。要するに野田政権は、基本的には日本国のことなどは全く考えていない。実際にあるのは「党内融和」要するに民主党の党利党略と自己保身、そして民主党内の派閥争いしかないのである。政権が自己保身と政党内の狭い視野で派閥争いしかしていないのに、日本国が良くなるはずがない。そのうえ、このような正論をしっかりと伝えるマスコミが全くないというのも大きな問題である。国会は審議の場であるのにもかかわらず、与野党協議という密室の協議を行うように勧める、自民党が民主党の呼びかけに応じないことを責めるような論調で「密室批判」をしていた益子物以前の論調とまったく違うこの態度は、とても報道も何も信用できる状態にあるものではないのである。
 まさに、そのような状態で日本が良くなるはずがないのである。そこで、今回も討論の中でしっかりとその辺を訴えたつもりだ。内容は当日にご覧いただければよいのであるが、そもそも、いつものようにこのテーマに対する結論を先に言ってしまったので、その内容をここにも書いておく。
 野田内閣の本質は詐欺・嘘・左翼・売国・未熟で、行方は国が滅ぶ。
 これだけのことである。

          記

番組名:
闘論!倒論!討論!2012

テーマ:
「野田民主党内閣の本質と行方」

収録希望日:
平成24年1月26日(木曜日)14:30~18:00
(番組は3時間番組です。途中休憩が入ります)
※10分程前までにお越しいただければ幸いです。

放送予定日:
平成24年1月28日(土曜日)20:00-23:00
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/
「Youtube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

収録場所:
弊社スタジオ(渋谷)

パネリスト:50音順敬称略
伊藤達美(政治ジャーナリスト)
潮 匡人(評論家)
宇田川敬介(ジャーナリスト・国会新聞社編集次長)
片桐勇治(政治アナリスト・元国民新党広報部長)
上島嘉郎(別冊「正論」編集長)
山村明義(作家・ジャーナリスト)
山本峯章(政治評論家)

司 会:
水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

 さて、このメンバーでの飲み会はなかなかのものである。本編で話した旧皇室の話なども含め、様々な話になったのである。
 それだけでなく、政治に関するかなり裏の話まで、少なくとも「チャンネル桜といえどもカメラの前ではな話せない話」が多すぎるのである。自民民主を含めた政治家の話や、旧皇室の話など、話は多岐にわたる。参加者全員が公人の立場と評論する客観的な立場と個人的な立ちなぼ三つの立場をしっかりと使い分けられる人であったために、かなり包み隠さず話をすることができたのである。
 基本的にこのような話をするときに、最も重要なことは「先入観を持たないこと」「客観性を持って話を聞くこと」「思い込みを口にしないこと」である。想像の世界で「そんなはずはない」などといったとしても、実際にその現場にいつひとからみれば、「はずはない」などという論調は何の意味もない。事実はどんな推測よりも強いのだ。それを聞くことができるのは、それをうけいれることができるひとだけであり、それをひていするひとにははなすひともすくなくなる。どんどんと妄想の世界でのファンタジスタになってしまうだけであろう。そのようなファンタジーの世界に生きる人は、どんどんと事実や真実から遠ざかってしまい、空想社会に生きることになる。インターネットの中にはそのような空想社会の中で十分であるといっている人もいるが、実際の世界では何ら太刀打ちができない。そのような人の支持者は好きにすればよいのであるが、まあ、カルト宗教に近い状態になってゆくしかないのである。
 政治は、当然のごとく、現実社会の現象であり、その現象が見えなければ先などは読めるはずがない。しっかりとした事実の確認がなければ、その方向性も見失ってしまう。今回は、チャンネル桜の討論に参加するような人々であっても、自分の知らない事実を持っている人に対しては真摯にその話を聞き、事実を、そして方向性を確認し合うという現場であった。また、そのようにして情報の精度を上げているのである。保守を自称している人で、そのような努力をしていない人はどうなのであろうか。
 番組の三時間目では、今後についてということに話が進む。私は珍しく、扇情的なことを言うこともなく、しっかりとした分析を御披露した。もちろん本来はその分析とその内容の正確性が私の仕事である。その内容に関して参加者の皆さんは賛同くださったが、実際私が言わなくてもそのような内容になっているであろう。せいぜい微調整を下にすぎないのではないか。そのような内容をしっかりと見ることが、皆さんの中にも大事なのではないか。

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菅直人前政権「二つの大罪」の断罪と国民の目

菅直人前政権「二つの大罪」の断罪と国民の目

 今になって、というと遅いかもしれない。しかし、最近になって菅直人前政権の行った「大罪」の内容が徐々に明らかになってきた。今日のブログの表題は「二つの大罪」とあるが、実際に菅直人首相の行ってきた施政は、「二つの大罪」どころではない。そもそも、昨年の6月の内閣不信任案が国会に提出された時点では、そもそも「存在自体が大罪である」ということであったし、その内閣不信任案も「ペテン師」として切り抜け、国益をおおきく損ねたのだ。その菅直人前首相に対して「ペテン師」といったのは、その前の首相、「ルーピー」とまで言われた鳩山由紀夫である。汚い言い方であるが「目くそ鼻くそを哂う」ということわざがあるが、まさにそのような内容の菅・鳩山の言い争いは、民主党の内閣総理大臣がタダ単純に権力の座に居座りたいだけで国民のこと、国家のことをまったく考えていないことを明らかにしてしまったのではないか。その、国民全体の「しらけたムード」や「政治不信」を作り出したのは、民主主義の世界の中で万死に値する罪であるといえよう。
 さて、その存在自体が罪である、という論調そのものにも何らかの原因がある。菅直人前首相がそれなりの善政を行っていれば、内閣不信任案を提出されるはずもないし、鳩山氏からペテン師といわれる必要もない。要するに「何か原因」があって「内閣不信任案」が提出されたのだ。その原因とは何か。
 菅直人前首相の行っていたことはいくつかある。政治の中にはまったく報道されていない内容も少なくない。また、民主党という政党そのものが行ったもので、菅直人前首相個人が責任を負うべきものではないものも少なくない。たとえば、高校授業料無償化や高速道路無償化の断念、また、事業仕分けの失敗などは菅直人前首相個人というよりは、民主党全体の問題であるといえる。では、菅直人前首相個人にというのは、単純に、菅直人前首相個人が行ったことである。ここにこのように書いただけで、民主党の政策そのものがまったくダメなのであり、その内容が現在の「マニフェスト完全廃棄」状態の野田政権の施政につながっているのである。しかし、菅直人前首相の個人的な思索は、それだけ民主党政権、そして民主党の議員や閣僚たちに『突発事項に対する対応能力の有無』が問われているものであり、それらに対して、取り返しのつかない大きな失策をしているのがまさに菅直人前首相の施策ではなかったのか。
 その内容とは、まさに「尖閣諸島問題の対応」そして、「震災対応」とくに「福島原発事故対応」の二つは突発事項でなおかつ日本の国益を大きく損ねた「大罪」。まさに「万死に値する罪」といえる施策ではなかったか。

仙谷氏が中国漁船衝突事件対応「すべて正しかった」と豪語 「論争『さあ来い』」

 民主党の仙谷由人政調会長代行は22日、大阪市内のホテルで講演し、平成22年9月の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、中国人船長を釈放したことや事件時の撮影映像を非公開とした対応について、「私はいまだに、あの時のやり方、やったこと、すべて正しかったと思っている」と述べた。
 当時の政府の判断は野党や世論の批判を浴び、官房長官だった仙谷氏は同年11月に参院で問責決議を受けた。
 仙谷氏はまた「外交関係、司法制度、海上警察権の行使、行政情報の公開のあり方、いずれの立場からも今の時点で批判をきちっとする人はいない。誰か本格的な論争を臨んでくるのがおれば『さあ来い』と思っている」とも述べた。

2012.1.22 20:32  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120122/stt12012220410009-n1.htm

政府の原災本部 議事録を作らず

 東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡って、避難区域や除染の方針など重要な決定を行ってきた政府の「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったことが分かりました。専門家は「将来同じ失敗を繰り返さないようにするための財産が失われたという意味で、国民的な損失だと思う」と指摘しています。
 政府の原子力災害対策本部は、総理大臣を本部長とし、経済産業大臣をはじめ全閣僚をメンバーとするもので、原発事故当日の去年3月11日に設けられ、避難区域や除染の基本方針、農作物の出荷制限など原発事故を巡る重要な決定を行ってきました。NHKで、去年11月、それまでに開かれた21回の会議について「議事録や内容をまとめた資料など」の情報公開請求を行ったところ、公開されたのは、議題を記した1回の会議について1ページの「議事次第」だけで、議論の中身を記した議事録は作成されていなかったことが分かりました。NHKの取材に対し、原子力災害対策本部の事務局を務めている原子力安全・保安院の担当者は「業務が忙しく議事録を作成できなかった」と説明しています。公文書管理法は、国民への説明義務を果たすとともに政府の意志決定の過程を検証できるようにするため重要な会議の記録を残すよう定めており、公文書の管理を担当する内閣府は、原子力安全・保安院の担当者から聞き取りを行うなど経緯を調べています。原発事故への対応を巡っては、東京電力と政府が合同で事故対応を検討した「事故対策統合本部」でも主要な会議の議事録が作成されていなかったことが分かっており、内閣府は、この経緯についても調べています。
 公文書の管理や情報公開制度に詳しい名古屋大学大学院の春名幹男特任教授は「政府の重要な立場にあった人たちは、記録を残さないと責任を果たしたことにはならない。今回は、自分たちの失策がそのまま記録されると困るので、あえて記録を残さなかったと思われてもしかたない。将来同じ失敗を繰り返さないようにするための財産が失われたという意味で、国民的な損失だと思う」と指摘しています。

1月22日 17時44分   NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120122/t10015450241000.html

 尖閣諸島問題。仙谷官房長官(当時)は「私はいまだに、あの時のやり方、やったこと、すべて正しかったと思っている」(上記より抜粋)とあるが、本気でそのように思っているのであるとすれば、この人はよほどおかしい。正直なところ、この世な政治家を当選させた徳島県の選挙区の国民がおかしいとまで言っても良いかもしれない。次の総選挙で、仙谷氏が当選するようなことがあれば、以前話題になった徳島県に対する不買運動は本物に変わる可能性もあるのかもしれない。
 そもそも何が間違えていたか。なぜ公務執行妨害で逮捕した中国人船長を釈放したのか。なぜ、中国に対して尖閣諸島は日本領であるという主張をしないのか。なぜ報復措置は行わないのか。なぜ、衝突時の映像を一般に公開しなかったのか(民主党政府はいまだに衝突時の映像を国民に公開していない。公開されているのはsengoku38氏による投稿だけである)。なぜその映像を見て日本と中国のどちらが正しいのか論争をしないのか。なぜ一色正春氏は処分されたのか。今思い出すだけでも(私はこれの専門家ではない)これだけの大きな問題あがある。それだけでなく、尖閣諸島に関しても公的機関が上陸したり自衛隊の駐屯、領海の安全確保、いずれもできていない。そもそも政権党も政府も領海の保護に関する不法侵入に関する立法措置も行われていない。
 これらの疑問は全て提起されているが仙谷元官房長官はまったく答えていない。答えもせずに何もしないで危険をそのままにしているから問責決議につながるのである。しっかりとした答えもしないで「外交関係、司法制度、海上警察権の行使、行政情報の公開のあり方、いずれの立場からも今の時点で批判をきちっとする人はいない。誰か本格的な論争を臨んでくるのがおれば『さあ来い』と思っている」(上記より抜粋)というのは、祖おそも人間として議論の方法も知らないということなのであろうか。もう一度言う。このような人物を国会に送り出した徳島県の選挙区の人の気が知れない。知らなかったというのであるならば次の総選挙で何らかの結論が出るはずだ。
 一方、もうひとつの福島原発の対応である。原子力災害対策基本法では、そもそも原子力発電所における放射能事故(すべての事故形態)が起きた場合はその対策において、事故対策本部を官邸内に作りその本部長を首相が行うことになっている。これは、法律である。
 今回の福島原発の事故で、「東電が悪い」という論調が非常に強く見られた。しかし、実際に事故対策本部は官邸内であり、その事故の処理の責任は全て官邸、そして本部長である首相に帰属する。単純に言えば、菅前首相ほか閣僚が「東電」といっていたのは、法律上は全て内閣の責任であり、そして違法な責任転嫁でしかなかったということになるのである。そのことを知ってかしらずか、対策本部の議事録がない。議事録をそもそも作っていなかったという疑いがあるのだ。これは責任転嫁の問題ではなく、そもそも解決を行う意思がないというに他ならない。そして、これが民主党の主張する「政治主導の実態」である。はっきり言って無責任極まりない。政治主導というのであれば、しっかりと議事録作成も何も政治主導で行うべきである。できないならば「政治主導」を主張したことそのものを国民に謝罪しなければならない。結局都合の良いことを言って、都合の良いことを主張し、だめになったら責任転嫁、挙句の果てに「被災地が第一」といいながら本人は被災地の反対方向の四国巡礼では、あまりの無責任に声も出ない。
 このような政権を作ったのは、国民である。すぐにこの状態を解消するには解散総選挙しかない。解散総選挙を望む声が、そして民主党のこの無責任を糾弾し、次の選挙ではこれらの政治家に対して鉄槌を下すことができるのか。国民の良識が問われている。

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波乱含みの通常国会スタート

波乱含みの通常国会スタート

 昨日召集された国会は、かなり波乱含みといわれている。実際に、民主党政権になってからこれといった大きな功績はなく、ただ混乱のままに毎回国会が終わっている。鳩山内閣のときは、強行採決で、前回の9月の臨時国会では法案成立率でいずれも戦後のワースト記録を塗り替えてきた民主党政権は、われわれマスコミにとって最高の「餌」である。
 マスコミは、基本的に他人を落とすときに持ち上げてから落とす。ゼロからマイナス100にするよりも100まであげてからマイナス100にしたほうがギャップが大きい。マスコミはそのギャップが大きければ大きいほど国民の注目を集め、なおかつ視聴率も読者数も獲得できる状態になるのだ。要するに、マスコミが民間企業でありなおかつ営利を目的にする以上、そのマスコミそのものの媒体の注目度が必要な内容になり、その上ではギャップの大きさが最高の注目の内容になるのだ。
 民主党はまさに今そのギャップにおける転落の中にいると考えられる。もちろんなかには民主党政権に味方する論調があることも十分に承知している。そもそもマスメディアは左翼的な内容を多く報道するし、「権力へのチェック」といっている以上、日本そのものへの対抗意識をむき出しにしている、日本は買い論者のような論説も見かけられることがある。しかし、実際に民主党そのものの問題点や党内の矛盾点は非常によう現されているし、また民主党内における人材不足、そしてマニフェスト完全無視の詐欺行為に関して、どんなに民主党政権に味方しても、説明することはできない。まさに、独めん足りーなどである「転落の人生」という内容と同じ内容が民主党に覆いかぶさっているといえる。もちろん、その民主党は日本の政権党であるために、民主党の転落は日本国そのものの転落である。以前から言っているように、この転落のギャップを餌にするマスコミの体質は、マスコミの報道や論説に対して責任を負わせるようになるまでは継続するし、亡国の道を歩むことには代わりはない。
 そのような中で、通常国会がスタートする。今回の通常国会は、天皇陛下のご都合により召集が通常よりも一時間繰り上げて行われた。東京は召集の日である昨日、初の積雪で交通機関などが混乱している中で、国会は通常通り天皇陛下をお迎えして召集されたのである。

新党、不信任案…通常国会は波乱含みの展開に

 24日召集の通常国会は、野田佳彦首相が「政治家の集大成」とする消費税増税を柱とした社会保障と税の一体改革の成否が最大の焦点。これに対し、最大野党の自民党などは早期の衆院解散・総選挙に追い込もうと政権との対決姿勢を強めている。石原慎太郎東京都知事らによる新党結成や内閣不信任決議案の提出も予想され、波乱含みの国会になりそうだ。
 国会では26、27、30の3日間にわたり、衆参両院で首相の施政方針演説に対する各党の代表質問が予定されている。この後、民主党は平成23年度第4次補正予算案の早期審議入りを目指す。一方、野党は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)や北朝鮮情勢などの外交問題の集中審議、内閣改造で起用された5閣僚の所信表明を先行実施するよう求めている。
 補正予算案の成立が遅れると24年度予算案の審議入りも遅れる。憲法の規定で自然成立が確定する3月2日までに、予算案が衆院を通過するかどうかが当面の焦点となる。
 一体改革の与野党協議も、民主党の城島光力国対委員長が22日のNHK番組で、17年に全党参加で設置された「社会保障制度改革両院合同会議」をモデルとした衆参両院合同会議を設置する案を提起したが、自民党の岸田文雄国対委員長は「国会で閣議決定された法案を議論したい」と法案提出前の協議を改めて拒否した。城島氏はまた、民主党がまとめた衆院比例代表定数80削減案について「固執するわけではない」と、削減幅の圧縮を検討する考えを示した。

2012.1.22 20:12 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120122/plc12012220130008-n1.htm

政権の広告塔・岡田副総理、“勇み足”発言で野党から集中砲火も

 第180通常国会が24日、召集され、6月21日までの150日間の与野党の論戦がスタートする。注目は、先の内閣改造で政権ナンバー2の地位についた岡田克也副総理。世論調査での期待度も高いが、担当の行政改革では独立行政法人・特別会計改革の基本方針で支出削減額を示せないなど切り込み不足も目立つ。すでに原理主義者ゆえの“勇み足”発言も飛び出しており、野党からの集中砲火を浴びる可能性もある。
 「世間から『国会議員は随分いろいろもらっている』と言われる。まずは隗(かい)より始めよということを示すのも当然の話。輿石東幹事長も頭を悩ましているので、あまり外野から言わない方がいいが…」
 22日のフジテレビ「新報道2001」に出演した岡田氏は、消費税増税を含む社会保障と税の一体改革とともに、議員歳費や政党交付金の削減が必要だとの考えを改めて強調した。
 副総理就任後のテレビ出演はNHK、TBSに続き3回目。消費税増税の必要性とともに、国会議員自ら身を切る姿勢を愚直に訴える“広告塔”の役目を買って出ている。一体改革に関する政府の広報は「私のところで一元化する」と宣言しているほどだ。
 ただ、メーンの担当業務である行政改革については歯切れがよくない。独立行政法人と特別会計の基本方針を発表した19日の記者会見でも、独法の削減数が当初目標の50%以上を達成できないなど切り込み不足を問われ「現時点でやれることは精いっぱいやった」と釈明に終始。自賠責保険料を運用する自動車安全特別会計について質問され、答えに詰まる場面もあった。
 昨年12月に党の行革調査会の会長に就任した際にも党内から「岡田氏は行革に詳しくないので大丈夫か」(政調関係者)との指摘が上がっていたが、その不安が的中しつつある。
 現在、岡田氏は野田佳彦首相の執務室と同じ首相官邸5階に副総理室を用意され、内閣府、総務省、財務省、厚生労働省から4人の秘書官が付いた。官僚サイドからは「事務説明に対する指摘が細かい」(財務省中堅)との声も漏れるが、「けち」で有名な岡田氏が自身の全額負担で内閣府の職員らと夕食会を開くなど官僚にも融和姿勢を示す。
 だが、副総理室に秘書官以外のスタッフはほとんどおらず、手足となる専任の副大臣や政務官もいない。米軍普天間飛行場移設問題や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など課題山積の外交・安保にまで手を出す余裕はない。
 得意分野の政治改革での発言に対しては、20日の衆院議院運営委員会の理事会で「国会が検討すべき事項であり、越権行為だ」と批判が相次ぎ、近く小平忠正委員長から抗議を受けることになっている。
 ただ、岡田氏は22日も記者団に「自民党は消費税増税を主張するのかはっきり言わずに、解散、解散というのはいかがなものか」と述べるなど、暴走気味の発言をやめるつもりはさらさらなさそうだ。(桑原雄尚)

2012.1.22 23:37 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120122/plc12012223380009-n2.htm

小沢氏「約束と違う」 消費増税に反対

 民主党の小沢一郎元代表は22日、北海道釧路市の会合で、野田佳彦首相の消費税率引き上げ方針に対し反対する意向を重ねて示した。「(消費税増税は)衆院選で掲げた約束と違う。無駄を徹底的に省き、それでも社会保障などの財源が足りないときには次の衆院任期中に税制を検討する約束だった」と述べた。
 同時に、欧州債務危機が日本経済に悪影響を及ぼすとの見通しを示し「増税を強行するのが国民に目を向けた政治なのか。この国の行く末を思った政治なのか」と強調した。

2012.1.22 16:57 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120122/stt12012217000004-n1.htm

 さて、今回の通常国会は、当然に憲法に指定された予算の内容ということになる。それだけでなく、1月13日に改造され「不退転の決意」とまで言い切った社会保険一元化改革消費尉税増税の法案、またTPPに関する公証の中間報告も含まれ、また、今回交代した閣僚の不適切な発言、特に田中直紀防衛大臣による一連の「超素人発言」に関する問いただしが存在するのではないか。
 消費税増税に関しては、マニフェストで「やらない」といって選挙を行ったのに、舌の根も乾かないうちに正反対の行為を行う。そもそもその選挙結果そのものが有効であるのか否か、ということがもっとも大きな内容である。田中直紀防衛大臣に関しても同様で「少なくとも県外」といった発言が、今では「県外はまったく考えていない」に変わっている。国土交通省は八場ダムの建設に関する内容。また、昨年の震災対応に原子力災害対策本部の調査や議事録がないという話など、さまざまな論点が挙げられている
 要するに、民主党がマニフェストで掲げた内容とこの二年間の検証、そして突発事項として発生した震災と原子力発電所の事故の対応に関する監査、この二つが大きな柱になるはずだ。そして、「民主党政権のままでよいのか」ということが、問われる内容になり、「民主党には任せられない」という「民意」を反映すれば解散総選挙につながることになるであろうし、民主党がなんとなく野田首相のボーンヘッドであったとすれば、総辞職で内閣交代につながると考えられる。特に、5月から6月にかけて、「国民をだました」として内閣不信任案が提出され、また民主党内の消費税増税反対派の内容を行う可能背があるのではないか。
 今回の国会は、たぶん消費税増税国会となるであろう。しかし、それ以外にそもそもマニフェストの検証ということが非常に大きな内容になるはずだ。その点の注目をしっかりとすべきではないのだろうか。

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自民党党大会と政権奪取の覚悟

自民党党大会と政権奪取の覚悟

 批判の上には何もできない。これは私が「民主党の闇」のなかで最も主張したかった内容である。民主党という政党がなぜダメなのか。簡単に言えば、批判しかできない青銅であったから、という回答である。日本人は批判に対してインテリを感じる。批判できる人は、批判している元の内容よりも良いものができると考えている。それだけに、何の専門分野もない「評論家」「コメンテーター」という職業が成立するのである。私のように、じっさいに国会にいて、政治に関してさまざまな内容をやっている立場にいると、彼らの評論やコメントの中に「空虚」を感じることは少なくない。実際にゼロから立ち上げて作る苦労も、また、さまざまな関連の中における調整も、まったく関係なく、ひとつの立場から単純に物事を批判するのは簡単である。しかし、その簡単な内容に終始して大衆に迎合していれば、民主主義はすぐに衆愚に変化し、日本そのものが滅ぶことなる。現在の民主党政権はまさにその衆愚の具現化ということができる。
 ところで、私は政治において「野党」という存在について、二つの立場があると考えている。
 ひとつは政権を取って代わるための存在である。この存在は、まさに現政権の対立意見や、理念に基づいた基礎の上に立った具体的な政策を行うということが重大な柱だ。よく小選挙区制の議論のときに「二大政党制」「政策論争」ということを言うことがあるが、まさに、二大政党制は二つの基礎基盤によってできる政策の対立が生じる場合にその内容がしっかりと行われるようになるということになるのである。
 本来ならばこれでよいのかもしれない。まさに、小沢一郎氏が提唱した二大政党制はこの考え方の上に成り立っているのであるから、その二大政党制の基礎である政策論争がしっかりとできればよい。そもそもそのような二大政党制でしっかりとした政策論争ができるのであれば、現在の民主党政権のような体たらくはまったくないはずである。しかし、現実はそうではない。
 要するに野党におけるもうひとつの形態が存在することを意味している。これは日本特有ではなく、アジア的な状態であるといいえる。私の個人的な感覚でしかなく、学問的な裏づけはまったくないのであるが、まさに宗教的な背景がそこには存在するような気がする。キリスト教をはじめとする「ゾロアスター教的正悪二元論」の価値観を持っていない国家においては、二元論的な政治、要するにひとつの政策や理念に対して「正」「悪」で答えられない状態が多い。その立場を代表する政党【野党】の存在がある。日本の政治の世界では「少数意見の代弁者」としての野党の立場である。これは、宗教団体や商業団体など政治的な内容が関係のない団体において、政治的な活動を行うことがあるのは、まさにこのことといえるのではないか。少数意見を尊重するというのは民主主義の一つの慣習であり場合によっては「悪癖」といえる。しかし、その内容はまさに野党の存在意義になっているのである。
 現在の野党の中においても、この二つの分類をすべきではないか。自民党や昔の民主党は、当然に政権交代可能な二大政党制の元となる政策的な内容であろう。その自民党が党大会を行ったのである。

谷垣総裁、「通常国会中の政権奪還が唯一の目標だ」 自民党全国幹事長会議で

 自民党は21日の全国幹事長会議で、24日召集の通常国会の会期中に、衆院解散・総選挙を迫り、政権奪還を実現することや、衆院選マニフェスト(政権公約)作りなど選挙準備を急ぐことを確認した。
 谷垣禎一総裁は「野田政権を衆院解散に追い込み、私どもが勝利して自民党の手で政治を担うことが通常国会での唯一の目標だ。先頭に立って闘う覚悟だ」と表明した。また、震災復興の遅れや国際的な経済危機への懸念を挙げ「これらの課題には私ども自民党の方がきちっとできると固く信じている。衆院解散は国難を乗り切るためだ」と強調した。
 ただ地方代表からは「消費税増税などバカなことは止めてほしい」(石川県連)、「自民党が何をしたいのか明確でない」(高知県連)との不満の声も上がった。
 自民党は22日に党大会を開き、平成24年度の運動方針を採択する。

2012.1.21 22:05 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120121/stt12012122080006-n1.htm

ネバー民主党!?首相の言葉もじって自民・茂木氏が批判
2012.1.22 20:14 
 自民党の茂木敏充政調会長は22日の党大会で「日本の国益を一番害しているのは民主党政権の存続だ。ネバー・ネバー・ネバー・ネバーDPJ。ネバー民主党だ」と声を荒らげて批判した。
 野田佳彦首相は今月4日の年頭記者会見で「ネバー・ネバー・ネバー・ネバー・ギブアップ(決して、あきらめない)」と訴え、16日の民主党大会でもこの言葉を用いた。DPJは民主党の英語の略表記。
 茂木氏は首相の言葉を皮肉って、「もう民主党には政権を任せられない」と強調したかったようだ。

2012.1.22 20:14  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120122/stt12012220150007-n1.htm

 自民党の党大会において、どうしても政権交代や次の総選挙における勝利と結びつかない。もちろん、次に解散総選挙が行われれば、自民党は第一党になるであろう。しかしそれは現在の執行部が立派だからではなく、現在の民主党の執行部がまりにも頼りないからであるとしか言いようがない。単純に言えば、批判しているときの民主党を「頼りがいがある」と誤解してしまい、自民党より良くなると思ってた国民が作り出した幻想の産物でしかない。しかし、その幻想は簡単に壊された。民主党が政権のままでは、日本そのものが壊されてしまう。助け合いの精神も家族の絆も全てが破壊されてしまう状態をどのように考えるのか。その結果としてもともと自民党を支持していた人々が、前回の占拠のときに自民党から民主党に期待して人々が国民の中にいた。その人々がやはり民主党ではダメだという結論で、「他にいないから」自民党に戻るという発想の人が大いに違いない。
 もちろん他の政党もある。しかし、宗教団体が母体の政党や、あるいは、良いことを言っていても基盤の薄い少数政党では、上記野党の上で「少数意見の代弁者」としての内容しかなくなってしまうのである。
 本来政党はずべて政権交代可能な政策論争のできる政党であるべきと考える。それは、単純に連立で与党になる可能性もあるが、それだけではなく、少数政党の支持者も国民であり、その国民はその少数政党の主張する日本の姿に期待している。当然に政治家である以上、そして政治家の集団である政党である以上、その内容で政権を担うことを予定していなければならない。
 しかし、いつの間にか野党は与党を批判する存在でしかなくなっている。野党第一党の自民党が、民主党の攻撃ばかりになっている。もちろん、だめな閣僚に対する攻撃を行うことを否定しているのではない。当然に閣僚の不正などはどんどんと暴露し、社会問題化すべきだ。しかし、それだけでは良くない。当然に政治に関する内容をしっかりとしなければならないのではないか。その政策に関する論争が少ないところ、あるいは論争をしないでも提言が少ない部分が、自民党に対する期待感が薄くなってしまっている。
 自民党はそもそも綱領党是で憲法改正(本来は自主憲法の制定であったと思うが)を主張しているはずである。しかし、その内容はまったく進んでいない。党大会でも中間報告があるだけで、具体案も何も出てこない。結党の精神という「基礎」がない状態では支持も薄いであろう。その雰囲気が出てきてしまっているのである。
 雰囲気や空気というのは会場にいる人しか感じない。しかし、その空気は確実に蔓延する。そうならないように、しっかりとした政策論争を行うようにしなければならない。自民党に対しても、あえて言いたい。「批判からは何も生まれない」と。

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マスコミ批判に関する一考(77) 取材に関するルールとマナー

マスコミ批判に関する一考(77) 取材に関するルールとマナー

 マスコミは、必ず取材を行ってその取材にもとぢて記事を書く。この取材がなければ、小説家になってしまう。評論でも同じで、そのほかの知識や、しっかりとした背景の調査、情報の分析に基づかないで「評論家」を名乗っている人は少なくない。そのような人は「作家」特に「ファンタジー作家」に分類されれば良いと思うのであるが、評論家と名乗っていると名乗っている人は少なくない。
 評論家の中には二つの種別がある。
 ひとつは、素人が知ろうと感覚で感想を述べるものである。良くテレビのワイドショーのレギュラーコメンテーターという人々がこれに当たる。どのような背景があるのか、どのような内容を考えているのか、どのような思想があるのかわからないが、とりあえず「一般人」の代表としてそのようなことを適当に言う人である。ここであえて「一般人」とかぎ括弧をつけたのは、そこに出ている一般人は一般人ではなく、テレビ局が言ってほしいことを言ってくれる「一般人であってほしい人」でしかないことに注目しなければならない。「一般人であってほしい人」と「一般人」はまったく異なる。一般人であってほしい人というのは、まさにテレビ局の大衆扇動の象徴でしかない。そのために、一般人であってほしい人というカテゴリーの評論家には、基本的に自由なトークは存在しない。当然に、台本などがありその中に適当なことが書かれている。それだけにコメンテーターという職業が存在し、また売れなくなったタレントや役者がコメンテーターとして活躍できる余地があるのだ。単純に言えば、テレビ局が用意した台本をいかにももっともらしく、そして自分の言葉であるかのごとき喋りをすればそれで成立する。しかし、そのような存在がまさに無責任で先導的なマスコミの省庁となる。そのために、昨年の待つ高岡某(申し訳ないがいつまでたっても名前を覚えない)が韓国のドラマに対してツイッターでつぶやいて非常に大きな事件になるのである。
 もうひとつは、専門家として解説を行う人である。これらは専門の分野が書いてあり、その分野の専門家として実際に起きている現象や近未来の予想などを披露するひとである。これらは「評論家」というよりは「解説者」というほうが本来は性格をよくあらわしていると思う。「政治評論家」「経済評論家」などとなっていても、一切には政治のジャーナリストであったり経済学部の教授や投資アドバイザーなどその分野の仕事で実績がある人が行うのが通常である。基本的にはその分野のプロとして、背景やしっかりとした事情、専門家的な知識を持って、その知識を一般の専門家でない読者や視聴者に対してわかりやすく解説を行うというのが、マスコミの中に登場するパターンである。最近ではろくな知識もなく、本を数冊出しただけで専門家気取りの人もいるし、しっかりとした知識や情報の調査などがない状態での評論家を名乗っている人が少なくない。そのような人は、単純に自分の解説した内容がしっかりとした基礎に基づいていないために、第三者を批判することでしか自らのステータスを実際に、そのようなプロでない評論化が恥ずかしげもなく出てくることが、マスコミのプロ意識の欠如につながるのである。そのようなプロ意識の欠如が大きな事件を起こすことになる。

<裁判員法違反?>奈良の裁判員に読売新聞記者が取材

 窃盗容疑での追跡中に発砲し、殺人罪などに問われた奈良県警の警察官2人の裁判員裁判を巡り、読売新聞の記者が選任された裁判員に取材し、その内容を記事にしたことが18日、分かった。裁判員への接触を禁じた裁判員法に抵触する可能性があり、奈良地裁は「経緯を調査した上で対処する」としている。
 裁判員選任手続きは17日、同地裁で行われ、裁判員6人と補充裁判員4人が選任された。初公判は23日で、来月28日に判決が予定されている。
 読売新聞は18日付奈良版で、「裁判員に選ばれたという」人物として、匿名で住所(市まで)と職業、性別、年齢を明記し、「『判決が、今後の警察官の発砲の判断に影響すると思うと……』と責任の重さを思い、不安な胸の内を明かした」と紹介している。
 裁判員法102条は裁判員保護などの目的で「選任された裁判員に接触してはならない」と規定。裁判終了後は裁判員でなくなるため、守秘義務に配慮した取材は可能だが、裁判終了までの接触は違法となる。
 読売新聞大阪本社広報宣伝部は取材に対し、「禁止されている裁判員への取材を行い、チェックミスで掲載しました。誠に遺憾で、関係者におわびします」とのコメントを出した。【岡奈津希】

毎日新聞 1月18日(水)21時48分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120118-00000092-mai-soci

 さて、上記のように解説者はプロ意識がある人とプロ意識がない人がいる。また、一般の評論家は、完全に「ド素人」か、もしくはテレビ局の扇動の結果でしかない。プロ意識のない解説者も同じで、基本的にはテレビ局の扇動や誘導したい世論の中に人を迷い込ませるために行う。先日までマスコミを批判してながらテレビに出ると宣伝してみたり、あるいは、それまでといっている事がまったく違うことを言っていたりしながら、恥も外聞もない解説者もいるのである。
 一般の評論家や解説者でもテレビに出るだけで大喜びをしているような人が多いと、結局、テレビ局や新聞などマスコミの中でも「自分たちで自由にすることができる」という勘違いが生まれる。結果がよければ何でも良いというような内容が出てくる。その内容は、マスコミによるモラルハザードを生み出し、モラルハザードは新たなマスコミの扇動を生む。どちらが悪いというのではない。しかし、少しのねじの緩みが全体のモラルに影響することは少なくないのダル。その内容が法律に触れることが少なくない。
 実際にバラエティに出演を希望する政治家や文化人が少ないのは、そのようなことによるものが多い面白ければよいのではなく、しっかりとした本業と基礎があるから、その基礎の上に新たなものが生まれる。しっかりとした思想の上に、違う者を融合させるのと、面白ければマナーもルールもなくてよいというのはまったく違うのである。
 そのねじの緩み、マスコミのモラルハザードを感じるのは、今回の事件に至った経緯ではなく、読売新聞のコメントが最もマスコミのモラルハザードを感じる。裁判員に裁判のことを話させるのは、話すことそのものだけで、法律に違反しているはずだ。しかし、その法律に違反した行為を誘引したのが新聞記者であるということは、まさに、裁判員の法律違反の「共犯」である。当然に、そのような記者は「犯罪をしながら記者をしている」はずであろう。当然に社内による処分が必要であるし、その編集を行った編集デスクも処分である。犯罪ということが非常に大きくなれば免職なども当然に視野に入るものであろう。よって「法律違反を真摯に受け止め、厳正に処分します」というのが本来のコメントになるはずだ。逆に言えば、裁判員というのは、それだけ、司法の判断を行う重責であり、場合によっては人の命を奪う(死刑判決を下す)ことができる人である。そこに、司法と一般人の感覚以外の内容が入っては、公正な判事ができないではないか。しかし、それを話させるというのは、まさに司法制度の冒涜であり、なおかつ、裁判の公平性を完全に失うものである。読売新聞はそれだけのことを犯したという自覚が必要だ。
 しかし、読売新聞本社のコメントは、<「禁止されている裁判員への取材を行い、チェックミスで掲載しました。誠に遺憾で、関係者におわびします」とのコメントを出した。>(上記より抜粋)となっている。要するに、「チェックミス」「掲載しました」ということ、逆に言えば、裁判員への取材は問題ないし掲載しなければ良いというモラルハザードが読売新聞の少なくとも大阪本社内では存在することになる。また、そのことに関してお詫びだけでよいという感覚、周知徹底や法律違反に対する対策も何も考えていないこの態度には、マスコミのエゴと、マスコミの無責任体質を考えるのである。
 この記事は小さな記事であり、インターネットの扱いもそんなに大きなものではない。当然に注目度も少ない。しかし、そのような注目の薄い記事でも非常に大きな問題をはらんでいることが少なくないのである。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(43) 大連の開業式典の一部始終と舞台裏(4)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(43)
大連の開業式典の一部始終と舞台裏(4)

 ファッションショーのモデルに関して、そして観客に関しては、先週までにいれた。ファッションショーは、こちらが考えるよりもずっとスムースに行うことができた。多くの人の協力によるものと、もう一つは、中国人のメンツの問題である。中国人のメンツは自分のより目上の人の前では、おとなしくなる性質である。日本でも仲間内では元気だが上司の上では急におとなしくなる人がいる。中国人はそのような人の集団であると思ってよい。逆な言い方をすれば、「ひどい中国人を見ている」われわれ日本人は、それだけなめられているということだ。
 さて、その日の夜は前にもここで書いたように「プレオープニング」として、無料で会った。ファッションショーは終わり、マジア大連の開業式典が終わった。翌日の10字に店舗部分のオープンがあり、正午にホテルのオープンがある。しかし、それまでの間は、一切何のイベントもなかった。
 とはいえ、中国人ではないが、社長も会長も来ているのに、われわれだけで遊びに行くわけにもゆかない。そもそも、外に遊びに行くのではなく、ホテルのサービスを試さなければならない。
 まず、ファッションショーが終わって、宇都宮社長の呼び出しである。
 「おう、なかなか良かったな」
 内心、あれだけ苦労したのだからそりゃそうだろうと思いながら適当に相槌を打った。
 当時の総経理嶌氏に、花田瀋陽総領事と秋葉日本大使館経済担当参事官を紹介した。そして、大連市内をごあんないするようにいらいした。「御案内」といっても、当然に夜遊びのところである。・・・・・・・・

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イタリア豪華客船の座礁転覆事故についての偶然の一致

イタリア豪華客船の座礁転覆事故についての偶然の一致

 イタリア豪華客船が地中海で座礁転覆事故を起こした死者行方不明者が出ている状態である。この事故に関してブログを書きたいのであるが、日本の政治などとはまったく関係がないために、どうしようかと思っていた。また、土曜日の軽いタッチで描くには事故が清国であり、あまり変な書き方をすると許容範囲を超える不謹慎になってしまう恐れがあるので、それも困ったと思うところがある。
 しかし、事故の概要が明らかになるにつれ、なかなか興味深い内容になっているので、これはこれで興味深い内容になっているのである。今日は「偶然の一致」ということと、「船長の責任」ということの二つに絞って書いてみたい。
 まず土曜日なので軽いほうの話題。要するに「偶然の一致」である。今回の座礁事故は、船の大きさ、規模、そして事故の概要からタイタニック号の沈没と比較される。座礁をして、そのうえで電気系統が故障、船内が真っ暗になりそのような中で、避難が行われた。当然に避難は混乱をきわめた。その内容はタイタニック号の沈没、特に映画タイタニックのパニックと重なるものがあるのではないか。
 そんな中で二つの偶然が伝えられている。一つは「タイタニック」の被害者の孫が二人乗船していたというのである。祖母からタイタニックの恐ろしさを聞いていたという二人、この二人が、21世紀の豪華客船座礁事故にもあるというのは、この一族は余ほど「船の運」が悪いのではないかと思ってしまう。私は個人的には、逆に、祖父が被害を受けているのに、豪華客船の旅を行うということ自体がなかなか運命を気にしない人々であると思うのであるが、これはこれで、なかなか興味深い。
 一方、下の新聞記事にあるのであるが、座礁事故の時はちょうど夕食時であったという。豪華客船の夕食であるから、当然に夕食の横で音楽隊が音楽を奏でているのであるが、その戦局がまさに映画タイタニックのテーマ、カナダ人歌手セリーヌ・ディオンさんの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」であったという。笑えない笑い話で、偶然とは怖いものであると思うが、やはり船の中でそのような曲や映画を上映しているとそのようになってしまうのか。
 偶然の一致というのは様々なところで起きる。もちろん、政治の世界でも何でも様々な内容が存在するのであるが、その内容はこのように事件が起きてから徐々に明らかになるのである。そして、これらが徐々に都市伝説化してゆくというのが、日本の「民間伝承」なのであるが、この話はどうなのであろうか。

遅れた避難、高まる疑問 イタリアの豪華客船座礁

 イタリア中部沖のジリオ島付近で13日に豪華客船が座礁し3人が死亡した事故では、なぜ避難が遅れ被害が拡大したのか、なぜ経験豊富な船長が島に近い航路を取ったのかといった点に、乗客らから疑問が噴出している。
 AP通信などによると、乗客は発生から45分もの間「電気系統に技術的問題が起きた」としか知らされなかった。この間、船底に入った亀裂から一気に海水が入り、船体が大きく傾いた。座礁が明らかになってからも適切な避難指示はほとんどなく、救命ボートの準備も遅かったと多くの乗客が証言している。
 船長がジリオ島に客船を近づけ過ぎたことが事故の一因とされているが、10年以上のキャリアを持つベテラン船長が島に近い航路を取った理由も明らかになっていない。
 地元検察当局者は事故原因についての徹底調査を明言。既に拘束した船長以外の関係者についても調べる方針を示唆している。(共同)

2012.1.15 22:40 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120115/erp12011522440006-n1.htm

イタリア座礁船から乗客乗員置き去りで船長避難か

 イタリア中部沖のジリオ島付近で13日夜、地中海クルーズ中のイタリアの豪華客船コスタ・コンコルディア(乗客乗員約4200人)が座礁し3人が死亡した事故で、地元検察当局は15日、船長の身柄を拘束し、過失致死などの容疑で取り調べを始めた。
 船長がジリオ島に客船を近づけ過ぎたため、船体の左側を岩礁にぶつけて穴が開き、浸水したとみられている。また、この船長は救助を待つ乗客乗員が大勢残っているにもかかわらず避難していた疑いもある。
 ANSA通信によると、乗客11人と乗員6人の計17人と依然、連絡が取れておらず、当局は潜水作業員を投入し船内に取り残された人がいないか調べている。(共同)

2012.1.15 23:26 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120115/erp12011523260008-n1.htm

「船傾き、立ってられず」 イタリア豪華客船救助邦人が緊迫証言

 「部屋のテーブルの上のものが落ち、女性の叫び声が船内に響いていた」-。イタリア中部沖のジリオ島付近で地中海クルーズ中の豪華客船が座礁した事故。船に乗り合わせ救出された日本人乗客らは避難先のローマ市内のホテルで「船が傾き、真っすぐ立っていられない状態だった」などと脱出時の緊迫した状況を語った。証言からは船内がパニック状態に陥り、整然と避難誘導が行われなかった様子が浮かび上がる。
 東京都の不動産鑑定士、国武久幸さん(51)は夕食を終え、妻と共に船室で休んでいた13日午後9時半(日本時間14日午前5時半)ごろ、どーんと船が大きな物にぶつかったような衝撃を感じた。テーブルの上の物が落ち、部屋の電気が消え、船がどんどん傾くのが分かった。廊下からは子どもの名前を呼ぶ女性の叫び声や悲鳴が聞こえた。(共同)

2012.1.15 21:14 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120115/erp12011521150005-n1.htm

座礁事故時にタイタニックの曲 伊豪華客船のレストラン

【ロンドン共同】イタリア中部沖で豪華客船コスタ・コンコルディアが座礁した事故で、船が岩礁に衝突の際、船内のレストランで米映画「タイタニック」の主題歌がBGMとして流れていたと、19日付の英大衆紙サンがスイス人乗客の話として報じた。この曲はカナダ人歌手セリーヌ・ディオンさんの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」。偶然の選曲とみられるが、パニックの中、乗客は曲が「頭から離れなかった」と話している

2012年01月20日05時09分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/6206675/

 もうひとつの話題。まさに責任ということについてである。
 船長は船に対して責任がある。とくに公海上では船長が法律であり、他の法律に縛られない場合は危険人物などの逮捕権限を持つという絶大な権限を持っていると言える。当然に権限と責任はバランスのとれたものだ。今回の事故も過失のあるなしは別にして、船に対する責任は全て船長にあると言える。日本の場合、特に戦中の海軍の場合船と運命を共にする船長というのは少なくなかった。やまと沈没の時の伊藤整一司令官と有賀幸作船長、または武蔵沈没の時の猪口敏平船長、ミッドウェイ海戦で沈没した空母飛龍の山口多聞司令官など、助かるのに船と運命を共にした船長の話は今でも聞くと涙が出る思いがする。一方、客船で乗客や船の運命よりも先に船を脱出した船長というのはなかなか話を聞かない。今回はそのような「無責任船長」が登場する。
 責任があれば権限を使わない。責任の重さを感じているからであろう。一方責任を感じない人は、権限を使う。権限を使うことが自分の権利であるとし、そのことに対する責任を負わないのであるから、自分勝手な解釈を行うことができるのである。この責任と権限の関係は、イタリアの船長だけではなくなんとなく日本の現在の政治、特に政権と同じような感じに受け取られる。この船長を見ていて「ルーピー」や「空き缶」を思い描いた人は少なくないのかもしれない。
 この船長の責任については今後イタリアの警察で追及されるし、事故の内容も良くわかるであろう。島へのサービスで陸に近づきすぎたという説があるが、そのような権限を無責任に行うということ、ポピュリズムで乗客や島民にサービスを過剰に行うことによって本来の仕事が重大なミスをするということはまさに民主党政治に通じるものがある。それだけ、ポピュリズムの力に迎合する人が民間人の権限者の中にも増えた、そのポピュリズムは本来の職務の責任も遂行できないくらいに過剰になるということになるのではないか。
 単なる事故ということではなく、一つの事故から様々な角度で話ができる。その話から得られる教訓をしっかりと見ていただきたいと思う。

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選挙制度改革に関する注目すべき点は何か

選挙制度改革に関する注目すべき点は何か

 政界再編が言われている。今年こそ解散総選挙といわれている。私も街中において「いつ解散になるのか」と聞かれることは少なくない。もちろん、野田政権において末期症状が出ているし、同時に、「鳩山」「菅」「野田」と三代続いた民主党政権で、どのような実績があったのかということを考えれば、また、民主党内における「脱小沢」「反執行部」の根深い対立を見て、その上党内融和といいながらわけのわからない対立を行っている状態を見れば、まさに、民主党が政権与党であるということそのものに末期症状を感じない人はいない。もちろん、民主党政権に対して反対を唱えている人にとっては、非常にありがたいことであろうし、民主党を支持している人にとっては、もう少し何とかならないかということを考えている。しかし、日本の国民の大多数の「無党派層」といわれる人にとって、「マニフェスト(政権公約)」を信じたのに対して、その内容が裏切られたという感覚は、捨てがたいものになっているように感じる。
 しかし、解散総選挙にはまだ障害がある。もちろん解散は首相の大権であり、ほかの者がさまざまなことを言っても、あまり影響はない。国民が何を言おうが「感じない」首相であれば一切解散などはしないであろう。野田首相は、解散をするかもしれないという期待があるということは、逆に言えば、それだけ「国民の声を聞いてくれる可能性」を感じているということになるであろう。今後TPPや消費税増税、そして女系天皇や女性宮家に関する事など、日本の根幹や国民の生活に直接かかわりのある内容を、国民の意見を無視してゴリ押しすれば、菅首相のときのように民心は離れ、政治不信が蔓延し、国家が滅亡する可能性を感じることになる。そして、国論を二分する問題でのゴリ押しは、内閣不信任案ということにつながる可能性も考えられるのである。
 さて、これに対して、解散が軽々にできないとされる問題がひとつある。占拠のときの「一票の格差」の問題である。一票の格差は、最高裁判所においてある程度の基準によって示されているが、前回の総選挙の時の投票では「違憲」であるということで、判断が下されている。
 そもそも「一票の格差」とは人口と選挙区によるバランスの問題であり、過疎化した選挙区と人口が密集している選挙区では、投票ラインが異なり、一票の価値が変わってくる。当然に過疎化した場所のほうが一票の価値が大きくなるということになるのである。そのために、本来であれば「参政権」は、国民平等であるはずであるのに対して、間接的に選挙でしか参政権が認められていない国民は、その一票の価値に差が生じ、その差が大きくなれば、その分参政権平等の原則に反することになるというものである。もちろん、その内容は、都市化の問題や生活形態の問題にしたがって、大きな違いがあるのであり、住居・転居の自由は基本的人権であるために共生ができない問題なのであるが、その自由の範囲にしたがって選挙区を柔軟に偏向しなければならないというような形になっている。
 この議論に関して、選挙区の増減をするという問題と比例との関係ということが大きな問題になっているが、そもそも「小選挙区制が妥当なのか」という問題も存在する事が注目点である。

選挙改革、難航必至=民主が「比例80減」決定

 民主党は18日午後、国会内で政治改革推進本部(本部長・樽床伸二幹事長代行)の総会を開き、衆院選の「1票の格差」是正に向け小選挙区の定数を「0増5減」とし、比例代表定数を80削減する改革案を正式に決めた。24日召集の通常国会に関連法案の提出を目指すが、公明党など各党は猛反発しており、法案の行方は見通せない状況だ。
 「0増5減」は、定数3の山梨、福井、徳島、高知、佐賀の5県で1議席ずつ減らす内容で、自民党案をそのまま採用した。総会で異論は出ず、今後の対応を樽床幹事長代行に一任。徳島2区選出の高井美穂氏は総会後、「違憲状態での選挙では認められないので、良かった」と評価した。
 民主党は格差是正のための衆院選挙区画定審議会(区割り審)設置法改正案と、定数削減のための公職選挙法改正案の提出に向け、野党との調整を急ぐ考えだ。 

2012年01月18日18時47分 提供:時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/6201649/

公明「受け入れがたい」…衆院定数削減の民主案

 公明党は18日午前の自民党との幹事長・国会対策委員長会談で、衆院の小選挙区を「0増5減」、比例代表は「80削減」とする民主党の選挙制度改革案について、「受け入れがたい」と反対する考えを示した。
 自民党の石原幹事長も「少数政党の存在を否定するような案には反対だ」と応じた。

(2012年1月18日13時23分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120118-OYT1T00603.htm

「野田政権持つのか」=小沢元代表

 民主党の小沢一郎元代表は18日午後、衆院議員会館の事務所で愛知県の大村秀章知事と会談し、野田内閣について「消費増税を掲げる政権が本当に持つのか」と述べ、退陣に追い込まれるとの見方を重ねて示した。
 小沢氏は、野田佳彦首相が消費増税関連法案が否決された場合などの衆院解散を示唆していることについて「内閣支持率が下がっているときに本当にやれるのか」と野田政権での解散は困難との認識を強調。欧州債務危機に触れ、「こんなときに消費増税なんて冗談じゃない。何を考えているのか」と首相を批判した。

時事通信 1月18日(水)19時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120118-00000135-jij-pol

 選挙に関しては、さまざまな考え方がある。そもそも、議員定数の問題も大きな問題だ。経費ということで考えれば少ないに越したことはない。しかし、議員定数がすくなければ、それだけ一人の議員にかかる国民の数が増える、要するに議員が少なくなるということは、それだけ国民の声が国政に反映しにくくなるということを意味している。
 同時に、小選挙区制であれば、政策の論点が明確になり「yes or no」で判断するようになるため、政策論争が活発化するという利点が想定されていた(実際はそうではないのである)。しかし、一方で、小選挙区制は、最大で49%以上の意見が切り捨てられるということを意味し、広く国民の意思を反映できるものではないという欠点がある。特に、日本の場合のように、「中間派」「中庸」がひとつの価値を持っている国にとって、二大政党制、二元論的な政治は日本の慣習に遭わないのではないかと考えられるのである。また、「政策」ではなく「人の顔」で投票を行う国柄であるために、日本のような歴史のある国にとっては、アメリカのような「移民の国」「歴史のない国」の制度である二元論的な政治を真似してもなかなか根付かず、欠点ばかりが目立つようになってしまうのである。
 その意味で、今回の違憲裁判の結果とそれに伴う選挙制度の改革は、「単純な増減」ではなく、「根本的な改革」が求められるものである。本来であれば、選挙制度改革に関して超党派の意見交換を行うべきであるが、民主党はどうしても「超党派」ということが苦手な用であり、また、そのような会合を行っても、しっかりとした議論を行う風土にないために、誰も民主党を信用しない。そのために超党派による与野党会議は、基本的に成立しないことになる。政治不信、政策不信は、そもそも「言ったことを守らない」現政権の癖によるものであり、会議を行っても自分たち民主党の身勝手を事後承認させるためだけの機関になってしまうという不信感をぬぐえない。当然に、民主党が野党のときからの対応がそのような不信感を産んでおり、その民主党の癖が野党時代威は頼もしく国民に移り、一方で、政権になってからは国民を無視した政治に写るのである。
 上記に少しだけ触れたように、選挙制どは「制度」でしかない。要するにスポーツを行うときのルールと同じである。そのルール作りをひとつのチームだけで勝手にやればよくない。もちろん提案をしてはいけないというのではなく、提案をするには提案をするだけのマナー、要するに提案内容の説明とメリット、デメリットをしっかりと説明する義務がある。しかし、その義務を果たさずに「勝手に民主党案を決める」民主党の態度に、野党各党だけでなく、民主党の中(議員だけでなく党員や支持者を含む)の良識のある人々は、反発を強める結果になりかねない。今選挙制度改革が解散の引き金になる可能性も否定できないのである。

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台湾総統選挙国民党馬英九総統再選

台湾総統選挙国民党馬英九総統再選

 色々とブログに書くことが多くて、台湾のことを書くのが遅くなってしまった。それだけ年明けの政局は目が離せなくなているし、その目が離せない政局の中で復興も進んでいないし、消費税是増税や女性宮家の話など、日本の将来のために様々な内容を書かなければならない。
 しかし、国内の問題ばかりではない。もちろん皇室のことなどは非常に重要であるので、その内容はしっかりとしなければならない。当然にそれらに関しては、ここのブログに書いていない内容でも様々な活動をしているので、そのうちに結果が出てくるものと考えている。
 現代社会は当然に国際社会である。その国際社会の中においてやはり隣国の関係は日本にとって非常に大きな影響があるということを忘れてはならない。国内のことは立法でやりなおすことができる。もちろん完全に元に戻らない可能性もあるが、それでもその時の最善の形で戻すことが可能であるのに対して、国際的な関係に関しては、相手の国があることだから、日本単独で何かできるというものでもないというのが最大の問題である。
 台湾は、日本にとっては生命線である。日本に海上輸送されるすべての物資の90%以上、いやほぼ100%といってよい割合が、「台湾海峡」を通過してくるのだ。台湾海峡は、当然に中国(大陸)と台湾の間にある海峡のことである。海流や波の関係から、回路は全て台湾海峡を通過するようにできている。先日イランのホルムズ海峡を通過する原油が多く、イランによるホルムズ海峡の封鎖が行われた場合に、日本の石油政策やエネルギー政策がかなり変更を余儀なくされるということを書いたが、台湾海峡に何らかの異変があれば、日本はエネルギーに限らず、物資そのもの、たとえば食糧やエネルギー、また逆に自動車の輸出などすべての物資に関して、考え方を変えなければならないことになるのだ。
 それだけに台湾がどのような考え方を持っているか、もっと単純に言えば、台湾が中国と一つになるのかあるいは親米政策をとって、日本のために何かを考えるかということでかなり様々な部分が変わってくる。おおげさないいかたをすれば、物資や経済の面で中国の隷従するか日本が独立を保てるか、そのような選択肢が台湾によって決められてしまうといっても過言ではない。

馬英九総統が再選=民進党の蔡氏に勝利―対中関係さらに強化へ―台湾

 【台北時事】台湾総統選挙は14日、投開票され、与党・国民党の現職、馬英九総統(61)が野党・民進党の女性党首、蔡英文主席(55)と親民党の宋楚瑜主席(69)を破り、再選された。馬政権が1期目に進めてきた中国に対する融和的な政策が支持されたことになり、選挙結果を追い風に2期目には経済関係を一段と強化するとともに、政治対話まで踏み込む可能性も出てきた。
 勝利宣言した馬氏は「台湾人民の勝利だ。両岸(中台)政策が支持された結果だ」と訴え、「有権者は両岸を和平に導き、危機を商機に変えた国民党を評価してくれた」と強調した。一方、蔡氏は敗北した責任を認め、民進党の主席を辞任すると表明した。
 馬氏は自身の人気低迷や与党系の分裂という逆風の中、政権与党としての4年間の実績を強調するとともに、実質的な一騎打ちとなった蔡氏に対してネガティブキャンペーンを展開するなど支持者の引き締めを図り、選挙戦を制した。
 選管の集計結果によると、得票率は馬氏51.6%(約689万票)、蔡氏45.6%(約609万票)、宋氏2.8%(約37万票)。投票率は74.4%で、前回(2008年)の76.3%を下回った。任期は4年。
 今回の総統選で、国民党は元国民党の宋氏出馬による与党系の分裂という強い逆風にさらされたが、陣営内の豊富な選挙資金や厚い基礎票を総動員した。争点の一つとなった対中政策では、中国で多額の投資をする大企業経営者らが馬氏を支持。一部有権者に「中台統一」への警戒感が高まったものの、多くの有権者は中国との経済関係の安定や拡大を望んだ格好だ。 

時事通信 1月14日(土)21時19分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120114-00000092-jij-int

「対中政策支持された」=馬総統が記者会見―台湾

 【台北時事】台湾の馬英九総統(国民党)は14日夜、支持者の集会で総統選挙での勝利を宣言した後、記者会見し、対中経済関係を積極的に拡大してきた政策が有権者に支持されたと強調した。
 馬総統は、今回の選挙で過半数の票を得たことにより、自身の対中政策は「台湾の人々に承認された」と指摘。その一方で、中台経済交流拡大のペースについて「決して速くはない。今後も急ぎ過ぎることはない」と語った。 .

時事通信 1月14日(土)23時57分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120114-00000102-jij-int

中台対話継続を期待=玄葉外相

 玄葉光一郎外相は14日夜、台湾総統選で与党・国民党の馬英九総統が再選されたことについて「わが国としては台湾をめぐる問題が当事者間の直接の対話で平和的に解決される観点から、中国と台湾の対話が引き続き間断なく行われることを期待する」との談話を発表した。

2012年01月14日23時37分 提供:時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/6191543/

 台湾は中国から来た蒋介石率いる国民党と李登輝率いる民進党との間で、政争が繰り広げられていた。政争は、国民党による戒厳令が戦後40年近く続いており、言論や行動の統制がおこなわれ2.28事件などインテリの虐殺事件なども様々あった。その後、李登輝総統による台湾独立の機運が高まった。しかし、李登輝総統引退後政治的な疑獄事件などもあり、また、中国による経済的な連携を強めたことによって国民党の政権が続いている。今回はその経済的な連携に流されたために政治的な主体性が中国(大陸)によって失われているのではないかということを台湾の国民に問われた選挙ではなかったか。
 その意味では前回の馬英九総統の当選の時に比べて140万票も減らす結果になったことは中国との連携や台湾の政治的な独立に関して、台湾全体として国論を二分する話題になったということを意味している。一方、馬英九総統による連携は、台湾経済をかなり発展させたことも事実。しかし、そのために中国そのものの台湾進出が進んでいるということにより、台湾の独立がかなり危うい状態になっているということも事実だ。
 要するに中国の太平洋進出というのが最大の焦点になったのが今回の選挙であり、経済ということでその大きな視点がかすんでしまったのではないかという疑いが、どうしても付きまとうことになるのである。
 勝利宣言した馬氏は「台湾人民の勝利だ。両岸(中台)政策が支持された結果だ」と訴え、「有権者は両岸を和平に導き、危機を商機に変えた国民党を評価してくれた」と強調した。(上記記事より抜粋)とあるが、現在でも急進的に台湾に近づきすぎているという批判は絶えない。私がここに書いたように中国との連携は当然に国論を二分する問題であり、国民党の票数はかなり減っている。しかし、それでも「勝った」という事実は、「政策を評価した」という解釈になるのである。この内容は、単純に、「総選挙に勝って政権政党になったのだから何をやってもかまわない」という日本の民主党の態度、もっと言えば、そのような政権を執ることによる独裁は共産主義的、中国的な価値観に通じるものがある。国民党の政治や経済重視ということは基本的にわからないわけではない。しかし、残念ながら経済のために政治や主権を「売る」、もっと言えば「国家の魂を売る」のは、私は賛成できるものではない。妥協ということも必要かもしれないが、妥協に対して、売るということをするようであれば、話にならないのである。
 とはいえ、台湾のことである。日本が当然に総統選挙に介入できるものではない。また馬英九国民党政権になったからといって、突然態度を変更できるものではない。日本は今まで通り台湾と友好関係を維持するということは賛成だ。しかし、その中において、中国に近づきすぎた台湾の姿から何かを学ばなければならない。そのためには、現実の台湾を知ることが最も重要ではないだろうか。

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阪神大震災17年、東日本震災で教訓は活かされたか

阪神大震災17年、東日本震災で教訓は活かされたか

 1月17日は東日本震災の発生した日である。昨年の3月11日と、17年前の1月17日は、平成になっての大きな震災の二つの日では内科。戦争などは残念ながら遠い昔となり、多くの人が亡くなるという悲劇を目の当たりにすることはほとんどない現代の世界において1月17日と3月11日は非常に大きな意味のある日になったのではないか。
 さて、このブログでも何回も書いているが、私はその当時、要するに17年前の1月17日の早朝は西宮北口の駅から徒歩3分くらいのところにあるマイカルの独身寮にいた。昨日17日のワイドショーなどを見ていると、その当時の映像がさまざま紹介されているが、実際、私にとっては、その後何回も見ているテレビの映像よりも、やはり私の記憶の中にある「映像」のほうがインパクトが強い。17年たって、今だから話せることも少なくないというのは、やはり私の中に地震に関するトラウマが残っているのであろう。
 昨年東日本大震災があった。阪神大震災の場合は「同じ被災者」であったつもりであった。しかし、昨年の東日本震災のときに「生まれ育った故郷を失った」という声を聞いたときに、やはり、阪神大震災でも「お客さんがたまたま震災に遭った」という感じでしかない、という現実を思い知らされた。
 ある意味、私の場合、震災そのものの経験はあっても、震災前の町並みに対する愛着や、自分の思い出などが失われるという感覚がやはりなかったのではないか。体の傷はあっても心の傷まで共有できなかったのが阪神大震災であったかもしれない。
 一方あの揺れはひどいものであった。昨年の東京の震度5強というのとは比べ物にならない揺れは、二度と経験できるものではない。昨年の東日本震災における東京の揺れは、それでもいすに座っていることはできたし、机の下に批判したとしても、上体を起こしておくことが可能であった。一方阪神大震災における震度7は、寝る以外にはない上体で、上体を起こしておくことも四つ這いもできない状態であった。何か大きな力で地面に押し付けられるような力は忘れることはできないであろう。
 その17年目の日が訪れた。当然に震災の日記念碑などで慰霊の式典が行われた。

東北被災者「復興肌で感じた」=二つの大震災、犠牲者追悼―神戸

 阪神大震災から17年を迎えた17日、市民団体などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」が神戸市中央区で開かれた。約5000人が早朝から参列。今年は東日本大震災で大きな被害を受けた東北3県の被災者も招待された。二つの震災の犠牲者を追悼し、防災への思いを新たにした。
 午前5時、「1・17」の形に並べられた竹灯籠に火がともされ、参列者の顔を暖かい光が照らした。地震発生時刻の5時46分に全員で黙とう。矢田立郎神戸市長は「震災を経験した神戸だからできる、東北の被災地との『絆』を深める支援を」と呼び掛けた。
 妻恵美子さん=当時(53)=と孫楓太君=同(7)=を津波で亡くした岩手県宮古市田老町の佐々木昭さん(57)は、献花用の花を手に「妻も花が好きだったな」と懐かしんだ。震災から17年たった神戸の様子に、「復興を肌で感じた。地元に帰って伝えたい」と話す。
 阪神大震災で母正子さん=同(64)=を失った兵庫県加古川市の会社員佐藤悦子さん(48)は遺影を手に、犠牲者の銘板が並ぶ「慰霊と復興のモニュメント」を訪れた。アパートが全焼し、正子さんの遺体は見つからないまま。「東日本で被災した人たちの気持ちが分かる。一人でも多く見つかってほしい」と涙を浮かべた。 

時事通信 1月17日(火)11時23分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120117-00000037-jij-soci

 今年は二つの震災の追悼が行われた。同じ日本人で同じ震災に遭った、神戸と東北の人は特別の感慨を持ってつながりができるのではないか。
 しかし、逆に復興や復旧については、実際に神戸の教訓は活かされているのであろうか。慰霊やそのほかの心の問題はできている。しかし、実際の復興に対する行動や国、政府の対応は甘利進んでいないのではないか。もちろん、震災だけではなく津波の被害があったことや、あるいは福島原発の放射能漏洩事故などがあった。その意味では規模もまた被害の太陽もまったく違う。しかし、現在東北に残されている瓦礫の山などは、阪神大震災のときに1年近くたってつみあがったままで存在したものだったか、そうではなかったかそのときの経験から言えば、阪神淡路大震災の経験が活かされていないような気がする。
 もちろん、ここで東日本題震災と阪神淡路大震災を並列で扱うことができないことは当然のことである。被害の太陽も違えばその被害の範囲も違う。しかし、並列で扱えることもあるのではないか。
 単純に「心の問題」は同じではないのか。予算がないのも、また、復興に関してさまざまな法律が必要なのも同じだ。また、政治が安定していないのも当時も今も同じだ。当時は自民党、社会党、さきがけによる連立政権であり、社会党の村山富市首相であった。現在も「ねじれ国会」などといっているが、実際復興のために日本全体が力を貸す雰囲気は昨年も17年前も同じはずである。復興は当然に国会(立法)の話ではなく内閣(行政)の話である。行政が行いやすくすることを立法的にフォローすることしか国会はできないのであるから、行政の迅速な対応が求められる。二〇を超える会議を作り、結局結論が出ないかのようなわけのわからないことをしても意味がない。
 もちろんそのような政治の混乱や、「何をやっているんだ」というような政治に対す不満も今も17年前も同じだ。しかし、誰かが責任を持って行うという姿勢が今の政権にはない。そのことは昨年の間に何回も書いたものである。
 政治も予算も何もない。すべてが自身で壊された。一時は悲しみに沈み、途方にくれた毎日を送っていた。そのことは阪神も同じであった。政治が無力なのは、今も昔も同じだ。では、今と昔は何が違うのか。
 国民の元気ではないのか。
 阪神大震災を経験した私は、なぜか、今よりも明るかった記憶がある。もちろん直後はそうだ。しかし、それ以降、たとえば10ヵ月後、阪神淡路大震災の被災地である神戸は、もっと活気があったような気がする。もちろん、数値化できるものでもないし、私の、個人的な感覚でしかない。しかし、その内容は明らかに違うような気がするのである。もちろん被害を感じていないわけではない。しかし、「亡くなった人のためにも、自分たちの生活を早く元に戻す」という活気、「よりよい街を作る」という感覚は、今よりも強くあったような気がする。もちろん東北の人がかけているとか、そのような心がないというのではない。東北の人の気質もあるので、あまり表面に出さないところもあるのかもしれない。しかし、それだけではなく、日本全体として、阪神の時よりも元気がない沈滞ムードのような気がする。
 元気というのは、出さなければ出てこない。強制して出すものでもない。明るい未来に対して明るい何かを感じなければ心のそこから喜ぶことはできないのかもしれない。その内容を一刻も早く出すべきではないのか。希望は政府や国に作ってもらうものではなく、自分たちで見つけるものである。今日は取り留めのない話になってしまったが、明るくなければ復興は進まない。「政府が何もしてくれない」とか言っていないで、自分たちで復興のために一歩踏み打差泣けれればならないのではないか。

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民主党党大会に関して思うこと

民主党党大会に関して思うこと

 16日、午後、都内ホテルにおいて民主党党大会が開催された。
 当日が「ぶつけちゃった」といいながら、大事な決意表明に際して、眼帯姿という似つかわしくない姿で登壇になった野田首相を初め、輿石幹事長などおなじみの顔が並んだ。会場内においては岡田副総理に対する期待感が高かった一方、小沢一郎元代表に期待する勢力からは、諦めともため息ともつかぬ声が上がることもたびたびあった。
 わたしは、このような席に行くときは基本的に「言葉にならない声」を聞くようにする。このように書くと非常にかっこよく見えるのであるが、実際に文字になる言葉というのは、誰にでも取材が可能である。はっきり言って録音機(この言い方も古いのかもしれないが)をひとつおいておけば、現場にいなくても記事が書けるのである。実際に、私たちもそのようにして記事を書くことは少なくない。しかし、実際に言った人、そのようにして伝聞で書いた記事は何が違うといっても、実際にその「空気感」というか、言葉と言葉の行間に詰まった思いや表情というものはなかなかつた割らないのである。
 また、テレビカメラというものは非常に万能であるかのように思う。実際に記録という面では、画像と音声が双方ともに記録に残っているのであるから、非常に良い資料にはなる。しかし「資料」でしかない。熱気とか雰囲気とかは、やはり、画像やテレビ画面では通じないものがある。特に観客の一人ひとりの表情を全て撮影しているカメラなどもないのであるから、その場の空域などはなく、舞台の上で一人で躍起になっている首相を写して適当なコメントをつけることは可能なのである。
 しかし、われわれのように、この空気感を元に将来を予想したり、これからの政治の動きを占ったりというような活動をするものにとっては、実際、言葉や録音機で流れる音声、またはテレビで流れる画像などより、もっと言えば、テレビや動画配信で見るパフォーマンスよりも、その場の空気感を大事にしたほうが将来を占うには役に立つし、ずっと正確である。今だからいえるが、実際に福田康夫首相や麻生太郎首相のときの自民党の党大会は、「美人過ぎる市議」などががんばって舞台の上はかなり盛り上がっていたが、残念ながら会場内は斜陽の感じが蔓延していたといえる。応援しているとかどっちが正しいというのではない。しかし、われわれ報道に携わるものは、なるべく公平に、そしてなるべく事実を伝えなければならない。そのような公平な目で見れば、なんとなくだらだらとした自民党の「斜陽時代」というか「下野前夜」の党大会の雰囲気は、ある意味でその時代を象徴したものではなかったかと思う。
 さて、今回の民主党大会。まさにそのものの「斜陽の香り」というか「あきらめのムード」がすでに蔓延していたのではないか。そのような内容が伝わるか伝わらないかはわからないが、なんとなく新聞から生地を抽出してみたいと思う。

民主党大会、一体改革へ結束呼び掛け…野田首相

 民主党政権下で3回目となる同党の定期党大会が16日午後、都内のホテルで開かれた。
 野田首相は13日の内閣改造・党役員人事で消費税率引き上げを柱とした社会保障・税一体改革を推進する態勢を強化したことを説明し、党の結束を呼び掛ける。また、一体改革のほか、衆院の議員定数削減や行政改革などの「身を切る」改革を断行する決意を改めて表明する。
 党大会では、「『常在戦場』態勢を早期に整備し、政権基盤と党、地方組織の徹底的な強化を進め、国政選挙での必勝態勢を確立する」とした2012年度の活動方針案などを承認する。一体改革などの関連法案を次期通常国会で成立させる方針も盛り込まれている。

(2012年1月16日14時04分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100806-849918/news/20120116-OYT1T00689.htm

 では、何が「斜陽」を演出しているのであろうか。このようなことを自由に書かせてくれる媒体がないので、自分のブログでなんとなく思いを書いてみよう。
 本来は、今日当たりは台湾の総統選挙や、政治と関係ない話題であればイタリアの豪華客船の座礁事件などもなんとなくこのブログで紹介したいのであるが、やはり一応政治のブログなので、政治のブログということで、その内容を記載してゆきたい。台湾に関しては、後日改めて書くが、イタリアの豪華客船に関しては今後かけるかどうかわからないので非常に残念である。他にも書かなければならないことが多いのは、ありがたいが、残念なことも少なくない。
 さて、話題を戻して政権政党における斜陽の演出の原因とは一体なんであろうか。はっきり言って当然に「人の入り」である。もっと言えば集まった人の熱気や期待感といったものではないか。残念ながら斜陽をきたしている正統派まず政党内部における執行部と反執行部の対立が如実に出てしまっている。執行部は完全に「党内内戦」に精力をそがれてしまっており、国政や政策にまったく目が向いていない。しかし、集まった民衆や国民は自分たちの期待や要求、陳情に答えてもらえると思っているのが普通だ。要するに、集まった支持者と政治家、執行部の間の意思が統一されていない。その「バラバラ感」がひとつの大きなまとまりとしての統一感の欠如を演出している。
 また、それだけではない。そのような感覚から執行部だけではなく政党全体に手詰まり感が存在するのである。どのように手を尽くしても野党を説得できない、もっと言えば、ねじれ国会を解消できないということになる。そのことはまさに、政治的な行き詰まりとして認識されている。政権与党は「野党が理解してくれない」といっても、それらは恨み言と言い訳にしか聞こえない。実際に、何を言っても権利を持っているのは政権与党である。自分の政策に自身があるならば、正しいことをしているならば、すべての反論を論破し、その上で解散総選挙で国民の真を問えばよいのである。そのようなことができないということはやはり「負け犬の遠吠え」にしか聞こえないのは致し方ないことだ。単純に言えば政権と酔うというから与党と野党という対立軸になるのであるが、「政権」といった瞬間に行政権の所在がどこにあるかということに他ならず、行政権は、単純に与党が(連立の場合は連立与党全体で)独占しているのであるから、その内容は与野党の対立というものではないのだ。行政権の行使の問題と国会における審議の問題を混同しているいいわけが出てくるのは、すでに行政権をもてあましていることに他ならず、末期症状ということができる。
 そして、民主党の場合は、自分たちで作ったマニフェストに違反するということになる。まさに「禁反言の原則」を真っ向から否定した政治姿勢は問題が多い。このことは民主党だけではなく、国民全体から政治全体に対する不信感につながる行為として問題になってしまっているのである。そのような政治不信が出れば、内部対立や行政権の問題ではなく、すでに人として信用できるのかということになってしまうのである。
 これらの国民の反応は正直だ。

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マスコミ批判に関する一考(76) 愛国心と文化

マスコミ批判に関する一考(76) 愛国心と文化

 昨年来、韓流ブームを声高に叫ぶテレビメディアに対する、ネットでの反発が話題意なっている。この書き方に関してまず注釈を入れておくと、「テレビメディア」としたのは主にフジテレビなのであるが、基本的にはテレビメディア以外は韓流ブームというな枯れはあまり見えない。もちろん雑誌の中には韓国スター場仮を特集している雑誌もあるが、韓流というほどの話でもなく、そのような雑誌があっても別に同というものではない。歌舞伎の雑誌もあるがそれを見て歌舞伎ブームが来ているという人はいない。雑誌などに関して言えば多種多様な内容が出てきているのであるから、そんなに注目すべきものではないはずだ。
 一方で「ネットでの反発」としたのは、やはりいまだにテレビメディアでは韓流ドラマなどが流されており、それなりに視聴率を撮っているという事実がある。また、東京の大久保にある韓国人街は毎日盛況であり、それなりに韓国料理を楽しむ多くの人が列を作っているし、大久保に限らず韓国料理の店が多くあることは事実。特に冬場で「チゲ」が一般のファミリーレストランなどにも出てくるのであるから、韓国料理はある意味で市民権を得たのではないかと考えられるのである。もちろん、韓国料理やその食材、酒などの広告に使われる、それこそ「韓流スター」などは、良く見かけるようになったといえるのではないか。
 テレビ局による偏向報道があることは認めるが、逆に純粋に韓流スターを好きという人、または韓流のドラマがすきという人がいても、それは仕方がないのかもしれない。文化というものはそう言うものだ。自分にあったものを選べばよいのである。もちろん、逆に韓国や中国で日本文化が流行していても、それを拒絶するものではない。文化に関しては私自身はどちらが優れているとかどちらが劣っているというものではなく、自分がどちらがすきかというものだ。あまり良い例ではないが、ちょうど好きな女優を選ぶときに、顔かたちや演技職、声の質、映画やドラマの場面の印象に残った場面などさまざまな選ぶ基準があるし、その完成は個人個人によって異なる。その「個人個人の選択の基準」を否定するつもりはない。一方で、テレビなどのマスコミがその価値観を押し付けるのは、当然に反対である。
 その文化に関してはそのようなことではないのか。しかし、その価値観の押し付けを行っていたテレビが面白いことをした。フジテレビで、マツコ・デラックスが韓流を贔屓する人に「嫌なら出てゆけ」という発言をしたことで、新春早々ネットの中で賑わいを見せていた。

日本が嫌だったら出ていけ マツコがK-POPに怒りの批判

   「K-POPはアメリカのパクリ」「(日本が)嫌だったら出てけ!」。タレントのマツコ・デラックスさん(39)がこう叫ぶ様子がフジテレビの番組宣伝で繰り返し流れ、ネット上で様々な憶測を呼んでいる。韓流偏重批判にさらされたフジに、どんな思惑があるのか。
   この番宣は、2012年1月5日昼放送のバラエティ番組「なかよしテレビ」の中で放送された。
「受け入れてやってんだよ、こっちは!」
   日中韓などの著名人がお国自慢でバトルを繰り広げるというのが番組の趣旨だ。17日から夜のゴールデンタイムに進出することになり、その番宣でマツコ・デラックスさんが韓流に噛みつくシーンが流されたのだ。
   バトルは、在日韓国人の作家という男性がこうお国自慢をすることで始まった。
    「あの例えるならば、日本の芸能界は、えーと草野球レベル。韓国の芸能界はプロ野球レベル」
   これに対し、マツコさんは「全然納得できない」と叫び、「結局は私ね、K-POPとか見てると、アメリカのパクリにしか見えないの」と反論したのだ。
   男性はそれを認めながらも、「米国の市場に今、K-POPは上陸したんですよ」と説明した。米音楽チャート「ビルボード」にK-POPのランキングがあり、男性は「J-POPはそこまですら行けてない」と主張した。
   それでも日韓で言い合いになり、マツコさんは、日本はK-POPを含め世界の文化を受け入れているとし、烈火のごとく目を怒らせてこう叫んだ。
    「これだけ懐の深い国がどこにあるんだよ、ほかに。出てけ!嫌だったら出てけ!受け入れてやってんだよ、こっちは!」
   男性らが呆気に取られる様子が映された後、この番宣は終わった。
   韓流偏重批判が強い2ちゃんねるでは、マツコさんの発言に驚きの声が上がっている。
「ガス抜きだろどうせ」「こんなもん台本だろうが」
   マツコ・デラックスさんは、テレビ番組のコメンテーターとしては、韓流偏重批判について、「新右翼」などと傍観者的な見方を披露することがあるだけだった。ところが、真っ向からK-POPを批判したことで、2ちゃんのスレッドでは、「マツコかっけえええw」「最近毒が薄いと思ってたけどやるじゃねえか」「歩く2ちゃんねるだよなこの人」といった共感の声が相次いだ。
   一方で、韓流偏重批判をして窮地に立たされた俳優の高岡蒼佑さん(29)のケースがあるだけに、「内部分裂でも起きたか」「干されないか心配」「こりゃ消されるな・・・」とも書き込まれている。
   番組の中では、CMの直前にマツコさんが「出てけ!」などと叫ぶ番宣のシーンが何度も流されていた。フジが意図的に行った可能性もあり、「ガス抜きだろどうせ」「こんなもん台本だろうが」といった醒めた見方も出ていた。また、フジが年間視聴率7年連続3冠王の座から転落したことから、「そろそろ手のひら返しするのかな 視聴率も陥落したし」との見方もあった。
   なお、男性の主張とは違い、ビルボードには、J-POPのランキングもある。韓国の大手紙「中央日報」の2011年8月26日付日本語版記事では、K-POPランキングを「日本に続きアジアで2番目」と紹介している。

2012年1月6日(金)19時40分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-118254/1.htm

日本兵の少女暴行は許せない!「日本人くそったれ」発言の歌手が反論―中国

 2012年1月4日、北米華字ニュースサイト・多維網は、ライブリハーサル中の歌手・韓紅(ハン・ホン)を取材、「日本人くそったれ」発言について質問した。5日に掲載された。
 韓紅氏は1971年生まれのチベット族。人民解放軍所属の人気歌手だ。29日夜、南京大虐殺をテーマとした、チャン・イーモウ監督の新作映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(金陵十三釵)」を見た後、「日本人、くそったれ!中国人はお前らを永遠に敵とする!釣魚島に触れようとも思うなよ!」「今日からお前らの製品は二度と使わないことを誓う」とマイクロブログに書き込んだ。
 このつぶやきが話題となり、「愛国主義の濫用だ」「品位にかける」「著名人としての責任感」がないなど激しい批判にさらされている。一方で同感だと支持する声もあり、賛否両論の論争となった。
 この問題について韓紅氏は「映画を見た普通の感想を書き込んだだけ。日本兵が13、4歳の少女を強姦しているシーンを見れば、当たり前の感想でしょう」とコメント。有名人としてふさわしくないという批判にも、「一般の観客として感想をつぶやいただけ」と反論。母国への愛情、愛国精神を表現することは当たり前だと強調した。(翻訳・編集/KT)

2012年1月8日(日)11時50分配信 Record China
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20120108010/1.htm

 反日というのは、中国と韓国のステータスである。しかし、フジテレビのほうの韓国人男性はあまりにも変だ。その下にある中国人の歌手に関しては、中国ならばこれくらいの人はいるなあという感想である。私が恋愛している「宇田川敬介東アジア放蕩覚」にあるとおり、中国は中国として善意おかしいし共産主義であったために、情報は統制されている。彼らは「日本より自分たちが上だ」ということをステータスにしている。そのステータスを持つことが「愛国心」と表現している。逆に言えば、日本と比較しなければ自分たちの国を規定付けることができないくらい「低俗」であるということでしかない。
 そして、そんなに日本が嫌いならば、上記のような文化の定義からして日本に来なければ良い。もちろん、韓国にも中国にも日本を好きな人はたくさんいる。その日本に関して好きな人は日本に来て日本人以上に日本文化を堪能してくれれば良い。マツコ・デラックスという人は、あまりすきでもなんでもないが、言っていることは至極当たり前のことを言っているに過ぎない。
 さて、ここはマスコミ批判に関する一考である。私はこの番組を見ていないが、この世な場面を「番組宣伝」に使うこと自体、フジテレビが韓流に関して「特別な意識」をしている事の証左である。正月なので、ゆっくりとネットを見ることができたが、この番組宣伝をステルスマーケットだと騒いでいる論調があった。だからといって、動向というものでもないはずだ。自分の意見に自身があるならば、しっかりと意見を発すればよい。逆にそのようにステルスマーケットだと騒ぐこと自体が、ネットの弱さなのかもしれない。
 今回はネットとマスコミの愛国心のことのようになっているが、そもそもマスコミ【テレビ】もネットも文化が優劣で語れないということを、もう少し学ぶべきではないのか。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(42)  大連の開業式典の一部始終と舞台裏(3)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(42)
大連の開業式典の一部始終と舞台裏(3)

 ファッションショーはなかなか良いものであった。正直なところ、私自身ファッションとはまったく縁のない生活をしている。そのために、ファッションショーなどは、言ったことがない。基本的にはファッションも出るそのものも雑誌で見る程度であって、それ以上のものではない。開店のイベントと思えば特に考えることもないのであるが、ファッションショーといえば、何事も初めての経験である。その意味では私自身非常に良い経験をさせていただいたと考えている。
  そのファッションショーという意味で言うと、日本や欧米で行われているものを知らないので、当時は比較はできなかった。しかし、今から考えると、完全に異例尽くめであったと思う。まずはモデル。基本的にモデルを「現地調達」というのは、かなり異例だそうだ。ブランドメーカーは基本的に専属モデルを持っている。その専属モデルを引き連れてファッションショーに参加する。良く考えれば当たり前の話なのであるが、服にはサイズがある。当然にサイズの違う服を着せれば、うまくきられたとしても微妙にファッションセンスが異なるものである。しかし、中国はそのようなことに対しても容赦はなかった。単純に「中国人が着て違和感がないものでなければ売れない」という注文がついたのだ。そのために、ブランドのマーケティングディレクターは1ヶ月前くらいから大連に入った。
  不幸中の幸いであることに、大連は中国国内でもファッションの街として名高い。当時でも、モデル学校は3校あり、毎年9月にはファッション祭りを行う。そのために・・・

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毎年恒例になりつつある内閣改造とその人事

毎年恒例になりつつある内閣改造とその人事

 1月13日の金曜日、内閣改造が行われた。前日まで調整を続けた岡田克也元代表による副総理・社会保険いったい改革担当大臣の就任により、内閣改造の幅や内閣改造の内容が大幅に変わったようである。
 基本的には、山岡賢次消費者担当大臣・一川保夫防衛大臣、蓮舫行政改革大臣、平岡秀夫法務大臣、中川正春文部科学大臣の五名が退任し、岡田克也副総理兼社会保障一体改革担当大臣・小川敏夫法務大臣・田中直紀防衛大臣、平野博文文部科学大臣、松原仁国家公安委員長兼消費者担当大臣兼拉致担当大臣が指名された。この文章を書いているのは、まだ13日の午後であるので、この後、宮内庁における認証式を済ませて正式に就任するということになる。
 今日は少し早いが、この交代に関する新聞記事を読んでいただきたい。

野田改造内閣、岡田氏を司令塔に…閣僚5人交代

 野田首相は13日午前、改造内閣の陣容を決定した。
 岡田克也・前民主党幹事長を副総理兼一体改革・行政改革相に迎え、政権の最重要課題とする消費税率引き上げの司令塔とした。文部科学相には平野博文国会対策委員長が再入閣し、法相に小川敏夫参院幹事長、防衛相に田中直紀参院議員、消費者相に松原仁国土交通副大臣が初入閣した。首相は24日召集の通常国会を前に政権の態勢を立て直し、消費税率引き上げ関連法案の成立を目指す考えだ。
 民主党役員人事では、入閣する平野氏の後任の国対委員長に城島光力こうりき幹事長代理を決めた。輿石幹事長、前原政調会長は続投した。16日の党大会で正式承認される。
 首相は13日午前の閣議で全閣僚の辞表をとりまとめた後、国民新党の下地幹事長と会談して連立政権の維持を確認した。これを受けて藤村官房長官が閣僚名簿を発表した。改造内閣は、午後に皇居で行われる閣僚の認証式を経て発足する。
 首相は下地氏との会談で「社会保障・税一体改革や国会議員定数削減、公務員給与削減、郵政改革を実行できる内閣になった。今年は、発信を強くしていきたい」と強調した。
 玄葉外相、安住財務相ら12人の閣僚は政策の継続性の観点から留任した。退任した閣僚は、参院で問責決議が可決された一川防衛相、山岡消費者相に加え、平岡法相、中川文科相、蓮舫行政刷新相の計5人。改造は中規模となり、問責を理由に改造を余儀なくされたという印象を薄める狙いもあったとみられる。
 閣内ナンバー2の副総理に就任する岡田氏は、民主党代表、外相、幹事長を歴任し、最近は党行政改革調査会長として消費増税の前提となる行政改革の具体化に取り組んできた。首相と時々会って政権運営の相談に乗り、首相の信頼は極めて厚い。首相は、岡田氏を政府・民主三役会議のメンバーに加えるなど全面的に政権運営に関与させる方針だ。

(2012年1月13日13時59分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120113-OYT1T00532.htm

改造内閣発足、首相会見で「最善・最強の布陣」

 野田改造内閣は13日午後、皇居での認証式を経て正式に発足した。
 野田首相は、消費増税を柱とする社会保障・税一体改革の推進態勢を強化するため、岡田克也・前民主党幹事長を副総理兼一体改革・行政改革相として起用。改造内閣には岡田氏を含む5閣僚を新たに入閣させた。首相は同日夜の記者会見で、「逃げることのできない課題を着実に推進するため、最善かつ最強の布陣を作るための改造だ」と述べ、政権最大の課題である消費増税の実現などに決意を強調した。
 党代表経験者で、民主党内に影響力がある岡田氏の入閣により、一体改革や行政改革実現に向けた政府の態勢は一定の強化が図られた。政府は24日召集の通常国会に消費税率引き上げ関連法案を提出する方針だ。しかし、自民、公明両党などは協議入りに慎重で、法案成立の見通しは立っていない。

(2012年1月13日22時45分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120113-OYT1T00971.htm

 さて、この個人一人ひとりに関しては、別で書く機会があると思うので、その内容は少なくとも土曜日のブログのメインにするのはもったいないような気がする。今日は、まずなぜこの人事になったのかということを少し書いてみよう。
 野田首相にしてみれば、社会保険の一体改革は必要なことである。しかし、逆に先の総選挙では公約に一切書いていなかった、というか「しません」といった消費税の増税を伴わなければできないことである。私はここで「できない」と書いたが、実際は予算の組み替えも公務員の削減もできなかったために、「無駄の削減」ができず、その上で民主党の「公約」というか「選挙対策」のバラマキを行わなければならないために、予算は飛躍的に膨れ上がってしまった。事項政権時代は建設国債などが国債発行の大きな理由であったのに対して、民主党になってから純粋な赤字国債ばかり、要するに国債発行に対応した資産のない国債発行が2年連続で継続し、民主党の選挙対策のために存在するバラマキが、そのままそれまでの自公政権の予算に上乗せされてしまうために、戦後というか史上最高額の予算が二年連続になっている。二年連続になるのは、新たに発行した赤字国債の金利分が上乗せされるのであるから、ある意味で年々増えてゆくのは当たり前のことであろう。
 その状態のときの選択肢は二つだ。ひとつは本当に公務員改革などを行い、無駄を削減して国債発行以外の財源を捻出すること、もうひとつは、バラマキをやめることである。しかし、労働組合、特に力の強い日教組や官公労の影響下にある民主党政権が、公務員改革を行えるはずがない。そもそも、前原政調会長が「分限免職」という言葉をつかっただけで、連合からクレームがつくくらいだ。その状態で、公務員会買うなどができるはずがないどころか、分限免職すらできないのである。一方、そのような状態では政策の実現などは難しい。何よりも、労働組合と経団連のような経済団体の双方から支持を取り付けた。要するに利害の対立する二つの団体から指示を受けたのである。これでは話にならない。その調整もできず双方の圧力によって政策もうまくいかない状態になる。まさに、政策の実現のない政党に対して、国民の目は厳しい。その国民の目の中において、何とか支持を取り付けるには、単純にバラマキ以外にはない。
 要するに、民主党は連合や日教組、官公労の指示を受けているために改革を行うことはできず、そのために政策の実現ができないために、結局バラマキを続けるしかない。問うことは、改革ができず、マニファストの実現もできない中において、そして年々増え行く国家予算の歯止めをつけることはできず、結局、増税という方法以外に財源を確保することはできない。単純にバラマキを続けることを前提にした国債発行は、まさにギリシアと同じような状態になる恐れがあるし、国家の信用を落とすことになる。一方で、バラマキをやめて景気対策に傾注すればよいが、それは「企業重視」という批判が労働組合から来ることになるために、そのような本格的な景気対策にはならない。
 民主党の闇という本に書いたように、結局、「クリーン」とか「しがらみがない」などといっておきながら、連合や官公労などの労働組合など、民主党の影響団体によって、完全に引きずられてしまっているのである。そればかりか、その労働組合だけでなく経団連や医師会、歯科医師会など、様々な団体が一気に支持に回ったことにより、政策面でも矛盾をきたし立ち往生している。そのようなときに、国民の6割ともいわれる無党派層が離れてゆくという結果になっているのである。
 そのような環境の中で「社会保障(バラマキ)一体改革(増税)内閣」ということは、まさにマニフェストの見直しも政策の見直しもすることなく、自分たちの責任を棚上げにし、その矛盾を国民に「つけ回し」した、『責任転嫁内閣』の真骨頂といえる。本来ならばそのようなことは許されないが、それら責任転嫁「つけ回し」を無自覚に近い状態で当然であるかのごとき行う野田内閣は、まさに国民の敵ではないか。そして、それを支持している蓮後も経団連も同じ「壊国の徒」であるといえる。
 今回、このほかにも書きたいことはたくさんあるのだが、今日は土曜日でもあり、この辺にしておこうと思う。

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拉致問題解決から遠ざけているのは、無関心と民主党に投票した国民ではないか

拉致問題解決から遠ざけているのは、無関心と民主党に投票した国民ではないか

 本日、13日の深夜1時より、ラジオ時事対談がラジオ日本で放送される。中山恭子参議院議員と横田滋・早紀江夫妻、そして私とで「今年こそ拉致問題解決を」という題名での対談を行うのである。
 実際にラジオで放送される部分は、みんなで集まった3時間30分の中のほんの一部だ。多分実質で40分と少ししか放送されないであろう。しかし、その放送の中でも横田夫妻の娘を取り戻したいという思いと、中山恭子参議院議員のこれまでの苦労などがしっかりと語られている。言葉としてよりも拉致に関係する人々の思いが伝わればよいのではないかと思っている「ラジオ日本」で放送される。昔は関東地区の人だけというようなことになっていたが、最近では、インターネットの「ラジコ」というサイトでどこでも聞けるようなので、興味のある人は聞いていただきたい。
 その対談の中で話題になったのは、北朝鮮の体制が変わったことによる混乱と、その混乱の中だからこそしっかりとした情報と国家的な戦略を持って交渉に臨めば、少しでも話が前に進むのではないかということが話された。
 また、中山参議院議員の言葉の中に「やっと、小泉内閣・安倍内閣・福田内閣・麻生内閣という中で拉致に対する情報や交渉の進展がみられた時に、なぜ今この時期に政権交代なのかと思った。その後進展は何もない」という言葉には、民主党政権の当てにならない北朝鮮に対する交渉がある。あてにならないのではなく、どっちに進むかわからない、それどころか北朝鮮に利するような交渉を行いかねない日本国内の彼らの政治行動は、とてもとても、日本国民として許してはならない行為ばかりだ。今から3年前、政権交代を行った。その政権を選んだのは紛れもない日本国民だ。しかし、拉致問題が、進展しなかったら、それは政権がまったく進めなかったからそして、そのような外交交渉もろくにできない政権を国民が選んだからに他ならないのである。要するに民主党政権になってからの拉致問題の解決の遅れは、まさに日本の民主党に投票したすべての国民の責任であり、しいては日本国民全体の問題である。

<中井洽氏>拉致本部職員が同行 宋・朝日担当大使と会談か

 中国を訪問して北朝鮮当局者と極秘に接触していた民主党の中井洽(ひろし)元拉致問題担当相に、政府の拉致問題対策本部職員が同行していたことが分かった。中井氏は宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使と会談したとみられ、日朝の政府間対話の可能性を探った模様だ。だが、藤村修官房長官は10日の記者会見で「一議員の活動」と述べ、中井氏の行動と政府との関係を否定した。
 中井氏は10日夕の帰国の際、成田空港で記者団に「皆さんに申し上げることは何もありません」と繰り返した。ただ、中井氏は昨年7月にも中国・長春市で宋氏と会談しており、政府関係者は「今回の会談は前回の続きだろう」と語った。
 北朝鮮は4月15日の故金日成(キム・イルソン)主席の生誕100年を前に、昨年から食糧支援の獲得などを狙って南北対話や米朝協議に応じるなど「対話モード」に転じている。金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去もあり、日本の政府・与党内には「拉致問題解決の糸口をつかむチャンス」との見方が出ている。藤村氏は記者会見で、中井氏から報告を求めないとしたが、今後、中井氏の接触も踏まえて対北朝鮮政策を練るとみられる。
 中井氏の行動について、民主党の前原誠司政調会長は10日の記者会見で「政府が行っているものと別個に勝手にやれば、最終的に困ることになる」と批判した。【福岡静哉、清藤天】

毎日新聞 1月10日(火)20時47分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120110-00000077-mai-pol

民主・中井氏、北朝鮮と極秘会談!“北カード”で人気回復狙う?

 民主党の中井洽元拉致問題担当相が9日、中国東北部で北朝鮮の高官と極秘会談した。日本政府高官が同日、明らかにした。金正恩体制発足後、初めて接触で、北朝鮮側の代表は宋日昊(ソン・イル・ホ)朝日国交正常化交渉担当大使が務めているとみられる。日本人拉致事件について意見交換したもようだが、野田佳彦内閣の支持率急落を挽回するために「北朝鮮カード」を切ろうとしたとの見方もある。
 会談は2日間の予定で、10日も行われる見通し。中井氏は昨年7月下旬にも中国・長春市で宋氏と極秘会談しており、この際、内閣府の拉致問題対策本部の職員が同行。今回も同行した可能性がある。
 拉致事件をめぐっては、2008年8月に中国・瀋陽で行われた日朝間の公式実務者協議で、北朝鮮が拉致被害者の再調査を始めることで合意したが、進展は見られていない。このため、中井氏は今回の会談で、北朝鮮側に早期の再調査開始などを求めたとみられる。
 一方、瀋陽での合意には対北朝鮮経済制裁のうち、人的往来とチャーター便の規制解除も含まれている。今回、中井氏との会談に応じた北朝鮮の狙いも注目されそうだ。
 日本政府内には、金正恩氏を中心とする新体制移行をチャンスと見て、北朝鮮の「変化」に期待する向きもある。ただ、3日の朝鮮中央通信は、拉致事件について「もはや存在もせず、においもしない」とする論評を掲載しており、中井氏の動きを契機に政府間協議が始まっても調整は難航しそうだ。
 北朝鮮との正式な交渉窓口ではない中井氏の動きをめぐり、「二元外交」との批判も予想される。

2012年1月10日(火)17時0分配信 夕刊フジ
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/fuji-zak20120110012/1.htm

正恩体制「特異な事態なし」…日米が一致

 【ワシントン=山口香子】訪米した山口壮外務副大臣は10日、米国務省でトーマス・ナイズ国務副長官、グリン・デービース政府特別代表(北朝鮮担当)らと会談し、金正恩キムジョンウン体制が始動した北朝鮮情勢について「特異な事態は起きていない」との認識で一致した。
 また米側は、北朝鮮の核開発を巡る米朝交渉再開に向け、北朝鮮側と接触を続けていることを明らかにした。

(2012年1月11日17時53分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120111-OYT1T00958.htm

 その民主党の中井洽元拉致担当大臣が、10日に極秘で(といいながらマスコミに報道されているのであるが)中国に行き北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使と会談したとみられる。
 実際に、外交交渉を全て国民にまたはマスコミに明らかにしろという気はない。マスコミと言えども、誰が見ているかもわからないし、また、マスコミそのものが北朝鮮のスパイである可能性も否定できない(どこかの会社がスパイというのではなく、取材に行ったスタッフの中にまぎれているという可能性は否定できない)。そのような状態の中で、機密交渉の会談内容を明らかにするなどというのは、まったく持って外交や国家機密を考えないナンセンスな要求であろうと思う。テレビなどの解説者は中井氏が会談内容を話さないことに対してコメントをしているが、あまり頭の良い批判ではない。
 さて、私が問題視しているのは、そもそも「北朝鮮の問題に対する民主党の取り組み」である。本来は、まず国家の意思というものがあり、その国家の意思に従って内閣が行政権をふるって外交交渉を行うのである。民主党政権は朝鮮高校の無償化を検討し、また朝鮮大学の記念式典で挨拶をした人物が法務大臣に就任している。北朝鮮人の人権を護る活動をしている人物が文部科学大臣になり、北朝鮮の拉致に関係していると疑惑をもたれている団体「市民の党」を援助している人物が前の首相であり民主党の最高顧問に就任しているのだ。この状態において、北朝鮮との間における「懸案解決までの一切の供与を行わない」「懸案解決までの機関国交正常化はありえない」という意思決定または国家の石が形成されるといえるのであろうか。そうであるならば、民主党はまず民主党内におけるこれら「売国奴」を処分することが先ではないのか。
 民主党外交は情報屋その情報を得るためのパイプがないということをよく言われる。しかし、情報というものは持ているだけでは何の意味もない。せいぜい「知っている」という自己満足の産物でしかない。情報は、その情報を分析し、活用し、そして政府の場合はその情報と分析結果を国益のために結びつけることが最も重要だ。政策に反映したり、あるいは外交交渉での切り札に使ったり、情報の活用方法はさまざまであるはずだ。しかし、そもそも情報がないだけでなく、情報そのものの分析に関し、上記のような北朝鮮に対する意見が一致していない政党でしっかりとした国益に結び付けられる分析ができるのか、活用ができるのか、はなはだ疑問である。
 上記に書いたように、民主党の北朝鮮対応は問題だらけだ。そしてそのような政党に政権を執らせたのは、まさに日本国民である。番組の中で、あるいはそのほかで、日本国内において、拉致問題の最も大きな敵は朝鮮総連でも民主党でもなく、日本国民の拉致問題に対する「無関心」である、と訴えた。実際に拉致問題を解決してゆこうと思うのであれば北朝鮮に利する行為をする民主党などに投票はしないであろう。無関心、はだれが北朝鮮側の人物、誰が拉致解決に真剣でない人物かという基準ひとつも全くなくしてしまった。その結果、結局拉致問題の解決を暮らせる結果を産んだのである。
 民主党に投票した日本国民は、全て、拉致問題解決を遅らせる原因になったということを自覚してもらいたい。そして、今から何ができるかをよく考えてもらいたい。

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イランの核開発とホルムズ海峡封鎖で日本のエネルギー事情はどうなる

イランの核開発とホルムズ海峡封鎖で日本のエネルギー事情はどうなる

 日本の政治状況があまりよろしくなく、その批判は国内でも高まっている。とくに、民主党になった鳩山・菅・野田と三大にわたる内閣の外交能力の低さというよりは、外交に対する感覚の欠如は、日本国の将来を完全に失い、壊してしまうほどであると言えるのではないか。
 そのことは、昨年末の韓国高官とのインタビューや、夕刊フジに掲載した中国高官とのインタビューなどで、記載のとおりである。要するに、国内向け、選挙に対するデマゴーグのためにアナウンスした物言いを、各国は完全に自国の国益のために使っている。それは、今まで反日で動いていた国会議員が多い民主党の内閣に関しては、それだけ攻める材料も少なくない。民主党の国会議員や左翼の活動家が多い。とくに学生時代に全共闘などに共産党かぶれをした議員が少なくない日本の場合、その時に言っていたことや行動を挙げて物事を強要することはそんなに難しいことではない。なお、ここではあえて政権与党にいる民主党ばかりをあげているが、学生時代に共産主義にかぶれた人物は、現在保守系として活動している人の中にもいることはここに付記しておく。
 さて、逆に現在の政権与党であり民主党の国会議員は、大人になってから、要するに社会に出てからも、共産主義闘争の「浮世離れの妄想社会」に生きていた人々である。彼らの敵は日本国内の保守勢力であり、海外の情報は「世界市民」が皆味方だと信じて疑っていない。しかし、現実は全く異なる。海外は彼らの味方ではなく、彼らを利用する勢力でしかない。三国志にでてくる「二虎競食の計」ではないが、日本国内で会い争ってくれれば海外にいる勢力は自分が責められることもないばかりか、片方に味方することによってその国を乗っ取ることも可能である。
 逆に言えば、そのような観点しかない政府は、まったく海外に情報を持っていない。その情報がない間に、日本の資源に関して非常に大きな問題が発生しつつあるのである。

イランが地下施設でウラン濃縮作業を開始、米国「義務違反の拡大」

 国際原子力機関(IAEA)は9日、イランが中部コム郊外フォルドウの地下施設で、ウランの濃縮作業を開始したと発表した。米国はこれを受け、イランが国連安全保障理事会の決議に対する違反を拡大していると強く非難した。
IAEAは、イランがフォルドウの施設でウラン濃縮度を20%まで高める作業を始めたことを明らかにし、同施設での核物質はすべてIAEAの監督下にあるとした。イラン当局者も、ウラン濃縮作業の開始を確認している。
米国務省のヌランド報道官は、フォルドウでのウラン濃縮作業の開始は驚きではないとする一方で、「イランがウラン濃縮度を20%まで高める作業を行っているとすれば、(国連安保理決議の)義務にさらに違反していることになる」と非難した。
イラン政府は濃縮度20%のウランについて、医学研究目的の原子炉に使うと主張。しかし欧米諸国は、原子炉で使われるウランの濃度は20%も必要ないとしてイランの核爆弾開発を疑っているほか、医学研究の原子炉にウランを使用する技術をイランは保有していないと強調している。
米国とイスラエルは、イランの核兵器開発を阻止するためには軍事介入もあり得るとしているが、フォルドウのウラン濃縮施設は地下深くにあり、空爆は困難になるとみられている。

2012年 01月 10日  ロイター]
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE80902120120110?rpc=122

イラン大統領、反米でチャベス大統領と共闘アピール

 1月9日、南米ベネズエラを訪問しているイランのアハマディネジャド大統領(左)がチャベス大統領(右)と会談し、反米勢力として結束することを確認(2012年 ロイター/Carlos Garcia Rawlins)
 南米ベネズエラを訪問しているイランのアハマディネジャド大統領は9日、チャベス大統領と会談し、反米勢力として結束することを確認した。
 2人は記者会見で、抱き合ったり手を取り合ったりするなど親密さをアピール。アハマディネジャド大統領が「チャベス大統領は帝国主義と闘うチャンピオンだ」とたたえれば、チャベス大統領は「イランはヤンキー帝国の標的にされている。だからこそわれわれは今、団結を示す」と、イランへの支持を表明した。
 またチャベス大統領は、大統領府の階段前にある小山の下から「巨大な原子爆弾が現れる」などと冗談を飛ばし、アハマディネジャド大統領と笑い合ったりしていた。
 アハマディネジャド大統領はこのあと、ニカラグア、キューバ、エクアドルを訪問する予定だが、核開発疑惑をめぐり欧米諸国からイランへの制裁が強まる中、今回の中南米諸国の歴訪で支援強化を図るものとみられている。

ロイター 1月10日(火)15時36分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120110-00000100-reut-int

 イランに接しているホルムズ海峡は、日本の輸入原油の80%が通過する。日本はエネルギー資源の9割を中東に依存している。UAEなどはホルムズ海洋を通らないが、サイズアラビア・イラク・クエート・カタール・バーレーン、そして10%を依存しているイラク、いずれもがホルムズ海峡を通過する。その海峡がイランの原子力開発によって封鎖されようとしている。
 この内容はアメリカやロシアなどの原子力不拡散ということと、それに対して、石油資源の寡占化ということが一つの大きな問題となっている。とくにアメリカと中国、そしてイスラムによる石油資源の覇権争いがある。その覇権争いが、そのまま政治的な争いになっている。とくに日本に福島原発の事故およびアラブの春、またはジャスミン革命といわれる北アフリカなどの民主化、そしてもともとあるイスラム教内におけるシーア派とスンニ派の争いなど複雑な内容をすべて情報を入手し、その情報を分析し、日本の国益に役に立てなければならない。
 民主党政権は情報の入手に関してもできなければ、その情報を分析もできない、また、その情報を活用することができない。御自慢の「世界市民」は日本国内でしか通用せず、海外では内戦一つやめさせることはできないのである。その情報網は、尖閣諸島の問題でも、北朝鮮の金正日総書記の死亡や葬儀に関しても、まったく情報がない。その情報の欠如は、まさに日本にとって致命傷になりかねない状態になっているのである。
 さて、今回のイランのホルムズ海峡の封鎖と、核開発、そしてアメリカとの対立は、まさにこれらの中における日本の立場をどのようにするのかを考えなければならない状態だ。アメリカは、イラン中央銀行との取引のある国家に対して制裁をするということを表明している。実際に日本はイランとの石油の取引を考えなければならない。その時に日本は日本としてのスタンスを守れるのか、資源をどうするのか、国家というビジョンと国益を考えるスタンスがなければな何もできなくなってしまう。
 今回の、イランの行動は、まさに日本そのものに対して非常に大きな問題となっている。その問題にたいして、野田内閣がどのような行動を執るのか、消費税のようなあともどりできる問題とは違い、日本の将来をうならなう問題に発展するかもしれない。

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陸山会裁判で小沢一郎氏の証人喚問

陸山会裁判で小沢一郎氏の証人喚問

 政治の世界において刑事事件の訴訟は特に大きな関係があるわけではない。しかし、その被告人が小沢一郎氏となればかなり大きな政治的な影響が出る。
 陸山会訴訟に関しては、様々な人が多くのことを言っている。私はあえて、小沢氏の有罪無罪に関してはここで言及はしない。しかし、土地購入の事実があり、支出があるのにかかわらず、その出金が記載されていないということは実際の事実としてある。
 犯罪は、「構成要件該当性」「違法性」「責任」の三つの要素から成立する。構成要件該当性とは、その犯罪と思われる行為が法律で禁止されているということ。要するに名分で違反していると書いていないことはいくら道義的におかしなことでも、道徳的に間違えていることでも、それは犯罪とはならない。違法性とは、その上位が違法でなければならない。たとえば消防士が消火のために火事になっている建物の窓を壊しても、それは、消火のための作業でしかないので違法ではない。器物損壊罪にならないということになる。そして、責任。誰がやったのか、またその犯罪を行った人が責任能力があるのかということが大きな問題になる。猟奇的な殺人事件などで精神鑑定を行うのはまさにこのことである。
 今回の事件は、政治資金規正法に違反した事実があり(構成要件該当性)そして、違法性もある。とくに違法性を阻却する内容は何もない。要するに、「責任が小沢一郎氏にあるのか、他の人にあるのか」ということの争点であると言える。
 その意味では、注目の本人被告人質問であり、また、その中において他の事件の疑問にどれくらい答えるのかが焦点となった。

小沢元代表:「実務は秘書任せ」 事件への関与を否定

 資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第12回公判が10日、東京地裁(大善文男裁判長)であり、被告人質問が始まった。元代表は弁護側の質問に「土地購入を了解し、資金を用立てた段階で私の行為は全て済んだ。他の実務的なことは一切、秘書たちに任せていた」と、事件への関与を否定した。
 また、収支報告書を確認したことがあるかを尋ねられた元代表は「今までに一度もない」と述べ、記載内容に関する報告や了承はなかったと強調。「秘書たちには自主的判断で仕事をしてもらっていた。干渉していては任せる意味がない。私の関心は天下国家のことだ」と付け加えた。
 陸山会に提供した4億円については「多くは両親から相続した不動産・現金。著書の印税もかなりあったし、議員報酬などもある。もろもろのお金でそれなりに所有していた」と述べ、「水谷建設」などゼネコンからの裏献金受領は否定した。
 4億円を巡る元代表の説明は「家族名義の口座などから引き出した資金を事務所の金庫に保管」(10年1月、東京地検特捜部の最初の聴取後の記者会見)、「帳簿などの記録も記憶もない」(10年5月の3度目の聴取)などと変遷していた。

 指定弁護士の冒頭陳述によると、陸山会は元代表提供の4億円で土地を購入し、これを隠すため同額の銀行融資を受けて収支報告書に記載したとされる。元代表は融資の際、元秘書で衆院議員の石川知裕被告(38)=1審有罪、控訴中=から求められ関連書類に署名・押印し、指定弁護士側は「関与を示す状況証拠」とみている。元代表は被告人質問で「(石川議員から)具体的説明はなかったが、土地購入のこととは思った。以前にも(同様の手続きをしたことが)あり、疑問に思わなかった」と説明した。
 被告人質問は11日までの2日間行われる。【和田武士、鈴木一生、野口由紀】

 ◇小沢元代表の起訴内容

 04年10月12日ごろ4億円を陸山会に提供し、同会が同29日までに東京都世田谷区の土地購入費として約3億5200万円を支払うなどしたのに(1)同会会計責任者だった大久保隆規元秘書や、事務担当者だった石川知裕衆院議員と共謀し、その事実を04年分政治資金収支報告書に記載せず(2)大久保元秘書や、石川議員の後任の池田光智元秘書と共謀し、土地購入を05年1月7日と偽って05年分報告書に記載し--それぞれ総務相に提出した。

毎日新聞 2012年1月10日 11時22分(最終更新 1月10日 13時15分)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120110k0000e040155000c.html

小沢元代表:「金庫番、事務所にいない」語気強め潔白主張

 「市民」の手で刑事被告人となった政界実力者の公判は最大の山場を迎えた。東京地裁で10日始まった民主党元代表、小沢一郎被告(69)への被告人質問。「三権分立」などを理由に国会での説明を拒み、法壇の裁判官と傍聴席の視線が注がれる中、元代表は時折言葉を選びながら「潔白」を主張。「自分の事務所に金庫番はいない」と語気を強め、裏金作りなど不透明な資金の流れがなかったことを暗に強調した。
 元代表は東京地検特捜部の不起訴処分後、市民で構成する東京第5検察審査会の2度の議決を経て強制起訴された。昨年10月6日の初公判では「検察の不当捜査で得られた調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づく裁判は打ち切られるべきだ」と無罪を主張した。
 この日は午前8時半前、自宅前から無言で車の後部座席に乗り込み、東京地裁へ。午前10時少し前に、いつも通り国会議員バッジをつけた濃紺のスーツに身を包み、104号法廷に姿を見せた。法壇近くで立ち止まり、裁判官に一礼。弁護団の間に腰をおろすと、大きく息をつき、口元を何度か動かした。
 主任弁護人の弘中惇一郎弁護士から「秘書とは」と問われ、「政治家と秘書は法律に規律されている関係ではない。秘書は機密を見たり聞いたりすることがあり得る。本当に信頼した人間関係の中で仕事をしている」と強調。上司と部下の立場ではなく、仕事を任せられる相手と位置づけた。その上で「俗に世間で経理担当を『金庫番』と言う人がいるが、私の事務所ではそういう(不透明さを伴った)言葉で言われる人は四十数年いない」と語気を強めた。
 問題の土地購入時に提供した4億円については「私の場合、(資産の)ほとんどを現金で所有していた」と説明し、資産内容として「両親からの不動産と現金の相続」「本の印税」「40年来の議員報酬」「東京・湯島の自宅の売却益」「家族名義の貯金」を列挙。「水谷建設などのゼネコンなどから仕事絡みの金をもらったことはないし、秘書がもらったこともないと確信している」と強調した。
 さらに「天下国家の政策論は貫かなければいけない。(マスコミの)理由なき批判によって自分の行動が左右されることはない」などと持論を展開した。
 公判前には48の傍聴席に対し、1052人の希望者が地裁前で列を作った。【石川淳一、島田信幸、山本将克】

毎日新聞 2012年1月10日 12時04分(最終更新 1月10日 13時19分)

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120110k0000e040162000c.html

小沢元代表、法廷:元東京地検特捜部検事の高井康行弁護士、作家の三好徹さんの話

 ◇元代表の認識が焦点--元東京地検特捜部検事の高井康行弁護士の話
 被告人質問のポイントは二つ。小沢元代表は、土地代金として石川議員に4億円を渡し、銀行からの同額の融資関係書類にサインしているが、どうしてそうする必要があったのか。その必要性を、元代表自身がどう認識していたかが一つ目のポイントだ。もう一つは、土地登記を翌年に先送りすることを聞いたと元代表が認めるかどうか。この2点の答えようによっては故意が認定される可能性がある。
 ◇弁護側の出方に興味--作家の三好徹さんの話
 小沢元代表は無罪主張の根拠として自身への報告や了承を認めた石川知裕衆院議員の供述調書を「検事の作文だ」としているが、それだけで無罪を勝ち取るには弱いと思う。弁護側が今後、有力な証拠を出してくるのか、被告人質問で有利な供述を引き出せるのか、興味を持って見ている。また、元代表は4億円の由来について「以前から持っていた」として、それ以上の説明をせず、一般人の感覚からすると首をかしげたくなる。

毎日新聞 2012年1月10日 東京夕刊
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120110dde041010023000c.html

 この問題に関して言えるのは、小沢議員と秘書の関係がどうかということ。もっと言えば、この供述が事実でない場合は、当然に小沢氏は自分が無罪になるために、元秘書達を犠牲にしたことになる。それならばなぜ石川、池田、大久保の各秘書は「自分がやった」といわないのか。単純に言えば、三人の秘書と小沢氏の供述は食い違ったことになる。
 また四億円の出所に関しては、様々な財源を言った。しかし、それらに関して「証拠はない」という。単純に言えば、相続ならば相続税があるはずであるし、家族名義ならば家族からの借入の証拠があるはずだ。それらがないというのはどのようなことを意味しているのか。
 実際に小沢氏クラスの政治家がこれくらいの金銭を所持していても全く不思議はない。しかし、実際にそのことを「隠さなければならない」という事情は「痛くもない腹を探られる」状態になるのではないか。あくまでもここでは有罪無罪を語らないものとする。しかし、その内容に関して言えば、有罪とか無罪とかではなく、何かを言えばまた新たな疑問が出てくるすっきりとしない内容でしかなかったことは否めない事実だ。
 同時に、その質問に関して「天下国家の政策論は貫かなければいけない。(マスコミの)理由なき批判によって自分の行動が左右されることはない」ということを言うが、自分の事務所を管理できない人に国家が語れるのか、自分の会計ができない人に、国の財政を任せることができるのか。そのことに関して被告人自身がどのように考えているのか。政治家として「国家」や「政治」を自分の個人的な事象(それが刑事裁判であっても)の言い訳に使うというのは、政治家としてどういうことなのか。この訴訟そのものよりも、この訴訟における小沢氏の態度または発言が最も国民の信任を失っているのではないか。

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マニフェストに違反することを正当化する民主党の消費税論争

マニフェストに違反することを正当化する民主党の消費税論争

 民主党による消費税論議が大きくなってきている。
 野田首相は者保一元化改革ということで大義があるかのごとき主張をしている。そして、与野党協議を拒否する自民党・公明党に対していかにも国家のことを考えていないかのごとき主張を繰り返している。
 今日は、この主張に関し消費税の増税の「是非」を敢えて語らず、民主党の理不尽さをここでご披露したいと思う。敢えて申し添えておくが、私は消費税増税に関しては、現在のような不景気の時にすべきではないし、復興の道半ばの時に行うべきではないという立場であるが、そのような話ではなく、民主党の政治の問題としてこの問題を語ってみたいと思う。
 そもそも、民主党のマニフェストは「予算の組み替えと無駄の削減で18兆円の財源のねん出」という者があったはずだ。財源のないバラマキ政策などは、実現可能性がないだけでなく、国民にいらぬ期待をさせるだけの詐欺でしかない。民主党はそのマニフェストに関して詐欺ではないということを繰り返し主張してきた。そのマニフェストをもとに総選挙を戦い、そのマニフェストを実現するということであった。消費税増税は民主党の政権を執ってる4年間は議論もしないというのがこうやくであった。
 しかし、鳩山政権での無駄削減、要するに事業仕分けそのものが完全に失敗に終わり、また、財務省主導の予算は、今までの既存の枠組みにバラマキを付加する形で予算を組んでしまうために、史上最高額の予算が3年連続である。年間90兆円を超える予算が3年連続となり、同時に、歳入よりも赤字国債の方が多い予算を組んでしまった。要するにマニフェストにおける「予算の組み替え」も「無駄の削減」も双方ともに破綻したということである。
 社会保障の改革に関しては、もともと民主党が「詐欺フェスト」を作った総選挙で自民党が出した政権公約である。その政権公約に関して、以下のみ自分たちがオリジナルで考えたかのごとき発言を行い、その上、そのための財源を消費税でまかなうとして自民党に競技を行えという。なおかつ、11月30日の党首討論では、「自民党が消費税税増税を言い出した」といい、与野党協議に参加すべきだという。この社会保障一元改革に関しては、完全に自民党の政策の「窃盗」であり、その後自分の者であるかのごとき振る舞いは「盗人猛々しい」とはまさにこのことであろう。
 民主党はなぜ原則論に戻れないのか。単純に、彼らが嘘をついて事、人をだましたこと、そして、その後の政策の中で自民党の政策を盗んだことを認めなければならないからである。

消費税増税“素案”を決定!自民は協議拒否

 政府・与党は6日午前、官邸で「社会保障改革本部」を開き、消費税増税を柱とした社会保障と税の一体改革大綱素案を正式決定した。野田佳彦首相は野党に協議を呼びかけているが、自民党などは公約違反に激怒。解散・衆院選を求めて協議を拒否する方針で、前途は極めて多難だ。
 野田首相は会合で「ここからが正念場だ」と強調した。素案では、消費税率を2014年4月に8%、15年10月に10%に引き上げる。増税前の国会議員定数、公務員給与の削減も掲げた。
 政府側は与野党協議での合意後に大綱を閣議決定、増税関連法案を3月末までに国会提出し、すみやかに成立させるという青写真を描いている。
 しかし、自民党の大島理森副総裁は6日、「(民主党は)消費税を上げないと言って政権与党になった。ウソをついた政権に協力するのは、民主主義の根本をないがしろにすることだ」と述べ、これを拒否。公明党も同調しそうだ。増税法案採決時には、民主党内からも造反が予想される。一触即発の政局が続くのは間違いない。

2012年01月06日17時00分 提供:ZAKZAK(夕刊フジ)
http://news.livedoor.com/article/detail/6171801/

輿石氏、野党拒否でも法案提出

 民主党の輿石東幹事長は8日のNHK番組で、消費税率引き上げを柱とした一体改革大綱素案の協議を野党が拒否しても、消費税増税関連法案の国会提出に踏み切る考えを明らかにした。「(野党が)応じない場合でも与党の覚悟、野田政権の責任としてやる」と述べた。野党には今週中に幹事長レベルで協議を呼び掛ける方針も示した。
 同時に、参院で問責決議を受けた一川保夫防衛相、山岡賢次消費者行政担当相を交代させる閣僚人事に関し「(野田佳彦首相から)そういう考えが出されれば、対処したい」と容認する意向を表明した。
 輿石氏は自民、公明両党などが消費税協議を拒否する姿勢を見せていることに関し「3月までに消費税率引き上げの手続きをしようというのは自公政権の提案だ。協議に応じない理由が理解できない」とけん制した。

2012.1.8 11:31 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120108/plc12010811340005-n1.htm

仙谷氏、法案否決なら解散検討を

民主党の仙谷由人政調会長代行
 民主党の仙谷由人政調会長代行は8日のフジテレビ番組で、通常国会で消費税増税関連法案が否決された場合、増税を争点にした衆院解散に打って出ることを検討すべきだとの考えを示した。「そのくらいの気迫を持って攻勢的に行かなければいけない」と述べた。
 自民党が消費税増税の与野党協議を「マニフェスト違反だ」として拒否する方針であることに関しては「形式的なけじめがどうのこうのとうだうだと言うのはいかがなものか」と批判した。

2012.1.8 13:12 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120108/plc12010813130006-n1.htm

 さて、自民党や公明とは、民主党のこのような「盗人猛々しい」または「詐欺師の開き直り」のような主張に、簡単に同意をできるはずがない。何しろ、その都合の良い詐欺師が政権を執っていることそのものが日本国の国益に反する行為であるということに他ならないのである。逆に言えば、一刻も早く民主党の「窃盗と詐欺師」集団を政権の座から引き摺り下ろさねばならない。
 しかし、そうであるのに戦闘体制になっていないのが気がかりである。そもそも「社会保障の改革」を行わなければならないことは当然のことであり、また、その財源に関してもなんらかを考えなければならないことは事実なのである。しかし、そのことを主張しているプロセスに問題があるのだ。
 プロセスに問題があるということは、政党における理念や政策が出される基盤、思想が統一でないということに他ならない。思想や理念が違う政党と、たまたまひとつの政策の結果が同じであったとしても、それは汲むことのできる相手ではない。ましてや、その政策が、自分のところから盗まれたものであり、国民をだました相手であるとなればなおさらのことである。
 本来であれば民主党は、マニフェストどおりに政策を行うべきである。そこで予算の組み換えが行われないならば、あるいは無駄の削減がなくならないならば、それらの法案は一切通すべきものではない。それはたまたま結果が同じものであったとしても、完全な「同床異夢」ということになってしまう。
 これらのことがばれてしまった場合は、政権にとどまることはできない。そもそも「同床異夢」は小沢一郎や鳩山由紀夫とその周辺の議員で十分なはずだ。今までどおり小沢や鳩山のように「簡単にだませる」相手ならば、また、安定政権のためなどと適当な建前を言ってだまされ続けてくれる相手ならば、まだ組んでも何とかなるが、そうでないならば組んでも政権を維持することはできない。その場合は「誰かに責任転嫁をして」、要するに「自民党や公明党が改革を遅らせた」として、解散総選挙を戦ったほうが良いと考えているのである。
 消費税の是非、もしくは、景気判断などを交えなくても、民主党の今回の消費税論議がどれほどとっぴであるか、そして自分たちのマニフェスト、要するに国民との間の政権公約を守れなかったことによる取り繕いが、最終自民党や公明党に抱きつかなければならないところまで来ているということ、そしてそのような相手とまともに競技などをし、密室で与野党協議を行うことの危険性が表れているといえるのではないか。
 要するに、与野党協議を行うのであれば、国会の中で審議を行えばよいことであり、同時に、もしも国会開催前に行うのであれば、その内容を全てテレビカメラを入れて公開すればよいのではないか。そのような協議の耐えられる競技を行うのか。消費税の問題は国民の問題である。

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マスコミ批判に関する一考(76) テレビの低俗化に中国は気づいている

マスコミ批判に関する一考(76) テレビの低俗化に中国は気づいている

 ことしも、このマスコミ批判に関する一考を続けてゆこうと思う。それにしても最近は、非常におかしな極論が多い。そもそも、非常に無責任な極論で相手を批判するひとがすくなくないのである。そもそも、この「マスコミ批判に関する一考」もそのようなわけのわからない極論でマスコミを批判する人に対して、そもそも批判はどのように考えるべきかということを示すつもりで行ったことである。しかし、昨年の後半から、デモを行ったり、わけのわからないネットの書き込みが増えてきた。
 たとえば、日本のマスコミが韓国の芸能人を扱う。正直なところ韓国の芸能人を扱おうと、ハリウッドの俳優を扱おうとかまわない。ただ「韓国の芸能人」というだけならば特に大きな問題ではないのではないか。しかし、その芸能人個人が日本を非難し反日運動などをしているとすれば、そもそも来日などはしてほしくないし、そのような思想的に偏ったメッセージを、影響力の大きな芸能人の立場で発さないでほしい。もしもそのような偏った政治的なメッセージを行うのであれば、逆に親日家の韓国人を見つけてきて、別枠でよいのでその親日家の意見をしっかりと載せるべきではないのか。はっきり言って韓国人でも中国人でも「親日家」が出る分には私は一切文句はない。また、韓国人や中国人でも、本当に流行しており、なおかつ、視聴者が認めている範囲でそれを報道したり番組に使うのは編集権の範囲であると思う。その限度を超える内容をしてしまうのが非常に大きな問題なのではないか。問題は「限度」がどこまでなのか。結局のところ、バランスと「嘘をつかない」内容ではないのか。
 一方、日本のマスコミが自分の商売や自分の収益のために公共の電波を使うことはあまり好ましいとは思わない。もちろん、自分の会社の資産を使って民間企業が自分の会社の利益と追求することは良いのかもしれない。しかし、あくまでも電波は公共の物だ。もしも自己の利益のために使うのであれば、事故の責任で自分が利益のために使っていると宣言して使うべきである。新聞は、それでも皇国に関しては「全面広告」と書いてあるし、記事広告のようなものは「記事広告」「当社主催」などという文字をしっかりと入れているのである。しかり、テレビなどの電波メディアは、まったくそのような内容をしていないのが非常に大きな問題である。
 もうひとつの大きな問題は、テレビメディアの低俗化という問題である。その低俗化に関しては、今回記事が出ている。

中国、「文化体制改革」で娯楽番組やCMに規制

 【上海=河崎真澄】中国がテレビ番組やCMへの規制強化を進めている。国家ラジオ・映画・テレビ総局は3日までに全国34の衛星テレビ局に対し、男女のお見合いなど娯楽番組の本数や放送時間への制限と、CM内容や時間に関する詳細な規定を盛り込んだ通達を行った。
 中国共産党が先月開いた第17期中央委員会第6回総会(6中総会)で打ち出した「文化体制改革」による情報統制の一環。来年秋の党大会での指導部交代を控え、インターネット規制に加え、大衆層に幅広い影響力のあるテレビ局の番組やCM編成まで当局のコントロールを強める考えだ。
 制限が加えられるのは衛星テレビ局が視聴率を競い合っている恋人募集や娯楽競技ゲーム、お笑いトークショーなど7種類の娯楽番組。来年1月から1本の番組の放送時間を90分までとし、番組本数に総量規制を加える。また各局は連日午後6時から11時半に、30分間以上のニュース番組を2回以上放送するよう義務づけられた。
 さらにCM関連では、政治を取り扱うニュース番組のタイトルにスポンサー企業名を付けることや、ニュース番組キャスターのCM出演を禁じた。45分番組で1分以内のCMを2本までとするなど、CM数や時間に細かい規定を設けた。
 6中総会では「世論を正しい方向に導く」とし、当局の監督の目が行き届かなかった大衆紙など都市部のメディアや、ネットメディアを統廃合する情報統制の方針も打ち出している。

2011.11.3 19:13 産経新聞

娯楽番組、7割減 中国、放送制限始まる「低俗化防ぐ」

 新華社によると、中国国家ラジオ・映画・テレビ総局は4日までに、国内の34の衛星テレビ局が1日から娯楽番組を減らすことを中心とする番組改編を行った結果、報道関連番組が昨年に比べ33%増え、娯楽番組が69%減ったと明らかにした。
 中国は昨年10月、「過度の娯楽化と低俗化を防ぐ」目的で、各テレビ局に対し、結婚や恋愛に関するバラエティー番組や恋愛ドラマなどを制限するよう求めた。
 その結果、昨年はこうした娯楽番組が毎週126本放送されていたが、今年は38本まで減ったという。
 同総局は一方で、「中華民族の伝統的な美徳を発揚する」番組を放送するよう求めている。(共同)

2012.1.5 09:26 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120105/chn12010509270001-n1.htm

 正月早々、面白い記事を載せたものだ。
 上記のように「世論を正しい方向に導く」「過度の娯楽化と低俗化を防ぐ」(上記記事より抜粋)のようなことは、中国でも問題になることなのである。番組などはどうしても「楽な方」に流れる。報道とバラエティを比べるとバラエティの方が楽だ。報道は、どうしても事実を報道しなければならない。まず事件を探し、その事件に関して関係者を探し、その関係者の意見を聞き、その内容を検証して報道しなければならない。もちろん、その関係者の立場によって言うことはすべて違ってくるし、また、間違えたことを話す場合もある。いくつもの立場の人や客観的な証拠を積み重ねてやっと報道をする。たった30秒のニュースでもそれだけの手間をかけなければならない。そのうえ、役所などから当然に介入される。中国のような国であればなおさらだ。自分に都合の悪い報道をされれば、当然に抗議も来るし、場合によっては報道の担当者などは自分の立場も危うくなるのである。
 一方バラエティは簡単だ。面白い人を探し、その人を笑っていればよい。目の前で行われていることは事実であるし、何よりもテレビで言えば、新聞などと違い、映像を作る必要がない。新聞は文字で書けばよいが、報道のテレビは画面を作らなければならない。事件に関係のある場所や人の映像を流さなければならないのだ。しかしバラエティであればそのようなことは必要はない。面白いことをして笑って済ませばよい。間違えていても「バラエティですから」といえば、全てにおいて許される。バラエティ、笑い番組をやっているということは、それだけで免罪符なのだ。
 しかし、この差でわかるとおりに、バラエティをやるということは、それだけ楽な方に流れてしまうということになる。もちろんバラエティが楽というのではない。バラエティはセットも作らなければならないし、芸人は身体を張っている場合もある。しかし、報道に比べれば、はるかに楽だ。人の嫌がる事実を暴くということはない。それだけ、楽でありまた視聴者も喜ぶ。要するに、視聴者が喜ぶということは、それだけ視聴率が上がるのだ。しかし、そのために報道を行うスタッフが少なくなり、またテレビが低俗化するというのは間違いがない。
 さて、中国でもそのような危機っかんを持って報道を監視している。一方で日本はどうか。正月3日の中でしっかりとした報道番組を行ったのはどれくらいあるのであろう。報道が低俗化するのではなく、それを見ている視聴者が低俗化するのである。だから「世論を正しい方向に導く」という意見が載せられるのである。「中華民族の伝統的な美徳を発揚する」番組を放送するよう求めている。(上記より抜粋)とあるが、日本も、中国のように強制はしなくても政府や政治家がそのような意見を述べることはよくないのであろうか。中国でもできることを、なぜ日本ではできないのか。ただ単に中国を批判しマスコミを批判するのではなく、よいところは倣う、そして日本のために貢献するということをしっかりと考えるべきではないのか。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(41) 大連の開業式典の一部始終と舞台裏(2)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(41)
大連の開業式典の一部始終と舞台裏(2)

 平成24年明けましておめでとうございます。メルマガをお読みの方は、初めてですので、この御挨拶から始めさせていただきます。今年も、相変わらず「宇田川敬介東アジア放蕩覚」をいつも通りに続けたいと思います。何しろ今年は元旦が日曜日だったので、どうしてもこのメルマガが年初から少し時間がたってしまうのです。
 ということで、前回は開業の式典に関するところで、開業といっても様々なところがあるということを御紹介したものです。
 マイカルの大連の施設は9月17日にプレオープンとなった。ホテルっ分は全て無料で泊まれ、その夜には、宴会場で、「マジア大連」要するにイタリアのブランド16社のショップの主催でファッションショーが行われたのである。
 何度もこのシリーズで書いているように、中国はメンツの国である。自分のメンツを立てるためならば嘘もつくし脅迫もする。場合によっては人殺しもするのが中国人のメンツ社会である。そのメンツ社会でファッションショーをするというのは、当然に「最高」が求められる。かれれは平気で偽物やコピー商品を売るのに、相手には本物を求めるのである。逆に、本物の行うパーティーやファッションショーに参加したいという欲はある。そもそもそこに呼ばれなければ、ファッションについて語る資格がないというようになってしまうのである。
 当然にファッションショーにだれを呼ぶのかということが最大の問題になる。共産党書記や市長といった中国の政治の世界でのトップを呼ぶのは問題にならない。そのほかに遼寧省の省長なども声をかけた。遼寧省の共産党の幹部が数名参加の意思を表明してきたのには驚いた。瀋陽から、わざわざこのファッションショーのために来るというのである。ためしに声をかけてみようということで行ったのであるが、参加するとは思わなかったのだ。しかし、参加をするというのであるから後から断るわけにはいかない。私個人からすれば、中国の政治家がブランドに関してわかるのかという疑問もある。まさに何も分からなくても、そのような国際的な会議や会合に出ることがメンツなのだ。しかし、課題もある。これらが来ることは当然にステータスも上がりよいことだ。しかし、逆に中国の襟人といっても地方の行政官は国際マナーを知らない。そのことは、一昨年の北京オリンピックでもわかるとおりだ。ましてや国際会議になれているトップならば良いが、そうではない。日本でいえば、どこか田舎の県知事や市長でしかない。国際会議の経験もろくにないのが現状だ。当然にパーティーにおけるマナーも中国流になってしまう。要するに中国人のわがまま飲み会と、イタリアの最高級ブランドのファッションショーが混在する。この混乱をどのようにするのかということである。ここに関しては、協議の結果、ホテル従業員がすべて行うことになった。具体的にはVIPには一人一人サービスマンをつけるという対応をするということになったのである。サービスマンという名の監視役をつけておけば、まだ対応は可能だ。もうひとつは、警備を入れるということで暴れ出した場合の対応をした。VIPが来るのだから警備を入れるのは当然である。あとは、飲みたいだけ飲ませるということ。そして音響や演出で私語をさせないということにするしかない。それでも少々ざわざわしてしまうのは、パーティーでは仕方がないことだ。あとはイタリア人にその辺のことをあらかじめ言うしかない。

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配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html 
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やはり、閣僚としての「資格」のない大臣の物議をかもすであろう発言

やはり、閣僚としての「資格」のない大臣の物議をかもすであろう発言

 昨年12月の初旬に、一川防衛大臣とともに問責決議を受けた大臣がいる。言うまでもなく山岡賢次消費者担当大臣兼国家公安委員長のことである。
 今年の記念すべき初めの土曜日の軽い話題は、本来ならば閣僚の資格ということで重い話題なのであるが、そのことを合えて軽い話題として、多少ご批判があってもこの内容を行ってみたいと思う。
 さて、そもそも閣僚になる資格があるのかという問題である。あえて、この題名には「資格」と鍵かっこをつけた。実際に、国家資格のようなものは必要はない。同時に、閣僚そのものに対して、人格的な審査などが必要であるという認識もないのが現実のところである。日本国とすれば、「プライベートは破綻しているが仕事は誰もがうらやむほどできる人」と、「人格者であるが、まったくの無能」というのでは、基本的にはプライベートが破綻していても、仕事ができる人を選ぶべきであると考える。
 しかし、私は資格がないと思う人もいる。その内容は二つある。一つは、「努力をしない人」もうひとつは「公私混同をする人」である。今回、「努力をしない人」の代表が一川保夫防衛大臣であり、「公私混同する人」の代表が山岡賢次消費者担当大臣であるように思う。
 努力は誰でもできる。実際に、大臣という重職に任命されたのであるから、当然にその重職に応えられるようにしっかりと努力をしなければならない。本来ならば、大臣という国民の指導的立場に立つ人なのであるから、他の人よりもその分野に関しては知っているという現状が必要なはずだ。しかし、必ずしも政治家であるから知らない部分もある。官僚というスペシャリストよりも、政治家というゼネラリストが、一分野において能力が劣る場合も少なくない。しかし、その内容に関してしっかりと理解し判断を下せるようになるまでの知識や考えを学ぶ努力は必要である。そしてその努力は、当然に人の上に立つのであるから、通常の人以上に努力をしなければならない。一川防衛大臣のように、素人であることを自慢し、仲間の政治資金パーティーに行く時間があるのに防衛大臣としての職責を果たすための努力をしないのは、やはり大臣としての資質に問題があるというものではないのか。
 もうひとつは、「公私混同する人」である。犯罪者が警察を行うことは難しいのと同じで取り締まられたり関しされたりする立場の人が、その監視を行う立場のトップに立つことはやはり難しいのではないか。個人が清廉潔白であっても、人の上に立つ者は「李下に冠を正さず」の言葉があるとおり、しっかりと対応しなければならないはずである。この基準は、単純に客観化以外の何物でもない。客観的に見て、構成であるかどうかが問題であり、同時にそうであっても「李下に冠を正さず」という感じの疑いは常にあると考えるべきであろう。公私混同は何が悪いのか。国家権力は当然に国民全員の力の結集である。その国家権力は当然に、何の物事であっても反対派と賛成派のバランスによって成立している。そのバランスが崩れるとき、要するにすべてが同じ方向を向いたとき、基本的にはかえって民主主義は成立しなくなるのである。全会一致ということは、非常に危険なのである。そのために、常に賛成派と反対派のバランスを執り、そのうえで国家権力の正しい使い方を計らなければならない。そのようなことができないで、または疑いをかけられ、「李下に冠を正さず」という姿勢が貫けない人は、まさに大臣というよりは国家権力を使う地位にいることそのものが問題であると言える。
 そのような人、要するに公私混同の疑いがかけられる人は、やはりおかしな言動をするものである。そのことが報道された。

2月の内閣改造論浮上=一川・山岡氏の交代念頭に

 消費増税を含む一体改革の政府・民主党案が決まったことを受け、野田佳彦首相は31日、通常国会に向けて政権浮揚を図るため、内閣改造と民主党役員人事の検討に入った。政府・民主党内では、復興庁が発足する2月上旬に合わせて改造を行い、参院で問責決議を受けた一川保夫防衛相、山岡賢次消費者担当相を交代させる案が浮上している。
 これに関連し、民主党幹部は「2月に首相は内閣改造をするだろう」と指摘。首相周辺も「復興相を選ぶときが改造のタイミングだ。人事を通じて体制を立て直したい」と述べた。
 復興庁の設置期間中は専任の閣僚を置けるため、閣僚枠は1人増えて18人となる。首相は復興庁の担当閣僚に平野達男復興担当相を充てる方針。これと同時に、問責された2閣僚を含む改造を行う案が有力だ。 

時事通信 2011年12月31日(土)16時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111231-00000042-jij-pol


輿石氏、問責2閣僚交代「必要ない」 年内の衆院解散「意識していない」

 民主党の輿石東幹事長は今年初となる4日の記者会見で、参院で問責決議が可決された一川保夫防衛相と山岡賢次国家公安委員長の交代について「必要ない」と述べた。野田佳彦首相が通常国会での成立を目指す郵政改革や国家公務員給与削減などについては「政権与党の使命だ」と述べ、与野党協議がまとまらない場合は単独でも法案を提出、成立を期す考えを示した。
 首相が「不退転の決意」を示す消費税増税関連法案に関して取り沙汰される年内の衆院解散・総選挙には「意識していない」と強調。一方で「政治家としていつ選挙がきてもいいと心がけなければならない課題だ」と述べ、党所属議員に「臨戦態勢」を求めた。
 増税論議や八ツ場ダム建設再開で離党者が続出したことへの自身の責任は「全然ないということはないが、そのことを踏まえ一層がんばりたい」と語った。

産経新聞 1月4日(水)12時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120104-00000511-san-pol


山岡担当相:「ユーロ破綻する」「大津波がくる」と発言

 山岡賢次国家公安委員長兼消費者担当相は5日、内閣府職員への年頭訓示で「ユーロは破綻するんじゃないか。中国(経済)のバブルも破裂する可能性がある」との見方を示したうえで「金融・経済の大津波がやってくる」と述べた。欧州債務危機への懸念を強調する意図があったとみられるが、担当でもない閣僚が具体的な根拠を示さずに他国通貨の破綻を予言し、それを「津波」に例えたことに批判が出そうだ。
 山岡氏は「政治が混乱していることが一番良くない」とも発言。昨年末に自身の問責決議が参院で可決され、辞任を求める野党との対立で次期通常国会は冒頭から混乱が予想されるが、山岡氏は「与野党問わず態勢を整えないといけないと危機感を強く持っている」と述べるにとどめた。
 内閣府の年頭訓示は東京・霞が関の合同庁舎で行われ、藤村修官房長官や山岡氏ら7閣僚が職員約200人に訓示した。【笈田直樹】

毎日新聞 2012年1月5日 19時59分(最終更新 1月5日 21時36分)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120106k0000m010042000c.html?inb=yt

 山岡大臣は、「ユーロは破綻する」「中国経済のバブルも破裂する」と言及した。この発言は二重の意味で問題である。一つは、このようなことを言ってよいのかということだ。要するに、ユーロにしても中国経済に関しても、その経済をになっている人がしっかりと対策を行っている。その政治的な努力に対してまったく評価をしていないということになる。とくにユーロに関しては、ギリシアの危機であるのに対して、ドイツやフランスなど鹿kりとした経済をしている国々に対して誹謗中傷したのと同じではないのか。これらは国際的に非常に大きな問題である。ただ単に野党の国会議員であるときと、閣僚になり行政府の一員としての職責があるときとの区別もつかないということであれば、まさに大きな問題であり、野田首相の任命責任が問われる事態になるはずだ。
 もうひとつは、これら他国の経済危機は、その経済危機に対する日本の備えがしっかりしているかということになる。これに対して異常な為替(円高)ですら対策が十分でない民主党政権において、その対策のないことを棚に上げて発言すること自体責任転嫁であり職責を果たす意思がないものである。これは、内閣全体の問題として、これらがよそうされているのにかかわらず何も対策を講じなかったということになるのだから、非常に大きな問題でありリスク管理の問題になるはずだ。
 要するに、いずれの観点から見ても、山岡大臣に閣僚としての自覚とその職責を果たす位置は全くないということに他ならないのである。また、「内閣府の年頭訓示は東京・霞が関の合同庁舎で行われ、藤村修官房長官や山岡氏ら7閣僚が職員約200人に訓示した。」(上記記事より抜粋)とある。ようするに、これだけ内閣の全体の問題であり職責を果たさずに単純な責任転嫁をしている「他人事閣僚」の言葉を、山岡大臣を含め7名もの閣僚が出席していて、徳に訂正も何もなかったのだ。要するに、「同じ穴のむじな」まさに同類のものである。
 その職責に関する自覚がないのは民主党の輿石幹事長も同じ。「閣僚交代の必要はない」というのは、まさに「同類相哀れむ」というものでしかないのではないか。要するに、山岡大臣の何が悪いのか、そして、どうして閣僚としての資格がないのか、そのこともわからない人が閣僚に7人もいること、そして民主党は幹事長もそのことが分からないということである。もっと広い目で見れば民主党は全体が、そのような責任転嫁体質、職責の全うするという意識が全くないということになるのだ。
 そのことをしっかりと追及できなければ、野党も同じということになる。それでよいのか。二音の政治が試されているのかもしれない。

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平成23年年初放談(5) 今年の社会・復興の動きの予想

平成23年年初放談(5) 今年の社会・復興の動きの予想

  今年は、年初放談に関しても特別に後一日行わせていただきたい。通常は「政治」「経済」「国際」ということである。そもそも国会新聞の紙面構成もその三面で構成されている。しかし、昨年から、4面に必ず載せているのが「地方」「復興」ということである。
 昨年3月11日の東日本震災は、未曽有の被害となった。その被害の多くは、もちろん自信そのものの被害もあり、内陸地などにおいても被害者が多くいたことは間違いがない。また、その後電気の供給が止まったことや、薬などの常備薬の不足による被害者も少なくなかった。しかし、最も大きな被害が津波によるものであることは間違いがない。
 津波の被害は、非常にむごいものである。まさに何もかもすべて流されてしまい、文字通り猫そぎ何もかもなくなってしまっている。その有様は、以前の町並みを知っている人が見れば、涙しか出てこないものではないだろうか。それほど何もかも、町並みも生活も、思い出もすべてを流し去ってしまうものである。もちろん、人も動物もすべてが流されたのである。
 そして、津波に被害は、道路一つ隔てた向こうとこっちでまったく違う街並みをつくってしまう。三陸等に関しては、道路が少し盛土になっているのであるが、その道路の海側は何もなく、道路の山側は全て残っているというものである。もちろん、釜石の駅などは、そのまま残っているものの、当日は1.5メートルほどの海水につかったというが、全てを流されるというものではない。何とか直せば使える範囲であり、2階以上はそのまま使っているところも少なくない(もちろん全部取り壊してしまっているところもたくさんあるのだが)。私が見た釜石やいわきなどは、結局「何もかもすべてなくなってしまったところ」「一部が水につかってしまったところ」「地震の揺れだけで、津波の被害は何もなかったところ」の三段階に分かれてしまっているということになる。
 もうひとつ深刻な被害は、電気や水道・下水道、ガスなどのライフラインの復旧である。もちろんそれらライフラインだけでなく生活そのもの「復旧」がしっかりとされなければならない。しかし、残念ながら、それらの復旧はいまだにされない地区もある。もちろん、電機などはできているところも少なくないのであるが、節電要請が東北地区にも及んでおり、思うような復興がなされないのである。もちろん、福島第一原子力発電所だけでなく、東北の太平洋側の発電所はほとんど津波の被害に遭っており、東北地区の電気の事情が非常によくないことは間違いがない。そのうえ台風や豪雨の被害により水力発電所なども被害が発生したために、東北の電力は全く足りていない。本来ならば、しっかりとした電力供給の計画がされていなければならない。しかし、原発の問題ばかりがクローズアップされてしまい、被災地の電力供給に関する話は一切考えられなかった。
  被災地において、そのときに何が必要なのか。最も重要なことは何か。その価値観の判断ができない。それだけ、被災地のひとびとがおきざりにされたのである。エネルギーがなければ産業は思うままにならない。当然に、復旧も復興も進まない。資金、エネルギー、そしてマンパワーいずれもが不足している段階で、復旧も復興もできるはずがない。このような状態が、現在も続いているのである。
  政局とか大極とか、そんな子とぉいっていられるのは永田町から出ない政治家だ。あえて「政治家」と書いた。復興や復旧を行うのは、「行政府」の役目である。三権分立の「立法」「行政」「司法」のなかで行政の役目というものだ。要するに、政権与党と内閣の仕事であり、野党やそのほかの国会議員の仕事ではない。復興の話をすると、すぐに「予算が」とか「野党が反対する」などということを言うが、実際に、震災後一週間は国会を休会し、その後復興に関する法案の審議に関しては野党は応じている。それ以外の法案、たとえばソーラーパネルの設置などの法案を混ぜるので、審議が滞っているように見られてしあうのである。要するに、まったくすい違いの批判を行政府が立法府に対してしている。それを「言い訳」として受け取っている、さも、立法府が邪魔しているかのごとき報道をしているのもおかしいし、また、その言い訳で復興が遅れているのがおかしいのである。
  要するに、復興の責任者である内閣が、まったく当てはまらない責任転嫁をして、復興を遅らせている。その上、現在の野田内閣は、「まず復興第一」といいながら、やっていることはTPPと消費税増税であり、復興まったく進んでいないのである。
  しかし、私自身は、そして国会新聞としては復興がなければ日本の再発展はないと思っている。誤解がないように付記しておくと、「再発展」というのは日本が発展していないわけではない。しかし、昨年の震災で、明らかに日本は、一時的とはいえ低迷してしまったことは間違いがないのである。その低迷からの復旧で、まず生活を元に戻し、不便な部分を最小限にし(亡くなられた方や、古いもの、思い出などが流れているために、不便な部分をゼロにするとはさすがに私もいえない)、そのうで、さらに良い生活ができるように、一度不幸に見舞われたけれども、よりよくなったといわれるように、より発展し魅力的な街づくりをするような復興を行わなければならない。そのために、今年どのようになるのかをしっかりと考えなければならない。
  さて、今年の問題として社会的な発展と復興ということをしっかりと考えなければならない。そのために何をしなければならないのか。
  復興のために行わなければならないことで、いくつかここに箇条書きにしてみたい。もちろん私が個人的に考えたことであるから、これが正しいとか正しくないというような話ではない。基本的に被災地にいる人々から見れば、何を簡単に考えているのかとお叱りがあるかもしれない。しかし、何も考えず、震災を年明けとともに過去の事件にならないように、あえてお叱りを覚悟でここに書いてみたい。
  1 政治的な問題
  まずは、政治的な安定とかそういうことではなく、復興のための法整備をしっかりとしなければならないのではないか。原発による放射能廃棄物の問題もそうであるが、それ以外の復興に関しても、特例法などをやらなければならない。仮設住宅も二年で足りるのか、そうではないのか。産業を復興させるために、被災地での産業には減税もしくは免税措置などが必要ではないのか。何百万トンという瓦礫の山をどのように処理するのか。その処理方法に関してもしっかりと考えなければならない。
  政治の安定とは、永田町の安定ではない。そのような「被災地に関して必要なことを提案し審議する環境」であり、与党の独断場でよいものではない。「独断場」ならば「被災地の意見の独断場」とすべきである。松本龍元大臣のような「やる気のない奴は」などというようなことはとてもできない。実際に、やる気のない人は問題があるが、一方で、苑よな案も浮かばない人も少なくない。意見をどのようにして出すのか。そのシステムを考えなければならないのではないか。
  その政治的な問題をしっかりと解決し、必要な法律は、他の法律や政治的な駆け引き、政局などと絡めないで、また、韓内閣のように関係ない法案とセットにしないで、しっかりとした復興の法案を作るべきではないのか。
  2 経済的な問題
  間違いなく生活を行うためには産業の復興が必要である。特に東北の被災地は津波が中心であったということから海に関係のある産業、漁業や観光というところが必要である。もうひとつには、産官学の連携や研究施設、そして企業の誘致ということが必要である。しかし、それだけでなく上記のようなエネルギーや道路、そして鉄道の復興ということや貨物船などの航路の復活ということをしっかりと行わなければならないのではないか。
  しかし、このようなことを書くと「予算がない」と必ず言う。金がなくてもあって緒、やらなければならないことはやらなければならない。その財源を持ってくるのが、政府の役目のはずだが、いまの政府はそのような責任を完全の放棄してしまっている。そこで、民間の資金の活用、たとえばPFIなどの活用を行わなければならないのではないか。そのようなことをいかに東北の人に伝えるのか、そのようなことが必ず必要になるのである。
  3 文化的な問題
  当然に復興で発展したところで、今までの伝統芸能や文化を否定してはいけない。発展というとすぐに都市化を思い浮かべるが、必ずしも都市化することが人間の生活にとって幸せではないのではないか。伝統がある、文化があるということが最も重要である。また、過去の思い出を失った人々にとって、伝統芸能や祭りなどが残っていることは、どれほど心強いことか。
  それだけではなく、歴史を残すことや伝統を残すことは、当然に観光という産業にもつながるのである。民俗学者の柳田国男は、そのようなことを民間伝承として残している。その内容をしっかりとどの地域も残すことが最も重要ではないのか。
  4 他の地域の問題
  これ以外にの地区が、被災地として当別に扱わない。俗に言う『風評被害』をなくすことが重要だ。そのようなことをしっかりとしてゆかなければならないのではないか。

  この内容はもちろん提言ではない。来年のこの放談には、復興ということを書きたいとは思えない。すでに復興の筋道が立っているという状態すべきである。間もなく震災から一年。そのときに政治は、そして経済界は、復興のために何ができるのか、一年間でわれわれは日本の復興のために何を尽くしてきたのか。そのことが問われているのではないか。

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平成23年年初放談(4) 今年の国際の動きの予想

平成23年年初放談(4) 今年の国際の動きの予想

 国際社会を言うときになって、どうしても2012年という西暦を使うようになる。基本的に元号は日本国内のことに対して使っているのであるが、海外のことに関しては西暦を使うのが腐臭になっている。ひとつには、コンピューターの発達がそうしているのかもしれない。単純に、コンピューターは数字で表すので、2012という数列もしくはその後ろ二桁で一年をあらわすことが少なくないのである。世界を言うときに、元号に近い暦の言い方は、イスラム暦などさまざまなところでさまざまな暦のつけ方がある。しかし、それを全て気にしていることはできないのである。
  あて、その暦で言えば、今年は「マヤ暦」では破滅の年とされている。実際のところは「破滅の年」となっているのではなく、今年で暦が終わっているということになっているようだ。なぜ今年で終わっているのか。来年からは新たな枠組みで暦が始まるということも考えられるのである。いずれにせよ、今年で今までの秩序が「終わる」ということは間違いがないような気がするのである。
  その意味から見ても、昨年は非常に大きな変化の年であった。昨年の初めには「アラブの春」といわれる独裁という政治体制の崩壊が発生した。そして、金融や資本主義としての秩序も非常に大きな問題になった。今まで、「民主主義」と「資本主義」「自由競争」というのはセットになっていると思っていた。そのために、「民主主義」になれば「資本主義・自由主義経済」に移行するというような感じになっていたのである。あくまでも過去形だ。基本的にロシアや東ヨーロッパの各国は、社会主義もしくは全体主義による政治体制と、共産主義経済のセットからのシステム以降がそのようになったといえる。しかし、残念ながら昨年からそのようになっていないのが現状である。
  「アラブの春」といわれる政治的な独裁の終焉から民主主義への以降もしくは資本主義への以降は、スムーズには行われていない状態になっている。もちろん、しばらくの間は政治的にも経済的にも混乱が発生する。特にエジプトやリビアのように、ほぼ内戦に近い状態で武力衝突が起きた国に関しては、日本の東日本大震災のように、国内の都市部が破壊され、経済の活動も非常に大きな問題になっている。しかし、その中において内戦(革命)前への復旧、そして復興更なる発展ということで、国家の発展をしなければならない。しかs、その中心となる資本主義が、揺らいでいる。
  「民主主義政治」「資本主義・自由主義経済」の揺らぎは、皮肉なことに日本とアメリカとヨーロッパ、要するに先進国によって引き起こされたのである。
  昨年発生したユーロ危機、これはギリシアによる債務超過状態の財政と財政の裏付けのない通貨の統合ということが一つの要因になっているのである。財政の裏付けのない通貨の発行ということが、金融資本主義の一つの特徴になってしまっている。そもそも、通貨は金兌換紙幣など何らかの価値のあるものの兌換性のあることによって価値を維持していた。要するに、各国家で独自の通貨を発行しながら、世界共通で価値のある金や銀などと交換できるということによってその国際的な価値を維持したのである。しかし、戦後兌換性を廃止し信用通貨制度になった。「信用通貨」とは、信用を基礎にして流通する貨幣(厳密には貨幣代用物)。基本的には支払手段としての貨幣機能から生じたもので,最初に商業信用に基づいて商業手形が信用貨幣になったが,銀行信用の発展に伴い,これを基礎にして流通する銀行券が現代の代表的な信用貨幣になっている。ようするに、この内容の「銀行」とは各国の中央銀行ということになり、イコールで国歌の信用ということになる。国家の信用が、その信用をどのように担保するかということは、国家の収入や資産、あるいは生産力などによって作り出され、その範囲の中で借金を行い同時にその借金で新たな投資を行いながら国家の緩やかな発展を期待されることによって生まれるものだ。要するに、現在の国力と、これまでの国力の総合力による将来への期待感がその国家の通貨の信用力を決めることになる。
  しかし、その「期待感」に対して、投資をするということは、ある程度の資本がなければなできないということになる。この資本を持つものと持たない者の格差がどんどんと広がるのが信用に投資をするというシステムである金融資本制度であり、また、この信用を裏切って信用に気にせず国債を発行し続けることによって行われる瀋陽の棄損はユーロ危機を引き起こしたのである。
  要するに、信用通貨制度に基づく金融資本制度が、一つは信用の棄損という意味でユーロ危機を生み出し、一方で期待感に対する投資ということで、格差が広がることに対する是正ができないということに関しては、アメリカの格差でもが発生したのである。
  この二つの通貨に関する異変は、独裁政治の終わりおのちに民主主義に移行しても、その国の経済を担う資本主義、自由経済競争が、必ずしも万能でないということを表してしまった。
  このような環境の中で、世界の大国のトップの交代もしくは選挙がおこなわれる。1月14日には台湾が総統選挙を行い、4月にロシアの大統領選挙、7月にアメリカ、10月に中国、12月に韓国の大統領選挙がおこなわれる。現在の国家のトップは、その変化に対応するというよりは、変化そのものを起こさないように現状維持を行うということを考えようとしている。そのために、急激すぎる変化には抑制の力を発生させ変化への対応を行うことはしないようにしているのである。
  しかし、変化そのものはすでに様々なところで起きている。一つは情報の関亜で、一つはアラブの春に代表される民衆の力、とくに資源の埋まっている中東で行われているのである。そして最後には、先進国の各国で格差でもという形で行われている。この変化の波は、昨年は抑えようとする力の方が勝っていたが、残念ながら今年には変化の力の方が大きなものになるのではないか。ロシアでは、12月の総選挙の結果に反対するデモが発生した。このデモは、ロシアの政治体制に対して発生したものであり共産党が大きく議席を伸ばしたものではないかと考えられる。改革と資本主義から格差が大きくなり、懐古主義が芽生え、プーチンの独裁に対する勢力が共産主義の復活を望み始めたのである。もちろんこれらに関しては、共産党の独裁や平成版のロシア革命が起きるとは思えないものの、ペレストロイカ以降初めての大規模デモに対して、ロシアの大きな問題が発生しているような気がする。その内容は、単純に、ロシアの政治体制に対して小さいながらも波紋を投げかけた部分では変わりがないものと考えられる。プーチン首相が次の大統領選挙でどのような勝利になるのか、そしてどのような対処を行うのか。その内容によっては大きな革命につながる可能性を秘めている。
  1月の台湾の総統選挙も同じだ。今のところ民衆のデモは発生していない。しかし、その結果に応じては中国(大陸)の介入ということがいわれるようになる。その内容は、単純に、国家「中華民国」を左右する大きな選択になる。政治介入を武力で行ってもあまりよい結果にはならない。そのことを最もよく知った国、戒厳令が40年近く続いた国である台湾でも、いまだにそのような選択が行われる。
  アメリカでも、経済格差に対する格差デモが行われ、またイラクからの撤兵が行われたが軍需産業の低迷と、そしてイラクからの撤収退役兵の再就職が大きな問題になっている。一つに国家という考え方と同時に、民衆という大きな力が発生し、不満や生活苦を政府に対抗する力となるようになるのである。
  また、中国ではその民衆のデモがすでに年間30万回も発生していると伝えられ、チベットやウイグルの独立を目指す力は非常に大きな問題になっているのではないか。その内容は、非常に大きなメッセージとして発生されている。
  さて、そのような変化を目指す力は、1年という短い期間で何とかなるようなものではない。今年は世界的に見れば「カオス【混沌】の初めの一年」ということができる。私もこのカオスノ一年目ということは予想できるが、それ以上、カオスがどのようになるのかということは予想の範囲を超えていると言わざるを得ない。
  各国がそのカオスに対応できる政権ができるのか、あるいは各国で守旧派が主流を持つのか、そのことは非常に大きな問題として日本の外交の指標になる。大国に追従するだけではなく、大国のの力を利用しながら、大国に左右されないしっかりとした外交、そしてしっかりとした力を持たなければならないのではないか。
  その意味で、今回は海外・国際関係に関する標語を考えてみたい。

  「カオスの始まりの一年に対応できる政権を選択できるかが試される一年」
  「各国の変化に対して、日本は大国を利用する独自外交に切り替えを計れるか」

  あえて「はかる」を「計画の計」の字にした。今年独自外交をスタートするのではない。その独自外交のための準備をしなければならない。そのためには、しっかりとした情報とその分析を行わなければならないのではないか。日本のために、国家のために、そろそろ役に立たない政権に見切りをつける。これが日本の国際関係の第一歩なのかもしれない。

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平成23年年初放談(3) 今年の経済の動きの予想

平成23年年初放談(3) 今年の経済の動きの予想

 経済は、事前にいっておくが私は経済の専門家ではない。しかし、経済そのものの話は、今は政治や国際関係をも動かすほどの大きな話になる。また、経済そのものによって、何よりも「主権者」となる国民の生活も変わるのである。そのために、場合によっては政策や、政権の根本原理よりも経済政策を早紀に考えなければならなかったり、選挙対策のために、主義主張とは異なる経済政策を洗濯しなければならない場合もあるのだ。
  そのように非常に大きな影響を与えるのが、経済の話である。
  さて、その経済の中において「財政」と「景気対策」の二つを分けて考えなければならないのではないか。実際に経済評論を聞いていると「マクロ」「ミクロ」という単語で言い表されることも少なくない。厳意に言えば「マクロ経済」と「財政」はまったく違うものであると考えられるのでるが、そのような話を混同して解説する人も少なくない。
  ちなみに、昨年の年末に、このような感じで「経済評論家など」と書いたところ、特定の人物ではないかということを宇人がいた。残念ながら、私自身経済評論家とファンタジー作家を区別する力くらいはあるので、笑い話のひとつとしかならないのであるが、一応ここに付記しておく。
  さて、話を戻して、本来は「財政」「景気対策」と「国際金融(為替)」というように分類してかたらなければならない。また、経済に関しては「現在の経済」と「将来の経済(投資)」という時間軸的な分類もあるのだ。このように分類すればどれがマクロでどれがミクロというような話にはならないはずである。それでもマクロ・ミクロという話をする。基本的に経済学的にはそれでよいのであるが、経済学的にひとつ尾結論が出るのであれば、世界同時の不景気などは起こるはずがないし、何か不測の事態が発生しても、その内容を回避するだけの知恵があるはずだ。単純に言えば「失われた一〇年」などということにはならないはずなのである。
  今回のような機会もないので、まず私個人の経済学に対する考え方をご披露したい。
  まず、経済というのは、いくつかの要素で変動するものである。その要素の主なものは需要と供給である。しかし、必要最小限で生きてゆくような人は少ない。経済が必要最小限の内容で稼動しているのであるとすれば、人数に必要最小限の物資の乗数で慶喜の葉には決まってしまう。しかし、そのような味気ない生活を望むものは少ないのではないか。要するに、経済に最も重要なものは「無駄遣い」と「可処分所得」ということになる。必要最小限の投資しか必要ないということであれば、それ以外の資金は全て「無駄遣い」ということになる。そしてそれを実現するのは各人の「可処分所得」ということになろう。一方で、時間軸に係る分類から言えば、日本の国家や各個人にかかる「信用」が重要ということになる。信用は、まさに「安心感」である。信用をつけるということは、借金をしないことではなく借金をしてもその借金を返し続ける(金利を払い続ける)力があるk徒とされている。そもそも、この借金を返し続ける力よりも、無借金のほうが信用があると思うのであるが、どうもそこは経済の素人考えのようである。
  この「景気をよくすべき」「財政(信用)を維持すべき」という二つの考え方があり、そのどちらを優先するかで、大きな問題になっているのである。日本の経済のもんぢあは、その双方をいっぺんに解決できないという常態の中において、何を優先するかという事の論争と政策の問題であるといえる。
  そして、私の経済学の雑感である。これは反論が非常に多いかもしれないが、あえてここに書いておく。経済学は、過去の統計を基に考えるものである。過去の統計を元に考え、その周期性や、景気動向を元に、どのように考えるのかということから、経済を学問的に、考えるというのが経済の考え方のひとつである。もちろん、周期的といってもそのような周期的なものに変わるものではない。周期的に変わるならば、失われた10年などという現象が起きるはずはないし、世界同時株安のような現象もないであろう。ようするに、過去の統計から学びながら、ある意味で法則性ではない何かがあるのである。ここからが個人の意見なのであるが、上記のように、経済に関しては、同時代における横の広がり、そして将来への期待感とかこの信用という時間軸を基にした分類がある。そのために、非常に立体的な中において変動するものである。そして、その変動の要因のひとつが「信用」であり、もうひとつが「期待感」そして「可処分所得」と「購買意欲」のバランスである。結局どれも「人間の感情」に起因しているものばかりである。
  人間の感情を学問化したり、評論したりというのは、かなり困難である。集団心理学などをおおなっているのと青まり変わらない。それも「心理学」といって行ってるのであれば良いが、残念ながらそのようにはなっていない。「経済学」などというように、いかにも難しい学問のような漢字で物を言っている。特に日本の場合はブームというような感じで、物の購買に関してはマスコミの行っている報道に大きな変化が出てくるのである。これは消費者だけではない。設備投資なども何も亜全てマスコミの報道に左右されるような形である。不景気とマスコミあ奉じれば、他にあわせて不景気にしてしまい、経費を節減する。どんどんと冷え切る状態になってしまうのである。
  「民主党不況」という単語と「マスコミ不況」という単語を「民主党の闇」という本の中において記載した。たぶん正式に書生などでそのようなことを書いたのは私が初めてではないのか。週刊誌は私が本を出した3ヵ月後から「民主党不況」という単語を使っているが、実際「マスコミ不況」という単語はいまだに誰も使っていない。
  民主党不況とマスコミ不況。この二つの不況の間には、共通点がある。民主党は、寺院等と官僚の不正を暴いた。実際にこれにより無駄でもない経費が無駄遣いとされた。無駄遣いは、上記のように慶喜を浴するための可処分所得の大きな余蘊であるのに、それを削った。もうひとつは、マスコミ不況。民主党は自民党と公明党と官僚だけをターゲットにしたが、マスコミは有名人や企業のトップにその範囲を広げたのである。要するにマスコミ不況によってタダ政治や税金の使い方の無駄をなくすという話が、社会全体に蔓延することになったのである。さて、このように書いてもタダの無駄削減という「良いこと」のように見えるかもしれない。しかしじっさいにふきょうにおとしいれたのは、この無駄削減にかこつけた「ねたみ」の精神でしかない。要するに自公政権に執られていた利権に対して「嫉み」がそのようにさせた。単純に言えば、その嫉みの共感が大きな流れになった。不況という感覚と不景気という感覚、もっと言えば「自分が満たされていない」「得れ美に出ている人よりも不幸だ」と言うような感覚を蔓延させるには、民主党という政治家集団とマスコミが組んで同じ事を繰り返せば十分であったろいえる。
  この感覚は、昨年話題を呼んだブータンがそうだ。ブータンは90%に上る国民が「自分たちは幸福」と考えていた。しかし、幸福ですかと聞くようになると、不幸の感覚が増えるようになるのである。要するに、人間には欲がある。その欲を十分に満足させることはできない。そのために、不幸かと聞かれれば、不幸でないとも思う。しかし、幸福かと聞かれれば現状に満足はしない。これが人間である。その人間の心理、特に日本人のようなそのような嫉みの感情が強い日本人の性格から考えれば、そのようなやり方が最も大きく嫉みの感情が蔓延するのである。このことのために、マスコミは大きな金額ではなくなるべく庶民に「悪い」と印象付ける内容の金額を設定し、その金額に親近感を中心に報道を行った。麻生元首相に対する帝国ホテルのバーコーナーでの話などは、本来銅でも良い話である。しかし、国民のおおkに「嫉み」の感情を植えつけるには十分な印象操作であり、同時に、そのことを行うことによって、ホテルのバーコーナーで酒を飲むという行為が「贅沢」であり「無駄」であるかのような印象になった。同時に、そのような嫉みの対象にされたくない多くの会社がホテルのバーコーナーでの接待などがなくなったのである。
  接待がなくなるということは、当然に経済の活性化がそれだけ少なくなるということにある。民主党不況はこのほかに、「居酒屋タクシー」「ノーパンしゃぶしゃぶ」などさまざまなものが槍玉に挙げられ、その際たるものが「1位じゃなきゃダメですか」ということで、スーパーコンピューターや宇宙開発、伝統文化の継承などに関してもその対象にされている。
  さて、このような状態で不景気になったという「不景気の原因」がある場合、その内容が経済学的ではなく、「嫉みによる萎縮」ということがいえる。その嫉みによる萎縮こそ、今回の不況から抜け出せない大きな原因であろう。その状態のときに「増税」を行うというのであるから、会社や個人から可処分所得がどんどんと少なくなくなるということになる。財政の健全化という観点も必要であろうが、残念ながら財政の健全化を中心にしたとしても、それで景気がよくなるということはないのではないか。その上TPPなどの無制限の自由化である。そもそも「嫉みによる萎縮」「民主党不況」「マスコミ不況」の上「無制限の自由競争」「東日本震災による経済の収縮」というハンデキャップを追っている。ハンデキャップを追いながら、健常者の中で無制限の自由競争を行うようなものだ。そのような経済の争いに、日本人が耐えられるとはなかなか考え図来。それは日本人だからというのではなく、この経済状況と、ハンデキャップがあれば日本以外の国ではとっくにつぶれている。日本だからこの状態ですんでいる状態をより悪化させるなどということが遭ってよいとは思えない。しかし、自らの「民主党不況」「嫉みによる萎縮」という経済政策の落ち度を隠すための、海外への目を向ける責任転嫁経済政策が、まさに、TPPや増税という感じなのではないか。
  さて、そろそろ雑感から今年の標語を考えなければならない。今年の標語は、ずばり
 
  民間による「民主党不況」への挑戦の序幕
  復興というまやかしと、自由化競争の狭間における増税という名の経済破壊とその反抗
 
  という感じではないだろうか。そろそろ、「嫉みによる経済の萎縮」「民主党不況」「マスコミ不況」殻抜け出さなければならない。そのためには、自分たちの「良さ」を実感しなければならない。他人を嫉むのではなく、自分の良いところを探す。そのことによる経済の復興を行わなければならないのではないだろうか。

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平成23年年初放談(2) 今年の政治の動きの予想

平成23年年初放談(2) 今年の政治の動きの予想

 さて、今年の政治ということになる。しかし、今年の政治は波乱含みである。
  いくつかの事象を整理してみよう。まずは、平成21年の参議院選挙以来、ねじれ国会が継続している。ねじれ国会に関しては、基本的にしっかりとした政策と国家ビジョンが示されていなければ、政権の求心力は失われてしまうのである。しかし、民主党は自分たちの政党の綱領すら決められないほどのマクロ的政治展望のない政党である。
  そもそも、政党とは政治において「同じ志を持つ政治関係者」の集まりだ。党員はその政党や政策を支援する人であるし、政治家はその政治や政策を国会の場で立法や予算で実現する人である。しかし、その正当の政治がどのような方向に向かっているのか、もっと言えば、自分たちの政治がどこに向かっているのか。自分たちの政治の成果で、日本は、そして自分たちの生活はどのようになるのかということに関して、まったくそれらの事が決まっていないということになるのである。
  民主党の政治家に聞けば「綱領はなければダメなんですか」というようなわけのわからない逆質問が来る。しかし、政治とは、国家の全体の将来の運命を決めるものであるのだから、その行き先を示すのは当然の事。「なければダメなんですか」などという質問が来ること自体、政治家としての適正を牛な手いるということになる。綱領のない政党に所属しているということは、単純に、「収入源として政治家という職業をしている」ということでしかない。そのことは、政治家としての職を活かして、収入を増やすということになってしまう。その中には、理念も国家観も何もない。当然に「収入を増やす」ということに終始するのであるから、不正をしても稼ごうと思う。また利権に執着するということになる。逆に「自分が儲からないことはしない」ということになる。危機管理や災害対応などボランティアや奉仕の心が必要なものなどは何もしないということになる。
  業として、収入源としての政治家であれば、このようになってしまう。しかし、そのことが国民にばれてしまえば、政治家としての職業を続けられなくなってしまう。それではどうしたらいいか。これは日本人の国民性からすれば非常に簡単なことである。誰かを徹底的に批判すればよいのだ。
  何かに反対するということは、その反対論を聞いた人は何か対案があるものと錯覚する。批判を元に、支持をする人は、その反論の裏に隠れた対案や代案が、自分の利益につながると確信している人である。これは現在の反対された政策に不満を持つ人、現在の自分の置かれた境遇に不満がある火とすべてが、自分の都合がよくなるような解釈を行う。その「身勝手な解釈」をもとに反対論に集うことになる。これが「批判票」「反対者支持」の実態である。
  しかし、では反対論者が実際に政権を執るとどうなるか。これは現在の民主党内閣の実態である。この傾向の中には二つの流派ができる。そもそも反対派は現状に対する不満の集合体である。それは身勝手な解釈に基づいている。そこで、反対派が主流派になり政権を執ったときは、自然と「自分の思い通りにならない」という考え方で分裂が生じる。民主党名における主流派と反主流派の争いはまさに、政権の執り方が、統一された政策に基づいていなかったためというところに尽きるのである。そこで、ひとつのグループの独裁と、反主流派の反対ということが発生し、収拾がつかなくなる。対案、成案のない反対運動の不実な結果はまさにここに現れるのである。
  さて、その民主党政権が昨年の末になって「同じ反対派」によって分裂しようとしている。私の個人的な感想からすれば、良く持ったほうだ。民主党の中には、「身勝手な解釈」以外に妥協点を見つけることができない人がいる。いや、そのような人しかいないと考えても良い。主流派も妥協点を見つけることができないし、反主流派も歩み寄ることができない。要するに、身勝手な解釈と何かに反対していることが求心力の根本をなしているのであるから、身勝手な解釈が通らなくなれば反対する勢力になってしまう。
  これが現れたのが、まさにマニフェストと、そのマニフェスト保護に対する離党騒ぎである。昨年平成二三年の12月29日の深夜まで行った消費税増税の論議がその中に入ってくるのではないか。民主党は、香料がないために、結局のところ自民党・公明党政権という、政権応対前の政権に反対するための求心力をマニフェストという書面によってまとめた。しかし、その「マニフェスト」はまさに事項政権の反対意見を的股だけの「身勝手な解釈の集合体」でしかなかった。そのために、何かを通せば何かが通らなくなるという、完全に矛盾に満ちた内容であった。その一例として、バラマキをしながら財源を作らないということでも十分だ。マニフェストができたときは、環境に配慮しながら高速道路無償化なども台に上っていた。景気対策をしながら公務員削減、無駄削減というのも非常に大きな問題であった。これらに関しては、民主党という政党が批判を中心に集まった集団であり、「反対というスローガン」がなければ矛盾だらけの政策しかない集団であるということを証明してしまった形になったのである。
  現在の政権を担った政党が、まとまりがない、綱領がないという批判はある。しかし、その実態が「身勝手な解釈」と「誰かの批判または反対」でしかないということである。しかし、自らが政権になってしまった場合は、自分自身の解釈の齟齬の調整と、新たな敵、様子売るに批判を行う相手を探さなければならない。
  民主党は、齟齬の調整はできず、また新たな「批判または反対の相手」をいくつか求めた。一つ目はアメリカ。アメリカの反対を行った内容が普天間基地の移転となり、これまでの日米間の良好な関係を既存した。第二が官僚。「官僚主導から政治主導」という、法政大学の松下圭一氏が提唱した「地域主権」にならって、官僚主導政治という不思議な呪文の中に埋没してしまっている。官僚というスペシャリストを使いこなす政治家というゼネラリストの「役割分担」ということをまったく否定しているのだ。これは、松下理論の中では「市民」ということを基本に考えるために、国家土地法の役割分担も、官僚と政治家の役割分担もおのおのの得意な内容を行うという事によって全体が向上するということがまったくわからない。会社組織の中で全員が社長というような歪な形を、国家や地方自治体、官僚組織、そして政治の中において行う。その中には、国家の政治家が偉いという画一化された価値観の中で政治を行うことになっている。
  話がそれたから、急激に戻すが、第二が官僚を反対派にした。そして第三が「自民党」であった。この自民党に対する内容は甘利にも稚拙に過ぎる。「自民党が」というくらいならば、政権を持っているのだから、自分の力で変えればよい。しかし、その内容がまったくできない、要するに政治権力を使うことができない、自分たちの政治力がまったくないということ、自民党に劣るということを、自分の口で国会で答弁しているというものである。「自民党が」などといっている暇があれば、お得意の政治主導でさっさと制度を変えればよい。それができない言い訳をしているのであるから話にならないのである。
  そして四番目に出てくるのが「内部批判」である。これも鳩山政権おはじめのうちはなかった。しかし、菅政権になってから「脱小沢」という標語が流行し民主党内部の小沢一郎氏とその周辺の議員を目の敵にするようなった。一方、小沢一郎氏周辺の議員は反執行部として、溝を深めていったのである。この党内批判は、双方が内戦状態のように行っているので、与党内部の意見の統一が図れなくなってしまっている。この内戦状態は、まさに、上記の「身勝手な解釈」と「何かに反対する」ということが内部で繰り広げられた状態である。「脱小沢」「執行部批判」は対になって、現在の政治の低迷の大きな要因になっている。
  この中において今年どのようになるのか、ということである。日本の政治は、自民党などの野党とは関係なく、民主党の「身勝手な解釈」と「何かに反対する」ということが、顕在化するといえる。この顕在化が、早くなれば早く行われるだけ、安定した政治の入り口が近づくのではないか。この内容が、まさに、大きな問題である。いつまで「身勝手な解釈」と「誰かに反対する」政治が続くのか。もっと言えば、その種穂が政権をとるための方便ではなく、それしかできないあまり力のない人々だったということが、日本人のもっとも大きな不幸ではないのか。
  一方、野党は。という声が聞かれる。残念ながら、野党に特筆すべきことはない。野党も二種類がある。ひとつは「確かな野党」を標榜する野党は、どことは言わないが、今までどおりに批判をしながら少数意見を代表して、発言や政治活動をすればよい。しかし、民主党に取って代わる野党、要するに次の政権を狙える位置にある野党、これもどことは言わないが、この野党は、単に批判をするだけの政治をしていては話にならない。要するに私が「民主党の闇」という本に書いたが、批判からは何も生まれないのである。そこで、建設的な政策を行うべきである。なお、その建設的な政治政策を行う前に、ここで野党の種別を行った事について言及する。「次の政権を狙える位置にある野党」という書き方をした。このように書くと常に短絡的に、「自民党と書けばよいのに」という人がいる。しかし、私の場合、次の選挙において自民党が単独過半数を執るとは限らないと考えている。その場合は、公明党たたちあがれ日本、みんなの党などの連立内閣になることも考えられる。その場合、連立に参加する政党は全て「次の政権を担える位置にある野党」といえるのではないか。
  さて、では、元に戻って建設的な政治政策を行う場合は、当然に、その根本の原理をしっかりしなければならない。小手先の政策に流されたり、マスコミの意見などに降り間wされることのない、しっかりとした根本原理や原則論に根付いた政策をおおなわなければならない。自民党・公明党の下野は、まさに「根無し草になった政策への制裁」ではないかとかんがえるのである。
 
  さて、長くなったので、そろそろ今年の予想を考えて見たい。
 
  「更なるカオスへの突入と長いトンネルで政策の迷走」
  「各政治家一人ひとりが根本原理や原則論を試される一年」
 
  になるといえるのではないか。
  毎回書いているが、この予言が当たっているかどうかはわからない。はっきり言うが、政策の迷走などというのは、当たってほしくない予言だ。しかし、上記の流れからそのようにしか考えられないのである。なお、あらかじめ言っておくが、昨年のような大きな自然災害があった場合などは、当然に外れるであろう。また、国際政治の関係や経済の大きな変動でも、変わってくるのではないか。しかし、国内の政治の情勢だけを考えればこのようになってしまうしかないのではないか。
  政治に関してこのようになるのか否か。皆さんも、皆さんなりに考え威亜t抱いたらいかがだろうか。

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平成23年年初放談(1) 昨年の反省

平成23年年初放談(1) 昨年の反省

 毎年恒例の年初放談です。
  毎年、私は予想屋や占い師ではないのですが、毎年年初だけは「今年はどうなるか」を予想しているのです。そこで、毎年恒例になているので、今年もその内容を書いてみようと思います。年初松の内だけは、このような適当なことを言ってお茶を二度層というのです。しかし、昨年は様々色々なことがありました。また、今年はマヤ歴で滅亡の年だそうで、地球全体が大きな問題を抱えているようなものです。簡単にここで見てみると、アメリカ、ロシア、台湾、韓国、中国が大統領もしくは為政者の交代もしくは選挙が予定されている。世界が動く状態である。アメリカと日本の「チェンジ」要するに政権交代はどうも「間違いだった」という結論で終わったようである。その内容を以下に考えるか、そしてその失敗をどのように人類は取り戻すかが2012年の世界の歴史いなるのではないか。一方日本では、何よりも震災があった。この震災の大きな被害は、日本人の結束を強めたばかりではなく、日本に何が足りないのか、そして日本の強みは何かを再認識させてくれた。そして、その日本の強みを活かした復興がこれから始まろうとしている。「始まろうとしている」というのも変な言い方かもしれないが、日本にとって最も邪魔な「民主党政権」のおかげで震災から10カ月が経過しようとしているのにかかわらず、まったく復興が進んでいないのである。
 そんな中での「年初放談」である。まず何よりも昨年の内容をそのまま見てみましょう。

<以下昨年の年初放談より>
 ところで、今年は非常に難しい。
 年末から突然に政局が動いたからだ。小沢政局とたちあがれ日本との連立騒ぎ。このことは明日ゆっくりと説明しよう。問題は、これらのドタバタ政局によって、まともな製作が何も見えないということだ。一昨年はマニフェストとそれに伴う大混乱で鳩山政権が完全に崩壊に向かうことは予想できた。しかし、菅政権の場合は、残念ながら民主党の内部崩壊のようでもある。ぼろ舟に大きな穴が開いているのを、何とかみんなで抑えているような図ではないか。一方で、国際社会からは完全に取り残されたままだ。誰も相手にしないということは、そもそも、沈みかけた船に手を差し伸べるやさしい外国はひとつも無いということだ。
 まさに、これこそ日本の完全なる危機ではないのか。時代錯誤の意あだに高度経済成長をしているかのごとき錯覚と、その錯覚から生まれる「反米」「全共闘」「内ゲバ」は、まさに平成の世の中には適合しないのだ。そのこともわからずに民主党内部で醜い賢慮k闘争を繰り広げている姿は、完全に「国民不在」の内容でしかない。
 民主党は、今まで野党時代は、自民党の批判をしていればよかった。しかし、与党で政権を担うようになってから、それでは立ち行かなくなった。これは、民主党の支持者たちも同じ事を考えている。民主党の支持者の多くは、実は「民主党の支持者」ではなく「自民党のアンチ」もしくは「現状不満の受け皿」としか民主党を見ていなかったということである。だから、該当のアンケートなどでは、平気でマニフェストどおりにならなくてもよいという意見を出してみたり、地方選挙や補欠選挙で民主党を支持しないという結果が出てくるのだ。核となる考え方の内政等には書くとなる考え方を持った支持層がつかないのは、まさに道理である。その批判勢力でしかない政権があるということは、いまや国民にとって害悪でしかないという解釈になってしまっている。このようになっては、民主党は何をやっても支持を取り付けることができなくなってしまう。まさに、国民と政権の乖離が発生する。その解決方法は「倒閣」か「独裁」という民衆が勝つか、政権が勝つかの戦いに発展してしまう。その戦いは、次の総選挙まで続くであろう。まさに、「静かなる内戦」が日本国内の政権で、その政権と国民の間でできてしまうのである。
 しかし、国際情勢はそのような日本の事情を舞ってくれることは無い。結局のところ、日本「は時代に取り残された内戦地域」になってしまう。この内戦に関して、勢力は三つに分かれる。今までの通りに日米同盟を機軸にアメリカを引き込む勢力、隣の大国中国を引き込む勢力、そして日本の独立を目指す勢力。この三つ巴の静かなる内戦が日本で繰り広げられることになるのではないだろうか。今年は、その「静かなる内戦の顕在化元年」となるような気がする。
 経済は、どのようになるのか。経済はこの三つの国内の勢力において、その勢力の軍資金を以下に調達するかということに尽きる。その調達先は、「静かなる内戦」というだけあって、結局欧米や中国、東南アジア、中東といったところの金銭を誘引することになるであろう。その誘引合戦が、まさにAPECで話題になったTPPという条約締結を元に行われることになる。このTPPを第三の開国という人がいる。しかし、日本はすでに開国している。日本人が日本人であるために最低限の保護をすることは「開国」ではなく「亡国」でしかない。しかし、それが「開国」という標語で踊らされて、その内実を知らないということになるのではないか。まさに、「政権交代」という標語で踏み誤った日本の政治と同じ路を経済界が突き進むことになるのかもしれない。自由競争市場になるということは、まさに、日本国内も完全なる自由競争市場、要するに経済上の戦争状態になる。日本国内の企業群が、弱肉強食の中に入ってしまう。「開国という名の死地へ出向く日本企業」ということになる。これを阻止することは、なかなか難しいようだ。

 ということで、今年もまたかなり悲観的であるが、
「基本無き政治主導による、静かなる内戦の顕在化元年」
が政治の世界の標語
「国民と乖離した自由競争という名の弱肉強食社会にエサとして飛び込む日本経済」
が経済界の標語になるのではないか。

<以上昨年の年初放談より抜粋>

 さて、まず全体像から昨年の内容は当たったのか外れたのか。この感覚からすれば、簡単に「ハズレ」といってよい。さすがに昨年の震災まで予想することはできなかった。だから上記にあげられた内容は外れたといって過言ではないのではないか。
  さて、簡単にそういながらも標語に関してだけ見てみよう。
 
  「基本無き政治主導による、静かなる内戦の顕在化元年」
 
  これが政治の世界の標語である。
  政治の世界では、菅直人前首相のあまりにも無責任な震災対応が明らかになった。そのことは6月初旬に内閣不信任案が提出されたことでも明らかであるし、平成22年の「最も顔を見たくない有名人」第一位に菅直人前首相が選出されたことでも明らかである。何しろ、「一に雇用、二に雇用」といいながら、雇用政策も経済財政政策も何もしない。そのうえ、震災後は20以上の会議や委員会を乱発し、まさに「会議は踊る」である。
  ちなみに言えば、緊急時政治は決断の速度の問題である。単純に言えば、すべて現地に委任し責任を政府が負うくらいでもちょうど良い。阪神大震災のときと今回の東日本大震災の違いは、まさにこのようなところででてきてしまうのである。そもそも「無責任」「責任転嫁」「権利の主張」だけの民主党政権は、国民の信頼を完全に裏切った。最後には菅直人首相と鳩山元首相との間で「宇宙人」「ペテン師」という始末。内輪もめそのものよりも、国民から見た民主党政権の内容は全く分かっていない状態である。
  その国民無視の政権は野田内閣における消費税増税やTPPの推進派、国民と完全に、対立の様相を呈してきている。これはまだ継続の話になるが、野田内閣の暴走は年金の一元化や雇用、財政など多岐にわたる。これらすべてにおいて民主党内閣の国民無視は続いており、小沢一郎をして、次の選挙で100人は討ち死にするということばに全てがあらわされている。
  これら昨年の民主党の政治を見ていても、「基本なき政治主導」というところは当たっている。この言葉は、はっきり言って民主党が政権を執っている間はずっと使える標語ではないか。
  一方で、「指示かなる内戦の顕在化」というところは、必ずしもそうではない。実際上記のような状態であるにもかかわらず、野党各党は相変わらず支持率がうまく上がらない状態になってしまっている。国家国民のことを考えれば政治を前進させなければならないが、一方で、政策を民主党政権に妥協してしまうため、野党としての独自性が全くできていない。それどころか、徐々に野党が与党寄りになってしまっている。昨年の11月30日に行われた党首討論では、野党自民党の谷垣総裁は野田首相に完全に敗北である。これでは「民主党政権が悪い」は良いものの「自民党が頼れる」という話は全く出てこないのである。小選挙区制になって、実質的に自民党と民主党の二大政党制になっている。しかし、日本は「自民党も民主党もダメ」という「無党派層」の考えの受け皿が第三局を作る。しかしその第三局も公明党・共産党は既存政党の問題が出てきてしまっており、一方でみんなの党は、マクロの政治政策ができていない状態になってしまっている。これでがは話にならない。その野党第一党の自民党が頼りない、党首討論で敗北してしまうのでは、とてもとても「内戦」という与野党対決にはならないのである。ここで言う「内戦」は国民対政権という感じをイメージしていたと思うが、その国民の代表に野党が慣れないのであれば、旗頭のない国民が路頭に迷うだけである。だから内戦が顕在化するほどの戦いは、一部のデモ以外全くなかったのである。

  一方、経済に関する標語は。
  「国民と乖離した自由競争という名の弱肉強食社会にエサとして飛び込む日本経済」
  であった。
  しかし、これに関しては、震災・そしてタイの洪水などの自然環境によってまったく違う環境になってしまった。菅直人がいきなり加盟すると言ったTPPもまだその内容にはなっていないし、増税も現状のままである。震災があったために「国民と乖離した自由競争」はまだ行われていない。しかし、日本そのものはいつまで現在のままなっているかわからない。しかし、実際に政府が行おうとしている内容はまさにそのものである。よって、これは東日本大震災の影響で完全に外れたといってよい。しかし、この標語の当たる兆しは現在もそのまま残っているのではないか。
  さて、今年は、この「年初放談」をもう少し続けようと思う。そこで、今日は昨年の反省ということだけで終わりにしようと思う。明日以降、今年の予想を続けてみようと思う。

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謹賀新年

謹賀新年

皆様新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

本年の皆様のご活躍と日本国の一層の隆盛を祈念いたします。

なお、毎日行っているこのブログも、さすがに元旦からさまざまなことを評論しようとは思いませんので、本日は、新年のご挨拶のみで失礼させていただきます。

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