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2012年3月

教育とは何か 麻布高校氷上校長のインタビュー記事より

教育とは何か 麻布高校氷上校長のインタビュー記事より

 月曜日の夕刊フジの記事であるのだが、なかなか面白い記事があった。麻布高校の氷上校長のインタビュー記事で、多くの人が「東京大学」にはいることを目指している進学校が、その価値観を捨てているということをマスコミ上で表明したのである。
 ちなみに、土曜日のブログなので、個人的な事象を書いてみたい。この麻布の校長である氷上先生は、たぶん私の高校三年のときの副担任であったはずだ。氷上先生は「倫理」という教科を担当していたのであるが、実際は大学の哲学科の入門変のようなものであった。一年の授業の初めに「皆さん、ここに風があります。目に見えないのですが、風が存在するのである。ではなぜ風があるのでしょう」という不思議な話をし始める。哲学と思っている人からすれば、特に不思議はないのかもしれないが、高校三年生の教科としてはなかなかである。頭の中で受験勉強が山ほど渦巻いているときに、プラトンやソクラテスをならい「イデア論」を習うのだ。「受験勉強もいいが、物事の本質を見れなければ何の役にも立たないんじゃないですか」というのが氷上先生の言葉で印象に残っている。デカルトやパンセといった哲学者は、氷上先生に習ったものである。
 テストもすごい。いきなりB4の紙が配られて、上に一行問題が書いてある。「あなたにとってのイデアを説明しなさい」の一言。あとは文字を書くための罫線も何もない。絵で表現しても文字で表現しても何でもよい。それで評点が決まるのである。なかなか個性的な先生であった。
 一方、氷上先生の影響を受けて、社会になじめない人も少なくないのも事実。私の先輩でアジアを回っている人もいる。同級生でも「なんだか、会社とか社会人になると本質が見えなくなって」などという後輩もいないではない。もちろん過度な影響は問題なのであるが、実際に本質的に何が必要なのか、何が最もよいことなのか、そして何を考えなければならないのか。とかく表面上のテクニックなどでごまかしてしまい、学歴や肩書きといった、社会的なステータスで、本人の実力もないのに評価されてしまう人も少なくない。本当に重要なのはなんなのか。そのことをしっかりと考えなければならない。そんなことを教えてくれる学校であり、先生であったことは間違いがない。

麻布校長 東大に入るためだけに6年間使うのは馬鹿馬鹿しい

 今年の東大の前期入試の合格者は、昨年に大幅減となった麻布が持ち直したものの、一位の開成の大幅増が話題になった。その麻布で、いま中学入試の受験生が減っているという。名門・麻布で何が起こっているのか。ユニークな教育論で知られる麻布中学・高校の氷上信廣校長に聞いた。(聞き手=ノンフィクションライター神田憲行)
 * * *
 麻布学園は、武蔵、開成と並んで私立御三家と呼ばれる中高一貫の男子校である。50年以上東大合格者数ベスト10をキープしながらも、制服と校則がないなど自由な校風で知られている。普通の進学校でない校風に憧れる受験生、保護者も多い。
 だが今年の入試で、麻布の受験者数が減ったことが大きな話題になった。公立の中高一貫校が台頭してきて、私立受験界は中堅校以下は苦戦は予想されたものの、麻布などの難関校は関係なし、と思われてきたからだ。

 --今年の入試で受験生が減ったことが大きな話題になりました。どのように分析されていますか。
 氷上:161人減りました。そのうちの60人は関西や九州の塾が主催した受験ツアーが無くなったからです。彼らはもともと合格しても入学するつもりはなく、受験生の力試しと塾が合格者数を誇るためにわざわざ来ていたんですが、今年からそれを中止にしたようです。理由はたぶん経済的な状況じゃないかと思うんですが、詳しいことはわかりません。
 残りの100人は東京・神奈川近辺の他の学校に流れました。これは世の中が堅実志向になってきたことの反映かな、と思っています。
 --というと?
 氷上:やっぱり勉強にしろ、生活指導にしろ、細かく学校が指導してくれた方が保護者は中学・高校の6年間のイメージが持ちやすいでしょう。麻布はクラブ活動や学校行事も盛んだし、自治会など生徒の自主性を重んじる校風ですから、管理型の学校ではない。6年間息子を預けるのは「賭け」みたいに感じる保護者もいるんじゃないかな(笑)。
 --麻布に入れることは賭けなんですか(笑)。
 麻布:いやいや我々はちゃんと生徒の指導はしていますよ(笑)。僕はいつも生徒には、「二兎を追え」と言っているんです。ひとつは勉強をしっかりすること。もうひとつはクラブ活動などを通じて学生生活を充実させること。ただ麻布の自由な校風について、保護者に説明が足り無かったな、というのは痛感していて、今年からは学外で行われる学校説明会にも積極的に参加していこうと考えています。
 インタビューを行っているのは校長室。置かれたホワイトボードにはたくさんの書き込みがある。実は氷上校長は「教養総合」という授業も担当していて、ここはその「教室」にもなっている。
 氷上:「教養総合」というのは中三と高一が対象で、先生が自分が教えたい講座を立ち上げて、それに生徒が応募する形の授業です。大学のゼミみたいなもの。僕が校長になったときに授業を担当できないのがつまらなく感じたので、始めた科目です(笑)。
 過去には「そば打ち教室」を立ち上げた先生もいましたよ(笑)。僕は倫理社会の教師だったので、毎週みんなで決めたテーマについて作文を書いてきて、輪読して討論するという授業をしています。今季は「偽善」とか「ふるさと」とか「価値」などがテーマでした。
 --恐れながらそれは大学入試とはあまり関係なさそうですね。
 氷上:まあ、ほとんど関係ないよね(笑)。
 --今年の東大の前期入試の合格者が発表になりました。昨年、麻布の合格者が減りましたが今年は持ち直し、一位の開成の大幅増が話題になっています。
 氷上:僕が校長に就任した年に東大合格者が減って「麻布凋落」って週刊誌に書かれたんだよ(笑)。去年はそれ以来の減り方だった。
 --なにか対策を施されたんですか。
 氷上:そういう意見がどこからも起きてこないのがこの学校の不思議なところでね(笑)。もちろん私が現役麻布生だった頃に比べて、今はかなり勉強にも細かい指導をしています。でも東大に合格させることが最終使命ではないから。東大に入ったって、つまんない奴はいっぱいいるからね。そのためだけに6年間を律するなんて馬鹿馬鹿しい。
 それだったらクラブ活動とか、仲間との大切な時間に打ち込んで欲しい。その結果浪人したり、東大でなくったって、個人的には構わないじゃないかと思う。うちは「第二開成」になるつもりはありませんから。
 --昨年話題になった元経産相の古賀茂明さん、「脱原発」を掲げた城南信金の吉原毅理事長も麻布OBです。なにかこう、世間にことを起こす人に麻布出身者が多い気がするのですが。
 氷上:わざとことを起こそうと考えてるわけじゃなくて、ここでの6年間で既成概念を疑う、自由にものを考えるということが身についた結果、そうなってしまうのかもしれません(笑)。自由にモノを考える人間になってくれたらいい、僕が思うのはそれだけですよ。

2012.03.26 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120326/dms1203261558007-n1.htm

 そもそも麻布という学校が「進学校」であるという概念自体がおかしい。私たち学校にいた人間からすれば、麻布は「社会の縮図」であった。実際に対立しているグループから命の危険を感じることもあったし、イデオロギー闘争のような話も少なくなかった。進学校のように大学受験のための勉強などはまったくした覚えがない。上記には氷上先生の倫理の講義を出したが、そのほかでも、さまざまな教科があった。世界史で「貨幣経済」を教えるのにパチンコをさせられたり、テストで、漢詩を自分で作るなどというものもあった。
 先生のほうも心得たもので「受験勉強は予備校でやってくれ」といって、中学高校は先生が教えたいことを行うということになるのだ。私は、高校の数学で微分と積分を習ったことがない。単純に、私に教えた先生がその二つが嫌いだったからである。
 要するに、麻布というのは「自由」なのである。そのために6年間自分の考えたことを自分の思うように深く勉強ができる。大学の4年間でアルバイトのない期間が6年間続くと思ってくれればよい。その考え方は今も生きているのであると、非常に面白く思ったインタビューである。東京大学への進学が少なくなったのは、よいことなのかもしれない。われわれの学年では「あいつ東京大学に入ったんだって、これで人間終わったな」という。大学受験は「大学が求める形に自分が合わせられるか」が勝負であり、その枠を大きく超える天才を大学は扱いきれないので不合格にしてしまう。そのような規制的な大学受験をやっても意味がないというのが私たちの考えであり、私は今もその考え方を持っている。
 このインタビューにある氷上さんの言葉は、私から刷れば至極まともであり、インタビュアーが東大の合格者や受験者を数字で表し、競争心を無用にあおっているかにしか見えない。実際にそんな数字は何の意味もないことであり(受験費用ということで高校の収入には関係があるかもしれないが)、そんなことよりも社会人になって活躍する人物が増えることが最も重要である。そして日本のために働く人が増えることが最も重要なのである。その中間の過程でしかない大学などは関係ないのではないか。
 久しぶりに中学高校のことを思い出した記事である。

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「消えた年金」民主党版

「消えた年金」民主党版

 安倍内閣のときに「消えた年金」ということで話題になった。実際に、安倍内閣のときは年金は消えていなかった。民主党側の年金の一体化ということと社会保険庁による無為な公共投資(厚生労働施設など)の無駄遣いということで、自分たちの年金基金がそのようなものに使われているという嫉妬的不満が「消えた年金」として、マスコミを中心に十分な件ともせずに大声を上げたのである。その結果安倍内閣はその支持率が下がり参議院選挙で惨敗。ねじれ国会なる。民主党はこのときに「直近の民意」ということをいって解散総選挙を迫ったのである。実際に、民主党案を出すこともなくただ単に批判だけを行い、国会同意人事などもすべて拒否するという徹底振りは、現在の消費税などにおける自民党の対応以上に「子供のけんか」を思わせ、日銀総裁が半年以上不在という異常事態を作り出したのである。
 民主党はそのときの反省をしていない。自分たちが政権になればねじれ国会にっても「直近の民意」に従うこともなく、自分たちが自民党・公明党政権に対して発言したこと、やってきたことをすべて無視して、自分たちの利権の確保に救急としている。その国会審議の進め方も何もおかしなものばかりであるkと尾は、このブログを読んでいた相手いれば明らかなものではないのか。
 しかし、私が会えて安倍内閣の「消えた年金」問題をここに挙げたのは、そのような民主党の国会の進め方ばかりではなく、その「消えた年金」もそのままになっていることが笑えるのである。
 菅直人という人物に対してブーメランというあだ名がついていたことはご存知であろうか。年金未納問題のころから、自分でセンセーショナルに国会で発言していたにもかかわらず、結局、自分が年金未納だったというようなエピソードから、そのようなあだ名がついたのであるが、今では民主党全体が「巨大なブーメランが何本も刺さっている」状態であるという。かんな音一人ではなく民主党という政党が「ブーメラン政党」でしかなかった。そのブーメラン政党であるというところが、年金問題でも遺憾なく発揮している。何しろ「消えた年金」も、あれだけ日銀総裁のときに問題にした「天下り」も、年金問題で非常に大きなもんぢあになっているのである。その問題が非常に大きく取りざたされているのがAIJ投資顧問問題である。民主党政権は天下りの用語で手一杯な様子が見て取れるのである。

だますつもりなかった…AIJ社長、謝罪の弁

 巨額の年金資産を消失させた「AIJ投資顧問」(東京都中央区)の浅川和彦社長(59)は27日、衆院財務金融委員会の参考人質疑に出席し、謝罪の言葉を繰り返した。
 高利回りをうたい、多くの顧客から資金を集めたトップの面影はなかったが、「最初からだますつもりは全くなかった」などと、長年顧客を裏切り続けたことはきっぱりと否定した。
 浅川社長は午前10時半過ぎ、紺のスーツに白いワイシャツ、水玉のネクタイ姿で衆議院分館3階の委員会室に姿を現した。口元を結んで着席し、緊張した面持ちで傍聴席に目を走らせた。
 目の前で、他の参考人が「運用が好調であるかのように装った。極めて悪質」とAIJを非難する意見を述べると、力無くうなずいた。発言のため立ち上がると手を前に組んだり、小刻みに体を揺らしたりと落ち着かない様子。大手証券の元敏腕営業マンの片鱗へんりんは見られない。
 「受益者のみなさんにおわびしたい」「一軒一軒謝罪したい」などと、神妙な様子で何度も謝罪の言葉を口にする一方、「損した形で(顧客に)返したくなかった。取り戻せる自信があった」と釈明も。
 委員から「いつから顧客をだまそうと思っていたのか」と再三問われたが、「だますつもりは全くありません」と語気を強め、「(2008年の)リーマンショックの時も、損はしていない。09年3月まではもうかっていた。4月以降に損をした、という認識だ」と強気の姿勢を見せた。

(2012年3月27日13時43分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120327-OYT1T00603.htm?from=popin

全国の厚生年金基金、8割が運用経験者おらず

 全国の厚生年金基金のうち、資産運用の経験がある役職員がいない基金が約8割を占めることがわかった。
 高利回りをうたったAIJ投資顧問に資産の多くを預け年金資産の大半を失う基金が続出した背景には、基金側の運用に関する知識が著しく劣っており、運用実態などを調べるといった対策が打たれていなかった可能性が高い。
 厚生労働省は昨年、全国595の厚生年金基金(昨年3月末時点)のうち、資産規模などに応じて100基金を抽出して実態を調査した。調査のきっかけは、運用に失敗し数百億円の赤字を出した基金があることが発覚したためだった。
 調査によると、主に大企業が単独で設立する「単独型」と、グループ企業と共同で設立する「連合型」ですら、資産運用の経験者を役職員に採用していない基金が67%を占めた。主に中小企業が集まって設立する「総合型」では82%に達し、全体の平均は79%だった。

(2012年3月3日  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20120302-OYT8T00791.htm?from=popin

投資素人の天下り402人、厚年基金の資産運用

「AIJ投資顧問」(東京都中央区)の年金消失問題を受け、厚生労働省は28日、全国約580の厚生年金基金に天下っている同省や旧社会保険庁などのOBのうち、半数を超える402人が基金の資産運用を担当していると発表した。
 投資の知識や経験に乏しい天下りOBが巨額の資金を運用したことが、基金の財政悪化に拍車をかけたとの指摘が裏付けられた形だ。
 発表によると、今月1日現在で全国の厚生年金基金に721人の国家公務員OBが役職員として天下っており、そのうち、厚労省と旧社保庁のOBは計689人だった。役員は383人で、旧社保庁OBが368人と大半を占めるという。
 AIJ問題では、同社の顧客の約9割が地域の中小企業で作る「総合型」の基金で、うち6割以上に同省や旧社保庁OBが天下っていたことが判明している。

(2012年3月28日22時18分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120328-OYT1T00853.htm

 天下りの人がすべて割るというつもりはない。天下りであろうとなかろうと、その出自をとやかく言うよりは、その人個人の能力を見ながら、その人の就職を考えればよい。その人の仕事や能力に応じた内容を行えばよいのである。
 天下りがよくないのは、ひとつには、官僚時代の前職の階級によって、次の会社やそのときの社会的貢献を無視して、給与などが決められているということである。実力とその人件費が見合っていないということが最もよくないのではないか。
 上記の新聞記事で天下りが多いのは問題はないが、その人の多くが運用の経験がないのに投資顧問会社に天下りしているという事実である。その問題は、さすがにおかしいということしか言いようがないのである。その高額な人件費と報酬、そしてその運用のみ経験ということの損失が、民間の厚生年金の損失につながっている。実際に天下りというものがどれほど民間の生活に影響が出るのかということは、今回のAIJでよくわかるのではないか。
 そして、その社会保険庁の天下りのほとんどが官公労の影響下にあり、連合の支持で『一日4000タッチしかしない』などといって、安倍内閣時代の消えた年金の主役を担った人々ばかりである。要するに今回の厚生年金の消えた問題も、その前、安倍内閣時代の社会保険庁による国民年金の照合不足も、いずれも官公労と連合による職務怠慢と経験の不足によって行われた『犯罪』であるということが言える。そしてその連合の支持で政権をとった民主党は、この消えた厚生年金で防戦一方でありながらその追及を何とか逃れようとしているのである。
 社会的になぜ今回の問題ががAIJひとつの問題となっているのか。あるいは政権の問題となってしまって、官公労などの労働組合への責任問題にならないのか。このようなことを許しているから橋下大阪市長の日教組との対決などに国民の支持が移ってしまうのである。
 このように見ていれば、行政の問題は結局何が諸悪の根源かよくわかる。その諸悪の根源を根絶しなければならないのではないか。その『諸悪の根源』から表と金をもらっている政党に政権を任せてしまった日本国民は自ら滅びの道を選択したといえるのである。

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まともな議論よりも首相のメンツと財務省の意向を優先する野田内閣

まともな議論よりも首相のメンツと財務省の意向を優先する野田内閣

 野田首相が今年度中に法案を入れるということで命をかけるそうだ。そのために、法案印刷の時間などを含めれば27日中に民主党内の調整をしなければならない。野田首相がなぜそんなに強気になるのかということに関しては、本日の記事の後ろに記載するとして、まずは、法案提出までの手続きとその中の議論の名何が違和感があるのか、その部分に関してみてゆきたい。
 そもそも法案というのは、議員立法と内閣による法案提出の二つがある。内閣によるものは政府案という。議員立法は議員の何名かが集まって提出する。一方、内閣によるものは閣議の決定によって法案提出がされる。法案は内閣法制局によって文書化され、なおかつ憲法との間で法律として審査される。この中で違憲状態であったり、極度に公序良俗に反するものははじかれてしまう。その上で、国会で配布され審議されることになるのである。
 今回の法案に関しては内閣による政府法案だ。その政府法案を調整するのに与党内で法案の内容を審議する。自民党時代は政務調査会主催で各部会があり、その部会での審議の積み重ねによって法案ができてくるのである。当然に、関係者や業界の人などが部会には出席し、その部会の中で公聴会に近いことがされていた、われわれマスコミは意見は言えないが、出席者は基本的には自由の意見がいえたし、われわれマスコミは、部会の前後に代議士や政務調査会の人々などに意見を求められることが少なくなかった。要するに議員政党といいながら多くの関係者の意見で法案が作られていたのである。
 民主党の場合はまったく違う。マニフェストもいつの間にか事務局といわれるところで作られ、議員だけが発言を許される部会で意見調整がなされる。そのような部会もねじれ国会になって初めて行われるものであり、参議院での少数与党になるまでは何もなかった。
 その上、自民党の場合は、基本的には全会一致、少なくとも賛成多数出なければ法案としての提出はしなかった。しかし、民主党の場合は、前原政調会長一任というわけのわからない結論で、民主主義であるのに多数決も採らず、意見集約も行われず、そもそも消費税増税の是非やマニフェストとのすり合わせもなく、個人的な意見で物事を決めてゆく。これが民主主義の政党の行うことなのかと驚く以外にはない。独裁者がトップダウンで物事を決める北朝鮮のような意思決定のプロセスに、日本人は翻弄されている。実際に増税やむなしと思っていても、このような物事の決め方で決められるというのは納得が行かないのではないか。

前原氏「一任」、議論打ち切り=民主の亀裂深刻―消費税法案、30日閣議決定

 消費増税関連法案の事前審査を行っていた民主党政策調査会の合同会議は28日未明、前原誠司政調会長が法案の扱いを一任してほしいとして議論を打ち切った。しかし、反対派からは「一方的な終わり方で問題だ」などと怒号が飛び交い、党内には深刻な亀裂が残った。野田佳彦首相は法案を30日に閣議決定、国会提出する方針だが、採決に向け党内情勢は分裂含みで緊迫しそうだ。
 首相は28日午前、首相官邸で記者団に「丁寧な議論を通じて、党内の意見を最大限取り入れる努力はしたし、集大成の時期だった」と述べ、手続きに問題はなかったと強調。「まだプロセスは残っているので、最終的な集約を図りたい」と語った。
 27日夜に始まった合同会議は、約200人の議員が出席し、中断を含め約7時間行われた。
 焦点の景気条項で、前原氏は首相とも協議した上で、名目3%、実質2%程度の成長率を政府の経済運営の目標として法案に書き込むものの、税率引き上げの直接の条件とはしない再修正案を提示。税率を10%に引き上げた後の追加増税条項の削除も表明した。
 これに対し、小沢一郎元代表に近い議員を中心とする反対派からは「認められない」とする意見が相次いだが、発言者が一巡した段階で前原氏が「皆さんの思いは受け止めた。後は私に任せてほしい」と表明。14日から始まった法案の事前審査は、会場が騒然とする中で打ち切られた。 

2012年03月28日13時44分 提供:時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/6409494/

消費増税法案を決定 民主、国民新と協議

 野田佳彦首相と民主党の輿石東幹事長らは28日夕、政府・民主三役会議を官邸で開き、経済成長率を努力目標として盛り込むなど修正した消費税増税関連法案を月内に閣議決定する方針を確認した。30日の決定、国会提出を目指す。民主党は国民新党に法案を説明、協力を要請。亀井静香代表は連立政権離脱も辞さない構えで増税法案に反対しており、調整は難航必至だ。野田首相は三役会議で「一歩ずつ前に進んでいきたい」と述べた。

2012年03月28日19時37分 提供:共同通信
http://news.livedoor.com/article/detail/6412631/

小沢系、逆転の筋書きは? 天王山は衆院採決の5月末

 野田佳彦首相が消費税増税関連法案を30日に閣議決定する意向を固めたことで、増税反対を訴える小沢一郎民主党元代表との間で深刻なしこりが残るのは確実となった。小沢氏は今後、法案採決時の「造反」に向け、「反野田」色を強めるとみられる。ただ、首相と距離を置けば置くほど、首相サイドが自民党に再び接近し「小沢外し」に本格的に舵を切る可能性もある。果たして小沢系に逆転シナリオはあるのか-。(山本雄史)
 27日午後8時前から始まった民主党政策調査会の合同会議は、冒頭から波乱含みの展開となった。
 前原誠司政調会長が「今日、党として決定したい」と決意を語ると、小沢氏に近い川内博史衆院議員が立ち上がって一枚のペーパーを読み上げた。
 「前原政調会長への一任は致しません。現在の法案は、単なる消費税大増税法案だ!」
 川内氏は前原氏に近づきそのペーパーと、それに同調する議員約70人分の署名を突き付けた。前原氏は「意見はうかがいました」とやり過ごすしかなかった。
 合同会議に先立ち、小沢系は国会内で作戦会議を開た。小沢系の中核「一新会」の定例会。出席者から「閣議決定後のことを考えた方がいい」との意見が出された。勝負は「次」-。暗黙の意思確認だった。
 小沢系にとって今回の党事前審査は前哨戦に過ぎない。本番は法案の衆院採決が想定される5月末だ。
 だが、前哨戦でいかに「火ダネ」を残すかも重要だ。採決時に反対票を投じる「口実」が必要なためだ。小沢氏は事前審査に参加するよう側近らに言い聞かし、出席者の過半数以上を常時「反増税派」で占める状態を維持させた。
 現在、グループ内で検討しているのは、副大臣、政務官に就いているグループ所属約10人の一斉辞任だ。じわじわと首相への圧力を強めようという戦術だ。
 首相は今国会での法案成立に「政治生命を懸ける」と述べ、自ら退路を絶っている。小沢系にとって、これこそが「野田降ろし」の最大の根拠となる。このため、まずは法案の継続審議を狙う。採決に至ったとしても、大量造反によって成立を阻止する。
 だが、こうしたやり方は、首相サイドが自民党との大連立や、消費税法案の成立と引き換えに衆院を解散する「話し合い解散」を再び模索する動機になりかねない。民主、自民両党の連携は、小沢氏の「数の力」の無力化を意味する。
 党内では執行部を執拗に糾弾する小沢系に嫌気がさしている中間派は少なくない。最大の懸念材料は、4月26日予定されている小沢氏の判決公判だ。有罪判決を受けるようなことがあれば、首相より先に小沢氏の政治生命が危うくなる。
 結局、首相を確実に辞任に追い込む材料は乏しいのが現実。小沢氏は27日夕、CS放送の番組収録で、執行部について「権力主義的なやり方だ」と吠えるのがやっとだった。

2012.3.28 01:58 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120328/stt12032801580001-n1.htm

『財政の健全化に向けた考え方について(概要)』という書面が財務省のホームページからダウンロードできるのである。「財政制度等審議会財政制度分科会において公表された「財政の健全化に向けた考え方について」(平成23年12月9日)の概要を事務局の責任においてとりまとめたもの」という注釈が書かれており、その7ページに「経済が成長すれば、税収が増加するため、財政が自動的に健全化するという考え方がある。」とし、景気動向を優先すべきというものに関して、財務省の反論が書いてあるのである。
「 上記の諸点を総合すれば、
(ア)経済成長により歳入は増加するが同時に歳出も増加し、両者の伸び率の差はそれほど大きくない
(イ)歳出規模に対して歳入規模が小さいために、歳入の伸び率が歳出の伸び率より大きくても、金額としては歳入の伸
びは歳出の伸びに比して小さくなり、財政収支の改善がもたらされない可能性もある
(ウ)これらに加え、高齢化等の要因により経済成長するかどうかと関係なく常に生じる歳出の自然増が存在する
ことから、経済成長に伴う増収が財政収支の改善に与える効果は限定的であり、経済成長だけで財政を持続可能なもの
となるよう健全化させていくことは困難である。」
 といい、要するに『高齢化社会で行政サービスが増えるから財政再建は必要であり、そのために消費税を増税すればよい。そのためにか景気回復などということは期待できない。景気を悪化させても行政サービスを優先させるべき』という本末転倒の考え方が示されているのである。
 そして、同じ書面の8ページの『財政の健全化の実現に向けて』と題された書面では、「社会保障・税一体改革成案に基づき、2010年代半ばまでに段階的に消費税率(国・地方)を10%まで引き上げることで、財政運営戦略に定められた2015年度段階での財政健全化目標の達成を図る。」と、現在の野田内閣が「命がけで」行おうとしている消費税増税がかかれており、「2015年度の財政健全化目標の達成は、財政健全化に向けての一里塚であり、2020年度の財政健全化目標等の達成に向け、さらに不断の取組が必要。」と、現在民主党内で議論されている更なる消費税増税に関することが書かれているのである。その上、民主党内で議論している景気条項に関しては、同ページの下部に「経済との関係を意識し過ぎるあまり財政健全化の取組を先送りすれば、その先の我が国経済への悪影響を拡大するリスクがあることを認識しながら、取組を前に進めていく必要。」と景気条項などを入れるのは不可能という藤井元財務大臣の発言の根本となることが書かれており、また、野田首相の「不退転の決意」の根源となるものは、同ページの最下部に「を国民に対して丁寧に説明しながら、強い意思で財政の健全化を実施に移していくことが必要。」とまでご丁寧以下いてあるのである。
 消費税増税をめぐる完全なる財務省の野田内閣支配の構造は、この書面でしっかりと書いてある。
 皆さんも財務省のホームページから見てみると面白いのではないか。民主党の問題は、国民や景気動向などよりも、財務省の以降を重視していることであり、その価値観を疑わないことにある。それだけ政治主導をうたった民主党内閣の「空虚な嘘」が与えた日本国への負の影響は大きいということである。その上、国民的議論もなくそれを推進した野田内閣の「政治不存在」はまさに万死に値するものではないのか。

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国際会議の場で日本の恥をさらす外交オンチの民主党政権

国際会議の場で日本の恥をさらす外交オンチの民主党政権

 民主党の外交や国際会議でよかったものはない。
 大体の場合、首相の個人的な発言を公の場で行いながら、個別の会談を設定しろくでもないことを行ってくる。こんな外交で日本が壊されてゆくばかりでなく、世界で活躍する日本人がどんどんとその信用を失ってゆくという現実を目の当たりにしている。信用を失うということは、何も現在活躍している日本人の瀋陽が失われるというだけではない。直接的にはそういうことになるのであるが、実際は、過去日本人ががんばってきて今まで築き上げてきた日本という国家の瀋陽が、馬鹿な首相によって破壊され、将来の日本人も「以前日本の首相がこんなことを言って何もしなかった」「あんなことを約束した」などという負担を背負わされることになる。
 現に、村山談話などによって、現在の日中関係は非常に複雑なものになってしまっている。そして、その部分の負の遺産を背負わされているのは、今の日本人である。村山首相は、戦前戦中の日本人の八紘一宇を初めとした崇高な理念を踏みにじり、戦後高度経済成長を成し遂げ、世界にその経済力を示した戦後の日本人の経済や外交そして技術力を外交の場で無のものにしてしまい、そして、村山首相が退任した後の日本人に戦後賠償や南京の言われなき大虐殺など空想や妄想の賠償の支払いという負担を背負わせたのである。
 さて、今回野田首相はどうであろうか。
 昨日ソウルで行われた「世界核サミット」。この中で野田首相は「原子力施設の脆弱性」ということで、演説を行った。これは裏を返せば、日本は、野田首相または菅首相で、日本の原子力発電所の脆弱性、そしてテロにさらされてもどうにもならない日本という「危ない国家」を作り出してしまった。
 そもそも、原子力に関して日本はもともとしっかりとしたセキュリティが施されていた。何も軍事施設のようなない湯があるのではない。しかし、日本に名なぜか原始y録反対派という不思議な人種がいて、その監視の目はしっかりとしていた。しかし、福島原子力発電所の事故を元に、原子力は完全に無制御になってしまった。平和利用という名の下に、軍事や警備を介在させ内閣を作ったのは、まさに東日本震災後の民主党政権である。野田首相は、それを世界に表明してしまったのである。

「原子力施設の脆弱性克服」問われる実効性 核安保サミットで野田首相表明

 ソウルで開催中の第2回「核安全保障サミット」の全体会合で演説した野田佳彦首相は、東京電力福島第1原子力発電所事故を踏まえ、「原子力施設の脆弱(ぜいじゃく)性を克服する」と表明した。これに対し、参加各国の視線は、原子力先進国とみられてきた日本が原発再稼働にどう道筋をつけるのか-に注がれている。ただ、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働問題をめぐる首相の政治主導は見る影もないのが現状で、何より「実効性」が問われている。
 「新設予定の原子力規制庁を中心に据えた態勢を整備する」
 原発事故により、テロ攻撃にさらされる危険性も改めて認識させた原子力施設の安全確保に向け、首相は日本国内での取り組みの柱として原子力規制庁の発足を掲げた。「各国の参考に供したい」とも強調したが、大前提となる原子力規制庁は設置法案の審議入りすら見通せていない。
 「本来であれば、大飯原発の再稼働の判断基準は原子力規制庁が示すべきだ」(政府高官)と指摘されている。ところが、国民の信頼を失っている内閣府の原子力安全委員会や経済産業省の原子力安全・保安院に安全評価を委ねざるを得ないのが実態で、参加各国は首相の言葉を額面どおりには受け取れないだろう。
 首相は具体策にも言及した。原子力施設の安全確保と核テロ防止に共通する対策では、津波で電源を失い大事故を招いたことを教訓に「(原発の)電源装置を増強する」と強調した。
 事故対応については「現場での異なる組織間での連携が欠かせない」と指摘し、陸上自衛隊と警察、海上自衛隊と海上保安庁との間で共同実動訓練を実施する考えも明らかにした。
 また、テロ攻撃に特化した対策として(1)武装治安要員の増強と巡視態勢の強化(2)原発で働く従業員の身元を確認する制度の検討-などを挙げた。
 それらの必要性は論をまたないが、原発事故から1年たってもいずれも「未来形」のまま。とりあえず「言うだけ」で実現に向けた道筋、実効性が担保されておらず、かえって原発先進国としての信頼を回復する上で阻害要因となりかねない。(ソウル 半沢尚久)

2012年03月27日12時22分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/6406913/

核物質の管理強化を協議…核サミットで各国首脳

 【ソウル=石黒穣】核安全サミットの全体討議では、核爆弾に転用可能な核物質がテロリストの手に渡ることを阻止するため、各国首脳が管理強化の方策を話し合った。
 李明博イミョンバク・韓国大統領は「世界中に高濃縮ウラン1600トンとプルトニウム500トンが存在しており、あまりにも多い核物質を迅速に減らし、廃棄していくことが核物質を用いるテロを防ぐ解決法だ」と述べ、オバマ米大統領が提唱した「核兵器なき世界」の実現に向けて世界が協力していく重要性を訴えた。
 オバマ大統領は、2年前の第1回サミット後の成果として「原子力施設の防護対策や核物質管理が強化されてきた」と述べたが、その一方で、保管が不備な核物質がまだ世界の至る所にあると指摘。「ほんの一握りの核物質がテロリストの手に渡れば何十万もの人々の命が危険にさらされる」と語り、「世界の安全は今後の我々の行動にかかっている」と強調した。
 胡錦濤フージンタオ・中国国家主席は、「(中国)国内の研究炉を高濃縮ウランを使わない構造に改良してきた経験を他の国にも伝えたい」と述べ、各国の取り組みを支援することへの意欲を示した。

(2012年3月27日14時57分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120327-OYT1T00693.htm

「日本の恥」核安全保障サミットでの首相演説を批判 自民・脇雅史参院国対委員長

 自民党の脇雅史参院国対委員長は27日の記者会見で、東電福島第1原発事故の教訓に触れた野田佳彦首相の核安全保障サミットでの演説について、「日本の恥だ。想定外を想定すべきだとか、現場を大事にしなければいけないとか、子供が言いそうなことでお粗末きわまりない」と批判した。
 その上で脇氏は「外交でイニシアチブを取ろうという決意も意欲もない。この政権に一刻も早く辞めてほしいという思いが募るばかりだ」と述べた。

2012年03月27日17時07分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/6408066/

 はっきりいって、日本の恥をさらし、日本は原子力を扱うには不適当な政権がある国であるということを印象付けるには最高の舞台ではなかったか。私は、推進派ではないものの原子力の有効利用に関しては理解があると思っている。しかし、最近少し考え方が換わってきたような感じがする。日本国においては原子力の先進国であり、唯一の被爆国である。しかし、原子力を扱うだけの政権がなければ、やはり平和利用をしている原子力も危険なものになってしまう。原子力の事故のときに、政権の人気取りや首相の個人的な要望などを考え、国家のことを考えないような政権では、事故に際して適切な行動を取らず事故を悪化させるということが明らかになったのである。そしてそれに過剰に反応し、正常な施設もすべて停止しまたまま放置し、中に原子力燃料があるにもかかわらず、何も利用しない原子力燃料の廃棄所になってしまっているのである。
 現在の民主党の決断できない原子力発電政策は、危険だけを放置し、その利用をしない、まさに停止だけしていてその恩恵をすべて放棄してしまった『パンドラの箱』としてしまっているのである。
 そして、野田首相はその日本の状態を明らかにし、「狙うならばいまだ」と表明したのである。はっきり言って馬鹿である。このような外交をしていれば、原始y録よりも先に民主党によって国が滅ぼされてしまうのである。
 今回は、個別の首脳会談をしなかった分、恥をさらしたのは少なかったかもしれないが、残念ながら民主党には外交は期待できないのである。

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維新政治塾開講とその影響

維新政治塾開講とその影響

 実は日曜日から大阪にいる。とはいえ私が維新の会の政治塾に入ったわけではない。以前政治塾の応募を見たときに、そもそも政治塾で何を習うのかわからない、と書いたことがあるが、私のその考え方は変わっていない。あえて言えば、政治というよりは占拠や人心収攬のテクニックを教えることは可能であると思う。それらは技術であり、経験があれば習うことができるからだ。しかし、政治が「徳治」である場合は、当然に「人徳」を塾で教えることが可能かということになる。人徳は教えるものではない。会得するものである。そのために、教えることが可能な政治というものは、技術や知識以外に何があるのか、私は非常に疑問なのである。
 そのことを最も熟知している人の一人に、堺屋太一氏がいる。堺屋氏は、若い頃政治家を目指し、当時の学生にありがちであった革命思想であった。そのことを売れ板親族の方が、政治とはそんなものではないとして中曽根康弘議員のところに修行に出したのである。このことは堺屋氏の親戚である大阪の弁護士から直接聞いた話である。もちろん本人に確認したものではないので、信憑性はわからないし、詳細な部分に関しては違うかもしれない。しかし、堺屋氏は習ったものではなく中曽根氏の政治姿勢を身近で見て会得したものである。何も教科書や講義で習うものではいということを最もわかってるうちの一人だ。
 徳とはそれだけ難しいものであると思う。誰かが何かをしてとくがあると評価される。それをまねをして同じことをしたとしても「先人の真似しかできない」として、評価が下がる。当然に、その人の中における辛くたーやタイミング、そしてその人を取り巻く環境、要するに「人徳」には個人差もあるし時代さもあるし、環境や社会の差もある。これだけ個別の事象で差があることを講義で話せるはずがない。逆に、政治を講義できるというのは、その塾で言う政治は「徳」ではないということに他ならない。その徳ではない政治に2000人を超える人々が集まるというのであるから、世の中も変わったものだ。そんなことをするならば、橋下氏は一緒に合宿し、大阪市で召抱え、政治を身近で体験させるということをすればよい。堺屋氏のように書生として受け入れて、体験を積ませ、個人に徳をつければよいのではないか。どうしてホテルを借りて塾を開くのか。どうしても理解できないのであるが、その塾が開講したのである。

「日本の仕組み変える」維新政治塾が開講、46都道府県から2千人

 橋下徹大阪市長率いる地域政党「大阪維新の会」が次期衆院選に向けた候補者養成などを目的に立ち上げた「維新政治塾」が24日、開講した。山形を除く全国46都道府県から集まった2千人を超える大所帯で、大阪市北区で行われた開講式は2回に分けられ、午前の式では、塾長の橋下市長が約千人の受講生を前に「今の日本は危機的な状況。政治、行政を機能させるには仕組みを変える必要がある。そのための戦(いくさ)は選挙だ」と述べ、改めて国政進出への意気込みを示した。
 開講式で橋下氏は、自身の国家観について「分かち合いや助け合いも重要だが、自立する個人、地域、国家でなければ、もはやもたない」と強調。「価値観を共有して統治機構を変え、決定できる民主主義を実現する集団にしたい」と訴えかけ、「皆さんと新たなステージを迎えるのを楽しみにしている。来るべき大戦(おおいくさ)に備え、頑張りましょう」と激励した。
 午後からは、作家で元経済企画庁長官の堺屋太一氏、前横浜市長の中田宏氏が「統治機構の在り方」をテーマに初めての講義を行う。
 維新政治塾には計3326人の応募があり、1次審査の書類選考で2024人を選抜。6月までに計5回の講義を重ね、正規の塾生として400~千人程度に絞り込む予定だ。
 当面4つのクラスに分け、各クラスには維新の地方議員を25人ずつ配置。準講師役として受講生を評価し、提出されたリポートなども併せて審査していく。
 一方、政治塾では維新の公約集「維新八策」原案についても議論し、議論を経て6月をめどにまとめる方針で、今後講義や議論を通じ、衆院選に向けてどのような政策が練り上げられるかも注目されている。

2012.3.24 13:43 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120324/stt12032413390003-n1.htm

維新政治塾開講、他党はピリピリ

 早期の衆院解散・総選挙の可能性も指摘される中、2千人規模の維新政治塾の開講に、他党は神経をとがらせる。民主党幹部が「既成政党への脅威だ」と語れば、野党幹部は「敵には回せない」と距離感を測りかねている様子をみせた。
 小宮山洋子厚生労働相は「橋下氏にこれだけ人気が集まるのは、既成政党が国会で角を突き合わせ、何事も決まらないことに国民が怒っているからだ」と指摘。自民党の石破茂前政調会長は「自民も民主も駄目なことの裏返しだ。こっちが駄目なら向こうは躍進する」と警戒感を募らせる。
 開講と同じ24日、大阪市内では、民主党大阪府連と連合大阪の懇談会が開かれた。府連代表代行の長安豊衆院議員は「維新は国政進出を明言しているわけではない」と冷静に受け止めたが、別の衆院議員は「今の勢いが続く限り、誰だって維新と選挙で戦いたくない」と本音を漏らした。
 一方、自民党大阪府議は「大阪都構想を実現することなく、国政に進出しようとするのは本末転倒だ」と維新を批判した。

2012.3.24 20:54 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120324/stt12032420550006-n1.htm

 大阪には別な用事で入った。しかし、思ったほど維新の風は吹いていない。すでに一度突風が吹いた後のような感じであり、大阪そのもののニュースでもあまり大きく取り上げられたような雰囲気はない。一時のブームは過ぎ去ったが、逆に、まだまだ他の政党が巻き返すというのはまったく見ることができない。
 では、その一時のブームはなぜ過ぎ去ったのか。単純に言えば、船中八策である。まさに政策などが具体化すればするほど、反対派が増えてゆき、コアな支持層と宗教的な信者だけが残ってゆく構図はあまり変わらない。なんとなく雰囲気で支持していた層や進む方向もわからずに期待感だけで支持を表明していた層の一部が徐々に離れてきて、冷静な目で維新の会を見始めた兆候が出ているといえるのではないか。
 逆に言えば、冷静な目で見て政策をしっかりと浸透させる期間もなく、維新の会はいつの間にか維新の会のイメージが一人歩きをしていた。それが胸像となっていたのではないか等間隔が抜けない。大阪のミナミで話を聞いていると、そのような意見を聞くことが少なくなくなった。大阪市長選挙のときに比べて、比較的冷静でさめた視線が維新の会に向けられることがわかる。それにもかかわらず、既存政党、それは民主党も自民党も含めてであるが、既存政党の人気はまったく復活しない。覚めた目で見ているというのはまだ良いほうで、既存政党に対しては敵かごみを見る視線が注がれているのである。それだけ、少なくとも大阪市民(府民かもしれないが)の期待を裏切り続けた政治に対する問題点は少なくないのである。
 政治が具体化してゆけば、当然に反対意見も出てくる。しかし具体化しない政治はない。理念も何もしっかりとしていなければ政治はできないが、逆に抽象的な理念やイデオロギーでは政治はできるものではない。以下に原則論をはずさずに、多くの人が納得できる具体的な政策を行うことができるのか。政治はそこが勝負だ。その発信力はある程度は技術でカバーできるが、それ以上は人徳であろう。技術や政策を教えることはできるが徳は教えて何とかなるものではない。しかし、政治家は時にそれら側からずにいる。また習う側も(塾に参加する側)もなにか習って政治家になれると思っている。政治の世界はそんなものではないはずだ。政治の世界までマニュアル化するのであれば、マニュアルを作る人が最も重要になってしまう。それはすでに民主主義ではなくデマゴーグに過ぎない。
 大阪市民の反応はまさに、まとえ終えたものだ。期待感は大きかったし既存政党に対する絶望はそれなりの者であろう。しかし、市民が最も求めているのは、徳からくる政治であり、ばら撒きでも実現不可能な公約でもない。途半ばでも、明るい未来が見えればがんばれるはずだが、閉塞感を打破するパワーを何に感じるのか。使い古されたアジテーションに引っかかるのは無理である。最終的には実績と経験になるのではないか。
 たまたま大阪にいながら、たまたまそのような話になる。実際に結果を残せるのか層ではないのか。彼ら自身が、この講義でどのようになるか、それ次第である。

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マスコミ批判に関する一考(87) 中国の習慣を説明せずに事件だけ報道すること

マスコミ批判に関する一考(87) 中国の習慣を説明せずに事件だけ報道すること

 中国で、私なりに言えば不謹慎ではあるが、非常に中国らしい事件が起きた。暴行を受けて倒れていた高校三年生の女子生徒が、浮浪者の凍死体と判断されて放置されたという事件だ。
 さて、普段ならばこの事件を通常のブログとしてここで報告をするのであるが、今回は「マスコミ批判」のひとつとしてこの題材を取り上げようと思う。
 そもそもなぜこのような事件が発生したのか。また、この女性は火葬場の車に搬送されたのに、なぜ「隣村の溝に捨てた」のか。そして、それがなぜ「村人に発見された」のか。日本ではまったくわからないことだらけだ。そもそも日本でこのようなことが起きるのか。日本とまったく違う環境だからそのような事件が発生するのである。
 まず記事に入る前に、日本ではこのような場合はどのようになるのか。まず、被害者がいれば救急車が呼ばれる。救急車において医師が検死確認を行う。この時点で死んでいなければ、当然にすぐに治療となる。そこで死亡が確認されれば、法医学によって解剖され死因が特定される。24時間以内に医師にかかっていなけっれば、法医学によって死因の特定がされる。この死因の確定が法医学者の数の少なさからずさんになっているということがいわれているのである。当然に身元確認が粉われ、親族などが呼ばれる。それらが終わって初めて火葬場である。
 しかし、中国ではこれらがまったくできていない。そもそも中国という国家がそのような国家であるという常識がなければ、この記事を読むことはできないのである。日本人は、自分の常識を当てはめて、その中で外国のことを日本と同じものと思いながら判断してしまうのである。

生きたまま捨てられた女子高生…火葬場搬送途中

 【上海=角谷志保美】中国安徽(あんき)省で、暴漢に襲われて倒れていた高校3年の女子生徒が警察官に凍死体と判断され、生きたまま隣村に捨てられる事件があった。
生徒は野外に2晩放置された末に救助され一命を取り留めたが、当局側の劣悪な対応に批判が高まっている。
 地元紙などによると、生徒は11日夕、学校から帰宅途中に暴漢に鈍器で後頭部を殴られたとみられる。12日夕、自宅から数キロ・メートル離れた水のない用水路に血だらけで倒れているところを村民が発見し、通報した。
 だが、凍死したホームレスと判断した警察は捜査を行わず、地元政府当局に連絡。当局者も確認せず、火葬場の車に搬送を指示し、運転手は約10キロ・メートル離れた隣村の溝に捨てたという。生徒は13日朝、村民に発見され病院に運ばれた。

 生徒を死者と判断した警官と役人ら4人は既に拘束され、責任を追及されるが、国内の報道機関やインターネットでは「当局の人命軽視」「ホームレスの遺体なら捨てるのか」との批判が噴出している。

2012年3月22日(木)10時2分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20120321-01023/1.htm

 外国の記事を書くときには、当然に外国の習慣や法律などをしっかりと解説しなければならない。もちろん紙面の関係で長文の解説ができないなどはある。しかし、少なくとも日本の常識が通用しない国であるということをしっかりと書かなければならないのが普通ではないのか。
 今回の記事のように書いていれば、ただ単に中国の警察官や役人が職務に怠慢であるだけのように見える。しかし、そもそも上記のような検死のシステムなどもないし、救急車などのシステムも人口比において少なすぎる現状もある。そもそも役人や警察官の中に「人権」というような観点がない国であるということをしっかりと解説しなければならない。「中国は人権という観点がないために、人命軽視である」という書き方をしっかりすれば、中国にいらぬ妄想を抱く人が少なくなる。
 また、火葬場の車に搬送を支持した中において「死体遺棄」という概念もない。中国にはそもそも戸籍仮名インド絵、遺族や関係者を呼ぶという発想もないし、死因を調べるという習慣もないということが明らかである。それらの法律の整備もできていないということをしっかりと書かなければならないのではないか。
 2月に、車に引かれた少女が何人もの通行人に無視されたという事件があった。これもその根っこは同じ問題である。人権意識のない国における刑事事件問題は、まさにこのような内容になる。その事件の背景をしっかりと解説しなければ、中国という国で何が起きているのかはまったく日本人はわからないだけだ。
 それどころか、中国はすばらしいかのごときテレビ放送をしているが、実際はこのような事件が発生する「社会的習慣」のある国であるということをなぜしっかりと書かないのか。そのように「事件そのもの」だけでなく、別項目や解説ページなどでおいから「中国の現状と人権意識や社会的習慣」をしっかりと開設すべきではないのか。そのようにして中国の現状をしっかりと書くことによって、日本人が妄想を抱きチャイナリスクで被害にあうことを未然に防ぐことができる。要するに、このような解説のない記事そのものが、日本企業や日本人観光客の中国における無用な被害を助長しているということに過ぎないのではないか。
 マスコミは、自分の報道がどのように一般の読者に読まれるのかということを意識しなければならない。一般の読者は、事件祖者の異常性やその加害者の問題点を日本の常識で判断してしまうが、そもそもそのような国であるということをしっかりと書かなければならないのである。そのように「事実を伝える」仕事こそ、本来のジャーナリズムだ。ただ単に扇情的に同情心をあおるのは、ジャーナリズムではない。その事件の背景などをしっかりと解説すべきではないのか。
 自分の報道を読んで、そのほかのマスコミの報道と比べ、その読み方によって事件の特異性ではなく、日本との環境の違いや国民の意識の違いなどを浮き彫りにする。そのような記事そのものが求められる時代ではないのか。グローバル化しなければならないのは、何よりもマスコミなのである。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(51) 中国における訴訟の勝ち方(3)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(51)
中国における訴訟の勝ち方(3)

 先週は、中国における訴訟の勝ち方ということで、日本と中国の裁判環境の違いを紹介した。当然に慣習や民族が違えば、そこにあるルールが違う。まさにサッカーと野球とで同じスポーツでもまったくルールが違うというのと同じ感覚を持ってもらえばよい。
  しかし、そのルールの違いを認識しているだけで訴訟に勝てるわけでもない。そもそもルールや言語の違いは、中国に進出する以上認識していなければならないことである。しかし、訴訟になるくらいのときは日本の起業も日本人も、中国に慣れてしまって「慢心」があることが多い。そのために日本と同じとか思い込んでしまって、中国のカントリーリスクを忘れてしまっていることが多いのである。商売などは日本と同じようにあやることが最もよいのかもしれない。しかし、訴訟となった瞬間に頭を切り替えて中国であることを認識しなければならない。その頭の切り替えができない人は、基本的に海外の事業には向いていないのかもしれない。
  さて、日本の訴訟においても同じであるが、訴訟の世界においてはひとつ大きな格言がある。「事実と真実は違う」これがまさにその言葉だ。訴訟においては・・・・・・

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本当に美しい女性に関する法律

本当に美しい女性に関する法律

 久しぶりに土曜日らしいブログをしたい。1月に国会が始まってから、進んでいるようで進んでいない国会の進展は、なかなか軽い記事を許してくれる状態にはなかった。そこでなんとなく軽い記事をしてみたい。
 男性の場合軽い記事というと、どうしても女性の話題になってしまう。もちろん、「下ネタ」は男性にとっては最も面白いネタである。何しろ男性が集まったときに「下ネタ」は、そこにいる誰も傷つかないネタなのだ。そのために、男性が多くなると、初対面の人の天気の話題と同じように、当たり障りのない話題として「下ネタ」という形が発生するのである。もちろん、そのような感じで行われるので、「下ネタ」は、初対面に近い人などがいるときに行われることが多い。もちろんそういう話が目的で集まっている場合は別にして、初対面に近い状態で共通の話題のない人々は「下ネタ」につながる可能性が高いのである。
 逆に親しかったり関係が深い場合は「下ネタ」が少なくなる。共通の話題が多いのと、性癖をわかっている場合が少なくないからである。そのために、どうしても仕事やほかの共通の話題などになってしまうことが少なくない。
 しかし、女性の話題というのは男性の場合、誰がどのようにいっても最もよい話題だ。誰もが好みが違いそれでも女性を嫌いという男性が少ないのである。もっとも最近はコミュニケー書院を取るのが嫌いという人も少なくないし、女性よりも男性がすきという男性もいないわけではない。しかし、女性を積極的に嫌っているという男性はあまり見かけたことはない。
 さて、「下ネタ」でなくても、どんな女性が美しいかという話はかなり盛り上がる。「芸能人でいうとどんな女性が好みか」などという会話は、若い人の間では定番の会話ということができる。異性に対する興味というものは尽きることがない。自分が一生かかってもまったく味わうことができないのであるから当たり前のことだ。その美しい女性に関して、必ず出てくるのは「モデル」である。
 さて、イスラエルでそのモデルに関してちょっと普通とは違う法律ができたことが話題になっている。

やせすぎモデルはダメ!こんな法律ができた理由とは★世界仰天ニュース

 過度に痩せたモデルは広告に使ってはならない-こんな法律が先ごろ、イスラエルで成立した。たとえば、モデルを実際より痩せてみえるよう写真にデジタル処理を施した場合、それを明記しなくてはならないという。
 理由は「モデルを見て過度なダイエットをしようとして病気になる少女を増やさないため」。
 AP電によると、この手の法律を国として成立させたのはイスラエルが初めてだという。
 モデルには自らの医療リポートを作成することが義務づけられ、WHO(世界保健機関)が定めたBMI指数が低体重とされる18・5を下回ってはならないという。
 これは、痩せた体は美しいという“幻想”からモデルが過度な食欲不振に陥り、ショーの最中に倒れて死亡する事故が相次いだことがきっかけ。たとえば、身長172センチのモデルはBMIが18以下となる54キロ未満ではいけないという。
 モデルたちは「体重には個人差がある。体重ではなく、そのモデルが健康かどうかで判断すべき」と主張するが、当局は「数少ないモデルの権利より、多くの少女の健康が大切」と言い切っているそうだ。

2012.03.22 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120322/dms1203221147011-n1.htm

 アフリカでは、いわゆる安産体型太った女性がよいとされている。アフリカの場合は、当然にたくましく、そしてよく働ける。その上子供をたくさん生めるということが最も重要なファクターである。しかし、そのような感覚になるのは、ある意味で、狩猟民族的な感覚でアフリカの慣習が家や町を守り、生活を守るのが女性であるというために、女性が実生活的に働ける人でなければならないということを意味している。もちろん、女性そのものの美しいと感じるのも文化だ。その文化と社会の内容は、当然に生活習慣と一緒になっている。逆に言えば、女性に対する美意識というのは、ある意味で社会や生活習慣の蓄積によってなされるものである。
 では、逆に細い女性がいいということは、基本的に女性が働かないということが社会的に認められている。社会の中において女性は家にいるもの、働かないものであるということが習慣化されているといううことになれば、当然に女性は美しく、力仕事をしないということが美意識の基準になる。
 その美しいというものの、少し先端になれば「細すぎる」ということになる。欧米のファッションモデルに関しては、洋服そのものの美しさを強調するあまり、当然に細くならなければならない。どのような服を着ても大丈夫ということは、当然に細いということが最もよいことになる。
 しかし、細すぎるということが価値を持つようになると、それにあこがれる女性が過度なダイエットになる。これは男性の女性に対する価値観がそのまま出てくる。女性から見ても細くて美しいという情勢に憧れ、女性は当然に「自分が美しくなりたい」という願望から過度なダイエットをしてしまうことになるのである。当然にその中には「男性は細い女性が好きに違いない」ということになるからである。
 しかし、実際に考えれば男性の美しいと思う女性と女性が美しいという女性は違う場合が少なくない。その女性の感覚でいえば、女性の思い込みは女性だけの男性が思っているであろう美意識の妄想に過ぎないのであるが、その妄想が強ければ拒食症などの病気になってしまう場合も少なくないのである。
 イスラエルでは、これを法律によって規制するということになった。もちろんやせてはいけないというものではなく、やせたモデルを広告に使ってはいけない、というものである。それは女性の美意識や男性の美意識のある程度の歯止めになる。
 これはこれでなかなか面白いものなのではないか。法律で社会や習慣を変える。そこから美意識を換えるということはそのようなことに意味されるのではないか。この試みがどのようになるのか。なかなか面白い内容である。

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北朝鮮のミサイル発射と日本政府の対応について考える

北朝鮮のミサイル発射と日本政府の対応について考える

 北朝鮮がミサイルを発射するという。北朝鮮が「人工衛星」と称して大陸間弾道弾の発射を企画するのはこれが初めてではない。日本は過去に何度か日本の上空を北朝鮮のミサイルが通過しているのであるが、その都度日本政府の対応が問題になった。しかし、国際的に非難され、同時に食料などの支援を受けなければならない北朝鮮にとって、現在の段階で以前のように国際社会からの孤立することに関しては非常に危険を伴うことになる。
 昨年の12月に金正日総書記の死去に伴い、北朝鮮の指導者となった「青年大将」金正恩総書記は、ある意味で国内の把握ができていない状態であると見られている。実際には、金正恩体制になってから、北朝鮮国内における政権批判の内容が国外に配信され、そのような報道あされていることについて、北朝鮮の情報統制がしっかりとできていないということがいえる。同時に、20日に明らかになった軍副参謀長の公開銃殺刑は、いまだに金正恩体制の反対分子がいることと、血の粛清といわれる処刑が公開で行われている、要するに一罰百戒で、処刑を公開しなければならないほど反対勢力が多いということを意味しているのである。
 国際社会での孤立、中国などとの連携の不安定、そして国内の統制不安。どれをとっても政権がそのままの形で存続するためには不安定な要素が多い。その上で、慢性的な食糧自給力の低下、貧困、そして中国経由で少々の統制はあったとしても情報化の波は避けられない状態である。どれをとっても新体制の基盤はまったくできていないといわざるを得ない。そのなかで2月以降米朝協議を行い、同時に今回の大陸間弾道弾の実験打ち上げと思われる「人工衛星」の打ち上げが行われるのである。

北ミサイル発射予告 金正恩氏「核を活用せよ」と側近に指示

 【ソウル=加藤達也】4月に事実上の長距離弾道ミサイルの発射実験を行うと発表した北朝鮮の新指導者、金正恩氏が側近らに「核の積極活用」を指示していたことが分かった。権力層に近い複数の関係者が明らかにしたもので、米朝合意の一方で、ミサイル発射実験を強行しようとする北朝鮮新体制の内実をうかがわせる証言といえそうだ。
 韓国当局は、金日成主席の生誕100年(4月15日)に合わせてミサイル発射などを行う「可能性が高い」と予測していたが、今後もこの種の恫喝(どうかつ)が続くとみて監視を強めている。
 「金正恩大将は『(金正日)総書記の革命遺産である核をもっと活用しよう』とおっしゃっている。われわれは核の活用にもっと積極的でなくてはならない」。北朝鮮指導層に人脈を持つ消息筋によると、今年に入り複数の朝鮮労働党高級幹部がこう話したという。
 朝鮮人民軍の内実に詳しい別の関係者は、正恩氏が「われわれは核を持っている。食糧は南(韓国)に献上させろ」と側近に指示したと、高級幹部から聞いたという。関係者は現在の正恩政権について、外交部門に人材を集中させて対米、対日、対韓交渉を進めようとするグループと、「核・ミサイル」を背景にした強硬政策で対外的に優位に立とうとする勢力が拮抗(きっこう)していると指摘した。
 鍵を握るのは、正恩氏の最側近とされる李英浩軍総参謀長だ。李総参謀長は2月の金総書記生誕70年の際に行った演説でも、金総書記の偉業は北朝鮮を「核保有国」にしたことだと強く訴えた。正恩氏の「核積極活用」発言は、李氏ら強硬派に同調した可能性があり、今回のミサイル発射発表にも影響したとみられる。
 一方、正恩氏は「食糧問題解決」を最優先に掲げており、米国からの支援獲得は逼迫(ひっぱく)した課題だ。ミサイル発射凍結を盛り込んだ米朝合意は、強硬派とは別の外交推進グループが主導していた可能性が高い。とすれば、米朝合意後にミサイル発射を予告する矛盾は、外交推進派と強硬派という相反する2つのグループに支えられた正恩体制の危うさを物語ってもいる。

2012.3.17 07:58 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120317/kor12031707580002-n2.htm

田中防衛相「ミサイル破壊措置を検討」

 北朝鮮が長距離弾道ミサイルと目される実験衛星を打ち上げるとの報道で、田中直紀防衛相は19日の参院予算委員会で、「自衛隊法に基づき、首相の承認を得て弾道ミサイル破壊措置を命ずることを考えている」と答弁した。自民党の島尻安伊子委員の質問に答えたもの。
 この衛星は、金日成主席生誕100年に合わせ4月に、朝鮮半島から南に向けて発射するとしている。そして衛星は、沖縄上空を通過するとの可能性があるともされている。田中防衛相は、迎撃ミサイルであるPAC3や、イージス艦を展開して対応することについても言及した。
 玄葉光一郎外相も「沖縄など南西諸島の上空を通過する可能性は排除されない」との認識を示した。

2012年03月19日12時20分 提供:ゆかしメディア
http://news.livedoor.com/article/detail/6382388/

 今回の人工性衛星の打ち上げは、北朝鮮から南方に発射されるということだ。要するに日本の本土上空を通らないルートでありフィリピンの西方に着水する予定という。この内容を阻止するために韓国の李大統領は各国を訪問して協議を行っている。同時に、韓国とアメリカは打ち上げたミサイルの残骸の回収を行い、打ち上げられたものが北朝鮮の主張どおりに人工衛星なのかあるいはミサイルの実験であったのかを検証するという。
 日本政府は、今回はPAC3(田中大臣によるとP3Cという飛行機の名前になっているが)を配備し、上空を通過した場合に破壊措置に転ずるという。
 さて、北朝鮮上空に人工衛星を打ち上げるには東のほうに打ち上げなければ地球の周回軌道には乗らない。今回の南方打ち上げは、その時点でこれがミサイルの発射実験であるということは明らかである。しかし、それ以上に私が注目しているのは、尖閣諸島上空を通過した場合に、日本がミサイルを破壊したもしくはその場合の中国の対応である。
 中国は、ミサイルが上空を通過した場合、当然にそのミサイルの事前の告知がなければ、領空の訃報侵犯であるからそれを破壊することができる。尖閣諸島の領有を主張しているのであれば、日本が破壊するまでもなく、中国がミサイルを破壊するはずである。一方、その破壊が行われなければ、そして米韓の調査でミサイルであるということが明らかになれば、中国は北朝鮮と一緒になって国際社会を欺き書く不拡散条約を破って、北朝鮮に大陸間弾道弾の打ち上げを許可したことになる。当然に国連安全保障理事会での非難決議の対象となることになり、中国は習近平体制になる前に国際社会からの孤立化という十字架を背負うことになる。要するに、今回の北朝鮮のミサイルの打ち上げ実験が尖閣諸島問題や東シナ海の領海問題で日本と中国が競っている内容(私は日本領土と思っている)のひとつの行動の指針になるはずである。
 北朝鮮のミサイル発射が、いつの間にか尖閣諸島問題の領有問題になる。日本はいち早くPAC3による破壊を打ち出したが、中国はどのようになるのか。あるいは日本が破壊した後になって中国領土内の武器の使用を講義するといった消極的な内容にとどまるのか。そのような消極的な内容にとどめたならば、中国は尖閣諸島問題で事実上、中国自身が自分から領有権の主張を行わなくなったと解釈できる状態になるのである。中国は、北朝鮮によっていままではある程度影響の内容にすることができたが、今回はそのように簡単な問題ではなくなってしまったのである。
 ミサイルの打ち上げに関しては、非常に困った問題であり、北朝鮮というよりは朝鮮半島の核ということに関しては非常に神経質になるべきであろう。しかし、それ以上に、その問題から日中関係の懸案が大きく動くことになる。その内容に関して日本政府は、一歩も引かないで対応してもらいたいものである。
 最後に、反原発を騒いでいる人々は、なぜ総連や北朝鮮、そして過去それを支持し続けてきた中国政府や中国大使館に向けて、核の使用の反対を言わないのであろうか。彼らの動きも、非常に北朝鮮的であり、都合の良いところで言いやすいところにだけデモをしている。この態度に関しえては、主張の正否ではなく、その態度そのものに疑問が出ることは間違いがない。その私的もしっかりとここで追記しておくが、今日はそのことが主題ではないので、この辺でやめておくことにする。

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選抜高校野球開幕と石巻工業高校主将の選手宣誓

選抜高校野球開幕と石巻工業高校主将の選手宣誓

 3月21日、甲子園球場で全国選抜高校野球が開幕した。開会式では、くじ引きであったにもかかわらず、石巻工業高校の阿部翔人主将が選手宣誓を行った。20日のリハーサルでは緊張しすぎて代役が選手宣誓を行ったことなどでも話題になったが、立派にその役目を勤め上げた。
 昨年のこの時期、私自身は大阪にいた。ちょうど乾電池と水が東京でなくなったときであった。大阪に出張で言った私は、まだその品不足が来ていない時期であり、泊まったホテルに選抜に出場する高校生が泊まっていた。少し前であったので、練習から帰ってきた野球部員と一緒になったが、震災もあったが、自分のできることを行って、何とかの日本を元気にしようとしていたかに見えた。昨年のこの時期は日本中すべてが「自粛ムード」でどうにもならなかった。計画停電に東京では電車やインフラも止まるような状態で、津波の被害のなかった山形などで停電による人工呼吸器の停止などによる犠牲者が出るような時であった。
 高校野球を見るとそのようなことがなんとなく思い出されてしまう。そのような中で、ちょうど被災地のそれも石巻工業高校の主将が選手宣誓を行うということで、どうしても注目を集めてしまうのである。
 今日は政治を離れてなんとなくこっちの話をしたくなってしまった。政治に関することを期待していた方々にはなんとなく申し訳ないが、震災被害に負けずにがんばっている姿を見るとそちらを見てみたくなってしまうのである。

石巻工など32校で開幕

 開会式を実施、12日間の大会が幕を開けた。
 開会式では、東日本大震災で大きな被害を受けてもくじけず、21世紀枠で選出された石巻工(宮城)の阿部翔人主将が「日本が一つになりその苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう。日本の底力、絆を」と力強く選手宣誓した。
 大会には石巻工のほか、光星学院(青森)花巻東(岩手)聖光学院(福島)と8年ぶりに東北から4校が出場。昨年は震災の影響で入場行進をしないなど簡素化された開会式は、通常通り行った。
 青空の下、人気アイドルグループ、AKB48の「Everyday、カチューシャ」に合わせて、出場32校は女満別(北海道)から神村学園(鹿児島)まで北から南の順に行進。石巻工にはひときわ大きな拍手が送られた。
 前回大会で球場正面に掲示し、その後石巻市に貸し出されていた「がんばろう!日本」の横断幕も同市民が震災1年の今月11日にメッセージを書き込んで球場に戻され、入場行進で披露された。

[2012年3月21日11時28分]日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/f-bb-tp3-20120321-920701.ht

石巻工・阿部主将が堂々大役

 「苦難を乗り越えることができれば、その先に大きな幸せが待っていると信じています」。開会式で選手宣誓した石巻工(宮城)の阿部翔人主将。東日本大震災の被災地の代表として、被災地で苦しみや悲しみの中にいる人たちを気遣う言葉を連ねた。
 帽子を脱ぎ、一礼して壇上に上がった阿部主将は、正面を見据え、堂々と大役をこなした。
 津波で石巻市の自宅は1階天井まで浸水し全壊。グラウンドも泥とがれきで埋まったが、他校の生徒らの力も借りて一から片付けた。流失した用具も全国から支援物資として届けられ、昨年4月下旬には練習再開にこぎつけた。
 選手宣誓役を引き当てた時、「自分がメッセージを伝える使命だと思った」と話した阿部主将。宣誓の文章はチームみんなでホワイトボードに言葉を書きだして考えたという。「日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を」「見せましょう。日本の底力、絆を」と続き、最後は甲子園での全力プレーを約束して締めくくった。
 津波で壊れた建物が残る宮城県石巻市中心部の商店街では約90人がテレビの中継を見守った。宣誓が終わると大きな拍手が起こり、会社員中村暢宏さん(42)は「高校生とは思えない素晴らしい言葉だった。石巻が頑張っていることを全国に知らしめてくれた」と声を詰まらせた。

[2012年3月21日11時16分]日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/f-bb-tp3-20120321-920770.ht

石巻工・阿部翔人主将のセンバツ選手宣誓全文

 第84回選抜高校野球大会の開会式で、石巻工(宮城)・阿部翔人(しょうと)主将が行った選手宣誓の全文。

 宣誓。東日本大震災から一年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、今も、当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。
 人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。
 しかし、日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。
 だからこそ、日本中に届けましょう。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。
 我々、高校球児ができること、それは、全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
 平成24年3月21日、選手代表、宮城県石巻工業高等学校野球部主将、阿部翔人

(2012年3月21日12時03分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/sports/senbatsu/2012/news/20120321-OYT1T00493.htm

 「日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。
 だからこそ、日本中に届けましょう。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。
 我々、高校球児ができること、それは、全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。」
 この言葉は、誰かが考えたのではないか。高校生の文章にしてはすばらしすぎる。しかし、文章が誰が書いたかではない。この文章そのものが誰か大人が書いたとしても、言葉は、石巻工業高校の野球部の阿部主将の口から出れば、彼の言葉となり彼の魂や彼の生活観が宿って、「言霊」として人の心に伝わる。文字だけではない言霊が、人の心に思いを伝えるようになるのであるのだ。われわれ新聞社の文章と、彼ら、何かを一生懸命行った人の言葉とは、やはり違う。何かを一生懸命にしている人は、それが野球であってもそうでなくても、その経験と一生懸命やっている純粋な思いから、必ず「思い」が伝わるのである。
 「苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っている」この言葉は、被災地だけでなく日本全体が思っていることだ。それも、今何かに苦しんでいる人という個人のレベルから、不景気やデフレなどであえいでいる日本という国家のレベルまで全体に当てはまる言葉ではないか。
 「全力で戦い抜き、最後まで諦めない」という言葉は、誰もが忘れてはならない思いではないのか。
 今回は素直に、高校生の言葉に感動させられ、また勉強させられた気分だ。政治家も、実業かも財界人も、みな、このような純粋な思いを持ってもらいたい。もちろん私もそのように心がけようと思う。

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近畿における「維新の会旋風」と既成政党不信

近畿における「維新の会旋風」と既成政党不信

 読売新聞が19日に発表したアンケート内容は衝撃的なものであった。実際に、その内容は近畿2府4県における面接アンケートで、維新の会の支持率が24%、連携が言われているみんなの党と単純であわせれば27%と3割に手が届く勢いになっているのである。政治のアンケートでの支持率30%というのはかなり高い数字だ。実際に「支持政党なし」という話もできるのに対して、あえて支持を打ち出すのであるから、ここにおける支持は積極的ない支持層ということができる。
 この内容は、単純に前回の多さかい市長選挙における、既存政党VS維新の会という構図を勝ち抜いてきた、その勢いの延長があるのではないかと考えられる。同時に、そのときの得票率に比べても遜色のない積極的な支持の形であるといえる。
 この維新の会の動きに対して、与野党を含む既存政党はかなりのショックがあるようだ。民主党も自民党も大阪の議員および次の衆議院選挙で立候補を予定している候補は、いかに維新の会に擦り寄るかということを目指している。あからさまに同じ政策を言い出す候補などもいる。しかし、維新の会は政治塾を作り、独自に候補者を立てることを意識しているのであり、既存政党の公認候補が擦り寄ったところで何の足しにもならない。かえって論点がぼけてしまい、対立軸がなくなってしまうので、既存正当の人気順に表が入ることになってしまう。要するに維新の会に擦り寄った公認候補は、その分維新の会の政策を後押しするだけの「賑やかし」に過ぎなくなってしまい、今の時点で当選を放棄している態度にしか見えない。はっきりいって既存の政党(民主党も自民党も関係ない)で立候補している以上は、その既存政党の製作を支持し、その綱領をしっかりと実現することを有権者に約束するべきであり、それができないのであれば、当初から、既存政党の公認候補を返上すべきではないのかと考える。
 しかし、逆にそのように擦り寄りたくなる気持ちもわからないではない。実際に関西地区でほかの政党から出ている人は、どのようにしなければならないのか。そのことは非常に大きな問題になるのかもしれない。

「維新」比例近畿トップ24%…民・自ショック

 読売新聞社は16~18日、近畿2府4県の有権者を対象に世論調査を行い、国政進出を目指す地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)が近畿圏全域に浸透する勢いを見せていることが分かった。
 次期衆院選の比例近畿ブロックでの投票先を聞いたところ、維新に投票すると答えた人は24%とトップを占めた。近畿圏で有権者の既成政党離れが鮮明となったことは、民主、自民の2大政党に危機感を募らせ、両党の解散戦略にも大きな影響を与えそうだ。
 世論調査では、維新の国政進出に期待する人は63%に上った。ただ、橋下氏が衆院選に立候補しない方がよいと思う人は63%で、「立候補する方がよい」の28%を上回った。橋下氏は約3か月前に市長に就任したばかりという事情が大きいとみられる。
 比例選近畿ブロックの投票先では、2位が自民党の18%。これに民主党10%、公明党5%、みんなの党と共産党各3%と続いた。
 府県別でみると、維新は地元の大阪で31%の支持を集め、2位の自民党(14%)を大きく引き離したのを始め、和歌山、滋賀、奈良でもトップに立った。京都は自民党25%、維新13%、兵庫は自民党20%、維新18%と、自民党の支持の方が多かった。民主党は2府4県すべてで維新や自民党を下回り、3位に低迷した。
 維新は次期衆院選で全国に300人の候補者を擁立し、200議席獲得を目標に掲げている。46都道府県から2025人が参加する「維新政治塾」を24日に開講し、塾生を衆院選の候補者予備軍と位置づける。
 維新が「自民王国」の和歌山、「民主王国」の滋賀で支持を広げている結果が出たことは、既成政党の地方組織にショックを与えた。自民党和歌山県連の尾崎要二幹事長(和歌山県議)は「前回の衆院選で、民主が大勝した時と同じ空気を感じる」と語り、民主党滋賀県連の出原逸三幹事長(前滋賀県議)は「維新の会が既成政党への不満の受け皿になっている」と指摘した。

(2012年3月19日08時01分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20120318-OYT1T00731.htm

民・自が危機感、都構想争点化の回避に腐心

 橋下徹大阪市長が19日に就任3か月を迎えるのを前に、読売新聞社は16~18日、近畿2府4県の有権者を対象に世論調査を行った。
 次期衆院選の比例近畿ブロックへの投票先を聞いたところ、国政進出を目指す地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下市長)に投票するとした人が24%とトップになった。
 比例選の投票先の2位は自民党の18%で、民主党10%、公明党5%、みんなの党と共産党各3%と続いた。
 民主、自民両党など既成政党側は、読売新聞の世論調査で維新の人気の高さが実証されたと受け止め、次期衆院選への影響は大きいとの見方が広がった。
 民主党の輿石幹事長は18日、沖縄県南風原町で記者団に「橋下市長が掲げる地域主権や行革は我々の理念とも通じる」と強調し、民主党の政策を丁寧に国民に説明していくことで態勢を立て直したいとの意向をにじませた。大阪の小選挙区選出の同党衆院議員は「維新の会の候補と対決すれば苦戦は免れない」と危機感をあらわにし、党内では「今、解散するのは不利」との声が一層強まりそうだ。
 政府・民主党の幹部は維新の攻勢を食い止めるには、社会保障・税一体改革や衆院の「1票の格差」是正、行政改革などで野田政権の実績を積み重ねる必要があると見ている。岡田副総理が自民党幹部に民主、自民両党の大連立を打診したのは、「政権の実績づくりのために、衆院解散を引き延ばそうとする狙いがあった」との見方が出ている。

(2012年3月19日08時01分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20120319-OYT1T00133.htm

 政治の世界ではいつもそうであるが、既存政党の人気が凋落し、一方で新規勢力の人気が上がる。その理由は二つある。ひとつには有権者の期待感とその裏切られた感である。自民党が一回目に野党に下野した1993年の細川内閣のときも、自民党の長期政権を打破し新たな政権ができるものと誰もが思っていた。しかし、実際には外野で何かを言っていられるほど永田町は甘いところではない。熊本の県知事で多少の実績があったものお、国家全体とはまったく違うという部分が少なくないのである。特に、キャスティングボードを握ったとはいえ日本新党は少数政党であり、今までの批判だけで何とかなるというものではなかったのである。
 結局何かができるというものではなく内閣の集合写真が階段で行わなかったなどのパフォーマンスだけが目立った内閣であった。実際に細川内閣が行った日本の破壊政策の多くが現在の政治の停滞、そしてさまざまな産業の破壊などにつながっている。そもそもバブルの崩壊で手をこまねいてみていて、そのまま失われた20年に突入する入り口にあったのが細川内閣である。概してこのような国民の人気迎合方で批判しかしないで出てきた政党政権に関しては、危機管理能力が希薄であり、同時に外交政策などがまったく蓄積されていない。国家の舵取りを行うのに、国内の既存政党のののしりあいでできるはずがない。それどころか、国家のことを考えれば大同団結を行いその内容から国家一丸となってあたらなければならないほう名大きな問題は少なくない。地球儀という大きな視野で政治を行うのであれば、国内の政治の批判などは本当に国家を左右するような問題でなければ批判できないし、簡単に公約などはできないはずだ。、
 同じことは、民主党政権にも言えるが、民主党政権に関しては、ここで大きく批判するまでもなく、このブログでは連日行っている。国内のパフォーマンスのつもりで「少なくとも県外」などといった普天間吉移転問題がどれほど大きな外交問題になっているのか。日本国内の運動で行っていた原子力発電所の問題が以下に世界的な問題になっているのか。現在の社会の中において、日本が日本単独でできないことは非常に多いのであるから、そのような世界的な視野で物事を語れなければ日本の政治のトップにはなれない。しかし、選挙はそのような視野もなくいつの間にか自分の身の回りの利益で選んでしまうのである。
 実際に、維新八策といわれる基本政策も外交などに関しては弱点をさらしている。私は以前から言っているのであるが、批判からは何も生まれない。批判をしている「受け皿政党」は一回は選挙に勝ててもその寿命は短い。この維新人気が長期間であるのかどうかは、しっかりした国家観と長期間の国家としての内容であり、何も地方自治や日教組との対決だけではないはずだ。何もかも重要なときに、国家の政策として最も重要な部分がどのようになっているのか。既存政党はその部分をしっかりと主張して「違い」を際立たせ、政策的に切磋琢磨してもらいたい。決して一時の人気で迎合するような人間の立候補を公認候補として後押ししないでもらいたいものである。

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党内もまとめきれないで数合わせの大連立を提案のナンセンス

党内もまとめきれないで数合わせの大連立を提案のナンセンス

 この週末の話題になったのが、岡田副首相が発言した大連立である。先月25日に野田・谷垣極秘会談が話題になったばかり、その反応も非常に大きな問題があるとされ、民主・自民双方の反執行部は葉非常に反発を強めた。本人たちは完全に否定したために、それ以上の大きな問題にはならなかったが、そのような騒動の後もこのように大連立をめぐって水面下で動いていたということはさすがにナンセンスのきわみである。
 はっきりいって、岡田克也という政治家の良識と政治センスを疑う行動でしかない。
 そもそも、政党というのは、その政党の綱領があり目指すべき日本の姿がそれぞれの間においてしっかりとした目標をとなって、その目標に向かった政策実現を行う場所であるといえるのである。しかし、その中の重要政策において、国家の目標とする基幹部分において大同小異を越えて連携する部分があるとすれば、それは「連立」ということになる。これが政権上の連立の基本である。政党政治であり議会制民主主義である以上、政策上の合意のない連立はただの大政翼賛会やナチスドイツ政治の再現でしかなくなる。
 今回は「消費税を引き上げる」ことを目的として、その理念もなければ何もない。そもそも「消費税率を上げる」というのは、まさに政策ではなく手段である。国家財政をしっかりとさせるということが問題なのか、そうではなく、社会保障をしっかりと再建するということが必要なのか。その財源としてどのようになるのか。社会保障をしっかりとさせるならば、消費税率の上昇だけではなくAIJ事件の解決や、厚生年金の監査などもすべて岡田副首相が行うものであるはず。一方、そのような話も無くただ財政再建のために行うのであれば、「税と社会保障の一体改革」という看板を下ろさなければならない。その「税」の部分が消費税であるというだけであるので、岡田克也副首相の本当の政策の部分はまったく明らかになっていないのである。
 要するに、民主党の執行部自体も政策やその税率上昇に対する理念がしっかりと決まっていないことになるのである。その内容はまさに、何でもいいから税金だけ上げてしまえばよいというような話になってしまう。その上、岡田副首相自身が、経費の35%の削減を行っている。要するに、消費税率が上がれば経済規模が縮小するというのを政府がそのまま実践しているのである。にもかかわらず、その内容を誰も指摘せず、政府自体が35%の経済縮小を言っているにもかかわらず、増税を了承しろということである。
 要するに、政策も根本も何も無く、ただ単に消費税増税に了解しろといい、その内容の上で、自民党に「数合わせ」の大連立を申し入れをしたというのである。
 要するに岡田克也副首相は政策も無く、その政策によってどのような結果になるかも無く、そもそも理念も新年も夢も何も無く、その上で、ただ誰かに言われた役目を推進するために、国会の中に大政翼賛会のような絶対多数派を形成しようとしている「単なる数合わせ」の議員でしかなかったということが明らかになったのである。このような政治化が政権の中枢、副首相という地位にいること自体、日本の不幸ではないのか。

岡田副総理が大連立打診 自民断る

 岡田副総理が、今月上旬、消費税率を引き上げるための法案を成立させるため、自民党の谷垣総裁に近い党幹部と会談して大連立を打診し、この党幹部が「野田政権の延命につながるだけだ」として、断っていたことが分かりました。
 消費税率を引き上げるための法案を巡っては、民主党内で反対論が根強いうえ、参議院では野党が多数を占めていることから、成立の見通しはたっていません。
 野田政権は、法案の成立には自民党の協力が必要だとしており、先月25日には、野田総理大臣が自民党の谷垣総裁と2人だけで会談しました。
 関係者によりますと、これに続いて、岡田副総理が今月上旬、谷垣総裁に近い自民党の幹部と会談し、消費税率を引き上げるための法案や赤字国債発行法案などを成立させるため協力を求めるとともに、連立政権への参加も打診したということです。
 これに対し、この党幹部は「連立政権は野田政権の延命につながり、民主党にとっての利点はあるが、自民党には利点がない」として、断ったということです。
 自民党執行部は、衆議院の解散・総選挙を行ったあとならば、民主党と協力する余地はあるものの、選挙前の大連立は受け入れられないとして、法案の成立前の解散を求める姿勢を崩しておらず、今後、民主・自民両党の駆け引きが活発化する見通しです。
 一方、民主党内では、大連立について、次の衆議院選挙で、民主党と自民党の違いが分からなくなるといった意見があるほか、小沢氏に近い議員の間から「消費増税に反対する議員を排除しようとしているのではないか」と警戒する声もあり、波紋が広がることも予想されます。

NHKサイト 3月17日 4時6分 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120317/k10013788391000.html

谷垣氏、民主との大連立を否定

 自民党の谷垣禎一総裁は18日、民主党との大連立の可能性について「外交政策や年金(制度改革)の考え方などで非常に距離がある。全部一緒にやるのは無理だ」と否定した。次期衆院選前の消費税増税関連法案の成立を野田佳彦首相に断念させるため、国会で対決姿勢を強め早期解散に追い込む決意も表明。岡田克也副総理は増税法案成立に向けて自民党幹部に大連立を打診したが、政権の野党懐柔は厳しさを増した形だ。

2012年3月18日(日)13時23分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2012031801001402/1.htm

新聞など35%削減 岡田氏、消費増税へ経費カット

 岡田克也副総理は16日の記者会見で、消費税増税に理解を得るための行政改革の一環として進めている新聞・雑誌などの購読抑制について、所管する内閣府で部数ベース35%の削減を達成したと発表した。岡田氏は「目の敵にしているわけではないが、常識からして多すぎる。半分にはできる」と強調、さらなる削減を行う考えを示した。
 今回は、新聞・雑誌などの契約部数3300部(契約額1億4501万円)を2144部に削減。内訳は新聞が1731部から1108部、雑誌などが1569部から1036部に減った。岡田氏はホームページで調べたという他省庁の購読部数もやり玉にあげつつ「少なくとも3割減らす努力を」と呼びかけた。

2012.3.16 20:00 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120316/plc12031620020015-n1.htm

 さて、自民党の谷垣総裁はこの申し入れがあったことを認め「外交政策や年金(制度改革)の考え方などで非常に距離がある。全部一緒にやるのは無理だ」(上記より抜粋)というようにこの大連立を断ったことを発表した。この内容は、外交政策や年金制度改革など、さまざまな政策が一致しなければならないという政策的な合一性を求めたように見える。しかし、上記に指摘したように、消費税が上昇したことによって政府は「3割の削減を目指す」といっているのであるから、30%の経済の落ち込みが予想されるわけである。少なくともその状態であるのにかかわらず、その穴埋めの経済政策を求めないのは自民党としても片手落ちに過ぎないのではないか。その内容は、経済政策を無視した双方の政党のトップでしかないということになってしまい、しっかりとした経済政策を求めなければならないのではないか。
 そもそも「資本主義経済」「自由主義・民主主義の政治体制」であることが自民党の党是であり、憲法の改正に関してもそれが党是である。その党是の部分で協力が得られないのに、個別の性s買う、いや消費税の増税は「政策実現のための手段」でしかないのに、その項目の一つで大連立などを言うことはおかしな話である。
 そのような根本的な民主党のおかしなところをなぜ指摘できないのか。そのように指摘ができない部分に関しては、実際にこれでは日本がどうかしてしまうのである。野党がしっかりしなければ、政権は機能しない。その意味においてこのような話を持ちかけられること自体、恥ずかしいと思わなければならない。ついでに言えば昨年の震災の後であっても、まったくそのような大連立の呼びかけに応じなかったのに、今回そのような呼びかけをされるということは、実に自民党の総裁やその執行部が政権というものを物ほしそうに見ているかということが明らかになってしまう。そのような個人の欲望や政権のよく、大臣病で大連立などをするような「人物」と谷垣総裁は民主党の執行部から見られているということだ。野党第一党の党首として恥ずかしいという気持ちを持たなければならないのではないか。
 この大連立の動きは、一時収束したかに見える。しかし、岡田克也氏のような政策も何も無い数字合わせだけの破廉恥な政治家がいる場合、そして谷垣執行部のように与党から大臣のいすがほしそうに見えている野党がいれば、何かあれば必ず次にも大連立の話が出てくる。そうでなければ子供手当などもすべて合意するはずも無い。マニフェスト違反をそのままにして、マニフェストで戦った選挙結果のままいるはずが無いのである。今後も国民的な監視を双方に必要なのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(86) 言論の弾圧についてこれくらいの報道でよいのか

マスコミ批判に関する一考(86) 言論の弾圧についてこれくらいの報道でよいのか

 3月13日の午後から、有楽町で民主との議員が街頭演説を行った。近藤洋介議員や江端貴子議員などによる議員による内容であった。その街頭演説中、その演説に抗議した女性に対して民主党の職員が髪の毛を引っ張るなどの暴行を行い、暴行容疑によって書類送検されたことが明らかになったのである。
 さて、この問題に関して報道が非常に少ないことに疑問を持たなかったであろうか。実際には暴行事件であり、刑事事件としてはそんなに大きな事件ではないのかもしれない。しかし、このコンテにあるものは、非常に大きなものである。もしも、政権交代前に自民党が同じようなことをやったらどのような報道になっていたのか。何しろ感じを世みんな違えただけで、連日報道を行ったのである。それに対して、この事件はより悪質であり、自由主義や民主主義の根本である言論の自由を暴行で封じようとした、非常に卑劣な高位なはずである。
 その言論の自由を完全に無視した民主党の行為をあまり大きく報じないというマスコミのセンスがよくわからない。実際に、この報道が小さかったことに関しては、しっかりと検証し、しっかりと報道をする義務があるのではないか。そのことを報道することこそ、言論を生業としているものの勤めではないのか。
 もしも、これを行ったのが民主党の職員だからなど、政党屋イデオロギーで報道を差別しているとすれば、これはマスコミ自体が非常に大きなイデオロギー的な報道を行っていることを意味しているのであり、そのことは、マスコミが民主党より(左翼新自由主義的)に報道を規制し大政翼賛会的に報道を規制しているということになっている。この問題に関しては時事通信系と、読売新聞そしてテレビ朝日が問題として取り扱ってるが、それでも扱いは小さく、また、物事の本質に関してしっかりと報道をされていないいう評価になってしまうのである。これはあまりよいものではない。
 要するにこのことを報道しないという姿勢こそが、マスコミそのものの偏向報道のまさにそのものの根本ということがいえるのである。
 本来は、このような言論の暴力による封殺は、絶対に許されるものではない。民主党ということから考えれば、政党がしっかりとした言論と自由の思想に基づいて、自由意志に基づく選択によって政策を得ることができないということになってしまっているのである。そのことは、まさに、民主党による民主主義政治が完全に終焉したということであり、北朝鮮と同じように情報を制限し、言論の自由を封殺し自分たちに反対する人々に対して暴力で制限するということを、問題視しないということは、マスコミにその傾向があるということで認識しなければならず、われわれはそのような報道機関しかないということになるのである。

民主党職員、抗議女性の髪引っ張る…街頭演説で

 東京・有楽町で行われた民主党の街頭演説中、同党の50歳代の男性職員が、演説に抗議した女性の髪の毛を引っ張っていたことが捜査関係者への取材でわかった。
 警視庁丸の内署は、男性職員から暴行容疑で事情を聞いており、今後、同容疑で書類送検する方針。
 同署幹部によると、街頭演説は13日午後5時から、東京都千代田区の「有楽町マリオン」前で行われ、民主党の近藤洋介衆院議員らが交代で演説をしていた。男性職員は午後5時40分頃、拡声機で演説に抗議していた30歳代の女性を制止しようとした際、女性の髪の毛を引っ張ったという。女性が同署に被害届を出した。
 職員は同署の調べに対し、「女性が着けていたマスクを外そうとしたら、髪の毛に引っかかってしまった」と話しているという。

2012年3月14日(水)14時6分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20120314-00617/1.htm

民主党職員、女性に暴行!ネットに動画流れて話題

 民主党の50代の男性職員が、東京・有楽町で行われた同党の街頭演説中に30代女性とトラブルになり、髪の毛を引っ張るなど暴力を振るったとして、警視庁丸の内署に被害届を提出されていたことが分かった。この様子は、インターネット上に動画として流れ、話題になっている。
 同署によると、13日午後5時40分ごろ、有楽町マリオン前で、同党議員らが街頭演説をしていたところ、30代の自営業女性が震災対応などをめぐり、ハンドマイクでヤジを飛ばした。男性職員は中止を求めて女性に近づき、髪を引っ張った。職員は「女性のマスクを外そうとしただけだ」と説明しているという。
 同署は女性の被害届提出を受けて、近く暴行容疑で男性職員を書類送検する方針。
 一部始終を記録した動画は14日午前現在、「ニコニコ動画」や「ユーチューブ」で見ることができる。
 それによると、男性職員はマスク姿でカメラを片手に女性に接近。女性が「勝手に撮ってんじゃねえよ」と歩み寄ると、職員は女性に左手を振り下ろし、数秒もみ合った後、再びカメラを女性に向け、立ち去った。
 ネット上には「民主党は普段から暴力で弾圧しているんだな」など、民主党を批判する投稿が多く飛び交っている。
 民主党幹事長室は14日昼までに「事実を確認中」とコメント。問題の男性職員を直撃すると「トラブルになっているので、私からはコメントできない」と話した。

2012年3月14日(水)17時0分配信 夕刊フジ
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/fuji-zak20120314010/1.htm

 それにしても、マスコミがそのような思想統制や偏向報道を行うことは、絶対に許されないことである。と、自信を持っていいたいところであるが必ずしもそうはないっていないところがあることは間違いがない。マスコミといえども人間であるので、やはり思想や贔屓目に見てしまうところは存在する。かく言う私も偏向報道をしていると考えている。私自身、公平な報道をしているとは思っていない。たとえば尖閣諸島の問題でも、竹島の問題であっても、北方領土の問題であっても、私は私自身が日本人であることから「日本よりに偏向した」報道を行っている。同時にその偏向報道を行っていることそのものに関しては、あまり罪の意識もなくそのままにしている部分があるのだ。実際に中立であるならば、中立の報道の仕方があるのであろうが、私は中立であることよりも日本人であることを選ぶべきではないかと思っている。
 過去に偏向報道の問題を行ったときに、私は「偏向報道していることそのものが問題なのではなく、偏向報道をしていないかの顔をして偏向報道をしていることが、読者を裏切り、扇動しているものではないのか」といっている。実際に赤旗新聞などが「偏向報道している」などといって起こっている人は見たことがない。自分は中立ですとか公平ですといいながら偏向報道をしている一般マスコミが、最も国民を裏切っているのである。そして、これは報道をしないということに関しても、またはその事件そのものの背景に大きなイデオロギーが潜んでおり、そのイデオロギーが日本の民主主義を根本から揺るがす危険があるのにかかわらず、その危険性を指摘しないことそのものも非常に大きな問題ではないのだろうか。
 今回の問題は、ただ単に暴行事件として処理してよいものではなく、完全に言論の自由を踏みにじった「民主党という政党の政治活動における憲法違反行為」であるとしっかりと報道しなければならない。そして、そのことを自主的に問題にして、当該人物の処分をしない民主党そのものが「憲法を無視した危険な存在である」ということを、しっかりと伝えなければならないのではないか。にもかかわらず、この報道を持って言論の自由や憲法という観点で報道している報道機関がまったくないことがもっとも大きな問題なのである。
 言論の自由、そしてマスコミは、この事件の報道を正確に行わないことをもって死んだ。そのようにいわれても仕方がない現象であるといえる。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(50)中国における訴訟の勝ち方(2)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(50)
中国における訴訟の勝ち方(2) 

 先週は一回お休みさせていただいた。さすがに、3月11日に通常の文章を各期がなかったのである。まずそのことに関してお詫び申し上げます。
  さて、中国における訴訟の勝ち方として、前回からこの連載を中国の訴訟を元に行っている。実際のところ、中国において中国人に日本人が訴訟で勝つということは非常に難しい。いくつかの要因がある。ひとつには日本人は中国人の慣習をまったくわかっていないということ。日本人はどうしても日本人の生活習慣や考え方をしてしまう。しかし、中国で訴訟を行っていれば、中国の慣習に従ってその内容を考えなければならない。「郷に入れば郷に従え」という言葉がある。まさに、その言葉のとおりに、中国においては中国の考え方にしたがってやらなければ、勝てるものも勝てない。この連載も50回ということであるが、実際に中国人の考え方や価値観を少しは書いてきたと思う。日本人とこんなに考え方が違う日本人ならばこのように行うのに、中国人はまったく違う反応をする。ということなどをしっかと、それでも面白く書いてきたつもりだ。ただ笑い話として読んでいただくだけでなく、実際に中国人の考え方を理解するとよいのかもしれない。
  中国の法律は、実際にこの中国人の考え方が元になってできている。要するに、中国人の考え方や中国人の習慣がわからなければ、中国の法律は理解できない。中国の法律が理解できなければ、中国の裁判で勝つことはできないのである。実際に、中国の裁判や法律について「こんなのおかしい」という人がいないでもない。しかし、中国人から考えれば、そのようなことを言っている日本人のほうがおかしいのである。そもそも育っている環境も、国の習慣も歴史も、民族も言語もすべて違うのである。習慣や、その習慣を基に作った法律そのものが違っても不思議はない。当然に、「違う」ことを承知で中国に進出しているはずである。このような内容が「おかしい」などといっていること自体寒露地ーリスクをまったく理解していない状態である。
  実際に、マイカルでもそのような議論があった。「そんな法律はおかしいやないか」などという人は役員会でも少なくなかった。しかし、「法律のことをおかしいといっても意味はありません。また、そのような声を大きく上げれば政府批判になりますから、今後商売がしにくくなります」というように答弁をしていた。私のこの答弁に対して、それでも納得いかない役員には「私たちは中国人ではありませんので、中国に行くこと自体、このような価値観や法律の違いは承知されているはず。その上で、中国への進出が役員会で決定されているのですが、その違いが許容できないならば中国から撤退したほうがよろしいでしょうか。それならば、そのような議題の定期をお願いいたします。」私からすれば、いきさつ上業務命令で中国に行っているわけであり、特に好きで中国推進しているわけでもない。そのために、撤退してくれるならばそんなによいことはないのである。しかし、私のこの発言で中国進出が撤回されることはなかったのである。
  さて、日本人が中国での訴訟において勝てない理由が後二つある。ひとつは、「裁判所が中国人である」ということ。そして、もうひとつは中国の支配体制の中における裁判所の地位がわかっていないということである。
  裁判官が中国人であるということは、これも中国で裁判をする以上は当たり前の話だ。裁判というのは、全世界ともに裁判官がその裁判官の感覚と良識で判断を行う。アメリカのようにその裁判官の判断が信用できない国は、陪審員という制度を使っている。しかし、実際に、多くの国では法律の専門家で、なおかつ良識のある裁判官がその判決を下すのである。
  しかし、その「裁判官の良識」が問題である。裁判官の良識は当然にその人個人の生活や社会的な習慣によって行われる。裁判官の良識は、当然にその存在する社会において、有効なものでなければならない。要するに中国の裁判においては中国の裁判官の良識によって中国の社会にマッチした内容で行われるのである。そして、その良識は、中国の朱遺憾や環境によってはぐくまれるものダル。要するに、中国の裁判官の良識は中国人の共通の認識と環境によって形成されるものであるということである。
  その中国人の良識を持った裁判官に、日本人が何を言っても日本人の良識になることはないのである。要するに、習慣、その習慣からできる法律、そしてその法律を運用する裁判官。いずれもすべて中国基準だ。その状態で、日本人が裁判を行うこと自体それはリスクであるとしか言いようがない。当然に中国人の慣習や、中国における判例によって日本人がどのような判断をされているかを見なければならない。その上で、中国人の傾向を判断し、それで対策を立て泣ければ、中国での裁判に勝つことはできないのである。
  いや、「中国での裁判」に限られたことではない。実は日本の裁判でも同じなのである。しかし、日本の裁判の場合は、われわれは日本人であることから、その習慣を意識することはない。また習慣でできている法律に関しても、実際にはそれを意識して考える必要は少ない。最近へんな法律も少なくないが、それでも十分に理解できるものが少なくないのである。要するに、日本において日本の法律で、日本人の裁判官が裁判を行う場合は、日本人は同じ習慣で動いているので、気にしないでよいということだ。しかし、中国にいった場合は、当然に中国の習慣を知らない日本人は不利になる。その分中国の習慣を知った人が裁判を担当しなければ話にならないのである。
  ようするに、ここまでのところは日本の裁判でも同じであるが、中国という国家で行うために、違う部分であるということだ。中国人の習慣ということを学べばよいことである。そのことは、当然に、中国人の考え方を学ぶというのは、中国で仕事をしていれば、できることだ。後はそれらを理解すれば、簡単である。日本人の基準ではなく、中国人の基準で物事を考えるということはどうしても必要なことではないのか。しかし、政治システムなどは、その場面以内と学ぶことはできない。中国の裁判所の位置づけがまさにそのものなのである。
  中国の裁判所は、後ろに中国の国旗があり、その後出てくるのは、中国の軍服を着てきている人なのである、要するに中国の裁判は人民解放軍の管轄であり、そこに中国共産党の法務委員会が支持協力を行うという形になっている。そのようになっていなければ軍人の裁判はできないだけでなく退役軍人もそのような内容が必要になってくるからである。また、法務委員会は、すべて共産党の一党独裁の範囲内において法律の運用がされており、また、その裁判に関しても共産党の順位に応じて、または中国共産党の理念に沿った内容かそうではないかによって判決が変わってくるのである。要するに政治犯の場合や思想犯の場合は、共産党の判断が必要なのである。そのことを考えれば、中国の裁判は、まさに共産党と人民開放軍という中国の大陸に渡る二つの全国組織によって形作られている、価値観の判断の場であるということである。このことは、非常に重要で、日本のように司法が三権分立で独立しているのではなく、中国の国内の政治機関のひとつとして機能しているということなのである。もっといえば、中国には三権分立はなく、政治のひとつとして裁判が使い、その司法の価値観や裁判の結果を通して人民を支配していた構造があるのである。
  三権分立がないということは、まさに政治的な判断がお子案割れるということである。しかし、中国は「法治国家」である。要するに法律にないことの判断は完全に政治的に行われるが、法律に起債のある内容はその記載のとおりに運用されるということなのである。このような環境であるから「紅衛兵」のような内容ができるし、「愛国無罪」などという価値観が出来上がるのである。
  要するに、中国で裁判に勝つためには、中国人の習慣と法律を理解し、その上で中国の政治システムや裁判官の地位を考え、その上で、中国の裁判官の地位を政治的そして人民家宝軍的に、われわれに有利にしたほうがよいということを行わなければならないのである。
  その具体的な方法は、来週以降に具田入れに即して話しよう。

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台北道中記

台北道中記

 土曜日ということもあり、また、昨日の晩に台北からの出張で帰国したということもあって、今日は新聞記事ではなく、台湾道中記を簡単にまとめたいと思う。
 今回の台湾はBSの依頼により李登輝元総統のインタビューを行ったものである。李登輝元総統の希望により、日本の経営者団体時局心話会の山本善心氏を交えた鼎談の形になったが、実際に李登輝元総統の人間味と、几帳面な性格、そして歴史観や日本への重いということが伝わればよいのではないかと思っている。
 実際に、昨年の7月以来であり、いくつかのミッションを背負っていったので、これはこれでなかなか大変なものであった。要するに、事前に質問事項を送付していたのであるが、それ以外の部分で少し李登輝総統を盛り上げるというものだ。この辺がうまくいったのかいかなかったのかということに関しては、実際の番組を見て皆さんが判断していただいたらよいのではないかと思う。実際に李登輝元総統の性格上、自分がいつも思っていることや、信念に基づくことに関しての質問になれば、非常に熱を帯びてお話をされる方である。一方、歴史的な事実や過去にあった事実を話されるときには、事実に従った正確な情報を基にお話をされることであるために、メモなどを見ながら、あらかじめ台本を用意し、その台本を読み上げるような話を行うのである。当然に、そのときには比較的冷静な面持ちでお話をされるということになる。
 ある一方で盛り上げた話をしながら、ある一方で冷静な話に戻さなければならない。予定時間を1時間近く越えたインタビューのもようは、3月28日のBS11「インサイド・アウト」という番組で放送される。この鼎談の内容に関しては、その番組の近くになってから話をしたいと思う。
 さて、ここまで李登輝元総統の話をしながら、急に話を変えよう。まず、なぜBS11なのか。このような良い話は、地上波で行えばよいのではないか。皆さんそのように思われる。しかし、実際のところはそのような簡単なものではない。ここに「日中新聞協定(日中報道協定ともいう)」非常に驚くべき内容の協定が存在することになる。NHKなどとも話をしたのであるが、現場の記者レベルはみな興味があった。誰もが報道したいと思っていた。しかし、判で押したように返ってくる答えはその協定の名前で放送できないというものであった。この協定は「二つの中国という概念を廃し、ひとつの中国の原則をもって報道を行う」としたものであり、その原則に従わない報道は「自粛する」ということだそうだ。当然に当社はそのような協定に加盟していないので、自由に李登輝総統のインタビューを行うことができる。そして、その協定に加盟していない、もしくは加盟していながらもそれに関してして厳格に遵守していないBS11に白羽の矢が立ったということである。地上波などで行ったほうが良いということは承知のうえの選択であることは間違いがない。もちろん、そのために告知などを行わなければならないので、これからブログなどでも番組放映日までの期間、何回かこの話を行うものと思われるが、その部分はご了解願いたい。
 さて、李登輝総統の前後、黄石城元国務大臣と会食をした。黄元国務大臣は、李登輝元総統の側近とも右腕とも言われる人で、非常に親日家であり、また非常に政治意識の高い紳士である。普段は物静かであるが、その真は強く、また確実性のある堅実な正確は、現在も多くの人の信望を集めている。黄石城元国務大臣のお嬢様である黄文玲女史は、今回の立法院議員選挙で台湾連合(李登輝元総統の指示の下でできた保守派の政党)で3人当選したと伝えられるうちの一人である。
 会食の席上、「私の小さい頃は、台湾は日本であった。それだけに台湾の人は日本に深い感慨を持っている。私はたった3年間しか日本の最高の教育を受けることができなかった。その3年間も空襲でほとんど勉強することができなかったので日本語はあまりうまくない。しかし、私という人間の基礎は、その日本の教育の三年間で形作られている。今回、多くの日本の人が震災のときに多額の義援金のお礼を言ってくれる。しかし、私にとっては祖国であり、私の基礎の部分である国が、困っているときに助けることは当然のことだ。まだ足りないのではないかと思ってしまう。福島の人(被災地の人ということと思う)は、非常にショックであったし、そのショックを超えることはないと思う。しかし、台湾にいる私たちも。非常に強いショックを感じているのです」と挨拶した。
 正直なところ、この挨拶をいただいた前日、三月一一日の一周年の記念の式典で、日本政府は台湾の代表書からの出席者の献花を断り、一般席に案内したという比例に対し、藤村官房長官が、開き直りとも取れる発言を行ったところである。その翌日、当然に黄石城元大臣もこのことを知っていながら、また、われわれからの挨拶でそのことの謝罪の言葉を聴きながら、そのようなことはまったく出さずに、このような挨拶を行う。これには感動した。少し、目が厚くなったのを覚えている。
 台湾に来るたびに思うのは、「本当の日本人とは何か」ということである。本当の日本人とは、別に日本生まれであることとか、日本語が話せるということではないのではないか。また、血筋が日本人であるということでもないのではないか。そのように考える。最近血筋だけで威張っている人などもいるし、日本人なのに日本の法律を守る意思のない人もいる。また、日本生まれでも在日外国人もいるし、黄石城氏や李登輝元総統のように、台湾という国にいながら日本のことをきゃかんてきに、日本のみになって考え、震災のように日本が困った時には、日本のために何とかしようと「見返りを求めない」態度で手を差し伸べてくれる人もいる。そのような台湾の人に、恩をあだで返すような日本の野田政権中枢部もいるし、その私的に対して開き直るようなものは、本当に日本人なのか、それとも人間の皮をかぶった悪魔なのか。
 日本人には、日本人としての誇りもあり、日本人としての恥の文化もある。法律を犯してしまえば恥ずかしいと思い、日本人の誇りをもって行動し、日本という国家に対してそれを信じ、そのために準じるという覚悟を持っていたのではないか。李登輝元総統は、今回のインタビューの中で、「リーダーには、いくつかの条件が必要だ。<中略>リーダーには信仰が必要なのである。信じるもの、よるべきもののない人は、どうしても不安定な政治になってしまう。そして公私の区別がなくなったり、政治に対して妥協が生まれてくる。私はクリスチャンであり、しっかりとした信仰を持っている。私の尊敬する後藤新平は、宗教はわからないが、日本という国家を信じ、当時の日本国と天皇陛下を崇敬していた。国家観があること、その対極から正義を見ることはリーダーには絶対必要なのである。それのない人は、正義がわからなくなる場合があるのだ<以下略>」と語っている。リーダーでなくても、しっかりとした日本国民であるならば、真の日本人であるならば、それなりの国家観が必要であるし、日本人としてのアイデンティティは失われてしまっているのではないか。日本人として、日本人の誇りと日本人としての恥の文化を知らない人間は、やはり真の日本人ではないのかもしれない。そして、台湾にいって、李登輝元総統や黄石城元国務大臣などあって、本当の日本人とは何かということを考えれば、いつの間にか、そのような考えになってしまう。要するに、民主党や左翼だけでなく、インターネットの中まで含めて、日本国民に真の日本人がいなくなったのではないか。
 さて、話を元に戻そう。台湾ではこのほかにもさまざまなことを行った。しかし、他のことにはあまり興味がない。といっても過言ではないのであるが、実際にはよるの街を歩いたり(今回は歩くだけでクラブ活動はなかった)、または大学に見学に言ったりということもした。日本の研究をしている学生たちとの会食は非常に楽しかった。実際にこれらの事は、台湾の学生の中にまだまだ親日家が多く、日本のことを好きな学生が少なくないということで、別な意味でうれしかった。台湾は当然に資源が少なく外国に目を向けなければならない国である。そして中国とアメリカに海を隔ててはさまれている、ということで、日本とはそのおかれた環境はあまり変わらないのである。その経営者の多くは中国に目を向けてしまい、中国のバブル崩壊の危機にびくびくしながら時を過ごしているし、中国の政治状況に関しても非常に関心が高い。たとえば、中国の重慶の共産党書記薄熙来氏の失脚については、台湾の新聞の一面で多き取り上げていたし、日本のNHKのBS(台湾で見たので)でも特集で行っているほどの関心事だ。しかし、日台双方ともに、その支持耐性については甘利興味を持っていない。そのようなところまで環境が似てきている。しかし、真に連携をとらなければならないのは、当然に日本や台湾のような「同じ環境の中にいる国家」であり、そのことを重視しないなどということはあまりにも歪な政治体制になってしまうのではないか。そのようなことを思う部分も少なくないのである。
 最後に、私は行きかえりの飛行機を「エバー航空」という台湾の飛行機会社の便にした。もちろん値段の話などもあり、なるべく安くしなければならない。その中で驚いたことがある。飛行機の中ではよく映画をやっている。最近では各椅子に画面がありその中で個人で好きな映画を見ることができるようになっている。さて、エバー航空の中で私が見た映画は何か。それは「山本五十六」である。まさか、台湾の航空会社の中で真珠湾攻撃の勇壮な航空戦や、戦艦や空母にはためく日章旗を見るとはまったく思わなかったので、その部分はさすがに感動した。しかし、画面の下に中国語の字幕がついている。これにはもっと驚いた。私は中国に言ったことがあることは過去に何度も触れているし、その体験記は毎週日曜日に書いている通りだ。しかし、その中において、日本の軍に関するものは全て抹消されていた。日露戦争の記念の場所は、それでもまだ残っている。二〇三高地には「爾霊山」とかいた28センチ砲の記念碑がしっかりと残されており、日本軍の塹壕の跡地には乃木希典将軍の二人の息子のなくなった場所に立て札が今でも立っている。しかし、民間の施設はそのまま利用していても、軍の物を見ることはできない。またカラオケなどに行っても、軍歌などを歌うことはできないのである。しかし、台湾のエバー航空の中では、日本の作成した日本の戦争の映画を堂々と流している。実際に、その映画を見ている人も少なくないということは、まさに思想や表現の自由であり、また親日的な人でなければそのような映画を入れることはないのではないか。インドネシアやタイなどでも、日本の軍の功績をたたえる石碑などはあるが、さすがに日本の作成した戦争映画を見ることはなかった。この親日的な台湾の思想は、このようなところでも出てきているのであるとかなり驚いたのである。日本で「韓流」などといっているが、「台湾」になぜもっと注目しないのか。
 改めて台湾の道中を通して、真の日本人が日本からいなくなったことと、日本のマスコミそして国民の未熟さを思い知らされた。かなりショックな二泊三日であった。

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【短期連載】平成24年度予算考(3) 「日本再生重点化措置」の対象となる4分野

【短期連載】平成24年度予算考(3) 「日本再生重点化措置」の対象となる4分野

 社会保障の話のときの述べたが、今回の予算は
① 「日本再生重点化措置」において、我が国経済社会の真の再生に資するために予算を重点配分
② 「提言型政策仕分け」の提言等を踏まえ、既存予算を見直し
③ 公務部門における無駄を徹底して削減
④ 23年度補正予算に引き続き、東日本大震災からの復旧・復興に全力で対応
⑤ 市場の信認確保のため、「中期財政フレーム」(歳出の大枠約68.4兆円、新規国債発行額約44兆円)を堅持
 ということで、予算の重点配分が決まっている。しかし、その内容は予算そのmのが昨年よりも少なくなっているので、目立たないようにその予算が「増額」されていることになる。あえて「増額」とかぎ括弧をつけたのは、全体の予算が下がっている状態で、昨年の予算を維持いているということは実質割合的に増額しているということに他ならないのである。
  平成24年度の場合は、昨年が92兆4116億円で、今年が90兆3339億円ということで約97.7%にの予算が。割合比率で言えば、2.3%のマイナス予算出れば、ほぼ現状維持であるということができるのである。では、その割合火を見て実質割合火で増額になっている、いわゆる増額予算は何か。それは
  「文部科学関連予算(復興関連除く予算費マイナス1.4%)」
  「地方交付税(復興関連除く予算費マイナス1.1%)」
  「防衛関連予算(復興関連除く予算マイナス1.3%)」
  「ODA予算(復興関連除きマイナス1.1%%)」
  「諸経費(復興関連予算除き2.5%増額)」
  「経済危機対応予算(12.3%)」
  となっているのである。では、一方で「「日本再生重点化措置」において、我が国経済社会の真の再生に資するために予算を重点配分」となっている内容はいったいどのようなことになっているのか。
 
  ○歳出削減により捻出された財源を用いて、再生に向けてより効果の高い施策に予算を重点配分する取組(「日本再生重点化措置」)を実施。
○我が国経済社会を再生し、国民一人ひとりが希望をもって前に進める社会を実現するため、以下の4分野において、予算を重点的に配分。
○概算要求組替え基準段階の7000億円規模から、予算編成過程における更なる歳出削減を活用し、1兆円規模に拡大。

とあり、その内容は

ⅰ) 新たなフロンティア及び新成長戦略
(科学技術・エネルギー・海洋・宇宙等、インフラ整備を含めた成長基盤の強化)
ⅱ) 教育(スポーツを含む)・雇用などの人材育成
ⅲ) 地域活性化 (新たな沖縄振興政策を含む)
ⅳ) 安心・安全社会の実現

となっているのである。
 しかし、菅内閣になって東日本大震災があり、ほとんどの基本計画や基本政策はまったく打ち出されていない。そもそも基本政策というのは、内閣が提案し閣議決定をしたものに対して、国会がその予算審議と同時に検討を行うものである。そのために、国会においては書く基本政策や基本政策に基づいて行われる調査書、報告書などが配布され、それらの中において国会で承認されるものである。内閣は当然に国会で認められた基本政策に従って政治を行うものであり、官僚もその基本政策に基づいて、その時代や新たな科学技術の進歩、そして世界情勢などの変化に対応して政策を実現してゆくことになるのだ。
  これらの基本政策に関しては長期、中期、短期と存在し、その中でも中期政策に関しては「大綱」短期計画に関しては「基本政策」と呼ぶ。平成22年にできた「防衛大綱」などは、防衛基本政策などと異なり、実際には「大綱」であるために、中期計画であるといえる。よって、防衛大綱はまたしばらくの間は見直されることもなく、それ以外は「防衛白書」という基本計画と、その報告書によって報告されることになるのである。
  一方、昨年の福島原子力発電所の放射能漏洩事故などによって廃止された「エネルギー基本計画」は、世界情勢の変化や石油などの地下資源相場の変化などによって、毎年変えなければならない。そのために、エネルギー基本政策は毎年更新されその内容を大幅に見直すことも少なくないといえるのである。
  防衛が「大綱」であるのは、日本が安全保障そのもので問題がない国というのではなく、防衛に関しては中長期でしっかりとした計画をしなければ、装備などの配置や新たな装置の開発などにおいてしっかりと見なければならないものであるといえる。そのために毎年の白書で報告形式が作られ、基本政策は対抗の形で中長期の政策になるのだ。もちろん、菅首相や民主党政権が信用できないというものがあっても、実際に新たな装備などに予算を使ってしまっている以上、その方針を完全に転換できないということになる。その意味でも、何もできない民主党政権が政権になり、その政権期間中に防衛大綱の見直しを行ったことは大きな問題があるのではないかと思う。
  一方、エネルギー基本計画に関しては、エネルギーそのものの設備や大きな内容は、防衛の施設と同様に時間のかかるものであるといえる。しかし、エネルギーを作り出す資源に関しえてゃ刻々と変わる世界情勢や、地下資源の相場、場合によっては通過の為替などによって異なる。当然に年間でまったく変わるどころか、毎日でも時間でも変わってゆくものである。しかし毎日基本政策を作り変えるわけにも行かない。その意味でエネルギーは年間ごとにその蛍光などを作り、その基本政策を見直すということが必要になってくるのだ。
  大綱と基本政策の違いは、このように、その政策そのものの性質などによって異なるものがほとんどである。しかし、逆に基本政策も大綱もない「行政」は存在しないのである。まさに国会で承認されていない政策による内閣の「暴走」は、それを「独裁」と呼ぶものである。日本で言うと、独裁というと個人が好き勝手なことを行い、政治権力を指摘に行使することのように思われるが、実際に民主主義や合議制の手続きに従わないことが常態化した政治そのものは、「個人」かあるいは「政党などの集団」かは別にして「独裁」であることには変わりはないのである。
  さて、少し話はそれたが、基本政策なき予算そのものが度「独裁」である。問題は「誰が」独裁したのかということだ。
  今回、エネルギーで言えば、昨年の福島原発の問題でエネルギー基本政策は見直されることになった。当然に、基本政策で想定されていない事故が起きたのであるから、そのことは非難されるものではない。しかし、平成24年度、要するに、二つの年度をまたいだエネルギー基本政策がない状態において、新たなフロンティア及び新成長戦略(科学技術・エネルギー・海洋・宇宙等、インフラ整備を含めた成長基盤の強化)となっているのは、さすがにおかしいのではないか。エネルギー基本政策も、海洋の基本政策も存在していないのに対して、その「成長基盤の強化」などを、誰がどういう基本政策で承認し、その予算が決まったのか、その政策の決定に関してはしっかりとした「民主主義の手続き」がなされているのか。もっと言えば基本政策を国会の承認を受けた後に、これらの予算を組んだのか、ということが問題である。
  このような予算が組まれたということは、まさに、財務省と内閣が一体となった「独裁」が行われているということに過ぎないのではないかと考えられるのである。そのことを、臆面もなく「平成24年度予算のポイント」という書面の中に記載しているのであるから、さすがに驚くというほかない。
  また、その重点の四項目の中に  「防衛関連予算(復興関連除く予算マイナス1.3%)」「ODA予算(復興関連除きマイナス1.1%%)」「諸経費(復興関連予算除き2.5%増額)」に関しての項目は存在しない。もちろん防衛予算が減ることに関して反対するものではない。隣国中国が防衛予算を大きくしているのにかかわらず、日本がそのままもしくは減少傾向にあるのはバランスとして非常に大きな問題であるといえる。しかし、その防衛予算に関しては、防衛大綱があるのでそれにしたがっているというかもしれないが、復興も終わっていないうちにODAを増加傾向の中に入れるというのはいったいどういうことであろうか。批判が集まる部分ではないのか。
  予算案に関しては、そもそもそのような予算になったということで、しっかりとした基本政策があるはずだ。もちろん対抗があるという場合もあるが、エネルギーや海洋に関することのように、「基本政策なき重点投資」という不思議な概念がそのまま存在すること自体、この平成24年の予算案が民主党の独裁傾向にあるということを示唆している資料であるといえるのである。

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【短期連載】平成24年度予算考(2) 復興基本計画なき予算

【短期連載】平成24年度予算考(2)  復興基本計画なき予算

 予算というのは、そのときの政権の考え方が最もよく現れる内容であるといえる。なにしろ数字ですべてが出てきてしまい、なおかつ前年比や政権交代が行われる前後の比較が数字でできてしまうのである。それだけに最も重要な内容であるといって過言ではない。逆に、予算がなければ官公庁は何も動かないといっても過言ではない。何をするのでも金がかかるのが資本主義の原則である。何もしないで考えているだけでも、その人の生活費というのがあり、その生活費の一日分または時間分の給与が発生しているのだ。頭の内容も労働としての対価が必要になってくるものである。それだけに、どこの政策、どこの部署に、どれくらいの人員を当てるかということは、それ明け人件費ということで予算化が必要になってくるのだ。それだけに、「何もしていないように見える」状態でも、予算が必要であるといえる。
  さて、昨日のところは、まず一般歳出の50%以上を占める社会保障について、その社会保障が政府の言っていることとやっていることがまったく逆を行っているということを明らかにした。何しろ「提言型事業仕分け」で「大幅に見直す」といいながら「医療報酬の1.38%値上げ」といっているのだから、いかに出鱈目の政権なのかが良くわかる。また、これらの資料に関しては財務省のホームページに、何の臆面もなく掲載されているのだから、さすがに驚くというしかない。
  今日は、その予算の中で、何よりも現在の日本の喫緊の課題である「復興」についてみてゆきたい。
  復興に関しては平成24年度予算で3兆2500億円の予算が組まれている。一見少ないように見えるが、平成23年度の第1次から第4次にわたる補正予算で、さまざまな予算がついているので、今年度予算の中での復興予算は、これら補正予算の補完的な意味があるものと思う。もちろんこの数字で足りるか足りないかということは、実際に復興事業を進めて見なければ縄からない。しかし、最も重要なのは、過去の補正予算分の予算の執行状態が不明な状態で、また復興の予算がついているということである。
  復興に関しては国民感情的に反対できない状態が続いている。しかし、そもそも復興の方向性がこれでよいのか、復興は進んでいるのか、予算がどのように塚荒れているのかということが検証されずに、次から次へと復興予算だけがつぎ込まれる現状は、本来「無責任政権民主党」の思うままに好き勝手な利権を生み出しているのではないかと考えられるのである。
  たとえば瓦礫処理の予算に関して、「災害廃棄物処理事業 3,440億円」という予算がういているが、過去の補正予算で莫大な予算が突いていても現在の瓦礫処理の率は岩手県で5~8%に過ぎないのである。このような処理の速度で、またこのような処理の率で復興ができるはずがない。そもそも「瓦礫」と一言で言っているが、その「瓦礫」は、被災者の皆さんの震災前の「生活の名残」である。なくなった方の思いでもあるかもしれない。それらに関して、いまさらどうしようもないということもいえるが、逆に、その「生活の名残」がいつまでも目の前に「瓦礫」として存在している状態を続けることは、避けなければならないのではないか。本来は政府は、これらの予算に関してどのように使われているのか、そして震災から1年がたつのになぜ何も進まないのか、そこのところを明らかにし、国民に報告する義務があるのではないか。そのような行政としての責任をまったく追及されないで、何が予算だ、何が復興だ、という被災地の声はいまだに消えることはなく、民主党政権に怨嗟の嵐のように襲い掛かっているのである。
  そもそも、瓦礫の処理だけでなく、復興そのものがまったく決まっていないということがいえる。津波の直後、「津波で水をかぶった場所には、住居を作ってはいけない」という規則を作った。もちろん、余震がまだ激しく、再度津波などの危険があるときは、そのような処理が必要である。しかし、たとえば三陸の特殊性、要するに、漁業という海を産業に使い、海とともに生きてきた人々にとって、海を離れるということがどういうことか。それは「緊迫した危険」があるときと、震災から1年たった今とはまったく違う。このことは他でも同じだが「救出」「復旧」「復興」は全て違う概念で進めなければならない。救出のためには、他に手段がない場合、他人の所有物でも壊して(もちろん最小限であるが)救出し、命を守ることが最優先だ。しかし、復旧となれば、そこに存在するもの、仕えるものをなるべく使って、「早く」生活を取り戻すことが最優先になる。当然に壊しても良いという概念は、緊急時のことでしかなく、復旧時代とは違う。復興は、次の生活新しい第一歩のために、産業や生活、そして次の世代のことを考えて、最善の選択を行うということが優先される。もちろんそこには予算や時間との「バランス」が必要になる。このように時期とその時期を越えた部分での価値観、そしてその土地やそこに存在する物品に関する考え方は、場面場面で異なってくるものである。そのそれぞれの価値観を考えなければならないのに、救出や復旧の考え方を「原則」として物事を進めては、復興などはできるはずがない。
  それでも予算はついている。いや、予算がつくことだけで行政は仕事が終わっていると思っているのである。それは大きな間違いだ。予算というのは、行政が動くための金銭であり、行政が「どのように動くか」が決まっていないのに、予算があること事態がおかしいのである。予算案が1月初旬にでき、1月24日に開会された予算案が配布されながら、3月8日に福島の復興法が衆議院通過するというのは、かなりおかしな順番ではないのか。そのことに違和感を感じる国会議員がいないというのがもっともおかしなものではないのか。
  では、復興に関してはなぜこのような問題が「浮き彫り」にならないのか。これは復興に関しては「特別会計」に計上されてしまう。要するに一般予算の中の歳出(一般歳出と国債などのための歳出を含む全額)から、特別会計に拠出されたという解釈になるのである。特別会計になるということは、予算そのものが組まれながら、一般の歳出として会計の監査を受けることがないということになるのだ。もちろん最終的には監査を受けることになるが、会計検査院の監査は年度ごとに行われるものになり、単純に「利権の巣窟」となっていたとしても、透明性が薄れるということになってしまうのである。もちろん、特別会計でも問題はないと思うし、一方で、復興ということだけを機軸に考えれば、多少であれば利権を主張する人がいても、または多少であるならば不正があっても、何万人という被災者の復興がそれで早くなるならば、生活の復興を優先すべきではないかという考えさえも生まれる。
  では、そのような「利権の巣窟」となるか、「復興の象徴」となるかの差は、どのように決まるのか。まさに復興という、一般の枠組みとは違う行政活動にしっかりと使われたかどうかということに尽きる。それは、そもそも復興計画があり、その復興計画に必要な業務があり、その復興計画に必要な業務(もちろん必要最小限とは言わないが)の、範囲内で、妥当性とバランスをもって予算が使われたのかということが、監査の観点になるはずである。そして、それらの予算は、「復興基本法」があり、また、その法律の執行の担当部署と責任者(権限があれば責任が付着する)が選任されて、その責任者の元で、法律に従って権限を行使して行われる。法律で足りない部分は大臣の発する「政令」などによってょ関され、それにしたがって行われるものである。当然に地方行政と連携し、地歩行政の条例などともリンクしながら、それらの業務を行うのである。
  では、本来の「復興基本計画」はどうしたのか。そのようなものは存在するのか。損基本計画は国会で説明されたのか。基本計画の採択があってはじめて、復興の予算があるはずだ。菅直人前首相が主催した二〇を超える委員会の結論はどうしたのか。原子力発電所おじこのどさくさにまぎれて、適当に国民はごまかされてはいないか。
 

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【短期連載】平成24年度予算考(1)提言型事業仕分けで増額される社会保障とは

【短期連載】平成24年度予算考(1)
提言型事業仕分けで増額される社会保障とは

 こんな時期に、突然短期連載があるということは、このブログの読者であれば皆さんお気づきのように、私の海外出張が入ったということである。今回は、3月末にBS11で放送される台湾の李登輝元総統のインタビューを行うために李登輝元総統の元、台湾に海外出張している。海外だからといってインターネットがつながらないというわけでもないのではないかとおもうが、実際のところ、その部分は非常に不安なので、あらかじめこのような文章を書き溜めておいて、その文章を短期連載として掲載することにしている。帰国後の内容に関しては、行き帰りの飛行機の中で作ることができるので、その内容に関してしっかりと見ておこうと思っているのである。ということで、この文章を作成しているのは、基本的に3月5日からの週であるということをあらかじめご了解いただきたい。要するに、昨日のブログの文章の1週間前に作った文章であり、その部分に関して、すでに皆様もお気づきのように、事細かにメンテナンスする性格ではない欠陥人間であるために、時期遅れであったり、その1週間の間に予算の内容が変わっていたとしても、その部分は3月5日の週には、このように考えられていた、ということでお考えいただきたい。
  ちなみに、この文章を作っているときは、基本的に予算案が発表されているものの、たとえば、議員歳費に関しては2月末の「やまと新聞」で報じられたように、議員歳費に関しては、昨年の後半半年間月間50万円、合計300万円に関して歳費を元に戻す、要するに歳費を値上げするということが予算案に破棄しさていた。しかし、国家公務員の給与の8%削減により、国家公務員だけ給与を下げて、国会議員が歳費を元に戻すのはおかしいという公明党からの議案提出があり、基本的に今度は年間300万円の歳費削減、要するに月間25万円の歳費削減の法案を提出する構えになっている。しかし、それらの法案はまだ出されているわけではないので、この文章を記載している時点では、国会議員歳費は、昨年に300万円の増額(実質は元に戻しただけ)ということになるのである。当然に、この文章がブログに掲載された時点では、300万円の歳費削減は決まっており、平成24年度の予算案は変更向されているものと考えられるが、法案が通らないとそのようにはならないので、そのような部分が、文章掲載日とこの文章を作っている1週間の間に代わってくるということになるのである。
  それらのことを、ご紹介いただいた上で、現時点である【記載日時点】の平成24年度予算案を見てみたいと思う。なお予算案に関しては、財務省のホームページから誰でも見ることができ、またその要点と思われる部分は財務省が各省庁別にまとめてくれている。事際にこのブログの読者が非常に気にしているであろう宮内庁や御皇室の予算なども、この中に記載されているので、その部分に関しても予算案としてみることは可能だ。普段マスコミが真実を伝えないということを強く主張している方が少なくないのであるが、実際のところ、このような象徴の資料をしっかりと検証して、マスコミの論調を撃破することは甘利見たことがない。そのようなことをする人はかなり異端なのかもしれない。私がこのような文章を書くと、「国会の記者だから資料が入る」などといって特別扱いをする人が少なくないのであるが、そのような型は、たとえばこの予算案に関しては、財務相のホームページを見たことがないのか、あまり技術がないために、それらの資料にたどり着くことがないのかもしれない。私も、そんなにやさしくない性格なので、ここにURLを記載するようなことはしないが、実際に財務省のホームページで閲覧することのできる資料で、誰でもがいることができる内容を元に、そこに書かれているものがどのような意味になるのか、その会たる内容の本当の意味はどのようなことを指し示しているのかなどをしっかりと検証をしたい。特別なのは、たぶん国会の中で取材活動ができるということだけで、資料そのものは誰でもがしっかりと手にすることのできるものである。なお、詳しい予算書に関しては、国立国会図書館で閲覧が可能であり、日本国民であればコピーをすることも可能だ。よって、この予算案に関して、私だけが特別な資料で何かをブログに書いているのではないことをあらかじめお伝えしておく。
 
  さて、前提条件はこのくらいにして、平成24年度予算に関してみてみよう。
  平成24年度の予算案は90兆3339億円で昨年の92兆4116億円に比べて2兆777億円の予算削減になった。しかし、税収は42兆3460億円しかなくそのほかの税収(印紙税など)も3兆7439億円しかない。残りの44兆2440億円に関しては公債(4条国債、いわゆる建設国債を含む)によって負担することになる。公債への依存度は49%となり、昨年の47.6%を上回る結果となっている。
  用途に関しては、復興関連が3兆2500億円、そのほか一般会計が68兆3897億円、公債利払いが9兆8456億円(10.9%)、元本返済が12兆896億円(13.4%)となっている。
  一般会計の課で最も多いのは社会保障費であり、一計歳出の51.5%の26兆3901億円となっている。昨今、社会保障とくに生活保障制度の悪用やその支払いの増加が問題になっているが、その部分が一般の会計の半分以上を占めるという状態になっているのである。なお、ここで言う一般歳出とは「基礎的財政収支対象経費から地方交付税交付金等と東日本大震災復興特別会計(仮称)繰入を除いたものとしている。」という定義になっているので、68兆3897億円が原資ではないことに注意が必要だ。
  ざっと、概算のフレームを言うとこのような感じになる。せっかくなので、この予算に関する「予算フレーム」の解説にはこのように改定ある。せっかくなので5項目そんなに長くないのでここにそのまま書いてみたいと思う。
 
① 「日本再生重点化措置」において、我が国経済社会の真の再生に資するために予算を重点配分
② 「提言型政策仕分け」の提言等を踏まえ、既存予算を見直し
③ 公務部門における無駄を徹底して削減
④ 23年度補正予算に引き続き、東日本大震災からの復旧・復興に全力で対応
⑤ 市場の信認確保のため、「中期財政フレーム」(歳出の大枠約68.4兆円、新規国債発行額約44兆円)を堅持

 この5項目が予算のフレームに書いてあるのである。この5項目に関して、しっかりと検証がされた上で、今回の予算案になったというのである。しかし、この予算案の面白いところは、たとえば、「日本再生重点化措置」の中には「新たなフロンティア成長と新成長戦略」「教育スポーツの人材育成」「地域活性化」「安心安全の実現」という4項目が書かれており、この4項目に重点的に予算を配分するという、いわゆる「傾斜配分方式」がとられているのであるが、残念ながら、一般歳出の50%を超える社会保障の効率化という項目は存在しないのである。要するに、一般歳出の50%を超える歳出項目は、基本的に重点項目ではないのである。では、この社会保障はどの項目に入っているのか。
  それは次の「② 「提言型政策仕分け」の提言等を踏まえ、既存予算を見直し」のところに入っているのである。その項目を見てみると、「「提言型政策仕分け」の提言を、平成24年度予算においても最大限反映することで、歳出の見直しを徹底。」とあり、『その第一項目に社会保障の項目がある。2009年のマニフェストで、あれだけ「社会保障の充実」「年金の一元化」「子供手当て」などいわゆる「バラマキ4K」などといっておきながら、事情が変わると、いきなり「事業仕分けの枠」の一番初めに出てくるようになってしまうのである。
  ではどのような事業仕分けにかかるのか。
  「提言のポイント」というところには「医療においては、リスクや勤務時間に応じて報酬配分を大胆に見直す。」とかなり強気なことを書いている。しかし、「24年度予算等への反映」という項目には「診療報酬本体の引上げを+1.38%(5500億円程度)行うこと」とまったく逆のことが書いてあるのである。実際に予算は昨年度比8・1%n減額。にもかかわらず医療報酬が増額しているということは、国民のための社会保障費が減らされているということになるのである。このようになるのは、実に日本医師会の支持を民主党が受けたいからという非常に選挙的、そして民主党的な事情にほかならず、日本のため、国家のため、日本国の財政のためにおおなっていることではないことは明らかである。このことは、民主党という政党が「脱小沢」をしながらも、結局選挙対策で支持団体の意向を受けなければならない。そのためには、こんなに明らかに言葉とまったく正反対のことをしてもなんともないということなのである。はっきりいってお笑い番組よりも質が悪い冗談でしかない。
  このように、来年平成24年度の予算案に関しては、しっかりと見なければならない部分が少なくないのである。今回は小連載として、このことをしっかりと見ていきながら、与党がどのようなことを考えているのか、そして、野党自民党がこのことをどこまで追求できるのか。そのことをしっかりと見てゆこうと考える。

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「復興は歴史的使命」という言葉だけが踊る復興の式典

「復興は歴史的使命」という言葉だけが踊る復興の式典

 野田首相の言葉の空虚さに、そろそろ国民は気づくべきではないのかと思う。実際に「復興は歴史的使命」などといいながら、その「使命を果たす覚悟」はまったく感じられない。そもそも野田首相にとって「内閣の役目」は何なのか。書言う非税増税に「不退転の決意」といって、その内容が国会に法案も出されないうちに「歴史的使命」などという美辞麗句で自分の内閣の役目を粉飾しても、結果として何もできていなければ何の意味もないのである。
 天皇皇后両陛下が参加された政府主催の追悼式典から二日たつ。昨日の報道はほとんどが現地の復興を伝えるものと天皇陛下のお言葉を伝えるものであった。天皇陛下は先日ご退院されたばかりであり、体調が優れているとはいえ、そのお体が慮られる状態でのご出席。聞くところによると、平価ご自身の強いご意思で「国民とともにある」との思いを追悼の式典で表された。そのお言葉に力を得られた方は少なくないのではないか。そして、復興への新たな思いを確認した方も多いのではないか。
 一方、その式典での野田首相の美辞麗句の自画自賛を評価する人は少ない。実際に、昨日までにテレビなどで映された被災地の様子は、「復興」とは程遠いものでしかない。福島の計画的避難地域は別にしても、たとえば宮城県の石巻市で瓦礫の処理がたった2%しかないという。市街地にはいまだに何も立っているところはなく、実際にそれまでられものが立っていたであろう場所には、さまざまな形の基礎工事の後のコンクリートがみえる。これらのコンクリートがなくならなければ、新たな建物の建設はできないではないか。今まで使っていたコンクリートの上に積み木のように建物を建てるわけにはいかない。コンクリートなどの今までの基礎工事部分をはがさなければ復興はありえない。その上で新たな立てんものの基礎工事をして始めて復興の建築物ができるのである。にもかかわらず、3月11日に移った震災から1年後の映像には、それらのコンクリートをはがす工事も、そもそもその工事を行うための重機すら移っていない状態なのである。
 片方で「瓦礫が復興の妨げ」といっているが、瓦礫の山があるのは市街地の一部だ。それ以外の場所で待ちの復興が進んでいない、プレハブ以外に何もできていないのは、まさに政府の「怠惰」でしかない。そして、その政府の代表者が「歴史的使命」などといっても、そんなことを言う前にしっかりとした復興を行動で起こすべきだという思いのほうが強くなる。
 そして「できないならやめろ」「できる人に代われ」というのが多くの国民の声ではないのか。

冥福祈り、政府が追悼式=首相「復興が歴史的使命」―東日本大震災から1年

 1万9000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から1年を迎えた11日、政府主催の追悼式が国立劇場(東京都千代田区)で営まれた。天皇、皇后両陛下、野田佳彦首相ら三権の長、被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の遺族代表ら約1200人が参列。首相は、ふるさと再生への決意を述べた。被災地などでも追悼式を開催。震災発生時刻の午後2時46分、全国の式典会場で参列者らが黙とうをささげ、犠牲者の冥福を祈った。
 政府の追悼式では、黙とうに続いて、首相が式辞を述べ、ふるさと再生、教訓の伝承、助け合いの心を忘れないという三つを「み霊に誓う」と表明。被災者と「共に手を携えて『復興を通じた日本の再生』という歴史的な使命を果たしていく」と強調した。
 天皇陛下は「国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています」とのお言葉を述べられた。心臓の冠動脈バイパス手術を受け療養中の陛下は20分で退席された。
 衆参両院議長、最高裁長官の追悼の辞に続き、被災3県の遺族代表がそれぞれ言葉を述べ、岩手県大槌町の川口博美さん(62)は「震災の教訓を風化させることなく、後世に語り継ぎ、一歩ずつ故郷の復興にまい進する」と誓った。
 追悼式には、国会議員や地方自治体関係者、民間団体代表らのほか、ルース駐日米大使ら各国大使も参列。自然災害による追悼式を国が主催するのは初めて。
 一方、岩手、宮城、福島各県などの被災地を含む10県の各市町村でも追悼式が開かれ、政府主催追悼式の映像が同時中継された。東京と被災地が一つとなって、鎮魂と復興を願い祈りをささげた。 

時事通信 3月11日(日)15時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120311-00000074-jij-pol

<東日本大震災>天皇陛下のお言葉 1周年追悼式

 東京都千代田区の国立劇場で行われた東日本大震災1周年追悼式で、天皇陛下が述べられたお言葉は以下の通り。
         ◇ 
 東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。
 1年前の今日(こんにち)、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員をはじめ、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。
 さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。
 この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のためにさまざまな支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。
 また、諸外国の救助隊をはじめ、多くの人々が被災者のためさまざまに心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。
 被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
 今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

毎日新聞 3月11日(日)15時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120311-00000011-mai-soci

高齢者の肺炎目立つ…「震災関連死」1479人

 東日本大震災で被害が大きかった岩手、宮城、福島の3県で、震災関連死と認定された人が2月末時点で1479人に上ることが、各自治体への取材で分かった。
 1973年に認定する制度ができて以降、最多だった95年の阪神大震災の921人を上回った。避難生活で体力の落ちた高齢者が肺炎などを発症して死亡するケースが多いという。
 各自治体によると、2月末時点で3県への申請は計1916人分。そのうち福島で699人、宮城613人、岩手167人が関連死と認定された。
 市町村別では、福島県南相馬市の266人が最も多く、宮城県石巻市の178人、仙台市の143人が続いた。福島県浪江町では、認定した76人のうち59人が震災発生から3か月以内に亡くなった人だった。.

読売新聞 3月11日(日)9時21分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120310-00000897-yom-soci

 さて、復興そのものの工事のことを前半で書いた。しかし、ここに新聞の記事をあげたように、震災関連死という人が1479人いるという。実際に今までのなれた町並みがあり、なれない仮設住宅などで生活をしている人々は、当然にストレスがたまる。そのほかにも当然に、被害者を出してしまった、親しい人を失ってしまったという心のショックが、生きる気力を失わされてしまっていることも少なくない。上記のような復興が始まらないのであれば、希望の光も何も見えない中で、震災関連でなくなった方々はどれくらい無念であったろうか。
 これらのなくなられた方々は「救える命」を「復興の遅れによって救えなかった」まさに「民主党人災の犠牲者」ではないだろうか。
 自然災害そのものは、誰の責任でもない。しかし、その後の復興の遅れや瓦礫処理の遅れ、そして震災関連のなくなられた方々の命の問題はまさに政府の問題である。美辞麗句で何かを言う前に行動を起こすべき、そして言葉で飾るだけの首相に対し、何もできない人々を何を政権の座からおろさなければならない。そういう思いを新たにする式典の報道ではなかったか。

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マスコミ批判に関する一考(85) 読み比べでばれたネタ談合

マスコミ批判に関する一考(85) 読み比べでばれたネタ談合

 朝日新聞、読売新聞、日経新聞の三紙を読み比べるサイト「あらたにす」が2月末実を持って終了した。始まったときはかなり話題になり、一つにはさんだ維新分社の連携ではないかということで話題になったし、もう一方では、この三紙が何を書いているのかに関して読み比べることができるということでかなり大きな話題になったのである。しかし、このサービスも基本的には新聞社の独りよがりで終わってしまった感が強い。
 そもそも、この新聞の三紙連合に関しては、そもそも平成のはじめのことに読売新聞社の渡辺恒雄主筆と、朝日新聞の船橋洋一社主との間において、大連合を示唆する会談が行われ、その後さまざまな場面で連携と思われるニュースの融通が行われたことがかなり指摘されえいる。
 また、日本経済新聞社は、一昨年始まった日本経済新聞社によるホームページ紙面の有料化に関して、読売と連携してコンピューターソフトを開発するなど、その内容ではかなり大きな問題になってきている。
 実際に確信分社は、この読売、朝日、日経に限らずどの新聞もこう読者数が少なくなるという意味で、経営が悪化しているといっても過言ではない。もちろん倒産の危機などとあおっている人もいるが、そこまでの経営の悪化は認められないものの、こう読者数の減少傾向には歯止めがかからず、インターネットなどによってニュースを取得する人のほうが多くなってきて新なう。またはテレビメディアなどによるニュースのワイドショー化、そして若者の活字離れということが深刻になってきていることから、実際に活字だらけの新聞そのものの存在が危ぶまれてきているのである。
 そのような中において、当然に会社収益が少なくなってきているのであるから、取材費などの制限が大きくなり、取材費が少なくなると良質のネタをとることができなくなってきてしまうという、「マスコミ的負のスパイラル」が発生してしまうのである。
 その状況の打破とインターネットという新たな分野への朝鮮として、「あらたにす」は、一つには現場記者の士気向上、そして読者の利便性を考えてできたサイトであったはずだ。しかし、それ以上にほかのサイト、たとえばヤフーやMSNなどのポータルサイトから入れる無料のニュース検索によって、わざわざ「三紙だけ」を読み比べるだけでなく、それらポータルサイトによって、ほかの新聞や、気の聞いたところでは有名ブログなども読み比べることができるようになってしまい、「あらたにす」の役割が終わった、というよりは、そもそもその存在意義がなかったということなのかもしれない。

あらたにす 最初は盛り上がっていた

  朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞の3紙を読み比べられるサイト「あらたにす」が2月29日をもって終了した。2008年1月に開始した当初は、「あの朝日、読売、日経が組んだ!」とおおいに話題となったが、開始から約4年での閉鎖となった。
当初は3紙の1面や社説などを読み比べられ、さらには識者によるメディア評も読める点などが話題になった。だが、グーグルトレンドの検索数の指数を見てみると、開始当初にピークを迎え、後は特に盛り上がることもなく終了に至っている。
 途中「読み比べジャンル拡充」「iPhoneアプリ公開」などの話題はあったものの、「3社が組んでオープンさせた」というサイト開始時の話題を超えるほどの盛り上がりはその後生まれなかったようだ。
 同サイトの2012年2月のページビューは、ページビュー測定サイト「donnamedia」によると、約700万PV/月。「エンターテインメント」のカテゴリーでは1942件中164位、全体のPVランキングでは2万1972件中1258位だ。各3紙の同期間のページビューを見てみると、asahi.comが1億9800万PV/月、YOMIURI ONLINE が2億900万PV/月、日本経済新聞が1億6000万PV/月となっており、「本家」には遠く及ばなかったようだ。
 今後は3社協力体制の一段の強化や、より機動的な協業体制の可能性を探るため、2012年春を目処に「ANY 連絡協議会」を新設する。なお、2011年に開設された、編集長役の大学生が日々のニュースをもとに毎日問題提起し、それにより意見交換をするFacebookページ「あらたにす 学生は言いたい!」は継続される。こちらは現在も活発に意見が書き込まれており、たとえば『ぼくらの若者論』では、「近頃の若者は…」という「大人」の姿勢についての議論されたり、『3・11は終わらない』では、原発反対デモの意義やボランティアについて様々な大学の学生が活発な議論をおこなったりしている。ANY 連絡協議会では、今後はこのFacebook をさらに活用していきたいとの構えだ。

2012年3月7日(水)11時0分配信 R25(R25編集部)
http://news.nifty.com/cs/technology/techalldetail/r25-00023026/1.htm

 「あらたにす」の失敗から何を学ぶか。この経験が基本的には日本経済新聞や朝日新聞おスーマートフォンにおける有料化にまったく反映されていないということがもっとも大きなミスではないのか。
 では、まずこの問題点を探ってみよう。
 一つ目は「インターネット競合の調査とインターネットユーザーのニーズ」を捕らえない新聞社主導のサイトであったということだ。上記にも書いたように、一つにはヤフーなどでは無料で読み比べもでき、また個人のブログなども存在している。にもかかわらず、読売と朝日と日経の三紙の読み比べで売りにするということ自体が問題だ。この「あらたにす」そのもののメリット性が待ったうち出されないサイトが出てしまっている。これは単純に、新聞各紙がまったく新聞として世の中のことを知らないということを世間に証明してしまったのではないだろうか。
 第二に、「コンテンツとしての面白みのなさ」ということがいえる。これはまさに、私が別なところで指摘しているように、各マスコミやマスメディアの政治部は、実にネタ合わせを行って新聞紙面を形成している。だから、読売も朝日も日経もまったく同じ内容が同じ論調で欠かれるということになってしまうのである。実際に、読み比べてみれば見出しそのもののまで同じ場合があるほどだ。このまったく同じ論調を読み比べてもまったく面白くはない。実際のところ、大きなネタはとにかく、三紙で論調や記事の記載内容などがまったく異なるのであれば、読み比べても面白いのではないかと思うが、まったく同じであればただ単に時間の無駄でしかない。要するに、この「あらたにす」は読売、朝日、日経の三枝は「どれを購読しても同じ記事しか読むことができない」ということを明らかにしてしまった内容ではないのか。コンテンツとして面白くないものは、どうしても誰も読まない。それならば読み比べなどをせずに、一つの新聞だけを読んでいればよいのだ。要するに、存在そのものの評価よりも、そもそも三誌の自分たちの報道内容の検証もできないのが新聞社であるということを明らかにしてしまったのではないか。
 第三に、「新聞社のブランドの失墜と新聞の購買者獲得という裏目的」がある。しかし、上記で見てきたように、論調が同じネタも同じでは、新聞を二つ取る必要もない。要するに三枝の読み比べで「こんなに違う」「だから新聞を購読しよう」という目的そのものが、額に「どれをとっても同じならば、ひとつにしてしまう」という逆な目的になってしまったのである。これは、このサイトによって新聞のブランドは「お暗示今年か書くことができない」ということで面白みがなくなったといえる。たとえば、消費税増税に関しても、どの新聞も、半で押したように同じ論調でしかない。その論調では、誰も新聞を読まなくなってしまう。そのことを助長させたのが、まさにこの読み比べサイトではなかったか。
 新聞に明日はないという人もいる。実際に、今のままではインターネットなどほかの媒体によって新聞が徐々に駆逐されてしまうことになるであろう。しかし、実際にインターネットなども新聞などの取材や記事を基に書いている人ばかりだ。マスコミを批判している人もマスコミから情報を得ているのに過ぎず、実際に自分で取材力がある人などは限られているのである。その意味でマスコミは鹿k利とした取材とほかの紙面から独自のネタを「政治部も」してゆかなければならないのではないか。

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震災一年

震災一年

 本日は、毎週の恒例では「宇田川敬介東アジア放蕩覚書」をお送りするところですが、さすがに、本日のブログおよびメルマガで、他国のことを記載する気にはなれません。
 震災から1年。昨年の3月11日は、私は国会に行き、知り合いの事務所で体験いたしました。普段マナーモードにしている携帯電話が、聞きなれない音を発し、その後テレビで見ていた国会中継で緊急地震速報が出されました。その後大きな揺れがありました。
 阪神大震災を体験していた私にとって、今回の東京の震度5強は、それほど大きなゆれとは感じませんでした。しかし、東京でも九段会館のような古い建物では、震災の被害がありましたし、また、ほかでも強い揺れで大きな被害が出ております。実際にほとんどの公共交通機関はストップし、非常に多くの人が徒歩での帰宅もしくは帰宅難民として公共の施設で一夜を過ごすことになったのです。
 津波での犠牲は非常に多くのものを失いました。まず何よりも、犠牲になられた方の多数の命、次に被災された方々の多くの財産、そして、思い出。そして、何よりも大きく失われたのが被災者の人々の平和な暮らしそのものそしてそこに付帯する心ではないでしょうか。
 政府はこれを早く復興しなければなりません。ここ数日書いているように、物理的な復興を通して心の復興を、死してそして希望を出さなければならないのではないでしょうか。
 本日は、大変短くて申し訳ありませんが、ここで文章を切らせていただいて、静かに復興を願いも苦闘をささげたいと思います。

黙祷。

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震災からまもなく一年 いまさら福島復興再生特措法案、衆院通過

震災からまもなく一年 いまさら福島復興再生特措法案、衆院通過

 明日、震災から一年になる。国会新聞社の主幹は、縁のある岩手県大槌町の震災一周年の慰霊祭に参加するため、8日より岩手県に出張。私自身は東京の留守居役を行っている状態である。実際に慰霊祭に出なければ、国民ではないというような話ではない。実際に阪神大震災のときも多くの人が神戸に来訪したが、地元にいた私にとってはあまり大きなかんがいはなかった。ここにくるくらいならば、早く復興してくれ、と思うのが地元の人の多くの思いではないのか。
 実際に震災などの場合は、そのときで時計が止まる。これは物理的な問題ではなく、自分の心の中の時計が止まる。正確に言えば、「時計が止まる」のではなく、震災以前の健全な町並みや思い出の建物などが頭の中に入っていて、頭の中の時計の針は逆行しているのである。私自身、西宮の出身でもなんでもないが、実際に生活していた思いでは半年分くらいかもしれないが、しっかりとそこにある。今はその面影もなくなった町にいっても、実際のところ、私自身の心は時計の針を逆行し、西宮に引っ越してきた日やその後の毎日に戻るのである。もちろん、私以上に子供のころからそこに住んでいた人は、なおさらのことである。
 大槌町の人は「自分の子供のころの思い出がすべてなくなった。誰かがやったわけではないが、自然の力で今まで生きてきた思い出がすべて流されたようなものだ」まさにその言葉はよくわかる。
 一方、実際に家があるのに帰れない人がいる。福島の原発周辺に避難地域の人々である。福島の沿岸部に関しては、震災と津波の被害があった。しかし、福島県はその部分に関して放射能漏洩の事故というものはいまだに事故が継続中である。実際に福島だけが特別な状態にあるということは誰でもわかることである。当然に現在も事故が継続中である。当然に福島の復興は、宮城や岩手とは少し異なる部分になってくるはずである。その復興の問題に関しては、普通の復興基本法ではなく新たな法案が出された。「福島復興再生特措法案」は、なんと震災1周年を間近に控えた3月8日にやっと衆議院を通過したのである。これってあまりにも遅すぎないか。

福島復興再生特措法案、衆院通過

 福島復興再生特別措置法案の修正案が8日夕、衆院本会議で可決された。付帯決議で、復興・再生に関する各種計画に市町村などの意見も反映させる▽電源立地地域対策交付金に代わる財政措置を講じる-など10項目を政府に求めた。

2012.3.8 19:11 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120308/plc12030819110020-n1.htm

原発再稼働まず国が判断、地元合意前に…経産相

 枝野経済産業相は7日、読売新聞のインタビューに応じ、定期検査で停止中の原子力発電所の再稼働について、地元に合意を求める前に、首相と経産相ら関係3閣僚が政治判断することを明らかにした。
 政府が再稼働に責任をもつ姿勢を明確にする。また、東京電力に対する公的資金の注入についても、3分の2以上の議決権取得に改めて強い意欲を示した。
 経産相は、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の再稼働に向けた手続きを前提にしている。他の原発の再稼働でも同様の手続きを踏むとみられる。大飯原発について、内閣府の原子力安全委員会が13日にもストレステスト(耐性検査)の結果に対する原子力安全・保安院の審査を「妥当」と判断する可能性がある。
 福井県などは再稼働の前提として、国が姿勢を明確にすることを求めている。これについて経産相は、「地元から見れば当然だ。安全と安心が確認されれば、政府としての考えをきちんとまとめ相談する」と述べた。その上で、「地元の理解を得られたら再稼働の判断をやる。関係閣僚(の判断)は2段階必要だ」と述べた。首相、官房長官、経産相、原発相からなる関係閣僚会議で国の判断を出した上で、地元自治体の合意を求める。その後、再稼働について国が最終判断する。再稼働を判断する手続きを明確に示したのは初めてだ。.
読売新聞 3月8日(木)8時52分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120307-00001183-yom-pol

帰還望む避難者4割=3分の2「除染期待せず」―福島10市町村住民調査・震災1年

 東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた住民のうち、元の住まいに帰還を望む人が43%にとどまることが、福島県の10市町村を対象にした時事通信社の聞き取り調査で分かった。除染に期待を抱いていない住民も3分の2に上る。放射能汚染に対する根強い懸念が浮き彫りとなったが、線量の高低や自治体の取り組みに応じた差もみられた。
 調査は1月下旬~2月中旬、人口に占める避難者の割合が高い双葉郡8町村と南相馬市、飯舘村の住民を対象に実施。各自治体20人ずつ、計200人から聞き取った。
 帰還を希望したのは「必ず戻りたい」「できれば戻りたい」を合わせて86人で、「戻るのは難しそう」「戻らない」は108人と半数を超えた。60歳以上はほぼ半々だったのに対し、60歳未満の帰還希望者は39%にとどまった。高校生以下の子どもがいる人は65%が消極的な回答だった。
 自治体別では、第1原発が立地する大熊、双葉両町で帰還に消極的な答えが16人ずつとなり、住民にあきらめの気持ちが広がっていることがうかがえる。一方、1月末に「帰村宣言」を出した川内村は15人が帰還に前向きな回答。今月1日に役場機能を元の庁舎に戻した広野町と比較的線量の低い地域が多い南相馬市もそれぞれ13人、12人となり、線量の高低や自治体の取り組みで明暗が分かれた。
 戻りたい理由は、「長年暮らしてきた場所への愛着」の53人が最も多く、次いで「近所や知人と一緒の場所に住みたい」が12人だった。否定的な理由は「放射線が不安、事故収束に期待できない」が最多の64人で、「買い物やインフラなど生活面の不安」の18人が続いた。
 今春にも始まる本格的な除染については、「期待できない」が136人に達し、「期待できる」の47人を大きく上回った。 

時事通信 3月8日(木)2時32分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120308-00000011-jij-soci

 そもそも、復興に関する行政の責任というものはいったいどのようなものなのであろうか。原発の事故当時「直ちに影響はない」「安全です」といっていた当時の官房長官の枝野幸男が原発の再稼動や東京電力の国有化などに関して、何をえらそうに言うのか。正直なところ、自分の発現に対する責任も取れない人々に、これからのことを示唆されたくはないというのが国民の相違ではないのか。特に、民間の事故調査委員会の内容を見てみれば、彼らの指導力の欠如が、情報の一部を故意に隠し、情報を混乱させ、国民に誤った情報と認識を与え、そして事故を拡大化させた。そのことの責任は、まさにストレスなどで人が多く死んでいる人々やその遺族から見れば、彼らこそ、自分のふるさとや生活、命を奪った犯罪者なのである。その責任を負えない人が、なぜか自分たちの生活の問題である原子力発電所に関して決めているというのは不信感が大きな話である。
 被災地の多くの人々は、自分のふるさとに戻ることを期待している。しかし、だからといって自分たちの生活が元に戻るとは思っていない。その部分に関して現在の政府は、その復興基本法が1年足ってやっと出てくるようなスピード感で、復興ができると思っているのか。その感覚はどうかしているとしか言いようがない。
 福島の現状を見てみれば、実際に現在の放射能の関係から生活を戻すのは不可能だ。実際に事故が発生したときに、「どのようなことをしなければならなかったのか」という作業レベルの事故調査(たとえば非常用電源がどうとか)などの話と、一方で、法律的に、今回の事故の問題の責任がどこにあるのかという「事故そのものの責任の法的な所在」を明らかにする調査委員会が必要なはずだ。そして、事故そのものの責任は原子力事故対策本部ができたところで、日本の法律では、東電でも安全委員会でもなく、当時の首相、そして経済産業大臣が本部長を勤めることになっている。要するに、間政権の閣僚が、本来連携して責任を負わなければならないのに、その責任を往古ともなく、いまだに原子力行政にかかわっている党「無責任体質」を放置して、臣の復興はありえないのではないか。

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震災時活躍した自衛隊員の心の健康が真の復興ではないか

震災時活躍した自衛隊員の心の健康が真の復興ではないか

 3・11東日本大震災からの一周年がもうじきくる。被災地だけでなく各地で慰霊祭が行われる。まるで、慰霊祭に参加しないとまるで日本人ではないかのような雰囲気を作り出す。
 しかし、実際にわれわれマスコミの間では、一般の国民(言い方は悪いが、被災者とほかの地域の国民ということで分けたつもりだが、このほかにも菅直人など、震災の被害に関してはじめから支援しようとも思っていない人も除くつもりもある)が、3月11日以降復興熱が冷めてしまうのではないかと危惧している。実際に1年までは何でもするし、3・11に向けてテレビでは当時の再現ドラマを行ったり、あるいは津波の映像を流したり、当時の写真や体験談、犠牲になられた方の思い出話などを行うものと思われる。しかし、マスコミはブームを作り、そのブームをすぐに消してしまう。要するに、3月11日以降復興などが話題に上ることは少なくなる。それも「少なくなる」などというものではなく「激減する」「忘れ去られてしまう」といっても過言ではないかもしれない。一緒にすること事態が不謹慎であるが、まさに女子高生の間ではやったルーズソックスや、先日ブログで取り上げた一発や芸人のように、震災と復興がマスコミのおもちゃにされてしまうのではないかということを非常に強く危惧している。
 マスコミの間では、ということをしているが、実際のところ、国民の多く、新聞で言えば読者の多くが復興に興味があったり、あるいは復興に関する政府の対応や復興の予算に関して関心を持ち続ければ、非常に大きな力になるのであるが、残念ながら、マスコミを主導に震災の報道を行うことは難しい。いつまでも過去にとらわれる報道は難しいし、報道といっても「いまだ復興ならず」という新しい事実のない報道になってしまうのであるから、残念ながら、復興のことを大きくマスコミ主導で取り上げることはできない。「いまだ復興ならず」を言うことを、国民が政府に抗議するとか、被災地で不満の声が上がるということを「事件化」しないと、報道を行いづらい。マスコミはどうしても新しいことに飛びつく傾向がある。
 しかし、マスコミが報道するしないにかかわらず、復興が遅々として進んでいないことは明らかなことだ。先日岩手県からの陳情が国会にきていたので、その集団と話をしたが、瓦礫の処理も現在5~8%でしかない。1年たってそれしか瓦礫を処理できない状態に対して、政府は何をしているのか。民主党政権という政治そのものの指導力、そして震災復興の本気度が試されているときに、ほかのことばかり行い、まったく復興のことに見向きもしない。最近では「復興の最大のブレーキは復興庁」という言葉も出るくらいだ。
 しかし、その政府の「無関心」をあまり非難もできない。なぜならば、ボランティアの数も激減しており、国民の間の関心もかなり薄れているということになる。それでも1年までは何とか持ちこたえるものの、3月12日以降、復興ができるまで何とか国民の力を「がんばろう東北」の掛け声の下結集するのは難しいのではないか。

被災地派遣の陸自隊員 3・3%がPTSD発症のリスク

 東日本大震災の被災地に派遣された陸上自衛隊員のうち約3・3%が活動終了後1カ月の時点で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)発症のリスクが高い状態に陥っていることが7日、防衛省の調査で判明した。現時点で発症者は確認されていないが、陸自幹部が「弱音を吐きたくないという自衛官の特性から症状を疑われる質問に正直に答えない傾向が高い」と指摘するように、発症リスクを抱えている隊員はさらに多いとみられる。
 防衛省は活動終了後1カ月の隊員を対象に、記名式の質問票に現在の精神状態を回答させる調査を実施した。回答者5万8050人中、PTSDの高リスク隊員は約3・3%の1906人だった。
 防衛省は「将来的な発症も見据え、継続調査が必要」とみており、活動終了後の半年後と1年後の時点でも実施。今回明らかにしたのはこのうち集計を終えた1カ月後の状況だ。
 陸自幹部は過度のストレスの原因について「捜索しても遺体を発見できないときに、遺族の思いに応えられていないという自責の念にとらわれる隊員が極めて多い」と分析する。
 海上自衛隊と航空自衛隊も同様の調査を実施した。海自は帰隊直後の隊員6112人のうち約4・3%に当たる262人がPTSDの高リスク隊員と判定され、5人が発症したがすでに職場復帰している。
 空自は震災発生半年後に調査し、PTSDの高リスク隊員が約7・5%の248人いた。空自隊員の比率が高いのは、調査対象が自身が被災者だったり、遺体を収容したりした隊員に限定しているためとみられる。空自のPTSD発症者は確認されていない。防衛省は発症リスクが高い自衛隊員に対し、臨床心理士によるカウンセリングなどを進めている。

2012.3.7 23:52 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120307/plc12030723540016-n1.htm

 復興の象徴はいったいなんであろうか。ひとつは町並みの再建、ひとつは震災の名残の完全な撤去、要するに瓦礫の撤去。しかし、最も重要なのは、震災に関連した人の「心の復興」ではないのか。
 震災の後、非難住宅や仮設住宅での孤独死などが非常に増えている。これは、ひとつにはもともとからだの弱かった老人が多かったということもひとつの大きな問題である。しかし、実際はそれだけではない。ひとつには、非難による環境の変化が体に知らず知らずに負担をかけているということ、ひとつは仮設住宅などでの生活に医師が近くにいないなどという現実的な問題である。しかし、最も大きいのは、将来の希望を失った、まさに「生きる気力がなくなった」としてかれるように死んでしまうお年寄りがなんと多いことか。
 復興が遅々として進まないだけではなく復興が進む気配がない遠いうことは、人の気力を奪い、そして人の生きる気力を失わせているのである。要するに復興を進めないという、現在の民主党の政権は、間接的な人殺しであり、その部分が今回の震災被害を「人災」とする所以である。
 そして、その象徴的な記事が新聞に出てきた。そのような「心のケア」は何も被災地のお年寄りだけではない。当時活躍した自衛隊の多くの隊員も心のケアが必要であるということである。
 ちなみに、自衛隊は自衛隊法により「なくなった方の遺体収容」は彼らの業務にない。実際は、生存者の救出(生存者と思っていたがなくなられていた場合は、収容業務を行うのであるが)が主な任務である。だから彼らの内容を「災害援助」であって「震災復旧」が自衛隊の業務ではなかった。実際に倒壊家屋の中から遺体を引き上げても検死は地元消防団の仕事でしかない。そして検視が終わっていなければどうしてよいかわからない。もちろん自衛隊の皆さんは、遺体の搬出も、またテレビで映像が流れたように、海中からの遺体の引き上げもすべて献身的に活躍してくれた。そのために震災の被害者は何人も瓦礫のしたから助けられたし、また、勇気付けられた。
 私が遺体収容は業務にないということを書いたのは、そもそも本来業務でないことを「日本国民のため」に行ったことで、心に傷を負ってしまった人が多いということだ。自衛隊の隊員、それも、震災救助で被災地に行かれた方(あえて派遣地や部隊名などは伏せる)に話を聞いたが、水にぬれたご遺体をおぶってはこぶ。担架などはないのでそれ以外に輸送手段はない。そのご遺体の水のにおいが毎日毎日首の回りか肩の周りにこびりつくという。そして、自衛隊員も夜は睡眠をとる。もちろん交代で睡眠をとるのであるが、そのときに何か着替えがあるわけでもないので、睡眠時もその後痛いのにおいと海水のにおいの中で寝ることになるのだという。「とても正常な神経でいられるものではない」という。しかし「ご遺体をそのまま犬や虫えさにしてさらすわけにはいかない。でも、その負担は、徐々に隊員全員に蔓延し、多くの隊員が正常ではなくなってゆくんです。最後は自分がご遺体になった気分がするんです。わかりますか。ご遺体のにおいが消えないという感覚が。私の同じ対の人は、ご遺体の匂いを消すために体をたわしでこすって、首の周りの皮がめくれていました。彼は強制的に移動させられましたが、自殺したと聞いて・・・」
 日本人の最もつらいときに、日本人の自衛隊員が非常に活躍してくれた。彼らが心の健康を取り戻すこともひとつの復興ではないのか。今回の震災。民主党政権のおかげで、復興が進まないということがどういうことか、国民にどういう影響があるかということを知らせてくれた。それだけに、本当の復興とは、建物の再建とか「だけ」ではなく、心の復興、それも被災地だけでなく被災地に応援に行った人も含めた多くの日本人の心の復興が必要なのだということを教えてくれた。そして、その復興の心の健康は「忘れてしまうこと」ではなく「希望を見つけること」ではないか。そんな思いがしてならない。

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国家公務員採用減で「少子化」対策が見えなくなる

国家公務員採用減で「少子化」対策が見えなくなる

 野田内閣にも少子化担当大臣というのはいたはずである。少子化担当大臣は、現在の少子化傾向を払拭し「若者が」安心して子供を生み、育てる環境を整えることがその仕事である。担当大臣という制度になっているのは、この理念的な内容が各省庁の分野をまたぐからである。簡単に言えば、若者が子供を生むことができるというのはさまざまな分野が必要だ。
 まず出会いの場を作らなければならない。そのためには若者の趣味の世界を少しは支援しなければならない。現在、若者の価値観の多様化に対応してさまざまな分野で出会いの場が求められているということになる。さまざまな場における出会いの場は、すべての象徴がそのようの名ことをしっかりと見てゆかなければならないということになる。
 次に結婚しても生活できるように、当然い就職を安定させなければならない。単純に言えば雇用の安定である。これは厚生労働省の管轄だ。特に若者の未就職や俗に言うフリーターという人々の収入の安定化、または就業の拡大ということが必要ではないのか。その意味では景気をよくしなければ、企業も彼らを雇用し、雇用し続けることができなくなるのであるから、経済産業省や財務省の管轄として、日本全体の景気を浴しなければならない。同時に地域差をなくさなければならないという部分も出てくるのである。
 その上で、子供が生まれても女性が安心して働けるようにしなければならない。そのためには保育園や幼稚園、そのほかの託児施設の充実ということや、小学校に言っていても、子供を安心して任せられるような施設が必要だ。これは厚生労働省と文部科学省に管轄が分かれるところであるが、町社会全体の「目」という意味では、この二つの省庁に限った話ではない。
 要するに社会全体で子供を生み、子供を安心して育てることができるということが必要であるので、そのために省庁の担当ではなく、省庁をヨコグシ的に横断して必要な施策をとらなければならない。そのことが少子化担当大臣が匿名大臣になっているということではないのか。
 この中で若者の雇用ということは、非常に重要なファクターである。子供を育てていくためには一定の収入が必要である。その一定の収入に関してはしっかりとした考え方によって行われなければならない。要するに、日本の景気全体をよくし、各企業が就業の口を広げなければならないということになるのである。月額数万円の「子供手当て」で子供が育てられるわけではない。そのようなことをしても何の意味もない。
 しかし、民主党は「またも」若者の雇用の口を失わせる政策を打ち出したのである。よく、民主党が日本破壊を目指しているというが、若者が子供を生めなくする環境にしてしまうことは、最も手軽な日本破壊である。そのことを見てみると今回の公務員の採用削減は、社会に与える影響は非常に大きなものではないのか。

国家公務員新規採用4割減 「若者いじめ」批判相次ぐ

政府の行政改革実行本部は2012年3月6日の会合で、13年度の国家公務員の新規採用数を、政権交代前の09年度と比べて4割以上削減する方針を決めた。
消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革を押し進める上で、「政治と行政の『身を切る姿勢』」を強調することが狙いとみられる。人件費の高い中高年は手つかずのため、「若者いじめ」だとの声もあがっている。
「民間でも業績が悪ければ、まず採用を抑制するのは普通」
自公政権時代の09年度の新規採用は約8500人で、民主党政権下では11年度に09年比37%減の約5300人、12年度は震災の影響で削減幅が若干少なくなり、同26%減の約6300人。今回の4割削減の方針を実行すると、13年度の人数は約5000人になる見通し。採用スケジュールの関係から、3月中にも採用計画を決定したい考えだ。
岡田克也副総理は3月6日閣議後の囲み取材で、
「公務員の場合は一定の身分保障がありますから、途中で辞めていただくということがより難しいので、やっぱり採用で抑えるしかない」
「大胆に、少し乱暴にやらせていただく」
と、削減に向けた意気込みを披露した。この採用抑制の目的のひとつが、民主党が政権交代を果たして09年衆院選のマニフェストで掲げた「国家公務員の総人件費2割削減」を実現することにある。だが、今回の方針では、いわば若者3500人分の雇用が失われる形で、午後の岡田氏の会見では、この点に集中した。
例えば、記者からは、
「新規採用を減らすというのは、若い人の雇用を減らすこと。中高年をカットして若年層を守るという考え方もあるのでは?」
という声もあがったが、
「公務員の削減は難しい。民間でも業績が悪ければ、まず採用を抑制するのは普通」
と、午前と同様の内容を答弁。また、採用抑制の狙いは「総人件費の抑制」だとしながらも、抑制による削減効果は「計算していない」という。
高年齢層の削減策は「結論を申し上げるのは早い」
また、
「より給与水準が高い高齢層に対して希望退職を募ったりはしないのか」
との声もあったが、岡田氏は
「問題意識は持っている。色々な議論をしているので、結論を申し上げるのは早い」
と、現時点では具体的な対応策は明らかにしなかった。さらに、記者から
「55歳以上の労働生産性を上げるために、何をするのか。そうでないと『若者にしわよせがいく』という批判が出る」
と念を押されると、岡田氏は
「採用抑制が若者いじめだとは全く思っていない」
と、不快そうに答えた。

2012年03月06日19時23分 提供:J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/6343551/

「希望退職制」を本格検討=人員削減へ金額上積み―政府

 政府は、一定年齢以上の国家公務員を対象に、退職金を上積みして退職者を募る「希望退職制度」の検討を本格化させる。2013年度の新規採用を09年度比で4割超削減する方針を6日に決めたことを踏まえ、給与水準が高い高齢層の削減にも併せて取り組む必要があると判断した。対象者の範囲や退職金の上積み額などを詰めた上で、13年度からの運用を目指す。 

時事通信 3月6日(火)19時53分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120306-00000130-jij-pol

 公務員になるはずの若者が民間に流れる。当然に民間に就職しようとした人の門戸が狭くなる。このことによって若者の就職率が下がる。そうすれば子供が産める環境が少なくなるのであるから、完全に少子化が進む環境になってしまうのである。まさに、少子化担当大臣がこのような政策に対しては、社会全体の問題としてしっかりと反対しなければならないはずである。そうでなければ、職務怠慢である。
 民主党は、たとえば65歳まで希望雇用を行わせるという。厚生労働大臣からの不思議な政策が発表され、各企業は60~65歳の雇用を守るために人件費がある程度制限されることになる。そのために、若者そのものの新規雇用が行われなくなるということである。これは、うがった見方をすれば、団塊の世代の労働組合員を守り、まだ労働組合に入るかはいらないかわからない若者たちに対しては厳しくする。要するに労働組合員の就業という既得権を守る内容でしかないということになる。
 同じことが官公労における既得権益の守護ということで新規の若者の労働組合に入るかはいらないかわからない人を制限するということである。これら老人保護で若者を完全に失わせるという政策は、まさに民主党が連合や官公労の支持によって政治を行っているということにほかならず、その既得権益を守り、組合の収入を確保するための手段として政治権力を使っているものと考えられる。そのために、上記の新聞記事では岡田副首相は何の論理的な反論も行えないのである。
 まさに労働組合による組合支配の内閣の「ツケ」が、若者の就職ということに偏って負担がかかっているような状態になっているのではないか。少子化という観点からも、組合支配の打破という観点からも、公務員改革という観点からも、いずれもおかしな政策が出てくるおかげで、民主党政権の本当の姿が徐々に出てくるのである。
 ところでマスコミはなぜ、「若者いじめ」だけしかいわず、連合や官公労と民主党政権の関係をしっかりと伝えないのであろうか。また、自民党はなぜそのことを指摘しないのであろうか。民主党政権がおかしなことをすると、野党やマスコミといった社会全体のシステムがおかしなことになっているということもなんとなく見えてくるのではないか。
 社会全体を変えなければならない。そのようなことのきっかけに、今回の公務員の採用削減の中に入ってくるのではないか。

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原油価格の上昇と原子力発電の不稼動が起こす世界同時エネルギー不足の恐怖

原油価格の上昇と原子力発電の不稼動が起こす世界同時エネルギー不足の恐怖

 今日はあらかじめご報告するが、引用した新聞記事が害の出、新聞記事の後ろには文章を書かないことにする。前半に書きたいことを書いてそれで後は記事を読んでいただきたい。
 さて、そんなに長い記事を掲載したのはなぜかというと、日本の福島原発の起こした事故とその影響により、世界のエネルギー政策がおかしな方向に行っているとのことである。もちろん、民間の事故調査委員会の原子力発電所事故の原因を見れば、菅前首相ほか素人ばかりの官邸の指示によって、事故処理がすべておかしくなったために事故が非上位大きくなったという「人災」であることは間違いのない事実である。当然に今回の事故に関しては、今回の事故調査の結果を見て、専門家がしっかりとした対応をすれば問題を大きくしないということ、うまくいけば事故を起こさないでよいということをしっかりとわからせてくれる資料であった。
 しかし、一方で核や放射能という言葉に対して人間の持つ恐怖心というのは非常に大きい。一つには広島・長崎の原爆やさまざまな核兵器の実験とその結果を見ていれば、また、放射能による白血病などの発祥を考えれば当然にそれらに関する「死」の恐怖は非常に大きなものであるということがいえる。
 日本減として、ある程度のリスクとある程度の恐怖をしっかりと受け止め、それを克服するようにしなければならないのであろうが、一方で、感情的な恐怖というものに関しては抑えるすべはない。それは、まさに高所恐怖症と同じで、頭の中で高い建物の上でも安全だということがわかっていても、ほんの打て金足がすくんでしまうというものと変わらないのかもしれない。実際に原子力に関する反対と賛成派、この本能の恐怖心との関係ではないか。打ち勝ったからよいとか悪いとかそういう問題ではなく、実際のところ、恐怖心をどこまで拡大して考えるのかと、その原子力の平和利用に関する利点と、そして頭の中の理解とのバランスではないのか。
 日本国内のエキセントリックな原子力反対派は少しおいておくことにして、この事故と事故の与えた世界的な影響は非常に大きなものであったと考えられる。その大きな影響の中において、三つのことが考えられる。ひとつは、こんなに危険なものであるから一切廃止しようという動き、もうひとつは、危険だからこそ人類として克服しようという動き、そして、みんなが怖がっているから武器として研究しようとする動きである。
 まず反対するというのは非常に簡単だ。まさに怖いから近づかない、怖いから何もしないというものである。このことに関してはある程度の処理を行えば、その部分に関しては一見安全な状態になる。しかし、まず世界に散らばる原子力発電所や核兵器が事故が起きた場合にどのようになるのかということを考えなければならないであろう。たとえば、現在日本の多くの原子力発電所は地元の同意を得られずに停止した状態になっている。しかし、停止していれば安全化というのは単なる錯覚でしかない。その発電所の原子炉の中には多くの燃料棒が現存しているわけであり、それらが事故などを発生しないとは限らない。特に、地震の地区にあるものはなおさらだ。では、これだけ日本国内の反原発機運が高まってしまえば、その燃料棒そのものをどこにもって一体よいのかそのこともまったくわからない状態になってしまうのである。要するに、危険はそのままにしながら、稼動していないからコストだけをかける巨大なコストセンターが出てきてしまい、結局のところ不採算であるばかりか、地元の負担は増え続けるということになる。危険が去ることも泣く負担が増えるという選択肢がそれでよいのか、それまで原子力の保証金をもらいながら、このようになってから無責任にいらないといっても、それはほかの地域の国民が認めないのではないか。
 また、エネルギー政策そのものとしても非常に大きな問題だ。そもそも、原子力発電所を増やそうという機運が高まったのは、温室効果ガスの増加による地球の破壊や異常気象に対処するためである。そのことを決めたのも京都議定書である。天然ガスにせよ石油にせよ石炭にせよ、何かを燃やせば温室効果ガスが出てしまう。片方で原子力を使わないということは、現在の生活で電力をなくす当選択肢がない異常、なんらかの形でエネルギーを生み出さなければならない。ソーラーなどの使用というがまったくその供給量が足りない状態の中で実際にどのようにするのか。そのことをしっかりと考えなければならない。
 要するに原子力発電反対派の主張においては。「そこにある燃料棒の処理」「今後の自己の対応」「地球温暖化と新エネルギー開発」という三種類の問題が存在することになる。
 一方、克服しようという勢力に関しては、どのように安全を確保するのかということが大きな問題となる。実際にスリーマイル島、チェルノブイリ、そして福島原発と人類は大きな事故を三種帯剣している。広島長崎を加えれば、多くの人の運命を変えた事故として5つの核の被害があったことになる。同時に放射能は目に見えない恐怖である。その恐怖にどのように打ち勝ち、その住民に対して説得を行うのかということがもっとも大きな課題ということになるのである。しかし、事故の対応ということ、安全性の確保ということに関しては、原子力反対派もまったく同じ課題を持っているのであり、その中に事業性が存在するかしないかの問題でしかない。一方、住民の説得というのはあくまでも人対比との問題である。日本人のようなエキセントリックな反対を続けているアレルギー体質の人間はどうしようもないし、日本には世界にも特殊な『反対ということを商売にしている人々」がいるので、その人々の対応をどのようにするのか。その部分が非常に大きな問題になる。
 三種類目の武器としての使用は、日本は軍隊がないのでなんともいうことはできない。しかし、軍事上の実験は軍事機密として行われており、そのことをしっかりとしなければならない。
 さて、このような状態の中において、現在世界でも反原発の気運が高まっている。そのこととイランによる反米の活動は、原油の値上がりを示唆し、そのために、日本のように燃料をすべて輸入に頼っている国にとっては、非常に大きな問題になるのである。特に、景気対策の中に円高対策ということが含まれているとすれば、現在は市場まれに見る円高であるから原油価格がこの値段ですんでいるという可能性があるのに対して、円が普通(100円程度)になれば、ガソリン価格の1リットル当たり200円を超えるということも考えられる。その場合は、日本の物流のおよそ8割を占める自動車運送の価格が跳ね上がることになり、「燃料価格」「輸送価格・インフラの値上げ」「消費税の増税」という三重苦の上に「不景気(消費不況)」が重なり、日本の経済は完全に壊滅することになる。原油価格の値上げは、世界的な原子力の廃止運動により火力発電が非常に大きくなっていることと、二酸化炭素の排出権取引の価格が原油価格の上にオンされることによる価格の値上げの二つが予想され、民間としての負担は非常に大きなものになるのだ。その上でTPPなどに加盟したら、日本の製造業は、中国の文化大革命と同じ程度に破壊されることになるだろう。原子力反対派は、そのような質問をしても、基本的には『それは政府が考えること』などと無責任な回答を行うが、「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが、何かひとつの現象が連鎖して別な減少を生み出す、その原因行為を作っており、その原因行為に対する責任の意識が完全に欠如しているということに他ならないのである。
 原子力反対も賛成も、いずれもその一点、特に危険か危険ではないかというだけでなく、このように経済的な連携や社会的内容、国際的な影響、そして、将来の地球に対する責任を考えて物事を主張すべきではないのか。マスコミにだけ責任を求めるのではなく、インターネットの時代になって、多くの人が自分で発信できる世の中になった。発信する人はその責任をマスコミと同程度に考えるべきではないのか。
 その意味で、今回の菅直人前首相そして民主党政権の「人災」を再評価すべきではないかと考える。

<原油価格上昇>企業「努力の限界超えた」 家計に影響懸念

 イラン情勢の緊迫を背景にした原油価格の上昇で、石油化学製品やガソリンが値上がりし、企業からコスト増による収益圧迫を懸念する声が上がっている。包装容器など幅広い製品の価格に転嫁されれば、家計にも影響し、消費が冷え込む懸念もある。
 商船三井は、船の燃料の重油の価格が1トン当たり1ドル上がると、年間約2億円のコスト増になるという。減速航行で節約しているが、海運業界では「高騰が続けば契約更改時に運賃値上げを要請せざるを得ない」(大手商船)との声も出ている。
 ガソリンの値上がりも企業や家計の負担増になりそうだ。石油情報センターによると、2月27日現在のレギュラーガソリンの全国平均小売価格は前週(20日)比2円高の145円50銭。2週連続で値上がりした。昨年2月(138~139円台)と比べて7円前後も上がった。
 値上げは、原油価格の上昇が原因だ。指標となるニューヨーク・マーカンタイル取引所で米国産標準油種(WTI)が1日、昨年5月以来、約10カ月ぶりに一時1バレル=110ドル台をつけるなど、2月以降、上昇基調が強まっている。
 住友化学は1日、ポリ袋などに使う合成樹脂のポリエチレンと自動車部材などに使うポリプロピレンを4月から、1キロ当たり20円以上(10%程度)値上げする方針を発表。信越化学工業も4月から、「原燃料価格の上昇が企業努力の限界をはるかに超えている」として、配水管などに使われる塩化ビニール樹脂を1キロ当たり15円以上(10~15%程度)値上げする。ただ、原材料が値上がりしても、デフレ下では「製品価格に転嫁しづらい」(メーカー)との声は根強く、今後、幅広い業界で収益圧迫要因になりそうだ。
 07~08年に原油が高騰した際、包装材料などの価格上昇を理由に値上げが相次いだ冷凍食品は「経営努力で吸収できている」(ニチレイ)。07~08年は世界的な好景気で商品市場に投機資金が流れ込み、小麦など食料価格も上昇したため値上げを避けられなかったが、今回は景気が減速基調で「食材の値動きは想定内」(同社)という。【立山清也、久田宏、竹地広憲】

毎日新聞 3月4日(日)16時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120304-00000014-mai-bus_all

「エネルギー非常事態」 国際社会への波紋


主なインド原発 ■脱原発 自信とリスク交錯
 ≪メルケル独首相≫
 □「ドイツは理性的に再生可能エネルギーの時代に移行できる。だが、それにはもっと多くのすべきことがある」
 「エネルギー非常事態」
 2月上旬、独紙・南ドイツ新聞にこんな見出しが躍った。ただし、「非常事態」なのは国内ではなく、隣国フランスである。
 欧州に強烈な寒波が襲来した時期だ。フランスの電力需要が急増し、ドイツからの電力輸入が輸出を上回った。東京電力福島第1原発事故を受け、原発17基のうち8基が停止している「脱原発の国」が、原発58基を有する「原発大国」を支援したのだ。
 脱原発で安定供給への不安が指摘されていただけに、ドイツのレトゲン環境相は「エネルギー転換は厳しい試練に合格した」と胸を張った。
 ドイツは2010年、エネルギーの安定供給を目的に原発稼働期間を延長したばかりだった。それが福島の事故を受けて、「22年末までに原発を順次廃止」に方針を大転換した。電力減少分は短期的には輸入などで、長期的には火力発電所増設や再生可能エネルギーの開発で補うという。この決定は、世界の原発論議に一石を投じた。
 ドイツは総発電量に対する再生可能エネルギーの比率を20年に35%、50年には80%にする目標を掲げている。業界団体によると、11年の再生可能エネルギー比率は19・9%と初めて原発を抜き、風力発電は11年の6%から12年は7・6%に伸びる見通しだ。
 国民の脱原発支持率も高い。世論調査会社TNSエムニドが今年1月に公表した調査結果では、「脱原発に賛成」は昨年4月の89%から91%に上昇、「無条件で賛成」は38%から55%に急増した。だが、その一方で、「20年に35%」という再生可能エネルギー普及目標の達成には、4割が否定的な見解を示している。
 確かに、脱原発への道が平坦(へいたん)なはずがない。
 厳寒で原発が閉鎖された南部などで需給が逼迫(ひっぱく)した2月上旬の危機は、予備の火力発電所の稼働やオーストリアからの一時調達で乗り切った。エネルギー転換をにらむと、送電網の拡充、とりわけ、北部の風力で発電された電力を大量消費地の南部に送ることは絶対条件だ。ドイツエネルギー機構の見積もりでは、新たに総延長3千キロ以上の送電網が必要で、費用は約100億~300億ユーロ。電力業界には重い負担になる。
 もともとドイツは原発を過渡的手段と位置づけ、いずれ廃止する計画だった。とはいえ、その急激な前倒しに伴うリスクは大きい。
 予想される巨額の設備投資に、ドイツ経済研究所のクラウディア・ケムフェルト教授は「欧州債務危機がアキレス腱(けん)になりかねない」という。送電線新設予定地の住民の同意取り付けも容易ではないだろう。火力発電の活用は温暖化ガス排出量増加に直結する。
 それでもケムフェルト教授は「原発はもう過去の技術だ。原発は断念できることをドイツは示すだろう」と強調している。
 ■推進インド、反対派と闘う
 ≪インドのマンモハン・シン首相≫
 □「原発政策の後戻りはない。だが安全基準は妥協しない」
 福島の事故後も原発推進を堅持するインドでは20基が稼働、3カ所で6基の建設が進んでいる。さらに6カ所34基の建設計画があり、2030年までに、現在478万キロワットの出力を6300万キロワットに引き上げる計画だ。国民12億人の3分の1には、いまだに電気が供給されていない。経済成長を確実にするために原子力は欠かせないのである。
 世界が原発の是非で揺れた昨年、シン首相は「原発は拡大途上だが、原子力エネルギーの利用では最高の安全基準を満たさなければいけない。これは妥協できない」と繰り返した。
 そして、東日本大震災直後から、建設中のものも含めて全原子炉の安全点検を実施。昨年8月末に政府に提出された暫定報告書は、安全性向上の追加策を提案した上で、今の安全策にお墨付きを与えた。
 一方、各地の原発建設予定地は猛烈な反対運動に直面する。西部マハラシュトラ州のジャイタプール予定地では土地収用をめぐる農民や漁民の激しい抗議行動で多くの死傷者が出た。
 南部タミルナド州のクダンクラム原発は、同州首相が建設を一時凍結した上、建設に従事する1日当たりの労働者数を制限したこともあり、昨年末の稼働開始予定が大幅に遅れ、今も建設が続く。現場近くでは連日集会が開かれ、小学生たちが拳を突き上げて「原発反対!」と叫ぶ。集まった約千人の半分以上は女性だ。
 主婦のシルベ・サハイ・ラニさん(32)もその一人。04年のスマトラ沖地震による津波被災者の生活再生支援を目的に建てられた居住区「ツナミ・コロニー」に住む。約1・5キロ先に完成間近の原発施設があるのに、ここには電気は供給されていない。「原発は津波が来たら流れてしまう」「原子炉を囲む壁は木造」といった根も葉もない噂が流布し、ラニさんも「あまりの近さに原子炉の熱が伝わってくると思うと怖い」と恐れている。
 南部チェンナイ近郊のカルパッカム原発ではスマトラ沖地震の津波で、原子炉が一時停止した。日本の津波と福島原発の映像に、周辺住民は不信と恐怖感を募らせている。反対運動を率いる地元非政府組織(NGO)のS・P・ウダヤクマール氏は「生活向上のために電力は必要だが、生活を犠牲にしてまで必要だとはならない」と話す。
 シン首相は最近、反対運動の背後に米国や北欧の反原発団体が暗躍している、と批判した。言動に慎重なシン首相には珍しく、激しい口調だった。首相の顧問を務めたシャム・サラン元外務次官はこう語る。「特定グループが国家政策を“人質”にとるのを許容してはいけない」
 国際原子力機関(IAEA)は昨年9月の年次総会で、全ての原発保有国が3年以内に最低1回はIAEAの調査チームを自発的に受け入れることなどが柱の「行動計画」を承認した。
 ただ、IAEAは核拡散を防ぐためには核査察も可能な「核の番人」でも、原子力の安全維持では「協力者」にすぎない。
 福島の事故後、原子力安全でも権限を強める動きはある。昨年6月の閣僚級会合では全世界の原発の1割を無作為に選び、専門家チームが調査する案が示された。しかし、米国や新興国が反対。結局、各国の「自発的受け入れ」に落ち着いた。一方、脱原発を進めるドイツやスイスはIAEAの検証強化を求めている。
 今月5日から始まるIAEA定例理事会で各国の取り組み状況が報告されるが、安全強化の決め手を欠いたまま、各国の事情を優先した形で進んでいる。(ベルリン 宮下日出男、ニューデリー 田北真樹子、ロンドン 木村正人)

2012年03月05日07時58分 提供:産経新
http://news.livedoor.com/article/detail/6337578/

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議事録譜存在に見る民主党の共産主義的政策

議事録譜存在に見る民主党の共産主義的政策

 民主党の行ってきた政治にかんして、議事録がないことが話題になっている。実際に、社会的印象からすれば「いいかげん」とか、「責任感がない」ということで済まされているような気がする。実際のところ、菅直人前首相というこの上のない「いいかげん政権」がいたために、かえってそのような感覚で見てしまうことも少なくないのではないか。
 しかし、たとえば、これら議事録の作成を「革新的な信念を持って議事録を作らない」ということをしていたとすれば、それはイデオロギー上非常に大きな問題になる。まさにそのことが非常に大きな問題になるような案件が二つ存在したのである。
 その二つは、下記に新聞記事を二つ載せているが、ひとつは「過去の議事録を作っていない内容の議事録の概要を公表する」というのである。要するに「議事録を事後に作成する」というのである。しかし、考えてもらいたい。議事録というのはそのときに何が起きていたかということがまとめられているものであり、一年もたってから概要を作成するものではない。もちろん、録音か何かがあるならば、それを公表した上でその録音の内容の「全文とまとめ」を作るのであればそれはそれでよいのかもしれない。しかし、そのようなのが一切なく、後になって「都合よく編集した」議事録を、臆面もなく公表し、真実を多いクスというのはいかがなものであろうか。
 もうひとつは、政府が提出しようとしている「秘密保全法案(仮称)」に関して、法案作成の家庭や有識者会議そのものの議事録が作成されていないというのである。これもこれで非常に大きな問題である。後になって、また「お手盛り」の都合の良い議事録を作られても、話にならないのである。
 そもそも民主主義というのは、その議論の過程がしっかりと見ることができる状態であり、第三者がその手続きに不正がないのかということを検証することが可能な状態であるから、民主主義が成立するのである。民主主義は、しっかりとした情報公開と、その情報公開に基づいた、国民一人ひとりの自由意志によって形成されるのであるから、その議論の過程や、行政が行った内容の過程が、議事録の形でしっかりとあるという事がもっとも重要なのである。そうでなければ、自由意志による意思形成ができないということになり、当然に、その内容は、「衆愚政治」になってしまう。まさに、情報が統制された上での民主主義は、非常に大きな問題になるのである。
 このように情報の統制された「民主主義」がいかに問題であるかということは、まさに、北朝鮮と同じだ。北朝鮮を北朝鮮といってしまうからわからないのであり、彼らが主張する彼らの正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」であり、北朝鮮は、まさに情報の統制された「民主主義国」であって、金王朝や金一族の帝国ではないのである。しかし、実質的には情報が統制され、国民が洗脳されていることから、まったく改札する必要がないほど民主主義とはかけ離れた国家になっているだけである。
 では、同じ「民主主義」で何が違えばここまで変わるのか、そのことを新聞記事の後ろで、その一部の可能性を研究してみたい。

<東日本大震災>議事概要を公表へ…未作成の政府会議 

 公文書管理を担当する岡田克也副総理兼一体改革担当相は2日の記者会見で、東日本大震災後に議事録・議事概要がいずれも未作成だった政府の3会議のうち、緊急災害対策本部と被災者生活支援チームの議事概要を3月中にも公表する方針を示した。もう一つの原子力災害対策本部については、担当する枝野幸男経済産業相がすでに議事概要を公表する意向を示している。
 岡田氏は議事概要について「大体まとまってきた。後世のために情報公開を徹底した方がいい。政府、国会、メディアで検証が行われており、時間を置かずに公表する必要がある」と述べた。3会議は出席者のメモなどをもとに、議事概要の作成を進めている。【野口武則】

毎日新聞 3月2日(金)19時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120302-00000070-mai-pol

秘密保全法案巡る有識者会議も議事録なし

 藤村官房長官は5日午前の記者会見で、政府が今国会提出を検討している秘密保全法案(仮称)に関し、法整備を提言した「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」の議事録が未作成だったことを明らかにした。
 ただ、有識者会議は法案内容を決める場ではなく、法案制定過程の記録作成を義務づける公文書管理法には違反しないとの認識を示した。
 藤村氏は「議事録は作成していないが、会議の経緯は公開されている議事要旨と配布資料で把握可能だ」と述べた。法案は、機密情報を漏えいした国家公務員への罰則強化などが柱。

2012年03月05日13時37分 提供:読売新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/6338929/

 中国共産党においても、または北朝鮮の朝鮮労働党でも、最も偉いのは「総書記」である。私は、学生時代、なぜ「書記が偉いのか」はまったく理解できなかった。書記は、私の頭の中では、文書係か何かの延長線上で、意思も言うこともできず、またみんなが自由に意見を言っている内容を書き留めるだけの「事務員」に過ぎないのではないか、と考えていた。もちろん、今書記として活躍している人、裁判所なの度で書記官として活躍している人には非常に失礼な言い方であるし、そのような認識であったとも思うのであるが、実際に、学生時代に、それも中学や高校で「為政者」が「書記」というのはまったく理解ができなかったというのも、理解してもらいたい。やはり「大臣」とか「大統領」というのが偉い人であって、「書記」はそうでもないという感覚を学生が持つことは、そんなに不思議ではないのではないかと思う。
 しかし、共産主義国のほとんどは書記が最も偉いのである。それはまさに今回の民主党のようなものだ。事がなってから、決まってから、都合の良いことを改竄し、事実をまげて「書記」が好き勝手に書くのだ。この習慣こそまさに共産主義者の真骨頂だ。そして、その共産主義国家と同じことが、まさに今、現在、日本の政府の中で行われているのである。
 なぜこのことを大騒ぎしないのか、なぜ保守と祝える人はこのことに対して大きな声を上げないのか。なぜ、この民主党の行動こそ「革マル派」や「社会主義青年同盟」の目指す日本は会の象徴であるといわないのか。まったく理解できないと同時に、菅直人という史上まれに見る「無能宰相」の影響から、タダ単に過失、タダ単にいい加減な政権というだけで済ませてはいないだろうか。それだけでなく、このような「事後作成の議事録」そのものによって、本当に必要な真実が隠され、日本を破壊するという人物が跋扈し、日本が徐々に北朝鮮のような「革命政府」になってゆく姿を誰も想像しないのであろうか。
 まさにこの行動こそ「共産主義者の陰謀」であり、世の中の陰謀論を何をしても、これこそ日本を破壊する完全な計画である。そのことを誰も指摘しないのはあまりにも異常だ。また、マスコミがこのことを騒がないのは、まさに、マスコミも左翼化している事の証明でしかない。しかし、マスコミが騒がないからといって大きな問題ではない。実際に言えば、北朝鮮の国情やその政治システムなどをしっかりと学んでいれば、マスコミが大騒ぎしないでも良いはずだ。マスコミに責任を転嫁するのではなく、一人ひとりのおく民が、民主党の政治を「北朝鮮に似ている」と思い、なおかつ、「革命思想の政治」であるということをかんがえればおいことだ。どうじに、民主党の今の政権を支持している人は、まさに「北朝鮮のような『情報統制』『秘密主義』『革命思想』『一部の人の独裁』の政治」を望んでいる、範囲地分子であるということに他ならないのではないか。そして議事録を故意に作らずに法案などを提出する「民主主義の否定」を思想の中に持っている危険思想の持ち主であるといえるのではないだろうか。
 マスコミが報じなければ何もできないというのではない。誰もが今あるニュースや情報から考えればよいことだ。考えながら現在の政治を見ることができるか。そして、今の民主党内閣が「民主主義を否定する政治」をおおなっていることを見抜けるのか、そのことが国民に試されているのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(84) 野党が協力しないから復興できないは大嘘

マスコミ批判に関する一考(84) 野党が協力しないから復興できないは大嘘

 普段はあまり世論調査に関して取り上げたり、その数字が出るたびに一喜一憂する姿に関してあまりよいとは考えていない。まず、世論調査の数字に関して、それが真実の数字かどうかというよりは、それが真実の「民主主義」の数字であるのかどうかということから考えなければならないからだ。
 そこで、依然このブログの中で、世論調査の読み方に関して一度ご披露したことがある。しかし、今回はそうではない読み方をここでご披露したい。マスコミがなぜ世論調査を行うのか。そのことをあらわす最もよい例が出てきたので、なかなか面白い話である。
 マスコミは、私も含めて、自分の報道した内容が以下に社会に影響しているかを一番気にしているものである。当然に、誰も読んでいない記事を書くのは非常に大きな徒労でしかないのに対して、短い記事でも、社会的に大きな影響があるということであれば、その記事は非常に大きな意義がある。社会的に大きな影響があるということは、それだけに、マスコミとしての役目を果たしたことになる。非常に大きな影響を与えたとなれば「歴史に足跡を残した」「歴史を変えた」ということになるかもしれない。
 日本史の中でも、新聞やマスコミ(旧来の瓦版や交渉伝承など)が歴史を変えたり、あるいはその時代の重大な指標になったりもする。たとえば室町時代の「二条河原の落書」は、室町幕府問注所執事の町野氏に伝わる『建武年間記(建武記)』に収録されている文である。88節に渡り、建武の新政当時の混乱する政治・社会を批判、風刺した七五調の文書。専門家の間でも最高傑作と評価される落書の一つである。鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された建武の新政が開始されてから程なく、1334年(建武元年)8月に建武政権の政庁である二条富小路近くの二条河原(鴨川流域のうち、現在の京都市中京区二条大橋付近)に掲げられたとされる落書(政治や社会などを批判した文)で、写本として現代にも伝わる。
 このような落書きができること自体、なかなか大きなことだ。マスメディアにいる人間はすべてこのような歴史に残る記事を作ろうと思っている。手法はさまざまだ。政治、経済、社会、芸能、スポーツ。「天覧ホーマー」という言葉を作った評論家も、なかなか大きな仕事をした。今テレビドラマで出てくる「西山事件」のようなものも、歴史になお残す内容であろう。政治家のスキャンダルなどを探すのは、その事件で「手軽に」大きく名を残したいからということに他ならないのである。

81%が「復興進まず」=救援活動には高評価―大震災1年・時事世論調査

 東日本大震災からの復興や東京電力福島第1原発事故の収束への取り組みが進んでいないと考える人が全国で81.2%に上ることが、震災後1年を前に時事通信社が実施した世論調査で分かった。
 調査は2月9~12日、全国の成人男女2000人を対象に個別面接方式で実施。1265人から回答を得た。
 震災からの復興と、原発事故への取り組みについては、「あまり進んでいない」と答えた人が58%を占め、「全く進んでいない」とした人も23.2%。「とても進んでいる」「まあ進んでいる」と評価した回答は合計でも17.2%にとどまった。
 復興や事故への取り組みで評価できること(複数回答)では、自衛隊や消防隊による救助・救援活動が79%と圧倒的に多く、港湾・道路の修復、支援物資の運搬(33%)、復興庁の設置(21.4%)が続いた。
 一方、評価できないこと(複数回答)は、放射性物質の危険性に対する説明が不十分(72.2%)、原発の周辺住民への避難指示が不的確(57.5%)、原発事故の賠償が進展していない(55.9%)など、原発事故関連が上位を占めた。
 震災後に意識した行動(複数回答)は、情報収集を心掛ける(34.1%)がトップで、電力供給の在り方を考える(34%)、緊急時の連絡方法などを家族と話し合う(33%)の順。今後心掛けていきたいことでは、大震災を忘れない(56.1%)、省エネを考えた暮らしをする(45.7%)が多かった。 

時事通信 3月3日(土)15時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120303-00000060-jij-soci

「復興遅れ、自民にも原因」被災者が谷垣氏批判

 自民党の谷垣総裁は3日、東日本大震災の被災地、福島、宮城両県を視察し、住民らと意見交換した。
 だが、福島市内の仮設住宅で開かれた対話集会では、東京電力福島第一原子力発電所事故で避難している浪江町や双葉町の住民から「復興が進まないのは自民党の対立姿勢にも原因がある」と批判される場面もあった。
 谷垣氏はメモを取りながら神妙に聞き入っていた。集会後には記者団に、「復旧・復興については(自民党は政府・与党に)協力すべきは協力していることが十分伝わっていない。このことが、被災地の方のいら立ちを深めている。我々も広報をしないといけない」と述べるなど、反省しきりだった。

2012年3月3日(土)18時5分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20120303-00574/1.htm

 さて、今回取り上げたのは世論調査である。世論調査そのものは、まさにマスコミがその自分たちの影響を図る指標として使っている数字であるということが言える。要するに、政治制度や法律制度を元に、そのものがマスコミにどれくらい影響があるかということを考えれば、最も簡単なのはマスコミを見ている人に対してアンケート調査をすればよいのである。ちょうどホテルの利用者に対して客室にアンケートが置かれているのと同じ、マスコミを見ている人にそのアンケートを行えば、そのアンケートの結果と自分たちの報道している内容の整合性を見ればよいのである。なんと簡単なことか。そしてその数字を見て自分たちで報道の内容を変えればよい。それがまさにマスコミの偏向報道の重要な資料になっているのである。
 では、今回の内容がどうしてそういえるのか。単純に言えば「復旧」「復興」は「行政府」の仕事である。与野党ということを言うのはできるが、それは三権分立の立法府の問題でしかない。要するに復興や復旧は、そもそも内閣の問題であって、内閣の問題は、与党の内部の問題でしかないのである。予算がつかないとか特別法案がないということであれば、そうではないのであるが、逆に野党である自民党はそれ以上の協力はすることができない。それが三権分立なのである。
 しかし、テレビなどでは連日「野党の協力」などということが言われている。しかし、野党に何を協力しろというのか。行政の責任を行政に散会s邸内野党に求めること自体、三権分立、議院内閣制の重大な違反であり、マスコミはそのような論調があれば、はっきりと法律や憲法を説明し、そのような内容を完全に否定しなければならないはずである。にもかかわらず、マスコミはそれを無視して、というか逆に「与野党連携」を強く推進するかのごとく、憲法の理念を完全に無視した偏向報道を行ってきているのである。
 その偏向報道、もっと言えば「違憲報道」の内容は、それだけ国民に浸透している。時事通信の記事は、まさにその違憲報道の効果が現れたということではないだろうか。
 マスコミの偏向報道恐るべし。これが世論誘導の実態である。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(49) 中国における訴訟の勝ち方(1) 翻訳文の違い

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(49)
中国における訴訟の勝ち方(1) 翻訳文の違い

 中国での毎日は、基本的に退屈な毎日であったと思う。基本的には、外交交渉と渉外行動、そして法律行動が主な仕事だ。中国人に混じって販売業務を行うものではない。そのために、日常何もないときは、仕事はなかったのである。もちろん、毎日中国の従業員からの報告というものはある。しかし、それらに関しても特に大きな問題があるわけでもない。はじめのうちは慣れていないので、なんとなく緊張して仕事がないか考えるのである。しかし、それも慣れてきてしまうと、最終の報告を以下に受けるかということが最も重要になってくるのである。
  そのようなときに、中国で初めての訴訟が起きたのである。毎日の報告書の中で、「訴訟」という単語があり、そのほう奥に目を通した。すると、マイカルが訴えられている問いのである。それも、マイカルの中のブランドショップであるマジア大連の商品に対してである。訴訟といえども当然に中国語で書いてあるので、私たちは読むことができない。実際は、全て漢字で書いてあるのだからなんとなくはわかる。しかし、訴訟などの公的な書面の場合は、「だいたい」では話にならないのである。そのために、必ずプロに翻訳を依頼する。中国の裁判の場合は、・・・・・・・・・。

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発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

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パルコ買収における企業の根本のイデオロギー

パルコ買収における企業の根本のイデオロギー

 これも先週の話なのであるが、私のように流通業に一度でも身をおいたことのある人にとっては非常に大きな関心を持っている話だ。東京や関東以外の人は、パルコといわれてもわからないのかもしれない。パルコは、東京のJR駅に近いところにあるファッションビルである。基本的にはテナントビルで、駅前の洋服専門百貨店といったところであろうか。ルミネや丸井などと似た感じの店作りと立地を生かした販売戦略があった。
 しかし、衣料品に関していえば、当然にバブル崩壊以降ご他聞にもれず冬の時代が到来していた。バブル経済のもっとも大きなところは、バブル崩壊時以降の景気の低迷というものよりも、実際には、バブル期の過剰在庫、過剰投資とそれに対比してバブル崩壊後の景気低迷ということと消費不況が大きな中心になる。実際にバブル経済時点では投資をしないことは経営にとってあくな様な感じになって受け入れられるようになってしまい、また、会社の業績に関しては右肩上がりで当然という雰囲気が企業環境に蔓延することになる。要するに何か新たな新規事業を行わず、また事業拡大をしない経営者は無能というレッテルを貼られることになった時代であった。その時代に活躍した経営者はすべて責めの経営といえばよいが、実際には大小の差はあるものの企業会計に無理した過剰投資を行っていたといえる。その部分が、急遽消費の冷え込みで下がってしまうのであるから、これでは話にならないのである。
 消費不況は、簡単に言えば、消費者が将来の不安(年金だけでなく雇用なども含めて)のために貯蓄に走り、消費を行わなくなった状態を言う。その原因はそもそも企業が守りに入ったために、人件費を削減し始めた。このことによって年金基金も少なくなり、また、各家庭における可処分所得も少なくなった。それまで財テクといっていた個人投資も、すべて暴落するにいたり、消費に使えなくなった状態が少なくなくなったのである。
 消費不況を最も直撃するのが、歓楽街などの接待やぜいたく品、その次に、カットされるのが生活に必要のないものということになる。衣料品はまさにそのものであり、おしゃれがしたいということになっていながらも、高級なブランドを着こなさなくなったような消費者が増えることになった。無地柄、大量生産の安価な福を中心にした「ユニクロ」、またはノーブランドの安売り店「しまむら」を中心にした「シマラー」などが出てくるに至り、一方で銀座や丸の内にあるブランド街、要するに、ルイ・ビトンやアルマーニなどの実際誰にいっても知っている高級ブランドが注目される中、衣料品業界そのものは非常に大きな岐路に立たされることになるのである。
 パルコもその中に入っている。実際に安売りの店でもなければ、銀座に展開しているような高級ブランドでもない。その中間というどっちつかずの内容は、どこかと組んで生き残りを図らなければならない。

焦点:パルコ争奪戦はJフロントに軍配、撤退の判断迫られるイオン

[東京 24日 ロイター] パルコ<8251.T>をめぐる争奪戦は、森トラスト(東京都港区)が保有する株式をJ.フロント リテイリング<3086.T>が引き受けることになり、新たなステージに突入した。
  次の注目点は、パルコの株式約12%を保有するイオンの動向だ。強引ともいえる株式取得後、提携を迫ったイオン<8267.T>はパルコと業務検討委員会を発足させたが、話し合いは遅々として進んでいない。新たな筆頭株主として登場することになったJフロントは、パルコにとってはホワイトナイトも同然の存在で、イオンとパルコの協議が暗礁に乗り上げるのは必至だ。イオンはパルコに対してどのような手を打つのか。最終的な判断を迫られている。
<森トラスト、株売却はイオンにも打診>
  Jフロントは24日、パルコの筆頭株主の森トラストから保有する全株式33.22%を取得し、筆頭株主になると発表した。関係者によると、Jフロントが森トラストに株式取得を申し入れたのは1月下旬。水面下のこの動きを察知して憤慨したのがイオンだ。同じ小売業界のJフロントが筆頭株主として登場すれば、イオンの発言権も影響力も大きく低下してしまうからだ。
  複数の関係筋によると、もともと森トラストが保有株式の売却先として、最初に話を持ちかけた相手がイオン。だが、価格面などの条件で折り合わず、見送った経緯がある。パルコもイオンに対して、業務検討委員会で早急に協業の具体策を打ち出すので株の買い増しは急がないでほしいと要望してきた、とイオン関係者は明かす。その一方で、パルコはJフロントへの傘下入りを模索していたのではないかとの疑念が、イオンの不信感の根っこにある。
<イオンによる敵対的TOB、高いハードル>
  イオンによるパルコ株式の保有比率は12.3%。第2位株主ではあるものの、重要事項で拒否権を持つ3分の1超を保有しているわけでもない。イオンがJフロントを排除するには、パルコ経営陣の反対を覚悟で敵対的TOBによる全株取得を仕掛けるしかない。今回、Jフロントが森トラから取得するパルコ株の価格は1株1100円で、23日の終値682円に約62%のプレミアムが乗った。TOBを実施するなら1100円を上回る水準で提案しなければJフロントは応じないとみるのが自然だ。
 しかし、それがコストに見合うのかどうかは、疑問視する声が多い。そもそも森トラストからの株式売却提案に対してさえも躊躇(ちゅうちょ)しており、リターンが見えないない中で、これ以上の投資には踏み切れないというのがイオンの本音とみられる。三菱UFJモルガン・スタンレー証券のシニアアナリスト、桜井亮氏は「1100円は、のれんが発生するぎりぎりのライン。絶妙な価格設定だ。1100円以上を提示して株を集めることは、実現性が乏しい」とみている。
<イオン、1年間の投資としては十分なリターン>
 イオンがパルコ株取得に要した費用は総額約85億円。イオンが将来、Jフロントに対して今回と同じ1株1100円で売却すれば、売却総額は111億円となり、1年間の株式投資としては十分なリターンともいえる。桜井氏も「イオンが売らない理由付けを行うのは相当に苦しい」とみる。イオンの広報担当者は「今後については、これから検討する」と述べている。
 イオンは昨年2月、突然、パルコの第2位株主として登場。森トラストとイオンが共同歩調を取って経営体制を刷新し、昨年7月にはイオンとパルコが提携の具体化に向けた協議を発足させた。一向に進まない両社の提携協議を横目に、複数の百貨店がパルコ支援企業候補に浮上していた。「いつかこの提携は解消されることになるのではないか」(投資銀行関係者)との見方が根強かったためだ。
 イオンとパルコは、顧客層や展開地域が真逆のビジネスモデル。イオンが得意とするのは「郊外」と「主婦」。パルコは「都心」と「若者」だ。小売業界関係者は、今回パルコがJフロントが筆頭株主になることを容認していることについて「都心での展開や若者への客層拡大に取り組む百貨店の方が協力できると判断したのだろう」とみている。
<Jフロント、パルコ取得で多角化推進>
 Jフロントはパルコ買収で、脱百貨店を進めると同時に、若者など顧客層の拡大を加速させたいとみられる。同社は、10代後半―30代の女性をターゲットにした「うふふガールズ」などを展開し、従来の百貨店にはない売り場作りを続けてきた。奥田務会長兼最高経営責任者(CEO)は「新百貨店モデルの確立」を掲げて改革を進めており、パルコの店づくりが好作用を生みだすとみている模様だ。一方のパルコも「Jフロントとは業務上の共通点も多く、様々な協業の可能性を検討することも想定される」とリリースに記載するなど、Jフロントの登場を前向きに受け止めている。

(ロイターニュース 清水律子 江本恵美;編集 布施太郎)
ロイター 2月24日(金)17時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120224-00000094-reut-bus_all

 パルコの特徴は、先にも述べたように駅前立地である。そしてファッションビルであるために、実際に食品などの売り場の展開がない。駅前立地の特徴は駐車場がないが逆に乗換駅などによって集客が可能である。駐車場がないということは、まさに重たいもの大きなものを販売することはできないということになる。一方で、郊外店のような特別な集客を行わなくてもよいし、規模が大きくなければ競争力がないというものでもない。駅前が変われば、自然と話題のビルができる。たとえば池袋駅前の三越がヤマダ電機に変わった。このことによってその前にあるパルコは、自分が努力をしないでも集客が可能ということになるのである。
 これまでは「どこかと組んで」の相手がイオンであった。イオンは誰も知っていると思うが郊外型ショッピングセンターである。しかし最近ではイオンモールなど、テナントを扱う専門会社を上場させるなど、経営が多角化してきているのである。そのイオンとの買収企業帝位系ではなく、パルコはJフロント中心の企業連携に変えたというのである。実際にこれらの企業選択がよいのか悪いのかはよくわからないが、イオンとパルコとは業態も何も違いすぎるような気がする。
 実際に小売業は業務拡大や多角経営で似たような考えをしていても、その考えの根本が違うと話にならない場合がある。同じ物売りでも、洋服屋と魚屋が同じ感覚にあるとは思えない、といえば理解してもらえるだろうか。政治でも同じでたまたまひとつの政策が同じでも、根本のイデオロギーが違えば、最終的には相容れない部分が出てきてしまう。その文化の違いが、Jフロントのほうが少ないであろうということはいえる。
 実際に今後消費税の増税などよりいっそう消費不況が深刻化することが予想される。しかしその中においてどのような発想をすればよいのか。そのことをしっかりと考えなければならない。その中の先鞭というのが、まさに小売業で動いているのではないか。

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政治不信の発信基地と化した党首討論

政治不信の発信基地と化した党首討論

 2月29日だから一昨日になる。国会の予算委員会において与野党の党首討論が行われた。このブログを読んでいる人の中には、党首討論やその報道をご覧になった方も多いであろう。そのユースをご覧になった皆さんはどう思ったのであろうか。実際に、もうひとつ大きな報道があったのが「野田・谷垣密談」の知らせである。いずれにせよ、国民の大きな期待に対して野党であるはずの自民党も、公明党も、しっかりと答え切れていない上体が見える。要するに、国民がどのような意思を表示していても、基本的には国会議員が「ダメ」だと、国民の意思はまったく通らなくなるのである。
 そもそも、TPPを推進している野田内閣。TPPとは、当然に自由貿易協定である。自由貿易協定であるならば、「自由」でなければならない。当然に政府の段階において貿易を行う前提条件は、なるべく同一でなければならないのではないか。ようするに、現在の電気代の値上げ(これは公営民間企業という位置づけだが)を導き出すエネルギー政策と、一方で、消費税の増税という間接税徴収は、これだけで日本企業、日本製造業の競争力を著しく低下させるものである。もちろん、そのような競争力の低下を招いても、それ以上の競争力があればよいが、残念ながら、産官学共同の研究費用や学術費用も「一位じゃなきゃダメですか」という言葉で競争力が失われる選択を行っている。要するに、TPP推進という話と、一方で消費税増税という話は政策の一貫性がないということになる。政府は片方で自由競争推進といいながら、片方で自由競争を阻害する競争力低下を招く政策を行っているのである。
 しかし、マスコミも政治家もこの二つの政策をあわせて語る人は少ない。もちろんまったくいないとはいないが、残念ながら「自由競争」の「自由」の意味が、非関税という感覚でしか考えていない人が少なくない。もともと「自由」と「勝手」を履き違えている人が少なくないことから、残念ながら民主党が打ち出した政策、「TPP」「消費税増税」「エネルギー基本政策」「温室効果ガス削減」一つ一つの論理はわかるものの、国の政策トータルで横串的に考えれば矛盾しているkとは間違いがないことなのである。
 これらを横串的に考えることなどはなかなか存在しない。「TPP」は外務「消費税」は財務省かあるいは一体改革の特別委員会であろう、「エネルギー」は経済産業省、「温室効果ガス」は環境省だ。このほか「社会保障」は厚生労働省とすべて縦割りになっており、その上国会の真偽も各委員会になってしまうので、見えない状態である。
 党首討論は本来そのような各委員会で縦割りになっていることを包括的に質疑する場所ではないのか。野田首相のように「私のほうからも質問できるので」などといわれているようでは、谷垣総裁は完全に見下されており、議論になっていないとしか言いようがないのではないか。

強きの首相 谷垣氏「空振り」連続

 野田佳彦首相と自民党の谷垣禎一総裁、公明党の山口那津男代表による国家基本政策委員会合同審査会(党首討論)が29日、国会内で開かれた。内閣支持率低迷にあえぐ首相は弱っているはずなのに、谷垣氏に首相を追い詰める気迫は感じられず「空振り」の連続。逆に首相に見せ場を与えてしまった。これでは早期解散に追い込むなど夢のまた夢ではないか-。(坂井広志)
 首相は初めから得意技のクリンチ(抱きつき戦術)でいこうと腹を固めていたようだ。
 谷垣氏が衆院の「一票の格差」是正問題を取り上げると、首相は「一緒に汗をかかせていただければ」といきなりハグ。慌てた谷垣氏は「ぜひリーダーシップを発揮してほしい」と首相を励ましてしまった。
 消費税論議に突入すると、首相は「消費税を引き上げるために一緒に努力しようじゃありませんか!」とまたも抱きつき。
 「足元が乱れているじゃないですか! 小沢一郎元代表は消費税増税法案の閣議決定や採決時の反対を明言し倒閣を示唆している」
 谷垣氏は必死で振り払おうとしたが、首相は「51対49の党内世論でも手続きを踏んで決めたら、みんなで頑張ることを皆さんに示します」と断言。開き直ったかのような強気に押され、谷垣氏は「党内を掌握されるのを固唾をのんで見守りたい」とまたも首相ペースにのみ込まれた。
 最後の反撃もあっけなかった。
 「国民との信頼関係を作り直すこと、つまり解散だ。それをやれば協力する道は開ける!」
 谷垣氏は首相から「話し合い解散」の言質を取ろうとしたが、田中慶秋委員長が「時間が終了しています。ご協力お願いします」とゴング。谷垣氏はあえなくマットに沈んだ。
 対照的に公明党の山口那津男代表は短時間に切れのよいジャブを繰り出した。
 「社会保障と税の一体改革と言いながら社会保障の全体像は示されてない。一体じゃなくてバラバラじゃないか。一大改革は総崩れ状態だ!」
 これには首相もしどろもどろとなり説得力のある説明は一切なし。そこで山口氏は「身を切る改革と言うのなら全議員がその痛みを被らなければどうして身を切る改革になるんですか」と持論の「議員歳費2割削減」を眉間にぶち込んだ。
 首相は「山口氏に賛成です」とあっさり降伏。夕方の政府・民主三役会議で、さっそく歳費削減の検討を指示した。
 党首討論が終わると、首相は山口氏とガッチリ握手。ところが、谷垣氏とは握手しないまま委員会室を後にした。谷垣氏は「野田さんは今日も大言壮語だった」と息巻いたが、負け犬の遠ぼえにしか聞こえない。いっそのこと、自民、公明両党で党首を交換した方がよいのではないか。

2012.3.1 00:58 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120301/stt12030101010000-n2.htm

野田-谷垣、週末極秘会談 話し合い解散模索か?

 野田佳彦首相が、自民党の谷垣禎一総裁と週末の25日に首相公邸でひそかに会談していたことが29日、分かった。複数の関係者が明らかにした。消費税増税関連法案成立と引き換えに衆院解散を約束する「話し合い解散」について意見交換したとみられる。首相、谷垣氏とも打ち消しに躍起だが、この動きが表面化したことにより、政局はますます流動化する公算が大きい。
 首相は25日、昼に国会近くのホテル内の日本料理店で藤村修官房長官と会食。午後は藤村氏とともに首相公邸でサッカー日本女子ユース東北選抜メンバーを激励した。谷垣氏と会ったのはこの後だとみられる。
 どちらが会談を呼びかけたかは不明だが、両氏とも「消費税増税はやむなし」とする財政再建論者であり、このまま消費税問題を棚上げにして次の衆院選の争点になることだけは避けたいとの思いも同じ。仮に消費税増税法案が衆院通過し、参院で自民党が主導して否決する事態になれば、自民党は政権を奪回しても二度と消費税に手を付けることができなくなる。
 ただ、首相と谷垣氏の主導による話し合い解散は衆院選後の大連立が前提となる。消費税増税法案を民主、自民両党の合意の下で成立させれば、両党とも平成26年4月に8%、27年10月に10%の引き上げを拒むことはできない。そうなれば、次の衆院選で第1党となった方が首相を、第2党となった方が副総理を出して連立内閣を組み、社会保障と税の一体改革を粛々と実現していくほかない。
 しかも橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会の国政進出や、東京都の石原慎太郎知事の新党構想が現実味を増しており、民自両党で泥仕合を続けていれば次期衆院選後は両党とも主役の座から転落しかねない。
 これとは別に民自両党に「話し合い解散」を模索する動きが絶えない。自民党の森喜朗、安倍晋三の両元首相が「話し合い解散」を重ねて主張するのは、早く消費税増税法案を早急に成立させた上で谷垣氏に引導を渡し、新総裁の下で次期衆院選に臨みたいとの思いがあるからだとされる。民主党でも同じ動きが広がる可能性もある。
 内閣支持率低迷に苦しむ首相、世論調査で一向に期待が高まらない谷垣氏。このままならば2人とも秋の代表選、総裁選で引きずり降ろされかねない。追い詰められた2人が会期末の「話し合い解散」で手を結んでも不思議ではない。
 ただ、これを成就させるには、2人とも絶対に密会の事実を認めるわけにはいかない。民主、自民両党の国会論戦が茶番だと認めるのと等しいからだ。
 谷垣氏は29日、記者団に極秘会談を聞かれ「会っていません」と完全否定。首相も公邸前で記者団に「会ったのか」と問われ「まったくなし」と述べた。

2012.3.1 01:30 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120301/plc12030101300001-n2.htm

 そもそも、党首二人が密室の会談を行ったという話も、実際は、二人は否定しているが、そのような内容が反されていないということである。要するに党首討論に参加した野田首相、谷垣自民党総裁、ともに国家トータルで政策を検討する能力が完全に欠如している、その内容が現れてしまった内容ではなかったか。実際に密談をしていたかどうかということは別にし、というかもしも密談をしていたにしても、これらの国家像をお互いに明らかにする内容をしっかりと話し合うのが、国会の政党の党首ではないのか。密談まではよくても、その政策が国民の考えになっているのかいないのか。それもわからないようでは政治を行っているのはいかがなものかとも考えられる。
 同時に、谷垣総裁においては完全にため息しか出てこない。政策論争があっても民主党の党内の分裂を質問する。これでは、民主党の内部分裂頼みで、理論や政策で国民や野党の支持者を納得させられないということに他ならない。このような質疑しかできないのであれば、日本国のために野党第一党の総裁を辞任すべきではないのか。政策集団、議員政党である自民党であるならば、しっかりと政策やイデオロギーで戦うべきである。たまたま、消費税増税という結果が同じであっても、そこにいたる理論やイデオロギー、そして現状の景気分析などが違うのであれば、まったく話にならないのではないか。
 野田首相、谷垣総裁になってから、党首討論がまったく迫力もなく、そして国民の期待を裏切るものであった。まさに政治の劣化、政治不信をあらわした内容になっている。この状態の打破はどうすいたらよいのか。困ったか代位なったものである。

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まさに消えた年金、民主党政権はこAIJ投資顧問事件にどのように対処するのか

まさに消えた年金、民主党政権はこAIJ投資顧問事件にどのように対処するのか

 先週の末のことであるが、都内の投資顧問会社AIJ投資顧問が、預託された企業年金の大半を投資の失敗により失ったということをいっている。にもかかわらず数年間それらの事実を隠し続け、帳簿や営業報告書などもすべて改ざんして作られたものを使ったということである。要するに、投資そのものに失敗したものの、その投資の内容もすべて虚偽表示で営業を続けていたということになるのである。このことを重く見た金融庁はすぐに会見を行い、業務停止命令を出した上で、調査を開始したという。
 報道された事実関係をまとめるとこのようになる。その資金を英領ケイマン島に写し私募信託において基本的にはヘッジファンドのような運用をしていたと考えられる。実際に英領ケイマン島は、「タックスヘブン」要するに無税地とされ、そこに本社を置くことで、資産に対して税金がかからないことになる。増税間の大きい日本人、特にその日本の中小企業経営者は、「タックスヘブン」であることだけでも、かなりの得をした気分になる。その上、このような投資顧問行を行う人は、金融派生商品(デリバティブ取引)など、によって行う。このように感じて書いてあれば、まったく金融がわからなくてもなんとなくイメージができるのであるが、実際には、カタカナ「タックスヘブン」「デリバティブ」などという単語だけで営業や契約が行われるために、実際になんだかわからないが「うまくいきそう」「高利回りで運用できそう」と思ってしまうのである。
 そもそも私のいたマイカルという一部上場会社であったスーパーマーケットも、不動産資産のほとんどの所有権を英領ケイマン島に移し、その中において運用をしていたつもりであるが、実際は単純に日本の信託法を使った固定資産の流動化を行っただけであった。さもすばらしい資金運用法を出しているかのごとく行っていたが、実際、日本の信託法を使っているのだから、そのような画期的な方法などはあるはずがない。マイカルが倒産してから10年以上たつが、いまだにこのようなことが行われている、というよりは、このような内容が中小企業の年金事業者に真実を言わないで営業していたということに関して、少々の驚きをもっている。
 同時に、この内容に関して、まず「ノーリスク・ハイリターン」などという投資は存在しない。それどころか、日本であり、日本人が運用している以上、基本的に日本の法律が適用されるのであるから、カタカナなどで何を言ってもだめだ。カタカナを多用する金融機関や投資顧問を疑うということから、まずしなければ、人間は欲が深いので、このような事件はまだまだ続くことになるであろう。

<AIJ投資顧問>企業年金2千億円消失…123社分の大半

 企業年金を中心に約2000億円の資産を運用する投資顧問会社「AIJ投資顧問」(東京都中央区、浅川和彦社長)が、高利回りで収益を上げているなどと顧客に虚偽の情報を伝えていたとして、金融庁は24日、金融商品取引法違反(投資家の利益に反する事実)の疑いで同社に1カ月の業務停止命令と業務改善命令を出した。証券取引等監視委員会が同社を検査したところ、残高は約200億円しかなく、大半は消失。預託された企業年金は大幅な含み損を抱えるとみられる。
 ◇金融庁が業務停止命令
 同日午前、自見庄三郎金融担当相が記者会見し、「金額は不明だが、顧客資産を毀損(きそん)していたとみられ、投資家保護の観点から命令を出した」と話した。
 関係者によると、同社は1989年設立で、資本金2億3000万円。昨年3月末時点で123の企業から預かった2100億円を投資運用していた。そのうちほとんどが企業年金(122件)で、年金1870億円を管理。顧客の大半は建設業、電気工事業などの中小企業による総合型の厚生年金基金だった。
 同社は金融派生商品の運用により「市場の変動に左右されずに安定収益が上がる」「リスクを減らし絶対的な収益を目指す」などとうたい、運用実績も好調なように見せかけていたという。
 しかし、監視委が今年1月下旬から検査したところ、大半は消失し残高は1割未満にまで落ち込んでいた。業績が不調にもかかわらず、集めた資金を配当に回していた疑いがあるという。監視委の検査で会社側も虚偽の説明があったことを認めているという。
 このため金融庁は、残った資金を保全するため早急に業務停止命令を出すことを決定。実態の解明まで資産を引き出すことは不可能になる見込みだ。年金の消失が確定すれば、顧客の厚生年金加入者は深刻な打撃を受ける可能性もある。【川名壮志、田所柳子】
 ◇企業年金の運用◇
 企業年金は、国民年金などに上乗せして、企業が任意に設ける年金。大企業なら1社単独、中小企業なら地域・業種が集まって作る年金基金で管理されており、実際の運用は、投資顧問業者などに依頼して行うことが多い。投資顧問業者の事務的なミスなどで損失が出た場合は賠償を求めることができるが、運用の失敗による損失の穴埋めは、金融商品取引法で禁じられている。企業は従業員に、将来年金を支払うことを約束して掛け金を集めているため、損失が出た場合は、企業が不足分を追加拠出することを迫られる場合もある。企業の財務に余裕がなければ年金基金を解散することもできるが、将来受け取る年金が減る可能性もある。

毎日新聞 2月24日(金)11時5分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120224-00000019-mai-soci

<AIJ投資顧問>金融派生商品、運用失敗か

 投資顧問会社「AIJ投資顧問」(東京都中央区)が企業年金を主とした約2000億円の資産の大半を失った問題で、同社が金融派生商品である「日経平均オプション取引」の「売り」を駆使したリスクの高い資産運用に失敗し、大幅に資産を失った疑いがあることが24日、証券取引等監視委員会の調べで分かった。会社側は監視委の検査に「現有資産の実態が分からない」とも釈明しており、監視委と金融庁は資金の流れの解明に向け慎重に調べを進める方針。
 証券関係者によると、日経平均オプション取引は、一定期間内に特定の価格で日経平均株価を買い付けたり売ったりする権利(オプション)を売買する金融派生商品取引。事前に元手(証拠金)を預ければ、一定倍率で額を上げた売買も可能で、高い収益が見込める。特に同オプションの「売り」は、予想と逆の方向に株価が大きく動かなければ、高い確率で利益が期待できることから、投資のプロが多用するという。
 関係者によると、AIJの浅川和彦社長は大手証券会社出身。証券業界で培った知識を利用し、同オプションの「売り」を戦略とした資産運用で「絶対収益の追求」「安定収益の確保」をうたっていた。08年のリーマン・ショックや昨年の東日本大震災で投資顧問会社の業績が軒並み下落する中、AIJは好調な実績をアピール。国内の格付け会社のランキングで全国の企業年金運用成績でトップになることもあった。
 しかし、同オプションの「売り」は予想と逆の方向に値動きがあった場合のリスクが高く、損失額が無制限になることもあるという。株価が大きく変動したリーマン・ショックや震災時には、同オプションの「売り」による損失で破綻する投資家や投資会社も続出しており、AIJが業績を上げていたことに疑問の声も上がっていたという。
 監視委と金融庁は、こうした損失の可能性について調査を進めるほか、刑法の詐欺罪に当たるような悪質な運用実態がないか追及する。

毎日新聞 2月25日(土)2時32分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120225-00000014-mai-soci

<AIJ問題>監視委、金商法違反の疑いで調査

 投資顧問会社「AIJ投資顧問」(東京都)の年金消失問題で、同社が顧客に繰り返しうその運用報告書を提出していた疑いが強いとして、証券取引等監視委員会が金融商品取引法違反(虚偽の運用報告書の交付)などの疑いで本格的な調査を始めたことが26日、分かった。同法違反には刑事罰が規定されており、不透明な資産運用の実態解明を進める。
 関係者によると、AIJは金融派生商品を扱った「安定収益の確保」をうたい、中小企業の企業年金を中心に運用資産を受託。集めた資金は租税回避地の英領ケイマン諸島に登記された「私募投資信託」に流れていたことが分かった。
 金商法では投資顧問会社に半年に1度、定期的に資産の運用報告書を顧客に開示し報告することを義務づけており、報告書には▽主要な売買銘柄▽運用実績▽損益▽資産・負債の状況--などを記載する。しかし、AIJはケイマン諸島の私募投資信託を扱った正確な運用成績や実態について、顧客に情報開示していないという。
 私募投資信託は特定投資家に販売する金融商品で、運用コストが低く金融派生商品の売買をしやすいメリットがあるとされる半面、私的信託のため秘匿性が高く、本来開示されるべき情報が閉ざされているとも言われる。
 AIJ幹部は監視委の検査に「数年前からうその報告書をつくっていた」などと証言。資産運用の実態を意図的に不透明にしたまま安定した収益を上げているように数字を偽った疑いがあるという。
 AIJは関東財務局に対しても同様にうその事業報告書を毎年提出。これについても監視委は同法違反(虚偽の事業報告書の提出)となる疑いがあるとして調べる方針。

毎日新聞 2月27日(月)2時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120227-00000005-mai-soci

 さて、新聞記事が少し長くなったが、実際には、この事件に関して民主党政権はどのようにするのか。事件そのものの展開もの問題、もう一方で事件から派生する民主党政権の政策ということの二点で考えてみたい。
 まず事件そのものに対する展開である。投資顧問行が投資を失敗するということに関しては、罰することはできないであろう。そもそも投資そのものが100%儲かるシステムではないので、投資を行うということはそれだけリスクがあるということが最も重要である。金融庁も投資に失敗したことそのものには、まったく調査も何もしていない。しかし、その投資の失敗に関してしっかりとした報告をしなかったということに関し「虚偽の事業報告書の提出」ということで調査対象になっている。
 では、本来行わなければならないことは何であろうか。このような投資顧問会社が投資の預託金に対してしっかりとした保険をつけるようにしなければならない。それでなければ「損をしても他人(相場)のせい」で投資顧問会社そのものが放漫な管理体制であっても罰することもできないし、何もわからない投資家の保護はできない。すべての証券会社がそのような内容を行うのではなく、このような年金や投資顧問会社だけはそのようにするなど、しっかりとした客観的な基準を作り、その投資者の保護を図らなければならないのではないだろうか。
 一方、民主とは「年金と税の一体改革」ということを本国会で行うことを表明している。しかし、その片方の内容である「年金」に関して、何を考えているんかわからないが、このような自己に対して民主党の改革を行っている担当者、岡田克也副首相をはじめとする民主党首脳は何も発言をしていない。実際に金融担当大臣も「国民新党」の自見大臣であることを考えれば、このような年金の投資の失敗ということに関して、民主党は何も発言もしていなければ、そのメスを入れる意思がないということになってしまうのではないか。実際に年金の改革を行うのであれば企業厚生年金をどのようにしなければならないのかということがもっとも大きなところであり、その内容を抜きにした年金改革などは何の意味もない。起業の年金基金に関しては、そもそも親会社の企業が倒産した場合を含め、年金基金がどのように維持され、その会社の退職者の年金を維持するのかということは非常に大きな問題になるのではないか。そのような内容をまったく考えもしないで、「一体改革」というのは片手落ちもいいところである。
 このAIJの事件は、まさにひとつの企業年金事件であるのではあるが、年金と税の一体改革というところにおいても、年金の運用の実態ということであれば、しっかりと調査をしなければならないし、この事件を踏まえた年金改革案が出てしかるべきであろう。そのことがまったくできないのであれば、改革などは遠い夢の話でしかない。消費税率の話ばかりで年金の改革案がまったくできていない。その内容が今回の事件からしばらくした現段階で見えてきたのではないか。

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