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2012年5月

消費税増税反対小沢と、命がけで推進の野田の民主党「党内会談」の茶番

消費税増税反対小沢と、命がけで推進の野田の民主党「党内会談」の茶番

 30日の午前11時から、民主党本部において野田首相、輿石幹事長と小沢元代表における三者会談が行われた。会談の主題は、税と社会保障の一体改革7法案、基本的にはその中における消費税率増税法案の、今国会における成立に向けて同じ民主党内で説得を行うために会談をしたというのである。
 一応主張を整理してみよう。

 <野田首相>
 財政再建は急務(まったなし)であり、財政再建のために増税は必要である。なお、マニフェスト記載の政策および社会保障に関する内容はすべて行ったまたはこれから行うということをすべて法律に明記しているので、国民に対する裏切りには当たらない。
 <小沢元代表>
 民主党はまず行政改革、地方分権を進めその上で支出を削減し必要な採否を固めてから税収が足りない場合に税収を考えるべき。社会保障も示さず、また地方分権も行わず、行政改革も途中であり、増税などを行っても到底国民の理解を得られない。
 <輿石幹事長>
 行政改革も財政再建も関係ないが、民主党の尾家事情から当が分裂することを避け、そのためにすべての結論を先送りすべきである。
 
 このような考え方の三人が、特にお互いに秘策も泣くあったからといって何かが動くわけでもない。会談後自民党の石原幹事長が「大騒ぎして何もなかった」といったが、はっきり言ってわれわれの間では、行う前からわかっていたということを、会見後に言われても何の話にもならない。自民党の幹事長が政局を目指して何かを言うのであれば、会見前にこの会見の内容を予想し、何か動くような仕掛けをすべきであり、何もなかったなどといって会見をするようでは、自民党の凋落はこの幹事長の顔と声でわかってしまう。
 逆に、自民党がこの凋落ぶりであるために、安心して何の進展もない民主党の党内階段ができるのであろう。このような会談をしても外部から攻めてくる野党がないのであるから、野田首相にとっては余裕がある。まさにそんなことを感じさせるものであった。

野田首相は「小沢氏とは合意形成に至らず」

 野田首相は30日、消費増税関連法案を巡って小沢一郎・民主党元代表との会談後、首相官邸で記者団の取材に応じ、「法案に賛成するという意味では、一致点、合意形成には至らなかった」と述べた。小沢氏との再会談については、「かなり率直な意見交換ができた。このことを反すうしながら考えたい」と語った。
 また、野田首相は小沢氏について、「消費税引き上げには反対ではないと言っていた。時間軸の問題で差がある」と述べた。
 野田首相によると、会談では首相がまず、小沢氏に対し、消費増税関連法案の成立に協力を要請したのに対し、小沢氏は、増税への国民の理解を得るためとして、〈1〉行政・地域主権改革、〈2〉社会保障の理念を示す、〈3〉経済の再生――の3点を挙げ、現段階での消費税引き上げに「賛成できない」との立場を示したという。

(2012年5月30日13時26分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120530-OYT1T00648.htm

“野田vs小沢”会談は決裂!小沢発言に“離党”プンプン

 野田佳彦首相と民主党の小沢一郎元代表との直接会談。消費税増税法案の成立への天王山だけでなく、民主党分裂の引き金になりかねないため、東京・永田町の民主党本部には30日、100人以上の報道陣が押し寄せた。会談後、野田首相と小沢氏、同席した輿石東幹事長がそれぞれ取材に応じた。
 会談は30日午前11時から、党本部8階代表応接室で行われた。約1時半後、ぶら下がり取材に応じた小沢氏は「野田首相から『法案成立に協力してほしい』という話があった。私からは、国民は『大増税の前に政権としてやることがある』と思っている。私も同じように考えている」といい、こう続けた。
 「第1に、政権交代の衆院選で、われわれは『国の仕組み、統治の仕組みを変える』『霞が関支配から地方分権』といって戦った。第2に、社会保障と税の一体改革というが、年金制度など社会保障はどこかにいった。一体改革ではない。第3に、日本経済はデフレから脱却できていない。震災復興もある。大増税は経済政策として納得できない。以上のことから、増税には賛成できないと申し上げた」
 小沢氏の発言には、大阪市の橋下徹市長が掲げる「維新八策」を意識したフレーズもあり、「離党・新党結成」を意識していることを、うかがわせた。
 一方、野田首相は官邸で「(小沢氏と)合意形成、(増税法案に)賛成してもらうまでにはいかなかった。ただ、どういう考えをしているかは分かった。小沢氏は増税反対ではなく『先に行革を』という考えだった。(小沢氏が指摘した)3点については『行革はずっとやっている』『地域主権も確実に進めている』『社会保障改革もやり遂げる』と説明した。率直な意見交換ができた。基本的には法案に賛成していただきたい」と記者団に語った。
 仲介した輿石氏は「(直接会談が)平行線という言い方はどうか。(野田首相と小沢氏の)思いは同じ。『国の仕組みを根本的に変える』『国民主導』『国民の生活が第一』…。避けて通れない課題にきちんと答えていく。党内の一致結束ができるかにかかっている。(再会談は)必要であればやる。必要でなければやらない」と語った。
 税という基本政策で対立する2人。野田首相は「3回目はない」と語っており、次回会談が最後となりそうだ。

2012年5月30日(水)17時0分配信 夕刊フジ
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/fuji-zak20120530018/1.htm

 さて、この会談に関してはわれわれでは、先に内容が読めていたし結論も読めている。今後の話も、月曜日および火曜日に行われた勉強会の中で、私は発表しているので、その内容を耳にしている人もいるであろう。先週の金曜日の段階で、すでに会談決裂は明らかであったために、話はその先に目が向く。もちろん、結論としては「会期延長で先送り」「小沢除名で野田自民党と連携」「小沢説得」「双方不調で会期延長もせず、野田総辞職」「何もできず破れかぶれ解散」「国会会期延長せず、継続審議で代表選挙」というような結論。後はそのほかの事象を考えながらどの確率が高いかということを考えればよい。それに関しては、情報の収集と分析を行えばよいだけだ。このように書くと、情報だけに頼るが、そもそもの小沢元代表や野田首相、そしてそれを取り巻く人々の性格や相性、そして自民党やそのほかの野党、何よりもマスコミの反応を見ながら、なるべく客観的にどのようになるのかを見ればよいのであり、それら個性による分類ができレバ、そんなに難しい話ではない。はっきり言えば、週刊誌などはこれを一生懸命やって、専門家と称する人のコメントを作って文字にしていれば記事になるのだから楽な商売である。
 しかし、この会談はそのような話をしても意味がない。実際にそもそもこの会談を行うということは、まず、民主党の党内がまとまっていないということ、そして3月末に行った民主党内の意思決定は「まったく意思決定になっていない」ということだ。これは考えようによっては、マニフェストでも同じで、党内で意思決定してマニフェストを決めても、あるいは消費税増税を決めても、あるいは今後問題になるであろうTPPなどを決めても、一切関係なくそのときの政権幹部の意見で左右されてしまうということを意味している。そしてその内容は、民主党の中に民主主義による決定プロセスが存在せず、首相という人やその集団に独裁的権限を持っているということに他ならないのである。
 要するに、この内容は、民主党内の意思決定はすべて無効であり、それだけでなく、その意思決定がどのような結論であっても、野田首相や官僚などの一部の人が勝手に物事を決めてしまう、民主主知や三権分立を完全に無視した政権であるということを意味しているのである。
 その上、野田首相の主張する余蘊その内容が必要であり国家の大事であるとしても、それを同じ政党の中であっても説得することができないということを意味しているのである。要するに、理由もわからずにその場の雰囲気で独裁的手法によって権限をもてあそんでいる民主党の政権という感覚がよくわかる。もっといえば、その意思決定プロセスの中に国民は存在しない。当然にそのような政権と連立もしくは部分連合を組んだとしても、それは野党の自殺を意味するものである。民主主義の日本の中において民主主義を否定する「独裁ごっこ」と手を結ぶ政権権力のもてあそぶ行為をすれば、それが自民党であっても維新の会であっても、その時点で国民の信頼は完全になくなるのである。
 そして、そのことが今回の会d何から読み取れないようでは、はっきり言って政治センスはまったくないのではないか。
 今回の三者会談をただ単に消費税の問題や直近の政局の話ではなく、民主党という政党の民主主義無視の意思決定プロセスということを見なければならないのではないか。

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「責任を感じない」首相を輩出した民主党政権

「責任を感じない」首相を輩出した民主党政権

 権限と責任は、必ず並列で存在する。それは基本的人権でも同じである。権利というのは、社会もしくは他人から認められて初めて権利になるものである。しかし、その内容に関して権限や権利だけを主張し、まったく責任や義務を感じない人がいる。それは日本の、いわゆる「プロ市民」といわれる人がほとんどだ。
 人権派などといわれるプロ市民は、はっきり言ってみているだけで気分が悪い。その代表格が菅直人前首相ではないのか。
 国民は、菅直人という個人に何かを期待したわけではない。しかし、菅直人の役職である「内閣総理大臣」という役職に対して、もっと言えば日本国憲法の三権分立の「行政をつかさどる三権の長」に対して、少なくとも国民を守る事、そして国民に対して「責任のある政治」を行う事を期待していたはずである。しかし、菅直人はその国民の期待をしっかりと裏切ったのである。
 この「菅直人政権」の無責任な政治は、尖閣諸島沖漁船衝突事件でまず露呈し、その後東日本震災における復旧復興政策の迷走でまさに国民の共通の認識になり、福島第一原発の処理と、首相でありながら自分の原発反対の主張だけを通し、国民の総意である事故の沈静化などを置き去りにした政治手法には、さすがに多くの国民が怒りを覚えた。原子力発電所の事故の問題を放置し、ソフトバンクの孫社長と企画したソーラー発電に関しては、国民の多くは、このような無責任で義務感のない首相を選んだ民主党そのものに対して、怒りを感じるようになったのである。
 その現況となった福島原発の事故に関して、国会の事故調査委員会が行われているが、菅直人前首相の聴取が行われた。その聴取に関しても、この間直人という前首相は、まったく自分の責任感や義務感を感じない姿勢を貫いた。ある意味で自分の権限だけを満喫し、責任を取らない民主党政権の体質を完全に体現したその内容に対して、国民の多くは改めて菅直人政権の劣悪さと、その様な首相を選び出した民主党という政党そのものの質の悪さ、そしてこのままでは日本そのものがおかしくなってしまうという危機感を感じたはずである。

自己正当化、記憶にない…「人災の元凶」に反省なし

 責任転嫁、自己正当化、そして「記憶にない」。国会の東電福島原発事故調査委員会による菅直人前首相の参考人聴取は、事故対応で采配を振るった最高責任者(原子力対策本部長)の無反省さを改めて見せつけた。事故拡大を防げなかったことも、付近住民に適切な避難指示を出せなかったこともどこか人ごと。自らが「人災の元凶」だったとの自覚はない。
 「私が知りうる限りのこと、考えたことについてできる限り率直に答えたい」
 菅氏は冒頭こそ神妙な面持ちだったが、その後はのらりくらりと質問をかわし、2時間50分間の質疑の大半をいかに責任逃れするかに費やした。
 事故調委員は、菅氏が法的根拠と責任の所在が曖昧な指示を繰り返したことを問題視したが、菅氏は「記憶にない」と強弁し、いったんは事務方に責任をなすりつけた。
 「原子力事故にあたってどのような権限が首相、本部長としてあるのか、詳しい説明を聞いたことは覚えている限りない」
 ところが、委員が平成22年10月に中部電力浜岡原発事故を想定した防災訓練に首相として出席したことを指摘すると豹変(ひょうへん)。「もっと早くからしっかりとした説明を受けて知っておいた方がよかった」と釈明した。
 一事が万事この調子だった。菅氏は答弁用のメモを周到に準備していた。27日の国会事故調での枝野幸男官房長官(当時)の参考人聴取などをインターネット放送で視聴し、理論武装に励んだことは想像に難くない。
 緊急事態宣言発令の遅れについては「特に支障はなかった。理由があって引き延ばした気持ちはない」。第1原発1号機への海水注入に懸念を示した自らの言動が東電に「官邸の意向」として伝わっても「全く理解できない」-。
 事故直後、無資格(後に内閣官房参与)で官邸に招き入れた情報処理の専門家である日比野靖氏が第1原発に電話で「極めて初歩的な質問」(委員)を行い「仕事の邪魔」をしたと追及されるとこうごまかした。
 「やや抽象的なお尋ねで答えに困る。内容的にはっきりしないので答えようがない…」
 もともと原発事故が起きるまで菅氏に原子力政策への定見はなかった。若いころは原発に懐疑的だったというが、昨年1月の施政方針演説では「私自らベトナムの首相に働きかけた結果、原発施設の海外進出が初めて実現します」と原発ビジネス推進の旗を振った。
 事故発生直後に「自分はものすごく原子力に強い」と自慢したかと思うと、昨年8月の福島復興再生協議会では「放射能をどう考えてよいのかなかなか理解できない」と言い放った。
 そして事故調では日本だけでなく世界に向かって「脱原発」を高らかに訴えた。脱原発論者さえもこう受け止めたに違いない。「お前が言うな!」と。
 言っていることはブレ続けても「反省のなさ」だけは首尾一貫している。哲学者、ニーチェはそんな菅氏の人間像をずばりと言い当てている。
 「『それは私がしたことだ』と私の記憶は言う。『それを私がしたはずがない』-と私の矜持(きょうじ)は言い、しかも頑として譲らない。結局-記憶が譲歩する」
 自らの過ちを認めようとしない人ほどたびたび過ちを犯す。そんな菅氏を民主党最高顧問(新エネルギー政策担当)に任じた野田佳彦首相も人ごとでは済まされない。(阿比留瑠比)

2012.5.28 23:20 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120528/plc12052823240032-n2.htm

「言い訳ばかり…」 被災者は怒り心頭

 「言い訳ばかりしている」。東京電力福島第1原発事故による避難生活が続く福島市の仮設住宅では、菅直人前首相の証言に対し、改めて憤りの声が上がった。
 「菅さんは言い訳する暇があったら賠償とかを考えてもらいたい」。仮設住宅団地の集会所で知人と談笑していた福島県浪江町の浪江定美さん(80)はそう話した。
 同じ仮設住宅の団地に住む大浦嘉章さん(74)は自室で事故調の録画映像を視聴。「部下から情報がなかったとか責任逃れが多い」と憤った。
 菅前首相が言いよどむ場面に接すると、「本当は自分に責任があると感じているんじゃないか。人の批判ばかりで説明が長いのは自信がない証拠」。菅前首相は最後まで言い訳をしているようにしか見えなかった。

2012.5.28 21:51 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120528/plc12052821530026-n1.htm

「事実と違う」「なぜ嘘つく」 東電からも不満の声

 国会事故調の参考人として呼ばれた菅直人前首相は、自身の対応の問題点を指摘されると「東京電力や保安院からの情報がなかった…」と責任転嫁を繰り返した。だが、当時を知る関係者は「事実と違う」と証言。「しょせん、首相の器ではなかったということ」との声も漏れた。
 「なぜあんな嘘をつくのか。あの時は誰が見ても冷静さを欠いていた」。東電幹部が“あの時”と語るのは、昨年3月15日早朝。菅氏が東電本店に乗り込み、「撤退はあり得ない」と怒鳴り散らしたとされる日だ。国会事故調で菅氏はこのことを「命がけで頑張ってもらいたい気持ちで話した。叱責のつもりはまったくない」と弁明した。
 しかし、東電幹部によると、菅氏は血相を変えて本店2階の緊急時対策本部に現れると、周りにいた東電社員に対し「お前は技術屋か!」「説明するのはお前か!」と、手当たり次第に迫った。マイクを手にすると脅迫するように「撤退なんかあり得ない。撤退したら東電はつぶれる」と大声で叫んだといい、その声は部屋の外にまで響いた。
 緊急時対策本部は、福島第1原発ともテレビカメラでつながっていた。この幹部は「現場は命懸けで作業していた最中。菅さんの当時の発言はあまりに失礼なものだ」と憤った。
 菅氏に「情報がまったくあがってこなかった」と一刀両断された保安院の幹部も「われわれも情報を必死で集めていた。なのに、あの言い方はひどい」と悔しさをにじませた。(原子力取材班)

2012.5.28 21:58 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120528/plc12052821590028-n1.htm

 原子力発電所が事故を起こした場合、その事故の処理は首相を本部長とする事故対策本部が設置される。そしてその事故に関するすべての権限が本部長に帰属する事になっている。この本部の仕事などは、原子力関連の法律の中に明記されている。この法律に明記されている事に関して、「原子力事故にあたってどのような権限が首相、本部長としてあるのか、詳しい説明を聞いたことは覚えている限りない」(上記記事より)といっているのである。
 要するにそれまで国会議員という立法を行う代議員であり、なおかつ行政の長になったのにかかわらず、これら法律に関して「誰も説明してくれないからわからない」というのだ。これは「刑法を習った事ないから、人を殺しても無罪だ」といっているのに等しい。要するに、そもそも首相になりながら首相としての権限や首相としての責任、その職務に関して、まったく自分で知ると努力をしないばかりか、そのような事をっしらなかったという事を「教えてくれなかった」と他人に責任転嫁をして、事故の責任にはならないと考えているのである。
 この事故調査委員会はまさに一事が万事そのようなものである。
 この状態は、まさに、「無責任体質」の問題ではないのか。首相というのは、結果に対して責任を持つものである。その結果が現在の事故の問題でありなおかつ復興がまったくできていない被災地の現状である。その現状をどのように考えるのか。自分の責任は泣く、誰かに責任転嫁をすればよいと考えているのか。そのうち、「私を主張し任命した国民が悪い」などといい始めるのではないか。
 要するに、このような人物を首相にした民主党という政党そのものの大きな問題である。そしてそのような正当に政権を取らせた国民の選択の間違いである。しかし、その負託にこたえられない菅直人の無責任は、万死に値する。この事故調査委員会を見て、多くの人は何を考えたのであろうか。

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芸人の母の生活保護需給問題と夫婦別姓による家族解体政策

芸人の母の生活保護需給問題と夫婦別姓による家族解体政策

 お笑い芸人が年収5000万円もありながら、その母が生活保護を受給していた問題。先週の金曜日にその芸人の会見があった。
 この問題は、いくつかの課題が複合した問題ではないのか。その課題一つ一つに関して物事を考えて見なければならない。
 課題を整理したい。
 1 支給金額の課題
   年収400万円の支給、一方パートならば年収150万円程度。働くより得?
 2 支給基準の課題
   家族の扶養義務と生活保護支給の問題
 3 支給決定後の審査の課題
   個人情報保護法による審査の問題と民生委員の不足
 4 不正受給の罰則
   不正受給をした場合も罰則が甘い。詐欺罪の適用は?
 5 外国人の生活保護と日本での滞在
   日本に滞在し続けて生活保護を受けている外国人って?
 6 そもそも生活保護制度の意義は
   生活保護制度の問題点と、その必要性と意義

 ざって、思いつくところでこれくらいの問題点がある。
 これらの問題は、そのうち、ネタがないときに行うものとして、今日は、この問題に関する政府の問題とこの芸人をめぐる意識の問題に関して、個別の問題としてみてみよう。ちなみに、表題の問題に関する言及は、ブログ後半で言及する。まずは、その記事から。

甘い考えだった…次長課長・河本 おかん生活保護“返す”

 母親(65)の過去の生活保護受給が問題となっているお笑いコンビ「次長課長」の河本準一(37)が25日、東京都新宿区の吉本興業東京本部で釈明会見を行った
 。母親を扶養できる収入を得てからも受給が続いたことに「むちゃくちゃ甘い考えだった」と謝罪した。
 グレーのスーツで会見場に現れた河本は、母親の生活保護受給を認めた上で「お騒がせして申し訳ありませんでした」と約20秒間、深々と頭を下げ、「自分がテレビに出だして収入があるようになってからの分を返したい」と受給した5、6年分を返還する意向を示した。
 河本の説明によると、母親が病気で働くことができなくなり、自身も年収100万円以下だった14、15年前から生活保護を受けるようになった。その後、売れっ子となった5、6年前に福祉事務所から母親を援助できないか打診されて援助を開始。今年1月に援助額を増額したが、受給が不要になるほどではなく生活保護は今年4月まで続いたという。
 【経過】
 ▼4月2日 「女性セブン」が「超人気芸人 母に生活保護 仰天言い分」と匿名で報じる
 ▼5月2日 片山さつき参院議員がブログで「不正受給疑惑」について河本の名前を明かす
 ▼同10日 世耕弘成参院議員がツイッターで「次長課長の件で厚労省から事情聴取」とつぶやく
 ▼同16日 よしもとクリエイティブ・エージェンシーが見解を発表
 ▼同17日 「女性セブン」など週刊誌3誌が、河本の実名を報道
 ▼同18日 吉本興業の顧問弁護士が片山氏と世耕氏に事情説明
 ▼同25日 河本が会見

2012年5月26日(土)6時0分配信 スポニチ
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/sponichi-kfuln20120526006001/1.htm

<生活保護費>支給水準引き下げを検討 小宮山厚労相

 小宮山洋子厚生労働相は25日の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会で、生活保護費の支給水準引き下げを検討する考えを示した。また、生活保護受給者の親族らが受給者を扶養できる場合、親族らに保護費の返還を求める考えも示した。
 生活保護をめぐっては、人気お笑いコンビ、「次長課長」の河本準一さんが同日の記者会見で、自分の母親の受給について「適切でなかった」と謝罪した。生活保護受給者は209万人(今年2月時点)と過去最多を更新し続けているが、親族の扶養義務が徹底されていない点も一因とされており、永岡桂子氏(自民)が小宮山氏の見解をただした。
 厚労相の諮問機関、社会保障審議会は現在、生活保護費の支給水準を検証中。都市部では保護費の方が基礎年金より高く、自民党は「生活保護の給付水準の10%引き下げ」を掲げている。保護費カットへの対応について小宮山氏は「御党の提案も参考にしながら検討したい」と述べた。
 また、受給者の親族に一定の所得などがある場合について「一般的には、高額収入があり十分扶養できるのに仕送りしないケースは制度の信頼を失う」と批判し、「明らかに扶養可能と思われる場合は家庭裁判所への調停手続きを積極活用する」と語った。【坂口裕彦】

毎日新聞 5月25日(金)21時17分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120525-00000108-mai-pol

 この河本という芸人に関しては、謝罪会見をして当然である。ハッキリいって、広く大衆から入場料などを得ている芸人や芸能人が、それ以上に税金を使った生活保護を受けているというのはいかがなものであろうか。特に、売れていないときで、本当に生活ができないならばとにかく、実際に年収もある人が自らの扶養義務を棚に上げているなどというのはどうかしている。
 以前、一度この調査をしたことがある。東京の上野に住んでいる老人に「生活保護を受けないのですか」と聞いたところ、「お国に申し訳ない。日本国民は最後までお役に立たなければならない。身体が動くうちに保護をもらうなんてできない」ということをいっていた人がいた。この老人は、実際に一日一食食べるのも不自由な収入しかない状態であったし、病気がちであったにもかかわらず、このような回答をした。賛否両論あるかもしれないが、本人の意思において「日本国」というものが存在しすることの表れではないのか。
 残念ながら、河本という芸人とその母は、「お国に申し訳ない」という気持ちは完全にかけているのであろう。多くの人に、そして自分たち以上に困っている人に少しでも役に立ちたいという感覚はまったく持ち合わせていないようだ。毎年夏に行う24時間テレビなどのチャリティ番組においてこの芸人が寄付していたが、その精神性の白々しさを感じるのは私だけであろうか。
 さて、このような人は少なくないのではないか。昨年、生活保護をもらいながら、働きもしないで震災ボランティアなどといっていっている人は少なくなかったのではないか。それは何を意味しているのか。
 そのようなところをまったく調査もせずに、「10%引き下げ」ということを表明する野田政権の小宮山厚生労働大臣のあまりにも短絡的過ぎる政治はいったい何なのか。上記のような問題点の抽出も、この問題点の大きなひとつだ。
 では、なぜこのような問題が小宮山大臣にわからないのか。単純にいえば、「夫婦別姓という家族解体法案推進者」に「家族間における扶養義務を重視する」政策がまったく判っていないということが言えるのではないか。夫婦別姓は、まさに家族を解体する法律である。福島瑞穂社民党党首などは「家族解散式」などということを提唱している。このように家族を解散した人々において、家族における扶養義務などという「義務」は存在しない。何しろ解散しているのであるから、家族とは認識されないのである。まさに子供手当てにおける「子供は社会が育てる」というのと同じで、完全に社会というものに依存し、家族などによる相互扶助という考え方がまったくできない状態にしてしまっている。この内容はまさに個人の情報の問題になっているのではないか。まさに、この芸人に関しても社会に対するチャリティは行いながらも、自分の母親に対する扶養義務は果たさないという、まさに中国共産党のような悪しき個人主義が根付いているのではないかと考えられる。
 この問題は、芸人一人の問題に矮小化されてしまいがちである。しかし、芸能人という立場から、その行動などは明らかになる部分が少なくない。一般の人よりも当然にプライバシーが制限される。そのために、そこから現在の民主党政権の政策の異常性や問題点が明らかになるのではないか。特に、その政策から来る精神性や日本という国に存在していた「恥じの文化」「助け合いの文化」が、徐々になくなっている状態を憂うことが少なくないのである。背印実の北九州の瓦礫受け入れに関する反対者の内容にも挙げられるが、実際に「自分さえよければよい」「多くの人が苦労しても、そのことは関係ない」という自己中心的な権利主張だけの話をする風潮は何とかならないのか。事件や天変地異のときだけの偽善の言葉で彩られた無責任性は、まさにマスコミの格好の餌になっているような気がする。
 「一旦緩急の事あれば義勇公に奉じ」は教育勅語の言葉である。この言葉を失った日本の、道徳観念の崩壊、そしてそれを助長し日本を精神性から壊してゆく民主党政権の日本破壊法案。これらに関して、この芸人の母の生活保護需給問題で違和感を感じた人は、まだその精神が残っている人なのではないか。そして、これが亡くなってしまった人は、非常に残念な存在であると考える。

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マスコミ批判に関する一考(96) 視聴者が求める番組を提供できないテレビ局

マスコミ批判に関する一考(96) 視聴者が求める番組を提供できないテレビ局

 先日、NHK大河ドラマの「平清盛」の視聴率が低いということがニュースになった。実際に、平安時代の源平動乱、それも清盛は、それ以前に病死しているのであるから、歴史を知っている人にとっては後白河法皇との政治的な駆け引きという部分しかないのもなんとなくわかるのではないか。大きな戦いは保元・平治の乱というところであり、その処理で頼朝や義経、範頼などを残してしまったことで、平家滅亡の元を作ってしまった。徳に平清盛そのものにはドラマ性が存在しない。もちろん、ドラマというのも非常にわがままなもので、判官びいきのような庶民の英雄とその敵役でかなり違うものである。数年前に源平を扱った大河ドラマで「義経」というものがあった。アイドルばかりを起用して面白くないという話があった。しかし、「平清盛」に関していえば、そのような話ではなく、そもそも番組のコンセプトがあっていないのではないか。
 NHKの大河ドラマだけではない。実際には、さまざまなドラマなどが「打ち切り」という対応になっている。視聴率ばかりではないのはわかる。もちろん、視聴率など関係なくても歴史を忠実に再現したドラマなどに関しては、非常に価値がある。何も面白いとかかっこいいというばかりではなく、価値があるか、あるいはしっかりとしたメッセージのような目的があればよい。しかし、そのようなものが何もないドラマなどを作ってしまう。そのようになってしまうから、結局のところ、途中で打ち切ったり、あるいは視聴率の低迷が話題になってしまうのである。たとえば価値があるが視聴率は低いなどということをはじめから宣言していればよい。または、何の意味もないが視聴率だけを狙ったということもわかればよい。しかし、たとえば皇室を「王家」と表記するなど、歴史的にも何の意味もない大河ドラマを作ったところで、出演する役者には悪いが、視聴率などは下がって当然なのではないか。
 民法のドラマなどは、よりいっそうその傾向が強くなる。そのためにその場限りのバラエティやお笑い番組が増えてしまう。もちろんドラマもバラエティも「面白い」という発想があればよい。しかし、「害がある」では話にならないのではないか。ベルクソンという哲学者が「笑い」という本を書いているが、その笑いをしっかりと科学し、哲学的に考えた上で、笑いを追及してくれればよい。しかし、残念ながらそのようなものではない。別に見る側にすべて哲学的に考えろというのでhな愛、しかし、何十万人という人が見る番組である。その社会的影響を考えてテレビ番組は作っても裸体者である。
 そのような中、テレビ番組に関してなかなか興味深い記事があった。

米国人も魅了する「料理の鉄人」

【日本人が知らない日本】
 「アイアン・シェフ(料理の鉄人)が大好きなんだよ。見たことある?」
 米国人の取材相手と食事を共にすると、かなり頻繁に話題となるのがテレビ番組「アイアン・シェフ・アメリカ」。かつて日本で人気番組となった「料理の鉄人」のことだ。米国でも人気だと聞いていたが、「まさかここまで」というのが率直な感想だ。
 米国版を放送するのは、食べ物に関する番組に特化したテレビ局「フード・ネットワーク」。米国では当初、日本版「料理の鉄人」が字幕や吹き替えで放映されていたが、その人気ぶりを目の当たりにした同局が番組構成などのフォーマット権をフジテレビから購入し、2004年に本格的な米国版を電波に乗せたという。
 スポーツ中継のように料理人の動きをカメラが追いかけ回し、普段は厨房(ちゅうぼう)の奥に隠された技巧を白日の下にさらす。好奇心と胃袋を同時に刺激する斬新な手法は、米国人の心も存分に揺さぶる。
 米国の取材相手も「意外性やスピード感、そして何よりおいしそうな料理の映像に興奮させられる」と番組の魅了を熱心に説く。
 日本版で俳優の鹿賀丈史氏が演じた架空団体「美食アカデミー」のコミカルで風変わりな主宰者役には、ギリシャやフィリピン、日本などの血が流れるエキゾチックな顔立ちが印象的な俳優、マーク・ダカスコス氏(48)が務めている。
 おもしろいのは、番組の演出で、ダカスコス氏に鹿賀氏の「おい」の立場を与えられていること。何かにつけて「僕の叔父も言っていたけれど」と本家本元を意識した発言を連発し、調理スタートを告げる台詞も鹿賀氏が用いた「アレ・キュイジーヌ」をそのまま継承した。
 実際のダカスコス氏は大会での優勝歴もある空手やカンフーの達人という。番組内では視線を動かしたり、細かい動作を繰り返すたびに機敏さを表すのであろう「シャキーン」「シュッ、シュッ」と奇妙な効果音が付随して笑いを誘う。
 番組ホームページなどによると、米国版には米料理やイタリアン、ギリシャ・地中海料理など7人の「鉄人」がいる。このうち「日本料理の鉄人」は、日本版でも3代目「和の鉄人」を務めた森本正治氏だ。
 番組は高まる人気を追い風に10年1月、オバマ政権の協力を得てホワイトハウスにも進出。鉄人の一人、ボビー・フレイ氏がホワイトハウスの料理長とタッグを組み、別の鉄人ペアと勝負する企画を放送した。
 ホワイトハウスで実施された部分収録には、子供の肥満問題に取り組むミシェル・オバマ大統領夫人が登場し、鉄人たちと歓談しながら、食育の重要性を訴えた。
 フレイ氏は09年6月にもホワイトハウスを訪れ、エプロン姿のオバマ大統領にバーベキューコンロでの肉やトウモロコシの焼き方を教えるなど、いまや押しも押されもせぬ「セレブリティー・シェフ」の一人だ。
 折からの日本食ブームに「料理の鉄人」が相乗効果を生み、日本独特の食材が米国の一般社会に深く浸透していったことも見過ごせない。
 いまや他の料理番組でもダシ(出汁)やパンコ(パン粉)、ワサビなどは説明不要の食材として頻繁に登場する。米国人の料理人がウニや八丁味噌、小豆など、米国ではあまり見かけない食材を巧みに使って料理を仕上げることも珍しくない。刺身や寿司など生ものへの抵抗感を少なくした影響も少なくない。
 米国版「料理の鉄人」のヒットは「コピーは上手でも、創造は苦手な日本人」と揶揄される日本人像を返上する好機ともなりそう。
 なお、日本の一部ケーブルテレビ局なども番組を“逆輸入”しており、視聴が可能という。(ワシントン 犬塚陽介)

2012年05月26日12時07分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/6597191/

 「料理の鉄人」という番組は、今から10年くらい前であったか、料理人が食材を決めてその料理の腕を競うという番組であった。実際にいつからいつまで番組をしていたのかは覚えていない。困ったときのウィキペディアでは「『料理の鉄人』(りょうりのてつじん)は、1993年10月10日から1999年9月24日までフジテレビで放送されていた料理をテーマとしたバラエティ番組である。」と記載がある。
 この番組で料理人が非常に有名になり、フレンチの鉄人坂井宏行、和の鉄人道場六三郎、中華の鉄人陳健一は、その期間が長かったことから非常に有名になった。いまだに「鉄人来店」などといって、彼らの写真が飾られたレストランなどを見るとなんとなく懐かしくなる。
 基本的にまず食材の説明。鹿賀丈史氏の「私の記憶が確かならば・・・」という内容は、もち音その内容の生後ではなく非常に印象的であった。そして、料理人が挑戦者と争って三人の審査員が勝敗を決める。もちろん、その勝敗に関しても当然に三人の主観である。しかし、料理人がその料理を制限時間内に作る。その手際のよさや技、そして画面から伝わる食材に対する気持ちのようなものというなんとなく感じるものは、なかなか楽しく見る番組であった。それまでの料理番組のように「誰にでも作れる」というものではなく「プロがプロの技を披露し、そして競う」というのは、競うことによってよりおいしい料理ができるという意味で、番組終了後もどんどんと競ってもらいたいものである。
 さて、この番組がアメリカに変われて現在に人気を博しているという。
 『Iron Chef America』が始まったのは2005年1月。2006年から日本のBS放送でも視聴することが可能らしい。「らしい」というのは、まだ見たことがないからだ。
 新聞記事があるように、今まで日本はまねや発展は得意だが、その想像性には問題があるとされた。しかし、アニメーションや文化などに関しては、日本発のものが非常に多い。この番組に関しても同じである。そしてそのコンテンツは、非常に高く評価され香港やフランスでも人気を博したことがある。アメリカではすでに長寿番組である。なぜ日本でこのような番組が長続きしないのか。単純にマンネリ化に対抗するコンテンツの発展系が存在品海良に他ならない。そして、安易な話に流れてしまうということが、もっとも大きな問題ではないのか。ドラマの低迷と、バラエティの子供や教育への悪影響を考えれば、このような世界でも評価の高い番組をしっかりと続けることが非常に重要なのかもしれない。テレビ局のバラエティなどには甘い知り合いがいないので、なんともいえないが、「面白くて、ためになる」というコンセプト、それも、しっかりとした内容のもの、世界で評価されるものを作ってもらいたい。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(57) 私の中国における訴訟実績(1)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(57)
私の中国における訴訟実績(1)

 先週までは訴訟の勝ち方として一般論を書いてきた。今週からは、先週の最後に書いた「マイカルは目立つからこれからも狙われると思います。がんばってください」という言葉の通り集中した訴訟の実績をここに書きたい。今までの一般論のところにも、書いてきた部分があるので、重なるところもあるがその辺は御了解願いたい。ここからは具体的な訴訟に関する各々の論点やその準備の内容について書いて行きたい。
 一つ目の訴訟は、マイカルのビルの7階にあるイタリアのブランドショップで買った商品が、偽物であるという訴訟を、マイカルにしてきたのである。先に記載したが、マイカルは、地下一階から6階までの経営と建物の所有であり、ブランドショップは同じマイカルの系列ではあっても、別法人の経営になっていた。しかし、消費者はそのことが分からずにマイカルの本体の方に訴訟をしてきたという形だ。
 この訴状は、すぐに日本に送付され、訴訟そのものに関して日本で検討した。日本での検討は、・・・・・。

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アンドロイドが落語の高座に!? 文化と科学の融合か!!

アンドロイドが落語の高座に!? 文化と科学の融合か!!

 先週・今週はなんとなく中国の薄氏に関することであわただしい二週間であった。そのために、なんとなくあわただしくて、方々に御迷惑をおかけしている。
 このようなときこそ、心に余裕を持たなければならないのであるが、やはり様々な部分で忙殺されてしまう部分が少なくない。このために、なんとなく行き違いなどもあり、なかなか大変な部分が存在するのである。実際に、このブログでも報告したように、私に直接インタビューもしないで勝手な推測や妄想を書く人が少なくないのも事実。嘘だとかねつ造だとか言っていただいてありがたいことであるが、実際に「根拠がないから嘘」と言うその言葉にそもそも「根拠がない」のであるから、いったい何の基準なのかとも思う。
 単純に考えて、彼らの頭の中の妄想の範囲を超えた場合は、すべてがウソになってしまう。しかし、日本のことわざには「事実は小説より奇なり」という言葉があるように、実社会においてはわれわれの想像をはるかに上回る、妄想の世界をはるかに超えた「想定外」が少なくない。もちろん犯罪や危機管理など政治に関しては「想定外」はその存在自体が「不作為の作為」として非難されるが、実社会における「妄想を超える想定外」は、実は日常の中にたくさん潜んでいるのではないか。とくに「うれしい誤算」と言うのは、非難されることもなく、日常にいつでも存在するものである。
 私にとって「妄想を超えた想定外」のニュースが飛び込んできた。もちろん「想定外」が許されるうれしいニュースである。意外と私について知らない人が多いので、予めここで断わっておくと、私はそれほど重度ではないが「落語好き」であり、特に人間国宝の「桂米朝師匠」の大ファンである。もちろん大ファンであるといっても、実際に会ってお話ししたことやインタビューなどをしたことはない。しかし、マイカル時代は関西に住んでいたので、毎年サンケイホールで正月に行われた「桂米朝一門会」などは欠かさず足を運んだ。最近ではなくなったカセットテープの桂米朝落語全集は、擦り切れるまで聞いたほどである。
 東京生まれの東京育ちの私にとって、マイカル(当時はニチイ)に就職し、関西の本社に転勤になった時、この桂米朝師匠の優雅で高貴な関西弁がどれほど私のことを支えてくれたのかわからない。しかし、この米朝師匠の噺(落語の場合は口に新しいと書く「はなし」)を、東京でも気軽に聞くことができないか、何か悩んだときや困った時に米朝師匠の落語を聞きながら、いつも思うことであった。
 その夢が「アンドロイド」でかなうという。とりあえず、少々興奮気味であるが、その産経新聞の記事を見てもらいたい。

米朝さんそっくりのロボットが高座再現も 米寿記念の行事発表

 今年11月、87歳を迎える落語家で人間国宝、桂米朝さんの数え年での米寿を祝う行事「米朝一門夏祭り」と「桂米朝展」の概要が21日、発表された。米朝さんそっくりの精巧なロボットが米朝さんの高座を再現するユニークな試みも予定されている。
 会場は大阪市北区のサンケイホールブリーゼで、夏祭りは8月1~3日と9日の4公演。米朝展は1~9日。夏祭り初日は「淀の鯉」「一文笛」など米朝作品、2日目は米朝十八番「地獄八景亡者戯(もうじゃのたわむれ)」のリレー落語。3日目は枝雀さんら一門の故人の高座を映像で再現、最終日は永六輔さんや小沢昭一さんらがトーク企画に駆けつける。
 劇作家、平田オリザさんと共同でロボットと人との演劇公演を行うなど世界的なロボット研究の権威、大阪大学の石黒浩教授の協力で、現在、米朝さんそっくりのロボットを制作中。米朝展で展示される。チケット発売は26日から。問い合わせはブリーゼチケットセンター((電)06・6341・8888)へ。

2012.5.21 22:30  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120521/ent12052122310014-n1.htm

 ふだん伝統文化と言うと皇室や貴族、華族のことばかりを言っている。今日は、土曜日で軽い話題の日なので、その辺の難しい話は少し失礼させていただいて、落語について語ってみたい。
 落語なども重要な日本の文化だ。とくに米朝師匠の「地獄八景亡者戯(もうじゃのたわむれ)」は、絶品。実際に学生時代に聞いたことがある。何しろ1時間にわたる長丁場の落語。お囃子なども様々取り入れられた実にすばらしい。「落語」という「大衆文化」ではなく、これは一種の芸術品に近いものではないか。いや、大衆文化がある意味で芸術に変化する瞬間がこの落語の中に隠されているような気がする。もちろん、異論はある。そんなことはファンにとってはどうでもよいことだ。最近では長く高座であまりやられなくなったこの題目を、一度見てみればだれでもわかる話であると思う。
 落語は、儀式ではない。逆に、大衆文化出るからそれだけ良いことがある。時流を取り入れ、またその時に流行した内容をいくらでも出すことが可能だ。大衆と言うものはそのようなものだ。基本的な流れの中に、風刺や流行を取り入れて、その時その時に形を変えてゆく。しかし、基本的な形は変えない。それが落語の「オチ」の部分だ。決めどころは変えず、笑いを執りながら興味を引き付けてゆく。まさにこの技法こそ、今の政治にも経済にもすべてに必要なものではないのか。今の政治やマスコミは、この「基本の部分」までぐらついてしまうか、あるいは全てを基本通りにまじめに再現してしまって、風刺や流行からかけ離れてしまう。そのために両極端に進んでしまい、どうしてもその双方の良さを両立することができない部分が少なくない。桂米朝師匠のこの落語は、まさに、その良さをしっかりと体現する内容になっているのではないか。
 私にとっては、その米朝師匠の落語がアンドロイドであっても再現できるという。なんと素晴らしいことであろう。私の頭の中では妄想だにしていなかった「うれしい想定外」である。もちろん「想定外」であっても批判する対象ではない。逆に大歓迎である。これこそ科学が日本の伝統や文化を守るという話なのではないか。
 ふだん、どうしても政治や文化や伝統と言うと難しく考えてしまう。しかし、少しブレイクして笑いと政治、そしてその中から我々が何を学ぶことができるのか。そのような話をしっかりと考えてみるのも良いのではないか。
 なんとか、チケットを手に入れて「地獄八景亡者戯(もうじゃのたわむれ)」を見たいと、予定の調整などを考えているところである。

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都合の良いタイミングでの「国債格下げ」報道における財務省の国民騙し

都合の良いタイミングでの「国債格下げ」報道における財務省の国民騙し

 今日もセンセーショナルなタイトルにした。敢えてこのようなタイトルにするのは、単純に言って皆さんに考えてもらいたいことがあるからだ。今日考えてもらいたいことは何か。それは「格付け会社の格付けのための資料はどこから入手するのか」である。
 イギリスのフィッチ・レーティングスが日本の国債を格下げした、その格下げした根拠が財政再建の先行きの不透明感にあるという。まさに「イギリスが外圧で日本の財政再建を迫った」という形になっているはずだ。しかし、よく考えてみよう。イギリスのフィッチは、どのようにしてこの資料を手に入れることができたのか。そしてなぜフィッチだけが格下げを行ったのか。
 日本の財政情報は、財務省のホームページなどででてきているはずだ。それならば、そもそも財政面の問題、もっと言えば消費税増税の問題ではなく、赤字国債を発行しなければ、国債ががデフォルトするくらいの財政である。しかし、そのことが問題ならば、現在このタイミングではなく、3月末の予算国会通過時点もしくは、その国債法案が政府から提出されないという時点で、「格下げ」されてしかるべきだ。とくに、国債依存率が49%という驚異的に財政を悪化させる予算を組んでおきながら、その国債発行の法案を出さない時点で格下げをするならばすべき。
 このように考えると、「なぜ今さら、格付けが下がったのか」と言うことが最も疑問になる。もうひとつは、「なぜムーディーズやS&Pなどではなくフィッチだけなのか。他の格付けは連動しないのか」と言うことも非常に疑問になってくるはずである。
 その内容は、今回の内容をロイターと言う外国の視点と、一方で時事通信と言う国内通信社の視点の二つから見てみよう。

日本をA+に格下げ、見通しはネガティブ=フィッチ

[22日] フィッチ・レーティングスは、日本の長期外貨および自国通貨建て発行体デフォルト格付け(IDR)を、それぞれAAおよびAAマイナスからAプラスに引き下げた。見通しはネガティブ。
日本の上限をAAAからAAプラスに引き下げた。短期外貨建てIDRはF1プラスを確認した。
 フィッチのアジアソブリン部門代表は、格下げとネガティブアウトルックは、高水準で上昇している公的債務比率の結果、日本のソブリン信用度のリスク拡大を反映したものと指摘。「日本の財政健全化計画は、他の財政面の課題を抱える高所得諸国と比べても悠長なようで、その実行は政治的リスクにさらされている」と述べた。
 日本の財政戦略では国内総生産(GDP)に対する政府債務比率を2021年度から引き下げると見通しであり、日本の債務水準からみてこのペースは遅いとみなしている。消費税引き上げ案は、政治的に議論を呼んでいる。
 しかしながら日本ソブリンは、異例の財政柔軟性を維持しており、低金利での調達か可能で、これは格付けの支援要因と判断している。資金調達の強みは、日本の民間セクターの貯蓄が高いことや、それを国内に投資する傾向が強いことに基づいている。日本円は世界的な準備通貨であり、安全への逃避先の特徴を有している。
 しかしフィッチは、民間セクターの投資傾向は、日本に根付いているデフレ均衡に寄与している可能性があるとも指摘。
 高い民間貯蓄は日本の経常黒字にも寄与している。しかしソブリン資金調達への圧力が高まった場合、日本の貯蓄と投資態度が変化し、外貨建て信用力に影響する可能性を考慮すると、外貨建てと自国通貨建て格付けを同等にすることが適切と考える。
 日本のソブリン格付けは、世界的な高所得経済と強い公的機関という基本的な構造的強さに支援されている。しかし人口構成は構造的な弱さにつながっている。
 *以上はフィッチのリリースです。

ロイター 5月22日(火)18時39分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120522-00000108-reut-bus_all

日本国債を格下げ=債務増大で9年半ぶり―フィッチ

 大手格付け会社のフィッチ・レーティングス(本社ロンドン)は22日、日本国債の格付けを「AAマイナス」から1段階低い「Aプラス」に引き下げたと発表した。Aプラスは最上位から5番目に当たる。見通しはネガティブ(弱含み)とした。日本の財政再建への取り組みが遅れているため。同社の日本国債格下げは2002年11月以来9年半ぶり。
 フィッチは声明で「日本の公的債務残高が12年末までに国内総生産(GDP)の239%に達すると予想され、突出して高い水準」と指摘。その上で、「財政健全化に向けた取り組みが切迫感に欠けると思われることに加え、その実行は政治リスクが伴う」と憂慮。消費増税についても「激しい政治的論争が続いている」と懸念を示した。

時事通信 5月22日(火)18時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120522-00000114-jij-int

 要するに、「消費税増税が遅れているから財政再建の歩みが遅いと判断した」ということである。しかし、上記のように消費税増税法案があっても、その法案によれば、消費税増税が行われるのは2014年以降、税収効果は翌年からだ。逆に言えば、今の法案をそのままにするならば2014年までに増税が成し遂げられれば、格付けを下げる必要はないということになる。一方、時事通信などは顕著であるが、私は上記で指摘した特例公債発行法案に関しては一切触れていない。要するに、今年度の国債のデフォルトに関することを度外視してフィッチと言う格付け会社は格付けをしたかのような報道になっている。
 さて、ここで問題は、格付け会社がどのようにして格付けを行っているかである。私はマイカルの時代に格付け会社との話を行ったことがあるが、実際はマイカルの株式や社債の場合、マイカルが地震で財政の健全性を示す書類や資料を出し、また、そのネガティブ情報も自分で出させることにしている。要するに、今回のフィッチの格付けに関しても、その一次情報は日本の財務省による「自己申告」と言うことになる。
 フィッチは財務省による自己申告と、それを裏付ける様々な発表資料、そして、国会の議事録、マスコミの報道などを総合的に判断するのである。当然に、口がうまい財務省の説明が最も重要視される一次資料となりうる。それは、フィッチが他の情報ソースをあまり信じずに財務省の、そして政府の情報をうのみにしたということに他ならない。
 要するに、フィッチの判断は、具体的な言及は避けるが、財務省の資料によって左右されているということになるのではないか。同時に、財務省がそのことを了承すれば、どのような格付けを行っても日本政府からクレームがつくことはない。要するにノーリスクで財務省と結託して格下げを行うことができるのである。
 本来ならば、そのようなことをすれば、財務省は国益に反することをしたということになる。しかし、国債のほとんどが内国債であるという現状に照らしてみれば、格付けが下がったところで、日本の金融機関や日本銀行が自己資本比率を見直せばよく、結局のところ、円安に誘導されることになる。別にそのことは日本銀行など日本の機関投資家にとってそれほどの大きなものではない。そのことよりも、政府によって消費税増税が成立し、その消費税増税によって政治が安定した方が企業にとっても金融機関にとっても楽になる。
 このことで最も損をするのは、国債を買った日本人と言うことになる。資産が格下げによって目減りするからだ。しかし、そのことに気づく日本人などはいない。財務省も野田政権も、はなから日本国民は「バカ」だと思っているのだから、どうしようもない。最後はマスコミに圧力をかければよいということになるのだ。
 一方、他の格付け機関は、上記のように消費税増税が直接的、そして短期的(今期決算と言う意味で)に財政再建にかかわりがあるということにならない。もしも格付けを下げるのであれば、それは「特例公債法案よりも消費税増税を優先している政府の態度に対して、国債保有者(債権者)の地位の保全ができない」という理由になる。要するに、財務省は、他の格付け機関と結託もしくは騙すことができなかったということを意味する。通常、国家の国債の格付けが下がる場合はいくつかの格付け機関が連動して落ちるものであるが、今回フィッチだけであるというのはその辺の事情ではないかと強く推察される。
 以上の考察から、そしてマイカル時代の経験から、今回のフィッチの格下げには大きな疑問を呈さざるを得ない。これらは、上記のように消費税増税に関することが短期的な財政にどのように影響があるのか、また、特性公債法案が通らないことよりも財政再建の取り組みを優先事項として理由に挙げたのはなぜかなど、その辺を詳しくフィッチが説明しなければ、納得ゆくものではないのではないか。または、財務省がその辺を理由に抗議を公開して行わない限りは、これらの結託した疑惑は消えないのである。そして財務省と野田政権が国民をだまして、海外の格付け機関に国民が知らない情報を出しながら、消費税増税に関して外圧を加えたという疑いにつながるのである。

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「絆」という美しい日本語はどこへ?、北九州の人たちは日本人として恥ずかしい

「絆」という美しい日本語はどこへ?、北九州の人たちは日本人として恥ずかしい

 普段このブログは、政府や外国に対すること、要するに政府批判や政党批判などを行っている。しかし、そのように書いていても「民主主義」という中においては、回りまわって国民のところに、その批判は戻ってくるのだ。民主党政権を批判したとしても、その民主党政権を選んだのは、日本国民である。外国人参政権もない原状の法体系の中においては、帰化した人を含め日本人以外には参政権がないのである。よって、どんなに批判してもその批判されるような政権を選んだのは日本人であるという。
 もちろんその民主主義においてマスコミのミスリードがあったとか、国民そのものが不勉強であるとか、あるいは民主党の示したマニフェストがうそばかりであったなどの話は存在する。しかし、それらもひとつひつと検証すればよい話であって、検証もせずにその場のムードで大騒ぎをし、政権交代を実現しすでに3年もの間政治を停滞させたのは野党でもなんでもない、民主党政権であり、それを選んだ日本国民である。
 さて、今日はそのような話ではなく、その国民そのものに対して矛先を向けたい。といっても日本国民全体を批判するというのではない。
 5月22日北九州市において、昨年3月11日の震災被害の瓦礫の償却を実験償却するためにおいて、瓦礫が運び込まれた。しかし、その瓦礫の搬入を阻止しようと40名の人(北九州市民とは限らないところが報道のアヤである)が座り込みなどを行うという。これは日本全国のテレビでも放映され、また多くの新聞でも報道されたのである。
 皆さんは、これを見てどう思ったのであろうか。まず何よりも簡単に私の感想を言わせていただければ、「不快」でしかない。

震災がれきトラック、反対派が阻止…押し問答

 東日本大震災で発生したがれきの受け入れ問題で、北九州市は22日午前、試験焼却する宮城県石巻市のがれき約80トンを北九州市小倉北区の市の倉庫に搬入しようとした。
 しかし、反対派の人々がトラックの前に立ちはだかり、搬入を阻止する状況が続いている。
 午前9時頃、トラック6台が到着したが、反対派約30人が取り囲み、市の担当者と押し問答になった。その後、倉庫の門前に立ち、進入を阻んでいる。
 福岡県警は現場に警察官約40人を配置。反対派の行為が道交法違反(危険行為)に当たるとして、何度も警告を繰り返した。
 同日はトラック28台が到着し、倉庫にがれきの搬入を予定。市は23~25日に2か所の焼却施設で試験焼却を実施し、焼却灰の放射線濃度や専門家による検討会の結果を踏まえ、北橋健治市長が6月に受け入れの可否を判断する。 最終更新:5月22日(火)13時25分

読売新聞 5月22日(火)11時25分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120522-00000460-yom-soci

震災がれき搬入を妨害、男2人逮捕…北九州

 東日本大震災で発生したがれきの試験焼却に向け、宮城県石巻市のがれき約80トンを積んだトラック28台が22日、北九州市に到着し、27台分が同市小倉北区の保管倉庫へ搬入された。
 反対派の妨害活動により、搬入は予定より8時間半以上遅れた。試験焼却は23日以降、実施される見通し。
 トラックのうち6台が午前9時頃、倉庫の門の前に到着。しかし、「原発はいらない」などの横断幕を掲げた反対派約30人が取り囲み、座り込むなどした。
 県警は道路交通法違反に当たるとして、立ち退くよう何度も警告。しかし反対派は応じず、午後4時頃、警察官約40人が強制的に立ち退かせようとしてもみ合いになった。県警は、警官に暴行を加えたなどとして、自称、熊本県荒尾市の飲食店従業員ら男2人を公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕した。 最終更新:5月22日(火)22時6分

読売新聞 5月22日(火)21時29分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120522-00001136-yom-soci

 3月11日東日本大震災が発生し、衝撃の津波の映像が流された。その映像はさすがに衝撃的であり、記憶に焼き付けられた人は少なくないのではないか。私は特に東北出身でもなんでもないが、縁があって岩手県の大槌町や釜石市には過去に何度も訪れたときがある。都会と違って、時間の進み方の少ない地方都市においては、あまり待ちの形が変わっていない。もちろん多少は店の看板なども変わっていたが、町並みは基本的には大きく変わらないのである。その知った町並みが、すべて黒い波に押し流されつぶされてゆくさまは非常に心が痛んだ。私の場合、帰宅中で途中の目白の電気店のテレビで見たのが最初だ(歩いて帰ったのであるが)。その映像は、ちょうど釜石の堤防を波が越える映像であった。過去にとおったことのある道を波が、そして波に乗った船が堤防を乗り越える映像は、さすがに息を呑むものであった。
 その後、日本は政治家も何も「絆」「助け合い」を合言葉に多くの義捐金が日本赤十字に集められ、そして、復興への道を進むことになる。菅内閣の復興が遅ければ、国民からは遅すぎる復興と、悲惨な被災地の人を思う声とが大きくなり、結局菅内閣を倒閣に追い込んだのである。
 私は、日本人は「助け合う」という美学があると信じている。その助け合うのは、「自分だけ安全」なのではなく、「苦しみを分かち合う」という発想もあったのではないか。よく結婚式に使われるスピーチで「喜びは二倍に、苦しみは半分に」という言葉があるが、まさにこれが日本のひとつの考え方ではなかったのか。その考え方は世界から賞賛され、日本人のすばらしさは日本政府のだらしなさと対比されて広く世界に宣伝されたのである。
 しかし、今回のこれは何だ。
 震災瓦礫を受けない理由は簡単に「放射能が怖いから」。しかし、そもそも放射能が含まれているのかどうかすらもわからない、検査をしても信用しないでは話にならない。要するにただなんでもいいから反対している。私のブログの中に民に出てくる「反対という仕事をしている人々」がまさにこれだ。そして、この人々の「人権」という義務感と責任感のないわがままな権利意識が、どれくらい日本の国益を損なってきたのか。政策に関してならばまだしも、実際に東北では現在も復興できずに苦しんでいる人が少なくない。それなのに、この人たちは、何を言っているのか。
 こういう人たちが義捐金とか助け合いとか絆などという言葉を使っていると、怒りを通り越して悲しくなってくる。自己満足、自分の内容しか考えない人々は、そのようなことしか考えられないのであろう。そして、このように無責任で権利意識しかない人が「民主党政権」を作り出し、無責任に自分で選んだ政権を批判しているのである。まさに無責任日本人の代表格がここにある。
 この人たちが日本を悪くした。そのように思うと、非常に不快である。そして、このような人々の行動にまた無責任に引きずられる多くの大衆は、その行動の意味を、しっかりと国益やしっかりとした被災地の人々のことを考えているのか、それが本当に日本のための行動なのか、それを考えて、一時のムードに流されずに、しっかりと物事を考える必要があるのではないか。

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「恫喝文」なのか「抗議文の書き方も知らない」のか、中国の失礼な文書

「恫喝文」なのか「抗議文の書き方も知らない」のか、中国の失礼な文書

 私が中国のことを書くと、どうも色々と言われるようである。すでにこのブログで出させていただいているように、日本のマスコミなどは、私が東京にいるにもかかわらず私にまったく取材もアクセスもすることなく、記事を作ってしまうのである。過去にもそのようなことは何度かあったが、まあ、「妄想の世界」の記事は、読者がそのようなことを読みたいだろう、という内容を書くのだから受けは良い。しかし、一方でその内容に関しては真実でない部分が含まれる、もっと言えば真実はほとんど入っていない状態であって、そのような色眼鏡で見られてしまうので、あまり面白いものではないのだ。以前、夕刊フジで、ある参議院候補の選挙本部の幹事長を辞任した時は、私の名前の漢字も間違えているほどであるから、その記事の信憑性とはいかがなものかと思うが、まあ、そのようなことをこまごま言っても仕方がない。日本の、いや世界のマスコミとはそのようなものである。
 さて、残念ながら、私は中国通ではない。先日報道され話題になった薄熙来前重慶共産党書記に関しても、私からすれば15年来の友人に会いに行っただけであり、特に取材とかインタビューと言うものではない。政治情勢も何も全く関係がないから、逆にあっても何の関係も考えなかったということになる。
 逆にこれが日本のことと言うことになれば話は別だ。日本が関連することで大きな問題は、しっかりと対処しなければならない。個人的に友人であるということと、国家間の問題とは別である。私は韓国にも中国にも友人は少なくないのであるが、彼らと尖閣や竹島に関して議論することも十分にある。もちろん喧嘩になるようなことはない。お互いにお互いの立場をわかって話をしている以上、冷静でかつ建設的な意見交換を行うことが可能なのである。尖閣の問題があるから全てが敵、友人関係も何も認めない、などと言う考え方では話にならない。日露戦争時の明石元次郎大佐のような諜報活動はできないのだ。日本には諜報活動をまともに行う期間は存在しない。しかし、マスコミ、新聞はその役目を十分に担えるだけの組織力と人脈を持っていてしかるべきである。
 こと、ウイグルに関することも、当然に他人事ではない。現在のウイグルの置かれた立場を考えれば、その情報や活動の場として、安全な日本、アメリカの、第三国の場を提供するのはある意味で当たり前である。冷静な話し合いができない人々は、これでは話にならないのである。

中国大使の日本“恫喝文”を入手!チョ~過激な中身とは

 中国の程永華駐日大使が、日本の国会議員複数に送った「抗議文」を入手した。都内で開催中の「世界ウイグル人会議 第4会代表大会」(17日まで)に出席・賛同したことを批判する文書だが、「中日関係の妨げになっています」「日本自身の安全にも害がある」と記載されるなど、恫喝文といえる内容なのだ。一読して、怒りに震えた議員もいるという。
 「これは日本への脅迫ではないのか! 武力攻撃でもするつもりか」
 民主党の向山好一衆院議員はこう語り、怒りをあらわにした。文書は会議が始まった14日、封書で議員会館に届けられた。差出人は「中華人民共和国駐日本国特命全権大使程永華」とあった。
 内容は、チベットとウイグルは中国のおかげで経済発展を遂げており、人民は権利が保障されて幸せに暮らしている、不法な独立運動に日本は加担しないように-と要請するものだが、以下に抜粋したように、文面が高圧的なのだ。
 「『チベット独立』勢力を支持せず、舞台を提供せず、いかなる形でも接触しないことを希望する」
 「日本政府が(世界ウイグル会議開催)を認めれば、中国の安定と安全利益を損なうだけでなく、日本自身の安全にも害がある」
 まるで日本の安全を脅かすような文言ではないか。玄葉光一郎外相も16日、「適切に対応すべき」とした。
 程大使は創価大学に留学経験があり、在日大使館勤務を複数経験した日本専門家。日本語にも堪能で、文書の意味を理解しているとみられる。
 同じ文書は、たちあがれ日本の平沼赳夫代表や、自民党の古屋圭司衆院議員など、与野党の複数議員に送られていた。向山氏はいう。
 「中国が日本に内政干渉をするなというのなら、中国こそ、靖国参拝や教科書の内容などに干渉してくるべきではない。そもそも、中国がチベットやウイグルで人権が認められているというのなら、どうして報道が規制されているのか」
 向山氏は即、程大使宛てに「『日本自身の安全にも害がある』というのは、どういう害を想定しているのか?」という質問状を送り返した。
 中国側の反応は-。(安積明子)

2012.05.17 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120517/plt1205171548006-n1.htm

中国ふざけるな!大使“恫喝文”に自民有志が抗議へ

 中国の程永華駐日大使が、亡命ウイグル人組織による「世界ウイグル会議」の日本開催に反発し、与野党の国会議員多数に恫喝とも受け取れる抗議文を送り付けていた問題で、自民党有志議員が連名で18日、程氏に「抗議文」を送付することが分かった。
 「脅迫状ともいうべき文章だ。中身も極めて一方的で、看過するわけにいかない。内政干渉もはなはだしい」
 自民党有志による「日本ウイグル国会議員連盟」の会長、古屋圭司衆院議員は18日、党本部で記者会見し、怒りをあらわにした。連盟によると、程氏の抗議文は、自民党議員だけで100人以上、他党議員にも送られており、総数は相当数に上るとみられる。
 問題はその内容。チベットとウイグルは中国のおかげで経済発展を遂げており、人民は権利が保障されて幸せに暮らしている、不法な独立運動に日本は加担しないように-と要請するものだが、以下のように、あまりにも高圧的なのだ。
 「『チベット独立』勢力を支持せず、舞台を提供せず、いかなる形でも接触しないことを希望する」「日本政府が(世界ウイグル会議開催)を認めれば、中国の安定と安全利益を損なうだけでなく、日本自身の安全にも害がある」
 まるで日本の安全を脅かすような文面。中国は日本を属国とでも思っているのか。

2012年05月18日17時12分 提供:ZAKZAK(夕刊フジ)
http://news.livedoor.com/article/detail/6572813/

 マスコミだけでなく、冷静な話し合いができない人がもう一人いた、一応個人名で言えば程永華駐日大使が、5月8日付の文書でありながら、5月14日、日本で世界ウイグル会議が行われた日に届けられるという事が起きた。その中には「日本政府が(世界ウイグル会議開催)を認めれば、中国の安定と安全利益を損なうだけでなく、日本自身の安全にも害がある」と、読みようによっては宣戦布告であるかのような文書を送付してきたのである。当然に「大使」と言うのは、特命全権大使であるから、駐日大使といえども、敢えて臨時大使などとなっていない限りは、中華人民共和国国家の意思として届けられたものである。これら外交文書は、当然に聖徳太子が遣隋使を送った時代からの正式文書であり、その正式文書においてこのような文言が入っているのは、まさに日本を属国と考えているか、あるいは宣戦布告をしているか、あるいは程永華駐日大使がこの上もないバカで文書の書き方や外交文書の意味もわからない人であるかのいずれかである。
 この文書に関して、しっかりとした対処を行うのはある意味で当然のことである。しかし、それ以上におかしなことがあるのは、上記の新聞記事でわかるように、自民党(一部立ちあがれ日本)しかこのような抗議文を出していないということである。何しろ、民主党は、この文書が何通、所属議員何人に送付されているのか、その集計すらも行っていないのである。はっきりいって、程永華駐日大使も文書の書き方を知らないのであるが、一方で、民主党の議員や政党としての民主党は、そのような大使名で届けられた文書の扱いや意味合いも知らない、大ばかやろうということになる。外交文書、大使名の文書の取り扱いも、そしてわざわざ日本語で書かれた文書の日本語の読み方も、その意味を解釈する能力も何もない、単なるバカ者でしかないということになるのである。
 要するに、現在の日中外交は、文書の書き方も知らない駐日大使と、その届けられた文書の取り扱いもわからないバカな与党議員が外交を行っているということに他ならない。そして、そのような外交だから、お互いが言いっぱなし、やりっぱなし、発言の意味も考えず、発言の責任も取らない状態であり、外交の体をなしていないということになるのである。
 このような外交であるから、しっかりとした意思表示もできず、日中韓の会議では北朝鮮のことも何も伝わらない。尖閣諸島に関しても、しっかりとした意思表示もできないのではないか。もちろん、中国は野田政権、民主党政権がそのような体たらくであり、宣戦布告をしても及び腰で逃げると思っているのかもしれない。しかし、それは文書で出せば、当然に諸外国もその文書を読むのであるから、日本だけの問題ではないということは明らかである。
 これら周囲のことをわからない外交をしていると、当然に行き詰まった外交になってしまう。民主党に現在のような外交を行わせていては問題であるし、また外務大臣はしっかりとした責任を負わなければならないのではないか。

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消費税増税と経済成長を国際公約する野田外交

消費税増税と経済成長を国際公約する野田外交

 G8がおわり、野田首相が帰国したとのニュースに接する。もちろん私は野田首相に同行したわけではないので、これらの内容に関しては、マスコミによる報道、特に外信部の報道が私の情報の生命線になる。もちろん「マスコミによる報道」とは、日本の新聞社も同じであるが、G8参加各国の新聞社の記者などは非常に重要な情報収集相手である。後は同行官僚といったところが私の情報源であろうか。いずれにせよ、私自身が出立して検分して汚いようではないので、なんともいえない部分がある。特に、雰囲気やその場の空気管のようなものは、お伝えできるものではないのである。残念ながら国会新聞社もやまと新聞社もそんなに資金に余裕がないし、私自身そんなに時間に余裕もないのである。
 ということで、この記事はあくまでも海外からの情報を元に記載する。しかし、その情報といってもにわかには信じられない内容だ。まずG20のときは「消費税増税」を国際公約してきた野田首相が、今回のG8では「経済成長」を国際公約したというのである。
 そもそも今回のG8は小浜大統領の配慮で、率直な意見交換を行うということでキャンプ・デービットにおける多くの取材や随行を排除した形の首脳会談が行われた。しかし、もともと詭弁でしか物事の反応ができないうえに、官僚の鸚鵡返しでしか物事を話せないのだ首相は、そのように首脳の「ざっくばらんな意見交換」などは何もできない状態になってしまう。それどころか、自らの政策が官僚によって作られらた主張であるということを明らかにしてしまうことになってしまうので、これでは話にならないのである。
 要するに、政治家個人の心情や政治家個人の考え、そして国家間や国益に関することを野田首相個人に求めても、それは話にならないということになる。もともと官僚の言うままに、そして国益などを考えずに、選挙対策と党利党略だけを考えて首相を継続している野田首相にとって、そのような個人の意見を言うことは、普段の自分の主張している政策とまったく異なる、正反対の意見を主張してしまう場になる。それこそ大きな問題が発生することになるからだ。 

首相かすむ発信力 内政、外交とも揺らぐ足元

 【ワシントン=半沢尚久】野田佳彦首相は18日夜(日本時間19日午前)、主要国(G8)首脳会議(キャンプデービッド・サミット)夕食会で北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射に触れ「悪行に対価を与えない意思を明確に示すべきだ」と述べ、核実験などさらなる挑発行為の阻止を訴えた。各国は「北朝鮮の挑発的行為は地域の安定を脅かす」との認識で一致した。
 今回のG8は首脳同士の率直な意見交換という「原点」への回帰を掲げた。オバマ米大統領は山荘でアットホームな雰囲気を演出したが、初参加の野田首相の発信力不足は隠しようがない。「ともに行動を」(オバマ氏)と呼びかけられても、内政・外交とも実行力に乏しい首相には応えるすべがなかった。
 「挑発を防ぐため確固たる意志を伝えるべきだ」
 夕食会で首相は、首脳宣言に北朝鮮の挑発阻止を明記するよう訴えた。中国が参加しないG8に「アジア代表」として臨む日本として当然の主張だ。
 だが、13日の日中韓首脳会議では北朝鮮を刺激することを嫌う中国を説得できず、共同宣言に北朝鮮に関する文言を盛り込めなかった。これではイランの核・ミサイルに神経をとがらせる各国首脳の目を北朝鮮に向けさせることは難しい。
 各国首脳は「挑発的行為の脅威」をめぐる認識では足並みをそろえたが、「確固たる意志」が首脳宣言に反映されるかは読めない。
 昨年11月の20カ国・地域首脳会議(G20)で首相は、消費税増税を「国際公約」に掲げた。しかし、民主党内での増税反対論を意識してか、この日の夕食会では財政再建より経済成長の実績に重きを置いた。
 「日本の経済状況はどう?」。メルケル独首相から水を向けられ、首相は「1~3月期の国内総生産(GDP)は4・1%増だ」と胸を張った。だが、これも復興需要などの恩恵にすぎない。消費税増税法案成立の見通しが立たないなか、サミットのキーワード「財政再建と経済成長の両立」を満たすメッセージの効果も薄まってしまった。
 これに先立つ欧州連合(EU)のファンロンパイ大統領、バローゾ欧州委員長との会談でも、首相は自ら消費税増税への取り組みに触れることはなかった。
 この会談で首相は、経済連携協定(EPA)の早期交渉開始を求めたが、協議継続を確認するにとどまった。逆に、バローゾ氏からは政府調達と鉄道分野の参入拡大を求める各国の声がEPA交渉開始の妨げになっていると批判された。
 「ミスター・ノダの誕生日を祝おう」。夕食会の最後、20日に55歳となる首相にオバマ氏のはからいでケーキが持ち込まれた。
 首相はオバマ氏から「ろうそくを消す前に願いごとを」と促されたが、何を祈ったのか。各国首脳の視線は20日からシカゴで開かれる北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に向いているのは明らかで、19日には一人帰国の途につく首相にとってつかの間の“主役”となった場面だった。

2012.5.20 00:56 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120520/plc12052001010000-n2.htm

G8で消費税増税を公約 サミット・デビューも目玉なし 首相が訪米

 野田佳彦首相は18日夕、米国で18、19両日に行われる主要国(G8)首脳会議(キャンプデービッド・サミット)出席のためチャーター機で出発した。首相は消費税増税関連法案の成立を目指す方針を説明し、欧州債務危機のような事態に陥らないようにするとの決意を表明する。ただ、関連法案の成立は見通しが立っておらず、唯一の目玉だったロシアのプーチン大統領との会談は消えた。寂しいデビューとなりそうだ。
 「アジアから参加するのは日本なので、北朝鮮のさらなる挑発行為を防止するためG8としての協調、連携を提起し、確認したい」
 出発前、首相は官邸で意気込みを語ったが、各国首脳に印象を残す妙案を携えているわけではない。
 サミットは連立交渉決裂で再選挙を行うギリシャや欧州債務危機▽政権と反体制派の衝突が続くシリア▽イランと北朝鮮の核開発問題-が主要テーマとなる。
 首相は欧州危機対応で国際通貨基金(IMF)資金増強への600億ドル(約5兆円)拠出方針を説明するとともに、日本として消費税増税を通じた財政再建と経済成長の両立を実現すると表明する。首相は昨年11月に仏カンヌで開かれた20カ国・地域(G20)首脳会議でも消費税増税を国際公約している。
 核実験の構えをみせる北朝鮮の挑発阻止も呼びかけることにしている。
 オバマ米大統領は、欧州連合(EU)による7月からのイラン産原油全面禁輸に対応するため、石油備蓄の放出準備をG8各国に要請するという。
 米欧と歩調を合わせ、政府はサミットを前にイランに対する圧力強化を検討してきた。そのひとつとして「演習」名目で海上自衛隊の掃海艇を中東に派遣し、イランが示唆しているホルムズ海峡封鎖を牽(けん)制(せい)する案も浮上した。だが、首相は「そういうことも考えないといけない」と重要性は認めつつ検討レベルにとどめ、派遣表明は見送る。
 個別の首脳会談もフランスのオランド、EUのファンロンパイ両大統領だけ。オランド氏とは欧州債務危機に加えエネルギー・原発政策も協議するが、どこまで突っ込んだ議論ができるかは不透明だ。(半沢尚久)

2012.5.19 00:07 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120519/plc12051900090000-n2.htm

 さて、野田首相が松下政経塾という政治家養成学校出身であることは広く知られている。しかし、政治というのは、「政局(選挙対策)」「政策(政策分析・現状分析)」「徳政」によって行われるものである。選挙対策はそれでも「マス」を相手にした物事の話し方や主張のしかた、最も端的な言い方をすれば「大衆受け」する物言いを習うことは可能である。しかし、政策は、そのときそのときの日本とその日本の将来像を見ながら出なければ話にならないし、一方で、徳政、要するに人徳の部分などは、人から塾の形式で学ぶものではない。要するに、最も悪い言い方をすれば、「選挙対策講座」でしかないということがいえるのではないか。もちろん、その講師などから人徳を学ぶことができるが、それは出会いの場さえあれば、塾でなくても徳を受けることは可能である。逆にいえば、徳や政策のない選挙大差う、大衆受けをする物言いをする人が多く政治家として輩出されてしまったということになる。以前、自民党の幹部職員から「松下政経塾とは、政界ニートだろ」ということを言われたことがあるが、まさにそのものである。
 そのような政治家たちは、単純に自己主張ができるものではない。何しろ衆愚を具現化しているのであるから、その衆愚がどの方向に向かっているかだけが興味であって自己主張ができるものではないのである。
 そのような「塾生」の欠点が最も如実に現れたのが今回のG8ではないのか。
 上記のように消費税増税を前回のG20で国際公約しながら、今回はG8では経済成長を言う。間接税など自由な取引制限に対して負荷が大きくなるにもかかわらず、経済成長などが望めるはずがない。ましてや原子力のないエネルギー政策では、エネルギーコストも上がりそのような状態で経済成長がしっかりとできるのか、具体的にどのようにして経済成長を成し遂げるのか、消費税増税と両立することができるのか、まったくわからない状態である。
 一方、数週間前の日中韓会議では北朝鮮への抑止力は何も言い出せなかったにもかかわらず今回は北朝鮮の抑止を主張するという矛盾となる。北朝鮮の抑止ということは、しっかりとわかるのであるが、東アジアの場で主張できなかったということは、野田首相の外交発信力が少なく、海外では誰も言うことを聞いてくれないという状態になっているのではないか。
 そして、TPP、日欧EPA、そして日中韓FTA、全体像のわからない自由化。これでは話にならないのではないか。結局、誰と自由化するのか。各経済連携の自由化そのものの集団の戦略、経済戦略を、すべて日本で負担しきれるのか。もっといえばTPPで言われているアメリカやカナダの利害と日中韓FTAで中心となるであろう中国の利害が反する場合に、双方の経済枠から追い出されることになるのではないのか。そのような全体としての経済戦略、世界戦略が野田内閣の中ではまったく見えず、ただ単になんでも自由化すればよいという破れかぶれの経済政策に、日本をさらしてしまってよいのか。
 これらの整合性をどのように取るのか。野田首相はしっかりとした説明を国民に行うことが求められるのであるが、実際に正反対のことを言っているのであるから、その説明はうまくいかないのではないか。そのような野田首相の主張に同調する野党もしくは与党議員は、同じく「いいかげん」な政治しかできない人々ということがいえるのではないだろうか。

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マスコミ批判に関する一考(95) 薄煕来氏を独占インタビュー後日談

マスコミ批判に関する一考(95) 薄煕来氏を独占インタビュー後日談

 同じ記事でマスコミ批判を2週連続でするというのはいかがなものかとも思うが、今週もお付き合い願いたい。
 さて、先週散々文句を言った夕刊フジ「中国“失脚大物”薄煕来氏を独占インタビュー!初めて明かされる真実」の記事に関して、先週一週間はなるべくこれの取材を受けるようにした。このことから、日本および世界のマスコミが何か大きな勘違いをしているのではないかということが明らかになったので、ここにあえて実名を出して報告をしたい。
 まずは、面白いのが中国の多くのマスメディア、ここでは「新唐人」というところを典型的なので例に挙げてみてみる。この「新唐人」は、私が薄煕来氏とあったことそのものを否定し「うそ」というように報道している場所である。しかし、実際ここの記者と私が接触したことはない。趙子法(@zhaozifa)なる人物が、ツイッターで、それもこともあろうか中国語で質問をしてきただけである。これに対して「私は日本人ですから、日本語で質問してください。相手側の言語にあわせるのが、取材のマナーです。」「私はインターネット上に情報を公開する気はない。知らない人に情報を話す気持ちもない。」「新唐人は、すでに「疑わしい」と報道をされているので、これ以上私とあって話をする必要があるのでしょうか?」と記載したのである。これに対し趙子法(@zhaozifa)なる人物からはアクセスなし。いやはや、これくらいで「うそ」「疑わしい」と報道するくらいならば、はじめからそのような報道も取材もやめたほうがよいのではないか。ハッキリいって笑ってしまう。まあ、中国は、もともと情報を統制する国であり、情報に対して自主的にアクセスすることが非常に慣れていない国柄であることから、問題があると考える。しかし、私は、この一軒から中国のメディアには、すべて「新唐人というところがうそと断定しているようなので、特に取材を受ける必要はないでしょう。私に直接取材をしたいのであれば、新唐人が、なぜうそと断定できたのかその理由を取材した上で私にアクセスして欲しい」と言うことを主張し、ほとんどの中国メディアの取材をお断りしている。
 このようなことで中国系メディアは、基本的に取材を受けていない。
 一方、欧米系の取材はお受けした。しかし、この内容もあまりにもお粗末な部分があり、逆に欧米系ならではの問題点が存在するのである。その点に関しては、復習の意味で夕刊フジの記事を挟んでお届けしたい。
 

 中国“失脚大物”薄煕来氏を独占インタビュー!初めて明かされる真実

 中国共産党の次期最高指導部入りが確実視されながら、3月に失脚した薄煕来(ハクキライ)前重慶市党書記に、国会新聞社の宇田川敬介次長が先月末、北京で、日本人ジャーナリストとして初めて接触に成功した。宇田川氏は以前、総合スーパー「マイカル」に勤務し、中国進出時の法務交渉担当を務めており、薄氏とは大連市長時代から深い交流があった。中国の情報機関「国家安全部」の監視のもと、軟禁状態にある薄氏と3時間にわたって会食し、一連のスキャンダルなどについて聞き出したという。
 「薄氏は少しやつれていたが、穏やかな表情だった。共産党内の権力闘争や、自らのスキャンダルの多くを否定していた。会食したのが、民主党の小沢一郎元代表に無罪判決が出た当日(4月26日)だったので、『私は(小沢氏のように)復活する』と語っていた」
 宇田川氏はこう語る。会食は天安門広場近くにある高級ホテル「北京飯店」で行われた。
 薄煕来解任事件は、薄氏の妻、谷開来(コンカイライ)容疑者に英国人殺害容疑がかかっているほか、共産党内部の権力闘争説やクーデター説が流れたり、不正蓄財の疑いで親族が調査を受けるなど、大規模なスキャンダルに発展している。
 宇田川氏は、薄氏と1997年、マイカル大連店の出店準備時に知り合った。薄氏は当時、大連市長。同年末、マイカルと弁護士である妻の谷容疑者と顧問契約したこともあり、家族ぐるみの付き合いをしてきた。
 2000年ごろ、薄氏と谷容疑者に離婚問題が浮上した。宇田川氏は外国人仲介人として離婚調停に関わった(調停成立も、離婚はせず)。
 国家安全部側は今年3月、薄氏の家族関係について確かめるため、宇田川氏に捜査協力を求めてきた。この協力の見返りとして「写真と録音はNG」という条件で、宇田川氏は薄氏との会食を許可されたという。
 北京飯店3階の個室では、宇田川氏と薄氏、通訳2人(うち1人は国家安全部の人間)がテーブルを囲み、鳥の塩がま焼きやフカヒレの姿煮、北京ダック、鮑のステーキなどを堪能した。外では制服警官2人が警備していた。
 宇田川氏は「最初は昔話で盛り上がり、途中から、薄氏は谷容疑者の悪口を言い始めた。調停は成立して10年以上も別居していたが、『子供の問題や出世の妨げになる』として離婚はしていなかった。薄氏は、妻の殺人を否定せず、『離婚しておけばよかった…』と後悔していた」と語る。
 日本では、薄氏失脚に絡み、さまざまな報道・情報が飛び交っている。宇田川氏は当然、真偽を問いただした。薄氏はこう語ったという。
 「共産党内部の権力闘争ではない。私は重慶市党書記として、マフィア組織(黒社会)の取り締まりを徹底的にやった。マフィアと癒着している市幹部も排除した。これが恨まれた。別居している妻の事件が起きたタイミングで、彼らの残存勢力にハメられたのだ」
 宇田川氏は北京滞在中、別の中国共産党幹部にも面会し、薄氏の事件について説明を求めた。
 幹部は「もし、野田佳彦首相の妻が英国人を殺し、側近が米国大使館に逃げ込んだら、野田首相は現在のポストにとどまれますか? 権力闘争…という記事は信用に値しない」と語ったという。
 薄氏との会食終盤、ホテルのフロントに頼んでいた小沢氏の判決結果がメモで入った。薄氏は小沢氏のことをあまり知らなかったが、置かれた立場からシンパシーを感じたようで、「日本では復活できるんだな…」と満足そうな表情を見せたという。そして、会食が終わると、「アイ・シャル・リターン」といい、部屋を出ていったという。
 ■薄煕来(はく・きらい) 1949年、山西省定襄県出身。父は革命歴戦の将で、副総理まで務めた薄一波氏。80年に中国共産党入党。大連市長や遼寧省長、商務部長(商務相)などを経て、2007年に中央政治局員となり重慶市党委書記に就任する。大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上を摘発した。大連市長時代から、日本企業の誘致などで手腕を発揮し、日本の政財界とは深い関係を持つ。12年3月、重慶市党委書記を解任される

2012.05.11 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20120511/frn1205111124000-n1.htm

 イギリスの新聞「TIMES」紙は、そもそも、その取材がよくわからない。取材で話を聞くのはよいが、インタビューだけで5時間も時間を拘束する。何がポイントなのか何なのか、まったく取材の要領を得ない。その上、取材中にメールが入り、姉妹紙「SUNDAY TIMES」からも取材に来る始末。ハッキリ言って統制も何も取れていない新聞であることがもれてきてしまった。
 そしてその取材の高圧的なこと。そもそも5時間も時間をとっているにもかかわらず、その内容の信憑性がつかめないと言い出し、あれを出せとか何とか、あるいは私の知り合いに端から電話をかけるなど、とてもではないが常軌を逸している。挙句の果てに「われわれは情報を確実にするために、二方向からの確認をしているので、確認先を教えて欲しい」という始末。「情報の確実性を高めるならば、私以外の情報ソースをあたったらいかがですか」といってお断りしたら、「あなたには答える義務がある」などと脅してくるのだ。さすがにこのような対応には怒るしかない。「義務があるというならば、その義務を私が納得す形で、二方向から証明せよ」と反論すると「ロンドンの本社と検討する」だそうだ。この程度の取材力で、伝統と歴史のあるイギリスの代表的な新聞の取材であるというのでは、さすがにおかしなものである。このような状態は、要するに、TIMES紙に、すでに取材力も人脈も何もなく、完全に行き詰まってしまっている証拠に過ぎない。
 本来は取材に答えてくれる人々は、「協力者」であって、相手側にマスコミ答える義務などは存在しない。しかし、その協力者に対して約束を守るとか礼を尽くすということがなければ、当然に、取材先は少なくなるし、取材の最中であっても、相手は不快な思いをすれば口を閉ざしてしまう。それくらいのこともわからないで取材をしているつもりになっているようでは、ハッキリいってマスコミの劣化である。
 このことは、日本のある通信社(この書き方をすればどこかわかってしまうかもしれないが)も同じ。取材にいらっしゃった方は、鎌をかけるでもなく、中国にいた人しかわからない質問をいくつも投げかけて信憑性を十分に確認したようである。しかし、その事がまったくわからないデスクに話が通じないとのこと。それでも、その通信社は、しっかりと記者が対応をしていただいたので誠意を感じる。
 それでも「TIMES」や「通信社」は取材に来ているのだからまだほめるべきなのかもしれない。ひどいのは、朝日新聞、毎日新聞といった俗にこのブログの読者の嫌いな反日新聞たち。取材もせず、また上記のような外国メディアの取材でありながらA新聞の外信部の人は、私の知り合いに向かって「新唐人というメディアでうそといっていたから、うそなんでしょ」といって取材もせずに否定。いやはや、取材もせずに、取材もしなかった中国人メディアの報道を信じて外信部が発言するのである。彼らの情報がいかに信用できないものであるかがよくわかるのではないか。
 チャンネル桜の討論でも言ったが、そもそも、取材もしないで自分たちの取材の範囲や情報の範囲で適当に判断してしまう。そのような状態の報道を垂れ流している。政権交代前の民主党に関しても同じだ。政権交代キャンペーンを行っていた朝日新聞や毎日新聞に関しては、まさに、「本当のことを取材したのか」という疑問を持つことが最も重要なのではないか。取材もせずに、勝手に報道をするのは「ファンタジー」であって「ジャーナリズム」ではない。架空の話の上で、架空に話を進めているのであるから、彼らの新聞は単なるファンタジーなのである。そのような情報の上で、政権交代を選択してしまった日本の国民は、本当にどの情報を持っているのであろうか。
 「私は、インターネット上で会話をするつもりはありません。全て自分で行って確かめるため、様々な人と会えるのです」ある記者に、ツイッターで質問された回答がこれだ。この回答にうなづけない人は、すでにジャーナリズムではないと考えて欲しい。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(56) 中国における訴訟の勝ち方(7)

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(56)
中国における訴訟の勝ち方(7)

 先週は、連休の過ごし方ということで一回お休みをした。その前は連休であったので、この連載自体をお休みしてしまった。結局「中国における訴訟の勝ち方」という内容は、少し間が開いてしまった。そのために、まずここで簡単に今までの「訴訟の勝ち方」のまとめをしてみよう。
  ・ 翻訳に気をつける
  ・ 「国家的」「慣習的」「文化的」「法解釈的」な背景を考える
  ・ 中国は「法治国家」であるという認識をする
  ・ 中国の法律が中国の慣習や政治システムで作られていることを理解する
  ・ 裁判官が中国人であるということを認識する
  ・ 法律に違反しない程度に裁判官周辺を接待する
  ・ 中国の裁判システム(軍人が裁判する)ことを理解する
  ・ 事実の解釈に中国の法律を適用するという、日本の裁判と同じ手続きを行う
  ・ ほかの日本に中国との違いを理解させる
 
 さて、この内容が、今まで書かれたことである。
  裁判の流れは・・・・・・・・・・。

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発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

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チャンネル桜の討論番組でわかった、民主党サポーターの認識

チャンネル桜の討論番組でわかった、民主党サポーターの認識

 チャンネル桜の討論番組にまたださせていただいた。
 下記の要領で収録が行われ、また、討論番組が放映されるので、ぜひ見ていただきたいと思う。
 さて、この討論番組の中で、1時間目は単純に、パネラーの皆さんの初心を表明するないようだ。いつもは私がもっとも年齢が下なので、最後になるのであるが、今回は宮崎信行氏がいらっしゃった関係で私が最後ではなかった。最後というのは気が楽で、全員が話をした後の「オチ」の担当を行えばよい。「オチ」は、簡単に言えば全員の話した内容のまとめとそのまとめから、いかに笑いを取って次の話につなげるかということを考えればよい。そのために、一言で簡潔に話をすればよいのである。
 しかし、後ろにパネラーがいるというのは、まとめてはいけない。次の人が話しやすい話をするということになる。酔うすりに「起承転結」の「転」を演じきらなければならないのであるため、そのために、普段と違うことをしなければならない。特に、宮崎氏は、このときが初対面であるためにどのような話をされる方かは未知数である。以上のことから、今回は珍しく資料を持ち込み、フリップを作成してもらい、その内容から現在の政局を解説したのである。
 その内容は、今回の番組を見てもらえればお分かりになることと思う。
 とりあえず、私信のメールであるが、普段の新聞記事の代わりに、チャンネル桜からのメールを少し加工して貼り付けます。

宇田川敬介 様

前略 5月17日の討論番組ですが、以下のパネリスト先生で収録させていただきます。
開始時間は14時ですので、13時50分までにお越しいただければ幸いです。
ご確認の程どうぞよろしくお願い申し上げます。 草々

 

           記

番組名:
闘論!倒論!討論!2012

テーマ:
「新潮流はあるのか?!どうなる日本の政局」(仮)

収録希望日:
平成24年5月17日(木曜日)14:00~17:30
(番組は3時間番組です。途中休憩が入ります)
※10分程前までにお越しいただければ幸いです。

放送予定日:
平成24年5月19日(土曜日)20:00-23:00
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/
「Youtube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

収録場所:
弊社スタジオ(渋谷)

パネリスト:50音順敬称略
宇田川敬介(ジャーナリスト・国会新聞社編集次長)
片桐勇治(政治アナリスト)
新野哲也(ジャーナリスト)
福冨健一(自由民主党政務調査会事務副部長)
宮崎信行(国会ジャーナリスト)
山村明義(作家・ジャーナリスト)
山本峯章(政治評論家)

司 会:
水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

 さて、この番組の中で使ったフリップの中に、横書きで書けば

 「理想」-「現状」=「課題」
 「課題」+「解決(政策)」=「理想」
 という式を出した。
 たとえば、尖閣問題に関してこれを当てはめれば

 「日本の領土は日本で守る」-「今の政権は中国に弱腰」=「守りきれない」

 「守りきれない」+「東京都が購入する」=「日本の領土を日本が守れる」

 となるのである。
 番組中では、消費税に関してこれを行ったのであるが、大体の政策に関して、この数式が当てはまるはずだ。
 では、以前の討論で民主党は存在自体が悪いという言い方をしているのであるが、それは、まさに、「寄せ集めの烏合の衆だから、そもそもこの数式の根本である理想が一致していない」というkと尾になる。理想が一致していない集団において政策が一致するはずがない。要するに政治が停滞することになり、その間において日本は外国から取り残され、どんどんと壊れてゆくのである。
 しかし、民主党サポーターである宮崎信行氏によると「民主党は今政権について学んでいるんです」という。
 まさに現状認識、要するに「日本が壊れているときに、勉強している」ということで、「日本が壊れてゆくことをとめることができない」ということになるのである。そして「勉強しているのがさも当然のようなサポーターの発言」は、日本という国家の政務をとる人間としてその人々が適当でないということ、もっと言えば、そんなやつは政治家をやってはいけないということをさしているのである。しかし、ここまで話してもわからない。後は、日本という国をどうしたらよいのか、もっといえば国家観を持った政治家がいなければ話にならないが、その政治家を作るためにどうしたらよいのかということをしっかりと考えなければならない。その観点が完全に抜けているのが民主党サポーターである。
 これ以上はいうまい。後はこの番組を見て、皆さんで判断して欲しい。

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無秩序なバラマキと政治主導

無秩序なバラマキと政治主導

 「政治主導」と言うのは、まさに「官僚主導」の対義語として現在使われている単語である。実際に、「官僚主導」とは、法政大学松下圭一法学教授の著書などにでてくるものであるが、現在の日本の政治において官僚が政治家を無視して勝手に行政を行っているという様を指すようである。
 「指すようである」と言うのは、私自身今一つ理解をしていないという意味であると思ってくれてかまわない。実際に「立法府の代議員」である国会議員が、なぜ「政治主導」なのかは意味不明だ。本来は法律論で物事を離すべきであるのに、都合のよいところで法律論になり都合のよいところで実質論を展開するために、統一の理論性がない状態が継続する。そのことは、私たちの理解をはるかに超える現象を引き起こす。このブログを読んでいただいている方にはおなじみであるが、菅直人前首相が「日本国憲法には三権分立は存在しない」と言う発言をした。この内容に関して、一国の首相になる人が、いや、一台議員であったとしても、小学校で習う三権分立を否定しながら立候補し、憲法に書いてある国会の代議員になるなどと言うのは夢にも思わなかったのである。
 では、本来三権分立であるべき姿とは一体何なのか。憲法の講義で習うのは、立法府が法律によって行政府が行う内容を規定し、また、その予算(これは憲法の規定で予算と言う章が存在する)によって、年次の行動を制御することによって、行政をコントロールするということが建前になっている。このことは議員の中から内閣を作り、その内閣は連帯して国会に対して責任を負うという規定は、まさに議院内閣制であり、同時に、立法に忠実に従った行政のあるべき姿を、国会に対して責任を負うということを意味しているのである。
 この行政の全体の責任者が「総理大臣」である。その総理大臣は各分野の大臣を使命する。もちろん任命するのは天皇陛下だ。その各大臣は各分野を分掌するのであるが、基本的な内容は閣議による全会一致で決定する。逆に言えば、各大臣の分掌が欠員などが出た場合も内閣全体の意思として行政の遂行を見ることができるということになる。ここでいう閣議による全会一致の原則まさに、職務文章による責任の分散化ではなく、行政の内閣全体における連帯責任性を言っているのである。
 さて、このような状態であるにもかかわらず「政治主導」をこの憲法上の規定を無視して理解しろと言うのは、どうも私には難しいようである。官僚が主導するのは、まさに行政の執行権限のところであり、それは内閣による集団指導体制ができていないことに由来する。本来は、法律通りに、法の精神を加味して法律を忠実に執行しなければならないのにかかわらず、その法律の執行ができないことは官僚に責任を転嫁し、大臣や閣議は一切責任を負わないというのは、「政治主導」でも何でもない、単なる都合のよいいいわけでしかないのである。
 さて、ここでこれだけ政治主導のことを挙げたのは、一つの象徴的な事件が発生したことによる。
 お笑い芸人の母が、生活保護を受給ししているとされる事件が話題になっている。まずは、その件に関する記事を持て、個別の話に関する内閣の責任、そして民主党の「政治主導」が起こした弊害を指摘してみたい。

年収5000万円母生活保護、厚労省が事情聴取した

 年収5000万円の人気お笑いタレントの母が生活保護を受給しているとされる件で、世耕弘成参院議員(自民党)が11日、厚労省から事情聴取をしたことを明らかにした。
 世耕議員のツイッターによると、「次長課長の件厚労省から事情聴取しました。個人情報を理由に彼の状況に関する個別説明は無し。一般論として扶養義務者には生活保護開始当初に加え、毎年扶養の可否の確認が行われているとのこと」と説明した。
 個人情報の壁があるとのことだが、「うやむやにはさせません。生活保護法77条に扶養義務者への費用請求が規定されていますので、これに基づき彼には過去の分も払わせねば」とした。
 先日は、片山さつき参院議員(自民党)も、厚労省の担当課長にこの件を話したことを明らかにし、それを受けたもの。
 自民党PTチームによると、平成21年12月に政府が、生活保護の申請については「速やかな保護決定」をするよう地方自治体に通知したが、それ以降、目立つように生活保護世帯が増加し、生活保護費は、すでに3.7兆円に急増しているという。

2012年05月11日12時20分 提供:ゆかしメディア
http://news.livedoor.com/article/detail/6548800/

 年収5000万円のお笑いタレントの母親が生活保護を受給していたとする事件。まさに「不正受給」の典型的な例であると考えられる。一時、ちょうど震災前のことであったと記憶しているが、親が死んでいるのに葬式も出さないで年金を受給し、その年金を生活の糧にしていた詐欺事件が複数報じられた。まさに、本来であれば、民法上の親(親族)に対する扶養義務違反であるし、死亡したにもかかわらずそれを届け出なければ死体遺棄などの問題も発生する状態になっている。実際に、これらの法律をしっかりと失効することそのものが行政に求められることであるが、これら詐欺事件に関しては「個人情報保護法」など個人の権利を守りすぎたがために、個別確認ができなかったなどと言う寝言を言っている。しかし、本来は民放の1条には「権利の濫用」を認めてはならない規定があり、それは公共の福祉に従う旨しっかりとした規定がある。税金と言う資源を重要視し、公共の福祉のために役立て、その正しい配布に協力をしないのはまさに「公共の福祉」に協力せず、なおかつ「権利の濫用」でしかないことは明らかである。にもかかわらず、国家公務員は全体の奉仕者と言うだけで、公共の福祉の番人であるという感覚を失ってしまったがために、そして個人の権利や人権という不思議な感覚だけを頼りにしているために、そこまでの踏み切った調査を行わない状態になっているのである。
 では、「政治主導」でありながらこれらができないのはなぜか。官僚主導であるならば面倒とか、あるいは不正受給者との癒着などと言うこともあるかもしれない。しかし、政治主導ならば、本来そのようなことはないはずである。にもかかわらず政治主導でありながらこのようなことが継続して発生している。これは簡単に言えば、政治主導の主役たちが、上記にある「公共の福祉」を無視し「個人の権利や人権」を主張し、官僚の正常な職務執行を邪魔してきた主体であるからに他ならない。まさに、民主党議員が自民党の政策に反対してきた過程において「個人の権利」「人権」と言うことを主張し、全体のバランスを言わなくなったことから由来する。普天間基地の移転問題などはまさにその象徴的な事件であるが、今回の生活保護の不正受給も、全体の公共の福祉と言うことと、税金が国民から徴収された限られた資産であるという感覚が失ってしまえば、別に、細かく観察したり、経費をかけて調査する必要はないということになてしまう。そしてその感覚こそ、官僚の腐敗を生み、なおかつ、政治の腐敗を意味する。同時に民主党の言っている「政治主導」が、国民をだます標語でしかなく、本来は法律をしっかりと失効すれば済む話を、官僚を使い切る力不足の責任転嫁を事前に言い訳した形の「政治主導」を言っているということに他ならない。
 真に政治主導なのであれば、この案件に関しても、国会において証人喚問を行い、内閣が鹿kりとした対応を主体的に行うべきであり、官僚に任せずに政務三役が指示して、その責任の反中で行えばよく、それができなかったり、あるいは結果が悪かった場合には、上記に記載たように内閣が連帯して国家にに対し責任を負う、要するに解散総選挙か内閣総辞職を行えばよいことである。責任のない「政治主導」などは意味がない。しかし、民主党は今まで「人権」と言う責任や義務を伴わない固有の権利ばかりを主張し、国家そのものの全体を維持する義務や責任を放棄してきた。その放棄した内容が、まさに「政治主導」に込められており、その象徴が金持ちの母親が生活保護を受給するという「前代未聞の珍事」に発展するのである。
 この事件に関し、誰がどのように責任を負うのか。その責任体制がまさに民主党の「政治主導」と言う公約の国民に対する答えである。

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日本国のエネルギーの根本を揺るがす経済産業大臣を更迭せよ

日本国のエネルギーの根本を揺るがす経済産業大臣を更迭せよ

 「更迭せよ」などという強い言葉ではじめたブログは珍しい。しかし、実際にこの人がいては、日本人の生活は完全に崩壊してしまうという、私の危機感の表れと受け取ってもらいたい。
 枝野幸男大臣、この人は、3・11東日本大震災のときの官房長官であり、実際に「脳死状態」であった答辞の菅直人内閣の仲で一人気を吐いていた人物であるといえる。しかし、一人で行っていたということは、その処理の責任はすべてこの人物が負わばければならない。単純に考えて、権限と責任は付随するものである。
 この「責任」とは、あえて福島原子力発電所の事故の責任のことを言っているのではない、と付け加えることにする。実際に事故そのものは、ある意味で発生したものの事故処理であり、仮定の話として事故の拡大が防げたのではないか、もしくは事故を最小限に食い止めたのではないかということがいえる。しかし、これらは仮定の話であり、同時にその発生してしまった事故の問題を、当時の「まったくそのときの現状が不明な」常態の中において、結果論で責任を問うことをしようとは思っていない。しかし、逆に原発の事故において、枝野当時の官房長官にまったく責任がなかったというつもりもない。しかし、今日はそのことで「権限と責任」ということをいっているのではないということだけをここで認識指定いただきたい。
 では、枝野大臣に負わせたい責任とは何か。
 菅内閣は、個人的な思いだかなんだか知らないが、それまでのエネルギー基本政策を「すべて白紙に戻す」という決定をした。これは、鳩山内閣において、地球環境に配慮し、原子力発電所を11箇所増やし、火力発電を廃止してエネルギーの基本構造を「温室効果ガスを減らす」方向で決めていた。しかし、菅内閣は、基本方針として「原子力発電所を全廃し、再生可能エネルギーによるエネルギーの維持」を目指す基本方針を示した。しかし、この内容はかんな個人の思いとして国際会議で発表された。この発表には、当時経済産業大臣であった海江田万里氏が国会で泣くという、非常にわけのわからない話になる。要するに内閣でありながら閣議決定も事前の担当大臣への相談もなく、菅直人個人の意見として、日本国を代表する会議で発表されたのである。後に、この内容は、ソフトバンクという私企業の孫正義会長との間に何らかの密約があったのではないかというようなうわさまで飛び出す話になった。
 この個人的な思いは、菅直人の辞任と引き換えに再生可能エネルギーの基本法を成立させるということで実現する。しかし、日本国全体のエネルギー基本計画は白紙に戻したまま。結局日本という「国家」全体のエネルギー政策は、現在もどうなっているかわからない、なんとなく先送りにしながら、今年の夏の停電やエネルギー不足の不安を抱えているといえるのである。

経産トップが忘れっぽいのも困る…国会事故調

 国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(黒川清委員長)は16日、昨年3月の事故当時に経済産業次官だった松永和夫氏から参考人聴取を行った。
 松永氏は事故直後の昨年3月14日に東京電力による計画停電で首都圏が混乱したことについて、「十分なアセスメント(影響評価)ができないままに打ち出さざるを得なかった面はある。批判を受けざるを得ない」と陳謝した。事故直後、首相官邸に詰めていた海江田経済産業相(当時)との連携についても、「十分なコミュニケーションができていなかったという批判はあり得る」と認めた。
 一方、事故発生前の原子力行政をめぐる各委員の質問には、「記憶はない」「承知していない」との回答が目立ち、黒川委員長が「エネルギーと産業を統括する経産省の(事務方の)トップが忘れっぽいのも困ったものだ。国の信用が崩壊していくんじゃないか」と苦言を呈する場面もあった。

2012年05月16日20時34分 提供:読売新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/6566039/

核燃サイクルで選択肢=原発利用度合いで優劣―原子力小委

 原発の使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル」の在り方を検討してきた内閣府原子力委員会の小委員会(鈴木達治郎座長)は16日の会合で、使用済み核燃料の再利用や、地中に埋め捨てる直接処分などの各選択肢に対する評価をまとめた。(1)全量再利用(2)再利用と直接処分の併存(3)全量直接処分―の三つの選択肢について、原発依存度0~35%の4段階を想定。経済性や政策変更に伴う課題など七つの観点から優劣を示したが、どれを選ぶべきかの判断は明示しなかった。
 原子力委はこの選択肢評価を整理し、月内に政府の「エネルギー・環境会議」に報告。政府は国民に示した上で、今夏をめどに決める新たなエネルギー政策に反映させる。
 鈴木座長は会合後の記者会見で「どの選択肢を選ぶかは原発規模に大きく依存する。そこが決まらないとなかなか選べない」とした上で、「どの選択肢を選んでも課題は多い。(政府は)難しい選択を迫られている」と強調した。
 選択肢の評価では、現行政策を継続する(1)の全量再利用について、ウラン使用量が抑えられ、放射性廃棄物の量も少なくなるなどの利点を挙げる一方、経済性は劣ると指摘。青森県六ケ所村の再処理工場の稼働や高速増殖炉の実用化を課題に挙げた。
 (2)の併存は、再利用しない使用済み燃料の保管や処分について、自治体や国民の理解を得ることが課題としたが、原発依存度がはっきりしない場合、当面の政策としては柔軟性があり最も優れるとした。
 (3)の全量直接処分は、原発依存度を0%にする場合に最も有力と指摘。処分技術の確立が必要とする一方、経済性は最も優位とした。 

時事通信 5月16日(水)9時57分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120516-00000039-jij-pol

 さて、上記のように菅内閣のことを記載した。このことは改めてここに書くまでもなく、昨年はかなり難解も書いた話である。読者の中には、「またこの話か」という思いの方もいらっしゃるかもしれない。しかし、何回繰り返しても、まったく前進しないのであるから、私としても繰り返すしかない。
 上記のような「エネルギー基本計画」を白紙に戻すという決定の中には、当時の官房長官であった枝野幸男氏も含まれている。その後昨年年9月の野田内閣が発足し、「放射能つけた」という幼稚な行為で、たった9日で鉢呂経済産業大臣が辞任、その後を受けたのが、実質的に菅内閣の中で原発事故を担当し、なおかつその初期対応を引き受け、エネルギー基本計画を白紙にし、日本のエネルギー基本計画を闇の中に放り込み、そして基本計画もないままに原子力も、そして再生可能エネルギーもすべて「中途半端」にした人物、枝野経済産業大臣が就任したのである。
 この「基本計画がない」という自体は、日本にとってどうしようもないものである。基本計画がないということは長期的なヴィジョンを作ることができないということ、これは、単純に、場当たり的にエネルギー政策を行っているに過ぎず、単純に、エネルギーコストの上昇、単純に言えば各家庭への電気代金の料金の値上げということを意味している。
 長期ヴィジョンがあれば、傾斜配分でエネルギーに対する投資を行うことができる。火力を重視するのであれば化石燃料の長期的な安定確保を目指せばよい。しかし、基本計画がなく場当たり的な内容を行うのであれば、そのときそのときの相場で化石燃料を買うしかできない。日本における化石燃料の基準の市場価格はシンガポールの市場だ。単純にいえば、シンガポールの市場の操作(誰かが買占め)を行えば、簡単に日本のエネルギーコストで、合法的に高収入を得ることができてしまうのである。しかし、長期ヴィジョンがなければそれも仕方がないということになってしまう。
 では、長期ヴィジョンを作れない理由は何か。一度、鳩山政権で大きく温室効果ガス削減に舵を切った。しかし、それが福島原発の事故により、その温室効果ガス削減の中でのエネルギーの柱である原子力発電に関し、国民的な反対(私個人は今までの反対勢力が勢いづいただけに見えるが)によって、推進できなくなったということである。そして、その福島原発事故の問題が、単純に原子力発電反対で、全国の原子力発電所の坂堂ができないのは、その事故の原因がまったくわからないから。わからないということほど不安なことはない。要するに、不安であるということによって反対が大きくなっている。原因がはっきりし、その原因に対して対策ができていれば、リスクの排除ができるのであるから、一定の措置後再稼動ができる。エネルギー基本計画が可能になるということだ。
 さて、枝野大臣は当時原発事故の陣頭指揮を執っていた。要するに、原発事故における最重要参考人であり、なおかつ責任者であり、そしてその原因を追究しなければならない責任者であり、その原因追及を踏まえたうえでエネルギー基本計画を造らなければならない責任者であり、そして総合してエネルギーの安定供給を行う総責任者である。その層責任者が原因追求において国家のことを考えず、<「記憶はない」「承知していない」との回答が目立ち、黒川委員長が「エネルギーと産業を統括する経産省の(事務方の)トップが忘れっぽいのも困ったものだ。国の信用が崩壊していくんじゃないか」と苦言を呈する場面もあった。>(上記より抜粋)では、その根本の問題である、福島原発の事故原因解明に関してまったく協力的ではないということ、しいて言えば、エネルギー基本計画を作る責任を感じていないということであり、日本国民にエネルギーの安定供給を保障できないということを意味する。
 要するに、枝野氏が経済産業大臣になっている間は、日本の画ね寝るぎーは高騰しまた安定供給が保障されない。その鍵となる「福島原発事故原因解明」に非協力的であり責任転嫁体質ばかりで、自今の層責任者、大臣としての責任を全うできないということだ。そして電力のない日本において工場の稼動は制限され、生活も制限されるということの層責任は枝野経済産業大臣であり、電力会社だけではない(だけではないという言い方に注目してもらいたい)。
 その責任を自覚するためには、枝野大臣に対して「エネルギー基本計画ができていないために、国民の井蛙kつを不安定にさせた」ということで、不信任もしくは問責決議を行い、国会はすぐに枝野氏を更迭すべきではないのか。
 少々乱暴な議論かもしれないが、エネルギーに関しては日本の生命線である。それほど重要なことに関し、野田内閣は消費税ばかりで完全に放置してしまっているということを、国民はもっと怒るべきである。

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沖縄復帰40年で進行というバラマキと安保を無視した基地問題しかいえない首相

沖縄復帰40年で進行というバラマキと安保を無視した基地問題しかいえない首相

 沖縄が復帰して40年になる。40年ということは私はすでにうまれていたということになる。私が生まれたときには、沖縄はまだアメリカだったのか、と40年という数字を見てなんとなく思うものである。
 沖縄は何を望んでいるのか。
 先日、沖縄と奄美大島の協会で当時沖縄の日本復帰を願う船の交流を再現したものをテレビで見た。双方が日本の国旗を掲げ、日本語の歌を歌った光景は、やはり沖縄は日本の領土であることを再確認するものではないのか。
 沖縄に関しては、「久松五勇士」など、日本国に貢献する国士が多かった土地である。その沖縄が、太平洋戦争(日米戦争)において唯一の日本国内の陸上戦闘があり、なおかつ戦後アメリカに占領されていたという歴史があったことは、周知の事実である。私が沖縄に出張したと金、那覇市議の方が「大田実中将は、ウチナンチュでもシマンチュのために尽くしてくれた、沖縄の恩人である」という言葉を受け、海軍指令壕を見学したことを覚えている。沖縄の戦闘を激励し海軍壕の中で自決するのであるが、その自決の際の決別の電報でひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えている文面は非常に有名である。
 沖縄がいつから「反日」「反政府」になったのか。5月15日のラジオ番組で太田全沖縄県知事は、ラジオ番組の中で「われわれは戦争をするアメリカから平和憲法の日本に戻ったつもりが、戻った先は日米安全保障条約の中の日本であった」という言葉を言っている。東京ローカルの番組なので、全国の読者の皆さんはあまり聞いていない方もいるかもしれない。しかし、そもそも「平和憲法で平和が維持できるのか」ということをまったく考慮しない、ほとんど病的な「軍事アレルギー」は、これらの冷静な考えも失わせてしまっている。
 それでも、自民党政権のときは、だましだましであったかもしれないが、前に進んでいたと思う。しかし、この日米関係が決定的におかしくなるのが鳩山政権での「少なくとも県外」である。
 そのような微妙なときに行われた40周年の式典。
 野田首相は「 自由度の高い一括交付金の新設。過去最大の増額となる沖縄振興予算。種々の税制上の特別措置。いずれも、沖縄県からの御要望を最大限に受け止めた成果の一つです。また、新たな沖縄振興と基地跡地の有効利活用のための法律が、今国会において全会一致で成立しました。」(下記野田首相式辞から抜粋)というように、普天間基地の固定化を避けるということと、バラマキの話だけである。これが沖縄の民主党の政策であるというのは、さすがにどうかしている。愛国心、日本本土と同じということがまったく首相の口から出ない沖縄の人は、これでよしとするのであろうか。
 沖縄は日本である。沖縄だけを特別扱いすることそのものがいかがなものかと考える。たとえば、大きな問題視している。基地があるというが、本当にマスコミが言うほどの過大な負担があるのだろうか。
「在日米軍基地の74%が沖縄に集中」→ 誤り
「在日米軍施設の23%が沖縄にある」 → 正解
「在日米軍“専用”施設の74%が沖縄に集中」 → 正解
 これはフェイスブックで書かれているものであり、私もこのような数字で間違いがないと思う。これを「沖縄に基地が74%もある、などと間違えた情報を流して沖縄だけを特別扱いさせるようなことを言っているのはいかがなものなのであろうか。はっきりいって情報の不正確なことといえば沖縄の報道に勝るものはないであろう。
 正確な情報で、なるべく客観的に物事を考える。復帰40年、そろそろ、日本のほかと同じでよいのではないか。横田基地や横須賀の基地の周辺が沖縄ほど特別扱いされていない。特別扱い、よりいっそう手厚いことを行うことそのものが「差別」ではないのか。
 40年という式典は、そのようなことを考えるひとつの節目にならなければならないが、そのような式典で基地問題や、あるいはバラマキしか語れないようでは、とてもとても先が思いやられるものである。
 今日は、野田首相の式辞を前文掲載しているので、記事の後ろには文章がないのでこの辺で。

沖縄復帰40年 経済と安保を両立させたい

  沖縄県はきょう、本土復帰40周年を迎える。
 宜野湾市で、野田首相ら三権の長や仲井真弘多知事などが出席して記念式典が行われる。
 日本全体の米軍施設用地の74%が集中する過重な負担が続く中、政府はいかに経済振興と安全保障を両立させるかが問われる。
 政府は先週、今後10年間の第5次沖縄振興計画の基本方針を決定した。那覇空港の第2滑走路整備による国際物流拠点化が柱で、沖縄の自立的な経済発展を目指す内容だ。この方針に基づき、沖縄県がきょう振興計画を決定する。
 計画の策定主体を政府から沖縄県に変更したのは、妥当である。アジアに近接する地理的特性や国際性を生かした計画を着実に実行に移してもらいたい。
 過去の振興計画は「本土との格差是正」を掲げてきたが、県民1人当たりの所得は全国平均の7割前後にとどまる。製造業が育たず、県内総生産に占める割合は40年前の11%から4%に低下した。
 基地、公共事業、観光に頼る「3K経済」の構造が続き、政府予算への依存度も高い。
 民主党政権は、米軍普天間飛行場移設問題を迷走させた負い目もあり、今年度の沖縄振興予算を2937億円へ大幅に増やした。
 これを有効に使うためには、沖縄県と各市町村が、中長期的展望に立った振興策を企画し、自助努力を続けることが大切だ。
 自由度の高い一括交付金を活用し、社会資本や箱物の整備などハード中心だった予算の使途を、環境、福祉などソフト重視に見直すことも求められよう。
 最近は、中国の軍艦や政府船による尖閣諸島周辺などでの活動が恒常化している。中国海空軍の急速な増強と近代化を踏まえれば、今後、沖縄の安全保障面の地政学的重要性は一層大きくなる。
 政府は、この現実を直視し、自衛隊と米軍の防衛協力を基盤とする日米同盟の抑止力と実効性を堅持しなければならない。
 同時に、在沖縄海兵隊の海外移転に伴う米軍施設の返還や日米地位協定の運用改善など、地元負担の軽減に全力を挙げる必要がある。普天間飛行場の辺野古移設にも粘り強く取り組むべきだ。
 重要なのは、米軍施設跡地の有効利用を図ることだ。
 政府は、キャンプ瑞慶覧の住宅地区に最先端のがん治療施設を整備することを検討している。こうした事業を通じて、在日米軍再編への地元の理解を地道に広げることが欠かせない。

2012年5月15日(火)1時45分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yomiuri-20120514-01279/1.htm

沖縄復帰40周年記念式典 内閣総理大臣式辞

 本日、内外から多数の賓客の御参列を得て、沖縄県との共催の下に、ここに沖縄復帰40周年記念式典を盛大に開催できることは、沖縄県民のみならず、すべての日本国民にとって意義深く、喜ばしいことであります。
 1972年5月15日。あの晴れがましい歴史的な本土復帰の日から、本日で40年を迎えました。
 この5月15日は、まず何よりも、「鎮魂と平和への決意」を新たにする日でなければなりません。先の大戦で奪われた、あまりに多くの尊い命。終戦後も、占領下に長く置かれた沖縄県民の言われなき苦しみ。沖縄が歩んでこられたそうした苦難の道のりを噛みしめ、平和で豊かな沖縄の未来を願い続けた先人の事績を決して忘れてはならぬ。そうした思いを改めて強くしています。
 5月15日は、これまでの沖縄県民の努力を称え、すべての同朋が沖縄に寄り添っていく思いを新たにする日でもあります。復帰後、今日に至るまでの40年間、沖縄は、県民自らのたゆみない努力によって、あまたの困難を乗り越えながら、力強い発展を続けてきました。政府としても、4次にわたる振興計画を実施し、様々な特別措置を通じて、県民の努力を全力でお支えしてまいりました。これらが相まって、この40年間で、社会資本の整備が着実に進み、生活水準も格段に向上してきたことは疑いのないところです。
 そして、5月15日は、沖縄の未来に思いを馳せる日でもあります。私たちは、世界の重心がアジア太平洋地域に移りつつある歴史の変動期を生きています。それはすなわち、アジア太平洋の玄関口として、沖縄が新たな発展の可能性を身にまとったことを意味します。豊かな自然環境や温暖な風土。琉球の輝かしい歴史に裏付けられた独自の文化。日本一若い県民の持つ清々しい活力。そして雄飛の覇気を持って海外にはばたき、世界中にネットワークを有するウチナーンチュ。こうしたすべての潜在力を発揮させることで、沖縄がますます輝きを増していく。そういう時代がやってこようとしているのです。
 既に、観光と情報通信技術は、沖縄経済を牽引しています。那覇空港は、いまや国内第3位の国際物流拠点に成長しています。いずれも、日本再生のために我が国全体で取り組もうとする方向性を先取りしたものです。
 「沖縄は、日本のフロンティアである」――私のその願いを裏付ける具体的な発展の「芽」が実際に次々と生まれているのです。こうした「芽」をきちんと育て、まさに21世紀の「万国津梁」の要となって、総合的な地域の発展につなげていく。私たちの世代は、そうした責務を負っています。平和で豊かな未来のために沖縄の潜在力を解き放ち、基地負担の軽減を着実に進めていくことは、私の内閣の最重要課題の一つです。
 今なお沖縄が直面する様々な課題の解決に向けて、最も大事なことは、沖縄の皆様の声に真摯に耳を傾けることです。
 自由度の高い一括交付金の新設。過去最大の増額となる沖縄振興予算。種々の税制上の特別措置。いずれも、沖縄県からの御要望を最大限に受け止めた成果の一つです。
 また、新たな沖縄振興と基地跡地の有効利活用のための法律が、今国会において全会一致で成立しました。これらの法律は、沖縄の主体性に重きを置いた、画期的なものです。政府が決定した法律に基づく基本方針を踏まえて、県において、本日、「沖縄振興計画」が策定されました。私は、先ほど、仲井眞知事からこの策定されたばかりの計画の提出を受けたところです。この計画の実現のため、政府としても力を尽くしてまいります。
 さらに、この振興計画の着実な実行に加えて、那覇空港の第二滑走路について、平成25年度予算編成過程で財源の検討を行って早急に整備を推進してまいります。また、鉄道、軌道その他の公共交通機関の整備の在り方について、沖縄県と連携し、引き続き、必要な調査・検討を進めてまいります。そして、国営沖縄記念公園の首里城等の主要施設については、平成30年度をめどに沖縄県へ移譲することとし、その具体化のための協議に着手いたします。
 このように、沖縄は、その繁栄に向けた新たな展開を自ら切り拓いていこうとされています。政府としても、沖縄という大きなフロンティアを「夢」から「現実」に変えていくため、医療、環境、人材育成を始めとする各分野において、県と手を携えて、自立型経済を発展させ、潤いのある、沖縄らしい優しい社会の実現を後押ししてまいります。
 沖縄振興とあわせ、沖縄を含む我が国の安全を確保することは、国の基本的使命です。一層の厳しさを増す我が国周辺の安全保障環境の下、日米安全保障体制の役割は引き続き重要となる一方、米軍基地の集中が沖縄の皆様に大きな負担となっていることは十分に認識しています。抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担の早期軽減を具体的に目に見える形で進めていくことを改めてお誓いいたします。
 普天間飛行場の固定化は絶対にあってはなりません。その大前提の下で、先般、日米両政府は、普天間移設の問題と「海兵隊のグアム移転」や「嘉手納以南の土地返還」の問題を切り離すことに合意するとともに、海兵隊の国外移転を待たずに返還可能な土地や速やかに返還可能な土地を特定いたしました。これらは、基地負担軽減の「目に見える具体的な成果」につながっていくはずです。
 また、私は、この沖縄の本土復帰40周年の記念日を前に、4月末から米国を訪問し、オバマ大統領とともに、日米の「共通ビジョン」を発表しました。これは、沖縄を含むアジア太平洋地域と世界の平和と安定のため、大局的観点から、日米同盟の今日的意義や今後長期にわたる日米関係の在り方を確認するものです。こうした日米両国を挙げての取組が沖縄の負担軽減に確実につながるよう、これからも一つ一つ、着実に成果を積み上げていきたいと考えています。
 本土復帰から40年。日本全体を牽引し、アジア太平洋の時代を先頭に立って切り拓いていくのは、沖縄です。そして、そうした未来を担っていくのは、私たち自身です。
 平和を希求する県民の願いが、そして世界に飛躍を願う「万国津梁」の精神が、21世紀の沖縄を切り拓く大きな財産となることは疑いありません。我が国に未曾有の被害をもたらした東日本大震災からの復旧・復興、日本経済の再生に向けた挑戦が続けられている今だからこそ、沖縄に期待します。そして、沖縄の一層の発展が、我が国及びアジア太平洋地域の発展に寄与することを確信します。
 最後に、改めまして、沖縄と日本、さらには世界の平和と発展を祈念し、私の式辞といたします。

平成24年5月15日  内閣総理大臣 野田 佳彦
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2012/0515okinawa.html

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日中・日韓首脳会談と日本の主張と外交交渉の要

日中・日韓首脳会談と日本の主張と外交交渉の要

 「交渉」と言うのは、片方の意見を一方的に主張することが目的ではない。基本的に、その「交渉」の中には、両者の交渉に関して、両者の意見などの調整の場が存在する。双方の主張をぶつかり合わせて、そのうえで両者の意見を調整することが交渉の目的である。実際に交渉を行うということは、それだけ、交渉の中に幅がある。まったく愚にもつかないような交渉もあれば、相手方の主張に聞くべきところがある内容も存在する。それらの内容は「交渉」をしてみないとわからない。それが実際の現場の話である。
 これはあくまでも「交渉」の一般論である。さて、この交渉が国家間の国益のぶつかり合いとなれば、その交渉は非常に難しくなる。実際に個人と個人や個人と企業などの交渉も非常に難しいのに、国家と国家の間となれば、その交渉は非常にデリケートな内容を含むことになる。
 その「デリケートな内容」とは何か。基本的には国家に関する想いなど「国家の『あるべき論』と、感情」である。個人と個人の交渉を見てみれば最も良い。たとえば、交通事故で誰かが傷つけられたとする。相手が企業の場合、本来であれば「あれも・これも」と様々な要求をする。しかし、実際に法律を適用すれば限られた賠償範囲しか存在しない。その分を多少上乗せすることはあっても、法外な要求は通らないのが通常である。国家と国家の交渉も同じ。ある程度常識、ある程度国際法に則った交渉を行わなければ近代法治国家としての良識を疑われることになる。そこに国家観の感情やイデオロギーが入るようになってしまえば、最終的には戦争以外に解決方法はないということになってしまう。
 クラウゼビッツの戦争論は、まさにこのような交渉による外交の究極の解決方法が戦争であると言うが、それでは「交渉」ではなくなってしまう。交渉は、それらの悲惨な事態にならないように事前に調整を行うのが交渉である。
 とはいえ、相手が法外のことを言ってくれば当然に、断固として拒絶する姿勢も必要だ。上記の交通事故などと同じで、ある程度の基準がありその基準を持って交渉を行うべきではないのか。
 さて、5月13日に野田首相は日中・日韓の首脳会議を行った。その模様が交渉の一般論(上記はまだ個別の論点には入っていないことに注意してください)から見てどうなのか。記事の後に見てみようと思う。

「尖閣」で応酬 中国「核心的利益」 首相「固有の領土」 人権問題にも言及

 【北京=桑原雄尚】北京を訪問中の野田佳彦首相は13日、北京の人民大会堂で中国の温家宝首相と会談し、沖縄・尖閣諸島の領有権問題をめぐって応酬した。温首相が「(中国の)核心的利益と重大な関心事項を尊重することが大事だ」と述べたのに対し、野田首相は「尖閣は日本固有の領土だ」と反論。野田首相は東シナ海における中国艦船の動向についても「日本国民の感情を刺激している。中国側の冷静な対応を強く求めたい」と懸念を表明した。
 温首相は会談で、台湾やチベットなど中国の安全保障問題の中で譲歩できない国家的利益を意味する「核心的利益」という言葉を持ち出した。この言葉を直接、尖閣諸島には当てはめなかったものの、東京都の石原慎太郎知事が都として尖閣諸島を購入する方針を表明したことを意識した発言とみられる。
 温首相は「釣魚島(尖閣諸島)は中国領土だ」とする従来の立場も改めて強調。これに対し、野田首相は「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、日本はこれを有効に支配している」との日本の基本的立場を説明した。最終的に両首脳は「この問題が日中関係の大局に影響を与えることは望ましくない」との認識では一致した。
 野田首相は、中国の人権活動家、陳光誠氏の問題を踏まえ「日中人権対話」の開催を要請。温首相は返答しなかった。
 両首脳は、北朝鮮のさらなる挑発行動の阻止で連携することを確認。野田首相は北朝鮮による日本人拉致事件の解決に向け、中国側の協力を改めて要請した。
 野田首相はこれに先立ち、韓国の李明博大統領とも会談した。大統領は、昨年12月の首脳会談で野田首相に慰安婦問題の謝罪と賠償を要求したことを踏まえ「前向きな検討をお願いしたい」と要請。首相は「ともに知恵を絞っていきたい」と答えたが、具体的な言及は避けた。
 両首脳は、中断状態となっている日韓経済連携協定(EPA)の締結交渉再開で意見交換したほか、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結を急ぐなど、安全保障分野での協力強化でも一致した。また、北朝鮮の3度目の核実験や軍事的挑発行為を容認しない方針を確認した。
 個別会談の前に行われた日中韓3カ国の首脳会議(日中韓サミット)では、日中韓の自由貿易協定(FTA)交渉の年内開始を正式に合意し、FTAの前段となる3カ国投資協定の署名式も行われた。
 野田首相は原発事故に伴い中韓両国が実施している渡航制限や日本産食品の輸入規制の撤廃や緩和を要請。温首相は「適切な措置を検討する」と述べた。
 共同記者会見で温首相は「引き続き6カ国協議を通じて朝鮮半島の非核化を実現すべきだ」と述べ、米露も含めた6カ国協議の再開を提案。李大統領は「より効果的な方策について講じるべき時点に来ている」と述べ、北朝鮮に対する追加措置の必要性を強調した。

2012.5.13 21:14  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120513/plc12051321140007-n2.htm

李大統領が慰安婦問題解決促す

 野田佳彦首相は13日、韓国の李明博大統領と北京市内で会談した。韓国側報道によると、大統領は従軍慰安婦問題を念頭に「歴史を直視する基礎に立ち、知恵を集めれば両国関係はさらに強固になる」と述べ、早期解決に向けた日本側の努力を促した。両首脳は北朝鮮の核実験や軍事的挑発行為を容認しない方針を確認した。
 会談では、中断状態となっている日韓経済連携協定(EPA)の締結交渉再開について意見交換。首相は早期再開を目指し、議論を加速させるよう要請したもようだ。
 従軍慰安婦問題をめぐり韓国は元従軍慰安婦の女性への謝罪など早期解決を重ねて要請。日本政府は1965年の日韓請求権協定によって賠償や謝罪に関しては「決着済み」とする立場を示している。(共同)

2012.5.13 20:25 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120513/plc12051320270006-n1.htm

 日中会談では「尖閣問題」と「日中人権対話」に関して話し合われたようだ。実際に尖閣の問題に関しては「この問題が日中関係の大局に影響を与えることは望ましくない」(上記より抜粋)との認識で一致したとのこと。人権に関しては野田首相が一方的に主張したにすぎない、要するに、交渉が成立していないということに他ならない。
 一方日韓会談では「慰安婦問題」が再燃している。そのうえで「竹島」問題は全く話あわれず、「日韓経済連携協定」についての議論の加速を話あったという。片方で賠償金の話をしながら片方で経済的な連携をするというのは、なんとも不自然である。ましてや、上記の交通事故の例で挙げたように、「すでに基本条約で解決済み」でありながら「法外な要求にこたえる姿勢を示す」と言うのは、基本条約以外に何らかの弱みがあるかのごとき内容としか考えられないのである。そのような話では、対等な交渉など期待できないではないか。
 交渉とは、上記のように双方の立場をしっかりと主張することと同時に、本来の法的な、そして常識的な、国家間であれば基本条約で決められた内容に基づいて話し合われるのがふつうである。それができないのであれば、話し合いの基準も何もなくなってしまう。基準のない話し合いはエゴのぶつかり合いにしかならず、最終的には戦争を引き起こすことになりかねない。エゴのぶつかり合いを避けるために、法律や条約が存在するのである。それくらいのこともわからないで首脳会談などと言って外交交渉を行ったつもりになっているようでは話にならないではないか。
 尖閣問題にせよ慰安婦問題にせよ竹島問題にせよ、そもそも事実の認識がありそこに、条約などを結びつけて話し合われるのが普通のものであり、それができないならば交渉などをせずにさっさと政権から降りるべきではないのか。日本人、特に日本のあまり頭の良くないマスコミやB層(連休中の連載を参照してください)相手に詭弁を弄するのとは全くわけが違う。それくらいの感覚で外交交渉をパフォーマンスすること自体が最大の日本のリスクであることを、しっかりと国民は認識すべきである。

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マスコミ批判に関する一考(94) 記者たちの取材姿勢に、これではよいねたが入るはずはないと感じる

マスコミ批判に関する一考(94) 記者たちの取材姿勢に、これではよいねたが入るはずはないと感じる

 この「マスコミ批判に関する一考」も94回目になっている。すでに2年程度この特集をやっている。はじめのうちは、適当であったが、途中から毎週月曜日にこの特集を行っている。この特集を月曜日にしたのは、日曜日に政治の動きが少ないからというかなり消極的な理由である。金帰火来といわれる国会議員。金曜日に地元に帰り火曜日には本会議があるので国会に戻ってくるというのを揶揄した言葉であるが、実際にこのようになっているのがわれわれの政治だ。月曜日、要するにこの記事を皆さんが読んでいることは、私もゆっくり休んでいることであろう。そのようなつもりで、「書き溜めることのできるネタ」という意味もあって、この特集を月曜日にした。
 実際に、この特集にするにあたって、マスコミの真の姿を皆さんに知らせることを目的にしたつもりである。もちろん批判も避難もするが、逆にマスコミがすばらしいと思うときは、基本的にほめることもする。過去の何回かマスコミのファインプレイをあげたこともある。批判は、それを直すことができること、直したほうがよいことを批判するのが、建設的な批判、直すことができない内容を非難や誹謗中傷ということになる。私は批判をする場合はあるが、非難はなるべく(まったくしないとはいわない)しないつもりでこの文章を書いている。私がマスコミにいるからであり、同時にマスコミそのものの人も努力をしている人が少なくないからである。一方で、楽をしたり、手を抜いたりというのは、厳しく批判することになる。
 さて、基本的にこのようなスタンスで行っているので、なるべく客観的な書き方をするつもりであった。しかし、今回は、その金を破り、94回目で私の記事を上げて、その記事にまつわる話を書いてみたい。

中国“失脚大物”薄煕来氏を独占インタビュー!初めて明かされる真実

 中国共産党の次期最高指導部入りが確実視されながら、3月に失脚した薄煕来(ハクキライ)前重慶市党書記に、国会新聞社の宇田川敬介次長が先月末、北京で、日本人ジャーナリストとして初めて接触に成功した。宇田川氏は以前、総合スーパー「マイカル」に勤務し、中国進出時の法務交渉担当を務めており、薄氏とは大連市長時代から深い交流があった。中国の情報機関「国家安全部」の監視のもと、軟禁状態にある薄氏と3時間にわたって会食し、一連のスキャンダルなどについて聞き出したという。
 「薄氏は少しやつれていたが、穏やかな表情だった。共産党内の権力闘争や、自らのスキャンダルの多くを否定していた。会食したのが、民主党の小沢一郎元代表に無罪判決が出た当日(4月26日)だったので、『私は(小沢氏のように)復活する』と語っていた」
 宇田川氏はこう語る。会食は天安門広場近くにある高級ホテル「北京飯店」で行われた。
 薄煕来解任事件は、薄氏の妻、谷開来(コンカイライ)容疑者に英国人殺害容疑がかかっているほか、共産党内部の権力闘争説やクーデター説が流れたり、不正蓄財の疑いで親族が調査を受けるなど、大規模なスキャンダルに発展している。
 宇田川氏は、薄氏と1997年、マイカル大連店の出店準備時に知り合った。薄氏は当時、大連市長。同年末、マイカルと弁護士である妻の谷容疑者と顧問契約したこともあり、家族ぐるみの付き合いをしてきた。
 2000年ごろ、薄氏と谷容疑者に離婚問題が浮上した。宇田川氏は外国人仲介人として離婚調停に関わった(調停成立も、離婚はせず)。
 国家安全部側は今年3月、薄氏の家族関係について確かめるため、宇田川氏に捜査協力を求めてきた。この協力の見返りとして「写真と録音はNG」という条件で、宇田川氏は薄氏との会食を許可されたという。
 北京飯店3階の個室では、宇田川氏と薄氏、通訳2人(うち1人は国家安全部の人間)がテーブルを囲み、鳥の塩がま焼きやフカヒレの姿煮、北京ダック、鮑のステーキなどを堪能した。外では制服警官2人が警備していた。
 宇田川氏は「最初は昔話で盛り上がり、途中から、薄氏は谷容疑者の悪口を言い始めた。調停は成立して10年以上も別居していたが、『子供の問題や出世の妨げになる』として離婚はしていなかった。薄氏は、妻の殺人を否定せず、『離婚しておけばよかった…』と後悔していた」と語る。
 日本では、薄氏失脚に絡み、さまざまな報道・情報が飛び交っている。宇田川氏は当然、真偽を問いただした。薄氏はこう語ったという。
 「共産党内部の権力闘争ではない。私は重慶市党書記として、マフィア組織(黒社会)の取り締まりを徹底的にやった。マフィアと癒着している市幹部も排除した。これが恨まれた。別居している妻の事件が起きたタイミングで、彼らの残存勢力にハメられたのだ」
 宇田川氏は北京滞在中、別の中国共産党幹部にも面会し、薄氏の事件について説明を求めた。
 幹部は「もし、野田佳彦首相の妻が英国人を殺し、側近が米国大使館に逃げ込んだら、野田首相は現在のポストにとどまれますか? 権力闘争…という記事は信用に値しない」と語ったという。
 薄氏との会食終盤、ホテルのフロントに頼んでいた小沢氏の判決結果がメモで入った。薄氏は小沢氏のことをあまり知らなかったが、置かれた立場からシンパシーを感じたようで、「日本では復活できるんだな…」と満足そうな表情を見せたという。そして、会食が終わると、「アイ・シャル・リターン」といい、部屋を出ていったという。
 ■薄煕来(はく・きらい) 1949年、山西省定襄県出身。父は革命歴戦の将で、副総理まで務めた薄一波氏。80年に中国共産党入党。大連市長や遼寧省長、商務部長(商務相)などを経て、2007年に中央政治局員となり重慶市党委書記に就任する。大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上を摘発した。大連市長時代から、日本企業の誘致などで手腕を発揮し、日本の政財界とは深い関係を持つ。12年3月、重慶市党委書記を解任される

2012.05.11 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20120511/frn1205111124000-n1.htm

 世界各国、特に、さまざまな国家などで話題になっている内容だ。
 このようなものの取材のとき、私は必ず複数の信用できるルートで直接会うようにしている。メールやインターネット上では、ニュアンスが伝わらないばかりか、誤解もあれば誰が見ているかわからない、要するに本音の話もできないことになる。そのような状態で、取材下など問い満足しているようでは話にならないのである。取材を行うにあたっては(実際この中国出張は取材のために言ったわけではないのであるが)、人間的な「リアルな」付き合いがあり、その人の輪の中に入り込まなければならない。
 「生活の循環の中に入り込むこと」が「本音で話す」ことの最低限に必要な内容である。
 しかし、今回驚いたのは、中国のメディアもイギリスやアメリカのメディアやマスコミも、日本のマスコミも、ファーストアクションがインターネット、それもフェイスブックやツイッターであったことだ。私に対する取材がこれではとても話しにならない。実際に、人づてであっても事前に連絡があった人に対してはすべて対応をしているが、ツイッターやフェイスブックだけの人には、一切対応しないという原則にしている。それは、私自身が相手を信用できないからである。もちろんどうでもよい記事ならば、適当にそれでも答えることがあるが、上記の記事のように非常に微妙であり、なおかつデリケートな問題では、相手との信頼関係が最も重要である。そのような取材の仕方をしている人などは、現在は皆無なのか。
 実際に、多数の人が私にアプローチをしている。人数でいえば、数十人というジャーナリストが私を追いかけているのかもしれない。しかし、実際に私に会いに来た人はいない。ゼロである。番組などで取り上げているのかもしれないが、単純に夕刊フジ以外、私にあってこの話を書いた人はいないのが現実である。いかに、マスコミが、「本物に合わないでものを書いているか」そして、インターネット上の多くの人が書いていることが「このような取材のマスコミネタを、情報ソースとしているか」ということを考えなければならない。実際に本人に合って話もしない、私と直接会話した人もいない、ツイッターなどは見てくれればわかるが「内容に関して記載したのはほとんどない」その状態で、多くのマスコミがこのことを書いているのである。はっきりいって笑い話以外の何者でもない。
 そして2CHなどは、そのようなネタを元に、話をしている。評論している。以下にヴァーチャルの世界が空虚なのか、一方でマスコミが空虚な内容でいい加減に記事を作っているのかがよくわかる。
 逆にそのような記事の造り方をするから、誰も本物には会えないし、取材もできない。結局誰かの「マタギギ」で話を判断する。そのニュースで社説を書き、論説を書き、となる。これでは話にならない。
 今回は、あえて「批判」であるとするが、実際に、インターネットに頼らない取材をしっかりとすべきではないのか。ましてやツイッターやフェイスブックなどはもってのほかだ。それはコミュニケーションのひとつのツールでしかないし、それですべてを判断できる、インターネットにすべてが書いてあるなどということはない。もちろんマスコミもだ。
 自分で調べ自分で考え、そしてまた調べる。そのようなことができない限り、正しい情報は入らない。それはマスコミもインターネットも同じ。そのことがわからない人は、どちらが媒体でもいいが、だまされ続けることになるであろう。

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宇田川敬介東アジア放蕩覚書(55) 中国での連休の過ごし方

宇田川敬介東アジア放蕩覚書(55)
中国での連休の過ごし方

 少し間が開いてしまった。
  日本にはゴールデンウィークとお盆と正月。この三つの休みがある。ゴールデンウィークは、たまたま祝日がこの時期に重なったものであるが、それでも休みにはさまざまな意味があるものである。そのことは先日の連載に記載した通りなので、ここに繰り返すことはしないようにする。一方、中国では大きな休みは「春節」「メーデー」「国慶節」の三つである。
  この連載は、現在「中国における訴訟の勝ち方」というのが連載中であるが、今回は、どうせ間も開いてしまったし、閑話休題の意味も含めて中国の連休について話をしてみたい。
 
  中国でも連休は「祝日」が中心である。いまだに太陽暦に慣れていない中国では、正月は「春節」要するに小正月である。ただ、太陽暦の正月ではないので、春節休みが別に存在する。通常われわれが正月と呼称している1月1日は、通常の祝日で連休にはならず、春節を中心にした暦ができている。私からすれば、中国人は都合よく二つの暦を使い分けているようにしか見えない部分もあるのであるが、まあ、その辺のところは。太陰暦を使うことそのものによって、中国は伝統をかろうじて維持しているといえるのである。
  この日は、多くの人が自分の本家へのあいさつ回りをする。しかし・・・・・・

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発行 宇田川敬介(國會新聞社 編集次長)

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配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000207352.html
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新しいギャグ 野田首相が菅政権の政策を否定

新しいギャグ 野田首相が菅政権の政策を否定

 民主党内閣というのは、いったい何をやっているのかまったくわからない。
 マニフェストを出したと思ったらそれを全否定し、予算を組んでもその財源の公債は法案として提出もしない。よくまあこのような状態で政権といっていられる。
 先日中国に出張し中国の次期政権の重要ポストに就任するといわれている人物と会食をした。日本の民主党政権に関し「あんなに馬鹿だとは思わなかった。日本に馬鹿な政権がいることは、中華人民共和国にとって害悪でしかなく、迷惑な存在だ」といっていたのである。世の中で言われていることとはかなり違う雰囲気であるが、実際に、中国の最近の反政府デモなどは、「強大で超えられそうで越えられない仮想敵国日本」が「弱体化」したことによる、中国人民の「不満の捌け口」としての日本がいなくなり、そのはけ口として、人民にとってより近くなった中国共産党政府がその不満を受けてしまっているということになっているというのである。
 ある意味哀れみを受けある意味で迷惑がられている日本の民主党政権。その政権迷走の中心は、まさに決断もできなければ計画性も将来のヴィジョンも何もない、何よりも国家間も泣く自分の収入とサラリーマン的な職業としての「政治家」としての認識、もっと言えば、日本の国家の礎となる意識がまったくない。そのことが完全におかしな話になっているのではないか。
 その代表格が、「空き缶」といわれた菅直人前首相。
 この人は、調子のいいことをいい、まさに衆愚の象徴的な存在ではないのか。
 その菅氏の行った成長戦略に関し、その9割が成果なしという結果を野田首相の下における国家戦略会議において行った。そもそも9割も「成果のない」ということを確認する会議が必要なのかということが、もっとも大きな問題ではないのか。一応出しっぱなしで無責任であるよりは評価をしたほうがよいが、しかし、自己否定を行い9割成果なしというのは、新しい逆としか思えない。

菅直人内閣時代の新成長戦略9割成果なし

 菅直人内閣が平成22年6月に策定した新成長戦略376項目のうち成果の出ていない政策が約9割にのぼっていることが、10日開催の政府の国家戦略会議(議長・野田佳彦首相)で報告された。「成果あり」は航空自由化(オープンスカイ)など36項目にとどまった。

2012年05月10日20時59分 提供:産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/6546983/

国家戦略会議HP
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/archive05_10.html#haifu

新成長戦略全体フォローアップ結果(概要)

平成22 年6 月に策定した「新成長戦略」の工程表に基づく施策の実施状況について、フォローアップを実施した。
(1)今回のフォローアップでは、工程表上の施策全376 項目について、単なる施策の実施状況のみならず、その具体的な成果・効果も検証し、成果・効果が出ていない場合にはボトルネックやその克服に必要な対応策も併せてレビューした。施策の成果・効果は、可能な限り定量的に提示した。
 進捗に対する各省庁の自己評価については、以下の分類とし、施策を工程表の期限どおり実施していても成果・効果が確認できなければ、B評価とした。

(2)このフォローアップ結果を踏まえて、新たな工程表を含む日本再生戦略を年央までに策定する。
A:実施済かつ成果あり(工程表の期限どおり全て実施、かつ、2020 年の成果目標の実現に向けて着実に成果・効果が出ていることが確認されたもの)
B:実施済(工程表の期限どおり全て実施したが、2020 年の目標に向けた成果が出ていることが確認できなかったもの)
C:一部実施(工程表の一部を実施したが、すべては実施できていない)
D:未実施(工程表の施策が実施できていない)
E:その他(工程表の施策の実施を断念等)

2.フォローアップ結果の概要

A(実施済かつ成果あり)が36 件、
B(実施済)が229 件、
C(一部実施)が138 件、
D(未実施)が6 件、
E(その他)が0 件となった。

(注)同一の施策項目について、複数の担当省庁が自己評価している場合があるため、
合計が施策項目数(376)を上回る。

(1)工程表どおり全て実施済である施策(A及びB)は、全体の約6割を占めており、既に着手している施策(C)で工程表の期限に向けて進んでいるものを含めると、新成長戦略の多くの施策は、概して工程表に即して推進されている。
(2)一方、工程表どおり全て実施していても、現時点で十分な成果(アウトカム)が明確に確認できない施策(B)も約5割を占めており、戦略策定後の東日本大震災の発生等による大きな経済環境の変化の影響も相俟って、現時点において、2020 年の成果目標に向けた成果は、必ずしも十分に発現していない。
(3)また、工程表の期限に比べて施策の実施が遅れている一部の施策については、取組を加速して確実に実行する必要がある。

http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120510/shiryo1.pdf

新成長戦略のフォローアップを踏まえた今後の取組について
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120510/shiryo2.pdf

日本再生に向けた地域活性化の取組
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120510/shiryo3.pdf

医療イノベーション5か年戦略中間報告
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120510/shiryo4.pdf

「東北メディカル・メガバンク計画」について
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/archive05_10.html#haifu

個別案件の論点について
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120510/shiryo6.pdf

成長ファイナンス推進会議
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120510/shiryo7.pdf

参考資料1 成長戦略
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120510/sanko_shiryo1.pdf

参考資料2 新成長戦略全体フォローアップ調査票
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120510/sanko_shiryo2.pdf

 野田首相という人物は、誰かを否定しなければ自分のアイデンティティが確立できない人物、要するに誰かを批判しなければ方向性も示すことのできない馬鹿な人物ということ。ただ、鳩山や菅と違うのは、過去の民主党、要するに自分たちを否定しながらその責任を自分で取ろうと思わない無責任で厚顔無恥なところではないのか。
 そもそも「菅政権時代の」と書いているが、そのときの財務大臣は野田首相本人である。そして民主党が国家戦略という不思議なことを恥じまた。戦略ということをはじめなければならないのは、自分たちに戦略がないから戦略という単語を使ってやらなければならない。そもそも政党とは将来のヴィジョンを共有する政治家の集まりのはずだ。戦略などというのを改めて会議すること自体ナンセンスであり、そんなものは政権をとる前に話し合っておくべきもの、政権をとり、利権のことしか考えていないから、今まで自分たちが発してきた言葉に責任を感じないし、改めて戦略を自分たちで確認しあわなければならない。それほど無計画で無軌道な烏合の衆が民主党の姿であるということである。
 今回のことは、自らが財務大臣であったときのことを言下に否定し9割成果なしということがいえてしまうほど無責任な人物が、無責任であることすら気がつかない上体で発言をしているという政権を国民は選択したということである。
 民主党が動向というのではなく、次の選挙でもただ単にアジテーションをかけた演説をし、扇動する不思議な人々が活躍すると思われるが、それらにだまされないようにしなければ、日本は中国に哀れみを受ける存在に落ち込んでしまうであろう。

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陸山会事件 民主党における司法や三権分立に関する意識の問題

陸山会事件 民主党における司法や三権分立に関する意識の問題

 昨日に引き続き、陸山会事件に関して言及してみたい。昨日列挙した問題点の二つ目に関して少し考えてみたい。
 まずこの判決が出る前に、小沢一郎元代表の党員資格停止処分を解除した。そもそも党員資格停止処分は、刑事被告人となったことで、国民の代表として政権与党の大銀として、そのままでよいのかということになる。過去に、民主党はかなりの数の刑事被告人を出している。民事訴訟は別にし、検察に起訴された場合は、ある意味で「立法府の代議員でありながら、法律を犯した疑いを持たれた」ということになる。そのために、そもそも「法律を守ることのできない人が法律を作る立場にいてよいのか」ということになるのだ。この判断基準は、特に問題があるとは思えない。それが小沢氏だからとか、そういうものではなく、立法府の代議員として「李下に冠を正さず」の言葉のとおりにしなければならないという「理念」は同じではないのか。
 日本の裁判制度は、昨日も言及したように、三審制である。そしてひとつの判決後、14日以内に控訴・上告をしなければ、判決は確定するということになるのである。よって、「法律を犯したという疑念が完全に消えさる」ということは、「無罪で判決が確定する」ということのに他ならない。
 確定する前に「疑念が払われた」とするのは、民主党として三権分立を完全に無視した態度ではないのか。これは二つの問題がある。これは「党員資格停止処分」の入り口と出口である。要するに、「疑念が完全に払われていない状態(無罪が確定していない状態)で処分が解除されるのであるならば、なぜ処分が実行されたのか」ということ、一方で、「なぜ解除できたのか」ということの二つである。
 そしてこの問題点を二つあわせれば、「処分に関して客観的な基準がない」ということを示しており、要するに北朝鮮や改革解放前の中国共産党と同じ「人治主義」「独裁」であり「客観的な基準の不存在」ということになる。もっといえば処分や法律、刑事罰に対して、客観的な基準もなく処分を下し、またそれを解除することができる「絶対的な専制君主的な権力」を民主党が思考していることが、小沢一郎という議員のおかげで、図らずも明らかになってしまったというのである。
 昨日のブログでも一言触れたが、菅直人前首相は「日本国憲法にはs何件分立の規定が存在しない」と明言している。要するに、日本には行政・立法・司法の独立性はなく、政権政党が完全な専制独裁を許されるという、ナチスドイツの受任法のような発想をしているということなのである。このような考え方は「国家社会主義」もしくは「ファシズム」的な考え方である。現在では、「北朝鮮」がもっとも典型的であるが、そのような絶対専制君主制を目指している危険思想の持ち主が民主党なのだ。このような政党に政権を持たせておいては、いつわれわれも法律に記載のないことで逮捕監禁処罰されるかわからないのである。人権も民主主義も何もない。そんな国を目指している人が民主党の支持者ということだ。それならば北朝鮮かどこかに行ってもらいたいものである。
 その記事が下記のものである。

小沢氏裁判控訴決定 輿石氏「かえって証人喚問できなくなった」

 民主党の小沢一郎元代表(69)は、裁判の指定弁護士が、無罪判決を不服として控訴したことを受け、「理解に苦しむ」とのコメントを発表した。一方、輿石幹事長は、小沢氏の党員資格停止処分を解除する決定を変えない方針を表明した。
 風邪気味だという小沢氏は、9日午前中は、事務所で側近議員と面会したが、午後は自宅にこもり、午後5時ごろ、事務所を通じてコメントを発表した。
 この中で、小沢氏は「先日の無罪判決の内容を見るかぎり、控訴審でこれが覆ることは想定しにくく、理解に苦しむ」と控訴を批判したうえで、「早期に公訴棄却、もしくは無罪という結論が得られるよう、万全の対応をとりたい」とした。
 一方、小沢氏に近い議員は、「頭にくる。いったい何が理由なのか」、「信じられない」などと、控訴に納得がいかない気持ちをあらわにしている。
 民主党の鳩山元首相は「全く想定をしていなかった、想像していなかったことだけに、大変驚いていますし、心の中では残念だなと、そう思っています。(控訴されても)小沢元代表にもね、もう党員資格停止は解かれたんですから、(党の議論に)加わっていただいて、議論に参加していただくと」などと述べた。
 民主党の山岡副代表は「小沢さん自身は、もちろん何ら影響されることはありませんけどもですね、世間の皆様からはですね、一部誤解を受けるおそれもあるわけで、まああの、政治活動にも支障がないとはいえない」などと述べた。
 今回の控訴により、秋の民主党代表選挙への小沢氏の出馬については、小沢氏に近い議員が、「裁判しながら代表選というわけにはいかない」と語るなど、小沢氏本人の立候補は困難になったとの見方が広がっている。
 一方、8日に決定された小沢氏の党員資格停止処分の解除の扱いについて、輿石幹事長は、「控訴しようとしまいと、党としての方針に何ら変わりはない」と、予定通り、10日に解除する方針を表明した。
 輿石幹事長は「ま、それはそれで、手続きを経てやったということですから、それはそれでいいじゃないですか? (処分解除の方針に変わりない?)なぜ変えなきゃいけないでんすか?」などと述べた。
 ただ、民主党内からも、控訴の前に処分の解除を決めた執行部の判断は、拙速だったのではないかという声も噴出している。
 小沢氏と距離を置く民主党の生方衆院議員は「私としては、結論をちゃんと得て、それから控訴文を見て、この内容だったら党員資格停止は解除するべきだという結論を出した方が、国民の皆様にはわかりやすかったんじゃないかという意味では、ちょっと残念ですけどね」と話した。
 一方、野党側は、控訴を受け、あらためて小沢氏の国会での証人喚問を求めている。
自民党の大島副総裁は「(小沢元代表の)国会での説明責任が、ますますもって必要になってきたと」と述べた。
 公明党の山口代表は「引き続き、国会における説明責任の場を求めてまいりたいと思っております」と述べた。
 ただ、輿石幹事長は、「控訴を見守る必要があるので、かえって証人喚問はできなくなった」との見解を示しており、実現は困難な情勢となっている。
最終更新:5月9日(水)20時44分

フジテレビ系(FNN) 5月9日(水)20時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20120509-00000942-fnn-pol

「小沢無罪」控訴 「処分解除」批判再燃も…民主党内、抗争激化か

 民主党の小沢一郎元代表の政治資金規正法違反事件で、検察官役の指定弁護士が1審の無罪判決に対する控訴方針を決めたことで、小沢氏の完全復権はしばらく遠のくことになる。ただ、小沢氏の党員資格停止処分の解除は8日の常任幹事会で決定済み。解除は10日付で、党執行部は控訴を受けても決定を変更しない方針のため、小沢氏が政権批判を強める状況は変わりそうにない。
 100人近い議員を率いて党内最大の勢力を誇る小沢氏は、処分解除で9月の党代表選への出馬も可能になった。小沢系議員からは早くも出馬待望論が出始めている。その場合、消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革関連法案の今国会成立に「政治生命を懸ける」と意気込む野田佳彦首相は、厳しい政権運営を強いられそうだ。
 一方、控訴の有無が確定していない8日の段階で、「判決確定まで」としていた小沢氏の処分解除を決めた党執行部への批判が高まる可能性もある。
 前原誠司政調会長は8日の記者会見で「納得していない」と輿石東幹事長主導の決定に不満を表明。引き続き「被告人」となった小沢氏への反発が広まり、党内抗争が激しくなる事態も予想される。
 自民党など野党は、小沢氏の証人喚問を要求する方針だ。党員資格停止処分解除の前倒しを容認した首相の責任も追及する構えで、小沢氏の問題が国会運営の障害となる事態も予想される。

産経新聞 5月9日(水)15時42分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120509-00000114-san-pol

 後半は、三権分立と証人喚問の関係について考えてみたい。
 証人喚問は、特に司法の問題ではない。立法府が立法府の代議員として適正が存在するかということを、刑事事件もしくは疑獄事件において、その被疑者もしくは関係者を呼んで審議を問うものである。当然に国会には、人を処罰する権限はないので、あくまでも立法府の代議員としての適正の問題であり、司法とはまったく別なものである。
 、輿石幹事長は、「控訴を見守る必要があるので、かえって証人喚問はできなくなった」との見解を示しており(上記より抜粋)は、そのような証人喚問、もっと言えば立法府としての国会の独立性を認識した発言でないことは明らかだ。というよりは司法と立法がリンクしており、その内容が援用されるというものに他ならない。しかし、それはk年俸の三権分立の趣旨とは明らかに異なるものであり、そのようなことを政権与党の幹事長が発言すること自体「日本国憲法」の精神にのっとったものではないということになる。完全におかしな解釈である。
 また、控訴されないほどの「潔白な」人物であるならば、何度証人喚問を受けようが、なんら問題はないはずである。このように隠すこと自体が、「潔白ではない可能性」を示したものに他ならない。
 要するに、「絶対専制君主」であり民主党を裁くことは「主権者である国民」でもできず、その民主党は国民に走られてはならない、潔白ではない何かの秘密を握っているということに他ならない。このことを野党まで追及しきれないでいることがもどかしい。
 このように、この司法の問題は、まさに、民主党の憲法と三権分立に関する認識が明らかに間違っており、民主党左翼政権が国家社会主義にある絶対君主制、民主党一党独裁制を目指していたということの傍証になる可能性がある。もちろんそうではない、という反論もダルであろう。し化し、現在の状態でそのような疑いをもたれる発言し貸していないということは明らかである。反論があるならばしっかりと行っていただきたい。
 民主党は左翼政権である。この「左翼」は全体主義、社会主義であるということで使われていれば、まさにそのものであろう。自由主義、民主主義の国家においては完全にその理念に反するものである。それを解釈改憲で押し切ろうという悪質な政権の姿が見えるのだ。
 まさにその最初の犠牲者が「脱小沢」の対象であった民主党の小沢元代表であったというのは、あまりにもこっけいであるというのと同時に、民主党をいあだに支持している人は、そのことにも気づいていないのではないか。

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陸山会事件 小沢民主党元代表控訴の法律的なアプローチ

陸山会事件 小沢民主党元代表控訴の法律的なアプローチ

 いわゆる陸山会事件、小沢一郎民主党元代表の資金管理団体陸山会の土地購入をめぐり政治資金規正法違反(収支報告書の虚偽記載)罪を問われた事件に関し、4月26日に第一審で無罪判決が出た。
 民主党はこの無罪判決を受けて5月8日の段階で小沢元代表の党員資格停止処分を解除したが、その翌日である5月9日、検察役の指定弁護士3名は、全員一致で控訴を決定した。
 この問題に関しては、三つの問題があると考えられる。
 一つ目の問題は、純粋に法律の問題である。この中には、「政治資金規正法違反」という法律に関する問題と、もうひとつは「検察審査会」という司法制度の問題である。ただ、この問題ということに関しては、特に小沢一郎という人物に特定される問題ではなく、日本の司法制度の問題であるといえる。
 二つ目の問題は、上記の経緯で見られる民主党の「党員資格停止処分解除」ということと、民主党における司法や三権分立に関する意識の問題だ。何しろ、現在の前の首相菅直人は、国会の参議院の審議でもNHKの番組でも「日本国憲法には三権分立は存在しない」などといっているのである。はっきりいって、小学校からやり直したほうがよいレベルの認識。これが、「小沢一郎という議員の証人喚問」という問題にもかかわる問題ではないのか。要するに、「司法」「「立法」「行政」のかかわりをどのように民主党政権が認識しているかということが最大の問題なのである。まあ、憲法への理解問題ということになるんどえあろうか。
 そして三つ目の問題が、今後の政局に関するものである。これは民主党という政党がどのようになるのかということと同時に、その政策と、マニフェスト、そして小沢グループという完全な政局の問題である。
 この三つの問題をひとつのまな板で調理するのは難しい。そこで、今日は、法律に関することだけを書いてみたいと思う。その関連記事は下記のものである。

無罪判決「修正できる」=指定弁護士、全員一致で控訴―小沢元代表「理解に苦しむ」

 資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり政治資金規正法違反(収支報告書の虚偽記載)罪に問われた小沢一郎民主党元代表(69)に対する東京地裁の無罪判決について、控訴を決めた検察官役の指定弁護士は9日午後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、大室俊三弁護士(62)は「判決には見過ごせない事実誤認があり、十分に修正は可能と判断した」と理由を述べた。控訴は全員一致で決断したことも明らかにした。
 指定弁護士側は同日付で東京高裁に控訴した。今後、高裁が指定する期限までに控訴趣意書を提出する。
 控訴を受け、小沢元代表は「理解に苦しむ。早期に公訴棄却もしくは無罪という結論が得られるよう、万全の対応を取りたい」とする談話を発表した。
 控訴判断の経緯について、会見で大室弁護士は「控訴することがより正しい道なのか、納得できない部分があってもそれを受け入れる余地はないのか、悩み抜いたというのが実感だ」と語った。
 村本道夫弁護士(57)は「(小沢元代表が)有罪だと高裁の裁判官を説得できるかを考えてきた。きょう3人で議論し、できると思った」と説明。3人だけで決断しなければならなかったことについて、「気持ち的には重かった」と話した。
 山本健一弁護士(48)は「朝まで悩んでいたが、最終的には3人で議論する中で考えが固まった」と強調した。 

時事通信 5月9日(水)14時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120509-00000081-jij-soci

控訴に「がっかりした」=小沢元代表の弁護人

 小沢一郎民主党元代表への無罪判決に指定弁護士が控訴したことを受け、元代表の主任弁護人の弘中惇一郎弁護士は9日、記者会見し、「指定弁護士は検察と違って弁護士としての感覚を持っていると期待していたので、ややがっかりした」と不満をあらわにした。
 弘中弁護士は「もともと検察が不起訴にし、検察審査会がとりあえず裁判所で白黒付けてもらおうと起訴したもので、地裁の結論がもう少し尊重されるべきだ。控訴審で新しい事実が出てくるとも思えず、ただ納得できずに控訴したなら遺憾だ」と指定弁護士の判断に疑問を呈した。
 一方で、「こちらとしても納得できない点があり、一日も早く無罪判決が確定するよう全力を尽くす」と、再度の無罪獲得に意欲を見せた。 

時事通信 5月9日(水)15時19分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120509-00000091-jij-soci

小沢氏「逆転有罪は可能」 指定弁護士、葛藤の13日

 民主党の小沢一郎元代表(69)を無罪とした1審東京地裁判決について9日、控訴することを決めた検察官役の指定弁護士。3人にとって判決以降、控訴の可否を検討してきた13日間は、被告の利益を守る弁護士という本来の職業との間で葛藤する日々でもあった。間接証拠を積み重ねることで「小沢元代表の故意を立証し、無罪を覆すことは可能」と判断、逆転有罪に向けて控訴を決断した。
 小沢元代表の公判を担当した指定弁護士3人はいずれも所属弁護士会が推薦した弁護士だが、検察官役としての職責に徹してきた。
 ただ、大室俊三弁護士(62)は控訴検討にあたり、「起訴は検察審査会の議決を受けて行ったものだが、控訴は私たちが自分で決めねばならず、難しい」と複雑な胸中を明かしていた。依頼者の意向をくむ弁護人、組織に属する検察官とも異なる立場へのとまどいは「受任当時は想像していなかった」といい、眠れない日々が続いたという。
 大室弁護士が小沢元代表について「心証としては真っ黒」と語ったように、控訴したいという考えは3人共通だった。元秘書と小沢元代表との「報告・了承」まで認めながら無罪とした判決内容には「明らかにおかしい部分がある」という確信もあったという。
 指定弁護士の一人が判決後にもらした「有罪判決を書いて、結論だけ無罪に書き換えたみたいだ」というつぶやきには、証拠が乏しい中で可能な限りの立証をしたという自負ものぞく。
 一方、弁護士という立場が控訴を逡巡(しゅんじゅん)させた。「『100人の真犯人を逃しても1人の無辜(むこ)(無罪の人間)を罰するなかれ』という考えが染みついている」と話す大室弁護士だけでなく、他の指定弁護士からも「被告の負担を考えれば判決を覆す可能性が50%はなければ控訴できない」と慎重な声が上がり、2日の協議は結論に至らなかった。
 大室弁護士らの事務所には「検察官役として職責を果たせ」と控訴を求める意見や「外を歩くときは気をつけろ」という脅迫文、カンパの申し出など電話や手紙が相次ぎ、30件を超えた日もあるという。また、公判資料である捜査報告書がインターネット上に流出する騒ぎもあった。
 こうした状況の中でも、控訴期限前日まで証拠の再検討に時間を惜しまず、悩み抜いた3人。「公益の代表者」として、再び闘うことを決めた。

産経新聞 5月9日(水)19時28分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120509-00000590-san-soci

 純粋に法律の問題として、日本は三審制なのであるから、一審で無罪という判決が出たところで、当然に控訴も可能であるし、東京高裁での判決が理解できない場合は、再度上告もできる。これは日本人ならばられでも認められた内容である。
 その一審で無罪になったからといっても、控訴されないという保証はないし、それに対して「理解に苦しむ」とか「がっかりした」などというコメントが出るということは、まさに日本の三審制を無視したコメントである。小沢氏といえども、立法府の代議員であり本来ならば法律を審議する立場の人である。当然に三審制の権利を維持するべき立場であり、理解できないのは日本国憲法を理解していないのか、あるいは、余分な「絶対に控訴されない」などの誤った情報を受け入れたものであるのか。よりひどいのは小沢氏の弁護団。「指定弁護士は検察と違って弁護士としての感覚を持っていると期待していたので、ややがっかりした」というコメントは、「検察役」を弁護士感覚で手心を加えろといっているに等しく、そのようなことをすること事態非常に問題の発言である。このようなコメントを出し、弁護士の検察権限(検察役)を侮辱するのは、司法に携わるものとして適当ではないのではないかという疑問まで出てくる。
 本来政治資金規正法に関しては、政治家とそれにかかわる人だけがかかわる「身分法」である。われわれ一般人が、同じ内容を行ったとしても、政治資金規正法違反に問われることはない。政治家は、当然に立法府の代議員であるということから、たとえば政治資金は無税であることなど、特権が認められている。国会開会期間中は不逮捕の特権まであるのだ。逆に、特権だけがあって、それ以上の義務や責任がないというものではない。要するに政治に関しては、その活動や選挙に関して、法律で責任や義務があるように、政治資金に関しても「一般人とは違う義務と責任」がある。
 要するに「政治資金規正法」は「身分法」であり、その身分法の制定は、当該身分に存在する人は一般人よりもより大きな義務と責任が嫁せられるということになるのである。私の興味は「政治資金規正方位は」が「一般人」の注意義務程度で語られているのではないかということ。そもそもそのような一般人以上の責任と義務を法律的に認めなければならないということが認識されているのかということである。
 国民には、当然に政治家は自分たちよりも偉い、もしくは自分たちが選挙で選んだ代表であるという感覚を持っている。そしてその選ぶ感覚には、政策ばかりではなく、人物のイメージなども参照されているはずだ。当然にその投票行為に対する各候補者のイメージは、国民受けのするものになり、当然にその内容をいかに評価されるかということになるのだ。にもかかわらず、その一般人と同じだけの注意義務しかなく、特権や権利だけは充足させるというのでは、その段階で平等の関係が失われてしまう。
 要するに法律は、権利や特権を持つものに対してそれ以上の義務を貸しただけではなく、その義務が守れない人に対して、選挙という内容での再審査をできるように予定しているのである。
 今回の事件はあくまでも控訴されたものでしかない。これから第二審が行われるということでしかない。にもかかわらず、その二審そのものは意外性を持ってコメントが出てくること事態異常であり、当然にそもそも問われている政治資金規正法という法律が身分法であるという感覚を持った真理が再度されるかということが挙げられる。逆に、小沢氏側、およびその弁護士たちは、よりいっそうの注意義務や責任が課せられた場合でも、小沢氏は無罪であるということを主張するように、国民に対して、しっかりとした説明義務を持つものではないのか。なぜ国民に対して説明しなければならないか。それはやはり選挙で選ばれた代議員としての権利を有しているから、そして日本国の立法府の代議員であるから、国民は当然にその真相を知る権利が存在するのではないのか。
 法律に関して、少し難しいことを書いた。しかし、小沢氏がただ単に芸能人のような有名というのではなく、実際に権利を有している代議員、要するに国民の代表であるという観点から、この法律の疑惑を審査する必要がある。逆に、その観点で検察役の弁護人も小沢の弁護人も戦うべきではないのか。
 そもそも検察審査会という国民の民意で始まった裁判であるということを認識し、しっかりとした議論をしてもらいたい。

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ユーロの迷走 ギリシアとフランスの選挙の行方

ユーロの迷走 ギリシアとフランスの選挙の行方

 日本の連休中、フランスとギリシアで選挙があった。
 フランスでは、右派で庶民派といわれたサルコジ大統領から、ソノサルコジ大統領の政権を批判して勝ったオランド大統領に代わる。この現象は、2009年の総選挙を思い出すやり方である。オランド候補のサルコジ政権批判は非常に激烈であり、なおかつサルコジ大統領は、その応対と批判に答える姿勢に終始した選挙であったといえる。麻生首相と鳩山民主党代表のやり取りと似ているといえる。日本のフランスも左翼政党の批判のやり方は同じであるという発想である。当然に、オランド候補の政策は、サルコジ政権の否定政策をしているだけである。すべての政策を否定し、その批判政策を「反サルコジ」という意味でオランドに投票するという内容は、まさに反自民で民主党が勝った日本の政治と同じである。
 では、サルコジ大統領がなぜそこまで批判されるようになったのか。それはさまざまな内容がある。しかし、最大の争点は不景気と失業率の上昇であるといえる。要するに経済政策の失敗が、国民生活の不満が出て、そのために雇用なども悪化するという形である
しかし、現在のユーロ危機、そして世界的な不景気、最近で言えば、来たアフリカのジャスミン革命などもある。それらが移行的な問題から考えれば、善戦したほうであるとも評価できるが、掲げた数字が失業率5%といいながらも、10%を超えるすうじがでてきてしまえば、「公約実行せず」「約束破り」というイメージがつく。
 しかし、それなのに、ユーロ危機でギリシア支援をすることになった。その支援先のギリシアでは、それを受けるはずの与党が惨敗するということになったのである。

連立与党、歴史的大敗=緊縮反対の野党が第2党に―ギリシャ総選挙

 【アテネ時事】ギリシャ総選挙(一院制、定数300)は7日、投票結果が確定し、欧州連合(EU)が要求した緊縮財政策を進めてきた連立与党が過半数に届かず、歴史的大敗を喫した。緊縮反対の野党・急進左派連合(SYRIZA)が第2党に躍進。これまでの財政改革路線が変更を迫られるのは確実だ。
 与党第1党だった左派・全ギリシャ社会主義運動(PASOK)は3位に転落。獲得議席は改選前の129議席の約3分の1の41議席に激減した。連立相手の右派・新民主主義党(ND)は108議席で首位となったものの、1989年以来23年ぶりにこの二大政党いずれもが単独過半数に達せず、緊縮策に対する国民の強い反発が浮き彫りになった。
 一方、SYRIZAは11議席から52議席に急伸。移民排斥を訴える極右・黄金の夜明けが初めて議席を確保するなど、7党が議席を分け合う不安定な議会になる。 

時事通信 5月8日(火)0時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120508-00000003-jij-int

ギリシャ第1党が連立協議を断念、再選挙実施の可能性も

[アテネ 7日 ロイター] 6日投開票されたギリシャ総選挙で第1党に立った新民主主義党(ND)のサマラス党首は7日、大統領の要請を受けて取り組んでいた連立政権の樹立に失敗したとして、委任を大統領に返上したことを明らかにした。
サマラス党首は「できることはすべてやった」とし、「(連立政権の樹立は)できなかった。委任を大統領に返上する」と述べた。
今回の総選挙では、欧州連合(EU)・国際通貨基金(IMF)による支援受け入れに回った連立与党のNDと全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が大きく議席を減らし、最終の開票結果によると、NDとPASOKの獲得議席は定数300のうち149にとどまり、過半数を確保できなかった。
パプリアス大統領はこの日、サマラス党首に3日間で組閣するよう要請。サマラス党首は連立工作に直ちに着手したが、緊縮措置に反対し躍進した野党党首らは相次いで、連立への参加を拒否する構えを見せていた。
サマラス党首の連立樹立断念を受け、今後は第2党に食い込んだ急進左派連合が連立協議を行う。 急進左派連合のツィプラス党首の事務所は、同氏が8日1100GMT(日本時間午後8時)にパプリアス大統領と会談するとしており、3日間で連立政権を樹立するよう大統領から要請される見通し。
これに先立ち、急進左派連合のツィプラス党首は、NDと連立を組む可能性を排除し、他の左派政党との連立政権樹立を目指す考えを明らかにしていた。
ツィプラス党首は「ギリシャ国民がドアの外に蹴り出したものを窓から中に入れることはしない」とし、支援策は「救済をもたらすどころか悲劇を引き起こした」と批判した。
ツィプラス党首も連立協議を取りまとめられない場合には、第3党のPASOKが連立協議を担当する。それでも新政権を樹立できない場合には、数週間以内に再度、総選挙が実施されることになる。
ギリシャ財務省筋はロイターに対し、EU・IMFと次回融資について交渉する新政権が発足しなければ、6月末までに資金が枯渇する恐れがあると明らかにした。
<投資家の懸念高まる>
7日の金融市場では、ギリシャの選挙結果を嫌気し、ユーロ/ドルが3カ月ぶり安値をつける一方、質への逃避から、独連邦債先物は一時、過去最高値をつけた。一方、FTSEユーロファースト300種指数<.FTEU3>は当初の下げから切り返し、プラス圏で取引を終えた。
NDの連立候補とみられていた民主左派のコウベリス党首も、ロイターに対しNDとPASOKによる連立政権に参加することはないと言明。左派グループのみと連携する考えを示した。
また野党・独立ギリシャ人もサマラス党首との連立協議入りを拒否した。
一方、ギリシャ第二次支援策の取りまとめを主導したPASOKのベニゼロス党首は、ギリシャは救済条件を再交渉するべきと主張し、救済プログラムが定める財政再建期間を現行の2年から3年に延長するよう求める意向をあらためて表明した。
事態打開の兆しが見られないことから、向こう数週間に再選挙実施となる可能性も現実味を帯びている。
こうした中、アナリストは、ギリシャの将来をめぐり深い懸念を示している。
シティグループはこれまで50%とみていたギリシャのユーロ圏離脱の可能性が、選挙後50─75%に高まったとの見方を示した。
ウニクレディトのギリアン・エッジウォース氏は「昨日の選挙は、目先の見通しさえも複雑にするだけでなく、著しくエスカレートさせた」と指摘。再選挙実施となれば、不透明な情勢が少なくとも6週間は続くとの見方を示した。
ギリシャ議会は来月、次回融資を得るため、2013─14年にさらに約110億ユーロを削減する緊縮措置を承認する必要がある。

ロイター 5月8日(火)2時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120508-00000010-reut-int

<仏大統領選>サルコジ氏に不信任 国民、オランド氏も不安

 【パリ宮川裕章、篠田航一】6日のフランス大統領選決選投票で国民は「もっと働き、もっと稼ごう」を合言葉に経済活性化を約束しながら果たせなかった右派・国民運動連合のニコラ・サルコジ大統領(57)に不信任の「ノン」を突きつけた。成長・雇用重視を掲げる左派・社会党前第1書記のフランソワ・オランド氏(57)はサルコジ氏への国民の落胆、反感という「敵失」に助けられて当選した側面が強く、今後、指導力を発揮できるかどうかが焦点だ。
 「サルコジ氏は終わった!」。オランド氏の当選が決まった6日夜、左派系支持者が集まったパリのバスチーユ広場に歓声が響き続けた。仏国旗に交じり、アルジェリア、コートジボワールなどの国旗も振られ、アフリカ系やアラブ系の若者が路上で抱き合い、涙を流す姿が見られた。
 コンゴ民主共和国出身でコンピューター会社勤務のナシェレットさん(36)は「移民を敵視したサルコジ氏は俺たちの誇りをズタズタにした。国民はオランドを勝たせたのではなく、サルコジを追い出した」と涙を流した。
 サルコジ氏は2007年大統領選で掲げた公約の大半を達成できないまま選挙を迎えた。「5%以下に引き下げる」と約束した失業率は10%に達し、仏国債も米格付け会社に格下げされた。選挙戦では「経済危機の中、私が大統領でなければ、もっととんでもないことになった」と失業率20%を超えるスペインなどを挙げ、弁明に終始した。当選当初こそ「庶民的」と受け止められた言動も次第に大統領の品格を傷つけると批判された。
 一方で、オランド氏が掲げる財政、経済政策への不安をぬぐいきれない国民も多い。「経済成長がないまま緊縮策を実施すれば景気が悪化し税収減から赤字が増える」がオランド氏の持論だ。国際通貨基金(IMF)などの予測よりも高い経済成長率を前提に政策を立てている。元企業監査役のカトリーヌさん(64)は「オランド氏に投票するのはためらったが、サルコジ氏よりはましだと思った。オランド氏の財政政策は不安だが、希望にかける」と語った。 

毎日新聞 5月7日(月)14時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120507-00000042-mai-int

オランド氏支持者、深夜まで歓喜=「責任は私に」とサルコジ氏―仏大統領選

 【パリ時事】「変化が今始まる」。フランス大統領選挙で社会党のオランド前第1書記が勝利を決めた6日、パリ市内では支持者ら数万人がバスチーユ広場などに繰り出し、新大統領の誕生を歓喜とともに深夜まで祝った。
 オランド氏は仏南西部の地元チュールで勝利宣言。事実婚パートナーのバレリー・トリルベレールさんと陣営の会場に現れた。「長い間、多くの人々がこの瞬間を待っていた。勝利を可能にした皆さんに深く感謝する」とあいさつすると、詰め掛けた支持者らの握手攻めにあった。
 一方、再選を逃したサルコジ大統領は、パリ中心部の会場で「最善を尽くしたが、国民の過半数を説得できなかった。すべての責任は私にある」と敗北を認めた。 

時事通信 5月7日(月)5時49分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120507-00000016-jij-int

 さて、ギリシアの与党惨敗と、フランスのサルコジ大統領の敗北、これは、要するにユーロ危機を回避するプログラムを決めた人々を、国民が選挙で排除したということである。当然に、民主党政権のような内容出れば、外交関係も何も関係なく「政権交代した」ということで、今までの外交上の約束を全て解除することになる。
 もちろんオランド大統領がそのような選択をするかどうかはわからないが、少なくとも、国民はギリシア支援にNOであるし、ギリシアは支援を受けるに当たって自分たちが我慢するという選択肢にNOなのだ。これでは残りのドイツ一刻ががんばってもユーロ全体が回復することはない。
 さて、ユーロ危機は、まさにユーロだけではなく世界恐慌の原因になりうる。しかしそのような経済見通しをしっかりと披露するマスコミがないことが日本の問題だ。「地球の反対側で選挙結果が出た」程度の認識しかない。当然に現在の日本の国会は、日本国内の消費税増税だけで、そのような不景気が繰るかの性に関して言及もせず、その上で、消費税増税をして国民から税金を巻き上げ、経済の硬直化を目指している。国際情勢の変化に対応するような話はまったくないのである。
 上記のように、オランド新政権は、その成立までの過程が、日本の民主党政権に似ている。そのようになれば、非常に大きな問題になる。世界や国民に無責任な政権がヨーロッパでもできてしまえば、非常に大きな問題だ。特に、ギリシアだけでなく、フランスまで。これでは、世界の経済が完全に冷え切ってしまう。
 日本はこれらの動きにしっかりとした対応が期待されるが、民主党でできるのかは疑問である。

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民主党の無策とエネルギー不足の日本

民主党の無策とエネルギー不足の日本

 5月5日に日本で現在最後に稼動していた泊原子力発電所の3号炉が停止した。このことによって現時日本で稼動している原子力発電はなくなった。単純に言って震災前の36%、実に日本の3分の1の電力供給源がとまったことになる。
 事の発端は3・11の東日本震災である。東日本の震災によって福島原子力発電所の放射能漏洩事故が発生した。過去に大きな炉心溶融自己は世界でいくつか発表されている。アメリカのスリーマイル島原子力発電所の臨界事故や、旧ソ連のチェルノブイリ臨界事故などさまざまな内容が挙げられているのである。しかし、いずれも、しっかりとした研究と政治によって国民は落ち着き、そして、原子力発電(平和利用)の必要性を説き、そして、尊い命でありながら、文明の発展の中の偉大な犠牲であったという評価を行ったうえで、どの国も事故を起こした後も原子力発電(原子力の平和利用)は継続していている。同時に、放射能をどのように人間は付き合ったらよいのか、そのことをしっかりと考えて、研究開発を行っているのである。
 アメリカのコンピューター会社「マイクロソフト社」この会社に関しては、もう説明は要らないと思うが、このオーナー会長であるビル・ゲイツ氏は、放射能とエネルギーの平和利用に関して非常に有用性と必要性を感じていたために、その研究施設に巨額の愛をつぎ込んでいる。本来ならば国家レベルの研究開発でありその費用であるにもかかわらず、ゲイツ氏は、個人でその必要性を感じてつぎ込むあたり、スケールが違う。日本のパチンコ屋などは、その収益も足元に及ばないが、その「志」もまったく足元に及ばないという点で、非常に悲しい現実ではないだろうか。
 さて、そのように個人でも必要性、有用性を感じるのはなぜか。世界において現在石油の採掘はすでにピークアウトしている。50年後には確実に石油燃料はなくなり、石炭も限りがる。そのときに人類は何か新しいものでエネルギーを作らなければならない。しかし、俗に再生可能エネルギーといわれる風力や太陽光は、そのエネルギー量およびその集積に非常にコストがかかることと、天候などに左右されやすい。また、限られた土地の中において、エネルギー集積にそれほどの広大な土地(平地)を割くことはできない。一方で、いわゆる石油、石炭、天然ガスなどの地下資源は限りがある。その状態において何かエネルギーを作らなければならない。現在エネルギーの必要性は、誰もが感じていることであり、同時に、電力での人工心肺などによって命を維持している人も少なくない
エネルギーの存続はまさに人間の「命にかかわる問題」である。
 片方で事故が発生したという事実はありながら、片方で、石炭のエネルギー量の10倍のエネルギー効率を持つウランなどを使わないというのは、まさに、「もったいない」ということ、そしてエネルギーの必要性を感じれば、それは必要なものとして考えられていた。ビル・ゲイツ氏などはまさに、そのことで「巨額の富」を個人でつぎ込んだといえる。
 その原子力に関し、日本はその発電を全て止めてしまったといえるのである。

<原発稼働ゼロ>70年以来42年ぶり 懸念の中、夏へ

 北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)が5日夜、定期検査のため運転を停止し、国内の原発50基全てが止まった。全基停止は、商業用原発が2基しかなかった70年以来42年ぶり。関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)が再稼働の手続きを進めているが、地元同意を得るには至っておらず、70年代の石油危機後に原発を基幹エネルギーに据えて以降では初の「原発ゼロ」となった。電力不足の懸念を抱えたまま夏の需要期を迎えようとしている。【小倉祥徳、鈴木梢】
 北電によると、泊3号機は5日午後5時ごろから原子炉に制御棒を挿入して出力を下げ始め、同11時3分に発電を止めた。6日午前2時ごろに原子炉が停止。炉内が安定する冷温停止は7日午後の見込みという。
 日本原子力発電の東海原発(茨城県東海村)が初営業発電を始めたのは66年。70年代に入ると電力供給の原発依存度は急速に高まり、10年度には全電力量の26.4%を原発54基(うち福島第1の4基は今年4月に廃止)態勢でまかなっていた。
 昨年3月の福島第1原発事故後、国内の原発は事故や定期検査入りによる停止が相次ぐ一方、安全確認の遅れで検査後の再稼働をできない状態が続いている。政府は昨年7月、国内の全原発を対象に安全性を確認する安全評価(ストレステスト)を指示。これまでに全国の原発50基のうち19基について、ストレステストの1次評価が提出された。政府は今年4月、安全基準を見直したうえで、大飯原発が十分な安全対策を取ったとして、地元に再稼働を求めた。
 ただ、地元の安全性への懸念は根強く、早期の再稼働の見通しは立っていない。大飯の再稼働が遅れれば、その後に続く原発の再稼働のハードルが一層高まるのは必至。関電管内では今夏、最大15%程度の電力不足を見込んでおり、政府は計画停電の実施を視野に入れているほか、他地域でも大幅な節電を求められる可能性がある。
 他の原発の再稼働手続きも遅れている。原子力規制庁の発足が実現しない中、原子力安全委員会が「(規制庁発足の)見通しが立ってから議論したい」(班目春樹委員長)として審査を見送っているためだ。原子力安全・保安院は、四国電力伊方3号機(愛媛県)の評価結果を「妥当」としたが、大飯に続く再稼働は当面難しい。
 また、政府の試算では原発が再稼働しない場合、電力9社の13年3月期決算(単体)の最終(当期)損益は全社赤字で、赤字額は2兆6765億円の見通し。

毎日新聞 5月5日(土)23時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120505-00000079-mai-soci

こじらせたのは誰か? 場当たり、不作為、責任転嫁… 重い民主党政権の罪

 夏を控え、電力供給に大きな不安を残したまま、42年ぶりに全原発が5日中に停止する。再稼働への批判を恐れるあまり、場当たり的かつ支離滅裂な対応を続けて国民の不安をあおった民主党政権はその責任を免れない。(千葉倫之)
 「原発がなくてもやっていける社会を実現する。これがわが国の目指すべき方向だと考えるに至った…」
 昨年7月13日、菅直人首相(当時)は唐突に「脱原発」を宣言した。6月に衆院での内閣不信任決議案可決を回避しようと「偽りの退陣表明」をし、政権はすでに死に体。この「脱原発宣言」が延命術であることは疑いようがなかった。
 伏線はあった。菅氏は5月6日、法的根拠もなく中部電力浜岡原発の停止を要請した。6月18日に海江田万里経済産業相(同)が「原発安全宣言」を出したにもかかわらず、7月6日には再稼働条件としてストレステストを持ち出し、地元合意を得ていた九州電力玄海原発の再稼働に「待った」をかけた。その後も菅氏は「脱原発解散」をちらつかせ政権延命を図った。
 国家の命運を握るエネルギー政策はこのように政局的な思惑で大きくねじ曲げられたが、菅氏に罪の意識はみじんもない。今年2月に民主党最高顧問(新エネルギー政策担当)に就任した菅氏は4月に「脱原発ロードマップの会」を発足させ「次の国政選挙で国民の大きな選択肢になるよう運動を広げたい」と断じた。
 その菅内閣で官房長官として「片棒を担いだ」のが枝野幸男経産相だ。当時は菅氏の暴走の「歯止め役」を演じていたが、経産相就任後、支離滅裂な言動で混乱を助長した。
 「原発の再稼働に現時点では反対だ」。4月2日、関西電力大飯原発再稼働について参院予算委でいきなりこう断言。理解が必要な地元の範囲についても「日本全国が地元だ」と述べ、一気にハードルを上げた。
 これらの発言は直後に翻したが、15日には「原発が一瞬ゼロになる」と言い放ち、やはり訂正した。原発再稼働の責めを負いたくないのか。枝野氏の言動には、電力会社や地元に責任転嫁しようという意図が常に透けてみえる。
 では任命権者の野田佳彦首相は何をしていたのか。
 「政府をあげて説明し、理解を得る。私も先頭に立たなければいけない」
 東日本大震災1周年の3月11日の記者会見で再稼働への意気込みをこう語ったが、その後も説明責任は果たしていない。
 そもそも枝野氏の経産相起用がミスキャストだといえるが、首相の頭の中は消費税増税しかないようにみえ、枝野氏の「指導係」は、民主党の仙谷由人政調会長代行に任せっきりだ。
 首相は30日、訪米先で同行記者団に、再稼働せずに今夏を乗り切れるかどうかを問われ、こう答えた。
 「全く理解をいただけないなら大変だと思うが、そういう選択肢はもちろんあると思います…」
 驚くべき責任感のなさ。首相の「不作為」は、前首相の邪(よこしま)な「作為」に匹敵するほど罪深い。

2012.5.4 22:04 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120504/plc12050422050010-n2.htm

 エネルギーのことを考えるときに、二つのことを整理しなければならない。ひとつは「必要性」もうひとつは「安全性」である。クリーンとか再生可能などというのは、その二つの問題をクリア下の地でなければならない。そして当然に二つの問題クリアが前提となるということでしっかりとした議論をしなければならないにもかかわらず、その議論すらできていないということに最大の問題がある。
 現在の日本のエネルギー状態は、単純に言って、「必要性」と「安全性」が両立していない状態である。その場合、当然に最終的には政治的な決断になるといえる
鳩山政権は、それでも地球温暖化に配慮し、現在の17の原子力発電所に11の原子力発電所を追加し、火力発電所を少なくして、温室効果ガスの割く縁ということを画策した。一方菅政権は、震災までは鳩山政権のエネルギー政策を継承していたが、震災後は原子力発電所全廃を掲げて再生可能エネルギー法を通過させた。
 一方、その後を受けた野田内閣は、消費税とかそのようなことばかりでエネルギーに関する内容はまったく打ち出していない。上記新聞記事にもあるとおりに、鉢呂経済産業大臣の辞任の後に枝野氏を大臣に任命し、エネルギーの必要性よりも自らのポリシーと「反対する」というステータスで物事を考えていた人を大臣に任命した。まさに、このミスキャストともいえる任命責任によって、原子力発電所をめぐる日本のエネルギー政策全般は完全に迷走し、現在に至っている。信用できるできないは別にして、発表似れば電力の需給見通しは関西などで足りないとされているだけでなく、上記のように化石燃料がピークアウトし、またイランなどの国際情勢によって燃料の輸入が滞るということも考えられる。その場合、まさに日本は完全ににエネルギーのない国になってしまうのである。
 しかし、多くの人、特に、日本において原子力に反対している人々は、電力は何もしないでも日本に来ると思っている。今までの価格今までと同じ条件で、単純に「必要性」の議論をしない。「足りなくなるはずがない」「エネルギーの供給ができないのは電力会社が悪い」という、まさに無責任極まりない責任転嫁によって原子力発電を止めてしまったのではないか。
 しっかりとしたエネルギー政策を、国際情勢や世界の化石燃料の算出状況を考えながら、議論する人がいない。まさに「安全性」だけに偏った反対運動は、自らの首を、そして将来の日本人の首を絞めていることにはならないのか。
 いたずらに原子力発電を推進するのもいかがかと思うが、一方で、安全性だけを考えて必要性や安定供給ということを棚上げにした議論をするのは間違えているとしか言いようがない。
 そして、もうひとつは、原子力というエネルギーの研究をしっかりと行わなければならないのではないか。技術は、危険を通り越さなければ安全に使用することはできない。しかし、日本は、その安全に使用するための機会まで、自らの手で放棄したのではないか。そのような気がしてならない。あくまでも大学などの研究施設の研究ではなく、そもそも、平和に利用していて、商業稼動している中において、問題点を抽出しなければならない。そのような観点でも物事を見る人がいないのは、研究開発費を大幅にカットした事業仕分けの風潮そのままではないのか。
 原子力に関して、というよりはエネルギーに関して、「必要性」「安全性」をしっかりと議論する風潮、まずはそれを冷静に作り出すこと。これがもっとも必要なのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(93) 「ワイドショーを見ると子供までバカになる」

マスコミ批判に関する一考(93) 「ワイドショーを見ると子供までバカになる」

 しばらく連載をしていたために、少し間が相手しまった。基本的に連休というのは社会的な事件場仮で政治は動いたりはしない。しかし、この時期は日本はたまたま祝日が重なっているためにゴールデンウィークとなる。4月29日が、昔の言い方をすれば「昭和節」とでもなろうか。明治天皇の誕生日が「明治節」であるから、当然に昭和天皇の誕生日は「昭和節」となるのが普通だ。しかし、まあ今では「昭和の日」ということになっている。
 5月3日が憲法記念日。これは、終戦後明治節に憲法発布の詔を行い、その憲法の発布の後半年後から日本国憲法が施行されたことを記念して「憲法記念日」となっている。憲法記念日というネーミングはなかなかセンスがあるのではないか。実際に憲法改正は、もしくは憲法無効派の人々は、「押し付け憲法なのだから祝う日ではない」という主張をしている人もいるが、そのような意見も踏まえた上で憲法に関してしっかりと物事を考える日という意味では「自己を振り返る日」として、認識すべきではないのか。実際に、日々の忙しさにさまz眼とを忘れてしまうまたはゆっくりと落ち着いて物事を考えることができない人は少なくない。そのような現代社会の人々の中において、ゆっくりと物事を考える日という休日は必要なのかもしれない。祝日ではなくても国民の休日として、そして日本の憲法制度を考える日として、物事を考えてみるのはいかがであろうか。
 そして、5月5日に「こどもの日」である。もともとは「端午の節句」であり、これは男子の節句であった。当然に女史の節句は「ひなまつり」であり3月3日である。しかし、3月3日の女子の節句は特に祝日にはなっていない。男女平等を声高に言う人は、なぜ「ひな祭りを祝日に」という主張をしないのか。もともと「子供」とは相続子であるということがもっとも必要であり、なおかつ嫡流がしっかりとした考え方をもっていなければならないという感覚になっているのであるが、その相続子は、男子相続であるというのが原則である。そのことを考えれば、当然に男子の節句が、総称して「こどもの日」となるのは何の不思議もない。この「こどもの日」を考えた人は、当然にしっかりとしたこれらのことを考えてたに違いない。
 現在、女性宮家などについて民主党の歴史にまったく認識も造詣もない人々が検討しているようであるが、実際に5月5日の端午の節句を「こどもの日」と呼称している人々が、女性宮家だとか女系天皇と書いていること自体に、日本に対する無知とこっけいを感じるのは私だけであろうか。女系に関して声高に「皇統の護持」ということを言う人もいるが、少し目を離して、民主党のこれらの「矛盾点」「無知」をしっかりと突いてゆくという感覚も必要なのかもしれない。
 さて、この女系天皇に関しても、さまざまなワイドショーで取り上げられた。たまたま連休でもなければワイドショーなどは見ないので、普段テレビやワイドショーを批判している立場としては、珍しく、テレビを見させてもらったのである。もちろん、家にゆっくりできたわけでもないので、自動車の中でまたはそのほかの移動手段の中でワンセグ機能を使って、携帯電話でテレビを見ることができるのは、このようなときに便利である。
 そのなかで今年のワイドショーは関越自動車道のバス事故の話と、ゴールデンウィーク後半の大雨とその災害のこと、そして、塩谷瞬(漢字はこれであたっているかな?)とかいう芸能人(私はまったく知らない人である。街で見かけても芸能人とはわからないであろう)の二股求婚の話である。これはどこのチャンネルを回しても画一的に同じ内容を放送しているのであるから、よほどゴールデンウィークはニュースがないのか、あるいは人材不足でどの局のカメラも同じ人が取ったフィルムを使いまわしているのか。確かにワイドショーというもののくだらなさを実感するものである。
 そのワイドショーに関して非常に興味深い記事が出ていた。

ワイドショーを見る親が子どもの学力を下げている? 子ども社会に広がる学力格差【話題】

 学力だけが大事ではないとは言っても、親からすれば気になってしまう。文部科学省は平成25年度の全国学力調査から「きめ細かい調査」の実施を検討すべきという提言をまとめている。この中で家庭の経済状況など教育格差が取り上げられているが、家庭状況と子どもの学力には大きな関係があると言われている。
 2009年にお茶の水女子大学の研究グループによって行われた「家庭背景と子どもの学力等の関係」調査によると家庭内の文化的教養度、さらに家庭内の教育力が子どもの学力に関係しているということだ。
 例えば、学力の低い子どもの親によく見られる行動は「テレビのワイドショーやバラエティ番組をよく見る」「携帯電話でゲームをする」「パチンコ・競馬・競輪に行く」「カラオケに行く」だという。
 反対に「子どもが小さいころ、絵本の読み聞かせをした」「博物館や美術館に連れて行く」「ニュースや新聞記事について子どもと話す」という行動を取っていた親のもとで育つ子どもは学力が高いという結果が出たということだ。
 家庭内での行動が子どもの学力を左右する。心当たりがある人は自分の行動を改めてみてはどうだろう。

2012年04月29日17時30分 提供:家電チャンネル
http://news.livedoor.com/article/detail/6516921/

 こどもの日を過ぎて言うのもなんともいえないが、実際のところ、「テレビのワイドショーやバラエティ番組をよく見る」「携帯電話でゲームをする」「パチンコ・競馬・競輪に行く」「カラオケに行く」という行為を行う親がいる子供に学力の低下が見られるというのは、単純にそのようなものなのであろうか。ゲーム、賭け事、カラオケがダメなのは良くわかるが「テレビのワイドショーやバラエティ」というのは、家庭内の文化的教養度が低くなる要因として挙げられていることが非常に興味深い。近年子供の学力低下が言われているが、まさに携帯電話やワイドショーなど現在広く頒布している現象がまさに学力低下の原因となっているとすれば、日本の子供の学力低下がそのような状況の中にあるのは当たり前の話なのかもしれない。
 何事にも興味を持てという話はあるが、実際に塩谷瞬とかの二股求婚などは、子供ともわれわれの生活とも、何の関係もないのが現状である。その何の関係もないことを、どのチャンネルでも「選択肢がまったくない状態で」行うこと自体がおかしな現象である。「視聴率が取れればよい」「面白ければよい」というだけで「マスコミ」が成立すると思っていること自体がおかしなものである。なぜ日本のマスコミにはアメリカのCNNのようなニュース専門チャンネルがないのか。情報や教養の専門チャンネルがないのか。そのようなことが、まさに日本の学力低下の大きな原因になっているとすれば、マスコミにも非常に大きな責任を感じてもらわなければならない。
 しかし、ゲームや賭け事と並び称されて「バラエティ」や「ワイドショー」があげられるというのは、テレビとして完全に娯楽でしかなく何の情報も何の社会に役に立つこともしていない「害悪」でしかないということに他ならない存在になったということである。あまりにもテレビ業界としては、このニュースを重く受け止めるべきではないのか。
 今のテレビ業界は完全な「社会的な害悪である」ということが、大学によって証明された。このことをもっと広めなければならない。そしてしっかりとこのように国民に伝えよう。
「ワイドショーを見ると子供までバカになる」と。

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【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(12) モンスターなB層と選挙そしてそのつきあき方 

【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(12)
モンスターなB層と選挙そしてそのつきあき方

 さて、今日でこの短期連載も最終日だ。最後にこのB層との付き合い方を考えてみよう。
  しかし、別にそこに関してはそんなに難しいとは思っていない。老人が、昔の感化腕今の現代人と付き合えば、それは感覚の違いが大きいということになる。しかし、現代の人は同じ環境同じ風習で育っているんであるから、お互いに理解できるといえるのである。問題は、その現代の「同じ環境・同じ風習」にたいして疑問を持っている下層でもないかということである。少しでも大家族制的な教育を受けていたり、減少に疑問を持つことができるか、あるいはそれができないかということが最大の問題ということになるのだ。
  しかし、現代の社会全体を急激に変えることはできない。もちろん制度や法律をかえることはできるが、社会全体や人の心をすぐに変えることはできない。世の中にある憲法改正派の人々のもっとも問題なところは、憲法を改正すればすべてが解決すると思っている。しかし、憲法改正は(9条に限らず)単なる生後の変更でしかなく、社会全体の変更にはもっと時間がかかるということになる。もちろん、現時あの憲法でよいという感覚はないのであるが、現在の憲法下でもできることをしないで憲法改正にまい進するというのは片手落ちとしか言いようがない。何がよくないのか。私はこの連載で言ってきたように、
  「権利意識」
  「責任感の欠如」
  「義務感の欠如」
  「行過ぎた個人主義」
  「大家族制の崩壊と地域コミュニティの崩壊による社会教育の欠如」
  「この状態を助長してきた日教組教育とマスコミ」
  「そしてこれらの問題意識に気づかないB層の人々」
  「これらの特性を国家のためということで考えない政治家と、利用する政治屋」
  ということになるであろう。
  この状態をどのように変えてゆくかというのは、まさに大きな問題になるのである。
  要するに「気づかせる」ということが重要なのか。しかし、「気づかせる」ということをしても何の意味があるのかということである。そもそも「何に気づかせるのか」ということがまったく理解していなければ話にならないのである。
  では、このB層とどのように付き合うのか。
  それは「B層を集団化させるように扇動する」しかないといえるのではないか。B層の特徴から考えれば、あまり考えない人が多い。考えない、本質に触れたがらないということは、まさに、その人の性質であり価値観だ。その価値観を根本から覆すのは非常に難しい。はっきり言って幼少期からやり直させなければならない。実際に、日本という国家の事を気づかせても、その具体的な方法やその具体的な内容をいかに行うかということが明らかでなければよくわからないということになるのではないか。要するに、ただ気づかせてもうまく行かない。結局個人主義が進行してしまったために、自分の権利意識ばかりが先行し、義務意識や責任感が欠如しているのであるから、どうにもならないとしか言いようがないのではないか。そのような人々が、突然何かをしても暴走し、社会に不適合な形で行動を起こすことになる。かえって大きな問題を引き起こし、逆効果になるとしか言いようがないのである。
  そのために、集団を「烏合の衆のまま」扇動し動かすという手法しかない。もちろん、ただ扇動し動かすというだけでは意味がなく、その間に別途社会教育や幼少期教育を行う機関を作る必要がある。しかしそれらに関しても、これら「利己心を克服できない大人になったB層」を動かして協力させなければならないのである。
  要するに、「いますでB層の人」と「まだ第二の誕生を迎えていない子供たち」と二つに分けて物事を考えなければならない。短期的にはB層の扇動、中期には法律や制度の変更、そして長期的には子供たちの教育と社会システムの変更ということになろう。
  その中でB層の扇動を行ったのが民主党の政権交代選挙であり、誰かの批判であったということになる。批判しかなければ、誰もが萎縮して閉塞間しかなくなる。萎縮効果は非常に大きな問題になる。閉塞感はまさにB層の批判精神と誰かの否定から生まれた。もっといえば責任転嫁体質と義務感の欠如が、責任を持った仕事をしなければならない時のの大きな壁となって「閉塞感」を生み出す。この閉塞感の解決方法は大体の場合誰かがわかっている。しかし、その閉塞感を解決する行動を「責任とリスクをもって」行う人がいないということになるのである。そのために誰かがやるだろうという間に機会喪失になる。それが失われた20年の原因でもあり、なおかつ閉塞感の原因だ。当然にこれらの行動を行うには、誰かが責任を持った行動を行わなければならない。その行動を行えない人々は、誰かに従うしかない。それが社会のルールである。
  このように考えると、大体のことが見えてくるのではないか。気づかせるなどというのではなく、しっかりと責任を持った行動を行える人がいるかどうか、そこに今後の日本はかかっているということになるのではないか。
  では、「閉塞感を打ち破る」具体的な行動は
  1 責任を持って行えない人の評価を下げる
  簡単なことである。責任を持った行動を行う人が評価されるのであり、その人の失敗を責めるのではなく、行動しない人を攻めるべきではないのか。そのような人事評価制度に社会も企業も政府もできていない。要するに減点法の人事評価を改めることしかない。
  2 マスコミなどの言動に責任を持たせる
  無責任を助長しているのは、まさにマスコミだ。マスコミは、単純に無責任で義務感の欠如があげられる。民主党の現在の体たらくでマスコミの誰が責任を取ったか。あれだけあおっていながら、その責任を負うこともなく、いまだにただ批判と否定し貸していない。何度も書いているように批判と日手だけでは何も生み出さない。それどころか、萎縮してしまって結局何もできなくなってしまう。何かやる気のr人々すらも行動を鈍らせてしまう。「批判をした責任」「批判をしなかった責任」「報道した責任」「報道しなかった責任」をしっかりとマスコミが責任を負うことで世の中が正常化するはずである。
  3 日教組解体と教師のための再教育
  日教組解体などということをいう人は少なくない。しかし、なぜ日教組がだめなのかしっかりとした理由を簡潔に述べた人は少ない。反日教育をするからという理由ならば「反日教育をしないならば教員は組合を作ってもよいのか」ということになる。そうではないはずだ。そもそも教員は教員としての「徳育」を施さなければならない。日本の教育の基本は「知育」「体育」「徳育」であるが、徒党を組んで組合になり、政治的主張をし、自分の所属する集団(国家)を批判しているものに徳などあろうはずがない。また、「徳」は当然に人格や性格、環境などによって違う。歴史上の偉人であっても聖徳太子の徳と徳川家康の徳ではまったく異なる。徳育を施すものそのものが組合などを作ってよいはずがないのである。そして、そのような組合を作ることそのものを是としているものに対して、教員としての再教育を施すべきではないのか。もちろん再教育でできない人々は、教員を辞めてもらう以外にはない。単純に現在の教員試験のように、技能で教員になるのではなく、徳で決めるべきものではないのかと考える。そしてそのひとつの基準が「利己心の克服」という単語と「社会性」ではないのであろうか。
  4 社会人再教育制度
  教育といって学生や子供ばかりではない。ルソーのエミールの言う「第二の誕生」ができていない社会人に対して「大人」と扱うのではなく、再教育を行うべきではないのか。後は上記と同様である。
 5 反社会犯罪の教員および関係者評価制度
  社会的に異常な事件が起きたときにいつも思っているのであるが、そのものの教育を行ったものやそのものの関係者がなぜ公開されないのであろうか。反社会的な犯罪をお子貸したもの、猟奇的な犯罪を犯したものに対しては、その教育が失敗したということにほかならない。その教育の責任は誰が取るのか。教員が責任を負わずに個人だけに責任を負わせること自体が、個人主義であり社会性の廃棄に他ならない。もちろん本人の責任を軽減するものではないが、尾暗示教員の場所から不良・非行が増えるということになれば、それはその教員の能力の問題、もっといえば「徳」がないということに他ならない。そのことをしっかりと認識した上で、学校名や教員名、および教員による教育の内容などをしっかりと責任を持って検査し、公表してゆく必要があるのではないか。
  6 地域コミュニティの再編
  犯罪の抑止において地域コミュニティの再構築はどうしても必要である。地域コミュニティの再構築を行い、なるべく人定コミュニケーションをとるようにする必要があるのではないか。何もイベントをするというのではなく、マンションなどの事業者に対してまたは地域に対して地域の長を決める程度のこと、回覧板などで地域の犯罪情報などをしっかりと流し、地域の問題を共有することは必ず必要なのではないか。大災害の後に必ず起きる孤独氏の防止や老人の孤立化などの防止は、このようなことから行われるし、そのコミュニケーションの中で社会性を子供が教育されてゆくことが必要なのではないか。
 
  あくまでも私案である。しかし、社会性を持った責任と義務感のあるような状態にしなければならない。社会の構築がなければ国家などでできるはずがない。日本の再生のために地域という小さい単位や家族という小さな単位で、その内容を再構築する必要があるのではないか。
  この提言で今回の連載を終了する。

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【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(11) モンスター名現代人たちを作り出した「教育」という魔物

【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(11)
モンスター名現代人たちを作り出した「教育」という魔物

 昨日まで出、現代人的B層の人々の内容を見てきた。本来ならば「わからない人は切り捨てればよい」という発想もあるのかもしれない。しかし、民主主義というのは多数決である。そして、この「わからない人」であるB層が多数なのである。
  現在、選挙でどの正当に投票かという支持政党のアンケートをすると、支持政党なしというのが50%を超える数字が出る。実際にポリシーなしで支持政党なしという人もいるかもしれない。しかし、本来民主主義であるということは、当然に、その支持政党なしの人々も何かを選んで投票をしなければならない。もちろん支持政党がしっかりとある人にも問題があるとは思うが、支持政党なしの人はどのようにしているのであろうか。
  支持政党なしというのは、議員内閣制における政党政治において、その支持している政党がないということである。この場合、本来は新たな政党を作るか、または、投票を棄権するかということしか考えられない。しかし、民主主義の中において自分の意思表示を行わない「主権者」というのは、当然に、投票を棄権したのである。棄権とは「権利を棄てる」というように書く。まさに、権利を行使しないで保留したのではなく、単純に権利を放棄したということだ。当然に次の選挙までの期間、国政に関して主権者としてのことなど何か主張できるはずはない。にもかかわらず、平気で政治に関する不平不満を言うのだ。もちろん自分自身の生活に関しての窮状を訴える程度ならばまだ許せるが、マスコミに出てくるわけのわからない、政治も知らないコメンテーターと同じように評論まで始める始末だ。権利を棄てた人が何を言っているのか、と怒りさえ覚えることがある。それがいやならば政治に参加しなければならない。政治に参加し、政治に参加した内容から選択肢の中から自分の支持政党を選び、そして投票をしなければならない。
  民主主義というのは、ただ単に選挙で無責任に候補者や政党の名前を書けばよいというものではない。民主主義というのは、国民(有権者)一人ひとり、全員が政治に参加し、政治に対して意見を言い、なおかつその選択された政治に対して責任を負うということである。単純に政治の世界の中で、選んだのがだめだったから棄てればよいとか批判していればよいというものではないのである。
  このような書き方をすると、「そんな厳しいことをいわなくても」というような批判が来ることがある。しかし、責任の伴わない権利などは存在するはずがない。要するに、現代のB層という人々は責任と権利のバランスを習っていないということになる。では、そのような教育は誰がしたのか。まさに戦後教育の問題であるといえる。まさに、国家間や愛国心がないという教育に対する批判もあるが、それだけでなく、権利意識だけを学び、義務や責任ということを学ばない教育がされているということである。
  教育問題に関しては、何か機会があったときに、私なりの教育論をしっかりと記載したいと思う。しかし、そのときまで教育論をまったくしないと、今日のこの連枝を終わらせることができなくなってしまう。そのために、さわりの部分ということになるのかもしれないが、教育に関することを書いてみたいと思う。
  日本での教育というと、先日この連載で書いたが、GHQの戦後改革の中で最も重視して行われたものである。国家を破壊するには、外からではなく子供の教育を崩壊させるのが最もよいという。社会学者であり、教育者でもあったスイス生まれの哲学者・政治哲学者・教育思想家でもあったジャン=ジャック・ルソーは、「第二の誕生」という単語を使った。これは、第一の誕生が生物的な誕生だとすれば、第二の誕生は社会的存在としての誕生であるとし、その第二の誕生である社会的な誕生の中でルソーが大切にしたのは、「利己心の克服」であった。お互いの気持ちを思いやる良心の教育が必要であるとした。逆に子供を不幸にすることは、非常に簡単であるとし、「幼少期、要するに第二の誕生の前に、子供が欲しがる物をすべて与えてしまえば、子供は利己心の克服ができず、第二の誕生を迎えることができない」としたのである。
  これらのことはルソーの著書「エミール」の中に書かれていることである。実際にこのころから、「社会教育」ということが非常に強く言われ、同時に、その社会教育こそ「人間が人間らしくなるための教育」であるとしたのである。日本では、教育は「知育」「体育」「徳育」の三種類とし、その中において徳育こそ最も重要な教育であるとされた。もちろん、ほかの教育が必要ないというのではない。しかし、実際に最も重要なのは社会性を見につけるために必要な徳育であるとされてきたのである。江戸時代より「読み・書き・そろばん」といわれた寺子屋の教育でも、教材として論語や四書五経の素読を行うことにより、その内容の教えがなくても、しっかりと頭の中に言葉が入る。その言葉が、子供が何かを体験するときに思い出され、その言葉の意味を知り、成長してゆくのである。何も子供を大人として扱っているのではなく、子供は子供として扱っている。その子供が子供であるがゆえに、何もすべてを教えるのではなく、記憶の中にとどめておくことで、成長の中で徐々に思い起こされ、そしてその言葉の中に書かれた意味を知る。しかし、その言葉がわかっていればこそ、社会性をしっかりと学ぶことができ、そしてそれらの経験を大人たちが見守るということで子供を育ててゆく環境があったのではないか。
  しかし、残念ながら、B層の皆さんにはその社会性が備わっていないようである。それはまさに、その人々の教育が社会性を考えた教育ではないからではないか。その社会性の教育は、まさに「利己心の克服」であり、まさに「自分の権利意識(欲望)を抑えること」に他ならないのである。一方、現代の子供たちは、ひとつには、高度経済成長時代以降の生まれである。そうなってしまえば、当然に物質的に我慢することを知らない。一方核家族化が進んだ環境で育ったことにより、物資手的にも与えられて育っている。そのために、当然に「欲しがるものを与えられて育ってきた」世代である。その子供たちが、音ないなったのである。当然に利己心が克服できていない、ルソーの言うところの「第二の誕生」を迎えていない非社会的な存在が「成人」として扱われることになってしまうのである。
  そして、それらの教育を日教組教育は奨励し、推進する。
  上記の教育は、どちらかというと家庭教育である。そのために家庭での教育とその教育に間接的に影響するマスコミの影響が大きいといえる。道徳などというのは何も学校で机で習うばかりではない。日常の中で習うことが非常に大きなものである。昔は近所のおじさんとか、家庭内の祖父母がしっかりとそれらを教えていた。物事のよしあしは理屈ではない。何がよいか何が悪いか、子供にわからせるのは、当然に社会の中のルールである以上、社会が教えるのが最もよい。しかし、そのルールが変わってしまえば、どうしても子供そのものが変わってしまう。
  私の思うところ、この地域社会での教育や、大家族内での教育の欠如は、当然に社会の現象だ。軍隊がなくなった日本にとっては二つの動きが出てきた。一つは経済優先の社会現象。日本は実際にこの経済優先と人命尊重の二つから、戦争反対とか軍備反対という考え方が強くなった。要するに国を守るという価値観二優先し、個人を守る、人権を守る、そして経済的に裕福になるということが優先される世の中になったのである。一方で、もうひとつの考えかた、要するに徴兵制がなくなることから集団生活の欠如または大家族制や地域コミュニティの不必要さが際立つようになる。軍隊において徴兵制ができ、家庭内から一定期間(戦時中でない場合)働き手がいなくなる場合、結局は、大人の男性がいなくなるということは、生活面および防犯面において地域や家庭内での助け合いが必要になる。核家族で徴兵制があれば、当然に女性と子供しかいなくなってしまうのである。当然に祖父母という徴兵に行かない(終わった)人々が家庭内を助け、同時に、地域において徴兵に言っている人の家族を助けるということが必要になるのである。ましてや戦時中になり国のために戦っている家族が多くなれば、そのような状態が常態化することになるのである。地域での助け合いはよりいっそう広い範囲で必要になってくるのではないか。よす売るに、経済優先と徴兵制の廃止は経済の発展をもたらしたものの、各家族性を生み出しなおかつ地域コミュニティの破壊を引き起こした。現在に至っては、経済優先から両親が働くということになり、その核家族ですら崩壊しつつあるといえるのである。
  地域コミュニティの破壊と大家族制の破壊は、まさに家庭教育の破壊と地域での社会教育の破壊が発生する。そうなると子供たちは社会の中における「利己心の克服」ができなくなり、義務感や責任感のない権利だけの主張が発生するのである。社会性がないということは、まさに自分のことだけを考え社会全体のことを考えない人々ということになり、同時に、その内容は愛国心などの欠如を意味する。現在会社の定着率の減少や中途退社の多くはまさにこのことが原因であり、ひとつには不景気というものがあるかもしれないが、一方で、被雇用者側の帰属意識、集団意識の欠如もいわれる。「飲みニケーション」がなくなったなどの話は、まさにこのことであり、人間間コミュニケーションが苦手な人がいるというのは、まさに、個人主義でしこりんの克服ができず社会的な適応能力の欠如を意味しているとしか言いようがない。そのことが男女関係で発生すれば、未婚率の上昇につながるようになる。
  現在は、教育者の間にもそのようなものが多く、教師などの人々に置換・盗撮や少女への不順異性行為のニュースが多くなったのは、まさにそのことであろう。日教組教育の問題点などを言う前に、そもそも教育者教育が先に必要なのではないか。
  さて、このように、B層を作り出したものは、社会の変化に基づく経済優先の意識、必要以上の個人主義、大家族制の否定、そして地域コミュニティの破壊である。そして、その上体に不安を持つ多くの人々は、まさに、マスコミやインターネット上で架空の自分として「群れ」を作る。それがアイデンティティの欠如につながるのである。これらをいかに作り出し、社会教育を行うのか。このことが最も重要な問題点でありB層理解のもっとも重要なファクターであるといえる。

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【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(10)権利と義務のバランス感覚がまったくない現代人たち

【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(10)
権利と義務のバランス感覚がまったくない現代人たち

 昨日、「権利意識ばかりで義務感がまったくない」ということに言及した。先に言っておくが、私自身現代人であることから、当然に昔の人に比べれば「権利意識ばかりで義務感がない」という現代人の定義に当てはまるものと考えられる。また、自分のことを棚にあげてそのようなことばかりを言っているといわれればその通りである。しかし、誰kがこのことを言わなければ、いつまでもこのことが文字にならなくなってしまうのである。そのために、あえて、自分のことを棚にあげて書くことにする。なお、自分自身では「まだこのようなことを書けるだけ、気づいていない人よりも良いのではないか」と思っていることも明らかにしておく。孔子の言う「無知の知」ほどではないが、まだ気づいているということは救いようがあるのかもしれない。しかし、無意識のうちに、その性質は出てきてしまうので、昔の人に比べればはるかに権利意識ばかりで義務感がないという状況になってしまうのではないか。
  さて、私のことはどうでもよいので、まず社会現象に話を戻すことにする。
  一般論として、集団で生活を行うためには、それなりに集団にあわせなければならない。集団行動とは、集団で行動を行うことそのものが非常に重要になってくる。当然に集団には人がたくさんいる。その人々は「十人十色」というように、さまざまな考えや間隔W持った人々である。この人々がひとつの集団を形成するに当たっては、一人のものが権利の主張をしていてはまとまらない。一人のものが意見を取りまとめることはあっても、一人のものの権利をすべて行い、ほかのものの権利が著しく制限されるようでは集団としてはまとまらないのである。そこで、集団は、集団が最も効率的に機能するように、その集団の目的に合わせてさまざまな「集団としての意思決定」を行う方策をもって集団の結束を維持することになる。その集団のひとつの方法が「民主主義」「多数決」であるし、また、ほかの方法としては軍体調の「ヒエラルヒ型階層構造」も存在する。いずれにせよ、その集団の目的に合わせてその組織の意思決定は違うものの、その組織の意思決定の中で集団は集団の目的を達成する。集団の目的もさまざまあるが、集団に属する人はその内容はよくわかっているはずである。
  集団の種類によって民主主義がよいのか、あるいは多数決がよいのか、または階層型がよいのかはわからない。たとえば、軍隊で敵を前にしながら、民主主義で対処法を多数決で決めていては、決めている間に敵にやられてしまう。軍隊だけではなく、警察や消防など、目の前に機器が存在する集団ならば、指揮命令者に命を預けるというのはある意味で常識的なものである。それだけに指揮官には、人の命を預かる重責が付きまとう。無責任に命令だけをすればよいというのでもない。同時に、その命令に反発者がいないように、普段から信頼関係を気づいておかなければならない。
  しかし、一般の政治において階層が短社会を重視すれば、独裁になってしまい、下層民衆は完全に虐げられ、人権も認められないような状態になってしまう。また、最小の集団の単位である家族であっても、さまざまな意見があって、おのおのが自由に決まる。昔は家長がすべてを決めていたが、最近ではさまざまな意見によって家族の中の意思表示が決められているようだ。あえて「ようだ」としたのは、すべての家族の中身を知っているわけではないからである。
  その集団の中においては、当然にすべての人が自分の権利を主張できるわけではない。そのようなことをしてしまえば、イギリスの哲学者トマス・ホッブスがその著書「リバイヤサン」の中で言っているように、人間の自然状態を「万人の万人に対する闘争」状態になってしまうのである。そのために、集団を維持するためには、社会契約論を行うものになる。しかし、その社会契約論は、何もトマス・ホッブスのいう政府ばかりではない。政府という名の社会は、上記のように、家族から国家まですべての集団に適用できると考える。
  集団は集団であることによって強くなる。そしてその集団はひとつの目的、統一の標語で大きくその目的に向かって前進するものである。明治維新のときに「不平等条約解消」「欧米列強に追いつけ、追い越せ」は、そのつど「文明開化」「和魂洋才」「臥薪嘗胆」などと評語を変えながら、その推進力を得てきたのである。そして、その集団としての推進力は、非常に大きな力を持って大きな動きになったのである。
  どの国家も戦争中にはその結束力を強くする。この日本も同じである。いや、日本は、世界各国が驚愕するほどの強い結束力により、世界を敵に回して1346日もの間戦い続けたのである。そして、その結束力を恐れたアメリカは、その結束力の元となるさまざまな内容を「改革」というなで破壊したのである。いや破壊したというのではなく、日本人の手によって破壊させたといったほうがよいのではないか。逆にいえば異本の結束力の源は、GHQが改革した内容であるといえる。これはいわゆる「五大改革指令」となる。
①婦人の解放    →婦人参政権の実現
②労働組合の奨励  →労働組合法の制定
③教育の民主化   →教育基本法の制定・教育勅語の失効
④圧政的諸制度の撤廃→治安維持法・特別高等警察などの廃止
⑤経済の民主化   →財閥解体・農地改革の実施
 この中で婦人の解放と労働組合の奨励は、まさに「人権意識」「権利意識」ということになる。特に、婦人の参政権は、家長制度の崩壊の延引となるに違いなく、また、労働組合法は、上官に対する抵抗権というように、日本型の支配階級の破壊が行われたのである。一方教育の民主化は、子供にもその権利意識を強制したということである。アメリカから言わせれば、強制的な教育を矢メッセ他とでも言うのであろうか。いずれにせよ、教育が改革されたことは間違いがない。そして圧政的諸制度は、まさに権利意識の萌芽だけではなく、義務違反に対する罰則の減少。特に軍隊の解散と徴兵制の廃止は、国民に集団生活と義務意識を持たせないということに他ならない。最後に、経済民主化は、ひとつは裕福にすること、これは個人主義を完遂するために経済的に裕福にさせるということが必要。何らか虐げられる状態になれば、日本人はサイド結束するということになる。そして、もうひとつは、経済の民主化、要するに企業財閥の解体と小作農の廃止は、まさに国家や家族性だけではなく、そのほかの組織化や上下関係の解体につながるのである。
  何も改革すべてが悪かったとはいわない。このような改革があったことによって、日本は経済的な発展があり、なおかつ高度経済成長があるということにあるのだ。当然にそれらの内容は非常に重要なファクターであるということは言える。しかし、集団の形成という点では、これらの内容が日本人の破壊につながったことは間違いのない事実だ。ちなみにこの結果を見て、何かというと憲法改正とか軍隊の設置を叫ぶ人がいるが、それまあ違いであるといえる。その件に関しては、昨年のゴールデンウィークの連載に書いているが、実際に上記にも書いたように、日本人がGHQの支持とはいえ日本人自身の手で改革したのである。過去を否定することは現在を否定することにつながる。当然に現在の状況を否定することは、歴史を否定することである。歴史の否定は現代人として現在のよい部分も否定することになるのであるから、都合のよい無効論などはあまり意味のあるものではない。この話題は、現在の主題ではないのでその部分は次の機会に譲る。
  さて、改革された教育の中で廃止されたものがある。その中で注目しているのが教育勅語である。その中には12の徳目が書かれている。
  爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)ニ孝(こう)ニ 兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ 夫婦(ふうふ)相(あい)和(わ)シ 朋友(ほうゆう)相(あい)信(しん)シ(じ) 恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ 博愛(はくあい)衆(しゅう)ニ及(およ)ホ(ぼ)シ 學(がく)ヲ修(おさ)メ 業(ぎょう)ヲ習(なら)ヒ(い) 以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)シ 德噐(とくき)ヲ成就(じょうじゅ)シ 進(すすん)テ(で)公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ 世務(せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)ニ國憲(こくけん)ヲ重(おもん)シ(じ) 國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ(い) 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレハ(ば) 義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)シ(じ) 以(もっ)テ天壤(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘ(べ)シ
  これを現代語にすると
 1.親に孝養をつくそう(孝行)
  2.兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
  3.夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
  4.友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
  5.自分の言動をつつしもう(謙遜)
  6.広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
  7.勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
  8.知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
  9.人格の向上につとめよう(徳器成就)
  10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
  11.法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
  12.国難に際しては国のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)
  この中において、上記にもあるように「義勇公に奉じ」という単語、これが日教組が最も嫌っており、教育勅語復活に抵抗しており、なおかつ軍事国家に変わるとしてわけのわからない抵抗をしているところである。
  「公に奉じ」とは、逆に「滅私」ということにつながる。その中にまさに「個人の権利」というのはなく、集団を守るという義務感と責任感が存在したといえる。そしてそのことがどく目として日本の道徳の中に入っていたといえる。まさに、現代人の「個人の権利の完遂」は権利意識の工場ということになり、それが人権という名前で憲法に書かれており、その権利のみを大きく言うことがあるために、まさに、日本は完全におかしな内容になってしまっているのである。当然に、権利と同様に義務感があれば、そして、その行動や発言に責任感があればよいのであるが、義務感の喪失というのは、公に対する奉仕に対する意識の欠如ということになるのである。
  要するに、現在の人々とくにB層は、集団としての体をなしていない、個人主義者の集まりであり、それだけに、思慮も浅く、知恵のない対応しかできないということになるのである。そして、その個人をマスコミを使うことによって扇動すれば、簡単に、知恵がないので、その医師を動かすことができてしまうのである。その集団は集団であって集団でない烏合の衆である。そして烏合の衆であることが、彼らに仲間はずれになる不安を与え、なおかつ誰かと同じことをいうということにステータスを感じるアイデンティティの少ない民族を演出してしまっているのである。

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【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(9) 非常に現代人的なB層の取扱説明書 

【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(9)
非常に現代人的なB層の取扱説明書

 B層の物事の考え方と現代人の「仲間はずれになりたくない」「誰かに追従する」という発想がかなり近しいということを昨日見てきた。では、その性質以外にどのような性質があるのか。私が、感覚的に思っている「B層=現代人」の特色を見てみよう。
  ・ マスコミまたは誰かに追従する
  ・ マスコミに追従するだけでなく、それをデフォルメして世間を見下す
  ・ 物事を好き嫌いの判断基準で話をする
  ・ 知ったかぶりをする割には何も知らない
  ・ 発言が無責任で義務感がない
  ・ 発言が間違えたときにはマスコミや第三者に責任転嫁する
  ・ 誰かを批判することがかっこよくアイデンティティの実現と思っている
  ・ その場その場で発言が変わる、または誰かが言った言葉がならぶ
  ・ 非常に攻撃性が強い発言・批判否定の発言が多い
  ・ 匿名性が強い場面では強気であるが、自分が名前を出すときは何もいわない
 
  これ以上にも、さまざまな内容があると思うが、とりあえず、今回の連載に近しい特徴を挙げてみた。上記のような内容は、B層といわれる内容のときに必ず出てKる特徴である。そして同時に、現代人の若者の特徴のひとつであるとも言える。
  そして、このような特長の人が非常に多く、その人々の特徴を考えることが、ひとつの大きな選挙戦略にもなりマスコミの広報戦略にもなるのである。
  この特徴をひとつ包み手見よう。といっても昨日いくつかはあげているので、「発言がむせ近で義務感がない」というものからスタートしてみよう。
  「発言が無責任で義務感がない」という特徴は、本来はまとめのようなものであるかもしれないが、まったく層ではない。これが最初に来るというものである。何も政治の世界の話ばかりではないが、実際に民主主義で自分の投票した民主党政権がこの体たらくで、民主党に投票しながらも平気で民主党を批判する。自分たちがその前に「政権交代」とか「自民党はだめだ」といっていたのはまったく責任はない。そもそも責任感がないので、投票を行ったことそのものも、「マスコミにだまされた」などと平気でいうものだ。
  同じようなことは、ほかの刑事事件でもマスコミの問題でも何でも姿を現す。最も多いのがインターネット掲示板での誰かの批判である。もちろん、インターネットであるからといって、彼らがB層でないなどといったつもりはない。逆に、インターネットの世界の中に、非常に多くB層がいる。そのB層の多くは、テレビを見ている人を「B層」といって馬鹿にしているが、実際に自分たちも同じ仲間であるということをまったくわかっていない。そのインターネット掲示板に誰かの悪口、誹謗中傷を書いたり、あるいは、犯罪につながることを書いたりする。しかし、その中において「遊びのつもりでやった」などといって業務妨害などの犯罪に手を染める人が少なくない。子供の万引き(窃盗)よりもひどい。そして、一緒にやっていた仲間たちが平気で「あいつは・・・」などとテレビカメラの前で話しているのを見ると、さすがに恐ろしくなる。
  先日京都の亀山で暴走した軽自動車が子供たちの通学の途中に突っ込んだ交通事故があった。その交通事故の犯人は18歳ということで、個人情報などは公開されていないが、事故後多くの人が介護をしているのに、携帯電話をいじっていたというのはさすがに驚きである。まさに責任感も義務感も存在しない。現代人の典型ではないのか。そのように考えれば、目の前に老人がいるのに携帯をいじって席を譲らないような人も少なくない。しかし、自分が層であるのに亀山の少年を批判はするという不思議な無責任状態が現在も続いているのである。
  そして次に「発言が間違えたときにはマスコミや第三者に責任転嫁する」というのは、まさに、その責任感のなさに由来する。「発言が間違えたとき」と書いたが、それよりも「自分が責任を取らなければならないとき」というような書き方に変えてもよいのかもしれない。まさに、自分が責任をとらない人の集団ということができる。これはB層というだけでなく、保守層という人の中にもずいぶん言えることである。都合のよいことや他人にさまざまなことを言うことはあっても、自分で責任をとることはしない。他人に「聖人君主」を求めながら、自分ではそのような行動を取れない。その上で、そこを指摘すると「私は一般人だから」といって逃げる。はっきりいって、何を言っているのかわからないような人も少なくない。単純に、この連載の前のほうで書いたように、自分の話している相手に「勧善懲悪のヒーロー」を求め、自分の脳内で勝手に像を作り、自分勝手な妄想にあわせさせようとする。アイドルの追っかけやストーカーに近い状態になってしまうのである。逆に、その自分の妄想と違うと、勝手に自分で妄想しているにもかかわらず、自分を否定されたような気分になって攻撃性を発揮する。そのために「非常に攻撃性が強い発言・批判否定の発言が多い」というような特性が出てくるのである。
  攻撃性が強いのは、同時に「人の痛みがわからない」または、「他人の立場に立って物を考えるることができない」ということの証左だ。まさに自分勝手な人々でしかない。自分勝手であるから、自分以外の人々のことをまったく気にしないのだ。自分勝手でいられるのは、明治時代とは違い、権利意識が強く義務感が薄いことになる。小沢一郎の裁判であるとおりに「違法でなければ何をしてもよい」という感覚がある。しかし、法律というのは道徳の規範ではない。この「権利意識と義務感の欠如」に関しては、明日改めて詳しく勝て見よう。この部分が民主党政権の政権運営の中心であり、なおかつ、現在の閉塞感の中心であるからだ。
  では、自分が発した言葉が、厳しいもしくは攻撃性に富んでいるということはわかっているのであろうか。それはわかっているのである。なぜならば「匿名性が強い場面では強気であるが、自分が名前を出すときは何もいわない」という特徴から明らかである。どんなに攻撃性に富んでいよう¥とも、または、厳しい言葉でも、誰がどういう目的でいっているかわかれば特に問題はない。たとえば、親から厳しい叱りをうけても、親であるから当たり前であるし、その中には愛情を感じることもあると考えられる。しかし、まさに「権利意識」しかなく、相手を育てようと思ったり、あるいは全体、日本のことなど考えている話ではない。上記のように、「自分の妄想、あるべき論」を押し付けているだけである。そのために、全体から考えれば間違ったことでも平気で批判を行う。自分の考えを押し付け、他人に言わせて喜んでいるだけだ。
  しかし、その自分の意見や自分の知識に自信がまったくない。ということは、逆に批判をされると太刀打ちができなくなってしまう。自分が攻撃性のとんだ言葉を使っているだけに、当然に自分にも同じような批判が来ることは明らかである。そのために、匿名性が守られていなければ何もいえないというのが特徴だ。テレビに向かってお茶の間で文句を言っている。相手には何も聞こえもしないし雑音にもならないのに、そのような「無益な抵抗」をしている姿は、まさに現代人の特徴、B層の特徴ではないのか。
  まさに、匿名性がないと何もできない。言葉を発することができない。そのために、インターネットの中では威勢のよい人が、実際会ってみると一言も言葉を発することができないような場合は少なくない。野次はいくらでもいえても、演台でまともなことを話すことができないという状態である。ようするに責任を持った発言ができない人の特徴である。
  そして、このような問題提起をすると、「自分は関係ない」「そんなひといる」などといって第三者の他人事で片付けてしまう。これでは話にならない。義務感がないので、このようなことを言われてもまったくなんとも思っていないのである。
  このような人々が中心であるために、責任を持った仕事をする人が少なくなってしまうということに他ならない。その場限りで国民受けをする人が人気を博し、将来を見据えた発言をする人が追いやられてしまう。同時に、自分のみに降りかかってくる不幸も、安易なスローガンで簡単に飲み込んでしまうことになるのである。民主党の「バラマキ」は、財源のない政府からすれば増税は自明である。それくらいのことも考えないで、無責任に、そして匿名性の高い選挙で、「自民党にお灸を据える」などといえるのである。その前は、簡単に「細川のほうがかっこいい」といって細川内閣を作ったのである。細川内閣や民主党内閣がすばらしい成果を出したのならばこのようなことをいわない。しかし、すでに選挙前から批判しかしていない人々に何ができるのか。結局何もできなかった。全体を見た話を何もできなかったではないか。一方向からの理想と自分の脳内妄想を政権に押し付けて批判し貸していない人々に対して、政治という現実の世界は非常に厳しい。その厳しい現実が、そのようなものたちに政権をとらせたことで、日本という国を陳腐化し、腐敗させているのである。
  ではなぜ、細川内閣や民主党が何もできないのか。簡単である。彼らの行動こそB層の最も典型的そして代表的な行動であるからだ。そして、彼らに憧れ、その誘いに乗った人々は、B層としての資格をしっかりと持っているといえるのである。

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【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(8) 現代人的な特徴にあるB層とマスコミの関係 

【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(8)
現代人的な特徴にあるB層とマスコミの関係

  B層とマスコミは、相互補完の関係にあるといえる。
  B層は、昨日までの記載でお分かりのとおりに、「知識がない」だけでなく、「動物的判断力」に頼る傾向がある。この連載の1回目の中に書いてあることをもう一度記載すると、
  B層(―そう)とは、郵政民営化の広報企画にあたって小泉政権の主な支持基盤として想定された、「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」のこと。
  要するに「具体的なことをわからないが伽羅蔵ーの好き嫌いで判断する」ということ。要するに、理論の内容などをわかるよりも好き嫌いで決めているということである。この傾向は、すでに93年の細川内閣発足前から出てきている。
  「椿事件」という事件がある。私がここで解説するよりもいつものごとくウィキペディアからそのまま引用しよう。
  <ウィキペディアから引用>
  椿事件(つばきじけん)とは、1993年に起きた、全国朝日放送(愛称および現社名:テレビ朝日)による放送法違反が疑われた事件である。当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良の日本民間放送連盟(民放連)会合での発言に端を発したことからこの名で呼ばれる。
日本の放送史上で初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討された事件であったとも言われる。
<以上ウィキペディアから引用>

 では、この椿事件にある椿テレビ朝日報道局長の発言とはどのようなものであったのか。またもウィキペディアからその発言部分だけ抜粋してみよう。
 
  <ウィキペディアから抜粋>
「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
「共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
「梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長のツーショットを報道するだけで視聴者に悪代官の印象を与え自民党のイメージダウンになった」
「羽田外相=誠実、細川首相=ノーブル、武村官房長官=ムーミンパパのキャラクター」(なので視聴者に良い印象を与えられた)という趣旨を発言
<以上ウィキペディアから引用>

 ここで椿テレビ朝日報道局長(当時)がいっていることは非常に示唆に富んでいる。自民党を下野させるためという目的性のことは別な機会にもしっかりと書くとするし、「民主党の闇」にも書いてある。今回問題にしたいのはそのものではない。
  「梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長のツーショットを報道するだけで視聴者に悪代官の印象を与え」「羽田外相=誠実、細川首相=ノーブル、武村官房長官=ムーミンパパのキャラクター」(なので視聴者に良い印象を与えられた)という趣旨。この二つは、まさに、自民党の幹事長と総務会長と、羽田・細川・武村の印象で印象を操作したということになる。もっと考えれば、テレビでの印象操作に政治家の主張やその内容、政策ではなく、そのキャラクターの顔を使ったということである。
  逆に、テレビ視聴者のほうからものを見てみよう。椿局長がそのような印象操作を行ったということはあるかもしれない。しかし、いかに印象操作を行っても、視聴者がしっかりと政治を政策で選んでいれば、どんなに「悪代官」が画面に映っても選挙という選択で物事を誤るはずはないのである。その結果、細川内閣では十分な内容の政策は得られなかった。しかし、誰かを悪役にし、その悪役をやっつけるという「勧善懲悪」のストーリーを応援するということが、まさにマスコミの演出によって行われたよい例である。
  同じ内容が民主党の政権交代選挙で行われたことはすでに述べたとおりである。B層ということを考えれば、逆に何も考えていないということが、まさにその特徴であるということが言えるのである。
  B層の人々は、まさに何も考えていないということが大きな問題になる。その上、長年のテレビメディアと活字離れによって、感情で物事を判断してしまう傾向にある。このことはすでに述べたように、政治だけではなくそのほかの分野でも十分に発揮される。おいしくもないラーメン屋に行列ができたり、安くもないセールに人だかりができるなど、まさに、テレビのあおったとおりの行動を取る人も少なくないのだ。逆に、テレビであおった内容をより極端にデフォルメすることことこそ、ステータスであるかのような感覚になるのがB層の行動パターンになる。
  そのB層は、まさにB層そのものの中において優位に立つことが非常に大きな課題となる。何か自分独自の物事を考えることが、彼らの行動原理になっているのではなく、テレビやマスコミで話題になった同じ路線を極端に左記に進むというのが、B層の行動原理であるといえる。それだけに、マスコミのまったく専門家でもない芸人やタレントが一般人の代表であるかのごとき内容で、政治を批判すれば、B層の多くが一緒になって政治批判の大合唱を始めるということになってしまうのだ。まさにマスコミの扇動型というのは、ひとつにはマスコミそのものの性質もあるが、一方でB層といわれる人々の行動パターンにも大きな原因があるということに他ならない。
  現代人の特徴として、自分に自信がないだけではなく、孤独に耐えられない人が少なくない。集団から「仲間はずれ」にされることを極端に嫌う。現在の若者のしゃべり方の「半疑問系」などもまさにそのものの特徴であるといえるし、自己主張をしないということも、現代人の特徴である。多勢に流される、寄らば大樹ということが、間違えていても同じ方向にいうってしまうということに特徴かされる。「赤信号、皆で渡れば、怖くない」の心理である。そのような心理が存在する。この内容は、まさに現代の教育であり、なおかつ、減点法の社会人の評価方法に反映されているといえる。その内容は、まさに「自分だけ違うこと」ということに非常に恐れを感じるようである。もちろんこれは大家族制の崩壊や村社会の崩壊、地域コミュニティの崩壊、核家族の進化、そして個人主義の貫徹。現代人は、外部とコミュニケーションはとっておきたいと思いながらも、個人の領域は守っておきたいという矛盾した感覚を持っている。もともと、孤独に耐えられないの、個人主義を貫徹するというのは、まさに、個人の権利を追及しながらも、集団に対する義務は果たしたくないということにつながる考え方である。
  この感覚は、まさに、マスコミ報道に追従するというB層の行動パターンと合致する。何も政治のことばかりではない。上記のようにマスコミが「ここが流行の場所」といえば、その場所に行き、「今年の流行のファッションはこれ」というと、誰よりも先にそれをまねしてしまう。政治に関しては、当てにならない一般人のコメンテーターのコメントをオウムが英詩に行い、そのことを検証もせずに恥ずかしいとも思わない状態なのである。同時に、上記のように「テレビであおった内容をより極端にデフォルメすること」がその人々のステータスにつながる。要するに、マスコミの報道を先取りしてデフォルメして動いている割には、集団から「どうだった」ときかれると「たいしたことない」などと否定的な見解を言う。まさに、そのように否定的な見解を出すことによって「マスコミの評価よりも上位」であることを印象付けながら、「そのマスコミよりも遅れている自分の集団の上位に立つ」という不思議な感覚を持つのである。その感覚は、アイデンティティが確立していない人々が、まさに自分の所属する集団に対して、ほかのマスコミという権威を使ってその上位にいるかのような錯覚をして喜んでいるような感じである。それはサル山のPサルが、人間に気に入られてボスを超えたかのような錯覚をするような感じ。または、中国共産党という一党独裁の中で、外国の権威を使って上位に食い込もうとしているかのごとき自己満足に近い。
  その自己満足の内容こそ、まさにB層の特徴である。視野は日本国内や社会全体ではなく、自分の井戸端会議の中の小さな社会のことしか考えない状態である。そのために、全体の判断が間違えていたり、その内容の検証ができていなくてもまったく関係がないのである。
  この現代人の動きこそB層の動きになる。というよりもB層そのものが現代人の大きな構成員である。それこそ、B層の動きを見るには現代人のこれらの動きを検証しなければならない。連載の残りは、その検証と、その対処方法をしっかりと考えるべきと考えている。

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【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(7) マスコミが人を誘引する手段

【短期連載】 野田内閣考、平成の閉塞感のB層による衆愚の正体(7)
マスコミが人を誘引する手段

 昨日までは、政治だけではなく、経済、もっといえば家計まで含めて大きな問題になっているということだ。そしてB層が選んだ内容が、日本の資本主義も否定し、自由競争も否定してしまうということにつながる選択をさせてしまったということになるのである。
  では、そのB層を動かしているものは何か。今日からは少しマスコミに関して書いてみようと思う。
  まず、単純にマスコミということをいっても、二つに大きく分かれる。一つは「文字媒体」といわれる新聞や週刊誌などがこれに当たる。文字媒体は、活字で物事を伝えることを主にしている媒体である。もうひとつが「電波媒体」といわれるものでテレビ・ラジオなどである。ちょうど中間に当たるのが「写真媒体」というもので、写真週刊誌などがこれにあたる。ただ、「写真媒体」という単語はあまり使われることが少ない。実際に写真媒体誌そのものが現在になったら少なくなったということがその原因としてあげられる。
  文字媒体の場合は、文字で物事を読むという作業が必要になる。新聞や週刊誌は、「読む」という読者の作業がなければ何の情報も通じないということになるのである。逆に言えば、新聞社側は読ませるためにさまざまな工夫を行う。「工夫」は、mの地論正当なジャーナリズムの範囲内のことを言う。変更報道などとすぐに結びつけうものではない。何も政治やそのような端ばかりで花インド絵ある。では「工夫」とは何か。結局は見出しのつけ方、および、新聞で言えば配置、週刊誌で言えば、グラビアとの連動などの工夫である。新聞の配置は、見出しをどこにおくかということが中心に書かれている。見出しそのものをどこにおいて、人間が大きな紙面を見るときの目の動き方などから。見出しを目立つように配置することがポイントだ。この配置は、何も画一的なものがあるわけではない。写真が入ったり、カラー印刷になったりということで、色や画像などで、人の目の動きは変わる。その動きに合わせた内容で見出しの配置を行うことになる。
  一方では週刊誌などは、ページをめくらなければ見ない。そのために、電車のつり広告や表紙の見出し配置に気を使うことになる。しかし、ここでは一般的な内容を書いても誰も相手にしない。そのために、なるべき「事実に含まれる範囲でセンセーショナルな見出し」をつける。これも手法があり、ある週刊誌の編集者は「ゴロゴロ」などの擬音やカタカナを多用する。一方、月刊誌の編集者は難しい漢字での熟語を使うなど、その対応はさまざまである。いずれにせよ「文字でどんなことが書いてあるか興味を持たせる」ということに他ならない。
  一方、電波媒体はそのようなことは関係がない。電波媒体に関してはその番組がついていれば、情報が垂れ流される。この言い方はあまり適切ではないのかもしれないが、基本的に「画像(目)」と「音声(耳)」で情報が流れていることになる。そしてその情報は、レポーターやコメンテーターの感想という「個人情報」とともに流されることになるのである。電波媒体の場合は、ニュースを以下に面白く、センセーショナルに伝えるのかということが最も需要ということになる。見出しなどはなく、事件そのもののできれば衝撃的な映像と、多くの人の興味をそそる音声があればよい。
  では、多くの人の目をひきつける衝撃の映像、そして、興味をそそる音声とは何か。さまざまな解釈があるが、実際には「喜怒哀楽」に訴えることが最も重要ということになるのではないか。
  人間とは、半分が動物で半分が理性的な生き物であるとされている。人間が社会活動を営むにいたっては、間違いなく理性的な行動が求められる。理性的な行動を行っているということは、自分の動物的な欲望を以下に抑えて、社会的な行動を取るのかというころが重要になる。しかし、人間が常に24時間365日理性的な行動を取れるというものではない。単純にいえば、人間は、ところどころで感情的になる部分が出てきてはじめてバランスが取れるということになるのである。
  マスコミが視聴者などの大衆に何らかのアピールの工夫をするということは、まさにこの「感情に訴える」という手法を使う。上記の紙媒体のところで「擬音などのカタカナを使う」というのは、まさにその部分である。擬音や擬態語などは、感覚的な内容のものであるために、文字で書いてありながら感覚に物事を訴えることになる。読者の皆さんも、このような擬態語を見れば、耳の中でその音が聞こえるような内容になったり、あるいは目にその光景がそれぞれ浮かんだりする。状態を文章で説明するよりもはるかに擬態語擬音語のほうが表現がよい場合がある。また、難しい熟語を使うのは、その擬態語擬音語とまったく逆の作用だ。「難しい」というのは「なんていう意味だろう」という疑問を見た人の頭の中に浮かばせる。そのときは無意識のうちに「知りたい」「わかりたい」という欲求が生まれる。欲求はまさに感情の産物である。わざと多くに人がわからない漢字を使う。しかし漢字は文字からなんとなく意味が推察できる。ニュアンスはわかるだけに、「知りたい」という欲求はよりいっそう深いものになるのである。誘引の工夫の仲にはこのように二つの状態で感情に訴えるものがある。ひとつは擬音語擬態語に関しては、読者の頭の中に直接的に映像に結びつくような内容ということにし、なおかつ、その塩蔵から感情を掘り起こすことができる。難しい漢字や熟語ということに関しては、「知りたい」という欲求を作り出すことによって、記事そのもの、雑誌そのものに対して人間的興味をひきつけるということになるのである。
  一方、電波媒体の内容では「より直接的に感情に訴える」ということが可能だ。たとえば、9・11の世界貿易センタービルの崩壊。あの崩壊は、文字でさまざまなことを書く古語も表現も可能である。しかし、その表現をいくらするよりも、テレビで崩壊した画面を見たほうがどれほど印象に残るか。社会事件などは事故現場などの画面を見ることは、そのまま印象に残る。特に、日本のように平和で戦争などが遠い過去になっている国にとっては、血痕などは非常に悲惨な状態になっているのである。その中に移されるものは「非日常」であり、また「緊迫した音声」がそれを盛り上げることになる。
  もうひとつは「人の声」である。日本人に限らず、人間は完全なる沈黙に対して無力である。要するに完全なる沈黙の場合は、なんら顔感覚の刺激を求めてしまう。田舎などに泊まったとき、夜に真っ暗で物音ひとつしないと、水の落ちる音などがやけに大きく聞こえる経験は誰でもしているのではないか。まさに、そのことが非常に大きな「工夫」のひとつになるのである。
  さて、「感情に訴えることがもっとも視聴者をひきつけるのによい」ということを言った。その手法そのものは、人間が人間である以上仕方がないことである。しかし、申す押し上のほうに「感情と理性のバランス」ということを書いた。逆に感情と理性のバランスがしっかりとしない場合は、人間は感覚がおかしくなってしまう。その人間の感覚がおかしくなってしまうというのは、まさに、「人間が動物化」してゆくということである。
  文字媒体の場合は、人間が動物貸し手もその後に文字を読まなければならない。もちろん社説などで完全に動物的な文章を書く人がいるが、それでも、文字から頭の中で映像ができるまでの期間、人間はしっかりした内容に変わるのである。しかし、電波媒体の場合は、見たものそのものが映像や音声でできているので、その時点で非常に胴部筒的なものになっている。当然に人間として動物化してしまう。しかしそれではバランスが狂ってしまうのである。そのバランスの狂い方は、二つの動きになる。バランスが狂ったままでよいという「動物となる」人と、バランスが狂わないように何らかの形でバランスを保とうとする「人間でいたい」人である。完全にテレビで狂わされている人は動物のままでよいということになる。もっといえば、感情的な人物である。「切れやすい」などの人は、まさにこの分類になるのではないだろうか。一方「人間でいたい」人に関しては、誰か別な人とコミュニケーションをとることによって「人間としての連帯性」を保つ。もちろんそれが理性とのバランスになるとは限らない。単純にいえば動物が群れを作るのと一緒だから、そのことが理性的であるということは限ったものではない。
  B層は、まさにこの「感情と理性のバランス」の狂った状態の中にいるといううことができる。明日はその辺をもう少し詳しき見てみたいと思う。

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