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2012年10月

臨時国会召集と参議院で所信表明演説なしの国恥は行政の責任

臨時国会召集と参議院で所信表明演説なしの国恥は行政の責任

 国会で、憲政史上初の椿事が発生した。参議院において所信表明演説が行われなかったのである。
 このことに解釈はさまざまある。野党が協力してくれないなどと野田内閣は言っている。しかし、そもそも、参議院において問責決議が出された内閣総理大臣の所信表明演説を行うこと自体が、国会の冒涜以外の何者でもないのではないか。
 そもそも、国会とは、明治時代に主権者である明治天皇の諮問機関として、「五箇条のご誓文」の第1条「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」という言葉に従って、勅旨として開催されたものである。その意味合いは、現在、日本国憲法となり、主権が天皇陛下から国民に移った後も、憲法41条によって国権の最高機関と位置づけられ、その開会に際しては基本的(昭和天皇後病気の際は摂政殿下である現在の今上陛下が代行された)に天皇陛下が開会の辞を読まれ、開かれるものである。
 もともと、国会は国民の声を聞くと言うことが大きな課題になっており、それは買い宮廷に「貴族院」と「衆議院」と言う二院制を持って発足している。その二院制において、貴族院が、戦後の華族制度廃止に伴って「参議院」となっており、国会開会の式典は基本的に(戦前の国会議事堂工事のときに貴族院修理中の開会および戦中に例外事項が発生したことがある)参議院、というよりは旧貴族院の議場で行われることになる。
 国会と言うと、最も多くテレビに映るのは第一委員会室であり、これは予算委員会が行われているので、その審議が最も注目される。しかし、これはあくまでも委員会室でしかなく、基本的に常任委員だけ(一部代理出席が認められる)が出席している。スキャンダルなどがあって面白いのはこの予算委員会である。しかし、本来は、全議員が出席する本会議が最も重要であり、当初クールビズも本会議場は除くとされていたほどである。
 その本会議場も、衆議院と参議院はつくりが利害、参議院は天皇陛下の玉座の位置と議員席が会談でつながっているが、衆議院は、本会議場から天皇陛下の玉座に直接向かうことはできない。貴族院と言う議員席があったためで、当然に、貴族が天皇陛下に危害を加えると言うことは基本的には考えられないから、段は違っても同席を賜ることが可能であるが、衆議院では、共産主義者や天皇に反対する人も国会議員として選ばれる可能性があるので、隔離された形になっている。よって、国会の中で衆議院の優位が認められる現行憲法下であっても、陛下の御臨席を賜る式典は、基本的に参議院議員の本会議場で行われるのである。
 そのような、「神聖なる」参議院で、内閣が所信表明を行わなかったことははじめてである。

<野田首相> 政権維持に意欲 「経済再生」強調…所信表明

  臨時国会が召集され、衆院本会議で所信表明演説する野田佳彦首相=国会内で2012年10月29日、山本晋撮影 野田佳彦首相は29日午後の衆院本会議で、就任3度目の所信表明演説を行った。前の通常国会で成立させた消費増税法に続き、日本経済の再生を次の「最大の課題」と位置づけ、政権維持に意欲を表明。前国会で廃案になった特例公債法案を「政治的な駆け引きの材料にする悪弊を断ち切ろう」と訴え、早期成立に協力するよう野党に呼びかける。また衆参両院の「1票の格差」是正などの選挙制度改革について、「必ずこの国会中に結論を出す」と明言する。
 首相は演説で、これまで訴えてきた「決断する政治」が、将来世代を含む「明日への責任」を果たすためのものだと繰り返し強調。特例公債法案や「社会保障制度改革国民会議」の設置などで与野党協議を呼びかける。一方で「道半ばの仕事を投げ出すわけにはいかない」と年内の衆院解散・総選挙を求める野党をけん制し、国民には「皆さんの力が必要だ。政治を厳しく監視し、背中を押してほしい」と求める。
 さらに、新たな政策の柱と位置づける経済再生へ向け、自身が重視してきた政策が原動力になるとアピールする。まず、原発に代わる再生可能エネルギーの導入拡大が経済再生につながるとし、年末に「グリーン政策大綱」を策定する方針を説明。「2030年代の原発稼働ゼロ」を目指す政府方針は「果敢に挑戦する」と強調する。
 また環太平洋パートナーシップ協定(TPP)など経済連携の取り組みを「経済外交」と位置づけ、「守るべきものは守りながら推進する」とTPP交渉への早期参加に意欲を表明。7月に閣議決定した「日本再生戦略」の推進も訴える。
 東日本大震災からの復興予算が被災地以外で支出された問題では「被災地が真に必要とする予算はしっかり手当てし、それ以外は厳しく絞り込む」と見直しの意向を示す。
 外交・安全保障分野では、尖閣諸島や竹島をめぐる中韓両国との緊張状態を念頭に「領土・領海を守る国家の責務を、国際法に従って不退転の決意で果たす」と譲歩しない姿勢を強調する。ただ、これ以上の関係悪化を避けるため、9月の国連総会と同様、個別の島名を具体的に挙げるのは控える。沖縄県で発生した米兵による暴行事件については「決してあってはならない」と非難。再発防止策のほか、米軍普天間飛行場の移設など、沖縄の基地負担軽減に取り組む方針を改めて示す。
 また、拉致問題担当相の頻繁な交代が批判を浴びていることも踏まえ、北朝鮮と4年ぶりの政府間協議の再開へ向けて調整していることに言及。拉致問題の解決に全力を尽くす意向を示す。【松尾良】

毎日新聞 2012年10月29日14時10分
http://news.livedoor.com/article/detail/7089572/

<臨時国会>史上初 所信表明演説は衆院のみ

 第181臨時国会は召集日の29日、野党が多数を占める参院が野田佳彦首相の所信表明演説を聞く本会議を開かず、所信表明演説が衆院だけで行われる憲政史上初めての事態で幕を開けた。野党側は首相演説に対する代表質問も参院では行わない方針で、政権追及の機会を参院として放棄する形になった。
 民主党の輿石東幹事長は記者会見で「2院制や参院のあり方が問われる。熟慮、良識の府と呼ばれる参院で非常に残念だ」と批判。国民新党の自見庄三郎代表も記者団に「首相の所信表明を国会がまず聞くのは、国民が権力をチェックする意味がある。基本的なルールを踏み外してはいけない」と指摘した。
 参院で野党側が異例の所信表明拒否に踏み切ったのは、通常国会で可決した首相問責決議によって参院は野田政権の継続に「ノー」を突きつけたと考えるからだ。自民党の安倍晋三総裁は記者団に「首相は(野党が)所信を欠席したのではなく、所信表明自体をできなかったことを重く受け止めるべきだ」と首相の責任を強調。公明党の山口那津男代表は党参院議員総会で「問責は『本会議をやるに値せず』という参院の意思を示した。首相は審議できる環境をどう整えられるかに思い至ってもらいたい」と年内の衆院解散・総選挙を改めて求めた。
 激しい解散攻防のあおりで、赤字国債発行に必要な特例公債法案など重要法案は成立の見通しが立たないまま。野党が参院審議に応じるのは、首相や閣僚の出席を求めて追及できる予算委員会からになる見通しだ。首相は演説で、消費増税法成立に続く「最大の課題」に日本経済再生を挙げて政権維持に意欲を示したが、野党側は冷たく突き放した。
 自民党の石破茂幹事長は東京都内の党会合で、年内解散のタイムリミットについて「来年度の予算編成を新政権でやろうとすれば12月9日か16日が投票日になる」と述べ、今国会でギリギリまで解散を求めていく考えを示した。【田中成之】

毎日新聞 10月30日(火)0時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121030-00000000-mai-pol

 この所信表明演説。野田首相は「慣習」であり、なおかつ、野党が協力してくれないと、民主党が野党であったときのことを棚に挙げてそのようなことを言っている。
 しかし、そもそも「政治」とは一体なんであろうか。
 政治とは、「マツリゴト」であり、それは「神の意思」を持って人々を導くことである。当然伊それは、「言葉」で導きまたは「行動と態度」で応えるものであると考える。と言うことは、その言葉の中に「嘘」や「ごまかし」があってはいけないし、同時に、「行動が伴っていない言葉」だけでは意味がないのである。
 では、今の野田内閣はどうであろうか。すでにたった一年間の中で所信表明演説が3回も行われており、その三回の所信表明の中でいわれたことが何もできていない。ちなみに何もいわなかった消費税増税だけは強引に国会を通過させたが、所信表明で同時に言った社会保障改革はいまだ道半ばである。ましては復興などは、復興予算の使い方が問題になるなど、一回目の所信表明演説で「最重要」といった内容は何もできていないのである。
 上記のように「マツリゴト」であり、言葉で導くことは行わなければならないと言うことであれば、当然にその内容をしっかりと検証し、所信表明の中でも「何ができて何ができなかったのか」「できなかった理由は何か」その上で「できなかったこと以上に新たなことは重要か否か」としっかりと語らなければならない。
 要するに、内閣は行政の責任を負っているのであるから、行政の担当官として所信表明の総括は行わなければならないのではないか。それができていないのにかかわらず、新たな初心をやるなどというのは政治を馬鹿にしているとしか思えないし、政治を通して国民を馬鹿にしたとしか考えられない。もちろん、その内容において「野党が」「自民党が」などというのは、お門違いだ。三権分立の中で、内閣という行政の権力構造の中に自民党をはじめとした野党は入っていない。行政権に関して「野党が」というのは単純に国会の与野党の区別と内閣がごちゃごちゃになっているのか、あるいは三権分立を止めない、左翼主義者であるかのいずれかである。
 一方、問責決議に関してもしっかりとした対応をしなければならない。「ねじれ国会ならば全て問責で大臣を変えなければならないのはおかしい」と言うのであれば、憲法を変えるようにしっかりと憲法審議会を開けばよいことである。憲法審議会もしないでタダ単純に国会の中でマスコミにパフォーマンスをするだけで、政治が成立すると思っているとすれば、それは政治を完全になめているとしかいえない。逆に、参議院を完全に無視して参議院の場合の民意を完全に無視した内容では話にならないのである。要するに国権の最高機関、そして、上記のように昔の貴族院であり、天皇陛下がいつも式典を行う院への国民の民意を無視した形の行政を行っている時点で、野田内閣は民主主義政治の中で失格であり、そのような人の所信表明などは、上記の「嘘」「総括がない」と言う観点からも、そして民意に従っていないという観点からも、まったく意味がないと言うことになる。
 この問題に関して、テレビコメンテーターは「与党も野党も」などという言い方をしているが、そもそも、三権分立と民主主義をしっかりと勉強してからコメンテーターとしての仕事をすることをお勧めする以外にはない。逆に野田首相のような一言で憲法を変えることができるならば自衛隊を軍隊に変え、オスプレイ反対などとわけのわからない放送をしないことである。
 要するに、今回の所信表明で、日本国の行政の要である野田内閣が、三権分立も理解していないし、また、国民の民意にも従う期がまったくないと言うことが明らかになった。そのような内閣が、要するに、日本の三権のひとつの長になっていると言うこと自体、われわれ日本人は国民全体、国家全体の恥じであると言うことを認識しなければならない。

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鹿児島三区補欠選挙の結果から見る民主政権の臨終

鹿児島三区補欠選挙の結果から見る民主政権の臨終

 石原新党や維新の会など第三極の政局が大きく取り上げられている。25日の石原死の記者会見以降、第三極の動きは一気にマスコミの注目の的になった。
 しかし、その第三極の動きは9月までの日本維新の会の橋下徹大阪市長の活動が注目の中心であった。しかし、9月に結党大会を行い、その後、7人(その後2人増えてで現在は9人)の国会議員との合流と、いわゆる維新八策の発表から維新の会は急に失速し、9月はじめには30%とも言われた支持率が、10月中旬には1%にまで下がると言う乱高下を表したのである。
 日本維新の会の支持率の急落で、第三極は基本的にはあまり注目されなくなった。もちろんマスコミは自民党VS民主党という構図ではあまりにも自民党が勝ちすぎてしまうために、それを避けようと考えていた。しかし、民主党はさすがのマスコミも褒めるところがまったくなく、第三極に注目せざるを得なくなっていたと言うのが現状であろう。もちろん、そのような切羽詰ったマスコミの報道に流されるような国民が少なくなく、第三極の支持率が下がったときに、民主党の支持率が一時低とはいえ上がったというげんしょうは、マスコミによる長期間にわたる自民党たたきの結果ではないかとも考えられるのである。
 まず、選挙を見るときに、一つ一つの選挙区の事情と、もうひとつは社会的な流れと言う事を二つ考えなければならない。選挙区の事情は「固定票」「地元票」「個人票」に影響し、一方で、社会的な流れは「浮動票」「風」という表現のものに大きく影響する。選挙において選挙区で行うものは当然に固定票や個人票を増やす行為であり、一方で、政党は社会的な流れ浮動票の獲得を目指すのが選挙の全般的な流れだ。しかし、その選挙に、上記のような事情でマスコミが注目している第三極が出なかった場合にどのようになるのか。そのような選挙が今回鹿児島三区の補欠選挙で行われた。

民主、補選「3連敗」 強まる解散先送り論 「善戦」と浮かれる幹部

 野田佳彦内閣発足後初の国政選挙となった衆院鹿児島3区補欠選挙で与党候補が敗れたことは首相の政権運営にさらなる打撃となりそうだ。政府与党では自民党元職を相手に接戦を演じたことで安堵(あんど)の声が出ているものの、敗戦により衆院解散の先送り論が高まるのは確実。一方、自民党は補選3連勝で安倍晋三総裁の初陣を飾ったが、予想以上の苦戦に次期衆院選に向けた課題も浮き彫りになった。(佐々木美恵、赤地真志帆)
                   ◇
 民主党の鉢呂吉雄選対委員長は28日夜、記者団に「これだけ善戦したことは、民主党の政権運営への理解の表れ」と胸を張ってみせた。国民新党の下地幹郎幹事長も記者会見で、「今回の票差をみて首相は自信を持ってこれからの政局に臨める」と、まるで勝者のようにコメントした。
 しかし、不戦敗を含め補選3連敗となった民主党には危機感も広がっている。
 前原誠司国家戦略担当相は開票前、名古屋市内で記者団に「国民新党の候補であり、政権の今後に影響はない」と予防線を張った。民主党の馬淵澄夫政調会長代理も奈良市の講演で「臨時国会は衆院解散どころじゃない。11月の解散は非常に厳しい環境にあるというのが永田町の空気だ」と解散の先送りに言及した。
 だが解散をずるずる先延ばししたところで、政権への国民の期待が回復するのは望み薄だ。
 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の6、7両日の世論調査で野田内閣の支持率は25・6%。1日の内閣改造で逆に支持率を減らし、その後も田中慶秋前法相の辞任などで上向く気配はない。
 今回の敗戦により衆院で民主党から8人が離党すれば与党は過半数割れする事態にもなった。“善戦”に浮かれる党幹部を尻目に、首相と距離を置く議員の一人は「相手がひどすぎただけで結果は全くの負け」と指摘。別の議員は「次の選挙を野田首相で戦うという選択肢はない。総辞職で解散先送りの流れが強まるだろう」と述べ、党内にくすぶる「野田降ろし」の声を代弁した。

.最終更新:10月29日(月)7時55分
産経新聞 10月29日(月)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121029-00000073-san-pol

鹿児島3区補選、自民が勝利=野田政権に打撃―安倍氏、年内解散迫る

 野田政権発足後初の国政選挙となった衆院鹿児島3区補欠選挙は28日、投開票され、自民党元職で公明党推薦の宮路和明氏(71)が、国民新党新人で民主党が推薦した野間健氏(54)らを破り、7回目の当選を果たした。自民党は9月に就任した安倍晋三総裁の「初陣」を制し、29日召集の臨時国会で野田佳彦首相を衆院解散に追い込もうと攻勢を強める構え。一方、与野党ともに次期衆院選の前哨戦と位置付け、総力戦で臨んだ補選での敗北は、政権に打撃となった。
 首相は臨時国会で、赤字国債発行に必要な特例公債法案や、衆院選の「1票の格差」是正のための関連法案など懸案処理に全力を挙げる方針。しかし、内閣支持率の低迷に加え、補選敗北で首相の求心力が低下するのは避けられない。民主党内では解散先送り圧力がさらに強まるとみられ、首相の政権運営は一層厳しくなりそうだ。
 安倍氏は28日夜、自民党本部で記者会見し、「野田政権が完全に国民からの信頼を失った結果だ。国会で首相に、国民の信を問うべきだと言っていく」と述べ、年内の解散を迫る考えを強調した。
 宮路氏と野間氏の得票差は約5600票で、接戦となった。国民新党の自見庄三郎代表は会見で「善戦だった」と総括。民主党の鉢呂吉雄選挙対策委員長は記者団に「これだけの善戦は、民主党の政権運営に国民が一定の理解をしていると思う方が妥当だ」と語り、首相の政権運営に与える影響は限定的との見方を示した。
 確定投票率は56.60%で、2009年の前回衆院選時の72.95%を下回り、過去最低となった。
 補選は、国民新党の松下忠洋前金融・郵政民営化担当相の死去に伴う。共産党新人で党県委員の大倉野由美子氏(62)、諸派新人で政治団体「幸福実現党」党員の松沢力氏(30)も立候補したが、宮路氏と野間氏の事実上の一騎打ちとなった。 

時事通信 10月29日(月)0時57分配信
.http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121029-00000005-jij-pol

 この選挙は、いわゆる第三極が出ていなかったし、また国民新党の候補であって民主党でなかったということもひとつの考慮の中である。そのような中で自民と鵜呑みや次候補が当選した。基本的に下馬評の通りであり、特に驚く問題ではない。しかし、その票差から考えると、国民新党は善戦した。
 この中において、なぜ善戦したのか。ひとつには「民主党でなかったから」そして「故松下忠洋氏の個人票の結束が強かった」と言うこともあげられる。松下氏の票は、多くは元自民投票であり、当然に「旧自民党VS現自民党」という戦いであったと言うことを考えなければならない。
 一方で、いわゆる「弔い合戦」であるのに、返り討ちに遭うというのはかなり格好が悪い。上記のように「個人票」「地元票」に関して、当然にそれだけで勝てるわけではないと言うことであろう。そのために「浮動票」「風」と言う部分が大きく作用し、まあ、松下氏の個人票のうち元自民党の人が松下ではなくなったと言うことを理由に離反したことなどもあり、自民党に票が流れたと考えられるのである。
 今回の選挙でひとついえるのは、「民主党に風が吹かなくなった」と言うことである。逆風ではないが完全な無風のとき民主党という政党は、今回の選挙のように完全にだめになってしまう。もっといえば個人票と労働組合をはじめとする組織票だけが民主党の頼みの綱となってしまい、民主党の政策および政権運営は、組織票を意識してより一層労働組合、要するに連合・日教組によった政策を行うことが予想され、より一層国民の声とは乖離してゆくことになる。
 では、その風はどこに吹くのか。風そのものは、第三極に吹こうとしているし、マスコミは上記のように第三極と言うところに流そうとしている。しかし、その流れは石原氏や橋下氏のような個性の強い人の発信によって、かえってさえぎられてしまっていると言えるのではないか。いずれにせよマスコミからも見放された民主党は、まさに連合の固定票によって立つ政党になってしまう。そのまま、旧55年体制の革新側のような「政権陥落」要するに「民主党政権の臨終」を迎えることになるのではないか。
 さて、自民党である。自民党は、思ったほどの「かぜ」を呼び込むことができていない。総裁選によって安倍新総裁の支持率が高くなっていると言うこともいわれているが、一方で鹿児島三区まで風を吹かせるまでにはいたっていない。残念ながら自民党の政策はまだ見えていないし、同時にそのマスコミ的な支持率だけで安閑としていてはダメなのではないか、と言うことを示したと言える。そうでなければ、第三極に吹いてしまうであろうまた、そちらにマスコミが吹かせようとしている「風」にまたなかされることになってしまうのではないか。
 本日は、普段の内容とは違い選挙結果の分析というような感じになってしまった。

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マスコミ批判に関する一考(117) 傲慢フジテレビの事件簿殻見る「外国化」

マスコミ批判に関する一考(117) 傲慢フジテレビの事件簿殻見る「外国化」

 フジテレビをめぐる事件が多発している。事件といっても事故でもなく、また、タレントなどをめぐるギャラの交渉でもない。基本的に、一般人もしくは業界の人ではない相手との間で起こすトラブルである。
 下記にその事件の概要を書いているが、どちらもひどいものである。
 一つ目の事件は、イベントに関して、イベント主催者からのイベント撮影許可なしに、イベントの撮影が行われ、それが放送されたということになる。要するに、個人情報保護法がある中において、そのプライバシーが存在し、その中において、個人の肖像権などを持っている。当然に撮影およびその放映が行われる場合は、その放送前に多くの人々や移る可能性がある人々に許可を得なければならない。もちろん全員に個別の許可を取ることは不可能であり、そのために、主催者に許可を得て、跡は主催者と個人の間の問題ということにする。もちろん本来は不十分かもしれないが、そのように簡略化することで何とかしているのである。当然に隠し撮りなどをする場合は、他の部分をモザイクで消すなどの処置が行われる。しかし、フジテレビはそれを行わなかったというものである。
 二つ目の事件は、漫画家に対して漫画家の二次使用(映画化またはグッズの販売など)に関して、本人の「事前の」許可を得るというのが基本。しかし、その事前の許可を行わないうちに物事をしてしまい、その上ノーアポイントで取材を行うということである。
 いずれの事件も、フジテレビの傍若無人、傲慢という一言で片付けられてしまう内容であり、また、これらの事件はフジテレビだから、またはテレビ業界という特殊性に起因するものではなく、一般の社会人としても違和感を感じるというか、普通に、普通の人にやられて腹が立つ問題ではないのか。逆に、少なくともフジテレビというテレビ局は、それくらいの社会的一般常識も存在しないテレビ局であるということが明らかになったということだ。

フジテレビが無断撮影を開き直る?「黒子のバスケ」イベントに脅迫文が届いた報道で思わぬ余波

  人気スポーツ漫画「黒子のバスケ」の作者・藤巻忠俊氏の母校や出版社に脅迫文が届く事件が相次いでいる。
 今月21日、フジテレビは脅迫文が届いていたことが判明した、同日開催の「黒子のバスケ」のイベント会場の様子を報じたが、22日に、この報道は「フジテレビによる無断撮影」だったとイベント主催者の「スタジオYOU」がツイッターで明かし、ネット掲示板やツイッターでは驚きの声があがっている。
 24日、イベントの主催者は、フジテレビに対し無断撮影への抗議と、画像の削除を要求したやりとりを公式サイトに掲載した。
 これによると、21日の12時頃、主催者はイベントの会場前で、取材を申し込んできたフジテレビの取材班と接触し、取材を断ったという。また、主催者は取材班を会場には入れていないとしている。
 しかし、同日の20時20分頃、フジテレビ系のニュースでは、取材を断ったにも関わらず、会場の内部や参加者が報道されていたと判明。これを知った主催者側が、21時にフジテレビに抗議。フジテレビの担当者は「事件になっている。視聴者に注意喚起のため報道した。敷地外からの撮影なので、報道として間違っていない」と回答したという。
 主催者とフジテレビのやりとりは平行線になり、一旦電話を切ったとしているが、21時40分頃、主催者はフジテレビと二回目の電話でのやりとりを行う。主催者は、厳重な警備を敷いた結果、イベントが無事に終わったのに、ニュースで取材を拒否したイベントをことさら取り上げる必要があるのかと抗議した。
 フジ担当「今後事件にならないためにも報道した。理解して欲しい」
 弊社広報「こちらは、会場、警察とともに協力して警備強化等、事件に対する対応を行った。参加者も手荷物検査にも文句ひとつ言わず協力してくれた。そして、イベントは無事終了した。ことさら報道する理由があるのか」
 フジ担当「事件になっている。理解して欲しい」
 弊社広報「弊社は取材、撮影を断っている。イベントも無事終了した。理解できない。 フジテレビのサイト内(FNN)の画像も今すぐ削除して欲しい」
 フジ担当「その件については、社で今から検討する」
 さらに、主催者は、無断に撮影された参加者が映った画像の削除を、フジテレビに依頼する。
 しかし、その依頼は断られることになってしまったようだ。21時52分にフジテレビの担当者から電話があり、三回目のやりとりを行う。
 フジ担当「画像の削除はできない」
 弊社広報「困る。削除を望んでいる」
 フジ担当「報道としてはステップを踏んでいるし、間違っていない。参加者にもそのことを伝えてほしい」
 弊社広報「取材、撮影を断っているのにステップ云々はおかしい。重ねて、削除の再検討をしてほしい。また、プライバシーの面からも報道姿勢に問題があると考える」
 このように、フジテレビは、参加者の映った画像の削除を拒否。21時55分、ここで主催者は弁護士に相談したという。
 ツイッターやネット掲示板では「これはひどい」「フジTVひどいよ…」「フジ隠し撮り開き直りか」「こういうことをするから不信感が募る」とフジテレビの行動を非難する声が殺到。また、フジテレビが参加者に直接画像が削除できない理由を伝えるのではなく、主催者に「参加者にそのことを伝えてほしい」と頼んだことにも疑問の声があがっているようだ。
 また、フジテレビの取材方法をめぐって、「注意喚起のために取材するなら、参加者の姿を撮影する必要はないよな」「報道の自由とは言ってもプライバシーは保護されるべきだよな。同人誌即売会なんて行ってる事を知られたくない人は多いだろうし」と、取材対象に配慮し報道する必要性を指摘する声が多く見られた。

トピックニュース 2012年10月25日12時05分
http://news.livedoor.com/article/detail/7077957/

「海猿」佐藤秀峰氏がフジテレビに怒りの絶縁宣言! 「信頼に値しない企業」

 フジテレビに対する不信感をあらわにした佐藤秀峰氏
 「海猿」や「ブラックジャックによろしく」などの作品で知られるマンガ家の佐藤秀峰氏が、フジテレビに対して「もう関わる気もない」などとTwitter上で怒りをあらわにしている。
 佐藤秀峰氏のフジテレビへ対する怒りのツイート
 佐藤氏によれば、以前にアポイントメント無しで事務所まで突撃取材に押し寄せたフジテレビの傍若無人な振る舞いに業を煮やしていたという。この件については後日、同局報道センターのチーフプロデューサーから謝罪を受け、2度とアポ無し取材をしないという約束したことで穏便に済ませたようだが、それ以上に佐藤氏を激怒させる事実が発覚。佐藤氏のツイートによると、「映画『海猿』関連書籍が契約書なしに販売されていた」とのことで、佐藤氏はこの件により「フジテレビさんは信頼に値しない企業であると判断したため、今後は一切新規のお取り引きはしないことにしました」と絶縁状を叩きつけた。さらに「なので、例えば映画『海猿』の続編などは絶対にありません」ともツイートしている。
 その後のツイートでも「フジテレビさんには本当に怒っています。 もう関わる気もないからつぶやく訳ですが」「お会いして謝罪したいとも言われてるが、会いたくねーよ」と、怒りあらわの佐藤氏。「人の生活をメチャクチャにしておいて、そんなつもりじゃなかったので会って謝りたいって、謝ってねーだろ、と。 お金を盗んでおいて、『盗むつもりじゃなかった、借りただけ』って言ってるのと同レベルだ思うんだよなぁ…」と、収まらない怒りをぶちまけている。

RBB TODAY 10月26日(金)14時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121026-00000032-rbb-ent

 では、フジテレビがなぜそのようになってしまったのか。とうぜんに「そのように」とは社会人としての一般常識ももてないほど、マナーの無い会社という意味である。
 当然に二つの要因が考えられる。一つは「おごり」そしてもう一つは「外国化」である。
 「おごり」とは、まさに日本のテレビ局がさまざまな形で持っている病巣といってよい。テレビ局というのは、当然に、テレビという放送媒体であり、その媒体に乗ることは巨大な広告効果がある。そのために、広告を必要としている人や有名になりたい人、名誉欲の強い人などにとっては、頼んででも、お金を積んでも出たいものである。特に芸能人などはその際たるものであるし、最近では、政治家もその仲間入りをしてしまった。日本の政治の陳腐化は、まさにこのテレビによるマスコミ迎合政治が原因であるが、その内容が一般の社会の中に入ってしまったのだ。しかし、これは、社会や政治を陳腐化させるというものだけではない。普段えらそうにしてあえない人も「取材」といえば、基本的に頭を下げてくる「一般では会えない人」に対して、「図分は特権階級である」かのごとき錯角を持ってしまうものである。このために、業界全体の「おごり」が出てくる。この「おごり」が、面白いもの、社会のために何かを作ろうという感覚をなくし、手抜き作業の温床となってしまうのである。その手抜きが社会人の常識の中にまで入ってしまい、そこに「特権階級意識」があれば、当然におかしな状況になってしまうのである。
 一方「外国化」とは、よく言われている番組構成もしくは編集上の問題で韓国語が多いとか韓国ドラマが多いなどというものではない。スポンサーが、または資本関係比率の中に実質的に外国が多くなってしまうと、社会的な評判が悪くなっても、そのスポンサーや実質的なオーナーに評判が伝わらない。ようするに、何をしてもオーナーやスポンサーからの金銭が尽きないということになる。単純に、スポンサーの評判が落ちないということは、それだけスポンサーから切り離された「特権階級意識を持ったスタッフ」の坊弱武神名振る舞いをとめる抑止力がなくなるということである。森トン編集などの話もあるし、制作会社が外部で、その外部の会社に日本人が少ないなどの話もあるが、そのようなことよりも、このスポンサーや資本の外国化は、まさに放送局とそこに勤める人の外国化を招いてしまうことになるのである。
 スタッフの下のほう、(許可を取るなどというのはチーフの役目ではない)の人々まで、このような特権階級意識と外国化、そしてそのことを基にした傍若無人な振る舞いが多いのは、まさに日本のメディアの死を意味しているのではないか。
 まず、日本の場合、メディアを日本人の手に取り戻し、その中のスタッフ一人ひとりまで(外部スタッフや制作会社まで)、社会人の常識を、日本人の慣習を取り戻さなければならないのではないか。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第7回 日本国憲法交付勅語における「やまと言葉」解釈の必要性

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第7回 日本国憲法交付勅語における「やまと言葉」解釈の必要性

 毎週勅語についてやっている。本来戦前のならば勅語についてこのように研究史自分の意見を忖度するなどということは不敬のきわみである。私自身、皇族、急行族とのお付き合いもあり、そのことは十分に知っているつもりである。もちろん、現代の日教組教育を受けた戦後世代、それも第二次ベビーブームの生まれであることから考えれば、基本的にしっかりとした左翼教育を受けて育っている。全体が左傾化した中において自分の位置が多少中心によっているからといって私が「右翼」「保守」であるとは考えていない。そのために、「勅語についてこのように研究史自分の意見を忖度するなどということは不敬のきわみ」ということをわかっているといっても、そのことはあくまでも「全体が左傾化した中において自分の位置が多少中心によっている」という範囲でしかない。
  では、そのように認識をしながら、なぜ勅語についての「私なりの忖度」を続けるのか。勅語そのものに関して、本来は犯すべからざるものであると考えている。しかし、憲法の議論を行うに当たって、その憲法の精神を考えるにもかかわらず天皇陛下がどのようなお考えを持ってこの憲法を公布したのか、そのことが全く考えられていない。そのことをわすれらっれて「憲法擁護」「憲法改正」「憲法無効」ということを言っていること自体が非常に違和感を感じる。そのためにはあえて不敬を問われることを覚悟しながら、この文章を書いている。もちろん、昭和天皇の大御心とは全く離れたものかもしれない。また、その内容は、かなり違った解釈かもしれない。しかし、「憲法公布の勅語」からスタートして憲法を考えるという姿勢を示した上で、天皇陛下の勅語の重さを再認識し、当時の日本の考え方から現在の日本の姿を見て、天皇陛下は勅語で「このような日本を作ろうとなさったのか」ということを考えなければならないのではないか。
  そのような考えから、あえて不敬に問われることを覚悟しながら勅語に関する忖度を続けているのである。
  その覚悟を見た上で、今回も直後に関する考えを続けたい。今回は、前回の次の一文「即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。」というところである。

  日本国憲法公布記念式典において賜わつた勅語
(昭和21年11月3日) 

 本日、日本国憲法を公布せしめた。
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。
  即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。
 朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。
 
  御名御璽
 
 
  さて、「即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。」という一文に関して、まずは最初の一語「即ち」という言葉を考えて見たい。
  「すなわち」とは、現在の日本語の感覚では、接続詞として使われる単語である。接続詞で「すなわち」とした場合、前に述べた内容の説明または言いかえを表現する日本語ということになり、基本的には、前の言葉と後ろの一文は同じことを示すという意味なる。この解釈からいえば、「人類不変の真理で国民の相違を持って憲法を改正された」ことと、上記の一文が同じ意味となる。文章を解析すれば「改正された」ということと「明らかに定めた」は同義語であるから、これは成立するものと考えられる。しかし、「国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め」と「みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを」が同義語とは考えられない。「定めた」だけで「すなわち」が同義語を接続する接続詞ということを考えるのは、節足に過ぎるのではないか。そこで、「即ち」の意味を辞書で引いてみる。
 
  すなわち〔すなはち〕【▽即ち/▽則ち/×乃ち】   [接]
1 前に述べた事を別の言葉で説明しなおすときに用いる。言いかえれば。つまり。「日本の首都―東京」
2 前に述べた事と次に述べる事とが、まったく同じであることを表す。とりもなおさず。まさしく。「生きることは―戦いである」
3 (「…ば」の形を受けて)前件の事実によって、後件の事実が自然に成り立つことを表す。その時は。そうすれば。「戦えば―勝つ」「信じれば―救われる」
[名]
1 (連体修飾語に続けて)その時。
「綱絶ゆる―に八島の鼎(かなへ)の上に、のけざまに落ち給へり」〈竹取〉
2 むかし。あのころ。当時。
「若宮は、―より寝殿に通る渡殿におはしまさせて」〈栄花・楚王の夢〉
[副]
1 すぐに。たちまち。
「立て籠(こ)めたる所の戸、―ただ開きに開きぬ」〈竹取〉
2 もう。すでに。
「頗る出精せしが、今は、―亡(な)し」〈蘭学事始〉
[補説]この語の語源は、いわゆる「時を表す名詞」の一種であり、平安時代以後、「即・則・乃・便」などの字の訓読から接続詞として用いられるようにもなったと考えられ、現在ではその用法に限られるといってよい。
(デジタル大辞泉より)

 この辞書の最後の「補説」に注目してもらいたい。単純に「この語の語源は、いわゆる「時を表す名詞」の一種」であり、本来は、同義語を示す接続詞ではなく、時制を表す副詞のほうが正しい使い方であるということがわかる。単純にいえば「たちまち」「すぐに」「すでに」というふくしてきつかいかた、もしくは「そのとき」という意味の名詞的な使い方のほうが正しいのではないか。
  そこでもうひとつ注目するべき事は、この一文が「勅語」であることだ。単純に考えれば、「勅語」は「天皇陛下の発する言葉」であり、その言葉は「正しい日本語」が使われる。では「正しい」とはなにか。単純にいって「やまと言葉」が正しい言葉であり、現代の常識的な使い方で変化した言葉の使い方を持つことはできないはずではないのか。
  私が、勅語の前に不敬ながら勅語を解釈するという趣旨のことを書いたのは、まさにこのことである。単純にいえば、勅語で、時制を示す名刺もしくは副詞で「即ち」という言葉を使い、それが「やまと言葉」の正しい使い方であるにもかかわらず、現代人は、皇室の正しい日本語を廃し、自分たちの慣れ親しんだ「現代語」を使うことによって、不当に、そして不正に勅語の意味を変えてしまい、昭和天皇が左翼憲法を公布したかのごときうわさを流したのである。まさに、勅語を利用し、現代語という庶民言葉で解釈を行い、天皇陛下を不当に卑下するという「大逆」に近い不敬を犯しているのではないか。
  もしも、この「即ち」を、皇室の慣例に従い、やまと言葉の一つとして時制的な使用をしていたとすれば、当然に「人類不変の真理」と「戦争放棄」が同義語ではなくなるということになるのである。そして、その二つが同義語でないから「改正された」ということと「明らかに定めた」のように、同じ事を書いているにかかわらず、表現を変えたということが明らかになるのである。通常、誤解がないように同義語を書く場合は、同じ単語を使用し類似性を強め、解釈に誤りが無いように行うのが普通の書き方であるが、そうしなかったのは、二つの文が並列であり、時制的なつながりを持て表現されたことという理由によるものである、と解釈される。
  さて、私は上記でも明らかにしたように完全なる戦後教育であり、日教組教育を受けて育っている。要するに、私の受けた教育の中においては「平和の追求は人類不変の真理である」ということを教えていた。また、日本国憲法の特徴が平和憲法であり、それは人類不変の真理に従った先進的な憲法であるとも聞いたことがある。しかし、実際、そのような日教組教育の根拠が「勅語」にしか存在せず、その解釈も「やまと言葉ではなく都合の良い現代語訳」で解釈した内容でしかないということが明らかになったとも言える。このように解釈すれば「人類不変の真理」は、前回解説したように「民主主義政体」のことであり「軍部独裁の否定」ということを意味しているのではないか。もっといえば、天皇陛下が、広く民とともにあるという、かまどの火の逸話のごとき内容こそ、「人類不変の真理」であり、「平和」と結びつくものではない。もちろん、「平和」であるから「民安らかに」あるわけだが、「安心」「安全」「発展」は同じものから発するが必ずしも同一の事実を書いているのでは無い。この三つが深く関連し、強い相互関係があることは明らかであるが、一方で、これが同一であるというのは日本人的な解釈ではないのである。よって「平和」であるから「民が安らか」であり、「非常事態」でなく「民主主義政体」を作ることができるのである。当然に、民が安らかであるということは戦争をしていない状態である。戦争をした状態、北朝鮮のような線軍政治が日本の理想でないことは明らかである。しかし、同時にその平和がイコールで武装解除という状態なのかどうかは、別な問題であろう。
  そのことをはじめるとかなり長くなる。今回は「即ち」という一語を持って「やまと言葉」の解釈をすべきということ。そしてそれは勅語全般にそのことを適用すべきであり、現代語で勝手に翻訳し、身勝手な解釈をすること自体が不敬であると考えられることを軸に、残りの部分を次回に回したい。

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石原新党、その期待と不安と連携相手を見定めよう

石原新党、その期待と不安と連携相手を見定めよう

 25日午後、石原慎太郎東京都知事が突然の辞意表明を行い、11月中旬の新党結党、そして国政への出馬を表明した。たちあがれ日本の平沼赳夫代表は、来週30日の解党を表明し石原新党への参加を表明している。また、石原慎太郎前都知事は、連携先として橋下徹日本維新の会の名前を出している。
 一般的に「なぜこの時期なのか」ということ「都政をどうするのか」ということ。都政の中には尖閣諸島問題における寄付金16億円をどのように使用するのかということやオリンピックの招致はどうなるのかとい言うことが含まれる。そして「国政に出てどのようにするのか」ということがあげられるのではないか。そして、政策手金維新の会との連携が妥当なのか、維新の会が連携を模索しているみんなの党との関係、そして、連携に関して言葉に出なかったが、小林興起議員など友人が所属する「減税日本」との連携の可能性など、「第三局の結集」は可能なのか。そして最終的に石原新党は何議席取れるのかそして、彼杵整数は「与党」になるのか「野党」になるのか。その新党に対する「興味」は尽きない。
 しかし、それらの一般的な疑問は、あえてこのブログではやらない。一応ここに列記したのは、最近人にアウト「違った視点でブログを書いているが、実際は一般的な視点や疑問を持っていないのではないか」というようなことを言われて、なんとなく、悔しい思いをしたので、一応、それらのこともわかっているということでここに今日は列記してみた。私も一応ジャーナリストなので、それらの視点は持ち合わせている。しかし、違う視点で書くことによって新たな面を見ようと思っているので、このような「一般的な疑問」は他の大きな新聞社に任せていたらよいのではないかと考えている。
 そこで、後半では、今回の内容の中で新たな視点を見て見た上で、石原新党を考えて見たいと思う。

石原都知事が辞任表明、新党結成へ 橋下市長に国政転身求める

   東京都の石原慎太郎知事(80)は2012年10月25日に記者会見を開き、同日付で都知事を辞任する考えを明らかにした。あわせて、新党を結成して自らが代表に就任し、次期衆院選に立候補する意向を示した。新党は、自らが立ちあげに関わった「たちあがれ日本」を母体とし、党名は近く決定する。30~40人の擁立を目指す。後継の知事には「あんな優秀な副知事はいない」として、猪瀬直樹副知事を指名した。
   連携への動きが続いていた大阪市の橋下徹市長については、「彼の辣腕だったら、(市政の問題は)1期やったら解決する」と、国会議員への転身を求めた。
「ほとんど国の妨害にあって、非常に苦しい思いをしてきた」
   石原氏は、知事としての4期・13年8か月を
「東京を預かる限り、東京のためだけではなくて、日本のためになることをやってこようと思ってきた」
と振り返りながら、
「国との関わりの行政に関しては、ほとんど国の妨害にあって、非常に苦しい思いをしてきた」
などと中央官僚を繰り返して批判。その上で、「私は共産主義は嫌い」としながらも、中国の毛沢東氏の論文「矛盾論」を例に引きながら、
「矛盾を解決するためには、目先の問題の背後にある、もっと大きな矛盾を解決しなければ解決にならない」
「国政に解決してもらいたい大きな矛盾を抱えている」
などとして、都政の問題を解決するためには、その背後にある問題を国政が解決する必要を強調した。
「いい年だが、明治以来の官僚制度をシャッフルしなければ国民は報われない」
   具体的な政策については、日本国憲法について
「今の憲法の合法性は、どこにあるんですか?」
と改憲論を改めて主張。自治体への複式簿記の導入、米軍横田飛行場の活用など、従来の持論を繰り返した。「私しかできないと思ってやってきた」という尖閣諸島の問題についても、
「国会議員になって、それを監督し、督促していきたい」
と述べた。
   その上で、
「いい年だが、明治以来の官僚制度をシャッフルしなければ国民は報われない」
「最後のご奉公」
などと決意表明をした。
   公職選挙法が国政政党の要件として定めている要件「国会議員5人以上」については
「もっと(大きい)数字になんじゃないの?」
と、要件は比較的容易に満たすことができるとの見方を示した。
   支持率低迷が続く「日本維新の会」については、
「まず連携、連帯」
と述べ、代表を務める大阪市の橋下徹市長については、
「彼の辣腕だったら、(市政の問題は)1期やったら解決する。その後、彼が立候補したらいい。私はワンポイントの先発ピッチャーでいく」
と、現在の市長としての任期が満了次第、国会議員に転身するように求めた。
   自民党については、
「第1党になっても、過半数は取れっこない。自民党に苦い思いをして愛想つかして辞めたので、戻るつもりはないし、今の自民はあまり評価できない」
と、連立を組む可能性を否定した。

2012年10月25日(木)16時11分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-151425/1.htm

<石原新党> 橋下市長「連携まだ分からない」

 「日本維新の会」代表の橋下徹大阪市長は25日、石原慎太郎東京都知事の新党との連携について「まだ分からない」と話し、現時点での連携は未定との立場を強調した。ただ、石原知事とは個人的に意見交換を重ねており、「政策協議になれば、いろんな話をさせていただきたい」と含みを残した。
 橋下氏は市役所で記者団に「地方交付税の廃止では石原知事と一致している」と話す一方、原発政策については「大きな軸や方向性が違う」と強調。憲法問題についても、憲法破棄を主張する石原知事との間で見解のずれがあると述べた。
 橋下氏は今月13日、東京都内で石原知事と会談。たちあがれ日本の平沼赳夫代表も同席し、次期衆院選での連携について意見交換していた。【原田啓之】

毎日新聞 2012年10月25日14時31分
http://news.livedoor.com/article/detail/7078519/

 石原慎太郎という人物は、非常に喧嘩のうまい人物である。今回は夜テレビ報道をさまざま見た(ちなみに、プロ野球のドラフト会議も気になっているので)が、はっきり言って日本維新の会の結党などとは全くその雰囲気が違う。橋下徹氏とは役者が何枚も違う。やはり画になるのは石原慎太郎のほうだ。橋下氏はかすんでしまった。
 今状態は、日本国民を第三極に駆り立てる鬼は十分である。その中で、石原氏が表明したのは、強い保守主義だ。レーガン大統領が行った「強いアメリカ」と同じように「強い日本の復活」が最大の問題ではないのか。その中には「官僚組織改革」「憲法改正(決して無効と入っていない)」「既成政党批判」である。特に民主党に対するアレルギー的な問題や、自民党に対する評価しない姿勢は、なかなか強いものを感じる。
 しかし、この言葉の中になんとも石原慎太郎氏の「好き嫌い」が入っていることに気づくであろうか。
 石原氏は、小説家である。小説家は、孤高の仕事であり、自分の頭の中の世界観と感性を切り売りするのがその仕事である。逆に、頭の中の世界観が小説の中心であり、感性が表現につながる。そのことは政治も同じであるが、その中に「客観性」が求められるのと、「主観を表現する」こととの違いは非常に大きい。主観を表現して相手を自分のペースに巻き込むのが小説家、一方、相手の意を受けて自分の主観を多数の中の一つの意見としながら、国益という広い視点で物事を表現するのが政治だ。自分の意見や感性の扱いがかなり違うのがこのように表現するとわかる。もちろん、それを対話などで、大衆の意見を徐々に自分のほうに引き寄せるのは政治家としての技術であるが、それを相手を否定、または批判することや、極端なパフォーマンスで切り抜けるのは、あまり好ましいことではない。石原氏は、それの許される数少ない政治家であるが、しかし、それは大衆に対しては対応できるものであっても、政治家同士などの中に対応できるものではない。もちろん最近の自分の意見も無く、風評と風だけで動いている権力欲しかない役に立たない議員たちにはそのような考えでも接することができるが、そのような役立たずばかりを集めても何の意味は無い。
 要するに石原氏が「主観」をどれだけ抑えられるか、「客観」をどこまで貫けるか。石原氏のリーダーシップと同時に、他人の意見を聞く耳がどれほど余裕があるのか、そのことが最も気になる。もちろん石原氏は自分のその弱点をよくわかっており、会見の中で年齢の話しをしたときにしっかりとそのことを表現しているのは、石原氏のうまいところではある。
 石原氏の保守的な発想は現在の日本にもっとも必要なものであろう。しかし、そのために日本の選挙民の保守派の票を割って分散しまうのは、よいものではない。政策を重視し、国益のために、「好き嫌い」を乗り越えて政治を行うことができるか。あまり報道されていないが石原慎太郎氏本人の個性、特にその激しい部分が、最も強いカリスマであり、政治的センスでありながら、同時にその強さがもっとも弱点であり、そして政党という集団としての脆弱性につながるのではないか。
 いずれにせよ、11月にできる政党と、その政党の掲げる政策を見なければ、あまり詳しい論評はできない。しばらくは石原氏に関しては、この石原氏の個性に注目した無いようにして見ようと思う。

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過程重視の無自覚売国日本人と結果だけほしい大陸人の盗用事件簿

過程重視の無自覚売国日本人と結果だけほしい大陸人の盗用事件簿

 日本には「惜敗」という言葉がある。
 実力の割にはがんばった、とか、格上の敵に善戦したとか、昔に比べて成長したとか。
 私もスポーツの世界では、そのような言葉を耳にして、なかなか良かったとか感動を与えてくれたなどとコメントをすることは多い。特に、毎年春と秋に行われる甲子園の高校野球ではそのような感覚を覚え、自分の額英時代を重ね合わせて懐かしく思うときがある。
 選挙が近くなってきている。選挙事務所の視察や激励に行くことも少なくない。しかし、最近懸念しているのは、選挙の事務所の中にこのスポーツの感覚が蔓延してしまっていることが少なくないのである。
 ある選挙事務所で「こうしたほうが良い」などのアドバイスをしていたところ、「私はがんばっているのに」というような反論が来る。もちろん、保守系の政治運動化にも多い状態である。しかし、この内容に関して私は必ず「あなた方がやっているのは、政治であって高校野球ではない」というのである。高校野球は、はっきり言って負けても命をとられることはない。いきなり何を言うのかと思うかもしれないがお付き合いいただきたい。優勝を目指してグランドでプレーするのであるが、残念ながら、高校野球で優勝するチームというのは全国の高校の中で1校しかないのである。そして予選の緒戦を敗退したチームでも、優勝していないチームは「たった1回しか負けていない」のである。そのために、一人ひとりのプレーに関し、みんなが良く見えるようになる。優勝高校出身者でないプロ野球選手が活躍するなどということは少なくないのである。もちろん、そのためには「惜敗」という単語は必要である。わざと負けたり、1回の負けで「良いところなく」負けたのと、善戦して惜しくも敗退するのとではわけが違う。そして、それは命をとられるわけでもないし、その結果よりも過程を重視する文化そして成長期というその選手たちの成長の部分があるのだ。
 しかし、社会人はまたく違う。社会人というのは、当然に結果を求められる。契約件数で争ったとして、「惜敗」も「惨敗」も同じ。ひとつの会社との契約は、よほど特別なことがない限りひとつしかないのであるから、惜敗であろうと惨敗であろうと不戦敗であろうと、契約をできなかったということに関しては同じである。そして、それは会社の収入に直結し、ひどいときには会社の倒産、そして従業員の解雇につながるのである。
 一方政治の場合は、選挙に関しても「惜敗」というのはない。基本的に惜敗も惨敗も同じ。当選しないということに関してはまったく変わらないのである。そして、そのときに「私はがんばった」などといっても笑われるだけであるし、「それでも落選したんでしょ」といわれて終わりだ。それどころか、そのような結果が多く変な政党が勝利をしてしまえば、日本国全体の運命も変わるのである。日本国全体の運命が変わるというのは、当然に、われわれ日本の国民の生活が変わるということ、そして子孫の将来が、日本の未来が変わるということだ。
 この日本的文化は、もう一つ、中国や韓国のスパイ事件を誘発している。非常に日本人的な感覚が、もうひとつの中で、日本を大きな危機に陥れているのである。そのことについて、少々記事を読んでいただきたい。

サムスンから技術だけ盗まれ“用なし”クビ日本人が急増中!?

 経営再建中の半導体大手・ルネサスエレクトロニクスは、同社の早期退職優遇制度に7511人の応募があったと発表した。会社側が想定していた5千数百人を大きく上回る結果となった。一部では整理解雇に踏み切るのではと噂されていたが、杞憂に終わったようだ。
 ただ、人材の地盤沈下は予想以上に深刻だ。早期退職の対象にならない若い優秀な人材までもが、新天地を求めて辞めているケースが目立つからだ。一方、かつて韓国メーカーから引き抜きにあって海を渡った技術者たちも、「クビ」になり国内に職を求めるケースが増えている。半導体関連の人材市場が、「再就職」をめぐり、かつてないほど賑わっている。
●買い手市場の半導体技術者
「人材の質が3ランクくらい一気に上がった」。都内ベンチャー企業の社長はこう語る。同社はソフト開発が主力だが、ここ数年、半導体関連ビジネスの事業を拡大している。「昨年まではなかなか人が採れなかった」が、年初以降、「完全な買い手市場」といい、自然と笑みもこぼれる。気になるのは応募してくる層。「ルネサスやエルピーダメモリ出身の30代半ばまでが多い。会社に切られたというより、会社を見切った人が多い」と指摘する。
 ルネサスなどからの流出組が駆け込むのは、ベンチャー企業だけでない。ルネサスの競合である米フリースケール・セミコンダクタは、今秋までに、年初に比べて自動車向け半導体の技術者を3倍に増やした。「市場には人があふれているからね」と同社関係者はささやく。
●米インテルはエルピーダ流出組に食指
 海外大手では、世界最大の半導体メーカー・インテルが、エルピーダ出身技術者の囲い込みに動いているとの観測も広まる。インテルは、デジタル機器の頭脳の役割を果たすMPU(超小型演算処理装置)が主力。エルピーダは記憶用途に使うDRAMの専業だが、半導体業界では周辺技術を取り込んだシステムでの納入が今後増える見通し。メモリー技術の重要性も増しており、エルピーダ出身技術者の人気も高い。国内の外資系メーカー幹部は「人材紹介会社から、エルピーダ出身技術者の紹介も増えている」と語る。
●韓国からの出戻り組も急増?
 前出のベンチャー企業社長によると、もうひとつ大きな変化があるという。
 サムスンなど韓国企業に在籍する日本人からの応募が、急に増え始めたというのだ。社長は「履歴書を見ると、日本の一流電機メーカーに在籍した後、サムスンに転職したケースがほとんど。韓国企業に引っ張られたが『用なし』になったのでしょう」と推測する。つまり、サムスンが技術を盗むために引き抜いたが、盗み終えたため、彼らを雇用していく積極的理由がなくなったというわけだ。
 彼らは数カ月の猶予を与えられ、その間に職探しに奔走しているという。このベンチャー企業とは別の半導体設計会社の幹部も、「韓国からの『逆輸入』技術者が採用に応募してきた」と語っており、出戻り組は増えているようだ。国内の半導体関連市場は、ルネサス、エルピーダ、そして韓国からの逆輸入組が、三つ巴で椅子を奪い合っている状態というわけだ。
 ルネサス、エルピーダが沈みゆく船であることは間違いない。一方、ぬるま湯である日本の半導体メーカーから出て生き残るには覚悟が必要だが、人材紹介会社の社員は「今のタイミングで飛び出すことは正解だろう」と語る。残るも地獄、飛び出すのも地獄ならば、新天地を求めるのは当然。
「椅子取りゲーム」は熾烈さを増しそうだ。
(文=江田晃一/経済ジャーナリスト)

ビジネスジャーナル 2012年10月22日06時02分
http://news.livedoor.com/article/detail/7066092/

輸出規制の炭素繊維、中国に不正持ち出しか 大阪の商社 軍事転用可

 軍事転用される恐れがある炭素繊維が、大阪府内の商社から中国に不正に持ち出された疑いがあることが捜査関係者などへの取材で分かった。炭素繊維は外為法で輸出が規制されており、外為法違反や詐欺の疑いも浮上。捜査関係者からは「戦闘機に使われれば、燃費など中国の軍事レベル向上につながりかねない」との声も上がっている。
 関係者などによると、戦闘機の機体に転用したい中国軍事関係者が最新鋭旅客機「ボーイング787」の機体にも使われる東レの最先端の炭素繊維を入手するよう、大阪府内の商社に依頼。平成21年8月に、この商社が約1キロの炭素繊維を経済産業省の許可を得ないまま、中国に持ち出した疑いがあるという。
 この商社は東レと取引実績がなかったため、静岡県内のベンチャー企業に東レの炭素繊維約2トンを2千万円で入手するよう依頼。ベンチャー企業は「工場で生産する水素発生装置のボディーに使う」などと東レ子会社に虚偽説明を行い、サンプル約1キロを確保した。商社はその後、中国側に炭素繊維を手渡したとみられている。静岡県警は捜査を行い、同様の事実を把握している。
 東レは社内調査などの結果、「詐欺行為の被害に遭ったことは把握しているが、商社が中国側に対し、低品位の炭素繊維を最先端のものと偽ったのではないか」(首脳)としている。大阪の商社は「特にコメントすることはありません」としている。

2012.10.24 08:09  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121024/biz12102408100004-n1.htm

 日本人が、「過程」を大事にし、高校野球が国民的文化でその感動を考えているのに対して、中国と韓国は「結果」を大事にする文化である。過程などというのはまったく関係がなく、完全に結果だけを求める。いや、過程はないほうが珍重される。これほど文化はまったく違うと考えてよい。「過程を省略する」という目的のためには、費用対効果で考えて効果のあることをおおなう。上記の記事におけるサムスンの日本人雇用と解雇の話も、また、東レと中国企業の炭素繊維の話も同じだ。まさに、それらを作り出す過程を重視せず、結果だけをもらうということに終始している両国の文化そのものである。
 一方、日本は過程を重視する。このことは、中国や韓国に技術を求められるときも同じだ。相手の文化や人間性をまったく考えることなく、単純に、自分の出した結果を提示する。そのために、新幹線の技術も、ラジコンヘリコプターも全て盗まれてしまう。しかし、日本人は過程を重視するので、それ以上の技術や求められれば、新たな技術、相手の要望にあったカスタマイズに自信がある(もちろんこの段階では結果は出ていない)。相手は結果を求めているのに、過程の重要性を説いても意味がない。
 その上で、日本が不景気で韓国や中国に金銭欲を満たすだけの条件を出される。当然に相手は結果を合法的にもらうことしか考えていない。研究開発費の何十分の一のコストでけっかをえられるのであれば、多少、日本のマスコミに非難されようと関係がない。なぜなら過程を重視する日本人は1億2千万人もいるのである。
 現在、スパイ事件をいくつか追っているのであるが、そのスパイ事件の多くは、情報提供者、要するに日本人が気がつかないうちに情報を提供してしまう場合である。中国人や韓国人は、単純にそのことが大きな目的になっており、愚痴を聞いたり過去の苦労話を聞く中において結果だけを持ってゆくことに成功する。本人は、昔話や会社の愚痴、そして苦労話をしただけであり、日本社会、特に社会人の集まる居酒屋では通常に行われていることになる。その通常に行われることをやって「スパイ」の片棒を担がされるの出るから、まったくわからないということになる。上記の韓国のサムスンの例などはその典型なのではないだろうか。結果をもらえた中国や韓国は、まさに用済み。ごみと同じように捨てられてしまう。いや、文句を言うのだから「ごみ以下」の扱いになってしまうのである。
 今回は、典型的な例から、スパイ事件の二つの例を、日本人と大陸人の違いから見てきた。もちろん、この「過程」と「結果」というだけでなく、他の要因もあって、事件は発生する。しかし、ひとついえるのは、日本の経済対策がしっかりし、同時に日本人が中国や韓国に関する正確な知識または正確な人間性をしっかりと認識していれば、このような事件はある程度防げるのではないか。もちろん他の要因もある。しかし、国会新聞の立場から言えば、日本の経済対策の遅れ、民主党政権による日本経済の破壊が、技術しか売るものが無くなってしまった日本人の問題と、「過程重視」による罪悪感の希薄さがこの問題を助長しているように思えてならないのである。

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田中慶秋法務大臣の辞任と言葉だけの「任命責任」

田中慶秋法務大臣の辞任と言葉だけの「任命責任」

 「責任」とは、民主党政権になってから、実に軽い言葉になった。
 暴力団関係者との過去や外国人からの献金が明らかになり、また、そのことの追求から逃げるために、憲法の規定を無視して国会の委員会審議を無断欠席した田中慶秋法務大臣が23日に示威を表明した、田中大臣は、国会の審議を無断欠席した後に、マスコミや野党からの追及を逃れるためしばらく入院していたが、その入院が、そのまま法務大臣辞任の理由にもなった形だ。
 さて、野田内閣になって、今年一月の小規模改造も含めれば、4回目の内閣。その中において「一度も国会を経験していない大臣の交代」が二人もいるという異常事態を覚えているであろうか。昨年九月に、鉢呂経済産業大臣が就任したが、経済産業大臣就任後すぐに、その管轄下である東京電力福島原子力発電所と、その放射能漏洩事故被災地の視察に行き、同行した記者団に「放射能つけちゃった」発言を行い、あまりの程度の低さと、この事故に対する見識の不謹慎な態度に国民的な反感が渦巻き、たった九日間で大臣を辞任するということになった。公認は現在も経済産業大臣をしている枝野幸男氏である。
 この鉢呂大臣の場合も、たった9日で、まともな仕事も何もしていない、はっきりいって「放射能つけちゃった」などと工費を使った視察旅行で馬鹿なことを行い(当然に、その視察費用は国民の税金である)、まともな国会審議を行うこともなく、まともな仕事もしていない。しかし、それでも「前大臣」という肩書きは変わらない。誰の記憶にも仕事の実績はないにもかかわらず「大臣」という実績だけが残るのである。
 「国会の審議を行っていない大臣は、洗礼をしていないクリスチャンと同じ」とは、以前お付き合いのあった宗教関係者のお話。宗教といえども政治とは無関係ではないので、政治に関して語ることがあるのだが、キリスト教の皆さんには不謹慎な言い方かもしれないが、私たち、無宗教の人にとってはもっともわかりやすい一言である。まさに「完全に大臣になりきっていない大臣」というニュアンスが良く伝わる。
 鉢呂経済産業大臣に続き、田中法務大臣も、「洗礼を受けていない」大臣が生まれた。これは、まさに、野田首相の任命責任以外の何者でもないのである。

田中法相が辞任 野田政権には大きな打撃

 暴力団関係者との過去の交際などが明らかになっていた田中慶秋法相が23日朝、体調不良を理由に辞任した。就任からわずか3週間での辞任となる。臨時国会を前に事実上の更迭との見方も出ており、野田政権には大きな打撃となる。
 藤村官房長官は23日午前の会見で、「体調不良により入院し、検査の結果、いくつかの症状で加療が必要だということで、大変残念ではあるが、辞表を受理した」と述べ、辞任は「体調不良」が理由と強調したが、田中法相をめぐっては、暴力団関係者との過去の交際や、外国人が経営する企業からの献金問題が明らかになっていた。
 また、先週、国会への出席要求に応じなかったことから野党側は強く反発し、辞任を求めていた。来週からの臨時国会では集中砲火を浴び、政権へのダメージがさらに大きくなるとして、民主党執行部は水面下で自発的な辞任を促しており、田中法相も最終的に受け入れた形。
 野田首相は直ちに後任の法相の検討に入る。野田内閣での閣僚辞任は、去年9月の鉢呂経産相以来2人目だが、野田首相が行う閣僚人事には民主党内からも疑問の声が出ている。
 一方、自民党・石破幹事長は23日午前、「田中さんの問題もあるが、なぜそのような人を任命したのかということです。なにが政治主導だということです。責任感が全くなく、学習能力がないと断ぜざるを得ない」と述べている。

日テレNEWS24 2012年10月23日13時56分
http://news.livedoor.com/article/detail/7071161/

首相「任命責任ある」、法相後任に滝氏再登板へ

 野田首相は23日、田中慶秋法相の辞任について、「任命した閣僚が職務を全うできなかったという意味で、任命権者の責任はある」と述べ、自らの任命責任を認めた。
 後任には、滝実(まこと)前法相(74)を起用する方向で最終調整に入った。24日にも任命する。
 首相は首相官邸で記者団に、田中氏への任命責任を認めたうえで、「その責任は、内閣全体で職務にまい進することによって果たしていきたい」と語った。
 滝氏は、6月の再改造内閣で法相として入閣、10月1日の第3次改造内閣発足まで約4か月務めた。臨時国会召集を29日に控え、滝氏なら国会答弁に即応できると判断したとみられる。衆院奈良2区選出で当選5回。今期限りで議員を引退する意向を表明している。
 政府は23日の持ち回り閣議で、法相の後任が決まるまでの臨時代理に小平忠正国家公安委員長を指名したが、首相は後任人事の早期の決着を目指している。
 田中氏が兼務していた拉致問題相は、藤村官房長官に兼務させる方向だ。拉致問題相は民主党政権で田中氏が7人目で、頻繁な交代に批判が強まったため、首相の信頼が厚い藤村氏に兼務させることで、拉致問題への取り組みをアピールする狙いがありそうだ。

読売新聞 2012年10月24日04時05分
http://news.livedoor.com/article/detail/7073114/

仙谷氏「なぜこんな人事を」民主にも任命責任論

 外国人からの献金受け取りや暴力団関係者との交際が発覚した田中慶秋法相(74)が今月1日の第3次改造内閣の発足からわずか3週間余りで辞任に追い込まれたことで、野田首相の求心力低下は避けられず、政権運営は厳しさを増している。
 与党幹部からも批判の声が上がり、内閣支持率が低迷する中で大きな打撃だ。
 民主党の安住淳幹事長代行は23日、国会内で記者団に、「党の責任者としては大変申し訳なかった。国民から見ればいろんな批判もあると思うので、謙虚に受け止めなければならない」と謝罪した。一方で、「(田中氏は)体調が万全でない。診断書もある」とも強調した。「健康問題による自発的な辞任」と位置づけることで、早期に幕引きを図りたい意向を示したものだ。
 だが、田中氏起用への批判は、民主党内からも出ており、幕引きにはほど遠い状況だ。仙谷由人副代表は23日朝のTBS番組で、「任命した責任みたいな話には当然行く。なぜこういう人事をしたのか本当に分からない」と述べた。

読売新聞 2012年10月23日17時26分
http://news.livedoor.com/article/detail/7071868/

 自民党・石破幹事長は23日午前、「田中さんの問題もあるが、なぜそのような人を任命したのかということです。なにが政治主導だということです。責任感が全くなく、学習能力がないと断ぜざるを得ない」(上記記事より抜粋)
 野田首相は23日、田中慶秋法相の辞任について、「任命した閣僚が職務を全うできなかったという意味で、任命権者の責任はある」と述べ<中略>田中氏への任命責任を認めたうえで、「その責任は、内閣全体で職務にまい進することによって果たしていきたい」と語った。(上記記事より抜粋)
 仙谷由人副代表は23日朝のTBS番組で、「任命した責任みたいな話には当然行く。なぜこういう人事をしたのか本当に分からない」と述べた。(上記記事より抜粋)
 
 このブログで田中大臣に関してさまざまいうことはもう良いであろう。すでに先週の土曜日に田中大臣の行動に関しては批判と論評を出しているので、その内容を参照してほしい。
 今日問題にしたいのは「責任」である。
 任命責任とは、任命者(野田首相)がその被任命者(田中大臣)の不道徳な行動に関して、そのような不道徳な人間を任命したこと自体に問題がある場合に、その任命を行ったことの責任を負うことをいうもんである。任命責任の責任体系には二つの態様があり、ひとつには、「被任命者の不道徳により本来職務の不作為が生じたことによる、行政の空白期間に対する責任」(空白期間の責任)という意味合い。もうひとつには「不道徳な行動を行う人物は、そもそも欠陥であり、その欠陥者を使用したことに対する、日本政府または内閣全体の名誉および信用の毀損」(信用に対する責任)という意味である。
 「空白期間の責任」に関しては、上記の野田首相の「内閣全体で職務にまい進することによって果たしていきたい」でよいのかもしれない。もちろんそれで埋め合わせられるのであれば、という前提である。基本的に、時間というものは元に戻らないものであり、空白の期間の責任、要するに「タイミングを逸した責任」というのは、話にならないのである。単純にいえば、「一昨日の新聞を配って、今日のニュースを出せなかったときに、今日のニュースの分をどのようにするのか」ということであり、それは「職務にまい進する」で間に合うかどうかは、あとは、価値観の問題である。
 そもそも、「職務にまい進する」のは、このような不祥事があろうとなかろうと同じであり「それ以上の埋め合わせ」を「具体的に何をすることによってできるのか」ということが示されていないので話にならないのである。
 もっと問題なのは、「信用の毀損」である。この責任は、そもそも私の個人的な意見を言えば、「民主党政権の存在自体が日本という国家の信用の毀損」でしかないのであるが、そのようなことを考えなくても、今回の辞任劇でどれほど内閣に、そして日本の政府の信用を毀損したか。そしてその信用の毀損はどのようにして取り返すことができるのか。
 単純にいえば、「信用の毀損」の回復の方法は、「信用があるかどうか国民の真を問う」ということしかないのだ。
 今回の問題で「任命責任」という言葉を使うのであれば、その責任の取り方、要するに、解散総選挙で、本当に自分たちが信任されているか、いないか、そのことを問わなければならない。逆に国民の真意を問うこともできないような状態で、「民主主義」などということもできないし「民主主義の中の責任の取り方」もわかっていないことになる。まさに、日本人的な民主主義とは程遠い、何があっても責任を取らない、無責任独裁状態になってしまっているのだ。
 国民は、主権者として、責任をしっかりと問う。この姿勢を貫かなければならない。

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「言うだけ番長」というよりは「虚言癖」前原大臣の発言の責任は誰が負うのか

「言うだけ番長」というよりは「虚言癖」前原大臣の発言の責任は誰が負うのか

 前原誠司氏は、民主党の内閣の中において国土交通大臣・外務大臣、そして政調会長、そして今回は胡kk差戦略担当大臣とつねに養殖を歴任している。しかし、前原大臣の発言は常に現実離れしており、また前原大臣の発言で、そのとおりになったことが無い。もちろん、民主党のどの議員も同じであるし、野田首相の言葉だって全く理解できないし、その場限りの言い逃れの発言ばかりである。そもそも、批判し貸したことがなくまともの政治を行ったことが無い民主党の議員たちにとって、政治、それも政権を担当する政治とは、それまでの野党とは全異なる内容のものであったに違いない。今までは週刊誌記者のように、単純に閣僚のスキャンダルを持ってきて、予算委員会で追求すればよかった。テレビカメラの前で、マスコミの評論家やコメンテーターと同じように、無責任なきれいごとの羅列を行えばよかったのである。しかし、政権与党、それも、前原大臣のように「責任ある閣僚もしくは与党の執行部に属する仕事」をするようになっては、テレビコメンテーターのような無責任な発言を行うことはできない。
 しかし、前原大臣は、いつまでたっても「野党気分」が抜けない。というよりは、その根本な性格から、「野党的な無責任な発言以外はできない」というのが正当な評価なのではないかと考える。
 要するに、前原大臣の発言は何一つ信用することができない。まさに詐欺師のだまし文句か、あるいは、コメディアンのネタか、フィクションドラマの台詞か、あるいは、前原誠司の発言か。それほど前原大臣の発言には、全く信用性が無い。私は「言うだけ番長」というものではなく、「虚言癖」の持ち主ではないのかと考えてしまうのである。また、ジャーナリストは評論家の間では、前原大臣が「虚言癖」であるということを公言する人も出てきている。まさにそれくらい、前原大臣の言葉は信用できないのである。
 その前原大臣が「近いうち解散」について言及、私の感覚で言うと、年明けに解散したら『近いうち』じゃない。首相は約束を絶対に守る人だ」と述べ、年内に踏み切るべきだとの考えを示したのである。

前原氏が「年内に解散」 政府・与党内で足並みの乱れ

 野田佳彦首相が「近いうちに信を問う」としている衆院解散の時期について、前原誠司国家戦略担当相は21日のフジテレビ「新報道2001」で「私の感覚で言うと、年明けに解散したら『近いうち』じゃない。首相は約束を絶対に守る人だ」と述べ、年内に踏み切るべきだとの考えを示した。野党側からは「発言は重い」(安倍晋三自民党総裁)などと歓迎の声が上がる一方で、民主党の安住淳幹事長代行は不快感を示し、政府・与党の足並みの乱れを露呈した。
 前原氏は19日の民主、自民、公明3党首会談で首相が(1)衆院選挙区の「一票の格差」を是正するための「0増5減」の先行実施(2)特例公債法案処理のルール作り(3)社会保障制度改革国民会議の設置-の3条件に言及したことに触れ、「首相は3つが終わったら、信は必ず問うと言っている。おのずと落としどころは決まってくる」と強調した。
 首相が具体的な解散時期を明示しないことについても「解散と言った途端にレームダック(死に体)になり、何かがあったときに(やるべきことを)できなくなることを心配している」と説明。野党が3条件に協力することが解散への近道になるとした上で「首相は誠実な人だから、自分の言ったことには責任を持たれる」と述べた。
 この発言に対し、安住氏は高松市内で記者団に「(解散時期に関して)周りがとやかく言う話ではない」と批判した。前原氏の「年内解散論」についても「個人の感覚として発言したと聞いている。党執行部の意思ではない」と断言した。
 一方、安倍氏は福岡市内での講演で「前原氏は野田政権の重要閣僚だ。発言した前原氏本人も責任を伴う」と指摘した。公明党の山口那津男代表も松山市内で、記者団に前原氏の発言を「正しい認識」と評価した。
 解散時期をめぐっては、樽床伸二総務相が数カ月かかるとされる衆院選挙区画定審議会での新区割りの策定を待って次期衆院選を実施すべきだとの考えを示している。閣僚がそれぞれの思惑含みで解散の時期に言及し、バラバラの発信をする事態となっている。

2012.10.21 23:23 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121021/plc12102123240006-n2.htm

輿石氏「解散は首相判断」と強調

 民主党の輿石東幹事長は22日午後の政府・民主三役会議で、前原誠司国家戦略担当相が公債発行特例法案などの懸案が解決すれば、野田佳彦首相が年内の衆院解散に踏み切るとの見方を示したことに不快感を表明した。「解散はあくまで首相が判断する。他の者がいくら言っても関係ない」と強調した。これに先立ち、藤村修官房長官も「解散を決めるのは首相だけだ。共有するような話ではない」と述べた。

2012年10月22日(月)12時24分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/kyodo-2012102201001449/1.htm

前原氏の発言重い、首相は提案を~安倍総裁

 前原国家戦略相は21日朝、衆議院の解散時期について「年明けでは『近いうち』とは言えない」と述べ、課題が解決されれば野田首相が年内に解散・総選挙を行うとの見方を示した。この発言を受け、自民党・安倍総裁は、野田首相が解散・総選挙に向けた新たな提案を行うことに期待感を示した。
 前原国家戦略相は21日、野田首相が解散時期を明示することは難しいとの認識を示した上で、「年明けに解散して『近いうちに』とは言えないでしょう。(野田)首相は、自分の言葉に責任を持つ、信義を守る方だと思います」と述べ、臨時国会で赤字国債発行法案などの課題が解決されれば野田首相は年内に解散・総選挙を行うとの見方を示した。
 「前原さんは野田政権の重要閣僚。重要閣僚なら、その発言は重たい」?安倍総裁は「前原国家戦略相の発言を受け、野田首相から何らかの働きかけがあると思うのが常識ではないか」と述べ、野田首相が年内の解散・総選挙に向けた新たな提案を行うことに期待感を示した。
 一方、民主党・安住幹事長代行は、前原国家戦略相の発言について「個人の感覚として述べたと聞いている。前原国家戦略相の感覚と党の感覚が一致しているということではない」と述べた。

日テレNEWS24 2012年10月21日23時05分
http://news.livedoor.com/article/detail/7065779/

 さて、大臣としてテレビに出演し、大臣として発言した。その上、上記の記事によれば「首相は3つが終わったら、信は必ず問うと言っている。おのずと落としどころは決まってくる」と野田首相の言葉を引用しているのである。これは、安住幹事長代行の「個人の感覚として述べたと聞いている。」という言葉とは全く一致しない。完全に、民主党の執行部の中において完全に意見が食い違っているということになる。
 もちろん早期解散を求めている安倍自民党総裁は「前原さんは野田政権の重要閣僚。重要閣僚なら、その発言は重たい」「前原国家戦略相の発言を受け、野田首相から何らかの働きかけがあると思うのが常識ではないか」という応対をするのは当たり前のことである。
 しかし、実際に前原大臣の言葉であるから、まともに受けていては身がいくつあっても足りない。
 では、この言葉の応酬をどのように考えるべきなのか。安倍総裁の言葉にしっかりとした答えが出ているではないか。
 まさに、自民党だけでなく、民主党の多くも、そしてマスコミも、そして国民のおおkが前原大臣に関して「言うだけ番長」「虚言癖」といっているのである。しかし、そのような人を「重要閣僚」に就任させ、そのような発言をすれば、内閣としてその責任を負わなければならない状態になってしまっているという、野田首相の任命責任がもっとも大きな問題ではないのか。まさに前原大臣に関しては、虚言癖・言いわけ番長ぶりは、まさに前科をあげれば枚挙に暇がないほどあるのである。人もかかわらず「国家戦略担当大臣」という「重要閣僚」にし、事前に発言の打ち合わせをすることも無く、自由な発言を認めている事自体、そもそも内閣に大きな欠陥があるということに他ならないのである。
 何も、任命責任は田中法相に対してだけ言うものではない。前原大臣もほかの大臣もすべての大臣に対して「発言に対しての責任」を求めなければならない。まさに、内閣とは少人数で行政を司るところであり、その仲の重要閣僚なのであるから、当然にそのような責任を持ってもらわないと困る。今回のような個人的な見解や虚言を外交の場でさまざまはかれてしまっては、日本という国家が持たなくなってしまうのである。
 野党各党は、すぐにこの前原大臣の責任を追及するか、あるいは閣内不一致で追及する、もしくは、野田首相の任命責任を追及し、その責任を全うするまでは審議に応じないなどの行動が必要である。政権与党、重要閣僚の無責任発言はその行動に対して、全くそれらの責任を追及することなく安易な妥協をするのは好ましくないのである。
 この重要政局に、重要な内容についての発言である。野田首相、そして安倍自民党総裁がこの問題をどのように処理するのか、注目である。

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半島国家が宗主国に殉じた条約を守らない韓国の国際的信用の失墜

半島国家が宗主国に殉じた条約を守らない韓国の国際的信用の失墜

 今日のブログは題名をつけるのに非常に悩んだ。なぜならば、そもそも「韓国」という国家は存在しているのか?という疑問を持っているからである。私自身韓国に親しい友人も少なくないし、韓国には何度も足を運んでいる。別に彼ら友人個人を否定する紀はまったくないのであるが、一方で観光に何度も足を運んでいるだけに、「韓国」という国家は本当に存在するのか、その内容は以上に疑問になっているのである。
 この疑問には二つの要素が存在する。一つはこのブログを読んでいただいている人ならば非常によくわかると思うが、「大韓民国」は「北朝鮮」との内戦状態にあり、国境線が存在しない。これは38度線という休戦ラインがあるだけで、現在も戦争中である。よって韓国という国家は内戦中の対立軸の一つの地域でしかなく韓国という一つの国家は存在しないのではないかと考えている。まさに、そのような状態は現在の勧告の中に感じることがある。韓国そのものは、北朝鮮との対立軸の中でできている。ソウル市内にいても、平和そうに見えていつも戦争を行っているような幹事は否めない。韓流などといっていても、実際には徴兵の義務を背負っている人々でしかない。そのために、韓流スターの男子には、日本人に無い「兵役訓練の跡」があるが、一方で、その鍛えた身体は、ファンのためや日本人のため、世界のためではなく、韓国という一地域の戦争のために存在するものだ。その韓国の国防にささげた体を「韓流スター」などといっているのは、日本という国家がいかに平和ボケしてしまい、なんだかわからなくなってしまっているのか、その危機感や国家意識というものの欠如のひどさは、韓流スターブームによって非常に強く現れていることは間違いが無い事実である。
 このことは、私のブログに過去に何度か書いてある。しかし、実際のところそれだけではない。韓国という国家が本当は存在しないのではないかということは、もう一つ「宗主国」という中国をいつも心の中に持っていることである。

韓国、日本との条約守れない?靖国放火容疑者引き渡し問題で国際信用失墜の可能性も

 ソウルの日本大使館に今年1月、火炎瓶を投げ込み韓国で実刑判決を受け服役中の中国籍の劉強受刑者の身柄をめぐり、韓国が日中の間で厳しい状況に立たされている。劉容疑者は、昨年末の東京・靖国神社への放火容疑が持たれていることから日本側は身柄引き渡しを求めているが、中国政府は中国への強制送還を強く要求。韓国でも朝鮮半島の日本統治時代の元「慰安婦」を支援する反日団体などが出てきて、日本への引き渡しをしないよう韓国政府に圧力をかけているという。(ソウル 加藤達也)
 劉受刑者の身柄をめぐっては韓国外交通商省の趙泰永報道官が16日、「国内法と国際法、人道的な見地を総合的に考慮して結論を出す」とし、対応を決めていないことを明らかにした。
 だが、日韓間には犯罪人引き渡し条約がある。「本来は、条約に定められた引き渡し拒否の理由にあたらない限り、粛々と引き渡しが行われるべきだ」と日本警察関係者は指摘する。
 条約に従えば、手続きは韓国での刑期終了後、身柄引き渡しに問題ないかどうかソウル高裁が審査する。「一般刑事犯罪である放火犯の引き渡しは通常ならばまったく問題なく、迅速に決まるケース」(韓国警察関係者)という。
 条約では、引き渡しを拒むことができる場合について、容疑者の引き渡しが請求されている犯罪が政治犯罪であると被請求国(韓国)が認定した場合などがある。しかし、今回の事件の容疑は建造物等以外放火だ。万が一、合理的理由もなく日本への引き渡しが実行されなければ、韓国は犯罪人引き渡し条約の不履行国となり国際的信用の失墜は免れないことになる。
 韓国紙の中央日報は15日、この問題を1面と8面で大々的に報道。そこには、この問題に対する韓国側の認識が如実に反映されている。
 報道では劉受刑者は11月8日に刑務所を出所する予定。出所後は、「昨年末、東京の靖国神社への放火容疑で日韓犯罪人引き渡し条約に基づき(逮捕状を取っている)警視庁に引き渡される見込みだ」としている。
 しかし、中国政府が外交ルートで「日本に引き渡さず中国に追放してほしい」と韓国政府に強く要請していることから、「問題が複雑になっている」とも報じている。韓国政府が劉受刑者を「法に基づいて処理するには考慮すべき変数があまりにも多い」としている。
 中央日報が指す“変数”とは何か。それは劉受刑者の犯行動機だ。
 劉受刑者は、韓国警察での取り調べや公判で、火炎瓶事件の動機を「日本政府が過去の歴史を認めず責任もとらないことに怒りを感じた」と述べている。また、朝鮮半島の日本統治時代に祖母が日本軍によって中国南部に連れて行かれ、慰安婦をさせられたとも主張している。
 劉受刑者が主張する境遇は、警察の捜査段階から垂れ流されてきたが、実は警察も裁判所も真実かどうか検証していない。にもかかわらず、韓国メディアが、逮捕直後から本人のインタビューを放送するなどして完全な事実であるがごとく伝えられてきた。
 その結果、韓国では反日団体を中心に「日本帝国主義時代の犠牲者の敵をとった」とする認識が生まれ、元「慰安婦」を支援する反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」も劉受刑者を日本へ引き渡さないよう韓国政府に影響力を及ぼそうとしている。
 もう1つの“変数”は中国だ。
 中国外務省の洪磊報道官は16日の定例記者会見で、劉受刑者の身柄について「韓国が公正で適切に解決することを望む」として、中国への強制送還を求めた。
 中国の孟建柱公安相は7月に訪韓した際、韓国の権在珍法相に対し「中国国内には反日感情があり、(身柄を)日本に引き渡せば最終的に(中韓間の)外交問題となる可能性がある」と発言。韓国側はこれに、「懸念を理解する」と応じて明確に中国の圧力を拒否しなかった。
 中国は劉受刑者の身柄を対日、対韓の外交的な勝ち負けの問題としてとらえている。そして、「(身柄を)勝ち取って、国民に中国の外交力を示すつもりだ」(中韓外交筋)とみられる。
 韓国の司法関係者は「中国政府は出所後の劉受刑者を英雄的に出迎えるため、パスポートの発給準備を進めている」と明らかにした。また、韓国メディアによると、韓国法務省が被告に難民の地位を与えることまで検討したという。
 条約は近代国家間の信頼の上に成り立った国際社会のルール。「反日なら何でもあり」の雰囲気や中国の圧力に屈して条約を守れないのであれば、韓国は普通の近代国家とはいえない

産経新聞 2012年10月21日21時55分
http://news.livedoor.com/article/detail/7065724/

 日韓間の犯人引渡し条約という、二国間条約に関して、条約における第三国の中国が横槍をして、その条約を反故にするということ、そのこと自体、韓国という国家に関して法治国家としての「主権」が存在しないということを感じざるを得ない。
 韓国という国家は、地形的に半島国家である。常に独立を「中国」に認めてもらうことによって国家としての形を成していた。それだけに、過去古い歴史に関して言えば、毎年のように朝貢しており、そのことによって韓国という国家は、国家を維持していた。いや「国家」は維持していたのではなく、国家の中心である「王朝・政権」を維持していたということができるのではないか。
 要するに、韓国における各時代の権力者は、自分の政治的な権力要するに半島部分の支配権を、中国に認めてもらうことによってその存在を肯定していたのであって、完全にすべてのものから独立したものではないのである。「国家」の要素は「国民」「領土」「主権」の三種類であるとされる。そうであれば、韓国は歴史的に中国という国家によって主権を完全に失っている「属国」でしかない国家なのである。
 戦前は、日清戦争以来その宗主国が日本になり日韓併合を行った。そして戦後は中国が共産主義になったことによって、アメリカを宗主国として存在していた。しかし、アメリカという国家がしっかりと韓国を守ってくれないために朝鮮半島では朝鮮の内戦が始まり、アメリカを宗主国とする「大韓民国」という地域と中国を宗主国とする「朝鮮民主主義人民共和国」という地域の二つの地域が出来上がったのである。
 どこかに寄り添っていなければならない「寄生虫国家・韓国」は、一方で、独立国としてはあるまじき「主権放棄」を行う一方、その国内の矛盾をしっかりと出して、国家内を統一化させるために、「敵対国家」に対して非常に強い反発を行うようになったのだ。しかし、宗主国になるほどの大国には、その苦にとの対立をしてしまえば、国家の存亡が危なくなってしまう。弱い国、韓国と同じかそれ以下の国を探して敵対をし、韓国国内の治安を維持するのである。その内容が、まさに戦後の前半は「北朝鮮との対立」であり、最近は「反日」ということになるのである。 
 さて、このような観点から見れば、日本という「敵対国家」との条約というものほど意味が無い。しかし、その内容もアメリカなどの宗主国を怒らせてはならない。そこで、まず日韓基本条約で決めている戦後賠償を槍玉に挙げ、「従軍慰安婦」なる状態をあげつらい、その内容の賠償を求める。このことによって日本国内の条約に対する認識を試し、そしてアメリカなどの各国の世論を試した。まさに「宗主国・中国」の三戦の手法を行ったと見られる。そして、それで問題が無ければ「反日」の条約無視を行うことになるのだ。その「条約無視」の一つが今回の犯人引渡し条約である。日本にとって不運なのが、このような重要な時期に田中慶秋法務大臣が全く政務をとることのできない状態であることである。本来ならば外務省と法務省がこれらの処理を行わなければならないはずであるが、その主役の一つである法務省は、全く意思表示ができない。もちろんこれは追求したマスコミや野党が悪いのではない。そのような人物を任命した野田佳彦首相の任命責任であり、その任命責任が日韓関係を複雑にし、同時に条約を遵守できず、そして、日本という国家そのものが馬鹿にされるのである。その結果が今回のニュースである。結論が現段階で出ていないのでなんともいえないが、韓国が国際的な信用がなくなっているのと同じに、日本も国際社会から信用を失墜するということをしっかりと考えるべきではないのか。
 今回のこの条約に関する履行は非常な国家的問題である。国際的な「法律・条約の遵守を求める国家」として司法の独立をしっかりと求めるのか、そして履行させるのか、平和ボケで、韓国にまたも媚を売るのか、韓国という「地域」との関係をどのようにするのか、現在の民主党政府の外交オンチ振りにはあきれるし、そのために日本という国家の信用全体がなくなるのは許しがたいのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(116) 橋下市長と朝日

マスコミ批判に関する一考(116) 橋下市長と朝日

 さてさて、このマスコミ批判に関する一考もなかなか難しいところがくるときがある。単純に一般の人があまりわからないマスコミの内部事情、この内部事情に関することにマスコミへの批判が及んだ場合は、その内情などを説明した上でしっかり批判するような形をしなければならないのではないか。
 特にわかりにくいのが「発行権」と「編集権」ということである。
 基本的に「本を出すか出さないか」が「発行権」であり、「ほんの中身をどうするか(個別の表現をどのようにするか・または目次や内容をどのようにするか)」が「編集権」である。今回の橋下市長と週刊朝日および朝日新聞社とのバトルは、まさにこの内容に関することが重要な鍵になっているのではないかと考える。
 このような微妙な問題を書くときには、いつでもそうであるが、まず私の立場を表明しておこう。
 まず、私は朝日新聞の報道姿勢も、橋下市長の政治手法も基本的には嫌いである。はっきり言って嫌いなもの同士の争いなど、どうでもよいというのが基本姿勢なのであるが、私の立場でこの問題を扱う以上、ある程度考える。そこで、今回の件は、政策にからめないで、印象操作を行う朝日新聞出版の姿勢は非難されるべきである。しかし、その非難を出資などということから編集権と発行件の知外務無視して朝日新聞そのもの間で及ぼすやり方は、橋下氏の過度なパフォーマンスに過ぎないと考える。その上で、パフォーマンスである以上その背景に何らかの意図があるものと考えるのが筋ではないか。
 私はこのように考える。以下関連記事を時系列順で並べ、その下に私の考えの内容を下記に記載したい。

橋下大阪市長ウォッチ 「週刊朝日」に佐野眞一氏らが大型連載

 「日本維新の会」代表を務める大阪市の橋下徹市長を取り上げた大型連載「ハシシタ 奴の本性」が、首都圏で2012年10月16日に発売された「週刊朝日」10月26日号で始まった。
 著者は、ノンフィクションライターの佐野眞一氏と同誌取材班。佐野氏は、いわゆる「東電OL殺人事件」でネパール人被告の冤罪をいち早く指摘したことで知られ、ダイエー創業者の故・中内功氏を取り上げた「カリスマ」、ソフトバンクの孫正義氏を取り上げた「あんぽん」などの著作が有名だ。
 「一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格」
連載初回は6ページに及び、9月12日に行われた「日本維新の会」旗揚げパーティーの様子を描写している。維新の会メンバーについては、
 「橋下人気にあやかっていることが丸見えで、その醜悪さは正視できなかった」
などと、きわめて批判的だ。連載の狙いについては、
 「もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」
とつづられている。
橋下市長は、この連載について、ツイッターなどでは現時点では反応をみせていない。

J-CASTニュース 2012年10月16日18時51分
http://news.livedoor.com/article/detail/7050069/

橋下氏、朝日新聞の取材拒否へ…週刊朝日記事で

 新党「日本維新の会」代表の橋下徹大阪市長は17日、市役所で記者団に対し、朝日新聞グループの朝日新聞出版が発行する「週刊朝日」(10月26日号)で始まった、ノンフィクション作家佐野真一氏の執筆による橋下氏の肉親らの系譜を探る連載について、「血脈主義、身分制に通じる極めて恐ろしい考え方だ」と批判した。
 そのうえで、「朝日新聞社からきちんと考え方をお聞きするまでは質問には答えたくない」と述べ、当面、朝日新聞と系列の朝日放送の取材に応じない考えを示した。
 連載のタイトルは緊急連載「ハシシタ 救世主か衆愚の王か」。
 橋下氏は、「政策論争をせずに先祖を徹底的に調査して暴き出すことは、言論の自由の一線を越えている。身分制度を肯定するような言論機関はナチスの民族浄化主義につながる。非常に恐ろしい考え方だ」と話し、朝日新聞側の見解を求めた。
 朝日新聞出版の井手隆司管理部長は17日、「週刊朝日は、当社が発行する週刊誌であり、朝日新聞社や朝日放送は別会社です。(連載は)当社が責任を持って独自に編集しており、公人である橋下徹氏の人物像を描くのが目的です」とのコメントを発表した。

読売新聞 2012年10月17日21時56分
http://news.livedoor.com/article/detail/7052057/

「相手と折衝するときのマナーも知らない」  週刊朝日「おわび」に橋下市長不快感

   朝日新聞出版は2012年10月18日21時頃、大阪市の橋下徹市長に関する週刊朝日の大型連載「ハシシタ 奴の本性」について、河畠大四・週刊朝日編集長名で謝罪コメントを発表した。
   コメント全文は以下のとおり。
週刊朝日次号で「おわび」を掲載
「記事中で、同和地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。私どもは差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて、深刻に受け止めています。弊誌の次号で『おわび』を掲載いたします」
   橋下市長は10月18日22時過ぎからツイッターを連続で更新し、週刊朝日の対応について、
「先方はクローズで直接話したいと言っていますが、言論機関でここまで公で血の論理を展開した以上は、言論市場の場で議論すべきです」
と指摘。その上で、週刊朝日の公式アカウントが、
「2回目もご期待ください。1回目、まだよんでないかたは是非!」
とツイートしていたことについて(ツイートはすでに削除)、
「編集長は、僕のところへ何を説明に来ると言うのか。相手と折衝するときのマナーも知らない」
と不快感を示した。
複数のコメンテーターを、名指しで批判
   また、橋下市長がツイッターの文面で使用している表現「血の論理」については、
「人種差別の肯定、ナチスの肯定、民族浄化の肯定、ホロコーストの肯定は、これは許されないとうい(原文ママ)のが一定のルールだ。議論する余地なしというもの」
と主張。議論の余地があるともとれる見解をテレビ番組内で示した複数のコメンテーターを、名指しで批判した。

2012年10月19日(金)6時41分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-150620/1.htm

 さて、私が3年前に上梓した「民主党の闇 理念なき批判政党、その疑惑と金と政策の研究 」という本を書いた。もちろん今回の連載とは違い、一人の政治家に焦点を当てたものではない。その上で、私は民主党の政治家のスキャンダルや疑惑、そしてうわさなどを検証し、その上で、そのスキャンダルなどが政権政党になるであろう民主党の政策にどのように影響を与えているのか、政策とスキャンダルから、どのように政治が恣意的に使われているのかということを書いたつもりである。民主党の闇という本をスキャンダル本という人がいるが、私にとってはしっかりとした政策本のつもりであり、民主党の掲げる政策(インデックス2008から抜粋)の内容が、各政治家のスキャンダルなどとかかわっており、その正確から政治が私物化されるということを危惧した本である。もちろん、そのように政策をしなければならないのは、批判しかしていない政党であり、綱領もなく、統一の理念で集まった政党ではないということが原因であり、その批判政党の危険性に2章費やしている。
 さて、今回の連載もそのように政策ということで書いていれば何の問題も無い。多少こじつけであっても、その二つに因果関係があれば政策につながる。しかし、実際にそのようになっていないというのは、この連載そのものが「政策は興味ない」とはじめから談じている。要するに、血筋や生まれた場所で差別的印象をつけるということそのものに入っている。これでは「印象操作」でしかなく、全くの誹謗中傷でしかない。実際に朝日新聞のグループは、このような偏向報道が非常に強い。以前の自民党政権のときもまさにこの手法を続けており、「アカヒ新聞」などといわれているのは、ご存知のとおりだ。
 もちろん、橋下氏の掲げる政策がよいわけではない。この件に関してはやまと新聞に私が連載で維新八策に関して批判を書いているので、そちらを参照してもらいたい。http://www.yamatopress.com/pg152.html
 一方、橋下氏の攻撃の仕方もおかしい。もちろん週刊朝日の編集部に対してさまざまなことを言うのは、十分に成立する。発行権も朝日新聞出版にあるのであるから、危ないと思えば休刊にすればよい。要するに、朝日新聞出版全般にそのことを言うのは問題が無い。しかし「出資している」ということで、その親会社に文句を言うのはいかがか。橋下氏は、昨年のフジデモや、そこから派生した資生堂デモにたいして「デモで政治は変わらない」とツイッターで書いているのであるが、そのように言うのであれば、出資関係を責めるというのは、自分のことと、保守派の運動を差別していることになる。そもそもそのような差別的な扱いや自己都合でその主張の根幹を変えることが、週刊朝日に変な連載をさせるきっかけになっている。もっと言えば、単に、マスコミ的に人気があるから攻撃されたのではなく、その原因があるから何かを書かれるということをしっかりと自認すべきではないのか。
 マスコミの報道姿勢とそのマスコミに印象を与える政治家。この中に編集権と発行権、そして広告などの掲載権が存在しかなり複雑な内容がマスコミには存在する。その辺の複雑な部分を見ながら、批判などはしなければ成らないのではないか。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第6回 日本国憲法交付勅語における「人類普遍の原理」と「天皇」

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第6回 日本国憲法交付勅語における「人類普遍の原理」と「天皇」

 今回も憲法に入る前にその勅語からゆっくりとやりたい。所詮私のブログであるから、時間もかけられるし、枚数にも制限が無いので、私の勝手にやらせてもらうつもりである。皆さんには大変申し訳ないが、なるべくお付き合い願いたい。というのも、この勅語が無ければ、当時の人がどうしてこの『日本国憲法』をそのまま通したのか全くわからないということになってしまう。当時の人が左翼だったのか、また、それまで戦ったアメリカに対し、一億総特攻を叫んでいた帝国陸海軍の人々は、進駐軍を見ておびえてしまったのか。まさか、昭和陛下のことを左翼だったなどという不敬なことを言う人はいないだろう。
  要するに、当時の人の価値観で、当時の人の考えの中に、この文面からしっかりとした日本の将来を見ることができるから、当然に日本国憲法を認めたのであり、そうでなければ当時の国会がすべて左翼的で日本破壊主義者ではなかったのか、ということを疑わざるを得なくなる。吉田茂当時の首相を悪く言う人がいる。勿論、彼の決断で現在の日本の体たらくの遠因となっているとも考えられるが、実際に、当時からこのような左翼が支配する日本を想定し、望んでいたとは思えない。仮に、あくまでも仮に、吉田首相地震が個人で尾のようなことを思っていたとしても、他の日本人が許さないであろう。歴史というのは一人を英雄視するが、実際にその英雄を支える多くの人がいる。日本国憲法の正文には当時の内閣が記載されているが、司法大臣の木村篤太郎や商工大臣の星島二郎は、後に保守派として自民党の総裁候補に名前が挙がるほどの人物である。彼らが、アメリカに負けたからとって、国対を否定する憲法に署名するとは思えないのだ。
  そのことから考えれば、当然に当時、憲法ができる時の政治環境や昭和天皇周辺の考えをしっかりと見極める必要がある。逆に、その意思を尊重することなく、現代の解釈と現代の解釈論だけで、日教組に左右されて彼らの意思を継がないということは、まさに、昭和天皇への不敬行為であり、同時に、日教組教育に意思や憲法の解釈を行わせたままにしている現代の保守派の「恥」であると考えるべきではないのか。
  その意味で、あえてこの直後はゆっくりと時間をかけてみてみたい。

  日本国憲法公布記念式典において賜わつた勅語
(昭和21年11月3日) 

 本日、日本国憲法を公布せしめた。
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。
  即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。
 朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。
 
  御名御璽

 前回は、「国家再建」とは何かということを考えた。語弊を恐れずに簡略化していえば、国家再建は「物質的な再建」と「心理的な再建」の二面ある。もちろん、それは「敗戦」という現実からの再建であり、物質的な面はGDPが国際的に2位になったという事実、そして、高度経済成長を果たしたという事実を持って再建したと見て問題はないと思う。「もはや戦後ではない」という発言は、本来は、この昭和天皇の「国家再建」という言葉とリンクして使われるべきではなかったか。一方、「心理的な再建」は、ある意味で「敗戦」という現実の否定を行うこと、歴史を消すことはできない。しかし、一方で天皇中心の国体を守るということに関しては、GHQも天皇を虐げることができなかったことから見て、当時から「破壊されなかった」と見る駅ではないのか。その上で、最近の韓国大統領の天皇謝罪要求発言などへの国民の強烈な反感を考えれば、普段日常に関しては、価値観の多様化から見えなくなっているが、非常時にはそれら日本人としての魂が戻るということを見ていたらよいのかもしれない。要するに「日常における再建は果たしていないものの、非常時の再建に関しては、GHQもそもそも日本人の魂を破壊することはできなかった」と見るべきである。要するに、非常時における日本人の心理的な部分は、再建が必要ないと考えられるほど、現在の息づいていると考えるべきではないのか。
  では、その国家再建の基礎を、「人類普遍の真理」に求めるという。では、この「人類普遍の真理」とは何か。
  この人間普遍の真理に関しては、さまざまな解釈があると思われる。単純に、ここで多くの読者に「人間普遍の真理」とはなにか、と聞いても、一定の統一低な答えは出てこないものと考えら得る。
  では、そのヒントはないのか。日本国憲法の中に同じような表現があるので、それを抜き出してみよう。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」(日本国憲法前文より)
  この文章を見れば、国政(政体)は国民からの厳正な信託であり、政体は国民の代表者が担う、ということである。そして、その「福利」は「国民がこれを享受する」ものであり、それが「人類普遍の真理」とといているのである。
  要点をまとめれば「政体」を決めるのは、「国民」であるということ、要するに「民主主義政体説」であり、その上で「福利」要するに「その政治的な責任と実益」は国民が享受するということで「自己責任国民完結型」の内容が「人類普遍の真理」としているのである。単純にいえば、「民主主義」が「人類普遍の真理」であり、同時に為政者ならびにその政権を選んだ国民による自己責任性を高く謳ったものである。
  さて、この「人類普遍の法則」と「平和主義」を強く結びつけるのが従来の日教組的解釈である。しかし、上記のように、前文は「そもそも」以降別分になっており、同時に「そもそも」という単語そのものから考えるにいたって、それまでの文章とは隔絶された、本来原理を示しているものでしかない。当然に、前文の上記抜粋分の前に平和主義や戦争に対する反対の姿勢が書かれているが、これらは「人類普遍の真理に従わなかった結果」としてのひとつの形態であって、その形態そのものから、導き出されるひとつの真理が「民主主義政体説」でしかない、もっと言えば、「軍部による独裁」を否定したに過ぎないということが言えるし、そのような解釈を行うことに何の無理もないのである。
  ということはこの勅語でいうところの「人類普遍の真理」の中に「平和」というものはまったく存在しない。要するに「平和である」ということ「戦争放棄」ということと、この勅語にある「国家再建の基礎」とは、少なくとも憲法理念上も、また、天皇陛下の勅語の中の解釈上も、そして当時の国会議員たちが考えた憲法の理想や国家再建のプログラム上も、まったく関係がないということになるのである。よって、人類普遍の真理が平和の追求であるという定義は、少なくともこの勅語から読み取ることは不可能であるということができる。
  さて、そのことは「人類普遍の真理」という単語の後に「自由に表明された国民の総意によつて確定された」と、この憲法の決定に関してそのような書き方がされていることによっても確認されるのである。
  さて、ではこの勅語の最初の一文を考えてみよう。
  「この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。」
  要するに、帝国憲法の規定に従って、帝国憲法を改正する手続きに従って作られた憲法であり、なおかつ、現在(この勅語が発せられた当時)の敗戦後の物理的および心理的な落ち込みから国家を再建する基礎を、国民の自己責任に基づく国民の意思に従ったかたちによって構成すること決め、その内容を、すでにその基礎となるごとき国民の自由に表明された総意に基づいて確定されたものとして、この「日本国憲法」が出来上がった、ということを発していることになる。
  要するに、帝国憲法の改正版として、人類普遍の原理として国民主権を考え、まずその手始めに、国民の総意で決めた憲法の改正を認める、という意思表示に過ぎない。この時点において帝国憲法の改正版として日本国憲法であり、国民主権にするとは宣言したものの、それ以外のことは何も書かれていないのである。要するに「天皇は元首ではない」とも主張していないし、「天皇は主権者たり得ない」とも解釈されていないのである。
  もっといえば、この前に天皇陛下による「人間宣言」なるものが行われたとすれば、当然に天皇陛下も「人類普遍の原理」の中のひとつの存在であることになり、左翼が口にする「天皇は主権者足り得ない」という主張は、大変不敬な言い方になるが「天皇陛下および皇族は人類ではない」という主張につながるのである。共産主義者の言うように「特権階級を認めない」というのであれば、天皇陛下が人間宣言をした状態で、天皇陛下および後皇室の方々は「人類」であり、普遍の原理の中のひとつとして、政体を選ぶ選挙もしくは政治に対する意思表示が可能なはずである。逆に、、天皇陛下が「生神様」であるならば「天皇陛下は人類普遍の原理に基づく主権者ではない」という主張も成立するのかもしれない。なぜならば「神」と「人類」は分けて考えられるべきであり、「人類」の中に「神」が入るのか、という議論が成立するからである。逆に、そのような解釈が成立するからこそ、日本国憲法における「天皇の国事行為」(第7条)が決められていることなどの由縁であり、当時の日本国憲法は、「天皇陛下は人間宣言をしても、いつでも天皇は神としての立場をとることができる」ということ、要するに「神々としての天皇陛下および後皇室の存在」に戻すことが可能な状態を想定していたと考えるべきではないのか。
  かなりくどくどと、「人類普遍の原理」ということにこだわったが、実際には、「人類」の中に「天皇陛下」が包含されるのかどうかということが、この中のひとつの大きな岐路である。逆に憲法論議のおいて、故勅語における「人類普遍の原理」ということを議論せずに、もっと言えば「天皇陛下がなぜ政体に口を出せないのか」ということを考えないで、日本国憲法の第1章「天皇」を騙ることそのものが、天皇陛下に対する不敬ではないか。その立場をまったく理解しない、また、当時日本国憲法を制定した人々が、しっかりと現代のわれわれに、そして将来のこの日本国憲法がしっかりと存在する間に生きるすべての日本国民に対してメッセージを出しているのではないか。そのことをしっかりと解釈すべきであると考える。
  なお、このことは、第1章の「天皇」ということを書くときに再度触れることにする。次回は、この勅語の次の一文に写りたいと思う。

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国会審議から逃げる大臣が不敬にも天皇陛下の名を騙る

国会審議から逃げる大臣が不敬にも天皇陛下の名を騙る

 すでにさまざまなニュースなどで出ている。この件に関して、最も詳しく掲載されているのが、やまと新聞である。このブログでは初めて名前を出すが、やまと新聞の松原久記者の取材は、最近やっと見ることができる程度の取材力(他の部分に関してはまだまだ注文が多いのであるが)になったので、わたしも、安心して現場を離れることができるようになった。今回は、ちょうど橋下市長と朝日新聞の件や維新の会の選挙対策本部の初会合などがあり、その動きの情報収集をするために、18日は大阪に出張していた。朝日新聞の件は、次の機会に書くが、なかなか面白い経過になっている。
 その18日、国会では参議院決算委員会が閉会中審査で開催され、その中において昨今話題になっている復興予算の横流しに関して審議を行っていた。参議院の宮城県選出熊谷大議員が、事前に質問を提出し決算委員会への出席を田中慶秋法務大臣に求めたいたところ、その田中大臣が18日の決算小委員会を欠席するという椿事が発生したのである。
 もちろん、大臣が公務で欠席することはある。しかし、国会は憲法41条において国権の最高機関に位置され、当然に出生要請があれば、憲法63条の定めに従って、よほどの公務でなければ優先して出席する義務が生じる。また公務での欠席の場合も、事前に委員長(今回は山本順三決算委員長)または理事会に対して欠席を通知しなければならない「慣習」(事前の通知に関してのみ慣習)が存在し、その慣習も無視した今回の行為に関しては、出席を要請した自民党は当然のこと、民主党からも非難の声が上がっている。
 特に、今回の「公務」は、熊谷議員からの出席要請が出てから急遽決めたものであり、なおかつ、「天皇陛下が出席する公務」と藤村官房長官は会見で発言したが、天皇陛下がご臨席するのは3時から、そして出席が要請されたのは1時からであり、まったく説明と次官がかみ合わない状態になっているのである。
 まさに、「やまと新聞」に掲載されているように、天皇陛下を騙り、国会を脱して、自分が追及される外国人献金問題や暴力団との黒い交際を答弁したくないという理由で、皇室の権威と公務を利用した最悪の大臣が出てきたのである。なおかつ、その内容は、天皇陛下と国会を完全に馬鹿にした、まさに「非国民」と非難を受けても仕方がない状態であり、このような大臣を任命した野田内閣およびこのような議員を所属させている民主党という政党そのものがまったくおかしな政党であり、不敬であり、国会を軽視する政党であり、同時に、その反省がまったくない正当だと断じることができる。
 さて、ここまで書いて記事であるが、本来であれば「やまと新聞」をここに掲載しようかと思ったが、ぜひ「やまと新聞」は皆さんにインターネット上の会員になっていただいて読んでいただくことにし(非常に個人的なことで申し訳ないが、会員数、会社としての収入が多いほうが、私自身の収入にもなるので、ぜひお願いいたします)、このブログでは、普通にインターネットで掲載されている記事をそのまま引用することにする。

<田中法相>逃げる 決算委欠席、招きない来賓席に

 外国人からの献金や暴力団との交際が発覚した田中慶秋(けいしゅう)法相は18日、復興予算について審議する参院決算委員会の閉会中審査を、公務を理由に欠席した。野党からの出席要求を蹴って公務を優先した形だが、招請を受けてもいないのに急に出向いた会合もあった。山本順三委員長(自民)は「国会答弁回避のために欠席した。大臣の資格はない」と委員会席上、辞任を要求。政府内からも「もう持たない」(官邸関係者)との声が漏れ始めた。
 田中法相の欠席を巡って委員会は午後1時前から40分以上空転。野党側は質疑を後回しにして出席を求めたが、法務省から欠席の届けがあった。憲法63条は国務大臣について「(国会から)答弁又(また)は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない」と定めている。
 政府や法務省の決算委への説明では、法相は午後1時20分から東京都千代田区で開かれる全国調停委員大会▽同3時から同大会の記念式典▽同4時から東京都港区での駐日ドイツ大使への表敬--に出向いた。同3時の式典以外は当日急きょ決まった日程。調停委員大会を主催する日本調停協会連合会事務局は「突然『法相が来る』と連絡があり、席にお連れした」と話した。あいさつの場面もなく「来賓席」にぽつんと座っていたという。
 一方で、午後1時20分の報道機関のインタビューは「国会のため」として前日にキャンセルされていた。
 自民党の安倍晋三総裁は18日の記者会見で「このような理由で大臣出席を拒否するのは、自民党政権では考えられない」と批判。藤村修官房長官は記者会見で「重要な公務で調整がつかなかったと聞いている」と説明したが、民主党の閣僚経験者からも「こんな理由で(欠席して)いいなら明日から国会に出る閣僚はいなくなる」と批判の声が出ている。【伊藤一郎、青島顕】

毎日新聞 10月18日(木)21時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121018-00000082-mai-pol

法相辞任、不可避の見方拡大

 民主党で18日、暴力団との関係や外国人献金問題が浮上した田中慶秋法相の辞任は不可避との見方が拡大した。田中氏は18日、出席を求められた参院決算委員会を「公務」を理由に欠席した。参院事務局によると、出席を要求された閣僚が委員会側の了承なく欠席するのは異例。民主党内では、臨時国会での委員会審議を乗り切るのは難しいとの判断から、召集前にも自発的に判断すべきだとの声が強まっている。

2012年10月18日(木)23時45分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2012101801001564/1.htm

 田中法務大臣に関する内容は、前半で書いた。実際に国民も国会も馬鹿にされたものである。そんなに審議から逃げたいのであれば、大臣を辞めればよい。しかし、大臣そのものは辞めたくない。そのために、このような中途半端な対応になる。まさに民主党議員の「大臣病」とも言われる権力欲(私利私欲)と、公人としての資格がまったくないということが言える。
 昔、ある自民党の大臣経験者が「予算委員会さえなければ大臣ほど良い仕事はない」という。仕事は官僚がほとんど片付けてくれる、大臣専用車は尽くし大臣秘書官も存在する。どこにいっても「大臣」といわれ、最も上座に座る。SPは無料で警護してくれるし、大臣としての給与が別に入るのである。これほど良い仕事はない。しかし、国会の予算委員会だけはさまざまなことを根掘り葉掘り聞かれる。特にスキャンダル報道があった後などはひどいものである。ましてやテレビ中継がある予算委員会は、最悪だ。また大臣は基本的には逆質問はできず、質問に対して答えるだけであるから、答えられないだけで、大変な問題になるし、答えいにくい問題も存在する。
 このことは自民党だけでなく、民主党でも以前「柳田法務大臣」が失言をして辞任したが、まさにそのような状態である。
 柳田法務大臣のときは単なる失言だけで辞任に追いやられた。民主党にも「まだ」それだけの理性と秩序があった。しかし、菅直人・野田佳彦双方の政権になってから、スキャンダルになっても辞めないし、国会で答えられないのは当たり前。予算委員会の間にコーヒーを飲みにいってしまう大臣もいたし、外国人から献金をもらったと認めながら、そのままいるどころか代表戦に立候補するくらいの面の皮の厚い輩もいる。まさに民主党そのものが無法地帯というだけでなく、民主党内閣がもっとも「インモラル」な場所であるということになる。
 優秀な子供を評するときに「末は博士か大臣か」という言葉がある。博士は理数系の権威であり、大臣は文系、社会学系の権威である。しかし、そのような価値観そのものを完全に破壊し、民主党政権では「大臣とはモラルのない、ヤクザと付き合い、外国人から金をもらい、国を売り、都合が悪いことがあれば審議や会議から逃げてしまう人々のこと」というような価値観になってしまう。まさに「文系の権威の破壊」という恐ろしいことができてしまったのである。
 さて、この問題、そもそも何かといえば、野田佳彦首相が、党内論理と離党防止、そして民意を無視した政治手法によって、完全に適材適所を無視した順列的方法で選出した大臣である。要するに、このような大臣を任命したそのこと自体が「任命責任」を問われるものであり、同時に、このことは、一川防衛大臣、田中防衛大臣、山岡国家公安委員長など、野田内閣になってから枚挙に暇がないほどのわけのわからない大臣を輩出しているのである。マスコミも、安倍自民党総裁には「お友達内閣(執行部)」などと揶揄しながら、今回の田中法務大臣に関して、他の不適切大臣の例を挙げて「党内事情内閣」などと揶揄する報道をなぜ行わないのか、そして、自民党内閣時代にあれだけ言っていた「任命責任」はなぜ現在マスコミで言われないのか、はなはだ疑問である。当然に自民党は野田首相に対して任命責任を突きつけ、そして、野田首相および田中法務大臣に対して問責決議および不信任で押収すべきではないのか。現在の田中大臣を認めるような国会議員は、天皇陛下を無視し、国会を軽視したその国会にいる議員などは存在しないはずである。それくらいのことができないで、民主党のほかの議員も恥を知るべきではないのか。
 マスコミのこのような偏向報道に流されることなく、しっかりとした判断で、そしてこのようなことが自民党時代にあったらどのようなことになっていたのか。そのことを、考え、比較しながら、現在の民主党内閣を正当に評価していただければ、おのずと、次の選挙で何をしなければならないか、国民一人ひとりはわかるのではないかと思う。

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衆参ともに意見状態という異常事態に国会も開かない民主党政権

衆参ともに意見状態という異常事態に国会も開かない民主党政権

 民主党といえば、旧日本社会党の人々が多く入っていることで知られる。現在の横路衆議院議長や鉢呂元経済産業大臣など、旧日本社会党出身者は、独特の雰囲気をかもし出している。
 では、旧日本社会党といえばどのような政党であったのか。彼ら自身が主張していた政党の言い方は「護憲政党」であった。護憲とはまさに憲法を守るというものである。私から言わせれば「憲法の日教組的解釈論を守る」という完全左翼政党であるとしか考えられないのであるし、護憲といいながらも9条しかないかのような護憲の主張は、保守派といわれる人々から失笑を買ったものである。自衛隊を長年にわたり「違憲の存在」として攻撃し続け、わけのわからない軍事アレルギーを国民に植え付け、そして、基本的人権だけを主張し、国民に義務の履行を求めてこなかった中心的な存在である。この存在から新たな潮流ができ、当時若手であった江田五月・仙石由人・菅直人・枝野幸男などで『ニューウェイブの会』をつくり、新左翼潮流が始まるのであるが、それは本日のブログの本題とは違う話なので、この辺にしておく。
 さて「護憲」というのであれば、当然に憲法全体の規定を守らなければならない。違憲状態を完全に解消しなければならない。そのために旧社会党内閣であった村山内閣は自衛隊は違憲という違憲を撤回し、その求心力は急激に衰えることになる。政治にとって「ぶれる」行為は、その政治家本人だけでなく、その政治家の所属するグループ(大きな場合は政権や政党そのもの)の命取りになる場合があるのだ。
 では、その後継政党である民主党は、どのような正当なのか。単純に言ってやはり護憲政党であるはずだ。同時に、現在民主党政権になって、政権与党になった以上、憲法という自らの身分の元となる規定を守るのは当然のことである。当然に立場や政治的な内容によって、解釈が変わることはあるし、法律である以上解釈によって違う内容があることはある。それは成文法の宿命であるといってよい。しかし、憲法そのものと違憲状態であるということを判断されてそれを放置してよいということは無いのである。何しろ国会議員も、内閣も、憲法によってきめらられたものであり、憲法が無ければ彼らはただの人以下(実働として生産をしていない)ということになってしまう。これは民主党であっても自民党であっても他の政党であっても同じことだ。
 さて、憲法と政治に関して、そして憲法と民主党の関係を概説的に見てきたが、そのうえで、18日に最高裁判所において現在の参議院の状態が違憲状態であるということが判事された。

22年参院選、「一票の格差」5倍 違憲状態 最高裁「著しい不平等」

 平成22年7月の参院選で最大5倍の「一票の格差」が生じたのは憲法違反として、2つの弁護士グループが選挙無効を求めた計17訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允(ひろのぶ)長官)は17日、「著しい不平等状態に至っていた」として、選挙は「違憲状態」だったと判断した。その上で「都道府県単位で選挙区の定数を設定する現行の方式を改めるなどの立法的措置を講じ、できるだけ速やかに不平等状態を解消する必要がある」と選挙制度の抜本改正を求めた。選挙無効の請求は退けた。
                   ◇
 最高裁が参院選について違憲状態と判断するのは、8年の大法廷判決以来。衆院選についても昨年、違憲状態だったと判断しており、衆参両院がともに「憲法違反の状態」と指摘される異例の事態となった。
 判決は「参院は衆院とともに国権の最高機関として適切に民意を国政に反映する責務を負っている」と指摘。都市部への人口集中で人口格差が拡大する中で「都道府県単位の選挙区を維持しながら投票価値の平等の実現を図ることはもはや著しく困難な状況」とする一方、「憲法違反とはいえない」と結論づけた。
 15人の裁判官のうち11人の多数意見。田原睦夫、須藤正彦、大橋正春裁判官(いずれも弁護士出身)は違憲の個別意見をつけたほか、竹内行夫裁判官(外交官出身)は違憲状態としつつも「都道府県以上に意味のある選挙区単位を見いだすことは容易ではない」とする意見をつけた。
 17訴訟の高裁判決は合憲4件(うち1件は2訴訟を同時に言い渡し)、違憲状態9件、違憲3件で、判断が分かれていた。うち1件は、竹崎長官の実兄が被告である香川県選管の委員長だったため、竹崎長官は審理に加わらず、田原裁判官が裁判長を務めた。
                   ◇
【用語解説】「違憲」と「違憲状態」
 一票の格差訴訟で、過去の最高裁判例は、(1)格差の幅(2)是正できうる期間の長さ-の2段階を判断基準としている。最大格差の数字に着目し、著しく不平等とみなされた場合は「違憲状態」と判断。さらに、その状態が相当期間続いているとみなされた場合、「違憲」と判断される。参院では過去に違憲判決が出た例はない。違憲判決でも「選挙無効」が言い渡されない限り、ただちに国会議員は失職しないが、「違憲状態」に比べ、国会に対してより早急な格差是正を求めたことになる。

2012.10.18 07:00 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121018/trl12101807010002-n2.htm

「重く受けとめ、抜本的見直しを強化する」 平田参院議長がコメント

 平田健二参院議長は17日、最大5倍の「一票の格差」が生じた平成22年7月の参院選を違憲状態と判断した最高裁判決について「本判決を重く受け止め、選挙制度の抜本的な見直しに向けた取り組みをさらに強化する」とのコメントを発表した。
 野田佳彦首相も判決について、「厳粛に受け止めている」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

2012.10.17 23:36 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121017/plc12101723380022-n1.htm

 この判決は非常に強いものである。このまま参議院選挙を行った場合に、違憲判決を出す可能性まで言及するというのはなかなか大きなものであるし、 <「都道府県単位で選挙区の定数を設定する現行の方式を改めるなどの立法的措置を講じ、できるだけ速やかに不平等状態を解消する必要がある」と選挙制度の抜本改正を求めた。>(上記より抜粋)というのは、三権分立の司法が立法に対して違憲状態の解消を強く求めたものであるといえる。
 当然に、これをうけて立法府である国会は、この状態の解消を考えなければならないはずである。しかし、単純に「XX増XX減」ではなく抜本的な改革を行うということに関して、その内容をしっかりと見なければならないのであるから、その内容はかなり大きな問題になるのではないか。
 この問題に関しては二つの視点が必要である。一つ目は、「民主党政府が違憲状態を放置した」ということである。そしてもう一つは「抜本的な改革とは何か」という問題である。このことは、現在行っている毎週日曜日の連載の「保守的憲法解釈私案」でも行うのであるが、少々エッセンスを先に書いておいてみよう。
 まず民主党政権に関しては、このことを追求するには「そもそも安倍内閣が先鞭をつけた憲法審議会を全く開催しない」というところからしっかりと追及すべきではないのか。その上で、憲法よりも消費税を優先した「違憲政党民主党」としてしっかりとした攻撃を行わなければならない。
 では、そもそもこの内容をどのように変えるのか。高度経済成長以来、地方の過疎化と都市部の人口過密ということが非常に大きな問題になっている。本来経済対策はその過疎化の解消そして地産池消とその地域間の交流が非常に大きな機軸になる(もちろんそれだけではない)。田中角栄首相の「日本改造論」はまさにその観点からモータリゼーションを推進し高速道路網と新幹線網を日本国内において構築することによって、者と人と金の移動をスムーズにしたということが最大の効用である。現代になってからその功罪が言われているが、当時の日本の経済成長には非常の大きな起爆剤になったことは言うまでもない。
 では、そのような日本という国家そのものを改造するほど、または国家全体に視野を入れた経済政策ができているであろうか。18日に同時に行われた緊急経済対策は、あくまでも金融的な面だけであり、国家そのものの大きな改革は全く行われていない。経済政策が無ければ地方の過疎化と都市部の過密は大きくなってしまう。要するに「XX増XX減」では基本的にはなんともならないのである。
 要するに選挙制度を変えるかあるいは、経済政策などをしながらしっかりとした改革をお粉wなあければならない。しかし、上記のように「違憲政党民主党」には、そのようなことができるはずも無い。そもそも日本を抜本的に改革するのであれば、その根本規定である憲法審議会を3年間以上放置しているということは、まさに自分の利権や選挙対策のために日本の国益のための改革(左翼的な改革ではない)を全く行わなかったということになるのである。
 今回の判決はそのようなことがよくわかる内容である。民主党の政治が「何もしない」ということ、そのものが日本国にとって違憲状態を長く現存させる内容である。『不作為の作為』は、まさに恋の犯行と同じような状態である。政治において『無能』は罪である。まさに、民主党声援が続き、その不作為を野党に責任展開しているような政権を選んだ、そのような人々を当選させた国民に、その災禍が降りかかっている。この、状態を解消できるのは国民だけである。
 

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「他人の振り見て我が振りなおせ」で中国の狂信的反日事件を嗤う

「他人の振り見て我が振りなおせ」で中国の狂信的反日事件を嗤う

 日本にいて、日本人が中国人、特に日本で働く中国人に対して、または観光客としてきている中国人に対して、何らかの妨害や暴行を行うということはあまり聞かない。実際に日本全国の社会面の記事や警察の記録を調べたわけではないので、また事件になってないものを含めて見ることはできないので、実際には私の知らないところで行われているかもしれない。しかし、実際に、私の周辺でも、または町を歩いていても、中国の観光客に道を教えたり、わからないものを案内したりという「美談」は聞いたことはあるが、実際に、中国人や在日韓国人(ここで韓国人を混ぜて書く必要は無いのだが、私の個人的な趣味で)などに暴行ということは聞いたことは無い。
 では、日本人が中国人や韓国人のことを好きかと問われれば、そのようなことは全く無いのです。保守系の人は基本的に中国人や韓国人といった人々を、少なくとも昨今の反日発言や天皇陛下発言、そして数多くある反日デモによってあまり好感を持っていないし、大多数の、日本人も、「好き・嫌い」という感情ではなく、基本的にその場にいる人を「性善説」的にお付き合いをする。目の前にいる人を助けるということが日本人の中心的な価値観になっている。
 性善説的に、目の前にいる人を助けるという価値観と、中国や日本との国家という問題は違う。当然に、そのことをわかっているから、日中の議論になっても冷静な話をすることができるし、また、政治と関係なく経済を発展できるようになってきたのであろう。何よりも高度経済成長も、そしてそれ以前の明治維新における文明開化も、すべてにおいて、日本人のこれらの特性が日本人と日本の発展を支えていたことは間違いが無い。
 私個人としては、日本人のこれらの日本人の「特性」は失って欲しいとは思わない。しかし、国家としての尊厳と主権は最大限守られるべきである。要するに、中国人という反日デモ分子が会ったとしてもその個人を攻めるのではなく、中国という国家(または中国共産党と言う組織)を攻めるべきであり、また、その団体に対してはしっかりと毅然とした態度で外交に臨み、そして安全保障をしっかりとすべきではないのか。そのためには政府という日本国そのものの政体もしくは、その政体をになっている公人(内閣や官僚など)が、日本国を代表してしっかりと外交を行うことが必要である。現在の民主党政権はその辺の公私混同がはなはだしいので、外交が全くできていないのである。
 しかし、日本の場合は「私」を「公」に持ち込んでしまう。しかし、中国人の場合はどうもその逆が行われ、政治的プロパガンダによって、暴行や殺人事件が置き、冷静な議論ができない状態になっているようである。

尖閣諸島めぐり口論になり友人を刺殺、親の手紙をみて自首―海南省万寧市

 15日、中国・海南省万寧市のバーで起きた殺人事件は、犯人の自首により解決した。事件が起きたのは9月27日。同市の村に住む男が一緒に飲んでいた友人を割れたビール瓶で刺殺した。写真は中国メディアが報道した事件現場で警察の検証に協力する犯人。2012年10月15日、中国・海南省万寧市のバーで起きた殺人事件は、犯人の自首により解決した。人民ネットが伝えた。
 事件が起きたのは9月27日。同市の村に住む男が一緒に飲んでいた友人を割れたビール瓶で刺殺した。犯人の男は36歳で、過去に2度窃盗罪により、1年半と10年の懲役を言い渡されている。2007年に出所したが、家庭を持たず建築現場の日雇いで生計を立てていたという。
 当日いつものように村の仲間数人と飲んでいたのだが、うちの1人が尖閣諸島について話し出した。その男性は尖閣諸島問題が戦争に発展した場合、日本が勝つと話したが、犯人の男は中国が勝つと譲らなかった。そして日本が勝つと言った男性がビール瓶で男の顔を殴り出血させた。すぐにほかの仲間が男を殴ろうと加勢するのを見て、男はビール瓶を片手に店を飛び出した。振り切れそうにないと思ったのか、男はビール瓶を割り、自分を殴った男性を刺した。刺された男性はすぐに病院に搬送されたが、治療の甲斐なく死亡した。25歳の若さだった。
 当局は現場に残された男のオートバイと携帯電話を頼りに男の身柄を特定。山岳地帯で育ったことを知ると、付近の山を捜索した。さらに男の親や兄弟を説得し、男が現れそうな場所に親から自首を勧める手紙を貼った。これが功を奏したのか、男は15日の逃亡の末、警察に自首した。現在当局は詳しい経緯の調査や遺族への対応を行っている。(翻訳・編集/内山)

Record China 2012年10月16日08時57分
http://news.livedoor.com/article/detail/7047724/

尖閣国有化 日本製カメラの話題でワン・リーホンさん“炎上”

 【台北=吉村剛史】米国生まれの台湾の男性タレント、ワン・リーホン(王力宏)さんがネット上で日本製カメラを話題にしたことから、「今中国と日本がどんな状況か知らないのか」などと中国ファンらの罵倒を受け“炎上”していたことが15日、わかった。
 日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化などへの反発とみられ、書き込みはすぐに削除された。
 台湾の有力テレビ、TVBS局などの報道によると、ニコンの中国向けCMに出演しているワンさんが14日、ミニブログ「微博」で「新製品が届いた。もっと写真がうまくならなきゃ」などと書き込んだところ「こんな時に日本製品のPRか」「死にたいのか」などと批判が殺到。ワンさんの擁護を含め、2万件以上の書き込みで激しい論争が展開されたという。
 ワンさんは中国、台湾、香港、日本で歌手や俳優などとして活躍している。

産経新聞 2012年10月16日01時46分
http://news.livedoor.com/article/detail/7047329/

 私たちの仲間内でも、中国や韓国を好きな人に対して「ほんとにすきなの」というようなことを言うことはある。特に韓流スターといわれる存在を好きな人々に対して「どうして韓国人がすきなの」と聞くことは少なくない。しかし、そもそもそのことで議論になることは存在しない。大概の場合、相手方が韓流スターのよさを私に説明し、そもそもそのような話しに全く興味が無いので、上の空で聞いて、議論をする気にもならない。もちろんその内容で、暴行や殺人事件などということは存在しない。
 日本でも笑い話として、韓流スターを追いかけすぎたおばさんが離婚されたなどという話は聞いたことがあるが、それは韓流スターがすきという理由ではなく、追っかけで家事や過程のことを何もしないということが理由であるはずだ。そもそも、日本人が韓流スターに嫉妬したりすることはまず無い。
 しかし、中国人の場合はそうではないらしい。一つにはその民族性である。要するに基本的に相手を信用しないという民族性は治しようが無い。同時に、中国親は平気で国やふるさとを売る。日本人は、どんなに個人的に他国がすきでも日本や日本のふるさとを売ることは無いという信用があるし、そのような信用をもてるのが日本人の日本人たるゆえんである。しかし、中国人の場合は平気で国を売る。そのために、常に相手を全く信用せず、裏切られるのではないか、または、売られてしまうのではないかということを木にしなければならない「あさましい」世の中である。たとえば、中国で有名な習慣である「乾杯」。日本の乾杯は、『同じ釜の飯を食う』ということわざからわかるように、絆を深める、一緒の空間を共有することによって信用を深めるということを意味しているのに対して、中国の乾杯は「相手と同じものを飲んで毒が入っていないことを示す」ということになる。要するに、相手が自分を疑っているというだけでなく、自分も相手に信用されていないということを前提にした社会である。
 日本人が中国で失敗する場合は、当然にこの根本的な人間性の部分で違う結論になる。そのために、口約束で多大な損をする日本人を中国人は馬鹿にするしカモにするのである。そのことが中国人同士でも行われているということが、上記の二つの新聞記事でわかる。中国人が日本のほうが強い(要するに警戒すべきということと思う)ということを言えば、それで議論になり殺傷されてしまう。日本では考えられない事件だが、国を売られ、裏切られるならば、当然にそのような行為をしたほうがよいという発想になるのである。
 また芸能人のほうも同じだ。日本の製品を使っただけで「死にたいのか」となるのは、まさに、日本製品というものと日本を同一化しているだけでなく、その宣伝をしている中国人の中国人としてのアイデンティティを信用していないということになる。
 さて、これらは非常に恥ずかしいことである。当然に、日本における韓国の不買運動などは個人の趣味だからよいが、しかし、犯罪行為(脅迫や威力業務妨害、暴行、障害、殺人など)を行うのは、そのまま、日本国の秩序を乱すことであり、愛国無罪ではない。いまだに愛国無罪的な感覚を持っている中国人は「愛国無罪を叫ばなければアイデンティティを維持できないあさましい民族性」しか持ち合わせていないということであり、犯罪行為を行うものではないのである。もちろん少なくとも個人的な不買運動は業務妨害ではないので、そのようなこと、ようするに日本国の秩序、犯罪行為にならないような『自分の自由の範囲』で抗議を行うべきであり、当然に、それらを考えて、日本人は秩序のある民族として誇りを持って活動すべきではないのか。
 「他人の振り見て我が振りなおせ」まさに、日本的な感覚の言葉である。

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北朝鮮の内部での動きを把握できない民主党政権の拉致問題

北朝鮮の内部での動きを把握できない民主党政権の拉致問題

 横田めぐみさんが拉致されてから35年たつ。この拉致問題は、単純に拉致問題としてしまえば、単なる刑事事件である。これは、間違いなく自民党政権から現在までの期間にほんの公的な内容はこのようにしている。しかし、単純に日本国内の犯罪とは違うということは誰もが認識している。拉致をしている国家は、日本の主権の及ばない範囲である北朝鮮である。
 ここで、北朝鮮に関して物事を考えて見よう。北朝鮮は、実際に休戦中の国家であり線軍主義共産主義革命国家である。単純に言えば、韓国との間で戦端を開き、武力衝突そのものは無いにしても、実際には戦争状態であり双方の間に生s期名国境線は存在しない。休戦ラインがあるだけである。また、この戦争の内容に関しても議論が分かれる。単純に、「国家間の戦争」なのか、あるいは日本の併合以前の「李氏朝鮮」による「内戦」なのかはこれもまたしっかりと検証がされていないものである。
 北朝鮮国内に行くと、基本的には「韓国」のことを「南朝鮮」と呼ぶし、そのような地図も存在する。この地域の呼称そのものを見ても「内戦」でしかないという説は説得力があるのではないか。
 そもそも拉致問題。その拉致という国際的犯罪行為は、拉致の加害者と被害者の双方のが存在して初めて成立するものである。しかし、その加害者側は日本の主権の及ばない範囲であり、なおかつ戦争中(内戦中)であり、そしてその国家の中があまりあき赤になっていない状態になっている『主権国家』である。そのことを考えれば、この問題の解決は、北朝鮮という国家または地域(今後は一応国家と表現する)の情報が必要である。自民党政権の時代はそもそも「拉致があったのか」ということが、最大の焦点であった。現在の社民党、当時の日本社会党は「拉致は無かった」といっている。そのことを言っていた人々は現在の政権与党の中にいるのである。また、北朝鮮の関係である「市民の党」との黒い疑惑が存在する政治家も少なくない。そもそも、前首相がその関係が疑われているのである。
 そして、その中において、昨年末に北朝鮮の為政者である金正日総書記が死去、金正恩氏に権力が委譲されたという。
 当然に拉致問題を解決するために、拉致の加害者の情報を得ることが最も重要であり、その情報を得なければ何も解決しない。その解決の糸口さえも見つからないのではないか。その情報のいったんと現在の拉致問題の国内の動きをしっかりと見て見よう。

金正恩政権、正男氏を本格排除 中国で襲撃指令 内通?の軍幹部更迭

 北朝鮮の金(キム)正(ジョン)恩(ウン)政権が金正恩第1書記の異母兄、金正(ジョン)男(ナム)氏(41)の本格的排除に動き出したことが13日までに分かった。正男氏襲撃が工作員に指示されていたほか、朝鮮人民軍最高幹部だった李(リ)英(ヨン)浩(ホ)氏の更迭も正男氏との内通が理由だったとの見方が浮上。正男氏への送金も絶たれたという。中国で暮らす正男氏に対し中国側も警備の水準を引き上げたもようだ。(桜井紀雄)
 「『金正男氏を中国で襲って北朝鮮に連れ戻せ』と指示された」。韓国検察によると、脱北者を装い韓国に潜入したとして、9日に起訴された北朝鮮の秘密警察、国家安全保衛部の工作員の男(50)はこう供述した。2010年7月ごろ指示され、交通事故を装った襲撃を計画したが、正男氏の所在が確認できず、実行されなかった。
 民間団体「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)などが最近、朝鮮労働党幹部らから得た情報では、保衛部からは「場所、手段を選ばず正男氏を除去せよ」との指令が出されていたという。正恩政権になって指示が強まった可能性がある。
 7月の李氏の軍総参謀長解任をめぐっても経済政策に反対したためなどと伝えられたが、決定的理由は「正男氏との内通」とされたとの情報が党幹部の間で持ち上がっているという。
 北京やマカオを拠点に活動する正男氏に、北朝鮮の党や軍の各部門は毎月計十数万ドルを送金。李氏は正男氏の軍勤務を通じ接点があり、送金にも関わってきたとされる。しかし、金第1書記が権力を固めるとともに送金は打ち切られ、愛人複数と家族を持ち自身はホテル暮らしをする正男氏は現在、資金に困窮しているという。
 正男氏については長年、叔母で金第1書記の後見役でもある金敬(ギョン)姫(ヒ)党政治局員と張(チャン)成(ソン)沢(テク)国防副委員長夫妻が擁護してきた。一連の動きの背景には、張氏が金第1書記から正男氏との関係途絶を迫られる前に排除容認に転じ、李氏を犠牲にした可能性がある。国外での手術も報じられた敬姫氏の健康悪化も関係していることが考えられる。
 中国内外を自由に行き来し、メディアの前にも姿を見せてきた正男氏だが、李氏更迭以降、動向は確認されていない。中朝関係者によると、中国当局者は組織的な警護に入っていることを認め、所在については完全に秘匿しているという。

2012.10.14 00:17 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121014/kor12101400200000-n3.htm

「政府は情報収集強化を」 拉致家族会と救う会が運動方針決める

 5人の拉致被害者が帰国してから今月15日で10年を迎えるのを前に、拉致被害者の家族会と支援組織「救う会」は14日、東京都港区で合同会議を開き、政府に情報収集活動を強化し、具体的な結果を残すよう求めていく新たな運動方針を決めた。
 このほか、学校現場で拉致事件がより取り上げられるよう働きかけていくことが盛り込まれた。政府への北朝鮮に対する追加制裁発動要請や被害者の早期救出を求める1千万人分の署名を集めるなど従来の運動については、今後も継続する。署名数は今月12日現在で、939万9188人に上っている。
 会議には田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(74)ら9家族15人が出席。終了後の会見で、飯塚さんは「今年はあと2カ月半しかない。今年中に何とか道筋が見えるようにしたいという気持ちは強く持っている」と話し、年内の事態進展を求めた。

産経新聞 10月14日(日)19時53分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121014-00000543-san-soci&1350220237

 拉致被害者の5人が帰国してから10年たつ。しかし、民主党政権になってから拉致担当大臣は7人にのぼり、そのどの大臣も全身どころか、情報の入手も困難な状態になっているといるのではないか。このような状態では、とても今後の拉致の問題の進展は期待できない。先に結論めいたことを言って恐縮であるが、民主党政権である間は、拉致問題が彼らの都合のよい政局の材料に使われることはあっても、拉致問題が解決の方向に進むことは全く無いということが言えるのではないか。
 上記記事の中にあるように、今まで日本の政府が情報源もしくはある程度の接触を試みることができた金正男や李英浩というところは、あくまでも金正日政権下における情報源でしかない。北朝鮮を一つの国家として見た場合、その北朝鮮の支配の範囲内においては、北朝鮮という国家の主権が及ぶものであり、その中の法体系で物事が進んでいる。単純に言えば、日本の主権が及ばない範囲であり、協力者を得て正しい情報を取得することによって物事を前に進めなければならない。勿論、情報が玉石混合であり、その中で暗闇の中伝男子無ければならない状態が続く。その判断の責任者が「拉致担当大臣」である。その判断基準がたった3年間で7回も変わっているようでは、話にならないのである。
 上記のような政権交代に基づく権力争いも、そして、それに伴う拉致に関する情報も、全く進展が無いということは、まさに日本という国家の情報に関する考え方があまりにも稚拙であり、また、政権がそれらに対して全く意識をしていないということを意味しているのである。
 何よりも、まずは日本の主権が及ばない範囲でのこれら犯罪に対応できる情報組織を作ることである。既存のものではなく、ある程度しっかりした情報機関が必要ではないのか。その情報機関における情報の分析や諜報活動があってはじめて日本の主権が守られるのである。場かな左翼どもの言っている憲法9条があれば解決するなどという世迷言をいっていてはダメだ。そもそも憲法9条があっても拉致被害者は全く守られていない。9条護持といっている人々は、なぜ9条が会っても着た著言う線が拉致を行うのか、そしてなぜこれら犯罪行為は9条で守られないのかをしっかり説明すべきであろう。そして、これらの詭弁をなくすようにしなければならない。
 勿論憲法を改正するまで何も解決しないなどというつもりは無い。しかし、情報を得ることは何も憲法に違反するものでもなんでもない。それらの情報を得ながらしっかりとした判断を行う政府が現れないと、現在は北朝鮮の拉致だけが問題になっているが、今後中国のバブル崩壊などで多くの国際犯罪が出てきた場合に非常に大きな問題になり、日本の主権が脅かされ、そして国民の生活が守られない状態が出てきてしまう。そのことを今の政権は何も考えていないということを、国民は危機感を持って見なければならないのではないか。

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IMF総会でわかった中国経済崩壊の危機と気づかない日本

IMF総会でわかった中国経済崩壊の危機と気づかない日本

 日本でIMFの総会が開催されたのは48年振りである。このIMF疎開においてひとつの事件が起きた。中国の中央銀行相愛と財務大臣の会議ボイコットである。このボイコットは、中国の外務省から正式に「尖閣諸島問題」への対抗手段として発表され、毎度おなじみのように「日本の責任」と負け惜しみ言葉を付け加えたものであった。
 では、本当に中国共産党政府が尖閣諸島問題だけでIMF総会をボイコットしたのであろうか。
 私が今年の5月に薄煕来前重慶市共産党総書記と会うまでに至った経緯のことである。私は、国務院からの出頭要請に対して無碍に断ることをせず、相手が到底呑めない要求を出すことによって訪中を断ろうと考えた。これが中国人の普通の発想である。中国人は自分で自分の行動の責任をとることができない民族である。責任は他人に転嫁し、実益は自分で取る、なお自分のメンツは最大限に立てるということが彼らの基本的なスタンスである。当時、外国人である私が要求できるもっとも「中国政府が許容できない項目」は「薄煕来と会うこと」であろうと想像した私は、当然にそのことを要求し、「それならば来なくて良い」と渋々私の訪中をあきらめるものと考えたのである。しかし、中国政府は私の想像以上にその部分に関して寛容であったといわざるを得ない。その結果、面会がかなったのである。
 私が私自身のエピソードを書いたのは、何も薄煕来と会ったことを書きたいわけではない。中国人の標準的な物事の断り方は、基本的に何かあいての呑めない要求を行い、その上で、行動を制御するという方法を取る。当然に、その裏には真実や本音が隠されているのであるが、そのことは誰も言わないのである。
 では、今回のIMF総会の「真実や本音」は一体何なのか。
 当然に、中国は尖閣問題ということを建前に、真実を覆い隠した。しかし、その中には、当然に本音が隠されている。もちろん、尖閣問題で、国際会議に出ない、そして日本の面子をつぶすというのもそれでよいが、逆に中国は、財務の会議に出てこないことによって国際的な金融市場での信用を失うことになり、日本ではなく主催視野であるIMFがメンツをつぶされたことになるのである。そこまでして隠したい信実や本音は何か。
 単純である。「中国経済の実態」が真実であり「その自体を知られて、中国経済が崩壊直前である」ということを、各国の財務の専門家に知られることを恐れるというが、彼らの本音である。

「チャイナリスク」、世界が意識=中国ボイコットに失望も-IMF総会〔深層探訪〕

 48年ぶりに日本で開催された国際通貨基金(IMF)・世界銀行年次総会。各国の閣僚や中央銀行総裁が顔をそろえた中で、中国の閣僚級の姿はなかった。日本の尖閣諸島国有化への意趣返しであるのは明らかだ。世界2位の経済大国となり、大きな影響力を持つ中国 ◇ミャンマー支援への思惑
 中国は総会2日目の10日になって突然、謝旭人財政相と周小川中国人民銀行(中央銀行)総裁の欠席を日本側に通知してきた。民間の大手銀行もボイコット。国家の意図をむき出しにした異常な対応だ。
 実務レベルの政府代表団は来日したが、総会に関連する会議には出たり、出なかったり。日本政府関係者は「大国として責任感が全くない行動」といら立ちを隠さず、主催者のIMFと世銀もお手上げ状態だった。
 日本の肝煎りで11日に開いたミャンマー支援会合も中国は欠席。軍事政権下のミャンマーは国際社会から拒絶され、中国から多大な援助を受けていた。同会合を取り仕切った中尾武彦財務官は「ミャンマーと関係が深い中国の欠席は非常に残念」と顔を曇らせた。
 ミャンマーは、影響力が増大する一方の中国に脅威を感じ、ここ数年は日本などへも急接近していた。総会期間中、最大の成果とも言えるミャンマーの延滞債務解消策がまとまったのはチャイナリスクが底流にある。
 日本車や日系スーパーが焼き打ちにあった反日デモの映像は内外に強烈な印象を残した。日本が来年の円借款再開を表明したミャンマーに足掛かりを再び築くのは「豊富な資源や格安の労働力をにらんでの行動」(民間エコノミスト)。中国からのシフトが強く意識されており、他国も同様に考えているようだ。
 ◇日本も努力を
 IMFは9日、世界全体の実質GDP(国内総生産)伸び率予測を3.5%から3.3%に下方修正した。欧州危機の拡大に加え、エンジン役を果たしてきた中国やインドなど新興国の成長に急ブレーキがかかったことが要因だ。
 総会参加者の多くは、閣僚に限らず幅広いレベルで中国と議論し、協調して世界経済回復の処方箋を探ろうと待ち構えていた。しかし、中国の露骨な消極姿勢は失望を招いた。ラガルドIMF専務理事は、中国にとってもマイナスだとして、「何か重要なものを取り逃がすかもしれない」と指摘した。
 日中関係の早期修復への期待から、日本も努力すべきだとの注文も相次いでいる。キム世銀総裁は日中の政治的緊張が世界経済に与える悪影響に懸念を示し、ラガルドIMF専務理事は日中関係を「世界経済全体にとって極めて重要だ」と指摘した。11月にはメキシコで20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が開催されるが、今のままではG20の結束はおぼつかない。

時事通信 10月13日(土)12時19分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121013-00000059-jij-pol

中国経済“反日”で崩壊に拍車!不良債権240兆円も…その自爆シナリオとは

 経済失速が懸念される中国で「致命的な爆弾」と懸念されているのが金融危機だ。過剰なインフラ投資や不動産バブル崩壊で、中国国内銀行は240兆円もの不良債権を抱える恐れがあり、資金・産業の流出や社会騒乱も予想される。欧米各国が対中投資を減らし始めるなか、尖閣問題を契機にした一連の反日工作や不買運動が中国経済の崩壊に拍車をかけるというのだ。その自爆シナリオとは-。
 東京で開催中の国際通貨基金(IMF)・世界銀行年次総会に、中国の謝旭人財政相と中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁が出席を見送った。
 中国の4大銀行である中国工商銀行、中国銀行、中国建設銀行、中国農業銀行もIMF総会の関連イベントを欠席。いずれも日本政府の尖閣諸島国有化への対抗措置とされるが、実は銀行自身にも暗雲が立ちこめているようだ。
 「4大銀行は中国の融資の82%を占め、ほとんどが国有企業に融資される。ところが国有企業の半分以上が赤字。国有企業は不動産投資をしているところが多いが、不動産の売れ残りだけで60兆円分あるとされ、融資の焦げ付きは大変なことになっている」と語るのは中国問題に詳しい評論家の宮崎正弘氏。
 さらに宮崎氏は「中国の銀行が抱える潜在的な不良債権は160兆~240兆円」と指摘する。実に中国のGDP(国内総生産)約570兆円の3~4割にあたる。
 不良債権問題といえば1990年代以降、日本経済を苦しめたことが記憶に新しい。日本の場合、住宅金融専門会社(住専)や大企業向けの融資が焦げ付いたのだが、中国の不良債権は「地方自治体に眠っている」(中国市場に詳しい金融関係者)という。
 中国各地の自治体は、一種のペーパーカンパニーである投資会社が銀行から融資を受ける形で資金調達し、インフラ投資を行っている。2008年のリーマン・ショック後にも高成長を維持するため、採算度外視で投資を続けたことが裏目に出たというのだ。
 「地方自治体は農民から収用した土地の利用権を売却するなどして借金返済に充ててきたが、不動産バブル崩壊で借金が返せなくなっている」(同)
 アジア太平洋地域のニュースを扱うサイト「ディプロマット」は、米国の研究者の試算として、中国内に約1万社あるという投資会社の債務が2010年末時点で最大14兆4000億元(約180兆円)、地方自治体の借金額は20兆1000億元(約250兆円)としている。
 こうした隠れ債務が実体経済をもむしばんでいる。東海東京証券チーフエコノミストの斎藤満氏は「中国経済は相当に厳しめに見ておく必要がある。銀行は不良債権を抱え、鉄鋼や建設資材への過剰投資も深刻だ」と分析する。「中国はそんな数字を発表しないだろうが、実態はゼロ成長程度まで落ち込むのではないか」(前出の金融関係者)との観測もある。
 前出の宮崎氏も「銀行や大手不動産デベロッパーは太子党(共産党高級幹部の子弟)が経営しているので政府はつぶさず、資金をさらに供給して守ろうとする。しかし、海外の投資家は資金を引き揚げており、不動産も下がらないので傷は深くなるばかり。不満を持った国民の大暴動は避けられない」と話す。
 中国経済崩壊に拍車をかけるのが、尖閣問題を発端にした一連の反日活動だ。暴動による店舗や工場への直接被害、通関強化などのいやがらせを行ったほか、日本製品の不買運動では、大手自動車メーカーの販売激減という形で表面化した。
 前出の斎藤氏は「法体系があまりに違うことに驚いて中国から逃げ出す欧米企業も出始める中、長期投資を増やしてきたのが日本。その日本企業が尖閣問題で厳しい状況となり、中国のレピュテーション(評判)リスクがさらに意識されている」と明かす。
 たしかに日本貿易振興機構(ジェトロ)の統計でも、米国やフランス、オランダなどは2011年に対中直接投資を前年から2~3割も減少させたが、ところが、日本は逆に49・6%増と突出して増やしており、このままでは中国経済と共倒れになりかねない。
 日本政府も企業も、ずうたいの大きい隣人との付き合い方を見直す時期にきている。

2012.10.11 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20121011/ecn1210111816014-n1.htm

 記事が少々長いので、今日は分量が多いように感じるが、実際は新聞記事の貼り付けがほとんどであるので、あまりたいした分量ではない。
 その上、協の場合は新聞記事の中にほとんどの解答が書かれている。
 実際に、中国の経済はかなり重要な局面にきているはずである。中国のバブルは実際に不動産価格の下落傾向が止まらない状態であり、また、国内の物価は、非常に高くなって国民の不満は非常に高くなっているのである。実際に中国の国民、民衆の不満爆発は、すでに現在の国務院政府に向かっているものであり、反日デモの多くも毛沢東主席のプラカードなどを上げている人が少なくなかったのは、その現れである。日本でも、徳川幕府に反対する民衆が白波五人男やねずみ小僧など、本来は犯罪者であるはずの幕藩体制の秩序に治まらない人物をもてはやし、風刺し、そして庶民の憧れとしたのとあまり変わらない状態ではないのか。それが高じて、真田幸村の伝説や豊臣秀頼が落ち延びた伝説など、徳川幕府への不満のはけ口に過去の英雄を持ち出すことは、歴史的に行われている庶民の文化だ。
 そして、それらの不満は、日本の場合、下級武士に伝わり、その下級武士の扇動にしたがって、多くの国民が幕府に反対する動きを行うのである。士農工商できつく分類された身分制度の中において、高杉晋作の奇兵隊ができ、その後に四民平等の下で国民皆兵ができたのは、まさにそのような動きではないのか。きっかけは武士であっても、最終的に国を動かすのは近現代社会においては国民である。なお、天皇陛下は、その象徴であり、最終的な混乱を総覧する立場であられたと考えるのが普通であろう。
 では、現代の中国の場合は、これはまさに毛沢東も、また多くの共産主義革命者がそうであるように、たとえばカダフィもゲバラも、みな下級将校の行動が国民に影響を与え、そして反政府の動きに変わるのである。現代の中国は、少なくとも反日デモは下級商工の発起ではなくマスコミや新聞社などの発起、もしくはインターネットの呼びかけであったがために、それ以上の広がりがなくなった。しかし、逆に言えばそれだけ中国の国民の不満は高まっている。
 ではなぜ中国の国民の不満が高まっているのか。単純にいえば経済が偏重してしまい、バランスが崩れたこと、そして、その大まかな理念も崩されてしまったことである。同時に、その偏重であってもそのバランスを保っていたひとつの大きな要素である「海外からの投資」が、一連の尖閣諸島問題でなくなり、また、日本の工場や販売者を破壊したことによって、日本人と組んでいた金持ち、親日家が中国にいることができなくなって海外に逃亡し、また、日本の工場を見ていた多くの海外資本が引き上げていってしまう。その上日本を始め引き上げていった海外資本の元で雇用を得ていた多くの中国人は、その雇用を失い下層階級庶民の仲間入りをしてしまうことになるのである。
 これらの問題は、中国がある意味で政治、領土そして経済のバランスを崩し、政治的なメンツを重んじるあまりに、経済が崩壊しつつあり、その経済の崩壊によって困窮した中国国民の多くが不満を持っているということを意味しているのである。その実態は日本経済をはじめとした海外の経済に依存し、同時に、その依存体制がIMFの総会でわかってしまえば、中国の経済は、どこかの国に従属するかあるいは崩壊するしかない。しかし、そのことを現在、不満をもっている中国の国民が知ること、そのようなことを各国の報道機関が報じることは、まさに、中国にとって自殺行為に他ならないのである。
 これが「中国がIMFをボイコットした本音と真実」である。
 このことを冷静に日本企業は見ることができるのか、そして、これをマスコミは正確に伝えることができるのか。最も何もわかっていないのが日本ではないのか。

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マスコミ批判に関する一考(115) 過去の事業仕分けに言及しないマスコミの報道

マスコミ批判に関する一考(115) 過去の事業仕分けに言及しないマスコミの報道

 京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の研究においてノーベル賞を受賞した。
 まず、受賞に関して、この場をお借りしてお祝いを申し上げたい。まことにおめでとうございます。今までフェイスブックやツイッターを含め、全くこの偉業に関して私の所感を述べていないので、日本人のこの偉業に関して非常にうれしい思いである。特にこの山中教授の「日本という国が受賞した」という記者会見での発言は、テレビ朝日などがその発言をカットするなど、なんとも日本という国家のすばらしさを「なるべく伝えない」印象操作を行うことによって、なんともおかしな話になっている。そのマスコミ報道市政のおかしさに関してはなんともいえないものがあるが、実際のところに関しては、
山中教授の偉業は讃えられるべきことであり、中国韓国などは日本のその研究姿勢や、その研究環境に関して非常に大きな同系を持っていることは間違いが無い。あれだけ反日で動いていた中国・韓国の報道が日本はうらやましいという感覚になってきているのであるから、日本の報道だけが狂っていることが寄り一掃際立ってしまうのである。
 さて、この山中教授の「日本という国家が受賞」という言葉は、まさに日本という国家の研究に対する姿勢や補助金の配布の状態など、研究というものに関する環境の提供ということを言っているものと思う。あえて「思う」と書いたのは他でもない。私の場合、理数系のこれらの研究に関して全くわからない。そもそも、このiPS細胞に関しても、何かすごいものらしいとは思うものの、何がすごいのか、具体的に説明できるわけではない。そもそも、この報道の中でよく使われる「基礎研究」というものと「応用研究」というもの、その言葉の意味はさすがにわかるものの、iPS細胞がどちらに属するのか、(どうも基礎研究らしいのであるが、)また、そこから応用研究でどのような可能性があるのかは全くわからない。
 ちなみに、この報道をしているマスコミの人々も、私とほぼ同じレベルである。当然に、すべてが理解でき、なおかつそれが発想できるのであればマスコミなどというあさましい仕事をしていることはなく、末席であっても研究者の中に名前を連ねているであろう。マスコミにいる以上、それらが専門であったとしても、ドロップアウトして、優秀ではないということである。
 しかし、その優秀ではない私であっても、間違いなく『研究の環境』が大事なことはわかるし、同時に、その環境を整える予算がどれほど大事なのかは欲理解しているつもりである。

 「日本の未来は」と憂慮=科技予算削減にiPS細胞の山中教授

 世界で初めて人工多能性幹(iPS)細胞を作った京都大の山中伸弥教授は25日、iPS細胞の特許成立の記者発表で、科学技術分野でも予算削減を求めた行政刷新会議の事 業仕分けに対し「日本の未来はどうなってしまうのか」と述べ、憂慮する考えを示した。
山中教授は「iPS細胞の研究は10年間支援してもらい、幸運にも花開いた研究の一つ。10年前のどの研究が大きな成果につながるか誰も予想できない」と述べた。
(時事ドットコム)
2009年11月25日
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009112500991

山中教授 事業仕分けを批判

 政府の行政刷新会議の事業仕分けで科学研究の予算の廃止や削減が相次いだことについて、あらゆる組織や臓器になるとされる「iPS細胞」の作成に成功した京都大学の山中伸弥教授は「想像を絶する事態で、今後の日本がどうなるのか深く憂慮している」と厳しく批判しました。
 これは、25日、山中教授が京都大学の記者会見で述べたものです。この中で山中教授は「この分野の研究を10年続けてようやく成果が出たが、10年前の段階でどの研究が成果につながるか予想するのは不可能だ。多くの研究者のさまざまな研究を支援し、そのうちのいくつかが成果につながるというのが科学だ」と指摘しました。そのうえで、政府の事業仕分けで科学研究の予算の廃止や削減が相次いだことについて、「ありえないことだ。そもそも日本は科学研究費の割合が低く、海外より10年、20年遅れた劣悪な環境で研究をしている。その中で予算を削減するのは想像を絶する事態で、今後の日本がどうなるのか深く憂慮している」と厳しく批判しました。さらに、「日本が科学の後進国になり若い研究者から希望を奪うことにならないよう祈っている」と述べて、科学研究の十分な予算を確保すべきだと強調しました。

(NHKニュース)
2009年11月
http://www.nhk.or.jp/news/t10014003541000.html

首相「日本人として誇り」…山中教授ノーベル賞

 野田首相は8日夜、山中伸弥・京都大学教授のノーベル生理学・医学賞受賞が決まったことについて、「我が国の学術水準の高さを世界に堂々と示すものだ。被災地で復興を目指す方々をはじめ、全国で数限りない方々が受賞に目を輝かせ、勇気づけられると思う。心から敬意を表し、日本人の1人として誇りに思う」とするコメントを発表した。

2012年10月8日(月)21時32分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20121008-00709/1.htm

首相が山中教授と面会、iPS細胞で支援伝える

 野田首相は12日午前、首相官邸で、ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった山中伸弥京都大学教授と面会した。
 首相が「日本中が大喜びしている。我が家でも最もホットな話題だ」と祝意を伝えると、山中教授は「今回の受賞は国に支援を頂いた結果で、私個人の受賞ではなく、日本全体で取った賞だ」と応じた。
 首相は「山中先生ほどの有名人でも、資金調達に苦労していると聞き、非常に痛切に感じている。我々もiPS細胞(新型万能細胞)の実用化に向けて支援していきたい」と述べた。
 首相は、夫人の仁実さんが山中教授の研究基金に寄付していることも話した。
 山中教授は面会後、国からの支援のあり方について、「研究員をきちっと雇用できるような仕組みをお願いしたい」と記者団に語った。

2012年10月12日(金)12時50分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20121012-00738/1.htm

 さてさて、その「研究の環境」というものの大きな要素の一つが「予算」である。しかし、研究ということは、将来の日本に対する投資であって、基本的にすぐに何らかの結果が出るわけではないし、その研究の投資が必ず花開くというものでもないのである。多額の研究を行っていたところで、それ以上の結果が出てしまえば全く意味が無いし、また、研究が失敗してしまうわけでもない。また、現在の企業会計のように、一年後との必ず成果が出るものではないのである。
 要するに、研究の環境という予算はかなり公共性の高い予算であり、その予算の高い予算がしっかりと組めなければ、基礎研究などは全くできない。当然に国立大学などにおいては、当然に、国家の予算がしっかりと組まれなければならない。当然にその予算と研究環境の充実が、将来の日本に新たな技術を生み、そして新たな産業を生み、日本を技術立国として反転させる礎となるのである。
 しかし、民主党内閣は、その基礎研究の予算を「事業仕分け」で減額または削除したのである。「一位じゃなきゃダメですか」という発言は有名になり、日本国民の多くが民主党政権に反感を抱いた言葉の一つとして、また、民主党政権が技術や学術研究に関して全く理解をしていない象徴として、そして、強いては民主党政権が日本の産業構造も将来の経済構想も全く考えていないということに関して、非常に端的に表した一言として有名になったのである。
 そして、山中教授は、この事業仕分けに関して過去にさまざまな媒体で苦言を呈しているのである。これが報道である。
 しかし、いざノーベル賞を取った瞬間に、それらの報道は全く忘れられてしまい、野田首相が賞賛しているとか、そのような話しばかりである。はっきり言う。そもそもそれらの事業仕分けで、京都大学の研究はどれくらい遅れたのか、どれほど大きな障害になったのか。そもそも、民主党はそれらの謝罪から行わなければならないし、マスコミは、当然にそれらの謝罪や事業仕分けの総括を行うことを求め、その上で首相からの賞賛の言葉を得なければ「ジャーナリズム」として、全くできていないことになってしまう。そのとき限りの無責任な「言葉乗られる」では、ジャーナリズムが死んでしまう。戦争のことやわけのわからない村山談話などばかりを何回も繰り返し、『一位じゃなきゃダメですか』を、全く流さずに、野田首相の賞賛の言葉や前原・田中大臣の話ばかりを流しているマスコミのこの「偏向報道」姿勢は、さすがにおかしいといわざるを得ない。
 まさに、現在のマスコミにおけるジャーナリズムは死んだ。iPS細胞で医学は進歩的に進んだとは思う。しかし、そのノーベル賞受賞で日本のジャーナリズムの死が確認されたのは皮肉なことなのではないだろうか。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第5回 日本国憲法交付勅語における「国家の再建」とは

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第5回 日本国憲法交付勅語における「国家の再建」とは

 平和憲法の真髄ともいうべき『日本国憲法前文』についてまず解釈をしたい。この解釈は、多くの保守派の批判を浴びこの全文があることによって、日本が自主独立から妨げられているという中心であるといってよい。では、この文章の解釈をどのようにしたら良いのか。
  単純に、この連載は、間違いなく現行憲法をそのまま保守的に解釈したらどのようになるのか、ということに挑戦している。当然に、その解釈には無理があったり今までの日教組教育にはない解釈を行う可能性があるので、そのことに関して違和感があるかもしれない。しかし、その内容をいかに考えるかということは当然に必要なものであると考えられるのである。しかし、当時の重光葵外相や昭和天皇陛下が、そのような解釈と思って、また、数十年後の日本がこのような体たらくになることを望んで日本国憲法を推進したとは到底思えないのである。
  そのために、前回は『日本国憲法無効論』を否定した。もちろん、無効論を肯定してしまうならば、この連載そのものが必要なくなってしまうのである。よって、この連載においては、日本国憲法は有効であり存続するものとし、それを教えた日教組の教育がおかしく、日本国憲法は独立国の憲法ではないかのような解釈をさせられている、という立場である。もっといえば、日本国憲法は間違えていないし、日本国憲法発布において勅語を出した天皇陛下もまったく間違えていない。問題は、その後日本国憲法を解釈した国会や、左翼の人々、そして、その内容をより一層日本国が独立できないかのような解釈を教え込み、日本国憲法とは軟弱でどうしようもない国家を作るための文書であるかのごとき教育を施した日教組教育なのである。
  そこで、まず、この内容を見るにいたり、日本国憲法そのものの成り立ちである「勅語」を解釈してみよう。
 
  日本国憲法公布記念式典において賜わつた勅語
(昭和21年11月3日) 

 本日、日本国憲法を公布せしめた。
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。
 朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。
 
  御名御璽
 
  まず、この憲法は「帝国憲法を全面的に改正したもの」であり、「国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め」そして「自由に表明された国民の総意」によって確定されたものであるとある。
  まず、帝国憲法の改正ということで、憲法そのものの起源や根拠を書いている。実際にこの部分に関しては、この連載における解釈とまったく同じである。
  次の「国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め」というところである。まず、そもそも、本憲法は「国家再建の基礎」のための憲法であり、国家再建後にこの憲法を使うことそのものが憲法が予定されていないということを確認しなければならない。では「国家再建」がいつ行われたのか、ということを考える。「国家再建」ということは、その前に、国家は一度没落しているということになる。国家そのものの没落は、まさに「敗戦」であると考えてよい。大東亜戦争の敗戦は、いくつかの意味で国家を没落し、そして債権が必要な状態にしてしまったのである。
  そのひとつは明らかに「焦土と化した国土」「完全に破壊しつくされた産業」そして「国民の生活」である。そして、生活がままならなくなった日本人の多くは、「敗戦したという心の傷」を負っていたと考えら得る。私が祖父や父などから聞いたところ、やはりその傷は少なからずあったと考えられる。要するに、物理的・経済的な没落よりも、より大きなものが「敗戦したという心の傷」であり、日本国民としての精神ということがいえる。そして、何よりも大きく変わったのが、日本国民における天皇陛下への心であろう。単純にいえば、「物質的な部分」と「心理的な部分」という二つの項目での「国家の再建」が必要であると考えられるのではないか。
  では、この二つの項目の「国家再建」はいつ果たされる、または果たされたのであろうか。物質低な部分に関する国家再建は、すでに池田勇人内閣の高度経済成長、所得倍増計画の遂行によって果たされたと考えるべきであろう。「もはや戦後ではない」という名言は、すでに物質的に国家再建がなされ、日本が新たな国家としてスタート地点に立ったということを宣言するのに十分な一言であろう。もちろん、現在の世の中から考えれば、遅れている。コンピューターはないし、テレビも白黒が主流であったかもしれない。しかし、当時の世界の水準から考えれば、十分に世界の標準以上の生活になっていたはずだ。国民の生活、そして物質、科学技術、経済、各分野においては、当然に、日本は高度経済成長後完全に戦後ではなく、国家の再建を果たしたといえる。特に、GDP世界2位という実績は、まさに「国家の再建」ではなく、実際に「国家が今まで以上に発展した」ということを示しているということがいえるのではないか。
  では、一方で、「心理的な部分」はどうなっているのであろうか。
  日本は、戦後から今までずっと「敗戦国」としての立場を堅持している。これは、ひとつには国際的な部分においてそのような扱いを受けているということがいえる。しかし、一方において、日本は、日本国自ら「敗戦国」であるということを脱しないでいようとした力が働いたという部分も否めない事実である。
  終戦後すぐのGHQは、間違いなく日本の軍隊を解体しようとしていた。このことは司令官として日本に赴任したマッカーサー元帥が、日本軍の強さをよく知っていること、そして非常に恐れていたことからそのようにしたのである。単純に言えば、マッカーサーはフィリピンで命からがら脱出した、その自分の負の体験を超えるために、日本の軍隊を解体するということをもっとも重要視したのである。そのことは、単純に、個人的な恨みというものだけではなく、マッカーサーの経験から、アメリカという国家に対して脅威になる強力な軍隊組織を解体するというのは、彼の中の使命感として存在したのである。
  軍隊組織の解体には、二つの「心理的な部分」の解体をしなければならない。一つには宗教観、そしてもう一つは道徳心である。この二つの心理的な部分の中心は、日本において天皇という存在であったということを考えた。しかし、その心理的な部分の中心は、当然に、偉大なものであり、その天皇を虐げた場合、日本人は再度アメリカに対して強い恨みを持ち、なおかつ、GHQという組織に対して牙を向いて抵抗をする。その抵抗は、キリスト教的な価値観で禁じられている「自殺」要するに「自爆」攻撃を全く意に介さないほどのものであり、アメリカ人には全く理解ができないものであったことは間違いが無い。そこで、まず天皇に「人間宣言」をさせ、なおかつ、教育勅語などをすべて廃止したのである。なお、この教育勅語の廃止に関しては、天皇の言葉を廃止するということができなかったので、あくまでも、教育の現場から排除することを確認したに過ぎない。要するに、アメリカの進駐軍が勝利国の威厳を持ってしても、天皇の権威を完全に否定することはできなかったのである。
  このことは、現在でも生きている。平成24年に韓国の李明博大統領が日本領竹島をめぐる発言の中において、日王(天皇)について「痛惜の念(今上天皇の過去の御言葉)などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と謝罪を要求する発言を行った。これに対して、それまで竹島に関する世論とは一変し、日本において韓国に対する反感が強くなり、日本における韓流ブームが下火になってきているのである。また、この発言に関しては他の国家からも非難が相次ぎ、10月になってこの発言の真意が伝わっていないなどと、発言をするにいたったのである。
  心理的な部分として「日常」と「非日常」の部分があり、その中において「日常の部分」に関しては宗教観と道徳心の破壊がなされているように見える。しかし、ある意味において、竹島問題や尖閣諸島問題など、さまざまな国際問題の中において、「非日常」の面が現れた瞬間に、日本人の本来持ち合わせた、日本人的な宗教観と道徳心、そして遺伝子の中に組み込まれた天皇を中心とする国体という感覚が存在することを表した例なのかもしれない。戦前の状態は「日常」においても、ある意味で現在の「非日常」的な宗教観と道徳観を考えていたが、現在は価値観の多様化によって非日常の場面にならなければ、そのようにあらない状態になったかのような菅が否めない。
  しかし、この文章の感覚からいえば、一見心理的な国家の再建がなされていないようなかんっかうに見舞われるが、実際、進駐軍も「日本の心理的な根本の部分を破壊できなかった」ということに結論付けられるのではないか。
  日常的な部分では「日本の再軍備」を、アメリカが求めてきたときであっても、それを拒否し警察予備隊にした。これは、単純に、その当時の国力やその当時の経済力、そして敗戦国が再度海外に出なければならないという負担の考えた政治的な判断が働いたはずだ。しかし、その決断を日本の左翼勢力は「日本の再軍備の永久放棄」という不思議な発想を行い、武器を持たないことこそが平和であるというガンジーの無抵抗主義のような発想を行うようになったのである。当然に「国家再建」という勅語を無視したこれらの行動こそ、日教組で教えられている「平和憲法」の親の姿ではないのか。この日本の再軍備の部分に関しては、後日別に論じるものとする。
  要するに、「国家再建」は、日本が経済発展し、そして、昨今の領土問題などにおいて日本人としての矜持を示したところで、すでに果たしていると考えるべきである。
  では、この勅語そのものの解釈として「国家再建の基礎として」という単語はどのように解釈するのか。戦後まさに焦土と化し、真理的そして経済的そして物質的に完全に破壊された日本であったが、その日本の国家再建の基礎として、日本国憲法を作ったということになる。当然に、日本国憲法の役割は国家再建の基礎となることでその役割が終わった。このように書くと、日本国憲法廃止論の人々は、当然に基礎としての役割が終わったのだから、憲法を廃止せよというが、必ずしもそうではない。基礎という事は、当然に国家再建後もその基礎としての力を発揮し続けることが可能だ。たとえば、吸うが紀の基本が足し算引き算だとして、応用数学を行うときに足し算や引き算を使わないということは無いのだ。要するに、国家再建を果たしたから、無効となるのではない。国家再建を果たしたことにより、足し算引き算という基礎だけでなく、掛け算や割り算、そしてそのほかのものを作り、そして組み合わせなおかつ応用に進むことができる。日本国憲法も勅語によって予定された役割を果たし、改正を行う「勅語によって予定された改正の用件」を備えるようになったと見るべきではないのか。そして、その『改正』は、まさに解釈会見も含めたものであると考えられる。
  今回は直後の中における「国家の再建」ということについて少々見て見ることにした。続きは次回とする。

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「日本への偏見を無くそう」で日本人女性を研究する中国人のセンスと現状分析

「日本への偏見を無くそう」で日本人女性を研究する中国人のセンスと現状分析

 一考に国会が開かれない日本の政治、まさに、民主党の党利党略のために完全に日本の政治が停滞している。その間にも反日デモは存在し、また尖閣諸島沖には、その接続水域または領海内において、中国の公船が出入りして一触即発の状態になっている。
 しかし、実際に中国人に聞くと、中国人の多くは尖閣諸島の位置も知らないというのが本当のところである。以前、といってもずいぶん前の話であるが、このブログで、原宿の竹下通りで歩く女の子たちにアンケートをして岩手県の位置を聞いたことがある、と紀試合したことがある。女の子たちの中で日本地図から岩手県をしっかりと指差せたのは、全体の30%以下しかいなかったのはなかなか衝撃的な光景であった。昨年の3・11のおかげで東北被災三県は、その位置が広く知られたと思うが、そもそもそのようなことが無くても日本の岩手県の場所くらいは覚えておいて欲しいものである。
 それと同じで、友人にデモに参加している、できればデモの行列の後ろのほうの人々に、尖閣諸島「魚釣島」の位置を聞いて見た。勿論あのデモの中であるから、そんなに多くの人に話を聞けたわけではないようであるが、それでも、メールで数字を知らせてくれた。デモの前のほうで扇動している人はほぼ100%尖閣諸島の位置を知っていたようである。しかし、後ろのほうでなんとなく(というよりはお金をもらえるからデモに参加したなどの理由で)デモに参加した人々は「魚釣島」と「釣魚台」を全く間違えている人が少なくなかったというのである。そもそも、デモの後ろのほうの人は、デモそのものの目的もあまりよくわかっていない人も多く、「家の前を出たらデモをやっていたので一緒に歩いている」などという人もいるようである。「釣魚台」とは中国の北京にある「迎賓館」のこと。当然に、日本は中国の迎賓館など要求はしていない。しかし、「釣魚」という漢字が同じであることから、『日本人が北京を占領しようとしている』という危機感を持っている中国人が少なくなかった、というレポートを読んだときには、さすがに笑いが出てきた。中国人の反日デモの正体は、まさにこれであったのだ。
 その中国が「日本への誤解」をとくために、さまざまなことをしている。その中の一つが帰ってインターネット上で話題を呼んでいるので、その件に関して、見て見たいと思う。

中国メディアが「日本への偏見をなくそう」と『中国でありがちな日本人女性への誤解』を公開! ツッコミどころがあるが面白いと話題に

  尖閣諸島問題を皮切りに一気に表面化した中国の反日感情。ネットを通して入る情報は胸が痛むものも多かった。限られた情報から互いに憎悪をかきたてていったわけだが、一体どれだけの人が「本当の日本」「本当の中国」に触れたことがあるのだろう。
 中国のポータルサイトで「まずは日本への偏見をなくそう」と、あるインフォグラフィックが公開された。中国でありがちな日本女性への誤解を解こうというものだ。取り組み自体は素晴らしいのだが、これがまた目のつけどころがツッコミどころ満載なのである。
 以下がその内容だ。
■「日本女子は背が低い?」 → NO! 平均身長は中国女性より高い
日中の平均身長
日本:162センチ
中国:160.1センチ
■「日本女子はおっぱいがない?」 → NO! 平均はB~Cカップ
日本では47都道府県から各50名、合計2350名に調査したところ、18の都道府県で平均Bカップ。残りの17でCカップという結果だった。この調査から日本女子全体の平均もB~Cカップではないかと推察される。
■「日本女子は玉の輿を狙いまくり?」 → NO! 約80パーセントの女子は三平でOK
結婚の条件として「三高(高収入、高身長、高学歴)」を挙げている日本女子は19.1パーセント。78.9パーセントの女子は「三平(平均収入、平均的なルックス、平穏な性格)」の男子との結婚を望んでいる。
■「日本女子は中国男子と結婚したいと思っている」 → NO! 日本女子の国際結婚の相手で最多は韓国人
2010年に日本女子が国際結婚したカップル数は……
1位:韓国人(1982組)
2位:アメリカ人(1329組)
3位:中国人(931組)※「中国人」には台湾人も含む
■「日本女子は家庭を重視し、子どもはたくさん欲しいと思っている。一生独身というのはまれ」→NO!
・日本女性の生涯独身率は増加傾向
1980年:4.5パーセント
2010年:10.6パーセント
・第一子平均出産年齢も上昇
1975年:25.7才
2011年:30.1才
・生涯出産数は下降
1940年:4.27人
2011年:1.39人
■「日本女子は外で働かず、夫と子どもに尽くし“内助の功”に努める」 → NO! 60パーセントの女子が働いている
日本女子の就職率は60パーセント。働く女子層は2種類に分けられる。
1.高等教育終了後の22才~32才
2.子育て終了後の40才~50才
但し、収入は男性より少ない。2011年の30~34才の女子の平均年収は299万円。同世代の男性の69パーセントにとどまっている。
■「日本女子がAV女優になる理由は “やむにやまれない事情” がある?」 → NO! 日本ではAV女優は一般の職業。一般の女の子でもなれる。
日本女子がAV女優になる3大理由
・好奇心
・有名になりたいから
・売れたら相当の収入になるから
2011年の日本で登録されているAV女優の数は16万人。うち12万人が20~29才。
以上である。
 そして、このインフォグラフィックは「こうやって見ると、私たち中国人の日本に対する理解は本当に浅いと感じられます。日本の本当の姿を知ることができれば、日本との付き合い方も変わってくるかもしれない」という言葉で締めくくられている。
 その意見はまさに「おっしゃるとおり!」だ。ただ、目のつけどころや内容に少しツッコミを入れたくなるが……この姿勢は我々も見習わなければならないだろう。
(文=澤井恵)
参照元:網易女人(中国語)

ロケットニュース242012年10月09日10時00分
http://news.livedoor.com/article/detail/7026458/

 日本を誤解するのではなく、日本の女性を誤解しているという部分が非常に面白い。日本人も中国は嫌いだが中国の女性を好きな日本人男性は少なくないのではないか。私も、依然大連にいたときに、美しい女性やモデルをみれば、素直に「きれいだな」と思うのが普通だ。勿論、それ以上の何らかの行為にいたるかどうかというのは、別な問題で、目で見るということにおいて、男性が美しい女性を見ることをすきなのは、特に年齢や環境に関係なく、万国共通で「よいものはよい」のである。あの高名な高僧一休宗純は、高齢になってから美しい女性に恋をし、晩年結婚しているほどだ。僧侶という立場や年齢に関係ないのは、少なくとも室町時代から、男性の「サガ」として存在するのである。勿論、それを逆手にとって「ハニートラップ」などがあるのだが、それはそれで別な話し。
 今回は、その逆バージョン、要するに中国人が日本人の女性に関して研究をしているというのである。しかし、「日本の誤解」と解くために「女性」を研究するというのは、ある意味お笑いであるし、ある意味で、中国人の男性がもっとも「組みやすい」話から入ったと、その記事の編集者には敬服する。日本人も中国人や韓国人の女性から研究をすれば、「女性は好き」というような人も、ゼロではないだろう。
 また、その研究の内容がおかしい。心理的なものではなく、まずは体系のこと、特にバスとのサイズなどを研究しているのは、なかなか面白い。勿論、このような統計は、日本のインターネット上にあるのであるが、それをしっかり拾って記事にしているというのも面白いものである。
 最も面白いのは、
「日本女子がAV女優になる理由は “やむにやまれない事情” がある?」 → NO! 日本ではAV女優は一般の職業。一般の女の子でもなれる。
というものであろうか。中国では「蒼井そら」というAV女優が人気なのであるが、そのことを想定した質問内容は、いかにもマスコミらしいアプローチであって、なかなか面白い。中国のマスコミも、日本と同様多くの意人に世あれるように『興味本位』で記事を構成しているという感覚が読み取れる。特に、たぶん若者、AV女優などを好きな年齢層のマスコミ離れがあることが予想され、その部分を意識した質問の列挙はなかなか面白い。
 このような記事に関して、この記事を単に違うとか突っ込みを入れるのではなく、この質問の設定やこの質問の内容、そして編集から現在の中国を読み取るということが最も面白いのかもしれない。そのようなことを考えながら「中国人の正体」をしっかりと見てゆくということが必要なのではないか。面白い、けれども、ためになるというような記事の読み方ができれば、中国というあまり知らない国家の現状と弱点が見えてくる。そのような見方ができるかどうか。そのことが最も重要な読み方なのかもしれない。

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本末転倒のパフォーマンスで人気取りを図る民主党の見苦しさ

本末転倒のパフォーマンスで人気取りを図る民主党の見苦しさ

 そもそも、政治のセンスとは一体なんであろうか。
 政治センスにはたくさんの要素が必要である。ひとつには、政策立案能力、政策実行能力、そして将来を見通す能力、それだけでなく国民、有権者にこれらの内容を理解させるコミュニケーション力などがこの能力の中に上げられるのではないか。
 あえてこのように列記したのは、政治センスの中に「国民に対するパフォーマンス力」というものは存在しない。そもそもパフォーマンスとは多かれ少なかれ国民をだますものである。たとえば何かを強調するといっても、それは等身大の日本の状態を理解させないということに政治の罪が存在するものである。ましてや、パフォーマンスだけでほかのことを何もしないとなれば、単なる「ダマシ」である。これは嘘とも詐欺ともいう。要するに、言葉を道具とする政治家にとって、自分たちの言葉の信頼性を下げるこれらの行動は最も慎まなければならないことではないのか。
 だから、単純に「パフォーマンスだけ」の民主党という言い方をしているが、それは民主党という政党が国民を無視して騙す、日本の国家において害悪しか残さない詐欺師集団であるということを、「パフォーマンス」という表現をしているだけのことだ。もちろんそれだけでなく、上記にあげた政策立案能力他、政治センスとして必要なこと、そして、真実を話したら国民や有権者が評価してくれなくなるほど「人徳」がない、人物の集団でしかないということを意味しているのである。
 しかし、その「パフォーマンス」集団を日本の国民は政権与党として選んでしまったのだ。その「パフォーマンス」集団が、具体的にどのような害悪を残すのか。このことの良い例が、ここのところ新聞紙上をにぎわしているので、その内容に関して今日は解説したいと思う。

8党が交付金申請 民主など3党先送り

 自民、公明など8党は10日までに、今年3回目となる政党交付金の給付を総務省に申請した。19日に支給される予定。民主党、国民新党、新党大地・真民主は平成24年度予算執行に必要な特例公債法案の成立のめどが立たないとして、申請しなかった。
 民主党には今回、約41億円が渡る予定だった。ただ4回目が支給される12月までに申請すれば、さかのぼって受け取れる。民主党は公債法案が成立すれば申請する方針。
 今年の交付金は総額約320億円。議員数や国政選挙の得票率に応じて4、7、10、12各月に11党に配分される。

2012.10.10 21:10  産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121010/stt12101021100004-n1.htm

臨時国会そっちのけ 民主、政党交付金辞退の人気取り パフォーマンスと野党反発

 民主党は9日、今年3回目となる政党交付金の申請を見送ることを決めた。特例公債法案が成立していないことを踏まえた歳出抑制措置の一環だが、そもそも同法案を審議する臨時国会を開こうとしないのは民主党だ。召集に向けた働きかけもせず、一方的に政党交付金を辞退するのは国民受けを狙ったパフォーマンスだと野党は反発、かえって事態をこじらせている。(坂本一之)
 「国民に不便をかけているので、政党交付金の申請をしない判断をしました」
 民主党の安住淳幹事長代行は9日、国民新党の下地幹郎幹事長と会談し、41億円余りの交付金の申請を見送る方針を伝え、下地氏も同調した。
 政党交付金は国会議員数などに応じて毎年300億円超が各党に配分される。平成24年分の内訳は、民主党約165億円▽自民党約102億円▽公明党約23億円-など。年4回に分けて振り込まれ、9日は10月分の申請期限前日だった。
 安住氏は会談後、記者団に「(野党も)賢明な判断をしてほしい」と同調を求めた。台所事情が苦しい野党を一層厳しい状況に追い込むことで公債法案への賛同を得たいとの思惑がちらつく。同調しなければ国民の批判にさらされる。そんな狙いもあるようだ。
 だが法案が通常国会で廃案になったのは民主党が強引に参院に送付し野党の反発を招いたためだ。成立に向けた臨時国会の召集時期も明らかにしていない。
 野田佳彦首相は11日、自民党の安倍晋三総裁に会うが、挨拶回りとの位置づけで、党首会談の見通しは立っていない。臨時国会開会で解散環境が整うのを忌避する輿石東幹事長は、党首会談の環境整備となる幹事長会談開催に消極的だ。
 自民党の石破茂幹事長は記者会見で、申請見送りについて「公債法案が成立しないことを前提に物事を決すべきではない」と反発。みんなの党の江田憲司幹事長も「財務省に踊らされたパフォーマンス、恫喝(どうかつ)ですよ」と切って捨てた。
 政党交付金を受け取っていない共産党の穀田恵二国対委員長は「政局の道具に使うなら言語道断。政党交付金制度をやめるべきだ」と挑発した。もちろん、民主党に制度を廃止する考えはない。今回申請を見送っても12月までに申請すれば10月分の支給を受けることは可能だからだ。
 民主党内からも執行部の対応に批判が出る可能性もあるが、輿石氏は9日夕、党所属議員のパーティーで平然とこう言ってのけた。
 「庶民に悲しい思いをさせない。時に敵に塩を送る。そんな精神で頑張らなければいけない」

2012.10.10 09:13 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121010/stt12101009140001-n2.htm

 政党助成金とは、政治活動を行う時に、さまざまな企業などから献金を集めてしまうと、その企業との癒着が存在し、すぐに政治権力とその企業の利益との間で疑獄事件が発生してしまうということがあげられる。とはいえ、政治活動にはさまざまな資金が必要なために、その資金を税金のうちから支出するというシステムのことを言う。単純にいえば、国家の税金から、平たく政治家や政党職員の給与とその活動資金を強制的に支払わせるシステムである。
 これは毎年「10月から12月の規定日」までの間に申請を出せば、翌年の1月から配布されるものであり、当然に、10月の現在時点で申請をしなかったことをもって、「政党助成金を財政のために申請しなかった」などという詭弁は通用しない。要するに、期間内の一番初めに申請をしなかったことをもって、政党助成金を辞退したということにはならないのである。
 では、なぜ「政党助成金の申請をしなかった」ということをことさらに宣伝する必要はまったくないのである。逆に言えば、そのような宣伝をすること自体、「自分たちは、財政が危険であるから、国民のために申請を控えた」という、国民相手のパフォーマンスであり、国民を騙す手段に他ならない。ほとぼりが冷めたあたりで申請を出せば、完全な詐欺になってしまうのである。
 「国民に不便をかけているので、政党交付金の申請をしない判断をしました」
 という詭弁自体が、パフォーマンスである。
 そして、そもそも論を考えてみればよい。そもそも、政府は政府の責任として予算を通す責任がある。しかし、その責任に関して「自民党が審議に応じてくれない」などということを言っている。しかし、よく考えてもらいたい。単純に、財源も確保せずに90兆を超える予算を組んで、その財源である特例公債法案も通さずに、消費税だけを行ってきた。その上、その予算の使い方に関して、復興予算をさまざまな別なところ、たとえば、東北の震災の予算の34億円が沖縄の道路に使われているなど、約2兆円以上の予算が被災地以外に使われているということ自体、おかしなことではないか。
 要するに、予算を通さなければならない行政としての当然の責任を放棄し、その責任を立法府の野党に転嫁して、平気でパフォーマンスで国民を騙す。「(野党も)賢明な判断をしてほしい」などといって、自分たちの責任を放棄していること、もっと言えば、予算財源の手当てもせずに、このような事態になったことの責任も負わないなどというのは、あまりにもおかしな話ではないのか。
 自民党の石破茂幹事長は記者会見で、申請見送りについて「公債法案が成立しないことを前提に物事を決すべきではない」と反発。みんなの党の江田憲司幹事長も「財務省に踊らされたパフォーマンス、恫喝(どうかつ)ですよ」と切って捨てた。
 政党交付金を受け取っていない共産党の穀田恵二国対委員長は「政局の道具に使うなら言語道断。政党交付金制度をやめるべきだ」と挑発した。もちろん、民主党に制度を廃止する考えはない。今回申請を見送っても12月までに申請すれば10月分の支給を受けることは可能だからだ。(上記から抜粋)
 という野党の反応は当然であり、このようなくだらないパフォーマンスそのものが、与野党間の冷静な議論の大きな妨げになっている、もっといえば、国会の正常な運営の妨げになっており、民主党の政権担当能力のなさを浮き彫りにしているものである。
 このようなパフォーマンスが行われたときに、本来、この現象がどうして起きたのか。そして、その現象の責任は誰にあるのか、そのことを考え、パフォーマンスに惑わされない当然の判断を行うべきであり、それくらいの判断力は、国民、有権者が当然に持つべきものではないのか。そうでなければ、パフォーマンスがうまい人が政権担当能力があることになり、当然に、国民は騙され続け、詐欺し、搾取し続けられる存在となってしまうのである。
 国民は、いつまでこのような不毛なパフォーマンスにつき合わされるのか、そしていつまで騙され詐欺に遭い続けるのか。いい加減目覚めてほしいものである。

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二つの売国事件の処理による「司法の独立」の危険性

二つの売国事件の処理による「司法の独立」の危険性

 民主党による悪癖が出てきている。まさに、権力を私物化し、法を曲げた運用で私服を肥やす、または国を売る事が大きくなってきているのである。
 題名に「司法の独立」を括弧で書いた。本来、憲法上三権分立というときの「司法」とは裁判所のことを言う。しかし、その裁判所は憲法でいうところの「司法官憲」要するに検察官による起訴がなければ、刑事裁判として訴訟が行えないことになる。要するに憲法の三権分立上の「司法」とは、裁判所における法律の運用に関して、その運用の適正化が政治や国会(立法)に左右されず、独立の機関と良心によって判事されるということを意味している。しかし、「司法官憲」の令状がなければ捜査もできないのである。よって、本来であれば「司法官憲」も独立していなければ完全なる司法の独立は存在しないことになる。しかし、日本の場合「司法の独立」といった場合は裁判所の独立だけを言うのであって、残念ながら捜査機関、単純に言えば警察(憲法上または刑事訴訟法上は司法警察官)および検察官(司法官憲)は、警察庁もしくは警視庁、そして法務省の下にある検察庁の国家公務員として機能しているに過ぎないのである。
 ある、警察官にインタビューをしたことがある。左翼過激派(破壊活動防止法適用団体)に対する警備として、その団体から献金を受けている政治家がいることについて警察はどのように対応するのか、というものである。当該警察官は、個人名などを伏せる約束の上で、「われわれは、公務員ですから、そのようなことになっても、法律と政府の方針に合わせて、国家公務員の本分にしたがって職務を遂行します」という。そうではなくて、法律の指定は灰活動防止法適用団体の取り締まり、一方、その団体の献金を受けた政治家たちが、あなた方の上司になった、ということで、問題はないのかということである、と質問を繰り返したところ。「日本は、民主主義国家ですから、国民がそのような政権を選んだということで、国民全体の奉仕者として、政府の方針に従って行動します」という。
 要するに、彼らが公務員であるということは、取調べ、捜査、それらは全て、「民主主義の原則」に従って行動されるものであり、同時に、その内容は、それまでの法治国家としての枠組みではなく、新政府に近しい内容の解釈で物事を進めるということを明言したのである。もちろん、この警察官は現在も職務についてる現職の警察官である。
 その上で、下記の記事を読んでもらいたい。

菅前首相を不起訴=政治団体献金めぐる告発―東京地検

 菅直人前首相の資金管理団体「草志会」が、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体の派生団体に献金していた問題で、東京地検特捜部は8日までに、前首相に対する政治資金規正法違反容疑での告発について、不起訴処分とした。処分は5日付。
 政治資金収支報告書によると、草志会は2007年、相模原市の「政権交代をめざす市民の会」に計5000万円を寄付。08、09年にも計1250万円を寄付した。 

時事通信 10月8日(月)15時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121008-00000045-jij-soci

「首相を呼べ!」 実弟が政務調査費めぐり架空請求疑惑 百条委否決に憶測…

 野田佳彦首相の実弟である千葉県船橋市議の野田剛彦氏(民主)が、政務調査費約130万円について架空請求との指摘を受け返還した問題。同市議会では、地方自治法百条に基づく調査のための特別委員会(百条委)設置が発議され、賛否同数の末、議長裁決で否決された。しかし、この決着には議会内外から不満の声が漏れ、憶測が飛び交っている。(江田隆一)
■賛否同数
 「首相を証人喚問しろ」
 この夏、船橋市議の間で過激な言葉が交わされていた。実弟の野田剛彦市議の疑惑をてこに国政を揺さぶることへの興奮があった。
 きっかけは、産経新聞の7月18日付の記事「首相実弟の市議 調査費130万 不正受給か 秘書企業から架空領収書の疑い」だ。
 野田市議は、平成18年から22年にかけて市内の2つの企業に「市民意識調査」や「政策宣伝資料作成」を発注、2社が発行した計約130万円分の領収書をもとに政務調査費を市から受け取っていた。首相の政策秘書が2社の取締役を務めており、うち1社は活動実績に乏しかった。
 報道以後、市議会では「実態を調べる必要がある」との意見が噴出。野田市議は疑惑を否定しつつも「資料が残っていない。疑いを晴らすことができない」などとして、調査費を返還し、幕引きを図ろうとした。
■記名投票は48年ぶり
 しかし、共産党が「議会として実態を調査する必要がある」として百条委設置を発議。9月定例議会中の27日に採決されることになった。この日、投票を記名投票にする動議も出され、認められた。
 記名投票では、議員が賛成なら白い札、反対なら青い札を議場正面の投票箱に順番に入れていく。同市議会では、非常勤特別職報酬案件を可決した昭和39年以来、48年ぶりだ。議会事務局職員はもちろん、議員もすべて入れ替わっており、全員が初めての経験だった。
 野田氏と佐藤新三郎議長を除く48人が投票に臨んだ。
 共産党(7人)と市民社会ネット(4人)のほか、保守系の自由市政会(14人)が賛成することを事前に決めていた。しかし同会のうち4人が退席。佐藤議長も同会所属のため賛成は9人にとどまったが、みんなの党(5人)のうち2人が「白票」を投じたことで賛成は22となった。
 一方、公明党(10人)、保守系の凛(りん)(6人)、みんなの党の残り3人、野田氏を除く民主党の2人と無所属1人が「青票」で反対も22となった。
 だれが賛成し、反対したのか、すべてリアルタイムで公開される投票方式。議員の1人は「札を傍聴席に掲げる(国会議員の)気持が分かった」と興奮気味に話した。
 賛否同数のため裁決を委ねられた佐藤議長は、会派の取り決めに反して否決した。「議員が議員を追い詰めるのは、議会になじまない」というのがその理由だ。
 これに先立ち、補正予算案の採決などもあったため、開会から6時間近くがたっていた。大山鳴動して、議場外から「政務調査費の使い道を調査されると困る議員がいるのではないか」といった冷めた声が漏れた。
■次期市長選の思惑も…
 異例の経過をたどったものの、多くの議員は「記名投票で各議員の賛成、反対をはっきり伝えることができたのはプラスだった」と振り返る。
 しかし、市内の政界関係者は「野田議員を来年の市長選に担ごうという動きと、これをつぶそうという動きもあった。そんな思惑が働いた」結果、賛否同数による否決に落ち着いたと指摘する。
 また「首相を市議会に呼ぶべきだ」との声も挙がっていたことから、ある議員は「民主党代表選や第3次野田内閣のスタートという微妙な時期と重なった。中央からの働きかけもあっただろう」といぶかる。
 議会としてはこの問題に決着をつけたことになるが、全員が納得しているわけではない。
 自由市政会の中村実議員は「野田首相は疑惑が報じられたあと『野田議員が市議会なり市民にきちっと説明すべきこと』と参院で答弁しているが、実現しなかったのは残念」と話す。
 百条委設置を提案した共産党の佐藤重雄議員は「今後は市民の側からの究明機運を高めていく」と話しており、住民監査請求などで問題が再燃する可能性もある。

2012.10.08 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121008/plt1210082038001-n1.htm

 一つ目の記事の菅直人元首相に関する不明献金事件に関しては、まさに「市民の党」要するに、拉致事件で大きな問題になっている北朝鮮と関係の深い団体との間の不透明な献金事件である。その政治資金の事件が不起訴になったという。本来であれば、為政者に近い人ほどもっとも厳しく法律を適用しなければならないはずだ「李下に冠を直さず」というのは、中国の故事であるが、同時に日本人の美意識、上印立つものの儒教的な道徳として重要な部分ではないのか。そのことが、逆に総理大臣ほど何をしても良いというような政治権力があり、そして、その権力を横暴として使ってしまい、その横暴を許されるということになるのであれば、政治は完全に混乱する。もちろん、裁判になれば、それは「司法の独立」があるということになるのかもしれないが、しかし、上記の最後にあるように警察官もしくは検察官という国家公務員が、その国家公務員の本分として、菅直人前首相のような北朝鮮と関係の深い団体に献金をするような疑いをかけられる人が、北朝鮮との埒多作本部の本部長になるという矛盾した状態になり、同時に、その内容に関する刑事手続きが、司法官憲という国家公務員のところで「民主主義の本分」としてとまってしまうのでは、話にならないのである。まさに民主党政権の間では、たとえば保守的な考え方の人が拉致担当大臣になったとしても、まったく解決の見込みがないのは当たり前の話である。
 二つ目の事件の同じ。野田首相の弟の船橋市議における政務調査費不明金事件である。これも同じで、政治的な意向が働き、最後には首相を呼べなどという怒号が出てくるようで、地方議員の独立とか道州制と科など何を言ってるのかわからない。これくらいの話に対して、維新の会を始め道州制を所望している人々が何のコメントも出さないのはおかしな話であるし、同時に、その市議が首相の弟であっても、法律に照らして善悪を決めるという法治国家の本分を失っては、国政も地方もなく、政治は成立しない。まさに政治権力さえ手に入れてしまえばなんでも許されるという不思議な状態になってしまっており、その内容は、完全に、「独裁帝国民主党」の成れの果てといわざるを得ないのである。
 まさに、政治権力者、前首相と元首相が、そのまま自分たちもしくは自分の親族の刑事事件にたいして、無形の圧力をかけたという結果に他ならない。そしてそのことが騒がれなければ、話にならないというところが大きな問題になるものである。彼らの倍国的な罪に関する問題ではなく、本来は、捜査機関の独立、そして、捜査、起訴の機関の国家公務員からの独立ということが最も重要なのかもしれない。それでなければ、刑事捜査を行わせない、実質的な法務大臣による指揮権の発動が行われたのと同じ効果になり、広い意味での「司法の独立」が侵されるということになるのである。
 民主党政権になり、日本は、近代法治国家から脱落してしまった。そのように思う二つのニュースである。

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拡大主義中国が本当に狙っているのは韓国であるという仮説

拡大主義中国が本当に狙っているのは韓国であるという仮説

 中国の崩壊が始まっている。
 6月に上梓した「2014年中国は崩壊する」の中には、何とかメンツを保つために、必死に人民元をすり続けている現在の国務院政府と、その裏づけの無い国務院政府の動きを漫然と私利私欲のために吸収し続けている中国の人民や地方公務員たちの姿書いたつもりである。しかし、それらは実際に限界に来ている。
 そもそも国会社会主義そのものの構造から考えて、国家がさまざまなものを国民に支給し、その支給の財源を税金でまかなうというもの。国民に100の税金を分配し、その税金のうち20を税収としてとっていたとすれば、80ずづマイナスになる。そのマイナスを国家が何らかの形で補わなければならない。地下資源などで補っていればよいがそれらも限りのあるものであるということを考えれば、結局は法人など産業を興してそこからの税収以外には存在しない。それが無い場合は、拡大主義で他国を占領し、植民地化して摂取する以外にはないので会うr。国内という観点から見れば「弱者救済」の共産主義も、隣国から見れば単に植民地の肯定化論理でしかないのである。勿論そんなに簡単なものではないが、この辺の難しいところは欲勉強していただきたい。今回はそのエッセンスの部分だけをここに紹介する。
 エッセンスだけを紹介したのは他でもない。単純に今日の話題において、中国という国家を知るためにはそれだけでよいからである。中国は、現在の内容をそのまま継続しながら、国家の発展を遂げようとすれば、当然に拡大主義を続け周辺近隣からさまざまなものを搾取しなければならない。内陸部はモンゴル・ウイグル・チベット・ベトナムで全くうまくいかなくなっているために、中国という国はこれ以上の拡大を生み、要するに太平洋しか先に行かないことになっている。
 近年話題になっている尖閣諸島は、当然にその中の一つであることは間違いがないのであるが、実際に尖閣諸島に関する問題は、日米安全保障条約によってアメリカを引っ張り出してしまう可能性が少なくない。そのために、日本をむやみに攻撃するわけには行かない。その上、日本という国家は、なんとなくメンツも何も無く頭を下げてくる民族であるために、金を搾取することはよいが、資源を搾取する相手としては非常にやりに苦肉にである。
 そのような中で中国が目をつけた国が韓国ではないのか。

「伝説の島」めぐり中韓紛争 尖閣が寝た子起こす?

 韓国・離於島(イオド、中国名:蘇岩礁) 韓国で「伝説の島」とされてきた東シナ海の暗礁が中韓紛争の火種になりつつある。海中に没し、厳密には島ではないため、双方が「領土」とはみなさず、これまで大きな波風は立たずにきた。それが尖閣問題の余波で中国がにわかに管轄権を強調し始め、韓国世論が中国の「海洋覇権」に警戒感をあらわにしている。韓国にとって日中対立が中韓の寝た子を起こす事態に見舞われている。
 ■「竹島争い冷めぬ中、中国に強硬姿勢」
 焦点となっているのは、韓国最南端の島から149キロ、中国最東端の島から247キロにある「離於(イオ)島」(中国名・蘇岩礁)だ。
 中韓の排他的経済水域(EEZ)が重なる海域にあたる。中韓は1996年以来、16回にわたってEEZの画定交渉をしてきたが、交渉はまとまらず、この暗礁がいずれのEEZ内にあるか未画定のままだ。
 そんな中、9月24日の中国メディアの報道が韓国に強い警戒感を呼び起こすことになった。
 中国国家海洋局が、尖閣諸島やフィリピン、ベトナムと領有権を争う南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島、西沙(同パラセル)諸島などを遠隔操作で監視する無人機の導入を計画。そのデモンストレーションのもようを報じたものだが、同局の担当者が監視対象に「蘇岩礁も含む」と説明したためだ。
 計画の主眼はあくまで尖閣や南シナ海にあるとみられるが、「蘇岩礁」発言に韓国メディアが一斉に反発。「中国が尖閣問題で日本の実効支配を揺るがした成果をもとに離於島周辺でも領有権の主張を強める」(韓国紙、朝鮮日報)とみなしたのだ。
 世論のあおりを受け、李明博大統領も同日、「韓国政府は最近、独島(竹島の韓国名)や離於島に対する警備をいっそう強化している」と発言。韓国大統領が竹島と同列に扱う存在に浮上した。
 これに対し、中国共産党機関紙、人民日報傘下の国際情報紙「環球時報」は「日本と独島をめぐる争いが冷めやらぬ中、中国のEEZ内の蘇岩礁への警備を強め、中国への強硬姿勢を訴える声が出ている」と竹島問題と関連付けて韓国世論の硬化を警戒する報道を行った。
 ■「見たら帰れない」「永遠の理想郷」
 離於島は韓国で長い間、波浪島とも呼ぶ、伝説の島して扱われてきた。
 海面下4~6メートルに没し、韓国南部、済州島の漁民の間で「荒波のときだけ姿を現し、見たものは帰れない」といったおどろおどろしい言い伝えの一方、「海で行方不明になった漁師が暮らす神秘の島」や「永遠の理想郷」とも伝えられた。
 1951年に韓国海軍などがこの暗礁を探索し、「大韓民国領土 離於島」との銅板碑を設置。韓国は米国などに対し、竹島と並んで波浪島の領有権を主張しながら、その場所さえあやふやだったが、いわば強引に伝説の島と、この暗礁を結び付け、同一だとした。
 この暗礁に対して最初に行動をとったのは韓国側だった。中韓のEEZが重なる海域にあるが、その中間線から見て韓国の島により近いとして、2003年、一方的に暗礁上にやぐら式の海洋科学基地を建設した。
 貿易立国を標榜(ひょうぼう)する韓国にとって海上輸送量の9割が離於島南方を通るという海上の要所である上、周辺一帯に膨大な原油と最大72億トンの天然ガスが眠ると推定されたことが背景にあった。
 韓国の基地建設に中国は「一方的な行為に対してはいかなる法的効果もない」と抗議したが、表立った紛争には発展しなかった。互いに管轄権を主張しながら「島ではなく、海中の岩礁であり、領土とみなさない」と領有権は主張せず、領土紛争の存在も否定する奇妙な状況が続いた。
 中国側も「EEZの画定交渉の中で話し合うべきもの」との態度で、紛争化しない「静かな外交」(有力紙、中央日報)を維持した。
 ■「尖閣の火の粉が降りかかる」
 それが一転、昨年ごろから中国が強硬姿勢を取り始める。
 昨年6~7月、離於島周辺で沈没船の引き揚げ作業をしていた韓国船に対して中国の官公船が「中国の管轄水域だ」と警告。昨年12月に中国が大型海洋監視船の東シナ海投入を決めたことや今年3月、国家海洋局長が、監視船や航空機による定期パトロールに「蘇岩礁周辺が含まれる」と発言したことが韓国メディアに大きく取り上げられた。
 中国が尖閣をにらみ、東シナ海の監視を強化した余波に離於島が巻き込まれた形だ。
 9月25日に就役した中国初の空母「遼寧」についても韓国では「離於島周辺海域も行動半径に含まれる」ともっぱら離於島と関連付けて警戒を呼んでいる。
 本来、他人同士の“けんか”に過ぎなかった尖閣問題も「火の粉は離於島にも降りかかる」とわがこととして報じられるようになった。
 中央日報は「東アジア全体が軍拡競争の泥沼に陥る危険が高まっている」と尖閣問題が日中の軍拡競争を呼び、韓国もそれに巻き込まれるという過剰反応といえなくもない論理を展開。「中国と対等でなくとも、軽視されないほどの海軍力を備える必要がある」と警鐘を鳴らす。
 朝鮮日報は「朝鮮半島を挟んで日中が繰り広げる対立は韓国の命運に直結している。日中は過去にも朝鮮半島を舞台に覇権を争った国だ」と強調する。
 さらには「日本が尖閣で中国にされたのと同じことをする可能性もある」として、日本が「尖閣の敵を竹島で討つ」ことを危惧したこじつけともいえる日本警戒論も唱えている。(桜井紀雄 外信部記者)

産経新聞 2012年10月07日10時30分 
http://news.livedoor.com/article/detail/7022883/

韓国ミサイル、北全域射程 300→800キロに延長、米と合意
2012.10.8 09:05
 【ソウル=加藤達也】韓国大統領府は7日、韓国軍の弾道ミサイル射程などをめぐる米韓間の覚書「米韓ミサイル指針」を改訂、射程制限を現行の300キロから800キロに延長することで米国と合意したと発表した。韓国中部から発射した場合、北朝鮮の北東部舞水端里(ムスダンリ)の長距離弾道ミサイル発射場を含む北朝鮮全域を射程に収めることになり、北朝鮮の反発は必至だ。
 今回の改訂は弾頭の重量制限を現行の500キロで維持する一方、射程が短くなるほど重量を増やせることになった。射程300キロの場合、重量1500キロ以上の弾頭搭載が可能となるほか、無人航空機では重量を2500キロに拡大した。
 韓国政府は改訂の目的を「南北間の打撃力不均衡の解消」としている。
 北朝鮮は射程約1300キロの中距離弾道ミサイル「ノドン」などを実戦配備。韓国側の巡航ミサイルは北朝鮮全域の攻撃が可能だが、飛行速度が遅いため撃墜されやすく、「対抗戦力としては極めて不十分」(韓国国防省筋)という。
 両国は2001年に交わした覚書で米国がミサイル技術を提供する代わりに射程を300キロ、弾頭重量を500キロに制限。しかし09年、北朝鮮の長距離弾道ミサイル「テポドン2」を発射して韓国側で脅威が強まったことから射程延長を求め、協議を始めていた。
 米国は改訂に慎重だったが、北朝鮮の核やミサイル開発継続に対応するため、改訂に応じたとみられる。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121008/kor12100809060000-n1.htm

 中国は、明らかに韓国を狙っている。いや、実は拡大主義で拡大する先が朝鮮半島しかなくなっているというのが、真相ではないだろうか。南沙諸島もこれまで十分に問題になっている。一方で、内陸に関してはすでにフロンティアはなくなった状態。台湾と日本はアメリカが手厚い保護をしていて、うかつに手を出すことができないという状態である。台湾に関しても、日本に関しても、かなりのマスコミによる宣伝活動などを行っているが、逆にそれらを行えば行った分だけ、台湾においても日本においてもナショナリズム、そして中国脅威論が盛り上がってしまって、手をつけることができない。
 さて、このようなときに戦略家の思考は。私が中国の首脳であったらどのようにするかということを考える。そのときに、現在最も防御が弱いのは、韓国である。日本と韓国の対立は、まさに竹島問題を考えたときには最悪の状態であり、同時に、スワップの延長をめぐり双方のナショナリズムがおかしくなってきているところである。韓国における反日デモも繰り広げられているが、実際に多くの活動家たちが扇動していることは間違いが無い事実であり、その内容は日本のマスコミだけが知っているような状態で、多くの日本人は知らないような状態になっている。しかし、反日デモの性質は韓国と中国は同じ方法で行っているものであり、どちらも領土問題を媒介にしたナショナリズムの表現である。同時に、日本政府が民主党政権によって弱体化したときに強姿勢に出ているというところも含めて、双方ともに連動していると考えるべきではないのか。
 中国の首脳であれば、韓国か日本のどちらかを弱体化させるためには、双方で争わせればよいという考え方をする。「二虎競食の計」という内容が三国志の中に出てきているが、そのような方法を使いながら、アメリカとの関係を断ち切ればよいのだ。
 同時にアメリカは、韓国を保護するために、日本の国土をまたがなければならず、その内容はワンテンポ遅れることになる。
 アメリカは、そのことをわかっているために、今回韓国のミサイルの射程を800キロに延ばしている。これは、北京までは届かないものの、韓国を直接攻撃する大連・天津・旅順という海軍・陸軍の中国の拠点を含むばかりか、青島・威海衛をその中に含むというように、中国北部の軍事拠点の多くを含むことになる。これはひとつには、東アジアの平和という意味で、アメリカが許可したまさに「中国空母遼寧対策」といえるが、同時に、中国から韓国が自衛でミサイルを使うkとを想定しての内容ということができるであろう。
 さて、読んでいる皆さんからすれば奇想天外ない話かもしれないが、実際に、中国が尖閣諸島を基点にした台湾・日本戦争を行うことは考えにくい。その場合、目を南に向けた状態で何を行うのか、そのこと考えれば何か見えてくるのではないかという、一種のブレインストーミングを行った結果の一つの例でしかない。勿論、中国が積極的に中国自身の軍隊として韓国と戦争を行うのか、あるいは北朝鮮に戦争をさせた上で、義勇軍を出すのかは不明だ。しかしエアポケットのようになった韓国がそのまま調子に乗って暴走していては大きな問題になるであろう。一方、日本としては韓国との対立、中国との対立を双方行うほう駑馬かな選択祖することはよくない。しかし、竹島をめぐる問題や尖閣諸島の防衛に関して、それなりにしっかりとした戦略を立てなければならないのではないか。勿論中国が韓国を狙っているからといって、日本が防衛の手を緩めるものではない。逆にそれを強くすることが最も需要であり、そのことの支援を求める形で世界各国との連携を模索しなければならないのではないか。
 しかし、単純に、日本が単独で防衛するとか、日本の軍備が無いなどといっているのではなく、そのような予想の下において何ができるのか、しっかりとした情報分析を行うことが重要なのではないかと考えられる。そのような外交を民主党政権に期待するのは難しいので、早く政権を交代するように働きかける以外はないようなのである。

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昨日は体育の日ということもあってスポーツの話題を二題

昨日は体育の日ということもあってスポーツの話題を二題

 昨日10月8日は体育の日であった。体育の日は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を、1966年(昭和41年)から国民の祝日としたものである。2000年(平成12年)からは「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日となっている。
 そもそも東京オリンピックの開会日が夏季オリンピック開催日としては異例に遅い10月10日となったのは、秋雨前線が去った後の東京地方の「晴れの特異日」だった事による、と言われているが、その真相はあまりよくわからない。いずれせよ「スポーツの秋」として、日本においては気候的にも非常に朗らかな晴天が続き、熱くもなく寒くも無く、非常によい日であると同時に、果物などの食べ物も豊富であり、栄養の補給がすぐにできる非常によい時期であることは確かである。日本特有の暑くて、湿度の高い夏と、その後台風による天候の悪化に悩まされること無く、非常に快適な日々なのである。
 さて、このようなときに政治の話しばかりもあまりよくない。今日はこのブログもスポーツの秋ということでスポーツの話しをしたいと思う。もちろん、私自身スポーツに造詣が深いわけでもなければ、何かの専門があるわけではない。当然に素人、というよりも素人以下の人が、単なるファンとして、このブログを構成するのであるから、なかなか困難のきわみである。いつものようなブログの文章を期待している読者の皆さんは、あまり期待しないほうがよいのかもしれない。
 さて、この連休中にスポーツで話題になったのは女子レスリング、通称「霊長類最強の乙女」といわれる吉田沙保里選手の国民栄誉賞授与になるかならないかということ、そして、フランスの凱旋門賞という世界の競馬レースに出場したオルフェーブルが惜しくも2着になった話題である。
 勿論他のスポーツが全く関係が無いというものでもないし話題にならなかったというものでもない。しかし、私の趣味趣向でこの二つのニュースを選んだのである。

吉田沙保里選手に国民栄誉賞=政府方針

 政府は5日、五輪3連覇と合わせ13大会連続の世界一を達成した女子レスリングの吉田沙保里選手に国民栄誉賞を授与する方針を固めた。政府関係者が明らかにした。
 日本レスリング協会の福田富昭会長は同日、同賞授与の要望のため首相官邸を訪れ、藤村修官房長官らと面会。藤村長官は「しっかり受け止める」と述べたという。
 この後、記者会見した藤村長官は「前人未到の業績を挙げたことは誰もが知っている。国民的な盛り上がりがあるかとの視点もあり、どのような形で喜びを共にするか検討していく」と表明した。
 吉田選手の受賞が正式に決まれば20件目で、昨年授与されたサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」以来。オリンピック選手としては、2000年のシドニー五輪のマラソンで金メダルを取った高橋尚子選手以来となる。 

2012年10月5日(金)12時34分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-05X485/1.htm


【凱旋門賞】オルフェ、一旦先頭も惜しい2着

 歓声が悲鳴に変わった。多くの日本人が駆けつけたロンシャン競馬場。1番人気に推され、大声援に後押しされたオルフェーヴルだが、ゴール手前5メートルでソレミアに差されてクビ差2着に敗退。日本馬初の凱旋門賞制覇の快挙は成し遂げられなかった。
 「日本のみなさん、申し訳ございませんでした。勝つ力は十分ありましたし、日本馬が世界のトップにあるのは事実ですが、私の技術が足りなかった」。池江寿調教師は悔しさを押し殺した。
 大外(18)番枠から道中は後方2、3番手で折り合いに専念。最後の直線で外に出し、自慢の末脚が爆発した。残り300メートル過ぎで先頭に立つと一時はセーフティーリードを取ったかに思えたが、先行していたフランスの4歳牝馬ソレミアが猛然とオルフェに襲いかかる。最後は2頭のたたき合いとなり、ゴール直前でかわされた。
 「直線では普通に勝っちゃうかと思いましたが、これほど早く抜け出してしまうと目標にされてしまいますからね。切れ味がアダになった感じです。このレースを勝つために、また戻ってきたい」
 池江寿調教師にとっては、元調教師の父・泰郎氏(71)の雪辱を果たす一戦だった。6年前の2006年に父が管理した当時の最強馬ディープインパクトが凱旋門賞に挑戦したが、3位入線でのちに失格という悔しさを味わった。「敵討ちというと大げさだけど、そういう気持ちはある」。しかし、ロンシャン競馬場に駆けつけた父の前で夢は果たせなかった。
 世界の頂点には届かなかったが、胸を張れる2着。1999年エルコンドルパサー、2010年ナカヤマフェスタと並ぶ日本馬最先着を果たし、ロンシャンのターフに確かな蹄跡を残した。次走はジャパンC(11月25日、東京、GI、芝2400メートル)か、有馬記念(12月23日、中山、GI、芝2500メートル)が有力視される。日本のファンは、オルフェーヴルの雄姿を待っている。

2012.10.8 05:08 サンケイスポーツ
http://www.sanspo.com/keiba/news/20121008/kei12100805080017-n2.html

 国民栄誉賞は、1977年(昭和52年)、当時の内閣総理大臣・福田赳夫が、本塁打世界記録を達成したプロ野球選手・王貞治を称えるために創設したのが始まりである[1]。背景には、先に設置されていた顕彰、内閣総理大臣顕彰が「学術および文化の振興に貢献したもの」など6つの表彰対象を定めていた反面、プロ野球選手を顕彰した前例がなかったという事情があった。そのため、より柔軟な表彰規定を持つ顕彰として創設されたのが国民栄誉賞である。
 現在までに
王貞治(プロ野球選手)・ 古賀正夫(古賀政男・作曲家)・長谷川一夫(俳優)・植村直己(冒険家)・山下泰裕(柔道選手)・衣笠祥雄(プロ野球選手)・加藤和枝(美空ひばり・歌手)・秋元貢(千代の富士貢)・増永丈夫(藤山一郎・歌手)・長谷川町子(漫画家)・服部良一(作曲家)・田所康雄(渥美清・俳優)・吉田正(作曲家)・黒澤明(映画監督)・高橋尚子(陸上競技選手)・遠藤実(作曲家)・村上美津(森光子・女優)・森繁久彌(俳優)・2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表、の19の方々が受賞されている。このほかに、野球選手の福本豊、作曲家の古関裕而、野球選手のイチローが受賞を辞退しているのである。
 この国民鋭所掌の受賞に関する問題点は、基準の明確さやそのほかの問題点も指摘されているが、しかし、このように国民栄誉賞を受賞された方々の名前を持ていると、確かに日本国民として、歴史に名前を残し、そして現代日本をさまざまな得意分野を持って元気づけた人々ばかりであることが否めない事実ではないのか。この名前の中に前人未到の13連覇を果たした吉田選手が入るのは、特におかしなことではないのではないか。実際のところは全くwかあらないがテレビで見る吉田選手などは、そんなにストイックな感じもないし、昔のスポコン漫画のような悲壮な幹事も存在しない。なんとなく楽しそうにそれでいて世界一を13連覇するのであるから、それはすごいことである。勿論、影でしっかりとした練習と努力をしているのであろう。しかし、それを見せないすごさというのは、なかなか大変なものではないのか。
 一方、もう一つ日本のすばらしさがオルフェーブルである。勿論国民栄誉賞を馬がもらうことはありえない。しかし、国際的な試合で、見事に戦い、そして、2着になったのはなかなかの感動である。この馬は、両親ともに日本の馬であり、日本産の馬が日本人の調教師によって育てられた馬である。馬そのものよりも、手塩にかけた馬が世界の最高峰の部隊で一時は首位になるというのはなかなかおおきなことである。競馬そのものは、日本では賭け事の一つと考えられているが、ヨーロッパでは貴族の遊びだ。その中に日本の馬がトップレベルの勝負をするというのは、なかなか痛快なことではないのか。
 最近政治や経済の世界では日本はあまり元気ではない。しかし、このような部分で世界の舞台で活躍する日本人や日本の馬を見ることは、非常に楽しいのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(114) 「捏造報道」と竹島や南京虐殺との類似性

マスコミ批判に関する一考(114) 「捏造報道」と竹島や南京虐殺との類似性

 このマスコミ批判に関する一考の連載も、このところ「安倍バッシング」に対する反論というか、批判ということに終始しているように感じる。
 はっきりいって、このブログを書いている私自身、民主党政権に関しては非常に懐疑的であり、早く国民の信を問うべき出ると考えているし、同時に、その場合は、二度と民主党のような政権担当能力のない人々の政権を執らせることがないように、まさに、経済における「失われた二〇年」のように、政治における「失われた三年」が、以下に日本の国益を害し、日本に信用とそして日本の国体における損失を与えたのかをしっかりと考えるべきではないのか。
 その意味において「日本の政治的失われた三年」を強くアシストし作り出したものが「マスコミ」である。そして、そのマスコミは、民主党政権の間はおとなしくしていたが、安倍自民総裁が信任したときに、突然にバッシングをはじめたのである。そもそも、第一党とはいえ、野党の党首に対して、「将来の総理」などといいながらバッシングをするということじたいが、以上としか言いようがない。鳩山由紀夫氏が民主党の代表のときに「日本は日本国民だけのモノではない」などと国家を否定する発言をしても何の反論も書かなかったどころか、報道もしなかったわけのわからないマスコミは、今度や野党第一党の総裁である安倍晋三氏をバッシングする。あまりにも歪な報道姿勢に国民は、マスコミへの不信をあらわにしているのである。
 今回は、二つの視点。なぜ安倍晋三氏は谷垣偵一氏のときよりもバッシングを受けるのか。そのバッシングは、捏造してまで行わなければならないことなのか。そして、本来は何を報道しなければならないのか。そのことに焦点を当てて、このような「馬鹿なマスコミ」に対する対処法を含めて考えなければならないと考えている。
 最近安倍バッシングばかりと飽き飽きしている皆様には申し訳ないが、ここに、現在のマスコミの病巣の中心が見えているので、お付き合い願いたい。

安倍総裁がFBでマスコミ攻勢 「サンデー毎日は捏造記事」と断じる

 安倍総裁のフェイスブック利用が加速している自民党の安倍晋三総裁が、フェイスブックの活用を加速している。日常の活動報告が頻繁に更新されるのはもちろん、マスコミ報道への反論も多い。いわゆる「カツカレー問題」にも反論したほか、安倍内閣時代の原発対応を批判した記事を「まったくのデタラメ捏造記事」とまで断じている。
 カツカレーは「会場費込みの値段で参加した議員皆でワリカン」と説明
安倍事務所では、フェイスブックに公式ページを開設する以前から、週刊誌報道などについて厳しい批判を展開してきたという経緯がある。この指摘の場がフェイスブックに移行した形だ。
 2012年9月30日には、「3500円の豪華カレーを食べていた」とネット上で話題になっていた件について、
 「会場費込みの値段で参加した議員皆でワリカンしたものです」
と事実関係を説明。この時は、騒動を報じた報道も踏まえた上で、
 「今や、インターネットでマスコミの発言も精査され、このカツカレー論争等 ジョークの対象となります。何れにせよ、カツカレーがゲンが良かったのも事実ですね」
と受け流す余裕すらあった。
 サンデー毎日を「まったくのデタラメ捏造記事」と非難
 だが、10月2日の書き込みは、
 「ねつ造や間違った事実に基づく誹謗中傷には、黙っているわけにはいきません」
と、調子が強くなった。批判されているのは、「サンデー毎日」12年10月14日号に「『津波は大丈夫』の消せない大罪」と題して掲載された記事。記事では、日本共産党の吉井英勝衆院議員が、安倍氏の首相在任中の06年12月13日に提出した質問主意書を紹介。記事によると、主意書では、
「地震や津波で送電設備が倒壊すると外部電源が得られなくなり、非常用のディーゼル発電機やバッテリーも動かなければ、原発の冷却機能が失われる恐れを指摘」
したが、答弁書には「素っ気ない回答が並んだ」結果、
「津波に襲われた福島第1原発を『予言』するような指摘を、十分な調査をせずに『大丈夫だ』と受け流したのだ」
と、当時の政権を批判した。それに対して、安倍事務所のフェイスブックでは、
「吉井議員の質問主意書には『津波で外部電源が得られなくなる』との指摘はなく、さらにサンデー毎日が吉井議員の質問に回答として引用した政府答弁書の回答部分は別の質問に対する回答部分であって、まったくのデタラメ捏造記事という他ありません」
などと記事を猛烈に批判した。
 確かに当時の吉井議員の主意書では、地震で鉄塔が倒壊した結果外部電源が得られなくなるリスクが指摘されているものの、「津波で外部電源が得られなくなる」との指摘はなく、津波については、「引き波」で海からの取水ができなくなる可能性を指摘しているに過ぎない。確かに、主意書の紹介の仕方としては不適切だと言えそうだ。
 サンデー毎日は「正しい報道であったと認識しております」
 また、安倍事務所は、「政府答弁書の回答部分は別の質問に対する回答部分」とも主張している。記事で引用された回答部分は
「お尋ねの評価は行っておらず、原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全確保に万全を期している」
 というもの。これに対する主意書の質問部分は、
「焼損が発生した場合に、放射能汚染の規模がどのようなものになるのかをどう評価しているか」
 となっており、記事では「核燃料棒が焼損した場合など想定される原発事故の詳細を説明するように求めた」と書いている。
 主意書の「焼損」は、「核燃料の焼損」を意味しているため、この点については、「全くのデタラメ」という批判は当たらなそうだ。
 なお、潟永秀一郎・サンデー毎日編集長は
「正しい報道であったと認識しております」
とコメントしている。

J-CASTニュース 2012年10月03日19時49分
http://news.livedoor.com/article/detail/7012138/

 マスコミにおいて、何かバッシングをする場合などは、その元の事実に対して「解釈」を加え、その解釈の中において印象操作を行うものが一般的である。このサンデー毎日の元の文章で言えば、
「地震や津波で送電設備が倒壊すると外部電源が得られなくなり、非常用のディーゼル発電機やバッテリーも動かなければ、原発の冷却機能が失われる恐れを指摘」
したが、答弁書には「素っ気ない回答が並んだ」結果、
「津波に襲われた福島第1原発を『予言』するような指摘を、十分な調査をせずに『大丈夫だ』と受け流したのだ」<以上上記から抜粋>
 とある。もちろんこの内容そのものが捏造なのであるが、これが事実としても、「素っ気無い回答」という単語や「受け流した」という内容を記載することによって、当時の安倍内閣が「まったく興味がないような対応をした」という印象操作を行うことになる。しかし、これらの印象操作を完全に排除すれば「大丈夫だ」と回答した、だけにとどまるのである。
 その上、今回の内容はこの受け答えそのものがなくなってしまっているということになる。はっきりいって、このような受け答えそのものの捏造は非常に珍しい。
 私自身は、この議事録を確認していないので、なんともいえないが、改めてこのようなやり取りをしていたとすれば、まず共産党は「津波」を予言していたことになり、とてもおかしな話になる。共産党は、単純に、津波を予言していたにもかかわらず、公共工事、特にスーパー堤防などを反対していたということになり、あまりにもおかしな端にな手しまう。津波があるのに避難のはなしや災害を少なくするための堤防の創設などの予算に反対した、単純に言えば、「3・11の被害者を、津波で流されることがわかっていたのに、減災の手続きに反対し、見殺しにした」最大の加害者の仲のひとりということになってしまう。同時に、そのような議事録があったにもかかわらず、そのことを報道しなかったサンデー毎日自体、今回のような多くの被害者を出す津波が発生する可能性が、国会で審議されていたのにかかわらず、それらの危険を報道しないで国民の多くを殺した、少なくとも危険を知らせるというジャーナリズムとして当然の務めを放棄した報道機関としての非難を免れないであろう。サンデー毎日は、要するに、津波が来ることを知っていながらそのまま放置した「不作為による人殺し」であるということを、編集長の「正しい報道であったと認識しております」であらわしてしまっているということになるのである。まず、批判をするならば、この部分を共産党とサンデー毎日に浴びせるべきではないのか。
 その上で、このような「捏造」が行われた場合には、今回の安倍新総裁のように、しっかりと反論を行うことが最も重要である。そして、このような反論を行った場合には、私も含めて多くの人がその検証を行うことがひつようである。単純に、真実を曲げた場合には、当然に、そのような真実を曲げたことによって違う解釈が生まれ、上記に私が私案として出したように、共産党やサンデー毎日自身が、「人殺し」になってしまう可能性が出てくるのである。真実がしっかりしているから現在がある。数年、もしくは数ヶ月かもしれないがしっかりと時間の流れの中に入っている。そして、捏造ということは歴史を変えるところである。そして歴史を変えて物事を主張するというのは、まさに、韓国の竹島や中国における南京大虐殺と同じである。当然にサンデー毎日そのものの信用性はおろか、マスコミ全体の報道内容の事実の信用もなくなるはずである。このことは、当然に、他のマスコミ各社がサンデー毎日を批判すべきところであるはずだ。そのようにしないほかのマスコミは、当然に、そのマスコミは「同様の性質」を持っていることになってしまうのではないか。
 いずれにせよ、捏造に対してはしっかりと対処すべきであり、その主張をしっかりと行うべきである。これは竹島でも南京大虐殺もサンデー毎日でも同じことである。そのレベルでしかないというのが、今のマスコミなのである。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第4回 日本国憲法無効論と勅語

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第4回 日本国憲法無効論と勅語

日本国憲法公布記念式典において賜わつた勅語
(昭和21年11月3日) 

 本日、日本国憲法を公布せしめた。
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。
 朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。
 
  御名御璽
 
  日本国憲法無効論というものがある。
  私は無効論の立場をとっていないので、残念ながら彼らの論理を基本的には熟知してない。しかし、そもそも存在し、国際的にも認知されたもので、60年間無効という宣言がされていない法体系を「無効」と市井の人々が騒ぐことに非常に違和感を感じるのである。
  日本国憲法無効論の論拠は、そもそも、日本国憲法そのものがGHQによってつくられたものであり、日本の自由意志において改正(または制定なのだが、本文では、上記勅語の使用している「改正」という単語に統一する)されたものではないとするものが論拠の中心である。
  インターネット上のウィキペディアでは、
  憲法無効論は日本国憲法の制憲過程に重大な瑕疵があり無効であるとするもの、あるいはサンフランシスコ講和条約締結にともない自動失効しているとするものの総称であり、法理論としては前者が取り上げられ現代の憲法改正論議において論じられることが多いが、当初は後者の視点からの論であった。<以上抜粋>
  といっているのである。
  はっきりいって、気持ちはわかるし、そのようにしたほうがさまざま良い部分もある。特に、9条の問題や天皇陛下の身分の問題など、あいまいな部分に関しては大日本帝国憲法のほうがはっきりと決まっている。
  しかし、ひとつには、この文章が「現行憲法を保守的に解釈するとどうなるのか」ということを主題としているという、この文章そのものの存立の命題があるという点がある。そして、その点から、あえて保守的(あくまでも「的」である)立場で憲法有効論に立つとどのようになるのか。もっと単純に言って、実質的に現在の憲法を否定するということは、本来であれば、その憲法を基に作られたすべての法律を偏向するということである。同時に「無効」ということは、その成立当時から今までの刑罰など行政処分もすべて無効になるということを意味する。たとえば、尊属殺人。親や尊属に当たる人を下級のものが殺した場合にはその罪は重くなる。新憲法発布以降、尊属殺人は法律で廃止さる。今までに親を殺したという人はたくさんいるが、普通の殺人罪で現在は社会に復帰している人がいる。かれらをすべて、昔の尊属殺人である「死刑」にすることが可能なのか。法律を元に戻すということはそのようなことである。当然に、憲法そのものの、参議院ではなく貴族院ということになるのであるが、その参議院が行った決議がすべて無効となる。参議院そのものが存在しなくなるからである。では、参議院で反対したことによって民主党政権下でとまった売国法案はすべて通すのか。何しろ衆議院は大日本国憲法でも存在するのであるから、衆議院で過半数の法律が、そのまま、存在しない貴族院の扱いをどのようにするのかということになる。そもそも、貴族院の有資格者をどのようにしたら現在確保できるのか。彼らに貴族院議員としての自覚を持たせることが可能なのか。
  そのような難しいことは少しやめておく。心情的には現在の憲法に対して変えたほうがよいということを考えている。しかし、実質的に無効であるとして昭和26年からなくすということは、実施鉄的に不可能であると考えられるのである。しかし、そのような「実質論以外」にも、少々憲法無効論に関する内容を考えて見よう。
  まず、そもそも勅語を否定する権能を誰が持つのかという点が上げられる。上記のように、憲法は「勅語」によって公布されているのである。では、その「勅語」を取り消すことができるのは、誰なのか。
  旧憲法時代においては、間違いなく天皇陛下以外にはいないということである。まさに、天皇陛下が主権者であるから、その主権者の発した言葉は主権者以外が否定はできない。勿論、「教育勅語」をはじめ、勅語そのものを廃止するという行為は現在もされていない。教育勅語に関しては、文部省は1946年(昭和21年)に奉読(朗読)と神聖的な取り扱いを行わないことを通達した。その後1948年(昭和23年)6月19日に、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」が、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が、それぞれ決議されて教育勅語は排除・失効が確認された。要するに、勅語そのものが廃止されたのではなく、教育の現場から排除されたということに等しいのである。同時に、教育勅語も、陛下が勅語を発せられたときから無効ということはしていない。要するに勅語が存在した歴史そのものを否定するのではなく、その決議時以降の失効・教育現場からの排除を確認したに過ぎないのである。
  要するに、憲法発布の勅語は、同様に「失効」「排除」は国会の決議において行うことが可能であるが、それは、単純に「現時点以降」であって、勅語が発せられたという事実を否定することはできないのである。その行為そのものは、まさに勅語を発するという天皇陛下の大権を否定する行為であり、まさに不敬な行為でしかないということではないのか。
  よって、日本国憲法発布の勅語は、現存することが確認される。この勅語そのものはその勅語としての権能を、少なくとも排除失効の決議がない、またそのような意思を陛下が発した事実がないことから、当然に現在もその効果が確認する。これは天皇陛下の大権とし、大日本帝国憲法下における主権者としての天皇陛下の行為としてその効果が存在することになる。勿論日本国憲法発布の勅語が発せられたとき、日本国憲法は存在していないのであるから、そのときの規定は大日本国憲法に由来するのであるといえるのである。
  では、日本国憲法発布の勅語を否定できない場合、現在の日本国憲法下において、天皇陛下が勅語を発して、その効果を時間をさかのぼって否定するという行為しか存在しない。当然に、日本国民がこのときだけ主権者となって、勅語を排除することは府警に当たるからである。現行憲法下では勅語を発しないようにできているが、実際に国会決議があればそのことは可能である。単純に言えば、これは後に「天皇の章」の解説で詳しく行うことになるが、天皇陛下そのものが「お言葉」を発し、それを、天皇の勅語として認めるように国会で『確認』『有効』の決議を行うという手続きになるのではないか。都合のよいとことで国民主権を取り出すことはできないし、主権者であっても天皇陛下という憲法で決められた存在(これは大日本国憲法においても同じ)の発した言葉に関して、その効果を否定することはできない。いや、相手が天皇でなくても、議論をすることはできても、相手の言葉を否定することなどはできないのが人間の社会である。
  これ以外のテクニカルな問題に関しては、さまざまなホームページや書物に、無効論者、無効論否定論者、親無効論者、親無効論否定論者とさまざまな意見が掲載されている。しかし、多くの人があまり注目していない「陛下と憲法」の関係、「国体と国民と政体」の関係を、国体そのものがどのように認識しているのかということをしっかりと考えなければならない。テクニカルな問題ではなく、間違いなく国家の根幹としての国体そのものの問題として、これらのことを考えなければならないのではないか。いずれの論拠もテクニカルな問題ばかりであって、国体そのものの視点が欠けているように見えてならない。逆に、国体そのものがしっかりしていれば、憲法そのものがなくても、憲法などという成文法に無い、「無体憲法」のようなものが存在してもよいのではないか。そもそも大日本国憲法に国体ということは書かれていないが、国民の多くは国体護持というものが何かを知っていた。現在の日本人はその国体という考え方そのものがなくなっているから、完全に憲法そのものの視点をテクニカルな議論にしてしまっているのではないか。そして、国体を語るときに、テクニカルな法理論で語るということそのものが、そもそもふけいないことであるということを認識すべきではないのか。

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戦い本番である解散総選挙前に内紛騒動「維新」の栄枯盛衰

戦い本番である解散総選挙前に内紛騒動「維新」の栄枯盛衰

 日本維新の会の結党大会に多くの人が集まってから一ヶ月たっていない。そもそも維新の会は、自民党大阪府連の改革要望勢力、主に、長老支配が続いていた大阪府連に対して、青年局の有志が立ち上がったところからスタートしている。その後、その会に橋下徹知事(当時)が入ることによって、その橋下氏の発信力と強引とも取れる府政手腕で人気を博した。
 しかし、その内容に関しては、国政にかかわることや憲法改正を伴うことなど、大阪府製の枠を飛び越えたことが多かった。大阪都構想などは、本来「国政・府政・市政の三重行政を省く」ということが目的であり、大阪府をいくつかの区に分割し大阪の市を廃止して直接統治型地方行政を行うというものである。
 そもそも、東京都がなぜ23区制度を採っているのか。複雑な事情はあるものの、語弊や誤解を恐れずにいえば、皇居があることによって皇宮警察などの組織があること、国会があることによって、地方の人々が都市センターや地方事務所などのことで、他のすべての道府県が集まっており、ひとつの県単位(東京都という地域性)で統一の習慣を行うことが難しいということなどから、警察組織も警視庁と警察庁を分けるなど、国政レベルの分類があった上で23区制をとることができている。逆に、それらの制度が整うまでの期間、とりわけ戦前などは23区を束ねる「東京市」という行政区分があったことも当然の話である。
 要するに、単純に無駄の削減などという掛け声だけで「都構想」などということそのものが、日本のこれらの歴史の否定であり、日本国民としての当然の常識を逸脱した内容でしかないのである。他の橋下市長(あえて維新の会とは言わないが)の政策などを見ても、国家全体のことや歴史的な認識を完全に逸脱したものが少なくないのである。
 このことは、維新の支持率には大きく影響した。政策を発表し、意気揚々と国会議員を集めて『討論会』という茶番劇を行った後、橋下維新の会の支持率は一気に急落したのである。
 もともと、選挙目当てで集まった国会議員たちは、その寄るべき城である「高支持率」がなくなってくるにつれて、また、マスコミが報道していたほど、強い期待感を国民や有権者、特に橋下市政を実感している大阪市民の間でそのような支持率がないことは、大きく動揺させ、自分の国会議員としての身分の保全のために主導権をとるとする。そのことが、自己満足で今までのやり方によって支持率を維持してきた橋下氏には全く理解できない状態であった。
 まさに、マスコミに遊ばれる国会議員と、その焦りからの内紛、それが現在の維新の会の内容である。

維新の内紛収まらず

 橋下徹大阪市長が代表を務める新党「日本維新の会」の内紛が収まらない。3日に開かれた所属国会議員による初の両院議員総会で、国会議員団の代表に選出された松野頼久元官房副長官は「国会のことは議員団で決めていく」と表明した。これに対し、橋下氏は「変なパフォーマンスに走ってもらうと最悪」と牽制(けんせい)した。大阪と東京の主導権争いは、国会が召集されればさらに激化することになりそうだ。
 松野氏は総会後の記者会見で「法案の採決など、国会での決めごとは国会議員しかできない」と強調した。総会では結党時のメンバーである衆参7議員に加え民主党の今井雅人、自民党の谷畑孝両衆院議員の合流を了承した。幹事長に松浪健太衆院議員、政調会長に桜内文城参院議員、国対委員長に松野氏の兼務を内定した。
 3日に決定した国会議員団の規約には議員団のトップは「代表」とあるが、日本維新の規約にある「団長」と齟齬(そご)が生じている。この点について、国会議員側は「規約は暫定なのでそこまで神経質にする必要はない」とするなど、大阪への対抗意識がうかがえる。
 橋下氏は市役所で記者団に「国会議員団の自立的な判断で国政をやってもらいたい」と理解を示す一方で「すぐ解散だとか政局だとか国会議員の感覚でやるととんでもないことになる」と不信感をあらわにした。
 さらに「この人数じゃ(存在感の発揮は)無理。僕は行政権を持っているからパフォーマンスととられようが行動を起こせるが、議員には起こせない」と断じた。国会議員に任せると言いながら、国会対策の方針も自ら打ち出した。
 「何でも反対とは維新はやらない。まずは重なっていることで合意することが交渉ごとの黄金則だ」
 赤字国債発行を可能とする特例公債法案についても「同法案を政局に使うということは絶対にしないのが大きな方針だ」と述べた。
 橋下氏と議員団は、橋下氏が掲げた韓国との島根県・竹島の共同管理構想で軋轢(あつれき)が生じた。
 松浪氏は9月29日のブログで「橋下独裁政党でない」と書き込んだ。この部分は3日までに削除された。橋下氏が「変なパフォーマンスに走らないでくれということは松浪議員にきちんと言っている」と注意したことが影響しているとみられるが、火種は残ったままだ。(松本学)

2012.10.4 00:13 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121004/stt12100400140002-n2.htm

<維新> 橋下氏遠隔操作、議員に戸惑い 人気頼み対立できず

  日本維新の会両院議員総会に臨む7人の国会議員=東京都千代田区の衆院第1議員会館で2012年10月3日午前10時2分、藤井太郎撮影 新党「日本維新の会」が3日、国会内で初の両院議員総会を開き、民主、自民、みんなの3党から集まった9議員体制で国会活動をスタートさせた。ただ、党代表の橋下徹大阪市長は大阪に陣取り、「国政の大きな判断は(本部の)執行役員会でやる」と宣言。国会議員団側には橋下氏の遠隔操作への戸惑いも広がり、ブログや報道を介して批判が飛び交うなど、早くもあつれきが表面化している。
 「法案も同意人事も国会議員しか採決に入れない。当然、国会のことは議員団で決める」。国会議員団の代表に就任した松野頼久元官房副長官は総会後の記者会見で「議員主導」を強調した。
 維新の党規約は、橋下氏や幹事長の松井一郎大阪府知事らで構成する「執行役員会」が重要事項を決めると定めている。国会議員団はあくまで下部組織。松野氏が党副代表として執行役員会に加わる方向だが、議決には「代表を含む出席者の過半数」が必要とされ、橋下氏は2日、「自立的にやってもらうものは議員団、重要なものは執行役員会。ある意味、僕には拒否権がある」と語った。
 橋下氏側と国会議員団側との主導権争いは9月28日の正式結党前からくすぶっていた。29日には松浪健太衆院議員(国会議員団の幹事長に内定)がブログに「橋下独裁にはしない」との記事を掲載。橋下氏は3日、「松浪議員には変なパフォーマンスに走らないように言った」と強い不快感を示した。
 これを受け松浪氏は3日の記者会見で「大阪の地方議員に誤解を与えたならば大変不本意だ」と釈明。「テレビ会議もやるので、他党の執行部より緻密なシステムを組んでいける」とも述べ、橋下氏の遠隔操作を受け入れる姿勢を示した。
 国会議員団にとっては、自身の選挙を考えれば「橋下人気」が頼みの綱。正面から橋下氏と対立するわけにもいかず、他党からは「結局は選挙目当て」との批判を浴びる。
 橋下氏は維新の結党を機に国政への言及を強めている。赤字国債の発行に必要な特例公債法案について「政局に使うことはしない」と語るなど、衆院解散・総選挙をにらんだ与野党の攻防にも積極的に関与する構えだ。
 国会議員団にどこまで判断を委ねるかについて橋下氏は「今の段階で明文化されたルールはない」と自身のフリーハンドを確保している。議員団の一人は「大阪との対決ばかりに焦点が当たるのは残念だ」とこぼした。【木下訓明、茶谷亮】

毎日新聞 2012年10月03日22時56分
http://news.livedoor.com/article/detail/7012560/

 はっきり言って、橋下氏は、はじめから大阪に本部を置くとか遠隔操作を行うということは主張していたはずだ。そのことが条件で9人の国会議員は維新の会の参加したはずである。しかし、それは当然に橋下市長に任せていても支持率がしっかりと高い水準、少なくとも自分たち参加した国会議員が議員としての地位を維持できるだけの支持率を維持できるということが前提であった。
 維新の会の市議などと飲み会を行ったときに「国会議員を安易に入れると、彼らのイメージや色がついてしまって、結局政策がかすんでしまい、支持率が下がり、求心力を失うことになる」ということをいった。そのときに維新の会の人々はみな、「そんなことはない」「橋下氏は何かを変えてくれる期待感がある」などということを主張していた。しかし、実際このようになったときに、私の予言のほうが当たっているのである。そこは、ある意味で国会議員の考え方やその発信による国民・有権者のないように敏感な私たちジャーナリストという種族のほうが、維新などに期待して主観と期待感で目一杯になっている人よりも客観的にものを見ている。その客観的な判断を、素直に聞くことができなくなっていたのが、当時の、はっきり言って最終版を出す直前の維新の会の実態であった。まさに好事魔多し。
 特に、政策を出すまでは、有権者は自分の思い通りに変えてくれるという機体をしていたが、実際の政策を見てしまえば、その政策から導き出される将来の日本が、そして自分たちの生活が、自分の思い描いていたものと程遠いということになれば、支持する人はいなくなる。その上で実行力のない国会議員が集まれば、期待感も、そして現状を変えてくれるという希望も失われるのである。
 国会議員たちは、この騒ぎでわかるとおりに、橋下氏の人気に依存している人々。自分で政策があったり信念がある人ではない。民主党と自民党とみんなの党、その政党が集まっているのであるから、実際に政策などは全く関係がないということが明らかだ。これでは話しにならない。ましてや「選挙資金は自分で」ということを言われれば、今までもらえていた公認料なども期待できない分、損をした気分になってしまうのである。
 完全に人気だけに依存しているという意味で、まさにポピュリズムであるということが、今回の内容で明らかになった。このままだと選挙前に分裂してしまう可能性もあるのではないか。まさに、選挙にために集まり、選挙のために分裂してしまう、ワースト記録になるかもしれない。

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中国で今起きている階級主義と市民暴動の兆し

中国で今起きている階級主義と市民暴動の兆し

 今年の5月、中国の薄煕来氏との会談で話題になった。あの時は、さまざまなマスコミがこちらに来たのであるが、いずれも「記事にすることができない」程度の話しかしなかった。基本的に、自分でリスクもとらず、責任も取らない、世界各国の堕落したマスコミの取材姿勢が気に食わなかったからといえる。
 しかし、そのときの話しをしっかりと聞いていた人々は、間違いなく、現在の中国内部の動きが手に取るようにわかっているに違いない。中国は、非常に大きな岐路に立たされており、同時にその中において国内の矛盾が噴出する寸前に来ているのである。
 今回の新聞記事は、薄煕来氏の刑事訴追ということの決定と、一方で、その決定文書の中から毛沢東主義、マルクス・レーニン主義の文言が消えたというもの。そもそも「中華人民共和国憲法」の中には、必ず共産主義革命を行うためにマルクス・レーニン主義・毛沢東主義・鄧小平理論・江沢民主義が書かれており、胡錦涛に関する記述をしてきている。当然に、これらは、もう宅等以来行ってきた共産主義革命と、そのための共産党一党独裁そして指導者の選民主義化を肯定するものであった。当然に、それらの理論と主義の上に、今回の主張を出すものであり、それらは全て共産党一党独裁を肯定し、その共産主義革命のための一家庭として現在が存在するという共産主義革命理想の執着目標のために物事を行っている、政治を展開しているということがあげられるはずである。
 そのことは、当然に「一種の儀式」というよりは「宗教的なお題目」のように、必ず毛沢東主義という単語を使い、共産主義革命を肯定する賛美が書かれていたのが通例である。これは、当然に鄧小平理論といわれる「社会主義的市場経済」の理論にも存在し、そのときの南巡講話の中にも毛沢東主義を貫徹するために市場経済を取り入れるという、一見(というよりは私にとっては完全に)矛盾した理論の融合を果たしたのである。当然に、そのことは共産主義主張とは会い異なるものであったために、憲法を始めすべての文書の「鄧小平『理論』」という書き方で主義、イデオロギーではなく、手段の一つとしてかかれることになったのである。
 しかし、今回、その「毛沢東主義」を重慶において実践した薄煕来氏が刑事処分され、そして公式の文章から「毛沢東主義」という単語が姿を消した。これは大事件である。

中国、薄煕来氏の刑事訴追決定…党籍・公職剥奪

 【北京=竹内誠一郎】新華社通信によると、中国共産党は28日、政治局会議を開き、党中央規律検査委員会の調査を受けていた薄煕来(ボーシーライ)前重慶市党委書記(63)について、党籍を剥奪して公職から追放するとともに、司法機関に移送する処分を決めた。
 英国人実業家殺人事件に関する「職権乱用」のほか、「巨額の収賄」などに問われており、厳しい刑事処分が下される見通しだ。胡錦濤(フージンタオ)政権は第18回党大会を前に、事件の幕引きを図った。
 これまでの調べによると、薄氏の妻、谷開来(グーカイライ)服役囚(53)(猶予付き死刑確定)は、知人の英国人実業家と金銭を巡って対立。2011年11月13日、この実業家を重慶市内のホテルで毒殺し、部下の王立軍・元同市公安局長(懲役15年判決)が証拠隠滅を図った。
 28日、政治局会議に提出された報告は、薄氏が同事件に関し、「職権を乱用し、大きな誤りを犯した重大な責任がある」と指摘した。証拠隠滅などの関与が問われたものとみられる。報告はまた、薄氏が遼寧省大連市長や商務相、重慶市党委書記時代を通じ、「直接、または家族を通して巨額の賄賂を受けた」と認定した。

2012年09月28日21時39分 提供:読売新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/6997263/

中国共産党の公式文書から「毛沢東思想」が消えた!反日デモがきっかけか―香港誌

 1日、香港誌は、党中央政治局会議の報告から「毛沢東思想」という文言が消えていたことに着目。反日デモで多くの参加者が毛沢東の肖像画を掲げ、現政権に対する不満を表したことへの警戒心の表れと指摘した。写真は9月、毛沢東の肖像画の掛け替えが行われた天安門。2012年10月1日、香港誌・明鏡月刊は、中国共産党中央政治局会議が9月28日に公式に発表した報告のなかで、これまで必ず使用されてきた「毛沢東思想」という文言が消えていたことに着目。これは、尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐる反日デモで、毛沢東の肖像画を掲げ、現政権に対する不満を表した参加者が多数現れたことに対する警戒心によるものと指摘している。
 中国共産党の公式文書にはこれまで、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、トウ小平理論、江沢民(ジアン・ザーミン)前国家主席(党総書記)の「3つの代表」思想、胡錦濤(フー・ジンタオ)国家主席の「科学的発展観」が1つも欠かさず列挙されてきた。
 ところが、同会議が発表した「中国共産党第18回全国代表大会を11月8日北京にて開催」と「中央政治局会議で薄熙来(ボー・シーライ)の党籍はく奪と公職除名を決定」の2つの文書では、「トウ小平理論」と「3つの代表」のみが使われ、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想の2つが消えていた。
 しかし、習近平(シー・ジンピン)国家副主席が9月1日に党中央学校で行った講話では、4回も「毛沢東」「毛主席」「毛沢東思想」という言葉を発している。わずか1カ月たらずの間にこれほど大きな方針転換が行われたことについて、政治アナリストは「反日デモのなかで、多くの若者が毛沢東の肖像画を掲げながら『毛沢東よ!戻ってくれ!』と叫び、現指導者への不満を訴えたことに中央政府が強い警戒の念を抱いているため」と指摘した。
 また、別の評論家は「毛沢東と毛沢東思想をどのように扱うかについて、中央政府がある種の戦略的合意に達したことの表れ」と見ている。これは、中国当局が「何を言ったか」よりも「何を言わなくなったか」に注意を寄せることで、より多くの情報を読み取ることができる典型例の1つといえよう。(翻訳・編集/本郷)

Record China 2012年10月03日13時02分
http://news.livedoor.com/article/detail/7010615/

 先日の反日デモにおいて、中国の国内不安がそのままでもという形になって出てきているということは、すでにこのブログでも出てきている。もちろん、中国の国内矛盾だから反日デモであっても日本とは関係ないとか、日本は安全などというつもりはない。実際に、政情不安のときこそ、軍部の暴動は発生するし、国内デモが発生する可能性は高い。国民が政府の制御を無視するということがデモの最大の問題であるから、当然に、国内における破壊活動や日本人、日本メーカー、日系小売業などに対するバッシングは大きくなるであろう。
 若者は、ある意味で共産主義の回帰、要するに自分たちの生活の保障と就職を望んでいる。これは若者ばかりではなく、中国の反政府でも多くが「退役軍人の軍人年金デモ」ということを考えてもわかるとおりに、50歳で退役し、再就職もないという状態が続いている人々は現在の政府に不満を持っている。同じことは中国の8割を占めるといわれる農民と下層民衆の人々も同じだ。いやこの8割の中に退役軍人も主食のない大学卒業生もあるのであろう。まさに中世の特権階級と奴隷の争いのように、まさにフランス革命前夜のルイ16世やマリー・アントワネットとフランス市民の『乖離』のような状態が現在の中国で起きている。フランス革命は、まだ政治制度が封建制であったから、制度的な問題といえるが、中国の場合は、それらをなくすために共産主義を言っていたにもかかわらず、その共産主義と鄧小平理論でゆがめ、そして格差を生み階級社会と共産主義下のブルジョワジーが発生するという話になっているのである。そもそもの「毛沢東主義」に回帰すべきというのは、ある意味で「共産主義で発生したのブルジョワジー」である現在の政府支配階級に対する反発をどのように解釈するかということである。
 このときに反日デモは、これら反政府でもと関係がないのではない。日本人の多くは、中国人治国家であると思っており、政治的権力者との結びつきがあることを自慢している。要するに、日本の資本家や日本人の会社は、中国の多くの下層階級の味方ではなく、中国の多くの人民にとって日本人は「政府支配階級側の支援者」でしかないということを、いい加減に気づくべきだ。日本人は、中国を嫌いながら中国の支配階級に迎合し、そのまま中国で商売を続けている。「政治と経済は別」などという日本的理論とまやかしでごまかし、相手方、中国人側の発想をまったく無視しているのだから、当然に、日本企業が反日デモのターゲットになるし今後も同じようになるであろう。
 同時に、これらの政府に対する不満をそらすために「排外主義」を行う可能性が存在する。排外主義とは、国内の不満を海外他国にそらせることによって、政府の安泰を図る手法である。ナポレオン三世が行った政治手法として有名であるが、中国は当然にそれを行う可能性がある。その内容が、尖閣諸島であり対日戦争ということも確率的にゼロではない。逆に、排外主義を行って敗北した場合には、歴史的には、基本的にその政権は崩壊する。要するに対日戦争を行ってきたというシナリオで、それを完全に排除するという方法を考える必要がある。ついでに言えば、戦争は何も武力戦争ばかりではない。外交においても法停戦においても、また海外の多数派工作においても、さまざまな『戦争』が存在することは間違いがなく、それらに備えなければならないのではないか。
 今回のこの二つのニュースは、まさに中国の次期政権である習近平次期政権が、この共産主義と市場経済のゆがみを直すのか、あるいは、共産主義もしくは市場経済を捨てるのか、という選択を迫られ、現在のところ共産主義を捨てる可能性が高いことを示唆している。そのことを敏感に感じ取って、隣国に備えなければならない。
 いまだに、「中国賛美」などをしている売国新聞や教職員の組合など、これらの冷静な分析を行えない人々、そしてそれらが支持している政党の政権を倒さなければ、隣国のこれらの政変に備えることはできないのかもしれない。

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平和ボケ当事者の日本を差し置いてアメリカで風雲急を告げる尖閣諸島情勢

平和ボケ当事者の日本を差し置いてアメリカで風雲急を告げる尖閣諸島情勢

 アメリカ軍が西太平洋の装備配備を変えている。当然に、今話題になっているオスプレイもその一環のひとつである。
 ではなぜ、アメリカが西太平洋の装備配備を買えているのか。単純に考えて中国・台湾・韓国・北朝鮮そして日本を含む東アジア情勢がかなり緊迫しているということであろう。オバマ政権の発足当初から、アメリカは軍備の縮小と先端の縮小を表明してきた。その象徴的なものが核兵器の廃絶とイラク撤兵である。核兵器廃絶は、もちろん崇高な目標として、現在は削減に留まっているものの、すでに地球を複数個破壊することのできる核ミサイルの廃棄が大国間で続いていることは確かである。
 オバマ政権の初期は、そのように「平和と軍縮」とし、その軍備削減による財政的余裕を、国民皆保険や経済政策という政策にまわす予定であった。しかし、そもそもの問題として、軍縮によって軍需製品需要が減る、このことによって航空機・車両などの需要が減ってしまい、経済全体が縮小して言ったのである。当初は、中国と連携をとっていたオバマ民主党政権は、昨年初旬から急遽その方向性を変更し、台湾に軍事ヘリコプターを収め、また、ミャンマーに航空機戦隊を常駐させるなど、東アジアから東南アジア、特に対中国包囲網の確立を行ったのである。
 これに対して、中国は、太平洋に対して出てくるということを明確に示し、拡大政策を継続している。日本に対する尖閣諸島領有や南沙諸島の領有は、まさに、そのものずばりの政策であり、それを「漁業」という英財行為、「資源開発」という設備建設、そして軍事行為、特に三戦といわれる威示行為を中心に拡大しつつ、台湾やフィリピン、韓国、そして日本の世論を操作し、中国の権益拡大政策をフォローするようにしているのである。
 太平洋という広大な権益の維持と、中国の封じ込め、この二つの権益のあらそいが、日本の領土上の尖閣諸島周辺から南沙諸島、そして東南アジアで行われているといえるのではないだろうか。

「日本が譲歩すれば、中国のさらなる侵略招く」 米軍事専門家

 【ワシントン=古森義久】中国の軍事戦略を専門に研究する米有力研究機関「国際評価戦略センター」主任研究員のリチャード・フィッシャー氏は1日までに産経新聞と会見し、尖閣諸島に対する中国の攻勢と米国への意味について、「領有権紛争での中立という公式な立場は別として、どの米国政権にとっても中国による尖閣支配は台湾喪失にも近い重大な戦略的マイナスとなる」と語った。
 中国当局が反日暴動をあおってまで尖閣の主権をこの時期に強く主張し始めた原因について、フィッシャー氏は「単に日本側での尖閣国有化という動きだけでなく、中国にとっての尖閣の戦略的価値への認識と自然資源の重視などの動機がある」と述べた。
 その上で「尖閣は台湾有事の米軍の『接近』のルートにあるし、日米両国に死活的な重要性を持つ中東やインド洋から太平洋への海上輸送路の途次にも位置している。その尖閣が中国軍の支配下に入ると、日本が従来の海上輸送路から切り離され、在日米軍基地の機能も骨抜きになりかねない」と警告した。
 同氏はまた、「米国は日中両国の軍事衝突の回避を強く望んでおり、中国が尖閣をめぐる現状を変えようとすることに反対だ。そのために同盟相手の日本への有事の防衛誓約を繰り返すこととなる」と指摘。
 中国側の当面の戦術については「実際の軍事衝突なしに中国内部での反日行動や外交上の激しい言葉という威嚇により、日本側に尖閣領有権を放棄させることが目的だ」と述べた。
 一方、日本の対応について同氏は「日本は防衛面でも強固な態勢を保たねばならない。中国の威嚇に動揺し、譲歩をすれば、さらなる攻勢や侵略を招くだけだ」と指摘。
 「海上保安庁の船だけでも当座の対応はできるだろうが、中国側は軍を投入する攻略作戦の準備を間違いなく進めている。自衛隊が取るべき措置はミサイルの攻撃能力の増強、長距離攻撃用ミサイル搭載の潜水艦の強化、その他の艦艇の配備などだろう」と語った。
 同氏は、米国にとっての最悪の事態は「日本が反日デモなどに脅かされ、尖閣の主権で譲歩を始めて、中国の進出や侵略を許し、抵抗をしないままに、尖閣を失っていくというシナリオかもしれない」と述べた。
 フィッシャー氏は、米議会国家安全保障特別委員会顧問、米中経済安保調査委員会顧問などを歴任した。

2012.10.2 07:08 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121002/chn12100207100003-n2.htm

米空母、西太平洋に展開 中国軍抑止へ2個部隊

 米第7艦隊は2日までに、海軍横須賀基地(神奈川県)を拠点とする空母「ジョージ・ワシントン」と「ジョン・C・ステニス」を中心とした2個の空母打撃群(空母部隊)を西太平洋上に展開し、警戒監視に当たっていることを明らかにした。アジア太平洋地域で遠洋作戦能力の拡張を図り、動きを活発化させている中国軍の戦略を牽制(けんせい)、抑止する狙いがあるとみられる。
 米太平洋艦隊によると、ワシントン空母部隊は9月11日から19日までグアム近海で実施した統合軍事演習「バリアントシールド2012」に参加。中東に戦力展開するため母港の米西海岸を出港したステニス空母部隊と西太平洋上で合流し、引き続き警戒監視に当たっているもようだ。
 米海軍の西太平洋上での任務は、アジア太平洋地域での抑止力強化を進める米軍の戦略の一環とみられる。紛争地域などに派遣される空母部隊の数は、脅威のレベルの高さに応じて増加するとされており、アジア太平洋地域で、2個以上の空母部隊が合同で任務に当たるケースは珍しい。
 海上自衛隊幹部は「米国は尖閣諸島(沖縄県)など同盟国の領有権問題に深く関与しないというが、何らかの政治的メッセージが含まれているはずだ」と指摘する。
 日本政府による尖閣諸島の国有化をめぐり、中国は公船による領海侵犯に加え、同諸島北方海域に海軍のフリゲート艦2隻を展開。9月25日には「遼寧」と命名した同国初の空母を正式に就役させ、内外に大きくアピールしたばかり。
 米軍は1996年の台湾総統選の際にも、中国軍が台湾海峡で軍事演習により威嚇したのに対し、空母「インディペンデンス」と「ニミッツ」の2隻を現地に急派、中国軍を牽制した。

2012.10.3 06:57 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121003/amr12100306580000-n2.htm

 中国は、軍事バランスを崩すべく空母遼寧(ワリャーグ)を配備した。今のところ、実戦配備とは程遠い状態であるが、実際に中国海軍において航空母艦が就航したことは、東アジアの軍事バランスを崩すには、十分すぎるほどの衝撃であった。
 これに対して、日本は、航空母艦はおろか、武装をしていない輸送機(ヘリコプターというのか飛行機というのかはわからない)オスプレイの配備だけで大騒ぎしている。その観点も、「堕ちてきたら危険」というわけのわからない内容であり、航空母艦の就航や軍事のバランスなどに関して、まったく関心がないし、そのようなことには言及しないところがおかしいのである。
 しかし、日本が平和ボケしていても、アメリカは平和ボケはしていない。世界各国でしっかりとした戦略を持っているアメリカは、空母二隻を配置し、また中国の性質をしっかりと見たレポートを出しているのである。要するに、空母に席を出すということは、中国が空母を出したとしても、ニセ気分で尖閣上空の制空権を確保するということであり、そのことは東シナ海や南シナ海における中国の拡大主義を抑止するということを意味している。
 そして、アメリカは日米安全保障条約のためだけに空母を派遣したのではない。当然に、東アジア全体の安全と、西太平洋の平安を考え、中国の拡大戦略によって、日本が、そして沖縄が、台湾がチベットやウイグルのようにならないように、尖閣諸島を一台戦略拠点のひとつとして、そこを護るようにしているのである。これは地図を見れば、当然に得えられる結論であり、オスプレイ反対派などはそのような話はまったく関係ない、エゴの塊でしかないということがわかる。
 このようなことを「復習」するように書いているのは、他でもない。アメリカは、すでに民主党製見解の日本に何も期待していないということである。空母艦隊が二つもグアム沖の演習に参加するということは、まさに、日本にはそれらを期待できないということであり、鳩山政権の「少なくとも県外」そして、菅政権の「尖閣漁船衝突事件処理の恥」そして、野田内閣の「尖閣・竹島の悪化」を見て、日本に期待できないということは明らかであるばかりか、日本は隣国とのいさかいを自分で解決する能力の抱えた政権でしかない、それどころか、自分で解決しようとして帰って事件を大きくし、国連やアメリカなどを巻き込む「迷惑な国」に成り下がってしまったのである。
 日本領である尖閣諸島などの離党を護るためにオスプレイを出しているのに反対し、そして、「東アジア全体の平和」を妨げる日本の左翼馬鹿、平和ボケに、いちいち気にしながら政治や軍事展開などをしていられない。当然に、アメリカは独自に軍隊を展開することになる。
 このままだと、アメリカは中国に先んじて沖縄を再占領するかもしれない。いやそのほうが平和なのかもしれない。日本では、すでに東シナ海を護りきれない。そのような感覚が民主党政権の3年間で明らかになった。独自防衛とか核武装などは夢のまた夢、ネットの中で叫んでいることで具体的な道筋などはまったく示されていない。日本は独自に日本の領土を護ること、主権を護ることのできな国になってしまったのだ。いや、すでに同盟国であるアメリカはそのように見ているのである。
 いつまで民主党の内閣にするつもりか。日本人は同盟国にまでこのように見らrて「恥」という感覚を失ってしまったのか。この二つのニュース。ネットの中では賞賛されているようであるし、中国に対す力視力として有効というような感覚を持っている人が少なくないが、逆に、それだけ日本があてにならない国として認識されたという悲しい気分でこのニュースを見たのは、尖閣諸島の東アジアにおける戦略的な価値スラもわからない馬鹿な日本人というように読んだのは、少数派なのであろうか。

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異例の3回目の内閣を発足させる野田再々改造内閣の本音を探る

異例の3回目の内閣を発足させる野田再々改造内閣の本音を探る

 10月1日、野田内閣が発足した。異例の三回目の内閣改造は、その改造の必要性を含めて、どのような意味があるのか。その意味を探って見たい。
 マスコミ各社や野党が言っているのは「在庫一掃内閣」である。この意味は確かにあるであろう。民主党の当選回数多数の議員でありながら、今まで内閣閣僚にならなかった議員に対して、まさにその在庫整理を行ったという部分がある。勿論、そのようにすれば「元大臣」という肩書きで、次の総選挙後落選してもしばらくどこかの顧問か何かにしてもらえるということが期待できる。まさに再就職支援のための閣僚ということもある。もちろん、国民とすれば、そのような事情で閣僚ポストを使われては困るのである。しかし、そのような感覚をしているのが民主党である。まさに閣僚ポストの私物化、利権と権利のための政権という姿を最後の最後に見せてくれたといえるのではないか。名前を挙げては申し訳ないが、今回初入閣の人で、次回の総選挙後も議員を続けている人は何人いるのであろうか。そのように考えた場合には、かなり大きな問題になるような紀がする。選挙支援であり、同時に再就職支援、それが大きな目的の一つである。
 同時に、そのようなところで気を使うことによって、党内の一致をはかろうとした部分も存在する。たとえば、元民社党の田中法務大臣、元小沢グループの三井厚生労働大臣、フロムファイブなど独自路線を歩んでいて、常に独立の動きを見せている樽床総務大臣など、今回の代表選挙で亀裂ができた、というよりは菅直人の「脱小沢」そして、野田内閣による公約違反と消費税増税、そして国家の事を顧みない外交と予算のずさんな国会審議。これでは民主党に期待した多くの人はすべて民主党支持を離れてゆく。それをつなぎとめるために、文字通り「ノーサイド」にしなければならない。スポーツ擁護での「ノーサイド」ではなく、まさに「全方位外交」という意味での「ノーサイド」である。この発想が、まさにそのような内容になるのではないか。
 再就職・在庫一掃・党内融和、いずれも民主党の中、野田内閣延命の自己都合による内閣である。しかし、それ以外の内容ではない。要するに国家のことなどは全く考えない内閣改造である。

再々改造内閣の閣僚名簿を発表~野田首相

 野田首相は1日、野田再々改造内閣の閣僚名簿を発表した。
[首相]          野田佳彦氏
[副総理・一体改革相]   岡田克也氏(衆、留任)
[総務・沖北相]      樽床伸二氏(衆・樽床G、初入閣)
[法相・拉致相]      田中慶秋氏(衆・川端G、初入閣)
[外相]          玄葉光一郎氏(衆、留任)
[財務相]         城島光力氏(衆・川端G、初入閣)
[文科相]         田中真紀子氏(衆、再入閣)
[厚労相]         三井辨雄氏(衆、初入閣)
[農水相]         郡司彰氏(参、留任)
[経産相]         枝野幸男氏(衆・前原G、留任)
[国交相]         羽田雄一郎氏(参・羽田G、留任)
[環境・原発相]      長浜博行氏(参・野田G、初入閣)
[防衛相]         森本敏氏(民間、留任)
[官房長官]        藤村修氏(衆・野田G、留任)
[復興相]         平野達男氏(参、留任)
[国家公安委員長]     小平忠正氏(衆・鳩山G、初入閣)
[金融・少子化相]     中塚一宏氏(衆、初入閣)
[国家戦略・経財相]    前原誠司氏(衆・前原G、再入閣)
[郵政・防災相]      下地幹郎氏(国民新党、初入閣)

日テレNEWS24 2012年10月01日15時53分
http://news.livedoor.com/article/detail/7004011/

内閣改造 10人交代の大幅改造 野田首相「チーム力最大限発揮」

 野田佳彦首相は1日、官邸で記者会見し、第3次改造内閣の閣僚名簿を発表した。皇居での閣僚認証式を経て、夕方に発足する。民主党の城島光力前国対委員長を財務相、前原誠司前政調会長を国家戦略担当相、田中真紀子元外相を文部科学相に起用するなど18人の閣僚のうち10人を交代させる大幅改造となった。
 首相は会見で、第3次改造内閣発足を踏まえ「未完の社会保障・税一体改革を最後までやり抜く。チーム力を最大限発揮していかなければならない。(民自公の)3党合意に基づき、社会保障の残された課題について超党派で議論を煮詰めていかなければならない」と述べた。 
 改造ではこのほか、樽床伸二前幹事長代行が総務相、三井辨雄(わきお)政調会長代理が厚生労働相、長浜博行官房副長官が環境相兼原発事故担当相、中塚一宏内閣府副大臣が金融担当相に決まった。
 田中慶秋副代表は法相兼拉致問題担当相、小平忠正衆院議院運営委員長は国家公安委員長に就く。郵政民営化・防災担当相には国民新党の下地幹郎幹事長を充てた。
 留任は岡田克也副総理、玄葉光一郎外相、郡司彰農林水産相、枝野幸男経済産業相、羽田雄一郎国土交通相、森本敏防衛相、藤村修官房長官、平野達男復興相の8閣僚。民主党参院議員からの入閣はこれまでより1人多い4人となった。
 先の代表選に出馬した原口一博元総務相、赤松広隆元農林水産相、鹿野道彦前農水相の陣営からの起用はなく、首相支持の議員で固めた。一方、党役員人事では選対委員長に鉢呂吉雄前経済産業相が決まった。
 首相は2日に副大臣、政務官人事を決めた後、自民党の安倍晋三総裁、公明党の山口那津男代表に会談を呼び掛け、社会保障・税一体改革に関する3党合意を再確認したい考えだ。

産経新聞 10月1日(月)13時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121001-00000537-san-pol

 しかし、それだけで改造を行っても意味はない。かえって野田内閣の評判が落ちるだけである。要するに何らかの意図があって改造を行ったというのが正しい見方だ。これを解釈するのは、「外れた人の特徴」「新しく入った人の特徴」「残った人の特徴」という者を考える必要がある。ここでいう「特徴」とは、当然に、野田首相との間の関係性や、野田首相が推し進めようとしている政策などとの関係性を総称するものであって、別に、個人の性格や過去のスキャンダルなどをあげつらうつもりはない。
 そのような見方をすれば、残った人の特徴は「消費税増税」「オスプレイと沖縄問題」「原発」「TPP」という四つの問題に、いずれも野田首相の意のままに動いた壮大なるイエスマンばかりである。特に再入閣をした前原大臣などは、「一任」として党を分裂させてでも消費税増税もTPPも議論を打ち切った人物だ。岡田副首相にしても、一体改革といいながら消費税増税だけを先行させた主犯格であり、枝野大臣は、「原発ゼロ宣言」の翌日に「原発再稼動」を行った、そもそも3・11のときに官房長官として事故を悪化させたとして刑事告訴され、検察が受理し捜査している刑事被疑者である。
 このように見てくると、野田首相というのは、国会という場所で審議し、しっかりとした議論を公開して衆議をはかるという政治ではなく、誰か犠牲になって悪者として、自分の意思を独裁者のように、自分の考えたとおりに動けばよいという、民主主義とは対極にある非常に危険な独裁的考え方にあるのではないか。そして、その仲間が集まったのが今回の改造内閣であり、社会主義革命を狙う反日内閣の「出がらし」といった感が否めない。
 では、今回外れた人の集合体が「社会主義革命を狙う反日内閣」に反対している民主党保守派かといえば、まったくそうではない。私の個人的な主観だけでいえば、私の好きなユッケやレバ刺しを反対し、私たち日本人の食文化を公権力によって規制した小宮山洋子前大臣などは、絶対に許される人物ではない。このように、野田首相に犬のように就いてきたが、一方で独自性を発揮した人物、日本のためとかそういう意味ではなく、何らかの行動をした人物、または何らかの意思を表示した人物がはずされたといえる。安住財務大臣にしても、国債に関しても三党合意などといっているし、松原大臣にいたっては、さまざまなところで方針に反対している。要するに、閣内不一致を許し、閣議で議論を行うのではなく、野田首相の命令に従わない人物は、全て交代させたということである。まさに「民主主義」が存在しないのが「民主党内閣」ということであろう。これらの反対をした人、独自の話をした人は、全て、選挙対策、もしくは自分の政治家としての信念を貫いてのことである。しかし、それらの信念を汲むことなく、中心的な政策でもなく、まったく話をしないで閣僚、要するに議論をする対象者からはずしてしまうというやり方が、民主党が「左翼独裁政権」と揶揄されるゆえんであろう。
 では、最後に進入核のメンバーを見てみる。民主党執行部として野田を支えていた人物である樽床、城島、三井大臣は、まさに党人事の延長線上として大臣という肩書きを与えたものとしか見えない。昔、渡辺恒雄氏が巨人軍の原監督を解任するときに「巨人軍内の人事異動のようなもの」といって批判されたが、まさにそのものであろう。
 その意味では田中真紀子大臣が目玉である。では何の目玉か。ひとつには、田中大臣の発言で多くがそちらに耳目をとられている間に、他の法案などを通してしまうというものである。二つ目は、今回も中国に招待されているほどの中国通であり、その中国迎合ともいえる政治で尖閣諸島問題などを何とかするというものである。ちなみに、民主党政権は、中国や韓国との自由貿易やボーダレス、より深く掘り下げれば東アジア共同体、そして国家統一という「世界市民」を実現することが党是であり、それを推進するために、何を行うのかということがもっとも大きな問題である。その意味では、田中大臣の発信力と中国での信用は、野田内閣にとっては必要である。もちろん、保守的な考え方で中国の属国となることを好まない多くの日本人にとっては、最悪の大臣であるということが言えると思う。
 このように、マスコミが在庫一掃といったからといって、何もそれだけではない。外れた大臣と残った大臣と新入閣の大臣、それぞれの事情とその共通項を見つけて、しっかりとした内容を行わなければならないのである。そのような解釈をしっかりと行う解説を、マスコミはしなければならないのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(113)勝負食「カツカレー」で批判による日本文化の否定

マスコミ批判に関する一考(113)勝負食「カツカレー」で批判による日本文化の否定

 いつもならば「マスコミ批判に関する一考」は毎週月曜日なのであるが、今回、9月26日の安倍晋三自民党新総裁誕生に伴って、さまざまなマスコミがさまざまに安倍新総裁の批判を行った。そういえば過去、民主党が代表選挙を行ったときにそのような不安などを表明したマスコミがあったであろうか。そもそも野党の党首に過ぎないにもかかわらず、これだけ批判をするというのは、よほどその批判によって「安倍自民党の次の総選挙での勝利」そして「安倍内閣」ということをやめたいに違いない。そのようなマスコミの扇動が非常に大きな動きになっている。特に26日以降、「具にもつかない」内容をあげつらって批判を繰り返すこれらの内容は、さすがに見るに耐えない。それどころか私もいる「ジャーナリズム」そのものの凋落ということを如実に示し、単純に国民の民意を見えない馬鹿の集団がマスコミであるとしか言いようがない。はっきり言ってジャーナリズムがいつの間にか「ちんどんや」に変わってしまったという感じだ。大騒ぎしてチラシを配って、その内容に関しては全く責任を負わない。その内容に関して責任を負わないのは、ほとんど取材もせずに思い込みだけで印象操作を行うからである。
 そのために、今回は少々変則であるが、「マスコミ批判に関する一考」を二日連続で出そうと思う。
もちろん、マスコミ批判に関する一行のシリーズでなく書くこともたくさんある。中国においては薄熙来元十系視共産党初期の公職剥奪が発表され、今後刑事訴追を行う党発表がなされた。また全人代も11月8日に開かれるとなったが、逆にあと1ヶ月は政治が安定しないことを意味している。一方、日本では、昨日野田内閣が第三次『改造』内閣を発表したが、野田首相になってから1年で、小さな閣僚の変更を含め4回目というこの回数の多さは、さすがに民主党の人材の不足を意味している。これらに関しては、明日以降順じブログのねたにしてゆこうと思う。

 さて「勝負下着」という言葉を聴いたことがある。あまり女性関係のない私にとって、その単語は聞くものであって、お目にかかったことはない。一応「耳学問」でご披露すれば、今日は勝負の日と決めたときの下着ということであり、もっともお気に入りでなおかつ豪華なものを選ぶようである。実際に「勝負の日」という人生の節目節目において、お祝いやあるいは勝負のとき、特別なことをするのは当たり前である。私も、もう20年以上前の話になるが、大学受験のときに「敵に勝つ」という意味でステーキとトンカツという組み合わせを食べ、かえって胃もたれをしたことがある。もちろん、自宅で食べたのであるが、最高級の肉を買ってもらった記憶がある。
 「験を担ぐ」というのは日本人にとっては非常に当たり前の話である。「めでたい」時に「鯛」をたべ、喜ばしいと近「よろ昆布」を食べる。当然にめでたいときであるから高級な食事をするのは当たり前。逆に結婚披露宴に「普段食べているから」といってカップラーメンを出すところは、よほどの理由がない限り存在しない。日本人は、そのような日本的な文化を非常に大事にする民族である。
 その「験を担ぐ」そして「勝負下着」ではないが、何かあるときに高級な、そして特別なことをする、高級なものを食べるなどというのは、非常に日本人的で「当たり前」の話でしかない。
 しかし、そのことを全く意に介さず、ただ安倍新総裁を批判するためだけの道具としてしか扱えない「馬鹿なマスコミ」がいるのには驚いたものである。

「カツカレー」突然ブーム 安倍新総裁「3500円」が火をつけた

   自民党総裁選で勝利を収めた安倍晋三元首相。投票直前にカツカレーを食べていたが、直後からなぜかインターネット上でカツカレーの話題が急増した。
   テレビ番組で、このカレーの価格が3500円と報じられたことが火をつけたようだ。ツイッター上では「3500円」という値段をめぐる議論や、とんかつ店のツイッターに人気が集まるなど、ちょっとしたブームを思わせる。
「安倍さんは庶民感覚がないと叩きはじめた」と怒る
   自民総裁選が行われた2012年9月26日午後、テレビ各局は各候補者の投票直前の様子を伝えた。注目したのは、その日の昼食だ。有力候補とされた安倍氏や石破茂前政調会長が、都内のホテルで選んだ食事はカツカレーだった。選挙に「勝つ」ための験担ぎの意味が込められている。
   安倍氏は支持者を前にした出陣式で、「私も今日はカツカレーだと思って、この1か月はカツカレーを食べずにとっておきました」とお腹をさすりながら、リラックスした表情で語りかけた。2007年9月、体調不良を理由に首相を辞任した過去がつきまとうだけに、健康をアピールするためか豪快にカレーをほおばってみせた。
   このカツカレーの値段について、毎日放送の情報番組「ちちんぷいぷい」の中で、現場リポーターがこう伝えた。
「通常のカレーだけで3500円、カツを乗せると特別オーダーでもっと高くなるそうです」
   リポーターが「種明かし」をする前に、スタジオのコメンテーターに値段を当てるよう促していた。誰も当てられずに「皆さん庶民ですね」と返したためか、ツイッター上では「安倍さんは庶民感覚がない、と叩きはじめた」などと怒る書き込みが増えた。その後リポーター本人が「ひと言も批判していません」と釈明している。
   とはいえ「3500円カレー」のインパクトが強かったのか、カツカレーはツイッター上を賑わし続ける。値段に関する驚きだけでなく、「今日はカツカレー食べたい」といった何気ないつぶやきやカレーの写真が投稿されていった。とんかつ専門店のアカウントは一気に注目度が高まり、「NAVERまとめ」には「安倍さんの3500円カツカレーと、庶民も楽しめるカツカレーの名店マップ」が登場。26日夕方から夜にかけて、ヤフーやツイッターのトレンドワードでトップに躍り出ている。
カレー専門店は株価上昇
   唐突なカツカレーブームは、9月27日になっても止まらない。グーグルの「急上昇ワード」では首位をキープ。この日は「昼食談義」でカツカレーが登場していた。ツイッターを見てみると、「学食でカツカレー売り切れ」「店員に聞いたら、普段の5倍カツカレーが出てるって」と、ネット上だけの騒ぎにとどまらず、実際に「特需」が起きていたようだ。
   カレー専門店「CoCo壱番屋」に関連するツイートも多い。「CoCo壱でカツカレー食うかぁ」「客全員がカツカレーを注文してる」といった内容だ。運営会社の壱番屋は東証一部に上場している。「安倍効果」のおかげかは不明だが、27日の株価終値は前日比6円高と好調だった。

2012年9月27日(木)18時3分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-147982/1.htm

「高級カツカレーにネット非難」記事に怒りの声 「これぞ偏向報道」「どこのネットだよ」

  "Togetterの「@nikkansportscom の『高級カツカレーにネット非難』コメントまとめ」" nikkansports.comが掲載した「安倍新総裁、高級カツカレーにネット非難」という記事に、ネット民から非難が噴出している。記事はすでに1万回以上リツイートされているが、コメントの大半は「どこのネットだよ」「非難なんてしてません」など、記事の内容について疑問視するものだ。
 記事では一連の“カツカレー騒動”について「(値段が)高すぎる」「既に庶民感覚を失っている」など、ネット民から安倍氏への非難が出ていると報じており、これに対し「自分の見ていたTwitterと異なる」との声が多くあがった。筆者も当日のタイムラインを見ていたが、安倍氏をバッシングしている人は少数派で、むしろ「さっそく安倍さん叩きか」「カツカレーくらい食べたっていいじゃないか」など、マスコミ側の報道姿勢を批判する声が大半だった。記事ではまるで安倍氏非難の方が主流であったかのように読めてしまい、実際とはずいぶん印象が異なる。
 記事へのレスポンスはTogetterにもまとめられており、あきれている人、怒っている人など反応は様々。中には「これぞ【偏向報道】のお手本ともいえる記事」(@momonnga800さん)、「非難する意見はなくはなかったけどそれでこんな見出しにするのはどうなのよ」(@syunk38さん)、「捏造ごくろうさまです。最低だ」(@81_love_81さん)などかなり厳しい意見も見られた。

2012年09月28日18時37分 提供:ねとらぼ
http://news.livedoor.com/article/detail/6997229/

 安倍晋三新総裁がカツカレーを食べたこと、そしてそれが批判されていることから、かえってカツカレーブームが来たのは、面白い話だ。マスコミの勘違い批判がかえって経済効果につながったというのは、皮肉としか言いようがない。
 そもそも、私は「験を担ぐ」そして勝負の時にはとくべつなことをする、というのは当たり前であり非常に日本人的なものであるといった。
 「晴れ着」という言葉を知っているであろうか。勿論、特別なときに着る着物である。日本には古来「ハレ」と「ケ」という習慣がある。何か特別なものの時は日常と変えることによって、普段とは違う力を引き出すという習慣だ。だから「晴れ着」を着て特別なときにことを祝うのである。その後「よそ行き」などという礼服のような外出着なども別にし、いつもの自分、普段着、室内着などと別にそのようなわけ方をして特別な時を過ごすのが当たり前であった。特に戦国時代などはそれらの占いによって出陣日などを決めるなど、今の時代よりも平和ではない時代であったために、当然のようにそれらの内容をしっかりと行ったものである。
 現在、平和ボケしてしまった日本は、単純に「平和ボケ」だけでなく、何d目お日常と同じ、何でも国民目線という「特別さ」を全く感じない世の中になってしまった。そして特別であるべきものを特別ではなくしたのは、なんでも平等という考えの日教組と、そして、日本的な文化を否定しつづけたマスコミである。そのマスコミが験を担ぎ、そしてハレの日の食事として少々高級なカツカレーを食した人を「庶民的でない」と批判するのは、まさにマスコミが、完全に平和ボケだけでなく、日本的な文化を否定した結果である。そして、この批判は「晴れの日」という日本人の心が、そして魂が大事にしてきた文化を完全に否定し、それを単純に安倍¥批判ということに特化して報道した結果である。
 これは、当然に、日本人の多くの怒りを買った。カツカレーがその後売れた、カレーのチェーン店の株価が上がったなどというのは、まさにマスコミの日本否定に抵抗する国民の「抵抗」の一つではないのか。
 この報道を行ったマスコミは、猛省すべきである。彼らのパーティーで高級な食材が出れば、他のすべてのマスコミは「庶民感覚がない」と報じ、この会社の人の結婚式にささまざまな宴会料理が出れば「エリート的でおかしい」というようにすべきだ。何しろ彼らは「ハレの日」を否定したのであるから、彼らマスコミ穂人だけが「晴れの日」を教授するのはおかしい。これこそ平等で公平な報道ではないのか。
 マスコミは報道を否定するのではなく、彼らの生活の循環の中で、自分たちがした否定をすべて行うべきではないのか。そのうえで、自分たちの行った「批判」の大きさを実感すべきではないのか。このような日本否定の報道お行うことそのものが、日本の大きな損失であり日本破壊の魔なのである。

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マスコミ批判に関する一考(112) 「反日・民主党の同人誌」の朝日新聞の社説

マスコミ批判に関する一考(112) 「反日・民主党の同人誌」の朝日新聞の社説

 そもそも、朝日新聞の社説およびその編集デスク以上の階級の人々の論調に関して、特に政治部の人々に関して、彼らの行っていることはジャーナリズムであるとは思えない。私は、朝日新聞の政治面と社説のことを「反日・民主党の同人誌」と呼称している。ちなみに、毎日新聞は「北朝鮮と中国の機関紙」であり、いずれも正常な日本人が読む新聞ではないと考えているどころか、そもそも『新聞』というカテゴリーに属さない読み物であると考えられる。あたかもカルト宗教が、自分の宗教以外の経典以外をすべて「邪悪なもの」とし、それを、神の奇跡とか、わけのわからない理屈や将来起こりえないまたは発生する確率の少ない不安をあおって、終末思想を植え付け、不安をあおり、その人間の弱い部分を操って自らの宗教に入信させるかのごとき、内容は、中立公正なジャーナリストが行うものではないのである。
 インターネット上で朝日新聞の社是が安倍晋三内閣(当時)を攻撃することというような内容が出てきている。実際、この発言もしくはこのような社是の存在があるかどうかも全くwからない。しかし、このような朝日新聞の報道姿勢は、まさに、このような社是があることが「まことであるかのごとき」信用性を生み出す。このようなことを言われるということは、それだけ、朝日新聞が偏向報道を行ってきたもしくはそのように見られるような報道を行ってきているという「結果」に過ぎない。
 実際に、朝日新聞が社運をかけて応援してきた民主党政権の政治不信は、まさに朝日新聞そのものの会社の方針や報道体制全般が責任を負うべきものであり、なおかつ、その責任も負わずに、野党第一党の総裁選挙に関して「危機感」を表明すること事態が異常なのである。
 安倍晋三総裁は、あくまでも野党の総裁でしかない。その野党の総裁に外交の注文をつけること自体がどうかしている。新聞として三権分立や国会の与野党の仕組みを全くわかっていないとしか言いようがない、あまりにも「無知」であり、また国民や読者を「無知で馬鹿で、この程度で終末思想のようにだますことができる」としか考えていない新聞社そのものの傲慢さが出ているのではないか。
 その社説が下記のものである。

朝日新聞社説  2012年9月27日(木)付
安倍新総裁の自民党―不安ぬぐう外交論を

 自民党総裁選は、40年ぶりの決選投票をへて、安倍晋三元首相が当選を決めた。
 5年前の参院選で惨敗後、首相だった安倍氏は突然、政権を投げ出した。
 その引き金となった腸の難病は新薬で克服したというが、政権放り出しに対する批判は安倍氏の重い足かせだった。それが一転、結党以来の総裁再登板を果たしたのはなぜなのか。
■「強い日本」を前面に
 もともと安倍氏は本命視されていなかった。
 ところが、谷垣禎一前総裁を立候補断念に追いやる形になった石原伸晃幹事長がまず失速。決選投票では派閥会長や古参議員に嫌われている石破茂前政調会長に競り勝った。いわば消去法的な選択といっていい。
 さらに領土問題で中韓との関係がきしんでいなければ、再登板はなかったかもしれない。 「強い日本」を唱える安倍氏の姿勢が、中韓の行き過ぎたふるまいにいらだつ空気と響きあったのは確かだ。
 「尖閣諸島は国家意思として断固守る」として、避難港を造るなど管理の強化を訴える。
 慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた河野官房長官談話や、「植民地支配と侵略への反省とおわび」を表明した村山首相談話を見直すと主張している。
 首相になった場合の靖国神社参拝にも意欲を示す。
 ナショナリズムにアクセルを踏み込むような主張は、一部の保守層に根強い考え方だ。
 だが、総選挙後にもし安倍政権ができて、これらを実行に移すとなればどうなるか。
 大きな不安を禁じえない。
 隣国との緊張がより高まるのはもちろんだが、それだけではない。
 前回の首相在任中を思い出してほしい。5年前、慰安婦に対する強制性を否定した安倍氏の発言は、米下院や欧州議会による日本政府への謝罪要求決議につながった。
 靖国参拝をふくめ、「歴史」に真正面から向き合わず、戦前の反省がない。政治指導者の言動が国際社会からそう見られれば、日本の信用を傷つける。
 だからこそ安倍首相は河野談話の踏襲を表明し、靖国参拝を控えたのではなかったか。
 首相就任直後に中韓両国を訪問し、小泉政権で冷え切った中韓との関係を改善したのは安倍政権の功績だった。その経験を生かすべきだ。
 それにしても、あまりにも内向きな総裁選だった。
■人材も活力も乏しく
 安倍氏をはじめ5候補は、民主党政権の3年間を「国難」と断じ、自民党が政権に復帰しさえすれば震災復興も、領土外交も、日米同盟も、景気も、雇用もうまくいくと胸を張った。
 そんな甘い夢を信じる人がどれほどいようか。
 国民の政治不信は民主党だけでなく、自民党にも向けられている。その自覚と反省がまったく感じられない。
 それどころか、3年前、国民に拒絶されるように下野した自民党のやせ細った姿をくっきりと映し出した。
 その象徴は、5候補の政策がほとんど同じだったことだ。
 党是の憲法改正を実現し、集団的自衛権の行使をめざす。
 原発・エネルギー政策では全員が「原発ゼロ」に反対。環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加には慎重。代わりに熱を入れるのは「国土強靱(きょうじん)化」という名の公共事業拡充だ。
 財界や電力業界、農協、土木・建設業界など支持団体の歓心を買いたい。そんな思惑がみえみえではないか。
 かつての自民党にはタカからハト、改憲から護憲、保守からリベラルまで抱える懐の深さがあった。
 それが、今回は5候補がそろってタカ派色と支持団体への配慮を競い合った。しかも5人とも世襲議員である。
■3党で国会ルールを
 二大政党時代の野党の最大の仕事は、人材を鍛え、次に政権に就いたときに実行すべき政策を練ることだ。その作業を、自民党は怠っていたと言われても仕方がない。
 遠からず行われる解散・総選挙に向けて、安倍氏に三つのことを求めたい。
 第一に、社会保障と税の一体改革の実行を野田首相と再確認する。早期解散を求めて対決するだけではなく、社会保障をめぐる国民会議の設置など、譲るべきは譲ることも必要だ。
 第二に、外交・安全保障をはじめ、公約を現実味のあるものに練り直すことだ。
  総選挙で投票権をもつのは自民党員だけではない。前回の首相在任中に靖国参拝を控えたように、君子豹変(ひょうへん)の勇気をもつことが肝要である。
 第三に、民主、公明との3党で、衆参の多数派がねじれても国会を動かせるルールづくりで合意することだ。政権奪還をめざす自民党にとっても、そのメリットは大きいはずだ

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 さて、まずこの社説を分解して見よう。
 そもそも『強い日本』の何が悪いのか。中国に迎合し、主権を明け渡し、ただひたすら謝罪を行うことが朝日新聞にとって『是』なのか。「靖国参拝をふくめ、「歴史」に真正面から向き合わず、戦前の反省がない。政治指導者の言動が国際社会からそう見られれば、日本の信用を傷つける。」(上記から抜粋)は、そもそも「歴史」が正しいのか、戦争という行為そのものの目的や日本の主張はなんだったのか、そのことの検証も全く行っていない。私の祖父がいった「日本は悪いから負けたのじゃない。弱いから負けたんだ。だから日本が負けたからといって私たちは間違ったことはしていないんだ」という生の声をこの社説の筆者はどのように考えるのか。
 同時に靖国神社さんパイもあくのように書かれている。しかし、民主党の鳩山首相が真珠湾や中国の無名戦士の墓などに参拝したことは全く批判しない朝日新聞の論調は、戦争を否定しているのではなく日本の軍隊だけを否定しているのに過ぎないのである。インドネシアにはいまだに「日本が戦争をしたおかげでインドネシアの独立はなされた」という親日家は少なくない。亡くなったワヒド元大統領は、「インドネシアの旗は日本の国旗に経緯を評して赤と白の二色でできている」と公式の席でも語っていたほどである。これら親日家の声を伝えず、単に中国や韓国のご機嫌を取っているのが「朝日新聞にとっての公平中立」なのか。この人々のわけのわからないジャーナリズム感覚にはあきれるしかない。
 人材活力に乏しいというが、では、民主党政権では一体どうだったのか。そもそも、安倍新総裁は「野党の党首」であり、与党としての行政権があるわけではない。同時に、この総裁選挙は自民党党員という限定された相手に訴えられた、自民党等印鑑の選挙でしかない。その主張を取って行政権がある与党の代表選挙のように注文をつけること自体がどうかしている。ついでに言えば、「「原発ゼロ」に反対。環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加には慎重。代わりに熱を入れるのは「国土強靱(きょうじん)化」という名の公共事業拡充だ。」ということを批判しているようだが、このようなことをせずにどのように財政を再建し、なおかつ景気を好転させるのか。批判しかできず、対案もない無責任な報道そのもののきわみでしかないのである。批判をするならばしっかりと対案を出すのがふつうであり、無責任な批判は何も生まない。その無責任な批判を行った結果が民主党政権である。要するに朝日新聞自体が無責任の批判によって政治を混乱させたという自覚と反省が全くない。無自覚な報道媒体であり、このような報道を信用していては、民主党政権の3年間のようになってしまうという、悪い見本の典型のような社説ではないか。
 最後に、3党で国会ルールをといっているが、そもそも、民主党がなぜ参議院で負けたのか、そしてなぜ離党者が相次いでいるのか。そのことを国民がどのように考えているのか。民意民意といっていた民主党と朝日新聞自体が、そのことを全くわかっていない。このような『国民無視の政治を奨励する』のであれば、それは日本国憲法に定められた国会の審議を無視する好意でしかない。「譲るべきは譲る」「ねじれても国会を動かせるルールづくり」など、自民党が政権与党で民主党が野党であった時代にこのような提案が出なかったのはなぜか?そのことに関して反省はなぜ朝日新聞はしないのか。あの時は「民意に従え」といっていたのはどこのどの新聞なのか。立場が変わると、応援している政党が変わる渡航まで態度を豹変させるのか。自分で書いている「君子豹変(ひょうへん)の勇気をもつことが肝要」ということで政治不信になる人がどれくらいいるのかをよく考えて国民の感覚の実効性のある社説を考えるべきではないのか。
 要するに、この社説そのものが、はっきり言って朝日新聞という「反日・民主党の同人誌」は、立場が変われば、自分tの立場や主張を変えても「反日・民主党応援」の立場を守る政党ではない、無責任な批判しかできない言論空間であるということである。もちろん朝日新聞の記者の中には保守派もいれば友人も少なくない。しかし、この社説という内容を読んで、批判することと、個人的な関係は全く異なる。
 いまさら「反日・民主党の同人誌」に反省などは求めるつもりはない。このような言論を否定し、朝日新聞という名前の書面が「反日・民主党の同人誌」であるということを広めるべきではないのか。

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