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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第21回 「政体」にしか及ばない国民主権を記載した前文第二文

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第21回 「政体」にしか及ばない国民主権を記載した前文第二文

 前回は、第一文の解釈を行った。今回は引き続き第二文をやってみたい。
  「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
  これが、日本国憲法第二文である。
  これは、まさに刻印主権と言うものがどのようなものかと言うことである。まさに、リンカーンの独立宣言にあるように「人民の、人民による、人民のための」と言うことが書いてある。この文藻が入っていることこそ、民主主義であるというと同時に、この書き方こそ、アメリカのGHQがこの憲法の成立に関して非常に強い影響を与えたと言うことを示す文章であると言うことをお気づきになるであろうか。
  アメリカの独立宣言は、そもそもアメリカ合衆国はどこからどうして独立したのであろうか。単純にアメリカの国家の成立と言うのが何かと言うことが決まるものなのである。
  アメリカの独立に関することをウィキペディアからそのまま移してみよう。
  <アメリカ独立宣言・ウィキペディアより抜粋>
   
 1763年2月、フレンチ・インディアン戦争が終結すると、イギリス国王ジョージ3世とグレンビル内閣は、植民地アメリカへの課税と支配を強化した。この本国政府による植民地圧迫策は、次第に植民地住民の本国に対する不満を鬱積させ、本国からの離反機運の醸成をもたらす(詳細は、アメリカ合衆国の歴史の項目と、アメリカ独立戦争の項目を参照)。
 それぞれに独自の発展を進めていた13植民地は、1772年11月、連絡組織として通信連絡委員会を発足させる。この委員会は、1774年9月、第1回大陸会議(ジョージア植民地を除く12の植民地代表の集会)に発展し、本国政府との和解策を練った。1775年4月、レキシントン・コンコードの戦いで、イギリス軍と植民地民兵隊の間に銃火が交えられ、独立戦争の火蓋が切られた。翌5月、第2回大陸会議が開かれ(全13植民地代表がそろう)、ここ武力衝突に至っても本国政府との和解の道を探っていた。しかし、情勢は日増しに悪化し、翌1776年1月、独立論を訴えるトマス・ペインの著書『コモン・センス』が刊行されてベストセラーになると、住民の間でも植民地代表者の間でも、独立論は最高潮に達した。
 同年6月7日、バージニア植民地代表のリチャード・ヘンリー・リーは大陸会議に『独立の決議』を提案し、これに基づいて同月10日、独立宣言起草委員会が発足した。この委員会は、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリン、ロジャー・シャーマン、ロバート・R・リビングストンの5人で構成されたが、ジェファーソンが宣言案を起案(起草)し、フランクリンとアダムズがわずかに修正して委員会案とされた。委員会案は大陸会議に提出されて、さらに多少の推敲がなされた。そして、1776年7月2日、リチャード・ヘンリー・リーの『独立の決議』がまず可決され、『アメリカ独立宣言』は7月4日に採択された。
内容
 独立宣言は、基本的人権と革命権に関する前文、国王の暴政と本国(=イギリス)議会・本国人への苦情に関する28ヶ条の本文、そして独立を宣言する結語の3部から成る。
 中でも、「全ての人間は平等に造られている」と唱え、不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げた前文は、アメリカ独立革命の理論的根拠を要約し、後の思想にも大きな影響を与えた。その理論は、名誉革命を理論的に正当化したジョン・ロックの自然法理論の流れを汲む。
<以上ウィキペディアより抜粋>

 アメリカは、少なくともに日本という国家の脅威を最もよく知っていた。
  日本という国家は、少なくとも当時8000万人から1億人くらいしかいない国が、当時の工業国アメリカに対して、「日本の100日」と言われるほど日本優位に世界を低に回して戦ったのである。1346日間、一歩も引くことなく世界を敵に回して帰ってきたのである。ミッドウェイ海戦以降はは不利な戦いを続けてきたと言うこともある。しかし、真珠湾や、マレー沖海戦など、飛行機の集団使用による航空機戦を開発した。少なく通せ会で一番初めの空母専用艦「鳳翔」を建艦したのは日本であるし、また、航空母艦の戦時投入を最も最初に行ったのも日本(上海出兵時の空母加賀)である。そして航空機の戦争の有効利用を認識しながら、アメリカは、一時空母が1隻しかない状態になったのである。
  また、アメリカでは「BAKA-BOMB」というような呼び方をしたと伝わっている特別攻撃隊。これに関しても、なぜ「BAKA」なのかといえば、キリスト教価値観的な内容のものであるが、一方でそのような「日本語」の言葉で表現するのは、まさに日本を恐れている証拠でしかない。特別攻撃隊の攻撃方法は、現在のミサイル技術になり、また、その防衛システムは現在北朝鮮の核ミサイルなどに対処している「イージス艦」に応用されている。それまでの攻撃は、必ず砲撃など直線的であったのに対して、特別攻撃隊は、相手の防御をかいくぐると言う行為を行うために、その動きを予想して防御すると言うことは、まさにアメリカ軍に与えた衝撃は非常に大きなものではないだろうか。
  このほかにも、戦艦大和は当時最も大きな戦艦であり、同時にもっとも大きな口径の大砲を持っている戦艦であったし、また、終戦当時の伊400型潜水艦は、世界初の「潜水艦空母」伊勢型戦艦は世界初の「空母戦艦」であり、最上は世界初の「空母巡洋艦」である。
  要するに戦法も戦艦や巡洋艦も、良いか悪いかは別にしてアイデアも、全てにおいて日本は「世界初」を連発したのである。このような日本に対して、アメリカは脅威を持った。アメリカはもっと早く戦争が終わると思っていた。しかし、一時は逆に追い込まれていたということが最大の問題なのである。
  アメリカは日本の弱体化をした。それをイギリスの王政からの独立になぞらえ、日本の天皇制からの「人民の解放」になぞらえたのである。まさに、それがこの憲法全文の第二文である。
  ただ、この文章を簡単に考えてみよう。
  「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」としている。要するに、この連載で記載しえいるように、あくまでも国民主権の範囲は「政体」に及ぶことが書いているが、「国体」に及ぶと言うことはまったく書いていないのである。要するに、この文章は「政体」は国民主権であるが、国体は主権者である国民でも変えることができないということになるのである。
  「権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と言う文章もその内容を記載しているに過ぎない。政治権力は国民の代表者(内閣)が行使し、その利益は国民が享受するとある。この内容も、政体に関すること江国体に関するものではない。まさに、国体は現代の人間だけで犯すことのできないものであるということができるのではないだろうか。
  アメリカは歴史のない国であるために、「国体」と「政体」の区別がつかない。そのために、当時の日本人のように国体と政体を区別している日本の国民には就いてゆけなカット考えるのである。まさに日本の統治機構は天皇を中心にした国体と、民間による政体の二段階になっている。その二段階の政治システムを、大統領制を持ったアメリカは理解できなかった。その表れが、この「独立宣言的な全文第二文」である。逆に言うとこの文章と「天皇」を記載した第一章の調整がつかない「よくわからない」憲法になってしまっている。保守的解釈も、また共和国的な解釈もできてしまうのである。
  憲法を改正するには、まさにこの部分をしっかりと意識して作り直さなければならないと同時に、国体ということに関し、「国民主権は政体しか及ばせない」ということを明記すべきではないのか。

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