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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第23回 憲法前文第四文の最高法規性と「国体」「政体」の分離

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第23回 憲法前文第四文の最高法規性と「国体」「政体」の分離

 前回は、憲法に記載された「人類普遍の真理」とは何かと言うことについて、少し長くお話しをしたと思う。実際に、これらの中において、人類普遍といいながらも人類普遍の真理であったことは少ない。少なくともこのときに人類普遍の真理に近いのではないかと考え荒れていたことが「国民主権」であり「民主主義」であったと言う解釈でしかない。もちろん、前回から書いている通りに、それは「政体」に関する内容でしかなく、「国体」を変えるものではないのだ。現在の国民が現在の政治に関して、その政治の主体を決めることに関する権限を持つことはある程度認めるが、歴史、伝統、文化そして国の形、そして将来や未来の子供たちが大きくなったときの日本の姿までも決める権利は、現在の国民が持っているものではない。その当たり前のことが、わからなくなっているのが現在の「政体」論である。そのために、現在の政治が「歴史問題」などを話し合うこと自体が実際に大きな問題である。
 たとえば大東亜戦争そのものの問題であるにせよ、それ以前の歴史問題、たとえば尖閣諸島問題などはそのはじめの領有の話になる。領有権の話では、最も古いものでは中国は秦の始皇帝時代の不老不死の妙薬を捜し歩いた徐福の話しまで行くのである。そのような日本の神話時代に近い時代の歴史問題を、現在の一部の政治家や歴史学者と言われる人々の話だけで物事を決めてよいはずはない。また、その内容を決すると言うことを将来、たとえば千年後の日本に影響するような決定を現在の常識だけで、千年後のことを予想することなく話し合いをすること自体がおかしな話である。現在の政治だけの話をすることができるのであるが、実際に現在の政治の話しも十分にできないのが日本の政治なのかもしれない。
  さて、ではなぜアメリカはこのような「政体」と「国体」の区別が綱核なってしまっているのか。また、中国や韓国はなぜ平気で「歴史問題」などということを語ることができ、それを外交の道具として話をすることができるのであろうか。
  答えは非常に簡単である。彼らは歴史を持たない民族であるからだ。アメリカに関しては、何しろ建国して数百年しかない。アメリカはどんなにがんばっても日本のような歴史的な統一性をアメリカ合衆国全土に押し広げることはできないのである。よくアメリカが「多民族国家である」と言う言い方をする。しかし、その多民族国家であるということは、まさに、アメリカの各民族によって、生活習慣や言語、場合によっては風習や禁忌に関してまで共有した価値観を持つことができないということを意味しているのである。この生活習慣の違いは、まさに彼らの民族性から見た「常識」の違いになり、そしてそれはアメリカ合衆国としての歴史よりも、各民族の歴史のほうが長いので、その歴史を重視して祖の歴史敵価値観にアメリカ合衆国の統一性を乱されないようにさまザなまことをしているのである。
  一方、中国や韓国は、日本と同様またはそれ以上の歴史を持っている。そもそも中国の戦国時代のときに、日本は神話の時代であり、その秦の始皇帝が中国に統一王朝を持ったときも日本は日本国土の統一王朝はなかった。このように書くと中国礼賛主義者と思われるかもしれないが、実際に、奈良時代に東北北部を蝦夷が支配しており、坂上田村麻呂が初代の征夷大将軍に指名されて、多賀城において征伐を行ったのは平安時代。その後陸奥や出羽の国では氾濫などが多く、前九年後三年の役などが発生していた。そのように考えると、平安時代初期までは東北において統一王朝はなかったと考えられる。しかし、以前にもここに書いたかもしれないが、今回の東日本大震災の千年前、同様に東北で自身があり大津波が発生した。これが貞観大地震と言われるものであるが、この貞観大地震において清和天皇が詔を出し、「敵味方関係なく保護せよ」と命じている。これは、生活習慣や禁忌が同じであるからできる話であり、蝦夷といえども、他の民族と言うのではなく、日本の戦国時代に隣国と闘ったかのような間隔を持っていた、要するに、民族としての対立ではなく支配階級の対立が行われ、その政治的な問題が起きていたと考えるべきであり、そのために「震災のときの敵国民の保護」を命じることができたのである。
  しかし、中国はそのような国ではない。その後の三国志の時代に魏という国家が北部を支配しており、そこに卑弥呼が生口(奴隷)を連れて行ったと言う話が出ている(魏志倭人伝)が、実際に三国志のようなことがあったときに、日本は邪馬台国であったと言う時間経過的な事実は存在する。そのときの日本の記述がないために、少なくともその文化程度や政治のレベルを図ることはできないが、ある意味において、日本は魏の都洛陽まで独力で行く力を持っており、同時に、奴隷をつれてゆけるほどの労働力の集約ができていたということはわかるし、一方で、魏にそれらを謙譲していると言うことは魏よりもある程度一歩引いた政治的なレベルであったと言うことが創造できるのである。
  しかし、それほど紀元200年代には発展していた中国も、王朝がそのまま継続していたわけではない。そもそも、その魏という王朝も邪馬台国との交流があった後にすぐ、その部下に反乱を起こされ「晋」という王朝になっている。そして、極めつけは辛亥革命、そして毛沢東による文化大革命によって徹底的に歴史と伝統が破壊された。これも多民族国家であるゆえに、言語や習慣が余り伝達がなかったために、その前の歴史を否定することそのものが自分の権力の威示行為ということになるのである。もちろんそのような行為は日本でも行われており、大阪夏の陣の後に、徳川家康は、豊臣秀吉の作った大阪城をそのまま埋めてしまい、その上に現在の大阪城を作った。もちろん現在の天守閣は戦後の再建であるが、石垣などはその下に豊臣時代の石垣がそのまま残っており、そのように前の為政者の上にまったく新しい物を作ることによって、前の為政者からの代替わりを演出した。その演出その物がまさに、江戸時代の徳川家康と時代も技術も違うのに同じレベルのことを行ったのが文化大革命の毛沢東なのである。この一件を見れば、古代の先進国であった中国も、現代では後進国になっているということになる。中国は歴史を途切れさせ、途中で歴史を否定したために後進国になったということだ。日本は、先進国であるかどうかは別にして、長い歴史によって習慣を持っている。そのことはすでに他国との比較で「先進」「後進」ということを言うのではなく、日本は独自のペースで物事をできるようになっているのである。
  「政体」と「国体」の分離は、まさに日本の歴史と伝統の知恵であるといえる。天皇陛下、または皇室は、日本国民に何か異常事態が発生したときに、民間の中ににお出ましになられ、その大御心を示される。それでもうまくいかないときには、「大化の改新」「建武の新政」「明治維新」のように、天皇陛下自らが親政をされる。そして落ち着いてきたら、明治政府のように国会や内閣にその実験をお渡しになり、また政体を分離するということを行っているのである。
  日本国憲法前文第三文を当時の日本人が受け入れたのは、これらの政体と国体の分離をしっかりと身に着けており、それがわからないアメリカGHQをあざ笑ったかのごとき精神構造ではなかったのか。
  その上で、第四文を見て見るとこうなる。
 
  「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
 
  「国体」と「政体」を分離している以上、政体の内容を決めている憲法の「最高法規性」は当然のことといえる。本来は「天皇・皇室はこの限りには無い」とすべきであるが、この文章の中に「詔勅を排除する」ということが書いてあることから、この憲法が天皇陛下の直後よりも優先する規定になっていることがおかしなことなのかもしれない。
  この文章も、ある意味で第三文と同様に改正が必要なものなのかもしれない。その内容は、基本的に天皇(国体)都憲法の関係性をしっかりと示さなければならないということではないのか。基本的に憲法は政体に関する内容を決めているものであり、国体に関する内容を決めたものではないということになるからである。その内容こそ、まさに、憲法解釈の最大のキーワードであると考えるのである。

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