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2013年4月

平成25年GW連載「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」  第4回 マルクス主義とその矛盾」

平成25年GW連載「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」
第4回 マルクス主義とその矛盾」

  さて、昨日までは「左翼」と言う語源と、その語源からヨーロッパの中での思想史的な、非常に簡単な内容を記載してみた。
  そして昨日は、世界で始めての社会主義国家設立として出てくるロシア革命に関して、インナーネット上の情報を元に、その思想の流れを中心に追ってみた。
 
  そもそも「人が人を統治する」と言う内容に関して、その根拠と言うものは何かと言うことが最大の問題になる。
  古代から中世にかけては、神々による支配と言うことが言われてきた。ある意味で支配する人は、「神」または「神の啓示」があって、その神の意思にしたがって動いていると考えられていた。
  もちろんこのような考え方をすれば、宗教と支配階級が一体化するということが必要になってくる。
  しかし、その宗教と支配階級方入りするようになれば「政教分離」が話題になってくることになるのである。
  この政教分離と支配階級に関することは、基本的に政治の仕組みを深く語るときにその内容を記載してみたいと思う。
  なお中世の欧州では、この政教分離の流れから「王権神授説」が成立し、その王権神授説において、封建的か考え方から、絶対王政的な考え方に変化するのである。
  この歴史に関しては、一度ゆっくりと考え、日本の政治システムとの違い、そしてイギリスなどを模範とした「小選挙区制」がどうして日本に受け入れられないかと言うことを、宗教的な観点、または民族的な観点から書いてみたいものと思っている。
 
  さて、この絶対王政が国民の手によって覆ったのが、まさにフランス革命である。
  そのフランス革命が左翼の語源に大きくかかわっているということになれば、当然に絶対王政または封建的な支配関係、あるいは宗教的な感覚を持った支配と言うことは、左翼の対極概念上にあると言うことになる。
  もちろん「左翼」と言う単語は、議長席から見て左側であると言うことは、右に行くほど対極概念になると言うことを意味しているものであり、すぐ隣は「中道」であって、対極概念にはないことになる。
  しかし、類見において、支配階級の支配階級的な根拠付けを、神権または宗教的権威付けにおいて行うものなのか、あるいは非常に人為的なものに見るのか、と言うことから考えれば、当然に、その差は、対角線上にあるような完全な対極にあるのではなくても、その溝は非常に大きなものと言うことになる。
 
  近代法哲学の父であるイギリスの哲学者トマス・ホッブスは、何も秩序のない状態において、自然権なる不確定な要素によって、権利を十分に主張すれば隣人との権利の錯綜から「万人の万人による闘争状態」が発生すると言うことを主張する。
  そして、人間はそのようにならないために、社会契約を自然に行っているものとしているのである。
  この考え方はロック・ルソーと引き継がれて、社会契約説、そして現在の基本的人権の元となる考え方になっているのである。
 
  この社会契約説から、人間そのものに「自然権」という権利が生まれながらにして存在すると言う思想が出てくる。
  そしてその思想が進み「自然権はすべての人間において暴動にあるべき」と言うものから「自然権だけでなく人間に関する権利全てが平等にあるべき」と言うことが言われるようになったのが左翼思想である。まさに人間による個体差や能力差を完全に無視した内容と言うことが言えよう。
 
  そのもっとも中心的な理論がマルクス主義という考え方である。
 
  「マルクス主義」は、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって展開された思想をベースとして確立された社会主義思想体系の一つである。
  科学的社会主義ともよばれるらしい。
 
  マルクス主義は、すべての資本または資源を、当該存在社会の共有財産として接収しその資本を分配することによって、労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働の悲惨な性質を廃止し、すべての労働またはすべての結果が共有すると言うことが行われるようになる。
  その結果、労働または結果に対する分配の差が存在せず、平等に分配されることら、当該社会の中においては階級のない協同社会をめざすとしている。
 
  マルクスとエンゲルスは、1847年に設立された共産主義者同盟の綱領の起草を委託され、1848年に「共産党宣言」を書いた。
  その中に、彼らの政治的な考え方がある程度かかれていると考えてよい。
  現在まで続く共産主義者の頭の中の根本的な部分はここに存在すると言っても過言ではない。
  ちなみに、中華人民共和国憲法の前文にはいまだに「マルクス主義」という言葉が書かれており、その実現のために革命を継続するのが国是となっているのである。
 
  さて、「共産党宣言」に移ろう。なお、この本の解説を、ある意味で保守である私が刷るというのもかなり珍しい。
  基本的に、保守派の人々は共産主義とか革新と言う言葉そのものを「物忌み」してしまう性質があるからだ。
  しかし、その中華人民共和国のずっとご先祖様、孫子の兵法の中には「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と記載されている通り、まず、左翼そして中国などの共産主義国的な思想を敵として考えるならば、そのことをしっかりと研究する必要があるのだ。
  もちろん、「ミイラ取りがミイラになる」ような馬鹿な真似にはならないように十分に注意しなければならない。
  さて、「共産党宣言」の中には、人類の歴史は、自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者などの、隠然または公然の階級闘争の歴史であると記載されている。
  そして、マルクスやエンゲルスが生きた時代からみた「近代社会」はブルジョワジーとプロレタリアートに民間人が分裂しつつあると記載している。
  この「共産党宣言」の中のプロレタリアートとは、自分の労働力を売って生活するしかない多くの労働階級者ということと定義されている。
  近代社会は一部の資本家であるブルジョワジーが、その資本と権力によって政治を専横し、そしてプロレタリアートを不当に迫害していると言うことになる。
  そして、そのプロレタリアートがブルジョワジーから政治権力を奪取し、ブルジョワジーを排除し、プロレタリアートが自分自身の生産手段などの資本を社会全体の財産に変えることを推奨すると言うものである。
  そして、そのように社会の発展がすすみ、労働量の結集によって社会の財産が増加することによって発展するにつれて、プロレタリアートとブルジョワジーの階級対立も、諸階級の存在も、そもそも、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれる。
  近未来的にその余蘊労働力が社会資本となることによって釈迦全体が発展する世の中になると言うことを高らかに宣言し予言したのがこの「共産党宣言」なのである。
 
  一見、すばらしいことが書かれているかのように見える。しかし、よく考えてもらいたい。
  そもそもプロレタリアートが労働力を売る相手が「ブルジョワジー」である。単純に考えれば、ブルジョワジーの解体は、労働者が労働力を売る市場を自らは介しているということになる。
  当然に残った資本家が労働量をよりやすい値段で買い取ることになり、残ったブルジョワジーが財閥化することになる。
  ここにおける格差は非常に大きなものとなり、武力や外圧でなければ解消できないほどの差になる。
  現在の韓国における財閥経済型の社会がまさに、この中途半端な共産主義になってしまっているのかもしれない。
  一方、そのような差がなくなるためには、ブルジョワジーに変わる労働の買主として「社会」という主体が存在しなければならない。
  当然に、社会そのものは法人でもなければ行政でもない、単純に社会契約説的な自然権の集合体でしかないと考えれば、社会そのものの厚生は、プロレタリアートを含めた本人と言うことになる。
  要するに、自分の労働力の買主が自分と言うことになり、労働者は労働対価を得る手段を失いかねない状態になる。
  その多面、当然に社会そのものが巨大な財政基盤と政治権力を持つことになり、その権力はそれまでのブルジョワジーと言われた資本化が多数あったものの集合体と言う、一極集中型の政治権力になってしまうのである。
  しかし、それだけの権力が存在しなければならない常態でありながら「プロレタリアートとブルジョワジーの階級対立も、諸階級の存在も、そもそも、階級支配のための政治権力も消滅」などするはずがない。
  当然に、新たな支配階級である「社会」と言うものが存在し、人々をより強力な権力、それも政治権力と経済的な権力の双方を併せ持ち、なおかつ立法と法の執行の権限を自由に操る「魔物」を作り出してしまうだけである。
  そしてそれが国家的な大きな力構造になったのが社会主義国家であるということがいえるのかもしれない。
 
  さて、先に進むことにしよう。
 
  マルクス主義というと、上記のような共産主義、そして唯物史観、そしてマルクス経済の三つの原理が中心である。
  ではその唯物史観とは一体なんであろうか。
 
  唯物史観とは、法律や国家、文化などの基礎にあるのは経済(生産と流通)だとする見方であり、そもそも民族的な意思や権力欲、収容的な価値観などをすべて否定し単純に経済的な価値観だけで歴史と政治を見てゆくという考え方である。
  1859年発行の『経済学批判』の序文において、彼は唯物論的歴史観を次のように説明した。
 
1.生産力の発展段階に対応する生産関係の総体が社会の土台である。

2.この土台の上に法律的・政治的上部構造が立つ。土台が上部構造を制約する。

3.生産力が発展すると、ある段階で古い生産関係は発展の桎梏(しっこく)に変わる。そのとき社会革命の時期が始まり、上部構造が変革される。

4.生産関係の歴史的段階にはアジア的、古代的、封建的、近代ブルジョワ的生産関係がある。

5.近代ブルジョワ的生産関係は最後の敵対的生産関係である。発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす。それゆえ、資本主義社会をもって人間社会の前史は終わる。

 以上が唯物史観の要約である。
 
  まあ、仏教的に言えば、百八つもある煩悩のうち、経済的な煩悩のみが煩悩であるという考え方であり、色欲や権力欲などはすべて歴史的に無価値であるかのごとき内容であると言える。
  もちろん、経済的、物質的な考え方による戦争や政治権力闘争というものは否定はしないが、実際に、現在世界の多くの土地でおきている「民族対立」や、中東で起きている「宗教対立」は完全に説明できなくなってしまう。
  もちろん、世界の歴史の中においては、戦争と略奪と言うものはセットで考えられるものであり、その内容がどのようになるのかと言うことがひとつの大きな流れになってくるのであるが、しかし、逆に「略奪が目的」の戦争があったのかという考え方からすれば、この驚嘆な唯物史観は間違えていると言うより、人間と言う者をわかっていないと言うことがいえるのではないか。
 
  さて、もうひとつの「マルクス経済」については、著書『資本論』によって結実したと言える。
  マルクスによれば、人間が働くことによって生み出される「労働力の価値」(労働者自身と家族を維持するのに必要な生活必需品の価値)と、労働力が生み出すことができる価値、要するに労働によって生み出される生産物の価値とはまったく別物であるとしている。
  ある意味でこの部分はあたっている部分もないものではない。
  身を粉にして働いても、結果が出なければ、資本主義のところでは給与や報酬が払われないこともあるし、また、芸術家のように、労働そのものではなく感性などを売る場合は、その感性が莫大な価値を生み出すこともある。
  労働量と労働者の手にする価値とが同じものであると言うことが違うのは資本主義でも同じである。
  そこで、資本家は労働力を「労働力」の価値どおりに買ったとしても、支払う賃金を超えて価値、要するにその成果物として残るものが労働力移譲に価値があるものを生み出すように、その労働者を働かせることによって、超過分を無償で取得する事になる。
  この超過分(剰余価値)が資本の利潤の源泉である。
 
  土地所有者が資本家に貸した土地に対して得る地代、銀行が資本家に貸し付けた資金に対して得る利子などは、この剰余価値から支払われるものであると規定されるのである。
  剰余価値説に基づく資本主義経済の運動法則の解明は、労働者階級の解放、階級の廃止という共産主義運動の目標に理論的根拠を与えることになった。
 
 しかし、よく考えてもらいたい。
  実際に、資本家はそもそも労働者が生産物を作り出さない間にも労働に対して報酬を払っているわけであり、それを投資と言う。
  当然に労働者が働く場所に関しても、「投資」が行われ、またその投資に対する回収も必要となるのである。
  これらは、もともと自然にあるものではなく、人為的に整備される資本であり、ある意味臭いはブルジョワジー資本でありながら、ある意味においては社会資本である。
  社会資本が変えれば社会的な混乱は避けられない。まさに、銀行の倒産などによって連鎖倒産が発生するのは、ある意味であるし、マイカルが倒産したときも連鎖倒産はかなり大きくあった。
  業種に限らず、社会の中で活動を行っていれば、その社会活動の停止またはその社会活動の他者への移行は、そのブランク時期をも含み、社会的な影響を持つ。
  あえて「社会的影響」と言っているのは、ここで言う「社会」とマルクスが資本論の中で労働集積の場として存在させる「社会」が同じものであるからに他ならない。
  要するに、ブルジョワジーを圧殺した後の社会は、ブルジョワジーのいた頃の社会ではなく、その社会は、形が変容している内容となってしまっているために、新たな構造が必要となってくる。
  その時点において、「社会」そのものが「ブルジョワジー的な支配階級」になっており、プロレタリアートは常にプロレタリアートのままになってしまうと言うことが、マルクスにはわからなかったようである。
 
  このように考えれば、当然にこの仲の論理は、当初から格差を生み、なおかつ権力が集中したままの階級社会が前提となる。
  分配原資が、すべての民に十分になければならないし平和である中における人口の増加などに関する内容も一切考慮されていない。
  人口増加に関しては、中国は非人道的と批判のあった「一人っ子政策」を行うことになったが、実際にそのようなことを行ったとしても、間に合うものではなかった。
  まさに、共産主義経済システムの理論は唯物史観的なひとつの経済的欲望以外の欲望を抑えることはできず、また、同時に唯物史観的な経済的な欲望をも抑えることができず、社会主義国家における政治権力と富の偏重が行われることになるのである。
 
  さて、私のような人間でもこれくらいのことに気づくのである。
  過去の偉人たちはこの矛盾に気づき、なおかつ、この矛盾を修正し、そして新たな形を生み出してきた。
  明日はその考え方を見てみたいと思う。

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平成25年GW連載「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」 第3回 ロシア革命とヨーロッパの左翼思想

平成25年GW連載「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」
第3回 ロシア革命とヨーロッパの左翼思想

 フランス革命以降、王権神授説というよりも、そもそも王権や支配権に関して、神話や神々の権威が否定され、フランスサヨクによる生活権利を基にした共和主義が中心にある。そのときに中心になったのがプロレタリアートである。
  プロレタリアートとは、資本主義社会における無産賃金労働者階級のことをいう。
  基本的には、中世肩近代に移行する時期の家内制手工業から産業革命以降の工業時代において、最低賃金法によって守られた人々のことである。
  逆に法律によって守られなければならない人々であることから、下層階級という感覚を持つ。
  雇用する側の資本家階級を指すブルジョワジーと対になった概念である。
 
  ドイツの学者ロレンツ・フォン・シュタインが1842年に執筆・刊行した著書『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』で、この語を資本主義体制下の生産手段を持たない貧困階級の意味で使ったのが有意の初出とされる。
  マルクスとエンゲルスは、1848年に刊行された『共産党宣言』の中で、「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という歴史観を述べた。
  その上で、近代ブルジョワ社会においては全社会がブルジョワジーとプロレタリアートに分かれていくこと(両極分解論)、そして最終的にはプロレタリア革命によってプロレタリアートが勝利し、階級対立の歴史が終わると本の中で記載している。
  これに対してエドゥアルト・ベルンシュタインは、著書『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』の中で株式会社制度のためイギリスやフランスにおいて有産層はむしろ増えていることを指摘し、『共産党宣言』の両極分解論を否定している。
  歴史はベルンシュタインのほうが正しいことを示しており、西欧先進国においてはプロレタリア政党は権力を獲得できなかったのにたいして、むしろプロレタリアートが多数を占めていないロシアや中国において革命が起こったのである。
  そしてそのロシア革命後のソ連が崩壊し、また、共産党一党独裁の中華人民共和国は改革開放経済を行い、そのほかの教案等政党も、多くはマルクス主義の政党綱領を捨ててしまっている。
  資本主義体制下で存続していた共産党をはじめとする数ある共産主義政党・社会主義政党も社会主義革命を目指した政党は、その利益を代表するとしたプロレタリアート概念を取り下げて、特定の階級を代表しない、いわゆる国民政党へ転じたのである。
  これによって全世界的にプロレタリアート政党というものはほぼなくなってしまっている。
  しかし中国共産党はいまだに憲法の中にマルクス主義を高くうたっているし、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国は、いまだに実態として共産主義国家を行い革命のための先軍主義を行っているのである。
 
  このようにプロレタリアートが革命を起こして社会主義国家を作った最初の例が「ロシア革命」である。しかし、私はアマリロリア革命には詳しくない。
  そこで、いつものごとくインターネット上の内容を引用して解説して見たい。
 
  ロシアでは1861年の農奴解放以後も農民の生活向上は緩やかで、封建的な社会体制に対する不満が継続的に存在していた。
  また、19世紀末以降の産業革命により工業労働者が増加し、社会主義勢力の影響が浸透していた。これに対し、ロマノフ朝の絶対専制(ツァーリズム)を維持する政府は社会の変化に対し有効な対策を講じることができないでいた。
  日露戦争での苦戦が続く1905年1月には首都サンクトペテルブルクで生活の困窮をツァーリに訴える労働者の請願デモに対し軍隊が発砲し多数の死者を出した(血の日曜日事件)。
  この事件を機に労働者や兵士の間で革命運動が活発化し、全国各地の都市でソヴィエト(労兵協議会)が結成された。
  また、黒海艦隊では「血の日曜日事件」の影響を受け戦艦ポチョムキン・タヴリーチェスキー公のウクライナ人水兵らが反乱を起こしたが、他艦により鎮圧された。
  もちろん、これらの蔭に日露戦争で勝利を収めるためにスパイ活動に専従した明石元次郎大佐の活躍は見逃せない。
  しかし、今回の連載の趣旨からは外れてしまうのと、私にとっては思い入れが強いので、長くなってしまうために、ここでは涙を呑んで割愛する。
 
  こうした革命運動の広がりに対し皇帝ニコライ2世は十月勅令でドゥーマ(国会)開設と憲法制定を発表し、ブルジョワジーを基盤とする立憲民主党の支持を得て革命運動の一応の鎮静化に成功した。
  一方、労働者を中核とした社会主義革命の実現を目指したロシア社会民主労働党は方針の違いから、1912年にウラジーミル・レーニンが指導するボリシェヴィキとゲオルギー・プレハーノフらのメンシェヴィキに分裂していたが、ナロードニキ運動を継承して農民の支持を集める社会革命党と共に積極的な活動を展開し、第一次世界大戦においてドイツ軍による深刻な打撃)が伝えられるとその党勢を拡大していった。
 
  1917年2月23日、ペトログラードで国際婦人デーにあわせてヴィボルグ地区の女性労働者がストライキに入り、デモを行った。
  食糧不足への不満を背景とした「パンをよこせ」という要求が中心となっていた。他の労働者もこのデモに呼応し、数日のうちにデモとストは全市に広がった。
  要求も「戦争反対」や「専制打倒」へと拡大した。
 
  ニコライ2世は軍にデモやストの鎮圧を命じ、ドゥーマには停会命令を出した。
  しかし鎮圧に向かった兵士は次々に反乱を起こして労働者側についた。2月27日、労働者や兵士はメンシェヴィキの呼びかけに応じてペトログラード・ソヴィエトを結成した。
  メンシェヴィキのチヘイゼが議長に選ばれた。
  一方、同じ日にドゥーマの議員は臨時委員会をつくって新政府の設立へと動いた。
  ニコライ2世は退位へと追い込まれ、ロマノフ朝は崩壊した。
 
  3月12日に中央委員のカーメネフとスターリンが流刑地からペトログラードに帰還すると、ボリシェヴィキの政策は臨時政府に対する条件付き支持・戦争継続の容認へと変化した。
  機関紙『プラウダ』には
  「臨時政府が旧体制の残滓と実際に闘う限り、それに対して革命的プロレタリアートの断乎たる支持が保証される」
  「軍隊と軍隊とが対峙しているときに、武器をしまって家路につくよう一方に提案するのは、最もばかげた政策であろう。……われわれは、銃弾には銃弾を、砲弾には砲弾をもって、自己の持場を固守するであろう」
  などといった論説が掲載された。
 
  これに対し、4月3日に亡命地から帰国したレーニンは、「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」と題したテーゼ(四月テーゼ)を発表して政策転換を訴えた。
  その内容は、臨時政府をブルジョワ政府と見なし、いっさい支持しないこと、「祖国防衛」を拒否すること、全権力のソヴィエトへの移行を宣伝することなどであった。
 
  「ミリュコフ覚書」が引き起こした四月危機の影響もあり、この四月テーゼは4月24日から29日にかけて開かれたボリシェヴィキの党全国協議会で受け入れられ、党の公式見解となった。
 
  第一次連立政府で陸海相となったケレンスキーは、同盟諸国からの要求に応え、前線において大攻勢を仕掛けた。
  攻勢が行き詰まると兵士たちのあいだで政府に対する不信感はさらに強まった。
  7月2日、ウクライナにペトログラードの第一機関銃連隊は、7月3日、ソヴィエトの中央執行委員会に全権力を掌握するよう求めるための武装デモを行うことを決定した。
  7月4日になるとデモの規模はさらに拡大したが、政府とソヴィエト中央を支持する部隊が前線からペトログラードに到着し、力関係が逆転した。武装デモは失敗に終わった。
  デモを扇動したのはアナーキストであり、ボリシェヴィキは当初の段階ではデモを抑える姿勢をとっていた。
  しかし抑えきれないまま始まってしまったデモを支持する以外なくなった。
  デモが失敗に終わると一切がボリシェヴィキの扇動によるものと見なされ、激しい弾圧を受けることになった。
 
  この後、政権の混乱が続くのであるが、ペトログラード・ソヴィエトは10月12日に軍事革命委員会を設置した。
  これは元々はペトログラードの防衛を目的としてメンシェヴィキが提案したものだったが、武装蜂起のための機関を必要としていたボリシェヴィキは賛成した。
  10月24日、第二回全国労働者・兵士代表ソヴィエト大会が開かれた。
  冬宮占領を待ち、大会は権力のソヴィエトへの移行を宣言した。さらに27日、大会は全交戦国に無併合・無賠償の講和を提案する「平和に関する布告」、地主からの土地の没収を宣言する「土地に関する布告」を採択し、新しい政府としてレーニンを議長とする「人民委員会議」を設立した。
 
  モスクワでは10月25日にソヴィエト政府を支持する軍事革命委員会が設立され、26日に臨時政府の側に立つ社会保安委員会がつくられた。
  10月27日に武力衝突が起こり、当初は社会保安委員会側が優勢だったが、周辺地域から軍事革命委員会側を支持する援軍が到着して形勢が逆転した。
  11月2日に社会保安委員会は屈服して和平協定に応じた。
  軍事革命委員会は11月3日にソヴィエト権力の樹立を宣言した。
  ボリシェヴィキとともに武装蜂起に参加した社会革命党左派は、11月に党中央により除名処分を受け、左翼社会革命党として独立した。
  左翼社会革命党はボリシェヴィキからの入閣要請に応じ、12月9日に両者の連立政府が成立した。
 
  1918年7月4日から7月10日にかけて開かれた第五回全ロシア・ソヴィエト大会は最初のソヴィエト憲法を採択した。
  憲法の基本的任務は「ブルジョワジーを完全に抑圧し、人間による人間の搾取をなくし、階級への分裂も国家権力もない社会主義をもたらすために、強力な全ロシア・ソヴィエト権力のかたちで、都市と農村のプロレタリアートおよび貧農の独裁を確立すること」とされた(第9条)。
  また、ソヴィエト大会で選ばれる全ロシア・ソヴィエト中央執行委員会を最高の権力機関とする一方、ソヴィエト大会および中央執行委員会に対して責任を負う人民委員会議にも立法権を認めた。
 
  この大会の会期中の7月6日、ブレスト=リトフスク条約に反対する左翼社会革命党は戦争の再開を狙ってドイツ大使のミルバッハを暗殺し、軍の一部を巻き込んで政府に対する反乱を起こした。
  反乱は鎮圧され、左翼社会革命党は弾圧を受けることになった。ソヴィエト政府はボリシェヴィキの単独政権となり、野党は存在しなくなった。
 
  少し長くなったが、これがロシア革命の流れである。キーになる内容は入れたつもりである。
  一方で戦争や武装蜂起に関することは抜いて見たので、あまりつながらない部分がある人もいるかもしれない。
  しかし、このようにして、革命と議会(この場合はソヴィエト)の権力闘争であり、きっかけの部分はプロレタリアートのデモであったかもしれないが、最終は上層部の権力闘争で終わっているところが良くわかるのではないか。
  その指導者といわれる人、ロシア革命の場合はレーニンに当たるのであるが、その人物の内容が「ブルジョワジーの抑圧」「プロレタリアートによる革命(独裁)」ということになってきている。
  これが無ければ帝政独裁とあまり代わりが無いのである。
  そしてもう一つの特徴は、革命後の粛清である。
  ここには書いていないがトロツキーも粛清されているし、ニコライ二世とその家族も銃殺刑になっている。
  まさに、権力者の代わりになりそうなものを殺して地位を確定するということが共産主義者の粛清の目的であり、そのことによって恐怖政治を行うのである。
 
  日本の文化では、敗戦の武将も登用して重責につくという習慣があるので、これらの粛清に関してはあまり理解ができないのであるが、あまり日本人的ではない人々は内ゲバなどを行うのかもしれない。
  まさにそのことが、最大の大きな問題である。
 
  では、ロシアの国民をこのような革命に駆り立てた思想は何なのか。
  明日は、そのマルクス主義に関して考えて見たい。

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平成25年GW連載「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」 第2回 「左翼」という呼称とその思想の流れ

平成25年GW連載「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」
第2回 「左翼」という呼称とその思想の流れ

 そもそも「左翼」思想とは何であろうか。
  この「左翼」の語源は、第1回に記載したフランス革命に由来する。
  「左翼」という表現は、フランス革命後、民衆が集まって政治を行う、現在の議会政治のような形で国民議会が開催される。
  その国民会議において議長席から見て左側の席を、共和派や世俗主義などの急進派が占めた事に由来するからである。
  これに対して保守派は右側に固まって座ったことから、改革の慎重派や保守派に関しては右翼と言う言い方をする。
  しかし、「左翼」が「急進的」と言うイメージから考えて「右翼」も「先鋭的保守派」という感覚で捕らえられることが少なくない。
 
  これは、フランス革命において最も急進的なジャコバン派がこの国民会議の後に政治的に中心になったことから、ある意味で左翼が急進的なイメージに捉えられるようになり、その後ものさしと同様に中心から遠ざかるほど急進的・先鋭的になると言う感覚を持つようになったのである。
 
  フランス革命は、そもそも皇帝ルイ十六世の失政により、生活に困窮した下層民衆が、財政難にかかわらず税の限りを尽くしていた皇帝や貴族に対して反乱を起こした、いうなれば身分闘争である。
  当然に平民階級の人々が上層部の貴族や騎士といった人々に対して反乱を起こすと言うことになる。
  もちろん、ルイ十六世一人が悪いわけではない。
  太陽王といわれたルイ十四世の外征の連続によって、フランスの財政が逼迫しており、その後それを立て直すことができない状態でありながら、ルイ十四世のような国民への希望を持たせることができなかった。
  その国民への希望がないと言うことに関して、国民がその「閉塞感」を自らの力で打破しようとしたのが革命である。
 
  当然にその「閉塞感」の打破から革命が始まったことを考えると、バスティーユ監獄と言う政治犯が投獄されているところの破壊開放が最もはじめに行われたことは理解できるのではないでしょうか。
  さて、この革命は、当然に一気にそれまでの秩序や統治機構を破壊するのですから、急進的にならざるを得ない。
  話し合いや禅譲による易姓革命のようなものであれば、急進的である必要はなく、徐々に無理のない速度で変化をしてゆけばよいのです。
  しかし、階級闘争はそのようにはならない。
  ひとつには、それまでの支配階級が再度力をつけて復習に来る可能性があるからだ。
  そしてもうひとつ、この理由のほうが大きいのであるが、それは彼ら国民の生活がかかっていたと言うことである。
 
  大体多くの革命のきっかけは、「そのままの生活を続けていればいずれ死んでしまう」ということが中心になってくる。
  そのために、「同じ死ぬならば、一か八か戦ってみよう」と言うことになる。
  これを、「Prospect理論」という。
  人間は何かものを得るときには、リスクをとることはほとんど行わない。
  たとえば、「無条件でお金をくれる」「くじ引きで倍のお金をくれるが、外れればゼロになる」と言う選択肢に関して、皆さんはどちらを選ぶであろうか。
  これは大体の人が「無条件でくれる」方を選択するのだ。
  しかし、逆に「無条件で取られる」と言うのと「くじ引きであたった人はタダになる。
  しかし、外れた人は倍払う」と言う場合は、多くの人はくじ引きをするほうを選ぶのである。
  まさにこれが「Prospect理論」である。
  要するに、人間の多くの習性として、「物を得る」時にはリスクを張ることはしないが、物を失うときにはリスクを厭わないという正確である。
  フランス革命では、この「Prospect理論」が成立する。
  それも失うものが命、それが自分であるかあるいは自分が大事に思う人かどうかは別にして、命がかかているのである。
  このために、当然にリスクを厭わないで勇敢に「革命」を遂行するのである。
 
  では、このときに中心になるのは誰か。
  これは簡単に言えば、「もっともリスクを厭わない人は誰か」と言うことになる。
  それは、逆な言い方をすれば、最も「このままの生活を続けていれば、死ぬのが早い人」と言うことになる。
  もちろん棒人やけが人と言う意味ではなく、「社会的弱者」もっと言えば「経済的下層民衆」と言うことになる。
 
  フランスでは、平民の最も低い低所得者を「プロレタリアート」とよんだ。
  まさに左翼の急先鋒であり、その後ジャコバン派の支持母体となった人々が「プロレタリアート」と言うことになる。ではプロレタリアートの目的は何か。
  そもそも、自分たちが差別的扱いと上層部の搾取によって自分たちの生活が成立しないものと考えている。
  そのことは、まさに、階級差別の解消ということが政治的な目的に消化することになる。
  このことがある意味において「原始共産主義」的なイデオロギーへの昇華ということになってしまうものなのである。
 
  このことから「左翼」という用語は、通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指し、プロレタリアートによる生活権の確保、そして、それがもう少し進むと所得格差などの解消と言うまさに「配分的平等社会」の実現を目指す用語になってしまう。
  別な見方をすれば、「均分的平等」を否定し、努力や能力を評価せず原始共産主義として物事を対処するような状況になってくるのである。そして、その実現手段として革命運動を施行する人が少なくない。
  また政治体制は社会主義または全体主義になり、経済体制は共産主義経済と言うことが前提となる。
  一部の中には社会民主主義または、アナキズム(無政府主義・無国家主義)などを支持する層を指すこともありうる単語となったのである。
  なお、このように「左翼」という単語ひとつでさまざまな勢力や対象をさす単語になったのは、まさに、左翼と言う単語が使われる場所、またはその内容によって異なると言う面である。
  単純にいえばイデオロギーをさす場合、政治システムや統治機構をさす場合、経済体制をさす場合、そして、それらを実現するための手段をさす場合でこれらの内容は異なるのである。
  そして、もともとの語源が議長席から見た席次であるのと同じように、まさに、この「左翼」と言う単語は相対的な位置づけに関して用いる言葉であって、何も固定された絶対評価の単語ではない。
  当然に、その反意語を示す「右翼」に関しても当然に同じことが言えるのである。
 
  さて、この「左翼」がこのような意味で歴史的な内容を迎えて、フランスでは共和制、その後王党派が復活してナポレオン皇帝の出現、再度共和制、そしてナポレオン三世というように、その内容が共和制と訂正を繰り返して近代に向かってくるようになる。
  当然に、これらの失敗を繰り返しながら、双方がイデオロギーそして理論的に固まってくることになる。
 
  その左翼の理論の中心になったのがマルクスであると言って過言ではない。
  なお、余談であるが20世紀初頭にアメリカでコメディアンをしていた「マルクス兄弟」とは異なる。
 
  双方がイデオロギーに染まり理論的な武装を行うようになるということは、理論の中における先鋭化が行われることになる。
  ある意味において、そのような理論化が行えるのは、「暇な人」なおかつ「現実を知らない人」でなければならない。
  要するに、大学および学生の間において資本主義または共産主義的な理論化が急激に進むことになる。
  特に、現状否定から入る共産主義、左翼主義的な理論の活性化は、徐々にマルクス主義への傾向を強めてゆくことになるのである。
  そのもっとも強い影響を受けたのがロシアである。
 
  ヨーロッパでも後進国であったロシアは、フランスのように共和制と帝政を左右する状態にはなかった。そのために、長い間帝政が続いたのである。
  この帝政ロシアと戦争したのが明治時代の日本だ。
  この日露戦争の行方から軍人の反乱が誘発され、レーニン・スターリンによる社会主義国家が誕生することになるのである。
  このロシア革命に関しては、明日以降しっかりと見てゆくことにしよう。
 
  その後ソビエト連邦ができるのであるが、レーニン死後は世界革命を主張するトロツキーが失脚させられ、後継には一国社会主義を主張するスターリンが権力を掌握した。
  スターリンの独裁体制は、政敵や無辜の民に対する大粛清を行うなど恐怖政治が横行した。
  帝政からの解放者としてのソ連共産党が全体主義的な傾向を強めていき、共産主義者による独裁は、それまでの帝政とまったく代わらない色合いが強くなっていった。
  そのために、議会政治や民主主義色が失われていったため、マルクス・レーニン主義から欧州の知識人も離反していった。
 
  それゆえ、西欧の共産党や急進左派は反ソ連・反スターリンの傾向を強め、リベラリズムとの親和性が高いユーロコミュニズムを提唱していくことになった。
  資本主義を認める穏健左派などと呼ばれるリベラリズム・社会民主主義が台頭してくることになる。
  もちろん、この社会民主主義が国家社会主義に変化しファシズムとなる。
  イタリアのムッソリーニやナチスドイツのヒトラーなどはまさに、穏健左派による国家社会主義によって生み出されたものであり、その経済基盤において平民に分配を行うために、拡大主義を実現するという矛盾した内容が出てくる。
  選民主義と戦争による拡大主義が一致した場合にナチスの第二次欧州戦争が行われるのである。
 
  国家社会主義は別にして、戦後もイギリスやフランスなどに「社会主義」や「労働」を謳う政党が存在するのは、まさに、このような西欧独特のリベラリズムに夜と事が大きい。
  そして、このような政党が「福祉国家」を建設することになるのである。
 
  少々はなしが先に行過ぎたようだ。
 
  今回は「左翼」という単語の語源と、その単語にまつわるヨーロッパの左翼思想の簡単な流れについて、誤解を恐れずに書いてみたものである。

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平成25年GW連載「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」 第1回 ゴールデンウィークとメーデー

平成25年GW連載「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」
第1回 ゴールデンウィークとメーデー

 毎年、この時期になるとゴールデンウィークと言う長期休日期間になる。
  日本はヨーロッパのようなサマーホリディ的長期休暇がないので、このような長期休暇は非常に喜ばれる制度である。
  そもそも、ゴールデンウィークとは、4月29日の昭和の天長節(昭和天皇の天皇誕生日)と、5月3日の憲法記念日、そして5月5日の端午の節句(こどもの日)が重なり、その中に土曜日と日曜日が入り込むことによって、カレンダー的に長期間の休暇をとることが可能になると言うことを意味しているものである。
  同時に、そのことから、その間の平日に有給休暇を合わせて、連休としてしまい、普段はできない長期間の旅行などを楽しむことができるという状態になったのである。

  会社のほうも心得たものであり、そのような休暇をとることを奨励したり、あるいはそのような休暇をとりやすくすることなど配慮を行っているところも少なくない。
  特にバブル崩壊、そしてリーマンショック以降の製造業においては、あまりプラスの考え方ではないが、生産調整の意味も含めて長期休暇を奨励するようになっている。
  ちなみに、私のいたような小売業などのいわゆる「客商売」は、このような連休は当然に「掻き入れ時」であり、かえって忙しくなるのが通例である。
  基本的に小売業や観光産業、または外食やホテル業界に関しては、この時期に休みを取りたいなどというとかなり顰蹙を買う状態である。
  マイカルの時代も本社から応援で店に出され、普段店舗労働になれていない私たちは、かえって「ありがた迷惑」の代表のような感じになってしまい、結局「歓迎されない」状態を作り出してしまうのである。
  このときに、人間得て不得手があり、不得意なことを無理にやらせても生産性が低いと言うことを肌で感じたものである。

  さて、ではなぜこの時期が「ゴールデンウィーク」なのか。

  基本的に長期休暇は、日本の場合、お盆と正月という二つの長期休暇がある。
  良く喜ばしいことを言うときに「盆と正月がいっぺんに来たようだ」などと表現をすることがある。
  古来、長期休暇は日本人にとって非常にうれしいものであって、その二つの長期休暇が一緒に来たようだと言う表現は、うれしいと言う物事の最大級であると言うことがいえる。
  本来は、お盆と正月が「ゴールデンウィーク」であってもおかしくはない。
  しかし、そうはいわない。なぜならば、お盆も正月も、実際には「実家に変える」または「墓参りをする」と言うことが最も重要なものであって、日本人にとっては、それがひとつの義務であるかのような感じになっている。
  ある意味において、お盆と正月は高度経済成長以降の核家族化した日本の社会の中において、家族制の習慣の残るものに関しては少々負担があったのかもしれない。
  実際に、「疲れても帰省しなければならない」というのは、ある意味自分のエゴではなく、祖父母や親のためまたは先祖のためであって、自分の休暇ではないと言うことになってしまう。
  その意味において、ゴールデンウィークは個人核家族化した日本の、まさにサラリーマンの長期休暇であったと言うことができるのではないか。
  その意味で、この時期のことを高度経済成長以降「ゴールデン」とつけていたのではないかと考えられる。

  今回の連載が、日本の文化や日本人の国民性を考える場合は、このままゴールデンウィークを中心にした日本の節句や、あるいは休日の一つ一つの意味に関して考えてみるのも良い話だと思うが、今回は、そのような話題ではないので、それは次の機会に譲るものとする。
  ちなみに、端午の節句と、雑節である八十八夜に関しては全国日本語学校連絡協議会の連載のほうに記載しているものがあり、それをまとめて書籍にする計画があるので、それを待ていただければありがたいと考えている。

  さて、このゴールデンウィークの真ん中に5月1日がある。
  この5月1日は何の日か?

  五月一日は、メーデーである。
  最近は、労働組合も不景気とゴールデンウィークに負けてしまい、人が集まらないために、平日のメーデーデモは行わず、その近辺の休日に集まっているようであるが、実際には五月一日がメーデーである。
  ゴールデンウィークで中国など間違って(あえて間違ってと書いたが)中国なんかに旅行してしまうと、ろくなサービスを受けることもなく、メーデーの馬鹿騒ぎに巻き込まれて大変な目にあってしまう。またそのような苦情なども少なくない。

  まずそもそも「メーデー」とは一体何なのか。いつもならばここでウィキペディアから抜粋するのであるが、今日は、知恵蔵2013からの本文そのままをここに抜粋してみる。
 
  <インターネット知恵蔵2013より抜粋>

  労働者の祭典。労働者が団結して権利を要求する日であり、世界的に毎年5月1日がメーデーとされている。

メーデーのきっかけとなったのは、1886年5月1日、アメリカの合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟)が8時間労働制を要求して行ったストライキ。
当時の労働者は、低賃金で1日12時間以上働かされるなど、過酷な生活を強いられており、これを改善するために労働者自らが立ち上がった。
3年後にパリで開かれた第2インターナショナル創立大会では、8時間労働制実現のデモを行うことが決議され、さらに5月1日を労働運動の日に設定した。
これ以降、メーデーは国際社会に広がることとなった。

日本で初めてメーデーが行われたのは、1920年、東京・上野公園。集まったおよそ5000人とも1万人ともいわれる労働者らが、8時間労働制や最低賃金法の制定などを訴えた。
しかし、世界大戦の足音が近づく中、36年には青年将校らによる2.26事件が発生。
メーデーは禁止され、太平洋戦争が終わる45年までメーデーが開催されることはなかった。
だが、終戦と同時に復活。戦後初めての46年メーデーでは、「働けるだけ喰(く)わせろ」がスローガンに掲げられ、盛大に開催された。
近年、経済が安定し、5月1日がゴールデンウィークの長期休暇に含まれるようになって以来、メーデーへの参加者は減少。
若い世代にはメーデーを知らない人も出てきているが、「8時間は労働、8時間は休息、そして残り8時間は自分たちの自由な時間のために」というメーデー誕生当初の主張は、いまも語り継がれている。

メーデーにまつわる事件としては、52年に起こった「血のメーデー」がある。
サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約への抗議を含んだこの大会では、デモ隊と警官隊が皇居前広場で激しく衝突。
デモ隊から死者2人、双方から1500人以上の負傷者を出す流血の大惨事となった。

ちなみに、ヨーロッパではメーデーを労働者の日としてだけでなく、「五月祭」を楽しむ祝日としており、花の冠をかぶせた「五月の女王」を仕立てる伝統行事などが各地で開催される。

( 高野朋美 フリーライター )

<以上知恵蔵2013より>

 このようにカナダ発の「労働者の祭典」がメーデーとなっている。
  この労働者が「貧困」もしくは「低所得者」と言う考え方をすると「プロレタリアート」という感覚になる。
  このプロレタリアート言う名称はそもそもフランス革命(フランス革命に関してどこからどこまでをフランス革命と言うかの定義は難しいのであるが)における階級闘争の中における低所得者層、特にジャコバン派による政治基盤をプロレタリアートと言い、まさに、ルイ十六世とその妻マリーアントワネットをギロチンに処した人々である。
  その人々による革命、要するに、労働者階級低所得者層による革命を「プロレタリアート革命」と言うようになり、その革命による最終形態が原始共産主義、まさに、マルクス主義に近いものになってしまう。

  このために、労働組合や共産主義・社会主義の国々においては、このメーデーは一大休日であり祭典である。
  このために、いまだに共産党一党独裁を行っている中華人民共和国においては、メーデーから約二週間を「メーデー休み」として長期休暇になり、また、日本のサービス業やホテル産業、または外食産業のようなメーデーが掻き入れ時と言う感覚もないのだ。
  まさに中国におけるメーデーは、それら「客商売」であっても労働者とみなされることから、その日の労働そのものに違和感を感じ、せっかくゴールデンウィークに旅行している日本人が不快な思いをすることも少なくないのである。

  さて、このメーデーを中心に、そもそも「労働者革命」「プロレタリアート革命」と言うものは一体何なのか。
  または、共産主義とは一体どのようなものなのか。上記の知恵蔵の記述にあるように、戦後日本でもメーデーを行うようになったその背景と、日本におけるこれら「プロレタリアート革命思想」がどのような系譜をたどってきたのか。
  今回のゴールデンウィークの連載は、この左翼思想の系譜に関して、最も一般的な内容に関して記載してみようと思う。
  もちろん、本来であれば赤軍派やよど号事件、そしてあさま山荘事件などの過激派事件なども見てゆかなければならないし、その後の、内ゲバ事件なども見てゆかなければならない。
  しかし、そのような社会事件的な内容に関しては、なるべく最小限にし、一般的な思想の系譜を中心に、そしてその思想の系譜が日本の政治に及ぼした影響に関してということを中心に見てゆきたいと考えているのである。

  なお、完全に蛇足になるが、五月一日はもうひとつ重要な意味がある。
  これは何かと言うと、このブログを記載している私の誕生日である。
  私は中国にいってもいつも首位の中国人(かなりの高官もいる中であるが)にたいし「五月一日は、私は世界中の労働者が宇田川の誕生日を祝う日と思っている」と明言してはばからない。
  基本的に、メーデーに特別な意識をしている中国人も、私のこの言葉に対しては、ある人は笑顔で、ある人は苦笑しながら「同意」してくれるのであるが、残念ながら彼らから誕生日プレゼントをもらったことはない。

  では、明日から、その内容、もちろん、私の誕生日ではなく左翼思想の系譜に関して考ええ見たいとおもう。

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尖閣諸島問題は単なる隣国間の外交問題にあらず。武力や威圧によって他国の主権や領土を脅かす世界秩序を乱す中国への国際社会を代表しての日本からの警告である。

尖閣諸島問題は単なる隣国間の外交問題にあらず。武力や威圧によって他国の主権や領土を脅かす世界秩序を乱す中国への国際社会を代表しての日本からの警告である。

 しばらく北朝鮮の核ミサイルによって、日本のマスコミが目を放している隙に中国の人々が尖閣諸島周辺にまた出没するようになった。
 実際に習近平体制になってからあまり行われなかった漁業監視船が八隻、尖閣諸島領海内に進入したのである。もちろん、この背景にはさまざまなものが存在する。
 ひとつには、当日「がんばれ日本」の人々が漁船として尖閣諸島沖合いに行ったことに対する対抗措置ということであろう。これは、ある意味において昨年八月に香港の活動家が尖閣諸島に上陸した際に日本の警察官が待ち構えていて捕獲(あえて逮捕ではなく捕獲と言う単語にしましたが)したことに対抗する内容であると言うこと。基本的に日本の警察組織が行った内容と同じ事を、尖閣諸島の領海内で中国が行うことをもって、中国の警察権が存在するかのように偽装することが目的であったのではないかと予想される。
 第二に、靖国問題に関しての韓国の反応である。靖国神社の例大祭における閣僚の参拝や奉納品に関しては、過去に多少の例外はあっても中国からの反発はなかったのである。しかし、韓国が異常なまでの靖国に対する反応を示したので、それに呼応する形で何らかのアクションを起こしたと言うのがもうひとつの内容ではないのか。靖国神社問題に関しては昨日のブログで書いた通りであるが、実際に、韓国に関しては、政権基盤がまったく安定していない状態であるために、その安定していない政権基盤を揺るがす意味でこのような報道をマスコミがこぞって報道したものである。特に、韓国に行けば「朴大統領と安倍首相は仲が良い」と言うことが一般の国民の反応であり、その声に呼応する形で「安倍内閣の行ったことは、朴政権が日本に甘い態度を示しているからだ」という、国内向けの批判がそのまま日本に飛び火しているものである。しかし、そうではあっても勧告のマスコミが大騒ぎして中国が騒がないわけには行かない。中国は「おっとり刀」でようやく騒ぎ、そして政治外交に利用するのである。
 そして、第三の理由として、日本と台湾の漁業協定である。もちろん、この漁業協定に沖縄県の漁民や知事などからは「頭ごなしに交渉」と批判をしている向きもあるであろうが、実際に、日本の台湾政策は徐ジョン中国を追い詰めていると言ってよいのではないだろうか。尖閣諸島周辺の漁業権に関して、台湾と日本の間で内容をと決めると言う場合、中国の今までのスタンスで「ひとつの中国」と言うことを言えば、台湾と言う「ひとつの中国」が、尖閣諸島周辺の漁業権を日本が諸分権を持っていると言うことを「ひとつの中国」が認めた実績となり、中国として、台湾のコントロール細くと言うことで日本に尖閣諸島の問題で大きな事を言うことができなくなる。一方で、これを認めないで、漁業交渉そのものから否定して尖閣諸島の領有を主張すると言うことは、「ひとつの中国」を否定することになってしまい、台湾に対するスタンスが変わることになる。同時に、その場合は、台湾と言う中国語をしゃべる国家またはその地域が中国の先覚の領有権を否定したと言うことになるのである。安倍内閣は一致して台湾を中国からの独立した政府というスタンスで扱っており、中国は、統一した理論上で物事を考えれば、尖閣諸島を取るか台湾を取るかということで選択を突きつけられた形になり、中国は、その選択ができない以上、国際社会に対して実力行使的に、急いで領有を認めさせなければならないと言うことであせる形になるのである。
 そのような中での今回の対応。その対応に関しての報道を見てみよう。

領海侵入の中国「日本が問題を引き起こした」

 【北京=五十嵐文】中国国家海洋局の監視船8隻が尖閣諸島周辺海域で領海侵入した問題で、中国外務省の華春瑩(フアチュンイン)副報道局長は23日の定例記者会見で、「日本の右翼が釣魚島(尖閣諸島の中国名)海域に不法侵入し、問題を引き起こしたことに対し、日本に強く抗議した」と述べた。
 習近平(シージンピン)政権は、安倍内閣の閣僚らが靖国神社を参拝したことにも反発しており、今後、尖閣周辺での示威活動を強める可能性がある。
 国家海洋局によると、尖閣周辺にいた「海監」3隻が「多数の日本の船」を発見、東シナ海の別の場所にいた5隻を尖閣周辺に向かわせ、計8隻で「追い払った」としている。
 一方、華副局長は同じ記者会見で、安倍首相が靖国神社に真榊(まさかき)を奉納したことや、閣僚ら多数の国会議員が靖国神社を参拝したことについて、「日本の指導者がいかなる方式、いかなる身分で参拝しようとも、本質は日本の軍国主義の侵略の歴史を否定する企てだ」と批判した。

2013年4月24日(水)1時57分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20130423-01162/1.htm

領海侵入、中国大使に抗議…北京でも申し入れ

 中国公船8隻の領海侵入を受け、河相周夫外務次官は23日午前、中国の程永華(チョンヨンフア)駐日大使を外務省に呼び、強く抗議するとともに、即時に領海から退去させるよう要求した。
 北京の大使館ルートを通じても同様の申し入れを行った。
 菅官房長官は同日午前の記者会見で、8隻が領海侵入を強行した背景について、「(麻生副総理ら閣僚の靖国神社参拝とは)あまり因果関係がないと思う」との見方を示した。一方、安倍首相は23日午前の参院予算委員会で、日本漁船が尖閣周辺の領海内にいることに触れ、「それに反応したのではないか」との見方を示した。

読売新聞 2013年04月23日14時25分
http://news.livedoor.com/article/detail/7617278/

尖閣に公務員駐在も…首相、対抗措置を示唆

 安倍首相は23日の参院予算委員会で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の周辺海域で中国公船による領海侵犯が続いていることを受け、「尖閣諸島と海域を安定的に維持管理するための具体的な方策として、(島への)公務員の駐在や船だまり(の建設)などの様々な選択肢は常に頭の中にある」と述べた。
 中国側による領海侵犯が今後も続く場合には、政府として新たな対抗措置を取る可能性があることを示したものだ。
 ただ、首相は「中国が挑発行動を取って問題があるからといって、全ての関係を閉じるのは間違いだ」とも強調し、今後も冷静に対応していく考えを示した。
 政府内には、日本と台湾が今月10日に日台漁業協定に調印した後、中国公船の侵犯の頻度が上がっていることから、「尖閣をめぐる日台関係が劇的に好転したことに中国は焦りを強めている」(政府筋)との見方も出ている。

2013年4月23日(火)22時51分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20130423-01425/1.htm

 「歴史問題」とか「固有の領土」とかと言う話ではなく、すでに上記のように中国の「ひとつの中国」という観点と、一方で尖閣諸島の領有と言うロジックは現在の国際法上完全に破綻していると言うことになる。
 しかし、キーワードは私の前半の文章の最後に「国際社会に対して実力行使的に、急いで領有を認めさせなければならない」と記載したところである。
 国連憲章第一条においては、物事の紛争は必ず話し合いに基づいて行うものであると決められており、その話し合いないままに、一方的に中国国内法で日本が領有している尖閣諸島における「領海法」を決定し、日本との話し合いもないままに実力行使で領有権を主張する。もしも歴史的に「固有の領土」であるならば、そもそもアメリカが占領していた題に同様の話を出していれば良い話ではないのか。そのような主張をアメリカに対して行わなかった歴史そのものが、中国の「理不尽」さを表現することになってしまっている。
 そのうえで、今回の事件は、この余蘊「威圧と軍事力で外交問題(領土不法占拠)を許してよいのか」というものであり、強国が理不尽に軍備のない国(自衛隊しか存在しない)に対して圧力をかけるという世界秩序を破った行動を、世界は許すのかと言うことをしっかりと訴えなければならない。まさに、国際的秩序を護らない中国に対して世界的な講義を行うべきであり、尖閣諸島を知らない国の人々に対しても、「中国の世界秩序破壊を許すのか」という問いかけを行うべきである。ちなみにこれは韓国の竹島やロシアの北方領土に関しても同じ反応を行うべきであり、日本は、その世界秩序を堂々と主張する国であり続けなければならない。
 このことを、いかに平準化してなおかつ世界の世論を味方につける「宣伝戦」を日本が行うのか。そのことをしっかりと考えるべきではないのか。もはや尖閣諸島問題は「日本の外交問題」ではなく、世界の秩序を破壊する中国への警告、と位置づけるべきである。

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靖国神社の例大祭への閣僚参拝と中国韓国の抗議と日本人の「心」

靖国神社の例大祭への閣僚参拝と中国韓国の抗議と日本人の「心」

 靖国神社の4月例大祭である。
 靖国神社に関しては、さまざま日本国内において議論もなされており、また、「東アジア」とマスコミは言っているが、要するに中国と韓国だけが大騒ぎしている。私の経験上、たとえば台湾は、現在も台湾の国内に「日本人を祀った神社」が5社存在し、その神社は今でも台湾の人に愛されている。日本人が祀られているものではなくても、さまざまな台湾の地元宗教の施設や道祖神的な街の祠などに、昭和初期の日本人が寄贈した鐘や灯篭などがあり、日本語が書かれていることも少なくないのである。
 また、インドネシアなどは、建国の父は日本人と言うような人も少なくないし、タイやミャンマーは日本人が作った鉄道や橋に感謝しそのような記念館を作っているところもある。もちろん、これらの施設を作ったのは、日本軍であり、インドにいるイギリス軍の攻撃または援蒋ルートを通って中国を攻撃することが目的であった。しかし、軍隊の作った施設と言えども、当時から民間人も使っており、そのような帝国陸軍の遺産が戦後の東南アジアの独立発展に大きく寄与したことは間違いがない。そして、その日本の軍人が英霊となって祀られているのが靖国神社である。
 日本の閣僚の靖国神社参拝を批判している国は、基本的に中国と韓国の二カ国。これに対して靖国神社に元首もしくは閣僚もしくは大使が正式参拝した国はアメリカや台湾、インドネシアを含め36カ国。非公式を含めると、圧倒的に参拝した国が多い。ある意味において、日本の閣僚も行っているが、現在の国家がその国の形を保持しているのは、歴史に名前を残している指導者ひとりの力ではなく、無名戦士の英霊が支えている部分が少なくない。私自身は、その国の歴史において、たとえば安倍首相が中国や韓国の無名戦士の墓に参拝しても、その行為だけで特に批判するつもりはない。しかし、日本国の首相または閣僚が日本の無名戦士を祀っている神社に参拝せず外国の無名戦士の墓だけに行くのは強烈な違和感を感じるものである。民主党政権の悪行をいまさらいっても仕方がないが、鳩山元首相と野田前首相は、日本の靖国神社に参拝することなく、外国の無名戦士の墓に参拝している。そもそも「戦争反対」「平和主義」と言っているならば、双方の戦士の墓に行かなければなよいし、一方で外国の墓に行くならば、まず日本人の墓に行くべきではないのか。逆に日本の抱け言って外国の墓に参拝しない、戸国にhんと敵国となった国には行かないというならば理解できる。
 彼らの「政治的な信条」がいかにいい加減なものであるかが良くわかる逸話として私がつかわさせていただいている内容である。
 さて、今回はそのような話ではない。日本人が日本を作った靖国神社に参拝したら、なぜか中国と韓国が抗議をしてくるという話である。

麻生副総理ら、靖国参拝…首相は真榊料奉納

 麻生副総理と古屋国家公安委員長は21日、東京・九段北の靖国神社をそれぞれ参拝した。
 同日始まった同神社の春季例大祭に合わせたもので、加藤勝信官房副長官も参拝した。一方、安倍首相は同日、神前に供える真榊(まさかき)を奉納した。同神社や首相周辺によると、「内閣総理大臣安倍晋三」名で、神社参拝を見送る代わりに私費で真榊料を納めたという。
 麻生氏は、関係者によると本殿に昇らず、記帳もしなかった。古屋氏は参拝後、記者団に「国務大臣古屋圭司」と記帳し、私費から玉串料を納めたことを明らかにした上で、「国のため命をささげた英霊に対し、哀悼の誠をささげるのは当然のこと」と語った。
 公明党の山口代表は21日、さいたま市内での記者会見で閣僚の参拝について、「どういう説明をしたとしても外交的な影響は避けられない」と懸念を示した。
 第2次安倍内閣で参拝が明らかになった閣僚は、20日の新藤総務相を含めて3人になった。

2013年4月21日(日)20時24分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20130421-00525/1.htm

中国「日本側に厳正に抗議」…靖国神社参拝で

 【北京=牧野田亨】麻生副総理と古屋国家公安委員長が21日に靖国神社を参拝し、安倍首相が真榊(まさかき)を奉納したことについて、中国外務省の華春瑩(フアチュンイン)副報道局長は22日の定例記者会見で、「日本側に厳正に抗議した」と述べた。
 華副局長は「靖国神社問題は、日本の為政者が軍国主義の侵略の歴史に正しく対処できるかどうかに関係する」と指摘。「侵略の歴史を直視し、深く反省してはじめて、アジアの隣国と友好協力関係を発展させることができる」と述べた。

2013年4月22日(月)20時36分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20130422-01217/1.htm

韓国外交相が訪日中止、閣僚の靖国参拝に反発

 【ソウル=中川孝之】韓国政府当局者は22日、韓国の尹炳世(ユンビョンセ)外交相が、麻生副総理らの靖国神社参拝に反発し、今月中に予定していた訪日を中止すると明らかにした。
 朴槿恵(パククネ)政権発足後、初めてとなる外相訪日が取りやめになることで、今後の日韓関係改善や北朝鮮への対応などで影響が出そうだ。
 韓国外交省報道官は同日、靖国神社が「侵略戦争を美化している」と批判した上で、安倍首相の同神社への真榊(まさかき)奉納や閣僚の参拝について「深い憂慮と遺憾」を表明した。尹外相は24日に訪中し、中国の王毅(ワンイー)外相と会談した後、26~27日に訪日し、岸田外相と会談する方向で調整していた。

2013年4月22日(月)11時6分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20130422-00501/1.htm

 まず、歴史認識をしっかりすべきである。単純に靖国神社に祭られているのは、大東亜戦争の戦死者だけではない。この部分を靖国神社のホームページからそのまま抜粋(途中略す部分もありますが、紙面の都合ですのでご了解ください)する。
<以下靖国神社ホームページより抜粋>
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
 <中略>
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
<以上靖国神社ホームページより。http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html
 そもそも、現在の日本を形作った人々の尊い生命が柱となって祀られているものであり、日本人が現在の繁栄を享受していることがこの中にあるのである。もちろん大東亜戦争の敗戦はあったが、その敗戦があったことで、明治維新以降のすべての日本の行為を否定することは日本人だけでなく中国人も韓国人もできないはずであるし、そのような申し出は毅然とした態度で望まなければならないはずである。
 靖国神社の件に関して、中国の人々と話をすることがある。基本的に、日本を知っている「知日派」の人々は「微妙な問題」と言う言い方しかせず、「8月15日に参拝しなければ人民を説得できる可能性はある」という。一方、韓国に関しては「現在の背家kんの政権基盤にって対応は不安定である」と言う話である。そしていずれの国からも「日本国内に靖国神社の参拝に関して反対する人がいるのだから、まずそのことが最大の問題である」という指摘をもらうのである。実際に、そのような詭弁と言うことも考えられるが、実際に、上記に上げた鳩山元首相のような他国に媚を売ることしかできない人もいるのであるから、そのような人が市民運動化と一緒になって壊していた日本に付け入られたと言うことが最も重要な内容なのかもしれない。
 靖国の問題に関しては、一回のブログで書ける問題ではない。ただ、いえることは、韓国の外務大臣にしても中国にしても、このような抗議をしても彼らの国益にまったく関係がないと思われている、それだけ経済の部分に関しては、まったく政治と切り離されてしまった日本が、このような日本人の心の部分を批判して彼らの国が大きな損失となることを知らしめなければならないはずである。そのような形にするために、日本は経済と政治の連携を深めなければならないのかもしれない。さまざまな部分が考えられるが、日本人は心の部分を批判されて、「外交に配慮」などと言っているようでダメである。

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G20で発揮された麻生副総理の魅力とは

G20で発揮された麻生副総理の魅力とは

 麻生副総理の人気が高まっている。
 もともとインターネットの世界の中では非常に人気の高い議員であり、麻生氏が首相のとき、渋谷での街頭演説では道路を埋め尽くすほどの人が渋谷にあふれたのを記憶している。しかし、実際に、麻生首相は総選挙で敗れ、日本においては民主党政権と言う「暗黒の時代」が到来するのである。
 しかし、「敗軍の将」となっても麻生元首相(当時)の人気は衰えることはなかった。昨年9月の自民党総裁選挙ではいち早く安倍総裁支持を打ち出し、高村氏の派閥と合同勉強会を行うようになった。しかし、特に総裁選挙に立候補することはなく安倍総裁を支え、安倍内閣発足時には、財務大臣兼副総理として入閣、徐々にその人気がお聞くなり、安倍首相と総裁選で決選投票を演じた石破幹事長を抑えて、「ポスト安倍」(この言い方自体安倍首相が過ぎに終わりそうな感じであまりよろしくないとは思うのであるが)の最有力候補として存在する。
 麻生副総理の欠点としていわれるのが「歯に衣着せぬ物言い」である。もちろん欠点と言うよりは特徴であると言う感じがあり、その内容は最も的を得ているのであるが、基本的には、あまり好ましくない単語や差別用語なども出てきてしまうために、好ましくないと考える人も多い。しかし、多くの日本人が内面に持っている内容を、最もわかりやすい言葉で表せばそのようになってしまうのも理解される。基本的に批判される人が汚いことをしていれば、汚い表現になってしまうものである。そのために、さまざま誤解を受けることがある。もちろん、麻生氏が首相時代のマスコミのバッシングはひどいものであるが、実際に、そのような批判をしていた民主党がそれ以下であるというとが明らかになった現在としては、基本的にそのような批判をする人は少ない。
 麻生副総理の表現が「ユーモア」ととられるか、あるいは「異常」と執られるかは、その表現そのものではなく表現の相手とそれを受けとめる環境の問題ではないのか。
 その麻生副総理と黒田日銀総裁がG20に参加した。

金融緩和、G20で理解得られた…黒田総裁

 【ワシントン=香取直武】日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁は19日(日本時間20日)、主要20か国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の終了後にワシントンで麻生副総理・財務相とともに記者会見した。
 日銀の金融緩和について「(G20で)国際社会に広く理解を得られた。自信を持って金融政策を運営していける」と述べ、2%の物価上昇率を2年程度で達成する政策目標に全力を挙げる考えを強調した。
 G20の共同声明は、日銀が決めた「量的・質的金融緩和」について、「デフレを止め、内需を支えることを意図したものだ」と明記し、円安誘導が目的ではないとする日本の主張に理解を示した。
 一方、共同声明が日本に財政再建の実行を強く求めたことに関連し、麻生氏はG20終了後にワシントンで行った講演で「財政健全化は実をあげていかなければならない現在進行形の課題であり、経済環境を整備して予定通り消費税率を引き上げる決意だ」と述べた。2014年4月に消費税率引き上げを実現できるよう、景気回復を急ぐ考えを示した。

読売新聞 2013年04月21日00時10分
http://news.livedoor.com/article/detail/7611480/

麻生氏、米の円安批判に反論「モノを知らない」

 【ワシントン=中沢謙介】麻生副総理・財務相は19日の記者会見で、米自動車業界などから出ている円安批判について、「円が不当に安いというのは、どの数字を見て言っているのか分からない」と述べ、真っ向から反論した。
 麻生財務相は、「この1年少々を見れば、日本の貿易収支は真っ赤の赤字。間違っているのか、モノを知らないのかのどっちかだ」と批判。その上で、2008年9月のリーマン・ショックをきっかけに、1ドル=108円台だった円相場が75円台まで円高が進んだと指摘。「リーマン・ブラザーズの米国の失敗から、我々はえらく迷惑した」と語った。

読売新聞 4月20日(土)13時29分配信
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130420-00000427-yom-bus_all

 アベノミクスにおける金融緩和を説明し、基本的に理解を得られた。この結果、日本の円安は100円に手が届くような数字になり、また株価は上昇している。実際に、雇用者の所得倍増までは少々のタイムラグがあり、そのタイムラグに関してが耐えられるかどうかということが、もっとも重要なところであると言う指摘は、すでに私のブログの中でおこなったとおりである。
 そもそもG20は、各国が自国の国益において、その国益優先の財政政策または金融政策を行った場合に、世界の金融事情が悪化すると言うことから、特に貿易を活発に行ってる先進国(経済発展国)の主要国が集まって、財政や金融に関する政策を調整すると言うことが主たる目的である。そのような会議であると言うことは、当然に、会議の前提は「国益の調整」と言うことになる。各国の財務大事と中央銀行総裁が集まる会議で、日本の黒田日銀総裁の「異次元の金融緩和」と麻生副総理による「アベノミクス」に関して、その内容が「デフレを止め、内需を支えることを意図したものだ」と理解を得られたのは、当然に、先進20カ国がそれだけ日本のデフレ経済が異常であり、なおかつ、その是正策が必要であると言うことを、各国の国益にたらしても害が及ばない範囲において行うことを認めたということである。
 逆な見方をすれば、今までの日本は、本来、各国が認めるほどの異常な経済状態であり、その是正が「異次元」などと表現されるほどの状態でありながら、その是正をまったく行わなかったということを意味しているものであり、まさに経済や金融政策に関しては政府がまったく政策を行わなかったことによって、日本の国民と日本の企業が不当に苦しめられたものであると言うことが、G20の場で証明されたと言うことではないのか。同時に、その内容は、日本の経済を逼迫させただけでなく、日本の周辺国にも不当な影響を与え、中国を埠頭に強くし手しまったために尖閣諸島問題などを引き起こし、また、韓国を経済的に優遇したために竹島問題が勃発していると言う状態になっているのである。日本は、経済無策であっただけでなく、そのことによって日本の周辺事態を悪化させ安全保障の問題も悪化させたのである。当然に、その内容に関しては、あえて「日本は」と表現したのであるが、そのような政権を選んだのはほかならぬ日本国民であり、その日本国民は自分で選んだ政権によって経済無策で苦しめられ、また日本国民は自分で選んだ政権によって日本の安全保障も領土も危険にさらしてしまっているのである。
 さて麻生副総理の人気は、実際にこのような結果が伴うことによって非常に高くなってくる。もちろん、このG20の会見の場で「私はクレー射撃の選手だったので、成長戦略の『三本の矢』について、バズーカ砲と呼んでいる」などとジョークで会場の笑いを取るなど、その場の雰囲気にあわせて非常にユーモアをこめて話をするのである。そのようなサービス精神が過剰になれば批判がある可能性もあるが、実際に結果を残すことで、その実力によって政権運営を行っていただければよいのではないか。このような部分が「ポスト安倍」と言われるもっとも大きな要因なのではないか。

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アベノミクス経済三本の矢に「女性の活躍する場所」

アベノミクス経済三本の矢に「女性の活躍する場所」

 今年の三月、台北に李登輝元総統の講演を聴きにいった。さまざまな縁があってかなり至近距離で聞く事ができたのであるが、ブログであるために一般の講演の内容からこのことを記載しようと思う。
 李登輝元総統の講演のテーマは「これからの女性の活躍」についてであった。
 その内容は、これから日本が発展するためには女性の力を活用する以外にはない、と言うことである。台湾は劇的な少子化の並みの中で経済の発展を遂げた。しかし、日本の日銀総裁の人が言っていたように「少子化だから経済は発展しない」というのは、まったくの嘘であり、日本は女性の力を活用することによって今後も経済発展が十分に可能性があると言うことである。その根拠は、台湾がそうであったということ、次に、人口の半分が女性であり、その女性と言う労働資産を活かすことで日本の潜在の経済力は倍以上になると言うこと。そして、日本における女性の地位の向上によって、新たな需要の喚起があると言うことである。
 李登輝元総統がそのような講演を行った。この講演の内容は李登輝氏によって日本のマスコミ(確かVoice)に掲載されていると思うので、参照していただければありがたい。私は、もちろんこの現場にいたということと、このように雑誌に掲載される予定であると言うことを李登輝もとそ等から聞いているので、この講演録から引用(私の録音からですが)したものである。
 さて、参加者の中には、この講演録をぜひ手紙にしたためて安倍首相にお渡ししたいと言うことをいうものがあった。もちろん、私もそのことに賛同している。しかし、園よな事よりも安倍首相そのものが女性の活躍の場を作ると言うことに熱心に取り組んでいることを知っていたので、特にあわてた作業ではなかった。安倍首相にとっては予想していたかどうかは輪からないが、海外から安倍首相の経済政策に対して強力な援軍が来たようなものであろう。
 アベノミクス経済政策三本の矢の中のひとつに女性の活用と言うことを安倍首相が発表したのは、4月19日のことである。李登輝元総統の講演から1ヶ月後のことになる。安倍首相が李登輝元総統の発言を知っていたかどうかはわからないが、その方向性で物事が進んでいることは確かである。

首相、参院選にらみ「3本目の矢」第1弾 今後もこまめに具体策

 安倍晋三首相は日本記者クラブのスピーチで、6月に正式決定する成長戦略の一部を前倒しで発表した。夏の参院選をにらみ、国民の関心が高い雇用や子育ての各分野に重点を絞り、政権の取り組みをアピール。経済再生に向けて、こまめに具体策を打ち出すことで、経済を間断なく刺激する戦略も垣間見える。
 菅義偉官房長官は19日の記者会見で、安倍首相のスピーチに関し「ある程度方向が出たものについて発表した」と述べた。成長戦略は通常1回で発表するのが通例で、異例の対応だ。
 確かに今回、100項目以上にわたる成長戦略を1度にすべて説明することは難しい。しかし、それ以上に、平成24年度補正予算を成立させ、25年度予算の成立にメドをつけたこの時期に「アベノミクス」の3本目の矢である成長戦略を放つことにも意味がある。
 1つ目は参院選対策だ。政権の高支持率の要因である経済対策の着実な進展を印象づけるとともに、国民の関心の高い課題に対して処方箋を打ち出した。
 2つ目は、金融緩和と財政政策に続く成長戦略が実行されて、初めて「アベノミクス」が完成するからだ。甘利明経済再生担当相は「財政政策は種火。成長戦略で本体の民間経済に火をつける」と指摘、民間企業投資を引き出し、経済再生への道筋をつけたい考えだ。政府高官は「矢継ぎ早に出していく戦略だ」と語り、正式決定を待たずに第2弾の発表を行う可能性も示唆した。

2013.4.19 23:38 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130419/plc13041923390022-n1.htm

首相要請の女性役員登用に困惑する「男の職場」

 安倍首相がすべての上場企業に対して女性を役員とするように求めたことで、今後、産業界で登用の動きが加速するとみられる。
 ただ、製造業を中心に「役員適齢期」の女性社員がいない企業も多く、難しい対応を迫られそうだ。
 日本航空は4月1日付で、客室乗務員(CA)出身の大川順子氏(58)を取締役専務執行役員に昇格させた。6月の株主総会後の取締役会で正式に決まるが、日航で女性が常勤取締役に就くのは大川氏が初めてだ。
 伊藤忠商事は4月、茅野(ちの)みつる氏(46)を大手総合商社では初めて女性執行役員に登用した。茅野氏は米国の弁護士資格を持ち、2000年の入社後、法務部門で活躍してきた。伊藤忠は「全社的に女性の積極登用を進めていきたい」と話す。
 世界の主要520社を対象にした調査では、女性役員が多い企業ほど利益率が高いとのデータもあり、女性登用による産業界の活性化に期待感も出ている。
 一方、特に困惑の声が出るのが、「男の職場」とされる製鉄所を多く抱える鉄鋼業界だ。JFEスチールは長年、理系の大学院卒を中心に採用し、製鉄所に配属してきたため、昨年4月時点でグループの全管理職約4200人に占める女性の割合も1%に満たない。
 昨年1月、女性活用に取り組む「ダイバーシティ(多様性)推進室」を設置し、今年4月入社の事務系総合職では女性比率は4割まで増えたが、「鉄鋼業界で女性役員の登用が進むのはだいぶ先」(関係者)との見方が強い。

読売新聞 4月20日(土)16時41分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130420-00000306-yom-bus_all

 日本において、「女性活用」(活用と言う単語が適当でないと言うお叱りもあると思いますが、文字数の関係でお許しください)に関する最大の敵は何であろうか。
 ひとつには、「歴史」である。もうひとつは「儒教的感覚」。そして「男性と女性自身がもつ女性に対するイメージ」ではないか。
 仕事は男がするもの、女性は家を守るものと言うのがある意味で日本の伝統になっている。私自身、そのような感覚が強く、残念ながら女性の活用そのものに関してあまり積極的な感覚を持ち得ない部分があることは間違いがない。ひとつには体力的な差があることは間違いがない。力仕事などはやはり男性のほうが女性よりもはるかに勝っているし、危険な仕事を女性に任せてはいけないと言う部分が存在する。日本には男性の中に「女性は守らなければならないもの」という感覚があり、女性の中にも「女性だから」という甘えが存在することは間違いがない事実だ。
 実際に、「女性活用」と言うことをいわなければならないこと事態が女性そのものへの別紙ではないかと言う向きもある。また、女性を保護しながら機会を均等にすれば、当然に、女性が優位になってしまい男性が弱者になってしまう。女性に関しては「機会均等」でちょうど良いのであるが、それでは足りない部分が歴史と感覚、意識と言う法律や制度では制限しがたい内容なのである。
 一方、私がいたマイカルのような場所では、私の同期入社の8割が女性であった。そのことは、修飾語の定着率が低いと言うこともあるし、また、女性が一度退職してパート社員で店舗従業員として戻ってくると言う感覚も存在する。正社員として長くいるかどうかと言うことに関しては、特に制限はない。もちろん、女性が八割で女性の部長なども少なくなかったことから、女性の活用と言う意味では先進的な企業であったのかもしれない。もちろんこれには理由があり、マイカルと言うスーパーマーケットの購入客の9割が女性である。そのために、女性の買い物客のニー時を捕らえるには女性が女性の感覚で品揃えを行わなければならず、そのために女性の意見が通りやすい場所であった。確かに、女性者の下着を着けたことのない男性が、女性者下着のバイヤーをしていても売れるとは思えないのである。
 このように、女性の活躍と言うのは、制度や法律によって行うものではない。実際に女性が社会の穴kで生活すると言うことの中で、女性が中心になる場所が増えれば、その女性を相手にする女性が管理職になってゆくと言うことである。そのための最大の敵は日本人の感覚なのではないだろうか。もちろん、個人主義的にすべての感覚を捨ててしまえと言うのは私は反対である。私の感覚の中では、家制度や女性が家を守るという感覚は捨ててほしくない。それでも、女性が活躍できる場所は少なくないのではないか。そのために、女性の活躍する場所作りと、意識の改革と言うことが最も重要なのかもしれない。アベノミクスのこの点に関して、掛け声だけで終わらないように、マイカル時代の経験から一言、と言う感じである。

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マスコミ批判に関する一考(138) 中国での虚報と政治的意義を伝えない日本の報道

マスコミ批判に関する一考(138) 中国での虚報と政治的意義を伝えない日本の報道

 マスコミ批判に関する一行の連載を始めてきているが、実際に害故国のマスコミに関する内容もしばらく遠ざかっていたようである。今回は、日本のマスコミではなく中国のマスコミというものを見て見よう。
 中国に、そもそも本当の意味でマスコミが存在するのかということは、はなはだ疑問である。実際に民主主義の無いところで自由意志や報道の自由、言論の自由というものが存在するはずが無いのである。共産党一党独裁という自然でない政治体系の中で、その政治体系を維持するためには、何らかの形で情報を操作統制しなければならないのである。マスコミがその情報の捜査や統制に加担しなければならない状態になることは間違いが無い。私が行っていたころの中国は、マスコミだけでなく、小売業であっても情報省の管理下に入っており、各地方行政組織の中にも情報強が存在し、その情報局の権限でさまざまな情報が統制されたのである。小売業も情報相の範囲内ということは、販売する商品についているメッセージや商標などにおいても情報の範囲内ということになったのである。たとえば、毛沢東の顔に大きく罰を書いたシャツを売ることができるか、ということになれば、当然に情報相の範囲内で規制がかかることになるのである。
 そのような中での報道ということになれば、当然にその内容は情報相の管理下、要するに政府の管理下の中にあるものと考えられる。
 しかし、その内容は徐々に緩和されているのではないか。実際に、改革開放経済以降、共産党の政策も徐々に改革開放されてきているような気がする。実際に「気がする」だけではなく、改革開放経済が始まった年に脅威訓戒各会報も行われている。李克強など、今回の執行部の多くはその改革開放教育を受けた世代であり、その人々が情報を管理するということになれば、自らも改革解放で海外の留学経験などもあり、情報に関する考え方が異なるということもあるので、当然にその内容が緩和されることになる。
 そのように考えれば一昨年くらいから挙げられるマスコミの情報緩和に関しても、一概にインターネットに関する内容ばかりとは考えられない部分がある。実際に、一昨年の中国新幹線の脱線事故などは、一度埋めたものを掘り起こすということになっているのである。そのようなことを行うということ自体が、今までの「情報統制」の中では基本的には考えられないことなのではないか。
 そのような中において、今回、そのマスコミが「虚報」、いわゆる「ヤラセ」であったということが明らかになった。その記事を見て見よう。

“庶民派”習近平主席のタクシー事件、「虚偽報道」を疑問視する声も―中国版ツイッター

 2013年4月18日、中国共産党寄りの左派新聞とされる香港紙・大公報は、「習近平(シー・ジンピン)中国国家主席と北京市内のタクシー運転手との間で交わされたやりとり」を紹介したが、同日内にこれを「虚偽の内容だった」として一転、謝罪を行った。
 この記事は、習氏が国家主席に就任する直前の3月1日、北京市内で付き人1人を伴ってタクシーに乗車し、その際に中国共産党や政治についてどう思うか、運転手から庶民の一意見を聞きだしたという内容。中国国営メディアの新華社通信も当初は「北京市交通当局に事実確認がとれた」と、この内容を支持したが、夕方になると一転して「大公報の記事は虚偽」と伝え、大公報も自社サイトで記事が虚偽であったことを報告し、謝罪に転じた。
 “官製メディアによる誤報”という珍しい事態。一般人の意見表明の場として広く普及している“中国版ツイッター”にも多くの意見が投じられることが予想されたが、翌19日午前現在、関連の投稿は削除措置や投稿禁止の措置がとられている様子だ。それでも、一部の関連投稿を拾うことができた。単純な誤報事件とはとらえていない意見も少なくない。以下、寄せられた意見。
 「これは好ましくないすう勢だ。公共のメディアまでがまるで個人発信のソーシャルメディアのようにスピードばかりを重視して、裏もとらずに事実に反した情報を流すとは。読者のメディア不信がより一層進むだろう」
 「どれが本当でどれが嘘か、実のところは誰にもわからない」
 「事実かそうでないかなんてどうでもいい、重要なのは読者がどう思うかだ」
 「タクシー運転手が口封じされないことを祈るよ」  
 「官製メディアは信用できない!」
 「今後は何を信じたものか。人民日報でも信じろって?」(※人民日報は中国共産党機関紙)
 「香港の大公報は中国でいう人民日報みたいなもの。誰も読まないよ」
 「香港人は大公報と文匯報は地元新聞とみなしていません。共産党機関紙と認識しています」
 「大公報って読んだことはないけれど、まさか国家指導者に関する虚偽情報をトップ記事にするような媒体ではないだろうよ」
 「大公報のような共産党系の新聞が、国営メディアに『虚偽報道』と指摘されるのは一大事。しかも、最初は事実と認められていたのに」
 「謝罪すべきは大公報ではなく、裏で芝居を組んだ人たちじゃないかな」 
「こういう記事って発行前の審査は厳しいはずじゃないの?それとも報道規制が緩和されたとでも?」
 「この何十年もの間、中国は政治的な必要性があって、ねつ造されたニュースが横行してきた。南京大虐殺の件だって、今回の事件と大差ないさ。どんな報道も真に受けるおバカさんには分かる訳もないかな」
 「今後はきっと厳しい世論統制が始まるぞ」 (翻訳・編集/愛玉)

2013年4月19日(金)14時6分配信 Record China
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20130419015/1.htm

 今回の事件は、“官製メディアによる誤報”という珍しい事態であり、左派新聞とされる香港紙・大公報が自ら虚偽であるということを認めたという内容になっているのである。このことは、日本のインターネットメディアばかりではなく、たとえば読売新聞などでも報道されているが、あまり大きく報道されていないのはなかなか面白い。日本のメディアは、中国の左派官製新聞が自ら認めた内容であってもなかなか記事にしないというのが一つの方向性になっているのであろうか。
 もちろん、日本のメディアであっても「やらせ」は存在するし、寝たそのものを作ってしまうこともある。実際に、先日韓国に行ってきた。四月16日であるから、日本のメディアではボストンのマラソンの爆破テロ事件以前であり「韓国は緊迫した状態」都報道しているところであったが、実際に言ってみればソウルしないで兵士の姿を見ることは無く、軍隊の車を見ることも無い。町の中は、平穏であった。それどころか軍事境界線に近い38度の町バジュであっても、北朝鮮から2キロしか離れていないところで「お花見」をしているほどののどかな風景である。日本の報道ではいつ戦争が始まってもおかしくないとか、保存食が売り切れているなどといっているが、一体どこの国の話しなのか、全くわかりはしない。この韓国の「大誤報」をしている日本のマスメディアが、今回の中国の虚報を攻められるはずも無く、扱いがちいないのかもしれない。
 その上で、実際に今回の件も大公報が自ら虚偽であると認めなければ習近平の美談はそのまま残されたままになっていた。実際に、このように認めるところが、だいぶ改革開放になってきたところではないのか。この内容に関してのインターネットの反応はなかなか興味深い。というよりは、実際にインターネット上の内容は、メディアの信用性そのものが無いという感覚のものが多く、マスコミそのものが陳腐化してしまっている中国の現状が見て取れるのである。まさにこの現象こそ、共産党一党独裁による情報統制の結果であり、そしてそのことが中国の政治システムである共産党一党独裁ということそのものが、信用がなくなってしまうということにつながってくるのである。これでは、情報統制をしてしまって、かえって、信用を失うということになってきてしまっている。
 中国は、まさに情報統制とその改革開放そのものの問題が最大の問題になっている。マスメディアが自分でさまざまな情報を操作しているつもりで、いつの間にか自らの情報の信憑性全体を失っているという構造である。これこそ、まさに今の日本のマスメディアも考えなければならないことではないのか。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第27回 憲法前文できる返される他国と対等関係に立たうとする各国の責務

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第27回 憲法前文できる返される他国と対等関係に立たうとする各国の責務

 日本国憲法の前文を見てきている。この日本国憲法の前文は、まさに日本国そのものの精神が書かれている。この精神をいかに条文に生かしてあるかということが大きな問題になるはずである。当然に、現在悪口で教えられている「平和主義」「国民主権」「基本的人権」ということがかかれてなければおかしいはずだ。
  しかし、日本国憲法前文には「国民主権」と「平和主義」に関しては書かれているものの、「基本的人権」に関して墓荒れているのかどうかは良くわからない。いや、この欠き方はよくないのかもしれない。実際は「平和主義」と「基本的人権」がしっかりと記載されていないと言うことが大きな特徴になっている。
  これは正確な書き方ではない。正確にここ数回、日本国憲法前文の研究の成果を見て見よう。日本国憲法において「国民主権」ということは「人類不変の真理」として記載されている。私の解釈では、あくまでも「政体」において国民主権で行うものとして記載されているべきであり「国体」に関してはその内容は触れられていない。憲法そのものが「政体」にのみ言及されるものでしかなく、国体そのものまたは国体に関して言及されているものではないのである。国体そのものに関しては、当時の日本人も天皇や皇室に関してその内情を知っているものでもなかった事情から、皇室に関しては皇室典範で別途定めるとしてしまい、また、皇室と政治を切り離してしまうことによって政体の責任を皇室に及ばないようにしているのである。もちろん、このような書き方によってGHQをだましてしまうということを考えていた部分があるのではないか。歴史や伝統の無いアメリカは、そもそも政体と国体という考え方の差が無いので、その部分で当時の日本人がアメリカに気づかれないように仕組んだのではないか。逆に言えば、天皇の国事行為や詔に関して、「国体」に関することであれば、発することができると考えるべきなのかもしれない。
  一方平和主義と基本的人権に関しては、このように書かれていない。そもそも「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」と書いてあるものであって、またはその前の文にある「われらの安全と生存を保持しよう」ということしか書いていない。しかし、実際に解釈すれば、守護の違いなどから考えて、この文章は日本の国家が世界の中で名誉ある地位を占めることを目的としたものであって、日本国民の基本的人権を大きくうたったものではないことは明らかである。
  では、なぜこの状態で日本国憲法の特徴に「基本的人権」と「平和主義」が書かれているのか。実際に平和主義に関しては、憲法9条の条文に夜と事が大きい。本来は「名誉ある地位を占める」のと憲法9条は矛盾する内容であると考えるべきであるが、実際にその部分が存在する。その中に「自衛権」は認められるという解釈が存在するのである。しかし、基本的人権は「平和のうちに生存する権利を有する」というような文言以外に、そのような内容を記載したものがないのである。実際に、この中において「基本的人権」を大きく歌うこと自体、実は「人権による左翼的思想への傾向」ということが大きく言われているのではないか。
  この辺のところは今後もしっかりと見て見たい。ここでこのようなことを書くのは、いまだに左翼的教育のために憲法そのものが解釈できていない人が多いからに他ならない。では、これよりもハッキリしたことが憲法前文第7文に書かれているのか。少し見て見よう。

 「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」
 
  憲法前文は4つの段落でできている。この第7文はその中野台産段落を構成するものである。しかし、本来4つの段落でできている場合は、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」これが順不同であっても一段落ずつ記載されているはずである。しかし、そのようになっていないのが特徴であることは間違いが無い。
  この文章も、主語が「われらは」になっている。これは日本だけでなく日本を含む「平和を愛する諸国民」の全体を指すものであり、日本国憲法でありながら日本国国民に関する内容だけが書かれているのではないのである。その上で、この文章を考えて見よう。
  日本を含む諸国民は、「各国の責務であると信ずる」のである。もちろん、この言葉は相変わらず努力規定でしかない。「信ずる」という単語は、まさに、主観表現である。しかし日本国民の場合は、信ずることを行うということが一つのないようであり、その信ずる内容を考えて見るべきではないのか。その信ずることを目的としてその内容を行う習慣が日本国民の風習でありその行動規範足りうるものである。この主語と述語の主観表現ということに関しては、今までも南海か書いてきているので短めにしておく。
  さて、では、われわれは「何を」各国の責務であると信ずるのであろうか。それは「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と記載がある。要するに、自分の国だけが案z年で平和であれば、他の国のことは無視してもかまわないというものではないということが書かれているのである。この言葉を言葉通りに解釈すれば、各国が平和であるように、日本はその平和に寄与しなければならないし、また、日本のことだけでなく、他国の人権の抑圧など平和に国民が暮らせる権利を迫害している勢力に対して圧力をかけなければならない。もちろんその手段が武力ばかりとは記載されていない。憲法9条をあわせれば、交戦権は否定されているのであるから、当然に日本のエゴによる交戦は許されないことになる。しかし「平和を愛する諸国民の要請」または「各国の責務」としての行動であれば、逆に日本はそのような内容をおなうべきであり、それが憲法の要請する日本の目的なのである。
  では、そのことを通して、日本はどのような国を目指しているのであろうか。そのことは「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする」国であるということである。まさに、その国は、単純な敗戦国ではなく、またどこかの属国ではない。政治道徳が豊かであり、不変的な法則を守り、自国の主権を維持する国であれば、当然に「自国のことのみに専念して他国を無視」することは無いということになる。
  この第3段落第7文であっても、基本的には日本が国際的に自立し、また主権国家としてなすべきことが書かれており、内国的な基本的人権に関して書かれているものではない。もちろん、日本国内において率先して基本的人権が守られレイルからこそ、他国の基本的人権が守れるということがあるのだろうが、それが国家の正常な運営をも壊すほどの権利は、民法典で言うところの「権利の濫用」でしかない。なお、あえてここで民法を出したのは、日本国憲法よりも現在の民法のほうが歴史が古いからである。
  逆に、日本国は第2段落、第3段落双方で国際的な主導的な立場になることを、主観的表現で目的としているのである。日本国の現在行われている「集団的自衛権」などの議論は、この憲法前文の解釈によってしっかりと行えるはずである。この議論が以下に不毛なものか、集団的自衛権を認めずに、「他国と対等関係に立たうとする各国」に日本が仲間入りできるのか。もう一度よく考えて見るべきではないのか。

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民主党ダメ出し討論会参加規模者が殺到?ダメなものに何を言ってもダメなのに…

民主党ダメ出し討論会参加規模者が殺到?ダメなものに何を言ってもダメなのに…

 民主党が「大反省会」というものを5月の連休明けに行うそうだ。しかし、出てくるのは菅直人元首相と枝野幸男元官房長官。あえて枝野幸男議員の肩書きをあえて「元官房長官」としたのにはわけがある。通常慣例では最後の肩書きに「元」とか「前」をつけるのであり、通常は枝野幸男「元経済産業大臣」としなければならないはずである。しかし、ここであはあえて「元官房長官」とした。まさに菅直人首相とセットで「福島原発事故責任者コンビ」である。
 さて、民主党の反省会においてなぜこの二人なのか。単純に言えば、この二人が中心のメンバーであり、なおかつ現在も銀を続けている二人である。本来は小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏などもそうであるし、官房長官という意味では仙谷由人下入れるべきであろう。しかし、彼らはすでに民主党という枠から離れてしまっているか、あるいは現在国会議員ではないかために、そのような話に名はならない。また、その人々を呼んで本音を話させることもできないという、器の小ささをあらわしているのに過ぎないのである。
 実際に、民主党はその前の、いわゆる政権交替選挙で約束したことを何もしていないのである。これでは話にならない。彼らの中において「政権さえとってしまえば白紙委任状をもらったのと同じだ」という意見は、私は少なからず彼らの口から聴いた言葉であり、そのような意識そのものが、彼らの中において芽生えている以上は、政治家として国民(有権者)との関係を何とかしようと考えているような話しには全くならないのである。
 有権者から切り離された政治は、まさに、民主主義でもなんでもない。現在の共産主義や社会主義と全く同じものでありそのような話しをしても意味が無い。その辺の意識の違いが存在するということが大きな問題ではなかったのか。
 私は以前チャンネル桜の討論番組で「民主党が何がダメかって、全部に決まっているでしょう」といった記憶があるが、そもそも民主主義の日本の政治において、有権者の意見を全く無視した政治を行うことで、政治そのものの内容がおかしくなっている。民主主義は選挙するときだけに意味があるのではなくその後も民主主義としてそれらの内容を実践し公約を守り、なおかつ、それを時流にあわせて変化させ国民の生活を守るのが彼らの役目である。しかし、そのような政治ができない人々が政権をとってしまったのであるから、その政治に関する内容をそのままにしても意味が無いのではないか。
 その人々が反省会を行うという。確かに注目ではあるが、実際に参加する意義があるのかははなはだ疑問である。

菅&枝野氏が「公開処刑」される!? 何がそんなにダメだったのか「大反省会」民主が開催

 若者の心をガシッとつかむことができるか民主党もとうとう開き直ったか、それとも一種の自虐なのか。党のウェブサイトに、こんな文字が躍った。
 「とことん話し合ってみたい。何がそんなにダメだったのか?」
 ダメだという自覚はあったのか――という話はともかく、これは民主党が2013年5月11日に開催するという「公開大反省会」の告知だ。
 「元総理・元大臣の、逃げられない夜」
 一般公募の30歳以下の若者200人が、菅直人・元首相、枝野幸男・元経産相らと意見を交わすという、よくあるといえばよくある企画だが、ユニークなのはそのやり方だ。参加者は挙手などではなく、持参した携帯電話を使い、匿名で質問やコメントを壇上の議員たちに送ることができる。
 民主党が置かれている厳しい立場、また政治的混迷に見舞われた菅内閣の実績も考えれば、相当厳しいツッコミが来ることは十分予想できる。イベント告知ページでも、
 「30歳以下の若者×元総理・元大臣の、逃げられない夜」
 などといささか煽るようなサブタイトルも付けられており、これではまるで「叩いてください」と言わんばかりだ。すでにツイッターなどでは、タレントのフィフィさんが、
 「(※編注:何がダメのか)議論するまでもなく…」
 とつぶやいているのを始め、
 「『何がそんなにダメだったか』を人に聞かないと判らない事だろ。そういうことだよ」
 「捨て鉢というか、迎合というか、とにかくむちゃくちゃやな」
 と、かなり辛辣な反応が目立つ。
 「中途半端ではなく、自らをさらけ出しました」
 とはいえ、民主党サイドはやる気十分だ。主催に当たる民主党青年委員会の三神尊志副委員長(さいたま市議)は、「相当厳しい質問が来ることが予想されるが……」との問いに、
 「まさにそんな厳しい質問に応えていくことが必要なんです」
 と断言した。「あおり気味」な告知ページについても、
 「まずは興味を持ってもらうことが大切。そのために中途半端ではなく、自らをさらけ出しました」
 と語る。
 そもそも今回の企画は、不完全燃焼に終わった民主党時代の政権運営が「何が難しかったのか」を、若い世代に説明したいという思いから立ち上げられた。異例の「匿名OK」という仕組みは、「こうした場に慣れた人だけでなく、より多くの人に、『本音』の質問をしてほしい」という趣旨からだという。「『上から目線』ではなく、若い人たちと対等の目線で国家運営を考えたい」と三神さんは話す。
 なお、参加人数は先着200人を予定していたが、予想を上回るペースで応募が集まっているといい、参加枠拡大も現在検討中だという。

J-CASTニュース 2013年04月17日19時51分
http://news.livedoor.com/article/detail/7602002/

 「反省会に出席する」というのは、「いまだに民主党の復活に期待している」ということになるのではないか。単純に言えば、私などは彼ら、特にニューウェイブの会を昔構成し、新左翼思想を世の中に広め、新左翼革命を行ったと政権後退を評価していた彼らの手法に関しては、あまり面白いと思ったことは無いのである。そして、彼らの手法は、すでにロシアのペレストロイカ、ベルリンの壁の崩壊、そして中国の改革開放経済によって完全に崩壊し、最後の革命的全体主義者として北朝鮮が世界から孤立している状態にある中において、彼らを支援し、世界の潮流と逆行しいまだにわけのわからないアック名主義を日本国内に持ち込むというのは、時代遅れというよりも、ほとんど犯罪に近い状態になっているとしか言いようが無い。
 もちろん彼らの中においては、彼らなりの理論が一貫しているが、その中において、彼らの中における立っている思想的基盤や、世界情勢の問題、そして考えるポイントとなる機軸が全く違うのであるから、これでは話にならないのである。
 そのような人に、個別擬態的な政策や尖閣諸島問題、そして原発対処や震災の対応について質問をしたところで、何の効果も無いであろう。はっきり行って名まで「ジミンガー」というのを聞けるだけしか意味の無いことである。
 それ以上に、この質問の中で彼らの新左翼思想の異常性を露呈させるような質問ができればよいが、私はそれをさらすほど彼らも馬鹿ではないと考えているし、不利になれば、時間の都合や他の人の質問というようになってしまうことから、この反省会は、その根本のイデオロギーまで行くものではないと判断できてしまうのである。その状態で多くの人が「こうすべきだった」などと意見を言ってもあまり意味が無く、国民の声を聞かせて彼らに対処方法を考える時間を与えるだけになってしまうのではないか。
 はっきり言って、私は彼らに消えてもらいたい。中国や北朝鮮が理想というならば、日本の国会議員などにならずに、彼の国に亡命でも何でもしてもらいたい。しかし、興味として彼らが何を語るかは聞きたい。まさにそのようなものではないのか。それよりも彼らを支援している人々が、なぜ彼らの支援をしたのか。本当に日本のことを考えて彼ら民主党議員に投票したのか。私故人としてはそちらのほうが興味があるのである。

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安倍首相始めての党首討論とその評価は

安倍首相始めての党首討論とその評価は

 一応政治関係のことをしているので、安倍首相の党首討論には注目していた。しかし、北朝鮮との関係や日韓関係のことで、所用があり、このブログを呼んでいただいている人ならばすでにご存知かもしれないが、党首討論が行われた4月17日は、私自身は韓国に出張しており、南北朝鮮を分断しているいわゆる38度線休戦ライン(南北軍事境界線)を視察していた。このために、実際に安倍首相初の党首討論はこの目で見ていない。見ていないということに関しては、本来ならばその場における臨場感など、私の場合はこれを「空気感」と呼ぶのであるが、これが無く伝えられないのは非常に残念なことである。
 その上で、今回はあくままでも報道されている内容だけでしかないが、その党首討論に関してみてみたいと思う。
 そもそも国会とは国会の各議員が政府に対して質問をするというのが原則的な対応である。そもそも国会は立法府であり、その立法府が立法もしくは憲法で定められている予算に関して、政府の行政や政府提案の法律法案などに関して質問をし、その内容を審議するということになっているのである。このために、原則として内閣に入っている閣僚は、そのほかの国会議員からの質問を受けることはあるが、自分が質問をすることは基本的に存在しない。そもそも内閣という行政府に属している人々は、行政権を持っているのであるから、国家で質問をしたりする必要が無く、そのまま行政を行えばよいのである。自分が行ったことや自分が行政権でつけた予算について、そのほかの議員から質問を受けるという仕組みだ。当然に、その質疑応答を通して、国民に行政の実態を明らかにし、必要な法案や予算を明らかにしてゆくという作業が国会の内容なのである。
 本来ならばすべての国会議員が質問を行うということになるのであろうが、そこは時間の都合があり、また一つのことでそれだけ審議をしてしまえば、他の喫緊の加地アヤ時勢に合わせた行政を行うことができない。そのために、同じような考え方を持った人が一つの会派を作り、その会派の代表が質問をする形になる。そこで与党だけでなく、野党第一党になり質問時間を多くとる必要があるのだ。
 強の課題からはそれてしまうのでこの辺にしておく。さて、党首討論はあくまでも「党首」の討論である。普段は質問を行うことができない、質問に対する回答しかすることの無い、内閣総理大臣である安倍晋三首相が、国会の場で自由に話すことができる数少ない機械の中の一つがこれである。その件に関して、各政党とのやり取りが記事になっているので、その内容見て見よう。

党首討論 将来の連携視野、余裕の安倍首相

 ■民主 海江田氏バッサリ/維新 石原氏を持ち上げ/みんな 渡辺氏にはエール
 安倍晋三首相は17日、政権交代後初の党首討論に臨み、論戦相手の野党に合わせて対応を変える変幻自在ぶりを発揮してみせた。将来の連携を見据えた言動とも受け取れる。衆院選挙区「0増5減」の区割り改定を含む公職選挙法改正案に反対する民主党の海江田万里代表を強く攻撃し、憲法改正や経済政策で近い日本維新の会、みんなの党にはエールを送る余裕も見せた。(赤地真志帆、坂井広志)
 「こんなにすんなり行くとは思わなかった…」
 政府関係者は党首討論終了後、首相に軍配が上がったといわんばかりに「勝利宣言」をした。中でも、海江田氏に対しては「あまりにも下手すぎた」とこき下ろした。
 初の党首討論となる海江田氏は、得意の経済政策で攻める作戦で臨んだ。
 「『アベノミクス』の副作用にはどういうものがあるとお考えか」
 自ら問題点を指摘するのではなく首相自らに問題点を語らせる-という海江田氏らしい温厚さが出た。しかし、それが裏目に出たようだ。
 首相は「副作用と言うが、何もしなければリスクがないと思っていたら大間違いだ」と逆襲した。さらに「3カ月で4万人の雇用を生み出した」とか、東日本大震災復興対策の原資となるJT株の価格が上昇し「4700億円に増えた」など次々と数字を示しながら成果を強調した。
 政府関係者も「副作用を答えるわけがない。『物価上昇で苦しんでいる人がこんなにいる』と言うべきだった」と海江田氏を切り捨てた。
 首相は、選挙制度改革で海江田氏に一太刀浴びせようというシナリオも描いていた。
 内閣支持率が70%を超える中、野党は衆参同日選となる「衆院解散カード」を切られることを嫌って本気で政権を追及し切れない-。こう読み切った首相は、15日の自民党役員会で「党首討論はやるけど、解散はしない」と余裕の表情をみせたほどだ。
 海江田氏がなかなか質問しないため、終盤に首相が自ら「やろうじゃありませんか!」と公選法改正案への協力を求めた。海江田氏も反論はしたものの動揺の色は隠せなかった。
 他の野党党首は、首相を攻める姿勢に欠け、対決とはならなかった。
 維新の石原慎太郎共同代表は、憲法改正や国の会計制度改革、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の実効支配などで次々と自説を展開した。
 みんなの党の渡辺喜美代表は、2%の物価安定目標について「民主党ではできなかったことだ」と首相を褒めた。初めて臨んだ昨年4月の党首討論で民主、自民両党を「八百長相撲」などと批判し、激しい罵声を浴びせられた苦い経験を持つ。そのトラウマではないだろうが、持ち前の発信力は影を潜めた。
 首相は、防衛費増強の必要性を訴えた石原氏に対し「重要な指摘をいただいた」と持ち上げ、渡辺氏には「協力して公務員制度改革を進める決意をしている」と秋波を送った。

産経新聞 4月18日(木)7時55分配信
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130418-00000096-san-pol

「公明党が足手まといに」=石原氏が首相に忠告

 日本維新の会の石原慎太郎共同代表は17日の党首討論で、公明党が憲法改正に慎重であることを取り上げ、「あえて忠告するが、必ず公明党が足手まといになる」と述べ、改憲を掲げる安倍晋三首相に、連立を組む同党との関係を見直すよう促した。
 石原氏は、改憲の是非について「参院選で大いに議論にしたい」と強調した上で、公明党の山口那津男代表が参院選での争点化に否定的な発言を繰り返していることに触れ「公明党の党首は国民的課題ではないと発言されているようだが、この問題を乗り越えない限り、日本も自民党も再生しない」と主張した。 

時事通信 4月17日(水)19時48分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130417-00000140-jij-pol

 基本的に、内閣の閣僚が自分の思うことを語る場所というのは存在しない。各省庁で記者会見を行うのがその内容であろうと考えられるが、それは国会の中の話ではない。後は非公式な内容であったり、あるいは肩書きが大臣としてのものではない。基本的には懲罰委員会や証人喚問のような場所でしか自分のことを自由に話すことはない。しかし、証人喚問や懲罰委員会などはマイナスの部分であり、内閣としての内容を話したものではない。
 その意味では、内閣総理大臣が自分で話しの組み立てを作って討論を行う党首討論は、イギリスの真似とはいえ、なかなか意義の深いことである。問題は、その討論がうまく行くかどうか、要するに戦略だけでなく、口調、話の進め方、戦略、そして内容とそのすべてにおいて国民に訴えられるものがどれくらいある科であろう。
 現在の国会の課題は「アベノミクス」「憲法改正」「選挙制度改革」「外交」であろう。この中において、民主党があまり光った討論を行っていなかったようであるが、実際に民主党は「すばらしい討論」を行えるほどの力があるのであれば、民主党が政権をとっている間にしっかりと行政を行ったはずである。党首討論は、ここで説明したとおりに内閣総理大臣側からも質問ができるわけであるから、民主党がしっかりした施政をお粉wなあったという実績を疲れるとかなり立場的には弱い。そうではない争点を突けばよいのであるが、民主党にその争点を作り出すことはできない。なぜならば、民主党自体が内部で分裂してしまっているのであるから、統一した対応ができ名状態になってしまっているのである。
 一方、政権をとったことの無いみんなの党および維新の会は、政権をとっていないことから「べき論」を言うことができる。そのために、現実ではなく「こうすべき」ということを言うことになる。しかし、その「こうすべき」は必ずその前提となる「理想」があるはずであり、その理想に関する根本的なコンセンサスが取れていないと、会話がかみ合っているようで会話がかみ合わない。後になって、双方が都合のよい部分だけをとって話しをするということになってしまう。壮大な勘違いが起きてしまうのである。
 みんなの尊い真の会に関しては、安倍首相はわざとコンセンサスをとらずに行ったのか、あるいはそうではなく、安倍首相自身も実際にうまくいっていないのか。それは良くわからないが、昨日の党首討論の報道を見る限りでは勢いなどは安倍首相のほうがあったようである。
 今後この内容を生かして最終的にどのような結論になるかはわからない。しかし、この内容で一つだけわかるのは、政党の政党としての勢いである。その部分は、自民党が勝っているということは確かなようである。このまま、安定した政権運営ができる環境になればよいのであるが、逆に、政治の世界は「一寸先は闇」。どのようになるかは、今後の各政党の戦略と政策によるのではないか。

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百貨店の二月期連結決算で現れた明暗と日本の景気回復

百貨店の二月期連結決算で現れた明暗と日本の景気回復

 景気に関して「アベノミクス」と言われており、その経済政策が株価などに関しては非常に大きな影響を与えている。しかし、実際に株などを持っていない私のような貧乏人にとっては、基本的には余り大きな内容は存在しないのである。しかし、景気が良くなったと言うのは肌で感じることができる。そのことは小売業者の「賑わい」ではかるものである。なんとなく街が、商店街が、そしてその中にある大型ショッピングセンターが人があふれている。もちろん何もかわずに時間をつぶしている人もいるが、実際は何らかの金を落としてゆくのである。そのショッピングセンターの最も最高峰にいる(いた)のが百貨店である。
 アベノミクスといわれる経済の変化は、何度か書いているが実際に経済そのものの変化ではなく、「景気感」による変化である。実際に何か行為を行ったのではなく、安倍首相の「金融緩和」「2%のインフレターゲット」や日銀の黒田新総裁による「異次元の金融緩和」などの単語によって、市場がその単語に反応し、その市場の反応によって景気が良くなってきてると言うことダル。実際に安倍首相や黒田日銀総裁は、現段階で行動を起こしていない状態であり、まだ「言っただけ」である。それでもこれだけの経済変動が起きているのである。
 ましてや外交上は、日中関係も日韓関係も特に改善されたわけでもなく、韓国も中国も新執行部に移行したてで不安定な要因が大きい。その上北朝鮮の「ミサイル騒ぎ」(この文章が読まれる頃には発射しているかもしれないが)であることから、今後の先行きは不安定であることは間違いはない。実際に、もっとも不安定な国である韓国の経済は、株が軒並み値下がりし、「戦争不況」になってしまっているのである。それなのに、同じように狙われている日本は好景気に沸いているのであり、インフレ傾向になってきているのであるから、その違いは歴然としたものであると言える。もちろん、日本の景況感に関しては、そもそもの日本の実力よりも低いデフレ不況であったと考えるべきであり、日本が実力を正当に評価されただけのことであると言えば、それまでのことなのかもしれないが、そのきっかけになったのは、安倍首相や黒田日銀総裁の発言や、自民党政権に対する期待感(と言うよりは民主党政権に対する諦めが強かったのかもしれないが)が高いものと考える。
 しかし、この動きを予想して動いたかどうかと言うことは、各企業にとっては非常に大きなものになっていているのである。景気が良くなったと言うのは国全体や社会全体のことでしかなく、各企業がその景気の波に乗れているのかいないのかにかんしては、別な観点、要するに個別企業の決算などが必要になってくる。特に、今年度の決算は、昨年の4月から12月までは民主党政権であった。しかし、その途中の9月に自民党の総裁選挙が行われ(民主党の代表選挙もあったのだが余り話題にならなかった)、その中で景気を浴することが争点となって戦われたのである。そして、10月以降は安倍自民党総裁の意向が大きくクローズアップされるようになり、自民党政権への期待感が大きくなった。その上で12月に総選挙1月以降安倍政権なったのである。この変動した政治状況と、その政治状況殻近未来を予想した景況感で品揃えができたかどうかが、百貨店の決算につながっていると言えるのである。
 その件に関しての記事が下記の通りである。

<百貨店>3陣営明暗 J、高島屋増益 そごう・西武は減

 大手百貨店3グループの2013年2月期連結決算が9日、出そろった。大丸と松坂屋を傘下に持つJ・フロントリテイリングと高島屋が増収増益だったのに対し、そごう・西武は減収減益と明暗が分かれた。安倍政権の経済政策「アベノミクス」で足元の景況感は改善しており、高級時計や貴金属など高額品は好調だ。しかし、業界では「まだ一般消費者の懐までは温かくなっていない」(高島屋の鈴木弘治社長)と消費の本格回復には懐疑的だ。
 Jフロントは昨年8月に買収したファッションビル大手パルコの売上高1378億円が上乗せされ、前期比16.1%の大幅増収となった。大型専門店の誘致など「脱百貨店」を掲げており、新規店舗の導入などパルコのノウハウを取り入れて昨年10月に増床オープンした大丸東京店は好調。山本良一社長は9日の決算会見で「パルコを手本にさらに(百貨店改革を)進めていく」と自信をみせた。
 今後は新規マーケット獲得のため、「インターネット通販を拡充し、海外事業も積極的に進める」(山本社長)考えで、15年の上海出店を目指す。また、4月には業績が低迷していた子会社の食品スーパーのピーコックをイオンに売却して経営体質の改善も進める。
 高島屋は高額品が好調なうえ、シンガポールなど海外店舗も増収に寄与した。アベノミクス効果で最近では比較的単価の高い紳士・婦人衣料に伸びが出始めた。しかし、主力の衣料品全体では依然として専門店に押されている。高島屋は昨年12月に中国・上海に出店、15年にもベトナム・ホーチミンに出店予定で積極的に海外展開を進め、生き残りを図る。日中関係の悪化で上海の業績は予想ほど伸びなかったが、「中国が海外戦略の大きな柱というのは変わらない」(鈴木社長)という。
 セブン&アイ・ホールディングス傘下のそごう・西武は、衣料品の不振が響き売上高は2.3%減、営業利益も1割減で最終損益は36億円の赤字。14年2月期は「コスト削減を徹底」(幹部)して増収増益を見込む。
 一方、アベノミクスで消費回復が期待されてはいるが、各社トップは「所得の増加や雇用環境の改善がないと全般的な消費環境の改善は見込めない」(鈴木社長)と冷静だ。12年の全国百貨店売上高は全店ベースで16年連続で前年割れを記録し、国内市場は縮小する一方。さらに来春の消費税増税が近づくにつれ、消費マインドを冷え込ませる可能性もあり、「これからの最大の課題は消費増税の荒波の高さ。筋肉質の経営体質作りが必要」(山本社長)と懸念を強めている。【西浦久雄、松倉佑輔】

 【キーワード】百貨店業界の再編
 百貨店売上高はピークだった91年に約9兆7100億円だったが、12年には6兆1400億円と4割近く減少した。経営環境の悪化が続く中、大手百貨店は00年以降に生き残りをかけて合従連衡を加速させ、今では三越、伊勢丹の三越伊勢丹ホールディングス(HD)、大丸と松坂屋のJ・フロントリテイリング、高島屋、そごう・西武のセブン&アイ・HDの4グループに集約された。この上位グループに、阪急、阪神百貨店を傘下に持つエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングや小田急、近鉄、東急、東武などの各電鉄系百貨店が続く。Jフロントが昨年8月にパルコを子会社化したが、今後も業界再編は進むとみられる。

毎日新聞 4月9日(火)21時3分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130409-00000079-mai-bus_all

 百貨店はデフレの時代に大きく再編されてしまっており、電鉄系の百貨店を除いてさまざまな形で系列化してきている。そのために、その系列ごとに特徴のあるないようになって言うが、逆に景況感などの読み間違いや消費の冷え込みがあると非常に大きな落ち込みにつながる可能性がある。
 また、百貨店は基本的には「衣料」の売り上げである。実際に衣料品は、粗利益率が7~8割と非常に高い利益率があるために、その利益率によって全体を維持してゆくと言うところもあるのである。しかし、近年、と言うよりはバブル崩壊後衣料品はバブル時代の衣料の在庫で成立してしまい、長引くデフレ不況は百貨店で衣料品を買うのではなく、スーパーマーケットや衣料品の専門店で購入するようになってしまっている。高級のブランド品や百貨店で衣料品を購入することが少なくなってしまう状態になってしまっているのである。その上で、各百貨店は食品売り場、いわゆる「デパ地下」に重点を置いたり、あるいは衣料専門店などをテナントに入れるなどして生き残りをかけてきた。
 しかし、それらの内容は基本的には、「デフレ時代の戦略」であり、上記の政治的な変動にしたがって、今後もデフレが続くのか、あるいは、安倍首相の言うインフレターゲットが成功すると見るのか。それに従ってどのような商品が売れるのか、そして売れる商品を景気の動向と同じように考えている起業と連携をするためにはどのようにしたら良いのか、と言うことを見なければならないのではないか。
 実際に、Jフロントは前期比16.1%の大幅増収となった。特にこれは「脱百貨店」を掲げインターネットでの販売や大型店化なども含め、昨年後半からの景気動向に関して、拡大路線、要するに「景気が回復する」として出店戦略も、またテナント戦略も行ったのではないのか。これがそのままデフレが続いていれば、実際には大きな失点につながったと考えられるが、アベノミクスによる景気回復が、その企業の決断を大きく後押しした形になったのである。
 一方高島屋は、額品が好調なうえ、シンガポールなど海外店舗も増収に寄与した。アベノミクス効果で最近では比較的単価の高い紳士・婦人衣料に伸びが出始めた。まさに、高額品の販売が増えると言うことは、高島屋そのものがいまだに外商部などをしっかりと抱えているように、高級顧客を不況の中でも囲い込んでいたと言うところもあるし、また、その上で景気の回復に先立って高級品を仕入れていたと言うこともありうるのではないか。そのことが好業績にあたったと言うことができる。
 これに対して「所得の増加や雇用環境の改善がないと全般的な消費環境の改善は見込めない」(鈴木社長)という考え方のセブンアンドアイは、やはりデフレ時代の品揃えをしてしまうために、業績が振るわなかった。それでもこの発言の通りに「経費節減に努める」と言うのであるから、インフレ時代の売り方をどのようにするのかと言うことが最大の問題になるのかもしれない。
 このように、インフレ時代にはインフレ時代の商業の方法があり、またセールストークが必要になる。そして、インフレ的な売り方をするような状態が続けば、当然にそれを見、聞きしている一般の人の景況感が良くなるのである。何も、アベノミクスだけではなく、街中の売り子の声だけであっても、その威勢がよければ、当然に景況感は良くなってくる。社会の元気はそのようにして作られるのではないか。
 アベノミクスが、良く「何もしていないのに景気だけが良くなった」と言うことを言う論調がある。しかし、そもそも景気とはそのようにして「作られる」非常に心理的な要素の大きなものであると考えられるのである。マスコミがこの景気回復を邪魔しないようにしなければならないのかもしれない。

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「中国の長高度経済成長は終わった」と発言した習近平国家主席の目指すところ

「中国の長高度経済成長は終わった」と発言した習近平国家主席の目指すところ

 突然、日本の政治も外交も落ち着いていないこのようなときに、中国の経済の話を書くと言う事に関して異論があると思う。実際に、外交に関しては一時の油断もできない状況であると「思う」。ここで「思う」と書いたのは、まさに、私自身この文章を数日前に書いているからに他ならない。
 このブログを呼んでいただいている方にはおなじみと思うが、実際に、このような書き出しのときは、私自身は海外に出張しているのである。特に、今回は、この情勢下において韓国への出張であることから、基本的になかなかインターネットの通信も何も不安定であるし、また、私自身ゆっくりと落ち着いてこの文章を書いている暇がないものと思われる。上記に書いたように「思う」となってしまうのは、まさに、この文章が皆様の目に触れるときには、実は北朝鮮を中心にして戦争になっているかもしれないし、またあっという間に終わっているかもしれない。そのことはまったくわからないのである。そしてそのことは、この文章を書いているときにはわからないのである。要するに、事前に書いた文章であるということでご了解願いたい。もちろん、韓国への出張は、今回は北朝鮮に関することも入っているので、その件に関しては後日ゆっくりと皆様にご紹介しようと思う。
 
 さて、その上で今回の内容を見てみたい。中国の習近平国家主席が「博鰲アジアフォーラム」の中で「われわれは超高度経済成長を持続させるのは不可能だと考えているし、それを望んでもいない」と発言したと言うのである。
 昨年、温家宝首相(当時)が、経済成長の8%を維持できないと言うことを四月に発表した。その後中国の経済成長が終わる、または中国のバブルがはじけると言う報道がなされ、そして、中国そのものの経済危機説があげられてきていたのである。もちろん私もその内容を元に「2014年中国は崩壊する」と言う本を上梓したのであるが、それでも温家宝首相の8%の維持ができないということ以外に、中国が公式に景気の後退を認めたものはなかったのである。
 そのままの状態で昨年の11月に中国共産党総書記が習近平に変わり、また、常務委員も変わったのである。そして今年になって国家主席も首相もすべて変わったのである。昨年11月以降、習近平新執行部になって後の中国において景気や中国の経済に関して、非公式にはさまざまな内容があるのであるが、公式に、国際会議において景気の後退を認めるというのは、非常に異例であると言うことがいえる。一方、新執行部になって後も、ロシアとの間に天然ガスの購入の基本契約を結んだり、あるいは、アフリカに多大な投資をするなどのこともあった。公式の場で認めるまでの期間の中国の新執行部の行動と、今回の発表は非常に矛盾する部分もあるし、その内容をしっかりと見なければならないのではないか。特に、景気が後退しているにもかかわらず、軍事費を大幅に拡大するなど、さまざまな内容が出てきているのである。
 その中での異例の対応と言うことについて、しっかりと考えるべきなのではないか。そのように思って、今日はこの内容を考えてみたいと思うのである。

福田元首相、習主席と会談…日中関係直接触れず

 【博鰲=五十嵐文】福田康夫元首相は7日、開会中の「博鰲アジアフォーラム」で、中国の習近平(シージンピン)国家主席と約20分間、会談した。
 習氏が国家主席就任後、日本の首相経験者と会談するのは初めて。福田氏によると、双方とも日中関係については直接言及しなかった。
 福田氏は同フォーラム理事長として、複数の理事と共に習氏と会談。会談後、福田氏は記者団に、日中関係について「なんとかしなくてはいけないという気持ちは(日中)双方、持っているのではないか」と述べた上で、「首脳同士の信頼関係をどうやって高めていくかだ。専門家に任すべきだ」と語り、政府間の交渉に委ねるべきだとの考えを強調した。

2013年4月7日(日)21時39分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20130407-00561/1.htm

「中国の超高度成長は終わった」、アジアフォーラムで習主席

【AFP=時事】中国の習近平(Xi Jinping)国家主席は8日、海南(Hainan)島で開かれた「博鰲アジアフォーラム(Boao Forum for Asia)」で講演し、同国でこれまで続いてきた「超高度経済成長」は恐らく終わっているという見方を示した。
 習主席は20人を超える各国の財界トップらを前に「われわれは超高度経済成長を持続させるのは不可能だと考えているし、それを望んでもいない」と述べた一方、「比較的高度の成長を持続することは可能だ」、「中国経済は良好」との見解も示した。
 習主席は、中国が改革開放政策を採用して以来、年平均9.9%の経済成長を遂げてきたことは「世界の経済成長の歴史の中でもまれなこと」と指摘し、今後も経済が上向きで推移するという楽観的な見方の根拠として、都市化や継続的な産業化、農業の近代化などを挙げた。
 中国の2012年の国内総生産(GDP)の成長率は7.8%と、過去13年で最低だった。2013年の目標は7.5%としている。習主席は、昨年のGDP成長率がこれまでの年と比較し低かったのは「政府が成長のスピードを抑制し、成長モデルの変革を加速した結果でもある」と述べ、「今後は経済政策の焦点を質と効率性に移していく」と説明した。【翻訳編集】

AFPBB News AFP=時事 4月9日(火)8時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130409-00000003-jij_afp-int

 まず、この報道二つについて一言言及したい。中国の景気が後退していると言うのは、非常に大きなニュースであり、日本にも大きな影響のあるニュースである。アメリカ系の通信社であるAFPは、そのことをよくわかっており、その内容を中心に世界の経済を考えての通信を行っているのである。しかし、日本の読売新聞は、習近平の景気後退に関する発言を一切報じることなく、日中関係に関して言及がなかったと言うことしかなかったのである。これは上記の内容を読んでいただいてわかるとおりである。同じ会議同じ場所にいるにもかかわらず、この内容の差は何なのか。読売新聞が意図的にその報道をはずしたのであれば、それはそれで大きな問題であると思う。中国の景気後退を報道したくない何らかの事情または圧力があると言うことになるのであろう。一方、意図的に景気後退に関して「報道の価値がない」と思って日中関係に関してのみを報道するのであれば、読売新聞は、ニュースに対するセンスも、そして中国の国家主席の発言内容による日本または世界的な影響が見えていないということになるのである。ニュースそのものの価値がわからないマスコミが報道していることに関しては、非常に大きな問題である。
 さて、読売新聞の問題は別にして、この内容は非常に大きな問題である。そもそも、習近平がこのような発言をすることの意味を考えるべきである。一つは中国の経済がすでに疲弊しているということである。事実をある程度認めなければ、政治も経済も回るはずが無い。このことは強いて言えば、中国がすでに情報の統制ができない国家になったということが言える。インターネットだけでなく、資本主義化した中国人民の感覚は、いつの間にかアメリカや日本などと同じになってしまい、いつの間にか外子k重の情報化社会と同様になってしまった。もちろんその情報の自由化が現在の中国の繁栄をもたらしたものであるが、逆に情報が自由化したことによって政府そのものの行動も制限されるのと同時に、現在の共産党一党独裁という政治体制に対する不満や矛盾が噴出しつつあるのである。そのことを見れば、現在中国で新執行部隊性になった習近平がそれなりの苦労をしているということは良くわかるのではないか。もちろん、その「苦労」は、共産党一党独裁という矛盾した政治体制と、または国際的に中国が中華思想的なエゴをむき出しにした国際戦略を持ったことそのものに大きな矛盾を科勝てえいる「自業自得」の中にあるのであるが、その政治体制で生まれた執行部がその政治体制を事故崩壊させることはできないのではないか。習近平はペレストロイカを行ったゴルバチョフに離れないのかもしれない。
 しかし、そのことを歩いて度自覚した中国の新執行部が、現在の中国のトップにいるということは、今後の中国の変革を予想させるには十分である。
 今回のフォーラムでは、日中関係や外交関係について多く語られたということはあまり報道されていない。しかし、その内容に関して中国の習近平体制における経済政策の目指す方向性の一端が見えたということは間違いが無い。そしてその中に、徐々に経済的にも発言的にも力をつけてきた中国の民衆が非常に大きな影響力とプレッシャーを執行部にかけており、その内容が国際会議での習近平の発言にまで影響しているということが明らかになったのではないだろうか。

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われわれのすぐそばにいる中国のスパイは自衛隊の最高機密を入手しようとしている

われわれのすぐそばにいる中国のスパイは自衛隊の最高機密を入手しようとしている

 最近では北朝鮮のミサイルも問題ばかりであまり幅広く物事を書いていない。実際に北朝鮮の対応で、毎日毎日「今日こそミサイルが飛ぶ」などと狼少年のような話ばかりされていても困ったものなのである。日本人ももっとも危険のあるときをピンポイントでしっかりと認識させられればそれなりの対応をとるであろう。もちろん、平和ボケと言われる日本人の対応であるから、どこまでできるか、また、危機に関してもどれくらいの高い意識で物事にのぞめるのかはまったくわからない状態であると思われるが、しかし、それでも「狼少年」のように毎日危険危険と言われれば、危険な状態に慣れてしまって、その危険なときの対応ができなくなってしまうのではないか。
 さて、「いざ鎌倉」となったときに、このような対応になってしまうのは、まさに日本が情報意識について基本的に良い対応をしていないからに他ならない。これは、具体的な内容ではなく、そもそも情報と言うものに関してあまり正しい対応やアクセスをしていないということが最大の問題である。この情報に対するアクセスの問題は、ある意味で「ブランドに対する信用」と言う問題にも起因するものであり、そのブランド力を裏切られると言うことがマスコミ批判につながると言う意味において、非常に面白い相関関係になっていると言うことができるのではないだろうか。
 さて、その情報、特に危機管理に関する情報と言うことに関して、二つのニュースが出てきている。一つは情報と言うことに関して、日本が「あまりにも甘い」という内容が書かれているのである。「自由」と言うものの範囲を考えさせられる記事ではないかと思う。もうひとつはその危機管理に関して、現在の安倍内閣が何を考えているかということ、これからの日本の対応と言うことに関して報じられたものである。そのそれぞれに関して、記事の後で少し私の個人的な意見を申し述べたいと思う。

自衛隊員の配偶者に中国人600人、うち10人が機密性の高い職務

 外国人と結婚する自衛隊員が近年、増加傾向にある。最新の統計データによると、14万人の陸上自衛隊員のうち500人、4万2000人の海上自衛隊員のうち200人、4万3000人の航空自衛隊員のうち100人の計800人の自衛隊員の配偶者が外国人であり、うち7割弱が中国人で、ほかはフィリピン人や韓国人が多いという。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。
 日中防衛問題に詳しい専門家は、「中国人女性と結婚した海上自衛隊員のうち、10人が機密性の高い職務を担当している」と指摘した。
 自衛隊基地は一般的に農村もしくは郊外に位置し、隊員の出会いの場は限られており、仲介業者を通じて外国人女性と結婚することを迫られている。特に海上自衛隊員は、長期的な航海により日本を離れる時間が長いため、一般的な日本人女性と交際することは困難でもある。(編集担当:米原裕子)

2013年4月14日(日)13時11分配信 サーチナ
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/sech-20130414-20130414_00012/1.htm

日本版NSC、有事対応を首相ら4大臣で決定

 政府が検討している国家安全保障会議(日本版NSC)の概要が13日、明らかになった。
 新設する首相、官房長官、外相、防衛相の4大臣会合で、有事の対応や外交・安全保障戦略を決定する。情報の分析・評価を担当する事務局は100人規模とする方針だ。政府は日本版NSCの設置で、迅速な意思決定ができる体制作りを目指す。
 日本版NSCは、現在置かれている安全保障会議を改組して設置する。安保会議は、〈1〉首相ら4大臣に国家公安委員長らを加えた「6大臣会合」で緊急事態の分析・評価を行う〈2〉総務相らも加えた「9大臣会合」で外交・防衛政策の基本方針を決定する――ことになっているが、意思決定の遅さや議論の形骸化が懸念されていた。日本版NSCは、メンバーを絞った4大臣会合が中心となる。

2013年4月14日(日)11時11分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20130413-01207/1.htm

 まず「自衛隊の中国人妻」に関する内容である。
 実は、この問題に関してはかなり前から言われていることである。数年前に、海上自衛隊の隊員の中国人妻が、イージス艦の情報を盗んだとして事件になった。しかし、実際のところ、イージス艦の情報を盗んだのはその隊員の妻なのであるが、その情報を自宅に持ち帰ったことそのものがよくないとして、自衛隊員が処分されるという事件があった。実際に、このような事件は公表されているかどうかは別にしてかなり頻発しているようである。しかし、その内容は、なかなか一般の我々の目のつくところではない。そもそも、事件が発覚することそのものが少ない状態であり、また発覚した事件の中でどれくらいのものがマスコミに公表されるのかということになる。
 このようなことから、基本的に自衛隊員のような軍事または安全保障に関する人々に関して、その配偶者や血縁関係などをしっかりと考えなければならないということになる。私は有志にお願いして、自衛隊員の見合いパーティーなどを企画しているが、実際にこれらのことを、指摘し問題視する人は少なくないのであるが、お見合いパーティーまで企画して実行する人は少ない。この場をお借りして、お見合いパティーを快く引き受けてくださった名古屋の六鹿様にお礼申し上げます。
 実際に、問題として、日本人のどこかに自衛隊のような軍人に嫁ぐことそのものまたは自衛隊員ということニアkんして少々の差別があるのかもしれない。それは左翼主義者の差別とは違い、自分たちの世界の人々とは違うという感覚の差別、ある意味で「異人」というような感覚が残されているのではないかと思う。そのために、自衛隊員に関して出会いの場所が無いということになってしまっているのである。実際に、軍人に対して別な意味を含めて「異人」または「貴人」的な扱いをしてしまうと、その違和感で出会いの場所がなくなってしまうのである。そのことが、自衛隊の持っている情報そのものの保護にどれほどリスクを与えているのであろうか。ある意味でよい意味の区別も含め、自衛隊が一般の人に馴染めていない状態が継続することが情報として最も大きな問題なのかもしれないと考えているのである。
 さて、その情報に関して安倍内閣は何を考えているのであろうか。情報の分析・評価を担当する事務局は100人規模とし、首相、官房長官、外相、防衛相の4大臣会合で、有事の対応や外交・安全保障戦略を決定する国家安全保障会議(日本版NSC)を設置するというのである。安全保障の戦略の決定はよいのであるが、問題はその情報の入手、そして分析に関して100名の事務局があると言う。しかし、その内容が以下に漏洩しないかを考えなければならない。もちろん、本来であれば分析なども少ない数で行わば宵のであるが、実際にそれらの少ない数で分析や評価を行うことができるのかどうかが最大の問題のなのである。
 本体は国家安全保障会議を行う前に、それらの情報の朗詠に対する内容、たとえが機密保持に関する法律やあるいは、スパイ防止法などを作ってからこれらの会議に入るべきではないか。また、その事務局に関しても、その配偶者や思想などをはっきりと伝えた後にしっかりと行わなければならないのではないかと考えられるのである。それらの内容は今後、同時進行的になるのではないか。しかし、その内容が片手落ちになってしまえば、わざわざスパイに最も欲しい情報がどこにあるかを報せているだけになってしまう。また、マスコミの『知る権利』などという不思議な魔術によって、国家の安全保障に関する情報がマスコミによって公開されることにもなりかねないのである。
 そのようなことにならないように情報の扱いをしっかりと行わなければならない。そのために、過去の自衛隊の中国人妻のような失敗をしっかりと学び、そこから新たな情報漏えいの防止策を考えなければならないし、逆に情報を得るためには、それくらいの情報漏えい防止をかいくぐって情報を得られるように訓練しなければならないのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(137) 凋落のフジテレビの「考え違い」

マスコミ批判に関する一考(137) 凋落のフジテレビの「考え違い」

 フジテレビの凋落ぶりが激しい。
 ドラマやバラエティの視聴率では3位に交代、以前長年1位を続けていたフジテレビはまったく姿を消してしまった。そもそも「フジテレビデモ」なども発生するほどのフジテレビバッシングに地上波デジタル放送になったことによって、番組表の端に追いやられたという事なども、フジテレビの視聴率の凋落の原因とされた。しかし、それは単純に「面白くない」番組の言い訳にしかならない。単純に、番組表の端であろうと、デモが発生しようと、「見たい」番組を作ればしっかりと見てもらえるはずだ。これらの「言い訳」は、実際に魅力のある番組を作ることができないということの現われでしかない。
 では、フジテレビはなぜ魅力乗る番組を作ることができなくなったのか。
 フジテレビデモに参加した人ならば「外国の資本に買収された」と言うことを言うであろう。もちろんそのことを否定するつもりはない。しかし、もっと根本的なところがあるのではないか。
 単純にいえば、その内容は二つ。ひとつは「視聴者の見たいものがわからなくなってしまった」ということ。もうひとつは、「資金がなくて良い番組が作れなくなってしまった」と言うことになるのである。まさに「マーケティング」と「デフレ不況」がフジテレビの凋落の大きな原因であると言うことが言える。同時にこの二つを間違えば、どんな企業であっても凋落してしまうのである。
 フジテレビは、まさにそのデフレ経済時代の凋落を、まさに多くの人に目に見える形で行ってくれた貴重な企業であり、世の中の企業の「悪い例」として存在しているのだ。 その上、その悪い例をまったく直そうともしない。
 今回もそのような事案が出てきた。この内容の何が問題なのか。まず記事を読んでいただくことにしよう。

フジテレビ初音ミク「ボカロ歌謡祭」のお粗末  タイトル誤記、CGしょぼすぎて「これ誰?」

 フジテレビが放送した「ボーカロイド歌謡祭2013(春)」が不評だ。歌謡祭とは名ばかりで人気ランキングが中心のうえ、メインタイトルの綴りを最後まで「VOCALOIDO」と誤って表記、登場したキャラのCGがしょぼいなど、「突っ込み所が満載だった」などとネットで非難されている。
 「ボーカロイド歌謡祭2013(春)~初音ミク から生まれた新たな音楽の世界~」はフジが2013年4月6日深夜に放送した1時間番組。
 「歌謡祭」なのに人気ランキングの発表が中心
 ボーカロイド(VOCALOID)とはヤマハが開発した音声合成技術で、パソコン用ソフトを起動して音符や歌詞や打ち込むとまるで人間が歌っているように表現できる仕組み。日本ではクリプトン・フューチャー・メディアが製品化し「初音ミク」などのバーチャルアイドルが誕生し、動画投稿サイト「ニコニコ動画」ではおびただしい数の楽曲やキャラを使ったアニメーションが発表されている。また、セガによって立体CG動画が制作され、この立体動画を使ったコンサートが日本だけでなく欧米やアジア諸国で開催され大人気を博している。
 今回の番組でフジは「地上波初のボーカロイド歌揺祭」を謳い、インターネットとテレビのコラボになるとPRしてきた。ただし、ネットでは、フジはネットを敵視してきたはずなのに「今更なに擦り寄ってきてんだ??」など声が挙がっていた。
 番組に登場したボカロキャラはミクのほか、神威がくぽ、IA、GUMIが登場、歌を披露したのだが、突っ込み所が満載の番組だった、として騒ぎになった。まず、番組名であるにもかかわらず、「VOCALOID」の表記を間違え最後まで「VOCALOIDO」と紹介していたこと。
 「歌謡祭」なのに歌が少なく、前半と後半に紹介した人気ランキングが突出して目立ってしまった、などが報告された。
 カルチャーを知らないスタッフが作った低予算番組?
 キャラが歌う様子の立体CG動画も、しょぼい作りだとして話題に。「首が落ちそうになっている」「キャラの足元に付けた影が、バックの人間ダンサーの影と方向が逆」などという指摘が。ミクのCGにも「これ誰?」という不満も出ていたが、なぜか番組の最後には、セガがコンサート用に制作したと思われる非常にクオリティーの高いミクが登場。「なぜ初めからこれを使わないのか」という不満の声が出ていた。
 こうなってしまったのは、ボーカロイドカルチャーに疎い製作スタッフが低予算で番組を作ったことが原因だろうという見方が大半だ。一方で、これだけ突っ込み所満載の番組だったため、非常に楽しむことができて「大満足だった」と皮肉な評価をする人もいた。

J-CASTニュース 2013年04月07日18時14分
http://news.livedoor.com/article/detail/7571726/

 私自身、ボーカロイドのファンでもなんでもない。しかし、ある程度は社会的な減少として知っていると言う程度である。それだけに、この製作スタッフの考え方は「人間が出るわけではないので、ギャラの分が安くなる」ということが中心になって企画したものであることは容易に想像がつく。要するに「低予算」ありきの番組であると言うことがいえるのである。そのことは、この記事に書かれている通りに、最後にオリジナルキャラクターが出てきていて、それまでが「まねた」キャラクターが出てきたところからも簡単に伺える。著作権版権の問題からオリジナルを使えばかなり高くなるし、セガに依頼すれば制作費も高くなるのである。
 ここで考えてもらいたいのが、フジテレビにはこの「二次元キャラクターの扱いが悪い」と言うことである。このブログでも過去に「黒子のバスケ」のイベントの問題などさまざまな「作家」が怒ってフジテレビがトラブルを起こしていることを書いているが、事際にこれは「作品」に対する考え方が、フジテレビの中の「予算」中心になっていると言うことに他ならない。膨大な制作費はどこに行ってしまっているのか。そのことがわからない状態では見えない部分があるが、実際にフジテレビの台所事情が良くわかる部分があり、それを明らかにしないでキャラクター番組を作ること自体が「予算の低減化」と言うことを目指して作っていると言うことに他ならないのである。しかし、作家にいてみればデザインと言うもの(キャラクターイメージ)は、そこに命を吹き込んだものであり、自分の作品に思い入れやプライドがあれば、自分自身よりも重要な内容として考えなければならないものである。その状態でありながら、安易に「経費節減のため」人間よりも安いと言う観点で使われては、腹立たしいと言うものであろう。
 まさに「デフレ不況」と言う観点で語ればこのようになってしまう。また、もうひとつの凋落の原因である「見たいものを作ることができない」と言うことに関していえば、「歌謡祭なのにランキング中心」と言うところに現れている。
 この観点で語れば、実際にテレビ局や製作者が、この番組の制作に当たってマーケティングをしていないということに他ならないのである。マーケティングをしていないというのは二種類ある。良くあるのは、芸能事務所や版権の権利者との関係において、その意向が強い場合である。その意向が強い場合は、当然にその意向がなければ番組が成立しないので、それはマーケティングそのものよりもその意向を中心にするということがある。基本的に漫画などの実写版のドラマ化または映画化などの場合の配役などに、これらの事情が重なると、ファンのイメージとまったく違う配役になってしまうことがある。しかし、今回はこの事情によるものではないと強く想像される。まさに、上記のように、セガの作成したキャラクターが出てきていないので、その番組の構成もセガの意向が少ないと見るべきである。と言うことは、単純にフジテレビがマーケティングを行わなかったということである。これは「何かが欠けている」からである。その「何か」とは「マーケティング調査費」なのか、あるいは「時間」なのか、または「政策にかかわる人数」なのか、または「マーケティングの能力」のどれかである。いずれにせよ、この欠けている「何か」は、テレビ局が最も欠けてはいけないものばかりであり、そしてその内容が欠けているから「見たいものが作れない」という状態が出てくるのである。
 質の良い番組を作る、今回は報道と言うものではないが、まさに娯楽番組であってもバラエティであっても同じであるが、安易な考えと十分でない経費と言うことでは、基本的にはうまく行かない。特に原因のひとつである「デフレ不況」は、まさに、テレビ局が政情の不安を演出して作り出したものであり、その結果として民主党政権ができたのである。その経緯に関しては私がもう4年前に上梓した「民主党の闇」に紹介したとおりである。しかし、それだけでなく、実際に各マスコミは自分の報道によって招いたデフレ布教により優秀な人材の流出を招き、または、ゆとりのある人材の育成を怠るっけ課になり、結局テレビそのものの魅力を失わせているのである。
 まさに「テレビの自業自得」が今回の内容ではないのか。その自業自得と言うことを認識しない限り、フジテレビデモのようなデモは続き、また、テレビ局尾凋落、視聴者のテレビ離れが進んでゆくのではないだろうか。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第26回 憲法で言う日本の世界平和に対する崇高な目的とは

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第26回 憲法で言う日本の世界平和に対する崇高な目的とは

 前回の内容で、日本は日本国憲法において「集団的自衛権」をしっかりと認める記載をしていることが明らかになった。もちろん、この文章は明らかに日本国憲法を保守的に解釈すればどうなるかということを記載し、私なりに無理の無いレベルで保守的に解釈しているものである。逆に、現在「学校」で習って来ている日本国憲法そのものの内容は、少なくとも保守的解釈を排除した内容しか教えていないということであり、憲法の可能性を教育の現場で限ってしまった内容でしかないというように、現在の憲法教育そのものの問題点を指摘したものである。
  しかし、逆に言えば憲法を解釈すれば、現在今回を始めんマスコミや世論で論争されている憲法の争点は、実は憲法の解釈の範囲の中で行われるものである。逆に言えば、集団的自衛権も自衛隊も、実際のところを考えれば、憲法の文言的な解釈の範囲内であり、憲法をどのように解釈するのかということによるものである。要するに、憲法の解釈論の中の問題であるのだから、基本的には法律論争ではなく「政治的な決断」の範囲の中の問題である。これを「違憲」などといって批判をするのは、憲法のことをよく読んでいない、または日本語的な解釈ができてないということに他ならないのである。
  日本国憲法前文第二段落は、世界の平和ということを機軸に記載されたものである。しかし、その世界の平和に関して日本は「非武装」ということではなく「名誉ある地位」を目指すものである。そのために「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することを積極的に行うということを、日本国民は決意したのである。このことをしっかりと考えるべきではないのか。
  その上で、今回は第6文、第二段落の最終文を見て見よう
 
  「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
 
  まず、ここの主語も「われらは」となっている。「日本国民は」となっていないことは、この文章の主語も「平和を愛する諸国民」のすべてにかかるものであり、日本国、および日本国民は「平和を愛する諸国民」の中の一つであり、同時に他の諸国民と一緒にということがこの文章の中の中にある。まさに主語の違いからそのようにしたのであろう。
  では、なぜこのようにわかりづらい主語にしたのであろうか。後の世に住む我々にとっては、はっきりしたほうがよいに決まっているのである。当然に明確に書いていただいたほうがよいし、そのことによって後の世の無用な論争は避けられたはずだ。この憲法を起草した人々は、その辺のことを考えていなかったのか。と、言うことを書いてしまえば、それはそれで簡単なのかもしれない。しかし、そのような主張は現在に生きる我々のエゴではないのか。
  この憲法が記載された時代を考えれば、当然にGHQの監視下にある状態である。同時に朝鮮半島で朝鮮戦争が起きていない時代だ。要するに、連合国にとって言えば、中華民国と、朝鮮半島の独立(半島が独立直後になんと名乗っていたのかは不明であるが)ということで、アメリカは特に反共ということを考えずに、アメリカ的に言う太平洋戦争の戦勝国として覇権を伸ばしたところである。そのアメリカにとっては、日本国という先日までの敵がサイド暴発しないということを主眼においていたに違いない。そのためにまさに「日本の弱体化」を考えていたのである。ということは、日本の復興を願う憲法を起草した日本人たちは、アメリカに気づかれないようにさまざまな暗号を仕組んでいたはずである。もちろん、「暗号」といっても、推理小説や宝探しの物語に出てくるようなものではない。当然に、後の世の一般の人でも注意深く憲法を読めば気づくような内容であり、そして当時のアメリカが気づかない内容にしなければならない。当時の人々は、そこで一計を案じて「暗号」を作ったのである。まさに、日本語と英語の言語の差をうまく利用したのである。
  それがまさに主語の差である。「日本国民は」を英語で翻訳すれば「Japanese」となっており、また、「われらは」とすれば「We」としかならないはずである。要するに「We」が「平和を愛する諸国民」というように他の国の人々の集団的自衛権をさすのか、あるいは「日本国民」を指すのかは、明確でないものになるのである。
  このことに気づかなかったのはアメリカであり、またいち早く気づいたのもアメリカなのである。GHQは、それに気づかず、当時の日本人の言葉にだまされて、この内容で憲法案を承認した。しかし、一方で、朝鮮戦争が始まったときに「自衛隊」の全身の「警察予備隊」(後の保安隊)を作るのは、まさにこの憲法の主語の違いに気づいたアメリカであったといえる。憲法上不可能でないために、アメリカは、単なるアメリカのエゴではなく、その法律的な解釈に基づいて日本に自衛隊を強要したのではないのか。アメリカのように、世界各国の自国の評判を気にし、また日本との関係が悪化すればヨーロッパとの関係もすべておかしくなる可能性のあるアメリカにとって、日本に憲法上の無理を強いることは難しい。当然に憲法上の解釈を「アメリカの都合」で行えば無理が無い状態になるようにすればよいということになるのである。
  さて、文章の解釈を進めよう。
  「全世界の国民」が「平和のうちに生存する権利を有する」ということを確認するのである。まさに、「生存する」ためには、生存を脅かす害を排除することが必要である。もちろん自然災害や旱魃などの食糧不足などに対しての援助が必要であり、その内容は日本は政府開発援助(いわゆるODA)で実現してきている。「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」とあるのは、まさにそのことを考えているといって過言ではない。この中の「欠乏」はまさに政府開発援助の範疇であり、また、自衛隊の蔡が覇権アドのことを言っていることになる。しかし、日本国憲法には「恐怖」ということにも言及しているのだ。「恐怖」は人間に対する抑圧に対して、集団的自衛権を行使して、その恐怖からの脱却、それによる平和の内に生存する権利を輸しているとする解釈である。まさに、このことは、日本国憲法の主張であり、そして日本国憲法において日本国民が課された義務である。
  では、その義務は何か。まさに日本国民が主導的に「全世界の国民」を平和のうちに生存できるようにすることではないのか。そして、その崇高な目的のために、日本は憲法を解釈し、その目的が果たせないような自己否定をする解釈をして花いけないということになるのかもしれない。
  このように、憲法前文第二段落では、日本が世界の平和のために寄与することを、そして主導的な役割を果たすことを目的とすることを記載しているのである。以下に日本で言われている「平和主義」というものとかけ離れているかがわかるのではないか。

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北朝鮮の敵国である韓国は対立型縦社会であるとする「慰安婦の碑建立」をめぐる派閥争いと米国国民の不快感

北朝鮮の敵国である韓国は対立型縦社会であるとする「慰安婦の碑建立」をめぐる派閥争いと米国国民の不快感

 今週は、北朝鮮のことを書いてきた。実際に、北朝鮮の軍事的な緊張感が高まっているので、他のニュースがありながらも、今回はこの軍事的な緊張に応える形で北朝鮮の今回の行動の分析をしたつもりである。もちろん、足りない部分もあるし、知っていながらここに書かない(ここに書けば北朝鮮も読む可能性がゼロではない)こ事もあるので、「?」と思うところもあったかもしれないが、その辺はぜひお許し願いたい。
 さて、北朝鮮の「軍事的緊張」と言うことを書いたが、ではその軍事的緊張において敵国はどこなのであろうか。多くの人が北朝鮮の敵が「アメリカ」と思っており、同時に、金正恩第一書記も「アメリカ」を名指しして威嚇している。しかし、よく考えてもらいたい。実際に北朝鮮が行った行動から考えれば、単純に南北の休戦協定を破棄したに過ぎないのである。特にアメリカに対して宣戦布告を行ったわけでもなければ、日本に対して武力行使を行ったわ江ではない。まさにマスコミを使って威嚇をしているだけに過ぎないのである。要するに、現段階での北朝鮮の敵国は「韓国」でしかなく、日本とアメリカは「敵国の同盟国」であり、残念ながら北朝鮮に対する直接的な敵国ではないのである。要するに、日本は「朝鮮半島の中の内紛だから放置」と言う選択肢がいまだにありうると言うことになる。もちろん、現在の世界情勢でそれを行うことはできないが、とはいえ、竹島問題や対馬の国宝盗難事件という外交問題を抱えながら、無条件で韓国を支援するほど「お人よし」の国ではない。
 では、その敵国の韓国とはどのような国なのか。この件に関しては、そのうち韓国人の国民性ということについて焦点を当てた本を書こうと思っているが、その前にそのエッセンスだけを簡単に書いてみようと思う。それも、今回の北朝鮮との軍事的な緊張を見ながら、それでも韓国人が日本人の見ていないところでどのようなことをしているのか、同時に、その中で勧告の国民性が現れるエピソードを残していないのかと言うことに関して、面白い記事があるので、それを中心に考えてみたい。

慰安婦の碑建立めぐり仲間割れ、米自治体と住民は憤慨=韓国

 米ニュージャージー州フォートリーで検討されている慰安婦の碑について、複数の地元紙が4日と5日に相次ぎ、設置を推進する韓国系団体の間で葛藤が起きていると報じた。地元住民らは騒動を受けて韓国人社会に反感を抱きはじめており、碑の設置自体にも強く反対しているという。複数の韓国メディアが報じた。
 騒動の発端は「日本軍強制慰安婦追慕委員会」が3日、フォートリー市議会で承認された碑の設置案について、表現やイメージなどの面で問題があると指摘したことによる。同委員会は、ニュージャージー州パリセイズ・パーク市に慰安婦碑を建立した団体だ。
 委員会は、設置案の「(慰安婦が)性接待(Sexual Service)を強要された」との文言や、旭日旗の模様と韓国の民族衣装を着た少女像が刻まれるという碑のイメージについて、望ましくないと主張。インターネット上で署名運動を展開し、市側に設置案を変更するよう要求した。
 フォートリーの市長や市議会議員らは、委員会側の訴えに戸惑いを隠せなかった。碑の設置計画は、フォートリーの韓国系団体の求めによって進められてきたものであり、4月27日には慰安婦碑を設置する方向で日程が組まれた状態だった。ソコリッチ市長は、「私たちが必要としているのは署名ではなく、すべての韓国人団体が合意した統一案」だと述べ、韓国系団体間で意見が分裂している状態に不快感を示した。
 韓国メディアは、「委員会の指摘は内容的には正しい」としながらも、「委員会が碑の設置を推進していた団体に修正を促すのではなく、署名運動を展開し、市長と市議会を圧迫するという戦略には問題があった」と指摘。騒動を報じた地元紙の記事(電子版)には、「設置は中止しろ」「慰安婦は韓国と日本の問題」などと碑の設置に反対する地元住民らのコメントが集まっていたと伝えた。(編集担当:新川悠)

2013年4月8日(月)12時18分配信 サーチナ
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20130408-20130408_00021/1.htm

米国に乱立する慰安婦碑、設置めぐり団体間で主導権争いも=韓国

 米カリフォルニア州南部ロサンゼルスのグレンデール市議会は26日、私立中央図書館前の公園に、従軍慰安婦の記念碑を設置することを、賛成多数で可決した。米国では、在米韓国人団体による慰安婦碑の設置ブームが起きているが、団体間で意見が対立するなど新たな問題も浮上している。複数の韓国メディアが報じた。
 フランク・キンテロ(Frank Quintero)議長を初めとするグレンデールの市議5人のうち4人は、慰安婦碑の設置支援案について投票を行い、賛成3票、反対1票で可決した。
 ロサンゼルス近郊の公共敷地内に慰安婦碑の設置計画を進めてきた団体KAFC(Korean American Forum of Calofornia)は、直ちに設置作業に入る予定で、6月には序幕式を開催したいとしている。
 米国の慰安婦の碑は、2010年10月にニュージャージー州のパリセイズ・パーク市に設置されたことが皮切りとなり、2年あまりでニューヨークやニュージャージーの計3カ所に設置された。シカゴやアトランタなど韓国人が多く住む主要都市でも慰安婦碑の設置計画が進んでいるといい、今年だけでもグレンデール以外の場所でも登場すると見られている。
 在米韓国人の間で過熱する慰安婦碑の設置ブームは、2012年5月に自民党議員がパリセイズ・パーク市の慰安婦碑を問題視したことから一気に火が付いた。自民党議員らは現地を訪れ、市側に早期撤去を要求。これに反発した在米韓国人らが記念碑の設置に次々と名乗りを上げ、設置ラッシュへとつながった。
 しかし、記念碑の設置は各団体が個別で推進しているため、形式にまとまりがなかったり、現地の市民感情を無視して無分別に設置案を進めることからトラブルが起きているという。推進する2つの団体が設置案をめぐり意見の対立が起きたり、設置を急ぐあまり「(慰安婦の)性的サービス」との表現が含まれた文章が議会を通過し、修正に追われるケースもあった。
 韓国メディアは、「慰安婦の歴史を知らせる記念碑の設置は望ましいことだが、米国社会と連携しないままの過度な設置ブームは効果が半減し、逆効果となる恐れもある」と懸念を示した。(編集担当:新川悠)

2013年3月28日(木)16時51分配信 サーチナ
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20130328-20130328_00036/1.htm

 双方ともに、韓国がアメリカ国内において「従軍慰安婦の碑」を建てようとして、韓国人社会の中で対立が生じたと言うものである。はっきりいって「馬鹿」としか言いようがない。単純に、共通の敵が存在するときはうまく行くが、共通の敵がいなくなったり、その工程から共通の敵の存在を必要としなくなった瞬間に、内紛が発生すると言う構図である。日本国内にもよくある構図であるが、もっとも有名な例は「政権交代」として共通の敵「自民党」から政権奪取をした後の「民主党」がそれだ。政権を執った後に主導権争いが発生し、三年で三人の首相を輩出、その間に内ゲバ的な仲間割れが発生し、「生活」と大きく分裂、双方ともに共倒れになると言う状態である。
 さて、別に民主党と韓国が似ていると言うことを書いているのではない。従軍慰安婦の碑ということそのものの問題も書くつもりはない。あえてここに書かなくても「売春婦(prostitution woman)」が数十年たって「慰安婦(Sexual slave)」であったと主張しても、歴史が許すはずがないのである。アメリカがこのようなこと二同調するのは、「従軍慰安婦」と言う単語とその訳文である「Sexual slave」という単語の問題であり、しっかりと「従軍売春婦」とその訳文である「prostitution woman」と言うことを書けば、アメリカが韓国の主張に同調するはずがないのである。まさに、「従軍慰安婦」という単語を作った日本人こそ最大の売国奴なのかもしれない。
 そのようなことはさておき、そもそも韓国と言うのは縦社会である。韓国国民が縦社会であるというのは、身分制と財閥支配の経済構造を見れば一目瞭然である。財閥の中の階級はまさに中国共産党の中の順位のようになっており、縦社会の一つ一つが中国のように自分の面子を気にしながら仕事をすいているのである。従軍慰安婦の紐、まさにその他他社会の連合体が嘘や捏造を含めたさまざまな働きかけを行い、その縦社会が、立てるところになると批判合戦をおこなう。彼らの中には自分の所属するたて社会の中しか全く考えていないということが浮き彫りになるのである。
 縦社会といえば、話題になっている北朝鮮も、原始共産主義を目指しているはずの中国共産党も同じである。まさに、共産主義という本来横社会になるはずの政治体制の国が、順位表などによって縦社会あっており、日本やアメリカのような資本主義の国のほうが人権などがうるさく言われて横社会になっている。その資本主義的な国の中で、なぜか韓国だけが縦社会化した構造(経済的構造から国民の精神構造まで含めて)をもっている。
 何度も言うが、私は従軍慰安婦そのものが捏造であるということを思っているが、今回のブログはそのことを糾弾するものではない。それではなく、その内容を機軸にした韓国人の縦社会的な、まさに北朝鮮や中国と同じ構造の支配階級構造があり、それがアメリカなどで嫌がられているということを後生かしたいと思ったのである。
 中国もそうだが、日本人が彼らについてなんとなく「違和感」がある、それでいながら、一人の個人の中国沿いんや韓国人と友人関係になることが多いのは、まさにこの人間関係があるところがあるのではないか。

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核戦争や地上戦闘ではない北朝鮮発の「ハッカー戦」に備えよ

核戦争や地上戦闘ではない北朝鮮発の「ハッカー戦」に備えよ

 北朝鮮のことを書いてきた。
 しかし、ここで書いてきたのは、北朝鮮による武力行使に関する内容ばかりであり、実際に「目に見える戦争」と言うことができるのではないか。しかし、ここで中国のことで何度も書いているが、実際に戦争と言うのはそれ以前の「情報戦」や「外交戦」から始まるものであり、何の前触れも何もなく、いきなり引き金を引くと言うことは、よほど狂った指導者か戦争好きな指導者でなければありえないのである。
 クラウゼビッツの「戦争論」によれば、戦争は外交紛争の延長線上の解決手段でしかないわけであり、人間で言えば「口喧嘩でうまく解決できなかったから、ついつい手が出た」と言う類の者が多いと言う。もちろん、その「口喧嘩」の原因は古来さまざまなものがある。宗教や民族の対立や、権益や利益の問題、王族のメンツ、そして女性問題まで、戦争と言えども人と人あ争うものであるから、通常人と人が争う原因と言う内容も少なくないのである。その内容が通常の戦争としてそのような内容になっているのであり、基本的にその内容を見てみようと考えているのである。
 今回、北朝鮮が武力衝突の緊張度合いを上げているために、それ以前の「口喧嘩の原因」についてあまり言及されていないし、また、その「口喧嘩」そのものに関しても余り注目されていない。しかし、実際に戦争になればその原因があるのであり、その原因が何なのか、しっかりと見ておかなければならない。
 今回は間に「サッチャー元首相の死去」のニュースが入ったので、その原因のところは言及しない。その代わり「口喧嘩」そのものに注目をして見てみようと思う。要するに「情報戦」について、北朝鮮がどのようなアクセスをしているのか、と言うことを見てみなければならないのではないだろうか。

国際ハッカー団が北サイトから会員リスト取り出す…韓国人と思われる人も相当数

 国際ハッカーグループであるアノニマス(Anonymous)が北朝鮮の代表的な対韓国宣伝サイトである「ウリミンジョクキリ(我われ民族どうしの意)」をハッキングして取り出した会員名簿を4日公開した。このリストに韓国人と思われる人も相当数含まれていて論議が起きている。彼らの中には韓国内の大型ポータルサイトのメールや主要大企業のメールを会員加入に使った場合もある。「ウリミンジョクキリ」で2004年不法有害サイトに分類され、会員加入はもちろん接続も不可能だ。
 一部ネットユーザーは公開された名簿を親北朝鮮指向の政党・団体に所属した「従北名簿」と主張して暴露的に身元を公開して葛藤や反発が予想される。この日、アノニマスが公開したリスト(9001人)にはの名前はもちろん使用者IDや性別、メールアドレス、生年月日、パスワードなどが含まれている。特に「@naver.com」「@daum.net」など韓国内代表的なポータルサイトのメールを使う使用者も少なくなかった。また、サムスンやLG電子など韓国内企業のメールアドレスはもちろん中央・朝鮮・東亜日報など報道機関のメールで加入した場合もあった。
 アノニマスはこの日、テキストファイル共有サイトである「Pastebin」を通じて「昨日サイバー戦争を予告したにもかかわらず北朝鮮が新しい威嚇を加えたのでこの情報を公開する」として「この情報は中国に基盤を置いた北朝鮮の宣伝サイトである『ウリミンジョクキリ』の会員記録」と主張した。韓国政府関係者は「会員名簿だ」と明らかにした。これに対して保守指向団体所属ネットユーザーらは「名前やメールアドレス、生年月日を組み合わせてみると統合進歩党員、民主労組役員などの身元と一致する」として特定会員の身元をインターネットなどに公開している。彼らは「韓国の従北リストが公開されたので処罰せざるをえないのではないか」と促した
 NAVER関係者はしかし「NAVERの場合、実名ではなくても加入が可能で、NAVERメールを使用した人が必ずしも韓国人だと特定し難い」と明らかにした。ある企業関係者も「名前やID、メールアドレスなどが実際勤務している職員と一致しない」として「外部に余計な疑惑を与えるようで当惑している」と話した。ソウル中央地検イ・ジョンフェ2部長は「利敵サイトといっても利敵表現物を直接アップしたり利敵共助活動により北朝鮮を助ける活動をしなければ疑惑立証はできない」としながら「サイト加入自体だけでは国家保安法違反の有無を断定するのは難しい」と説明した。現在、ウリミンジョクキリのサイトは韓国内はもちろん海外からも接続できない状態だ。
 一方、アノニマスは2日(現地時間)北朝鮮政府に「サイバー戦争切迫」を明らかにして北朝鮮の主なインターネットサイトや政府イントラネットを無力化させると明らかにした。この団体は「金正恩(キム・ジョンウン)委員長の辞任、北朝鮮に自由民主主義体制の導入、核兵器に対する野望の放棄、国民に普遍的で検閲のないインターネット接続権の提供」などを北朝鮮に要求した。アノニマスは「私たちの要求事項を聞き入れない場合、初めはデータを消す水準で終わるかも知れないが、その次には『独裁政府』を消すことになるだろう」と主張した。

中央日報 2013年04月05日11時20分
http://news.livedoor.com/article/detail/7566400/

北朝鮮、アノニマスによるサイバー攻撃「韓国の仕業」と主張

 北朝鮮の韓国向け宣伝サイト「わが民族同士」は8日、国際的ハッカー集団「アノニマス」を名乗るグループにサイバー攻撃を受けたことに関し、「南朝鮮(韓国)情報員をはじめとした傀儡(かいらい)一味による仕業」と非難した。北朝鮮が今回のサイバー攻撃について言及したのは初めて。複数の韓国メディアが報じた。
 報道によると、「わが民族同士」は編集局名義で「犯罪的なハッキング策動は何を示しているのか」と題した論評を発表。「わがホームページに対する今回の『アノニマス』によるハッキング行為は、インターネット活動に対する重大な犯罪行為であり絶対に許すことはできない」と非難した。
 アノニマスは4月4日、北朝鮮のウェブサイトやツイッター、フリッカーなど複数の関連サイトを相次いでハッキング。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記を西遊記の猪八戒に模したコラージュ画像を掲載したり、「わが民族同士」に会員登録していた1万5000人分の個人情報を公開した。
 論評では、韓国が自国でサイバー攻撃が発生する度に北朝鮮と結びつけて内外世論を誘導してきたと指摘。「国際的なハッカー集団まで引き込みハッキング犯罪を敢行し、反共和国の謀略と従北騒動を起こしている」と主張した。(編集担当:新川悠)

2013年4月9日(火)11時57分配信 サーチナ
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20130409-20130409_00022/1.htm

 朝鮮半島の南北でハッキング戦争を行っているのである。ハッカー戦争は、まさに情報戦争の中で現状の最も最先端のものである。民間人でも行うことができる戦争といっても過言ではない。
 日本では、このハッキングの戦争を全く「戦争」とか「自衛権」という枠組みで考えていない。日本の場合は、基本的には情報で戦争を行うという感覚が無い。しかし、その情報で戦争を行う感覚が無いのに、すべての企業(軍需産業や作戦産業を含め)がコンピューター化しているという、いびつな状態になっているのである。このような状態でハッキングされ、その状態で、国内を混乱させられたり、自衛隊の指揮命令系統が混乱していては、どんなに優秀な武器や部隊を持っていても、北朝鮮に対抗することすらできないのである。実際に、コンピューター化された軍隊は、そのコンピューターがなくなってしまえば、烏合の衆になってしまう。その場合アナログの訓練をした軍隊のほうが強いことになってしまう。戦争は非常事態であるが、平時にはわからないシステムの脆弱性が非常時に明らかになっては手遅れなのである。
 特に、日本の自衛隊は民間のインフラを使って軍隊の補給をしている。兵站の調達から輸送もすべて民間の仕事である。そのことは、当然に、民間企業がハッキングされて補給兵站を行うことができなければ、その時点で武器弾薬から食料品や衣料品などの輸送ができず、戦争の継続能力がなくなることになるのである。
 まさに、ハッキングという「自衛権」と全く意識されていない状態の中において、日本の国防に大きくかかわる問題が出てきているのである。そのことを認識している人が少ない。
 今回、アノニマスが北朝鮮のシステムをハッキングした。ネット上で話題になっている日本のテレビ局の職員の名前が出てきたなどということは、それ自体は大きな問題ではなく、その名簿と同じレベルのセキュリティのほかの機密事項もすべて見ることができた、北朝鮮からすればハッキングによって見られてしまったということであろう。同じことが先日の韓国へのハッキングでも同じことが言えるのである。そして、そのレベルに入っていれば、当然に、民間企業、それが日本の大企業であってもその民間企業に関してはより甘いセキュリティになっているのである。
 日本において、民間活用は非常に強く言われており、また、経済の政界ではずいぶんと前から機械化、コンピューター化が言われている。しかし、実際にそれらのセキュリティということに関しては全くその内容が考えられていないということになるのである。
 スパイ防止法、またはそれら機密保護に艦s塗る法律と、ハッキングに対して国家レベルでの安全保障を考える必要がある。北朝鮮であってもハッキングをしてくる時代であるということを考えるべきではないのか。

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北朝鮮が緊張を高めることによって起こる各国のハレーション

北朝鮮が緊張を高めることによって起こる各国のハレーション

 今週は北朝鮮について書こうと思っているので、少々お付き合い願いたい。
 本日11日は、金正恩第一書記が正式に主任して一周年になる。さすがに今日の段階で何か大きな行動が発生するとは思えないので、今日は安心して北朝鮮のことを書いて見ようと思う。
 とはいえ、北朝鮮の戦争に関する内容やそのほかのことを書いてもあまり意味がない。そこで、北朝鮮が今回このようなことを行ったことに対する各国の対応を考えて見ようと思う。
 まず何よりも韓国とアメリカである。韓国とアメリカは、当然に北朝鮮に名指しされている「敵国」である。この「敵国」は、圧力をかけられ、威嚇されれば、それに対して身構えるのが普通である。しかし、「弱い犬ほど良く吼える」のたとえもあるとおりに、北朝鮮の威嚇も「アメリカや韓国が怖いから」そのようなことをしているということになる。本当に強いのであれば、そして戦争する気があれば、威嚇などを長々と繰り返す必要が無い。単純に宣戦布告して戦争を行えばよい話しである。しかし、それができないのは、戦争もしたくないし、戦争をすれば負けてしまう可能性がある。そのために、威嚇を続けているのである。
 逆にアメリカなどが「あまり威嚇はしないほうがよい」というだけで、何もしないのは、当然に、それを守るだけの自信があるからに他ならない。このように考えれば、アメリカや韓国に関しては、そのように考える。しかし、新聞の記事で言えばそれだけでなく、その余裕の蔭にはそれなりの活動をしている。当然に中国やロシアなどのほかの国との連携を図っているであろうし、また、この記事(下記)に書いてあるように金正恩第一書記の暗殺なども考えているはずであろう。ウサマ・ビン・ラディン氏の暗殺のように、行う可能性もあるのである。このようなときに「敵国」はなるべく早くそして被害を少なく価値を治めることを考えるのであるから、その行動に関しては簡単に予想ができるのである。

暗殺におびえる金正恩第1書記、警護を大幅強化―台湾メディア

  6日、北朝鮮の金正恩第1書記は、暗殺を恐れて自分への警護強化を指示した。同書記の最近の好戦的な態度は、不満がくすぶる軍部向けのパフォーマンスとの見方も。写真は北朝鮮北部、新義州の兵士。2013年4月6日、北朝鮮は最近、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の警護を大幅に強化。暗殺や軍事クーデターの発生を恐れる同書記の指示によるものだという。台湾中央社が伝えた。
 韓国朝鮮日報によると、首都平壌市内にある同書記の別荘など専用施設に100台の装甲車を配備。同書記が参加する行事の会場周辺には、自動小銃と手りゅう弾で重武装した兵士を配置した。また、護衛要員は武器を入れたリュックサックを携行するという。
 金正恩第1書記の移動ルートは最高機密であり、同書記の公開活動に際しては携帯電話が起爆装置に利用されないよう強力な妨害電波を流している。
 ある外交関係者は「正恩氏が軍部への束縛を強めれば強めるほど、軍部の反発は大きくなる」と指摘。昨年11月にも同書記の暗殺未遂報道が流れたが、北朝鮮軍部の内部抗争が原因との見方も。また、同書記が行った人事や提唱している経済自由化も軍部の不満を招いたとの指摘もある。最近の北朝鮮の好戦的な姿勢は、年の若い金正恩第1書記が「米国をも恐れていない」強い指導者であることを、軍部に示すためのものだと専門家は語っている。(翻訳・編集/本郷)

Record China 2013年04月07日20時50分
http://news.livedoor.com/article/detail/7571906/

中国外相、「北朝鮮情勢に重大な懸念」表明

 【北京=牧野田亨】中国外務省によると、王毅(ワンイー)外相は6日夜、国連の潘基文(パンギムン)事務総長と北朝鮮情勢について電話会談した。
 王氏は軍事的緊張が高まる現状に「重大な懸念」を表明したうえで、各国に冷静に対応し、緊張緩和に努力するよう求めた。
 また、同省の洪磊(ホンレイ)副報道局長は7日、北朝鮮政府が平壌の外国使節団に「安全を保証できない」として国外退去を勧告後も、「中国大使館は現地で正常に運営している」と発表した。

2013年4月7日(日)19時54分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20130407-00513/1.htm

スイス、朝鮮半島の緊張緩和に仲介申し出―中国報道

【新華社ジュネーブ】 スイス政府は朝鮮半島の緊張情勢を緩和するため、北朝鮮と関係各国との仲介を行う意向を示した。スイス通信(SDA-ATS)が7日付で報じた。
スイス通信はスウェーデン外務省報道官の話として、「現在のところ交渉の予定があるかどうかは把握していないが、南北双方が調停に同意すれば、スイス政府はこれを仲介する意向がある」と伝えた。
同報道官によると、スイス政府はすでに北朝鮮側にこの意向を伝えた。
また、スイス政府は現在のところ、北朝鮮に派遣した現地関係者を撤退させることを考慮していない模様だ。スイスは北朝鮮に大使館を設けていないが、事務所を置いている。
(編集翻訳 伊藤亜美)

毎日中国経済 2013年04月08日12時59分
http://news.livedoor.com/article/detail/7573540/

北朝鮮ミサイル 高まる威嚇に首相「国民の生命・安全守る」

 安倍晋三首相(酒巻俊介撮影) 安倍晋三首相は9日朝、北朝鮮が「10日にも日本側にミサイルを発射する」と平壌在住の一部外交官へ通告したことについて「日本政府として国民の生命と安全を守るために万全を尽くす」と述べた。
 首相官邸で記者団の質問に答えた。
 首相は「北朝鮮は国際社会に挑発的な言動を続けているが、われわれは冷静に関係各国と連携を取りながら、やるべきことをやっていく必要がある」と強調。「特に先般の国連安全保障理事会の制裁決議を実行していくことが必要だ」と語った。

産経新聞 2013年04月09日09時17分
http://news.livedoor.com/article/detail/7575935/

 アメリカ・韓国という敵国に関しては、わかりやすい。国民の安全を守ることが最も重要であり、その次に財産を守ることが政府の任務だ。そのように考えれば安倍首相が「日本政府として国民の生命と安全を守るために万全を尽くす」と発言したのは、日本国政府は、アメリカや韓国と同様に立場にあり、日本国は北朝鮮に対して守られる必要があるという認識である。
 では、もっとも微妙な国は中国だ。中国は自らが「宗主国」と思っているのだから、属国である北朝鮮が暴走をするのは非常に困った話になるのである。コントロール不能な状態になれば、中国が宗主国としてのメンツをつぶされることになる。一方で、コントロールが可能となれば、北朝鮮の行動は中国が主導していたことになる。それは最悪の場合アメリカとの全面戦争を意味する。このように考えれば、中国は「平常どおり」という動きをする以外にはないのである。「中国大使館は現地で正常に運営している」と中国の報道官が話しをするのは、ある意味で中国の「追い込まれた」対応ということがいえよう。
 では他の国はどうなのであろうか。ロシアも含めて「様子見」という感じではないか。そもそも戦争が始まったわけでもなければ、どちらかに被害があったわけでもない。もちろん、今までのいきさつを見れば、国連の安全保障理事会の批判決議などがあり、北朝鮮のほうが不利に見える。しかし、アメリカは大東亜戦争においても、アメリカ側が敵国に戦争を仕掛けさせるような状態になっている。そのために、北朝鮮が常軌を逸した威嚇を続けるには何らかのアメリカからのプレッシャーがある可能性もあると考えている。
 そこで、スイスのように「現在のところ交渉の予定があるかどうかは把握していないが、南北双方が調停に同意すれば、スイス政府はこれを仲介する意向がある」というように武力行使に至らない形での解決を考えているところも少なくないのである。当然に、イスラム諸国も、そしてパキスタンなどの各技術を提供していた国に関しても同じであろう。しかし、スイスの政府がこのようなことを言うということは、当然に、ヨーロッパでも北朝鮮、彼らから見た極東における一つの国の暴挙が気になってきているということを意味している。
 まさに、そのような内容が見え隠れする内容になっている。各国の対応によって今回の問題に関する温度差や、そしてその後の対応が見えてくるのではないだろうか。

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「鉄の女」イギリス・サッチャー元首相の「意志の力」

「鉄の女」イギリス・サッチャー元首相の「意志の力」

 今週は北朝鮮のことを一週間連続でブログに書こうと思っていたのであるが、そのことよりも大きなニュースが入ってきた。もちろん「大きい小さい」という事を比べられる問題ではないのかもしれないが、ここの「大きい小さい」と言うのは、このブログを書いている私の主観である。私が「これはしっかりと書かなければならない」と思いが強いほうが「大きい」とかく。北朝鮮のことは日本にとっては喫緊で重大な話題であるが、しかし、現在「ミサイル発射の恐れがある」と言うように、まさに今後の予想でしかない。今後発生する可能性があることの評論よりも、やはり、訃報に接した場合はその訃報を重視してしまうのが私個人の価値観と言うことになるのである。
 さて、このサッチャー首相。私が学生時代にイギリスの首相を11年続けた人である。私おじんからすれば、イギリスの首相と言えば「サッチャーさん」という感覚が抜けない。それだけ日本人にとっても、当時学生時代であまり政治などを知らない私にとっても、印象に残る首相であったと言うことが言えるのではないだろうか。
 また、そのサッチャー首相の時代はイギリスだけでなく、ヨーロッパそして世界全体が大きく動いた時代であった。その中においてアメリカのレーガン大統領とそもに、反共の旗振り役として世界を動き、そして、最終的にはソビエト連邦の解体、そして、有名なベルリンの壁を壊したのである。
 同時に、強いイギリス、大英帝国の実現めざし、そのために富国強兵を実施した。それまでの「ゆりかごから墓場まで」という評語で表されたイギリスの過剰なまでの社会保障を廃止、「自分の足で立て」と自立を促し、その上で、イギリスと言う国家の繁栄を目指したのである。強いイギリスは何も経済的な部分だけではない、サッチャー首相と言えば、間違いなくアルゼンチンとの間におけるフォークランド紛争が思い浮かぶ。
 フォークランド紛争と、大英帝国の復活と言うことに関しえては、記事の後半にこのつづきを書くことにしよう。

サッチャー元英首相が死去

 【ロンドン共同】1979年から90年まで英保守党政権を担い、強力な指導力と反共産主義の姿勢から「鉄の女」と評されたマーガレット・サッチャー元首相が8日午前に死去した。87歳だった。英BBC放送などが報じた。元首相の関係者は「脳卒中を起こした後、安らかに死去した」と語った。「英国病」と呼ばれた経済低迷を金融分野の大胆な規制緩和や国有企業の民営化推進など競争原理に基づいた市場経済路線を定着させた。

2013年4月8日(月)21時7分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2013040801002634/1.htm

<サッチャー氏死去>米ソ首脳と信頼関係 国際社会動かす

 英国にとってサッチャー氏の最大の功績は、対米関係を強化して国際社会で大きな影響力を維持したことだろう。盟友レーガン米大統領との個人的信頼関係を軸に両国を中心に国際社会を動かした。フォークランド紛争(1982年)では軍事力で英国の力を示し、ソ連のゴルバチョフ元大統領とも信頼関係を構築して東西冷戦を終結に導いた。
 英国は産業革命と、その技術・軍事力による植民地の拡大でビクトリア朝(1837~1901年)時代に繁栄を享受し、世界で最も豊かな国となった。しかし、20世紀の2度の世界大戦で英国の富は極度に減少した。特に第二次世界大戦ではナチス・ドイツによってロンドンまでも空襲され国土は荒廃した。第二次大戦後は民族独立の機運が高まり、インドをはじめ次々と植民地を失った。国際的には米国の影響力が圧倒的に高まり、英国は欧州の一角に押しやられた。
 にもかかわらず労働組合は従来通りの権利を要求し国民は高福祉を満喫した。70年代になると英国経済は疲弊して「英国病」と呼ばれ、76年には国際通貨基金(IMF)の支援を受ける。国際社会での英国の地位は失墜し、国民は自信を失う。
 そうした中、登場したのがサッチャー氏だった。国際的には欧州よりも米国との関係を重視し特別な2国間関係を構築した。国内的にも、平等や労働者の権利よりも自由化、競争原理の導入を重視する米国型の政策を断行した。強い抵抗もあったが、女性初の首相であるサッチャー氏はそれを世論の支持ではね返した。結果的に英国経済は回復軌道に乗り、その後のブレア労働党政権の経済成長につながっていく。
 しかし、今、サッチャー氏が構築した米国との関係は難しい局面に入っている。ブレア首相時代に英米が突き進んだイラク戦争の泥沼化で、英国民には米国一辺倒の外交政策に批判が強い。オバマ米政権も太平洋重視を鮮明にし、英国との関係を特別視することはほとんどない。欧州連合(EU)には英国への不信や不満が根強い。英国は極めて難しい外交課題に直面している。
 国内的にもサッチャー改革の矛盾が噴き出している。金融自由化で資金はロンドンに流れ込んだものの、その利益に浴する層は一部に限られ、労働者の権利縮小と福祉切り捨てで貧しい者の生活は極めて厳しくなった。こうした不満の蓄積は2011年夏のロンドン暴動に表れた。英国は今、外交、経済、社会とさまざまな面で「鉄の女」が作った矛盾との戦いにエネルギーを費やしている。サッチャー氏はそんな時代に逝った。

毎日新聞 4月8日(月)21時37分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130408-00000084-mai-eurp

意志の力示したリーダー=サッチャー氏死去に安倍首相

 安倍晋三首相は8日、サッチャー元英首相の死去について「意志の力を身をもって示した偉大なリーダーであり、国家国民のために全てをささげた尊敬すべき政治家であった」とのコメントを発表した。
 首相は2月28日の施政方針演説で、フォークランド紛争でのサッチャー氏の毅然(きぜん)とした態度を取り上げ、領土を守る決意を訴えた経緯がある。コメントでは「英国国民と深い悲しみを共にしたい」として、同氏を悼んだ。
 首相当時、交流のあった中曽根康弘元首相も「第2次世界大戦後、自由世界でレーガン元米大統領とともに記憶されるべき政治家であり、共産ソ連に対抗し、自由世界が協力団結すべきことを訴えた傑出した政治家だった」とコメントした。 

時事通信社 2013年04月08日23時01分
http://news.livedoor.com/article/detail/7575267/

 サッチャー首相は、まさに偉大な政治家であった。では、サッチャー首相の何が偉大であったのか。私は残念ながらサッチャー首相に生でお目にかかったことはない。彼女の語った語録や彼女の話など、そして政治低な活動を見ていれば、その政治家としての偉大さがわかると言うものであるが、実際に生で接した人の感じるものとはまったく異なるものであることは、あらかじめ申し上げておく。当然に、人間としてのサッチャー首相も知っているわけではない。完全に日本のマスコミ、特に私の場合は学生時代にマスコミが報じたサッチャー首相師か知らないのである。
 それでも、サッチャー首相は偉大な政治家だと思う。何が偉大な政治家なのかといえば、安倍首相のコメントでもわかると思うが「意思の力」であったのではないか。
 政治家は、基本的にその目指しているものが必要である。日本にも新年の政治家はたくさんいる。しかし、サッチャー首相のものは、完全に「イデオロギー」(反共)、政治哲学(大英帝国の繁栄)がしっかりした上で、そのための具体政策を行った。その目標をしっかりと掲げ、そして、その目標のために政治を行うということをしっかりと打ち出し、国民に示した上で、そのための具体的な政策を行った意味で、「意志の力が強い」ということになる。イデオロギーと政治哲学は、ある意味において、現在の生活を不便にすることがある。先にもあげたが「ゆりかごから墓場まで」という社会保障をなくせば、当然に困る人が出てくる。現在の快適な生活を手放して大英帝国の繁栄を目指すということは、気持ちではわかっていても、または理論ではわかっていても、それをしっかりと選択すると言う政治決断ができるのかということは非常に難しい。現在の日本の政治でもそのような決断を必要とするが、選挙などを目の前にして、安易なほう現在の利益のほうに舵を切ってしまう国が、日本だけ出なくても出てきてしまうのである。
 サッチャー首相は、そのときもその信念を曲げなかった。まさにフォークランド紛争も、そして経済政策の「サッチャーリズム」もすべてにおいてそのことがしっかりと頭の中に入っていたのではないか。
 フォークランド紛争では、一歩も引かない、後ろに退かないイギリスの国家像を強く示し、その内容は現在の日本において、尖閣諸島や竹島に関する問題に対する日本政府の対応と良く比較される。まさに、政治家としてのトップの決断が、各国家にどのように影響するのかということが良くわかるものである。同時に、そのような偉大でない政治家が行う場合は、当然に、経済やそのほかの政策もあまり前に進まなくなってしまうのではないか。
 偉大な政治家、現代の世界においてサッチャー首相のような「意志の力」のある政治化が必要なのではないか。時代やそのほかの環境もあるが、そのような政治家がどうしても欲しいものである。

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北朝鮮の仕掛けた軍事的緊張に対する対処

北朝鮮の仕掛けた軍事的緊張に対する対処

 先週、あえてこのニュースに関しては触れないようにしていた。実際に、北朝鮮がどのような動きになるか全くわからない。私自身、というよりは、金正恩第一書記以外はほとんどわからない人ばかりではないのか。それを文章化するというのは、実際はかなり結城がいるのである。
 しかし、どこかで触れなければならないので、今の内に行う。
 北朝鮮では四月11日が金正恩第一書記が正式に誕生して1年になる。昨年の労働党の大会で全会一致で決まったのであるが、その全会一致が起きたのが昨年の11日である。また、北朝鮮では祝日である「金日成誕生日」が15日にある。昨年15日にあわせて金正恩第一書記を決めたという背景もあるから、この四月の15日までのこの間は、北朝鮮が何か行動を起こすのにはもっともタイミングがよい。まさに「打ち上げ花火」のようにミサイルを打ち上げる可能性があるのだ。
 では、なぜ打ち上げ花火をこの時期にお祭りのように上げるのか。
 一つには、「国威発揚」という考え方があり、その内容のとおりに、まさにミサイルを打ち上げて北朝鮮の威勢を世界に示すということが必要なのである。いや、この表現はあまり正しくは無い。北朝鮮そのものがあまり国威が無いことは北朝鮮の国民以外はすべて知っているのである。しかし、北朝鮮の国民は情報が統制されているためにそのことが全くわかっていない。そのために、北朝鮮国民は、自分の生活が苦しいが、それは北朝鮮という国家がそれだけ世界に影響力があるということを、北朝鮮の国民に対して示さなければならない。その国内向けの宣伝が最も重要ということになるのである。
 そうしてもう一つの理由は、戦争背売れば各国がそれだけ影響が大きく、その影響よりも北朝鮮に支援したほうが「安く」済む。そのような演出のために、戦争を行うという挑発を続け北朝鮮に対する交渉を有利に進めるためにミサイルを撃つということになるのである。
 では、その戦争はどのようになるのであろうか。少々その内容を予想して見よう。

10日前後に北朝鮮ミサイル発射 韓国高官が可能性示す

コメント22  【ソウル共同】韓国大統領府の金章洙国家安保室長は7日、北朝鮮が10日前後にミサイル発射などの挑発活動を行う可能性があるとの見方を示した。北朝鮮が新型中距離弾道ミサイル「ムスダン」(射程約2500~4千キロ)2基を日本海側に移動させたことを念頭に置いた発言とみられる。金氏は、北朝鮮が平壌の外国大使館や国際機関に10日以降の安全は保証できないと通告したことなどを根拠に挙げた。

共同通信 2013年04月07日21時15分
http://news.livedoor.com/article/detail/7571943/

韓国で生活必需品の売り上げ増 安保面での不安影響

【ソウル聯合ニュース】北朝鮮が韓国に対する威嚇を強める中、生活必需品の売り上げが増加している。
 大型スーパーの場合、イーマートでは先月29日から今月4日まで、主な生活必需品の売り上げが前年同期間に比べ20~30%増加した。
 レトルトご飯が同36.0%、韓国産ミネラルウォーターが同30.1%、ブタンガスが同28.2%、インスタントラーメンが12.3%それぞれ増えた。
 ロッテマートも同じ期間に、ミネラルウォーターが同37.0%、インスタントラーメンが同19.6%、レトルトご飯が同15.5%、缶詰が同4.1%、ブタンガスが同6.8%、携帯用バーナーが同23.5%それぞれ増加した。
 1週間前と比べると売り上げが急増していることがより明確に分かる。インスタントラーメンの売り上げは1週間前に比べ24.2%増加した。ミネラルウォーターは同25.7%増、ブタンガスは同40.6%増、携帯用バーナーは同39.1%増と1.5倍近く増えた。レトルトご飯は同9.2%増。
 大型スーパー関係者は「一般的にいう『買いだめ』は、売り上げが100%以上増加した場合を意味する。まだ買いだめが起きたと判断できないが、安保面での不安が高まったことで生活必需品の売り上げがやや増えたのは事実だ」と話している。
 コンビニエンスストアでも生活必需品の売り上げが増加した。
 セブンイレブンでは同じ期間にミネラルウォーターの売り上げが前年同期間に比べ11.4%増えた。レトルトご飯は同9.2%増、インスタントラーメンは同8.9%増、缶詰は同6.4%増となった。
 LG25の場合、ミネラルウォーターが同30.8%、レトルトご飯が同15.1%、インスタントラーメン(袋入り)が同12.6%、缶詰が同10.4%それぞれ増加した。

聯合ニュース 4月7日(日)14時42分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130407-00000005-yonh-kr

北朝鮮、外国大使館に退避の可能性検討を通達

[北京/モスクワ 5日 ロイター] 北朝鮮は外国大使館に対し、緊張が高まった場合は退避の可能性を検討するよう通達した。中国新華社が5日、報じた。
新華社はこれ以上の詳細は報じていない。
これを受けロシアの通信社は、ロシア政府が日本、および米中韓の各国政府と緊密に連携していると報道。
インタファックス通信によると、ウズベキスタンを訪問中のラブロフ外相は、「平壌の各国大使館に対し通達があった。われわれは状況を見極めようとしている」と述べた。
同外相は「ロシアは、中国の他、米国、韓国、日本と緊密に連携している」としている。

ロイター 2013年04月05日21時29分
http://news.livedoor.com/article/detail/7568556/

防衛相、ミサイルの破壊措置命令

 小野寺五典防衛相は7日、北朝鮮が新型弾道ミサイルを発射した場合に備えてミサイル防衛(MD)の迎撃態勢に入るため自衛隊に「破壊措置命令」を出した。政府は「国民に不安を与えないようにする」として発令を公表しない方針。複数の政府関係者が明らかにした。北朝鮮のミサイルをめぐり過去3回の破壊措置命令を出しているが、今回は発射予告がないのに発令する初のケースとなった。

2013年4月7日(日)12時50分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2013040701001257/1.htm

 まず、北朝鮮が本当に戦争をする気があれば、3月のはじめの休戦協定は気と同時に戦争を始めているはずである。約一ヵ月間何もしないで挑発しかしないというのは、まさに、それだけの戦争を行う力が無いということである。同時に、珍しく海外への発信が多いのが目立つ。特に戦争を喚起させるような内容ばかりである。要するに、北朝鮮は挑発し、相手側(相手側が韓国なのかアメリカなのかは不明であるが)から攻めてくることを予想しているということになるのではないか。さすがに核兵器を持っていながら、その核兵器を自分から宣戦布告も無く(韓国に対してはすでに休戦協定が破棄されているので、すでに戦争状態にある)核兵器を先制攻撃で撃つというのは難しい。今まで支援してきた国からも非難を浴び、国交がなくなる可能性を持つのである。
 そのように考えれば「挑発」でしかない。それではミサイルはどこに撃つのか。ミサイルはどこにも当たらないように真上に飛ばして、核弾頭を積まずに領海内などに落とす可能性がある。それで日本やアメリカなどが手を出してくれば挑発の成功ということになるのである。
 その後は、「アメリカから攻めきた」として核ミサ入りを「防衛」として発射することが可能だ。北朝鮮の現在の燃料から考えればミサイルは3~4発しか撃てないであろう。その狙い先がどこかはわからないが、はじめに挑発に乗ったところから考えれば、アメリカや日本は防衛が一歩遅れることになる。それがまさに大きな問題になるのではないか。
 このようなシミュレーションをしっかりと行わなければならない。韓国国民は、すでに「防衛」体制であり、それ以上のことは全く考えていない。韓国の人の意見は、先日聞くことができたので、次の機会に紹介することにしよう。

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マスコミ批判に関する一考(136) 電気料金の値上げがアベノミクスによる円安が原因と言うのは本当か?

マスコミ批判に関する一考(136) 電気料金の値上げがアベノミクスによる円安が原因と言うのは本当か?

 新年度になって、経済界では新たな一年が始まるという感じだ。企業にいると、個人的にはそのように感じないのであるが、実際に会社の経営と言う意味で言うと、やはりある意味で「正月」というのと同じ感覚になるのではないだろうか。
 そもそも日本において4月が新年度と言うのは、明治時代の学制が始めである。しかし、その学制は、日本の古来からある風習が大きな影響を及ぼしているのである。明治時代は、ある意味において「明治維新」ということを行ったために、完全なる革命であるかのように勘違いをしている人が多い。特に明治維新の元勲がいずれも下級武士の出身であったことから考えると、「大名」が「下級武士」によって革命されたかのように考える人が少なくない。しかし、実際のところは「大化の改新」「建武の新政」「明治維新」と歴史上の出来事に「新」という単語がついたときには、「天皇陛下がそれまでの横暴な政治から親政に代え、新しい暦(歴史)をはじめる」と言うことを意味する。実際に現在の日本の皇室は、古くは「暦」を司る神であり、閏年や閏月を天皇の感覚で入れることが可能であった。太陰暦であったために、月の満ち欠けを見ながら、また季節を感じながらそのような暦を司っていたのでる。その天皇が、暦を新たにすると言うことは、まさに「政治を変える」と言うことになったのである。最近「維新」と言う単語を使う人々に、これくらいの最低限の常識が欠けているのはなんとなく残念なことである。
 さて、その暦は、基本的に「春」からはじめるものである。日本では四季を言うときに「春夏秋冬」と言う言い方をするとおり、必ず「春」が機軸になる。ちょうど稲を日本の儀式や伝統の中心に置けば、稲そのものは一年草であり、それが春に芽を吹くと言うことから稲を中心にした一年のうちに、春がその始まりになるのである。そのように考えれば、現在の大学の9月からはじめると言う考え方のほうが、はるかに日本文化を壊す恐れがあるのではないかと考えるものである。
 その暦が新しくなった「春」に料金や、あるいは事業戦略などが新しくなるのは、ある意味で各企業にと手は当たり前のことに過ぎないのかもしれない。もちろん値上がりが良いと言っているのではない。値上がりするしない、ということよりも、値上がりが直近の感覚だけで物事が決まるのではなく、4月と言う「区切り」の時期に、それまでの一年の決算から値段などを調整することが多い、そのような企業が多いと言うことをいっているのである。にもかかわらず、直近のアベノミクスの批判のために、このような日本の文化や伝統を通マスコミがいることは悲しむべきことなのではないか。

「円安」値上げの春がやってきた 電気・ガス、小麦、食用油にブランド品…

 「円安」で、値上げの春がやってきた!(写真は、イメージ)アベノミクス効果による円安で、2013年4月以降、さまざまなものが値上がりする。
 電気・ガス、小麦や食用油、「シーチキン」にトイレットペーパーやティッシュペーパー、宝飾ブランドの「ティファニー」なども値上げに踏み切る。輸出企業には追い風でも、輸入品には「副作用」となる。
 電気料金は「まだ上がる」
 電気・ガスの値上げは深刻だ。電力10社と都市ガス大手4社は2013年3月28日、5月の料金を値上げすると発表した。円安の進行で液化天然ガス(LNG)や原油の輸入価格が軒並み高騰を続け、4月に続いて2か月連続の一斉値上げだ。
 5月の料金は12年12月~13年2月の平均燃料価格から算出。12年11月~13年1月と比べてLNGは7.5%、原油は4.4%、石炭も4.3%とそれぞれ高騰。原燃料価格の変動を料金に反映させる原燃料費調整(燃調)制度に基づいて値上げする。
 電気料金は、再生可能エネルギー全量買い取り制度に伴う上乗せ分も5月から増額となる見通しで、その分値上がりする。さらには、関西電力と九州電力は料金体系そのものを見直し、国に認可を求めているところ。認められれば、5月にも値上げする予定だ。
 東北電力や四国電力も値上げ申請、北海道電力も申請を表明している。
 一方、国が輸入して製粉会社に売り渡す小麦の価格が4月1日から平均9.7%引き上げられることに伴い、製粉最大手の日清製粉は6月20日の出荷分から業務用の小麦粉を値上げする。
 円安による輸入価格の上昇とともに、小麦の国際価格の上昇が原因だ。値上げ幅はパンの材料になる強力系小麦粉が25キログラムあたり145円、うどんや菓子の材料になる中力系・薄力系小麦粉で215円、国内産小麦100%の小麦粉で170円。家庭用の小麦粉も4月下旬に値上げを打ち出す見通しという。
 値上げは12年12月以来ということもあり、食品メーカーや小売店がどこまで応じるかは不透明だ。とはいえ、材料コストが上がれば、パンやうどんの価格に転嫁されることになる。
 また、日清オイリオグループとJ‐オイルミルズは4月1日の出荷分から食用油を値上げ。値上げ幅は、大豆や菜種を原料とする家庭用が1キログラムあたり30円以上、業務用が1缶(16.5キログラム)あたり500円以上。食用油の値上げは半年ぶりだが、上げ幅はそれを上回る。
 「シーチキン」は内容量減らして「実質値上げ」
 はごろもフーズは、急激な円安と原料の「びんながまぐろ」や「きはだまぐろ」「かつお」の価格が漁獲規制の強化の影響で高騰。また輸入頼みの食油の価格上昇で、「シーチキン」ブランドの16品目を5月1日の出荷分から2.2%~6.1%値上げする。
 さらに6月出荷分からは、「シーチキンLフレーク」と「シーチキンマイルド」の内容量を80グラムから70グラムに減らして販売する。実質的な値上げだが、2品だけ価格を改定せずに容量量を変更にしたことに、同社は「値ごろ感を維持したかった」と説明。値上げによる売り上げ減を最小限にとどめようと腐心した。
 海外の宝飾ブランドも相次ぎ値上げ。英国の宝飾販売大手「デビアスダイヤモンドジュエラーズ」は3月22日、ほとんどの商品を平均8%前後値上げした。米高級宝飾ブランドの「ハリー・ウィンストン」も同日から値上げ。「ヴァン クリーフ& アーペル」は3月25日から平均9%程度引き上げた。ティファニーは4月10日に平均10%前後値上げするという。
 宝飾ブランドは為替レートの変動や、ダイヤモンドや金・銀、プラチナなどの価格変動を反映し、これまでも価格を見直してきたが、今回はアベノミクスによる急速な円安が影響して値上げ幅が大きい。
 ただ半面、足元の「株高」もあって高額品の販売は好調で、値上げ分の影響は少ないとの見方もある。

J-CASTニュース 2013年03月29日18時58分
http://news.livedoor.com/article/detail/7547286/

発電しなくても年1・2兆円…全国の原発維持費

 経済産業省は、全国の原子力発電所50基について、発電をしなくても維持費として年間1・2兆円の費用が必要との試算をまとめた。
 維持費は電気料金の原価に含まれるため、再稼働が遅れれば、料金値上げを通じて利用者の負担が膨らみそうだ。
 試算は、経産省が電力各社の2011年度決算をもとに行った。原発に関わるコストは年1・5兆円かかるが、停止した場合に不要となるのは、燃料費や修繕費の削減など年0・3兆円にとどまる。発電をしなくても維持管理に必要な費用やそのための人件費など年1・2兆円は必要だ。
 現在、関西電力大飯原発3、4号機以外の48基が停止中で、12年度も巨額の維持費がかかるとみられる。

読売新聞 2013年03月28日19時40分
http://news.livedoor.com/article/detail/7543473/

 電力と言う「インフラ」の価格が上がることは、ある意味において、三月一一日の震災以降甘受すべきこととして日本国内においては多くの国民に受け入れられていたと思う。上記の記事から抜粋すれば「電気・ガス、小麦や食用油、「シーチキン」にトイレットペーパーやティッシュペーパー、宝飾ブランドの「ティファニー」なども値上げに踏み切る。輸出企業には追い風でも、輸入品には「副作用」となる。」と言うことである。このな亜出大きな問題になるのは庶民食材とインフラであろう。はっきりいって、私の個人からすればティファニーが値上げしても、私自身買うことも、またプレゼントする相手もいないので基本的には何の影響もない。しかし、電気やガスの値上げは、そのことが、単純に電気料金の値上げになるのではなく、その電気やガスを使って製造されたすべての商品の値上げに通じるのである。円安は、単純に日本製造製品の海外競争力を下げるが、ある意味で、その製品を作るためのコストが大きくなるために、それ以上の株価や製品の売り上げの増加が見込めなければリスクになると言う理論はある意味において正しいことである。しかし、実際にこのような円安になったときに商社が史上最大利益を上げるのだから、その分を還元すればよいだけの話で市内のであるが、その辺の企業間調整ができないのが日本の企業の最大の問題であり、経済団体が何の役割を果たしているのかが疑問になるところである。そもそも、これらエネルギーの相場は、「通貨」の相場だけでなく「エネルギー資源の市場相場」も存在するのであるから、その二つの相場(細かく分ければ通貨相場はドルを機軸にして相手国通過の相場もあるのだが)を見ながら取引しなければならず、単純に円安と言う通貨相場の一場面だけを見て「値上げ」を語ること自体がナンセンスのきわみであり、マスコミの恣意的な世論誘導が疑われるところである。
 さて、では円安だけがエネルギーインフラコストの値上げなのか。上記の記事にもうひとつ記事を掲載した。原子力発電所が稼動していなくても維持費に1兆2千億円かかるというものである。単純に計算し、原子力発電所を稼動させず、古くなった火力発電所などをメンテナンスし、または新たな火力発電所を増設(要するに建築コストがかかる)することによって電力を維持している。そのメンテナンス費用などは、電力の輸入などとはまったく関係がなく、国内のものだが、古い施設を使ったり、新たな施設を建設すれば、当然にこれらのコストがかさむことは当然である。特に古い施設を使えば、メンテナンスも回数を増やさなければならないし、排煙などの設備などを最新化しなければならないので、追加の装備も必要になる。それらをコスト計算し減価償却から考えれば、円安とまったく関係なくエネルギーコストが上がることになる。また、それらコストに資源コストがかさみ、なおかつ、原子力発電所の維持費用が加算される。それだけではない。民主党政権の菅直人首相のときに決めた再生可能エネルギーの買い取り価格42円が高すぎるために、電力会社が持たないと言う部分もある。この値段を早く辞めないと大変なことになるのではないか。ドイツの電力会社は24円で値を上げ、買取を中止した。民間からその値段で買うよりもフランスの原子力発電所の電気を買ったほうが安いのである。
 故尿な事を考えれば、結論は明らかである。逆に、そのような「すべての事実」を知らせることがなく、単純に「値上げはアベノミクスが悪い」と言うこと自体が、マスコミの報道の奇異なところであり批判されるべきところではないのか。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第25回 平和維持軍に進んで参加し名誉ある地位を目指す日本国憲法前文第6文

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第25回 平和維持軍に進んで参加し名誉ある地位を目指す日本国憲法前文第6文

 実際に憲法において「平和」をうたっているように見えても、実際によく読んでみると、日本が完全にすべての交戦権を失ったものではないことが明らかになってきた。日本は、日本国を守ることに関して、または、ある意味において「平和を守る諸国民」ということでなければ、連携をすることは無いのである。ある意味において、日本で現在左翼的開始役の中で言われている平和主義は、ある意味において「日本が戦争をしなければ世界が平和になる」というロジックによって成り立っている。しかしこの左翼平和主義者のロジックは、ある意味において「日本が戦争をしなければ世界は平和である」という逆説的な内容が可能になる。このロジックの意味するところは何かお分かりだろうか。要するに「世界の平和を乱すのは日本」であるということになり、まさに現代の自虐史観の根源となっているのである。もちろんそのようなことは、「日本国憲法」には一切書いていない。本来は、前回記載したとおりに、日本は世界の平和を守るために、集団的自衛権どころか、ある意味で言えば世界の平和維持軍を自ら勝手ですかのごとき内容であるということが言えるのではないか。もちろん日本が侵略を行うものではなく、他国の侵略を許さない「平和維持」を「自衛権」の中で実現できるようになっているのである。
  一応前回の内容をここに改めて記載して見よう。
  <前回からの抜粋>
  「日本は日本と友好国に対してのみ平和主義を行う」という限定的平和主義の憲法であると読める。逆にいえば、現在解釈上で着ないとされている「集団的自衛権」は、実は「平和を愛さない国に対して、平和を愛する集団の自衛権を認める」と言うように考えた場合は、集団的自衛権を認めるということになる。これが、日本国憲法の前文の解釈になるのである。
  <以上前回からの抜粋>
  このように見ていると、現在集団的自衛権などで国会で論戦していることも、しっかりと憲法を、それも日本国憲法発布の詔から見てくれば、そして通常の日本語解釈の能力があれば、そんなに問題にはならないのではないか。都合のよいところで、前文に行ったり、都合のよいところで9条にしたりしながら、上記のように自虐史観的なロジックを混ぜ込むからおかしいのである。
  日本国憲法の前文は、第5文、第6文、第7文の文で第二節を形成しており、第二節で平和憲法といわれる内容が記載されているのである。では、その第6文は何が書いているのであろうか。
  憲法前文第6文(第二節)はこのように書かれている。
 
  「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
 
  まず、文章を読むときに最も注意しなければならないのは、文章の主語である。日本語の場合は主語を省略することが少なくないのであるが、その主語を間違うとかなり大きな文脈の間違いをすることが出てくる。そこでこの文章の主語をしっかりと見て見よう。今回の主語は「日本国民は」ではなく「われらは」に変わっているのである。もちろん、ここに言う「われら」は「日本国民のことを意味する」とも考えているが、しかし、ここであえて主語を変えたのは、しっかりと意味があると考えるべきではないか。要するに、第5文において「平和を愛する諸国民と協力して」とある。ここで言う「われら」は、この文章の述語の部分で平和維持を訴えていることから、当然に、「日本国民」だけでなく「平和を愛する諸国民」も含まれると解釈されるべきでないのか。この主語の話しは、述語を見た後にもう少し詳しく見て見よう。
  その「われら」は、「国際社会において」「名誉ある地位を占めたいと思う」のである。では、名誉ある地位を占めるためには何をするのか。そのことが書いてある。まず「平和の維持」「圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」することに努力するのである。
  では、「平和の維持」はどのようにするのか。この方法は、ある意味において二つの方法がある。一つの方法は「外交」要するに「対話」もう一つは「武力による鎮圧」である。そして、この憲法の前文の中においては、その方法を限定していない。要するに、少なくともk年俸前文においては「平和を愛する諸国民」と一緒になって「平和を維持」するためのあらゆる行動をとることが可能ということになるのである。平和を維持するために何をすべきかということをしっかりと書くことが、最も重要な内容になっているのではないか。
  これは「圧迫と偏狭」というところでも生かされる。何より、この文章は一つの文章になっているのである。そもそも「圧迫と偏狭」というのはどういうことは。これはそもそも内政擁護である。この文章において書かれているのは、他国における内政の問題に介入し、それを開放せよ、ということを言っているのである。たとえば、あくまでも一例であるが、この憲法前文のままであれば、中国のおけるウイグルやチベットの圧制圧迫、民族弾圧に関しては、日本は「名誉ある地位を占める」ために、積極的に「平和を愛する諸国民」と介入すべきということになるのではないか。もちろん、この文章の述語の最終は「思う」であるということから、これは実現そのものを肯定または推奨しているのではないが、ある意味において日本国民の願望としてこの内容を記載しているということが言えるのではないか。
  この考え方は大東亜戦争における「民族の独立」と「八紘一宇」の考え方が現在の憲法の中にも生かされているのではないかと私は推測する。はっきり言って、当時、戦後の日本人たちは、自分たちが敗戦はしたが、しかし正しいことを行って力が及ばなかったと考えていたのではないか。その考え方は、戦後の植民地政策に対する反対ということにつながり、そして、宗主国の植民地に対する圧制に介入し民族解放のために日本が活躍するということを想定してたと考えるべきではないか。そのことを、GHQの目を盗んでうまくこの前文の中に取り入れたものと解釈すべきではないのか。この解釈では、現在の日教組などが一生懸命左翼的平和主義を根付かせているのにたいして、彼らそのものが憲法の基本的精神を全く理解していないということを示しているのに過ぎないのである。
  ここまで見てきたところで、この文章の主語「われらは」というところに戻って考えて見よう。これまで、日本国憲法はすべて「日本国民は」となっていた。しかし、この「日本国民は」という単語ではなく「われら」という一人称を使っている。この「われら」という一人称は日本国民を含むものの日本国国民に限定したのではないということを意味している。そのことを考えれば、ここの「われら」は単純に、「平和を愛する諸国民」というものが含まれるということになる。また、この主語に含まれるのは「諸国民」であって、「諸国政府」ではないところも注目に値する。要するに平和を愛する諸国民ということは、「圧迫と偏狭」の被害者であっても、日本の憲法の前文にある「われら」の中に含むことが可能だ。要するに、弾圧する政府に対して、その政府を妥当するような力であっても、「平和の維持」のため、または「圧迫と偏狭」の除去のために、日本は立ち上がり、その被害者と協力することを「思う」のである。
  この考え方は、現在で言うところの国連の平和維持軍などがそれに近いのかもしれない。平和維持軍の考え方を戦後すぐに日本は、植民地支配からの開放という観点でしっかりと行っていたということになるのである。それを憲法の前文に記載していたということになるのではないか。先進的な内容であるということができ、これこそ、日本の誇る内容である。あえてもう一度書くが、その平和維持や圧迫と偏狭の除去の手段が書かれていないということ、ようするに、国連軍による軍事行為も基本的には許されると解釈した上でこの感覚になるべきなのである。
  このような解釈をまげて、日本国民に平和憲法だから武器を持つことも禁止であるなどとといた日本の教育は、しっかりとまず文章を読む力をつけるべきなのかもしれない。

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高校野球の感動と高校野球選手の選手生命に関すること

高校野球の感動と高校野球選手の選手生命に関すること

 春の選抜高校野球が、埼玉の浦和学園の優勝で幕を閉じた。まず、浦和学園の野球部の皆さんには、心から「おめでとう」といいたい。
 毎年、高校野球はなんとなく見てしまう。はっきり言って私自身はマニアではないので、甲子園球場に出てくる選手すべてを知っているわけでも調べているわけでもない。高校野球が始まってから、テレビなどを見て注目選手をチェックする程度でしかない。また、昨年の夏の大会などを覚えているわけではないし、高校野球はプロと違って、どんなに長く活躍しても3年間しか出場しないのである。そのために、夏の大会で活躍した3年生の選手は翌年以降卒業してしまうためにいなくなってしまうし、この春の大会には、新一年生は出場しない。そのように考えると、「本当に短い期間」の英雄が、故郷に錦を飾るために死力をつくしてたたかうということになるのである。
 観客は、かなり無責任に勝った高校を賞賛しまた負けた高校に対して励ましの言葉を送る。実際に、それまで練習してきた成果が出し切れなかった選手は、その結果以上に結果を出しきれなかった自分に悔しい思いをするのではないか。そして、その気持ちがわかる大人たちは、その悔しい思いをした高校生の選手を見て、更なる賛辞を送るのである。
 さて、高校野球はそれでよいのであるが、選手はそうは行かない。高校野球での活躍の有無にかかわらず、基本的には、プロ野球選手を夢見ているのである。そして大学または実業団などでの活躍を夢見ていることになる。当然に、高校野球は精一杯戦ってもらいたいが、しかし、そのことによって体を壊してしまい、その後の活躍が制限されるということになるのはあまりよくないのである。
 問題はそのバランスの問題ではないか。そのバランスが崩れたときには、チームの敗戦になるか、あるいは、選手が体を壊してしまうことになるのである。

済美高校「エースの5連投」に異議 投手生命絶たれる危険がある

 甲子園は球児にとって夢の舞台甲子園球場で連日熱戦が繰り広げられた「春のセンバツ」高校野球は2013年4月3日の決勝で、浦和学院(埼玉)が済美(愛媛)を17―1で下し、初優勝を飾った。決勝まで4試合連続完投して臨んだ済美の安楽智大投手は、最後に力尽きた。
 チームを背負う1人のエースが、連投に次ぐ連投で何百球も投げる――。こんな無理を強いれば投手生命が失われる危険がある、と議論が起きた。
 超高校級エースが決勝でメッタ打ちされる
「今日は直球で勝負できないと思い、変化球を多く投げた。抑えられなかったのは自分の力不足です」
 浦和学院に敗れた済美・安楽投手は試合後、悔しさをにじませた。初戦から4試合、663球を投げきってたどりついた決勝。4回までは無得点に抑えていたが、5回につかまる。5連打を含む打者一巡の猛攻で7点を失った。6回も続投したがさらに2失点。109球を投げ終えたところでマウンドを降りた。プロ注目の超高校級エースがこれほどメッタ打ちされたのは初めてだろう。
 1人の投手に毎試合、連投もいとわず投げさせる起用法には異論が出ている。米CBSスポーツ電子版では3月30日の記事で安楽投手を紹介。初戦で延長13回、232球を投げた後に中3日で今度は159球完投したことに「投手にとって正気の沙汰と思えないし、過酷な負担だ。成長途上にある16歳であれば、なおさら」と指摘した。
 スポーツライターの経験を持つ乙武洋匡さんは、ツイッターでこの問題に触れた。高校2年生の年齢で多くの球数を投げさせることに疑問を投げかけると同時に、「エース力投」などと美談として報じるだけで問題提起を怠っているスポーツマスコミの姿勢や、球数制限の導入を検討しない日本高校野球連盟にも苦言を呈している。一連のツイートに米大リーグ、テキサス・レンジャースのダルビッシュ有投手も反応。乙武さんに「出場選手登録を25人にして、学年別に球数制限がいいかと」と提案した。一方で、球児のすべてがプロに行くわけではない、無理してでも甲子園で燃え尽きたいから、制限などされては困ると乙武さんに意見する人もいた。
 野球評論家の江本孟紀氏は、CBSスポーツの記事に批判的だ。4月2日付の自身のブログで、「元々連投のきく地肩の強いタイプがある。そして故障しにくい美しいフォームが出来ていること。それを作る為の練習方法などによって強靭な足、腰、肩が作られる。そして最後は手首・握力のパワーが連投できる元だ」と説明し、安楽投手がこのタイプに当てはまるという。もちろん全員に安楽投手と同じように投げろというのではない。ただ「肩肘など故障をするかもしれないリスクを、勝利という代償を得て戦いプレーするのだから、あれもダメ、これもダメ等と他人がとやかく言うべきじゃない」という主張だ。
 1人に全試合を任せず、複数の投手を用意する
 甲子園で全試合を投げ抜いた結果、ひじを壊して投手生命が絶たれた例がある。1991年、夏の全国高校野球大会で決勝に進出した沖縄水産高・大野倫投手だ。1回戦からの5試合すべてを完投してきたが、地方大会の時点で痛めていた右ひじが悲鳴をあげていた。「沖縄県勢初の夏制覇」の期待がかかる中、決勝の大阪桐蔭戦にも登板したが、既にひじは限界で、13失点を喫して敗れた。合計6試合、773球を投げた大野投手は、甲子園が最後のマウンドとなってしまった。
 後にテレビ番組のインタビューで、決勝での登板を「監督と僕の信頼関係の中での話」と語っている。大野投手の場合、大学進学後に打力が開花して、読売ジャイアンツにドラフト指名されるまでに成長した。それでも、高校時代で投手としての将来が閉ざされてしまったのは悲劇だ。
 小中学生に対する野球の指導経験をもつスポーツジャーナリストの菅谷齊氏は、1人の投手に全試合を任せるのではなく「2、3人用意するべき」と話す。甲子園に出てくる高いレベルの投手は、練習で相当の投げ込みをしているのでスタミナは心配ない。それでも1人だけが重い負担を強いられ続ければ、肩やひじを壊す懸念がある。
 少年野球では、子どもたちは目標を「甲子園出場」に据える。その夢が実現したとなれば「たとえ腕が折れても投げたい、と考えても不思議ではありません」。だが、特に安楽投手のような将来プロの道を嘱望されるような人材には、指導者の判断力が問われるという。育成面を優先して、故障につながるような無理はさせない、だからこそ戦力的に複数の投手を育てる必要があると菅谷氏は説く。
 大会の日程にも注文を出す。今大会、準々決勝は3月31日と4月1日の2日に分けられたが、済美は4月1日の第2試合に試合が組まれたため、決勝まで3連戦を強いられた。公平性の点からも、「準々決勝は1日で終えて、準決勝と決勝の間に1日休みを設けるべき」と考える。
 甲子園という舞台では、「勝利至上主義」にならざるを得ないだろう。後援者や地元の期待も大きくなる。それでも、選手育成に優れた監督であれば「目先の1勝」よりも子どもの将来を最優先にしてほしいと菅谷氏は話す。

J-CASTニュース 2013年04月03日18時55分
http://news.livedoor.com/article/detail/7561368/

 選手の体を壊すかまたはその起用方法に関しては、どのようなことをしても賛否両論出てくるのである。批判が無いのは優勝したときだけ。敗戦したチームに対してはさまざまな批判が出てくるのは、高校野球もそれ以外の場合も同じである。しかし、選手の将来を考えれば「勝利至上主義」なのか「選手の将来重視」なのかで分かれることになるのである。
 今回の大会でも「超高校級」という人がいた。特にあまり党首で目立った人がいなかったので、斉美高校の安楽投手は非常に話題になった。昔では王貞治氏も、またその後の現在の日本ハムの斉藤投手も、一人で投げぬいたし、現在大リーグで活躍している松坂投手も一人で全大会を投げたと思う。王貞治氏は、誰デモが知る世界のホームラン王であったが、早稲田実業時代は投手で四番の中心選手で、優勝するという快挙を成し遂げたのである。
 昔の選手は肩も体もスタミナがあった。故人となったが別所投手などは「ベーヤンの馬鹿肩」といわれていたし、駐日の権藤投手などは、その当番が続いたことから「権藤・権藤・雨・権藤」とまで言われた。また、長嶋茂雄氏と同級生の立教大学のエース、その後南海ホークス(このチームのなくなって久しい。若い人は知らないかもしれない)のエースとなった杉浦忠投手などは、日本シリーズの4連投が有名である。
 何無昔のそれも伝説の投手と比べる必要は無いのかもしれないし、そのような選手の苦労があるから方のスタミナという感覚ができた。しかし、やはりファンとしてはがんばってもらいたい、高校野球でも伝説を残してもらいたいと思うのも事実なのである。
 この内容は、高校生の野球が夏休みなどの問題などでどうしても解決できない、「永遠の課題」なのかもしれない。その内容をどのようにするのか。ゆとり教育などで夏休みが短くなったり春休みが短くなったり、あるいは、大学の入試が九月になったりとなると、なかなか難しい問題が出てくる。これらは本人の感覚の問題や気持ちの問題もあると思う。本来は外野がさまざま言うことではないのかもしれない。
 しかし、一つだけ私でも言えることは、大人がさまざま、本人のことも知らずに口を挟むものではないのではないか。特に大学の九月入試など政治的なことで彼ら高校九時の心を踏みにじらないで欲しい。なるべく今の形でそのまま野球を楽しめる、観戦ができるようにしてもらいたいものであると切に願うものである。

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死者が出るまで取りインフルエンザの変異に気づかない中国の衛生意識

死者が出るまで取りインフルエンザの変異に気づかない中国の衛生意識

 私の個人的な感想をあえて書かせていただく。はっきり行って中国は汚い。十数年前の話になるがマイカルの仕事で大連にほぼ「通っていた」時に思っていた中国の印象である。いつも大連の空港に着いたとき、飛行機の扉が開くと、大連の空気が機内に入ってくる。その匂いは、個人的には「スイカの皮が数日間放置されて腐った臭い」という感じである。中国に行った人に聞くと、その臭いのたとえがよいか悪いかということは別にして、大体の型が「くさい」ということには同意していただける。その臭いを吸い込むと「ああ、中国に来てしまった」と逃げ出したい気分になるのである。
 その大連でも、「周りに海があるから」という理由で「大連は空気がきれい」というイメージがある。そのように考えると、今から15年前、スイスホテルの仕事で夏に北京に行ったときに、「これで8年連続で光化学スモッグが出ている」といわれたのである。要するにすでに30年に手が届く勢いで中国の北京、周囲に海の無い都市では空気汚染が進んでおり、光化学スモッグが発生しているのである。現在「PM2.5」などということが言われているが、私の個人的な感想から考えると、「何をいまさら」という感覚である。当時、「空気汚染によって視界不良のため、北京空港離発着中止」というのは少なからずあり、飛行機が北京空港に降りないことがかなり、ビジネス上かなり困ったことがあったのである。
 もちろんこれなどは一例でしかない。はっきり言って、中国に関しえ言えば中国人一人一人にマナーや衛生に関する意識は存在しない。食べ物は道端に捨てるし、ホテルの中で大小便をしてしまう人もいる。何か文句を言えば「共産主義なんだから、人民のものなのになぜお前に文句を言われなければならないのか」と逆に怒られてしまうのである。大連は星海公園というものがあり、その近くには海水浴場がある。その海水浴場ではスイカを食べることが禁止されている。なぜか?と聞くと、「中国人がスイカを食べると、皮も種もここに捨てるじゃないですか。砂の上に大量のスイカの種があれば、すぐにスイカが育って海水浴場じゃなくなってしまうのです」まさに、マナーの無い中国人ならではの禁止事項なのである。ごみ置き場にきのこが生えていることなどはあまり異常な風景ではないのである。
 この様な中国であるから、日本人やそのほかの「文明国」では理解できない習慣や病気、そして衛生状態では考えられないことが発生する。事、マナーと病気に関して言えば、中国はすべての病原菌の温床ということが言えるのではないか。
 現在はやっている鳥インフルエンザの変異系もまさにそのものではないかと考えている。中国ということから考えれば、何も不思議がることではないのである。

鳥インフル、注意呼びかけ…外務省が渡航情報

 中国上海市などで鳥インフルエンザ(H7N9型)の人への感染者が初めて確認された問題で、外務省は3日、上海周辺の日本人の滞在者や渡航予定者らに対し、生きた鳥を扱う市場や飼育場への立ち入りを避けることや手洗いうがいに努めるなどの注意喚起を呼びかける渡航情報(スポット情報)を出した。
 渡航情報は、突然の発熱やせきといった呼吸器感染症の症状が出た場合はすぐに医療機関で受診するよう求めている。

読売新聞 2013年04月03日22時36分
http://news.livedoor.com/article/detail/7561681/

「H7N9型鳥インフル、その予備知識」ネットで秒速拡散=「これでは食べるものない」の嘆きも―中国

 2日、ロイター通信は中国国営メディア・新華社通信の報道を引用し、中国国内で初めて人に感染したとされるH7N9型鳥インフルエンザについて、江蘇省で新たに4人が感染し、いずれも重体に陥っていると報じた。2013年4月2日、ロイター通信は中国国営メディア・新華社通信の報道を引用し、中国国内で初めて人に感染したとされるH7N9型鳥インフルエンザについて、江蘇省で新たに4人が感染し、いずれも重体に陥っていると報じた。これまで上海市などで計3人が感染し、うち2人が死亡している。
 世界保健機関(WHO)の1日の発表では、H7N9型ウイルスが人から人へ感染する可能性を示す証拠はないとしており、これまで合計7人の感染者と比較的近しい接触のあった人物についても、まだ感染例は確認されていない。
 しかしながら、新型のインフルエンザ発生のニュースは、国内でも大きな不安を巻き起こしている。“中国版ツイッター”と呼ばれる簡易投稿サイトでは2日朝、速報ニュースばかりを掲載するアカウントが「H7N9型鳥インフルエンザに関する予備知識」とする情報を投稿したところ、わずか6時間後の午後4時時点で6万3000回以上も転載され、また7800件以上のコメントがついている。
 そこで紹介しているインフルエンザの予備知識とは、1)症状は典型的なウイルス性肺炎に準ずる。早期に38度以上の高熱、せきなど呼吸器系の症状が見られる。発症後、5~7日で呼吸困難を生ずる、2)鶏肉は徹底的に加熱する、半熟卵にも注意、3)広東省疾病コントロールセンターの発表によると、早期の時点ではタミフル服用で治療効果がある、4)家禽類には極力接触しないように、5)100℃の熱に1分間さらすことでウイルスは除去できる。その他の予防事項としては、手洗いの励行、適度な運動を日ごろから心がけて抵抗力を高める、咳をするときは鼻や口を覆って周囲に配慮する、買ってきた鶏卵は殻をよく洗浄するなどが挙げられていた。
 ここで触れられているのは、一般的なインフルエンザへの心得だが、多くの中国人ユーザーの関心を惹いている。「これでは食べるものがないな」「自分を守ることは他人を守ることにつながるね」「外出は控えないと」「もうベジタリアンになるしかない」「2)についてだけど、外食で食べるフライドチキンには完全に火の通ってないものがけっこうあるよ。4)は農村の人には難しい要求だね。5)はすぐに実行できるね」などのコメントが寄せられているほか、以下のようなコメントも投稿されていた。
 「明日から清明節の連休(4~6日。中国のお盆に相当)だ。多くの人が遊びに出かけるだろうから、どうやって予防したものか」(翻訳・編集/愛玉)

Record China 2013年04月03日18時06分
http://news.livedoor.com/article/detail/7561200/

 数週間前に、病気の豚が中国の川で捨てられていたことがニュースになった。問題は「病気」で死んだ豚ということである。そのときはここまで深刻に考えなかったので、病気の豚を食べる人がいなくなった、ということは中国が裕福になったということである、と単純に解釈していたのであるが、実際はそうではなかったのかもしれない。豚と人間に対するウイルスの耐性は似ていることから、この豚はすべて「新種の取りインフルエンザ」にかかっていた可能性があるのである。このように考えると「鳥インフルエンザ」であっても豚肉も問題があるということになるのである。
 日本であれば家畜の大量死などの場合はすぐに保健所などが衛生管理や病原菌の検査を行う。数年前に起きた口蹄疫や、その前にあった鳥インフルエンザなどを考えれば、牧場全体が閉鎖され、感染の疑いがある家畜がすべて、発祥していなくても殺処分されることになっている。そのようにして感染の拡大を防ぐようになっているのである。
 これに対して、中国はそのようなシステムは無い。まさに土地も家畜も共産主義であるから、自分だけが損をするということを選択はしないのが中国人の特性である。その考え方は結局中国全体の家畜と信用性を失うことになり、トータルで損をするのであるが、個人の権利を重視する中国人の考え方、共産主義的な思考ではそのようなことは関係なく、そのまま放置することになる。疑いがある固体だけ「捨てる」とうことになる。その処理が、水を汚染し、そして鳥インフルエンザの感染を拡大させるのである。
 まさに共産主義が公共衛生意識を欠落させた中国が、まさに病原菌の温床となっているのは間違いが無い。しかし、その内容を外国が同行するのはまさに内政干渉になってしまう。日本は食料品の輸入を含め、あらゆる可能性を考えて、水際で食い止めるしかないのである。そのようなことでよいのだろうか。中国との関係を、これら衛生面、または厚生面でもう一度見直す必要があるのかもしれない。

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世界で嫌われる中国しかし世界にはびこる中国

世界で嫌われる中国しかし世界にはびこる中国

 インターネット上では、日本経済において中国が無くても問題が無いという「論調」が非常に根強く言われている。実際に、「はじめから」中国という国が無ければ、なんら問題は無いであろう。いや、中国があったとしても国交がなかった場合はなんらのもんぢあがない。田中角栄元首相が日中平和条約を締結するまでの期間(実際はNHKがそれよりも少し前に中国と折衝押し、悪名高き新聞協定を結んでいるのだが)、戦後日本は中国という国を「知らなかった」のである。昔は中国と韓国のことを「近くて遠い国」という言い方をしており、日本は、その二つの国とは一切関係が無いという感覚を持っていたのである。
 しかし、現在の社会は微妙なバランスによって成り立っている。リーマンショックも、ギリシアの経済危機も、基本的に当時「日本の経済とは関係が無い」といっていたのであるが、それらも世界の経済が連携し貿易や金融が成り立っているために、規模の大小にかかわらず何かあったものがなくなるという状況に関して「影響が全く無い」ということは無いのである。単純に、楽観論的に「中国は日本の経済田は関係は無い、中国は無くても問題が無い」というのは非常に大きな禍根を残すことになり、日本は、中国にかかわらず「今まで会ったものが無くなることへの備え」をすべきなのではないか。その備えも何もしないでただ「いらない」というのは、単に詭弁でしかなく、日本の経済に大きな禍根を残すことになるのではないかと危惧するものである。
 もちろん、私自身、中国への経済依存を歓迎しているわけではない。どちらかといえば依存しない方向で考えるべきであるとは思っているのであるが、一方で、「中国というもの」が、かなり世界中にはびこっており、その世界中から影響がなくならない限り、中国との急激な変化は、日本への影響が直接的にだけでなく間接的に現れるということになるのではないか。
 要するに、「中国が孤立化していれば、中国と付き合わなくても何の影響も無いが、中国が日本の貿易相手と関係が深ければ、間接的に日本が中国の経済的な変化から間接的に影響を受ける可能性がある」ということである。

米議会が中国製システムの調達を制限へ、中国外交部が非難

 米国議会がこのほど、同国政府が中国製の情報技術(IT)システムを調達する前に、その安全性を評価しなければならないという規定を定めたことに対し、中国外交部の洪磊報道官は28日、「米国は中米両国の相互信頼と関係発展にプラスとなる行動を取るべきだ」と非難した。中国国際放送局が報じた。
 洪磊報道官は「米国議会の法案はインターネットの安全性を理由として中国企業を差別視するものであり、また両国の相互信頼にマイナスの影響を与え、相互の経済貿易関係の発展を妨げるものだ」と非難した。(編集担当:村山健二)

サーチナ 2013年03月29日15時03分
http://news.livedoor.com/article/detail/7546264/

【中国BBS】中国産不使用の「チャイナフリー」、中国人はどう思ってる?

 中国のネット掲示板で、「日本では『チャイナフリー』という言葉が宣伝アピールに使われているぞ」というタイトルのスレッドが立ち、さまざまなコメントが寄せられている。
・「中国の食べ物と言ったら、誰だって心配になるよねえ」・中国人ですら粉ミルクなんかは中国産嫌がるんだから、経済力のあるやつらがわざわざ農薬まみれの食品買うわけない。切ないことだが」・「私も中国産はできるだけ避けてる。品質管理については、この国は最悪すぎる」
 日本人が中国産を避けることについては、多くの中国人たちが理解を示していた。中国製品の品質の低さについては、中国人自身が誰よりもよく分かっているのだろう。中国においては「国産(中国産)=粗悪品、低級品」と捉えられているのが一般的だ。
・「中国人は毒食っても死なないから」・「だったらレアアースも買うんじゃねえぞ」・「中国産の質が悪いからなのか、それとも反中的な意味なのか」・「日中関係の悪化の原因は、中国人は歴史問題や政治的な問題が原因だと思っているけど、日本人は食品の安全や中国人の民度の問題が原因だと思っている人が多いみたい」
 尖閣問題などで中国に反感を抱いている人は少なくないが、反中的な意味というよりは、単純に品質の低さや安全性を懸念しているからだろう。とはいえ、中国製品は日本人の日常の隅々にまで行き渡っており、チャイナフリーもそう簡単ではなさそうだ。(編集担当:北嶋隆)

サーチナ 2013年03月30日23時10分
http://news.livedoor.com/article/detail/7549925/

オバマ大統領が「メードインUSA」使用訴える演説、背後には隠したはずの中国ブランドのロゴが・・・

【新華網】 米CNNの報道によると、現地時間の3月29日、オバマ大統領がマイアミ港で「メードインUSA」製品を使用しようと訴える演説をした際、その背後にあった国旗が風で吹き飛ばされ、国旗で隠されていたクレーンの中国ブランドのロゴマークが丸見えになった。環球網が伝えた。
親近感を強調するため、オバマ大統領は海辺の埠頭にあるクレーンの下で演説を行っていた。関係者らは後ろにあるクレーンが中国製であることに気付き、国旗で隠したはずだったが、国旗は吹き飛ばされ、「ZPMC」(振華重工)のマークが丸見えになった。
中国メーカーのロゴがカメラに映り込むことはなかったが、オバマ大統領の「米国の景気回復」を目指す演説は気まずいものになった。CNNは、「ホワイトハウスは次回はもっと丈夫な紐で縛るべきだ」とやゆした。
(翻訳 崔蓮花/編集翻訳 恩田有紀)

毎日中国経済 2013年04月02日23時28分
http://news.livedoor.com/article/detail/7558544/

 では、日本がそのように間接的な影響を受けそうな国というのはどこであろうか。まさにアメリカである。残念ながら韓国などはまさに何の関係も無い国であるといえる。
 何しろサブプライムローンという住宅優遇ローンが破綻した場合も、日本の金融機関は一部被害があったものの、基本的には大きな被害は全く無かった。しかし、そのサブプライムローンによって、アメリカとヨーロッパ、一部中東の金融機関などもその影響があったために、日本はそれら外国の金融機関や機関投資家などからの間接的な影響があったということになるのである。
 さて、このように考えると、基本的には「中国」が世界のどこまで影響をしているかということが大きな問題になる。実際に、中国との直接取引が存在しなくても、中国の資源や中国の加工中間製品の取引があったり、あるいは中国の資本が各国に回っておりその資本で企業群英されていた場合に、中国の経済の崩壊そのものは、中国が関連する各国の大きな経済下降を誘発することになり、その各国との取引がおかしくなれば、日本の経済も打撃を喰らうことになるのである。
 たとえば、中国の国営企業が発行した信用状をヨーロッパの銀行が割引(現金化)したとする。ここに製品の取引は介在していない。中国の国営企業と銀行の間は金融的なやり取りは存在する可能性があるが、しかし製品的な取引は介在していないのである。同時に、その銀行と中国の国営企業が直接的な取引が存在するかどうかも不明だ。信用状は中国の取引相手が貿易でもらうものであり、その中国の取引相手がヨーロッパの銀行と取引があるだけで、中国の国営企業と銀行が直接的な「通常取引」を行っているとは限らない。その中において、中国の国益企業が不渡りになった場合は、まずは中国国営企業とのの取引企業が経済的な損失を得る。そして取引企業が銀行に対して弁済できない場合は、銀行が経営的に打撃を受けることになる。銀行や取引企業が打撃を受けた場合、当然にその銀行と取引がある日本企業や取引企業と貿易している日本企業も打撃を受けることになる。
 このように、通常の流通の社会において中国が介在していることによって日本が不測の損害をこうむる場合があるのだ。それに備えるためには「中国を孤立化させる」と言うことしかないのである。旧ソ連との取引や棚価格制以前の中国と取引をしないで日本が高度経済成長を果たせたのは、それら級東側諸国の大国が日本の取引をしている国々との関係を完全に分断されており、東側諸国は東側諸国だけで経済のブロック化されていたことによるのである。
 逆に、ここに記載されているように、この記事は中国系のマスコミがアメリカオバマ浜大統領の演説を揶揄しているものに過ぎないのであるが、その内容にあるようにアメリカのさまざまな場面において、中国製の製品が入っている状態において、戦略的に中国と日本の「直接取引」だけをなくしても、何の意味もないのである。また、中国との調節取引の数値をグラフ化してネット上で示したところで、そのことにも意味がない。まさに製造流通と、それに伴う金融の流れがわかっていなければ、現在組み込まれている歯車である「中国」をなくすことによる被害を予測しなければならない。逆に言えば、中国は、それだけ世界中に嫌われながらも、それだけ世界の隅々まで入り込んでおり、そして日本人が(日本人だけかもしれないが)が気づかない間に、われわれの日常生活の中にもはびこっていると言うことが言えるのである。
 遭えtもう一度繰り返す。私は中国が嫌われながらもは日っているから、中国と仲良く使用などと言うつもりはない。はっきりと本文中に「孤立化させよ」と書いている通りだ。しかし、それができない場合は、中国がいなくても関係ないなどということを楽観的にいうのではなく、その詳細を調べ、その上で日本の被害や影響をしっかりと図り、その上で対策が必要と言うことを説いているのである。

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まだ復興が終わっていない東北被災地の現在

まだ復興が終わっていない東北被災地の現在

 四月になった。あの自身から2年を過ぎた。
 東日本大震災は、千年に一度という地震と津波の被害であり、当時の政府は「想定外」と単語を良く使ったものである。その後、福島第一原発の放射能漏洩事故が発生し、実際にそれまで「日本が」体験したことのない事故が発生したのである。
 しかし、よく考えてもらいたい。地震そのものの被害は非常に大きかったし、津波の被害は甚大であって実際に想定外であったかもしれない。また、日本において原子力発電所の放射能漏洩事故が発生すると言うこともあまり想定されていなかったものと考えられている。しかし、世界を例に取れば、たとえば地震とそれに伴う大規模な津波の被害と言うことでいえば、近年でもインドネシアの北スマトラ島を襲った大規模な津波があり、また、被害規模の大小にかかわらずにいえば、日本国内では北海道の奥尻島の津波被害があり、また、地理沖地震で数日後に三陸沖を襲った津波の経験があった。それどころか、同じ三陸では3月3日に昭和の大津波が発生したばかりであり、「津波の日」として避難訓練なども行っていたはずである。また、放射能漏洩事故は、アメリカのスリーマイル島の原子力発電所の事故はさまざまな資料を入手できるし、また、ロシア(当時はソビエト連邦であったが)のチェルノブイリの事故に関しては、日本からも多くの取材や医療団が派遣され、その記録が残っている。そもそも、原子力発電所の事故とは異なるが、日本は世界で唯一の被爆国であり、その悲惨な歴史から広島も長崎も見事に復興し発展を遂げているのである。
 地震や津波、そして放射能の事故と言う意味においては、日本は近年で「ほぼ同じ内容の」被害を受けたことがないのかもしれないが、一方で、世界の事故事例を例に取れば、当然にそれらに備える必要性や、それらの事故が、規模の大小は別にして存在すると言うことをできていたにもかかわらず、それらの類型化、なたは事故事例を検討すらしていなかったことが「想定外」と言う不思議な単語になった。また、その事故そのものよりも重要な「復興」に関して、日本は大東亜演奏による空襲の災禍からも、また、放射能に汚染された広島や長崎の土地も、そして津波で被害の遭った奥尻島や昭和初期の三陸であっても、また、水害と言う意味では伊勢湾台風などに関しても、見事に復興しているのである。
 しかし、なぜかこの東日本大震災と津波そして福島の原子力発電所の事故からの復興は「遅々として進まない」のである。その件に関する内容を、震災から二年たった現状として報道が伝えている。

震災関連死、7割超が避難疲れ 2年目以降の35人調査

 復興庁は29日、東日本大震災と福島原発事故による避難生活で体調を崩すなどして震災関連死と認定された人のうち、福島県内で震災発生2年目以降に亡くなった35人について分析結果を公表した。「避難生活による肉体・精神的疲労」が25人と原因の7割以上を占めた。調査は死亡診断書などを基に、35人が亡くなるまでの経過を探った。「避難生活による肉体・精神的疲労」のほか、「避難所等へ移動中の肉体・精神的疲労」も。

共同通信 2013年03月29日21時20分
http://news.livedoor.com/article/detail/7547747/

「早く漁をしたい」福島の漁師いらだち 食品中の放射性物質 新基準1年

 福島県いわき市の小名浜港を見下ろす高台。
 県水産試験場に午前8時前、水揚げされたばかりの海産物が集められた。「常磐物」と呼ばれ、高値で取引された魚も少なくないが、今は市場に出回ることはない。放射性セシウムを検査するためのサンプルだからだ。
 「ブランド品だった魚を取れないのが残念でならない」。漁師の今泉安雄さん(56)がつぶやいた。
 福島県沖では41種が出荷停止となっており、それ以外の海産物も漁協が出荷を自粛している。平成22年に3万8657トンあった県内の水揚げ量は震災後、4484トン(昨年、速報値)と9分の1に激減した。
 福島県では新基準(1キロ当たり100ベクレル)よりさらに厳しい50ベクレルという独自ルールを定め、監視を続けている。この日は約30種、60の検体が試験場に運び込まれた。魚体測定室では、職員がアイナメやカレイなどから臓器を1つずつより分けながら計測した。
 試験場の漁場環境部長、藤田恒雄さん(53)は「北米の基準は1200ベクレル。日本の基準は厳しすぎるという見方もあるが、守っていくしかない」。
 県水産課などによると、昨年4月以降、海産物の新基準値超過率は約13%。原発事故後は高い数値が検出されたコウナゴも基準値を下回り、不検出となった。
 県北部の相馬双葉漁協では昨年6月から試験操業を開始。今月29日からはコウナゴの試験操業も始まり、対象はヤリイカやミズダコ、毛ガニなど14種に拡大された。自粛が続くいわき市漁協でも、9月からの試験操業を検討している。
 だが、ヒラメやカレイなど海底に生息する魚種を中心に高い数値が検出されることもある。漁師の佐藤芳紀さん(54)は「原発近くの浅場に行くほど数値は高くなる。安心できる魚を提供したいのだが…」といらだちを募らせる。
 小名浜港に面した観光物産センター。軒を連ねる鮮魚店に並んでいたのは他県や外国産の海産物だった。
 「外国産を売るなんて、こんな情けない話はない。『地物ですよ』と大声を上げて売りたいが、国が安全宣言を出さないと売れないと思う」。直売店の店員、高橋節子さん(68)が複雑な心境を吐露した。
 地元漁師の阿部秋芳さん(64)は「このままでは前へ進まない。5年後には後継者もいなくなってしまう。豊かな海で一日も早く漁をしたい」と語った。

産経新聞 2013年03月30日08時05分
http://news.livedoor.com/article/detail/7548356/

 あえて具体的な「復興が進んでいない」というきじではなく、震災関連死の7割が「非難疲れ」であると言うことと、福島で漁ができない漁師の話を紹介した。
 震災直後は「助かった」と言うことが最も大きな内容であった。その後に、失ったものの大きさを痛感し悲しみにくれる上体が出る。これは私が体験した阪神大震災における経験上の話であると考えていただければありがたい。実際に三陸の人々東北の人々がそのように考えているかどうかはまったくわからないが、私の体験上大きな災害に見舞われた人々はそのようになるような気がする。そして、その後に「失われたものの大きさよりも、より大きな希望」を見つけ出すことによって、人間は悲しみから逃れてゆくのである。
 残念ながら、民主党政権の二年間と、まだそのように言ってもかまわないと思うが、その民主党政権の二年間で「失われたものの大きさ」よりも「大きな希望」を作り出すことができなかった。希望が出てこないと言うことは、まさに、悲しみと喪失感の中で毎日を暮らさなければならないと言うことになり、何も自殺ばかりではなく、そのストレスなどによる病気も非常の多く東北では見受けられる。
 もちろん、自民党の安倍政権に変わってさまざまなことが変わると考えられるが、しかし、現時点において、安部政権の予算ができていない以上、現時あはまだ民主党政権の延長上で復興などを行っているに過ぎないわけであり、そのことを考えれば、希望が見えてくるのはもう少し先なのかもしれない。このように考えると「政治上の無策」どころか、再開発の制限などをしていた民主党の「政治上の復興の妨害」は、まさに、被災地の人々の希望を奪い、そして命まで奪った罪悪となるのではないか。
 一方福島の漁に関しては、もう少し複雑な感じになる。こちらは原子力発電所の放射能漏洩と言うことが大きな問題になっており、その放射能漏洩の自己は、現在も「継続中」なのである。その継続中の事故に対して、対策が遅れた分、問題が大きくなっており、その問題は、かなり瞑想してしまったと言ってよい。何しろ、原子力発電所の事故の当初の総責任者である菅直人首相は、「私は反原発」などといって事故そのものの処理を無視し、他の安全な場所の原子力発電所や再生可能エネルギーのことばかりをおおなっていた。「火は小さいうちに消せ」は、災害や事件の処理の鉄則であるが、残念ながら、民主党得に菅直人首相には、そのような考え方も、また災害に対する対処の方法もまったくわかっておらず、単純に市民運動のように事件を大きくし、また拡大し、そのまま放置して無責任に騒いでいるのである。その後を受けた野田佳彦首相であっても、大きくなった災害を収める方法もなく、単純にポピュリズム的に「なんとかなる」と根拠のない発言をしてそのままにしてしまったのである。
 この状態では、現在も継続中の災害にかんして生活や産業の復興が望めるはずがない。安倍内閣には一日も早い復興、少なくとも被災者の人々が希望を持てるような政策を考えてもらいたいものであるが、その道はもう少し先、予算計上後でなければならないのかもしれない。

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アメリカ経済の復活が意味する日本の経済復興の方向性

アメリカ経済の復活が意味する日本の経済復興の方向性

 昔の話であるが、よく「アメリカがくしゃみをすると、日本は風邪を引く」と言われたことがある。まだ、東西冷戦の影響が少なくなかった頃の話であるが、日本とアメリカの関係はかなり深いものであったということを示す、と言うよりは日本はアメリカの影響をもろに受けてしまう体質、そして政治経済の耐性にあったということができるのではないだろうか。
 東西冷戦が崩壊し、その後日本は長期間の自民党政権が下野(一回目)その上で、バブル崩壊、そしてバブル崩壊記に一切の手を打たなかった日本の当時の細川政権の経済無策によって、にほんは、アメリカだけの関係ではなくほかの国とのkんけい、特に旧東側諸国との関係を、経済を中心に捉えてきたのである。イスラム教を国教とする中東の国々や、あるいは、中国との関係を深め、経済連携を民間の間で行うようになった。特にソビエト連邦崩壊後は、ロシアとの関係もかなり大きな内容となったのである。
 しかし、そのように日本の経済が多角化したからといって、アメリカとの関係が崩れたわけではないのである。政治的には相変わらずアメリカとの関係の深さが非常に大きなものになっているし、安全保障では日米安全保障条約が機軸となって、日本を護っていると言える、日本を守っていると言っても、それはある意味で経済面でも日本との連携が深いことは言うまでもない。政治が安定していなければ経済の発展はないわけであるし、平和な国の間でしか貿易は成立しない。そのことは、テロ防止法に従って、インド洋での洋上給油や、ソマリア沖海賊対策などを行うことによって、日本がそれらに貢献していること型非常に良くわかるようになっているはずである。
 相変わらず、トヨタなどの自動車メーカーは北米での新車の売り上げ台数が景気や企業業績の指針になっていること、また、シェールガス革命によってアメリカの産業の復活が見られることによって、日本の経済が上向きになってきていることなど、もちろんアベノミクスと言われる日本における金融緩和政策の「気配」もあるが、しかし、それだけでなく、当然に貿易相手国の景気の回復が、日本の景気回復に大きく貢献してることは明らかなのである。
 そのアメリカの景気に関して、好調になってきたと言うことで下記のような記事が掲載された。

2月の米個人消費は伸び拡大、個人所得も増加に転じる

[ワシントン 29日 ロイター] 米商務省が29日発表した2月の個人所得・支出統計によると、個人消費支出の伸びが前月から加速し、個人所得も増加に転じるなど、米経済が勢いを増していることをあらためて裏付ける結果となった。
  個人消費は前月比0.7%増と1月の0.4%増(0.2%増から上方修正)からペースが加速し、エコノミスト予想の0.6%増も上回った。
 インフレ調整後の実質ベースでは0.3%増と前月と同じ伸び率となった。
 ガソリン価格の上昇が個人消費増加の一因だが、所得増を背景に自動車など耐久財の購入が増えたほか、サービスへの支出も拡大した。
 2月の個人所得は前月比1.1%増と、前月の3.7%減から増加に転じた。
 BKアセット・マネジメントのマネジングディレクター、キャシー・リエン氏は「(個人消費と所得は)いずれも回復が続く米経済と一致する結果だった」との見方を示した。
 商務省によると、2月のインフレと税金調整後の可処分所得は0.7%増加した。1月は4.0%減だった。
 所得が消費の拡大ペースを上回ったため、個人貯蓄率は2.6%と前月の2.2%から上昇した。
 過去2カ月間横ばいとなっていた個人消費支出(PCE)価格指数は、ガソリン価格の上昇を受けて前月比0.4%上昇。伸び率は昨年8月以来の大きさとなった。
 ただ食品とエネルギーを除いたコアPCEの伸びは0.1%にとどまり、基調的なインフレ圧力が抑制されていることが示された。またコアPCEの前年比の上昇率は1.3%と米連邦準備理事会(FRB)が目標とする2%を下回り、FRBに量的緩和による景気刺激策を続ける余地があることを示す形となった。

ロイター 2013年03月30日08時31分
http://news.livedoor.com/article/detail/7548439/

米住宅市場の回復はロケーションが鍵に、住宅価格指数は全都市で上昇

[ニューヨーク 26日 ロイター] 1月のS&P/ケース・シラー住宅価格指数では、主要20都市圏全てで前年比の指数が上昇した。
 指数の開発者の1人として知られるロバート・シラー米エール大学教授はロイター・インサイダーに対し、「確かに住宅市場が再生していることをさらに裏付けている」とし、「住宅市場は株式市場とは大きく異なり、(価格は)勢いづき、上昇し始めると一般的には上昇が1年かそれ以上続くことになる」と述べた。
 一方、価格上昇が全般的なものとの前向きな兆しはあるものの、「住宅市場の回復は若干均一ではない」(ジローのチーフ・エコノミスト、スタン・ハンフリーズ氏)との見方もある。
 ハンフリーズ氏は「これらの上昇ペースは明らかに持続可能ではなく、市場にとって長期的に良いことではない。ローン額以下に不動産の評価が下がる状態が解消され、住宅ローン金利が通常の水準に戻るまで、住宅価格の上昇ペースが変動する時期が続く」と述べた。
 地域ごとの状況は以下の通り。S&P/ケース・シラー住宅価格指数から季節調整済みの指数を用いて算出している。
<フロリダ州>
 指数がカバーする米フロリダ州のマイアミとタンパでは、2006年春から2011年後半の住宅価格の下落で、住宅の価値が約半分失われることになった。1月時点では、2都市は高値から40%以上離れた水準となっている。
 米不動産仲介会社リアルティトラックによると、2月の住宅差し押さえ比率ではフロリダ州が6カ月連続で最高となった。282件に1件で差し押さえの手続きが取られたことになるという。
<フォニックスとラスベガス>
 フォニックスでは市場の低迷で住宅の価値が半分以下になり、2011年夏以降で急上昇した。フォニックスの住宅価格は底値からは30%近く上昇、他都市と比べ上昇率は最大となった。だがそれまでに付けた高値からは約44%離れた水準だ。
 住宅市場が低迷した期間のフォニックスの下落率を上回るのはラスベガスで、価格は60%以上下落した。底を打った時期はフォニックスよりも遅く、底値からの上昇率は15%をわずかに上回る水準となっている。2006年に付けた高値からは55%以上離れた水準となっている。
<ダラスとデンバー>
 住宅バブルの影響をそれほど受けなかったダラスとデンバーは、ピーク時からの価格下落率が最も小さく、ダラスでは10%未満、デンバーでは11%をわずかに上回る水準となっている。
 完全な回復に最も近付いており、1月にはこの2都市はそれぞれの高値からあと約2%となっている。
<シカゴとアトランタ>
 ハンフリーズ氏によると、シカゴとアトランタは大半の都市よりも遅くに底を打ち、住宅ローン残高が物件評価額を上回った借り手の数が多いという状況が投資家を引きつけているため、フォニックスのような回復が見込めるとみられているという。
 2012年初めに底を打ったシカゴは、それ以降の上昇率が5%未満。アトランタの上昇率は約16%となっている。

ロイター 2013年03月27日15時18分
http://news.livedoor.com/article/detail/7538532/

 消費と不動産が上昇傾向にあると言う。
 日本で言うと、すぐにGDPと言うことを言うのであるが、実際に、景気というのは「景況感」のほうが大きく作用するためにGDPなどと言う数字的な内容そのものよりも、個人消費者個人所得の伸び、または、不動産価格の上昇と言うことが最も大きく多くの個人の中において影響を与える「景況感」になる。
 単純な「値上がり」はあまり好ましくはない。それは個人の所得や報酬のうちに必需品の支出が増えることになるからである。ある意味で個人消費の景況感は「可処分所得の増加」と言うことが最も重要であり、デフレ経済のときは物の値段を安くすると言う方法がとられるのに対して、インフレ時には報酬の上昇率よりも物品の値上がり率を下げると言うことが上げられるのである。
 その意味において、アメリカはうまくその循環が図られていると言うことができるし、その循環の中にシェールガス革命と言われる、現代の産業革命によって、アメリカの製造業が復活し、雇用や報酬が増えたと言うことが言えるのではないか。まさにアメリカ国内における製造業の会期は、失業率を下げるだけでなくアメリカの消費者の個人消費を増やし、その個人消費がGDPを押し上げてより一層景況感を好転させたと言うことが言えるのではないか。
 さて、日本において「アベノミクス」ということがいわれている。しかし、残念ながら現在景気が良くなった感覚と気配だけで、いまだに日本の製造業が急激に回復したと言うものではない。日本において、本格的な景気回復は、ある意味において、日本の製造業やそのほかの産業の回帰が必ず必要になってくると考えられるのであるが、そこまでは現在回っていないようである。
 そしてもうひとつ重要なことがある。日米がこのようにして製造業が買い着て最も困るのは中国と韓国だと言うことだ。今まで日本やアメリカの製造業を一手に引き受け、「世界の工場」と言われていたていた中国と韓国は、日本とアメリカの製造業回帰そのものによって、「本家に製造業の大政奉還」をするかのような感じになってしまうのである。このことによって、現在好調の中国の経済は、徐々に悪化し、また日本とアメリカが経済的または貿易として中国や韓国を必要としなくなった場合、中国と韓国の経済は一気に崩壊への道を進むことになるのではないか。
 保守派の皆さんは、そのようなことも考えながら、アメリカの景気回復のニュースを読むと面白いのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(136) 中国に「ゴマをする」朝日新聞の反日売国

マスコミ批判に関する一考(136) 中国に「ゴマをする」朝日新聞の反日売国

 尖閣諸島問題は、まさに現在の日中関係において最大の問題は尖閣諸島問題であるといえる。尖閣諸島問題は、まさに、日中関係を根底から覆す可能性のある問題である。その問題は、そもそもこの尖閣諸島の問題は、領土の問題であり、イギリスのフォークランド紛争と同じように国家と国家の領土問題として戦争も辞さないほどの問題になる。
 これらの問題は、当初は、両集権の主張と固有の名称の付加、そして法律の適用で、最後に実効支配ということを行うようになるのである。
 それを許さないために、日本は、当然に尖閣諸島に関して日本固有の名称を使い続けなければならないし、また実効支配を許したりある知は中国の領有を認めるような発言や情報発信をしてはならないのである。マスコミとして、それらは当たり前のことである。
 さて、中国の全人代のあと、現在で言えば全外務大臣の楊潔チ外相の会見のときに、の本の朝日新聞と産経新聞の間において、バトルが繰り広げられた。まさに中国の楊潔チ外相への質問のときに「尖閣諸島」というか「釣魚島」という中国側の勝手につけた名前を用いて質問をするのかということに関して、朝日新聞と産経新聞の間で論争が始まったのである。
 はっきり行って朝日新聞が「釣魚島」という名称を使うことそのものは、なんとなく日本人ならば予想できるが、それらの朝日新聞の態度や情報発信が、日本の濃く画w気をどれくらい損ねているのかを想像してみればよいのかもしれない。中国は、「日本国の朝日新聞も中国側のつけた名称を使用し、中国の尖閣諸島の領有を認めている」というような宣伝を行い、また、そのことを国際社会において主張を行うであろう。
 はっきり行って、これらの朝日新聞の反日行為にかんして、デモとかではなく、「日本国の国益を損ねた」として、朝日新聞に対して訴訟を行う人はいないのであろうか。素手の国有地であり日本国民のすべての人はその税金によって尖閣諸島の維持をしているのであるから、日本国民であればすべての人が朝日新聞に対する原告としての訴訟適格を持っているはずである。反日による損害賠償請求事件はたぶん日本のマスコミでもかなり話題になるであろう。そのようなことを考えてしまう内容である。
 後半、報道されている朝日新聞の言い分を見ながら、その内容に関して考えて見よう。

朝日記者が中国外相会見で「釣魚島」と発言 見識疑うと識者

 中国の楊潔チ外相(当時)が尖閣問題について日本を挑発した全人代(全国人民代表大会)の記者会見場で、産経新聞と朝日新聞による“バトル”が勃発した。
 ケンカを売ったのは産経だ。3月10日付に〈朝日記者 尖閣を中国名で質問 自国呼称が一般的なのに……〉と題した記事を載せた。
〈9日の中国外相会見で朝日新聞中国総局の記者が沖縄県・尖閣諸島について、「中日間の釣魚島問題での対峙は半年に及ぶ」などと、2度にわたって中国名である「釣魚島」という表現を使って中国語で質問した〉
 元産経新聞中国総局記者の福島香織氏も朝日記者の行為に首をかしげる。
「尖閣問題について中国語で取材する際、相手の言葉につられて『釣魚島』とうっかりいってしまうことはあります。しかし、中国外相の記者会見の場で日本人記者がこの名称を使うのはふさわしくない」
 日本での記者会見でも、中国人記者が「尖閣諸島」、韓国人記者が「竹島」を使うことはない。しかし、産経記事によれば、〈最近、島(尖閣諸島)の名前を触れずに質問する日本人記者が増えている〉という。北京特派員が事情を語る。
「全人代はテレビで生中継されるため、質問する記者の顔も映像で流れます。反日機運も高まっている状況なので、『尖閣諸島』と口にすれば、身に危険が及ぶ可能性もある。そんな時は、『島の問題ですが』と島名を出さずに質問します」
 朝日記者は確信犯ではないか、とこの特派員はいう。
「今年の全人代では、朝日新聞が質問することはあらかじめ決まっていました。だから、決して言い間違いではなく、意図的な発言のはずです」
「釣魚島」発言の真意を朝日新聞に問うたところ、「一般的に取材の現場では、その時々の状況に応じて適切な言葉や表現を選び、取材相手とやりとりをしています。個別のテーマに関する取材方法や過程についてはお答えしていません」(広報部)と回答した。
 評論家の石平氏が憤る。
「中国が尖閣諸島に勝手につけた名称を使うのは、日本メディアが領有権に自信を持っていないということになる。中国の反撃を恐れて迎合するようではメディアの見識を疑われます」
※週刊ポスト2013年3月29日号

2013年3月20日(水)7時0分配信 NEWSポストセブン
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/postseven-20130320-177449/1.htm

 まず上記から産経詩文の言い分と朝日新聞の言い分について見て見よう。

 三県新聞の3月10日付に〈朝日記者 尖閣を中国名で質問 自国呼称が一般的なのに……〉と題した記事を載せた。
〈9日の中国外相会見で朝日新聞中国総局の記者が沖縄県・尖閣諸島について、「中日間の釣魚島問題での対峙は半年に及ぶ」などと、2度にわたって中国名である「釣魚島」という表現を使って中国語で質問した〉
 「釣魚島」発言の真意を朝日新聞に問うたところ、「一般的に取材の現場では、その時々の状況に応じて適切な言葉や表現を選び、取材相手とやりとりをしています。個別のテーマに関する取材方法や過程についてはお答えしていません」(広報部)と回答した。

 さて、朝日新聞の主張する「時々の状況に応じて適切な言葉や表現」とは一体何を指すのか。単純に行って、中国において中国名を使うことそのものが「適切」と判断したということに他ならない。しかし、その判断は正しいのであろうか。単純に、相手に媚びて取材をし、正しいことを正しいと主張できないということを浅し韻文は「適切」という表現でごまかしているに過ぎないのではないか。
 もちろん、上記記事の福島氏のように、、会話の流れから相手の単語を使うこともある。私が中国の人と話す場合は、基本的に(例外がありうるということで)「尖閣諸島」という単語を使った後、「中国では釣魚島といっているが」と付け加え、その上で、そのときの会話でどちらの名称を使うかを、双方の合意の上で取り決めることをする。当然に、この内容は、会話の中の約束事であるから、そのような取り決めを行うことは、そもそも会話そのものを成立し、その中身における話しで実を得るためには重要な内容であるといえる。特に中国の人で中国の仲でも保守派という人々は、尖閣諸島といって反応しなかったり、わざとわからない不利をして会話をさえぎる人も少なくないので、その内容に関しては、しっかりとはじめに取り決めを行うのである。単純に無条件に中国側の名称を使うなどということをしても、全く意味はないし、そのようなことをしても何の得もない。日本国内において売国奴扱いされ、中国からも日本国民のクセに裏切り癖のある人として利用されるだけ利用されて終わってしまうのである。そのようにならないために、あらかじめ之合意を行うということを鹿k李と必要な前提条件で、話を進めなければならないのである。
 朝日新聞は、そのような取り決めがあるわけでもなく、単純に中国に媚びているというかまさに売国奴ということを行っても過言ではない状態になってるといえる。中国がそんなに好きならば中国に行って新聞を発行すればよい。何も日本国内にいつまでもいる必要は無いのである。
 なお、このような朝日新聞の行動は中国人からもあきれられており、同時に中国人からも相手にされていない。そのことは、以前にも報道したが、まあ、次の機会にゆっくりと話しをすることにしよう。

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