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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第26回 憲法で言う日本の世界平和に対する崇高な目的とは

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第26回 憲法で言う日本の世界平和に対する崇高な目的とは

 前回の内容で、日本は日本国憲法において「集団的自衛権」をしっかりと認める記載をしていることが明らかになった。もちろん、この文章は明らかに日本国憲法を保守的に解釈すればどうなるかということを記載し、私なりに無理の無いレベルで保守的に解釈しているものである。逆に、現在「学校」で習って来ている日本国憲法そのものの内容は、少なくとも保守的解釈を排除した内容しか教えていないということであり、憲法の可能性を教育の現場で限ってしまった内容でしかないというように、現在の憲法教育そのものの問題点を指摘したものである。
  しかし、逆に言えば憲法を解釈すれば、現在今回を始めんマスコミや世論で論争されている憲法の争点は、実は憲法の解釈の範囲の中で行われるものである。逆に言えば、集団的自衛権も自衛隊も、実際のところを考えれば、憲法の文言的な解釈の範囲内であり、憲法をどのように解釈するのかということによるものである。要するに、憲法の解釈論の中の問題であるのだから、基本的には法律論争ではなく「政治的な決断」の範囲の中の問題である。これを「違憲」などといって批判をするのは、憲法のことをよく読んでいない、または日本語的な解釈ができてないということに他ならないのである。
  日本国憲法前文第二段落は、世界の平和ということを機軸に記載されたものである。しかし、その世界の平和に関して日本は「非武装」ということではなく「名誉ある地位」を目指すものである。そのために「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することを積極的に行うということを、日本国民は決意したのである。このことをしっかりと考えるべきではないのか。
  その上で、今回は第6文、第二段落の最終文を見て見よう
 
  「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
 
  まず、ここの主語も「われらは」となっている。「日本国民は」となっていないことは、この文章の主語も「平和を愛する諸国民」のすべてにかかるものであり、日本国、および日本国民は「平和を愛する諸国民」の中の一つであり、同時に他の諸国民と一緒にということがこの文章の中の中にある。まさに主語の違いからそのようにしたのであろう。
  では、なぜこのようにわかりづらい主語にしたのであろうか。後の世に住む我々にとっては、はっきりしたほうがよいに決まっているのである。当然に明確に書いていただいたほうがよいし、そのことによって後の世の無用な論争は避けられたはずだ。この憲法を起草した人々は、その辺のことを考えていなかったのか。と、言うことを書いてしまえば、それはそれで簡単なのかもしれない。しかし、そのような主張は現在に生きる我々のエゴではないのか。
  この憲法が記載された時代を考えれば、当然にGHQの監視下にある状態である。同時に朝鮮半島で朝鮮戦争が起きていない時代だ。要するに、連合国にとって言えば、中華民国と、朝鮮半島の独立(半島が独立直後になんと名乗っていたのかは不明であるが)ということで、アメリカは特に反共ということを考えずに、アメリカ的に言う太平洋戦争の戦勝国として覇権を伸ばしたところである。そのアメリカにとっては、日本国という先日までの敵がサイド暴発しないということを主眼においていたに違いない。そのためにまさに「日本の弱体化」を考えていたのである。ということは、日本の復興を願う憲法を起草した日本人たちは、アメリカに気づかれないようにさまざまな暗号を仕組んでいたはずである。もちろん、「暗号」といっても、推理小説や宝探しの物語に出てくるようなものではない。当然に、後の世の一般の人でも注意深く憲法を読めば気づくような内容であり、そして当時のアメリカが気づかない内容にしなければならない。当時の人々は、そこで一計を案じて「暗号」を作ったのである。まさに、日本語と英語の言語の差をうまく利用したのである。
  それがまさに主語の差である。「日本国民は」を英語で翻訳すれば「Japanese」となっており、また、「われらは」とすれば「We」としかならないはずである。要するに「We」が「平和を愛する諸国民」というように他の国の人々の集団的自衛権をさすのか、あるいは「日本国民」を指すのかは、明確でないものになるのである。
  このことに気づかなかったのはアメリカであり、またいち早く気づいたのもアメリカなのである。GHQは、それに気づかず、当時の日本人の言葉にだまされて、この内容で憲法案を承認した。しかし、一方で、朝鮮戦争が始まったときに「自衛隊」の全身の「警察予備隊」(後の保安隊)を作るのは、まさにこの憲法の主語の違いに気づいたアメリカであったといえる。憲法上不可能でないために、アメリカは、単なるアメリカのエゴではなく、その法律的な解釈に基づいて日本に自衛隊を強要したのではないのか。アメリカのように、世界各国の自国の評判を気にし、また日本との関係が悪化すればヨーロッパとの関係もすべておかしくなる可能性のあるアメリカにとって、日本に憲法上の無理を強いることは難しい。当然に憲法上の解釈を「アメリカの都合」で行えば無理が無い状態になるようにすればよいということになるのである。
  さて、文章の解釈を進めよう。
  「全世界の国民」が「平和のうちに生存する権利を有する」ということを確認するのである。まさに、「生存する」ためには、生存を脅かす害を排除することが必要である。もちろん自然災害や旱魃などの食糧不足などに対しての援助が必要であり、その内容は日本は政府開発援助(いわゆるODA)で実現してきている。「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」とあるのは、まさにそのことを考えているといって過言ではない。この中の「欠乏」はまさに政府開発援助の範疇であり、また、自衛隊の蔡が覇権アドのことを言っていることになる。しかし、日本国憲法には「恐怖」ということにも言及しているのだ。「恐怖」は人間に対する抑圧に対して、集団的自衛権を行使して、その恐怖からの脱却、それによる平和の内に生存する権利を輸しているとする解釈である。まさに、このことは、日本国憲法の主張であり、そして日本国憲法において日本国民が課された義務である。
  では、その義務は何か。まさに日本国民が主導的に「全世界の国民」を平和のうちに生存できるようにすることではないのか。そして、その崇高な目的のために、日本は憲法を解釈し、その目的が果たせないような自己否定をする解釈をして花いけないということになるのかもしれない。
  このように、憲法前文第二段落では、日本が世界の平和のために寄与することを、そして主導的な役割を果たすことを目的とすることを記載しているのである。以下に日本で言われている「平和主義」というものとかけ離れているかがわかるのではないか。

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