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高校野球の感動と高校野球選手の選手生命に関すること

高校野球の感動と高校野球選手の選手生命に関すること

 春の選抜高校野球が、埼玉の浦和学園の優勝で幕を閉じた。まず、浦和学園の野球部の皆さんには、心から「おめでとう」といいたい。
 毎年、高校野球はなんとなく見てしまう。はっきり言って私自身はマニアではないので、甲子園球場に出てくる選手すべてを知っているわけでも調べているわけでもない。高校野球が始まってから、テレビなどを見て注目選手をチェックする程度でしかない。また、昨年の夏の大会などを覚えているわけではないし、高校野球はプロと違って、どんなに長く活躍しても3年間しか出場しないのである。そのために、夏の大会で活躍した3年生の選手は翌年以降卒業してしまうためにいなくなってしまうし、この春の大会には、新一年生は出場しない。そのように考えると、「本当に短い期間」の英雄が、故郷に錦を飾るために死力をつくしてたたかうということになるのである。
 観客は、かなり無責任に勝った高校を賞賛しまた負けた高校に対して励ましの言葉を送る。実際に、それまで練習してきた成果が出し切れなかった選手は、その結果以上に結果を出しきれなかった自分に悔しい思いをするのではないか。そして、その気持ちがわかる大人たちは、その悔しい思いをした高校生の選手を見て、更なる賛辞を送るのである。
 さて、高校野球はそれでよいのであるが、選手はそうは行かない。高校野球での活躍の有無にかかわらず、基本的には、プロ野球選手を夢見ているのである。そして大学または実業団などでの活躍を夢見ていることになる。当然に、高校野球は精一杯戦ってもらいたいが、しかし、そのことによって体を壊してしまい、その後の活躍が制限されるということになるのはあまりよくないのである。
 問題はそのバランスの問題ではないか。そのバランスが崩れたときには、チームの敗戦になるか、あるいは、選手が体を壊してしまうことになるのである。

済美高校「エースの5連投」に異議 投手生命絶たれる危険がある

 甲子園は球児にとって夢の舞台甲子園球場で連日熱戦が繰り広げられた「春のセンバツ」高校野球は2013年4月3日の決勝で、浦和学院(埼玉)が済美(愛媛)を17―1で下し、初優勝を飾った。決勝まで4試合連続完投して臨んだ済美の安楽智大投手は、最後に力尽きた。
 チームを背負う1人のエースが、連投に次ぐ連投で何百球も投げる――。こんな無理を強いれば投手生命が失われる危険がある、と議論が起きた。
 超高校級エースが決勝でメッタ打ちされる
「今日は直球で勝負できないと思い、変化球を多く投げた。抑えられなかったのは自分の力不足です」
 浦和学院に敗れた済美・安楽投手は試合後、悔しさをにじませた。初戦から4試合、663球を投げきってたどりついた決勝。4回までは無得点に抑えていたが、5回につかまる。5連打を含む打者一巡の猛攻で7点を失った。6回も続投したがさらに2失点。109球を投げ終えたところでマウンドを降りた。プロ注目の超高校級エースがこれほどメッタ打ちされたのは初めてだろう。
 1人の投手に毎試合、連投もいとわず投げさせる起用法には異論が出ている。米CBSスポーツ電子版では3月30日の記事で安楽投手を紹介。初戦で延長13回、232球を投げた後に中3日で今度は159球完投したことに「投手にとって正気の沙汰と思えないし、過酷な負担だ。成長途上にある16歳であれば、なおさら」と指摘した。
 スポーツライターの経験を持つ乙武洋匡さんは、ツイッターでこの問題に触れた。高校2年生の年齢で多くの球数を投げさせることに疑問を投げかけると同時に、「エース力投」などと美談として報じるだけで問題提起を怠っているスポーツマスコミの姿勢や、球数制限の導入を検討しない日本高校野球連盟にも苦言を呈している。一連のツイートに米大リーグ、テキサス・レンジャースのダルビッシュ有投手も反応。乙武さんに「出場選手登録を25人にして、学年別に球数制限がいいかと」と提案した。一方で、球児のすべてがプロに行くわけではない、無理してでも甲子園で燃え尽きたいから、制限などされては困ると乙武さんに意見する人もいた。
 野球評論家の江本孟紀氏は、CBSスポーツの記事に批判的だ。4月2日付の自身のブログで、「元々連投のきく地肩の強いタイプがある。そして故障しにくい美しいフォームが出来ていること。それを作る為の練習方法などによって強靭な足、腰、肩が作られる。そして最後は手首・握力のパワーが連投できる元だ」と説明し、安楽投手がこのタイプに当てはまるという。もちろん全員に安楽投手と同じように投げろというのではない。ただ「肩肘など故障をするかもしれないリスクを、勝利という代償を得て戦いプレーするのだから、あれもダメ、これもダメ等と他人がとやかく言うべきじゃない」という主張だ。
 1人に全試合を任せず、複数の投手を用意する
 甲子園で全試合を投げ抜いた結果、ひじを壊して投手生命が絶たれた例がある。1991年、夏の全国高校野球大会で決勝に進出した沖縄水産高・大野倫投手だ。1回戦からの5試合すべてを完投してきたが、地方大会の時点で痛めていた右ひじが悲鳴をあげていた。「沖縄県勢初の夏制覇」の期待がかかる中、決勝の大阪桐蔭戦にも登板したが、既にひじは限界で、13失点を喫して敗れた。合計6試合、773球を投げた大野投手は、甲子園が最後のマウンドとなってしまった。
 後にテレビ番組のインタビューで、決勝での登板を「監督と僕の信頼関係の中での話」と語っている。大野投手の場合、大学進学後に打力が開花して、読売ジャイアンツにドラフト指名されるまでに成長した。それでも、高校時代で投手としての将来が閉ざされてしまったのは悲劇だ。
 小中学生に対する野球の指導経験をもつスポーツジャーナリストの菅谷齊氏は、1人の投手に全試合を任せるのではなく「2、3人用意するべき」と話す。甲子園に出てくる高いレベルの投手は、練習で相当の投げ込みをしているのでスタミナは心配ない。それでも1人だけが重い負担を強いられ続ければ、肩やひじを壊す懸念がある。
 少年野球では、子どもたちは目標を「甲子園出場」に据える。その夢が実現したとなれば「たとえ腕が折れても投げたい、と考えても不思議ではありません」。だが、特に安楽投手のような将来プロの道を嘱望されるような人材には、指導者の判断力が問われるという。育成面を優先して、故障につながるような無理はさせない、だからこそ戦力的に複数の投手を育てる必要があると菅谷氏は説く。
 大会の日程にも注文を出す。今大会、準々決勝は3月31日と4月1日の2日に分けられたが、済美は4月1日の第2試合に試合が組まれたため、決勝まで3連戦を強いられた。公平性の点からも、「準々決勝は1日で終えて、準決勝と決勝の間に1日休みを設けるべき」と考える。
 甲子園という舞台では、「勝利至上主義」にならざるを得ないだろう。後援者や地元の期待も大きくなる。それでも、選手育成に優れた監督であれば「目先の1勝」よりも子どもの将来を最優先にしてほしいと菅谷氏は話す。

J-CASTニュース 2013年04月03日18時55分
http://news.livedoor.com/article/detail/7561368/

 選手の体を壊すかまたはその起用方法に関しては、どのようなことをしても賛否両論出てくるのである。批判が無いのは優勝したときだけ。敗戦したチームに対してはさまざまな批判が出てくるのは、高校野球もそれ以外の場合も同じである。しかし、選手の将来を考えれば「勝利至上主義」なのか「選手の将来重視」なのかで分かれることになるのである。
 今回の大会でも「超高校級」という人がいた。特にあまり党首で目立った人がいなかったので、斉美高校の安楽投手は非常に話題になった。昔では王貞治氏も、またその後の現在の日本ハムの斉藤投手も、一人で投げぬいたし、現在大リーグで活躍している松坂投手も一人で全大会を投げたと思う。王貞治氏は、誰デモが知る世界のホームラン王であったが、早稲田実業時代は投手で四番の中心選手で、優勝するという快挙を成し遂げたのである。
 昔の選手は肩も体もスタミナがあった。故人となったが別所投手などは「ベーヤンの馬鹿肩」といわれていたし、駐日の権藤投手などは、その当番が続いたことから「権藤・権藤・雨・権藤」とまで言われた。また、長嶋茂雄氏と同級生の立教大学のエース、その後南海ホークス(このチームのなくなって久しい。若い人は知らないかもしれない)のエースとなった杉浦忠投手などは、日本シリーズの4連投が有名である。
 何無昔のそれも伝説の投手と比べる必要は無いのかもしれないし、そのような選手の苦労があるから方のスタミナという感覚ができた。しかし、やはりファンとしてはがんばってもらいたい、高校野球でも伝説を残してもらいたいと思うのも事実なのである。
 この内容は、高校生の野球が夏休みなどの問題などでどうしても解決できない、「永遠の課題」なのかもしれない。その内容をどのようにするのか。ゆとり教育などで夏休みが短くなったり春休みが短くなったり、あるいは、大学の入試が九月になったりとなると、なかなか難しい問題が出てくる。これらは本人の感覚の問題や気持ちの問題もあると思う。本来は外野がさまざま言うことではないのかもしれない。
 しかし、一つだけ私でも言えることは、大人がさまざま、本人のことも知らずに口を挟むものではないのではないか。特に大学の九月入試など政治的なことで彼ら高校九時の心を踏みにじらないで欲しい。なるべく今の形でそのまま野球を楽しめる、観戦ができるようにしてもらいたいものであると切に願うものである。

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