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2013年9月

保守的解釈による日本国憲法講義私案  第45回 日本国憲法に歌われる人権における「自由」の意味

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第45回 日本国憲法に歌われる人権における「自由」の意味
 前回は人権に関してその近代法学と法哲学的アプローチから人権というものを考えてみた。
  過去数回分をまとめれば
  「人権は憲法によって認められた国内限定の国民に与えられた権利である」
  「人権が外国人に適用される論理は、憲法以外の要請や条約などによるものである」
  「人権は王権神授説に対抗し、民主主義共和制を成立するために社会契約説的に作られた人為的な権利である」
  ということになろうか。
  当然に、日本国憲法においても条文上「国民は」という主語で始まっているわけであり、国語的に解釈しても憲法が規定している人権は日本国民に限られたものであることは明らかだ。
  さて、今回はこの前提で、もう少し人権ということを考えてみたい。
  具体的には、「人権の種類」ということ、もう少し平たく言えば「自由」ということを考えてみてはいかがであろうか。
  その前に、毎回同じであるが、一応条文。
 
第一〇条【国民の要件】
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第一一条【基本的人権の享有】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第一二条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 さて、この条文の中にも「自由」という言葉が出てくる。
  では、そもそも自由とはいったい何なのか。
  【自由】
(デジタル大辞泉より)
[名・形動]
1 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「―な時間をもつ」「車を―にあやつる」「―の身」
2 勝手気ままなこと。わがまま。
3 《 freedom 》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
4 法律の範囲内で許容される随意の行為。
 法律上の「自由」とくに、人権における自由は、法哲学上、非常にレトリックな社会契約説に基づいていることは前回の解説のとおりである。
  そのことから考えると、上記の自由の定義の中で「3」の「《 freedom 》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。」ということになる。
  これは、単純に「封建制度」という、王権神授説的な支配束縛からの対比概念として「自由」という単語が使われているのである。
  そして、そのことは上記の辞書の意味合いから「4」の「法律の範囲内で許容される随意の行為」ということにつながる。
  まさに、「法律の許容範囲」ということは、当然に法律による支配と拘束は、自由の阻害条件にはならないということを意味しているのである。
  まさに「法律」の許容範囲を決めるのが、民主主義近代法学においては、自らの互選によって決められたものであり、広い意味で自己規制でしかなく、他社からの高速ではないという解釈になるのであろうか。
  逆な言い方をすれば、この自由の概念においては「自主的・主体的」ということと、「法律の範囲内」という二つの要請がある。
  さて、同時にこの人権に関しては「憲法」であるということが主体になっているということを考え合わせる。
  そうなれば「日本国民が日本国民として国家的意識を持って主体的に憲法を順守(法律を許容の範囲を模索)すること」が一つの要件になる。
  一方で、その憲法は「法律を順守する義務」があり、その中には「日本国民に人権を与えた国家を守る義務」が自然権的に存在することになるのである。
  逆に言えば「法律の範囲内で許容される随意の行為」であるということは、「日本国憲法を守る義務のない人は、自由が存在しない」という論理構造になる。
  この論理構造は、憲法でも30条以降に、官憲司法警察と国民の拘束に関することが書かれているが、法律の許容範囲を逸脱した人に対する刑罰という人権の制限を論理化することがこの中にある。
  ある意味において「法律の順守義務」にたいし「義務の違反」が「人権の制限」ということにつながるということになる。
  犯罪者に刑罰を科すということにおいて、そのことを否定する人は少ないのではないか。
  実際に何が犯罪に当たるのか、何が法律で許容されるのかということに関しては、当然に様々な議論が存在するのであるが、しかし、その法律の範囲を逸脱した人に刑罰を科すことは議論になっていない。
  そのうえで、では「犯罪」以外の法律順守義務は存在しないのか。
  もっと言えば「日本国憲法を守る義務」もう少しいえば「日本国憲法のある日本国を守る義務」がない人に人権を制限する必要はないのか、という議論が出てくることになる。
  もちろん人権の制限は法律によって規定されなければならない。
  ある意味において刑法だけでなく、例えば道路交通法や商法などのほかの放棄でも刑罰を科すことは可能である。
  刑罰という国家権力が積極的に人権を制限する行為、例えば逮捕監禁などは、法律によって規定される必要があると考えられる。
  これも、当然に憲法に要請された「罪刑法定主義」によるものであろう。
  一方、消極的に人権を制限することは、ある意味において、日本国憲法が日本国民と日本の国家によるものである以上、できるのではないか。
  単純に「日本国民以外に人権を条約外のところまで認める必要があるのか」という議論、具体的には在日外国人参政権の付与に関する議論などは、まさにこの論点にあたる。
  そして、それは国家、憲法を守る義務がない人に認める必要は、少なくとも憲法あひょ呈していないという結論になるのではないか。
  逆に言えば、「自由」を、上記の辞書の
  「1 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。」
  「2 勝手気ままなこと。わがまま。」
  というような感覚でとらえている人が多いということなのかもしれない。
  しかし、それは認められるものではないはずである。
  「自由」という頓悟一つでもこれだけ意味があり、その意味において、しっかりとした見識と判断が求められるのが憲法である。
  その憲法の解釈に関しては慎重に行われなければならないのであるが、現在の左翼的解釈はそれをゆがめ続けてきたのではないかと考えらえるのである。

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マスコミ批判に関する一考(163) 事前の審査をしていないNHKの番組制作の粗さと、その構造に耐えられない制作会社への責任転嫁体質

マスコミ批判に関する一考(163) 事前の審査をしていないNHKの番組制作の粗さと、その構造に耐えられない制作会社への責任転嫁体質
 最近のテレビ番組がおかしい。ということを書くと、「すでにおかしくなっている」とおしかりを受ける。
 ここでお叱りを受けるのは、「おかしくなっている」という単語が主観に基づくものになっていることが最大の問題であるということである。皆さんは、「本来のマスコミのあるべき姿に比べて、おかしくなっている」という基準と物差しを使っているのに対して、私の場合は「以前は現在よりもましだったが、今は少し前よりもひどくなってしまっている」という感じであろうか。いずれにせよ、「おかしくなっている」ということは周知の事実であり、それを絶対評価で行うのか、あるいは相対評価でおかしくなっているのかということが違うのか、その「おかしくなっている」という言葉の違いが出てくるのである。
 さて、まず言い訳から入ったが、実際に、「おかしくなっている」という事実に変わりはない。基本的にはレベルの問題であり、なおかつ相対評価か絶対評価の違いであって、いずれにしても、「おかしくない」という結論に達していないのである。
 さて、今回マスコミがおかしいと感じたのは、偏向報道とかそういうことではなく、「編集が荒くなった」「作業やチェックが雑になった」ということである。
 NHKでニュース番組でなぜかアダルトビデオの映像が流れたという事件が発生した。実際に、NHKがそのようなことになるというのは、何らかのミスがあるか、あるいは、生放送で間に合わないということがある場合であろう。しかし、最近のテレビは、編集し制作してあるものであっても、不適切な画面が流れてしまうことが少なくないことに驚くことがあるのだ。
 その記事が下記である。
NHKが昼のニュースで「肉便器」「極上泡姫物語」 無修正AVタイトルを大量表示、ネット呆然
   NHKが2013年9月26日昼のニュースで、大量の無修正エロビデオ、アニメのタイトルと、その種の動画を配信するサイトの名前を画面いっぱいに表示していたとネットで騒ぎになっている。
   このニュースは13年上期のサイバー犯罪件数を報じたものだが、そのイメージ画像としてパソコンで検索した上記の画面をそのまま表示していた。ネットではNHKがサイバー犯罪と無修正エロビデオを結びつけた理由がわからない、として「クッソワロタwwwサイバー犯罪ww」「モザイクで少しは文字を隠すべき」などといった声が上がっている。
キーボードの画面がいきなり変わって…
   このニュースは「サイバー犯罪検挙数 過去最多」というタイトルで午後1時3分ころから約1分半にわたって放送された。内容は他人のIDやパスワードを盗みコンピューターに侵入するといったサイバー犯罪が13年6月までに全国で4093件起きて、昨年の同時期に比べると、率にして25%増え、統計を取り始めた04年以降で過去最多になった。そのうち不正アクセス禁止法違反は昨年の12年に比べ同3.4倍に増加。著作権法違反は419件で去年の同2倍近くに。検挙されたのはファイル共有ソフトを使った違法なアップロードが多く、新たに罰則が盛り込まれたダウンロードでの検挙はなかった、と報じた。
   テレビ画面にはイメージ映像としてパソコンのキーボードとそれを操作している手が映っていたが、途中でいきなりパソコンのモニターに切り替わる。そこには「無修正」と書かれているカタログのような文字列が画面いっぱいに表示されていた。
「モザイク、イラネ、~おっぱい買収~」「極上泡姫物語」「朝起きたら彼氏が女の子になってました」「僕の個人トレーナーと潮吹きエクササイズ」「ロリ3P編」「囚われた人妻~恥辱に濡れた家庭内監禁調教」「本物RQ 東熱流肉便器処理」「美女の恥肉塊」
といった無修正エロビデオ、アニメのタイトルが一覧で並んでおり、「カリビアンコム」「一本道」といった、無修正動画ファンにとっては超有名な配信サイトの名前があった。この状態が10秒間ほど続き、目を凝らせば十分読み取れたため、視聴者たちを驚愕させることになった。
サイバー犯罪ではなくワイセツ関連の問題では?
   ネットではこうした画面を出したNHKに対し、無修正エロビデオ一覧画面とサイバー犯罪の関係がよくわからないし、どちらかといえばワイセツ関連の犯罪ではないのか、これを出す場合はモザイク処理などをするべきではないのか、といった疑問も出て、
「NHKで肉便器wwwwwww」
「何でわざわざこれをチョイスしたんだよwww編集の時点で悪ノリしただろwww」
「これ検索ワード『無修正』だろwwwなんで、そんなワードで検索した画面を映すのかね。バカだろwwwwww」
などといった意見が出ていた。
2013年9月26日(木)18時45分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/jcast-184764/1.htm
 さて、先週の土曜日のブログでJR北海道の安全性と確実性の両立が難しく、それを下請けに投げてしまい、そのうえでコストカットするから、おかしな結果になるということを指摘した。
 さて、同じように下請けに投げてしまうのがテレビである。このことは、放送局とは別に「制作会社」「出演芸能人のプロダクション」「レポーター派遣会社」「構成作家」など様々なチームに分かれ、その中のどこかが中心になって番組を作る。そのために、JRの場合と同じように、責任体制が散漫になってしまい、偏向報道などの問題が発生した時の責任体制や対応、再発防止に非常に大きな問題を残していることになる。
 同時に、JRや中央高速などと異なるのは、そもそも「安全性」と「確実性」という二つの相容れない要件を抱え、その要件のためにコストが上がるというようなものではないのである。
 では、なぜそれだけの外部委託をしなければならず、同時に、それだけの責任の分散性が必要なのか。そのことが、まさに、テレビの問題である。コストカットをしなければならないが、しかし質の良いものを作らなければならない。しかしこれは両立させることは難しいことではなく、どこの企業でも行っていることである。
 そこで、基本的にテレビ局でできることがなぜか分散化してしまい、そのことによって資本関係がおかしなことになってしまう。そのことが偏向報道につながり、そしてそのことが、いつの間にか「チェックもしない画像の放映」につながってしまう。
 今回の事件はアダルトビデオが流れたということであるが、しかし、その責任体制の分散化がまさに、偏向報道の温床になっていることに気付かなければならない。それは、テレビ制作の現場そのものによる、「責任の分散化」ということを考えなければならないのではないか。
 そのようなことを考えるきっかけが、別な入り口でもよいのかもしれない。そしてそのようなところの仕事が「いいかげん」「ずさん」という表現になってきてしまっている。まさに私のように中国にいた人間にしてみれば「中国化」している状態になったということではないだろうか。
 日本には日本独自の文化と風習と伝統があり、それを重視するためには丁寧な番組作りを行ってもらいたいものである。しかし、その内容は一貫して日本のことを知った人の責任と編集によって作られなければならない。共同通信のホームラン写真偽造のように、いつの間にか真贋鑑定をしなければ情報を信じられないような時代になった。それではマスコミのリテラシーが問題になるのは当たり前だ。それと同じように仕事の中身を丁寧に行ってほしいものである。

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会社の赤字で安全点検を怠る企業構造と利用者の心理

会社の赤字で安全点検を怠る企業構造と利用者の心理
 会社の赤字で安全点検を怠る、とことですぐに今般のJR北海道のことを想起してしまう。もちろん今日の記事もJR北海道の記事を掲載している。
 インフラ企業に関して「安全性」「確実性」ということが、企業存続のための最低限の条件である。そのことでいえば、福島原発の事故も、「自信に負けずに安全に、確実にエネルギーを届ける」ということが東京電力の企業存続のかなめであったはずであるのに、原発の事故ということで「安全性」そして、震災後すぐの「停電と節電」で「確実性」とその双方が崩れてしまった。そのことが東京電力という企業に関しての国民的非難になっているわけであり、その非難の「安全性」の部分で「反原発運動」が拡大したのである。もちろん、反原発でない人々は「確実性」の重視ということであり、その両輪どちらが欠けてもいけないのであるがどちらかに議論を集中させる論調になっていった。この内容はかなり冷静さを欠いた議論ではないのか。
 一方、福島原発だけではない、昨年12月は中央高速道路のトンネルが崩落し、そのトンネル崩落においても同様の内容があげられる。実際に、安全性を重視しなければならないが同時に確実性が要求されるこれらの業界において、「安全性」を重視しながら「確実性」を担保するには、双方が反対概念であることから、かなりの金額がかかることになる。
 JR北海道にしても、東京電力にしても中央高速道路にしても、通常時の流れを止めずに、安全性を担保するということのむずかしさ、そしてそれを行わなければならない義務というものが存在する。しかしそれができていないということが最大の問題になっているのである。
JR北海道「補修せず放置」97か所 NHKニュース
 今月19日にJR函館線で起きた脱線事故の現場付近のレールをJR北海道が事故が起きるまで、補修せずに放置していた問題で、さらに調べた結果、レールの幅や高低差などを補修せず放置していたのが、これまでに北海道内で97か所に上ることが分かりました。
 この問題は、JR北海道が、今月19日に函館線で起きた貨物列車の脱線事故の現場付近で、レールの幅が社内の基準を上回る値だったにもかかわらず、補修せずに放置し続けていたものです。
 これに関してJR北海道は、午後6時から野島誠社長らが会見しました。
 それによりますと、北海道内で、レールの幅や左右のレールの高低差などで社内の基準を上回っていたのに期限内に補修せず放置していた規程違反が、これまでに▽特急列車などが走る本線で49か所、▽主に貨物列車や通過待ちの列車が使う「副本線」で48か所の、合わせて97か所で見つかったということです。
 いずれも、22日までに緊急の補修を行い、列車の運行に問題はないとしています。
 会見で、野島社長は97か所ものレールで問題が見つかったことについて、「補修を先延ばしにしているうちに失念したなどのケースがあったと聞いているが精査できていない」と述べました。
 そのうえで、JR北海道で相次ぐトラブルについて謝罪し、みずからの責任について、「進退のことは考えていない。安全な会社を作りあげるため、今まで以上に取り組まなければならないと考えている」と述べ、辞任する考えはないことを明らかにしました。
k10014730421000.html
NHKオンライン
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130922/k10014730421000.html
JR北海道の異常放置、新たに7路線170か所
 レールの幅などに社内基準を超える異常を確認しながら放置していたなどとして、鉄道事業法に基づく国土交通省の特別保安監査を受けているJR北海道は24日深夜、新たにレールの幅などの異常を放置していたのが7路線で見つかったと発表した。
 新たな放置が判明したのは、約170か所に上るという。同社は22日、放置箇所を97件と発表していたが、大幅に上回ることが確実となった。
 JR北海道によると、国交省への報告後にデータを精査したところ、放置していた箇所は新たに函館線や札沼線、釧網線など7路線で見つかった。
 この影響で、札幌発稚内行き特急「スーパー宗谷3号」を含む計5本が運休した。小樽駅で列車を待っていた若い女性は「ふだん使っている列車の線路に異常があったなんて信じられない」と動揺を隠せない様子で語った。
 JR北海道では、24日も車両トラブルが続いた。同社によると、24日午後2時15分頃、JR根室線白糠しらぬか駅(白糠町)で、停車中の釧路発帯広行き普通列車の床下エンジン付近から白煙が上がっているのを男性運転士が見つけた。乗員、乗客計15人が乗っていたが、けがはなかった。
2013年9月25日(水)3時7分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20130925-00064/1.htm
 今日は土曜日である。
 そのためにあまり真面目な話題はいかがかと思っている。しかし、同時に、「普段はあまり書かないあこと」や「通常のマスコミが書かないこと」を書いてもよいのかもしれない。
 さて「安全性」「確実性」の双方の両立が難しいというのは、当然のこと。このようなところで書いている私よりも企業当事者が最も感じていることである。東京電力・JR北海道、中央高速道路、いずれも曉帝が違うが、両立が難しいことと、そのことを各企業当事者が最もよくわかっているということは、同じなのである。
 しかし、大企業というのはそのようなときに、それらの点検作業を下請けに流してしまう。やってみれば当然に難しい作業ということがすぐにわかる。そのために孫請けにすぐに飛ばしてしまう。本来ならば「安全性」と「確実性」が企業存続の最も重要な内容であるのにかかわらず、一方で、安全性と確実が最も難しく、そしてその両立が難しいだけに、下請けに出してしまう。実際の点検業者は、利益を抜いてその下に出す。実際に行為を行う人々は、その部分においてかなり少ない金額で点検と確実性の担保を行うということになる。
 そして景気が悪くなれば、会社の状態が悪くなれば、その下請けの金額を下げて行くことになる。いつしか「安全性」が消えてしまう。
 安全性は、安全であることが当たり前である利用者にとっては、確実性の担保のほうが重要な課題である。そのために、安全性を声高に叫ぶ声はなくなり、結局は確実性の担保が重視される。JRであればダイヤの確実性、東京電力に関しては停電せずエネルギーが必要十分に存在する確実性、そして、中央高速であれば、通行止めや車線規制がなく渋滞が起きないという確実性を重視する。安全であるということは当たり前であって、そのことを普段から叫ぶ人はいない。
 そのことがこのような事故を生んでしまう。
 そして事故が発生してしてしまえば、急に安全性に注目する。しかし、すぐにまた確実性ということに戻ってしまうのである。
 これを企業の責任にするのは簡単ではないか。しかし、その企業の責任にする前に、まず確実性だけを普段求めていやしないか。企業も下請けも、同じようになっていないか。そして企業は下請けに投げてしまうことによって、責任が散漫になっているのではないか。
 そのことを改めて考えなければならないのではないかと考えられている。今回の事故を、単純にJRが悪い、東電が悪い、中央高速が悪いというのではなく、普段利用者が求めていること、そしてそれが担保されているかということをしっかりと考えるべきではないのか。.

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現在の緊迫の日中関係を作った仙谷氏の「政治的判断」への評価

現在の緊迫の日中関係を作った仙谷氏の「政治的判断」への評価
 中国について今週は見てきている。実際に日中関係はかなり緊迫している。日中関係以上に異常な緊迫具合を見せているのが日韓関係なので、その異常性が怖くもありしかし呆れて笑しか出てこないこともあって、どうしても韓国の方に目が行ってしまいがちであるが、しかし日中関係の緊迫した状況においてはかなりの問題が生じてきているのではないか。
 まず何よりも、中国産の「モノ」に関する信用がなくなったことであろう。これは何も、現在に突然始まったことではない。中国毒餃子事件などの食の安全が叫ばれてから中国人の内容に関して日本とかけ離れたものに対する無責任性が出てきている。しかし、そこに「中国人の悪意」を感じるようになったのは、まさに尖閣問題以降であるということが言えるのではないか。なおここでいう「モノ」は食品だけでなく、物品に関しても言えるものである。
 「モノ」の信用がなくなってしまった場合は、当然に、「人」に対する信用がなくなったといえる。まさに中国人という存在に対して、逆に中国人から見て日本人に対して、いずれも不信感が大きくなっている。基本的に人間関係で不信感があれば何も前に進まない。真実を言っても嘘に聞こえるし、自分に都合の悪い事実を受け入れない状態になる。双方が国益を主張するのであるから、そこで自己都合で事実を反映シニア感情の摩擦が生まれれば、その時点で何事もうまくいかない。
 そのうえ、相手の国に対して理解(客観的事実に関してその事実を認める)を示した場合でも、そもそも相手を理解したという時点で、同じ国内からの攻撃にさらされる。日本国で中国人と親しくしていれば「売国奴」といわれ、中国人が日本に理解を示されれば反日デモの最中に暴行されることになる。これは、双方の国にとって冷静な判断力を失わせるだけでなく、排外的な国内意見の形成が行われ、過激で先鋭的な意見と行動がもてはやされる土壌を生むことになる。
 現在の日中関係はそのような状態になってしまっている。その内容に関して、その「切っ掛け」を作ったのが民主党政権時代の尖閣諸島沖中国漁船海上保安庁巡視船衝突による公務執行妨害事件とその処理である。
中国漁船衝突事件の船長釈放、仙谷元官房長官「法務次官に要望」認める
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で平成22年9月に起きた中国漁船衝突事件をめぐり、仙谷由人官房長官(当時)が、菅直人首相(同)の意向も踏まえ、公務執行妨害で逮捕された中国人船長を釈放するよう法務・検察当局に水面下で政治的な働きかけを行っていたことが23日、分かった。仙谷氏が同日、産経新聞の取材に応じ、認めた。
 仙谷氏は、衝突事件と同時期に大阪地検特捜部による証拠改竄(かいざん)事件が発覚したことで大野恒太郎法務事務次官と面会することも多くなったことから、「次官とはいろいろ話をした。私の政治的な判断での要望については当然、話をしたと思う」と述べた。
 事件当時、菅政権は横浜市でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を22年11月に控えていた。中国側が参加を見合わせれば日本のメンツがつぶれる可能性があると焦った菅氏から解決を急ぐよう指示があったことも認めた。
 一方、政権内では岡田克也外相や前原誠司国土交通相(いずれも当時)が「これはけじめをつけよう」と法的手続きに入るべきだと主張。仙谷氏は「政治的な配慮をする必要があるかもしれないと思い、問題提起した」という。
 仙谷氏は、船長釈放決定に先立ち法務・検察当局からの要請に応じ、外務省の課長を参考人として那覇地検に派遣し、外務省の立場を説明するよう自ら指示を出していたことも認めた。
 那覇地検は「国民への影響や今後の日中関係も考慮した」として船長を釈放したが、菅、仙谷両氏は当時「検察独自の判断だった」と強調していた。
     ◇
 中国漁船衝突事件 平成22年9月7日、尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の領海内で違法操業していた中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突。船長は翌日、公務執行妨害容疑で逮捕されたが、那覇地検は同月25日に処分保留のまま釈放、23年1月に起訴猶予処分とした。那覇検察審査会の強制起訴議決を受けて検察官役の指定弁護士が24年3月に船長を強制起訴、那覇地裁は訴状を送達できなかったとして同年5月、公訴棄却を決定した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130924/stt13092408180000-n1.htm
中国の無人機を「撃墜すれば戦闘行動」、日本の無人機対策を警戒 中国軍
 国籍不明の無人機が領空侵犯した際の対処方針策定を日本政府が進めていることを受け、中国軍のシンクタンク、軍事科学院の杜文竜研究員(大佐)は「日本が中国軍の無人機を撃墜すれば戦闘行動とみなす」との見解を示した。共産党機関紙、人民日報のウェブサイト「人民網」が24日伝えた。
 中国は日本の対処方針の策定を警戒。党や政府系メディアは最近、「中国軍の正常な訓練活動に対してヒステリックになっている」などと日本側に強く警告する論評を掲載している。
 杜氏は、日本が無人機撃墜のほか、遠隔操作のための衛星利用測位システム(GPS)や中国独自の測位システム「コンパス」などへの電波妨害を仕掛けてくる可能性があると指摘。
 その上で「(東シナ海を飛行する中国軍の無人機を撃墜すれば)この領空に侵入してきた日本の航空機などを全て撃ち落とす」と強調。(共同)
MSN産経ニュース 2013.9.24
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130924/chn13092420070007-n1.htm
 さて、この事件に関して何かを言う必要はないであろう。
 実際に、この件の教訓は「理由なき迎合は、かえって両国間の関係を悪化させる」ということである。逆な言い方をすれば「国家としてのアイデンティティの無い政治を行えば、世界からの信頼を失う」ということにも言い換えられる。
 この仙谷氏(当時の官房長官)の発言と行動そのものが、中国が尖閣諸島は中国のものであるという確信を強め、そのことが、尖閣諸島領空で中国が軍事用無人機を飛行させていることに関して「中国軍の正常な訓練活動」ということがあげらえる。
 そもそも日本国上で、中国が、単純に言って、共同訓練や何らかの許可がない状態において他国の領土・領海・領空内で軍事訓練を行うことを「正常」ということ自体が「異常」なのであるが、その状態において中国側の論理は「日本で公務執行妨害で逮捕された船長が不起訴で、日本の税金を使って戻された」というものであり、その行動の政治決断は、まさに仙谷氏の選択によるものである。そしてその内容は今回の記事によれば、大阪地検特捜部による証拠改竄(かいざん)事件、横浜市でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議という至って国際法上な冷静な判断でない、もっと言えば客観的な判断が行われていないことがあげられる。本来領土・国民・主権を守ることが政治の使命であるにもかかわらず、自分たちの「メンツ」や「改ざん事件という国内の事情」を優先させたことによる、日中関係の悪化を招いたことになる。まさにこのことによって、民主党は大きく支持を後退させることになり、日本国民は「誰がやっても政治は同じ」というような甘い考えを払しょくできたが、そのことによる代償は非常に大きいということができるのではないか。
 逆に、このような領土・国民・主権を守れない人々が政権の座に3年半もついていたことそのものが、日本にとって不幸であり、この先可なりの長期間において日本はこの処理を最大の問題になる。そのことは前半に書いたように双方の国家で「ヘイト」的に相手を嫌うような感情的な内容になり、実際に日本語学校の中においては中国からの留学生は皆無になり、また、日本からの進出した日本人は中国で扱いがひどくなっている。まさに「日中関係を配慮」した結果「日中関係が悪化した」形になり、そのことは、単純に彼らの政治的な見通しが悪かったということを意味しているのである。
 同時に、彼らが「無用な争いを起こさない」「軍事反対」などといっていることが、中国の軍事訓練の場所として尖閣諸島が行われることになり、同時に、中国では日本と戦争が行われるということが、中国の人民の間でまことしやかに話される状態になっているのだ。この点に関しても、彼らの政治的な主張が却って状態を悪化させ、その内容こそ、政治として彼らの見通しや外交ができていないことが、今になってよりはっきりと証明された形になったのである。
 はっきり言って、この現在の不幸、日中関係の悪化(日韓関係も同じであろうことが強く類推される)、外交上の見通しの悪さ、将来の予想の無い外交、主観的メンツなどによる政治ということで民主党が、まさに自民党政権の批判だけで中身が全く多くない状態で政権についてしまったことによる日本の不幸が証明されたということではないのか。

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中国の経済的崩壊「シャドーバンキング」のリスクはなくなったのか、を検証する

中国の経済的崩壊「シャドーバンキング」のリスクはなくなったのか、を検証する
 今年の夏、「シャドーバンキング」という言葉を聞いた人は少なくないのではないか。中国の経済に関して、「理財商品」と呼ばれている金融商品によって運用を行うことになった。この理財商品の中には海外の債券もあるが、一方で中国の地方債のようなものや、PFIや不動産証券のような証券も存在する。
 これらの不動産債権は、二つの要請によって発行される。一つは目標額、あえて言えば、不動産証券の場合は、不動産の建築または運用費用という目標額(必要額)があり、その目標額を集めなければならないということが一つの大きな問題になっている。そのために募集または初回から数回に関する債権の回収または受益権に関しては甘い条件になっており、ある意味において高利回りになっていることが特徴である。要するに、不動産商品ができるまでは、資金を集めるための良い条件になっている。
 しかし、資金が集まったのち、特に金融商品となったのちに関しては、金融商品としてのトータルの条件を合わせなければならない。そのために、収入から金利受益権の支払いということになるので、当然に、それまでの良い条件にはならなくなってしまう。金利支払いが厳しくなるのと同時に、不動産の利用者に対する債権の回収が厳しくなるということを意味しているのである。
 サブプライムローンがそうであった。アメリカの低所得者に対して数年間は低金利で住宅融資をさせ、その住宅投資によって不動産が非常に大きく伸びた。しかし、はじめの低金利は、後の、サブプライムローンの場合は購入から5年後以降は金利が通常よりも高い金利になる。もともとサブプライムローンの利用者が低所得者が多かったということから、5年後以降、金利支払いができずに、破産宣告または不動産の退去が目立つようになる。このことによって金融商品を発行していたリーマンブラザーズが回収不能及びサブプライムローン証券に対する金利支払いのデフォルトが発生し、世界各国における「リーマンショック」が発生する。
 これと同じ、またはこれに近い内容が、中国の地方行政債権において発生しる可能性がある。このことを危険視する。中国はもともと金融に関しては、銀行の免許(事業許可)が必要であるのにかかわらず、これら金融商品は証券要するに株式ということで発行していることから、銀行の免許なしに金融と金利払いを行っている。その意味で「免許のない銀行業」要するに「シャドーバンキング(影の銀行)」といわれているのである。
 要するに、シャドーバンキングの問題というのは、中国の景気の上昇や債権の回収を考えずに不動産証券を乱発し、金融商品の購入した側は、債権の回収の可能性を考えることなく、高金利の回収のみを考えて購入した結果、実体金融と金融商品の受益権払いとの間の乖離が大きくなり、発行証券そのものがデフォルトしてしまう可能性のことを言っている。
 その金額が中国の場合は日本円に換算して約60兆円とも言われている多額な金額に上っているのである。
中国経済失速の懸念材料となる政策と“影の銀行問題”の行方
「影の銀行」問題などで、世界の注目を集めている中国経済。はたして今後の先行きはどうなるのか。海外投資のカリスマとして知られる、グローバルリンクアドバイザーズ代表・戸松信博氏が解説する。
 * * *
 これまで世界の成長エンジンとなってきた中国経済への懸念が高まっている。その行方を占ううえでポイントは大きく2つある。
 1つめが「政策」だ。習近平政権では、民衆の不満を解消すべく、格差の縮小に力をいれ、「緊縮」「安定成長」「構造改革」といった、従来の高成長路線とは一線を画す政策を打ち出している。たとえば「三公消費」と呼ばれる、飲食、外遊、公用車という政府部門の無駄遣いの削減を徹底。これによって、中国ではワインなどの高級食品や自動車などの需要が大きく落ち込むほどだという。
 そのような改革は本来なら歓迎されるべきだが、中国の場合、汚職がはびこるなど、その根が深いだけに、少なくとも来年いっぱいまでは、成長にブレーキがかかる状況が続くのではないかと見ている。
 そして、2つめが「影の銀行」問題である。そもそもその根幹にはリーマン・ショック
後に実施した4兆元の経済対策がある。中央政府が負担したのはその3割のみで、残りは地方政府や国営企業などが銀行からの多額の融資で賄うことになった。
 その後、不動産価格高騰などから当局が金融引き締めに転じると、貸出先への信用不安が顕在化し、銀行の不良債権問題が浮上。そこで、低い預金金利に不満を持つ個人投資家向けに高利回りの「理財商品」と呼ばれる金融商品が注目され、調達した資金が借り換えに充てられた。つまり、貸出先の焦げ付きリスクを銀行ではなく、投資家に負担させたわけだ。
 銀行にとっては不良債権の拡大が抑制でき、手数料も入るため、販売に注力。結果、その残高は20兆元とも30兆元ともいわれる規模にまで膨らんだ。
 今後、地方政府や国営企業の債務不履行が相次ぐようだと、サブプライム・ショックのように世界経済に大きなダメージを与えるという指摘まで出ている。しかし、理財商品はサブプライム関連商品のようにレバレッジが高いわけでなく、世界中の金融機関が買っているわけでもないため、そこまで甚大な影響は及ぼさないだろう、というのが私の見方だ。
 ただ、当面は金融引き締めが続く公算は高く、中国の経済成長にブレーキがかかるような状況は、あと1~2年は続くのではないだろうか。
 とはいえ、このような状況が日本経済にとって功を奏する可能性もある。目下のところ、中国がブレーキとなって世界的に資源価格が下落している。世界的にインフレになりにくいなか、日本でこの先円安が進んだとしても、輸入品価格が上がりにくいため、国内の物価も上がりにくいことが予想される。そうなれば、インフレを目標にする日銀の金融緩和も続けざるを得なくなり、日本株にとってはいい状況が続くといえるだろう。
「影の銀行」問題をはじめとする中国リスクが、実は日本市場を押し上げる大きな要因になるかもしれない。
※マネーポスト2013年秋号
NEWSポストセブン2013.09.23 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20130923_212177.html
 「シャドーバンキング」に関しては、上記の記事のようにzっ債は中国政府がどうにかしてくれるという「楽観論」が存在する。一方で、悲観論も存在する。またシャドーバンキング破綻に関して、これは中国の国内の限定的な証券流通であるから日本には、影響が限定的であるという「被害限定論」が別に存在する。
 ちなみに、この「楽観論」「被害限定論」は、過去のサブプライムローン、およびそれ以前の韓国の通貨危機及びインドネシアなどのアセアン通貨危機においても行われた。日本はその都度楽観論が日本国内を支配し、財務省などはあまり対策を行わなかった。実は昨年の春にアメリカの国債のデフォルトが話題になった時も「あり得ない」として一切の対策を行わなかったのが日本の財務省である。
 しかし、中国企業が大挙して業績が悪くなったりあるいは、資金流出が明らかになった場合は、中国は当然に保護貿易型に変わってくる。少なくとも資金流出を防ぐために何らかの法的な手段を講じてくるはずだ。それを行うのが中国であると考えてよい。株式であってもA株とB株があり、中国国内のものを優先するような規則を作ることは簡単であるし、または海外への送金をストップさせることは簡単である。その場合は、日本へは金融商品だけでなく、そのほかの送金もすべてストップする。日本はそれに備えなければならない。要するに、中国は金融だけでなく、貿易全体で鎖国をする可能性があるのだ。
 さて、それだけでなく、中国国内においては、そのような保護政策で何とかなればそれでよいかもしれない。また海外または西側諸国陰謀論を振りかざし、国内をまとめるであろう。この場合は、日本に対する反日政策が非常に大きくなる。当然に中国進出企業は多大な赤字や暴徒による破壊が発生することになる。これは日本企業における赤字が拡大し日本の渓系が悪化することを意味する。また、それで足りない場合は中国国内において、中国共産党に対する転覆反乱がおきることになる。当然に、昨日のブログで紹介した薄熙来や劉曉波などがもてはやされ、共産党回帰ということが発生する可能性がある。中国のような多民族そして資材が人民よりも少ない国家において、共産主義的な観念社会が支配に有効であることはすでに実証済みであるが、それを自ら改革開放として破棄して阿野が中国共産党である。その矛盾がかなり大きくこの中に入ってくる可能性があるのだ。
 いずれにせよ、日本はこれらにまったく対処していない。少なくとも直接的な被害限定論はその通りかもしれないが、間接的被害は日本に非常に大きく来ることになる。今からリスク分サインを行う必要があるのではないか。そのことを日本藩是警鐘を鳴らさないのか。まさに「のどもとすぎれば」ではないが、夏の危機をいつの間にか過ぎて、リスクがそのままでも一切何もしなくなってしまっているのである。
 日本の情報空間と官僚の楽観主義、この「平和ボケ」が日本の最も大きな問題である。もちろん全てにおいて悲観的である必要はないと思うが、しかし、備えあれば憂いなしともいう。そのことができるかできないかが、最大の問題なのではないか。

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元重慶市トップの薄熙来被告に無期懲役判決と中国共産党の悲鳴

元重慶市トップの薄熙来被告に無期懲役判決と中国共産党の悲鳴
 元重慶市トップの薄熙来被告に無期懲役判決が言い渡された。
 薄熙来に関しては、私がマイカルで大連の開発を行っていた時の大連市長である。大連の施設は、薄熙来の意見をふんだんに取り入れ、彼の考える「ランドマーク」を作るということで、青の建物を作りそして運用した。もちろん、その中には中国人特有のリップサービスや様々な都合の良い罠もあったのであるが、しかし、その中において中国の中で商売を行うことで、様々な内容を学び、そして中国人が考える多くの内容を見てきたものである。
 その薄熙来が収賄や職権乱用で起訴され、21日に無期懲役の判決が出た。常務委員になる直前の基礎と、夫婦そろっての極刑には、様々な憶測が流れた。実際に、薄熙来程度の不正ならば、日本人ならば誰もが知っているが、中国共産党の幹部やもっと下の市長や副市長レベルでいくらでも行っていることであり、その内容を「いまさら」事件にするということそのものが信じられない。中国のこのような裁判は、毛沢東とともに行動した、いわゆる「四人組裁判」のように、必ず政治的な背景があり、なおかつその政治的な背景に中国国内の特有の「派閥争い」が存在する。
 中国の場合、派閥争いがこのように権力闘争になり、そして法廷闘争になるのは、まさに中国が共産党一党独裁であることに由来する。権力闘争の場合当然に中国共産党の中の階級が大きく影響することになる。要するに、レースのように一つの階級闘争の場合に、それを超えるか、相手が落ちるしか階級闘争の勝利はない。そのために、上に行けばいくほど、下から足を引っ張る力が強くなり、同時に、そのことによって自分がトップに上り詰めるということを考えるようになるのである。そのために、最終的には「社会的に抹殺する」ということになってしまう。ほかの派閥があったり、あるいは自由に派閥を作ることができるのであればそのようなことにはならなかったと考えられるが、一党独裁であれば、その組織の中で上下関係が規定されるために、自分が下に甘んじるか、上のものを落とすしかない。それだけでなく、上のものは自分の地位が危ういと思えば、それを蹴落とすというのが普通の状態である。まさに完全な競争社会になってくる。それが、上層部で、ほかの役職が存在しない状態になってしまえばなおさらである。
 そのような派閥争いを想起させる薄熙来裁判の判決は、様々な中国共産党の矛盾を浮き彫りにさせるのである。
元重慶市トップの薄熙来被告に無期懲役、収賄や職権乱用
[済南(中国) 22日 ロイター] - 中国の山東省済南市中級人民法院(地裁)は22日、収賄と横領、職権乱用の罪に問われた元重慶市共産党委員会書記(元党中央政治局員)の薄熙来被告に対し、無期懲役の判決を言い渡した。
裁判所の資料によると、今回の判決では、起訴内容すべてで有罪と判断され、個人資産の差し押さえも命じられた。
ロイター 20130922
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98L01420130922
「判決は不公正」薄被告、怒声張り上げ退廷に
 【広州=吉田健一】23日付の香港紙「明報」などは、収賄や職権乱用などの罪で22日に無期懲役判決を受けた元中国重慶市共産党委員会書記・薄煕来ボーシーライ被告(64)が、判決言い渡し直後、法廷で「判決は不公正だ」などとどなり、強い不満を示したと報じた。
 山東省済南市中級人民法院(地裁)での判決公判を傍聴した人の話として伝えた。
 同紙などによれば、薄被告は判決読み上げが進むにつれて表情が険しくなり、「不当で、事実に基づかない判決だ。証拠に基づく私や弁護人の意見が全く採用されていない」と怒声を張り上げた。通常は裁判長が上訴の意思を確認するのに、今回はその前に退廷させられたという。
 裁判所は中国版ツイッター・微博で、判決言い渡しが始まったことや薄被告が退廷したことなどは伝えたが、同被告の言葉や怒りをあらわにしたことは公表しなかった。8月下旬の審理で薄被告の反論を伝えたのとは対照的だ。23日付の中国各紙も、2人の警官に挟まれて退廷する手錠姿の薄被告の写真を使い、判決を大きく報じた。薄被告の権力の座からの転落と犯罪者としての印象を強調する狙いがあるとみられる。
2013年9月23日(月)23時15分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20130923-00513/1.htm
【薄煕来裁判】習政権 政治ショー裏目
 【済南(中国山東省)=矢板明夫】 中国共産党元政治局員、薄煕来被告に無期懲役が言い渡された法廷で、身長186センチの薄被告の両脇を固めたのは、さらに長身のいずれも2メートル近い法廷警察官らだった。「薄被告が小さく見えるように、山東省内の警察官の中から2人の元バスケットボール選手を選んだ」(司法関係者)とされ、今回の裁判が政治ショーであることを改めて印象づけた。
 8月22日から5日間にわたって行われた公判でも、起訴された罪状とほとんど関係のない薄被告と妻のそれぞれの不倫問題も公にされ、当局の狙いがどこにあるのかをうかがわせた。
 しかし、習近平政権は期待通りの効果を得られなかったといえる。透明性を高めるため、インターネットを通じて裁判の模様を公開したことが裏目に出た。
 検察側に次々と反論する薄被告の発言がネットを通じて流れ、支持者たちを鼓舞した側面があったことは否定できない。済南市中心部の公園で判決後、「私たち人民の薄書記を返せ!」と目を真っ赤にして叫ぶ支持者の姿もみられた。
 その一方で、薄被告が重慶で推進した毛沢東路線により知識人や資産家が多数拘束され、拷問を受けたといった人権侵害問題については、今回の裁判で全く追及されなかった。
 習近平国家主席が実は、薄被告と思想的に近いことが関係している。習政権は現在、思想、言論統制を強化しているが、これは、薄被告が重慶でやったことと同種のものだからだ。
 北京の共産党幹部も「今回の裁判は、薄被告個人を政治的に葬り去ることが目的であり、その政治路線を否定するものではない」と説明している。
 この日、薄被告は微笑を浮かべながら無期懲役の判決を聞いた。当然、ネットなどを通じて公開されることが念頭にあったはずだ。
 今後、薄被告は「悲劇の英雄」として、保守派と貧困層の間で影響力が拡大する可能性もある。無期懲役という重刑が下されたことで、薄被告支持者の間で、習政権への不満も高まるだろう。
 ある共産党幹部は、「ノーベル賞を受賞した民主活動家の劉暁波という改革派の英雄がすでに刑務所にいる。左右両派の時限爆弾2つを同時に抱えることになった習政権は、内外の批判にさらされ、今後、立場がますます苦しくなるだろう」と解説している。
MSN産経ニュース 20130923
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130923/chn13092307490002-n1.htm
薄熙来被告が上訴
 【北京共同】中国山東省の裁判所で22日、収賄と横領、職権乱用の罪で無期懲役の判決を受けた元重慶市共産党委員会書記(元党中央政治局員)の薄熙来被告が、判決を不服として上訴したことが分かった。関係者が23日、明らかにした。薄被告は捜査段階の供述を公判で翻し、起訴内容を全面否認していた。
2013年9月23日(月)22時6分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/kyodo-2013092301001918/1.htm
 「薄被告が小さく見えるように、山東省内の警察官の中から2人の元バスケットボール選手を選んだ」(司法関係者)とされ、今回の裁判が政治ショーであることを改めて印象づけた。(上記記事から抜粋)というように、まさに薄熙来人気を打ち消すことが最大の目的であったともいえる。逆に言えば、習近平執行部は、その執行部の集合体としても、薄熙来一人の人気に勝てないということである。単純に考えれば、政治的権力を持ち、同時に、軍隊や警察権を持ち、そして農村での暮らしの経験もある習近平が薄熙来よりも人気がないということが考えられない。
 しかし、現在の中国はそれだけ、「強いリーダー」を求めており、なおかつそのことによって発展が決まると考えられるている。そのために、今までマフィアの討伐や共産党回帰を標榜していた薄熙来に対する民衆の期待は非常に大きく、昨年の反日デモであっても毛沢東回帰、薄熙来復帰というプラカードがかなり多く掲げられ、また今回の裁判でも多くのファンが裁判所の前に集まるという状態になった。
 これは、薄熙来そのものの人気だけでなく、民衆の多くが現在の習近平執行部に不満があるということを意味しており、同時に、その内容は彼らの生活の困窮を表しており、同時に、その経済的な格差の大きさや景気の悪化党ことを意味しているのである。政治権力と、経済的な力がそのままリンクするようになって10年以上たっている中国は、多くの貧困層や仮想民主の不満が非常に大きくなっており、まさに清王朝の末期の様相に似てきているといえる。
 薄熙来は、当然に、その内容や派閥争いの内容を知っている。そのために、裁判では一切そこに妥協せず、そしてすべてが「不正裁判」であることを主張した。その主張は、裁判の透明性を演出した習近平にとっては非常に大きなマイナスになった。そして、薄熙来は、その航海性を非常によく利用し、自ら「悲劇の英雄」になり、悪の共産党執行部に挑む英雄を作り出した。
 日本と同じで、単純で無垢な民衆は、そのような派閥争いの背景やそれまでのいきさつなどはわからない。そのために、まさに水戸黄門と同じように、「勧善懲悪」型のドラマを期待し、そして正しく、自分たちの味方でなおかつ自分たちの性あkつが良くなる確率の高い方、要するに、外交も経済政策もしっかりと行う方を中心に物事を考える。その民衆の多くが薄熙来を支持していることそのものが、すでに中国共産党執行部が中国の人民の大奥から見放されているという証拠である。
 人権活動家の劉暁波、そして今回の薄熙来、ともに習近平執行部に対する内外の敵ということが言える。この内外の敵は、多くの中国の人民を味方につけて執行部に迫る。逆に言えば、それだけ中国執行部の目指すところと、人民の希望が乖離してしまったということを意味しているのである。
 この人民と執行部の乖離こそ、中国崩壊の大きな核といえるのではないか。

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「批判」「反対」で固まる民主党は歴史に学ばない人々であった

「批判」「反対」で固まる民主党は歴史に学ばない人々であった
 昨日は、休日(秋分の日)であったために、あまりニュースが流れなかった。ちなみに、中国の元重慶書記薄煕来に関しては、あえて、無期懲役になったことが報じられている。もちろん彼は上訴するであろうが、それでもあまり変わりはないのではないか。私はこの件に関しては、「判決の時期は共産党党大会の後になる」「15年程度の有期刑になる」という二つの予想を外している。まあ、共産党の行うことをすべて当てていては中国共産党員と間違えられるので、まあ良いのであるが、しかし、予想が外れるのは非常に残念である。この件に関しては、しっかりと今週中国事情ということでしっかりと解説してゆきたい。今までこの裁判に関しては書いていないので、この裁判に関して書いてみようと思う。
 そこで、今日は民主党に関して久しぶりに書いてみよう。
 そもそも民主党がここまで敗北したものは何か。先日、尊敬する先輩とこのことに関して話をした時に民主党の話になった。
 そもそも政治家の備えるべき能力とは何かということに関し「イデオロギー・政治哲学」「客観性(主観・感情を混ぜないこと)」「具体的政策の実行力・実務力」であると考えられる。例えば、橋下徹市長に関しては、個別の政策特に日教組に関する対処などは同意できるものがあるが、しかし、慰安婦の問題など、気温的に政治哲学やイデオロギーが「国益」として存在していない。現代の政治においては、マスコミがすべての発言や動画を記録していることから、当然にそれを並べられてしまえば様々な矛盾が出てくる。その内容が必ず一つの方向性を持っているのであればそれでよいのであるが、しかし、イデオロギーが不安定であったり政治的な哲学が不十分である場合は、その内容が不安定になってしまったり、個別の政策で話している内容が一致しなかったりというような形になる。それらは、一昔前の政治に使われた言葉でいえば「ブレる」ということになる。それをより一層肯定してしまえば、最終的には、国民の信頼を失う結果になるのである。
 特に橋下氏に関しては、この慰安婦発言の問題に際してそのようになってしまった。弁護士であるがゆえに、その場の受け答えなどはかなりうまいし、またテレビ経験もあるので、マスメディアにおける過激発言での視聴者の誘因はできるものの、しかし、政治家としてのイデオロギーは、一朝一夕でできるものではない。その部分を問われてしまうと、現在のような指示になってしまうのではないか。
 政治におけるブームがあるのは、発言から、国民は、イデオロギーなどがしっかりしていると誤解してしまう。そのために現在に批判的でありなおかつ物事をはっきりするところで、そちらに移動する。しかし、期待が大きければ大きいほど、その中身がしっかりしていないと話にならなくなってしまう。
 まさに民主党政権がそうであった。自民党政権を批判さえしていれば、それで自民党以上の政治ができると考えていたしそのように国民に思われていた。しかし、残念ながら政治はそんなに甘いものではない。
 政治的な内容から考えれば、民主党は「批判をするための万年野党」でしかなく、政権交代を行うための対立政党ではなかったのである。政権をとった民主党の姿が最もそれを物語っていた。しかし、その対立政党になれない「万年野党」がさらに、「対立軸」で物事を行おうとしている。
民主、党再生へ行脚再開 安倍政権への対決姿勢打ち出す
 民主党の海江田万里代表は21日、参院選惨敗からの党再生を目指し、全国行脚を再開した。地域の課題を直接吸い上げ、党支持率回復の手がかりを探るための行脚は約3カ月ぶり。初日は所属国会議員が不在となった青森県に入り、安倍政権への対決姿勢を打ち出し「民主党は負けない」とアピールした。
 海江田氏は代表続投に当たり、2015年春の統一地方選をにらみ、来年春までに地方組織の立て直しなどで「目に見える成果」を挙げると公約した。このため執行部が手分けして早急に全道府県を回り、党員・サポーター獲得や組織改革のてこ入れを図る方針だ。
- 47NEWS(よんななニュース)20130921
http://www.47news.jp/CN/201309/CN2013092101001800.html
小沢氏「民主中心に野党再編」
 生活の党の小沢一郎代表は21日午前、テレビ東京の番組に出演し、「もう一度、自民党に対抗できる政権の受け皿をつくって国民の支持を得ないといけない。私の最後の仕事にしたい」と述べ、政界再編に強い意欲を示した。
 そのうえで、政界再編の軸となる政党については「民主党に受け皿の中心になってもらいたい」と述べ、期待を寄せた。
 一方、日本維新の会については憲法改正などで自民党と主張が近いとして「(野党再編の)受け皿に日本維新が丸ごと入ることはあり得ない」とした。
MSN産経ニュース20130921
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130921/stt13092113180000-n1.htm
 今回の内容は、完全に「野党再編」であり、健全な野党の育成は、政権与党にとってもプラスであるからよいことであると考えている。しかし、それはあくまでも「健全な」野党である必要があり、単純に反対するための野党などは何の必要もないのである。
 さて、民主党の場合は対決姿勢ということを言うが、実際に、そのような姿勢を出したところで、安倍政権または自民党に代わって政権を担当する能力がないことは国民周知の事実になってしまっている。私は「民主党の闇」という本でそのことを紹介しているが、民主党の闇という本は、まさに、批判しかしていない正当には政権トン等能力はないということを示している。
 実際にそれらの内容に関して、私の著書の内容の通りに、民主党は内部崩壊を行った。単純にしっかりした政治哲学やイデオロギーのもとに政策を行っているのでhはないので、そのために、根本の部分から政策を行うことができなくなってしまうのである。
 野党の結集ということは、まさにそのようなことを意味している。まさに、「右から左から、批判を行うためだけの政党を作る」ことにつながるものでしかないのである。
 上記の内容を考えれば、「イデオロギー」ということから考えれば、民主党は社会主義方共産主義までありまた国家主義に東アジア重視(中国・韓国事大主義)まで存在する。外交一つを考えても、その外交の統一性がないことは民主党でも鳩山政権の時代から同じことになっていたのである。今回も「自民党と対決」というだけで結集すれば、そのような話になってしまう。
 第二に「客観性」であるが、そもそもこの対決姿勢ということだけでも「反自民」という主観で動いているのであって、客観性がかけらも感じられない。根本が主観それも感情論で動いている内容であるのに、その上をいくら客観的理論で取り繕っても意味がないのである。
 そして「実行力」であるが、それがないことは明らかである。例えば憲法の集団的自衛権に関しても、枝野幸男氏は認められないといいながら、おざうぃ遅漏に近い人は「会y策改憲はありうる」ということになる。そもそも国際法上認められているにも書かわr図行使ができないというわけのわからない理論が間違えているという議論に到達しない時点で、結論ありきの論理をしているわけであり、その内容は、実行力とはほど遠い。民主党内の意見を統一できない人々に、日本の国論をまとめられるはずがないのである。
 まさに、この三点、いやもう少しプロを率いて、民主党は自分たちに批判的な意見を集約してそれに対処しなければならないのではないか。その内容を考えてしっかりと行うべきであるが、残念ながら一度政権の味を占めてしまい、その政党助成金で動くことを覚えてしまった集団にはその脱皮は難しいのかもしれない。
 日本に、健全な野党ができる日は来ないのかもしれない。

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マスコミ批判に関する一考(162) 被害を大きく報道して被害者の気持ちを考えないテレビレポーターとその暴走を止められないテレビ局の官僚体質 

マスコミ批判に関する一考(162) 被害を大きく報道して被害者の気持ちを考えないテレビレポーターとその暴走を止められないテレビ局の官僚体質 
 このマスコミの報道に関する批判を続けている。もちろん、マスコミが良いことをした場合は素直に賞賛しているつもりである。しかし、二つの理由で称賛する記事が少ないことも事実だ。一つは、国民によるマスコミに対する期待やあるべき姿とされる理想像が高いということである。当然そのために、マスコミが一般人であるならば賞賛されるべきことをしたとしても、「マスコミならば当然」という評価になってしまう。そのために、称賛に値するのではなく「それが本来の仕事」とされてしまう場合が少なくない。もう一つは、本当に賞賛されるべき行動が少ないということである。実際にインターネット内ではマスコミ不要論が平然と存在し、その一つ一つが、少なくとも一つの見方や方向性であれば「理がある」ということである。マスコミ側は、マスコミなりの言い訳や理由を出すが、それらは濃く見kンなどに対して認められるものではない。
 ある意味で、マスコミといえども全く普通の会社と同じであるということがあるが、一方でマスコミは、マスコミであるがゆえに入れないところには入れたり、あるいは、知らないことを知ることができる。それをそのまま出せばよいが、そこに何らかのフィルターが入って変更して取材してしまい、変更して報道してしまう。取材と報道の二つの場所で二十二フィルターがかかるので、受け手側はその時点で情報が混乱することになるのであるが、それだけでなく、そこにコメンテーターなどが存在したより一層偏向報道に加担する内容になる。一方的なものの見方を強要し、それ以外の可能性を心理的に閉鎖することになるのであるから、これでは話にならないのである。
 さて、この連載では今まで政治や国際関係、特に東アジアに関する内容に関する報道において、そのような偏向が行われるということを主張してきた。特に安全保障や外交に関しての偏向報道は、日本の国益に直接的に大きな影響を及ぼす一大事である。それを単純に日本国内の派閥や政党の対立で、非常に国内的政治的な内容で海外に偏向した報道を行うのは、ある意味で「情報敵外患誘致」であるともいえる。もちろん現在の刑法及び行政法規にそのような罪も概念も存在しないのであるが、実際に、「思想的・観念的外患」であることは間違いがない。
 しかし今回はそのことではない。実際に、テレビ局における「社会面」特に「災害発生時の被害状況」を伝えることにまで偏向報道が行われているのである。その記事が下記のものである。
フジTV社員「企画一つ通すのに各所に稟議書回す役所体質に」
 ドラマやスポーツ番組の不振で8月に視聴率では『半沢直樹』が大ヒットしたTBSに抜かれ民放4位に転落したフジテレビ。今年6月から亀山千広氏が新社長に就任した。
「現在放送中の番組企画の大半は、亀山社長との社長レースに敗れた大多亮・常務マター。“亀山色”が出るのは年末ぐらいからじゃないか」(フジ関係者)というが、展望は決して明るくないという。
「かつて亀山・大多がブイブイいわせていた頃のフジは、現場が“面白い!”というものを怖いモノなしで通していたが、いまや役所のようだ。企画一つ通すにも関係各所に稟議書を通さなければいけないのはもちろん、役員たちは“亀山社長に報告を上げるための会議”をやっている。できるだけ見栄えのいい報告をしようという涙ぐましくも意味のない会議です」(同前)
 現場の停滞ムードの原因は、そんなところに起因するのかもしれない。ただしTBSが「フジを逆転するぞ!」と盛り上がっているかといえば、決してそうでもない様子。
「正直、『半沢直樹』以外はいいニュースがほとんどないですからね……。『半沢』の次はキムタク主演ドラマが控えているので数字は期待できそうですが、それもまさにキャスティングありきの企画。まだ復活にはほど遠い」(TBS社員)
NEWSポストセブン2013年09月15日16時00分
http://news.livedoor.com/article/detail/8069232/
「被害1000万じゃ済まないでしょ」「対応しきれなかったですか?」 洪水被害の旅館取材にネットで疑問と怒りの声
  2013年9月16日に日本列島を襲った台風18号の影響で、京都府では「数十年に1度の規模の雨」が降り、甚大な被害をもたらした。
 嵐山では広範囲で浸水被害があり、テレビ各局は被害の大きかった旅館へ取材に赴いた。 しかしその内容について、「被災者に追い討ちをかけている!」として、視聴者から怒りの声が上がっている。
「地下どうなさるおつもりですか?まだ考えてない?」
 13年9月17日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)は、80センチの床上浸水があった旅館「花筏」から中継をつないだ。
 女将の中西美暁さんが、1階の厨房や60畳の宴会場、食器と食料、冷蔵庫を置いていた地下室も全て水にやられ、食器は1から洗い直し、畳の張り替えはもちろん土台から直さなければならない、これから地下の水をポンプで汲み出す、今日と明日の宿泊客は全て断りの連絡を入れたと、被害状況を説明した。
 岸本哲也リポーターが被害総額を聞くと、中西さんは「想像もつかないけど、1000万近くになるんじゃないかと」という。営業再開のめどについては、「全く…厨房が動かないので」と、困惑しきりの様子だった。
 スタジオの小倉智昭さんからも質問が飛んだ。「僕も水の被害の経験あるんですが、木造の部分は水の影響で反ったり、建てつけが変わっちゃったりするんで、女将さんかなり大変だと思いますよこれから」と言われ、中西さんは「そうですねぇ…」と困ったような笑顔を浮かべた。「女将さん今被害1000万とおっしゃったけど、見た感じで1000万じゃとても済まないような気がするんですね」と言われると、「そうでしょうか…」と苦笑いしていた。
 さらに「地下とかの物はまず使えないと思いますし、地下もこれからどうなさるおつもりですか?まだそこまで考えてらっしゃらない?」と矢継ぎ早に質問され、「そうですね、まだもう…あの…地下なんかはどうなってるかも全然わかりませんので、はい…今日これからです」と、言葉に詰まりながら答えていた。
 女将は気丈「1日でも早くお客様を迎え入れたい」
 花筏は創業40年余りの老舗で、2年ほど前に改装したばかりだ。このことについてスタジオの笠井信輔アナウンサーが中西さんに「今どういう思いでいらっしゃいます?」と聞くと、「お客様が、予約して下さってる方がたくさんいますので、1日でも早くお客様を迎え入れる状態にしたいと、その一心です」と気丈に返していた。
 一連のやり取りについて、視聴者は「被災者の気持ちを逆撫でしている」という感想を抱いたようだ。ネット上では「1000万どころじゃ済まないなんて言う必要あるの???」「女将さんに追い打ちかけて泣かせたいのか!?女将さんただでさえ困ってんのに脅迫か!?腹立つーー!!!」「フジに抗議のメール投げたいレベル」などと苦言が書き込まれた。
 同日放送の「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)でも花筏と中継をつなぎ、井上貴博アナウンサーが「特別警報」について中西さんに詳しく聞いていた。
 「特別警報は初めて発表されたんですが、出た時はどういうお気持ちでした?」という質問に対し、中西さんは「初めて言葉を聞いたので意味があまりわかってなかった」と返答。すると「あまり対応はしきれなかったということなんですかね」と聞かれ、「そうですね、もう2階(に避難)ということで…」と少し言葉に詰まっているようだった。
 これについても、ネット上で「なんで怒ってる感じで質問してるの?採用面接か何か?」「被災者の心に土足で踏み込むようなインタビューの仕方だな」「質問下手すぎるわ。あのインタビュー被害者ならブチ切れるわ」といった声が上がった。
J-CASTニュース2013年09月17日17時18分
http://news.livedoor.com/article/detail/8074294/
 フジテレビの番組とTBSの番組二つの番組が上がっている。この二つの共通点は、先週私が良く引用した日曜日の朝の関口宏の番組を含め、「大物キャスター」を使い、その所属プロダクション(制作会社)が、番組を制作するという感じの番組である。
 当然に公共の電波を使って行っているのであるから偏向報道などは許されない。しかし、ある意味において大物キャスターを使っているために、その部分の強制力を働かせにくい状態にある。結局制作会社に押し切られるような状態で、偏向報道を垂れ流してしまうことになる。しかし、上記の記事にあるようにテレビ局そのものが「官僚体質」になってしまい、そのような相手に対してしっかりとした意見を言うことができなくなってしまっている。契約を結ぶのも契約を解除するのも、いずれも官僚的に稟議に頼らなければならない。そのために、結局のところ、タイムリーな対応ができないばかりか、偏向報道を行い続ける状態が続くのである。
 そもそもテレビ局と、制作会社というこの複雑な構造があり、その責任体制が明確になっていないばかりか、そのテレビ局内においても稟議制や会議などで責任が明確になっていない。そのために偏向報道のような根本的な門ぢあがあっても、その内容に対処することができなくなってしまっているのえある。
 このことが、制作会社に所属する大物キャスターの身勝手で独りよがりの考えを生み、そのうえで、被害者などに質問をするので、被害者のことをまったくわからない、心遣いの無い質問になるのである。
 報道の自由、知る権利というものではなく、身勝手で相手への思いやりのない、「思い上がり」が現在のテレビ局を支配しているばかりか、報道制作の現場の責任体制の複雑さが、その暴走を止められなくなっているのではないか。
 これらの結果は、彼らがこの報道に関して責任を負うのか、そしてその後報道番組が少なくとも災害報道委おいて心遣いのあるような、人間の心の通った思いやりができるのか、という結果で表されることになる。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第44回 そもそも基本的人権とはなんなのかということを前提として考える。

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第44回 そもそも基本的人権とはなんなのかということを前提として考える。
 42回から基本的人権に関して記載している。
  しかし、その内容に関して、そもそもの基本的人権とは何かということを書いていない。
  もちろん、この憲法の条文がそれを書いているのであろうが、しかし、その条文に書かれただけでよいのか、それを拡大解釈するのか、など様々なことを考えなければならない。
  同時に、その憲法の条文の内容で十分なのかどうかも検討しなければ話にならないであろう。
  私の個人的な感覚からいって、現在の基本的人権の論争のほとんどは、「基本的人権の定義」がしっかりしていないことによるものではないのか。
  そして、そもそも基本的人権がどうしてそのような話にな手いるのかと言うことを、正確に理解していない日本人が、定義が不安定なまま「人権」を叫び、感情論と無責任なおせっかいで物事を決めていることによる。
  要するに定義がしっかりしていないのに、アンタッチャブルであるかのように話を行い、その内容がいつの間にか「人権」を形作ってしまっているのである。
  そこで、今回は、少々理屈っぽくなるが人権に関して少々話をしてみたい。
  一応恒例なので、今回も前回と同じ条文を。
 
第一〇条【国民の要件】
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第一一条【基本的人権の享有】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第一二条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 さて、そもそも人権と言うのは近代法制ができたときに出てきた概念であり、ある意味において民主主義とセットの概念である。
  古代から中世の封建制度および絶対王政制度の場合、ヨーロッパでは、合議制などをお子会わずその領主の個人の考え方によって為政されていた。
  同じ人間でありながら、決定権や為政者としての権利と、それに無条件で従う形式の支配構造となった。
  これが一つ崩れたのが古代ローマの共和制であり、同時にフランス革命による共和制の勃興である。
  しかし、それまでは、封建領主(皇帝などを含む)は、ローマ法王やそれに代わる宗教的権威から戴冠式があり、神権によって王権が保障されていたのである。
  まさにキリストが紙の刑事者になったのと同じように、全知全能の神が為政者たりうる人物に対して王権を授けると言う論理になっていた。
  この論理構成を「王権神授説」という。
  政治的な背景から、宗教者が皇帝に対して体感を拒否した場合に出てきた説であるが、実際に、神が王権を授けているから、一般の人々と差別化され、なおかつ、その人に従うことがそのまま神に従うことになると意味されていたのである。
  しかし、それでは共和制の説明がつかなくなる。
  日本のように、始めからある意味において天皇が一社る環境の中で、その天皇が合議制で物事を進め、冠位十二階の時代から官僚制および合議制が成立していたところとは環境が違う。
  同時に、「神」の存在が、ヨーロッパの場合は「唯一絶対神」である。
  日本は八百万の神であって、その神に対する民衆のアクセスも違う。
  日本の場合は民衆の中に神がいることによって、民衆も特に大きな力を持っている場合は、神として祭られる可能性がある。
  このもっとも有名なものが天満宮であり、また、靖国神社である。
  しかし、残念ながらヨーロッパ的文化の中においては、人が髪になることは絶対にありえない。
  キリストであっても、その意味においては神の啓示者であって、神そのものではないのである。
  ここが唯一神信仰とアニミズムを中心とする精霊信仰のもっとも大きな違いと言うことができる。
  そのために、近代法学、特に、共和制を肯定する近代方角においては、「為政者も被支配階級も同じ」ということを前提に、人に参政権を認める必要がある。
  そこで、出てきたのが、「基本的人権」と「社会契約説」であると言える。
  社会契約説は、大学の法学部では必ず習う「ホッブス」「ロック」「ルソー」によって提唱された概念で、人は万人による万人の闘争状態を脱するために、生存を目指して社会契約をお互いに行っているという考え方である。
  この考え方を行うには、二つの前提が存在する。
  ひとつは、社会契約をしなければ万人が万人による闘争状態になると言う前提である。
  その前提は、まさに、人間がある意味において権利の充足のために、そして、別な見方をすれば煩悩または欲望の充足を目指して、他人の権利を虐げる前提が存在すする。
  その中には無秩序と言う状態が存在し、その無秩序を回避すると言う欲望も存在すると言う前提がなければならない。
  要するに、無秩序と秩序の中における人間特有の二分裂型矛盾が存在することになる。
  一方で、その欲望の充足のために、そして安定した内容を充足するために、権利を保持すると言う共同的前提を行うことも考えられる。
  その共同的前提は、まさに、「契約によって闘争状態が終了する」と言うことでなければならず、その契約が武力的なものも含みながらもある程度のところで抑制的にならなければならないと言うこと。
  要するに、人間の欲望または煩悩は、ある意味において自制的に、契約などの約束によって制御することが可能であるという前提になければならない。
  前半の闘争状態にあることが人間の「本能」部分であり、その本能部分を「理性」が制御しうると言うことが、人間としての前提になっている。
  そして、それらの前提の中において契約の管理主体としての為政者が存在することになる。
  それは、「社会契約」によって選ばれるわけであり、契約者としての主体者はすべての人が、その中において、参加が可能でなければならない。
  その「社会契約」はある意味において唯一絶対神が各人に与えたものであり、同時にその与えた権利を使って、社会契約的互選によって為政者を選定する。
  その行為が「民主主義」の根幹となる論理のひとつである。
  もちろんこのほかの考え方もあるが、民主主義共和制の根幹の一つに、社会契約説があることは近代法学の根底論理になっている。
  そして、その中において、その人それぞれが選ぶ権利は、当然に神に与えられた犯すべからざる権利と言うものが存在する。
  一方で神が関与しない、社会契約の中における権利が存在する。
  その髪に与えられた権利そのものが「基本的人権」というものである。
  では、その基本的人権はどこまで認められるのか。
  この『どこまで』というのが、前回までの議論の通り、「憲法で規定されているのは日本国内における日本国民に対するもの」まででしかない。
  一方、通常人権と言って憲法の保養範囲でなければ、単純に宗教的に考えれば「同じ価値観、近代法学的価値観を共有している場合は」その価値観の享有範囲で、共有できる価値観の人権のみが認められると考えるべきであろう。
  たとえば、北朝鮮の国民が、北朝鮮の政府に対して「拷問の禁止」を日本国内尾裁判所で訴えても何の意味もない。
  しかし、そのことに関して、「拷問は禁止されるべきものである」という価値観を共有していれば、法的拘束力はなくても、その価値観の共有は可能であるということであろう。
  これは、中国におけるある宗教の弾圧や、ロシアにおけるロック歌手の動画配信などにおいても同じことが言える。
  このような書き方をすると、旧西側諸国、単純に民主主義国家においては同じ民主主義国家的価値観が通用するのかと言う議論になる。
  しかし、たとえばインドネシアや中東において、宗教の自由が成立するか、単純にユダヤ教徒して存在しうるかと言うことを考えてみると、自由ではあるが、街中における差別意識赤なり大きなものになる。
  逆に、日本において「民族」という感覚が存在しないので、民族間や部族間対立の根の深さに関しては一切その感覚事態がなく、憲法にも規定がない。
  民族間の平等と言うことが書かれていないことそのものが、ミャンマーや旧ユーゴスラビアなどの問題の理解を深められないひとつの要因になっているのである。
  では、このような「民族差別」が、日本にいる外国人の間で発生したときに憲法裁判が可能か。
  たとえば、例にさせていただいて大変恐縮であるが、ミャンマーの少数民族と、ビルマ民族の間において、日本で長期滞在や同意で差別があった場合に、その差別を禁止する法的効果を求めた裁判をすることが可能か。
  どちらがどちらを差別するとか、多数は少数派も日本国内ではわからないのであるが、実際に、傷害事件や暴行事件になれば、警察の介入は十分に可能だ。
  これは外国人同士だからといって放置することは日本国内の治安の悪化につながると言う思想である。
  しかし、単純に差別と言う内容が、法的効果を求めて訴訟に馴染むのか、訴訟適格を存在させる損害と利益が生じるのかはかなり微妙であろう。
  同時に、日本の裁判所において、「民族の平等」は憲法に記載がなく、また、その民族間の差別意識の根源も理解は不能である。
  このように考えると、日本における日本が感知しない「人権」が多数あることが明らかであるし、また、そのようなことまで憲法に書いていないことも明らかである。
  要するに、人権そのものの適用範囲が「価値観の共有する」と言うことを書いたが、実際にはその価値観の享有する『人権』も、法的効果や強制力までは発展しない状態になるのである。
  日本の「人権活動家」はこの辺がまったくわかっていない。
  民間の支援やチャリティ・ボランティアの類を、法的効果や法的強制力と混同しているとしかいえないことが多々ある。
  まさに「人権活動家」の「人権万能説」は、少なくとも法的議論には馴染まないのである。
  彼らがそれを「憲法の要請」として学校で教えていたり、または講演などで話したりしている場合は、十分に注意が必要である。
  何度も繰り返すが、憲法は日本国内における日本国民に対するものでしかないのである。
  次回は、もう少し人権に関して考えてみたいと思う。

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オリンピック招致に合わせて解禁されると見こされているカジノへの投資を逸る関連企業

オリンピック招致に合わせて解禁されると見こされているカジノへの投資を逸る関連企業
 オリンピック関連ニュースが現在の日本の明るいニュースの代表格になっている。ちなみに今週の土曜日は、何の記事を書くのか、かなり悩んだのである。
 一つは、野球の話題。ヤクルトスワローズのバレンティン選手が49年ぶりに1シーズンのホームランの記録を塗り替えた。本日の段階で57本ということで、王貞治選手やローズ選手の55本を超えたのである。しかし、この記事を書かなかったのは二つの理由からである。一つの理由は、まだシーズンが終わっていないので、記録が確定してから書くべきではないかと思ったこと。そしてもう一つは、「飛ぶボール」事件で加藤コミッショナーが辞任を表明したことだ。もちろん、「飛ぶボール」になったから記録を更新していたという感じはないのであるが、記事を書けばそのような反論が来ることは間違いがない。そのことを含めて記録が確定した時に、かけるようなら書いたらよいのではないか、という感じである。
 一方、19日は中秋の名月である。太陰暦で十五夜が決まっているのであるが、それをそのまま太陽暦に治してしまっているので、月の満ち欠けと関係のない「十五夜」になってしまっている。太陽暦で次の満月と暦の「十五夜」が重なるのは、8年後だそうだ。何かがおかしいのであるが、そのことに関して少し書いてみたい。休日や節句には「日にちの数字」に意味があるものと、太陰暦の月の満ち欠けや季節にかかわりがあるものの二つがある。それをうまく使い分けることができればよいのではないか。日本の伝統と文化を守るということはそういうことなのかもしれない。中秋の名月の「十五夜」の日に三日月というのは何となく違和感があるのではないか。でも、その違和感を記事にするのもなんとなくはばかられてしまうので、そのことは何かほかの機会に書くことにしよう。
 ということで、今日はまた明るいニュースの代表格オリンピックに関して書いてみたい。
アングル:日本のカジノ解禁見越しMGMなど集結、1.5兆円の市場見込む
[東京 18日 ロイター] - 海外の娯楽大手が日本のカジノ運営解禁をにらんだ売り込みを加速させている。MGMリゾーツ・インターナショナルは、日本でカジノが解禁されれば、1万人超の雇用創出など経済効果をもたらすことができると強調し、ラスベガス・サンズ(LVS.N: 株価, 企業情報, レポート)は、カジノ解禁で中国の成長を取り込む好機にもなると、海外マネー呼び込みへの起爆剤になる可能性を指摘している。
 市場規模は1.5兆円を上回り、世界第2のカジノ大国になるとの試算もあり、ビジネスチャンス獲得に向け、早くも思惑が渦巻いている。
 娯楽大手の幹部が集まったのは、18日から19日まで都内で開催中のカンファレンス。会場には、投資銀行関係者のほか、電通(4324.T: 株価, ニュース, レポート)やセガサミーホールディングス(6460.T: 株価, ニュース, レポート)、富士通(6702.T: 株価, ニュース, レポート)などの関係者も詰めかけた。
 日本では現在、カジノ運営が法律で認められていない。だが、超党派の国会議員がカジノを適法化するための議員立法を検討中で、早ければ今年秋の臨時国会に法案が提出され、2年以内に「カジノ解禁法」が制定される可能性がある。
ただ、次期臨時国会では送配電の分離問題など積み残された重要法案も多く、目論見通りに進むのか、不透明な面もある。
 18日の会議では、MGMリゾーツ・インターナショナル社長、ビル・ホーンバックレー氏が、日本でカジノ運営が解禁になり実際に運営会社として参画する場合は、国内のパートナーとの合弁に前向きな姿勢を示した。
 カジノ候補地に名乗りを挙げる大都市の中では「現時点のプライオリティは東京または大阪」と述べた。日本国内では、沖縄、長崎など20カ所以上が候補地として前向きな姿勢を示している。
 MGMは、カジノ設立によって開催地にもたらされる収益が、ゲーム関連分野から観光、その他のレジャーなど幅広い分野に広がるメリットがあると指摘した。 
ロイター.co.jp 20130918
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98H07520130918
「カジノ解禁」五輪で追い風 経済効果は7兆円超! 「早ければ5年後にも」
 2020年東京五輪が決まったことを受け、日本でのカジノ解禁に強烈な追い風が吹き始めた。観光産業の拡充に迫られる政府が、カジノ構想を推し進める可能性が出てきたのだ。来月には、議員立法の「カジノ関連法案」が臨時国会に提出される見込みで、「早ければ18年にも日本にカジノリゾートが誕生する」という見方や、「経済波及効果は7兆6600億円」とするリポートもある。各方面で商機をつかもうとする動きも活発化しており、期待感は高まるばかりだ。
 永田町ではいま、秋の臨時国会での提出が確実視されている、ある法案の行方に注目が集まっている。
 特定複合観光施設区域整備推進法案。劇場や国際会議場、ホテルを併設する統合型リゾート「Integrated Resort=IR」の整備を推進するためのもので、別名「IR推進法案」、あるいは「カジノ法案」と呼ばれている。
 永田町関係者は「米ラスベガスやマカオなど、海外ではIR型のカジノ施設が主流。法律は、海外と同じようなIRを建設する下地を作るためのものだ。可決されれば、カジノ解禁が一気に加速する」という。
 カジノ構想は、02年に当時の石原慎太郎東京都知事がブチ上げてから、省庁間の利害調整などが障害となって、実現への動きは遅々として進まなかった。だが、今回ばかりは「進展がありそうだ」と見る向きが多い。
 「法案は、カジノ解禁を目指す超党派の『カジノ議連』が中心になって作られたが、この議連の最高顧問には、安倍晋三首相や麻生太郎副総理兼財務相ら政権中枢も名前を連ねている。安倍政権はカジノを『成長戦略の目玉のひとつ』と位置づけており、五輪とともにカジノを経済再生の起爆剤にするべく、強力に後押しするはずだ」(同関係者)
 夕刊フジで『カジノ式馬券術』を連載し、カジノ議連のアドバイザーも務める作家の松井政就氏は「7年後の東京五輪に伴い、世界スタンダードのカジノの需要が確実に高まる」といい、こう続けた。
 「欧米では、競技を賭けの対象にするスポーツブッキングが一般的。競技の勝ち負けを予想するのも、五輪の楽しみのひとつになっている。宿泊施設の拡充が求められる中で、カジノとホテルが一体となったIRの必要性が出てくる。そういう意味では、今回が唯一最大のチャンス。これを逃すとカジノ解禁は難しいと言ってもいい」
 こうした流れを見越してか、カジノ関連企業の動きも活発化している。
 カジノ運営会社の米ラスベガス・サンズとMGMリゾーツ・インターナショナルは、日本でのカジノ建設に向けて、候補地探しに着手していることを明らかにした。
 国内では、ゲーム機メーカーのセガサミーホールディングス(東京都港区)が、韓国・仁川国際空港隣接エリアで、現地企業と協力してカジノを含む複合型施設事業の開発を推進している。日本でのIR事業参入に向けて「運営・開発ノウハウの集積に努めている」(同社広報)という。
 人材の育成も始まっている。
 04年に開校した日本で唯一のディーラー養成学校「日本カジノスクール」(東京都新宿区)では、これまでに400人の卒業生を輩出し、うち約70人が海外のカジノでディーラーとして活躍しているという。
 自らも20年以上、船上カジノなどでディーラーとして活躍していた大岩根成悦校長(43)は「カジノ構想が進まないため、生徒数は年々減少していたが、今年4月から入学希望者が急に増えてきた。東京五輪の開催決定は、カジノ解禁への追い風を感じ始めていた矢先の吉報だった。流れが来ているのを実感する」と話す。
 では、日本版カジノができるのは、一体いつごろになるのか。
 カジノ議連のメンバーで、東京都議時代からカジノ誘致運動に関わってきた柿沢未途衆院議員は「早ければ18年ごろではないか、法整備を完全に終えるのに2年。施設建設や誘致自治体の選定などに3年として、大体5年だ。あるいは、もっとスピード感を持たせることもできる」と語る。
 候補地としては、東京・お台場が最有力で、橋下徹大阪市長が誘致に熱心な大阪・りんくうタウン、沖縄などの地方都市との同時開業もあり得る。柿沢氏はいう。
 「2010年に日本より一足早くIR施設を開業したシンガポールは、観光収入が前年比1・5倍アップし、経済成長率14・5%という驚異的な数字も記録した。日本でカジノが実現すれば、これ以上の成果も期待できる。五輪との相乗効果で経済成長の大きな起爆剤となるはずだ」
 大阪商業大学の佐和良作教授らの「カジノ開設の経済効果」という論集では、日本でカジノが開設された場合、市場規模は2兆1517億円?3兆4438億円、経済波及効果は4兆7873億円?7兆6619億円、誘発雇用人員は49万1863人?78万7204人と計算している。
 アベノミクスの強い推進力となる可能性は高い。東京五輪の祝賀ムードに乗り、関係者らの悲願達成となるか。
ZAKZAK 夕刊フジ 20130918
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130918/dms1309181810017-n1.htm
 カジノ解禁を待ち望んでいる人がいる。大阪や沖縄など、様々なところがカジノを誘致しようとしている。これは当然にカジノそのものが経済効果を生む問いことだ。当然にカジノに関しては、そのマイナスう分が多くなる。不正や犯罪が増えるとかマフィアなどの介入が予想される。カジノといえばやはり男性の世界になるので、当然に女性に関する犯罪も増えるはずだ。しかし、それらのマイナスとその対策にかかる経費を超える経済効果が見込まれる。それもオリンピックや博覧会などの一過性ではなく、永続的にカジノとして経済効果が見込まれと思っている。
 一方、韓国では10年前李明博ソウル市長(当時)が、ソウルはカジノによって男性の街になってしまった。そこで、カジノを制限し、女性と子供が遊びに来ることのできる街にする。」ということを宣言し、そのために売春宿が再開発され、そして、パチンコ店がすべて出店規制を受けた。カジノはさすがに無くならなかったものの、女性を相手にした観光客誘致は芸能の世界にまでおよび、芸能人の国有プロダクションの所属や韓流ドラマの海外配信などを行った。この現象は、単純に、「カジノで経済効果も町の発展も望めなくなった」ということではないだろうか。
 このことによって、ロッテワールドの新しいところが建設されるなどの観光開発ができたが、しかし現在の韓国ソウルのイメージはやはりカジノの街ということが強い。そのうえ反日などの異常なことを行っているので韓国は観光の場所ではなくなってしまっている。
 さて、日本においてカジノを行ったところで、このようなところの対象や、海外からのイメージの下落を食い止めるだけの何かができるのであろうか。かなり疑問である。
 自治はカジノそのmのが短銃ンに「儲かる」というイメージとパチンコ店の利益などの裏返しで推進されているプロジェクトである。特に、そのカジノでお金を落とすのは日本人が多いということから、当然に、海外のカジノメーカーなどが進出してくる。これに対して、日本では外国人の犯罪が多く、外国人の凶悪犯罪に関しての検挙率も低い。それらをしっかりと対処しなければならないのではないか。そのコストなどを考えれば、カジノで儲かるということはかなり難しいのかもしれない。
 オリンピックと同時にカジノ、という発想もわからないではないのであるが、この内容に関しては周到に準備して行わなければならないのではないか。

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世界で信用されていない中国が「抗日記念日」に反日デモを封印した理由

世界で信用されていない中国が「抗日記念日」に反日デモを封印した理由
 82年前の一昨日18日は、柳条湖事件が発生した日である。日本は、この事件を契機に、経営権を持っていた南満州鉄道の安全を守ることで出兵し、その犯人を捜すために、東北三省に支配地域と警察権を広げ、そのまま満州国の建国につながる事件になったのである。この事件に関しては満州事変と日中戦争の切っ掛けであるとし、また、関東軍司令部の関与をにおわす資料もあることから、ある意味で日本軍の陰謀説がささやかれている。中国は、このことを持って「柳条湖事件」のあったこの日を「抗日記念日」とし、毎年この日には様々な反日デモが大規模に行われる。3年前の尖閣諸島沖漁船衝突事件も、広い意味でいえば、この時期における反日行動の一環という見方もできる。
 ちなみに、少々自慢になるが今から15年前、マイカルはこの日に大連において新たなショッピングセンターとホテルをオープンさせる。その時の大連市長が薄煕来であった。彼は「去年まではこの9月18日は抗日記念日で、日本との歴史を顧みる都市であった。しかし、今年からはこの建物のオープンを記念し、その歴史を乗り越えて中国と日本が一緒に発展させる日となるだろう」という演説をしたことを思い出す。その薄煕来も今は犯罪者として裁判中である。
 さて、尖閣諸島問題以降、8月から9月にかけては、反日・抗日の機運が非常に高くなる部分である。特に昨年尖閣の日本国国有化が行われ、また、頻繁に発生する中国の軍艦や公船の領海侵入が頻発している。安倍政権になって、日本では、これらの中国の行動に対して反発する(当たり前であるが)動きがあり、防衛白書では、中国を明確に仮想敵国(日本国に対する侵略危険性が高い国)として認識し、そして、尖閣諸島を想定した離党防衛ということを明記したのである。
 そのような機運の中、ことは、日本の外務省も反日デモなどに対して十運に注意するように中国にいる日本人に呼びかけた。しかし、その反日デモが全く起きなかったのである。もちろん細かい統計はないので、日本企業や料理店における小さい事件が皆無であったとまでは言い切れない。しかし、少なくとも大規模なデモがないということは事実なのである。
世界の消費者「中国製は信用できない」=食品安全問題など響く―独紙
  17日、米PR企業エデルマンは世界の消費者信用調査結果に基づきで「ブラジル、ロシア、インド、中国の多国籍企業は深刻な信用問題に直面し、工業国としての発展はさらに難しく、コストはさらに高まる」と指摘した。
2013年9月17日、独紙ディ・ヴェルト(電子版)が伝えたところによると、米PR企業エデルマンが実施した世界の消費者信用調査結果で「ブラジル、ロシア、インド、中国の多国籍企業は深刻な信用問題に直面し、工業国としての発展はさらに難しく、コストはさらに高まる」と指摘した。
それによると、世界の新興工業国のうち、中国は先進国の消費者に「最も信用できない」ととらえられている。「中国の大企業を信用できる」と答えたドイツ人は19%、フランスでは22%、米国では26%にとどまった。主な原因は食品安全問題などのスキャンダル、企業の不透明性、国家政策の影響などだ。
エデルマンは国営中国中央テレビ(CCTV)、清華大学の経営管理学院などとともに今回の調査結果を発表。エデルマンは「イメージ悪化は企業自体に原因がある。企業名やブランドの知名度が低くても、消費者は中国企業は不透明で、責任を負わず、環境を保護しないと考えている」と指摘した。その上で「世界で最も消費者の信用度が高いのはドイツ企業と製品で80%に達している」とした。(翻訳・編集/AA)
Record China2013年09月18日10時51分
http://news.livedoor.com/article/detail/8076481/
<柳条湖事件>中国で目立った抗議行動なし
 【北京・石原聖】満州事変の発端となった柳条湖事件(1931年)から82年の18日、地元メディアが論評を載せるなどしたが、北京の日本大使館をはじめ日本関係企業などに対する目立った抗議行動はなかった。
 18日付の共産党機関紙「人民日報」は論評で米英メディアが「愛国教育が中国の世界観をねじ曲げているとの趣旨を指摘するが、めちゃくちゃな論理だ。歴史は客観的な存在で、歴史を忘れることは国に背くことだ」と指摘。そのうえで「中国は発展し、国家主権を守る意志と十分な能力がある」と尖閣諸島への中国公船の派遣を続ける意志を示した。
 昨年のこの日は、尖閣諸島国有化直後だったこともあり、瀋陽、北京、上海、広東省広州など100都市近くで反日デモが起きた。遼寧省瀋陽の日本総領事館には1万人以上が集まり投石などで窓ガラス十数枚が割られた。
 中国外務省の洪磊(こう・らい)・副報道局長は17日の定例記者会見で、日本に対し「歴史を深く反省し、歴史と未来に対して責任ある精神に基づき、実際の行動で国際社会とアジアの隣国の信頼を得るよう求める」と述べた。
 【ことば】柳条湖事件
 中国東北地方に駐屯していた旧日本軍の関東軍が1931年9月18日、中国・奉天(現在の遼寧省瀋陽)近郊の柳条湖で日本の南満州鉄道(満鉄)の線路を爆破。中国軍の仕業として出撃、中国東北地方を占領し、日中戦争のきっかけとなった。
毎日新聞 9月18日(水)11時14分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130918-00000026-mai-cn
中国海軍が株式市場で軍拡資金調達、「アジアで空母建造競争」の指摘―中国メディア
  上海市場に上場する中国船舶重工が10日、私募形式で10者を超えない対象に対して22億800万株を発行し、84億8000万元(約1380億円)を調達すると発表した。同社は大手国有企業で、軍関連の船舶建造などを担当。調達する資金は超大型、また中規模の艦船、大型揚陸艦、潜水艦など軍備の生産・設計などの資金に充てる。中国海軍の軍拡資金を株式市場から調達するもので、香港紙商報は「中国株式市場にとって象徴的な出来事だ」と報じた。環球時報が伝えた。
このニュースが伝わると、西側諸国では「中国海軍が拡張に力を入れている」との論調が主体となった。
 英フィナンシャル・タイムズは「資本市場で戦争のための資金が調達される歴史はもう数百年にわたる。中国解放軍も株式市場に頼って軍拡を進めるようになった。中国が初の空母を自主開発し建造することも時間の問題だ」と指摘。また、「生産能力過剰と需要低迷によって苦境にある造船業にとって、軍需関連の需要が増えることは少しの慰めになる」と分析している。
 「中国脅威論」を叫ぶ日本では、産経新聞が「中国とインド、日本で空母級の艦船が続々と進水。アジアで空母建造競争が始まった」と指摘した。
(編集翻訳 恩田有紀)
毎日中国経済2013年09月16日15時25分
http://news.livedoor.com/article/detail/8071118/
 反日デモが起きることがほぼ確実なときに、まったく起きないというのは、ある意味「肩すかし」を食らったような形になる。「肩すかし」とはよく言ったものである。肩すかしとは技の名前で攻撃して期待しながら、相手の攻撃をかわし、隙があったところでたたくというものである。
 まさに現在の中国が「肩すかし」そのものを日本に向けて行っているといえるのではないか。中国では、ある意味で日本に対してデモを行わなかった。しかし、そのデモを行わない状態で「日本からの投資を引き出す」ということがあげられる。では何のために中国はデモを封印し、日本からの資金を入れようとしているのか。
 その答えは二つの方面から見える。一つは、上記の記事にあるように、ヨーロッパなどでは中国を極端に嫌っている。中国産は信用されず、記事にはないがスペインでは中国人がエビを不正にとっているということで、スペインからの中国人の排斥運動が、少なくとも漁業関係者の間で起きているのである。食品を売ることができず、なおかつ輸出もほとんどうまくいかない状態になる。当然に中国への直接投資などは行うはずがない。アメリカも、すでに、仮想敵国として圧力を強めている。そのような中で中国に投資をして中国産を買うのは「属国韓国」と「戦略の無い馬鹿な経済人日本」(双方中国の友人の言葉)しかないのである。
 そこで日本人を安心させて金を引き出すということで、デモを封印した。まさに中国は安全な国、抗日記念日にもデモを行わない国という印象を付けた。
 ではそこまでなぜ金がほしいのか。その答えも上記の記事の中にある。まさに、日本を攻めるために(とは限らないが)新造の空母を作るための資金作りである。要するに、中国はデモを一度封印したことによって、日本から金を引き出し、その金で日本w占領するための空母を作るつもりなのである。まさに、中国は何も投資をすることなく、日本人が日本人の手で日本を滅ぼす道具を作るように仕向けるということになる。
 しかし、「戦略の無い馬鹿な経済人日本」はすぐにそれに乗ってしまう。その場の経済がうまくいけば、あとのことは全く自分には関係ないということ。これこそ左翼的な教育の「義務のない権利意識」である。「国防の義務」をせず「経済的権利を主張する」日本人が非常に多く、そのことによって日本がどれくらいの国益を損ねているのか。もっと言えば、日本は、日本の経済が中国に資金を与え、日本企業を破壊するデモの資金源になり、そしてそのデモがなくなれば、日本を滅ぼす兵器の製造コストになるのである。
 日本人は、「愛国教育が中国の世界観をねじ曲げているとの趣旨を指摘するが、めちゃくちゃな論理だ。歴史は客観的な存在で、歴史を忘れることは国に背くことだ」という中国のコメントを報道し、空母新造の話は報道しない。二つ三つのニュースをこのように合わせて出さなければ、本当のところはわからない。もちろんわからないように報道するのが、日本のマスコミなのかもしれない。
 中国の本音を死かk理と見ながら、その内容を見てゆかなければならない。

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実際の危機の時に現れる危機管理とその人の人間性そして人望

実際の危機の時に現れる危機管理とその人の人間性そして人望
 政治家は口がうまい。実際にマス(集団)としての相手の気持ちを反映して、いかにも自分の意見のようにモノを伝えることができるのが政治家の特性である。その中に、自我を混ぜてしまえば、有権者との違いが際立ってしまうために、その違いを中心に物事が回ってしまう。その「違い」が本来は個性であるが、しかし「違い」をいかに「正当化」するかということが最大の問題になってくるのである。
 今から18年前、阪神大震災の時に、当時の兵庫県知事が当時の社会党の推薦で当選した知事であった。その知事の政治的主張は「自衛隊は違憲であり即時廃止」というものであったが、その内容から、阪神大震災のあの大惨事において兵庫県知事が自衛隊の緊急派遣を要請しないということになったのである。このことはのちに非常に大きな批判を浴びることになる。当時社会党出身の村山内閣であり、社会党が自民党と連立政権を組んでいた時代である。その与党の社会党が、未曽有の大災害において、目の前で死に瀕している人々に対し、それを助ける手段である自衛隊という力を「イデオロギーと政治的主張」を基に、要請せず、多くの人々を「見殺し」にしたのではないか、そのようなことが非常に多くの人々の中によぎったものである。
 実際に、この内容は村山内閣がそれまでの自衛隊は違憲の存在という政治的主張を捨てなければならなくなった大きな転機になり、その内容から、そして、社会党がそれまでの社会主義思想だけ、自衛隊違憲だけでは国民を守ることができないということを主体的に認めなければならないことになったきっかけとなった事件である。当然に、このことで「自衛隊外見ということで、阪神大震災の処理が遅れた」という噂は、今日まで社会党出身者の大きな十字架を背負うことになり、そのまま社会党は解党的出直しを迫られることになったのである。
 その結果生まれた民主党は、その中に「自衛隊は違憲」とか「北朝鮮の拉致はなかった」というような主張の人々も、逆に、「国防軍を創設」というような主張まで様々な人がいることになり、結局それらの話が党内で統一できないことが、民主党の惨敗の遠因の一つといえるのではないか。
 そして、今回、国政レベルではないが、ちょうど選挙の時期にその地区を台風が直撃し、大きな災害と発展することになった。その時の対応がどのようなものなのか。少し考えてみよう。
【堺市長選】「土木技術のない現職は素人、視察に意味なし」橋下氏、ツイッターで竹山氏を挑発
台風18号の影響で増水した大和川。南海高野線を走る列車がゆっくりと通過=16日午前9時42分、大阪市住吉区(沢野貴信撮影)
 15日告示された堺市長選に出馬している現職の竹山修身氏(63)は16日、台風18号による大雨で堺市内の河川が増水したため、市長公務を優先して選挙活動を一旦中止し、現場視察などの対応にあたった。これに対し、大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長はツイッターで、「堤防の現状確認など、素人の市長がやっても意味がない」と書き込み、都構想で対立する竹山氏の災害対応を批判した。
 竹山氏は同日午前8時ごろ市役所に登庁。大阪市との境に流れる大和川などの水位が上昇したため、副市長や危機管理担当職員らの計4人で現場視察を行い、午前9時40分に一部地区に避難勧告を発令した。
 一方、大阪維新公認の元堺市議の新人、西林克敏氏(43)を擁する橋下氏は、大和川の氾濫危険水位が下がるまで自宅待機しながら担当者とやり取りし、危機管理対応に備えた。
 この間、橋下氏はツイッターで、大阪市は土木担当副市長が視察を行ったことを明かした上で、「土木技術のない市長が現場視察をしたところで、大量の随行職員を引き連れ、職員から説明を受けるだけ」と竹山氏を挑発した。
 両陣営は午後1時35分に堺市内の避難勧告が解除されたことを受け、選挙活動を再開。橋下氏や維新幹事長の松井一郎大阪府知事も街頭演説を行った。
MSN産経west 20130916
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130916/waf13091620440029-n1.htm
台風で竹山氏は視察、橋下氏は待機…対照的な危機管理対策
 堺市長選(29日投開票)に立候補している現職・竹山修身市長(63)と、元堺市議の新人・西林克敏氏(43)を擁立した日本維新の会共同代表・橋下徹大阪市長(44)は16日、台風18号の影響で大阪、堺両市に避難勧告が出たため、選挙活動を一時中断した。
 災害への危機管理対策は好対照だった。竹山氏は早朝から、危険水域に達した大和川などを現地視察して陣頭指揮。精力的に動き回った。午後1時35分頃に避難勧告を解除し、午後2時過ぎに選挙活動を開始。JR堺市駅前(堺区)での街頭演説では、台風の影響について「現場主義で総点検した」と強調。重ねて「現場には神が宿る。現場に真実がある」と持論を展開した。
 一方の橋下氏は、大阪・豊中市の自宅で待機。危機管理監らからの報告を受けてから自身の判断を伝える“静”の姿勢を貫いた。
 待機中はツイッターで竹山市政批判を連発。現場視察をしないことについては「土木技術に素人の市長が、危機が去った後の堤防の状況を見ても、何の対策をしなければならないのかなんて分かるわけがない」「危機管理時にトップが現場に出るのは吟味が必要。そうでなければ単なるパフォーマンス」などと説明した。
 午後1時10分頃に大阪市の避難勧告を解除すると、すぐに堺市入り。同3時過ぎから街宣を始め、市民に大阪都構想の重要性を訴えた。
(2013年9月17日06時02分  スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130916-OHT1T00165.htm
 堺市長選挙を行い、その堺に避難勧告が出た。大阪を流れる大和川が危険水域に達したことで、その対応が注目された。
 竹山市長は現場主義を貫き、一方で橋下大阪市長と西林候補は自宅待機ということになった。
 さて、二つの考え方がある。一つは現場主義というものである。当然に現場に行かなければ何もわからないということがある。私のブログでも解体が、東日本大震災の時にサンドウィッチマンというお笑い芸人のコンビが、ちょうど仙台に出張しており、震災と津波に被害を目の当たりにした。ワイドショーが「どうでしたか」と聞いたときに、「我々がしなければならないことはこんな事じゃないんだ。現場はもっとひどいことになっている」という発言をし、番組は壊れた感じがいs多がそれでも主張者に現場の声がストレートに届き、そして多くのものが動き出した。現場を知らなければ何もできない。その現場を知ることが、いったい何なのか。実際に伝聞で聞くのではなく、しっかりと自分の目で見て、そして現場に被害者に話を聞くことでしか物事はわからない。そのようなことができず、番組にお構成を安全なところで考えて放送しているからマスコミはつまらなくなり、情報番組としても役に立たなくなってしまったのである。
 一方、現場主義が迷惑な場合もある。まさに、日本国全体どころか誠意的な非難を浴びた福島原発の菅直人首相のヘリコプター視察である。そもそも、安全なところから見るだけというわけのわからない視察が何の意味があるのか、政治家として、そして政治的責任者として現場で苦労している人と話をしないでなにが視察なのかわからないが、それでも、一応視察をした。その視察の態度はのちに、避難所で腰に手を当てているところを非難され、テレビで全国に報道されるという失態まで演じている。
 一方、避難所にお出かけになられた天皇、皇后両陛下、そして皇太子殿下・雅子妃殿下は、現在でも被災地に思いをはせ、仮設住宅などの足を運んでいられる。天皇陛下は、震災の年のご視察は体調も終わるなか、最も地元に負担がかからないようにということで移動手段も考えられ、また、現地に宿泊をしないということを決断された。このことは岩手県の被災地を回るのを、日帰りで行われるという体力的にもかなりハードなことであるにもかかわらず、被災地のことを思ってそのようにされているのである。
 最も良いのは、専門的な知識がなくても被災地や避難している人々のことを思い、そのうえで、その立場になって考え、必要なものを手配できる力ではないだろうか。それができてこその政治家である。一方自分が役に立たない、そのようなことができないというのであれば、菅直人首相のようにいちいちで欠けないことである。それは「無知の知」であり、そのことがかえって迷惑をかけないことであり、あくまでも「無能な人の次善の策」ということになるのかもしれない。実際に、橋下市長の主張に従えば、被災地を回られた天皇陛下は「単なるパフォーマンス」ということになってしまう。本当にそうなのか。被災地の人はそのように考えているのか。
 ようするに、最も重要なのは、「本当に被災地のことを考えているか」ということであり、そのことがしっかりとできているかいないか、そのことはけkkが斗被災地の人々が最もよくわかることである。
 上記の記事にあることの判断は、最終的には市長選挙の結果で決まるものであるのかもしれない。しかし、その内容は菅直人首相の時のように国民が注目しているものなのである。

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いわゆる河野談話で裁判をすることによってその談話の深層を究明

いわゆる河野談話で裁判をすることによってその談話の深層を究明
 日韓の歴史問題という言葉で現在さまざまなことが行われている。この内容に関して、韓国の日本に対する嫌がらせは、常軌を逸しているものでしかなく、反日になると大きな暴動を起こす中国国内においても「韓国の反日はおかしい」というほどである。
 戦争があったこと、そしてその戦争で「日本が」負けたことは疑いようのない事実である。では「韓国は」というと、これはかなり微妙な問題だ。
 そもそも、戦争時は韓国は日本国であった。当然に、日本において兵役も行われていたし、日本として戦争を連合国と戦っていたはずである。当然に連合国から考えれば韓国の人々も「敵国」であったはずだ。韓国は戦後、日本から切り離され、38度線を挟んで内戦をお越し、そしてその内戦がいまだに継続している。その内戦が、東西冷戦の一つの象徴のように扱われてしまったために、各国から大目に見られた、というよりは次の東西冷戦の最前線として、南北両国が特別扱いをされたということが言えるのかもしれない。
 そのことによって韓国人は日本国と一緒に戦争を戦い、日本人と一緒に連合国軍の敵対国であったにもかかわらず、いつの間にか敗戦の責任を日本だけに押し付け、戦勝国の仲間入りをしようとしているのである。
 そのことを、本来であれば、日本人がしっかりとした歴史事実を突き付けなければならない。日本は、戦争を起こした責任だけでなく、しっかりとした歴史を国際世論の中に根付かせる責任もあったはずだ。しかし、日本の為政者は、いつの間にかそのような「歴史の中の証言者」としての義務を怠り、国際世論とか東アジアの関係ということを「重視」する体で「嘘」をついてきた。
 いや、嘘ではないかもしれない。もちろん日本軍も多くいるのであるから、中には略奪などを行った兵士もいるであろう。しかし、その日本軍の中には「韓国人」もいたわけであり、また組織的に行われたというような証拠もなく、政府が、「歴史の中の証言者」としての義務を放棄してしまっては、正しいことが国際的に根付かなくなってしまう。しかし、なぜか日本のマスコミと日本の為政者が、その正しいことを拒否し、根拠のないことを報道し、そして根拠のないことを談話として発表したのである。日本国民はそのkとで多大な損害を受けたということに他ならない。そのことがこの記事の訴訟の中心となる。
【慰安婦問題】河野洋平氏を提訴へ 「国民運動」談話撤回求める署名も3万超
 慰安婦問題とは直接関係ないはずの米国に慰安婦の碑が建てられるなど、韓国・中国による慰安婦問題を題材とした日本バッシングが繰り広げられる中、今年7月に発足した「慰安婦の真実」国民運動(加瀬英明代表)が10日、参議院議員会館で記者会見し、騒動を泥沼化させた根源といえる「河野談話」の撤廃を求める署名3万867人分を同日、国に提出したことを報告。また近く河野洋平氏個人を提訴する考えも明らかにした。(溝上健良)
女性論者7氏も堂々主張「河野談話は撤廃を」
 会見で、加瀬代表は「慰安婦問題をめぐっては、全世界で日本はぬぐいがたい深刻な汚名を着せられている。これはひとえに平成5年、河野官房長官が出した談話に発している」と、河野談話の罪深さに言及。続いて松木国俊幹事長がアピール文を読み上げた。問題の全体像と深刻度を確認するためにも、ここではその全文を紹介しておきたい。
慰安婦像 沈黙は後退
   「慰安婦の真実」に関する国民へのアピール
 いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐって、日本バッシングの風潮が世界的に広がっています。日本の慰安婦は代価を払わない「性奴隷」であったとか、「20世紀最大の人身売買事件」だったとか、ナチスのユダヤ人虐殺に匹敵するホロコーストだったとか、事実無根の途方もない言説がばらまかれています。アメリカの公共施設に朝鮮人慰安婦の像や碑が建てられ、地方議会の非難決議も行われています。韓国、中国、アメリカにロシアまで加わって日本批判を展開しています。
 アメリカでの慰安婦問題は1990年代初頭から在米中国、韓国人のロビー活動で始まり、2007年にはアメリカ議会下院での日本非難決議がなされ、引き続いてオーストラリア、オランダ、フランス、EU、フィリピン、台湾と続き、今や日本はこの問題で、四面楚歌ともいうべき深刻な状況に置かれています。
 このような事態がもたらされた最大の原因は、日本政府が、何一つ証拠がなかったにもかかわらず、慰安婦の「強制連行」を認めたかのように読める「河野談話」を平成5年(1993年)に発表したことにあります。「河野談話」は、慰安婦の強制連行さえ認めれば事は収まるという韓国側の誘いに乗って、事実を曲げて政治的妥協をはかって作成された文書です。しかし、その結果は全く逆に、「河野談話」こそが強制連行の最大の証拠とされ、各国の日本非難決議の根拠となり、韓国人の妄言に見せかけの信憑性を与えることになったのです。
 あるアメリカの有識者は、「古今東西、軍隊と売春婦はつきものであり、それについて謝罪したのは有史以来日本政府だけである」と指摘しました。そして「そのような当たり前の事に謝罪したのは、本当はもっと悪いことをしていて、それを隠すためではないかとさえ勘ぐられている」と言います。日本を貶めようとする外国の謀略に乗せられ、国益を無視して安易に発した「河野談話」が、慰安婦問題で日本を苦境の縁に立たせた元凶なのです。
 日本国民がこのいわれのない屈辱に対して怒らないとしたら、それは日本国家の精神の死を意味します。私たちはどんなことがあってもこの汚名を私たちの子々孫々に負わせることはできません。
 今年7月、この問題を憂慮する個人・団体が集まり、私たちは〈「慰安婦の真実」国民運動〉を結成しました。今後は日本国内外の多くの同志と広く連携をとり「河野談話」の撤回運動を初めとする、日本の汚名をそそぐための様々な運動を展開していきます。
 国民の皆様には、我々の救国運動に深いご理解をいただき、深甚なるご支援を賜りますよう、心よりお願いいたします。
 平成25年9月10日 「慰安婦の真実」国民運動 代表 加瀬英明
国家への裏切り行為
 慰安婦問題がここまで反日勢力に利用されることになった元凶は、「韓国側の誘いに乗って、事実を曲げて政治的妥協をはかって作成された文書」である河野談話にある、というわけで、当然ながら出席者からは河野洋平氏に対する厳しい声が相次いだ。藤岡信勝幹事は「政治家としての国家に対する裏切り行為を、司法の場で問う意義はあるのではないか」として、河野洋平氏に対する民事訴訟を起こす考えを示した。
 河野談話氏をめぐっては、石川県在住の諸橋茂一氏がかつて、東京地検に河野氏を刑事告発したものの「時効」を理由に却下された経緯がある。今回は民事で責任を問う方針で準備が進められており、年内にも提訴できる見通しという。
 さらに国民運動としては慰安婦問題をあおってきた研究者との公開討論呼びかけも含め、講演会の開催や意見広告の掲載、全国に40以上ある「慰安婦決議」をした自治体への抗議といった活動を進めていく方針が示された。「なでしこアクション」の山本優美子代表は、慰安婦像が設置された米カリフォルニア州グレンデール市に住む日本人女性が肩身の狭い思いをしている現状を報告し、外務省の無策ぶりを告発した。
慰安婦像「賛同」は虚偽 東大阪市が抗議
 それにしても、米ニューヨークの街路を「慰安婦通り」と命名しようとするなど、反日勢力の活動は尋常ではない。もしかして、日本のみならず米国に対しても「軍隊と性」の問題に向き合うよう促しているのかもしれない。それを止めるつもりはないが、その前に韓国は自らを省みる必要があるはずだ。その内容については『悪韓論』(室谷克実著、新潮新書)に詳しいのでここでは繰り返さない。あわせて『面白いけど笑えない中国の話』(竹田恒泰著、ビジネス社)、『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』(SAPIO編集部編、小学館)もお勧めだ。
書評『悪韓論』室谷克実著
 ジャーナリストの大高未貴氏は、慰安婦問題をあおっている“司令塔”は在米の中国勢力であることを指摘し、「おかげさまで中国・韓国の常軌を逸した嫌がらせによって、普通の日本人も『これはおかしい』と気づきはじめました。今こそ自虐史観から脱却するチャンスを中国・韓国から与えていただいたと感謝して、日本再生のために頑張っていきましょう」と訴えた。中国・韓国は図らずも、日本人の目を覚まさせようとしているのかもしれない。
米国にいる日本攻撃の主役
 実は第1次安倍政権の平成19年3月、当時は社民党に所属していた辻元清美衆院議員の質問主意書に答えて、政府は「河野談話」に関連し「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定している。閣議決定は官房長官談話よりも重いものであり、この時点で根拠が崩れた河野談話は空文化しているはずなのだが、いまだにその亡霊が猛威をふるっている。
韓国につける薬は… 月刊正論10月号
 国民運動では、この閣議決定の再確認や、河野談話の撤廃ないし新談話の発表などを、国や政治家に働きかけていくことにしている。反日勢力の悪質なデマを許さないためにも、その根拠となっている河野談話の「最終処分」が急務だろう。
MSN産経ニュース2013.9.16 12:00
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130916/plc13091612030003-n1.htm
 二つの考え方がある。歴史勝者が作るものであるという考え方である。この考え方であれば、常に「敗者は賊軍」となる。常に正義は勝者にあり、敗者は悪者となる。よって「正義は勝つ」という日本の子供たちの勧善懲悪は無残にも崩れ、「勝ったものが正義」ということになる。このことを認めるのであれば、現在子供たちの間で問題になっている「いじめ」なども、すべて「いじめたものが正義」ということになり、世の中の秩序が乱れることになる。
 そこで、本来は「事実縫い基づいて歴史を見る」ということが必要であり、そのことができなければ「歴史の証言者」ということにはなれない。そのことでいえば、そもそも慰安婦という組織的な存在がなかったということがあげられる。例えば、日本で慰安婦の補償裁判の第一号となった事案では、それとは別に、同じ人が同時に「売春婦としての報酬の未払い5万円(当時)の価値の賠償金」を請求しているのである。実際に、片方で売春婦として訴訟を行い、片方で慰安婦であったと慰謝料を請求する。朝日新聞はそのことを知っていながら、慰安婦のほうだけを報じるという悪行を行った。このような「片方だけを報道する」という偏った報道姿勢が、まさに歴史をゆがめ、国際関係を悪化させる。それから数十年後、まさに現在、日韓関係は修復不可能な状態まで国民感情が双方ともに悪化したのである。
 そのうえ日韓基本条約などのことも言及せず、その内容を一つの事実と受け止めて、その賠償など法的な効果まで言及するのは、まさに歴史を蹂躙しているとしか言いようがない。このことは、日本の国民だけでなく、世界の人々に対して、そして時空を超えた多くの人々に対して禍根を残し、場合によっては次の戦争の切っ掛けともなりかねない戦争犯罪を犯したことになりうるのである。
 そして、その罪は朝日新聞だけでなく、根拠もしっかりしていないのに「談話」を発表した村山首相と河野官房長官双方にも責任がある。根拠のない発言は、歴史を無視し事実を封印し、そして未来に禍根を残す。まさに、政治家がこのような発言をして「その場だけ取り繕う」ことがどれほど危険なのか。民間人がくるって何かをしているのではない。そのようなことをしている人が最大の問題なのである。
 私は、本来は、このような場合、日本は民主主義なのであるから、河野洋平氏に投票した多くの有権者にもその責任があるのではないかと考えている。この発言は多くの人を敵に回すのかもしれないが、投票をするだけで、あとは無責任というのは、まさに民主主義が無責任な民衆の先導車を選ぶだけになってしまうからである。民主主義が真に民主主義になるためには、当然に自分の代理として選出した代議員に対し、その代議員の行動に対して一緒に応分の負担を行うということが前提になっていなければならない。投票の権利に対して、その投票した議員の行動に対して当分の責任をとるというのは普通のことではないのか。それこそ民「主」主義ではないかと考えるのである。もちろん現在はそのようになっていない。しかし、尖閣問題の切っ掛けとなった中国漁船衝突事件や、その船長の釈放などは、まさに徳島県に対する抗議が殺到したではないか。同じことがこれらのことにもあるような気がする。
 政治家の発言だけではなく、その発言に対して有権者という監視者がしっかりと行うことが、民主主義を成長させることになる。その成長そのものが、日本国の成長につながるものと信じている。もちろん一つの案でしかない。
 話を戻せば、まさに、この歴史問題に関しては、根拠と事実を基に政治家が発言すると負う二つの観点からしっかりと訴訟、法廷の場で争ってもらいたい。

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今語る小沢一郎の二大政党制と日本文化との乖離

今語る小沢一郎の二大政党制と日本文化との乖離
 今日は火曜日である。しかし、昨日が休日であるので、あまりネタも少ない。そのために今日は、ブログから掲載してみたい。
 BLOGOSの中で小沢一郎がインタビューを受けている。小沢一郎といえば知らない人はいないのではないか。実際に、一時は「お売りに最も近い男」といわれ、小沢中心に政局が回っていたこともあった。しかし、その政局も、民主党から分離し「国民の生活が第一」という政党を作るまででしかなかった。
 いや、ある意味においては小沢一郎の選挙技術と元自由民主党という保守層の切り崩しに関して、選挙対策として菅直人などのニューウェイブの会を中心とする新左翼や社会党左派の人々に利用されたという見方もある。実際は、イデオロギーや基本政策を崩して選挙対策をしてしまったのであるから、その時点で政策中心の政治家としては終わってしまっているということも考えられる。もちろん「与党でなければ自分の思った通りの政治ができない」という考え方に立てば、便宜的に与党になるための手段を考えるべきであるが、実際に「与党になること」が「手段」から「目的」に変化してしまった時点で、政治家の命運は尽きたといっても過言ではない。この意味では小沢一郎ひとりに限らず現代の政治家に多く見受けられる状態であるし、何も小沢一郎だけ問題ではない。現在の政治家の中には主義主張や政策ではなく、身分や職業としての政治家という人が少なくないのである。その意味では小沢一郎ほどの大物がそのような目的的政治家になってしまったということ自体が最大の問題である。
 それでも民主党政権になるまで、彼はそれを行った。しかし、しょせん政治家という目的の政治家が増えてしまったことにより、政治が停滞し混乱することになる。国民は、政局よりも政策を望んだが、実際に行われたことは政局以外の何物でもなかったのである。
 そのうえ、民主党内での主導権争い。その後行われた「脱小沢」は小沢にとって政権与党にいながら政策を実現できないということを意味した内容であり、その時点で民主党執行部の中における「小沢政策の排除」が制度化されたといってよい。小沢の政治家としての命は、この時点で二回目の「死」を迎えることになる。
 そして、その民主党から離党。しかし、この時点では人望も何もなくなってしまった。脱小沢にならされてしまった議員が少なくなかったということと、職業としての政治家が、権力に近い方を選択するというごく自然な流れによって、このような状態になってしまっているのである。
 そして、選挙でまたも脱原発だけで生活の党を嘉田滋賀県知事と組み、そして、完全に崩壊する。
 その小沢自身の「政局のつくり方」の根源が「小選挙区制と政権交代可能な二大政党制」である。その翻意を見てみるのはいかがであろうか。
小沢代表、小選挙区制度と政権交代、二大政党政治の未来について語る(生活の党) -
2013年8月22日共同通信社より小沢一郎代表がインタビュー取材を受けました。
インタビュー要旨は以下の通りです。
【インタビュー要旨】
Q.政治改革を掲げた衆院選から今年で20年、この間を振り返りたい。昨年の総選挙・今回の参院選で自民党一党優位の多党制になったようにも見えるが、今後の政党政治も見通していただき、まずは20年間を振り返って、どの様に総括されるか。
A.二度も続けて政権交代したことは良かった。二大政党的な形で政権交代したのは、小選挙区制度にしたからだ。その点においては大成功だし、国民も「ああ、こういうものか」という認識が、きちんとできたと思う。
その点では、間違いではなかったと思う。
Q.選挙制度改革について。
小選挙区を入れた目的はやはり、金のかかる政治と選挙を無くすためだった?
A.マスコミも政治家もそう言うが、それは俗論で間違っている。選挙制度がどうであれ、金をかければかかるし、かけなければかからない選挙になる。そんなレベルの話ではない。
アメリカを見なさい。600億、700億と大統領選挙にかけている。それをいいとは思わないが要は、投票を獲得するために金銭で有権者の歓心を買おうと金銭供与を行い、授受・買収供応するような、そういう類の金の使い方はやってはいけませんよという意味での、「金かけてはいかん」ということ。英国にも腐敗防止法ができたのは買収供応がひどかったため、厳しい選挙法を作って国民の意識を変え、今では、基本的に本人(候補者)は自分の金を使えば数百万かかるのが基礎的な選挙費用だろう。
選挙制度の改革というのはそんなレベルの話ではない。民主主義は、政権がいいかげんな政治をすれば、常に他の野党にとって代わられるという緊張感が政治を良くするということであって、そのためには日本のような、まだ民主主義が定着していない社会では、中選挙区制、比例代表制では絶対、政権交代は起きない。
BLOGOS(ブロゴス)- 20130911
http://blogos.com/outline/69847/
 単純に、自らの政党のことは別にして「二度政権交代が起きたことは良い」と評価している。そのうえで、「政権がいいかげんな政治をすれば、常に他の野党にとって代わられるという緊張感が政治を良くする」ということを言っているのである。単純に「民主党はいい加減な政治をしたからほかの野党にとってかわられた」ということを言っているのである。
 実際に小沢の政党の移動を考えれば当然の帰結であるが、しかし、逆に自信の主張は途中で変わっていないのか。そもそも有権者を裏切ってはいないのか。または裏切っているような感覚を持たれているとして、それに対してしっかりとした説明ができているのかということはかなりの疑問である。実際にその「疑問」が、今回の「生活の党」の結果になっていると考えるべきである。
 同時に、そもそも小沢一郎のいう「いい加減な政治をすればとってかわる」という話でよいのかということがある。単純に言えば、「ダメ」など「批判」だけで次の政権が変わるというシステムそのものが良くないのではないか。もっと言えば日本人の性質の上で「排他性」という性質が、そもそも日本人の性質に適合するのかということがあげられるのである。単純に言えば、八百万の神のように様々な神々に囲まれているという道徳心を持っている日本において、単一の価値観と排他性の論理で政治を行うことが可能なのかということである。
 残念ながら小沢氏のインタビューからが「批判による政権交代」を肯定している。これでは「批判さえすれば高い志しや政策がなくても政治家に慣れてしまうし、そのような人々の集団が政権をとって政治を混乱させてしまう可能性」が存在することになるということに関する反省と検証が存在していないことが問題なのではないか。
 二大政党制や小選挙区制が完全に「悪」であるという感覚はない。問題は日本人の政治観や道徳観を適合するかということであり、それは「批判」というものに対する考え方、単純に言えば「批判を行うものはそれ以上の対案を持つべき」という当たり前の「批判をする人の責任制」が存在するかどうかという問題であり、その責任制が存在しないと思われてしまったために、小沢一郎は政界の表舞台にはいなくなってしまったのではないか。
 もちろん小沢自身が復活を望むこともできるし、まだ議員を引退しているわけではないので、今後も日本国のために(そのように考えない人も少なくないが)活躍してほしいが、その前にここに上げた内容を考え、再度小選挙区制と二大政党制を考え直すこと、また。どのようにしたら「いい加減な政治」を行う人を政治家にさせないことができるか。いい加減な政治をしない人だけの政治ができるようになるのか。その方策がなければ意味がないのではないか。まさに、二大政党制と小選挙区制の提唱者が、中選挙区制の批判者としての責任が追及されているのではないだろうか。
 なお紙面の都合で敬称は略させていただきましたことを、ここにお詫び申し上げます。

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マスコミ批判に関する一考(161)世界各国に「事実とかけ離れたヘッドラインで報道をしている」と判断された日本のマスコミ

マスコミ批判に関する一考(161)世界各国に「事実とかけ離れたヘッドラインで報道をしている」と判断された日本のマスコミ
 マスコミ批判に関する一考を初めて161回目になる。実際に原則として毎週月曜日に行っているのであるが、161ということは約3年を経過しているということになる。すべてブログでそのままになっているので、様々な内容が批判の題材になっているし、または各新聞社の組織などを紹介した。
 マスコミに関する批判は政治家もたびたび行っており、私などから考えれば、マスコミの庇護を十分に受けていたであろう民主党まで、自分に都合の悪い報道をされると「マスコミが悪い」と大合唱を始めるのには驚いたことがある。
 よく、外国人の友人に「日本の報道機関は、国営放送(NHKのことを指す)でも、政府の批判ばかりで、日本の宣伝になる報道を行わないのはなぜか」と聞かれる。実際に、日本の報道機関が、「提灯記事」まで行かなくても、政府の行動を肯定する報道をしているのを見たことがない。ほとんど暴力団の因縁をつけることのように、何かしらの欠陥を見つけて批判ばかりを行う。これが本当に「欠陥」なのであれば、当然に報道する価値があるが、例えば先週オリンピックの開催権が東京に決まった時の報道で驚くのは、確か日曜日の朝のテレビ番組であったが「オリンピックを読んでその時に地震が来たらどうするのか」などという話を行い、フリッピで「地震対策」などと書いてある。地震などの天変地異の場合は、そもそも政府の責任なのかどうか、また、スペインでもトルコでも大地震などの天変地異の可能性はあるのに、なぜ日本の招致において懸念表明がされるのか。全く訳が分からない。そのうち、日本がこのような国際的な会議などをすれば、日本のマスコミは「宇宙人が攻めてくるかもしれないのに、対策ができていない」などという批判を行う可能性があるのではないか。ほとんどそのレベルの批判を堂々と公共の電波で流していること自体が、異常である。
 要するに、「どんなことでもいいから悪く言う」という風潮が、逆に笑いを誘い、なおかつ私の外国人の友人たちに「非常に大きな違和感」しか残らない感覚言なるのだ。「日本のマスコミは、政府や日本のことが嫌いなのですか」と中国人に言われたときは、さすがに驚く意外にはない。中国人ですら、日本の報道が異常と思っているのは異常だ。まさに、日本の報道空間は「異常報道」で固まっている、ということが国際常識になってしまった。
 そのことを、裏付けたのが、やはりオリンピック招致に関する安倍首相のスピーチであった。そのことを報じた記事を読んでいただきたい。
東京五輪決定で安倍首相はマスコミをチクリ 「新聞ではなく事実を見て」
   2020年五輪開催都市に東京が選ばれたが、IOC委員からは汚染水による影響について質問されるなど福島原発事故への心配の声が目立った。これに対し、安倍首相が「新聞のヘッドラインではなく、事実を見ていただきたい」と不満を口にする一幕もあり、メディアへの不信が際立っている。
   安倍首相は猪瀬直樹東京都知事やフェンシングの太田雄貴選手らとともにプレゼンに出席。約5分間のスピーチをすべて英語で語った。
連日の新聞報道では事態の深刻さを思わせる表現が並び
   その中で安倍首相は東京で開催するメリットとして、世界で最も安全な都市であることをアピールし、福島の原発事故については「福島の状況はコントロールされている。東京にダメージが与えられることはない」と訴えた。
   安倍首相はIOC委員から「福島の原発事故について毎日のようにメディアが報じているが安全は確保されているのか」と質問されると、日本語で回答すると断り、「新聞のヘッドラインではなく、事実を見ていただきたい」と反論。福島第一原発での汚染水漏れをめぐるマスコミ報道への不満と見られる発言をした。
   具体的にどのメディアの、どのヘッドラインを非難しているのかは明らかにしていない。が、連日の新聞報道では「打つ手なし」、「出口遠く」など事態の深刻さを思わせる表現が並んでいた。
首相はこれまでもマスコミへの不満を示す
   一方、海外メディアは安倍首相のスピーチを概ね好意的に捉え、東京開催決定の「決め手」になったと報じた。なかでもロイター通信は、安倍首相のカリスマ的な訴えがイスタンブールを破ったと報じた。
   これまでも安倍首相は自身のフェイスブックなどでマスコミへの不満を示している。2012年の衆院選前にはTBSで自身の映像が無関係なわいせつ事件のニュースに映るハプニングに「これから1ヶ月こうしたマスコミ報道との戦いです」、毎日新聞の批判記事に対して「トホホな記事」「印象操作」とコキ下ろすなどしていた。
   ただ、メキシコ大統領との会談がNHKのニュースで報じられなかったと、勘違いして書き込んでからはマスコミへの批判は抑制していた。
2013年9月8日(日)19時8分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-183232/1.htm
安倍首相プレゼンの聞き捨てならない部分 | ニュースのフリマ
 東京の五輪招致に大きく貢献したとされる安倍晋三首相の汚染水問題説明スピーチ。その後の質疑でこの問題について質問が出ると、日本語で「新聞のヘッドラインでなく、事実をみてください」と言い放った。
 まるで新聞が汚染水について事実を書かずに風評被害をあおっているような言い草。実際は日本の新聞はといえば、汚染水についてはむしろ東電発表の後追いがもっぱらで、危機感を募らせてはいるけれど、その源は東電や政府ではないか。
 英語によるスピーチでは「福島については、私から保証をいたします。状況は統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすこともありません」と明言した安倍首相。まるで福島と東京を切り離したかのような言いようは、他人事にも聞こえる。そもそも都内の“ホットスポット”はどうなのかの説明もない。
 質問に答えた「事実」とは、汚染水は東京電力福島第1原発の港湾の0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされており、近海の水の放射線量は問題ない値を示していること。ほかに、基準値は最大でもWHO(世界保健機関)のガイドラインの500分の1。食品や水の安全基準は日本は世界で最も厳しく、しかも実際に流通しているものはその基準をさらに下回っている。健康は「いまも将来もまったく問題ない。抜本解決に向けた態勢も整えたという。
 これは一面の事実であるにせよ、東電の事故処理能力が問われ、福島の漁民が不安と怒りを募らせているという「事実」はない。プレゼンなんてそんなものと言ってしまえばそれまでだが、そもそも質問がなければ、詳細な情報も語られなかった。
 そして「ヘッドライン」発言だが、現地と結んだ民放の番組でキャスターが安倍氏に「感銘した」といった趣旨の同調発言。筆者の見る限りワイドショーなども汚染水と五輪招致の関連は新聞同様にやっていたと思うが…。このキャスター発言を好餌として、ゲストの石原慎太郎前都知事が「あなた方は自戒した方がいい」と突っ込みを入れた。
 安倍氏のプレゼンは海外メディアも含めて評価が高い。しかし、「ヘッドライン」発言も受け入れたとみられてしまう…。
東スポWeb - 東京スポーツ新聞社 20130909
http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/10083/
 東京スポーツによる安倍首相の答弁に関しての批判も一緒に書いてみた。
 しかし、オリンピック招致の中継を見ていた人はわかると思うが、実際に、安倍首相が「新聞のヘッドラインではなく、事実を見ていただきたい」といった時の会場は、日本人のマスコミといわれるところは別にして、ほかの多くの国のマスコミは、ほとんど「納得」の表情であった。単純に言えるのは、日本のマスコミが「事実とかけ離れたヘッドラインで報道をしている」ということを安倍首相が表明しているのであり、同時に、諸外国のマスコミの人々はそれで納得しているということである。
 いや「マスコミ」が「マスコミ同士」でそれを納得することはありうる。アメリカでも「イエロージャーナリズム」のようなものもあるし、批判ばかりをしているジャーナリズムも存在する。しかし、世界の国の過半数、一回目の投票といえども43か国のオリンピック招致委委員が、日本のマスコミの報道を排除し、日本の政府の発言を支持したのである。まさに日本のマスコミが「事実とかけ離れたヘッドラインで報道をしている」ということを、世界各国が認めたということに他ならない。
 日本の報道では、そのような外国の反応などを見ることは全くない。そのような報道も全くないのである。日本は、当然にマスコミに不利になる報道は行っていない。しかし、各国がそのようなことをはねのけて東京に招致が出るということになる。逆に言えば、この発言に東京スポーツのように問題すするのは、単純に、日本政府を支持した最終の60か国に挑戦状をたたきつけているということに近い。
 まさに、日本のマスコミは、まさに国際的に「問題がある報道姿勢である」ということである。彼らの報道姿勢はいつ改められるのであろうか。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第43回 日本国憲法には国民に基本的人権を認めるとしか書いていないのに戦後左翼解釈がそれを拡大濫用していることとその条文

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第43回 日本国憲法には国民に基本的人権を認めるとしか書いていないのに戦後左翼解釈がそれを拡大濫用していることとその条文
 前回、憲法に記載された「基本的人権」は「日本国民にのみ当てはまる」と言うことを記載したら、かなり反応があった。
  多くの方からの問い合わせは「外国人に人権を認めないのか」ということであった。
  私は、そのように書いた覚えはない。
  「日本国憲法」は、近代法律の常識と言うか法律の本来の内容から、当然に、国家に対してのみ適用されるものである。
  中国の人に日本国憲法が当てはまらないのと同じであるし、日本人が中国の憲法や刑法に従う必要がないのと同じである。
  もちろん、中国人が日本において犯罪を犯した場合は、日本国の領国内ということで、日本の法律ができ要されることになる。
  当然に、その法律は、領土領海の範囲内において適用されることになるのである。
  このことが、尖閣諸島に進入した中国漁船に対して、日本の刑法の公務執行妨害罪を適用したのである。
  相手が中国人であっても、しっかりと法律を適用することが近代法治国家の要請であり、それができなかった民主党政権の当時の執行部幹部は、国際的に法律や近代法の観念がないという点で国際的な信用がなくなった。
  その国際的信用がなくなった状態は、現在の日本にも影響している。
  立法府の代議員が、法律の根幹を知らないと言うこと、または政府の代表が法律の根幹を崩してしまうと言うことは、その後百年の災禍を日本国と国民に及ぼすことになる。
  まさに、大津事件の国際的な非難を跳ね除けた司法の独立とその国際的な信用、または、日清戦争における、中国軍人を乗せたイギリス商船の、東郷平八郎による撃沈など、国際法を護る日本というイメージがなくなってしまった。
  ではなぜこのようなことが行われてしまったのであろうか。
  単純に「世界市民」というような発想で日本国憲法の基本的人権が、あたかも憲法から独立した普遍の権利であるかのごとき妄想を抱いていることに誤解と、憲法解釈の違いがあるのである。
  ここで、前回と同じ憲法の条文になるが、その辺のところを書いた10条から12条を見てみよう。
 
第一〇条【国民の要件】
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第一一条【基本的人権の享有】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第一二条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 法律というものは、当然に国家そのものに帰属する規範である。
  要するに他の国家にこの憲法が適用されることはない。
  そのために、憲法11条も12条も、いずれも「国民は」「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、」という主語で始まっている。
  日本人ならば日本語を正確に解釈しなければならない。
  「国民は」という規定でありその主語になっていると言うことは、当然に11条にある「基本的人権の享有」12条における「自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止」も、いずれも「国民」にしか享受されないものであり外国人に対して保障も享有もしていない。
  あえて言うが「しない」ともいっていない。
  要するに外国人はこの憲法の規定の範囲外であって、憲法を根拠規範として外国人の人権を当たること事態が「間違い」なのである。
  外国人の人権などは、当然に、国際条約や国連の人権冠する規定などによって国際的に規定されるものでしかなく、当然に、日本国が何かを行うものではないのである。
  よって、外国人参政権も、また、外国人の差別に関する問題も、すべて、憲法に関する内容として解釈することが間違いである。
  それを、日本の左翼勢力と日教組は、「憲法に基本的人権があるから」ということで外国人に対する人権も認めることが憲法の要請であるかのように誤解させていることに、左翼的解釈が発揮されている。
  よく保守の中で行われている「外国人参政権」に関する規定を憲法論議として語っている人がいるが、そもそも外国人の権利が憲法に書いてあると言うような幻想を持つこと自体が憲法の解釈に沿っていない。
  要するに議論そのものが成立しないし、その根拠製が憲法に存在しないと言うことになるのである。
  もちろん、それだからと言って、外国人に拷問してよいなどというつもりはない。
  それは、憲法ではなく別な規定として、別に定めるものであって、憲法の論議ではないと言うことを言っているのである。
  その上で、あえて言えば、憲法には、外国人のことは何も書いていないのである。
  当然に憲法には、日本国国民に対しての基本的人権しか書いていない。
  極論をすれば、そして国際的な条約などをすべて無視すれば、外国人に対して一切の人権を認めないということも、憲法だけの解釈であれば可能であるということになる。
  あえて繰り返せば、日本国内における外国人に対する人権は、憲法ではなく、他の規範意識や条約などによって根拠法となり、その上で日本国憲法で育った日本人がその王式の範囲内で法律や憲法と言う範疇を超えて、個人の資格において援用して人権を護っているということに過ぎない。
  あえて、11条の「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として」とは、左翼の解釈と逆であり、国債規範的な、国際法的な基本的人権の概念があり、日本国政府は憲法に従って、その国際的な概念にある基本的人権を「日本国民に対して」「保障する」と言うことでしかない。
  当然に、その内容は、外的な基本的人権の概念を、日本国憲法も国民に対して保障するというものでしかなく、外国人はこの規定にはない。
  また12条の「国民は、これを濫用してはならない」とは、当然に「人権を必要以上に主張してはならない」というものである。
  要するに「働く人よりも、多くの生活保障を要求する」などというのは「濫用でしかない」し、また、外国人に対して生活保障や必要以上の人権の求めることも「濫用」に当たる可能性を秘めている。
  細かいところは司法の判断に任せなければならないが、実際に人権と憲法と国民の関係はこのようになっており、また、それが当然に、憲法の日本語の解釈である。
  この解釈に違和感がある人は、ある意味で左翼的解釈の日本語憲法に「馴らされてしまった」と言えるのかもしれない。

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オリンピック特需を目指すさまざまな動きとその喜劇

オリンピック特需を目指すさまざまな動きとその喜劇

 今週はオリンピックで持ちきりであった。東京に半世紀ぶりにオリンピックが来るという話は、さまざまなことが派生して生まれることになる。当然に現在の日本の閉塞感を完全に払拭するための起爆剤になると言うことが多くの人の頭の中をよぎったことであろう。当然に、その起爆剤は、阿部内閣の「アベノミクス」とあいまって、多大な経済効果を生むことになる。
 中にはこれで復興が遅れると言う人も出てきたが、本来であれば、まともな政府であれば、当然に国際的な多くの人が来るまでに、復興を成し遂げる、新たな一歩を踏み出すと考えるのが普通である。日本人は長いデフレと不況感によって、いつの間にか他人を批判することと悲観的なものの見方しかしないようになってしまい、それがマスコミを中心に行われている状態になっている。しかし、よく考えれば、オリンピックがくるまでに、復興も行われると見るのが普通であり、現在の内容が7年後には変わっていると希望を持つことのほうが「普通の考え方」である。
 五輪招致のプレゼンにおいて、安倍首相の汚染水に関する発言も非常に問題になったようであるが、残念ながら、そのような批判をするよりも、本来であれば、完全なコントロール化におかれるために何をしなければならないのかを考えるほうが早紀ではないのか。他人を批判しても何もならない。そんな暇があるならば、福島のために何ができるか考えるべきであるし、原子力や放射能を研究して安全に、平和に使える方法を探すべきではないのか。残念ながら、批判する人の多くは、その時点での思考が停止し、その上で、それらを禁止することで封印する。この性質が問題の先送りになることをまったく考えない。事件から逃げてもどうしようもないし、他人に責任転嫁してもどうにもならない。批判する人々はそのような責任転嫁で、いつか、政府に甘えているようにしか見えないのである。
 しかし、今日はそのような批判に対する批判が主題ではなく、そのような批判する人の逆の立場、自分で何とか使用とする人々の「喜劇」を見てみたい。

名前に釣られて急上昇?五輪招致で急騰したある小売業 | 日刊SPA!

 2020年オリンピックの東京開催が決定し、喜びに湧く人、原発関 連の欺瞞に怒りを抱く人とさまざまな声が聞かれるが、マーケットは週明けからインフラ整備の期待などから不動産、ゼネコン株が急騰。陸運や観光業界の株価も上昇が期待されている。
 そんな中、とある小売業が週明けの東京市場前場でいきなりの急伸を見せた。
 とある小売業とは……その名も「OLYMPIC」! 東京・神奈川など南関東圏ででスーパーマーケット・ホームセンターを経営する企業である。
 寄り付き766円でスタートした途端に急伸、なんと797円まで急騰したのだ。ところが、その後は急速に前日の終値まで戻ることに。
 これはまさか、国内外の投資家が名前に釣られて「オリンピック関連株」と勘違いして急速に買ったはいいものの、途中で「これ違くね?」と気づいた……ってことなのだろうか。
 勘違いで急騰した(?)株もあるけれど、今後は日本の株価にはいい影響があるだろうと言われている五輪招致成功。
 景気上昇と同時に、安倍政権にはスピーチで言ったようにしっかりと福島第一原発を「アンダー・コントロール」して汚染水問題を解決し、被災地復興も達成してもらいたいところだ。 <取材・文/日刊SPA!取材班>

日刊SPA! 20130910
http://nikkan-spa.jp/504692

相模ゴムやオカモトにコンドーム「五輪特需」? ロンドンでは15万個がわずか5日で品薄に

   2020年夏季五輪の東京開催が決定したことを受けて、2013年9月9日の東京株式市場では、インフラ投資など中長期的な経済効果への期待から建設株や不動産株などで「買い」が優勢となった。
   2020年の東京五輪の経済効果は約3兆円。2次的な波及効果を見込めば、5兆円ともいわれる。その恩恵に授かれるのは、どんな企業なのだろう――。
大成、鹿島、清水がそろって年初来高値を更新
相模ゴムは2020年の東京五輪で「0.01ミリ台のコンドームを配る」と意欲をみせる(写真は、相模ゴムのホームページ)
   9月9日の東京株式市場で値を上げたのは、建設株や不動産株。大手ゼネコンでは、大成建設、鹿島建設、清水建設がそろって年初来高値を更新した。
   なにしろ56年ぶりの東京五輪だ。聖火台のある、現在の国立競技場は総工費約1000億円をかけ、2014年7月から19年3月までの工事期間で建て替えを予定している。
   まだ事業者は決定していないが、おそらくは大成建設や鹿島建設、清水建設、大林組、竹中工務店(未上場)などのいずれかが受注するとみられる。
   また、晴海に建設予定の選手村は920億円の事業規模。五輪閉幕後の活用を含めて、大手ゼネコンや、三井不動産や三菱地所、住友不動産などの大手不動産が注目している。
   どの銘柄も直接的な経済効果が見込めるし、地価上昇などの副次的な効果も期待できる。
   建設関連株はまだある。五輪会場がウォーターフロントにあたることから関連工事の受注に期待がかかる、海上土木に強みをもつ五洋建設や地盤改良など特殊土木のライト工業、交通インフラの整備ではコンクリート橋梁のピーエス三菱や橋梁大手の横河ブリッジホールディングス、道路舗装大手のNIPPO、セメント大手の太平洋セメントなどがそれだ。
   一方、アシックス、ミズノ、デサント、ゼビオなどのスポーツ関連株も上昇。また、2020年の東京五輪をにらみ、選手育成が盛んになるとみられることから、スポーツクラブをもつコナミなどの銘柄も上がった。
   海外旅行者の増加を想定した観光・ホテル、交通関連の銘柄も買われ、藤田観光や日本空港ビルデング、オリエンタルランドなどが上昇。多くの旅客が期待できるJR東日本やJR東海、東京急行電鉄など、五輪開催の恩恵が見込めそうな銘柄は総じて高かった。
「一見五輪と関係なさそうな企業でも、恩恵があるかも」
   そうした中で、2013年9月9日付のスポーツニッポンは、世界最薄の「0.022ミリ」のコンドームを製造している相模ゴム工業が、2020年の東京五輪でのコンドームの配布に意欲をみせている、と報じた。同社の担当者が「五輪までに、なんとしても0.01ミリ台を実現させる」と、意気込んでいるという。
   五輪でコンドームが初めて配布されたのは1988年のソウル大会。2012年のロンドン五輪では参加者1万500人に対し史上最多15万個が配布されたが、わずか5日で品薄になり話題を呼んだ。
   そんなこともあって、週刊朝日(2013年9月13日号)も、コンドームメーカー大手のオカモトに注目している。相模ゴムと同様、オカモトも過去に長野・冬季五輪のときに配布された経緯がある。
   いずれも東京五輪での需要を期待されてのことだ。
   さらには、高級ホテルのベッドシーツのクリーニングなどを請け負っている白洋舎や、スポーツの放映権やマーチャンダイジング権などを独占販売できる権利を多数保有している広告大手の電通なども「五輪特需」を手にしそう。
   とはいえ、ある個人投資家は、「2020年の東京五輪は、基本的にはアベノミクス政策の延長線のこととみています。3本の矢の3本目になかなか火が点かない中で、それを後押しする。なので一見五輪と関係なさそうな企業でも、案外恩恵があるのではないでしょうか」という。

J-CASTニュース20130910
http://www.j-cast.com/2013/09/09183405.html

 さて、今日は土曜日である。いきなり今日の記事は「コンドーム」ということだ。
 自力で何とかしようとする人々は、オリンピックの景気浮揚に伴い、その景気の波に乗れるようにさまざまな形で行う。そのようなカテゴリーの中の人でも他力本願の人は「株を買う」と言うことになる。これはオリンピックで関連する値上がりや業績のアップにつながる企業の株に投資することによって資産を増やそうと言うものである。可処分所得の範囲内において投資をする分には、景気がよくなってよいものである。
 さて、この中において、「関連の名前だが関連性が薄い」企業が少なくない。上記の記事にある、小売業(ディスカウントストア)の「オリンピック」は、名前はまさに関連どころかオリンピックそのものであるが、残念ながら、オリンピックによる特需とは関連性が薄いような気がする。しかし、知らない人または海外の投資家などは、その辺の誤解があり、当然に株価が上昇するきっかけになってしまう。ある意味で広い意味で「関連銘柄」と言うことになるのであろうか。
 一方本当に業績が伸びるのは、当然に建築業やスポーツ用品の製造メーカーである。しかし、それ以外には観光やホテルまたは交通機関や旅行業などが挙げられる。しかし、それ以外に意外な内容が「コンドーム」であると言うのが後半の記事だ。確かに、日本製のコンドームは「薄くて安全」ということであり、海外では非常に人気商品であるあまり利知られていないが、海外旅行者の多くが薄いコンドームを購入すると言われており、また海外の駐在員に対するお土産に最も喜ばれるのが「コンドーム」である。こればかりは家族に頼めないし、女性にもお土産で勝ってきてほしいともいえない。なかなか、入手が困難なものである。セックス産業は倫理的にもあまり好ましくないが、人間が人間である以上、やはり「必要」であると言える。海外から多数の観光客、観覧客そしてマスコミがくる。当然に若い男性も少なくない。その人々の関連商品ということで、当然に、人気商品であることは間違いがないのである。
 このように考えれ五輪関連銘柄と言っても、一概に何が良いのか。単純に「海外の人が日本に何を求めているか」「日本の何がすきか」と言うことであり、同時に、その観光客が買って帰ることのできるものが人気になる。このようなもので商売をし「意外なところからの景気の起爆剤」を考えるのも面白いのではないか。先入観や既成概念ではなく、7年間でできることを自分で行う、と言うことが最も重要なことなのではないだろうか。

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徐々にひどくなる中国の言論統制とその裏にある派閥抗争そして戦争の準備

徐々にひどくなる中国の言論統制とその裏にある派閥抗争そして戦争の準備
 先日、中国社会科学院の方の講演を聞く機会があった。もちろん日本国内の話である。詳細は私が主催したものではないので控えるが、なかなかためになった。主題は経済に関することが中心であったので、その内容は今日のブログと趣旨が異なる。しかし、当然に中国の社会科学院の方が来て日本で講演となれば、中国の政治体制と、尖閣問題が大きな話題になり質疑応答はそこが中心になってくることになる。
 その先生は、尖閣の領有に関係なく「両国協力して開発」ということを言い、また、政治体制に関しては「すでに中国共産党はツイッターなどで情報のコントロールを失っている」という評価をしている。
 いずれにも違和感が残ったが、最後には「私は経済が専門で政治はよくわからない」ということなので、ある程度のところまでは話になるがm、それ以上の会話にならなかった。実際に、中国の方で自分の意見や個人的な見解を述べず「わからない」と答える人は非常に少ない。中国はある意味で理数系であっても大学入試の必須科目の中において「政治」という科目があり中国共産党の政治政策に関してはしっかりと学んでいる。その中のエリートがこのように海外に出てまたは中国の組織内で活躍しているのである。もちろん、中国共産党の政策そのものが、悪とかよくないという価値観を押し付ける必要はないが、日本の国内において相容れない部分が少なくない。その内容をよくわかっている彼らが、調整する内容がまさに、「わからない」という回答が一つのものではないか。
 逆に言えば、中国共産党の星座区と思想は、そのようにこたえなければならないようにある意味にお手情報が統制されている。めったなことを話せば、当然に、その内容は中国国内において問題になり、役職を外されたり共産党から除名になったりする。以前、私の友人に、北朝鮮をちゅごくはどのように処理するつもりか聞いたことがあるが、「非常に微妙な問題」としか答えなかった。深刻さをアピールすると同時に結論的なことを言わないというのは、まさに、彼らの質問に対する回答の常とう手段である。逆に言えば、そのようなプライベートな場であってもしっかりとしたことを言うことがはばかられる政治風土にあるということが明らかになる。
 その情報統制に関する記事が、ちょうど二日連続で出てきた。中国の情報に関する内容を少し後半では考えてみよう。
朱建栄教授に軍情報スパイ容疑 中国当局が取り調べ
 【上海共同】日中問題の論客としてマスメディアでも活躍している中国人学者、朱建栄・東洋学園大教授(56)が、中国内で違法な情報収集を行ったスパイ容疑で国家安全省当局の取り調べを受けていることが10日、分かった。複数の中国筋が共同通信に明らかにした。朱教授は7月17日に出身地の中国上海市を訪れた直後から50日以上にわたり消息を絶っている。
 中国内で中国軍関係者らを対象に実施した学術調査に対し、違法行為の容疑が持たれているという。中国では、関係当局が影響力のある学者や活動家らを軟禁し「再教育」を行い、その後、解放するケースがあることから立件に至らない可能性もある。
47NEWS(よんななニュース) 20130910
http://www.47news.jp/CN/201309/CN2013091001002001.html
中国が乗り出した中国版ツイッター規制
 中国で、ソーシャルメディア上での反政府発言への監視が一段と厳しくなった。
 中国の最高裁(最高人民法院)は9日、「国家を中傷したり国家について誤った情報」をアップし、500人以上のリツイートか、閲覧数が5000件を超えた場合は、最高3年の禁錮刑を受ける可能性があるというガイドラインを発表した。最高裁によれば、常習犯は政治的な権利が剥奪される可能性もある。
 ガイドラインでは、ライバル企業に関する噂を流して報酬を受け取る会社に対する罰則も規定している。深刻な違反者は、5年の禁錮刑になる可能性があると新華社通信は報じている。
 10日に発効された新しい罰則は、中国政府が役人の汚職を明らかにしたり、中国共産党の権威を損ねて放題のソーシャルメディアに対する支配を強化しようとする最新の試みだ。
 ここ数カ月、中国版ツイッターの微博(ウェイボー)で反政府コメントをする有名な批評家たちは、共産党の方針にきちんと従うよう警告されている。中国系アメリカ人作家のチャールズ・シュエは、ネット上で性を売り、噂を煽っているとして先月24日に逮捕された。
 一般の人たちにとって、何が「噂」に当たるのかは不透明なままだ。最高裁は、今回の規定が、善意の内部告発者を罰するためではないと強調している。
新たな混乱を生む「疑惑や暴露の内容が誤った情報だったとしても、他人を貶めるための意図的なねつ造でない限りは......名誉毀損罪として起訴されることはない」と、最高裁の報道官は言う。
 ただ最近の2件の逮捕は、「誤った情報」があやふやになり得ることを示している。先月、微博の利用者2人が、雷鋒(ライホウ)についての噂をねつ造したとして逮捕された。雷鋒は、政府がプロパガンダに利用するための半分架空の兵士で人民解放軍の模範とされる。
 新規定は、中国政府に都合よく使われる可能性もある。中国専門家のビル・ビショップは、自身のニュースレターの中で次のように指摘する。「ソーシャルメディアの数字を裏で操作するのは簡単で、国民は何をアップするか非常に気をつける必要があるだろう。悪意があれば、すばやく簡単に、特定のメッセージや閲覧数を超えさせることができる」
「何が誤りで、何が名誉毀損で、国家的な利害を傷つけるのは何かということの定義は、所詮利用者が決めるものではない」
newsweekjapan.jp 20130911
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/09/post-3042.php
 朱建栄氏に関しては、選出の社会科学院の方が「個人的な関係で入手した軍事情報の漏えいの嫌疑がかかっている」ということを話していた。「スパイというのではないが情報漏えいに関する事情聴取」というのは大変だ。つまり、朱氏に限らず、個人的な関係で入手した情報といえども政府の後任がなければ「情報漏えい」の犯罪で彼らは拘束されるということを意味する。もともと中国には言論表現の自由はなく情報は統制された社会であるということを繰り返し書いてきた。一部の人々からはそんなことはないという反論やお叱りなどもいただき、根拠がないのに中国を刺激するのはよくない、などとの意見をいただくことも少なくなかったが、今回の朱氏の事件などはまさに、「情報が統制され、なおかつその表現の自由が存在しない」ということの証明でしかない。
 ここで、軍事関係の機密事項に関する取扱いということになるのであるが、本来であれば、朱氏に対して漏えいした人がその情報統制の罪に問われるはず。もっと言えば、大本の軍隊に所属している人々やその管理責任者が問題になるはずだ。しかし、そのようにならずに、それを日本国内で「評論」した人が「情報漏えい」の嫌疑がかかるということろが面白いところではないか。まさに、これは軍隊に国民に対する秘密保持の義務よりも、その中国内におけるすでに漏えいしてしまった情報を、それに対して論評するだけで、「外国に対して情報を書いた」という嫌疑がかかる。単純に言えば、機密保持義務は中国人全般、少なくとも中国共産党員全般にかかる「義務」として存在し、その漏えいの対象は中国国内ではなく、外国に対する漏えい行為が問題になるということが最大の問題であるということが、言論の党勢になる。もっと言えば中国国内の噂話を海外で行えば南ア科の情報漏えいの罪になる可能性があるということになる。これは表現の自由がないということになるのではないか。
 その観点でいえば、中国版ツイッターの規制に関しても同じだ。単純に言えば、共産党政府に批判的なことを書いた場合は、禁固刑になるという。これも同じでインターネットは海外に向けた窓口であり、海外でも閲覧が可能であるということになり、それはこの軍事機密の漏えいと同じ状態になるのである。
 さて、このようになったのはなぜなのか。
 一つには中国国内の派閥争いがある。実際に中国国内は共産党青年団と太子党という二つの政党のような集団があるのではなく、もっとこまかっく派閥に分かれている。最近検挙された石油族や江沢民を中心にした上海閥など、どちらかというと儒教的な師弟関係や金銭的つながりによって、集団が形成され、その集団の中に太子党的な人と共産党青年団的な人が混在している感じだ。その派閥の「連立与党」のような感じで習近平国家主席体制になったのであるが、その基盤が最近不正打破や外交の失敗などで崩れつつあるのである。その内容は例えば、デモで化学工場の計画がご和算になったり、あるいは、地方人事が更迭されたり、または軍隊や地方政府が中央政府の命令を無視するなどの減少としてあらわれ、その究極の形が薄氏の裁判と石油族の検挙ということになる。そのような内部抗争があり、これhが10月後半に予定される党大会までの間、中国の執行部の主導権をめぐる確執があるということになる。
 そして内部が、荒れているにもかかわらず、尖閣諸島、または南沙諸島などアメリカの影が出てきている海外の動きがあり、その戦争に備えなければならない状態になっているのである。特に習近平の外交に頼って、平和的でなおかつ中国の国益を十分に充足する外交交渉が期待できない中国においては、究極には「武力衝突以外にはない」という考え方が主流である。中国に最近仕事などで行かれた方お分かりと思うが、「日本と中国は戦争する」と考えている一般の人が非常に多く、日本語学校などでの日本への留学者又は就職における渡航者などが激減している状態である。これはまさに「戦争仮想敵国への事前渡航」とおなじような状態になってしまっているのではないか。まさに執行部が派閥争いしてしまい、その影響で国家を維持する機能が軍隊に頼らなければならない状態になっている中国の問題が、このような情報統制に現れている。
 日本にこのような危険認識している風潮はない。実際に私自身中国と日本が「全面戦争」するとは考えていない。尖閣諸島付近での小競り合い程度ではないかと予想するが、実際にミサイル攻撃などがある中国は、そのような甘い考えではいけないのかもしれない。しかし、その考えを改めるための情報がこのように中国共産党の情報統制で出てこなくなってきたということが言えるのかもしれない。そしてそれが「中国の狙い」なのかもしれないと考えると、今回のこの二つの情報統制事件は非常に大きな「一歩」ではないかと考えている。

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韓国における慰安婦問題の冷静なる分析を報じる内容

韓国における慰安婦問題の冷静なる分析を報じる内容
 「韓国の研究を評価する」というと、日本のネットの世界ではバッシングと抵抗を受けることになる。特に、その内容が「慰安婦問題」または「歴史認識」「戦争」「日韓併合時代の評価」という分野になると、その反応はより一層過激になり、ひどいときには、その内容を読まずに「売国奴」といわれることになる。
 幸い、私の場合、ネットの中では粘着質の菅直人支援者に「右翼」といわれているようであり、非常に光栄なことと持っている。菅直人や鳩山由紀夫のような人物やその支援者に「右翼」と評価されることは、ある意味において「正常な日本人」と評価されていることである。あえて放置して広まっていただき、同時に定着していただくことを希望しているのであるが、所々で、「韓国」「中国」の要人や歴史研究者の発言を引用したりその交流を記載するために、なかなかその内容が定尺しないのも事実だ。
 さて、今回はポストセブンの記事から、「慰安婦問題を事実を基に評価する」という韓国のソウル大学名誉教授の話である。韓国のソウル大学の関係yさや官僚は、率先して日本を悪者とし“悪魔の日帝”と“被害者の朝鮮”という構図を作りだす。この単純な勧善懲悪型の構図は日本のあまり頭のよくないテレビ制作者のイマジネーションを掻き立て、まさに日本の時代劇よろしく、日本は悪者であったという何の客観的事実も歴史的検証もない、報道を垂れ流している。今日はマスコミの批判ではないので、これ以上はやめておくが、実際に、歴史や事実の複雑さをマスコミは表現することができない。単純に売国というだけでなく、彼らの表現力やあるいはコミュニケーション能力の著しい欠如と技術の未熟さが、日本のマスコミの売国性をより強調しているという側面があることを紹介しておく。
 さて、韓国は、日本のマスコミの「支援」もあって、韓国は政府を挙げて「反日」「日本バッシング」を行っている。当然に政府系の報道機関(政府広報や報道官の発言を含む)や公式の発表はすべて反日の悪意に満ちている。同時に、中国に経済的に依存している財閥の多くも、日本よりも「顧客」である中国にシンパシーを感じ、なおかつ売り上げを伸ばすために元の宗主国である中国に従って、中国以上に過激な発言を繰り返す。財閥の資本の入った民間の新聞やテレビなどのメディアも当然にそのようになってしまう。そして、韓国国内のいわゆる「B層」、実際にメディアが情報源のすべてであるという人々は、メディア報道ソースを信用し、自分たちで調べることもせずに、その反日思想をより一層過激化してネット上で繰り返す。それを世論と思うマスコミや政府は、そのネットよりも過激になるという、過激性の悪循環が発生し、より先鋭的な反日運動が繰り広げられるのである。
 しかし、そうでない韓国人がいることも事実なのである。
慰安婦調査のソウル大教授「事実をねじ曲げる仕事じゃない」
 韓国だけでなく、世界中に慰安婦問題で日本を非難する声が拡散しつつある。だが今回、韓国・ソウル大学の名誉教授が発見し解読した日記によって、世にはばかる“通説”には捏造情報が多分に含まれていることがわかった。「たとえ親日家と罵られても、私は真実を語る」と、教授は語り始めた──。
「約20年前、私は『韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)』という団体と共同で慰安婦問題を調査していた。しかし、次第に『挺対協』の目的が慰安婦問題の本質に迫ることではなく、ただ日本を攻撃することだとわかり、調査団から離れた。
 その後は“お前はバカな親日家だ”などと罵られ、研究者としての仕事もしづらくなった。だが、研究者の仕事は事実を明らかにすることであり、事実をねじ曲げることではない。その信念は今も変わらない。
 だから、慰安婦問題の新事実を含んだこの日記と出会った時は心が躍った。そこにはこれまでの慰安婦問題の通説と異なる情報もあった。しかし、研究とは事実を明らかにすることであり、利害関係が入り込む余地はない。この日記は日韓どちらの損得とも関係のない客観的で重要な資料だ」
 そう話すのは、朝鮮経済近代史が専門の安秉直(アン・ビョンジク)・ソウル大学名誉教授(77)だ。
 安教授は8月、慰安婦の施設を運営していたある朝鮮人男性の日記を発見し、世間に発表した。もともと日記は個人博物館の運営者が所蔵していたものを国立韓国学中央研究院が見つけ、安教授が所属する研究所が解読と研究を請け負ったものだった。
 日記の筆者は1905年に朝鮮に生まれ、1979年に死亡。彼は1922年から1957年までの36年間の記録を綴っていた。第2次世界大戦に日本軍政下のビルマとシンガポールで慰安所の経営に携わることになる彼の日記は、1943、1944年の分が、慰安婦関連の貴重な資料となった。安教授が話す(以下、「」内はすべて安教授)。
「今までの慰安婦関係の資料は、朝鮮総督府、台湾総督府を含む日本政府が残した資料に限られていた。慰安婦という性格上、公文書に残しづらい点もあり、資料は極度に不足していた。そのため、韓国での慰安婦に関する研究は、新聞や雑誌などに記載された二次資料や関係者の証言などに依存するほかなかった。
 政府の資料は隠蔽された部分もあるだろうし、関係者の証言は補償などの利害関係に絡むから信用できない点もある。その点、この日記は慰安婦問題が世に出る1990年以前のもので改竄されようもない。非常に客観的な歴史的資料といえる」
 日記は第三者に見られることを想定しておらず、慰安婦や慰安所の日々の様子が淡々と綴られていた。個人名は一部伏せ字にしてある。
<鉄道部隊で映画があるといって慰安婦たちが見物に行ってきた>(1943年8月13日)
<保安課営業係に金◯愛の廃業同意書を提出し証明を受け取った>(1944年9月6日)
<帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部(※注1)の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ>(同4月5日)
<正金銀行(※注2)に行き、送金許可された金◯守の1万1000円を送金してあげた>(同12月4日)
 植民地時代の話になると、“悪魔の日帝”と“被害者の朝鮮”という構図になりがちだが、安教授は「両国共に冷静な分析が必要だ」と語る。
「宗主国にとって植民地政策には『利用』と『開発』の両方の側面があると考えている。開発しなければ負担になるだけ。実際、当時の朝鮮では農民経済が安定し、工業生産力が拡充するなど、様々な分野で近代化を迎えた。それは自主的なものというより、日本の植民地開発によるものが大きい。韓国は植民地時代のすべてを否定すべきではない。
 翻って日本だが、今の安倍政権が歴史認識で批判されるのは、何のために『15年戦争(※注3)』を戦ったのか、それで何を得たのかということを客観的に議論できていないからだ。300万人以上が亡くなった戦争は結局、何一つ日本のためにもなっていないのではないか。
 日記が両国の歴史認識にどれほど影響を与えるかはわからない。研究者としての私の願いは、事実をねじ曲げることなく、事実は事実として問題が解決されること。そういう意味でこの日記は役に立つはずだ」
【※注1】共栄倶楽部/シンガポールにあった慰安婦の名前
【※注2】正金銀行/横浜正金銀行のこと。東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身
【※注3】15年戦争/1931年の満州事変から1945年のポツダム宣言受諾による終戦まで、約15年間の日本の紛争、対外戦争をまとめた総称
※週刊ポスト2013年9月20・27日号
NEWSポストセブン2013.09.10 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20130910_210375.html
 あえて韓国人の肩を持つ。
 もちろん、韓国政府や中国に媚を売る財閥系の人々、そしてその情報をすべてと思っているネット無知層(もちろん韓国のということであるが)に対して共感をしているわけではない。
 逆に、例えば、日本人との間で貿易をしている人、日本で長年暮らし仕事をしたことがある人(事業者としてでなく、日本企業で仕事をした人)、日本の文化を好きな人、そして日本を研究している人々、これらの中で中国との縁が薄く、なおかつ歴史的に正当な評価を加えられる知識人は、反日を主張することの愚をわかっている。当然に、その内容は「事実」を「客観的」にとらえることであり、詳細な部分の解釈がお互いの国籍と国益によって異なるものの、現在の韓国の公式見解のように過激なネット世論に左右されるような、常軌を逸した発言は十分に制御されることになる。
 では、この韓国人の違いはなんなのか。単純に」「ハングル以外の文字を読めるかどうか」ということである。
 単純に、韓国の公用語はハングルである。しかし、古代韓国は中国語である漢字(旧字体であって現在の中国語簡体字とは異なる)を使っていたわけであり、同時に、戦時中は日本語を使用していた。当然に、その時代の一級資料は漢文で書かれた資料であり、同時に戦時中の一級資料は日本語で書かれた資料ということになる。しかし、現在の韓国人において、ハングルしか書けない人が少なくない。感じで自分の名前をかける韓国人は全体の2割しかいないという報道を見たこともある。要するに「韓国人は歴史を捨て、韓国に残された文献を読むこともできない民族になってしまった」ということに他ならない。そのために、自分の空想とハングルで伝わってくる情報以外を遮断し、残りを現在の感情と空想でつなぎ合わせるために、わけのわからない常軌を逸した動物的な歴史解釈しかできなくなってしまうのである。
 これでは話にならない。以前対馬の仏像に関してブログに書いたこともあるが、漢文で書かれた文章を読めないために、その仏像の本当の所有や歴史的由来をまったく無視し、客観的な話ができない「馬鹿な」国民になってしまったのである。それが国際法を完全に無視した半島人特有のご都合主義と責任転嫁と会い待て「嫌われる韓国人」になってしまう。韓国の知識階級はその嫌われている事実を世界各国で痛感し、当然に、「常識的で客観的な判断を求める運動」を行うことになるが、韓国国内では「親日的」とされてバッシングされる。いずれもマスコミや知識のない韓国国民のなせるわざである。
 逆に日本は「他人のふり見てわがふり直せ」をしなければならない。単純に感情的なバッシングをしても、けんか両成敗で他国から評価されるだけである。逆に、韓国国内におけるこのソウル大学の名誉教授のような人を支援し、「理性的で客観的な歴史認識」を勧めうようにしなければならないのではないか。その運動を、韓国にだけでなく、世界各国に宣伝し、そしてその理解を求めるようにしなければならないのではないかと考える。
 馬鹿を相手にするとバカが伝染する。まさに、日本がまともに韓国のこのようなハングルしか読めない歴史を捨てた人々を相手にすれば、日本はそれと同じレベルに見られてしまう。そのようなことの無い様に、日本は後記で理性的な民族として、客観的な事実を宣伝し世に知らしめる必要があるのではないか。当然に日本のマスコミに対しても同じことが言えるのである。

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「東京オリンピック2020」決定で世界的に孤立する中国と韓国

「東京オリンピック2020」決定で世界的に孤立する中国と韓国
 今週の日曜日の未明、だいたい早朝の5時に近かったであろうか、ブエノスアイレスでIOCの総会があり、その中で、2020年の東京オリンピック招致が決定した。あえて「2020」という西暦で表記するのは、今回のIOCで、会場発表の時に「TOKYO 2020」
と書いたプレートが出た場面が頭から離れないからである。
 さて、このオリンピック招致決定に関するニュースは、日曜日のテレビ局を「ジャック」したといって過言ではない。その中には純粋に事実だけを伝えるもの、将来を考えるものなどから、関口宏の番組のように大きな仕事を成し遂げた首相に対して失礼な口のきき方で、なおかつ課題だけを上げて招致の歓迎ムードが全くないような番組まであった。今後、もちろんたくさんあるものと考えられるが、その「リスクのない発展」はないという感覚からすれば、日本は景気回復と復興の大きな「起爆剤」を異手に入れたと考えるべきではないのか。よく考えてもらいたい。菅直人首相の時代ならば別であるが、そのほかの通常の感覚を持った政権であるならば、7年後日本に多くの外国人が来るときに、被災地を現在の「廃墟」または「荒野」のままにしておくことができるであろうか。そのように考えれば、オリンピック招致によって復興が「7年後まで」となったことがあげられるのではないか。
 復興だけではなく、経済的な発展も、そして、日本における招致の機運も、停滞感とか閉塞感といった国民の意識も大きく変わるところがあるのではないか。もちろん、それらは今後の日本の政権や東京都のカジノ取り方ひとつであるが、少なくとも、何かが大きく変わることは間違いがないのではないか。もちろんオリンピックの期間中は東京が混雑するなどの問題もあるが、現在インフラで問題になっている多くの問題、例えば首都高速の老朽化なども含めて、「他国の恥ずかしくないようにする」という、招致演説の最終のプレゼンで滝川クリステル女史が言った「おもてなし」(実際フランス語がわからないので彼女のスピーチはここしかわからなくて印象に深く残ったのであるが)をどのようにするのかということが、大きくかかわることになる。
 「アベノミクス」の次の一手がこれでできることになり、なおかつ、日本の将来に少し希望が見えたのではないか。
東京五輪、3つの勝因とは 海外メディアが分析
 8日、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2020年夏季五輪・パラリンピックの開催都市が東京に決まった。1回目の投票でマドリード(スペイン)が脱落。決選投票でイスタンブール(トルコ)が脱落し、東京が過半数を獲得した。
 東京での五輪は1964年以来2回目となる。過去に大会が複数回あったのはアテネ、パリ、ロサンゼルス、ロンドンだ。
 海外メディアは東京五輪決定の背景と今後の課題について報じている。
【安倍首相のプレゼン】
 最終候補の3都市は、それぞれ大きな懸念材料を抱えていた。東京は、福島第一原子力発電所での汚染水問題。イスタンブールは、デモなど政情不安と、隣国シリアの内戦。マドリードは、高い失業率など経済不安。さらにイスタンブールとマドリードは、自国選手のドーピング問題でも厳しい立場に立たされていた。
 こうした状況下で、「汚染水問題に政府が対処できるのか?」という懸念をやわらげられたことが、勝因の一つだとフィナンシャル・タイムズ紙は報じた。安倍首相自ら最終プレゼンテーションに臨み、「状況は制御されています」と東京の安全を訴え、抜本的解決に向けた「個人的責任」を強調したことが功を奏したといえる。
【安全、安心、確実】
 一方ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、不確実な時代において、IOCは「安全・安心」を選んだと指摘した。
 ニューヨーク・タイムズ紙も同様に、日本の大規模国際イベント運営経験が評価されたとみている(1964年の東京五輪、1998年の冬季長野五輪、2002年のサッカー日韓W杯)。
 さらに同紙は、経済的な不安も小さいことを挙げた。実際、東京は45億ドル(約4500億円)の開催準備金を用意しており、来訪者向けのホテルや交通網なども整備されている。
【復興支援というメッセージ】
 イスラム圏初の開催を訴えたイスタンブールは、「スポーツを通して人々を繋ぐ」というオリンピックのメッセージを具体化できる唯一の候補地として、有利とされてきた。
 一方東京は、2008年夏に北京五輪が行われ、2018年冬には平昌(韓国)五輪が予定されているなど、アジア圏への集中という観点から不利という見方も強かった。
 メッセージという意味では、2011年の東日本大震災・津波からの復興支援への意志を示すチャンスともなった、とニューヨーク・タイムズ紙は論じている。
2013年9月8日(日)9時24分配信 NewSphere
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/newsphere-20130908-8170/1.htm
「韓国は東京五輪をボイコットすべき」とネットで議論 「開催決定にもケチ付けたから当然」の声
 2020年の夏季オリンピックの東京開催が決定した2013年9月8日朝、日本がお祭り騒ぎになる中で、韓国のメディアなどでは、冷ややかな声も出ている。ネットでは、「富士山が爆発して韓国で開催される」「開催地の変更はまだ可能」といった書き込みもあるほどだ。
これに対し、日本のネット上では、「韓国は参加をボイコットすればいいのに」といった声も出ている。
 韓国紙「中国で東京開催を祝うのはたった16.1%」
 20年の五輪の開催地を巡っては、韓国が東京での開催を阻止するためのロビー活動を活発に行っていると噂されていた。韓国の有力紙の「朝鮮日報」や「中央日報」は13年8月から9月にかけての社説などで、日本は放射能問題の解決より五輪招致が重要なのか、とか、汚染水問題を解決できなければ五輪招致を自主的に放棄すべき、などと論じてきた。また、IOC総会を前に日本の皇族が アルゼンチンを訪問してIOC委員と会うのは皇族の政治活動にあたり憲法違反の疑いがあるなどと、攻撃していた。
 東京での開催が決まった9月8日、韓国の経済サイト「マネートゥデイ」では、
 「韓国や中国など周辺国との間の反日感情と、最近浮上した福島原発の汚染水の問題が障害となり、東京での開催を水際まで追い込んだ」
 などと説明し、4000億円の資金と半径8km内で多くの試合ができる強みで開催が決まったなどと説明した。
 朝鮮日報は同日の韓国語のウエブ版で「中国のネチズン『日本のオリンピック誘致残念』」といった複数の記事を掲載した。
 ある記事では、夏季オリンピックの開催地に東京が選ばれたことに関し中国のネットユーザーの回答者7万人のうち「東京の開催を祝う」と回答したのが16.1%に過ぎず、スペインやトルコのほうがよかったと回答したのが約半数の49.1%だったと書いている。こうした東京五輪開催に関する記事のコメント欄には、
 「国際社会は戦犯国日本の再右傾化とか原発汚染とか、私たちが真剣に考えている現象について分っているのか?」
 「開催地は、最終的にマドリードに変更されます。富士山爆発が待っていて大地震も待っているからです。開催まではまだ時間があります」
などと書き込まれている。
 「韓国がもし誘致していたら当然勝利」
 また、
 「平昌冬季オリンピックがあるため韓国は参加しなかったが、韓国がもし誘致していたら当然勝利したのは韓国」
 「日本オリンピックの真の主人公は韓国にしましょう。彼らが競技に専念している間、私たちは、経済的効果を上げる国民的な機構を構成しましょう」
 などといった書き込みもあった。
 こうした記事を知った日本のネチズンたちは、
 「韓国がボイコットを宣言すれば良いと思うよw行動で示せって常々日本に対して言っている韓国なんだから」
 「参加は強制じゃないよ。ボイコットしてね」
 「韓国がボイコットするように靖国参拝を行って欲しいものです」
 などといった意見を相当数書き込んでいる。また、東京で開催されれば韓国が大嫌いな 「旭日旗」があちらこちらで振られる可能性があるとして、どんな反応が起きるか憶測する向きも出ている。
J-CASTニュース2013年09月08日16時42分
http://news.livedoor.com/article/detail/8047111/
国営メディア「東京は投票で落選」の大誤報流す=中国
 アルゼンチン・ブエノスアイレスで現地時間7日に開かれた国際五輪委員会(IOC)総会による投票で、東京が2020年の夏季五輪開催地に選ばれた。しかし、中国国内では決定前後に「東京が落選」との誤報を中央テレビ(CCTV)が流すなど、情報が混乱した。
 「東京五輪」決定直後、百度(baidu)などの中国大手サイトで「奥運」(中国語で五輪の意味)とニュース検索すると、トップに並んだのは「日本落選」、「イスタンブールが開催権獲得」だった。
 中国メディア・中国青年網はその後、決選投票によって東京が開催地に選ばれたことを報じるとともに、国営のCCTVと新華社が誤報を流したと伝えた。
 記事によると、CCTVは投票の様子を中継していたが、1回目の投票でマドリードとイスタンブールが最下位で並び、落選を決める再投票を行うことになった際に「東京は1回目の投票で落選、日本の五輪委員会は次の投票に参加できる」と誤って伝えたことが原因のようだ。
 記事は、誤報の原因を作ったCCTVについて「プロとしてあるまじき誤り」と批判した。(編集担当:今関忠馬)
2013年9月8日(日)8時39分配信 サーチナ
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20130908-20130908_00001/1.htm
 さて、この招致活動時、韓国が日本への招致の「妨害」を行ったことが明らかになっている。同時に、韓国のネットでは日本決定へのバッシングが繰り広げられている。中国においても同じであり、中国は誤報でありながらも、「日本落選」という見出しで中央テレビ(CCTV)が流したのである。このニュースの流し方に違和感があるのは、このブログの読者の皆さんならばすでにお気づきのように、本来ならば、「イスタンブール決定」とだけ見出しを撃てばよいのにもかかわらす、わざわざ「日本落選」と見出しをつけることによって、日本の名誉を著しく貶めた印象操作がある。その報道姿勢だけでも批判の対象であるが、これが天下の大誤報であることから「印象操作への批判」ではなく「世界中の嘲笑の的」となったのである。
 しかし、世界では日本のオリンピック招致を歓迎している。特に高円宮妃久子妃殿下のスピーチは、世界各国から称賛されたものであり、対抗であったスペインの皇太子も、妃殿下に「彼女(妃殿下)に最高位の祝福と賛辞を贈りたい。非常に素晴らしく心に響いた」という公式のコメントを出しているほどである。
 このような招致活動に対し、バッシングを行うというのは、一つには平和の祭典であるオリンピックを政治的に利用しているということで、韓国人と中国人のモラルとオリンピックへの意識が全くできていないことが批判の対象となる。過去にもモスクワオリンピックなど、政治的な問題があったところは少なくなかったが、それらはすべてボイコットという不参加の意思を表示をするものであって、インターネットなどで批判をするような話ではない。この意味において中国と韓国は、完全に世界的な常識のない国であるということが明らかになったということが言える。
 同時に、彼らが妨害工作を行ったにもかかわらず、最終の決選投票では60票を集めて日本が階差に権を獲得している。単純に言えば、各国の代表である人々の60の人の意思を彼らは無視していることになるわけであり、その内容は、完全に国際世論に反しているということになる。このことを考えれば、韓国と中国は国際的に、少なくとも97票のうち60票という人々の意思を踏みにじったことになるのだ。
 同時に、この中国と韓国の「世界の意識を無視した行為」を報道し、例えばオリンピックの招致に関して過剰に「東アジアが」というようなコメントを出すテレビコメンテーターなども含めて、「本当の世界に意思は中国と韓国だけではなく、この日本に投票した60か国の意思であるということ」をしっかりと認識すべきではないのか。日本を辱めるこれらの活動は、実際は世界各国では少数派でしかないこと、そのことも新たに分かったオリンピック招致であり、そのうえ、その中国や韓国を支持し、無用に日本を辱めるコメンテーターの存在も多くの日本人が認識したのではないかと考えられるのである。

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衰退しつつある日本の一次産業とその再生の手段を考える

衰退しつつある日本の一次産業とその再生の手段を考える
 日本の一次産業が衰退している。食料自給率や労働者の高齢化など総合的に衰退の一途をたどっているとみられる現象は少なくない。
 自給率に関しても、労働人口の高齢化に関しても、その統計的な数値に関しては、様々な作為があるというような状況がネットでいわれている。では、そのようなネットのロン著に合わせて考え、日本の一次産業は万全であるのかということを考えれば、実際にそのようなことはない。理論上または数値上の「大丈夫」という楽観論ほど残酷なものはない。
 至極単純に、現段階で中国韓国と戦争状態になり、日本に向けた輸出入だけでなく台湾海峡が封鎖されるという事態になれば、もっと言えば、商船流通がすべて封鎖された場合、日本は日本の国土だけで食料自給率などを含めて食の安全が守られる状態にあるのか。数値的統計的楽観論に左右されて、何の手も打たずにいれば、日本は兵力という点でなくても、隣国との間にアイデンティティを保てなくなってしまう。そのためには、本来は、日本は食料を輸出できるほどの力をつけなければならない。特に尖閣諸島や竹島など日本のシーレーンに近いところで紛争の種を抱えており、また、南沙諸島やインド洋など途中でも紛争の種を抱えている日本において、日本が現在のレベルよりおとしたとしても国民の最低限の生活を守るべき政策を日常から行わなければならないのではないか。日本だけが戦争をしなければよいというのではなく、現在はその輸出入のシーレーンその全般の安全の保障がなければ、日本では生きてゆけない。
 それだけではなく、世界的に頻発している異常気象。何も日本だけではなく、例えばオーストラリアの異常干ばつで小麦粉の値段が上がる、または、世界的なバイオ燃料の普及によって南米のトウモロコシが値上がりするなど、様々な環境の影響で、日本の食品は値上げされる状態になっている。マスコミはアベノミクスばかりで、異常気象のことはあまり報道しなくなっているが、実際には、そのような異常気象に基づく食料品の値上げ、そしてそれら輸入食材に頼っている日本御食生活に関して何を考えるべきか。
 実際に、日本が、「輸入をしない場合も少なくとも餓死しない程度の食料品が維持できる」レベルにしなければならないのではないか。そのためには一次産業を「経済」だけで語ること自体が非常に大きなリスクである。
 そのような状態であるのに、日本には「減反政策」「休耕田」というものが存在する。すでに目いっぱいならばある意味で仕方がないのかもしれない。しかし、実際に減反など一次産業として存在できるのにそれを行わないところがあるのだから、それは非常に問題があると考える。
農業の企業化は若者の新規就農を目玉に =大和総研
 農業の成長産業化は、今後ともわが国が活力を持続させるための重要課題である。安倍首相は、「農業・農村の所得倍増目標」を掲げ(2013年5月17日「成長戦略第2弾スピーチ」など)、6月14日に閣議決定された「日本再興戦略」でも「農林水産業を成長産業にする」と明示している。
 わが国の農業は付加価値ベースで見れば他産業に比べて生産性が低いといわれるが、このことは生産性向上の余地が大きい、つまり潜在的な成長力があると考えることもできる。一方で、農業の生産物の大半は、日々の人々の生活を支える根本であるから、価格が安いに越したことはなく、そのための政策的工夫をすべきだとの議論もあり得る。
 いずれにしても、農業の成長産業化のために、生産性の向上、農地の集約、農商工連携による6次産業化、等が議論され、農業への企業の参入も取り上げられている。一年半前のコラム「瑞穂の国における農業」(2012年3月7日)の末尾に「農業の企業化は有効」と書いたが、本稿では農業を成長産業とするための観点も踏まえて、その理由を述べる。なお、農業の企業化とは、既存の企業が農業に参入することや農業生産法人をより企業組織化することなども含めて、農業が組織化されて企業的に営まれることを指す。従って、具体的なあり方は様々なパターンが考えられる。
 現在のわが国の農業の課題の根幹は、農業の中核となる担い手の不足である。この問題を解決しないことには、農業の成長産業化もTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への積極的な対応も何もありはしない。2013年の農業就業人口は239.0万人でうち65歳以上が147.8万人と61.8%となっている(農林水産省ウェブサイト「農業労働力に関する統計」より)(※1)。5年前の2008年は農業就業人口298.6万人でうち65歳以上が180.3万人と60.4%であったから、農業就業人口が約2割減って、高齢化率(ここでは65歳以上が占める比率)が上昇したことになる。平成に入ったばかりの1990年の農業就業人口は481.9万人(高齢化率は33.1%)であったから、この四半世紀ほどで農業就業人口はほぼ半減、高齢化率が2倍近くになったことになる。人数という観点だけで見れば、現在のわが国の農業は高齢者に支えられていることになる。
 このような就業構造になった理由は様々な要因が絡んでいるが、一つには農業があまり儲からなかったということがあるであろう。その意味では成長産業化を目指すのは適切な方向ではある。しかし、それ以上に、農家出身でない人が農業を目指す道が、実質的にほぼ閉ざされていたに近い状況が大きな理由であろう。
 農家出身でない人が農業に従事しようとする場合、農地の確保に加えて、機械・施設の取得などの初期投資が負担となる。また、そもそも農業を身近に見てきたわけではないので、農業のリズムや農作物に関する理解を深めることから始めなければならない。さらに、独立自営で農業を始めようとする場合、農業を営む予定の農村との関係を良くしていくことも重要であろう。それらを踏まえた上で、少なくとも自分の身を成り立たせられる程度には収入を上げなければならないと考えると、農家出身でない人が新規就農することは非常にハードルが高いことといえる。
 農業の企業化は生産性向上なども期待できるが、その眼目は新規就農のハードルを下げることにあると考える。通常の企業が新入社員に集合研修を行い、その後にOJTなどで新人を一人前に育てていくように、全くの素人の新入社員を一人前に育てていくシステムを農業の企業化を通じて確立していくべきである。また、組織として対応することにより、週40時間労働(週休二日)、月給の支給、年次有給休暇制度の適用、など一般の企業で行われている就業規則の導入も可能となるはずである。ただし、例えば朝5時起きとか農地に密着するなど、他産業とは異なる農業の特性を反映した具体的な就業規則も必要となるであろう。「日本再興戦略」にも「若者も参入しやすいよう『土日』、『給料』のある農業の実現などを追求し、大胆な構造改革に踏み込んでいく必要がある。」(10頁)と書かれており、こうしたことは農業の企業化を通じて実現できると考える。「日本再興戦略」では、「新規就農し定着する農業者を倍増し、10年後に40代以下の農業従事者を約20万人から約40万人に拡大」(79頁)としているが、こうした目標の実現にも農業の企業化が有効に機能しよう。
 農業はしびれるような満足感を得られる。人は土の在る所、庭の在る所に帰って行く。体全体でしびれるのは農業をおいてない。工業製品は目と耳だけしか満足させる事はできない。若者の就職率低下が課題となっているが、農業の企業化を通じて、しびれるような満足感が得られる農業に、若者をいざなうことが多くの課題の解決につながるのではないだろうか。
 (※1)ここでの農業就業人口とは、15歳以上の農家世帯員のうち、調査期日前1年間に農業のみに従事した者又は農業と兼業の双方に従事したが、農業の従事日数の方が多い者をいう。従って、兼業の従事日数が多い農業従事者は含まない。
 (執筆者:金融調査部 主任研究員 中里 幸聖 株式会社大和総研)
2013/09/02(月) 07:35:11 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0902&f=business_0902_003.shtml
農業分野「農地バンク」で議論
政府の産業競争力会議は3日、農業の分野について話し合う分科会を初めて開き、農地の貸し借りをしやすくすることで農地を集約し、農業の大規模化を目指す、いわゆる「農地バンク」について、活発な議論が行われました。
政府の産業競争力会議は、3日、農業の分野について重点的に話し合う分科会を初めて開きました。
このなかで、農林水産省は、農業の大規模化を促すため、各都道府県に「農地中間管理機構」と呼ばれる公的な組織、いわゆる「農地バンク」を設立する方針を説明しました。
農地バンクは、小規模に分散している農地やすでに耕作しなくなった農地を借り受けて、意欲のある農家にまとめて貸し出すことで、農業の大規模化を目指す仕組みです。
3日の会議では、農地バンクの運用面の課題について活発な議論が行われ、「集約した農地の借り手は確保できるのか」といった質問や、「土地の取り引きに詳しい不動産業者などに業務を託してはどうか」といった提案などが相次ぎました。
また、「効果を高めるために競争力のある農家を優先して農地を貸し出してはどうか」という意見も出ていました。
政府は、産業競争力会議での意見を具体的な制度設計に反映させ、ことしの秋の臨時国会に関連する法案を提出することにしています。
k10014248441000.html
NHKオンライン 20130903
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130903/k10014248441000.html
 安倍内閣のキーワードは「戦後レジームからの脱却」である。この言葉はいつの間にか「憲法改正」ということになるのかもしれない。しかし、GHQによって改革された基本方針は「五大改革指令」として、①婦人の解放、②労働組合の助長、③教育の自由主義化、④圧制的諸制度の撤廃、⑤経済の民主化があげられ、これに基づいて婦人参政権の確立・労働組合法の制定・教育基本法と学校教育法の制定・財閥解体と農地改革などが着手され、“日本の非軍事化・民主”の政策が実行されていったのである。
 実際に農地改革及び小作農制度の解体、および現在社会的に問題になっている家制度の崩壊は、まさに、この非常に大きな日本の問題の根幹になっている。もちろん戦前の日本がすべて正しかったというものではないが、しかし、GHQの改革を金科玉条のごとき不変の制度としてしまうのはいかがなものか。特にその改革の上に制度を作り、それを既得権化した日本の諸組織は、それでうまくいっているのであればこのような問題にはならないのに、本来農民を育てそして日本の食糧を担うはずの組織がいつの間にか米価などの利権職業になり、そして、日本国内の補助金の圧力団体になってしまっている。そのために、いつの間にか「食料品を作る」ということが少なくなり上記のようなものになってしまう。それだけでなく、そのような状態であることから、農業などの一次産業がいつの間にか「魅力のない職業」になってしまい、そして、その内容が一次産業の高齢化につながっているということになるのである。魅力のある職業ならば、当然にその内容は、若者があふれているはずであるし、優秀な人材が増えているはずだ。それがないということに業界全般が危機感を持たなければならないはずである。
 このように考えれば、農業をはじめ漁業や林業など一次産業に関する改革が必要である。TPPの加盟などがなくても、日本は自主的にそのような改革を行わなければ、尖閣や竹島、そして中東などで世界の影響力を増すことができなくなってしまう。そのような世界ではなく、もっと身近に、日本人が餓死するような状態になってしまう危険を常にはらんでいることになるのではないか。
 今日あげた記事は、いずれもその改革案の一つに過ぎない。しかし、何よりも重要なことは規制ではなく、産業を魅力あるものにすることではないのか。

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マスコミ批判に関する一考(160) 消費者の求めや声がない状態で自分たちの会社のことだけを漢あえて軽減税率を主張する新聞各社

マスコミ批判に関する一考(160) 消費者の求めや声がない状態で自分たちの会社のことだけを漢あえて軽減税率を主張する新聞各社
 消費税の論議が活発化している。
 私はブログの中では、その内容が決定してから論評を行うつもりであり、憶測などに基づいて行うものではないと考えているのであるが、世の中はそのような「確定情報」ではなく、さまざまな自分たちだけ、業界だけと言うような動きが活発化している。消費税論争では、軽自動車のスズキの鈴木修会長が「弱いものいじめ」という発言をしたことで話題になっているが、現在、消費税増税に関しては政府がヒアリングを行っている最中であり、同時に日銀短観などを合わせて判断すると言うことになっているのだから、その結果を待たなければならない。
 しかし、それを待てないで「妄動」する人がいる。そのもっとも「醜い」内容が、新聞の軽減税率主張ではないのか。
 そもそも新聞は現時点において購読者数の減少によって経営が厳しい状態になっていることは間違いのない事実なのである。その状況の中で「消費税増税をきっかけに新聞社の経営がさらに厳しくなる」と言うことを主張し「軽減税率の導入」を求めている。
 さて、よくよく考えてもらいたい。軽減税率の導入は「生活必需品」に対して行われる低所得者救済措置であり、その必需品を頒布しやすくするために、自立を据え置き他の物品や趣向品、ぜいたく品などと区別して間接税を少なくする制度である。当然にその軽減税率の導入」は「新聞社などの大手企業」の立場ではなく、「消費者」の立場において必需品に対して行われる措置でなければならない。
 と言うことは「新聞が必需品かどうか」と言うことが非常に大きな判断基準となるべきであり、新聞社の経営の健全などと言うのは、経営者のエゴでしかない。もちろん、鈴木会長など立場のある人において「弱いものいじめ」と言う発想が出てくれば、それはそれでよいのであるが、そのように主観的な発言で行うことなく、いかにも「新聞は弱いものの見方」かのような話をしながら軽減税率を求め、その本音は新聞社の経営と言うエゴで固まっている話はあまり聞いていて心地よくないものである。
新聞協会長「軽減税率」を主張 「消費増税が新聞を潰す」は本当か
   政府が消費税増税の是非を判断するために有識者から意見を聴く集中点検会合で、日本新聞協会の白石興二郎会長(読売新聞グループ本社社長)が新聞を対象に「軽減税率」の導入を求めた。
   2014年4月の消費増税をきっかけに、新聞社の経営がさらに厳しくなることがあるとみられるが、許されてよいものなのか。
朝日新聞社長「食うか食われるかの戦い」   「税率を引き上げる際、生活必需品を中心に軽減税率を導入すべきで、知的生活必需品としての新聞も対象にしてもらいたい」。日本新聞協会の白石興二郎会長は、2013年8月30日に開かれた政府の消費税増税に関する集中点検会合でこう力を込めた。
   増税の動きを前に、新聞業界の危機感は募るばかりだ。
   2013年1月には、朝日新聞の木村伊量社長が増税をきっかけに経営環境がさらに厳しくなることを指摘。「食うか食われるかの戦いです。体力がない新聞社がギブアップして、 新聞業界の地図が塗り変わるようなことも頭に入れておく必要があります」と、財務基盤が弱い新聞社が経営破たんする可能性を示唆した。
   新聞を読む人は減少傾向が続いており、新聞各社は発行部数を減らしている。2000年以降は平成不況と少子高齢化の影響に加え、インターネットの普及などメディアの多様化にともなって、購読料と広告料による収益構造が不安定化した。中小の地方紙や業界紙の休刊、廃刊が目立ち、休刊に至らなくても、夕刊を廃止した朝夕刊紙も多い。
 新聞への消費税、英国0%、ドイツ7%、スウェーデン6%だが…   最近では、2009年に石狩民友新聞や札幌タイムス、株式市場新聞が廃刊。10年には日本繊維新聞やセンイ・ジャアナルが、11年は東日本大震災の影響もあって、岩手東海新聞や南三陸新聞が廃刊。建設日報社や岡山日日新聞社が倒産した。
   2013年8月30日には常陽新聞新社が負債総額約1億2000万円で倒産。同社は日刊紙「常陽新聞」を発行。08年3月期に約6億2000万円の売上高を計上していたが、13年3月期には約1億6300万円に減少。発行部数は約5000部に落ち込み、ここ数年は従業員への給与も遅配になっていた。
   同社の倒産は消費増税が多くの地方紙や業界紙、大手新聞社をも破たんさせる、そんな予兆ともみられている。
   たしかに、海外では新聞や雑誌・書籍へ軽減税率が適用されており、英国は食料品などと同様の扱いで0%、フランスでは7%を徴収。スウェーデンは6%、スペインやイタリアでは4%に抑えられている。
   仮に日本が軽減税率を導入して、新聞が現行の「5%」に据え置かれれば、欧州並みではあるかもしれない。ただ、「8%」でも驚くほど高い水準とはいえないとの見方は多い。さらなる国民的議論が求められていると言えそうだ。
J-CASTニュース 20130831
http://www.j-cast.com/2013/08/31182658.html
 では、新聞社の経営と言うことではなく、消費者の立場に立って物事を考えてみる。その上で「新聞は消費者の必需品であって軽減税率を適用する必要があるか」と言うことを議論しなければならない。
 上記の記事のように会社の経営と言う観点で議論すること自体が、間接税の中において軽減税率のほうの趣旨を完全に見誤っているのではないかと考えられるのである。
 そこで考えられるのが、昨今の「購読者の激減」と言う現象である。単純に考えれば「必需品でないから購読しない人が増える」ということであり、その内容は「生活の必需品ではない」と言うことに他ならない。新聞は、私がいままで160回も連載してきた批判にかかわらず、その体質を変えることなく、変更報土をし続け本当の国民と国益のための報道を行わなかったことによって、「日本国民のための生活必需品」になれなかった、いや、その地位から滑り落ちたと言えるのではないか。いまや、新聞は魅力ある、そして真実を伝える生活の必需品ではないし、新聞の情報が変更されていることは、ある意味において国民の常識になってしまっている。あれだけ熱狂させ、政権交代と報じた民主党政権の残念な結果は、そのまま民主党だけでなく、新聞などの報道にも向けられている。それにもかかわらず、新聞各紙は、いやマスコミ各誌はその反省を行うことなく、その内容を民主党だけに責任転嫁し、それらの論調と3年半の政治の停滞に関して反省も、民主党が現在行おうとしている「解党的出直し」も行わない無責任体質になっている。
 責任転嫁、無責任な報道は、基本的に国民の必需品ではなく、その内容は完全に国民か編み捨てられ当然に「購読者の激減」につながることになるのである。
 その反省がないまま「経営」の視点で「軽減税率」を適用することは国民に対する大きな裏切りであり、その内容は、新聞差のエゴでしかない。そのようなことをすれば新聞も、また、政府も国民からの信頼を失いかねない。また、失った場合はそれが当然の結果であると言うことになるのではないか。
 後は政府の判断である。私が口を出すことではない。逆に、このような本末転倒の軽減税率導入を要求する前に、新聞各紙は、なぜ購読者が減っているのか、自分たちの報道体制を見直し、同時にその報道に関する考えを改める必要がある。はっきりいえば「軽減税率」を求めるものは国民が生活の中で決めるものであって、企業が話を行うものではない。そのようなエゴが見える今回のエピソードが、まさに、新聞社の偽善を国民の前に現しているといえるのではないか。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案  第42回 基本的人権は日本国民に対して与えられたものであり外国人はほかの時限で考えられるべきであるという根拠

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第42回 基本的人権は日本国民に対して与えられたものであり外国人はほかの時限で考えられるべきであるという根拠
 前回までは安全保障と憲法の9条に関して考えてきた。
  日本のわけのわからない「護憲派」と言われる人々は、実に「9条」しか条文がないかのごとく憲法を考えているようであるが、事実として憲法は9条だけで構成されているものではない。
  私が小学生の頃、公民の授業で憲法の授業で受けたとき、または中学受験の問題などで見てみると「国民主権」「平和主義」「基本的人権尊重」と言うのが日本国憲法の特徴であるということを言う。
  しかし、その「平和主義」であっても、その解釈そのものにさまざまなものがあることは確かだ。
  この連載であっても、同じ条文を日本語の解釈したところで、現在使われえているような9条の話は出てこない。
  集団的自衛権に関しても、記載がないと言うことは、そのまま本来固有の権利を保持し続けることになるはずなのであるが、残念なながらそのようなことになっていない。
  単純に、どうして国連憲章52条に国家固有の権利として認められている集団的自衛権を、成文法も何もないのに、日本国は放棄しなければならないのか。
  集団的自衛権を放棄したとする人の論拠はまったく理解できない。
  このように「解釈」と言う、憲法制定当時に予定されていない内容で、いつの間にかどんどんと左翼的に解釈されてしまう状態になっているのである。
  同じことが「基本的人権」にも出てくる。
 
  第一〇条【国民の要件】
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第一一条【基本的人権の享有】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第一二条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 まず、ここにあげたのが日本国憲法の10条から12条の条文である。
  日本語の文章と言うのは、基本として前から順番に読む。
  あえて「基本として」と言うのは表現方法の中において「倒置法」などの表現が日本国民の中において確立していることに基づくものであり、それは表現の強調と言うことで許容されている。
  日本国憲法のような感情表現や強調表現の必要のない文章においては、当然に前から順次文章を構成することになる。
  その上でまず「10条」に「国民の要件」と書いているのは、単純に「基本的人権は原則として日本国民にのみ適用される」と言うことを意味している。
  もちろん、日本国憲法は、諸外国の国民に対して影響を及ぼすことはない。
  アメリカに住んでいる日本にきたことのないアメリカ人が日本国憲法の効果で影響を受けることがないのは、常識的に明らかなはずである。
  このような議論をすると、必ず出てくるのは「拷問の禁止は憲法で謳われえいるが、外国人に適用されないのはおかしい」と言うことである。
  同じ議論の延長線上に外国人参政権の問題と外国人に対する社会保障の問題が生じる。
  しかし、よく考えてもらいたい。
  逆に、「憲法に書いてなければ外国人を拷問してよい」という話はどうして解釈できるのか。
  その主張の根拠がまったく明らかではない。
  要するに、「拷問をしてはいけない」と言うのは憲法の規定によって行われるのではなく、他の常識やあるいは他の条約などで規定される桃のであり、また、不文律として日本国民の道徳性にゆだねられるものである。
  当然に、その中において「日本国憲法に記載がないから外国人を拷問してよい」と言う話にはならない。
  同時に、そもそも「拷問」の定義も問題になる。
  当然に「肉体的な折檻」は拷問になることはわからないでもない。
  一部性的な遊戯に使う場合があるが、それは憲法の問題では取り扱わないことにする。
  では、肉体的な折檻でない「拷問」の存在を日本人は理解しているのか。
  日本の歴史上で考えれば、江戸時代の「踏み絵」であろう。
  信仰の自由のなかった江戸時代にはキリスト教は禁教令が出ていた。
  当時は伴天連といわれていたが、それを見分けるために、踏み絵を共用した。
  肉体的な苦労と言うことでは、キリストの絵を掘った板を踏むことは何の労苦でもない。
  しかし、これが精神的・信仰的に「拷問」に当たることは明らかなものである。
  日本において「イスラム教」などに関しては当然に知識がないし、あるいは、北朝鮮の人の前で金正恩第一書記を批判し同意を共用することなどは、「拷問」になるのか、という問題が存在する。
  そのように考えれば、日本においてマスコミガ拉致被害者の救済とその被害者の声の中で北朝鮮の先軍主義体制を放送し、それが在日北朝鮮の人々の見るメディアに登場することは、ある意味において「踏み絵」と同様の「拷問」と言うことになる。
  ではなぜこれが非難されないのか。
  単純にいえば、これらの放送を「精神的拷問」と認定されないのか。
  それは単純に「日本国であるから」であり、その精神的な拷問の尺度は「日本国国民」を基準においているからに過ぎない。
  在日外国人参政権を認めるという理論は、そのまま基本的人権全てを広げて解釈すると言うことであり、それは日本に住むイスラム教徒や北朝鮮人に遠慮をした放送や報道を行わなければならな事になる。
  要するに「拉致」に関する問題を北朝鮮人の立場に立って報道をしなければならなくなるし、シリアや中東情勢、またはテロリストに対してそこに配慮した報道を行わなければならなくなる。
  しかし、日本人が日本人の常識とその人権に基づいて得られる道徳観において情報を共有していると言う前提があるために、そのような非難はされていないのである。
  このように考えると、片方で「拉致被害者がかわいそう」といいながら「在日外国人参政権付与」を訴える日本のマスコミや政治家たちの、法的、または基準としての不一致が明らかになる。
  そしてそのような内容が、憲法の解釈を形作っていると言うことに非常に強い警戒感を持たなければならないのではないか。
  と言うことで、次回から、基本的人権の条文、10条の国民のところは軽く触れて11条から次回の内容とする。

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宮崎駿監督の引退の衝撃

宮崎駿監督の引退の衝撃
 今日は土曜日である。
 最近、政治もあまり大きな動きがなく、国際的にもトピックが大きすぎるものがある。実際に、一回の内容で書けるものばかりではない。そのために、その内容をいかに考えるか、その背景まで書くと、太酔えばシリア情勢も中国の拡張主義も、しっかりと一度書かなければならないと考えている。そこで、なんとなく同じ内容の記事やブログが増えてきてしまっている。まさに「政治は凪」の状態である。
 このようなときは、なぜか「土曜日のネタ」が多い。これから土曜日のネタがあまり困らないのではないか。なぜならば政治が凪なので、ほかのマスコミもくだらないネタを話題性という観点から出てしまう。例えば元小沢ガールズがミスコンに出ている、とか、リング(といっても最近は会陰具という題名が消えているが)の貞子が石原環境大臣を訪ねるなど、石原環境大臣などは、久しぶりにテレビに出た感じ。しかし、その久しぶりが貞子と共演というのはなかなか笑える話ではないのか。
 さて、そのような状態いおいて、今週はビッグなド予備ネタが入ってきた。皆さんもよくご存じと思うがスタジオジブリが宮崎駿監督の映画製作からの引退を正式に、それもベネチア映画祭の会場で発表したのである。
 過去にも宮崎監督の引退がうわさされたことがある。しかし、それはテレビ番組のインタビューなどの言葉から類推する内容でしかなく、また、例えばスタジオジブリが新入社員を募集していないなどの現象的なことから言われていたのである。
 しかし、今回のように正式に発表するのは異例中の異例なのかもしれない。世界から宮崎監督の引退を惜しむ声が上がっているのである。
宮崎駿監督、『風立ちぬ』で引退 ジブリ社長がベネチアで発表【第70回ベネチア国際映画祭】
 宮崎駿監督が現在公開中の映画『風立ちぬ』をもって引退することがわかった。スタジオジブリの星野康二社長が現地時間1日、同作がコンペティション部門に出品されている第70回ベネチア国際映画祭の会見の席で発表した。
 星野社長は会見の最後に「発表があります」と切り出すと、「『風立ちぬ』を最後に宮崎駿監督は引退することを決めました」と明言。「来週、宮崎本人による会見を東京で開きます。したがいまして、(本日は)引退に関する質問は一切受けることができないことを了承いただければと思います。くれぐれも皆さんによろしくということです」と続けた。
 映画『風立ちぬ』は、ゼロ戦の設計者・堀越二郎と文学者の堀辰雄という2人の実在した人物をモデルに、「美しい飛行機を作りたい」という夢に向かって真っすぐに生きた一人の青年の姿を描いた作品。6月24日に行われた同作の完成報告会見で宮崎監督は、自身の作品を観て初めて泣いてしまったことを「本当にみっともない監督でした」と照れながら明かしていた。(編集部・市川遥)
映画『風立ちぬ』は公開中
第70回ベネチア国際映画祭は現地時間9月7日まで開催
2013年9月1日(日)21時6分配信 シネマトゥデイ
http://news.nifty.com/cs/entame/moviedetail/cnmtoday-N0056039/1.htm
宮崎駿監督、引退へ「創造の10年」終わった?
 【ベネチア=近藤孝】日本を代表するアニメーション映画の宮崎駿はやお監督(72)が、現在公開中の最新作「風立ちぬ」をもって映画製作の一線から引退することが1日、明らかになった。
 同作品が出品されている第70回ベネチア国際映画祭での記者会見で、映画を製作したスタジオジブリの星野康二社長が発表した。長編映画の監督は「風立ちぬ」が最後となるとみられる。6日、宮崎監督本人が日本で記者会見を開く予定。宮崎監督はこれまでも引退を示唆したことがあったが、ジブリが公式表明するのは初めて。
 引退理由は明らかにしていないが、星野社長は「『風立ちぬ』の中で創造的な期間は10年しか続かないという意味のせりふがあるが、宮崎さんは『自分の10年はとっくに終わっている』と語っていた」と話した。
読売新聞2013年09月02日00時40分
http://news.livedoor.com/article/detail/8024594/
 以前、あるクリエーターと話をしたことがある。
 そのクリエーターは「自分の中をすべて出さなければ、良い作品はできない。作品は建前ではできないんだ。だから長編のそして全身全霊をかけて作ったものは、それが作り終わった時に、燃え尽き症候群ではないが、完全に自分の中が空っぽになってしまうんだよ。その時は、半分以上自暴自棄になってしまい、あとのことは完全に考えられない。極端じゃないけれども、3秒後のことも考えられないんだ。あとは少しの間受電しないと何も出てこないんだ。でも、マスコミは、そのような人にインタビューとか何とか言ってくる。その時の言葉が騒がれて、そして、それが大きく取り上げられる。作っているときの自分、充電しているときの自分、空っぽになった時の自分という三つの自分が記録されて見せられる。それが最もつらいんだ」という。
 宮崎監督はどうなのであろうか。彼は「身近な人のために映画を作る」という。それは、私が講演するときでも、だれか人の顔を見ながら、話をする。一対一で話をするように講演をするのである。少し慣れてくれば、それが複数人を選ぶのであるが、実際にそのような形で「集団」を相手に話をするのはかなり難しいのである。
 アニメを作ったこともないし、そんなに見る機会も少ない。しかし、講演と同じようなことなのかもしれない。
 その誰かという具体的な対象が徐々に自分が年を取るのと同時に相手も大人になってしまう。そして、作り終わった時の虚無感は、なかなか大きなものなのかもしれない。我々凡人にはそれが良くわからない。しかし、わからないから、他人事のように感動できる部分があるのだ。
 ジブリ作品は、素晴らしい作品が大きい。もちろんジブリは残るが、宮崎駿監督の世界観は、それを100%コピーすることはできない。特に、感覚ということでは、かなり難しいのかもしれない。現在までの宮崎駿監督の作品を見て、その世界観をもう一度見直すと、別な何かが見えるのかもしれない。

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「民法出でて忠孝滅ぶ」の時代から「憲法守る日本が滅びる」の引き金になった婚外子相続違憲判決

「民法出でて忠孝滅ぶ」の時代から「憲法守る日本が滅びる」の引き金になった婚外子相続違憲判決
 今日は賛否両論多いかもしれないが、批判を恐れず私の主観で書いてみたい。
 あくまでも主観であるので、そのつもりで先に進めてもらいたい。
 現在の民法は、明治時代に近代化を目指した政府が、家族制度や民間取引制度を法律によって把握することを目的に、当時の民間調査によって作られた法律である。基本的にフランス人の御用学者であるボアソナードが起草した。しかし、実態調査があまり徹底されたものではなくボアソナードがそれらの内容を起草にはねいされなかったために、結局現在の民法はフランス民法の寄せ集めのような形になってしまった。実際に、当時の大日本国憲法はプロイセン憲法を基に作られているのに対して、共和制のフランス民法を、王権の強いプロイセン憲法の下で運用する形になった。
 その、民法の内容が結局フランス民法の焼き直しでしかなく、日本の家制度や日本の環境になじまなかったために「民法典論争」が起きる。明治の碩学である穂積陳重・八束はこの民法の制定に関して「民法出でて忠孝滅ぶ」と批判したことで有名だ。ちなみに陳重は帝国学士院長・枢密院議長・男爵、八束は貴族院議員・宮中顧問官ともなっている。
 ある意味において、日本の基礎ともいえる「家族制度」がそれで滅びてしまうという予言は、百数十年たった日本の現在を表しているのではないか。現在少なくとも同じ家族法を使っている日本国内は、少なくとも、核家族化どころか核「個人」化が進み、忠孝どころかそのほかの人とのつながりを断ち切ってしまっている。年金といいう金銭欲しさに親が死んでも隠し葬式も上げないという状態はあり、子が親を殺し親が子を餓死させるような異常な事件が非常に大きなものになっている。日本人の中には、「法律を守っていればよい」といような安易な考えが出てきてしまい、法律では表現できない「言い伝え」や「禁忌」が存在しないようになってしまっていたのではないか。
 逆にそれは厳しいことばかりではなく、しっかりとそのような社会に適用された保護制度やセーフティーネットがあった。村の中での助け合いや地域社会のつながりは、その中においてしっかりと機能を果たしていたのである。しかし、残念ながら現在は親子関係ですら「滅ぶ」状態になってしまっているのに、地域社会などが成立で切るはずはないのである。
 もちろんネットなどそれら技術の発展によって補完している部分もあるが、「補完」がいつの間にか「依存」になってしまっている人もいるのではないか。先日来話題になっているネットでの非常識行為の投稿などに関しては、まさにこの中の問題なのではないか。恥の概念もなければ、いつの間にか法律に関する感覚も失われてしまい、そして、モラルが崩壊してゆくのである。
<婚外子>民法の相続差別は「違憲」…最高裁大法廷
 結婚していない男女間に生まれた子(婚外子)の遺産相続分を、法律上の夫婦の子の半分とする民法の規定が、憲法に違反するかどうかが争われた2件の裁判で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允=ひろのぶ=長官)は4日、「規定の合理的な根拠は失われており、法の下の平等を保障した憲法に違反する」との決定を出した。合憲とした1995年の判例を見直した。
 規定は明治時代から引き継がれ、婚外子への不当な差別だとの批判が根強い。菅義偉(すが・よしひで)官房長官は4日の記者会見で「最高裁判断を厳粛に受け止め、立法的な手当てをする。できる限り早く対応すべきだ」と述べ、民法改正案を早ければ秋の臨時国会に提出する考えを示した。
 大法廷は決定理由で「婚姻や家族の在り方に対する国民の意識の多様化が大きく進んでいる」と指摘。差別を撤廃してきた欧米諸国の動向にも触れた上で、「家族の中で個人の尊重がより明確に認識されてきた。子に選択の余地がない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されないとの考え方が確立されてきている」と述べ、今回の裁判の被相続人が死亡した2001年7月には規定が違憲だったと結論付けた。
 最高裁判断は事実上の法的拘束力を持つとされるが、大法廷は「裁判や調停などで確定済みの他の遺産分割には影響しない」と異例の言及をした。既に確定した遺産相続を巡って混乱が起きることを回避するためとみられる。
 2件の裁判は、父親(被相続人)が01年7月と11月にそれぞれ死亡し、東京、和歌山両家裁で遺産の取り分が争われた家事審判。1、2審は規定を合憲とし、婚外子側が最高裁に特別抗告していた。今後は2審の東京、大阪両高裁で審理がやり直される。
 裁判官14人全員一致の意見。民法を所管する法務省の民事局長を務めた寺田逸郎裁判官は審理を回避した。
 最高裁が法令を違憲と判断するのは、戦後9例目。【和田武士、鈴木美穂】
 【ことば】婚外子の相続格差
 民法900条4号はただし書きで「嫡出でない子(婚外子)の相続分は、嫡出である子の相続分の2分の1」と規定。明治時代に設けられ、戦後の民法改正時も「法律婚主義の尊重」との理由で残された。欧米諸国では平等化が進み、主要先進国で規定が残るのは日本だけとされる。
毎日新聞 9月4日(水)15時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130904-00000065-mai-soci
「非常に残念で受け入れ難い」=嫡出子側がコメント―婚外子相続
 最高裁の違憲判断を受け、和歌山県の男性の遺産分割をめぐる審判の嫡出子側は、「私たちにとって納得できるものではなく、非常に残念で受け入れ難い」とのコメントを出した。
 嫡出子側は今回の判断を「日本の家族形態や社会状況を理解せず、国民の意識とかけ離れたもの」と批判。「違憲判断には絶望した」と締めくくった。 
2013年9月4日(水)22時6分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-04X477/1.htm
 婚外子の相続問題に関する違憲判決はどのようなことなのであろうか。ある意味で子供の立場に立って考えれば、「婚外子であるからといって差別されるものはおかしい」という感じであろう。その理論に関しては、この判決を絶賛しているマスコミ各社に聞いてほしい。何しろ、このニュースで「家制度」などが心配であるというような「日本の伝統や文化を守る」というような感覚で報道をしたマスコミがほとんどない(私が確認した中では一つもなかったのですが、私がチェックしていない内容で存在することは十分に考えられるので一応ほとんどないという書き方にしておきますが)のである。
 実際に、生まれてきた子供そのものが差別的扱いを受けるのはいかがなものかと思う。しかし、それは広く国内の問題であって、家族制度においては違う。単純に、家族制度の中で生活を共有していた嫡出子と、生活を共有していない婚外子は生活習慣上は完全に異質な存在であり他人と同じであるといえる。遺伝子的に親兄弟であっても、生活臭k満場全くの他人である存在が相続権者というのは、婚外子はとにかく嫡出子や、あるいは婚姻関係にある妻にとって許されることであろうか。
 単純に、その内容は「家族制度」の問題だけではなく、「相続権がある」ということから、いつの間にか「婚外子奨励」というような不思議な話になってくるであろう。それは「民法出でて忠孝滅ぶ」という言葉の効果が数十年後に現れるように、ほかの道徳観念の破壊につながるのではないか。もっと言えば、「家族形態の多様化」まで肯定するのであれば「一夫一婦制」を否定すべきであり婚外子という子供の部分だけを否定するのはどうかしている。せっかっくならば一夫多妻制や側室制度を法的に制度化し、「多様化」に対応するよう最高裁判所は提言すべきなのかもしれない。
 片方で女性の人権といいながらも婚外子を法的に肯定するこの矛盾は「かわいそう」という感情によってゆがめられた法理論に基づくものでしかない。このような判決において、今後法律が変更させるのであるが、その法律の変更は、その部分、要するに家族制度の崩壊御倫理観の崩壊ということを観点に入れながら慎重に行ってほしいものである。それは現在の婚外子の権利ではなく100年後の日本のモラルや道徳心を考えての作業にならなければならない。

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安倍内閣は、今回も民主党のブーメランで攻撃されているがその中心菅直人との不思議な因果関係を追う

安倍内閣は、今回も民主党のブーメランで攻撃されているがその中心菅直人との不思議な因果関係を追う
 安倍内閣というのは、どうも菅直人と因果関係が関係があるのではないか。
 そもそも安倍第一次内閣の時に大きな話題になった「消えた年金問題」。今ではあまりテレビなどで見なくなった長妻昭元厚生労働大臣が、野党時代に「ミスター年金」というあだ名で呼ばれ、年金機構による無駄な投資などが話題になった。若者が年金をもらえないのではないかというようなうわさがマスコミの中で声高に叫ばれたのは記憶のある人もいるかもしれない。
 しかし、よく考えてみると、当時民主党で、のちに首相になる菅直人が、「新党さきがけ」の時に「自民党・社会党・さきがけ」の俗にいう「自・社・さ連立政権」において厚生大臣をしていた菅直人が、年金機構に関して何等の手を施していなかったことが明らかになる。そもそも年金未納にかんして、当時流行していたNHKみんなのうたの「だんご三兄弟」に合わせて、自民党の年金未納の過去がある人を指して「未納三兄弟」と揶揄するのであるが、菅直人氏自体も「未納」であったことがのちに発覚する。菅直人氏のことを「ブーメラン議員」というのは、まさに、このような「自分のことを棚に上げて国会で目立つ」ということが最大の問題であり、これらの性質が、完全に国民から見放されたところがあることは間違いがない。現在民主党の再生について民主党内で話し合われているとNHKなどで報じているが、実際に、「解党的出直し」というよりは、これらの「ブーメラン」を含めた民主党議員内の綱紀粛正と、それにそぐわない人の除名というところがなければ民主党はうまくいかないのではないか。
 民主党の再生の話は、今回のお題ではない。
 さて、安倍第二次内閣になって、今回も福島原発事故の処理が話題になっている。実際に日本全般のエネルギー問題に関して現在の安倍政権はかなり苦労している。しかし、よく考えてみると「消えた年金問題」と同じように、菅直人首相が自分の見えと国民へのアピールで福島を上空から視察し、そのために対処が遅くなったのではないか。もっと考えれば、「俺は原子力の専門家だ」といいながらも、結局、何の役にも立たなかった菅直人政権の後始末を、またも安倍内閣が追っている。「政府として反省している」などとコメントを出さなければならない状態になっているのである。
 ここまで来ると、オカルトではないが、菅直人と安倍晋三の間には、何らかの前世や血筋に関する因縁があるのではないかと疑ってしまう。
政府・与党、東電任せを反省 強い危機感 福島第1汚染水漏洩
 政府・与党は東京電力福島第1原発の汚染水漏(ろう)洩(えい)問題を、安倍晋三政権への信頼を失墜させかねない事態とみて危機感を強めている。首相や菅(すが)義(よし)偉(ひで)官房長官が、政府が前面に出る姿勢を繰り返し強調するのもそのためだ。ただ総合対策の実行はこれからで、自民党からは「取り組みが遅い」(塩崎恭久政調会長代理)との批判が相次いでいる。
 「汚染水問題は極めて重要な喫緊の課題だ。東電任せではもう(対策が)難しいと判断した」
 菅氏は2日の記者会見で、政府として総合的な対策を立てる狙いをこう強調した。
 ただ、自民党が同日開いた資源・エネルギー戦略調査会・経済産業部会合同会議では、「抜本対策といいながら毎回漏れている。これでは誰も信用しなくなる」(山田賢司衆院議員)、「いつまでに何をするかの見通しが見えない」(柴山昌彦総務副大臣)などと、これまでの東電や政府の対応を疑問視する声が続出した。
 同調査会の山本拓会長は産経新聞の取材に「対策を誤れば、高い支持率に支えられてきた政権の勢いが弱まりかねない」と語った。
 与党は3月と6月の2回にわたり、政府に「地下水の流入により汚染水が増加している現状に対応し、早急に万全な対策を講じる」よう求める緊急提言を示してきただけに、取り組みの鈍さに対する不満は高まっている。
 自民党の大島理(ただ)森(もり)前副総裁は8月29日、党東日本大震災復興加速化本部の総会で「汚染水問題について、党は以前から『危ない』と言ってきた。提言を真剣に受け止めていない」と政府に異例の注文を付けた。
 政府がここへ来て対策に本腰を入れ始めた背景には、2020年夏季五輪の開催都市を決めるアルゼンチンでの7日(日本時間8日)の国際オリンピック委員会(IOC)総会を前に「汚染水問題が東京招致へのネガティブキャンペーンに使われている」(首相周辺)事情もある。政府としては総合的な対策を公表することで国際社会に理解を求める考えだ。
MSN産経ニュース 20130903
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130902/plc13090223320016-n1.htm
汚染水対策 国が210億支出へ NHKニュース
 政府は東京電力福島第一原子力発電所の汚染水問題で地盤を凍らせて汚染水を閉じ込める事業と汚染水から放射性物質を減らす処理事業にかかる費用を全額、国が措置し、今年度予算の予備費からおよそ210億円を支出するとした基本方針案をまとめました。
 東京電力福島第一原子力発電所で汚染水をためるタンクから水漏れが相次ぎ、極めて高い放射線量が計測されている問題を受けて政府は汚染水対策に関する基本方針案をまとめました。
 それによりますと技術的難易度が高いものは国が前面に立って取り組む必要があるとして▽地盤を凍らせて地中に壁を造り汚染水を閉じ込める事業と▽汚染水から放射性物質を減らす処理事業にかかる費用を全額、国が措置し、今年度予算の予備費からおよそ210億円を支出するとしています。
 また▽政府が総力を挙げて廃炉や汚染水対策に取り組むため、菅官房長官を議長とする「廃炉・汚染水対策関係閣僚会議」を立ち上げるとともに、現地の体制や東京電力との連携・調整を強化するため、「廃炉・汚染水対策現地事務所」や「汚染水対策現地調整会議」を新たに設置するとしています。
 政府は3日、安倍総理大臣とすべての閣僚でつくる原子力災害対策本部を開き、基本方針を正式に決定することにしています。
k10014234521000.html
NHKオンライン 20130903
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130903/k10014234521000.html
 今回は、福島原発の処理に関して、政府が前面に出て支出をするということを表明し、政府がこのニュースの時点で210億円、トータルで400億円以上を支出することを決めた。実際に東京電力単独でできる話ではないし、そもそも国家的な危機に対して政府が前面に立って事件を処理する必要があるのは当然のことである。ある意味において緊急事態であることに変わりはない。日本国民が自分の家に帰れないという当たり前のことができない事態を「緊急事態」と考えるのは当然のことのはずだ。にもかかわらず、それを「東京電力が悪い」と責任転嫁して、その処理もそこに任せていたために汚染水が放出されることなどが出てきた。しかし、よく考えれば、そもそも東京電力という民間企業任せにしてきたこと自体、判断の間違いである。
 そしてそのような国家御緊急事態を企業に任せていたという「判断の間違い」を行ったのは、3・11の時の内閣、である菅直人と、その式を行った枝野官房長官、海江田経済産業大臣ではないのか。その三人がいまだに民主党にいて「安倍内閣との対立軸」などといっていること自体が滑稽であり、そのうえ、自分たちで判断した東京電力任せの責任転嫁がら緊急事態処理のことを安倍内閣に審議するというのであるから、笑い話以外の何物でもない。
 もともと安倍氏一族は山口県の出身で、古い関係者に聞けば、より古く、平安時代は、前九年・後三年の役の安倍一族の末裔であるということを言う人もいる。これに対して菅氏一族は、もともとも明治までは岡山県浅口郡の庄屋の出身ということが週刊新潮に書かれている。実際に岡山県のこの辺りは金光教の本部があり、また近くには備前焼の拠点があるなど、古い家柄が非常に多い。特に備前焼に限ったことではないが、豊臣秀吉による朝鮮出兵時に、朝鮮から招かれて日本で暮らすようになった焼き物職人が多く、備前や唐津など朝鮮系の出身者が少なくない。もちろん庄屋とはいえ農家の出身であれば、そこまでっさかのぼるような家系図もないので、想像力の賜物でしかないが、朝鮮出兵時に、主力になった西国大名の武家階級と、その時連れてこられた焼き物職人やその末裔であれば、何らかの因縁があるのかもしれない。
 いずれにせよ、なぜか菅直人という政治家の行った不始末を安倍内閣が処理するという状況になり、そのうえ、その処理をマスコミが一斉に攻撃するという謎の構図が安倍内閣の中では、常に起きている。マスコミは、戦争報道の時によく私が言うのであるが、その原因に関して基本的に報道をせず、結果に対して推測と妄想を垂れ流す期間。本来ならば、このような判断をした菅内閣をに何すべきが、いつの間にか、安倍内閣が悪いという軸で報道を行い、菅直人がそのような判断をしたということを言わないようになってしまっているのである。
 事件が起きた時には、その起源を探ることが必要である。しかし、このように起源を探る場合は、その起源の中において、何回も同じ工事が重なると、少々オカルト的因縁を考えてしまうものである。

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戦争中で「思想の自由」の無い韓国が敵国に媚を売った共産主義者議員に内乱陰謀容疑で家宅捜索

戦争中で「思想の自由」の無い韓国が敵国に媚を売った共産主義者議員に内乱陰謀容疑で家宅捜索
 このブログの中では、韓国のことを「内戦中の国家」という書き方をし、基本的に韓国という国家が一つの国家ではなく、国連などでいうところの「地域」でしかないという表現を行う。実際に、戦争中の国家であれば、戦争の敵国に正式なルートでなく敵国のスパイのように動けば、当然にそれは犯罪になる。
 その意味において韓国に思想の自由はない。
 韓国の憲法「大韓民国憲法」から今回の事件に関連するであろう条文を抜き出してみると
第3条
大韓民国の領土は韓半島とその付随島嶼とする。
第4条
大韓民国は統一を指向し、自由民主的な基本秩序に即した平和的統一政策を樹立してこれを推進する。
第19条
全ての国民は良心の自由を有する。
 という条文が出る。もちろん日本語の翻訳しているので、韓国人がハングルで表現しているのと異なり、ニュアンスなどを日本語の印象でとってはいけないのかもしれない。しかし、日本の憲法(これも改正が話題になっているのであるが)の条文と比較してみると、上記の部分が非常に大きな違いがある。まずは第3条と第4条で「内戦中である」、少なくとも韓半島全般が自国の領土といいながら、北半分に関しては、支配できていないという事実を認め、そのうえで「統一をめざし」ということを憲法に記載している。当然に、この憲法は「朝鮮戦争終結時」には、どのような形になって終結するかは不明であるが憲法が改正されることが前提である。要するに、この憲法は「戦時憲法」であることをこの条文でい言っている。
 同時に、19条において、「思想の自由」ではなく「良心の自由」となっていることが最大の問題である。その件に関しては、後半で書いてみたいと思う。
(朝鮮日報日本語版) 野党議員が銃器準備、内乱陰謀容疑で18カ所家宅捜索
 韓国の情報機関、国家情報院(国情院)は28日、野党・統合進歩党の李石基(イ・ソクキ)議員を含む地下革命組織が国家基幹施設の破壊など内乱を企てていた疑いを強め、李議員ら10人の自宅・事務所など18カ所に対する家宅捜索を行った。国家情報院はこの地下組織の名称が「RO(レボリューショナリーオーガナイゼーション=革命組織)」で、李議員が総責任者、残る9人は組織の幹部とみている。国情院は10人全員に対し、出国禁止措置を取り、このうちホン・スンソク統合進歩党京畿道支部副委員長と、イ・サンホ京畿進歩連帯顧問、ハン・ドングン元統合進歩党水原市委員長の3人を逮捕して取り調べを進めている。
 李議員は28日夜の時点で所在が確認されていない。国情院はソウル市麻浦区にある李議員のオフィステル(住居兼オフィス)を家宅捜索した際、出所不明の現金1億ウォン(約880万円)以上が見つかったことを明らかにした。だが李議員の国会議員会館内の事務所は、統合進歩党と李議員の関係者らの反発で家宅捜索ができず、午前0時ごろにいったん引き揚げた。国情院は29日にあらためて家宅捜索を行う予定だ。
 水原地裁はこれに先立ち、容疑者らに対する逮捕状、家宅捜索令状を発布した。だが現行犯ではないため、不逮捕特権を持つ李議員については逮捕状が出なかった。国情院は、この10人を中心とした「RO」組織メンバー約130人が、今年5月にソウル市麻浦区の宗教施設などで会合を開き、有事の際に石油関連施設・通信施設など国家機関の施設を破壊することや、銃器や爆薬の準備など、体制転覆に向けた内乱について複数回にわたり謀議したとみている。国情院によると、組織のメンバーらは秘密会合のたびに「赤旗歌」や「革命同志の歌」など北朝鮮の革命歌を合唱していたという。
 国家情報院の関係者は「これらのメンバーによる内乱陰謀容疑を立証する5件の録音記録を確保した」と話した。この録音記録には「RO」総責任者の李議員が組織のメンバーを教育する内容や、幹部らの会議・対話内容が含まれているという。
 水原地検の関係者は「国情院が2010年から内偵を続けてきた事案で、裁判所も犯罪の疑いが極めて強いとみて家宅捜索令状を発布した。刑法上は内乱陰謀容疑と国家保安法第7条(賛美・鼓舞)違反が適用された」と説明した。国家保安法第7条には、賛美・鼓舞・宣伝または、これに同調したり国家転覆を宣伝・扇動したりする行為などへの処罰が定められている。捜査当局は、家宅捜索の対象となった10人について、統合進歩党の主流派であるNL(民族解放)主体思想派とされる京畿東部連合の集団指導部とみられる、と発表した。京畿東部連合は満場一致を原則とする集団指導体制を取っており、指導部は7-10人とみられるが、指導部のメンバーが誰なのかについては明らかになっていない。
朝鮮日報日本語版 8月29日(木)10時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130829-00001308-chosun-kr
内乱陰謀容疑の野党国会議員「全て捏造」=韓国
 【ソウル聯合ニュース】内乱陰謀の疑いで韓国の情報機関、国家情報院(国情院)の捜査対象になった革新系野党、統合進歩党の李石基(イ・ソクキ)国会議員は29日、「私に対する疑いの内容全てが捏造(ねつぞう)だ」と主張した。
 李議員は同日午前、国会で開かれた党会議に出席し、「国情院は革新・民主勢力を弾圧している」と強く非難した。
 さらに、弾圧が強まるほど民主主義の火花は大きくなるとして、「民主主義のために最後まで戦う」と明らかにした。
 国情院は28日、李議員の事務所などを家宅捜索し、国家保安法上の国家基幹施設破壊や人命殺傷などを謀議した容疑(内乱陰謀)で同党関係者3人を逮捕した。李議員は家宅捜索後から姿を見せていなかった。
聯合ニュース 8月29日(木)11時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130829-00000005-yonh-kr&pos=3
 そもそも「陰謀罪」という罪が存在することに違和感があるであろうか。日本の場合は、「内乱罪」または「外患誘致罪」はいずれも死刑ということになるのであるが、その内容の「陰謀罪」は存在せず、「未遂」が罪状として存在する。
 法理論的には「未遂」と「陰謀」はまったく異なり、未遂は実行段階に写るが最終完成形、要するに内乱罪であれば内乱を起こせなかった状態のことが「未遂」である。これいたいして「陰謀罪」は、そのような陰謀を企てることそのもので犯罪が成立すると言う考え方である。もう少し詳しく見てみれば「企てる」と言うことは「想起する」と言うことも広義で言えば入ることから「内乱の想起」で陰謀罪、要するに法廷に罰せられる状態が作られると言うことになる。実際のほう運用から考えれば、刑事裁判上、単純な個人の妄想だけでは「証明」が不能であるからできないが、たとえば居酒屋談義や床屋談義などで、陰謀めいた内容を口にし、それを録音されるだけで「陰謀罪」の証明が可能になり、成立することになるのである。
 さて、難しい法律の話はこれくらいにして、要するに、韓国国内においては陰謀罪と言う法律が存在する。これは戦時中であれば当然であり、敵に通謀していたりあるいは敵国と呼応して自分たちで内乱を企てれば、それは現在の政治体制、単純に言えば現在の政治体制に「不穏当な形で」反旗を翻すこと意なるのであるあら、その内容は、当然に現在の政府機関統治機構から考えれば、犯罪を構成することになる。
 そもそも韓国に行く人や韓国が好きな人は「このような」犯罪があることをご存知なのであろうか。あえて私がこのブログ上「北朝鮮」と言うことを書かなかった。これは上記の記事には記載しなかったが、ある意味で現在の反日思想から考えれば、または、現在の韓国の法体系の中で日本から爵位や資産をもらった人が処罰されると言うことを考えれば、「日本国と親しくすることは内乱陰謀罪」と判断される可能性が徐々に高まっていると言うことに過ぎない。現在の韓国の政権が現在のまま「歴史認識」を強調し、同時にそのことによって竹島問題などの解決を拒み、そして、「反日政権」を継続する場合は、当然に、「日本が敵国と認定される」と言うことを想起しなければならないのである。
 はっきり言って能天気な日本人のほとんどはそのような想定を行わない。「そんなことはないだろう」と言うことで考えているが、残念ながら、たとえば居間の大統領のお父さんの時代に竹島問題や、現在のような反日思想で韓国が動かされると言うことを想定した人はいtのであろうか。当時は韓国も親日的であったから、そのような想定はない。要するに、政治と国際的な関係、そして力の強弱によって、政治は変化するし、その政治に動かされ、国民感情に支配されて、韓国の司法は簡単に変わってしまうのである。そのことは、新日本製鉄の戦時賠償事件判決や対馬仏像返還事件で日本人はすでに体験しているのに、今回のような「陰謀罪」ではありえないと言う判断を下してしまうのである。それが日本人の「平和ボケ」でしかないのではないか。
 韓国と言う国を見るときに、「戦時中」である「内乱国家」であると言うことをしっかりと考えなければならない。その上で、その性質は、「国民世論や戦況で司法の基準や客観的な内容も異なる」民族であることを、そろそろ日本人も学習しなければならない。そのように考えれば、戦後賠償の話も、慰安婦の話も、すべて彼らの主張の根拠が見えてくる。その内容に対処しなければならない。
 そのような攻撃の手法が、韓国政府によって韓国国内の思想対立で行われた。それを学習すべきであると言うことである。

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軍隊という切り札を使えない習近平外交の限界

軍隊という切り札を使えない習近平外交の限界
 中国の外交がおかしい。
 最近、中国に関しては外交があまり良く見えてこない上に、内政に関しても何も伝わってこない状態になってしまっている。中国胃おいて伝わってくるのは、このブログではあまり触れていないが薄熙来元重慶市書記の裁判のものばかりであり、それ以外の内容に関してはあまり伝わってこない。現在中華人民共和国の中で共産党国務院政府が何をしているのかはあまり伝わってきていないのである。実際に日本人の中には、情報があふれる中において、そのように感じていない人も少なくないのかもしれない。中国の非常識な対応や、中国の食品の安全が全くないこと、あるいは事故や事件などが頻繁に伝えられてきていることから、いつのまにか日本には中国の情報があふれている。しかし、肝心な中国という国家の政府(共産党政府)の考えていること、行っていることが見えなくなってきてしまっている。あとは大東亜戦争に関する日本バッシングと尖閣諸島ばかりである。
 しかし、安倍首相がG20で習近平国家主席と会談をするように外務省が交渉を行っても、また、ここにニュースを上げたがフィリピンのアキノ大統領が中国に訪問することを企画しても、いずれも中国は「NO」である。その理由は「両国の利益にならない」要するに、中国側が自分の主張が通らないということを主張しているのである。
 例えば、尖閣諸島(南沙諸島やチベットなどすべての中国国境地帯でそうなのであるが、しかし、日本にとっては尖閣諸島の問題が最も身近に考えることができる)の問題に関して、中国は一方的に「核心的利益」であるということを表明し、そして日本との間に争いがある(日本が不法に占拠しているという主張をしている)ということを認めている。しかし、その内容は、中国主観の考えからすれば残念ながら、国際社会において認められていない。それはいったい何かといえば、基本的には、その主張の根拠もおかしなものであるし、同時にその本音が全く見えないことによるのである。尖閣諸島の地下資源がほしいのか、あるいは、太平洋という公海上の権益がほしいのか、もっと大きく、彼らの憲法にあるように、共産主義革命を世界に押し広め世界征服をたくらんでいるのか、その本音もよくわからないというのが現状なのである。
 その状況は、実際に多くの国と国家主席である習近平が会話をしないことによって、本音がわからないという状態が生まれているのであるが、一方で、そのことがわかられてしまうと、中国の時代錯誤や中国の大きな問題まで出てきてしまうということも考えられるのである。
 現在、中国はそのことがばれないように、外交交渉を行っていない状態になっているのではないか。
比大統領、異例の訪中中止 「利益になる時に」と中国
 【マニラ共同】フィリピン外務省報道官は29日、アキノ大統領の9月3日の中国訪問を一転して取りやめると発表した。報道官によると、アキノ氏が28日、訪中を明らかにした後に中国側から「大統領の訪問は、(両国にとって)利益になる時期が適切」との要請があり、フィリピン側が中国の意向を踏まえて異例の中止を決めた。
 アキノ氏にとって、南シナ海の領有権争いで対立が続く中国の首脳級との会談を実現し、緊張緩和を模索することが訪中の目的だった。だが中国から事実上、訪問を断られたことで、逆に両国の溝の深さが鮮明になった。
47NEWS(よんななニュース)20130829
http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013082901001985.html
中国初の空母 不具合でドック逆戻り「スクラップか」の声も
 中国初の航空母艦「遼寧」が8月下旬、中国人民解放軍海軍の北海艦隊の司令部がある山東省青島市の軍港ではなく、遼寧省大連港の造船ドックに停泊した。専門家の間では遼寧に何らかの不具合が生じたとの見方が強く、修理のため、このまま3~4年は出航できないとの指摘も出ている。中国の人民日報傘下の「人民網(ネット)」が伝えた。
 遼寧はもともとウクライナの空母を改修した中古品で、以前から実戦での使用に疑問を呈する声が多かったが、その危惧が的中した形となった。ネット上では「海に浮かぶスクラップと化した」などの痛烈な批判が目立っている。
 遼寧は終戦記念日の8月15日、母港の青島市の軍港を出港し、艦載機の離着陸訓練などを行なうほか、浙江省沖で行なわれていた海軍艦隊の軍事演習に合流するとの情報も流れていた。しかし、青島出港8日後の23日、大連港の造船ドックに入ったことが確認された。
 遼寧が造船ドックに入ったのは今年2月26日以来初めて。青島港を母港にした時点で、北海艦隊に配備されたと伝えられていたが、大連に戻ったことについて、中国の空母の専門家、李傑曾氏は人民網に「何か重大な不備や欠陥が見つかった可能性があり、緊急に修理する必要があったのではないか。今後、3~4年かけて、設備を交換したり、装備を加えるなどの作業が行なわれる可能性もある」とコメントしている。
 中国海軍の専門家、劉江平氏も人民網に対して、「艦載機の離着陸訓練で、何か重大な欠陥が見つかった可能性がある。艦の構造上の問題か、動力の問題、あるいは積載している兵器、装備の問題など発見されたと考えられる」と指摘している。
 ネット上では、これらの専門家のコメントの信憑性に疑問をもつ声が多数寄せられているが、一部では「遼寧は10年以上も大連で改修工事を続けてきた末に、ようやく艦隊配備されたのに、また大連に逆戻りしたことで、海に浮かぶスクラップであることが改めて証明された」との辛辣な声も出ている。
NEWSポストセブン2013.09.01 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20130901_208718.html
 いつも二つ以上の複数のニュースをつなげて読むことを心がけるべきである、と私はブログの中でたまに書いている。自分の中では、強く意識しているのであるが、わざわざ文字にして描くのは何となく面白くないことではないのか。
 実際に、日本のニュースは、「点」でしか物事を伝えす、その「点」のニュースに周辺事情といって人格批判などを織り交ぜて、自分の考えに印象付ける報道しかしない。その自分たちの考えに向けた印象付けを編集という作業で行う。あえて社会面の記事で行うが、殺人事件などの犯人を見つけると、その犯行に至った経緯や犯罪に関する周辺情報ではなく、代替の場合犯人の凶悪性や生い立ちから悪い部分だけを抜き出し、「極悪人エキス」をデフォルメして一般の視聴者や読者に印象付ける。しかし、日本のことわざの中には「泥棒にも三分の理」という言葉があり、犯罪に至った理由に何等か共感すべきところや、同じ行為にはならないまでも理解できる部分があったかもしれない。同じことが戦争報道で行われ、戦争に至った経緯や周辺の環境、当時に国際情勢や発展の内容に関しては一切流すことはなく、戦争で死んだ、空襲で悲惨な目にあった、かわいそう、という話ばかりが目立つ。そのような報道しかしていないから現在のシリア情勢エジプトの混乱も見えないのである。単純に社会面と政治や歴史い報道と時代劇ドラマと同じで「勧善懲悪」を演出して事実を報道する。しかし事実はそのようなものではない。
 マスコミは、私が「水戸黄門現象」と名付けたが、極悪人、悪代官をそのすべてを否定するが、実際に時代劇の中では描かれないが、悪代官は代官になるだけの功績があったわけであり、その功績に従い悪代官を慕う人や恩人と考える人がいる。本物の悪人であれば、当然に悪代官のために助さんや格さんに殺される人などはいない。しかし、勇敢に水戸黄門一行に立ち向かうのであるから、その代官としての功績はしっかりしたものなのである。日本人はそのような背景を無視して、悪人という結果で物事を判断し、本質を見ることはない。
 さて、そのようなマスコミの報道であるから、中国の空母が今一つであるということ、または国内政情が不安定であることと、今回の外交のことをまったく関連付けないで報道をしてしまう。
 習近平国家主席の力の背景は軍隊の組織化である。実際に政治的に大きな力があるわけではない。それどころか、習近平は胡錦濤の対日柔軟体制を批判してその政治的な権力を作り出した。その勢力に影響して胡錦濤は抗日姿勢が大きくなったのであるが、しかし、そのような「抗日の星」が日本との交渉で破れるわけにはいかない。これはフィリピンにおける南沙諸島も同じことだ。そのために、「結論が出ない(要するに議論で敗北する可能性がある)交渉には挑めない」のである。特に、習近平は対ロ交渉でプーチンとの間でも尖閣諸島に関する共同戦線を拒否されてしまっているし、中米首脳会談ではオバマ大統領に「適当にあしらわれる」ということになった。この状態では中国は単独で日本やフィリピンと尖閣諸島や南沙諸島の話をしなければならない。そのためには、単独で戦った場合に、相手を制圧できる軍事力が必要なのであるが、残念ながら「空母遼寧」は調子が悪い。まあ、ロシアで使っていた中古品なのであるから、うまくゆくはずがないのであるが、それに頼って中国は海軍力があるとしてしまったために、基本的には、軍事的な交渉で相手を圧倒しなければならない。しかし、それがうまくいかないという現実は、外交交渉の切り札がなくなったことを意味しているのである。
 これでは外交交渉ができない。しかし、メンツがあるので、素直に撤収もできない。そのために、結局のところ、「交渉から逃げる」ということしかできないのである。
 二つのニュース、二つだけでなく複数のニュースを見ると真実が見えてくる。その真実を報道しない日本のマスコミは、本当にダメであり大きな病巣を書かているのであるが、逆に読者側も、そのヒントはしっかりとちりばめられている。それらを冷静に分析し、そのうえで、相手のことをしかk理と「知る」必要があるのではないか。

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マスコミ批判に関する一考(159) 新聞の購読料減少で「理不尽な勧誘」に走る新聞配達契約店の苦悩と、大新聞社の問題点

マスコミ批判に関する一考(159) 新聞の購読料減少で「理不尽な勧誘」に走る新聞配達契約店の苦悩と、大新聞社の問題点

 先週は可なり不思議な内容がニュースとして明らかになった。新聞の契約を巡る「理不尽な勧誘」が大きくなり、消費生活センターなどに苦情が寄せられているという。消費生活センターが記者会見で発表したものだけに、同じマスコミもそのマスコミにおいて報道しないわけにもゆかず、仕方なく報道をした形になっている。
 しかし、その報道に付随して様々なホームページなどで紹介されたためにかえって大きく印象付けられた感がある。その大きく印象付けられた内容から、弁護士の専門サイト「弁護士ドットコム」で対処方法などを着さした記事が掲載されるにいたった。逆に言えば、弁護士などに頼り、法的に対処しなければならないほどの問題を「新聞契約」が行ってきているということである。
 国民生活センターの記者会見によれば、そのトラブルの相談件数は1万件を超え、多くは高齢者による内容ということになっているのである。そのうえ恐喝まがいの解約金鉱床などをされれば、当然に大きな問題になる。
 この内容に関して新聞は「新聞販売店と新聞社本社とは異なる」というような感覚を持っており「反射が何をしたかわからない」などということを言って責任転嫁をしたのちに、「再発防止に努める」とお決まりの話をすることになるのであるが、そのような話をされても、過去の部分がどうにかなるわけでもなく、また、その配達店が何らかのペナルティを被ったというような話も聞くことはない。そのまま同じ反射が、要するに消費生活センターに苦情が寄せられた販売店が今日もそのまま新聞の配達を行っているのである。
 当然に、そのようなことになってしまうのは、新聞と販社に関しても、「押し紙訴訟」などで関係が悪化してしまっている。これは新聞社がその負担部分、要するに赤字を販社につけまわしていることによる。そのことがわかっている新聞社は、販社に対して強く物事を言うことができないのではないか。
 結局「理不尽な契約」に関しては無くならない。少なくとも、「形を変えて赤字解消のための動きを強引に行う」という体質的な問題は変わらないということになるのである。

あいつぐ「新聞契約」をめぐるトラブル 「理不尽な勧誘」にどう対抗すればいい?

 「12年先まで契約させられ、解約を希望すると高額な景品代を請求された」「購読期間 が1か月のつもりで契約したが、購読契約書には3年と書かれていた」。新聞の購読契約をめぐって、こんなトラブルが全国であいついでいる。特に、高齢者がトラブルに巻き込まれるケースが多い。国民生活センターは注意を呼びかけるとともに、新聞の業界団体に改善を求めている。
 国民生活センターによると、新聞の購読に関するトラブルの相談は、各地の消費生活センターに毎年、1万件近く寄せられている。そのうちの半分以上は、60歳以上の高齢者からの相談だ。
 ある60歳代の女性は液晶テレビが景品としてもらえると聞いて、5年後から12年後までの7年間、新聞を購読する契約を結んだ。ところが目が悪くなってきたために「解約したい」と申し入れたところ、「解約するなら、テレビ代の5万円を返すか、同じ機種のテレビを買って返してほしい」と言われたという。こんな長期の契約を高齢者に結ばせるのは問題があると、国民生活センターは指摘している。
 問題の背景には、新聞購読者の高齢化もあるといえそうだが、高齢者やその家族はこのような新聞購読をめぐるトラブルに巻き込まれないようにするため、どうしたらいいのか。もしトラブルに巻き込まれたら、どう対応すればいいのだろうか。
  ●「断る自信のない人は、ドア越しの対応を」
 「まずは、きっぱりと断ることが重要でしょう。当たり前の話ですが、契約をしなければその後の問題も生じません」
 このようにアドバイスするのは、消費者トラブルにくわしい大和幸四郎弁護士だ。
 「きっぱり断る自信のない人は会ってしまうと、断りづらいので、ドア越しに対応するのが賢明かと思います。もし断ってもなかなか帰らない場合は、不退去罪(刑法130条後段)に該当する可能性がありますので、警察を呼んでも良いでしょう」
 しかし高齢者の場合は、新聞の勧誘員の勢いに負けて、断り切れずに契約してしまう人もいるだろう。翌日になって「契約しなければよかった」と後悔しても、遅いのだろうか。
 「そんなことはありません。訪問販売で新聞購読を契約した場合、契約書面を受け取った日を含めて8日以内であれば、クーリング・オフ(無条件解約)できます」
 「8日以内」という期間のしばりはあるが、新聞契約はクーリング・オフが可能だということは覚えておきたい。
  ●「景品で決めるのではなく、本当に新聞が必要なのかを考えるべき」 
 「しかし、期間が経過してしまうと、『契約』ですので、原則として無条件解約はできません。もし例外的に、購読期間を定めない契約にしていれば、いつでも解約できますが……」
 たしかに、せっかく契約したのに簡単に解約できてしまうのでは、新聞社や販売店も割にあわないだろう。だが、国民生活センターの報告にあるように、数年以上の長期にわたる購読契約を高齢者に結ばせるのは、いきすぎといえるのではないか。
 「契約期間が長期で、かつ、景表法に違反するような高額の景品によって、契約を強引に結ばされたような場合は、信義則(民法1条2項)に反しているとして、解約が可能な余地もあると思います。ただ、その場合も景品の時価相当額の返還は必要でしょう」
 最近は、インターネットの普及により、若い世代の「新聞離れ」が著しい。新聞販売店からすれば、高齢者と購読契約を結ぶことが前にも増して重要になっているのだろう。いきすぎた勧誘は自重されるべきだが、消費者の側も自衛策が必要だ。大和弁護士は新聞購読の心得について、次のように助言している。
 「景品で購読するかどうかを決めるのではなく、本当に新聞が必要なのかどうかを考え、もし必要な場合は、自分に合った新聞を選択して契約するのが重要といえるでしょう」
(弁護士ドットコム トピックス)
 
【取材協力弁護士】
大和 幸四郎(やまと・こうしろう)弁護士
佐賀県弁護士会。2010年4月~2012年3月、佐賀県弁護士会・消費者問題対策委員会委員長。佐賀大学経済学部非常勤講師。借金問題、刑事・男女問題など実績多数。元「西鉄高速バスジャック事件」付添人。
事務所名:武雄法律事務所

弁護士ドットコム 20130830
http://www.bengo4.com/topics/726/

 では、なぜ新聞販社がそのようなことをしなければならないのであろうか。
 結局のところ新聞そのものが購読者数が減り、そして、新聞そのものへの広告料が減ったということになる。なぜ新聞の購読者数が減ったのか。それは「面白くないから」に尽きる。新聞のいうことをそのまま聞いていても、実際に民主党政権など、うまくいくことはない。新聞が世論誘導をしていることが非常に多く見えてきてしまって、多くの人が「真実」を見たいという欲求に駆られるようになるのである。
 実際に、その「欲求」はインターネットによる情報収集ということになり、新聞などのホームページはその中の一つとしかならなくなってしまったのだ。新聞が唯一絶対の信用と実績を誇っていた時代から、新聞は参考意見の一つでしかなくンり、真実を書かない媒体と認識されてしまったことはかなり大きい。これは彼ら龍に責任転嫁するならば、せっかく応援した民主党政権がダメだったのが悪いということになるが、一般の購読者はそのようなことを許すはずがないのである。
 その部分の赤字を、結局販社につけまわすことになる。販社は契約購読者から安定高額な報酬を得ることを求めるので、結局のところ、理不尽な契約が行われることになる。しかし、そもそもインターネットが情報源となっている現代の風潮は、まさに、若者の間に大きく広まることになり、そのために、「理不尽な契約」の被害者は高齢者が多くなるという構造である。そのうえ、このような「消費生活センター」でクレームが多いということになれば、今まで新聞世代で会った高齢者が新聞離れを起こすことになるから、より一層赤字が増えることになり、そのために、赤字解消のための大きな問題がより巧妙に、そしてより悪質になってゆくことになるのである。
 この内容は、まさに新聞の「情報の質の低下」が大きな問題になっているわけであり、それが実際の社会や新聞の販売車に対しても大きな影響を与えていることになる。
 もう一つ、あえて付け加えれば「新聞社」としかなっていない。要するに「どの新聞販社も同じように行っていっる」ということ、もう一歩踏み込んで言えば「情報の質の低下が行われているのは、どの新聞社も同じ」ということを意味しており、特定の新聞が情報量やその質の低下が顕著なわけがない。例えばM新聞などは、質の低下から英字のところに「日本の女性は破廉恥」などと書くし、またA新聞などは、新聞販売の市場を在日中国人など鵜シフトしてしまい、その人々の受けるような記事を書くようにしている。今や左翼の機関誌のようになってしまっているのは、まさにそのような販売と購読者の問題も少なくないのである。
 では新聞が独自性を持つということはできないのか。実際は簡単なはずなのであるが、そのためには独自の取材網をとらん変えればならず、そのための経費も存在しない。今や新聞全体がネタ合わせを行い、談合の結果のように値段も記事の内容もほとんど同じ内容になってしまうということになるのである。
 日本の情報空間の歪みは、このようなところからも明らかになるのである。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第41回 具体的な憲法改正と国防軍の役割

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第41回 具体的な憲法改正と国防軍の役割
 憲法9条ばかりにこだわることはできないので、9条に関することは今回でこの連載の中では最後にし、先に進むように考えている。
  その意味で、そもそもこの連載に関しては、もともと左翼的な考え方をする人々において、その人々が、日本国憲法を左翼的に解釈することによって、本来正常な解釈ならば現在の日本国憲法のような評価にはなっていない野ではないかと言うことである。
  実際に、国体護持として天皇を護り続けた戦後の日本人は、当然に戦前の教育を受けていたし、反日的な死すも共産主義的な教育も存在しない。
  実際に、知米派などは、ある意味下「現実主義者」であったのに過ぎないのかもしれない。
  もちろん海軍の山本五十六、米内光政、井上茂美など知米派は、それでも命令とあってアメリカと精一杯戦った。
  しかし、そのことは、無謀な戦争であると知り、またその無謀な戦争をどの時点かで終わらせなければならないと言うことを認識しながら行ったものであり、陸軍軍閥的な盲目的な国粋主義ではなかったのではないか。
  加藤友三郎元首相に関して私はよく例に挙げるのであるが、実際に世界を敵に回してよく戦ったと言うのが現状であろう。
  当然に、そのことはアメリカの恐怖になっており、現在でも似hんが結束して戦いを挑んできた場合の恐ろしさは、国連の敵国条項をはずさないと言う事実からも明らかである。
  そのようなことはよしとして、なるべくこの憲法を条文どおりに解釈し、その条文を保守的な解釈慰した場合、日本はどのようになったのか、という感覚を見てゆきたいと考えている。
  そのことが、戦後、日本を進駐軍(実質は占領軍)から国対を護持した人々の思いなのではないか。
  逆に言えば、戦後この憲法の制定に関係した人々は、当然に現在のような腑抜けの日本を想定したわけでもなく、現在の日本を見て愕然とするに違いない。
  その思いを考えて、今回の連載を行うことを考えた。
  しかし、それでもどうしても変えなければならない条文と言うのは存在する。
  やはり、現実の問題として当時の状況と現在の置かれた国際社会の中の日本と言う状況で、その役割も、日本を取り巻く環境も大きく変化しているのである。
  そのことをしっかりと考えるべきではないか。
  要するに、「どんなに保守的な解釈をしても、時代に合わないまたは当時のアメリカ軍の影響でどうしてもひざを屈した条文が存在する」という事実があることを認識しなければならない。
  そして、その認識が、安倍首相の主張する「押し付け憲法」と言う感覚になるのではないか。
  この憲法9条に関しては、まさに「押し付け憲法の象徴」と言うことがいえるのではないか。
  そこで、この憲法の9条に関しては、変更した場合にどのように変更を行うのかを、私個人の考えで、付記することにする。
  とはいえ、ここに条文を書く気はしない。
  そこで、エッセンスを書いて、その内容を見てみようと思う。
  まずは軍隊の保有である。
  日本は国連憲章でも認められている自衛権を行使するための軍事力を保有し、国民国家の安全を守るということは明記すべきである。
  その自衛権は、何を意味しているのか。
  二つの問題がある。
  一つにはこの連載で指摘したことであるが、「人」「領土」「主権」を守るということを銘記すべきかどうかということだ。
  単純に言えば、「拉致被害者に対して軍隊の派遣ができる」ということを明記すべきかどうか、軍主導の奪還作戦をすべきかどうかということである。
  私は個人的に明記して問題はないと思う。
  各国のパスポートを見てみればよい。
  例えば中国のパスポートは中国語と英語で「中華人民国政府と中国人民解放軍は」という守護で始まり「この人民の通行と安全の保障を行うことを要請する」となっている。
  要するに「保証しない相手国に対しては人民解放軍が交渉(軍事的な行使)で乗り出すことがある」ということを明記しているのである。
  日本も同じようにすべきであり、それが国際標準である。
  皇室の女系などに「国際的に」などというまでに、まず軍隊や安全に関してそうすべきではないのか。
  当然に、この自衛権の葉には「集団的自衛権を含む」と記載すべきである。
  これは国連憲章に基づいているのであるから、特に大きな問題はないはずだ。
  ここのこれ以上繰り返しはしないことにする。
  そして、次に、「自衛権」の範囲であるが、「自衛力」「抑止力」「敵基地の攻撃力」を合わせて自衛権とするという解釈をすべきであろう。
  寄せてくる敵を排除するだけではなく、排除した敵に対して、これ無い様に抑止力を保有し、同時に、次に来ないように相手方の根拠地を打撃する必要がある。
  それが安全を守るということである。
  この上で、これらの軍事力が暴走しないようにすべき方策をしっかりと記載するということが必要であろう。
  ただ「シビリアンコントロール」が良いとは思っていない。
  逆に文人のほうが軍人よりも戦争をゲーム感覚でとらえてしまうので、その部分で危険が大きい。
  大東亜戦争の時も広田弘毅は文人であったはずだ。
  また韓国の政治を見ても、文人になったのちに反日がひどくなっている。
  最も大きな転換は金泳三大統領であり、その後金大中など北朝鮮と仲良くすることで、竹島の占領を強め、反日を強めたのである。
  そのことを考えれば、文人だから大丈夫というものではない。
  議会による議論と集団的指導体制を作るべきである。
  そのうえで、緊急時に関しては緊急時法制をしっかりし、緊急時には議会承認の事後報告で済むようにする。
  その場合は、首相または防衛担当大臣が非常事態宣言を行うという手続きをしておけばよい。
  最後に、この憲法の前文から「平和を愛する諸国民と連携し、平和を愛さない諸国民を平定する」ということをしっかりと書いてみたら、平和主義者もあまり文句が出ないのかもしれない。
  「人を守る」ということは「ほかの人よりも強くなる」ということを意味している。
  強くなければ守ることはできない。
  現在の東アジアにおける日本の扱いは「弱いために守ってくれない」ということに過ぎない。
  特に韓国の態度が顕著だ。
  そのことをしっかりと考えるべきなのかもしれない。
  次回からは次の条文に進もうと思う。

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