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非嫡出子問題に関して選挙で選ばれているわけでもない司法は国民主権の国権の最高機関である立法を変えさせる権限を持っているのか

非嫡出子問題に関して選挙で選ばれているわけでもない司法は国民主権の国権の最高機関である立法を変えさせる権限を持っているのか
 昨日は祭日である。いや正確に言うと「祝日」ではなく「振替休日」である。そもそも振替休日というのはどういうことはどういうことであろうか。単純に言えば「祝日・祭日」は、一般の仕事は休みであるが、公的な儀式など、一般の仕事よりも重要で必ず出席しなければならない儀式などがあり、その縦身かえって通常の仕事をする日よりも肉体的には披露する党ことが言える。どんなに精神的に光栄なことであっても、肉体的な疲労はどうしようもない。そこで、そのような儀式に参加した人たちのために、そしてその人たちが一般のその他の人と差ができないように配慮して、翌日を肉体的な疲労をとるため、そして、儀式に参加した人の肉体的な疲労をとるために、翌日をあえて「休日」にしているのである。
 そのようなことから、昨日11月4日が振り替え休日であると、11月4日は何も動かない。ちなみに世界は振替休日ではないので様々な動きがあるのであるが、日本はそのようなことで世界に合わせる必要がない。日本は日本独自の文化、そして日本の国家における伝統とその価値観において、その文化を共有し、その文化の中で生活習慣を構成してきているのである。
 その生活習慣や家族制度が守られないのではないかということが言えるのである。まさに非嫡出子の違憲判決である。表題にある司法と立法の関係に関しては後半に書くとして、まずこの内容に関して、簡単に考えてみよう。簡単にというのは、私以外の専門家が様々に研究しコメントを出しているので、その内容のほうがみなさんにとっては参考になると思うからである。そこで私なりに簡単に考えてみよう。
 非嫡出子に関しての相続の差別は違憲であるという。しかし、そもそもなぜそのような民法ができたのか。法律というのは秩序を守るものである。家族法は家族制度というものを守るということと同時に、性風俗の秩序を守るということがある。実際に非嫡出子を法的に認めるくらいであるならば「正妻」と「愛人」を相続上差別することは「違憲」なのかということにもなる。性的な実行行為又は内縁関係を肯定するのでは、「民法に違反した者が最高裁判所で認められる」ということになり、司法機関が日本国内の秩序を壊す役目になっているのである。
 そのようなことを認めるのであれば「一夫多妻制」または「多夫多妻の集団婚」ということになり、まさに共産主義的な村社会が存在することになってしまうのである。もちろんそのような村社会が日本国内において存在したという歴史はある。ある意味で戦前までそのような部分があったところも考えられる。しかし、それはしっかりとした家族制度があり、なおかつDNAなどという科学的なものを超えた内容があったからである。「生みの親よりも育ての親」というような言葉もあり、そこに家族制度における生を受けたのちの教育や生活習慣がどれほど重要なのかということをしっかりと考えているのである。
 まず「秩序」があり、その秩序の上に変形が存在する。その「異例」「例外」を肯定し制度化することは、秩序を破壊することになってしまうのである。
 判決はこのようなことで、私はそもそものその判決に否定的である。しかし、その判決が最高裁判所で出てしまった。後半はその最高裁判所というよりは三権分立の在り方を閑雅て笑みるべきではないのか。
民法改正で家族制度は? 保守政党に突きつけられた課題
 結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子と同等とする民法改正案が、臨時国会の一つの焦点として浮上している。最高裁大法廷が9月に、非嫡出子の遺産相続分を嫡出子の半分と定めた民法900条4号の規定を「違憲」と判断したことを受けて、政府は今国会での法改正を目指している。だが、自民党内では「家族制度の崩壊を助長しかねない」として反発が強く、足踏みが続いている。民法改正をめぐる動きは、自民党が保守政党なのかどうかの試金石とも言えそうだ。
 「私も生まれたときは非嫡出子だ。一時期なぜそういうことになるのかと素朴な疑問を持った。ただ父と母はその後、法律婚をした。立法府は最高裁の判断を尊重しなければならない。婚姻は大人の世界の話だ。子供が責めを負う必要はない」
 自民党の野田聖子総務会長は1日の記者会見で、自身が婚外子だったことを公言し、民法改正案の早期成立を求めた。公明党の山口那津男代表も10月31日の中央幹事会で「与党で早く合意をつくるのが、司法の判断に対応する立法府のあり方だ。是非今国会中に改正案を提出し、成立を目指すべきだ」と述べ、自民党に対し党内手続きを急ぐよう促した。
 最高裁は平成7年7月の決定では「民法が法律婚主義を採用しており、合理的理由のない差別とはいえない」として、この規定を「合憲」としていた。だが、今回の決定では「(現行憲法の基本原理に基づいた)昭和22年の民法改正時から現在に至るまでの社会動向、家族形態の多様化や国民の意識の変化、関係法令の改正等」を理由に挙げて、「違憲」と断じた。
 婚外子の出生数は平成23年で2万3354人。平成17年に比べて1千人超増えているとはいえ、出生数全体の2・2%に過ぎない。婚外子が50%を超す国もある欧米諸国と比べると圧倒的に少なく、法律婚を尊重してきた日本の特性を表している。今回の最高裁決定はその事実関係を認めつつも、「嫡出でない子の権利が不当に侵害されているか否かという観点から判断されるべき法的問題だ」と指摘した。
 民法改正案の自民党内の審査は現在、法務部会(大塚拓部会長)で行われている。ただ、反発が大きいため10月25日、29日の会合でも了承は見送られた。22、23日の勉強会と合わせると計4回に上り、異例の開催日数となっている。
 批判的な議員の意見をまとめると、以下のように集約される。
 「親が亡くなった途端に、親の面倒を見ていない事実婚の子供が遺産相続に現れることがあるが、平等で許されるのか」
 「民法上の法律婚と自己矛盾し、結婚制度を否定することになる」
 「戸籍や住民票の実務で混乱が生じる可能性が否めない」
 「夫婦別姓導入や戸籍制度廃止に進むのではないか」
 9月の最高裁決定後に産経新聞に寄せられた読者の声でも「婚外子に罪がないのは確かだが、その母親の責任論が欠けている」「格差撤廃が世界の潮流というだけの判断で、間違った平等主義」「子を外につくるのを認めるのと同じ」「不倫を助長しかねない。法律だけで社会制度を判断すると倫理欠如が起きる」などと厳しい批判が相次いでいる。
 反対派の急先鋒(きゅうせんぽう)である西田昌司参院議員は10月29日、記者団にこう語った。
 「最高裁が『非常識』な判断をしたときに、そのまま法律を変えてしまって果たしてよいのか。家族制度が崩壊するのではないか。このまま認めると、どんどん婚外子をつくり財産分与ができる。国民的理解を得られているのか」
 西田氏も、違憲立法審査権を持つ最高裁が「違憲」と判断した法律を放置しておいてよいとの立場ではない。「最高裁判決を尊重するにしても、家族を守るために何か別の規定を作っておく必要があるのではないか」とも語っている。自民党内の保守派の議員も同様の考えが多い。
 党内では、「子および配偶者が相続人であるときは、子の相続分および配偶者の相続分は各2分の1」とする民法900条の1の規定も合わせて改正し、配偶者の相続分を増やすことで、配偶者の地位を高めればよいとの意見もある。ただ、法務省は「現在の民法には法律婚尊重の趣旨を表した規定が他にある」としており、実現は難しそうだ。
 違憲状態の解消が立法府の責務であることは言うまでもない。とはいえ、自民党は昨年4月に公表した「日本国憲法改正草案」で「家族規定」を新設しており、家族制度は尊重するとの立場だ。民法改正は、双方の両立を目指す難しい判断が求められている。(小田博士)
産経新聞 11月2日(土)11時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131102-00000525-san-pol
 三権分立という言葉がある。三権は互いに監視する内容であり、同時にその監視以上の介入はしてはならない。この言葉を誤解して「検察」や「警察」の取り調べもって「三権分立」などということを言う人があるが、司法警察や検察は、実は司法機関ではなく政府機関である。あくまでも司法機関はその最終的なジャッジメントを行う「裁判所」であり、裁判所で結論が出てくるまでの期間は「疑義」があっても「罪」は決まっていない。
 さて、三権分立とは裁判官が裁判官として判断を行う場合にその判断に関して政治的な権力などを受けることがないということである。単純に言えばその判断に対して、その判断の責任をほかの権力から問われるkとはないということになる。
 これは、通常司法が政治権力によって支配されるということを想定している話であるが、「三権分立」という理念に関して言えば、その逆も真なりである。
 要するに、司法が判断したことによって立法が否定されるということが起きてはならない。司法は、完全に立法府が決めた法律に従って、その法律の審査を行うものであり、同時にその法律が正常に運用されていないかどうかを審査する場所である。しかし最近は違憲であるという判決を出せば、司法が立法に対して命令をすることができるかのように解釈されている部分があるのではないか。
 実際に秩序を維持し、その秩序を維持することによって社会を規定しその社会全体の発展を行うものが行政と立法であり、その立法は国民主権のもとで出された(戦前であれば明治憲法において明治天皇の諮問機関として、同時に普通選挙法によって選挙された衆議院議員によって)審議されたものであり、それを国民主権に基づかない裁判官によって「違憲」としてその真偽の結果を否定することが良いのか。これは「違憲」ということを言えば、裁判官という少数の選挙もなく(国民審査はあるがそれは選出ではなく審査である)選ばれたわけでもない人々の一部の意見によって、国会の審議の結果を否定し立法府の結果を左右することができるのか。
 これは民主主義ではない。
 これは非嫡出子の問題ではなくあくまでも三権分立の在り方ということにおいて、非常に危険な内容になっているのではないかという感じがするのである。

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コメント

婚外子違憲判決は、結論的には間違っていませんが、国際的な流れや家族観の変化を理由とする点で、その理由付けが妥当でありません。また、リベラル派・保守派ともに、「違憲判決が出れば平等になる」と誤解しています。賛成派と反対派が、どちらも誤った前提を元にして議論しているので、議論が混乱しています。

観念的な議論に終始するのではなく、違憲判決が出ると、嫡出子と非嫡出子の相続分がどれくらい変わるのか計算すべきです。

 嫡出子1人、非嫡出子1人、正妻が生存しているとして、遺産が1億2千万円あったとします。
<違憲判決が出る前>
 正妻-6千万円
 嫡出子-4千万円
 非嫡出子-2千万円
   ↓その後、正妻が死亡
 嫡出子-1億円
 非嫡出子-2千万円

<違憲判決が出た後>
 正妻-6千万円
 嫡出子-3千万円
 非嫡出子-3千万円
  ↓その後、正妻が死亡
 嫡出子-9千万円
 非嫡出子-3千万円

 嫡出子は正妻を経由して遺産を相続できるので、違憲判決が出た後でも、最終的な相続分は非嫡出子よりも圧倒的に多いです。どういうわけか、リベラル派も保守派も裁判所も、この点を無視して議論していますが、妥当ではありません(特別抗告理由書では触れられています。)。

違憲立法審査権と民主主義の関係については、色々と議論があるでしょうが、今回の判決は結論的には正しい(論理的に正しい)ので、立法権の侵害には当たらないでしょう。国民の家族観が真正面から問題になるような事案では、政治家と最高裁判事が、それぞれの威信をかけて、主権者国民の前で公開討論するような制度を作るべきです。


投稿: PALCOM | 2015年11月24日 (火) 07時37分

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