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2014年3月

マスコミ批判に関する一考(187) 捏造朝日新聞の嘘から見る新聞記者の質の低下

マスコミ批判に関する一考(187) 捏造朝日新聞の嘘から見る新聞記者の質の低下
 まず、毎週マスコミの皆さんに関しては、それなりに毎日苦労していると思う。この批判は、あくまでも批判であり誹謗中傷とは違う。当然に「治すべきは治して」しっかりと報道の姿勢を整えていただきたいと願っているからであり、たんなる誹謗中傷を行うつもりはないのである。しかし「治せるべきところ」というのは、実は、人間の問題である。
 実際に技術や金銭面などの物理的な問題であれば、簡単に治るものであり、そしてまた駄目であることの原因もはっきりする。実際言えば財政上の問題であれば、金を借りてきたり資金を調達すれば、それで何とかなる話である。また、例えばテレビの電波の問題は電波塔を多くたてたり、あるいはその電波を強くすればよい話であろう。これらの問題も解決は可能な問題なのである。
 しかし、マスコミの問題の多くは、基本的に、その中の「人」の問題である。それはその人々が数十年、定年間近ならば約60年、そして新入社員ならば20数年という年月の問題であり、それを一朝一夕で治すことは非常に難しい。
 さて、いくつかの課題がある。例えば「偏向報道」ということであれば、それは、その年月で見てきた経験や教育によって、「偏向」を「偏向と思わない」というような状況になってしまえば、それを直すことは難しい。そもそも「偏向」を感じないというのは重症である。精神病において、精神病であるということを気づけばそれは軽傷であり、自分が精神病であることも気付かない方が重傷である。もちろん「偏向」は精神病なのかということで、双方から苦情が来るたとえであることは認識しているが、しかし、個人の内面の認識ということであれば、当然にそのような例になるのが最も良いのではないか。
 記事の前にひとつ例を挙げれば「ジャーナリズムは批判精神」という考え方がある。ジャーナリズムの名の知れた人々、特にテレビなどで政治や国際情勢を語っている人に多い意見であるが、しかし、本当にそうであろうか。国の将来に対して、または国際関係を見ながら考えて、「批判するべきこと」というのは限られている。一つの物事を一面的な観点から見れば批判は十分に可能であるが、しかし、一面的に見ること自体が間違えていることはたくさんある。そして「一面的にみることの危険性」を報じることなく、要するに自己反省がない姿勢でマスコミが報道を行うということは、そのままマスコミの「死」要するに物事を中立的な立場で報道するということをの自己否定を意味する。
 しかし、代替の場合「ジャーナリズムは批判精神」であるからそれでよいのだ、というような話になってしまう。この話自体がおかしな話だ。批判精神ならば「正しいこと」も批判してよいのか、ということになる。もちろん「正しいこと」の定義は何かということであり、それがわからないから中立的な話が必要になるのであるが、一方で、自分が報道することが「正しいのか」ということ、または報道しないことが「正しいこと」なのかということの自己検証が必要なはずである。
 それができなくなってしまい、それは、新聞やテレビを報道している人々の人間的性質に起因することが大きくなってしまっているのではないか。
 そして今回もそのような事案ができてしまってきているのである。
小保方氏「大人AKB48で歌手デビュー!」 朝日新聞デジタルの「嘘」コラムがネットで物議
   理化学研究所の小保方晴子氏(30)が歌手デビューする――。そんな「嘘」コラムが朝日新聞デジタルのサイト内に一時掲載された。
   有名人の架空の悩みを勝手に考え、勝手に回答するという連載コーナー「ウソうだん室」の記事で、2014年3月24日に掲載された。同日中に削除されたが、「Web魚拓」などから閲覧できる状態で、ネット上で物議を醸している。
デビュー曲は「人生切り貼りしちゃえるNO!」
   執筆しているのは、週刊誌やウェブメディア「サイゾ―ウーマン」などで執筆しているコラムニストの今井舞氏だ。旬な有名人の架空の相談に答えるという設定で、過去には、別人作曲問題が騒動になった佐村河内守氏や、なかなかアカデミー賞を獲れないレオナルド・ディカプリオ氏が「相談」しに来ている。
   3人目に登場したのが、「STAP細胞」論文不正問題の渦中にいる小保方氏だ。「小保方さん、『大人AKB48』で歌手デビュー!(うそ)」とのタイトルで、記事では割烹着姿の小保方氏の写真を掲載している。八方塞がり状態の小保方氏が今後の人生を考えたところ、アイドルグループ「AKB48」が現在募集している30歳以上の新メンバー「大人AKB」企画に応募しようという気になった、という内容で、「デビュー曲は『人生切り貼りしちゃえるNO!』」「あとは新垣さんに曲を作って頂ければ、話題性も十分かと」などと自虐ネタを盛り込んでいる。
   これに対し、今井氏はAKB案を「名案」と評価し、「あなたの本当の発見はこれだったのですね」と毒づく。
虚構新聞ツイッターも釈明に追われる
   記事が掲載されると、インターネット上では「これ朝日新聞デジタルに掲載して大丈夫なのか?」「朝日新聞、どうしちゃったの…」と困惑する声が相次いだ。「STAP細胞」の論文を巡る不正疑惑には、理化学研究所が2項目については不適切な取り扱いがあったと認めているが、悪意を持った改ざん・捏造という見方は否定している。現在も調査が続いている段階で小保方氏をこのように扱うことに、たとえフィクションだとしても違和感を持った人が少なくないようだ。
   批判が相次いだのか、まもなくして記事は削除された。現在は「お探しの記事は見つかりませんでした」と表示されている。だが、削除前に「Web魚拓」が取られていたため、削除後も多くの目に触れている状況だ。「これは品性を疑うな。どんな人生を歩んだらこんなことができる人間になるんだろうか」「これはゲスいぞ。小保方問題をおもちゃにするのは目に余る」など、筆者の今井氏に対する批判に加え、「朝日がこれを載せちゃうのか…消すなら載せるな、載せるなら消すな案件」などと問題視する声もあがっている。
   時事ネタを元にした嘘ニュースを配信しているサイト「虚構新聞」の記事と間違える人もいるようで、虚構新聞公式ツイッターアカウントは「現在お問い合わせいただいているウソうだん室:小保方さん、『大人AKB48』で歌手デビュー!は朝日新聞社のコラム記事であり、本紙記事ではありません。あらかじめご了承ください」と注意を促している。
2014年3月24日(月)19時38分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-200010/1.htm
 さて、新聞は毎日更新しなければならない。一定の紙面をそれだけ埋めなければならないので、それは毎日ネタを探し、取材し、そしてその内容の検証を行い、そのうえでそれを文章化し、そしてその文章化した内容を伝えなければならない。これは大変な作業である。
 もちろん、私のような「いいかげん」な人間は、毎日このようにブログをしていても対したことがないのかもしれない。そもそも、そんなに厳密に作っているわけではないし、呼んでいる方を毎回困らせている誤字は、相変わらずだ。しかし、内容がしっかりしていればそれでよいとも思っているし、私の中では、このブログは「私が文章を書くための毎日の訓練」であり、この「訓練を皆さんに公開している」ということに過ぎないと考えているので、それは特に大きな問題とは思っていない。(申し訳ない)
 ところで、新聞などがネタがない場合はどうするのか。
 新聞の場合はデスクといわれる人がいて、その人が部下の記者に命令を出す。基本的に、「小保方さんのネタを探してこい」というような感じだ。しかし、そのネタなどはそんなに存在するはずがない。それでも何か考えるということで親や関係者、理研、ほかの教授などを取材することになる。しかし、デスクは「小保方さんについて」ということになってしまい、取材合戦だから結局何も入らない可能性もある。
 そのために、困った人がどうするか。本来はこのようなときのために、人脈が必要なのであるが、その人脈がナイキ社などが受け持ってしまうと、今回のような「捏造」になってしまう。
 「捏造」は「ありそうな話」であるから、困ったものである。そこはあとはモラルの問題でしかない。もちろん、スポーツ新聞のように多少捏造気味の文章を書いて「○○か?」として疑問形で終わらせるような話をすればよいのであるが、まったくそのような話もないのだ。
 そこで、新聞の問題がまた明らかになるのである。
 ねつ造報道が悪いのは当たり前だが、実際に、謝罪したところで、そのような体質を残してしまえば、結局は問題が残ったままである。原因の追及と、そして再発の防止を行わなければならないのであるが、そのようなことが朝日新聞から発表はされていない。上記のように「無理な人に無理な取材を行わせる」こと自体が大きな問題なのである。
 こうなってくると、この連載で何回も出しているように、「マスコミの記者の質の低下」ということが問題であり、その低下をもたらす内容が最大の問題であるということになる。しかし、そのことそのものの問題を全く無視して、単に謝罪だけを行うというのはあまりも安易に流れすぎる。
 記者の底上げとデスクの命令の合理性が必要である。そのことを特に朝日新聞は組織を挙げて行うべきではないのか。もちろん、簡単にできるとは思っていないが。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第69回 政治とは「その国の国民に対する将来の責任と、その生活を保障する義務」の体系

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第69回 政治とは「その国の国民に対する将来の責任と、その生活を保障する義務」の体系
 ここ数回民主主義に関して考えている。
  民主主義に関して考える、というよりは、民主主義の内容を紹介しているといったほうが良いかもしれない。
  まずは民主主義の内容を紹介した。
  次に、民主主義がどうしても衆愚政治になってしまうということを紹介した。
  紹介した内容は、ほとんどが様々なところからコピペした物ばかりであった。
  少々手抜きのような気がするので、今回はしっかりと書いて行ってみたい。
  さて、「民主主義」はなぜよいのか。
  その対立概念というか、実際には、対立ではなくある一定の状況でおかしくなったさまが「衆愚政治」である。
  ということで「衆愚政治」はなぜ悪いのか?ということを考えてみよう。
  人は、当然に人一人では生きてゆけない。
  現在の人にとっては、それは「戦争」など、ほかの人との間における成敗関係というような感じで負けてしまうからということを考えるかもしれない。
  しかし、本来は「一人では自然環境に勝てない」ということが本来の話である。
  人間は自然環境に勝って生き残るためには、人間が集団で対処する必要がある。
  しかし、その人間の集団が、集団として一つの存在に成るためには、当然に、一つの方向性が日地様になる。
  日本は別にして、世界で考えれば、多くの人間がバラバラで、なおかつそのまま多くの集団を形成でき、すべてが生き残れるほど、多くの恵みを与えてくれるわけではない。
  そのために、その集団の方向性を決めるというのは非常に大きな問題ということになるのである。
  集団の方向性を決めることを、一人では何もできない人間が行うということ自体おかしな話である。
  そのために、集団の方向性を神が決めていた。
  これは日本の卑弥呼などのシャーマニズムもそうであるし、ギリシアのポリス国家においても、オリンポスの神々の話が、何らかの御神託で伝えられて決まるようになる。
  限られた自然は、当然に隣の人の集団と重なることになる。
  重なるということは、当然に争いが起こる。
  「争い」というと難しい話になるが、実際には限られた自然環境を分配するために、その収奪を「一つに統一する」という作業が人間同士で行われることになるのである。
  その内容が「戦争」という形になっていたのではないか。
  当然に、この「戦争」に関しても神々が、御神託で何かを決める。
  当然に古代のポリス国家の中においては、神々の代理戦争を人間が行っているかのような形になっているのである。
  さて、これでわかるように、自分の運命も神々が決めるということになる。
  戦争の結果は人間に降りかかってくるのであるが、その原因は神々が自然環境を潤沢に与えないことによる。
  そして政治の範囲が巨大化する。
  そのことによって、方向性を決めることが非常に大きな影響を及ぼすことになる。
  当然に、その方向性は、多くの人の将来を決めることになるのであるから慎重に決めなければならない。
  慎重に決めるというのは、当然に、「すべての事象」を冷静に判断し、その冷静な判断に基づいて方向性を決めるということが必要になってくるのだ。
  しかし、衆愚とはそのような基準で決めるものではなくなってしまう。
  将来を目指して決めるのが「政治」であるのに対して「現在の機転でその場の判断をする」のが衆愚である。
  人間は、快楽を求めると、将来のことを考えなくなってしまう。
  将来のことを考えないということは、そのまま将来に対する責任と自覚がなくなってしまう。
  責任がない状態は、単純に「誰かに白紙委任」してしまう・
  しかし、その「誰か」を選ぶことも放棄してしまうということになってしまうのである。
  これは民主主義のことだけではない。
  為政者がその時の快楽だけを考えるようになれば、民が困ることになる。
  ルイ16世とマリーアントワネットで有名なフランス革命などは、まさにそのような状態によって生まれる。
  さて、要するに「政治」というのは「その国の国民に対する将来の責任と、その生活を保障する義務」の体系であるということである。
  決して「権利」の体系ではない。
  その義務の体系は、神によって示されていたのであった。
  神であるから、その義務の体系が、失敗した場合もその責任を神が負うことはない。
  この観点から出来上がる宗教体系が「キリスト教」の体系で会うr。
  その教えというのは別にして、まずキリスト、そのほかの指導者が「神の啓示者」となっているというのは、神が全知全能であるが、しかしそれが失敗した時に、神ではなく「啓示者」が「神の御神託」を正確に伝えなかった、ということに起因すると考えた。
  要するに、「御神託の捏造」が、指導者によって行われるという体系になったのだ。
  一方、その「御神託」の前において、神は絶対の存在である。
  そのために、「神」の前において、人間は「哀れな仔羊」となる。
  「仔羊」とは、無抵抗で弱い存在であり、なおかつ、買主である、神の前に従順でなおかつ生殺与奪の権利をすべて握られているという意味合いである。
  人間が「神」の存在なしに生きてゆけないということを示したものであり、同時に、集団になっても弱者は絶対的な弱者であるということになる。
  要するに「キリスト教」という宗教そのものの教えは、このような政治体系からきているということになる。
  いや、原子のキリスト教は違ったのかもしれないが、キリスト教をローマが国境として採用し、政治支配の道具として使用したことによって、そのような内容に「徐々に」変わっていったのかもしれない。
  このように「神の啓示者」としての、為政者は、為政者として「神の御神託」を伝える責任と義務が存在し、一方国民はその神託に従う義務を負うことになったのである。
  逆に言えば、為政者は、「神の声の聞こえる人」「神の啓示者」であり、ほかの国民とは区別される人ということになるのである。
  他の人と区別されることによって、政治家はある意味で特別視されることになる。
  これが封建制度党うことになる。
  封建制度は、「神の啓示者」としての政治家が、世襲し、その一族ということになる。
  その神の声の聞こえる為政者が、世襲で国民に対して「その国の国民に対する将来の責任と、その生活を保障する義務」の体系が、まさに封建制度の肝である、
  他の国民と、封建領主の差は、「王権神授説」にあるように、神によって正当化されたということが必要なのであった。
  そのために、ヨーロッパにおいて王族は、キリスト教的な「戴冠式」を行う必要があったのである。
  日本の場合は、この「神」の少し違う。
  天皇陛下そのものが神であり、また、ほかにも神があると言う構図である。
  ヨーロッパのように神が一つしかないという存在ではなく、神が、たくさん(八百万の神)、その中において国を安らか成るようにする使命を帯びた神が、世襲で天皇として存在しているということになる。
  そしてその天皇の政治を補佐するという形で「摂政」「関白」「征夷大将軍」が任命され、その任命によって、権力を得る。
  しかし、それら為政者が「神」の力を掲示しているということがあり、その力に従うという形があるのだが、しかし、国民がその生活ができなければ当然に、「神の啓示がうまくゆかなかった」ということになる。
  まさに、封建領主、ローマから現在までの封建領主は、神への責任と同時に、国民に対する責任を負っていたということになるのである。
  では民主主義とは?
  それは次回。

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ゴーストライターという存在について

ゴーストライターという存在について
 佐村河内という耳の聞こえない作曲家の問題が少し話題になった。実際に「ゴーストライター」という人がそれらを暴露したことによって話が大きくなった。もちろん彼の場合は「耳が聞こえない」ということが嘘であったなど、別な要素があったのだが、逆に、作家や作曲家などにおいて、「ゴーストライター」の存在は、そんなに珍しいものではない。
 実際に、私が知っている限りにおいてもかなり多くの例で「ゴーストライター」という存在がいることを知っているし、またその人々が活躍していることもよくわかっている。インターネットの時代になって、インターネットの中で暴露されたり噂になったりすることが非常に少なくないのであるが、一方で、インターネットがありブログやツイッターなどの存在が、逆に「ゴーストライター」の活躍の場を増やしているということになる。ブログやツイッターなどであっても、ゴーストライターが活躍し書き込んでいたり、その文案を作っていたりする。インターネットの中の人々は、実際にそれら及んで一喜一憂し、また様々なことを感じるのである。
 問題は「ゴーストライター」の在り方である。実際に、最終のチェックや、または自分の強い思いが初めに伝わっているのかいないのか、そのような話にもなるし、また本人とゴーストライターの関係やそもそも本人の依頼をする時の内容などもある。
 それらが整理できていないと、今回の佐村河内氏のようになってしまう。その関係や本人としてのオリジナリティがどこに残るかが最大の問題であり、それがなければ何もできないというじょうたいになってしまうのである。
 それでもゴーストライターはなくならない。それはなぜであろうか。
出版界に根付く「ゴーストライター」どうして存在するのか?
 佐村河内氏の件で世間を騒がせたゴーストライター問題。ライブドア元社長、堀江貴文氏の小説にも「飛び火」するなど波紋を広げています。かつては松本伊代さんが自筆エッセイの内容を記者会見で聞かれ、「まだ読んでない」と答えたこともありました。著者の代筆をするゴーストライターはどうして存在するのでしょうか。ライターにとってメリットはあるのでしょうか?
出版界ではよくあるビジネスモデル
 文章を書いたのはライターなのに、その著者名にライターの名前がない――。これがゴーストライター本ですが、このビジネスモデルは出版界ではよくあることです。比率は定かではありませんが、ジャーナリストの佐々木俊尚氏はブログで『「著名な人」が出している本のたぶん9割ぐらいは、ゴーストライターが代筆した」と推測しています。
 タレントや事業家、政治家といった「著名な人」は書くことが仕事ではありませんし、そのためのまとまった時間もありません。「売れている人」なら、なおさらです。また、文章スキルもそれほど高くない人もいるでしょう。しかし一定の支持層があるため、出版社にしてみればかなりの需要が期待できます。著名人としても、著書が出版できれば、大きな宣伝効果が期待できます。そして筆者はやった仕事の分だけ原稿料が入るということで、関係者は三方とも損をしないということになるのです。
ゴーストライター本はどうつくられる?
 ゴーストライター本は、どのようにつくられるのでしょうか。著名人の代筆をする場合、その人物へのインタビューが主な取材となります。そもそもタレント、政治家、実業家、スポーツ選手、デザイナーなど、多くは文章を書くことが仕事ではありませんし、苦手な人もいるでしょう。そこで文章を書くプロであるライターが本人に体験談やテーマとして取り上げたい主張を長時間インタビューし、それをまとめて代筆するという仕事が生まれるのです。
 一冊の文章量は新書で約8万字、ハードカバーで10万字ほどになります。1万字で約1時間のインタビューが必要とすると、一冊のインタビュー本を作るのにおよそ10時間の取材が必要になるわけです。もちろん、著名人その人だけではなく、その関係者への取材もおこないますし、関連する資料も読みます。
 こうして取材と執筆のスキルを持ったライターが、対象のタレントや周辺の人たちへ取材し、一冊の本にまとめ、著者名をタレント名のまま出すというビジネスモデルが成立するわけです。
最近は「完全ゴースト」は少ない?
 ただし、最近はライターの名前が一切でないというケースは聞きません。ライターは将来有望な書き手になる可能性があるため、編集者もその立場を尊重するという理由なのかもしれませんが、基本的に名前を入れるという前提での仕事依頼が多いような印象です。ただ著者としては掲載されないので、著書の扉や奥付の「構成」という欄に、ライターの署名がある場合が多いのです。もっとも「構成」 ではその著名人が書いたものとみなされない場合もあり、「編集協力」「協力」「取材」といった言い方をされる場合もあります。
 また、あとがきやまえがきだけは著者が書くというケースもあり、その場合は、謝辞でライターや編集者の名前を著者があげることもあります。多いのが「特に編集の○○氏、ライターの○○氏には大変お世話になった。彼らがいなければ、本書が出版されることもなかっただろう」というような書かれ方はまるでテンプレートでも存在するかのように、よく見かけます。そのため、いまは無署名で出版されるゴーストライター本はそれほど多くはないといえます。
ライターにとってのメリットは?
 さて、フリーランスにとって自分の名前で出せない本に利益はあるといえるでしょうか。10時間近いインタビューをすることで著名人と親しくなれるという可能性はあります。人脈が命のフリーランスにとってはメリットは大きいといえるでしょう。
 金銭的に言えばどうでしょうか。支払いでよくあるのが印税を折半というものです。多くの書籍の印税率は10パーセントですから、それを5パーセントずつ著名人とライターで分けるのです。ただし、これも著名人の力関係で変わり、7対3という場合でライターの印税分が低くなる場合もあります。その著者の名前で売れば確実に数万部は売れるという場合は、この例が顕著です。
 また、初版では印税は出ず、編集費として支払われる場合もあれば、印税と編集費を両方支払われる場合もあり、著者とライターと編集者の関係性や本のタイプによってさまざまなバリエーションがあります。ひとつ言えるのは、金銭面でライターだけが損をしないように一定の配慮があるのが一般的です。印税と編集費の両方支払いというのが、その好例でしょう。
ゴーストライターは今後も続くのか
 ただ、これも昨今の出版不況によって崩れつつあります。大手出版社はまだライターを大切にするだけの余裕がありますが、中小以下の出版社ではそもそも10%という印税も怪しい場合も多くなってきているのです。さらには刷り部数によって印税が決まるのが慣例だったのに、実売部数で支払われることも出てきました。実売部数の支払いとなると、実際の入金が出版してから半年後ということにもなってしまい、なかなか収入のメドが立たないということになるのです。
 本が売れなくなると、出版社はより売れそうな著者の本を出そうとします。ここ数年、同じような著者の本が立て続けに出版されているのもそのためです。ひとりの著者が何冊も集中して本を出すのは、差別化もできず、難しい。そこで聞き起こしや対談などで著者とは別の考えを交えることで差別化が図られることになります。そういった文章を取材・構成するのはライターです。その意味でも、ゴーストライターとしての仕事はこれからも続いていくのではないでしょうか。
(ライター=島田健弘)
2014年3月24日(月)18時0分配信 THE PAGE
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/thepage-20140324-032413/1.htm
 この記事はよくゴーストライターのことを知っている人が書いたものであると考えられる。その内容は、なかなかうまく書いているのでこの記事を引用させていただいた。
 問題は、この内容に関して、実際に二つの問題がある。例えば著名人や政治家、あるいはそのほかの評論家などが、稀有な体験をしまたは本になるような主張を持っているとする。それらは、あくまでも本人のものでしかない。例えば、上記にある堀江貴文氏の経験は、その人を好き嫌いというような内容は別にして、他の人が簡単にできる経験ではない。それは、一つのライブドアという階差のことともう一つの事件ということである。その二つのギャップとその時の心の変化などは本人しかわかるはずがない。
 しかし、その人が表現力や文章力があるとは限らない。表現力や文章力は「技術」である。技術力は、経験やそのほかとは別にほかの人に存在するものである。第三者である読者に文章を読ませる場合は、経験やその時の気持ちなどの「核」と、もう一つの文章土地手の「技術」が必要になる。双方を一人の人物が持っているとは限らない。その二つの組み合わせが必要なものに、片方ずつを持っている人が集まるということになるのである。
 逆に、文章や表現力が下手な文章を読むことができるのか。そのような批判が山ほどあらわれる本を出すことができるのか。そのような問題になるのだ。特にインターネットなどで、多くの人が本のことを評論する時代になって、表現力のことだけで本を批判するようになれば、貴重な経験値などが、個人の中に埋没し、そして、一般の社会の資産化しないために、そのために、社会が成熟しなくなってしまうのである。
 ゴーストライターをなくすためには、逆に言えば、読者側の許容力が必要になる。文章が下手でもそれだけ経験を必要とするか。そのようなことが社会の経験値として必要なのか。その部分の判断がある。
 佐村河内氏の場合は、そのもとの部分も「嘘」であったことから、非常に大きな問題委なるが、堀江氏の場合は「ゴーストライター」の存在が明かされてもそれ以上の問題にはならない。誰もが堀江氏の場合はその経験をしていることを知っているからである。当然にこのほかのゴーストライターをやっている本に関しても同じことが言える。
 問題は「中身」の問題であるということ出会いr、ゴーストライターを含めた制度や形式の問題ではないのかもしれない。

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「安倍首相が朴槿恵に勝った」日米韓首脳会談の裏で行われた北朝鮮の策動とその背景

「安倍首相が朴槿恵に勝った」日米韓首脳会談の裏で行われた北朝鮮の策動とその背景
 日本時間の26日未明、オランダのハーグで日米韓首脳会談が行われた。
 この内容と報道に関しては様々なテレビなどが行っているので、特にここで様々言う必要はないテレビ報道によれば、三人が握手をしなかったとか、一方で北朝鮮に対する関係ばかりで歴史認識などに関して何も話し合われなかったなどのことばかりである。
 内容としては北朝鮮に対抗することを話し合うということであるが、実際には中国との関係と北朝鮮との関係などに対して基本的なスタンスを出したということになる。
 報道には全く出てこないが、韓国は今年の1月に「北朝鮮と韓国が統一されれば、経済効果は計り知れない」といい、北朝鮮との統一による外交の成果を宣伝していたのである。特に朝鮮戦争における離散家族の面会においては、朴槿恵政権の外交面での支持率の大きさになったのである。
 しかし、今回の首脳会談において、アメリカ、日本との間において北朝鮮との統一に関して「足かせ」を吐かせられた形になっているのである。実際に「北朝鮮に対する統一の姿勢」とは、まさにアメリカと同等の圧力を北朝鮮にかけるということであり、同時に、日本と同様に拉致問題などが解決しなければ話し合いが行われないということになる。まさに北朝鮮の孤立化、というよりは、韓国の外交方針の大きな修正ということになるのではないか。
 要するに、韓国に「北朝鮮と組むのか、日本と組むのか」あるいは「中国と組むのか、アメリカと組むのか」ということを日本とアメリカが迫ったということになる。このような中で日韓の間の問題を議題にできるはずがなく、当然に韓国の話の中では、そのような形になるのではないか。
 要するに、この三者会談に関しては、当然に「韓国が制限された内容」ということであり、同時に韓国のいわゆる「蝙蝠外交」に対して日米が決断を求めたということになる。このことがわかれば、韓国の朴槿恵の不機嫌な改憲の意味が分かるはずである。あの表情から「朴槿恵は、安倍に負けた」ということを示していたといえるのではないか。
日韓、歴史認識触れず
 【ハーグ共同】安倍晋三首相とオバマ米大統領、朴槿恵韓国大統領は25日夕(日本時間26日未明)、訪問中のオランダ・ハーグで会談した。安倍首相と朴氏の正式会談は初めてでオバマ氏の仲介で実現した。日韓は歴史認識に触れず、首相は会談後に「未来志向の日韓関係に発展させる第一歩にしたい」と表明した。3カ国は対北朝鮮問題で連携を強調した。
 島根県・竹島や歴史認識などの問題で冷却化した日韓関係を修復できるかが問われる。首相は会談後、記者団に「会って率直に話すことは重要だと認識することができた。今後、さまざまなレベルで連携を取りたい」と述べた。
2014年3月26日(水)4時29分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2014032601000747/1.htm
北朝鮮が弾道ミサイル発射
 【ソウル共同】北朝鮮は26日午前2時35分(日本時間同)と同45分の2回、射程1300キロとされる中距離弾道ミサイル「ノドン」とみられるミサイルを1発ずつ、首都平壌北方の平安南道粛川から東に向け発射した。韓国軍合同参謀本部が明らかにした。
 ミサイルは朝鮮半島を横断し、約650キロ飛んで日本海に落ちた。ノドンは日本のほぼ全域を射程に収める。
 日本政府も26日、北朝鮮が弾道ミサイル2発を日本海に向け発射したもようだと発表。現時点では付近を航行する航空機や船舶への被害報告は確認されていないとしている。小野寺防衛相は、警戒監視と情報収集に万全を期すよう指示した。
2014年3月26日(水)5時52分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2014032601000789/1.htm
日米韓首脳会談 促されるも握手なく終了
 弾道ミサイルが発射されたのと同じ頃、オランダ・ハーグでは日米韓、3か国の首脳による会談が25日に行われた。アメリカのオバマ大統領の仲介で実現したもので、日韓関係が冷え込む中、安倍首相と朴大統領が公式に会談するのは初めてとなる。
 会談は北朝鮮の弾道ミサイルが発射されたとみられる頃、アメリカの大使公邸で行われ、首脳らが順番にあいさつして始まった。
 朴槿恵大統領「きょうの会談が北朝鮮問題について3国間の連携を確認し、協力強化のきっかけになることを望みます」
 一方、安倍首相は、朴大統領に韓国語を交えてあいさつし、関係改善への意欲をのぞかせる一幕もあった。
 安倍首相「朴大統領ともお目にかかれて、本当にうれしく思います」
 ただ、カメラマンから握手するよう促されても3人の首脳が握手をすることはなかった。
 約45分間行われた会談では、北朝鮮問題を中心に北東アジアの安全保障問題が話し合われ、緊密に連携していくことで一致した。また安倍首相は「力を背景とした現状変更は許さないことを日米韓の共通の立場として示すことが重要だ」と指摘した。中国の海洋進出などを念頭にした発言とみられる。一方、いわゆる従軍慰安婦など歴史認識をめぐる問題は議題に上らなかったという。
 安倍首相「今回の会談を今後、未来志向の日韓関係に発展させていく第一歩にしたいと考えている」
 まずは、アメリカのおぜん立てで朴大統領との会談にこぎつけた安倍首相だが、今後は、どう2国間の会談を実現していくか手腕が問われる。
日テレNEWS24 2014年03月26日06時37分
http://news.livedoor.com/article/detail/8668653/
 さて、一方その内容において、「北朝鮮」がすぐに弾道ミサイルを発射した。
 当然に日米韓首脳会談の内容が北朝鮮に対するものであることが意識されてのことである。一方で、その北朝鮮に対する話は、同時に「北朝鮮に名を借りた」中国やロシアに対抗する話であるということも明らかなのである。まさに、旧共産圏対旧西側諸国の対立の中におけるスケープゴート的なところになったということが言える。
 今回の北朝鮮の弾道ミサイルは日本海側に発射されている。これは金正日の時と同じである。要するに金正恩の時代になって二回のミサイルを発射しているがいずれも南方に発射していた。しかし、今回のが日本海側に650㎞ほど飛んだということは、当然に、その延長線上にアメリカがある。要するにアメリカに向けたミサイル発射であったということが明らかである。皆耳向けたときは中国への発射ということも考えられたが、今回は明らかに日米韓首脳会談への講義の意味である。
 ところで、最近ミサイルの発射が多くないか。
 先日6発、次に14発。そして今回2発の弾道ミサイルである。
 これだけのミサイルを飛ばせるだけの「燃料」と「ミサイルの補給」ができるということを意味する。単純に言えば、弾道ミサイル2発ということは、日本にある米軍基地二カ所を狙うことができ、また、地対艦ミサイルを合わせて20発以上ということは、半分しか当たらなかったとしても10隻以上の艦船を攻撃できるということになる。要するに着弾率50%で一つの空母艦隊をすべて狙えるということになっているのである。
 当然にミサイルがこれだけ飛ばせるということは、当然に、飛行機なども飛ばせることになる。
 さて不思議なのは、北朝鮮がどうしてそれだけのミサイルと燃料を持つことができるのかということである。現在張成沢を処刑史、また中国とつながる人物をすべて排除した北朝鮮において、どの勢力が北朝鮮を援助しているのであろうか。その情報はある意味でウクライナ情勢やシリア情勢との間において様々な品ををもたらしているのだ。
 日本の場合、これらの情報もなく外交を行っているのである。なんと危険なことなのであろうか。独自の情報網と、独自の防衛力の整備が急務である。

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デモ隊に立法院と行政院を占拠された馬英九総統の親中政策と民主主義議会政治の在り方

デモ隊に立法院と行政院を占拠された馬英九総統の親中政策と民主主義議会政治の在り方
 台湾が大変なことになっている。
 現在の馬英九政権は、中国との間において経済協定を締結するべく立法院に法案を提出していたが、しかし、その内容に関して台湾国内から反発があるのだ。そしてその反発は台湾の学生のデモに発展し、そしてそのデモは、立法院(日本でいう国会)と行政院(日本でいう内閣官邸に近いもの)が外征のデモ隊に占拠されてしまった。
 当然に立法院が開かれなければ、中国との間において条約の批准も執行もできなくなってしまう。当然に条約の内容は違法ということになる。一方デモ隊が占拠していること自体が違法である。
 これらの問題は、基本的に双方が法的なものではないということになる。しかし、この法的な手続きでないことが訴える国際社会への影響や、少なくとも台湾の国内の議員や有権者たちに対する影響は非常に大きなものになる。デモなども、ここまでの大掛かりな喪になり、なおかつ、安易な妥協をしなければ効果があるということになる。
 中国の天安門事件に関し絵は安易な妥協も何もなく、そのまま軍との戦いになってしまった。このことは二つの大きな影響を中国国内において行われた。もともと改革開放で情報の開示などが行われていたが、一つには、民主化などのデモが様々な場所で行われるようになってきたということが言える。一方、国際社会の関心は中国のデモ隊に対して中国人民政府が、軍を動かすことを大きく抗議した。この抗議は、基本的に、その後のデモ隊に対する軍の強制力行使を大きく制限する抑止力となった。天安門事件の犠牲者には申し訳ないが、その命を懸けた抵抗が、中国におけるデモの在り方などが大きく変わることになったといえる。このことは中国の中の経済政策やデモ隊に対数抑圧に非常に大きな力があることになる。
 台湾は、そこまで行くのか行かないのか。
 そもそも、このような事態になぜなってしまったのか。まずデモの効果ということとその影響力の大きさから、見てきて、次に、台湾の中の話をしたいと思う。それは後半に。
台湾総統「国際的信用損なう」…立法院占拠問題
 【台北=比嘉清太】台湾の馬英九(マーインジウ)総統は23日、記者会見し、立法院(国会)を占拠する学生らが反対している中台間の「サービス貿易協定」(昨年6月調印)について、発効できなければ「台湾の国際的な信用を損なう」と述べ、台湾が目指す環太平洋経済連携協定(TPP)などへの交渉入りにも確実に影響が出ると危機感を強調した。
 一方で、学生側が要求する直接対話には応じない構えで、問題解決への糸口を見いだせない状況が続いている。
 サービス貿易協定をめぐっては、台湾の中小企業に打撃を与えるとの懸念が根強い。馬氏は、「台湾にとってメリットの方が大きい」と述べ、学生らに立法院からの早期撤収を呼びかけた。だが、学生らは馬氏の説明に反発し、占拠を続ける構えを示している。
最終更新:3月23日(日)19時54分読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140323-00000411-yom-int
学生と対話した李登輝、しない馬英九・・・台湾で両者の違いに再注目
 台湾・民進党の蘇貞昌主席は23日、同日午前に馬英九総統(国民党主席)が行った記者会見を受け、政府に抗議する学生らと早い時期に対話を行った李登輝元総統との違いを強調し、「馬英九総統は、はなはだしく劣る」と批判した。
 支持率が10%を切って久しい馬政権が中国大陸とのサービス貿易協定を強力に進めたことで、台湾の政治に大混乱が発生した。学生ら反対派は政権側が民主主義を踏みにじったとして、18日夜に立法院(国会)に突入。24日現在も議場などの占拠を続けている。23日には別の反対派集団が行政院(内閣)に突入したが、警察によって24日未明に強制排除された。いずれにしろ、政治の中枢機関に反対派が突入するという、世界的にも稀(まれ)で台湾では前代未聞の事態だ。
 馬英九総統は23日午前に記者会見を行い、「サービス貿易協定には多くの誤解がある」とのべ、「大陸から労働者や移民が大挙して押し寄せ、台湾人労働者は失業する」、「台湾の出版業界が大陸に牛耳られる」、「大企業重視、中小企業軽視」などはいずれも誤解と述べ、「撤回はありえない」と強調した。
 ただし、台湾経済に有益ということについて具体的な論拠はあまり示さず、協定が承認されなければ「国際的信用にかかわる」などと発言。台湾人からは「国際的信用を失うとは、馬英九が中国に対して言い訳ができなくなるということ」などの声もでた。  馬総統は学生の立法院占拠を「違法」と批判。心情については一部理解できると述べたが、対話の意思は示さなかった。
 台湾・民進党の蘇貞昌主席は23日、同日午前に馬英九総統(国民党主席)が行った記者会見を受け、政府に抗議する学生らと早い時期に対話を行った李登輝元総統との違いを強調。「李元総統は問題が発生して5日目に学生の指導者と面会して意思疎通をした。馬英九総統は、はなはだしく劣る」と批判した。
 馬英九政権は、台湾で政治の二大焦点になっている原発建設、さらに大陸とのサービス貿易で、支持率面における“末期状態”が続いているにもかかわらず、反対の声が強い政策を強引に進めようとしとして大きな批判が発生した。政策への反対派にすれば、馬政権が約束を実行しない/撤回するなどの「だまし討ち」を繰り返したこともあり、怒りが爆発した格好だ。
 台湾では11月29日に主要7地域の主張を決める「七合一選挙」が実施される。2016年には次期総統選がある。国民党内部も「一丸」というわけでなく、馬英九総統と“二人三脚”で、民進党からの政権奪回などを戦ってきた王金平立法院院長も党籍抹消処分を受けるなどの混乱が発生している(裁判所が処分保全の仮処分)。
 馬政権が「七合一選挙」に惨敗した場合、「総統選に勝てない候補」として、国民党内で「馬英九降ろし」が発生する可能性もある。
  ********** ◆解説◆
 台湾では1990年3月にも、学生約6000人が政府に対する抗議運動を行った。いわゆる「野百合学運」だ。当時の台湾は、「中華民国は中国全土の正統政府」との主張にもとづき、台湾に移る前に選ばれた大陸部各地の代表議員による国民大会の制度を維持していた。また、1948年から戒厳状態が続いていた。
 学生らは国民大会解散や、戒厳を定めた「臨時条款」の撤廃、党派や立場を問わず広い範囲の人々を集め国家の重要方針を決める「国是会議」の開催などを要求した。
 学生らは3月16日から中正記念堂広場に座り込み、ハンストなどを決行。国民大会廃止の要求をまとめて正式に発表したのは3月18日だった。李登輝総統代行(当時、蒋経国総統の死去に伴う副総統からの昇格)は20日には国是会議の方針を発表し、憲政問題や政治改革の問題を処理することと、日程表の作成を約束した。
 李総統代行は翌21日に学生代表53人を総督府に招き、「次期総統が選ばれる前に国是会議を開催する。出席者については、社会の各層、各党派から公平な人選を行う」、「国是会議では、臨時条款の撤廃を議論する」、「国会の全面改革を行う」、「政治経済改革の日程表を作成する」などの内容を盛り込む「共同認識」を発表した。
 李総統代行には国民党内部の意思統一という難題が残っていたため、学生側は「李総統が上記の要求を満たせなかった場合、原則を堅持し闘争を続ける」との内容を盛り込むことを求め、李総統も認めた。
 広場を占拠した学生は投票の結果、22日早朝から撤退を開始した。李総統代行は同年6月に国民党と民進党の支持を得て国是会議を開催。戒厳の終了や新たな国会制度による民主化の推進に成功した。
**********
 これまでにも、李登輝元総統と馬英九総統の比較は多く発表されている。多くは「『台湾の父』と『独裁体制の子』の違い」、「政権掌握能力は天地の差」など、馬総裁を批判するものがほとんどだ。  李総統も必ずしも完璧ではなかったとした上で、李元総統は「私がいるぞ」とばかりに、人民にはっきりした立ち位置と存在感を示した。馬総統に対してのイメージは「いったいどこにいる?」で、不明瞭さが目立つとの批判もある。(編集担当:如月隼人)
サーチナニュース 2014-03-24 13:35
http://news.searchina.net/id/1527706
 台湾において、学生との対話や反対派との対話といいうことになって、常に比較されるのが李登輝総統である。
 李登輝総統は、武力強制ではなく、対話と国是会議による統治を行った。馬英九総統との違いは、単純に「結論ありき」か「会議による結論に従う」かということである。初めに結論ありきということを考えるのであれば、そもそも議会などはいらない。これは現在の大阪市長における都構想と同じであり、日々変化する民意に対応できていない、要するに民主主義ではなく「なんちゃって独裁者」になりつつあるということになる。それは、まさに政治と国民との間の乖離が大きくなったということが言えるのではないか。
 これに対して、会議によるものということを行うのは「正しいこと」要するに「正義の実現」ということを行えば、そのことを説得することはそんなに難しいことではない。そのために、その内容をいかに「説得するか」ということの方法論でしかない。方法論の内容は、政権側、要するに権力者側が妥協すべき内容である。なぜならば「民主」主義であるからだ。
 台湾の多くは、「中国との連携」ということが一つの大きな問題になっている。現在でも台湾を旅行し、私が日本人と思えば、「台湾独立と、日本の憲法改正どちらが先に行われるか」ということを言われる。しかし、経済的に台湾が中国に依存していることも確かであり、現在純粋な台湾資本のメディアやマスコミが非常に少ないということになる。それでは、台湾の多くの声がマスコミから抹殺されてしまっている。
 その中で、中国との連携というよりは中国との「統一に向けた準備」を着々と進めている馬英九相当に対して、「少なくとも現状維持」ということを考えている台湾の人々の多くは不満を持っている。
 昨年1月に馬英九政権に反対する10万人(主催者発表)のデモを見に行ったが、そのデモの内容はなかなか面白いものであった。平和的なデモであり、同時に、そのデモ隊に通行人の家族連れなどが徐々に参加するというものであり、10万人といわれても、「水増しではないかもしれない」というようなことを考えてしまうデモである。
 これほどのことを、やはり馬英九総統は無視し続けているのである。それに対して、学生の今回のデモである。子のデモ隊の選挙はこのような背景があってのことであり、その人数の支援者がいるということになるのだ。
 この内容は台湾と中国、そして、議会と政権と有権者の在り方を考えさせられる内容である。国民の声を無視した政権はどのようになるのか。

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私の目から見た自民党内の反安倍勢力が慰安婦問題も南京虐殺も最も悪化させる元凶だ

私の目から見た自民党内の反安倍勢力が慰安婦問題も南京虐殺も最も悪化させる元凶だ
 「歴史は繰り返す」という単語がある。
 自民党は、なぜ民主党に政権を明け渡し、そして、下野しなければならなかったのか。単純に、自民党という組織が一枚岩であれば、簡単に賀状が崩れるはずがない。小泉郵政選挙の影響で衆議院の3分の2の議席数を誇っていた自民党である。その数字を考えれば単純な国会のねじれ現象なども衆議院における再可決を行えば、法案などを通せないはずはない。
 しかしそのようにはならなかった。再可決を行えば、参議院の民意を無視したということになる。当時の野党民主党の議員の間からが「直近の民意」という単語が多数出ており、新聞紙上もそれが上がっていた。
 この「民意」という単語は、当時は山ほど新聞紙上やテレビの中でいわれたのに、民主党政権になり、菅直人首相の時に参議院で野党が勝った瞬間、いわゆるねじれ国会になったら、突然二度のマスコミも使わなくなった。今では「死語」の中の一つである。
 この民意という単語を考えれば、今回の大阪市長選挙などは、「多くが危険または白票」という民意をどのように解釈するのか。単純に現在の橋下市長の政治の進め方や政策、(いずれであるかの意思表示がないのでわからないが)が支持できないということに他ならないのではないか。この結果を受けて「有権者の支持を得た」といっている人は本当の意味の「民主主義」本当の意味の「民意」をわかっていない政治家ということになるのではないか。
 さて、大阪市長選挙のことは少しおいておいて、自民党は、なぜ下野しなければならなかったのか。当時を考えれば自民党の中で自民党の中の意思決定や自民党の総裁や自民党の政策を否定する。そのうえ、その否定をマスコミなどにおいて話をするという状態である。
 一つの組織の中において、その組織の内部における個人的な反対を、平気で外に暴露する。もちろんそれが事実であり、それが社会的に大きな問題があるのであれば、単なる暴露ではなく、「内部告発」となるのかもしれないが、逆に、それではなく、個人的な意見などをそのような場所でいうこと自体、大きな問題であり、それが印象操作になる。そのことを認識してかしないでか、自民党内の「反執行部」当時は安倍内閣または麻生内閣であったが、その内容を平気で行っていた。その結果、自民党は下野したのである。
野田聖子氏に古賀誠元幹事長らが接近 「反安倍勢力」の動きに官邸は警戒
 政府・自民党内で、野田聖子総務会長の動きが警戒されている。安倍晋三首相が目指す集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しをめぐり、批判的言動が目立つ古賀誠元幹事長らが接近しているのだ。永田町では、古賀氏が隠然とした影響力を持つ、宏池会(岸田派)の後継者情報まで流れる。野田氏は「非主流派=反安倍」に舵を切るのか。
 野田氏主宰の総務懇談会は17日、スタートする。集団的自衛権について議論するもので、野田氏は「慎重に議論し直すことが大事だ」と語っているが、メンバーの1人は「行使容認阻止のため、勝負をかける」と息巻いている。
 北東アジアの安全保障情勢が激変するなか、集団的自衛権の行使容認は、日米同盟を強化するためにも不可欠といえる。有事に際して友軍を助けられなければ、同盟関係は瓦解(がかい)してしまうからだ。オバマ米政権も日本の集団的自衛権行使へ動きを歓迎している。
 ところが、古賀氏や野中広務元幹事長はテレビの報道番組などで、「いたずらに国民に不安を与える」「戦争の足音が聞こる」などと、批判的発言を繰り返している。北朝鮮が核兵器搭載可能なミサイル開発を進め、中国が沖縄県・尖閣諸島の領空領海を侵犯している現実は見えないようだ。
 ちなみに、中国や韓国は、日本が集団的自衛権の行使を容認することに「日本の前途を危うくする」などと反対・否定的な姿勢を示している。
 こうしたなか、永田町にこんな情報が流れた。
 「古賀氏周辺が、野田氏側にアプローチしている。『集団的自衛権(の行使容認反対)でやれるだけやれ』『政治家として正念場だ』というもので、宏池会の会長ポストや、将来の野田政権構想までチラつかせているらしい。『野田氏もその気になっている』という話もあるが、とても信じられない。ただ、宏池会には、現会長の岸田文雄外相や林芳正農水相もいるだけに、面白くない面々もいるだろう」(自民党中堅議員)
 当然、こうした情報は官邸にも伝わっており、「古賀氏は策士。野田氏だけでなく、宏池会幹部にも『安倍路線にモノを言え!』とハッパをかけながら、元宏池会の菅義偉官房長官とのパイプもつないでいる。野田氏が『反安倍勢力』に加担するのか見ものだ」(官邸周辺)と警戒している。
 安倍首相は通常国会閉会後、内閣改造・自民党役員人事を断行する方向だが、一連の動きはその判断にも影響しそうだ。
ZAKZAK 20140317
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20140317/plt1403171536002-n1.htm
内閣改造で冷遇懸念…岸田派、古賀氏発言に困惑
 自民党の古賀誠元幹事長が安倍首相への批判を強めていることに対し、古賀氏が名誉会長を務める岸田派(宏池会)内に困惑の声が広がっている。
 「反安倍」勢力と見なされれば、今夏に想定される内閣改造で冷遇されかねないからだ。
 「そういう姑息(こそく)なことは絶対やってはいけない。憲法改正で集団的自衛権をどうするかという筋道が正しい」
 古賀氏は17日の横浜市での講演で、首相が意欲を見せる集団的自衛権の行使に向けた憲法解釈見直しについて、反対する姿勢を鮮明にした。
 父が太平洋戦争時にレイテ島で戦死した経験を持つ古賀氏は、党内のハト派の代表格の一人で、穏健な外交路線を掲げる宏池会を長年主導してきた。政界引退後も、昨年6月の共産党機関紙「しんぶん赤旗」のインタビューに応じ、憲法96条改正に意欲を示す首相を批判した。
 一方で、同派は、派閥会長の岸田外相や、小野寺防衛相ら4人の閣僚を送り込んでおり、安倍内閣を支える立場だ。岸田氏は集団的自衛権の行使に向けた議論の必要性を明言しており、岸田、小野寺両氏共に「積極的平和主義」を掲げる首相と連携して外交安保政策にあたっている。それだけに、古賀氏の発言について、「岸田派が『反安倍』と見られかねない。いい迷惑だ」(派閥幹部)との不満の声が上がる。他の派閥には、「古賀氏の首相批判が続けば、内閣改造で岸田派は外されるのではないか」との見方も出ている。
最終更新:3月23日(日)11時42分読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140323-00000245-yom-pol
 「自由があるのが自由民主党、自由がないのが民主党」
 これは野党時代の小泉進次郎議員が言った言葉である。しかし、これはあくまでも「自由」であり「自分勝手」はどの政党にも存在しない。
 では、政策というのは、一つの政党の中において一つの政策になるはずだ。もちろん政党であるから多数の政治家がおり、その政治家の中において、様々な意見がある。それは、一つには政治家個人の資質の問題、もう一つは、政治家の選挙区や支持者の質の問題である。語弊があるといけないので「質の問題」というのは、その質が良いとか悪いという意味ではなく、ある意味で「属性」とか「性格」などをすべて合わせて「質」という単語を使っている。
 さて、しかし、一つでは「組織」である以上、当然に組織としての一つの統一意見を出さなければならないし、それに従わないならば組織を出ればよい。しかし、組織を出るわけではなくインサイダーとして、内部情報を否定し、個人的な意見を披露するというのは、あまりにも組織人としておかしな行動である。まさにこの「インサイダーの組織人らしくない行動」によって、自民党は、おかしな話になったのである。
 全く同じ構造が「河野談話」であり、また「慰安婦問題」や「南京大虐殺」だ。日本において、日本国という国家の中で、日本人という「インサイダー」が「南京大虐殺」「従軍慰安婦」があったとし、その者達がいつの間にか「謝罪せよ」と日本国の中で叫びをあげる。自民党の反発する議員と全く同じ構図である。この結果が、自民党が下野したのと同じで、まさに日本国が国際社会の中で没落するということになってしまうのである。そして、河野談話を行っている河野洋平氏・村山談話の村山富市氏などは、まさに「自民党の下野のように、日本国を没落させる、反体制インサイダー」であるということになる。
 上記のように、自民党の議員と一緒で、いやならば日本国を出て行けばよい。日本国の一員として発言せず韓国や中国に行けばよい。
 まさに、彼らは、「自分の所属する組織において、個人的な意見を披露し、組織を蔑むことによってアイデンティティを表現する」人々であり、日本国の歴史において、小集団社会、いわゆる村社会の中において存在感をだし、埋没しないようにするためにに反発する、まさに子供の反抗期からまったく成長しない人々であり、他人を批判していないとアイデンティティも確立できない人なのである。
 そして、そのような「幼稚」な人が政治家になり、官房長官になり首相になるというのは、まさに、日本の民主主義が全く成熟していないことの証左ではないのか。
 自民党の中で反安倍派がまた動いているという。組織人としての自覚を持てない議員は自民党の中にもいるということである。そのような反論は自民党の中で、マスコミなどに漏れないように行うべきではないのか。その辺のモラルもないところが、まさに慰安婦問題や、南京虐殺問題を複雑にし、「日本の恥」になっていることを自覚すべきである。

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大阪「出直し選挙」で橋下徹氏再選しかし、、、

大阪「出直し選挙」で橋下徹氏再選しかし、、、
 3月23日、2月に大阪市長橋下徹氏が辞任したことを受けて、市長選挙が行われた。この選挙は、もともと大阪維新の会の橋下氏の掲げた「大阪都構想」に対して、議会多数派の自民党、公明党、共産党との間で調整がつかず、大阪都構想のスケジュールが橋下氏の思い通りにならなかったことを見て、市長が辞任し、出直し選挙を行ったものである。
 一見、この内容に関しては小泉純一郎首相(当時)が、その直前の選挙公約を行った「郵政民営化」を主張し推進したにもかかわらず、国会において否決されたために、衆議院の解散を行ったのと構造が似ている。
 あえて「似ている」としたのは、違いがいくつかあるからである。
 一つは、小泉元首相の場合は、事前に「この法案が通らなかったら解散する」ということを宣言し、また、そのことが全国にわかるように記者会見をしていた。しかし、橋下氏の場合は、そこがわからない。「わからない」というのは、小泉元首相の場合とは違い、記者会見をしたのか、またはそれを放送してくれるような工夫をしたのかということになる。はっきり言って、法律の世界は、知らない人の方がおかしい。それは国会がそのように決めているからである。六法でもよいし官報でもよい。要するに無料でそれらを知ることができ、また知らないで法を犯しても、情状酌量があったとしても、罰せられることは間違いがない。しかし、政治の場合は、政治家が自分の行いたいことを自分で工夫して知らせる必要がある。要するに発信元がそれを伝える責任があるのだ。これはなぜかといえば、それを伝えることが、議会における検討の資料であり、知ってもらう義務が存在するからである。最近の政治家は「ネットに書き込んだ」などといって「見ていない方が悪い」ような言い方をするが、残念ながらそれは単純な「思い上がり」でしかない。政治かは自分の公約や自分の行うべきこと、自分がみんなに進めようとしている内容を、自分で示し、説明責任があり、そしてそれを知ってもらう義務があり、そのうえで、議会における議論、そして、その議会における議論の元となる有権者の意識に問いかけ、理解させる義務があるのだ。その義務を果たさずに「思い上がり」を言っているのは、政治家としての心構えに問題があるのではないか。
 要するに、小泉氏と橋下氏の大きな違いの一つは、初めに法案が通らなかった場合の方策を事前に有権者に伝える義務を怠ったということではないか。
 第二に、小泉元首相と、橋下市長の違いは、まさに「議会を解散させた」か「自分が辞任したか」という違いがある。まさにそのことは、…という前に、まず記事を読んでいただこう。
大阪市長に橋下氏再選確実
 大阪市長選は23日投開票の結果、日本維新の会傘下の政治団体「大阪維新の会」代表の前職橋下徹氏(44)=維新推薦=が3新人を破り、再選を確実にした。大阪都構想の推進を掲げ自ら仕掛けた出直し選を制したが、反対派や慎重派が多い議会の構成は変わらず、展望は開けていない。投票率は23・59%で過去最低となった。
 大阪府知事とのダブル選だった前回2011年の投票率60・92%を37・33ポイント下回った。これまでは1995年の28・45%が最低。大阪維新幹事長の松井一郎大阪府知事は23日夜の会見で「都構想の設計図を見せてほしいという(有権者の)意思表示だ」と述べた。
きょうどうつうしん 2014年3月23日(日)20時3分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2014032301001841/1.htm
大阪市長選 橋下氏、再選確実も「都構想」実現は不透明
 大阪市の出直し市長選で23日、再選を決めた橋下徹氏は、公約で掲げた大阪都構想の設計図作りを加速させる構えだ。しかし、今夏の完了を目指す制度設計のスケジュールは、橋下氏が当初見通したビジョンより約半年遅れている上、大阪府知事、大阪市長と議会の代表者で制度設計を行う府市の特別区設置協議会(法定協)のメンバー入れ替えも、橋下氏の思いとは裏腹に難航が予想される。出直し選を経ても、来年4月を目途とする大阪都実現への道のりは険しく不透明だ。
 「『協議は進める』と言っているが、形だけ。都構想のプロセスをつぶす戦略そのものだ」。橋下氏は、出直し選に打って出るきっかけとなった、大阪都の特別区区割り案の絞り込みを議会側に拒否された1月末の法定協の後、記者団の前で憤った。
 当初の予定では、昨年9月には特別区の職員体制などを決める「第2ステージ」を終えている想定だったが、足踏みが続いていた。遅れに業を煮やした橋下氏は区割り案を4案から1案に絞ることを提案したが、大阪維新の会を除く他党は「さまざまな角度からの議論を奪う」(公明)などとして反対した。
 橋下氏は今後、4案のうち、維新が推す「北区・中央区分離5区案」での設計図作りを進めるが、完成目標の今夏までに残された期間は数カ月。当初想定より約半年間も短い。
 このため、作業加速の切り札として打ち出したのが法定協の“多数派工作”だ。維新を除名した府議の協力を取り付け、反都構想の議員を法定協から排除して推進派で過半数を握る戦略で、府議会に関連議案を提出する形を描く。だが、協力を得られるかは不透明な上、ますます他党の反発を招くことが予想される。
 一方、中核市並みの事務権限を与える特別区の財源配分、区議会の定数など、解決しなければならない制度上の課題も少なくない。
 特別区の執務スペースは、区役所で足りない分は民間ビルを借りるなどして確保する方針だが、物件不足を指摘する声が上がる。各特別区の事務処理や住民サービスに必要となる情報システムの整備工程やコストも固まっていない。
 他党は特別区の財政運営も不安視する。事務方の府市大都市局がこれまで示した財政シミュレーションでは、分離5区案の場合、平成45年度までに特別区で計約1375億円の累積黒字が生まれるとしているが、特別区の財源と見込む市有地の売却益約680億円の中には、売却の見通しがたたない土地が複数ある。
 同局の職員は「橋下氏ら維新側が法定協の主導権を握れば、実務上は今夏までに設計図は作れる」と分析。維新側は、設計図ができても府議会と市議会で可決が得られず、今秋を目指した住民投票が実施できなかった場合は、設計図を掲げて来春の府議選、市議選で信を問うとしている。
 しかし、設計図が制度上の課題を払拭する内容に仕上げなければ、有権者の賛意を得るのは難しい。橋下氏らは今夏までの設計図作りから正念場を迎える。
産経新聞 3月23日(日)21時11分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140323-00000558-san-pol
 さて、二つ目の違いは「議会を解散させたか」「自分が辞任したか」という違いがあるとした。この差は、まさに、「選挙の意味」が大きく違う。もちろん、法律の問題として解散の権限があるのかどうかということである。
 しかし、そもそも議会が解散し、多数派になっていれば、当然にその後の議会の運営も変わる。これに対して、直接選挙の首長が変わっただけでは、議会の多数派は一緒である。要するに、橋下市長がまた市長に返り咲いたとしても、議会の対応は全く変わらないのである。変わるのは、「有権者の過半数」それも「圧倒的多数」が橋下氏を支持するという前提がなければならない。まさに、ナチスのヒトラーのように、有権者の80%を超える支持があれば、議会も何も問題なく通ることになる。単純に言えば、議会を無視する「授権法」も、民主主義の正当な手続きにおいて決まることになるであろう。しかし、そのような圧倒的な支持もなく、議会の多数派を握らずに、議会運営をどのようにするかということは全くよくわからない。まさに、議会を解散する小泉元首相は、その手法が良くわかるのであるが、橋下氏は一人で空回りしているようにしか見えないのである。
 その意味で、再選した内容を見れば、投票率は史上最低の23%、そのうち9%が白票という状態である。要するに、22%程度有効好投票数のうちの過半数をとったというのが、市長になった根拠であるが、その投票数は38万秒弱。約712万人余の有権者数の約5%しか支持されていないということになる。
 もっと言えば、「大阪維新の会の大阪市内における支持者数は5%弱しかいない」ということが明らかになってしまった。政権にどうするとか維新を起こすとか言っているが、その支持者は、発起の地であっても全体の5%しかいないのである。残り95%の人は、少なくとも大阪都構想を支持していないし、橋下氏の大阪姿勢を「積極的に評価」していないということになるのである。
 そこまで考えれば、今後の政権運営や大阪市議の議会運営をどのようにするのかということになる。しかし、この数字を踏まえてしまえば、当然にそのようなことなどは、あらかじめできているはずがない。まさに、維新ブームがなくなった「テレビ政治家」において、残り95%を再度振り向かせることは、かなり難しい。
 大阪市の市政と、そして「日本維新の会」は、今後どのようにするのであろうか。再度国民の注目を得なければ「ふわっとした民意」は二度とついてこないのである。

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マスコミ批判に関する一考(184) なぜマスコミは画一的な方向性でしか報道を行わないのか

マスコミ批判に関する一考(184) なぜマスコミは画一的な方向性でしか報道を行わないのか
 連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
  連休明けは、いつも通りに月曜日なので「マスコミ批判に関する一考」をお届けしたいと思います。
  さて、多くの皆さんは「少子化」という言葉を聞いたことがあるのではないだろうか。実際に子供の数が少なくなったということを言う報道がある。ではそのことを「枕詞」にして、何が言われているのであろうか。
  大体の場合は「移民」とか「外国人の緩和」または「子供を育てやすい環境」として「待機児童問題の解決」や「幼保一元化」ということである。
  しかし、おかしいとは思わないか。
  そおそも「少子化」の解決策は「子供を産むこと」である。そして「ベビーブーム」以降なぜ減り続けたのか、あの時代と何が変わったのかという検証が必要なのであり、その検証ができないで、「小手先」の対応ばかりをしていても何の意味もない。
  私は、実際に「少子化」という現象そのものを否定する気はないが、一方で、「少子化」という単語をマスコミが使う時の問題点は、まさに「ほかのことに対する意見誘導」であるということを今回は指摘したいのである。
  私の、刑法のゼミにおけるゼミ論文試作(却下された)は「男女雇用機会均等法と刑法における社会的男性差別の減少と、その刑罰の問題点」というものであった。
  あえて内容を紹介すると、男性が女性を犯した場合には、「強姦罪」である。当然に最高刑は「強姦致死」または「強姦致傷害」となり、死刑となってしまう。強姦罪単独でも懲役15年になってしまう。一方、女性が男性を犯した場合、まあ、あまり想像はできないかもしれないが、単純に言えば、女子プロレスラーが草食系のひ弱な男子を無理やり犯した場合、それは、「強制わいせつ罪」となり、大体の場合は罰金刑、最高刑でも懲役3年となってしまう。まさに性別が違うことによって法律の刑法位おける刑罰が違う。しかし、男女雇用機会均等法が社会進出における機会均等を是としているのであり、社会活動上女性の社会進出は非常に増えることになる。この内容は、単純に、それまでのように専業主婦で、活動範囲が自宅の周辺に限られていたという前提で強姦されるまたは強制わいせつの被害または加害者になるという前提を超えて、犯罪への加害者または被害者になる確率を格段に引き上げているものであり、同時に、男性との接触が多いことから、男性側の勘違いによる犯罪の誘発を誘引するものである。以上のことから、民事または雇用などの制度で男女雇用機会均等法のように男女平等を行うのであれば、刑法における量刑の差別も撤廃すべきである、ということを論文にしたものだ。
  この論文が「試作」としているのは、当時の法的環境から、この論文をゼミの先生が受け取ってくれず、ほかの論文を書いたので、これは試作品となっている。ちなみに、当時のワープロに入れておいたのであるが、それは阪神大震災とともになくなってしまった。
  さて、そのように社会的な状況の変化やその内容の検証が全くなく、それらの検証もせずに「少子化」という現象だけをあげつらい、そのうえで、単純にほかの政策の枕詞とするのはいかがなものであろうか。
  そのことを、誘引ではないがうまく表現しているのが、産経新聞の記事であったので、今日はそのことを批判してみようと思う。
世論喚起? 外国人単純労働の段階的解禁への布石? 政府、異例の検討
 国論を二分する移民政策について、政府が正面から取り上げたのは異例だ。ただ、内閣府の試算は希望的数値を前提としており、今回は人口減少対策の「1つの選択肢」になり得ることを国民に印象付ける意味合いが強そうだ。政府は世論喚起によって国民の“移民アレルギー”を薄めながら、他方で外国人の単純労働を段階的に解禁し、なし崩しに「事実上の移民」を拡大する作戦に出ようとしている。
 「50年間で1千万人というのは、相当インパクトのある移民という話だ」
 「全体として10人に1人ぐらいはアコモデート(許容)できる範囲ではないか」
 2月24日に行われた経済財政諮問会議の専門調査会では、内閣府が示した移民試算について活発な議論が交わされた。
 安倍晋三首相も同月13日の衆院予算委員会で「国の将来の形や国民生活全体に関する問題として、国民的議論を経た上で多様な角度から検討する必要がある」と答弁しており、移民議論の機運が急速に盛り上がりをみせ始めている。
 だが、内閣府の試算には現在1・41の合計特殊出生率が2・07に回復するとの楽観的な前提が置かれている。しかも、出生率回復には、移民として来日した人が子供をもうけることを織り込んでいる。前提そのものへの批判も予想され、「実現へのハードルは高い」(自民党反対派議員)などの受け止めが多い。
 しかし、「100年後まで1億1千万人の総人口を維持し、労働力人口の減少幅も抑えられることを示した意味は大きい」(自民党中堅)との評価もあり、印象付けは一定の成果を収めた形だ。
 一方、政府が力点を置くのが、移民議論と並行して進める外国人労働者の受け入れ要件の緩和だ。移民政策は自民党内に反対論が多いことに加え、「国民の理解を得るために時間を費やしていては目前に迫った労働力不足に対応できない」(内閣府幹部)との危機感があるためだ。
 第一弾は人手不足が深刻化する建設業への対策だ。技能実習制度を見直し、最長3年の受け入れ期間を5年に延長し、日本への再入国も認める方向だ。
 しかし、最大の焦点になりそうなのが介護職種の緩和だ。現行では経済連携協定(EPA)に基づき介護福祉士の国家試験に合格しなければ、日本で働き続けることはできない。このため介護職も技能実習制度に加えようというのだ。
 これが認められると、国家試験の受験意思のない低技術の介護実習生が大量に来日する可能性があり、単純労働解禁の突破口となりかねない。反対派は「長期滞在できる単純労働者は事実上の移民だ。大量に入るとなれば、移民受け入れを容認したのと同じだ。国家の根幹をなす問題を、なし崩しに変えることは許されない」(閣僚経験者)と警戒を強めている。
 途上国支援の技能実習制度を労働力不足の穴埋め目的で拡大することにも異論があり、議論は難航も予想される。(河合雅司)
msn産経ニュース 20140313
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140313/plc14031319180009-n1.htm
 そもそも、なぜ『少子化』と『移民』の話が結び付くのか。片方で失業率が5%程度ある。この人々の就職ということはなぜ考えられないのであろうか。ようするに、「移民」の話は、単純に「労働人口の減少」という話であり、それは「高齢者労働」や「失業者対策」という話と移民の話が直結しているのである。実際に、失業者がいながら移民の話をすること自体が、意見の不当な誘導である。
 一方少子化の話は、そもそも「子供を産む」ということと直結している。これは「婚姻」という話と、「子供を育てる環境」という話でしかない。その話は、一つには女性の婚姻の高齢化ということがある。婚姻がなくても子供を産む人もいるが、残念ながらそれは子供を育てる環境が整っていないために、昨今遇ったインターネットのベビーシッターによる子供の死という事件が出てしまう。共働きが当たり前の世の中におけるベビーシッターやそのほかの環境が整わなければうまくゆかない。一方、婚姻の高齢化ということに関しては、当然に、女性の社会進出ということに関する考え方になる。乱暴な言い方をすれば、女性が社会進出をしなければ、子供は増えるのではないかということも言えるし、一方「同棲」がなければ、みな婚姻するようになるのではないかというような考え方も存在する。そこまで過激ではなくても、やはり女性が子供を産みながら社会に進出できるような制度が整わなければならない。なぜ女性というかといえば、当然に、女性以外は子供が産めないからである。
 一方「子供を育てる義務」ということを考える人がいる。権利意識が強くなれば、当然に子供を育てる義務を負担に感じる人ができる。当然に、子供を育てることが楽しいという話はない。当然に、子供を育てる喜びがなければなかなか難しいということになるのである。しかし、それを称賛する話にはならない。日本ではキャリアウーマンが社会に出て活躍する物語しかない。それが良いか悪いかは価値の判断の問題であるが、女性がその気にならないと子供が生まれないのである。
 要するに「少子化」が「移民」に結びつくのは、これらの問題点をすべて無視してしまうということに他ならない。そして、移民を入れ中国人や韓国人が山のように入ってきて、そのまま、「日本」が失われてしまうのである。現代人の日本のアイデンティティは意外と薄い。しかし、歴史の教育も道徳も就寝も全く行われていないのが日本である。そのようなときに移民を入れれば、日本は日本ではなくなってしまう。
 それを許すのか。
 様々考えなければならない「日本人」の問題である。
 そのような根本的なことを報道しないのが、日本のマスコミなのである。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第68回 民主主義が衆愚政治になる必然性

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第68回 民主主義が衆愚政治になる必然性
 前回は、「民主主義」の定義と、それに伴った衆愚政治について、これも定義だけを抜き出して書いてみた。
 実際には貼り付けたものが多いので、前回の内容は「手抜き」ともいえるかもしれないが、まあその辺は、さまざまな事情ああるので、あまり深く言わないことにする。
 さて、日本国憲法では民主主義が最も良い制度であるかのような書き方をしている。
  「日本国憲法発布の詔」では「国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定された」と表現されている。
  また、前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」とあるのだ。
  しかし、実際に「民主主義」が人類普遍の心理なのかといえば、必ずしもそうではない。
  有史以来、最も古くに民主主義を採用したギリシアは、民主主義が最も素晴らしい制度であるならば、当然に今頃は、要するに2000年以上経過した現在に至るまで民主主義が継続し、ほかの政治制度を取っている諸国を併呑しているはずである。
  しかし、実際の歴史はそうはなっていない。
  ローマとて同じである。
  千年帝国といわれたローマは、何度も共和制と帝政を繰り返している。その中間的な元老院性の場合もある。
  いずれにせよ、ローマにおいては共和制が帝政を生み出し、また、その帝政に不満のある民衆が共和制を作り出すのである。
  フランスも同じだ。
  戯曲「レ・ミゼラブル」で有名になったフランス革命であるが、そのフランス革命において作られた共和制は、まさに、共和制の破たんをきたし、そしてその破たんの末に軍人であるナポレオンを皇帝として迎えることになる。
  このナポレオンを皇帝に迎えるのは、一応フランス国民の総意であり、そのフランス皇帝が、世界征服を行おうとして、ロシアの冬将軍に敗れるのである。
  次に「民主主義」が「皇帝」を作り出したのが、ナチスドイツだ。
  ワイマール憲法といわれた、世界で最も民主的な憲法といわれた憲法で、民衆が圧倒的な多数でナチスを支持し、そしてそのナチスが大統領と首相を兼務するようになる。
  そして、民主主義的な手続きによって「授権法」を採択。
  まさに、民主主義が民主主義を放棄するという意思表示を行ったのである。
  そして、その民主主義の中において、独裁者を選出し、その独裁者にすべての権利をゆだねるという選択をしたのである。
  さてこれらのことはなぜ起きるのか。
  ローマ帝国時代に「パントサーカス」という単語が出てくる。
  この言葉の解説を、また「手抜き」でウィキペディアからそのまま抜き出してみよう。
  <以下抜粋>
  パンとサーカス(羅: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス(西暦60年-130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。
  権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。
  ガス抜きや愚民政策の例えとしてしばしば用いられている卓越した名言であり警句である。
  地中海世界を支配したローマ帝国は、広大な属州を従えていた。
  それらの属州から搾取した莫大な富はローマに集積し、ローマ市民は労働から解放されていた。
  そして、権力者は市民を政治的無関心の状態にとどめるため、「パンとサーカス」を市民に無償で提供した。現在の社会福祉政策をイメージさせるが、あくまでも食料の配給は市民の権利ではなく為政者による恩寵として理解されていた。
  また食料の配布は公の場で行われ、受給者は受け取りの際には物乞い行為が大衆の視線に晒されるリスクを負わされた。
  この配給の仕組みによって無限の受給対象者の拡大を防ぐことが出来た。
食糧に関しては、穀物の無償配給が行われていたうえ、大土地所有者や政治家が、大衆の支持を獲得するためにしばしば食糧の配布を行っていた。
皇帝の中にも、処刑した富裕市民の没収財産を手続きを以て広く分配したネロ帝や、実際に金貨をばら撒いたカリグラ帝の例がある。
食糧に困らなくなったローマ市民は、次に娯楽を求めた。
これに対して、権力者はキルケンセス(競馬場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)、スタディウム(競技場)などを用意し、毎日のように競技や剣闘士試合といった見世物を開催することで市民に娯楽を提供した。
こうした娯楽の提供は当時の民衆からは支配者たるものの当然の責務と考えられるようになり、これをエヴェルジェティズムと呼ぶ。
パンとサーカスは社会的堕落の象徴として後世しばしば話題にされ、帝国ローマの没落の一因とされることもある。
また、「パンとサーカス」に没頭して働くことを放棄した者(これらの多くは土地を所有しない無産階級で proletari(プロレタリー) と呼ばれた、プロレタリアートの語源)と、富を求めて働く者と貧富の差が拡大したことも、ローマ社会に歪みをもたらすことになった。
<以上ウィキペディアから抜粋。途中略したところあり、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9>
 さて、このような「パンとサーカス」によって、民衆の身近な部分からの不満を取り除いてしまえば、簡単に信任英字ができてしまう。
  当然に「楽で簡単な仕事での高報酬」を捨てるはずはない。
  民衆の多くは「身近な部分の生活と娯楽」をもとめるものであり、それを手に入れた場合にそれを失わないようにするのが本能である。
  逆に言えば権力でそれを渡してしまえば、ほかの部分、国家の根幹の部分は自由にすることができる。
  これが「パンとサーカス」である。
  「パンとサーカス」によって思考能力を失った民衆は、すでに憲法における「自由な意思」の存在ではない。
  憲法発布の詔の中には「自由に表明された国民の総意」とあるが、実際に「パンとサーカス」を与えられた国民の多くは、それを「失いたくない」という前提から入るものであり、当然に「考えない」方向で物事を考えてしまう。
  それは「自由」ではなく「失いたくない」という前提条件を付けたものでしかなく、自由意思とは言い難いものである。
  同じ内容がフランス革命後のナポレオンにおいても、そして、ワイマール憲法下のドイツがナチスを選んだことにもつながるのである。
  そして、そのことを応用(といっていいか、単純化というかはわからないが)した選挙が、日本で行われた「シングルイシュー・選挙」である。
  多くの日本人が今になって「あの選挙は正史かったのか」と思う選挙が少なくとも二つある。
  一つは「小泉郵政選挙」そして「民主党政権交代選挙」である。
  この二つの選挙はシングルイシュー(一つの政策の是非)で選挙を行ったものである。
  そして、それをマスコミが煽り、そして「劇場型演出」要するに、まるで劇場の中においてほかの雑音をシャットアウトし、そのシングルイシューしかないような錯覚を起こさせて物事を選ばせる選挙演出をしたのである。
  そのうえで、ほかの政策課題に関しては、全く問題がないかのような課題不在型の選挙を行い、そのうえで、一つの選択肢を選ばなければ、異常があるかのような雰囲気を醸し出すのである。
  まさに「パンとサーカス」によって思考能力を失った国民に対して、まさに「サーカス」のような劇場型選挙を行うということになり、そして「裏切り者にはパンは渡さない」という選挙方策になる。
  この状態はそもそも「劇場型」の時点で全く自由意志ではない。
  劇場の中に入る入らないの自由意思もなく、崩土もすべて一定方向性を持ったものになってしまうからである。
  そしてその情報の統一性が、一方で、劇場を作り出し、自由意思を排除した効果をもたらすことになってしまうのである。
  これは「民主主義」とはいえない。
  まさに、先週定義した「衆愚政治」になってしまう。
  逆に言えば、衆愚政治は情報を遮断し、そのうえで、一定方向の選択肢を選択した場合としない場合の極端な差を事前に明確にし、それを許さない情報と国民的雰囲気を作り出せば、民主主義の中に簡単に起こりうる状況ということになる。
  そしてそれは、単純に民主主義という中において、それを止める手段はないということになってしまう。
  民主主義と衆愚政治の差は、情報の統制と選択肢の画一性ということで簡単に作り出せるが、しかし、その状態の打破は、国民一人一人の思考能力と自由意思にかかっているということになってしまうのである。
  しかし、民主主義である以上、国民に考えることまたは思考を行うことを「強制」はできない。
  そのために、民主主義は必ずしも良いものではないという結論になる。
  まさに、民主主義は民主主義である以上、衆愚政治になる状況の歯止めを作ることができず、それを行えば、民主主義は民主主義としての機能を失うことになるのである。
  そのために、民主主義は理想形としては良いが、その理想は自由意志と思考能力があるという前提である。
  まさに、高杉晋作が、坂本竜馬の船中八策を見たときに、「これは国民がバカになったら国が亡ぶっていう制度だ」といった。
  その通りのことなのである。

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今日は連休の中日なので予告通りスカイマークのミニスカート制服について

今日は連休の中日なので予告通りスカイマークのミニスカート制服について
 昨日予告したように連休中は政治のネタはしない。とはいえ、完全に下ネタにするわけにもいかないので、一応、なんとなく「汚い話題をきれいにまとめる」方向で行うのですが、これがなかなか難しい。
  ということで、今回は「スカイマークの超ミニスカート制服」についてである。
  さて、私が大連にいたことがある。大連で毎年9月にファッション祭りがあり、その中で世界中のファッションモデルが大連に入り、そして美を競うのである。もちろん、このファッション祭りの本会場ではファッションショーが行われるのですが、そのファッションショーは、当然にファッションモデルがランウォークを歩くことになる。しかし、本会場以外も町全体が「ファッションの街」ということで装飾を施し、一般の女性たちも、気候の良い9月にさまざまなファッションを楽しむのである。ちなみに男性も思い思いにブランドの商品を買ったり着こなしたりするのであるが、当時「乾杯」文化でかなりアルコール太りをした男性が、今の「イケメン」のような感じになることは基本的に存在しない。やはり目は、美しい女性のほうに行ってしまう。中には、下着やビキニで歩いているのではないかというような人もいるし、原色系の服をうまく着こなしている人もいた。私も男性であるから、どうしてもそちらのほうに目を向けてしまう。しかし、いくら中国でも、その女性たちに手を出したりはしないし、当然に「マナーがない」といわれている中国人でも、そのようなことをすることはなかったのである。
  さて、そのファッション祭りは、当然に、町の中だけにとどまらなかった。当時、大連空港には「中国航空」と「中国東方航空」と「全日空」と「日本国空」が国際便を飛ばしていたが、その中の中国系の航空会社、要するに「中国航空」と「中語東方航空」は、ファッション祭りをしている9月は、大連便に限り、すべての女性の制服を「チャイナドレス」にしたのである。
  このチャイナドレス。我々の感覚からすると、ロングドレスで、その代り深く切り込みが入っている(ファッションのことがわからないのでこの表現でよいかわかりませんが)というイメージである。しかし、違う。チャイナドレスのミニスカートである。要するに裾が長くなく、ひざ上15~20センチくらいの「超ミニスカート」であった。
  私の友人などは、ふだんは窓側の席を取るのであるが、この時期だけは通路側の席を取る。斜め前の席のサービスをすると、スカートの中が見えそうで見えない。それを楽しんでいた。もちろん、触ったり何かしたり、というようなことはない。単純に見て楽しむ。逆にパーサーはみられることを前提に、しっかりと中に着込んでいるという感じになっているのである(もちろん、下着までは制服ではないので、そうではない人もいたようですが、私はお目にかかったことはありません)。
  今回のスカイマークの話は、まさに、同じような話ではないのか。
スカイマークの“超ミニスカ制服”に賛否両論
 中堅航空会社スカイマークでは、国内の航空会社としては初めてエアバスの中型機A330を導入する。
 同社はまず、5月31日、羽田~福岡線に就航させ、以降、9月から羽田~那覇線、来年1月から羽田~札幌線に就航予定。
 同社では同機に乗務する客室乗務員(CA)の制服を、就航から半年の期間限定で、ヒザ上約15センチのミニスカワンピースにすることを発表した。同社の制服は通常、ポロシャツにズボンというラフな恰好であるため、画期的な企画で、世の殿方を喜ばせてくれそうだ。
 ところが、航空会社12社のCAでつくる労働組合は「保安業務への支障やセクシュアルハラスメントの観点から問題がある」とクレーム。CA約1000人でつくる「客室乗務員連絡会」は、「しゃがむと人目を気にするため作業しづらい」「女性を商品として扱うデザインで、性的嫌がらせを誘発し、機内の秩序を乱す恐れもある」などと指摘し、業界内から批判が噴出。
 同社の西久保慎一社長は「キャンペーンが目立つよう、広告の一環として用意した。スカイマークは国内線において、38歳までをCAの職務定年としており、若くて元気なスカイマークをアピールしようと思った」と説明。また、西久保社長は「着たくない人には当然強制していない。20年前、JALがボーイング社製のB747を初めて入れるときに、ほとんど同じ丈のユニフォームを採用しており、前例はある。保安上も問題はないし、セクハラの問題が起こるとも思っていない」と反論。
 航空法に乗務員の服装に関する規定はなく、国交省航空局は「保安業務に支障がないか定期監査などで確認する」とし、厚労省雇用均等政策課の担当者は「セクハラを防ぐ雇用者側の義務に違反していないか検討する」と話している。
 この事態に、「Yahoo!ニュース」では、「スカイマークの『ミニスカ制服』をどう思う?」との意識調査を、3月8日~18日に実施。11万1493票(男性=78.0%、女性=22.0%)の回答があった。
 その結果は、男性票が多数だったためか、「問題はない」が6万6347票(59.5%)で約6割を占めた。「問題がある」は3万8331票(34.4%)で、「分からない/どちらでもない」は6815票(6.1%)だった。
 一部のファーストフードやファミリーレストランでは、熟女にもミニスカ制服を強要している。同社では着用を強制しないというし、飲食店従業員とCAの違いはあれど、男性乗客にとっては、目のいい保養になるのは確か。ポロシャツにズボンよりは、よほど女性らしくて、いいと思われるのだが…。
(リアルライブ編集部)
2014年3月19日(水)18時0分配信 リアルライブ
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/rl-20140319-19618/1.htm
スカイマークのミニスカはセクハラを誘発するか 元CAが分析
 膝上約15cmのミニスカート姿で乗客をおもてなし――。スカイマークが5月から国内路線で順次導入する仏エアバス製の旅客機「A330」。そのアピールも兼ねて先行お披露目されたCA(客室乗務員)の制服が物議を醸している。
 「セクシー路線で下品」「セクハラを誘発する」「保安業務に支障が出る」などの指摘が噴出。ついには航空労組連絡会に加盟するCA約1000人でつくる「客室乗務員連絡会」が、国土交通省や厚生労働省にスカイマークへの指導を要請する事態になっている。
 果たしてミニスカ制服はありかなしか。『ファーストクラスで学んだひとつ上のおもてなし』などの著書がある元国際線CAで人財育成コンサルタントの美月あきこさんに聞いてみた。
 * * *
――スカイマークのミニスカ制服。率直にどう感じましたか。
美月:確かにやや上品さに欠け、嫌悪感を抱く女性も大勢いらっしゃるでしょう。ただ、私は健康的でとても素敵だなと感じましたし、世の中の批判は多少ヒステリックな反応をしすぎなのではないかとも思いました。
――かつてJALも膝上15cmのスカートを採用したことがありますが、本当に業務に支障が出るほどの短さなのでしょうか。
美月:経験者の立場で業務内容を考えると、CAは下の荷物を背伸びして棚に上げたり、逆にかがんだりといろんな姿勢を取るので、スカート丈が短いと気になるだろうなと思います。だから今は立ったときは膝下ギリギリのライン、座ったときには膝の中心ぐらいになるようなスカート丈を採用している航空会社が多いのです。
 また、CAは離着陸のときにはお客様と向かい合ってジャンプ・シートに座ることもあるので、膝上15cmではスカートの中が見えてしまう可能性があります。そこはスカートの下につける同色の衣類や、制服に合った立ち振る舞いをトレーニングすることなどで対応するしかないでしょうね。
――そこまで男性の視線を集めると、やはりセクハラの誘発要因になるのでは。
美月:ミニスカートの制服を着たCAが機内を歩き回っているからといって、すぐにセクハラが増えるとは限りません。経費削減で品質の悪い薄いブラウスで下着のラインがクッキリという制服だってありますし、ミニスカートだけがセクハラの要因になるとは思いません。
 男性の心理からしても、健康的に足を露出している女性に対してはむしろセクハラをしようという気持ちにはならないのではないでしょうか。
――スカート丈が長ければセクハラは起きないという考え方も確かにおかしい。
美月:そうです。今回の批判には「女性を商品として見ている」という声もありますが、そもそも大手の航空会社だってCAを“会社の看板娘”のように扱い、芸能人並みの写真集まで出していた時代があったわけですからね。
 CAは大事な「保安要員」であると同時に、女性ならではのきめ細やかやおもてなしを商品として売っている「サービス要員」の側面もあります。各航空会社がスカートの制服を採用し続けている時点で、女性的な外見をアピールしている証拠です。
 航空会社が乗客に提供したいサービスや企業イメージが現在の「スカート姿」であるならば、スカイマークのミニスカートだって「あり」だと思います。
――保安上の観点からもスカイマークは「問題ない」としています。
美月:不時着のような緊急事態が起きたとき、CAが大きな滑り台を地面に下ろしてお客様を脱出誘導する光景を見たことがあると思います。あのとき、CAのスカートが短いと滑った摩擦熱でストッキングが破れ、大やけどを負う恐れもあります。
 しかし、いくら生地が厚めのスカートを履いていても摩擦で擦れることに変わりはありませんし、長いスカートも滑り下りる途中で捲り上がるはず。本当に安全面だけを考えるなら全社「パンツ」姿の制服にすべきです。
――LCC業界は競争が増すばかり。イメージチェンジの制服も含めて、スカイマークの戦略が今後どれだけ顧客に支持されるかが注目されます。
美月:後発のLCC(格安航空)が大手と同じことをしても勝てるわけがありません。思い切ってCAの華やかさやサービスをアピールして他社との差別化を図りたいスカイマークの気持ちも分かります。
 私個人としては、世の女性の意見に逆行してこういう航空会社があってもいいと思いますが、最終的に航空会社を選ぶのはお客様ですからね。
2014年3月19日(水)7時0分配信 NEWSポストセブン
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/postseven-20140319-246926/1.htm
 さて、この中国のパーサーに、話を聴いてみた。「恥ずかしくないのか」という一つである。女性たちの一言は「逆に普段は使用人のように使われて注目もされないので、この時、大連便だけは自分たちが主役になれるのでうれしい」という。あとから聞いてみると、大連便のチャイナドレスのミニスカートを着たいために、パーサーの希望が多すぎて選別に困るという。
  もちろん15年前の話であり、現在の日本の状況とは時期も国も違うということになる。しかし、「本当に安全面」というならば、女性よりも男性のほうが、けが人などの場合に運ぶこともできるので、当然に良い。たとえばアメリカ大統領の専用機「エアフォース・ワン」などは、すべて警備員も含めて男性であり、女性は数名に限られる。これは、サービスよりも安全面を考慮してのことである。ということで「女性のパーサーは限られる職場」ということになってしまう。一方、セクシー路線などにするというのは、確かに国際的に女性の人権といっているところでなかなか難しい。しかし、逆に言えば、「お客様がひざ上15センチのミニスカートで搭乗した場合に危険なのか」という議論に切り替えたらどうであろうか。最近では扉の近くの搭乗客には、避難時の手伝いをお願いすることがあるのだが、その席にミニスカートの人が座れないというような話はない。
  要するに「安全面」とか「業務に支障」といっているが、それは「反対理由の一面」であり、単純に「恥ずかしい」ということでしかないのではないか。そして「主観」に基づく内容は、論理的に言えば、「顧客のためのサービス」ではなく、「自分たちの居心地の良い職場」というイメージでとらえていることになってしまう。
  何度もいうが「やりすぎ」は良くない。とはいえ15センチはやりすぎで10センチなら良いとか、そのような話をするつもりもない。しかし、反対意見のための詭弁を弄するのはあまり良くないのではないか。
  単純に女性がスカートをはくのは、潜在無意識の中に「きれいな脚を見せたい」というものであり、本当にコンプレックスがある人はパンツスーツしかはかないし、そのような制服のある職には就かない。なぜ女性が「スカートをはくのか」ということから考えれば、あるいは「美しく見られたい」という意識はいったいどのようなものなのか。その部分から考えて、制服などは決める必要がある。
  ちなみに、私が大連にいたときは、女性の服があまりにも「派手」であったために、抑止力の意味で制服にしたのである。逆に、そのような「派手」で自己アピールの強い女性がいない。そして、それを強調すると「出る杭は打たれる」というような日本の社会も考えなければならないのではないか。
  と、一応下ネタをきれいにまとめた感じになったのである。

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中国における商品販売の「製造物責任」と「商品事故」管理体制の不備と中国人の商魂

中国における商品販売の「製造物責任」と「商品事故」管理体制の不備と中国人の商魂
 今日から三連休である。
  お彼岸であることから、当然に多くの人が、お墓参りをすることであろう。政治もそのような日本的な伝統に関しては当然に休みになる。もちろん、24時間お墓参りをしてるわけではないので、当然にさまざまなレジャーや政治の世界ならば会合なども行われることになる。
  私自身、少々たまっている仕事や遅れている原稿を進めなければならないので、あまり出かけたりせずに、仕事を行うということになるのであるが、とはいえ、なかなかそのようなことができるようなものでもないし、天気が良ければ外に行きたくもなる。そのために、なかなか仕事がはかどらないのも事実である。
  さて、そのようなときのこのブログの習性として、一つは「経済記事」そして「下ネタ記事」ということになる。基本的に芸能界に詳しくないので、あまり芸能ネタができないものであるから、仕方なく、「下ネタ」に走ってしまう。もちろん、読者の中に女性もいることは認識しているし、また、まあり質の良い記事でないことも自分では承知しているが、しかし、好きなものは仕方がない。以前、山口敏夫元衆議院議員がテレビに出ていた時に「普段はスーツだから、ゴルフ場ではネクタイを外し真っ赤なシャツでも失礼にあたらない。そのような自由な服装で自由に討論するのが最も良い。だから、リラックスして本音で話すことができる」ということを言っていた。そのことに興味を持ったので、ほかの議員(あえてここは名前を伏せる)に「下ネタ」について聞いてみた。そうすると「自民党と民主党の議員、またはほかの支援者もいるとする。その中において、政治の話をするとおかしなことになってしまう。しかし、りっしんべんの性事の話は、その場にいる人が男性ばかりならば基本的にだれも傷つかないし、だれも嫌がらない。あとはその程度の問題で、その場にいる人がなごめる話題をチョイスするというのが最も重要なのだ」という。まさに、この問題は非常に素晴らしいのではないか。
  もちろん、これは私のあまり高くない志において、ブログにおける「下ネタ」の「単なる言い訳」でしかない。しかし、言い訳といえども「盗人にも三分の理」ではないが、一応そのようなことにしておく。
  さて、ここまで言い訳をしておきながら、今日は「経済」それも、中国の製品に関する内容である。
東芝が洗濯機をリコール、どうして中国は「対象」から外されるのか=中国報道 2014/
 東芝はこのほど、2005年7月から2011年11月までに生産した30種類、約58万3000台の洗濯機に発火の恐れがあるとして、日本や台湾でリコール(回収)を行うことを発表した。リコールの対象に中国が含まれていないことについて、新京報は13日、「2008年から現在まで、東芝はノートパソコンやカラーテレビ、洗濯機などをリコールしているが、中国市場では毎回リコールされていない」と報じた。
 東芝によれば今回リコールが行われる洗濯機は「中国で販売されていないうえに、電圧の関係から中国では使用できない洗濯機」だという。
 中国市場における東芝製の洗濯機は問題ないと発表しているにもかかわらず、中国でリコールが行われないことが不満なのか、記事は「東芝は2008年から現在まで、ノートパソコン、カラーテレビ、洗濯機を対象に少なくとも3回リコールを行っているが、毎回中国では行われていない」と主張した。
 東芝がなぜ中国大陸ではリコールを行わないのか?その理由について記事は、東芝の家電事業取り組みについて「生産への投資不足が品質問題やアフターサービスの問題につながっている」と前置きしたうえで、中国におけるリコール制度不備を指摘。「企業にリコール逃れの機会を与えている」と伝えた。
 また、家電業界の関係者の声として、「中国には厳格なリコール制度が存在しないため、企業はリコールを行わないことについて責任を追求されない」と主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:(C)Serdar Ba?ak/123RF.COM)
03/15(土) 06:30:01 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2014&d=0315&f=business_0315_001.shtml
食品問題、日本では信じられない報告内容「10件」・・・「国民の抵抗力が強化されている」と自虐=中国版ツイッター
 中国では食品の安全問題が叫ばれて久しいものの、問題を根絶するには「程遠い」状況が続いている。中国の簡易投稿サイト微博でこのほど、過去1年間に中国で明らかになった食品問題のリストが列挙され、多くの中国人ネットユーザーが不満を爆発させている。 公開されたリストによれば、2013年の1年間だけで10件もの「食品問題」が明らかになったという。例えば、「牛乳から避妊薬を検出」、「硫黄で燻製した食材」、「カエルの死骸入りミルクティー」、「広州産のコメの4割がカドニウム基準値超え」など、いずれも恐ろしいニュースばかりだ。
   リストとしてみると、中国ではたった1年間でも「日本では到底考えられない問題」が頻発していることがよく分かる。中国のネットユーザーらは安心して食べ物を口に入れられない現状について、「食品安全は厳格に管理して検査すべき」、「問題を起こした企業は年間販売額の10倍を罰金として支払うべき」など、厳罰を求める声をあげ、怒りを爆発させていた。
 一方で、「わが国にはもはや安全な食べ物などない」など、あきらめるほかはないとのコメントも非常に多く、中国人の多くが食品安全の問題は解決の見込みがないと考えている様子も見て取れた。
 そのためか「国民の抵抗力が強化されている。中国人は間違いなく最強だ。害虫が農薬に対する耐性を持つことと同じ理屈だ」、「食品が安全ではないことに感謝せねば。われわれはすでに抗体を作り出している」など、自虐的なコメントも少なくなかった。ただ、表向きは自虐的であっても、諦めの境地に達しているだけだろう。
 これだけ多くの食品安全問題が発生していることについて、「もはや中国で生きているということ自体が奇跡」だというユーザーもいたが、決して過言ではない状況といえそうだ。(編集担当:畠山栄)(イメージ写真提供:123RF)
2014-03-16 00:05 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1526956
 中国でビジネスをしている人にとって中国人との約束事や中国人への過度な信頼で「騙された」ということを感じる人が少なくない。実際にそれらが「中国人」というものに対する「カントリーリスク」となってしまっておりまたネットの世界で保守的な考え方を持つ人の中で「中国蔑視」の一つの根拠になっている。
  実際いところ、私のように中国で仕事をしていた人間にしてみれば、「郷に入れば郷に従え」であって、中国に言った以上は、中国人の商習慣に合わせなければならないというのが本来の話である。ついでに言えば、その商習慣の「頂点」に立たなければならないし、その「頂点」は、中国の商習慣を学んだうえで、そこに日本のビジネスの緻密性やデータ分析手法を入れれば、はっきり言って誰でも、中国ビジネスのトップに立つことが可能だ。しかし、大体の日本人は、日本の商習慣を持ってしまっているし、それを中国流に変えることができないということになる。
  さて、今回の内容は「中国の商品は信用できない」ということである。東芝が中国ではリコールをしないということや、「牛乳から避妊薬を検出」、「硫黄で燻製した食材」、「カエルの死骸入りミルクティー」、「広州産のコメの4割がカドニウム基準値超え」(上記から抜粋)というものである。
  実際にこのようになるのは、いくつかの問題がある。一つは、多くの日本人が指摘するように、「神」の存在がないために、「唯物論」の上に立った資本主義になってしまっているということである。その内容は、まさに自由競争であり、そして同時に自分の所有権を離れた販売物に対する製造物責任などの「後追いの責任」を追及するシステムがないということになる。
  もう一つは、当然にその唯物史観から、「拝金主義」になってしまっており、場合によっては国をも裏切るくらいの簡単な団結力しかない。要するに会社のブランド力などを考えたり、信用ということを考えることは全くないのである。
  そして、もう一つは、というよりは今までの裏返しになってしまうが、商品などに関してすべて「自己責任」ということになってしまうことになるのである。
  日本人は自己責任に関することが秘奥に苦手であり、そのうえ、責任を追及するための書面化が苦手である。そのために、その内容を口約束でしてしまい、その内容を追及できずに、泣き寝入りになってしまう。
  しかし、そのようにしてだまされた日本人は、中国を忌み嫌うようになり、最終的に中国製品を買わなくなったり、中国を信用しないようになる。現在の「嫌中」は、まさに、そのような日本人が改革開放以来どれくらい多いのかということの裏返しでもあるのではないか。
  その内容が中国が完全に世界の中の大国になれない状況であり、そのためには、倫理観や信用という目に見えないものに対して金をかける習慣がなければならない。しかし、共産主義の建前の中ではそれはできないことになる。
  まさにどこに行っても中国人の建前と本音の部分で行き止まりがあるのが中国である。その状態で中国の製品が信用できるのかということになるが、それは上記の記事のようなものになってしまうのである。
  さて、これを「嫌い」といってしまえば簡単なのかもしれないが、そのようなものではない安いとか、そのようなことで、中国を頼っている日本企業は非常に多い。そのような内容をすれば、気が付かないうちに中国の流通システムや製造システムに乗った食材や製品を手にしている可能性があるのである。
  まさに、日本にいながら「自己責任」を追及される世の中になったのである。
  中国と付き合うということはまさにそのようなことなのである。

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元首相の首長選打診から見る民主党の人材不足と末期症状

元首相の首長選打診から見る民主党の人材不足と末期症状
 東京都知事選、細川護煕元首相を担ぎ出したのは、民主党の選挙対策本部である。細川氏は、結局民主党の公認を受けることなく、民主党の松原仁氏は「勝手連的に細川氏を応援する」ということを記者会見で語った。その結果、細川氏は共産党などの推薦する宇都宮候補よりも下回る第三位となり、次点にもならなかった。民主党の応援というのは全くその効果がなかったということになる。2009年の都議選で一躍議席を伸ばした民主党であるが、その後の民主党政権における失政は、あまりにもひどいものであり、私のような外側から見ていても自民党の安倍政権が、民主党の誤った政策の後始末に追われている姿が良くわかる。
 そのことを国民はよくわかっており「民主党以外」ということを選んだ結果、同じ反原発を主張した宇都宮候補が次点になるという状態になったのだ。
 民主党の凋落はあまりにもひどい。ジャーナリストの間では、「まともな野党がいれば政治が面白くなる」ということが良く聞かれる。安倍政権を否定したり批判したりするつもりはないが、実際に、国会の審議を見ていても、あまりにも本質からずれており、そしてあまりにもくだらない質問が多すぎる。物事や法案の本質に迫る質問が全く存在しない。これではあまりにも話にならないのである。
 国民が聞きたいのは、法案の本質の議論である。枝葉の議論は全く興味がない。しかし、その本質論をしっかりとしているものはないのである。例えば集団的自衛権であっても、集団的自衛権を行うのに、閣議決定でよいかどうか、基本的には手続き論のところしか考えてない。
 本来は集団的自衛権が必要か、そしてその集団的自衛権をどのようにして遂行するのか、その場合にの本の立場は、そもそもどうして今集団的自衛権を語るのか、という国際情勢の分析や、日本が置かれた危機的な状況など、そのような内容を審議したいのであって、手続き論で「けしからん」「認められない」などというものではない。そもそも現在の日本国憲法に「非常事態法制」が存在しないことが、日本の問題を大きくしているのである。憲法そのものにおける非常事態の想定がないところにおいて、非常事態のことを語るものである。そしてその議論が手続き論では話にならない。最後はクイズである。これではそもそもの議論にならない。
 しかし、そのような議論が行われないのが現在の与野党の国会審議である。
 
鳩山氏に沖縄県知事選打診 民主県連、本人は否定
 民主党沖縄県連代表の喜納昌吉元参院議員は16日、那覇市での記者会見で、11月に想定される沖縄県知事選に関し、鳩山由紀夫元首相に出馬を打診したと明らかにした。都内の事務所で鳩山氏に会い「ぜひ民主党から出馬してほしいと伝えた」と述べた。
 鳩山氏周辺によると、鳩山氏は「あり得ない」と否定したという。
 喜納氏は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設の是非が問われる知事選で、辺野古反対の候補者を擁立したいと説明。その上で、県外・国外移設を主張した鳩山氏に「責任を取ってもらいたい」と強調した。
2014/03/16 19:31【共同通信】
http://www.47news.jp/smp/CN/201403/CN2014031601001882.html
鳩山元首相が沖縄拠点開設へ 東アジア共同体研究所
 鳩山由紀夫元首相が理事長を務める東アジア共同体研究所が来月、那覇市に沖縄事務所を開設する。鳩山氏は12日、本紙の取材に対し「普天間の移設問題に関し、私なりに方向性を探っていきたい」と述べ、米軍普天間飛行場の県外・国外移設に向けた取り組みに意欲を示した。
 沖縄事務所は「琉球センター」と命名する方向。常駐の職員1人を配置する。事務所開設を記念したシンポジウムなどの開催を検討している。
 同研究所は東アジアの各国がさまざまな分野で協力を進める共同体構想を提案し活動することが目的。鳩山氏は「日本が中国、韓国と非常に険悪になっている。中韓両国や東南アジア諸国連合(ASEAN)に米国の人々も交えて対話する文化的イベントなどを通し、信頼関係を高めていけるのではないか」と述べた。
 鳩山氏は事務所開設の調整のため10~12日に来県した。滞在中、稲嶺進名護市長やマグルビー在沖米総領事と会談したほか、普天間飛行場の移設予定地の名護市辺野古の浜を訪れた。
2014年3月13日(木)9時51分配信 琉球新報
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/ryukyu-20140313-221287/1.htm
 さて、沖縄県知事選挙である。
 今年の12月にあるその選挙だが、実際に普天間基地の移転問題やそれ以外の米軍基地の問題がそのまま直面する。しかし、その内容に関して、普天間基地の移転はすでに仲伊真知事によって、承認されている。その中において「少なくとも県外」と言いながら「トラスト・ミー」といった鳩山氏を民主党は沖縄県知事選挙に担ぎ出そうとしている。
 はっきり言って「ほかの候補はいないのか」という感じがする。
 民主党の選挙が「知名度」と「シングルイシュー」で選挙をしているということである。実際にそれしか考えていないので、知名度があって「少なくとも県外」ということを主張している鳩山氏は、実際にうってつけの人物であるということになる。しかし、一方で選挙というものは「シングルイシュー」で決まるものではない。当然にそれ以外のことも少なくない。沖縄県知事でいえば、台風対策からエネルギー政策まで、そして離島の問題から海洋問題まで様々なことが必要になる。しかし、そのようなことは一切考えない。沖縄から「東アジア共同体」などといわれてしまえば、全く話になるものではないのである。
 そもそも沖縄県の知事に鳩山氏が鳴った場合にオバマ政権をはじめとるするアメリカとうまくゆくのかということも全く理解できない状態になっているのである。
 しかし、鳩山氏はそのようなことは全く分かっていない。尖閣諸島に中国の公船がこようとも、または、慰安婦で海外でバカにされようとも、日本人がどのように名誉の無い立場に立たされようとも「東アジア共同体」がよいそうで、ついでに言えば相手がナイフや銃を持ってきても「友愛」なのである。中国人や韓国人はそんなに甘い民族ではない。そのことが全く分かっていなければ話にならない。
 そのような人物を民主党が擁立するという話は、まさにみんちゅ等の外交政策が根本から間違えているということ、もっと言えば、民主党が日本国の政党として全く話にならないということが良くわかる話になるのではないか。
 これでも民主党を支持する人がいるというのはあまりにもおかしな話である。そして鳩山という「失敗した首相」が、再度擁立されなければならないほど、民主党は人材不足であり、ついでに言えば、そそれだけ支持も薄くなっている。
 今回は、まさに民主党の選挙に対する意識において国家や根本的な政策を全く考えていないということ。一方、現在そのような民主党の内容が、そのようなシングルイシュー型でありそして根本的な議論のできない「反対するためだけの政党」になってしまい、そして、その内容がいつの間にか、民主党の信頼を損ねている。それだけでなく、そのような民主党が野党第一党であるということから、基本的には、政治や国会の審議そのものに国民の信頼を失わせるような行為になっているということになるのではないだろうか。

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崩壊に向かう中国経済を追認する全人代の決定とそれを報道できない日本のマスコミ

崩壊に向かう中国経済を追認する全人代の決定とそれを報道できない日本のマスコミ
 日本のニュースは、一つのことが話題になるとそればかりを報道してしまい、ほかのニュースを全く報道しなくなってしまう。細菌ではウクライナのクリミア半島情勢とマレーシア航空機の不明事件ばかりであり、基本的にそれ以外の事件は何も起きていないかのような錯覚を覚えるようになってしまう。しかし、実際に世界各地では様々なことが起きているのであり、また、日本では以前縫い報道されたことであって、現在も解決していない事件なども様々にあるのだ。実際にタイの暴動もシリアの内戦も、全く終わっていない。しかし、最近になるとタイの情勢やシリアの内戦を日本のニュース番組で見ることはほとんどできない。結局、その事件がどうなったのか、そしてどうしてそのような結論になったのか、そのようなことが全く分からないで、多くのニュース番組が終わってしまっている。そのような報道で満足している日本の視聴者は、なかなか困ったものである。実際に事件というのは何らかの「原因」があり、事件になる「必然性」があり、そのうえで、「国民性」や「環境」そして「力関係」などによって「解決」される。そして、その解決の結果を見て、新たな展開になるのである。しかし、日本の報道は「原因」も「必然性」も全く分からず、スポーツの試合のように、その現場の部分だけを中継して終わり。その結果や原因などは全く見もしないということになる。
 そのようなニュースの一つに、中国の「シャドーバンキング」の話がある。昨年夏に「シャドーバンキング」というノンバンク系投資ファンド証券のデフォルトが話題になった。しかし、そのノンバンク系投資ファンドのデフォルトは、その後の薄煕来の事件のことですぎにニュースから消えてしまった。当然に、中国は情報統制の国であるために、それら中国にとって都合の悪いニュースはすべて報道規制を行う。そのために、その内容はあまり出てこない。
 しかしそれらの情報を拾って報道することが最も重要であった、ジャーナリズムはそのようなものを報道するものであるはずだ。当然に、シャドーバンキングなどに関しては、それらの不満が残っていうはずであるし、また、中国政府の都合の良い発表のようになっているとは全く考えていない。しかし、それらの内容を取材して報道しなければ、基本敵に中国の経済などを全く理解できなくなってしまうのである。
 日本のマスコミがほとんど報道しない、その内容に関して、その後のシャドーバンキングがどのようになっているのか。ロイターの報道を中心に見てみよう。
中国が人民元変動幅を2%に拡大、市場原理の導入進める
 [上海 15日 ロイター] -中国人民銀行(中央銀行)は15日、人民元の1日の変動幅を基準値の上下2%に拡大し、17日から実施すると発表した。現在の上下1%から2倍に拡大する。
 為替レート決定における市場の役割をさらに拡大させ、市場原理の導入を一段と進めるための措置。
 人民銀行はウェブサイトに掲載した声明で「人民銀行は引き続き、人民元為替レートの両方向の弾力性を高めていくとともに、為替レートを妥当で均衡のとれた水準に基本的に安定させる」と表明した。
 また、人民銀行報道官は、新たな弾力性向上は効率を高め、市場の役割を強めるもの、としている。
 アナリストらは、人民銀行が投機筋封じ込めに成功したと自信を深めていることの表れであると同時に、一段の改革を推進しても経済の安定が維持できるとの確信を示すものだと指摘する。
 スタンダード・チャータード(上海)の為替トレーディング責任者のFuQing氏は「市場主導の為替相場メカニズムを構築するための大きな一歩だ。人民銀行は外為市場での介入を徐々に減らしていくだろう。ただ、人民元相場の変動が激しくなれば、中国企業は為替リスク管理など新たな課題に直面するだろう」と述べた。
 2月中旬から3月初めにかけての人民元下落を受け、人民元の変動幅拡大は幅広く予想されていた。トレーダーらは人民銀行が国有銀行を通じて人民元を押し下げ、上昇を見込んでいた投機筋にポジションを巻き戻させたとみている。
 変動幅拡大によって、市場での売りと買いがより均衡のとれたものとなり、大幅な変動が抑えられるというのが狙いだ。
 通貨アナリストらは、投機筋の退出によって、人民銀行は、人民元が直ちに新たなレンジの上限まで上昇するとの懸念を持たずに変動幅拡大に踏み切れたと指摘する。民生証券(北京)のエコノミスト、Li Heng氏は「変動幅拡大の機は熟していた」と述べた。
ロイター.co.jp 20140313
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA2E01520140315
<全人代>李克強首相「政府の債務比率は国際警戒ラインを下回る」、デフォルトには一部容認姿勢示す―中国
 
 13日、中国の全国人民代表大会(全人代)の閉幕に伴い、李克強首相は記者会見を開き、中国の金融や債務問題など記者の質問に答えた。写真は中国の金融機関。
2014年3月13日、中国の全国人民代表大会(全人代)の閉幕に伴い、李克強(リー・カーチアン)首相は記者会見を開き、質問に答えた。新華社通信が伝えた。
 英紙フィナンシャル・タイムズの記者は、「国際市場は、中国の金融や債務問題に注目している。世界経済において最大のリスクとの見方もあるが、中国政府はどのように対応するのか」と質問。
 これに対し李首相は、「中国経済に関する悲観的な見方は昨年も見られていたが、中国はそういった圧力の中で、目標通りの経済成長を果たしている。債務問題に関しては政府も注視している。中国の債務リスクは制御可能で、政府の債務率も国際的な警戒ラインを下回っている。一部金融商品のデフォルト(債務不履行)に関して、このような状況は発生してほしくないが、回避できない場合もある。政府は監視を強め、影響の拡大を防ぐ」と回答した。(翻訳・編集/内山)
配信日時:2014年3月13日 15時7分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=84864&type=11
影の銀行、デフォルトは不可避
 【北京共同】中国の李克強首相は13日、全国人民代表大会(全人代=国会)閉幕後に北京で記者会見し、中国で問題となっている正規の銀行融資ではない「影の銀行(シャドーバンキング)」などの金融リスクについて、個別の金融商品のデフォルト(債務不履行)は「避けられない」と認め、監視を強める考えを強調した。
 深刻化している官僚腐敗については「法と規律に違反した人間に対しては地位の高低にかかわらず厳しく取り締まる」と述べた。汚職疑惑などにより当局の軟禁下に置かれているとされる最高指導部元メンバー、周永康・元共産党政治局常務委員についても追及を緩
めない姿勢を示唆した。
2014年3月13日(木)12時46分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2014031301001426/1.htm
 中国の李克強首相の言動に注目が集まっている。実際に「国家の」債務に関しては「国際警戒ラインを下回る」としている。一方で、個別の金融商品のデフォルト(債務不履行)は「避けられない」としている。そのうえで、同じ記者会見で官僚の腐敗について言及する。
 完全な印象操作で、個別金融商品、要するに、シャドーバンキングの問題は、今回は、周永康・元共産党政治局常務委員であるかのような印象をつけるようにしている。そのうえで、報道を規制するという手段である。
 実際に人民元相場の幅を大きくし、そのうえで、人民元とシャドーバンキングの金融商品を切り離すということ。非常に中国的な「政府」と「民間」は別で「民間の内容を見捨てる」という方法である。
 さて、通常の資本主義・自由主義経済ではそのようなことで経済が立ち直るはずはない。日本でいえば、バブル崩壊時に北海道拓殖銀行や山一證券が廃業したのであるが、李克強の行ていることは「北海道拓殖銀行や山一証券の倒産は民間だから関係なく、日本銀行が生きているから大丈夫」という論理である。そんな昔のことではなくても「リーマンショック」で、オバマ大統領が「FRBの信用は高い」としてサブプライムローンを放置し、経済を悪化させてもそれは問題がないといっているのと同じだ。
 問題は中国が「一党独裁」であり、アメリカや日本と経済の構造が全く異なるということである。そのために、このような方法で、なんとなく乗り切れてしまうのではないかという感じがしないでもない。しかし、通常の資本主義ならば、証券の信用も人民元の信用も、国家としての信用も全くなくなり、同時に投資の引き上げが起きてしまうので、そのために、中国経済が悪化するということになってしまうのである。
 あとは、中国の人々がどこまで「資本主義化」しているか、あるいは中国共産党の権力と武力の前に屈するのか、あるいは、デフォルトによって生活ができなくなってしまい、そのために、政府を転覆しようと考えるのか。中国の歴史を見ながら絶対権ry句者に対する中国の仮想民主の力を見ていると、何事もないようには思えないのであるが、現代と古代は違うという感じもある。
 ではなぜこのようになってしまったのか。中国の誤った地涌化と投機ブームがこのようにした。その出口を探る作業を行っている中国を全く報道しない日本の取材力の欠如はかなりひどいものではないか。
 これらの内容に関して、その内容を見てみなければならないのではないかと考えている。

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ウクライナにおけるクリミア地方ロシア編入と米露双方の軍の動きとリーダーシップ

ウクライナにおけるクリミア地方ロシア編入と米露双方の軍の動きとリーダーシップ
 日曜日にウクライナのクリミア地方だけで、ロシア編入に関する住民投票が行われた。今回のウクライナ情勢は非常に勉強になり日本の政治に非常に身近な問題として考えるべきではないのか。そのように思うのである。
 例えば、この内容でも「地方自治基本法」というものが様々な地方行政の中で行っている。じっさいに「地方自治基本法」に至っては、日本国憲法にかかわらず自分たちで様々なことを決めてよ厭うような法律になっている。現在問題になっている沖縄や、佐世保など、日本の重要な軍事基地のあるところが、今回のクリミア地方のように「住民投票で勝手にほかの国に編有されてしまった」ということになればどのようなことになるのであろうか。地方自治が良いとか地方重視などということを言う人は少なくないが、しかし一方で、国家としての一体感が必要という議論がない。クリミア半島に関しては地方自治体(共和国)の投票だけで決めてしまうということであり、すでにこの時点で一つの国家の体を為していないことになる。逆に言えば、それが認められてしまえば、国家や統一の法律ということに関して何の話にもならなくなってしまうのである。特に現在「琉球独立」などと騒いでいるようであるが、本当の意味で独立なのか中華人民共和国への編入なのか、よく考えてみるべきではないのか。
 そのような意味で、今回のクリミア半島の「暴挙」に関して、国際社会がどのように対応するのか、そして、その対応にどれくらいの効果があるのか、そのことをよく見なければならない。現在まで例えばイラクがクェートに侵攻した時、国連はすぐに案z年保障理事会で非難決議を行い、そしてその非難決議に従って国連軍を行った。イラクというとアメリカ・イラク戦争のような感じがするが、それ以前に湾岸戦争が存在し、その時は国連軍として戦っている歴史がある。
 イラクやパキスタンなどの「小国」あるいは「国連安全保障理事会の常任理事国ではない国」であれば、そのように国際社会が一致してどちらかの価値観に従った行動をとることになる。
 しかし、残念ながら国連安全保障理事会の常任理事国である場合は、5か国に拒否権が存在していること、そして、拒否権を持つほどの軍事力があるために、その軍事力を背景にした圧力において、それを止めることができなくなってしまう。常任理事国5か国の軍事的バランスで何とか保たれていた世界の安全が、いつの間にか、軍事力による横暴に何もできなくなってしまうというような形になってしまっているのではないか。
「住民投票は無効」否決 安保理、ロシアが拒否権行使
 【ニューヨーク共同】国連安全保障理事会は15日午前(日本時間16日未明)、ロシアへの編入に向けウクライナ南部クリミア自治共和国が16日に実施する住民投票に反対し、無効だとする米国提出の決議案を採決したが、ロシアが常任理事国の持つ拒否権を行使、否決された。
 常任理事国の中国は棄権、その他の13カ国は賛成した。欧米側は住民投票を前に、クリミアへの実効支配を強めるロシアの孤立を際立たせ、国際圧力を高めることを狙った。
 拒否権行使によって、安保理における米ロの対立が一層鮮明になり、クリミア情勢だけでなくシリアや北朝鮮問題などでの一致した行動が困難になる。
共同通信ニュース 20140315
http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014031501002156.html
ロシア、クリミア隣接地域に「進軍」 ウクライナが撤収要求
 ウクライナ・キエフ(CNN) 緊迫した情勢が続くウクライナの国境警備隊当局は15日、ロシア軍兵士約60人が同日、ウクライナ南部クリミア半島の北東部に接するヘルソン地方に進軍したと発表した。
 これら兵士はヘリコプター6機や装甲車両3台に分乗し、ストリルコエ町に入ったという。
 これを受け、ウクライナの国境警備隊は防御態勢を敷いた。ウクライナ外務省は軍事侵略と非難、ロシアに対し部隊撤収を求めた。
 クリミア半島の住民はヘルソン地方から電力、真水や天然ガスの供給を受けている。ウクライナの国境警備隊によると、ロシア軍は今回の行動の目的について石油資源へのテロ攻撃の可能性を封じるためと説明したという。
 ロシア軍が16日時点で、同町にとどまり続けているのかは伝えられていない。
 クリミア自治共和国では16日にロシア編入の是非を問う住民投票の実施が予定されている。同共和国はロシア系住民が多数派のため編入支持は確実視されており、ウクライナ情勢がさらにこじれる恐れがある。
 ウクライナ暫定政権は住民投票を違憲と非難。ロシアは投票結果を尊重するとし、編入を支援する構えを見せている。
 一方、国連安全保障理事会では15日、住民投票を無効とする米国主導の決議案を採決し、ロシアが拒否権を行使して廃案になった。安保理15カ国のうち13カ国が支持し、中国は棄権した。
CNN.co.jp 20140315
http://www.cnn.co.jp/world/35045280.html
米空母、地中海での配備期間延長へ ウクライナ情勢に対応
 (CNN) 米国防総省高官は13日までに、ロシアが軍事的圧力を強めるウクライナ情勢をにらみ地中海で活動中の米空母「ジョージ・H.W.ブッシュ」の配備期間を延長する計画を明らかにした。オバマ政権が13日に正式発表の見通し。
 配備の延長は、ウクライナ情勢への危惧を強める北大西洋条約機構(NATO)の同盟国に対し米軍関与の継続を保障する措置としている。
 ただ、複数の米政府当局者はウクライナ情勢を受け米軍のプレゼンスを高める新たな軍事的努力の一環と形容。周辺地域における米軍事力の配置について見直しを進めていることを明らかにした。
 ウクライナ危機に際し、米政府は現在、外交手段による事態打開を重視している。しかし、米軍当局者によると、ホワイトハウスでは軍事的対応に関する突っ込んだ協議も行われているという。
 外交努力についてはケリー米国務長官がロシアのラブロフ外相と会合を重ねるなどして着地点を模索し、ロシア側にも外交交渉へのより積極的な姿勢がみられるという。ただ、オバマ政権高官は大きな外交成果は期待出来ないとの認識も示した。
 米政府当局者はロシア軍が実効支配するとされるウクライナ南部クリミア半島地域に対するプーチン・ロシア大統領の今後の措置について、小規模の兵力の追加派遣は続けるものの軍事的な緊張を高めることは想定していないと分析。
 ただ、ロシア軍などはクリミア半島で強固な指揮系統を既に築き、情勢統制を続けるため極めて厳しい「作戦行動規定」を設けているともみている。
CNN.co.jp 20140314
http://www.cnn.co.jp/usa/35045204.html
 豊臣秀吉が、死後の豊臣の世の中を平和に保つために、二代目豊臣秀頼の後見役として五大老と五奉行を設置する。その五大老の中で秀吉が最も信頼していた前田利家が秀吉の死後に急死し、そのバランスが崩れてしまう。そして、徳川家康が豊臣から天下を簒奪する。しかし、その時にほかの四大老は徳川の軍門に下ることになる。前田家は、長男利長が徳川に人質を差し出してしまう。一方、毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝は、徳川に対抗するが、残念ながら関ヶ原の戦いで西軍が壊滅的な打撃を受けて、この天下を二分する戦いはたった1日で決してしまった。
 現在の国連安全保障理事会は、なんとなくこの「五大老」の協議体制を思い出す。もちろん、前田利家のような存在はいないが、徳川と前田が、まさにロシアと中国であり、一方毛利・宇喜多・上杉がアメリカ・イギリス・フランスというようなかんじであろうか。関ヶ原の戦いではほかにも島津や黒田・加藤清正なんかもいたが、ほかの大国の介入しない範囲でいつの間にか、決してしまうというような形ではないか。
 さて、結局「平和的な合議制」などといっても、結局は軍事力によって決せられ、そしてその軍事力の背景において平和が成立する。この意見に反対を唱える人は、憲法9条を以て、現在のロシアに行ってプーチンを説得するなり、クリミア半島に行くなりすればよいのである。そして、クリ身は半島の近くに展開しているロシア軍を解散させ、アメリカの空母を地中海から出すことができるか。実際にそのようなことができるはずがない。これが現実なのである。そして、前半に書いたように、すでに日本もそのような危機に常にさらされているのである。
 そして、ロシアが行っているように大国がそのような行為を行ってきたばあ、日本のばあ具体的には、ロシアが北方領土だけではなく北海道の一部の領有を主張し始めた場合、あるいは、中国が尖閣諸島や沖縄などの領有を主張し始めた場合、その内容は、今回のウクライナのように、国連は日本を守ってくれない、もっと言えば、国連安全保障理事会は否決されてしまうことになるのである。
 日米安全保障条約は、あくまでも外的に攻められた場合であり、国内の住民投票による独立や他国の編入を行わないようにするような力はない。当然に日本は自分の力で守らなければならないのである。今回もアメリカの空母がウクライナ沖に出ていても、そのような意思表示をしたウクライナの人々、もっと言えばクリミア半島の人々を攻撃することはできないのである。
 日本の政府にそのような力があるのか。そのようなことは起こらないなどと、「安全神話」のように思っているのではないか。
 日本に重ね合わせて海外の情勢を見る、そのような目で物事を見なければならない。

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マスコミ批判に関する一考(183) 朝日新聞は慰安婦報道や南京虐殺報道が正しいと主張するのであれば河野談話の検証を推奨し積極的に参加すべきである。できないないならば、国民に賠償せよ。

マスコミ批判に関する一考(183) 朝日新聞は慰安婦報道や南京虐殺報道が正しいと主張するのであれば河野談話の検証を推奨し積極的に参加すべきである。できないないならば、国民に賠償せよ。
 今まであまり河野談話の見直しについて書いていない。一回ブログで書いたと思うが、韓国人の歴史認識がおかしいという形で書いている。
 しかし、そもそもの問題として、なぜ慰安婦問題のような問題が発生するのか。このことには婦たちの問題がある。一つ問題は相手側がおかしいということ。要するに、韓おっくや中国が何らかの政治的意図を以て何らかの請求をしている場合か、もしくは、完全に歴史認識などがおかしく、自己都合によってしか物事を考えることができない状態になってしまい、事実と異なることを主張するということが往々にして行われる。そのことに関して非常に違和感を感じることになる。
 しかし、相手方がおかしいだけならば、大騒ぎにはならな。事実を確認するということで終わってしまう話だ。特に中国や韓国に「被害妄想的歴史観」に「政治利用」ついでに、「賠償金による経済効果」というような、チ○ピラのような言いがかりだけならば、国際社会中において日本が同情されるはずである。しかし、そのようにならない。アメリカのグレンデールなどで「慰安婦の像」などが設置されるということはどのようなことなのであろうか。
 単純に、日本国内にそのような意見を言っている人がいるということである。もちろんそれが事実であるならばそれが問題ないのであるが、残念ながら日本のマスコミは事実ではないことをねつ造して大騒ぎする悪い癖があるのである。そのことは、まさに「ジャーナリズム」ではなく、「意図を持ったファンタジー小説」になってしまっており、その内容が各国に認められることになるのである。
 まさに、慰安婦問題などにおいて、日本が、日本国内の勢力、それもマスコミがなぜか韓国や中国の主張を認める、それどころか、彼らが主張もしていない新たなことを「捏造ファンタジー」で主張しているのである。これでは諸外国も「日本国内でもそのようなことを言っているのであれば、認めざるを得ない」ということになる。まさに、何らかの事件において加害者側と被害者側が証言が一致していれば、それが事実として認められてしまうということになる。主張が異なれば、事実を検証するということになるのであるが、残念ながら、そもそも事実の検証すらも行われる必要性がないという解釈になってしまうのである。
 そのようにしてしまったのは、まさに朝日新聞なのである。その朝日新聞の「捏造ファンタジー」が、最近になってやっと国会で話題になるようになった。
憂国の女性議員、朝日新聞に怒り 「河野談話の見直し」求める署名展開
 日本維新の会の杉田水脈(みお)衆院議員(46)が注目されている。1年生議員ながら、慰安婦問題をめぐってツイッターなどのインターネット上で「神質問」と評された舌鋒鋭い国会質問を披露。日本と日本人を貶めている「河野談話」を発表した河野洋平元官房長官の証人喚問を要求したのだ。A級戦犯とも指摘される朝日新聞への怒り。杉田氏を直撃した。
 「日本の名誉のために、ぜひ、河野氏には正々堂々、国会で真実を語っていただきたい」
 杉田氏はこう語った。維新は現在、「河野談話の見直し」を求める署名活動を展開している。今月末までに10万人が目標で、杉田氏は事務局長を務めている。
 「初めは『超党派の女性議員で取り組もう』と動き出しました。ところが、自民党で趣旨に賛同してくれる女性議員は入閣していたり、党の重職に就いていたりして、呼びかけ人に名前を出せなかった。他の野党は期待できない人ばかり。仕方なく、維新として署名を始めたのです」
 証人喚問のリストには当初、河野氏と、慰安婦問題のきっかけとなる記事を掲載し、週刊誌などが「A級戦犯」と断罪する朝日新聞の社長が入っていた。ところが、党幹部が朝日社長の招致には難色を示し、河野氏1人となった。
 「NHKの籾井(もみい)勝人会長は毎日のように国会に呼ばれている。慰安婦問題は国益を大きく毀損している。朝日新聞の社長も当然、国会で国民に説明すべきだと思ったのですが、残念です…」
 姑息な嫌がらせも受けた。在米韓国系団体が、全米各地で慰安婦の像や碑を設置している実態を視察するため、杉田氏ら維新議員3人は昨年12月、訪米した。すると、韓国・聯合ニュースは同月19日付で、杉田氏らがカリフォルニア州グレンデール市当局に押しかけたと書いたうえ、維新を「悪名高い極右政党」と非難した。杉田氏は憤慨する。
 「私たちは、現地の日系人や在米日本人に対する嫌がらせやイジメなど、実態調査をしただけです。市役所には行っていないし、市の関係者にも会っていない。第一、この韓国メディアは取材にも来なかった」
 こうした妨害にも負けず署名活動までこぎつけたのは、「日本の名誉を守りたい」という一念だと杉田氏は語る。
 「自民党が河野氏の証人喚問に反対なのは、『過去の証人喚問は、刑事犯罪に関わった者だけで、前例がない』という理由です。ですが、事実を秘する政治家の名誉と、国家の名誉のどちらが大事でしょうか。われわれは日本のために、いまこそ真実を明らかにしたいだけなのです」 (安積明子)
ZAKZAK 20140309
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20140308/plt1403081448000-n1.htm
 民法96条に「詐欺」がある。当然に刑法の詐欺罪とは異なり、民法の詐欺である。条文を見てみよう。
 第96条
1、詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2、相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3、前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。
 さて、現在日本は日韓基本条約に従って慰安婦問題などに関して賠償金などは支払われていない。しかし、民主党の野田内閣の時は謝罪の上で、慰安婦基金を政府主導で作るというような計画があった。この場合は、国民の税金からこれらの基金の金銭が出されることになる。中国に関しても同じで、現在はODAということで出されているので、何とも難しいのであるが、いわゆる「南京大虐殺」で賠償金が支払われた場合、その賠償金は当然に政府の金銭で出されることになる。
 もちろん、これが真実に基づくものであればよいが、実際に捏造または古代表現であり、その目的が単純に安倍内閣への批判や、以前の自民党内閣に対する不満という国際的なものではない場合は、朝日新聞は、少なくとも「民法上の詐欺」を行ったことになる。
<上記より抜粋>
 「日本の名誉のために、ぜひ、河野氏には正々堂々、国会で真実を語っていただきたい」
<中略>
証人喚問のリストには当初、河野氏と、慰安婦問題のきっかけとなる記事を掲載し、週刊誌などが「A級戦犯」と断罪する朝日新聞の社長が入っていた。ところが、党幹部が朝日社長の招致には難色を示し、河野氏1人となった。
 「NHKの籾井(もみい)勝人会長は毎日のように国会に呼ばれている。慰安婦問題は国益を大きく毀損している。朝日新聞の社長も当然、国会で国民に説明すべきだと思ったのですが、残念です…」
 姑息な嫌がらせも受けた。在米韓国系団体が、全米各地で慰安婦の像や碑を設置している実態を視察するため、杉田氏ら維新議員3人は昨年12月、訪米した。すると、韓国・聯合ニュースは同月19日付で、杉田氏らがカリフォルニア州グレンデール市当局に押しかけたと書いたうえ、維新を「悪名高い極右政党」と非難した。杉田氏は憤慨する。
 「私たちは、現地の日系人や在米日本人に対する嫌がらせやイジメなど、実態調査をしただけです。市役所には行っていないし、市の関係者にも会っていない。第一、この韓国メディアは取材にも来なかった」
 <以上抜粋>
 朝日新聞は、詐欺ではないということを言うのであれば、国会の証人喚問に応じ、しっかりと国民に対して説明すればよいし、また、植村という記者もしっかりと説明すればよい。逆にそれができないのであれば、国民は、民法上の詐欺で訴えを提起し、そのうえで事実関係を法廷の場でしっかりと確認すべきではないのか。
 まさに96条2項の相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。という条文の通りであり、その場合はその詐欺行為の損害賠償を請求できる。まさに朝日新聞は全国民に対して、その国民の名誉と韓国などへの賠償金、将来基金や賠償金が払われた場合にはその金額における損害賠償の支払い義務が生じることになる。
 難しいのは、そのことを韓国や中国が知っていた場合はすべてを取り消すことができるが、その証明が難しいのではないか。いずれにせよ、その事実巻毛をはっきりさせることは重要だ。
 さて、一方国民である。保守派の人々は「嫌韓」といっているが、実際に、本当の日本人の敵は日本の国内にいる。それも「朝日新聞」ではないのかということが明らかになってきているのではないか。実際に事実であるのあk層ではないのかということが最も重要なのであるが、朝日新聞はいまだに沈黙を続けているばかりで、論点を巧みにずらし、そのことの信憑性については何の言及もしていない。本当に自分たちの地震があるならば、「河野談話の検証」に積極的に参加し、潔白を証明すべきではないのか。
 一方、そのような懸賞もせず外交的圧力を受けた安倍内閣は、河野談話の検証をせずその精神を引く継ぐという。まさに、安倍内閣は、保守派のというよりは歴史学者の多くの事実を重要視する人々から支持を失った。私は安倍内閣の存立に自分なりに寄与したと自負しているので、安倍内閣を批判したくはないのであるが、さすがに安倍内閣の今回の発表は話になるものではない。「歴史の事実を検証する」ということをしない者は「歴史の冒涜者」であり、同時に、「歴史への反逆者」でしかない。そして「事実」に従えない政府は、そのままパワーゲームの中に入り込み、そして、真相と幸福を追求することができずに、何もできなくなってしまう。
 事実の検証に反対する韓国などにおいて、「事実に従った歴史」を信奉するとし、そのうえで、「韓国も積極的に事実であることを証明するように促す」くらいの精神力が必要であるが、そのようなことができない内閣であれば、国民の信託にこたえることはできないであろう。非常に残念である。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第67回 民主主義と衆愚主義のインターネット上に書かれている定義

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第67回 民主主義と衆愚主義のインターネット上に書かれている定義
 さて、国会に関して見てきたが、最も根本的な問題に関して何も語られていない。
  そもそも「民主主義」とはいったい何なのか。
  同時に、「多数決」という方法が良いのかということになる。
  まず、民主主義ということに関して、考えてみようと思う。
  さて、民主主義とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。デモクラシー(民主主義・民主制・民主政)とは、諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制だが、これらは歴史的に発展してきた概念であり、その時代や論者によって内容の異なる多義的な概念である。
  歴史的にはデモクラシーに相当する概念や制度は色々な社会に見られるが、その用語は古代ギリシアで使用され、その衰退後は衆愚政治という否定的な意味合いで長く使われたが、啓蒙主義以降は自由主義、更には国民主権、立憲主義、人権などの概念と結びつき、近代に至って大きくその意味合いを変じていった。
  これを「世界大百科」で見てみると。
  民主主義という言葉は,現代では,あらゆる政治的行動や意図の正当化を訴える理念として,またそれらを評価する基準として,政治体制や信条の差異をこえてほとんど普遍的通用性を獲得している。
  しかし,その反面で,今日,民主主義の具体的内容として何が確実な合意であるかについては,必ずしも明らかではない。民主主義のこうした言葉としての普遍化と意味の多様化は,現代世界,とりわけ第1次大戦以後のことである。
  民主主義,すなわちデモクラシーとは,〈人民の権力〉を意味する古代ギリシア語のd?mokratiaを語源とし,それがラテン語を経由してヨーロッパ各国の近代語の中に受け継がれたものである。
  <以上抜粋> ということになる。
  ちなみに、まったく同じことを、日本国憲法ぬ知良い影響を与えた(場合によっては民主主義を日本に押し付けた)アメリカの解説を見てみよう。
  アメリカ大使館のホームページから「概要:民主主義とは何か」というようなページをそのまま抜粋してみる。
  <以下引用>
  「民主主義(デモクラシー)」の語源は、ギリシャ語の「デモス(人民)」である。民主主義国においては、立法者や政府ではなく、国民に主権がある。世界各地のさまざまな民主主義制度には微妙な違いがあるが、民主主義政府を他の形態の政府と区別する一定の原則と慣行が存在する。
・ 民主主義とは、市民が直接、もしくは自由選挙で選ばれた代表を通じて、権限を行使し、市民としての義務を遂行する統治形態である。
・ 民主主義とは、人間の自由を守る一連の原則と慣行である。つまり、自由を制度化したものと言ってもいい。
・ 民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する。
・ 民主主義国は、全権が集中する中央政府を警戒し、政府機能を地方や地域に分散させる。それは、地域レベルの政府・自治体が、市民にとって可能な限り身近で、対応が迅速でなければならないことを理解しているからである。
・ 民主主義国は、言論や信教の自由、法の下で平等な保護を受ける権利、そして政治的・経済的・文化的な生活を組織し、これらに全面的に参加する機会などの基本的人権を擁護することが、国の最も重要な機能のひとつであることを理解している。
・ 民主主義国は、すべての市民に対して開かれた、自由で公正な選挙を定期的に実施する。民主主義における選挙は、独裁者や単一政党の隠れみのとなる見せかけの選挙ではなく、国民の支持を競うための真の競争でなければならない。
・ 民主主義は、政府を法の支配下に置き、すべての市民が法の下で平等な保護を受けること、そして市民の権利が法制度によって守られることを保障する。
・ 民主主義諸国のあり方は多様であり、それぞれの国の独自の政治・社会・文化生活を反映している。民主主義諸国の基盤は、画一的な慣行ではなく、基本的な諸原則の上に置かれている。
・ 民主主義国の市民は、権利を持つだけでなく、政治制度に参加する責任を持つ。その代わり、その政治制度は市民の権利と自由を保護する。
・ 民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。マハトマ・ガンジーはこう述べている。「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」
- Bureau of International Information Programs "Principles of Democracy" -
<以上引用>
 さて、これだけ書けば、民主主義というものがどのようなことなのかが良くわかると思う。
  しかし、それではなぜ、「国家」の意思を「民衆」が決めてよいのか、ということになる。
  そして、「その選択は正しいのか」ということにもなる。
  正しくない場合は「民主主義」は「衆愚主義」に変化する。
  それでは衆愚主義とはいったい何か。
  これはちょうど良いかいせつがないので、ウィキペディアから抜粋する。
  <以下抜粋>
  有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられている状況。
  その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況をさす。
 
 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。
  エゴイズムは自己の積極的利益の追及とは限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主義、課題の先延ばしなどを含む。
 判断力の乏しい民が意思決定に参加することで、議論が停滞したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、誤った政策執行に至る場合などをさす。
  また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。
  また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことや、誰もが不可能だと考えていることを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。
 大衆論の見地によれば、大衆を構成する個々の人格の高潔さや知性にも関わらず総体としての大衆は群集性(衆愚性)を示現する可能性がある。
  衆議を尽くすことでしばしば最悪のタイミングで最悪の選択を合意することがあり、リーダーシップ論や意思決定における「合意」の難しさは重要な論点となる。
  近代民主主義制度においては意思形成(人民公会)と意思決定(執政権)を分離することでこの問題を回避しようとするが、独裁と民主的統制の均衡において十分に機能しないことがある。
<以上抜粋>
 さて、長くなるので、今回はこの辺にするが、民主主義と衆愚主義、そして民主主義がどうして衆愚主義に落ちてしまうのか、そのことを次回以降ゆっくりと考えてみたい。

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「反日」なのに「日本の技術」盗まなければ企業が維持できない「未熟国家韓国」

「反日」なのに「日本の技術」盗まなければ企業が維持できない「未熟国家韓国」
 韓国人の産業スパイはかなり横行している。
 本当に韓国人が「反日」というよりは「日本を敵視している」のであれば、日本の技術などもすべて排除してしまえばよいはずであり、それらの技術をオリジナルですべて韓国人の手で作ればよいことである。
 しかし、残念ながら韓国にはそれらの技術的な裏付けを作ることはない。というよりは、よくノーベル賞でたとえられるが韓国そのものが何らかの起源になったことはない。ウリジナルとはよく言ったもので、何も生み出したことがない韓国人の民俗的コンプレックスが、そのまま「何でも自分のものにしてしまう」という現象である。
 私は現在韓国の本を書いているのであるが、その韓国の本の中で「韓国は日本の若者の歴史と同じである」と書いている。これは若者が成長してゆく物語を言っているのではない。社会学的に日本の中において「若者」が社会の中で、あるいはマスコミなので半分揶揄を含みながらも、その若者のことを様々に呼称してきた、その内容の故障がちょうど韓国に当てはまる。
 まず「モラトリアム」といわれた。この言葉は、アイデンティティを持たない未熟な感じであり、それだけに、なんでもほしがるという特性を持っている。そのうち日本の若者は「相手のことやTPOなど周囲の秩序を気にしない」ということで「新人類」といわれるようになった。そして、現在の韓国は、自分の不道徳や不条理には全く関係がなく、そして何でも自分の思い通りにならなければ、その思い通りにならないことでほかに危害を加える「キレる」という行為になる。
 もちろん、日本の若者で会ってもそのような子ともばかりではないのと同じで、韓国の人の中でもそのような韓国人ばかりではない。しかし、その韓国人が集団になった場合に韓国としてあらわれるものはこのようなものになってしまうのである。
 日本における子供と一緒というのは、まさに、子供そのものの精神性でしかないということも言えるし、また、時代の変化で成長がしないということも言える。これが韓国の特徴であり、日本が「大人扱い」していれば完全に裏切られる結果になってしまっているのである。
 自己都合の国とか、あるいは、自分勝手な国というよりは、「精神性が未熟な国」というような感覚になるのではないか。
年収2倍、韓国メーカー破格の待遇…技術流出
 日本企業を支える最先端技術の海外流出に、初めて捜査が及んだ。
 警視庁が13日に本格捜査に着手した総合電機大手「東芝」の技術流出事件。不正競争防止法違反容疑で取り調べを受けている、韓国企業に転職した元技術者の男(52)は、企業が蓄積した研究データを持ち出した疑いが強まっているが、日本人技術者の流出に伴って情報が漏れる危険性は、他の多くの企業も抱えている。
 「約20年間勤めた会社のおよそ2倍の年収や高級マンションでの生活を保証された。日本に残した家族のもとに向かう日韓の往復航空券25枚も用意してくれた」。電子部品会社から転職した50歳代の男性技術者は、韓国メーカーから受けた破格の待遇を明かした。
読売新聞 読売新聞 2014年03月13日17時45分
http://news.livedoor.com/article/detail/8628608/
韓国企業に東芝の技術流出 容疑の元技術者に逮捕状 警視庁
 大手総合電機メーカー「東芝」(東京都港区)のフラッシュメモリーの研究データを不正に持ち出し、韓国の半導体大手「SKハイニックス」に渡した疑いが強まったとして、警視庁捜査2課が不正競争防止法違反(営業秘密開示)容疑で、業務提携していた半導体メーカーの元技術者で福岡県内に住む50代男の逮捕状を取ったことが13日、捜査関係者への取材で分かった。海外の企業に技術を流出させたとして刑事事件に発展するのは異例。捜査2課は近く強制捜査に乗り出し、全容解明を進める。
 捜査関係者によると、問題になっているのは、東芝の主力商品で、スマートフォン(高機能携帯電話)や携帯音楽プレーヤーなどに使われる「NAND型」のフラッシュメモリー。
 男は平成20年ごろ、東芝の開発拠点の四日市工場(三重県)で、NAND型関連の最新の研究データを不正にコピーし、転職先のSK社に渡した疑いがもたれている。問題発覚を受け、東芝が昨年、警視庁に刑事告訴していた。
 東芝は16年11月、フラッシュメモリーの特許を侵害されたとして、SK社(当時、ハイニックス半導体)の日本法人を相手取り、販売差し止めと損害賠償を求めて提訴。東京地裁は18年3月、この法人に販売差し止めと約780万円の賠償を命じた。
 NAND型フラッシュメモリーの世界市場は1位のサムスン電子と2位の東芝で7割を占める。SK社も4位に付けており、捜査2課は激しい開発競争が事件の背景にあるとみている。
msn産経ニュース20140313
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140313/crm14031311380007-n1.htm
韓国SK社に賠償求め提訴=メモリー技術不正使用で-東芝
 東芝の主力製品NAND型フラッシュメモリーに関する研究情報が韓国企業に不正流出した事件を受け、東芝は13日、同フラッシュメモリーの技術に関する機密情報を不正に取得・使用しているとして、韓国SKハイニックス社に対し、不正競争防止法に基づき損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こしたと発表した。
2014年3月13日(木)23時46分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-2014031301005/1.htm
 「名月を とってくれろと 泣く子かな」
 有名な小林一茶の俳句である。この句は、名月を取ってくれとわが子が泣いてねだる。親として、それにこたえてやれないじれったさを表現しているといわれているのであるが、一方その条件が成立するのは「わが子」であるからであって、他人の子、それも全く知り合いでもなんでもない子供がそのようなことをいきなり言い始めれば腹が立つやら、「何言ってんの」というような形になる。
 まさに、韓国の状態は「まったく他人の子」どころか「嫌いな子ども」があれがほしいといっても、また、もともと自分たちのものだ、といっても、かわいくもなんともない。どちらかといえば、むかつくだけである。
 これが現在の日本と韓国の関係である。まさに「ウリジナル」といわれる「森羅万象すべて韓国起源説」等もさすがに世界の嘲笑の的でしかない。
 さて、今回の事件は、まさに、「東芝」の技術がほしいからといって「自分のもの」と思って盗ませるというものである。当然に裁判になっても「もともと自分技術だ」とか「何が悪いのか」最後には「戦後賠償の一環」とかい「慰安婦」といいだして、そして「人種差別」と言い出すことは目に見えているし、それが過去の訴訟でもそのようになっているのである。
 一方日本は、韓国を「大人扱い」しているので、いつでも蹴散らすことができるにもかかわらず、そのような乱暴なことはせず、しっかりと論理性で戦う。しかし、その論理性は、まさに、大人の理論なのであるが、これに対して感情論で対抗するという。ほかの国は「大人が子供をいじめている構図」を想像して、日本に自制を促すことになる。
 問題は、それがいつまでも許されると思っている韓国の問題である。
 この辺に関しては、私の講演などでいつも話しているのであるが、その内容はまさに韓国の民族性や韓国の国民性がそのようなことにしてしまうのである。まさに「歴史」というものは彼らの意識にはなく、自己都合による「捏造史」しか存在しない。まさに事実をゆがめてもなんでも、自己都合しか考えず、その時に周囲の環境などを考慮しないというものである。
 さて、今後どのようにしたら良いのか。まさに日本はレベルを下げて「ガキの喧嘩」をする必要はない。それよりも、ほかの国にこの現実、韓国の「未熟な素顔」を伝えるべきである。各国が「ああ、またやってる。」となるような状況にしなければならない。そのような宣伝工作が全くできていない日本が、情報や外交などの世界で未熟なのかもしれない。

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韓国経済の妄想と韓国経済の不透明感と末期症状

韓国経済の妄想と韓国経済の不透明感と末期症状
 政治家が経済を語るというのは、なかなか難しい。そもそも政治家は経済の専門家ではない。そのために、経済に関する知識が必ずしも豊富であるとは言えない。その中での、経済の内容を語らなければならないのであるから、それは大変なことである。それでも、中国のように、一党独裁の計画経済ならば、そのことを語るのはまだ簡単である。なぜならば独裁であるから、経済もある程度コントロールすることができるのである。しかし、自由経済、そして海外との間のグローバル経済であれば、その部分を予想しながら経済のことを語らなければならないということがあげられるのである。そのことは非常に難しい。そもそも政治で規制または制御できるのであれば、「自由経済」ではないのであるから、基本的にそのようなことをできるはずはないし、また、経済や株価というのは、期待感などの心因的な部分が少なくないので、その部分をしっかりと担保できるものがなければ経済について確実なことを言えるとは思えない。「1+1=2」にならないのが相場である。そこに期待感などが入れば「3」「5」にもなるし、期待感が失われれば、それが経済の要因でなく政治や戦争・内紛のようなものであってもあるいは天変地異であっても、「1+1」が「0.1」にも「1」にしかならない場合もあるのだ。
 それらを踏まえたうえで政治家の経済予想を聞かなければならない。一応何も語らないことはできない。何しろ国民の生活に責任を持つことが政治であるから、当然に、経済もその一部である。そしてあまり将来にわたって悲観的なことは言えないのである。まさに、「期待感」を持たせることが必要だ。
 しかし、その「期待感」が完全に嘘であったり、白々しい「希望的観測」でしかない場合は、却って「そのような材料しかない」ということになって経済が沈む場合がある。そのことをどのように考えるかということが最大の問題である。
 単純に言えば、民主党政権の時に「円高だから」などといって一生懸命しながらデフレ経済を解消できなかった。そのことが、民主党が経済政策に関して何をアナウンスしても経済の復興がなされなかったという日本での実績が存在するのである。
 さて、現在韓国では、「南北統一」ということが経済再興の起爆剤なのである。そもそも韓国経済のいて「再興」という言い方が良いのかどうかということはなかなか難しいのであるが、まあその部分を考えなければならないということになる。
南北統一で1人当たりのGDPは8万6000ドルに・・・2050年には「日本を抜く」=韓国
 韓国の全国経済人連合会は11日、「朝鮮半島の統一、果たして成功なるか」と題したシンポジウムを開催し、統一にかかる費用や効果などを分析した。韓国と北朝鮮が統一した場合、1人当たりの国民所得は日本より高い8万6000ドル(約884.9万円)に達する可能性があるという。複数の韓国メディアが報じた。
   現代経済研究院の洪淳稷(ホン・スンジク)統一経済センター長は、南北の統一は「韓国経済の潜在成長率の急落や外圧に弱い構造的な問題などに対する解決策になる」と述べた。
   洪センター長によると、統一した場合、人口7400万人の大国に浮上し、労働市場と国内市場の拡大などで、国内総生産(GDP)は2015年に1兆6430億ドル、2020年には2兆77億ドル、2030年には3兆2800億ドルへと急成長するという。
   さらに2040年には4兆9560億ドルとなり英国とドイツを追い抜くと、2050年には6兆5600億ドルに達し、世界第8位の経済大国に浮上するという。
   1人当たりのGDPは、2015年に統一した場合は2万2000ドルに留まるが、2020年には2万8000ドルに上昇し、2030年は4万3000ドル、2040年は6万6000ドル、2050年には8万6000ドルまで高騰すると予想。イギリス、ロシア、フランス、日本よりも国民所得が高い国になるとした。
   ホンセンター長は、統一後は北朝鮮経済の再建や北朝鮮住民に対する支援、社会の混乱などにかかる費用は少なくないものの、長期間にわたる統一の効果と比較すれば一時的なものだと分析した。(編集担当:李信恵)
サーチナニュース  2014-03-12 10:31
http://news.searchina.net/id/1526591
朴政権の目玉政策「地下経済」徴税強化が裏目 中小・零細から激しい反発
 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領(62)が国内不安で揺れている。朴氏が政権の目玉に位置づけた格差是正を目的の一つにした社会保障政策が、逆に「中小・零細業者いじめ」との批判を受けているのだ。財源確保を目的に無認可営業などが多い彼らに対する徴税を強化するあまり、自殺者が続出、激しい反発が起きているという。韓国事情に詳しいノンフィクションライター・高月靖氏による緊急報告?。
 日本が2020年東京五輪開催決定の報にわいていた昨年9月。韓国東北部の春川市で、68歳の韓国人男性がシンナーを全身にかぶって焼身自殺を図った。
 男性が所属する「遊興飲食店」の団体が、市庁舎前で抗議デモを行っていた最中の出来事で、男性は病院に運ばれたが、1週間後に亡くなった。
 デモの趣旨は「遊興飲食店」への課税強化に対するもので、これは零細業者にとって死刑宣告に等しい措置であり、文字通り命をかけた抗議だったわけだ。
 このような零細自営業者の自殺が、韓国で相次いでいる。その要因といわれるのが、労働者に過酷な競争を強いる社会環境、そして朴政権の経済政策である。
 「韓国のサラリーマンは40代後半から自主退職するのが当たり前。日本でいう肩たたきです。韓国では『名誉退職』と言いますが、それが当然の社会慣習になっているからです」(韓国経済団体の日本人職員)
 こうした中途退職者は、コネやスキルを頼って転職するか、起業するしか選択肢はない。
 「独立する業種は飲食店、コンビニなどフランチャイズ、保険の個人代理店などが多いですね」(日本在住の韓国人コンサルタント)
 だが、誰もが成功できるわけではなく、失敗する個人事業主は後を絶たない。昨年には、過当競争の末に生活に行き詰まってコンビニ店の店主が相次いで自殺し、大きな社会問題となった。
 「韓国は格差社会といわれますが、失業率や非正規雇用率などの指標は日本と大差ありません。ただ、こうした名誉退職の慣行などで、非常に競争の激しい社会になっています。そこから脱落する人も当然多い」(同)
 こうした背景があるなかで、2012年の大統領選に朴氏が出馬。社会保障の充実を公約に掲げてアピールし、当選した。だが、公約実現には巨額の財源が必要という側面もある。
 就任後、その朴氏が“埋蔵金”として目をつけたのが、韓国の「地下経済」だった。
 「銀行やノンバンクなどの『表の経済』とは別に無届けで運営するヤミの金融機関です。こうした法の手が及ばない民間金融が韓国内には無数に存在し、独自の地下経済網を形成している」(前述の日本人職員)
 ドイツの労働研究所(本拠地・ボン)が調べた国内総生産(GDP)比でみる10年の地下経済規模によると、韓国は24・7%。経済協力開発機構(OECD)の加盟国の平均18・3%より高く、日本(11%)の倍以上の水準だった。
 言うまでもなく非合法の地下経済は、課税の対象外。韓国では年間65兆ウォン(約6・5兆円)の税収損失があるともいわれている。
 歴代政権はこれまで、この地下経済を放置してきた。朴政権はこの莫大な“鉱脈”から税収を得て、それを社会保障の財源に充てる計画を立てたのだ。
 だが、その地下経済は、庶民の生活を支える「必要悪」の側面もあるという。
 「もともとは、政治や経済が不安定だった時代の互助会が地下経済のルーツ。例えば会社を辞めて独立開業したものの、信用力がなくて銀行はお金を貸してくれない。そんな人たちの資金調達先だったりするわけです」(韓国人日本駐在員)
 こうしたグレーゾーンにメスを入れるという朴政権の改革には、「金持ちは見逃して苦しい自営業者から搾り取るだけ」との批判がつきまとう。
 零細業者への課税強化もすでに進められており、冒頭で触れた「遊興飲食店」のデモのように国内で反発が起きている。
 「コンビニ店主の連鎖自殺も、加盟店の権利を守る法整備が後手に回ったために起きたとの批判が巻き起こっている」(同)
 相次ぐ中小・零細業者の自殺で浮き彫りになってきた韓国経済のいびつな構造。その深い闇が、朴政権をのみ込むのも時間の問題だ。
 ■高月靖(たかつき・やすし) ノンフィクションライター。1965年生まれ。兵庫県出身。多摩美術大学グラフィック・デザイン科卒。韓国のメディア事情などを中心に精力的な取材活動を行っている。『キム・イル 大木金太郎伝説』『独島中毒』『徹底比較 日本vs韓国』『南極1号伝説』など著書多数。
ZAKZAK 20140312
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140311/frn1403111751006-n1.htm
 政治家が経済を語るには、当然に、その前提条件となる国内の経済構造を把握していなければならない。韓国の場合、これは現在書籍にしているところで執筆中であるから詳しくは書けないが、財閥による国外貿易経済が中心であり、そのうえで、国内内需はほとんど機能していない状況である。そのうえで、売春や違法取引など、非合法経済が存在し、その非合法経済におけるGDPを内需からマイナスすれば、かなりひどいことになっている。そのうえ、北朝鮮を併合(統一であるが、経済の場合は韓国が圧倒的に高い水準なので、政治上の用語ではなく経済上併合ということになると考えています)した場合、当然に、国内の内容から内需の平均がより一層低下することになる。
 前提として、現在の最高水準ようするに、財閥の上の方の一人当たりGDPが全員になるのであれば、このような経済発展がなされるのであろうが、あまりにも「嘘」が明白であり、韓国国内であっても、受け入れられないものである。南北統一が経済の起爆時になるというのは、朴槿恵が本年の年初に行ったことであり、その年初の内容を今頃繰り返さなければならないということは、まさに「韓国経済が、北朝鮮との統一を言わなければ行き詰っている」ということ、もう一つは、「朴槿恵政権にほかの政策がない」ということを意味しており、すでに韓国経済が末期症状に近いということになる。
 そのために当然に地下経済を財源にするということを言っているのであるが、それが却って韓国経済を委縮させている。上記にあるような中小企業経営者の自殺などは、却って「委縮効果」を生み、そのために、韓国の経済は負のスパイラルに入っているのである。
 このニュース二つを見て、そのように読まなければならない。何も、韓国を感情的に悪く書く本などを読まなくても、論理的に韓国の経済的末期症状があらわれているというようなニュースになるのではないか。

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集団的自衛権に関して考えること

集団的自衛権に関して考えること
 国会の予算委員会を見ていると、集団的自衛権の話が出ている。
 まず一つの論点として民主党がわけのわからないことを言っているが、そのことについて私の考えを少し述べておこう。そもそも国連憲章51条に
第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
 とある。
 この集団的自衛権を日本が「行使しない」と決めたのは首相による国会答弁と閣議によるものである。民主党は、今回集団的自衛権の行使に関して閣議決定でできるとした自民党安倍首相の答弁に対して抵抗しているが、実際に、「行使できない」ということに関して閣議決定でできているのに、その「行使」に関しては閣議決定での行使を認めないというのは、あまりにもおかしな話である。そもそも集団的自衛権という固有の権利が「ない」という解釈で、「ない」ものを「ある」とする場合は、確かに国会による審議と決議が必要かもしれない。しかし、権利として存在するものの行使は、行政の権限であり、憲法上は内閣が決めることである。ということは当然に、内閣の決定、要するに閣議による決定でできるのである。逆に、権利として存在する内容の行使をいちいち国会で決めていては、その時点で、日本の行政は停滞してしまう。ほかの行政に関する内容も同じだ。そのために三権分立があるのであり、その相互の監視作用があるのだ。要するに、このようなことを批判している民主党側が三権分立を全く理解していないということであり、民主党は相変わらず、自己都合で憲法を守る意思のない政党であるということが良くわかる。岡田克也元外務大臣がその質問を行ったが、この人が外務大臣を行っていた時の外交派再度検証する必要があるのではないか。
自民参院幹事長:憲法解釈一から議論を…集団的自衛権巡り
 自民党の脇雅史参院幹事長は10日、石破茂幹事長と党本部で会談し、安倍晋三首相(党総裁)が目指す集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しについて「原点から議論し直し、一から方向性を作り直そう」と述べ、行使容認を前提とせず党内議論を進めるよう求めた。石破氏は党内議論の場として、安倍総裁直属機関の設置を検討し、意見集約を図る考えを示した。【高橋恵子】
 石破氏は会談で「組織を作り、議論したい。参院と連携してやりたい」と述べ、参院側に配慮を示した。一方で会談後の記者会見では、集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ過去の国政選挙の公約を念頭に「党議決定が変更されることはあまり記憶にない」とけん制。新たな協議機関についても「広く参加できる形を整え、丁寧に合意形成したい」と述べた。
 集団的自衛権を巡り、自民党内では脇氏ら参院側に慎重論が根強い。政府関係者は「衆院側は集団的自衛権で勇ましい人も多いが、参院は現時点で消極的だ」と分析。参院は自民党単独で過半数に達せず、20議席を持ち、行使容認に慎重な公明党に配慮する声が大きいからだ。参院自民党幹部は「なぜ集団的自衛権で首相が焦るのか、さっぱり分からない」と話す。
 自民党は昨夏の参院選で、現行制度で過去最多となる65議席と大勝し、党所属参院議員114人のうち半数以上が5年以上の任期を残している。衆院のような解散がない参院は、党総裁に対し強い発言力を持つ。首相が言及する通常国会後の内閣改造も、一定の「閣僚枠」を持つ参院自民へのカードにはなりにくく、集団的自衛権の行使容認を巡る衆参の温度差が広がる可能性もある。
2014年03月11日 00時17分 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20140311k0000m010082000c.html
日本は現法体系でも国土や国民守るため幅広い軍事行動取れる
 先日、ある上場メーカー中堅社員氏と食事した際に集団的自衛権の話題になった。氏はこれを認めるよう法改正が必要だとし、その理由をこう語った。
「今の中国や韓国の好戦的な態度を見ていると日本の安全保障は危うい。万が一にも彼らが日本に攻めてきた場合に万全の対応をするために集団的自衛権は必要だ」
 大いに真面目な態度だった氏には申し訳ないが、全く的外れの論である。なぜなら、中韓に限らず、どんな国が日本に攻めてきた場合にも、現憲法と従来の法解釈・法体系に基づいて日本は必要なだけの軍事行動が取れるからだ。日本が標的になっている限り、それに反撃するのは個別的自衛権の行使である。さらに日米安保条約によって米軍の参戦も可能だ。
 国連憲章でも、日本をはじめ世界のすべての国には個別的自衛権と集団的自衛権があることを明確に認めている。日本国憲法は、周知の通り交戦権と軍隊の保持を禁じているが(9条2項)、政府の見解では、これは自衛権を放棄した条文ではないとされる。つまり、日本は交戦権や軍隊は持たないが、自衛権は持っている。だから自衛のための戦力(自衛隊)を保持することは憲法に違反せず、国際社会の通念として認められている個別的自衛権、集団的自衛権も持つという解釈だ。同様に判断した最高裁判所の判例もある。
 ただし、これまでの政府見解ではこのうち集団的自衛権については国民の生命・財産や国土を守るものではないとして、「権利は持っているが行使はできない」とされてきた。 冒頭の男性に限らず、多くの日本人は現状の「専守防衛」という基本理念は安全保障のうえで“ひよわい”というイメージを抱いている。
 しかし法解釈からすると、領土・領海はもちろん、それに連なる排他的経済水域(EEZ)、さらには公海・公空も含めて、日本の国土や国益、国民に被害が及んでいる、もしくは及ぶ可能性がある場合には、日本はそれを防ぐために幅広い軍事行動を取れることになっている。この点では世界の国々と何ら変わらないし、自衛隊の戦闘力が世界有数のレベルにあることも間違いない。
 公海や公空については個別的自衛権では対応できないとする学説もあることは事実だが、例えば刑法における正当防衛の要件が「急迫不正の侵害」を防ぐための行為とされることからもわかるように、被害を受けることが明らかであれば、まだ被害が出ていなくても対抗措置を取れるというのが一般的な法理である。国土や経済水域に被害がなくても、被害が切迫していれば個別的自衛権(つまり国家の正当防衛)で対処できるのは当然だろう。
※SAPIO2014年4月号
NEWSポストセブン 2014.03.10 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20140310_245157.html
礒崎補佐官 集団的自衛権行使容認で10本以上の関連法改正が必要
 礒崎陽輔首相補佐官は5日、都内で開かれた会合で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しに関し「憲法解釈の変更後、いろんな法律の改正が必要だ」と述べ、10本以上の関連法改正が必要になるとの見通しを示した。
 自衛隊の行動を定める自衛隊法や朝鮮半島有事などを想定した周辺事態法、国連平和維持活動(PKO)協力法などが対象になる。政府は今夏に集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の見直しを閣議決定し、秋の臨時国会にこれらの関連法案を提出する方針だ。
msn産経ニュース  20140305
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140305/plc14030520170013-n1.htm
 集団的自衛権に関しては、国連憲章を否定しない限り固有の権利として存在するものである。その集団的自衛権を行使することは、既に存在する権利の行使であるから、閣議決定で可能であろう。上記の記事で、それに対応して磯崎補佐官の指摘のように、関連法改正が必要なものは行わなければならない。
 一方その主体は誰なのか。要するに「集団的自衛権行使の主語は何か」ということである。このことを考えると、一義的には「日本」というが、国家そのものが動くわけではない。要するに、実質的には「自衛隊が」という主語になる。その自衛隊に関して、自衛隊自身が自分自身をまず守るということが必要で、そのうえで自衛権を行使するという任務の遂行がある。しかし、そもそも自衛隊でよいのか、ということが議論の対象になる。
 ここは自衛隊というものを亡くし、新たなもの「国防軍」なのか「地球防衛軍」なのか「日本軍」なのかわからないが、その存在を作り出さなければならない。新たなものを作り出すには、今の規定を変えなければならない。それは憲法であり法律である。それは、まさに憲法9条の改正である。
 自民党、そして政府与党は、そのことを正面から語るべきではないのか。その結果がどうこうとか次の選挙ではなく、日本の国益を考えるには「実質的」とかそういう問題ではなく、憲法の改正を語るべきである。そして将来の日本の姿をしっかりと語り、国民と対話を持つべきではないのか。そのことができないのであれば、今の内閣もこれまでの内閣と同じで結局何もできないという人々でしかないのである。
 物事の根本をしかk理と考え、そのことを国民の対話で考える。わけのわからない民主党のような変な批判は排除し、そしてしっかりと物事を考えられる人と対話する。その対話の枠を国民全体に広げる。それが政治の一つの形である。それを正面から取り組める内閣でなければ、今の難局を切り抜けることはできないのではないか。

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政党の中にいて政策が一致せず、政党代表が「出ていけ」といわれる「異常」

政党の中にいて政策が一致せず、政党代表が「出ていけ」といわれる「異常」
 政党とはいったい何であろうか。
 インターネットによって世界大百科事典を引いてみると
 なんらかの共通的な社会観・政治観をもつ人々によって構成され,これらの社会観・政治観のうえに立って国民間の諸利益を集約し,政策を形成し,さらにその政策を実現するために議会の運営の衝に当たり,政権を担当し,あるいは政権の担当をめざす組織体をいう。政党の古典的定義として〈政党は,自分たちの共同の努力によって,そのすべてが同意しているなんらかの特定の原理のうえに立って,国民的利益を増進するために結合した人々の組織体である〉というE.バークの定義が知られているが,今日的視点からすると,この定義は政党の機能についての具体的な言及がないなどの点で,不十分性を免れない。
 とある。
 要するに「共通な社会観や政治観」があるということが一つ目の要件である。そして、「政策実現のための組織体」である。
 この「共通な社会観や政治観」は、「綱領」という形で国民に対して示し、その支持を受けるようにする。そのことによって「国民間の諸利益」を「将来像」ということで示す。そして、そのための具体策が「政策」である。
 しかし、最近の日本の政党は「綱領」を持たない者が少なくない。民主党は政権をとったにもかかわらず、その後下野した現在に至っても綱領を有していない。また、みんなの党も、日本維新の会もやはり綱領は成立していないのである。一方、旧立ち上がれ日本や旧国民の生活が第一、または共産党や社民党は綱領が存在している。昨今綱領がしっかりと存在すること、国民にその内容を示した方が支持が減ってしまうのではないかという危惧を、政党の担当者や執行部が持つような形になってしまっている。まさに、しかk理と国民にその綱領を示すと、ほかの政党の攻撃材料を与えるようなものになってしまうのではないかという感覚になってしまう。
 いわゆる「ベルリンの壁の崩壊」要するに東西冷戦の終了から、「イデオロギー対立はなくなった」問われて久しい。しかし、イデオロギーはなくなっても、「政党の共通の目標」や「国民の利益の将来像」がなくなってしまったわけではない。それにもかかわらず日本の政治ではなぜか「55年体制」がなくなったというだけで「イデオロギー対立がなくなった」ということになってしまうのである。
 そのために「政策」だけで、「綱領」を持たない政党が多くなってしまう。しかし、そのようなことを行うと、そもそも「共通な社会観や政治観」という政党の要件がなくなってしまうのである。これは完全におかしな集団、まさに一つの政治の内容になってしまう。
 以前ブログで紹介したが、小泉郵政選挙にしても、また民主党政権交代選挙にしても、いずれも「シングルイシュー選挙」であり、その「シングルイシューの賛否」がいつの間にか国民の国民的熱狂を生み、同時に、その熱狂が劇場型選挙になってしまうのである。まさに「パンとサーカス」状態になり、国民そのものが劣化してしまう。国民が劣化すれば、当然に政治も劣化する。それが民主主義である。
維新・石原氏、原子力協定に賛成方針 造反明言に大阪系「出ていけ」
   日本維新の会の石原慎太郎共同代表は2014年3月6日、自らが会長を務める党エネルギー調査会の初会合で講演し、トルコとアラブ首相国連邦(UAE)への原発輸出を可能にする原子力協定に賛成する考えを明らかにした。協定承認案は今国会で審議予定で、会合では、党として承認案に反対することを多数決で決定。これに対して、石原氏は「(多数決は)生徒会のやり方だ」として造反する意向を明言した。橋下徹共同代表(前大阪市長)と近いとされる浦野靖人衆院議員からは「(党を)出て行け」とヤジが飛び、ほかの議員からも「そうだ」などと同調する声が出た。
2014年3月7日(金)12時17分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-198605/1.htm
石原氏、原子力協定で造反明言
 日本維新の会の石原慎太郎共同代表は6日、国会内で開かれた党エネルギー調査会の初会合で、原発輸出を可能にするトルコなどとの原子力協定締結承認案件に関し「賛成する」と述べ、原発推進の立場から党の反対方針に造反する考えを明言した。脱原発派の出席者から「党を出て行け」と批判の声が上がり、会合は紛糾した。
 石原氏は会合後、記者団に「(党の分裂は)しない方が得だ。何のために割るのか」と強調した。一方で、党の脱原発方針が変わらない場合の対応に関し「自分の文明論に反するなら許せない。俺は出て行く」と、自身の離党に含みを残した。
2014年3月6日(木)19時42分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/kyodo-2014030601002155/1.htm
維新、石原氏に発言撤回要求 原子力協定めぐり
 日本維新の会は7日の国対役員会で、石原慎太郎共同代表が原発輸出を可能にするトルコなどとの原子力協定締結承認案件をめぐり党方針に造反して賛成すると表明したことに関し、発言撤回を求めることを確認した。今国会中に見込まれる採決の際、欠席した場合でも処分すべきだとの認識で一致した。
 小沢鋭仁国対委員長は記者会見で、昨年12月に党両院議員総会の多数決で決めた承認案件への反対方針について「ひっくり返すことはあり得ない」と強調した。
 幹事長の松井一郎大阪府知事は、府庁で記者団に「意思決定を否定すれば党として成り立たない」と石原氏への不快感を示した。
共同通信ニュース 20140307
http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014030701001740.html
 政策だけの一致で政党を作ってしまうと、その政党が内部から崩壊する。
 これが最近の政党の特徴である。民主党は、政権をとった後に「脱小沢」という標語になり、党内の対立が非常に強くなった。その後、マニフェストという政策衆に反する政策を次々と行い、そのうえで、党が分裂してしまい、そして結局小さな政党として弱小野党の最先端に言っている。
 民主党と同じように綱領の無いみんなの党でも、まったく同じ状態になり、江田憲司を含む数名が分裂して「結いの党」になっている。今ではどちらも注目されない弱小政党になってしまった。
 そして、維新の会はいまだに分裂はしていないものの旧太陽の党と旧大阪維新の会の「東西冷戦」は非常に激しく、そのために今回の新聞記事のような事件になってしまう。
 そもそも考え方が違うからといって共同とはいえ代表に対して「出ていけ」というのは、あまり冷静な対応とは思えないし、同時に、そもそも代表という存在が政党の意思決定と全く異なる意思を持っているということ自体、あまりにも異常としか言いようがない。もちろん、共同代表代表だから二つの意見が異なる場合もある。しかし、本来は「共通な社会観や政治観」の人々であるはずであるし、「政策実現のための組織体」であるはずだ。にもかかわらずそのようにならないのは、そもそも結党(維新の会の場合は二つの政党の合併であるが)の段階で「共通な社会観や政治観」を持った人々が集まらないということであり、同時に、それは完全にイデオロギーもそして将来の日本の姿や国益の形も同じではない。まさに政策の実現を一緒にできない人々である。
 そのような状態であるから、同一政党内において、批判合戦ができるのであり、民主党のように、そのような状態で、政権をとってしまえば、その政権機関中の国民は悲劇でしかない。維新の会の場合は、そのような与党になる前に、このことがわかってよかった。
 このようなことにならないように、もう一度イデオロギーや将来の国の姿ということで、同じ方向性の人が集まった「政党」を作るべきではないのか。
 今回の威信の会の事件、まさに、そのような「政党そのものの在り方」を根本から考えるべきであり、野党再編とか、わけのわからないことを言っても意味がないということではないかと考えられえるのである。

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東日本大震災3年たった現在の「復興」と民主党政権のレール

東日本大震災3年たった現在の「復興」と民主党政権のレール
 先日も書いたが民主党の議員でさえ、いや内閣に参画していたメンバーであっても、「あの地震の時に菅直人が首相であったということは日本の不幸である」という見解を出している。まさに日本の不幸が様々に重なった、これが東日本大震災の問題を大きくしている。
 何度も言っているように、地震そのものを防げるわけではない。そのために揺れと落下物や建物の倒壊による被害はある程度仕方がない。それでも耐震構造などを強めればある程度被害を減らすことができる。もちろん各家庭での棚などからの落下物は公的に防げるものではないが、そのようなことに対する啓蒙は必要である。
 一方、その後の災害に関しては、ある程度予想が可能だ。震源地が海ならば、津波の情報がある。東日本大震災で会っても津波警報は出ていた。その時間が今までの時間に比べて短かったということはあるが、それでも津波の発生は十分に予想されていた。1993年からアメリカやヨーロッパなどで衛星と沖合のブイを使った津波警報システムも実はある。私は科学万能とは思わないが、気象庁がこの時に、あるいは、そのようなシステムに対して政府がもう少し理解を示していたならば、津波の被害者はもっと減ったかもしれない。はっきり言えば、少なくとも実験レベルでそのシステムは存在した。そのシステムを稼働させなかった政府は、まさに「無作為による大量殺人」をしたといえる。
 もちろんそれだけではない。その後の避難所における物品御配送や仮設住宅の建設、そしてその後の復興計画とどれをとってもお粗末なものばかりである。その間、首相官邸は21も委員会を作り、毎日会議に追われていた。昔の刑事もののドラマではないが「被害は会議室で起きているんじゃない」というのが国民の声だ。やっと菅直人首相が被災地に行ったと思ったら腰に手を当ててみたり、立ったまま簡単に済ませて、視察して終わり。被災地から怒号が出るという始末である。
 それでは、菅首相及び当時の与党の人々は何をしていたのか。当時、家族と秘書を失った民主党の黄川田徹氏を扱った産経新聞の記事に、その辺の無念が書かれている。
【東日本大震災3年】政局に明け暮れた政権、今も憤り 家族と秘書失った黄川田代議士の3年
 東日本大震災で両親と妻、長男、秘書を失った民主党衆院議員、黄川田(きかわだ)徹(60)は9日、地元の岩手県陸前高田市で家族の墓参りをした。平成23年3月11日から3年、政権が交代し、中央政界の風景は様変わりしたが、政治と被災地の大きなギャップを国会議員として被災者として身をもって体験してきた。(千葉倫之)
 ■現地の情景
 「ほら、地震で倒れたままの墓石もあるでしょう。墓を直すにも至ってない人がいるわけだ。転居して墓を移した人もいるし、一家全滅のところもある。再建できる者、できない者…3年の中にいろんな人生があるんだ」
 黄川田は、陸前高田市内の小学校で催された市主催の追悼式に参列した後、先祖代々の菩提(ぼだい)寺を訪ねた。市の死者・不明者は約1800人。この寺の檀徒(だんと)だけでも303人。「あの日」を没年月日に刻んだ墓石があちこちにある。
 黄川田の3年は、苦悩の一言に尽きる。
 震災直後、市街地はがれきの山だった。黄川田も家族の行方を捜しながら、かつての同僚である市職員に交じり、医療や物資の確保へ駆け回っていた。悲しみに暮れる余裕はなかった。
 かつての市街地には雑草だらけの空き地が広がる。街の名残をとどめるのは道路だけで、信号のない交差点をダンプが行き交う。あちこちに重機やかさ上げのための土盛りが散在するが、本格復興というにはほど遠い。黄川田はいまも、2間の仮設住宅で暮らす。
 黄川田は、亡き家族の戒名を刻んだ墓に線香を供え、冥福を祈り、今後の決意をこう語った。
 「まだ街の将来は見えていないが、自治体の目線で復興とともに歩む。国会議員だけど元は市職員だ。国と自治体をつないでいくのが自分の仕事だから…」
 ■政局に翻弄され
 「震災復興に与党も野党もない。政局をやっている暇はなかったんだ」
 黄川田は、民主党政権が党内政局に明け暮れたことを今でも残念がる。しかも、自身が所属していた元代表、小沢一郎(生活の党代表)のグループが政局の震源だったことに今でも憤りがこみ上げてくる。
 黄川田は復興の最前線にいた。小沢らは違った。
 震災から間もなく、黄川田は東京・深沢の小沢邸に呼ばれた。
 「小沢先生が被災地のために走ってくれれば復興は進む」という期待を抱いていた。だが、集まったグループ議員が交わす会話は、菅直人内閣をどう倒すかという謀議ばかり。小沢も、いたわりの言葉どころか復興や原発事故について一言も口にしなかった。
 「おい、(目の前の)この机ひっくり返していいか?」。怒りがこみ上げ、隣の同僚議員にそう漏らしたことを覚えている。「徹ちゃん、こらえろ」と制止されなければ、本当にそうしていたかもしれない。
 小沢家と黄川田家は50年以上の付き合いがあり、そう簡単に小沢と縁を切ることはできなかった。
 震災から約1年後の24年3月、消費税増税法案が閣議決定された。増税に反対する小沢は、総務副大臣の辞任を迫り、黄川田の仮設住宅を訪ね、家族の位牌(いはい)を拝んだ。黄川田は複雑な思いのまま小沢に従った。同年7月、党を飛び出す小沢に従わず、残留した。
 被災地への財政支援の仕組みづくりや、地域防災を担う消防団を強化する議員立法など、取り組みの多くは実を結んだ。同年末の衆院選では小沢に刺客を立てられながらも破り、5選を果たした。
 ■失われた一体感
 民主党は野党に戻った。それでも黄川田は「政権が交代しても、復興に向けてすべきことも私の思いも変わらない」と意気込んだ。
 今年2月24日、衆院予算委員会で質問に立ち、首相、安倍晋三らに復興の取り組みをただした。
 「被災者は、それぞれの人生設計について決断していかなければならない段階だ。福島では復興はスタートラインに着いたところで、現実的な対応を決断、実行していかなければならない。私も5年の仮設住宅生活の先を見据えてがんばっていきたい」
 「被災者のそれぞれの判断に応じて丁寧に支援していく」との安倍の答弁に、黄川田は「熱意はわかった」と応じた上で、与党にこう注文をつけた。「国民や被災者に説明する機会も持たなければならない」
 被災地は、「集中復興期間」5年の半ばを過ぎても、仮設から災害公営住宅への入居は進まず、被災者間での「格差問題」は顕在化。行政による土地買収も、地権者の特定や利害調整のため難航している。
 与党時代は「復興に党派はない」との思いがあり、自民党議員と復興に汗をかく一体感があった。立場が変わり、それが薄れつつあるという。先の衆院選で誕生した大勢の新人議員は、震災当時を知る議員とはどうしても感覚の差がある。黄川田らは土地収用を加速するための議員立法を提出したが、野党の立場ではなかなか成立も見込めない。
 安倍政権に対しては、民主党政権の自戒も込めて「大臣は泥をかぶる覚悟で先頭に立ち、他の人ができない案件にレールを敷くのが仕事だろう」と苦言を呈する。
 震災直後、「国民に安心感を与えるのが政治だ」と語っていたが…。
 「方向性と着地点は見えてきた。ただ、被災者からすれば、あと2年も仮設暮らしとなればもう限界だ。あと2年、どう支えていくか…」(敬称略)
msn産経ニュース 20140310
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140310/stt14031000150000-n1.htm
 この記事の中で「黄川田は、民主党政権が党内政局に明け暮れたことを今でも残念がる。」(本文中より抜粋)というところが最も重要である。それもこの政局は与党と野党の問題ではなく、「だが、集まったグループ議員が交わす会話は、菅直人内閣をどう倒すかという謀議ばかり」(本文中より抜粋)ということである。まさに、菅直人内閣の不作為の状態と、それに協力できない民主党の与党内部、そして与党における分裂。
 今回の東日本大震災の被害の拡大は、この文章からも「民主党による内紛と不作為による人災であった」ということが言える。しかし、その状態で約2年、野田首相が解散をして下野するまでの期間、その状態が続く。二年間のブランクから復興をするということはどのようなことであろうか。復興が進まないけれども人はいる。当然に、その復興に対して、有用な人や能力ある人は、ほかの場所に仕事を探すために移住してしまう。被災地に残るのは、少数になってしまうのである。その人々が何ができるのか。生活を復興するのが最も重要なのに、民主党政府が敷いたレールは、町を破壊し、そして海の民を山之上に上げる計画ばかり。その町の特性やその町の人々の職業などが全く分かっていない状態、まさに現場を知らないレールがそのまま息づいているのである。
 2004年12月に大津波が起きたインドネシア北スマトラ島のバンダアチェ市は、今は、津波被害のあった街そのものがそのままその町に復興している。今はみとぉ広く取り山の方につながる道を増やしただけで、あとはそのまま、である。もちろん建築技術が追い付かない部分もあり堤防なども低いままだが、それでも、そのままその場所に住み、そして大きなモスクと津波の記念館を建てている。
 インドネシアでできたことがなぜ日本ではできないのか。一つには、人手不足や日本の景気の悪化があげられる。しかし、最も大きなものは政治の迷走であり、復興、そして国益が第一でない政治家が多いということではないのか。当然に、原発の反対運動なども「震災とその被害の政治利用」でしかない。そのような国民が多く、本当に被災地のことを考えている人が少ない、そのことが復興を遅らせているのではないか。
 そのうえ、補助金の詐欺など、国の金を湯水のように使い、そしてそれでも受けている人が多い。もらうことに慣れてしまった町の人が、自分で働いて生活をする、そのような生活の復興を遠くしてしまった民主党政権の敷いたレールを、いつかけかえるのか。そして本当の復興はいつ始まるのか。

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マスコミ批判に関する一考(182) マスコミが作った「風評被害」をマスコミが問題視する「マッチポンプ」を嗤う

マスコミ批判に関する一考(182) マスコミが作った「風評被害」をマスコミが問題視する「マッチポンプ」を嗤う
 東日本大震災とそれに伴う津波の被害から間もなく3年が経過する。
 被災三権といわれる中でも福島県に関しては、福島第一原発の事故があるために特別に復興が遅い。当時の内閣(政務三役)のメンバーでさえ「あの震災の時期にまったく無能な菅直人という人物が内閣総理大臣にいたことは、日本にとって不幸である」といっている。「台湾の李登輝総統は、台北で大地震が起きたときに金庫を開けて各自治体に金を配った。金を配ったというよりは、金を持って現場を回った。金や金額の問題ではなく、現場に行って必要なことを権限を持ってやるべきである。しかし、菅直人は官邸から出ることなく、会議を21も作って結局何もしなかった。現場に出ていないから、補助金や支援の制度が穴だらけになる。そのために補助金などの詐欺が横行しいまだに必要なところにカネが回らず、復興ができていない。これは民主党政権の悪である。」
 これが民主党の政権内にいた人の言葉だけに説得力がある。
 私の個人的な意見であるが、いつも地震や災害の時に言っているのが、「地震そのものの時に亡くなる方は、申し訳ないが運命だと思う」といっている。実際に、私の阪神大震災の経験で、隣に寝ていた人が倒壊した壁などにつぶされて亡くなったなど、悲惨な話はたくさんある。しかし、ほんの数センチの違いで生死が分かれるということになると、やはり、宗教などを関係なく運命を考えてしまう。しかし、その後、避難所に入った後または倒壊した建物の中で生きている人の救出などに関しては、半分は震災の問題であるが、一方で半分は、人の力の問題である。それがうまくいかないでたくさんの方がなくなったとなれば、例えば救助が間に合わなかったとか、避難所で命を落としたということになれば、それは半分は「人災」である。それが、被害の全体がわかり、そして交通網もうまくいきながら、結局長々と体育館暮らしを余儀なくされ、ストレスがたまる、そして病気になる、要するに震災発生から数か月してからの生活やその後の病気、あるいは環境への撃て記号はほとんどが「人災」である。
 現在、北スマトラ沖大津波の被災地アチェに行けば、津波で流された後に人が町を作って暮らしている。今回は津波の時に逃げやすいように道を広くし、そして、山までの道を作りながら、今までどおりに、海のそばで暮らしているのである。もちろん、徐々に毎日の生活のために道に何かを置いてしまったりしているが、それでもいざという時のことを考えた「街づくり」が、以前のアチェに比べた場合、はるかに良い街になっているといえる。
 同じことがなぜ日本ではできないのか。「災害」という名に隠れた「人災」が山ほどあるのではないかと考えてしまう。
 その「災害」の名に隠れた「人災」の中に、「福島の風評被害」がある。
東日本大震災3年:風評と闘う「福島産」野菜 - 毎日新聞
 東京電力福島第1原発事故後、国の基準値を超える放射性物質の検出が相次ぎ、東北や関東の一部の農産物に対する消費者離れが進んだ。中でも、福島産を取り巻く環境は厳しく、産地にとっては今も試練の日々が続く。事故から3年。数値の上では安全を確保しながら、「風評」という見えない敵と闘う現場では、店頭から業務用への販売の転換も始まっている。【町田結子】
 ◇野菜 市場で地位低下
 農産物は原発事故以降、出荷前に福島県による放射性物質のモニタリング検査が続けられている。事故直後は野菜などから当時の国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムの検出が相次いだ。だがその後、畑の表土を削り取ったり、表層と下層の土を反転させたりして農地の除染を行い、基準値を超える比率は下がった。
 野菜と果物では、2012年春からの新基準値(同100ベクレル)超えは12年度が全7271件中7件、13年度(2月末現在)は全5734件中ゼロだ。しかも12年度以降はほとんどが検出限界値(同約5ベクレル)未満だった。各農協などでも自主検査を実施するなど、産地では徹底した安全管理も行っている。
 シイタケやナメコなど原木や菌床を用いた栽培キノコ類では、原木や菌床を管理した結果、12年度以降は検査対象が全て基準値以下。現在、基準値超えが出ているのは、山菜や野生のキノコといった除染できない山林で育ったものに限られている。
 しかしこれにより、福島産の野菜などの価格が震災前に戻ったかと言えば、そうはなっていない。
 JA全農福島が扱った野菜のキロ単価は11年度の312円から、12年度は豊作で流通量が増えたこともあって244円へ大幅に低下。13年度(2月末現在)は324円と今度は大幅に上昇し、震災前の10年度の340円にも近づいている。だが13年度の価格の回復について、全農福島の担当者は「夏場の高温など栽培に不利な気象が重なり、全国的に野菜の生産量が少なかったことが大きく影響している」と説明。福島の販売数量も前年度の95%と減っており、14年度が豊作になれば福島産は途端に価格が下がる恐れがあるという。
 東京都内の市場関係者も「小売業者でも業務用を扱う業者でも、福島産を扱わないところはいまだにある。検査による安全確認の情報が末端まで行き届いておらず、受け入れは簡単にいかないだろう」と話す。
 福島産が劣勢なのは全国平均と比較すると顕著だ。東京都中央卸売市場で震災前も今も4割のシェアを占める主力のキュウリ。震災前は市場で最高値がつくプライスリーダーだったが、12年度には全国平均も下回った。13年度で持ち直した形となっているが、市場関係者の見方では、東北産が出荷ピークを迎える夏場の悪天候でライバルの岩手や秋田の出荷量が福島以上に減少し、比較的安定供給できた福島産の需要が増したことなどが原因という。
 「風評被害は完全には抜けていないですよ」。春からの出荷に向け、育苗ハウスで種をまいていた伊達市のキュウリ農家、橘一郎さん(65)は厳しい口調で言った。JA伊達みらいでは毎年、特産のキュウリが旬となる6?9月、首都圏のスーパーに女性生産者を派遣して消費者にPRしているが、「福島産はまだ買えない」という声が少なくないという。橘さんは「生活するために頑張るしかない」と声を絞り出した。
 主力のキュウリ以外の品種はさらに厳しい。震災前は全国平均をやや下回る程度だったシュンギクは、震災後一気に低迷し、13年度も平均の約1割安。かつては全国を上回っていたシイタケは、平均の1?2割安にとどまっている。
 ◇コメ 業務用にシフト
 主食として消費者の関心が高い米。福島では全量全袋検査という徹底した流通管理が定着しているが、消費者の拒否反応は依然根強い。店頭での売り場を失った福島産は、一般家庭以外の飲食店やコンビニなどに販売先をシフトし、産地の見えない業務用として生き残りをかける。だが、ブランドを守り育ててきた生産者の思いは複雑だ。
 福島では原発事故があった2011年、暫定規制値超えが出たが、その後、作物のセシウム吸収を抑えるカリウムを土壌に入れるなどの対策を徹底した。12年から実施している放射性セシウムの全袋検査で、12年産は約1034万袋の99・8%、13年産(3月1日現在)は約1092万袋の99・9%が検出限界値(1キロ当たり25ベクレル)未満だった。基準値(同100ベクレル)超えも12年産で71袋、13年産では28袋と減少。基準値を超えたものは検査段階ではじかれ、市場には流通していない。
 それでも、販売では苦戦を強いられている。
 震災後の業者間の取引価格では、食味が良く業界でも評価が高かった「会津コシヒカリ」さえ、かつては同レベルだった北陸産に60キロ1000?1500円の差(約1割安)をつけられている。JA全農福島によると、原発事故後、福島産の扱いをやめた小売店が県内外で相次ぎ、単価が安く産地表示がない業務用米に充てる比率が増大。猪股孝二・米穀部長は「震災前は店頭と業務筋が半々くらいだったのが、震災後は業務筋が8割近くに増えた」と変化を説明する。
 ライフスタイルの変化で、外食やコンビニ弁当などの中食に使う業務用米の需要は高まっている。猪股部長は「業務用だからマイナスというわけではない。外食・中食の需要は今や家庭消費量に迫る成長産業で、業務用へのシフトは全国的な流れでもある」と強調する。販売価格の下落は現在のところ、原発事故賠償の対象にもなっている。
 それでも、産地への誇りを胸に米作りに汗を流してきた農家は悔しさを隠さない。米どころ・JA会津みどりの長谷川正市組合長(64)は「長い時間をかけて築いたブランド米を、我々は自信を持って出してきた。スーパーの棚に並べることもできないのは、本当に悔しい」と話す。
「私のこだわりさくひんです」と袋にうたった米を大事そうに抱える米農家の男性。産地への思い入れは強い=福島県会津坂下町で2014年2月26日午後0時44分、町田結子撮影
 福島産が劣勢なのは全国平均と比較すると顕著だ。東京都中央卸売市場で震災前も今も4割のシェアを占める主力のキュウリ。震災前は市場で最高値がつくプライスリーダーだったが、12年度には全国平均も下回った。13年度で持ち直した形となっているが、市場関係者の見方では、東北産が出荷ピークを迎える夏場の悪天候でライバルの岩手や秋田の出荷量が福島以上に減少し、比較的安定供給できた福島産の需要が増したことなどが原因という。
 「風評被害は完全には抜けていないですよ」。春からの出荷に向け、育苗ハウスで種をまいていた伊達市のキュウリ農家、橘一郎さん(65)は厳しい口調で言った。JA伊達みらいでは毎年、特産のキュウリが旬となる6?9月、首都圏のスーパーに女性生産者を派遣して消費者にPRしているが、「福島産はまだ買えない」という声が少なくないという。橘さんは「生活するために頑張るしかない」と声を絞り出した。
 主力のキュウリ以外の品種はさらに厳しい。震災前は全国平均をやや下回る程度だったシュンギクは、震災後一気に低迷し、13年度も平均の約1割安。かつては全国を上回っていたシイタケは、平均の1?2割安にとどまっている。
 ◇コメ 業務用にシフト 主食として消費者の関心が高い米。福島では全量全袋検査という徹底した流通管理が定着しているが、消費者の拒否反応は依然根強い。店頭での売り場を失った福島産は、一般家庭以外の飲食店やコンビニなどに販売先をシフトし、産地の見えない業務用として生き残りをかける。だが、ブランドを守り育ててきた生産者の思いは複雑だ。
 福島では原発事故があった2011年、暫定規制値超えが出たが、その後、作物のセシウム吸収を抑えるカリウムを土壌に入れるなどの対策を徹底した。12年から実施している放射性セシウムの全袋検査で、12年産は約1034万袋の99・8%、13年産(3月1日現在)は約1092万袋の99・9%が検出限界値(1キロ当たり25ベクレル)未満だった。基準値(同100ベクレル)超えも12年産で71袋、13年産では28袋と減少。基準値を超えたものは検査段階ではじかれ、市場には流通していない。
 それでも、販売では苦戦を強いられている。
「私のこだわりさくひんです」と袋にうたった米を大事そうに抱える米農家の男性。産地への思い入れは強い=福島県会津坂下町で2014年2月26日午後0時44分、町田結子撮影
 震災後の業者間の取引価格では、食味が良く業界でも評価が高かった「会津コシヒカリ」さえ、かつては同レベルだった北陸産に60キロ1000?1500円の差(約1割安)をつけられている。JA全農福島によると、原発事故後、福島産の扱いをやめた小売店が県内外で相次ぎ、単価が安く産地表示がない業務用米に充てる比率が増大。猪股孝二・米穀部長は「震災前は店頭と業務筋が半々くらいだったのが、震災後は業務筋が8割近くに増えた」と変化を説明する。
 ライフスタイルの変化で、外食やコンビニ弁当などの中食に使う業務用米の需要は高まっている。猪股部長は「業務用だからマイナスというわけではない。外食・中食の需要は今や家庭消費量に迫る成長産業で、業務用へのシフトは全国的な流れでもある」と強調する。販売価格の下落は現在のところ、原発事故賠償の対象にもなっている。
 それでも、産地への誇りを胸に米作りに汗を流してきた農家は悔しさを隠さない。米どころ・JA会津みどりの長谷川正市組合長(64)は「長い時間をかけて築いたブランド米を、我々は自信を持って出してきた。スーパーの棚に並べることもできないのは、本当に悔しい」と話す。
2014年03月08日 12時27分 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20140308k0000e040225000c.html
 記事が長かったかもしれない。
 さて、この記事を読んで思うことはなんだろうか。
 ここの記事では「原発の是非」ということは語らない。それはほかで語ることにする。現実問題として、脱原発であろうとも、または原発推進であろうとも、実際に福島の原発が事故を起こしたという事実に変わりはない。その事故を受けて廃止するのか、あるいは、研究を進めてより安全性の高いものを作るのか(それでも完全に神話のような100%安全性は維持できないのであるが)ということに関して、議論が分かれているが、今回はそこに踏み込まないものとする。
 その実際の原発の事故にかンして、「復興させる」ということが全く考えらえずに、支持的なイデオロギーで原発反対などを様々なメディアが言っている。その原発の反対を訴えるために様々な原子力や放射能の被害を誇張して伝える。そのことによって「事故が起きた」という事実の存在する福島の農産物や漁業は衰退してゆくのである。
 まさにマスコミが「原発反対」を配慮なく報道することが、その映像などを見た多くの人に対する福島の偏見を生み、そして福島県産の農産物に対する差別を生むのである。反対してはいけないということを言うつもりはない。そうではなく、その反対の方法として、福島の農業や漁業に関することを考えろと言っているのだ。まさに、現在の福島原発に関する風評被害は「マスコミが加害者の人災」か「反原発デモが加害者の人災」である。アレルギー的に「危険」「死ぬ」などと声高に叫ぶことによって、福島の人々の農業を壊滅させ、そして生活を脅かしているということにいつになったら気づくのか。先週の土曜日に【「反対というお仕事」の人々の稚拙な論理「自分たちの人権のために、他人の人権を踏みにじって無視してもかまわない」ということ】http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2014/03/post-3486.htmlを書いたが、まさにそれがマスコミまで蔓延し、事実として、福島の人々の「人権」を蹂躙しているのである。そしてそのことを棚に上げて毎日新聞などは「風評被害」として上記の記事を書いているのである。
 はっきり言って、どうかしている。マスコミは自分の言動で風評被害が出た場合に、それを補償すべきではないのか。その辺の制度をまず作らないと、日本は「言論の身勝手」で多くの人の人権が守られない国になってしまうのではないかと危惧している。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第66回 黒海の規定における三権分立と民主主義

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第66回 黒海の規定における三権分立と民主主義
 前回は衆議院の優越性ということについて書いた。
  二院制である以上、その二つの決議が違った場合にどちらを優先するのかということが最大の焦点になる。
  日本の場合は「民主主義」を国是としていることから、その民意がより多く反映される方を「優越」としている。
  しかし、それは「条約」「予算」という期限があり、国民生活や外交上決まらなければ問題が発生する規定に限られるとしている。
  この日本国憲法は、それらの意味で「民主主義」という原則に非常にこだわったつくりになっているのではないかと思う。
  その意味においては一本筋が通っている。
  もちろん、その民主主義が、しっかりとした思想に基づいた国民の意思が反映されるならばということである。
  しかし、残念ながら、国民は必ずしも理性的で理論的な存在ではない場合が存在する。
  そのために、日本国の政治の意思が乱れる場合があるのだ。
  戦前であっても「議会制」であったことは間違いがない。
  輪kのわからない日教組の人々は、「戦前は天皇制だから軍国主義になった」という説明をするが、それは歴史の内容を知らない人々である。
  実際の歴史を知る人は、そうではないことは誰でもわかる。
  まあ、用地にそのようなことを信じている人はそれで好いとして、実際に天皇の自由意思によって物事が採択されていたかということは、様々な記録に掘って明らかな部分が少なくない。
  その明らかな部分をたどれば、天皇の自由意思ではなく、軍部の独裁とそれに対抗しえなかった議会という構造が明らかになる。
  特に5・15事件と閣議の一致によるもので海軍や陸軍大臣の辞任によって政策が途絶えた内容などを考えれば、当然に、それらの内容に関して歴史の事実として受け止めることができる。
  議会制民主主義が実際に万能でないことは、そのような日本の歴史ではなくても、世界史の中例は存在する。
  まさに、ナチスドイツの独裁に至る規定は、世界一民主的であるといわれたワイマール憲法下における国民の意思として行われた独裁である。
  当然にドイツワイマール体制ン関しては皇帝や王などはいない。
  その中において、ドイツは独裁の道を選んだ。
  まさに、民衆の石とその民主の先導がそのような選択肢を選んだんである。
  同様のことは、民主主義を行っている以上どの国にも、そしてどの時代にも存在する当然の危惧である。
  それを避けるために、憲法は、あらかじめ行政における権力の分立を企画し、そしてその分立した権力を相互にチェックする体制を整えているのである。
  過去、民主党の副首相を行っていた菅直人氏は「日本国憲法に三権分立は存在しない」という「迷言」を残したが、実際はそのようなことはない。
  憲法の中に「三権分立」という単語そのものの記載はないが、しかし、その精神が書かれていればよいのである。
  そのような誤った解釈をする人が首相になってしまうので、非常に憲法の危機があったといわざるを得ないのであるが、そこはほかのところで言及することにして、日本国憲法の三権分立、憲法の相互監視の条文を見てみよう。
第六二条【議院の国政調査権】
両議院は、各〃国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。
第六三条【閣僚の議院出席の権利と義務】
内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。
第六四条【弾劾裁判所】
1 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。
 まず国会議員の国政調査権である。
  国政調査権とは、国会議員が国政に関する調査を行い、その証言などを求める権利のことを言う。
  これを、NHKの会長などに行っているが、実際に国家の予算で行っていえる以上は調査権の範囲内であることは間違いがない。
  これは「立法」に属する国会議員が「行政」に関する艦長または完了またはその外郭団体などに関して調査を行うものである。
  場合によっては、大臣などもその調査の範囲になり証人としての出頭要請の範疇になる。
  一方、国会議員が悪いことをした場合は、国政調査権ではなく、前回に行った「懲罰委員会」になるのであり、そこは同じ商人としての出廷であっても、区別して扱われる。
  行政調査権に基づく商人の出廷は、特に「懲罰」の意味合いではない。
  その辺の区別をしなければならない。
  先日のNHK籾井会長の出頭は、その個人的な発言に基づくものであり、NHKの放送内容に関する門ではないうえ、その個人的な発言内容が放送内容に影響するという蓋然性が高いともいえない。
  その状態においての証人としての出頭要請は、ある意味「権利の濫用」であるという議論があってもおかしくない。
  それでもその議論が起きないのは、本来の「行政調査権」が「懲罰的な意味合い」というように誤解されていることであり、その内容は憲法の危機であるといっても過言ではない。
  行政府である内閣と、立法府である国会の関係はこれだけではない。
  今の「国政調査権」は、立法府から行政府に対するアクセスである。
  一方行政府から立法府へのアクセスは、「閣僚の議院出席の権利と義務」ということにある。
  予算委員化などの国会中継を見ていると、大臣が質問に対して答えているが、その応えている行為そのものが憲法の「権利と義務」として記載されているのである。
  「何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。」
  この条文は、まさに権利でもあり義務でもあるということであり、それは議席に有無にかかわらないということが書かれている。
  まさに、行政府としての仕事として立法府への説明というものが存在するということを書いているのである。
  そして、司法との関係が「弾劾裁判所」というものがある。
  これは裁判において、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判する、ということが問題である。
  まさに、司法に対して立法府である国会、というよりは民主主義において最も民主的に選ばれた人々が、その審査を行うという者である。
  弾劾裁判所に関しては、当然に、行政ではなく国会に設置されるということが民主主義を基盤としている日本国憲法らしい規定であるといえるのである。
  このように、日本国憲法は「民主主義」ということを基盤として、様々な内容を書いている。
  その内容こそ、まさに、日本国憲法なのだが、その民主主義そのものが正しいのかどうかとという検証は行われていないのである。

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「反対というお仕事」の人々の稚拙な論理「自分たちの人権のために、他人の人権を踏みにじって無視してもかまわない」ということ

「反対というお仕事」の人々の稚拙な論理「自分たちの人権のために、他人の人権を踏みにじって無視してもかまわない」ということ
 日本には「反対というお仕事」の人々がいる。ネットの中では「プロ市民」などという名用がつけられているのであるが、実際にこのような商売が成立している。
 なぜ「反対というお仕事」が成立するのか。それは日本という国家の政府が非常に「甘い」政府であり、反対に対しても「金銭の支払い」などで対処してしまうからである。しかし、彼らは単純に「反対」を騒ぐだけで話し合いなどができるものではないし、同時に、その論理は感情的であって、まったく話にならないのである。論理性のないものに金を払って黙らせるというのは、日本の常にあまり良くないやり方の一つとして挙げられる手法だ。昔から「金持ちケンカせず」というが日本政府は金持ちであるのか、あるいはその官僚たちが「自分の懐が痛むわけではない」ということから、金で解決してしまう。過去何年間も彼らは「日本の国益」にかんして話し合いをすることをせず、また、その方針も出さなかった。そのことで、結局のところ「反対」というお仕事が成立したのである。
 もっと単純に言えば、「人権」ということばかりを主張し、「義務」が存在しない日本の彼らの感覚の中において「権利」の主張に対して「権利」を金に換えるということになる。日本において法律上「権利」という単語はすべて「金」に代わる。所有権は売却の値段だし借地権も借家権も、占有権ですら金に代わる時代である。彼らは「人権」を金に換え、その金を騒ぐことで釣り上げている人々という感じしかなく、その金を、「権利」の主張というよりは「義務の不履行」の常態化のために使っている。 
 しかし、彼らの内容があまりにもおかしな主張であり自己矛盾をきたしていることは明白である。まず、何よりも、「基本的人権」というのは「日本国憲法」に書かれていることでしかなく、日本国憲法がなければ誰も保証するものではない。要するに「日本」という国家がなければ、「日本国憲法に書かれた基本的人権」は存在しないのである。彼らの主張のように、義務を履行しなければ、当然に日本国が弱体化し、そして基本的人権の保護もなくなる。まさに、自分たちの主張している人権の守護者を自分たちたちが攻撃しているのである。まったく何をしているかわからない。
 そしてもう一つはインターネット上にあった話であるが、オスプレイの騒音よりも、彼らのコールの騒音のほうが音が大きいということである。まさに、彼らの話は、中国共産党の行った「愛国無罪」であり、自分たちが何をしても「人権のため」ならば他人の迷惑などは考えないということだ。もっと言えば「自分たちの人権のために、他人の人権を踏みにじって無視してもかまわない」ということである。これはまさに今までの社会主義国家があったように「平等」と言いながらも自分たちで差別化し、自分たちだけが人権を特権階級化し、それ以外の人を従わせるという状況になっているのである。
 もちろん、何かの反対をしている人々の中には、理論性がありなおかつインターネットなどで言論のみで行っている人もいる、「そうではなくデモなどを積極的に行っている」人々は、まさにそのような状態になってしまっている。
 まさに「人権」という名の「暴力」に日本は悩まされているのである。
規格外イチゴは「放射能の影響」 騒ぎ立てる脱原発派に生産者反発
   形や色が悪いため売り物にできない、いわゆる「規格外」の農産物。商品にならなくても味には問題ないので、自宅で消費したり、家族や知人に譲ったりする。
   そんな「規格外」のイチゴの写真が、「汚染されたもの」として「脱原発派」に取り上げられたため、ネット上で思わぬ騒動になってしまっている。
昔からある形という指摘には「そこが汚染されている証明」
   2014年3月2日、2ちゃんねるに「商品として出せないイチゴを農家の人からおすそわけされた」という主旨のスレッドが立った。紙箱にたくさん入ったイチゴの写真も掲載されたが、複数のイチゴがくっついて大きくなったようなものや、扇のような形に広がって筋が入っているようなものが並んでいる。
   この写真を、脱原発を訴えるあるツイッターユーザーが「奇形」「脱原発」というワードとともに、同じく脱原発を訴えている、フォロワーが多いユーザーにリプライで送りつけた。
   リプライを寄せられたある脱原発派の医師が、このリプライをリツイートした上で「すごいなこのイチゴ。露地栽培なのだろうか」と反応すると、脱原発派から「何か形悪くて気持ち悪い。私も似たようなの見たことあります。汚染ではないでしょうね?」「これは、異常だ!食べちゃダメ!」など、放射能の影響ではないかと考えているようなコメントが寄せられた。
   一方、「昔からこういう形のイチゴはよくありましたよ」「食べると美味しいですよ」などのリプライも寄せられたのだが、医師は「昔から奇形がたくさんあると、自慢しておられる方がいるが・・・ そこが、もともと汚染されている証明にすぎんのだよね。それは」などと独自の見方を示した。
   医師の態度を批判するコメントが寄せられるようになると、「このイチゴの奇形は、よほど困るらしい。(批判が)雲霞のように押し寄せてきている。実際にものがあるのに、『風評』と呼ぶ。おかしいね」とツイート。これを、経営コンサルタントで約17万人のフォロワーを抱える宋文洲氏が「風評とは聞きたくない事実。捏造とは見たくない現実」というコメントを付けて引用したことで、ますますイチゴ写真が広まった。
窒素の効き過ぎやホウ素の欠乏などで扇のような形に
   写真で紹介された扇のようなでこぼこのイチゴは、「鶏冠果(けいかんか)」と呼ばれる。にわとりのとさかに似ていることからこの名前が付いた。
   高知県が運営する農業情報サイト「こうち農業ネット」には、「花芽が分化する時期の窒素の効き過ぎやホウ素の欠乏などによって起こる」と書かれている。
   すぎやまいちご園(神奈川・平塚市)の公式サイトでは「花芽の時に、次の弟や妹の花芽とくっついて、大きくなったものです。株が大きく、栄養が良いとできやすいものです」と説明されている。11年1月、舞岡いちご園(横浜市)の公式ブログでも、「握りこぶしみたいにでこぼこのいちご」「手袋の様ないちご」と写真付きで紹介されていた。どちらのページにも「食べるととても美味しい」とも書かれている。
   今回の写真が騒ぎについて、イチゴ農家の関係者だというツイッターユーザーからは、
「私がちびっ子だった2-30年前でもおじいちゃんの畑(イチゴ農家)でよく取れてたなあ。あれ美味しいのよ~。生産してない人には珍しい?」
「店に並んでる形のいいイチゴの倍以上規格外がでるのが当たり前であります。形悪い方がおいしかったりするんだけどもね。(イチゴ農家の孫より)」
「こんなイチゴ、父方の伯母(イチゴ農家)の家ではよく見たけどねぇ」
といった声が上がっている。
じぇいきゃすとにゅーす 2014年3月5日(水)19時5分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-198447/1.htm
 さて、今回出てくるのが「いちご」である。
 そもそも福島県原子力発電所事故に関して、原発反対派なるものが騒がしいことは、よくわかっている。しかし、その論理は、実際にねじ曲がっていることが少なくない。残念ながら非常に理性的なそして論理的な反対運動というものを見たことがない。ほとんどが感情によって支配されているからである。
 原子力に関しては、そもそも原子力に関してわからないということになっている。そのうえで日本は世界で唯一の被爆国である。しかし、その原子力爆弾によって、与えられた「一度に大量の放射能を浴びた場合」というのと、「微量の放射線を浴び続けた場合」が同じであるのかどうかも全く分かっていない。実際に放射能がそこまで嫌いならば医者に行ってレントゲンもCTスキャンもできないことになる。実際に、それはかえって人命を失うことになりかねない。逆に、広島や長崎において、被爆者が長生きなのはどういうことなのであろうか。そもそも放射能が怖いのは「奇形が生まれる」と「早く死ぬ」ということである。しかし、68年前の原爆被爆者が源治あも「原爆被爆体験を語り継いで」というのは、当時記憶がある年齢から68年しても語り継ぐことができるくらい「元気」なのである。私など、被爆もしていないが、68歳まで生きている自信がないが、残念ながら彼らは被ばくしていない私よりも健康なのであり、そのうえ被爆者の補償金をもらっているということになる。
 別に被爆者に対して問題はないが、一方で、原子力全般の問題は「人類が現代の科学でわからないことをどのようにアクセスするか」ということが最大の問題であり、その最大の問題において「わからないことは蓋」という、それでも各国が行っているにもかかわらず、まさに「一位じゃなきゃダメですか」のように、日本の技術力が他国の劣ってもよく、原子力アレルギーというわからないことに対する恐怖心を関z年位隠してしまい、研究意欲もなくす方法を彼らが主張しているのである。
 そのような彼らの非科学的、そしてヒステリー的な彼らの主張のために、福島県産のイチゴは「被ばく」してる「放射能汚染イチゴ」とされてしまい、そのために、福島県産の農産物の風評被害が出て、また福島県の農村部の人々の生活を苦しめる。要するに「被ばくしない権利」などという「人権」を生み出して、「福島で農業を営みながら生活する人権」を踏みにじり無視しているという、まさに「反対というお仕事の人々」の「自分たちの人権のために、他人の人権を踏みにじって無視してもかまわない」ということを行っているのである。
 こういうことを許していてはいけない。
 実際に、これらに関しては、しっかりと法的に対処しなければならないし、その損害を賠償させる必要があるのではないか。株の取引などで「風説の流布」というものがるが、特別の放射能などに関してもその優奈「風説の流布」による処罰を考えるべきではないのか。

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北朝鮮の政変と金正恩第一書記の独裁と今後の朝鮮半島情勢

北朝鮮の政変と金正恩第一書記の独裁と今後の朝鮮半島情勢
 張成沢が刑死したのは昨年の12月である。その時には、軍政家であり、朝鮮人民解放軍総政治局長である崔竜海が、今後の金正恩の片腕になるのではないかという見通しを披露した。残念ながら、その見通しは、完全に外れたようである。言い訳になるが、多少外れなければ北朝鮮との間に様々なパイプを持っているどころか、北朝鮮と直接の関係をあるのではないかということもある。しかし、様々な情報から情報を紹介しているのであるから、その情報の読み方を間違えれば、当然に外れることになる。
 今回、外れたという話は、当然に崔竜海が監禁されているということが報道されたことになる。そうでなくても、昨年12月の初めから約3か月経過したといえるのであるが、残念ながら、その間、確かに崔竜海が表舞台に立ったことはない。基本的には金正恩ばかりが目立っており、ほかの人物の名前が出てこない状態になってしまっているのだ。
 この状態の中で、北朝鮮は、ミサイルの発射訓練を行い、民間飛行機の航路を妨害しているばかりか、拉致問題や人権問題など国連からの警告が出ていても全く何もしない状態になっているのである。
 まさに、北朝鮮においては、少なくとも外的に見れば、金正日時代以上に完全な独裁体制になっており、その独裁体制が、すべてこれらのことを引き起こし、そして現在の外交の中心になっているのである。当然にデニス・ロッドマンの招聘も、そしてアントニオ猪木参議院議員の招聘、そして面会もすべて金正恩の独裁下で行われているということになるのではないだろうか。
 この北朝鮮の現在の体制をもう少し考えてみたい。
北朝鮮ナンバー2監禁か=韓国メディアが一斉報道も、政府は「事実関係は未確認」とコメント―中国紙
 2014年3月2日、環球時報によると、韓国の複数のメディアは、自由北朝鮮放送の報道として、北朝鮮で張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長が処刑された後にナンバー2に浮上したとみられていた崔竜海(チェ・リョンヘ)朝鮮人民軍総政治局長が監禁され、取り調べを受けていると一斉に伝えた。
 自由北朝鮮放送は2月28日、消息筋の話として、崔竜海氏が、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記による指導体制への対立、もしくは反党行為により監禁され、取り調べを受けているとの情報を入手したと伝えた。この問題に対し、韓国統一部は「今のところ確認された事実関係はない」とコメントしている。
 世界北朝鮮研究センターのアン・チャンイル所長も、朝鮮中央テレビが26日に放送したドキュメンタリー番組に崔氏が映っていたことを指摘し、「情報の信頼性は高くない」との認識を示した。(翻訳・編集/NY)
れこーどちゃいな 2014年3月3日(月)14時27分配信 Record China
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20140303026/1.htm
国連の限界をさらした北朝鮮「人権」報告書
 北朝鮮の人権侵害の実態がついに世界から「クロ」と認定された。国連人権理事会の調査委員会は先週、過酷な現状を取りまとめた報告書を発表し、372ページにわたって強制収容所や拷問の横行、公開処刑、政策が原因の飢餓などを詳細に記述。国家ぐるみの「人道に対する罪」として、大量虐殺や戦争犯罪を裁く常設法廷である国際刑事裁判所へ付託せよと国連安全保障理事会に勧告している。
 当の北朝鮮は報告書の内容を全面否定し、欧米や日本が人権問題を政治利用した結果だと強く反発した。ただ北朝鮮の人権侵害は今に始まった話ではない。北朝鮮の指導者が国際法廷の場で裁かれる可能性も低い。常任理事国の中国が、ほぼ確実に反対するからだ。
 今回の発表で浮き彫りになったのは、国連という組織の限界だ。確かに、国際機関として人権侵害の実態を取りまとめて世界に注意を促したことは評価すべきだろう。報告書は北朝鮮で最高指導者への忠誠度で分けた「出身成分」という階層制度が国内に差別を引き起こしているという、あまり知られていなかった事実も明らかにしている。
 だが日本や韓国のように北朝鮮情報があふれる国にとって、報告書の内容はこれまでにも想像できる内容が多かった。国連が北の人権侵害を非難し始めるまでなぜこれほど時間がかかったのか、むしろ疑問に思う声のほうが多いはずだ。
 北朝鮮の人権侵害が広く知られるようになったのは、自然災害で飢餓が蔓延し、脱北者が出始めた90年代末以降。彼らの告発により、指導者が豪遊する一方で、国民の一部が土や木を食べて飢えをしのぐ惨状が明るみに出た。
 証言の中には信憑性を欠くものもあった。日本語に堪能で日本メディアに頻繁に登場した元北朝鮮諜報工作員の安明進(アン・ミョンジン)はその代表格だろう。安は、北朝鮮による日本人拉致被害者を平壌で目撃したと語って被害者家族に期待を抱かせた揚げ句、証言を撤回して混乱させた。
Newsweek日本版20140304
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/03/post-3204.php
北朝鮮ロケット弾軌道に民間機 発射の7分後
 【ソウル共同】韓国国防省の報道官は5日、北朝鮮が4日午後(日本時間同)に新型の300ミリ多連装砲「KN09」を発射した約7分後、ロケット弾の軌道の周辺を成田発中国・瀋陽行きの中国の民間機が通過していたと明らかにした。
 北朝鮮は発射について周辺国に事前通知せず、航行禁止区域も設定していなかった。報道官は「北朝鮮の挑発行為は民間人の安全に対する深刻な脅威だ」と批判、突然の発射を中断するようあらためて求めた。
 報道官や聯合ニュースなどによると、ロケット弾の軌道周辺を通過していたのは中国南方航空のエアバス機で、乗客乗員約220人が搭乗していた。
共同通信 共同通信 2014年03月05日18時54分
http://news.livedoor.com/article/detail/8601244/
 そもそも、「共産主義」は、今や宗教になっている。これは私が言っているのではなく中国に行った説きに会話の中で中国人が放った言葉である。「今、中華人民共和国の中で、本気で共産主義革命を行えると思っている人は、習近平まで含めても誰もいないよ。いや、そんなことをしてしまうと、自分たちの貯めた金がなくなってしまうから、共産党の中でも偉くなればなるほど誰もやらなくなるんだ。いや、ではなんで共産党独裁かって、そんなもん、そうでなければ共産党の独裁ができないからだよ。共産主義なんて、宗教だよ。誰もできるとは思っていない。でも、それがなければ、集団を維持できない。共産主義が神で、本当に神がいるかいないかわからないが、いるものとして、その神にだれもがすがりに来る。それが共産主義なんだ」
 共産主義が宗教とはよく言ったもんだ。これが、中国人が言ったところに意義がある。まさに、「13億人のカルト宗教」が中国共産党の真の姿であるといっているようなものだ。
 しかし、それ以上にすごいのが北朝鮮だ。中国人は、一応、改革開放経済にし、共産党を一つの宗教としながら、その建前で実務的にかなりクールに運営している。しかし、北朝鮮はいまだに共産主義を本気で行おうとしている。
 そのためには、まさにカルト宗教と同じように、神と別に実在する人物としての「啓示者」が必要なのだ。しかし、その「啓示者」は一人しかいらない。そこに階級もいらない。まさに「一君万民」で「万民はすべて平等」というような考え方と同じく、一人の絶対的権利者であり啓示者である金正恩とその金正恩以外の平等な万民というような状況になっている。そして金正恩は共産主義という神を体現している存在であり、一方で、それ以外の人物は金正恩との距離や共産主義への洗脳の程度にかかわらず、すべてが平等であり、その枠を逸脱すれば、啓示者であり支配者である金正恩の逆鱗に触れてしまうという構図になる。万民は、すべて平等でありながら、当然に支配者と神を恐怖する存在であり、そして従順に従う。
 まさにこれがコミンテルン以降の共産主義の構造である。
 ちなみに、このことに関しては、「日本における左翼的考え方の系譜と中国の影」という電子書籍に書いてある。http://books.rakuten.co.jp/rk/7a19c56f7e283e5381fb09ca49ab4b08/。興味のある人は読んでいただきたい。
 さて、このようになった共産主義国北朝鮮は、今後安定した共産主義国家となる。まさに旧ソ連と同じように、そして改革開放経済以前の中国と同じように、秘密主義でなおかつ、トップによる独裁社会になる。反体制派がいるとすれば、それは金正恩を暗殺するという方向に特化され、体制=金正恩という形になる。これが、まさに、今後の北朝鮮の天下になる。外交や拉致問題の解決などになれば、当然に、「金正恩の意向」が左右することになる。その意向をどのようにして知りえるのか。その情報をどのように確認するのかということが最大の問題になる。これはミサイルも核問題も同じだ。そのようにわかりやすくなったが、一方で、その中心の意向を見ることができるかどうか。日本の情報力が今後試されることになる。

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断末魔の韓国経済を見放した外国企業、その原因は韓国の政治

断末魔の韓国経済を見放した外国企業、その原因は韓国の政治
 韓国での経済活動はかなり大変であるという。はっきり言って、現在在日韓国人を除いて、勧告で起業しようという日本人はほとんどいないのではないか。しかしよく考えてみよう。その原因はいったい何なのか。
 単純に現在韓国に行っても儲かりそうにないからである。ではなぜ儲かりそうにないのか。それは韓国が起こしている反日運動に原因がある。そそてその反日運動は、まさに政府主導で行っているものである。もちろん、韓国の教育現場がそのようになっているということもあるが、一方で、それを煽っている政治が最もおかしな状態になっているのである。
 要するに、政治によって国民感情が左右され、そしてその国民感情の形成が経済の交流などを大きく左右することになる。日本の経済界はそれでもかなり政治と分離している部分が多い。なぜだかわからないが「政治と経済は別」などといって戦争地帯などにも平気で経済人が行くということもある。イラク戦争の時に最後まで無防備非武装の日本の商社マンがイラクに残っていてトルコの旅客機が助けたという話があるが、まさに、それくらいの感覚の欠如は、憲法9条によるものではなかろか。まさに憲法9条の平和主義、そして、その平和主義意識が目の前にある危機を判断できないほどの平和ボケを演出してしまっている。混乱のイラクに行って殺された学生などもいたが、すべてそのような感覚によるものである。
 それでも現在の韓国にはなかなかゆかない。まさに、韓国に行かないというのは、政治と経済が別などというどころか、国民感情そのものが大きな違いになっているということになる。そこに政治が介入し韓国だけ有利なことを主張すれば、当然に外国企業に関しては参入のチャンスがないということになる。誰もいかなくなる国「韓国」は、まさに経済の世界でも孤立化しているのではないか。
韓国で企業を経営する苦労とは?外国企業CEOが苦言―韓国メディア
 韓国紙・朝鮮日報の中国語サイトは28日、「韓国で会社を営むのはかなり大変、外国企業CEOが苦言呈す」と題した記事を掲載した。
 「韓国政府や労働者が世界的な競争力を顧みず、国内(の既得権益集団などの保護)に走るのなら、多国籍企業は韓国を離れるしかありません。もっと自由で労働生産率が高い中国など他の新興国へ移るしかないですね」(ADT韓国理事長)。
 韓国先進化フォーラムがソウル市で27日、全国銀行連合会主催で「外国人の目から見た韓国企業の環境、どんな問題があるのか?」をテーマに行われた。4人の外国人CEOが自らの「大変だったこと」を報告。韓国の劣悪な企業環境に苦言を呈した。外国企業の経営陣たちは韓国政府に対し、市場への過度の介入は控えるべきだと提言。労働組合にも「競争力の向上に不利な要求はしない方がよい」と助言した。
(編集翻訳 小豆沢紀子)
http://news.livedoor.com/article/detail/8590835/
韓国経済「大不幸時代」の幕開けか “借金慣れ世代”誕生でいよいよ…
 韓国の朴槿恵大統領は2月25日、2017年に潜在成長率を4%台に引き上げることなどを掲げた「経済革新3カ年計画」を発表した。就任1年目は海外での「反日言い付け外交」に終始し、経済面でみるべき成果はなかった。「国民の幸福時代を開くのが私の使命」。朴大統領はそう述べたが、果たしてうまくいくだろうか。内需不振の解消は容易ではなく、借金をして借金を返さざるを得ない国民の現状は深刻さを増しているとされる。むしろ、「国民の大不幸時代」が幕開けようとしている…。
 借金をして借金を返す
 朴大統領は25日の談話の中で、雇用率70%の達成とともに、1人当たりの国民所得を3万ドル以上とし、「4万ドル時代に進む礎石を築いておく」と強調した。さらに、朝鮮戦争後の短期間で経済成長を果たした父親の故朴正煕大統領時代の「漢江の奇跡」を念頭に「今後第2の漢江の奇跡を実現し、経済を盤石の上にのせ、国民の幸福時代を開くのが私の使命」とした。
 だが、その発表と同じ日、韓国銀行が公式発表した数字は衝撃を与えるものだった。
朝鮮日報(電子版)によると、同銀行は、個人向けの住宅ローンなどを含む家計の債務が昨年末時点で、1021兆3千億ウォン(約97兆1千億円)にのぼると発表した。前年同時期と比べ、57兆5千億ウォン増え、初めて1千兆ウォン台に達した。1世帯当たりで試算すると、5811万ウォン(約553万円)で、前年を257万ウォン上回った。今から10年前の04年と比べ、約1・7倍増えたことになる。
 手取り収入にあたる可処分所得に占める家計債務の割合は昨年6月時点で137%。04年の1・3倍となった。
 韓国では、日本と違って国民の貯蓄が少ない。さらに所得も伸びていないため消費に回るお金が限られ、内需不振につながっている。これに関し、国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は、中央日報(電子版)が昨年12月に行った書面インタビューでこう警告している。
 「家計債務は経済レベルが似た国と比較して多い。さらに借金をして借金を返すのが家計債務を増加させる要因だ」
 朴大統領は25日、可処分所得に占める家計債務の割合を17年までに5ポイント引き下げる目標も掲げたが、実現は容易ではない。
 「借金世代」誕生
 サムスン電子は今年1月、暫定集計で、13年の年間売上高が前年比13・6%増の228兆4200億ウォン(約22兆3千億円)、営業利益が同26・6%増の36兆7700億ウォン(約3兆6千億円)だったと発表した。いずれも史上最高額だ。だが、実際の韓国経済の危機が叫ばれるのは、国民に「豊かさ」がなく、生活自体が崩壊しつつある現状があるからだろう。
 中央日報は、そうした現状に関し、専門家の言葉を引用して「借金慣れした世代の誕生」と表現した。
 この世代の特徴として(1)誕生時から借金を抱えている(2)所有より賃貸が優先(3)資産よりも所得-の3つを挙げている。つまり、国民は借金を返すのに借金をするしかなく、家などを購入できず、いずれも賃貸で済ませ、稼いだ金はその日暮らしで消費せざるを得ない。
 さらに記事の筆者は、学生時代の友人が30年前、銀行に就職した際のエピソードを披露している。その友人は就職理由をこう説明している。
 「(銀行に就職したのは)夢があって。お金をたくさん借りる。それもすごくたくさん。一生に数十、数千億ウォンを借りる。そしてジャージャーとすべて使って返さずに死ぬ」
もっとも、これは冗談ではなくなり、現実に近づきつつある。
 朝鮮日報によると、個人・法人の廃業件数は2012年時点で88万9500件で、04年比で22%も増えた。また中央日報によると、韓国銀行や韓国統計庁の調査では60歳以上、30歳代の借金が増加していることが判明。40~50歳代は自宅購入などで借金が増えるが、これを上回る勢いで、若年、高齢者の借金が増えているという。
 IMFは今年1月、韓国経済の内需の弱さや中国への依存度の高さを踏まえ、経済成長の下ぶれリスクを指摘している。家計債務の増大と内需不況の波は各世代に広がっている。韓国経済の再生などという以前に、社会、国家そのものが成り立たなくなる可能性がないとはいえない。
 「手の焼ける隣人」
 現状の日中韓の緊張は、韓国の過剰な反日姿勢と、中国に擦(す)り寄る事大主義こそが元凶だ。米中の間でバランスを取っているつもりかもしれないが、そんなことを気取る前に、社会のありようそのものを一から見直さなければ、国家崩壊につながりかねない。
政策シンクタンク「PHP総研」は2014年版のグローバル・リスク分析の中で、安全保障を念頭に、韓国のことを「手の焼ける隣人」と指摘している。ただ、これは安保に限ったことではない。もし経済が崩壊したら…。政経すべての分野で「手の焼ける」存在となる。
毎日中国経済 2014年03月03日09時45分
http://www.sankeibiz.jp/smp/macro/news/140303/mcb1403031223002-s.htm
 さて、その経済の孤立化がすすんdネイル。ちなみに韓国の政府の負債総額は、韓国のGDPを超えており、また、韓国の個人負債の総額は個人向けの住宅ローンなどを含む家計の債務が昨年末時点で、1021兆3千億ウォン(約97兆1千億円)となり、そのほとんどが返済不能な状態になっているのである。まさに、負債をすることは全く返さないという感覚があり、これによって金融機関が破たんになれば、韓国は第二のIMF管理になるとも言われている。
 その借りた金を返さない体質は、企業でもなんでも同じ。まさに、かねは「持ってきた人が悪い」という感覚であり、その感覚が負債を大きくする。まさに責任感がないので、借りたものを返すつもりは全くない。返さない人々であるということは、次に貸す側がいなくなるということであり、日本では室町時代の徳政令の後貸し渋りが続いたのと同じ状態になっている。返すあてのない貸付などは誰も行わない。それらは「貸付」ではなく「御恵み」でしかないのである。
 そのような感覚が韓国人の企業の感覚である。これでは、韓国の企業の業績が良くなるはずがない。そのうえ海外で仕事を射ている韓国企業はまさに、韓国国内ではなくその「借金を返さない感覚」で海外で資金を調達する。そのことはオフショアの市場を荒らしてしまい、そして企業だけではなく韓国企業全般の内容をおかしくしてしまうのである。
 何しろ「返します」という約束を破るのだから韓国人は嫌われる。そのうえ、そこに韓国政府が介入してくるのだから始末に負えない。はじめだけ調子のいいことを言って、あとは何もしない。私腹を肥やして国民には富は循環しない。国民は借金漬けの生活を行い「借金慣れした世代の誕生」となっているのである。
 これはすでに、韓国の国家としての体をなしていないことになるのである。そのような国が隣国にあるということ、隣国は変えられない。国交は北朝鮮のようになくすことができるが、位置は変えられない。そして、そのような国民性の人々が「在日」として日本国内にたくさんいるという現実を日本人はどのように受け止め対処したらよいのであろうか。

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中国の新疆ウイグル自治区の独立テロの変化とそのことによる中国政府の対応

中国の新疆ウイグル自治区の独立テロの変化とそのことによる中国政府の対応
 日本では、中国のことを「シナ」と呼称し手いる保守派の人も多い。基本的に、「シナ」は「清」の呼称から派生しているものである。その「清」の時代に旧東トルキスタン部分を占領し、そのまま現在に至っている。その部分だけウィキペディアから抜粋してみる。
<以下ウィキペディアから>
 18世紀、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「(新)しい(領)土」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。
辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦後の1949年に再び共産党支配下の中国に統一され、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。
<以上ウィキペディアより>
 まさにこの歴史によって、何度も新疆ウイグル自治区は独立し東トルキスタンを建国することを望んでいる。特に、「民族」も「宗教」も違うことから、漢民族政府の政策はすべてが自分たちの生活習慣に当てはまらない。
 しかし、中国がこの地を手放すはずがない。新疆は石油と天然ガスの埋蔵量が豊富で、これまでに38カ所の油田、天然ガス田が発見されている。新疆の石油と天然ガスの埋蔵量は、それぞれ中国全体の埋蔵量の28%と33%を占めており、今日では油田開発が新疆の経済発展の中心となっている。
 そのために、民主主義ならば完全に現在の風潮から東トルキスタンの独立派、例えば旧ユーゴスラビアや旧チェコスロバキアのように分裂、そして民族の独立を行うようになるのであるが、中国は地下資源の問題などからそれを認めない。崔さんアメリカなどが圧力をかけても、「内政問題」として干渉を嫌う状態になっている。
 当然に、中国が外圧に屈しなくても、最も独立を望んでいる「東トルキスタン国民」は、そのことを望んでいる。しかし、その抵抗は今まで「自爆テロ」型が多かった。
 今年の3月1日、そのテロが、複数の人が刃物で無差別に人を殺すタイプに変わった。それが最も大きな変わり方であるが、しかし、同時にその変化は、大きく様々なことが変わる前触れではないのか。
死傷者170人以上 昆明“テロ”現場は今
 1日夜、中国・雲南省の昆明駅で起きた死傷者170人以上にのぼる無差別襲撃事件について、地元の政府は「新疆ウイグル自治区の分裂をはかる勢力による組織的なテロ事件」と断定した。現場の昆明から原田敦史記者が報告する。
 この事件は、日本時間1日午後10時過ぎ、雲南省の昆明駅で、刃物を持った10数人のグループが、次々と人々を切りつけ、これまでに29人が死亡し、143人がケガをしたもの。
 昆明駅前は、1時間ほど前に規制が解除され、今は多くの人が行き交っているが、周辺では自動小銃を持った多数の武装警察が警戒にあたっている。
 当時、目の前で夫を殺害された女性はインタビューに対し、状況を詳細に話した。
 夫を亡くした女性「1人は女、全身黒い服で、顔にも黒い覆い。目だけ出ていた。奴らがやってきて夫の首を押さえて額を4回切りつけた」
 女性によると、グループは聞き慣れない言葉を話していたという。
 新華社通信によると、警察は、襲撃グループのうち、4人を射殺し1人を拘束した。また、昆明市政府は、新疆ウイグル自治区からの独立を目指すウイグル族など「新疆分裂勢力による計画的、組織的なテロ」と断定したという。
 中国当局は、週明けには中国の国会にあたる全人代(=全国人民代表大会)が開幕するため、全国で警備を強化していた。その最中に起きた事件だけに、習近平指導部への衝撃は大きいとみられ、習主席は事態を重くみて、「暴力テロ犯罪に対し、厳しい打撃を与える」よう指示を出した。
 全人代が開かれる北京の人民大会堂周辺にも警察の部隊が配置されるなど、中国全体が厳戒態勢の中、全人代の開幕を迎えることになる。
日テレNEWS24 2014年03月02日18時53分
http://news.livedoor.com/article/detail/8589624/
中国無差別殺傷 「ウイグル族、2日ほど見かけぬ」 昆明駅前、痕跡消され
 刃物を持った武装集団による無差別殺傷事件で29人が死亡、143人が負傷した中国雲南省の省都、昆明市の昆明駅は、事件から一夜明けた2日、旅行客がごった返す通常の賑わいを取り戻していた。
 その一方で、惨劇が起きた駅前広場などには警戒線が張られ、武装警官らが巡回を続けるなど、当局が事件の連鎖を警戒していることを物語っていた。
 ■小銃持った警官、十字路には警戒線
 昆明駅に続く駅前大通りの北京路-。気温は20度近くまで上がり、見上げれば春の青空が広がっていた。視線を落とすと、駅舎まで数百メートルの十字路には警戒線が張られ、車両などの進入が規制されていた。警戒線は事件の発生場所とみられる駅舎前まで続き、その脇を通る歩行者に、小銃を持った警官らが周囲に目を光らせていた。隊列を組んだ武装警官が頻繁に現場周辺を巡回する様子は、明らかに平時と異なる。
 事件発生直後から、インターネット上では、約300メートルにわたって血痕が続いていたと報じられ、その画像も掲載されていた。しかし、昨夜のうちに、そのすべてが跡形もなく清掃されていた。昨年10月、北京の天安門前で起きた車両突入事件の際と同様、当局は事件の痕跡をわずかな時間で消し去っていた。
 被害者の中には、宿泊費を節約するため駅前で野宿していた夫婦の夫が含まれていたという。同じように駅前で一夜を明かす旅行客は少なくない。しかし、駅周辺に座り込んでいた少数民族とおぼしき男女4人のグループは、「事件については何も知らない」と口をつぐんだ。
 中国国営新華社通信によると、昆明市政府は「新疆分裂勢力による計画的かつ組織的な重大暴力テロ事件」と断定。習近平国家主席は「暴力テロ犯罪活動に厳しい打撃を加えよ」と、テロ分子の取り締まり強化を指示した。
 雲南省には漢族のほか22の少数民族が暮らしているという。その中にウイグル族は含まれていないが、あるタクシー運転手は「ウイグル族もそこそこいる。でも、ここ2日ほどはまったく見かけなくなった」と話した。
 ■公安省の警戒範囲、西部まで拡大
 北京では5日から全国人民代表大会(全人代=国会)が開かれる。これまで北京市が担当していた警備を、今回から公安省が主導する。それに伴い、以前は北京や天津など周辺の6省市だった警戒範囲を、新疆ウイグル自治区や西部地域まで拡大している。
 40代の漢族男性は「昆明でこんな事件が起こったことなんて、記憶にない」と語った。一年中、穏やかな気候が続き、「春城」の愛称で親しまれる観光都市で起きた惨劇は、厳戒態勢を中国全土に拡大する口実にされかねない。(川越一)
産経新聞 2014年03月02日17時36分
http://news.livedoor.com/article/detail/8589419/
 今回のテロに関して、いくつかの特徴が見て取れる。昨年の三中全会の時に天安門で自動車による自爆テロを行った時と比較してみると、様々な差があることに気が付く。
 一つ目は「場所」である。昨年御自動車自爆テロは「北京」で行った。今回全人代前のテロは昆明だ。実際に全人代の場所や北京の国務院政府への圧力ということではかなり異なるものである。しかし、逆にウイグルに近いことから、ウイグル人が多く組織などが行いやすい。一方北京とは全く異なり、警備も手薄である。そして、普段平和な場所でのテロは、逆に大きく報道され世界へのアピールが非常に大きくできる。当然に、ウイグルは自爆テロのようなものではなく、そのような「宣伝効果」を狙うものになってきたということになるのである。
 二つ目は「自爆ではない」ということである。今までのテロは「自爆」である。これは、まさにイスラム教の「ジハード」に近い考え方になっているが、一方で、そのことはイスラムの単発的なテロにしかならず、継続性の内容ではなくなってしまう。当然に、「自爆」を防げばよいのであるから、他人を近づけないということによって、被害は最小限に抑えられる。これに対して、今回のテロは、まさに集団の暴徒が中国人を「襲撃する」という襲撃型のテロになっている。これは、同じ人物が複数回テロを行うことによって、何回も同様の手口を行うことができるばかりではなく、中国の警備体制などを学習することができる。まさに、イスラムのテロ組織のように、犯行声明などを出すことも可能になるのである。それだけ、多くの人に中国との対立の原点や、その内容の宣伝を行うことができるということである。
 三つ目は、「狙いが中国の要人ではない」ということである。まさに、中国の要人を狙った一発のテロではなく、中国の国内の不安要素を増大するということに絞られている。もちろん、天安門の自動車自爆テロも、それなりの不安要素になるが、中国人の一般人は全く危機を感じなかった。しかし、今回のテロは、もともと政情不安の中国西部において、その西武住民を殺傷する状況から、中国の西武の漢民族などの不安要素をあおり、そして、そのことによって中国の中央政府に対する憎悪を増すという効果を狙うものであろう。もともと、不満と先行きの不満を感じている「貧困層」や「北京から離れた場所の住民」は、まさに、このテロによって大きく心を動かされることになる。
 これは天安門の自動車自爆テロの後に、山西省において爆破テロが起きたことが、最も大きなショックであったということであったのだが、その大きなショックそのものを、ウイグル側から見た結果ということになる。
 もちろん、今回のテロが「ウイグル族」の犯行であると確定したものではない。中国国務院政府がそのような発表をしたところで、そのことを信じてよいかもわからない。実際に、国務院政府の自作自演ということも考えられる。しかし、「ウイグル族」の犯行であったとして、今までの自爆型テロとこれだけの差があるということを考えておかなければならな。これは、徐々に、中国の仮想民主の不満を高め、そして住民暴動が起きる前兆である可能性があるのだ。単純なテロではなく、そのようなことを企画したものであるとすれば、習近平の今後の対策がどのようなものになるのか、そして諸外国がどのようにこのテロに対して反応するのか、そのことはかなりの注目である。

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シリア情勢の対応で誰もアメリカのオバマ政権を信用しなくなった世界でのウクライナ暴動

シリア情勢の対応で誰もアメリカのオバマ政権を信用しなくなった世界でのウクライナ暴動
 ウクライナは、なかなか複雑な場所である。
 そもそも中央アジアとロシア、そして東欧の三種類に属しそして黒海沿岸で止まっている感覚である。黒海にはクリミア半島があり、黒海の中における重要な軍事基地ということができる。黒海周辺は天然ガスや石油が大量に埋蔵されており、黒海産原油の算出と、天然ガスの東欧各国に対する排出によって、ロシアの重要な財源になっているのである。エリツィン大統領の時代、ペレストロイカの後、東西冷戦後世界の最貧国の中の一つであったが、この黒海産の原油の算出により急激にロシアは財政を立て直すのである。
 さて、そのウクライナは、その黒海周辺を領有しながらも、原油などの地下資源の権利はすべて一応民間企業のガスプロム社が権利を「購入」しているので、ウクライナにとっては、自国の資源は何とかなるものの国の財政には結びつかない。
 そのために、国家の中には、民族的または国家経済的に、様々な思惑が交錯し、そのうえで、国内の経済がロシア側経済圏と東欧型経済圏とに分かれてしまっている。特に黒海沿岸ではガスプロム社に就職していたり、町全体がガスプロム社の補助金で成立している部分も少なくないので、当然に生活が懸かった内容になっている。日本の沖縄のように、沖縄の米軍基地と政府の沖縄対策費用で経済が成立しているのにかかわらず、観光産業などの中心が中国であることから中国経済圏を中心に琉球独立などということを主張している勢力があるのと同じである。沖縄とウクライナが違うのは、その言論空間が中立であるために、どちらかに偏った意見になっていないことがあげられる。同時に、ウクライナ全般ではなく経済圏が完全に半分になっていることから、その対立は非常に大きなものになってしまっているのだ。
 当然に、内政は、その対立の調整によって行われるが、一方で、大統領がどちらかの利権を重視し、癒着することによって、政権は利益を享受することになる。その利益をより多く得るためには、法律など制度を変えて、双方の中立性を失い、どちらかの利権を重視することが最も簡単なやり方ということになるのである。
 今回もまさにそのもののやり方になったのである。
 ウクライナでは、当然に、大統領による片方の利権と大統領の癒着が大きくなったのであるが、一方で、対立側は、その大統領に対してデモなどを起こして混乱を引き起こすことになるのである。当然いロシアに近い側は、ロシアに軍の要請を行い、一方対立側はEUなどの軍事介入を求めることになる。
ウクライナ、大量殺人容疑で大統領を指名手配
 ウクライナ大統領を指名手配、豪邸も公開
 写真特集:ヤヌコビッチ氏の豪華な邸宅をCNNが取材
 キエフ(CNN) ウクライナ議会に大統領を解任されたヤヌコビッチ氏が、大勢の民間人を殺害した容疑で指名手配された。
 ヤヌコビッチ氏は22日の時点でロシアとの国境に近い親ロシア派の拠点ハリコフにいた。しかし同市市長によると、ここ数日は姿を見ていないという。
 議会は25日までに暫定政権を発足させることを目指し、検察トップや治安当局のトップ、中央銀行総裁などを任命した。大統領代行にはトゥルチノフ議長が任命されている。
選挙管理委員長は、5月25日に予定される大統領選に向け、25日から選挙運動が始まると述べた。
 これに対してロシア外務省は24日、ウクライナ議会がロシア系民族を差別し、改革プロセスから排除していると批判した。
 ウクライナの新指導部は、新欧州連合(EU)路線への復帰を優先課題に掲げる。しかしその場合、ヤヌコビッチ政権時代にロシアが約束した支援は受けられない恐れがある。
 このため暫定政権のコロボフ財務相は24日、2週間以内に支援策を協議する国際会議を開くことを提案し、2015年末までに350億ドル(約3兆5800億円)の支援が必要になると訴えた。
CNN 20140226
http://www.cnn.co.jp/world/35044356.html
米大統領、軍事介入に警告
 【ワシントン共同=上西川原淳、井上智太郎】オバマ米大統領は2月28日、ウクライナ情勢をめぐりホワイトハウスで緊急声明を発表、ロシア軍がウクライナ南部クリミア自治共和国へ介入する動きに「強い懸念」を表明した。さらに、いかなる形の軍事介入にも「代償が伴う」と述べ、ロシアに警告した。国連安全保障理事会も同日、ウクライナの要請で緊急会合を開催した。
 米メディアによると、米政府高官はロシアが軍事介入した場合、オバマ大統領がロシア南部ソチでの主要国(G8)首脳会議の欠席を欧州各国首脳と共に検討することになると述べた。
きょうどうつうしん 2014年3月1日(土)5時18分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2014030101001311/1.htm
ロシア、軍投入決定
 【モスクワ、キエフ共同】ロシアのプーチン大統領は1日、ロシア系住民の保護を理由に、ウクライナに軍を投入する方針を表明、憲法の規定に従い上院の同意を求め、全会一致で承認された。ウクライナの政変で生じた混乱に乗じ、公然と軍事行動に踏み切る立場を鮮明にしたことで、欧米との対立は決定的となる見通しだ。
 部隊はロシア系住民が多いウクライナ南部クリミア自治共和国に投入するとみられる。
 ロシアが国外で軍事行動に踏み切るのは、2008年にグルジアから独立を求める南オセチアを支援する名目で軍事介入して以来。
きょうどうつうしん 2014年3月1日(土)18時9分配信 共同通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2014030101002029/1.htm
 さて、通常このような場合、ウクライナのような「小国」の内部対立に対して、大国がその双方の代理として戦い、大戦を起こすことを避けるために、双方が協議を行って、双方が要する見る、少なくとも大国同士が戦うことがない様にしたのである。
 国連では、それが多国間に利害がまたがる場合を想定し、国連内に安全保障理事会があり、その国連安全保障理事会において協議を行って非難決議を行ったり、あるいは、軍を出したり出さなかったりしている。国連安全保障理事会は、基本的に第二次世界大戦の戦勝国の五か国を拒否権を持たせた。その二つの巨頭がアメリカと旧ソ連、現在のロシアであり、あるいは中国である。旧東側諸国と旧西側諸国の二つの陣営がバランスよく入っていることになる。
 しかし、その巨頭であるアメリカが、まったく機能しない状態になっている。まさに、シリア情勢などで完全に後手に回ってしまい、何をしたいかわからなくなったアメリカに対して、世界の各国はその信頼性、少なくとも内紛の解決やテロ行為に対する問題の解決に「アメリカの軍事力」を期待しなくなった。同時にオバマ大統領の発言やその内容に関して全く注目しなくなってしまったといえるのである。
 今回の内容に関しても同じである。2月28日に、オバマ大統領がロシア軍がウクライナ南部クリミア自治共和国へ介入する動きに「強い懸念」を表明し、いかなる形の軍事介入にも「代償が伴う」と述べ、ロシアに警告した。これに対して、いやロシアはアメリカの時代が終わったというメッセージを世界に発信するために、アメリカのオバマ大統領の公式のコメントを待って、翌日の3月1日に、ウクライナに軍を投入する方針を表明、クリミア半島を中心に15万人の兵を展開したのである。
 まさに、アメリカは「何もしない口先だけの国」として、完全に「馬鹿にされた」感じになってしまった。EU各国は、ロシアの横暴を許さないように、NATOの協定を無視して、アメリカ抜きで軍事行動の準備に入っている。まさに、ヨーロッパにおいて、ロシア他旧東側諸国と旧西側諸国の、戦争が行われる状態に近づいてきているのである。
 もちろん、最終的に戦争になるかどうかは、まだこれからの国家関係などがあり先行きは不透明であるが、しかし、これらの内容に関して、アメリカが弱くなった、またはその軍事力を行使する確率が低くなったというだけで、大きく世界の安全保障の力関係が変わるのである。
 さて、日本においても「日米同盟」を基軸にした非常に大きな安全保障計画がある。日本における外交問題において、特に、ロシアとの間における北方領土問題、または中国との間における尖閣諸島などがある。しかし、これが動かなくなれば、日本の安全保障計画は完全に作り直さなければならなくなってしまう。単純に言えば、「自主防衛」を行わなければならなくなってしまう。
 日本はその方向に舵を切ることができるのか。ウクライナは、決して完全なら「対岸の火事」ではないという自覚を以てこの外交問題を見る必要があるのだ。

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マスコミ批判に関する一考(180) 「売れるから」という理由で「媚中従韓」をねつ造した朝日新聞の「嫌中憎韓」に関する言い訳

マスコミ批判に関する一考(180) 「売れるから」という理由で「媚中従韓」をねつ造した朝日新聞の「嫌中憎韓」に関する言い訳
 朝日新聞の「言い訳」という感じであろうか。
  しかし、その「言い訳」が的外れであることが間違いがないということもある。
  以前、第一次安倍内閣の時に、マスコミが安倍内閣や自民党政権に対して「反体」制的な記述をお粉うのは営利目的であるから」ということを、この連載で記載した。実際にそのような「特集」をくんだ雑誌や新聞が売れるということは、まさに、国民や読者がそのような内容を望んでいるからであり、今回批判者として名前が挙がった朝日新聞などは「それが売れるのは、そのような読者が多く存在することであり、それが民意である」ということを言っていたのである。
  同様の理論でいえば、「嫌中憎韓」も民意であり、なおかつ、その民意にこたえるのがマスコミであり、株式会社であり、なおかつ、営利を目的とする社団である。よって、当然にこれらの内容に関して「売れるから嫌中憎韓」というような批判をすること自体、自分たちが行ってきた「民意」という議論そのものが全く「虚構」であったことを示すものでしかないということが明らかになるのである。
  時と場合、または、内容によって自分たちの主張を変えるというのは、あまりにも言論やその自分たちの主張に対して無責任が過ぎるのではないか。そのように感じるのは私だけではあるまい。単純に考えれば、そのような「場合によって言論を変える」ということそのものは、当然に、会社でありまたは新聞などは人事異動があるのだから、その編集者の意図によって異なる部分があるものの、その場合はしっかりと読者に対して説明を行わなければならないのではないか。
  しかし、朝日新聞の場合は、そのような「民意」の存在を完全に無視し、そして、ほかのマスコミに対して責任転嫁を行ったのである。これはあまりにもおかしな話でしかないのである。
  あえて言えば、現在の「嫌中憎韓」の風潮を批判することは、マスコミの立場として、ある意味その主張は認められる範囲と思う。では、何を批判しなければならないのか、そして、なぜ朝日新聞はそれを行わないのか。そのことについて、記事の後半から見てみたいと思う。
朝日新聞「売れるから嫌中憎韓」記事に『Voice』編集長疑問
 なんとも朝日新聞らしい記事である。
 2月11日の建国記念日に掲載された「売れるから『嫌中憎韓』」という特集記事は、〈「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつある。ベストセラーリストには韓国や中国を非難する作品が並び、週刊誌も両国を揶揄する見出しが目立つ〉と始まる。
 週刊誌には、もちろん本誌も含まれる。ご丁寧にも本誌が昨年発行した44号のうち、38号の見出しに、「中国」「韓国」「尖閣」「慰安婦」などの言葉があることを調べ上げ、〈ほとんどの記事が両国や、両国の指導者を非難する内容だ〉という。
 その背景には「売れるから」「国民不満すくう」「訴訟リスク低い」といった事情があるのだとか。
 つまり、この記事で朝日がいわんとするのは、こういうことだろう。「嫌中憎韓」を煽る週刊誌や出版社は、売れるからという安直な理由で、むやみに中国や韓国に対する国民の悪感情を煽っている──と。
 記事では、ご丁寧にも「『嫌中』『憎韓』に酔いしれる人々は本当に武器を取るつもりか」と訴えた週刊現代について、「面白いだけでなく、ためになる週刊誌でなければならない」(同誌記者)とのコメントを紹介し、本誌などの「嫌中憎韓」メディアと対比している。
 しかし、そもそも中国や韓国について的確に批判することは、読者にとって「ためになる」ものではないのか。今回の朝日記事に疑問を抱いたという保守系の月刊誌『Voice』の前田守人編集長はいう。
「たしかに、私たちの雑誌もここ4か月ほど、中国、韓国の特集が続いていますが、それは日本をめぐる国際政治上の大問題だからです。韓国では国策として反日がすすめられています。フランスの漫画祭(※注1)や、米バージニア州での日本海の呼称問題に関する条例(※注2)などです。
 韓国は、あきらかに中国とアメリカという世界の二大覇権国家との間で等距離外交をし、そうすることで日本を孤立化させようとしている。そうした中で日本が韓国や中国の顔色をうかがうような外交政策をとっているようでは、今後、国の存亡がかかってくる。
 だからこそ、中国・韓国特集は読者の関心が高いんです。朝日は『売れるから』と書きますが、雑誌は売れなければ次が出ない。そこを問題にする朝日の感覚のほうが問題です」
 この点に関しては本誌も全く同感である。中国・韓国が連日のように、日本に対する批判や国際的な宣伝工作を進め、アメリカをはじめ世界各国でそれに呼応した動きが出てきている。それに敏感に反応するのはジャーナリズムとして当然のことではないか。
【※注1】今年1月に行なわれたフランスのアングレーム国際漫画祭で、韓国政府が従軍慰安婦をテーマにした漫画やアニメを展示した。
【※注2】今年2月、米バージニア州の下院で、日本海の呼称を韓国が求める「東海」と併記する法案が可決された。
※週刊ポスト2014年3月7日号
2014年2月24日(月)7時0分配信 NEWSポストセブン
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/postseven-20140224-242788/1.htm
 前半の最後に、「朝日新聞は何を批判すべきだったのか」、そして「なぜ朝日新聞はそれをしなかったのか」、ということを書いた。
  朝日新聞が本来行わなければならないのは「嫌中憎韓」の雰囲気や国民の世論が形成されてしまったことを批判すべきである。マスコミそのものが世論を作っているのではなく、マスコミそのものは「売れる」ために、しっかりとした世論に対してその世論に従った報道を行う。その中には、「報道しない自由」や場合によっては「扇情的報道」が行われる場合がままある。もちろん、週刊誌などの見出しは、そのような状態で過激に書くことが一つの命題になっていたりするので、一概に「マスコミ」であるから、見出しが過激であることなどを批判するわけにはいかない。もちろん私などはそれを批判しているのであるが、実際にそこには何らかの価値基準があり、その価値基準にしたがって報道がされているのである限られた紙面やテレビなどの場合は時間の中で、何らかの選択を行わなければならず、その選択の基準そのものがくるっているという批判をしているつもりであり、選択することそのものを批判するつもりはない。同時に、その時の表現などは、十分に細心の注意を図るべきであるが、実際のところそのようになっていない場合も少なくないのである。
  もちろんねつ造などはとんでもないのであるが、中には罪のない「捏造」もある。政治や国際関係などは問題であるが、例えば東京スポーツの「河童発見?」などは、半分捏造であっても夢があってよいのかもしれない。そのように「罪のない」または「被害者が存在しない」ということがそれらの内容の重要なファクターになる。
  さて話を戻して、「報道が世論」を作る部分もあり、一方で「世論が報道」を作る場合もある。実際に「嫌中憎韓」は、ネットなどから「世論が報道」を作ったパターンであり、同時にそれを報道するマスコミが増えたことによって「嫌中憎韓」が大きくなったのである。
  ではなぜそのような「世論」が形成されたのか。一つはネットの力であるということが言える。朝日新聞の評論は、単純に「ネットに朝日新聞が負けた」という敗北宣言でしかない。しかし、それだけではなく、「朝日新聞などの報道の嫌中憎韓通りに民主党政権などができても、日本はかえって悪くなった」という報道の無責任に対する国民の怒りが現れているのである。単純に「嫌中憎韓」だけでなく「民主党批判」や「左翼思想批判」などもまさにこの内容になる。要するに「朝日新聞が応援していたところはすべて世論に否定されている」ということに他ならない。
  そのうえで、「嫌中憎韓」の世論が形成されたのは、無責任な言論とそれにあおられた民意による政治の終結に他ならない。要するに、朝日新聞は、そのような世論が形成され、そのような雰囲気を国民が作り出したということを批判すれば、まさに、その反対の世論形成を行いなおかつ、そのために国民が多大な不利益を被ったということを認めたうえで、自己否定をしなければならなくなってしまう。
  しかし、さすがに朝日新聞はそこまですることもなく、まさに中国・韓国の標準亭な対応、まさに、他社に対する責任転嫁とその批判を行うことになったのである。まさに「嫌中憎韓」に対するマスコミの批判の朝日新聞は、「反省のできない無責任言論の新聞の末路」であり、同時に「ネットへの敗北宣言」であるということになるのである。
  この文章を読んで、まさに、そのようなものであるということを読み取り、そして朝日新聞の言論そのものが信用性がないということを判断できるような、「賢明な読者」になっていただきたいと切に願うものである。

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保守的解釈による日本国憲法講義私案 第65回 衆議院の優越性と民主主義、そして国会の多数と国民の多数の違い

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第65回 衆議院の優越性と民主主義、そして国会の多数と国民の多数の違い
 前回は、「懲罰」に関して考え方を書いた。
  実際に、そもそも民主主義、多数決というものは本当に良いものなのかということが最大の問題である。
  「民主主義」と「衆愚主義」の差はいったい何なのか、そのことがわかっていなければ民主主義はすぐに「衆愚主義」に代わってしまう。
  高杉晋作は、坂本竜馬の船中八策を見て「国民が馬鹿になったら国が亡ぶということだ」と議会制政治に関して批判をしているのである。
  まさに、高杉晋作の予見したとおりに、日本は「民主主義」によって迷走し、また、民主主義によって毒しあが生まれた事例は山ほどある。
  例えば、世界史上最も民主的な憲法であるワイマール憲法。
  ドイツは第一次世界大戦終戦後、ワイマール憲法によって王政を否定し、ワイマール共和国と呼ばれるまでの民主主義体制になった。
  しかし、その中において生活苦や賠償金による国の産業の悪化は、国民の考える能力を失い、そしてそのことから、ナチスによる独裁がスタートする。
  ナチス第三帝国は、間違いなく、民主主義から生まれた独裁である。
  要するに、国民の大多数がその独裁を望みそしてその政権を信任したのである。
  多数決というのは、そのような内容を行うようになる。
  基本的に、例えば中国も「民主主義」であり「共和国」であるし、北朝鮮も「朝鮮民主主義人民共和国」であって、たまにではあるが選挙が行われる。
  実際に「選挙」制度そのものが正しいのか、あるいは、民主主義という制度そのものが正しいのか、ということをしっかりと考えなければならない。
  日本人は「民主主義は絶対に正しい」という大前提の上で物事の施行を開始する。
  これはほぼ宗教的な者であって「神はいる」という前提で、宗教を考えるのとあまり変わりがない。
  しかし、そもそも「神はいるのか」という疑問を持つ人もいて、その人々が人類の科学を発展させたのである。
  天動説から地動説に代わるときに、地動説を唱えるとキリスト教から異端扱いをうけた。
  「それでも地球は回っている」は名言である。
  しかし、今「神はいるか」と問えば、「そのようなことを疑問w持つこと自体が不謹慎」というようなものになる。
  「神がいるのか」という疑問、または「神の存在と化学は別」というタブーを無視した感覚そのものが「科学」を発展させ、そして人類の生活を便利にした。
  しかし、人は、「タブー」を作り、そのこと自体を考えないようにしてしまう。
  まさに「民主主義」そのものも同じである。
  「民主主義」の議論をすると「ほかの方法があるのか」といって議論が終わってしまう。
  しかし、民主主義が優れた制度であれば、古代ギリシアはとっくに世界を征服しているし、ローマは共和制から帝政に戻ることなく、発展し続けたはずだ。
  ローマの歴史は、様々解釈があるが、しかし、共和制は、いつの間にか陳腐化してしまい、そのうえで、他国の一人の英雄に追って滅ぼされてしまう。
  それが歴史である。
  民主主義に関しては、それを個別ン考えてみたいと思う。
  今回、これだけ民主主義ということにこだわったのは、今日の条文が「衆議院の優越性」ということであるからだ。
  なぜ、衆議院が優越なのか。
  これは法理論的には、「衆議院は解散がある」ということと、「任期が短い」ということに由来している。
  そのうえで、「民意」が反映されるというkとで「衆議院」が優越性を持っている。
  その辺を条文で見てみよう。
 第五九条【法律案の議決、衆議院の優越】
1 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。
第六〇条【衆議院の予算先議、予算議決に関する衆議院の優越】
1 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
第六一条【条約の承認に関する衆議院の優越】
条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。
 さて、まず「優越性」である。
  優越性があるのは、「再可決」「予算」「条約」に限られる。
  当然に一般の法案に関しては優越性は存在しない。
  「予算」と「条約」に関しては、即決性が必要なものが多い。
  予算の場合は、それがなければ行政が停滞する。
  単純に「立法府」の争いで「行政府」が停滞することを避けなければ、国民が不利益をこうむることになる。
  そのために予算に関しては、優越性があり、衆議院のみのものとする。
  しかし、それを悪用されないために「三十日以内に、議決しないとき」というように限定しているのである。
  一方、条約に関しても、同様で、行政として国際関係を規定しなければならず、そのことを考えながら、条約に関しても予算と同様の措置を行っている。
  さて、問題は「再可決」である。
  「衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。」という規定だ。
  衆議院で過半数で可決したの珍、参議院で否決された後、最期に衆議院で三分の二以上の可決があった場合は、再可決となる。
  単純な屁理屈でいえば「参議院の過半数」と「衆議院の新規の6分の1」は、同等の価値があるということになる。
  逆に言えば、衆議院で3分の2以上の議席を保有していれば参議院は無視してもかまわないということになる。
  もちろん、衆議院で3分の3以上保有できるほどの国民の圧倒的な支持があれば、それはそれでよいのかもしれない。
  しかし一方で、そのことは、「国会の中の三分の二」でしかなく、「国民の3分の2」ではないことを考えなければならない。
  要するに、この再可決を乱用すれば、国民の真意を失うことになる。
  これを行うためには、民主主義といいながらも、国民の大多数の支持を得なければならない。その大きな罠が、次回の選挙に待っているということになるのである。
  ここで、再度「民主主義」ということに考えなければ、議会制民主主義と、議院内閣制ということをしっかりと考えなければならないのではないか。
  この日本国憲法がそこまで議論を深化させる余裕がなく、戦後すぐにできたために、民主主義を天皇主権から変更することが主題であった。
  要するに、この憲法の中には、民主主義そのものの価値観を評価することはなかったのである。
  改めて、憲法の改正の議論を行う場合は、その部分から議論が必要なのかもしれない。

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売春合法化の国の歴史的論理とアメリカ的個人主義の対立

売春合法化の国の歴史的論理とアメリカ的個人主義の対立
 今日は土曜日なので、またもや政治とか国際的な外交の話などとは全く異なるネタを。しかし、どうしてもそのようなネタになると「下半身」のネタが増えてしまうのはなぜだろうか。
 昔ある政治家が、「男性ばかり(昔は政治は男ばっかりであった)で話していると、どうしても政治とか競争とか、そういう話になってしまう。それを完全になしにすることは、政治家がすべての生活にかかる仕事である以上はできない。しかし、それをクリアにして、敵対同士が一緒に笑えるネタがある。それが下ネタなのだ」という。論理的には、そこに女性がいなくても、女性のネタ、特に下ネタに関しては、どの男性も基本的には好き(中にはホモもいるが)であり、そして、政治家位になれば、というか大人の男性ならば、当然に、下ネタの内容はわかるし、感覚も共有できる。同時に、女性の趣味が同じでもけんかになることはないし、違っても喧嘩になることはない。まさに、女性の趣味が一緒ならば、一緒に「かわいいですよねえ」という話になるし、違えば「へ~そうなの」となる。そして、女性のネタの場合、そこの男性が誰も傷つかない。もちろん、例外はあるが、基本的に特定の女性ではないので、それは、基本的には誰かが傷つく話ではない。もしも特定の女性でも、芸能人などであるために、基本的には「妄想」の話でしかないのである。
 要するに、「下ネタ」の話は、そのまま、「男性が妄想を語っても問題がない」状態であり、そのうえ「妄想を共有できる」話なのである。
 しかし、最近ではなかなかその「下ネタ」ができなくなってきている。私の個人的な考えであるが、ある意味で、女性の権利が強くなってきた。同時に、アメリカ的な個人主義が出てきて、その女性の個人主義が強くなったために、「妄想」が共有できなくなってしまうのである。その状態では、男性同士のコミュニケーションがうまくゆかない。先の政治家の言葉を借りれば、「どうしても競争とか政治とか経済とかの話」になってしまうのである。これでは、なかなか「人と人のつながり」を作ることができず、実際には、信頼関係ができない。会社の窓口や政治の人間として、結局人と人の信頼関係ができない場合は、アメリカ的契約社会ならば別にして、日本的な「暗黙の了解」で物事を進める人々にとっては、「やりにくい」状態になり、私の個人的な考え方の中には「日本の不景気」の一つの原因になっているのではないかと考えている。
 もちろん、女性の人権も重要であるし、また、セクシャル・ハラスメントを言うつもりはないのであるが、一方で、売春という日本では禁止されている職業が、実際としてその職業で、生計を立てている人がいるということである。現在では「キャバクラ嬢」という職業が子供の女性のあこがれの職業の一つになっているというのも、なんとなく、「女性を活かした職業」というような形になっているのではないか。片方で「人権」と言いながらも、片方で「女性を活かした職業」が脚光を浴びている。この本音と建て前の間の部分をどのように埋めるのか、またはそのまま放置するのか。
 オランダなどでは売春を合法化しており、その合法化した博物館を書いた新聞記事が出てきたのである。
オランダで「売春博物館」が設立された“理由”…売春合法化の国、「売春婦も働く女性の1人」
 オランダの首都アムステルダムで2月6日、有名な売春街「飾り窓地区」に売春博物館がオープンした。驚くような名称だが、オランダでは2000年に売春が合法化。飾り窓地区では、下着姿の女性たちが建物の赤い窓枠から体を見せ、客を誘う。博物館は観光客向けだ。売春宿を再現した部屋や、コンドームなどの仕事道具の展示などがある。世界最古の職業とされる売春婦がどのように働くのかなどの“実生活”を見てもらい、売春婦への敬意を持ってもらうのが狙いだという。
売春婦たちの「世界」を垣間見る
 AP通信やフランス通信(AFP)によると、博物館は運河を望む売春宿にはさまれた場所にオープンした。飾り窓地区はいわゆる赤線地区で、近くには、性や性行為に焦点を当てた「セックス博物館」や「エロス博物館」もある。
 博物館は、売春婦たちがどんな生活をし、どうやって働くかを学んでもらうのが狙いだ。
 中に入ると、下着姿の売春婦の3次元映像が出迎える。また、売春婦たちが家族と過ごす日常生活の様子などの映像が見られるほか、ファッションや仕事に対する姿勢などの歴史を学べる展示もある。
 APは具体的な“働き方”も報じている。例えば、「飾り窓」を半日150ユーロ(約2万700円)で借りる。11時間交代制。再現された部屋(長さ2・7メートル、幅1・8メートル)には、1970年代から使われているブラックライトが灯され、コンドームや潤滑ローションなどの仕事道具が置かれている。ベッドは低く強い構造だ。
 アムステルダムの売春ビジネスに関わる関係者はフランス通信(AFP)に対し、こう述べている。
 「新たにオープンした売春博物館は売春婦たちの世界を垣間見ることができる内容。例えば飾り窓に腰掛けたときの気持ちとか、飾り窓側から見た景色とかです」
「最初は本当に辛かった」
 アムステルダムで現在、性産業に従事しているのは約7千人。ルーマニアやブルガリア出身で、経済的に苦しい女性が75%を占めている。また、飾り窓地区には300以上の「窓」があるが、そこで働いている女性は多くないとされる。
 AFPは2012年12月に、アムステルダムの同地区で働く2人のおばあちゃん姉妹を取り上げている。当時70歳だった双子のルイーズさんとマルティネさんのフォケンズ姉妹だ。
 2人は1960年代から半世紀にもわたって売春婦として働いてきた。2人の映画がアムステルダムの国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたこともあるほか、2冊の本を出版。また、売春宿を自ら経営し、売春が合法化される前から性産業従事者のための労働組合を立ち上げ、暴力、搾取と闘ってきたという。
 ルイーズさんはAFPに対し、約50年に及ぶ売春婦生活について「最初は本当に辛かった。思考を止めるしかなかった。年をとってからよ。ましになったのは」と語っている。
売春婦も働く女性の一人
 オランダのように欧州では売春が合法化されている国は少なくない。
 支援団体などが強調するように、「売春婦も働く女性の一人」という考え方の広がりとともに、合法化することによって、組織による搾取や暴力から保護しようとする狙いある。オランダやドイツ、ハンガリーは売春婦が職業として認められており、失業手当も支給されるという。
 AFPによると、約40万人の売春婦が働き、一日の総売上が6800万ドル(約68億円)になるスペインの東部イビサ島では、売春婦11人が組合を通じて税金を納め、公的医療制度のサービスや年金などを受けるため協同組合を設立した。
 また、スイス・チューリッヒには2013年8月、売春線用のドライブイン「セックスボックス」が誕生したが、これも日中から半裸の女性が付近の街角に立つ売春宿を市中心部から郊外に移し、当局が管理するのが目的だとされる。
 大阪には、かつての遊郭の名残をとどめる飛田新地(大阪市西成区)がある。戦後も赤線地区として生き延びたが、昭和33(1958)年の売春防止法施行で廃止。いまは「料亭」と名を変え、昔ながらのスタイルで“静かに目立たず”営業を続けている。
2014.2.27 08:00 産経新聞[westセレクト]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140227/waf14022708140002-n3.htm
 さて、売春は何がいけないのか。
 もちろん女性としての尊厳とか、女性としての人権とかいったことである。では、彼女たちは、本当に尊厳を亡くしてしまっているのか、あるいは、人権がないのであろうか。単純に、彼女たちは、自分で売春をやめようと思っているのであろうか。必ずしもそうではない。日本の場合は昭和33年4月1日から売春防止法が施行されているが、その4月1日に、売春ができなくなって泣いていた女性が多かったという。一つには、その場で働く女性同士の連携が切られるということ、もう一つは、その場で働いていなければ出会えない出会いがあったということであると、当時の人から聞いたことがある。まさに「アメリカ的価値観」で「日本の伝統と風習」そして「彼女たちの収入の口」を亡くしたということになる。当然に収入口がなくなり、生活が苦しくなり、そして、なおかつ伝統と風習があるので、その中において非合法に売春を行う人が出てきてしまうのである。
 どうせ売春が非合法で行うならば、当然に、「政府が管理した方が良い」ということになる。非合法であれば、当然に非合法勢力の資金源になり、別な犯罪の温床になる。そのことを考えたオランダいやスイスは、女性たちの労働組合を作り、そして、スイスなどは郊外に場所を移して政府が管理するということになる。
 女性そのものの人権なのか、あるいは売春も一つの職業として、その職業のプライドや女性の生活の口を守るのか。その部分はなかなか微妙な問題かもしれない。しかし、本人たちの自由意思においてどのように考えるかということが問題であり、本来はほかの人が、要するに、アメリカなど価値観など、第三者的な価値観で測るものではないのかもしれない。
 この記事は、単純に「下ネタ」というよりは、そのようなことを考えさせられるものである。同時に、そのような場所があることによって「潤滑」に人間関係が成立する部分もあるのではないか。
 できれば、オランダの博物館は、「売春婦」から身を起こして成功した人生なども知らせてほしいものである。

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