« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月

暑くなってきたので、集団的自衛権を復習する

暑くなってきたので、集団的自衛権を復習する
 今日の新聞記事は長い。
 なぜなば土曜日なので、少しは楽をしたいと思ったからである。そのために、今日は記事の後ろは私の文章を書かないという、久しぶりの「手抜き」でお話しする。
 あまり知られていないことだが、日本共産党は昭和21年の国会において、憲法胚性を議論した時に憲法9条に反対であった。「独立国家として自衛権を放棄するのはおかしい」というものだ。現在の共産党の主張とは全く逆。現在日本共産党は、「9条を護れ」などといっているが、残念ながら、戦後国会で最も戦争に積極的であったのは、日本共産党である。
 まさに「確かな野党」であり、彼らは自由党吉田茂内閣に対して「確かな野党」という対応をしたのである。現在の「九条の会」ではとても受け入れられる話ではない。「ぶれない野党」などといっているが、実は日本共産党は、その根幹のところから「ブレ」まくっているのである。はっきり言ってお笑いだ。その時の総括もできないのが現在の共産党である。
 そしてその時の共産党と同調して政府与党であった自由党吉田茂内閣に反対し、憲法9条創設に反対したのは、社会党左派である。その、社会党左派の残像が、後に日本社会党になり、そして現在の民主党と社会民主党につながる。
 要するに集団的自衛権を否定して「戦争反対」などといっている彼らこそが問題である。その主張は戦後から180度変わり、いつの間にか野党として反対しかしていない状態いなり、そして、国家観はまったくなく、単純に政府に鹿反対していない。まさに彼ら要するに民主党、社民党、共産党は、戦後の自分たちの言論の変化を総括していないし、その時の論理を全く話題にも出さない。それどころか、「ブレ」ない野党といって国民を欺いているのである。
 そのような政党が、日本の政治において会派を築き、政党として成立している。そのようなことが日本の政治において会ってよいのか。
 記事を読んでよく考えていただければよいのではないか。
「九条の会」で指摘された民主党の意外な功績とは 共産党の栄光の歴史もお忘れなく!
 集団的自衛権の限定的な行使容認を盛り込んだ政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書が安倍晋三首相に提出された15日、都内で憲法9条堅持を掲げる市民団体「九条の会」事務局主催の緊急学習会が開かれた。表題は「止めよう! 安倍政権の『戦争する国』づくり」で、平日の夕方にもかかわらず、約240人の聴衆が詰めかける盛況だった。(溝上健良)
安倍政権はどんな政権?
 安保法制懇の報告書を受けて15日夕、安倍首相が「政府の基本的方向性」を示す記者会見を行った。その“裏番組”で、都内で開かれた「九条の会」緊急学習会では、さてどんなことが「学習」されるのだろうか。我輩が偵察に行ってくるであります!(「大ケロロ展」は埼玉県川口市で絶賛開催中であります!)
 都内某所の地下講堂は集まった聴衆で熱気ムンムン。しかし永田町方面に記者が出払っているのか、テレビや新聞の記者らしき人はほとんど見当たらない。どうも緊急学習会については大手メディアの報道も見当たらないので、ここは産経新聞記者である不肖ワタクシが詳報をご報告するしかないようだ。
 この日は一橋大の山内敏弘名誉教授が「立憲主義と平和主義を破壊する安保法制懇報告書」と題して講演。続けて同じく一橋大の渡辺治名誉教授が「集団的自衛権行使容認のねらいと闘いの展望」と題して講演した後、若干の質疑応答が行われた。渡辺氏は以前、小紙「金曜討論」コーナーで登場いただいたこともある論客で、実に魅力的な話術の持ち主だ。やはり今回も渡辺氏の講演が断然、面白かったので、そちらを中心に紹介していきたい。
 渡辺氏は「集団的自衛権の行使容認を、安倍内閣はなぜこれほどまでに執念深くやろうとしているのか、その狙いをお話ししたい。その前に安倍政権とはどんな政権なのかを、まず検討したい」と切り出した。渡辺氏の分析によれば、安倍政権は軍事大国化を進め、新自由主義的な改革を進めようとしている点において米国や財界などの「支配階級待望の政権」であるとともに、靖国神社に参拝したり河野談話の検証、村山談話の見直しを進めようとしている点では「支配階級がマユをひそめる政権」でもある、という二面性があるのだという。
 分かりやすい説明ではあったが、米国や財界などの「支配階級」は、軍事大国化には賛成で首相の靖国参拝には反対なのだろうか、という点は引っかかるものがあった。軍事大国化と靖国参拝は相反するものではなく、むしろ“車の両輪”なのではなかろうか。靖国を大事にしなければ軍事大国化もおぼつかないと思うのだが…。仮に財界が本当に軍事大国化を望んでいるのであれば、靖国神社にも相応の敬意を表してしかるべきだろう。まあ米国には別の考え方もありうるのだろうけれど。ともあれ、渡辺氏によれば「財界はいやいやながら安倍政権を支えている」とのこと。
 さて「戦後レジームからの脱却」を掲げた平成18~19年の第1次安倍政権時代に、渡辺氏の表現によれば「明文改憲の試みは一敗地にまみれました。『九条の会』の運動の力で、明文改憲の動きは(19)60年安保とは違った形で挫折しました」。そう、九条の会の力には絶大なものがあったのである。
実はすごかった民主党
 明文改憲ができなかったことで、今度は解釈改憲によって集団的自衛権の行使を容認する動きが出てくる、というわけだ。「今ほとんど注目されていませんが、麻生政権時には『安保防衛懇』という私的懇談会ができました。そして鳩山政権になって『新たな時代における日本の安全保障と防衛力に関する懇談会(新・安保防衛懇)』というものができました。その新・安保防衛懇が菅政権になった平成22年8月に報告書を出しました。ほとんど忘れ去られていますが、その報告書の中に今、安倍政権が実行しようとしていることのメニューがそろっています」
 「つまり、安倍政権が今やろうとしていることは、実は民主党政権のもとで生まれていたんです。この時点でメニューは出そろっていたことに注目する必要がある。問題は、民主党政権にはこれを実行する実力がなかった、ということであります」。憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認は安倍政権のオリジナルではなく、民主党がすでに問題提起をきちんとしており、安倍政権はそれを実行しているにすぎない、というわけだ。民主党は実はすごいものを用意していた、しかし実行力がなかった…ときちんとオチもついている。実に見事な分析だ。
 たしかに22年8月の安保防衛懇の提言をみると、武器輸出3原則の見直しや日本版NSCの創設、秘密保護法の制定などが堂々と掲げられている。集団的自衛権についても「憲法論・法律論からスタートするのではなく、そもそも日本として何をなすべきかを考える、そういう政府の政治的意思が決定的に重要であるということである。これまでの自衛権に関する解釈の再検討はその上でなされるべきものである」と指摘されている。つまり憲法をめぐる神学論争的な話ではなく、リアリティーのある話をしましょうということだ。これが民主党政権下での功績なのである。今回、安倍政権下での集団的自衛権行使へ向けての動きに対し、民主党の代表は批判の声を上げているが、一歩間違えれば「どの面下げて…」という話にもなりかねない。
 ところで「民主党には実行力がなかった」事例を示しただけではいささか酷なので、民主党にも相当な実行力があったという事実も蛇足ながら指摘しておきたい。
 政権交代を果たした平成21年の衆院選の際、民主党の鳩山由紀夫代表(当時)は「(政権を取ったら)4年間は消費税増税をする必要はない」と何度も繰り返していた。衆院解散のころまでは「4年間、消費税増税については議論の必要もない」とまで言っていたが、さすがに軌道修正をして衆院選に臨んだのだった。なお当時のマニフェストには消費税増税については何も書かれておらず、逃げ道があらかじめ用意されていたともいえそうだ。
 そして翌年の参院選で、菅直人首相(当時)がなぜか消費税増税を掲げる。さらには野田佳彦前首相は民主・自民・公明3党の合意を得て、消費税を8%へ、さらに10%へと段階的に引き上げる法律を、衆参両院の3分の2以上の賛成(!)を得て成立させてしまったのだった。まさにウルトラC。これほど難度の高いことを民主党はやってのけたのである。ここまでできれば、憲法改正の発議も可能な気がしてくる。なお消費税増税に反対して民主党を去り「国民の生活が第一」(当時)を結党した人たちは、筋を通したという点では高く評価すべきだろう。
さすが「日本」共産党
 民主党ばかり持ち上げるのもどうかと思うので、共産党の栄光の歴史にも触れてみたい。現行憲法案を審議した昭和21年の国会で共産党の野坂参三衆院議員は、戦争には侵略戦争と自衛戦争とがあり、9条案にある戦争一般の放棄ではなく「侵略戦争を放棄」とするのが的確ではないかと訴えた。これに対して吉田茂首相は、自衛戦争を認めることは「有害」だとし、野坂の発言を「有害無益の議論と私は考えます」と切って捨てたのだった。現在とは左右がまるで逆になっている感がする。
 このころ共産党は独自に全100条からなる「日本人民共和国憲法草案」を発表している。自民党よりもはるかに早く、共産党は自前の憲法案を公表しているのだ。この憲法草案では侵略戦争を明確に否定しているが、自衛戦争までは否定されてはいない。なお「人民は日本人民共和国の憲法を遵守…する義務をもつ」と、国民の憲法遵守義務が明記されていることにも要注意だ。
 そして21年8月、現行憲法案の衆議院本会議での採決にあたって、共産党は「現在の日本にとってこれ(9条)は一個の空文にすぎない」「当憲法第2章は、わが国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」などとして、議員6人全員が反対票を投じている。さすがは日本維新の会と並んで党名に「日本」を冠している党だけのことはある。(参考文献・西修著『図説 日本国憲法の誕生』河出書房新社)
保守派を抱え込め!
 さて渡辺氏は自民党が平成24年、野党時代に提示した改憲草案を「国防軍の保持というところが着目されがちだが、重要なことは『戦争する国』にするためには改正しなければならない部分に手を付けていること。戦争する国づくりには憲法全般の転換が必要だ、ということであると思います」と位置づけた。
 それでは護憲派は、いかに改憲を阻止するつもりなのか。渡辺氏は「第2次安倍政権の支持率はたしかに高い。アベノミクスへの期待は高いが、個々の政策をみると消費増税には反対、TPPにも反対、集団的自衛権(の行使容認)にも反対と、みんな反対なんだけれど政権は支持する、というのが安倍政権支持の構造なんです。個々の政策はおかしいとみんな思っているけれど、全体としてはアベノミクスしかない、という地方を中心とした期待が安倍政権を支えている」と分析し、「明らかに自民党の中枢にいたような保守の人たちの離反が起こっている」と続けた。
 さらに日本の軍事大国化が進むほどに保守層の離反が進んでいるとして「私は自衛隊は違憲だし(←ここ重要)、憲法9条のもとで武力によらない平和が重要だと考えているが、今の段階で『自衛隊も日米安保も認めるけれど、集団的自衛権を認めることで自衛隊が人殺しの軍隊になることには反対』という人たちと手を組んで、大きな国民的共同をつくる基盤ができつつある」と訴えた。9条改正反対の1点で、良心的な保守の人々とも共同しよう、私たちの働きかけで保守の人たちは立ち上がる、というわけだ。そういえば最近、自民党の幹部だった人たちが共産党の機関紙「しんぶん赤旗」に時折登場しているが、こうした狙いがあったのだろうか。
 ともあれ渡辺氏のように「私は自衛隊は違憲だと考える」と立場をハッキリさせる人は、筆者は個人的に「この人は信用していいだろう」と一目置いている。自衛隊は違憲だと考えるのであれば、とるべき道は2つしかないはずだ。自衛隊の廃止を求めるか、あるいは憲法そのものが間違っているとして改憲を主張するか、どちらかにならざるを得ないだろう。まあ中には「違憲だけれど自衛隊は当面、活用する…」などと言い出す人がいて困らされるけれど。
 そういえばこの日の緊急学習会では集団的自衛権の行使問題がテーマだったはず。当然、言及されるべき日本を取り巻く安保環境についてはどうだったのだろうか。尖閣諸島をめぐる状況について、前出の山内氏が次のように述べていた。
 「中国に対しては首相による靖国神社参拝をやめて、尖閣諸島の領有権問題を棚上げすれば、緊張は緩和されます。素人の私が考えてもわかる単純なことを考えず、なぜ軍事力の強化に突っ走るのか、私には理解できない」
絶対に負けられない戦い
 これを聞いて筆者は、憲法記念日の民間憲法臨調での作家、百田尚樹氏の発言を思い出した。「戦後、中国はどんどん領土を拡大しています。隙あらばどんどん出てくるし、太平洋側にはとにかく出たい」「日本では鳩山元首相が普天間飛行場の移設先を『最低でも県外』と言った、その後に漁船民が尖閣諸島沖で海上保安庁の船にドーンとぶつかってきた。もう分かりやすくて話になりませんよね」。決して周辺国が何か挑発したわけではないのに、中国はどんどん「進出」してきたのだ。
 さらにいえば「日本の防衛費は1990年代からほぼ横ばいか微減していて、軍備の拡張も進んでいません。これは同時期国防予算を10倍以上に増やしてきた支那とは対照的です。(中略)しかし、支那や韓国との緊張は過去四半世紀にあり得なかったほど高まっています」「このような事実を前にしても未だに『平和主義』の幻想を捨てられない人々がいます。彼らは歴史からまったく学んでいません」(上念司著『国土と安全は経済(カネ)で買える』扶桑社新書)。まさにこれが「歴史に学ぶ」ということではないだろうか。
 山内氏は集団的自衛権行使の具体的な事例についても検討を加えているが、全体的に実にあっさりしており、これで大丈夫なのかと思わされる。一例として「我が国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域における機雷除去」について、山内氏によるレジュメから丸々引用させていただく。「ホルムズ海峡での事態(イランによる機雷敷設)を想定しているかもしれないが、現実には同海域における機雷敷設は行われる公算は少ない。かりにそのような事態になったとしても、中東地域における全面戦争においては日本は一方の側に立つべきではない。日本への報復テロ攻撃の可能性も想定せざるを得ない」。本当に「公算は少ない」で済む話なのだろうか。かつて「石油ショック」という事態があったが(皆さまもうお忘れでしょうか)、ペルシャ湾からの原油輸入が断ち切られても日本は耐えられるのか。「油断」という言葉が思い浮かぶ。
 そして中国は、周辺国の事情などおかまいなく、隙あらば東シナ海や南シナ海の島々に手を出してくる。何しろ韓国ですら、日本固有の領土たる竹島を占拠した実績があるのだ…。世の中には「絶対に負けられない戦い」というものが存在する。そのときに向けて、必要な法整備は着実に進めておかねばなるまい。
 以上、サムライブルー題字の産経新聞を勝手に代表して、サッカー王国・静岡出身の記者がお伝えしました。(でも愛唱歌は「信濃の国」。がんばれ松本山雅FC!)
msn産経ニュース 20140525
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140525/plc14052507050001-n1.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

憲法という国家の根本部分での食い違いから分党する日本維新の会の「発展的解消」はあるのか

憲法という国家の根本部分での食い違いから分党する日本維新の会の「発展的解消」はあるのか
 政治とは、国家の根幹を決め、国家の方向性を決める仕事である。もともとは「まつりごと」といい、神をまつることによって神のお告げを国民に告げ、その国民にお告げを守らせることによって国家全体の方向性を決めるのが仕事であった。だから「祭り」と「政治」は同一性を以てみられていたし、また、国家の根幹である「どの神を祀るのか」ということは、そのこと自体に争いはなかったのである。
 ある意味で当然である。ほかの神を信仰してれば、神からのお告げが正確に届くはずがない。お告げが正確ではないということは、国家がその方向性を誤るということである。国家の方向性を誤るということは、そのまま、国そのものが滅びるということである。
 国が亡びるといっても、それは、国民全員胃が死滅するというものではない。国家の成立は「国民」「領土」「主権」であるといわれているが、代替の場合は、「領土」と「主権」を失うということになる。要するに、国家が占領され、主だった抵抗勢力(武士・岸や王族など)が殺され、そのうえで、ほかの多くは「非占領民」として、「主権」を失い、奴隷となって不条理な搾取を続けられることになる。不条理な搾取とは、何も経済的な搾取ばかりではない。経済的な物や農産物などの成果物ならば、一般の国民であっても税金などを払っているのであるから、それなば「主権」を失ったことにはならない。少々税率が違うくらいであれば、「主権を失った」ということであれば「許容範囲」である。
 通常の場合は「身体の自由」や「子孫の自由」などがなくなることになる。奴隷として働かされ、また、その出産や婚姻を制限され、苦痛を強要され、そして、そのような「不自由」の中で死を迎えることになる。
 要するに、「戦争で死ぬ」ことよりもより屈辱的で苦痛な状況を「奴隷」として長期間継続して受忍しなければならない状況になる。
 この歴史は、実は、古代ギリシアや古代ローマ。あるいは古代中国などでも言われていることであるが、一方で、中世中国や中世の韓国(朝鮮半島国家)では通常に行われていたことである。また、ある意味においては、旧ソ連の社会主義国家や中国の共産主義における革命の中で行われた場合もある。そして、現在の中華人民共和国の自治区の中で行われている部分もあるのだ。
 そのようにならないために、国家の根源である部分をしっかりと決めなければならない。近代法治国家以降は、「祀る神」を選ぶ代わりに「憲法」という国家の根幹を決める「法」を決めることがその根幹になっており、そのことが政治の根本原理になっている。そして本来は、その政治の根本原理の部分を決めることが、政治家としての根本的な部分である。そして、その同一の志、方向性を持つものが「徒党」を組んで力を発揮する。それが「政党」である。
日本維新の会、分裂へ 結い合流めぐり石原、橋下氏が決裂
 日本維新の会の石原慎太郎共同代表は28日、名古屋市内で橋下徹共同代表と会談し、橋下氏が主導する結いの党との合流に反対だとして分党を申し出た。橋下氏も了承した。自民党や民主党に対抗する「第三極」として発足した維新は憲法観の違いなどを克服できないまま、約1年半で分裂することになった。
 石原、橋下両氏の会談は2人だけで行われ、約25分で終了した。石原氏は、橋下氏らが目指す今夏までの結いの党との合流について「自主憲法制定を認めない政党と一緒になることはできない」と述べ、党を割ることを提案した。橋下氏も、21日に続く再会談でも石原氏の考えを変えることは不可能と判断した。
 石原氏は会談後、東京に戻り、平沼赳夫国会議員団代表らと対応を協議した。29日に記者会見を開き、分裂の経緯などを説明する。
 維新所属の国会議員は衆参あわせ計62人。このうち石原氏とは、平沼氏ら旧太陽の党系を中心に少なくとも15人以上が行動をともにするとみられる。一方、橋下氏は今後、結いをはじめ民主党なども巻き込んだ野党再編を加速する考えだ。
 維新は橋下氏が代表を務める地域政党「大阪維新の会」を母体に平成24年9月に発足。同年11月、石原氏率いる太陽の党(当時)と合流し、橋下、石原両氏が共同代表に就任した。同年12月の衆院選では54議席を獲得し、自民、民主両党に次ぐ勢力となったが、その後、憲法や原発政策などをめぐる党内の政策の対立が表面化していた。
産経新聞 5月28日(水)19時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140528-00000558-san-pol
<維新の会>二枚看板わずか1年半「大歓迎」や「マイナス」
 日本維新の会の「二枚看板」は合流からわずか約1年半で袂(たもと)を分かつことになった。互いの人気の相乗効果を期待して手を組んだはずの石原慎太郎、橋下徹の両共同代表。「分党は大歓迎」「マイナスになる」。維新議員らの反応も二つに分かれた。
【「両代表の食い違い」棚上げのツケ回り】
 「えー」。28日夕の大阪府議会の議会控室。維新府議数人は分党を伝えるテレビのニュースを見て驚きの声をあげた。
 青野剛暁(よしあき)・府議団代表は「橋下氏がこれまで以上に大阪の改革に集中することにつながれば原点回帰になる。お帰りなさいと言いたい」と歓迎した。ある中堅府議も「そもそも橋下氏と石原氏の政策は違う。分党は大歓迎だ」と話した。
 大阪選出のある衆院議員は「石原氏の言う『憲法破棄』には付いていけない。維新はもともと統治機構改革から始まったから分党は良かった」と語った。
 一方、維新内の旧太陽の党系議員は「分裂ではなく、相手を尊重した結果の分党だ」と強調した。別の大阪選出衆院議員は「橋下氏についていくが、党の規模が小さくなり、もったいない」など不安を漏らした。
 大阪市議の一人は「有権者に『離婚』をアピールするわけにもいかない。せっかく、『結婚』したのに憲法論で別れるのは分かりづらい」と不満そう。
 維新の会兵庫県総支部前代表の新原秀人衆院議員(近畿比例)は「石原氏は党を割ってまで、なぜ自主憲法制定にこだわるのか。維新にとっても大きなマイナスだ」と述べた。
 ただ、冷静な受け止め方をする議員も少なくない。維新の会京都府総支部幹事長の清水鴻一郎衆院議員は「分党の話はテレビを見て初めて知ったが、驚きはない」と語った。
 分党のニュースが流れた後、維新幹事長の松井一郎・大阪府知事は府庁で記者団に淡々とした表情で語った。「橋下氏からの留守電を聞いただけ。まだ橋下共同代表とも直接話しできてない。みんな初めて、今ごろ聞いたところでしょう」
 橋下氏は名古屋での石原氏との会談を終えてホテルを退出。市民らには笑顔で握手に応じたが、報道陣の問いかけには一切答えず、新幹線に乗った。JR新大阪駅に到着後も報道陣には無言のまま迎えの車に乗った。
毎日新聞 5月28日(水)21時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140528-00000127-mai-pol
 その憲法に関する考え方が異なるとして、日本維新の会が石原慎太郎・橋下徹双方の共同代表が分党することを決めた。
 はっきり言うが、国家の根底を決める問題で合意も取れないで、その意思の統一もなく、同じ政党でいたのかというあきれた感覚が先に立つ。政治において根本の部分や政治哲学い、イデオロギーの部分がなく、単純に、「数の論理」で合わせった板だけということになる。それは単純に以前「剛腕」といわれ、今や政界のヒール役になり、そして徐々に政界の表舞台に出てこなくなった小沢一郎と同じとしか言いようがない。
 これでは指示がつくはずがないし、本当に日本のことを思っている人々が、この政党を支持するはずがないのである。
 それでよいのか?
 今まで何度も言われた言葉である。
 日本維新の会の分党において「本来の姿になった」と考えるのは私ばかりではあるまい。数の論理で政治を進めてきた人々の末路はすでに見てきた。
 一方、「現状打破」を訴える人もいる。もちろんそれが「数の論理」の原動力となる。数の論理の原動力は「現状否定」であり、それは「改革」「進歩」というような単語で自分を正当化することになる。しかし、その内容に関して、「現状を『どう』変えるのか」とい問いに対して、、まさに、その方向威勢が一致していない。否定するまでが一緒で、その先が全く一致していないということは、将来のカオスを想定させることになる。それでよいのか。いま日本はカオスにしてよいのか?現状否定、数の論理を訴える人はそのことを考えるべきではないのか。
 今回の内容は、単純にどっちが良い悪いではなく、そもそも政治とは、そもそも政党とは、ということを考える契機になる。そのような考えができるということになれば、日本国にとって「発展的解消」と評価できるが、たんなる現状否定では「悲しい自己正当化の遠吠え」にしかならない。
 今回のニュースが「国家にとっての発展的解消」なのか「悲しい自己正当化の遠吠え」なのかは、今後の彼らの動きで決まるが、はてさて期待できるのかどうかはなはだ疑問である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

謹祝 高円宮典子妃殿下ご婚約内定

謹祝 高円宮典子妃殿下ご婚約内定
 今日は短いかもしれないが慶事なのでお許し願いたい。
 皇室において、黒田清子さま以来の慶事で、高円宮典子妃殿下と、出雲大社禰宜で祭務部長の千家国麿さんのご婚約の内定が27日発表になった。
 高円宮家は、昭和天皇の弟君(本来はこの表記も不敬なのであるが、わかりやすくするために、あえて批判を覚悟でこの表記にさせていただきます)の妃殿下だ。
 皇室には珍しく、妃殿下が出雲大社参拝をされたときに、お知り合いになられ、そしてその後交際に発展し、長年、われわれ民間でいう「長距離恋愛」を行われてこられたという。なお、この内容は27日の記者会見の内容を参考にしており、独自に取材した内容ではないことをあらかじめ申し添えておく。
 一方、千家国麿氏は、代々出雲大社の宮司の家柄であり、今後宮司になる予定ではないかといわれている。まあ、マスコミ報道以外はあまり詳しくはないので、この辺でお許し願いたい。
 さて、20代での女王のご婚約は、なかなかまれであり、皇室の慶事である。これらの慶事に関し、記者会見では「天皇陛下からお許しをいただき」という言葉があったことが、何よりも印象的である。この忖度は勝手にしても怒られないと思うが、恐れ多くも忖度申し上げれば、陛下もお喜びのことであると考えている。
 今秋御成婚後、典子妃殿下は出雲に移られることになっているという。
高円宮家:次女典子さま婚約内定
 宮内庁は27日、高円宮家の次女典子(のりこ)さま(25)と出雲大社(島根県出雲市)祢宜(ねぎ)=宮司(ぐうじ)の補佐役=で、祭務部長の千家国麿(せんげ・くにまろ)さん(40)=同市=の婚約内定を発表した。一般の結納にあたる「納采(のうさい)の儀」などを経て、今年秋に出雲大社で結婚式を行う。典子さまは結婚に伴い皇籍を離脱する。女性皇族の結婚は、2005年の紀宮(のりのみや)さま(黒田清子さん)以来9年ぶりとなる。
 典子さまは大正天皇のひ孫にあたる「女王(じょおう)」で、女王の結婚は戦後初めて。典子さまと母の高円宮妃久子さまはこの日午前、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に報告。西ケ広渉・宮務主管が婚約内定を発表した。
 同庁によると、高円宮家と出雲大社の祭祀(さいし)を担う千家家は元々家族ぐるみの付き合いをしていたが、07年4月、久子さまと典子さまが出雲大社参拝の際に国麿さんと初対面。当時、典子さまは学習院大在学中で、その後交際を深めて、結婚の話が自然と出るようになったという。
 典子さまは1988年7月、高円宮さま(2002年急逝)と久子さまの次女として誕生。11年に学習院大文学部を卒業した。新年恒例の皇居・宮殿での歌会始の儀や赤坂御用地での園遊会などのほか、今年4月にはオバマ米大統領を迎えての宮中晩さん会にも出席した。
 趣味は演劇やバレエなどの舞台芸術の鑑賞、読書など。学習院女子中・高等科では演劇部に所属し、年4回の公演もした。
 国麿さんは出雲市出身。国学院大文学部卒業後、乃木神社(東京都)、石清水八幡宮(京都府)に勤め、05年に出雲大社に移った。趣味はバードウオッチング、カメラ。父尊祐(たかまさ)さん(71)は02年から出雲大社トップの宮司を務めている。【真鍋光之、古関俊樹】
 【ことば】出雲大社
 縁結びの神様として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祭る。本殿は1952年、国宝に指定された。神社建築の最も古い様式の一つ「大社造り」で、現在の本殿の高さは約24メートル。出雲大社の神事をつかさどる出雲国造(こくそう)は南北朝時代に千家、北島の両家に分かれ交代で務めたが、明治以降は千家家が務めている。現在の千家尊祐宮司は第84代出雲国造。昨年5月、「平成の大遷宮(せんぐう)」として60年ぶりの大規模改修を終えた本殿にご神体を戻す本殿遷座祭が営まれた。遷宮ブームで昨年の参拝客数は過去最高の804万人に達した。
2014年05月27日 12時50分毎日新聞
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140527k0000e040196000c.html
 さて、
 「おおらかで誠実な方」「妃殿下のたじたじしたところがほほえましく。温かさ、優しさというものが印象に残っている」ということを第一印象でお話しされている。もちろん、一般論として婚約会見などで悪く言うことはないが、しかし、その相手の印象が一致しているのは良いことではないかと考えられる。
 さて、気が早いが「子は鎹」という。
 もちろん、御成婚されれば、功績は離脱するが、それでも、陛下にとって、そして皇室にとっては、女系といえども血を引き継ぐ人が多くなることは慶事である。はやく、妃殿下の次の慶事、ご懐妊、ご出産の報を伺いたいと思っている。
 謹んでお祝い申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二つの「行きづまり」が中国の崩壊を招くという記事の解説

二つの「行きづまり」が中国の崩壊を招くという記事の解説
 中国では二つの政策が行き詰っている。
 一つは「民族政策」であり、もう一つは「経済政策」である。
 この二つの政策の行きづまりは、簡単に「民族」「経済」という話ではない。中国においては、「中国人民」の格差が大きくなったということを意味している。
 民族政策の行きづまりというのは、そのまま「民族」格差があるということを意味している。民俗の平準化と漢民族への帰属、そして、漢民族の文化慣習への統一化は、一方で、漢民族の文化的生活の平準化を意味している。その内容は、民族の自立を否定する「共産主義」そのものの「共産党以外の帰属する団体すべての否定」ということにつながっているのである。
 一方経済政策の行きづまりは、同じ漢民族の中で「共産党政治権力者」と「一般の人の間の格差」、漢民族の間の格差、要するに政治権力における格差を演出してしまっているということになる。
 その内容は、通常の国家ならば単純に「不公平」ということで済んでしまうのであるが、中国の場合は中華人民共和国憲法に明確に違反することになる。
 原始共産主義は、当然に、すべての万民の平等をうたっている。その平等ということを本気で信じ、中国の媚を売り、日本国内で反ブルジョワジー、反国家を主張している人がいる。反自民という政治的イデオロギーと一緒になって混同している人が少なくないのであるが、一方で、その内容が伝説的に「国家」「出自」「所属する団体」などから解放される人がいると信じているのである。
 しかし、実態は「強豪団体の解体」と「共産党による寡占化」であり、そのことが改革開放経済になって、共産党の寡占化とその搾取が顕著になってきたのだ。そのひずみがいつ爆発するか。その時が共産党の崩壊、まさに「中国崩壊」のタイミングである。そしてそのタイミングは、中国共産党の内部の人々が、格差に耐えられなくなった時に、内部から崩壊するという道筋を通ることになる。
新疆の爆発テロ、中共の民族政策「行き詰まりを示すのか」=華字紙
 米国の華字メディア・多維新聞は22日、中国の新疆ウイグル自治区ウルムチ市で爆発が発生し、多くの死傷者が出たことについて、「中国共産党が1950年から行っている民族政策が行き詰まっているのだろうか」と論じる記事を掲載した。
 記事は、新疆ウイグル自治区という「敏感な土地」で発生した爆発について、「重大なテロ攻撃」であると指摘、「新疆はいったいどうしてしまったのか」、「中国共産党が1950年から行っている民族政策は行き詰まっているのだろうかと疑問を抱かせるもの」と論じた。
 続けて、「新疆ウイグル自治区で過激派が台頭してきた理由」について、新疆社会科学院社会学所の吐爾文江副研究員の話として、「中国の経済発展という大きな流れのなかでウイグル族は隅に追いやられており、ウイグル族の就業率は低下、ウイグル族全体が貧困に直面している」と伝えた。さらに「新疆の資源や仕事が漢民族に奪われた」という言葉が過激派にとって民衆を煽る言葉になっていると紹介した。
 記事は、中国政府を「内部」、中国政府がテロリストと呼ぶ立場の側を「外部」と表現したうえで、中国の民族政策をめぐって「内部」と「外部」の対立は明らかだと指摘。旧ソ連が実施した「民族の識別と分離」に倣い、民族ごとに地域の発展を推し進めるのが「内部」の考えであるとし、「外部」はそうした民族政策を否定し、「中国共産党は少数民族政策を変えるべき」と直接的な行動に出ていると論じた。
 続けて、中国政府が国家安全委員会を設立したことや、習近平国家主席が反テロ活動の最前線である新疆ウイグル自治区カシュガル市を視察したこと、中国各地で反テロ演習が行われていることなどを挙げ、「中国政府が民族問題の難しさや厳しさを認識していることは明らか」と指摘した。(編集担当:村山健二)
サーチナニュース 2014-05-24 02:49
http://news.searchina.net/id/1533222
中国の不動産市場は「行き詰まり」?・・・識者「バブル崩壊を食い止められない」の見解=中国メディア
 中国メディアの南方都市報は19日、経済学者である馬光遠氏の見解として、「中国の不動産市場が行き詰まっていることは事実だ」と論じる記事を掲載し、「中国は不動産バブルの崩壊を食い止められない」と伝えた。
 馬光遠氏は記事において、2013年9月には不動産バブルが崩壊する可能性についてすでに警鐘を鳴らしていたが、当時、不動産価格および人民元の価格が上昇することに慣れてしまった人びとに「一笑に付された」と主張した。
 一方で、中国不動産市場の「転換」は人びとの想像を超えるほど速かったとし、「中国政府の公式統計や不動産開発会社の資金ショートといった報道から分かるとおり、不動産市場が行き詰まっていることは事実だ」と主張。
 さらに、「致命的な点は、現在の不動産価格の下落は以前のような政策主導によるものではなく、市場の自律的な反応であることだ」と論じた。
 さらに記事は、中国国家統計局が18日に発表した中国全土70都市の4月における不動産価格のデータを引用し、前月比や前年比で見た不動産価格の上昇幅などが月を追うごとに縮小していることを紹介した。
 また、過去10年間に中国の不動産価格を上昇させてきた「通貨の過剰発行」、「著しい経済成長」、「住宅に対する巨大なニーズ」という3つの要素のうち、「通貨の過剰発行」と「著しい経済成長」はすでに不動産市場をけん引する力を失っていると主張。
 中国で不動産投資の国内総生産(GDP)に占める割合が15%以上に達し、地方政府が財政収入の70%以上を土地譲渡に依存している今、「すでに不動産バブルの崩壊を食い止めることはできず、バブルが崩壊すればその代償を受け止めることは到底不可能だ」と論じた。(編集担当:村山健二)(写真はイメージ。「CNSPHOTO」提供)
2014/05/23(金) 06:34:32 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2014&d=0523&f=business_0523_002.shtml
 この内容の二つの内容がある。
 民族政策の問題だけでなく、特に、経済政策の問題が存在する。
 経済政策の問題は、まさに、不動産価格の格差とシャドーバンキングに尽きる。いや、通常ならばこれはバブルの崩壊ということになると考えられる。しかし、問題の根源はそれではない。まさに経済の不満は生活の不満であり多くの中国人民の満足を得られないということになる。
 以前中国の共産党員と話した時に、「13億人の人間を餓えさせないのは共産党しかできない。共産党がベストではなくても、共産党以外が植えさせない保証はない」ということを言っている。まさにその部分は大きな内容である。
 しかし、それ以上に問題なのは「共産党は信用できるのか」ということである。
 毛沢東以降、メンツの国である中国において、信じたものを裏切らないのは、最低限に必要な内容である。しかし、その最低限に必要な内容が崩れると、これから際に人民が生活でき餓えないという保証もなくなるのである。
 その内容はまさに、共産主義を遂行しなくても、革命を続行するということになり、そして経済的な状況で覇権主義を遂行しそのうえで、それが敗れれば、中国は完全に「共産主義」に象徴させる「精神的・イデオロギー的」にも、また「経済的」にも、そして、国際的にも没落してしまうのである。
 その端緒が「経済政策」と「民族政策」の行きづまりに現れている。
 李克強は、これに対して、他国技術の導入と国際貿易の正常化を訴え、国際経済社会における役割で中国の福建を目指していたが、習近平は、そのような協調性の持ち主ではないので、覇権主義、特に海への進出を大きくしている。この場合、戦争に発展しても仕方がないというような状況になっているのである。
 さて、このような中国の状況をしっかりとみることが、日本において最も必要なことではないのか。単純に、そのような本質を診ずに、表に現れた端緒だけを見て、大騒ぎをするのではなく、しっかりとした情報を見るべきではないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中国機と自衛隊機の異常接近とアメリカの弱体化と日本の独自防衛

中国機と自衛隊機の異常接近とアメリカの弱体化と日本の独自防衛
 24日、東シナ海で日本の海上自衛隊のOP3C画像情報収集機と航空自衛隊のYS11EB電子測定機が中国軍のSU27戦闘機2機の異常接近を受けた。
 自衛隊機は、中国とロシアの海軍による東シナ海上の軍事演習を監視していた。この二機の海上自衛隊機は、一揆は画像情報収集機であることから、遠距離から運時演習の内容を撮影するものである。要するに、高性能のカメラなどを搭載した飛行機である。一方、電子測定器は、基本的には軍艦や航空機の発する電波を収集し、その内容を解析する機器である。
 あまり詳しいことは書けないが、大体このようなことを、日本の海上自衛隊は日本の領空内で行っている。
 さて、今回の問題は、日本領空と中国の防空識別圏が重なっている場所で起きているということにまず注目すべきである。
 昨年9月に中国は一方的に防空識別圏を設定し、アメリカが仲裁に入ったが、アメリカの現在のオバマ大統領は習近平国家主席と直接交渉を行ったにもかかわらず、中国の防空識別圏が変更されることはなかった。このことの影響が、今回の東シナ海における中露軍事演習が行われ、そして今回の事件のようになるのである。
 アメリカの軍事力の背景に、西太平洋と極東中国の覇権主義の抑止力となっていた。しかし、ざんねんながら、現在のオバマ大統領はその「あてにならない弱いアメリカ」であるために、実際にアメリカの抑止力は、米軍基地を多く南西諸島に擁していても、まったく意味がない状態になってしまっている。
 そのために画像収集機や伝播測定機を、日本の自衛隊が独自に出さなければならないという状態になってしまい、そのことは、そのまま、日本の自衛隊が「最前線」に出なければならない状態になってしまっているということになっているのである。
 そのようなときに、この事件が起きた。
中国機が自衛隊機に異常接近「最短で約30メートル」
 防衛省は24日、東シナ海の公海上空で同日午前11時ごろと正午ごろ、海上自衛隊のOP3C画像情報収集機と航空自衛隊のYS11EB電子測定機が、中国軍のSU27戦闘機2機の異常接近を受けたと発表した。防衛省幹部は「最短で約30メートルまで接近した」と述べた。
 自衛隊機は中国とロシアの海軍による合同軍事演習を監視していた。演習は日本の領海近くで行われ、中国機の領空侵犯はなかった。小野寺五典防衛相は「偶発的事故につながりかねない危険な行為。外交ルートを通じて中国側に申し入れた」とコメントを出した。
 東シナ海での活動を活発化させる中国との間で緊張が高まり、防衛省統合幕僚監部によると、2013年度に領空侵犯の恐れがある中国機に対して航空自衛隊戦闘機が緊急発進した回数は、過去最高の415回だった。
(紙面から)
サンスポコム 2014.5.25 05:00
http://www.sanspo.com/geino/news/20140525/tro14052505000001-n1.html
中国軍機「常軌逸した行動」=小野寺防衛相が批判
 小野寺五典防衛相は25日午前、自衛隊機に中国軍戦闘機が異常接近したことについて、「常識を完全に、常軌を逸した近接行動だ」と批判した。防衛省内で記者団に答えた。防衛相は安倍晋三首相から24日に「しっかりとした態勢を取るように」との指示を受けたことも明らかにした。
 防衛相は「従前から行っている情報収集であるし、ましてや公海上であるので何の制限もない」と指摘。「今後も必要な警戒監視をしっかりと行っていきたい」と述べ、自衛隊の対応に影響はないとの見方を示した。
 また、防衛相は中国軍戦闘機がミサイルを搭載していたことを説明。「かなり緊張感を持ってクルー(搭乗員)は対応していた」と述べた。
 中国軍機の異常接近を受け防衛省は24日、自衛隊機搭乗員からの聞き取り調査を実施後、省内に防衛相ら幹部が集まり対応を協議。首相に報告するとともに、外務省に外交ルートを通じて抗議するよう要請した。 
じじつうしん 2014年5月25日(日)12時35分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/jiji-2014052500053/1.htm
「演習妨害」と反論=自衛隊機への異常接近-中国国防省
 【北京時事】東シナ海上空で自衛隊機に中国軍機が異常接近した問題で、中国国防省は25日午後、「自衛隊機が中国の防空識別圏に侵入し、中ロ合同演習に対し偵察・妨害を行った」と反論する声明を発表。自衛隊機が演習空域に入り危険な行動を取ったと主張し、日本側に「一切の偵察と妨害活動をやめる」よう求めた。
 声明によると、中国軍機は自衛隊機に対し緊急発進(スクランブル)。「必要な識別、警備措置を取った」という。
 声明は中国軍機が30~50メートルまで接近したことには触れず、中国側の行為を正当化している。
 国防省は「自衛隊機が断りなく演習空域に入り、危険な行動を取ったことは重大な国際法と国際規則違反だ」と主張。誤解を招き、空中事故を引き起こしかねないと、日本側を非難した。その上で、日本側に「緊急の申し入れ」を行ったことを明らかにし、偵察と妨害をやめなければ「一切の結果は日本側が責任を負う」と警告した。 
じじつうしん 2014年5月25日(日)17時50分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/jiji-2014052500094/1.htm
 さてこの件に関して中国側の発表は中国軍機は自衛隊機に対し緊急発進(スクランブル)。「必要な識別、警備措置を取った」(上記より抜粋)とあり、また「自衛隊機が断りなく演習空域に入り、危険な行動を取ったことは重大な国際法と国際規則違反だ」と主張(上記より抜粋)とある。
 さて、この中国の主張を認めれば、中国の防空識別圏を認め公海上(尖閣が中国の場合は公海上にはならないのであるが)でも中国の支配権を認めることになるために、尖閣諸島の制空権は中国が保有しているということを意味する。単純に言えば、尖閣諸島は中国のものであると認めたことになる。一方日本の小野寺防衛大臣は「常識を完全に、常軌を逸した近接行動だ」という話になる。
 まさに、軍事演習に名を借りた「威示行為」であり、軍事力を背景にした領土の偏向である。当然に国連憲章に違反した行為である。
 しかし、中国は安全保障理事会において拒否権を持っているのであり、国連における決議も取れない。まさに中国の横暴を止める手段はないのである。
 さて、前半ではアメリカの弱体化を書いた。
 アメリカは民主党政権になると、軍事的な話を行わない「融和主義」をとる。しかし、世界はアメリカに対してその融和主義を全く期待していない。そのために、「世界の警察」としてのアメリカが民主党政権になると「警察不在」の状態になる。その警察不在の状態は、「犯罪国家の横暴」を許すことになる。
 今回の中国も同じ内容であり、そして「横暴」」を止められない状態は、限界に達し「戦争」に発展する。
 アメリカから見て第一次世界大戦も第二次世界大戦も、また、キューバ危機もベトナム戦争も、いずれも民主党政権の時に行っているというのは、決して偶然ではなく、アメリカがアメリカとしての国際社会の役割を全く行わないということが、各国の戦争に発展する状態を起こしてしまっている歴史的な状態だ。アメリカは歴史をもう少し学んだ方が良い。
 そして、今回は、その横暴によって暴発したのが、ウクライナにおけるロシアと、南シナ海・東シナ海での中国、そしてシリアを含む中東である。南スーダンの暴動などを考えれば、アメリカの弱体化が世界各国の暴動を引き起こしている。これを避けるためには、日本は日本が独自に国防を行えるようにしなければならないのである。その覚悟が日本人にはできているのか。私はまだまだ疑問である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(194) 産経新聞の社説検証でわかる新聞のスタンスと読者への警鐘

マスコミ批判に関する一考(194) 産経新聞の社説検証でわかる新聞のスタンスと読者への警鐘
 この連載も194回目になる。
 いい加減飽きてきた、という感じがあるのと同時に、よくまあ毎週毎週、これだけのネタを提供してくれるものであると感心してしまうものである。実際に、毎週月曜日を基本に行っている。はじめのうちは、批判をするためのものではなかったので、新聞社の内部のことなどを書いていたが、徐々に、新聞の表れたものや読み方などを書いてみたのである。
 それにしても「批判」が尽きない。
 いまだに新聞社ややマスコミ、メディアは「自分たちが第四の権力者」であると考え、「表現の自由」という「義務を伴わない人権」を基に、自分たちの考えを一方的に国民に押し付けるということを考えているのである。しかし、そのようなことでよいのであろうか。層ではないので、若者を中心に「テレビ離れ」や「新聞離れ」が進んでいるのである。実際に。これらの「離れ」は、一つには日本人の価値観が多様化したということの表れであり、新聞から押し付けられる価値観というものに対して、その価値観を検証し、なおかつ、自分なりの価値観にあったメディアを見つけるようになったのである。
  当然に、そのような「価値観の多様性」に持って行ったのは、メディア自身である。メディアは、ある意味で時代の流れとして、またある意味、戦前の画一的な軍国主義が戦争を引き起こしたという観念から(ここではこの観念が正しいか、誤っているかという判断はしない)、または、55年体制以降の自民党一党与党体制の政治的な抵抗(そもそもメディアや新聞などのマスコミが、その現象を無視して政治的な意見をゆがめ与党体制を変えようともくろむこと自体が、マスコミの思い上がりとしか言えないのだが)、そのほかの内容から、「価値観の多様性」を推進してきた。
  当然にマスメディアにおいて、これらの内容は適用される。要するに、マスコミやメディアは、自分たち自身で「政治的な目論見」から「多様化した価値観」ということを演出したのに対して、政治だけではなく、自分たちの「情報発信者としての価値」ですら「多様性」を認めさせてしまったのである。
  そのことは、マスコミの購読者の減少やテレビ視聴者の減少、そしてインターネット利用者の増加として存続し、マスコミの収入を激減させているのである。
  そして、最近ではそのマスコミ自体も価値観が多様化してきたのである。
【社説検証】「集団的自衛権」報告書 「産読日」「朝毎東」で賛否二分
自衛隊活動の制約解けと産経
 政府の有識者会議が憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を求める報告書を安倍晋三首相に提出し、首相は早速の記者会見で本格的な与党協議に入る考えを表明した。
 産経は「日本の平和と安全、国民の生命・財産を守るため、当然の政治判断がようやく行われようとしていることを高く評価したい」とし、読売も首相の方向性を「改めて支持したい」と、ともに歓迎した。日経は見出しの「憲法解釈の変更へ」に行使容認に対する賛意を示したものの、「国民の理解を得られるように丁寧な説明、粘り強い対話を求めたい」とやや慎重な姿勢をのぞかせている。
 3紙はいずれも、尖閣周辺や南シナ海で力による現状変更を図っている中国の脅威など安全保障環境の悪化に言及し、この事態を乗り切るには「日米同盟の信頼性を高め、抑止力を強化する必要がある」(産経)、「重大な事態にきちんと対処できないようでは、日米同盟や国際協調は成り立たない」(読売)などと訴えている。
 具体的には次のように書く。
 産経「米軍将兵は命をかけて日本の防衛にあたる。その同盟国が攻撃を受けているのに、近くにいる自衛隊が助けなければ、真の絆を強められるだろうか。日本の国際的信用も失墜しかねない」
 日経「(財政難で)内向きになりがちな米国の目をアジアに向けさせるには、日本も汗を流してアジアひいては世界の安定に貢献し、日米同盟の絆を強める努力がいる」
 一方、行使容認に反対の朝日・毎日・東京は、憲法上許されないとの見解で一致している。「憲法に基づいて政治を行う立憲主義からの逸脱」(朝日)、「自衛権行使は必要最小限度の範囲にとどまるべきだ。(中略)集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるため憲法上許されない」(毎日)、「憲法を改正するのが筋」(東京)。
 「戦争への懸念」を強調しているのも共通点だ。「日本が攻撃されたわけではないのに、自衛隊の武力行使に道を開く。これはつまり、参戦するということである」(朝日)、「『戦争する』権利の行使を今、認める必要性がどこにあるのか」(東京)-など。
 この種の懸念に関して産経と読売は全く逆に、むしろ「戦争抑止のための行使容認」であることを力説している。「行使容認によって(戦争への)抑止力が向上する効果を生むとみるべきだ」(産経)、「行使を可能にしておくことで日米同盟を強化し、抑止力を高めて、紛争を未然に防止することにこそ主眼がある」(読売)。
 報告書はまた、尖閣に中国の偽装漁民が上陸した場合など武力攻撃手前の侵害である「グレーゾーン事態」にも「切れ目のない対応」ができるよう求めている。産経は「これに対応する領域警備の法整備は急務だ」と主張し、読売と日経は公明党との間で議論を深めるよう促した。3紙とも事態への対処は重要であるとの認識だ。
 だが、国連安保理決議に基づく多国籍軍への自衛隊参加などの有識者会議提言については、これら3紙は必ずしも論調を一にはしていない。
 安倍首相がこの提言を採用しない考えを示したことに批判的だったのは産経だけで、「疑問もないわけではない」とした上で「自衛隊の活動への強い制約を解くことが課題である。内外に表明している積極的平和主義の具体化へ、現実的対応を求めたい」と首相に注文をつけた。
 対して日経は「国際貢献のための武力行使を容認するくだりを首相が『採用できない』と明言したのは当然だ」と評価し、読売も特に批判はしていない。
 昨日から始まった与党協議の行方が注目されるが、とにもかくにも、わが国がもういいかげんに「普通の国」に戻らねばならないことだけは確かである。(清湖口敏)
msn産経ニュース 20140521
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140521/plc14052111000008-n1.htm
 さて、今回題材にしているのは「社説」である。
  この連載を読んでいただいている人には、すでにおなじみと思うが、「社説」は「その新聞社の信奉している説」を書く場所であり、ここは「偏ったり、個人的な意見であったりということを書いても許される場所」である。新聞記者や編集者といえども、一人の人間であり日本国民(と思えない人もいるし明らかに外国人もいるのであるが、その辺は今回の題材とは異なるので、問題にしないことにして)であるから、当然い「言論・思想信条の自由」から、自分の思うことを書き、表現することが許されるはずだ。
  しかし、新聞社である以上、その内容が偏ってしまってはいけない。そこで、「社説」という部分を設けて、会社としての「個人的な意見」を書く場所を設け、その中を自由に論じることを許されているんのである。
  よって、今回の「集団的自衛権」論争であっても、「集団的自衛権反対」「集団的自衛権賛成」「解釈改憲賛成」「集団的自衛権は賛成でも憲法改正を必要とする」など、さまざまな意見があり、その意見において、どの立場に立つかということを「社説」として自由に記載することが可能なのである。
  さて、今までは結構な確率で、この社説であっても似たような内容になっていたのであるが、民主党政権の体たらく以降、「保守」と「革新」または「民主党より」「自民党より」あるいは「日本国より」と「中国韓国の意見に忠実」というような感じで、意見が分かれてしまっている。
  集団的自衛権に関しては、上記のように「内容の賛否」と「方法論の賛否」の二つの基軸があり、その中身がかなり変わってきている状態であるといえる。その内容に関しては、記事の通りであり、なかなか面白い結果になっている。特に、朝日新聞よりもどこかに行ってしまっている東京新聞の「左傾化」は、あきれてしまう感じがするのである。ほぼ、日本語を理解できないというレベルに近い。
  さて、ここで注意しなければならないのは、「このような論調で編集し、報道の自由を訴え、なおかつ、報道しない自由で情報を取捨選択したのが新聞」であるという事実である。もちろん、保守派だからよいとか悪いとかというものではない。実際に、読む側は、ほとんど社説などは読まず、ニュースを読む。しかし、社説を読んで、その部分を割り引いて読むことによって、新聞から事実を抜き出すことができる。そして、新聞の編集者の「裏の意図」を読み解くことができる。
  「アカヒ新聞」「在日新聞」「東京新聞はアカヒや犬HKより言っている」などという前に、これらの新聞から、社説を引き算して事実を読み解き、本当に必要な事実が書かれているのか、あるいは事実すら書かれていないのか。そのことを、賢い読者は検証すべきではないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保守的解釈による日本国憲法講義私案 第76回 内閣の任命と議院内閣制

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第76回 内閣の任命と議院内閣制
 前回は「行政権」ということについt少し学んだ。
  今回は少々退屈ではあるが「決め事」について考えてみたい。
  日本は「議院内閣制」である。
  では「議院内閣制」とはいったい何なのか。
  知恵蔵2014の解説
日本国憲法は、立法、行政、司法をそれぞれ国会、内閣、裁判所に帰属させ、相互の抑制と均衡のもとに、政治を運営することを基本としている。
これは、いわゆる三権分立の原則といわれる。だが、三権が、全く対等の立場に置かれているわけではない。
国民主権に基づき憲法第41条は、国会を「国権の最高機関」と定めている。
行政権の主体である内閣は、内閣総理大臣とその他の国務大臣から構成されるが、総理大臣は国会議員の中から国会の議決によって指名され、その他の国務大臣は、内閣総理大臣が任命するが、過半数は国会議員でなければならない。
内閣は連帯して国会に対して責任を負い、衆議院の信任がなければ存立しない。衆議院での信任決議が不成立の時、ないしは衆議院で不信任が議決された時、内閣は総辞職をするか、議決から10日以内に衆議院を解散し、国民の信を問わなくてはならない。
このような国民の代表機関である国会の信任を受け、国会議員の中から主要な閣僚が選出され、行政権の行使にあたって国会に連帯責任を持つ内閣制度を、議院内閣制という。
日本に内閣制度が導入されたのは、1885(明治18)年だが、大日本帝国憲法(明治憲法)の下の内閣は、天皇によって任命された閣僚で構成され、大臣が個別に天皇に輔弼(ほひつ)責任を負うものとされた。
総理大臣は同輩中の首席でしかなく、議院内閣制からは程遠いものだった。従って、日本の議院内閣制は、現行憲法の下で初めて実現した制度である。
( 新藤宗幸  千葉大学法経学部教授 )
(改行は筆者による、メルマガの都合)
 ということである。
 
第六七条【内閣総理大臣の指名、衆議院の優越】
1 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
第六八条【国務大臣の任命及び罷免】
1 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
第六九条【内閣不信任決議の効果】
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
第七〇条【内閣総理大臣の欠缺・新国会の召集と内閣の総辞職】
内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。
第七一条【総辞職後の内閣】
前二条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。
 日本は「議院内閣制」であるから、「内閣総理大臣」は国会が指名する。
  これはあくまでも国会が、国権の最高機関であるということから、国会を中心に国家の統治機構が形成されている。
  以前菅直人衆議院議員は、鳩山内閣の副首相であったときに、この議院内閣制を以て「日本には三権分立は存在しない」という発言をしたことがあった。
  あきらかに間違いであり、国権の最高機関の指名により、天皇によって任命され、内閣が形成されるのである。
  よって、最終的には天皇が決定するというものであり、国会の意のままに内閣を操れるものではない。
  このような発言が出てくるのは、当時の民主党内閣が発言の自由や議員個人の権限を全く認めない「集団主義政治」を行っていたことによるものであり、それは、根本から民主主義を否定していたということになる。
  国会議員を長年やっている民主党の副首相が恥ずかしいことである。
  当然に内閣総理大臣、および内閣全般は、国会から独立して「行政権」を行使する。
  行政権の行使に対して、国会の承認を得るものではない。
  その部分は「信任」というような形でもよいのかもしれない。その分、不信任決議などを行うことが可能であり、憲法には、その場合の規定が存在するのである。
  ということが制度論である。
  もう一つ、首相公選制を主張する人がいる。
  首相の公選は、「天皇による任命」というものを完全に無視した内容である。
  行政権の直接民主制を言う必要もなく、立法の法律内容を内閣が執行するという前提であれば、直接公選制を言う必要はない。
  「行政権」を「省令や通達などを乱発して国会や法律から独立の権限を持たせる」ということを想定すれば公選制になる。
  しかし「日本で唯一の立法機関」が国会であり、それ以外のものは法律として認められていない。
  昨今、地方自治などの問題も、さも独立国であるかのようなふるまいをする地方行政を見受けるが、すべて違憲状態に近いといわざるを得ない。
  その意味で「行政権」を考えた場合に、常に「国会に対して責任を負う」とした議院内閣制を、そのまま考えた内閣の体制になっているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アメリカの本当の敵は「デブ」と「ジャンクフード」

アメリカの本当の敵は「デブ」と「ジャンクフード」
 今日は土曜日である。
  ということで、あまり政治と関係のない話をしていようと思う。
  さて、よく「獅子身中の虫」ということが言われる。本当の敵は己の中に、など様々なことが言われるのが敵味方の問題である。過去の戦争の歴史的に考えてみれば、よほどの圧倒的な戦力差があるか、あるいは、計略や奇襲攻撃などがない限り、壊滅的な敗北というのは、存在しない。特に、攻城戦の場合などは、城そのものが防御に適したつくりになっていることから、城そのものが完全につぶされてしまう幼のな戦いは少ないということが言える。
  たとえば、豊臣秀吉の小田原城攻めに関しても、基本的には圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、豊臣秀吉は、力攻めをすることはなく、囲んだままであった。最終的には、小田原城の中から内通者が出てくることによって、小田原、北条氏が降伏するという形になったのである。
  徳川家康の大坂の陣も、基本的には攻めあぐねており、冬の陣では、真田丸の攻防で実際には手も足も出なかった。そのために「国崩し」という大砲で心理的に圧迫し、そのことによって堀や兵を打ち壊して夏の陣になったのである。夏の陣は、すでに城としての形を持っていなかったので、攻城戦とは言いにくい。
  このように考えていると、基本的に大きな戦争の勝敗は、味方陣営の内部の統率と結束力で決まるものであり、その結束力が崩れた側、要するに的に内応した側が負ける。それは、まさに席柄の戦いで、東西互角の戦いをしていた時に、小早川秀秋の裏切りで勝敗が決した。それほどの話なのである。
  しかし、これは歴史上の話、現代において「獅子身中の虫」といえば、どうも違うことのようである。
「若者の肥満」がアメリカ軍最大の敵
 アメリカの若者の多くは兵士として戦うには太りすぎている。そんな最新調査が発表された。
 退役軍人による安全保障支援団体「ミッション:レディネス」が9月25日に公表した報告書によれば、高カロリーかつ栄養素の少ないジャンクフードのせいで、17~24歳の若者の27%にあたる900万人が米軍の軍務には不適格なほど太っている。彼らは入隊を希望しても、基準体重をオーバーしているため身体検査で不合格になる。基準体重をオーバーすると、訓練についていけず除隊となったり、実戦で支障が出る可能性が高まるからだ。今や太りすぎは、健康診断で入隊を拒否される最大の要因だ。
 この問題は軍事費にも悪影響を及ぼしている。米国防総省は毎年、現役の兵士やその扶養家族、退役軍人の肥満に関連する問題のために10億ドルの医療費を費やしているという。
 ミッション:レディネスのメンバーは、肥満には国民の健康問題以上の重要性があると話す。これは国家安全保障の問題だ。特に若者の太り過ぎは、将来的な米軍の戦闘能力を脅かす。
「最後的には、この国の安全を守るのは航空機でも戦車でも船舶でも情報技術でもない。軍服を着て、兵役に就いている一人ひとりの人間だ」と、元空軍の中将で現在はミッション:レディネスの広報担当を務めるノーマン・サイプは言う。
 彼らの考えでは、問題解決の鍵はアメリカの学校制度にある。そこで2010年から、子供たちの肥満率を下げるために学校のカフェテリアや自動販売機からジャンクフードを追い出し、もっと健康的なメニューに変えるよう働きかけている。
Newsweek日本版 20140520
http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2012/09/post-2701.php
 ジャンクフードが健康に悪いというのは、すでに誰でもが知ってることである
  偏った栄養素と高カロリーの食事は、肥満を引き起こさせ、なおかつ健康を害する。このことは、何となくわかっていた。以前は「カウチポテト」という現象がアメリカで流行し、ビデオを見ながら運動もせずスナック菓子とコーラを摂取する体制が話題になった。
  一時は、アメリカの一流企業では「肥満の人間は採用しない」などの話が出ており、肥満そのものが社会悪であるかのごときないようになっていた。
  それでも「肥満側の言い分」として「だれにも迷惑をかけていないのだから、よいではないか」というような話になっているのである。
  しかし、そのような肥満側の論理を打ち砕く新たな発表がなされた。まさに「若者の肥満のために、兵士として不適格ン隠元が多く、アメリカ軍が弱体化する」という論理である。要するに「デブはごくつぶしで、国家の防衛の役に立たない」という素晴らしい論理展開が行われ、その中において、そのデブのもととなる「ジャンクフード悪者説」を展開し、「子供たちの肥満率を下げるために学校のカフェテリアや自動販売機からジャンクフードを追い出し、もっと健康的なメニューに変えるよう働きかけている。」(上記より抜粋)のだそうだ。
  これは、学校教育課題責任であり、自己管理能力の欠如を自力で構成できるということをすでに放棄してしまっている状態にあるのだ。その状態は、単純に言ってアメリカ人の意志の弱さと、同時にアメリカのジャンクフードの「麻薬的リピート誘引術」が隠されているということになる。
  この論文を逆に転用すれば「仮想敵国である中国において、大量のジャンクフードを、特に軍駐屯地の近所で流行させれば、アメリカは富を得ることができ、なおかつ中国人民解放軍の弱体化を引き起こすことが可能」という、かなり遠大な陰謀(あえて、陰謀という)ではあるが、中国の弱体化を行うことが可能だ。日本のジャンクフード店もその辺を「国家戦略的」に行うことはしないのであろうか。
  一方、日本のヘルシーな「おつまみ」を、アメリカで流行させるということは、この報告書を真実とすれば、そんなに難しくない。あまり肥満につながらないバランスのとれたおつまみを用意して出せば、アメリカは「軍をあげて」採用するのではないか。
  何しろ「食べ物を売る」ことが「国防」につながり、逆では「敵軍の弱体化」という「陰謀」に活用できるということである。この記事を読んで「アメリカ」または「中国」における「ビジネスチャンス」と考えた人はどれくらいいるのであろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幻の中露同盟を夢見る中国反米派軍人と実際の中露関係の埋められない乖離

幻の中露同盟を夢見る中国反米派軍人と実際の中露関係の埋められない乖離
 中国とロシアが以前よりも接近しているということは、特にだれも否定するものではない。しかし、その内容はあくまでも、最近まで「国境も決められない対立国家」であったものが、とりあえず「首脳会談を開くことのできるレベルの接近が行われるようになった」というレベルであり、軍事同盟や運命共同体のような関係性を、少なくとも近年内に実現出来るという見通しは全く立っていない。
  では、なぜ中国のタカ派将軍は「アメリカの外交の失敗で中露が接近した」というような謎の発言をしたのか。前半は、このことについて簡単に考えてみたい。もう一つは、後半に実際の中露関係はどのようになっているのかの考察をしてみようと思う。
  さて、簡単になぜ中ロ接近を宣伝したのか。
  これには二つの理由がある。一つはアメリカに対するけん制である。現在東シナ海で行われている中露海軍軍事演習を含め、中国はアメリカの西太平洋の動きに非常に注目している。実際に、日本と韓国に関しては、その軍備はほとんど把握しているといって過言ではない。日本の場合は、民主党政権の時に、日本の軍事機密の多くは「東アジア共同体」の掛け声とともに「東アジアに国境はない」と主張し、兵器や自衛隊の愛知など細かい軍事機密がほとんど中国に漏れている。それでも、日本は安倍内閣になってからそれを止めているが、一方で、韓国は現在でも中国に軍事機密を売る将軍が少なくない。アメリカ製の兵器の設計図などはほとんど韓国経由で中国にわたっているのである。
  しかし、アメリカ海軍の最新鋭の装備並びに、安倍内閣にあってからの日本の自衛隊の発展に関しては、中国も完全に把握していない。そもそも中国が海軍力でアメリカに対抗しえない状態にあるということから、「中国と戦争になればロシアが援護する」というような宣伝をしておかなければならない。そのための宣伝であるということが一つには言えるのである。
  もう一つは、習近平外交の成功例を宣伝しなければならないということだ。習近平の外交はどれも失敗している。失敗しているから、強硬手段にならざるを得ないし、そのために東シナ海だけでなく、ウイグル・チベット・南シナ海・インドなど、国境すべてにおいて問題が出ている。昨日のブログにも書いたが、属国であった北朝鮮が離れてしまうくらいの外交力の低下は、習近平にとって致命的であるということが言える。そのために、成功例が一つでもあれば、このように宣伝するということである。
  記事を読めばわかるが、中露軍事同盟も「中国側から断る」というスタンスで、討論番組の出席者はすべて発言している。まさに「主導権が中国にあるかのような主張」が行われているのである。
中国タカ派将軍「米国は中ロを接近させた。してはならない失敗だ」・・・討論番組で孤軍奮闘、他の出席者「違いますが」
 中国戦略文化促進会の羅援常務副会長は17日放送の鳳凰衛視(フェニックステレビ)の討論番組に出演し、ロシア・メディアによる「米国はウクライナ問題でロシアと、南シナ海の問題で中国との対立をエスカレートさせた」、「米国は中ロを接近させた。“自殺行為だ”」との論調に、ただちに賛意を示した。ただし他の出席者は、「中ロ関係の現状」、「中ロが接近することの是非」などを考え合わせ、羅副会長の考えを次々に否定した。羅援常務副会長は退役した解放軍少将であり、現在でも「タカ派将軍」と呼ばれている。
 フェニックス・テレビが17日に放送した「一虎一席談」で、司会の胡一虎さんまず、ロシアでの報道を紹介。「米国はウクライナ問題でロシアと対立をエスカレートさせ、アジアでは領土問題でフィリピンを力強く支援するなどして、中国に強烈な不満をもたらせた」、「米国は中ロを接近させた。“自殺行為だ”」との論法を伝え、「中国、ロシア、米国、日本、この4つの国が演ずる動きは従来通りなのでしょうか。新しいものになるとすれば、どうなるのでしょうか」などと、出席者に尋ねた。  
  最初に発言したのは羅常務副会長で、中ロが接近したとの見方に対して「私はその言い方に賛成します。中ロの関係ですが、われわれには共通の利益があります。同時に、われわれには共通の脅威があるからです」と主張した。  
  羅常務副会長の「中ロは接近している」との見方に対し、軍事専門家の邵永靈氏は「(現状でも)中ロはかなり接近しています」とした上で、「これ以上接近することには賛成できません」と述べた。  
  中央科学院ロシア欧州研究所の鄭羽研究員も「軍事同盟という角度から言えば、現在のところ(中ロがさらに接近することは)不可能ですね」と、はっきりと否定。  
  北京に本部を置く道紀忠華シンクタンクの日本法人に所属する庚欣研究員は「中ロ間には、深い歴史の経緯があります。同時に現実の圧力もあります」などと言葉を選び、中ロの接近は「将来的には期待しています」と述べた上で「ただし、それは盟友関係ではありません」と述べた。  
  米国で活動している王淵源氏は、「米国は中ロの関係について、大きな関心を持っています」と述べた上で、米国が中ロとの対立を高めたが「それは自殺行為ではありません」と解説。  
  王氏は「米国には実際のところ、多くの盟友があるのです」と指摘した。「たとえば欧州では、主に北大西洋条約機構(NATO)を頼りにすることができます。アジアの主要な盟友は日本でしょう。韓国やフィリピンも含められます。したがって、米国が孤立して(中ロの)二大大国に対抗するという構図にはならないのです」などと、世界情勢の複雑さを説いた。  
  王氏はさらに米中関係についても「絶対に、互いに抑制しあうだけという単純な関係では、絶対にありません。両国関係でも多くの協力関係があり、多くの接点があります。抑制というのは両国関係において、一部分としかなりえないでしょう」と述べた。  
  王氏の見方に、邵永靈、鄭羽、庚欣の専門家3氏は特に異議を唱えなかった。一方、羅常務副会長は改めて「米国自身の角度から見れば、米国は過ちを犯していないのだろう。ただし、傍観者である学者から見れば、私は米国は『兵家』が強く戒めるところの、両面作戦をしていると認識している。2つのげんこつを相手にしているわけだ」と力説した。
   ********** ◆解説◆  
   フェニックステレビは香港に本社を置くが、主な放送対象は香港ではなく「全世界の華人向け版のCNN」を目指しているとされる。論調は中国政府よりとの意見が強い。「一虎一席談」司会の胡一虎さんは台湾出身のジャーナリストで、北京大学の修士号も取得している。(編集担当:如月隼人)
2014-05-20 16:33 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1532848
ロシア産ガスの対中供給交渉、価格面でまだ折り合いつかず | Reuters
[上海 20日 ロイター] - ロシアのプーチン大統領の中国訪問に同行しているドミートリイ・ペスコフ大統領報道官は20日、中国への天然ガス供給に関する交渉について、価格面でまだ折り合いがついていないと述べた。
 同日中のガス供給契約の締結は見送った格好となったが、プーチン大統領が21日に訪中を終える前、あるいは今週後半にロシアのサンクトペテルブルクで開催される経済会議に合わせて合意に至る可能性は残されている。
 ペスコフ報道官は「訪問はまだ終わっていない。協議を継続する。かなりの進展が見られるものの、価格面での調整がまだ残っている」と指摘した。
 一方、中国の習近平国家主席は、ウクライナ情勢をめぐりプーチン氏の立場を支持。両首脳は会談後に公表した声明で、ウクライナをめぐる緊張を緩和し、「既存の問題に対する平和的、政治的な解決策」を求めた。また、ウクライナの問題は「国内問題」だとの見解を示した。
 プーチン大統領の訪中をめぐっては、ロシアの国営天然ガス大手ガスプロム(GAZP.MM: 株価, 企業情報, レポート)が30年にわたり中国石油天然ガス集団(CNPC)[CNPET.UL]に年間380億立方メートルの天然ガスを供給する契約が交わされることへの期待が高まっていた。アナリストは契約額を4000億ドル程度と予想している。
 中ロ両国の交渉は長年にわたり価格面で折り合わずに平行線をたどってきたが、ウクライナ情勢を受けて欧州諸国がロシア産ガスへの依存度を引き下げようとしているため、脱石炭依存を図る中国とロシアの利害が一致したとみられる。
 ただ、ガスプロムなどに近い関係筋は19日、同社が中国側に対し、2018年から始まる年間380億立方メートルのガス供給のために250億ドルの初期支払いを求めたと明らかにした。中国側はこれまでのところ、支払いを約束することをためらっているという。
 中国が価格の引き下げを求めていることが原因で価格での合意がまとまっていない可能性が高い。
 中ロ両国は共同声明で、エネルギー部門とインフラ開発で協力を強化すると表明。金融での連携を強化し、ルーブルおよび人民元建ての貿易の増加を目指すと宣言した。
(内容を追加しました)
ロイター.co.jp 20140520
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0E00GC20140520
 では、実際の中露関係はどうなのか。
  ロシアのプーチン大統領はしたたかな人物である。少なくとも習近平に比べてはるかに狡猾といえば悪い言い方だが、頭が回る。
  まず、中国が東シナ海並びに南シナ海でガスや石油の産出ができない状態であれば、それを自分のところから売るという話になっている。これは、ロシア大統領としてではなくガスプロム社の会長としてお「セールス」である。
  そして、そのセールスの値段交渉で、はじめは高く言い、徐々に値段を下げて交渉するというのは、どの国でも同じだ。日本では「ロシアが中国のために値下げした」と一定騒いでいるが、実際の提示値段はオランダやベルギーに出している価格の3倍である。それを半分に下げてもとうとう価格の1.5倍である。そして、他よりも高い値段を吹っ掛け、そのうえで反米という共通項を出しながらウクライナの支持を取り付ける、そのやり方は習近平外交のはるかに上を言っているといえる。
  あえて言えば「プーチンは、中国を意のままに利用している」ということが言える。
  あとは、日本の左翼と同じ。「仲良くなった」といって利用され、国の根幹の重要な部分を持っていかれて、骨抜きにされてしまう。これは中国や韓国と日本の民主党政権の時代と全く同じ構造である。中国にとっては「超大型ブーメラン現象」ということができるのか。逆に言えば、それに気づくまで「わが世の春を謳歌」できることになる。よく考えれば、日本でも村山、鳩山、河野など、現実が明らかになって、なお、「わが世の春」を謳歌している、年中頭の中が現実と異なって「春」の人がいるが、中国も似たようなものになっているのである。
  中国の要人と話した時に、これらのことを「宣伝とはいえ、わかられている人には恥ずかしい」といっていた。まさに、その筈開始という気持ちを忘れずにいてもらいたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

北朝鮮の崩壊のシナリオを中国がリークするほどの中国と北朝鮮の「不仲」

北朝鮮の崩壊のシナリオを中国がリークするほどの中国と北朝鮮の「不仲」
 中国発で北朝鮮の崩壊のシナリオが出てきた。
 本来、「属国」である北朝鮮が、宗主国を離れて、独立的な動きをとるということは、、中国にとっては「メンツをつぶされた」ということになる。まさに、昨年の張成文の処刑と、それに伴って行われた、30000人の処分(数字に関しては憶測を含めた噂)は、なかなか大きな衝撃になっている。中国としては自分の属国が自分から離れるということは、「習近平の宗主国のトップとしての政治がダメだとされている」というような感じになり、当然に、習近平政権が否定されたということになる。そのことは、単純に、中国国内においても動揺が広がる。
 中国としては、「中国から離れたこと」を何らかの公開をさせないとならないのである。そのためには、最大で北朝鮮が崩壊してくれるか、少なくとも今の金正恩が崩壊し、新しい政権が再度朝貢するようにしなければならない。しかし、金正恩は、そのようなことに素直に従うようなものではない。
 そのために、少なくとも恐怖を扇売る必要があるのだ。
 そのために中国は日本にリークし、そのリークを世界に広めようとした。
 しかし、その中国のリークは、日本においても予想されていた内容であり、同時に「北朝鮮が海外の運隊に攻撃される」というような切っ掛けになっているところが特徴的である。
 現在北朝鮮の周辺に北朝鮮に攻め込む国は、あまり存在しない。日本はそもそも軍隊がないし、アメリカは、そこまでして北朝鮮の占領を望んでいない。貧困民を多く抱え、アメリカ軍にも被害をだし、なおかつ、地下資源など得るものがない、アメリカ人でなくてもそのような戦争を望むことはないのである。
 韓国は単独で北朝鮮に侵攻できるような状態ではないし、そもそも、アメリカと一緒でそこまで軍隊を出して北朝鮮を併呑するようなことは考えていない。韓国は、単純に現状維持か平和的な統合を望んでいるのであって、あとは朴槿恵大統領のリップサービス、というよりは日本に頼らないための経済政策ビジョンとして架空の「ファンタジー物語」を語ったに過ぎない。
 あとはロシアであるが、ロシアは、そのようなことをする必要がない。そもそも北朝鮮にそんなに興味がない。そうなれば、北朝鮮に攻め込む国は「中国」以外にはない。中国は、メンツをつぶした国に対して外に出なければならないし、中国本隊の経済状況から何らかの経済低迷の理由を作り出さなければならず,その最後のカード(決して切り札ではない)として、北朝鮮が残されているのだ。
 そのことが今回の崩壊説のリークで明らかになったのである。
“北朝鮮崩壊シナリオ”、中国軍が日本にリークか ねらいと内容に海外紙も注目
 “北朝鮮崩壊シナリオ”、中国軍が日本にリークか ねらいと内容に海外紙も注目
 北朝鮮の最大の支援国である中国で、北朝鮮体制崩壊時のシナリオを準備していることがわかった。4日、共同通信が報じた。タイム誌やガーディアン紙は、中国人民解放軍の日本へのリークだとして、大きく報じている。
【崩壊シナリオの内容と、リークのねらいとは】
 報道によると、暴露された中国軍内部の文書には、外国勢力(軍隊)が北朝鮮政権を失脚させるシナリオなどが想定されているという。北朝鮮崩壊時の対応にも言及されている。中国になだれ込む数百万人の難民に対するキャンプ設営や、指導者拘束などが記されているという。
 この記事に対し、英リーズ大学教授(中国史)のアダム・キャスカート氏は、深読みしすぎることを警告(タイム誌)。中国の北朝鮮に対する牽制、という見方はできるものの、中国が北朝鮮を見捨てた、とまではいえないだろう。なお2010年にも、ウィキリークスが暴露した米国の機密公電で、中国高官が北朝鮮の崩壊に言及していたことが明らかになっていた。
 共同通信は、中国人民解放軍内でも、北朝鮮の政変に備えた危機管理が本格化していることを示す、とみている。
【中国、北朝鮮の4回目の核実験をけん制か】
 北朝鮮は、4回目の核実験を行う準備を、今年4月上旬から進めていると報じられている。これは中国にとって「悪夢」だとウォール・ストリートジャーナル紙は報じる。日本と韓国が、米国とは独立した核抑止力の検討に近づくかもしれないためだ。
 ウェブ誌『ディプロマット』も、北朝鮮の核実験やミサイル開発は、日本の武器輸出原則見直しや、集団的自衛権見直しに一役買っている、と報じる。
 中国は北朝鮮の崩壊を恐れ、食料・石油をはじめとした経済支援をやめられない。北朝鮮はこれを見越し、国際社会の制裁や非難を無視し、核実験に向かうとみられている。ウォール紙は、金正恩氏が「父親より向こう見ずで、冷酷で、危険だ」という元韓国高官のコメントを紹介している。
【日本に歩み寄る北朝鮮の狙いは「中国をけん制」?】
 一方日本は、昨年5月の飯島勲氏(内閣官房参与)の電撃訪朝を皮切りに、北朝鮮との関係に変化がみられる。『ディプロマット』は、日朝の「失われた10年」が終わり、国交正常化に近づく可能性にも言及している。
 同誌は、北朝鮮の思惑を、日本の制裁を解除させ、支援を引き出すことと予想している。
マイナビニュース 20140518
http://news.mynavi.jp/news/2014/05/09/444/
当局幹部が高層住宅崩壊現場で謝罪 北朝鮮メディア異例の報道
 【ソウル=名村隆寛】北朝鮮の朝鮮中央通信は18日、平壌市平川区の住宅建設現場で今月13日、手抜き工事が原因の「重大な事故が発生し、人命被害が出た」と伝え、担当幹部が謝罪したことを写真とともに報じた。韓国の聯合ニュースは韓国政府関係者の話として、崩壊したのは23階建て集合住宅で、すでに92世帯が入居、死者多数が出たもようだと報じた。
 朝鮮中央通信は「工事をいいかげんに行い、正しく監督しなかった幹部らの無責任な行為のため、事故が起きた」とし「国家的な非常対策機構」が救出活動などに当たったと伝えた。17日には崔富一(チェ・プイル)人民保安部長ら幹部が、現場で遺族や住民らに謝罪したという。
 北朝鮮メディアが、国内での事故や当局の不手際を報じるのは極めて異例だ。韓国では4月に起きた旅客船沈没事故に対する政府の対応への批判が続いている。北朝鮮は今回、幹部の「謝罪」も伝えており、韓国の事故を意識し、北朝鮮指導部が住民の生活と安全を重視していることを強調する狙いがうかがえる。
 北朝鮮は1994年に韓国・ソウルで聖水大橋が崩落した後、平壌市内での橋の完成を大々的に伝えたことがある。
msn産経ニュース 20140519
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140518/kor14051818180005-n1.htm
 では、北朝鮮内部は、どのような状況になっているのか。
 基本的に「反金正恩」をすべて排除した。国民の末端は別にして、政権中枢部において北朝鮮は現在まさに「一枚岩」になっていると考えてよい。
 先日、北朝鮮においてマンションが崩落して多数の死傷者が出たという。詳細は不明であるが、その時に朝鮮露同等の幹部が現場に行き、人民に謝罪したのである。今までの北朝鮮、いや、社会主義国家ではあまりみられるものではない。数年前に発生した、中国の新幹線の脱線事故でも、謝罪もすることなく、そのまま車両を埋めてしまったのは記憶に新しい。そのように、まさに、社会主義国家は、政府が行うことに対して人民が文句を言う、あるいは人民に対して政府の人間が責任をとって謝罪するなどということは全く存在しない状態なのである。
 このようなことが行えるのは、政権内部に「責任の明確性」と「国民の支持」という二つを取り付けた「強い指導者」の金正恩像が明らかになるということである。
 まさに、そのような内容が北朝鮮の強さであり、なおかつ、中国にも対抗しうる精神力につながっているのである。そして、その状態の北朝鮮が頼りにしているのが「日本」である。北朝鮮からすれば、日本は、軍隊が存在せず、経済的効果が大きく、なおかつ中国のような侵略が関係ない。なおかつ日本のメンツを立てる必要もない。いや、ないというと自虐的になるので、正確に言えば中国のようなメンツを考えなくてもよいというレベルであるが、これは北朝鮮にとっては非常に大きな問題になるのである。
 まさに、北朝鮮をめぐる東アジアの情勢は、昨年の12月から大きく変わってる。そのうえ、その内容は徐々に「金正恩独裁体制」に大きく傾いたといえるのではないか。徐々に固まってきた北朝鮮は、これからどこに向かって動くのか。非常に大きな問題である。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

まさに「一強多弱」の象徴である野党各党の「コップの中の嵐」

まさに「一強多弱」の象徴である野党各党の「コップの中の嵐」
 今から4年前になろうか、自民党が野党に下野した時、その衝撃はおおっかった。その衝撃の大きさは、まさに、衝撃そのものというよりは、心理的なショックが大きかった。当然に「国民のすべてから見放された」という絶望感と「早く信頼を回復しなければならない」という焦りがその中心になる。そして、その中心的な内容に拍車をかけるのが、いわゆる「バッチを外した人」要するに「落選議員とその秘書」である。彼らの場合は、実際に下野しながらも、議員として国民にその活動を見てもらっている人とは違い、完全に収入の口を立たれてしまっているのである。まさに、次の選挙資金どころか、これからの生活のあてもないというような状況になってしまうのである。そのような仲間を見れば、当然に、絶望感と焦りは「生死の問題」というような状況になる。
 そして、その絶望感と焦りは、下野当初、鳩山由紀夫内閣の時、支持率が70%を超え、民主党政権が「わが世の春」を謳歌している間、より一層大きなものになってゆくのである。国民的熱狂は、残酷にも、下野した自民党に対して「政権担当能力失格」の烙印を押したかに見えた。
 この時に二つの象徴的な事件が発生する。一つは「中川昭一元財務大臣の死去」である。一部では暗殺説も流れるほどの実力派保守政治家であったが、公式にはアルコール摂取時の風邪薬の誤飲による事故死とされている。この事故は、自民党の落選議員の衝撃を非常に大きなものとしてとらえるのに十分なものであったといえる。特に、元大臣など、実力派であり次世代のリーダーといわれる人物であれば、それは猶更であった。死なないまでも、「引退」というような話は少なくなく、また、秘書に至っては、「民主党議員の秘書」になるというような人も少なくなかった。これらの秘書は、結局、次に自民党政権になった時に自民党に戻ってくることができず、路頭に迷う人が少なくなかった。腰を落ち着けていないというような政治家、政治関係者の態度は、あまりも大きなものであるといわざるを得ない。
 もう一つの出来事は「たちあがれ日本」の立党である。この件に関しては記事の後ろに記載する。
維新の会石原氏が結いの党との合流を拒否!ついに分裂か - IRORIO(イロリオ)
 日本維新の会石原慎太郎共同代表は19日の両院議員懇談会で、橋下徹代表らが推し進める結いの党との合流構想について「同意できない」と発言した。石原共同代表は代表者に与えられている拒否権の行使を匂わせており、日本維新の会分裂が現実味を帯びてきた。
 今年夏に新党が結成される予定だった結いの党と日本維新の会は、維新の会橋下徹代表と結いの党江田憲司代表が中心となり、今年夏にも新党を結成する方向で話が進んでいた。
新党が結成された場合、議席数が民主党を超えるため、新党は野党第1党となる。維新の会としても結いの党としてもメリットの大きい合流構想の実現は、ほぼ確実と見られていた。
 合併直前で「拒否権」発動示唆ほぼ確実となった合流構想に、石原氏が「待った」をかけたのである。待ったをかけた理由は政策の違いだ。
 結いの党は脱原発を推進し、集団的自衛権の行使についても慎重な姿勢を取っており、石原氏の持っている政策とはかなり隔たりがある。
 石原氏は拒否権の発動を匂わせているが、19日の両院議員懇談会では合流賛成の意見が多く、本当に拒否権を発動出来るかは不透明な情勢だ。仮に拒否権が発動されれば、橋下徹氏らの激怒は必至で、一気に分裂となる可能性がある。
 これまでも度々不仲と政策の食い違いが報道されている、橋下徹氏と石原慎太郎氏。この2人はついに袂を分かつのだろうか。
IRORIO(イロリオ)公開日時:2014年05月20日 15時39分
http://irorio.jp/gt1999/20140520/136337/
民主党:代表選前倒し論 前原グループが海江田氏辞任狙い
 民主党内で代表選の前倒し論が表面化している。海江田万里代表の任期は来年9月までだが、来春の統一地方選に向けて党勢回復のメドが立っていないことが背景にあり、前倒し論には海江田氏に早期の代表辞任を迫る意図がある。ただ、海江田氏は続投に意欲を示しており、綱引きが続く見通しだ。【光田宗義、影山哲也】
 代表選をめぐっては、党規約に代表解任の規定がないため、前原誠司元代表のグループが、前倒し実施を執行部に要請することを検討している。前原氏は今月に入ってグループのメンバーと具体的な協議を始めており、海江田氏の後任として非主流派の「6人衆」と呼ばれる、前原氏、岡田克也前副総理、野田佳彦前首相、玄葉光一郎前外相、安住淳元財務相、枝野幸男元官房長官を中心に代表候補を一本化することも模索している。
 背景には、党の立て直しが進んでいないことに加え、海江田氏が野党再編にも消極的な姿勢のため、代表交代で自民「1強」状態を打開する狙いがある。
 このほか、玄葉、安住両氏らが13日に会談し、代表選前倒しについて協議。玄葉氏は海江田氏が自発的に辞任することに期待感を示した。また若手議員有志は、代表選の立候補に必要な推薦人の数を20人から10人に引き下げるよう求める署名活動を近く始める。活動には、代表選前倒し論を広げる狙いもある。
 一方、海江田氏は19日の記者会見で「1ミリでも2ミリでも、民主党が失った信頼を取り戻すための努力をやらなければいけない」と改めて続投に意欲を示した。
 海江田氏は昨年7月の参院選直後、「1年後までに結果が出ていなければ、恥を忍んで代表の立場をお願いすることはない」と述べていた。代表選の前倒しを検討する勢力は、6月22日の今国会の会期末が判断のタイムリミットと想定している。
 若手の一人は「代表が海江田氏のままでいいのかと思ってる人は多い」と話すが、交代に追い込むのは容易ではなく、駆け引きが続きそうだ。
 
毎日新聞 2014年05月20日 08時08分
http://mainichi.jp/select/news/20140520k0000m010118000c.html
 「立ち上がれ日本」を立党するとき、与謝野馨元経済産業大臣など数名が自民党を離党した。もともと自民党を郵政せんっきょの離反、いわゆる「抵抗勢力」とされ、離島した平沼赳夫氏が立党をそるときにおいて、自民党の中において動揺が走った。「自民党が国民から見放されたのであれば、自民党ではない政党に行けば津語の選挙に勝てるのではないか」というのがその同様の原因である。当然に「衝撃と絶望」による、長期的ビジョンの欠如から出る話である。
 ある議員から「立ち上がれ日本」に参加すべきか聞かれた。私は「立ちあがれ日本に、飲酒等または与党から一人でも参加するならば、参加すべき。そうではなく、野党の中の敷居の位置の移動だけならば、何の意味もないから、もう少しやせ我慢すべき」といい「コップの中の嵐をしても政局に影響はないし国民も何も感じない」ということを伝えた。
 まさに「野党」というコップの中の水がいくら波打っても、全体に影響はない。まさにそのものである。
 実際に、「立ち上がれ日本」は保守系の支持層を得たものの、しかし、残念ながらキャスティングボードを握るような状況ではない。そもそも大阪維新の会と一緒になった時点で、その目的は大きくずれてしまったのではないか。
 さて、現在である。同じ理由で本来は野党が結束すべきである。しかし、現在の野党は「コップの中の嵐」を繰り返している。これでは、野党という「コップの中の主導権」はあっても、残念ながら、国民の支持を得られるものではない。逆に「あきれてしまう」というような状況になる。
 さて、一つは「結の党」と「日本維新の会」である。そもそも理念も何も関係ない人々が一緒になっても「烏合の衆」でしかない。それを避けるということで、石原共同代表が反対を表明したのは評価うする者の、そもそも「日本維新の会」という政党が、そのまま一つの政党としての体を為していないということに他ならない。
 一方、民主党は、その主導権争いを、他の政党との合併というのではなく、民主党という政党の中において、主導権を繰り返している。そもそも民主党は失政も少なくなかったので国民の支持を失った政党であるが、民主党がもう一つ支持を失った理由は、「内部抗争」でしかない。左翼政党であることを考えれば「内ゲバ」というような表現が最も良いのかもしれない。政権をとっていた時代も「脱小沢」など、内ゲバの表現が大きく幅を利かせ、国民の中で「流行語大賞」にノミネートされるような状況になっている。まさに、民主党の中の主導権争いは、まったくおかしな、国民の興味の的でしかなくとても信頼に値するものではない「年中行事的娯楽の対象」にしか名たなくなってしまった。にもかかわらず、民主党ではいまだに「コップの中」どころか「民主党の中の嵐」にしかならない。ほかの野党にも影響を及ぼさず、建設的でない「反対のための反対」「どの国のための政策だかわからない主張」を行っている。
 この恥ずべき野党の「先行きの見えない」「コップの中の嵐」は、まさに国民の政治不信、そして失望を招くものである。自民党下野の時とは違い、「衝撃と絶望」は、このような政党の人々に政権を取らせていたという自責の念を含めて、国民が感じるようなものになってしまった。このような政党に、未来はない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南シナ海における中国の暴挙とベトナムの抵抗に関する者の味方

南シナ海における中国の暴挙とベトナムの抵抗に関する者の味方
 先日例によって中国要人と会話をした。今回はフェイスブックをご覧の方はよくお分かりのことと思うが、その中国の要人と二人で、大阪に向かい、ある人に会うことになった。そのために要人と二人で話す時間は3時間ほどあったのである。
 もちろん、そのような政治的な話や外交的な話ばかりではない、刑事あの話や文化の話なども存在する、というよりはその話の方が多い。さすがに朝の新幹線で二人で討論を行う雰囲気でないことは、私でも、中国人でもよくわかる。
 その中で中国人は「最近日本のニュースを見ていると、中国とベトナムの間のことを日本の報道が毎日のようにとり上げ、そのうえ、中国が一方的に悪いかのような報道を行っている。それはなぜか」という
 「それは中国が悪いからその世な報道になるのではないか」
 「いや、ほかの国とほかの国の外交のことを、よほど聞かれたり記者の質問もないのに、そのようなことを語ること自体がおかしいのではないかというように思っている。明らかに内政ではないが中国に対する外交の干渉ではないのか」というのである。 
 「日本は、当然に尖閣諸島などの問題dえ、現在の尖閣諸島の問題などによって、非常にベトナムの気持ちがよくわかる。そのために自分たちに共感している側の話を浴しているのではないか」
 「しかし、冷静に考えれば、尖閣諸島問題と今回の南沙諸島の問題は全く物事の本質が違う。それを同一視していること自体がおかしいのではないか。まずは何が一緒でなにが違うのかということをしっかりと報じるべきではないのか」
 「本質的に違うのか」
 「もちろん違う。もともと、尖閣諸島問題に関しては田中角栄が永久に棚上げするといったものを、野田が国有化した。南沙諸島のように誰のものでもなかったものではなく、尖閣諸島問題は、少なくとも日中平和条約時に問題が存在するということを双方の国が認識している問題である」
 「いずれも、その領土的解決がないのに中国が一方的に宣言をし、その宣言によって海洋開発を行っているという意味では同じである。そもそも領土的解決を行ったのちに、それらのことを行うべきではないのか」
 「宣言に対して、何も反論がない。また反論を行っても国連において拒否権があるので中国に億連として反論を決議することはない。そう考えれば、法的な根拠はない」
 これが私との会話である。
中国の南シナ海における行動は「挑発的」=米国務長官
[ワシントン 12日 ロイター] - ケリー米国務長官は12日、中国の王毅外相と電話協議を行い、中国がベトナムと係争中の南シナ海で石油掘削装置(リグ)と複数の公船を展開したことについて、米国は「挑発的(provocative)」な行為だとみなしていると伝えた。
米国務省のサキ報道官は「彼(ケリー国務長官)は(中国とベトナムの)双方に対し、緊張緩和と、海域における双方の船舶に対する安全航行の確保、国際法に基づく平和的手段を通じた紛争の解決を求めた」と述べた。
これとは別に、ケリー国務長官は訪米中のK・シャンムガム・シンガポール外相に対し、南シナ海問題における中国の「侵略的な行為(aggressive act)」を米国は深く懸念していると述べた。
ロイター.co.jp  20140513
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0DT0KJ20140513
怒!ベトナム国民、高まる反中感情 全国でデモ…収束の兆しなし
 ベトナムで、反中感情が高まっている。領有権を争うパラセル(中国名・西沙)諸島周辺で、中国が強引に石油掘削を始め、ベトナム船を追い払ったことに、ベトナム国民が激怒しているのだ。暴力・破壊行為は収まったが、インターネット上では、18日に全国で反中デモを実施しようとの呼び掛けが広がっている。
 「中国人に対する敵意をひしひしと感じた」
 ベトナムに接する中国広西チワン族自治区憑祥市の国境。反中暴動から避難するため急きょ帰国した中国人は恐怖をこう語った。
 中国外務省の華春瑩報道官は16日の記者会見で、暴動により中国企業の中国人2人が死亡したと発表した。
 ベトナムのグエン・タン・ズン首相は、デモの暴力行為を取り締まるよう関係当局に指示した。反中暴動に加わったとして、1000人以上が拘束されており、過激なデモは「収束の方向に向かうのではないか」(外交筋)との見方が出ている。
 ただ、ベトナム国営メディアによると、北部タインホア省の工業団地では16日も、暴力行為のない数千人規模の反中デモがあった。ネット上では18日に全国各地でデモを行うよう呼びかける動きが出ており、反中機運が収束する兆しはまったくみえない。
ZAKZAK(夕刊フジ) ZAKZAK(夕刊フジ) 2014年05月17日17時12分
http://news.livedoor.com/article/detail/8842267/
南シナ海問題、ベトナムに責任=中国人民解放軍幹部 | Reuters
  [ワシントン 15日 ロイター] - 中国人民解放軍の房峰輝総参謀長は15日、ベトナムと領有権を争う南シナ海で中国が進めている石油掘削作業について、中国の主権の範囲内で行われていると主張し、この領海を「1インチも手放す」ことはできないと述べた。
 訪問先のワシントンでマーチン・デンプシー米統合参謀本部議長との会談後に行われた共同記者会見で述べた。
 房峰輝総参謀長は、この問題は、中国の掘削作業を「妨害」するために船舶を派遣し、問題を引き起こしたベトナム側に責任があると指摘した。
 今週に入りベトナム国内で発生した中国の掘削作業に抗議するデモでは一部が暴徒化し、現地の病院関係者によると21人が死亡した。
ロイター.co.jp20140515
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0DV21J20140515
 中国側の反論は、基本的に中国の問題を言っているだけであり、その言い訳に過ぎない。要するに、領土問題を宣言し、反論がないのだから経済的な開発を行ってもよいというような論理である。また拒否権を持っているのであるから、有効な反論などは生まれるはずがないということを言っている。
 国連中心主義という外交を日本で唱えている人がいるが、それはこれらの国の優遇と非合法支配を肯定する話である。それでよいのか。
 よくないのでベトナムでは大きな問題になっている。
 この問題に関して、アメリカにおいても非難の声が上がっている。しかし、そもそも中国がおここまで強気な内容を繰り広げている背景はアメリカの弱腰外交で中国に完全にバカにされていることによるものである。これでは話にならない。非難などは大国関係において「声だけ」では名意味がない。
 そこで、結局ベトナム国内において「国民」の怒りが爆発する。それが今回のデモである。私自身、デモそのものが暴徒化し、その暴徒化したものが民間人の施設を毀したり略奪するのはあまり良いこととは思わない。しかし、国家の怒りに対して、国民がデモをお越し、講義の意思を表明するのは非常につうじょうの問題である。
 さて、中国の要人がこのようなことを言うというのはどういうことか。単純に、日本が中国の問題に関し、外交的にベトナムやフィリピンを味方する言論を発することを中国は非常に問題視している。いや「嫌がっている」といってよい。それは中国にとって都合が悪いからである。
 中国の暴走を止めるのは、「嫌がっていることを行う」という手段が最も良い。要するに、日本においうてベトナムの応援、またはちゅごくの南シナ海からの撤退を求める言論を発することが、中国にとって非常に都合が悪いということになるのであろう。
 中国との会話でわかることは、そのような中国の嫌がること、そしてそのことによる最大の問題が見えてくることである。そのようなことをすべきである。
 「そんなことを言っても、例えば、ACミランとマンチェスターユナイテッド、そのサッカーの試合を見て、興味があれば、どちらかを応援する。第三者同士が戦っていることを、自分の趣味で応援することは、そんなにおかしな話ではないし、日本人には言論の自由があるのだから、当然の話である。そのことを批判できるものではないし、批判すること自体が中国に言論の自由がないことの証明ではないのか」
 私の反論に、中国の要人が黙っていた。その最後のエピソードで考えさせられることはなんだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(193) ポルノは必要悪か公衆衛生上の危機かあるいは芸術か

マスコミ批判に関する一考(193) ポルノは必要悪か公衆衛生上の危機かあるいは芸術か
 アメリカの専門家の間において「ポルノグラフィー」が公衆衛生上の危機として対処すべき問題ではないかということで警告を発している。
 ポルノそのものを「社会問題」として取り組むべき内容であるとし、その内容を強く訴えている。
 その観点は「若者から性的な本能を奪う」としてしまい、本物の性ではない者が若者の中に入ってしまっているという。
 また、ポルノの若年齢化は、男性の性暴力への衝動を掻き立てるものとしている。「男性はポルノに初めて触れる年齢が若ければ若いほど、合意に基づかない性行為に走る可能性が高くなる。一方女性は、ポルノを見れば見るほど、合意に基づかない性行為の犠牲者になる確率が高くなる」という話である。
 さて、日本でも児童ポルノ禁止に関する動きがあり、その法律が徐々に強化されている。もちろん児童ポルノと通常のポルノグラフィーは異なるのであろう。
 もちろん、一方で「少子化」が進んでいるという内容もある。アメリカはもともと移民の国であるが、昨今、アメリカ国内での出生率は減り、移民による人口増加が行われている。しかし、アメリカはそのものが移民の国であるから、日本のような固有民俗ではない。もともとが民族の固有性が存在していないので、あまり大きな問題ではない。しかし、そのまま日本に持て来れば、日本の少子化を助長し、そして日本において移民を入れるという話になってしまう可能性もあるのだ。
 そのために、この内容は、なかなか慎重な内容ということになる。単純に「ポルノ=悪」という図式で報道してよいのか。その部分をどのように考えるかが最大の問題ということになる。
 
「ポルノのまん延は公衆衛生上の危機」、米専門家ら
 【AFP=時事】米国ではポルノグラフィーがまん延しており、深刻な公衆衛生上の危機として対処すべき状況にあると、専門家たちが警告している。
 性的搾取の根絶を目指している団体「Coalition to End Sexual Exploitation」が、首都ワシントン(Washington D.C.)近郊のタイソンズコーナー(Tysons Corner)で16日から2日間の日程で行う今年の総会は、ポルノは公衆衛生の観点から取り組むべき複雑な社会問題だという認識を広めることに焦点を当てている。
 総会に先立って専門家らは、ポルノの問題にも飲酒運転や未成年者の喫煙と同様の対策を講じるべきだと訴えた。
■「健康的な本物の性を若者から奪う」
 社会学と女性学を専門とするボストン(Boston)のウィーロック・カレッジ(Wheelock College)のゲイル・ダインズ(Gail Dines)教授は、ポルノ対策を「大きな政治力を要する問題」と捉えている。
 ダインズ教授によると、ポルノサイトの月間閲覧総数は、動画サービス大手ネットフリックス(Netflix)、インターネット小売大手アマゾン・ドットコム(Amazon.com)、マイクロブログのツイッター(Twitter)の合計閲覧数を上回っている。さらにインターネットからの全ダウンロードの3分の1がポルノを含んでおり、ポルノ関係のウェブサイトは約430万も存在しているという。
 同教授は「ポルノは間違いなく今日の性教育の中で最も強い影響力を持つ形態で、調査によれば人生で最初にポルノを見る平均年齢は11~14歳だという。しかもそれは父親が買ってきたプレイボーイ(Playboy)の類いなどではない」として、「基本的人権であるはずの、健康的な本物の性というものを若者から奪っている」と指摘する。
■元業界関係者も批判的
 プレイボーイ向けのアダルト映画の元プロデューサーで、2006年まではアダルトサイトのネットワークも運営していたドニー・ポーリング(Donny Pauling)氏は、出演した女性にポルノが悪い影響を与えるのを自分自身の目で見てきたと語った。
 最近、インターネットの人気ポルノ女優であることを明かして全米を騒がせた名門デューク大学(Duke University)の19歳の女子学生は「(ポルノ出演で)力をもらった」と話しているが、「私はそんな話を信じない」とポーリング氏は述べた。「私は500人以上の素人の女性をあの業界に入れたが、後になって感謝されたことなどただの1度もない」
■性暴力の要因にも
 ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania)で性的トラウマを専門とするメアリー・アン・レイデン(Mary Anne Layden)氏は、心理療法士としてこれまで取り扱った性暴力のあらゆる事例で、ポルノが要因の1つになっていたと述べた。
 同氏によると、「男性はポルノに初めて触れる年齢が若ければ若いほど、合意に基づかない性行為に走る可能性が高くなる。一方女性は、ポルノを見れば見るほど、合意に基づかない性行為の犠牲者になる確率が高くなる」という。上述のデューク大学の女子学生も、初めてポルノを見たのは12歳の時で、高校のホームパーティーでレイプされたこともあったと、米誌ローリング・ストーン(Rolling Stone)のインタビューで語っている。
 レイデン氏は、米疾病対策センター(Centers for Disease Control and Prevention、CDC)がポルノを公衆衛生上の問題と位置づけて関心を持てば、喫煙対策がもたらしたものと同様の成功をポルノ問題でも収めることができると指摘した。
【翻訳編集】AFPBB News
AFPBB News AFPBB News 2014年05月17日18時11分
http://news.livedoor.com/article/detail/8842380/
 今日はあくまでも「マスコミ批判」ということで行っている。アメリカの報道において「片方の意見」だけが紹介されているのか、あるいは、「双方の意見」が紹介されていて、日本の翻訳報道が片方になってしまっているのかはわからない。いずれにせよ、この記事を読む限りにおいては、反対意見しかないという状態になる。この内容に関しては、ある意味で「ポルノ反対のキャンペーン記事」というような印象になる。
  もちろん、マスコミ的にはそれでも問題はない。実際に「事実」をかくという意味では、その内容の偏りが合おうとなかろうと、このような論文が発表されたということは事実である。当然に、反対側の意見の人が論文を発表したら、それも発表するということになる。一方で、その反対の論文があって、それを記事にしないとなれば、いつものごとき「報道しない自由」というようになる。
 一方、問題はこの「ポルノ」をめぐる今までの問題や、そのほかの内容に関してどのようなことがあるかである。当然に、過去のポルノに関する犯罪などもあれば、一方で少子化ということも考えなければならない。同時に「同性愛」ということにも言及する必要があり、これらの内容に関して、この内容から派生できる内容はすくなくない。
 しかし、この記事にはそのような派生的な内容も書かれていない。
 そのことこそ問題なのである。
 ポルノであるから、どのような記事でもよいというものではない。今までの社会に存在したものに対して、どのように何を変えて行くのか。そしてその内容に関始点賛否両論が存在する。そのことを考えなければならない。そしてそれができるか否か。マスコミの本当の価値は、一つの現象から派生するすべてのことを検証するべきではないのか。残念ながらアメリカの記事であってもそれができていないという現実なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保守的解釈による日本国憲法講義私案  第75回 行政権と間接民主制と国会の関係

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第75回 行政権と間接民主制と国会の関係
 しばらく民主主義について考えてみた。
  国会が「民主主義」によって運営されているということに従って、そもそも民主主義はなんなのか、ということを考えなければならないからである。
  そして、「民主主義」ということに関しては、そもそも「西洋的な定義」と「日本的な民主主義」というものがあることを学んだ。
  「日本的な民主主義」を私は、私の造語で「暗黙の了解の民主主義」というように呼んだ。
  そのネーミングのセンスの問題は少し置いておくことにして、(私はネーミングなどのセンスは、他人に自慢できるほど欠如している)その特徴は示しているのではないかと考えている。
  誰も言わず、暗黙の了解で物事が決まる。
  そしてその暗黙の了解を是認するも否定するも、いずれも、そこのメンバーがいるところに、衆目が一致する実力者が来て「鶴の一声」で物事が決まる体質だ。
  初めから会議の場ですべてが決まってゆくのではなく、「会議が始まったときには大体のことが決まっている」というような話になった。
  大日本帝国憲法では、そのことをうまく体現していた。
  帝国議会という、西洋的な民主主義を体現した組織があった。
  しかし、「鶴の一声」を発するための「天皇陛下」が存在し、場合によっては帝国議会を無視して勅令・勅語を発することが可能であった。
  そして、帝国議会が始まる前の「実力者の集団」として「枢密院」が存在した。
  そして、会議タイそのものよりも「人物」によって規定された集団として、さまざまな内容が存在したのである。
  さて、当然にそれらの組織体は行政に関しても影響を及ぼす。
  何しろ、「行政」のための法律も、すべてそれらの内容で作り上げられるのであるから、当然に、その法律に従った行政が行われることになるのだ。
  ということで、今回から憲法における「内閣」要するに、行政府についてしばらく考えてみたいと思う。
 
第五章 内閣
第六五条【行政権】
行政権は、内閣に属する。
第六六条【内閣の組織、国会に対する連帯責任】
1 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
 さて、まずはこの条文を見て「行政権」という単語について考えなければあらない。
  「行政権」とはなにか。
  もちろん「行政を行うことの権利」である。
  では「行政」とはなにか。
  立法および司法と並ぶ国家作用の1つである。
  そして、法律などにより決定された内容を実現する側面に着目して、執行とも呼び、国によってはこの呼び方がむしろ通常である。
  行政学という学問上は「政治体系において権威を有する意思決定者によって行われた公共政策の決定を実行することに関連する活動」などと定義される。
  一方行政法学上は、さまざまな定義がある。
  国家作用が作用自体の性質という点に着目して立法、司法、行政に三分類されるとき、これらはそれぞれ実質的意義の立法、実質的意義の司法、実質的意義の行政と概念づけられる。
  これが一般的な定義である。
  しかし、実質的意義の行政とは何かという点については、現代の行政は複雑で多岐な内容にわたっており、これに必要かつ十分な定義を与えるのは、容易でない。
  そのため、行政の定義については、内容的に定義することを放棄し、消極的に定義するにとどまる控除説(消極説)と、なんとか行政の内容を積極的に定義してその内容を明らかにしようと努める積極説が対立する。
 控除説(消極説)とは、日本の公法学上は、国家作用のうち、立法作用と司法(裁判)作用を控除した残余の作用を指すとする見解(控除説、消極説)が支配的である。
  このような控除説による説明は、内容的な定義づけを放棄しており、意味がないようにも見える。
  しかし、君主が有していた包括的な国家権能のうちまず立法権が議会に移譲され、その残りである執行権のうち司法権がさらに分化され、君主に残された権能が行政とされたという沿革に対応している。
  さらに、現実問題としても、行政と観念される作用には様々なものがあり、それらを漏れなく包括する必要もある。したがって、控除説は一般的に支持されている。
 一方積極説とは、控除説のような消極的な定義づけに満足せず、積極的な定義づけをする試みもある。
  代表的な見解は田中二郎によるものであり、「法の下に法の規制を受けながら、現実に国家目的の積極的実現をめざしておこなわれる全体として統一性をもった継続的な形成的国家活動」とするものである。
  だが、行政の特徴等を大まかにイメージしたものに過ぎないという批判もある。
 実質的意義の行政を主たる任務とする機関を行政機関というが、実質的意義の行政は、行政機関のみならず、立法機関や司法機関にも存在する。
 <以上ウィキペディアより>
  さて、この行政は当然に失敗する場合がある。
  その場合、「内閣」は「国会」に対して連帯して責任を負う。
  ここは、あくまでも「国会」であって「国民」ではない。
  これは、非常に技巧的な話であるが、「国会」であれば、その責任をどのようにして取るべきか、多数決によって判断することができる。
  具体的に言えば「内閣不信任案の決議」ということが憲法上の規定にあり、その規定に従って責任の取り方を具体的に決定できる。
  これに対して「国民」と規定してしまうと、その都度国民の投票が必要になり、また責任を取るべきというような議案の提出もできなくなってしまう。
  日本は「国民主権」といいながらも「間接民主制」であるから、そのためには「責任をどのように処理するか」ということで、「国会」となっている。
  国民は、国会を通して民主主義を判断し、間接的に行政または立法に主権を行使できるということになるのである。
  世の中には「私は主権者だから、総理に直接文句を言うことができる」などという人がいるが、それは主権の行使をするためのプロセスが憲法に記載されているにもかかわらず、そのことが理解できていない人ということができるのである。
  ましてや、天皇に直接直訴するような参議院議員がいるが、日本人でありながら日本国憲法を知らないということになるのであろうか。
  行政権を見ても、このように民主政治がしっかりと成立しているのであり、そして間接民主制の内容が書かれている。
  これに対して異を唱えるのであれば、憲法改正を実現するしかない問うことになるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

集団的自衛権議論の「なるべく集団的自衛権を認めさせない」ための議論の進め方を見破る

集団的自衛権議論の「なるべく集団的自衛権を認めさせない」ための議論の進め方を見破る
 集団的自衛権に関する内容が問題になっている。15日には、安倍首相本人が記者会見を行い集団的自衛権に関する内容を、国民に向かって説明した。これに対して共産党や社民党、民主党は、「戦争反対」ということを言い始めて、集団的自衛権を認めれば、すぐにでも戦争を行うような印象付けを行っている。日本語というか、文言の解釈も何もできないこの人々の思考回路は、まさに反対のための反対であり、韓国などで嘲笑されている「売国奴」である。
ちなみに、朝日新聞、毎日新聞、NHK、民主党に関して、6月6日に発売される「知日派韓国人の言い分」
 韓国人知日派の言い分 [単行本(ソフトカバー)]宇田川敬介 (著)
 飛鳥新社 (2014/6/6)
 http://www.amazon.co.jp/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E7%9F%A5%E6%97%A5%E6%B4%BE%E3%81%AE%E8%A8%80%E3%81%84%E5%88%86-%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%BB%8B/dp/4864103305/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1400196058&sr=8-1&keywords=%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%BB%8B
 の中において「もしも彼らのような売国定期発言をしたら、韓国国内では生きていけないでしょう。なぜ彼らが日本人として日本国内で生きてゆくことができるのか。日本人はよほど頭が悪いのか、あるいは鈍感なのかわからない」というような趣旨を言っている。
 彼らの頭の中には、「自分たちが目立つこと」「自分たちが支持を集めること」というようなくだらない話しか入ってなく、彼らの中に、日本国の国益や日本国の国際釈迦の中における立場というものが全く考えられていない。
 もしも、本当に憲法9条で戦争が終わるのであれば、南スーダンやシリア、アフガニスタンに憲法9条だけを持ち護衛もつけずに、「殺し合い」を亡くさせてきていただきたいものである。彼らの「シリアはシリア」「日本は別」というような謎の論理展開は、あまりにもおかしく空論でしかなく、彼らの頭の中に何があるのか全く理解できない。
 そのうえで、集団的自衛権をどのように考えるのか。
集団自衛権、野党ばらばら=割れる民主、維・み前向き
 集団的自衛権の行使容認に前のめりな安倍政権に対し、野党各党の対応はばらばらだ。第1党の民主党は党内で賛否が割れて軸が定まらず、日本維新の会とみんなの党は賛成し、結い、生活両党は慎重、共産、社民両党は反対。国会での徹底審議を求める点でのみ足並みをそろえているのが現状だ。
 民主党の海江田万里代表は記者団に「解釈によって憲法を事実上ないがしろにすることは許されない」と述べ、憲法解釈変更に否定的見解を示した。しかし、代表経験者の前原誠司元外相らは解釈改憲に賛成の立場で意見集約のめどは立たず、海江田氏は「議論をしっかり行っていきたい」と言葉を濁すしかなかった。
 既に行使容認を打ち出している日本維新の会の平沼赳夫代表代行は記者団に「報告書は維新の考え方とそれほど差異はない。協力すべきことは協力しなければならない」と強調。容認の見解を近くまとめるみんなの浅尾慶一郎代表も「報告書と党のたたき台に類似点もある。本質的な議論をしていくことが国のために必要だ」と語った。
 結いの党の江田憲司代表は記者会見で「個別事例の精査が不可欠だ。米艦防護などは個別的自衛権の適正化で読み込める」と述べ、賛否は明確にしなかった。生活の鈴木克昌幹事長は党の会合で「一諮問機関の判断が日本の安全保障を方向付けるのは大問題」と首相の政治手法を批判するにとどめた。
 共産党の志位和夫委員長は会見で「『必要最小限度』は言葉だけのごまかしだ。憲法9条をなきものにする暴挙は断じて許されない」と反発。社民党の又市征治幹事長も記者団に「憲法解釈を変えるのは姑息(こそく)で、立憲主義を踏みにじるものだ」と批判した。
2014年5月15日(木)20時45分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/jiji-2014051501003/1.htm
「政府方針」に公明が抵抗、混乱 二転三転し「考え方」に 集団的自衛権あす報告書
 安倍首相が安保法制懇の報告書を受けて今後の方針を発表する「考え方」の表現ぶりや、報告書の提出時期をめぐり、政府の対応が二転三転した。
 首相サイドは当初、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈見直しの原案となる「政府方針」を発表する考えだった。
 ところが、「政府方針」となれば、すでに行使容認が決定されたとの印象を与えると公明党側が抵抗した。政府内では「政府方針」のほか「政府原案」という呼び方も併存していたこともあり、政府内で用語を統一していなかったことも混乱を招いた。
 今月9日、衆院第2議員会館。自民党の大島理森(ただもり)前副総裁は自身の事務所に、親交が深い公明党の北側副代表と漆原良夫国対委員長を招いた。
 大島氏は、公明党との妥協点を探って北側氏らと水面下で接触を重ね、感触を政府側に伝えてきていた。9日も、テーブルにあったわずかな溝を指さし、「自公の間には、これぐらいの溝すら作ってはいけない」と結束を求めた。
 今国会中の解釈見直しの閣議決定を急いでいる首相サイドも「与党の理解をいただくのが最優先だ」(菅官房長官)として、公明党に最大限の配慮を示し、表現ぶりが決着した。
 報告書の提出も、もともとは「昨年末まで」という目標があった。しかし、特定秘密保護法の国会審議に世論の批判が上がるなどして延期となり、今年に入ると、米軍普天間飛行場移設という大きな政治課題を抱える沖縄県内で名護市長選など主要選挙が相次ぎ、さらに先延ばしされてきた。
 5月の大型連休明けの13日の提出で固まったかにみえたが、国会日程の影響もあって、ようやく15日に落ち着いた。(峯匡孝)
msn産経ニュース 20140514
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140514/plc14051407570005-n1.htm
「安倍内閣支持率、2か月ぶりに6割台回復」
 安倍内閣の支持率は前の月より3.2ポイント増え62.5%と、2か月ぶりに6割台に回復したことがJNNの世論調査で明らかになりました。
 調査は今月10日・11日に行いました。まず安倍内閣の支持率ですが、前の月より3.2ポイント増え62.5%と2か月ぶりに6割台に回復しました。一方、不支持は2.7ポイント減り36.5%でした。
 次に先月下旬に行われた日米首脳会談後の共同宣言で、「沖縄県の尖閣諸島に日米安保条約を適用すること」が明記されたことについて、「評価する」が69%で、「評価しない」を大きく上回りました。
 また日米首脳会談で大詰めの協議が行われたTPP=環太平洋パートナーシップ協定について、日本の参加の是非を尋ねたところ、賛成が55%と過半数を占めました。TPPを巡っては、牛肉や豚肉の関税が大幅に引き下がる見通しとなっていますが、「国内の生産者に影響が出るので反対」とした人は33%で、「影響が出るがやむを得ない」と「消費者にメリットがあるので賛成」の肯定的な評価が6割を超えました。
 次に安倍総理が強い意欲を示している集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更で認めることについては、「解釈変更だけでなく憲法改正が必要」と答えた人が前の月よりも6ポイント増え55%と半数を超えました。
 憲法解釈の変更による行使容認については、自民党と連立を組む公明党が慎重ですが、与党協議が不調な場合、連立を解消すべきかどうかを尋ねたところ、「連立を解消すべき」が46%で、「解消すべきでない」を上回りました。
 このほか消費税増税に関連して、「買いたいものを買い控えたことがあったか」尋ねたところ、「以前と同じように買い物をしている」が74%で、「買い控えた」を大きく上回り、消費増税が実際の消費行動に与えた影響は限定的だったことが明らかになりました。
 政党支持率は、公明党が大幅に増えたほかは前の月とほぼ同じ水準でした。(12日02:07)
>  News i - TBSの動画ニュースサイト 20140512
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2199013.html
 集団的自衛権に関して、まず議論を考えてみる
 一つ目はその必要性である。
 必要性の議論に関して、上記の記事によれば国民の55%は必要と判断しているのである。それだけ近隣諸国における事態は緊迫化しているし、同時に、シーレーンの中においてそれを護れなければ話にならない。現在日本は、日本国民を日本国民が守ることのできない以上なく任意遇っており、それを是正すべきであるという考え方が、過半数にやっと達したということである。
 特に、南シナ海の内容は、東シナ海の中国の地下資源開発、そして尖閣諸島。いずれも、中国の進出、あとは韓国における竹島と漁業権問題、ロシアの北方領土、日本においてどのようにそのくにをまもるのか。その点で必要性を考える必要があるのだ。
 二つ目は憲法解釈論。
 憲法解釈論は、今から70年近く前に作られた憲法解釈である。実際に紙に書いたもので、人を守ることができるかという疑問があるが、一方で、憲法による権力の暴走を抑えなければならないということが考えられる。そもそも、国連憲章でも認められているものを「解釈」で集団的自衛権を中止した日本国は、それを元に戻すときだけ憲法改正が必要という不思議な内容になってしまっている。
 この議論は、あくまでも法制論であり、その制度論上の内容でしかなく、実質的な議論になっていない。こんな議論をしている間にも尖閣諸島沖には中国の公船が来ていることを認識すべきである。
 三つ目は、緊急事態法制の問題だ。
 巷間言われているように、日本には緊急事態法制がない。緊急事態に法律通りに行えば、「東日本大震災における菅直人首相」と同じようにわけのわからない状態になってしまう。まさに国際社会の笑いものだ。逆に、集団的自衛権を認めなくても、緊急事態法制がしっかりとしており、その緊急事態の範囲が、「シーレーンの防衛」や「海外法人の危機」まで含まれる場合は、その内容だけでよいはずである。
 緊急事態法制がないから憲法解釈論や改憲論が出てくるのであり、その必要性は、阪神大震災や東日本震災、そのほかの天災や一方で日本の危機にかんして、さまざまな内容になってきているのである。
 さて、今の日本の議論は、この三つの議論がごちゃごちゃになっており、なおかつ、その中の一つでもダメな場合は「集団的自衛権は認められない」ということになっているのである。
 わざと議論を混ぜ返し、そのうえで、「認められない」と持って行くのは、異常な言論空間である。本来は、必要性を論議し、そのうえで、必要と決まった場合には、どのように実現するのかということを検討するのが政治の常道であり、現在の集団的自衛権の議論はその常道を逸脱している。まさにそのように国民を誘導して反対に持って行こうとする印象操作と、偏向報道が横行しているのである。
 これでよいのか?必要なことを必要に行えるように、政治が変化することが最も望ましいはずではないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「天皇」と「敬意」を教えない日教組教育の害悪

「天皇」と「敬意」を教えない日教組教育の害悪
 小学生が天皇陛下の可否に上り、教諭がそれを注意せずに記念撮影するということがあり、東京都足立区の教育委員会に苦情が入っていることが明らかになった。
 この問題点は「不敬」であるが、そもそも「不敬」ということに関して全く教えていない。小学校5年生ならば、ある程度の「敬意」を知っていてよいのであろうが、残念ながら、最近の大人も「戦後の日教組教育」によって教育された人々であるから、その内容に関してあまり良くわかっていないということになるはずである。
 日本人であっても「教えられていない」ことをわかるはずがない。特に小学生の子供ならば当たり前だ。本来ならば、記念撮影などで上ってしまった時に教諭が教えるのがふつうである。しかし、その「ふつう」を行えないのが現在の小学校の教師である。
 私が考えるところ、間違いなく「教えていない学校側」がおかしいのである。本来であれば、憲法の講義(現在でも小学校の社会科で必須)の中において、第一章の「天皇」の章を一番初めに教えるべきである。しかし、憲法の講義といえば「平和主義」「基本的人権の尊重」「国民主権」というところばかりであり、国民の義務も、天皇への敬意も、また、公へ奉じる心も、全く教えていないのである。
 もちろん、これらの思想的な部分は、「原子共産主義的なコミンテルン思想」であり「人民は皆平等」という発想からきていることは明らかである。そのうえで「天皇も人間宣言したのであるから平等である」という、日本人の歴史認識が全く考えられていない、国民として歪んだ唯物史観によって形作られた教えに傾倒した人々の内容になったのである。
 しかし、残念ながらそれらの思想は「日本の一部」でしか通用しない。そして、彼らの間違えているところは、日本国という国家の中における「天皇への敬意」を教えることなく、「親への忠孝」や「先生への尊敬」を求めていることである。
 「平等」と言いながら「忠孝」を説き、また、それを教えている自分たちに対する「尊敬」を、敬意というものが何かを示すことなく教え続けるということになる。これでは話にならないのである。
 そのような背景から、この事件を考えてみたらいかがであろうか。
記念撮影しようと天皇陛下の歌碑に上る 東京の小学生、教諭も注意せず 千葉・鴨川 -
 「東京から一番近い棚田」として知られる大山千枚田(千葉県鴨川市)で昨年12月、課外授業で訪れた東京都足立区の小学生らが天皇陛下の歌碑に上り、男性教諭が記念撮影しようとしているのを千枚田の保存活動に取り組んでいるNPO法人が見つけ、区教委に抗議していたことが13日、関係者への取材で分かった。区教委は事実を認め、同法人に謝罪している。
 区教委などによると、昨年12月中旬、自然教室で訪れた区立小学校の当時5年の児童らが大山千枚田を訪れ、千枚田を一望できる展望スペースに設置された歌碑に上った。付き添いの男性教諭は特に注意をすることなく、記念撮影をしようとしたという。
 NPO法人「大山千枚田保存会」のメンバーが目撃し、口頭で注意した後、区教委に抗議した。
 記念碑は平成24年に建立された。天皇、皇后両陛下が22年9月に棚田を訪問された際に陛下が詠まれた和歌が刻まれており、そばには建立の経緯を記した説明板もある。
 区教委は、政治的な意図は全くなかったとした上で、「学校が石碑のことを十分に調べていなかった。今後はきちんと指導していく」としている。同会の石田三示理事長は「教諭ならばどういう場所を訪れようとしているのか事前に調べ、守るべきルールを児童らに教えておくべきではないか」と話している。
msn産経ニュース 20140514
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140514/edc14051401000001-n1.htm
 何が言いたいのか
 要するに、日教組による教育が「自己矛盾」しているということである。まさに、彼らの教育やその精神は完全に破たんしている。全員が平等でありながら、組織が維持できるはずがない。共産主義の場合は「同志」といいながら、しっかりとした上下があり、そこに権限が付帯していることによって、その上下関係を規定づけていた。まさに「唯物史観」の最たるものである。
 いつも書いていることであるが、中国人の人々と話をする時に「中国の求める、そして中華人民共和国憲法に記載された共産主義は、万人皆平等なのに、なぜ共産党には上下関係があるのか」ということを聞く。特に「共産党に順位と序列があることの矛盾」に関して聞くと、それに対して答えられた人はいない。はじめのうちは「共産主義に覚醒した順番」などという人がいるのであるが、それが通用するのは改革開放経済までであり、改革開放経済以後、富の差分配が行われない中国の新自由主義的な「社会主義的市場経済」(あくまでも資本主義でも自由主義経済でもない)においては、「万人平等」が、根底から崩れてしまっており、そのうえで、富の編重と格差が生まれてしまい、共産党幹部が完全なブルジョワジーになってしまっている。富を持った人がそのまま政治権力も取得することになってしまったのである。
 このような「矛盾」の国である中国を模範としているのであるから、日教組は完全に破たんした思想主義であるといえる。民主党の参議院会長である輿石東は、日教組の幹部であるが、その人物の中国との言行録を見れば、彼がいかに中国に傾倒していたかが良くわかる。そして、その内容は、「毛沢東主義」に傾倒しており、そして、現代の中国はすでに覇権主義であって毛沢東主義においては破たんの一途をたどっているということに気づいていないのであろうか。
 さて、その影響下にある日教組組織とその構成員としての「日教組教諭」は、まさに「平等」ということと「権利意識」だけで「義務」と「敬意」を教えることがでいない。そのために、その教育を受けた「モンスターペアレンツ」にいじめられ、モンスターのけんりいしきによって教師自身が苦しめられるということになる。しかし、自分たち教師に対しても含め「目上の人に対する敬意」を教えない教諭は、「平等」の立場からしかものをいうことができない。要するに「モンスターペアレンツ」の主張する権利意識に対して、すでに義務意識も教えていないし、敬意も教えていないので、その主張を遮ることはできないのである。
 そのうえで、ほかの親からのも苦情が来る。そのような状況では教育がまともにできるはずがない。日教組は日教組自身の首を絞めているということにいまだに気付いていない。道徳も義務も忠孝も全く教えない人々は、今回の事件のような「不敬」をそのままにしてしまうのである。
 今回は、まさに日教組教育の弊害が大きく出たものである。逆遺言えば、「いじめ」も「モンスターペアレンツ」も、そのほかの教育における問題すべてが、「日教組教育」の弊害であり、彼らのプラスに作用するものは何一つないというのが結論である。
 さて、最後に、このような問題に関して、この教諭を攻めるのもかわいそうである。そもそも、価値観そのものが全く存在しない教諭に、その価値観を求めて懲罰を加えるのは間違えているといえる。ということは、当然に、教育委員会または日本全体の教育体制を大きく変えなければならない。同時に、「日教組」というわけのわからない政治組織を解体すべきではないのか。
 人にものを教えるということがどのようなことなのか。彼らは再度しっかりと考えるべきではないのか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

中国の「違法」南沙諸島開発により南シナ海に懸念される「全面戦争」

中国の「違法」南沙諸島開発により南シナ海に懸念される「全面戦争」
 まず「国連憲章」の第2条第4項には
  すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
  とあり
  第51条には
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国が措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
 という規定がある。
  国連憲章は、そもそも、国際連合の設立根拠となる条約。1973年9月までに3回の改正を経ている。
  まさに、国連そのものの存立を規定している内容が、この国連憲章である。
  その国連憲章においては「平和維持」が最も重要な国連の任務であるとされ、その中において、各国が「武力」を使うことを許さないということと、「武力を使うこと」の例外的規定、要するに「自衛権」及び「集団的自衛権」の行使を妨げるものではないとしている。要するに、「国境の変更」などを武力を持って行うことはできないとし、一方で、その国境を侵害してくる戦闘行為に対する「自衛のための戦い」は許されるとしている。
  では、現在中国が行っているものはなんなのか。
  中国は、勝手に自分の都合で「領有」を主張し、その自己都合の国境の主張に合わせた「自衛権の行使」を行っていると主張する。当然に岩礁やコジマなどに人が住んでいることはないので、その部分に勝手に中国の五芒星旗を立て、そして、海上に油田のプラットフォームを作り、そして開発を進めて、そのことによって「自衛権の行使」といっているのである。
  しかし、そもそもの「領有の主張」そのものが無効である場合に、当然に「自衛権」が存在するはずがない。
  しかし、ウクライナの事件のように、「国連の常任理事国」によって「拒否権」があるために、国連の意思決定を、常任理事国に対して行うことはできないのである。
  そのために、南沙諸島や南シナ海は緊張が続いている。
 
 
反中抗議で600人拘束=工場操業停止、日本人学校は休校-ベトナム南部
 【ハノイ時事】中国による南シナ海での石油掘削への抗議デモが激化しているベトナムで、警察当局は14日、南部ホーチミン市、ビンズオン、ドンナイ両省で、中国系工場に対する略奪や放火を行った暴徒約600人を拘束した。ベトナム国営メディアが伝えた。ビンズオン省では日系を含むほぼ全ての工場が操業を停止。ホーチミン日本人学校は、児童・生徒の安全のため、14日午後と15日を休校にした。
 現地からの報道によると、数百人ずつのグループが各地の中国系工場に対し起こした計数千人規模のデモは、13日から激化。パソコンなどの略奪行為や、少なくとも15件の放火が報告された。ホーチミン日本商工会が14日開いた定例理事会では、日系企業でも窓ガラスを割られたり、エアコンの室外機を壊されたりする被害が約10件確認された。
 ハノイの日本大使館は14日、ベトナム当局に在留邦人と日系企業の安全確保を求める一方、日本人にデモに近づかないよう呼び掛けた。
2014年5月15日(木)0時18分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/jiji-2014051400828/1.htm
南シナ海の緊張、米国に原因ある=中国外務省
 [北京 9日 ロイター] - 中国外務省は9日、南シナ海で中国とフィリピン、ベトナム両国との緊張が高まっていることについて、米国に原因があると非難した。米国が関係国に対して、危険な行為を行うよう煽っているため、としている。
 同海域では、中国による石油掘削作業をめぐって、中国とベトナムの艦船が衝突する事態に発展した。米政府は、中国の石油リグについて、域内の安全保障上「挑発的」と批判し、関係各国に自制を求めた。
 中国外務省の華春瑩報道官は、石油リグがある海域は中国領だとする従来の主張を繰り返した上で、他国には干渉する権利はないと強調。
 報道官は、定例記者会見で「当該海域に関する事実を無視した、米国の無責任かつ誤ったコメントが、一部の国の危険で挑発的な行為を助長した」と指摘した。「われわれは米国に対して、域内の平和と安全の維持を念頭に置き、慎重に行動、発言するよう求めたい」としている。
 南シナ海ではまた、国内法で保護されているウミガメ漁を行ったとして、フィリピン当局が中国漁船を拿捕するという事件も起きている。
ロイター.co.jp 20140509
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0DP0M320140509
中越また南シナ海衝突、3人負傷 にらみ合い長期化も
 【ハノイ共同】ベトナムと中国の艦船の衝突が相次いだ南シナ海の西沙(英語名パラセル)諸島付近の現場海域で9日、双方の新たな衝突がありベトナム側の3人が負傷した。負傷者はこれで計9人となった。ベトナムの国営メディアが漁業監視部隊当局者の話として伝えた。
 ベトナム沿岸警備隊のゴ・ゴック・トゥー副司令官は共同通信に対し、中国が設置した石油掘削装置を守るため現場海域に展開する中国艦船の数は大きく変わっていないと指摘。双方の艦船はともに撤収しない構えで、危険なにらみ合いが長期化しそうな気配。
共同通信ニュース 20140509
http://www.47news.jp/CN/201405/CN2014050901001940.html
 さて、国連憲章の前文には
  われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。<以下略>
  とある。
  しかし、その拒否権を持った常任理事国、要するに第二次世界大戦の戦勝国で、大国がこのようなことに違反した場合、まさに、先日のウクライナや中国の今回の行為のような事件になってしまえば、それは、国連として対処できないということになる。
  それでは、その中において「中国のエゴが通ってしまうのか」ということになるが、それでは問題は非常に大きなものになる。当然に、そのことは、「ベトナムやフィリピンなどによる自衛権の行使」を誘発することになり、中国による「自衛権」とアセアンによる「自衛権」のぶつかり合い、要するに、戦争が発生する可能デイがあるのだ。
  さて、普段は「備えているのか」ということが、日本政府に対する過大であるが、実際に、そのようなことを言っていられるわけではない。南シナ海は日本のシーレーンであり、その回路を通って、石油であれば96%、食品であれば80%がそのシーレーンで輸送される。その時に、シーレーンの防衛を日本の自衛隊は行えないのか、あるいは、その時にベトナムやフィリピンが中国に襲われた場合に、その援護ができないのであろうか。法整備そのものよりも、現場でどのような対応を行うのか、そのことの防衛省内規定を早急に変更し、自衛隊をその体制に整えるべきである。
  このニュースで読み取れるのは、すでに「戦闘状態」であり、それに対応した「非常事態法制」を行う必要があるということなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の予想通り崩壊に向かう中国経済のリスクと崩壊後の日本のリスク

私の予想通り崩壊に向かう中国経済のリスクと崩壊後の日本のリスク
 中国の経済がかなり「ヤバイ」ことになっている。
 少し難しい話をする。
 中国経済はバブル経済である。さて「バブル」の定義をそのまま考えれば「概ね不動産や株式をはじめとした時価資産の資産価格が投機によって実体経済の経済成長以上のペースで高騰し続け、投機によって支えなければならない市場が、投機によって支えきれなくなるまでの経済状態を指す」(ウィキペディアより)とある。
 中国の場合は、改革開放経済によって海外からの投資とその投資における成果物の輸出で景気が良くなっていることに過ぎない。単純に「人件費が安い」、「売れ残っても中国という大きな市場が存在する」という二つの理由によって製造工場の多くを中国に移転した。
 このことによって、海外からの投資が大きくなり、その投資と経済効果によって中国の経済は飛躍的に伸長した。工場が多くなれば雇用が増え、そしてその内容に関して経済の大きな内容が多くなる。
 しかし、これらの経済的な内容も「社会主義・共産党独裁」という政治状況で、ほとんどが「許可制度」となるものであり、その内容の中において、「市場経済」を行うことそのものが異常なのであるが、そのことと全人代の次々とした資本主義化、というよりは共産党幹部の富の搾取政策によって、共産党が太り、貧民との間の貧富の格差が大きくなる。しかし、中間層が活気づかなければ経済の活性化はありえない。中国は政治が許認可法を採用しながら、自由経済であるかのような経済システムを行っており、その内容が現在の経済に直結しているのである。
 しかし、中国の経済派、資本主義自由主義経済ではない。あくまでも「社会主義的市場経済」ということになっている。それでは資本主義の原則によって中国の経済を語ることはできない。中国の経済を語ることはかなり難しいということになるが、それでも2014年に中国は崩壊するということを私は考えるのである。
中国経済が抱える「3つのリスク」、連鎖的に顕在化する可能性も・・・「残された時間は少ない」=中国メディア
 中国誌の中外管理は5日、中国経済が抱える真のリスクは、経済成長の鈍化ではなく、改革が実行されないことや過剰な生産能力と増える企業債務、そして不動産業の調整局面にあると論じる記事を掲載した。
  中国国家統計局が4月16日に発表した2014年第1四半期の国内総生産(GDP)成長率は7.4%にとどまり、13年第4四半期の7.7%からわずかに下がった。一部の投資銀行が成長率は6.0%にまで落ち込むと推測していたことに比べれば良い数字ではあったものの、記事は「それでも中国経済が下振れする懸念を払拭できる数字ではなかった」との見方を示した。
 中国の李克強首相は13年11月、安定した労働市場を保たせるためには7.2%の経済成長率の確保が必要だと語っており、そうした意味では14年第1四半期の7.4%という数字は及第点にあたる。だが記事は「中国経済の真のリスクは経済成長率ではない」とし、3つのリスクを挙げた。
 1つ目は「改革が実行されないリスク」だ。中国共産党第18期中央委員会第三回全体会議(三中全会)で壮大な改革計画が立てられたものの、記事は「改革が実際に実行されるかどうかが民間の投資を大きく左右することになる」と指摘した。
 2つ目のリスクは、「過剰な生産能力と企業債務」だ。中国の債券市場で初めて債務不履行(デフォルト)に陥った太陽光発電関連メーカーの超日太陽をはじめ、一部企業の債務問題はすでに顕在化している。
 3つ目のリスクは、「不動産市場の調整局面」というリスクだ。14年第1四半期のデータを見ると、住宅販売額・販売面積・新規着工面積のいずれも減少しており、中国では不動産がマクロ経済と密接に関係していることを考えると、不動産市場の調整がマクロ経済にマイナスの影響を及ぼしかねないことに注意すべきだと指摘した。
 記事は、「中国経済が崩壊の危機に直面しているわけではない」とする一方で、一連のリスクが連鎖的に顕在化する可能性があると指摘。これらのリスクを解決するためには、「一時的な刺激策ではなく大きな改革が必要」と主張、「最後のチャンスとは言い過ぎだが、残された時間はかなり少ない」と警鐘を鳴らした。(編集担当:村山健二)(写真はイメージ。「CNSPHOTO」提供)
2014/05/12(月) 06:36:31 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2014&d=0512&f=business_0512_003.shtml
中国の不動産市場で、「バブル崩壊」は起きるのか・・・「調整はすでに始まっている」エコノミスト見解=中国メディア
 中国で不動産市場の先行きに悲観的な見方が広がっている。中原集団研究センターによると、5月1日から3日にかけてのメーデー連休中、中国54都市における新築住宅の売買件数は前年比47%減となり、ここ4年で最低の水準にまで落ち込んだ。中国メディアの新浪財経が6日伝えた。
 野村證券の中国担当チーフエコノミストである張智威氏によれば、不動産業は中国の経済成長の支柱であり、中国GDPに占める割合は16%、政府収入に占める割合は39%に達する。そのため不動産市場の冷え込みは中国経済にとって大きなリスクとなる可能性が高い。
 野村證券の最新の報告書によると、前年同期比で見た中国の2014年第1四半期における新築住宅売買件数の伸びは13年第4四半期の伸びに比べて大きく鈍化。さらに金額ベースでは前年同期比5.2%減、面積ベースでは前年同期比3.8%減となった。記事は、新築住宅の売買件数は不動産市場の先行きを占ううえで重要な先行指標だと指摘、「野村證券の報告書によれば、中国不動産市場の調整はすでに始まっている」と伝えた。
 また、野村證券の米国担当チーフエコノミスト、ルイス・アレキサンダー氏はニューヨークで新浪財経の取材に対し、「中国の不動産価格が調整していることは事実」、「中国の不動産市場が直面している調整幅がどれくらいの規模になるかは現時点では定かではない」と述べた。
 ルイス・アレキサンダー氏は一方で、中国政府は不動産市場をコントロールする能力と方法があると述べ、不動産価格の下落を「バブル崩壊とみなすことはできない」との見解を示している。(編集担当:村山健二)(写真は「CNSPHOTO」提供、2013年12月撮影)
2014/05/12(月) 06:34:31 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2014&d=0512&f=business_0512_002.shtml
 中国の経済は、単純に考えれば「海外の投資金額によって得た経済」であって、「他国依存景気」であるということが言える。しかし、その海外との関係が習近平国家主席になってから拡大主義を行うことによって、中国との関係が悪化している。アジア最後のフロンティアといわれるミャンマーも中国は嫌われているしアセアンでは、中国の海洋進出に対して強く抗議する声明を発表している。このことに関しては、さすがに再度何かを言わなければならないのではないか。ブログを後日書くことにしたい。
 さて、海外投資や海外との『信用』がなくなった中国の「実体」経済と、現在の中国政府が行っている「中国の投機経済」はどのように違うのであろうか。
 まさにそのギャップの調整は政府が行っているのであろうが、それも「見える部分」を行っているものであって、「見えない部分」例えば「シャドーバンキング」などの政府未公認の内容に関しては、まったく考えられない内容になっている。考えられないといいうことは、対応ができないということであり、それはまさにおかしな内容になってしまうということに他ならない。
 その対応できない経済的な崩壊が、連鎖的にい起きる可能性がある。その連鎖的な破産が「いつ起きてもおかしくない」状態であり、その兆候は様々に見ている。
 それではなぜ経済が回っているのか。一つは軍事費の増大である。中国の軍事費の増大は、そのまま政府が民間の技術や製品を買い上げる仕組みとして存在しており、その内容を拡大することによって経済は回る仕組みになっている。もう一つは、中国国内における内需である。一応13億人の市場があり、その市場の中において内需が行われれば、当然にそれらの内容が大きく出来上がってくるということになる。
 そして、最後にその経済を支えているのが、日本である。日本の企業は、これだけ中国との政治的関係が悪化し、尖閣諸島などで文句を言われながら、いまだに直接投資を年間5兆円も行っている。直接投資だけで5兆円だから、貿易金額などを考えればどうなるのであろうか。そのようにして中国のバブルを支えているのは日本なのである。
 さて、バブルが崩壊した後、「バブルを作ったのは日本企業」などと責任転嫁でいわれることになり、そのために、「不景気を補てんせよ」などといわれる可能性があることを今のうちに言及する。日本の馬鹿な中国寄りの人々は「その通り」などといって中国に対して「人権」という単語を使ってさらなる日本経済からの搾取を助長し、誘引する。しかしそれが許されるであろうか。皆さんよく考えてもらいたい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ナイジェリアのイスラム教過激派に拉致された女子学生の運命

ナイジェリアのイスラム教過激派に拉致された女子学生の運命
 ナイジェリアでイスラム教過激派による女子学生の拉致事件が発生した。
 いつもは「イスラム教過激派」という言い方に、何らかの悪意を感じるのであるが、今回の「ボコ・ハラム」という集団に関しては、私もあえて「イスラム教過激派」という単語を使わせていただきたい。
 私のブログを昔から読んでいただいていない人は、このくだりだけでは何を言っているかわからないかもしれないので、今回は簡単に解説をする。通常「過激派」というのは様々な宗教にいる。例えば「過激派」「テロリスト」は仏教徒にもキリスト教徒にもいる。それにもかかわらず、なぜか「イスラム教」という単語がつく。本来、政治的なメッセージによる過激派であれば、「イスラム教過激派」と書く必要はないはずだ。ではなぜ「イスラム教過激派」というようなことを書くのであろうか。それは、一つにはキリスト教的価値観においてその価値観の中でそのような話をする、アメリカ的またはキリスト教的な価値観を「正」とし、それ以外の宗教、少なくともそのキリスト教に違反する価値観を「悪」としてしまう価値観が正常化されてしまい、そのために「イスラム教過激派」という言い方をする。もっと言えば「イスラム教」に対する差別的な表現であり、実際には過激派行動やテロリズムなどの政治的なメッセージによるものであっても、「イスラム教過激派」というような表現をしてしまっているのである。
 しかし、今回の「ボコ・ハラム」は「西洋キリスト教教育に反対する」という意味の言葉であり、まさに「宗教」による行為であるということがわかる。要するに、宗教的主張を武力によって行うものである。同時に、この内容は「宗教的対立」であるのはわかるが、しかし、同じ国の子供たちを拉致し、その子供たちを「結婚相手」として売買しているというのである。はっきり言って「奴隷商人」であり、「イスラム教」とは全く関係がいないのであるが、しかし「イスラム教」の中にあっても「テロリスト」というよりは、なんだかわからない暴力集団ということであり、今回の件に関しては、イスラム教という教えを行うことを主張している、わけのわからない集団であることは確かなのである。
拉致された少女たち取り返せ 米で救出の声がうねりに
 【ワシントン共同】ナイジェリアでイスラム過激派に拉致された女子生徒270人以上の早期救出を求める声が、米国で大きなうねりとなっている。ミシェル・オバマ大統領夫人ら影響力の強い女性の声が世論を突き動かし、米政府は捜索と救出支援のためナイジェリアに専門家チームを派遣した。
 「少女たちを取り返す時だ」。ミシェル夫人は8日までに、ネットの短文投稿サイト「ツイッター」で訴えた。
 米国では女性の社会進出が進み、権利意識も非常に強い。少女たちが教育を受ける権利を否定するイスラム過激派ボコ・ハラムへの怒りが事件を身近なものとし、女子生徒たちへの連帯感につながっている。
共同通信ニュース  20140510
http://www.47news.jp/CN/201405/CN2014050901001195.html
「ひたすら走った」、脱出した少女に聞く ナイジェリア拉致
 ナイジェリア北東部チボク(CNN) ナイジェリアのイスラム過激派「ボコ・ハラム」が学校を襲撃し、多数の女子生徒を連れ去った同国北東部の村チボクに、CNN取材班が入った。現場から脱出した少女はおびえた表情で事件を振り返った。
 チボクの住民は4月14日の事件発生前に、近隣の村に住む親族や友人から「ボコ・ハラムの車列がそちらへ向かっている」との電話連絡を受けていた。しかし、学校の寮から276人もの女子生徒が拉致されるという事態は、だれも予想できなかったという。
 生徒たちは貨物トラックで連れ去られたが、中には運良く脱出できた少女もいる。そのうちのひとりが匿名を条件にCNNの取材に応じた。
 「2人の友人と一緒に林に駆け込んでひたすら走った」と、少女は振り返る。
 その視線にも声にも、まだ恐怖がにじんでいた。村の夜は真っ暗だ。遠くで何かが燃えているのを見つけ、放火された村の建物だろうと推測してそちらへ向かったという。
 犯人グループの服装を尋ねると、少女からは「怖い」という答えだけが返ってきた。学校は閉鎖されたままだが、たとえ再開していたとしても「行きたくない」と話す。
 警告を受けた住民は警察に通報していた。警察が増援を要請したもののだれ1人として来なかったと、住民らは指摘する。事件の夜は警官も含めて全員が林の中に隠れたが、生徒たちは寮で眠っていた。
 現場での警察の対応を巡っては、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルも同様の報告書を発表している。
 CNN取材班が首都アブジャからチボクへ向かう途中には無数の検問所があり、通過するたびに車内やパスポートを調べられた。車で8~10時間の距離を移動するのに4日間もかかった。
 村の人口は数百人。電力供給が滞り、ソーラー方式の街灯も消えたままだ。屋外市場には、ガソリン式の発電機で携帯電話を充電する屋台があった。
 夜になると、なたや毒矢、自家製の銃で武装した若者たちが村を巡回する。昼間の仕事と徹夜の警備で、ほとんど寝ていないようだ。こうした行動には、政府に対応を促す意図も込められているという。
 生徒たちの救出を求める声は地元だけでなく、国際社会でも大きな高まりをみせている。
米英両国の当局者がアブジェ入りしているほか、中国やフランスも捜索、救出作戦に協力している。ナイジェリア大統領府によると、イスラエルのネタニヤフ首相もテロ対策の専門家チームを派遣すると表明した。
 国際刑事裁判所(ICC)はボコ・ハラムに生徒たちの即時解放を求め、犯人を必ず捜し出して国内またはICCで裁くべきだと強調した。
 米英からは、生徒たちが少人数のグループごとに隣国カメルーンなどへ連れ出された可能性を指摘する声も上がっている。これに対してジョナサン・ナイジェリア大統領は、「カメルーンへ移動したなら目撃者がいるはず」と反論し、生徒たちは国内にとどまっているとの見方を示した。
CNN.co.jp 20140512
http://www.cnn.co.jp/world/35047727.html
 「イスラム教過激派」といえば、やはり「ジハード」ということが有名である。まさに自己犠牲によって敵の多数を殺す「自爆テロ」を代表にした、自己犠牲型のテロリズムである。
 しかし、彼らが行っていることはそのような物ではなく、単純な「拉致」でしかない。
 本来、イスラム教の人々は、「イスラム教徒その信者を救うため」にテロを行うのであり、単純なテロリズムである。もちろん彼らの中にも、イスラム教徒を殺害するテロリストがいるが、しかし、その内容は、イスラム教の中のシーア派とスンニ派の戦いであり、それはイスラム教の中の正当性の戦いであるということがある。そしてその派閥の争いは、やはり、イスラム教徒の中において「信者を正しく導くために、正しくない教えを排除する」ということで行っている。当然にテロの対象は、反対派である。
 では、今回の内容はどのような者であろうか。
 単純に「イスラム教を学んでいる」学生に対して、その女性たちを拉致するということをしている。そしてその女性たちを売って、資金を稼いでいるのである。
 これはそもそもイスラム教の中において、「信者を守るため」なのか、そうではない単なる彼らの「性欲」及び「金銭欲」によるものであるのかもわからない状態である。これでは話にならない。
 逆に、私の場合これをあえて「イスラム教過激派」とイスラム教を差別するような言い方をしているのは、「イスラム教」の教えを語っている彼らが、「本当にイスラム教徒なのか」という疑問からこのように思うのだ。
 今回の事件、多宗教の女性が人権について訴えたり、あるいは、女生徒たちの親がいろいろ言っている。しかし、それ以上に何か方法はないのか。そもそもこの内容をどのように考えるのか。その部分が必要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(192) 「美味しんぼ」事件に見る漫画とその発行による風評被害の責任と言論の自由の交差点

マスコミ批判に関する一考(192) 「美味しんぼ」事件に見る漫画とその発行による風評被害の責任と言論の自由の交差点
 「風評被害」ということをよく聞く。
  「風評被害」というのは、二つの要素から成り立つ現象であることをまずお知らせしたい。ひとつは「無知」である。正しい知識があれば、風評被害は存在しない。原子力もそうであるし、株価の乱高下も、いずれも「正しい知識」が存在しないことによる妄想の産物である。その妄想が、常に自己防衛本能と相まって、いつの間にか他者を蔑むという状況を行い、そこに集団心理が働いて、大きな風評となるのである。
  今回の「美味しんぼ」事件に関して言えば、福島で鼻血を出す人がいるとする。しかし、その鼻血と原子力発電所の事故を科学的に因果関係を付けることができるのか、そしてそこに正確な放射能と原子力そして人体に関する知識があるのかという問題は、非常に大きなものである。その知識がなく、漠然と「放射能は怖い」というなぞの恐怖心が存在し、その中において「被ばくすると鼻血がでる」という妄想の産物が存在し、その妄想が形になって表れたものが、この漫画であると考えられる。この内容はあまりにも稚拙で、この漫画、この作品そのものが「無知」と「妄想」の産物であるということを物語っている。
  あえて反論をすると、毎日「ラジウム温泉」に通う人、またはそこに努めている人などは「鼻血」が出るのであろうか?あるいは、病院の放射線技師は、鼻血が出るのか?私などは体が悪いので、毎週レントゲンやCTスキャンを行っているが、残念ながら幼少の時分よりもはるかに鼻血は出なくなっている。このことを、この作者や一緒に騒いでいる人は、うまく説明していただきたいものである。私の場合は、私自身の身体の問題であるから、誰かにどうこう言われる筋あのものではない。ラジウム温泉も、レントゲンも「放射能」であることに変わりはなく、その放射能が「良い放射能」「悪い放射能」など、コレステロールのような分類ができないことから考えれば、いかに、この作者の「偏った思想」と「妄想」の産物であるのか、私自身には感じるところがある。これは、同時に、放射能を扱う職業(上記のように温泉や病院の放射線技師)の差別にもつながる重大な人権問題である。
  もう一つの要素は「マスメディア」である。この作者がいかに一人でこんなことを言っていても、それは大きな問題にはならない。はっきり言って、反原発デモの一人が大声を出したって、単純に「迷惑」な「騒音」でしかない。しかし、ここに小学館というメディアが存在し、それを不特定多数に出すことによって「風評」が大きくなるのである。まさに日本におけるメディアの「信用性」と、その「頒布性」が最大の問題であり、毎週この連載をしているのと同様に、「頒布性」には、当然に責任が付きまとう。そのために、編集者が存在し、その内容をチェックして雑誌として刊行しているのだ。そのことを無視して、発行元、偏勇者にまたく責任がないということはない。どのような状況であれ、作者と、編集者、発行者これだけの人々が、上記の「無知」をさらけ出し、そして、人々の不安に付け込んだ結果、風評が起きるということになる。
  今回の問題も、単純にこの作者が同人誌か何かで書いていれば「無知な人が騒いでいる」ということになる。もう少し「絵がうまい」「作品は面白いけどねえ」というような評価になる可能性もあるが、小学館おいう出版社が、多くの人が好む雑誌の中に、その内容を取り上げたことそのものが非常に大きくなる。不特定多数の人が読者であるということ、それは、今も福島に住む人や、これから福島の不幸を手伝おうとしている外国人などもすべて対象であるということを考えるべきであろう。単行本の発行などと、この問題が根本的に違うのは、この雑誌そのものが、このようなメッセージ性と関係のない人も、「読まされる」結果になることが最大の問題である。
  要するに「美味しんぼ」という名前を借りた政治メッセージの「偽装」でしかない。そのことを作者も編集者も自覚しているのであろうか。
「美味しんぼ」原作者「鼻血ごときで騒ぐ人は発狂するかも」 「原発」続編は「もっとはっきりしたことを言う」と予告
   漫画「美味しんぼ」の一部描写が福島への風評被害を助長するとして批判が集まる中、原作者の雁屋哲氏が2014年5月4日にブログを更新した。
   騒ぎに対して「どうして批判されなければならないのか分からない」と反論し、インターネット上で波紋を広げている。
「ここまで騒ぎになるとは思わなかった」と驚く
   問題視されているのは、ビッグコミックスピリッツ22・23合併号(小学館)に掲載された「福島の真実篇」の中で、東京電力福島第1原発を訪れた主人公・山岡士郎らが原因不明の鼻血を出すという描写だ。作中では医師が「福島の放射線とこの鼻血とは関連付ける医学的知見がありません」と説明するものの、本人役で登場する前双葉町長の井戸川克隆氏は、自身も鼻血が出ることや疲労感が強くなったことを明かした上で「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」と口にしている。
   一連の描写に非難の声が相次ぐと、スピリッツ編集部は4月28日にコメントを発表。「鼻血や疲労感の表現は、綿密な取材に基づき、作者の表現を尊重して掲載させていただきました」として、放射線の影響と断定する意図や、風評被害を助長する意図はないと説明した。
   そうした状況の中、沈黙してきた雁屋氏がブログを更新した。冒頭では「当然ある程度の反発は折り込み済みだったが、ここまで騒ぎになるとは思わなかった」と想像以上の反響に驚きを示した。
続きでは「もっとはっきりとしたことを言っている」
   福島篇は23、24と続く。その上で雁屋氏は「もっとはっきりとしたことを言っているので、鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない。今まで私に好意的だった人も、背を向けるかも知れない」と、さらに議論を呼ぶ内容になることを明かした。
   雁屋氏は、本格的な反論は福島篇が完結してからにするとしながらも、
「私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない」
「真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか」
「今度の『美味しんぼ』の副題は『福島の真実』である。私は真実しか書けない」
などと批判に真っ向から反論し、
   「今の日本の社会は『自分たちに不都合な真実を嫌い』『心地の良い嘘を求める』空気に包まれている。『美味しんぼ』が気にいらなければ、そのような『心地の良い』話を読むことをおすすめする」と提案した。
   これを受け、ネット上では議論が再燃。「鼻血との放射能との因果関係は医学的には判明していない では何故?っていう問題提起しただけだろ?」「真実は知った方がいい。そこからどうするかは個人の問題」と理解を示す声もあがっているが、
「批判されているのは『真実をありのままに書くこと』じゃなくて『それは真実と呼ぶにふさわしいのか、あまりに恣意的ではないか』という点では?」
「科学的知見を否定しうる『真実』を引っ張ってこれるとは到底思えない」
「福島県民だけど震災後鼻血なんて1回も出したことないわ」
「2年間の取材というのが 偏りの無い客観的な取材だったのか甚だ疑問」
などと疑問視する声も多数寄せられている。
   なお、ビッグコミックスピリッツはこの件について、識者の見解や寄せられた意見を掲載する特集記事を5月19日発売号と、同誌のWebサイトに掲載する予定だ。
 
2014年5月5日(月)15時43分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-203950/1.htm
福島県双葉町 「美味しんぼ」で鼻血描写めぐり小学館に厳重抗議
 漫画「美味しんぼ」で福島第1原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す描写をめぐり、福島県双葉町は7日、発行元の小学館に対して厳重抗議したことを発表した。
 抗議文を公式サイトで発表。先月28日に発行された「週刊ビッグコミックスピリッツ」に連載中の「美味しんぼ」に「前双葉町長の発言を引用する形で、福島県において原因不明の鼻血等の症状がある人が大勢いると受け取られる表現があった」と指摘。続けて「福島第1原発の事故直後から全町避難を強いられていますが、原因不明の鼻血等の症状を町役場に訴える町民が大勢いるという事実はありません」と強調し「福島県全体に許しがたい風評被害を生じさせている」と強く抗議した。
2014年5月8日(木)6時0分配信 スポニチ
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/sponichi-kfuln20140508006006/1.htm
 はっきり言って、作者そのものが何らかの政治的メッセージを持つことは問題がないし、言論は自由である。しかし、その言論の自由は、当然に責任を負うものである。不特定多数に対して「根拠のない」「無知な」「不安をあおる」話をして、全く責任がないということはあり得ない。同時に、その責任に関して「私が責任があります」などと宣言するのではなく、風評被害に対してどのような責任を具体的に行うのか、そのことが全く出されていないことに違和感を感じる。はっきり言ってマスメディアの「風評被害」の関院に関しては、ニュースステーションの久米宏の「ダイオキシン事件」から、十数年たつにかかわらず、全く進展がないことが、日本の言論界、マスメディアの発展性のない部分であり、そのことがメディアの信用性の下落につながっていて、新聞の読者数の減少やテレビの視聴者数の下落につながっていることに、いまだにマスメディアの人々は気が付かないのであろうか。
  権利意識だけで、結局責任感が全くない。このことが、マスメディアだけでなく、漫画家や、言論界に蔓延しており、日本のこれらの業界の「野垂れ死に」を連想させる状態ではないのか。
  今回の事件は、まさにそのような「カビのような悪癖」が、漫画家にまで汚染が広がっている状態であることを考えられ、日本国政府の「クールジャパン」全体にも非常に大きな影響を及ぼすことになるのではないかと考えられる。まさに日本政府が「クールジャパン」で「美味しんぼ」を世界に出すということになれば、それは政府が福島県を見捨てたということになる。そのようなことを行うはずはない。
  この言論界の無責任体質は、そろそろ改められなければならないのではないか。集団的自衛権、尖閣問題、慰安婦問題、根はすべとな時ところにあるのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保守的解釈による日本国憲法講義私案 第74回 「暗黙の了解の民主主義」と「大日本帝国憲法」の相関性

保守的解釈による日本国憲法講義私案
第74回 「暗黙の了解の民主主義」と「大日本帝国憲法」の相関性
 前回は、とっても連休で一週飛ばしてしまったので、前回の内容を忘れてしまっている人もいるのかもしれないが、一応いうと、「暗黙の了解の民主主義」が日本の中には存在したということを記載した。
  「本当にそうなのか」
  「民主主義ではなく、誰かの独裁に近いのではないか」
  などという意見をいただいたことはここに記載する。
  実際に「鶴の一声」を発する人の経験則に基づく独裁ということができるのかもしれない。
  しかし、よくよく考えてみると、「鶴の一声」まで、多くの人が百花繚乱の議論を尽くす。
  また、それ以前に「根回し」なる風習によって、そもそも会議が始まるときには大体の話しができているのである。
  この「根回し」こそ、現在の「持ち回り稟議」のような内容であり、そして「暗黙の民主主義」が存在したという話の一つではないのか。
  そのように考えてみると、実は、最も「日本的」なことが表現されていることが「大日本衛国憲法」であることに気付く。
  少なくとも私はそう考える。
 
  <大日本帝国憲法より抜粋>
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第7条天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
第8条天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
第9条天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス
第49条両議院ハ各々天皇ニ上奏スルコトヲ得
第50条両議院ハ臣民ヨリ呈出スル請願書ヲ受クルコトヲ得
<以上大日本帝国憲法から抜粋>
 
  大日本帝国憲法から、私の趣旨に合った部分を抜粋した。
  すでにお分かりの通り「天皇」が「鶴の一声」の存在である。
  成文すべての権原が法上「統治権の総攬」ということが書かれており、そのなかに入ってくるようになっているのである。
  まあ、その権限は緊急事態にお手は「勅令」ようするに「緊急事態」への対処としての全権の委任先も書いてある。
  そのうえで、その勅令の処理として「将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布」する権限を国会(民主主義)の優先権を書いている。
  これは法律と命令に関する「法律の優位性」を書いているのである。
  要するに、緊急の場合は命令を行うことは可能であるが、しかし、百花繚乱の議論の中において審議され、それを追認(天皇の権原において公布)した内容に優先権がある、ということで、優先権を決めている。
  その帝国議会はあくまでも天皇の諮問機関でありながら、日常の法律型の権原を持っており、同時に、民衆の請願を上奏する権利を持っていた。
  要するに、国会というところに民衆が「根回し」を行い、そして、その内容を上奏し、天皇の事前の「根回し」を行い、そのうえで、「民主主義」で採決しながら、最終的には鶴の一声を発することで周囲が納得する。
  これを成文化したものが大日本帝国憲法である。
  実際に、この方式を否定し、民主主義にしたのが「日本国憲法」である。
  日本国憲法は、あくまでも大日本国憲法の「改正」ということによて行われているものの、その方式は「日本的暗黙の了解の民主主義」から、「アメリカ的西洋法治国家民主主義」に大きく移行した党ことが言えるのである。
  要するに「日本的な意思決定」を排除した方法であるといえる。
  日本人における日本国憲法への違和感は、このようなところからも生まれるものであり、本来、憲法改正においては憲法を「日本国の独自性」と「日本国民の国民性」に合致した改正として、考えられるべきである。
  単純に自衛権などの話をするのではなく、そのような根本的な部分から考えるべきでは中。
  この議論は、特に現在の「日本国憲法の有効性」を考える議論ではなく、現在の制度と日本人の気質の合致の問題でしかない。
  要するに「制度論」であり、その「制度論」をどのようにに考えるのかということをしっかりとしなければならない。
  以前、大物政治家などが「小選挙区制」を導入吸うときも、または、数年前天皇制を語るときも、なぜか日本人は、西欧との比較を行いたがるのである。
  しかし、実際のところ、日本人の国民性も宗教間の風習も文化も違うのに、一方で、制度論だけ真似するということの無意味は、「小選挙区制」の失敗に学ぶべきところが多いのではないか。
  「制度」は「文化」「民度」「風習」「宗教観」などから出てくるものであり、それを性分化するものである。
  そして、日本人の国民性と合致しない「アメリカ的西洋法治国家民主主義」を採用した憲法が「押しつけ憲法」と揶揄されることは、そのまま日本人の文化性の否定を憲法が体現してしまっているということに他ならない。
  そう考えた場合「民主主義」のあり方、特にこれからの民主主義のあり方について、憲法改正の議論の中でも、「日本人的な」ことにこだわるべきではないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

従軍慰安婦について主張している韓国にある韓国軍従軍専用慰安婦施設

従軍慰安婦について主張している韓国にある韓国軍従軍専用慰安婦施設
 さて、まずは宣伝である。
 6月6日(予定)はつばい予定で
 「韓国人知日派の言い分」(飛鳥新社)
 http://www.amazon.co.jp/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E7%9F%A5%E6%97%A5%E6%B4%BE%E3%81%AE%E8%A8%80%E3%81%84%E5%88%86-%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%BB%8B/dp/4864103305/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1399587181&sr=8-1&keywords=%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%BB%8B
 を上梓する。
 この本は、最近ある嫌韓本が「韓国に行ったこともない人」が書いている場合があり、そのような本で妄想とファンタジーの批判を繰り返しているが、そのような風潮を一掃したいと思って書いている内容である。
 実際に、このような風潮は、非常に危険である。国交がない国であろうと韓国のような嫌いな国であろうと、内心むかつきながらも外交は行わなければならない。その外交を行うための、内容は、まさに、相手の状況を考えなければならず、妄想とファンタジーの批判をするのは、勇敢であるかもしれないし先鋭化してかっこいいかもしれないが、具体的な外交の解決策にはならない。それどころか、両国の関係を悪化させ政治的な判断を誤らせるだけで、基本的には、建設的なものではないのである。
 その中において、しっかりと観光の取材をして、韓国側の話を聞きながら、そのうえで、相手のことを「正当に」批判するのが最も良い。
 批判をするのにありもしないことを批判をすれば、それは「従軍慰安婦」で批判している韓国や「南京大虐殺」で批判している中国とあまり変わらないレベルになってしまう。そのような、「日本国の品位とレベルを中国韓国レベルにまで貶めるような本」を出したくはなかったのである。
 その思いからこの本を書いたのである。
慰安婦問題を追及する国にあった韓国軍“専用”の性処理施設
 韓国による“従軍”慰安婦追及と、米国に慰安婦像を作るなど、世界に向けてのロビー活動が止まらない。その結果もあって先月末、オバマ大統領(52)が韓国を訪問した際には「甚だしい人権侵害だ」と指摘。朴槿恵大統領(62)は日本に「誠意ある行動が必要」と具体的措置を取るよう求めた。しかし、韓国国内を見ると、いまだに韓国軍“専用”の性処理施設が2つも存在するのだ。
 韓国では2004年、性売買特別法が施行された。買春をしたら1年以下の懲役か300万ウオン(約29万円)の罰金。そのため風俗店が半減。一般人や観光客が遊びに行く有名風俗街が壊滅した。
 韓国人ジャーナリストは「売春女性が海外に大量流出。韓国の国会議員が調査した結果、韓国外で売春をしている韓国人女性は10万人以上いて、そのうち5万人が日本、3万人が米国だと発表されました」と語る。
 ところが、韓国と北朝鮮との軍事境界線である“38度線”の板門店から約40キロの所に、ヨンジョッコルという町がある。そこには一般人や観光客がほとんど知らない“ちょいの間”街がある。
 月刊情報誌「アジアンキング」(マイウェイ出版)の編集長で、世界の風俗事情に詳しいブルーレット奥岳氏が潜入に成功した。
「20~30年前からある風俗街です。国境を守る軍人はソウルなどの風俗街に遠征するのが難しいので、ここを利用しています。一見、田舎町ですが、その中の高い壁で囲まれている要塞のような所の中に、50軒以上のちょいの間があるんです。入り口の表門には韓国軍警察がいて『入るな』と止めるんですが、これは性売買特別法に対しての表向きのポーズ。軍警察がいない時間には簡単に入ることができます。24時間営業。観光客はほとんど見かけません」と奥岳氏。
 韓国の風俗街といえば、ガラス越しに女性を見て、気に入ったコがいれば、店内に入って交渉というスタイル。ヨンジョッコルも同様だったという。
「料金は10万ウオン(約9900円)で“本番”。ソウルの1・5倍です。歓楽街ではなく、他に何もない基地近くのということで高めの設定ですが、女性のレベルも高いんです。プレー時間が特に決まっているわけではなく、射精したら終了ということです。女性に『お客さんはどんな人?』と聞いたら『軍人に決まってるわ』と言ってました」(同)
 軍人専用に性サービスを行っているというわけだ。しかも、女性たちは搾取されているという。
 奥岳氏は「プレー料金は店と女性の折半ですから、女性は1人の客から5万ウオン(約4900円)しか手にできない。女性たちは整形で借金し、就職できずに、ここで働いているというケースばかり。借金を返すために、1日6人以上の客を取るコもいるということです」と語る。
 また、近くにもう一つの韓国軍“専用”のちょいの間街もあるという。
「ヨンジョッコルから車で15分ぐらいの所には、ホブオンニのちょいの間街もあります。こちらは10軒程度のこぢんまりしたちょいの間街ですが、客層のメーンは、やはり韓国軍。20万ウオン(約1万9800円)ほどで泊まりのサービスもあるので、仲間に顔を合わせたくない上級将校クラスがよく顔を見せるのだそうです」と奥岳氏。
 日本の自衛隊員も休日には風俗遊びをするが、さすがに自衛隊専用の風俗などない。ある自衛隊員は「自衛隊員は一般人と同じく、繁華街に行き風俗遊びするだけです」と語る。軍人だけを相手して成り立つ、いびつな風俗街…。韓国はまず足元を見つめる必要があるのかもしれない。
東スポWeb 東スポWeb 2014年05月07日19時00分
http://news.livedoor.com/article/detail/8808559/
 その本の中にも慰安婦のことが書かれているのであるが、実際に韓国人の売春婦の問題、特に売春婦輸出の問題と、韓国の従軍慰安婦の日本への補償問題の矛盾はあまりにもおかしな状態になっている。竹島などの領土問題とは異なり、これは、現代人というよりは韓国人の国民性の問題であり、その問題性がいったい何を意味しているのかということが最も重要な内容になっていると考えられる。
 実際に、韓国軍には高句麗の時代から「従軍慰安婦」制度があり、李氏朝鮮の時は「辺境防衛拠点」に「従軍慰安婦村」要するに「妓生鎮」があったのである。そして、日刊合併以降、または、朝鮮戦争時も、独自の洋公主などがあり、また韓国軍が海外に行けばライダイハンを行っているのである。
 そのような国民性があるのだから、現在の軍は同案っているのか。単純に「韓国軍には軍専用の従軍慰安婦」があるのである。韓国軍専用の慰安婦というのも、困ったもで、何しろ自主手的に売春婦が集まるというのである。当然に類推できるのが、「日本の従軍慰安婦」であってもそれがすぐに韓国人の方から自主的に集まったことがうかがえる。
 韓国の中においては縦社会であり、一度売春婦に身を落としてしまうとなかなか上に上がれない。その人々が生きる道といえば、売春しかない。そのような社会的な構造がなくならな買い切りにおいて、その売春はなくならないのである。韓国では「売春防止法」が「憲法違反」であるという裁判が行われている。まさに「生活がかかった戦い」であり、その内容はなかなか面白い。その辺は本に書いている。
 ということで、慰安婦問題に関して「慰安婦かわいそう」などというのは、韓国の社会的構造や韓国の縦社会性を全く無視したものであり、そのために一次は北朝鮮の共産主義の方が隆盛を極めたのである。
 その韓国についての本を、ぜひ、すでに予約もあるようなので、お願いしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どうなる大阪都構想というニュースと政治における「ブーム」の存在

どうなる大阪都構想というニュースと政治における「ブーム」の存在
 何回かこのブログでは紹介しているが、私が以前アメリカのホットドックチェーンの「ネイザンズ」の副会長と会ったときである。ちなみに、「ネイザンズ」とは、数年前に日本人が優勝したホットドックの大食い競争をしていたところで有名であり、もともとはニューヨークヤンキースのヤンキースタジアムでホットドックを売っていたことから、その味がチェーン展開し、そして大きくなった会社である。
 その副会長が日本に来日した時(10年くらい前の話であるが)、「日本にはブームという敵がある」という。
 ブームの最中は商品が少なくなり、そして恐慌状態に日本人は誰でもがそれのために並ぶ。当然に要望も大きくなり、商品の設備から店の設備、そして体制もかなり大がかりな投資を必要とする。しかし、ブームそのものがなく名てってしまえば、そのブームの時の設備投資が過大な投資になってしまい経営を圧迫する。とはいえ、ブームの時に稼がなければならないから投資は必要であるし、また、投資がいつ不要なものになるかもわからない。そして、そのブームもどうして発生し、どうして終了するのかもわからない。そのような不安定な商品の需給バランスを崩すものに対して、「ネイザンズ」としては投資をしないということになったのである。
 さて、この「ブーム」は、経済や商品の問題ではなく、日本人の特性の問題である。
 このことは政治にも政策においてもいえることになってしまっているのである。過去政治の世界でも「マドンナブーム」「新党ブーム」と様々なブームがあった。少し前に「第三極ブーム」が存在した。民主党政権の時によく言われたのが「民主党はダメ、でも自民党はいや」という無党派層の受け皿を「第三極」が疲労という「受け皿論」があり、その受け皿に成ろうとして様々な「第三極政党」ができた。
 しかし、そもそもイデオロギーや政治哲学がそんなに何種類もできるはずがない。結局「第三極」と言いながらも「政党の党首やスポンサーの好き嫌いの小集団」になってしまった。そのブームの一つである「日本維新の会」が非常に大きな岐路に立たされているといえる。
【関西の議論】離党ドミノで退潮・維新「疑心暗鬼」…反維新連合が狭める“包囲網”に「都構想は手詰まり」悲鳴
 橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会と、自民党などによる「反維新連合」が、維新の“牙城”である大阪府議会(定数109、欠員4)で熾烈(しれつ)な主導権争いを繰り広げている。自民などによる切り崩し工作により維新から計5人が離党。危機感を募らせる維新は、みんなの党との統一会派結成で対抗するが、合流しても51議席で過半数(53)には2議席足りない。維新の退潮に乗じて反維新連合はますます攻勢を強めており、維新の悲願である大阪都構想の実現は危うくなるばかりだ。
再選されたものの…
 「都構想がうまくいかないからといって選挙に打って出た橋下代表の行動がどうしても理解できず、尊敬の念がなくなった」
 橋下氏が出直し市長選で再選された翌日の3月24日、維新に所属していた岡田義信府議(45)=藤井寺市選出=は、今井豊府議団幹事長を訪ね、離党の意向を伝えた。今井氏は「都構想への思いを貫いてほしい」と慰留したものの、この日の府議会本会議の採決で岡田氏は造反し、除名されることとなった。
 衝撃はあまりに大きかった。採決された府議選の区割り案は、定数109から88への削減に合わせて自民が提案したもの。議案の可否は来年4月の統一地方選の勝敗を左右し、今後の府議会の趨勢(すうせい)を占う。
 しかし、12月の府議会で造反し、維新から除名された「無所属の会」の4人や、岡田氏ら離党組がこぞって自民案に賛成、可決するという皮肉な結果となった。
いらだつ維新議員
 敗因は何だったのか。
 ある維新府議は「タウンミーティングの千回開催にこだわっている場合じゃなく、議会対策をきちんとやるべきだった」と漏らす。
 出直し選では、維新所属の大阪府・市議らが都構想を市民に直接説明するタウンミーティングを千回開くことを目標に汗を流した。時には数人しか集まらない喫茶店や支援者の自宅にまで足を運んでまで「千回達成」にこだわった。
 その間、出直し選に候補者を擁立せず静観することを決めていた自民は議会対策に全力を傾注。今後の最重要課題である「府議選の区割り」について、自民案を軸に公明や民主などによる反維新連合で一本化した。さらに、1人会派や「無所属の会」の4人とも会い、統一選で組織票を上積みすることさえちらつかせながら多数派工作を展開。不満をくすぶらせる維新メンバーにも水面下で接触し、切り崩しを図った。
 区割りをめぐっては、1人区に強い維新と、複数人区を望む公明、民主などの間では利害が一致せず、「公明から都構想推進の協力を得る最後の取引材料」(維新府議)とも目されていたが、自民に先手を取られた形になってしまった。
 危機を察知した維新執行部は、3月22日の全体会議で浅田均政調会長が「執行部を信用してください。みなさんを見捨てません」と維新府議らに呼びかけたが、時すでに遅かった。別の維新府議はこう振り返り、天を仰いだ。
 「区割り案は維新最大のカードだったのに、逆に自民に利用されてしまった。もう目も当てられない」
都構想に黄信号
 維新を除名された岡田氏は自民入りが決定。これで府議会の会派構成は、維新50▽公明21▽自民15▽民主・無所属ネット8▽共産4▽無所属の会4▽みんな1▽府民クラブ1▽キラリと光る富田林・南河内クラブ1-となり、維新とみんな以外からなる反維新連合は虎視眈々と覇権を狙う。
 議席数は都構想の制度設計を話し合う府市特別区設置協議会(法定協)のメンバー構成にも影響を及ぼす。
 大阪府市大都市局によると、現行の法定協メンバーは計20人で、松井一郎大阪府知事や橋下氏の他は各会派の議席数の比率で分配されており、内訳は維新10▽公明4▽自民3▽民主系2▽共産1-となっている。しかし、議席数に合わせた場合、昨年末から今年3月にかけて計5人が維新から離党したため、維新府議を1人減らして代わりに共産か無所属の会の府議を入れなければならない。
 都構想実現のために委員数を死守したい維新は、みんなと統一会派を結成することで回避する構えだ。
退潮維新、余裕の自民
 維新が法定協対策に躍起になる中、反維新連合は統一選に向けて着々と“維新包囲網”を狭めつつある。
 自民府連と公明府本部は3月12日、大阪市内で会談し、統一選で選挙協力を行うことで合意。出直し選前までは都構想をめぐって維新と協力関係にあった公明が「反維新」の旗幟(きし)を鮮明にした形だ。
 さらに、前回統一選で維新の台頭により大きく議席を減らした共産や民主も、維新退潮ムードの中で雪辱を果たすべく「反転攻勢を」と鼻息を荒くする。
 維新には、もはや前回統一選の時のような勢いはなく、来春の統一選で過半数を獲得できるかどうかは不透明だ。ある維新府議は「もう都構想そのものが手詰まりだ」と頭を抱える。そんな維新を尻目に、自民府議幹部は余裕の笑みを浮かべ、こうつぶやいた。
 「こちらからはもう何も仕掛ける必要はない。ただ、維新の議員たちが疑心暗鬼になればそれでいい」
msn産経ニュース 20140507
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140506/waf14050618000001-n1.htm
 イデオロギーなどには全く気にしないで、「一つの政策」で政党を作り、その政党において、人を結集する。しかし、政党で政治をする以上は、ほかのことも大きくなる。政治は生活から安全保障、外交、そのほか森羅万象すべてにおいて行わなければならず、得意分野やひとつの政策で何とかなるものではない。選挙は一つの「シングル・イシュー」でよくても、政治はそのようにはならないのである。
 結局選挙でブームになっても、全般の政治ができるわけではないので、結局政治を行うようになると次々とボロがでてくる。このボロが徐々に鼻につくようになれば、その「新政党」の寿命である。
 みんなの党は、そのことがわかっていたので、「アジェンダ」という単語で相手を煙に巻いて、批判をすることだけで自分の主張を強くしなかった。しかし、安倍首相の政治に近づいたために、党が分裂してしまった。
 維新の会はそもそも政治家としてキャリアのある太陽の党の人々がいたが、一方で、「シングル・イシュー」の選挙にこだわった橋下徹が、強引にその政策だけで、原点的なところを何もしなかったために、その内容がおかしな話になってしまっている。完全に「歪な政党」になっている。味方によっては左から右まですべてを網羅するということになるが、どうもそのためには、数名の個性が光りすぎてしまっているようである。
 そのために「政治の根底の部分」要するに「イデオロギー」が固まらずに、離党者が相次ぎ、また「シングル・イシュー」であるために、それが実現可能性が低くなると、沈没船から逃れる鼠のように、徐々に人が離れて行くのである。
 さて、あのブームはいったいなんであったのだろうか。ブームで流される選挙そのものが「衆愚」であることは間違いがない。国民の質が政治を作るとも言われているが、シングル・イシューで選挙が成立してしまう日本の政治空間をもう少し考え直す日地羽陽があるのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日韓関係の悪化で連休中に現れる影響と韓国の自業自得

日韓関係の悪化で連休中に現れる影響と韓国の自業自得
 韓国との関係が悪化している・そのことは今になって何か言うレベルの話ではない。すでに日韓関係が悪化しているなどというのは、「常識」になってしまい、わざわざそのことを言うこと自体がおかしいというような感覚になってしまうのである。
 逆に「韓国に行きたい」などといえば、よほどの事情がない限り「何のために行くの?」となってしまう。それは日本国内でも同じであり、一部の中では「韓国製製品」を使っておるだけでも、売国奴扱いされる場合もある。それどこか、日本製の「キムチ」などを食べていても白い目で見られる可能性がある。もちろん、いまだに韓流スターが好きな人もいれば、韓国料理が好きな人も少なくない。私は韓国料理とは思っていないが、焼肉が古物であるという人は少なくないのである。
 日本人の趣味趣向の部分と、これに対して政治問題を一緒に語るのはいかがかと思う。実際に好きなものは好きなんだし、嫌いなものは嫌い。しかし、日本人は「同一視」することを、無意識のうちにしてしまう民俗性であり、その感覚が「韓国は嫌い」といえば、そのまま「韓国の製品」「韓国の風習」「韓国の文化」すべてが嫌いになるということになる。
 日本では「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがある。「その人を憎むあまりに,その人に関係のある事物すべてを憎むことのたとえ。」という意味であるが、このようなことわざがあれば、当然にそれを戒めるので会おうが、その内容は日本人が日本人である以上、いや、ある意味日本人はまだましな方で、ほかの国ではかなり大きな力となってしまう。
 韓国などは「恨(ハン)の国」だそうで、そのようなことをお互いがわからなくなるほど1000年も続くのだそうだ。あまりにも無意味なそのようなことを行うことによって「対立」が双方の国力を失うことになる。まさに韓国は、そのように対立していることによって、常に中国の属国になっていた。そのコンプレックスは非常に大きなものになってしまっているのである。
大阪の韓流テーマパーク、日韓関係悪化で見直し
 大阪市の土地信託事業で経営破綻した都市型遊園地「フェスティバルゲート」(大阪市浪速区)の跡地に韓流テーマパークの建設を予定していた大手パチンコチェーン「マルハン」(本社・京都市)が、日韓関係の悪化を理由に計画を見直していることがわかった。
 跡地の売買契約を締結後、5年以内に建設に着手する取り決めだったが、今年3月の期限が過ぎた現在も着工されていない。このため、市は今年度内の施設完成を求める契約を新たに結ぶ方針だ。
 7日の市幹部会議で新契約方針を決める。着工が無期限延長にならないようにするため、年度内に施設が完成しない場合、同社に違約金を要求することも検討している。
 フェスティバルゲートは市電車庫跡に1997年開業したが、04年に経営破綻した。跡地は同社が09年1月、市交通局から1万4000平方メートルを約14億円で落札し、同3月に売買契約を締結。韓流テーマパークは8階建ての建物に韓流スターが手がけるファッションブランドのショップや飲食店などが入る計画で、総工費約100億円をかけて今秋に開業し、来場者は年間300万人を見込んでいた。
 しかし計画発表後、歴史認識や領土問題を巡って日韓関係が冷え込み、大阪でも在日韓国・朝鮮人の排除を訴えるヘイトスピーチ(憎悪表現)が行われた。梅田などで建設中止を求める街宣活動も起き、同社は市に計画変更を申し出た。
 市と同社が交わした実施要領では、「契約締結日から5年以内に誠実に事業を行わなければならない」としているが、市は「誠実に事業を行う意図はある」と判断し、買い戻しや再入札は行わないことにした。マルハン経営企画部は「大阪市と相談しながら計画の見直しを進めていることは事実だ」としている。
読売新聞 2014年05月04日08時59分
http://news.livedoor.com/article/detail/8800286/
反日外交のシッペ返しに苦しむ韓国産業 GW日本人観光客が激減…
 朴槿恵(パク・クネ)大統領による「反日」外交が続くなか、韓国産業が手痛いシッペ返しに苦しんでいる。特に「観光」「マッコリ」「K-POP」の3分野は、日本人を対象とした売り上げが大幅に減少している。韓国は官民挙げて巻き返しに必死だが、日本国民の対韓感情は悪くなるばかりだ。特に、観光分野では、珍島(チンド)沖の旅客船「セウォル号」沈没事故が追い打ちをかける事態もありそうだ。
 セウォル号事故を受け、韓国国内は自粛ムードが続いている。
 韓国紙・中央日報によると、国内のお祭りは80件以上が中止・延期に追い込まれ、百貨店の売り上げも減少した。ソウル市内有数の繁華街、南大門(ナムデムン)市場は「日本人と中国人の観光客がいなかったなら通りには誰もいない」(同紙)という惨状だ。
 韓国観光公社は日本のゴールデンウイークと、中国の労働節(メーデー)連休に合わせ、日本人10万人、中国人7万人の観光客を見込んでおり、日本人観光客は“頼みの綱”といえる。
 だが、セウォル号事故は韓国の交通インフラへの信頼を根底から揺るがす事故だけに、日本人観光客の足が鈍る可能性も否定できない。
 不思議なことに、日本の旅行代理店各社は「セウォル号事故を受けたキャンセルはない」と口をそろえるが、大手代理店・日本旅行の広報担当者は「昨今の国際情勢もあり、そもそも前年比では良くない」と話す。
 韓国観光公社が先月23日発表した統計によると、今年1~3月期に韓国を訪れた日本人は前年同期比14・5%減の約61万人。ゴールデンウイークの日本人観光客も、昨年から30%減少すると予測している。
 朝日新聞が2~3月に実施した調査では、韓国を「嫌い」と答えた日本人は34%。「好き」の8%を大幅に上回っており、12年8月に李明博(イ・ミョンバク)前大統領が島根県・竹島に上陸し、天皇陛下に謝罪要求を突き付けてから、悪化を続ける日本人の対韓感情をうかがわせる。
 著書『呆韓論』(産経新聞出版)がベストセラーとなっているジャーナリストの室谷克実氏は「露骨な反日政策の影響で、日本人観光客が韓国離れをしている。韓国メディアも分かっているが『円安ウォン高の影響だ』と言って、仕方がないことだと片付けている」と解説する。
 観光と同様に、酒類や食品の対日輸出も落ち込みが激しい。
 韓国農林畜産食品省がまとめた報告書によると、韓国の伝統酒・マッコリの対日輸出は11年の4840万ドル(49億4551万円)をピークに急落し、13年は1362万5000ドルと、2年間で3分の1にまで激減した。マッコリ輸出は日本向けが約7割を占めており、業界にとっては大打撃だ。
 韓国料理の代名詞ともいえるキムチも不振が続いている。韓国貿易協会が先月6日発表した資料によると、13年の対日輸出は前年比22・1%減の6580万ドル。中国産の低価格キムチが流入したこともあり、13年は輸入が輸出を2815万ドルも上回る「キムチ貿易赤字」に陥っている。
 一時は、日本のヒットチャートを席巻した「K-POP」の勢いにも陰りが見えている。
 オリコンの年間シングルランキングでは、11年のトップ30に、東方神起やKARAなど4組が入っていたが、12年と13年は2年連続でゼロ。韓国国内で育てた韓流スターを、市場規模が大きい日本で売り出すというビジネスモデルは成り立たなくなっている。
 前出の室谷氏は「韓国人と話をすると『日本市場がダメでも、中国市場があるから大丈夫だ』と言うが、著作権意識が低い中国ではパクリが横行しているし、飽きられやすい。中国での韓流ブームは長続きしないだろう」と指摘する。
 事実、13年に韓国を訪れた外国人観光客は中国人がトップの3割を占めるが、再び韓国を訪れる「リピート率」は29・7%。日本人の64・3%に遠く及ばない。
 身から出たさびとはいえ、日本市場に依存してきた韓国産業は苦難の季節を迎えたといえそうだ。
夕刊フジ 5月2日(金)16時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140502-00000015-ykf-soci
 韓国の場合、面白いのは、「恨む」だけならば他の国でもあるが、その国に「経済的に依存」しているところである。
 そのためにゴールデンウィーク中の日本人観光客が減ったことも、また韓国系パチンコ店のマルハンが企画した「韓流テーマパーク」が建設中止(無期限延期)になった場合も、問題になるのである。
 日本を悪く言うのも、基本的には「日本は批判すれば金を持ってくる」というような「パブロフの犬」的な韓国人的な習慣になっているからであり、その習慣を作ってしまった日本政府も、そしてそのような習慣を脱しようとしているにも、いまだに土下座的交渉を続けている日本の左翼と、日本のマスコミと、一部(広島県あたり?)のちょっとおかしな高校の修学旅行などが日本人の感覚とかい離しているということになる。それどころか、その日本人の感覚とのかい離が、さも「離れた日本が悪いか」のように報道する日本のマスコミ、特に朝日新聞と毎日新聞は異常としか言いようがない。
 当然に「恨む」くらいならば、日本に依存せずに「独立・自立」すればよいのであり、それならば、韓国系企業などはすべて韓国に変えればよい。パチンコ屋もすべて閉店させ、または日本の法律で禁止させてしまい、そのまま放逐すればよい。
 そのようなことができず、日本に依存しながら日本を恨むという行為そのものが、このような結果を生むのである。
 まさに韓国人の自業自得ということができるのである4.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミ批判に関する一考(191) 日韓対立をあおる新聞マスコミとそのオバマ大統領依存の滑稽

マスコミ批判に関する一考(191) 日韓対立をあおる新聞マスコミとそのオバマ大統領依存の滑稽
 オバマ大統領が訪韓したときに食べたプルコギをほめたという。日本では寿司を食べなかったが、プルコギはたくさん食べたという。
  ちなみに、首脳会談で出た料理に関して、その料理を非難する海外の首脳は基本的にはいない。日本の場合、首脳会談の様子や内容をベラベラとマスコミに話してしまうような「下品な」そして「顧客の秘密を守れないような最低な店」を選んだ首相官邸のミスがあったとは考えられるが、それでも、接待用の食事としてはそれほど間違えた選択ではなかった。ちなみに、なぜ「ミシュランの三ツ星」の店をここまで悪く言うのか、といえば、単純に、神楽坂の芸者(宇野首相の三本指事件)とほぼ同じで、政治家の政治の会談の様子をマスコミに喋るなどは、完全に常識に違反しているとしか言いようがない。単純に言えば、この料理屋では「秘密の話」や「商談」はできないということであり、密談も不倫も(これは言いすぎかな)もこの店を使えないということになる。そのうえ、アメリカ大統領に、もっと言えば世界中にこの店は秘密の話をできない店であり、ここで話した内容は外に筒抜けになるということを示したのであるから、「最低」で「下品」な店でしかない。上品な店ならば、顧客の情報は絶対に外部に話すことはないし、また、そのような信用を打っているのである。この店は、「信用」の代わりに「会談の様子の暴露」という「ネタ」を他人の秘密を売ったのであるから、非難されるのは仕方がない。
  しかし「すし」という、最も日本的でありなおかつ水と魚が新鮮な場所でなければ提供できない料理であり、なおかつ、主食とおかずが一体になっている「ファーストフード」で迎えるということは、時間のない、双方の首脳にとって選択は悪くなかったということになる。
  一方、プルコギはどのような料理なのであろうか。
  もともとは、中国の黒龍江省西部・吉林省西部・遼寧省東部から北朝鮮東部にかけて、北西~南東に伸びる帯状の地域の料理であり、韓国の代表的な肉料理の一つ。醤油ベースで甘口の下味をつけた薄切りの牛肉を、野菜や春雨と共に焼く、あるいは煮る料理であり「韓国風すき焼き」とも呼ばれる。醤油・砂糖・蜂蜜・清酒・ごま油などの調味料と、おろしたニンニクやショウガ、さらにナシやリンゴなどもおろして加えてよく混ぜたヤンニョムによく漬け込んだ「肉」を鍋で焼き、その下に肉汁の出た物で野菜を煮るようにして食べる。
  なぜこれだけの調味料がいるかといえば、肉は、元もtも「羊」「狗」「猫」「兎」、馬場位によっては「鼠」なども食べてしまうので、肉に臭みがあり、その臭みが問題であるために、これだけの調味料に漬け込んでおかなければならないのである。何とも悩ましい限りの料理なのだ。
  そのように「何の肉だかわからないようにして食べる肉料理」と「素材の味を生かす日本の海鮮料理」を一概に比べるというのは、非常に乱暴な話であるが、オバマ大統領は、基本的に双方の料理に対して一応の賛辞を述べた。まあ、社交辞令である。
  しかし、その歴史も何も言わずに、単純に比較をするのが「マスコミ」である。韓国のマスコミが、「韓国の料理屋は、日本のすし屋と違ってちゃんと顧客の秘密を守ることができる」と勝負してきたら、日本が歯輪何も言えなかったであろう。しかし、「会食外交の勝利」といわれた瞬間に、「韓国のマスコミも日本の下品な寿司屋」と同じ程度でしかないということが言えるのではないか。
 
オバマ大統領「プルコギ」も褒めまくっていた 韓国紙「我が国は会食外交で日本に勝利!」
   オバマ大統領が国賓として来日した2014年4月23日に安倍晋三首相と東京・銀座の寿司屋「銀座 すきやばし次郎」で会食し、寿司が大好物で、「私の人生で最高の寿司だった」と絶賛したと報じられたが、韓国での会食でもこの調子の良さは同じだったようだ。
   「プルコギとキムチが最も好きなランチメニュー」であり、韓国料理を礼賛して旺盛な食欲を見せたという。中央日報は日本で出された寿司は半分しか食べなかったのとは対照的な様子だったと「会食外交」の勝利宣言をした。
エアーフォースワンの機内でも食べる
   韓国の有力紙「中央日報」の14年5月3日付けの日本語電子版は、オバマ大統領は14年4月25日に朴槿恵大統領と大統領府の青瓦台で会食をしたとき、韓国料理を礼賛して旺盛な食欲を見せたと報道した。箸使いが非常にうまく、チヂミにナムルや肉などの材料を一つひとつのせ包んでいただけでなく、食事の最後にはおかずとして出てきた和え物をご飯の上にのせて混ぜ、ビビンパを作って食したのだという。オバマ大統領が当選直後に李明博前大統領との電話会談で
「プルコギとキムチが最も好きなランチメニュー」
と語ったため、その料理は外せなかったという。また今回の会談では、
「私はプルコギが好きで、エアーフォースワン(米大統領専用機)のコック長にプルコギの料理法を習うように言い、機内でも食べる」
という話も披露したと書いている。日本での会食では出された寿司を半分しか食べなかったと海外で報じられたオバマ大統領だったが、今回の訪韓で韓国料理を楽しんだ姿は、前日の日本訪問当時とは対照的だった、などと「会食外交」の勝利宣言をした。
   どこに行ってもその国の料理を絶賛する「全方位」ぶりには頭が下がるが、実は日本の寿司に満足したのは本当のようで、一部報道では「半分残した」と報じられたが、菅義偉官房長官は会見でオバマ大統領は寿司を14貫食べたと発表している。アメリカからの長旅後の会食で14貫なら充分なのではないか、といった声が出ていた。今回の中央日報の記事に関し日本のネットには、
「プルコギが寿司に勝ったニダ!」
「オバマもおかしいよな。あんな事故の後なんだから、バクバク食うもんじゃないんだよ」
などといった意見が出ている。
2014年5月3日(土)17時1分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-203900/1.htm
 そもそも「会食外交」そのものがわけがわからない。
  単純に「日本との間には話題が多い」ということであり、「韓国との間には話題が少ない」というだけなのであり、その「話題」の重要性が日本との間のほうが重要であるということに他ならない。
  単純に言えば、「中国」という脅威があったときに「日本は頼りになるから引き込んでおかなければならない」というのがアメリカの至上命題であるのに対して、「韓国は頼りにならないから、そんなに重要視していない」ということに他ならない。それだけに、日本との間にはTPPや尖閣諸島問題などの対応で、短い時間に話をしなければならないことが多かったということになる。
  これにたして、韓国は、すでに米韓FTAが結ばれているしTPPなどに入れる気は毛頭ない。中国語の間には経済連携があり、そのために、軍事機密も共有できない、場合によっては韓国にいるアメリカ軍をすべて撤退させるということを考えているのであるから、韓国との間には「話題」がない。
  日本人ならば首脳会談で話題が何もないといえば、非常に大きな問題になる。話すことがないのに、アメリカの大統領が来たとなれば、帰って「踏み台にされた」「何となく寄り道しただけ」というような感じで「軽視されている」ということになる。これに対して、韓国人はそこまであまり頭が回らないし、自己中心的な考え方しかしないのであるから、そのような「杞憂」をしない。単純に「プルコギがおいしいという話題以外がなかった」という話なのに、そのことを「会食外交の勝利」というわけのわからない報道になるのである。
  さすがに、日本のマスコミはそこまで馬鹿ではなかったようだ。しかし、韓国のマスコミはそのような報道を行っているために、基本的には、その論調が主流になる。要するに「思考停止したマスコミ」と「思考停止した受動態のみの国民」の織り成す「オンプレックス政治批評」が繰り返されるものでしかないのである。
  本来は、韓国は韓国の経済の問題や北朝鮮との問題など、喫緊の課題が多いのに、会食時にその話題で話を行うことがなかったにもかかわらず、報道が間違えていると、そのような問題の本質を包み隠してしまうことになるのである。
  日本のマスコミも、今を去る事数年前、麻生首相(当時)が漢字を読み間違えただけで大騒ぎをして、より政治センスのない民主党鳩山政権にし、その鳩山氏の後は菅直人になった。本来の政治を語らずに漢字の読みを間違えたなどだけで批判をし、本質である政治の話題をしないとこのようになってしまう。それがわからないのが日本のマスコミであり、その結果が、震災処理での体たらくで、国民は痛い思いをした。
  韓国も同じ轍なのではないか。そう思えてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平成26年ゴールデンウィーク連載 情報と日本人(4) 絶望的な日本の情報戦とその原因

平成26年ゴールデンウィーク連載 情報と日本人(4)
絶望的な日本の情報戦とその原因
 「事実と検証から導き出される真実」とその真実を利用した宣伝ということが最後の情報の問題である。
  日本人の場合は、そもそも「事実の把握」からして、官僚的な常識ということに阻まれ、客観的な情報を入れることができない。
  同時に、その「事実の検証」において、偏向報道マスコミのように、「主観表現」が通常で行われ、それに振り回されてしまうような話。
  そのうえ、「編集段階での主観の流入」などという、事実の形成とは全く異なるような主観の表現が「許容されている」という時点で、そもそも事実そのものの把握も検証もできていない。
  まさに、現在のマスコミの存在と、そのマスコミの存在から反自民で民主党政権を作ってしまうような国民性であれば、はっきり言って「情報」に関する内容は絶望的であるといえる。
  そのような国に「情報を利用した宣伝戦」を期待する方が「酷」というものである。
  実際に「宣伝戦」あるいは「ロビー活動」が苦手な日本人ということはよく聞く。
  しかし、そもそも情報を把握していない状態でロビー活動などはできるはずがないのである。
  情報そのものに主観や感情表現が入っていることに、全く違和感を感じない状態では、情報の検証ができない。
  当然に、韓国や中国の宣伝戦に関しても、情報に主観が入ってしまい、またその解釈にも主観が入ってしまう。
  相手の情報戦を「主観的」に判断し本気で怒っている間は、情報を扱う人間としては失格である。
  もちろん、一般の人にそのことを求める気はない。
  しかし、情報を扱う人や言論人が、そのような対応をしてしまうところが、実際に、日本の言論や宣伝戦、情報戦の脆弱性の表れであるということができる。
  では、どうしたらよいのか。
  基本的に情報を扱う人は、常に冷静でなおかつ客観的な判断をお粉べきである。
  例えば「オスプレイ反対」デモがあったとする。
  「反対するなんて信じられない」とか「日本を守るのにどうしたらよいと思っているんだ」とか「売国奴」とか、そのような不毛な誹謗中傷を行わない。
  そのうえで、「オスプレイの配備」をした場合としない場合のメリットとデメリットを客観的に考えるべきである。
  実際に、オスプレイの事故で亡くなる可能性がある人は何人で、オスプレイが稼働しないことによって失う領土および、そのことによって犠牲になる人がどれくらいいるのか、そのことを考えなければならない。
  そのうえで、その事件が発生する確率、要するに、戦争が起きるであろう確率と、オスプレイが墜落する確率を考慮する。
  具体的には、「オスプレイ墜落防止」の対策と、「中国や韓国が離党を攻めてこない」ということに対する「防止策」の双方の有効性を考慮して、物事を判断すべきである。
  これは、集団的自衛権であっても、TPPであっても、同じ内容であり、言論の「雰囲気」という主観に惑わされないで判断できるか、ということが必要である。
  正しく「事実の検証」ができる人は、どのような事項であっても賛否両論を両立し、双方の立場から発言をすることができるはずだ。
  しかし、残念ながら、現在の左翼の言論と保守の言論、双方ともに、両方の議論をできる理論派は少なく反対側の話をすれば、「裏切り者」というような誹謗中傷を浴びる。
  これこそ、まさに、「主観的」な情報の取り扱いでしかないのである。
  では、情報をいかに客観的に扱うか、そのことが最も重要である。
  それ以上の宣伝戦やロビー活動に関しては、ここでは語らないことにする。
  実際に語ることもできると思うし、中国や韓国の手法も知っている部分も少なくないと自負している。
  しかし、それらに関して今テクニックをマニュアル化するのではなく、実際に情報をいかに客観的に考えるのかということを見るべきではないか。
  その大原則ができていなければ、いくら予算を付けても駄目だ。
  まずは、その内容をできるようにする。
  そのことが日本の情報に関する最も重要なことではないかと考えているのである。
 
  この後のロビーや情報戦の手法に関しては、次の機会にゆっくりと話をしようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平成26年ゴールデンウィーク連載 情報と日本人(3) 「主観」の排除と「事実の検証」

平成26年ゴールデンウィーク連載 情報と日本人(3)
「主観」の排除と「事実の検証」
 「事実の検証」ということについて考えてみたい。
  前回のブログのように、事実そのものを把握したとする。
  しかし、その「事実」は、本人が目にして本人が耳で聞いたもの以外、すべて報告者又はその向こう側の人、要するに実際に体験した人々の「主観」というフィルターが入ってしま手いるのである。
  その「主観」は、非常にやっかいなものである。
  それは意識しないで入ってくる感情であり、またバイアスであるといえる。
  そのために、「主観」によって様々な情報が曲げられてしまうのである。
  少なくとも、その人が「良い」「悪い」と考える内容があり、その価値観が入ってしまう。
  その内容が、客観的にわかるように考えていただければ、簡単に見破ることができるのだが、残念ながら、そのような内容は、日本語の場合はニュアンスや言い回し、あるいはそのキーワードの出てくる順番などによって異なる話になってしまうのである。
  しかし、この情報を受ける側は、間違いなくこの情報を「客観的な情報」を受けたという感覚になってしまう。
  そのために「報告者の主観」を含めた「客観情報」が出来上がってしまうのである。
  これは、近年言われている、マスコミの「偏向報道」がまさによい例ではないか。
  報告者であるはずのマスコミが自らは客観的で中立的な報道を行っているとして、その事実をか伝えているといいながら、その主観が入っている。
  特に「報道しない自由」や「客観的な意見」と言いながら反政府反日的な意見のものばかりを大きく取り上げるというのは、まさにそのような状態の中の一つであるということが言えるのではないか。
  現在のマスコミに関しては「主観表現」を、いかにも客観的なように偽装して報道していることが最大の問題になっているのである。
  これが、日本のマスコミの限界であり、同時に、そのマスコミが「情報機関」として存在できない理由であもある。
  さて、「事実の把握」ではなく「事実の検証」の段階でこの主観は大きな問題になる。
  実際に「事実の把握」の段階では「主観」が入ることが当たり前であり、それは人間が人間である以上仕方がないことではないかと考えている。
  実際に、例えば事故現場を体験した人がいるとする。
  この例ならば多くの人が共有できるのではないか。
  その事故の現場を見て、その瞬間は「危ない」と思ってしまう。
  実際に人間である以上当たり前の感情である。
  その後、自分が無事であることが分かった瞬間に、それまでに起きたことを反芻し、そのうえで、その内容を客観的に構成しなおすのである。
  このように言うと、イカにも主観が客観的な事実をゆがめているように思えるかもしれない。
  しかし、その「客観的な事実」ではなく、そこに「主観」が入ることによって、その記憶は変わられてしまう。
  同時に「主観」が主体になって「主観的な記憶」を構成し直し、それが報告事項として存在するようになってしまうのである。
  これは、本人が意識する以上に深く深層心理に入るものである。
  よって、「主観が強く働く場面」、要するに「事件の核心に近い部分」例えば、事故ならば、最も危険な場所にいる場合は、その「核心」に近いために、主観が働く部分が大きくなる。
  当事者であれば、主観しかなく、客観的に見る目がすくなくなるのであるから、当然に、客観的な報告をすることは難しい。
  これは、よほどの訓練をしていても難しい。
  実際に、軍隊であっても、大きな戦闘の後「ああ、助かった」と思うものであり、その後、冷静になって、再度的と戦う姿勢ができる。
  「助かった」という感想が出てくる瞬間に、その内容は間違いなく、主観に支配された感情でしかない。
  その後、客観的に自分の置かれた状況や記憶などから、自分の次に起こすべき行動や、その後の報告事項を構築するのである。
  これが「情報」であり、「事実の把握」なのである。
  この「主観」を排除する方法はいくつかある。
  簡単なの者「修飾語」をすべて削除するというものである。
  例は悪いが、あえて例を挙げる。
  「東日本で大きな地震があり、津波が発生して町が壊滅状態になり、たくさんの死者が出て悲惨な状況になった」
  これは主観情報であるため主観によって入れられた「修飾語」をすべて排除してみよう。
  「東日本で自信があり、津波が発生し、町に被害が出て、死者がでた」ということになる。
  「大きな」「壊滅状態」「たくさん」という数量の部分が主観になっている。
  そのためにそれを排除し、その規模を数値で表すことによってその規模がわかる。
  主食御入りでは「大きな被害」ということはわかるが、そのことによって、どれくらいの救援物資が必要かはわからないことになる。
  そして、主観表現をなくすために「大きな」「たくさんの」というところの被害状況を正確、少なくとも概算的に数字を知れて把握しなければならないということになる。
  そのうえで、そこに数字を入れることによって、具体的な行動計画が立案できるのである。
  「大きな」という主観情報は、数字を入れることによって客観情報に変えなければならない。
  もう一つには、「同じ体験者の報告を複数入手する」ということになる。
  これは、多くの体験者の意見や目撃者の意見を入れることによって、主観の部分が変わってくるのであるから、そのその中の「最大公約数」を入れることによって、主観が排除できるという仕組みである。
  ある事件の要素を、上記のように修飾語を排除する。
  そうすると「A]「B」「C」というような要素になるとする。
  しかし別な人に聞いた場合「A」「B」「D」となれば「C」「D」は主観表現ということになる。
  そうなれば「A」「B」が客観表現ということになる。
  これを繰り返し行うことによって、最低限の事実を把握しなければならない。
  もう一つには、その事件や事故、報告対象の結果や遺構などから科学的に解析するということが必要であろう。
  そして「主観」をいかに排除するかということになる。
  当然に「当事者」だから、主観表現が入るコムというものではない。
  当然に、現在のマスコミが行っているような「偏向報道」や「報道しない自由」などは、まさに、取材そのものの主観の介入ではなく、編集段階の主観の流入である。
  それらは、当然に、主観の排除ということになる。
  そのうえで、情報をいかに効率的に入手するのか、そのことが最も重要になる。
  当然に「嘘」そこまでいかないでも「功名心」などによって誇大表現になったものも、この主幹の排除と同様の排除になるということになる。
  事実の検証に関して、今回は「主観の排除」ということを行ったが、そのほかの「不確定要素の排除」なども同様の話になるのである。
  そして、事実のみを客観的に収集し検証を行う、いや検証の材料を行うということが最も重要なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平成26年ゴールデンウィーク連載 情報と日本人(2) 情報を入手するために必要なこと

平成26年ゴールデンウィーク連載 情報と日本人(2)
情報を入手するために必要なこと
 では情報とはいったい何であろうか。
  世界大百科事典 第2版の解説
じょうほう【情報 information】 
 〈情報〉という語は,広義にはニュースや知識を指すのにも用いられているが,厳密には,人間を離れて客観的に伝達・処理ができるようになった段階でのそれをいう。
 その伝達や処理は元来は人間が担っていたものであるが,技術発達の過程で,材料加工から〈物質〉の概念が生まれ,原動機の開発から〈エネルギー〉の概念が生まれたように,
  通信技術やコンピューターや自動制御の発達の結果,新しく〈情報〉の概念が形成されたのである。
<インターネット上から抜粋>
 同じ内容をウィキペディアで引いてみると
  <以下ウィキペディアから抜粋>
  情報とは何かという問いに、ただひとつの答えを与えることは困難である。
 情報という用語は、informationは歴史的に見ると哲学的な意味を継承している。
  が、近代では、1の意味の、事象、事物、過程、事実などの対象について知りえたこと、つまり「知らせ」の意味で広く使われてきた。
  20世紀、1940年代までの日常言語では、情報が諜報と近い意味と見なされ、なんらかの価値あることを知ったとき「情報を得た」といったように用いていた。
  《価値》と結びつけられたものを《情報》としていたわけである。
 20世紀後半における情報理論の発展に伴った意味・概念が加わる形で、より広い意味で使われるようになってきた。
 1の意味での情報は「情報を交換する」「情報を流す」「情報が漏れる」「極秘情報」などのように用いられている。
 2の意味の情報は、「情報時代」「情報社会」のように用いられている。
 3の意味での情報は、生体の神経系のそれや、内分泌系のホルモン情報などの生体シグナルの他にも、遺伝子に保持されているそれ、あるいは生命が生きる過程で遺伝子や細胞内に新たに書き加えられたり書きかえられたりするそれである。
  他にも環境中の光や音、生命に影響を与えうるあらゆるものを「情報」とみなすことができる。
 上述のごとく、情報ないしinformationという用語は様々な意味を持っているが、最も工学的な意味での用法としては、シンボルを並べた列である。
  工学的な意味での情報というのは比較的新しい用法で、ちょうど原動機の開発などによって(現代流の)《エネルギー》という概念が生み出されさかんに用いられるようになったのと同じように、通信技術、コンピュータ、自動制御装置等々が開発されたことによって、この意味での《情報》という概念が新たに形成されたのである。
  情報という概念は、生命、心、知識、意味、パターン、知覚、知識表現、教育、通信、コミュニケーション、制御、等々の概念と密接に関連しているのである。
  <以上ウィキペディアから抜粋>
 
  以上がインターネット上で「情報」といった時の定義である。
  しかし、この内容はあまりこのような認識をされていないのではないか。
  まず情報というのは、「事実の把握」「事実の検証」「事実と検証から導き出される真実」の三つのパーツから成立する。
  そのうえで「真実に対応する行動」ということが最も重要になる。
  情報を持っていることが重要なのではなく、その情報を活用することによって自らの隊場を有利に導くことが最も重要なのであり、その行動に結び付けられない情報は「無意味」でしかないのである。
  では順番に見て行くことにしよう。
  「事実の把握」である。
  最も重要なのがこの事実の把握である。
  事実の把握というのは、まさにその場に行って事実を考えなければならない。
  では「事実」はどのように把握できるのか。
  この方法論は二つの種類がある。
  一つは「体験」もう一つは「疑似体験」である。
  体験に関しては、何も言うことはあるまい。
  何を押しても自分で体験した内容が最も重要な内容であることに変わりはない。
  それが世間の「通説」と違おうと、おかしな感想であろうと、または、全く異なる内容であろうと、それは本人にとっての真実でしかない。
 その真実をどのようにとらえるのかということになる。
  その人の性格や、その人の置かれた状況などから、その内容を考察すべきである。
  例えば、人を殺しているということを考える。
  しかし、まず「人を殺している現場」といって、多くの日本人は現在の日本の環境から暴漢が人を殺している映像を思い浮かべるのが通常である。
  しかし、単純に「人を殺している」ということを言えば、爆弾を仕掛けているところか、あるいは、戦争で気銃を乱射しているのかもしれない、または、航空機やヘリコプターから狙い撃っているのかもしれない。
  単純に「人を殺している」という情報のみでは、人間は自分の環境において存在する中で、その言葉から発生する状況を連想する。
  しかし、実際はその状況において、その現場の状況全く異なる。
  そして、その状況や環境において、その内容に関する評価も変わる。
  例えば、同じ「人を殺している」としても殺人者ならば悪いことをしているということになる。
  しかし、戦争の場面で敵を殺しているのであれば、「英雄」かもしれないし、倍によっては「正当防衛」かもしれないのである。
  さて、何がいいたいかといえば、基本的に「言葉」によって報告を行っても、その内容が正確に伝わるかどうかはわからないということになる。
  聴く側は、自分のいる環境に合わせた連想を言葉の中から行うことから、その規模や内容がすべて聴く側、報告を受ける側に伝わるかどうかはよくわからないということになる。
  そのような不安泰な状態が情報であるために、常に「実際の体験」に従ったものが最も重要である。
  最近はインターネットなどで手軽に情報が入るが、しかし、その情報が常に正しいとは考えられない。
  それは「ネットリテラシー」という問題ではなく、「ネット」情報も「人が書いている」というものでしかない。
  動画や写真も、言葉そのものよりも臨場感があるが、実際の現場の空気が伝わるものではない。
  そのために、その動画や写真を付けたとしても、その情報から感じる人の感受性は十人十色である。
  そのために、リテラシーがしっかりしていても、その内容がどのように伝わってゆくのか、そして転々流通するのかということに関しては全く別な問題になってしまうのである。
  さて、このようにして「事実の把握」ということに関しては何よりも「実体験」が最も重要である。
  しかし、人間の体と時間には限界がある。
  そのために「実体験」ではなく「報告」によって体験を共有する「疑似体験」もひつようである。
  「疑似体験」は、逆に受信側の能力がかなり必要になる。
  まずはその現場の空気を知っているか知らないか、その部分が重要である。
  それがなければ、上記のように受け取る側の「常識」に基づいて判断されてしまう。
  逆にそのようなことの内容に、情報としてはまず、「受け取る側」ようするに、日本の日常との違いや環境の違い、そして宗教や民族性、国民性の違いから伝えなければならない。
  単純に一回伝えるだけでなく、伝える内容の中において、たびたびその環境の違いを繰り返す必要がある。
  当然に受け取る側の方にも最低限の知識が必要だ。
  少なくとも、「自分のいる環境の常識」を捨てて話を聞かなければならない。
  例えば現在でいえば、日本国内においてシリアの内戦の悲劇を「体験的」に感じることのできる人はいるであろうか?
  戦争を経験せず、9条があれば戦争などは起きないなどという不思議な思想を持っている人々に、同じ国の人々が自分の将来をかけて戦うということが理解できる出廊下。
  誰も、狂人ではないので、人を殺したくて殺している人などはいない。
  そのうえで、人が人を殺してまで、そして命をかけて間で守らなければならない者を理解することが日本人にできるのか。
  それが理解できるように説明が必要であるし、また日本の平和ボケとは一線を画した理解力が必要なのである。
  そのうえで、その情報を「疑似体験」しなければならない。
  さて、日本版NSCというものが日本の中にあるが、実際に日本の官僚的な常識にとらわれて、海外の現実を無視してしまうのではないか。
  その確率が高い。
  それを防ぐためには、すべての情報を聞くということが必要である。
  もちろん、最低限のチェックは必要だ。
  実際に外国に行ったこともないのに外国のことを語る人は少なくない。
  そのような状態で本を出していつ様な奴もいるほどであることは、昨日すでに言ったとおりである。
  そのような情報に騙され、ネットが沸き立っている場合も少なくない。
  そのような情報の「多数決」に騙されることなく、真実をしっかりと身に着けることができるのか。
  それが日本には求められる。
  明日は「情報の検証」について考えてみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平成26年ゴールデンウィーク連載 情報と日本人(1) 韓国に行かずに嫌韓本を書く人がいる日本の情報空間

平成26年ゴールデンウィーク連載 情報と日本人(1)
韓国に行かずに嫌韓本を書く人がいる日本の情報空間
 今日は、今月末か来月の初めに発売されるはずの韓国の本の「まえがき」から少し引用してみる。
  <以下まえがきから抜粋>
 
   この本の執筆をしているとき、平成26年4月16日、韓国の南西海域、全羅南道珍島郡付近の海域で、修学旅行中の韓国高校生らが乗った韓国の「セウォル号」(乗客乗員計約475人)が遭難信号を出し、その後沈没した。
  船の沈没ということは、何も韓国に限ったことではない。
  しかし、事故にあった時の対応や事故にあった後に次々に明らかになる事実、これらは実に韓国の実情を表しているのではないか。
 
  日本でも同様の事故はある。
  船の衝突もあれば、転覆などもある。
  しかし、韓国の今回の事故のように、避難指示もなく、沈没する船で乗客に「部屋で待機」を命じるようなことをする。
  そのうえで、管制ととの話では自分たちをいつ救助してくれるのかというような交渉を行う。
  そして真っ先に船長が船から逃げてしまう。
  それどころか、乗務員の証言によると緊急時の対応や訓練は行われていないという。
  経費が掛かることはしないし、ほかの人が犠牲になっても全く気にしない、自分だけが助かればよいという「エゴ」は、さすがに韓国の公共交通機関は大丈夫かと心配になってしまう。
  いや、どれほどよい設備でもそれを操作する人が悪ければ事故も犠牲も拡大してしまうという例だ。
<途中かなり削除>
  私は中国に赴任していた時代から、韓国は非常に友人が多い。
  大連というところで仕事をしていた都合で、朝鮮半島の人は、中国北部の経済都市である大連に非常に多くいた。
  瀋陽には韓国人街が現在も存在するほどである。
 
  その当時から、韓国の人は「中国人とは違った、日本人と相いれない何か」を持っていたのである。
  日本人と中国人との違いがあることは確かであるが、やはり日本人と韓国人も全く違うのではないか。
  船舶の事件においても、日本人が几帳面すぎるということも言えるのかもしれないし、韓国がいつまでも発展途上国的な管理しかできていないというような解釈も可能である。
  しかし、いずれにしても「違い」が存在することは確かである。
  そして、その違いは、双方の国家に様々な影響を及ぼしている。
  そしてその「違い」が「違和感」になり、そして「反感」になる。
  その「反感」を示すときに、この違いをことさらに強調して相手を誹謗中傷する。
  このことこそ、日韓関係の基本的な部分が存在するのではないか。
  昨今の「慰安婦問題」「歴史問題」「韓国経済」など日韓関係において仮題となる問題に対して、本書は、実際に韓国に取材に行き韓国の人々の話を聞いた話を基に、日本人と韓国人の習慣の違いを見てみたいと思う。
  韓国の人といっても、大統領補佐官、国立大学の教授、私立大学の総長、韓国政府の研究博士、韓国の国会議員、韓国地方の首長、韓国軍関係者などある程度公的な話をしてくれる人、その人々の本音に迫った部分もある。
  公的な立場での発言と、実際に彼らが個人として考えているところの違いや、その微妙な違い、本心と違う立場で仕事をしていることの苦悩や割り切りといったところは、なかなか興味深いので、なるべくそのままで声を載せていった。
  また、韓国のテレビ関係者、新聞社の論説委員、映画プロデューサー、貿易会社社長など、日本を相手に商売をしている人々などの話も中には盛り込んでみた。
  彼らがどのような感覚で、日本を見ているのか、どのような情報を、どのような意図で発信しているのかということは、非常にに日本人にとって勉強になるものであったと考えている。
  そして、韓国の弁護士や、韓国の売春婦、お土産屋の店主、食堂や喫茶店の店員など、まさに韓国の上層階級ではない一般の庶民の声も、たくさん反映させたつもりである。
  彼らの声は、日本人に対する反感よりも、最近増えてきた中国人に対する反感や政府に対する反目の方が強かったという印象である。そのようなニュアンスをなるべく盛り込んだつもりだ。
 
  彼らについては、韓国の独特な言論社会の問題点や社会的な問題点があることから、本人があえて名前を出すことを了解しない限りにおいて、なるべく固有名詞を記載しないようにした。
  しかし、そのような配慮を行ったために、書くことができる部分も多くあることを、読者の皆さんにはご理解いただきたい。
 
  昨今、「嫌韓」本が非常に多くなってきている。
  しかし、これらの本は「韓国全体」が悪であるかのような書き方になっている。
  しかし、旅客船沈没事件のように、大多数が違和感があるものの、中には、日本人が聞いても美談と思えるものが存在するし、また、「政府の見解」と「韓国人の思い」とが全く異なるということも少なくない。
  実際に韓国を歩き、韓国の人と話しをして、たくさんの違和感と一部の共感を、実際の彼らの言葉などをまとめた中で表現できれば面白いのではないか。
  その意味で、「等身大の韓国」と「日本との違和感」をあえて中心に書いてみたい。
  そのうえで、そのまま韓国が進んだらどのようになるのか。それも韓国人がどのように考えているのか、その内容を見てみたいと思う。
<以上次の韓国本のまえがきから抜粋>
 さて、今回の連載は「情報」ということをテーマに行ってみたい。
  そのテーマの中において、最も重要なのは「自分の目で見て自分の耳で聞いたこと、自分の肌で感じたこと」が最も正しいということである。
  実際にインターネット上の内容などは、「書いた人」の意図が隠されていることがほとんどである。
  嫌韓本などの著者の中には、韓国に行きもせずに書いている人がいる。
  インターネット上の誹謗中傷のまとめでしかなく、それ以上の根拠もない。
  しかし、それらの内容は「情報」ではなく、単なる「妄想」でしかない。
  いかなる理由をつけようとも、少なくとも現場の空気を知らない者を情報をもたらすものとして認めることはできない。
  現場の空気、場所の特性、環境、それらを基に、その場の内容を加味して、何らかの新たな情報を入れるから、その情報の「意味」が分かるのである。
  日本人が、単純に日本の環境で日本人の感覚からその日本の内容を考えてもあまり意味がない。
  日本の環境と韓国や中国の環境は異なるし、国民性も全く異なるのである。
  そのために、その内容は相手の特性を考えた二様になるはずである。
  そのことを無視した内容は、もはや情報ではないのである。
  そいうことで、今回の連載は「情報」に関する読み解き方「いろはのい」を書いてみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

貨客船沈没事故に見る「嘘」と「演出」の韓国とそれに対する対処の方法

貨客船沈没事故に見る「嘘」と「演出」の韓国とそれに対する対処の方法
 連日韓国の貨客船沈没のニュースが出てきている。
 このニュース、「韓国のニュースばかり」といっている意見もあるが、私から見ると、非常に興味深いニュースである。実際に、このニュースほど「韓国」の国の違和感とその正体を見せてくれている。まさに韓国人の国民性があまりにもたくさん出てきていると考えられる。
 私は、政治の基本は国民性であると考えている。実際に、国民性がしっかりしていれば、政治もしっかりするし、国民が馬鹿になれば政治も馬鹿になる。坂本竜馬の船中八策を見た高杉晋作が、国民議会(現在の国会)の提案を見て「こりゃ、国民が馬鹿になったら国が亡ぶってもんじゃないか」ということを言ったという。当時から民主主義の思想を持っていた坂本竜馬もすごい人物であれば、その欠点を一発で見抜いた高杉晋作もかなりの人物だ。その人物の予想通り、残念ながら日本人が少々馬鹿になってしまった。あまりにも長く続く不景気と、その不景気に応じて偏った報道をするマスコミに騙されたともいえるが、そのことによって3年半も民主党政権という、あまりにも無為な政治的空白を作り、そしてその間に東日本大震災が起きて、その震災の復興が現在もまだできないでいる状態である。
 一方同じ、またはそれ以下に何もできていないのが韓国だ。先日、韓国の朴槿恵大統領と東日本大震災の当時の菅直人首相との類似点を上げてみたが、実際に韓国は「政府そのものが腐っている」状態であり、その内容はすべてが「嘘」と「演出」によって成立しているということになるのである。
 そのことが、被害者やいまだに行方不明になっている人々の遺族や家族に対して非常に感情を逆なですることになり、そして、それらの過剰な演出に対してより過剰な犯行を行っているということになる。しかし、その国民側と政府側その双方が「演技かかった」内容でしか物事ができていないということが最大の問題ではないのか。
 日本人は、この演技と嘘の韓国の文化を見て、その対応を学ぶべきである。その意味ではこのニュースの連日の報道はかなり役に立っているし、興味深い。
朴大統領が焼香所で喪服女性と抱擁 政府による「演出」疑惑が持ち上がる
   韓国南西部の珍島付近で旅客船「セウォル号」が沈没した事故で、またもや何らかの演出があったのではないかという疑惑が持ち上がったと、韓国メディアが報じている。
   朴槿恵大統領が、犠牲者を追悼する政府合同焼香所を訪れた際に、遺族と見られる高齢女性が大統領と抱擁を交わした、この光景が演出ではないかというのだ。
手には赤いマニキュア
   2014年4月30日の聯合ニュースやハンギョレ新聞などによると、朴槿恵大統領は29日、ソウル近郊の安山市内に設けられた政府合同焼香所へ弔問のため訪れた。献花した後、近くにいた喪服姿の高齢女性の手を握り、少し会話をしてから抱擁した。この様子は韓国の各メディアで報じられ、国民の多くは大統領が、おそらくは孫を亡くしたであろう高齢の女性を慰めていると受け止めた。
   ところが、女性は警護がはりめぐらされた中でも朴大統領と一定の距離を置いて終始付きまとっていた。誰かが大統領側に押して近寄らせている姿もテレビに映っていた。実は当局側が用意した「演出」ではないかという疑惑が韓国ネチズンの間で騒がれ始めた。手に赤いマニキュアを塗っていたことも「偽遺族」を疑う根拠とされている。
   これを受けて遺族の会は、遺族の中でこの女性を知っている人はいなかったということを明らかにした。朴大統領が訪れた午前8時半は、焼香所が正式に開かれる1時間前で、取材陣と遺族以外は本来入ることができないはずなのに、なぜ遺族ではないこの女性が近寄ることができたのか。
   疑惑を受けて大統領府側は、
「朴大統領が老女を慰めている写真に対して、演出だという報道があるが、それは事実でない。焼香所に弔問客もおられたし、遺族と一般人が混じっていて、誰が誰なのか分からない状況で、1人が大統領に近寄って挨拶した」
と演出を否定した。ハンギョレ新聞はそう伝えている。
   また、京郷新聞は「朴大統領が慰めた女性は、一般弔問客」という記事で、「大統領が肩を抱いて慰めた女性は焼香所の近隣住民であり、弔問に行って大統領に会ったと明らかにした」とし、女性は取材に対して偶然訪れたと主張している。
大統領府側から「要請」あったという報道も
   一方で、「女性は大統領府側が交渉した人物だと確認された」という記事も出た。韓国CBSノーカットニュースは30日、「あらかじめ計画したのではないが、大統領府側が当日、合同焼香所で目についた該当老人に『要請』をしたことは事実」で、「ただしその方が遺族なのかどうか、確認はしなかった」という政府関係者の証言を伝えた。「要請」とは「大統領が弔問する時に近くで後に従いなさい」という内容だという。
   韓国ネットではこの件をめぐる議論が続いているが、日本のネットでは「何から何までウソまみれ」「もうお腹いっぱい」といった書き込みがされている。
2014年5月1日(木)17時48分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-203723/1.htm
韓国旅客船沈没事故、海軍の「過剰演出」発覚・・・テレビの「救助活動撮影」で、「困難」をアピール=韓国報道
 韓国旅客船「セウォル号」沈没事故の捜索活動が続くなか、韓国海軍が救助活動を広報するためのテレビの撮影で「演出」を行っていたことが判明した。複数の韓国メディアが報じた。
 報道によると、海軍は22日、救助活動が行われている現場海域で、潜水艦救難艦「清海鎮(チョンヘジン)」の甲板での活動の様子を公開した。
 海難救助隊のダイバーは、カメラの前で行方不明者の捜索状況を説明。潜水服はびっしょり濡れており、今まさに救助活動を終えたばかりのような姿だった。
 しかし、この日の活動はとっくに終わっており、着替えて休んでいたところをメディアのために再び着替え、体に水をかけて活動直後の様子を演出していた。
 韓国日報は24日付記事で「このインタビューを見た視聴者は、ダイバーが捜索活動を終えた直後のように思うだろう」、「だがダイバーの頭からぽたぽたと落ちる水滴は、実は海水ではなく真水だった」と指摘した。
 記事はまた、ダイバーが海の中の様子について「今日は視界が50-60センチ程度で以前よりもよく見える」と話すと、海軍の関係者が「そう言うと視界が良いように思われる。30-40センチにしろ」と修正を命じ、再度インタビューが行われたことも明かした。
 政府の事故対策本部の関係者は、撮影現場で過剰な演出があったことを認めながら、「それだけ困難だということを伝えるためだった」と説明した。
 海軍による「演出」は韓国国内で波紋を広げており、インターネット上には多くの怒りの声が書き込まれた。(編集担当:新川悠)
2014年4月29日(火)2時30分配信 サーチナ
http://news.nifty.com/cs/world/koreadetail/sech-20140429-20140430_00051/1.htm
 しかしまあ軍隊と大統領が過剰演出とヤラセでは、韓国全体のモラルが疑われても仕方がない。
 これに対して遺族は、大統領の喧嘩を外に捨てるとか、珍島でデモを起こす、または大統領府のホームページに抗議コメントを多くして、機能不全にする。その内容も誹謗中傷問よりは人格否定であり、実際に、その言葉一つ一つに対して無責任なものが少なくない。
 韓国に取材をしていてよく聞くのが「小さな事実よりも、大きな真実」という話である。逆に「大きな真実を知るためには、小さな事実を無視してもかまわない」というような感覚が、韓国人の中にあり、その韓国人の特性が「慰安婦問題」になり、また演出し事実関係などを無視したようになっているという状態になっている。戦争の問題なども歴史認識も「自己都合」「無責任」「演技が買った演出」「事実の無視」「嘘」がすべて折り重なっているが、今回の事故にも同じことが適合され、それが軍や政府主導で行っている様が良くわかるのである。
 日本は、このような事例を様々に宣伝戦に使い、そして、韓国という国がいかに「自己都合」「無責任」「演技が買った演出」「事実の無視」「嘘」で動いているか、それを慰安婦の問題ではなく、このフェリーの問題を題材に韓国を否定すべきではないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

誕生日

みなさん、

今日は5月1日
実は、私の誕生日なのです。
毎年のGWは、連載などをしていたためにあまり感じなかったかもしれません。
しかし、なぜか毎年5月1日は、まったく仕事をしないのです。
今年は、板橋区役所前にある「百麺」という
ラーメン店で、
普段は、臭くなるのであまり食べない
ニンニクをたっぷり入れて、
ラーメンを食べようと思う。
毎年、何か一つ
「小さな自分の欲望」を
自分の中で行う
それを誕生日にしているのである。
ということで
今日はブログは、この誕生日という内容で
よろしくご理解ください

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »