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「夢は必ず報われる」のか?という論争について参加してみる

「夢は必ず報われる」のか?という論争について参加してみる
 今日は土曜日でもないのであるが、なんとなくこういうことを書きたくなったので、「努力は報われるのか」ということについて書いてみたいと思う。
 結論から言って「報われることはない」が「報われることを信じたい」というのが結論ではなかろうか。
 この内容は「夢は叶うのか」ということと同じである。科学的に現実的に行けば、「夢」の制度や現実の感覚があるのだが、そのようなものではない。人間は努力をする。その「努力」というのは、基本的には現在の自分にとってつらいこと、我慢することである。これに対して、この「つらいこと」「我慢すること」ができるのは、将来の夢や希望があるということがあるからである。実際にかないもしない「夢」のために努力などはするはずがない。そこで「努力が報われるということを信じたい」のである。
 しかし、一方で夢は必ずしもかなうものではない。夢がかなう、努力が報われると考えてしまえば、夢がかなわなかったとき、あるいは努力が報われなかったときに、何かほかの人や現象を恨んでしまう。実際に、そのようあ夢がかなわないときに、何かを恨んでいてはそれだけ自分の成長が遅くなるわけであるし、その成長が少なくなってしまう。これでは話にならない。この意味では「報われることはない」と考えなければならない。
 当然に「夢」の制度にもかかわるし、また「努力の質」などにもかかわる。そのために、その内容は必ずしも良いものとは限らない。
 ここでの会話は、努力の内容やどのような夢を持っているかではなく、単純に「夢」と「努力」の関係をどのように自分で考えるかということである。その関係性の考えがあるから、努力をできるのであるが、一方で、かなわないときがあるから現在の努力の理由付けを探すのである。
 
「努力は必ず報われる」論争に明石家さんま参戦 「そんなこと思う人はダメですね、間違い」
 「努力は必ず報われる」とは、よく教育やスポーツの現場などで使われる言葉だ。最近ではAKB48の高橋みなみさんが好んで使っているが、「その通りだ」、いや「努力したって報われないこともある」と、たびたび論争に発展する。
 タレントの明石家さんまさんも、ラジオ番組でこの言葉に対する否定的な思いを明かした。「努力が報われる」と思っている人は「見返りを求めてしまっている」というのだ。
「こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ」
 さんまさんの発言があったのは、2014年6月7日放送の「MBSヤングタウン土曜日」(MBSラジオ)でのことだ。
 有名人の「名言」や「珍言」をリスナーがメールで紹介する「名言珍言ゆとっtter」というコーナーで、この日ゲストだったアイドルグループ「アップアップガールズ(仮)」の佐藤綾乃さんがインタビューで言っていたという、こんな話が紹介された。
 「努力は必ず報われる。その言葉、最初は信じなかったんですよ。そんなこと言っても、本当に努力を見てくれてるのかよって。でも、自分の経験上、努力をしていれば必ず誰かが見てくれていて、報われることがわかりました」
 これに対しさんまさんは、「それは早くやめた方がええね、この考え方は」とバッサリ。佐藤さんやレギュラーメンバーのモーニング娘。道重さゆみさんが驚いていると、「努力は報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思ってる人は大体間違い」と持論を展開した。
 「好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」
王貞治の持論は「努力が報われないことなどあるだろうか」
さんまさんの発言に対し、ネット上では「すごく刺さった 妙に納得した」「まったくでございます」「さんまさん、カッコエエ」など、賛同や好意的な意見が多く書き込まれている。
 「努力は必ず報われる」論については、元プロ野球選手の王貞治さんが「努力が報われないことなどあるだろうか。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは呼べない」と語っていた(安枝新伍さん著『野球魂―素顔の王監督』より)のを筆頭に、高橋みなみさんが2011年に行われた第3回選抜総選挙のスピーチで「努力は必ず報われると人生をもって証明する」と言ったのが評判となった。14年5月30日から6月15日まで東京・秋葉原にオープンしている「AKB48選抜総選挙ミュージアム」には、稲田朋美クールジャパン戦略担当大臣の「みんなで一緒に頑張れば必ず夢は叶う」と書かれた色紙が掲げられている。
 一方で、「そんなことはない」という意見も根強い。元NMB48研究生の原みづきさんは、結局正規メンバーに昇格できず12年4月にグループを離れる際、Google+で「努力は必ず報われるって憧れてる高橋さんが言ってたけど みづきはそうは思ってません」と反論していた。
 元陸上選手の為末大さんは13年10月、「努力で成功できるか」というテーマで連続ツイートを展開。
 「成功をある程度成功率が高いものにおくのであれば、努力すれば夢は叶うと思う。でも五輪選手になるとか、かなり少ない席の話であれば誰でもできるわけではなくて、才能と、環境がまず重要だと思う」
「人生の前半は努力すれば夢は叶うでいいと思う。でもどこかのタイミングでそれを客観視しないと人生が辛い。努力すれば夢は叶う→叶っていない現在の自分→原因は自分の努力不足。努力原理主義を抜けられなかった人は、こんな自分を許せなくて何かを呪って生きていく」
と、「努力すれば報われる」論に縛られるべきではない、という考えを明かしている。
J-CASTニュース 2014年06月09日17時48分
http://news.livedoor.com/article/detail/8918941/
 この議論において、記事では明石家さんまの言葉がきっかけになっておりその言葉が出ている。
 「努力が報われる」と思っている人は「見返りを求めてしまっている」というのだ。
「こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ」(上記より抜粋)
 これも深い真実である。実際に、見返りがあるから頑張るのであれば、それは努力ではなく「業務」である。そのようなものでは、「夢」がかなってもそのままであるし、つらいものを経験できないということになってしまう。
 実際に「夢」がかなわなくても「努力をした」経験は、何らかの結果を人間の中に残す。一方努力をしない人がいたとしても、それは、才能とかではなく、日常の「楽しいこと」の中に「努力」を、または夢への過程を混ぜてしまっている。日常の中にあれば、概して「つらいこと、がまんすること」ではなく、自分の毎日の中に何か結果が来るような道筋をつけてしまっているのである。
 そのために「努力をしない」という人も出てしまう。もちろん他人から見れば努力をしているのであるが、しかし本人の認識では努力をしていないことになってしまっている。なぜならばそれは「習慣」であって「我慢」ではないからである。
 為末大の言葉が、なかなか良いことを言っている。
 「人生の前半は努力すれば夢は叶うでいいと思う。でもどこかのタイミングでそれを客観視しないと人生が辛い。努力すれば夢は叶う→叶っていない現在の自分→原因は自分の努力不足。努力原理主義を抜けられなかった人は、こんな自分を許せなくて何かを呪って生きていく」(上記より抜粋)
 夢をどこに設定するのか、そのことによって変わってくる。
 最近、自分のもくひゅを言えない人々がいる。はじめからプロフェッショナルのような感覚を持ってしまっている学生もいるし、一方で自分の将来の目標を言えない社会人も少なくない。そのような状況は何か。夢の設定の仕方がおかしいのかもしれない。為末氏の言う「どこかのタイミング」とはいったい何なのか。
 私自身もそろそろ人生の潔音を診なければならない時期になっているので、夢と努力の関係を考えなければならない。

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