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岩手中2自殺事件に見る「いじめ」と「学校」と「家庭」と「教師」

岩手中2自殺事件に見る「いじめ」と「学校」と「家庭」と「教師」
 7月5日に起きた岩手県で中学二年生の男子生徒がJR東北線の矢幅駅から、侵入してきた電車に飛び込んで自殺をした事件が大きな波紋を呼んでいる。
  まず、亡くなった中学生のご冥福をお祈りする。
  さて、まず「いじめ自殺」事件で問題になるのが、「学校や教師はいじめの事実を知っていたのか」ということと、「自殺などの事件後の隠蔽工作」の二つのことではないか。要するに「予防策」と「事後の処理」の問題の二つである。「予防策」ということに関しては、そもそも、いじめる方もいじめられる方も、子供同士のことに関して親や先生に知られないようにする資格してしまう。教師や学校は、きめ細かな生活指導によって、それらの微妙なサインを見逃さないようにしなければならない。そしていじめや自殺を事前に防がなければならないというのが大きな問題になる。そしてもう一つは、事後の処理である。これは学校に限ったことではないが、基本的にこれらの事件が発生した場合に、組織は組織防衛を考え、そしてその組織において、最も責任が及ばないような状況にするのが基本的な対応であるということができる。要するに「隠蔽」「箝口令」というのがまず行われ、隠しきれなくなってきて「トカゲのしっぽ切り」というような、担当者個人の処分ということになる。
  さて、今回の岩手県中学2年生自殺事件の場合、この「すべての悪い部分」が出てきてkるというような気がしてならない。そもそも、「予防策」という面では、先生と生徒の間の交換日記があり、その中に、誰が読んでも「自殺を想起させる」書き込みがあったのであるが、残念ながら教師の返事はそれに対応するものではなかった。「ダメ教師」というような話は当然に出てくるものではないか。
  一方、事件後の学校の対応は、完全に悪い例の見本。まず当事者の教師は出てこないし、いじめがあったとは認識していない、その上、「箝口令」である。これでは自殺した生徒も浮かばれないであろうし、また、遺族もやり切れないであろう。
  さて、記事の後ろは、「なぜこのようになってしまったのか」ということに関して、これは、岩手県のことを例に挙げながら、その事件だけではなく世の中のいじめ事件に関して、さまざまな観点から検証してみ痛い。当然に「日教組」の悪さは書かれることになるが、同時に、「家庭の核家族化」や「共働きでの家庭教育」などについても触れてみたい。
「見殺しにしたも同然」「ダメ教師」 岩手中2自殺事件で学校に怒りの声多数
   岩手県矢巾(やはば)町の中学2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺したと見られる問題で、学校側への怒りの声が広がっている。
   生徒は2015年7月5日、JR東北線矢幅駅で進入してきた電車に飛び込んだ。「いじめではなく暴行」「見殺しも同然」――有名人も、ツイッターやブログで報道に反応している。
尾木ママ「学校の体をなしていない」と激怒
   最も批判が集まっている点は、学校側の対応だ。生徒は担任教師と交換していたノートでいじめの被害を繰り返し訴えていたが、教師はそれを「無視」して返答を書き続けた。また、生徒が通っていた中学校の校長もノートのやり取りについて「担任から聞いていない」と話し、 7月7日に開かれた保護者会でもいじめの有無を説明しないなど「知らぬ存ぜぬ」を決め込んでいるという。
   そんな中、報道にいち早く反応したのが「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹さん(68)だ。7日から8日にかけ、当件に関するブログ記事を連続で投稿。「生徒殺人学校」「許し難い事件」「担任の見殺し自殺も同然」と学校側を厳しく批判し、岩手県教育委員会には第三者委員会を設置して徹底的に真相解明するよう注文を付けた。
   尾木さんは8日あさ放送の情報番組「モーニングバード」(テレビ朝日系)にも出演し、「学校の体をなしていない」と激怒、担任教師や校長へも「失格だ」と非難を続けた。
   ツイッターにも
「担任ってダメ教師だなあ」
「教師は役に立たない」
など怒りの声が寄せられた。
いじめじゃなくて「暴行」「恐喝」にすべき
   一方、学校側を批判する以外の語られ方も見られた。情報番組「スッキリ!!」(日本テレビ系)に出演するコラムニスト・犬山紙子さん(33)が8日、「いじめなんかじゃなくて暴行」とツイッターで指摘、人気声優の白石稔さん(36)も「『いじめ』という単語は無くして、暴行とか恐喝とか、名称を変えるべき」と主張するなど、「いじめでなく暴行と呼ぶべき」という風潮はネット上で強い。
   また、実業家の堀江貴文さん(42)は「大事なのは逃げてもカッコ悪くない雰囲気作り」と他とはやや異なる視点でつぶやいた。
2015年7月8日(水)14時5分配信 J-CASTニュース 
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/jcast-20150708-239698/1.htm
岩手中2生自殺 なぜSOSは届かなかったか
 学校はなぜ、生徒のSOSを受け止められなかったのか。
 岩手県内で、中学2年の男子生徒(13)が電車に飛び込んで死亡した。警察は自殺とみている。
 「ずっと暴力、ずっとずっとずっと悪口」「なぐられたり、けられたり、首しめられたり」。生徒が担任の教師とやりとりしていた「生活記録ノート」には、他の生徒からいじめを受けていたことを示唆する記述が残されていた。
 「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」などと、自殺をほのめかす言葉も書かれていた。文面からは、次第に追いつめられていく状況がうかがえる。
 地元の教育委員会は、いじめを苦にした自殺の可能性があるとみて、第三者による調査委員会を設置する。事実関係を調査し、学校の対応に問題がなかったかどうか、徹底検証してもらいたい。
 生徒たちが日常の様子を書きとめる生活記録ノートは、いじめやトラブルを教師が早期に発見するためのものだ。今回、特段の注意を払うべき記述があったにもかかわらず、最悪の事態を防げなかったのは、極めて残念である。
 問題なのは、生徒が担任の教師に窮状を訴えていたことを、校長らが把握していなかった点だ。
 いじめの対応では、兆候を見つけた教師が一人で抱え込まず、他の教師と情報を共有することが大切だ。役割分担しながら、被害者や加害者と面談を重ね、適切な解決策を探る必要がある。
 そうした基本的対応が、学校全体で徹底されていなかったと言わざるを得ない。
 一昨年9月にいじめ防止対策推進法が施行された。各学校に対し、対策の基本方針の策定や、複数の教職員やスクールカウンセラーらで構成する対策組織の設置のほか、いじめに関する定期的なアンケートを義務づけている。
 この中学校も基本方針を作り、組織を常設していた。法律に基づき、必要な態勢を整えても、実際の問題解決のために機能しなければ、意味がない。定期アンケートも実施していたが、集計がまとまる前に、悲劇が起きた。
 文部科学省によると、推進法施行後の半年間で、被害者が生命を脅かされたり、不登校になったりする悪質ないじめが、全国の小中高校などで180件を超えた。
 児童・生徒の行動にきめ細かく目を配り、いじめの芽を素早くつみ取る。子供の命を守る重い責任を負っていることを、すべての教師は再認識してほしい。
 
2015年7月12日 1時32分 読売新聞
  http://news.livedoor.com/article/detail/10337941/
 
 
 さて、そもそも「いじめ」というのはある意味で集団があればその集団の中んにおいて部bン科的に存在する現象の一つであるというように言って過言ではない。これは日本人に限ったものではなく、人間の集団において必ずといってよいほど発生する炎症であるといってよい。また、思春期や学校というところだけで起きるものでもない。例えばアメリカや韓国の軍隊においてのいじめは、かなり過酷なものであり、自殺者も少なくない。一方私がいた中国などにおいても、そのような状況は普通に存在する内容である。
  さて、いじめの発生するメカニズムを解析すれば、ある一定の集団の中において、その集団を「平等」で扱った時に、人間は、無意識のうちに自分と集団内の他の人との優劣を加えてしまう。その上で、自分の優位性を示すために、自分よりも劣った人間に対して優越な地位を誇示する行動をとる。この時に圧倒的な力の差がある場合はそんなに問題はないが、そんなに差がない時に、「集団」を作って「いじめる」ことによって、その優越的な地位を確実なものにするということができる。
  これを避ける方法はいくつかある。要するに「平等的な扱い」を行う集団であることから、本能的に「優劣」をつけようとするのであるから、一つは「階級」や「順位」をつけることである。このことによって「平等」ではなく「優劣が公のものになる」ので、そのために、陰に隠れたいじめが少なくなる。これは、戦前に日教組教育があだ少なかった時代、「ガキ大将」という存在があり、自分たちで圧倒的な上下関係が存在し、そのために、ガキ大将を中心にしたヒエラルヒが存在した。教師はガキ大将を監視することによって、簡単に集団を統制できたのである。
  もう一つは、教師や上司など、その集団の上部組織が圧倒的な力を持つことである。単純に言えば、その指導が入れば、それまでの上下関係などは関係なく、完全にその上司の言うままの力関係になる。勿論依怙贔屓などの別な問題はできるが、全ての行動において、上司の監視の目が光ることになるので、いじめという「横に並列的な組織関係におけるいじめ関係」は少なくなる。
  戦前、いじめというのがあまり問題にならなかったのは、一つには教師の威厳が大きく、一つには、生徒の成績、それは、体育や美術などにおけるものも含めて、しっかりとした序列化ができていたからに過ぎない。その上で、教育勅語などを含めた徳目の教育があり、そして道徳観念がしっかりしていた。これらの部分は、何も学校だけではなく、地域社会や大家族制の中の祖父・曾祖父などの老人が教育の一環を担ったのである。
  しかし、残念ながら現代社会では、まず核家族化が進み、また女性の社会進出のために家庭内で教育をするような状況が少なくなってしまっている。そのことは、道徳教育や徳目の教育なども全てが公などの教育機関に任せなければならないということを意味しており、同時に、その教育機関が「平等」に扱うことを中心にした「仲良し教育」を行ってしまうために、「平等社会における優劣」を行う「いじめ」の場を助長してしまうというような感じになってしまうのである。
  さて、まさにこれらのことがいじめの現状なのであるが、残念ながら日教組教育はこれらに全く対応していない。彼らの頭の中が完全に「お花畑」であるのは、「平等であれば争いが起きない」と思っているところだ。大きな争いがない代わりに、平等的な集団の中におけるいじめは横行する。そしてその対策を立てれば立てるほど、そのいじめがより巧妙化する。この巧妙化した中において、実力のない教師が「教師もお友達」というようなスタンスでいると、今回のように「死ぬ場所は決めている」という反応に対して「一緒に楽しみましょうね」となってしまうのだ。
  そして、その結果に自分で衝撃を食らう。当然に「日教組的お花畑」が幻想のものにすぎず、子供たちというより本能的に近い生き物は、そのようなお花畑があったとしても踏み荒らしてしまうからに他ならない。まさに「臭いにおいはもとから絶たなきゃダメ」なのであるが、その「平等意識」が「いじめ」の原因になっており、そして、そのことが、相手方を尊重するという当たり前の道徳心を養うことが教育できないのであるから、もとから立つどころか、「臭いにおいをより一層まき散らす」存在に日教組がなっているのである。
  要するに、核家族化に対応した道徳教育と、その平等的な教育を否定し、「人は個人によって違うので、その違いを尊重する」という教育に変えない限り、そして、細分化した人間の能力、それは強化だけでなく、生活や心理面におけるところ、あるいは社会的な規範性なども含めて、細分化した中で、何らかの序列化をしなければいじめそのものはなくならず、今回のような事件になってしまう。
  まさに日教組教育と、現在の無能な教師たちは「自己否定」すること、そして、それができない教師たちは、教育の場を去るということをしなければ、このような事件はなくならないのである。
  少々暴論であるが、このほかにも、核家族化の家庭教育などに関しても思うところがあるが、それは別な機会に行うこととする。

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