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マスコミ批判に関する一考(275) ドラマの視聴率の低さやドラマ人気の欠如を主演タレントに後始末させるNHKの悪辣さ

マスコミ批判に関する一考(275) ドラマの視聴率の低さやドラマ人気の欠如を主演タレントに後始末させるNHKの悪辣さ
 マスコミ批判も275回になった。300回まであと少しである。
  さて、今回は、報道から少し離れて、というのも、朝日系列を二回連続で批判したのであるが、ある先輩から「朝日は批判すればそれが逆に宣伝になってしまうから、適当なところで見ていればよいよ。だって、多くの人が朝日がおかしいということをわかっているのだから。慰安婦訴訟などで、朝日の息の根を止める以外、ネットでの批判は、やめるのではなく、適当に間隔を置いて行うべきである」というようなアドバイスを戴いたのである。そのために、今回は「朝日新聞」からも「報道番組」からも離れて、まったく違う分野でテレビのことを批判してみようと思う。
  その中において、今回記事になったのが「NKK」の「大河ドラマ」である。
  さて、今年の大河ドラマはあまりにも評判が悪かった。
  私が「庄内藩幕末秘話」を書こうと思った時、そのきっかけとなったのは、取材しているときに庄内の人に言われた言葉である。「日本人は人が死なないとドラマにならない。庄内は強くで誰も死ななかったから、あまり語られないんだ」という話しは、庄内藩の話をする時に必ず行う話である。
  さて、その庄内藩の幕末の話ではないが、今年の大河ドラマの『花燃ゆ』は、大河ドラマでワーストの記録ではないかというような言われようをしている。実際に、幕末・戊辰戦争まではそれでも何とかなったが、その後はさすがに地味である。もちろん、明治初期の殖産興業が起きるまでというのは様々な内容があり、また紆余曲折や元武士のプライドなど、さまざまな子ことの葛藤を欠くことができるので、それはそれでよい。しかし、今回のように前半で「幕末・戊辰戦争」を行い、派手な映像を流してしまった後、後半に心の葛藤を描くというのは、さすがに「退屈」になってしまう恐れがあるのだ。
  それがうまく台本や、演出でカバーできればよい。本来ならば、「吉田松陰」など志半ばにして斃れてしまった幕末の志士を、再度「回想シーン」や「夢」などで出して、うまく演出する。しかしそれにはギャラが必要になり、うまくつなげない。それならばセリフなどでうまくつなげばよいが、それもうまくゆかないということになる。
  当然に、視聴率は落ちてしまう。
  もちろん、この内容は主演女優井上真央さん一人の責任ではない。もちろん、井上真央さんがずば抜けた演技力を持っていれば、また変わったかもしれないが、一人の力で何とかなるのは、限界がある。
  当然に、これはスタッフだけでなく、そもそもこの題材を選んだところから、すべての責任が発生している。そして、その「責任」に関して、NHKは逃げまくっているのである。
視聴率ワースト危機『花燃ゆ』 井上真央が後始末させられる
 幕末維新の吉田松蔭の妹・文を井上真央(28才)が演じ、幕末から明治までの激動の時代を描いてきたNHK大河『花燃ゆ』も、12月13日の最終回(第50話)を残すのみ。
 49話までの平均視聴率は11.9%。最終回の数字次第では、『平清盛』(2012年)の12.0%を抜いて大河史上ワースト記録を更新するかもしれないという瀬戸際だ。
「吉田松蔭の妹という無名の女性が主人公なので、その足跡の記録もあまり残されておらず、どんなストーリー展開にするかが難しかった。序盤は脚本家2人でスタートしましたが、視聴率が低調なこともあって、テコ入れで1人追加されて3人に。それでも復調しないので、秋以降は3人とも外れて、新しい脚本家1人に変わったんです。
 それだけに脚本の方向性がブレて定まらず、しかも、その場しのぎでお笑いコンビや人気アイドルを突然ゲスト出演させるなど、最後まで迷走が続いてしまいました。そんななかで取り返しのつかない大騒動が起きてしまって…」(NHK関係者)
 ドラマの迷走に大きな被害を受けたというのが、文にゆかりのある山口県防府市だ。長州(山口県)出身の文と夫の楫取素彦(大沢たかお・47才)は、富岡製糸場のある群馬で活躍した後、防府市で30年以上の余生を過ごし、ふたりの墓もここにある。そこで市は1億2000万円をかけて『ほうふ花燃ゆ大河ドラマ館「文の防府日和。」』を作り、ドラマ初回に合わせてオープンした。
 JR防府駅近くの複合商業施設内にあるドラマ館には番組関連のパネルや撮影衣装がズラリ。ドラマの舞台となり、知名度がアップして市民や観光客が多数来場―と見込んでいたのだが、雲行きが怪しくなった。
「当初、最終回までの数話は防府市がドラマの舞台になり、この地に日本初の仏教系の幼稚園を設立した文が園児らにおにぎりを作るシーンなどがあるはずでした。ところが、序盤の長州編の視聴率がイマイチで、群馬に舞台を移すとやや上向きになったので、脚本を変更。最終回は東京にある鹿鳴館で文と楫取がダンスを踊る華やかなシーンになり防府市でのシーンは一切なくなってしまったんです。ドラマ後のナレーションで触れる程度でしょう」(前出・NHK関係者)
 その結果に、防府市の市民は困惑しきり。大河の舞台にならないのにドラマ館があるなんて前代未聞だと批判の声が上がった。
「最後まで登場しないことがわかり、市民からは『税金の無駄遣いじゃないか』との声も上がり、市長も『約束が違うんじゃないか』とNHKに抗議したそうです。おかげで市民の“大河熱”もさっぱり盛り上がらず、ドラマ館はいつも閑散としていて、年間30万人の入場予定が11月末にようやく5万人を達成した程度ですから」(防府市役所関係者)
 防府市はドラマ館運営のため、NHKに企画料などを支払っている。そこで、市長の抗議もあって急きょ決定したのが、あるイベントだった。
「12月13日の最終回放送日、防府市公会堂に井上真央さんを呼んで、防府市民と一緒にドラマを鑑賞する会が催されることになりました。事実上の“お詫びイベント”です。市長は『大沢たかおさんも呼んでほしい』とNHKに伝えたが、映画の海外ロケ中ということでNG。大河の責任者であるチーフ・プロデューサーも出席しない。結局、責任を取っていらっしゃるのは、井上真央さんだけ。後始末を丸投げされてかわいそうですよ」(前出・市役所関係者)
 防府市産業振興部はこう説明する。
「防府市がドラマの舞台になることを期待していたので、正直、残念です。イベントは市の企画ではないので、詳細はNHKに聞いてください」
 NHKはこう回答した。
「制作過程についてはお答えしていません」
 井上はただ1人責任を取って防府市民とともに最終回を見る。
※女性セブン2015年12月24日号
2015年12月13日 16時0分 NEWSポストセブン
http://news.livedoor.com/article/detail/10947980/
 私のブログの中では、主に「権利」と「責任・義務」のバランスということを善く書く。
  その内容に関しては報道や情報番組でも当たり前のことだし、民主主義においては当然に政治も何も民主主義の責任の範囲内になる。これは「ドラマ」であっても同じ枠組みである。
  しかし、残念ながら、NHKの場合は、それをすべて主演女優に押し付けてしまう癖がある。例えば、依然の大河ドラマ「江」では、主演の上野樹里さんが、主役であったが、これもまたひどいできであった。この酷い出来が問題となり上野さんはあまり芸能界でも注目されなくなってしまう。女性ばかりではない。「平清盛」では、やはり「汚い」などのクレームが来て松山ケンイチ氏がバッシングを受けることになる。
  さて、本来これらは演出・脚本・制作の人々の責任である。実際に出演者・俳優・女優は、すべて脚本の通りに忠実に行っているのであり、その内容に反してしまえば、監督などが編集してしまう。にもかかわらず、出来上がった内容にクレームがつくと、今度は編集権のない女優が「最も目立つ」という理由で責任を取らされる。まさに、その人が「すべて悪い」かのごときで、結局、ほかの人日は「編集権」「制作権限」があるにも関わらず、それに伴った「責任」を負うことなく、完全に逃げてしまうのである。
  では、「視聴率が悪いから脚本家や演出家、監督などが責任を取らされた」というような話を聞くであろうか。その様なニュースは全くない。これは紅白歌合戦でも同じで、そもそものメンバー機目からスタートし、出演交渉がうまくゆかなくてもだれも責任を取らない無責任体質になる。
  そのうえ、NHKの大河ドラマくらいになると、「男女平等」が激しく、毎年主演が「男女交互」になる。しかし日本史は、そのようにはなっていない。例えば家系図などを見ても「男性の名前」はしっかりと書いてあっても、女性の場合は「女」と書かれるだけである。当然い女性で名前が残っているのは「通常ではない場合」でしかなく、それを歴史としてドラマで残すことが良いのか、というような問題もある。そのように考えれば、そもそも男女平等ということ自体が問題である。女性が、主役になれば、「想像で埋める部分」が非常に多くなり、その分、創作色が強くなり歴史をよく知っている人からすれば「作り物」というような感覚が強くなる。要するに「歴史時代ドラマ」ではなく「NHKの考えるファンタジー」になってしまうのである。そのうえ、それが、現代の風刺などになっていれば、当時の価値観とは全く異なることになり、「安っぽい」感じがしてしまうのである。
  このように考えれば、そもそも「男女平等」ということ自体が最大の問題であり、NHKの歴史認識や、その歴史に女性を無理やり主人公に持ってこようとする「歴史的価値観のゆがめ方」が問題となるのである。
  その様な反省も、結局NHKの人々が責任を全く感じずに、主演女優に押し付けてしまうので、いつまでたっても治らない。要するに、将来有望な女優や俳優のNHKの無計画と歪んだ歴史認識からの犠牲者が増えるのである。
  日本の「公共放送」が、歴史が苦手という、何とも悲劇的滑稽の最たるものである。
  NHKは、いつになったら誤った価値観を捨て、行き過ぎた女性上位の感覚を捨てることができるのか。歴史をありのまま受け入れることができないから、現代の内容も偏向報道になってしまうのである、ということをそろそろ気づいてもよいのではないか。

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