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【GWのエロ】 「ふともも写真展」にあるフェティシズムと「人間の魅力」について

【GWのエロ】 「ふともも写真展」にあるフェティシズムと「人間の魅力」について
 ゴールデンウィークである。
  毎年ゴールデンウィークは、何らかの特集をして、その特集のかなで様々なことを書こうということを言っている。戦争や安保または教育に関して過去はとk周として、「小連載」してきた。中には、共産主義や極左暴力というようなことをテーマにしたことがある。毎年ゴールデンウィークのテーマということに関しては、様々に悩むところである。しかし、毎年、ゴールデンウィークの連載が、そのままその年のテーマになっていることが少なくない。もちろん、それにとらわれることはないのであるが、4月の後半から5月初旬、ちょうど、一年が始まって、新年度が始まるときになり、その年の「動き」が出てくるのではないか。
  その様なところで、今年の「テーマ」は何か?
  このように考えて様々に思った。しかし、今年は外交でいえばパナマ文書があり、また、アメリカの大統領選挙がありというように、またISISのテロは一向に収まる軽輩はないし、中国の覇権主義も一触即発の状況であろう。そのように考えた場合、今年は「外交」でテーマを決めるといっても、なかなか難しい。では、何か?
  その様に思った時に、昨年の末から今年の標語は決めていた。そう「テロよりエロ」である。
  そこで、今年のゴールデンウィークは「エロ」を特集して、エロに関して物事を考えてみよう。ところで「エロ」といえば、毎週「土曜日のエロ」を行っている。まあ、「行っている」というのも変な話なのであるが、今年はたまたまエロが続いている。そこで、エロを今年のゴールデンウィークのテーマとして見て行こうと思う。
  ちなみに、5月1日は、あらかじめ申し上げておくが、私の誕生日であり、その日に「エロ」を特集してもちょっとどうかとおもうので、誕生日は、例年の如く「挨拶」だけにさせていただく。
  では、今日のお題である。
“ふともも”はアート? 1000脚が集う魅惑の「ふともも写真展」に、思わず手を伸ばしたくなる!?
 女性の“ふともも”をモチーフに作品を撮り続ける写真家・ゆりあ氏の個展「ふともも写真の世界展」が、東京・浅草橋のギャラリー「TODAYS GALLERY STUDIO」にて4月22日から5月15日まで開催される。
 写真家のゆりあ氏は、2011年から本格的に“ふともも”を撮り始め、2014年11月のデザインフェスタへの「ふともも写真館」出展で注目を集めた。2015年初頭に2冊の写真集を連続出版し、2015年7月には初の個展「曖昧☆ふともも写真館」を同ギャラリーにて開催。2016年2月には5冊目となる写真集『ふともも写真館2』を出版するなど、“ふともも”をモチーフにした写真活動を日々行っている。
 昨年7月開催の初個展では、10日間で2,500名を動員。2度目となる今回の個展は、ゆりあ氏がこれまで作品発表に冠していた「ふともも写真館」を超え「“館”から“世界”へ」をテーマに設定。未公開の新作を数多く用意し、展示作品数500点以上、実に1,000脚のふとももが会場を埋め尽くす独自のアート空間となる。
「フェティシズムの追求からアートへと昇華した『ふともも写真の世界展』は、性別や嗜好を超えて楽しめる内容になっている」と言い、こうしたフェティシズムとアートの写真展には、意外にも女性の来場者が多くを占めるという。
 ギャラリー内の小展示スペースを利用した、360度ふともも写真で囲まれた空間展示では、ハリのある白いふとももに、思わず釘づけになってしまうことだろう。その他にも、美しい女性のふとももを堪能できる企画が用意されている。
 いま、東京の下町は若者文化で賑わっている。ハンドクラフト系職人が集い、“東京のブルックリン”と言われる蔵前、元材木倉庫街という利点を最大限に生かし、サードウェーブの代名詞となったコーヒーの街・清澄白河、センスのある若者と腕のある職人でブランディング化に成功した御徒町、古問屋街のパッとしない印象からオシャレなアートの街に変貌した馬喰町。こうした最先端の下町エリアに囲まれた浅草橋が、アートの発信地と呼ばれる日は近いかもしれない。
●ふともも写真の世界展
日時:4月22日(金)~5月15日(日) 11:00~19:00
休館日:月曜日(※5月2日は開館)
会場:TODAYS GALLERY STUDIO(東京都台東区浅草橋5-27-6)
入場料:500円(※3歳以下は入場無料)
<取材・文/北村篤裕>
(SPA! ) 2016年4月21日(木)配信
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20160421-1089041/1.htm
 しかし、このように改めて「エロについて書く」となるとなかなか難しい。というのも、「エロ」は、「にじみ出てくるもの」であり、「わざわざ話す」ものではない。実際に、私のように「エロ」を「論理的」に話しているパターンもあるし、逆に、まじめな話をしているのにどことなく「エロく」感じる人もいる。中には「エロ」がにじみ出すぎていて、女性から「生理的に無理」というような評価の人もいる。そのような人を総じて「エロ」を語るというのは、またはエロを表現するというのはかなり難しい。
  しかし、それを行っている写真展があるという。それが「ふともも写真展」である。
  ところで「太腿」は「エロ」なのか?ということになる。
  単純に言えば、太腿が「エロ」であれば、「ミニスカートをはいて太腿を見せている女性」は「露出狂」ということになる。反論はあるが、「エロ」でありながら「エロ」ではないという境界線が「ふともも」という微妙な立ち位置になるのではないか。ちょうど、「肩」とか「背中」というような感じになる。これをエロく感じるのは「表現者」であるそのような服を着ている本人と、その人を見る「男性側」の主観、そして、その男女の関係を見ている「おせっかいな第三者」の視点ということになる。
  問題は、この「おせっかいな第三者」の存在だ。要するに、「表現者」は、自分のファッションとして「表現」しているのであり、そのことでエロを強調しているのではない。「男性側」はあくまでも「主観」であり、その内申を表現しなければ何の問題もない。内心でどんなエロいことを考えていても、また妄想していても、そのことは何の罪にもならないし、またその内心を読み取れなければ、外見上エロいこともない。場合によっては服を着ていても、服の中のことを考えている場合も男性の場合はある。しかし、そのようなことをわざわざ言う必要はない。もちろん、そのような妄想が「表現者」の意図するところでなかったとしても、しかし、「表現」をする以上、「そのような妄想があること」は覚悟すべきである。
  では、その「おせっかいな第三者」は、いったい何なのか。そのような関係性をおせっかいに表現すること自体、大きな問題であり、その問題を「妄想すること」「勝手なエロい想像をすること」などをすべて知りつくし、その可能性に関して言及する。要するに、その内容が「想定以上」である場合、「おせっかいな第三者が最もエロい」ということになる。
  これは、熊本震災において話題になった「不謹慎狩り」と同様で、本人たちがそこまで意識していなくても、勝手に「不謹慎」と決めつけている。もっと言えば「現場」(エロの場合は表現者)も、「主観」(エロの場合は男性の妄想)も知り、なおかつ他の解釈の可能性があるのにもかかわらず、「不謹慎の方向に可能性を限定」(エロの場合はエロい妄想しかしていない)と決めつけて、「非難」するという構造である。はっきり言って、最も不謹慎で、なおかつ、双方の主観や意図を完全に無視した最も「不謹慎」(エロの場合はエロい)人であるということになる。
  さて、話題がそれたが、その中において「ふともも」は、ある意味で「美」の表現であり同時に「エロ」の限界値である。逆に言えば「エロ」と「美」は最も近いところにあるということが言える。もっと言えば「エロい」ことが「最も美しい」ということになるのではないだろうか。
  その表現を「表現のギリギリ」のところで行っているというのが「ふともも写真展」である。ある意味で、なかなか興味深いと思われる。

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