« 【GWのエロ】人権のない国の「性と労働力の対象」としか思われていない女性たちと女性の人権を叫びながらそのような国に媚を売り日本の変な政治家たち | トップページ | 【GWのエロ】「ダンス」と「性風俗」の意味深い関係性とその規制の賛否両論とアジール性 »

【GWのエロ】懲りずにまた芸能ネタ! マドンナのコンサートで女性を脱がしてしまったエピソードについて

【GWのエロ】懲りずにまた芸能ネタ! マドンナのコンサートで女性を脱がしてしまったエピソードについて
 さて、「裸」というと、日本人の場合「祭り」というような言葉が浮かぶ人もいるのではないか。基本的に、日本人の場合、「祭り」というと「ハレの日」という感覚がある。「晴れ着」というような「普段とは異なる服装をする」というのが、一つの内容になっているのであるが、同時に、祭りにおいて「肌脱ぎになって神輿を担ぐ男性」等、やはり「普段と違う」という感覚が存在するのではないか。まあ、「裸」で「祭り」といえば「裸祭り」と単純に繋げてしまうのではなく「非日常」という意味で「裸」をとらえることが日本人には少なくないのである。
  これに対して海外ではどうなのであろうか。もちろん、東南アジアや南米やアフリカの「裸で暮らしている民族」などは「裸」であることが「ハレの日」ではなく、単純に「日常」であるのだから、彼らにとってみれば、「服を着ること」が「非日常」になる。日本人のように「通常、そんなに豪華ではない服」を着ている場合は、「より豪華な服を着る」ということと、一方で「服を脱ぐ」ということが、一つの「ハレ」要するに「非日常」の表れになってしまうのであるが、日常が裸で暮らしている人々にとっては、「服を着ること」そのものが「非日常」なのである。
  一方やはり服を着ている人々にとっては「裸」というのはどのようなかんかくなのであろうか。北欧など太陽による日射時間の少ない地域は、日の光が出たときに浴びなければならないという感覚から「トップレス」になることは特に少なくない。しかし、それ以外の場合は、基本的に裸になるということは「非日常」の表現の方法の中にもあまりない状態なのである。
  逆に「裸」を「ファッション」の一つとして感がてえいるところがアメリカなどにはある。あまり良くわからない芸能界なので、何とも言えないし、間違っているかもしれないが、レディーガガなどは、裸と自分の「曲線」をうまく表現して「ファッション」としている。実際に、長いスリットの入ったスカートを着たり、あるいは、背中が空いたり、方が出ていたりというようなドレスであったり、それらは「肌を一部見せることによって美しさを表現する」というようなファッション的な考え方から、そのような服になっている。
  ちなみに、エロ的な考え方からすれば、当然に、「エロい目」線要するに「見えているところから見えないところを妄想する」ということが行われるわけである。逆に言えば、「女性」の見えない部分に関する、男性を引き付ける魅力を「見せない」のではなく「ヒントを与える」ことによって「より美しく表現する」というような状況になるのである。そして、それらは「普段」から行っていればただの露出狂であるが「パーティー」という「祭り」の一種で行われるから、素晴らしいのである。
  さて、長々と「祭り」と「裸」について、非日常というキーワードで書いてみたが、その非日常で「本当に裸にされてしまった女性」について、3月に話題になったので、その件について考えてみよう。
マドンナ、コンサートで女性ファンの服を脱がし胸が露わに
 現在、「レベル・ハーツ」ワールドツアーで世界中を駆け巡っている人気歌手マドンナが現地時間17日、オーストラリアでのコンサートでステージに上げた観客の女性ファンが着ていたチューブトップをズリ下ろし、胸が見えてしまうというハプニングが起きたという。MirrorやTMZなどの海外メディアが伝えた。
 インターネットなどに流れている動画を見ると長身のロングヘアの女性がマドンナの隣に立っている。マドンナはモデル体型の女性について「思わずお尻を叩きたくなっちゃうような女の子ね。それと引っ張りたくなる」と言うと、女性のトップを下に引っ張ったが、その瞬間に女性の胸が見えてしまうハプニングが起きた。マドンナはトップがずり落ちることを予測していなかったようで、女性の胸が見えるとし「あら、しまった!」と言って驚いた様子だった。
 一方、女性の方はそれほど慌てている様子はなく、すぐにトップを元の位置に戻している。マドンナが女性を抱き寄せ「ごめんなさい。セクハラだわ。私にも同じことしていいわよ」と伝えると、女性はマドンナに笑顔を向けてマドンナを抱き返しており、観客からも笑い声がこぼれていた。
 とんだアクシデントだったが、女性が辱めを受けたと感じている様子や怒っている様子はなく、茶目っ気を見せていたのが救いだったようだ。
2016年3月18日(金)15時0分配信 クランクイン!
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizwdetail/crankin-4213401/1.htm
 たいそうな始まりから考えて、一体どんな記事が来るのかと思えば、マドンナのコンサートである。それもオーストラリアで行われたもので、日本ではない。
  しかし、コンサートという場所が「祭り」つまり「非日常」であるのは、オーストラリアも日本も同じようである。そのために、マドンナのコンサートにおいて「服を脱がされる」というハプニングに対して、「怒らない」ということが起きるのである。
  さて、この「ハレ」の内容に関して、注目したいところはマドンナの対応である。
  そもそも、マドンナが観客の近くにいるという状況でなければ、このようなハプニングは起きない。日本の場合は、芸能人であってもVIPで会っても舞台の上と観客席というように、完全に「敷居」を高くして、まったく違う状況にしてしまう。そのことは、単純に言えば、「芸能人と一般人の垣根が高い」ということを意味しており、「一体化」などということは当初から考えていないというような状況を想定しているのだ。しかし、それだけではなく、その後、「観客と、マドンナが、近く(手の触れ合う・服に手が届く)距離にいる」ということが、このエピソードの前提条件にあるということが分かっていなければならない。単純に言えば、日本のように垣根が高いところではエピソードができないということになってしまう。日本人は、その運営会社の過剰な安全意識によって「なんて損をしているのであろうか」というような感覚になる。
  そして、もう一つが、服を脱がせてしまった後の対応であろう。
  一方、女性の方はそれほど慌てている様子はなく、すぐにトップを元の位置に戻している。マドンナが女性を抱き寄せ「ごめんなさい。セクハラだわ。私にも同じことしていいわよ」と伝えると、女性はマドンナに笑顔を向けてマドンナを抱き返しており、観客からも笑い声がこぼれていた。
  <上記より抜粋>
  日本の芸能人で、コンサートなどの会場で、同じように何らかの過失で相手の服を脱がせてしまった場合、その女性に対して「私に同じことをしていいわよ」といえる芸能人は何人いるであろうか。もちろん、そのようなところだからカメラも多くあるし、このような記事が出ているということは、当然に記者もマスコミも少なくない。そのようなところで、自分に対して、それができる人などはほとんどいないのではないか。
 芸能人が客に対して、どのような考え方で接しているかということは、このような対応でわかる。単純に「ごめんなさい」ではなく、例えば、相手がやらないと分けっていても、このような声をかけられる事が「客と一体感を持つ」ということにつながるのではないか。それが「裸を見せてしまう」ということであっても、そのことが「一体感」ということがあると「感動を呼ぶ」のである。
  例は非常に不謹慎でなおかつ不敬なのであるが、東日本大震災の後、「被災者とともに」という大御心から、電気がなく缶詰などで生活をされていた天皇陛下と皇后陛下が話題になり、そして、そのお志に、多くの人が感動を受けた。マドンナが同じといえば、それは確かに不敬ではあるが、私たちは「天の上」とか「自分とは違う」と思った人が、「自分たちと同じところまで下りてきてくれた」ということに、最も感動をするのではないだろうか。天皇陛下とマドンナが同じなのではなく、その両方のニュースに接した私たちの「感動」の原因、方向性が同じということであろう。
  さて、同時に、この女性は抱き着いて怒らなかった。これはまさに「ハレの日」の非日常ではないかということになる。さあ、私たち悪者のエロには、「ハレの日」であれば、多少のことは許されるという知恵が出てしまった。しかし、それは、逆にマドンナくらいの人格者で、なおかつ一体化している人であるからできることであり、私たちのような人では、平手打ちの上警察に通報されることを覚悟すべきではないか。

|

« 【GWのエロ】人権のない国の「性と労働力の対象」としか思われていない女性たちと女性の人権を叫びながらそのような国に媚を売り日本の変な政治家たち | トップページ | 【GWのエロ】「ダンス」と「性風俗」の意味深い関係性とその規制の賛否両論とアジール性 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/115684/63569281

この記事へのトラックバック一覧です: 【GWのエロ】懲りずにまた芸能ネタ! マドンナのコンサートで女性を脱がしてしまったエピソードについて:

« 【GWのエロ】人権のない国の「性と労働力の対象」としか思われていない女性たちと女性の人権を叫びながらそのような国に媚を売り日本の変な政治家たち | トップページ | 【GWのエロ】「ダンス」と「性風俗」の意味深い関係性とその規制の賛否両論とアジール性 »