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【GWのエロ】「ダンス」と「性風俗」の意味深い関係性とその規制の賛否両論とアジール性

【GWのエロ】「ダンス」と「性風俗」の意味深い関係性とその規制の賛否両論とアジール性
 「クラブ」がそもそも「ダンスを楽しむところ」という感覚は、一般にあるのであろうか。昔は「ディスコ」と言っていた場所であるが、高校時代屋大学時代には民に顔を出していた。もっとも言っていたのは浪人時代ではなかったか。どうもうまくいかない毎日の中に、その頃付き合っていた女性とともに行って遊んでいた。
  何しろ「ディスコ」といわれる場所は、「人目をはばからず女性と抱き合える」場所であり、その場所で、自分が誰なのかもわからずに遊んでいた。
  民俗学用語で「アジール性」という単語がある。聖域,平和領域を意味するドイツ語。英語ではasylum。ギリシア語の〈不可侵〉という語asylonに由来するアジールの制度は人類最古の法制度のひとつであり,特定の空間,人物,時間とかかわった人間が一時的に,あるいは持続的に不可侵な存在となる状態あるいはその場を示している。アジールの歴史は社会と法の構造,宗教と道徳のあり方によっていくつかの段階に分けられる。まず宗教的・呪術的な段階においては,ユダヤ教の祭壇やギリシア・ローマの神殿,ゲルマンの森などの神聖な場所や物と接触した人間が不可侵な存在となる状態を意味し,その場所に逃げこんだ者の人格や逃亡の理由は問われないし,動物でさえも保護される。<世界大百科事典 第2版の解説>要するに「世俗の権威や立場などから切り離された場所」であり、まさに、ディスコというのはそのような場所であった。要するに、その中に入れば、「政治家」「大学生」「浪人」「成功者」「失敗者」「落伍者」どれも関係なく、そのような立場から完全に切り離された場所だったのである。まさに「精神的な聖域」であり、ある意味で「治外法権」であるかのような場所のように感じていた事がある。
  実際に、「ディスコ」が「クラブ」に呼び方が変わって、昔と曲も変わりDJなどが入っても、この「アジール性」の部分は全く変わらないのではないか。現在、さすがにこの年齢になるとその様な場所にはいかないのであるが、まあ、あの時の感覚は今も覚えているものである。
  さて、そのアジール性は、私も感じていたように「治外法権的」な考え方になってしまう。そのために「違法」または「グレー」というような場面、そして、昨日マドンナのコンサートの件で長々と解説したような「非日常」を感じさせることが少なくなくなってしまうのである。要するに、「麻薬など違法薬物の取引」「媚薬などのグレーな薬品の使用」そして「難破した女性との性行為」などがあげられる。もちろん、「クラブ」の「ホール」で他人の前で女性と性行為をすることはないが、実際に「個室」を借り切ってそのようなことが行われるという話はよく聞く。まあ、その「個室」が大きくなったのが「ハプニングバー」といわれるものであり、なかなか風俗も様々に発展するということになるのではないか。
  さて、その「クラブ」の許可に関して、京都新聞が2月に書いた記事を、面白いので、今頃になって検討してみようと思う。
「踊る自由」なおグレー 警察かたくな「性風俗乱れ招く」
 若者らがダンスを楽しむ「クラブ」の営業を規制緩和する改正風営法の成立に伴い、クラブの終夜営業を京都市の祇園と木屋町両地区に限定する改正条例案が、17日開会の京都府議会2月定例会に提案される。風営法改正につながる国会審議や、大阪市のクラブ「NOON」の営業許可をめぐる裁判を通じて焦点になったのは、クラブなどのダンスカルチャーを規制対象とすることの是非だ。法改正で一部が緩和されるものの、あいまいな「特別遊興飲食店」という区分に取って代わり、京都府条例案でも「踊る自由」はグレーゾーンのままとなっている。
 「法改正は前進だが、地域規制が残り、実態にそぐわない」「新しい規制は重大な問題を含む。国会審議でも『遊興』が何か、という質問に警察庁は明確に答えてない」。風営法改正をテーマに11日夜、京都市左京区で行われたシンポジウムでは弁護士や刑法学者から批判が相次いだ。
 主な懸念は「遊興」の範囲のあいまいさに加え、地域の規制だ。大学のまち・京都では祇園や木屋町の許可地域以外でも昔からクラブが出店しているが、条例案では少なくとも4店が終夜営業できない。左京区で20年以上続く老舗店は、芸術のジャンルを超えたイベントや社会問題を扱うシンポも開き、「京都らしい文化の発信地」として全国に知られる。市内のドイツやフランスの政府文化機関と協力してアートの催しも行っており、店主は「防音工事を施し、近隣の理解も得てきた。風紀を乱す営業はしておらず、ダンス規制は時代遅れという多くの声を聞いてほしい」と訴える。
 法改正で風俗営業の枠からは外れたが、深夜に酒を飲みながら踊ることが「性風俗秩序の乱れ」を招くという治安当局の姿勢はかたくなだ。「NOON裁判」の弁護団に参加した京都市の石垣元庸弁護士は「指摘される騒音などの問題は個別法で対処できるはず。表現行為で文化的価値もあるダンスを、深夜に酒類提供を伴う場合は法や条例で規制するというのは一般感覚とずれている」と話す。
 11日夜のシンポにも参加した高山佳奈子京都大法学研究科教授は「警察からすれば、あえてグレーな部分を残し、優良店はお目こぼしをしようということかもしれないが、社会に危険を及ぼさない行為は処罰対象にはできないというのが憲法の考え方。『NOON裁判』では、クラブでのダンスは性風俗秩序の乱れをもたらさないとの判断も示され、実情に合った法改正が必要だ」と指摘する。
京都新聞  20160217
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20160217000040
 風営法改正につながる国会審議や、大阪市のクラブ「NOON」の営業許可をめぐる裁判を通じて焦点になったのは、クラブなどのダンスカルチャーを規制対象とすることの是非だ。<上記より抜粋>
  ということだそうだ。まあ、正直に言うが「ダンスクラブ」の中には「良いものもあるし悪いものもある」ということが言える。実際に町の中の「社交ダンスクラブ」の中に性風俗に禁止するようなものがあるとはあまり思わない。しかし、中には、「老いらくの恋」に陥り殺人事件やストーカー事件に発展する場合も少なくない。要するに、そのダンスがダンスとして存在しているのか、あるいは男女の出会いの場として存在しているのか、ということが最も重要な分かれ道であり、その部分が問題にならなければ、話にならない。要するに、本来「クラブ」を一律に規制するというのは難しいが、逆に規制しなければ危険性が含まれることもこれまた真実であろう。
  要するに「踊ること」が重視されているのか、あるいは「アジール性」が重視されているのか。そのことが客観的に示されなければならない。例外はどのような場合にも存在し、その令外に対してだれの責任でどのように対処するのか?ということが最も重要で「許可をだせ」と言いながら、何らかの不都合な事実、例えば、性犯罪や麻薬犯罪、六本木の襲撃事件のように殺人や傷害事件が発生してしまった場合、その責任が「許可」ではなく「許可を出せ」といった人かあるいは「本人たちの自己責任」ということで終始し、行政の責任にならないのであれば、当然に、「許可」を簡単に取得できるようになるであろう。
  ようするに「許可」は出せといいながら「犯罪が起きれば行政の責任」というような身勝手な意見が多すぎる。そして、そのような中で、「行政の責任になるのだから」と言って「わいせつ行為や性行為」ができてしまうというのが実際のところではないのか。
  さて、ダンスというのは、実際に、「踊り」と思えば、「知らない男女がその時に会う機会ができる」ということになる。逆に言えば「踊り」から「性行為」につながることは少なくない。ましてやそこに酒が入れば、当然に、その様な危険が増す。そもそも踊りという激しい運動を行うときに、なぜアルコールが必要なのか?その辺も矛盾している。
  実際に、私の場合は「クラブ」は「男女が知り合うところ」であり、昔、江戸時代やそれより前に、村の祭りで、「逢引き」をしていたのとあまり変わらない、それが「年に一度の祭り」ではなく「毎日」場所的に「非日常」を作っている場所でしかないと思われる。場所的に非日常になるというのは、まさに、時代劇でしか見たことはないが、「吉原の遊郭」であり、それは「その中では女性の階級は決まっているもののお客さんの階級は一切不問」というような状況になってしまってる。遊郭の中は独自のルールがあり、そのルールですべての物事が動くという、そのような感覚になっているのではないか。
  まさに、その「遊郭」のように「アジール性の強い」クラブが存在してもおかしくはない。まさに、内部が不透明になっていれば、そのようになってしまうのである。
  さて、実際に、この論争がどのようになったのかはわからないが、しかし、た京都市の石垣元庸弁護士は「指摘される騒音などの問題は個別法で対処できるはず。表現行為で文化的価値もあるダンスを、深夜に酒類提供を伴う場合は法や条例で規制するというのは一般感覚とずれている」<上記より抜粋>とか高山佳奈子京都大法学研究科教授は「警察からすれば、あえてグレーな部分を残し、優良店はお目こぼしをしようということかもしれないが、社会に危険を及ぼさない行為は処罰対象にはできないというのが憲法の考え方。『NOON裁判』では、クラブでのダンスは性風俗秩序の乱れをもたらさないとの判断も示され、実情に合った法改正が必要だ」<上記より抜粋>というのは、まさに、日本人の民族や文化を全く無視した、内容である。逆に、このようなことを言っている人が、何らかの事件があると、まさに手のひらを反したように「人権」とか「犯罪抑止」などと都合の良いことを言うのである。
  要するに、実際に問題になるのは、このような「都合の良い人々の頭の中のアジール性」なのかもしれない。

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