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いつもは政治的な話であるが今日は中国の古代から伝わる文化「冥婚」の話をしてみよう

いつもは政治的な話であるが今日は中国の古代から伝わる文化「冥婚」の話をしてみよう

 私の基本的なスタンスをまず書いておこう。
  基本的に中国は嫌いではない。日本の保守派の人々からすごい苦情が来そうであるが、実際にそんなに嫌いではない。もちろん日本が好きなのは当然で、日本に比べて中国が良いとかそのようなことを言うつもりはない。しかし、政治的に中国共産党は嫌いである。あそこまでエゴイスティックで、文化や伝統を無視し、そのうえで、覇権主義を言って革命思想に凝り固まった政治を許すという感覚は私にはない。一方で、中国の古代の文化に関してはある意味で敬意も表するほどの内容である。実際に孔子の話矢孫子の票法など古代中国の思想家は、私の偏見であることは認めたうえで、ソクラテススやアリストテレスにような古代ギリシアの思想家のモノよりもはるかに受け入れやすいのである。
  もちろん、日本人が受け入れられない中国の風習もある。例えば、犬を食べる文化だ。日本人は、「花咲爺さん」「桃太郎」などでもあるように「犬は人間の友達」である。特に日本人のように八百万の神があり、その精霊がすべてのモノに宿っていると考える人々にとって、人間の友達を食べるというのはあまり進められない。しかし、まあ、「一般に食べる」となれば受け入れられないが、一方で、「飢饉のときに食べる」ということであれば、日本でも十分に存在した文化であり、また緊急避難的な内容である。もちろん、現在の「犬食祭り」のような文化はあまり喜ばしいものではないし、見ていて残酷だと思うが、欧米人から見れば、日本の「クジラ漁」も同じように映っている。当然に文化というものはそのようなものなのである。
  さて、その文化が最も大きく異なるのは「環境」「食生活」「死生観」の三つと、それを表現する「言語」であるといえる。日本人は、漢字を使うようになる前の「大和言葉」のころから同じ言語を使い、その言語の基礎の上に、漢字などの「表記の道具」を使っているので、統一の文化を伝えている。その文化から来た価値観があり、その価値観から新たな文化が生まれる。当然に現代の産物などは古代にはないのであるが、しかし、古代日本の考え方にのっとって、その延長線上で解釈しているものなのである。
  そのように考えた場合、その死生観を表す「興味深い」中国の祭りの記事があるので、今日はそのことに関して考えてみたい。

中国の「冥婚」が殺人誘発か 遺骨売買も

 中国・陝西省の警察はこのほど、知的障害のある女性2人を殺害したとして男を逮捕した。いわゆる「冥婚」用に遺体を売るのが目的だったという。
 「幽婚」や「鬼婚」とも呼ばれるこの古い風習は、未婚で死んだ人のために死後の世界での伴侶を与えるものだ。いまだに中国の一部で行われているこの幽玄な儀式が、むごたらしい殺人事件によってあらためて脚光を浴びている。
 陝西省の警察の調べによると、事件の発覚は今年4月。交通警察が女性の死体を乗せた自動車を発見し、男3人を拘束したことから始まった。
 捜査を進めるうちに、次第に凄惨なことの次第が明らかになっていった。男の名前は「マ」としか発表されていないが、容疑者は結婚相手を紹介すると女性たちに近づき、代わりに遺体を売却する目的で女性たちを殺害したというのだ。
   「冥婚」とは?
 約3000年前から続くこの風習を信じる人たちは、これによって未婚の人たちは死後の世界を独りで過ごさずに済むのだと言う。
 そもそもの「冥婚」は、あくまでも死んだ者同士を結びつけるものだった。未婚の死者2人を、生きている人間が結婚させる儀式だった。しかし近年では、生きた人間を死体と結婚させるケースもある。
 死者同士の「冥婚」では、「花嫁」の家族は相手に結納金を求める。紙で作った宝石や召使いや屋敷などだ。
 伝統的な結婚と同じように、お互いの年齢や家族の釣り合いが非常に重視されるため、どちらの家族も風水師を雇い、しかるべき相手を探す。
 結婚式では通常、新郎新婦の遺影が掲げられ、参列者が会食する。花嫁の遺骨を掘り出して、花婿の棺に納めるのが何より大事なハイライトだ。
   伝統の暗部は?
 中国の一部では数年前から、この儀式が変質して形を変えている様子だ。秘密の儀式で生きている人間が遺体と「結婚」する事例のほか、墓から遺骨を盗みだす、深刻な事例の報告が相次ぎ、殺人さえ絡み始めた。
 2015年には山西省の村で女性14人の遺骨が盗まれた。村の住民たちは、墓盗人たちが金目当てで盗んだのだと話した。
 2008年~2010年にかけて山西省の冥婚を実地調査した上海大学の黄景春教授は、若い女性の遺体や遺骨の値段が急騰しつつあると話す。
 黄博士の調査当時、若い女性の遺体・遺骨には3万~5万人民元(約15万~75万円)の値がついた。今なら10万人民元にはなるだろうと言う。遺体の売買は2006年に禁止されたが、墓の盗掘は後を絶たない。
 内モンゴル自治区涼城県で昨年逮捕された男は、冥婚の花嫁を探している家族に遺体を売って金儲けしようと、女性を殺害したと警察に供述している。
なぜ起きているのか
 理由は場所によって異なる。山西省など中国の一部の地域では、大勢の若い未婚男性が石炭の鉱山で働いている。死亡事故は頻繁に起きる。
 若者の死を嘆く遺族にとって、冥婚は気持ちを癒す手がかりとなる。家族の生計を支えるために働き、その仕事中に死んだ若い息子のために花嫁を探すというのも、遺族の心をなだめる手法のひとつだ。
 しかし男女の人数の違いによる影響も大きい。2014年国勢調査によると、この年に生まれた新生児の内、女児100人に対して男児は115.9人だった。
 一方で黄博士は、さらに根本的な文化的な要因もあると指摘する。
 中国人の多くは、死者の願いをかなえないとバチがあたると信じている。冥婚は、死者を鎮める方法なのだ。
「死者は死後の世界で生き続けるという考え方が、冥婚の背景にある。なので生きている間に結婚しなかったとしても、死後に結婚する必要があるわけだ」と黄博士。
 中国以外でもあるのか
 冥婚のほとんどは、山西省や陝西省、河南省など、中国の北部や中央部で行われる。しかし香港の風水師、司徒法正氏は、東南アジア各地の中国人社会でもこの古代の風習はまだ続いていると話す。
 台湾では、未婚の女性が亡くなると、遺族が現金や紙銭、髪の一束、爪などを入れた赤い包みを表に出して、男性が拾ってくれるのを待つという風習がある。最初に拾った男性が花婿として選ばれ、亡くなった花嫁との結婚を断るのは不吉なこととされる。
 結婚の儀式は中国本土と似ているが、本土と異なり、遺骨を掘り起こしたりはしない。花婿は、生きている女性との結婚も許されるが、冥婚でめとった妻を正妻として尊重しなくてはならない。
 台湾・台中市の男性が、亡くなった恋人と大掛かりな式典で「結婚」するビデオが、昨年話題となった。
 こうした儀式の根幹にあるのは、死や喪失とどう向き合えばいいのかという、人間にとって普遍的なジレンマだ。
「そういう冥婚はとても感動的です。愛は永遠だと教えてくれます」と司徒氏はBBCに話した。
(英語記事 China's ghost weddings and why they can be deadly)

2016年8月26日 BBC News
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37182968

 さて「冥婚」という儀式がある。
  私の記憶では台湾で聞いたことがあるが、記事によるとい中国の山西省や東北部にあるらしい。台湾の風習は、「客家」などによって伝わったとされているので、たぶん漢の時代から明の時代までの間の中国で、特に「貴族」などの間で行われたモンド絵あろうと推測される。基本的に「独身で死んでしまった人」に対して、独死んでしまった場合は、冥界に行ってから一人で過ごさなければならないので、そのままいつまでも孤独をアジア話なければならないということから、死者同志を結婚させるという風習である。
  この考え方の根本には、二つの現在ではあまり日本でも考えられていない風習が存在する。一つは「家」という考え方である。中国を信奉している社民党の人びちゃ左翼主義者にはとてもとても受け入れられないものであろう。共産主義的な個人主義、唯物論では全く理解できないであろが、実際に、日本の「家制度」や「家長制度」よりも厳格な家長制度が中国には存在していた。いや現在でも中国人の風習として存在しており、そのようなものは正月と葬式と結婚式の時に必ず現れてくる。表面でしか中国を知らず、現地で何年も中国人と同じ釜の飯を食う経験をしていない日本の左翼主義者たちは、そのようなことは知らない。正月は、必ず先祖伝来の霊にご挨拶をする。目下のモノは目上の者の家に並び、その家の中において仏壇というか、真っ赤な「神棚のようなもの」に手を合わせる。私は中国の方式を真理詳しく知らなかったので日本流で行ったが、それでも「気持ちで十分です」と言って笑顔で迎えてくれた。日本のように厳粛なものではなく、先祖に挨拶するということが必要なもののようだ。葬式も同じで、現在では唯物主義のおかげであまり遺体などには特別な感情を抱かないようであるが、一方で、霊に対してはかなり厳粛に行われる。もちろん「厳粛」といっても中国であるから、あの趣味悪い赤い寺なのであるが、まあ、そこは文化の違いである。
  さて、そのように家制度があるから「家格が釣り合う」という必要がある。そのために、貴族は「自分の一族の遺体はまとめて埋葬する」という意味合いがある。古墳のようなものではないが、一族の墓所がしっかりしているし、また客家などは「先祖の遺骨」を、もちろん全部ではないが、常に持ち歩ける状態にしており墓をつ繰らない風習を持っているのである。
  さて、長くなったがもう一つは「冥界における使命論」である。つまり「結婚して子孫を残さなければ一人前ではない」というような思想である。子孫を残し次世代の時代の基礎を作ることが人間の使命であり、そうでなければ「人間は生まれてきた目的を果たすことができず、幽ってしまう」というような考え方がある。
  残念ながら独身で死んでしまっても、結婚さえしていれば、冥界において二人で過ごす古語ができるし、次世代を作れなかったのは、神が子供をくれなかったからであるというような考え方になるのであろう。そこで、少なくとも冥界で、出来レアまた生まれ変わってくることができるというような考え方になるのである。
  そのために「冥婚」というように「死んでからでもいいから結婚させてあげてはどうか」というようあ発想になるのである。日本人のように「死んだ後に黄泉の国に行く」という発想がなく、また、「黄泉の国で自立している」というような考え方がない、あくまでも「家に縛られている」というような考え方の場合はこのような結論になる。
  さて、その文化に関しては、特に否定するものではない。日本と中国では、当然にその文化も環境も全く異なるのである。中国の仏教とインドの仏教と、日本の仏教は全く異なるのはその官許のせいである。イスラム教であっても、基本的には「シーア派とスンニ派」があるように、環境によって解釈などは異なるのが宗教であろう。
  さて、この記事の特徴は「唯物主義・共産主義の人間たちが冥婚で金儲けしているということ」である。
  私は何度もこのブログで現代の中国人、つまり共産主義・唯物主義で市場経済を行っている中国人に対して「モラル無き拝金主義者」という言い方をしている。中国共産党信奉者には非難されているが、少なくとも彼らの持っている理論を合わせればそのようになる。そして、その内容が「遺体を掘り起こして売る」という行為になっているということを行っているし、また知的障碍者を殺すというようなことになっているのである。冥婚は本来「生きているものと死者の結婚」もありうるが、それを騒がれると困った人が、殺してしまったということになろう。ここから際はそろそろながくなったのでやめておこう。いつもと同じになるし。
  さて、文化や伝統を守るということは「続ける」だけではない。このようにその文化をも守るために関係ない人を殺したり、あるいは遺体を掘り起こして金に換えていては「文化を守った」というようにはならないであろう。その成り立ちやモラルを維持し、そのうえで、その文化を継承する、考え方やその根本の精神性を継承するということが必要である。そのように考えていれば「冥婚」という「行為」が残されていても文化が残ったことにんはならない。中国人は、完全にモラルの部分で、そして精神性の部分で「伝統」をけがしてしまっているのではないかと思う。

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