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リオデジャネイロオリンピックが終わってなんとなく思うこと

リオデジャネイロオリンピックが終わってなんとなく思うこと

 一昨日、まあ、書いているのが23日なので、私には「昨日」という感じがするのであるが、リオ・オリンピックが終わったのである。日本は金銀銅合わせて41ものメダルを取るということになった。
  まあ、厳しい言い方をすれば、「ロシアがいないってそんなにすごいのか」とも思うし、一方で、「日本もよく頑張ったなあ」と素直に喜ぶところもある。何とも言えない部分が存在する。その何とも言えない部分がどうしても気になってしまうのか、基本的にはさまざまな感想が出てくるものである。
  さて、閉会式ではサプライズがあった。下の記事にあるが、日本では世界で話題になっている様々な日本のアニメキャラクターやゲームキャラクターが登場し、そのうえで、最後にドラえもんとマリオが日本で登場、マリオの土管が地球を突き抜けてブラジルに入ってくる。その土管から現れたのが、マリオのコスプレをした安倍首相であったという。
  さて、この演出には賛否両論あるが、私はよいのではないかと思う。はっきり言うが、日本は「国家を挙げて」東京オリンピックを招致し、世界の人々を迎える東野あやはり小池百合子都知事だけではなんとなく役不足な気がしないでもない。もちろん「首相がないを射やっているのだ」というような批判もあるが、しかし、「日本の文化を紹介する」ということと、同時に、日本の首相が「遊びのわかる人」である必要が存在するのではないかと考えられるのである。その意味において「日本のソフト」をわかっている首相が、世界を迎えるというのは良い感じではないのか。
  まあ、そのような「サプライズ」よりも、閉会式で流れた「君が代」が美しかった。なんというか、勝手なイメージでしかないが、「サンバ」から「落ち着いた」日本への「キャラクター変更」がしっかり現れたのではないか。まあ、女性で例を挙げてしまえば「サンバのような陽気な女性」も当然に良いのであるが、「しっとりした日本美人」もやはりよいのではないかというような感じである。そのような「ゲス」な例を挙げると、少なくとも世の男性は理解してくれるであろう。甲乙つけがたいが、両立しない良さを、いかにうまく表現してゆくのかということが最大の問題であり、その両極端をしっかりと表現した閉会式ではなかったか。
  さて、閉会式が終わったので、オリンピックについて書いてみよう。基本的に競技をしている間は、競技の選手に失礼なので、さまざま批評を出すのをやめた。そのために、今日のブログでまとめて書いてみようと思う。

五輪テレビ中継 競技と関係ないタレントは必要なの?

『女性セブン』の名物記者“オバ記者”こと野原広子が、オリンピック中継に物申す!
 * * *
 リオ五輪が始まると、テレビのリモコンが手離せない。時差12時間もなんのその。地球の裏側で奮闘しているわが日本選手団の活躍を、ライブで見たい一心で、地上波とBSを行ったり来たり。
 非独立国も含めると204か国、1万500人の選手が参加しているそうだけど、国を背負った選手たちの緊張感がテレビ画面から伝わってきて、ピリピリと音を立てているよう。 音といえば競技中の選手の吐く声のセクシーなこと。競技の決着がつく直前の、観客の絶叫も臨場感抜群で、明日こそは25インチのテレビを40インチにしようかなと、算段しちゃう。
 でも、聞くに堪えない音もあるんだよね。特に民放が中継する競泳とバレーボール、と言ったらピンとくる人はいるはず。まず民放にチャンネルを合わせるときは、前もって「来るぞ」と、下腹に力を入れるけど、それでも間に合わないオリンピック・フィーバー、ハイテンション。
 これを「わあ、オリンピックだわ~」と思える人はいいよ。でもそうでない私には苦行なのよ。
 競技と縁もゆかりもないタレントが、現地からマイクを握る。「いや~、すごかったですねえ。さっきから鳥肌が立ちっぱなしですよ」と、私たち視聴者の代表としてレポートするって触れ込みだけどさ。
 タレントの視線、いる? 現地の空気を伝えるなら、実況のプロがすればいいんじゃないの? タレントだけじゃない。競技が始まると、競泳は複雑な戦略がないせいか、解説者も「さぁ~、ここからですよ」とどうでもいいことを興奮して連呼するからガマンも限界。
「うるせぇーっ、見てりゃわかるわっ」
 レースに興奮しているのか、実況を怒っているのか、自分でもわけわかんない。
 競技が終わっても、腹立ちは収まるどころか、増す一方よ。たとえば、競技のすぐ後で疲れ切った選手をスタジオに呼んで、笑いとるような質問をなぜする? 世界と戦えるまで己を磨いてきた選手と、その競技をにわか勉強した程度のタレントを交わらせる必要がどこにあるの?
 スポーツは純粋にスポーツとして観戦したいんだよ。バラエティーにすると、クリアな画面がたちまち濁って見えるのは、気のせいか?
 バレーボールだってそう。50年前、東京五輪のブルマー姿の東洋の魔女を白黒テレビで見たことを今も覚えている私は、1点入るたびの鳴り物入りの大騒動が耐え難いんだよ。ああ、言い出したら止まらないわ。もちろん日本選手の活躍を期待するし、できれば勝ってほしいよ。でも日本に勝ち目のない競技を、タレントを使ってテンションを高くすれば喜ぶほど、オバサンはバカじゃないからね。
 ほんと、民放局のスポーツに対する姿勢、いい加減なんとかしてよ。

2016年08月08日 07時00分 NEWSポストセブン
※女性セブン2016年8月18・25日号
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12180-436336/

“安倍マリオ”にネット騒然 首相サプライズに「笑った」「身体張ったな」

 ◇リオデジャネイロ五輪閉会式(2016年8月21日)
 リオデジャネイロ五輪の閉会式で、東京都の小池百合子知事(64)に五輪旗が引き継がれるセレモニーが行われた。4年後の東京五輪を紹介するパフォーマンスには安倍晋三首相(61)が世界的人気ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の主人公マリオに扮して登場。インターネットでは“安部マリオ”の登場が大きな話題となった。
 20年東京五輪をPRするVTRには競泳の北島康介氏(33)や世界的に有名なアニメ「キャプテン翼」や「ドラえもん」が日本の魅力を紹介した。安倍首相はマリオに変身。日本から地球の裏側までゲームでおなじみの「緑の土管」でつなぎ、東京からリオデジャネイロへ移動する映像が流れ、映像画面がマラカナン競技場に戻ると、フィールド中央に出現した土管の中からマリオ姿の安倍首相が登場する演出だった。
 インターネットでは衝撃の“首相コスプレ”に「安倍マリオ笑った」「噴き出した、、、ナイスセンス」「中々面白かった」「東京五輪PRは格好よかった。首相も身体張ったな」と好意的な声が多かった。
 
スポニチアネックス 20160822
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/22/kiji/K20160822013217070.html

 まず、オリンピックは「参加することに意義がある」というよ言うな時代ではなくなったのではないかというのが、吉田沙保里選手の涙を見て思った。「主将なのに金メダルではなかった」という一言は、あえて言うが「勝手に期待している多くの日本国民」に対して、その期待感を一身に背負った「責任感」があり、その重責が様々な状況を作り出したのではないか。もちろん銀メダルでも立派である。何しろ世界2位なのである。しかし、そこを「金メダルでなければだめ」というような、そのような感覚は、やはり日本特有ではないのか。日本にはまだまだ、そのような「国民全体の期待」を背負ったというような素晴らしい感覚を持った人が少なくないということに、なんとなく頼もしく思った。
  一方「意外性」のメダルも少なくなかった。そもそも「カヌー」などは誰も期待していなかったのではないか。少なくともオリンピックが始まるまで、カヌーという競技があることも知らなかったし(失礼)また、そのような協議があるということを放送もしていない。やはり選挙の時も言ったが、マスコミが放送するとしないのでは全く違うということがよくわかる。その辺、メジャーになるかならないかは、やはりマスコミの影響が非常に大きいということになるのである。
  そのマスコミに関して苦言を呈せば、上記の記事の通り、「あまりにも何もわかっていない人」がレポートに行き過ぎである。何なのだ、あの芸能人の「無意味な叫び」は、と思ってしまう。別に見に行ってはいけないなどというつもりはない。オリンピックのたびに現れる江頭2:50などは、名物になっているが、それでも自費で言っている。自費で言って、派手な応援をすることに関しては、全く否定しない。それ以上に「誰でも出てくるような素人の叫び」をただ公共の電波で流し続けることの意味がよくわからないのである。
  スポーツは純粋にスポーツとして観戦したいんだよ。バラエティーにすると、クリアな画面がたちまち濁って見えるのは、気のせいか?<上記より抜粋>はなかなか正しいことを言っているような気がする。
  また、もう一つはオリンピックに過去出ていた選手たちの「再就職としてのレポーター」も面倒である。もちろん、練習などは共通だし、単なる芸能人が何か言っているよりははるかに意味がある。また浜口京子が女子のレスリングに関して語ってくれるのは、非常にありがたい。しかし、スケートの高橋大輔が、夏のオリンピックを語って、何がわかるのであろうか。はっきり言って「仕事選べよ」と言いたくなるものである。
  昔、1936年ベルリンオリンピックの時に、水泳で金メダルを取った前畑秀子野泳ぎには、誰の解説もなかった。ラジオで実況している河西三省氏は、後半実況も何メートルくらい差があるもなく、ただただ「前畑頑張れ」を連呼した。非常に有名なフレーズである。実際に、野球中継などもラジオで聞いていると、いつの間にか応援になったりしてしまう。その内容は、ある意味実況でも何でもないが感動を与える。しかし、今回の実況や芸能人の無駄な叫びが「感動」を与えるのであろうか。いつの間にか「選手の作り出した感動を打ち消してしまっている」のではないかと思う。
  やはり、「マスコミ、総バラエティー化」は、このようなスポーツでも弊害があるのだ。

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