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マスコミ批判に関する一考(326) やればできるじゃないか!という声が聞こえる「真田丸」で好評だったNHK

マスコミ批判に関する一考(326) やればできるじゃないか!という声が聞こえる「真田丸」で好評だったNHK
 月曜日はマスコミ批判なのだが、基本的に「批判」ばかりではなく、よいことはしっかりと評価したいと思う。その評価の中には当然に良いものもあるし、またほめるべき内容も存在する。もちろん、批判其のものであっても「批判部分を治す」ということが前提であり、そのことは一つの大きな内容になるのであるが、しかし、なかなかその部分において聞き入れられない状況があるようだ。
  さて、批判・非難は来年も行うのであるが、やはり一年の最後くらいは「ほめる」方が気持ちが良い。そこで褒められる内容のものを見つけてみると、どうも「報道」の世界にはそのようなものはないようである。残念ながら、報道の世界においては「足で稼ぐ」という基本がマスコミの中からなくなってしまったり、あるいは「人間関係の中から物事を聞き出す」というような当然のことが無くなってしまっていることが非常に残念な気がしてならない。そのために、「スクープ」などもなくなってしまい、実際に現場にいる人の言葉やネット上の書き込みの方が「報道力がある」というような感じになってしまう。単純に「報道」という意味では「現場力」が重要であり、その「現場力」が生かせなくなってしまった、現在のマスコミは、かなり弱ってしまっているという気がしてならない。その分、訳の分からないイデオロギーや思い込みなどによって「偏向報道」が行われてしまうのである。
  そこで「制作物」ということで見ると、今年はNHKの「真田丸」が好評であった。
  「真田丸」は、かなりの大ヒットで、一昨年の朝の連続ドラマの「あまちゃん」どうよう「○○ロス」という単語が出てくるほどの内容であった。あまちゃんは「3・11」を、そして真田丸「歴史」を、いずれも「物語」として扱い、「わかりやすく」解説するという意味においては、共通のものである。要するに「NHKは、事実を小説調にして制作報道する」ということに関して言えば、最近はなかなかヒットを飛ばしているということになる。
  では「真田丸」は、何が良かったのであろうか。
  その最終回に関する記事が出ているので、そのまま見てみよう。
"真田丸ロス"に陥る人々続出! 豊臣家の「最期」が描かれなかったことにも納得
 大河ドラマ「真田丸」(NHK総合)が12月18日の最終回でとうとうフィナーレを迎えた。第1話視聴直後、こちらで「真田丸」を絶賛するコラムを書いた覚えがある。あれからもう1年が経過した。(文:松本ミゾレ)
 本作は、主人公を真田信繁(演:堺雅人)に据えてはいたが、実質的には真田一族の絆の物語という形態をとっていた。その証拠に、信繁が真田幸村を名乗り、タイトルにもある出城、真田丸に布陣したのは、最終話直前のこと。
 1年をかけて丁寧に描かれた、信繁と彼が出会ったさまざまな人物たちとの緻密な物語は、時間を経つごとにSNSで話題になっていた。毎週の放送直後、ツイッターのトレンドに「真田丸」が挙がるのも、いつしか当たり前のことになっていた。これほど大河ドラマが盛り上がったのは、なかなか久しぶりのことだった。
 その「真田丸」が終わってしまったことで、少なくない人たちが真田丸ロスに陥っているようだ。
「明日通学電車で大阪城見たら泣きそうになる気がする」
 2013年のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」は大変な人気作品となった。そしてこのドラマが終了した際には、あまロス(あまちゃんロス)という状態に陥って、終了のショックに消沈する人たちが大発生した。
 同じことは、人気ドラマにはよくあること。「真田丸」も例外ではなかった。真田丸ロスに陥ってしまった人々の声を、ツイッターからいくつかご紹介したい。
「真田丸ロスハンパなさすぎて明日通学電車で大阪城見たら泣きそうになる気がする」
「今になって真田丸ロスがじわじわきてる」
「真田丸ロスでおかしくなってるから星野源見ると『おのれーーー!!徳川秀忠!!!!』ってなる」
 正直、放送開始前のキャッチフレーズ「今だって、愛と勇気の旗をかかげていいんだ」が発表された際にはコケるような気がしたんだけど、それは完全に杞憂に終わった形である。
   歴史上有名な人物も真田に直接関係なければ「ナレ死」で済ます
さて、最終回を観ている際に、気になった方もきっと多いと思うが、豊臣方の主要人物らの最期について、劇中でもナレーションでも描写がされていないケースが多かった。
 ネットでは「あれ? 秀頼はどうなったの? 大蔵卿局は?」などの声も結構見かけている。これについては、元々「真田丸」ではしばしば見ることのできた特徴的な作風だ。
 関が原の合戦では、徳川家康に立ち向かった石田三成、大谷吉継ら主要人物の合戦シーンはばっさりカットされ、それぞれの最期がわずかに、それもイメージとして表現されていた。
 その理由についてはファンの間でも諸説ささやかれているが、個人的には、「真田丸」が真田と、そのゆかりの一族のドラマであることに由来があると思っている。
 豊臣秀吉という別格の例外こそあるが、基本的にはいかに歴史上有名な人物であっても、真田との縁がそう強くない者たちの末路については、あまり緻密には描かれなかった。ナレーションで、その後死んだことが説明される「ナレ死」も多い。
 一方で初期から苦楽を共にした地侍の堀田作兵衛、信繁の父、昌幸の側近でもあった高梨内記ら真田ゆかりの人々は、しっかりとその最期が描写され、真田の物語の肉付けの総仕上げの役割を担った。
 信繁の子、真田大助はその最期が描かれていないが、彼の死を描くとなると、大前提として必然と豊臣方の自刃を描く必要があるため、これは仕方がないだろう。
   12月30日に総集編を放送予定
 思えば本作、第1話のサブタイトルは「船出」。紆余曲折あったが、"船出"した以上、最終回では彼らの旅は終わることとなる。終焉がきっちり描かれるのは真田の人々に限られるというのは、実に理にかなったことのように思えた。
 そういえば、大河ドラマ最終回後の恒例となった総集編は、もちろん「真田丸」もやる予定となっている。放送日は12月30日。1年間「真田丸」を楽しんだ方も、「そういえば観てないな」という方も、是非ご覧になってみてはいかがだろうか。
2016年12月19日 17時51分 キャリコネ
https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-5439/
 さて、「真田丸」の脚本は三谷幸喜氏である。私の見方からすると「人の死を描くのが苦手な脚本家」という気がしてならない。もちろん、コメディタッチの脚本を書く人がシリアスなものを書くというのはいかがなものかと思う。しかし、「真田」というのは「散る美学」の代表的な人である。歴史的な評価はとにかく、少なくとも、当時、大阪城に集まったろう人の中においては、後藤又兵衛と並んで「二大知将」であったことは間違いがない。その真田幸村は、「個人の実力」では抜きに出ていたものの、「家康の首をとる」という目標を達成することができずに、見事に散る。その「散る姿」が「日の本一のつわもの」といわれるゆえんであり、どうじに、その高い評価を得る内容である。
  特に、その後の260年の盤石な幕府を作る、その幕藩体制の初めに、家康自身を窮地に追い込んだのであるから、なかなかの天才であろう。しかし、大阪城上層部の抵抗や戦わないす大将豊臣秀頼など、さまざまなところに障害があり、その部分をうまく脱しきれないという、現在の会社組織にも共通するところに、多くの人の共感を呼ぶものである。
  さて、その「散る美学」の真田を「人の死を書くのが苦手な脚本家」がどのように「締めくくる」のかというのは、私のように「文筆業」の人でなくても十分に興味のあったところである。
  豊臣秀吉という別格の例外こそあるが、基本的にはいかに歴史上有名な人物であっても、真田との縁がそう強くない者たちの末路については、あまり緻密には描かれなかった。ナレーションで、その後死んだことが説明される「ナレ死」も多い。
 一方で初期から苦楽を共にした地侍の堀田作兵衛、信繁の父、昌幸の側近でもあった高梨内記ら真田ゆかりの人々は、しっかりとその最期が描写され、真田の物語の肉付けの総仕上げの役割を担った。<上記より抜粋>
  歴史のファンであれば、当然に「豊臣秀頼の死」、山里廓における最期というのは、なかなか大きな内容であるが、しかし、その内容に関して関ケ原同様ばっさりカットされているつくりは、上記抜粋のようにもわかる通りに「真田家の物語」であるからということもあるが、当然に「人の死を書くのが苦手」ということもあろう。実際に、後藤又兵衛の士などは、なんとなくあっさりした感じがしていたし、木村重成も「なぜ一人で敵地の真ん中にいるだ」というような感じになってしまう。単純に言えば「乱戦」を描かなければ「本陣武将が雑兵に殺される」ということは少ないわけであり、その辺の描写は少し「苦手」感が漂う気がする。
  しかし、一方上記にはないが、真田幸村が最後に死ぬ(実際に死んだ場面はない)は、兄信之の六文銭のひもが切れるということから、わかるような状況になる。そして、最期に「幕末・幕府を倒す佐久間象山が」という「因果関係」で締めくくるところなども、非常に凝った作りになっているではないか。
  まあ、「歴史的な事実」ということからすれば、さまざま言いたいこともあるが「娯楽大作」もっといえば「歴史に興味を持ってもらう第一歩」の作品として、素晴らしかったような気がするのである。
  また、このような歴史大作を期待したい。

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