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マスコミ批判に関する一考(340) 暴力によって記者が殺されたっことによって廃刊に追い込まれるメキシコの新聞と日本のマスコミの違い

マスコミ批判に関する一考(340) 暴力によって記者が殺されたっことによって廃刊に追い込まれるメキシコの新聞と日本のマスコミの違い
 メキシコの治安の悪さは、かなりすさまじいものである。
  メキシコの環境下で真実を伝えるということは、かなり大変なことなのではないか。私はそのように思う。基本的に、「取材する」という一言を言っても、三つの態様がある。
 一つは、事故など、現場そのものを伝えることで、その報道の使命が全うできるものである。これは「事故」や「災害」などに適用されるが、その被害などを伝えるものであるから「過去のこと」を取材し、それが現代という時間的相違や場所という地理的な相違を超えてお互いにに与える影響を伝えるものである。この報道に関しては、基本的には取材対象者から反対されることはない。よほどの勘違いがある場合、例えば、阪神大震災の後に毛皮のコートを着て取材に来たアナウンサーに対して非難があったが、そのような「勘違い」の避難とか、あるいは被害者のプライベートの内容など、基本的には「勘違い」や「無意識」による行動に対する非難以外には、基本的には非難はない。
  次に、「広報的報道」である。基本的に政府発表や記者会見など、「取材対象者が第三者に知らせたい事柄」を報道することである。最近ではディズニーランドの改装や、新製品の発表、映画などの制作発表など、これに関しては、そもそも避難などが発生するはずがない。まあ、このことに関しては、せいぜい競合からに難が来る程度であり、なおかつ報道機関に対してではなく取材対象者が非難されるものであるはずだ。
  そして三つめが、「真相報道」である。もちろん、日本で「真相報道」などといっているものは少なくないが、しかし、実際に真相を報道しているものなどはほとんどない。真相報道は、そもそも、報道側にイデオロギーなどがあってはいけないし、また、その真相が、取材対象者が隠しておきたいものに関して、その隠していることを明らかにしてしまうのであるから、取材当初からうるさいと思われるものである。日本の報道機関のように「通名」を報道し「本名」や「国籍」すらまともに報道できない日本のマスコミに、そのような「真相報道」を期待するだけ無駄であろう。では、本当のことを報道するとどうなるのか。
  そのことをしっかり行ったのが、メキシコのマスコミである。
記者殺害され新聞廃刊に メキシコ
 メキシコ北部シウダー・フアレスの地元紙が2日、記者への暴力激化と当局による取り締まり不足を理由に、廃刊を宣言した。紙のバージョンは同日で最後となり、オンライン版も「間もなく」閉鎖されると、編集長が社説で書いた。
 「ノルテ・デ・シウダー」は3月、ミロスラバ・ブレチ記者を銃撃によって失っている。メキシコでは3月に、ブレチ記者を含めて記者3人が殺害された。
 ブレチ記者は、北部チワワ州の政治家と犯罪組織の癒着について取材し、ノルテ・デ・シウダー紙とメキシコシティー拠点の全国紙ラ・ホルナダで精力的に執筆していた。
 同記者は3月23日、州都チワワの自宅前で、自家用車内にいたところを8回撃たれて死亡した。子供の1人が同乗していたが、けがはなかった。
 犯人は「口やかましいからだ」と書いたメモを現場に残した。
 ブレチ記者殺害の抗議集会で。記者の顔写真に「正義」の文字が書かれた(3月25日)
 ノルテ・デ・シウダー・フアレス紙のオスカル「批評的でバランスのとれたジャーナリズムを遂行するために必要な、保証も安全対策もない」と社説で書いた。
 「人生のすべてには始まりと終わりがあり、払うべき値段がある。もしその値段が記者の命なら、同僚たちにこれ以上その代償を払わせるわけにいかない。私自身も払う気はない」と編集長は書いた。
 ジャーナリスト保護団体によると、メキシコでは1992年・カントゥ編集長は、以来、ジャーナリスト35人が仕事内容を理由に殺害されている。そのうち25%は拷問された。さらに3人が危険な取材が原因で死亡している。加えて同じ1992年以降、動機は不明ながら50人のジャーナリストが殺害されている。
 チワワ州知事は3月、組織犯罪に対抗できるだけの力が州政府にはないと発言。麻薬カルテルと戦う警察を支えるため、連邦政府に支援を要請したという。
(英語記事 Mexico newspaper stops printing after reporter shot dead)
BBC News 2017年4月3日
http://www.bbc.com/japanese/39478308
 メキシコ北部シウダー・フアレスの地元紙の話である。
 ジャーナリスト保護団体によると、メキシコでは1992年・カントゥ編集長は、以来、ジャーナリスト35人が仕事内容を理由に殺害されている。そのうち25%は拷問された。さらに3人が危険な取材が原因で死亡している。加えて同じ1992年以降、動機は不明ながら50人のジャーナリストが殺害されている。<上記より抜粋>
 まともに考えれば、本来「政府が守ってくれる」とか「市民が守ってくれる」などというような話なのかもしれないが、しかし、そのようなことを待っていることができないというのが本来の話なのではないか。実際に、これ等の話の場合、ジャーナリストというのは「民間人」であり、強制力も何もない。そのために取材に関する規制などはある者の、その身分の保護は全く存在し無いということになる。このような危険な状況で、物事を報道するだけの「勇気」と「真相報道への使命感」に対しては敬意を表する以外にはないし、同時にメキシコそのものが、そのような環境であるということをしっかりと見なければならないであろう。
  当然に、このような環境の中から犯罪者が来るのであるから、トランプ大統領がメキシコとの間に壁を作るということを主張するのは、ある意味で当然であり、同時にメキシコそのものには、「法律」よりも「暴力」の方が大きく作用するということが明らかなのであろう。そのようなな「法治国家ではない人々」が大量に流入したらアメリカも困ったことになるであろう。
  まあ、アメリカのトランプ大統領は、別な問題で様々語ることになるが、今、この報道を見てトランプ大統領を非難していた人々はどのように思っているのであろうか。実際にそのような人々を保護し、不法入国者を保護しようとしていたヒラリークリントン支持しやや、ニュースウィークやニューヨークタイムズの人々は、このような環境でしっかりと取材をし、なおかつ、その内容を報道者としての使命を圧倒することができると思っているのであろうか。これらの事実を全く踏まえない、単なるアメリカ国内の、「政局」報道を行うこと自体があまりにもおかしなものであり、そのような「無責任な、なおかつ法治国家を守るたっめの報道」を行えないのが、リベラル派の「無責任報道」である・
  当然に、日本においても同じことであり、日本の報道で、メキシコがこのような国であるというような報道をしたことがあるだろうか。観光番組のような、基本的には「政府報道」ばかりで、真相封土を全く行わないのが日本の報道機関である。そのような日本の報道機関の報道を真に受けてメキシコあたりに観光旅行に行って犯罪に巻き込まれた場合、日本の報道機関はどのような責任を負うのであろうか。実際に、韓国などで強姦された被害が多く言われているが、それらの、リスクの報道をしっかりと行う必要があると考える。そして、そのリスクをしっかりと報道し、なおかつ良いところも報道すること、そのうえで「自己責任で旅行・渡航」することを進めるのが、責任を全うするということではないのか。
  まあ、リベラルの無責任報道にそのようなことを要求することが無理なのかもしれない。それならば無責任報道しかできない人々には、報道の世界化r消えてくれた方がよいのではないか。

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